「村山談話」、「河野談話」が時に現政権から批判体に話題にされる。安倍は正式な談話を出すことをどうやら諦めたようだが、果たしていかなる形でまとめるであろうか。

知人から冗談半分だろうけども、「お前が書いてみろよ」と言われた。私は貧乏な一市民に過ぎず国を代表しての談話を書くなどおこがましすぎるけれども、「村山談話」を読み返すと「今ならこのままじゃないな」と言う箇所が思いの外多いことに気が付いた。そこで僭越に過ぎると承知しながらも「村山談話」を私なりに書き直してみた。

「敗戦後70年を迎えるにあたっての談話」

先の大戦で日本が敗戦してから、70年の歳月が流れました。戦争の災禍を知る多くの人々は既に亡くなり、あの大戦はあたかもはるか昔の「歴史」のように捉えられつつあることも事実であります。しかし、戦争自体を経験していなくとも、我らの国が犯した罪が無くなるわけではありません。むしろあの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せ、決して忘れないことこそが我らの世代の責務と言えましょう。

敗戦後、日本は、焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、経済体な発展を遂げました。しかしその背景には「朝鮮戦争特需」、「アジア諸国への実質的経済侵略」があったことを無視してはなりません。20年前、村山首相は「今日の平和と繁栄を築いてまいりました」と談話で言及されましたが、そこでは戦後も続いたアジア諸国への我々の「加害者」としての視点が欠如していました。2015年我々は戦争中から引き続きアジアを中心とする諸国の犠牲の上に繁栄をえたことを再確認し、反省します。

一方国民が繁栄に向け一人一人の英知とたゆみない努力を惜しまなかったことに、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国をはじめ、世界の全ての国々との間に今日にも増して平等かつ公平な平和的関係を構築すべく、その決心を明らかにします。

「平和で豊かな日本」は過去のものになりました。私たちはこの20年で「平和の尊さ、有難さを忘れた」政策を容認して来てしまいました。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後70周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。その為に再度憲法前文及び9条の具現化に政府は力を尽くします。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から70周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、被爆国としてまた世界最大の原発事故を引き起こした国としての体験を踏まえて、核兵器及び原子力発電の究極の廃絶を目指し、率先して原子力発電を全廃するものであります。核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

二度と戦争の惨禍を引き起こすことのない国際関係の構築を目指し、我々は憲法の原点に立ち返り、その精神の具現化のため「自衛隊」を「災害救助隊」へ改組します。米国と締結している「日米安全保障条約」はこれを破棄することを、ここに宣言し不戦の誓いといたします。

2015年8月15日
日本国首相 田所敏夫

参考までに、以下が村山談話本文である。

先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

村山総理大臣談話


◎[参考動画]戦後70年談話は村山談話を継承し、謝罪と反省を明確に プレスクラブ(2015年6月9日)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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