◆「いつまで“子分”のつもりや」!── 泉房穂の嘆き

4月の岸田国賓訪米、米議会でのスタンディング・オベーション演説を評して前明石市長・泉房穂さんは「ケンカは勝つ」(『週刊FLASH』2024年5月7・14日合併号)でこう断じた。

「いつまで“子分”のつもりや」!

泉さんは次のように嘆いた。

「今回の訪米で首相は自国よりもアメリカの方を向いていることが判明した」

「日本では拍手されないと自虐ネタを披露する前に、日本国民のためにアメリカにものを言うのが、本来の仕事やったんとちゃうんか。とても日本の首相とは思えん」

その嘆きの根拠を泉さんはこう述べた。

「議会演説では“米国は独りではない。日本は米国と共にある”と強調したが、“共にある”べきは、まず国民のはず。首相の発言はアメリカの要求する防衛費の増額を受け入れ、“貴国のために我が国民の血税を使います”と宣言したに等しい。 だが、日本にはそんなカネはない。岸田首相は日本の事情を説明し、過度に防衛費を使うわけにはいかんと突っぱねるべきやった。 」

長々と泉房穂さんの言葉を紹介したが、野党を含めて岸田訪米、日米同盟・新時代批判をここまでハッキリ言った政治家はいなかったし、とても的をついた評価だと思ったからだ。

「よう言うてくれはった」! というのが私の率直な感想だ。

前回の「戦後日本の革命inピョンヤン〈3〉」で「“無理心中”誓約の岸田・国賓訪米」と書いたが、泉房穂さんの指摘はそれに通じるものを感じる。

私の「京都青春記」、「ロックと革命in京都」で一貫して述べた「戦後日本はおかしい」、それがいまどんどんおかしくなってきている。一極覇権瓦解の米国に「米国は独りではない、日本は米国と共にある」と米国と覇権衰亡の運命を共にする「無理心中同盟」を米議会で誓約するまでに至った。

「戦後日本はおかしい」どころじゃないレベルにまで来ているように思う。

だから私も言いたい、「いつまで“子分”やってるんや」! 


◎[参考動画]【LIVE】バイデン大統領主催の夕食会 岸田首相が国賓待遇で訪米 ホワイトハウスから生中継(ニコニコニュース 2024/04/11)

◆あのコロンビア大学から始まった「“米国の正義”はおかしい」学生運動

いま世界中で「世の中、なんかおかしい」というムードが日を追って広がっている。

かつて1960年代末のベトナム反戦・学生運動を扱った映画「いちご白書」の舞台として有名なコロンビア大学からいままた始まった米国の学生運動はその象徴的出来事だ。

長周新聞(2024年5月1日付)によると事態はこのような展開を見せている。

アメリカのコロンビア大学(ニューヨーク)で4月18日、イスラエルのガザでの大量虐殺に抗議しパレスチナ人と連帯する学生たちの学内での活動に対して、警察を導入して強制排除し150人以上の学生が大量逮捕される事態となった。アメリカ議会の公聴会でミノーシュ・シャフィク学長が学生たちの言動が「反ユダヤ主義」だと認めたその翌日の出来事だ。

大学当局は学生達を停学処分とし、出席するには年間6万ドル(約930万円)以上という途方もない授業料を支払うという条件を付けた。


◎[参考動画]米大学での「反ガザ攻撃デモ」、キャンパス内で何が 学生らの思いは(BBC NewsJapan 2024/04/25)

この事態が報じられるや、ブラウン大学、イェール大学からハーバード大学までアイビーリグ(米東部の主要私立大学)の学生たちはそれぞれのキャンパスでの座り込み、ハンガーストライキ、授業ストライキ、異宗教間の祈りを展開し、米国のイスラエル支援と大量虐殺に学術機関が共謀することをやめるよう訴えている。

ノースカロライナ大学チャペルヒル校(UNC)の学生も学内にテントを設営し、集会でハーバード大学の学生が発言し、「堅実なコロンビア大学の学生と連帯してストライキをおこなう」と語った。ボストン大学やマイアミ大学、オハイオ州立大学でも緊急抗議活動がおこなわれた。

すでに2000人以上の逮捕者の出ている米国の学生運動は、いまやパリ、ロンドンなど欧州全体に拡散しつつあり、日本でも京都大学、早稲田大学、東大でも集会が持たれたという。

ウクライナ支援に血道を上げる一方で、大量虐殺反対のガザ支援、連帯の運動には「反ユダヤ主義」だと排斥するような政府の口にする「人道や正義」の二重基準の欺瞞、それが自分たちの大学の体質に関わる問題だと学生たちは声を上げたのだ。
これは米国の正義、自国政府の正義への「おかしい」という運動でもあると思う。
50年前、「京都の青春」渦中にあった私も「9条平和国家日本」が日米安保のためにベトナム戦争荷担国家になっている、そんな「戦後日本はおかしい」と思った。そして羽田闘争での「山崎博昭の死」、ジュッパチの衝撃を契機に学生運動に参加するようになり、その延長上に現在の私がある。

いまの日本は50年前の「ベトナム反戦」どころではない、タモリの言った「新しい戦前」という危惧が「日米同盟・新時代」という現実の実体として姿を現しつつある。

かつての私たちの闘いは敗北と未遂に終わった。その結果として現在の日本がある。いまの「新しい戦前」という事態の責任の一端は私たちの世代も負っている。「だからこそ私にはこの道を歩み続ける責任がある」との瀬戸内寂聴さんのお言葉が改めて胸に響いてくる。

これから書くのは「いつまで“子分”やってるんや」ということだが、いまの若い人たちの奮起を促すものになればとの思いも込めたい。もちろん同世代の爺さん、婆さんたちにも。

◆これは本当におかしい!── 9条改憲もせず「同盟のための戦争国家」誓約

岸田首相が米国で誓約した日米同盟・新時代で表面化した「新しい戦前」の実体とはどのようなものだろうか?

一言でいって日米同盟における日本の役割がこれまでの憲法9条の制約を受ける片務同盟、「有事の際、米国は(一方的に)日本を守る義務を負うが日本には米国を守る義務はない」同盟から9条の制約から離れ「日本にも米国を守る義務」が生じる双務同盟に変わったことだ。

その本質をより正確に表現すれば「日米同盟の攻守同盟化」、「同盟のための戦争」義務を日本が受け入れた、日本が「同盟のための戦争国家」に転換することを誓約した。それが今回の岸田国賓訪米で始まった大きな転換、日米攻守同盟・新時代だということではないだろうか。

岸田首相は米議会演説でこう述べた。

「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」と。

そして「日本が最も近い米国の同盟国としての役割をどれほど真剣に受けとめているかを知っていただきたい」と続けた。

これを要約すれば、米単独で支えきれなくなった覇権国際秩序を守るために「最も近い同盟国・日本」がその国際秩序を守るための相応の役割を果たす、具体的には対中対決を念頭に「同盟のための戦争」を日本が担う覚悟があるということを約束したのだ。

その具体的表現が岸田訪米直前に公表された、自衛隊の統合作戦司令部と米インド太平洋軍から指揮機能を一部移管された在日米軍司令部との連携を可能にする合意だった。

これは対中有事には在日米軍指揮下で自衛隊が戦争を行う体制を整えたということだ。

自衛隊はすでにスタンドオフ・ミサイル(中距離ミサイル)部隊を陸自に新設するなど敵基地攻撃能力を備え、今回、有事の際の戦争作戦指揮権を持つ「総参謀部」、統合作戦司令部を持つようになった。それも在日米軍司令部の指揮下で。

自衛隊は専守防衛、国土防衛の武力ではなくなり、米覇権秩序を守る「同盟のための戦争」を行う武力、すなわち交戦権、戦力を持つ外征戦争武力に大きく形を変えた。

これは交戦権否認、戦力不保持の日本国憲法9条第二項を否定する違憲行為であり、そもそもが憲法9条改憲なしにはできないことのはずだ。

岸田首相は9条改憲もしないで米国に約束した。つまり国の基本法を無視し国民に何の相談も議論もなしに日本を「同盟のための戦争国家」に変えた、これこそ「日本はおかしい」の最たるものではないだろうか。

◆“人の眼を欺く「9条平和国家」”のなれの果て

「ロックと革命in京都」で述べたこと、「平和と民主主義」で飾り立てられた戦後日本、それは「人の眼を欺くもの」じゃないのか? そんな疑問を抱いたのが私の「戦後日本はおかしい」の芽生えだった。それはいま思えば、小学5年の時、「戦後民主主義教育のリーダー」と言われた教師から「中国人捕虜刺殺要領」を聞かされた違和感から漠然と意識されてきたことだったが、日米安保のためにベトナム戦争荷担国家になった「9条平和国家」の欺瞞を知ってハッキリと「おかしい」と意識した。あれから50数年を経てそれが誰の目にもハッキリ目に見える形になったように思う。

一言でいって、“人の眼を欺く「9条平和国家」”のなれの果てが、“9条改憲なしの9条否定・「同盟のための戦争国家」”=「新しい戦前」に変わろうとする今日の日本の姿なのだと思う。

そもそも「9条平和国家」そのものが「人の眼を欺く」ものだったのだ。

「戦後、自衛隊は一人も人を殺すこともなく一人の戦死者も出さなかった」と言われる。たしかにそうだろう。でも在日米軍基地は「共産主義の脅威を防ぐ」ベトナム戦争、アフガン、イラクへの「反テロ戦争」などの米軍の戦争拠点となり、「反テロ戦争」では特措法をつくって自衛隊は戦争する米軍の後方支援を現地で行った。

それらの米軍の戦争は今日では「間違った戦争だった」と言われており、事実、いずれの戦争でも米軍は無惨な敗退を余儀なくされた。そんな米国の「間違った戦争」に日本は手を貸し続けてきた。けっして「9条平和国家」だと胸を張れなかった。それは日本が“人の眼を欺く「9条平和国家」”だったことの一表現であろう。

その「なれの果て」として今日の日米攻守同盟・日米新時代のわが国がある。

なぜこんなことになったのかをわれわれ日本人は深く考えてみる必要があると思う。

惨めな敗戦国国民になって大人たちは「軍国主義者にだまされた」「もう戦争はこりごりだ」的なことを幼い私たち戦後世代に愚痴ったが、そんな「大人たち」にならないためにも……

◆「日米安保基軸=日本国憲法<日米安保」こそ「戦後日本はおかしい」の元凶

「戦後日本はおかしい」の元凶、それは歴代自民党政権の日米安保基軸路線、口にこそ出さないが「日本国憲法よりも日米安保が上位」という位置づけ、いわば戦後日本では「国体は日米安保」という暗黙の不文律にある。

日米安保基軸を図式化すれば「日本国憲法<日米安保」ということだ。

それを明確に示すものとして戦後日本の安保防衛政策がある。

それは「日米安保・矛の米軍+憲法9条・盾の自衛隊」の二本立てだが、「矛」の米軍が基本、日米安保基軸だとされてきたことだ。

一般に「米軍なしに日本は守れない」と言われるが、それは「矛の米軍」があってこそ日本の防衛が成り立つという考え方から来るものだ。つまり日本の防衛は「矛=攻撃武力」なしには成り立たないということ、ゆえに日米安保軍「矛の米軍」が主で憲法9条・「専守防衛」の制約下にある「盾の自衛隊」は従、つまり日米安保基軸が戦後日本の防衛政策の基本路線とされてきた。

それは「矛=抑止力」、相手を圧倒する攻撃武力なしに国の防衛はないという「抑止力理論」を根拠に置くものだ。

抑止力とは「敵対国に戦争を起こせば、逆に報復攻撃を受けて自国に破滅的結果をもたらすという恐怖を与えることによって、戦争を起こすのをためらわせるだけの相手を優越する攻撃能力」を指す用語だが、「相手を優越する」抑止力、その基本は核武力保有ということになる。この抑止力理論に従えば、日本の防衛は日米安保の米軍によって成り立つ、専守防衛の自衛隊では日本を守れない、という結論になる。

抑止力とは言葉を換えれば、外征戦争能力、侵略武力だが、それは露骨すぎるのでソフトに表現したものだろう。強力な外征戦争能力、侵略武力を持つというのは帝国主義、覇権主義の防衛理論だが、その現代版が「抑止力理論」ということだと思う。

この「抑止力理論」は「利益線の防護」という防衛概念に基づくものだ。

◆帝国主義の遺物「利益線の防護」から「主権線の防護」へ

日本が外征戦争能力を持つことを初めて言い出したのは、「富国強兵」を唱えた山県有朋首相だ。

1890年、史上初の帝国議会で山県有朋首相は軍事費増額を説くに当たり、「主権線」「利益線」という用語を用い、国境という「主権線」だけではなく「その主権線の安危に、密着の関係にある区域」という「利益線」という概念を用い、この「利益線」を保護しなければならず「巨大の金額を割いて、陸海軍の経費に充つる」のはその趣旨からだ、と説いた。

これは当時あった国土防衛軍構想を排除し、外征戦争をも可能にする大規模の軍事拡張路線、「富国強兵」を明確に打ち出したものだった。

この「利益線の防護」という防衛概念は、わが国最初の帝国主義戦争である朝鮮半島権益を巡る清国との戦争、日清戦争を前にして打ち出された概念だ。

「利益線」という概念は、「主権線の安危に、密着の関係にある区域」ということだが、これをわかりやすく翻訳すれば海外植民地という「日本の海外権益線」のことを指す。したがって「利益線の防護」とは「植民地権益の防護」を指す。平たく言えば、列強との植民地争奪戦争に打ち勝つ軍事力、外征戦争能力、侵略武力を保有するための防衛概念だ。

戦後日本にも「利益線の防護」思想は継承されている。

元陸上幕僚長、富澤暉(あきら)氏は自著で次のように述べている。

「既に帝国主義は消滅したわけですが、それにも関わらず、この利益線という考え方は国益を守る上で意味を持ち続けています。一時、マラッカ海峡防衛論といった『シーレーン防護』や『中東の平和(石油)維持』が話題になったことがありますが、これらは『新時代の利益線防護』の思想から出てきたものといっていいでしょう」(『逆説の軍事論』バジリコKK

続けて富澤氏は「(利益線は)もはや一国で守るのではなく他国と協力した共同防衛、集団安全保障の形で守らざるを得ないというのが現在の安全保障に関する考え方の主流になっています」と述べている。富澤氏が言うように、かつての帝国主義的な植民地争奪戦の時代が終わっても「新時代の利益線防護」の思想は生きている。

それは、戦後日本において「米中心の国際秩序」を日本の「利益線」とし、これを日米安保基軸という「集団安全保障の形で守る」、このような防衛路線として具体化された。

「利益線の防護」からすれば「矛」、外征戦争能力保有は不可欠であり、米軍の「矛」基本、日米安保基軸が日本の防衛路線の基本となるのは必然であろう。

憲法9条より日米安保が優先される。これこそが“人の眼を欺く「9条平和国家」” の正体であり、「戦後日本はおかしい」の元凶だと言える。

そして今回の訪米で岸田首相は日本の国会ではなく米議会演説で「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」と自衛隊が「米覇権秩序の防護=利益線の防護」を担う「矛」、外征戦争能力を持つことを約束、そのための防衛予算倍増をバイデンから誉められた。

山県有朋は少なくとも日本の国会で「利益線の防護」の必要を唱え、「巨大の金額を割いて、陸海軍の経費に充つる」ことを国民に訴えた。しかし岸田首相は「利益線の防護」の必要というその根拠を国会にも国民にも何も説明しないまま米国の要求(日米同盟新時代の要求)に応え外征戦争能力保有とそれに伴う防衛予算倍増を米国に約束した。

これこそ究極の「おかしい」ではないだろうか。泉房穂さんの言葉を借りれば、「今回の訪米で首相は自国よりもアメリカの方を向いていることが判明した」。

日米同盟・新時代の“9条否定・「同盟のための戦争国家」”という危機的事態を前にしたいま、日米安保基軸の防衛政策からの転換を果たす時が来たのだと私たちは腹を括(くく)る必要があるだろう。

日米安保基軸からの転換は、すなわち大日本帝国の山県有朋演説以降、堅持されてきた「利益線の防護」から「主権線の防護」への質的転換であり、それを具体化する防衛政策を明らかにすることが必須不可欠の課題であると思う。これについては別途、考えていきたい。

◆「自信あるなら正々堂々と9条改憲を国民に問え!」── 先手必勝の攻勢

 

泉房穂×鮫島浩『政治はケンカだ! 明石市長の12年』(講談社 2023/5/1)

泉房穂さんの持論は「政治はケンカ」、そして「ケンカは勝つ」だ。必勝を期すのが政治だということだろう。

攻撃は最大の防御、攻撃の要は敵の弱点を突くこと、これがケンカの要領だ。

岸田政権の弱点は「国民に黙って決める」ことにある。言い換えれば「国民に知られては困る」政治という弱点を持つ。

今回、米国と約束した日米同盟・新時代、「日米安保の攻守同盟化」に伴う自衛隊の「矛」化という違憲の外征戦争能力、「交戦権、戦力保有」を憲法9条改訂もなしに決めた。その憲法9条否定の違憲政治が「国民に知られては困る」からだ。

ならば岸田政権が困ることをやればいい。

国民の側から「自衛隊の矛化は交戦権否認、戦力不保持の9条違憲行為ではないか」、「やるなら正々堂々と9条改憲を国民に問え!」と岸田政権に迫るなら彼らは窮地に陥るだろう。

なぜなら彼らはそれはゼッタイ避けたいことだからだ。閣議決定だけで決めた「敵基地攻撃能力保有」という自衛隊の矛化も「専守防衛の範囲内」という詭弁でごまかし9条論議になるのを避けたことがそれを示している。

9条以外の改憲論議には世論も反対しないようだが、9条については「改憲反対」が絶対多数を占める。「平和主義が崩れる」「戦争に巻き込まれる」と危惧する世論が多数派だ。

閣議決定ですませた「安保3文書改訂」も、米国で約束した「日米安保の攻守同盟化」もいずれも「自衛隊を矛化する」という9条違憲行為だ。

だから「こそこそするな、自信あるなら正々堂々と9条改憲を国民に問え!」の声を国民の側から上げる、ならば岸田政権は窮地に陥る。

こんな先手必勝の攻勢をかければ岸田政権との「ケンカは勝つ」と思う。

ピョンヤンからの「遠吠え」かもしれないけれど、ぜひ検討願いたいと強く思う。

若林盛亮さん

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆はじめに

3月31日掲載の「戦後日本の革命 in ピョンヤン②」の結語にこう書いた。

「もしトラ」の逆利用で米国依存の生存方式から目覚め、自己を取り戻すチャンスに変える時、戦後日本の革命成就も夢ではない時に来ている。ピョンヤンにあってこれが夢でないことを祈りながら「戦後日本の革命inピョンヤン」発信を続けたいと思う。

ところが4月10日からの岸田国賓訪米・日米首脳会談は、これと真逆の道を日本に強要するもので、愚かにも岸田首相は破滅に向かう米国覇権と運命を共にすることを誓約した。

日刊ゲンダイは「米国に差し出す自衛隊」の大見出しの批判記事、朝日の「天声人語」は「日本の安全保障が米国と一体化していくことがいかに危険なものか」と危惧を示すなどリベラル系のマスコミは一様に「懸念」を示した。

ここにもいまや「米国についていけば何とかなる」時代ではないことが大方の共通認識になりつつあることが現れているように思う。でも単に「危惧」や「懸念」だけでは米国の強要に抗うのは難しいし非力なことはこれまでの教訓だ。ならば日本の安保防衛はどうあるべきかなど対米一辺倒ではない日本の進路に関する対案、対策がなければならない。

それは別途、考えるとして、今回は「米国についていけば……」という戦後日本の生存方式の究極、その極地とも言える“「無理心中」誓約の岸田・国賓訪米”、そこから見えてくる多極化世界での米覇権の新たな形について考えてみたい。

それは戦後日本の革命のために「もしトラ」の逆利用を考える上でも重要なことだと思う。

◆「日本の魂を伝える演説じゃない」と言った安倍ファミリー岩田明子

今回の日米首脳会談に関するマスコミ報道にはかなりの差があったことが特徴かも知れない。4月12日付け読売朝刊はバイデン政権の広報紙みたいなものだから1面トップは当然ながら、全紙面にわたって日米首脳会談を取り上げた。しかし朝日の1面トップ記事は「政治改革委を設置」、その記事に次ぐ左半面に掲載という扱いで日米首脳会談を取り上げ、読売に比べれば他の面での扱いも地味なものだった。

面白いのはフジ産経グループだ。読売系の日本TV「深層ニュース」や毎日系のTBS「1930」が連日、岸田訪米関連を取り上げたが、フジTV「プライムニュース」で取り上げたのは4月12日たった一日だけ、それも番組の前半だけで後半は韓国総選挙「与党完敗」の報道という扱い、しかも首脳会談での合意内容には触れずに「岸田首相“演説”にこめた決意」を評価、論じるといったもので、それはそれでとても興味深いものだった。

ゲスト評者のデーブ・スペクター氏は米議会「岸田首相“演説”にこめた決意」に触れながら「こんなに親米的な人がいるんだと(米議員達も)驚いただろう」と岸田演説の「親米ぶり」を揶揄した。

 

米議会での岸田首相“無理心中”誓約演説

さらに興味深いのは安倍ファミリーと言われる元NHK解説主幹、いまはフリー・ジャーナリストの岩田明子氏の「岸田演説」評価だ。

岸田首相の演説原稿が大統領演説も手がけるという米国人スピーチライターの手によるものということを取り上げながら、それとの比較で2015年の安倍首相は日本人ライターと相談しながら米議会演説を仕上げたこと、また当時のキャロライン・ケネディ駐日米大使が演説原稿を事前に「ちょっと見せてほしい」と言ってきたのを断ったというエピソードまで紹介しながら岸田演説をもっと痛烈に揶揄した。その一つは「アメリカのやってほしいことの羅列」であること、そして決定打は「(米国人の書いたものだから)日本の魂を伝えるものにはならないですよね」とまで言い切った。

これはフジTVが彼らの口を通じて自分の立場を表明したものと思われる。米国に追随しながら日本の軍事大国化実現を企図するという安倍元首相と同様、「軍国主義的自主派」の立場を代弁するような番組の作り方だったように思われる。同盟強化を迫るにしてもバイデンよりトランプ式の「もっと日本主体で、もっと積極的にやれ」が性に合うのだろう。

◆アーミテージ・ナイ報告「日米同盟、より深い統合へ」の筋書き通り

 

アーミテージ・ナイ報告

日米首脳会談に先立つ4月4日、いわゆる「アーミテージ・ナイ報告書」が公表された。これは米政策研究機関「戦略国際問題研究所(CSIS)」が超党派の有識者による日米同盟への提言として発表したものだが、共和党系のリチャ-ド・アーミテージ元国務副長官、民主党系のジョセフ・ナイ元国防次官補が中心となってまとめたもので通称「アーミテージ・ナイ報告書」と呼ばれるものだ。これで6度目の提言だが前回までの外交、安保政策提言はほぼ日本政府によって実現されてきた、いわゆる「ジャパン・ハンドラー」による強い影響力を持つ報告書だ。

今回の報告書は、台頭する中国の抑止を念頭に「より統合された同盟関係への移行」を提唱したものだと読売新聞(4月5日付け)は伝えた。

今回の日米首脳会談での合意事項、岸田首相の演説などは、このアーミテージ・ナイ報告「日米同盟、より深い統合へ」の筋書き通りだと言える。

米議会演説で岸田首相は、「今の私たちは平和には“理解”以上のものが必要だ」としながら「“覚悟”が必要なのです」とまず「平和への日本の覚悟」を強調した。

その「覚悟」の内容は報告書にある「日米同盟、より深い統合へ」実現の覚悟だ。

まず「この世界は米国が引き続き国際問題において中心的な役割を果たし続けることを必要としています」との前提に立ったうえで、「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国に、そのような希望をひとり双肩に担うことがいかなる重荷であるのか私は理解しています」との苦境にある米国の現状に理解を示した。

そのうえで「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」として「日本が最も近い米国の同盟国としての役割をどれほど真剣に受けとめているかを知っていただきたい」との「最も近い同盟国・日本の決意」のほどを述べた。

そして最後に「信念という絆で結ばれ、私は日本の堅固な同盟と不朽の友好をここに誓います」と決意遂行の「覚悟」を米議会で誓約した。

このアーミテージ・ナイ報告書が超党派の手になるものとあったように、バイデンの国賓として行った岸田首相の米議会での誓約は「もしトラ」でトランプ政権になってもそのまま実行される「日米同盟、より深い統合へ」だと思われる。

事実、米議会での岸田演説実現の根回しをしたとされるトランプ政権時代に駐日大使だったウィリアム・ハガティ上院議員(共和党)は、最近トランプとも話し合ったとしながら、日米同盟をトランプも重要だと考えていると読売のインタビューに答えている。

◆自衛隊の統合作戦司令部新設+在日米軍にインド太平洋軍の指揮統制機能付与

 

統合作戦司令部

「日米同盟、より深い統合へ」の基本は対中対決のための日米軍事同盟の強化だ。その基本中の基本が、自衛隊に統合作戦司令部を設置し、これを有事には在日米軍司令部が関与できる作戦指揮体系を整えたことだ。

一言でいえば、自衛隊に戦争作戦を立案、指揮する「総参謀部」ができるということ、自衛隊が戦争を行う軍隊になる体制が整うこと、日本が戦争を行える国になること、更にはそれが米軍の指揮下で行われることになるということだ。

ことの始まりは、2022年末に閣議決定された安保3文書、すなわち国家安全保障戦略、国家防衛戦略、防衛力整備計画の3文書改訂だ。国家安全保障戦略改訂で「敵基地攻撃能力保有」が決定され、これに伴って防衛力整備計画に「統合司令部」設置が決められた。

従来の専守防衛の自衛隊ではシビリアン・コントロール(文民統制)下で最高司令官は内閣総理大臣、首相であり、これを補佐する機構として自衛隊統合幕僚監部(陸海空幕僚長を統合幕僚長がまとめる)があったが陸海空3軍を指揮統制する機能がなかった。これは専守防衛の自衛隊では領空侵犯は空自が、領海侵犯の対潜水艦監視などは海自がそれぞれやればことは済んだからだろう。ところが「敵基地攻撃能力保有」が認められ、有事、戦争事態に備えるためには三軍の総合作戦指揮、統制が必要になることから設けられたのが「統合司令部」だ。もちろんそんなことは公然と語られることはない。

‘22年末改訂の「安保3文書」、防衛力整備計画では、この統合司令部に米インド太平洋軍の将官が常駐することが決められた。これは敵基地攻撃のためには「軍事偵察衛星など圧倒的な米軍の情報網に頼らざるを得ない」からなどとされているからだ。

この統合司令部が今回の日米首脳会談を前にして「統合作戦司令部」という「作戦」、すなわち戦争作戦のための司令部であることを明確にした。

また安保3文書に明記された「統合司令部に米インド太平洋軍の将官が常駐」体制は在日米軍司令部に一定の指揮統制権を付与し、自衛隊の統合作戦司令部との直接的連携を可能にする形にした。一言でいって有事には在日米軍が自衛隊を指揮できる体制を整えた。従来は、ハワイにあるインド太平洋軍司令部にしかなかった指揮統制権限の一部を在日米軍司令部に付与する形でそれを可能にした。(3月25日の読売新聞報道による)

こうした有事の自衛隊に対する米軍の指揮体制が日米首脳会談を前に用意周到に整えられたのだと言える。

米国笹川平和財団のジェームス・ショフ氏は「米側が(作戦実行の)大部分の資産を持っている。特定の任務で決定を下す際、米の意向が強まるとの日本側の懸念があることは明らか」と有事においては自衛隊の統合作戦司令部が在日米軍司令部の指揮統制に服することにならざるをえないことを認めている。韓国では朝鮮半島有事の作戦指揮権は在韓米軍司令官の指揮に韓国軍が従う体制になっている。日本では自衛隊と米軍は指揮権が形式上は別々だが実質的には有事には自衛隊が米軍の指揮に従うことにならざるを得ないだろう。

自衛隊の統合作戦司令部は今年度末までに自衛隊法が改正されて正式に発足する。

「日米同盟、より深い統合へ」、それは対中軍事対決という米覇権秩序維持のための戦争ができる国へと日本が変わるということを意味する。言葉を換えれば、日本が米国の対中・代理戦争国家になるということだ。

◆「ハブ&スポーク」式同盟から「格子状」同盟に ── 多極世界での米覇権の形

 

「ハブ&スポーク」同盟から「格子状」同盟へ

日米首脳会談に先立つ4月4日、エマニュエル駐日米大使が今回の首脳会談が「一つの時代が終わり、新たな時代が始まる日米関係の重大な変容を示すものとなる」と「ウォールストリート・ジャーナル」寄稿文で述べた。

その重大な変容とは「時代にそぐわない“ハブ&スポーク”式同盟を“格子状”の同盟構造に変換する取組だ」と定式化された。

“ハブ&スポーク”式同盟とは、自転車の車輪の中心部のハブ、そのハブにつながる無数のスポークが車輪を支える構造に譬えた同盟構造を指す。ハブ、中心に米国があってその中心から伸びるスポークで各国がつながるという、いわば米一極覇権下での同盟関係を指す。

“格子状”同盟とは図式(掲載)を見ればわかるように「日米同盟」を中心にAUKUS(米英豪)、クアッド(米日豪印)、日米韓、日米比といった同盟国、同志国関係が格子状に重なるような同盟構造に変わるということだ。

なぜ米国の同盟構造、いわば米国の覇権支配の構造が変わるのか?

一言でいってバイデン式の対中新冷戦戦略が失敗、破綻したからだ。

バイデンは世界を米国を中心とする民主主義陣営と専制主義陣営の二つに分断し、専制主義陣営とする中国を民主主義陣営の包囲網で孤立圧殺する方法で崩れゆく自己の覇権回復戦略とした。

ところがウクライナへのロシアの先制的軍事行動で対中に加え対ロという二正面作戦を強いられ、さらにはこれにガザでのイスラエル対ハマスを軸とする中東戦争という三正面作戦までが加わって右往左往するばかりで為す術を知らずの醜態を世界に見せることになった。

ウクライナ戦争ではロシア制裁に引き入れようとしたグローバルサウス諸国が反旗を翻し、イスラエルのガザ虐殺を見た世界はイスラエル支持をやめない米国の「自由と民主主義」「人権・人道主義」の欺瞞性をハッキリ見た。この連載で何度も述べた「パックス・アメリカーナ(アメリカによる平和)の終わり」を世界の誰もが眼にするようになった。

それは米一極支配の終わり、米中心の「G7先進国」がリードする国際秩序の崩壊をもたらした。一極世界から多極世界へ、これが時代の趨勢となった。

これに対処するという“格子状”同盟構造は先に挙げた岸田演説に即して見ればわかりやすい。

まず「この世界は米国が引き続き国際問題において中心的な役割を果たし続けることを必要とする」との前提に立ち、しかしながら「ほぼ独力で国際秩序を維持してきた米国に、そのような希望をひとり双肩に担うことがいかなる重荷であるのか」、つまり米国が中心になって独力で国際秩序を維持できなくなったという時代環境の変化を認める。つまり米一極中心の“ハブ&スポーク”式同盟では国際秩序を維持できなくなったとの時代認識に立つ。

このような時代認識に立てば「米国は助けもなくたったひとりで国際秩序を守ることを強いられる理由はありません」、だから「日本が最も近い米国の同盟国としての役割を」果たすこと、つまり「日米同盟」を中心に“格子状”の多角的な同盟関係、同志国関係を再編成、形成しながら米国中心の覇権秩序を建て直していく。

いまエマニュエルの言う“格子状”同盟への再編渦中にある。

今回の日米首脳会談では、日本と「AUKUS」との連携が新たに強調されるようになった。元来、日本はインド太平洋地域では「クアッド」、米日豪印4ヶ国同盟基軸に行く予定だったが、インドがロシア制裁もやらず中国との軍事対決も避けグローバルサウスの盟主まで自称するようになって、あまり対中対決で当てにならなくなった。そこで元来、対中対決の米英豪・アングロサクソン白人連合である「AUKUS」に無理矢理日本を引き込むことにしたのだろう。

また今回、日米比首脳会談も持たれたが、「ASEAN」の中では親米色の強いフィリピン・マルコス政権をアジアでインドに代わる対中対決「同志国」に取り込もうというのが米国の心算だろう。岸田訪米を前に米太平洋軍陸軍司令官が「インド太平洋地域に中距離ミサイルを配備する」計画があることを語ったが、米国が対中対決線とする日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶ「第一列島線」への配備を念頭に置いたものだ。すでに日本列島には自衛隊のスタンドオフミサイル部隊という名の「中距離ミサイル部隊」が新設されたので、フィリッピンへの地上配備型中距離ミサイルを念頭に置いたものだろう。米比合同軍事訓練に自衛隊を参加させることもこの3ヶ国首脳会談で決められ、日米比同盟構造もいま形成途上にある。

日米韓同盟はすでに昨年のキャンプデービッド3ヶ国首脳会談で基本形はつくられた。

いま着々と日米中心の“格子状”同盟構造が再構築されつつあるが、これは世界の米一極支配破綻を受け、多極化した世界で米覇権を回復するための必死のあがきだと言えるだろう。

◆“格子状”同盟の未来は暗い、「無理心中」はバカげてる

米国によるこの“格子状”同盟は対中対決のためのものではあるが、「決して中国封じ込め」のためのものではなく「中国を正しく(世界に)関与させる」ためのものだとトーンは落ち、かつての「専制主義・中国を民主主義陣営が封じ込め孤立させる」などという威勢のいい声をあげる力はもう米国にはない。

“格子状”同盟の雲行きも怪しい。韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権与党が総選挙で大敗、レームダック状態の尹大統領が主導した日韓関係改善-日米韓同盟強化にも暗雲が立ちこめている。

AUKUSへの日本の参加と日米比「同盟」もどこまでうまくいくかわかったものじゃない。

なのに岸田首相のように米国人ライターの書いた演説に踊って「日米同盟、より深い統合へ」と進み、統合作戦司令部と在日米軍司令部との合体で対中・代理戦争国への道をひたすら進むなら、それこそ日本には米国と無理心中、破滅の道しかない。

なぜなら一極世界から多極世界への移行は、日本のマスコミが言うような「覇権の一極から多極への移行」ではなく、「あらゆる覇権主義、大国主義から脱する世界への転換」を意味しており、米国覇権の復活の道はもはやないだろう。大国である中国やロシアもそれをじゅうぶん理解しており、だからこそかつて植民地支配に苦しんだグローバルサウス諸国もいまだ植民地支配の反省の言葉のない米国や「G7先進国」よりも中ロに接近しているのだ。

今後、おそらく多くの日本国民、日本の政財界、言論界、防衛関係者らも多大の懸念を持って“「無理心中」誓約の岸田・国賓訪米”後の日本の政治がどこに行くのか、注視していくものと思う。

だから私も「戦後日本の革命 in ピョンヤン」で警鐘を発信し続けていくが、重要なことは「米国についていけば何とかなる」に代わる生存方式を見つけ明らかにすることだ。そんな「戦後日本の革命」についても考えていきたいと思う。

若林盛亮さん

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆「もしトラ」と戦後日本の革命

戦後日本の革命、それは私式に言えば「米国についていけば何とかなる」としてきた戦後日本の生存方式を一新する革命、あるいはアイデンティティ確立のための革命だ。

今回のテーマ“「もしトラ」に右往左往しない日本に”は、「もしトランプが大統領になったら」で右往左往するわが国の政界、言論界を目の当たりにして、そろそろ「米国についていけば……」からの方向転換、むしろ「もしトラ」を国の運命の自己決定権を自分の手にする好機にすべきではないのか、このことをピョンヤンから訴えるものだ。

◆「私のかわりに決める権利は、あなたにないわ」

 

『他人の血』(新潮文庫)表紙、ジョディ・フォースター主演で映画化の写真入り

この小題目の言葉、それは小説『他人の血』、最後のシーンで発せられる女主人公の言葉だ。この小説の著者であるフランスの実存主義女流作家ボーヴォワールの基本思想、「運命に対する自己決定権」を主人公に語らせたセリフである。

このような言葉は一朝一夕には出てくるものじゃない。この小説でも人生の窮地を脱し人生のクライマックスに立ってようやく主人公自身が極めた境地だ。

主人公エレーヌはパリに住むごく平凡な駄菓子屋の娘、彼女は大ブルジョアの息子という出自に悩む労働運動指導者、ジャンに恋してしまう。「自分は組織の歯車でいい」という労働者共産党員の恋人に飽き足らない彼女は悩める指導的活動家ジャンになぜか心をひかれる。でもジャンの社会運動にはまったく興味を示さず、自分の恋心に応じようとしないジャンの関心をひくことだけで頭はいっぱい。そんな女の子だった。

他方、ジャンは大ブルジョアの跡継ぎ息子だが共産党に入党、しかし党に引き入れた親友の弟をある闘争で死に追いやった自責の念から社会民主主義者に転向するといった複雑な政治経緯の人物だ。政治や社会運動に何の関心も示さないエレーヌに当惑しながらもやがてジャンも彼女と恋に落ちる。

しかしエレーヌのある行動が二人の恋を決裂させる。

時は第二次世界大戦を前にしたナチス台頭の時期、オーストリアの闘士が反ナチの連帯闘争をフランスの社会民主主義者に求めたが、ジャンはこれを「フランスをナチスとの戦争に追いやるようなことはできない」と拒絶した。しかしこの自分の態度がナチスのオーストリア併合を許すことになり、ついにはナチス・ドイツ軍のフランス侵略という結果を招いた。

そんな自責の念からジャンは対独戦争のフランス軍最前線に志願する。これに驚いたエレーヌが恋人を死地から救う一念で八方手を尽くし、前線から後方の安全地帯に戻れるようにする。しかし彼女のこの振る舞いはジャンの強烈な怒りを買い、二人の愛は破局を迎える。

恋を失いパリまでナチスのものになって、ついに「自分もなくなった」失意のエレーヌは職場の洋裁店の関係で親しくなった占領者であるドイツ人からベルリンに行くことを誘われている。

しかしある事件がそんな彼女を覚醒させる。

幼なじみのユダヤ人娘がナチスのユダヤ人狩りの危険に直面した時、親友を捨て置けないエレーヌは恋人だったジャンの反ナチ・レジスタンス組織を通じて親友の逃亡を助ける。この事件を契機にエレーヌは自分を取り戻す。ついには「あなたと一緒に仕事をしたい」とジャンに申し出る。彼女は危険な任務を引き受け致命傷を負う、そしていまは死の床にある。

「君がこんなになったのは僕のせいだ」と彼女を恋に苦しませ、いままた危険な任務を指示した自分を責めるジャンに対し、死を前にしたエレーヌが毅然(きぜん)として自分自身を主張する言葉、それがこの小題目に引用したセリフだ。

「私のかわりに決める権利は、あなたにないわ」

運命に対する自己決定権とは? を考えさせる名セリフだと思う。

彼女は自らの殻を破った ── 「何ものかのために、誰かのために存在する」エレーヌ、「危険な任務遂行を決めたのは、他の誰でもない、私自身」!

人間の運命同様、国の運命も決定権は誰のものでもない、自分自身にある。

長々と小説の粗筋を紹介したのは、小説の主人公のように一人の人間が自分を取り戻し、自らの運命の自己決定権を獲得するには一定の曲折を経るものだということ、しかしいつかは手にするものだということ、これは国だって同じではないかということを言いたかったからだ。

私の場合も「ロックと革命 in 京都」に書いたように「17歳の革命」に踏みだした頃、「特別な同志」OKから「これ読んでみない?」と言われてこの本を借りたが、当時はこの言葉にたどり着くどころかこの小説自体まったく理解不能のものだった。あれから半世紀もの時間が流れ、還暦を過ぎて『他人の血』を再読して初めてこの言葉の存在を知り、その深い意味に気づかされた。この言葉を理解するには一定の人生体験が必要だったのだろう。

いま「もしトラ」に右往左往する日本、それは戦後日本の「米国についていけば何とかなる」生存方式の長い歴史の結果だが、いまのそれはやはり惨めで見苦しいものだ。これからもそんな生き方を続けていくのか? 

「米国の栄華」を追いかけ日本の繁栄を夢見てきた戦後日本だが、いま「米中心の国際秩序の破綻」を前にして政治も経済も軍事も混乱を極めている。「もしトラ」のいま、そろそろわれわれ日本人は「自分を取り戻す」時に来ているのではないか、このことを考えてみたい。

◆プランB ── 欧州の「もしトラ」策

「もしトラ」でいまウクライナ戦争渦中にある欧州も慌てているが、すでに策は立てている。

いまのバイデン政権時でさえ共和党の反対でウクライナ軍事支援予算が通らず、米国からの兵器供与が滞る事態になっている。このうえ「ウクライナ支援はやめるべきだ」とするトランプが大統領になれば欧州は「米国抜き」を考えておかねばならない。

 

TBS番組「1930」。2024年3月8日放映の「米国抜きの欧州案“プランB”」

そこで出された策が「プランB」だ。

プランBとは“米国の援助抜きでウクライナの敗北を防ぐ”という案だ。

その基本内容は、“①今年のウクライナは欧州からの支援で戦略守勢にまわる②来年の春頃の攻勢に直結するための準備をする”というものだ。

「来年の春攻勢に(兵器を)準備」に成算があるのか大いに疑問だが、大義名分は「ウクライナの敗北を防ぐ」。要は「敗勢のままロシアに勝たせてはならない」、だからウクライナに何とか持ちこたえさせるため取りあえず「欧州からの兵器援助」という泥縄式消極策、それが欧州の「もしトラ」策、「プランB」であろう。

更には欧州全体に拡大する「ウクライナ支援疲れ」で欧州の足並みが乱れる中、英仏独が個別にウクライナと2国間の安全保障協定を結んだ。これはウクライナに「英仏独3大国の保障」を見せることで「ウクライナの敗北を防ぐ」しかない欧州の窮状を表すものだ。

ウクライナの敗勢に慌てる欧州を表すものとして、「冷戦後最大規模のNATO軍事演習」がある。これはNATO加盟32ヶ国(フィンランド、スウェーデン加入で2ヶ国増)の9万人規模で2月から5月まで各地で行われるというものだが、かつての東西冷戦期には毎年、数十万人規模で行われたというからロシアに対して虚勢を張るだけの印象が強い。

結局は、落ち目濃厚の米国の対中ロ新冷戦戦略に欧州は巻き込まれる羽目に陥った。

しかし事態は虚勢を張るだけではすまないものになりそうだ。トランプ政権成立ともなれば、欧州各国のGDP2%以上の防衛予算を組むというNATO取り決めの即時実行を迫られる。この防衛予算増は、ただでさえ国民から「ウクライナ支援より国民にお金を」と迫られている欧州各国の現政権を更に揺るがせ、自国第一政権を産み出す呼び水になることだろう。

「ウクライナ支援疲れ」が「米国の覇権回復同調疲れ」に転化する。欧州の人々も自分と国の運命、自己の運命決定権を考え始めるだろう。

 

産経の2024年元日の年頭社説「“内向き日本”では中国が嗤う」※本画像クリックをすると同記事にリンクします(編集部)

◆「もしトラ」歓迎の産経新聞

「もしトラ」に右往左往する日本の言論界の中で唯一、元気なのが産経新聞だ。

今年2024年の元日、主要新聞各紙の新年社説は混乱の極みだったが、産経新聞だけは元気だった(〈年のはじめに〉「内向き日本」では中国が嗤う 榊原智論説委員長)。それは「もしトラ」対処策をもっていること、むしろ「もしトラ」歓迎の立場にあるからのようだ。

産経社説は“「内向き日本」では中国が嗤(わら)う”と題し、国内政局にとらわれて「対中対決」をおろそかにすることがあってはならないという主張を前面に押し出した。

まず「台湾有事は日本有事」の立場を明確に打ち出した。これは米中新冷戦で対中対決の最前線を日本が積極的に担うという意思表示だ。

そしてトランプ政権誕生を念頭に「米核戦力の(日本への)配備や核共有、核武装の選択肢を喫緊の課題として論じる」必要を強く説いた。その根拠は、もしトランプ大統領になれば、台湾有事には「日本や台湾が前面に立ち防衛」することを求められるからだとした。

そしてこうも強調した。「日本は米中対立に巻き込まれた被害者ではない。米国を巻き込まなければならない立場にある」と。まさにトランプの対日要求を先取りしたもの、アジアの問題である対中軍事対決は日本が主体的に行うべきものだという主張だ。

「欧州やアジアの戦争をなぜ我々(米国)がやらねばならないのか」? 「欧州の戦争は欧州人が、アジアの戦争はアジア人が」 ── これがトランプ路線だ。安倍元首相や産経新聞の立場は、対米従属ではあれ米国とうまくやりながら日本の軍事大国化(軍国主義的「自主」路線)を実現することだから、トランプ路線は大歓迎なのだろう。

産経新聞のような「もしトラ」歓迎の危険性は、「喫緊の課題として論じる」必要を説いた日本の代理“核”戦争国化を自ら「主体的」に担うべきという議論を呼びかけていることだ。

「もしトラ」を前提に、産経社説は「米核戦力の配備や核共有」「核武装」といった選択肢について論議することを呼びかけた。

これらはいま米国が最も日本に要求していることだが、日本の非核国是のため未解決のまま「宿題」として残されている議論だ。それは一言でいって日本列島の地上発射型中距離“核”ミサイル基地化だ。これは米軍の対中拡大抑止戦略の基本、死活的課題だから米国は絶対あきらめない。産経のように日本側が「主体的な課題として論じる」ようになれば、これは米国にとってはありがたいことだろう。

産経が「喫緊の課題として論じる」必要を説くのは以下のことだ。

これについてはデジ鹿通信に何度も書いたので簡単に触れる。

日本列島の地上発射型中距離“核”ミサイル基地化を米軍に代わって担う部隊として「安保3文書」決定で自衛隊スタッドオフ・ミサイル(中距離ミサイル)部隊はすでに新設された。

未解決の課題は、自衛隊ミサイル部隊の核武装化のための「核共有」を実現(当然ながら「核持ち込み容認」)することだ。

この実現のためにNATO並みの「有事における核使用に関する協議体」を設置する。これは昨年、新設された米韓“核”協議グループ(NCG)を発展させ「日米韓“核”協議体」とするか、あるいは二国間の「日米“核”協議体」を創設する。準備は着々と進められている。後は日本の決心次第となっている。

再度強調するが産経のような「もしトラ」歓迎の危険性は、日本の対中・代理“核”戦争国化を米国の強要によってではなく、日本が「主体的に」やるようになることだ。

だから産経のような「もしトラ」歓迎の政権ができるようなことになれば、日本の破滅、「米国と無理心中」にわが国を追いやる結果を招くだろう。これだけは絶対、避けなければならないことだ。

◆「もしトラ」の逆利用 ── 自分を取り戻すチャンスに

産経のような「もしトラ」歓迎は以ての外だが、「もしトラ」逆利用という考え方もあり得る。

トランプの主張は「米国に依存するな、日本が主体的にやれ」だ。トランプの真意は米国の強要を日本が「主体的に」受け入れろだが、彼の言う「主体的に」を文字通りに、名実共に実現するチャンスに変える契機ではある。いわばトランプが「アメリカ・ファースト」を言うなら、日本は「日本第一」で行くという向こうの論理の「逆利用」だ。

第一次トランプ政権時には「米軍駐留費分担金(思いやり予算)を日本が増額しないなら米軍基地を撤収する」と日本を脅かしたが、今度はこれを逆手にとって「ああそうですか、ならお引き取りいただいてけっこうです」と言えばいいのだ。

もちろん在日米軍基地撤収や日米安保解消などトランプの一存でできることではなく、またトランプも日本への「同盟義務」押しつけのための恐喝以上の意味で発言しないはずだから、「どうぞお引き取り下さい」という日米安保同盟を否定するような日本側の要求は受け入れないだろう。またわが国には残念ながら米国と正面激突するだけの政治的力はまだない。

だから「もしトラ」の逆利用のためにはいま実現可能な策略、工夫が必要だと思う。

日本国民として最低限、許してはならないのは、米国の企図する「日本の代理“核”戦争国家化」だ。米国自身も非核の日本国民の世論を前にしてこれが「難題」とは認識している。だからごり押しが難しい。したがってこれ一本に絞って米国による「自衛隊の核武装化」だけは拒否の姿勢を貫くことは最低限やらねばならないし、全く不可能なことではないと思う。

そのための「日本の大義」という「武器」がある。それは非核の国是、「非核三原則」の堅持だ。いわば向こうが「アメリカ・ファースト」なら、こちらは「日本の大義」、「国是第一」で行く、このどこが悪いのかという論法だ。

非核の国是を武器に、米国の企図する「日本列島の中距離“核”ミサイル基地化」、そのための「新設の自衛隊スタッドオフ・ミサイル部隊の核武装化」を拒否する。

具体的には産経が議論すべきとした「米核戦力の日本への配備」のための「核持ち込み容認」、そして「日米核共有」を認めないことが基本となるだろう。

その基本環は、いま米国の要求する有事の際の核使用に関する協議体、「日米韓“核”協議体」(日米だけの場合もある)創設の提起に乗らないこと、非核の国民世論を背景に「それは無理です、できません」と拒否姿勢を貫くことだ。

これは可能か? 可能性はあるけれど簡単なことではない。鳩山・民主党政権時の「最低でも沖縄県外に」と辺野古基地移転再検討を口にしただけで鳩山氏は首相の座を追われた。国民世論の後押しがなかったからだ。米国の意向に逆らうのはよほど時の政権に力がなければならない。その力は国民の支持以外にはない。鳩山政権には国民に訴える力がなかったからできなかった。

 

泉房穂さんの対談本『政治はケンカだ』(講談社)

逆に言えば、国民の支持を背景にすればできるということだ。

非核の国是堅持は絶対多数の国民が支持するものだ。時の政権が「非核の国是堅持」を背景に「核持ち込み」及び「日米核共有」の拒否を広く国民に訴えれば、これを国民は支持するだろう。

しかしいまの岸田・自公政権ではこれはできない。「米国についていけば……」の彼らは国民の顔色より米国の顔を見て動く、だから政権交代によってしかできることでないのはハッキリしている。

いま自民党の「政治とカネ」問題で岸田政権は揺れている、次の選挙で政権交代もありうるとも言われている。いまの政界再編劇については米国の影がちらつくが、政界再編、政権交代は国民自身の要求でもある。そしていま「国民をいじめる側」対「国民の味方」の対決として総選挙に勝ち、「救民」内閣を打ち立てると豪語する人物、泉房穂元明石市長という政治家が国民の注目を集めている。「注目」が「広汎な支持」になるか否かはいまは不明だが、少なくとも希望はある。

支持政党なしが60%を占める国民の政治不信を一掃する国民の信頼に足る政治家、政治勢力が出るならば「救民」政権樹立もけっして不可能とは思われない。だから可能性はある。

いま「パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)の終わり」を世界が目にしている。米国の覇権力衰退著しいことの表現が「トランプ現象」でもある。「トランプのアメリカ」は「覇権力弱体化のアメリカ」であり、国民の力を背景にし米国を恐れない政治家、政治勢力が出るならば、「米国についていけば……」を卒業し、わが国が運命の自己決定権を手にすることは可能な時に来ていることだけは確かだ。

「もしトラ」の逆利用で米国依存の生存方式から目覚め、自己を取り戻すチャンスに変える時、戦後日本の革命成就も夢ではない時に来ている。ピョンヤンにあってこれが夢でないことを祈りながら「戦後日本の革命 in ピョンヤン」発信を続けたいと思う。

若林盛亮さん

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆はじめに

この通信での私の手記「ロックと革命 in 京都」、鹿砦社代表の松岡さん名付けて「京都青春記」は昨年8月31日で連載を終えた。

「長髪一つで世界は変わる」17歳の革命以降、私の「京都青春記」のテーマは「戦後日本はおかしい」だった。それは「山崎博昭の死-ジュッパチの衝撃」を経て学生運動-「戦後日本の革命」へと進み、そしてよど号赤軍としてピョンヤンへ飛んで今日に至るがこのテーマはいまも変わらない。もちろん若い頃、そんなことを意識していたわけではない、あくまで「いま思えば」の話だが、それだけは確信を持って言える。

あの敗戦で「天皇陛下万歳からアメリカ万歳に変わっただけ」の戦後日本、以来「米国についていけば何とかなる」を自己の生存方式にしてきたわが国、そんな戦後日本からの大転換を図ることは戦後世代である私一個の人生テーマにとどまるものではない。いまや日本人全体のテーマ、「戦後日本の革命」として突きつけられているのではないだろうか。

「ロックと革命in京都」連載を終えるに当たって、私は次のことを「最後に言いたいこと」として訴えた。

“いまは「覇権帝国の米国についていけばなんとかなる時代じゃない」どころか「覇権破綻の米国と無理心中するのか否か」というところまで来ている。

いま日本はどの道を進むべきか?「戦後日本の革命」は現実問題として問われてくる!

自身の運命の自己決定権─自分の運命は自分で決める、自分の頭で考え自分の道を自分の力で開く!

それは戦後日本の曖昧模糊となったアイデンティティの再確立の道でもあると思う。”

こんな結語を書いた以上は、自分はどうするのかを含めた「これから」のことを「ロックと革命 in 京都 1964-70」の続編として、「戦後日本の革命 in ピョンヤン」といったものに書かねばならないと思う。今回はその第一弾。

◆2024年は「大混乱の時代」の始まり

今年2024年の元日、主要新聞各紙の新年社説は、イマイチすっきりしない歯切れの悪さ、一言でいって混乱しているように思えた。

米日政府公報紙的な読売はその筆頭だ。「磁力と発信力を向上させたい-平和、自由、人道で新時代開け」と題してこれまでの普遍的価値観だけでなく「人命を守れ」などの「共通感覚」、人道をキーワードに「人々が一致して困難に立ち向かう」といった「ご説ごもっとも」的な、わかったようでわからない社説。昨年の読売の元日社説が「平和な世界構築へ先頭に立て-防衛、外交、道義の力を高めよう」と題し、抑止力強化、「反撃能力保有」を決めた安保3文書閣議決定直後でもありその主張はかなり明解だったのに比べれば、今年の社説は言語不明瞭もはなはだしい。

リベラル系は朝日の「暴力を許さぬ関心と関与を」、毎日の「人類の危機克服に英知を」という「じゃあどうすりゃいいの」? 抽象的な倫理を説く方針不明のただのお説教。

財界系の日経は「分断回避に対話の努力を続けよう」と対中、対ロ、対朝抑止力保持と同時に「分断回避」の外交的努力を説くという経済界の動揺ぶりを示すかのような社説。

ただ最右翼の産経だけは「『内向き日本』では中国が嗤う」と題し、国内政局にとらわれて「対中対決」をおろそかにするなという比較的明解な主張。トランプ政権誕生を念頭に「米核戦力の配備や核共有、核武装の選択肢を喫緊の課題として論じる」必要を説くなど保守右翼らしい主張をそれなりに展開。

産経を除けば大手主要紙の迷走ぶりは言論界の混乱を示すものだった。

その産経も内心の動揺という点では他のマスコミと変わるところはない。ハマスのイスラエルへの「先制的軍事行動」直後の昨年10月下旬、産経グループのフジテレビ「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代”の幕開けか」というテーマで「これはアメリカを中心とする国際秩序が破綻していることを映すのか」が番組の問いかけだった。案の定、出演者の弁舌は当惑を隠せない歯切れの悪いものだったが、すでにこの頃には「米国についていけば何とかなる」思考方式から抜け出せないマスコミ言論界の混乱が始まっていたのだろう。

 

米調査会社ユーラシアグループによる2024年の世界的リスク予測

米調査会社、ユーラシアグループが発表した2024年の世界10大リスク、そのトップにはなんと「米国の敵は米国」が上げられた。「大統領選で分断と機能不全が深刻化する」がその理由だ。そして3位が「ウクライナ分割」で「今年、事実上、分割される」としている。現在、ロシア軍が支配している東部のロシア人居住地域(すでに二つの地域が独立国家樹立)をウクライナが取り戻すことは事実上、不可能だということ、ウクライナは敗北を受け入れるしかないという悲観論だ。

「米国の危機」が世界のリスクのトップ、これはトランプ大統領が出現すれば世界は大混乱に陥るということを念頭に置いたものだ。バイデンがなったところで米中心の国際秩序破綻は免れえないが、トランプになればそれがもっと加速されるということだろう。それは3位のウクライナは敗北を認めるしかないという判断にも反映されている。また2位に上げられた「瀬戸際に立つ中東」もイスラエルの勝利はありえないということだろう。実際、すでに米国がイスラエルに停戦とパレスティナ国家樹立の受け入れを説得していることにそれは現れている。しかしネタニヤフ政権はそれを拒否、ネタニヤフを説得できないバイデン、ここでも米国の権威失墜が明らかになっている。

主戦場の対中対決に加えてウクライナと中東の戦争という3正面作戦にとうてい米国は耐えられないことを米国自身が認めたことで、「パックスアメリカーナ(アメリカの平和)の時代は終わった」、その現実を世界の誰もが目にした。

これは覇権大国、米国中心の世界観からすれば「世界動乱の時代の幕開け」という想像だに恐ろしい時代としか思えないのだろう。新年の日本の新聞各社の年頭社説の混乱ぶりはその反映と言える。

◆「パックスアメリカーナの終わり」はいいことなのだ

「パックスアメリカーナの終わり」に右往左往する日本の言論界に代表されるわが国の混乱、それは「米国についていけば何とかなる」という戦後日本の生存方式に慣れ親しんできた報いだとも言える。

1960-70年代の「一億総中流」の高度経済成長日本も、‘80年代の「ジャパン・アズ・ナンバーワン」のバブルに浮かれた金満日本も二度とやってはこない。「米国についていけば何とかなる」、そんな戦後日本の「太平の夢」から醒める時が来たのだ。

一言でいって戦後日本は失敗に終わった、この現実を受け入れ直視することが重要だと思う。

人間にしても国にしても誰もが失敗は犯しうる。龍一郎さんではないが、「人生に無駄なものなどなにひとつない」、要は失敗からは教訓を汲み新たな出発の力に換える、これは一個の人間だけでなく国も同様だ。失敗を自覚すれば、そこから教訓を見つけることだ。それが人間や国の自力更生力というものだろう。

だから「パックスアメリカーナの終わり」は戦後日本の幻想から醒める時、「米国についていけば何とかなる」生存方式を改め自分の手で自分の未来を開く「戦後日本の革命」のチャンスにする、そんな積極的、能動的な思考が問われていると思う。

そのためには「パックスアメリカーナ」に身を委ねることになった戦後日本の出発点自体がおかしかったのではないか、このことを考える必要があると思う。

大日本帝国の「天皇陛下万歳」が「アメリカ万歳」に変わっただけ、すなわちその覇権主義が対米従属のそれに変わっただけ、それが戦後日本の実相だ。今日の「パックスアメリカーナの終わり」を前にして混乱するのではなく、戦後日本の出発点自体がおかしかったのではないか、このことから教訓を汲むことが重要だと思う。

ここからは少し理屈っぽくなるが、やはり理知を考えることは重要だと思うから我慢して聞いて頂きたい。

「パックスアメリカーナ」を支えてきたのは「G7=先進国」主導の国際秩序だった。

「G7=先進国」とはかつての帝国主義列強諸国だ。

第二次大戦敗戦で反省を迫られた日独伊ファッショ枢軸国だが、ドイツはユダヤ人虐殺など「ナチスの残虐性」だけを反省、日本は「軍国主義者、軍部の暴走」といったファッショ支配の反省を求められたが、自己の植民地支配についての反省は求められなかった。米英仏は反ファッショ民主主義陣営、「正義」の側だから自己の植民地主義の反省の必要すら感じていない。一言でいって「G7=先進国」の誰ひとり植民地支配を反省していない。

これが戦後世界の真実だった。

エリザベス女王の国葬の際、あるアフリカの首脳は「女王からは生前、植民地支配謝罪の言葉は一言もなかった」と不満を述べた。インド政府はチャールズ新国王戴冠式で王妃のかぶる冠の世界最大のダイヤがインドから強奪したものだと英国に抗議した。その抗議を受けその冠は使われなかった。これはほんの一例だが、かつての植民地支配を受けた発展途上国、グローバルサウスと呼ばれる国々共通の考えだ。それはなにも過去への恨みだけではない、いまも続く「G7=先進国」の覇権体質、植民地主義体質への批判なのだ。日韓間の歴史認識問題をめぐる抗争も同様のものだ。

「G7=先進国」のリードする国際秩序、法の支配は現代版植民地支配秩序に過ぎないことを世界は知っている。この現代版植民地主義は先進資本主義国の勤労者にとっても邪悪なものになっていることが明らかになりつつある。

国と民族の自主権より上位に人類益、地球益を置き国境の壁をなくさせたグローバリズム、それは世界の富を1%に集中し99%には格差と貧困を強いた。「国境の壁をなくす」、それは発展途上国では関税障壁撤廃などによる先進国巨大資本の「自由な経済活動」で国の民族産業の自立的発展を阻害するものになった。より安価な労働力を世界に求める巨大資本の自由な海外進出は、先進国の国内産業を空洞化させ労働者から職場を奪い中産階級を没落させた。

だから「G7=先進国」の国際秩序、現代版植民地主義秩序は、グローバルサウスだけでなく先進資本主義諸国の勤労者にも等しく格差と貧困を強いるものであることを世界は知った。その端的表現が米国白人労働者層のトランプ人気であり、昔は金持ちの党だった共和党はトランプ党になって、いまや「貧しい者の党」になったという現象に象徴されるものだろう。

「一億総中流」「昭和の夢よいま一度」などもうありえないというわが国の事情も同じだ。

このような「パックスアメリカーナの終わり」を嘆くのではなく新時代の既成事実と受け入れ、戦後日本の生存方式から抜け出すことを考えることがいま重要なことなのだ。

それはわれわれ日本国民にとって悪いことではない、いいことだと思う。

「ロックと革命in京都」の結語としたこと-いま日本はどの道を進むべきか?「戦後日本の革命」は現実問題として問われてくる! 自身の運命の自己決定権─自分の運命は自分で決める、自分の頭で考え自分の道を自分の力で開く! それは戦後日本の曖昧模糊となったアイデンティティの再確立の道でもある。

このような積極的な思考がいまわれわれ日本人に問われている。

このような観点から今後の「戦後日本の革命inピョンヤン」を書いていこうと思う。

このことを2024年、私の新年の抱負としたい。

◎ロックと革命 in 京都 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=109

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』