ミネラルウォーターのペットボトルを手に福島地裁の法廷に座った山下俊一氏。福島県の代理人弁護士による主尋問では自身の正当性を雄弁に語っていたが、原発事故直後に福島県内各地で行った講演がいかに信用性に欠けるかを厳しく問い詰められると、明らかに声の勢いが落ちた。元々、聞き取りにくい声だが、さらに聞き取りにくくなった。

「1mSvの放射線を浴びると、皆様方の細胞の遺伝子1本に傷がつく」という発言に関しては「例えとして話をしました」と答えた山下氏。一方で「実効線量1mSvの放射線を浴びると、少なくとも細胞ひとつあたり1本の遺伝子に傷がつく」とも。原告代理人の井戸謙一弁護士が「そうであれば、人間の身体は37兆の細胞で出来ているから少なくとも37兆の傷が出来るのではないか」と重ねて質すと、山下氏は「はい」と認めた。

福島地裁での証人尋問を行った山下俊一氏。言い訳と、今さらながらの形ばかりの〝お詫び〟に傍聴席からは怒りの声があがった

あの時、子や孫の被曝リスクを心配した大人たちは、専門家と称する山下氏から「1mSvの放射線を浴びれば1本の遺伝子に傷がつく」と説明された。そう言われれば、予備知識の無い人々は「実効線量1mSvの被曝では1本の遺伝子しか傷つかないのであれば心配無いな」と受け止めてもやむを得ない。そのように理解して〝安心〟して帰宅した人もいただろう。

山下氏は「私はそう説明したつもりはありません」と否定したが、井戸弁護士が「37兆分の1の過小評価を招いた事になりますね」と尋ねると「はい」とだけ答えた。当時の自身の講演が過小評価を招いた事を消極的ながら認めたのだ。今さら認めても遅いのだが。

そもそも、100mSv以下の被曝であっても決してリスクがゼロになるわけでは無い。しかし、二本松市など県内各地で行った講演会で、山下氏は「リスクがあるとは思わない」と断定調で話している。それもまた、聴いていた県民の過少評価を招き、本来講じられるべき防護策を怠った一因になったのではないか。

崔信義弁護士の問いに、山下氏は「放射線防護の考え方と実際の健康リスクのギャップを説明するのは大変難しい。その中で当時、誰が考えても年間100mSvを浴びるとは考えられなかったので、リスクは無いと話をした」と答えた。

さらに突っ込まれると、今度は「詳細について説明するゆとりが無かった」と逃げた。国の指定代理人の〝フォロー尋問〟でも、山下氏は「スライドなどを準備する時間が無かった」と答えている。散々、誤解を招く表現をしておきながら、最後の最後で「時間やゆとりが無かった」と逃げられては、当時の講演を信じた人々はどうすれば良いのか。閉廷後に原告の1人は「立つ瀬が無い」と表現したが、まさにその通りだろう。

過小評価を招いた発言は他にもあった。

山下氏は当時、空間線量が20μSv/hの場合24時間滞在すると480μSv/hだが建物の中に居れば被曝量は10分の1に減る、体内に入るのはさらにその10分の1(つまり空間線量の100分の1)という趣旨の発言をしている。しかし、井戸弁護士は「10分の1はコンクリート建物の場合であって、木造家屋は10分の4だ。多くの県民が木造家屋に住んでいる福島で10分の1を持ち出すのは不適切ではないか」と質した。

これに対し、山下氏は「一般論として申し上げた」と反論。2011年3月20日の記者会見では安定ヨウ素剤の配布に関する発言の中で「1カ月続いた場合でも体内に取り込まれる量は10分の1」と述べているが、山下氏は「そのように私が発言したのか記憶があやふや」。井戸弁護士が「そもそも、空気中の放射性ヨウ素の体内への取り込み量を空間線量率から算出する事は原理的に不可能ではないか。空気1立方メートルあたりのヨウ素131の濃度データが無いと不可能なはず」と畳み掛けると「はい。不可能です」と認めた上で、なぜ、そのような発言をしたのかについては「ですから、記憶にございません」と〝逆ギレ〟した。「10分の1」の根拠について、山下氏は後日、福島県の代理人を通じて論文を証拠として提出する事になった。

あの頃の講演会とは違い、歯切れが悪かった山下氏。「語尾が聞き取りにくい」と何度か原告代理人弁護士から注意されたが、傍聴席の最後列まではっきりと聞き取れたのは「小児甲状腺ガンは『多発』ではありません」というくだりくらい。講演会での「ニコニコ、クヨクヨ発言」に関して「不快な想いをさせた方には誠に申し訳ない」と〝お詫び〟を口にした際も、傍聴席からは「よく聞こえない」という声があがったほどだった。これが9年前、福島県民に「安全・安心」を説いて廻った〝専門家〟の姿だった。

大人たちの願いは、子どもたちを被曝リスクから守る事。しかし、山下氏は「安全安心」を強調するばかりで放射線防護を積極的に伝えなかった

開廷前、福島地裁前の歩道で開かれた集会は、山下氏に対する怒りで満ちていた。
「ひだんれん」共同代表の武藤類子さんは「山下氏は当時、テレビにもラジオにも出演しました。講演内容は行政の広報紙にも載りました。彼の発言がどれだけ私たちを翻弄したか。多くの人が『被曝の専門家が言うのだから大丈夫だ』と警戒を解いていったのですよ。それを思い返すと本当に許し難いです。私たちの刑事訴訟では残念ながら山下氏は被告人にはなりませんでしたが、彼の言動は本当に罪深いのです」と話した。

福島県民にとっては、枝野幸男官房長官(当時)の「ただちに人体に影響無い」発言と同じくらいインパクトがあった講演会だったのだ。「子どもを屋外で遊ばせても問題無い」、「マスクなど必要無い」と力強く語られ、どれだけの大人が安心して家路についたか。その人物が、9年経って「被曝から守られるべき対象者は子ども、妊産婦だった」とは呆れるばかり。原告代理人弁護士の1人は「二重人格だ」と語ったほどだ。

浪江町津島地区から関西に避難している菅野みずえさんは福島の方言で怒りを口にした。

浪江町津島から関西に避難している菅野みずえさんも傍聴に駆け付けた

「あの時、皆で笑って記念写真を撮りました。そして、3年も経ったら甲状腺ガンになりました。あれは何だったんだべはぁと思います。今日は彼が何を言うかしっかりと見届けます。面の皮が厚い彼がどう考えてものを喋るのか。私たちは何も出来ないけれど、じっと見て、めげる事無く闘い続けて行きたいと思います。ごった踏みつけにされて黙ってるわけにはもうはぁいかねえと思います。もう、ごせっぱらやける。一人一人が『ごせっぱらやける』想いを抱えて、めげずに負けずに頑張って行きましょう」

閉廷後の報告集会で、原告の女性は「科学者というより政治家っぽい感じがした」と振り返った。

住民を「被曝させまい」ではなく「避難させまい」と奔走した山下氏の言動は確かに、腹黒い政治家そのものだった。それが浮き彫りになった証人尋問だった。(了)

ついに山下氏の証人尋問を実現させた「子ども脱被ばく裁判」。次回7月の期日で結審する予定だ

◎[関連記事]鈴木博喜-《NO NUKES VOICE》山下俊一=福島県放射線健康リスク管理アドバイザー証人尋問 9年前の〝安全安心講演〟の矛盾とウソが明らかに 〈前編〉 〈後編〉

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
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「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
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《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
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《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
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被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

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《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
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《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
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《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

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