日々雑感──備忘録風に 
松岡利康
※この文章は、8月10日発売の『スキャンダル大戦争』8号に掲載のものです。
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 4月に本誌(『スキャンダル大戦争』)7号を発行して以降、私たちの今後の行方 にと ってターニング・ポイントとなるいくつかの出来事があった。個人的にも考えさせら れる こともあった。明暗交差するが、かいつまんで記しておこう。──

■流れが変わった「アルゼ」との闘い
 もはや死闘にまで発展した、社会的犯罪企 業・アルゼとの闘いだが、これは裁判闘 争の 領域のみならず、社会的な拡がりや国際的な問題にまで立ち至っている。
 相次ぐ出版差し止め攻撃、そして損害賠償請求三億円もの巨額訴訟となれば、誰し も死 に物狂いで立ち向かわざるをえないだろう。机上で「表現の自由」を弄ぶことは子供 でも できる。要は、こうして現実に出版差し止めや巨額訴訟を掛けられた際に、いかに立 ち向 かうことができるかどうかだろう。
 アルゼ検証本第三弾『アルゼ王国の崩壊』の出版差し止め仮処分「却下」、そして この 審理の過程で予想だにもしなかったアルゼ社長・岡田「代表退任」表明など、私たち の出 版活動や裁判闘争が、この社会的犯罪企業告発に一役かったことは、パチンコ・パチ スロ 業界関係者やマスコミ関係者らにも認知された。今、パチンコ・パチスロ業界の多く の方 々の中で、鹿砦社の名は一躍有名になった。
 当のアルゼ・岡田みずから「その執拗さは異常というほかない」と、これも有名に なっ た彼の「陳述書」の中で述べている。力、とりわけ金力では、まさに象とアリ、その 差は 歴然としている。私たちの武器は、岡田言うところの「異常」な「執拗さ」しかない のだ。
 アルゼの件については、本誌上で三つのレポートにまとめ掲載したのでご一読いた だき たいが、流れが変わったことだけは確かなことであり、さらにアルゼの弱い箇所を衝 いて いくことはやめない。もうひと押し、ふた押しだ。
 なお、アルゼに対して、これまで「社会的問題企業」と表現してきたが、今後は 「社会 的犯罪企業」と表記することにする。この夏、対アルゼの闘いは、“大きなヤマ場” を迎 えようとしている。このことについては、次号でレポートできるだろう。

■「西宮冷蔵」、心ある方々の支援で奇跡の再起!
 本誌でも継続的にレポートし、またこの間マスコミでも大きく報じられているよう に、 私たちが支援し続けてきた西宮冷蔵が、遂に再起し事業再開に漕ぎ着けた。  まさに涙が出る再起であり、世知辛い世の中で、一陣の涼風だ。まだまだ日本も捨 てた ものじゃない。西宮冷蔵の事例や、本誌「知られざる巨額訴訟の行方」のS氏の証言 など に見て取れるように、内部告発ということの難しさをあらためて考えざるをえない が、西 宮冷蔵再起の過程には、多くの無名の心ある方々の熱い想いの力を感じた。
 私たちは、多くのことはできなかったから、返品されて倉庫に眠っていた、西宮冷 蔵の 闘いを記した本を、少しでも食い扶持になればと本誌の原稿料代わりに提供したにす ぎな い。社長の水谷さん親子は、酷寒のさなか、それを売って食いつなぎ、本当に頑張ら れた。 このことについては、本誌7号でも述べられているので繰り返さない(『内部告 発』『ス キャンダル大戦争』で千冊余りになる)。
 しかし、水谷社長は、私たちが思った以上に恩義に感じてくれたようで、いろいろ なマ スコミ媒体で感謝の言葉を言ってくれた。「西宮冷蔵を再建する会」の副会長にも指 名し てくれた(会長は三井環氏)。ついには、テレビ朝日『ワイドスクランブル』で登場 させ られるハメにまでなった。そのお蔭で全国から『内部告発』の注文が殺到するという 副産 物まで付いた。水谷社長、もういいよ。これで恩義は十分に返していただきました。 西宮 冷蔵が、無名の多くの方々の心を掴み、再起に漕ぎ着けたのには、事件の社会性のみ なら ず、水谷社長の、こうした気遣いがあるようだ。

■阪神スカウト・渡辺省三氏転落死事件の迷走
 プロ野球開幕直前の状況や、渡辺省三氏長女・直子さんと私が、事件に関与してい ると 思われる球団関係者(実質上は阪神球団の意向と指示によるものと察せられる)によ り刑 事告訴されていることは、本誌7号にて記述している通りである。  その後、本誌でも1号からずっとレポートしてきている国賠訴訟も、証人尋問を迎 え、 裁判闘争は佳境に入っている。写真週刊誌『FRIDAY』5月20日号は、裁判の 過程 で被告(国と兵庫県)側が提出せざるをえなくなった、事件直後の凄惨な写真を掲載 し、 「転落死」が「自殺」ではなく「他殺」の疑いが濃いことをスクープした。この記事 に携 わったのは、本誌の協力者でもあるI記者である。これだけの写真が出てきたことに より、 記事掲載がI記者の尽力で可能となった記事である(が、やはり、“タイガース・タ ブー” によって、他に後追い記事などはない)。
 ところが、実はこれに先立ち4月13日の証人尋問の前後に、世間の注目を喚起す るた めに、なんとしてもマスコミの記事にしたいという渡辺直子さんの意向を汲んで、私 なり に動いていた。この時点に至るまでには、事件は風化しつつあり、I記者の力をもっ てし ても、マスコミで記事にはできなかったのである。幸い『週刊S』誌が関心を示して いた だき、わざわざ東京から記者が取材に来られ、記事になる寸前までいった。これは、 『週 刊S』側の判断で校了直前に没となった(決め手は、告訴人が直接に阪神球団ではな く、 関係者個人名によるとの理由だった)。
 そこで、『週刊S』に比べればいささか格下になるが『週刊T』の、本誌の協力者 でも あるH記者に頼み込んだ。H記者は、「日頃世話になっている松岡さんのためな ら……」 と意気に感じてくれて、担当のKデスクに説明し、3〜4ページを割いてくれること にな った。渡辺直子さんも、上京され取材に応じられた。あとは記事の掲載を待つばかり とな っていたのだが……。
 ところが、なんの相談もなく、渡辺直子さんみずから『週刊T』にドタキャン。こ れで は、私の立場は台無しである。それはいいとしても、意気に感じて企画を押し込んで くれ たH記者やKデスクの編集部での立場はどうなるのか。ドタキャンは、『小説宝石』 誌上 で「誰かが殺した」というノンフィクション・ノベルを連載していた、芥川賞作家・ 高橋 三千綱氏のアドバイスによるということである。  この高橋三千綱氏の「誰かが殺した」だが、当社が刊行した『タイガースの闇』を 下敷 きにしていることは、連載最終回末尾に記されている。この際だから明らかにしてお くが、 『タイガースの闇』は、先のI記者が、渡辺直子さんの夥しい草稿や資料などを丹念 に整 理し、シンプルに一冊の本にまとめたものだ。著者は一応「渡辺直子」名義になって いる が、I記者の尽力なくしては成らなかったものである。  さらに、ちょうど同時期、阪神球団から、ある“書面”も届いたということであ る。こ の内容は知る由もないが、渡辺さんのドタキャンになんらかの関係があると推察でき よう。
 手前味噌ながら、渡辺直子さんがこだわられた“実名表記”も、私が迷いに迷った 上に 判断しなければ、どこの出版社でも出せなかった。こうしたことは、渡辺さん自身が ご存 知のはずである。
 高橋氏は、『小説宝石』に掲載されるにあたり、直接私やI記者に電話一本の断り もな かった。いつに礼を欠いた話である。また、なぜそのような指示をされたのか、慇懃 な問 い合わせのメールを送ったが、返事さえない。
 私、および鹿砦社は、渡辺さんの本件に対する闘いに、できる限りのサポートをし てき たことは、本誌を継続して購読されている読者のみなさん方はよくご存知のことだと 思う。 同じ町内の隣組の方の一大事であり、私なりに支援してきたつもりである。事件前後 から、 依頼する弁護士の多くに弄ばれ、信頼できる弁護士探しから走り回った。運良く、以 前か ら少し面識があった、人権派の中の人権派、金井塚康弘弁護士に受任いただくことが でき た。正式に依頼するときには、私以上に関係が深かった老作家の先生が、脳梗塞で半 身が 不自由な中、同行していただき、押し込んでくれた。金井塚弁護士は、渡辺さんが最 も信 頼を寄せるまでに、期待通り、いやそれ以上に頑張っていただいている。金井塚弁護 士の 頑張りによって、闇に埋もれていた件の写真(『FRIDAY』掲載の)も出てき た。金 井塚弁護士は、アルゼからの出版差し止め仮処分二件もご担当いただき、先頃「却 下」を 勝ち取ったことは前述した通りであり、力のある“闘う弁護士”である。
 そうして、とどのつまり、私は刑事告訴されてしまった。「省三の会」のホーム ページ には、渡辺さんが刑事告訴されていることは記されているが、私・松岡も一緒に刑事 告訴 されていることは記されていない。これはこれで、私は、いわば“自己責任”で協力 して きたのだからいいだろうが、ここまでして支援してきたことは、一体何だったのだろ うか ?──  Kデスクからは、「大変な爆弾を抱えましたね。告発者が手のひらを返すとは」と のメ ールがあった。
 その後、渡辺さんからは、電話一本、メール一本もない。ちょっと寂しい話ではあ る。 バツが悪いと自覚されているのか、本の注文も、これまでは直接私宛にあったもの が、支 社の者にメールでされている。もう“用済み”というわけではなかろうが、前述の西 宮冷 蔵・水谷社長の心ある気遣いのあとということもあり、いろいろと考えさせられた。
 今、渡辺さんが運営されている「省三の会」のホームページの「関連書籍」から、 『タ イガースの闇』や『スキャンダル大戦争』など一連の鹿砦社の本は見当たらない、ど うし たことかと、ある読者の方が知らせてくれた。以前は列挙してあったと記憶する が……。
 私はべつに渡辺さんを詰っているのではない。こんなことをやっていると、支援し てく れる人さえ離れていくことを懸念する。この事件は、「自殺」などではなく、多くの 人た ちの力を借りて究明すべき大謀略事件である。私なりに、『タイガースの闇』『ス キャン ダル大戦争』の編集の過程で強く認識している。
 事件の性格が異なるとはいえ、西宮冷蔵が、無名の多くの方々の支援によって再起 した ことを想起するならば、それにはそれなりの理由があるのだ。
 こうしたことは、内に秘めておくべきことかもしれないが、少なからずの方々から の問 い合わせやアドバイスがあり、黙していることはできなくなった。私自身の恥を晒す こと でもあるが、あえて公開しておくものである。渡辺さんや高橋三千綱氏らが、私が述 べて いることを看過されるのであれば、この事件の究明にみずから道を閉ざすことになる であ ろう。

『FRIDAY』2004年5月20日号

■遙かなる青春時代の残照
 村上龍原作の『69』という映画が好評だという。タイトルの『69』とは、激動 の時 代「1969年」のことである。
 言うまでもなく、この前後は、いわゆる学生運動の時代であった。私の母校・同志 社大 学は、この拠点であり、その中心は「学友会」といわれる自治組織であった。社会運 動や 学生運動の歴史に関心がある者ならば、周知のことであり、つとに有名でさえある。
 ところで、昨年夏から今年にかけて、青春時代の残照といったらいいだろうか、わ が母 校の学友会をめぐる事件やイベントが続いた。
 一つは昨夏8月16日、私たちが起居と活動の拠点としていた同志社大学此春寮の 大先 輩、藤本敏夫さんの一周忌の集い(京都・同志社新島会館)。学生運動ピーク時の全 学連 委員長であり、当時を代表する人物の一人である。今では歌手・加藤登紀子の父君と 言っ たほうが通じる。参加百数十名の老闘士の面々、今にもデモに向かおうかという熱気 だっ た。出席者名簿を見ると、当時の錚々たる大幹部ばかりだ。『サイゾー』の女社長の 叔父 さん、洋菓子の「タカラブネ」の元社長、関西では誰でも知っているG寿司の社長と 副社 長など、畏れ多い方々もおられる。二次会は当然G寿司。
 その余勢をかって、本年3月20日、今度は此春寮だけで、当時の寮母さんの卒寿 を祝 う会(同新島会館)。卒寿といえば90歳。当時の「暴力学生」も、ほとんどが50 歳以 上、歴史を感じさせる。また、こういう集いでは、今では死語となった言葉も飛び交 う。 やはり、同時代を、同じ場所で、共に生き、共に闘ってきたという共通の想いがあ る。
 ところが、昨年来、私たちが場所的拠点としてきた同志社大学学生会館の取り壊し (と 新築)、そして学友会の自主解散のニュースが伝えられた。大学当局、学生側双方 に、様 々な深刻な事情があったに違いない。しかし、学生自治の精神をみずから放棄するこ とは あるまい。同志社大学は、当局や教職員にも、学生自治を尊重するという意識が浸透 して いたリベラルな気風の大学であるから、むしろもっと発展させる方向に持っていくべ きで はなかったかと思うのは、学友会OB老闘士の戯言だろうか?
 学生会館は、本館と別館があって、学生が自主的に管理・運営してきた。殊に別館 は、 24時間解放、壁の至るところにポスターが幾重にも貼られ、過激なスローガンが書 き殴 られ、その中で泊り込んだりもした。ここの住人を、一種の畏敬と侮蔑の意を込めて 「別 館族」と揶揄した。どこの大学でも似たようなことはあろう。私がいたのは70年代 前半 であったが、まだ建てられて十年も経つか経たないかの頃で、すでに20年も30年 も経 っているかのような手あかに汚れた雰囲気だった。しかし、そこには学生の息づかい とい うものが確かにあった。
 学生会館を学生のものとするために、激しい学館闘争があった(1963年。この あた りのことは、詩人・清水昶の『ぼくらの出発〜詩的一九六〇年代記』に詳しく記され てい る。当時全国の多くの大学で学館闘争が相次いだ)。それは学生自治の精神に基づ く。
 また、学友会も、各学部自治会、サークル団体、そして体育会までも包括した全学 自治 組織で、殊に同志社大学学友会は、わが国の転換点であった60年、70年の二つの 安保 闘争を牽引する中心的存在であった。先の藤本敏夫さんもその一人であったし、一周 忌の 集いでも、歴代の学友会委員長が出席された。
 60年代後半の学園闘争では他大学同様「全学闘争委員会」(全学闘)を結成し、 激し く闘い、その戦闘力は全国一、二を争うものだった。以後70年代に入り、多くの大 学の 自治組織が、大学当局から潰されていく中で、同志社大学は生き残り、70年安保闘 争、 沖縄─三里塚闘争、学費闘争(不肖私もこの闘いで逮捕された)などをラディカルに 闘い 抜いた。ラディカルな故に、かの赤軍派を生み出した大学としても有名である。文字 通り の“武闘派”の出生場所であり拠点であった。
 やはり、そうした経験が、私の出版活動のバックボーンになっていることは否めな い。 出版界の先輩であり、休刊した『噂の眞相』岡留安則(元)編集長も同様のことを述 べて おられた(『闘論・スキャンダリズムの真相』参照)。  私の場合、特段に反権力思想に凝り固まっているわけではないが、若い時代に染み つい たものは、齢五十を越えても消せない。私などは、まあ穏健派(笑)の部類だった が、あ の経験なくしては、強きものに対して闘うという意識は出てこないだろうと自己認識 して いる。“武闘派の精神、いまだ死なず”だ。私はいつまでも、“一人別館族”“生き 残り 全学闘”であることを否定しない。
 数年前、『この人に聞きたい青春時代』の刊行前後に学生会館を尋ねてみたが、ま さに 「強者どもの夢の跡」といった感がした。私たちの場所的拠点のみならず精神的拠点 でも あった学生会館と学友会──今はない。
 私たちは、いつまでも怒りを込めて振り返る世代であり続けよう。そして、若い 日々に、 あの場所で培った“武闘派”の精神を持ち続けたい。
 当時の理事長(故人)は、次のように歌った。──
「赤ヘルの学生おのがコートぬぎ 我に着せたり激論の中」(『同志社百年史』よ り)


藤本敏夫さんの一周忌に集う会


同二次会で登紀子夫人と共に高歌放吟


砂野文枝さんの卒寿を祝う会

以上
2004年7月28日


バックナンバー
■2003年4月 『週刊文春』出版差し止めにあたり、いま「表現の自由」について考えよう!!
■2003年4月 ★『アルゼ王国の闇』、遂に出版へ!

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