ロシアのウクライナ侵攻が続いており、これまでにさまざまな意見がみられた。わたしは確実に明言できる答えにたどり着けないまま、こんにちにいたっている。ただし、1冊の聞き書きには、戦場の真実が赤裸々に記されていた。

今回も前回に引き続き、書物や言葉から現在を考えるということを試みたい。取り上げるのは、話題にもなったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)だ。

◆システムが我々を殺し、我々に人を殺させる

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

「『小さき人々』の声が伝える『英雄なき』戦争の悲惨な実態」。そう帯に書かれている。第二次世界大戦時、ソビエト連邦で従軍した女性は100万人超。本書はそのうち、ウクライナ生まれのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが500人以上の女性に聞き取りをおこなったうえで、その声をまとめたものだ。

彼女は、「戦争のでも国のでも、英雄たちのものでもない『物語』、ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった、小さき人々の物語だ」と記す。前回、わたしは「権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている」と書いた。

ここでまず近年、新作を追って読むことは個人的にはないが、村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチで発せられたメッセージに触れておきたい。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです」

「そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは、本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」

「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです」

「一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。『戦地で死んでいった人々のためだ』と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと」

「システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」ともいう。

個人的には、ここに権力や暴力、戦争のすべてが語られているようにすら感じる。しかし、現実を眺めれば、壁と卵をどのような場にあっても常に見極め続けることができている人がどれだけいるだろうか。システムを作った自覚をどれだけの人が持ち続けられているのか。それは、もちろんわたしを含めてのことだ。


◎[参考動画]Japanese author Haruki Murakami receives book award(15 Feb 2009)

◆戦争や政治の犠牲となり、戦地の現実にさらされていく女性たち

前置きが長くなったが、今回の本題である『戦争は女の顔をしていない』に戻ろう。たとえば軍曹で狙撃兵だったヴェーラ・ダニーロフツェワは従軍のきっかけを、「『ヴェーラ、戦争だ! ぼくらは学校から直接戦地に送られるんだ』彼は士官学校の生徒だったんです。私は自分がジャンヌ・ダルクに思えました」と振り返る。彼女だけでなく多くの女性が、情熱や志をもって戦地へ赴くのだ。

ところが戦地の現実のなかでは、「下着は汚くてシラミだらけ、血みどろでした」と、野戦衛生部隊に参加していたスベトラーナ・ワシーリエヴナ・カテイヒナは口にする。二等兵で歩兵だったヴェーラ・サフロノヴナ・ダヴィドワは、夜中に墓地で1人、見張りに立つことに。「二時間で白髪になってしまったわ」「ドイツ軍が出てくるような気がしました……それでなければ何か恐ろしい化け物たちが」という。死と隣り合わせの状況で、それでも日々を生き延びねばならない。でも、率直に不快感を語ることができるのは、その時代では特に女性ならではといえることかもしれない。

女性たちの話が、さまざまに広がることもある。アレクシエーヴィチは、「戦争が始まる前にもっとも優秀な司令官たち、軍のエリートを殺してしまった、スターリンの話に。過酷な農業集団化や一九三七年のことに。収容所や流刑のことに。一九三七年の大粛清がなければ、一九四一年も始まらなかっただろうと。それがあったからモスクワまで後退せざるを得ず、勝利のための犠牲が大きかったのだ」と、記す。

大粛清とは、ヨシフ・スターリンがおこなった政治弾圧や裁判と、その結果、「反スターリン派処分事件」を指す。1930年代、司令官や軍のエリートだけでなく、さまざまな政治家、党員、知識人、民衆の約135~250万人が政府転覆を目論んだとして「人民の敵」「反革命罪」などとされ、約68万人が死刑判決を下され、約16万人が獄死し、全体としては800~1000万人が犠牲となったともいわれる。

ちなみにこの大粛清の要因としては、かつてはスターリンの権力掌握や国民の団結を狙う意図や猜疑心があったためといわれてきた。ここから前回の連赤にもつながってくるように思われるが、最近の研究では戦争準備としての国内体制整備などをあげるものが出てきており、関心ある人は調べてみてほしい。(つづく)


◎[参考動画][東京外国語大学]アレクシエーヴィチ氏記念スピーチ(2016年11月28日)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』12月号に「ひろゆき氏とファン層の正体によらず 沖縄『捨て石』問題を訴え続けよう」寄稿。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

前回、シンポジウムと書籍の前半を取り上げ、連合赤軍の問題から暴力などについて考えることを始めた。今回は、続きの内容を追った後、わたしがイベントや本書を通じて考えた暴力に関する考えを伝えたい。(以下、敬称略)

 

椎野礼仁・著『連合赤軍事件を読む年表』(ハモニカブックス)

◆時系列で「連赤」の真実を追う

まずは、本書、『連合赤軍を読む年表』椎野礼仁・著(ハモニカブックス)の続きを見てみよう。

「その後の『連合赤軍』」の章でも、大衆の反応のおそろしさに触れられていたり、坂口が手記に「誤りの根本原因は……政治路線抜きの目先の軍事行動の統一のみに走った連合赤軍の結成」としていたりといったことも書かれていた。離婚に関する永田と坂口の温度差には、ある種のせつなさは感じつつも、苦笑してしまう。また、坂口の途中までの黙秘に対する、永田の「それができたのは、何よりもあさま山荘銃撃戦を闘ったから……その闘いが取り調べに対する強い意思を与え……同志殺害に対する罪悪感を和らげることにもなった」などという言葉も取り上げられている。

一方、坂口は、森の「自己批判書」に対して責任転嫁を感じつつも誠意は認めていたこと、沖縄や田中内閣などの「新情勢」から『武闘の条件があるようには見えず、新しい時代に入ったことを感じざるを得なかった』」という。

その後、森が、この「自己批判書」を撤回し、坂口は森に対して批判的な手紙を送り、森は坂口に「君の意見を多く押さえてきたことに、粛清の道があったと思います」「この一年間の自己をふりかえると、とめどもなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます」というような遺書を残して自殺した。

前後して、永田には過食症があり、塩見は「連席問題の核心は思想問題である」という見解を示していたそうだ。重信は、「査問委員会で裁いて欲しい」と申し出る坂東に対し、「そんなつもりも資格もない。連赤の敗北に共に責任をとり、総括するために奪還した」と答えていた。そして、永田に対し、女性蔑視といえる判決が下される。本書には、わたしが知らなかったこと、忘れていたことが数多く記されていた。

連席関連の「ガイドブック」紹介を間に挟み、最終章は「インタビュー」となっている。植垣は「現在の日本ではテロもゲリラも必要ないし、むしろ有害だと考えています」「テロは政治的に有効ですらないということなのです」と語ってから、ゲリラ戦が有効である例をあげた。また、総括の暴力を「日本的な論理」「集団を支える強固な論理構造がある」と説明している。赤軍派は「一人一党」だったが、革命左派の前身グループは「家族的、あるいは閉鎖的だと言われていました」とも植垣は述べる。現在の運動の難しさについても語っており、展望や「未来図」が見えず、「社会主義」にも、官僚制や資本主義に代わるものもないともいう。

加藤倫教は、問題は「革命の私物化」にあり、「本来革命は大衆のためにあるはずなのに、自己目的化されていった」という。提案としては、「江戸時代の人口3000万くらいの規模への再評価が出てますよね」「地域々々でその環境が維持できる範囲の生活をするということです」としている。必要な権力の規模としては「江戸時代だったら、藩レベル」をよしとし、「力の押し付けをするんだったら、個人テロが多発する」とも口にしている。アンドレ・ゴルツ『エコロジスト宣言』やエンゲルス、安藤昌益の「直耕」、「現場主義を貫く」という言葉にも触れていた。

他方、岩田は「『共同幻想論』による連合赤軍事件の考察」という文章を書いており、その全文とあとがきも本書に掲載されている。

◆連赤の問題は、組織というものが内包する闇

山上による安倍銃撃後の現在、連赤の問題を考えると、また新たな視点をもつ。宗教や政治、ビジネスにも罪悪感、心配や悩みの利用があるとするならば、連赤もまた人の弱みが活動や組織に利用されてきたように思える。

ただしこれらは、あらゆる組織やグループに見られる問題であり、連赤はその象徴であるようにも感じられるのだ。権力や金を保持したいグループや人物がいて、完全に組織をオープンにすることは好まず、人の感情や自尊心を、言葉や評価で上下させる。権力や腐敗していく組織、金などを守るために、処刑や搾取を繰り返す。

では、どうすればよいのか。私たちは、権力や金、組織の維持をある程度あきらめてでもグループをオープンな状態に保たねばならない。もしくは山上のように、覚悟をもって、個として動く。

個人的には、さまざまな組織のもつ上記のような意図に嫌悪し、距離を置いた経験が多くある。プロジェクトで自らがリーダーとなって仕事を進める際などには、自らの「煩悩」や「欲望」に負けず、オープンでフラットな状態を保つよう、努めているつもりだ。

本書では、彼らの総括として、個人の問題にするのか、それとも思想の問題とするのか、というような揺れる文脈をたどってきたような気がする。暴力などに対し、簡単に答えを出すことはできない。

ある時、生協活動経験者に「生協は組織の問題があまりないイメージが強いのですが、いかがですか」と尋ねたら、「人間は集まればどこも一緒よ」と返ってきた。このようなことのほうが、個人的には本質に近いように感じる。それを思想の問題と捉え、未来へと進むなら、社会主義に権力者を据えず、互いに自由でフラットで固定されない関係性を追求するような社会を想定し、それを実現すべく日々、実行に移すことが有効であるかもしれない。

とすれば、アナキズムがやはり魅力的にうつるが、これが継続的で平和で自由でほどよい規模に維持されることを想定すると、やはりコミュニティの規模は小さく、それが外の多くのコミュニティとオープンな形で結びつくような形がよいだろう。

あらゆる問題を議論と歩み寄りによって解決することの困難を感じながらも実践することも重要かもしれない。武力をアピールすれば、怒りを買うことは、理解できる。そのうえで、権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている。山上が失敗して安倍の命がつながれていたら、残念ながらここまでさまざまな問題が暴かれてくることはなかっただろう。

ここから先のことも連赤についても、日々の実践のなかで今後も考えていきたい。(了)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等、さまざまな媒体に寄稿してきた。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。取材等のご相談も、お気軽に。
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

「武装闘争や内ゲバをどのようにとらえるのか」。それは、おそらく関係者も、もちろんわたしたちにとっても、明確な答えを出しにくい問いであるのかもしれない。

2022年6月18日、「あさま山荘から50年─シンポジウム 多様な視点から考える連合赤軍」と題されたイベントが開催され、会場である目黒区中小企業センターホールに多くの人が集まった。わたしは成り行きで受付の(役に立たない)手伝いをしていたが、客層は老若男女、多様だ。

このイベントでは、大学1年生の安達晴野さんからの暴力に関する質問に対し、岩田さんは「正義が勝つのでなく、世の中は勝った者が正義をつくっている」と、ガンディーに触れたことに対し、金廣志さんは「暴力についてはいちばん悩んできた。我々は暴力をなくすための暴力と考えていた」「歴史上、システムがチェンジする時に暴力が行使されなかったことはない」「本当にそんな暴力はあるのか、いまだに解決がつかない。あなたたちも一緒に考えてほしい」と答えていた。

さらに安達さんがガンディーは非暴力・不服従を訴えたことに触れ、暴力に異論を唱える。それに対し、金さんは「ガンディーのインドが世界で最も軍事大国の1つであることを含め、我々は暴力についてもっと深く考えたい」「非戦を語り続けること以外に、どうやって未来社会がつくれるんだということが、一応、わたしの建前上の考え」と返した。これらのことが、わたしにとっては特に印象に残ったことだ。

ガンディーは非暴力で御しやすかったからイギリスが評価したという内容の、アメリカの監督が描いたドキュメンタリー映画を観たことがある。非暴力を訴え続けるだけで争いがなくなるという形に、現在、なっていない。また、日常的に暴力にさらされ、報道もなされ続けている。

戦争や暴力が身近に語られるなか50年の節目にあたり、今回の前編と次回の後編を通じ、改めて連合赤軍の問題について考えたいと思う。(以下、敬称略)

シンポジウムにて、若者からの質問に当事者が答える様子

 

椎野礼仁・著『連合赤軍事件を読む年表』(ハモニカブックス)

◆時系列で「連赤」の真実を追う

1月10日、『連合赤軍を読む年表』(椎野礼仁・著/ハモニカブックス)が発行された。本書は、長年にわたる「連合赤軍の全体像を残す会」の活動や発行媒体などをもとに、50年の節目に向け、改めて発刊されたものだ。

連合赤軍は共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘革命左派によって結成され、1971~72年に活動。革命左派は山岳ベースを脱走した2名を「処刑」し、連合赤軍としても山岳ベースではメンバー29名中12名の命を奪った。また、72年にはあさま山荘で人質をとって立てこもり、機動隊員2名、民間人1名も死にいたったのだ。

本書では、題名通り年表形式で、新左翼運動、革命左派・赤軍派、社会状況、警察・メディアの動きなどを追っている。メンバーが運動に参加するようになった背景・きっかけ、永田が川島に性的暴行を受けていたこと、永田と坂口の結婚、上赤塚交番襲撃時に警官による発砲でなくなった柴田のための救援連絡センター主催による人民葬、アジトの様子、最初の「処刑」決定に関する永田と坂口の記憶の食い違い、「処刑」に対する森の反応、森の論理や革命左派と赤軍派とのヘゲモニー争い。そんな内容から始まる。

次に、「連合赤軍の成立と『総括』」という章が立てられており、永田の女性問題への関心が批判へと結びついていく様子やセクハラ問題の対処から暴力への展開などが読みとれるのだ。また、「共産主義化」という方法論の登場、暴力に対する尾崎の感謝の言葉、その他、総括を要求される各人の反応、死亡者が出た際の周囲の反応などが、立て続けに記されている。さらに、逮捕時の永田の心境にも触れられていた。

続く「あさま山荘の10日間」の章では、坂口の、「敵から政治的主張を言えといわれたことで『政治的敗北をヒシヒシと感じざるを得なかった』」というような内面も吐露される。あさま山荘で人質にされた女性は、「銃を発砲しないで下さい! 人を殺したりしないで下さい! 私を楯にしてでも外に出て行って下さい」と叫ぶ。そして、妻を人質に取られた管理人の思いや坂東の父の自殺にも触れていた。この短い章の間にも、ドラマチックな展開を感じてしまう。

次回の後編では、続きの内容を追った後、わたしがイベントや本書を通じて考えた暴力に関する考えを伝えたい。(つづく)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等、さまざまな媒体に寄稿してきた。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。取材等のご相談も、お気軽に。
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

最近、地方の社会から世界の未来に関する報道まで、幅広く気になっている。

地方に関しては、たとえば地域の海士さんたちは乱獲にならぬようにルールを設定して漁をしているいっぽう、養殖魚を扱うところでは背骨などの曲がった魚を切り身にして売っているというような話を聞く。都会との2拠点生活をしている人の中には、養殖魚の問題を知っている人もいた。

わたしが引き継いだ田んぼ。昨年のはさがけの様子

『Business Journal』2021年4月28日には、

日本の漁業を歪めるドン、岸会長の全漁連“私物化”、不正が次々発覚……使途不明金も」と題し、「この状態を放置し続ければ、予算が膨張し続けるだけで一向に水産行政の改善が図られない。岸会長をはじめとした大幹部、そして全漁連を押さえつけられない国会議員には一刻も早くご退場願いたい」

と締める記事も掲載されていた。

印鑰智哉(いんやくともや)さんのFacebookをフォローしているが、2022年8月23日、

米国のある研究によると、核戦争が起きれば日本はほとんどの人が餓死する。使われた核兵器がもっとも少ないケース(100発)でも国際取引が止まれば2年以内に少なくとも7000万人以上(6割)が餓死」「食料自給率の高い国では、この条件では餓死者が出ない国も多く、日本だけで世界全体の餓死者の約3割を占めることになる

と記されている。

また、YouTubeにも、日本や世界の未来の危機を訴える動画は多いが、提示される解決策はさまざまだ。SDGsをうたう企業も増加し続けているが、結局はこれもまたSDGsをアピールすることで利益アップにつなげることを目論んでいるとしか考えにくい事例ばかりがあふれかえっている。

SDGsポスター(ひとつひとつがロゴ。『国際連合広報センター』サイトより)

◆フードロスをなくし、自給率もアップ!

わたしは、自給自足や脱資本主義を目指し、田畑での農作業、森林の再生・保全活動などに参加している。家をもらい、持続可能で自然を守るような生活に向け徐々に、そのスタイルを変化させてもいるところだ。

すると、たとえば手がけている畑では、やはり自然農に近い有機を選択し、農薬はもちろん、動物性の肥料も使わなくなる。また、珈琲や小麦粉ですら多く摂取すると体に合わないと感じるようになり、仲間や近所との物々交換が進んで自炊も増え、米や野菜、果物を多く摂取するようになった。

自らが食す分プラスアルファ程度の量の米や野菜を作る、もしくは採る(捕る・獲る)。ただし、都会や、地方に暮らしていても食べるものを作ったりすることができない人の分を、有機や自然農で作る。作れる人は皆、作る。乱獲はしない。そうすれば、餓死の未来は避けられ、水産資源の枯渇や海洋生物の絶命・減少もなくなるはずだ。

『となりのトトロ』(スタジオジブリ)のサツキ、『ドカベン』水島新司(秋田書店)のドカベンの弁当が多い、というよりも米が多い、ということが度々インターネット上で話題にのぼっている。これは、トトロは1950年代、ドカベンは70年代の弁当の反映であるとされる。70年代には徐々にまれな例になっていくのかもしれないが、たとえば現在70代で地方出身の知人の中には、米と具だくさんの汁が中心だったという人もいる。

農水省のサイトによれば、

増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました

一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです

という。

そして現在、米の値段は過去最低のレベルまで下がっている。『SankeiBiz』でも昨年、

米価下落から考えなくてはいけない『農業の本質』」と題し、「2021(令和3)年産の買い取り価格及び概算金額は、過去最低レベルまで落ち込んでしまい、多重な問題を抱えた状況となっている

と記す。

自給率を上げながらバランスを考慮しつつ、米をもっと食し、野菜や果物を摂れば、わたしたちが餓死することは確実に避けられる。すでに海外には、そのような国が存在するのだ。明治時代前期には、日本でも米を輸出していたそうだ。そして、「FAO(国際連合食糧農業機関)の報告書によると、世界では食料生産量の3分の1に当たる約13億トンの食料が毎年廃棄されています」「日本でも1年間に約612万トン(2017年度推計値)もの食料が捨てられており、これは東京ドーム5杯分とほぼ同じ量。日本人1人当たり、お茶碗1杯分のごはんの量が毎日捨てられている計算になります」(農水省サイト)というフードロスの問題も解決する必要がある。自炊が増えれば、自ずとフードロスも減るはずだ。コミュニティキッチン、コレクティブキッチンなどの共同炊事もいい。わたしも今後、実行しようと考えている。そのような複数の取り組みの中から、脱資本主義的なライフスタイルが実現できるはずだ。

◆未来から逆算し、日々を生きる

わたしが移住したエリアの人は、「あばらが1本ない」「あばらが3本ない」などといわれる。由来は諸説あるが、海幸・山幸・田畑の恵みがあることによる安心感で、のんきだとされたりするのだ。実際、現金収入が途絶えても、都会にいる頃のような焦りがあまり起きない。食べる物に困らないということは、至上の喜びだろう。

だが、特定の地域だけがどうにかなるようにするのでなく、現時点では作れない人などの分も専業農家さんなどを中心に確保し、それが労力にみあった適正価格で広まっていく必要もある。餓死者が出るような状況を現場から改善していきながら、他地域はもちろん、海外の人々とも連携できるよう、今できることを進めたい。

もちろん現在は、まだ資本主義下にあるため、賃労働は必要だし、現金収入を確保できなければ焦りもあるだろう。だが、100年後、200年後、300年後を想定し、今を生きることは可能だ。

わたしは原種に近いトルコのオリーブの栽培をお手伝いすることもしている。オリーブは樹齢500年とも、場所や種によっては1,000年とも3,000年ともいわれる。未来から逆算し、できることが確実にある。まずは、ご関心をおもちの方がいらっしゃれば、9月の稲刈りにご参加いただければ幸いだ(連絡先は下方のプロフィール Facebook参照)。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』、『週刊金曜日』、『紙の爆弾』、『NO NUKES voice(現・季節)』、『情況』、『現代の理論』、『都市問題』、『流砂』等、さまざまな社会派媒体に寄稿してきたが、現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。農作業体験は大歓迎! Facebook  https://www.facebook.com/hasumi.koba

党綱領を自ら否定した自民党は即時解散せよ 岸田内閣改造人事の真相 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

ベトナムと枯葉剤。知っているようで、よく理解していない。しかし、現在も被害は継続されており、被害者は救済されていない。戦争や環境破壊の問題も解決していない。坂田雅子監督の手がけたドキュメンタリー映画『失われた時の中で』の試写を観て、今だからこそのさまざまな思いを抱いた。

ベトナム戦争時 ©Vietnam News Agency

◆ベトナムの枯葉剤被害者の現在を多く映し出すドキュメンタリー

坂田監督は2003年、写真家だった夫、グレッグ・デイビスを失う。そして、彼の死の原因が、ベトナム戦争時の枯葉剤の可能性があることを聞かされる。ベトナム戦争は南北ベトナム統一の主導権をめぐって展開し、北ベトナム軍と南ベトナム解放勢力が、アメリカ軍と南ベトナム軍と戦った。グレッグがベトナムに派兵されたのは1967年で、除隊は70年だ。その後、彼は写真家となり、85年以降、ベトナムにも度々訪れた。直接的な死因は肝臓ガンと診断されている。2004年以降、坂田監督はベトナムを取材し続けてきた。

本作では、枯葉剤の影響で、重い障害をもって生まれてきた人々を多数とりあげている。父母は自分たちの死後、障害をもった子どもたちがどうなるのか心配している。アメリカで被害を伝える講演をおこなった女性は、どこに行っても人々から枯葉剤の被害について「知らなかった」と言われたと語る。いっぽう、被害者でありフランス国籍ももつジャーナリストの女性は、市民を擁護するフランスの法律を活用し、アメリカの化学薬品会社に対して裁判を起こす。

坂田監督は『花はどこへいった』(2008)を機に、被害者の子どもたちの教育を支援するため、「希望の種」という奨学金制度を設立。その後、『沈黙の春を生きて』(2011)、『わたしの、終わらない旅』(2014)、『モルゲン、明日』(2018)といった映画作品を手がけてきた。

枯葉剤被害者の子どもたち ©Greg Davis

◆戦争責任遂行と相手の深い理解による、「真の戦争終結」を!

わたしは冒頭に記したように、ベトナムの枯葉剤の被害に関し、知っているようで、よく理解していない。ベトちゃんドクちゃんのイメージが強いが、今回、調べてみたところ、ベトさんは2007年に亡くなっていた。

本作では、被害者の子どもたちの現在の様子を多く知ることができる。眼球を欠損して生まれたキエウ。目をあけられず、声は出せても「音」を発するのみのチュオイ。2つの頭をもつズエン。片腕と両脚が欠損しているロイ。両脚と片腕の先がないホアン。15歳の少女チャンは重い知的障害を抱える父と叔父、4人のために祖母とともに家事に従事。勉強したくとも時間がないと嘆く。

なかには自立して生活することがかなっている人もいるが、それが困難な重度の障害者を抱える家庭は往々にして貧しい。枯葉剤の影響がなかったなら、自由に動き、夢を追い、充実した生活を送っていたかもしれない。枯葉剤を製造・散布したアメリカ、そしてダウ・ケミカルやモンサントといった企業は責任を認めず、ベトナムの被害者は補償もなされていない。元ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)でジャーナリストのニャーのフランスでの訴えも、「フランスの裁判所はアメリカの軍事行動を裁く権利を持たない」という理由によって敗訴。ベトナムの枯葉剤被害者は救われぬまま、50年以上もの時が流れているのだ。

「過去から現在に出現させた環境破壊という犯罪」。これは本作に使用されている表現だ。人間も環境も破壊し、現在も影響を及ぼし続けている枯葉剤の問題を、わたしたちはこのまま風化させてよいのだろうか。ダウ・ケミカルはDBCPをドール社の南アメリカのバナナ農園に供給し続け、除草剤や遺伝子組み換えで知られるモンサント(現在はバイエルが買収)はラウンドアップによる健康被害の訴訟を多く抱えている。これは地方で環境保全活動や有機での農作業に携わるわたしにとっても、大きな問題だ。

今からでも、自らの責任を果たし、被害状況を理解して、できることをする。それが過去の戦争による悪影響を少しでも軽減し、現在の戦争を終結させて、よりよい未来を生み出すこととなるだろう。

左がチャン。右は枯葉剤被害者の父や叔父 ©2022 Masako Sakata

【寄付について|坂田雅子監督より】

ベトナムで多くの枯葉剤被害者に出会う中で、私たちの小さな力が彼らを支援する事ができるのだと知りました。被害者の中には重度の障害を持ち普通の生活ができない人々も多くいますが、中には軽度の障害で少しの支援があれば教育を受け、自立できる子どもたちもいます。ベトナムは驚異的な経済発展を遂げたとはいえ、被害者たちはまだまだ取り残されています。細々とですが、この活動は今も続いています。支援していただける方は以下の口座にお振込ください。一口3000円からお願いします。

口座名:ベトナム枯葉剤被害者の会 代表坂田雅子
三菱UFJ銀行(0005)青山通り支店(084)普通:0006502
※お振込いただいた際は、masakosakata@gmail.comまでご一報ください。


◎坂田雅子監督『失われた時の中で』予告編/8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

【公式サイト】http://www.masakosakata.com/longtimepassing.html

【公開情報】8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。戦争関連の映画評では、「歴史受け止め、アイデンティティ取り戻す営為『シアター・プノンペン』」、「植民地支配や戦争責任を問い返す『東アジア反日武装戦線』のドキュメンタリー『狼をさがして』」(neoneo)、「死を選ぶメンタリティと社会を再考する ── 近代史上最大の捕虜脱走ドキュメンタリー映画『カウラは忘れない』」、「山谷夏祭りと慰安婦映画 ── 『現場」とそこにいる人に『触れる』」(デジタル鹿砦社通信)、「『台湾萬歳』などのドキュメンタリー映画を通じて 日本統治下の台湾、原住民の生活に触れる」(情況)ほか多数。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

朝鮮の平壌市内に暮らす、よど号メンバーの魚本公博さんより、次のテキストが届いた。ただし、「依頼のあった」ということだが特に依頼したつもりはないため、今回で最終回としたい。

衛星放送を観ている魚本公博さん

◆「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」よど号メンバー・魚本公博さんより

「ピョンヤンからのラブレター」。今回、小林さんから「ウクライナ情勢で東側の言い分」を書いてはどうかとの提言をもらったので、それを考えてみました。題目をつけるとすれば「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」とでもなりましょうか。

ウクライナ事態を見る上で重要なことは、それが日本にとってどういう意味をもつのかということだと思います。

今、日本でのマスコミ報道は、「プーチン=悪」のオンパレードです。そして、それを利用して、様々な聞き捨てならない論説が出てきています。その典型は、安倍元首相や維新が主張する「核の共同所有」論でしょう。そして「非核三原則」の廃棄、敵基地攻撃能力保持、専守防衛の見直しなど9条改憲の動きが強まっています。

「核の共同所有」、その論理は「ウクライナは核を放棄したから侵略された。日本は核をもたねばならない。そこで、NATOのような核シェアリングを」ということです。

これを聞いて、私は1980年代初頭の欧州反核運動のことを思いました。当時、私は、欧州でこの取材をしていましたので、ことの外このことが頭をよぎったのです。

ことの始まりは、米国がNATOの未核保有国であるドイツ、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの5カ国に中距離核ミサイル・パーシングIIを配備する計画を発表したことです。それまで、核戦争は米ソ両国がICBMを相互に打ち込むというイメージでしたが欧州に中距離核ミサイルを配備すれば、欧州が核戦争の戦場になる可能性が高まります。そこで、「欧州を核の戦場にするのか」「米国を守るために欧州に盾となれと言うのか」という怒りの声が高まり、空前の「欧州反核運動」が起きたわけです。

安倍元首相らの「核の共同保有」論なるものは、「パーシングII配備」とまったく同じであり、それは、「日本を核の戦場にするのか」「米国を守るために日本は盾になれというのか」という問題だと思います。

このような「とんでも論」が出てくるのは、ウクライナ事態を「プーチン=悪」とのみ見るからです。しかし、その根本要因は「NATOの東方拡大」にあるということを見逃してはならないと思います。

冷戦終結期に米国のベーカー国務長官が「NATOの東方拡大はしない」と約束し、2014・15年の2回のミンスク合意でも約束したことを「俺が約束したことではない」と反故にし、NATOへの加盟、ドネツク、ルガンスク攻撃を強めたゼレンスキーに責任はないのでしょうか。そう仕向けた米国に責任はないのでしょうか。

そして考えるべきは、「米国の核の傘の下での平和」論の虚構性です。本来なら米国は核の脅しで、ウクライナへの侵攻は許さない、撤兵しろと言った筈です。しかし、それをせずに、米国もNATOも武器を送り込み、諜報部員を送りこんで、ウクライナ人に戦わせている。核の脅しなどやれば米国自体が危うくなると踏んでいるからです。

それだけ米国の覇権力が落ちたということでもありますが、そうであるのに、いまだに「米国の核の傘」を信じ、あるいは「核の共同所有」で、これを支えるなど、日本を核戦場にし、日本だけが戦わされるものにしかなりません。

日本は、あの地獄のような戦争を体験し、「もう二度と過ちはくりかえしません」と誓い「非戦、非核」を国是としました。ウクライナ事態は、その正しさを証明しているのではないでしょうか。9条自衛、専守防衛に徹し、対外的に敵を作らず友好国を増やして日本の平和と安全を守り、外交の力で対外問題を解決するということです。

そのためにも、「米国の核の傘の下での平和」。その具体化としての「日米同盟基軸」の国のあり方、そして、米中新冷戦で日本が対中国対決の最前線に立たされようとしていることの危険性などを真剣に考えるべき時です。

ウクライナ事態は、それを契機に起きた物価高騰などの経済混乱を含めて、日本が今まで通り「日米同盟基軸」でやっていくのか、それとも真に日本の平和のために、日本の国益のために、「日米同盟基軸」を見直すのかを問う絶好の機会となっているし、しなければならないと思っています。

◆防衛論の前に意識したい、善悪二元論を疑うこと

「『日米同盟基軸』を問い直す」こと自体は、国内の動きとして見受けられる。バイデン政権が対ロ参戦を否定したことにより、日本の防衛の前提とされていた「核の傘」が危ぶまれたからだ。

マスコミ報道には、変化が見られるようになった。個人的には日頃よりマスコミ報道を懐疑的に見ているが、左派などの間でブチャの虐殺などはデマであるという論調が広まり、それに対する反応も含めて眉唾ものだと考えていた。特に極端なものというのは、左右を問わず内容を疑い、エビデンスを追究すべきではないだろうか。すると、報道の側にも冷静なものが出始めるようになってきた。ただし、冷静を装うようなものもあるし、エビデンスが十分であるともいえない。

現代における情報戦では、情報が速く広く収集できるようになっている。いずれの側も権力者はそれを最大限に活用しようとするだろう。受け取る側も、ポジショントークとはいわないまでも人間であるがゆえ、信じたいものを信じがちだ。極端に走れば、いずれかの「陰謀論」に陥ってしまう。事例が多々見受けられる。このような問題に自覚的であるべきだと、私は思う。そのうえで、「真実」に近づくべきではないか。

「核の共同所有」論や(少なくとも現時点での)9条改憲には反対であり、そもそもアメリカから「独立」して戦争責任も取り直すべきと考えているが、その先に関してここに一度書いたものは消しておく。議論も重ねたいところだ。

ここ数日の間、インターネット上では、護憲派や自衛隊論を述べた共産党に対する批判が見られたり、「プーチンはアイヌ民族をロシアの先住民族に認定している」と危機感を表す人もいる。『ロシアにおける遵法精神の欠如 : 法社会学と経済史の側面から見たロシアの基層社会』という論文も注目された。朝日新聞社編集委員が安倍氏インタビュー記事公表前の誌面を見せるよう週刊ダイヤモンドに要求していたことも報道された。その一方で、日本とロシアの共通点をあげる人もいた。だが、「日本のために戦おうという国民は、ほとんどいないのではないか」と問う人もいる。今こそ「真実」を見極めながら、私たちはこれらのことについて考えるべきだろう。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。地域搾取や自然破壊の現場でカウンター活動をしていらっしゃる方、農作業や農的暮らしに関心ある方からのご連絡をお待ちしております。
https://www.facebook.com/hasumi.koba/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

広告を挟めば無料から楽しめる『YouTube』、テレビ的に観ることが可能な『AbemaTV』など、インターネット上で鑑賞できる動画には多種存在する。筆者もTV自体はかなり昔に処分して以来、持っていないが、映画、報道、K-POPや韓流ドラマ、DIYを扱ったものなど、さまざまに楽しんでいる。

そのようななか、断続的に利用しているのが『Netflix(ネットフリックス)』だ。今回、最近、話題の2作品について触れてみたい。

◆貧困の問題にまっすぐに向き合ったヒリヒリするような人間ドラマ『イカゲーム』

まず、2021年9月より配信されている、韓国発「サバイバルドラマ」が『イカゲーム(오징어 게임)』。多重債務者や貧困にあえぐ456人が人生を逆転するため、命がけでだるまさんが転んだや型抜き、綱引きや綱渡り、ビー玉や飛び石といった子どもの遊びがモチーフとなっているゲームに参加する。最後まで勝ち残った1人には456億ウォンの賞金が支払われるが、1つひとつのゲームに負ければその場で死ぬことになるのだ。


◎[参考動画]『イカゲーム』予告編 – Netflix

監督・演出・脚本はファン・ドンヒョク。出演はイ・ジョンジェ、パク・ヘス、ウィ・ハジュン、カン・セビョクほか。複数の媒体で監督は背景を説明しているようだが、エンタメ業界紙『The Hollywood Reporter(THR)』の記事(https://hollywoodreporter.jp/interviews/1234/)を引用しておく。「脚本を手に資金集めをしていた時に、全く上手くいかず、漫画喫茶でひたすら過ごしている時期がありあました。そこで、『LIAR GAME』『賭博黙示録カイジ』『バトル・ロワイアル』などのサバイバル系のものや、自分自身も経済的に困窮していた為、借金を抱える主人公が生死を賭けた戦いに挑む様な作品に夢中になりました。本当にそんなゲームがあれば絶対参加して、今の状況から抜け出して大金を手にしたいと考えて没頭していたんです。そんな時にふと思ったんです。『監督なんだからそんな映画を作ってしまえばいいんじゃないか』と」。本作が全世界で公開されると、11月、94か国でランキング1位を獲得。シーズン2の制作も明らかになっている。

わたしが感じたことは、貧困の問題に対し、ある種まっすぐに向き合っているということだ。国内でもおそらく韓国でも、差別的な視線やバッシングはあるだろう。しかし本作では、きれいごとではすまされない現状と、そのいっぽうで人間性や1人ひとりの人間ドラマが描かれている。グロ映像が苦手な人には向かないが、10?20年前くらいには国内でもこのようなヒリヒリするドラマ映画が多数あり、個人的によく観ていた。このような作品が世界で鑑賞されたのは、やはり格差が拡大し、正直者がバカをみるような世界となり、資本主義の限界が露呈し始めたからではないかと考えている。ちなみに、脱北者の女性も登場し、ゲームのなかで特殊な友情を育む。思い入れが強くなった登場人物がゲームに負けたりして命を落とすシーンでは、涙も流してしまうだろう。

◆意味が深い作品だからこそ真摯に対応して手本を示してほしい『新聞記者』の問題

次に注目されたのが、『新聞記者』。19年公開の映画も話題になったが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による同名の著作(角川書店)を原案に、財務省の公文書改ざん事件をモチーフにした社会派ドラマだ。Netflixでシリーズ化され、映画と同様に藤井道人(なおひと)監督が手がけ、やはり全世界で配信された。キャスティングがなかなか絶妙で、米倉涼子さん、綾野剛さん、吉岡秀隆さん、寺島しのぶさん、吹越満さん、田口トモロヲさん、大倉孝二さん、萩原聖人さん、ユースケ・サンタマリアさん、佐野史郎さんなどが名を連ねる。


◎[参考動画]『新聞記者』 予告編 – Netflix

1月18日に『日刊ゲンダイ』(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079)は、「Netflix『新聞記者』海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”』と題し、「海外でも上位に食い込み、香港と台湾の『今日の~』で9位にランクイン(17日時点)。英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した」と記す。実際に、安倍夫妻が真っ青になったという事実をつかんだという話ではないようだが。

しかし、1月26日付の『文春オンライン』(https://bunshun.jp/articles/-/51663)によれば、プロデューサーの河村光庸氏が2021年末、森友事件の遺族に謝罪していたことが『週刊文春』の記事によって判明。「公文書改ざんを強いられた末に自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんと面会し、謝罪していた」という。また、「赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否」とのことだ。さらに、「2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に、赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。『夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか』 河村氏はこう返すのが精一杯だった。『望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と』」とも記されている。

そのうえ、遺族から借りた遺書を含む資料を返していないという疑惑も持ち上がった。このような状況に対し、『はてなブックマーク』には、「メディアにとって仮パクは当然のことよ。得ダネ関係は他所に資料が渡らないように積極的に仮パクするよ。俺も業界関係の取材受けたとき渡した資料未だに戻ってこないから 探してると返答あってからもう6年経つ」というような反応も寄せられた。

2月8日、望月衣塑子記者はTwitterで、「週刊誌報道について取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。」とつぶやいた。しかし、これに対しても、「文春報道から2週間かけてこの回答。借用書がなかったのなら「返したことにするしかない」と決めたとしか思えないね。あれだけ森友に粘着してて、それで押し切るんだな。東京新聞も含め。」というようなコメントが人気を集めていた。

私は取材・執筆をする側が、勇気をふるって行動する被害者を応援しないどころか邪魔をするようなことをおこなうことは誤りだと考えている。新聞などの報道の現場に携わるわけでもないため、批判でなく支援になればとの思いがある場合、原稿内容が妨げとならないか、力となるかを確認してもらっている。そのうえで、問題提起として強い個所が削除になったり、わかりづらい内容になったとしても、当事者の思いを優先するよう心がけているつもりだ。

個人的には、望月記者を信じたい気持ちもある。また、ドラマだからこそ、わかりやすく、広く問題が伝わるという面ももちろんあるだろう。エンターテインメントの力というものも信じている。だが、本作はフィクションであるとうたってはいても、明らかに事実をとりあげているのだ。そして、会社の意向、ドラマ化に携わる側の意向、金のからみなどによって、真実がゆがめられることはよくある。私自身も取材を受け、意をくみ取ってくれて感心したこともあったが、おもしろおかしくされて怒りに震え、びっしりと赤字を入れて原稿を戻したこともある。

いずれにせよ、事実を正直に公開し、関係者は遺族に対して心からの謝罪をしたうえで今後の対応に関する希望を聞き、疑惑を残さずに、この問題を解決してほしい。東京新聞のことも監督のことも信じたい。問題を追及する側だからこそ、真摯に対応し、手本を示してほしいのだ。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年2月号に「北海道新幹線延伸に伴う掘削土 生活も水も汚染する有害重金属」、3月号に「北海道新幹線トンネル有害残土問題 汚染される北斗の自然・水・生活」寄稿。読者のリクエストに応じ、札幌まで足を伸ばしたものなので、ご一読いただけたらうれしい。全国の環境破壊や地域搾取について調べ続けていると、共通の仕組がわかってくる。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

平壌「日本人村」から、「手紙」の執筆者は魚本さん以外でもいいのか、という相談が以前あり、もともと私はみなさんが代わるがわる書くものと考えていたと回答。このやりとりが手紙らしくなるまでまだ時間はかかりそうだが(苦笑)その後、よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕(こにしたかひろ)さんから「デジタル鹿砦社通信 小西ラブレターです」の件名でメールが届く。彼らとの往復メールの前回・第4回のテーマは「『デジタル化』を口実に情報をアメリカに売り渡し、権力を乱用するのか」とした。今回・第5回は私から、10月31日に投開票された衆院選をテーマとしてリクエストしておいたのだ。

「コロナの中、お元気ですか。こちらは、ゼロコロナ。皆、歳の割には元気でおりますから、ご安心ください。総選挙に関する原稿を書きましたので送ります。お役に立てれば幸いです。」とのこと。役立つかどうかをあてにしているわけではないが、私が読者のプラスになるようにまとめる責務はあるだろう。たとえそれが成功しなくても許してほしい。

大同江(だいどうこう/テドンガン)を背景に、平壌「日本人村」事務所のベランダに立つ小西隆裕さん。遠くに対岸の農場が遠望できる。今週は暖かいそうで、雪はなし。このベランダからは夜間、満天の星を楽しめる。

◆「先の総選挙、野党惨敗の根因を問う」 小西隆裕

よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕さん

「この国の民はどうしてこうなのか」。先の総選挙結果に接しながら、こうした思いが頭をかすめた識者は少なくなかったのではないか。

しかし、「民」としては、そう言われても立つ瀬がないのではないかと思う。何しろ各党が言っているのを聴いても、皆同じようで、どこを選んでよいか分からなかったのだから。実際、玄界灘を超えた彼方から見ても、与野党どこも、代わり映えがしなかった。

政権交代を目指すのなら、与党との対決点が明確なその目的がはっきりと示されなければならなかったのではないか。

ところが、それがどうも見えてこない。これでは、野党候補を一本化しても、数合わせのための野合だという誹謗中傷が正当性を持ってしまう。

どんなに主義、理念が違っても目的が一致しているなら、いくらでも共闘できる。そのような誰もが納得する政権交代の目的を打ち出し、それを与党との闘いの争点にすることができなかったことに最大の問題があったのではないだろうか。

なぜそうすることができなかったのか。それはそれだけ、彼ら野党が国民の生活と運命に切実でなかったからだと言わざるを得ない。

もし彼らがそれに切実で、国民と一体になっていたなら、それを反映する政権交代の目的を野党共闘の統一した政策として提示することができていたに違いない。

自らの足腰を強くする前に、何よりもまず、国民の意思と要求を反映した路線と政策を政権交代に向けた野党連合統一の目的として掲げるために、野党はもっと国民大衆の中に深く入ることが問われているのではないだろうか。

それともう1つ、日本において国民の生活と運命に切実であろうとするなら、与党自民党政権の背後にいてそれを動かしている米国の動きにも無関心ではいられないはずだ。しかし、それがよく見えてこない。政権交代の目的にもそれが全く反映されていない。

メディアなどの宣伝によって国民の意識から「米国」が消されてしまっている中、この「タブー」に野党が挑戦しないのは、正しい判断なのか。

国民の意識にないからこそ、野党は米国が今、その最前線に日本を押し立ててきている「米中新冷戦」が「日米新時代」のかけ声とともに、日本を米国に吸収統合しようとしてきている事実などに基づき、岸田政権がまさにそれを遂行する「新冷戦体制」づくりのための政権であることなどを明らかにしながら、それに反対する闘いの路線と政策を掲げていくべきだったのではないだろうか。

国民は、広くこのことの本質を受け止め、賛同してくれるのではないだろうか。

私は、この辺りに先の総選挙、野党惨敗の根因を見ているのですがどうでしょうか。

◆次の選挙に向け、どうすればよいのかを一緒に考えよう

前回の結びに対するお返事は特にないようだが、改行が多い(笑)。

さて、5野党一本化の勝率は28%とのこと。選挙制度の問題はあれど、芳しい結果とは言い難い。争点については、岸田が首相となってさらに見えにくくなり、野党共闘側の各党の先鋭的な主張が目立つようになったかもしれない。今日までに私は、やはり地域の仲間などと選挙について意見を交わした。小西さんも触れていることに関連するが、「アンチを唱えて希望がない。50年後、100年後の未来を担う心づもりが感じられない。未来像が見えてこない」。これが最も大きな問題ではないか。

権力をもつ与党をチェックすること、アンチを唱えることは野党の仕事で、必ずしも対案を出す必要はない。だが、選挙では、どのような社会をつくるのかを伝える必要がある。そうでなければ、政治を托す相手を選べない。また現在、失われた年月が増大するばかりで、先が見えず、また新型コロナウイルスの影響もあって失業や自殺が重なっている。先日、久方ぶりに東京に行ったら、野宿の方々のスーツケース所持率の高さ、そして若年層への拡大が目に入った。支援グループへの相談も増えていると聞く。

そのようななか、唯一、未来の希望を語り続け、議席を増やしたのは、やはりれいわ新選組だった。山本太郎代表は、「衆院選挙で3議席を獲得。永田町や物知り顔の評論家から、1議席も難しいと言われていたことを考えると、躍進です。この結果はいうまでもなく、これまで何があっても見放さず、コツコツとれいわを支援くださった皆さんのお力です。100%市民の力で作られた政党が、ステージを上げました。しっかりと地獄を是正する活動を国会内外で繰り広げます。」と公式サイトに記す。

れいわの支援者の中にも、共闘を疑問視する声がある。特に、「消費税ゼロ」を掲げるれいわが共闘によって「減税」にトーンダウンしたことにより、アピールが弱まったという意見が多い。

また結局、立憲民主党は共産と距離をおくことを強調し、11月末に就任した泉健太代表は「政策立案政党」「人に温かい資本主義」「人にやさしい持続可能な資本主義」「穏健中道路線」を訴えている。だが、個人的には、候補者をおろして共闘した共産党に対して失礼でもあり、また結局は「資本主義」のさらなる推進を掲げるなら、もはや立民の存在意義はかなり危うくなるものと思われる。提案内容についても全体的にピンと来ないので、ここで改めて取り上げることはしない。もはや本来的には、自民・国民・立民は左・右・中に分かれて3つに整理し直してほしいくらいだ。と考えていたら、すでに分裂の声もあるらしい。労働者同士を争わせるように仕向ける竹中平蔵は、ベーシックインカム論ですら民営化と自己のビジネスを想定していると思われる。表面的な政策でなく、根本的なもの、方向性を私たちは見定めねばならない。

若者が自民党に投票していることが次第に明らかとなり、また日本維新の会が票を集めた。これらも、自らや周囲の現状が酷すぎないと思い込み、前向きで力強いメッセージを伝えてくれていると感じさせるに足るメディア露出などに支えられ、できあがったものだろう。マスコミ、政治家、野党支持者、1人ひとりが考え直し、取り組みを改める必要がある。

本来は現場から政治家をあげていくのがいいかもしれないが、現実的にはなかなか難しい。まずは各党の1つひとつの選択について意見を明確に発し、来年の参院選に向かって私たちも動きを明確にしていく必要があるだろう。個人的には共闘よりも、やはり総合的にかなり指示できる政党を、もっとしっかり応援しなければいけないなと思う。なかなか何か起こればぶれてしまう。それにはまず、近くの仲間との意見交換を継続することが重要ではないかと考えている。

ところで月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「野党共闘の成果と課題 岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」をテーマとして横田一さんが寄稿していらっしゃる。野党共闘の成果もきちんと評価されているので、ご一読を。

連合の中を垣間見た立場からは、民主党系がそこを票田としてあてにするうちはいろいろなことが困難であろうと考える。50年後、100年後を見据えたうえで現在、何をなすべきかを、政治家の方々にも示してほしいと思ってしまう。

◎[連載リンク]平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG 

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「請求棄却で固有種絶滅の危機 森林伐採問う 沖縄『やんばる訴訟』」寄稿。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

「この人、自他の区別がついてないんじゃないかな?」
最近、そんなふうに感じることが多くあった。

そこで、Facebookに以下のような投稿をしてみた。

「遠くから帰って来たのだけど、最近気になり出したことがある。それは、この社会の代行主義と忖度と人権意識について。共産主義や社会主義について語りたいわけではない。

なんか、● よかれ+● 便乗みたいな出来事が多い。たとえば、『私たちは詳しいのだから、あなたのためにこのような準備をしておきました』『あなた方があのようなことを言うので、それならばとこのような準備をしました』みたいなやつ。こちらとしては、たとえば『お金もかかるのだから相談してほしかった』とか、『感謝させたいようだが、それはあなたの希望であって、私たちの立場を口実として便乗しただけではないか』という気持ちになる。

なぜ、私を含めた相手の意向などを聞かないのだろう。本当にそれでよいと思ったのだろうか。相手の感情や思考を奪う、相手を馬鹿にした態度であり、人権侵害ではないのか。そんなことを考えてしまう。みな悪い人たちではない。だが、自他の区別がついていないのではないだろうか。もっとほかにすることややり方があるのではないか。

これが社会的な問題と言えるかどうかを知りたいので後日、余力があったら調べるやも。似たようなご経験があったり、考えたりする方が万が一いらっしゃれば、エピソードなどをお聞きしたい。自戒もこめ、近いうちにまとめてみたい。他方、今後の対策として、たとえば早めに強めに伝えるとか、新たな選択肢もあるのだろう。」

すると、女性ユニオン東京ACW2(はたらく女性の全国センター)メンバーの伊藤みどりさんが、「代行主義ですよね! これは人の力を奪う。相談員トレーニングや、かもす講座の内容も代行主義がいかに人の力を奪うかをしつこくやってます。同情するなら金くれ!」というコメントをくれた。そこで早速、伊藤さんにインタビューをさせてもらった。

2021年11月25日、ZOOMを用い、伊藤みどりさんにオンライン・インタビュー。背景は南国!?

◆個々が独自性を保ちながら力を出し合って1つの器の中にあるという連帯が「サラダ・ボウル」

── 「代行主義」とは一般的にはソ連や中国などで共産党やエリートが人民にかわって政治を動かす体制を指すようですが、日本でこの用語はどのように使われてきたかご存じでしょうか。

伊藤 日本では使う人も少ないですね。ソ連などの共産党政権の国は、レーニン主義、前衛党論。党員は人民の前衛だという(笑)。すると、党員は人民より優れていなければいけないし、何万もの人々の声を代弁しなければなりませんが、難しい。つまり、これはイデオロギーであり、党員は自分たちが最もよく共産主義を理解しているという考えであるわけです。ただし、マルクスは初期の頃、産業革命以降の労働者の置かれている、貧民街が生まれてきた状況からすれば魅力的な思想であり、皆が『共産党宣言』に引かれました。ところがレーニンが最初におこなったのは労働者優遇政策。農民は小ブルジョアジーとして置いてきぼりにされたので、反乱を起こしたんです。この農民を弾圧したり大量虐殺をおこなった後、スターリンが生まれてきました。結局、理想や夢はよかったけれど、現実は理屈通りには行かなかったんです。これがスターリン主義であり、トロツキーも邪魔だから殺してしまえ、という。自分たちの理論に反対する人にレッテルを貼ることは現代でもありますよね。

── 女性ユニオンは設立時、代行主義的でない方法をとっていたのですよね。

伊藤 国内で代行主義という意識が出始めたのは最近。女性ユニオンも最初は専従も置きませんでしたが、設立当時から多くの問い合わせがあったために人手が必要で、代行主義的なやり方は不可能でした。上部組織の全国一般の手法を含め、すべてを一緒に学ぶ。私は事務職だったので、来る人ごとに書類の作成法などを伝え、手がけてもらっていました。当事者が自分の力でやらざるをえない、ほかの人が企業に押しかけてくれるわけではない、自分が前に出ないと、一線を越えないと、ものが動かない。それがかえって、当事者が晴れ晴れとした表情で元気になることにつながっていきました。「ちょっとの勇気で笑顔」というスローガンも生まれたんです。自己肯定感ですよね。それが数をこなすうちに組合の業務に専門性が出てきてプロ化し、専従を置くことになったのですが、振り返れば郵政ユニオンなどのように専従を置かなければよかったと考えています。専従を置くと仕事が集中し、経験の差も生まれて、後から入ってきた人たちは「やってくれないんですか」と、むしろ代行を求めるようになりました。

── そこをどのように突破したのでしょうか。

伊藤 その頃、アメリカ労働総同盟・産業別組合会議(AFL-CIO)傘下のサービス従業員国際組合(SEIU)との接点ができました。すると、「日本に労働組合はプロ化したものしかないと思っていたが、女性ユニオンがあると知った」と言われ、連帯を求められたんです。1960年代、アメリカの公民権運動から「サラダ・ボウル」という言葉が生まれ、個々が独自性を保ちながら力を出し合って1つの器の中にあるという連帯が、サービス提供型で金を入れれば出てくるような自動販売機型の従来の労組を批判する表現として用いられるようになりました。煮込んで溶け合わせて1つの味の鍋にする「メルティング・ポット」は同化政策だとして、「サラダ・ボウル」が求められるようになったというわけです。日本もかつて朝鮮民族にしたように、アメリカが英語を強要したことが背景にあります。そこで私も、代行主義の概念を意識しました。

── 2007年にみどりさんは「団交等でも代行主義に陥りがち」というテーマを取り上げ、福島で講演・対話をおこなっています。11年にも一橋大学フェアレイバー研究教育センターの媒体で「韓国女性労働組合では、『当事者のできることを代行しない』、ということを『組織化の絶対的な原則にしています』」などと記していらっしゃいますが、こちらについて改めて、ご説明いただけますでしょうか。

伊藤 韓国でも女性ユニオン東京を参考にユニオンができました。そこでは、個人加入の労働組合がなかったんです。その際、「組織化の絶対的原則」として、「絶対に彼女らが自らの力でできることを代わりにしないこと」と掲げられていました。これも、アメリカやオーストラリアを参考にしたもので、代行主義の否定は組合の鉄板だと実感しましたね。ブラジルの教育・哲学者のパウロ・フレイレの言葉でもありますが、人は理論・知識を植えつけられて成長するわけでなく、経験と先人の叡知を理論化したものが結びついた時に、最もよく学ぶ、というようなこと。代行したほうが早くても、全体の底上げには時間がかかっても、大切なのです。イギリスのケアワーカー、ヘルパー、介護業界の支援者も同じ。たとえその人の選んだ道が遠回りと思っても、選択を尊重すること、選択する体験を否定しないことの重要性について教材になっています。

── ACW2の相談員トレーニングでは、アドバイスの危険性やエンパワメントに関する事柄などを中心に、やはり代行しないことを重視されているかと存じます。こちらもご説明ください。

伊藤 もともと高山直子さんが成蹊大学卒業後、Eastern Michigan Universityで女性学、Wayne State Universityでカウンセリングの修士を取得して帰国後、カウンセリングをおこなっていました。Wayne State Universityはレイバーセンターのある大学で、そこで私は留学中の高山さんに会ったんです。帰国後、レイバーセンターの教育ワークショップをともにやっていて、高山さんからトレーニングに関する提案を受けました。実習も経験した高山さんだからこそという、練り込まれたトレーニング内容が評判を呼ぶことに。人の話を聞くとは何か、アドバイスはうまくいくことは限らない。選択肢のメリットとデメリットの提示、「まずい飴、辛い飴、苦い飴どれを選ぶか」、それを選んでもらうことなどですね。

── かもす講座でも、代行主義が人の力を奪うことについて、どのように伝えていらっしゃいますか。

伊藤 間違いのないことをアドバイスすることまでは批判しませんが、たとえば絶対に裁判に勝てるということは少なく、デメリットやリスクを説明しておかなければ後で恨みに変わったりもします。情報提供のしかたですね。また、何を相談しようとしているかを聴くことが8割。不明点については質問し、当事者の希望や意思を確認する。闘いたいわけでなく、有給を消化して辞めたい人もいます。疲弊してしまう人もいますよね。一生の補償をしてあげて闘わせることなどできません。金や時間が奪われて、勝つかわからなくても裁判をしたいという人もいます。さまざまな相談機関で断られ、悩みが深かったり、怒りの強い人もいますね。そのような人の話もよく聴き、共感して、相手に安心感をもたらす方法を相談員トレーニングやかもす講座で身につけることができるわけです。

◆「輝いているということは現場の人が頑張っている代えがたい姿であり、それが思い出になります」

── すると代行主義は、この社会に限らず、世界中で陥りやすい罠だと考え得るでしょうか。

伊藤 ある種、代行したほうが楽。私は女性ユニオンの専従を5年間した後、ヘトヘトになって辞めました。団体交渉申し入れ書の作成など、1人でやれば1時間で終わる作業も、当事者がおこなえば4~5時間かかります。でも、苦労した人が組合を辞めずに残る。いっぽうで、面倒くさいと言われてやむを得ず代行した相手は「ありがとうございます!」と言って辞めてしまう。代行は、してもらうほうも楽なんですね。私がカリスマ化したいわけでなく、粘り強く人間関係をつくっていかねばならず、時間がかかる。そのような立場ですることを、私がやり続けちゃいけないな、と。韓国などでも5年くらいで交代しています。先頭に立てば波風が立ち、怒りをぶつけられ、相談を受けるほうもプロのカウンセラーでもないし傷つけられてしまう。そうなったらお休みしなければ身が持ちません。

── ほかにも活動していて難しかったポイントはありますか。

伊藤 全員、特に女性は難しい。性暴力など、何かしら傷ついている人が女性には多く、癒やされていないため、甘えられる人に怒りなどをぶつけたりします。本当の敵はそこではないのに対立が起きたり。性差別を克服している国と異なり、この性差別大国では、女性中心に動くことに対する反発もすごい。ACW2を設立したのも、もっと緩やかなグループにしなければ続かないし、非正規雇用も増えていったから。1995年、日本経営者団体連盟(日経連)が『新時代の「日本的経営」── 挑戦すべき方向とその具体策』(「新時代の日本的経営」)を公表しました。女性ユニオンがスタートしたのは同年でしたが、当初は組合員の8割が正社員だったんです。経済的ゆとりがないことは、メンタル面でも深い傷を負い、闘う前提が崩れちゃう。Black Lives Matter(BLM)も30年間、底辺に置かれたもの同士が殺し合いも含めて争ってきたことが背景にありました。大衆運動は100年がかりなんです。

── そのようなことから得たことは、どのようなことでしょうか。

伊藤 私が確信を持っているのは、とにかく代行主義はダメ。代行した人の魅力だけで動いたとしても、それは本当の魅力ではない。過去を振り返ると、輝いているということはカリスマ性でなく、特定の誰かのことでもなくて、現場の人が頑張っている代えがたい姿であり、それが思い出になります。それを現在、どのようによみがえらせるのかが目下の課題です。また、過渡期として女性の問題に取り組んできましたが、特に若い男性の貧困問題をかんがみれば、セクシュアリティを超える可能性があります。

── すると運動は、どこへ向かえばいいのでしょう。

伊藤 そもそもたとえ正論でも、人は命令で動きたくないものですよね。テーマがなければ動けない、顔ぶれが変わらない、そんな運動への関心がなくなってきました。同じ思想の相手だけでなく、幅広い人と交流するのがいいですよね。

── 私もオルタナティブの実践を試みていますが、有機などの農業、農的暮らし界隈で興味深い人が多くいます。また、20代は国境の概念も薄く、とらわれていないように感じますね。

伊藤 私も20代が話を聴きに来てくれるとうれしい。彼女たちは上のすべての世代を否定していて、生まれた平成時代からひどい社会のなかで育っています。女性ユニオンの話でさえ、彼女たちにとっては生まれる前の話。10?20年前に若かった仲間たちも、すでに中年ですね(笑)。でも、性差別や雇用崩壊の状況は改善されていない。だから私は、懐かしい話をするだけでなく、なぜこのような世の中になったのかを私なりに反省しようと考えています。それを言語化することが最後の仕事だと思っているんです。

── それを書き上げたら、また伝えたいことが出てくるのでは。

伊藤 それは現時点ではわかりませんが、とにかく知らない人も物語として読めるように、雑誌『賃金と社会保障』(旬報社)に連載を寄稿しています。でも執筆しながら、資料を読みふけってしまうことも。女性ユニオンのニュースを読んでいても、復刻したいほど、組合員の貴重な体験談がキラキラしています。

── それでは最後に読者に伝えたいことなど、お聞かせいただけますでしょうか。

伊藤 『職場を変える秘密のレシピ47』(日本労働弁護団)は、アメリカの労働運動の改革を目指す草の根ネットワーク「レイバー・ノーツ」が発行した書籍の翻訳版です。 ここにも書かれているようなことを、代行主義の文化を変えるための方法として、ACW2などで実践しているので、参考にしてみてください。

── 私は最近、『無銭経済宣言── お金を使わずに生きる方法』(マーク・ボイル著・紀伊國屋書店)を実用書として大変おもしろく読みました。農水省も「半農半X」「有機」をアピールし始め、そこにしか未来への希望はないという自覚を感じます。関係性も生き方も、変えていく時なのかもしれません。

伊藤 ACW2でも地方に空き家を入手し、農業を始めるメンバーが現れました。

── 空間的には距離があっても、1人ひとりの実践が未来につながっているように感じますね。今日は、ご多用の折、本当に、ありがとうございました!

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』2022年1月号に、「請求棄却で固有種絶滅の危機森林伐採問う沖縄『やんばる訴訟』寄稿。

12月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

秋の深まる平壌から、届くメール。前回の平壌からの手紙では、よど号メンバー・魚本公博さんから届いた「2つの『8・15』」というタイトルで敗戦とタリバンのカブール制圧とを比較した論考と、それに関する筆者からの解説とを投稿した。彼らとの「往復メール書簡」第4回目は、第2回目で取り上げた「デジタル庁発足の背後に潜む巨大な問題」の続編を取り上げる。

◆「地域住民主体の自らのためのスーパーシティ建設を」 魚本公博

魚本公博氏。霧の中、銀杏をバックに

今、デジタル化が叫ばれる中、地方では「スーパーシティ構想」が進められています。

このスーパーシティの最大の問題点は、データ主権を放棄し、GAFAなど米国のプラットフォーマーに全面的に依存するところにあります。こうなれば、地域の様々なデータ、住民のデータは米国に握られ、地域、住民はその隷属物になってしまいます。

「すべては救えない」として地方の中核都市にカネ・ヒトを集中し、それを米系外資に委ね、基礎自治体が運営する水道などの運営権を譲渡するコンセッション方式の導入など地方を米国に売り渡すかのような地方政策。そこには、市町村など地域自治体の切り捨て、自治体の企業的運営による自治、住民主権の剥奪を伴い、全国市長会などが「我々を見捨てるのか」と反発していたもの。こうした声を押しつぶす。とりわけ米中新冷戦の中で何としても日本を米国の一部として組み込むことを一挙に進める。それが政府の「スーパーシティ構想」ではないでしょうか。

肝要なことは「データ主権」。しかし、今のような自民党の対米従属政権ではそれを望むべくもない。では、どうするか。

私は、見捨てられる市町村など地域からスーパーシティを作りながらGAFAに依存しないシステム(プラットフォーム)を作り、その輪を横にも上にも広げ、地方全体の標準「都市OS」に育てる。そうしたことができないものかと思っています。建設機材のコマツやスマート農業などでは独自のプラットフォームを使っているようですし、可能だと思うのですが、どうでしょうか。

ここで大事なことは、地域住民主体です。そのためにネット議会やネット政策会議、ネット提言室みたいなものを作る。そして自治体と地域住民が一体となり自らのスーパーシティを自らの力で自らのために建設していく。

小林さんが以前、紹介されていた地方の区長さんがおっしゃる「顔が見える関係」やボランティアの労力を地域の産物で交換する地域通貨などのアイディアも、自らのスーパーシティ建設の中で高度に実現できるのではないでしょうか。さらに言えば、「スーパーシティ構想」では移動、輸送、行政手続きなど10項目での「サービス向上」をうたっていますが、もっと根本的な「地域振興」を目指すべきであり、地産地消、地域循環型経済、水やエネルギーの自給自足なども高度に実現すべきではないでしょうか。

地方の取り組みは、どうなっていますか。現場の声、とくにデジタル技術に明るい、若い人たちの声を是非聞きたいものです。

◆クラウドサービスの提供元、「サイバー局」、そして「デジタル田園都市国家構想」

「スーパーシティ構想」などに関しては、第2回目で触れているので、ご参照いただきたい。

デジタル庁は2021年10月26日、政府と自治体が利用する情報システム基盤「ガバメントクラウド」に、アメリカのAmazonとGoogleのサービスを利用すると発表。契約期間は22年3月までで、来年度の事業者は改めて募集するという。

いっぽう、警察庁は6月、サイバー犯罪やセキュリティ対策を担当する「サイバー局」を設置する計画を公表した。200人規模で、行政機関や防衛関連企業などへのサイバー攻撃の捜査をおこなう。ところが、三菱電機やNECなどに対し、他国からハッキングが相次ぐ。日本のサイバー事業は世界的な評価が低く、人材も法整備も遅れているとされる。

時事通信(8月25日付)の記事によれば、戦前の国家警察による権力乱用などを背景に、1954年に制定された警察法では犯罪警察は都道府県警察が担い、警察庁は指揮監督にとどまるものとされてきたそうだ。そして、サイバー分野を担当する捜査機関もなかったが、ここにきて問題視され、計画がまとまった。

牧島かれん大臣は『AbemaTV』に出演し、ある意味、国内の企業がクラウドサービスを担当するレベルにないが、今後には期待している旨を語っていた。

おそらく国内では、法的な遅れ以上にアメリカや中国のような予算や判断がなかったり、部品の製造現場も海外だったり、また、いわゆる人材を有効に配する土台がなかったりするのだろう。法的な遅れもまた、他の件をみても一概に否定はできない。法整備によって警察や担当部署の権力乱用を許すようになってしまえば、市民がその被害を被る。人権や自由を侵害されかねない。また、人を配することができないことも、他をながめればいつもの偏った人の配置について思わざるを得ない。他の分野をかんがみても、セキュリティを考慮しても、本来は国内で手がけられる形を整えるべきだが、地方からというのはなかなか難しいだろう。ならば政治主導ということが考えられるが、専門家軽視やお友だち優遇で、これもまた希望を持ちにくい。国内にも人材は存在するので、そのような人にリーダーを任せられるような土台が必要だ。

いっぽうで、個人や国家の情報をつかまれることのリスクについて、少なくとも筆者は十分に理解していない。だが、命を受け渡していることになるのかもしれない。このあたりは引き続き関連情報などもあたりつつ、学んでいきたいと思う。

そして、魚本さんが危惧する「データ主権」に思いをはせれば、それをアメリカに渡すために、また権力を拡大するために、法整備や人の育成が不十分であると主張している可能性も否定はできないだろう。

また、牧島氏は「デジタル田園都市国家構想」なども掲げており、「デジタライゼーションで人間中心のデジタル社会を実現することで、経済/生活/幸福のポジティブサイクルを回す一連の政策を「デジタル田園都市国家」構想とし、2030年頃までの主要な国家戦略とすべきである」と主張している。デジタルでヒト・モノ・カネを回す。それが幸福でポジティブだというのだ。

ただし、魚本さんは「地域住民主体」というが、先に触れたように、デジタル化に関しては難しい。また、デジタルをスムーズに活用するには、国内などで一定のルールのもとに運用されなければ、必ずどこかで二度手間三度手間が発生し、そもそもデジタル化が無意味になる。だが、効率化を手放すことが、これまた難しい側面はいろいろあるだろう。

個人的には、プライバシーや人権、自由を優先してもらいながら、現在の複雑で不自由でリスキーな状況は改善すべきだと考えている。このバランスをどのように取るかが問題だ。

だが、デジタル庁では、平井卓也氏がNTTから高額の接待を受けていた問題、民間からの登用の内、非常勤が98%を占めていたことと兼業先の企業との癒着対策の甘さ、マイナンバーカードとマイナポータルのそもそもの問題など、さまざまな事柄が不安視されている。

また、実際に、「機密情報丸見え」「個人情報明け渡し」などの状況について、危機を伝える記事も増えてきた。たとえば11月5日、『COURRIER JAPON』では、「日本人の個人情報が筒抜けになる可能性も 日本の機密情報が『アマゾンから丸見え状態』をデジタル庁はどう考えているのか」というような記事に「日本の技術力の低いセキュリティで怪しい国のアタックで破られる可能性の高いクラウドか、世界有数の技術者のいるセキュリティのクラウドだが米国政府に見られる蓋然性、のどちらが良いか。」というようなコメントがついたり、アメリカ独占・依存状態から脱却しようとするヨーロッパ企業の記事などもある。危機意識を忘れず、1人ひとりが学ばねばならないだろう。

ところで個人的には、平壌・日本人村のみなさんが、日本の報道や支援者からの情報を得て、朝鮮の実情を目の当たりにすることもあるなかで、フラットに、より広く深く考察することには限界があると感じています。ただし、それが新たな気づきを含むことがあると考えています。たとえば今回のような「テーマでも、俯瞰的な視点や、デジタル全般への理解しにくさなどでしょう。また、地方は地方でその日々の現実の中、1人ひとりの取り組みや生活があることは、国内の都会からすら理解しにくいのではないかと最近、感じています。魚本さんにとって、国内や他国に関する何が特にわかりづらいか、また朝鮮の場合にはデジタルの取り入れ方についてどうかを可能な範囲でお伝えいただけますでしょうか(訪朝の際、中国に留学した若い方がデジタル図書館の館長をしていらっしゃいましたが、つながっているのはイントラネットでインターネットにはつながっていなかったかと存じます。また、みなさんもメールのやりとり以外にネットにつながっていません。でも、市民の多くは携帯電話、スマートフォンを活用していたと記憶しています)。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』12月号巻頭に、「沖縄高江への県外機動隊派遣愛知で全国初の『逆転勝訴』」、本文に「高江・県外からの機動隊派遣は『違法』 沖縄とヤマトの連帯が勝利をもたらす」寄稿

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