高僧らによる読経

ワット・ミーチャイ・ターでのお祭りに参加した信者さん達。生活に根付いた仏教の儀式です

◆眠そうなネーン達!

ネイトさんは、12月14日に我々と突然出会い、18日には出家が認められるという
「早過ぎだろ」と言えるぐらい早い展開だった。

倉庫部屋に戻って寝るも、私はお腹痛くて深夜に2回トイレ行く。12時23分、3時38分。お腹は不調のまま平行線なのである。

もう鐘が鳴る時間である。まだ暗い境内にある本堂に向かい、4時の読経に参加してみる。プラマート和尚さんがマイクを持って先導する。

「ヨーソー パカワー アラハン サンマー サンプットー」から始まる毎朝の経文であるが、経本を持って文字を追っていくと5行ぐらいで見失ってしまう。日本語だったらもっと追えるが、タイ文字ではもう追えない。

ネーン達も大人への一歩を経験していきます

読経の続くクティ内

途中、後方を振り返った藤川さん。私に「壇に上がれ」と床を軽く叩く。読経の場は比丘数名が座れる壇があるが、基本的に比丘は壇上、ネーンは壇下になるらしい。私は新米比丘なので遠慮していたが、空席がある限りは比丘1日目でも壇上となるようだ。

始まる頃はプラマート和尚さんと我々日本人の他、真面目な比丘2名程しか居なかったが、少しずつ遅刻者が入って来る。読経後、プラマート和尚さんは後ろに向いて座り、点呼を取る。名前を呼ぶと「マーカップ(来ました)!」。日本で言う「ハイ!」に相当する返事。総勢15名程と見える。後方はほぼネーン達だ。やっぱり眠そうな顔。慌てて黄衣纏って小走りで来るのだろう。今日は遅刻者多いネーン達に怒ったプラマート和尚さん。

「他所から来た日本人がしっかり参加しているのにお前らダラしないところを見せるな!」と言うような感じだった。

独特の雰囲気がある比丘と信者さんのまとまり

◆茶色い僧衣

朝食後、藤川さんはネイトさんを連れて、黄衣を買いに出掛ける。私はお漏らししないか不安で行かなかった。近くにトイレが無いと危なくって何も出来ない。そんなトイレ往復から戻ると、早くもネイトさんらが帰っている。

黄衣三衣2着とバーツ(お鉢)で3500バーツ(14000円ぐらい)だったらしい。見てみると、茶色い僧衣だった。しまった、無理してでも私も行けばよかった。

たぶん藤川さんが「茶色にせえや!」と言ったのだろう。「やられた」といった後悔に変わる。でもこれらは全て藤川さんが払ったらしい。何か嫉妬を感じるなあ。

読経が終わり、在家信者さんより寄進が行なわれます

◆藤川さんは私の親!?

またメコン河を眺めに土手に向かうと、本堂で寝起きするオジサン比丘が「コーヒー飲まないか」と招いてくれた。このオジサン、比丘となって2年ぐらいで、元々はトラック運転手だったという。ノンカイに65年住んでいるそうだ。このオジサンにもこの土地で生きて来た人生のドラマがあるのだ。この寺の前を何千回往復されたことだろう。

ネイトさんもやって来たので、オジサン比丘にコーヒーを勧められる。また他愛も無い話の中、「俺、残って得度式撮ってあげたいなあ」と言うと、
「いいですね、そうしてください」と応えるネイトさん。そうか、それ可能だな。
夜、藤川さんに「俺、残りたい!」と話すと、
「お前一人残るのはダメや、タムケーウ寺の和尚から見れば、ワシは保護者で、お前は子供や。お前を置いてワシだけ帰る訳にはいかん」と言う。

「こんな大人が」と思うが、私をこの仏門に導いた師匠であるといえば、そういうことになるのは仕方無い。

プラマート和尚さんに延期を申し出る。「24日まで居させてください」と。
了承は簡単即答だった。滞在延期決定。

右側がワット・ミーチャイ・トゥンの和尚さん

本堂で寝泊りするオジサン比丘

翌日の朝食時、プラマート和尚さんは我が寺の、ワット・タムケーウに電話していきなり私に携帯電話を渡される。こんなところで、私は我が寺の和尚さんの名前を知らないことに気付く。「ハルキ・プーッナカップ!」と自分の名前言って、何とか「25日に寺に帰ります」と話す。その事情までは言葉が出なかった。その事情は代わってプラマート和尚さんが伝えてくれた様子。

朝食後、ネイトさんに付いて来てもらって、ノンカイ駅で切符の変更申し出るが、すんなり受け付けて貰えた。手数料50バーツと、座席は藤川さんと離れ、寝台は二人とも上段になるが、それぐらいは仕方無い。

よかった。あと4日長く居られる。お腹の具合も悪いから、今日こんな状態で夜行列車に乗るのは危険であった。

◆ミーチャイ・ター祭り!

寺に戻ると「こっちでしか見れん、面白いことやっとるぞ」という藤川さん。
何かの祭りの準備に入っている様子。

「毎年この時期、在家信者さん皆の健康と、この寺の繁栄を祈願するお祭りがあるんだ」という大雑把な話しか聞けなかったが、この準備で昼食はヨーム(在家信者さん)による豪華な寄進。サーラーで比丘達も並んで座り、プラマート和尚さんは私に「写真撮れ」と、またこの寺でもカメラマンを任されてしまう。他の寺から高僧は招かれているし、ミーチャイ・トゥン和尚さんも来ているし、立って歩いて失礼なことしたかもしれないが、カメラマンに徹して踏ん張ってみた。

先週すでにミーチャイ・トゥンで会っている信者さんも居て、私が日本人であることを他のオバサン達に教えたようだ。瞬く間に情報が広まるの早かった。

比丘の昼食が終わると在家信者さんの昼食となります

ネイトさんも食事の輪に招かれました

午後の外での読経、とうろう流しに似た祈願

◆藤川さんの吉本話

午後も外で第2部のお清めの読経が続いていた。やがて信者さんも比丘も皆で後片付けに掛かり、終わった頃、部屋に戻ると、私はお腹の調子の悪さで外出はしないで寝ていたが、藤川さんは散歩に、ネイトさんは得度式に際し、親代わりをお願いに知り合いのオバサン宅へ出掛けたようだった。

ネイトさんは帰ってから「街中で読売新聞売ってましたよ」と言うと、藤川さんは早速100バーツ渡して「もう一回行って買うて来て!」とお願いする。

私が「後で俺にも見せて!」と言うと「イヤッ、捨てる!」と藤川さん。
「じゃあ拾って読みます!」と言うと、「やっぱり燃やそう!」と返す藤川さん。
こんな意地悪な対話に笑って聞いてたネイトさん。こんな冗談言えるほど、より朗らかになれたのもネイトさんが現れてから、この寺での会話からだった。

過去の見た聴いた話題にも花が咲く藤川さん。

「吉本(花月)はオモロイぞ、朝10時から始まって、1日3回舞台に立つ訳や、新人漫才師の女の子のコンビがボケと突っ込みやるが、朝から仕事も行かんと酒飲んで、3列目ぐらいで漫才見とるオッサンがそのネタ覚えてしもうて、入れ替えの無い昼の部で、同じ流れのウケるところで、オッサンがデッカイ声で先に言うてネタばらしてしまう訳や、“オイ姉ちゃん、それからどうした!”とまた冷やかしてもうて、周りの客はそのオッサンの突っ込みで笑うとるわ、それで女の子二人はオッサンに持ち味殺されて、ネタがウケんからもうボロボロ涙流しながら漫才続けとるんや、そやけど、みんなそこから“何クソ!”と這い上がって来るんやろうなあ。春やすこけいこも、そうやったんちゃうかな」。

寝転がって話す藤川さんのお話は面白かった

他愛も無い話だが、人の試練のオモロイ話でもあった。これが本当の修行というものだろうと思う。

藤川さん自身のネタは「阪神-巨人戦の阪神側のエゲツナイ野次はオモロイぞ!」と陽気なお話は幾つもある。体調不良の中、寝転がって聴いている分には心安らかになれる空間だった。

呑気な私と比べ、お経を覚えようと暗記に力を注ぐ出家準備の進むネイトさん。口移しでいけるとは言え、極力覚えようと経本片手に比丘に聞き、いよいよ剃髪が迫って来ます。

ノンカイ駅にて、こんな姿で撮るのも今の内

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

今回はバリカンで剃髪となった藤川さん

◆ノンカイに戻って

ワット・ミーチャイ・ターに着いて外に居たネーンに尋ねるも、ここのプラマート和尚さんは不在のようで、石橋正次似の比丘が「和尚は明日帰って来るから、今日はここに居てくれ」と招かれたのはクティ1階の倉庫らしい部屋だった。狭く汚い部屋だったが、寝られるスペースがあれば充分有難い。

今日12月17日は満月の前日で、ここの寺の比丘は皆、頭剃ったばかりで表皮が目立っていた。そこでまだ剃っていない我々は、石橋正次似比丘に剃髪をお願いすると、すぐに準備に掛かってくれて、この寺ではバリカンで刈るので早い。藤川さんの後、私の番。久々に床屋さんに来たような心地良さ。毛だらけなので、すぐ水浴びしなければならないが、体調不良の中、サッと浴びたが水が冷たく寒かった。

熱あり腹痛あり、風邪か下痢か、どっちの薬飲めばいいのかも分からない。日本の薬は効かないとみたか、藤川さんが「ここの奴らに薬局連れて行って貰え」と言うが、立って歩く元気すら無い。どうか今持っている薬で収まって欲しいと祈る。

さっきの石橋正次似の比丘が私の様子見て薬持って来てくれたが解熱剤の様子。まず熱下げようとこの薬飲んで、いつもながら一般的には早いが、藤川さんが「もう寝るか!」と言って、夜8時を回って眠りにつくことになる。今日は10回以上トイレに行っただろうか。

床屋さんのような切れ味、正確には一分刈りなのかもしれない

◆腹痛の原因!

翌朝は4時前に鐘が鳴り、藤川さんは顔を洗って、本堂での読経に行く準備。私はお腹の調子が悪いので、寝続ける。

藤川さんが「お前は一昨日の朝か昼飯の時にその辺に置いてあった水飲んだんちゃうか?」と言われて、チェンウェー寺でそう言えば飲んだ。朝は置いてなかったが、昼時に置いてあったポラリスを飲んだ。そんな何日も放りっぱなしの水ではないはずだった。しかし、
「誰が手を付けたか分からんものは絶対飲んだらあかん。ワシらのワット・タムケーウのメーオは毎日飯時に瓶(かめ)の水飲んどるが、あれは雨季に溜めた雨水で、あんなもんワシらが飲んだら一気に下痢やな。お前はあれ飲んだようなもんやぞ。あいつらは子供の頃からあんな水飲んどるんや、ワシらと抵抗力が違うんやぞ!」

綺麗に見えても誰が置いたか分からん水には手を出してはいかんと反省。これは食中毒に掛かったのだ。熱や吐き気、下痢が続くもの当然か。正露丸では治らないかもしれない。参ったなあ。

◆鹿うノンカイの托鉢、再び!

藤川さんの起床で、早く起こされたネイトさんも読経を聴きに行った様子。5時30分に私も起き上がり、托鉢の準備をする。托鉢中にお腹が痛くならないようにトイレは済ませておく。それでも下痢便は突然襲って来るから、1時間程耐えられるか、お腹に相談しながらの集団托鉢への参加である。

6時15分頃にミーチャイ・トゥン側の托鉢の列がやって来た。先週あちら側に居た我々がこちら側の寺に居るから何か気マズイが、誰も怪訝な表情はしていない。すんなり列に入れてくれて先週と同じパターンで進む。プラマート和尚が出張中なので、私は“4番目”になった。サイバーツ(寄進)する信者さんは63件あった。なんと私の几帳面さ、数えてしまうのである。こんな状況で頭の中がなんと暇な私。

プラマート和尚さん先導の朝4時の読経。カメラを向けるとマイクを置いてワイ(合掌)してくれた

折り返し帰る時は、ミーチャイ・トゥン側の比丘と話しながら歩く。無事にラオスから帰って来たこと、ビザが取れたこと、今は事情あってミーチャイ・ター側に居ることを話して砂利道入るところで別れます。あちらはここから痛い痛い砂利道がある。今はこちら(ミーチャイ・ター)で良かったと安堵する。

このイサーン地方とラオス・ビエンチャンでは托鉢以外に在家信者さんが寺に料理を届けに来る習慣があります。その事情をビエンチャンに居た時、ワット・チェンウェーで、ブンミー和尚さんに尋ねていた藤川さん。

それは、
「ラオスでは、1975年の社会主義革命の後、新政府は仏教活動を禁じましたが、庶民がそれに反発し、政府に協力しなくなり、政策が予定どおり進まなくなりました。困った役人は、結局は暗黙に仏教活動を認めましたが、公には禁じられているものだから、政府のお偉いさんや役人達は比丘に食事を施したり、お寺にお布施をしたりなどの徳を積むことができなくなり、自分達がいちばん困ったようです。それで、市の役人やその家族は表立って托鉢などに参加し辛いので、こうして毎朝、料理を届けに来られるのです。」
ということのようだった。これが国境に関係なく、昔からこのイサーン地域に根付いているのだろう。

《このブンミー和尚さんの話は「オモロイ坊主のアジア托鉢行」より引用。こんな話しをしていたのは確かで、藤川さんが頷いていたのを覚えていますが、私は上の空であった。》

これはプラマート和尚さん不在の時、ラジオ体操の出欠取るような群がり

寺の河沿いにある船着場で佇むネーン達

◆ネイトさんの実力!

相変わらず食欲は沸かないが、少しでも詰め込もうとすれば何とか胃に入ってくれる。その後、ネイトさんを我々が食事したサーラー(葬儀場、講堂)へ朝食に誘ってデックワットらの輪に加えてあげます。新入りでは食べ難いだろうと終わるまで一緒に居てあげるも、そこは国際感覚の社交性あるネイトさん。積極的にイサーンの言葉で話し掛け、早速デックワットと笑いながら食事に入っている。私の気遣いは無用だったようだ。

昼食も少々しか胃に入らず、体調も悪いので部屋で寝ていたり、メコン河眺めに河沿いに行って日記書いたりしていると、近所の子供らが4~5人、元気にボール蹴って遊んでいる。こんな光景、どこの国にもあるんだなあ。

ネーンが土手の下の船着場まで下りているからその様子を見に行ったりもした。ネイトさんもやって来て他愛も無い話をするが、私のキックボクシングの話にも付き合ってくれたり、ここに至る因果も話せばしっかり聴いて返してくれる対話は楽しいものだった。

そんなこと話しているうちにまたお腹の調子が悪くなる。今日もすでに10回以上トイレに行っただろうか。これがお腹に細菌が潜伏する食中毒なのか。

夕方6時30分からの読経も、先ず鐘が鳴らされ、本堂で読経が始まる。後から後から比丘やネーンが集まって来るので、遅刻者続出。30分ぐらい続いた読経が終わると辺りはすでに真っ暗。外で読経を聴いていたネイトさんにネーン達がなついて群がっている。アメリカ人でもイサーンの言葉が出来て社交性があれば人気者間違いなし。私には誰も寄って来ない。この差は大きいな。

ネイトさんも寺生活に慣れていく、比丘と寺に寄進された食材による朝食

◆ネイトさんの出家が決定!

この寺のプラマート和尚さんが、夜9時前に帰って来たようで、我々は挨拶に向かいます。我々3人を泊めて頂きたいことと、ネイトさんを出家させたいことを藤川さんが申し出ます。

その後は流暢なイサーンの言葉でネイトさんが御挨拶。

普通はアメリカ人がいきなり尋ねて来ても門前払いとなるか、人格を見られた上で、何らかの条件が付けられるだろうが、こういう仲介役がしっかりした身元の近しい仲であれば大概のことはOKとなるもの。

難なく“面接”はOKされると、24日頃に得度式が予定されることになる。我々は20日の夜行列車で帰るので、得度式には参加出来ないが、ここから先は彼がしっかり務めることだろう。

どんな比丘となるのか、藤川さんの“第2の弟子”の成長が楽しみである。滞在日数の少ない中、我々がやってあげられることは何か、ネイトさんの出家への準備が進んでいきます。

夜の読経後、ネイトさんに群がるネーン達

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ネーンに撮って貰った1枚。私とブンミー和尚さん

大通りで他の寺から来る列を待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆ビザ獲得!

タイ領事館窓口で引換券を出す頃、ちょうどネイトさんもやって来ました。お互い難なく受取れて握手。初めてのノンイミグレントビザ。私でも取れたんだ。何か凄いことやったような気分。

私とネイトさんはホッとして雑談が長くなる中、明日の托鉢をネイトさんが撮影してくれることになり喜んでいると、藤川さんが早く買い物に向いたかったようで、「早よせんかい!」とイライラしている。全く勝手な人だ。テメエは喋りだしたら長いクセに。

合流し一列縦隊で進みます(Photo by Nate Badenoch)

ネイトさんは「明日の朝6時にチェンウェー寺に伺います」と言われてここで別れました。

我々はトゥクトゥクで、私が2ヶ月前も立ち寄ったショッピングセンターへ。
藤川さんが「英語ネーンに買うてったろ!」と言ってオーワンティン(瓶詰め粉末)とコンデンスミルクを買う。藤川さんはタバコを選び、これが早く欲しくて来たのだろう。

私はサンダルを買い、タバコ代を立て替えたりして、それぞれの値段が分からなくなったが、「物価はバンコクの半分ぐらいやが、電化製品はバンコク並みに高いな!」と言う藤川さんがビエンチャンの物価を探る好奇心を持った買い物を終えてワット・チェンウェーに帰ります。

信者さんが待つ路地に入って、一掴みのもち米を受けます(Photo by Nate Badenoch)

信者さんもサンダルに膝を乗せて辛い体制です(Photo by Nate Badenoch)

トゥクトゥクで帰ると隣の寺で止められてしまう。「もう少し先」と言おうとしたところ、「歩けば近いやろ!」と藤川さんはサッサと降りてしまう。私は方向音痴だが、降りた位置が分かっていた。藤川さんが隣の寺まで来ているのに方向を間違える。勝手なことを言っておいて間違えることこの旅だけで何度目だろう。

帰るとすぐ、ネーンが私を呼びに来た。「サンカティに纏って、出かける準備して!」と急がせる。

「葬式でもあるのかな」と思うも今回は藤川さんは呼ばれず私が呼ばれ、他にネーンが二人、ブンミー和尚さんと4僧でトゥクトゥクに乗って、向かう先はどこかのお寺らしい。そこで見たものは過去、私が通って来た道でした。

田舎っぽい風景の中の托鉢。低感度フィルムによるAUTOか強制無発光の為、被写体ブレが起きています。フラッシュが効いている被写体は陰が明るめに出て、ブレが小さめになっています(Photo by Nate Badenoch)

◆寺から向かった先は!

そこでは頭を剃ったばかりの20歳ぐらいの若者2人が白衣を纏って並んで立っていました。得度式である。私は比丘として彼らを迎える立場となったのだ。
「撮ってやりたいなあ」と思うが、それができない立場がツラかった。

ここまでは誰も私が日本人とは分からなかった様子。他の比丘は20僧ぐらい居たが、読経中にブンミー和尚が私に「カメラあるか?」と言う。ビザ取りに行ったままの頭陀袋だったので一眼レフを出すと、「違う、小さい方!」と言われてコニカのビッグミニを渡そうとすると、頭陀袋にカメラのストラップが引っ掛かって落として慌ててしまい、周りの比丘達が笑いだした。

集落ごとに信者さんの列があり、比丘と列と重なります(Photo by Nate Badenoch)

何を撮るのかと思ったら、向かいに座ったネーンに渡したブンミー和尚さん。つまり、「読経中の我々を撮れ!」と命じたのである。カメラを2台も出したところで、周囲は私が日本人と分かった様子。「ワット・チェンウェーの日本の比丘」といった雰囲気が漂う。

ここでも客寄せパンダになっていた私であった。お布施は2000キープを受取る。寺の外ではお祭り騒ぎ。出家者を送る親族の徳を積む機会だろう。薄汚れたシャツを着た4~5人の幼い子供らが裸足ではしゃいで駆け回っていて、映画で観るような発展途上国らしい風景だった。

比丘は裸足、信者さんも裸足で待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆体調に異変!

ワット・チェンウェーに帰って、英語ネーンに買って来たオーワンティンとコンデンスミルクをプレゼント。素直に喜ぶ澄んだ目がやっぱり綺麗である。夕方の読経の時間には皆が講堂に集まりました。私はここに来てから馴染んだラオス訛りの読経を耳に収めていました。

ビザを貰って安心してから一転、今日の昼食後から何か腹具合がおかしく長引いていることに気付く。パンシロン飲んだが夜になっても胃がスッキリしない。下痢が始まり、更に寒気がしてきた。風邪かな。今日も英語ネーンやデックワットが温かいオーワンティンを持って来てくれる。身体温めようと飲むも、気持ち悪さが治らない。寝るのはいつもと変わらない夜の9時頃だが、サッサと眠りにつくよう蚊帳に入って寝てしまおう。

陽が昇り始める頃、托鉢も終わりに近づきます(Photo by Nate Badenoch)

ところが深夜12時に目が覚める。脈が速く熱がありそうだ。これはヤバいぞ。真っ暗の中、頭陀袋からバファリン捜し、置いていたポラリス(ミネラルウォーター)で飲んでまた寝る。

朝方4時過ぎ、藤川さんが早くも片付けしている音で目覚めた。この寺を後にする準備して講堂へ座禅組みに行ったようだ。私はもう少し寝て5時過ぎに起きると一応熱は下がっている。ネイトさんに撮影頼んでいるのに今日は無理かと思っていたが托鉢には行けそうだ。

この方もやっぱりもち米、タイ東北部とラオスはこんな光景になります(Photo by Nate Badenoch)

◆我が托鉢の撮影!

ところが6時回ってもネイトさんが現れない。朝早くに呼ばれても寝坊も仕方無いかと諦めかけたが、列になって托鉢に向かう頃、ネイトさんがバイクでやって来た。すぐコニカのビッグミニ渡し、フィルム36枚撮り1本撮りきるようにお願いします。前から後ろから撮っている気配は感じるが距離が遠過ぎる。

広角レンズだし、もっと近い距離でアップ目が欲しいところ、私以外も撮ってるし、途中で「ネイトさん、もっと接近して!」と不謹慎にも大声を出してしまうが、撮ってくれただけでも有難い。寺へ帰ってから感謝を伝えて、朝食に向かう。また熱が出て来たようだ。食欲は沸かないが、ひと口でも多く頑張って食ってバファリンを飲む。昼までに下げないといけない。またしばらく眠ることにしました。

チェンウェー寺での夕方の読経、この寺は若い比丘とネーンばかりでした

ノンカイに向かう準備の為、ネイトさんは乗って来たバイクで一旦居候先に戻りました。

11時近くまで眠っても全く食欲が沸かなかったが、昼飯もまた一口でも多く食べておく。眠っていた間に藤川さんはシーツを洗濯したらしい。使った物は綺麗にして返すのは当然だが、私はグロッギーで出来なかった上、迂闊にも考えが及ばなかった。クテイの掃除だけやったが、使った寝具はそのまま折り畳んだだけ。これはこちらの比丘達に申し訳なかった。

広い講堂内、読経は40分ぐらい続きます

ブンミー和尚さん先導の読経が続きます

英語ネーンも学問とともに仏門で修行の身

◆ラオスを後にしてノンカイへ戻る!

午後1時に出発予定だったが、ブンミー和尚さんが朝からニーモンに行かれて別れ際には会えなかったことが悔やまれる。おじいさん比丘や英語ネーン達、デックワットには体調悪くて最後に何もしてやれなかったが、感謝の気持ちは何とか伝えて、藤川さんとネイトさんと共に拾ったオンボロタクシーに乗ってタイ・ラオス国境の橋へ向かいます。

出国手続きをしてラオスを後にする。最後に体調崩したが想い出の地になった。皆、心優しい良い人ばかりだった、タイ領事館の連中以外は。またいつか来れるだろうか。バスで橋を渡ってタイ入国手続きも簡単に終わり、ネイトさんが居るから言葉は何とかなると思うと心強かった。無事にタイ領土に入ると、故郷に帰って来たような安心感に包まれる。後はどんなに遠くても日本のおばあちゃんのアパートまで、歩いてでも帰れるような錯覚に陥る。

それにしても、すぐ座りたくなるほどダルく体力が落ちている。バファリンも正露丸も効かない。大丈夫か俺。ネイトさんの今後の進路を見届けてからペッブリーに帰らねばならないのだ。まず、この発熱と下痢を伴なう体調不良は何なのか。回復しなかったらどうなってしまうのか。そんな不安を抱えながら、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターまで50バーツ。門を潜って新たな展開へ、ネイトさんを含む3人のお泊り願いに向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

◆ワット・チェンウェーでの務め

ビザが下りるまでのビエンチャン滞在の中では、新しい出会いや問題が浮上していきました。

ブンミー和尚さんに「ニーモン(比丘を招く寄進)があるから9時30分までに帰って来なさい」と言われているのに10時15分になってしまう。

「ニーモンには行けないなあ」と藤川さんと話していたら、なんとブンミー和尚さんが車を待たせて我々を待っている。タイと同様に時間にゆとりのある国である。しかし、呼ばれたのは藤川さんだけ。車に乗せられ行ってしまった。後から思えば、この寺の年配者は病気がちなおじいさん比丘と、ブンミー和尚さんだけ。地上げ屋のような眼力ある藤川さんを連れて行けば、虎の威を借るように好都合かもしれない。

黄衣を洗ってくれたデックワット(寺小僧)の一人

他の比丘、ネーンも居らず、私はクティの踊り場で日記書きながら「これは昼飯は無いなあ」と飯抜き覚悟していたら、残っていた一人の“英語ネーン”が「昼飯だよ」と呼びに来てくれました。行って見ると私とこの英語ネーンと二人っきり。そしてヨーム(在家信者さん)3名ほどが食材を持って来ている様子で、英語ネーンが「お経唱えますよ」と言う。

私は「うわっ、ヤバイな!」と思うが、いつも朝食後に唱える「サッピティヨー」から始まる短いお経で簡単だった。終わるとヨームはワイ(合掌)をして帰って行く。こんなわずかな儀式でも重要な仏教徒の務めだから軽んじてはいけない。でもこれで昼飯は摂る事が出来た。

この昼時を終えると、藤川さんらが帰って来ました。何やら寄進された、お土産のような大きい包みを持って来た藤川さん。タバコだけ抜いて他はデックワットにあげていた。お菓子類がほとんどのようだ。

皆それぞれのニーモン先から帰って来て、今日のひと仕事終わったかのような昼下がりの午後、疲れた様子の藤川さんはクティの踊り場でゴザ敷いて寝てしまう。

『カメラマン』を見る英語修行中のネーン(少年僧)とチビくん

私は洗濯しようと黄衣を持って洗い場に行くと、デックワットのひとり、ガキデカ(イメージ的に付けたあだ名)くんが、「僕が洗います」と黄衣を持って行ってしまう。後に干して乾いた黄衣も持って来てくれて、何と気の利く奴らだろう。でもこれが普通のデックワットの役目なのだ。本当に我がタムケーウ寺と比較してしまう、この寺の優秀さ。

手が空いてしまったが、英語ネーンや最年少デックワットのチビくんは私と雑談になる。「日本の冬は寒いぞ」と雪の話をしていると、確か雪景色の絵柄があるはずの、持って来ていた『カメラマン』を見せてやる。カラー発色の光沢ある紙質の雑誌である。英語ネーンくんは「綺麗な本だ、印刷が凄い!」それだけで感動している様子。雛形あきこを見ると「この子、日本人なの? 綺麗な子だ!」と目がランランと輝くが、さすがに「幾らだ!」とは言わない。

私以外ほとんど差の無い年齢だが、左の兄さんだけ比丘で、他はネーン

ガキデカくんは私が持っていた安物の電池式髭剃り機(シェーバー)を、「それ見せてくれ」と言うから渡すと、スイッチ入って“ガガガガー”っと振動すると「うわあ~!!」とビックリして落としてしまう。何だ、こいつヒゲ剃り見たこと無いのか。タイのムエタイ選手や、お寺の比丘などはヒゲ剃り機そのものは持っていなくても、見たことぐらいはある奴らだ。このラオスというアジアの奥地には、昭和30年代の日本がある感じで懐かしい気持ちになれるところだった。

最年少チビくんもやたら寄って来るようになった。幼いから遊んで欲しいのだろう。学校には行って無さそうで、寺の周囲に友達が居るようには見えない。相撲を取るような、ムエタイの首相撲をやるような取っ組み合いをやると物凄く笑って喜ぶ。7歳ぐらいなのか、無邪気で可愛いものだ。比丘が取っ組み合いやっていいかは、本当はやっぱりダメだろう。タムケーウ寺のメーオくんはムエタイ経験があり、軽い取っ組み合いで上手い蹴りは見せていたが。

ブンミー和尚さんを中心にこの寺の比丘とネーン達

◆アメリカ青年、訪ねて来る!

夕方頃、別のネーンが私を呼びに来る。「お客さんだよ!」と。こんなラオスの寺に私にお客さんなんて、思い当たるのは奴しかいない。早速やって来たのだ、アメリカ青年が。

講堂に行くとネイトさんと再会、「ノンカイに渡ることで相談があります」と言う。

講堂では夕方の読経が始まるので、クティに移ってお喋り上手の藤川さんと会話が続きます。

ネイトさんはアメリカでラオス語を習い、高校2年の時、日本に来て、タイ留学生と出会い、「その発音は間違っているから直してやる」と言われて、そこからタイ語を習い始めたという。大学を含め7年間、日本に居る間に日本語とタイ語を完璧に覚えてしまったようだ。

藤川さんが「宗教とは何やと思う?」と問うと、ネイトさんは「お父さんが“自然だ”と応えたことがあります」と言う。更に「お父さんはインドに居たことがあるんです」と言うと、藤川さんは大きく理解したように「ほほ~う、だからやな!」と頷く。

アメリカ青年ネイトさんが訪ねて来て藤川さんと雑談

クティに集まったネーン達と写真に収まる藤川さんとネイトさん

話せば思いっきり笑うこと多い藤川さん

傍から聞いていると飽きて疲れる話になってきた。討論成り立つネイトさんに任せて私はこの場を去るが、ネイトさんが気にしていたのは「ノンカイに渡ったら本当に出家できるのか」という素朴な疑問。

「ノンカイに渡ったら、ミーチャイ・ター寺の和尚に紹介するから、この寺でもイサーンの寺でも好きなところで修行すればええ!」ともうネイトさんに惚れ込んだ様子の藤川さん。「ワシに任せとけ!」という藤川さんの太鼓判に安心した様子。

読経が終わった頃、「みんな集まって写真を撮ろう」と言うブンミー和尚さん。ネイトさんは英語ネーンに英会話の機会を与えると、とちりながら話してみるネーンくん。わずかな時間ながらよく頑張っていた。ブンミー和尚さんとも雑談を続けて、写真を撮り終えてから知人宅へ帰って行きました。

何となく集められた旅の我々と共に

ブンミー和尚さんとネイトさん、通訳もしてくれて助かった

◆ブンミー和尚の苦悩

私はブンミー和尚さんに「この寺の住所を書いて欲しい」とお願いすると、ラオス語と英語で書いてくれて、更に日本語で書かれた日本からの手紙を見せられました。その手紙はちょっと古く、「日本にもう2年あまり、私の弟が居るんだが、弟の嫁が私の手紙を弟に渡してくれないようだ。だから連絡が取れない」と言う。日本に帰ったら私に尋ねて行って見て来て欲しいのだろうか。住所は神奈川県の平塚だった。

後に藤川さんに話すと、「ブンミー和尚の弟さんは不法就労の類いやな、仕事やっても半年しか居れんはずや、それが2年も居るというのはビザ切れしかないやろ、尋ねていくのはかえって迷惑がられるぞ!」と言われる。まあ確かにそうだろう。今、ブンミー和尚さんの気休めにでもなればと思った次第だが。

◆合格発表へ!?

申請して2日後の午後、タイ領事館へビザの受取りに向かいます。ビザはパスポートに印字押されるだけなので、そのパスポートを返して貰うことになります。一人で行きたいところ、「行く時は起こせよ!」と言って昼寝している藤川さんを起こします。着いて来たがる、先に歩きたがる。「買い物もしたい」と言っていたが、寝かせたまま一人で行けばよかったかと思う。「俺って何で正直に従ってしまうのだろう」なんて悔やむこと数え切れない。

何かの受験合格発表でも見に行くような緊張感。たかがビザ。大丈夫ではあろうが、書類は万全だったか考えるとちょっと不安が残る。そしてこの先、ビエンチャンでまだまだ慌てる事態が発生していきます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

お寺の仕事をこなすデックワットの3人

デックワット(寺小僧)の少年と、英語を学ぶネーン(少年僧)

◆ワット・チェンウェーでの触れ合い

タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”

宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。

そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。

そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。

デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。

ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。

托鉢から帰るとすかさずデックワットがバーツ(お鉢)を持ってくれます

そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。

更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。

しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。

蚊帳を吊って寝る藤川さん

本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。

小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。

◆ビエンチャンでの托鉢

朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。

先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。

托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。

托鉢の風景

ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。

食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。

朝の風景、お寺の外で見掛けた児童たち

トゥクトゥクで街に出るとラッシュの混雑

◆タイ領事館での出会い

「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。

寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。

タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。

そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。

このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。

領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。

ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。

タイ領事館にて、アメリカ人青年と出会う

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ビエンチャンにあるタイ領事館の門

◆タイ領事館へ向かう

いよいよ旅の本命、ビザ申請に向かいます。

ビエンチャンで泊めて貰うワット・チェンウェー。着いて間もないそのクティに私物を置いて出掛けるのは不安だが、蚊帳類以外、すべての荷物を持って行くのは面倒過ぎる。カメラやフラッシュなども重いが貴重品なので持って出ます。

藤川さんと路地に出ると、すぐにトゥクトゥクの方から寄って来た。タイ領事館まで1500ラオスキープ。ってどれぐらい高いのか分からず、50タイバーツで交渉成立。15分程乗った中、だんだん市内に入ると2ヶ月前に見た風景が蘇えってきます。

ちょっと早めにタイ領事館に着き、14時の開門を待って中に入ると、早速、藤川さんと窓口に並ぶ。ビザ申請用紙をお願いすると、オバサン係員から2枚渡される。

藤川さんと一緒に申請するものだと旅に出る前から思っていたから、藤川さんに1枚渡すが、何やら書く様子が無い。

「何で書かないんですか」と言うと、藤川さんは「ワシは1年ビザ有るから」だと。
「はあ? じゃあラオスまで何しに来たんですか?」と私。
「お前の為に来たんやろが!」と藤川さん。

旅慣れない私を引っ張って来てくれたことには心強く、助かっている。その反面、外泊を渋る我が寺の和尚さんに、私を利用して、たいした用も無いのに旅に出るつもりだったなと思うと腹立たしくなってきた。

「じゃあ余った申請用紙は次に来る日本人の為に参考資料としてとっておこう」と言って頭陀袋に入れようとしたら、藤川さんがサッと奪いやがる。
「ワシかて後に来る友達の為にとっておく」と言う。
「このクソジジイ!何から何までセコいこの野郎!」と思って睨みつけていると、
「早よ書けや!」とフイをついて促される。

凱旋前にて、藤川さんに撮って貰ったが下手糞、トリミングして整える。カメラはコニカのビッグミニ

◆ビザは1年!?

私が申請しようとするノンイミグレントビザは、留学や興行などは3ヶ月という制限があります。更なる長期のビザについては分からないが、藤川さんのような1年ビザは、より難しい条件があるでしょう。

ビザ申請用紙には要請する期間を書く欄があります。
そこで「“1年”って書いてみい」と言う藤川さん。
「いい加減なお役所仕事の奴らは隣の奴とベチャクチャ喋りながら中身をよう見んとハンコ押しよる奴も居るかもしれん。間違うて1年ビザが貰える可能性あるから“1年”と書いてみい!」というものだった。

さすがセコい考え。いい加減な役所仕事の心理を読む、ずる賢い人生の経験値である。しかしお役所の奴らはそんな損なことはしないだろう。少なく間違えることあっても多く間違えることは無い目敏い連中だ。

でも私もちょっとセコい気持ちが沸いて「1年」と書いておく。そして窓口に持って行くと、オバサン係員は「提出は明日の朝」と言う。

「先に言えよこの野郎!」と野郎ではないが心の中で呟く。タイ語にしてもラオス語にしても英語にしても、申請用紙貰った時にこのオバサンはそんな発言は絶対にしていない。

そしてこの翌朝に提出した時は、今度は「2枚書け!」と言う。だから2枚くれたのか。その1枚は藤川さんが奪い取ったから仕方なく、別のオッサン係員に「もう1枚ください」と丁重にお願いします。

ようやく書いて提出すると今度は「何しにタイに残るんだ?」の質問。この黄色い袈裟を見て分からんか、もうムカムカ苛立ちながら応え、「寺のニーモンに呼ばれているから早くして欲しい」と言って手数料500バーツ払ってようやく引換券受取る。

毎度お役所仕事にはイライラさせられる現状であった。ビザ申請までは以上である。

凱旋門近くを車にけん引されるボート

◆ラオス入国者の義務!?

前日に申請用紙だけ貰った後、領事館を出た後、ガイドブック見ていた藤川さんが「凱旋門とタートルアン行こう」と言い出す。

せっかく来たラオス、観光もしておかないと勿体無いが、黄衣を纏っていてはとても観光気分にはなれない。でもせっかくビエンチャンまで来たのだから、まず歩いて近くの凱旋門に向います。

凱旋門はフランスの凱旋門を真似て建てられた、地元では“パトゥーサイ”と言われる記念塔。2ヶ月前は伊達秀騎選手や小林利典選手、アナン会長とこの前で写真を撮ったが、今回は一人黄衣姿で撮りました。

ここからトゥクトゥクに乗って、金色の仏塔のタート・ルアン寺院に向かう。ここも有名な観光地である。ひと通り見たところで藤川さんが、「“ラオス入国者はパックツアーを除いて在住証明を提出しなければならない“とガイドブックに書いてある。入国管理局行こう!」と突然言い出す。

私は面倒で「行かなくても大丈夫でしょう」と応えると、
藤川さんは「じゃあ出国時に何か問題あったら交渉してや?」と言い返して来る。
私は「知りませんよ、そんなこと!!」と怒鳴ってしまった。
藤川さんは「そんなら今行こうや、今分かってしまえば後は楽やろ!」

いつも言ってることは正しいんだよなあ、藤川さんは。でも私に何かワザと面倒なこと言い出すようで、苛立つ気持ちになってしまうのだ。これも修行か。

凱旋門目指す藤川さんの後姿

タートルアンで出会った比丘達と

◆ビエンチャンで出会った比丘たち

そこで入国管理局へ向う為、トゥクトゥクでも止めようかとしていると、走って来たタクシーの運ちゃんらしき人に呼び止められ、「あの比丘が呼んでいます!」と指差された先には二僧の比丘、一僧は紫色の袈裟を纏っている。

「どこから来たの? これからどこに行くの?」と人懐っこく問いかけてくるのは、紫袈裟比丘。もう一僧は背が高く結構若いがラオスにある寺の和尚さんらしかった。

「入国管理局へ行きます」と伝えると付き合ってくれることになり、彼らのタクシーで、入国管理局へ向かいました。ここで「このツアー会社に行って聞いてください」と指されたのは、バンコクで旅行代理店に提出した時に、パスポートにホチキス止めされていた名刺のツアー会社。それはすぐ近くにあるようで、そこへ歩き出したところ、私らを見かけた近くのホテル従業員のオバサンが「ニーモンです」と言ってホテルのロビーへ招かれソファーに座るよう促されました。

我々4僧とタクシーの運ちゃんにまでジュースが出され、私は喉がカラカラで、多分皆同様で有難い寄進だった。それはファンタオレンジの味、着色料バッチリの昔ながらの正にオレンジ色。冷えていて味も懐かしく美味しかった。

ホッと一服できたところで、紫袈裟の比丘先導に短めのお経を唱えると、私にも出来る、日々やっている範疇の読経で、有難そうにワイ(合掌)して聴いているオバサン。こんな寄進に出会った場合に、一人でもすぐ出来る経文は更に覚える必要があると思ったところ。

そしてツアー会社に入ると、御丁寧に紫袈裟の比丘が尋ねてくれて、「2週間以内の滞在は入国管理局への在住申請は要らない」という。ガイドブックは古いもので、すでに改訂されていた様子。面倒でもやることやって問題無いと分かれば、後は安心なのは確かだった。

ここからこの紫袈裟の比丘らのタクシーで、我々の泊まっているワット・チェンウェーまで送ってくれてお別れ。紫袈裟の比丘は明日、タイのウボンに帰るらしい。ここまで付き合ってくれたことには感謝を伝える。優しい奴らで有難かった。また会うことはないだろうが、住所聞いておけばよかった。またウボンに尋ねて行けたら楽しいだろうに。

この後、ワット・チェンウェーの比丘やネーン(少年僧)、デックワット(寺小僧)達との触れ合いにまた感動が生まれていきます。

我々が泊まる寺へ送ってくれた比丘とタクシー

ボロボロのタクシーである

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ワット・チェンウェー和尚さんとデックワット最年少の男の子と

お世話になったノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンの比丘達とはしばらくのお別れ

◆ノンカイとしばしのお別れ

ノンカイの寺、2日目の托鉢を終える頃、最後の“痛~い砂利道”だけはダメだった。昨日は3歩でくじけたが、今日は6歩ほど歩いて、「アッ、イタタタタタッ、痛ッ!」。

また歩を休めながら何とか辿り着く。ホンマに恥ずかしい。修行が足りないことが心に響く。今度来た時は必ず歩ききろうと誓う。ちょっと痛いだけだ、頑張ろう。

今日はラオスに入る日。朝食後は使わせてもらったクティの範囲を掃除しながら出発準備に掛かります。

「早よせい!」とイライラしながら急がせる藤川さんが慌ててコップ割っていやがる。

人に文句言っておいて自分が出来ないこと多い人だ、全く。まだまだあるが今度書こう。

わずかな間だったが、ペッブリーの我が寺より品の良さに癒され楽しかった。リーダー格の兄さんやコーヒー入れてくれた兄さんらと写真撮ってお別れ。と言ってもまたノンカイに戻って来るのだ。次は河沿いの寺に行くかもしれないけれど。

◆タイ・ラオス友好橋で想う

デックワットが用意してくれた籠の膳

拾ったトゥクトゥクは、藤川さんがしっかり行き先を伝えず、タイ・ラオス友好橋まで行くまでの途中で降ろされる不愉快さはあったが、後から来た親娘が乗ったトゥクトゥクに拾われるタンブンとなった。これも徳の積み方なんだなと思う。

タイ出国手続きエリアでは比丘の立場が効力を発揮し、係員が特別早くしてくれて簡単に済み、国境橋通行バスに乗って橋を渡ります。これが近いようで結構離れている河幅で、ゆっくり走ってはいたが、出発から到着まで5分ほど掛かっていました。

このタイ・ラオス友好橋を渡るのは2回目である。ラオスに入る為の出入国審査を受けるのはこの日が初めてである。矛盾したことを言っているが、この2ヶ月前、ノンカイでムエタイの試合がありました。この試合を取材してから出家した私でした。このノンカイでの試合は日本人では伊達秀騎と小林利典、そしてこの小林選手と対戦した、日本でも有名なソムデート・M16も居ました。

この興行御一行はプロモーターとその友人の入国管理局のお偉いさんの計らいで、ラオス・ビエンチャンの半日ほどの旅をノービザ、未入国扱いで観光させて頂いているのである。なので、ビエンチャンへはある程度は街並みと治安が分かり、オドオドするほど不安ではなかった。2ヶ月前の風景が蘇る。楽しかったなあ、前回は自由で。

◆ラオスに入って最初の緊張

ラオス入国審査も難なく通過出来たところ、待ち構えていたのは客引きタクシー運ちゃんの群集だった。これから向かう、プラマート和尚が書いてくれたワット・チェンウェーの住所を藤川さんがあっさり運ちゃんらに見せている。

こんな怪しい奴らに何で簡単に着いて行こうとするのか。

ボロイ車にもう一人若い男性客を助手席に乗せてたタクシーの運ちゃん。

私はこのタクシーはやめようと思った。何年か前のバンコクで起きた日本人新婚夫婦が白タク強盗殺人に巻き込まれた事件を思い出したのだ。

「ヤバイですよ、藤川さん!」と言っても「ほんならどないするんやぁ!」と語気強く返してくる。他のタクシーにしてみても同じかあ。ここで立ち往生はできない。もう行くだけ行って見るしかなかった。

比丘であろうとボッタくってくる運ちゃんとは150バーツで交渉成立。どれだけ高いのかは分からない。それより安全かどうかの問題。サングラス掛けた運ちゃんは怪しい風貌。この助手席の客もグルだったらどうなるのか。だんだん田舎道に入り、どんどん人の気配が少なくなって心細くなる。

藤川さんはこんな旅は慣れたものなのか平然としている。そんなところで助手席の客が降りる。俺らはもっとひどいところに連れて行かれるのか。そんなこと考えるうち、しばらく行ったところで運ちゃんが何やら言って指で示す。門のアルファベットの綴りはちょっと正しくないが、「ワット・チェンウェー」の文字が見えた。ああ助かった。ちゃんと送り届けてくれた普通の運ちゃんだった。去り際、ニコッと笑ってくれる。運ちゃんが天使に見えてしまう。私は警戒し過ぎなのだろうか。150バーツは高くなかった。ちょっとボッタくられただけで済んだのだ。

正面玄関となる講堂

ワット・チェンウェー本堂

◆無事に着いたワット・チェンウェー

門入ってすぐ、黄衣をホム・ロッライに纏い直す。そこに居たデックワットであろう少年に案内して貰い、荷物持ったまま正面の講堂らしき建物へ入る。年輩の和尚さんらしき比丘が仏壇の前に座っている。

すぐ目が合って三拝してノンカイのプラマート和尚からの紹介状を見せると、このチェンウェー寺の小太り和尚さんが「ジンディートーンラップ!」と応えてくれました。

若い比丘達のクティ

藤川さんは私に「何て言うたんや?」
私、「“歓迎します(welcome)”です!」
またすぐ平伏す我々。時間は11時を回っていました。

小太り和尚さんの「ターンカーオ・ル・ヤン?(食事は摂りましたか)」
「ヤン!!」と“頼むでぇ”と言わんばかりの笑顔で応える藤川さん。
すぐ弟子たちに命じて食事の準備をしてくれる小太り和尚さん。

ここの寺も昼食時に入るところだったのだ。若い比丘とネーンたちが和尚さんと皆の分と我々の分が籠の膳に載せられ出されます。こんな突然の訪問者の食事まですぐ出せるというのは、知らない仲なのに不思議な迎え入れだ。まあデックワットの分が我々に回ってくることは想像できたが、ノンカイ同様、食材に貧相な印象は無い。とにかく御飯に有りつけたのは有難い。結構食えたし美味かった。食事後は少々の読経を経て終了。

釘と金槌を貸してくれたおじいさん比丘

◆クティに入る!

小太り和尚さんに、我々がタイのペッブリーから来て、タイ国滞在ビザを取得してタイに戻ることを伝えた後、クティに案内してくれました。先程食事させて頂いた、正面の鉄筋コンクリート造りの綺麗な建物は講堂とも言える広々した読経の場だったが、我々が誘われたのはこの隣の木造高床式小屋の2階の“ワンルーム”。暗いし暑いし蚊は入るし、けど寝られる場が与えられて有難かった。そこには痩せた病気がちに見えるおじいさん比丘が片隅で寝ており、若い比丘一人も居る部屋だった。

藤川さんはすぐ「蚊帳吊れ!」と言う。旅立ち前、貰っていた紐と釘を出して、何をどうするのか迷っていると、「今やらんと夜になってからじゃ暗くて出来んぞ!」と語気強く、外で拾った大きめの石を持って来て壁に釘打ち出した藤川さん。
“ガンガンガン!”と小屋全体が振動するほど響く。おじいさん比丘も何事かと振り返る。

「ちょっとちょっと、突然人の家に来て、いきなり壁に釘打ち出すなんて非常識ですよ!」と言っても、「しょうがないやろが!」と言う藤川さんの後ろに、寝ていたおじいさん比丘が立ち上がって寄って来た。「ヤバッ、怒られる!」と思った途端、おじいさんはニコ~ッと笑って「これ使えや!」と言わんばかりの、釘と金槌貸してくれたのである。この拍子抜けする吉本新喜劇のような展開。

とにかく不器用な私が子供の頃見た、器用な親父が家でやってた日曜大工を思い出し、壁に釘をしっかり打ち込み、紐を傘の先端の輪に通して吊るし、傘に蚊帳を掛け、寝られる準備を終えました。

やれやれこれで今日はゆっくり寝られる準備が終わった。しかし、これからラオスに来た最大の目的を果たしに行かねばならない。書類を持ってビエンチャンのタイ領事館へ向かいます。

我々が泊まったクティは左の方

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

駅側のワット・ミーチャイ・トゥン和尚さんと藤川さん

◆一列縦隊の托鉢!

ノンカイのワット・ミーチャイ。トゥンに泊まった翌朝、5時に起きる。顔洗いにだけ洗面所へ行き、黄衣を私だけホム・マンコンに纏うと6時少し前、外で待つと辺りはまだ暗く、そして寒い。寒気のタイ東北部となると当たり前。裸足で立っていると土の地面がかなり冷たい。

6時過ぎてようやく他の比丘も出て来て、その比丘らに続いてノンカイ駅最先端の行き止まり付近に向かい、和尚さんを待ちます。持つのはバーツだけで頭陀袋は必要無い様子。

そして和尚さんを先頭に縦一列に並び、歩き出しました。手招きされるまま私は藤川さんの後ろで3番目。よそ者の我々が和尚さんの真後ろに並ぶ形。

少し進むと河沿い側のワット・ミーチャイ・ターの比丘たちが合流し、若いプラマート和尚はトゥン寺和尚の後ろ、更に年配比丘が続き、私は5番目となりました。

他にもかなりのベテラン比丘が居るのに、皆若いせいか我々の後ろに回っています。そして先頭を歩くトゥン寺和尚の速いこと。各集落毎に2~3人の信者さんがサイバーツ(お鉢に食物を入れる寄進)を待ち構えています。そこを立ち止まったと思ったら信者さんがすかさず一握りのカオニィアオ(もち米)を入れ、次の信者さんへ回り、終わるとまた前へ進みます。これは速い。新世界紀行で見たような、ゆっくり歩いてワイ(合掌)する信者さんを見届けて歩き出すといったものではない。前との距離が開かないように着いていくのがやっと。

50件ぐらい回ったろうか、突然振り返って帰る方向へ向かいだすトゥン寺和尚さん。バーツ(お鉢)に入るのはカオニィアオがほとんど。たまに果物、お菓子、ジュースが入れられました。帰りは列が乱れ、ゆっくりお喋りしながら歩く者もいる。一列托鉢はそれでも30分ぐらい歩いたような感覚。そして一握りのカオニィアオばかりだったが、更に信者さんがお寺に惣菜を運んだり、托鉢帰りの比丘に食材が入った御重のような重ね容器を渡している姿がありました。何らかの習慣化したシステムがあるのでしょう。

托鉢の朝。ノンカイ駅最先端で和尚さんを待ちます

帰りの近道に入った路地では石が尖って細かく、痛くて歩けない。足ツボ踏みに使う突起ある石の上を歩くみたいな格好。それを藤川さんら集団は平然と歩いて行く。
「どないしたんや、痛いんか?痛いのは誰でも一緒や、はよ歩かんかい!」と以前のような冷たい言い方。それはいいとして、後からやって来たトゥン寺和尚さんに、下手な踊りのように歩く私を見られてしまった。「大丈夫か?」と気を遣われて恥ずかしい。

朝食では、昨日同様に惣菜とカオスワイ(普通の白米)とカオニィアオ(もち米)もあり、托鉢で寄進された以上の食材が並びます。国境の街だから物資が流通し易いにしても、「これは我々が教わって来たことと何か違うぞ」という想いは次第に増していくところでした。

バーツ(お鉢)はこの寺のデックワットが持って行き、中身を出して洗って返してくれる気の利きよう。

托鉢帰り、田舎道って良いものです

托鉢帰りの一面、朝日が眩しそう。朝日を浴びる托鉢

◆癒されるコーヒーと女の子!

朝食後も自由に居られる雰囲気だが、藤川さんが「掃除しよう」と言い、それは確かに居候の身になっている我々は泊めて貰っているクティの範囲はやるべきだと思う。箒と雑巾を借りて来て部屋から廊下、階段、我々が入れる範囲はすべて拭き終わると、昨日、コーヒーを入れてくれた比丘が今日も招いてくれ寛がせてくれました。

タイ人が淹れるコーヒーは砂糖タップリで、「砂糖は入れないで」と言っても入れてくれる。「こんな苦いもの飲める訳がない」という発想だろう。でも私は砂糖タップリ派なので美味しくて癒される時間でした。

そして、今日は午後から葬儀があるという。これは参加しない訳にはいかないなあと藤川さんと目線を合わせて合意。旅先の葬儀というものも見ておきたいところ。

昼食後に、「リポビタン買うて来て!」と藤川さんに言われて、素直に駅方向へおつかいに出ました。小間使いになっているが、一人になりたかったせいもあります。

ノンカイに着いてから歩いて来た道。お店は駅前にあり、20歳ぐらい可愛いの女の子がお店番している様子で、片言のタイ語を喋る私が日本人であることを知ると、驚いたり喜んだり。ニコニコ笑って対応してくれて惚れそうになる。男世界の仏門と、旅先ずっと藤川さんがそばに居る中、女の子と二人っきりになれた、かなり癒された、わずかな時間でした。ここは商店なので問題ないが、比丘は女性と密室で二人っきりになることは許されません。寺に女性が訪ねて来て部屋に招く際は、部屋の扉は開けておかねばなりません。

寺への近道に入り、このすぐ先の砂利は凄く痛い、それを知らずまだ写真撮ってる私

トゥン寺和尚さんのクティ、この二階に泊めて貰いました

◆お葬式に参列!

午後になって境内が騒がしくなってきました。外では葬儀が始まる様子。
藤川さんが「サンカティ持って行くぞ」と言う。

ここは我々の寺のようなホム・ドーン(儀式用の纏い)は無い様子。普通のホム・ロッライ(肩出し)にサンカティ(重衣・肩掛け帯)を肩に掛けるだけの簡単なもの。

その姿でテント張った椅子があるところで他の比丘達と座っていると、そのままそこで読経が始まる何とも大雑把な葬儀。信者さんと比丘は離れて居たが、個々の比丘が順番に棺桶の方に呼ばれて短い読経して席に戻る時、一人の比丘に呼ばれました。

「どこから来たの? この先どこへ行くの? ラオス行って戻って来るの?」と言った語り。

葬儀も終わりに近づき、どこに座っても問題無い様子。そこから雑談の輪に加わって来たオバちゃんたちにタイ・ラオス国境の橋の渡り方を教えてくれました。

「日本から来たの?橋渡るのに15バーツ、土日は25バーツだよ!」とか気さくに話しかけてくれた地元のオバちゃんたち。どこへ行ってもこの田舎らしい人懐っこさは心地良い。

葬儀が終わると火葬されることは聞いていたが、どこで火葬されるのか、その辺りの比丘に聞くと、「もうやってるよ!」と招かれ、火葬している場所を教えてくれました。

焼却炉のようなものではない、広場で花壇のような中で、焚き火のように大きい炎に包まれた火葬。熱くて近づけたものではない。「やっぱり誰もが最後はこんな姿になるんだ」という想い。

火葬される遺体が中央に、ほぼ見えませんが

比丘達のクティ、こちらは味ある木造建て

◆藤川さんの気まぐれ話と渋井巨匠!

今日のワット・ミーチャイ・ターへの移動は中止。夕暮れとなり、長い葬儀と皆が後片付けしている中、「今日はあっちの寺に行きます」と言う訳にもいかないと改めて思うところ。

そんな慌てることもない夜は、また藤川さんと一緒に居るといろいろなお話になります。

「来年の今頃、カンボジア行こう。お前一ヶ月ほど来い。渋井さんにも会いたいし」

漠然と夢を語りだすこと多い藤川さん。突然話を振られると戸惑うが、安易にも行けるものなら行ってみたいと思う。

渋井さんとは、藤川さんが出家に導かれた最初の切っ掛けとなった比丘。そして私が出家に導かれる一つとなった、新世界紀行のタイからベトナムを旅する番組で、若者がバンコクのワット・パクナムの渋井修さんを尋ね、出家したのが由井太さんと加山至さん。遠い縁で結ばれた我々日本人比丘の巨匠。この頃はカンボジアの寺で社会貢献活動する渋井修さんでした。

◆明日は国境越え!

明日はタイ・ラオス友好橋を渡ってラオスに入国します。やや不安は募るも、そこには藤川さんが伴うのと、もうひとつ理由があって少しは落ち着いて居られました。タイ・ラオス友好橋、実は渡るのは2回目(1往復済)なのでした。

河沿いのワット・ミーチャイ・ター和尚のプラマートさんと藤川さん

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

メコン河に佇む藤川さん

◆旅の関門、宿泊地と飯確保

ノンカイ駅に到着後、新たな展開が待ち受けるワット(寺)・ミーチャイ・トゥンに向かいました。

庭に居た若い比丘に尋ねると和尚さんは留守で、駅前で聞こえていたニーモン(比丘を招く寄進)先に行っている様子でした。

そしてこの若い比丘がクティの御自分の部屋に招いてくれて、コーヒーを入れてくれました。どこから来たか、これからどこへ向かうか旅の目的を話していると、この比丘の部屋はキレイに整理整頓が行き届いており、突然の来客があっても恥ずかしくない部屋で、勉強した後のような雰囲気に気が付きます。昔の私の実家の部屋のような、新品の辞書の上に埃が被っているようなことのない、読んだ本が積んであっても日々活かされている匂いがありました。

着いたばかりの我々に出されたコーヒーに癒される寛ぎ。インスタントコーヒーでも、こんなに落ち着かせてくれるものかと初めて思う味わい。

このノンカイは以前、藤川さんが巡礼の旅で立ち寄った際のこと、「三輪タクシーの運ちゃんに“この辺でいちばん修行が楽な寺はどこや?”って聞いたら連れて来られたのがこの寺やった」と言う。

訪れたワット・ミーチャイ・トゥンの比丘と早速のスナップショット

若い比丘ばかり、デックワットも素直そう

やがてその和尚さんが帰って来た様子。早速、藤川さんと和尚さんの別棟クティに行き、三拝して自己紹介と旅の目的を言い「泊めてください」とお願いをします。我が寺の和尚より年上と見えるこの寺の和尚さんは、良いも悪いも無く、すぐに2階の結構広くキレイな部屋へ入れてくれました。

以前、藤川さんが「タイで一旦出家すれば格式高い修行寺でも基本的には泊まれる。タイの中ならどこへ旅行しても寺で泊まるのと食費はタダ。交通費も飛行機を使わない限りは殆どタダ。女と酒さえ我慢すればこれほど良いものは無い。坊主三日やったら止められへん!」と冗談含めた笑い話を聞いているが、真面目な話、本当に泊まれるのである。

クティ2階から見た庭の風景

大通りから路地に入るところの案内板

この日、朝飯は摂れず、ここで昼飯食えなかったらかなり苦しい。11時回って藤川さんが「飯無いのかな」と外へ様子を見に行くと、「あるみたいやからスプーンとフォーク持って行こ!」と戻って言われて一緒にサーラーに向かうと、テーブル3つほどあり、12~13僧が居る中、その一つに招かれました。

貧困のイサーン(東北)地方と言われる割には、カオニィアオ(もち米)と惣菜も充分にあり、普通の白米もありました。藤川さんが遠慮なく食べるから、私も腹減っていてガツガツ食ってしまう。他の比丘は静かに少しずつ食べているのに、我々が卑しい感じで恥ずかしい。

昼飯後の読経はタムケーウ寺と同じだが、イントネーションが違う。読経にも地方訛りや指導の違いがあるのだろう。

◆早速、ノンカイを歩く

昼飯後、クティに戻り、とりあえず今日は安泰と思ってゆっくり休んでいると、
「今日のこの寺の行事は無さそうやから、外出しよう」と言う藤川さん。旅に出たら何でも見ておこうという探究心旺盛な人らしい言葉。

それで午後2時過ぎになって外出します。藤川さんは「ラオスで泊まる寺を紹介してくれる、寺の和尚に会いに行くんや」と言う。それは藤川さんが「ここも過去に訪れた」と言う、道路を挟んだ向かい側にあるワット・ミーチャイ・ターでした。行ってみると大きなメコン河が見える。この寺のミーチャイター寺の和尚さんは留守で「“ローングリアンプラ”(比丘の学校)に行っている」という若い比丘。

ター・サデット市場を歩く藤川さん

河沿いで1kmほど先の対岸を眺め、やがて向かうラオスを想った後、そのローングリアンプラで講師を務めているらしい和尚さんに会いに、三輪タクシーで中心街となる方向へ向かいます。2ヶ月前、ムエタイが行なわれたサッカー競技場の前を通ると、ここで伊達秀騎が試合したのかと想うと、あの頃が懐かしいやら切ないやら。その後、メコン河沿いのラオスに渡る船着場に着いて周囲を散策。新世界紀行で出家した由井太さんと加山至さんがノンカイで還俗し、ラオスに渡ったのは、このイミグレーションを経て船に乗ったのだろうか。或いは全く別の場所だろうかと想いに耽けます。

この後、結構賑やかなター・サデット市場を覗きました。日用雑貨でも何でも売っている市場に、日本の有名なお菓子も売っていて「どこから仕入れて来るんやろう」という視点の藤川さん。

また更に歩いてローングリアンプラに着くと、校庭を掃き掃除していた学生比丘(高校生ほどの少年僧)はさっきの寺に居た奴だったが、「和尚さんはもう帰りました」と言う返答。寄り道しているから擦れ違いとなったようだ。

街の佇まいをゆっくり歩いて見ようということになって三輪タクシーには乗らず、河沿いのワット・ミーチャイ・ターへ戻ります。その途中、夕陽を浴びながらまた藤川節で、
「人はそれぞれ太陽の上るところ、沈むところを見ながら育ったいろいろな環境あるから皆、そこから人のものの考え方が育って来たんじゃないか。これ調べたら面白いぞ。統計取ったら何か分かることあるはずや」と言う。なるほどなあと思う。次から次と発想力が凄い藤川さん。

船着場のイミグレーション前にて

◆ノンカイで二つ目の寺の和尚さんに会う!

先ほど寄ったワット・ミーチャイ・ターに着く頃にはもう薄暗くなっていました。若い比丘やネーン(少年僧)もいっぱい居て、ここの和尚さんの部屋へ案内してくれました。会ってみると結構若い30代の和尚さん。

挨拶した後、藤川さんが、泊めて貰えるラオスの寺への紹介状を書いて貰う為、旅の目的を言い、私が比丘手帳も見せると和尚さんから名刺を頂きました。お名前はプラマート和尚。旅の補助にラオスのお金少々手渡ししてくれる配慮もやはり嬉しい。こちらも居心地良さそうな寺で「明日の昼こっちの寺に来てここに泊まるぞ」という浮気心発揮の藤川さん。

もうすっかり暗くなって夜7時頃、駅側のワット・ミーチャイ・トゥンに戻ると、“トゥン”和尚さんクティには鍵が掛かっている。藤川さんは私に「鍵貰って来い」と言うが、サーラーではスワットモン(読経)が始まっている。仕方なく静かに参加するつもりも、私を見つけた1僧の比丘が気を利かせて和尚さんから鍵貰って来てくれました。我々は参加せず遊んで来たみたいな存在で、読経中のトゥン和尚さんには申し訳ない思い。

部屋で私が旅日記を書いていると、隣に座っていた藤川さんの動きが全く無いことに気付く。一人でいつの間にか瞑想に入って居やがる。こんな旅に出てまでと思うが、どこに行こうと修行の身、当たり前だなと思い直す。

30分ほどの瞑想を終えると藤川さんが「あっちの寺のプラマート和尚、ちょっと変わった人やろ?」と言う。

以前から聞いていたことだが、確かに何やら優しい眼差しで喋るプラマート和尚さんではあった。まあ旅疲れしている我々に対して優しければ好都合である。何か変な近寄り方でもされたらプロレス技でも掛けてやればいい。

ター・サデット市場の一部、奥はもっと密集した店が並ぶ

寺に繋がるケーウ・ウォラワット通りの風景

◆ノンカイでの托鉢は集団で

明日はこのノンカイでの托鉢に向かいます。藤川さんの経験話では、ここは独自に向かうのではなく、皆で一列縦隊で歩き、しかも歩くのが速いらしい。皆のペースに着いて行かねばならない。大丈夫だろうか。と托鉢ぐらいで気にしていられない。

夜8時30分過ぎでかなり早いが、藤川さんと久々の同部屋でに就寝。いびきはもう気にしない。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

一般のバックパーカーではない旅。貧乏旅行としては大差無い中、旅先でいろいろな人と出会います。そこで起きたこと、感じたこと。やっぱり懐かしく、人生の良い経験となった旅でした。

◆出発前に

「ラオス行ったらマールボロ買って来てくれ」というヒベ。傘と蚊帳を含む僧衣一式だけでもかなりの量。「荷物が重いから」と断る。更に修行に直接は関係ない一眼レフNikonFM2とフラッシュを持つからより重くなるのである。それで、カメラのモータードライブは置いていくことにしました。でも予備バッテリー(電池)は多めに、ついでにコンパクトカメラ、コニカ“ビッグミニ”も持ちます。

フアランポーン駅(バンコク中央駅)発20時30分の寝台列車に乗る予定で、ペッブリーから「昼2時のバスに乗る」と言ってた藤川さんが昼飯時に「昼1時に出るぞ」と言う。「ちょっと早いだろ」と思うが、早い分にはゆとりがあっていい。

毎日の黄衣の纏いも慣れてくるも、旅立ち前に力んで締め過ぎたか、何かしっくり来ないので、出際にコップくんに手伝って貰って背中を叩かれ「行って来い!」と送り出しを受けて出発。

ドーム型フアランポーン駅の外観(1988年当時)

◆旅の起点、フアランポーン駅でのこと

バンコクのサイタイマイバスターミナルに15時30分頃に着き、P・O.7(エアコン市内バス7番)でフアランポーン駅へ向かいます。ここでも席を譲られたことに内心は感謝。17時10分頃到着。

早く出ておいて「なんや3時間もあるやないか!」と私に文句言う藤川さん。「何で俺に言うんだ?アンタが仕切ってるんだろうが!」と言いたい想い。でもそんなゆとりがあれば、何もしないでいても結構楽しいフアランポーン駅構内の眺め。

フアランポーン駅切符売り場(1988年当時)

過去何度も訪れた駅に、黄衣を纏ってここに来るとは不思議な時間の流れだと思う。

電池買ってきて、懐中電灯に入れようとする藤川さん。点かないので、何で点かないのか、私に寄こしてくる。よく見ると新品の証明、電池の+極と-極を覆うカバー紙を破ってないではないか。日本の電池は2本や4本セット以上でパッケージで覆われているが、タイの電池は+極と-極にカバー紙が付いている。電池の入れ方も知らんのか、このジジイ。剥いて電池入れて点くの確認して、渡してやるとニヤッと笑って受け取る藤川さん。

暇なので藤川さんは一人でまたその辺を散歩に行きます。そして、18時になるとタイの恒例、国歌吹奏が始まりました。行き交う人々は皆立ち止まり、座っている人は全員起立。

“ハッ”と我に返り、さて困った。比丘はどうすればいいのか。座っていた私は一瞬立ち上がろうと前かがみになるが、一か八か座ったままで居ました。そしてすぐ周りの様子を伺うも、誰も私を怪訝な目で見る者は居らず、見て見ぬフリではない、皆ごく自然な立ち姿。終わって2~3分もすると藤川さんが戻って来ました。
「国歌吹奏の時、どうしてました?」と聞くと、
「ワシもわからんで、ウロウロ歩いとったわ、ワッハッハッハ!」

寺から出ると、うっかり比丘の振舞いに困ることが起こるものだ。勉強不足でした(後に分かったこと、比丘は立たなくてもよい)。

列車入線してから小さいパックのミルク4つ、ポラリス(ミネラルウォーター)を小さいの2つ買っておきます。ミルクは腹持ちがいいから空腹を凌げるのです。しかし比丘たる者が、“タイ版キヨスク”で飲み物を買うのは気が引けました。

フアランポーン駅構内は鉄道独特の雰囲気があっていいモンです(1988年当時)

フアランポーン駅構内、何もしなくても居るだけで楽しい旅の前兆(1988年当時)

◆旅先での多くの藤川さんの名言集となる会話のひとつ

フアランポーン駅に入ってから纏いを一般的なホーム・クルム(寺の外に出る纏い方)に変えた藤川さん。これは「巡礼に向いた纏い方」だという。私はホーム・マンコンのまま。こちらは「寺に留まる者の纏い方ではないか」という藤川さん。勝手に変えることは寺の規律違反になりますが、まあ「寺の連中は誰も見ておらんから構わん」らしい。

藤川さんは会社社長のままの一時僧時代に纏ったのが、このホーム・クルムの纏いでした。

ドムアン空港を過ぎた辺りで、寝台準備にやって来た乗務員のオジサン。寝るには早いが、藤川さんと一緒に居るとまた説教話が始まるのは仕方ない。ただ煩い説教話ばかりではない。旅に出ると解放的になり、朗らかになるバンコク行った時のよう。

寝台車の昼の様子(イメージ画像、1988年のマレーシアに向かう列車内)

藤川さんの金持ち時代のこぼれ話。

「ビザ取りにマレーシア行った時、国境越えるから入国カード書くやろ、同じ目的の日本人の女の子居ったら“ワシ英語よう分からんから入国カード書いてくれへんか”て言うて書いて貰うて、“2~3日の滞在費出してやるから一緒に過ごさへんけ?”て言うてビザ受け取るまで一緒に観光でもして楽しい旅にするんや、お前も還俗したらやってみい!」

私も還俗してマレーシアに行く機会があればやってみよう。いや、私にそんなナンパ術出来そうにないな、やっぱり!

一般的には早いが21:00過ぎにベッドに入ります。

列車内、寝る前は暑く、カーテンを開けていたが、夜中から寒くなりだす。コーンケーン過ぎた辺りはかなり寒い。

私は安い上の寝台、窓が無いので外の様子は分かりませんが、車体にビュービュー吹き付ける風の音はまるで吹雪のような強い風。南国でそれは無いが、12月は寒い時期に当たる。北へ向かうと寒くなるのは肌で感じるところ。首元に風が入ると鼻が詰まるので黄色い手拭いを襟巻き代わりに巻いておきました。

朝4時ぐらいから目が冴えてもう眠れない。6時を回るとノンカイ手前までにどんどん下車する客が多い。

「腹減ったなあ、飯食いたいなあ」と思うが、一般乗客は注文した朝食は運ばれるも、我々は注文する訳にいきません。バーツ(お鉢)はバッグに仕舞ってあるし、車内での托鉢は出来ないことはないかもしれないが聞いたことはないし、寄進を受ける雰囲気でもない。

寝台を上るのも降りるのもサボン(下衣)が気になるものだ。スカート穿いているようなものだから、高いところ上る女性は大変だなあと思う。

藤川さんは起きてから黄衣を纏い直すも、私は下手で時間が掛かる。ホーム・マンコンは巻き付けてから裏表引っくり返す手間があり、通路やデッキでは邪魔になるし、纏い直しはしないつもりで、なるべく崩れないように寝ていても、やっぱりかなり乱れてしまう。それを誤魔化す程度の直しで、終着駅のノンカイに7時22分に到着。

◆ここから自分らで歩く本当の巡礼の旅!

さてここからどうなるのか未知の世界。改札を出るとぞろぞろと、三輪タクシーの運ちゃんが寄って来て比丘であろうと遠慮なく客引きします。「鬱陶しいなあ」とは思うし、藤川さんも無視して進む。客引きが着いて来なくなる頃、駅前の屋台がありました。入ろうとしたら「開店前です」と断られるが、まあ仕方ない。そんな時どこからか、比丘数名の読経が聞こえます。朝のニーモンの様子でした。

そのまま歩いて向かった寺は、ワット(寺)・ミーチャイ・トゥン。駅から7~8分歩いたところにありました。藤川さんがかつて訪れたことのあるお寺のようで、少し安心感はあるところ、これから訪問の儀式、「泊めてください」とお願いしなければなりません。プレッシャーから来る旅疲れとお腹も減ってきて、早く落ち着きたい気持ち。難なく受け入れてくれること願ってこれから門を潜ります。

タイ東北、最北端となる路線の行き止まり、ワット・ミーチャイ・トゥンの側道から見た風景(1994年12月現地撮影、旧ノンカイ駅周辺)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

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