
2004年9月3日から鹿砦社代表・松岡の連載が始まりました。
| ■2004年9月24日(金) われわれの内なる<1970年代> 3 |
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| 9月10日付けの「甲子園村だより」で、先輩S・Kさんのことについて書いた。インターネットで彼のことを検索すると、自身のホームページを開いておられることを知った。作品数(長編の単行本)が既に10数点あった。最初に出したのが1981年ということだから、1年に1冊にもならない。決して多筆ではない。雑誌などに発表していながら、まだ単行本となっていない短編もかなりあるようだ。新人賞をとられているだけでなく、けっこう有名な賞もとられていた。最近では、復刊や文庫版なども続いていると書かれている。ある芥川賞作家は、小学生の時からS・Kさんのファンで、受賞の際、サイン入りの自著を贈ってくれたという。 おそるおそるメールを送ってみた。最後に会ったのが1981年、おそらく渋谷の喫茶店だったとかすかに記憶する。『夕陽の部隊』を掲載した雑誌の出た後だから、実に23年振りということになる。 「松岡兄。ごぶさたしています。その後わたしのほうもアップアップしながらの毎日ですが、どうにかこうにやっているのはごらんの通りです。ホームページ拝見しました。いい文章,ほのぼのとうれしくなりました。」 返事が来た! 20数年もご無沙汰していながら、S・Kさんは受け入れてくれ、長いメールをくれた。S・Kさんの笑顔が目に浮かぶようだ。 「立っているところ、戦っているところは違いますが、あなたの奮戦ぶりもいつも気にしていました」 私も常人よりは浮き沈みの激しい人生を送ってきたけれど、いや、S・Kさんこそ、彼が逮捕された三里塚闘争の長年の裁判闘争も、組織的なバックアップもなくなり、いつの間にか、個人の孤独な闘いになっていったので、苦しかったものと容易に想像できる。 「なんせ児童文学作家ですもんね、凶状持ちでは具合が悪かろうというものです。某児童文学の集まりでチラッとそんなことをいったら仰天され、その後はかなり『このひとやばそう〜』という目でみられ、ああやっぱりこんなもんなのね世間の目ってと思いました。いっていることは昔と大してかわらずなので、やはりこの世界でも『危険なやつ』と思われているようです」 凶器準備集合等で闘い逮捕された「凶状持ち」の「児童文学作家」もカッコいいじゃん、S・Kさん。こんな武闘派の児童文学作家など、そうはいないよ。 『夕陽の部隊』のタイトルの横に記された、 「しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま」 というフレーズ。本当に身に沁みるフレーズだし、ある意味、凄いフレーズだ。私(〜たち)が負った「負債」とは何だったのか?──私(〜たち)もいまだ返しえていない。大仰に言えば、私たちが関わった同志社の学生運動は、60年から70年前後にかけた、いわゆる<二つの安保闘争>において一時代を築いた。しかし、闘いの波が去ってからの真の<総括>をいまだなしえていない。「負債」は、返済どころか、どんどん膨らむばかりだ。 例年にない暑さもようやく和らいできた。季節は秋だ。この拙い連載も、71年秋から72年冬の闘いについて記さねばならない。木枯らしが吹く季節になる前に、おそらくS・Kさんの書かれたアジビラやレジメなども紛れていると思われる、当時の資料類を保管している書庫を整理しよう(家主から撤去を迫られているし)。そこに、30年余り経って忘れていた<われわれの意志>があるように感じる。 S・Kさんのメールは次のように締めくくられていた。─── 「残念ながら『夕陽の部隊』の続編が書けるかどうかはコメントできないので申し訳ないです。今書いているもの、そしてこれから書くものはいつも未知数ですが、全力を尽くしています。その先に何があるかは神のみぞ知る、で。何冊かあった『夕陽の部隊』も、その時々のわたしの人生のエポックで出会った『心許せるだれか』に渡してきて、今家には一冊だけです。ひさしぶりのメールに、ついつい長話を。兄の活躍、わたしも応援しています」 この短編小説は、私にとって、大きな意味を持つ作品であるということは、何度も述べている通りだ。S・Kさんの<闘いの総括>は、いつにこの短編小説に凝縮されているように思う。ふたたび、次のフレーズを噛みしめたい。── 「俺は、虚構を重ねることは許されない偽善だと言ったんだ。だってそうだろう、革命を戯画化することは出来るが、戯画によって革命は出来ないからな」 |