前々回、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)を取り上げた。これは戦争に関わり巻き込まれたソ連従軍女性たちの隠されてきた声を発掘した、ノーベル文学賞作家によって記される貴重な記録だ。その続きの書評をお届けしたい。

◆理想のため、そして祖国防衛のため、立ち上がる女たち

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

二等兵で土木工事を担当していたタマーラ・ルキヤーノヴナ・トロブの父について、「あの人たちが信じたのはスターリンでもレーニンでもなく、共産主義という思想です。人間の顔をした社会主義、と後によばれるようになった、そういう思想を。すべてのものにとっての幸せを。一人一人の幸せを。夢見る人だ、理想主義者だ、と言うならそのとおり、でも目が見えていなかった、なんて決してそんなんじゃありません」と語る。彼女自身は共産党員を継続しており、「私が信じていることは当時からほとんど変わっていません。一九四一年から……」とも述べているのだ。

「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。『その通りだ』と」という、チェ・ゲバラの名言すら思い浮かぶ。

1941年といえば、第二次世界大戦中、独ソ不可侵条約を破棄したドイツの大兵力がソ連に侵攻したことを機に、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国(連合国と戦った諸国)とソ連間との「独ソ戦」が始まった年。ソ連軍は大きな犠牲を払ったが、スターリングラードの戦いでドイツ軍が43年に降伏してソ連軍が反撃。ドイツ国内に侵攻して45年、ドイツの無条件降伏によって幕を閉じた。

本書に登場する女性の多くに、燃え上がるような闘志を目の当たりにする。装甲車の野戦修理工だったアントニーナ・ミロノヴナ・レンコワは、「こんなかわいい子たちは惜しいからな」と言われて書記にさせられそうになると、「かわいいかどうかなんか関係ないじゃない!」「私たちは志願兵です! 祖国の防衛に来たんです。戦闘員でなけりゃやりません」と断言。そして修理工として従事するが戦後、24歳にして自律神経のすべてが破壊されていることがわかり、全身の痛みに悩まされる。内蔵の位置もずれたものの、学業に専念し、インタビューの終わりには「『くそっ! てめえの×××!』って感じ」と捨て台詞のような言葉も伝えているのだ。

◆当時としてはいわゆる「男勝り」な面と、恋する女性の顔

女性たちが悩まされたのは、「女の子扱い」や自律神経の破壊だけではもちろんない。電信係に携わったナヂェージダ・ワシーリエヴナ・アレクセーエワはシラミに吐き気すら催しながら、「凍傷になると頬が白くなるって聞いていたけど、私のほっぺは真っ赤だった。私は、色白なほうがいいからいつも凍傷だったらいいのになんて思った」と口にする。

曹長で砲兵中隊衛生指導員だったソフィヤ・アダーモヴナ・クンツェヴィチは、這ってばかりでズボンは破れていたが、シャツやズボン下を脱いで裂いてくれる男たちを前に恥ずかしさを感じることもなく、「私は少年のようでした」と振り返るのだ。

軍曹で高射砲兵だったクララ・セミョーノヴナ・チーホノヴィチは、「看護婦が不足なら看護婦になる、高射砲の砲手が足りなければ砲手になるだけのこと」「初めのうちはとても男と同じになりたかった」と言う。いっぽうで3枚以上の下着は捨てさせられるため、生理の際には草で脚を拭き取り、トップスの下着の袖をもぎ取ってボトムの下着にしたようだ。

愛する人との別れを体験した女性も多い。大尉で軍医だったエフロシーニャ・グリゴリエヴナ・ブレウスは、通常すぐに埋葬される夫の遺体を持ち帰ろうとし、「あたしは夫を葬るんじゃありません、恋を葬るんです」と口にし、それができない場合、「私もここで死ぬわ。彼なしで生きる意味がありません」と思いを伝える。結局、棺を持ち帰ることになったが、彼女は特別な飛行機の機内で気を失ってしまう。衛生指導員だったソフィヤ・Kは、戦地・現地妻であり第二夫人だった。彼女はおそらく「売春宿」のかわりに男たちを相手にし、その中で恋に落ち、子どもも身ごもったのだ。同様に衛生指導員だったリュボーフィ・ミハイロヴナ・グロスチも、少尉に恋をしている。

◆両脚を奪われ、乳飲み子の命を自ら奪う女たち

ドイツの侵攻に対し、女たちがどのように向かっていったのかも描写される。連絡係だったワレンチーナ・ミハイロヴナ・イリケーヴィチは、精神の均衡を失った女性の話を説明。その女性は5 人の子どもと一緒に銃殺に連れて行かれ、その際、乳飲み子に対し、「空中に放りあげろ、そしたらしとめてやるから」と身振りでうながされた。その女性は、自ら赤ん坊を地面に投げつけて殺したのだ。そして、「この世で生きていることなんかできない」と話したという。別の女性の話ではドイツ軍は、少年を四つん這いにさせ、投げた棒きれを口にくわえて取ってこさせたそうだ。

パルチザンだったフョークラ・フョードロヴナ・ストルイは、負傷した両脚を切断。計5回の手術に耐え、「あんな人は初めてだ。悲鳴1つあげない」と医師に言わしめた。

女たちは決死の覚悟で戦場へと踏み出すも、女性であるからこその悩みを抱えさせられ、そして愛する人を失う。さらには、健やかな心身を奪われ、自ら子どの命を殺めることすら選ばされた。国家や政治の都合によって巻き込まれる戦争の現場には、当然1人ひとりの人間がおり、生々しい現実が存在する。これらの記録は、女性の口だからこそ集められた赤裸々なものだ。

現在進行形の戦争についても触れながら、次回を最終回とする予定だ。(つづく)


◎[参考動画]映画『戦争と女の顔』予告(原案『戦争は女の顔をしていない』)

◎《書評》『戦争は女の顔をしていない』から考える
〈1〉 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチと戦場に向かう女性たちの心境から
〈2〉祖国のために立ち上がる女、子を殺めることすら選ばされる女

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』4月号に「全国有志医師の会」藤沢明徳医師インタビュー「新型コロナウイルスとワクチン薬害の真実」寄稿。
Facebook https://www.facebook.com/hasumi.koba

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前回、『戦争は女の顔をしていない』の書評の第1回目から日が経ち、申し訳ない。続きを書く前に、上映しているうちに早めにアップしておきたい『REVOLUTION+1』完成版の映画評を先にお届けしたい。

 

足立正生監督(左)

◆瑞々しい「足立節」を堪能せよ!

これは足立正生監督の6年ぶりの新作で、2022年8月末に密かにクランクインし、8日間の撮影から制作されたという。ピンク映画の手法の経験なしでは、このスピード感で誕生しえなかった作品だ。クランクインから1月後、強行された安倍晋三国葬当日にダイジェスト版の緊急上映をおこなった。今回の上映は、完成版となる。

安倍晋三元首相を撃った山上徹也氏を主人公に、「民主主義への挑戦」ともいわれた彼の行動の背景を、それでも足立監督ならではという表現によって描写した。監督は83歳になるそうだが、瑞々しい感性は変わらない。わたしは実は、足立・若松ファン歴がおそらく30年ほどとなるが、どの作品を鑑賞したことがあるかの記憶は曖昧だ。

『REVOLUTION+1』も、もちろん足立節が炸裂。山上氏は、わたしの周囲では直後から「テロリストの鑑」といわれていたし、育った家庭がややこしさを抱えながらロスジェネと呼ばれて搾取され続ける世代としても、理解できるような気がする部分があった。報道を眺めても、その後の影響は膨大と考えざるを得ず、SNSでは「山神様」などという表現も目にする。

足立監督が山上氏を撮ると耳にした際、「やはり」と感じた。なぜなら、1972年5月30日の「リッダ闘争」3戦士の1人である岡本公三氏を支援する「オリオンの会」でも、「テロとは何か」「現在の革命にどのような形がありうるか」というような話題が常にのぼっていたからだ。まさに、その先にあって、なおかつ誰も予想できなかったかもしれないのが、山上氏の登場だった。彼自身の語りとは無関係かもしれないが。

◆社会や世界を変革する「星」たれ!

3月11日、東京上映初日のユーロスペースでの舞台挨拶兼トークには、足立正生監督、主演のタモト清嵐氏、イザベル矢野氏、増田俊樹氏、飛び入りのカメラマン・髙間賢治氏が登場。司会進行は太秦の代表・小林三四郎氏で、増田氏が足立監督の「映画表現者は、現代社会で起こる見過ごせない問題に、必ず対時する」という言葉を紹介していた。

監督は作品を観た人には「これまでの作品とは異なり、わかりやすいといわれる」と語っており、実際わたしも本や絵はそのような方向性が意識されていたようには思う。足立監督といえばシュルレアリスム(【Interview】「僕らの根っこはシュルレアリスムとアヴァンギャルド」~『断食芸人』足立正生(監督)&山崎裕(撮影))。シュルレアリスムとは、「思考の動きの表現」であり、「奇抜で幻想的な芸術」だ。

ただし、本作から何を読み取るのかは、観る側に委ねられているはずだ。主人公・川上達也の苦悩の本質、彼が抱く「星になる」という希望、暗殺の実行によって彼が得たものなどには想像の余地がある。

個人的には、安倍どころか中曽根以降、否、戦後、否、明治以降に、彼の苦しみは翻ると改めて考えさせられた。1人が銃弾によって、そこに風穴をあける。「星になる」こととは、復讐を果たすことであるいっぽうで、社会や世界を変革する1人になることでもあるだろう。そして彼は、「生きるということ自体」を取り戻したのではないか。いっぽうで、わたしが復讐を果たすべき相手は誰なのか(比喩的にでも)。

主演のタモト氏は、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』にも出演していた方。初日のトークでも、森達也さんの『福田村事件』に主要キャストなどを連れ去られた話がすぐに出るが(笑)、井浦新氏ファン歴がさらに長いわたしでも、『REVOLUTION+1』の主演はタモト氏でよかったと思う。観る者に雑念を混入させない、シンプルに没頭させてくれる演技が魅力的だ。

とにかく足立監督は、「やはり、こういうのが好きなのだよな」と、なんというか自由でクリエイティブで少々デタラメな気分を共有させてもらえること請け合いだ。楽しそうに出演する監督やスタッフさんたちも、ウォーリーのように見つけよう。ぜひ、ご覧いただき、何に対して自分は立ち上がるのかを考えたりしてもらえれば幸いだ。

3月11日、東京上映初日のユーロスペースでの舞台挨拶兼トークの様子


◎[参考動画]映画『REVOLUTION+1』 予告篇

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』4月号に「全国有志医師の会」藤沢明徳医師インタビュー「新型コロナウイルスとワクチン薬害の真実」寄稿。映画評、監督インタビューの寄稿や映画パンフレットの執筆も手がける。

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ロシアのウクライナ侵攻が続いており、これまでにさまざまな意見がみられた。わたしは確実に明言できる答えにたどり着けないまま、こんにちにいたっている。ただし、1冊の聞き書きには、戦場の真実が赤裸々に記されていた。

今回も前回に引き続き、書物や言葉から現在を考えるということを試みたい。取り上げるのは、話題にもなったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)だ。

◆システムが我々を殺し、我々に人を殺させる

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

「『小さき人々』の声が伝える『英雄なき』戦争の悲惨な実態」。そう帯に書かれている。第二次世界大戦時、ソビエト連邦で従軍した女性は100万人超。本書はそのうち、ウクライナ生まれのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが500人以上の女性に聞き取りをおこなったうえで、その声をまとめたものだ。

彼女は、「戦争のでも国のでも、英雄たちのものでもない『物語』、ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった、小さき人々の物語だ」と記す。前回、わたしは「権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている」と書いた。

ここでまず近年、新作を追って読むことは個人的にはないが、村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチで発せられたメッセージに触れておきたい。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです」

「そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは、本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」

「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです」

「一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。『戦地で死んでいった人々のためだ』と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと」

「システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」ともいう。

個人的には、ここに権力や暴力、戦争のすべてが語られているようにすら感じる。しかし、現実を眺めれば、壁と卵をどのような場にあっても常に見極め続けることができている人がどれだけいるだろうか。システムを作った自覚をどれだけの人が持ち続けられているのか。それは、もちろんわたしを含めてのことだ。


◎[参考動画]Japanese author Haruki Murakami receives book award(15 Feb 2009)

◆戦争や政治の犠牲となり、戦地の現実にさらされていく女性たち

前置きが長くなったが、今回の本題である『戦争は女の顔をしていない』に戻ろう。たとえば軍曹で狙撃兵だったヴェーラ・ダニーロフツェワは従軍のきっかけを、「『ヴェーラ、戦争だ! ぼくらは学校から直接戦地に送られるんだ』彼は士官学校の生徒だったんです。私は自分がジャンヌ・ダルクに思えました」と振り返る。彼女だけでなく多くの女性が、情熱や志をもって戦地へ赴くのだ。

ところが戦地の現実のなかでは、「下着は汚くてシラミだらけ、血みどろでした」と、野戦衛生部隊に参加していたスベトラーナ・ワシーリエヴナ・カテイヒナは口にする。二等兵で歩兵だったヴェーラ・サフロノヴナ・ダヴィドワは、夜中に墓地で1人、見張りに立つことに。「二時間で白髪になってしまったわ」「ドイツ軍が出てくるような気がしました……それでなければ何か恐ろしい化け物たちが」という。死と隣り合わせの状況で、それでも日々を生き延びねばならない。でも、率直に不快感を語ることができるのは、その時代では特に女性ならではといえることかもしれない。

女性たちの話が、さまざまに広がることもある。アレクシエーヴィチは、「戦争が始まる前にもっとも優秀な司令官たち、軍のエリートを殺してしまった、スターリンの話に。過酷な農業集団化や一九三七年のことに。収容所や流刑のことに。一九三七年の大粛清がなければ、一九四一年も始まらなかっただろうと。それがあったからモスクワまで後退せざるを得ず、勝利のための犠牲が大きかったのだ」と、記す。

大粛清とは、ヨシフ・スターリンがおこなった政治弾圧や裁判と、その結果、「反スターリン派処分事件」を指す。1930年代、司令官や軍のエリートだけでなく、さまざまな政治家、党員、知識人、民衆の約135~250万人が政府転覆を目論んだとして「人民の敵」「反革命罪」などとされ、約68万人が死刑判決を下され、約16万人が獄死し、全体としては800~1000万人が犠牲となったともいわれる。

ちなみにこの大粛清の要因としては、かつてはスターリンの権力掌握や国民の団結を狙う意図や猜疑心があったためといわれてきた。ここから前回の連赤にもつながってくるように思われるが、最近の研究では戦争準備としての国内体制整備などをあげるものが出てきており、関心ある人は調べてみてほしい。(つづく)


◎[参考動画][東京外国語大学]アレクシエーヴィチ氏記念スピーチ(2016年11月28日)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』12月号に「ひろゆき氏とファン層の正体によらず 沖縄『捨て石』問題を訴え続けよう」寄稿。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

前回、シンポジウムと書籍の前半を取り上げ、連合赤軍の問題から暴力などについて考えることを始めた。今回は、続きの内容を追った後、わたしがイベントや本書を通じて考えた暴力に関する考えを伝えたい。(以下、敬称略)

 

椎野礼仁・著『連合赤軍事件を読む年表』(ハモニカブックス)

◆時系列で「連赤」の真実を追う

まずは、本書、『連合赤軍を読む年表』椎野礼仁・著(ハモニカブックス)の続きを見てみよう。

「その後の『連合赤軍』」の章でも、大衆の反応のおそろしさに触れられていたり、坂口が手記に「誤りの根本原因は……政治路線抜きの目先の軍事行動の統一のみに走った連合赤軍の結成」としていたりといったことも書かれていた。離婚に関する永田と坂口の温度差には、ある種のせつなさは感じつつも、苦笑してしまう。また、坂口の途中までの黙秘に対する、永田の「それができたのは、何よりもあさま山荘銃撃戦を闘ったから……その闘いが取り調べに対する強い意思を与え……同志殺害に対する罪悪感を和らげることにもなった」などという言葉も取り上げられている。

一方、坂口は、森の「自己批判書」に対して責任転嫁を感じつつも誠意は認めていたこと、沖縄や田中内閣などの「新情勢」から『武闘の条件があるようには見えず、新しい時代に入ったことを感じざるを得なかった』」という。

その後、森が、この「自己批判書」を撤回し、坂口は森に対して批判的な手紙を送り、森は坂口に「君の意見を多く押さえてきたことに、粛清の道があったと思います」「この一年間の自己をふりかえると、とめどもなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます」というような遺書を残して自殺した。

前後して、永田には過食症があり、塩見は「連席問題の核心は思想問題である」という見解を示していたそうだ。重信は、「査問委員会で裁いて欲しい」と申し出る坂東に対し、「そんなつもりも資格もない。連赤の敗北に共に責任をとり、総括するために奪還した」と答えていた。そして、永田に対し、女性蔑視といえる判決が下される。本書には、わたしが知らなかったこと、忘れていたことが数多く記されていた。

連席関連の「ガイドブック」紹介を間に挟み、最終章は「インタビュー」となっている。植垣は「現在の日本ではテロもゲリラも必要ないし、むしろ有害だと考えています」「テロは政治的に有効ですらないということなのです」と語ってから、ゲリラ戦が有効である例をあげた。また、総括の暴力を「日本的な論理」「集団を支える強固な論理構造がある」と説明している。赤軍派は「一人一党」だったが、革命左派の前身グループは「家族的、あるいは閉鎖的だと言われていました」とも植垣は述べる。現在の運動の難しさについても語っており、展望や「未来図」が見えず、「社会主義」にも、官僚制や資本主義に代わるものもないともいう。

加藤倫教は、問題は「革命の私物化」にあり、「本来革命は大衆のためにあるはずなのに、自己目的化されていった」という。提案としては、「江戸時代の人口3000万くらいの規模への再評価が出てますよね」「地域々々でその環境が維持できる範囲の生活をするということです」としている。必要な権力の規模としては「江戸時代だったら、藩レベル」をよしとし、「力の押し付けをするんだったら、個人テロが多発する」とも口にしている。アンドレ・ゴルツ『エコロジスト宣言』やエンゲルス、安藤昌益の「直耕」、「現場主義を貫く」という言葉にも触れていた。

他方、岩田は「『共同幻想論』による連合赤軍事件の考察」という文章を書いており、その全文とあとがきも本書に掲載されている。

◆連赤の問題は、組織というものが内包する闇

山上による安倍銃撃後の現在、連赤の問題を考えると、また新たな視点をもつ。宗教や政治、ビジネスにも罪悪感、心配や悩みの利用があるとするならば、連赤もまた人の弱みが活動や組織に利用されてきたように思える。

ただしこれらは、あらゆる組織やグループに見られる問題であり、連赤はその象徴であるようにも感じられるのだ。権力や金を保持したいグループや人物がいて、完全に組織をオープンにすることは好まず、人の感情や自尊心を、言葉や評価で上下させる。権力や腐敗していく組織、金などを守るために、処刑や搾取を繰り返す。

では、どうすればよいのか。私たちは、権力や金、組織の維持をある程度あきらめてでもグループをオープンな状態に保たねばならない。もしくは山上のように、覚悟をもって、個として動く。

個人的には、さまざまな組織のもつ上記のような意図に嫌悪し、距離を置いた経験が多くある。プロジェクトで自らがリーダーとなって仕事を進める際などには、自らの「煩悩」や「欲望」に負けず、オープンでフラットな状態を保つよう、努めているつもりだ。

本書では、彼らの総括として、個人の問題にするのか、それとも思想の問題とするのか、というような揺れる文脈をたどってきたような気がする。暴力などに対し、簡単に答えを出すことはできない。

ある時、生協活動経験者に「生協は組織の問題があまりないイメージが強いのですが、いかがですか」と尋ねたら、「人間は集まればどこも一緒よ」と返ってきた。このようなことのほうが、個人的には本質に近いように感じる。それを思想の問題と捉え、未来へと進むなら、社会主義に権力者を据えず、互いに自由でフラットで固定されない関係性を追求するような社会を想定し、それを実現すべく日々、実行に移すことが有効であるかもしれない。

とすれば、アナキズムがやはり魅力的にうつるが、これが継続的で平和で自由でほどよい規模に維持されることを想定すると、やはりコミュニティの規模は小さく、それが外の多くのコミュニティとオープンな形で結びつくような形がよいだろう。

あらゆる問題を議論と歩み寄りによって解決することの困難を感じながらも実践することも重要かもしれない。武力をアピールすれば、怒りを買うことは、理解できる。そのうえで、権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている。山上が失敗して安倍の命がつながれていたら、残念ながらここまでさまざまな問題が暴かれてくることはなかっただろう。

ここから先のことも連赤についても、日々の実践のなかで今後も考えていきたい。(了)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等、さまざまな媒体に寄稿してきた。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。取材等のご相談も、お気軽に。
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

「武装闘争や内ゲバをどのようにとらえるのか」。それは、おそらく関係者も、もちろんわたしたちにとっても、明確な答えを出しにくい問いであるのかもしれない。

2022年6月18日、「あさま山荘から50年─シンポジウム 多様な視点から考える連合赤軍」と題されたイベントが開催され、会場である目黒区中小企業センターホールに多くの人が集まった。わたしは成り行きで受付の(役に立たない)手伝いをしていたが、客層は老若男女、多様だ。

このイベントでは、大学1年生の安達晴野さんからの暴力に関する質問に対し、岩田さんは「正義が勝つのでなく、世の中は勝った者が正義をつくっている」と、ガンディーに触れたことに対し、金廣志さんは「暴力についてはいちばん悩んできた。我々は暴力をなくすための暴力と考えていた」「歴史上、システムがチェンジする時に暴力が行使されなかったことはない」「本当にそんな暴力はあるのか、いまだに解決がつかない。あなたたちも一緒に考えてほしい」と答えていた。

さらに安達さんがガンディーは非暴力・不服従を訴えたことに触れ、暴力に異論を唱える。それに対し、金さんは「ガンディーのインドが世界で最も軍事大国の1つであることを含め、我々は暴力についてもっと深く考えたい」「非戦を語り続けること以外に、どうやって未来社会がつくれるんだということが、一応、わたしの建前上の考え」と返した。これらのことが、わたしにとっては特に印象に残ったことだ。

ガンディーは非暴力で御しやすかったからイギリスが評価したという内容の、アメリカの監督が描いたドキュメンタリー映画を観たことがある。非暴力を訴え続けるだけで争いがなくなるという形に、現在、なっていない。また、日常的に暴力にさらされ、報道もなされ続けている。

戦争や暴力が身近に語られるなか50年の節目にあたり、今回の前編と次回の後編を通じ、改めて連合赤軍の問題について考えたいと思う。(以下、敬称略)

シンポジウムにて、若者からの質問に当事者が答える様子

 

椎野礼仁・著『連合赤軍事件を読む年表』(ハモニカブックス)

◆時系列で「連赤」の真実を追う

1月10日、『連合赤軍を読む年表』(椎野礼仁・著/ハモニカブックス)が発行された。本書は、長年にわたる「連合赤軍の全体像を残す会」の活動や発行媒体などをもとに、50年の節目に向け、改めて発刊されたものだ。

連合赤軍は共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘革命左派によって結成され、1971~72年に活動。革命左派は山岳ベースを脱走した2名を「処刑」し、連合赤軍としても山岳ベースではメンバー29名中12名の命を奪った。また、72年にはあさま山荘で人質をとって立てこもり、機動隊員2名、民間人1名も死にいたったのだ。

本書では、題名通り年表形式で、新左翼運動、革命左派・赤軍派、社会状況、警察・メディアの動きなどを追っている。メンバーが運動に参加するようになった背景・きっかけ、永田が川島に性的暴行を受けていたこと、永田と坂口の結婚、上赤塚交番襲撃時に警官による発砲でなくなった柴田のための救援連絡センター主催による人民葬、アジトの様子、最初の「処刑」決定に関する永田と坂口の記憶の食い違い、「処刑」に対する森の反応、森の論理や革命左派と赤軍派とのヘゲモニー争い。そんな内容から始まる。

次に、「連合赤軍の成立と『総括』」という章が立てられており、永田の女性問題への関心が批判へと結びついていく様子やセクハラ問題の対処から暴力への展開などが読みとれるのだ。また、「共産主義化」という方法論の登場、暴力に対する尾崎の感謝の言葉、その他、総括を要求される各人の反応、死亡者が出た際の周囲の反応などが、立て続けに記されている。さらに、逮捕時の永田の心境にも触れられていた。

続く「あさま山荘の10日間」の章では、坂口の、「敵から政治的主張を言えといわれたことで『政治的敗北をヒシヒシと感じざるを得なかった』」というような内面も吐露される。あさま山荘で人質にされた女性は、「銃を発砲しないで下さい! 人を殺したりしないで下さい! 私を楯にしてでも外に出て行って下さい」と叫ぶ。そして、妻を人質に取られた管理人の思いや坂東の父の自殺にも触れていた。この短い章の間にも、ドラマチックな展開を感じてしまう。

次回の後編では、続きの内容を追った後、わたしがイベントや本書を通じて考えた暴力に関する考えを伝えたい。(つづく)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等、さまざまな媒体に寄稿してきた。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。取材等のご相談も、お気軽に。
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

最近、地方の社会から世界の未来に関する報道まで、幅広く気になっている。

地方に関しては、たとえば地域の海士さんたちは乱獲にならぬようにルールを設定して漁をしているいっぽう、養殖魚を扱うところでは背骨などの曲がった魚を切り身にして売っているというような話を聞く。都会との2拠点生活をしている人の中には、養殖魚の問題を知っている人もいた。

わたしが引き継いだ田んぼ。昨年のはさがけの様子

『Business Journal』2021年4月28日には、

日本の漁業を歪めるドン、岸会長の全漁連“私物化”、不正が次々発覚……使途不明金も」と題し、「この状態を放置し続ければ、予算が膨張し続けるだけで一向に水産行政の改善が図られない。岸会長をはじめとした大幹部、そして全漁連を押さえつけられない国会議員には一刻も早くご退場願いたい」

と締める記事も掲載されていた。

印鑰智哉(いんやくともや)さんのFacebookをフォローしているが、2022年8月23日、

米国のある研究によると、核戦争が起きれば日本はほとんどの人が餓死する。使われた核兵器がもっとも少ないケース(100発)でも国際取引が止まれば2年以内に少なくとも7000万人以上(6割)が餓死」「食料自給率の高い国では、この条件では餓死者が出ない国も多く、日本だけで世界全体の餓死者の約3割を占めることになる

と記されている。

また、YouTubeにも、日本や世界の未来の危機を訴える動画は多いが、提示される解決策はさまざまだ。SDGsをうたう企業も増加し続けているが、結局はこれもまたSDGsをアピールすることで利益アップにつなげることを目論んでいるとしか考えにくい事例ばかりがあふれかえっている。

SDGsポスター(ひとつひとつがロゴ。『国際連合広報センター』サイトより)

◆フードロスをなくし、自給率もアップ!

わたしは、自給自足や脱資本主義を目指し、田畑での農作業、森林の再生・保全活動などに参加している。家をもらい、持続可能で自然を守るような生活に向け徐々に、そのスタイルを変化させてもいるところだ。

すると、たとえば手がけている畑では、やはり自然農に近い有機を選択し、農薬はもちろん、動物性の肥料も使わなくなる。また、珈琲や小麦粉ですら多く摂取すると体に合わないと感じるようになり、仲間や近所との物々交換が進んで自炊も増え、米や野菜、果物を多く摂取するようになった。

自らが食す分プラスアルファ程度の量の米や野菜を作る、もしくは採る(捕る・獲る)。ただし、都会や、地方に暮らしていても食べるものを作ったりすることができない人の分を、有機や自然農で作る。作れる人は皆、作る。乱獲はしない。そうすれば、餓死の未来は避けられ、水産資源の枯渇や海洋生物の絶命・減少もなくなるはずだ。

『となりのトトロ』(スタジオジブリ)のサツキ、『ドカベン』水島新司(秋田書店)のドカベンの弁当が多い、というよりも米が多い、ということが度々インターネット上で話題にのぼっている。これは、トトロは1950年代、ドカベンは70年代の弁当の反映であるとされる。70年代には徐々にまれな例になっていくのかもしれないが、たとえば現在70代で地方出身の知人の中には、米と具だくさんの汁が中心だったという人もいる。

農水省のサイトによれば、

増産によりお米の自給が達成された一方で、高度経済成長によって食生活が多様化したことで、お米の一人当たり年間消費量は、昭和37(1962)年度の118.3kgをピークに減少に転じていました。生産が需要を上回り大量の過剰在庫が発生するようになったため、昭和46(1961)年からは生産調整が本格実施されるようになり、1,200万トン前後だった生産量は、約50年で約800万トンにまで減少しました

一人当たり年間消費量も約50kgまで減りました。自給率の高いお米の消費が減ることで食料自給率(カロリーベース)は昭和40(1965)年度の73%から40%程度まで低下することとなったのです

という。

そして現在、米の値段は過去最低のレベルまで下がっている。『SankeiBiz』でも昨年、

米価下落から考えなくてはいけない『農業の本質』」と題し、「2021(令和3)年産の買い取り価格及び概算金額は、過去最低レベルまで落ち込んでしまい、多重な問題を抱えた状況となっている

と記す。

自給率を上げながらバランスを考慮しつつ、米をもっと食し、野菜や果物を摂れば、わたしたちが餓死することは確実に避けられる。すでに海外には、そのような国が存在するのだ。明治時代前期には、日本でも米を輸出していたそうだ。そして、「FAO(国際連合食糧農業機関)の報告書によると、世界では食料生産量の3分の1に当たる約13億トンの食料が毎年廃棄されています」「日本でも1年間に約612万トン(2017年度推計値)もの食料が捨てられており、これは東京ドーム5杯分とほぼ同じ量。日本人1人当たり、お茶碗1杯分のごはんの量が毎日捨てられている計算になります」(農水省サイト)というフードロスの問題も解決する必要がある。自炊が増えれば、自ずとフードロスも減るはずだ。コミュニティキッチン、コレクティブキッチンなどの共同炊事もいい。わたしも今後、実行しようと考えている。そのような複数の取り組みの中から、脱資本主義的なライフスタイルが実現できるはずだ。

◆未来から逆算し、日々を生きる

わたしが移住したエリアの人は、「あばらが1本ない」「あばらが3本ない」などといわれる。由来は諸説あるが、海幸・山幸・田畑の恵みがあることによる安心感で、のんきだとされたりするのだ。実際、現金収入が途絶えても、都会にいる頃のような焦りがあまり起きない。食べる物に困らないということは、至上の喜びだろう。

だが、特定の地域だけがどうにかなるようにするのでなく、現時点では作れない人などの分も専業農家さんなどを中心に確保し、それが労力にみあった適正価格で広まっていく必要もある。餓死者が出るような状況を現場から改善していきながら、他地域はもちろん、海外の人々とも連携できるよう、今できることを進めたい。

もちろん現在は、まだ資本主義下にあるため、賃労働は必要だし、現金収入を確保できなければ焦りもあるだろう。だが、100年後、200年後、300年後を想定し、今を生きることは可能だ。

わたしは原種に近いトルコのオリーブの栽培をお手伝いすることもしている。オリーブは樹齢500年とも、場所や種によっては1,000年とも3,000年ともいわれる。未来から逆算し、できることが確実にある。まずは、ご関心をおもちの方がいらっしゃれば、9月の稲刈りにご参加いただければ幸いだ(連絡先は下方のプロフィール Facebook参照)。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』、『週刊金曜日』、『紙の爆弾』、『NO NUKES voice(現・季節)』、『情況』、『現代の理論』、『都市問題』、『流砂』等、さまざまな社会派媒体に寄稿してきたが、現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。農作業体験は大歓迎! Facebook  https://www.facebook.com/hasumi.koba

党綱領を自ら否定した自民党は即時解散せよ 岸田内閣改造人事の真相 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

ベトナムと枯葉剤。知っているようで、よく理解していない。しかし、現在も被害は継続されており、被害者は救済されていない。戦争や環境破壊の問題も解決していない。坂田雅子監督の手がけたドキュメンタリー映画『失われた時の中で』の試写を観て、今だからこそのさまざまな思いを抱いた。

ベトナム戦争時 ©Vietnam News Agency

◆ベトナムの枯葉剤被害者の現在を多く映し出すドキュメンタリー

坂田監督は2003年、写真家だった夫、グレッグ・デイビスを失う。そして、彼の死の原因が、ベトナム戦争時の枯葉剤の可能性があることを聞かされる。ベトナム戦争は南北ベトナム統一の主導権をめぐって展開し、北ベトナム軍と南ベトナム解放勢力が、アメリカ軍と南ベトナム軍と戦った。グレッグがベトナムに派兵されたのは1967年で、除隊は70年だ。その後、彼は写真家となり、85年以降、ベトナムにも度々訪れた。直接的な死因は肝臓ガンと診断されている。2004年以降、坂田監督はベトナムを取材し続けてきた。

本作では、枯葉剤の影響で、重い障害をもって生まれてきた人々を多数とりあげている。父母は自分たちの死後、障害をもった子どもたちがどうなるのか心配している。アメリカで被害を伝える講演をおこなった女性は、どこに行っても人々から枯葉剤の被害について「知らなかった」と言われたと語る。いっぽう、被害者でありフランス国籍ももつジャーナリストの女性は、市民を擁護するフランスの法律を活用し、アメリカの化学薬品会社に対して裁判を起こす。

坂田監督は『花はどこへいった』(2008)を機に、被害者の子どもたちの教育を支援するため、「希望の種」という奨学金制度を設立。その後、『沈黙の春を生きて』(2011)、『わたしの、終わらない旅』(2014)、『モルゲン、明日』(2018)といった映画作品を手がけてきた。

枯葉剤被害者の子どもたち ©Greg Davis

◆戦争責任遂行と相手の深い理解による、「真の戦争終結」を!

わたしは冒頭に記したように、ベトナムの枯葉剤の被害に関し、知っているようで、よく理解していない。ベトちゃんドクちゃんのイメージが強いが、今回、調べてみたところ、ベトさんは2007年に亡くなっていた。

本作では、被害者の子どもたちの現在の様子を多く知ることができる。眼球を欠損して生まれたキエウ。目をあけられず、声は出せても「音」を発するのみのチュオイ。2つの頭をもつズエン。片腕と両脚が欠損しているロイ。両脚と片腕の先がないホアン。15歳の少女チャンは重い知的障害を抱える父と叔父、4人のために祖母とともに家事に従事。勉強したくとも時間がないと嘆く。

なかには自立して生活することがかなっている人もいるが、それが困難な重度の障害者を抱える家庭は往々にして貧しい。枯葉剤の影響がなかったなら、自由に動き、夢を追い、充実した生活を送っていたかもしれない。枯葉剤を製造・散布したアメリカ、そしてダウ・ケミカルやモンサントといった企業は責任を認めず、ベトナムの被害者は補償もなされていない。元ベトコン(南ベトナム解放民族戦線)でジャーナリストのニャーのフランスでの訴えも、「フランスの裁判所はアメリカの軍事行動を裁く権利を持たない」という理由によって敗訴。ベトナムの枯葉剤被害者は救われぬまま、50年以上もの時が流れているのだ。

「過去から現在に出現させた環境破壊という犯罪」。これは本作に使用されている表現だ。人間も環境も破壊し、現在も影響を及ぼし続けている枯葉剤の問題を、わたしたちはこのまま風化させてよいのだろうか。ダウ・ケミカルはDBCPをドール社の南アメリカのバナナ農園に供給し続け、除草剤や遺伝子組み換えで知られるモンサント(現在はバイエルが買収)はラウンドアップによる健康被害の訴訟を多く抱えている。これは地方で環境保全活動や有機での農作業に携わるわたしにとっても、大きな問題だ。

今からでも、自らの責任を果たし、被害状況を理解して、できることをする。それが過去の戦争による悪影響を少しでも軽減し、現在の戦争を終結させて、よりよい未来を生み出すこととなるだろう。

左がチャン。右は枯葉剤被害者の父や叔父 ©2022 Masako Sakata

【寄付について|坂田雅子監督より】

ベトナムで多くの枯葉剤被害者に出会う中で、私たちの小さな力が彼らを支援する事ができるのだと知りました。被害者の中には重度の障害を持ち普通の生活ができない人々も多くいますが、中には軽度の障害で少しの支援があれば教育を受け、自立できる子どもたちもいます。ベトナムは驚異的な経済発展を遂げたとはいえ、被害者たちはまだまだ取り残されています。細々とですが、この活動は今も続いています。支援していただける方は以下の口座にお振込ください。一口3000円からお願いします。

口座名:ベトナム枯葉剤被害者の会 代表坂田雅子
三菱UFJ銀行(0005)青山通り支店(084)普通:0006502
※お振込いただいた際は、masakosakata@gmail.comまでご一報ください。


◎坂田雅子監督『失われた時の中で』予告編/8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

【公式サイト】http://www.masakosakata.com/longtimepassing.html

【公開情報】8月20日(土)よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。戦争関連の映画評では、「歴史受け止め、アイデンティティ取り戻す営為『シアター・プノンペン』」、「植民地支配や戦争責任を問い返す『東アジア反日武装戦線』のドキュメンタリー『狼をさがして』」(neoneo)、「死を選ぶメンタリティと社会を再考する ── 近代史上最大の捕虜脱走ドキュメンタリー映画『カウラは忘れない』」、「山谷夏祭りと慰安婦映画 ── 『現場」とそこにいる人に『触れる』」(デジタル鹿砦社通信)、「『台湾萬歳』などのドキュメンタリー映画を通じて 日本統治下の台湾、原住民の生活に触れる」(情況)ほか多数。

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

朝鮮の平壌市内に暮らす、よど号メンバーの魚本公博さんより、次のテキストが届いた。ただし、「依頼のあった」ということだが特に依頼したつもりはないため、今回で最終回としたい。

衛星放送を観ている魚本公博さん

◆「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」よど号メンバー・魚本公博さんより

「ピョンヤンからのラブレター」。今回、小林さんから「ウクライナ情勢で東側の言い分」を書いてはどうかとの提言をもらったので、それを考えてみました。題目をつけるとすれば「『日米同盟基軸』を問い直す絶好の機会」とでもなりましょうか。

ウクライナ事態を見る上で重要なことは、それが日本にとってどういう意味をもつのかということだと思います。

今、日本でのマスコミ報道は、「プーチン=悪」のオンパレードです。そして、それを利用して、様々な聞き捨てならない論説が出てきています。その典型は、安倍元首相や維新が主張する「核の共同所有」論でしょう。そして「非核三原則」の廃棄、敵基地攻撃能力保持、専守防衛の見直しなど9条改憲の動きが強まっています。

「核の共同所有」、その論理は「ウクライナは核を放棄したから侵略された。日本は核をもたねばならない。そこで、NATOのような核シェアリングを」ということです。

これを聞いて、私は1980年代初頭の欧州反核運動のことを思いました。当時、私は、欧州でこの取材をしていましたので、ことの外このことが頭をよぎったのです。

ことの始まりは、米国がNATOの未核保有国であるドイツ、ベルギー、イタリア、オランダ、トルコの5カ国に中距離核ミサイル・パーシングIIを配備する計画を発表したことです。それまで、核戦争は米ソ両国がICBMを相互に打ち込むというイメージでしたが欧州に中距離核ミサイルを配備すれば、欧州が核戦争の戦場になる可能性が高まります。そこで、「欧州を核の戦場にするのか」「米国を守るために欧州に盾となれと言うのか」という怒りの声が高まり、空前の「欧州反核運動」が起きたわけです。

安倍元首相らの「核の共同保有」論なるものは、「パーシングII配備」とまったく同じであり、それは、「日本を核の戦場にするのか」「米国を守るために日本は盾になれというのか」という問題だと思います。

このような「とんでも論」が出てくるのは、ウクライナ事態を「プーチン=悪」とのみ見るからです。しかし、その根本要因は「NATOの東方拡大」にあるということを見逃してはならないと思います。

冷戦終結期に米国のベーカー国務長官が「NATOの東方拡大はしない」と約束し、2014・15年の2回のミンスク合意でも約束したことを「俺が約束したことではない」と反故にし、NATOへの加盟、ドネツク、ルガンスク攻撃を強めたゼレンスキーに責任はないのでしょうか。そう仕向けた米国に責任はないのでしょうか。

そして考えるべきは、「米国の核の傘の下での平和」論の虚構性です。本来なら米国は核の脅しで、ウクライナへの侵攻は許さない、撤兵しろと言った筈です。しかし、それをせずに、米国もNATOも武器を送り込み、諜報部員を送りこんで、ウクライナ人に戦わせている。核の脅しなどやれば米国自体が危うくなると踏んでいるからです。

それだけ米国の覇権力が落ちたということでもありますが、そうであるのに、いまだに「米国の核の傘」を信じ、あるいは「核の共同所有」で、これを支えるなど、日本を核戦場にし、日本だけが戦わされるものにしかなりません。

日本は、あの地獄のような戦争を体験し、「もう二度と過ちはくりかえしません」と誓い「非戦、非核」を国是としました。ウクライナ事態は、その正しさを証明しているのではないでしょうか。9条自衛、専守防衛に徹し、対外的に敵を作らず友好国を増やして日本の平和と安全を守り、外交の力で対外問題を解決するということです。

そのためにも、「米国の核の傘の下での平和」。その具体化としての「日米同盟基軸」の国のあり方、そして、米中新冷戦で日本が対中国対決の最前線に立たされようとしていることの危険性などを真剣に考えるべき時です。

ウクライナ事態は、それを契機に起きた物価高騰などの経済混乱を含めて、日本が今まで通り「日米同盟基軸」でやっていくのか、それとも真に日本の平和のために、日本の国益のために、「日米同盟基軸」を見直すのかを問う絶好の機会となっているし、しなければならないと思っています。

◆防衛論の前に意識したい、善悪二元論を疑うこと

「『日米同盟基軸』を問い直す」こと自体は、国内の動きとして見受けられる。バイデン政権が対ロ参戦を否定したことにより、日本の防衛の前提とされていた「核の傘」が危ぶまれたからだ。

マスコミ報道には、変化が見られるようになった。個人的には日頃よりマスコミ報道を懐疑的に見ているが、左派などの間でブチャの虐殺などはデマであるという論調が広まり、それに対する反応も含めて眉唾ものだと考えていた。特に極端なものというのは、左右を問わず内容を疑い、エビデンスを追究すべきではないだろうか。すると、報道の側にも冷静なものが出始めるようになってきた。ただし、冷静を装うようなものもあるし、エビデンスが十分であるともいえない。

現代における情報戦では、情報が速く広く収集できるようになっている。いずれの側も権力者はそれを最大限に活用しようとするだろう。受け取る側も、ポジショントークとはいわないまでも人間であるがゆえ、信じたいものを信じがちだ。極端に走れば、いずれかの「陰謀論」に陥ってしまう。事例が多々見受けられる。このような問題に自覚的であるべきだと、私は思う。そのうえで、「真実」に近づくべきではないか。

「核の共同所有」論や(少なくとも現時点での)9条改憲には反対であり、そもそもアメリカから「独立」して戦争責任も取り直すべきと考えているが、その先に関してここに一度書いたものは消しておく。議論も重ねたいところだ。

ここ数日の間、インターネット上では、護憲派や自衛隊論を述べた共産党に対する批判が見られたり、「プーチンはアイヌ民族をロシアの先住民族に認定している」と危機感を表す人もいる。『ロシアにおける遵法精神の欠如 : 法社会学と経済史の側面から見たロシアの基層社会』という論文も注目された。朝日新聞社編集委員が安倍氏インタビュー記事公表前の誌面を見せるよう週刊ダイヤモンドに要求していたことも報道された。その一方で、日本とロシアの共通点をあげる人もいた。だが、「日本のために戦おうという国民は、ほとんどいないのではないか」と問う人もいる。今こそ「真実」を見極めながら、私たちはこれらのことについて考えるべきだろう。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。地域搾取や自然破壊の現場でカウンター活動をしていらっしゃる方、農作業や農的暮らしに関心ある方からのご連絡をお待ちしております。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年5月号!

広告を挟めば無料から楽しめる『YouTube』、テレビ的に観ることが可能な『AbemaTV』など、インターネット上で鑑賞できる動画には多種存在する。筆者もTV自体はかなり昔に処分して以来、持っていないが、映画、報道、K-POPや韓流ドラマ、DIYを扱ったものなど、さまざまに楽しんでいる。

そのようななか、断続的に利用しているのが『Netflix(ネットフリックス)』だ。今回、最近、話題の2作品について触れてみたい。

◆貧困の問題にまっすぐに向き合ったヒリヒリするような人間ドラマ『イカゲーム』

まず、2021年9月より配信されている、韓国発「サバイバルドラマ」が『イカゲーム(오징어 게임)』。多重債務者や貧困にあえぐ456人が人生を逆転するため、命がけでだるまさんが転んだや型抜き、綱引きや綱渡り、ビー玉や飛び石といった子どもの遊びがモチーフとなっているゲームに参加する。最後まで勝ち残った1人には456億ウォンの賞金が支払われるが、1つひとつのゲームに負ければその場で死ぬことになるのだ。


◎[参考動画]『イカゲーム』予告編 – Netflix

監督・演出・脚本はファン・ドンヒョク。出演はイ・ジョンジェ、パク・ヘス、ウィ・ハジュン、カン・セビョクほか。複数の媒体で監督は背景を説明しているようだが、エンタメ業界紙『The Hollywood Reporter(THR)』の記事(https://hollywoodreporter.jp/interviews/1234/)を引用しておく。「脚本を手に資金集めをしていた時に、全く上手くいかず、漫画喫茶でひたすら過ごしている時期がありあました。そこで、『LIAR GAME』『賭博黙示録カイジ』『バトル・ロワイアル』などのサバイバル系のものや、自分自身も経済的に困窮していた為、借金を抱える主人公が生死を賭けた戦いに挑む様な作品に夢中になりました。本当にそんなゲームがあれば絶対参加して、今の状況から抜け出して大金を手にしたいと考えて没頭していたんです。そんな時にふと思ったんです。『監督なんだからそんな映画を作ってしまえばいいんじゃないか』と」。本作が全世界で公開されると、11月、94か国でランキング1位を獲得。シーズン2の制作も明らかになっている。

わたしが感じたことは、貧困の問題に対し、ある種まっすぐに向き合っているということだ。国内でもおそらく韓国でも、差別的な視線やバッシングはあるだろう。しかし本作では、きれいごとではすまされない現状と、そのいっぽうで人間性や1人ひとりの人間ドラマが描かれている。グロ映像が苦手な人には向かないが、10?20年前くらいには国内でもこのようなヒリヒリするドラマ映画が多数あり、個人的によく観ていた。このような作品が世界で鑑賞されたのは、やはり格差が拡大し、正直者がバカをみるような世界となり、資本主義の限界が露呈し始めたからではないかと考えている。ちなみに、脱北者の女性も登場し、ゲームのなかで特殊な友情を育む。思い入れが強くなった登場人物がゲームに負けたりして命を落とすシーンでは、涙も流してしまうだろう。

◆意味が深い作品だからこそ真摯に対応して手本を示してほしい『新聞記者』の問題

次に注目されたのが、『新聞記者』。19年公開の映画も話題になったが、東京新聞の望月衣塑子(いそこ)記者による同名の著作(角川書店)を原案に、財務省の公文書改ざん事件をモチーフにした社会派ドラマだ。Netflixでシリーズ化され、映画と同様に藤井道人(なおひと)監督が手がけ、やはり全世界で配信された。キャスティングがなかなか絶妙で、米倉涼子さん、綾野剛さん、吉岡秀隆さん、寺島しのぶさん、吹越満さん、田口トモロヲさん、大倉孝二さん、萩原聖人さん、ユースケ・サンタマリアさん、佐野史郎さんなどが名を連ねる。


◎[参考動画]『新聞記者』 予告編 – Netflix

1月18日に『日刊ゲンダイ』(https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/300079)は、「Netflix『新聞記者』海外でも高評価 現実と同じ不祥事描写に安倍夫妻“真っ青”』と題し、「海外でも上位に食い込み、香港と台湾の『今日の~』で9位にランクイン(17日時点)。英紙ガーディアンはレビューに星5つ中3つを付け、〈日本が国民の無関心によって不正の沼にはまろうとしつつある国だと示している〉と評価した」と記す。実際に、安倍夫妻が真っ青になったという事実をつかんだという話ではないようだが。

しかし、1月26日付の『文春オンライン』(https://bunshun.jp/articles/-/51663)によれば、プロデューサーの河村光庸氏が2021年末、森友事件の遺族に謝罪していたことが『週刊文春』の記事によって判明。「公文書改ざんを強いられた末に自殺した近畿財務局職員・赤木俊夫さんの妻、赤木雅子さんと面会し、謝罪していた」という。また、「赤木俊夫さんを診ていた精神科医に責任があるかのような河村氏の物言いなど、いくつかの点に不信感を抱いた赤木さんは“財務省に散々真実を歪められてきたのに、また真実を歪められかねない”と協力を拒否」とのことだ。さらに、「2020年8月以降、一方的に話し合いを打ち切り、翌年の配信直前になって急に連絡してきた河村氏に、赤木さんは不信感を強め、こう語ったという。『夫と私は大きな組織に人生を滅茶苦茶にされたけれど、今、あの時と同じ気持ちです。ドラマ版のあらすじを見たら私たちの現実そのままじゃないですか。だいたい最初は望月さんの紹介でお会いしたのだから、すべてのきっかけは彼女です。なぜ彼女はこの場に来ないのですか』 河村氏はこう返すのが精一杯だった。『望月さんには何度も同席するよう頼んだんですが、「会社の上層部に、もう一切かかわるなと止められている」と』」とも記されている。

そのうえ、遺族から借りた遺書を含む資料を返していないという疑惑も持ち上がった。このような状況に対し、『はてなブックマーク』には、「メディアにとって仮パクは当然のことよ。得ダネ関係は他所に資料が渡らないように積極的に仮パクするよ。俺も業界関係の取材受けたとき渡した資料未だに戻ってこないから 探してると返答あってからもう6年経つ」というような反応も寄せられた。

2月8日、望月衣塑子記者はTwitterで、「週刊誌報道について取材でお借りした資料は全て返却しており、週刊誌にも会社からその旨回答しています。遺書は元々お借りしていません。1年半前の週刊誌報道後、本件は会社対応となり、取材は別の記者が担当しています。ドラマの内容には関与していません。」とつぶやいた。しかし、これに対しても、「文春報道から2週間かけてこの回答。借用書がなかったのなら「返したことにするしかない」と決めたとしか思えないね。あれだけ森友に粘着してて、それで押し切るんだな。東京新聞も含め。」というようなコメントが人気を集めていた。

私は取材・執筆をする側が、勇気をふるって行動する被害者を応援しないどころか邪魔をするようなことをおこなうことは誤りだと考えている。新聞などの報道の現場に携わるわけでもないため、批判でなく支援になればとの思いがある場合、原稿内容が妨げとならないか、力となるかを確認してもらっている。そのうえで、問題提起として強い個所が削除になったり、わかりづらい内容になったとしても、当事者の思いを優先するよう心がけているつもりだ。

個人的には、望月記者を信じたい気持ちもある。また、ドラマだからこそ、わかりやすく、広く問題が伝わるという面ももちろんあるだろう。エンターテインメントの力というものも信じている。だが、本作はフィクションであるとうたってはいても、明らかに事実をとりあげているのだ。そして、会社の意向、ドラマ化に携わる側の意向、金のからみなどによって、真実がゆがめられることはよくある。私自身も取材を受け、意をくみ取ってくれて感心したこともあったが、おもしろおかしくされて怒りに震え、びっしりと赤字を入れて原稿を戻したこともある。

いずれにせよ、事実を正直に公開し、関係者は遺族に対して心からの謝罪をしたうえで今後の対応に関する希望を聞き、疑惑を残さずに、この問題を解決してほしい。東京新聞のことも監督のことも信じたい。問題を追及する側だからこそ、真摯に対応し、手本を示してほしいのだ。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年2月号に「北海道新幹線延伸に伴う掘削土 生活も水も汚染する有害重金属」、3月号に「北海道新幹線トンネル有害残土問題 汚染される北斗の自然・水・生活」寄稿。読者のリクエストに応じ、札幌まで足を伸ばしたものなので、ご一読いただけたらうれしい。全国の環境破壊や地域搾取について調べ続けていると、共通の仕組がわかってくる。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年3月号!

平壌「日本人村」から、「手紙」の執筆者は魚本さん以外でもいいのか、という相談が以前あり、もともと私はみなさんが代わるがわる書くものと考えていたと回答。このやりとりが手紙らしくなるまでまだ時間はかかりそうだが(苦笑)その後、よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕(こにしたかひろ)さんから「デジタル鹿砦社通信 小西ラブレターです」の件名でメールが届く。彼らとの往復メールの前回・第4回のテーマは「『デジタル化』を口実に情報をアメリカに売り渡し、権力を乱用するのか」とした。今回・第5回は私から、10月31日に投開票された衆院選をテーマとしてリクエストしておいたのだ。

「コロナの中、お元気ですか。こちらは、ゼロコロナ。皆、歳の割には元気でおりますから、ご安心ください。総選挙に関する原稿を書きましたので送ります。お役に立てれば幸いです。」とのこと。役立つかどうかをあてにしているわけではないが、私が読者のプラスになるようにまとめる責務はあるだろう。たとえそれが成功しなくても許してほしい。

大同江(だいどうこう/テドンガン)を背景に、平壌「日本人村」事務所のベランダに立つ小西隆裕さん。遠くに対岸の農場が遠望できる。今週は暖かいそうで、雪はなし。このベランダからは夜間、満天の星を楽しめる。

◆「先の総選挙、野党惨敗の根因を問う」 小西隆裕

よど号メンバー・現リーダーの小西隆裕さん

「この国の民はどうしてこうなのか」。先の総選挙結果に接しながら、こうした思いが頭をかすめた識者は少なくなかったのではないか。

しかし、「民」としては、そう言われても立つ瀬がないのではないかと思う。何しろ各党が言っているのを聴いても、皆同じようで、どこを選んでよいか分からなかったのだから。実際、玄界灘を超えた彼方から見ても、与野党どこも、代わり映えがしなかった。

政権交代を目指すのなら、与党との対決点が明確なその目的がはっきりと示されなければならなかったのではないか。

ところが、それがどうも見えてこない。これでは、野党候補を一本化しても、数合わせのための野合だという誹謗中傷が正当性を持ってしまう。

どんなに主義、理念が違っても目的が一致しているなら、いくらでも共闘できる。そのような誰もが納得する政権交代の目的を打ち出し、それを与党との闘いの争点にすることができなかったことに最大の問題があったのではないだろうか。

なぜそうすることができなかったのか。それはそれだけ、彼ら野党が国民の生活と運命に切実でなかったからだと言わざるを得ない。

もし彼らがそれに切実で、国民と一体になっていたなら、それを反映する政権交代の目的を野党共闘の統一した政策として提示することができていたに違いない。

自らの足腰を強くする前に、何よりもまず、国民の意思と要求を反映した路線と政策を政権交代に向けた野党連合統一の目的として掲げるために、野党はもっと国民大衆の中に深く入ることが問われているのではないだろうか。

それともう1つ、日本において国民の生活と運命に切実であろうとするなら、与党自民党政権の背後にいてそれを動かしている米国の動きにも無関心ではいられないはずだ。しかし、それがよく見えてこない。政権交代の目的にもそれが全く反映されていない。

メディアなどの宣伝によって国民の意識から「米国」が消されてしまっている中、この「タブー」に野党が挑戦しないのは、正しい判断なのか。

国民の意識にないからこそ、野党は米国が今、その最前線に日本を押し立ててきている「米中新冷戦」が「日米新時代」のかけ声とともに、日本を米国に吸収統合しようとしてきている事実などに基づき、岸田政権がまさにそれを遂行する「新冷戦体制」づくりのための政権であることなどを明らかにしながら、それに反対する闘いの路線と政策を掲げていくべきだったのではないだろうか。

国民は、広くこのことの本質を受け止め、賛同してくれるのではないだろうか。

私は、この辺りに先の総選挙、野党惨敗の根因を見ているのですがどうでしょうか。

◆次の選挙に向け、どうすればよいのかを一緒に考えよう

前回の結びに対するお返事は特にないようだが、改行が多い(笑)。

さて、5野党一本化の勝率は28%とのこと。選挙制度の問題はあれど、芳しい結果とは言い難い。争点については、岸田が首相となってさらに見えにくくなり、野党共闘側の各党の先鋭的な主張が目立つようになったかもしれない。今日までに私は、やはり地域の仲間などと選挙について意見を交わした。小西さんも触れていることに関連するが、「アンチを唱えて希望がない。50年後、100年後の未来を担う心づもりが感じられない。未来像が見えてこない」。これが最も大きな問題ではないか。

権力をもつ与党をチェックすること、アンチを唱えることは野党の仕事で、必ずしも対案を出す必要はない。だが、選挙では、どのような社会をつくるのかを伝える必要がある。そうでなければ、政治を托す相手を選べない。また現在、失われた年月が増大するばかりで、先が見えず、また新型コロナウイルスの影響もあって失業や自殺が重なっている。先日、久方ぶりに東京に行ったら、野宿の方々のスーツケース所持率の高さ、そして若年層への拡大が目に入った。支援グループへの相談も増えていると聞く。

そのようななか、唯一、未来の希望を語り続け、議席を増やしたのは、やはりれいわ新選組だった。山本太郎代表は、「衆院選挙で3議席を獲得。永田町や物知り顔の評論家から、1議席も難しいと言われていたことを考えると、躍進です。この結果はいうまでもなく、これまで何があっても見放さず、コツコツとれいわを支援くださった皆さんのお力です。100%市民の力で作られた政党が、ステージを上げました。しっかりと地獄を是正する活動を国会内外で繰り広げます。」と公式サイトに記す。

れいわの支援者の中にも、共闘を疑問視する声がある。特に、「消費税ゼロ」を掲げるれいわが共闘によって「減税」にトーンダウンしたことにより、アピールが弱まったという意見が多い。

また結局、立憲民主党は共産と距離をおくことを強調し、11月末に就任した泉健太代表は「政策立案政党」「人に温かい資本主義」「人にやさしい持続可能な資本主義」「穏健中道路線」を訴えている。だが、個人的には、候補者をおろして共闘した共産党に対して失礼でもあり、また結局は「資本主義」のさらなる推進を掲げるなら、もはや立民の存在意義はかなり危うくなるものと思われる。提案内容についても全体的にピンと来ないので、ここで改めて取り上げることはしない。もはや本来的には、自民・国民・立民は左・右・中に分かれて3つに整理し直してほしいくらいだ。と考えていたら、すでに分裂の声もあるらしい。労働者同士を争わせるように仕向ける竹中平蔵は、ベーシックインカム論ですら民営化と自己のビジネスを想定していると思われる。表面的な政策でなく、根本的なもの、方向性を私たちは見定めねばならない。

若者が自民党に投票していることが次第に明らかとなり、また日本維新の会が票を集めた。これらも、自らや周囲の現状が酷すぎないと思い込み、前向きで力強いメッセージを伝えてくれていると感じさせるに足るメディア露出などに支えられ、できあがったものだろう。マスコミ、政治家、野党支持者、1人ひとりが考え直し、取り組みを改める必要がある。

本来は現場から政治家をあげていくのがいいかもしれないが、現実的にはなかなか難しい。まずは各党の1つひとつの選択について意見を明確に発し、来年の参院選に向かって私たちも動きを明確にしていく必要があるだろう。個人的には共闘よりも、やはり総合的にかなり指示できる政党を、もっとしっかり応援しなければいけないなと思う。なかなか何か起こればぶれてしまう。それにはまず、近くの仲間との意見交換を継続することが重要ではないかと考えている。

ところで月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「野党共闘の成果と課題 岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」をテーマとして横田一さんが寄稿していらっしゃる。野党共闘の成果もきちんと評価されているので、ご一読を。

連合の中を垣間見た立場からは、民主党系がそこを票田としてあてにするうちはいろいろなことが困難であろうと考える。50年後、100年後を見据えたうえで現在、何をなすべきかを、政治家の方々にも示してほしいと思ってしまう。

◎[連載リンク]平壌からの手紙 LOVE LETTER FROM PYONGYANG 

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性・オルタナティブ・環境 アクティビスト。月刊誌『紙の爆弾』202年1月号に、「請求棄却で固有種絶滅の危機 森林伐採問う 沖縄『やんばる訴訟』」寄稿。

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