2004年9月3日から鹿砦社代表・松岡の連載が始まりました。

■2006年4月17日(月) 2006年春、50代半ばの再出発■

 今、自宅近くの甲子園球場では球音が戻り、ファンの歓声が聞こえてくる季節となった。なんとも言えない気持ちだ。決して短くない勾留生活で、一時は「このまま<外>に出れないのではないか」とさえ絶望的になったことを想起すれば、複雑な感慨が過(よぎ)る。大晦日から元日にかけての気持ちは、とても言葉には言い表わせない。
 早いものだ。昨年7月12日に突然逮捕されて9カ月余りが経った。勾留は半年余りに及んだ。保釈されてから3カ月が経った。ずっとデスペレートな日々だった。保釈されてからも、何から手をつけていいのかさえ判らず、立ち盡すのみだった。月日だけが徒(いたずら)に過ぎて行った。──
 この間、少ないながら、求められるまま、いくつかの雑誌やニューズ・レター等に「手記」やインタビュー記事を載せていただいた。追い詰められた状況の中で、私なりに精一杯書きしゃべったつもりなので、それらを読まれている方であれば、逮捕以来の私の気持ちは理解していただいているだろう。
 また、少数ながらも、この「甲子園村だより」を再開し自らの気持ちや意見をもっと積極的に表明していったらどうかと勧めてくださる方もいたが、収入もストップし明日銭にも困るほどで、これからの方向性も定かにできない中にあって、とてもここまでやれる気持ちにはなれなかった。
 しかし、人は苦境にあってこそ、その真価が問われるというし、そこにおいて語る言葉にこそ<真実>が在るということを踏まえれば、たとえ苦しくても、この間考えてきたこと、そしてこれからの困難な道程の中で考えることなどを、たどたどしくも書き綴っていこうと思いついた。
 ひと昔前とは違い、今の世はブログなるものが流行り、愚にもつかぬ饒舌がネット上を横行している。私や鹿砦社に対する、悪意あるものも少なからず目にした。まことしやかな言説ながら「木を見て森を見ない」ような実体のないものもあった。それらにいちいち反論をするつもりなどはない。言葉の<重み>が根本から違う。今更、そんなものを相手にしても仕方がない。
 私は出版の仕事を始める時から、比喩として、たとえ便所紙を使ってでも本を出し続けるんだ、そして、たとえ血の一滴、涙の一滴が涸れ果てるまで闘い続けるんだ、と口外してきた。有言実行! 自らを鼓舞する意味も多分にあった。今、それは言葉の問題ではなく、現実の問題として私(〜たち)にのしかかってきている。
 実際に、私の逮捕・勾留によって、われわれの出版社=鹿砦社の出版活動は全面的に麻痺した。しかし、創刊間もない雑誌『紙の爆弾』を、たった一人踏ん張った新卒2年余りの若い社員が、同誌と運命を共にせんという執筆者らの協力を得て、まさに便所紙を使うが如くに守ってくれたことにより、鹿砦社は瀬戸際で“徳俵”に足を残すことができた。今、かつて時代と共にあった『情況』も発行2千部ほどだという。「腐っても鯛」で『紙の爆弾』はその10倍の2万部をキープしている。やりようによっては、社会的に影響力を発することができる部数だ。
 こうしたことを私なりに考えるに、いささか宗教じみるかもしれないが、この間の弾圧は天がわれわれに与えた試練、そして『紙の爆弾』や鹿砦社の出版活動も、まだまだやるべき仕事を残している、だから、もっとやらんかい、ということなのかもしれない。
 ふつうなら、社長が逮捕され長期勾留されたのだから、会社はとっくに倒産していても不思議ではないし、私も、昨年の秋口にはそう覚悟していた。ところがどっこい、首の皮一枚残して生き残っていた。もし、これで再起したら、これは奇跡といえるだろうし、かの弾圧と共に出版史に伝説として名を記すことになるだろう。ここまで生き延びてきたんだ、奇跡を起こし伝説になるために、みなさん方の力を貸して欲しい。

 昨年7月12日以来、マス・メディアの見棄て感の中、苦境にある私たちに意見表明の場を与えてくれたのは、いわばマイナー系といわれる雑誌だった。それは「明日は我が身」という実感があるからだと思う。かの『噂の真相』元編集長、岡留安則氏は、「筆者の予想どおり、どうも業界内での松岡不当逮捕に対する抗議の声がいまいち盛り上がらない。新聞や週刊誌がフォロー記事をやる動きはいまのところまったくない。これから関連記事が出るにしても、一部のマイナー系雑誌ぐらいだろう。松岡自身の人徳のなさのせいなのか」などと言っているが、<岡留サンももう終わったな>という感がする。
 また、名のある「文化人」などが表立って支援を表明しない中でエールを送ってくれたのは、マスコミ・出版界の底辺で頑張っている無名の編集者やライターの方々だった。
 さらに、「支援する会」を作ったり、第1回公判に大法廷を満員に埋め尽くしてくれたりしたのもそうだし、殊に同志社大学関係や学生運動関係の古い先輩や友人のサポートも心強かった。私の支援に駆けつけてくれた、ある後輩(『国家の罠』の著者・佐藤優氏の2年後輩の神学部自治会委員長)は、自らもこの間、勤務先の学校で解雇・配置転換攻撃を受け、私の支援活動で知り合った先輩方に助けてもらいながら解雇・配置転換撤回闘争を闘い始めた。彼いわく、「革命的同志社一家」。
 今回の事件で、人の繋がりの大切さを、あらためて思い知った次第だ。かつて、1970年前後に共に血を流し闘ったことの<連帯感>は残っていた。「全世界を獲得するために」闘った私たちの<絆>は、金力や権力では屈伏できない。警察癒着によってスケールの大きい違法行為を野放しにされている社会的犯罪企業「アルゼ」が、私(〜たち)に対し、金力や権力で潰すことができると思っているのであれば、大間違いだ。発想法が根底から異なるから、理解できないかもしれないが──。
「暴虐の雲、光を覆い、敵の嵐は荒れ狂う」ことを自明のこととして、弾圧されればされるほど密集して闘った私たちは、力による攻撃に屈するほどヤワではない。
 こちらが苦しい時には敵も苦しいはずだ。私をハメたアルゼは、今期の売上がピーク時の5分の1にまで落ち込んでいる。国内ではパチスロ・パチンコ分野でヒット機を生み出せなくなり、活路を海外のラスベガスやマカオのカジノ・ホテル構想に求めざるをえなくなっているが、危ない賭けである。実はここがウィーク・ポイントでもあるのだ。元々、ラスベガスのカジノ・ライセンスも違法に取得していることが、われわれの取材で明らかになっているが、これをすでに現地のゲーミング・コントロール・ボード(賭博規制局)も認識するに至っており、さらに、アルゼとタッグを組み、背後にマフィアの影も噂され
ているスティーブ・ウィンも認識しているのだから、これらの動き如何でどうにでもなる。

 ともあれ、私が保釈された時、われわれの出版活動の場所的拠点としてきた、甲子園に在った本社事務所はなくなっていた。その空き屋の前で絶望的な気持ちで立ち盡した。本社事務所は甲子園から去っているので「甲子園村だより」でもないだろうという声もあろうが、自宅はまだ甲子園に残っているので、これからも「甲子園村だより」を続けていきたい。
 全てが解体に瀕し、加えて50代半ばの老境に入ろうとする中で再出発の春を迎えた。
大仰にいえば、わが人生最大の苦境の中での再出発だ。口で言うほど簡単なことではない。しかし、私もけっこう“悪運”の強い男なので、これまでも幾度となく修羅場をくぐって生き残ってきた。もう若くもないので、どこまでやれるか判らないが、堂々と対峙するだけだ。われわれの世代にとって有名な言葉があるではないか、「力及ばずして挫けることを辞さないが、力尽くさずして倒れることを拒否する」と。あれだけ大騒ぎして報道されたわけだから、少なくともぶざまな生きざまは晒したくはない。
 これからどうなるか判らない。道は平坦ではない、いや困難だ。私のこれからの所業を見守っていただきたい。
そして、もし私が「力及ばずして」倒れることがあれば、野辺に咲く花一輪手向けてほしい。

 思い起こせば、この「甲子園村だより」も、昨年7月以来だ。勾留されていた神戸拘置所の在る「ひよどり台」から獄中記を送るつもりだったが、接見等禁止が続き自由に文章を送れなかったことや、社員が散り散りになったこと、事件以降ホームページが事実上クローズしたことなどで、それも叶わなかった。今後、この「甲子園村だより」は、肩の力を抜いて、日々考えるところを書き綴っていくことにしたいと思っています。……などと言いながら、今回はまだまだ肩肘張っているかな。
 ご意見などありましたら、matsuoka@rokusaisha.com までお願いいたします。

バックナンバー

■2005年7月26日 ひよどり台だより--獄中からのメッセージ(1)
■2005年7月11日 お知らせとこれからの予定
■2005年5月6日 お知らせ
■2005年4月4日 われわれの内なる<1970年代> 16
■2005年3月13日 われわれの内なる<1970年代> 15
■2005年3月7日 われわれの内なる<1970年代> 14
■2005年2月28日 われわれの内なる<1970年代> 13
■2005年2月21日 われわれの内なる<1970年代> 12
■2005年2月14日 われわれの内なる<1970年代> 11
■2004年12月10日 われわれの内なる<1970年代> 10
■2004年11月26日 われわれの内なる<1970年代> 9
■2004年11月19日 われわれの内なる<1970年代> 8
■2004年11月9日 遠方からの手紙
■2004年10月29日 閑話休題──ネットに流れたトンデモ情報
■2004年10月21日 われわれの内なる<1970年代> 7
■2004年10月15日 われわれの内なる<1970年代> 6
■2004年10月5日 われわれの内なる<1970年代> 5
■2004年10月1日 われわれの内なる<1970年代> 4
■2004年9月24日 われわれの内なる<1970年代> 3
■2004年9月17日 われわれの内なる<1970年代> 2
■2004年9月10日 われわれの内なる<1970年代> 1
■2004年9月3日 「遙かなる青春時代の残照」その後
■再録 遙かなる青春時代の残照
2003年5月4日
2003年4月1日


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