鹿砦社特別取材班『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(7月14日刊)

「年々時間の進むスピードが上がって行く」。年を重ねた人は異口同音にそういう。つい数カ月前に大晦日の原稿を書いたような気分でいる私などはその典型といえよう(それは昨年大晦日の原稿だった)。

果てしなく続く6年間と思われた小学校児童時代の時間経過は確かにゆっくりしていた。学校からの下校道は2キロもなかったろうが、道端に咲く雑草を眺めたり、捨てられた空き缶を手に取ったり、ガキ大将と鉢合わせしないように気を遣ったり、子供ながらにあれこれ思いを巡らす道のりだった。家に帰れば遊びに出かける。草野球をしたり、友人宅にお邪魔したり、夕食前に家に帰るまでのせいぜい数時間。あの楽しい時間の繰り返しすら、その連続が永久に続くのではないかと感じられた記憶がある。

◆大欺瞞の目白押し──オバマ広島訪問と安倍真珠湾訪問

ひるがえって、今年である。実に大きな事件や災害が多発した。記憶されるべき大災害や、歴史に正しく残すべき大欺瞞も目白押しだった。ところがどうだろう。報道は事件・事故の賞味期限を従来の半分以下に切り下げているし、重大な悪意についての発掘は、タブー化し、伝えられる分量は最小限に留められ、しかもその真相は歪められる。象徴的な例を挙げればバラク・オバマ米国大統領の広島訪問と、昨日安倍の真珠湾訪問だ。

『NO NUKES voice 』vol.8【特集】分断される福島──権利のための闘争(5月25日刊)

私はバラク・オバマが全く謝罪を行わずに広島を訪問したことは、もっと批判の的になるべきだと考えていたが、大方の報道はそうではなかった。大統領任期残りもわずかになり、どうやら後釜はヒラリー・クリントンで落ち着きそうだ。就任時に「ノーベル平和賞」を受賞している身としては、なにか一つくらい「歴史に名を残す」芝居を打っておきたかったのだろう。そういう見え透いたスタンドプレーがトランプ当選というしっぺ返しになって、米国の民主党陣営に殴打をくらわしたのだ。バラク・オバマは歴史に対する向き合い方が浅すぎたのだ。

後年の歴史教科書には平たい記述で「米国オバマ大統領広島訪問」が残るかもしれない。しかしそれには何の意味もない。安倍首相の真珠湾訪問と同様だ。「和解」だ「寛容」だと中和がいくらでも可能な言葉を連発しても「宣戦布告無き真珠湾攻撃」への反省の言葉は一つもない。もっとも米国ははなから日本を見下しているし、安倍の飼い犬ぶりにはご満悦であろうから、安倍が何を語ろうとも、真珠湾訪問は米国では「歴史」にすら取り上げられはしない。

◆「歴史的愚行」が注視の対象とすらならない

本籍地のある温泉にプーチン、ロシア大統領を招いた、あの会談は何だったのか。それ以前に約束した1兆2000億円の経済協力にもかかわらず、予想通り北方領土返還については、まったく進展がなかった。あるはずがないであろうことはこのコラムで事前に指摘したとおりだ。安倍政権の無能・無益外交こそは徹底的に掘り下げて検証・報道されるべきだが、この「歴史的愚行」は不思議なことに注視の対象とはならない。

 

『NO NUKES voice』vol.9【特集】いのちの闘い──再稼働・裁判・被曝の最前線(8月29日刊)

◆熊本、鳥取、福島、茨城──おさまる気配はない大地の激震

熊本では史上最多の余震数を記録する大地震が発生した。都市部でもまだ手付かずで行政による「危険立ち入り禁止」のシールが貼られた家屋が目立つ。少し郊外に出れば地面の形が変形してしまって、どうやって再建するのか、できるのか気がかりな地域が広がる。鳥取でも大地震があった。そして福島では津波注意報が出されるほど大きな地震が、昨日は茨城県北部で震度6弱。阿蘇山は大噴火するし、地震のあと熊本は大雨による水害にも襲われた。大地の激震がおさまる気配はない。

◆モハメッド・アリも逝った

突如博多駅前には大穴が空き、ハローウィンには渋谷に、ゾンビや骸骨の仮装をした若者があふれんばかりに集まった。坂本九の「上を向いて歩こう」で世界的ヒットを飛ばした永六輔。ジャズ、麻雀、競馬、スポーツ、おおよそ遊びのことなら何でも知っていた大橋巨泉が鬼籍にはいった。

本名カシアス・クレー、モハメッド・アリも逝った。兵役を拒否しマルコムXによって覚醒させられ、ブラックパンサーと歩を合わせたアリの衝撃は、1996年のアトランタオリンピック開会式にアリが現れた時点で過去のものになっていたけれども、ご丁寧に2012年のロンドンオリンピックにまで引っ張り出されていた。アリの若かりし頃の「危険度」を知る世界は、アリを徹底的に「体制内化」し終えた姿を何度も世界に発信せずにはいられなかったのだろう。彼には語られるべき「歴史」があった。

鹿砦社特別取材班『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(11月17日刊)

◆散々な年だった。花言葉は添えない

さて、今年も残りがなくなった。SMAPが紅白歌合戦に出るか出ないかを、社会問題のように年末は一般紙までが伝えていた。四半世紀にわたり、人びとの白痴化進行の役割を担ってきたSMAPを私は言葉通り「忌み嫌う」。40代、50代になってもコンサートチケットを入手するためにファンクラブに入り、会場ではキャーキャー大声を上げる方々に、私は容赦のない蔑みの視線を送る。ある女性国会議員が「私たちの世代でSMAPを嫌いな人っていないと思うんですよね」とのたまっていた。バカもたいがいにしろ!と口ごもったが、29日京都新聞はなんと社説(!)で「SMAP解散 理由語らず寂しい終末」を説いている。

転がる、転がる。歴史は転がる。事象の軽重ではなく、虚勢と理由を問わせない「劣化した無思想」の集合体によって。希望なんかどこにもありはしない。目の前にはチョモランマよりも高い絶望の山がそびえたっている。

「2016年も人間の作る悲惨な歴史の中に終わろうとしています」の書き出しで先日尊敬する先輩から便りをいただいた。同感だ。散々な年だった。花言葉は添えない。歴史が乱暴に加速する中で、せめて自分自身を失わないように心しよう。来年はきっともっと厳しい年になるだろうから。

本年もデジタル鹿砦社通信をご愛読頂きまして、誠にありがとうございました。皆様にご多幸あらんことをお祈りいたします。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』vol.10【特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎(12月15日刊)