鹿砦社代表 松岡利康
かねてよりお知らせしていますように、去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンド・西宮で開催された反転攻勢の集いに、50名余りの方が参加され成功裡に終了いたしました。
詳しいご報告は後日行うとして、4・5東京、7・12関西の集いを成功させ、多くの支援者によって鹿砦社、これが発行する『紙の爆弾』『季節』が支えられていることを、あらためて認識した次第です。
なんとしても生き延び、新型コロナによる閉塞状況を皆様と共に突破し全面展開に努めます!



鹿砦社代表 松岡利康
かねてよりお知らせしていますように、去る7月12日、鹿砦社のホームグラウンド・西宮で開催された反転攻勢の集いに、50名余りの方が参加され成功裡に終了いたしました。
詳しいご報告は後日行うとして、4・5東京、7・12関西の集いを成功させ、多くの支援者によって鹿砦社、これが発行する『紙の爆弾』『季節』が支えられていることを、あらためて認識した次第です。
なんとしても生き延び、新型コロナによる閉塞状況を皆様と共に突破し全面展開に努めます!
鹿砦社代表 松岡利康
これまで節目の集いにはPaix2に来ていただき共に祝い歌い語り合ってきました。今回もそうです。
奇しくも今年はPaix2結成25周年を迎えました。「プリズン・コンサート」と称する、全国の刑務所、少年院などでの獄内ライブも500回も越え、北は網走から南は沖縄のすべての刑務所を踏破、凄いです。もっと社会的に評価されるべきです。
4・5東京の集いでは、会場で歌うことはできないということで司会を務めていただきましたが、7・12はミニライブを行っていただきます。
7・12、多くの皆様方と共に、西宮インティ・ライミに結集し、共に有意義な時間を過ごそうではありませんか!
鹿砦社代表 松岡利康
鹿砦社の出版活動を支持、支援される皆様──いよいよ7・12が間近に迫ってまいりました。
コロナ以前、私たちは、今回の集いの会場となるカフェ・インティライミにおいて、幾度となく、こうした集いを開催してまいりました。今回招くPaix2さんのライブを初めて行ったのも、『紙爆』10周年の集まりも、鹿砦社創業50周年の集まりも、インティライミでした。それが新型コロナによって休止を余儀なくされ、コロナ以降は開催できなくなってまいりました。加えて鹿砦社の経営苦境も重なりました。
しかし、それは世の中の多くの企業、個人もそうだったわけで、私たちだけではありません。それでも多くの企業、個人の経営者は頑張っておられます。私たちも、決してコロナのせいにするのではなく、前を見据え反転攻勢を勝ち取らなければなりません。かつて、落ち込んだり浮上したりしてきた私たちは、必ずや勝機を掴み復活する気概と自信はあります。
鹿砦社の出版活動を支持、支援される関西の皆様はぜひ、圧倒的に総結集し、やむなく参加できない場合は、カンパやご祝儀などでご支援ください。
鹿砦社創業50有余年、私たちは幾多の困難を乗り越えてまいりました。今、多くの皆様方のご支援により復活の緒に就きました。7・12の集いを成功させ、共に大道に躍り出ようではありませんか!
関西在住の多くの皆様方のご参加と、ご支持、ご支援をお願い申し上げます!
2025年7月8日
株式会社鹿砦社代表兼集い実行委員長 松岡利康
【追記】
直前となりましたので、今後の参加申込は、
まず「参加申込書」をファックスかメール(チラシに表記)にて送ってください。
会費は、当日払いとなります。
鹿砦社代表 松岡利康
月日の過ぎるのは速いもので、今から20年前の2005年、『紙の爆弾』創刊から3カ月後、「名誉毀損」に名を借りて大坪弘道検事(彼は厚労省郵便不正事件により逮捕、検事失職)率いる神戸地検特別刑事部は、朝日新聞と連携し、松岡逮捕→鹿砦社潰しの挙に出ました。実際に、私の逮捕―長期勾留により、私は肉体的にも精神的にもずたずたにされ、私たちの出版社=鹿砦社は壊滅的打撃を受けました。誰もがこのまま沈むものと思っていたことでしょう。
ところがどっこい、自分で言うのも僭越ですが、瀬戸際にある時に強いのが鹿砦社です。多くの方々のご支援により復活することができました。逮捕から4年余り費やしましたが……。この時、取引先やライターさんらのご支援、ご協力がなければ、復活はできなかったでしょう。
復活したのは2009年秋、かの事件から4年余り経っていました。その後、勢いは加速し、逮捕前よりも良くなりました。実験的1000部ほど出した限定豪華本が即日完売、限定版なので増刷はできず、普及版(特別装丁版)を出したところ、これがブレイク、実売3万部以上のヒットとなりました。
以降、快進撃は続きました。コロナが襲来するまでは……。
新型コロナ以降、他の出版社や書店同様、再び奈落の底に落とされました。しかし、私たちはぺしゃんこにされてもへこたれません。「捨てる神あり、拾う神あり」で、熱心な読者の方々のお力で、青色吐息で生き残り、ふたたびの復活を目指しています。私たちは潰れません! 鹿砦社55年余りの歴史、『紙の爆弾』20年、『季節』10年の実績を踏まえ、必ずや復活を誓います!
そうした想いで、4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」(東京・日本プレスセンター)を開催し、年度初めの慌ただしい中でも、100人超の方々が結集し叱咤激励をしてくださいました。
それを踏まえ、やはりホームグラウンドのある関西でもやるべしという皆様方からの強い要請で開催することにしたのです。
来る7・12、20年前のこの日、私は逮捕され、そして1週間後の7・12に「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」を開催いたします。圧倒的なご参加、ご支持、ご支援をお願い申し上げます!
本年4・5からコロナ苦境にありましたが、7・12を目指し多くの熱心な読者、支持者のお力をお借りし頑張り、ようやく復活への突破口を開こうとしています!
私たちはくたばりません! 必ずや復活いたします!
鹿砦社代表 松岡利康
鹿砦社の出版活動を支援されるすべての皆様 ── 本格的な猛暑が襲来しました。平素は私たちの出版活動に多大のご理解とご厚誼、ご支援を賜り有り難うございます。
7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。
私たちは、月刊『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年に際し、去る4月5日東京日比谷の、わが国メディアの象徴である日本プレスセンターにて「鹿砦社反転攻勢の集い」を開き多くの方々にご参集いただき圧倒的な成功を収めました。これもひとえに皆様方のご支援があったからこそです。あらためてお礼申し上げます。
その成功を踏まえ、それに参加できなかった関西在住の支援者の皆様からの強い要望で急遽関西でも集いを開催することになり、目下総力を挙げて、7・12関西の集いの準備に取り組んでいます。関西在住の方はぜひご参加をお願いいたします。東京に負けず関西の意地と底力を見せつけようではありませんか!
これら2つの集いを機にコロナ禍以来の低迷状態を打破し再びベクトルを上向かせなければなりません。20年前の7月12日、『紙の爆弾』創刊から3カ月余りのち、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で松岡の逮捕─長期勾留によって鹿砦社は壊滅的打撃を被り、それでも多くの方々のご支援により勝機を掴み復活することができましたので、今回も復活は優に可能だと信じています。
大きな節目を迎えた『紙の爆弾』『季節』ですが、今後の現実は厳しく、遺憾ながら両誌の版元の鹿砦社は、20周年、10周年を、新型コロナの波に飲まれた苦境の中で迎えなければなりませんでした。一時は巻き返したこともありましたが、私たちの非力と見通しの甘さで浮き沈みを繰り返しています。これまでご支援をいただいた皆様方には本当に申し訳なくお詫び申し上げます。
『紙爆』にしろ『季節』にしろ、このかん皆様方のご支援を賜り一号一号綱渡り状態で発行してまいりました。そうして迎えた4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」は大成功を収めることができました。予想は厳しかったですが、皆様方のご支援でなんとかクリアできました。
そして迎える7・12 ── 財政問題はじめ、まだまだ当面する喫緊の諸問題を乗り越えないといけません。関西在住の方はなにとぞご参集ください。また、カンパやご祝儀などのご支援もよろしくお願いできれば幸甚です。現在好評裡に販売中の「セット直販」もお願いいたします。至急多くの浄財を集中的にお寄せください!
ことは急を告げています。非礼を承知でこのたびも皆様方に甘えてしまいますが、何卒事情ご賢察のうえご参加と、早急なご支援のほどよろしくお願い申し上げます。
暑さ厳しき折り、皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。
尾﨑美代子
7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」にお集りを! 私も発起人になっています。
私と鹿砦社の関係をお話します。鹿砦社の松岡氏は以前から知っておりましたが、2005年松岡氏が不当逮捕された時期にはほとんどつきあいはありませんでした。なので一番大変な時期に救援も支援も出来てませんでした。
ふたたび、知ることになったのは、3・11以降でしょうか。月刊『紙の爆弾』も読ませていただきました。そんなおり、鹿砦社から反原発季刊誌『NO NUKES voice』(2014年8月創刊。現在の『季節』)が発刊されました。3・11以降、釜ヶ崎の仲間と反原発、反被ばく問題に取り組んでいた私は気になって購入しました。
ところが、内容は、いわゆるミサオ・レッドウルフ氏率いる「首都圏反原発連合」(以下、反原連)関係の記事が大半でした。松岡氏は反原連に結構な額のカンパを送っていました。のちに聞いたところ、反原連に送ったカンパは、鹿砦社が信頼し、懇意にしている「たんぽぽ舎」にも流れていると勘違いしていたそうです。
記事の中でも極めつけはミサオ氏へのロングインタビュー、ロングとあるだけにかなりの紙幅でした。ミサオ氏はそこで、「被ばく」のひの字を一回も使わずに反原発を淡々と論じてました。ある意味、すごい「芸当」だと感心したものです。3・11以降は小泉純一郎だって反原発です。では、私たちはなぜ原発に反対するか? それは、被災者に住民に労働者に無用な被ばくを強い続けるからではないですか?
その後、ある事件をきっかけに反原連と鹿砦社は袂を分かつことになり、以降、鹿砦社の反原発誌は、反原発と同時に反被ばくを強く打ち出すようになりました。反原連と袂を分かつきっかけとなったのが、また衝撃的でした。その後、松岡氏、鹿砦社で、大々的に支援を始めることになった、カウンター内でのM君リンチ事件でした(筆者注・2013年東京新大久保、大阪鶴橋などで、在特会などによる、「朝鮮人殺せ」などとヘイトスピーチ[憎悪表現]を煽るデモが増えた。これに対してカウンター[対抗]行動を行う人たちがでてきた)。
じつは、偶然ですが、2013年鶴橋で行われたネトウヨらの差別的なデモ行進には、私もカウンターの一員として参加していました。M君はカウンターに最初から参加していました。私はその後、あることがきっかけで参加を止めてました。いわゆる鹿砦社のM君リンチ事件本に、私のそのいきさつを寄稿しています。関心のある方はぜひお読みください。
詳細は省きますが、その後、M君へのリンチ事件が発覚します。松岡氏らはM君への支援を始めます。その経緯もリンチ本でご確認ください。
私は特に、反差別、反権力を訴える方々が、リンチした側に付いたことに非常に驚き、M君裁判を傍聴するなどして支援してきました。
長々書きましたが、私は反原発や野宿者問題、そして冤罪事件などに関わっていますが、その中で、とりわけミサオ氏らの被ばくを矮小化、あるいは被ばくに反対する人たちを攻撃するような反原連の反原発運動に反対であることと、その反原連運動の延長線上にあるかと思いますが、次のターゲットであるカウンター行動に移ってきては、反差別、反権力を訴えながら、仲間・同志にリンチを加えた人たちを擁護することに絶対納得できず、鹿砦社に賛同してきました。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。
今回の集いは、『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年の記念の集いです。私は『紙の爆弾』の「日本の冤罪」シリーズに執筆させて頂いたり、『季節』は編集委員で関わらせて頂いております。この2冊は、このような時代だからこそ、絶対続けていかなくてはと考えております。
どうぞ、皆さま、お集りください。また支援をお願いいたします。
参加できる方は尾崎までご連絡ください。
宜しくお願いいたします。
▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58
鹿砦社代表 松岡利康
7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」の案内が出来上がってきましたので掲載いたします。ご参加、ご支援、よろしくお願いいたします!
鹿砦社代表 松岡利康
すでにご報告していますように、4・5日本プレスセンターでの反転攻勢の集いは多くの皆様のご参集と、参加できなくても全国からご支援賜った皆様のお力により成功裡に終了いたしました!
そしてこれを起点に次の10年、20年に向けた再スタートを切りました。
あらためて『紙の爆弾』定期購読者、会員、4・5発起人、参加者の皆様方に送った「ご報告」を掲載すると共に、7・12反転攻勢の集い・関西の呼びかけも掲載し、特に関西在住の皆様のご参集と、参加されない方々にはカンパやご祝儀などのご支援をお願い申し上げます! 4・5は再スタートへの転換点、そして7・12は、それに弾みをつける集いにいたしましょう! こちらの案内も掲載いたします。
何卒、よろしくお願いいたします。
5月2日、阪南中央病院の村田三郎医師に取材に行ってきました。ずっと前からお話を聞きたいと思っていた方。4月20日、「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」が主催する「チェルノブイリ原発事故39年の集い 被爆80年 核も戦争もいらない」に村田先生が講演を行うというので参加し、ご挨拶させてもらっていた。そのあとすぐに連絡し、お時間をとってもらうことになった。
近鉄南大阪線布忍駅下車、徒歩8分にある阪南中央病院。そこで3時から4時半までびっしりお話をお聞きした。村田先生は、水俣病患者さん、広島・長崎の被ばく者の診療・治療にあたったほか、原発の被ばく労働者の治療や労災認定のお手伝いを行ってきた。今日はとりわけこの被ばく労働問題についてお聞きしてきた。お話の内容はまたどこかで報告させてもらいます。
村田先生、とにかく優しい方。病院へのアクセスもめっちゃ詳しく説明してくださったうえ、お会いするなり、「わかりましたか」と聞いてくださる。優しさのその原点は、生まれ育った高知県で、教師だった父親から言われ続けた「弱い人の立場で行動しろ。そうしていたら間違いはない」という言葉を信じてやってきたからだという。その言葉を信じ、子どもの頃、漠然と医師か弁護士になろうと考えていたという。両親は村田先生に「医師になれ」とはいわないものの、クリスマスプレゼントに野口英世など医師の伝記の本をくれたことも影響しているかなと話されていた。
◆釜ヶ崎では「原発の仕事に行った」と話す労働者に会ったことがない
一番最後の質問で、私が釜ヶ崎で25年店をやっていて、建設業界のほとんどの職種の労働者を知っているが、原発の仕事に行ったという労働者はほとんどいない。土工さんで掘削作業をした人でも「ママ、阿倍野ハルカス作ったの、俺やで」と自慢したがるのに、「敦賀原発行ってきたわ」などという人の話はほとんど聞かない。それは何故なのだろうか?という話を村田先生とあれこれお話させてもらった。
村田先生のお話とは別なのだが、初めて行った阪南中央病院、病院の前の道路を挟んだ向かい側に全国チェーンを展開する「スギ薬局」があり、病院の隣に「うめ薬局」があった。私はうめ薬局のほうが、スギ薬局に対抗して出来たものと思った。「おいおい、スギに対抗してうめかよ」と。それを村田先生にお聞きしたところ、うめ薬局が先なのだという。その後、病院前に広大な空き地ができ、何が出来るかと思ったら、スギ薬局が進出したのだという。まあ、どうでもいい話だが、ちょっと驚いた。うめにスギかよ。
◆国と電力会社は原発推進のために仲間だって「殺す」
あと、村田先生の動画が何かをみてて、先生が「もんじゅのナトリウム漏れ事故では自殺者も出ていますよね」と話しておられたので、生意気だと思ったが、ひとこといわせてもらった。「先生、もんじゅのナトリウム漏れ事故で自殺者が出たと話してましたが、あれ、自殺ではないですよ。殺されてますよ」と。
村田先生は驚いたように「何か、資料や記事ありますか?」と聞かれたので、「私はずっと気になっていたので、直接亡くなった動燃の職員・西村成生さんの遺族、奥様の西村トシ子さんに何度もお会いしました。トシ子さんと息子さんは、今も裁判続けてますよ。私も裁判を傍聴したことがありますし、トシ子さんの家に伺って裁判資料全部見せてもらいましたよ」と話し、その内容をまとめたものを送らせてもらうと約束した。
原発は被ばく労働で大量の労働者を「殺して」いるが、そのうえ国と電力会社の原発政策に邪魔になる人、あるいは推進するためには、仲間だって「殺す」ということ、それを伝えたかった。
村田医師、本当に素晴らしい方だった。
※もんじゅ、西村職員の事件について書いた記事(1~6)はコチラから読めます。どうぞ、ご一読を。
▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58
松岡利康(鹿砦社代表)
「4・5鹿砦社反転攻勢の集い」に、やむなく不参加の方々からのお祝いと叱咤激励のメッセージを以下掲載させていただきます。
◆天木直人さん(発起人。外交評論家/元駐レバノン大使)
右にも左にも与せず、ひたすら権力者の不正義と闘う『紙の爆弾』は、まぎれもなく私が敬愛した岡留安則の『噂の眞相』の後継誌です。がんばって下さい。
◆西谷文和さん(フリージャーナリスト)
『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年おめでとうございます。ちょうど20年前、大事件の1つがイラク戦争です。私は2003年のイラク戦争勃発直後から主に中部のバグダッド、北部のクルド地域を訪問してきました。当時、大手メディアの記者たちはエンベッド取材といって「米軍に組み込まれた形での従軍取材」をしておりました。クェートから攻め上がる米軍の車両に乗せてもらって、「バグダッド解放」を報じるわけですが、そこには米軍の無差別空爆で殺された民衆の姿や、米軍がばら撒いたクラスター爆弾で手足を失った子どもたちの姿はありません。私は「爆弾を落とされたイラク民衆の側」からの映像が必要だと思ったので、主に病院や避難民キャンプ、孤児院などを取材しました。すでにこの頃からスポーツやグルメ、芸能界の下半身ネタなど「数字が取れる」番組が増えてはいたのですが、テレビ局の現場には「アメリカの不法な侵略戦争の実態を伝えたい」という使命感を持ったプロデューサーもいて、しっかり地上波で報道することができていました。
大統領がブッシュからオバマに代わり、戦争がイラクからアフガンへとシフトしたので、09年からアフガンに足を運ぶことにしました。この頃になるとさらに報道番組が減って、「全局バラエティー化」と呼べるような事態になり、アフガン特集ができるのは年に1、2度の状態になりました。そして第2次安倍政権になった直後の2014年、菅官房長官や総務省幹部、元公安警察の官邸官僚たちがあからさまに圧力をかけるようになり、TBSから岸井成格さん、NHKから国谷裕子さん、テレビ朝日から古舘伊知郎さんという看板キャスターが番組を下されてしまい、テレビ局は自粛と忖度の嵐に包まれてしまいました。日本の報道自由度ランキングは、11年の11位からドーンと落ちて71位にまで下がったと記憶しています。ほぼ時を同じくしてスマホが社会を席巻するようになり、まずラジオと新聞、次にテレビが斜陽産業化していく中、情報はネットで無料配信される時代になりました。イラクやアフガンでの取材中は、英米仏独はもちろん、スウェーデンやスペインからのフリーランスがいて、互いに励ましながら取材をしていたものですが、コロナ以降はフリー記者が激減しました。おそらく「食べていけない」からだと思います。
このような時代になってからも『紙の爆弾』で、紛争地からのルポを掲載することができています。紙媒体が苦境に陥る中、貴重な存在ですし、私にとっても発表の場があるのはありがたいことです。実は4月8日から中東のレバノン、シリア取材を予定しております。取材許可が下りないので、ガザには入れませんが、レバノンの戦争被害を取材することはできそうです。イスラエルがどのようにしてポケベルに爆弾を仕込んだのか、目の前で爆発しているので、失明した人や指を失った人も多数います。彼らに支援は届いているのか、今どんなことを願っているのか、などをインタビューできたらいいなと考えています。無事帰国したら、また誌上で発表させてもらいたいと願っております。残念ながら本日の記念の集いには参加できませんが、参集されたみなさんのご健康と、『紙の爆弾』の永続を願っております。
◆寺脇 研さん(元文部科学省・映画運動家)
そりゃあフジテレビはひどい。でも他のメディアがそれを指弾できるのだろうか。
たしかに性的問題ではフジテレビほどひどいところはないだろう。
しかし、トランプ、プーチン、ゼレンスキー、ネタニヤフのことばかりはやし立て、国内の重大問題から目を逸らしてきたのは日本の大メディアのほとんど全部だ。SNSなどのネットメディアを信じる気にはなれないが、大メディアへの信頼も地に落ちた。『紙の爆弾』をはじめとする「小メディア」に期待するしかない。まあ、私が60年近く熱中してきた映画の世界でも、大手企業はダメでインディペンデントにしか期待できませんがね。
◆浜田和幸さん(米ジョージ・ワシントン大学政治学博士、元参議院議員)
貴誌の発刊20周年を心よりお祝い申し上げます。現在、海外訪問中のため、祝賀会に参加できず、残念至極です。参加者の皆様が楽しく活発に議論され、交流を深められることを祈念しています。
さて、日本でもトランプ大統領の「相互関税」は大きな話題になっているようですが、ワシントンではいわゆる「関税戦争」は目くらましに過ぎないとの指摘も聞こえてきます。
その代表格は1期目に補佐官を務めたバノン氏でしょう。彼の見立てによれば、「トランプ大統領の関税戦争は目くらましで、真の狙いは3期目の大統領の座」に焦点が当てられているとのこと。
トランプ大統領は「シンゾーは素晴らしい男だった」と、故安倍首相を持ち上げながら、日本への24%の追加関税を発表しました。日本政府は「同盟国への配慮に欠ける決定だ。断固として抗議し、修正を要求する」と述べていますが、トランプ大統領の真意を掴めていないようです。
実は、トランプ大統領は同盟国であろうと、敵対国であろうと、区別する気はさらさらありません。要は、アメリカの「黄金時代」を築くためには、敵味方関係なく、とにかくアメリカの言うことを聞かせようという発想の持ち主なのです。
その意味では、トランプ大統領は中国の習近平国家主席をライバル視しているのもごもっとも。習氏が前例を覆し、3期目に突入したことに大いに刺激を受けたことは間違いありません。しかも、トランプ氏と習近平氏は似たような言動に終始しているではありませんか。
例えば、表現や報道の自由についてですが、習近平氏は香港でのメディアの活動を制限していますが、トランプ氏もメキシコ湾をアメリカ湾に変更した大統領令に従わないAP通信の記者をホワイトハウスでの共同記者会見から排除してしまいました。
また、ウクライナ戦争に関しても、習近平氏はロシアのプーチン大統領寄りの姿勢を堅持していますが、トランプ氏もプーチン氏との直談判に固執しています。
更に言えば、台湾に関しても、習近平氏は「必ず一体化する。必要があれば武力の行使も辞さない」と繰り返していますが、トランプ氏も「グリーンランドもパナマ運河もアメリカのものだ。必ず取り返す」と事あるごとに訴えているではありませんか。
事程左様に、共通点の多いのがトランプ氏と習近平氏なのです。トランプ氏とすれば、習近平氏が3期目を経て、場合によっては「終身国家主席」を狙っているのであれば、自分も同じような長期政権を目指すと心に決めているとしか思えません。実際、3月30日のNBC放送のインタビューに応えて「冗談抜きで3期目の可能性はあり得るだろう」と率直に心情を吐露していました。そのためには憲法の改正が必要になりますが、トランプ陣営は抜け道を考えています。
何かと言えば、2028年の大統領選挙ではバンス副大統領が大統領候補となり、トランプ氏は副大統領候補に回るという筋書きです。そして、意図したように、バンス大統領が誕生した暁には、権力をトランプ副大統領に移譲し、実質的な3期目のトランプ政権の発足になるというシナリオに他なりません。
日本を含め、一方的な関税戦争はトランプ大統領が政権を去れば終焉し、より安定した通商貿易関係が復活すると期待する向きも多いようですが、そうは問屋が卸さないでしょう。もし、2028年にホワイトハウスを去ることになれば、彼は即座に収監されるはずです。そうした不名誉な末路を回避するには終身大統領で居続けるか、自分の身内を大統領職に就けることが必須条件になります。そうしたトランプ氏の精神構造をしっかりと把握した上で、対米交渉を推進しなければ、日本はいつまで経っても属国のまま。
『紙の爆弾』が日本人の覚醒に必要な情報と分析を提供され続けることを切に期待しています。
◆矢谷暢一郎さん(アルフレッド州立大学名誉教授)
月刊誌『紙の爆弾』の創刊20周年、季刊誌『季節』(前『NO NUKES voice』)の創刊10周年に当たって、出版社「鹿砦社」が「反転攻勢の集い」を開催するというニュースがニューヨーク州の小さな大学町に住むわたしのところにも届きました。地球のちょうど反対側に位置する小さな町から、わたしもまた「反転攻勢」と銘打った鹿砦社の出版活動を支持し、今日お集まりくださった皆さんに激励と連帯のメッセージを送ります。
松岡さんに初めて会ったのは2005年3月、亡き藤本敏夫の墓参りに京都に行ったおり友人から紹介された時でした。墓参りが終わってかっての友人たちと会食もありましたが、初対面の彼とはあまり話をする時間が無く、短い一時帰国の後すぐニューヨークに戻りました。しばらくして鹿砦社が出版していた多くの本の中から10冊に近い本を仕事場のニューヨーク州立大学アルフレッド校まで送って貰いましたが、その中の一冊が『紙の爆弾』でした。60年代後半のヴェトナム国際反戦運動を経験していた人たちには理解できても、一瞬たじろぐようなタイトルに初対面では伺われなかった松岡利康と出版社鹿砦社の活動を思い巡らせました。ところが、送ってもらった全ての本を読み終わらぬ前に、その松岡さんが「名誉毀損容疑」を冠した言論の自由抑圧を謀る政治的な目論見で逮捕・長期拘留された、と大学のオフィスにメールをくれたのが中川志大さんで、鹿砦社存続の危機に抗して奮迅する彼と社員の方々の松岡・鹿砦社救援キャンペーンに参加しました。あれから20年が経ち、『紙の爆弾』創刊の20年が重なりあいます。
『季節』の前身である『NO NUKES voice』が創刊されたのが2014年の夏、今からちょうど10年前です。同じ年に鹿砦社はわたしの著書、『日本人の日本人によるアメリカ人のための心理学』を出版してくれました。学生時代アメリカのヴェトナム反戦運動と1968年原子力空母エンタープライズ佐世保寄港反対アメリカ神戸領事館包囲デモで逮捕されたことがきっかけ(?)でアメリカ政府の「ブラックリスト」に載せられたわたしが、オランダでの国際政治心理学会でアメリカにおける反核運動の運動について発表後ケネデイー空港で逮捕され長期拘留となりました。当時テレビ新聞、ラジオでも報道されましたから、わたしと同様大分お年を召した人たちはひょっとしたら今でも記憶にあるやもしれません。事件の後1990年代初めニューヨーク州立大学アルフレッド校の心理学教授になり、反核運動の心理学をテーマにした内容の本でした。
本日の集いは、これら二つの月刊誌・季刊誌の創刊記念を踏み台にした「鹿砦社反転攻勢」の集いでありますが、先ほど述べたように二冊の雑誌はわたしの人生の有り様に深くかかわって来ております。残念ながら、この「日本プレスセンター」には出席できませんが、一言挨拶させてもらう次第です。イスラエルとパレスティナ、ウクライナとロシアの二つの戦争とアメリカのトランプ大統領の再選は、世界の平和と民主主義に極めて重大な脅威となっていますが、真実を報道し、権力者の不正義と横暴さを監視する本来のジャーナリズムの使命を果たすために、「反転攻勢」を掲げる鹿砦社の決意に賛同し、大いなる躍進を願ってその一翼に加わりたいと思います。
◆鈴木和枝さん(特別賛同人)
『季節』創刊10周年、『紙の爆弾』創刊20周年おめでとうございます。
色々やりくりが大変とは思いますが、今後貴社が大いに発展していかれるよう皆様どうかがんばって下さい。私も陰ながら応援しています。
私は今、ほとんどの情報媒体を絶ち、人との交流もなく、陸の孤島と化した環境で暮らしています。ですから貴社の出版物、そして何より『紙の爆弾』の存在がいかに重要か、とても一言では言い表せません。貴社がつぶれたら私は本当に困ってしまいます! 貴社を助けることは即ち私自身を助けることであるのです。これからも巨大な敵に屈することなく、共にがんばりましょう。
◆中尾茂夫さん(賛同人)
貴誌『紙の爆弾』創刊20周年、おめでとうございます。既存のジャーナリズムのなかで、突出して存在感のある貴誌に、「ジャーナリズムとはこうあるべし』という物書きの原点を教えられる思いです。権力の提灯持ちが多い中で、かつての『噂の真相』同様、権力の不正義と闘うたしかな政治的主張があるからです。面白おかしいだけでヘイトスピーチのようなネット画面に溢れる情報とは異なり、広告代理店に支配されただけの大手メディアとも異なり、危機的な時代にあって、時代を抉った中身の濃い内容に、深く共鳴しながら拝読しています。苦しい経営に、わずかですが、今回は「賛同人』として応援させていただきます。