私たちが「カウンター大学院生リンチ事件(別称「しばき隊リンチ事件」)について第5弾本を発行したのは、ちょうど2年前の2018年5月28日でした。以降2年間、出版物を出さず、わずかにこの「通信」で時折節目節目でコメントをする程度でした。このかんにリンチ事件被害者M君が加害者5人を訴えた民事訴訟は、控訴審、最高裁も終わり、満足のいく内容ではありませんでしたが、M君勝訴で終結しました。
また、鹿砦社がリンチ事件の中心人物・李信恵による誹謗中傷、暴言に対し訴えた民事訴訟も、李信恵の不法行為を大阪地裁‐高裁も認め鹿砦社勝訴で終結しました。
さらに、対李信恵訴訟は、結審を前にして李信恵が「反訴」を起こし、これが反訴とされず「別訴」として現在も大阪地裁で審理中です。もう一つ、“隠れしばき隊”として業務時間の大半を使いこっそりと業務外のツイッターや私的メールを繰り返していた鹿砦社元社員・藤井正美に対する訴訟も係争中で、これも反訴してきて、今後も続いていきます。M君の訴訟にしろ対李信恵、対藤井正美の訴訟にしろ、しばき隊の守護神・神原元弁護士が代理人に就いており、どうやら反訴という手法は神原弁護士の戦術のようです。
この2年間、私たちは手を拱いていたわけではありません。本を出せなかったのは、2018年後半は私の重篤な目の疾患により編集作業ができない状態だったこと、2019年になると鹿砦社創業50周年記念行事(東京と関西双方で)と記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』刊行、後輩の書家・龍一郎講演などに追われたことによります。2020年の本年も、私たちが10年来応援している女性デュオ「Paix2(ぺぺ)」の「プリズン・コンサート」と称する獄内ライブ活動500回記念出版の作業に追われて来ました。
決して、くだんのリンチ事件を忘れていたわけではありませんが、不器用な私たちは、並行して複数の仕事を遂行することが十分にできないことで、あっというまに、気づいたら出版物を出していませんでした。
このGWを挟んでPaix2のプリズン・コンサート500回記念出版も一段落し、さらには、くだんの対李信恵第2訴訟もさらなる陳述書を執筆する必要に迫られ、次の本(第6弾)の準備もあり、これまでの資料を整理し5冊の本を再読し、思いつくまま書き綴ってきました。
私たちの力不足もあって、くだんのリンチ事件、及びこれから派生した諸問題は、なんら本質的に解決がついておらず、このままでは、同種同類の事件が起きることを懸念しています。加害者らや、この支持者らに真摯な反省などありませんから。
この問題について、いわゆる「ジャーナリスト」や「知識人」といわれる徒輩の体たらくを見るにつれ、放置しておけない! と、取材、検証作業を再開することにしました。
幸い、この2年間、対李信恵、対藤井正美との訴訟を進めながらも(これらの訴訟があったお蔭で問題意識は持続できました)、いささか距離を置いて思索してきました。そうして、リンチ事件の被害者救済・支援と真相究明に関わり始めてから5冊の本を出す過程では気づかなかったことがありましたが、この2年間で気づいたことも少なからずありました。
そうして思いつくまま文章を書き綴ってきました。言いたいことが堰を切ったように出てきて長大なものになりました。ここでは、もちろん一挙に掲載できませんので、分載していきます。(本文中、M君を除いては基本的には敬称は省かせていただきましたが、他意はありません)
◆李信恵らに、血の通った人間の心があるのか!? みずからの「被害」なるものを強弁するのではなく、まずは真摯に反省せよ!
李信恵が関わり連座した集団リンチ事件、みずからが中心になって惹き起こした、この事件に、彼女はいまだに何の反省もなく、開き直っている感が私には否めません。このかんの相次ぐ訴訟や社会的批判で少しは反省したかと思っていましたが、そうではなかったようです。これは、最近提出された彼女の2020年4月8日付け「陳述書」を一読しても、反省や人間としての誠実さなどは感じられません。あたかも自分が鹿砦社の出版物の「被害者」であるかの態度を強弁し、李信恵らによる暴虐の被害者=M君への謝罪の気持ちが、ただの一言もないのは彼女の人間性故でしょうか。自分が鹿砦社の出版物で「被害」を受けたというのであれば、まずはM君への謝罪が最優先になされるべきではないでしょうか。
李信恵は鹿砦社の出版物やこの通信の記事による「自分の受けた被害」で、「苦しい気持ちになりました。」「不安と苦痛でいたたまれません。」「恐怖に苛まれました。」「恐怖心でいっぱいになりました。」「これら記事を読んで泣き崩れました。」「非常に不安になりました。」「不安感や苦痛はとうてい言葉にできません。」「怒りと悲しみでいたたまれなくなります。」「私に対する強い悪意を感じ、非常に恐ろしいと感じています。」等々言いたい放題です。いい加減にしろ! 集団リンチの被害者M君が言うのであれば判りますが、集団リンチ事件に連座した彼女が言うのには違和感があります。
李信恵らは「リンチ」という言葉が嫌いのようですので、集団暴行傷害事件と言い換えてもいいですが、いずれにしても大の大人が5人で深夜に大学院生M君を呼び出し、集団で(うち2人を直接の暴力行使役として)暴行を加え、まさに半殺しともいうべき瀕死の重傷を与え、何の介抱もせず、救急車やタクシーも呼ばず師走の寒空の下に放置し立ち去った事実には変わりはありません。5人の中には、あまり注目されていませんが、格闘技の達人(松本英一)もいました。強面(こわもて)で鳴る伊藤大介と共に、いわば“用心棒”的な役割を果たしたといえるでしょう。
そもそも李信恵らが嫌う言葉「リンチ(linch)」とは何なのでしょうか? 『広辞苑』(第七版。2018年)には「法によらない私的制裁。私刑」とあります。ですから、李信恵ら5人が連座した暴行傷害事件は、まさしく〈私刑=リンチ〉です。〈私刑=リンチ〉以外の何物でもありません。
私は、全く白紙の状態で、この事件の被害者M君の救済・支援と真相究明に携わって頂度4年、あらためて李信恵の人間としての不誠実さを感じています。
事件直後、李信恵はM君に署名と捺印のある手書きの「謝罪文」を出し活動自粛も約束しています。曲がりなりにも謝罪と反省の気持ちはあったものと察します。ところが、しばらくすると、これを撤回し、「リンチなどなかった」「自分は無関係だ」等々と翻意しています。ならばなぜ「謝罪文」を出したのでしょうか? 李信恵さん、なぜですか?
李信恵さん、リンチ事件から一夜明け酔いが覚めた時、「しまった!」と思いませんでしたか? 自筆で書かれた「謝罪文」に嘘はないものと信じます。人間として、天地神明に誓って、どうですか? 自分は暴力を振るっていないとかを言い張ることも、あなたにとって重要でしょうが(少なくとも到着したM君に最初に「なんやねん、おまえ!」と詰め寄り胸倉を掴んだことは李信恵自身も認め、これがリンチの口火を切ったことは確かでしょう)、リンチの現場に李信恵ら5人が居て、M君が殴られ続けているのを止めもせず、悠然とワインをたしなみ、さらには、あろうことか、それをSNSで流しています(『カウンターと暴力の病理』の巻頭グラビア参照)。まともな人間がやることではありません。
さらには、重傷を負った被害者M君を師走の寒空の下に放置して立ち去っています。なぜ救急車を呼ばなかったのですか? 偶然ながら、私は、リンチ現場の隣のビルに同郷の知人が飲食店を出していて、同郷人や同窓会の集まりなどで時折行っていたのですが、すぐ近くにタクシー会社の営業所があります。電車がなくなるまで遅くなったら私も利用していました(1年に1、2度ですが)。にもかかわらず、李信恵らはなぜタクシーに乗せようともしなかったのでしょうか? これだけの瀕死の重傷を負った被害者を見て、なぜ救急車を呼んだりタクシーに乗せなかったのでしょうか? 李信恵さん、ぜひお答えください。
こうしたことを見るだけでも、李信恵らに血の通った人間の心、人権や良心があるとは、私には到底思えません。
◆私李信恵らは、私たちがリンチ被害者M君を救済・支援してきた意味と想いを誤認しています
また、李信恵の、いわば姉御分の辛淑玉は事件直後、「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」という長文の書簡を書き配布しました。ここで辛淑玉は「これはリンチです。まごうことなき犯罪です」と李信恵らを強く叱責しています。これは自らの若い頃の体験に基づいた、いわば魂の叫びといったもので、読む者を感動させます。私も胸打たれました。重要なので裁判の書証として提出予定です。しかし、遺憾ながら、これものちに撤回されます。
このように、辛淑玉はじめ李信恵の周囲の人たち、「カウンター」といわれる人たち、「反差別」運動に関わる人たちも、事件直後は「なんということをやってくれたんだ」と思ったということは容易に想像できます。裁判所が好んで使う「一般読者の普通の注目と読み方」をすれば、そうではないですか?
おそらく事件直後は、李信恵にも謝罪や反省の気持ちは多少なりともあっただろうし、李信恵の周囲の人たちにも、辛淑玉の書簡のように良心の欠片はあったものと思われます。
しかし、M君は、一部の知人を除き彼を応援する者は皆無に近く、私たちと知り合うまでの1年余り孤立しさらなるセカンド・リンチ(ネット・リンチ)を受けたり村八分状態にありました。おそらくこれを見透かして李信恵らは「謝罪文」や活動自粛の約束を撤回したり開き直ったものと推認されます。卑怯極まりありません。今の世の中に村八分は許されません。村八分は差別ではないんですか?
李信恵らは日頃から頻繁に「人権」という言葉をあまりにも軽々しく使っていますが、前述の如き行為は、逆に一人の人間の人権を蔑ろにするもので、そこには血の通った人間としての真摯さや誠実さといったものは感じられません。それはそうでしょう、あれだけの暴虐をやっておきながら(あるいは連座しておきながら)、自己弁護や弁解ばかりで、人間としての真摯さや誠実さを見ることができないからです。いかがですか、李信恵さん!
私たちは、原則的にいかなる差別に反対し、たった一人の人間の人権をも尊重するというスタンスを堅持し、このように日頃から努めてきました。差別に反対し人権を尊重するという崇高な営みに関わる人には尊敬の念を持ってきましたし、これは今も変わりはありません。だがしかし、かつて「エセ同和」といった言葉があったように、世の中にはエセや偽物があることも見極めなければなりません。美辞麗句やキレイ事に惑わされてはなりません(が、けっこう騙されたり誤認します)。
私は、李信恵が真に人権を大事にするというのならば、まずは「謝罪文」の地点に立ち返って欲しいと願っています。これは私が繰り返し述べていることです。私たちは、私たちが言っていることや出版物などに書き連ねていることに間違いはないのかと自問自答しつつ、謙虚にこの問題に関わってきましたし、綿密な取材と調査を行い事実を積み上げてきました。もし間違いなどがあれば指摘してほしいとも幾度となく申し述べていますが、5冊も本を出しても、事実関係などについて、きちんとした批判や反論などは皆無です。李信恵や彼女の訴訟代理人の神原、上瀧両弁護士には著書も複数あり、出版ができる環境にあるにもかかわらず、なぜ「言論には言論で」批判、反論されないのでしょうか?
反論らしき反論は、鹿砦社が李信恵による誹謗中傷、暴言に対して起した訴訟の反訴(→別訴)でようやくなされました。この時点ですでに4冊の本が出版されていました。
しかし、これはあくまでも、裁判所という限られた場での議論にすぎず(それも、ずっと非公開で進められてきました)、公の議論ではありませんし、4冊の本が既に出版された後で時期的にも遅いんじゃないでしょうか。鹿砦社による訴訟の対抗上反論したものといえます。
さらに私は李信恵が「謝罪文」の地点に立ち返り李信恵らが和解のテーブルに就くのであれば、このために汗を流すのを厭わないことも、何度となく申し述べています。いたずらに諍い合っても社会運動、なかんずく反差別運動にとっては決して有益ではない、むしろ無益だと考えるからです。一例を挙げれば、―
「松岡 もう今年いっぱいで、事件から三年が経つわけでしょう。やはり『このまま裁判を続けていっていいのかな』と思うのは一つです。M君本人は、『裁判を続ける』という気持ちがあるんだろうけど、一定のところで何らかの手打ちをしないとね。
清(義明)松岡さんがそういうことを言うとは思わなかったな。
松岡 僕はそう思うし、そういうことを本にも書いているじゃないですか。
清 いや、僕も手打ちさせたほうがいいと思う。
木下(ちがや) いや、俺もそう思う、絶対そう。
松岡 なぜかというと、これヤクザの抗争じゃないんですよ。やはり社会運動の中でのトラブルなわけだから、そうしないと絶対『反差別運動』に良いことはない、と思うんですよね。
木下 まったくないです。」(『真実と暴力の隠蔽』170ページ)
リンチ被害者のM君は瀕死の重傷を負ったわけですから李信恵らリンチ現場に同座した5人に対して多かれ少なかれ恨みつらみなどがあることは致し方ないとしても、私、および私の呼びかけで取材などに協力してくれた者らには最初から私怨や遺恨などありません。ましてや、私たちはリンチ事件に対する被害者救援と真相究明に携わるまで李信恵を知らなかったわけですから彼女に私怨や遺恨などあるわけがありません。
こうしたことを李信恵らは全く理解していないようです。
◆李信恵の「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」!
私は、このリンチ事件に対しては、李信恵はじめリンチ現場に同座した5人全員に〈連帯責任〉があると考えています。常識的に見、「一般読者の普通の注意と読み方」をすれば共謀関係もあったものと推認できますし、私たちはそう確信しました。M君が起こした民事訴訟や刑事事件で、確かに李信恵(と伊藤大介、松本英一)は損害賠償や罪を免れていますし共謀関係も認められませんでした。
だからといって、法的云々以前に人間としての責任を免れることはありませんし、この点は裁判所や検察庁は判断を誤っていると私は思います。法律とは、あくまでも人間の幸福追求のためにその行為の是非を公正に判断するためのものであり、一人の暴力の被害者を救済するための一つの手段として法律があり裁判所があるのではないでしょうか? 裁判所の法的判断で罪を逃れたからといって、人間としての言動が全て判断されたり放免されたわけではないのです。
こうした意味で、一部の識者も指摘するように(一例として前田朗東京造形大学教授執筆「反差別運動における暴力(二)」参照)、リンチ被害者M君が李信恵を訴えた一審大阪地裁(及び上級審)判決は「不自然な事実認定」「結論を先取りするために強引な認定」と批判される由です。
この論文において前田教授は李信恵(本文では「C」と表記)に対して「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」とまで非難されています。
李信恵が在特会らのヘイト行為を訴えた訴訟で上瀧弁護士らは弁護団を結成し、前田教授は上瀧弁護士ら弁護団から依頼を受けて裁判所に「意見書」を提出するほど強く関わりましたが、「それだけに、本件訴訟(注:M君が李信恵を被告として訴えた民事訴訟)の経緯と内容を見ると脱力感に襲われる」と記し、「被告(注:この場合、李信恵)らの弁護人には知り合いが多い。かねてより敬愛してきた弁護士たちであるが、彼らはいったい何のために何をやっているのだろうか。依頼人のために仕事をしただけかもしれないが、あまりにも情けないという自覚を有しているだろうか。差別と暴力に反対し、人権侵害を許さない職業倫理をどう考えるのか。」と上瀧弁護士らを強く叱責しています。
それでいながら前田教授は、東京在住の故か本件リンチ事件の実態をほとんどご存知なかったようで、私が3冊の本を送って初めて実態を知り、そのショックは文面に表われている通りです。おそらく本音でしょう。李信恵の周囲の人たちや弁護士らをよく知っていながら、件のリンチ事件をご存知なかったというのも、上瀧弁護士らが「意見書」まで書いてくれた前田教授にリンチ事件の存在を言わず、李信恵らによる、事件をなかったことにしようとする隠蔽活動がうまくいっていたのでしょうが、悪いことは必ずバレます。(尚、この論文は「三」まであり、私とのやり取りで質問に答えず途中で逃げたり、のちのち態度が豹変しますが、少なくとも「二」までは真っ当な意見だといえます。)
◆李信恵は、まずは「謝罪文」に立ち返れ!
李信恵さん、あなたの「陳述書」には反省の念が感じられません。あなたに一片の良心があれば、今からでも「謝罪文」の地点に立ち返り、血の通った人間として真に反省されることを強く望みます。先の前田教授に「唾棄すべき低劣さは反差別の倫理を損なう」とまで叱責された李信恵さん、あなたが、真に差別に反対し、一人の将来ある若き大学院生の人権を尊重するというのであれば、今からでもやるべきことは歴然です。李信恵さん、あなたは鹿砦社の本で「被害」を受けたとか「不安や苦痛」「恐怖心」でいたたまれなくなったなどと被害者然としていますが、最大の被害者はM君です。このことを決して忘れないでください。
みなさん方も、第4弾本『カウンターと暴力の病理』の巻頭グラビアに掲載されているリンチ直後の顔写真をご覧になり、CDにして付けている音声データをお聴きください。まさに地獄絵、阿鼻叫喚です。みなさんも人間なら、これらを見聞きして何も感じないのなら人間ではありません。判決文でよく使われる「一般読者の普通の注意と読み方」をされたらいいだけの話です。
李信恵らはこのCDについても、あろうことか、これが李信恵の無実や、リンチ事件の首謀者でないこと等々を証明する証拠だと論理をすり替えています。狡知に長けた神原弁護士の智恵かもしれませんが、李信恵らはどこまで神経が腐っているのでしょうか、常人には到底理解できません。おそらくこの音声データがリンチの証拠として世の中に公開されたので、逆にリンチがなかったことの証拠と言い張ることで、形勢逆転を狙ったものと思われます。
私たちは、李信恵らが関わった、M君に対する集団リンチ事件について、リンチ被害者M君の救済・支援、そしてこの集団リンチ事件を負の遺産として主体的に反省し今後の社会運動のために活かすために、この事件の真相究明をするという、シンプルな想いこそ、この事件に関わる私(たち)の目的で、李信恵を貶めようとかいうような邪悪な政治的目的はありません。神原先生、あなたは私たちに対し、「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」などとツィートしておられます。傷つき孤立した青年の魂の叫びを聞き、治療費はじめなんの弁済もなされず村八分にされていたことについて、救済・支援をし、真相究明をすることが「私怨と妄想にとりつかれた極左の悪事」ですか? 取材班や支援会で、多少なりとも学生運動に関わった者は私だけですから、おそらく私に対して詰(なじ)っておられるものと思わざるをえませんが、これはどういうことでしょうか? ぜひ私の面前で説明してください。