大阪維新が牛耳る大阪府・市のコロナ対策は「やってる感」だけの後手後手! 2007年住民票を強制削除した大阪市役所は、すべての野宿者に10万円を渡せ!

◆コロナウイルスに真っ先に感染したのは、あいりん職安の職員!

窓も締め切り、3密状態だったセンター(仮庁舎)。危険性を指摘され、表で待つように変わった

猛威を振るう新型コロナウイルス禍が、日雇い労働者の町・釜ヶ崎にも様々な悪影響を及ぼしている。地区内のいくつかの炊き出しが中止になり、食事回数が減った人たち、仕事が無くなりドヤを出された人……。今後、職や住まいを失った人、ネットカフェから出された人たちが、釜ヶ崎に多数集まってくるだろうが、そうした野宿者・困窮者の最後のセーフティネットであった「あいりん総合センター」(以下センター)も、昨年4月24日に以降、強制的に閉鎖されたままだ。

大阪維新が牛耳る大阪府政・市政は、吉村知事、松井市長ともどもメディアに出まくり、「やってる感」を演出するが、とりわけ釜ケ崎に関してのコロナ対策は全てにおいて後手後手にまわっている。

厚労省管轄の西成労働福祉センター(南海電鉄高架下に仮移転中)のトイレに石鹸がなかったことについて、「働き人のいいぶん」(行動する働き人発行)で何度も注意され、ようやく置かれるようになったし、同じく労働福祉センターの「特別清掃事業」の輪番紹介時が非常に混雑し「3密」状態だったが、こちらも釜ヶ崎地域合同労組が、チラシや情宣で危険性を訴え続け、ようやく解消されることとなった。

それだけコロナ対策に無頓着、無関心だからか、釜ヶ崎内で最初に感染が確認されたのは、3月末まであいりん職安に勤務していた4人の職員だった。直接ではないにしろ、感染した職員の任務が労働者に対応する業務であったため、感染を労働者に広めた危険性は拭えない。

◆「3密」状態のシェルターの閉鎖し、センターを開けろ!

シェルター内部

大阪府と大阪市は、昨年4月24日、センターから強制的に労働者を排除し閉鎖したが、その代替場所として「広場」(「新萩の森公園」予定地)、NPO釜ヶ崎支援機構の運営する「禁酒の館」「無料休憩所」「シェルター」(夜間一時避難所)、そして「あいりん職安」の待合室などを挙げていいた。

吹きさらしの空き地にテントを建てただけの「広場」は別として、他の施設はコロナウイルス感染拡大の条件となる「3密」状態になるのではと懸念し、釜ヶ崎地域合同労組、釜ヶ崎医療連絡会議、釜ヶ崎センター解放行動らが、これらの施設を閉鎖し、広くて風通しの良い「センターを解放しろ」と要求し続けている。

◆10万円をすべての釜ヶ崎の労働者に渡せ!

前述したように、釜ヶ崎のいくつかの炊き出しが止まったこと、仕事が減ったことで、今日明日食うことにも困る労働者が増えている中、4月28日釜合労や釜ヶ崎公民権運動の仲間が、10万円の「特別定額給付金」について、西成区役所に対策を聞きに行ったところ、「まだ窓口も決まっていない」との返答であった。

今回の10万円給付については、住民票の住所と違う場所に住むDV被害者が、別住所で受け取ることができるようにする、住民基本台帳にも記載がない無戸籍者に対しても自己申告により給付可能となる措置が取られるなど、評価できる措置もとられている。しかし釜ヶ崎においては、更に深刻な問題がある。

そもそも釜ヶ崎などで日雇い労働に従事していた人たちは、長年飯場を渡り歩く者、飯場とドヤを行き来する者、ドヤから日々現金仕事に就く人など様々な就労形態を持っており、決まったアパートなどで住民票を取っている人は少なかった。

また様々な事情で故郷の家族の元を去らざるを得なかった人、連絡を取りづらい人、債務などを抱えて行方をくらました人など住民票が取れない状態に置かれた人も少なくない。

一方で現実の生活では、日雇い労働者の失業保険である「白手帳」、運転免許証や仕事に欠かせない各種免状を取得するために住民票がどうしても必要になってくる。当時はどれだけ長く居住していても、ドヤでは住民票が取れなかったため、困った労働者らが役所などに相談したところ、西成区役所は、便宜的に釜合労が入る解放会館などに住民票を置くことを勧めてきた。そのため解放会館の住所には最高時で5000人を超す人が住民票を置いていたという。

しかしこれらの住民票が2007年、突然強制的に削除された。「居住実態がない」というのか行政側の理由だったが、そもそもそれを承知の上で西成区役所、西成警察署、あいりん職安は「住所がなければ、釜ヶ崎解放会館に行ったら住民票がおけるから、解放会館にいけばいい」と、何十年間も労働者に言い続けてきたのではないのか?

住民票がなければ、給付金の申込書を受け取ることができない。今回も便宜的に解放会館などに住民票を移そうとしようにも、自分を証明するものを全く持っていない人も非常に多い。

ちなみに筆者がセンター周辺に野宿する人たちにマスクを配布しながら、住民票や、自分を証明するものの有無などについて聞き取りを行ったところ、昨年の4月24日、機動隊と国、大阪府の職員により、センターから強制排除された際、センター内に置いたままの荷物を、翌25日に返して貰えなかった男性がいたことがわかった。荷物には危険物取り扱いやクレーンなど、本人を証明する大切な免状が入っていたという。

大阪府は「センターの中に残っているものを返せ」と大きな声を上げた釜合労には、立て看などを返しに来たが、声を上げれない労働者には泣き寝入りを強いるのか。

◆国と行政は、責任持って野宿者に10万円給付金をとれるようにしろ!

総務省は、4月28日付けで「ホームレスなどへの特別定額給付金の周知に関する協力依頼について」との通知を出し、支援団体に対して、住所の認定されにくい野宿者らへの周知、支援を要請した。

しかし、役所は野宿者を強制排除する際には、早朝、夜を問わず、執拗に野宿するテントや小屋を訪ね、氏名や住所などを聞き出しているではないか。2016年花園公園から野宿者を排除した時もそうだったし、今回センター周辺で野宿する人たちのテント、段ボールの前に打ち付けられた「公示書」にも、役所がしつこく聞き出したために、明らかになった野宿者の名前が記されている。

ならば今回も10万円が全ての野宿者、住民票のない人に渡るように最善を尽くせ!勝手に人の住民票を台帳から削除した大阪市役所よ、1人も取り残すなよ!

テント前に打ち付けられた「公示書」には、役人が労働者を騙して聞き出した名前が記されている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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被ばく問題を知って欲しい ── 被ばくで福島の人を差別するのではなく、福島の人を守っていくために ジャズピアニスト河野康弘さんに聞く 尾崎美代子

ジャズピアニストの河野康弘さん(66歳)と出会ったのは、震災から4年目。2015年10月にTwitterの私のアカウントに「地球ハーモニー」という知らない方からリプが届いた。アカウント「地球ハーモニー」を主宰する河野さんは、矢沢永吉さんのバックバンドや中村雅俊さんの伴奏などを務めたのち、1983年ジャズピアニストとしてアルバムを発表してきた方と知った。また2011年3月11日の震災と原発事故後、東京から京都に移住してきたことも知り、その後、私たちが主催する講演会などで演奏していただいたりしてきた。(聞き手=尾崎美代子)

◆そのとき音楽があったら、共感の輪が広がります

河野康弘さん

── 河野さんは事故当時は東京でしたね?

河野 はい。JR中央線国立駅近くの自宅に家族と一緒にいました。かなり大きく揺れたので首都圏壊滅と思いました。それまで演奏の旅先で芸予地震、薩摩地震、中越地震に会いましたが、それ以上の揺れでした。テレビで震源地が東北、津波の映像を見て驚いたが、まだ原発のことまでは考えていませんでした。

── 河野さんは91年の湾岸戦争をきっかけに平和と環境問題をテーマに活動するようになったそうですが?原発を考えるきっかけもそのころからですか?

河野 湾岸戦争に日本が参加し残念だったので、平和・環境コンサートを始めました。平和・環境運動が「特定な人」だけの活動のように感じたので、音楽で広範な人が考えるきっかけを作っていきたいと思いました。ダム反対でも、「反対! 反対!」だけでは前に進まない。そのとき音楽があったら、共感の輪が広がります。

演奏活動で福井県敦賀市、福島県田村市に演奏に行った時、周辺に白血病などの病気が増えた話を聞きました。また静岡県牧之原市では神奈川県に住んでいた青年が浜岡原発に就職。息子さんが最新のエネルギーシステムでの仕事を誇りにしてたので御両親も浜岡に移住。移住してから息子の体調が悪くなり、とうとう亡くなりました。原因は原発作業での被ばくだったのです。そんな現実を知り原発は無くしたいと思いました。

◆2011年4月、南相馬の避難所では、匂いもしないし、食事も美味しい。放射能の事がピンとこなかった……

── 福島第一原発が気になりだしたのはいつ頃からですか?

河野 津波が福一を襲い全電源停止になった時です。

── 福島の危険性について考えたのはいつからですか?

河野 葛飾区の浄水場や静岡のお茶からセシウムが検出された頃です。チェルノブイリと同じなのか? もっと酷い状況になるのか?

4月下旬に福島の避難所が落ち着いてきたから、心のケアがして欲しいと演奏を頼まれ、事故後初めて福島へ行きました。福島市で友人に会い、市内から車で飯舘村を通って、南相馬の避難所に行きましたが匂いもしないし、食事も美味しい。放射能の事がピンとこなかった。

連れ合いが心配して「福島へは行かないほうがいいんじゃない」と言い始めたのですが、呼ばれたら行かないわけには行かない、と悩み簡易ガイガーカウンターを購入し、福島へ行った時に放射線量を測りました。高いところでは0.7マイクロシーベルトもあり福島での被ばくを実感しました。 

◆2012年2月、37年住んでいた東京を離れ、家族4人で京都へ移住

── 東京の生活はどうでしたか?

河野 連れ合いの体調が悪くなり下痢がずっと続き被ばくが原因では、と思い始めました。本やネットでいろいろ調べ内部被ばくの事を知り、食べ物を西日本、北海道の物に限定。近くのスーパーでは、あまり置いていないので電車に乗って買いに行き、西日本・北海道へ演奏旅行に行った時は現地の食材を家に送りました。

3月21日、金町浄水場からセシウムが検出された時は鹿児島県霧島市にいて水を送ろうと大きなスーパーに行きましたが、まったく無くなかったので山の中の水の販売所に行き買って送りました。

水、食べ物はどうにかなるが、空気だけはどうしようもない。今のコロナと一緒。目に見えない、匂いもしないから。東京には沢山の放射能が降り積もったので無くなる事はありませんのでリスクを減らすには移住をしなければ、と考えました。
 ネットで西日本を沖縄まで探し京都の嵐山に良い部屋が見つかり、2012年2月に家族4人(私、連れ合い、息子、義母)で移住しました。東京に37年住んでいたので移住することを知り合いの皆さんに伝えたら、ビックリされました。

── そうですね。小さい子どももいるわけでもないしね。

河野 被ばくの影響が出るのは子どもだけではないんですよね。チェルノブイリでも、最初に亡くなったのはお年寄り。全員に影響があります。

── 京都に来てから変化はありましたか?

河野 連れ合いは体調が良くなりました。あと実は、セキセイインコも連れてきたのです。2001年に飼ったから10年目でしたが、事故後元気がなくなり、止まり木にも上がらなくなりました。ところが京都に来たら、いきなり元気になって止まり木にも上がるようになり驚きました。小さな動物は影響が大きんですね。

── その後、京都、関西のいろんな活動に関わっていったのですね?

河野 はい、いろんな団体から連絡がきたり呼ばれたり、こっちから「一緒にやりませんか?」と声をかけたり……。

── 私に連絡あったのもその頃ですかね? 

河野 確か、堺市に避難してきた現代美術家と「原発ゼロ」写真展&ライブをやりたいと思ったときかな?

河野康弘さん

◆福島だけでなく、首都圏も同じ

── そうでしたかね? ところで河野さんはその後福島へは?

河野 京都へ来てからも福島に行っていましたが、あることがあって、それから行っていません。

2014年に、福島から京都に避難している知り合いからメールがきました。「福島を忘れないでください。でも福島には来ないでください。福島のものを食べないでください」と書いてありました。福島に行くと福島は安全だから福島の子どもたちは避難できない。福島の食材を食べると福島の子どもたちは福島の物を食べなければいけなくなり内部被ばくする。福島だけでなく首都圏も同じ。なのでそれ以降、福島、首都圏へは行かないことに決めました。私の「意思表示」です。医師の三田茂医師も東京都小平市から岡山市に移住し首都圏の被ばく状況、危険性を訴えてくださっています。

── 一方で日本の反原発運動の中では時間が経つにつれ、被ばくの問題への関心が薄れていってる気がしますが?

河野 それは原爆が落とされた時の爆発の被害だけに目を囚われすぎ、その後に続いた被ばくの被害を問題にしてこなかったからです。ビキニ環礁の核実験の問題でも、第五福竜丸だけが取りざたされましたが、あの周辺には約1000漕の日本の船がいたんです。でも漁師の人たちは知らされなかったり、魚が売れなくなるから「被ばく」した事を言わないようにしていました。そして「核の平和利用」と言って原発を作り毎日、放射能が放出され全国の人が被ばく者になり4人に一人がガンになりました。福一事故後は2人に1人がガン。ガンの原因は被ばくが大きな要因になっています。

私は原爆の事を考えていただきたく’97年から被ばくピアノコンサートを始めました。その時は被ばくの事をあまり知らなかったのですが、福一事故後の情報収集で自分も被ばく者である事に気づきました。そして日本のすべてのピアノは被ばくピアノだったのです。そこで2011年7月に浜岡原発の近く牧之原市で現地のピアノを使った「被ばくピアノコンサート」をしました。京都に来てからは毎月「HIBAKU PIANO LIVE」をしています。被ばく情報資料をカバンに入れてあり興味を持ってくださった方にはお知らせしています。

被ばくの問題を皆さまに知っていただきたい。被ばくで福島の人を差別するのでは無く福島の人たちを守っていく為です。このままでは広島がそうであったように、福島が人体実験の場にされてしまいます。

── 今後も一緒にやっていきましょう。ありがとうございました。


◎[参考動画]河野康弘コンサート05052012 My Favorite Things”

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!〈後編〉尾崎美代子

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編NEWバージョン2

2019年5月27日、東京地裁で「布川国賠」で勝訴判決が下された。入廷する桜井さん

◆神様が俺に新しい苦しみを与えた

去年9月にガンとわかり、10月に医者に言われました。いきなり緩和ケアだと。何で痛くも辛くもないのに、そう言うのか!と。その後、直腸癌のステージ4で肝臓に転移していると言われました。肩から薬剤を2週間に一度入れると言われた。わたしは嫌だから「先生、何もしなかったらどれくらい生きれるの?」と聞いたら「1年だ」と。「薬入れたら何年?」と聞いたら「2年」と言われた。

なんだ変わらないじゃないかと思ってね、「じゃやりません」と言いました。すると先生が「凄いですね」という。「何が?」と聞くと、「桜井さんのように余命1年と言われ、生き生きと活動している人はいませんよ」と。私は「だってダメでもあと1年生きるんでしょ? その間に何があるかわからないじゃないですか」と言いました。

今、swingマサさんの紹介で食事療法をしています。魚、肉、小麦粉、乳製品、卵、化学調味料を一切食べない。これで治った人がいる。私も必ず治ります。いや、治してみせようと思ってね(拍手)。もし治ったら、医者なんかいらないじゃないいですか?(笑)

私は刑務所に29年間入った後、針の穴にラクダを通すくらい難しいという再審で無罪を勝った。美香さんに「桜井さんは私のヒーローです」なんて言って貰え、たくさんの人たちに希望を与えることができた。こんなつまんない男が……。で、今度は国賠裁判にも勝った。間違ったことはダメだと通った。今度がんに勝ったら俺どうなるんですか?(笑)。自分はがんになって辛いと思ってないです。新しいチャレンジを神様が俺に与えてくれた、新しい苦しみを用意してくれたと思って、今ワクワクしながら、毎日過ごしています。(「酒と泪と男と女」を熱唱)

西成の難波屋で毎月14日(矢島祥子さんの月命日)に行われる「夜明けのさっちゃんズ」ライブで歌う桜井さん

この後は、大阪でいつもピアノ伴奏してもらっているキョウちゃんの伴奏で刑務所で作った歌を何曲か歌います。刑務所で「孤独を知る時」という詞を作りました。「人は苦しみによって孤独を知るのであろうか。悲しみの深さが孤独を教えるのだろうか。僕は喜びの時、幸せな想いの時、一人きりの喜びと幸せの、その虚しさに孤独を知った」という詩です。   

千葉刑務所に入っている人は、罪を犯した人も無実でもみんな寂しいし、辛いは同じ。でも私は皆さんに支援してもらって「今日、佐藤さんのコンサートがあって、俺の歌が好評だったって」とか言っても、誰もわからない。「桜井さん頑張って」と言ってくれる人がいて、でもその喜びは誰にもわからない。幸せの時「よかったね」と分かり合える人がいることが、人間の本当の喜び。悲しみや辛さが孤独ではないと私は思いましたね。刑務所の中で、詩人だったでしょ、私(笑)。そんな中で「闇の中で」という歌を作りました。聞いてください。(「闇の中へ」を熱唱)

「親孝行したい時に親はなし」と良く言います。私は親父が1991年、お袋が1976年に亡くなりました。刑務所にいたので葬式に出れなかった。そのせいか、今でも2人が生きてる気がちょっとしている。人間って100%はないとそれで教わった。あの時、葬式に行って「亡くなったんだ」とケジメつけたかったができなかった。だから、今でも生きているんだという気持ちが少しあって、それはそれでいいと思ってます。人間どんなことでも100%はない。でもやっぱりもう一度親父とお袋に会いたかった。言いたいことは1つ。「産んでくれてありがとう。本当に幸せな人生だった」と伝えたかった……(涙)。あとは何もない。皆さん、もし親が生きていたら大事にしてくださいね。なんでもいい親孝行は、会いに行くだけでもいいから。(「鼻」を熱唱)

上映会&ライブのあとの親睦会で支援者と談笑する桜井さん

◆人の命ほど大事なものはない

自分は73歳になるとは思わなかった。人生はあっという間ですね。さっきの映画に出ていた杉山と弁護団長さんが亡くなったし、「この人も、この人も」と亡くなった人がいました。人間って本当に生きていればこそ、やり直しができる。人の命ほど大事なものはないと思っています。

善人とか悪人とか関係ない。誰でも一度きりの命だから、どんな悪人でも許して、国家は大事にしないといけない。日本という国がなぜダメかというと、悪い人は殺してもいいという人が沢山いるからです。犯罪者を隔離すればいいという考えは間違っています。覚醒剤で捕まった人を刑務所に入れても何にもならない。あの人達は心を病んでいるんだから。病人を直すところ作るべきなのに、ただ逮捕して刑務所に入れればいいという。昔から、臭いものに蓋すればいいというのが日本なんです。違うじゃないですか。間違った人を大事にする社会だったら……と思います。

残念ながら、才能の違いって世の中ある。頭のいい人も確かにいる。でも安倍さんみたいに頭の悪い人でも首相になれている(大爆笑)。はっきり言って彼は簡単な漢字も読めないでしょ。正直言ってバカが総理になったら駄目です。だから、今、こんな政治なんです。

今のコロナ対策は何ですか? マスクなんてあまりに役に立たない。コロナの菌は風邪のウイルス菌の何百分の1なんですよ。だからマスクを突き抜ける。それなのに学校を一斉に休めと。子供はまだ何でもないのに。親はどうするの? 台湾のように、学級で1人でも出たら学級閉鎖して、2人になったら学校閉鎖するとかしないと駄目。それだと安心して学校にいけるのに。ロクでもないですよ、日本は。

私はやっぱり大事にすべき命があると思っています。釜ヶ崎にいる皆さんだって、ずっとまともに働いてきた人達じゃないですか。たまたま運が悪いだけ、たまたま自分にぴったり合う才能に恵まれなかっただけじゃないですか。もしも優しさが才能だったら、釜ヶ崎の皆さんは、全員金大持ちになっているかもしれません。そうでしょ! 口だけペラペラしゃべる小泉進次郎みたいなのが、顔がいいだけでちやほやされる。本当に日本の人たちはアホが多すぎます(大爆笑)。

何でも他人事だし、何でもワーとみんなで一過性でやって、すぐ忘れる。でもそういう中で目覚めないと、この国は良くならない。やっぱり目覚めた人は声出しましょうよ。ノーと言いましょうよ。世の中を変えましょうよ。私はそう言いたい。余命1年ですけど(笑)。何度も言いますけど、私は命尽きるまで、声を上げ続けます。

◆自分の運命は自分が招く

私は余命1年と告げられて思いました。運というのは誰が決めると思いますか? 天命? そんなのありません。人間は自分の運は自分が招くんです。何かあった時に「これは天命だ」なんて思ってはだめ。何をするか、どう行動するか、自分の考え方なんです。今ここを出て右に行くか、左に行くかは、その人の生き方すべてです。それが自分の運を寄せる。ですから何か悪いことがあったら「これは天命だ」とか「自分の力ではどうにもならない」とか思ってはだめ。大切なのは自分の思考や行動を変えること。私は確信を持っています。なんか凄い話になっちゃたね(「会場から「教祖様みたい」と笑)。なんかそんな気がしてますよ。運を運命にするのは自分だと確信持っています。私はがんになって食事療法を選んだ。これで運を自分で運命にするんだと思ってます。さあ余命1年か10年か、面白いなあ(笑)。

楽しいじゃないですか。わたしの人生観は明るく楽しくです。人生は一度限り、今日は1日限りと思ったら、苦しいこと辛いことは誰にでもあるんですよ。でもどんな中でもいいことはあるんです。だったら、その楽しいこと嬉しいことを、自分で100%だと思えばいいんです。皆さんも辛いことの中から、嬉しいことを見つけてください。嬉しいことをどんどん自分に寄せていけば、きっといい人生があなたに来ますから。(完)

◎布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34875
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=34881


◎[参考動画]布川事件 桜井昌司氏講演会(なにぬねノンちゃんねる2018/06/02)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

布川事件冤罪コンビ「ショージとタカオ」のショージさん、大阪トークライブ──シャバに出てきて23年、「桜井昌司」で本当に良かった!〈前編〉尾崎美代子

3月15日、社会福祉法人ピースクラブ(大阪市内)で「桜井昌司Specialday」を開催した。布川事件の冤罪被害者である桜井さんが29年の刑を終えて千葉刑務所から出所し、普通の生活を取り戻しながら再審を闘う姿を追い続けたドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(井手洋子監督)の上映会と、桜井さんのトークライブの2部構成。昨年秋にがんを宣告され、現在食事療法を続ける桜井さん。かなり痩せられたが、トークも歌もこれまで以上の迫力。冤罪を無くすため、全国を駆け回る桜井さんにエールを送るつもりで企画したが、逆に「もっと頑張れよ」と背中を押された1日。迫力満点のトークの書き起こしを前編・後編2回に分けて紹介します。(構成=尾崎美代子)
※字数の関係で一部削除したほか、分かりやすく加筆、訂正しています。

3月15日大阪市内で開催された「桜井昌司SpecialDay」のポスター

◆どうせ刑務所に行くなら頑張ろうと

皆さん、こんにちは! 映画「ショージとタカオ」、久々に見ました。23年前にシャバに出てきて、ドラマチックな自分の人生を確認したところです。「桜井昌司でよかった。刑務所に行ってよかった」と改めて思っています(笑)。多分ひと様には経験できない人生を確実に歩みましたからね、間違いなく。人生というのは真面目に生きていても、いいことばかりあるわけでもない。でも一生懸命やらなければ何も味わえないと、自分で思いました。29年刑務所に入りましたが31歳で千葉刑務所に行く時、突然パッと「人生は一度限り、今日は一度限りだ」と思ったんです。

刑務所は働くところ、どうせ働くなら一生懸命に働こうと思った。シャバでまともに働いたことなかったから(笑)。毎日真面目に靴を作って、3年目に法務大臣賞を貰いました。音楽クラブに入ってトランペット吹いて、佐藤光政さんに指導して頂き作詞作曲するようになりました。29年の刑務所生活は何も無駄になっていなかったと確信持って言えるようになりました。

刑務所生活は大変ですよ。看守は煩いし、意地の悪い奴もいる。千葉刑務所に入っているのは、人を殺めた人がほとんど。ちょっと肩に触ったりするとニコッとして「肩触んないで。俺、肩触られると殺したくなっちゃうから」なんていう人もいる。怖いですよ。でも自分はそういう人でも仲間だと思って付き合ってました。

そういう日々から考えるとシャバに出てなんでも自由にやれることが素晴らしいと感じた。出てから23年経って私は幸せや楽しさを感じない日はない。毎日が楽しい。刑務所29年入って本当によかったと思っています。

質問あったらどうぞ。なんでも正直に「自白」しますから(笑)


◎[参考動画]ショージとタカオ予告編 NEWバージョン1

質問 自白というのは、「私がやりました」というのですか?

桜井 そうです。出てきたとき「なんでやったと言ったの? やってないと言えば、警察が調べるじゃん」と良く言われた。でもそれは警察を知らない人。警察という職業は、捜査はするが真実を見抜くという職業ではない。あの人たち、一人一人は皆、真面目と思います。中にはどうしようもない警官もいるが。真面目な警官が、なぜ無実の人を犯人にしてしまうかというと、彼らはいつも人を疑うからです。警官が交番などで立ってますよね。何考えてるかというと、「何か悪いことしている奴はいないか」なんです。いつもいつも人を悪く見ている人間に、人の真実を見極める力はない。コイツは絶対やっているとしか思ってない。私が「やってない」というと「お前の言っていることは嘘だ」と必ずいう。そんな警察に朝から夜中まで「お前だ、お前だ」と言われる。

結婚している方、夫婦喧嘩したら、最後どう解決します?その喧嘩が解決せずにずっと続くようなもの。イジメにあっている方、そのいじめが毎日毎日続くと思ったらいいです。それを狭い部屋の中でやられると耐えられなくなってくる。人は信じてくれるから、本当のことが言える。「やってない」と言っても「いや、お前だ」「見た人がいる」とずっと言われる。そのいつ終わるかもしれない痛みに人間は負けてしまう。これは経験のない方にはわからないと思います。

警官たちは一旦疑いを持ったらなんでもやる。日本の警察組織は犯罪組織ですから。これは本当ですよ。一人一人はいい人かもしれないが……。経験しないとわからないこともあるが、本当に警察は悪いと思わないとダメです。

質問 無罪を勝ち取ったあと警察、検察、裁判官は桜井さんに謝りましたか?

桜井 僕たちが再審無罪になった時、検察は「無罪になったが、あれは裁判長が間違った」と記者会見で言いましたよ。映画で杉山(一緒に逮捕された杉山卓男さん。2015年死去)が「国賠は勝てない」と言ってましたね。日本の権力は間違いを認めない。だから杉山は国賠をやらないといったが、私はそう思わなかった。だって酷すぎるでしょ。無実の証拠を隠しておいて謝罪もなく「あいつの最初の自白が正しい」なんてダメでしょう。それで私は国賠やって、昨年勝ちました(大拍手)。

3月31日に再審無罪判決を勝ちとった西山美香さんもかけつけてくれた

税金で食ってる警察や検察が証拠を隠したりしたらダメです。でも私は警察、検察、裁判所も恨んでない。ただ、証拠を隠していたことが認められるようだと、今日会場にきている西山美香さん(湖東記念病院事件の冤罪被害者、3月31日日再審無罪判決を受けた)みたいに、やってないのに犯人にされてしまう人がまたでてくるから。検察が無実の証拠を隠したら、その責任を取らないとダメ。

真面目な警官が冤罪をいいとは思っているとは思わない。なぜ警官が嘘を言うかというと、嘘を言わないと警官でいられなくなるからです。組織として冤罪を作ったら、組織として有罪にしないとおかしいとなるから、嘘の証拠も作るし、裁判にで堂々と嘘が言える。もしそれが許されるとなったら、真面目な警官は嫌でしょう。私は真面目な警官を助けるためにも、嘘をついた警官は責任を問うべきと思います。証拠を隠したり、捏造した警官は責任取るという法律を作ってあげたい。

映画を久々に見て、23年前は私も本当に若かったですね。今、私は73歳になりました。私、年の取り方がわからなくて困っていたんですよ。29年も刑務所に入ってましたから(笑)。どうやってジジイになったらいいんだろうと。実は去年秋に癌が見つかり、食事療法で12キロくらい痩せました。それで今は「ああ、年寄りっぽくなったな」と思っています(笑)。

今日はまず「夜明けのさっちゃんズ」という、毎月西成の難波屋で14日前後にライブをやっていて、私も少し歌わせてもらっている皆さんの演奏で、2曲ほど歌わせてもらいます。

私、子供の頃から美空ひばりさんが好きでした。今日はシャバに出てきて初めて美空ひばりさんの「りんご追分」を歌います。「刑務所バージョン」で歌います。(「りんご追分」熱唱)

「夜明けのさっちゃんズ」の伴奏で歌う桜井さん
ピアノ(きゅうちゃん)とサックス(swing masaさん)の伴奏で歌う桜井さん

◆苦しみ、いつでも来い!

本当にお袋を思い出すとダメですね。親父の時はそうでもなかったが。お袋が死んだ時、悲しくて体の中を風が吹いて行きましたね。帰る故郷を失ってしまった。お袋が死んだ時、春風が吹いていたんです。「なんでお袋が死んだのに、春風が吹くんだって」。それが「記念日」という詩になりました。

刑務所の中で、私、詩人だったんですよ。刑務所の中では、例えば、寒さが見えるんです。寒い時、自分の体温と外から寒さが押し合いするのが見える。辛いですね。暑い時は暑いと眠りながら感じる。でも本当に辛いのは人の心です。看守の意地悪さとか仲間同士の諍い、それが本当に辛くって。でもそんな中で、私は国民救援会から「頑張りなさい」と支援していただいた。その人たちの心の優しさが嬉しい。辛い中で嬉しい。それで詩を作りました。

今はなかなか詩が作れない。奥さんは優しいし美人だし(笑)。いつも仲間たちと支えあって、好きな時に風呂入れて、好きなもの食べれて。そういう中で詩はわかない。だから私はいつもいうのです。「苦しみ、いつでも来い」と。幸せなんか価値がない、いや、幸せも大事だが、それだけでは詩とかは生み出さない。辛いことがあったら、それを乗り越えるから、人間はいろんな思いが出るのです。

もしも今、辛いことがある人は喜んでほしい。何かがあなたの中で生まれるでしょう。苦しいことに出会ったらラッキーと思ったらいいです。乗り越えたら、人生の中に絶対いいことがあると思ってます。でもなかなかそうこないです、苦しみって。わたしは23年間シャバで生きていて、苦しいことがなかなかない。でも毎日幸せだったら、つまんないでしょ? こんな人生。だから今、癌になって嬉しいんです。だってこれを乗り越えたら、なんかいいことあるじゃないですか。(後半に続く)


◎[参考動画]【アンコール上映】ドキュメンタリー映画『ショージとタカオ』予告編

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年5月号 【特集】「新型コロナ危機」安倍失政から日本を守る 新型コロナによる経済被害は安倍首相が原因の人災である(藤井聡・京都大学大学院教授)他
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

釜ヶ崎の「安全・安心」は誰を守るのか? 「まちをきれいに」「ゴミをなくそう」を連呼して進められる「まちづくり」の危険性 尾崎美代子

◆あとを絶たない野宿者襲撃事件

3月25日深夜、岐阜市内の伊自良川の河川敷で野宿する81歳の男性が、何者かに石をぶつけられたり、暴行されたりして亡くなった。「知人が数人の男に蹴られた」と110番通報した女性は、男性と20年前から野宿生活を共にしていた。このような痛ましい襲撃事件があとを絶たないのは、なぜだろうか。

1983年、横浜市の公園などで次々と起こった襲撃事件で逮捕された少年らは、取り調べで「町を綺麗にするため、ゴミ掃除しただけ」などと供述した。

大阪では、2012年年10月1日、JR大阪駅近くの高架下で、野宿していた男性(当時67歳)が襲撃され、死亡する事件が起きたが、2014年大阪地裁で始まった裁判で、少年の1人は、「家を出てバイトに明け暮れていたため、たまに会う遊び仲間と憂さ晴らししようと襲撃を計画した」などと証言した。

◆釜ヶ崎の「安全・安心なまちづくり」は、誰を守るのか?

釜ヶ崎では、元大阪市長の橋下徹氏がぶち上げた「西成特区構想」のもと、「安心・安全なまちづくり」が進められている。2014年から始まった「まちづくり検討会議」の座長を務めた学習院大学教授・鈴木亘氏は、当時の釜ヶ崎についてインタビューで「どん底でしたね。ホームレスが溢れ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便している。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした」と憎悪と非難を露わにしていた

その後、「覚せい剤撲滅」「不法投棄の防止と啓発」「迷惑駐輪の防止と啓発」などを目的とした「5ケ年計画」で、警察官の増員や監視カメラの増設が実施され、西成警察主導の「あいりんクリーンロードキャンペーン」が始まった。驚くのは、パレードで訴える「町をきれいにしよう」「ゴミをなくそう」のスローガンが、野宿者を襲撃した少年らが口にした言葉と同じことだ。

パレードのあと参加者に飲み物や下着が配られる。後ろに手を組む作業服姿の警察官が、労働者を怒鳴る場面も
3月28日「センター開けろ!」と訴える集会とデモには約80名が参加した

◆2度目の不当逮捕

「安心・安全なまちづくり」を進める「まちづくり会議」では、一方で「あいりん総合センター」(以下センター)を解体した広大な跡地をどう使うかの話が進められている。昨年12月末、センターに入っていた「西成労働福祉センター」と「あいりん職安」(現在は、隣接する南海電鉄高架下に仮移転中)などの労働施設を、跡地の南側に作ることが決まった。便利で使い勝手の良い北側には、屋台村構想や、タクシー、観光バスの駐車場を作るなどの意見が上がっているという。

問題なのは、南側に建てられる労働施設の青写真に、もとのセンター内にあったシャワー室、娯楽室、足洗い場、洗濯場、昼間ごろりと横になって休息できる場所など、生活困窮者や野宿者のセーフティーネットとなる機能が一切備えられてないことだ。つまり野宿者、生活困窮者はいっそう過酷な状況に追い込まれることになる。

そうしたセンターの解体に反対し、「センター閉めるな!」「シャッター開けろ!」と訴えている仲間4名が、3月4日逮捕された。昨年11月、5月30日に監視カメラに手袋を被せ、撮影不能にしたという「威力業務妨害罪」での逮捕と同様だ。今回は昨年11月、逮捕された4名のうちの2名と、6月4日の件で逮捕された2名を加えての4名逮捕である。昨年は、逮捕後すぐに釈放されたが、その後検察の任意聴取や出頭要請に応じなかったことが、今回の逮捕の理由だ。4人はそのため大阪地検に直接逮捕され、地検で取り調べられたのち、大阪拘置所に移送され、翌日起訴されたのち、前回同様、検察の勾留請求、準抗告がいずれも棄却され、釈放された。

大阪地検は、なぜ2度も同じ失態を繰り返すのか?そもそも監視カメラにレジ袋や手袋を被せたことが「威力業務妨害罪」にあたるのか?昨年の逮捕後、勾留請求、準抗告を繰り返す検察に「こんな微罪で起訴なんて」と呆れた裁判官もいたと聞いたが、同じ容疑で、なぜ今回起訴できたのか?

監視カメラの増設に使われた費用は約1億2700万円

◆監視カメラと不当逮捕の狙いは?

逮捕された1人、釜ヶ崎地域合同労組の稲垣浩氏は、2015年、組合が入る解放会館前に設置された監視カメラを違法と訴えた裁判で勝利し、撤去させている。裁判を担当した大川一夫弁護士は「監視カメラの監視はプライバシー権を侵害するので一定の要件を満たしたときしか許されない。しかしある監視カメラはこの要件を満たしていないから違法であるとして撤去を命じたのである」と解説する。

また2016年7月の参院選前後に大分県別府警察署が、野党の支援団体が入る私有地に無断に監視カメラを設置した捜査方法を違法だとして抗議する、日弁連の会長声明の中でも、こう説明されている。「殊に、宗教施設や政治団体の施設等、個人の思想・信条の自由を推知し得る施設に向けた無差別撮影・録画は、原則的に違法である。このことは、労働運動等の拠点となっている建物に向けた撮影・録画を前提とせずに単なるモニタリング(目視による監視)の目的で設置されただけの大阪府警の監視カメラの撤去を命じた大阪地裁平成6年4月27日判決(その後、最高裁で確定)からも明らかである」。

朝、「特掃」の輪番を待つ人達でごった返す西成労働福祉センターの仮庁舎内。高齢者が多い

今回逮捕のきっかけとなった監視カメラは、もとは南海電鉄高架下のセンター仮庁舎の東側の道路と駐車場に向けて設置されていた。現場は、早朝から多くの労働者が仕事を求めて集まるが、「特掃」(高齢者特別清掃事業)の輪番紹介が始める8時過ぎには高齢者も含めてごったがえす場所だ。しかも、約200メートルの道路には信号機もなく、警備員が「車来るぞ!」と声をかけあうだけ。そうした危険な場所を監視し、事故など起きた場合に備えて設置された監視カメラが、ある日「センター開けろ」と訴える人たちの団結小屋に向きを変えられた。

それについて釜合労や釜ケ崎公民権運動が抗議し、説明を求めたが、大阪府は「センターを管理するため」というだけだった。しかし、センターのシャッター前で野宿する人たちが何者かに襲撃されたり、テントに火をつけられても、犯人は一向に逮捕されてはいない。あれだけ鮮明な画像を証拠に仲間を逮捕したくせに、ほかの犯人は分からないというのか。こうしたことからも、監視カメラが狙うのは「センター閉めるな」「シャッター開けろ」と訴える人たちを監視し、威圧するためのものであることは明らかだ。

しかも新型コロナウイルスの感染拡大が懸念される今、気密性が高く換気が悪い上、狭い場所に大勢の人たちを詰め込むシェルターなどではなく、広々として通気性の良いセンターなどを、早急に開放することが必要だ。

新型コロナウイルス感染拡大を防ぐための自粛要請の影響で、今後仕事をなくし路頭に迷う人たちが、リーマンショック後より遥かに多いと予測されるが、そうした生活困窮者が最後の拠り所として集まってくるのが、釜ヶ崎だ。そのような釜ヶ崎で、「町をきれいにしよう」「ゴミをなくそう」と訴える「安心・安全のまちづくり」キャンペーンにより、野宿する人たちが、ふたたび少年らに襲撃されてしまうようなことが起こってはならない。

JR大阪駅の高架下で野宿者を襲撃した少年の1人は、 野宿者を「俺たちと全く違う世界の人間と思っていた」と証言したが、それは違う!「野宿者も私たちと同じ人間。差別や排除してはいけない」。そう教えていくのが、私たち大人の責任だ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年4月号
『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 菅直人元首相が語る「東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと」他

《NO NUKES VOICE》福島県浪江町の自宅が3月25日にも鹿島建設に解体される今野寿美雄さんに聞いた福島第一原発事故からの9年間〈3〉 尾崎美代子

子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。聞き手・構成=尾崎美代子)

3月4日、福島地裁で開かれた子ども脱被ばく裁判の公判前、地裁前でアピールする今野さん(Toshiko Okadaさん提供)

◆浪江訴訟──小早川社長になってから態度がゴロっとかわった東電

── 今野さんは現在、2つの裁判にかかわっていますが、1つは浪江訴訟。こちらは浪江の住民の皆さんが、原発事故の慰謝料の増額を要求していた原発ADRで、東電が和解案を6回も拒否して決裂したため、2018年4月17日、本格的な裁判を提訴して始まった裁判ですね? ADRを闘ってきた人たちは、東電に6回も拒否され、がっくりだったしょうね?

今野 ADRでは、精神的賠償の35万円の金額が10万円しか賠償されなかったので、あとの25万円を支払えと訴えていたわけです。東電は、和解案をずっと拒否してきた。最終的に中間指針で「5万円支払え」となり、住民側は受け入れたのに、東電はそれも拒否したわけです。個別の請求では、東電の現場の職員は一生懸命聞いてくれるわけですよ。俺たちのことを考えて。でも本店にもっていくと断られてしまう。

東電は、社長が前の広瀬さんから小早川さんに変わりましたが、彼が一番ひどいです。広瀬さんは、まだ要求を受けるようなことをいっていたが、小早川さんになってから態度がゴロっとかわった。私が個別に請求した分、1200万円も棄却されました。

── 本格的な裁判となるとハードルが高く、どこでもですが、おのずと原告の数は減りますね?

今野 そうです。ADRのときは、裁判費用も削除かからないし、早くに解決できると思い、浪江町の7割もの住民が参加しました。でも東電が拒否し続け、その間に亡くなった人も大勢いました。今度の裁判は、長くかかるのであきらめた人、それから損害賠償は着手金や印紙代金が高いこともあり、経済的な理由などで参加しない人も多く、原告の数は減りました。うちは、子ども脱被ばく裁判とのかねあいもあって、第四次で加わりました。裁判費用は家族3人で16万円かかりました。

息子さんと復興住宅にて(今野さん提供)

◆子ども脱被ばく裁判──3月4日、山下俊一氏が証人尋問に立つ

── もう一つが、「子ども脱被ばく裁判」(福島県在住の小・中学生らが、年間1ミリシーベルトを下回る地域での教育を求めて、国や福島県、市町村を訴えている裁判)、こちらの裁判の原告団長になった経緯からお聞かせください。

今野 最初は別の人がやっていましたが、その方が病気になったりして、いったん団長が不在の期間が続きました。でもやっぱり団長を置かないといけないとなり、僕が抜擢されました。職業柄、放射能のことは詳しかったからね。裁判では、通学している学校周辺の土壌を調査した結果を証拠として提出しています。きちんと測ったものを資料として提出しなくてはならないからね。土壌は、私と仲間で採取したものを、京都で測定してもらいました。また、空間線量も仲間と測りました。

── こちらの裁判に3月4日、いよいよ「毎時100ミリシーベルトまで大丈夫」「ニコニコしている人に、放射能は来ない」発言の山下俊一さんが証人尋問に立ちますね?

今野 そうです。あともう一人、重要な人物が前回の裁判で証人として出廷しています。福島県立医科大学の鈴木眞一教授です。彼は、実際、多くの小児性甲状腺がんの子どもを手術していますからね。彼はずっと忙しいと逃げてました。いったんは出張裁判をするとなりましたが、最終的には裁判所が「出廷しなさい」と命令しました。

── 傍聴には福島の方々はどのくらい集まりますか? またどのような判決になると予想しますか?

今野 原告の人たちは、子供が小さいし、仕事があるから、そうそう皆さん、傍聴にはいけていません。子どもを迎えにいかなくてはならないから、裁判の途中で帰らなければならない人もいます。判決はどうなるかは、全くわかりません。ただ福島では生業訴訟で勝訴の判決がでていて、一部控訴した部分もありますが、それも先日仙台高裁で結審しています。一方、東電刑事訴訟など悪い判決もあるし、そうしたほかの裁判の結果もまた影響してくると思います。どうなるかはわかりませんね。


◎[参考動画]山下俊一トンデモ発言(2011/05/08)

3月4日、福島地裁前(Toshiko Okadaさん提供)

◆「復興五輪」──復興なんて無理ですよ、元に戻ることはないから

── 7月から始まる東京五輪についてお聞きします。先日、Jヴレッジで「オリンピック反対」のスタンディングが行われましたが?

今野 全国から50人くらい集まって、プラカードに日本語だけではなく英語、韓国語、フランス語などいろんな国の文字で思いを書いてアピールしました。国道6号線にずらりと並んで。車で行き来する人たちも見ますが、それが全国、全世界に報道されたのだから、影響は大きかったと思います。地元では、僕も何度も取材をうけた東京のTBS系列のテレビユー福島が夕方のニュースで報じていました。

── 福島のなかでは「東京五輪」への歓迎ムードはあるのでしょうか?

今野 俺の周辺では、浪江訴訟の仲間も津島訴訟の仲間のなかにも、全くない。聖火リレーだって、いいところばかりをちょこっと走って、それをつなげるだけ。それでは福島の現実は伝わりませんよ。復興した印象を持たせようと、廃墟のある場所や更地になった場所は、走りません。Jヴレッジや新しくできたハコモノの周辺等のいいとこどりです。

── 2月12日、「ひだんれん」で行った記者会見でも、いま行われている「復興」はうその復興と話されてましたが、では「本当の復興」はどうすれば成し遂げられるとお考えですか?

今野 復興なんて無理ですよ。元に戻ることはないから。復興とは、復旧が終わって再び興すことです。復旧とは、元に戻すことです。復旧が出来ていないのに復興することは出来ません。

◆原発で一緒に働いていた同級生の仲間が2人、50歳で亡くなった

── 確かにそうですね。今野さんの元の同僚の方はどうなさっていますか?

今野 事故後に原発の仕事辞めた同僚は、半分くらいいます。ほかにも事故を機に辞めた仲間はいっぱいいます。福一に戻った同僚からは発電所の現状や思っていることを「俺たちは言えないから代わりに言ってくれ」と言われています。 

じつは原発で一緒に働いていた同級生の仲間が2人、50歳で亡くなっています。死因はわからない。事故から3年後です。新聞のお悔み欄で見つけたり、人から聞いたりして知りました。2人が事故後に原発に入っていたかどうかもわかりません。表にでてこない話だから。あと同級生の女性も50歳で亡くなりました。津島地区の人ですが、やっぱり死因はわからない。病気になり闘病生活送ったとかではなく、みんな、急に亡くなっています。

ほかにも、以前浪江に住んでいた近所の人で、50歳代で亡くなった人が3人います。会社の先輩、一緒に仕事していた仲間、それと幼稚園の園長先生。この前、花をあげてきましたが、みなさん、50台後半、家族を残してね。

── 1人だけならまだしも立て続けに何人もって、おかしいですよね?

今野 絶対おかしいですよ。50歳台で突然亡くなること自体がそうそうないでしょう。ほかの人たちは話さないが、俺は話します。でもその原因が被ばくとは言っていない。ただ「こういう現実がありますよ」と話します。被ばくとの因果関係はわからないが、異常だと思うよと。考えられる要因としては、そこしかないだろうと話します。

── 残されたご家族も無念だし、「これはおかしい」と考えられるでしょうね?

今野 思っていても証明できないから、しょうがないですよね。医者だって言えないしね。死亡欄には「心不全」と書いてあるが、「その心不全に何故なったか?」と言われてもわからないわけです。僕ができるのは、とにかく事実を伝えることだけ、それしかありません。

── まだまだお聞きしたいことはありますが、今日はここまでといたします。長い時間どうもありがとうございました。(完)

(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
汚染されているから帰れない それが「福島の現実」

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
元東電「炉心屋」木村俊雄さんが語る〈福島ドライアウト〉の真相

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

《NO NUKES VOICE》福島県浪江町の自宅が3月25日にも鹿島建設に解体される今野寿美雄さんに聞いた福島第一原発事故からの9年間〈2〉 尾崎美代子

子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。(聞き手・構成=尾崎美代子)(聞き手・構成=尾崎美代子)

◆あの時の福島第一原発と女川原発の違い

── 3・11のとき、今野さんは宮城県の女川原発で被災したわけですが、福一の事態は予測できましたか?

今野 女川原発が津波に襲われた時点では、福島第一原発までが津波に襲われているとは知らなかった。自分たちの置かれた状況が悲惨すぎて、そこまで頭がまわらなかった。しばらくしてBSテレビを見たら、「電源喪失しました」「水位が低下しています」と言っているので、「これはやばい。もう終わりだ。爆発するな」と思っていたら、翌日1号機が爆発。そのとき、私は女川の職員に言ったんですよ。「1号機は一番小さいから最初に爆発したが、これは2号機も3号機も続けて爆発するからね」と。1号機は出力が小さい分、原子炉も格納容器も容量が小さいから、圧力が上がり易い。

── 実際、今野さんが福一の現場で働いていたから、予測できたのですね?

今野 そうなりますね。実際、そういう教育を受けてきた訳ですから。どうしたら、どういうトラブルがおきるかと想定して、それに対する設備をメンテナンスしていたわけですから。原発は、実はすごい巨大なシステムなんですね。その全体を判断できる人間はそういないです。当直長でさえ全てわかっている人はいないからね。

── 女川原発も相当ひどかったのですね。事故直後の周囲の空間線量が10μSv/hにまで上がり、外出禁止となり、中に今野さんら3000人近くの作業員が残されたということですが?

今野 ええ、女川も津波に襲われたからね。でもポンプが一台助かったのと、外部電源は喪失したが非常用電源で発電できたから、そこが福島第一原発と違うわけですよ。女川は非常用電源で4~5日間もちこたえた。ただ、津波で周囲の道路がズタズタに壊されたので、どこへもいけない状態が続いていたので、原発内にいました。食事はもともと売店にあった食料と、東北電力と関連会社が備蓄している食料を、ヘリで運んでもらい、地元の人たちに食べてもらったりしていました。僕たちはカップヌードルでもミニサイズで我慢して、デッカイのは地元の人に食べて貰いました。牡鹿半島に住む地元住民です。水は発電所に原水タンクがあったのでろ過して使用でき、ペットボトルの飲料水は地元の人達に優先して廻しました。

放射線管理手帳(今野さん提供)

◆事故後5日目、女川原発から福島へ戻る旅

── ご家族と連絡取れなくて、心配でしたね?

今野 当時、幼稚園の息子を妻が、朝、実家のじいちゃん、ばあちゃんの家に預けて仕事に出ていました。息子はそこからからバスで幼稚園に通っていた。津波は川を上ってくるが、幼稚園のバスのルートが川の近くだったので、「もしかしたらバスが襲われた可能性があるな」と不安でした。家族は家族で、私が津波に呑まれて死んでるんではないかと思っていたそうです。

── 5日目にようやく、女川原発から脱出したというこですが?

今野 そうです。3月15日、我慢の限界でした。「自己責任で構わない。家族のもとに行かせてくれ」と発電所長に許可を貰い、福島から一緒に行った仲間6人と東京から出張で来ていた仲間1人の8人で1台の車で出ました。

浪江の仲間が自分を入れて3人、原町1人、いわきから3人。とにかく浜通りは通れないから、行き先がない流浪の旅になった。いわきの人は郡山まで迎えにきてもらい帰り、俺たちはしょうがないので、新幹線で移動することになりました。そのころにはもう、家族と連絡がとれ、茨城県の古河の妻の親戚宅にいることがわかっていた。

ただ新幹線は那須塩原までしか走ってないので、そこまでどうやっていくかとなり、郡山駅からタクシーを貸し切り、2万5000円払って行きました。背に腹は代えられませんからね。途中乗り継いで、古河駅に妻のおじさんと息子が迎えに来てました。そこで、朝日新聞記者の青木美希さんが『地図から消される街』に書いてくれましたが、息子が「パパ生きてた! パパ足ついてる!」と言った感動の再会がありました。今でもはっきり覚えています。思い出すと涙が出てしまいます。

それから親せき宅に約10日いて、そこから避難所に行き、4月11日から猪苗代の旅館に移り、8月31日から福島市の飯坂温泉の借り上げ住宅に移りました。そこから4年たって、いまの福島市飯坂温泉の復興住宅に移りました。

── 事故後、浪江の家を見にいったのはいつ頃でしたか?

今野 その年の7月に皆でマイクロバスで行きました。防護服着て。放管(放射線管理員)の人も一緒で、線量計ったらとんでもない数値で「ヤバイ!ヤバイ! とっとと帰ろう」となりました。20~30分しか滞在しなかった。めちゃくちゃ線量が高かった。10μSv/h位ありました。植え込みや側溝の上は20~30μSv/h位ありました。通帳とか必要なものを持ち出しただけ。

3月15日女川原発を脱出し、家族のいる茨城県古賀市に逃げた時の新幹線の切符(今野さん提供)

◆柏崎刈羽原発の定期検査の監督をやってくれと言われたが、当時はそれどころではなかった

── 今野さんに、東電から「現場に戻れ」という指示はなかったのですか?

今野 逆ですね。現地のメーカー指導員は、メーカーから「一線から退け。被ばくして使えなくなってしまうから」と退去命令が出たそうです。当時はがれき撤去などの作業などだから、失礼な言い方ですが、誰にでもできる。僕たちがそんなことで被ばくして病気になったり、死んでしまったら、あとあと原発の技術面での作業に支障がおきて困ると、そうメーカー側は考えたのでしょう。

そのあと新潟県の柏崎原発の定期検査があるから監督やってくれと言われましたが、当時はそれどころではなかった。避難所の自治会長を頼まれたので、毎日避難者の面倒みたり、役場と連絡とったり、支援物資を仕分けして皆さんに配ったり、忙しくて、仕事したり、遊んでいる暇もありませんでした。

── 皆さん、体調などはどうでしたか?

今野 息子は、鼻血は出なかったが、風邪が非常に治りにくくなっていました。治ったと思ったら、またひくみたいな状態が続きました。免疫力が低下したのでしょうね。鼻血は私がよく出たね、井戸川さんと同じ。

── 鼻血騒動のバッシングは酷かったですね? 井戸川さん自身が「出た」というのに、嘘だといわれる?

今野 「風評被害だ」といわれましたね。俺だけじゃなくて、「私も」「俺も」という人が大勢いるのに。俺も最初は「血圧高いのかな?」と思った。それまで鼻血なんか、一切出たことないのに。でも血圧計ったら高くはない。原因は、避難所で放射性物質を鼻で吸い込んでいたからですよ。(つづく)

(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
汚染されているから帰れない それが「福島の現実」

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
元東電「炉心屋」木村俊雄さんが語る〈福島ドライアウト〉の真相

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

《NO NUKES VOICE》福島県浪江町の自宅が3月25日にも鹿島建設に解体される今野寿美雄さんに聞いた福島第一原発事故からの9年間〈1〉 尾崎美代子

子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。(聞き手・構成=尾崎美代子)

今野寿美雄さん。浪江町にある自宅前にて(2018年10月22日/Eiji Etouさん提供)

◆除染で空間線量は下がっているが、土壌汚染がハンパじゃない

今野寿美雄さん。浪江町にある自宅前にて(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

── 今野さんは、避難指示解除されても、浪江の家には帰らない、家を解体するということですが、戻らない理由の一番は、まだ帰れるような場所ではないということですね?

今野 そうです。みんな、ちょっと勘違いしていますが、除染で空間線量は下がっているが、土壌汚染がハンパじゃない。管理区域の値をとうに超えています。うちのところで、管理区域の設定基準40,000Bq/平米に対し、2500,000Bq/平米もあるんです。

── 除染してそれですよね?

今野 除染と言っても、表面の土を3~5センチ剥いだだけですよ。その下の土に染みている放射性物質が出てくるわけですよ。雨で上の土が流れるわけですから。そして周りからも放射性物質が飛んできて、再汚染しているわけですよ。しかもそれが不溶性のホットパーティクルという、身体内部に取り込んだら、排出されないというやっかいなものだからです。

── それで今野さんは、もう住めないから、家を解体しようと決めたわけですね?

今野 そうです。環境省が、去年の3月までに解体の申請をしろということで、私はぎりぎり3月に申請を出しました。ところが、その後解体の工期がいつかなどの連絡や通知がずっとなかった。

それがいきなり「急ぐので現地立ち合いをして下さい。8月頃できませんか?」と連絡が来た。その時は、ちょうど僕が忙しく、断っていました。すると「なんとか年内の11月位に立ち会ってもらえないか?」と連絡がきて、11月29日に立ち会いました。そこで初めて「3月いっぱいまでに解体しないといけないので、1月いっぱいまでに(家の中を)片づけてください」といわれ、そのあと2回通知がきました。1回目は簡易書留、2回目は特定郵便で。

「連絡よこさないと解体しませんよ」と書いてあったので、環境省に電話して「こっちもなるべく早くするが、どうせ工期は間にあわないだろう」といいました。だって11月の時点で、解体物件が1000件近く残っているというのですから。物理的にそれを全部解体できる訳ないじゃないですか? 解体業者もそんなにいると考えられないし。彼らも分かってはいるが、お役所仕事だから、年度内にやらないといけないという。「表だってはいえないが、あとは個別に相談させてもらうしかない」と言ってました。

手続きをすませてもらうしかないといわれました。こっちが日にちを伸ばしたこともあるが、11月29日に初めて立ち会ったとき、突然3月25日までに解体するといわれたのですよ。翌日26日から福島で聖火リレーが始まるからです。それに向けた計画だったのでしょうが、実際はそんなに進まない実情がある。

私は、申請は出してあるので、それ以降に解体となっても、あとは環境省の問題で、解体費用をこっちが支払うことにはなりませんが、彼らはそうやって実質、脅しているわけですよ。「片づけを早くやらないと、無償で解体の対象から外すよ」と。

◆原発の弱いところはよくわかっていた……

── 本当に、五輪ありきの解体計画ですね。それで慌てて家の片付を始めたわけですよね。避難先の福島市から何度も通って……。引っ越し代、ガソリン代なども自分持ちだと?

今野 それが頭にきているんですよ。ふざけてるね。今住んでいる復興住宅は、浪江の家の半分位だから、元の家の家具もそうそう運べない。「もったいないな」と思っていたら、浪江でカラオケ屋を始める方が、従業員用の宿舎で使いたいというので、「もったいないから引き取って」といいました。そのママさんは、昔、私の友達がやっていた店を居抜きで借りて店を始めた人です。その友達夫婦ですが、夫婦共に事故後に癌と白血病で亡くなりました。当時中学2年生の娘を残してね。だからこれも何かの縁だなと思ってね。

── 息子さんも8年11ケ月ぶり、事故後初めて実家に戻ったのですよね?

今野 息子はもう浪江の記憶が薄くなっていました。息子は5歳で避難して、今年6月で15歳ですから。事故後の生活のほうがダブルスコアですからね。

── 家を手放すと決めたとき、どんな思いでしたか?

今野 いや、切ないですよ。女房も「なんでここに住めないの。捨てるの?」と悔しがってました。家は建ててから事故当時で9年経っていましたから、今年で18年です。それまではその近くの団地やアパートにいましたが、ある人に土地を貸してもらえることになり家を建てようと決めました。

── その後いろんな人たちが集まってきて、そこで今野さんはリーダー的な存在だったとお聞きしました?

今野 最初に家を建てたから、隣組のなかで一番古いからね。そこに浪江の次男坊や3男坊の人たち、二本松から来た人もいました。最初は4軒で隣組つくって、そのあと道路の向こう側に7軒出来たので、11軒で隣組をつくりました。

── そこに新たなコミュニテイーが出来ていたのに……。皆さん、もうばらばらですか?

今野 若い人が多いから子供もいっぱいいて。そんな隣組でした。親たちとは、最初の年の「一時帰宅」のとき会いました。その後何回か会う人はいますが、あとはほとんど会えていません。あと同級生が一時帰宅で帰ったりすると会うくらい。あとはフェイスブックでやりとりしたり。福島やいわき、あとは県外に避難した人たち。子供がいる人の多くは神奈川、千葉など県外に避難しています。引っ越し先がわからない人もいます(笑)

浪江町にある自宅の現況(今野さん提供)
浪江町にある自宅の現況(今野さん提供)

── 寂しいですね。

今野 そうだね。子どもたちの名前なんか、もう忘れてしまいました。子どもらの小さい頃の写真をみて「なつかしいな」と思うんだけど……。9年だもんね。

── 今野さんは、原発の自動制御装置のメンテナンスの仕事などに就いていたそうですが。働いていたときは、福一でこうした事故が予測できましたか?

今野 事故になったら大変だとは思っていたね。原発の弱いところはよくわかっていたんで。事故が起きないようにと祈るだけでしたね。大きな津波が来ないかとか、ミサイル撃ち込まれないようにとかね。日本の原発は、以前はテロ対策とか本当にやってなくて、9・11後に、ようやく入口に機動隊が配備されるようになった。それまでは民間の警備員が就くだけだった。ほかの国は軍隊が守っているのに。日本はいかにいい加減かということですよ。(つづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
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[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
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[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
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[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
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[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
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事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

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奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

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大衆のための反原発 ──
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《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

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《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
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井手洋子監督の新作ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」関西上映! 1978年に始まった障がいを持つ子どもの放課後支援活動の先駆的施設を1年半にわたり撮り続け、問いかける「子どもたちそれぞれの世界」

井手洋子監督のドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」の関西上映(大阪・神戸・京都)が、2月15日大阪・シネ・ヌーヴォから始まった。障がいを持つ子どもの放課後活動の草分け的存在である東京都小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」(以下、ゆうやけ)を1年半追い続けた作品である。

1978年、養護教育の義務化で、障がいを持つ子どもたちにようやく学校教育が保障されるようになったが、ゆうやけ(遊びの会)はその1年前、様々な障がいを持つ子どもたちが、放課後や夏休みに過せる場所が欲しいという親たちの切実な願いから始まった。現在ゆうやけの代表を務める村岡真治さんは、ボランティアで関わっていた当時の様子をこう話している。

ゆうやけの代表を務める村岡真治さんと子どもたち(C)井手商店映画部

「放課後や夏休み期間中に、遊び・生活を中心とした活動を行って。子供たちの成長を促そうとすることは、大変勇気のいることだった。先輩の親からは『若い親を甘やかすな』と苦情をいわれた。市に補助金を求めにいくと『学校に通っているのに、どうして放課後までお金を出す必要があるのか』と返された。だが私たちは、子供の権利や発達に照らして,障がいのある子どもにも放課後活動は必要だということを、実践しながら社会に訴えていった」。

その村岡さんが、今も現役で子どもたちの輪の中心にいることに、まず驚かされる。「今日のおやつ作りは何にしますか?」「えーと、ゼリー」といわれ、村岡さんがずっこけるシーンから映画は始まる。

学校から次々とゆうやけに帰ってくる子どもたち。「おかえりなさい」と迎える職員たち。小学校から高校生まで、全員が知的障がい、発達障がい、自閉症など様々な障がいを持っている。子ども1人か2人に、指導員が1人つき、「おやつづくり」、「フォークダンス」、「段ボール遊び」などで遊ぶ。紙いっぱいにその日の買い物リストを書き、村岡さんにおもちゃ電話で注文してもらう女の子。「えー柴犬4匹、メスが普通で黒がオスですね。4匹です」。もうこの場面から、ワクワク感がとまらなくなる。

◆「ゆうやけ子どもクラブの活動をとってほしい」と依頼された井手監督

井手洋子監督

井手監督が、ゆうやけに関わったきっかけは「40周年記念のコンサート」で夕やけを紹介する映像を頼まれたことからだった。当初、井手監督は、障がいをもつ子どもたちの「放課後活動」がどんなものか全く知らず、何をどう撮ればいいかと戸惑ったという。

「職員さんたちは、子供のいない午前中、何をやっているのだろうか?」と気になっていたある日、職員の研修会を撮影する機会があった。職員は、毎日子供たちに何があったか記録し、迎えに来た親にも、それを丁寧に説明する場面がある。研修会では、1人の障がいを持つ子について書かれた3年分の記録から、気になる個所を抜き書きし、5人の職員が話し合っている。

「ここにも同じのがあった」と、資料の同じ言葉の箇所にマーカーで線をひき、彼がその時何を考えたのかと、謎解きをしていくような作業。「子供たちとの関わりの背景には、こんなにも丁寧な作業があったのだ」と驚きながら、カメラを回したという井手監督。そうした事実を掘り起こしていく作業は、ドキュメンタリーの取材にも通じるという。そして「このシーンを映画の中でいかした。こうしたことの積み重ねで、暗闇から少しずつ取材の糸口となる光のようなものがみえてきた」と、作品のとっかかりを掴んだきっかけを、井手監督は語っている。

◆親たちの孤独が解消されるような社会をめざして

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画では、障がいを持つ子どもたちの親たちが話す場面も多い。障がいを持つ子の苦労話や、子どもの変わり様を屈託なく、時には笑って話す親たちの姿は、とても強く印象に残った。

「とくに母女親が孤立して、とっても孤独な方がすごく多いと思うので、それが改善していく世の中になってほしい」と話す父親。「ほかの子どもたちには、なかなか構ってやれない」と笑って話す母親。「ここに来ることが一番の楽しいみたい。学校のあとにゆうやけだから、そのために学校へ行くみたいな…。家に帰ったらバタンキューですよ」と話す父親。

昨年、両親が、障がいを持つ我が子を長期に亘り監禁し、死なせた事件が起こった。障がいがあったり、引きこもりを続けるわが子の存在を周囲に隠し、行政にも相談できず、最終的に自身の手で殺(あや)めるという痛ましい事件も発生した。なぜ、可愛いわが子の存在を隠さなければならないのか?殺めなければならないのか?そこには、障がいを持つ子どもと親たちに対する、社会のぬぐい切れない差別や偏見があるからではないか?

◆障がいを持つ子と親たちをとりまく社会の変化

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

2012年、「放課後等デイサービス」という国の制度が始まって以降、障がいのある子どもの放課後活動の場が爆発的に増えた。ゆうやけの3つの事業所も、2013年以降、この制度を利用して運営されている。そんななか、公費を偽って請求するなどの不正を行う業者、「起業3年,年商3億年」「低リスク、高リターン」などとうたい、利潤追求を目的とした事業所なども増えてきた。私の住む釜ヶ崎で、生活保護者を狙って、「家賃、食費がゼロ、おまけに小遣いまでもらえるよ」とうたう「囲い屋」など貧困ビジネスが増えたことと同じだ。

さらに2018年には、施設に障がいが重い子どもたちが半分以上いないと、収入が大幅に引き下がるという新しい基準が加わり、ゆうやけも存続の危機に見舞われた。ゆうやけはどうにか認められたものの、全国の8割の事業所が減収から閉鎖に置きこまれたという。巷では「ダイバーシテイ」「多様性」などのきれいな言葉が溢れているが、実際の社会の足元には、こうした過酷な現実もあることを、この映画を通じて知りえた。

◆一人一人が自分らしく生きるために……

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画の後半では、障がいを持つ3人の子どもにフィーチャーしていく。自分の気持ちをうまく表現できないガク君。子どもたちの輪になかなか入れず、部屋の隅でひたすら積み木を積むヒカリ君。そして聴覚過敏の音に敏感すぎるため、ずっと給湯室にこもっているカンちゃん。テロップでは障がいには触れてないが、同じ自閉症でもまるで特性が違うことに驚かされる。

3ケ所あるゆうやけの施設を回って撮影を続けていた監督が、ある日ヒカリ君がどうなったか知りたくて会いに行く。それまで直線で作られていたヒカリ君の積み木の線路は、なだらかな曲線を描くようになっていた。そこに精巧な駅舎や改札口が作られ、やがてホームに動物をたたずませたヒカリ君。ヒカリ君の宝物は、鉄道好きなヒカリ君のために、職員が作ってくれた全国の鉄道名と駅名を書いた手帳だ。新しい線路と駅の名前を口にしていくうちに、ヒカリ君の声も徐々に大きくなっていく。撮影最後の日、子どもたちが遊ぶマットの相撲場に、積み木を置くようになったヒカリ君は、ダンスがはじまると、輪の後ろで身体をくねらせ、最後には皆の手を取ってダンスの輪に入っていった。「福祉は人間らしい人の輪」。映画の中で、村岡さんが語っていた。

子どもたちも親たちもこんなに変えていく、ゆうやけの輪は、こうして日に日に大きくなっていくことだろう。

最後に井手監督に「ゆうやけ子どもクラブ」を作った1番の目的をお聞きした。

「このような施設が存在することを多くの人たちに知ってもらうこと、映画を通して子どもたちそれぞれの世界を知ってもらい、私たち一人ひとりの心の中にあるバリアをとりはらうきっかけになれば、と思っています」。関西上映は以下のスケジュールで!

大阪・神戸・京都でのドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」上映スケジュール
大阪 シネ・ヌーヴォX 2月15日(土)~2月28日(金)
   シネ・ヌーヴォ  2月29日(土)~3月6日(金)
神戸 元町映画館    2月29日(土)~3月13日(金)
京都 京都シネマ    3月 7日(土)~
問い合わせ 井手商店映画部 03-6383-4472
公式ホームページ https://www.yuyake-kodomo-club.com/


◎ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」予告篇ロング

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他
鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

「西成あいりん総合センターをつぶすな」の闘いに新たな動き ── なぜ、センター仮庁舎付近だけ耐震補強工事をしないのか?

◆「仮処分決定」で、再び強制排除されるのか!

大阪市西成区、JR新今宮駅前の「あいりん総合センター」(以下、センター)で続く「センターつぶすな」の闘いに新たな動きがあった。センターは、昨年3月31日閉鎖予定だったが、当日抗議する仲間が多数集まり、閉鎖できなかった。4月1日以降、センターでは労働者、支援者らの自主管理を続けてきたが、4月24日、国と大阪府は機動隊を使い、暴力的に排除した。しかしその後も、シャッター外に作られた団結小屋を中心に「センターつぶすな」の闘いが続いている。

そんな中、2月5日の午後、大阪府の職員と大阪地方裁判所の執行官らが警官を多数引き連れセンターにやってきて、周辺に野宿する人たち一人一人に、「仮処分決定」の書類を渡し、テント前の敷地に「公示書」を釘で留めていった。

以下の写真はその1つだが、稲垣浩氏(釜ヶ崎地域合同労組委員長)以下15名の名前が掲載されている。大阪府と裁判所は、すべてを稲垣氏のせいにする気なのか?

野宿者の寝床の前に釘で打たれた公示書
同上写真にある公示書(拡大)

◆「センターつぶすな」住民訴訟で明らかになった「南海電鉄」の杜撰な安全管理

「センターつぶすな」の住民訴訟(公金違法支出損害賠償等請求事件)の第6回期日が、2月3日大阪地裁で開かれた。この裁判は、センターの建て替えに伴い、南海電鉄高架下に作られたあいりん職安と西成労働福祉センターの仮庁舎の建設費用が、適正か否かを争うものだ。原告はこれまで、仮庁舎が、安全性が保証されない南海電鉄高架下に建設されたこと、しかも工事が「入札」でなく、合理的な理由がないまま、南海辰村建設と随意契約したことの違法性などを主張してきた。

前回原告が、大地震が起きた際、南海電鉄が倒壊する危険性について主張したところ、何も答えられない被告・大阪府に対して、裁判長が「上に電車が走っているので大丈夫でしょう」などと助け船を出す場面があった。裁判長は、25年前の阪神淡路大震災で起きたことを知らないのだろうか? そのため、今回弁護団は、25年前の阪神淡路大震災で、高速道路が倒壊するなどの甚大な被害が発生したこと、その後運輸省(当時)がまとめた「緊急耐震補強計画」の提言と通達、そうした耐震工事が南海電高架下の仮庁舎でも実施されなければならなかったと主張する「第4準備書面」を裁判所に提出した。

阪神淡路大震災で倒壊した高速道路
阪神淡路大震災で倒壊した鉄道高架橋

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、震度7、マグニチュード7・3、死者は6,434人にのぼった。書面には、この地震により、多くの建物が倒壊した。更に阪神高速3号神戸線の鉄筋コンクリート橋脚が倒壊したり、山陽新幹の高架橋が8ケ所、在来鉄道では24ケ所が落橋したこと、東海道本線でも甚大な被害が出たことを当時の写真とともに記されている。

運輸省(当時)は、震災の翌日、鉄道施設耐震構造検討委員会を設置し、7月26日「既存の鉄道構造物に係る耐震補強の緊急措置について」をとりまとめた。またこの方針に基づき、既存の鉄道構造物の緊急耐震補強計画の策定などを、全国の鉄道事業者へ通達し、その運用について指導した「解説」を出された。その「解説」によれば、阪神淡路大震災の被害の特徴は、高架橋の柱などが「せん断破壊」をおこし、高架橋が落橋したことにあるとして、緊急措置として、構造物の崩壊を避けるための耐震補強を行うこととした。被害の多かった京阪神地域を優先的に対処したうえで、新幹線、輸送量の多い線区(ピーク時、1時間の列車本数が10本以上の線区)などを対象にするとされ、実施期間はおおむね5年とされた。

ただし、高架下については「間仕切り壁」などの設置により耐震効果のある構造になっているものなどについては、対象外とするとされた。補強方法としては、鋼板巻き立て工法などがあげられていた。

◆なぜ、センター仮庁舎付近だけ耐震補強工事をしないのか?

では仮庁舎が入る南海電鉄高架下はどうか? 税金7億5千万円を投入した仮庁舎で、開業から2ケ月後雨漏りが始まったことは、これまでここで紹介してきた。構造物にどのような欠陥があるのだろうか?

南海電鉄は、25年前、運輸省から受けた「通達」に基づき、耐震補強工事を実施しなくてはならない線区に該当していたが、おおむね5年とされた期間を2十年近く過ぎて、最近ようやく難波駅と今宮戎駅の間や、萩之茶屋駅の南側で「鋼板巻き立て工法」による耐震補強工事を実施した。しかしその工事が、仮庁舎付近では行われていないのだ。

被告・大阪府は、その理由を「その場所は耐震補強の対象外である」と反論してきた。「まちづくり会議」で、南海電鉄の耐震性に疑問の声があがった際も、識者は「南海に確認したところ、今回仮移転の検討を進めている場所は、耐震化の対象外」と返答していた。データなどの提示を求めた委員に対して、府の職員は「南海電鉄を信用できないのか?」と言い返す場面もあった。

◆二重に危険な仮庁舎に労働者を閉じ込めるな!

何故センター仮庁舎付は対象外なのか? 25年前の通達では、間仕切り壁などが設置され、耐震効果がある場合は対象外とある。しかし、仮庁舎が建設される際、間仕切り壁は撤去されている。センター建て替えに反対し、連日工事現場を監視していた稲垣氏も、それを確認している。高架下で間仕切り壁を撤去して商店などにしていた個所は、この間順次「鋼板巻き立て工法」で耐震補強工事を行っている。

現在、仮庁舎がある高架下は、二重の意味で危険だということ。つまり、仮庁舎建設のために、間仕切り壁などを取り払ったことで耐震補強の対象外でなくなったうえに、耐震効果のない仮庁舎を建設したことで、鋼板巻き立て工法による耐震補強工事ができなくなってしまったからだ。

こうした理由からも、あいりん職安と西成労働福祉センターの仮移転先を、南海電鉄高架下に選んだことは、不適切だったことは明らかである。

2月3日の裁判では、この点について、南海電鉄に対して、調査を求めるための「調査嘱託申立書」を提出、裁判官はこの申し立てを認め、大阪府に回答を提出するよう求めた。

◆さらに秘密会議化する「まちづくり会議」

1月27日、西成区役所で再開された「まちづくり会議」(労働施設検討会議)でこんなことがあったと、委員の稲垣氏が組合ビラで報告している。「ところでこの日、全委員が受け取った資料の中に、センターつぶしに加担する学者を含め約20人のまちづくり会議のメンバー他が、今年1月8日に、沖縄県那覇市にあるグッジョブセンター沖縄(就労支援の窓口)に見学に行ったときの報告書(A4の紙の裏表に書かれたもの)がありました。見学には朝日新聞の記者まで同行していました。釜合労はそんな見学があったことを知りませんでした。

会議の終わりころになって、見学に参加した白波瀬桃山学院大学社会学部准教授がこの報告書について説明をおこないました。説明を終えた後、白波瀬氏がこれは公表しないでほしいという意味のことを言い、その理由として『相手方に了解を得ていないから』というので、釜合労稲垣は『公表できないものは受け取れない』と言って持ち帰ることを拒否しました。すると白波瀬氏が稲垣の座る席まできて、返すように言って手を差し伸べてきたので、その報告書を返し、『この会議は秘密会議ではない。公表できないなんておかしい』と強く抗議し退席しました。過去47回会議がありましたが、公表してはならない資料が配られたことは、釜合労が知る限り一度もありません」(2月3日付け釜合労チラシより抜粋)

どういう目的のツアーだったか、お金はどこから出たか、あるいは自費なのかなどは不明だが、表に出してはならないような資料が出るなど、まちづくり会議がますます「秘密会議化」していることだけは明らかだ。「誰も排除しない」ではなかったのか?

全国の皆さんには、改めて釜ケ崎がどうなっているかにご注目いただきたい!

センター北側に作られた毛布箱には、全国から毛布が送られている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
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月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋
『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他