

2002/2/1
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昨年夏以来、鹿砦社の本が相次いで取次会社の新刊委託配本を拒否されている――。
鹿砦社30年余りの歴史の中で、かつてなかった重大な事態である。『刺青浪漫』
(2001年8月刊行)、『飯島愛の真実』(同10月)、そして今回の『霧の中の真実』
だ。『刺青浪漫』などは、芸術性を追究したハイグレードな写真集で、専門家の評価
も高い作品なのに、単なるエロ本扱いで、カメラマンはじめ関係者の意図は陽の目を
見ずに倉庫に眠ったままになっている。 この重大な事態に当たり、われわれは心ある出版・マスコミ関係者に訴える!!―― 承知のように、鹿砦社は4度の出版差し止め=発禁という苦い経験がある。この内、 1件は事前差し止めだが、もう3件の本は、なんら問題なく取次を通して新刊委託配 本はなされている。出版差し止めされるような本まで、取次は、差し止めが裁判所で 確定するまで、自由に流通させてくれ、「出版の自由」はここでは守られてきた。し かし、このこのかんの事態は事前自主規制とさえ勘繰らざるをえないのである。 このように、このかんの事態は、それら出版差し止めに比して劣らぬ重大な事態と われわれは受け止め、「出版の自由」「表現の自由」とは何か? という根源的な問 いを発せざるをえない。一体、わが国に「出版の自由」「表現の自由」はあるのか!? 今回問題となった『霧の中の真実』は、1981年、全世界を震撼させた、いわゆる 「パリ人肉事件」の“犯人”佐川一政氏が、事件後20年を経、これまで決して語られ ることのなかった真実を、水面下で醜く蠢いた文化人、マスコミ人などの実態ととも に、みずからの人生を総括するという強い意志で書き上げた力作である。 われわれは、佐川氏のその強い意志と、その反映である本書のリアルな内容に共鳴 し、堂々と出版に踏み切ったのである。他の出版社には、ことごとく断られたという ことだが、ある意味で、毒のある出版をポリシーとするわれわれ鹿砦社らしい作品と もいえる。 かつての出版差し止めが一段落したと思ったら今度は3度も新刊委託配本を拒否さ れるなど、鹿砦社もアブナい出版社となってしまった。 トーハン、日販両社の担当者の説明も、苦しいように感じる。エロか? この程度 なら、書店にわんさと氾濫している。前2度はエロが理由だったことで懲りているの で、某取次の担当者には、求めに応じて事前に色校正を見せ、エロの部分では問題な いことの確認をしている。内容が反社会的からなのか? 取次がこう判断して配本を 拒否するのなら、取次は検閲機関になってしまう。倫理上の問題なのか? それなら ば、倫理的に良い悪いの判断は読者に委ねるべきではないのか。某取次の担当者は、 小説でもない、ノンフィクションでもない、サブカルでもなく、明確なジャンルの区 別がつかないから、取次として書店の特色や規模に合わせた見計らいの配本はできな いという。この種の本のパターンもないという。30年余りに渡って、鹿砦社はジャン ルの区別のつかない本を、数多く出してきているが、このような理由で新刊委託配本 を拒否されたことは記憶にない。総じて、やはり取次の自主規制のように思えてなら ない。そうでないというのなら、明確な説明をお願いしたい。 佐川氏に対しては、マスコミ各媒体もいたって冷淡である。おそらく、これからわ れわれも本の配本に苦労するので、本書に表現された彼の主張がまともに検討される 機会も少ないかもしれない。また、この『通信』もマスコミ関係者の一部の目に止ま る程度だから、黙殺されたり、看過されるかもしれない。 べつにわれわれは、佐川氏の主義主張や「カニバリズム」という思想に与するもの ではないが、こういう事態に直面すると、われわれとしても、声を大にして叫ばざる をえない。「表現の自由」とは何か? 「出版の自由」とは何か? と。 出版界にあっては、取次批判はタブーだといわれる。なにもわれわれはいたずらに 取次批判をしているのではないし、それどころか、厳しい出版不況のさなか、取次の みなさん方の尽力には感謝し、共に助け合って生き残りたいと心から願っている。し かし、いや、だからこそ、みたびの新刊委託配本拒否という事態にみずから直面し、 これを取次―出版社間の単なる取引問題に収斂させるのではなく、われわれがせっか く苦労して作った本を、いとも簡単に配本を拒否された悔しさを、同じ本に関わる仕 事をしている者同士、わかって欲しい……ただ、それだけだ。 苦労して出来上がった本書『霧の中の真実』だが、その大半が配本できずにいる。 昨秋、『飯島愛の真実』もそうだったが、この時は、われわれの営業努力で全国の書 店の方々が、多くの注文を寄せていただいて配本でき、マスコミ各媒体に採り上げら れ話題となり、さらに増刷を重ねた。今回も、われわれは足を棒にしてでも、全国書 店を行脚し、書店販売をお願いしていく決意だ。きちんと書店の店頭に並べられさえ すれば、スキャンダル暴露的な記述も多くあり、必ず多くの読者を獲得することは必 至である。 この本には、キレイでまことしやかな本と違って、夥しい〈毒〉が詰まっており、 この不透明な時代だからこそ、「毒をもって毒を制す」ことが望まれ、そのためにも、 〈毒〉の詰まった本書を世に問うことは、われわれ出版人として当然のことなのだか ら――。 (松岡利康) |
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