本通信ですでにお伝えした通り「LGBT平等法」が国会で審議されている。国政政党の中に明確な「反対」は見当たらず、自民党から共産党までがこの法案に関しては「推進勢力」である。時あたかも「広島G7」。「G7の中でLGBT法がないのは日本だけ」との言説も聞かれるが、果たして「グローバルスタンダード」(?)はこの国のひとびとを幸せにするのだろうか。

ある筋から「中核派がLGBT法に反対しているよ」と教えてもらった。マスコミでは「過激派」と称される中核派であるが、中核派が「LGBT平等法」に反対する理由はどのようなものだろうか。中核派であることを隠すことなく杉並区会議員として2期目の再選を果たしたばかりの洞口朋子さんに電話でお話を伺った。後編の〈2〉を公開する。

 

洞口朋子=杉並区議会議員

洞口 たしかに性的マイノリティーをどう考えるかについては、私たち中核派の中でも、かなり討論し学習を重ねているのが正直なところです。その中で杉並区議会に「性の多様性条例」が出されましたので、私たち中核派の見解を2、3月の議会で出しました。

田所 わたしは共産党にもこの件で質問をしました。「バイセクシュアル」の人はいまのでデメリットを被っているでしょうか」と質問したところ、共産党のお答えは「バイセクシュアルについては考えたことがない」でした。LGBTとの言葉で括られていますが「多様性」とは文字どおり「多様」なのだからLGBTに収まらない人もいます。今の社会通念からすれば逸脱する人もいるが、仮に法律を作ればそのような指向の人をどう考えるのか、との議論が欠如していませんか。

洞口 表面的な「改善」や啓発活動をすれば差別がなくなるかのような、幻想を描いている。国政政党で言えば与党から野党まで皆さんが推進している。分裂がありながらも国として進めていく。広島でのG7を控えて「LGBTの制度がないのは日本だけだ」と言っていますが、私たちがまったく評価しないG7に向けて進んでゆこうとしている。しかも野党の人たちが進んで行っている疑問はもちろんあります。

女性や性的マイノリティーに対する絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないかと思います。根本的な部分を変えないと。根本的な部分により絶えざる差別・抑圧が生み出される、と私は考えていますので政治的であれ経済的であれ社会的であれ、根本を問題にしないと、社会の構造として性的な差別・抑圧を産み出している根拠を経つことは出来ないのではないかと思います。

その立場から国が進めている、また杉並区や自治体が進めている「性の多様性」には反対です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

洞口氏からは「LGBT法案」の問題点だけでなく、杉並区政の現状についての見解や、社会全般についてのも意見を伺ったが、今回の議論からやや論旨が離れるのでその部分は割愛させていただだいていることをお伝えする。一見左派、リベラル層が賛成で保守層が反対しているかの様相を呈している「LGBT平等法」についての議論は、洞口氏(中核派)が見解を明示したように必ずしもそのような構図ではない。そもそも性自認と身体的性差、あるいは性指向と性趣向の区別すら冷静に考えず、若しくは知らずなんとなく「LGBT平等法」は論じられているのではないか。日本共産党と洞口氏へのインタビューを通じてそのことを感じた。

かたわらで原発推進法であるGX法が成立し、近く「少子化対策のために」社会保険料が増額されるらしい。国民総背番号制であるマイナンバーカードに健康保険と免許証の記録まで統合するという無茶を通すために、国民を2万円(マイナポイント)で釣って国民情報・資産の完全管理を進めているが、早くも住民票や健康保険で過誤が発生している。「武器ではないから」といいながら自衛隊の車両をウクライナに提供し、NATOの事務所を日本に設置する計画もあるという。これらどれをとってもわたしには「LGBT法案」より重大な課題に感じられる。けれどもことの軽重が完全に逆転しこの国の「総論」は迷走している。(了)

【付記】本通信5月20日掲載の《中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点〈1〉「性の多様性」の名の下に、これまで女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないか(聞き手=田所敏夫)》の洞口氏の発言で、

「『性自認』よりも身体的な性差を上位に置いてしまうと」、との記載は、

「身体的な性差よりも性自認を上位に置いてしまうと」が正しい見解であると洞口氏から掲載後に訂正要請を受けました。本原稿で洞口氏の真意を伝えるとともに、20日掲載原稿の当該部分を訂正いたします。

◎中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点
〈1〉「性の多様性」の名の下に、これまで女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないか
〈2〉絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないか

◎洞口朋子(ほらぐち ともこ) 1988年宮城県生まれ。法政大学経済学部除籍。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)幹部。都政を革新する会(旧:杉並革新連盟)メンバー。2019年より杉並区議会議員(2期目)。公式HP https://horaguchitomoko.jp/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

本通信ですでにお伝えした通り「LGBT平等法」が国会で審議されている。国政政党の中に明確な「反対」は見当たらず、自民党から共産党までがこの法案に関しては「推進勢力」である。時あたかも「広島G7」。「G7の中でLGBT法がないのは日本だけ」との言説も聞かれるが、果たして「グローバルスタンダード」(?)はこの国のひとびとを幸せにするのだろうか。

ある筋から「中核派がLGBT法に反対しているよ」と教えてもらった。マスコミでは「過激派」と称される中核派であるが、中核派が「LGBT平等法」に反対する理由はどのようなものだろうか。中核派であることを隠すことなく杉並区会議員として2期目の再選を果たしたばかりの洞口朋子さんに電話でお話を伺った。

 

洞口朋子=杉並区議会議員

◆なぜ「LGBT法案」に反対なのか?

田所 杉並区議会議員に2期目の当選をされた洞口さんにお伺いいたします。今の国会に「LGBT平等法」を成立させようとの動きが、野党、与党双方からあります。洞口さんは「LGBT法案」に反対の立場を明らかにされたと伺いました。その理由を教えて頂けますか。

洞口 杉並区議会においても今年の春の議会でひとつの焦点になりました。杉並区ではこの4月から「杉並区性の多様性が尊重される地域社会を実現するための取組の推進に関する条例」通称「性の多様性条例」が施行されました。それには私の所属する「都政を革新する会」、「中核派」も反対です。

この条例の問題点は様々ありますが、「多様性」との表現はいかようにも取れる、ということです。多くの女性が訴えていることでもありますが、女性が歴史的に勝ち取ってきた部分と衝突しうる。今の社会の中で厳然として存在している「女性差別」の問題を度外視している。性的少数者の方たちの権利を私たちはもちろん守らなければいけない、という立場ですが、それと「女性の権利」、「女性の安全」が衝突してしまうという問題が大きいと思います。歴史的に見ても「男女雇用機会均等法」や「労働者派遣法」とセットで「男女平等」をうたいながら女性労働者を安価な労働現場に送っている。

また「男女平等」や「多様性」は一貫していまの政府にとって都合の良いものとして使われてきたと思います。女性が勝ち取ってきた「保護規定」などが女性が家庭から引っ張り出されることにより、労働者全体の雇用が破壊され、結局女性に「賃金労働」と「家内労働」の両方が押し付けられる。この構造とまったく同じです。

「LGBT法」は女性差別を固定化してゆくものにしかならないし、性的マイノリティーのみなさんが生きやすい社会を作ることになるとは思えない。「女性差別を無視してはいけない」という立場です。

田所 性的マイノリティーの問題を無視するわけではないけれども、それ以前に「女性差別」が度外視される問題の立て方はおかしいのではないか、とお考えであるということでしょうか。

洞口 そうですね。一言で言えば資本主義社会において、「多様性」や「男女平等」は欺瞞である、と。

田所 ちょっと、洞口さんそのお話は次にお伺いしますので。ごめんなさい。

洞口 はい、ごめんなさい。

◆杉並区の「性の多様性条例」は女性差別や女性被害の歴史を踏まえていない

田所 先ほどお伺いした杉並区の通称「性の多様性条例」に「多様性」の名でこれまで女性が勝ち取ってきた様々な権利が無視されている、これが反対をなさる根拠の一つでしょうか。

洞口 はい、そうです。

田所 私は「LGBT」法案について日本共産党にお尋ねしましたが、お答えは曖昧でした。「LGBT」との言葉は耳にしますが、「性の多様性」というときに固定的な概念で括れる人たちばかりではないのではないか、と疑問を持ちます。日本においては性の問題と「家制度」、「家父長制」は不可分であると感じますが、いかがでしょうか。

洞口 私もまったく同じ問題意識があります。杉並区議会でも「パートナーシップ制度」の創設を求める陳情が出されました。「事実婚を認めるべきだ」、「同性婚を認めるべきだ」との内容です。これは私も大賛成、重要だと思います。

「性の多様性条例」と「パートナーシップ制度」がかなり混乱して語られていることに問題があると思います。「パートナーシップ制度」と「多様性条例」が同じであるかのように「洞口は反対した!」と結構、雑な言われ方をします。

「性の多様性」条例の核心的は問題は、私有財産制度や今の社会の政治、経済的な基盤である「家族制度」で、女性が産む性であるがゆえに「子産み道具」や「家内奴隷」という言い方もされますが抑圧されている、実際に社会の中で性暴力や差別を受けているのが99%以上女性だとの歴史と現実をまったく踏まえていない。「性の多様性条例」を作れば問題が解決するかのように、ある意味幻想を煽っている。女性差別や女性被害の歴史を踏まえていないことが問題だと考えています。

田所 実態と乖離しているといことでしょうか。

洞口 そうですね。それどころか差別が固定化されてしまう、と考えています。

◆LGBTすべての人たちが「性自認至上主義」を望んでいるかと言えば必ずしもそうではない

田所 「マイノリティー」という言葉は日本でも定着しているように感じます。少数者に対する懐の深い考え方である一方、「マイノリティー」を名乗れば「保護の対象とされてしかるべきだ」と議論を飛ばして結果に行き着く傾向がありはしないかと感じます。

洞口 性的マイノリティー当事者の声を聞くことがあります。身体的な性差よりも性自認を上位に置いてしまうと、結局犯罪に繋がる。それをしてしまうとLGBTと言われますが、様々あるわけです。LGBTすべての人たちが「性自認至上主義」を望んでいるかと言えば必ずしもそうではない。いまの社会の抑圧構造、この社会の現実について声を上げるべき相手を見誤るような動き、本来であれば性的マイノリティーの人たちも、女性も「家制度」や「家族イデオロギー」にそぐわないということで、ともに声を上げていく人たちが対立させられている状況があると思います。

「性の多様性条例」も誰が差別者、非差別者と認定するのか。条例全体で曖昧なので非常に危機感を持っています。実際女性スペースに身体男性が「心は女性なんだ」と、いまオールジェンダーレストイレとかありますが、女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないかとの危惧があります。(つづく)

◎中核派現役区議会議員、洞口朋子氏に聞く「LGBT法案」の問題点
〈1〉「性の多様性」の名の下に、これまで女性が勝ち取ってきたものが解体されようとしているのではないか
〈2〉絶えざる差別・抑圧を産み出す今の社会を表層的に変えれば良くなるとのものの見方は、甘いのではないか

◎洞口朋子(ほらぐち ともこ) 1988年宮城県生まれ。法政大学経済学部除籍。革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)幹部。都政を革新する会(旧:杉並革新連盟)メンバー。2019年より杉並区議会議員(2期目)。公式HP https://horaguchitomoko.jp/

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれている

田所 ではABC部数はどうなのでしょう。ABC部数は新聞社が自己申告するのですよね。

 

黒薮哲哉さん

黒薮 ABC部数にも「押し紙」が含まれています。ABC部数が減っていることを捉えて「新聞が衰退している」と論じる人が多いのですが、正確ではありません。ABC部数は数字自体に「押し紙」が含まれているからです。「押し紙」を整理しなければABC部数は減りません。正しくは実売部数が減少しているかどうかで、「新聞が衰退している」かどうかを判断する必要があります。このような観点からすると、新聞社の経営は相当悪化しています。

田所 新聞は自分ではそのようなことを書きませんね。

◆販売店は奴隷のような扱いを受けている

黒薮 本当に販売店は奴隷のような扱いを受けています。たとえば販売主さんが、新聞社の担当社員の個人口座にお金を振り込まされたケースもあります。この事実については、店主さんの預金通帳の記録で確認しました。

田所 個人口座へですか。

黒薮 新聞社の口座に振り込むのであればいいけども、その店を担当している担当社員の個人口座に振り込んでいます。平成30年だけで少なくとも300万円ほど振り込まされています。それくらい無茶苦茶なことをされています。

田所 売り上げの全額ではないですね。一部を「私に寄こせ」と。

黒薮 証拠があるからその新聞社の広報部に資料を出して、内部調査するように言っているのですが、調査結果については現時点では何も言ってきていません。足元の問題には絶対に触れません。

◆新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しない

 

田所敏夫さん

田所 逮捕されたら未決の人でも追っかけて報道するくせに、自分たちが取材されると逃げ回って答えない。不思議なことですが、私も同様の苦い経験があります。

黒薮 新聞社の人は、会社員としての意識しかないようです。それでは何のために記者になったのか意味がないと思います。後悔すると思いますよ。大問題があるのに黙ってしまったことに。記者を辞めて年を取ってから後悔すると思います。

田所 でも、後悔する人はまだ救われるでしょう。途中でそんなことたぶん考えなくなるのではないですか。メディア研究者の中にも「頑張っている記者を応援しましょう、ダメな記事には批判のメールや抗議をしましょう」という人は結構います。私にはそのような行為が有益だとは思えません。優秀な記者を応援して、ダメな記事を批判しても、新聞社の体質が変わるわけではないでしょう。「押し紙」を含め新聞社の体質を変えなければ、今題は解決しないと思います。

◆紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない

田所 「新聞社の中ではそういう声は社内に広まるのです」という記者がいるのです。「新聞社は外部からの声にデリケートだ」という記者の人がいますが、私は嘘だと思っています。そんなことで良くなるのであれば、もっとましな新聞社になっているでしょう。経営構造の問題と「腰抜け」というか、そもそもジャーナリズムの意味が解っていない人、ジャーナリズムの仕事をしてはいけない見識・知識・問題解析能力・社会的態度を持ち合わせない人がたくさんその仕事に就いてしまっている。あるいは最初は志があっても挫けてしまう。これが合わさると日本の新聞には未来はない、ということですか。

黒薮 新聞に未来はないでしょうね。紙面内容もよくないし、「紙」という媒体も時代遅れです。これに対してインターネットは、賢明な人が使えば、使い方によっては強いメディアになるでしょう。

田所 ポイントは使い方ですね。情報量は膨大ですが使い方を知らないと、自分の趣味趣向のところに偏って、テレビのチャンネル位しか選択の幅がなくなってしまう性格もあります。問題意識と関心があれば発掘できるとても便利なものですが、意思がないと全く活かしきれない。たとえば動画投稿サイトなどは、一見自由に見えますが実はかなり細かい規制があったりする。決して自由な言語空間ではない。

黒薮 紙の新聞が無くなったから、自動的にネットのメディアが良くなるという訳ではない。そこもコントロールされて行きますからどうするかを考える必要があると思います。模範的な例としてはやはり、ウィキリークスがある。ああいうものが出てくると困るから設立者のジュリアン・アサンジンさんが逮捕され、懲役175年の刑を受ける可能性が浮上しているのでしょう。

◆2002年度の毎日新聞の「押し紙」は36%

田所 『週刊金曜日』の元発行人北村肇さんにかつてお話を伺いました。望ましいジャーナリズムの形は組織ジャーリストと中間規模のジャーナリズムとフリーランスが一緒になって、それぞれができることが違うのでチームを組めばよい成果を上げられるのではないかと指摘されました。ミニマムですが滋賀医大問題で元朝日新聞の出河雅彦さん、毎日放送、元読売新聞記者でのちにフリーライタに転身され昨年亡くなった山口正紀さん、そして黒薮さんに『名医の追放』(緑風出版)を書いていただき、私も少し加わりました。計画したわけではないですが自然の成り行きで、取材や取り組みができた例ではないかと思います。そのもっとダイナミックなことがインターネット上で実現できれば面白い展開ができる可能性がありますね。

黒薮 北村さんがその話をされたのは初めて聞きました。北村さんといえば毎日新聞の内部資料「朝刊 発証数の推移」を外部に流した方です。もう亡くなっているから言いますが、この資料を外部へ持ち出したのは間違いなく北村さんです。新聞の発証数(販売店が発行した新聞購読料の領収書の数)と新聞のABC部数を照合すると「押し紙」の割合が判明します。それによると2002年度の毎日新聞の「押し紙」は、36%でした。(【試算】毎日新聞、1日に144万部の「押し紙」を回収、「朝刊 発証数の推移」(2002年のデータ)に基づく試算 | MEDIA KOKUSYO)

田所 あの人だったらやると思います。

黒薮 毎日新聞の内部資料が外部へ流れたのは、北村さんがちょうど社長室にいらした時ですから、間違いなく北村さんでしょう。

田所 これは全然名誉毀損ではないですね。ジャーナリストとして北村さんへの尊敬の念ですね。

黒薮 その通りです。流出のルートもわかっています。最初は、さっきお話した滋賀県の沢田治さんに流しました。沢田さんから私のところに来て『Flash』や『My News Japan』などが記事にしてくれました。北村さんは自分の考えをそういう形で実践した人です。

田所 短い時間でもこちらが望む以上の答えをいつも頂けたのが北村さんでした。でも、あのように貴重な方から亡くなっていって。

黒薮 残念です。数少ない誠実な人です。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る
〈07〉「押し紙」驚愕の実態 新聞社不正収入35年で30兆円以上
〈08〉新聞社社員個人への振り込みを強要されえた販売店主

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

近年、不思議な国際社会が牽引して日本でも「LGBT」なる言葉が流布している。それに関する立法も急速に進んでいるようだ。弱者の権利擁護はよいだろう。だが、それは戦争に向けた軍事費倍増や原発延命・新設のように明日にでも命にかかわる問題であろうか。あるいは文化や歴史に照らして無理はないものか。

この問題についての最先頭と思われる日本共産党に素直な質問を投げかけた。回答してくださった方は誠実ではあったが、こちらが腰を抜かすほど問題の本質に対して鈍感(あるいは無知)であった。以下、前編に引き続き、わたしと「日本共産党ジェンダー平等委員会」の方とのやり取りの後編である。

◆「B(バイセクシャル)のことは考えたことがない」!

田所 一番象徴的な疑問は、バイセクシャルの方がヘテロと比べてデメリットを被るということが私は論理的に理解できないのです。

共産党 バイセクシャルまでなんで認めなくてはいけないのか?

田所 いえ。認めなくてはいけないのではなく、いいんですよ。でもバイセクシャルの方々がヘテロの人と比べてどういうデメリットを受けていて法律で守られなければいけないのかがわからない。

共産党 法律で守るというより今当事者の皆さんが求めているのは、自分たちの性的指向もね、要は異性愛の人たちと存在としては対等なわけですよね。

田所 対等というより、対等以上に異性愛と同性両方できるわけでしょこれ彼ら彼女ならは。

共産党 そうですね。

田所 だから優越してるんじゃないかと思うんですけど。

共産党 まあ、その具体的ないろんな場面で、例えば学校の中でね非常に異性愛だけが恋愛のあり方なんだ、みたいなことを言われたときに、まあバイセクシャルということは同性を愛する時もあるわけですから……。

田所 ですからその人たちはそれで非常に自由なわけでしょ。同性愛の人が肩身の狭い思いをするのはよく理解できます。でもバイセクシャルの人は異性愛もできるし同性愛もできる。ならば異性愛が基本となって法律で認められる社会において異性愛者より何かデメリットを被るでしょうか。

共産党 まあね。純粋にね。ちょっと私も当事者の方にもっと話を聞いてみなければいけない、と思うんですけれども。

田所 私も若干は自分でお尋ねしたり調べているのですが、皆さんバイセクシャルの問題になると歯切れが悪いんです。私はレズビアン、ゲイとバイセクシャルの方を並列して「性的マイノリティ」という形でくくるのは間違ってるんじゃないかと思うんです。だから、教えていただいてるセクシャリティの専門の方でも、私がバイセクシャルのことをお尋ねするとちょっと歯切れが悪くなるのではないかと思うんです。

共産党 あんまりバイセクシャルだけを取り出して考えたことは、言われてみればなかったと気づきます。

田所 明らかに違うでしょ。だってバイセクシャルの方は今の性的概念とか法的概念の中で生きることもできるし、それプラスアルファ違う感覚も持っている。同性愛の人たちは今の法的概念の中からは、逸脱とまでは言わないけれども法律的には包含されないところにいる。立場が全然違う。

共産党 まあね、なぜLGBTというふうになってきたのかがね。もうちょっとよく調べなければいけないのかもしれませませんね。

田所 私はちょっと不自然だなと思います。

共産党 そういうご意見はすいません、初めて伺いました。

田所 ああ、そうですか。初めてですか。はあ。性の平等や自由を実現していただくのは私は大いに結構だと思うのですが、そこでちょっと問題の混在がないかなということは懸念しますね。

共産党 バイセクシャルの方がどういう悩みを持っているか……?

[画像左]東京レインボープライドでは、しばき隊界隈文化人・香山リカ氏と共産党・池内さおり氏がツーショット! [画像右]東京レインボープライドにTOKYO NO HATEのフロートで参加する池内さおり氏

◆多様性に例外があるのか?

田所 いや、バイセクシャルと同性愛者を並列に並べるのであれば、たとえば先ほど対象にならないよとおっしゃった一対多の関係というケース。男性であれ女性であれですよ。それが不承認によって行われている場合、不承認というのはその単一の人とその対象の多数の人の間での関係性、あるいはパートナーとの関係性が不承認、あるいは納得がいかない関係性であれば自由の範囲を逸脱する関係だということは言えると思うんです。けれども、仮にそれが関係者全員の承認のもとに行われているのであれば、それは多様性の中に入りませんか。

共産党 そういう議論もできますよね。

田所 議論ができるという話ではなく、今の社会観念からはたぶん褒められたことではありませんけれども、そういう人たちはもうずいぶん前からいるわけです。

共産党 そうですね。

田所 閉じられた世界でサークルを作ったりしている人たち。社会的に見ればちょっとへんてこな人ですけれども実際いるわけです。バイセクシャルの人たちは救済の対象と言うとおかしいですけれども、法的保護の範疇に入って、1対多数とういう指向を持っている人たちは「性的指向の自由」の範囲には入れてもらえないという線の明確な引き方が果たしてできるのかどうか。

共産党 バイセクシャルという場合、私のこれまでのイメージは、ずっとそれまで異性と付き合ったこともあるし結婚したこともあるし、だけどふと気づいたら女性を愛したいということで、女性と再婚する方っていらっしゃいますよね。

田所 結婚は社会制度の話であって、性についての指向、感覚は内面的な部分も多分あるのでやや異なるのではないでしょうか。例えば中学生とか高校生の時に恋愛感情とは違うけれども、同性の先輩に憧れると。恋愛というところまで行かないけれども憧憬の念を抱くことは別段珍しいことではない。中には性的な感覚に近い人もいるかも分からないですよね。男女の結婚生活を送ることに直結しないレベルで言ったら、多くの人は両性具有のメンタリティーを抱えてるかもわからないですよね。けどそれは一生懸命法律で何とかしなければいけないような問題なんでしょうか。

◆LGBTは分かりやすい略称なのか?

共産党 LGBTというのが性的マイノリティの分かりやすい略称としてね、使われているのでLGBT平等法とか……。

田所 私には分かりやすくないですね。私には混乱をきたす略称です。

共産党 えええ。まあ歴史的な経過でそうなってきたというのもあるんだけど。

田所 でも今私にお答えいただいている方もバイセクシャルについては、私がお尋ねすると「そこまで考えたことはなかった」とおっしゃっていただきましたでしょ。

共産党 それだけを取り出して、Lはこうだ、Bはこうだみたいに分けて考えたことはなかったです。大きくは性自認と性的指向ということで。LGBとT。LGBはひとまとまりっというか。そんな自覚でいましたので。

田所 そんなに明確なものかどうなのか、と思いますね。明確というかそんな簡単に既成の分け方があるからそれで分けられるというものなのか。どうしてこれを尋ねしたかというと最近共産党の街に掲げてあるポスターに頻繁にその文字が書かれてるんですね。

共産党 共産党は日本国憲法を全面的に実現する世の中を目指しているんですよね。その中にある両性の平等、個人の尊厳これを考えたときに、性的少数者の皆さんが声をあげて運動していらっしゃる、その声はきちっと受け止められる政治にしてゆく必要があると思って、10年くらい前ですかね、共産党はこの問題を掲げ始めているんですけど。運動によって私たちが気付かされて、私たちが取り組まなきゃいけないということで掲げているんです。

◆共産党がどうして「資本主義の矛盾」より「性の問題」を重視するのか?

 

ANTIFAのTシャツを着用する共産党・池内さおり氏と吉良よし子氏

田所 私は性の問題が課題ではないと言っているのではないです。共産党はもともと社会主義とか共産主義の社会作ろうというところから出発されたと思うんですけど、現在その問題はますます可視的に拡大してるんではないかと思うんですね。階級格差です。はっきり言えば、金持ちと貧乏人の差が私たちの毎日の生活の中では拡大してるのではないかと思います。それを資本主義の方法で果たして解決できるかということが1つは世界的な問題ではないかと思うのです。確かに性の問題も重要ですけれども、他の政党で資本主義の根本矛盾を問題視している政党は残念ながらないですね。

共産党 そ、そうですね。

田所 資本主義の根本的な矛盾、搾取の構造というようなことを考えてる政党が残念ながらないわけで、だから共産党こそがですね100年ぐらい歴史があるんでしたっけ。

共産党 ちょうど今年で100年です。 

田所 100年ですか、100年前に比べても今もっと資本主義の悪弊と末期症状は進行しているのではないかと私は思うのですけれども。

共産党 そういうのは共産党掲げ続けていますし、それとジェンダー平等を掲げることはね矛盾するどころか……。

田所 そうです。私は性的な問題を取り上げるなと言っているのではありません。丁寧に教えていただいたので考えていらっしゃることないは分かりました。けれどもせっかくお時間いただいてお相手いただきましたので性の問題に取り組まれるのも結構ですが、今こんな時代で他の野党も頼りないところばかりです。出発点に帰ってしっかり傾注していただくほうが応援しやすいですね。ご丁寧に対応いただきましてありがとうございます。

共産党 私もBのことはもう少し自分で勉強して、そういう疑問に答えられるように。

※        ※        ※        ※

日本共産党が革命を指向する政党だとは思わないけれども、政党名からはそれが良いか悪いかは別にしても、社会主義、共産主義をイメージさせられる。その日本共産党が、どうして格差、階級が拡大し転落の一途が明らかである今日の日本社会で、ここまで熱心に性の問題に力を入れるのか、共産党の方のお話をうかがっても、依然としてわたしには理解ができない。社会制度としての婚姻などに不合理・差別があれば制度を変更し、同性婚は認めればよいとわたしは考える。しかし、婚姻(社会制度)と性指向は似ているようであって、本質的には区別すべきテーマではないか。性指向は内面の問題であり、極めてでデリケートであるがゆえに、簡便な分類などは困難ではないか。

「人に迷惑」をかけなければどんな性指向だって、当事者が納得すればいいだろう。けれどもそのような内面にかかわることに、法律を持ち出すべきであろうか。

繰返すが、制度的差別に苦しむひとがいるのであれば、制度が救済すべきだ。しかし、内面に関する法律や規則は、可能な限り少ないに越したことはない、とわたしは考える。

その理由?不思議なことにLGBT平等法は共産党だけではなく、他の野党もこぞって賛成であり、さらには、与党自民党、公明党までもが意欲を見せている不可思議な様相に、不健全な意図を感じるからである。

この議論、わたしの視点に偏りはあるであろうか。

◎日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46514
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46519

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最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

ロシアのウクライナ侵攻により発生した長期にわたる戦争を視野に入れながら、たった12年前に現実であった、東日本壊滅の危機を忘却しそうな日本国。いま最優先に目を向けるべき課題は何なのか。日々の報道は情報の垂れ流しに過ぎず、議会制民主主義の中には「現状へ異議あり」の選択肢は見当たらない。

近年、不思議な国際社会が牽引して日本でも「LGBT」なる言葉が流布している。それに関する立法も急速に進んでいるようだ。弱者の権利擁護はよいだろう。だが、それは戦争に向けた軍事費倍増や原発延命・新設のように明日にでも命にかかわる問題であろうか。あるいは文化や歴史に照らして無理はないものか。

この問題についての最先頭と思われる日本共産党に素直な質問を投げかけた。回答してくださった方は誠実ではあったが、こちらが腰を抜かすほど問題の本質に対して鈍感(あるいは無知)であった。以下わたしと「日本共産党ジェンダー平等委員会」の方とのやり取りである。

大学院生リンチ事件加害者人脈にしてColabo熱烈賛同者で共産党支持者の自称フェミニスト・北原みのり

◆LGBTありきの議論への疑問

田所 ジェンダー平等委員会の方に教えていただきたいのですが、共産党が最近重要テーマに掲げていらっしゃるLGBTについて教えていただきたく電話を差し上げました。

共産党 はい。

田所 今LGBT法の制定を目指していらっしゃるということですね。

共産党 LGBT平等法ですね。

田所 LGBTという概念はあらゆるセクシャリティーを認めるということでしょうか。

共産党 性自認とか性指向によって差別されない。

田所 あらゆる性指向によって差別されない。そこなんですが、性的指向というのは、とてもデリケートな問題ではないかと思うんですね。人に告げるようなこともありますが、人に言えないような事柄もあるのではないかと思います。それを含めてすべての性的指向の自由を保証すると。

共産党 性的指向は趣味で選ぶもんじゃない、ということなんですよね。

田所 性的指向は趣味、勝手で選ぶものではない?

共産党 「しこう」というのがたぶん違っているんではないでしょうか。指という字に向かうという字を書くんです。今マジョリティーは異性愛が前提で、世の中が動いていますよね。

田所 はい。

共産党 カップルは男と女だと。だけども中には同性に対して性愛を感じる人たちもいますし、両性に対する場合もありますし。あるいはどこにも向かわないという方々もいると。特に今、性的指向で問題になっているのは同性愛の皆さんです。

同性愛がおかしい、異常だとみなされてばかにされたり差別されたりということが続いてきたわけですよ。そういうのを差別しないで欲しいと。そういう性的指向もあるんだと認めてほしいという声が上がってきて、また制度という点では日本の結婚・婚姻制度が異性婚しか認めていないと。それは憲法に違反するんじゃないか。

個人の尊厳を侵害するということで、裁判が戦われてます。だから性的指向は個人の尊厳の問題としてきちんと尊重する。そういう社会にしてゆこうと目指して今LBGT平等法を進めているのです。

田所 だから異性婚しか認められていない世の中で、同性婚を含めて認めて、というようなことが一番の大きな問題と理解したらいいんですか。

共産党 現実問題として一番差し迫った所ではそうだと思います。

◆「戸籍制度」を残したままの「家族形態の多様化」?

田所 同性婚を認めさせるとことを私も理解できるんですね。同性婚を認めている国はいっぱいあることも知っているのでわかるのですが、それは家族形態の問題にも関わってくることではないでしょうか。

例えば男同士が結婚しても子供が作れませんよね。女性同士でもそうです。子供が欲しい場合はいわゆる養子というかどこかからお子さんをもらってくるという形をとるわけですよね。生物学的に残念ながら男と男、女と女で子供はできないわけですから。

共産党 はい。

田所 同性婚で子供を持った家族形態を求めるのであればそういう方法しかないですよね。少し話はそれますがヘテロのカップルの中でも妊娠ができないとかしにくい方々が「代理母」と言って他の女性に結合卵子を預けて出産をするということもあります。

多分ご存知だと思うんですけれども。性的指向を実現するとそこから家族形態が多様化していくということも、現に同性婚を認めている国では、発展的と捉えればそうですし新たな課題と捉えればそうなのかもしれないんですけれども、たくさん報告はあることはご存知だと思います。そこまで考えると、日本の場合もちろん婚姻制度もそうなんですが「戸籍制度」の方がむしろ大きな弊害で個人を縛っていないかなとも思うのですが共産党の方はどうお考えでしょうか。

共産党 戸籍制度については、そういう見地から将来的に検討がなされる必要があるんじゃないかという見解を、党としては持っているんですけれども……。

田所 「戸籍制度」はまだ将来的な課題? これまで戸籍制度が焦点化されて問題とされたことはなかったですか。

共産党 戸籍制度ですか? まあ選択的夫婦別姓制などが議論されている中では……。

田所 いえいえ「戸籍制度」というのは中国と韓国と日本にしか世界中でない制度です。いわゆる封建的な家制度を守るための制度ということではないのでしょうか。昔の共産党の中で議論になったことはないのでしょうか。

共産党 封建制を支える制度?

田所 日本の封建制度や家制度を支える一つの法的根拠として、律令制と同様に導入されたのが戸籍制度であるという分析があります。共産党的な考え方でなくても、社会学、歴史学の中でも議論がありますが、戸籍制度の問題についてはあまり問題を感じていらっしゃらないということでしょうか。

共産党 共産党がジェンダー平等を掲げたことで、日本の法律に残るジェンダー不平等、家制度の名残を無くしてゆこうという大きな方向性は掲げていますのでね。そういうものの一つに戸籍制度も含まれてくるだろうと。

田所 戸籍制度については将来的に考えられるということですね?

共産党 今すぐ戸籍制度を無くしましょうということを掲げているとかそういう状態ではないということです。

◆「一夫一妻婚」を基本とした「多様な性の指向」?

田所 私が感覚的にわからないので論理的にお尋ねできるかどうかわからないのですけれども、「多様な性の指向」を認めるということですね。

共産党 認めるというより、それは現にあるものですからね。

田所 そこの線引きが私は難しいのではないかと個人的に思っているのです。「多様な性の指向」というのは文字通り多様であって、LGBTというところで示されるものは説明可能でわかる範囲の性指向なんですけれども、性指向の感覚は頭の中と体感の問題ですから、可能性はとても広いと思います。私たちが想像してあまり口にしたくないような指向を持っていらっしゃる方も現にいるのを私は知ってるんですけど、そのような指向も含めて全てを許容するということでしょうか。

共産党 例えば私も質問を受けたことがあるのは、一度に複数の人に恋愛を感じると、それも認めるのか。あるいは小児性愛のようなもの含まれるのかと聞かれたことがありますが、この二つに関してはそれを認めると、それによって著しく人権を侵害したり、尊厳を冒されることが起きてしまうので、いくら「個人の性愛は色々ある」としても、それまで含めて全部認めなければいけないという話ではないですよと。

田所 小児性愛は合意の上ではないですからね。合意の上でないのでなければ明らかに排除しなきゃいけなければいけない。犯罪かもしれません。

共産党 犯罪ですよ。何があろうとこれまでも性的指向の名の下に受け入れよう、などということは絶対に受け入れられない。複数のもね、それは男性一人に対して奥さん2人、3人とか言った場合に女性の側が、不倫というんですか、そういうことで苦しむ人が出てくる話なんで。

田所 だから男の人が浮気をするというイメージのことですかね。

共産党 そうですね。逆でもいいですけど。とりあえず私たちが目指しているのは「一夫一婦婚」というのですかね、そういう制度の中での話です。

田所 そこなんですよ。一夫多妻制はよく聞きますね。でも一妻多夫制も世界にあるわけです。少なくはなりましたが特にアジアにはあるんですね。それは「多様性」の中からは排除しなければいけない概念ですか。

共産党 多様性の中から排除する? だからねー、うーんと。

田所 一夫多妻制の封建性は広く西洋社会でもありますし日本でもあったことです。その封建性が排除されるべきだとお考えなのはわかるのですが、母系家族とか一妻多夫制という社会も世界にはある。それはどう考えお考えでしょうか。

共産党 まあそれは、私は何というかな、日本共産党がこうあるべきだと言える話ではないと思いますのでね。そういう価値判断というのか、歴史の中でね、そこは変わったり発展したりということはあり得るはなしなので。そこまで価値判断をいま、するっていうことはしないですね。懸念されているのはそういう話ですか? (つづく)

暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その1)

暴言の限りを尽くす共産党熱烈支持者にしてゲイのしばき隊員・平野太一(その2)

共産党大会で挨拶し同党機関紙「赤旗」に掲載された平野太一。同じ人物の発言か!?

◎日本共産党ジェンダー平等委員会に直撃電話一問一答 LGBT平等法は大丈夫か?
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46514
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=46519

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年6月号

◆「原発をとめた裁判長」からの逆質問

過日、福井地裁裁判官時代に高浜原発3、4号機運転差し止めの判決を下した、樋口英明さんにインタビューしている中で、突然逆質問を受けた。

「憲法と法律の違いが分かりますか?」

樋口さんの質問に対してわたしは、「憲法は最高法規であって、国家権力を縛るもの。法律は憲法に従って行政や、国民にかかわる決まりを定めたもの……でしょうか」と歯切れ悪く答えた。

この問いは、法学部出身者にとって、至極容易な問答かもしれないが、法律を勉強したことのないわたしは、恥ずかしながら瞬時に即答できなかった。そんなわたしに、樋口さんは優しく教えて下さった。

「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」

なるほど。端的にご説明頂ければ、その性質を知らないわけではなかった。いや、10年だか20年だか前には、わたしも「憲法は国が守らなければいけないことを定めたもので、法律は国民が守らなければならないことを定めたものです」と一言一句同じではなくとも、同様の回答ができたと思う。なぜ2023年の春、わたしはかつて自明であった「憲法と法律の違い」との基礎的な問いに窮したのか。自己弁護のようだけれども、その理由はわたしの個人的な劣化だけに求められはしないように思う。

◆忘れ去られた憲法順守義務

日本国憲法はまったく文言を変えることなく、泰然としてか肩身を狭い思いをしてかはわからないけれども、われわれの前に依然として鎮座している。

だが注意して観察すると、日本国憲法の鎮座しているさま(様子)は、かつてに比べて如何にも不安げで、落ち着きがなさそうだ。その理由は公務員や国会議員には憲法順守義務(憲法96条)が以下のように明確に記されている、にもかかわらず、現状は「改憲ありき」の議論に日本国憲法が取り巻かれているからではないだろうか。

「第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

「国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」はどこに行った? 国会では堂々と改憲論議が推し進められているじゃないか。長年統一教会に支えられてきた自民党は言うに及ばず、創価学会の政治部隊、自称「平和の党」こと公明党、はやく「私たちは自民党と同じです」と本心を開示すればすっきりする、国民民主党や維新。中には少しまともそうな人がいるかもしれないけども、泉をはじめとして大方ダメな、立憲民主党。これらの政党はいずれも改憲審議を進めているじゃないか。

反原発からスタートしたはずなのにいつのまにか「積極財政推進」が政策の中心になってしまい、あろうことか古谷経衡にまでくっついた山本太郎氏がつくった政党(この党名は、反動的過ぎるのでわたしは断固として口にしたり書かない)。かつては社会党として自民党に対して一定の監視、抵抗の意義があったが、気が付いたら福島瑞穂氏以外ほとんどが立憲民主党に引っ越ししてしまった社民党。新自由主義という名の資本主義の暴走に直面しているのに、資本主義への正面から抵抗ではなく、なぜか「ジェンダーフリー」に熱心な日本共産党。どこにも現状に対する本質的な、批判、反論が見出せる国政政党はなく、「われこそは本当の保守」と、どうでもいい「保守争い」に、呆れ関心を失うのは主権の放棄だろうか。

戦前から変わらず、大マスコミはニュース、情報番組、ワイドショーで情報源になどなりようのない、コメンテーターだの御用学者、若手、古手の右翼芸人を次から次へと登場させる。

こんな環境に生れてきたら、体制迎合しか知らない若者が溢れても仕方ないだろうし、若者から現状変革の意思を感じ取るのは、至難の業だ。

◆憲法が規定する「本来の姿」

実体的に「憲法が国を縛るもの」ではなくなって久しい今日、ならば、本来の姿を再確認することから始めなければならないのかもしれない。30年前なら「馬鹿馬鹿しい」と一蹴されたであろうけれども21世紀に入る直前から自民党政治が重ねてきた諸政策、なかんずくどう考えても違憲である「自衛隊の海外派兵」をはじめとする軍事大国化を日々目にしていると、本来の「憲法」像がかすんでしまう。だから憲法が規定する「本来の姿」の再確認は無駄な作業ではない、といえまいか。

PKOに名かりたイラク派兵には名古屋高裁が違憲判決を下した。そのことが人々の記憶の中に生きているだろうか。武器輸出の解禁から集団的自衛権の容認、果ては「敵基地攻撃」という実質上の「先制攻撃」までを閣議決定してしまう今の政治は「憲法」によって最低限の監視の目を向けられているであろうか。視点を変えれば為政者は「憲法」の存在をしかるべく認識、あるいは感知しているだろうか。

わたしは、現在の政府やほとんどの野党、そして行政も「憲法」によって拘束されている、あるいは拘束されなければならない法理をほとんど忘れているか無視しているとしか思えない。

つまり、成文法としての日本国憲法は、依然われわれの前に鎮座しているけれども、シロアリに食い荒らされた美しい木造建築のように、実態は「無憲法状態化」しているのが、今日ではないだろうか。憲法が本来の機能を発揮できなければ、下位の法律も健全ではありえない。もちろん国(政府、司法、行政)も好き勝手し放題。これが今日の現実だと冷厳に凝視しよう。

違憲ではなく、「無憲法」状態の中でわれわれは短くない期間過ごしている。この認識をこそ身に刻んで、もう一度日本国憲法を前文から第百三条まで通読して頂いてはいかがだろうか。きょうは憲法記念日だ。殺伐とした現実と日本国憲法の間には、恐るべき乖離がある。それを気付くことに光明があるのかもしれない。


◎[参考動画]「日本国憲法」全文《CV:古谷徹》

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い

「よって原発の運転は許されない」……(龍一郎揮毫)

◆「押し紙」による不正収入は年間932億円規模

田所 実態として日本には5大紙を含め地方紙もたくさんありますが、ほとんどの新聞社が「押し紙」を続けているのですか。

黒薮 今ももちろん続いています。「押し紙」の収入は想像以上に巨額です。私がシュミレーションした数字があります。今問題になっている統一教会による被害額が、全国霊感商法対策弁護士連絡会によると35年間で1237億円です。一方で「押し紙」による収入がどれくらいかの規模になるのか想像できますか?。

 

黒薮哲哉さん

わたしは、2021年度日本新聞協会による統計を使って試算したことがあります。朝刊だけを対象にした試算です。それによると朝刊の総発行部数は、2590万部です。このうちの20%が「押し紙」だとします。20%は過少な数字なのですが、誇張を避けるために20%で計算しました。そうすると「押し紙」の部数は、全国で1日に518万部です。新聞一部の卸値はだいたい定価の半額です。朝刊の月間購読料は約3000円ほどですから、一部あたりの卸値を1500円で計算すると、月間で77億7千万円となります。これを12倍つまり1年で計算すると約932億円です。これが「押し紙」による不正な収入の額です。先ほどの統一教会による被害額は、35年で1237億円と説明しましたが、「押し紙」による不正収入は、たった1年で932億円です。これを35年ベースになおすと、32兆6200億円になります。これだけの不正なお金が「押し紙」から発生しているのです。

統一教会の事件は、大問題になっていますが、不正な収入の金額という点でいえば、新聞業界のほうがはるかに悪質なことをしているわけです。こうした事実は、ちゃんと暴露すべきなのです。

田所 統一教会は信者の数が新聞購読者ほどたくさんいるわけではないので、一人当たりの被害額が大きいからあたかも悪いと。実際悪いのですが、総額でみると新聞のほうが途方もない額を誤魔化している。

黒薮 「押し紙」を無くせば年間で932億円ほどの収入が、全国の新聞社からなくなってしまうわけです。この点に公権力が着目すれば、メディアコントロールが簡単にできます。新聞社に対して、あまり反政府的なことを書いていると「押し紙」問題にメスを入れますよ、とほのめかせばメディアコントロールが簡単に成立します。私は日本の新聞がおかしくなった最大の原因はここにあると考えています。

 

田所敏夫さん

◆「押し紙」とメディア・コントロール

田所 先ほど来ジャーナリズムの問題をいくつかの角度からお話してきましたが、そういったこととは全く別に、新聞の売り方が真っ当ではないから、新聞の報道内容まで真っ当ではなくなってきた、という事があり得ると。

黒薮 それが新聞がダメになった客観的な原因と構図だと思います。「新聞報道はおかしい」と感じている人はたくさんいて、新聞の再生のために何が必要かという議論を展開しますが、肝心なこの構図には着目してもらえません。

たとえば東京新聞の「望月衣塑子記者と歩む会」という集まりがあります。望月さんのような記者が次々に出てくればジャーナリズムが良くなる、という考え方でしょう。そのことを全て否定するわけではありませんが、記者個人ではなく、もっと客観的な新聞社経営の問題にジャーナリズムが堕落した原因を探るべきでしょう。ドブから蚊が発生すれば、まずドブを掃除する必要があるのと同じ原理です。「押し紙」による莫大な不正資金が新聞紙に流れ込んでいるようでは、徹底的な権力批判は不可能です。

田所 客観的かつ構造的な問題ですね。いくら内部で優秀な記者が頑張ったところで、詐欺的な商法で新聞社が儲けていれば「あなたは詐欺をしているでしょう」と検察から指弾された時、極端にいえば新聞は潰れてしまうという話ですね。

黒薮 これとまったく同じメディア・コントロールの手口が戦前・戦中にもありました。それは、政府による新聞用紙の配給制度です。新聞用紙をコントロールすることで新聞社に暗黙の力をかけて世論を誘導させました。同じ構造が今もあります。その道具として機能している政策が、「押し紙」の放置です。新聞社は「押し紙」で莫大な利益を得るので、この点に着目すれば効果的にメディアコントロールができるのです。

田所 テレビを見ると元新聞社の政治局長や通信社の論説委員が、極めて政府あるいは体制寄りのコメントをしていることが多く、ジャーナリズムの問題が新聞を弱めた原因ではないかと、考えがちですがもっと根深く構造的な、「新聞が詐欺的商法」から自ら根腐れを起こしてしまった。どの新聞も部数を減らし経営が厳しいし、販売店も一つの新聞だけではやっていけない。それでも「押し紙」問題に新聞社が気付くことはないのでしょうか。

黒薮 「押し紙」を無くしてしまうとその分の販売収入が減ってしまうので無理でしょう。「押し紙」収入を含めて年間の予算を組んでいますから。逆説的にいいえば、だからこそ「押し紙」問題がメディア・コントロールのネックになるわけです。

◆新聞社の利益構造の中に組み込まれている「押し紙」という麻薬

田所 例えは悪いですが過疎地で政府からの交付金や、原発立地で国から回ってくる特別交付金がないと行政が維持できないから、毎年の予算にそれを組み入れて行政を維持しているのと同じような、麻薬中毒患者のような新聞社の利益構造の中に「押し紙」が組み込まれている。でも麻薬患者は最後に麻薬への依存が強くなり体を壊します。今新聞は麻薬患者に例えるとどれくらいの状態でしょうか。

黒薮 もう意識がない(笑)感じじゃないですか。社名は出しませんが、何千万円もの借金を背負わされている店主は珍しくありません。

田所 販売店の店主さんがですか。それは「押し紙」を引き受けることにより新聞社に払うお金がないからですか。

黒薮 そうです。なぜ借金してしまうかといえば、新聞の卸代金を新聞社に納金できなければ、原則的に強制廃業させます。そこで店主さんは、どこかからお金をかき集めてとりあえず新聞社に支払います。その繰り返しで、莫大な額の借金を背負ってしまうのです。担当員のご機嫌を取るために、一部の新聞販売店は、キャバレーなどで接待しているようです。昔、官僚らの「ノーパンしゃぶしゃぶ」接待が問題になりましたが、新聞社の裏面はそのレベルなんですよ。

田所 こうした事情を新聞社は知っているのでしょうか。

黒薮 知らないはずがありません。ところが新聞社の言い分は「自分たちは、販売店から注文を受けた部数を提供しているだけで実売部数は把握していない」というものです。こうした嘘を平気で繰り返してきました。わたしは新聞社は一旦解体すべきだと思います。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る
〈07〉「押し紙」驚愕の実態 新聞社不正収入35年で30兆円以上

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

松岡 しばらくご無沙汰していました。皆さんにはこれまで「しばき隊」関係の取材をお願いしていましたが、あの一件は依然動きがあるものの、今年は別のテーマで取材をお願い致します。

A 別のテーマというと、どんな分野でしょうか?社長。

松岡 「2023年の阪神タイガース」を徹底的に取材してください。

一同 え、え、え!

B 社長、鹿砦社は本社が甲子園のスコアボード裏100mくらいの至近にあるのは、そりゃそうですが、阪神戦の甲子園内での取材は「報道パス」がないとは入れませんよ。

C 阪神タイガース、タイガースは関西人なら誰でもファンですが、俺今までスポーツ取材なんてやったことないし、いきなりのことで。できるんですか?

松岡 そこを、なんとかしてくださるのがみなさんの力だと信じています!

D いや、社長、気持ちは分かりますけどね。僕らの立場も考えてくださいよ。虎風荘(阪神の若手が入る寮)も近く尼崎に移転するらしいし、鳴尾浜のグランドも尼崎に移転でしょ。Bが言うように甲子園の取材パスは、うちらレベルの「フリー」じゃ手に入りませんよ。どうすりゃいいんですか?

松岡 その点はご心配なく。

B ということは、既に阪神球団に掛け合って、手配済みいうことでうすか?

松岡 私はそんなちゃちな真似はしません。皆さんには堂々と行ってもらいます。

A だから、具体的にはどうしろと?

松岡 岡田監督とは1月末に顔合わせろ済ませました。だから大丈夫です。

一同 本当ですか!ほんまかいな!?

松岡 本社の近くに、皆さんを時々連れてゆくお好み焼き屋さんがありますね。私があそこで食事を終えて店を出ようとしたときに、ちょうど岡田監督が店に入ってきたんです。

B ほんまの話ですか?

松岡 本当です。岡田監督もあのお好み焼き屋さんは馴染みのようでした。せっかくなので激励の握手をしておきました。

C その時の写真って社長のフェースブックに載ってましたっけ?

B それは貴重やわ。岡田監督と関係ができたんやったら、取材も楽にできるから安心しました。

D やっぱり社長「持ってます」ね。全国広しといえども、昼飯食べに行って、そこで岡田監督にばったり会う出版社の社長はそうはいませんからね。それで、阪神球団にはどうやって連絡すればいいんですか?

松岡 は?

D いや、だから 俺たちが「鹿砦社特別取材班」として「2023年の阪神タイガース」を取材するのに、岡田監督と関係ができた社長のラインから、どうやって阪神球団に接触すればいいか、と聞いているんです。

松岡 それはな、うん。まあな。会った(おうた)んは、会った(おうた)んで間違いないんよ。おお。せやけど、突然やんか。牽制球けえへんはずの時に来よったようなもんやんか。おお。あれよ。食べ終わってな、昼からの仕事、どないしようかなあ。考えるやんか。おお。そないしとったら、急に岡田が現れたんよ。うん。びっくりするやんか。びっくりするわな。写真?ほんなもん撮れるかいな。うん。「今年は頑張って」いうてな。おん。しっかり握手はしといたわ。おん。それ以上どないせい、いうんや。そりゃ無理やろ。あんな場合。おおん。

B 社長、急に岡田監督が入ってますけど、誤魔化さんといてください。写真は撮ってない、いうことですか?

松岡 せやから、言うてるやんか。おおん。そんなもん。急にできへんよ。うん。自分やったらできるか?

B いや、自分やったら、ってそういう問題じゃないです。

C 社長、結局岡田監督と鉢合わせしたのは本当なんですね。

松岡 ほんまよ。おおん。びっくりしたけどな。おおん。

D (小声で)おい、社長から岡田監督が抜けないぞ。

A だったら、社長を媒介して、岡田監督に疑似インタビューから取材はじめましょうか。

D この際、仕方ないな。いまちょっと走って例のお好みや参に確認してきたんだけど、岡田監督が常連なのは間違いないって。

B フリーのフォトジャーナリストにはあんなにきついのに、自分は写真一枚なしということですか?

D もう過去の話しても仕方ないだろ。A、岡田監督への疑似インタビュー早速はじめてくれ。

A わかりました。今シーズンから再び阪神タイガース監督に就任した岡田監督へのインタビュー、松岡社長の体を媒介にして行います。
監督、開幕3連勝おめでとうございます。

松岡 おお、まあ、よかったわな。打線が全員2試合でヒットでたんわよかった。おおん。ゆうてもまだ3試合やから、開幕ダッシュとかは大げさやけどな。

A 作戦面でも岡田采配が光りました。リクエスト要求で判定が覆らないと、すぐにランナーを走らせたり、1ストライクから原口選手を代打に送り、1球目をホームラン。昨年までとの違いが際立ちましたね。

松岡 際立ったというかな。やることやってるだけよ。おおん。そりゃ攻撃は敵が嫌がることするのが、当たり前やん。おおん。まあ、打線は水物やけど打てたんはよかったわ。おおん。

A 抑えの湯浅投手、若干厳しいシーンもありましたが投手陣はこの3連戦いかがでしたか?

松岡 まあ、結果ゼロやから。湯浅は。おおん。悪い時もありますよ。でも結果ゼロはよかったわな。おおん。さすがに、3連投はさせられへんから。今日はキャッチボールもさせへんかったし。青柳も才木もいっぱいいっぱいまでは引っ張ってないし。まあ秋山は御覧の通りで。おおん。

A 次の広島戦に西勇投手や伊藤投手を温存できる投手起用は、先発陣の層の厚さを感じさせます。

松岡 層の厚さいうよりも、個人個人が自分の仕事わかってる、いうかね。自分の役割ちゃんとまっとうしてくれたら結果はついてくるゆうことや。おおん。けど、波はあるよ。誰にでもな。

A 今シーズン阪神ファンは開幕3連勝で、ますます期待が高まります「ARE」を期待していいでしょうか?

松岡 いやいや、まだ3試合やんか。それや、あれよ「ARE」はね、もちろん結果やから。まだそんなもん、意識する時期でもないし。目の前の試合を勝っていくのがな、まあ、それだけよ。おおん。

A 放送席、放送席、以上松岡社長の体を借りて、岡田監督のインタビューでした。

D 上出来じゃないか。

B でも、こんな現場当たらずの取材で記事に出来ます?

C 社長には憑依の体質もモノマネの才能もなかったでしょう。その社長にこれだけ饒舌に喋らせるのは、やっぱり岡田監督の力だと思っていいんじゃないでしょうか。

A 自分で聞いといてなんだけど、複雑です…。

D そうだな。毎回こんな原稿じゃ使えないな…。

松岡 皆さんなにをしょぼくれた顔をしているんですか。今年は阪神タイガース取材をよろしくお願いしますよ。

一同 は、はい。(つづく)

特別取材班付記
社長松岡は、たしかに1月末に岡田監督と出くわしていた。しかし上記に報告した内容は、事実のほか一部「想像」、や「妄想」も混じっていることをご了解いただきたい。順次続報をお伝えする。

7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年5月号

地方都市のベッドタウン、団地に暮らす中学生にとって、ラジオから流れる音楽やそれらを演奏するミュージシャンは、間違いなく「別世界」。都市で開催されるコンサートにでも出かけない限り、直接メロディーを耳にしたり、本人の姿を目にするチャンスは皆無だった。日本のミュージシャンであれ、外国のミュージシャンであれ等距離で「別世界」。レコード屋かラジオ、テレビだけが接点として「別世界」と繋がっている日々の記憶を共有できる読者は少なくないのではないだろうか。

「別世界」の住人はどんな人たちなのだろう。「別世界」ではどんな人間関係が織りなされているのだろう。もう少し年齢を重ねたら、あるいは「別世界」の片隅でも覗くチャンスが訪れるのだろうか。それとも「別世界」は太陽と地球のように等距離を保ちながら、永遠に接点を持つことはないものか。

「別世界」には多種多彩なひとびとが暮らしているのを知っていても、その中で坂本龍一氏は、わたしにとって別格の存在だった。どうして坂本氏がわたしにとって別格の位置を占めるに至ったかの経緯は、この際省こう。でも坂本氏が「別世界」住人の象徴的存在であったとしても、多くの読者は疑問には思われないのではないか。70年代半ばからあっという間に「世界のサカモト」に上りつめた人物、いったい何を言いたいのかほとんど訳が分からなかったが『戦場のメリークリスマス』でデビッド・ボウイと共演し、有名なあの旋律を産み出した坂本氏。

坂本氏のステージではなかったが、たしか矢野顕子のコンサートでキーボードを弾いている姿を目にしたのが、初めてだっただろうか。わたしは大阪の私立大学に通う大学生だった。ステージと客席の間に物理的な仕切はないが、やはりステージ上のミュージシャンと数千人観客の間には、太陽と地球同様の距離があるものだな、と感じた記憶がある。

時は流れて1999年10月10日、千葉県成田市の某ホテルである著名人を囲むパーティーが開催されていた。わたしは当時の職場の同僚二人と一緒に、そのパーティーの末席に座っていた。参加者は200名ほどであっただろうか。ところどころに政財界や芸能界の著名人の姿を確認できたが、予期しないことにいわば主賓席に当たる位置に坂本氏の姿があった。わたしは当時の同僚に「このパーティーが終わったら、わたしが坂本龍一を口説くから」と小声で伝えた。

いったい当時のわたしは何を考えていたのだろうか。しかし、迷いはなかった。パーティーが終了すると坂本氏は数人の政治家や、財界人と歓談していたがやがて会場の外に向けて歩み始めた。わたしは名刺を手渡し手短に自己紹介を済ませると「数分だけお時間を頂けませんか」と坂本氏にお願いをした。坂本氏はきょとんとしながらもわたしの要望に応じて、わたしの「お願い」を聞く時間をわたしに与えてくれた。わたしの要求は乱暴極まるものだった。簡単にいえば「わたしの職場にお越しいただきピアノ演奏をしてください」だ。こんなことをよくぞ誰にも相談もせず急に思い立ち、ずうずうしくもご本人に頼んだものだな、と今になってはあきれ返るばかりだが、あの時のわたしにはそれが不可能には感じられなかった。

坂本氏と筆者

「世界のサカモト」にはタイトなスケジュールが組まれているのが常識で、わたしの依頼は半年強あまり先のこととはいえ、唐突に過ぎるものだ。なんの所縁も、知人もいない、片田舎の大学職員が突然現れてそんな要求をして坂本氏の方がむしろ驚いていたのではないだろうか。即答はなかったが坂本氏はわたしのお願いをしっかり聞いてくれ、後日連絡するからと約束してくれた。

それから坂本氏のマネージャーと幾度かメールのやり取りをして、ピアノ演奏は諸般の事情で難しいが、「全面的に協力をする」との答えを頂いた。太陽と地球の距離が急速に変化した瞬間だった。結果わたしは約1週間近くかなりの時間坂本氏にお世話になることができた。そう多くの時間話をしたわけではないが、下世話な話「ノーギャラ」でわたしのお願いに応じて頂けた。

あれはわたしの空想の時間だったのだろうか。23年が経て現実感は限りなく薄い。しかし空想ではなかった。思い起こせば「何だ!この音響は!」と怒られもしたし、機嫌がいい時には「僕にはフィールドが好きだから、ここの学生さんと一緒にフィールドワークをするのも面白いよね」と持ち掛けてくれたり…。

中学生時代の「別世界」がいっときわたしの人生の実時間と合流した。そこには坂本氏の絶大なご好意があった。

数年前にがんに罹患しても坂本氏は治療時以外仕事を休んでいた様子はない。昨年「これが最後になるかもしれない」とみずから語ったNHKで収録をしたコンサートを世界配信していた。部分的に視聴したがわたしは最後まで、見ることができず、途中で視聴を止めた。

田舎の中学生が憧れた「別世界」を実時間に転嫁してくれた坂本氏が逝った3月28日わたしは強烈な胃痛と体調不良にあえいでいた。わたしの体はときにそのような反応をするのだ。坂本氏のTwitter、Facebookには“January 17 1952-March 23 2023 “ が。

わたしの中に残っていた、アドレッセンスの全史と残滓がMarch 23 2023で完結した。


◎[参考動画]Merry Christmas Mr. Lawrence / Ryuichi Sakamoto – From Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『季節』2023年春号(NO NUKES voice改題)福島第一原発事故 12年後の想い

◆日本の新聞がおかしいと感じた瞬間

黒薮 思い出すことがあります。日本の新聞がおかしいと最初に思ったのは、20代の終わりです。わたしは20代の大半を海外で暮らしたのですが、日本に帰って東京でアパートに入った、その日に驚くべき体験をしました。ドアを開けると、拡販員がいきなり洗剤を押し付けて「新聞を取ってくれ」と言ってきたのです。こうした新聞拡販を知らなかったので、「これで新聞記者の人は平気なのかな」と思いました。これが日本の新聞はどこかおかしいと感じた最初です。

田所 そこから黒薮さんはライフワークの「押し紙」の取材にとりかかられたのですか。

 

黒薮哲哉さん

黒薮 東京で普通の会社に就職したんです。そこに2年くらい居ましたがバブル崩壊で会社が潰れたので、それからメキシコで、メキシコ日産の通訳をした後、日本に戻り新聞業界の業界紙に入りました。「押し紙」に関わりだしたのはそれからです。

田所 新聞業界の業界紙だから、ど真ん中にいらっしゃった。内部事情が分かりますね。

黒薮 業界団体の中で不正経理事件があって、それを調べようとしたら業界紙の社長さんらがみんなで、「これは取材してはいけない」と決めてしまいました。そこで「それはおかしいのではないか」と言っていたら、クビになったんです。

田所 解雇ですか。

黒薮 解雇されたんです。解雇される前は私の仕事机だけを壁に向けておかれたりしました。

田所 精神的に追い詰める嫌がらせですね。

黒薮 事件を取材して発表したわけではありません。取材しようと少し動き始めただけでした。しかし、解雇されたのでフリーになりました。

田所 それくらい強固にアンタッチャブルな聖域なんですね。黒薮さんが読売新聞から訴えられたのは何年でしたか。

黒薮 2009年です。その時には既に「押し紙」関係の書籍も書いていました。

◆「押し紙」問題追及の先達たち

田所 本格的に「押し紙」の問題を書き始めたのはいつ頃でしたか。

黒薮 最初に記事を書いたのは1997年です。

田所 黒薮さん以前に「押し紙」問題を取り上げているジャーナリストはいましたか。

黒薮 1970年代に清水勝人さんという人がいました。これはペンネームで噂によると大新聞の販売局の人ではないかと言われています。この人が「押し紙」問題を暴いたことがあるのです。月刊誌に書いていたほか現代評論社から『新聞の秘密』という本を出しています。

清水さんが早い段階から「押し紙」問題を暴いているのですが、まったく見向きもされず、完全に無視された感じです。私も「押し紙」問題をかなり深く取材してから清水さんの存在を知ったくらいです。

それから次に、1980年代から沢田治さんという滋賀県の新聞販売店の労働組合の人が中心になって、「押し紙」問題を指摘しました。国会でも80年から85年までに16回にわたって質問がなされています。沢田さんが国会議員に資料を提供していたのです。

国会質問により「押し紙」問題は、解決するかと思いましたが、85年に質問が終了した頃は、景気が非常によくなっていて、販売店も「押し紙」があっても経営が行き詰まることはなく、「押し紙」についての議論がなされなくなりました。次にそれを始めたのが私です。

田所 ちなみに80年代の国会質問はどの党でしたか。

黒薮 超党派です。社会党、共産党、公明党です。

田所 では、野党超党派の質問ですね。

黒薮 超党派でいいところまで追及してくれました。

田所 今はむしろ与党内に地方議員ですが、黒薮さんの理解者がいますね。

黒薮 小坪慎也さんという福岡県行橋市の市会議員です。2020年佐賀地裁で佐賀新聞の「押し紙」を認定する判決が下りました。その時に取り上げたのはどちらかといえば右派系のネットのメディアでした。「押し紙」問題は、なぜか左派系のメディアもタブー視します。何を恐れているのでしょうね。

◆販売店にノルマ部数を強要する「押し紙」

田所 「押し紙」をご存知ない方々にどうして「押し紙」が問題なのか教えて下さい。

黒薮 「押し紙」は簡単にいえば新聞販売店のノルマ部数です。たとえばある販売店の新聞購読者が1000人だったとすると、1000部と若干の予備紙があれば充分なわけです。ところが1000部で十分に足りているのに無理やり1500部を販売店に押し付ける。この場合、500部がほぼ「押し紙」ということです。

 

田所敏夫さん

田所 販売店は新聞社から適性部数に何割増しかの部数を押し付けられて、買わされるということですか。

黒薮 そうです。「押し紙」により、実質的に新聞社の販売収入が増えます。

田所 私たちは購読料を払って新聞を読んでいますが、新聞社に払っているのではなく販売店に払っているのですね。

黒薮 販売店は自分たちのところに送られてきた新聞の購入代金を、新聞社に全部払わなければなりません。新聞社に「押し紙」に対しても請求を起こします。

田所 販売店にとっては負担ですね。

黒薮 大きな負担です。新聞社の側から見れば、「押し紙」により販売収入が増えます。読者の数よりも多い販売数を仮装することにより、新聞の公称の部数(ABC部数)が増えるので、紙面広告の媒体価値も高まるわけです。新聞社は、「押し紙」により、このような2つのメリットを得ます。

田所 100万人の購読者がいる新聞より150万人購読者がいるとされる新聞は、誌面広告の費用を高くとることができる。しかし150万人のうち、実際には100万人しか読者がいないとすればそれは詐欺ですね。

黒薮 それが「押し紙」問題の本質です。ところが販売店が実数以上の部数を仕入れることにより、利益を上げるケースもあるのです。それは新聞の折り込み広告の枚数と、販売店へ搬入する新聞の部数を一致させる基本的な原則があるからです。搬入された新聞の部数が多ければ、折り込み広告の種類が多い販売店では、「押し紙」があっても損をしません。折り込み広告による収入が、「押し紙」で発生する損害を相殺するからです。

田所 一方的に販売店が負担を被るだけではなく、販売店配達実数以上に折り込み広告代を依頼主に請求できるメリットもあると。

黒薮 今はそんなことはないですが、そういう時代もありました。一種の共犯関係です。先ほど述べたように国会質問が終わったのが1985年で、その後、「押し紙」問題が沈静化したのは、折り込み広告の需要が非常に高くなっていたので「押し紙」があっても販売店は損はしなかったという事情があったと思います。日本経済が好調だったからです。ところがバブルが崩壊し、新聞の価値がなくなってくるにしたがって、販売店が今までたくさん仕入れさせられていた「押し紙」が負担になってきた。しかし新聞社としては「今さら何を言っているんだ」という感じで、簡単に「押し紙」を減らしてはくれないわけです。(つづく)

◎遠慮・忖度一切なし!《本音の対談》黒薮哲哉×田所敏夫
〈01〉「スラップ訴訟」としての横浜副流煙事件裁判
〈02〉横浜副流煙事件裁判のその後 
〈03〉禁煙ファシズムの危険性 ── 喫煙者が減少したことで肺がん罹患者は減ったのか? 
〈04〉問題すり替えに過ぎない“SDGs”の欺瞞
〈05〉「押し紙」は新聞にとって致命的
〈06〉日本のタブー「押し紙」問題の本質を探る

▼黒薮哲哉(くろやぶ てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。著書に『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社)がある。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

田所敏夫『大暗黒時代の大学 消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY007)

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年4月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0BXCMXQK3/

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