鬼才板坂剛による天才ポール・マッカートニー「逆襲」来日ライブ写真集の怒涛!

ポール・マッカートニーがついに武道館に帰ってきた! 連日満員の東京ドームと、49年ぶりに戻ってきた日本武道館での「体験」を700枚超の写真とともに記録した本が出た。

ポール自身も「とてつもなくクレージーで、最高の夜だった」と評した日本での出来ごとを振り返るフォトブックだ。

『2015 PAUL in Japan』(鹿砦社2015年05月25日) 板坂 剛=編著 B5判/128ページ/オールカラー/カバー装 定価:本体1600円+税

◆YouTubeがまだなかった1990年、ポールの初来日ライブ体験は衝撃だった!

初めてポールのコンサートにでかけたときは、就職を4日後に控えた90年3月13日のことだ。初来日に日本中が涌いている中、ポールは次の演奏曲をやった。そして私と友人は、ボロ泣きしながら、完全にポール・フリークとなっていた。

1990年3月13日のポール来日コンサートのセットリスト

そして次にポールと接触するのは、留学の本を作っていたときに、ポールが自費を投じて作った音楽学校の紹介記事なのだが、とにかく、ここで語るのははばかれるほど、ポールが音楽界に果たした功績は大きい。

今でこそ、YouTubeで楽しめるが、その昔は音源が手に入りにくい「ウイングス」時代の曲「グッドナイト」などは、探すのが難しく、ここ10年ほどは聴けなかったが、今年、YouTubeで10年ぶりに聞いた。そうした意味で今はなんでも聴けていい時代だと思う。

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Tokyo Japan 2013 東京公演HD完全版
Tokyo Dome, TOKYO 2013年11月21日

◆ポール日本公演実現までの長く曲がりくねった道

編著者の板坂剛氏は、「リベンジの来日!」と題して前がきでこう書く。

ポール・マッカートニーは、今回の来日を〝リベンジ〟だと位置づけた。この言葉には、複雑な情感が込められているような気がする。

これまで、ポールの日本公演は決して平和裡に実現したわけではなかった。1966年のビートルズ(初来日にして最後の来日となった)武道館公演からして、「ビートルズを日本から叩き出せ」という右翼団体の罵声を浴び、「神聖な武道館を河原乞食に使わせるな」と、あるテレビ番組から悪質な中傷を全国に流布された。(〝河原乞食〟の芸が歌舞伎座で上演されることは許されるのか?)

そこに当時の首相の佐藤栄作首相までが「(ビートルズは)武道館にふさわしくない」と発言。この〝佐藤発言〟はそれほど辛辣なものではない。しかし、たかが(と言ってはポールに悪いが)ロックバンドの公演に一国の首相が言いがかりをつける大人気なさに、当時の若者たちは皆「国家権力の正体見たり」と冷ややかに反応したものだった。

(中略)日本公演に続くフィリピンでの受難、あるいは、ウイングス時代の麻薬がらみの公演中止事件も、カリスマ性を持つ人間が大衆をリードすることに対する国家権力側の嫉妬に充ちた嫌がらせだったとしか思えない。1966年、『時事放談』というテレビ番組で暴言を吐いた小灯利得も細川隆元も、また首相の佐藤栄作も、もちろん「ビートルズを日本から叩き出せ」と言い切った大日本愛国党の赤尾敏も、その後、武道館がコンサート会場として常時、数多くの〝河原乞食〟に使用されることに対しては全く非を唱えようとはしなかった。彼等は、ただただビートルズという巨大カリスマが憎かったのである。

だから今、ポールの口から〝リベンジ〟という言葉を聞かされると、どうしても彼等のふてぶてしい顔が、まず目に浮かんでしまう。彼等は既にこの世にはいないが、死者に鞭打つなという批判を退けても、私は、佐藤栄作、赤尾敏、小灯利得(おばまとしえ)、細川隆元の4人がもし今も生きていたら、首に縄をかけて武道館に連行し、ポールの前に土下座させたい気分でいることを正直に記しておきたい。

4.28 日本武道館にて (板坂剛「まえがき」より)

鬼才・板坂の文章はこの本ではコラムとしてスパークする。そこにはポールとジョンがなぜ仲違いしたのか解説しているが、これは買ってのお楽しみとしてとっておきたい。ポールファン、ビートルズのファンは見逃せない一冊だといえるだろう。

(小林俊之)

◎[参考動画]Paul McCartney – Out There Japan Tour 2015 大阪公演HD完全版
Kyocera Dome, OSAKA 2015年4月21日

『2015 PAUL in Japan』