
2002/7/1
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7月6日緊急出版 森順子[著]『いつまでも田宮高麿とともに』 「よど号ハイジャック」リーダー・故田宮高麿夫人・森順子 衝撃の手記! 歴史の闇の中から今、真相が明らかに! 遙かなる1970年代初頭に起きた二つの事件──「連合赤軍事件」と「よど号ハイ ジャック事件」は、30年経った現在、ようやく本格的な歴史的総括がなされようとし ている。歴史の闇の中から、これまで知られなかった真相も徐々に明らかになってき ている。 赤軍派による「よど号ハイジャック」は、歴史の転換点といわれた<1970年>に起 きた。この攻防は、当時視聴率90%以上のスキャンダルだった。今、ワールドカップ の視聴率が云々されているが、1969年1月の東大安田講堂攻防戦、72年2月の連合赤 軍事件、そして70年3月の「よど号ハイジャック」事件など、視聴率90%を越えた、 いわゆる新左翼過激派によるこれら3つの事件には及ばない。 「よど号ハイジャック」を起こした赤軍派は、わが国新左翼運動の主流であった「共 産主義者同盟」、通称「ブント」と呼ばれた党派を出生母体とする。最左派であった ことは疑いもないが、ブントは60年安保前夜に誕生し、全学連主流派として60年安保 闘争を闘い、国会突入の際に東大生・樺美智子さんが亡くなり一躍名を挙げる。その 活動家の中には、信じられないかもしれないが、西部邁、森田実、先般議員を辞職し た加藤紘一らもいた(ちなみに、森田実など、今じゃあ、したり顔してブラウン管に 出ているが、かつては右翼の大物から生活の面倒見てもらったということで大騒ぎに なったことを覚えておられるのだろうか)。 時は60年代後半、70年安保を前にして学園闘争が激化、しかし警察力の前に収束し ていく中から、この閉塞状態は更なる軍事力をもって突破しなくてはならないとする 一群が登場した。これが赤軍派である。 赤軍派は、当時のベトナムでの民族解放戦線の闘いと世界的な反戦運動の高まりを 背景として、現段階は世界同時革命への過渡期であるという認識から、それは世界革 命戦争─世界反帝統一戦線によって切り開かれねばならないとする「過渡期世界論」 に立脚していた。その国際根拠地として北朝鮮、パレスチナを選び、飛び立っていっ たのである。ありていに言えば、このようにいえよう。まさに壮大な計画である。 パレスチナに飛び立っていった重信房子や岡本公三らのその後の運命には、われわ れの世代は忸怩たる想いに立ち至らざるをえないが、あまり一般には知られてはいな いことに、岡本公三の兄・武が、「よど号ハイジャック」で北朝鮮に飛び立っていっ ていることがある(その後、死去)。 北朝鮮の赤軍派のメンバーの消息は折々報じられているが、私個人として関心が あったのは、リーダーの故田宮高麿の他、同郷の故岡本武、また大学の先輩にあたる 若林盛亮らである。私のいた大学が、赤軍派発祥の地であり、若林氏が長髪のバンド 青年だった話など、在学中に何度も聞いたし、今や死語となっている学生運動や赤軍 派の用語など日々接していて、今でも大体説明できる。 田宮、岡本らは既に死去しているが、それらの真相についても、この時代に在った 者として、それなりに関心があった。 田宮の死(1995年)以後、かつて仲間であった高沢晧司・八尾恵夫妻によって、 “反乱”が開始される。高沢氏は『宿命』という大部の本を書き、高沢氏なりの真相 究明を試みている。八尾恵氏も、あろうことか、本年初め「有本恵子拉致」を“証 言”、世間をアッと言わせた。そうしてこのたび著書『謝罪します』(文藝春秋刊) を出版した。 時を同じくして、故田宮高麿夫人・森順子さんの手記出版の話が当社に持ち込まれ たのである。私も<過去>のしがらみからなかなか解放してくれない歴史の皮肉に悩 むものだが、どこも引き受けないとのこと、それならオレに任せんかい! というこ とで、出版を引き受け、この7月6日に発売の運びとなった。タイトルは、『いつま でも田宮高麿とともに』である。 八尾恵著『謝罪します』と並行して読むと興味深いが、とりわけ、故岡本武夫妻の 死亡の箇所、八尾恵証言に対する箇所などは、正反対の記述である。どちらかが、真 実でないことを言っているわけだが、その判断は私にはまだできない。われわれは出 版社の責任として、八尾証言、いわゆる「拉致疑惑」ばかりが殊更に喧伝されること に対して、検討に値するリーダー田宮夫人の証言を世に出すことは、決して無意味で はない、と考えている。 この『通信』では詳述できる紙幅がないが、ほぼ同時期に世に出たこの二つの本に 対して、少なくともフェアな読み込みが必要である。歴史の正当な評価のためにも ──。 ちなみに、これは『謝罪します』を読んで知ったのだが、八尾氏は、当社の地元の 出身だということも、なにかの因縁だろうか。 (松岡利康) |
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