タートゥトーン寺の本堂。タイ街並みで必ず見れるお寺の佇まい

スクンビット通りの朝の露店。御飯のオカズとなる惣菜がビニール袋に入れられて売られています

エカマイ地区路地の露店。ぶっ掛け御飯のオカズとなる惣菜

エカマイ地区路地の露店。串焼き

BTS電車の車体、外からは中が見えない構造。プラットホームで写真を撮影していたら警官に怒られました

14年ぶりのタイ。17年ぶりのラジャダムナン・スタジアム。22年前に自分が出家したお寺を再訪し、ラオスへも足を延ばす旅──。ある旅行社関係から依頼があり、この5月、久々にタイへ出かけました。

ムエタイの試合とジムの様子、僧侶とお寺、歓楽街と売春婦、トゥクトゥク(サムロー)のボッタクリ、市場の賑わい、屋台の飯、市内バスと渋滞と排気ガス、買い物の値切り、チャオプラヤー河やメコン河の優雅な風景、街の野良犬野良猫、歩道橋の乞食……。タイを訪れるにあたり、思い出される景色には枚挙の暇がありません。

◆1993年、「オモロイ坊主」藤川清弘僧侶との出会い

1993年のことでした。ある偶然の導きから藤川清弘氏というタイ仏教の僧侶に出会いました。藤川氏はもともと京都で地上げ屋をやっていて、その後タイで事業を営み、51歳の時にタイで出家したという「オモロイ」経歴の持ち主でした。

私は、当時一時僧経験者だった藤川清弘氏と出会い、その後、タイ仏教のもと、ペッブリー県で再出家に至った藤川氏にお願いして、私自身も短期間出家したことがありました。その頃のお話は、いまから10年以上前に藤川氏のホームページ「オモロイ坊主を囲む会」で一度レポートしたこともありました。

藤川氏は2008年以降、胃癌を患い(それと直接的ではないようですが)、2010年2月に脳内出血で倒れ、永眠されています。

私の先導でタイ、ラオスを訪問するという今回の旅程を打診された時、当初それを受けるか否か躊躇しました。しかし、「悩んどらんと行ってみんかい!」と、藤川氏ならば、そう言うであろう言葉に背中を押されるかのように、14年ぶりのタイ行きを決心しました。その意味で今回の旅は、かつて私を指導してくれた藤川清弘氏と一緒に歩いた街並みを再び歩く旅でもありました(※藤川清弘氏との思い出は今後、別の機会に詳しく書かせていただきます)。

とはいえ、行きたくて指折り数えていた訳ではありません。夢にまで見たのとはむしろ逆でちょっと憂鬱。期待と不安がないまぜとなったままでの旅立ちでした。

◆エカマイ駅南側地区市場──早朝、市場に僧侶の托鉢姿を見に行くも……

タイでの滞在期間、ちょうどラジャダムナンスタジアムチャンピオンのT-98(=今村卓也)のムエタイ王座防衛戦も重なりました。試合は前回お伝えした通り、残念ながらT-98(今村卓也)は判定負けでムエタイ王座から陥落しましたが、それを取材することができました。

T-98取材当日の早朝、宿泊先のホテルから二つ先の駅、スクンビット通り“ソイ42”のBTS(高架鉄道)エカマイ駅南側地区にある市場に行きました。「僧侶が大勢、托鉢をする姿が見られる」といった同行者の誘いで行ってみたのですが、寝坊してしまい市場に着いたのは朝8時。すでに僧侶の托鉢時間は過ぎており、朝のラッシュの姿に変わっていました。

とはいえ、市場にはまだ賑わいが残っていて、旅行者が楽しめる風景が目白押しです。ソイと言われる路地には車が通る中、露店が連なります。衣料品も日用品も装飾品も並び、犬も寝転がる呑気さ。ぶっ掛け飯屋もあり、注文するがまま、御飯にオカズをのせてくれます。

エカマイ地区路地の露店。焼き鳥と焼きおにぎりでしょうか

エカマイ地区の路地の露店。ここで御飯に掛けて奥のテーブルで食べることもできます

次に訪れたのはエカマイ駅北側にあるタートゥトーン寺。ここはかつて藤川僧とバンコクに出た際、一泊だけさせて頂いた寺でした。しかし、その寺の面影の記憶が少なく、新築・増築された真新しい光景が目に入りました。かなり広い寺で22年前もどう歩き、どの辺りのクティ(僧宿舎)で泊まったかも全くわからなくなっていました。

タートゥトーン寺の本堂。読経の際は僧侶が壇上に座ります。一般人は低い後方の地べたに座ります

タートゥトーン寺側から見た至近距離にあるエカマイ駅。寺の門に迫る門より高い高架鉄道の駅、こんな時代となりました

◆言い値で乗ったトゥクトゥクもマイペンライ(大丈夫)

夕方にはT-98の試合のため、ラジャダムナンスタジアムへ向かいました。しかし、、フアランポーン駅前でしつこいトゥクトゥク(サムロー=三輪タクシー)に言い寄られながら「行くにはトゥクトゥクが楽だな」と同行者と決心し交渉。

「100バーツで行ってやるがどうだ?」と言う運転手に、「100でも高いだろうな、昔なら50バーツかな」と一瞬思いました。とはいえ、現在の相場もよくわからない。なので、運転手の言い値でトゥクトゥクに乗り込みました。

というのも、他の運転手は「200バーツ!」と言って来た。これはさすがに高い。私が選んだトゥクトゥクの運転手も「いや、100でいいよ」と笑っていたほどです。「旅行者が値を吊り上げている」と言う現地滞在者の話も聞きますが、私は根っから交渉下手。「ちょっとぐらい許して」と思って、そのトゥクトゥクに乗りました。

運転は思った通りの昔ながらの暴走モード。慣れればそんなに荒れた運転ではないのですが、滅多に乗らないとやはりそう感じます。多少ボッタくられたかもしれませんが、笑顔で人のいい感じの運転手さんでした。

フアランポーン駅に陣取るトゥクトゥクの群れ。旅の気分を味わうにはこの乗り物が最高

ただし、かなりスピードを出す奴もいます

◆大らかなタイ時間のおかげで出会えた懐かしい友

ラジャダムナンスタジアムのチケット売場。観光客は案内係りに導かれることでしょう

ラジャダムナンスタジアムでは、タイの知人カメラマンの来るのが遅い、さすがおおらかタイ人。リングサイドには知らないカメラマンが一人。日本の早田寛カメラマンも現れ、協力的な雑談。

タイ知人のカメラマンがやってきたところで打ち合わせをしていると、先に居た知らないカメラマンから声が掛かりました。実はそのカメラマン、知らないどころか懐かしい友人カメラマンでした。気付かなかったのはお互いが歳を取ったからで、昔一緒にムエタイの写真を撮っていた仲間でした。懐かしいあまりいろいろ話しかけてくれ、いざリングサイドに入る頃はカメラマン皆が「大丈夫だ、ハルキはここに居ろ」と補助してくれる有難さ。

こんな形でT-98撮影は無事終わりました。やれやれ、ひとつの目的は達成。これで帰国してもいいと思ったところ、同行者である友人は当然ながら“本番はこれから”と「明日から宜しく!」と気合充分でした。(つづく)

ラジャダムナンスタジアム最終試合の背景。なかなか観易い構造のスタジアム

指で賭けを誘う賭け屋の迫力はいつも凄い。観光客には分かり難いです

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号【特集】アベ改憲策動の全貌

賭け屋の怒号が飛び交うバンコク・ラジャダムナンスタジアム2階席

ワイクルーを踊るT-98

5月25日(木)、タイ・バンコクのラジャダムナンスタジアムでスーパーウェルター級王座2度目の防衛戦に臨んだT-98(=今村卓也)は戦略通じず大差判定負け。

◆タイ国ラジャダムナンスタジアム・スーパーウェルター級タイトルマッチ(154LBS) 5回戦

チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺/69.85kg)
VS
同級9位.シップムーン・シットチェフブンタム(タイ/69.85kg)
勝者:シップムーン・シットチェフブンタム
判定:0-3 (47-50. 47-50. 47-50)

3R。シップムーンの左ミドルキックは最も脅威

3R。シップムーンは攻めさせておいて強烈な左ミドルキックを放つ

3R。動きを止めたいT98、前回のようにいかないもどかしさ。

◆厳しい洗礼のラジャダムナン王座

T-98は昨年6月1日、REBELS興行でチャンピオン.ナーヴィー・イーグルムエタイ(タイ)に判定勝ちし王座奪取。同年10月9日、現地ラジャダムナンスタジアムにて初防衛戦を行ない、プーム・アンスクンビットを3R・TKOで倒し、初防衛に成功しています。

今回の挑戦者、シップムーンは昨年10月の新日本キックボクシング協会MAGNUM興行で、緑川創(藤本)と対戦し引分けている選手で、実力は測れている選手でしたが、本場のリングに上がれば相手の本気度が違ってきます。

T-98は初防衛戦のように1ラウンドからプレッシャーをかけ前進。ロープ際に詰めれば右ローキック、右ストレートとダメージを与えていく戦法も、シップムーンは自分の距離感を掴んで巧みにかわし、T-98は大きなダメージを与えられない流れが続き、重要なポイントとなる3ラウンド以降はT-98が追う形は変わらずも、シップムーンはロープ際に詰まりながらも的確に返す左ミドルキックが有効的に決まる。T-98のローキックも単発でシップムーンのペースを崩せず大差が付いてしまいました。

先日の梅野源治に続いてT-98も大差を付けられる敗戦。賭けの対象となる接戦の展開が多いムエタイで、チャンピオンが大差を付けられる展開は、厳しい本場ムエタイの洗礼を受けた防衛戦となりました。

2010年以降、本場ムエタイ最高峰の外国人の王座奪取が増えた感じでしたが、王座を獲ることは出来ても防衛を重ねることの難しい展開が続いています。

今回、久しぶりに現地撮影を行ない、現場の雰囲気や関係者の話で感じたことは、半年以内の防衛義務を果たしつつ、1年以上の王座保持はより難しいと思えたことでした。単に「強豪揃いの中では、連続防衛は難しい」というだけでなく、興行の裏側にはプロモーターのサジ加減が在り、1年も経った頃、「そろそろ王座を返して貰うよ」と言わんばかりのちょっと厄介なテクニシャンを当ててくる。そんな厳しい印象を受けました。

3R。パンチで攻めるT-98

3R。ブロックの上からでも蹴ってくる

4R。蹴っても次に繋がらない

4R。ブロックしても蹴られ続けては腕も殺されてしまう

ムエタイ最高峰に挑戦するだけでも大変な道程ですが、王座奪取したとしてもそれが日本で獲っただけではファンが認めない第三者の厳しい目があるのも事実で、現地の賭け屋の群集の厳しい目で見られ、支持を受けてこそ本物と言われる難問は、更に高いレベルにあることを感じたラジャダムナンスタジアムでした。

休む間も少ないT-98は6月17日に「KNOCK OUT」興行出場があり、71.0㎏契約5回戦で、ISKA世界ライトミドル級チャンピオン.廣虎(ワイルドシーサー群馬)との試合が組まれています。

梅野源治とともに、二人ともモチベーションは落ちることなく、再起を誓っている現在、再びラジャダムナンスタジアムのリングにチャンピオンとして立つことへのファンの期待も大きいところでしょう。

5R。T-98が蹴りで反撃ももう時間が無い第5ラウンド

5R。終了間際の右ストレート、時間が足りなかった

《取材戦記》

2000年の新日本キックボクシング協会が敢行した「Fight to MuayThai」以来のラジャダムナンスタジアムを訪れました。外観は特に変化はありませんが、館内は映像で見たことあるとおり、リング上の照明設備が以前の白熱灯からLED照明へ明るく変わり、高感度フィルムでもキツかった頃から比べ、デジタルカメラの性能向上もあり、高感度撮影でも楽に綺麗に撮れる撮影となりました。

リング周りも幅広すぎるプラットホーム(エプロン上、ロープから縁)に昔は足まで乗っかり、うつ伏せに這いつくばって撮っていましたが、今はプラットホームは昔ほどではない幅で、私のように足が短いと苦しいですが、背丈170センチもある人なら乗り出して何とか撮れる範囲。

しかし撮影場所の範囲が狭いようで、私が撮影に入れない場合は現地の知人カメラマンに頼むつもりも、その人と、現地で在住する早田寛カメラマンや昔知っていたカメラマンも私に気付いてくれて、互いに老けて気が付くのに時間が掛かったが「大丈夫だ、ここに居ろ」とみんなで指示してくれる有難さ。

賭け屋は昔と変わらない怒号のような歓声が場内を盛り上げていましたが、T-98の試合はメインイベント後の試合となる第8試合で、この日の観衆は結構残っていました。通常は観衆も帰りつつある中で、これがタイトルマッチであっても層の薄いクラスの無名選手の立場でもありました(5月17日の梅野源治の初防衛戦は第7試合のメインイベントでした)。

今後またラジャダムナンスタジアムに行けることがあれば、日本人絡みのメインイベントのタイトルマッチに出会いたいものです。

相手ペースにはまったキツかった試合、悔しさより苦しさが滲み出た表情

ラジャダムナンスタジアム外観。ビッグマッチの日は人で車道が占領されるほど

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

 

ヤクルトVS巨人を神宮球場で見てきたが、野球部出身の友達と一緒で、なおかつ解説してくれると楽しみなことがわかった。たとえばノーアウト3塁でランナーがいて、バッターに選手がたつ。「スクイズがあるのかな」と僕が聞く。すると「このバッターはバントが上手ではないので、まずないです」と答えてくれる。

また満塁の場面では「外野フライを打たれてタッチアップされたくないから、膝から下のボールしか来ないよな」と聞くと「いや、逆をついて高めが来るかもしれません」と解説してくれる。そして友達のいうとおり、高めの釣り玉がきてバッターは三振するのだ。「隣に野球が詳しい解説者がいる」という状況で、プロ野球を見ると、こんなに楽しいのかと思う。

そして、現在、プロ野球に圧倒的に足りないものは何か、という点がこうして玄人とプロ野球を楽しんでいると見えてくるのだ。

「最近は、プロ野球の観戦マナーが悪くなった」という声をちらほらと聞く。この日も、上司の奥さんを連れ出したサラリーマンが、後ろで延々と会社の愚痴を語ってうるさいのなんの。いっぽうで、前の席では赤ちゃんがうどんをベンチにこぼしていた。

神宮球場では、圧倒的に穴場なのは、バックスクリーン横、テレビカメラのすぐそばでヤクルト側だ。ここは、ライトのプレイがいまひとつ見にくい。しかしながら、投手の真後ろだから、ピッチングフォームの狂いがよく見えるのだ。

 

よくど素人とプロ野球を見に行くと、「なぜ打たれたのだろう」と首をかしげている。こうした人はまったくプロ野球の観戦には、向いていない。よく見ると、投手が手投げになっていたり、体重が後ろに残っていたりするのだ。

また、神宮球場では、男性のビールの売り子を目にした。「2年前から、女性の売り子が減ってきた」と、ビールの売り子のキャスティング会社のスタッフは嘆く。「ひと昔前は、芸能界やグラビアガールへの登竜門だったビアガールですが、今は重労働ですし、客からのセクハラもあるので、志望者は少なくなりました」
それでも、今年の神宮球場のビアガールのレベルはものすごく高い。

たしか、生まれて初めて連れて行ったプロ野球では、1年目の掛布がものすごい打撃をしており、王選手は見事にレフトに突きさすようなホームランを放った。今、登場するだけで歓声があがるのは、残念ながらヤクルトの山田哲人くらいのもので、ほかの選手はさしてときめかないのか、歓声があがらない。

今年、20億円近い補強した巨人のていたらくを見ていると、現代の野球はとてつもなく緻密に戦略をたてないとだめだとよくわかる。たとえば1アウト2塁でも攻撃の形は20パターンくらいある。それも、バッターのカウントにより変わってくるのだ。

もし機会があれば、野球部出身の人とプロ野球観戦をお勧めする。倍楽しめることは必須なのだから。

(伊東北斗)

愚直に直球!タブーなし!『紙の爆弾』

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

立ち位置を意識し、選手が出て来た際は、後に下がる配慮を忘れなかった衣笠真寿男氏(1983.2.5)

衣笠真寿男氏のコールは過去いちばん甲高く力強さがあった(1986.11.24)

「リングの名脇役、リングアナウンサーの任務!」に続くリングアナウンサー物語続編です。

鈴々舎馬風(日本系)
柳亭金車(日本系)
チャーリー湯谷(全日本系)
衣笠真寿男(日本系)
三遊亭貴楽(日本キック→RIKIX)
宮崎邦彦(全日本系)
井手亮(MA日本)
酒井忠康(JBC)
山口勝治(JBC)
冨樫光明(JBC)
須藤尚紀(JBC)
中山善治(JBC関西)

巨匠リングアナウンサーを独断と偏見で選びましたが、この顔ぶれをどれだけ知っている人がいるでしょうか。奇妙な世界とは無縁のプロボクシングも含まれていますが、人真似ではない独特のリズム感でコールする個性ある、人々の潜在意識に残るリングアナウンサー揃いです。このメインリングアナウンサーとなる存在は、その競技・団体の顔となっていきます。

◆JBCでは見事な後継者揃い!

全日本系にも厳しいしきたりあり。選手の後方に控えるリングアナウンサー宮崎邦彦氏(1983.6.17)

プロボクシングでは、いちばん古い酒井忠康氏はファイティング原田氏の現役の頃からコールしていた人で、重量感ある声でリズムとイントネーションで、絶妙なコールでした。メインリングアナウンサーとして担当が長かったので、その技量を長く発揮され、広い世代に知名度がありました。

山口勝治氏はタイムキーパー姿が古い映像にあるとおり、その試合運営経験を経て、酒井氏の指導も受けつつ1980年代前半にリングアナウンサーに移ったようです。その山口氏の指導の下、1年ほど研修を受けてから1999年デビューしたリングアナウンサーが冨樫光明氏で、これらの世代交代はJBCの確固たる組織の表れ。現在活躍する須藤尚紀氏も含め、リングアナウンサーとしての立ち振る舞いや、タイムキーパーやレフェリーとの連携も指導が行き届いたアナウンスを続けています。

◆巨匠と言われるキックボクシングに於いての名リングアナウンサー

矢沢永吉スタイルを貫いた井手亮氏、笑いネタでの人気も高かった(1992.11.13)

幅広い分野で活躍する柳亭金車氏、現在も活躍される息の長いリングアナウンサー(1996.6.30)

先駆者・鈴々舎馬風氏、初期のキックボクシングブームを支えた一人でもある(1996.6.30)

1966年に設立された老舗団体、日本キックボクシング協会で初代メインリングアナウンサーを務めたのが、柳家かえる(後の鈴々舎馬風)氏で、そのコールの力強さは当時TBSの放送で全国に響き渡りました。キックボクシングを始めた野口修氏がボクシングプロモーターだったことはその後にも大きく影響し、酒井忠康氏の陰ながらの指導もあったのではと考えられます。

そのかえる氏に導かれたのが2代目リングアナウンサーの柳家小丸(後の柳亭金車)氏でした。かえる氏よりトーンが高く、また高低激しくコールする力強さがありました。また小丸氏はキックボクシングのブーム全盛期、全国を巡業で回った経験談を持っており、米軍基地での興行は「米兵のもの凄い声援が試合を盛り上げた」とか、「北海道の田舎のある駅のホームで、暇潰しに興行スタッフ一同での垂直飛びで、高さ120センチほどある線路からホームへ飛び移ったのは沢村忠だけだった」という当時の懐かしい旅の話題(規制の緩い昔の田舎の駅での話です)を持つ方で、当然全国各地での多くの経験談があることでしょう。

両氏とも噺家が本業で、リングアナウンサーに集中することは難しくなった時期もあり、後に引き継がれたのが山崎康太郎氏と衣笠真寿男氏、更なる後に吉田健一氏がいました。山崎氏は元はJBCリングアナウンサーだったと思われます。

衣笠氏はテレビ放映の実況の中で軽く紹介されたことがあり、軍隊での号令官だったということから、大声が出せて更にマイクが無くてもよく響く甲高いコールでした。テレビ放映も無くなった1980年代前半(昭和50年代後半)も辞めることなく務めて居られました。後楽園ホールだけの、テレビ放映の無いところで甲高いコールが響いているのが勿体無く、野口プロモーション系スタッフは虚しい思いをした人もいるようです。しかし、衣笠氏は後の復興団体、更に後のMA日本キックボクシング連盟の1988年まで務められ、その美声が発揮されていました。

ルールにも几帳面で、1986年5月に当時の日本ライト級チャンピオン.甲斐栄二(ニシカワ)vs 同級2位、飛鳥信也(目黒)のノンタイトル戦があった際、「これライト級のウェイト越えてないと甲斐が負けたら王座剥奪だよ」と、契約ウェイトの状況を調べに行ったという、他のスタッフが気付き難いところにも指摘したエピソードがあり、現在のリングアナウンサーには無い探究心を持っていました(この試合は63.5kg契約)。

この衣笠氏に斜陽期のTBS放映時代に指導を受けられたのが吉田氏で、低めの声ながらリズムとイントネーションはソックリで、分裂による枝分かれはしましたが、他団体で単発ながら1987年まで務められました。

復興団体で衣笠氏に指導を受けられたのが三遊亭貴楽氏で、更に後の全日本キック復興の際、縁あるジムの意向でそちらに移動されましたが、その直後の1987年5月に査定を受けた芸人Wコミックの井手亮氏が見習い採用された経緯がありました。

残念ながら衣笠氏は翌年、心不全により亡くなられ、最後の弟子、井手氏がメインリングアナウンサーに抜擢されました。井手氏は矢沢永吉さんのファンで、デビュー当時からそのスタイル貫き、「井手さんにコールされると気合いが入るよね」と語る選手も居て、人懐っこさでファン、スタッフ、選手からも人気も高かった人でした。MA日本キック連盟は初期の石川勝将代表の辞任後、団体の体制がまとまらず、リングアナウンサーも入れ替わりが激しくなり、伝統の日本系の個性は完全に崩れた時代に突入してしまいました。

全日本系での巨匠は俳優のチャーリー湯谷氏、伝説の西城正三vs藤原敏男戦のビデオにもある、この試合のリングアナウンサーが英語のアクセントがインパクトあるチャーリー湯谷氏でした。その後にメインリングアナウンサーを務めたのが宮崎邦彦氏で、こちらも独特の力強いコールで、ベニー・ユキーデをコールしたことも幾度かあり、藤原敏男氏の引退興行もメインリングアナウンサーを務め、全盛期の立嶋篤史をコールする時代まで活躍しました。コールでは大声が出せる人ですが、リング下では優しい口調の方で、物静かに佇む姿が思い出されます。

現在に至るまでのキックボクシングの多団体乱立後のリングアナウンサーは、先人の指導の無いまま、次の新人に任される場合が多かった競技です。主催者役員との思想の違いから退任、次から次と新規リングアナウンサーが誕生する場合もあり、試合役員から指導を受けることはあってもそれは大雑把で、そんな団体で育ったリングアナウンサーは後輩ができても、指導するにしても正しいことが伝えられない負の連鎖が続く場合もあります。これではその団体や興行の顔となる存在には成り得ません。

今回、くどいほどマニアックに述べさせて頂いた巨匠たち、こんな不安定で奇妙な世界によくぞ入ったものだと感心する、かつての名脇役リングアナウンサー揃いでしたが、こんな競技でも研究熱心に進行を考え、真摯にクレームを受け止め、前回のテーマに出てきた進化あるリングアナウンサー達もいます。観ているファンにもそれぞれの好みがあり、批判ある場合もありますが、特殊な才能を持った人たちを願わくば、巨匠たちが競技を越えても次の世代へリングアナウンサーの正しい姿を伝えて欲しいものです。

小野寺力氏お気に入り、三遊亭貴楽氏も他団体に渡り、NO KICK NO LIFEまで登場されました(2014.2.11)

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

ワイクルーを舞う梅野源治

サックモンコンの左ミドルキックを受ける梅野源治

梅野は現地ムエタイのライト級域の中では警戒されるほどの有名な選手。かつて戦った選手や今後戦う可能性のある選手の中では梅野の弱点は知れ渡っているでしょう。現地での王座奪取や防衛がいかに難しいか、本場の壁が立ちはだかります。

◎5月17日(水)
タイ国ラジャダムナンスタジアム・ライト級(135LBS)タイトルマッチ 5回戦 
チャンピオン.梅野源治(PHOENIX/135Pond/61.23kg)
VS
同級7位.サックモンコン・ソー・ソンマイ(135Pond/61.23kg)
勝者:サックモンコン / 0-3 (46-49. 47-49. 46-49)

サックモンコンの右ミドルキックを脇に受ける梅野源治

サックモンコンの左ミドルキックを受ける梅野源治

サックモンコンの左ヒジを不用意に浴びる梅野源治

◆戦略が狂ったか?

梅野は計量では1回でのパスではなかったようですが、サックモンコンも予備計量で1.4ポンド(約635グラム)オーバーの様子があったようです。

梅野は第1ラウンド終盤にサックモンコンのパンチでダウンし、戦略が狂ったか、梅野より長身のサックモンコンとの距離を詰め難く、離れた距離からのパンチは流れ、その距離に応じたサックモンコンの蹴りやパンチが効率よく当たる。梅野の距離に持ち込んでも次に繋げる連続技には成り難く、サックモンコンの精度の高いヒットが目立っていく。「どちらがチャンピオンか」と言われるような技術の差も露になった劣勢も挽回出来ず終了。

◆ボクシングとは異質なムエタイの採点基準

キックボクシングやムエタイの世界では、“世界”と名の付く王座より、本場タイの伝統あるルンピニースタジアムやラジャダムナンスタジアムの王座が最高峰と位置付けられる時代が長く続いています。

ラジャダムナンスタジアムは1941年の設立。ルンピニースタジアムは1956年の設立です。その原点には「ムエタイ500年の歴史」やタイの小学校の教科書にも出て来る1774年のビルマとの戦争にまで遡る「ナーイ・カノムトム物語」があります(重複ながら、関心が持たれ難い歴史を再確認する意味で掲載しております)。

ムエタイの採点はボクシングとは異質な基準があります。ムエタイを熟知している人には理解できるでしょうが、ボクシング基準の「ラウンド毎の独立した採点」が固定観念として残っていたり、ムエタイの展開が読めない者から観れば、どうしても不可解な結果が残る場合があります。

頭が当たりそうな危険なヒジ打ちの相打ち

梅野の踏ん張る右ストレート

サックモンコンの左ハイキックをかわす梅野源治

◆持ち味を殺してしまった試合運び

梅野は初回にパンチを貰ってダウンを喫し、それでリズムと戦略が狂って、それ以降も明確に抑えたとは言えないラウンドが続き、大差判定負けとなる結果が残りました。梅野より背が高い相手となると、過去にも非常に少ないタイプ相手だったことも要因でしょう。踏み込めず、ボクシングにあるようなアップライトスタイルのボクサーに打って向かう側のパンチの届かないもどかしさ。届いてもその威力を軽減する術を持つスタイルですからダメージを与えられません。

サックモンコンの蹴り技に凄さがあるわけではなかったですが、梅野の持ち味を殺してしまった試合運びの上手さで勝利を導きました。念願の本場、二大殿堂のひとつラジャダムナンスタジアムで防衛することを目標に頑張ってきたことに対し、このチャンピオンが大差判定負けすることはショックな結果でしょう。このところの激戦続き、怪我も重なり回復したとはいえ、調子の戻らぬままの殿堂登場でした。

◆ここから這い上がれるかをファンは注目している

健闘を称えあう両者、若いサックモンコンが拝む形となる礼儀

こんな展開に「梅野は弱くなったような気がしますね」という声も聞かれましたが、ここから這い上がれるかをファンは注目しているでしょう。かつて梅野が言った試合での「相手の心折る戦略」が大事ならば、梅野自身が心折れることなく、伝説の“藤原敏男を越える戦い”はまだまだ続けるでしょう。

「NO KICK NO LIFEイベント」から続く強豪との対戦や、ヤスユキ(Dropout)戦での顔面負傷、WBCムエタイ世界王座の防衛戦、ラジャダムナン王座奪取、そして「KNOCK OUTイベント」での注目度ある相手との3連戦が続いた中でのラジャダムナン王座防衛戦でしたが、ラジャダムナン王座1本に集中して欲しかったファンも多かろうと思います。今後どうするかは梅野陣営の采配でしょうが、少し休んでから再起し、予定される7月以降のビッグマッチ出場となるのでしょうか。

控室で悔しさが滲み出る表情。反省と後悔と、心折れない胸中はどんなものか

[文]堀田春樹 [画像提供]weekly MUAY TU

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球、タブーなし!『紙の爆弾』

瀧澤博人vsHIROYUKI。右ストレートのカウンター、効いた瀧澤がこの後グラつく

HIROYUKIvs瀧澤博人。HIROYUKIと瀧澤のパンチの交差

HIROYUKI、二つ目のベルトで感涙

スターの扱い方も変化し、地方局、衛星放送などの出演も増え、今後のキックボクシング界を支える新しい展開に。

◎WINNERS 2017.2 nd / 2017年5月14日(日)後楽園ホール17:00~21:40
主催:治政館BeWell / 認定:新日本キックボクシング協会 / 後援:(株)ベストン
放送:テレビ埼玉(6月16日、ドキュメント番組を予定)

《主要5試合》

◆日本バンタム級タイトルマッチ 5回戦 瀧澤3度目の防衛戦

チャンピオン.瀧澤博人(ビクトリー/53.52kg)
       VS(0-3)
同級2位.HIROYUKI(=茂木宏幸/藤本/53.52kg)
勝者:HIROYUKI が第12代チャンピオン
主審:椎名利一
副審:和田45-50. 仲45-50. 宮沢45-50

前半はHIROYUKIが大胆な攻勢をかけ、やや優勢に進め、第4ラウンドに瀧澤はハイキックでHIROYUKIをグラつかせるも、迎え撃ったHIROYUKIが右ストレートでダウンを奪う。足にきてフラつく瀧澤、油断しなければHIROYUKIの勝利は動かない中、打ち合いを避けずに攻勢をかけたHIROYUKIが大差判定勝利で二階級制覇を達成。

◆70.0kg契約5回戦

緑川創(藤本/70.0kg)
VS
ドゥアンソンポン・ナーヨックエーターサーラー(タイ/70.95kg)
勝者:ドゥアンソンポン / 0-3 (47-49. 48-49. 48-49)
(ドゥアンソンポンは、現ルンピニー系スーパーウェルター級4位、ラジャダムナン系同級3位)

ドゥアンソンポンは前日の予備計量で1.4kgオーバー。これは落ちそうにないなと予測はできたが、当日でも950グラムオーバーで減点1が課せられる試合となりました。しかしランカーの実力は遺憾なく発揮、終始重い蹴りが緑川を突き放した展開。

ドゥアンソンポンvs緑川創。ドゥアンソンポン(左)の重いハイキック、ブロックしてもキツイ

志朗vsアドリアン・ロペス。右ローキックの蹴り合い、まだロペスは負けん気充分

◆ISKAムエタイ世界バンタム級(-55kg)タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.志朗(=松本志朗/治政館BeWell/54.9kg)
VS
スペイン同級C.アドリアン・ロペス(23歳/26戦18勝(9KO) 5敗 3分/スペイン/
55.4→55.1→55.0kg)
勝者:志朗が初防衛 / KO 3R 1:50 / テンカウント
主審:和田良覚

ロペスは前日計量で400グラムオーバー、30分ほど走り込み再計量で100グラムオーバー、その場でパンツを脱いで再々計量リミット一杯でパス。体調に問題は無い様子。

ロペスはパワーとスピードがあるが、一歩先読み打つ戦術は志朗が上手。ローキックでロペスの勢いを止めれば、へたり込むこと読める展開に崩しにかかり、青コーナーに詰めローキックからパンチ連打、ボディから顔面へ最後は左フックで倒す。ロペスはボディが効いたかのような、意識はあるが苦痛の表情で10カウントを聞く。

志朗vsアドリアン・ロペス。ダメージ与えコーナーに導き、パンチでKOに結びつける志朗

ヘルダー・ヴィクターvs麗也。ロープ際に詰め、足の弱そうなヘルダーを崩しにかかる麗也

◆52.0kg契約3回戦

日本フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/51.8kg)vs同級3位.幸太(ビクトリー/51.8kg)
引分け / 三者三様 (29-30. 29-29. 30-29)

麗也が王座返上以降、インパクトあるチャンピオンが存在しない感があるフライ級。倒せる技が無く、幸太を調子付かせてしまった石川は、次期挑戦者となる流れであろう幸太を今度は力でねじ伏せなければならない。

◆ISKAオリエンタル・インターコンチネンタル・フライ級(-53.5kg)王座決定戦 5回戦

世界6位.麗也(治政館BeWell/53.5kg)
VS
ヘルダー・ヴィクター(22歳/30戦25勝3敗2分/ポルトガル/53.35 kg)
勝者:麗也が王座獲得 / KO 3R 2:25 / テンカウント
主審:和田良覚

互いに距離感掴み難そうな中、麗也のローキックは有効な攻め。第2ラウンドには麗也がパンチとローキックの攻勢を強める。ヴィクターの長身を活かした打撃を注意し、第3ラウンドには更にボディ中心に攻めダウンを奪うが、ギリギリのカウント9で立ち上がるヴィクターを更にボディにパンチ、ヒザ蹴りで2度目のダウンを奪い、ヴィクターは再度立ち上がるも最初のダウンより戦意喪失気味に遅く立ち、カウントアウトされて終了。

麗也vsヘルダー・ヴィクター。ラッシュに結びつける展開へ麗也のパンチ

勝者HIROYUKIを祝福、認定証授与の後

HIROYUKI。お腹の子含めて4人でショット、守るものが増えた

《取材戦記》

この興行のプログラムに書かれていたサブタイトルが「再び3分5Rの時代へ」でした。タイトルマッチ絡みで4試合が5回戦組まれており、いつもより5回戦が多いだけでしたが、今後を何か予感されるようなフレーズでした(ボクシングシステムで運営される競技性上、“3分”とは書く必要無いと思います)。

興行的にはメインイベントは志朗の防衛戦、セミファイナルが麗也の王座挑戦、となるところが、この2試合は “スペシャルマッチテレビ埼玉杯”という枠だそうで、最終試合の日本バンタム級タイトルマッチがメインイベントでありました。
日本では慣習的に“最終試合がメインイベント”となること多いですが、“メインイベント=最終試合”と決まっている訳ではありません。

治政館(BeWell)がISKA路線へ走り出したのが2年前の5月。志朗を筆頭に後輩の麗也も続き、また二人のタイ・バンコクでの主要興行出場も続いているというBeWell戦略が今後も賑やかに盛り上げそうです。志朗は6月にルンピニースタジアムでのテレビマッチ出場が決定しており、多方面から出場交渉がある実力派です(BeWellは治政館が母体の姉妹ジム的存在、志朗の父、松本弘二郎氏運営)。

瀧澤博人の日本バンタム級王座3度目の防衛戦となった元・日本フライ級チャンピオン.HIRYUKIとの対戦は、複数王座に因縁が絡む好カードでした。2014年10月に瀧澤が王座を奪った当時のチャンピオンが重森陽太(伊原稲城)。その重森は階級を上げ、2015年10月に日本フェザー級王座を内田雅之(藤本)から奪いました。HIROYUKIは2014年8月に日本フライ級王座決定戦を麗也に勝利して獲得、初防衛戦で麗也に奪われた後バンタム級に上がり、この日、日本バンタム級王座挑戦に漕ぎ着け、瀧澤から王座を奪取に成功。何かと因縁が続くこの日本タイトル、老舗(旧・日本系)とは枝分かれはしていますが、この老舗を継承しているのが新日本キックボクシング協会で、“日本タイトル”を継承する団体です。昔も日本王座には、因縁ある変遷史がありました。全日本系でも同様です。

2階級制覇となったHIROYUKIは今後について「とりあえず防衛。他は要らない」とあっさりしたもの。試合後の応援団の祝福に囲まれての写真撮影が続く中での発言でしたが、一夜明けて落ち着けばまた更に目指すものが見えてくるでしょう。フライ級では防衛失敗しているので、目黒ジム伝統の「チャンピオンは防衛してこそ真のチャンピオン」をまずは果たさねばなりません。21歳のHIROYUKIはリング上で「妻のお腹には二人目の子が居ます」と発表。守るは家庭と王座。若くして責任重大です。

試合後、リングを降りてすぐ、応援してくれた仲間に御礼を言って回る選手は幾らか見受けられますが、裸のままでは汗も冷えるし風邪引く恐れがあります。
「試合が終わって時間が経つと身体が冷えるので、放送席に長く留ませ、インタビューが長引くのは好ましくない」という昔のボクシング記事を読んだことあります。

選手の皆さん、リング上の照明が消された後や、リングを降りた場所はかなり気温が下がっています。翌日は祝勝会かもしれませんが、身体を冷やさないよう気を付けましょう。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

『紙の爆弾』最新号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

コンタキンテさん。江頭2:50とコンビを組んでいたこともある芸人さん。取り組む真面目さ素直さは抜群

お宮の松さん。たけし軍団の一員。格闘技の試合経験もある芸人さん

リング上で興行の顔となるリングアナウンサー、選手コールだけなら楽なものですが……。リングアナウンサーというお仕事は、リング上で選手をコールするだけではありません。それだけの起用で呼ばれる巨匠もおられますが、大概は掛持ち雑用が伴います。

場合によってはタイムキーパーも任されます。その他、激励賞の送り主名の読み上げ、採点結果の確認、公式記録の記載、1分間のインターバルでの両選手戦歴経歴の紹介など、団体や競技によってマチマチですが、いろいろな雑用もこなさなければなりません。

◆進化あるリングアナウンサーの存在!

ボクシングを含め、過去にはいろいろなタイプのリングアナウンサーが存在しました。個性あるコールは、物真似上手な人でなければソックリには真似出来ない技術があります。そして上手い下手より、その競技や興行の顔となる存在になることが大事な役割とも言えます。

新風を巻き起こしたのは、選手紹介に戦績を加えたのが日本ボクシングコミッションでリングアナウンサーを務めている冨樫光明さんでしょう。コールのリズムとイントネーションが力強く、更に経歴を加えるなど変化を付けて進化を続けました。そんな影響を受ける他競技もあり今後、他者がこれを越える新たな展開を見せることは難しいかもしれません。

タイではリングサイドアナウンサーによって、淡々と手短に両選手同時入場時に選手紹介が行なわれていますが、ワイクルー(ムエタイの戦いの舞)無しで、こんなシンプルさの興行をやってみたいという日本のプロモーターも居て、そんな進行の早そうな興行も観てみたいものです。

また最近は、リング上での選手紹介だけでなく、文字通りアナウンサーとしてインタビューも行なえる技量も必要な場合もあります。そこでは台本(進行要綱)に書かれた台詞を読むのではなく、競技に精通し、選手の経歴を知った上で、その場のアドリブで話を進める機転が必要な場合もあります。しかし、長くボクシングやキックボクシングを観ていても、選手コールは出来ても、なかなか深イイ内容のインタビューが出来る人は少ないところです。

細田昌志さん。今や記者より記者らしい取材力を持つ放送作家

日野実志さん。NJKF事務スタッフから始まった芸人ではないリングアナウンサー

風呂わく三さん。2007年のNJKF新体制から起用された劇団員さん

◆リングアナウンサーの苦悩

選手に贈られる激励賞(祝儀袋)をその後援者が、突然リングアナウンサー席に来て、「頼むよ!」とポンと置いて行ってしまう、リングアナウンサーを単に雑用係と見下して行く観客もいて憤慨することもあるようです。

かなり前の出来事、インターバル中、リング上でウォーキングするラウンドガールを、くどいほど何度も紹介する某リングアナウンサーがいましたが、後々他のジム関係者から事情を聞くと、ある筋の組員が後方から何度も「もう一回やれ」と指示されていたという、一概にリングアナウンサーを責められない事情もあるので、話は聞いてみないとわからないものでした。

20年ほど前、リングアナウンサーではなく、リング下のサブアナウンサーの失態で、勝者を間違えてコールしたことがありました。ジャッジペーパーの確認ミスで、一旦敗者に渡った勝利者トロフィーを返却させ、真勝利者に渡したことがありました。すぐに控室に行って両選手に謝罪したようですが、ジャッジペーパーの確認は複数人でやるべき事態でした。

試合前から選手名を間違えることも間々あることですが、主催者任せの資料に頼らず、自分の足で選手に聞きに回る配慮も必要です。

目まぐるしく機転を利かせて進行するリングアナウンサーなど連係するスタッフは、威圧を受けたり、ミスがあったり、予定に無い余興が発生するパニックになりがちなこともしばしばです。これを乗り越えられるのが経験値となりますが、先人の指導を受けられないまま運営に関わるスタッフの入れ替わりが激しかったりで、同じ失態を繰り返すこともしばしば、傍から長く見ているとそんな状況も見受けられます。

◆リングアナウンサーを勧めたくはないが……

最近のリングアナウンサーは役者さん、劇団員さんなど芸能関係から起用されることが多く、一般人から募集されることは少ないですが、単なる司会業とは違い、やってみると面白い。カッコ良く目立ち、やり甲斐ある任務と言えるかもしれません。現実は上記のようなパニックに巻き込まれつつ、報酬も高くありませんので、決して勧められる任務ではありません。しかし、採用されることは難しいとても貴重な仕事です。こんな任務に興味あり、自信ある方は人づてに挑戦してみるといいかもしれません。

次の機会には、こんなキックボクシングの奇妙な世界に入り込んだ名リングアナウンサーの面々を紹介してみたいと思います。

生島翔さん。元・TBS生島ヒロシさんの次男さん。今年3月から登場。伊原代表の御挨拶の後のプレッシャーかかるマイク投げにもしっかり対応

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』6月号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

引退会見に白いジャケットを着こんできたフィギュアスケートの浅田真央だが「おしゃれすぎる」「アスリートとしてはかなり洗練されている」との声がアパレル業界からも上がっている。浅田が“趣味”としてスタートさせていたブランド「MaoMao」が本格的に稼働する気配があるのだ。

「浅田のブランドとしては、浅田自身が監修し、コラボしている『浅田真央リカちゃん人形セット』ばかりがクローズアップされているが、すでに数人のデザイナーが着物やトレーナーのデザインを持ち込んでいるとも聞いています。まだ忙しくて対応できていませんが、競技の衣装の作り方やも、大学の卒業式で自らがプロデュースした着物や袴は、『素人の領域を超えている』とアパレル業界でもあまねく知られるところ。あれだけ好感度が高い浅田が乗り出してアイテム数を増やせばひと商売になると、いまは有象無象のアパレル業界者が浅田サイドに営業をかけているという話です」(スポーツジャーナリスト)

現在は眼鏡フレームや小物、フィットウエアなど点数を絞って展開している「MaoMao」。

「だがまだ浅田は本腰を入れていない。本腰を入れればもっと“和”を取り入れて着物や手ぬぐいなどのプロデュースを始めるはず」(同)

浅田の“日本の伝統志向”はかなり強く、祇園のお茶屋『富美代』での懇親会に姉の舞と招待されたり芸妓の京舞に熱心に見入ったりしている。

「ですから、当分はアイスショーやスポーツ番組のキャスターなどをしてすごすのでしょうが、ブランド展開に力を入れる可能性があります。スケート靴に限らず、スポーツシューズで『MAO STYLE』とつけば必ず男女問わず関心を呼ぶはずです」(同)

連日、特別枠をとって引退番組が放映される「国民的人気のアスリート」が展開するブランドを大衆がほおっておくわけがない。

「イチローが引退して野球用品をプロデュースしたらバカ売れするはず。それと同じ論理ですが、こうした話は、海千山千の悪いコーディネーターがお金を持ち逃げしたり、ずさんな経営をして借金したりするケースが多いのもまた事実。あまり事業欲を出してイメージを悪くすることもないでしょう。あいかわらずブランド展開は『趣味の範囲で』我慢しておくのが利口という声もあります」(スケート連盟関係者)

浅田がプロデュースするグッズやウェアがもしアイスショーの会場で販売されれば圧倒的にはけるだろう。また、今なら「サイン入りグッズ」なら飛ぶようにはける。

「金メダルをとった荒川静香も、1年でキャスターや講演にと、だいぶ荒稼ぎをした。浅田はこの1年で相当稼げるはずですよ。でも講演やテレビ出演などでそんな時間がさけるかどうかは心配ですが」(同)という声も。

競技としては、力が落ちて“薄氷を踏む”ような晩年のアスリート生活。だがビジネスでは「滑らない」のが真央流……のようだ。


◎[参考動画]女子フィギュア浅田真央選手が引退会見(2017年4月12日THE PAGEライブ配信)

(伊東北斗)

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商業出版の限界を超えた問題作!

向山鉄也氏。ヒザ蹴りを顔面に食らって鼻が“くの字”に曲がる痛々しい鼻骨骨折を負った

向山鉄也氏

選手は日々辛い練習と減量に耐え、命がけでリングに立っているにもかかわらず、観衆は試合を観ながら「やっちまえ~」「すげ~」などと叫んだり、「つまんねえぞ~早く終われよ」と無責任な野次を飛ばしたりと勝手な言い分を繰り返すも、お金を払って観ているお客様はそれも自然な姿です。選手はそんな応援や野次を飛ばされながらも、痛手を負ってリングを降りる場合もあります。

◆試合での痛い想いで!

試合での負傷でいちばん多いのはヒジで切られる顔面のカットでしょう。顔の皮膚の厚さというものは他の身体の部分よりかなり薄いと言われます。切れやすいが傷そのものは治りやすい。しかし当分はより一層薄くなるので、また同一箇所が切れやすくなります。

1983年2月に行なわれたウェルター級チャンピオン対決、向山鉄也(北東京キング)vs レイモンド額賀(平戸)戦では、向山の激戦の判定勝利も、額賀のヒザ蹴りを顔面に食らって鼻が“くの字”に曲がる痛々しい鼻骨骨折を負いました。医務室でドクターが「ちょっと痛いけど我慢して」と両手の指で鼻を伸ばそうとする応急処置では形は戻らず、いずれにしても翌日に病院へ向かうことになりました。

同時期に活躍した現NJKF代表理事の斉藤京二氏は1982年7月にヤンガー舟木(仙台青葉)のハイキック(だったと思う)で、アゴを骨折。入院の際には固定の為、アゴを動かさないように上歯茎と下歯茎を糸で縛るという、聞くのも痛々しい話。食事は1ヶ月ほど歯の間から流動食だったようです。

石井宏樹氏。ヒザ蹴りを受けて小腸が裂けたものの、その後再起して翌年にはラジャダムナン王座を奪取

1986年1月には日本ライト級タイトルマッチで挑戦者・甲斐栄二(ニシカワ)の強烈なパンチによるKO負けで王座陥落した長浜勇(市原)は、頬骨陥没で骨を繋ぐ固定の手術。1ヶ月ほど左眼の脇から針金が出たままだったという、これも痛々しく目障りそうな針金の存在でした。

1993年頃に新人選手が蹴りの攻防でダウンし、スネが折れた状態で立ち上がろうとするも、その折れた部分が普段見ることのない方向に曲がり、痛々しく倒れ担架で運ばれるシーンがありました。1995年頃にも同様にあるタイ人選手が現RISE代表の伊藤隆氏のローキックをブロックしてスネが折れる負傷がありました。

2010年7月に起きた負傷で、石井宏樹がヒザ蹴りを受けて小腸が裂けた試合がありました。蹴りを受けた直後は気付かずも次第にスピードが鈍り、ヒジ打ちでアゴを打ち抜かれて倒される初のKO負けとなりました。控室に帰っても平然とし、帰りにジム仲間と食事中、何か腹部全体がおかしいと気付き、やがて立てない状態になり病院へ救急車で運ばれ緊急手術。みぞおちからヘソを避け、その下まで切る大手術でした。石井らしくない展開に、同年3月に3度目のムエタイ・ラジャダムナン王座挑戦も失敗した後で、気力も衰えたかと思われましたが、この負傷で一旦は引退を覚悟も、やり遂げていない夢を掴みにその後再起して翌年、ラジャダムナン王座奪取に至る経緯がありました。

短い現役生活だった渡辺信久氏(現・日本キックボクシング連盟代表理事)。打ち合いも怖くなかったが……

古くは現・日本キックボクシング連盟代表理事で、元・プロボクサーの渡辺信久氏の右眼網膜剥離がありました。またこの症状で多くのボクサー、キックボクサーが引退を余儀無くされたことでしょう。引退勧告を受け、後にキックボクサーとして再起した渡辺氏は再度右眼を打たれる打撃の蓄積で右眼失明に至り引退。入院時は強制的に頭を砂枕に固定して眼球も動かしてはならず寝たまま、トイレもベッドの上で済ませる状態が2週間も続く、これも精神的にキツイ入院生活を2度も味わっています。

古い時代の日本人某選手のタイでの試合中、股間を蹴られて金属製のノーファールカップが破損、しかし股間ローブローでは滅多に止めない当時のムエタイの流れで続行され、更に股間を狙われて割れたカップが睾丸に突き刺さる重症。病院へ運ばれるも睾丸を一個失った悲惨な負傷もありました。

プロボクシングで2004年6月にフライ級で世界王座初挑戦した坂田健史(協栄)は序盤にロレンソ・パーラのパンチでアゴを折り、下の歯ほぼ全部が下顎に喰い込む重症(直後かその後終了までに)を負いながら判定まで戦った試合もありました。試合後のインタビュー時には喋ることも難しい、アゴが自由には動かない状態でした。

◆長い人生、この先は!

これらの負傷はかなり重症ですが、いずれも計り知れない痛みが聞く側にも想像ながら伝わってきます。心折れない選手は、再起に向けてリハビリに励むことでしょう。しかし、進退を左右する負傷の重さは千差万別です。見た目でわかる外傷は治り具合も分かり易いですが、見た目でわからない内部損傷では、脳の損傷はCTスキャンなどの精密検査を受けなければ分からず、健康であっても異常が見つかったり、かなり打たれていても異常が無い頑丈な選手もいます。

脳への障害が懸念されるプロボクシングでは、「選手自身の将来を重く考え、早めのストップを実施しています」とアナウンスされますが、重症を負ってもまたそこから他競技へ転進する道も昔からあり、遺書を残して試合に臨む選手もいて、それぞれの選手の好きなように生きる道と容認するしかないのかもしれません。

キックボクシングに於いてはどの選手も全身のどこかが負傷しがちですが、キツイ練習で得た強靭な身体とディフェンス力で、重い後遺症を引きずる選手は比較的少ないと思われます。そして引退後も五体満足で第二の人生に臨める選手は幸せなことでしょう。

格闘技であるが為、試合では常に危険と隣り合わせですが、無事に試合が終わってもそのダメージは伝わりにくいものです。試合後、リングを降りる選手には、好ファイトを魅せた選手も消極的な試合をする選手であってもリングに立った覚悟に敬意を表したいものです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売『紙の爆弾』6月号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

勝次vsマニーデーン。勝次の“真空飛びヒザ蹴り”が軽く炸裂

キックボクシング伝説の東洋ライト級チャンピオン、沢村忠の大技、“真空飛びヒザ蹴り”の継承者と名乗る勝次(=高橋勝次)が毎度の試合で飛ぶ姿を見せること多く、新たなキャッチフレーズが付いて存在感アップした印象。

この日はマニーデーンを左フックで完全なノックダウンを奪い、その後連打で追い回し、3度の飛びヒザ蹴りも見せ、2度レフェリーが止めに入る形のスタンディングダウンの末に終了。

渡辺健司は攻め難さを持つ技巧派で曽根修平を迎え撃ち、以前よりパンチのコンビネーションブローが増して、ヒジ打ちで顔面カットにも成功。好戦的に勝利を掴みました。

ムエタイ・ラジャダムナンスタジアム王座へ向けて“前哨戦”を勝ち続ける江幡ツインズの、今回は兄・睦が、毎度のテクニシャン相手に攻め崩すことの難しい展開を乗り越え、活路を見い出し、パンチ連打でノックアウトに結び付けました。アヌチットは元タイ南部ライトフライ級チャンピオン。元・地方のチャンピオンとか、軽量級と言っても油断ならないテクニシャンが続き、ラジャダムナンチャンピオンにどんな戦略でも負けない経験値を積む試練となっています。

マニーデーンvs勝次。さらに連打で圧倒、2度目のダウンへ繋げる勝次

◎TITANS NEOS 21 / 4月16日(日)後楽園ホール17:00~
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

アヌチットvs江幡睦。隙を見つけてパンチを打ち込む江幡睦

アヌチットvs江幡睦。蹴り負けないアグレッシブな江幡睦

アヌチットvs江幡睦。最後はパンチ連打で倒す江幡睦

渡辺健司vs曽根修平。好戦的な曽我に対し、迎え撃つ渡辺のローキック

勝次vsマニーデーン。勝次が最初のダウンを奪った左フックのシーン

◆54.0kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.0kg)
VS
アヌチット・タムスアムエタイジム(元・タイ南部LF級C/タイ/53.0kg)
勝者:江幡睦 / KO 3R 1:24 / カウント中のタオル投入

◆68.0㎏契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.75kg)
VS
曽根修平(武湧会/67.85kg)
勝者:渡辺健司 / 3-0 (30-27. 30-28. 30-27)

◆63.0kg契約3回戦

日本ライト級チャンピオン.勝次(=高橋勝次/藤本/62.65kg)
VS
マニーデーン・ギャットプラパット(タイ/62.5kg)
勝者:勝次 / KO 2R 2:12 / 3ノックダウン

◆55.57㎏契約3回戦

MA日本スーパーバンタム級チャンピオン.竹内将生(エイワS/55.4kg)
VS
日本バンタム級5位.古岡大八(藤本/55.57kg)
勝者:竹内将生 / 3-0 (30-28. 30-29. 30-29)

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級2位.高橋亨汰(伊原/57.15kg)
VS
日本フェザー級7位.皆川裕哉(藤本/56.95kg)
勝者:高橋亨汰 / 2-0 (29-29. 30-29. 30-29)

◆ヘビー級3回戦

日本ヘビー級2位.マウロ・エレーラ(伊原/アルゼンチン/97.2kg)
VS
酒井リョウ(パラエストラ松戸/108.0kg)
勝者:マウロ・エレーラ / 3-0 (30-26. 29-26. 29-26)

◆78.0㎏契約3回戦

古居良一(伊原/77.5kg)vs中川達彦(花鳥風月/77.8kg)
勝者:古居良一 / 3-0 (30-27. 30-28. 30-28)

◆ライト級3回戦

日本ライト級6位.和己(伊原/60.9kg)vs清水隆誠(列挙會/61.1kg)
勝者:清水隆誠 / TKO 1R終了 / 公式発表は2R 0:01
インターバル中に和己の左肩脱臼の疑い発覚、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ。

◆62.5kg契約3回戦

日本ライト級8位.熊井亮介(伊原)vs長谷川健(RIKIX)
熊井亮介の負傷欠場により中止

他、4試合は割愛します。

《取材戦記》

前日に日本キックボクシング連盟興行があり、この日TITANS興行があり、2日続けて1試合ずつ負傷欠場した選手が居た為、起きた事態が“不戦勝”でした。このテーマで書いたばかりで、今更ここで何も語ることはありませんが。

現在の勝次路線は、出場が決まっている「KNOCK OUTトーナメント」で優勝出来るか。日本タイトルを3度防衛し、飛びヒザ蹴りを連発し、存在感がグッとアップした今、勝ち進めば12月まで出向という形になりますが、“真空飛びヒザ蹴りの継承者”として、どこへ行っても老舗・目黒の存在感を示して欲しいところ。

この技で倒すには相当難しい戦略が必要になり、相手が咄嗟に前進するところや、相当ダメージがあって棒立ちになるところなどでなければ決まるものではありませんが、これで豪快なノックアウトが続けば、更に各メディアからも注目を浴びる存在となるでしょう。

現在の江幡ツインズは、毎度のいろいろなタイプのムエタイテクニシャン相手に経験値を高めつつある中、今後、実現するであろうラジャダムナン王座挑戦を控え、チャンピオンと対峙した時は過去の前哨戦とは違う、どんな展開に転ぶかはまた難しい壁が立ちはだかりますが、ファンにとっても待たされつつある中、今年は行なわれるであろう睦にとっては4度目の挑戦、塁にとって2度目の挑戦。どういう結果になろうとも早く見たいものです。負ければもう再浮上の難しいどん底。獲ればまた次の壁が立ちはだかるでしょう。どこまで上へ進めるか、どれだけ価値ある結果を残せるかファンは成り行きを見ています。

勝次は今や絶好調。KNOCK OUTへ出陣

◆新日本キックボクシング協会の次回興行「WINNERS 2017.2nd」は5月14日!

新日本キックボクシング協会の次回興行は、5月14日(日)後楽園ホールに於いて、「WINNERS 2017.2nd」が開催され、志朗のISKAムエタイ世界バンタム級(55kg級)王座初防衛戦と、麗也が挑むISKAオリエンタル・インターコンチネンタル・フライ級(53.5kg級)王座決定戦が行なわれます。

ISKAムエタイ世界バンタム級(55kg級)タイトルマッチ 5回戦
チャンピオン.志朗(治政館)vs挑戦者・アドリアン・ロペス(スペイン)

ISKAオリエンタル・インターコンチネンタルフライ級(53.5kg)王座決定戦 5回戦(首相撲、膝蹴り有効、肘打ち禁止)

ISKA 世界フライ級6位.麗也(治政館)vs ISKA 世界フライ級4位.タイ・バーロー(イギリス)
(※名前の“タイ”は父親がムエタイ好きのために付けたようです)

1月の賞金マッチで、パカイテットを最終ラウンド終了間際の劇的KO勝利を収めた志朗の出場と、志朗を追う後輩の麗也の存在は、江幡ツインズや勝次とまた違った戦術を持つ好戦的テクニシャンです。志朗と麗也はタイでも頻繁に試合出場があるため、日本での出場が少ないですが、劇的KOが続けば、また更に日本とタイで注目を浴びる存在となるでしょう。

江幡睦vsアヌチット。どんなタイプも攻略できる力を付けた江幡睦

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』タブーなし!の愚直なスキャンダルマガジン

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