■遙かなる青春時代の残照
 村上龍原作の『69』という映画が好評だという。タイトルの『69』とは、激動 の時 代「1969年」のことである。
 言うまでもなく、この前後は、いわゆる学生運動の時代であった。私の母校・同志 社大 学は、この拠点であり、その中心は「学友会」といわれる自治組織であった。社会運 動や 学生運動の歴史に関心がある者ならば、周知のことであり、つとに有名でさえある。
 ところで、昨年夏から今年にかけて、青春時代の残照といったらいいだろうか、わ が母 校の学友会をめぐる事件やイベントが続いた。
 一つは昨夏8月16日、私たちが起居と活動の拠点としていた同志社大学此春寮の 大先 輩、藤本敏夫さんの一周忌の集い(京都・同志社新島会館)。学生運動ピーク時の全 学連 委員長であり、当時を代表する人物の一人である。今では歌手・加藤登紀子の夫君と 言っ たほうが通じる。参加百数十名の老闘士の面々、今にもデモに向かおうかという熱気 だっ た。出席者名簿を見ると、当時の錚々たる大幹部ばかりだ。『サイゾー』の女社長の 叔父 さん、洋菓子の「タカラブネ」の元社長、関西では誰でも知っているG寿司の社長と 副社 長など、畏れ多い方々もおられる。二次会は当然G寿司。
 その余勢をかって、本年3月20日、今度は此春寮だけで、当時の寮母さんの卒寿 を祝 う会(同新島会館)。卒寿といえば90歳。当時の「暴力学生」も、ほとんどが50 歳以 上、歴史を感じさせる。また、こういう集いでは、今では死語となった言葉も飛び交 う。 やはり、同時代を、同じ場所で、共に生き、共に闘ってきたという共通の想いがあ る。
 ところが、昨年来、私たちが場所的拠点としてきた同志社大学学生会館の取り壊し (と 新築)、そして学友会の自主解散のニュースが伝えられた。大学当局、学生側双方 に、様 々な深刻な事情があったに違いない。しかし、学生自治の精神をみずから放棄するこ とは あるまい。同志社大学は、当局や教職員にも、学生自治を尊重するという意識が浸透 して いたリベラルな気風の大学であるから、むしろもっと発展させる方向に持っていくべ きで はなかったかと思うのは、学友会OB老闘士の戯言だろうか?
 学生会館は、本館と別館があって、学生が自主的に管理・運営してきた。殊に別館 は、 24時間解放、壁の至るところにポスターが幾重にも貼られ、過激なスローガンが書 き殴 られ、その中で泊り込んだりもした。ここの住人を、一種の畏敬と侮蔑の意を込めて 「別 館族」と揶揄した。どこの大学でも似たようなことはあろう。私がいたのは70年代 前半 であったが、まだ建てられて十年も経つか経たないかの頃で、すでに20年も30年 も経 っているかのような手あかに汚れた雰囲気だった。しかし、そこには学生の息づかい とい うものが確かにあった。
 学生会館を学生のものとするために、激しい学館闘争があった(1963年。この あた りのことは、詩人・清水昶の『ぼくらの出発〜詩的一九六〇年代記』に詳しく記され てい る。当時全国の多くの大学で学館闘争が相次いだ)。それは学生自治の精神に基づ く。
 また、学友会も、各学部自治会、サークル団体、そして体育会までも包括した全学 自治 組織で、殊に同志社大学学友会は、わが国の転換点であった60年、70年の二つの 安保 闘争を牽引する中心的存在であった。先の藤本敏夫さんもその一人であったし、一周 忌の 集いでも、歴代の学友会委員長が出席された。
 60年代後半の学園闘争では他大学同様「全学闘争委員会」(全学闘)を結成し、 激し く闘い、その戦闘力は全国一、二を争うものだった。以後70年代に入り、多くの大 学の 自治組織が、大学当局から潰されていく中で、同志社大学は生き残り、70年安保闘 争、 沖縄─三里塚闘争、学費闘争(不肖私もこの闘いで逮捕された)などをラディカルに 闘い 抜いた。ラディカルな故に、かの赤軍派を生み出した大学としても有名である。文字 通り の“武闘派”の出生場所であり拠点であった。
 やはり、そうした経験が、私の出版活動のバックボーンになっていることは否めな い。 出版界の先輩であり、休刊した『噂の眞相』岡留安則(元)編集長も同様のことを述 べて おられた(『闘論・スキャンダリズムの真相』参照)。  私の場合、特段に反権力思想に凝り固まっているわけではないが、若い時代に染み つい たものは、齢五十を越えても消せない。私などは、まあ穏健派(笑)の部類だった が、あ の経験なくしては、強きものに対して闘うという意識は出てこないだろうと自己認識 して いる。“武闘派の精神、いまだ死なず”だ。私はいつまでも、“一人別館族”“生き 残り 全学闘”であることを否定しない。
 数年前、『この人に聞きたい青春時代』の刊行前後に学生会館を尋ねてみたが、ま さに 「強者どもの夢の跡」といった感がした。私たちの場所的拠点のみならず精神的拠点 でも あった学生会館と学友会──今はない。
 私たちは、いつまでも怒りを込めて振り返る世代であり続けよう。そして、若い 日々に、 あの場所で培った“武闘派”の精神を持ち続けたい。
 当時の理事長(故人)は、次のように歌った。──
「赤ヘルの学生おのがコートぬぎ 我に着せたり激論の中」(『同志社百年史』よ り)

◎これは『スキャンダル大戦争』8号の「日々雑感ー備忘録風に」の一部を再録した物です。


藤本敏夫さんの一周忌に集う会


同二次会で登紀子夫人と共に高歌放吟


砂野文枝さんの卒寿を祝う会