殺人事件の現場というのは、そうだと知らなければ、何の変哲もない場所や建物にしか見えない場合がほとんど。そんな中、いかにも殺人現場らしい不穏な雰囲気を漂わせていた場所もある。

たとえば、2011~2012年頃に話題になった尼崎連続変死事件の現場がそれである。

◆灰色にくすんだ街並み

事件の発覚は2011年の秋だった。主犯と言われる角田美代子(当時63)らに監禁されていた女性が警察に駆け込んだのをきっかけに、尼崎市の貸し倉庫から女性の母親の遺体が発見された。さらに翌年10月には、平屋建ての民家の床下から3遺体が見つかり、大量変死事件として騒がれた。

美代子は複数の家族と同居し、虐待や殺人を繰り返していたとみられ、死者・失踪者は10人を超すと伝えられる。逮捕された美代子が留置場で自殺し、事件の全容解明は困難になったが、共犯者らの裁判では、髪をバーナーで焼いたり、タバコの火を押しつけるなどの凄惨な犯行が明るみになっているという。

筆者がこのおぞましい事件の現場に足を運んだのは、2015年の初夏のことだ。最寄り駅の阪神電車・杭瀬駅に降り立ち、関係現場を訪ねて回った。そしてまず感じたのは、街並みが灰色にくすみ、いかにも怪事件の現場らしい雰囲気だということだ。こういうことは珍しい。

◆3遺体が見つかった民家は更地に

そして駅から歩くこと数分で、3人の遺体が発見された平屋建ての民家があった場所に到着した。が、問題の家はすでにない。家の建物は跡形もなく取り壊され、更地になっていたためだ。

3遺体が見つかった民家は取り壊され、更地に

ただ、隣家のトタンの外壁が何やら異様な雰囲気を醸し出している。ふと見ると、更地に衣装ケースが置かれているが、それもまた不気味に見える。フタをあけると、ゴルフシューズなどが詰め込まれていたが、なぜ、こんなに場所にこんな物が・・・・・・と不思議な思いにさせられた。

一方、ベランダに「監禁部屋」と呼ばれるプレハブ小屋があった美代子宅のマンションは、この更地から歩いて数分の場所にある。

マンションから出てきた住人の男性に話を聞かせてもらおうと思い、話しかけたが、「その事件ならここやけど、話すことはないで」と冷たくあしらわれた。マンションの他の住民たちにとって、あのおぞましい事件はもう思い出したくないことなのだろう。

最上階に暮らしていた美代子宅を見上げると、ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた。ただ、この強烈過ぎる事故物件に、他の誰かが再び暮らすことは無さそうに思われた。

最上階の左端がかつての美代子宅。ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた

◆ドラム缶の遺体があった貸し倉庫も不気味な雰囲気

このマンションからさらに徒歩で数分の場所には、もう1つの遺体発見場所である貸し倉庫があった。この倉庫は、公園のすぐそばにあったが、外壁は錆びたトタンと黒ずんだコンクリートで、いかにも不気味な雰囲気だ。

現場の1つである貸し倉庫。遺体がドラム缶にコンクリート詰めされた状態で見つかった

この倉庫では、警察に駆け込んだ女性の母親の遺体が、ドラム缶でコンクリート詰めにされた状態で見つかったと報じられたが、いかにもそういうことがありそうな場所に思われた。

街を歩いてわかったことだが、この界隈はトタンの建物が非常に多く、街全体が時代の流れから取り残されているような印象だった。この街で暮らす人たちには失礼な言い方だが、尼崎連続不審死事件はこういう街だからこそ起きた事件だったような気がしてならなかった。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

埼玉愛犬家連続殺人事件といえば、90年代を代表する凶悪事件の1つだ。熊谷市を拠点に「アフリカケンネル」という屋号で犬猫の繁殖販売業を営んでいた関根元、風間博子の元夫婦が、犬の売買をめぐりトラブルになった客らを次々に殺害していたとされる。

関根は被害者たちに対し、犬の殺処分に使う劇薬を「栄養剤」と偽って飲ませており、この犯行手口により、暴力団幹部まで殺害していたという。

そんな事件の「内実」を世に広めたのは、志麻永幸という男だった。被害者たちの遺体の処分を手伝っていた「共犯者」である。

「ボディを透明にすればいい」

志麻が出所後、週刊新潮のインタビューで語ったところでは、関根はしばしばそう言っていたという。関根はその考えに基づき、被害者たちの遺体を包丁で細かく解体し、骨などは焼却したうえで灰を山や川に遺棄して徹底的に証拠隠滅しており、志麻はそれを手伝わされていたとのことだった。

志麻の告白は本になり、園子温監督がその本をモデルに映画「冷たい熱帯魚」を製作。この事件の残虐性や猟奇性は後年まで語り継がれることとなった。

主犯格とされる関根と風間は、2009年に最高裁で死刑確定。関根は2017年に東京拘置所で病死したが、風間は一貫して無実を訴え、現在も東京拘置所から再審(裁判のやり直し)を求め続けている。

◆愛想のいい「ゲンさん」

私がこの埼玉愛犬家連続殺人事件の関係現場を訪ねて回ったのは、2013年の夏だった。この時に印象深かったのは、関根や志麻が現場界隈の人たちに大変評判が良かったことだ。

熊谷市郊外にある「アフリカケンネル」の犬舎は、もう10数年も使用されずに放置され、ボロボロになっていたが、周辺にはまだ関根のことを知る女性が住んでいた。その女性は笑顔でこう振り返った。

「ゲンさんはいつも愛想のいい人だったんですよ。たまに犬舎の前で牛を一頭丸ごと包丁でさばいていて、問題になったことはありましたけど。犬のエサにするためだったみたいですね」

関根の犯行を知った今もなお、女性は関根のことを少しも悪く思っていないような話しぶりだった。マスコミ報道では、俳優の泉谷しげる似の武骨な風貌が印象的だった関根だが、普段はきっと、親しみやすいタイプだったのだろう。

ボロボロになっていたアフリカケンネルの犬舎

◆道で会えば挨拶してくる「志麻さん」

一方、志麻は、片品村という群馬県の山間部にある村で、旧国鉄から払い下げられた2両の廃貨車を住居にして暮らし、ブルドッグの繁殖販売をしていた人物だ。関根と志麻は、この家まで被害者の遺体を車で運んできて、風呂場で解体し、庭のドラム缶に入れて燃やしていたという。

この緑豊かな村にも志麻を知る人たちが暮らしていて、ある女性は懐かしそうにこう振り返った。

「志麻さんのお子さんは、うちの子と幼稚園が一緒だったんです。道で会えば挨拶してくる、明るい人で。だから、事件があった時は『え、あの志麻さんが!?』という感じだったんですよ」

この女性が口に手をあて、笑顔で話す様子からは、凶悪殺人に加担した志麻に対し、今も何ら恐怖感を抱いておらず、「保護者同士」という印象のままでいることが窺えた。

社会を震撼させた殺人事件の犯人たちも、普段はどこにでもいる「普通の人」。裏返せば、私たちの近所で暮らす普通の人たちの中にも、関根や志麻のような凶悪殺人事件の犯人が潜んでいても何らおかしくないのである。

志麻の家の跡地は畑になっていた

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福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。

その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。

と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。

というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。

奥本死刑囚の家があった場所。事件後、取り壊され、更地に。

◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・

私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。

奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。

殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。

一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。

私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。

奥本死刑囚が長男の遺体を埋めた資材置き場

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1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに連れ去られ、殺害された「飯塚事件」は、2月20日で発生から27年になった。

この事件は今では何より、死刑執行された男性・久間三千年さん(享年70)が実は冤罪だった疑いがあることで有名だ。有罪の決め手となった科警研のDNA型鑑定が当時はまだ技術的に拙く、鑑定ミスがあった可能性が広く知られるようになったためである。

しかし実際には、この事件はDNA型鑑定の問題以外にも冤罪を疑わせる点がいくつもある。その1つが、久間さんが逮捕前、警察の任意捜査に対し、「無知の暴露」をしていたことである。

久間三千年さんの死刑が執行された福岡拘置所

◆被害者2人は姦淫まではされていなかったが・・・

「無知の暴露」とは、供述鑑定の第一人者である奈良女子大学の浜田寿美男名誉教授が定義した供述分析の概念である。

真実犯人である被疑者が自白した場合、自白内容には、犯人でなければ知りえない「秘密の暴露」が含まれる。一方、本当は犯人ではない無実の被疑者が自白した場合、犯人であれば知っているはずのことを知らないため、犯行の現実と矛盾した内容の自白をしてしまう。浜田教授はそれを「無知の暴露」と定義したのである。

では、久間さんはどのような「無知の暴露」をしていたのか。それは、死刑を宣告された福岡地裁の第一審判決の中に記されている。事件が起きてまもない1992年3月21日、久間さんは福岡県警の任意捜査に応じた際、「自分の陰茎の状態」について2人の警察官に次のように話しているのである。

「糖尿病で血糖値が五三〇あり、入院を勧められた。しかし、息子の面倒をみるので入院できなかった。両足が痛いし歩けない。目もくもって悪くなる一方だった。シンボル(陰茎)の皮がやぶけてパンツ等にくっついて歩けないほど血がにじんでしまう。オキシドールをかけたら飛び上がるほど痛かった。シンボルが赤く腫れ上がった。事件当時ごろも挿入できない状態で、食事療法のため体力的にもセックスに対する興味もなかった」(第一審判決より。原文ママ)

これは要するに、久間さんが警察官たちに自分の無実を主張するため、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」と語っているわけだ。

では、この供述がなぜ、「無知の暴露」と言えるのか。

それは、山の中で発見された被害者の女の子2人の遺体は、いずれも下半身が裸の状態で見つかっており、性犯罪目当ての犯行であることは明らかだったが、姦淫まではされていなかったからである。

解剖医によると、被害者2人の性器は、うち1人が「指の爪が挿入されたのであろうと推測される」(第一審判決より)という状態で、もう1人も「恐らく指と爪が挿入されたと推測される」(第一審判決より)という状態だった。犯人ならば当然、このことを知っているから、「事件が起きた当時、病気のせいで自分の陰茎(シンボル)はセックスができない状態で、自分はセックスへの興味もなかった」などという久間さんのような言い訳はしないだろう。

久間さんは、実際に犯行を行っていないからこそ、報道などの断片的な情報に基づいて被害者の女の子たちが犯人に姦淫されているものと思い込み、このような的外れな言い訳をしたのである。

ちなみに、久間さんはマスコミの記者がいる場でも、これと同じような内容の話をしており、その記者はこの「無実だからこその言葉」をテープに録音しているという情報もある。私は、このテープは何らかの形で公開されるべきだと考えている。

被害者2人の遺体が遺棄されていた山の中の草むら

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重大事件の発生当初に「有力証拠」が見つかったように報道され、それがその後に被告人の裁判でガセネタだとわかることは珍しくない。だが、たまに逆のパターンもある。事件発生当初に報道された「有力証拠」は確かに実在するのに、検察官が自分たちの主張の立証に邪魔になるため、裁判では隠ぺいしてしまうパターンだ。

当欄で何度も冤罪の疑いを伝えてきた、あの「今市事件」でもまさにそういうことが起きている。

◆今見ても興味深い2005年の読売新聞のスクープ

2005年12月1日、栃木県今市市(現在は日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃん(当時7)が下校中に失踪し、茨城県の山中で遺体となって見つかった今市事件。2014年に逮捕された台湾出身の男性・勝又拓哉氏(36)は、裁判で一、二審共に有罪(無期懲役)とされたが、本人は無実を訴えており、有力な証拠もないことなどから冤罪を疑う声が非常に多くなっている。

そんな今市事件が起きたばかりだった2005年12月5日、読売新聞が東京本社版の朝刊1面で、今見ても興味深い次のようなスクープ記事を掲載していた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

女児乗せた白いワゴン
栃木・小1殺害
日光道の料金所
ビデオ記録 運転席に男
両県警特定急ぐ

当初は“白いセダン”ではなく、“白いワゴン”が疑われていた(読売新聞東京本社版2005年12月5日朝刊1面)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

この記事によると、有希ちゃんが下校中に行方不明になった後、現場近くにある有料道路「日光宇都宮道路」の大沢インターチェンジ入口の料金所のビデオカメラに、有希ちゃんとみられる女児と男の乗った「白いワゴン車」が映っていたという。

では、なぜこの記事が今見ても興味深いのか。それは、勝又氏が当時乗っていた車は、「白いワゴン車」ではなく、「白いセダン車」だからである。

さらに読売新聞はその後も、《日光道ICの白いワゴン 午後3~5時通過》(同12月6日朝刊1面)、《「白い箱型の車見た」 一緒に下校の女児 別れた直後に》(同12月20日朝刊39面)などと、白いワゴン車が犯人のものであることを示唆する情報を次々に報道。また、朝日新聞も同年12月11日の東京本社版朝刊39面で、「『栃木』ナンバーの白いワゴンを2日朝に(遺体遺棄)現場付近で見た」という内容の目撃証言が捜査本部に寄せられたことを報じている。

つまり、これらの報道が事実なら、「有希ちゃんが行方不明になった現場」と「有希ちゃんの遺体が遺棄されていた現場」の両方で、犯行時間帯と近接する時間に、犯人が運転していた可能性がある「白いワゴン車」を目撃した証人が存在するわけだ。

◆栃木県警は目撃証言に関する証拠を「廃棄済み」

「別の真犯人」が存在する可能性を示す警察の情報募集のポスター。原本は警察が廃棄していた

そして実を言うと、この「白いワゴン車」の目撃証言は実在するものであると確かな「証拠」によって裏づけられている。

ここに掲載した、「懸賞金上限額500万円」と書かれたポスターがそれだ。今市事件は2005年に発生して以来、2014年に勝又氏が逮捕されるまで長く「未解決」の状態が続いていたが、これはその時期、栃木・茨城両県警の合同捜査本部が町中に張り出していた情報募集のポスターだ。

このポスターは原本ではなく、ネット上に浮遊していたものだが、「現場付近で目撃された不審車両です」として「白いセダン車」と「白いワゴン車」が両方紹介されている。先に述べたように勝又氏が事件当時に乗っていた車は「白いセダン車」なので、勝又氏が犯人だとしてもこのポスターの情報とは矛盾しない。しかし、「白いワゴン車」のほうが真犯人の車である可能性は、勝又氏の裁判の一、二審で一切検証されていないのだ。

そこで、私は過去に栃木県警が作成したこの事件の情報募集のポスターを全種類集めるべく、行政文書の開示請求を行ったのだが、栃木県警の回答は「廃棄済みである」の一言だけだった。これでは、栃木県警が別の真犯人の存在を示す証拠を隠滅した可能性を疑わざるを得ない。

勝又氏は現在、逆転無罪を勝ち取るために最高裁に上告中だ。最高裁で無罪判決が出るハードルは高いが、「白いワゴン車」が真犯人のものである可能性が検証されないまま、勝又氏の有罪が確定していいわけはない。

日光市(旧今市市)にある有希ちゃんのお墓

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私は現在、様々な死刑事件を継続的に取材している。そこで、新年早々暗くて申し訳ないが、今年新たに死刑が確定しそうな事件を予想させてもらおう。

結論から言うと、今年は3人の被告人が新たに死刑確定者となりそうだ。

最高裁。1月22日に西口の弁論がある

◆「平成最後の死刑確定者」は西口宗宏か

まず1人目は、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)だ。

西口は2011年11月、歯科医夫人(当時67)を殺害し、現金約31万円やキャッシュカードなどを強奪。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。さらに同12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の自宅に押し入り、男性を殺害したうえ、現金約80万円やクレジットカードなどを奪った。殺害方法は、いずれも顔にラップを巻き、窒息死させるというもので、残酷極まりなかった。

そんな西口は第一審で死刑判決を受け、すでに控訴も棄却されている。現在は最高裁に上告中だが、最高裁は1月22日、弁護側、検察官の意見を聴く弁論を開くことになっており、これで審理が終結する見通しだ。最高裁は通常、審理終結から1カ月前後で判決を出すので、おそらく西口は2月か3月に上告が棄却され、死刑が確定するだろう。

ちなみに、最高裁は通常、書面のみで審理を行うが、死刑事件については、審理を終結する前に弁護側、検察側双方の意見を聴く弁論を開くのを慣例としている。現在、死刑判決を受けて最高裁に上告中の被告人は西口以外に4人いるが、この4人はまだ誰も弁論の期日が指定されていないので、西口は「平成最後の死刑確定者」となる公算が大きい。


◎[参考動画](大阪)「遺体をドラム缶で燃やした」堺市女性不明 2011/12/17(田中五郎 2012/02/0公開)

◆西口に次ぐ死刑確定者候補は2人

西口に続いて死刑が確定しそうなのは、山口5人殺人放火事件の保見光成(68)だ。

2013年に山口県周南市の山あいの集落で住民5人が木の棒で撲殺された事件で、殺人罪などに問われた保見は、第一審で死刑判決、控訴審で控訴棄却の判決を受け、西口同様、最高裁に上告中だ。まだ最高裁は弁論の期日を指定していないが、保見は控訴審で控訴棄却の判決を宣告されたのが西口より1日早く(西口の控訴棄却は2016年9月14日、保見の控訴棄却は同13日)、西口と比べて審理の進行がそんなに大きく遅れるとは考えにくい。

当欄の2016年9月14日付けの記事で紹介した通り、保見は深刻な妄想性障害を患い、荒唐無稽な冤罪主張を繰り広げているため、そのことが最高裁での審理をややこしくさせているのかもしれない。だが、最高裁の判決が来年以降に持ち越されることは無いだろう。


◎[参考動画]凶器同一か、全員の身元も判明 山口・周南の5人連続殺人放火事件(最新ニュース 2013/08/11公開)

名古屋拘置所。現在、堀が勾留されている

そして今年3人目の死刑確定者となりそうなのは、名古屋闇サイト事件の犯人グループの1人、堀慶末(43)だ。

堀は2007年、闇サイトで知り合った他2人の男と共謀のうえ、会社員の女性を殺害し、金を奪うなどし、第一審で死刑判決を受けた。控訴審で無期懲役に減刑され、命拾いをしたものの、その後、パチンコ店責任者の夫婦を殺害し、現金を奪っていた余罪が発覚した。そして第一審で死刑判決を受け、今度は控訴も棄却され、現在は最高裁に上告中である。

控訴が棄却されたのは2016年11月18日だから、西口や保見より控訴棄却は2カ月遅い。現時点でまだ弁論の期日が指定されていないので、1月22日に弁論が指定されている西口より先に死刑が確定することはないだろうが、保見のことは追い抜いてもおかしくない。


◎[参考動画]闇サイト殺人事件の遺族が講演「何度思い出しても苦しい」(サンテレビ 2018/11/25公開)

つまり、この堀か、保見が新しい元号のもとでの初の死刑確定者となる公算が大きい。

堀の次に死刑が確定しそうなのは、順当なら前橋連続強盗殺人事件の土屋和也(30)だが、控訴棄却されたのは2018年2月14日で、堀や保見より1年以上も遅い。今年中に死刑が確定することはまず無いだろう。

もっとも、死刑事件は通常、被告人が最高裁まで裁判を続けるが、たまに第一審で死刑判決を受け、その時点で裁判を終わらせる被告人もいる。そういう被告人が今年中に現れないとも限らないので、そうなった場合、私の予想は外れることになる。


◎[参考動画]東海テレビ開局60周年記念ドキュメンタリードラマ「Home ~闇サイト事件・娘の贈りもの~」(tokaitvbroadcasting 2018/12/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

新年1月7日発売!月刊『紙の爆弾』2019年2月号 [特集]〈ポスト平成〉に何を変えるか

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当欄で冤罪事件として繰り返し取り上げてきた米子ラブホテル支配人殺害事件。一貫して無実を訴える被告人の石田美実さん(61)は、裁判員裁判だった鳥取地裁の第一審で懲役18年の有罪判決を受けながら、広島高裁松江支部の控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った。しかしその後、最高裁で控訴審の無罪判決が破棄され、審理を広島高裁に差し戻されるという憂き目に遭った。

と、ここまでは、すでに新聞などでも大きく報道されていることだが、石田さんは現在、さらに理不尽な目に遭っている。11月27日に広島高裁(多和田隆史裁判長)で差し戻し控訴審の初公判が行われ、即日結審したのだが、その翌日から広島拘置所に勾留されてしまったのだ。

一度は無罪判決を勝ち取った冤罪被害者が、その無罪判決を破棄されたばかりか、有罪判決を受けたわけでもないのに、獄中の身になってしまう……この理不尽な仕打ちを受けた石田さんを広島拘置所に訪ね、現在の心境などを聞いた。

石田さんが勾留されている広島拘置所

◆本人は案外落ち着いた様子

筆者が広島拘置所で石田さんと面会したのは、広島地方は小雨が降っていた12月17日のこと。面会室に現れた石田さんは案外落ち着いていて、「無罪判決が破棄されたので、いつかこういうことになるかもしれないとは思っていたんです」と言った。そして、ここに連れてこられた日のことをこう振り返った。

「初公判の次の日、朝8時頃に広島高検の人たちが私の米子の自宅にやってきたんです。そして、勾引状を見せられ、車で広島高裁まで連れて行かれました。そこで、裁判官たちが協議して、勾留されることになったんです」

石田さんは2014年2月に逮捕され、2017年3月に控訴審で無罪判決を受けて釈放されるまで3年余り身柄を拘束されていた。ようやく勝ち取った自由を奪われ、再び勾留されてしまった現在は精神的にも相当きついはずだ。

しかし、石田さんは淡々とした話しぶりで、自分の置かれた状況を冷静に受け止めているように見えた。

◆現在は手記の公表を検討中

もっとも、静かな口調の中にも怒りは混じる。

「差し戻し控訴審は初公判で即日結審し、あとは判決を待つばかりなので、私が証拠隠滅する恐れはありません。それでも、(検察官や裁判官は)私が逃亡する恐れがあるから勾留するというのですが、私は控訴審で逆転無罪判決を受けて釈放されてから、鳥取県を一歩も出ていません。それに、先日あった差し戻し控訴審の初公判では、私は出廷の義務はないのに、米子から広島までやってきて、出廷したのです。そんな私が逃亡などするはずはありません」

石田さんの差し戻し控訴審が行われている広島高裁

まったくその通りだ。判決公判が来年1月24日なので、石田さんは獄中で年を越すことが確実になったが、あまりに酷い話である。

ただ、石田さん本人は前向きだ。

「これまでマスコミから取材依頼があっても、私は受けないようにしていました。裁判が続く間は、波を立てないようにしようと考えていたためです。しかし、今後は事実に基づいて、検察に言いたいことは言ってやろう、おかしいことはおかしいと言っていこうと思っています」

石田さんは現在、獄中で手記を執筆し、公表することを検討しているという。来年1月24日に無罪判決が勝ち取れたら一番いいが、石田さんの勾留を認めた広島高裁の裁判官たちの態度を見ていると、楽観はできない。この事件の動向については、今後も適時報告したい。

《お断り》
当欄で繰り返し取り上げてきた事件のため、事件の詳細については、今回は説明を省略しました。事件の詳細を新たに知りたい方は、過去の記事をご覧ください。
◎2016年の冤罪判決──再審無罪も出た一方で裁判員裁判で新たに2件の冤罪判決
◎鳥取の「知られざる冤罪」──米子ラブホテル支配人殺害事件、控訴審も結審
◎逆転無罪が相次いで出た広島と米子の冤罪事件「知られざる共通点」
◎2017年冤罪事件回顧 逆転無罪2件、再審開始1件をはじめ空前の当たり年に

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』2019年1月号!玉城デニー沖縄県知事訪米取材ほか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年7月、教祖の麻原彰晃(享年63)をはじめとするオウム死刑囚13人が一斉に死刑執行され、ようやく一区切りついた感のある一連のオウム真理教事件。筆者は、この歴史的な死刑執行に関し、法務省や全国各地の矯正管区に情報公開請求し、1000枚を超す関連文書を入手した。

それを見ると、オウム死刑囚13人の死刑が2度に分けて執行された舞台裏は、ずいぶんドタバタしていたことが窺えた。

法務省などから1000枚を超す文書が開示された

◆「執行相当」と決裁する押印もかすれていて……

このほど法務省や全国各地の矯正管区から、筆者に開示された文書は、「死刑執行上申書」「死刑執行上申書」「死刑執行について」「死刑事件審査結果」「死刑執行指揮書」「死亡帳」「死刑執行速報」「死刑執行報告書」など。いずれも死刑執行の決裁や死刑執行後の報告に関する重要文書だ。

それらの文書によると、7月6日に執行された麻原ら計7人の死刑は、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月3日だから、わずか3日で執行の全手続きが終了していたことになる。また、7月26日に執行された他の6人の死刑については、法務省内部で「執行相当」と決裁されたのが7月24日だから、さらに1日短く2日で執行の全手続きが終了していたわけである。

これほどスケジュールがタイトだったためか、やけに目立ったのが、書類作成上のミスだ。

たとえば、麻原に関する「死刑執行について」という文書。この文書は麻原が敢行した犯罪事実などが記載されており、法務省の矯正局と保護局の幹部職員6人が死刑執行にゴーサインを出す決裁の印を押している。しかし、そのうち保護局の畝本直美局長と磯村建恩赦管理官の印はかすれてほとんど見えず、朱肉を十分につけずに慌てて押印していたのではないかと想像させられた。

とくに畝本保護局長については、麻原のみならず、12人の信者たちに関する「死刑執行について」という文書への押印も多くがかすれており、仕事が雑であるような印象を否めなかった。

また、「死刑事件審査結果」という文書では、法務副大臣の葉梨康弘氏の混乱ぶりが目についた。7月3日に決裁した麻原ら7人の同文書については、“押印”で決裁しているのに、7月24日に決裁した残り6人の同文書については、“サイン”で決裁しているのだ。

ちなみに、「死刑事件審査結果」については、法務大臣と副大臣は“押印”ではなく、“サイン”で決裁するのが慣例だ。葉梨氏は慣れない仕事のため、最初は誤って慣例と異なる“押印”で決裁してしまったのだろう。

麻原の「死刑執行について」。保護局の局長と恩赦管理官の印がかすれている

◆名前を間違われていた人も……

さらに各文書を見ていると、いくら死刑囚とはいえ、扱われ方が気の毒に思えた者もいる。「修行の天才」と言われた井上嘉浩(享年48)だ。

というのも、「嘉」という字が手書きになっていた文書があったばかりか、死刑執行後に作成された「死亡帳」という文書では、名前が「井上嘉弘」と誤って記載されていたのだ。「弘」に二重線が引かれ、「浩」と訂正されてはいたが、いかにもぞんざいな扱いがされている印象だ。

井上の「死亡帳」。名前の漢字を間違っている

死刑執行に関する文書は、情報公開請求に対して開示される際に多くの部分が黒塗りされるのが通例だが、それは今回も同様だった。黒塗りされなかった部分でミスが相次いでいるのを見ていると、黒塗りされた部分でも多くのミスがあったのではないかと思わざるを得なかった。

政治家や法務官僚たちにとって、オウム死刑囚の生命は綿毛より軽いものだったのだろう。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

あの衝撃から3カ月が過ぎてもなお、オウム真理教の教祖・麻原彰晃とその信者の死刑囚たちの同時大量処刑はまだチラホラとマスコミの話題になり続けている。実を言うと、私個人もこの一件については、他の多くの死刑執行のニュースとは違う受け止め方をせざるをえなかった。

処刑された信者の中に1人、面会したことがある人物がいたからだ。このほど両親が再審請求することが報道された井上嘉浩(享年48)である。

私が井上と東京拘置所で面会したのは2009年12月のことだった。地下鉄サリン事件で「現場指揮役」を務めたとされる井上は、少し前に最高裁に上告を棄却されており、この時点で死刑が事実上確定していた。

そんな時期に私が井上の面会に訪ねたのは、井上を支援している知人の男性A氏に「井上と面会するから一緒に行こう」と誘われたためだった。私はそれ以前、オウム真理教にも井上個人にも特別な興味は抱いていなかったが、せっかく誘ってもらったので、物見遊山の気分で面会に同行したのだった。

井上が収容されていた東京拘置所

◆面会室では、ニコニコして愛嬌があった

その日、井上は面会室に上下共にエンジのジョージ姿で現れた。テレビなどで見ていた井上は寡黙で、気難しそうな人物という印象だったが、面会室ではニコニコして、愛嬌があった。当時すでに40歳近かったが、まだ青年の面影を残していた。

この時に印象的だったのは、井上がA氏に発したこんな言葉だった。

「私は今の状況(死刑が事実上確定)について、究極の修行をさせてもらっていると思っているんですよ」

教団内で「修行の天才」と呼ばれていた井上らしい言葉だが、やはり死刑は怖いのだろうな・・・と思ったものだった。

また、井上はこの数日前、ノンフョクション作家の門田隆将氏と面会していたそうなのだが、そのことをA氏に怒られ、反論し切れずに困ったように苦笑いしている様子も印象的だった。A氏としては、「マスコミの人間と会っても良いことは無い」と考え、井上をとがめていたようだが、井上は門田氏と会うことに何らかの目的や狙いがあったのではないかな・・・と私は内心、考えていた。

その5年後の2014年、井上がオウムでの経験や裁判での主張を綴った手記が門田氏の解説付きで「文藝春秋」同年2月号に掲載されているのを見た時には、私は「ああ、やっぱり」と思ったものだった。

文藝春秋2014年2月号に掲載された井上の手記

◆「オウムで損なことばかりやらされていた」

報道によると、井上は確定死刑判決に事実誤認があると主張しており、死刑執行の4カ月前にあたる今年3月に再審請求を行っていたという。しかし実際には、私が面会した時点で再審請求するのを決めていたようで、面会中もA氏に対して「再審請求は焦ってないんですよ」と言っていた。焦っていないにしても、今年3月まで8年以上も再審請求していなかったのは不思議である。

いずにせよ、両親が再審請求することからは、井上が生前、両親に対しても事実誤認を強く訴えていたことが窺える。

井上は、私の職業がライターだと知っていたようで、「せっかくですから、あなたも私に質問したいことがあれば、してください」と言ってくれたが、私は正直、とくに聞きたいことは無かった。そう告げると、「では、あなたのためになる話を何かしたいと思います」と言って、「周囲の人の言うことをよく聞いてくださいね」というような話をしてくれた。正直、あまり頭に入ってこなかったが、井上の生真面目さが窺えた。

A氏によると、「井上はオウムで損なことばかりやらされていたんですよ」とのことだった。今思うと、それゆえに井上は地下鉄サリン事件で重要な役割を任せられ、その結果として死刑囚になってしまったのかもしれない。

処刑台に上がり、首に縄をかけられている時にも井上は、「これは究極の修行だ」と思っていたのだろうか。一度会ったことがある人物なだけに、処刑される直前の井上の心中を想像すると、私は胸が苦しくなるのである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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TBSが10月15日から「1番だけが知っている」という新番組をスタートさせた。番組のホームページでは、その番組内容が次のように紹介されている。

・・・・・・・・・・以下、引用・・・・・・・・・・

世の中のあらゆる業界に存在する“その道のNo.1”から、「1番だけが知っている」というとっておきの物語や驚愕の人物を聞き出し、その類まれなエピソードを紹介するこの番組。過去5回の特番では、「ビートたけしが唯一勝てないと思った芸人」や「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」などを紹介し、その内容が放送終了後にWEBニュースで取り上げられるなど大きな反響を呼んだ。

・・・・・・・・・・以上、引用・・・・・・・・・・

要するに過去5回の放送が好評だった特番について、この秋からレギュラー番組化したということだ。MCは、各テレビ局から引っ張りだこの坂上忍氏と森泉氏が務めており、TBSとしては大きな期待を込めた新番組であることが窺える。

だが、私はこの番組が商業的に失敗し、なるべく早く終了して欲しいと心から願っている。なぜなら、この番組は特番だった頃、私のツイッターへの投稿を盗用した上、TBS側は私からそのことを指摘されても、何ら誠意ある対応をしようとしないからである。

◆コピペ同然で盗用

盗用行為が行われたのは、今年5月9日に放送された5回目の特番でのことだ。その放送では、最高裁で無罪判決が出た某冤罪事件について、「北村晴男弁護士が魂震えたリアル“99.9”裁判」として紹介していたのだが(そして大きな反響を呼んだそうなのだが)、私はこの某冤罪事件を裁判の一審段階から取材しており、このデジタル鹿砦社通信など様々なメディアで冤罪だと伝える記事を書いてきた。それもあり、番組を録画して視聴したところ、その放送内容には私が過去に執筆した記事に酷似しているところが目についた。

たとえば、放送では、直近5年(2012年度~2016年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.029%(10152人中3人)だと強調していたが、それは私がこの某冤罪事件について書いた昨年6月発売の雑誌「冤罪File」第28号の記事中で直近5年(2011年度~2015年度)の司法統計に基づき、最高裁で無罪判決が出る確率が0.038%(4人÷10403人)だと強調しているのと酷似していた。

左は、TBS「1番だけが知っている」5月9日放送の一場面。私が書いた「冤罪File」第28号の記事の一部(右)と酷似している

この部分については、この番組のスタッフが私の記事を真似て制作していたのだとしても、私は問題視するつもりはない。司法統計は、最高裁が全国各地の裁判所のデータを取りまとめ、ホームページなどで公表しているものであり、それをもとに誰がどのような表現活動を行なうのも自由だからだ。

しかし放送中、私のツイッターへの投稿を盗用していた場面は看過しがたかった。

盗用されたのは、私が昨年3月14日、この番組で「リアル“99.9”裁判」として紹介された某冤罪事件の冤罪被害者の男性らが広島市で開催した集会を取材し、その会場で弁護人の男性が語った話を短くまとめ、ツイッターに投稿していた文章だ。この番組のスタッフはそれをコピペしたのと同然の形で盗用し、あたかも自分たちが独自取材によりこの弁護人の男性の話を知り得たかのように装って放送したのだ。以下のように。

私がツイッターに行なった投稿(左)と、それをTBS「1番だけが知っている」が盗用した場面(右)

左の画像は、私が行なったツイッターへの投稿で、右の画像は、この番組の放送を画像化したものだ。私が平仮名で書いていた部分について、この番組では漢字に変えられている部分もあったが、それ以外はほとんど丸ごとコピペである。念のため、文字に起こすと以下の通りである。

【私のツイッターへの投稿】
私が29年で扱った中に絶対無実と思い、無罪にならなかった事件は数十件ある。大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り、精神的にも経済的にも最高裁までもたなかった。今回の無罪は嬉しいが、それらの事件には悔いがある

【「1番だけが知っている」】
私が29年で扱った中に
絶対無実と思い
無罪にならなかった事件は
数十件ある
大半の人は一審で諦めたり二審で疲れ切り
精神的にも経済的にも最高裁まで持たなかった
今回の無罪は嬉しいが
それらの事件には悔いがある

よく恥ずかしげもなくこんなことを・・・・・・と逆に感心するくらい大胆な盗用ぶりである。なお、音声の紹介は控えるが、放送では、画面に表示されているテロップはナレーターによって読み上げられている。

◆誠意の無い番組プロデューサーとTBS社長

もっとも、私はツイッターへの投稿を盗用されただけなら、正直、このようにTBSの盗用行為を公の場で批判したりしたくなかった。この番組では、冤罪被害者の男性やその家族、支援者、弁護人の男性ら私が取材でお世話になった人たちが好意的に取り上げられていたからだ。そのような番組を公の場で批判すれば、私がお世話になった人たちにまでイヤな思いをさせてしまうかもしれない。私はそうなるのを避けたかった。

また、盗用された私のツイッターへの投稿は、良いコメントを紹介しているとは思うが、良いことを言っているのは私ではなく、あくまでコメント者の弁護人の男性だ。したがって、このツイッターへの投稿について、声高に権利を主張することも正直、避けたかった。

そこで、できれば、この盗用問題は水面下で解決したいと思い、私は簡易書留の手紙でこの番組のプロデューサーであるTBSの谷沢美和氏に対し、「誠意ある対応」を求めたのだが、回答期限までに何の返事もなかった。そこで、今度はTBSテレビ社長の佐々木卓氏に対し、取材を申し入れたのが、やはり回答期限までに何の返事もなかった。そのため、私としてもこの盗用問題を公にし、全面的に批判せざるをえなくなったという次第だ。

このTBS「1番だけが知っている」の盗用問題については今後も追及を続け、適時、経過をお伝えしていく。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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