去る4月8日は、1986年に自ら命を絶ったアイドル歌手・岡田有希子さん(享年18)の35回目の命日だったため、それに関連した報道が散見された。気になったのは、その中にやや正確性を欠いた報道があったことだ。

それは、ある大手メディアが岡田さんの遺書について、「遺族に渡され、中身は明かされていない」と書いていた記事だ。実際には、遺族は「ある本」で岡田さんの遺書の主要部分を明かしているのだが、意外に知られていないようなので、この機会に紹介しておきたい。

◆遺書に確かに書かれていた「あの年上の俳優」への恋心

その本は、1988年に朝日出版社から発行された『岡田有希子 愛をください』(企画・編集/ウルトラ企画)。岡田さんの生前の写真や、岡田さん本人が遺した日記や詩、絵画などを多数収録し、岡田さんが生きた証の数々を一冊に詰め込んだような本だ。

1988年に発行された『岡田有希子 愛をください』(発行元=朝日出版社/企画・編集=ウルトラ企画)

岡田さんは学力が飛び抜けて高かったことは有名だが、この本に収録された文章や絵画を見ると、文化的な才能も秀でていたことがわかる。そして本では、岡田さんの母・佐藤孝子さんが生前の岡田さんを振り返った長文の手記を寄せており、岡田さんの遺書の主要部分はその冒頭で次のように明かされている(以下、〈〉内は『岡田有希子 愛をください』より引用。すべて原文ママ)。

〈佳代(引用者注・岡田さんの本名は佐藤佳代)の遺書――今でも、あれを遺書と言っていいのかどうか私にはわかりませんが――その中に峰岸徹さんの名前はたしかに書かれていました。

峰岸さんが好きだった、と〉

岡田さんが自ら命を絶った原因としては、死の前年に放送された主演ドラマ『禁じられたマリコ』で共演した俳優・峰岸徹さんの存在が当初から取り沙汰されていた。20歳以上も年上の峰岸さんに思いを寄せ、失恋したために命を絶ったという説だ。そのために峰岸さんは当時、記者会見を開き、沈痛な面持ちで自分に責任があるかのように語ったものだった。

つまり、孝子さんは遺書の中身を明かすことにより、その説が本当であることを打ち明けているわけだ。

◆母親が遺書の中身を明かした意図

では、孝子さんはなぜ、そんなことをしたのか。手記を読み進めると、その意図が見えてくる。

〈峰岸さんとのことについては、女性週刊誌、テレビなどであれこれ取沙汰され、そのたび私は峰岸さんに対して申し訳なく、またお気の毒でなりませんでした。

峰岸さんと佳代の間に子どもができ、すでに妊娠何カ月で、佳代はそのことを苦にして自殺したというような噂まで書きたてたところもありました。

全く根も葉もない話です。こんなことまで書きたくはないのですが、佳代は死ぬ十日程前に、生理用品を買っていたのです。妊娠などということは、だから絶対にあり得ないことなのです〉

娘に先立たれて悲しみにくれる中、娘が死を選んだ原因とされる峰岸さんのことまで気遣えるのは凄いことだと思う。それはともかく、この記述を読めば、孝子さんが遺書の中身を明かした意図は明白だろう。岡田さんに関する酷い報道に反論し、本当のことを伝えたかったのだ。

◆いまだにネット上で流布する「あの有名な怪情報」

岡田さんが死を選んだ原因については、有名な怪情報がある。「本当に恋心を寄せていた相手は、事務所の先輩・松田聖子の夫である神田正輝であり、峰岸徹はダミーだった」という説だ。峰岸さんは2008年に65歳で亡くなったが、いまだにその「峰岸ダミー・神田本命説」はネット上で流布し続けている。それも、岡田さんの遺書の中身が明かされたこの本の存在が意外と知られていないためだろう。

この本は、岡田さんが死を選んだ真相のみならず、今もその夭折が惜しまれる伝説の女性アイドルの素顔もうかがい知れる貴重な一冊だ。すでに絶版となり、古書は高額化しているが、公立図書館では蔵書しているところもあるので、関心のある方には一読をお勧めしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

4月1日から商品やサービスについて、消費税込みの価格を示す「総額表示」が義務化されたが、案の定な展開になっている。昨年秋頃、ツイッター上で「#出版物の総額表示義務化に反対します」というハッシュタグをつけるなどして騒いでいた人たちがいつのまにか、どこかに消えてしまっているのだ。

彼らは当時、「出版物が総額表示を義務化されると、消費税率変更の際にカバーの刷り直しや付け替えを余儀なくされ、少部数の本が絶版になったり、小さな出版社が潰れたりする恐れがある」などと危機感をあおっていたはずだ。しかし、いつのまにかフェイドアウトしてしまったのは、実際はそこまで心配する必要のない話だと気づいたからだろう。

一体、いつまでこういうことを繰り返すのだろう……と私は正直、げんなりせずにいられない。過去にも同じような例をたびたび目にしてきたからだ。

日本書籍出版協会と日本雑誌協会はHPで出版物の総額表示に関するガイドラインを発表した

◆思い出される「ぼったくり防止条例」や「裁判員制度」が始まる時の騒動

たとえば、思い出されるのが、2000年に東京都が全国で初めて、性風俗店や飲み屋でのぼったくり防止条例を施行した時だ。これは当時、新宿・歌舞伎町などで酷いぼったくり事件が相次ぎ、社会問題になっていたのをうけて作られた条例だった。

この条例が施行される前、メディアでは「有識者」たちが条例の不備を色々指摘し、「こんな抜け穴だらけのザル法では、悪質なぼったくり業者は取り締まれない」と読者や視聴者を不安に陥れるようなことを言っていたものだった。

だが、実際に条例が施行されると、新宿、池袋、渋谷、上野という規制対象地域の路上からは、風俗店や飲み屋の客引きが一斉に姿を消した。条例ができた効果により、ぼったくり業者が激減したわけである。私は当時、歌舞伎町のぼったくり業者にそうなった事情を取材したが、彼はこう説明してくれた。

「条例に不備があろうが、ザル法だろうが、そんなのは関係ない。ああいう条例ができたということは、お上が『これからはぼったくり業者を厳しく取り締まる』という意思表示をしたということだから。そうなれば、俺たちはこれまで通りの商売を続けるわけにはいかない。警察がその気になれば、法律なんか関係なく誰だって捕まえられるんだから」

私はこの説明を聞き、深く得心させられた。警察に理屈など通用しない。この現実を知っているぼったくり業者たちからすれば、メディアに出てくる「有識者」たちが解説する「条例の抜け穴」など机上の空論に過ぎないわけである。そして机上の空論で騒ぎ立てていた「有識者」たちは何事も無かったように消えていった。

2009年に裁判員制度が施行された時も同じようなことがあった。制度の施行が間近に迫った時、またメディアでは「有識者」たちが、「裁判員の呼び出しを拒んだら罰則があるというのでは、苦役の強制であり、徴兵制と同じだ」とまで言って、読者・視聴者の不安を煽ろうとしていた。

しかし実際に制度が始まってみると、裁判員の呼び出しを辞退する人はいくらでもいるし、それで罰せられた人がいたという話はまったく聞かない。私はこれまで様々な裁判員裁判を取材し、判決後にある裁判員たちの会見にも出席してきたが、裁判員たちは「参加して良かった」「良い経験になった」と前向きな感想を述べる例が多いのが現実だ。

そしていつしか、裁判員裁判について「徴兵制と同じだ」とまで言っていた「有識者」たちはどこかに消えてしまったのだった。

◆権力に物申す「言論」というのは結局……

そしてまた今回の「#出版物の総額表示義務化に反対します」騒動である。書店に並んだ書籍は4月1日以降もそれ以前と変わらず、新旧の価格表示が混在したたままだが、それで何か問題が起きたという話はまったく聞かない。出版社側も帯やスリップに消費税込みの価格を表示することで、今後消費税率が変わってもカバーの刷り直しや付け替えはせずに済むようにして、事足りているようである。

こうしてこの問題について不安を煽り、騒いだ人たちはどこかに消えてしまったのである。

誰もがそうだというわけではないが、権力に物申すのが好きな人たちの中には、事実関係をほとんど調べず、思い込みだけでものを言っている人が少なくない。「#出版物の総額表示義務化に反対します」と声高に叫んでいた人たちは、そのことを改めて証明した。今後も新しい制度や法律ができるたび、彼らは懲りずに同じ行動を繰り返すはずなので、しっかり観察させてもらいたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

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一昨年の参院選に関し、大規模な買収を行った疑いで裁判にかけられている元法務大臣の河井克行被告(58)がついに公判で無罪主張を撤回し、買収を認めた。議員も辞職する。

これをうけ、安倍晋三前首相と菅義偉首相の政治責任が追及されることを期待する人が多いようだが、筆者はまったく別のことを期待している。それは、河井被告がその人生遍歴を自ら語ることである。

◆幼少期を過ごした地で無名だった河井被告

本人が公表しているプロフィールによると、河井被告は昭和38年広島県生まれ。広島市の山本小学校と安小学校(いずれも広島市立)を経て、私立の名門である広島学院中学・高校で学んだ。そして慶應義塾大学法学部政治学科を卒業後、松下政経塾、広島県議会議員を経て、衆議院議員に当選7回。絵に描いたようなエリート街道を歩んだ印象だ。

一方で報道では、性格に問題がある人物だったように伝えられてきた。たとえば2016年に秘書へのパワハラ疑惑を報じられた際には、広島市の小学校時代の後輩が取材に対し、次のようにコメントしている。

「河井先輩のアダ名は“スネ夫”。実家は薬局経営の裕福な家庭で、事あるごとに“僕と君らでは育ちが違う”みたいなことを言う嫌みなヤツでした。当然、皆から嫌われていました」(同年3月3日付け『日刊ゲンダイ』)

このように地元での評判は悪かったらしい河井被告だが、小学校入学前に広島県三原市で過ごした幼少期のことは意外と知られていない。そこで筆者は昨年4月、河井被告の生家があった香積寺という寺院の周辺で取材したのだが、河井被告の幼少期は報道のイメージと随分異なる印象を受けた。

まず何より意外だったのは、河井被告がこの地の出身者であることを地元の人たちがほとんど知らなかったことだ。道行く人たちに、河井被告の幼少期のことを取材しに来たのだと説明しても、「あの河井さんがこのへんに住んでいたんですか!?」「本当ですか?」などと逆に聞き返されるほどだった。

評判が良かろうが悪かろうが、幼少期を過ごした地で河井被告は有名な存在なのだろうと筆者は思い込んでいた。それはまったくの思い違いだったのだ。

◆生家は六畳二間で風呂無し

河井被告はブログで以前、生家が「六畳二間」だったことを明かしていたが、その家は50年以上経った今も入居者募集中の状態で現地に残っていた。だが、平屋の建物は玄関が引き戸になっていて、実につましく、「薬局経営の裕福な家庭」が暮らしていた家には、とても見えなかった。

近所で暮らす高齢の女性によると、「この家はこれまで、色んな家族が借りて住んでいます。以前はお風呂がなく、住んでいる人たちはみんな銭湯に行っていましたよ」とのことだった。河井被告の実家が広島市で薬局を経営するようになった経緯は不明だが、三原市で暮らしていた幼少期は裕福ではなかったのは確かだろう。

河井被告の生家。六畳二間の風呂無しの借家だった

そんな生家周辺で河井被告の幼少期を偲ばせるものが生家以外にも1つあった。上部が地表に露出した半地下式の防火水槽だ。河井被告は自身のブログで、幼少期に防火水槽の上で「黄金バットごっこ」に興じていたことを明かしているが、近所の高齢の女性によると、「このへんの子どもはみんな、ここで遊んでいましたよ」とのことだ。

小学校時代は「事あるごとに“僕と君らでは育ちが違う”みたいなことを言う嫌みなヤツ」だったと言われた河井被告も、幼少期は近所の子どもたちと無邪気に遊んでいたのかもしれない。

つましい幼少期を過ごした少年がその後、エリート街道を歩み、大規模買収事件の罪に問われる政治家になるまでに一体、どんな人生遍歴をたどったのか。裁判で罪を認め、議員も辞職する河井被告がいつの日か自分の言葉でそれを語る日がきたら、ぜひ拝聴したい。

河井被告が黄金バットごっこに興じた防火水槽

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

7日発売!タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年5月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

明日4月1日から、わいせつ行為によりクビになった教員の名前を簡単に調べられるようになる。文部科学省がわいせつ教員撲滅対策の一環として省令を改正したことによる。

というのも、教員は免許を失効した場合でも、3年たてば免許を再取得できる。そのため、これまではわいせつ行為でクビになった教員が過去を隠し、教員として再雇用されるケースがあった。今回の改正省令はそれを防ぐため、教員が免許を失効するなどした事由が懲戒免職もしくは解雇である場合、処分の理由を5つの類型に分けて官報に記載するように定めたのだ。

5つの類型とは、
(1)18歳未満の者や勤務校の生徒に対するわいせつ行為やセクハラ、
(2)それ以外のわいせつ行為やセクハラ、
(3)交通法規違反もしくは交通事故、
(4)教員の職務に関して行った非違、
(5)前記4点以外の理由──である。

これにより、学校側はわいせつ処分歴のある元教員をそうとは知らずに雇用することを防げるわけだ。

この改正について、世間には歓迎する声が圧倒的多数である。しかし、見過ごせない問題もある。「わいせつ教員」という濡れ衣を着せられた冤罪被害者に対する「セカンド冤罪被害」だ。

文科省の省令改正を歓迎する声が多いが……

◆当欄で紹介した「わいせつ冤罪被害者」の元教員は今……

筆者は当欄で以前、以下の2つの記事を発表した。

◎冤罪・名古屋の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が年度内に決着へ(2018年2月21日)

◎名古屋の元小学校教師、喜邑拓也さん「強制わいせつ」事件で冤罪判決(2018年4月6日)

この2つの記事に出てくる喜邑拓也さんは、担任していたクラスの小1女児に対し、わいせつ行為をはたらいたとして処罰された元教員だ。裁判での検察側の主張によると、喜村さんは掃除の時間中に「被害児童」に対し、「おっぱい」と言いながら服の中に手を入れ、胸を触った──とのことだった。

しかし、この事件はあまりにも明白な冤罪だった。何しろ、「事件」があったとされる時、教室には20人程度の生徒がいながら、喜邑さんのそのような「犯行」を目撃した生徒は皆無なのだ。そもそも、それほど大勢の生徒がいる場所で、教師がそのような犯行に及ぶということ自体、現実味に欠ける話だというほかない。

実際問題、喜邑さんの犯行を裏づける唯一の直接的証拠である「被害女児」の供述は内容に大きな変遷があり、ただでさえ信頼性に疑問符がついた。心理学者によると、「確証バイアスを持った母親が女児から被害状況を聞き取る中、女児が虚偽の記憶を植え付けられた可能性がある」とのことで、心理学的にも女児は「存在しない被害」を訴えている可能性が指摘されていたわけだ。

一方、冤罪を主張する喜邑さんは裁判で「事件」の真相について、「掃除の時間に教師の事務机で漢字ノートの採点をしていたら、女児がチリトリにゴミをたくさん取って見せてきた。頭を撫でてやろうとしたら、手が女児の首からアゴのあたりに触れてしまっただけです」と主張していたが、きわめて自然な話であり、どちらの主張に信ぴょう性があるかは明らかだったが…。

名古屋地裁の裁判官は、「女児の供述内容は具体的で、実際に体験した者でしか語れない内容」(判決より)であるとして、喜邑さんに懲役2年・執行猶予3年の判決を宣告した。そして喜邑さんは控訴、上告も退けられて有罪が確定。当然、教員はできなくなり、現在は別の職業についている。喜邑さんは事件前、教育熱心な音楽の先生として生徒にも父兄にも慕われていたが、再び教師として働くのは極めて難しいだろう。

◆生徒に対する教員の「わいせつ冤罪」は無実を訴えること自体が難しい

教員が懲戒免職などになった理由を官報で検索できようになるのは、改正省令が施行される4月1日以降の処分についてだけである。それ以前にわいせつ行為で処分を受けた教員に遡って適用されるわけではない。そのため、喜村さんは今回の省令改正により不利益を受けるわけではない。

しかし、筆者のこれまでの取材経験上、同様の冤罪被害に遭っている教員は決して少なくない。しかも、この類型の冤罪は、冤罪被害者が公の場で無実を訴えること自体が極めて難しい。無実を訴えるためには、教え子である未成年の女性の主張が間違っていることを伝えないといけないためである。

今回の省令改正は、わいせつ教師の撲滅のために有効なのは確かだろう。だが一方で、喜邑さんのような冤罪被害に遭った教員が「わいせつ教師」のレッテルを貼られ、今まで以上に長く苦しまないといけなくなるわけで、「セカンド冤罪被害」が深刻化することも確実だ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1995年3月、警察庁の国松孝次長官が自宅マンション前で狙撃された事件が30日で発生から26年を迎える。この歴史的未解決事件には、自分こそが真犯人だと訴え続けている有名な男がいる。中村泰(ひろし)、90歳。岐阜刑務所で服役している無期懲役囚である。

中村は2002年11月、名古屋市で銀行の現金輸送車を銃撃し、検挙されたのをきっかけに長官狙撃事件の捜査線上に浮上した。当時すでに72歳だったが、警備員2人の足元にほぼ狙い通りに銃弾を発しており、高度の射撃能力が認められた。さらに関係先の捜索では、長官狙撃事件に関する新聞・雑誌の記事の膨大なコピーが見つかったうえ、中村が借りていた新宿区の貸金庫に10丁の拳銃や千発を超す銃弾が保管されていたことも判明した。

中村本人も警視庁刑事部の取り調べに対し、犯行を詳細に自白。さらに獄中にいながらメディアの取材を次々に受け、長官を撃ったのは自分だと訴えた。そんなこんなで、中村こそが長官狙撃事件の犯人だという説が広まったのだ。

事件は結局、捜査を主導した警視庁公安部がオウム犯人説に固執し、2010年に迷宮入りしたが、今も中村こそが犯人だとみている取材関係者は少なくない。かくいう私もその一人だ。これまで8年余り中村を取材し、各種資料や現場の状況を検証した結果も踏まえ、中村のことを警察庁長官狙撃事件の犯人だと確信している。

◆4月で91歳、病気で手紙を書くのも難しい状態

さて、今回なぜ改めてこのような話をするかというと、実は中村の人生の残り時間がいよいよ少なくなってきた兆候が見受けられるからだ。

というのも、中村は2015年に直腸がんの手術をうけ、2017年にはパーキンソン病を患い、手紙のやりとりをするのも難しい状態となっていた。最近はいよいよ手紙を書く気力もないらしく、たまに獄中で読み終わった本を送ってくるだけになっていたのだ。

私は中村が本をたまに送ってくることについて、「手紙は書けないが、無事に生きている」と知らせるための行為だと解釈しているのだが、中村が本を送ってきたのも昨年12月が最後だ。その後は私から手紙を出しても、中村から返信はない。ただでさえ病身のうえ、4月には91歳になるので、生きているだけでも大変なのではないかと思われる。

昨年2月に中村が送っていた本

◆中村が真犯人だと認められたい理由

中村によると、長官狙撃事件の犯行を決意したきっかけは10日前に起きた地下鉄サリン事件だったという。

「地下鉄サリン事件はオウム真理教の犯行であるのは明らかなのに、オウムに対する警察の捜査は腰が引けていました。そこで、警察をオウム制圧に突き動かすため、オウム信者を装って警察庁長官を撃ったのです」(中村の主張の要旨)

実際、長官狙撃事件をオウムによる犯行だと疑った警察は、地下鉄サリン事件でオウムに対する捜査を本格化させ、教祖・麻原彰晃の検挙にまで至った。東大の学生時代に武力革命を志し、テロ活動を繰り広げてきた中村としては、それが自分たちの手柄だと誇示したい思いがあったという。いずれ警察が長官狙撃事件について、オウム犯行説に疑いを抱いた時には、事件の状況を詳細に記述した弾劾状を報道機関に送ることも計画していたそうだ。

しかし結局、警視庁公安部がオウム犯行説に固執したため、中村は自分たちの手柄を誇示する機会を失った。そのためメディアに対し、自分こそが長官を撃った犯人だと訴え続けてきたわけだ。

人は何か思い残すことがあると、死んでも死に切れず、結果的に寿命が延びることがある。重篤な病気を患いながら、90歳になっても生き永らえている中村もそれに該当するように私は思う。中村としては、自分こそが長官狙撃事件の犯人だと社会にもっと広く認められないことには、死んでも死に切れないのだろう。

私は取材者として、この老受刑者の特異な人生を最後まで見届けたいと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
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タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

小さな息子を餓死させた母親は事件前、一緒に逮捕された「ママ友」に洗脳され、離婚に追い込まれたり、多額の金をだまし取られたりしていたという。福岡県篠栗町で起きた5歳児餓死事件について、テレビでは先日来、そんな禍々しい事件内容が大々的に報道されてきた。

[左]『週刊新潮』2021年3月18日号(一部修正)/[右]『女性セブン』2021年3月25日号

一方、大手週刊誌の報道状況を調べたところ、現時点でこの事件を報じたことが確認できたのは週刊文春、週刊新潮、女性セブン、女性自身、週刊女性の5誌にとどまった。週刊現代、週刊ポスト、サンデー毎日、週刊朝日、FRIDAY、FLASHについては、この事件を伝える記事の掲載を確認できなかった。

ひと昔前であれば、大手週刊誌がどこも現地に記者を送り込み、派手な取材合戦を繰り広げたことは確実な事件だが、今回そうなっていない事情は明白だ。本の売れないご時世、大手週刊誌といえども、記者を地方取材に行かせる予算を捻出しづらくなっているのだ。

ただ、大局的に見ると、こうした出版業界の窮状は事件報道を悪くない形に変えつつある。

『女性自身』2021年3月23・30日号(一部修正)

◆地方取材が減った一方、増えてきた面会取材と裁判取材

というのも、ひと昔前であれば、どんな大事件でもメディアが騒ぐのは事件発生当初や被疑者の逮捕当初だけで、裁判段階には報道量が激減するのが一般的だった。とくに週刊誌はその傾向が顕著だった。しかし、現在の週刊誌は地方の大事件を発生当初から現地で取材することが減ったぶん、被告人本人に面会したり、裁判を傍聴して書かれる記事が増えているのだ。

たとえば、最近だと、相模原大量殺傷事件と座間9人殺害事件では、植松聖、白石隆浩の犯人両名と面会したり、裁判を傍聴したりした報道が多く見られた。とくに「金を払わないと取材は受けない」というスタンスだった白石については、新聞、テレビが二の足を踏む中、殺人犯に取材謝礼を払うことをいとわない週刊誌が面会取材でリードしていた。

あえて教科書的に言えば、事件報道の最大の意義は「権力監視」なので、権力と対峙した被疑者(被告人)本人の言い分を聞ける面会取材や裁判取材は本来、事件報道のクライマックスとなるべきものだ。従来の事件報道はそうならず、捜査機関の情報に依拠せざるをえない事件発生当初や被疑者の逮捕当初の報道が中心だったのだが、皮肉にも出版業界の窮状により教科書的な事件報道が増えてきているわけである。

『週刊女性』2021年3月30日号(一部修正)

私が先日、当欄で記事(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=38283)を配信した講談社元編集長の「妻殺害」事件にしても、週刊誌のネット版が裁判の控訴審の情報を伝えた記事も参考にしている。これほど注目度の高い事件でも、ひと昔前であれば週刊誌が裁判を控訴審までフォローしたとは思いがたく、私があの記事を書けたのも出版業界の窮状のおかげかもしれない。

私自身、取材では常に経費のことが悩ましい問題だが、取材経費が乏しいからこそ新しい取材手法を思いつくこともある。本が売れないのは仕方のないことで、以前のように本が売れる時代はもう戻ってこないだろうが、それは変革のチャンスでもあるのだろうと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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『七つの大罪』などのヒット作を手がけた講談社の元編集次長・朴鐘顕(パク・チョンヒョン)氏(45)が妻・佳菜子さん(事件当時38)を殺害した容疑で検挙された事件について、私は4年前(2017年1月13日)、当欄で次のような記事を配信した。

◎妻殺害容疑で逮捕された講談社編集者に「冤罪」の疑いはないか?
 
記事のタイトルからわかる通り、私は朴氏が逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、そのことを指摘したのである。

その後は正直、この事件の動向を熱心にフォローしていなかった。しかし先日、無実を訴える朴氏が裁判で懲役11年を宣告された一審に続き、二審でも有罪にされたというネットメディアの記事を一読し、心にひっかかるものがあった。そこで、公立図書館の判例データベースで一審判決を入手し、目を通してみたのだが――。

結論から言おう。本件はやはり、冤罪を疑わざるをえない事案である。それをここでお伝えしたい。

◆創作できるレベルを超えていた被告人の公判供述

一審判決によると、朴氏は2016年8月9日午前1時過ぎ、東京都文京区の自宅において、殺意をもって妻・佳菜子さんの首を圧迫し、窒息死させたとされる。朴氏は佳菜子さんが亡くなった原因について、「妻は自殺した」と主張したのだが、一、二審共に退けられたのだ。

だが一方で判決によると、佳菜子さんが生前、朴氏にあてていたメールの内容などに照らすと、佳菜子さんは育児などに追われて相当のストレスを抱え込んでいたことが認められるという。さらに事件の際、佳菜子さんは包丁を持ち出したうえで朴氏に対し、「お前が死ぬか、私が死ぬか選んで」と迫るなど尋常ではない状態にあったことが否定できないという。

このような事実関係からすると、「妻は自殺した」という朴氏の主張は特段おかしくない。

さらに上記のような「尋常ではない状態」にあった佳菜子さんが亡くなった原因などに関し、朴氏は公判で以下のようにずいぶん詳細な説明をしていたようである。

「妻の手には包丁が握られていたため、私は2階の子供部屋に避難して妻が入ってこないようにドアを背中で押さえていたのです。すると、数回『ドドドドドン』という音が聞こえた後、静かになったため、子供部屋から出て階段の下を見ると、妻が階段の下から2番目の手すりの留め具にくくりつけた私のジャケットに首を通して自殺していたのです。上から見ると、妻が階段上にうつ伏せで寝そべっているか座っているかのように見えました」(一審判決にまとめられた朴氏の公判供述の要旨を読みやすくなるように再構成)

この供述は全般的にリアリティがあるが、とくに(1)佳菜子さんが首を吊って自殺するのに使った道具が「私のジャケット」だったという部分や、(2)亡くなっていた佳菜子さんについて「階段上にうつ伏せで寝そべっているか座っているかのように見えました」と説明している部分については、創作できるレベルを超えている。

これはつまり、朴氏が本当に自分の経験したことを供述していると考えるのが妥当だということだ。

◆被害者遺族が「加害者」の無罪主張に沿う言動をとる理由とは?

私が今回、心に引っかかるものがあったというネットメディアの記事についても言及しておきたい。それは、以下の記事だ。

◎「講談社元編集次長・妻殺害事件」 “無罪”を信じて帰りを待つ「会社」の異例の対応(デイリー新潮)
 
この記事が私の心に引っかかったのは、佳菜子さんの妹が朴氏のことを擁護していたり、佳菜子さんの父が「佳菜子は病気で亡くなったと思っている」と言っていたりするように書かれていたからだ。

被害者遺族が「加害者」の無罪主張に沿う言動をとること自体が珍しいが、そんな事態になったのは、佳菜子さんが事件前、遺族に「自殺してもおかしくない」と思われるような言動をとっていた可能性があるからに他ならない。

ところが、一審判決を見る限り、佳菜子さんが亡くなった経緯に関する事実関係は、もっぱら佳菜子さんの遺体や、現場の痕跡(血痕や尿班など)に基づいて争われており、佳菜子さんの生前の言動に関する遺族の証言が審理の俎上に載せられた形跡が見受けられない…。

これはつまり、無罪を主張する朴にとって有利な証拠が見過ごされた可能性があるということだ。

朴氏にとって、裁判での無罪主張のチャンスは最高裁の上告審を残すのみとなったが、果たしてどうなるか。この事件については、改めて事実関係を調べてみたいと思うので、何か有意な情報が得られたらまた報告したい。

無実を訴え続ける朴氏は最高裁に上告中

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08XCFBVGY/

読売新聞が3月7日、ホームページで次のような記事を配信していた。

【独自】米大統領選のデマ発信サイトに大手企業の広告…銀行や車など10社

記事によると、昨年のアメリカ大統領選で「不正があった」というデマが日本のSNS上で拡散したが、多くのデマの発信源となった「まとめサイト」に少なくとも10社の大手企業の広告が表示されていたという。記事では、各企業の反省のコメントも紹介されており、要するに同紙は「大手企業がデマを発信するサイトに広告を表示させるべきではない」と訴えたいようだ。

これは壮大なブーメランではないだろうか。筆者は率直にそう思う。これまで様々な冤罪事件を取材してきた中、読売新聞を含むマスコミ各社の酷いデマ報道を数え切れないほど見てきたからだ。

デマ発信サイトを叩く読売新聞の記事(2021年3月7日付)

◆冤罪の西山美香さんを「殺人犯」と決めつけていた読売新聞

たとえば、滋賀県の元看護助手・西山美香さん(41)が昨年、再審で無罪判決を勝ち取った湖東記念病院事件に関する読売新聞の報道もそうだった。

西山さんは2004年7月、男性患者の人工呼吸器のチューブを外して殺害した容疑で逮捕され、裁判で懲役12年の刑を受けて服役。再審請求後、弁護側の調査により男性が本当は「病死」だったと証明され、逮捕から実に16年で雪冤を果たした。

同紙は2004年、この西山さんが逮捕された際にこう報じている。

滋賀の病院で呼吸器外し患者殺害 容疑の元看護助手を逮捕 待遇に不満
(大阪本社版2004年7月7日朝刊1面 ※「ヨミダス歴史館」より)

実際には、患者の死因は「病死」だったのに、「殺害」と決めつけている。しかも、西山さんが動機について「病院の待遇に不満があった」と虚偽の自白をしていたことについて、「待遇に不満」と地の文章で書いている。これでは、西山さんが本当にそういう動機で患者を殺害したかのようだ。

さらに同紙は翌日に出した続報で、次のように報じている。

患者殺害の西山容疑者「看護師に見下され…」先月、出頭し自供
(東京本社版2004年7月8日朝刊35面 ※「ヨミダス歴史館」より)

「患者殺害の西山容疑者」は、西山さんのことを完全に殺人犯と決めつけた表現だ。この記事を目にした世間の人たちは西山さんがクロだと思い込んだことだろう。

読売新聞が「デマを発信したメディアに、大手企業の広告が表記されるのは問題だ」と考えているのなら、まずはこのような記事を出した自社の紙面を見直し、広告を出している企業にコメントを求めるべきだ。

◆新聞社はネットメディアの不正確さを叩くことが多いが…

おそらく筆者がここで指摘したことは、筆者以外にも気づいた人が多かっただろう。新聞社は重大な冤罪が明るみに出るたび、冤罪を生んだ捜査や裁判を批判するが、実際には新聞社自身、冤罪被害者が逮捕された際に犯人と決めつけた報道をしていることは一般常識だからだ。

新聞社は自分たちの権威を保つため、ネットメディアの不正確さを叩くことが多いが、そんなことをしても権威など保てないからやめたほうがいい。それよりも、重大な冤罪が明るみに出た時などには、捜査や裁判の問題より自社の報道の問題を検証したほうが、よっぽど社会の多くの人から信頼を得られそうだし、長い目で見れば得なのでないだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1999年10月、埼玉県上尾市の女子大生・猪野詩織さん(事件当時21)がJR桶川駅前で風俗店店長の男に刺殺された桶川ストーカー殺人事件。大変有名な事件であるにもかかわらず、意外と知られていないことがある。

それは、事件の「首謀者」とされる元消防士の無期懲役囚・小松武史(同33、現在は千葉刑務所で服役中)が一貫して冤罪を訴え、さいたま地裁に再審請求していることだ。

筆者はこれまで、この小松の冤罪主張には信ぴょう性があることを当欄で繰り返しお伝えしてきた。

まず何より、猪野さんに対し、ストーカー化していた風俗店経営者の小松和人(同27、指名手配中に北海道で自死)ならともかく、その兄である武史には、猪野さんを殺害する動機が見当たらない。加えて、捜査段階に「武史に被害者殺害を依頼された」と供述し、武史を有罪に追い込んだ実行犯の風俗店店長・久保田祥史(同34)も実は裁判で「本当は武史から被害者殺害の依頼はなかった」と“告白”しているのだ。

懲役18年の判決を受けた久保田が宮城刑務所に服役中、筆者が久保田と文通し、事実関係を確認したところ、久保田は“事件の真相”について、次のように説明した。

「あの事件は、和人の無念を晴らすため、自分が一人で暴走してやったことです。取り調べに対し、武史から被害者の殺害を依頼されたと供述したのは、犯行後、和人と一緒に風俗店を経営していた武史にトカゲのしっぽ切りのような扱いをうけ、復讐しようと思ったからです」(要旨)

このような事実経過からすると、武史について冤罪を疑う声が聞かれないのはむしろ不思議なくらいだと言っていい。

武史から先日、私のもとに届いた手紙には、捜査と裁判の“内実”が改めて生々しく綴られていた。ここで紹介させて頂きたい。

◆警察の調べは、「オラー、てめー、このヤロー」の連続

武史は警察で受けた取り調べについて、今回の手紙にこう書いている(以下、〈〉内は引用。明らかな誤字、明らかに事実と異なる部分は修正した。また、句読点は読みやすいように改めた)。

〈警察の調べは、デタラメどころでなく、せまい2畳の調べ室に、6人の刑事が来てたり、暴言どころでなく、ずっと「久保田がこう言ってる、てめえが殺しを指示した」や「本当は、弟でなく、てめぇーが女と付き合ってたんだろう~が」や「てめぇは、飯食えてい~よな、死んだ女は、飯も食えねえんだョー」。私が39℃の熱があろうが、抜く歯の痛みがあろうが、30kgやせようが、久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せないの一点張り、、、弟の北海道の逃げてる話や、自殺してしまうとうったえても、ゲラゲラ笑って「今更、てめえの弟が出てきても、面倒なだけだろーが」や「誰も、弟の事など、話してねえよ、テメェーの女だったんだろーが、そんでなきゃ殺す訳ねぇーだろうが」の一点張りでした。調書など、毎日、刑事が作って来てた作文に、印を押せの、デタラメな調べでした。「オラー、てめー、このヤロー」の連続〉

ここで注目して頂きたいのは、武史が刑事から〈久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せない〉と言われたという部分だ。武史がこのようなことを書いているのは、久保田が当初、「武史から被害者の殺害を依頼されたのは、タクシーに乗っていた時だった」と供述していたためだと思われる。

そもそも、武史が久保田に殺害を依頼するなら、運転手のいるタクシーの車内ですること自体が不自然だ。これも筆者が武史の冤罪主張に信ぴょう性を感じている理由の1つだ。

続いて、武史は検事の取り調べについて、こう綴っている。

〈私が、上尾警察署員は弟の店の会員ばかりで、私に話して来てた署員(「弟さんの店、残念でしたね、良い店で我々の内でも、有名だったので、かわりに、どこか他の店を紹介して下さい」)の話を検事にすると、初めは、そんな訳ないと言ってたのが、2日後の護送から、メンバーが全員変わるほどだったのと、検事の調書は一枚も出来あがらず、検事は怒ってたのと、デタラメ調べでした〉

猪野さんが事件前、家族と共に埼玉県警上尾署に対し、和人らからのストーカー被害を訴えていたにもかかわらず、まともに取り合ってもらえなかったことは有名だ。上尾署の動きが鈍かったのは、署員が和人の営む風俗店とズブズブの関係にあったからだという説はかねてより「噂話」レベルで存在していた。

武史がここで書いていることは、必ずしも趣旨が明確ではないが、この「噂話」を裏づけている内容と言える。武史の言うことを鵜呑みにするわけにもいかないが、見過ごしがたい話ではある。

武史から届いた手紙

◆判決を早く出したかった裁判長が「まともな判事」をコウタイした

武史は裁判についても当然不満を抱いており、こんなことを書いてきた。

〈裁判長の川上は、私の裁判が終ると、早稲田大学の法学学術院(母校)の学長に付くのが決まっていたそうで、弁護士の刑事事件専門の荻原先生に言わすと、何十年と見て来た、川上裁判長らしくないと言ってました。判決を早く出したいのと、検事の言う事しか聞かないと言ってたのと、右のバイセキの下山判事だけ、久保田や伊藤の言う事があまりに矛盾してたので、しょっちゅう「信じられないから、伊藤さんに訊きますが、殺人の謀議を、何一ツ覚えてない人が、検事のケイタイ一覧を見せられ、なぜ?一ツ、一ツの会話を覚えているのか?(通常会話を?)信じられない」と言ってた、まともな下山判事を、川上裁判長は、コウタイしてました。判事も、何が何でも、検事と久保田の証言で、有罪にしたいのが見え見えでした〉

ここに出てくる川上(拓一)裁判長は、たしかに武史らの裁判を担当したのち、早稲田大学の法学学術院で教授職に就いている。「学長」を務めていた事実は確認できなかったが、「裁判長は次の仕事が決まっていたから、判決を早く出したがっていた」「そのために、まともな判事をコウタイさせた」という武史の推測は、まったく根拠がないわけでもない。

一方、ここで出てきた伊藤とは、久保田が猪野さんを刺殺した際、現場に同行した共犯者の伊藤嘉孝(同32)のことだ。伊藤も和人の営む風俗店で働いていた男だが、逮捕されると、「被害者への嫌がらせはすべて武史の指示によるものだったので、久保田から被害者を殺害すると聞いた時、今回も当然、武史から久保田に指示があったと分かった」と供述し、「武史=首謀者」だとする久保田の供述を裏づけていた。久保田が裁判で当初の供述を覆したにもかかわらず、武史が有罪とされたのは、伊藤が裁判でもこの供述を維持したことが大きな要因だ。

武史がここで書いていることの趣旨はわかりにくいが、裁判での伊藤の証言内容におかしいところがあったと訴えたいのだろう。無罪への執念は確かに伝わってくる文章だ。

なお、伊藤は懲役15年の判決を受けて服役し、出所後に病死している。

千葉刑務所。武史は現在もここで服役中

◆再審がダメなら、病気になって早く死にたい

さて、ここまで読んでおわかりの通り、武史の書く文章には、趣旨のわかりにくいところが散見される。獄中生活も20年を越し、心身共に疲弊しているためだと思われる。再審にかける思いは強いが、弱気になることもあるようで、現在の思いをこのように綴ってきた。

〈日本の再審は厳しいのは知ってますので、私はダメなら、病気になって早く死にたいです、、、この世に未練は何もないです。早くリセットしたい思いです〉

筆者は今後も武史の再審請求の動向は追い続けるので、何か事態に動きがあれば、適時お伝えしたい。

なお、武史はさいたま地裁への再審請求に際し、久保田が事件の「真相」を綴った手記を電子書籍化した拙編著「桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白 Kindle版」を新規・明白な無罪証拠であるとして提出している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

検察官やヤメ検の弁護士が自分の専門分野である刑事事件の捜査や裁判について、意外と知識が乏しかったり、大きな誤解をしていることがたまにある。この人もそうだったのだろうか……と、ある裁判に関する報道を見て、ふと思った。元東京地検特捜部長の石川達紘被告(81)のことである。

石川被告は2018年2月、都内で誤って車を暴走させ、通行人の男性(当時37)をはねて死亡させたとして、東京地裁で自動車運転死傷処罰法違反の罪に問われた。検察側が「被告人は誤ってアクセルを踏み続けた」と主張したのに対し、石川被告は「アクセルを踏んでおらず、車の不具合の可能性がある」と無罪を主張していたという。

しかし2月15日、石川被告は三上潤裁判長にこの主張を退けられ、禁錮3年・執行猶予5年の判決を受けた。そして即日、東京高裁に控訴したという。

石川被告の裁判の舞台は東京地裁から東京高裁へ移った

◆優秀なヤメ検弁護士ですら知らなかった刑事裁判の現実

ここで、私が10年ほど前に取材した、ある冤罪事件の話をしたい。その事件では、弁護人のヤメ検弁護士が熱心な弁護活動をしており、裁判員裁判だった一審では無罪が出そうな雰囲気もあったが、結果的に被告人は不可解な内容の判決で有罪とされた。その時は私もこのヤメ検弁護士を気の毒に思ったが、控訴審が始まる前にこの人と話した時にいささか驚いた。

こんな楽観的なことを言っていたからだ。

「控訴審の裁判官は、私が検察官になったばかりの頃に色々教えてくれた人で、私の考えもよくわかってくれている。今度は大丈夫だと思う」

日本の刑事裁判官は検察官寄りの判断をする人が大半で、被告人は裁判が始まる前から有罪と決めつけられていることも多い。日本の刑事裁判の有罪率が異様に高いのはそのためだ。そしてそれは今や素人でも知っている常識だ。それにもかかわらず、このヤメ検弁護士は、検察官だった頃の自分の考えを理解してくれた裁判官が、検察官をやめて弁護士になった自分の考えも理解してくれるものだと妄信していたのだ。

果たして控訴審は初公判で即日結審、被告人の控訴が棄却される結果になった。この被告人は明らかな冤罪だったが、その後に最高裁でも上告を棄却され、現在も東日本の某刑務所で服役している。

ちなみにこのヤメ検弁護士は、無罪判決の獲得実績もかなりある優秀な人だ。そういう人ですら、「刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実を知らなかったわけだから、この現実を知らない検察官やヤメ検弁護士は日本全国にかなりいるはずだ。

◆公判中の態度を問題視された元特捜部長

そして再び、石川被告の話である。

週刊文春の報道によると、石川被告は公判中、自ら検察官側証人の警官に尋問を行い、元特捜部長らしくギリギリ追及し、裁判長から「冷静に」とたしなめられたりしたという。また、「私も被害者だ」「私は生かされた」などという言葉を発し、遺族を傷つけたりしたそうだ。

さらにNHKなどの報道によると、三上裁判長は判決宣告後、石川被告に「被害者遺族に対する向き合い方について、今一度考えてほしい」と述べていたとのことである。裁判長にとって、石川被告の法廷での態度は相当酷いと感じられたのだろう。

ただ、そのことから推察するに、石川被告は刑罰を免れようとして無罪を主張したわけではなく、本気で自分のことを冤罪被害者だと考えている可能性もある。そうであるなら、東京地検特捜部長を務め、最終的に名古屋高検の検事長まで出世した石川被告は、81歳にして初めて「日本の刑事裁判官は、検察官寄りの判断をする人が大半」という現実に直面したのかもしれない。

果たして、石川被告は気づくことができただろうか。検察官だった頃の自分も刑事裁判官からそのようにひいきされていたからこそ、否認事件でも当たり前のように有罪判決が取れていたのだということに。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

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