淡路島5人殺害事件へのコメントを控える元祖「集スト被害」殺人犯の見識

テレビを見ていて、何よりうんざりするのは、大事件の発生直後から断片的な情報をもとにわかったふうな口をきくジャーナリストや大学教授、評論家、心理学者、元検察官などの「識者」たちだ。

「××容疑者は地域社会で孤立する中で恨みを募らせていた可能性がありますね」
「××被告は偽りの自分を演じているうちに、それが自分の中では本当になったのかもしれません」
「犯人は他人ができないことをして見せたいという自己顕示欲の強い人間なのでしょう」

このようにテレビに出てくる「識者」たちのコメントはいつも絶望的にくだらないが、それに引き換え……と筆者は先日、ある男にいたく感心させられた。現在は岡山刑務所で無期懲役刑に服しているマツダ工場暴走事件の犯人・引寺利明(47)だ。

◆丁重な断りの返事

引寺は2008年6月、広島市南区にあるマツダの本社工場に車で突入し、計12人を死傷させた。そして自首すると、動機について、「マツダで期間工として働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」などと語り、世間の注目を集めた。

筆者は裁判中からこの引寺への取材を続けており、当欄でも以前、岡山刑務所に引寺を訪ねた面会記などを寄稿した。その縁もあり、3月に淡路島であった5人殺害事件の犯人・平野達彦(40)が事件前に「集団ストーカー被害」を訴えていたと報じられた際には、ぜひとも引寺に意見を聞きたく思った。そこで、淡路島の事件の関連記事を同封のうえ、引寺に依頼の手紙を出したのが――。

引寺から届いた返事の手紙には、次のように丁重な断りが綴られていた(以下、 〈〉内は引用)。

〈現在の所、マスコミが犯行現場での周辺の聞き込みや、容疑者の知人などから得た情報を、裏もとらずにガンガン報道しているだけで、容疑者の供述がほとんど報道されておりません。事件の動機となる人間関係のしがらみや過去のトラブルについて、容疑者の口から語られる言葉がひと通り報道されてからでないと、ワシの意見をアレコレと言う事は出来ませんので、今しばらくお待ち下さるようお願いします。〉

テレビに出ている「識者」たちのように断片的な情報だけをもとに不確かなことは言えない、というわけだ。さらに手紙はこう続く。

〈広拘(筆者注:広島拘置所)で片岡さんと面会した時に、何回か話した事なので覚えておられると思いますが、マツダ事件発生当時には、マスコミがワシの家族や交友関係、アパートの住人や近所の聞き込み、働いていた数々の工場での勤務態度などを、裏もとらずにガンガン報道しておりました。その報道の内容については、当事者であるワシからしたら、約3割が嘘だったという事実がありますので、現段階で意見を述べる事が出来ませんので、その点については御理解下さるようお願いします。〉

筆者はこれまで様々な犯罪者や冤罪被害者を取材してきたが、その中には、自分に関する報道が間違いだらけだったと訴え、マスコミへの怒りをあらわにする者は少なくなかった。だが、そういう人間もえてして自分に無関係の報道はあっさり鵜呑みにし、「木嶋佳苗は絶対やってますよ」などと、したり顔で言い放ったりするものなのだ。それだけに、筆者はこういうことを言える引寺の見識に心底感心させられた。また、断片的な情報をもとにわかったふうな口をきく「識者」たちを嫌悪しながら、同じことを引寺に求めた自分の不見識を恥じた。

それにしても、と思う。これほどクレバーな男を凶悪犯に変えてしまう「集団ストーカー被害」とはつくづく恐ろしいものだと。実を言うと、引寺については最近、以前と少し変わったような様子も見受けられるのだが、そのことも機会を改め、報告したい。

筆者の依頼を丁重に断ってきた引寺の手紙

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎《我が暴走05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《我が暴走04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《我が暴走03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《我が暴走02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《我が暴走01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

雪菜、林ゆな、竹内紗里奈──GWに堪能したい!おすすめ人妻AV女優トリオ

仕事でいまだに年間300本近くのAVを見るが、まったくしがらみもお仕着せもなく、もしおすすめできる人妻女優がいるとすれば、3人にしぼられるだろう。

◆雪菜のお勧めは「美人妻が嵌った誘惑エステマッサージ」

雪菜「美人妻が嵌った誘惑エステマッサージ」MAXING

まずは雪菜。雪菜は、「女雀士」という肩書きで、衝撃デビューを果たした。コケテッシュで、スレンダーながらも巨乳。腹筋も締まっている。麻雀プロなのにもかかわらず、麻雀をしているAVは1作のみで、その姿こそプロならではのツモりかたをしていたが、「リーチ」のときに誰も点棒を出さない点を、雪菜は指摘しなかったのだろうか。まあ重箱の隅をつついていてもしかたがない。

AV女優は「普通に撮る」「無理めな尺八を受ける」「精子をかぶりまくる」「乱交する」「SMする」「何十発も入れられる」「黒人とする」「野外でする」という、だんだんエスカレートするコースを歩むものだが、雪菜とて例外ではない。

ただ、特筆すべきは、通常であれば、月に何作もリリースして飽きられるという売り方ではなく、それ相応に作品をリリースする間隔をあけていることだ。つまり、メーカーは、雪菜が今度、どんなセックスをするのか、首を長くして待っている「枯渇状態」を作っているのだ。

作品はすべて「マキシング」というメーカーから出ているが、「美人妻が嵌った誘惑エステマッサージ」(マキシング)がおすすめだ。エステに訪れた人妻が、エステの秘密をする。それは、イケメンの店長が、ひそかに秘部をマッサージしてくれる上に、極太の肉棒をぶちこんでくれる。もはやエステに通い、欲望を解放させるのが日課となった雪菜は、日中からエステで愛撫を受けて、愛液をしとどに垂らす。やがて欲望は究極までふくらみ、ついに雪菜はこう店長に懇願する。「主人が休みの日に、家に来てくださいませんか」と。その哀願の刹那に、男たちのリビドーは爆発するのだ。

◆『ごめんなさい、あなた…。』の林ゆな

林ゆな「ごめんなさい、あなた…。」プレステージ

さて2人目を紹介しよう。「38歳ながらも、重力に逆らう乳房と美尻」のキャッチコピーで人妻AV女優としては、スマッシュヒットを連発しているのが林ゆな。2013年12月にプレステージからデビューして、早くも37タイトル。確かデビューした作品は『パーフェクト過ぎるFカップ人妻 林ゆな38歳 AVデビュー』(プレステージ)で、「浮気している旦那への腹いせ」としてAVに出たとのことだが、セックスを繰り返すごとに、乳房も尻も張りが出てきて、どんどん艶っぽくなってくるのがすばらしい。

あえてひとつ選ぶとすれば、チョイスが難しいが『ごめんなさい、あなた…。 林ゆな』(プレステージ)だろう。なにかのまちがいで、旦那が犯罪を犯してしまう。刑務所に面会に行った帰り、旦那の同僚に励まされるが、あまりにもつらすぎて同僚の体を求めてしまう。雨の中で「同僚」の目線の温もりに耐えられず、男の温もりを求めて、旦那以外の男を初めて家にあげるゆな。そして背徳の時間が始まるのだ。

林ゆなは、挿入されると、あるいは愛撫されると、腰がびくん、とエビ反るのが特徴だ。とりわけ、後ろからインサートされている場面では、男根がちぎれてしまうのではないか、と心配するほど腰を上下にピクつかせている。まあ、林は顔がイタリアのセレブ妻のような雰囲気を漂わせているので、ダイナミックな官能と、肢体のリアクションも込みで人気の秘密なのだろう。いずれにせよ、林の年齢にあらがうかのような「若さ」には着目すべきだ。

◆『罪深き秘蜜の関係』の竹内紗里奈

竹内紗里奈「罪深き秘蜜の関係」アタッカーズ

最後に推薦したい人妻女優は、おそらくあまり知られていないだろうが(失礼)、竹内紗里奈(※現在は引退し、『竹内ゆきの』名義で女優として活躍中)とする。竹内が急浮上する理由は、ここのところ、AV市場は、人妻ものが定番で、なおかつ「ドラマ性があるもの」が売れているからだ。つまり竹内の武器は「演技」である。雪菜も、林ゆなも人気を博しているのは、それなりにドラマ性がある作品に耐えうる演技をしているからだ。

もちろん、台詞使いや、表情などはプロの女優には足元にも及ばないが、そのプロの女優に迫る勢いなのが竹内。白い肌も、貞淑そうなふるまいも、和風な物腰も魅力だ。しかしながらインパクトに欠けるそのたたずまいは、本来であれば、もしかしたら企画系AV女優で終わってしまうかもしれなかった。だが竹内を起用したメーカーたちは、この時代ならではの「人妻の背徳」を背景にした作品でさえを見せる竹内に太鼓判を押すだろう。監督たちは、さすがに先見の明があったのだ。

あえてあげれば、作品としては、『罪深き秘蜜の関係 竹内紗里奈』(アタッカーズ)が秀逸だと思う。ドラマ性を重要とするアタッカーズは、「いけないながらも、体が男を求めてしまう」という背徳性と、その倫理に逆らう肉欲との葛藤がテーマだ。

作品のストーリーはこうだ。竹内は、旦那の弟から衝撃の告白を受ける。旦那の遺伝子鑑定をしてみると、実は旦那と父親は実の親子でないというのだ。旦那の弟は「兄が管理しているオヤジの貯金通帳を寄越せ」と竹内に迫り、ついでに「兄貴と縁を切るのはいいが、あんたと切れるのはもったいない」としてレイプされてしまうのだ。そして、何度も犯されるうちに「女性としての悦楽」に目覚めてしまい、すべてを捨てて弟のもとにバッグひとつで駆けつけるのだ。

弟がひそかに家に遊びにきたときに驚く表情、そして弟に抱いてほしいと懇願する、そのエロチックさと大胆さ。監督の計算を超えて、竹内の白い体は男を求めてうねりだす。かくして、3人の女優は、見せ所を知っている。この時代に、輝くにはあまりにも純粋で、希有な人妻女優たち。ひとつ、このゴールデンウィークは、彼女たちの肢体を堪能するのもいいかもしれない。

▼ハイセーヤスダ(編集者&ライター)

テレビ製作会社、編集プロダクション、出版社勤務を経て、現在に至る。週刊誌のデータマン、コンテンツ制作、著述業、落語の原作、官能小説、AV寸評、広告製作とマルチに活躍。座右の銘は「思いたったが吉日」。格闘技通信ブログ「拳論!」の管理人。

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占領期日本の闇──731部隊「殺戮軍医」石井四郎はなぜ裁かれなかったのか?

3月22日、ウィズ新宿にて開催された西里扶甬子(にしさと・ふゆこ)さんの講演「証言で辿る731部隊の最後」 に行ってきた。

今現在、「731部隊展実行委員会」では、「731部隊映像コンテスト」の出品作品を集めており、その「事前学習会」という位置づけの学習会だ。731部隊の直接的な関係者がどんどん亡くなっていく中で、直接、部隊の生き残りや被害者遺族の声を聞いた西里さんの取材資料は極めて貴重だ。

西里扶甬子『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(草の根出版会2002年5月)

731部隊とは、正式名称を「関東軍防疫給水本部」という。1932年に陸軍軍医学校に「防疫研究室」を設立。中国・背蔭河に「東郷部隊」を設置し、小規模な人体実験を開始した。38年、ハルビン郊外に細菌の研究・製造・実験のための巨大な秘密施設が建設された。これが満州第731部隊本部だ。日本の憲兵隊は抗日戦士らを捉え、裁判にかけることをせずに、特移級として731部隊に送り込んだ。そして3千人もの中国人・ロシア人、朝鮮人、モンゴル人などを使って細菌・凍傷・毒ガスなどの実験を行い、全員を殺害。これらの実験を担ったのが、石井四郎を中心とする軍医だ。

西里さんは海外メディアの日本取材のコーディネーターで、インタビュアー、ディレクターだ。2001年からドイツテレビ協会(ZDF)東京支局のプロデューサーを務め、現在は契約プロデューサーだ。著書として「生物部隊731」、翻訳本として「七三一部隊の生物兵器とアメリカ」をリリースしている。

西里さんはとりわけ、「医学的、軍事的、歴史的、専門分野に属さないドラマチックな場面を切り取って紹介したい」と、731部隊の基本的な知識を展開した上で、部隊長の石井四郎の娘に取材したときの内容や、石井四郎が脱出・帰国したときの経緯などを解説してくれた。

◆石井四郎は「保身のためにアメリカに実験データを売り渡した」

興味深い点は、石井四郎の長女、石井春海さんの証言で、731部隊の資料をすべてアメリカ側に渡したとされるが、「ずいぶんあとになって父がひとりのこらず戦犯にならないように部下たちを全部助けるのが条件だったって。研究情報も80%しか渡していない」と春海さんが話していた事実だ。

それでは、「なんのために石井は資料を残したのだろうか。残りの20%はどうなっているのだろうか」と私は質問した。

「アメリカに対して交渉のカードを残したのでしょう。今もどこかに残りの資料があるはずですが、これこそもっとも危険なものだと私は考えます」と西里さんは話した。この「20%の残りの資料は何か」で1つ小説が成り立ちそうだ。

今もなお、731部隊の問題が語られるのは、「当時、多くの中国人やモンゴル人などを殺戮した戦犯たちが今も裁かれていない」という点が注目される。ところが、「なぜ戦犯たちが裁かれないのか」という点は、今ひとつ忘れさられようとしている。そう、石井四郎が「部下も含めて自分や家族の保身のためにアメリカに実験データを売り渡した」からだ。

◆「満州の細菌部隊の中で、航空機をもっていたのは、731部隊だけだった」

西里扶甬子(にしさと・ふゆこ) =北海道札幌市生まれ。北海道大学英米文学科卒業後、北海道放送アナウンサー室入社。報道部を経てオーストラリア放送(ABC)へ転職。メルボルンからの日本向け短波放送(ラジオ・オーストラリア)のアナウンサー・翻訳者として3年間勤務。1977年に帰国、海外メディアのコーディネーター、インタビューアー、プロデューサーとして活動し、2001年からはドイツテレビ協会(ZDF)東京支局の契約プロデューサー。主著に『生物戦部隊731―アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』(2002年5月草の根出版会)など。

春海さんはこう証言している。

「父は関東軍の山田乙三司令官や竹田の宮様と話しあって、特殊部隊なので、一人も残さず引き上げさせたいと粘ったそうです。それで先に帰って態勢を整えろと言われた.私たちが山口県の先崎で船に着いたのが(終戦の年の)8月31日で、その2日前に父は自家用機で羽田か厚木に着陸したはずです。9月は、東京の若松町の自宅にいました。私たちも一緒でした。陸軍省の幹部と打ち合わせをやっていました。復員してくる人たちと本当に密室で会っていました。マッカーサーが厚木に降りたときに『ジェネラル石井はどこだ』と聞いた。それは、マッカーサーは非常に科学的なかたで、石井に聞きたいことがあるということだったのに、側近が誤解して、石井が巣鴨に拘置されるとたいへんだということで、服部参謀など陸軍省が父を隠したわけなの。加茂にも確かいましたね。日本特殊工業の宮本さんの東北沢のお宅にもいたと思います。何カ所か移ったと思います。その間の根回しは服部参謀がやっていました」

ここに出てくる「日本特殊工業」とは731部隊の施設の施行をしていた会社で、戦後、急遽、飛行機で日本に戻ってきた石井を当時、社長だった宮本がかくまったというのが、多くの人が指摘するところだ。

西里さんは、石井専用機が熊谷飛行場に着いたときに、その機体を発見し、飛行機から羅針盤を抜き取っていた松本征一パイロットの証言もとっている。

松本さんによると「満州の細菌部隊の中で、航空機をもっていたのは、731部隊だけだった」とのこと。つまりこの実験部隊は、戦略的にも重要だったのだ。

◆証言多数の731部隊「実験殺戮」が「なかった」ことになっている戦後70年

さらに、未来にわたって責められる事実として、石井四郎は、多くの人を実験で殺戮しつつも、自らはとっとと帰国していたのだ。そして慧眼をもつ石井は、ソ連よりもアメリカが世界の中枢になっていくことを見越して、アメリカに資料を渡す。

この講演の参加者は語る。

「吐き気がするような話だね。政府は今もなお、731部隊が防疫給水のための部隊で、誰も殺戮していないと主張している。まさにヒトラーのユダヤ殺害に匹敵する悪業なのに、石井は誰にも裁かれず、731部隊などもうなかったかのようなムードだ」

戦後70年がたち、「戦争」を証言する人はつぎつぎと亡くなっている。しかし旧日本軍よ、政府よ! 731部隊は「なかった」ではすまない。

従軍慰安婦とはちがって、こちらは山のような証拠があるのだから。

(小林俊之)

《参考動画》 西里扶甬子「731部隊,原爆,ABCC,そして福島~科学者の倫理を問う」
(立命館国際平和交流セミナー=2014年8月4日広島)※2014年8月6日三輪祐児氏公開

《参考資料》 西里扶甬子「731部隊の秘密を追って 奉天捕虜収容所で何があったか?60 年後に判ったこと?(PDF)」 (POW研究会調査レポート)

◎追跡せよ!731部隊の功罪──「731部隊最後の裁判」を傍聴して
◎自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告
◎反原発の連帯──来年4月、電力は自由化され、電力会社を選べるようになる

話題の対論本!内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』

 

 

もしもいま、日本で韓国の高校生たちが「集団万引き」をしたらどうなるか?

日本の高校のサッカー部員らがこの3月、韓国で「集団万引き」をした事件で、被害に遭ったソウル・東大門のショッピングモールの商店主たちが、処罰を望まないという意思を警察に伝えていたことが分かった。4月14日の朝鮮日報日本語版によれば、商店主たちは、高校生らが韓国で重い処罰を受けた場合、東大門商圏の主な顧客である日本人観光客たちの客足が途絶える可能性があると懸念したという。

ソウル中部警察署が4月13日に発表したところによると、被害に遭った9店舗のうち一部の店主たちは「日本の高校生たちに寛大な措置を講じてほしい」との意向を警察に伝えたという。店主たちはその理由として「高校生たちは未熟で、彼らが処罰を受けた場合、周辺の商圏に否定的な影響を与えかねない」と述べたという。

埼玉県の私立高校がソウルへ練習試合に出かけた帰路、集団(22人)で万引きを行ったことが発覚した事件だ。東大門のショッピングモールと表現されているが実際は小さな商店が軒をならべる「市場」と言った方が似つかわしい雰囲気の場所だ。

この悪戯が過ぎる高校生たちは、親や学校からこっぴどく叱ってもらわねばならない。高校生(中学生)の集団万引きは今日に始まったことではなく、「あれが欲しい」という動機ではなくても「あいつがやっても大丈夫だから」と付和雷同的に引きずられ、ついつい気楽に悪さをしてしまう。そんな心理が生徒たちには働いたのだろう。

◆「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌えた80年代韓国の不良たち

同様の「悪さ」は昔、韓国でも問題になったと留学生から聞いたことがある。韓国社会は急変しつつあるとはいえ、いまだ日本に比べれば封建的な側面が残っており、特に「教師」への尊敬の念は幼少の頃から叩き込まれる。だから日本同様に生徒同士の喧嘩や、万引きなどは同じように昔からあったけれども、「正面切って教師に刃向う」不良生徒は皆無だったそうだ。

そして韓国では80年代まで多くの高校で日本の詰襟同様の制服が残っていて、不良生徒は丈の長い上着に、ズボンをダブダブに太くするのが「不良文化」だったそうだ。誰が伝えたのか(自然発生なのか)知らないけれども、似なくてもいいところが似るものだ。もっとも詰襟の制服は日本支配時代の遺物であり、彼らは「ラジオ体操」まで学校で習っていたというから笑えない歴史でもある。

そんな韓国の不良たちはラジカセを抱えてタバコを吹かしながらある日本の歌謡曲を繰り返し聞いていたという。それはいしだあゆみの「ブルーライト横浜」だ。なぜに「ブルー・ライト・ヨコハマ」なのか、複数の元不良に調査したが誰も理由は分からないと言っていた。日本語が分からなくても「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌える不良が結構いたらしい。

◆もしもいま、韓国の高校生たちが日本で「集団万引き」をしたら……

さて、今回の集団万引き事件だが、もし逆の事が日本で起こっていたら、どんな報道がされて、インターネットではどんな言説が飛び交っていただろうか。こんな「仮定」自体が韓国には失礼だけれども、想像するだけで気分が悪くなるようなヒステリックな差別が飛び交っていたのではないか。

問答無用の「嫌韓人」には何も伝わらないだろうけれども、「東大門のショッピングモールの商店主たちが、処罰を望まないという意思を警察に伝えていたこと」ことは謙虚に受け止めるべきではないだろうか。

日本だけにいると、あたかも韓国は世界中から嫌われているかのような雑誌の特集や書籍を多く見かけるが、毎年BBCが実施している国別好感度調査によると2014年度日本の好感度は第5位で韓国は11位だ。逆に嫌悪度では日本が11位で韓国が9位だ。因みに好感度1位はドイツで最下位はイスラエルとパキスタンである。参考までに米国の好感度は8位で嫌悪度は7位となっている。

世界は多様な価値観で構成されている。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

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チェルノブイリ事故から29年──「脱原発」なくして事故国はもたない事実

「トシオ、チェノールブ(チェルノブイリの英語訛り)で原発が爆発したよ。どうなるんだい。日本人は広島で原爆落とされたから核のことには詳しいんだろう?」

初めて長期滞在した豪州でチェルノブイリ原発事故を知ったのは事故から何日後だっただろうか。シェアーハウスに住む大学生たちは皆かなり真剣にこの事故を議論していた。ただ、私は語りたいことは山ほどあったけれども当時の語学力がそれには到底及ばなかったので歯がゆい思いをした記憶がある。

豪州の学生たちは「ヒロシマ、ナガサキ」を実によく知っていた。さらに言えば日本ではあまり知られない「ムルロア環礁」での核実験への批判的関心も高かった。原発を持たない豪州においては「原子力」と「核」といった日本語のような恣意的な使い分けはなく「Nuclear」はすなわち「核」を意味していた。

◆広島は地獄だった──被爆した叔父は核と天皇を一生赦さず50代で死んだ

私は法律ではそう分類されないけれども、厳密に言うと「被爆2世」だ。広島市内在住で5歳だった母親は市外に疎開をしていたけれども、きのこ雲を見た記憶が残っていて何度もその話を聞いた。爆心地近くにいた伯父たちは奇跡的に誰も命を落とさなかったが、皆50歳前後で癌を発症して亡くなった。勿論その伯父達は「被爆手帳」を持っていたから亡くなったあとには広島の原爆犠牲者慰霊碑の中にその名前が記されたのだろう。

原体験が親の原爆にあることが作用してか、私にとって「核兵器」や「原発」は理屈以前に忌避、嫌悪の対象だった。

50歳を過ぎて癌を発症し、わずか2か月で亡くなった伯父は財閥系の商社で副社長まで上り詰めていたけれど、「としおちゃんな。天皇(昭和)は絶対許せんよ。何が象徴天皇制だ! おじさんの同級生の中で生き残ったのはクラスで3人だけ。みんな15歳や16歳で死んでもうた。そりゃひどいもんだったよ。原爆の時は何が起きたかわからなかった。下宿が崩れたからね。『地獄』はあんなところのことを言うんやね。そんな戦争を仕掛けておいて、今もノコノコ生きてる天皇は絶対に許せんのよ」と酒を飲めば語ってくれた。癌を発症しなければ次期社長は確実視されていたので「異端の社長」となっていただろうに、直前で亡くなってしまった。

そんな話を豪州の学生連中にしたかったのだけど、言葉の拙さゆえかなわなかった。

◆事故後5年でソ連が崩壊し、30年弱経っても「石棺」化作業は続く

その事故から約30年。チェルノブイリでは事故を終息させるために爆発した炉心を覆った「石棺」と呼ばれるコンクリートがもう既に劣化を起こし出し、「第二石棺」を作る作業が行われているそうだ。こうやって何度も何度も同じようにコンクリート(将来的にもっと防御に優れた材料が開発されればそれ)をひたすら塗り替え難を凌ぐ他に、核から逃げおおせる方法がないということをチェルノブイリは教えてくれている。

チェルノブイリ原発事故の犠牲者数には下は4000人から上は数百万人までと議論があるらしいが、そんな議論にはあまり意味はない。

勿論、死者の数は正確に数えられ、報告されるべきだ。だが、「核」を放棄しない世界秩序の中で「公正中立な調査」などは期待できるはずがない。国連の安全保障理事会の常任理事国(米、仏、英、露、中)は核兵器保有国だし、NPT(核拡散防止条約)などは「不拡散」という表現が示す通り現状の「核」保有を問題にはしていない。「問題にする」どころか、肯定している。

IAEA(国際原子力機関)は核推進派の組織に他ならないし、ICRP(国際放射線防御委員会)はひたすら「安全神話」を構築するための数字のねつ造に忙しいだけだ。NPTは、パキスタンや、イランが核開発を行うと「けしからん!」といきり立つけども、自身が保有する「罪」について省みることなど金輪際ない。

そういう不平等な世界の中で、皮肉にもまだ当時、冷戦構造の片側巨頭であったソ連でこの事故は起こった。後にゴルバチョフ政権で「ペレストロイカ」や「グラスノスチ」が進んだからソ連は崩壊した(1991年12月)という見方も間違ってはいないだろうけれども、ソ連崩壊の原因の1つがチェルノブイリ原発事故であったこともまた事実だ。

◆フクシマ事故を経験した日本がとるべき道はおのずから明らかだ

そう考えれば、「2011・3・11フクシマ」を経験した日本がとるべき道はおのずから明らかだ。この国に住み続けたいのであれば、この国を破滅させたくないのであれば、原発は即時全機廃炉しか選択肢はない。

それに異を唱えるすべての言説は邪論だ。

「経済」だの「保守」だのを口にする連中がどうしてこんな初歩的なことを理解しないのか不思議だ。「経済」も「保守思想」もこの国に住むことが出来るという前提で交わされたり論じたりされる営為ではないのか。

死にそうになったじゃないか。日本が。

そして今も、ギリギリの崖っぷちに立ってるだけじゃないか。

本コラムで紹介した通り東電の廃炉責任者は「正直」に「廃炉が出来るかどうかは分からない」と語っている。

これ以上どんな材料を提示すれば「絶対的危険」に気が付いてくれるというのだ。

原発全機即廃炉が最も国益(私は興味ないけども)に資する選択だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!
◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す
◎福島原発事故忘れまじ──この国で続いている原子力「無法状態」下の日常
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」

 

募集して「放置」の竹書房新人賞──日本推理作家協会作家が語るその真相

前にも報じたが、竹書房が去年3月に文学賞を募集したまま、発表せずに1年以上たったまま「放置」した事件がかなり文学界でも問題になり始めているようだ。

とくに重鎮の作家たちが、応募した弟子に「どうなっているか竹書房に確認してください」とせっつかれて頭にきて「もうあそこには書かない」とぶんむくれている小説家が増えているのだ。

「文学賞が一年間、発表されないケースはちょっと記憶がありません。もしかしてまだ審議しているのでしょうかね」(月刊公募ガイド編集長・澤田香織さん)

◆受賞作が発表されない3つの事情

また、竹書房でも仕事をしたことがある、中堅の日本推理作家協会のA氏がインタビューに応じてくれた。匿名を条件に冷静にこう分析してくれる。

―― いったい、竹書房の文学賞をめぐる状況では、何が起きていると思いますか?

A氏 受賞作が発表されない理由、端的に三つの事情があるかと思います。

1.竹書房に金がない

2.小説に将来性を認めていない

3.社内に意見の相違がある

新人賞賞金50万円といっても、出版社が負担する金額はもっと大きくなります。選考を外部に依頼するなら選考員に報酬を支払わなければならない、書籍として刊行するなら、著者印税の数倍の費用が発生します。竹書房と言えば資本金7500万円の中規模出版社で苦しいのかという疑問がありますが、たとえ50万円といえども、抑えたいのが本音でしょう。

出版社も営利企業ですから、取引各社に様々支払いの義務が発生します。銀行、印刷会社、取次、製本所、社員の給与などです。手形決済をしていれば、不渡りを出せば大問題になります。ですが、著者に対しては手形ではない。きわめて踏み倒しやすい相手です。

―― 募集したが、もはや募集当時とはちがって小説はいらなくなった、ということでしょうか。

A氏 同様に新人賞というのは出版社にとって一種の投資と見ることができます。前述のように新人を発掘して本を書かせるためには、費用がかかります。ところが新人を売り出しても書籍の売り上げが期待できない、投資した金額が回収できないと判断すれば、投資を中止することもするでしょう。特に現在では小説の市場規模は縮小する一方です。どの出版社も著者に対して非常にシビアになっています。

私自身も昨年、ある出版社から増刷印税を待ってくれ、という申し入れを受けました。増刷印税ですから微々たる額です。わずか5万円で、延期するにしてもいつの払いになるかと聞いても「判らない」。

遅れていた初版印税の支払いを請求して裁判になったこともあります。支払いが遅れるという連絡があって、分割で支払いを受けていました。ところが編集さんから同社に原稿注文を受けました。未払いがあるままで新規に仕事は受けられないので出版社の経理に請求したところ、支払う理由がないとして裁判になり、二審まで行きました。この時の金額が20万円です。

―― お金の問題で、「発表どころではなくなった」ということでしょうか。『お金がないので中止します』とアナウンスすればすむことではないでしょうか。

A氏 新人賞を途中で中止するにしても、費用を削減する方法は色々あります。一番簡単なのは該当作無しにする。賞の第1回で該当作無し、というのは珍しいのですが、前例もあります。古い話ですが1961年早川書房のコンテストで該当作無しでした。あるいは印税、ないしは賞金を支払って書籍は出版しないという方法もあります。雑誌ですが、編集者側のハンドリングミスで使えない原稿ができてしまった。こういう時、原稿料は支払うが掲載されません。私自身も経験がありますし、著名作家もエッセイの中で同じことを書かれています。最近ですと新聞社主催の新人賞でも書籍化はしないが、ネット上で発表というケースもあります。

ネット上の噂では『受賞に値する作品が表に出せない地下アイドルがゴーストに書かせたので、確認がとれないから発表できない』という話もありますが、これも考えづらい。覆面作家など今も昔も珍しくないわけです。

他にも税務署との関わり合いとか、理由は色々考えることはできますが、動きがない、というのは社内での意見がまとまっていない、と見るべきだと思います。特に竹書房は毎年のように経営陣が刷新され、引き継ぎなり、意見統一が不完全と見たほうがいいでしょう。

◆募集しておいて「放置」では……

とはいうものの、「募集しておいて」「放置しておく」のが許されるはずはない。応募者は、人生を賭けて投稿しているのだ。

同じく日本推理作家協会のW氏も憤る。

「経費節減したいなら、授賞だけして書籍化しなければ良い。実名を挙げれば、『幽』怪談文学賞は、佳作や奨励賞だと刊行されない。去年で募集を終えた学研の歴史群像大賞も、佳作は刊行しない(以前は刊行していた)。大賞賞金は謳っていても、佳作とか優秀賞などの賞金額までは謳っていないから、5万円とか10万円とかの”薄謝”を支払って済ませば良い。刊行経費は抑えられるし、本人たちには、一応は『受賞者』の箔が付く。いついつ新人賞受賞作を発表します、と言っておいて実行せずに社会的信用を失墜させるよりは、よほどマシだと思うが、どうだろうか」

竹書房の担当編集部に直撃すると「今のところ初夏ぐらい(6月か7月)に発表する予定です」とのこと。確か去年の12月には「年明け早々に発表します」と言っていたが。

「ちゃんと発表しないと、小説家たちの間で『あそこは信用ならぬ』という話になって作家たちがそっぽを向きますよ。今度こそちゃんと発表してほしいですね」(応募者)

果たして初夏に文学賞は発表されるのだろうか。注目したい。

竹書房では、「原稿料未払い」の情報もいくつか耳に入ってきている。

もし機会があれば、レポートしよう。

(鈴木雅久)

◎竹書房に新疑惑──なぜ、第1回文芸新人賞の選考結果を発表できないのか?

◎「書籍のPDF化」を拒み、本作りを殺す──経産省の「電子書籍化」国策利権

◎自粛しない、潰されない──『紙の爆弾』創刊10周年記念の集い報告

これはサスペンス小説ではなく、事実です(鎌仲ひとみ=映画監督) 青木泰『引き裂かれた「絆」――がれきトリック、環境省との攻防1000日』

 

3月に引退した和歌山カレー被害者支援の元刑事、「美談」の裏の疑惑

4月も残りあとわずか。入学、就職、転職、転勤など今年の春、新生活をスタートさせた人たちもそろそろ新しい環境に慣れてきた頃だろう。そんな中、筆者には、「この人はどんな新生活を送っているのだろうか」と気になっている人物が1人いる。元和歌山県警刑事の丸山勝という人物だ。

丸山は元々、暴力団捜査を長く担当した刑事だったが、1998年にあった和歌山カレー事件の捜査に関わったのをきっかけに、世間に少し名を知られるようになった。事件後、マスコミで次のように「美談の人」として取り上げられるようになったためだ。

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「10年でも通過点」 カレー事件支援の警官(共同通信2008年7月24日)
【魚拓】http://u111u.info/kci5

和歌山毒物カレー事件16年 「支援に終わりない」交番相談員、思い新たに(産経新聞2014年7月24日)
【魚拓】http://u111u.info/kci6

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つまり、マスコミが伝える丸山勝とは大体こういう人物だ。地域の夏祭りのカレーにヒ素が混入され、60人以上が死傷した大事件の捜査に関わったのち、業務として被害者支援に携わった。そして支援業務が終わっても異動願いを出し、現場近くの交番のお巡りさんさんになって現地の被害者たちを支え続けた。さらに定年退職後も相談員として地域を見守り続け、今年3月に引退するまで被害者や遺族たちに大変慕われていた――。

とまあ、マスコミ報道の中では、丸山はまさに「美談の人」なのだが、実は被害者の中には、こんなことを言う人もいるのである。

「あの人には、見守ってもらっているというより、見張られているように感じることがあるんですよ」

筆者はそう聞かされ、十分にありえることだな、と思った。丸山が現地の交番に勤務した目的が「被害者たちの支援」ではなく、実際には「被害者たちの見張り」や「被害者たちの監視」だと推認させる事情があるからだ。

◆捏造捜査に関与か

和歌山カレー事件の犯人とされて死刑判決を受けた林眞須美(53)については、近年冤罪を疑う声が増えている。だが一方で、眞須美が事件前、夫や知人の男らにヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金詐欺を繰り返していたという「別件」の疑惑は今も世間の多くの人に真実だと思われたままだ。

実際には、夫や知人の男らは眞須美にヒ素や睡眠薬を飲まされていたのではなく、保険金をだまし取るために詐病で入退院を繰り返すなどしていただけだった。裁判ではそれを裏づける数々の事実が明らかになっていたのだが、ほとんど報道されず、誤解が残ったままなのだ。

では、なぜこんな話をするかというと、この眞須美の「別件」の疑惑が捜査当局によって捏造される際、丸山も捜査員の1人として加担したと疑われて仕方ない立場にあるからだ。というのも、和歌山県警はこの事件の捜査中、問題の知人の男らを山奥の警察官官舎に2カ月以上拘束するなどし、眞須美にヒ素を飲まされていたかのようなストーリーを供述させたのだが、県警の内部資料によると、その任務をになった「特命捜査班」の一人に丸山も名を連ねていたのだ。

そういう事情を抱える丸山なら、捜査終結後もこの事件の真相が明るみになるのを防ぐための業務として、現場の近くで被害者たちを「見張り」続けたとしても不思議ではない。実際、現地の被害者やその家族の中には、眞須美が冤罪ではないかと疑う人もちらほらいるのだが、「見張られているように感じる」と訴えた上記の被害者もその1人だった。警察に疑いを抱く被害者にとっては、丸山はプレッシャーを感じさせる存在だったのだ。

◆疑惑追及の取材に応えず

実を言うと筆者は今年3月下旬、相談員を引退する間際の丸山に対し、取材を申し込んでいる。カレー事件に関する不正捜査の内幕や、交番のお巡りさんになってまで現場の近くに居続け、被害者たちに関わり続けた本当の目的を追及するためだ。が、しかし――。

そのような取材の趣旨をまとめつつ、「反論したいことがあれば、反論しても構わない」と書き添え、テレフォンカードを同封のうえに取材依頼の手紙を勤務する交番に出したところ、丸山から手紙がそのまま返送されてきた。そこで、「何も反論しないなら、疑惑が真実だとみなす」との旨を明記したうえ、もう一度取材依頼の手紙を交番に出したのだが、再びそのまま返送されてきた。最初の返送の際には、封筒に差出人として「丸山勝」と名前が明記されていたが、2度目の返送の際には、封筒に差出人の名前すら書かれていないという非常識な対応だった。

林真須美については、冤罪を疑う声が広まっているとはいえ、2009年の死刑確定直後になされた再審請求の結果はまだ出ていない。丸山としては、「美談の人」として警察人生をまっとうし、なんとか無事に逃げ切れたと思っているのかもしれない。そこで、この事件を8年余り取材し、林真須美が冤罪であることを確信している筆者は、長い警察人生を終え、新生活をスタートさせたばかりの丸山にこの言葉を贈りたい。

丸山さん、逃げ切れたと思うのはまだ早いですよ。

写真は、筆者の取材依頼の手紙をそのまま返送してきた丸山
筆者の取材依頼の手紙をそのまま返送してきた丸山

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

◎新聞協会賞「和歌山カレー事件報道」も実は誤報まみれだった朝日新聞
◎国松警察庁長官狙撃事件発生20年、今年こそ「真犯人」の悲願は叶うか
◎《独占公開》冤罪確定疑惑の下関女児殺害事件──湖山忠志氏の手記[Ⅲ]
◎《我が暴走05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」

《追悼》船戸与一には何度も思いっきり殴られた

『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)
『砂のクロニクル』(1991年11月毎日新聞社)

「本文からではなく、解説から読む癖のある読者諸兄姉のために、ひとこと申し上げる。あなたの身は間違いなく本書の放つ劫火(ごうか)に焼かれ、その力に薙ぎ倒されるであろう。勝利者たちのこしらえる『正史』に激しく抗う者たちの瞋恚(しんに)の炎が、頁という頁にめらめらと燃えているからだ。真実の『外史』が、虚偽の正史を力ずくで覆しているからである。しっかりと心の準備をしておいたほうがいい。備えが済んだら、ひとつ深呼吸をして『飾り棚のうえの暦に関する舌足らずな注釈』から、目を凝らして、ゆっくりと読み進むがいい。熱くたぎる中東の坩堝に(るつぼ)に足もとから徐々に呑みこまれてゆくだろう。そして、読破した時、あなたの見る世界はそら恐ろしいほどに色合いを変えているはずだ。以上のみを言いたい。以下は蛇足である」

船戸与一代表作『砂のクロニクル』の解説に辺見庸が寄せた文章の書き出しである。

辺見のこの絶賛に誇張はない。大方の船戸作品の解説にも援用できそうな比類ない名解説だと思う。

とうとう船戸与一が鬼籍に入ってしまった。いつかこの日が来ることは覚悟はしていたけれども、ニュースサイトで船戸の訃報に接したとき、「え!」と声を上げてしまった。

◆船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差し

私は船戸に何度も思いっきり殴られた。喧嘩の仕方も教わったし、語学習得のコツも教わった。気が付けば銃器の扱いの基礎も船戸から教わっていたので初めて自動小銃に触れた時も思いのほか違和感がなかった。

船戸は私にとって歴史、政治学、地理学、人類学の教師でもあった。意外かもしれないが「倫理学」も時々示唆してくれた。どちらかと言えば「左巻き」の私の思考傾向をいつもハンマーでぶち壊してくれた。船戸の内部には「正義」などなかった。もちろん「革命」への幻想など持ち合わせていなかった。でも船戸は「正義」を信じ行動する人間や「革命」に命を懸ける人間を決して軽蔑しなかった。

船戸の内部に横たわっていた絶対的な物差しがある。それは船戸が(自身がそうであるように)「硬派」を一貫して支持つづけた姿勢だ。「硬派」は右にも左にも国家の中にも国家の滅亡を目指すものの中にもいる。船戸の着眼は常にそういった「硬派」へ向けられていた。

◆「彼らを日和らせたくないから、そのためには殺すしかない」

『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)
『蝦夷地別件』(新潮社1995年のち新潮文庫、小学館文庫)

船戸作品にあっては主たる登場人物は必ず死ぬ。私自身勝手に「船戸ファイナル」と名付けていた極端も過ぎるダダイスティックな結末が必ず準備されている。不謹慎ながら読者としては愛すべき「硬派」達が最後には破局に向かうのが必定と解りながらもそわそわしながらページをめくる。

そしていざ導火線に火が付けば、それこそ書籍の中から戦場が立ち上がって来る。ありもしないヘモグロビンの血生臭さや、硝煙が生のように感じられるから不思議であることこの上ない。

あるインタビューで船戸は最後に登場人物を何故殺してしまうのか、と問われて答えていた。

「生きていると人間は日和るんです。彼らを日和らせたくない。その為には語らせないように、つまり殺すしかないわけです」

随分と恐ろしことを平気で言ってのける。さすが船戸だと感じいった。

船戸の中にはよって立つべき「主義」や「主張」など一切なかった。ただ船戸自身の皮膚感覚と常人を逸した取材力の賜物が奇跡を可能にせしめたのだろう。

「私は船戸に何度も思いっきり殴られた」と書いたが、勿論実際に殴られたわけではない。書物を通しての一方的受信しかなかった。

ただ一度だけ船戸と短い時間電話で言葉を交わしたことがある。講演を依頼しようと思い自宅に電話をかけたのだ。講演の趣旨とに日程を伝えると船戸は、

「その時は日本にいません」

とだけ語り電話を切った。

船戸に語らせるなど、無粋に過ぎる。断られてよかったと思っている。前出の辺見庸が『屈せざる者』(角川文庫)で船戸に人生論を語らせようとして、見事に失敗している。読んでいて心地よい失敗は珍しい。

船戸は自身の時代認識を時折登場人物に語らせる。

『炎流れる彼方』(集英社文庫)で元ブラックパンサー活動家が語る。

「1960年代の終わりから70年代のはじめにかけて、1日たりともぐっすり眠る暇なくおれたちは動きまわった。燃えさかる炎のようにな。状況は厳しかったが、精神は躍動していたんだよ。ところがいまはどうだ?80年代は最低だ。ほとんどだれもが健康のことしか考えていない。ジョギングと禁煙、ライトビールだけの時代だ。それで百歳まで生き延びたから何だというんだ?もうすぐ90年代にはいるが、それがどういう時代になるのかわからねえ。だがな、あのころのようにはなるまい。おれたちがめまぐるしく動きまわったあの頃みたいにはな」

『炎流れる彼方』の中で「最低だ」と言われた80年代から20余年、船戸は私の勘ではたぶん自覚的に人生の集大成として『満州国演義』(新潮社)を10年がかりで昨年完成させ力尽きた。『満州国演義』を読み進むうちに私は懇願にも似た気分になった。

「分かった。情熱は痛いほどわかった。でも船戸与一にはもっともっと世界を書いてほしい。

『満州国演義』こんなに入れ込んだら次書けるのだろうか」

懸念が現実になってしまった。もう新しい船戸作品は読めない。悲しい。

2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)
2015年3月18日、日比谷の帝国ホテルで開かれた第18回「日本ミステリー文学大賞」贈呈式に車椅子姿で出席した船戸与一氏。(撮影=ハイセーヤスダ)

『満州国演義』全9巻(新潮社2007-2015年)の広告コピー文(新潮社HPより)

【1巻】『風の払暁―満州国演義1』2007年4月20日(383頁)あの地が日本を、俺たちを狂わせた――。四兄弟が生きざまを競う冒険大河ロマン! 第二次大戦前夜。麻布・霊南坂の名家に生れながらも外交官、馬賊の長、陸軍士官、劇団員の早大生と立場を全く異にする敷島四兄弟が、それぞれの運命に導かれ満州の地に集うとき……中国と朝鮮、そして世界を巻き込む謀略が動き出そうとしていた。相克する四つの視点がつむぎだす著者渾身の満州クロニクル、いよいよ開幕!

【2巻】『事変の夜―満州国演義2』2007年4月20日(415頁)※1巻と同時発売

【3巻】『群狼の舞―満州国演義3』2007年12月20日(420頁) 国家を創りあげるのは、男の最高の浪漫だ――昭和七年、ついに満州国建国。 国際世論を押し切り、新京を首都とする満州国が建国された。関東軍に反目しながらも国家建設にのめりこんでゆく太郎、腹心の部下だった少年と敵対する次郎、国のために殺した人間たちの亡霊に悩まされる三郎、ひとり満州の荒野を流浪する四郎……二十世紀最大の浪漫と添寝を始めた男たちの、熾烈な戦いは続く。白熱の第三巻。

【4巻】『炎の回廊―満州国演義4』2008年6月20日(462頁) 希望に満ちた未来は消え、恐怖と狂気が大地に滲む――帝国の終焉が始まる最新刊。 「増殖する反乱分子を防ぐ方法はただひとつ――“恐怖”しかない」。脅威を増す抗日連軍、二・二六事件に揺れる帝都、虎視眈々と利を狙う欧米諸国。夢と理想に隠されていた、満州の真の姿が明らかになる。混沌が加速するなか、別々の道を歩んだはずの敷島四兄弟の運命も重なり、そして捩れてゆく……怒濤の書き下ろし850枚!

【5巻】『灰塵の暦―満州国演義5』2009年1月30日(470頁) 「見たんですよ、この世の地獄を」日支全面戦争に突入! 戦火は上海、そして南京へ――。 満州事変から六年。理想を捨てた太郎は満州国国務院で地位を固め、皇国に忠誠を誓う三郎は待望の長男を得、記者となった四郎は初の戦場取材に臨む。そして、特務機関の下で働く次郎を悲劇が襲った――四兄弟が人生の岐路に立つとき、満州国の運命を大きく動かす事件が起こる。「南京大虐殺」の全容を描く最新刊。

【6巻】『大地の牙―満州国演義6』2011年4月28日(428頁) 国家に失望したとき、人々が縋ったものは――現在をも読み解く待望の最新刊! この国はもはや王道楽土ではなく、関東軍と日系官吏に蹂躙し尽くされた――昭和13年。形骸と化した理想郷では、誰もが何かを失っていく。ある者は志を、または情を、あるいは熱意を、そして反抗心を。虚無と栄華が入り混じる満州に、北の大国が襲い掛かる。未曾有のスケールで紡ぐ満州全史、「ノモンハン事件」を描く第6巻。

【7巻】『雷の波濤―満州国演義7』2012年6月22日(478頁) バルバロッサ作戦、始動――日本有史以来の難局を、いったい誰が乗り越えられるのか。 昭和十六年。ナチス・ドイツによるソビエト連邦奇襲攻撃作戦が実施された。ドイツに呼応して日米開戦に踏み切るか、南進論を中断させて開戦を回避するか……重要な岐路に立つ皇国を見守る敷島四兄弟がさらなる混沌に巻き込まれていくなか、ついにマレー半島のコタバルに戦火が起きる。「マレー進攻」に至る軌跡を描く待望の最新刊!

【8巻】『南冥の雫―満州国演義8』2013年12月20日(430頁) 追ってくるのは宿命か、自らの犯した罪の報いか――完結へのカウントダウン。 昭和十七年。南方作戦の勝利に沸く満州に、米軍による本土襲撃の一報がもたらされる。次々と反撃の牙を剥く大国、真実を隠蔽する大本営、無意味な派閥争いに夢中の司令官たち……敗戦の予感に人々が恐慌するなか、敷島次郎はあえて“死が約束された地”インパールへと向かう??唯一無二の満州クロニクル、いよいよ終焉へ。

 

【9巻】『残夢の骸―満州国演義9』2015年2月20日(476頁) 満州帝国が消えて70年――日本人が描いた“理想の国家”がよみがえる! 今こそ必読の満州全史。 権力、金銭、そして理想。かつて満州には、男たちの欲望のすべてがあった――。事変の夜から十四年が経ち、ついに大日本帝国はポツダム宣言を受諾する。己の無力さに打ちのめされながらも、それぞれの道を貫こうとあがく敷島兄弟の行く末は……敗戦後の満州を描くシリーズ最終巻、堂々完結。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気

◎「福島の叫び」を要とした百家争鳴を!『NO NUKES Voice』第3号本日発売!

◎3.11以後の世界──日本で具現化された「ニュースピーク」の時代に抗す

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

内田樹×鈴木邦男『慨世の遠吠え』生対談がジュンク堂難波店で実現!

内田樹氏と鈴木邦男氏の対談がファン待望の中、実現し書籍となった。『慨世の遠吠え 強い国になりたい症候群』が鹿砦社から3月16日発売になり、それを記念してのトークショーが4月20日ジュンク堂難波店で行われた。

会場には立ち見が出るほどの盛況ぶりで内田、鈴木両氏の人気と同書への関心の高さが伺われた。

意外と言えば意外なのだが、両氏の対談は鹿砦社の福本氏が持ち掛けるまでどの出版社からもオファーが無かったという。

鈴木邦男氏と内田樹氏(2015年4月20日ジュンク堂難波店)

巻頭で鈴木氏が「これはもう、対談本ではない。『対談本』の概念・領域を超えている。これだけお互いの全存在を賭けて話し合い、闘った本は他にはないだろう」との告白で始まる同書は映画館や、会議室など幾度も場所をかえての対談が行われ、その真骨頂として鈴木氏が内田氏が師範を勤める道場に乗り込み合気道で闘う。

その貴重な「闘い」の場面を記録した写真も収められているので、両氏の愛読者には欠かすことのできない貴重な「対談本を超えた対談本」となろう。

◆武道家で読書家の二人が織りなす「しなやか」な言葉の織物

この様に紹介すると誤解されるおそれがあるが、本書の対談は「右・左」といった位相から語るのではなく、共に武道家でもあり驚異的な読書家で博覧強記のお二人が織りなす言葉の織物のように「しなやか」に進んでいく。ある種の芸術作品のようだ。

トークショーでは主として内田氏のパワーが炸裂していた。立て板に水の語り。しかも対談者は聞き出すことにかけても天才的な才能を持つ鈴木氏となれば、時間がいくらあっても足りない印象を受けた。

内田 樹 氏

戦国時代に日本人はかなり世界に広く出かけて行っていて、今で言うところの「グローバル」の先端を行っていたこと、源平の戦いは水を司る者と陸を司る者の闘いであったこと、水を司る勢力が権力を握った時代、日本は外国に開かれていた……。と興味を誘う話題は尽きない。

同書のエッセンスをお伝えすることは出来るにしても、やはり読者諸氏が実際に手に取ってお読みいただきたい。そして受動的な「読者」としてではなく、この「対談本を超えた対談本」への更なる知的格闘の参加者として挑まれれば「書籍」の域を超えた刺激が待っていることだろう。

 

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎『人間の尊厳』をめぐる浅野健一、小出裕章、松岡利康らの関西大講義に履修者殺到!
◎基地も国民も「粛々」と無視して無為な外遊をし続ける安倍の「狂気と末期」
◎マクドナルド最終局面──外食産業が強いる「貧困搾取」ビジネスモデル

 

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!

 

 

浅野健一、小出裕章、松岡利康らの関西大『人間の尊厳』講義に履修者殺到!

4月1日本コラム で紹介した関西大学での『人間の尊厳のために』が4月17日実質上のスタートを切った。

この日に先立つ10日に初回の講義が行われ、講義の進め方などの案内があった。その時点で登録者は80名程度だったが、「履修変更」(学生が一度登録した講義を変更すること)で受講者が140名へと激増したために当初配当された教室では収容しきれず、教室も変更になった。

17日は講義を担当する浅野健一、小出裕章、松岡利康の3氏も揃い、各講師が自己紹介や講義の進め方などを語った。同講義は一方的に講師が話をするだけではなく、学生を5人のグループに分け講義を聴いた上での討論をグループ内で行い、各講師の最終担当回には学生と講師の討論を行うという形式で進められる。

17日は講師の自己紹介の後、学生が予め割り振られていた各グループへと座席を座り直し、グループ内で互いの自己紹介などを行い、共通の興味や関心事を語り合った。

講義前半は講師の話に耳を傾ける静かな進行から、後半は一転して賑やかな教室へと運営がなされ、この講義を運営する新谷教授とそれをサポートする2名の学生スタッフの熱意と手際の良さが際立っていた。

4月17日の講義では全講師が揃って自己紹介や今後の講義の進め方などを説明した(写真右から小出裕章氏、浅野健一氏、松岡利康氏

◆一番大切なはずなのに実は稀有だった「尊厳」をめぐる大学講義

各講師の自己紹介の中で浅野氏は「尊厳という言葉が冠された大学講義は日本では珍しい。私の講義では特に犯罪を犯したあるいは犯したと疑われた人の人権を中心に人間の尊厳を考えていきたい」と語った。

小出氏は京大原子炉実験所3月末に退職したばかりであることから話を切り出し、ホワイトボードに「Nuclear Weapon」、「Nuclear Power plant」、「Nuclear Development」と書きそれぞれが「核」あるいは「原子力」と恣意的な使い方をされていることを示し、「原子力の危険性と社会的な問題について語っていく、皆さんとの議論を楽しみにしている」と語った。

「Nuclear(核)」は同じなのに、なぜ日本では「核兵器(Nuclear Weapon)」と「原子力発電所(Nuclear Power plant)」とで恣意的に呼称が異なるのか?──小出裕章氏

松岡氏は「私は他の2氏のような研究者ではないのでここに立つのが相応しいかどうかわからないが、長年出版に関わった経験から『机上の死んだ教条ではなく、生きた現実』をお話ししていきたい」と意気込みを語った。

前回の記事に対してTwitterで「これは凄い講義だな! 関西大学の学生しっかり勉強しろよ!」と激励を下さった方がいる。講義の内容だけでも充分に関心が高まる『人間の尊厳のために』だが、そこへ学生達がどのような反応を、そして議論を挑んでくれるのか。これからの展開がさらに楽しみになってきた。

▼田所敏夫(たどころ としお)

兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ

◎廃炉は出来ない──東電廃炉責任者がNHKで語る現実を無視する「自粛」の狂気
◎防衛省に公式見解を聞いてみた──「自衛隊は『軍隊』ではありません」
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◎関西大で小出裕章、浅野健一、松岡利康らによる特別講義が今春開講!

内田樹×鈴木邦男『慨世(がいせい)の遠吠え 強い国になりたい症候群』大好評発売中!!