2005年8月から契約社員として勤務していた出版社、竹書房をリストラされたのはちょうど4年後の09年8月のことだった。

私は長く雑誌編集者だったが、空いている時間の隙間を縫っては実話誌などにペンネームで原稿を書く裏のアルバイトをしており、リストラを機に「ライターとして本格活動を始める」ことにしたのだが、実はこのリストラ、暴力団取材に力を入れていたことが原因でもあった。私自身は暴力団は取材対象でしかなく、何の私的な付き合いもなかったからこそ、平然と“ヤクザ”と連絡をとれていて、暴力団の動向をメインに扱う竹書房の雑誌「実話ドキュメント」も担当していた。

しかし、会社のメインバンクから「ヤクザ雑誌をやめなければ今後の融資できない」という趣旨の申し入れが頻繁に経営陣になされたことで、ヤクザ雑誌に関わる編集者のリストラが始まっていた。後に竹書房は2012年8月号でヤクザ雑誌「実話時報」を休刊させ、「実話ドキュメント」を2013年7月号を最後に手放し、同誌は翌月号から版元をマイウェイ出版に変えて発行している。「実話ドキュメント」を30年近く編集してきた隠れた名編集者の牧村康正氏もそれ以前に退社しており、編集者のM氏も竹書房版の「実話ドキュメント」最終号を終えると辞表を出した。

◆宮崎学原作コミック本販売差し止めも島田紳助引退も警察の『見せしめ』的締め付けだった

竹書房のしがらみがなくなったことで、私は気にせず暴力団の動向を追ったのだが、そんな中で2010年4月に私が手がけた宮崎学原作のコミック「実録激闘ヤクザ伝四代目会津小鉄高山登久太郎―鉄」(竹書房)が福岡県警の要請で販売差し止めと判断、これに原作者の宮崎が福岡県を相手に裁判を起こし、僕は宮崎側に付いて陳述書を出したのだが、これはどう見ても『見せしめ』的な締め付けだった。同著は暴力団を推奨しているわけでもない、ただの伝記なのである。こうした「スケープゴート」の逮捕が次々に起こった。そのひとつが2011年8月の島田紳助の引退でもあった。

島田の記者会見の前日、旧知の編集者から電話がかかってきた。

「明日、紳介が記者会見をやるようだが何か知らないか」

寝耳に水だった。
だがまさか引退会見になるとは思わず、僕はテレビの画面に釘付けになった。
島田はヤクザとの交際について素直に認めて「ギリギリ、セーフかと思ったがアウトやった」と語った。

記憶するかぎり、この時期は「ドキュメント」という雑誌を部分的に手伝っていたが、この島田をあつかった号は奇跡的に売れた。

そんな中でも私は暴力団排除の社会の中で彼らがどうやって「しのぐか」について注視した。暴力団は年々、排除の機運が高まっていた。何しろ11年に暴力団排除条例が全国で施行、その前の「助走期間」である09年の東京都豊島区による不動産の取引において暴力団を排除することを制定した生活安全条例や、佐賀県の暴力団組事務所について不動産所有者が賃貸契約を解除できる条例は、彼らにとって死活問題となった。ヤクザは海外に進出したり、新手の詐欺をひねりだしたりしていた。

◆「ぼったくり防止条例」の契機となった1999年影野臣直氏逮捕の深層

その中で、「半グレ」が進出してきた。新宿の歌舞伎町などは、本来ならヤクザになるような連中が、ぼったくり飲食店を始めた。そして今、月に300件も新宿署に被害の電話が寄せられる。

99年に「ぼったくり」で逮捕されて「ぼったくり防止条例」の基点となった影野氏が語る。そもそも80年に大学生が高すぎる飲み代を払えずに店(2階)からヤクザの事務所(3階)に連れていかれ、トイレの窓からスキを見て逃げだそうと転落死した事件が端緒だ。

ぼったくりを始めた頃の影野臣直氏(撮影/渡辺克己)

「1980年の大学生の飛び下り死亡事件は、それまで無許可で営業できた『ノーパン喫茶』、『個室ヌード』、『個室マッサージ(現・ファッションヘルス)』、『レンタルルーム』、『ソープランド』、『ポルノショップ』、『のぞき部屋』などのノーパン喫茶から台頭してきた新風俗を、警察の掌中に管理できるようにする『新風営法』施行(1985年)の一因となったのは、間違いありません。この後、新風営法施行の草案が出されたとき、各界は揺れました。左系の議員や弁護士らは、新風営法施行は『違憲』であると対立しましたが、大学生飛び下り死亡事件が起きたために態度を軟化させました。それでも、事件から施行まで5年の歳月を費やしているので、新風営法の施行がいかに難題であったかが理解できると思います。横浜のクラブのママさんたちは、『新風営法施行は財産権の侵害である』として、デモ行進を行っています。良くも悪くも、昭和のママらしい行動力ですね。でも、新風営法施行の本当の原因になったのは、新風俗が客引きを使って莫大な利益を上げていたことと、その経営者が大っぴらにヤクザへの経済援助していたことです。店の持ち主がヤクザの若衆で、それを新風俗業者が借りる。家賃は特別高い上に、おしぼりや花、絵画等のリースも、同系列のヤクザの会社がやる。カスリ(ミカジメ料)を集金にくるヤクザの無尽(頼も母子構)を何口も付き合ったりと、ヤクザの膨大な資金源になっていました。

よく経営者がヤクザの親分連中をゾロゾロ連れて、歌舞伎町の高級クラブを梯子していた姿を見かけたものです。みんな、あんな風になりたいと憧れていました。ヤクザと組めばアメリカンドリームを体現できる……世がそんな風潮になっていました。ヤクザを英雄視する良からぬ風潮を抑止するため、警察は新風営法施行の準備を始めました。例をあげれば、歌舞伎町の区役所内に図書館(教育施設)を開業させたり、大久保病院(医療施設)を改装させたりして、歌舞伎町や他の繁華街を新風俗の禁止区域にしました。禁止区域に歌舞伎町がスッポリ入るように、従来の区域の設定を官公庁施設、学校、図書館、児童福祉施設、までの距離を20メートルから200メートルになったはずです。 今まで営業していた店は警察に届け出をだせば、既得権として新風営法施行後も営業できるとしましたが、客引き、時間外営業などで摘発されると最低20日以上(現在は最低40日以上)の営業停止が課せられたので、高い家賃を払っていた新風俗業者はたちまち干あがってしまいました。

1985年3月13日深夜0時、新風営法施行直後、歌舞伎町の看板が消え、本当に真っ暗になりました。 営業していたのは、偽装マッサージ店として新風営法の隙を突いた僕が経営するKグループの店だけ(笑)。この店は稼ぎにかせぐのですが、警察の徹底したガサ入れに40日で逮捕。 全国最初の新風営法違反での全国指名手配者になってしまいました。それが、ペンネーム『影野臣直』の由来となった『影のオーナー逮捕』の記事です」

◆警察が「ぼったくり」を刑事事件と扱い始めたことでヤクザはもっと地下に潜り始める

そして、ようやく歌舞伎町では警察が腰をあげた。東京新聞では以下のように報じる。

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「ぼったくり」事件化へ転換 歌舞伎町 被害多発で警察
東京新聞2015年6月12日 夕刊
東京・新宿の歌舞伎町で、客が高額な飲食料金を請求される「ぼったくり」の被害が急増している。「民事不介入」は警察の対応の原則だが、あまりのトラブル多発に、警視庁は今月から客を保護して店側との接触を絶ち、都のぼったくり防止条例違反などでの事件化を基本に対応する方針に転換した。しかし、対応次第では「過度の民事介入になりかねない」との声もある。(皆川剛)

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そう、警察はついに「ぼったくり」を刑事事件として扱い始めたのだ。これからヤクザは「ぼったくり」については、ナーバスになるだろう。そしてまた、ヤクザは地下にもぐるのである。

(小林俊之)

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