西日本新聞「押し紙」訴訟判決とオスプレイ搭乗記事の掲載について 江上武幸(弁護士)

◆西日本新聞1面トップ記事『国防の最前線』への強い違和感

11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面のトップに、「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事が掲載されていました。

オスプレイは、ご承知のとおりアメリカでは「未亡人製造機」と呼ばれるほど墜落死亡事故の多い軍用機で、開発段階から昨年11月の鹿児島県屋久島沖墜落事故までに計63人が死亡しています。生産ラインは2026年に終了予定で、世界で唯一の輸入国である日本は、陸上自衛隊が17機を総額3600億円で購入し、2025年6月に佐賀空港に配備する予定です。

現在、空港の整備工事が着々と進行しています。その額は社会保障費の削減分3900億円に匹敵しており、社会保障費を削り、そのお金でアメリカの欠陥機を購入するという、子供でもわかるような愚策が実行されています。

11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面トップ「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事

佐賀県選出の立憲民主党の原口一博衆議院議員は、もともと諫早湾干拓の堤防の開門決定に従わない国に強い不信感を感じておられ、開門しない代わりに漁業者に交付予定の100億円の基金についても、オスプレイ購入代金一機分にも満たないとして、憤りをあらわにしておられます。

原口代議士は佐賀県出身であり、鍋島藩の武士道「葉隠れの精神」に基づき、そもそも国が欠陥機であるオスプレイを1機200億円で購入するだけでなく、墜落の危険がある欠陥機に自衛官を搭乗させることに怒りを感じておられます。平の自衛官ではなく、幹部の自衛官が搭乗しろという至極まっとうな葉隠れ精神に基づく主張です。

私は、来週の12月24日午後1時15分に言い渡される西日本新聞押し紙訴訟の判決を前に、西日本新聞が1面トップに何故冒頭のような記事を掲載したのか、強い違和感を感じています。

◆西日本新聞社は、なぜこのような記事を1面トップに掲載することにしたのか?

縦の見出しには「『米中の対立の影』にじむ」と書いてあります。長田健吾記者が福岡空港でオスプレイに乗り込み、九州西方の洋上を航行する原子力空母ジョージ・ワシントンに着艦して、エマニュエル駐日大使の記者会見を受けるという筋書きです。

九州周辺の中国との緊張状態をことさら強調する内容の記事になっています。

西日本新聞社は、なぜ記者を命の危険にさらしてまでオスプレイに搭乗させ、このような記事を1面トップに掲載することにしたのか?

佐賀県を始め九州・山口各県の住民の大多数は、戦争になったら真っ先に攻撃の的になることもあって、オスプレイの配備には反対しています。それにもかかわらず、九州・山口を代表するブロック紙の西日本新聞社が、平和の訴えと真反対に軍事的緊張をあおる記事を掲載したのか、全く理解が出来ません。

平和交渉こそ強く訴えるべき新聞が、戦前の従軍記者のように、現地の軍事的緊張感を読者に訴える記事を書いているようにしか見えません。

来週の西日本新聞の押し紙訴訟の判決の結論と、この記事が何らか関連しているのではないかとの懸念を覚えましたので、急遽、投稿することにした次第です。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月22日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

西日本新聞福岡地裁「押し紙」裁判敗訴判決のお知らせ ── モラル崩壊の元凶「押し紙」 江上武幸(弁護士)

◆裁判官全員が同時に交代した裁判──最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題

12月24日午後1時15分から、福岡地裁本庁903号法廷で、西日本新聞販売店(長崎県)の押し紙裁判の判決が言い渡されました。傍聴席には西日本新聞社関係者が10名程度ばらばらに座っていましたが、相手方弁護士席には誰もいないので、一瞬、原告のSさんと「ひょっとしたら」という思いに囚われましたが、予期した通り敗訴判決でした。判決文は入手できていませんので、とりあえず結果を報告します。

合議体の三名の裁判官は、昨年4月1日にそれぞれ東京高裁・東京地裁・札幌地裁から福岡地裁に転勤してきた裁判官で、裁判長は司法研修所教官、右陪席は最高裁の局付の経歴の持ち主であり、いわゆるエリートコースを歩んできた裁判官達です。

合議体の裁判官全員が同時に交代する裁判を経験したのは弁護士生活48年で初めてであり、他の弁護士・弁護団が担当している各地の押し紙裁判でも、奇妙な裁判官人事が行われていることは承知していましたので、敗訴判決の危険性は常に感じながら訴訟を進行してきました。

最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題については、福島重雄裁判官、宮本康昭裁判官、最近では瀬木比呂志裁判官、樋口英明裁判官、岡口基一裁判官ら(注・いずれも元裁判官)、多数の裁判官が著作を出版されており、最高裁事務総局内部の様々な動きを知ることができます。大変、ありがたいことです。

私は、司法研修所29期(昭和52年〔1977年〕の卒業であり、同期には最高裁長官や高裁長官になった裁判官もいます。当時の研修所の雰囲気は、青法協弾圧の嵐は一応過ぎ去っており、教官の自宅を訪問するときは手土産を持参するようにとの指導が行われても反発するような雰囲気になることはありませんでした。実社会の経験のない世間知らずの私は、司法修習生になるとそのような礼儀作法を身につけることまで教育の一部だというくらいに受け止めていました。研修所当局による従順な修習生教育の一環であるといったうがった考えは浮かんできませんでした。

◆裁判官は法と良心のみに拘束される

ところで、瀬木比呂志裁判官の著書『裁判所の正体』(新潮社2017年/共著者=清水潔)によると、29期で最高裁長官に就任した裁判官は、青法協加入の裁判官の弾圧をはじめた石田和外長官、後任のミスター最高裁と呼ばれた矢口恭一長官、司法反動の完成者と評されている竹崎博充長官の人脈に連なる人物であると書いてありました。瀬木裁判官ら最高裁中枢にいた裁判官でなければ知りえないエリート裁判官達の人脈に関する記載であり、外部のものが知りえない貴重な情報です。

私たちの期の人間は、そろそろ鬼界を控えていますので、最高裁長官や高裁長官経験者の人たちには、裁判官生活の記録を人事問題を含め後世のために残しておいてほしいものです。

特に、最高裁事務総局に対する「報告事件」なるものが存在すること自体は、明らかになっていますが、報告事件の中身と報告事件の処理ついては一切明らかにされていません。私個人として、「押し紙事件」が報告事件に指定されているか否かは是非とも知りたいところです。

日本の憲法は、裁判官の独立を保障しています。裁判官は法と良心のみに拘束され、他から干渉を受けることはありません。裁判官の判断は判決が全てであり、審理の途中で最高裁事務総局から担当書記官あるいは担当裁判官に対して、特定の事件について、その内容・審理の状況を報告させる仕組みは、裁判官の独立を侵すものであってはなりません。そのような制度は、裁判官・書記官だけでなく事務官を含めてその事実をしる裁判関係者のモラルの崩壊、士気の低下を招くことにつながると思います。

◆最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由

最高裁は違憲立法審査権を有しており、日本の最終国家意思を形成することができる機関です。戦後、冷戦の始まりと朝鮮戦争の勃発という国際情勢の変化により、戦前の支配体制がそのまま維持されることになりました。裁判官も戦前の問題を追及されることなく、戦後も従前通りの地位を保持することが許されました。

矢部宏治氏や吉田敏浩氏らの著作やネット情報によって、日本の政治は、在日米軍の高級将校と日本の官僚のトップで構成される日米合同委員会によって決定されているのではないかとの疑いが、広く国民に認識されるようになってきているようです。安保条約と憲法の関係について、戦後、最高裁長官とアメリカ大使が内密に協議していた事実も知られるようになっています。

最高裁は日本の最高法規である憲法の上に日米安保条約を置き、米軍基地と軍人・軍属に派生する問題については、基本的には違憲・合憲の司法判断はしないという統治行為論なる理論を生み出しています。それと、今大問題となっている「企業・団体献金」の合憲性についても、私は、最高裁の法的判断というよりむしろ高度な政治的判断によるものではないかとの疑念を抱いています。

三菱重工による「企業・団体献金」の合憲性について最高裁が合憲と判断したことに、どうしても納得できず、違和感を抱えてきました。国の政治は主権者である国民一人一人が参加して決定するもので、主権者でもない企業や団体に政治活動の自由を認め、支持する政党への献金も許されるとの判断にどうしても納得できないできました。

ところが、この問題について、最近のネット情報等により設立当初の自民党の政治資金がCIAから提供されていたことがわかり、すべての疑問が氷解しました。つまり、アメリカとしては早々に自民党の活動資金の支援を打ち切り、日本人にその肩代わりをしてもらう必要があったのです。

CIAに代わる資金の提供者が「企業・団体」であると考えれば、最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由が理解できます。企業・団体献金についてはその弊害が問題となり、「政党助成金」が支払われるようになりましたが、その後も自民党は企業団体献金を廃止しようとはしません。

◆三人の裁判官は、どのような法的判断の枠組みで西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導いたのか

本件押し紙訴訟の最大の特徴は、4月と10月の定数(西日本新聞社の原告に対する新聞の供給部数)が前後の月より200部も多いことです。西日本新聞が4月と10月に、前後の月より200部も多い新聞を販売店に供給するのは、販売店の折込収入を増やすのが目的です。つまり、販売店の押し紙の仕入代金の赤字を折込広告料で補填するためにそのような措置を講じているのです。

※注釈:折込広告の販売店への定数(供給枚数)は、4月と10月の新聞の部数で決まる。4月の定数は、6月から11月の広告営業のデータとして使われ、10月の定数は12月から翌年5月の広告営業のデータとして使われる。それゆえに新聞社は、4月と10月に押し紙を増やす場合がある。このような販売政策を、販売店は、「4・10(よんじゅう)増減」と呼んでいる。

仮に、西日本新聞社の折込広告詐欺を裁判所が認めた場合、西日本新聞社に限らず押し紙問題を解決していない他の新聞社に判決の与える影響は想像もつきません。新聞を始めテレビ・ラジオなどのマスメディアに対する国民の信頼は、完全に失われる危険があります。

新聞・テレビ・ラジオ等のマスメディアに対する国民の信頼が失われれば、マスメディアによる国民世論の形成や統一は不可能となるでしょう。そのような事態を招くことを最高裁が容認することは、最高裁の政治的性格からして考えられません。

本件押し紙裁判の判決を書いた三人の裁判官が、西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導くために、どのような法的判断の枠組みを考えだしているのか、その判決理由を知りたいものです。

後日、判決を入手後、この問題については検討の上、報告させていただくことにしますので、しばらくお待ちください。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月25日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

モラル崩壊の元凶 ─ 押し紙 ─ 西日本新聞押し紙訴訟判決期日決定のご報告  江上武幸(弁護士)

◆はじめに

西日本新聞社を被告とする2つの押し紙裁判が終盤に差し掛かっています。

長崎県の西日本新聞販売店経営者(Aさん)が、2021年7月に、金3051万円の損害賠償を求めて福岡地方裁判所に提訴した押し紙裁判の判決言い渡し期日は、来る12月24日(火)午後1時15分からと決まりました。

また、2022年11月に5718万円の支払いを求めて福岡地裁に提訴した佐賀県の西日本新聞販売店主(Bさん)の裁判は証人尋問を残すだけとなっており、来春には判決言い渡しの予定です。

これら二つの裁判を通じて、私どもは西日本新聞社の押し紙の全体像をほぼ解明できたと考えております。

(注:「押し紙」一般については、グーグルやユーチューブで「押し紙」や「新聞販売店」を検索ください。様々な情報を得ることができます。個人的には、ウイキペディアの「新聞販売店」の検索をおすすめします。)

 
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◆押し紙とは

新聞販売店は新聞社から独立した自営業者ですので、販売店の経営に必要な部数は自分で自由に決定する権利があります。他の商品の場合、初めから売れないとわかっている商品を仕入れることはありませんので当然のことです。しかし、新聞社は発行部数の維持拡大を目指して他紙と熾烈な部数競争を繰り広げており、しばしば契約上の優越的地位を利用して販売店に「目標数〇〇万部」などと過大なノルマを設定し、実際にその部数の仕入れを求めます。

新聞社が発行部数にこだわるのは、紙面広告の料金が発行部数に比例して決定する基本原則があるためです。部数をかさ上げすることで、広告収入の維持・増加を図るためです。販売店は新聞社に対して従属的な地位にありますので、新聞社の要求を拒めば契約の解除を暗にほのめかされるなど、不利な状況に追い込まれかねません。そのため、新聞社が示した部数を自爆営業で受け入れざるを得ないのです。

新聞社は販売店に目標部数を売り上げた時点で利益を計上することが出来ますが、販売店は売れ残った新聞の仕入れ代金を新聞社に支払い続けなければなりません。顧問税理士や銀行の担当者から無駄な新聞の仕入れをなくすように指示や指導を受けても、仕入れ部数を自由に減らすことは出来ないのです。その結果、廃業に追い込まれる販売店経営者もいます。

昭和20年代半ば以降、新聞統制の解除に伴い中央紙の地方進出が始まりました。それに連動した乱売合戦に巻き込まれた地方紙は、中央紙の戦略的な武器となっている押し紙禁止規定の制定を国に求めました。

昭和30年に公正取引員会は独占禁止法に基づく新聞特殊指定を制定し、新聞業界特有の優越的地位濫用行為である「押し紙」を不公正な取引方法に指定しました。それから70年が経過しようとしていますが未だに押し紙はなくなっていません。このことから、押し紙問題がいかに根深いものであるかをお分かりいただけると思います。

◆西日本新聞の押し紙政策の特徴

[1]自由増減の権利の否定

西日本新聞社(以下、「被告」と言います。)も販売店に対し注文部数を自由に決める権利(以下、「自由増減の権利」といいます。)を認めていません。注文部数(定数)を何部にするかは、被告が決めています。

(注:押し紙を抱えている新聞社はいずれも「自由増減の権利」を認めていません。私の知る限り、唯一、熊本日日新聞社と新潟日報社の2社が昭和40年代に押し紙をやめ、販売店に自由増減の権利を認めています。なお、鹿児島の南日本新聞の販売店主が余った新聞と折込広告を本社の玄関先に置いて帰るユーチューブの動画は必見です。)

[2]注文部数の指示

被告は新聞業界全体の動きや会社経営の状況をにらみながら、販売店の定数(注文部数=送付部数)を決定しています。しかし、訴訟においては、そのような事実を認めることはできません。販売店の注文部数はあくまでも販売店が自主的に決定していると主張する必要があります。

多くの新聞社は、FAXやメールで実配数や予備紙等の部数を報告させ、販売店が自己の経営判断で部数を注文しているとの主張ができるようにしていますが、被告は実配数と増減部数(入り止め部数)の報告は記録に残らないように電話で受け、そのあとに注文表に記載する注文部数を指示する方法をとっています。

[3]外形的注文行為の虚構

被告は販売店に注文部数を指示していますが、注文はあくまでも販売店が自主的に行っているようにと見せるため、「注文表による注文行為」と「電話による注文行為」の二種類の虚構の注文行為を用意しています。

(1)電話による注文行為

原告ら販売店は自由増減の権利がないため、被告に自らの意思で決定した注文部数を注文することはありません。電話で注文を受けていたとの被告の主張は虚構です。被告が電話で注文を受けていたと主張するのは、「電話による注文」であれば、客観的証拠が残らないからです。 過去の押し紙裁判でも、被告は販売店の注文は電話で受けつけていたと主張し続け、最終的に販売店敗訴の判決を受けています。その成功体験が背景にあるからと思いますが、FAXやメールの通信機器発達した現在でも、電話で注文を受けているとの主張を続けています。しかし、本件訴訟では、別件訴訟の原告の元佐賀県販売店経営のBさんが電話の会話を録音してくれていたおかげで、販売店からは電話で部数の注文はしていなかった事を証明することが出来ました。

(2)注文表のFAX送信指示

被告は原告に対し、電話で指示した注文部数を注文表に記載してFAX送信するよう指示しています。原告は指示された部数を注文表の注文部数欄に記入して、その日の内にFAX送信しています。被告は裁判では、「注文表記載の注文部数は参考に過ぎず、電話による注文部数が正式な注文部数である。」と主張していますので、電話による注文で足りるのに、何故、注文表のFAX送信を指示しているのかという問題が生じます。この点について、被告は次に述べるように、「注文表記載の注文部数は参考にすぎない。」と答えるだけで明確な説明はしていません。

なお、佐賀県販売店経営のBさんは注文表をFAXすれば、そこに記載した注文部数が自分の意思で注文した部数とみなされることを警戒していたことから、FAX送信を途中からやめておられます。

(注:被告の場合、注文表には「注文部数」の記載欄があるだけで実配数や予備紙の記載欄はありません。メールによる報告システムも構築されていません。)

◆注文表は参考に過ぎないとの主張

被告は本件裁判では、注文表記載の注文部数は参考に過ぎず電話による注文部数が真の注文部数であると主張しています。常識的に考えれば書面による注文部数が正式な注文部数であると主張する方が自然です。しかし、被告は当初から一貫して正式な注文部数は電話による注文部数であると主張し続けています。

被告が、何故そのような不合理で奇妙な主張を行うのか?

その理由は、原告が注文表に記載した注文部数よりも実際は多い部数を供給したり、注文部数が記載されていない白紙の注文表がFAX送信されたりしているため、被告は注文表記載の注文部数が注文を受けていたとの主張が出来なくなっているからだと思われます。

しかし、電話で注文した部数を注文表に記載してFAXするように指示しているのに、何故、電話の注文部数と注文表記載の注文部数が違うのか、あるいは、注文表の注文部数が白紙でFAXされていのに、何故、新聞の供給ができるのかといった素朴な疑問がわいてきます。

被告は、注文表のFAX送信は必ずしも電話報告の「後」になされるだけではなく、電話報告の「前」になされることもあると微妙に説明を変化させています。そうすれば、タイムラグの関係で、電話報告の前に注文表に記載した注文部数と、そのあとで電話で注文した部数に違いが出ることはありえるとの主張が可能となるからと推測しています。しかし、注文表の注文部数が白紙のまま送信された月の分については、そのような説明は通用しません。

そもそも電話による注文行為なるものは、被告が考えだした虚構の注文行為ですから、被告は無理に無理を重ねた嘘の説明を続けざるを得なくなっているとみています。

押し紙問題のバブル(聖書)ともいうべき毎日新聞社の元常務取締役河内孝氏の著作「新聞社 破綻したビジネスモデル」(2007年3月・新潮新書)のまえがきに次のような見識に満ちた一文が掲載されていますので、長くなりますが紹介します。

「バブル崩壊の過程で、私たちは名だたる大企業が市場から撤退を迫られたケースを何度も目の当たりにしました。こうした崩壊劇にはひとつの特徴があります。最初は、いつも小さな嘘から始まります。しかし、その嘘を隠すためにより大きな嘘が必要になり、最後は組織全体が嘘の拡大再生産機関となってしまう。そしてついに法権力、あるいは市場のルール、なによりも消費者の手によって退場を迫られるのです。社会正義を標榜する新聞産業には、大きな嘘に発展しかねない『小さな嘘』があるのか。それとも、すでに取返しのつかない『大きな嘘』になってしまったのでしょうか……。」

 
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◆4・10増減

黒薮さんの調査によれば、4月と10月は全国的にABC部数が前後の月より多くなっているとのことです(注:この現象は、販売店経営者の間では「4・10増減」と呼ばれているそうです)。とりわけ2000年代にその傾向が顕著に確認できるとのことです。

「4・10増減」は、押し紙により4月と10月にABC部数をかさ上げさせる販売政策です。

ABC部数が、新聞の広告効果を判断する重要な基準のひとつになっていることから、広告営業のデータとして採用させる4月部数(6月~11月の広告営業に使われる)と10月部数(12月~翌年5月)を、その前後の月よりもかさ上げしていると考えられます。折込広告代理店を通じて公表される販売店毎ごとの発行部数も、原則的にABC部数に準じているために、「4・10増減」は、不正な折込広告収入や紙面広告収入を生みます。

本件裁判のAさんの場合、4月と10月の定数が前後の月より約200部も多くなっている点が特に注目されます。この4月と10月の部数を被告はABC協会と西日本オリコミに報告していることを認めています。

被告は200部を上乗せした販売収入を原告から即座に得ることが出来ます。また、それにより年間を通じて、紙面広告料の単価と広告代理店の手数料を増やすことが出来ます。さらに、販売店の折込収入を増やすことで、押し紙の仕入代金の赤字の補助を減額することも出来ます。

しかし、被告が自己の利益のために、4月と10月に普段より200部も多い部数を販売店に注文させていることが社員に知れ渡れば、深刻なモラル崩壊が発生することが避けられません。このような取引方法を行うのは広告主に対する明らかな詐欺行為となりますから、自社がこのような重大な法律違反をしていることを知ったら、まともな常識を備えて社員は絶えられないでしょう。最近、嫌気がさした若手の販売局員が次々に転職している新聞社が出てきているとの話も伝わっています。

新聞社が詐欺行為をしている事が外部に知れれば、報道機関としての新聞社の信頼が地に落ちるだけでなく、警察・検察・国税等の国家権力の介入も避けられません。そのような危険があるにもかかわらず、新聞社は、何故、押し紙をいつまでも続けてこられるか? 単にマスメデイア業界の新聞・テレビ等が報道しないからというだけのことなのか、あるいは業界全体に、押し紙問題については国家権力の介入はないとの暗黙の確信があるのか、疑問は尽きません。

この問題には深い闇が隠れているように思われますので、黒藪さんの最新著「新聞と公権力の暗部-押し紙問題とメディアコントロール」(2023年5月・鹿砦社発行)を是非とも一読されることをお勧めします。

◆実配部数の秘匿

[1]被告の実配数の秘匿

被告は販売店の実配部数は知らない、あるいは知り得ないと主張してきました。しかし、被告のこの主張も虚偽であることが明らかになりました。

本件裁判のBさんが、内部告発者から平成21年(2009年)8月度の佐賀県地区部数表(販売店ごとに部数内訳を記録した一覧表)の提供を受けていたのです。それにより、私たち弁護団も、被告が販売店ごとの実配部数と定数(=送付部数)を一覧表に整理して保管している事を知りました。本件裁判で、被告側証人の若い担当員が長崎県地区でも、佐賀県地区部数表と同じタイプの部数表を作成していることを正直に証言してくれました。

ところで驚いたことに被告は、この地区部数表を特定の幹部しか知り得ないよう厳重に管理していることを認めた上で、裁判官に対して部数表の閲覧禁止を求めました。これは、販売店の実配部数が外部に漏れれば、広告主から広告料の損害賠償を求められることを被告が極度に恐れていることを自ら認めたも同然と言えるでしょう。また、ABC協会への新聞部数の虚偽報告の問題も無視できません。

こうした問題が派生するので、新聞社は自社の実配部数が外部に知れなることを恐れています。

[2]積み紙禁止文言と4・10増減

被告は、毎月の請求書に次のような文言を記載しています。

                記 

「貴店が新聞部数を注文する際は、購読部数(有代)に予備紙等(有代)を加えたものを超えて注文しないで下さい。本社は、貴店の注文部数を超えて新聞を供給することはいたしません。」

これと同じ文言は、他の新聞社の請求書にも記載されています。この文 言がいつから記載されるようになったのか正確には知りませんが、平成9年(1997年)に公正取引委員会が北國新聞社の押し紙事件の調査を行った時期ではないかと推測します。この調査を通じて、他の新聞社も押し紙を行っている事実が判明しました。

公正取引委員会は日本新聞協会を通じて加盟新聞各社に対して、新聞の取引方法を改善するよう求めました。私は、その時に各新聞社が足並みをそろえて上記の文言を請求書に記載するようにしたのではないかとみています。

被告も請求書に「積み紙禁止文言」を記載していますので、仮に原告が4月と10月の注文部数を前後の月より200部も多く注文すれば、被告は当然その理由を聞きただす必要と義務があります。というのも、4月と10月だけ、200部のかさ上げが必要となる理由は一般に想定されないからです。

被告は、「販売店が注文した部数をそのまま供給する販売店契約上の義務があるため、注文部数通りの部数を送付したにすぎない。」と説明するだけで、肝心の積み紙禁止の文言との関係については一切説明しようとしません。

しかし、先に述べたように、被告の内部から流出した佐賀県地区部数表の存在により、被告が販売店ごとの実配数を毎月正確に把握し、一覧表にまとめ、一部の幹部社員した閲覧できない状態で厳重に保管していること判明しました。従って、被告が実配数を200部も超過する部数の注文が積み紙っであることは容易に認識可能なため、被告の上記のような主張も通用しません。

 
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◆判決の見通し

以上述べたように、私ども弁護団は被告の押し紙責任の立証は充分に出来たと考えております。しかし、これまでの裁判例をみますと、殆どの裁判は販売店側の敗訴に終わっているので楽観することはできません。

販売店を敗訴させた過去の判決の論理構造をみると、平成11年(1999年)の新聞特殊指定の改定の際に、公正取引委員会が、昭和39年の押し紙禁止規定の「注文部数」という文言を「注文した部数」という文言に変更したことが、その後の裁判官の判断に影響を及ぼしているように思われます。

具体的に説明しますと、昭和39年(1964年)の新聞特殊指定の押し紙禁止規程は、「注文部数を超えて新聞を供給する行為」を押し紙と定め、「注文部数」については、実配部数にその2%程度の予備紙を加えた部数であるとの解釈を採用していました。これは公正取引委員会と新聞業界が共通に採用していた解釈でした。

しかし、平成11年(1999年)の改定で、「注文部数」という文言が「注文した部数」と変更されたことから、、裁判官はたとえ50%を超えるような大量の残紙を含む注文であってもその部数が、外形上、販売店が「注文した部数」となっておれば押し紙には該当しないと判断するようになったのです。

ちなみに、私が押し紙問題に首を突っ込むようになったのは、平成13年(2001年)5月に、福岡県の読売新聞販売店経営者であった真村久三さん夫婦から強制改廃の相談を受けた時からです。

当時、予備紙の上限を実配部数の2%とする業界の自主規制は平成10年にすでに撤廃にされており、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の改正でかつての「注文部数」の文言も「注文した部数」に変更されていました。その結果、新聞社は販売店が「注文した部数」を超える部数を供給しなければ「押し紙」でないという解釈に基づき、押し紙を利用した公然たる部数拡張競争を公然と繰り広げる状況が発生していました。全国的に、実際には販売していない新聞をABC部数として計上・公表するいびつな状況が生まれていたのです。

真村裁判の勝訴判決を機に、押し紙に関する相談が次々と持ち込まれるようになりましたが、多くのケースで押し紙率は、新聞業界自身が定めた上限2%どころか40%~50%にも及んでいました。

公正取引委員会は、平成9年(1997年)の北國新聞社の押し紙事件を機に、それまでの押し紙禁止規定の新聞業界による自主規制の方針を変更し、直接取り締まることを宣言します。その結果、新聞社は上限2%の制約から解放されます。さらに、平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の文言が「注文した部数」に改定されたため、新聞社は販売店が注文した部数を超えなければ押し紙ではないという身勝手な解釈に基づき、発行部数を際限なく増やしていきました。

北國新聞事件を機に押し紙はむしろ増大していったのです。押し紙を直接取り締まることを宣言した公正取引委員会も北國新聞社事件以降はまともな取り締まりを行うこともなく、サボタージュしたまま現在に至っています。

最近、国会で押し紙問題が再び取り上げられるようになっていますが、国会の質疑をみても公正取引委員会からは押し紙を積極的になくそういう熱意は伝わってきません。

ちなみに平成9年(1997年)の北國新聞事件の当時と平成11年(1999年)の押し紙禁止規定の「注文部数」の「注文した部数」への文言の改定当時の公正取引委員会委員長は、後に日本プロ野球連盟のコミッショナーに就任する、元東京高等検察庁長官の根来泰周氏でした。

根来氏が公正取引委員会委員長として、当時、押し紙問題にどのようにかかわってきたのか、読売新聞社の渡邉恒雄氏との関係を含め今後の解明が待たれるところです。

(注:根来氏は2013年11月に死去されています。)

話は変わりますが、静岡県清水市の味噌製造会社の専務一家4人が殺害された強盗殺人・放火事件の犯人として死刑判決が確定していた元プロボクサーの袴田巌さんの無罪が、この度の再審無罪判決によりようやく確定しました。静岡大学で青年期を過ごした私には、袴田事件ともう一つの再審事件の島田事件は忘れられない冤罪事件です。

当時、大学の先輩弁護士たちが、私たち学生に現地学習会への参加を呼び掛けていました。証拠の捏造までして袴田さんの人生を踏みにじった警察・検察のみならず、無罪を進言する同僚裁判官の意見を無視して死刑の有罪判決をくだした裁判官に対する国民の不信感は極めて大きなものがあります。司法の信頼を取り戻すために、弁護士を含め司法関係者の再発防止のための真剣な努力が求められています。

西日本新聞社を被告とする本件押し紙裁判は、当初、若手裁判官の単独事件として受理され、早々に和解が打診されました。押し紙裁判として異例な対応です。ほどなくして3人の裁判官による合議体に審理は移行しましたが、そこでも裁判官は、これまでの見られなかったような詳細な争点整理表を作成し、原告・被告の双方の代理人弁護士に検討を求めるなど、押し紙問題の解決に向けて熱心に取り組む姿勢を示されました。

そのような正常な流れを辿っていたにもかかわらず、昨年4月1日付で三名の新たな裁判官が福岡地裁に転任され、この押し紙裁判を担当されるようになりました。

私どもは、押し紙裁判で担当裁判官の奇妙な人事異動が行われるケースを経験しておりますので、本件の担当裁判官3名全員の交代にはいささか懸念を覚えております。しかし、この3名の裁判官が、原告本人と被告側の証人の証言を法廷で直接聞いておられますので、私どもの主張に十分耳を傾けた判断を示してくれることを期待しているところです。

ネット社会のすみずみまでの普及と歩調を合わせるように、紙の新聞の衰退が急速に進んでいます。そのような時代背景の中で、本件押し紙裁判の判決がどのような結論になるのか、また、その理由はどのようなものになるのか、福岡地裁の判断を皆様と一緒に見届けたいと思います。

今後も、裁判の進捗状況は逐一報告し続けたいと思いますので、皆様のご支援のほどをよろしくお願い申し上げます。

本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年10月15日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

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「押し紙」裁判をどうみるか? モラル崩壊の元凶「押し紙」── 毎日新聞押し紙裁判提訴のお知らせ 江上武幸(弁護士)

 
 

◆「押し紙」の実態

兵庫県で毎日新聞販売店を経営してきたA氏を原告とする1億3823万円の支払いを求める押し紙裁判を大阪地裁に提訴しました。

請求金額の内訳は、預託金返還請求金が623万円、販売店経営譲渡代金が1033万円、押し紙仕入れ代金が1億2167万円です。

この事案の特徴は、Aさんが廃業後の生活に予定していた預託金623万円と販売店譲渡代金1033万円の計1656万円を受け取れないまま、無一文の状態で廃業に追い込まれた点にあります。

これまで、銀行負債を抱えたまま廃業せざるを得なくなった販売店は多数見聞きしてきましたが、信認金(預託金)や販売店譲渡代金を一円も受け取れないまま廃業に追い込まれたケースは初めてです。

販売店経営者は、廃業せざるを得なくなった場合でも、信認金や販売店の譲渡代金があれば、当面の生活費に充てたり、自己破産の弁護士費用に充てることができていました。しかし、Aさんの場合は、蓄えもなく銀行負債を抱えたままで経営が続けられなくされたうえに、信認金や販売店譲渡代金も新聞の仕入代金に充当され、翌日の生活費も残らない状態で廃業させられました。

幸い、Aさんは単身者だったため、経営者仲間の協力でアルバイトをしながら生活を維持することが出来ています。今年の熱い夏、毎日汗水を流しながら新聞配達とオリコミ広告のポスティングをしているAさんには頭が下がります。

しかし、Aさんに奥さんや子供さんがいたとしたら、その生活はどうなっていたでしょうか。考えるだけで恐ろしくなります。

◆新聞社のモラル崩壊

月刊誌『ZAITEN』の5月号に、廃業を申し出た読売新聞の販売店主が本社から廃業を再三慰留されてやむなく経営を続けていたところ、大雪に見舞われ欠配しないように店に泊り込みしたことから体調を崩し、数日、店を休み電話にもでなかったところ、販売店継続意思の放棄であるとして読売から販売店契約を強制解除され、販売店譲渡代金が支払われなくなった記事が掲載されていました。

また、私共が担当した広島県福山市の濱中さんに対しても、読売は補助金の不正受給を理由として大阪高裁が1000万円を超える損害賠償を認めた判決に基づき、浜中さんの預金を差し押さえる状況が生まれています。

共存共栄をうたい文句に販売店経営者に莫大な押し紙仕入代金の支払いを続けさせておきながら、廃業した途端、販売店主に残されたわずかな生活資金まで取り上げてしまう新聞社の非道な仕打ちには言葉も出ません。新聞社のモラル崩壊もついにここに極まれりという感じがしています。

大手新聞社ですら、販売店経営者の最後の命綱ともいうべき営業保証金や販売店経営譲渡金まであてにしなければならないほど危機的な経営状況にあることを示しているのかもしれません。

ABC部数の減少がこのままのペースで進むと、新聞社の経営は10年も持たないのではないかと危惧するむきもあります。

そうなれば、新聞の消滅と共に押し紙もいずれなくなります。長い間、「押し紙」は新聞業界の最大のタブーとして国民の目から隠し続けられてきましたが、ネットの普及によって「押し紙」を検索すればおびただしい情報があふれており、もはやタブーでもなんでもありません。失われた30年を経た現在、日本の現状をみると新聞社のモラルの崩壊がシロアリが巣食うように全国津々浦々にまで及んでおり、もはや日本人の美徳であったモラルの取り戻しは絶望的なようにも感じております。

最後のよりどころというべき裁判所が、この問題にどのような姿勢をしめすのか、これからも押し紙裁判の行方に関心を寄せて頂くようお願いして、毎日新聞押し紙訴訟提起の報告と致します。

*福岡地裁の西日本新聞の2件の押し紙訴訟の内1件は、来る10月1日に結審予定です。最終準備書面を提出しますので、その内容は次に報告させて頂くことにします。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長。綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年09月21日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

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モラル崩壊の元凶、「押し紙」── 西日本新聞・押し紙訴訟の報告 黒薮哲哉

福岡・佐賀押し紙訴訟弁護団の江上武幸弁護士による西日本新聞・押し紙訴訟の報告を以下、紹介する(編集部)。

◆福岡・佐賀押し紙訴訟弁護団 弁護士・江上武幸(文責)

去る7月2日、西日本新聞販売店を経営していたAさんが、押し紙の仕入代金3051万円の損害賠償を求めた福岡地裁の裁判で、被告の担当員と販売部長の証人尋問が実施されました。双方の最終準備書の提出を待って、早ければ年内に判決が言い渡される見込みです。

押し紙は、新聞社が販売店に対し経営に必要のない部数を仕入れさせることをいいます。販売店への売上を増やすと同時に、紙面広告料の単価を吊り上げるためABC部数の水増しを目的とする独禁法で禁止された違法な商法です。

押し紙は、1955年(昭和30年)の独占禁止法の新聞特殊指定で禁止されてから約70年になります。このような長い歴史があり、国会でも再三質問に取り上げられてきたにもかかわらず、なぜ押し紙はなくならないのか、公正取引委員会や検察はなぜそれを取り締まろうとしないのか、押し紙訴訟に見られる裁判官の奇怪な人事異動の背景にはなにが隠されているのか、といった問題については、マスコミ関係者、フリージャーナリスト、新聞労連、独禁法研究者、公正取引委員会関係者、司法関係者など多方面の関係者、研究者・学者らによって更に解明が進められることが求められます。

新聞の発行部数は1997年(平成9年)の5376万部をピークに、2023年(令和5年)10月には2859万部と半世紀で約46%も減少しています。新聞販売店も2004年(平成16年)の2万1064店舗から、2023年(令和5年)の1万3373店舗と大きく減っています。

このまま推移すれば、10数年後には紙の新聞はなくなるだろうと予想されており、現在進行中の裁判の経過や背景事情について、時期を失せず皆様にお知らせすることはますます重要性を増しています。

西日本新聞社は、販売店からの注文は書面やメールではなく電話で受け付けていると主張しています。他の新聞社が、販売店の注文はFAXやメールで受けているのを認めているのに対し、西日本新聞社は別途注文部数を記載した注文表のFAX送信を指示しているにもかかわらず、販売店から電話で受けつけた部数が正規の注文部数であるとの主張をくずそうとしていません。

FAXやネットではなく電話で受けた部数が正規の注文部数であると主張するメリットは、電話の会話には文字情報の記録が残らないからです。

押し紙裁判では、販売店経営に真に必要な部数を超える新聞がどれだけ多く供給されているかが審理の出発点となります。

西日本新聞社は販売店が電話で注文した部数が正式な注文部数であり、その部数を供給しているにすぎないと主張しているため、その主張をくつがえすには、電話の会話を録音する以外に他に適当な方法がありません。福岡市西部の西日本新聞・今津販売店の場合、店主は電話で報告した部数をノートに記録して残す方策を構じたものの、電話の会話を録音することまではしていませんでした。

私どもは、ノートに記載した部数は電話による注文部数と同じであるとの立証趣旨でノートを提出しましたが、西日本新聞社はノートに記載された実配数に多数の間違いがあると指摘し、ノートに記載された部数全体の信用性を争う訴訟戦術に出ました。裁判所も結局、西日本新聞社のこの主張を認め今津販売店の損害賠償請求を棄却しました。

今回は、佐賀県で販売店を経営していたBさんが電話で報告した部数を所定の用紙に書き込んで記録として残すだけでなく、電話の会話も録音していましたので、西日本新聞社はBさんが電話で報告した部数と記録された部数とが一致していることは認めざるを得なくなりました。

他方、Aさんは電話録音をしていませんので、録音データーを証拠に提出することは出来ませんが、Bさんが提出した証拠はAさんの裁判でも有利な証拠として利用することが出来ましたので、裁判所はAさんの主張を無下に退けることが難しくなったと見ています。

もう一つの成果は、電話で報告を受けた担当員は、報告部数をその場でメモし、後刻、長崎県全体の販売店ごとに、電話による報告部数と定数を一覧表に整理して記録している事実を認めたことです。

販売店毎の実配数がわかれば、広告主から公正取引委員会に対する押し紙の調査や、警察・検察に対し広告料の詐欺罪の告訴・告発が可能となります。

私は以前、ある新聞社の販売店経営者から、「押し紙をなくすために、まず自分が地元の警察に折込広告料の詐欺罪で自首しようと思っているがどうだろうか。」との相談を受けたことがあります。新聞社と販売店は折込広告料の詐欺罪の共犯関係にあるので、まず自分が自首して新聞業界の押し紙問題を世間に訴えたいというのです。

私は、「警察・検察・裁判所などの司法機関は、記者クラブなどの便宜供与にみられるように、新聞社と日常的に密接に交流しており、基本的には持ちつ持たれつの関係にあると考えた方が良い。仮に自首しても、新聞社は押し紙はしていないと言い張るし、新聞やテレビで報道されることもない。詐欺罪で立件されるとしても犯人はあなただけにされますよ。そうなれば家族を路頭に迷わせ、あなた自身の人生も台無しになるので、自首することは考えないほうがいいですよ。」といって、警察や検察への自首を断念させたことがありました。

今回は、部外秘の佐賀県販売店の部数報告書を内部関係者が公益通報してくれましたので、4・10増減の問題(*注記参照)と併せて、西日本新聞社の折込広告料の詐欺の事実は認定可能ではないかと考えます。

しかし、民事裁判だけでなく、公正取引委員会や、警察・検察庁に対する詐欺の容疑の証拠資料として提出することは決断しかねています。予想される社内圧力により、内部からの公益通報がなくなる危険性が懸念されるからです。

最後に、個人的感想を述べますが、西日本新聞社の押し紙は、読売・朝日等の中央紙の地方進出の防戦のために余儀なくされた側面がないとはいえないと思っています。私は当年73歳になりますが、福岡県南部の農村で生まれ育っており、家の購読紙は西日本新聞でした。

役場の職員の方が朝日新聞を購読しておられるのを知り、インテリの人は読む新聞が違うなと妙に感心したことを思い出します。当時、夏と冬休みの期間中の新聞配達は村の子供達の仕事でした。アルバイト代として10円玉を何枚か握らせてもらった時のうれしさは今でも覚えています。

新聞記者は若者のあこがれの職業でしたので、西日本記者に就職した友人・知人もおります。そのほとんどは社の幹部として定年を迎え、悠々自適の生活を送っています。

隣県の熊本日々新聞社は昭和40年代に予備紙2%の業界の自主目標を達成していますので、私はその事実を法廷で紹介しながら、担当員に、「熊本日日新聞社に習って西日本新聞でも押し紙をなくそうという動きはなかったのですか」と質問しました。比較的若い担当員でしたが、「他社のことですから」と口ごもりながら答えをはぐらかしてしまいました。

政治家、行政・司法官僚、大企業の役員、やくざや半ぐれなど、白アリが木造物を食い尽くすように、社会の隅々までモラルの崩壊現象が発生しています。私は、目を背けたくなるようなこれらのモラル崩壊の元凶は、新聞の押し紙にあると確信をもっていうことが出来ます。

最近、ユーチューブの番組をよく見るようになりましたが、様々な分野の人たちが新聞・テレビでは報道されない問題を分かりやすく紹介してくれています。インターネット社会の情報変化をつくづく感じています。

グーグルで「押し紙」を検索すると黒薮哲哉さんだけでなく、他の多くの人達による押し紙問題の調査・報道の記事、動画があふれるように出てきます。黒薮さんは、今回の裁判に、遠路わざわざ福岡市まで駆けつけていただき、西日本新聞社の証人の証言をいち早く記事にして発信していただきました。

インターネット上の押し紙に関する記事や動画は、海外のマスメディア関係者、公正取引委員会関係者、国会・地方議会の議員、学者・研究者など、関係各方面の多種多様な方たちが閲覧しておられます。本件裁判の行方についても、新聞業界関係者だけでなく、多くの方達から見守っていただいています。

押し紙問題に関する内部情報については匿名で結構ですので、私どもに公益通報していただくようお願いする次第です。

押し紙の解決のために、引き続き皆様のご支援・ご鞭撻をお願いして、今回の報告といたします。

* 4・10増減について

西日本新聞の郡部の販売店の場合、折込広告部数は4月と10月の年2回の定数が基準とされています。その月だけ約200部も多い部数が供給されています。

折込広告主は、折込広告会社の公表部数を信頼して枚数を発注します。あらかじめ押し紙を見込んで7掛けや8掛けで部数を発注する賢い折込広告主もいますが、自治体の広報紙などは公表部数通りの部数を発注しますので完全に税金の無駄使いが行われています。

本稿は『メディア黒書掲載の記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

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読売新聞「押し紙」裁判〈1〉元店主が敗訴、不可解な裁判官の交代劇、東京地裁から大阪地裁へ野村武範裁判官が異動 黒薮哲哉

4月20日、読売新聞の元店主・濱中勇さんが読売新聞社に対して大阪地裁に提起した「押し紙」裁判の判決があった。

判決内容の評価については、日を改めてわたしなりの見解を公開する。本稿では判決の結論とこの裁判を通じてわたしが抱いた違和感を記録に留めておく。ここで言う違和感とは、判決の直前にわたしが想像した最高裁事務総局の司法官僚らの黒幕のイメージである。

まず判決の結論は、濱中さんの敗訴だった。濱中さんは、「押し紙」による被害として約1億3000万円の損害賠償を請求していたが、大阪地裁はこの請求を棄却した。その一方で、濱中さんに対して読売への約1000万円の支払を命じた。補助金を返済するように求めた読売の主張をほぼ全面的に認めたのである。

つまり大阪地裁は、「押し紙」の被害を訴えた濱中さんを全面的に敗訴させ、逆に約1000万円の支払を命じたのである。

◆権力構造の歯車としての新聞業界

判決は20日の午後1時10分に大阪地裁の1007号法廷で言い渡される予定になっていた。わたしは新幹線で東京から大阪へ向かった。新大阪駅で、濱中さんの代理人・江上武幸弁護士に同行させてもらい大阪地裁へ到着した。判決の言い渡しまで時間があったので、1階のロビーで時間をつぶした。そして1時が過ぎたころに、エレベーターで10階へ上がった。

注目されている裁判ということもあって、1007号法廷の出入口付近には、すでに傍聴希望者らが集まっていた。ジャンバーを着た販売店主ふうのひとの姿もあった。

わたしは濱中さんが読売を提訴した2020年から、この裁判を取材してきた。そして読売も他社と同様に「押し紙」政策を取ってきたという確信を深めた。少なくとも販売店に過剰な新聞が溢れていたこと事実は確認した。それ自体が問題なのである。

濱中さんが「押し紙」を断ったことを示すショートメールも裁判所へ提出されている。搬入部数のロック(読者数の増減とは無関係に搬入部数を固定する行為)も確認できた。従って、裁判所が「政治的判断」をしなければ、濱中さんの勝訴だと予想していた。

ここで言う「政治判断」とは、司法官僚による裁判への介入である。日本で最大の新聞社である読売が敗訴した場合、新聞業界が崩壊する可能性が高い。それを避けるために司法官僚が介入して、濱中さんの訴えを退ける判決を下すように指導する行為のことである。

こうした適用を受ける裁判は、俗に「報告事件」と呼ばれる。生田暉夫弁護士あら、幾人かの裁判官経験者らが、それを問題視している。わたしは最高裁事務総局に対する情報公開請求により、「報告事件」の存在そのものは確認している。

ただ、報告事件の可能性に言及するためには、判決文そのものに論理の破綻がないかを見極める必要がある。よほど頭が切れる裁判官が判決の方向性を「修正」しないかぎり、論理が破綻しておかしな文章になってしまう。今回の読売裁判の判決は、達意と正確な論理という作文の最低条件すら備えていない。(これについては、別稿で検証する)。それゆえに判決文を公開して、「報告事件」の可能性を検証する必要があるのだ。

ここ数年に提起された「押し紙」裁判では、判決の直前に不可解なことが立て続けに起きている。結審の直前に裁判官が交代したり、判決の言い渡しが延期になったりしたあげく、販売店が敗訴する例が続いている。もちろんそれだけを理由に「報告事件」と決めつけることはできないが、社会通念からして同じパターンが繰り返される不自然さは免れない。

たとえば日経新聞の「押し紙」裁判では、店主が書面で20回以上も「押し紙」を断っていながら、裁判所は日経による「押し紙」行為を認定しなかった。産経新聞の「押し紙」裁判では、「減紙要求」を産経が拒否した行為について、「いわゆる押し紙に当たり得る」と認定していながら、「原告が顧客名簿の開示に応じないなどの対応をしていた」ことを理由に、損害賠償を認めなかった。この産経「押し紙」裁判の判決を書いたのは、野村武範という裁判官だった。

野村裁判官は、産経の「押し紙」裁判が結審する直前に、東京高裁から東京地裁へ異動して、同裁判の新しい裁判長になった。なぜ司法官僚が裁判官を交代させたのかは不明だが、取材者のわたしから見れば、原告の元店主が圧倒的に優位に裁判を進めていたからではないかと推測される。司法官僚が新聞社を守りたかったというのが、わたしの推測だ。

わたしは念のために野村裁判官の経歴を調べてみた。その結果、不自然な足跡を発見した。次に示すように野村裁判官が名古屋地裁から東京高裁に赴任したのは、2020年4月である。そして同年の5月に東京地裁へ異動した。東京高裁での在籍日数は40日である。不自然きわまりない。

2020年 5.11 東京地裁判事・東京簡裁判事
2020年 4. 1 東京高裁判事・東京簡裁判事
2017年 4. 1 名古屋地裁判事・名古屋簡裁判事

わたしは野村裁判官を自分の頭の中のブラックリストに登録した。このブラックリストは、他にも裁判官や悪徳弁護士が登録されている。いずれも要注意の人物である。わたしから見れば、日本の司法制度を機能不全に陥れている人々である。

◆要注意の裁判官

判決言渡しの時間が近づくにつれて、緊張が増した。仮に読売が敗訴すれば、「押し紙」を柱とした新聞のビジネスモデルは、一気に崩壊へ向かう。メディアの革命となる。地方紙のレベルでは、佐賀新聞のケースのように「押し紙」を認定して、新聞社に損害賠償を命じた裁判もある。従って一抹の希望を持って、わざわざ来阪したのである。

わたしは廊下のベンチから立ち上がり、法廷の出入口に張り出してある告知に目を向けた。次の瞬間、自分の目を疑った。これまでこの裁判を担当してきた3人の裁判官の名前が見当たらなかった。その代わりに次の3名の裁判官の名前があった。その中のひとりは、ブラックリストの筆頭の人物だった。野村武範が急遽裁判長になっていたのだ。

野村武範
山中耕一
田崎里歩

わたしはベンチに座っている江上弁護士に、

「敗訴です」

と、言って苦笑した。それから事情を説明した。

◆鹿砦社の裁判を担当した池上尚子裁判官も関与

判決は、濱中さんの敗訴だった。野村裁判長が判決文を読み上げた。既に述べたように判決は、濱中さんを敗訴させただけではなく、濱中さんに約1000万円の支払いを命じていた。

しかし、判決文には新任の野村裁判長らの名前はなかった。前任の3人の裁判官が判決を下したことになっていた。つまり法的に見れば、これの裁判は「報告事件」ではない。前任の3人の裁判官が判決を下したのである。

ただ、司法官僚が野村裁判長を大阪地裁へ送り込んだのは4月1日で、判決日が20日なので、この間の引き継で内容の調整が行われた可能性は否定できない。このあたりの事情については、今後、前任の池上尚子裁判官を取材したいと考えている。池上尚子は鹿砦社とカウンター運動の裁判でも裁判長を務め、不可解な判決を書いた人である。

判決直前の数週間に何があったのかは、当事者しか知りえないが、判決文そのものを検証することは誰にでもできる。論理の破綻や矛盾がないか、今後、慎重に検討して、判決の評価を定めなければならない。(つづく)

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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4月25日発売!黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

西日本新聞を提訴、「押し紙」裁判に新しい流れ、「押し紙」の正確な定義をめぐる議論と展望 黒薮哲哉

「押し紙」裁判に新しい流れが生まれ始めている。半世紀に及んだこの問題に解決の糸口が現れてきた。

11月14日、西日本新聞(福岡県)の元店主が、「押し紙」で損害を被ったとして約5700万円の損害賠償を求める裁判を福岡地裁へ起こした。訴状によると元店主は、2005年から2018年までの間に3店の販売店を経営した。「押し紙」が最も多い時期には、実配部数(実際に配達する部数)が約1300部しかないのに、約1800部の新聞が搬入されていた。

他の「押し紙」裁判で明らかなった「押し紙」の実態と比較すると、この販売店の「押し紙」率は低いが、それでも販売店経営を圧迫していた。

この裁判には、どのような特徴があるのだろうか?

◆多発する「押し紙」裁判、読売3件・西日本2件・日経1件

 
販売店の店舗に積み上げられた「押し紙」と梱包された折込広告

「押し紙」裁判は、今世紀に入ることから断続的に提起されてきた。しかし、新聞社の勝率が圧倒的に高い。裁判所が、新聞社の「押し紙」政策の存在を認定した例は、わたしが知る限りでは過去に3例しかない。2007年の読売新聞、2011年の山陽新聞、2020年の佐賀新聞である。

※2007年の読売新聞の裁判は、「押し紙」が争点になったが、地位保全裁判である。

現在、わたしが取材している「押し紙」裁判は、新たに提起された西日本新聞のケースを含めて次の6件である。

・読売新聞・東京本社VS販売店(東京高裁)
・読売新聞・大阪本社VS販売店(大阪地裁)
・読売新聞・西部本社VS販売店(福岡地裁)
・日経新聞・大阪本社VS販売店(大阪高裁)
・西日本新聞VS販売店1(福岡地裁)
・西日本新聞VS販売店2(福岡地裁)

販売店主の中には、新聞社の販売局員から面と向かって、

「あんたたちが裁判を起こしても、絶対に勝てないから」

と、冷笑された人もいる。確かにここ1年半ぐらいの間に裁判所が下した判決を見ると、残紙の存在が認定されているにもかかわらず販売店が3連敗しており、「押し紙」裁判を起こしても、販売店に勝算がないような印象を受ける。その敗訴ぶりも尋常ではない。いずれの裁判でも、判決の言い渡し日が2カ月から3カ月延期された末に、裁判所が販売店を敗訴させた。しかも、3件のうち、2件では最高裁事務総局が裁判官を交代させている。つまり裁判の透明性に明らかな疑問があるのだ。

◎参考記事:産経「押し紙」裁判にみる野村武範裁判長の不自然な履歴と人事異動、東京高裁にわずか40日http://www.kokusyo.jp/oshigami/16016/

新聞社が日本の権力構造の歯車に組み込まれ、世論誘導の役割を担っているから、裁判所や公正取引委員会などの公権力機関が「押し紙」問題を放置する方針を取っている可能性が高いと、わたしは考えている。認識できないだけであって、ほとんどの国でメディアコントロールは国策として巧みに組み込まれているのである。

 
新聞拡販で使われる景品。「押し紙」を減らすために、販売店は新聞拡販に奔走することになる

◆新聞特殊指定の下における「押し紙」とは?

しかし、販売店を敗訴させる判決は、原告の理論上の弱みに付け込んでいる側面もある。その理論上の弱みとは、新聞の「注文部数」の定義に関する不正確な見解である。

通常、「注文部数」とは、販売業者が卸問屋に対して発注する商品の数量のことである。たとえばコンビニの店主が、牛乳を10パック注文すれば、注文数は10個である。同じように新聞販売店の店主が新聞を1000部注文すれば、それが注文部数ということになる。このような「注文部数」の定義は、半ば空気のようにあたりまえに受け入れられている。わたし自身も「押し紙」問題を扱った旧著や記事で、「注文部数」をそのように捉えてきた。しかし、これは誤りである。

今、この旧来の「注文部数」の定義の再考が始まっている。

「押し紙」問題に取り組んできた江上武幸弁護士は、新聞は特殊指定の商品であり、特殊指定の下での「注文部数」の定義は、コンビニなど一般的な商取引の下での「注文部数」の定義とは異なると主張している。

実際、1964年に公正取引委員会が交付した新聞特殊指定の運用細目は、「注文部数」を次にように定義している。

「注文部数」とは、新聞販売業者が新聞社に注文する部数であって新聞購読部数(有代)に地区新聞公正取引協議会で定めた予備紙等(有代)を加えたものをいう。

※注:文中の地区新聞公正取引協議会とは、日本新聞協会に加盟している新聞社で構成する組織である。実質的には日本新聞協会そのものである。

この定義によると新聞の商取引における「注文部数」とは、実際に販売店が配達している部数に予備紙の部数(搬入部数の2%とされている)を加えた総部数(「必要部数」)のことである。この「必要部数」を超えた部数は、理由のいかんを問わず機械的に「押し紙」という分類になる。販売店と新聞社が話し合って「注文部数」と決めたから、残紙が発生しても「押し紙」には該当しないという論理にはらないらい。

新聞特殊指定の下における「注文部数」とは、「実配部数+予備紙」の総数のことなのである。

江上弁護士は、独禁法の新聞特殊指定が作成された経緯を詳しく調べた。その結果、一般に定着している「押し紙」の定義--「押し売りされた新聞」という定義が、微妙に歪曲されたものであることが分かった。この誤った定義の下では、新聞社は販売店の「注文部数」に応じて、新聞を提供しただけで自分たちに新聞を押し売りした事実はないと主張できる。「押し紙」問題の逃げ道があるのだ。

公正取引委員会は、新聞特殊指定の下で、「注文部数」の定義を厳格にすることで、社会問題になり始めていた「押し紙」を取り締まろうとしたのである。

◆佐賀新聞の独禁法違反を認定

この理論を江上弁護士が最初に提示した裁判は、2020年5月に判決があった佐賀新聞の「押し紙」裁判である。この裁判で佐賀地裁は、佐賀新聞社に対して1066万円の損害賠償を命じた上に、同社の独禁法違反を認定した。

江上弁護士が打ち出した「押し紙」の定義を裁判所が無条件に認めたわけではないが、裁判官は法律の専門家なので、法律が規定している客観的な定義を考慮に入れて、判決を書かざるを得なかった可能性が高い。新聞特殊指定の下における客観的な「押し紙」の定義が示されているのに、それを無視して判決を下すことは、プロの法律家としての良心が許さなかったのだろう。

11月14日に提起された西日本新聞の「押し紙」では、「押し紙」の定義が、重要な争点のひとつになる可能性が高い。それを前提として、新聞社の公序良俗違反や押し売りなどの不法行為などが検証される。新聞社の詭弁は、徐々に通用しなくなっている。

この裁判の原告代理人を務めるのは、江上弁護士らである。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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「押し紙」が1部もない新聞社、熊本日日新聞社、地区単位の部数増減コントロールは見られず 黒薮哲哉

「押し紙」は、新聞業界が半世紀にわたって隠し続けてきた汚点である。しかし、すべての新聞社が「押し紙」政策を経営の柱に据えてきたわけではない。例外もある。この点を把握しなければ、日本の新聞業界の実態を客観的に把握したことにはならない。

かねてからわたしは、熊本日日新聞は「押し紙」政策を採用していないと聞いてきた。1972年代に「押し紙」政策を廃止して、「自由増減」制度を導入した。「自由増減」とは、新聞販売店が自由に新聞の注文部数を増減することを認める制度である。

社会通念からすれば、これは当たり前の制度だが、大半の新聞社は販売店に対して現在も「自由増減」を認めていない。新聞社が注文部数の増減管理をしている。「メーカー」が「小売店」の注文数量を決めることは、常識ではあり得ないが、新聞業界ではそれがまかり通って来たのである。

熊本日日新聞社が「押し紙」制度を導入していないという話は真実なのか? わたしはそれを検証することにした。

◆マーカーが示す熊日と読売の著しいコントラスト

次に示す表は、熊本市の各自治体(厳密には自治体にある新聞販売店)に熊本日日新聞社が搬入した新聞の部数の変化を、時系列に入力したものである。出典は、日本ABC協会が年2回(4月と10月)に発行する『新聞発行社レポート』に掲載する区・市・郡別のABC部数である。新聞社ごとのABC部数が表示されている。

熊本日日新聞社が熊本市の各自治体(厳密には自治体にある新聞販売店)に搬入した新聞部数の推移

この表から、ABC部数が微妙に変化していることが確認できる。新聞販売店が毎月、注文部数を自由に増減していることが読み取れる。部数の「ロック」は一か所も確認できない。

これに対して、たとえば次の表はどうだろう。兵庫県を対象にした読売新聞のケースである。

兵庫県を対象にした読売新聞のABC部数

熊本日日新聞の表には、マーカーがなく真っ白なのに対して、読売新聞の表はいたるところにマーカーが表示されている。同じ数量の部数が年度をまたいでロックされている箇所が多数確認できる。地域単位で部数増減がコントロールされているのである。たとえば神戸市灘区における読売新聞のABC部数は、次のようになっている。

2017年04月 : 11,368
2017年10月 : 11,368
2018年04月 : 11,368
2018年10月 : 11,368
2019年04月 : 11,368

神戸市灘区に住む読売新聞の購読者が2年半に渡って1人の増減もないのは不自然だ。普通は月単位で変化する。つまり購読者数の増減とは無関係に、部数をロックしているのである。その原因が新聞社にあるのか、販売店にあるのかはここでは言及しないが、いずれにしても正常な商取引ではない。購読者が減少すれば、それに相応する部数が残紙になっていることを意味する。

本稿で示した熊本日日新聞と読売新聞の表を、「腫瘍マーカー」にたとえると、熊本日日新聞は、「健康体」と診断できるが、読売新聞は公正取引委員会や裁判所による緊急の「精密検査」を要する。科学的に「病因」を探る必要がある。他の中央紙についても、読売と同じことがいえる。何者かが地域単位で部数増減をコントロールすることが制度として定着している可能性が高い。

【参考記事】新しい方法論で「押し紙」問題を解析、兵庫県をモデルとしたABC部数の解析、朝日・読売など全6紙、地区単位の部数増減管理が多地区で、独禁法違反の疑惑 http://www.kokusyo.jp/oshigami/16859/

◆「押し紙」廃止で業績が向上

熊本日日新聞が「押し紙」政策を廃止したのは、『熊日50年史』によると、1972年10月である。今からちょうど50年前である。当時の森茂販売部長が信濃毎日新聞の販売政策に触発されて、「押し紙」、あるいは「積み紙」の廃止を宣言した。社内には反対の意見も強かったそうだが、森販売部長は改革を進めた。その結果、店主の士気があがり、熊本日日新聞の部数は急増した。

「予備紙」として販売店が確保する残紙の部数も、搬入部数の1.5%とした。このルースは現在でも遵守されている。それが前出の表で確認できる。

熊本日日新聞社の販売改革は高い評価を受け、同社は1983年に新聞協会賞(経営・営業部門)を受けている。受賞理由は、「新聞販売店経営の近大化-新しい流通システムへの挑戦」である。

◆独禁法の新聞特殊指定が定義する「押し紙」とは?

ところで残紙(「押し紙」、「積み紙」)が独禁法の新聞特殊指定に抵触する可能性はないのだろうか。この点について考える場合、まず最初に新聞特殊指定が定義する「押し紙」とは、何かを正確に把握する必要がある。

幸いにして、江上武幸弁護士ら「押し紙弁護団」が、新聞特殊指定でいう「押し紙」の3類型を整理し、提示している。次の3つである。

1,販売業者が注文した部数を超えて供給する行為(注文部数超過行為)

2,販売業者からの減紙の申し出に応じない行為(減紙拒否行為)

3,販売業者に自己の指示する部数を注文させる行為(注文部数指示行為)

「1」から「3」の行為は、いずれも「注文部数」の増減コントロールに連動している。従って新聞特殊指定でいう「注文部数」とは何かを定義する必要がある。これに関して、江上弁護士らは、新聞特殊指定(1955年告示・1964年告示・1999年告示)に次の定義が記されていることを明らかにしている。

「新聞販売業者が実際に販売している部数に正常な商慣習に照らして適当と認められる予備紙等を加えた部数」

つまり実配部数に若干の予備紙を加えた部数を超える残紙は、すべて「押し紙」ということになる。「押し売り」の事実があったか否かは枝葉末節の問題なのである。健全な販売店経営に不要な部数は、理由のいかんを問わず原則的に「押し紙」なのである。

かつて新聞業界は業界の内部ルールで予備紙の割合を2%と定めていた。しかし、この内部ルールを1999年ごろに撤廃して、残紙はすべて「予備紙」に該当するという詭弁を公言するようになった。たとえば搬入部数の50%が残紙になっていても、この50%は販売店が注文した「予備紙」だと主張してきたのである。

しかし、「予備紙」の大半は古紙回収業者の手で回収されており、「予備紙」としての実態はない。

従来、「押し紙」とは、新聞社が販売店に対して「押し売り」した新聞であると定義されていた。わたしもそのような説明をしてきた。しかし、この説明は新聞特殊指定に即して厳密な意味で言えば間違っているのである。実配部数に「予備紙」加えた残紙は、すべて「押し紙」なのである。

地区単位の部数増減コントロールは独禁法違反ではないか? 公正取引委員会は中央紙に対して調査すべきではないか。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
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