◆滅びゆく家系の末端で

長崎の板坂家の跡を継いだ男性が軍医となって戦地で死亡した後、未亡人となった女性は大村に住み続けたようだが、何故か板坂の名を棄てて旧姓に戻ったため、長崎の板坂家は消滅した。

軍医の死は戦死としては扱われないのだろうか。彼が靖国神社に祀られているという話は聞かない。

父が江戸時代から続いた医師の家系に終止符を打って家を出たのは、南京での受難の思い出と共に軍医になった従兄への複雑な思いがあったのではないかと想像がつく。

「とにかく自分は子供の頃から、軍隊やら戦争やらにアレルギー反応があったんや」

とある時、父は私に言った。そう言った時の淋しそうな横顔が忘れられない。

『大村藩の医療史』によれば初代の板坂卜庵(ぼくあん)という人物以降、14代目になる祖父の先代板坂立栄なる御方まで、江戸時代から続いた大村藩の御殿医(大名お抱えの医者)に連なる家系が、私を守って断絶することが100%確実になった今、父が抱いた感慨が脳裏に伝わってくる。

父は自由人だった。

「医者にはならない」と祖父に告げた時、父は祖父の手でボコボコにされて気絶してしまったそうだが、もし父が親の意向に従って医者になるような人だったら、ボコボコにされる役目は私が演じなければならなかったかも。

家系を背負う重圧に対する鬱陶しさは、自分がその家系にふさわしくないという先入観を抱いていた私のようなコンプレックス・マニアには、幼少の頃からすでにやりきれない精神的苦痛となってつきまとっていた。

幸い家からの離反、家族との決別がトレンディーであった時代が青春期であったので、何の苦もなく家系等意識の外に追いやることは出来たのだが……。

もちろん私が家系から遠ざかった理由は他にもある。もしかしたらこちらの方が重かったような気もする。その理由は大村藩である。

◆暗い過去を秘めた大村藩

今でこそ長崎は遠い昔の「異国情緒」を残したレトロな地方都市として粋な観光地の雰囲気も漂わせてはいるが、元々は大村家の領内にあった場末の漁村にすぎなかったという。長崎を貿易港として開港したのは、後に日本で初めてのキリシタン大名と呼ばれた大村純忠という人物だが、本当に彼がキリスト教にかぶれたのか、南蛮貿易を独占したいための方策だったのか判然とはしない。

なにしろ当時のキリスト教は貿易とセットで世界を支配しようとする布教活動を行っていたと思える節(ふし)が多々ある。はっきり言って「八紘一宇」(世界を一つの家とすること。太平洋戦争期、わが国の海外進出を正当化するために用いた標語=『広辞苑』)や「一帯一路」(中国共産党による新たな「覇権主義」)と似たようなものだろう。最近では織田信長はイエズス会に殺されたという説まで出現して、歴史(過去)は進化するものだと痛感する。

今風に言えば陰謀論だが、ことの真相はともかく大村純忠の所業は、結果だけ見れば滅茶苦茶だった。自分自身がキリスト教徒になるだけでなく、家臣はもちろん領民全部にキリスト教徒となることを強制し、仏教徒であった父純前の位牌を焼却、領内の神社や寺院を次々に破壊したという。主としてポルトガルから来日した宣教師たちが純忠にしつこく進言した結果であることも確認されている。

驚くべき事実は、にわかクリスチャンであるはずの信者の手で、虐殺された僧侶もいるという……この時代のクリスチャンはテロリストと化したのだった。

即ち急激な時代の変化に過剰な反応を示す軽薄な人々による同調圧力は、決して今に始まったことではなくむしろこの国の伝統芸能と考えるべきなのかもしれない。
大村純忠のキリスト教への転向が、利権目当てであったという疑惑は今さら解明する術もない昔話だが、純忠の死後豊臣秀吉のバテレン追放令、徳川幕府の禁教令に順応した純忠の息子喜前はあっさり棄教、キリスト教に対する禁教令を発布することになる。

ここで息を吹き返した神社・お寺さん諸氏が今度はキリスト教徒を迫害するようになる。

キリシタンの長い受難の歴史が始まる。アホかと言いたくなるような変節だが、大村喜前の主体性のない生き様は、秀吉の九州侵攻に手を貸してその覇権先となり、バテレン追放令にもすんなりと同調し、更に元締めが徳川に移行すると、幕府が禁教令を発するのを察知していち早く大村藩全体にキリスト教を禁じる処置を取るというあざとさに示されるように、徹頭徹尾自己保身が優先課題になっている。

そのために住民同士が殺し合い、建造物を破壊するような混乱状態が生じても意に介さない政治姿勢には頭が下がる。しかし今の日本の現状に比べて、あながちひどい時代だったとも言い切れないのはどうしたものか。

すべての問題を選挙でどれだけ票を集められるかを基準に判断する政治家たちの自分の地位を守ることしか考えていないように見える姿は、まるで大村喜前そのものではないか。

もちろんそんな政治家に追従する大衆が悪いのだといえばそれまでの話ではあるが、安倍政権すら倒せなかったわれわれ日本の老害世代に、大村藩の殿様や領民を笑う資格はないということである。(つづく)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

◆はじめに ── 原発推進の口実に

今日「気候変動」あるいは「気候危機」という言葉を耳にしない日はない。多くのメディアや識者は産業革命以来の人為的CO2排出による温暖化が地球環境に危機を招くと説いている。しかし、温暖化が地球環境の危機として広く認識されるようになったのはそれほど古いことではない。筆者自身の体験に即して言えば、筆者が学生時代を過ごした1970年代には地球温暖化をメディアが報じることはなかった。しかしその後、地球の温暖化が急速に喧伝され、今日「気候危機」への対策が国際社会の共通課題とされているのである。

「気候危機」は私たち脱原発を目指す者にとって見過ごせないテーマである。なぜなら、それが原発推進の口実となっているからである。直近では岸田政権が「気候危機」対策としてのGX(グリーントランスフォーメーション)の名のもとに原発推進法制を成立させたことが記憶に新しい。

そこで「気候危機」論はいつ誰によって唱えられ、どのように広まってきたのか、振り返ってみたい。

◆CO2説を最初に唱えた科学者スヴァンテ・アレニウス

 

スヴァンテ・アレニウス(1859-1927)

大気中のCO2増加により地球が温暖化する可能性を最初に指摘したのはスウェーデンの科学者スヴァンテ・アレニウス(1859-1927)である。

彼は1896年に発表した論文の中で科学者として初めて、空気中のCO2の量の変化が温室効果によって気温に影響を与えるという考え方を示した。彼はまた一般向けの著書『宇宙の成立』(1906年)の中で、石炭などの大量消費によって今後大気中のCO2濃度が増加すること、CO2濃度が増えれば気温が上昇する可能性があることを述べた。

「空気中の二酸化炭素の量が現在の割合の半分に低下すると、気温は4度低下する。1/4に減少すると、気温が8度下がる。一方、空気中の二酸化炭素の割合が2倍になると、地表の温度が4度上昇する。二酸化炭素が4倍に増えると、気温は8度上昇する。」

このようにアレニウスはCO2の増加が地球を温暖化する可能性を指摘したが、彼は今日の気候危機論者のようにそれを地球環境の危機とは考えていなかった。彼は『宇宙の成立』の別の部分で以下のように書いている。

「地球に蓄えられた石炭が、未来のことも考えずに今の世代に浪費されているという嘆きをよく耳にするし、私たちは火山の噴火による生命や財産のすさまじい破壊に怯えている。ここでは、他のすべての場合と同様に、善と悪が混在しているという考えに一種の慰めを見出だせるかもしれない。大気中の二酸化炭素の割合の増加の影響により、特に寒い地域に関しては、地球が現在よりもはるかに豊かな作物を生み出し、人類の急速な繁栄のために、より平等でより良い気候の時代を享受することが期待できるかもしれない。」

つまり、アレニウスはCO2による地球温暖化により寒い地域が過ごしやすくなり作物生産が豊かになるため、地球温暖化は人類にとって好ましいものと見ていたのである。(つづく)

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▼「気候危機」関連年表

1760年代  イギリスで産業革命起こる
1896年   スヴァンテ・アレニウス、CO2の地球温暖化効果を指摘する論文を発表
1906年   アレニウス『宇宙の成立』を発表、CO2の地球温暖化効果を一般向けに解説
1932年   宮澤賢治『グスコーブドリの伝記』発表
1979年 3月 スリーマイル島原発事故
1979年 7月 米国アカデミー「21世紀半ばに二酸化炭素(CO2)濃度は倍になり、
      気温は3±1.5℃(1.5-4.5℃)上昇する」とする「チャーニー報告」を公表
1986年 4月 チェルノブイリ原発事故
1988年 6月 アメリカ上院公聴会にてジェームズ・ハンセンが「最近の異常気象、
      とりわけ暑い気象が地球温暖化と関係していることは99%の確率で正しい」と証言
1988年 6月 トロント・サミット開催
1988年 11月 国際連合気候変動に関する政府間パネル(IPCC)発足
1989年 3月 ハーグで環境サミット開催、「温暖化防止への国際協力」を盛り込んだ
      「ハーグ宣言」を採択
   11月 英サッチャー首相、国連総会で
      「CO2を削減して人為的地球温暖化を阻止すべき」とスピーチ
1991年   ソ連崩壊
1992年 6月 ブラジルで地球サミット開催、「気候変動枠組条約」採択
1995年   第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP1)開催
1997年   COP3開催、「京都議定書」採択、排出量取引制度創設
2001年   IPCC第3次評価報告書を発表、マイケル.マン作成のホッケースティック曲線を採用
2002年   サッチャー元首相、地球温暖化を否定する著書『Statecraft』を発表
2005年   EU、世界で初めて「排出量取引制度(EU-ETS)」を開始
2006年   アル・ゴアのドキュメンタリー映画『不都合な真実』公開
      (ゴアは翌年ノーベル平和賞を受賞)
2007年   英国裁判所で『不都合な真実』には誇張があるため
      学校内での上映に際しては注釈を付すよう命じる判決
2008年   ハンセン、地球温暖化防止のため原発を推進するようオバマ大統領に提言
2009年11月 クライメートゲート事件(マンのホッケースティック曲線は捏造であるとの疑惑が浮上
      英国下院は「問題なし」とする調査結果を公表)
2011年 3月 福島原発事故
2011年 7月 ドイツ、脱原発を決定
2015年   COP21開催、「パリ協定」締結
2017年   韓国、脱原発を決定
2018年   グレタ・トゥーンベリ、気候ストライキを開始
2021年 8月 IPCC第6次評価報告書を発表、
      人間の活動により温暖化が起きていることは「疑う余地がない」と断定
2021年11月 仏マクロン大統領、原発新設再開を宣言
2022年   EU、タクソノミーに原発を含めることを決定
2022年   韓国、脱原発を撤回し原発推進に回帰
2023年 5月 日本、国会でGX推進法を可決、成立

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本稿は『季節』2023年冬号掲載(2023年12月11日発売号)掲載の「『気候危機』論の起源を検証する」を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

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◆家系という負の遺産を背負って

1980年代の中頃まで、私の本籍地は長崎県の大村市だったが、実は敗戦後の大村にはすでに「板坂」を名乗る人は住んでいなかったという。

私の祖父は熊本医科大学を卒業して医師となり、何故か満州に渡って開業医として大成功したそうで、そこには骨肉の相続争いがあったらしいが、その種の史実には全く興味がないので割愛する。

更に満州から南京に転出した祖父は、南京でもまた奇跡的な成功に恵まれて大邸宅に住んでいたという話である。しかしその話に、疑問を感じないではいられない。

満州の撫順にあった祖父の病院に、戦場で重傷を負った陸軍の軍人がかつぎ込まれた時の逸話が、戦後出版された当該元軍人の回想録に記されていた。

「板坂光君(私の父である)という少年が庭先で遊ぶ声で目を醒ました」

腕か脚を切断するほどの手術の後、麻酔から覚めた時のことを書き記した文章だったと記憶する。この部分だけ読めば単にノスタルジーをかきたてられるエピソードだが、この当時の満州では日本人の医者は中国人の患者を診察しなかったという秘話など耳にすると、さもありなんと思えてしまうのが悲しい。

さて問題はこの時「板坂光君(私の父である)という少年」が何歳だったのかということなのだが、陸軍の軍人が負傷して祖父の病院にかつぎ込まれたのは満州事変の発端となった柳条湖事件(1931年)以降のことであろう。父は十代半ばだったと思われる。

父の出生地が撫順であり、1918年の生まれであることを考えれば、祖父が満州に渡ったのは、満州事変より十数年も前だったことになる。その後、満州から南京に移転したのがいつだったのかは判らないが、交通の便も悪く、社会情勢も安定していない南京市内にわざわざ移り住み、しかも広大な邸宅に居を構えることが出来たのは何故なのだろうか。

そして当然と言えば当然の結果ではあるが、1937年の上海事変の際、中国全土で盛り上がった抗日気運に乗って、祖父の邸宅は蒋介石の軍隊に襲われ、家族はすべてを失って無一文で帰国しなければならなくなった。

その間の経緯については、祖父も父も私には何も話してはくれなかった。思い出したくもないということなのだろうか。2人の死後、叔母にあたる女性から「子供たちまで庭に引きずり出され、銃を突きつけられた時には殺されると思った」と当時を回想する話を聞かされた。相当に緊迫した状況だったようだ。

しかしここでも私には疑問に思えることがある。関東軍が満州で事を起す十数年前、まだ満蒙への開拓移民団さえ組織されていない時代に本土を離れて満州に赴き、開業医として成功していた。にも拘らず、満州国がようやく成立し日本の植民地国家となるのかと思えた頃、逆に日本人にとっては未知の領域に等しい南京をハイリスクな旅の目的地に選んだ理由が判らない。

まるで日本軍の侵略コースを先取りしたかのような道程が何を意味するのか……まさか軍の要請に従ったとは思いたくないが、在留邦人が危険な目に遭っていることを口実に軍が出動するのは侵略者の常套手段である。

祖父の一家が南京から追放された数日後、その報復であるかのように南京は日本軍機による無差別爆撃を受け、4か月後には日本軍は南京を占領した。そして南京大虐殺が始まる。

祖父一家は侵略の口実を作るための囮だったのかとも思える。当時の南京で祖父と同じ目にあった日本人は大勢いたはずだが、彼等に対する迫害が日中戦争を正当化する理由のひとつになったことは確かだろう。(つづく)

本稿は『季節』2022年春号掲載(2022年3月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼板坂 剛(いたさか・ごう)さん(作家/舞踊家)
1948年、福岡県生まれ、山口県育ち。日本大学芸術学部在学中に全共闘運動に参画。現在はフラメンコ舞踊家、作家、三島由紀夫研究家。鹿砦社より『三島由紀夫と1970年』(2010年、鈴木邦男との共著)、『三島由紀夫と全共闘の時代』(2013年)、『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(2017年)、『思い出そう! 1968年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』(紙の爆弾2018年12月号増刊)等多数。

◆告発状受理、正式に被疑者に!

広島地検は3月11日までに広島県内の住民が平川理恵・教育長を官製談合防止法違反などの疑いで告発していた告発状を正式に受理しました。これにより、平川氏は広島地検の捜査対象と言う意味で正式に「被疑者」となります。

もちろん、被疑者・被告人は推定無罪です。しかしながら、すでに、平川氏は自らが依頼した外部の弁護士による調査により、京都のご自身のご親友のNPO法人「パンゲア」への業務委託などで、「官製談合防止法違反」「地方自治法違反」があった、と指摘されています。

一方、平川氏は2023年8月に始まった住民裁判で、官製談合による県費の無駄遣い及び、高額なタクシー代、そして高額な弁護士への費用を返還するよう訴えられています。

広島瀬戸内新聞2023年9月号外

法律的に言えば、平川氏は何の処分も受けていません。特別職公務員にはそもそも懲戒という仕組みがない。2023年2月に平川氏が給与の自主返納をしただけです。あとは、知事による罷免しかない。

こうした状況で、任期満了まで教育長を続けられる平川氏には呆れてしまいます。まさに鉄面皮を超えて劣化ウラン※面皮と言う状況です。

(※ウラン鉱石から核燃料を取り出した後に残った劣化ウランは非常に硬い性質を持っている。1991年の湾岸戦争において鉄より硬く、劣化ウランを使用した米軍の戦車が鉄でできていたイラク軍のT72戦車を撃破したことで有名。しかし、飛び散った劣化ウランの粉塵が、周辺の住民や米軍兵士の健康にも悪影響を与えているとされている。)

◆広島・日本の教育を前に進めたのではないか、と自負している?

こうした中、3月22日、平川氏は県民をさらに呆れさせました。平川氏は退任前最後の記者会見で「広島・日本の教育を前に進めたのではないか、と自負している」と言い切ったのです。一方で、告発状受理については「お答えできない」と逃げました

「この中で平川氏は、2期6年の任期中に取り組んだ公立高校の入試改革や不登校対策、それに探求的な学習の導入について「365日24時間、どうやったら広島の教育が良くなるかを考え続けてきた。広島県、あるいは日本の教育を前に進められたのではないかと自負している」と振り返りました。」

平川氏は一生懸命だったのは事実でしょう。しかし、教育を前に進めたというより、脱線させた、というのが事実ではないでしょうか。脱線したまま、あさっての方向に進んでいるというべきでしょう。

◆アメリカン・ポストモダンな腐敗と日本の古臭さの悪いハイブリッド

平川氏は、ただただ、アメリカン・ポストモダニズム的なものに飛びついて、それを取り入れることが進歩だと思い込んでいる。1990年代後半あたりの日本企業の経営者、新自由主義政治家によくあるパターンです。実は、それこそが時代遅れなのではないでしょうか?

そして、正直、平川氏が「私自身が任期中の評価をするのは難しいが、教育というのは今成果が出るものではなく、何十年後かに子どもたちが答えを出してくれるものだと思っている」というのも責任逃れにも見えてしまいます。

例えば、高校入試。2023年の入試から改革が行われました。今までは一般入試と推薦入試で行っていたのですが、推薦入試を廃止。そしてアメリカンな「自己表現」を導入したのです。これまで学力重視の一般入試と、部活などで実績がある生徒向けの推薦入試でバランスを取っていたのが崩れ、生徒や保護者、中学校の先生らにも不評です。そして、「自己表現」とはどうすればいいのか? どう採点すればいいのか? 生徒も保護者も、高校の先生も苦慮したのです。

そもそも、日本の文化とアメリカの文化は違う。その中で、いきなりアメリカンな自己表現とやらを導入するのは無理がある。その上で、アメリカの教育が良いかと言えばまったくそんなことはない。日本の政治の腐敗ぶりは大概ですが、アメリカのポストモダンの政治だって、バイデンVSトランプと言うどうしようもない不毛な大統領選挙ではないですか?アメリカの教育を受けたアメリカの有権者がそういう構図にしたのではないですか?

平川氏の行政手法である、お仲間優遇というのは実は、アメリカ直輸入なのです。平川氏ご親友のNPOや企業とか、赤木かん子さんら平川氏の「意識高い系」のお仲間で物事を決めていく。これはアメリカでは普通のことです。

かつての日本の疑獄事件みたいに賄賂をやり取りするよりも、高級官僚と企業の幹部がいわば回転ドアのように行き来して利益誘導する。従来の日本の天下りどころではありません。そうした中で、戦争国家と言われるアメリカができています。

平川的なことを進めて行けば、アメリカンな腐敗と日本・広島の権威主義をハイブリッドした無茶苦茶なことになりかねません。というか、もうなっています。国土が広く、資源が豊富なアメリカだからまだ政治が腐っていても持ちこたえていますが、日本はそうはいきません。

◆新教育長は「フロント」に徹せよ!

さて、新年度からの教育長には、文部科学省課長の篠田智志さんが県議会に人事案が提案され、2月26日に議会で全会一を以って可決されました。篠田新教育長には以下のことを申し上げたい。

戦前の臣民を育てる教育を止め、戦後は、日本国憲法の下で市民が市民を教育する制度に変わりました。すなわち、アメリカに倣った教育委員会制度が導入されました。当初は、教育委員会は公選制がとられたものの、イデオロギー対立などで混乱したということもあり、任命制に変わりました。その後、安倍政権の下では、事務方のトップである教育長が教育委員会の委員長も兼ねること制度改正。教育長の権限は強大になりました。しかし、あるべき公教育の基本は変わりません。

プロ野球に例えれば市民、県民がオーナーで、生徒が選手、先生がコーチ、校長が監督、そして教育委員会は球団フロントのようなものです。教育長の権限が以前より強大化したとはいえ、所詮は球団社長の立ち位置であり、オーナーでもなければ主役でもない。選手の個々のプレイに口を出したり、監督の采配に口を出したりするのがおかしいのです。カープの新井監督のお名前は広島県民ならだれもが存じています。しかし、球団社長のお名前はすぐには出てきません。それでいいのです。フロント=教育長は現場がやりやすいように支援する黒子で良いのです。

例えば、県内では県教委管轄だけで1000人以上、非正規の先生がおられます。非正規の先生も大変だし、正規の先生も疲弊する。非正規を正規の先生に変えていくことでそういう状況を変えていく。平川教育長は「予算がない」と言っておられたのですが、何十億もかけてグローバルエリート中高「叡智学園」をつくったのだから、お金がないわけがない。使い方の問題です。

◆「万辞に値する」湯崎英彦知事の「任命責任」

さて、安倍政権の制度「改革」自体に問題があるが、それを「悪用」した平川「被疑者」教育長、何より任命した湯崎知事には大きな責任があります。とりわけ、湯崎知事は、2月に平川教育長の続投がないことを決めた際、「法令違反は改革の副作用」と言って、平川教育長を庇ったのです。

そもそも、県は平川教育長にお金を無駄遣いされた「被害者」のはずです。平川教育長を警察・検察に告発したり、平川教育長に無駄遣いしたお金の返金を命じたりするのは知事の仕事ではないでしょうか?

住民が平川「被疑者」教育長を刑事告発したり、返金を求める裁判を起こしたりしなければいけないのが本来おかしいのです。知事が動かないから、住民が自腹を切って動かないといけなくなる。それどころか、県は、平川「被疑者」教育長を庇う立場で住民訴訟に参加しているわけです。

湯崎英彦知事は、ある意味、類は友を呼ぶということで、平川氏を、2018年度に神奈川県の民間校長から一本釣りしたのでしょう。いずれにせよ、湯崎知事の任命責任は、その後に平川氏を罷免するなどしなかったことも含め、「万辞に値する」と言わざるを得ません。

もちろん、今まで、湯崎県政を十分チェックできなかった県議会、そして湯崎知事と平川教育長を持ち上げてきたマスコミの責任も重いと言わざるを得ません。
筆者も平川教育長の逃げ切りを許さない。そして腐敗しきった湯崎知事から広島を取り戻す。その動きを強めていく決意です。

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▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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2月20日、同5日付で和歌山カレー事件の再審請求が和歌山地方裁判所に受理されたとの一報が全国を駆け巡った。

テレビ、新聞などが一斉に報じ、普段ニュースを見ない人々の間やSNSでも話題に。今年で26年となる今も、事件、そして林眞須美さんが世間から忘れられていないことを証明づけた。

※現在は確定死刑囚として大阪拘置所に収監中。一貫して無罪を主張しており、動機が未解明であること、自白がないこと、状況証拠しかないことなどから、あえて林眞須美さんと表記する。ご理解いただきたい。再審請求が受理されたのは実質3回目だ。

1回目は死刑判決確定後の2009年7月22日付。事件にヒ素が使われていたが、ヒ素の鑑定方法に問題があるとして和歌山地裁に請求、2017年3月29日付で棄却された。同年4月3日に大阪高等裁判所へ即時抗告し棄却。その後、最高裁判所への特別抗告も行っているが、2回目の請求と1本化するため取り下げた。

2回目は2021年5月16日。青酸化合物を死因とする当初の解剖結果が存在するとみられるものの、裁判に提出されていないことを焦点に置いた。林眞須美さんがヒ素を使ったとされているが、カレーにヒ素と青酸化合物の両方が投入されていたのならば第三者の犯行だと主張。また和歌山市がヒ素ではなくシアン中毒として患者の対応にあたったことにより死者が発生したこと、眞須美さんに死者4人の死因を直接立証できる証拠がないこと、第三者の犯行であることを訴え和歌山地裁へ請求、同31日付で受理された。昨年(2023年)1月31日付で和歌山地裁が棄却し、同2月2日付で大阪高裁に即時抗告している。

◆冤罪ではないか──。 世論が高まる中での動き

2回目の再審請求が即時抗告されており”生きている”中で、眞須美さんと別の弁護団は新証拠を携え3回目の請求に踏み切ったのだ。2つの弁護団が異なる内容で、2件の再審請求を同時進行している――。珍しい状況ではないだろうか。それだけ多くの関係者が事件の捜査について疑問視していると言える。

2回目、3回目の請求内容については詳報を待ちたい。

◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇   ◇

3回目の再審請求までに、支援者の間ではさまざまな勉強会が行われた。今冬には、林家と夏祭りの現場のヒ素が異なることについて、鑑定不正について学ぶ場が設けられた。

「あまりにも鑑定がひどい」。

『鑑定不正』著者で京都大学の河合潤元名誉教授は、こう言いながら眉間にしわを寄せた。 

大阪市此花区で開かれた、和歌山カレー事件・林眞須美さん支援者らによる学習会。50~80代の男女約30人が集まり、和歌山カレー事件で重要な焦点となったヒ素について、河合元名誉教授が自身の鑑定結果をもとに事件の真実に迫った。注目が高まっているからか、九州から訪れた参加者の姿もあった。

和歌山カレー事件は1998年7月に発生。夏祭りで提供されたカレーの鍋にヒ素が混入され、67人が急性ヒ素中毒を発症した。うち4人が死亡。近所の主婦、林眞須美さんが逮捕され、無罪を主張するも状況証拠を根拠に最高裁で死刑が言い渡された。

和歌山カレー事件は2002年の和歌山地裁第一審で、林家の台所シンク下から出てきたヒ素と、現場の紙コップから検出されたヒ素、カレーに混入されたヒ素の3つが同一との鑑定結果が提出された。当時東京理科大学教授だった中井泉氏に依頼して行われたもの(以下、中井鑑定)だ。

これを根拠に死刑判決(一部無罪)が言い渡された。2005年の大阪高裁、2009年の最高裁でも中井鑑定が採用され続け、中3~3歳の4人の子育てに追われる主婦だった眞須美さんは確定死刑囚となった。

第一審から約8年後の2010年、再審請求弁護団が河合元名誉教授のもとを訪れた。河合元名誉教授が鑑定を行ったところ、3つのヒ素は同一ではないと判明。死刑判決の根拠となった中井鑑定は、これらのヒ素が同じ輸入業者を経由したものだったかを調べるに過ぎないものだったのだ。

河合元名誉教授は一連の裁判に採用された鑑定の不正点について、中井鑑定の不審点に1つ1つ触れながら参加者に説明した。河合元名誉教授によると、ヒ素の鑑定には鉛の反応が強く出ているほか、一部の鑑定結果は過去に鑑定したものをトリミングし再利用していたと指摘。また中井泉氏の証言と結果が矛盾していることなども強調した。

「とんでもないこと。明らかな不正だ」。

河合元名誉教授は厳しい口調で参加者らに訴えた。

河合元名誉教授は、今後も中井鑑定の問題点に着目し、再審請求弁護団に新証拠を示していく予定だ。勉強会で参加者からの質問を受け、「新証拠はいくつも見つけている。今後も弁護団に鑑定の説明を続ける」と話していた。

河合元名誉教授は著書の最後をこう締めくくっている。「林眞須美という存在は、司法・マスコミ・学会などの健全さを示す『リトマス試験紙』となっている」(『鑑定不正』河合潤著、日本評論社 208ページより引用)

この言葉が筆者の心に重くのしかかり、日本における大きな課題だと強く受け止めた。

▼紀多 黎(きた・れい)[写真・文]
幼少期から時事問題について議論する家庭で育つ。死刑制度や冤罪事件への関心が高い。好きな言葉は「見えるものではなく、見えないものに目を注ぐ」。

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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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◆「GX脱炭素電源法」の問題点

2022年12月、岸田文雄政権の「脱炭素」の司令塔であるGX(グリーン・トランスインフォメーション)実行会議は原発を推進する基本方針をまとめた。

基本方針には、
①次世代原発の開発・建設
②既設原発の再稼働
③原発の寿命延長(60年超)
④核燃料サイクルの推進
などが盛り込まれた。

原発再稼働だけでなく、新規原発建設や老朽原発の60年超運転まで推進しようとしている。

2023年3月30日、政府はこれらの原発推進策を束ねた「GX電源法案」を提出した(すでに国会で成立した)。このように政府は福島原発事故後の「原発を可能な限り低減する」を基本とした政策から「原発の最大限活用」に舵を切った。

2011年3月11日、東日本大震災が起き、福島第一原発は三基の原子炉がメルトダウン、あわや「東日本壊滅」の危機を体験した。放射能汚染により今も数万人が避難生活を強いられていることなど、まるでないかのように「脱炭素」のため、原発新設、老朽原発運転延長を進める。

大飯原発3、4号機の運転差し止めを命じた樋口英明・元福井地裁裁判長は裁判官退任後、「原発は間違いなく、わが国で最も重要な問題である。原発事故が起きればすべては水泡に帰すからである。止めるのは論理の帰結。地球温暖化どころの話ではない」(2021年3月、大阪での講演レジュメ)と述べる。

「CO2説」は根拠が薄弱であるが、原発事故による放射能汚染は確実に生命を、未来を奪う。「地震大国・日本」では次の原発事故が迫っている。老朽原発の60年超運転などを認める「GX脱炭素電源法」は断じて認められない。

◆おわりに

日本政府による「脱炭素」のためEVを推進する政策の問題点を述べてきた。

「CO2説」は科学的根拠が薄弱である。従って「脱炭素」を口実に巨額の補助金を用いてEVを進めることは無意味である。また「CO2説」の是非をさておいてもEVはCO2削減には役立たない。一方、1台のEVの蓄電量は家1軒の約1週間分の電力に相当する。急増する電力需要をまかない、しかも「脱炭素」を旗印にすれば「原発の最大限活用」した方策はない。

電力は利便性が高く、簡単な装置を用いて熱エネルギー、力学的エネルギー、光エネルギーなどに変換できる(近藤 同前)。しかしEVはエネルギー効率が悪く、火力発電による化石燃料を浪費する。電力という大変便利で貴重なエネルギーは大切に使わねばならない。

確かに資源枯渇は迫っているが、松久実は「毎年1%ずつ資源の使用量を減少すれば、永遠に100年分の可採残存資源を維持できる」(松久実『縮小社会への道』2012年日刊工業新聞社)と述べている。

人口減少が進む日本では今後、電力需要を減らしていけるし、原発を廃絶しても電力は十分足りる。ところがEVは電力需要を急増させ、脱成長や縮小社会とは正反対に経済成長を目指すことにつながる。

原発の60年超運転や新規原発建設を阻止するには、EVに対する補助金や減税を撤廃して、EVの普及を止めなければならない。(終わり)

本稿は『季節』2023年秋号掲載(2023年9月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

◎大今 歩 電気自動車(EV)は原発で走る[全3回]
〈1〉EVで本当にCO2は減らせるのか?
〈2〉EV推進に不可欠な電力需要増大 
〈3〉電力需要を急増させるEV政策は、脱成長や縮小社会の未来志向に逆行する

▼大今 歩(おおいま・あゆみ)
高校講師・農業。京都府福知山市在住

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

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全13試合中、デビュー戦が18名の初陣興行。ノックアウト勝利は一つだけだったが、3ラウンドを戦い切り、俺達がこの団体を引っ張るという自覚を持ったアグレッシブな戦いが連なった。

加盟ジム会長と並び、栗芝貴協会代表が初陣の御挨拶

◎原点回帰 初陣 / 3月16日(土)後楽園ホール 17:15~21:29
主催:全日本キックボクシング協会 /

(戦績は興行パンフレットより、この日の結果を加えています)

◆第13試合 スーパーフライ級3回戦

羽田翔太(キックスターズジャパン/ 51.8kg)11戦3勝8敗
      VS
広翔(稲城/ 51.9kg)1戦1勝
勝者:広翔 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:和田29-30. 勝本剛司28-30. 竜矢29-30

初回、ローキックから上下の蹴り中心の攻防は広翔のローキックの鋭さがインパクトを与えていく。第2ラウンドも蹴りの攻防の中、広翔のハイキックが羽田翔太の顔面を掠める軽いヒットが目立った。激しい蹴り合いの中に、主導権を奪いに行く姿勢は広翔が優っている印象で、僅差ながら広翔が勝利を飾った。

広翔の左ハイキックが羽田翔太の顔面を掠めた

勝者コールされた瞬間、雄叫びをあげる広翔

◆第12試合 56.0kg契約3回戦

鬼澤佑輔(MIYABI/ 55.5kg)7戦2勝3敗2分
      VS
中村健甚(稲城/ 55.75kg)1戦1敗
引分け 0-1
主審:椎名利一
副審:和田29-30. 少白竜29-29. 竜矢29-29 

蹴り合いから接近し、組み合う距離からヒジ打ちを繰り出す両者。崩しやヒザ蹴りも加わり、鬼澤佑輔がやや攻勢も第3ラウンドには中村健甚のヒザ蹴り、飛びヒザ蹴りでアグレッシブな印象を与えたこのラストラウンドだけジャッジ三者揃って中村が支持されたが勝利には届かず。

上手な戦い方ではないが、アグレッシブに戦った中村健甚と鬼澤佑輔

◆第11試合 スーパーフェザー級3回戦

仁琉丸(ウルブズスクワッド/ 58.45kg)21戦12勝(8KO)9敗
      VS
幸島秀之(大匠塾/ 58.45kg)1戦1敗
勝者:仁琉丸 / 判定3-0
主審:勝本剛司
副審:椎名30-27. 少白竜30-27. 竜矢30-27

蹴り合う中でも前進する圧力と当て勘優る仁琉丸。プロ実績で大きく上回る仁琉丸だが、予想されたノックアウトに繋げるには至らずも大差判定勝利。

35歳以上のアマチュア版ナイスミドルで活躍する幸島秀之も仁琉丸の圧力を凌いでパンチで攻めるアグレッシブな展開を見せたが、プロの壁には撥ね返された。

いずれ瀬川琉とフェザー級タイトルを争うことになるであろう仁琉丸は、更に調子を上げて行きたいところだろう。

戦歴で上回る仁琉丸(右)が圧倒していく展開を見せた

◆第10試合 スーパーライト級3回戦

勇生(ウルブズスクワッド/ 63.0kg)3戦2勝(1KO)1敗
      VS
Naoki(ウィラサクレック西川口/ 62.85kg)1戦1敗
勝者:勇生 / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:椎名29-28. 少白竜30-29. 勝本剛司29-28

初回から激しく蹴り合う両者。接近してのパンチの交錯で倒しに行く姿勢が表れていた。徐々に勇生のパンチが当たりだし、鼻血を流すNaoki。

第2ラウンドには勇生のパンチでNaokiの左頬が大きく腫れてきた。Naokiが反撃に移り、正にキレイな攻めではないが倒しに行く姿勢で我武者羅に出て来る。

第3ラウンドには更に激しく打ち合う中、Naokiは左側頭部からも出血が見られた。打ち合うとややNaokiが圧すも、上下の蹴りと接近戦でのヒザ蹴りが目立った勇生だった。

勇生のパンチで左頬が腫れ流血もあったNaokiだったが、最後まで諦めなかった

◆第9試合 フェザー級3回戦

白井嶺虎(バンゲリングベイ/ 56.55kg)4戦3勝(1KO)1敗
      VS
エモ(ジーニアス/ 57.05kg)1戦1敗
勝者:白井嶺虎 / KO 2ラウンド2分42秒 /
主審:竜矢

初回から打ち合い、ハイキックも交じるローキックとパンチの攻防。第2ラウンドには打ち合いながらハイキックも繰り出した白井嶺虎の左ハイキックがエモのアゴにヒットすると、あっさりノックダウン。カウント中にタオルが投げ込まれ、レフェリーストップとなった。

白井嶺虎の左ハイキックが何度かエモを襲った。これはフィニッシュブローではないが、最後もこんなヒットだった

白井嶺虎の左ハイキックでエモがノックダウン。レフェリー目線はタオルが投げられる方向

◆第8試合 ライト級3回戦

杉浦昂志(キックスターズジャパン/ 61.1kg)1戦1勝
      VS
むらけん(=村松健太/ジーニアス/ 61.1kg)1戦1敗
勝者:杉浦昂志 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:竜矢30-29. 和田29-28. 勝本剛司30-29

むらけんの長身と手足の長さを利した前蹴り、組んでもヒザ蹴りがインパクトを与える。杉浦昂志はローキック狙いでむらけんを徐々に追い詰めるも大きなダメージを与えるには至らない。攻撃力はむらけんが優ったように見えたが、杉浦がヒジ打ちも加えたヒットもあってか僅差判定勝利となった。

むらけんは、元・全日本ライト級チャンピオンの須藤信充氏の御子息です。

知名度はこの日一番だったむらけん。手足の長さが効果的だったが、杉浦昴志のローキックに圧されたむらけん

◆第7試合 ウェルター級3回戦

成瀬晴規(無所属/ 66.7→66.65 kg)3戦1勝1敗1分
      VS
滝口遥輝(中島/ 64.85kg)1戦1分
引分け 0-0
主審:椎名利一
副審:少白竜29-29. 和田29-29. 竜矢29-29

◆第6試合 ウェルター級3回戦

山本哲男(KICKBOXING-SQUARE/ 66.45kg)2戦2勝
      VS
カトリーヌ・マサトシ(中島/ 65.25kg)1戦1敗
勝者:山本哲男 / 判定2-0
主審:勝本剛司
副審:少白竜29-28. 椎名28-28. 竜矢30-28

◆第5試合 ライト級3回戦

山田旬(アウルスポーツ/ 61.15kg)1戦1勝
      VS
ザイ・ウズハンカーン(中島/ 61.15kg)1戦1敗
勝者:山田旬 / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:少白竜30-27. 椎名30-27. 勝本剛司30-28

◆第4試合 フェザー級3回戦

高橋邑俉(SQUARE-UP/ 56.7kg)1戦1敗
      VS
勇人(NUMBER NINE/ 56.4kg)1戦1勝
勝者:勇人 / 判定0-3
主審:竜矢
副審:和田28-29. 椎名25-29. 勝本剛司25-30 

◆第3試合 バンタム級3回戦

藪祥基(SQUARE-UP/ 53.45kg)1戦1敗
      VS
吉田鋭輝(team彩/ 53.45kg)1戦1勝
勝者:吉田鋭輝 / 判定0-3
主審:竜矢(勝本竜矢)
副審:少白竜28-29. 椎名28-29. 勝本剛司28-29

◆第2試合 71.0kg契約3回戦

英坊(MIYABI/ 70.65kg)3戦2敗1分
      VS
義斗(Kickboxing fplus/計量はリミット内パス)1戦1勝
勝者:義斗 / 判定0-3
主審:少白竜27-30. 椎名28-30. 竜矢27-30
副審:

◆第1試合 フライ級3回戦

ペニコ(MONKEY☆MAGIC KBS/ 50.9→50.8kg)1戦1敗
        VS
HIROKI(AKIRA?budo school?/48.65kg)1戦1勝
勝者:HIROKI / 判定0-3
主審:勝本剛司
副審:和田27-30. 椎名26-30. 竜矢28-30

《取材戦記》

デビュー戦ばかりの正に原点回帰の初陣興行。全ての選手のアグレッシブな展開が素晴らしかった。

ド派手な演出は無くても、インパクトある演出はレジェンド達の御登壇。第7試合後にセレモニーが行われ、加盟ジムと会長の御紹介、旗揚げ興行として栗芝貴協会代表の御挨拶、特別ゲストで藤原敏男氏、富山勝治氏、増沢潔氏、飛鳥信也氏など、かつての名チャンピオンが御挨拶。富山さんは「久々に後楽園ホールへやって来ました。50年前を思い出します……!」と想いを語り、飛鳥信也さんが「私と富山さんはキックボクシング発祥の目黒ジム出身です……!」と語った御挨拶後、富山さんが再びマイクを持つ意地のアピール。沢村忠さんの名前を出しておかねばという想いもあったでしょう。「沢村忠様有っての今のキックボクシング……!」と、「今後ともキックボクシング発展の為に皆様の力をお借りしたいと思います。今後とも宜しくお願い致します!」と締めるかつてのエース格の存在感が目立った。

この全日本キックボクシング協会は、かつての昭和時代に石原慎太郎氏がコミッショナーを務めた団体の復興ではなく、同名の新団体ではあるが、初陣と言いながらレジェンドが御登壇となれば、キックボクシング生誕60周年を思わせる還暦興行の印象もあり、懐かしさが蘇える興行だった。

前日計量は14時より稲城ジムで行なわれ、計量後に選手全員残ってルールミーティングが行われました。そのミーティングにおいて、審判長の勝本剛司氏との質疑応答が始まった。時間の都合上5名だけだったが、計量に来て質疑応答となっては選手も戸惑っただろう。

「この新団体としての初陣興行。歴史に残らなければならない。ここに居る選手一人一人が実力を出し切って、まずは自分達が目立ってカッコ良く、逞しい姿を見せてくれることが一番大切な部分となってくることを肝に銘じているということを前提に話を進めていきます。」という質疑応答となった。

勝本剛司審判長は「この大会(興行)に於いて、プロとして何を見せてくれるのか、抱負と目指している選手が居れば教えて貰っていいですか?」という質問。急に振られると応えることに戸惑ったであろう。最初に当てられた第1試合のペニコ選手とHIROKI選手。試合に向けての抱負をHIROKIは少し考えて「ヒザで決めます!」。目標とする選手は「AKIRA選手です!」と応えた。ペニコは「KOします!」目標とする選手は「小野瀬邦英さんです!」と計量立会いに来ていた小野瀬氏を戸惑わすインパクトを残した。

最終試合に出場する羽田翔太は「この二人がメインで良かったなと言われるような新団体の立ち上げに相応しい熱量を広翔選手と二人で盛り上げたいと思います!」

広翔は「デビュー戦でメインを組んで頂いたので、期待に応えられるようにKO勝ちで初陣興行、最初のメインを締めたいと思います!」と二人がカッコ良く締めた。

「この大会を想い出出場している人はいますか?」という問いかけには誰も手を挙げなかった。この一戦のみで辞めるつもりなど無いということである。

「この大会を踏み台にして次の試合に備えたいと思っている人はどれぐらい居ますか?」という質問にはパラパラと手が挙がった。

「全日本キックボクシング協会でチャンピオン獲りたいと思っている人は?」には見渡せた限りでは全員が手を挙げた。

「高嶺を目指して目立ってカッコ良く、上手な戦い方はこれから先。今回のデビュー戦で観たいのは“最後までリングに立ち続けるぞ”、“倒すぞ”という闘志をお客さんに見せてください。観衆は絶対心打たれるので、“あいつの試合見たい”となれば“次の大会も来たい”となります!」と期待を込めて前日に選手へ気合いを入れた勝本剛司審判長だった。

原点回帰で新人戦から始まった初陣興行。かつての新団体設立興行はチャンピオンが存在するメインイベンターが出場していたが、この新団体の全日本キックボクシング協会は新人から始まる原点に立ち返ったスタートだった。そこで選手に自覚を持たせる働きかけは昨年の8月から始まっていた。前日計量では、「この先どうなるかは正直分からない」と言っていた栗芝貴代表。我々一般ファンやマスコミから見ても、厳しい意見が出そうなスタートであった。

興行終了後の栗芝貴代表は、
「想像以上に選手の頑張り、前半戦からデビュー戦とは思えないぐらい、やっぱり何回も選手達に“君達が輝ける舞台を作ってくれ”と言ってきた中で、本当に腹くくって来たなという姿見てちょっとね、中盤辺りでなんか涙出そうになっちゃって。このメンバーで一年経ったら、凄いことになると思う。みんな切磋琢磨して、この夏頑張れば冬も来年も盛り上がっていける。この選手達、やってくれていると思って、それに我々も応えなきゃと思っています!」

藤原敏男さん、富山勝治さんらが来られたことについては「元・ゴング誌編集長の舟木昭太郎先生の御陰です。知ってる方が見ればやっぱり感動しますよね。今のお客さんはなかなか御存知無い方も多いかもしれないけど、我々キックボクシング関係者としたら原点回帰であの方々がリング上に上がってくれたというのはもう感無量ですね!」と多くの感動で今後に手応えを感じていた栗芝貴代表だった。

次回、全日本キックボクシング協会第二回興行は、6月13日、平日木曜日に後楽園ホールに於いて開催予定です。土日を取るのは難しい今年は仕方無いところでしょう。この日勝ち上がった選手によって試合順も上位枠へ上がっていきます。

レジェンド集結。前列に増沢潔氏、藤原敏男氏、富山勝治氏、飛鳥信也氏が並ぶ

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

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◆EV推進の意図

2022年1月、日本自動車工業会の豊田章男会長はEVによる自動車の買い替え促進が自動車の出荷額や雇用を増やし、経済の循環につながるとして、政府と実現に向けた政策を議論するとアピールした(上岡直見『自動車の社会的費用・再考』2022年緑風出版)。

ガソリン車では買い替え需要が見込みにくい。そこでガソリン車を廃止して、一斉にEVに切り替えることによって、ユーザーに買い替えさせることを目論んでいる。先行する欧米の自動車メーカーにも同様の意図があると思われる。買い替えによって販売を促進できるというわけだ。「CO2説」の背景にはこのような欧米の自動車業界の思惑が見え隠れする。

また、「政府との政策議論」とは、後発の日本の自動車メーカーがEV化に乗り遅れないよう政府による補助金や減税の拡大などの後押しの要求に他ならない。

現在も「脱炭素」を口実にEVや燃料電池車の購入者に対して多額の補助金が交付されている。例えばEVである日産リーフSの小売価格は302万円であるが、CEV(クリーンエネルギー自動車)の直接補助金により38.8万円が支払われ、エコカー減税が4.9万円提供されている(上岡直見『自動車の社会的費用・再考)。豊田氏は補助金や減税のさらなる拡大により、高価なEVの販売を促進したいのである。

1月26日、豊田氏はトヨタ自動車の会長となり、新社長に佐藤恒治氏が就任した。佐藤氏は2月の記者会見で「EVファーストの発想で事業のあり方を大きく変えていく」と断言した。

このようにトヨタは買い替え需要を見込んで補助金や減税目当てにEVに大きく舵を切った。前述の通り、EVはCO2を減らさない。「脱炭素」に役立たないにもかかわらず、自動車メーカーを優遇する多額の補助金や減税の拡大の是非が問われればならない。

◆EV推進に伴う電力需要の急増

EVは多量の充電を必要とする。2020年12月資源エネルギー庁は2050年発電電力量を約1.3~1.5兆Kwhと推測した。これは2018年の発電電力量より約3割~5割多い水準である(橘川武郎『災後日本の電力業 歴史的転換点をこえて』2021年名古屋大学出版会)。

今後、日本では急速に人口減少が進むのに電力供給増加を目指す原因の1つがEVの普及である。EVの生産拡大による電力供給の必要について、前述の豊田章男氏は2020年12月17日、オンライン記者会見で次のように述べる。

「乗用車400万台を全てEV化したらどういう状況になるのか。夏の電力使用のピークの時に発電能力を10~15%を増やさないといけません。原発でプラス10基、火力発電であればプラス20基必要な規模です」
「1台のEVの蓄電量は家1軒の1週間分の電力に相当します」
(加藤康子『EV(電気自動車)推進の罠 「脱炭素」政策の嘘』2021年ワニブックス)。

このように豊田氏は全EV化は原発や火力発電の大幅な増設が必要と警鐘を鳴らす。政府は「脱炭素」という題目を繰り返しながら、電力供給の急増を明確にしないが、全てをEV化したら原発全面活用が避けられないという事実を暴露した発言は興味深かった。

「脱炭素」のための電気自動車なのに豊田氏が再エネ発電の増設を求めなかったのは、太陽光や風力発電はエネルギー密度が薄くて電力供給が不安定なため、使いものにならないことを知っているからだと思われる。

EVを太陽光発電の蓄電池代わりに使用できるという意見があるが、「大型バスの屋根全面に太陽光パネルを貼って得られる電力は原付1台分」(上岡直見『「走る原発」エコカー 危ない水素社会』2015年コモンズ)という。自宅の屋根にソーラーパネルを貼ってもEVの普通車の充電はとても無理である。また、普通の生活をしているのは昼働き、夕方帰宅してから充電するので、日没後は発電しない太陽光は全く役に立たない。

日産のEV「リーフ」のウェブサイトには「電力供給に余裕のある夜間に充電を行い、電力需要が高まる昼間に貯めた電力を実際の走行や家庭の電力に活用」とある(同前)。「夜間に電力が余る」という前提こそ、原子力発電に密接に関連している。太陽光発電は夜間に発電しないし、火力発電は出力調整ができるので夜間に「電力を余らせる」必要はない(同前)。

結局、原発がEVに最も親和性が強いのである。(つづく)

本稿は『季節』2023年秋号掲載(2023年9月11日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全3回の連載記事です。

▼大今 歩(おおいま・あゆみ)
高校講師・農業。京都府福知山市在住

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

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◆呉市議会、共社両党以外は期待の声強く

防衛省は3月4日、2023年秋に閉鎖された日本製鉄所瀬戸内製鉄所呉地区=旧呉製鉄所の跡地を会社側から一括購入し、「複合防衛拠点」を整備する案を広島県と呉市に説明しました。3月11日には呉市議会全員協議会でその案を説明しました。

 

広島瀬戸内新聞呉支局・A記者が傍聴し、入手した資料

防衛省は、
▼装備品(=武器など=)の維持整備、製造基盤
▼防災拠点と陸海部隊の活動基盤
▼港湾機能
の3つを整備する方針を説明。

広島瀬戸内新聞のA記者によると、「協議会は約1時間で会派順に質疑がありました。共産党2名と社民1名は防衛拠点に反対、あとの全会派の議員は賛成でした。「明るいニュース」、「率直に好意的」、「人や物が増える」、「経済プラス」、「経済波及」など、聞こえの良い言葉ばかりを並べておられました。(軍事施設を受け入れることへの)危機意識を全く持ち合わせてないことに衝撃でした」とのことです。

確かに、旧呉製鉄所の跡地は、何かに再利用しようとすれば、建物の解体などに10年はかかると言われています。地元でも、正直、利用方法に苦慮していたところです。それを、防衛省が一括購入してくれれば少なくとも面倒なことは考えなくていい。

しかし、それで本当に良いのでしょうか? 歴史を踏まえて、考える必要があるのではないでしょうか?

◆軍港として栄えた明治から敗戦まで

呉は、空軍がない時代に、敵の船が入りにくい守りやすい場所にありなおかつ大陸に近いということで若き日の東郷平八郎元帥が調査。軍港として選ばれ、鎮守府がおかれました。その後、呉は日清戦争、日露戦争と海軍の出撃拠点になりました。戦争のたびに街は拡大。その後、大正のワシントン軍縮会議や昭和初期のロンドン軍縮会議には軍縮により職工がリストラされるということも起きています。

しかし、1931年の満州事変で一挙に賑わいを呉は取り戻し、第二次世界大戦敗戦直前には人口が40万人に達し、広島市に肉薄したこともありました。

◆焼け野原になった「軍港・呉」、住民投票で「平和産業港湾都市」へ

しかし、第二次世界大戦末期の1945年6月から7月、数度の呉空襲で呉市は海軍工廠も市街地も焼け野原になりました。筆者ら広島瀬戸内新聞取材班が2023年10月16日に取材にうかがった佐藤康則さんは当時中3で動員されていた海軍工廠への空襲、2月25日に取材に伺った堀隆治さんは当時5歳で市街地の自宅で空襲に遭われています。

その後、建前はいわゆる旧軍港市転換法により、舞鶴、横須賀、佐世保とともに平和産業港湾都市として再出発することになります。後に高度成長を実現した総理となる池田勇人代議士の尽力も大きかった。軽武装で、経済成長優先。その路線を形作った法律でした。

同法は国有財産の市への移譲など、現代の特区に似た仕組みです。ただ、加計学園問題などで時の権力に恣意的に悪用された現代の特区とは違うのは住民投票を経たことです。憲法95条の規定により住民投票を各市で経て成立しました。呉市では以下の結果でした。

◆74年前の圧倒的民意を覆し、軍港都市に逆戻り

74年前に住民投票で呉市民の有権者の絶対多数の同意で、平和港湾都市に転換した呉。だが、防衛省の案は、いわば、旧海軍呉工廠を復活させるものです。軍港都市に呉を戻すということです。

「昭和~平成期」にも呉には海上自衛隊がありました。しかし、その自衛隊はあくまで、「専守防衛」の自衛隊です。それに付け加えて国際貢献とか、復興支援と称して、アフガニスタン戦争への後方支援での派兵などはありましたが、あくまで主たる任務は「専守防衛」です。

ところが、岸田総理のいわゆる「安保三文書」により、「敵基地攻撃も辞さない令和の自衛隊」になってしまいました。その大型拠点が来るとなれば、旧軍港市転換法の廃止が必要ではないでしょうか?それに伴う、住民投票が必要です。きわめてそれだけ大きな転換を市議会で説明しただけで通してよいのでしょうか?

◆メリット=経済効果の過大評価、リスク=台湾有事時の被害の過小評価は禁物

 

防衛省らが旧呉製鉄所の軍事拠点化構想を説明するのを前に、市役所前で抗議する市民グループの皆様(3月11日、広島瀬戸内新聞呉支局A記者撮影)

そもそも、戦前の海軍工廠ほどの雇用は現代の複合防衛拠点では望めないでしょう。戦前の海軍工廠は、それこそありとあらゆる工業製品を作っていてそこでの雇用もすごかった。しかし、現代の産業構造ではそういう効果は望めない。メリットを過大評価すべきではない。

その上で、この複合防衛拠点は、いわゆる台湾有事を口実とした岸田政権の大軍拡の一環であるということを押さえておく必要があります。従って、呉が「複合防衛拠点」となった場合のリスクを考えるべきです。例えば、「台湾有事」の際、「日本にも中華人民共和国がミサイル攻撃をしてくるかもしれない。」ということを理由に日本政府が中華人民共和国に敵基地攻撃をしてしまった場合どうなるか?

中華人民共和国は「日本による侵略」とこれをみなし、日本攻撃の口実とするでしょう。その場合には、呉も報復攻撃の対象になります。1945年の呉空襲の悲劇を繰り返すのは明らかです。

◆日台両者への米の援軍怪しく、選択肢は衝突回避のみ

その場合に、米軍が日本や台湾=中華民国に加勢してくれるかどうかは怪しいものがあります。そもそも、台湾有事とは、中国における国民党(蒋介石)軍vs共産党(毛沢東)軍のいわゆる国共内戦の延長です。あくまで中国の国内で平和的に解決すべき問題です。米国政府でさえも、法的には中華人民共和国(中国共産党)が中国を代表する唯一の政府である、としています。米国も中華民国(台湾)に対してはせいぜい、いわゆる台湾関係法により、武器を援助する程度のかかわり方しかしないのは明らかです。

白人国家のウクライナに対しても武器を支援するだけ、それも最近は尻込み気味なのに、アジア人のそれもアメリカが認めた国家ですらない台湾に対して軍隊を送ってまで防衛するなど現実にはない。ちょっと冷静に考えればわかることです。アメリカ軍はどうするかといえばヤバいと思ったら「避難」するのです。中華人民共和国としてもアメリカとは直接対決を避けるため、自衛隊基地に攻撃を絞るという手を取る可能性も高い。

日本の米軍基地を中国が攻撃するというのも、一部の台湾有事介入ノリノリの右派の方々のある種の「希望的観測」ではないのか?

実際に、沖縄の米軍基地にある米軍機は今や常駐ではなくローテーションで世界を回る方式になっており、いつでも逃げられる体制なのです。辺野古の問題はもちろん大事ですが、今、沖縄ではそれよりも、対中国戦争の自衛隊の攻撃能力の基地になる方が平和運動的にも大きな課題になっているそうです。

もちろん、中華人民共和国の経済も台湾(中華民国)産の半導体に大きく依存しており軍事的に勝っても大損害であり、戦争をわざわざ仕掛ける動機に乏しい。当の台湾の与党・民進党ですら露骨な独立を主張することは努めて抑制しています。怖いのは、行き違いからの偶発的衝突でしょう。

大体、台湾=中華民国だって、尖閣諸島の領有権を主張しています。日本が援軍を出したからと言って、台湾=中華民国が尖閣諸島領有権をあきらめてくれるとも思えません。その面でも、台湾有事で日本が中華人民共和国と闘うメリットはどこにもないのです。

とりあえず、日本としては、外交努力により衝突が起きないよう努力していくしかないのです。日本が戦闘に直接巻き込まれなくても、食料や半導体が止まればその時点で日本経済はアウトなのですから。

 

3月11日、市民グループの皆様が呉市長に申し入れた文書

◆軍港復活よりは国営食料生産工場を!

呉の製鉄所跡地の活用策は、そもそも、民間企業は21世紀の産業構造では望めない。国の事業しかほぼ選択肢がないのは事実です。しかし、それが、旧軍港の復活であっていいのか? よくよく議論すべきです。

なお、もちろん、現実問題として、経済効果に期待する人々に対して、製鉄所の跡地利用の対案をお示しすることも、平和港湾都市である現状を維持したい市民にとり必要ではあります。

筆者個人としてはAI・ICTなど最新鋭の技術を活かした国営の食料生産工場はどうか?と思っています。すなわち、防衛省ではなく、農林水産省に買い取ってもらうのです。野菜工場や魚の養殖などを軸とすればどうでしょうか?

戦後、日本は、工業を増強しつつ農業を潰してきた。今、食料が、一時期よりは庶民にとっても手に入りにくくなっています。そもそも、戦争になったら戦闘に直接巻き込まれなくても食料不足で日本は詰みです。食料生産を復活させるというのも手ではないでしょうか?

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年4月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

『サイゾー』2024年5月号(3月24日発売)で、ジャニーズ問題について作家の本橋信宏さんと対談を行いました。発売したばかりですので、ここでは一部を掲載しました。あとは購読され、ご覧ください。

また、本号の興味深い記事としては、大阪万博をめぐり、大﨑洋吉本興業前会長と作家の本間龍さんが、賛成・反対双方の立場から対談されています。賛成、あるいは反対だけの記事は万とありますが、直接両論戦わす対談記事は、ほとんど見たことがありません。貴重です。定価980円(税込み) 

(松岡利康)

[対談]元祖・ジャニーズに喧嘩を売った男たち ―― 本橋信宏×松岡利康

3月24日発売 サイゾー2024年5月号

鹿砦社編集部編『ジャニーズ帝国 60年の興亡』A5判 320ページ 定価1980円(税込み)

【主な内容】
Ⅰ 苦境に立たされるジャニーズ
  2023年はジャニーズ帝国崩壊の歴史的一年となった!
  文春以前(1990年代後半)の鹿砦社のジャニーズ告発出版
  文春vsジャニーズ裁判の記録(当時の記事復刻)
 [資料 国会議事録]国会で論議されたジャニーズの児童虐待

Ⅱ ジャニーズ60年史 その誕生、栄華、そして……
1 ジャニーズ・フォーリーブス時代 1958-1978
2 たのきん・少年隊・光GENJI時代 1979-1992
3 SMAP時代前期 1993-2003
4 SMAP時代後期 2004-2008
5 嵐・SMAPツートップ時代 2009-2014
6 世代交代、そしてジュリー時代へ 2015-2019
7 揺らぎ始めたジャニーズ 2020-2023

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315290/

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