ノッパガーオの右ヒジ打ちをかわす余裕を見せるタクヤ

ノッパガーオの右ミドルキックを受けてしまうタクヤ

この1年半で、今村卓也はムエタイ二大殿堂のラジャダムナンスタジアム王座奪取し、2度目の防衛戦で明け渡すも、今度はルンピニー王座挑戦のチャンスを得て、12月2日(土・現地/日本との時差2時間)、現地でルンピニースタジアム・ミドル級王座に挑みました。

5月25日のラジャダムナン王座陥落後は、数戦を経て、10月22日にディファ有明での蹴拳プロモーション興行に於いて、ルンピニージャパン・ミドル級王座決定戦を、ジフン・エナジー・リー(韓国)に判定勝ちして日本王座に就いています。

このルンピニージャパンタイトルは2015年8月7日に新設の発表があってから1年掛かりで動き出し、徐々に日本王座が埋まって来ている状況。本場ルンピニースタジアムタイトルへの近道とされるルンピニージャパン王座を経て、今回、今村卓也の挑戦が決まりました。

本場ルンピニー王座に就いた日本人は未だ居らず、またムエタイの二大殿堂ルンピニー王座とラジャダムナン王座の両方に就いた外国人(タイ人以外)は過去一人も居ない中での新たな挑戦でした。

タクヤの右ストレート直撃

ノッパガーオも強い左ストレートを返す

◆タイ国ルンピニースタジアム・ミドル級タイトルマッチ(160LBS) 5回戦

チャンピオン.ノッパガーオ・シリラックムエタイ(タイ/72.57kg)
VS
挑戦者. 今村卓也(=T-98/クロスポイント吉祥寺/72.57kg)
勝者:ノッパガーオ・シリラックムエタイ / 判定

ノッパガーオも調子を上げていく左ミドルキック

今村卓也は重いパンチとローキックで慎重に攻めていきます。顔面にヒットする右ストレート、それ以上に応戦するノッパガーオの蹴りとパンチも強いものがありました。

今村卓也のヒジ打ちによるノッパガーオの左眉のカットは、勝利へ期待が持てるものでしたが、ノッパガーオの的確に当ててくる強い蹴りで試合は混戦模様へ。組んでのヒザ蹴り、離れいてもヒザ蹴りも上手いノッパガーオ、今村卓也が優るローキックとパンチでは好感度低いものの、「日本だったらタクヤが勝っていただろう」と言う声もタイ側から聞かれた試合後のリングサイドでした。

タクヤのヒジ打ちで左眉を切ったノッパガーオ

更に流血の顔面へパンチで攻めるタクヤ

再び挑戦へ向けた再起ロードは始まるのか、ラジャダムナン王座陥落後も過密に戦ってきた今年の今村卓也でしたが、しばらく休んでからの再起がいいかもしれません。

判定はノッパガーオに。左がセンチャイ氏(ルンピニージャパン代表)

当日は4つのタイトルマッチの予定があったようですが、今村卓也のひとつ前の試合では、スーパーミドル級王座が新設された試合が行なわれています。

◆ルンピニースタジアム・スーパーミドル級(168LBS)王座決定戦 5回戦

4位.コンピカート・ソー・タワンルン(タイ/76.2kg)
VS
10位.ウィアンニー・マックススポーツジム(フランス/76.2kg)
勝者:コンピカート・ソー・タワンルン(初代チャンピオン) / TKO 2R

6月20日(火)にラーフィー・シンパートーン(フランス)がポンシリー・PKセンチャイから判定勝利し、ルンピニースタジアム・ウェルター級新チャンピオンに就き、同スタジアムでの外国人3人目(フランス人3人目でもあり)チャンピオンとなっています。

この日(12月2日)のウィアンニーはTKOで敗れ、王座奪取成らず(4人目成らず)でした。

二大殿堂も任意団体で、高いレベルの試合を群集に魅せてきた長い歴史と伝統とその権威は高いものの、時代の流れとともに過去になかった規制の緩みが出てきているのも事実で、軽量王国のタイで、ルンピニースタジアムはスーパーミドル級も新設されるという今までに無い重量級まで拡大化された現状。更には、今村卓也もルンピニースタジアムランキングには入っていないが、傘下のルンピニージャパンタイトルを獲ったことで、王座挑戦のチャンスが得られたと現地でも報道されています。最高峰への道が楽になったことが今後、業界にどう影響してくるでしょうか。
また同スタジアムは2014年2月にバンコク中心部のラーマ4世通りから、やや郊外北部のラーマイントラ通りへ移転してからは交通の便が悪くなり、ギャンブラーですらあまり行かなくなったと言う声も聞かれる中、今後集客率や試合レベルはどうなっていくのかという権威の低下が心配される部分もあります。

その反面、2018年は一波乱ありそうな本場ムエタイの動きに、興味あるファンや関係者は注目となるでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

激闘の末、左瞼上下を縫った伊達秀騎選手、苦しい修行を耐えました(1994年10月18日)

伊達秀騎選手(1994年10月18日)

伊達秀騎の試合は壮絶な打ち合いで相手のタイ選手をたじろがす大善戦も、ヒジで切られヒザ蹴り地獄に陥りレフェリーストップ負け。試合後、救急車で運ばれるも肋骨は異常無し、額の傷口は2ヶ所、計10針縫う痛々しい傷……といった試合レポートを書いている場合ではない。伊達くんは試合の3日後の深夜、抜糸しないまま帰国。その翌日の10月22日から、今度は我が身に専念する番です。

◆得度式の日決定!

私はある程度の生活必需品とお土産を持って藤川さんが待つワット・タムケーウへ向かいました。半年振りの寺は、何やら騒がしい人の群れ、葬儀場には3月に来た時よりはるかに多い比丘。パンサー期間(安居期)直後で還俗者はまだ少ない様子です。パチンコ屋のような点滅する灯りが式場内いっぱい飾られ、近くでいきなり花火が激しい振動でドーンと打ち上がり、私の他、参列しているおばさん達も身体をビクッとされる驚きよう。金持ちほど派手になる葬式、日本とは違い賑やかに死者を送るのがタイの葬儀でした。

読経の合間、藤川さんが私に気付き手招きして呼びました。日本を出発する数日前に私が出した手紙が「今日(22日)に着いた」と言い、「お前が17日に来る言うから待っとったのに、来んのならコーンケーンに行こうかと思とったんや」と言う藤川さん。

「17日に寺に行く」なんて書いていないし、「ムエタイ取材もあるので寺行くのはその後になります」と書いたのに、どうせ読んですぐ捨てたのだろう。しっかり把握していない藤川さん。ボケた訳ではない、元々大雑把な人なのである。葬儀が終るのを待って藤川さんの部屋に向かいました。

「今日はまだ入門ではなく、荷物を預かって欲しいのですが、来週、僧衣一式買って、春原さんを迎えに行った後、26日に寺に入ります」と言うと、「お前、僧衣売っとるところ知らんやろ、付き合うてやる。24日でええならサイタイマイバスターミナルまでワシを迎えに来いや!」とまた私を利用する藤川さん。

外泊を渋る和尚さんに言い訳作ってバンコクに行きたいだけだろうに、そんな和尚さんの性格話をしたこと忘れているようである。そう言えばコーンケーンに行く予定はどう言い訳したんだろう、まあいいか。実は僧衣はどこで売ってるのか私もよく知らず、アナンさんにも聞きましたが、一人で行くのも心許ないところでした。
あと、和尚さんにお会いして、いちばん大事な得度式の日を決めて貰いました。
「所用を済ませ26日にお寺に入らせて頂きます」と言うと和尚さんは「じゃあ得度式は29日でいいな!」で決定。あと、カメラマンが来ることも了承して頂き、一旦寺を後にします。

帰りのバスの中、窓から見えるバンコクの賑やかさが増すにつれ、何だか怖気づいて来た胸の内。行くのやめようかな。やめたいな。逃げようかな。いや、そんな弱音を吐くわけにはいかん、何度も襲ってくる逃げ腰に、それを忘れるよう脳から振り払いながら、アナン会長宅に帰りました。

◆自分が纏う黄衣を買う!

24日は予定の午前11時前にやって来た藤川さんと合流。私の“タンブン”の昼食後、市内バスでサナームルアン(王宮前広場)近くに向かい、僧衣用品専門店が並ぶ通りのお店で、必要なもの一式揃えました。

ここに来るまでに藤川さんに、僧衣は何色にするか聞かれていて、私は当初からオレンジ色に決めていました。“黄衣(こうえ)”とは呼ぶものの、色彩的にはオレンジ色で、藤川さんが纏っているのが名古屋味噌のような茶色、またゴールド色ぽい僧衣があって主にこの三種が一般的にタイの比丘は纏っています。ミャンマーやラオス、カンボジアに行くとまた違った赤茶系色がありますが、お釈迦様の時代に遡れば、元々は喜捨されたボロギレや死人から剥ぎ取った衣類を縫い合わせて僧衣としていたと言われるのが原点で、そこからサンガ(僧集団)としての僧衣が確立され、“植物を使った着色の過程で黄色っぽい色が幾つかに分かれ落ち着いたのではないかな?”という大雑把な私の知識。古代はこんな鮮やかではなかったでしょう。

見た目はいっしょに見える三衣(さんえ)、左が上衣、中央が肩掛け帯、右が下衣

とにかく私はこのオレンジ色が好きで、これを纏いたくて出家するのである……!何という浅はかな動機。いや、ムエタイに代わるタイで出来ることに加え、“新世界紀行”が影響しており、この鮮やかなオレンジ色はやっぱり魅力でした。

「茶色にせえや!」と人の希望を無視する藤川さんの勝手な発言。近くを歩いていた若い比丘がオレンジ色の僧衣を纏っているのを見ると「ほれ見い、オレンジ色はいつまで経っても新米みたいやなあ、茶色は高僧に見えるやろ、ワシはそれで茶色にしたんや、ワッハッハッハ!」と笑う藤川さん。

私は「こんな悪党みたいな色、絶対纏うもんか!」と心に強く誓いました。買ったのは黄衣2着とバーツ(鉢)、アングサと呼ばれるチョッキのような肌着を入れると四衣になりますが、このチョッキの黄色い毛糸のセーターもあり寒い時期には羽織るようでした。更に巡礼した場合の蚊帳式テントとこれを吊るす傘、寺で使う枕まで買わされる始末。総額3200バーツ。

「重いやろうから帰れ」と言ってくれた藤川さん。こんな重く嵩張る物持って遠いスクンビット通りの藤川さんが泊まる寺まで混むバスと渋滞の中、付添うのは辛いところ、26日の朝11時にサイタイマイバスターミナル集合を約束。「遅刻するなよ」と煩く言われながら別れました。

◆春原さんと合流!

25日夜はドンムアン空港で、私の得度式を撮ってくれる春原俊樹さんを迎えます。滞在中の接待をしてくれるのはムエタイビジネス大ベテランの青島律さんで、空港で久々に会うと、「薬師寺栄子さんも来ているよ」と言う。以前、藤川さんの寺に、町田さんとやって来たのがフォトジャーナリストの薬師寺さんで、同じ便で日本の格闘技記者さんを迎えに来ていた様子。

同時に5人揃い、青島さんの車で移動して食事に御一緒する破目に。私が出家することは皆が知る仲となっていて、ここに集まる取材陣達はタイ関係の狭い日本人社会の中で繋がった縁の人達。誰にも知られず出家するなんて身勝手な話だったかもしれず、「得度式は春原さん以外誰も来なくていいから」と口にしてしまう私も性格悪い奴でした。

28日昼過ぎに春原さんがペッブリーバスターミナルに着けるよう青島さんにお願いして、この夜は解散し、一人で自由な最後の夜を過ごしました。

◆出征の朝!

翌日26日は朝食をジムの選手と共にした後、アナン会長宅に泊まる選手一同も笑顔と応援の声で私を送り出してくれました。アナンさん夫婦と高津広行くんは得度式に参列してくれる仮の親族として寺で再会予定。11月末に日本でデビュー戦を控える北沢勝くんに「デビュー戦勝てよ!」と檄を飛ばしてやると笑顔で「頑張ります!」と応えてくれる北沢くん。これは出征(出家)に怖気付いている自分に対して飛ばした檄で、引きつった笑顔での旅立ちとなりました。

サイタイマイで集合予定の11時を40分も過ぎ、「遅刻するなよ」と言っていた藤川さんが大幅遅刻。正午までに食事の席に着かねばならず、急いで昼食。こんな状況でもすぐ食事出来るのは、藤川さんの思惑にはまっている私のような存在が居るからなのです。

そしていよいよ本格的に戦地(寺)に向かう時間となり、飲み物買ってバスに乗り込み、ペッブリーに向けて走りだしました。

出征(出家)前の朝食時、ゲオサムリットジム仲間と、右からワチャラチャイ、ティーラポン、グルークチャイ、高津広行、その後方が私、いちばん左が日本デビュー戦を控えた北沢勝(目黒)、グルークチャイはすでに2階級制覇チャンピオンで私以外、皆さん後の大物です

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

1994年は例年にない暑い夏でした。昼間、エアコンの無いアパートに居ると、何もしなくてもジワーっと汗が出てきます。

「お前、どうせ仕事も無うて暇なんやろ !」 藤川さんが言った言葉が重く圧し掛かります。人生いちばん暇かと言えるほど、蒸し暑い部屋に居ること多い、確かに暇な時期でした。

やると言ったら後に引けない自分で言い出した出家への道。収入源が少ない中、生活は成り立っていたものの、最短でも3ヶ月留守にする資金は苦しいところ、いよいよ日時は迫り動き出さねばならない状況に切羽詰まっていきました。

◆資金調達

そんな状況の中、アパートを引き払う決断をし、これより13年前に上京した際、お世話になった近くにある母方お祖母ちゃんのアパートへ引っ越しさせて貰いました。

ここは三畳一間でトイレ共同の築40年以上の木造アパート。過去、引っ越す度に少しずつ広く綺麗になっていったのに、上京時に返ったボロアパート。木の窓枠は風が吹く度、ガラスがガタガタ震え、隙間風が入る幼いの頃の家のような古さ。三畳間には、上京後増えた荷物をギッシリ天井まで詰め、地震が来ても崩れないほどの密閉度。ここでは使わない冷蔵庫や洗濯機は暫く外に出させてもらい、何とかスペースを作って布団を敷き、手足を伸ばすことは困難ながら何とか眠れるスペース。

それはタイへ向かう1週間前に引っ越し、数日間は一緒にタイに行く友達のアパートに泊まり、タイ渡航へ備えました。まだ引っ越す前の六畳・三畳トイレ付き2Kのアパートは月43,000円。最大6ヶ月タイでの滞在可能性を考え、この家賃分を浮かせたことになります。

お祖母ちゃんにはタダで泊めて貰った上、旅費を少々借りる親の親不孝者。出家の話はせず、怪しい宗教が多い中では余計な心配は掛けられません。

藤川さんからの贈り物、『得度式次第』

更に横浜で住み込みで働いていたタイの友達2人に、これまた少々お金を借りる罪深いことを重ねてしまいました。

このタイ人たちは、私が以前、タイのルンピニースタジアムでの取材がスムーズに出来るよう手配してくれるなど、お世話になったことがあり、この内の一人は、ラオス国境の街、ノンカイから更に奥地に入った、ブンカーンという町にある実家へ連れていって貰ったことがある仲。「もし機会があったら俺がブンカーンまで行って家族に会って来るから」と約束。

と言うのも、このタイ人たちは、ビザ切れのまま不法就労し、早々に強制送還される訳にもいかない事情あっての横浜在住でした。このタイの友達にも出家の話はした上での借金。更に消費者金融アイフルにまで借りる始末。

何とだらしない旅立ちでしょう。方々に借金したことは誰にも言わず、「お金の無い奴は首の無いのと一緒や」と言っていた藤川さんにもまた煩いこと言われるのは間違いないので言っていません。後々考えれば、この頃には藤川さんは分かっていたのでしょうが……。

◆参考書

『得度式次第』の目次

藤川さんと手紙でやり取りしていた引っ越し前迄に「得度式次第」という本を送ってくれていて、「だいたいの流れだけ酌んでおけ」と言うもので、インドのパーリー語をローマ字表記され、日本語訳がありますが、これで得度式は万全といったものではなく、正に流れだけ酌んでおくだけ。

「経文は覚えなくてもいい」と言われてもある程度、言葉にするであろう経文を頭に入れる必要はあるものの、言うことは出来ても、相手の言うことが聞き取れない恐れがあり、成り行き任せで行くしかないと悟ったところでした。

これはバンコクの有名寺、ワット(寺)・パクナムで修行していたベテラン比丘の渋井修さんが藤川さんに授けた本で、それが私に回してくれたものでした。

藤川さんお勧めの本、『タイの僧院にて』

更に、藤川さんに勧められていた本が「タイの僧院にて」と言う青木保さんの著書で、早速本屋で購入して読むと、昭和40年代に、実際のタイでの出家体験記を書かれたもので、言葉ひとつひとつにその場の空気感が伝わってくる興味をそそる内容でした。

更にもうひとつ、出家に興味を導いていたもので、1989年(平成元年)4月末と5月頭に2週に渡りTBSで放映された新世界紀行の「アジア秘奥三国探検」がありました。放映当初から録画保存したものを何度も繰り返し再生して見るほど興味深い冒険で、剃髪と得度式の様子も映しだされた分りやすい内容でした。

この放送の趣旨は、この年から数えて93年前の明治29年(1896年)暮、僧侶に化けた岩本千綱、山本しん介の日本人二人が、タイのバンコクから舟でアユタヤに渡り、そこから歩いて東北部を北上、ラオスを通り、ベトナムのハノイまで約2000キロメートルを111日に及ぶ、密林大河横断の冒険旅行を、現代の若者二人が挑むという冒険の旅を追っていました。南洋諸国へ移民や経済進出を提唱する南進論が注目された明治20年代、全く事情の分かっていなかった空白地帯を、自らの目で見極めようと旅立った2人の日本人がそこで、不思議な遺跡や人々の暮らしを知ることになるのでした(名古屋章さんの番組ナレーションを引用)。

これも藤川さんのお勧め、”これ買うて読んで勉強しとけ”と言った『ブッダのことば』

「探検旅行のレポーター求む」という新聞広告を見た約2000人の応募の中から選ばれたのが、現代の若者、由井太さんと加山至さんでした。

明治の岩本千綱さんら2人は寺には行きましたが正式な得度はしておらず、ニセ坊主となって旅立ちましたが、現代では法律で罰せられます。そこで本物の比丘(僧侶)となる為、ワット・パクナムの渋井修さんを訪れ、正式に得度式を経て比丘となっています。

虎が出そうな山岳地帯を越え、ラオス国境のノンカイで還俗しましたが、その後もラオスへ渡ってゲリラが出そうな山岳地帯や地雷が残る道を越え、前例のない日本人によるラオスとベトナム間の陸地の国境越えを果たし、各地で93年前と変わらぬ昔のままの姿を見つめ、一部、車での移動や警備隊の同行はあるものの、無事ハノイに到着するドキュメンタリーでした。

これを見た私は「俺もやりたい」と思ったもので、藤川さんに「堀田さんも一度出家してみてください」と言われた直後から、この2人の冒険が頭を過って後押しとなった番組でした。出発前夜は狭い部屋で無理やりテレビとビデオデッキを繋ぎ、再度この番組を見て、仏門生活をやり遂げる決意をしていました。

◆仲間と旅立ち

日本を立ったのは10月15日、たまたまスケジュールが合ったタイで試合する友人であるキックボクサー・伊達秀騎(小国=当時)くんと京成上野駅改札で待ち合わせ、互いに目標を持って成田空港に向かいました。ここ数日間泊めてくれた仲間で、我々2人とも宿泊先は一緒で、以前からお世話になっているバンコクのゲオサムリットジムのアナン会長宅。

そこには同じ小国ジムの高津広行くんもタイでの試合を数戦出場の為、長期滞在中。彼らとはタイで何度も会っており、以前から出家の話は打ち明けられる仲でした。誰にも知られずにと言いながら自ら複数の友人には伝えている状況でしたが、俗人で7名までは止む得ないところ。

この3日後、伊達秀樹くんはノンカイで試合を控え、高津広行くんはこれより先に1試合終えており、私の得度式に参列する準備をしてくれて、更に翌月、試合を控えている身でした。

彼らも日本チャンピオン越え、ムエタイ最高峰を目指し辛い練習を続ける修行の日々。置かれた立場は違うも、修行に向かうのは緊張と不安が行き交う厳しいものと実感する頃でした。

そのノンカイの試合も我が身に気合いを入れる撮影レポートの仕事として、これを終えてから”得度式専門カメラマン”春原俊樹さんを迎え入れ、ペッブリー県の藤川さんが待つワット・タムケーウへ入門準備に掛かります。

借金貧乏旅行の私。この経験を期に今後の人生に役立てれば、”首の無い人間”にはならないだろう。借金返済と、また新たな広くて綺麗なグレード高い住宅物件目指し、本番迫る私でした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

宮越慶二郎はローキックでけん制、更に上下の打ち分け狙って接近したいが、危険なヒジ打ちの気配を感じ、得意の距離が掴み難そう。テーパブットは9月の健太戦で日本人のリズムを掴んだか、第2ラウンドにテーパブットのすかさず放った左ヒジ打ちで眉間をカットされた宮越。傷口がパックリ開く状態から続行はされるも、2度のドクターチェック後、レフェリーストップとなる。

いつ止められてもおかしくない負傷を抱える状況の中、パンチでKO狙ってラッシュする宮越慶二郎

反撃及ばず、傷が悪化しレフェリーが止めた瞬間

ロープに詰めても逃がさない新人のパンチのラッシュが優っていく

伊藤紗弥はパンチが苦手と言うとおり、その手数は少ないが蹴りでは負けない足数と圧力で主導権を維持。ヒザ蹴りでヨーッジンが嫌そうな顔をする瞬間もあり、起死回生のバックハンドブローを放つヨーッジンだがクリーンヒットには至らず。元々ピン級(-45.359kg)のヨーッジンは46.1kgで計量をパスし、46.8kgの伊藤より軽めで、体格差で押された様子もありました。

6月に駿太が新人(=あらと)に僅差で判定勝利していますが、今回も駿太はロープ際に下がり、ムエタイ技(ヒジ・ヒザ中心)狙いか、そのシーンが多く、追う形の新人が好戦的に手数足数多く攻め、判定勝利で王座を獲得。これで日本を越え、世界を目指す段階へ行くか

駿太へ雪辱を果たすべく、積極的に蹴り続けた新人

新人もNJKFに続くWBCムエタイ日本王座を獲得し、更に上位を目指す

第1ラウンドに琢磨の右ストレート気味の攻勢で軽いダウンを喫した浅川でしたが、その後にポイントを巻き返す勢いは足りず、琢磨が判定勝利で王座獲得。

この日、いちばん圧倒して勝った印象が強いYETI達朗はパンチで真樹親太郎を圧倒。第1ラウンドから一気にたたみ掛け、3ノックダウンを奪ってノックアウト勝利。他団体同級チャンピオンを2戦連続で破った勢いは大きい。一旦NJKF王座を白神武央(拳之会)に奪われているが現在、白神が持つWBCムエタイ日本同級王座に、来年2月に雪辱戦となる挑戦が決定しているところで一層の弾みを付けた形。

このところ5連勝、力強さが増したYETI達朗のミドルキック

TETSUROが浅瀬石真司を圧倒していく中でのヒザ蹴りで突き放す

今年、NJKF王座に続き、WBCムエタイ日本王座も獲得した琢磨、右はトロフィーを持つ町田金子ジム会長

浅瀬石は第1ラウンドはローキックでペースを掴んでパンチに繋ぎ、このまま維持できればよかったが、第2ラウンドにヒジで左瞼を切られた後、不用意に右フックを貰ってダウン。主導権はTETSUROが握り、第3ラウンドにパンチで2度、第4ラウンドに1度のダウンを奪う圧倒の中、第5ラウンドも右ストレートでダウンを奪うとレフェリーが試合を止め、TETSUROが新チャンピオンとなる。

◎NJKF 2017.4th / 2017年11月26日(日)後楽園ホール17:00~
主催:NJKF / 認定:WBCムエタイ日本実行委員会、NJKF

◆メインイベント 63.0kg契約 5回戦

WBCムエタイ・インターナショナル・ライト級チャンピオン.宮越慶二郎(拳粋会/62.9kg)
   VS
テーパブット・シット・オブン(元・BBTVスーパーフェザー級C/タイ/62.3kg)
勝者:テーパブット・シット・オブン / TKO 2R 1:56 / ヒジ打ちによる眉間の裂傷によるレフェリーストップ / 主審:竹村光一

◆WBCムエタイ女子世界ミニフライ級(47.627kg)王座決定戦 5回戦(2分制)

WMC女子世界ミニフライ級チャンピオン.伊藤紗弥(尚武会/46.8kg)
   VS
WPMF女子世界同級暫定チャンピオン.ヨーッジン・シット・ナムカブアン(タイ/46.1kg)
勝者:伊藤紗弥 / 判定3-0 / 主審:宮本和俊
副審:竹村49-47. 君塚50-46. 神谷50-46

◆第6代WBCムエタイ日本フェザー級王座決定戦 5回戦

1位.駿太(谷山/57.15kg)vs2位.新人(=あらと/E.S.G/56.8kg)
勝者:新人 / 判定0-3 / 主審:中山宏美
副審:竹村48-49. 君塚47-49. 神谷47-49

◆第6代WBCムエタイ日本スーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.琢磨(東京町田金子/58.7kg)vs3位.浅川大立(ダイケン/58.85kg)
勝者:琢磨 / 判定2-0 / 主審:竹村光一
副審:中山49-47. 君塚47-47. 神谷48-46

激しい攻防の中、パンチの的確さが優った琢磨

両者懸命の打ち合いの中、二つ目のタイトル目指し、積極的に攻めた琢磨

北海道からやって来たTETSUROの王座獲得を祝福する左側の佐藤友則会長も未だ現役

◆70.0kg契約3回戦

NJKFスーパーウェルター級チャンピオン.YETI達朗(キング/69.7kg)
   VS
MA日本スーパーウェルター級チャンピオン.真樹親太郎(真樹・AICHI/69.9kg)
勝者:YETI達朗 / KO 1R 2:43 / 3ノックダウン
主審:宮本和俊

◆NJKFウェルター級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.浅瀬石真司(東京町田金子/66.35kg)
   VS
4位.TETSURO(GRABS/66.2kg)
勝者:TETSURO / TKO 5R 0:23 / レフェリーストップ
主審:君塚明

諦めない浅瀬石真司の反撃、パンチが交錯する両者

尚武会・今井勝義会長も伊藤紗弥と共に歩いて来た世界への道はまだ続く

◆65.0kg契約3回戦

NJKFスーパーライト級1位.畠山隼人(E.S.G/64.3kg)
   VS
NJKFウェルター級3位.山崎遼太(OGUNI/65.0kg)
勝者:畠山隼人 /. 判定3-0 / 主審:神谷友和
副審:中山30-29. 竹村30-29. 宮本29-28

◆バンタム級3回戦

NJKFバンタム級7位.淳士(OGUNI/53.1 kg)
   VS
同級10位.古村匡平(立川KBA/53.1kg)
勝者:古村匡平 / KO 2R 2:01 / カウント中のタオル投入
主審:君塚明

◆フライ級3回戦

J-NETWORKスーパーフライ級9位.松岡宏宜(闘神塾/50.4kg)
   VS
NJKFフライ級6位.一航(新興ムエタイ/50.65kg)
勝者:一航 / TKO 2R 2:49 / カウント中のレフェリーストップ
主審:中山宏美

◆スーパーライト級3回戦

野津良太(E.S.G/63.3kg)vs木村弘志(OGUNI/63.25kg)
勝者:野津良太 / TKO 2R 2:16 / カウント中のレフェリーストップ
主審:神谷友和

蹴りの威力は伊藤紗弥が完全に優っていった

ラウンド進むごとに自信を増して攻め続けた伊藤紗弥

《取材戦記》

「CLIMAX 2017 日タイ超人対決、実現!」は今興行のタイトル。超人とは言い難いところ、テーパブットのヒジ打ちの脅威は見せ付けてくれたメインイベントでした。

伊藤紗弥はミニフライ級で、8月にWMCとこの日WBCムエタイの世界2団体を制し、残りはWPMFだけになりました。アトム級と言われる102ポンド(-46.266kg)は元々主要3団体世界王座には無い階級(ローカルタイトルは地域によって在り)なので、このミニフライ級が今後の適正階級となるでしょう。

二つ目の世界獲得、まだ18歳、日本女子のトップを行く笑顔が可愛い伊藤紗弥

ヨーッジン(Yord・Ying)は、ローマ字表記をそのまま読めば“ヨーディング”と呼んでも仕方ないところ、この選手を招聘した主催者がどう読むかで発表される表記になってしまう場合が多いでしょう。なるべくなら発音を聞いて英語表記を比べて見る方が正確になると思います。特にタイ人氏名は、なるべくならタイ語が読めると完璧。発音を聞かなくてもタイ文字だけで読めます。あとは日本語では末子音が無いと不自然な言葉になってしまうので、末子音を加えると“ヨードジング”となってしまいますが、これもタイ語的には正確とは言えない発音になってしまいますので、末子音を省いて“ヨーッジン”になります。このYはJ発音になる場合があるので、“ヨードイング”ではなく“ヨードジング”になります。“日本”をタイ語で“yiipun”と言いますが、“イープン”ではなく、“ジープン”と呼びます。タイ東北部やラオスに行くと“イープン”と呼びます。

この日のリングアナウンサー、コンタキンテ(今田景一)さんが“ヨージン”と呼びましたが、発音はともかく、正確なコールをするよう、ある専門家から教示があったと思われます。

WPMF世界ピン級暫定王座獲得時は“パヤックジン・シットモエサヤーム”になっていますが、リングネームなので、時折“ヨーッジン・シットナムカブアン”で出場もあるようです。

この日、他の興行でも全く別の国内タイトルマッチがあったと思いますが、それぞれが関係者と友人集めてやっているような興行で、来年以降、どう改善していくか、それぞれの団体が考えていかねばならない時代に突入していくでしょう。「KNOCK OUTイベントに世間の注目が集まるだけではいけない」と対抗策を考える既存の団体関係者も多いようです。

NJKFの年内最後の興行は12月3日(日)、岡山で拳之会主催興行が行なわれます。
2018年初回興行は、1月14日(日)誠至会興行が大阪市旭区民センターで行なわれ、2月25日(日)にはNJKF本興行が後楽園ホールで開催となります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

幸太vs 石川直樹。石川の猛攻でスタミナ、バランス失い崩れる幸太

離れても組んでもヒザ蹴りで圧倒した石川直樹

5月14日のノンタイトル戦で幸太のパンチで苦戦し、調子付かせてしまった石川直樹は、今度は首相撲からヒザ蹴り地獄でねじ伏せる圧勝。

第1ラウンドは幸太のパンチが優勢。このまま引きずれば幸太のリズムで勝利を導きそうな中、第3ラウンドから石川は戦法を変え、得意の首相撲からヒザ蹴りにもっていくと流れが大きく変わり石川が優位に立つ。第4ラウンドはそのピッチを上げ、ヒザ蹴りの猛攻で2度のダウンを奪って圧倒のノックアウト。首を掴まれてのヒザ蹴りに為す術が無かった幸太はランキング戦から出直しとなる。

瀧澤博人は王座陥落後、この日の再起2戦目は引分けるも、技を酷使した好ファイトを展開。初回から長身を利した左ジャブと前蹴りけん制し、距離が縮まっても突き上げるようなヒザ蹴りを背の低いウィラポンレックの顔面を狙う。パンチ中心に多彩な蹴りとスピードを持つウィラポンレックとの距離の掴み合いでクリーンヒットは少ないが技の攻防が随所で観られた試合。

NJKFからやって来たNAOKIは7月2日にNJKFライト級王座奪取したばかりで、過去、梅野源治と引分けているヨーペットと対戦も攻略できず完敗。技の柔軟さ、蹴るタイミング、組めばヨーペットのバランスの良さでヒザ蹴りへの繋ぎも速いヨーペットが優りました。

◎KICK Insist.7 / 2017年11月19日ディファ有明15:30~20:05
主催:ビクトリージム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆メインイベント 日本フライ級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.石川直樹(治政館/50.6kg)vs 挑戦者1位.幸太(ビクトリー/50.8kg)
勝者:石川直樹 / KO 4R 2:28 / 10カウント / 主審:仲俊光

石川直樹初防衛。治政館ジム長江国政会長(左)と新日本キック伊原信一代表に囲まれての勝利のショット

◆56.0kg契約3回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/56.0kg)
   vs
ウィラポンレック・ギャットゴーンプン(元・タイ北部フライフ級C/タイ/54.8kg)
引分け / 0-1 / 主審:椎名利一
副審:桜井29-30. 仲29-29. 宮沢29-29

瀧澤博人vsウィラポンレック。至近距離からのヒザ蹴りが上手かった瀧澤博人、技が冴える試合が続く

引分けながらツーショットに収まるウィラポンレックと瀧澤博人

◆62.5kg契約3回戦

NJKFライト級チャンピオン.NAOKI(立川KBA/62.5kg)
   vs
ヨーペット・JSK(タイ/62.0kg)
勝者:ヨーペット・JSK / 判定0-3 / 主審:和田良覚
副審:椎名27-30. 仲29-30. 宮沢27-30

NAOKIvsヨーペット。ヨーペットのバランスいいハイキック

◆63.0kg契約3回戦

日本ライト級1位.永澤サムエル聖光(ビクトリー/63.0kg)
   vs
夢センチャイジム(センチャイ/62.8kg)
勝者:永澤サムエル聖光 / 判定2-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 仲30-29. 和田30-29

永澤サムエル聖光が僅差ながら夢センチャイジムに勝利

◆68.5kg契約3回戦

日本ウェルター級1位.政斗(治政館/68.2kg)
   vs
ピラポン・ギャットアノン(タイ/67.0kg)
勝者:政斗 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名30-29. 桜井29-28. 仲30-29

政斗がピラポンに判定勝利

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.1kg)
   vs
J-NETWORKミドル級10位.小原俊之(キングムエ/72.2kg)
勝者:小原俊之 / TKO 3R 2:51 / ハイキック / 主審:和田良覚

小原俊之が今野顕彰をハイキックで倒しTKO勝利

NJKFからやって来た村中克至、ハイキックでダウン奪って直闘に判定勝利

馬渡亮太がベテランの阿部泰彦に僅差の判定勝利

◆61.5kg契約3回戦

日本ライト級2位.直闘(治政館/61.35kg)
   vs
NJKFライト級2位.村中克至(ブリザード/61.0kg)
勝者:村中克至 / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:仲28-29. 宮沢28-29. 和田28-29

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.阿部泰彦(JMN/54.8kg)
   vs
日本バンタム級4位.馬渡亮太(治政館/54.8kg)
勝者:馬渡亮太 / 判定0-2 / 主審:椎名利一
副審:仲29-30. 和田29-30. 桜井29-29

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級7位.櫓木淳平(ビクトリー/56.8kg)
   vs
角チョンボン(CRAZY WOLF/56.3kg)
勝者:角チョンボン / 判定0-3 / 主審:宮沢誠
副審:椎名28-29. 和田29-30. 桜井29-30

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級5位.田中亮平(市原/54.6kg)
   vs
高橋茂章(KIX/54.8 kg)
勝者:田中亮平 / 判定3-0 / 主審:仲俊光
副審:和田30-28. 宮沢30-28. 桜井30-28

角チョンボン、判定勝利(左)。田中亮平、判定勝利(右)

◆フェザー級3回戦

金子大樹(ビクトリー/57.0kg)vs 渡辺航巳(JMN/57.0kg)
勝者:渡辺航巳 / TKO 2R終了 / 金子の負傷による棄権
主審:椎名利一

◆フライ級3回戦

細田昇吾(ビクトリー/50.6kg)vs 平野翼(烈拳會/50.1kg)
勝者:細田昇吾 / TKO 2R 2:20 / 主審:仲俊光

渡辺航巳、TKO勝利(左)。細田昇吾、TKO勝利(右)

◆ミドル級2回戦

徳王(伊原/72.4kg)vs 都築頼秋(ダイケンスリーツリー/71.6kg)
勝者:都築頼秋 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

◆61.5kg契約2回戦

林瑞紀(治政館/61.5kg)vs 梅木裕介(トーエル/61.1kg)
勝者:林瑞紀 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

◆70.0kg契約2回戦

高橋デミアン(伊原/69.8kg)vs RYOTA(トーエル/69.9 kg)
引分け 0-1 (19-20. 19-19. 19-19)

《取材戦記》

最終試合の石川直樹の首相撲からガッチリ固めてのヒザ蹴り猛攻は、“ヒザ蹴り地獄”と言えるものでした。昨年10月23日、泰史をTKOに破り日本フライ級チャンピオンになった後、今年1月11日、ブンピタックにムエタイ技の壁に阻まれ完敗。5月14日には幸太と引分け、今回は真価を問われる初防衛戦を、メインイベントを飾るに相応しい圧倒のノックアウトとなって株を上げた石川直樹、まだ初防衛したばかりで、遠慮がちなマイクアピールの中、「防衛を重ねて世界を目指したい」と語りました。目指す“世界”もいろいろある訳で、険しい道となろうとも群集が認める最高峰を目指していって欲しいものです。

新日本キックボクシング協会にとっては最後のディファ有明となった今回の興行。老朽化もあるようですが、東京オリンピックの拡張工事に備え、来年6月末で閉鎖が決定しています。最終興行が何であるか分かりませんが、格闘技興行でなくても最後のイベントでディファ有明の最後を見届けたいものです。

リング上の勝者のクローズアップ撮影は主に、次回興行のポスター、パンフレットの対戦カード、各媒体での対戦者同士の並び写真等に使用する目的で撮られるもので、また単に勝者がデータ上で分かるように撮る場合もあるでしょう。せっかくファイティングポーズを撮ったのに、使わないのも勿体無いので選手の存在を活かし、勝者ポーズを載せられる範囲で用意してみました。微力ながら顔が売れてくれればと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

笑顔が優しく、人気あるシーザー武志さん

熱く語るシーザー武志さん

今、キックボクサーの昔話が面白い。マニアだけでなく、聴けば試合や時代背景などの語り口に、はまってしまう人多いでしょう。

格闘技専門誌の名門、月刊ゴング誌編集長だった舟木昭太郎さんが毎度、名選手を招いて行なわれる「トークとオークションの午後Part.11」が10月28日に銀座で、シーザー武志さんをお招きして開催、「シーザー武志の日2」として昨年に続く2回目の登場となりました。

お話は主にキックボクシングデビューの頃のエピソード、佐山聡氏との出会い、息子さんの王座獲得やRENA、MIOの活躍など、時代の背景とともに懐かしい話題で盛り上がりました。

MIOも活躍中、期待を掛けるシーザー武志さんとツーショット

多くを語ったシーザー武志さん、左は主催者・舟木昭太郎さん

◆デビュー戦から舟木さんの目に止まる存在!

シーザー武志さんは本名・村田友文、1955年(昭和30年)生まれ、1972年(昭和47年)に大阪西尾ジムからキックボクシングデビュー。1982年3月には日本ウェルター級王座獲得。

デビュー当時はまだ17歳、そのデビュー戦は敗れるも、好ファイトを展開したことで、この日の司会者の舟木さんは、
「コーナーに追い詰められる窮地にさらされても頑張っていて、それが凄い印象に残って小さなコラムに書いたんですよ。」と語ります。

シーザーさんは「その何行か書いて頂いたことが凄く嬉しくて、その載ったゴング誌を20冊ぐらい買って家族や親戚に配ったことが思い出されます。ずっと諦めない気持ちでやって来ました。90戦あまり試合して、引分けが30戦ぐらいあるんですけど、私がいちばん引分けが多いんじゃないかな」とあまり知られぬエピソードも語り、当時を振り返りました。

1983年当時のシーザー武志さん、この頃からシュートボクシングを興す思想が芽生える

舟木さんに、「顔が全然崩れていないね」と聞かれると、「痛けりゃすぐ倒れるから・・・、右からヒジ打ち食らって鼻が曲がって、左からヒザ蹴り食らって元に戻りました」と笑いを誘うジョークもありました。

シーザー武志さんのデビュー当時は活字の誌面としてのゴング誌は貴重で、ゴング誌に載ることが選手にとって憧れと誇りで、当時の選手は皆そんな想いを持っていただろうと思います。

キック創生期は浅草公会堂でキック興行をやっていた時期がありました。当初は舞台だけが屋根があり、客席は野外となり原っぱのような(土の地面)状態だったといいます。お客さんは少なくて、後にテレビ放映が始まってブームとなり、沢村忠のタイトルマッチでテレビ視聴率が35%以上いくと、権之介坂のガラス張りの目黒ジムは歩道いっぱいに人だかり。それに対し西尾ジムは目黒ジムのカマセ犬みたいな存在で、シーザー武志さんはそういう目黒の強い、有望な選手と当てられて負けが込むも、その中で辛抱してきた選手でした。そんな忍耐心がその後、シュートボクシングを始めても不振が続いても諦めない、継続力に繋がっていきました。

これは昨年の1枚より、ミッキー鈴木、アトム鈴木兄弟も当時目黒ジムで、ライバルながら指導を受け、「二人は私の師匠」と言うシーザー武志さん

盛り上がる会場でオークションを眺めるシーザー武志さん

◆佐山聡との出会い!

「力道山は尊敬するほど好きだったけど、後のプロレスはあまり見ませんでした。キックボクシングが下火になり、興行もほとんど無かった頃、佐山聡の知り合いから“UWFの試合を観に来てくれ”と誘われて観に行ったら佐山聡に会うことになり“シーザーさん、蹴りを教えてくれませんか?”と言われて、ちょうど暇だったので、タイガージムへ教えに行くようになりました。そこで、前田日明と山崎一夫と高田信彦に“練習いっしょにいいですか?”と言われて教え始めたのがUWFとお付き合いする切っ掛けでした。前田は以前、空手をやっていたので、その棒蹴りの癖はなかなか直らなかったですね。いちばん上達が早かったのは佐山聡で、彼のパワーは凄かったですね。以前にもキックをやっていた経験があるので、蹴り方を覚えていて、教えたことは更に上手く習得していきました。いちばんダメだったのが高田信彦で彼は蹴りはやったことなかったから。その代わり、彼の偉いのはみんな練習終わっても、ずーっと蹴りの練習していましたね。だから後々にはかなり上達しました」と裏話あり、そこでシーザー武志さんが教え始めたことで皆、蹴り技が上手くなっていきました。

その後、佐山聡氏が1984年にシューティング(現在の修斗)を創設し、その影響から翌年にシュートボクシングを設立に至り、興行を充実させ、シーザー武志氏も本来の実力を発揮、WSBAを設立し、日本と世界のホーク級チャンピオンに君臨しています。引退後は選手育成に力を注ぎ、緒方健一をはじめ、多くの名選手が生まれて来ました。

◆現在のスター!

今年の9月16日には息子さんである村田聖明(22歳)がキャリア16戦目で初のタイトル挑戦となるSB日本スーパーフェザー級(-60kg)王座決定戦に出場。池上孝二(フォースクワッド)に判定勝利で王座奪取しました。「本当は格闘技やらせたくなかったですけどね。“デビューしたからにはジムや会場などの協会管轄下では親子の関係ではないぞ”と告げました。たまにジム行くのがいっしょの時間になると、“いっしょに車で行くか“と言うと“僕はバスで行きます”と返されるとちょっと寂しい思いがする時があります」と親心の一面も見せ、チャンピオンになった時は「協会の会長として感情出しちゃいけないと我慢していたんですけど、“お父さん、お母さん、今日まで育ててくれてありがとうございました”と言われた時は、耐え切れなくて涙流してしまいました」と心中を語りました。

紆余曲折を経て、人脈多く周囲の人達に支えられて32年続いたシュートボクシングで、「感謝の気持ちを忘れず続けていきたい」と語りました。シュートボクシングは香港の支部も出来、12月にはMIOも出場する興行があるようです。

RENAは総合格闘技にも進出している現在。「幼い頃からお姉さんにいじめられて反発し、喧嘩ばかりしていたようで負けん気が強い。普通、男でも倒れた相手の顔なんて踏めないもんだけどRENAは平気で踏むからね。そんなRENAの後を追いかけるMIOも、また違った戦略で世界進出させたい」と語るシーザー武志氏でした。
そんなシュートボクシングのビッグイベントが来週行なわれます。

「SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT-GROUND ZERO TOKYO 2017」2017年11月22日(水)東京ドームシティホール17:30~

「SHOOT BOXING BATTLE SUMMIT-GROUND ZERO TOKYO 2017」
2017年11月22日(水)東京ドームシティホール17:30~

SB&RISEヘビー級チャンピオン.清水賢吾(極真会館)
vs
元・パンクラス・ウェルター級チャンピオン.三浦広光(SAMURAI SWORD)

4人の選手参加によるSB日本スーパーライト級(-65kg)王座決定トーナメントでは、海人(TEAM F.O.D)vs憂也(魁塾)、健太(E.S.G)vs高橋幸光(はまっこムエタイ)がそれぞれ準決勝戦で、ワンデートーナメントによる決勝戦が行なわれます。

深田一樹(龍生塾ファントム道場)vs笠原弘希(シーザー)戦、MIO(シーザー)vs ペッディージャー(タイ)戦、他にシーザー武志さんの息子さん村田聖明(シーザー)も出場決定しています。

《取材戦記》

シーザー武志さんがデビューした1972年(昭和47年)頃は創生期から少し時代が流れた頃で、稲毛忠治、松本聖、田畑隆など次の時代のスターが多くデビューした頃でした。

トークショーは限られた時間で一部のエピソードを拾ったもので、物足りなさは感じるところがイベントとして丁度良く、こういう昔話を掘り起こして、他の昭和の名選手からも深イイ話を生の声で聴けることを、今後のトークショーに期待したいところです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

 
初対面となる私の知人との紹介が続く藤川さんの旅の途中、私以外の世話人も同様に藤川さんに紹介され友達の輪が広まったことでしょう。これが藤川さんの思惑で、延々続いていくのです。

◆春原さんと御対面!

11時少々回って巣鴨駅改札で御対面。春原さんは「初めまして、春原(すのはら)と申します」と比丘に対するには上手くないワイ(合掌)をして御挨拶。

「話は聞いとるよ、ほな行こか!」と予定していた方向の、とげぬき地蔵商店街へ歩き出す藤川さん。先行く藤川さんの後方で、「言うの忘れてましたけど、比丘は挨拶を返さないので悪く思わないでください」と後ろを歩く間に春原さんに伝えました。

私がタイのお寺で藤川さんと再会した時も、昨日の習志野ジム宿舎での朝の挨拶も、藤川さんはちゃんとした挨拶を返していません。私も最初は違和感がありましたが、比丘は俗人に対し、挨拶を返す必要が無いので、その事情を聞いて初めて理解しました。それは一般的に正しくないかもしれませんが、そういう仕来りの下、仏門の日常があると把握しておかねばなりません。

「ああそうなんだ、聞いておいて良かった」と春原さん。

藤川さんは歩きながら春原さんに気さくに話しかけ、「普段どんな所行っとるん?辰吉は眼悪うしたやろ、まだ試合はやれるんか?」と、春原さんの仕事に合わせた会話を続けてとげぬき地蔵尊近くのレストランを見つけ、早速入りました。

11時開店の様子でサラリーマン客はまだ居らず、お参りに来てたおばちゃんたちが数人いる程度の空席が目立ちました。“3名様”を呼ばれてテーブルに着き、藤川さんは「何でもええから注文して!」と自分からメニューを見ず、我々が気を利かせステーキや中華、焼き魚類の定食を3人前、刺身の盛り合わせを1皿注文。合計で4000円ぐらい。

さて誰が払ったでしょう?いちばん年上の藤川さん、二人の仲介役の私、この場でいちばん金持ち春原さん、あるいは割り勘! あるいは……!?

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

◆日本のレストランで見た仏教の習慣!

おばさん店員さんによって運ばれて来るお盆に載った定食をまず春原さんに「このお盆のまま藤川さんに手渡ししてください。テーブルに置いたままでいいですから」と最初から手渡しの儀式をお伝えしました。

「比丘は勝手に食べ物に手を付けてはならず、俗人から手渡しされたものしか手を付けてはならないので、今後、藤川さんや私に対し、タイで同様の機会があるかもしれないので、覚えておいてください」と生意気にも少し年上の春原さんに指導する私でした。

「面倒な儀式でしょ! つい忘れると藤川さんは小声で“オイオイ”と呼んだりヒジで突くんですよ、腹立つときは放っておいてやろうかと思いますよ」と私が言うと、ひとつひとつの発言によく笑ってくれる春原さん。

食事中突然、厨房からひとりの大学生風の女の子がやってきました。ミャンマーから来ている留学生で、このお店でアルバイトをしていて「料理をタンブンさせてください」と言う留学生。この子の支払いによる喜捨です。

それを受け入れた藤川さんは「手を出して!」と言って、留学生の手の平に、仏陀のお守りをポトンと落とし授けました。ワイをして感謝する留学生。彼女にとって徳を積む機会となったのです。個人の信心深さによりますが、これは珍しいことではなく、日本では徳を積む機会の無い信心深い東南アジア系の仏教徒は、黄衣を纏った比丘を見つけるとどこだろうと進んで喜捨に向かいます。周りのお客さんは不思議そうな表情。

1時間も喋っていると昼を回り、サラリーマンを主に満席になってきて、春原さんが「喫茶店に移動しますか」と言って立ち上がりレジに向かいました。比丘を除く我々2人分の代金を払おうとすると「あの子が払いましたよ」と厨房を指差すレジのおばさん。

春原さんが「お坊さんには喜捨でいいけど、我々は一般人だから」と言っても「全部お坊さんへのタンブンですから御心配なく」と厨房からさっきの留学生が笑顔で応えました。春原さんと私は「申し訳ない、我々の分まで」と恐縮ながら、留学生に“我々流”に御礼を言って出て来ました。

店を出た後、藤川さんが「あの子、時給800円ぐらいかな、飯代が4000円ぐらいやったやろ、ワシらの為にあの子は5時間ぐらいタダ働きや、申し訳ないと思うやろ、4000円言うたらタイでは一般的な2~3日分の日当やな(1994年当時)、そやから一層修行して世間に還元していかなならんのや、回りまわってあの子にも還っていくんやから」と言う言葉が重かった。“奢り”ではない、この留学生の信心深さに責任を感じる我々でした。

藤川僧と春原さん (1994.6.29)

巣鴨駅前にて。私と藤川さんのツーショットを春原さんに撮って貰う(1994.6.28 撮影=春原俊樹)

◆経験値で仏教を諭す!

喫茶店に場所を移し、もっと雑談続ける我々。藤川さんの話は人としての真っ当な生き方論ではなく、己の経験話。俗人の頃、一時出家の頃、現在と波乱万丈の話は尽きません。

「好き勝手生きてきたワシのような生臭坊主、絶対悟りの境地に達することないやろうと思うんや、何でか言うと、今だに夜中眼っとっても裸で寝とる女に喰らい付いていく夢見ますんや、ハッハッハッハ!」。

「お坊さんと言っても男ですからねえ」と春原さんも納得の大笑い。

「藤川さんはこんな感じで手紙でも面白いこと書いてくれるんですよ」と私が言うと、藤川さんは「こいつなあ、“面白い手紙期待してます”って書いてよこすんやけど、ワシはタイのお寺で、吉本の芸人の修行しとるんやないんやで! 仏道の修行しとるんやで、敵わんな、ワッハッハッハ!」とまた笑わす。

春原さんには「比丘が人前で大笑いしたり、長話ししてはダメですよ」と駄目出しをして欲しかったところ、こんな話聞いていれば春原さんは笑ってばかりで凄く楽しそう。

「寺の様子見るのが楽しみになってきました。もちろん藤川さんも凄い真剣になるんでしょうけど、そんなギャップも見たい」と、ボクサーの試合とプライベートの違いを覗くようにビジネス魂が出る春原さん。

私が「今日、春原さんに来て頂いたのは、私の得度式の撮影をお願いしているので、なるべく撮りやすく出来るよう前もって藤川さんにお会いして頂きたかったんです。月の上旬は春原さんが忙しいので、私は10月中旬以降に寺に入って得度式は月末までにお願いするかと思います。」と藤川さんにお願いすると、
「お前、どうせ仕事も無うて暇なんやろ、10月なんて言うとらんと来月頭にでも来い!」と人のプライド傷付けるようなことを言う。しかしよく喋るなあ、アッシーへ、練習生へ、春原さんへ。「もう京都へ行ってくれ!」とは私のひとりごと。

◆最後の準備へ!

出会いから合計3時間ぐらい話し充分仲良くなった頃、春原さんはそろそろ編集部へ向かう時間です。藤川さんは娘さん夫婦が居る故郷の京都へ向かう為、我々は東京駅へ、春原さんは「今日は凄い楽しかったです。ありがとうございました。ではまたタイでお会いしましょう、お気をつけてお寺まで帰ってください」と手を振って職場へ向かわれました。藤川さんに飲み物だけ渡し新幹線に押し込み、ようやく解放。あとは10月に向け、アパートの家賃や旅の予算を蓄えに最後の準備に掛かります。藤川さんは日本滞在期間、京都で同様に友達の輪を広げていることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

10ヶ月ぶりの対話。藤川僧と立嶋篤史(1994.6.27)

本当に東京に来やがった藤川のオッサン。だんだん私の言葉使いが汚くなったのもこの頃から。まあ私の出家に関わるお願い参りの御奉仕であり、お付き合いはしたものの、好き勝手言うジジィに、この頃から心の中で「藤川クソジジィ」と呼んでいる私でした。まだ御本人には「藤川さん」と呼んでいましたが……。

◆ アッシーと再会!

習志野ジムに着くと中へ藤川さんを御案内。先に来てジムを開けていた、このジムでトレーナーを務めるメオパーとサッカセームレックというタイ選手2名は、さすがに信心深く跪いてワイ(合掌)をしました。やがて他の練習生や樫村謙次会長もやって来ました。前もって会長に連絡をお願いしておいたアッシーも後からジムに到着、ドアーを開け入って来ると二人はどちらがともなくニッコリ笑顔で10ヶ月ぶりとなる再会。アッシーとしてはもう忘れかかっていたかもしれないが、会うことが出来なかったタイでの試合後、そんな空間を埋めるような捲くし立てる会話が続きます。

この1年間で藤川さんはまた坊主に戻る人生の節目、アッシーはあれから5連勝中の日本ではトップの立場。もちろん本人はトップのつもりはなく最高峰へ向けてのまだ低い通過点でも、キック界は彼に注目の時期でした。“対話”を1時間ぐらい続けた二人。一般的ではないアッシー特有の立場に対する苦言や激励となる説法は何だったか、藤川さんのお店の時同様、私は居るだけでほとんど聞いてなかったですが、キック界初の“年俸1200万円”のアッシーに対し、若くしてトップにのぼった人間がその後どうやって生きていくか、そんなクドい説法をしたのかもしれません。

嫌な顔はせず笑顔も溢しながら対話を続けたアッシーくん、こんなクソ坊主に付き合ってくれて有難う。心新たに今後のキック生活に役立ってくれればいいと思いつつ写真を撮り、少し練習風景を見た後、メオパーに「今日は泊まっていけ」と誘われ、習志野ジム宿舎となる近くの2Kアパートへ移りました。明日昼近く11時頃に巣鴨で春原さんと会う予定で、私にとっては自分のアパートまで一旦帰るより、ここに泊めてもらった方が大助かり。

アパートに移動中、藤川さんが「アッシーは以前タイで話し合った時と少し感じが違ったなあ、タイで会った時の方が素直で純粋な感じを受けたんやが」。

私は「それはタイで羽目外してた時と、普段キツイ練習するジムに来るのとでは接し方が違いますよ。今日は来客者の藤川さんとの対面でもあるし、来月は試合が控えた身ですからジムに来るのは気持ちが違いますよ」。

藤川さんは「そうか、まあワシの思い過ごしならそれでいいんやが。とにかくまた落ち着いたら、また来年会うとしたらどう成長しとるか楽しみやな」。

次回はゆっくりと、再会約束もしたようでした。

初のツーショット、残念ながら俗人時代のツーショットは無い。髪ある藤川さんを撮っておけばよかった(1994.6.27)

◆ タイ人の習慣

メオパーらは夕食の準備に掛かります。なかなか器用で調理が上手いタイ風料理。藤川さんが居る前で我々の食事が用意され「ハルキもこっち来い!」と食卓に招きます。藤川さんは片隅でお茶だけ差し出されて飲みながら座って見ているだけ。
メオパーもサッカセームレックも、ここに泊まっている17歳の練習生も普通に夕食を摂ります。私はちょっと藤川さんを気にしつつも、腹減ってるので遠慮なく頂きました。

藤川さんには目もくれず、「御代わりあるぞ、いっぱい食え!」と練習生と私に勧めるメオパー。比丘がいても何も遠慮はしません。藤川さんにとってはタイでは入る機会のない“湯舟に浸かる”風呂も使わせて貰い、寝床は三畳間にひとつだけベッドがあり、メオパーはそこを藤川さんに譲りました。

翌朝、メオパーとサッカセームレックはムエタイ関連の仕事の為、アパートを出て行きます(彼らは興行ビザで来日し、試合とトレーナー業をメインに務めています)。その前にメオパーは藤川さんのベッド脇に朝食を用意し、「これから仕事に行ってきます。ごゆっくりしていってください。この先良い旅になりますように」と言ってサッカセームレックと二人でワイして仕事に向かったそうで、私はちょっと遅れて目覚めて朝食を摂る藤川さんに「おはようございます」と挨拶し、「ウン」としか言わない返答の後、そのメオパーらの様子を聞きました。

朝食後、「それに比べてお前は何や、昨晩ワシの前で堂々と飯食いやがったな、冷たいやっちゃなあ、覚えてろ、ヘッヘッヘッヘ!」と、冗談ではあるが、私を困らせるのが趣味になってきた藤川さん、意地悪いクソ坊主である。

ここに泊まっていた17歳の練習生は学生だったかアルバイトしていたか忘れましたが、この日は休日でアパートに残っていました。それをいいことにまた説法を始めた藤川さん。まだ喋り足りなくてストレス発散しているのが見え見えです。身に成る話であっても、聴かされる方は鬱陶しいことこの上ない為、長居しては彼が気の毒と察し、早々に出かける準備を済ませ、私が練習生に御礼を言って藤川さんとこのアパートを出発。

昨日のアッシーは藤川さんと言葉のキャッチボールをして対話となっていたものの、今日の17歳練習生は説法の問いかけに、「ハイ、ハイ、」とただうなずくだけ、どれだけ飽きて退屈で「いつまで続くんだろう」と思ったことだろう、ちょっとの時間ではあったが、せっかくの休日に申し訳ないことをしたなあと、私一人反省。

名トレーナーとスリーショット、左がサッカセームレック、右がメオパー(1994.6.27)

◆ 元営業マンの発想

今日がいちばん会って欲しい春原さんとの初対面。時間も若干早く、八千代台から巣鴨を通過し、池袋のビックカメラ辺りまで連れて見て周りました。

私は日頃の単なる買い物の街、藤川さんの目には「この辺の建物と土地は売るなら幾らかな!」なんて言い出す、さすが元地上げ屋の血が騒ぐ発想。しかし比丘の身で何たる発言か。

更に藤川さんは、「昔、関東大震災が起きて焼け野原になった時、この駅前周辺の土地に “この土地は○○の物”と書いた看板立てて復興前に自分の土地にしてしもうた奴が居って、いいかげんな役所の判断のまま今の池袋駅前の区画が決まったんや」と言い出す。「それ本当ですか?」と私。上岡龍太郎のウソかホントかわからん話に笑福亭鶴瓶が「そんな訳あらへんやろ!」と突っ込むようなネタに似た笑い話。

「お前ももし今度、関東大震災でこの周辺が崩壊したら真っ先にこの辺の土地に看板立てて有刺鉄線張って“ここは堀田の物”と書いて奪ってしまえ、一気に億万長者やぞ、ワッハッハッハ!」

まずこの時代の鉄筋高層ビルが建つ中、また関東大震災が起きてもそんなこと成り立たない。しかしそんな発想が浮かぶこと自体、私には無い知恵である。このジジィやっぱり凄い。

やがて11時頃に会う約束してあるワールドボクシングの春原さんと昼食を共にする為、巣鴨に戻りました。私の得度式の為、タイの寺に来て頂く訳ですが、こんな生臭坊主に春原さんはどんな駄目出しを入れてくれるのでしょう。何かワクワク感が沸いてくるのでした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!

リティグライ(右)のミドルキックは読み辛い上手さがあった © 岡山ジム

過去3回、岡山ジム興行は、首都圏イベントに負けないビッグマッチを続けました。2014年9月28日、倉敷山陽ハイツ体育館で第1回興行が行われ、タイ国ラジャダムナンスタジアム認定ウェルター級タイトルマッチを開催、外国人チャンピオン、ジョイシー・イングラムジム(ブラジル)にWPMF日本ウェルター級チャンピオン.田中秀弥(RIKIX)が挑むも判定で敗れ去りました。

2015年9月20日、第2回興行では、WPMFダブル世界タイトルマッチを行ない、スーパーフェザー級で町田光(橋本)が、ミドル級でT-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)が、WPMF世界王座奪取に成功。

2016年10月9日、第3回興行では、WPMF三大世界タイトルマッチという豪華版となって町田光(橋本)と宮元啓介(橋本)が激闘を勝ち抜き、町田は初防衛成功、宮元はWPMF世界スーパーバンタム級王座を奪取しました《翔センチャイジム(センチャイ)はWPMF世界ライト級王座奪取成らず》。

そして本年10月15日の第4回興行、メインクラスでは岩浪悠弥(橋本)と地元の女子トップファイター、白築杏奈(138 KICKBOXING CLUB)がWPMF世界王座挑戦に至り、タイ国二大殿堂のひとつ、ルンピニースタジアム王座に、勝ち上がるのは難問ながら、そのルートが敷かれるルンピニージャパン2階級王座決定戦、その他アンダーカードでは、天才児と名高い2名の安本晴翔(橋本)と中村龍登(橋本)が出場しました。

リティグライ(左)が得意のミドルキックで岩浪悠弥を攻める © 岡山ジム

前日計量は岡山・水島ジムで行われ、プロフェッショナルの部、全員が一回目の計量でパスしています。

タイから、タイ国プロムエタイ協会副総裁、WPMF副会長のブンソン・クッドマニー陸軍大佐が立会人として招聘されてのビッグイベント。ブンソン大佐はタイ国のムエタイ競技ルール、レフェリーの最高権威の方です。

◆リティグライvs岩浪悠弥

岩浪のハイキックがヒットする場面もありつつ、リティグライのタイミングいいミドルキックのヒットが主導権を支配し、完封に近い流れでフライ級に続き2階級を制覇。

◆ノーンビウvs白築杏奈

ノーンビウは初の海外試合で15歳という若さのせいか本来の動きに持っていけず、白築のムエタイ対策と闘志が上回った展開でした。白築が王座奪取。試合後、控室でノーンビウは会長である父親に思いっきり引っ叩かれており、ムエタイ特有の厳しさが現れていたようでした。ノーンビウ陣営は強く再戦を望んでいる様子でした。

白築杏奈vsノーンビウ。白築(左)の積極的な試合運びが勝利を掴む © 岡山ジム

◆翔貴vs田中将士

首相撲からパンチの激しい打ち合いの後、翔貴の強烈な右ハイキックで田中将士は頭から崩れ落ち立ち上がれず。翔貴が王座獲得。

翔貴vs田中将士。翔貴(右)が右ミドルキックで攻め、次の技へリズムを掴む © 岡山ジム

◆喜入衆vs橋本悟

第2ラウンドに橋本の右ストレートで喜入がダウン。その後、激しい打ち合いを展開しながら僅差のラウンドを支配した喜入が2-1の勝利となりました。喜入衆が王座獲得。

橋本悟vs喜入衆。僅差で勝利した喜入衆(右)、内容は激しいものだった © 岡山ジム

安本晴翔vsラムブーンチャイ。評価が高かった安本(左)の攻勢 © 岡山ジム

安本晴翔vsラムブーンチャイ。安本が勝利を掴む © 岡山ジム

◆ラムブーンチャイvs安本晴翔

ラムブーンチャイに優れたムエタイ技はあるものの、日本では評価され難い展開で、安本はパンチとローキックを何度もヒットさせるインパクトで勝機を導きました。タイ陣営は、安本の将来性を高く評価していたようです。

◆ペットコークセーンvs中村龍登

本来、パンチの強いペットコークセーンは、あまり打ち合いに行かず、速い蹴りとヒザ蹴りの上手さなどのムエタイ技で中村をいなし堅く勝利を掴みました。

◎第4回岡山ジム主催興行 / 10月15日(日)倉敷山陽ハイツ体育館11:00~
主催:岡山ジム / 認定:JAPAN KICKBOXING INNOVATION、WPMFタイ国本部
放映:11月中に倉敷ケーブルテレビにて放映予定

◆メインイベント WPMF世界スーパーフライ級王座決定戦 5回戦

リティグライ・ゲオサムリット(元・WPMF世界フライ級C/タイ/51.4kg)
     VS
挑戦者WBCムエタイ日本フライ級チャンピオン.岩浪悠弥(橋本/52.0kg)
勝者:リティグライ・ゲオサムリット / 判定3-0 (49-47. 49-48. 49-47)

マイクで師匠に感謝をアピールする白築杏奈 © 岡山ジム

中村龍登vsペットコークセーン。前蹴りで距離を取る中村(左)、自分の距離を保つのは難しかった © 岡山ジム

◆WPMF女子世界フライ級タイトルマッチ 5回戦(2分制)

チャンピオン.ノーンビウ・シットヨードシアン(タイ/50.8kg)
     VS
挑戦者.白築杏奈(NJKF女子ライトフライ級C/138 KICKBOXING CLUB/50.7kg)
勝者:白築杏奈 / 判定0-2 (49-49. 47-49. 48-49)

◆ルンピニージャパン・フェザー級王座決定戦 5回戦

1位.翔貴(岡山・水島/57.15kg)vs5位.田中将士(上州松井/56.85kg)
勝者:翔貴 / KO 1R 1:36

◆ルンピニージャパン・ウェルター級王座決定戦 5回戦

1位.喜入衆(MuayThaiOpenウェルター級C/フォルティス渋谷/66.55kg)
     VS
橋本悟(MuayThaiOpenスーパーライト級C/橋本/66.25kg)
勝者:喜入衆 / 判定2-1 (48-47. 48-50. 48-47)

◆バンタム級3回戦

ラムブーンチャイ・ゲオサムリット(タイ/53.15kg)
     VS
安本晴翔(橋本/53.52kg)
勝者:安本晴翔 / 判定0-3 (28-30. 29-30. 29-30)

◆スーパーバンタム級3回戦

ペットコークセーン・ゲオサムリット(タイ/55.0kg)
     VS
中村龍登(橋本/55.15kg)
勝者:ペットコークセーン / 判定3-0 (29-28. 30-29. 30-28)

中村龍登vsペットコークセーン。ペットコークセーン(右)が巧みな攻めで優位に立つ © 岡山ジム

立会人となったブンソン陸軍大佐の認定宣言 © 岡山ジム

◆67.0kg契約3回戦

ジン・シジュン(韓国/67.0kg)
     VS
タップロン・ハーデスワークアウト(タイ/66.6kg)
勝者:ジン・シジュン / 判定2-0 (29-29. 29-28. 30-29)

他、プロ9試合は割愛します。

プロの部の前にはアマチュア大会「SMASHERS」中国地区大会7試合が開催されています。

《取材戦記》

取材に行っていないので、情報を頂いての単なる感想になりますが、地方で行なわれるビッグイベントに、本場タイ国からブンソン・クッドマニー陸軍大佐が立会人として来日されたことは価値ある存在でしょう。こういう立会人は、実は世界戦などの重要なタイトルマッチのシンボルとなるものです。止むを得ず代理人となる場合もありますが、名のある組織管轄下でのタイトルマッチには欠かせない存在でしょう。

今回はタイから招聘された選手4名(この日の試合の為の短期来日タイ選手)は全員勝利を狙っていましたが、日本側のレベルアップもあり、侮れない存在になっていることも事実である日本側の実力です。

回を重ねる毎にイベントの成長も伺えるようで、来年は何が起こるか、地方から首都圏への挑戦が更に強まるでしょう。

※このイベントは岡山ジム広報担当・大島健太氏から頂いた情報と画像、“来日タイ側陣営”から頂いた情報と画像を引用、使用しています。画像の著作権はすべて岡山ジムとなります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売『紙の爆弾』12月号 選挙制度・原発被災者救済・米軍基地問題…総選挙で抜け落ちた重要な論点

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

黄衣で後楽園ホールへ。異次元の雰囲気(1994年6月27日)

◆アナンさんに相談から!

前年の11月(1993年、藤川さんが再出家した翌月)、私がタイでお世話になっているゲオサムリットジムのアナン会長は、日本の興行に招聘観戦され来日、数日の滞在の後、私と京成線に乗って成田空港へ見送る電車の中で、「俺、タイで出家してみようかと思うんだけど、どう思う?」と相談したことがありました。

アナンさんは「オオ、それはぜひやった方がいい。タイでは社会人として凄く意義あることだ。スラータニーのいい寺紹介するぞ!」といきなりの乗り気。

「いやいや、アナンの家の近くのM&Kやってた藤川のオッサンがペッブリーで再出家したんだけど、そこに誘われているんで行き先は決まっているんだけど」と言うと「藤川ってあの飯屋の? わかった、必ず得度式には出るからその時は言ってくれ」。

応援してくれる仲間が居ることは心強いものでした。

中央線に乗る藤川さん(1994年6月27日)

◆撮る側が撮られる側へ

そして翌年(1994年)3月に寺を見た後の帰国後、もうひとり相談したい人がいました。仕事で知り合い、タイが好きなことから一緒にタイ料理を食べに東京近郊のタイ料理店を何店も回っていた仲であったボクシング雑誌、ワールドボクシングの春原俊樹記者でした。

5月頃、都内も飽きてちょっと郊外の西武新宿線・久米川駅近くにあるタイ料理店に行ったときのことでした。

「俺、タイで出家してみようと思うんですけど、どう思います?」と言うと、春原さんは急に目をランランと輝かせ、「ウン、それはいい、やってやって、俺が得度式の写真撮るから!」。

私は、「実はそれをお願いしようと思ってたところで、撮って貰えますか?他に頼める人はいなくて、撮影が出来る人は春原さんぐらいしかいないのです。」と言うともう乗り気満々。業界仲間で、ある程度タイを知り、撮るコツが分かる人はこの人しかいませんでした。

そこで春原さんは、「よし、それを本にしよう」と言いだし、「ちょっとやめてくれ」と思える早過ぎの展開。

「無理です。今まで何でも三日坊主だった俺で、寺に居るだけので平凡な日々になります」と言っても、「何とかなる、日々細かく日記付けるだけで話題は溜まるし、タイトルはよし、“タイで三日坊主!”にしよう。二日で終わっても三ヶ月続いても“三日坊主”でいい」。

さすが雑誌を作る側の物書きは発想の展開が早い。

私 「来月、先輩僧の藤川さんが日本に来るんですけど、お会いになられますか?」
春原さん 「もちろん会わせてくれ、これで決まりだな。俺はせっかく行くんだからタイの世界チャンピオン取材も兼ねるようにする」
私 「それで、静かに誰にも知られずに出家したいので、誰にも言わないで欲しいんですけど」
春原さん 「えっ、それは無理だな、タイで動くにはどうしても青島律(ムエタイ関係コーディネーター)さんに頼らなければならないし、勝手に別行動なんかしたら、“何か変だぞ”と思われるよ……」

ここは妥協するしかなく、まずは得度式のカメラマンの確保完了。春原さんは「仕事は月の上旬が忙しいからそれを避けてくれ」と言うことから、ほぼ10月下旬の出家を予定しました。

総武線で電車を待つ。駅でこんな姿を見たら、異様な雰囲気でも、タイ人が寄って来て、ひざまずいてワイをし、お布施をする(1994年6月27日)

◆望みどおりいかぬ極秘の出家

6月下旬、藤川さんが予想どおり、安さ優先で選んだバングラデッシュ航空の早朝着でやって来ました。その朝早くに成田空港まで迎えに行くと、藤川さんより年輩の町田さんという知り合いの方が、タイから別便で先に到着し、藤川さんを待っておられた様子。

「何だ、俺来なくてもいいんじゃねえの」と思いながら成田空港で“3人”で朝食を摂り、一緒に池袋までリムジンバスで移動。

そのバスの中で藤川さんが、先日、タムケーウ寺に藤川さんを訪ねて町田さんが3人連れでやってきたときのことを話し出しました。

「その一人は堀田さんも知ってる若い女性やが、誰やと思う?? 教えねーよ! ヘッヘッヘッヘ!!」

その女性は、「先日も堀田さんと会ったらしいけど、“出家することは何も言ってくれなかった”と怒ってたぞ!」と脅かす藤川さん。

「ワシが“堀田さんが出家するときは責任持って連絡するから”と言っておいたぞ!!」と全く余計なことを……。

藤川さんは調子に乗って「コラッ、女たらし、あまり罪を作るなよ、出家しても救われないぞ。ワッハッハッハ!」と高笑い。

「リムジンバスだぞ、静かにしろ!」とイラつく私。

この女性、そんな滅多に会わないタイでの狭いムエタイ業界日本人関連のカメラマンであり、青島律さんとも知り合いでした。また一人、日本人に知られてしまっていた……すでに数日前に!

池袋周辺散策後、私は午後から仕事もあるので、その後は町田さんにお任せしてお先に失礼しました。

町田さんと都内を歩く藤川さん。奇妙なものを見るかのような周囲の視線など気にしない黄衣の藤川さん(1994年6月24日)

◆修行の前哨戦

日を改めて3日後の朝、宿泊している巣鴨のアジア文化会館へ、コンビニで買った朝食用おにぎり、サンドイッチを持って藤川さんを訪ねました。タイのテーラワーダ仏教の比丘が、一般のホテルに泊まることは戒律上難しいところがあります。止むを得ない場合は仕方ありませんが、極力質素な宿を選ばなくてはいけません。そんな条件で選んだのが、泰日経済技術振興協会関連のアジア文化会館ドーミトリーだったようです。

「お前の知り合いでタイ関係やタイに関心がある者に会わせてくれ、これからムエタイ修行に向かう選手でもいい」これが藤川さんの手紙で要求されていたお願い。
私は「立嶋篤史に会いに行きますか?」と言うと、藤川さんは、「おう、そうやそうや、そうしよう。もう一遍会ってみたかったんや」で決定。

その前に行っておきましょう、後楽園ホールへ。平日の昼だったので、何も催し物はありません。後楽園ホール5階は事務所は開いていますが、この階の他のフロアーは誰もいませんでした。

事務員を見つけたとことで「ちょっとホールを覗かせてくれませんか。こちらタイのお坊さんなのですが、おそらくもう二度と来れないのでちょっとだけ見てすぐ帰りますから。」と言うと、「真っ暗だけどいい?」覗くだけならと了解してくださり、入り口のロビー正面の右側客席階段を上がったところで会場内を見渡しました。リングは設置してあり、廊下側の蛍光灯照明が入り込むので、会場内は見渡せました。

「あの赤コーナーが立嶋が立つ位置ですよ」と言うと藤川さんは、「そうか、篤史もこんなところでドツキ合いしとるんか…!」その場に立っていたのは、ほんの1分ほど。迷惑にならぬよう早々に後楽園ホール事務所で御礼を言って後にしました。いろいろな因果応報が始まったこの聖地に、藤川さんも立ってみて欲しかっただけの私のわがままでした。

夕方にかけ京成八千代台駅から徒歩10分(当時)の習志野ジムへ向かいました。「ここでアナンさんに会わなければ藤川さんとも会うこと無かったろうになあ」と思いながら、並んで歩く藤川さんが鬱陶しくも思えた遠い道程。

これからアッシーと会い、もうしばらく鬱陶しいこのオッサンと東京近郊を歩くことになります。お願い参りはなかなか面倒な修行の前哨戦。すべて藤川さんの思惑どおり、カモとなっている私でした。

後楽園ホール。藤川さんが立った位置(撮影は2017年9月24日)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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