この連載で伝えてきた通り、廿日市女子高生殺害事件の犯人・鹿嶋学(現在37)が2004年10月、被害者の北口聡美さん(当時17)を殺害した動機は、「レイプしようとしたが、逃げられたから」というものだった。

鹿嶋は犯行前日まで、山口県萩市にあるアルミの素材メーカーの工場で働いていた。しかし、朝寝坊し、遅刻しそうになったのをきっかけに突然会社を辞めてしまう。それからアテもなく、原付で東京に向かう途中、「女子高生をレイプしよう」と思いつく。そして路上で見かけた聡美さんをターゲットに定め、聡美さん宅に侵入したが、逃げられたことに逆上し、持参していたナイフで聡美さんを何度も刺して殺害したのだ。

今年3月、広島地裁で行われた鹿嶋の裁判員裁判では、こうした真相がつまびらかになったが、謎がまだ1つ残っている。鹿嶋がなぜ、「女子高生をレイプしよう」と思いつく精神状態になったのか──ということだ。

それについては、鹿嶋の精神鑑定を手がけた医師が証人出廷し、精神医学的な見地から詳しく説明している。今回はそれを紹介したい。

◆子供の頃の記憶や父親との思い出がほとんど無い

事件が未解決の頃、警察が作成した「犯人」の似顔絵。鹿嶋は本当にこんな感じの顔だった

「犯行の前後に反社会的な性向はなく、穏やかな生活をしていた被告人が、なぜこのような凶悪な犯行をしたのか。それが理解しがたいということで、今回の精神鑑定を行いました」

3月5日、広島地裁第304号法廷。証人出廷した精神鑑定医は、まずは鑑定の趣旨をそのように説明した。そしてそれから、鑑定結果を1つ1つ説明していった。

「まず、成育歴ですが、被告人はお父さんのことを『子供の頃から嫌いだった』と言っています。父親との思い出はほとんど無いそうです」

すでにお伝えした通り、父親にとって、鹿嶋は「妻が結婚前に宿していた自分以外の男の子供」だった。妻と結婚後、自分の子供として育てたが、事実関係を見ると、父親が鹿嶋を心の底から愛しているとは認め難かった。鹿嶋が父親と血のつながりがないことを知ったのは事件後のことだが、やはり子供の頃から父親に愛されていないことを無意識のうちに気づいていたのだろう。

このように父親との関係が複雑だったためか、鹿嶋は精神医学的にも色々問題を抱えていたようだ。

「被告人は幼少期から小学校低学年までの記憶がほとんど無いのです。これは、自分に対する興味が無いことの現れです。高校の名前も漢字が難しいこともありますが、それすらも記憶が曖昧なのです」

そんな歪んだ性質だった鹿嶋は、当時から問題行動が確認されている。

「小学校から中学校にかけては、よくケンカをしていて、喧嘩の際、代本版(※)で友だちを殴り、謝りに行ったことがあるそうです。怒ったら何をするかわからないところがあり、自分でも直さないといけないと思っていたそうです」

鹿嶋は犯行時、レイプしようとした聡美さんが逃げ出したことに逆上し、聡美さんに怒りをぶつけるように何度もナイフで刺して殺害している。そのような「突如キレ、とんでもないことをする」という性質は、子供の頃から現れていたわけだ。

※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所に無い時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。

◆会社を辞め、故郷を捨てることを決めた

鹿嶋は父親との関係が複雑ではあったが、父親が鹿嶋を虐待したりするようなことはなかったという。

「被告人にとって父親は、『規範を守る象徴』でした。父親の前では、きちんとしないといけない感じ、勝手に緊張するなどして、息苦しく感じていたそうです」

そんな環境で育った鹿嶋は高校を卒業すると、「父親が嫌いなので、早く宇部市の実家を離れたい」との思いから寮生活ができる萩市の会社に就職した。そして会社では、同僚たちと仲良くしていたという。

しかし、職場はブラック企業的な環境だったため、その同僚たちは1年以内に次々に会社を辞めていく。鹿嶋は話し相手がいなくなり、寂しい思いを抱えつつ、仕事でも辛い思いをしていたという。

「会社では、2カ月に1度、朝礼があり、みんなの前で業務改善案を発表しないといけませんでした。被告人は、これが苦痛だったそうです。発表に失敗すると、吊るし上げに遭い、他の人が失敗した時には、自分も失敗した人を吊るし上げなければいけなかったからです。その後、ケガをして部署を変わると、残業が増え、さらにつらい思いをしたそうです」

鹿嶋はそんなブラック企業的な職場で3年余り、忍耐強く仕事を続けていた。ところが一転、いざ会社を辞める時には、寝坊し、遅刻しそうになったというだけの理由で辞めている──。

「休み明けに寝坊し、遅刻をしそうになったことにより、仕事に行くのがどんどんいやになり、逃げ出すことしか考えられなくなったのです。そして身の回りの荷物だけを持ち、会社を飛び出してしまうのですが、それから先のことは何も考えていなかったそうです」

そんな極端な考えから会社を逃げ出した鹿島は、原付で実家のある宇部市に戻り、友人宅に一泊している。そして翌日、東京に何のアテもないのに、原付で東京に向かうことを決めるのだが、宇部市内で信号待ちをしていた際、両親が乗っていた車と遭遇している。鹿嶋はこの時、両親に声をかけられながら、無視して走り去ってしまうのだが、それはなぜだったのか。

「会社を辞めたため、『両親に合わせる顔が無い』と考え、両親を無視して逃げたのです。この時、被告人は故郷である宇部を捨てようと思い、携帯電話も捨てています。故郷を捨てることに寂しい気持ちがあったそうですが、一方で、会社から開放され、高揚感も入り混じっていたようです」

話し相手となる同僚もいないブラック企業な職場で、辛抱強く働いた3年間。この生活から解き放たれた鹿嶋は、一気に犯行へと突き進んでいく。

◆想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発した

「被告人はレイプ願望が元々ありましたが、そういうことを実際にできる性格ではありませんでした。しかし事件を起こした時は会社を辞め、故郷を離れ、社会から外れてしまったという思いだったので、自分を止めるものが何も無い状態でした。東に向かって原付で国道2号線を進んでいると、ふと『エッチがしたい』という気持ちになり、本当に実行しようとしてしまったのです」

そんな時、鹿嶋が路上で見かけ、ターゲットに定めたのが被害者の北口聡美さんだったというわけだ。そして鹿嶋は聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げ出そうとしたために激怒し、ナイフを突き立ててしまうのだ。

「被告人はこの時、想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発したのです」

鹿嶋はこの時、居合わせた聡美さんの祖母も刺して重傷を負わせ、聡美さんの小学生だった妹のことも追いかけ回しているが、聡美さんの妹を刺そうとしたことは「憶えていない」とのことだ。

そして犯行後、鹿嶋は1カ月ほどかけて原付で東京にたどり着くが、何か目的があったわけではない。そのため結局、東京には数日滞在しただけで「捨てた故郷」の宇部に戻っている。この時、複雑な関係にあった父親が鹿嶋のことを抱きしめているのだが──。

「被告人によると、お父さんに抱きしめられても、なんとも感じなかったそうです」

この時、父親が鹿嶋を抱きしめた真意は不明だが、お互いに相手への愛情はなかったのだろう。

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

◆「明日、世界が滅びる」というくらいの絶望感と開放感

事件後、鹿嶋は友人の紹介で土木会社に就職している。そして2018年4月、別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに逮捕されるまで13年半も一般社会で暮らしていた。鹿嶋はこの間、警察に捕まることへの不安を感じていなかったという。

「捕まりたいわけではないですが、捕まりたくないとも思っていなかったそうです。事件を起こしてからはずっと事件のことは考えないようにしていたそうで、警察に捕まった時には、ホッとしたというか、肩の荷がおりた心境だったそうです」

そして鹿嶋は犯行後、精神鑑定を受けるのだが、そのための入院中は終始穏やかに過ごしていたという。感情は起伏がなく、安定しており、躁鬱もなかった。そして統合失調症などの精神障害がないことも確認されたそうだが──。

「一方で被告人は幼少期の記憶がなく、自分への関心も少ないうえ、情状的な発達は乏しかった。知能検査の結果、知能は高いことがわかりましたが、情動的な理解力は低いことも判明しました。それらのことから、広汎性発達障害ではないが、『広汎性発達障害的な偏り』があると判定しました」

では、『広汎性発達障害的な偏り』があるとは、具体的にどういう状態なのか。

「普段は社会に適応できる普通の青年なのですが、カッとなると、激しい暴力行動に出るなど、極端な面があります。情緒的な部分が乏しく、『こうあるべきだ』というものにとらわれていて、大きなストレスがかかった時に行動を制御できなくなるのです。普段は、情緒的な発達の乏しさを知的な面の高さで補い、社会に適応しているのですが、物事を段階的・デジタル的にとらえがちで、感情的・アナログ的に判断することができません」

鹿嶋はこのような事情を抱えていたため、寝坊をして遅刻しそうになっただけで会社を辞め、さらに会社を辞めたことにより、「全てを失ったような感覚」に陥ったのだという。

「たとえば、『明日、世界が滅びる』と知れば、自暴自棄になり、やりたい放題になる人もいると思います。被告人も会社を辞めた際には、それくらいの絶望感を抱いていたのです。それに加え、ずっと我慢していた会社を辞め、開放感もあった。そして自暴自棄になり、犯行に及んでしまったのです」

精神鑑定医の話は、鹿嶋がいかに犯行に及んでいったのか、心の中の流れを説明した話としては、わかりやすかった。問題の『広汎性発達障害のような偏り』がある状態になるまでには、父親との複雑な関係も影響があったのだろう。(次回につづく)

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年3月に広島地裁で行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋は、それぞれの父親との関係が対照的だった。

前回は、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介したが、聡美さんが父親から愛されていたことがよく伝わってきたはずだ。今回は鹿嶋の父親が法廷でどのような証言をしたのかを紹介したい。

◆血のつながりがない鹿嶋に、無関心だった父親

「あなたと学さんは血がつながっていますか?」

3月5日、広島地裁。証言台の前の椅子に座った鹿嶋の父親に対し、弁護人は鹿嶋父子の最もセンシティブな部分に踏み込んだ質問をした。父親が「はい」と答えると、弁護人はさらに「戸籍では、学さんはあなたの子供ということになっていますが、なぜですか?」と重ねて質した。

これに対し、父親は──。

「妻との交際中、妊娠が発覚しましたが、自分の子供ではないことがわかりました」

質問と答えがかみ合っていないことがわかるだろう。弁護人は、血のつながりがない鹿嶋のことをなぜ、「実子」として戸籍に入れたのか、と問うたのだが、父親は理解できなかったのだ。

弁護人はすかさず、「つまり、奥さんと交際中、奥さんがあなたとは別の父親の子供を妊娠していることがわかったが、自分の子供として育てようと決意したということですか?」と誘導するように聞き直した。すると、父親は「はい」とだけ言い、この件に関する質問はこれで終わった。

父親が自分以外の男の子供を妊娠した妻と結婚し、その子供を実子として戸籍に入れることを決めるまでには相当な葛藤があったはずだ。しかしそれはあまり深掘りされず、ほとんど放置されたのだ。

ただ、その後の弁護人と父親のやりとりを聞いていると、案の定と言うべきか、父親が鹿嶋を育てる中、鹿嶋に愛情を持てていなかったことがよく伝わってきた。

たとえば、弁護人から「学さんの学校の成績はどうでしたか?」と聞かれた時のこと。父親は「良くも悪くもなく、普通の成績だったと思います」とだけ言った。そして「学さんは真面目に学校に通っていましたか?」と問われると、今度は「通っていたと思います」とだけ言った。答えがいずれもあっさりしていて、具体性がなく、父親が鹿嶋のことに関心を持っていなかったことが察せられた。

さらに「学さんの学生時代の交友関係はご存じですか?」という質問にも、父親は「知りません」と言った。「女性関係はどうでしたか?」と聞かれても、「なかったと思います」と答えるのみだった。

鹿嶋は高校卒業後、就職して家を離れた時期が数年あるものの、それ以外はずっと実家で生活しており、35歳で逮捕された時も実家暮らしだった。一般的な父親であれば、息子がそんな年齢になっても未婚で実家暮らしをしていれば、結婚はどうするのかとか、孫の顔は見られるだろうかとか、色々気になるものだ。しかし、父親は鹿嶋にそんな関心は抱いていなかったわけである。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車両

◆鹿嶋と会話をほとんどしていなかった父親

鹿嶋が中学時代、本当は剣道部に入りたかったのに、父親に言われるままに陸上部に入ったという話は、この連載の2、3回目で触れた。この父親の証人尋問では、鹿嶋の進学する高校も父親が決めていたことがわかった。

「学校からのアドバイスで、マラソンをすれば、伸びると聞かされたのです。そこで、高校は当時、陸上が盛んだった高校を勧めたのです」

父親は、鹿嶋の高校を決めた理由をそう説明したが、鹿嶋に対しては、学校側からそのようなアドバイスを受けたことを教えていなかったという。鹿嶋は何も知らないまま、父親に決められた高校に進学し、言われるままに陸上部に入ったというわけだ。練習には出なかったようだが、わけもわからないままに父親にやらされた陸上が面白くなかったことは想像に難くない。

父親は家で鹿嶋とほとんど会話をしていなかったそうで、「もう少し会話するように努めていればと反省しております」と証言していたが、子供への愛情があれば、おのずと関心がわくし、会話をするのに努力など不要だ。父親は、母親と結婚した際にお腹の中にいた「自分以外の男の子供」まで一緒に引き受けたことを後悔していたのではないか…と思わずにいられなかった。

鹿嶋は高校卒業後に就職し、勤務先の工場がある萩市で寮生活をするようになってからは、休日に実家のある宇部市に戻ってきても、あまり実家には寄りつかなかったという。父親はこの当時の鹿嶋について、「何回か実家に帰ってきたと妻から聞きましたが、私は顔を合わせることがありませんでした」と言った。その言葉からは、鹿嶋が高校卒業後に家を出ても、まったく寂しくなかったことが窺えた。

息子が1カ月も行方不明なのに、捜索願を出さずじまい

すでに触れた通り、鹿嶋が事件を起こしたのは、寝坊がきっかけで会社を辞め、自暴自棄になったのがきっかけだった。あてもなく原付で東京に向かう中、路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと思い立ち、聡美さんの家に侵入した挙げ句、結果的に聡美さんに凶刃を向けたのだ。

この直前、鹿嶋の父親は宇部市で妻を乗せて車を運転中、原付で東京に向かおうとしていた鹿嶋と路上でばったり会っている。それを最後に鹿嶋は、東京に向かい、1カ月間も行方が途絶えたのだが、この間のことに関する父親の証言にも気になる点があった。鹿嶋が1カ月以上も失踪していたにも関わらず、父親は行方を探すための努力をほとんどしていなかったようなのだ。

父親は一応、何度か鹿嶋に電話したそうだが、検察官から「電話以外に何か息子さんを探すためにしましたか?」と問われると、「していません」と言った。さらに「捜索願を出そうとは考えなかったのですか?」と重ねて質されると、「はい」と一度言い、それから少し思案し、思い出したようにこう言った。

「妻と捜索願を出そうかと相談したことはありました。そうしたら突然息子が帰ってきたので、結局、捜索願は出さなかったのです」

21歳(当時)の息子が突然会社を辞め、1カ月も連絡が取れないのに、この間、捜索願を出さなかったというのはやはりさほど心配していなかったからだろう。

◆「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ってはいたが……

2018年4月に鹿嶋が逮捕され、この事件の犯人だとわかった時のことについて、父親は「突然のことで、信じられず、びっくりしました」と振り返った。それは親として一般的な感情だろうが、鹿嶋の逮捕以来、2年もあったのに、父親はこの間、3回しか面会に行っていないという。

弁護人が「今後、学さんとどう関わっていきますか?」と質問すると、父親は「体調が悪くなければ面会に行きますし、体調が悪ければ、手紙でやりとりしようと思っています」と言った。実際、父親は72歳と高齢で、腰痛なども抱えており、体調は悪いようなのだが、普通の父親ならありえないようなドライな答えだ。

父親は、「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ったりもしていたが、父親から本気で鹿嶋を自分の子供として愛していたことが感じられる言葉は最後まで聞けなかった。

筆者は、鹿嶋の父親のことを批判したいわけではない。結婚を前提に交際していた女性が、自分以外の男の子供を妊娠しているとわかりながら、中絶を求めたり、別れたりすることなく結婚し、生まれてきた子供を自分の子供として育てたのは、おそらく彼が優しかったり、責任感が強かったりするからだろう。

しかし、結果的に鹿嶋が血のつながらない父親に育てられたことで人格に問題を生じさせ、それがひいては事件の遠因になった可能性は否めない。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

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2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年3月に行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。全5回の公判を傍聴してから数カ月が過ぎたが、今も強く印象に残っていることがある。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋が「ある点」において、対照的だったことだ。

ある点とは、「親から注がれてきた愛情」である。そのことを説明するには、聡美さんと鹿嶋それぞれの父親が取り調べや裁判で自分の子供や事件について、どのように語ったかを紹介すれば、一番わかりやすいと思われる。

◆不妊治療で授かった初めての子供

今回はまず、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介する。

 * * * * * * * * * *

平成16年10月5日午後3時頃――今から13年前、この日、この時間、私は愛娘の聡美を失いました。

私と妻には、聡美とその妹、弟の計3人の子供がいました。だから、私は聡美のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。この「お姉ちゃん」が私たち夫婦にとって初めての子供として生まれた時のことを私は今も忘れません。

私と妻は結婚し、なかなか子供を授かることができませんでした。それで私たちは不妊治療をしました。

私は、早く自分の子供をこの腕に抱いてみたいと願い、妻と努力しました。そして4年後、神様から授かったのが、聡美という、私たち夫婦にとっては生命より大切な宝だったのです。聡美という名前は、「聡明で、美しい子になりますように」という願いをこめました。

この聡美が生まれ、私は生まれて初めて、我が子と会いました。「やった。これが俺の子か」と叫び出しそうになった気持ちを今でも覚えています。

生まれたばかりの子をどうやって抱いたらいいのかわからず、「私が抱いてケガでもしたらどうしようか……」と怖かったですが、それでも私は我が子をこの腕に抱きたくて、恐る恐るこの腕に聡美を抱きました。そのことを今でも覚えています。本当に嬉しかったです。

それから聡美は本当に元気に育ってくれました。「子供がいるだけでこんなにも人生が楽しくなるのか」と思うほど、私の生活は明るくなりました。聡美が幼稚園に入り、小学生になり、そんな様子を見ているだけで幸せでした。

「この幸せな時を絶対に守ってやろう」

私はそう思っていました。

判決公判後、報道陣の取材を受ける北口聡美さんの父・忠さん

◆「私の一生をかけて守ってやろう」と思っていた

小学生になった聡美は、少し引っ込み思案なところがあったので、「みんなとやっていけるかな」と少し心配していました。しかし、私の心配をよそに、聡美は友だちと楽しく、元気に育っていきました。父親は、心配しなくてもいいようなことでも、娘のことはつい心配になってしまうのです。

聡美にもやがて妹が産まれ、それから弟も産まれました。私は、自分の人生を幸せにしてくれた宝を3人も授かることができたのです。そして私はいつしか、聡美のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていました。

私も妻も、3人の子どもたちには本当に感謝しています。だから、私はいつも、「この子たちのことは私の一生をかけて守ってやろう」「この幸せがずっと続きますように」と思っていました。

お姉ちゃんは、やがて中学を卒業し、地元の高校へと進学しました。頑張り屋で、一生懸命勉強もして、私は何も心配することがありませんでした。しいて言えば、「勉強もいいけど、もっと友だちと遊べばいいのに」と思ったくらいです。勉強を頑張る子に、「もっと遊べば」と思う親もちょっと珍しいですが、そう思っていました。

◆事件の時の詳しい記憶が無くなってしまった

お姉ちゃんは16歳になり、そして17歳になり、少し大人になってきました。しかし、私の中では、「まだまだ俺が面倒をみなければいけない子供だ」と思っていました。

一方で、人からは「女の子がそんな年頃になると、父親とは話もしてくれないよ」と言われるので、「お姉ちゃんもそんな感じになるのかな」とも思っていました。でも、お姉ちゃんは、いつになっても、何歳になっても、私と普通に接してくれました。

そんなお姉ちゃんが、私に「お父さん、感謝しなさい」と言うのです。生意気に。俺がいないと、一人では生きていけないくせに。俺がまだまだずっと守ってやらなきゃいけない、俺の娘のくせに。

この娘を私は失いました。私は守れなかったのです。

平成16年10月5日、私はいつものように仕事に出ていました。すると突然、私のいとこの奥さんから電話があり、「家で事件があったみたいだから、すぐ帰ってあげて」と言われたのです。

その時はまだ事件の詳しいことはわからず、「なんだろう」くらいの気持ちで、家に向かいました。そして廿日市に住んでいる、私の妹に車で迎えに来てもらい、二人で家に帰ろうとした時、JA広島病院から電話で、「北口聡美さんのお父さんですか。すぐに病院に来てください」と言われたのです。

すみません、私にはそれからの詳しい記憶が無くなってしまいました。お話しできなくて、申し訳ありません。

私が憶えているのは、台に寝ている聡美を何度も、何度も、何度も、ゆすって起こそうとしたこと。何度も、何度も、「お姉ちゃん」と呼んで起こそうとしたけど、また私のことを「お父さん」と呼んでくれなかったことだけです。

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

◆犯人と闘う決意をした

この事件では、私の母も被害に遭い、生命の危険に陥りました。また、聡美の妹もその場で犯人と会い、危ないところでした。

その犯人はすぐには捕まらず、13年半が経ちました。長かったです。本当に長い時間でした。事件からまもなくは、「聡美の妹は犯人を見ているので、もし犯人が襲ってきたら大変だ」と思い、いつ来るか、もう来るのかと眠れない日が続きました。「犯人が来るなら、どうか俺がいる時にしてくれ」「もうこれ以上、幸せを奪わないでくれ」。その繰り返しでした。

それとは別に、お姉ちゃんの死を受け入れることができず、「あした起きたら夢だとわかるかも」と思って、なんとか寝ようとしても寝られず、そして朝になり、明日こそ夢から覚めるかもしれないと思い、また寝ようと頑張り、毎日がその繰り返しでした。

また、当時はまだ12歳と小さかった妹がお姉ちゃんの姿と犯人を見ていることがとても心配でした。あとから、妹に聞くと、「それは、怖い言うもんじゃなかったよ(=怖いという言葉で表現できるものではなかったよ)」と話してくれました。もしあの時、妹がその場で動けなくなっていたら、妹まで被害に遭っていたかと思うと、よく頑張って逃げてくれたと感謝するばかりです。

そんな怖い思いをした妹を守るため、事件のことは世間から隠しておいたほうが良かったのかもしれません。でも、私は、捕まらない犯人をどうしても放っておくことができませんでした。

「どうして聡美を襲ったのか」「その真実を知りたい」「犯人を絶対に許しておかない」。とても悩みましたが、大切な聡美のため、私も犯人と闘う決意をしたのです。

そのことを聡美の妹も応援してくれました。そして私はブログを始めたのです。ブログをやったことはなかったですが、人にも教えてもらい、自分でも勉強して、いろんな人から事件の情報を集めることにしたのです。そして警察の事件に関する広報活動にも参加させて頂きました。

この13年半、私は聡美のために行ってきたことを「しんどい」とか「苦しい」とか思ったことは一度もありません。聡美が受けた苦しみに比べれば、私など何でもありません。

ただ、怖かったのは、事件が忘れられ、犯人が捕まらないまま終わってしまうことです。それと、犯人がいつかまた襲ってくるのではないかということです。

この犯人が捕まったと警察から連絡を頂き、どれほど嬉しかったか。この犯人は、鹿嶋学という、事件当時は21歳だった男と聞きました。これまで聞いたことがない、私どもとは何の関係もない他人です。

◆13年半、聡美にずっと話しかけてきた

私は、犯人が捕まったことを聡美にも報告しました。この13年半、聡美にはずっと話しかけてきました。

お姉ちゃん、いなくなっちゃう前の9月、「お父さん、文系と理系、どっちに進んだほうがいい?」と相談してくれたね。お父さんは、「お姉ちゃん、理系が好きなら、そっちにすれば」と言うと、「じゃあ、そうする」と答えたよね。

今頃、お姉ちゃんはどんな仕事をしていたかな。そう言えばこないだ、お姉ちゃんの友達が来てくれたよ。もうお母さんになっていたよ。

そうそう、お姉ちゃんに謝らないと。いなくなっちゃう半年くらい前、「府中のショッピングモールに行きたいって言ったよね。お父さんは、「遠いからダメ」「もっと大きくなったらいつでも行けるから」と反対したよね。お父さん、今でもそのことがお姉ちゃんに悪いことしたって、忘れられない。

お姉ちゃん、犯人捕まったよ。

私が聡美と最後に会ったのは、事件前日、10月4日の夜です。その時、パソコンをしていた聡美に、「お父さん、もう寝るよ」と声をかけると、聡美は「ヒヒ」と答えてくれました。それが最後です。私の記憶の中で、聡美はそれ以上、大人に成長してくれないのです。

聡美を奪った犯人に言います。

「お前は人間じゃない。聡美の生命を奪った償いは、自分の生命で償え」

私が犯人に望むのは、死刑しかありません。最後に、お姉ちゃん、守れずに、ごめんなさい。

 * * * * * * * * * *

以上、検察官が朗読した被害者・北口聡美さんの父親・忠さんの供述調書だが、これを聞けばたいていの人が涙を誘われるのではないかと思われる。次回は鹿嶋の父親の公判証言の内容を紹介するが、忠さんの供述調書の内容とどのように対照的なのか、ぜひ読み比べて頂きたい。(次回につづく)

北口聡美さんが事件の半年前に行きたがっていたショッピングモール(2019年12月撮影)

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2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

判決を含めて計5回の公判があった鹿嶋学の裁判員裁判。被害者・北口聡美さんの両親は検察官席から、犯人・鹿嶋学の両親は傍聴席から、全公判の審理を見届けたが、その初公判では、聡美さんの母親の供述調書を検察官が朗読し、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙を弁護人が朗読するという場面があった。

被害者と犯人、双方の母親がそれぞれ、どのような言葉を発したのか。ここで紹介したい。

◆「4年目にして授かった待望の子だった」(被害者の母)

まず、検察官が朗読した北口聡美さんの母の供述調書から紹介する。これは、鹿嶋が逮捕されてまもない時期に作成されたものである。

 * * * * * * * * * *

聡美が犯人に殺されて約13年半が経ちました。私たち夫婦は結婚して子供に恵まれなかったのですが、やっと4年目にして授かった待望の子が聡美でした。聡美が生まれた時は、うれしくて、うれしくて、本当に待望の娘でした。

聡美は昔から元気で、勉強ができて、友だちに勉強を教えてあげたり、まじめで、よくニコニコと笑う子です。中学生の時だったでしょうか。その頃、小遣い制ではなかったので、聡美が必要な時にしか使うお金を渡していませんでした。

なのに、聡美は中学2年生の頃だったと思いますが、母の日に花を買ってきて、私と母のミチヨに1個ずつ渡してくれたのです。たぶん私が渡したお金を少しずつ貯めて買ったのでしょう。

また、母のミチヨが神経痛で、足がしびれるなどした時、聡美が一緒にお風呂に入り、ミチヨの身体を洗ってくれたことがあります。聡美は長女だったので、優しい気配りができる子でした。妹弟の面倒もよく見てくれ、私は聡美の優しさや気配りに本当に助けられていました。

そういう聡美のいいところ、聡美が私たち家族にしてくれた優しさが昨日のことのように思い出されます。涙が止まりません。

◆「今も玄関には聡美のスニーカーが置いてある」(被害者の母)

事件が未解決の頃、警察が作成したポスター。犯人の似顔絵は聡美さんの妹の証言をもとに描かれたものだった

犯人が逮捕されるまで、とても長い時間でした。苦しくて、悔しい日々でした。

犯人が逮捕されるまでは、テレビなどで聡美の事件を取り上げてもらって、みなさんから沢山の情報を頂き、大きな助けになっていました。ありがたかったです。

私は、事件のことが風化するのがとても怖かったです。私たち家族は普通に暮らしていたのです。仲良く暮らしていたのです。何がいけなかったのだろうと考え込んだりしたことがありました。

娘が殺されてからの生活の苦しみなんて、経験した人でないと絶対にわかりません。この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです。

聡美が殺されて以降、私は気分転換の意味も込めて、仕事を何度かやったことがありました。でも、事件の報道がされたりして、私が聡美の母親だと気づかれ、その職場に居づらくなったり、陰口や中傷もあったり、本当に苦しい日々でした。

聡美は生前、「家族をもって普通に暮らしたい」と話していました。聡美は勉強やアルバイトを頑張っていましたが、こんなにも早く亡くなるなら、もっと遊ばせてあげたり、行きたいところに連れて行ってあげたかったです。

私の中では、2004年10月5日から時が止まっている感覚です。今日まで一日たりとも聡美のこと、事件のことを忘れたことはありません。

犯人が逮捕されたことについては、本当にありがたいことだと思っています。でも、聡美は帰ってきません。これが悲しくて、悔しくて、たまりません。

家には、いまだに聡美の私物があり、離れも当時のままです。片付けようかと手をつけたことがありますが、涙が止まらなくて、とても片付けることができないままになっています。13年以上が経った今でも、聡美が帰ってくるんじゃないか、帰ってきて欲しいという思いがあって、玄関には聡美のスニーカーが置いてあります。

◆「犯人を絶対に許さない」(被害者の母)

犯人は、何の罪もない聡美を殺しました。とても酷い殺し方でした。

犯人の顔はテレビで観ました。感想は、「聡美の妹が見た犯人の顔は間違っていなかった」ということでした。聡美の妹は当時、小学生だったのに、一瞬で記憶して、大したものです。

聡美の妹は、これからも事件のことを一生背負って生きていかなくてはなりません。私はそれが心配です。

聡美は機転が利くところがあります。ですから、これは私の想像ですが、犯人からどうにかして逃げようとしたのではないでしょうか。気が小さいところがあったので、犯人には何も言えなかったかもしれません。

聡美が殺されたことは、私たち家族もそうですが、何より本人が一番悔しかったはずです。なんで殺されなきゃいけないのと、さぞかし聡美は無念だったでしょう。

私は、犯人を絶対に許しません。何の罪もない私たちの娘を、あんな酷い、惨い殺し方で生命を奪った犯人が憎いです。私は犯人に死刑を求めています。

なぜ、聡美だったのでしょうか。なぜ、聡美を殺したのか。犯人には、真実を話して欲しい。生命の重みをわかってもらいたいです。

 * * * * * * * * * *

以上、聡美さんの母の供述だ。本人も「この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです」と語っているが、その悔しさ、苦しさは本当にその通りの、第三者の想像を絶するものだったのだろう。

◆「慚愧の念に苛まれ、夜も眠れない」(犯人の母)

続いて、弁護人が朗読した、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた手紙を紹介したい。これは裁判の前年に書かれたものだが、弁護人によると、遺族に受け取りを拒否されたとのことだった。

 * * * * * * * * * *

前略

15年前に私どもの息子学が、北口様の大切に育てられました聡美さんの生命を無残にも奪ってしまったことに対しまして、年月は随分過ぎてしまいましたが、このたび学の母として心よりお詫び申し上げたいと思います。

本当に申し訳ございません。

慈しみ、育てられました聡美さんを突然あのような形で失われたご両親様の持って行き場のない悲痛な思い、そして喪失感を思いますと、同じ年頃の娘を持つ母親として、胸が締めつけられる思いでいっぱいになります。

どうして息子は取り返しのつかない残酷な罪を犯してしまったのだろうか。どのように受け入れ、どのようにお詫びをすれば良いのか。この1年余り、考えない日はありませんでした。慚愧の念に苛まれ、夜も眠れません。

せめて今の私にできることは、亡くなられた聡美さんの無念を思い、うかばれない魂の鎮魂なればと、早朝欠かさず30分のお悔やみとお参りに行っています。非力な私のささやかなお詫びのつもりです。

本当に申し訳ございませんでした。

息子に対する処分は、どうなるかわかりませんが、息子が心から悔い改め、私ども夫婦の生存中にもしも社会復帰することがありましたら、私どもの生命のある限り、監督していきたいと思っております。

このような事件を起こしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

 * * * * * * * * * *

以上、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙だ。何を書けばいいのか答えが見つからず、迷いながら書いていることが伝わってくる文章ではないだろうか。

この連載の第1回で伝えた通り、鹿嶋の母親は夫と結婚した際、夫以外の子供を妊娠しており、それが鹿嶋だった。血のつながらない父親との複雑な関係は、鹿嶋の人間形成に大きな影響を与えたが、この母親も悩みが多い人生だったのではないか。ふとそう思わされた。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

先日、ある死刑被告人に面会取材するために東京拘置所を訪ねたところ、不可解な出来事があった。施設に入る際、待機していた職員に「弁護士か否か」を確認され、「違う」と答えたら、「新型コロナウイルス対策の検温に協力して欲しい」と求められたのだ。

このご時世、もちろん検温には応じたが、疑問が残った。刑事施設はどこも平時から、弁護士の面会については、手荷物検査を免除したり、面会時間を長くしたりと、様々な点で一般の面会と扱いが異なるが、それらはすべて被収容者の権利擁護のためだと理解できる。しかし、新型コロナウイルス対策の検温について、弁護士とその他の来訪者を区別する必要は何かあるだろうか?

その職員は、「上から、そうするように言われたんです……弁護士の方は、弁護士会で徹底するそうです」と説明したが、ますます意味がわからない。弁護士会が所属弁護士に対し、新型コロナウイルスに感染しないことや、感染した場合に拘置所や刑務所で感染を拡大させないことを徹底できるはずがないからだ。

実際、他地区の弁護士によると、東京拘置所以外の刑事施設では、弁護士もその他の来訪者同様、入場前に検温をされている例もあるという。

◆弁護士に対する検査は「入場後」に行っていた……

そこで、なぜ、弁護士には入場前の検温を要請しないのかについて、東京拘置所に正式に取材を申し入れた。すると、総務部の職員から電話で次のような回答があった。

「弁護士の方については、拘置所内にある弁護士専用の待合室に入ってから、サーモグラフィーカメラで検査させてもらっています。そのうえで必要があれば、検温もさせてもらっています。ただ、このような対策を始めてから、弁護士の方が検温で発熱が確認された例はありません。一般の方は、発熱が確認された方がこれまでに1人いて、入場をお断りしましたが」

入場前の検温が弁護士だけは免除されている東京拘置所

東京拘置所は元々、弁護士とそれ以外の来訪者では、面会の受付窓口も待合室も別々になっている。それゆえに検温をする場所も違うということのようだ。ただ、弁護士だけは検温をせず、拘置所の建物内に入れていることに変わりはなく、それが新型コロナウイルス対策として適切と言えるかは疑問だ。

では、もしも今後、弁護士が専用の待合室に入ってからの検査で発熱が確認されることがあったらどうするのか? その点も質問したところ、その総務部の職員の回答は歯切れが悪かった。

「実際にそうなってみないとわかりませんが……その場合、入場をお断りするというより、入場しないようにお願いすることになるかもしれません。あくまでお願いベースだと思います」

拘置所や刑務所は現在のコロナ禍において、クラスターの発生が最も恐れられている場所の1つだ。しかし一方で弁護士の面会については、下手に制限すれば、弁護士や被収容者から反発され、面倒な事態になりかねない。この総務部の職員の話しぶりからは、東京拘置所がそのあたりのバランスに苦慮している様子が窺えた。

実際問題、全国各地の刑事施設で職員や被収容者が新型コロナウイルスに感染したというニュースがぽつぽつと報じられている。他ならぬ東京拘置所でもすでに被収容者の感染例が確認されている。「弁護士も入場前に検温しておけばよかった」という事態にならないように願いたい。

▼片岡健(かたおか けん)
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月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

今年の夏は終戦75年ということで、テレビや新聞では、戦争の悲惨な経験を伝えたり、平和の大切さを訴えたりする報道が例年以上に多かった。だが、それらの報道は型どおりのものばかりで、重要な視点が欠けている感が否めなかった。

それは、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」という視点だ。誰もが知ってはいるが、つい忘れがちな視点である。

一方、筆者がこの時期に読み返し、改めて感銘を受けたのが、原爆漫画の代名詞「はだしのゲン」だ。自分自身も被爆者である広島出身の漫画家・中沢啓治が実体験をもとに描いたこの作品には、型どおりの戦争報道に欠けている上記の重要な視点が存在するからだ。

◆戦時中の自分自身のスタンスを語らない「歴史の証人」たち

たとえば、テレビや新聞が毎年夏に繰り広げる戦争報道では、広島もしくは長崎の被爆者が「歴史の証人」として登場し、原爆や戦争の悲惨さを語るのが恒例だ。今年も例年通り、そういう報道が散見された。こういう報道も必要ではあるだろうが、残念なのは、被爆者たちが戦時中、自分自身が戦争に対して、どのようなスタンスでいたのかということを語らないことだ。

その点、「はだしのゲン」はそういうセンシティブな部分から目を背けない。この作品では、原爆の被害に遭った広島の町でも、戦時中は市民たちが「鬼畜米英」と叫び、バンザイをしながら若者たちを戦場に送り出していたことや、戦争に反対する者たちを「非国民」と呼んで蔑み、みんなで虐めていたことなどが遠慮なく描かれている。

テレビや新聞に出てくる被爆者たちが仮に当時、そのようなことをしていたとしても、それはもちろん責められない。当時の日本で生きていれば、そういうことをするのが普通だし、むしろそういうことをせずに生きるのは困難だったはずだからだ。しかし、「歴史の証人」に被害を語らせるだけの報道では、日本に再び戦争をさせないための教訓としては乏しい。

◆必ずしも戦争に反対せず、朝鮮人差別もしていたゲン

「はだしのゲン」がさらに秀逸なのは、他ならぬ主人公の少年・中岡元やその兄たちも戦時中、必ずしも戦争に反対していなかったように描かれていることだ。

反戦主義者の父親に反発していた元。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻28ページより

元の父親は反戦主義者だったため、元たちの家族は広島の市民たちから「非国民」扱いされ、凄まじい差別やいじめを受けていた。そんな中、元も自分たちの置かれた境遇に耐え切れず、父親に対し、「戦争にいって たくさん敵を殺して 勲章もらってくれよ」「戦争に反対する とうちゃんはきらいだ」などと泣きながら、だだをこねたりする。さらに元の兄・浩二は、家族が非国民扱いされないようにするために海軍に志願したりするのである。

父親が反戦主義者のため、元の家族は広島の人たちから差別されていた。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻50ページより

さらに元は他の少年たちから非国民扱いされ、差別される一方で、自分自身も朝鮮人のことを差別する言動を見せている。たとえば、顔見知りの朝鮮人男性と一緒にいるところを他の少年たちにからかわれ、その朝鮮人男性に対し、一緒にいたくないということを直接的に伝えたりするのである。

元が朝鮮人を差別する場面もあった。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻60ページより

この漫画では、元は強さと明るさ、ユーモアを兼ね備え、誰に対しても優しく、分け隔てなく接する少年として描かれている。しかし一方で、このような過ちを犯したりもしているのである。作者自身の実体験に基づいているからだろうが、こういうシーンを読むと、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」ということを再認識させられる。この1点において、「はだしのゲン」はテレビや新聞の型どおりの戦争報道とは一線を画していると思うし、後世に残すべき作品だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

全国でも有名な未解決事件の1つとなっていた廿日市女子高生殺害事件は、2018年4月、犯人の鹿嶋学(当時35)が別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに検挙され、発生から13年半の時を経て、ついに解決した。

そして今年3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋の裁判員裁判の初公判。その法廷では、鹿嶋の逮捕後に作成された被害者・北口聡美さん(享年17)の友人女性2人の供述調書が検察官によって朗読された。

◆「私の話をいつも笑って聞いてくれた」

「私は事件当時、北口聡美さんとは高校のクラスメイトでしたが、一緒に学んだ期間はたったの半年間しかありませんでした」

1人目の友人Aさんの供述はそんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

普通の女子高生だった聡美が突然殺されてしまい、殺された理由も犯人もわからず、胸にしこりを抱えたまま、13年半もの長い月日が流れてしまいましたが、ようやく犯人が捕まりました。ニュースで見た犯人はまったく知らない男で、犯人を見ると悔しく、やりきれない思いになります。

私は、聡美とは高校2年生で初めて同じクラスになりました。けれど、聡美のことはクラスメイトになる前から知っていました。私は中学生だった時、廿日市市内の塾に通っていたのですが、a中学の生徒だった聡美もその塾に通っていて、a中から通っていた生徒が少なかったので、憶えていたのです。

中学の時には、私たちは話をしたことはなかったですが、高校2年生で同じクラスになった時、縁を感じて私たちはすぐに仲良くなりました。聡美は、見た目は高校生にしては大人びた感じで、同級生の中でもおしゃれに気を使っているほうで、女性らしかったです。

けれど、聡美は大人びた外見とは裏腹に、おっとりした性格で、天然なところもあり、まじめだけど、意外と抜けていて、そんなところがとてもかわいらしかったです。

聡美は頭がよく、数学が得意で、塾に通うなど、勉強をすごく頑張っていて、私は聡美のことを尊敬していました。聡美はすごく明るい性格で、話も聞き上手で、私が話をすると、いつも笑って聞いてくれていました。

私が2年生になってからクリーニング工場でアルバイトをしていた時に、きっかけは忘れてしまいましたが、聡美を誘って一緒にアルバイトをするようになり、聡美とは週に1、2回、学校帰りに一緒にアルバイト先のクリーニング工場に行っていました。一緒にいて、楽しかったです。

聡美には、クラスメイトに親友のBさんがいました。2人はお互いのことは何でも知っていて、学校では常に一緒にいて、「2人だけの世界」って感じだったので、聡美の交友関係は「広く浅く」というよりは「狭く深く」といった関係が多かったのかな、と思います。

◆「誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかった」

当時、ニュースで、聡美の事件は怨恨が理由じゃないかと流れた時、「聡美に限ってそんなことはありえない」と思っていました。誰かに恨まれるようなことをする子では、絶対になかったからです。聡美について、あること無いこと噂されていて、中には、尊厳を傷つけるような酷い噂もあって、聡美のことを知っている私たちからすれば、すぐに否定できるようなことでも、聡美のことを知らない人は噂を鵜呑みにしてしまうんだという怖さを感じました。

このことで、聡美のご家族はたくさん傷ついていたと思います。今回、犯人が捕まって、聡美に何の落ち度もなかったことが明らかになったと思うので、その点では良かったと思います。

私たちのクラスは、聡美の存在が根底にあって、ものすごく絆が深いです。聡美と同じ2年4組のクラスメイトは、聡美の命日が近づくと、集まれる人が集まって聡美の墓参りに行っています。

今回、ようやく犯人が捕まったので、クラスメイトが集まって、墓参りに行く予定です。毎年、「早く犯人が捕まればいいね」とやるせない思いで聡美に会いに行っていましたが、今年はようやく聡美にいつもと違う報告ができます。

犯人が捕まったことは良かったです。けれど、ニュースでは、通りすがりでたまたま聡美が被害に遭ったと流れていました。意味がわからない。なぜ、聡美が殺されなければならなかったのでしょう。聡美は優しい子で、頭が良かったし、将来があったのに。本当に許せない。犯人に対しては、聡美の生命を奪ったのだから、同じように生命を奪って償って欲しい。死刑を望みます。

 * * * * * * * * * *

以上、Aさんの供述だ。

◆「いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからない」

供述調書を朗読されたもう1人の友人は、Aさんの供述の中にも出てきたBさんだ。

「北口聡美さんとは高校の同級生で、1年、2年と同じクラスでした。聡美は、私の一番の親友でした」

Bさんの供述は、そんな言葉から始まった。

 * * * * * * * * * *

あの日、聡美が殺されてから14年。正直、もう犯人が捕まることはないと思っていました。けれど、ようやく捕まり、聡美が導いてくれたんじゃないかと感じていました。

これから、犯人が捕まるまで私がどんな気持ちで生きてきたかをお話します。

聡美のことは、あれから14年経っても、いまだに気持ちの整理がついていません。いまだに聡美がいない今が現実なのか、よくわからなくなります。聡美の夢をよく見ますし、目を覚まし、聡美がもうこの世にいないことを突きつけられると、悲しくなるのです。

聡美は、普通の女子高生でした。いい子だけど、ものすごくいい子ってわけでもなくて、たまに悪口を言い合っていました。好きな人の話では、延々と盛り上がって話し続けました。

聡美は、まじめだったので、塾に通ったりもしていて、私も聡美と一緒に勉強したりと、お互いに高め合える、すごくいい関係でした。

何か特別なことがあるわけじゃないけど、うれしいこと、腹が立つことをいつも共有してくれて、常に味方でいてくれました。だから、聡美といることは心地よくて、私は1年生の時から聡美とずっと一緒にいました。2年のクラス替えで、聡美とまた一緒のクラスになれた時には、うれしくて思わず、叫んでしまいました。

2年生になっても、私たちはずっと一緒にいて、周りから見ると、「2人の世界」って感じだったと思います。家に帰ってからもメールばかりしていました。大切な親友だったのです。

事件が起きた日のことは、何度もフラッシュバックしてしまいます。「なんで、事件のあの日に、一緒にいなかったのかな」って後悔ばかりしています。試験が終わった後、帰ろうとする聡美をとめていれば。ニュースで犯人がたまたま聡美を見かけたと知ってからは、特にそう思います。夜に考えていたら、寝られなくなります。

聡美が殺されたことは、高校の教務室で流れていたラジオで知りました。居残り勉強をしていたら、体育館に移動するように校内放送が流れて、体育館に移動する途中に先生に呼ばれ、「何だろう?」と思って教務室に入ると、「北口聡美さんが刺されて、まもなく死亡しました」ってラジオが流れたのです。

意味がわからなくて、「さっきまで聡美は一緒にいたのに」って、頭がパニックになりました。信じられずにいた時、警察官から「聡美さん、どんな子だった?」と過去形で聞かれたことが、すごく印象に残っています。

◆「テレビ局に話したことが編集で意図とは違う報道をされ、傷ついた」

それからまだ気持ちの整理がつかず、聡美はもう帰ってこない。二度と会えない。犯人はまだ捕まらず、聡美がなぜ殺されたのかわからないままで…。ニュースでは、怨恨ではないかと流れました。けど、17歳で何を恨まれることがあったのか? 私の知らないところで恨まれたのかな? 私は聡美のこと、全然知らないんだ。でも、聡美に限って恨まれるわけがない。私は聡美にとって、いい友達だったのかな? ずっと、そんなことを考えていました。

事件解決の力になればと、テレビ局の取材に応じて話したことが編集されて、聡美には「裏の顔」があったなどと意図とは違う報道をされ、傷ついたこともありました。聡美は、かわいくて頭もいいから妬まれたのか。酷い噂話も広まっていました。今回、犯人がようやく逮捕されて、聡美には何の落ち度もなかったことがわかって、その点では安心しています。

事件が未解決の頃、聡美さんの友人Bさんは解決の力になればとテレビの取材に応じたが…(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロフ)

Bさんは、自分の話を意図とは違う内容で報道され、傷ついたという(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

今回、犯人が捕まったことは良かったけれど、聡美が生き返るわけではありません。私は結婚し、1歳の子供がいます。最近、聡美が生きていたらどうなっていたかな? と考えます。聡美も結婚して子供がいたかな? 聡美はしっかりしているから子供をしっかりしつけていそうだな。子育てで色んな相談ができたかな? 私の子供をすごくかわいがってくれただろうな。もし生きていたら、聡美に会わせたかった。聡美がいないことが無性に悲しいのです。

また、昔はわからなかったけれど、子供が生まれて、親が子供を思う気持ちがわかるようになりました。1年、子育てをするだけでも、すごく沢山の思い出ができます。聡美のご両親なら、17年間もの思い出がある。大切な子供の生命を奪われた親の気持ちを想像すると、とても辛いです。

犯人は、一度も見たことがない男でした。14年間、自首もせずにのうのうと生きてきたかと思うと、腹が立ちます。叶うなら、死刑にして欲しい。けれど、そうもいかないのだろうと思っています。今の世の中は加害者ばかりが守られる世の中です。被害者のプライバシーは全然守られません。犯人はどう思って、生きてきたのでしょうか。自首もしていないのですから、反省もしていないのでしょう。

聡美の生命が奪われたのに、犯人が生きてきたことに腹が立ちます。聡美の最期は、犯人だけが見ていて、それを犯人が憶えていることにも腹が立ちます。聡美の最期を憶えたまま、14年間生きてきたのでしょう。

どうか聡美の最期を抱えたまま、死刑になって死んで欲しいと思っています。

 * * * * * * * * * *

以上、Bさんの供述だ。

Aさん、Bさん共に事件から13年半の月日が流れ、30代になっても、高校時代の聡美さんとの思い出や事件のショックを克明に記憶しており、犯人が捕まらなかった間のやり場のない憤りや、検挙された犯人・鹿嶋学への憎悪を語った部分も当事者の言葉ならではのインパクトがあった。

この2人の供述調書が朗読される間、被告人席の鹿嶋はずっとうつむいたまま表情を変えず、検察官席にいた聡美さんの父・忠さんは時折、感極まりそうになっていた。(次回につづく)

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【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2004年10月5日、広島県廿日市市の高校2年生・北口聡美さんが自宅で何者かに刺殺され、祖母のミチヨさんも刃物で刺されて重傷を負った事件は、長く未解決だった。犯人の鹿嶋学は、2018年4月にようやく検挙されたが、それまで13年半の間、どのように生きていたのか。

3月4日、広島地裁で行われた裁判員裁判第2回公判の被告人質問では、そのことも鹿嶋本人の口から詳細に明かされた。

◆事件後もレイプを扱ったAVを観ていたが、抵抗感はなかった

この事件の真相は、会社を辞めて自暴自棄になった鹿嶋が原付で東京に向かう途中、たまたま路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと考えて聡美さん宅に侵入し、抵抗されたために持参したナイフで刺殺した──というものだった。その後、鹿嶋は山口県宇部市の実家で暮らし、地元の土木関係の会社で逮捕されるまで13年余り働いていた。

会社の社長によると、鹿嶋はこの間、真面目な働きぶりで、信頼できる部下だったという。ただ、鹿嶋には、社長が知らない「ある趣味」があった。弁護人から「事件後もアダルトビデオは観ていましたか?」と質問され、鹿嶋はこう答えた。

「観ていました。その中には、レイプを扱った作品もありましたが、そういう作品を観ることに抵抗感はなかったです。また、そういう作品を観て、事件のことを思い出すこともありませんでした」

ここで弁護人がアダルトビデオの話を持ち出したのは、鹿嶋が犯行に及んだ要因の1つに、アダルトビデオをよく観ていたことがあったと考えられるフシがあるからだ。

というのも、鹿嶋は事件前、「会社の寮でほぼ毎日、エッチなビデオを観ていた」というほどアダルトビデオが好きだった。そして取り調べでは、「会社を辞めて自暴自棄になり、やりたいことをやろうと思い、性行為の経験がなかったので、性行為をしようと思った」と供述していた。さらにこの公判でも検察官の質問に対し、「女子高生が好みだった」「レイプに興味があった」「性行為をしたいと思った時、自分はナンパなどをする性格ではなかったので、レイプ以外の方法は思いつかなかった」などと明かしているのだ。

ただ、鹿嶋によると、事件後に再び「レイプをしたい」と思うことはなかったという。その理由については、こう説明している。

「事件の時は、自暴自棄になって罪を犯すことに抵抗感がなくなっていました。しかし、事件後は、会社に迷惑をかけたらいけないので、罪を犯そうとは思いませんでした」

鹿嶋はそう答えた後、弁護人から「罪を犯さなかったのは、会社に迷惑をかけたくなかったからだけですか」と重ねて質問され、思い出したようにこう答えた。

「いえ、もちろん、人に迷惑をかけたらいけないからというのもありました」

レイプをしたらいけないと考える理由として、普通であれば、まず「被害者となる女性」を傷つけたらいけないからだと答えるだろう。鹿嶋は正直に話しているのかもしれないが、感覚的にズレたところがあるように思えた。

◆「性行為をしてみたい」と思いつつ、風俗店にも行けず……

鹿嶋は事件後も「性行為をしてみたい」という思いは持ちつつ、性行為の経験はないままだったという。風俗店を利用したことすらなかったそうだが、その理由についてはこう説明している。

「自分は性格的にそういうところに踏み出せませんでした」

鹿嶋によると、アダルトビデオを観ること以外の当時の楽しみはオンラインゲームをすることくらい。事件のことは思い出さないようにしていたという。

「事件のことを思い出すと、自分に刺された時の聡美さんの『え、なんで?』という表情や、自分が『クソ』『クソ』と言いながら何回も聡美さんを刺したことを思い出してしまうからです。事件のことをパソコンで調べ、聡美さんが亡くなったことを知りましたが、自分から事件のことを調べたのはそれくらいです。コンビニで未解決事件の本を見かけ、『広島の女子高生』という言葉を見たことはありますが、内容はほとんど見ませんでした」

このように事件のことを考えないようにしていた鹿嶋だが、1つ不思議なことがある。聡美さんを刺したナイフを処分せず、逮捕されるまで自宅の机の引き出しでずっと保管していたことだ。その理由については、こう説明している。

「自分にとって逃げ出したい、忘れたい事件でしたが、ナイフはずっと捨てることができませんでした」

このナイフは鹿嶋が逮捕されたのち、家宅捜索により発見されている。犯人が凶器のナイフを証拠隠滅せず、13年半も自宅で保管しているなどとは、警察も思ってもみなかったことだろう。

事件が未解決の頃、捜査本部が置かれていた廿日市署

◆殺人の容疑で逮捕された時は「ほっとした」

鹿嶋がこの事件の犯人だと判明したきっかけは、2018年4月上旬、部下の従業員の「横着な態度」にカッとなり、尻などを蹴る傷害事件を起こしたことだった。山口県警がこの件で余罪捜査をしたところ、鹿嶋の指紋やDNA型が現場の北口聡美さん宅などで見つかったものと一致したのだ。そして同月13日、広島県警が殺人の容疑で鹿嶋を逮捕した。

鹿嶋は、広島県警が自分を逮捕するために自宅にやってきた時のことをこう振り返った。

「その時、自分は寝ていたので、突然のことに驚きました。ただ、ほっとした気分になりました。ずっと事件のことを引きずって生活し、前向きに生きられていなかったからです」

警察の捜査が自分に及んでこないため、自首せずに過ごしていた鹿嶋だが、元々、「殺人を起こしたのだから捕まって当然だ」と思っており、逮捕されることへの恐怖は感じていなかったという。

弁護人から聡美さんの遺族に対する思いを聞かれると、鹿嶋は「自分の身勝手な行いで、大切な家族の生命を奪ってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいです」と言い、金銭的賠償が一切できていないことについては、「自分ができる限りのことをして払いたいと思います」と言った。

そして弁護人が最後に、「この場で言っておきたいことは?」と質問すると、鹿嶋は大きな声で叫ぶようにこう言った。

「私は、取り返しのつかないことをしてしまい……自分でも、自分は死刑がふさわしいと思っております。大変、申し訳ございませんでした!」

鹿嶋はそう言い終わると、しばらくハーハーと荒い息遣いで、感情がかなり高ぶっているようだった。(次回につづく)

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 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

山口県萩市にあるアルミ素材メーカーの工場で働いていた鹿嶋学は2004年10月5日、自暴自棄になり、会社を辞めて東京に向かう途中、広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生・北口聡美さんをレイプしようと考えた。そして聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げようとしたために持参したナイフで刺殺。さらに聡美さんの祖母ミチヨさんの背中などを刺して重傷を負わせ、聡美さんの妹で小学6年生のA子さんを追いかけ回し、一生消えないようなトラウマを与えた。

3月4日、広島地裁で開かれた裁判員裁判の第2回公判。鹿嶋はこのような犯行の経緯を打ち明けたのち、犯行後の行動も詳細に語った──。

◆ホームセンターで両手や顔についた血を洗い、服も着替えた

「小さい女の子(A子さんのこと)を追いかけ、追いつけずに追うのをやめた後は原付で再び東京方面に向かいました」

弁護人から犯行後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして原付を東へ走らせる途中、まずホームセンターに立ち寄ったという。

「ホームセンターに立ち寄ったのは、両手と顔についていた血を洗うためでした。服にも血がついていたので、この時に服も着替えました。血がついていた服はその後、橋の上から川に捨てました」

こうして証拠隠滅を済ませると、鹿嶋は引き続き、野宿を繰り返しながら原付で東京へと向かった。弁護人からその時の気持ちを聞かれ、こう答えている。

「3日間くらいはすごく後悔し、嫌な気持ちになっていました。何も食べずにずっと原付を東へ走らせました」

被告人質問では触れられなかったが、10月だから、野宿は寒かったはずである。それでも鹿嶋は2週間くらいかけ、東京にたどり着いている。東京到着までにそれほどの時間を要したのは、単純に「急ぐ理由がなかったから」だったという。

そして東京到着後、鹿嶋は重大なことに気づく。それは、「東京で何もすることがない」ということだ。

弁護人から「あなたは何のために東京に行ったのですか」と質問され、鹿嶋は「最初は…」と言い、しばらく沈黙した後、こう答えた。

「なんとなく、漠然と東京に行くことだけを考えていたのだと思います」

鹿嶋が東京に行こうと思ったのは、下関市で暮らしていた子供の頃、温泉に入るために自転車で東京から下関に訪ねてきた人物がいたのを思い出したためだった。元々、東京に何か目的があったわけではない。とはいえ、東京到着までに2週間もあったにも関わらず、この間に東京到着後のことを何も考えていないというのは、やはり思考回路に人と違うところがあるのだろう。

未解決事件としてテレビでも取り上げられていた(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆東京で所持金が無くなって「飢え死に」が怖くなり……

「東京では、お金が無くなるまで適当に原付を走らせるなどして過ごしていました」

弁護人から東京到着後の行動を質問されると、鹿嶋はそう答えた。そして所持金が無くなると、不安な思いにとらわれたという。

「お金が無くなり、何も食べられず、5日間くらい過ごして、飢え死にするのではないかと怖くなりました」

そして鹿嶋が選択したのは、実家がある山口県の宇部市に帰ることだった。そのために鹿嶋は、上京前に「餞別」として5万円をあげていた友人に電話し、銀行口座に金を振り込んでもらった。その金によりバスで宇部に帰ったという。ちなみに上京する前、地元にはもう戻らないつもりで携帯電話は川に捨てていたので、友人に電話をかける際はパン屋で電話を借りたという。

当時の新聞では、広島県警は事件発生当初、現場周辺を中心に犯人の足取りを追っていたと報じられている。その間に犯人が野宿を重ねながら原付で上京し、山口の実家にバスで戻っていたなどとは、県警の捜査員たちは当時、想像すらできなかったはずだ。犯人の鹿嶋の行動があまりにも特異で、合理性を欠いていたことは、この事件が13年半も未解決だった要因の1つだろう。

事件が未解決の頃の報道には、今思うと的外れなものも……(2015年6月12日放送のフジテレビ「金曜プレミアム・最強FBI緊急捜査SP日本未解決事件完全プロファイル」より)

◆事件後に就職した会社の社長との思い出を話し、感極まる

宇部に帰った後、鹿嶋は実家で生活し、2004年12月に土木関係の会社に就職した。そして逮捕される2018年4月まで13年余り、この会社に勤め続けている。弁護人から、「なぜ、長く働き続けられたのですか?」と質問され、鹿嶋はこう答えている。

「今の社長は自分と4歳くらいしか離れていない人ですが、自分が車の免許をまだ持っていない頃には、毎日のように帰りにビールを1杯おごってくれました。自分は、ロクに話もせんのに……」

ここまで話すと、鹿嶋は感極まって沈黙したが、嗚咽しながらこう続けた。

「今の社長の親父さんも、自分が免許を取ったら車をタダでくれたりして…その頃、自分はまだ入社して1年くらいしか経っていなかったのに…そういう人たちに出会えたからだと思います」

毎日、仕事の後にビールを1杯おごってくれるくらいの社長はいくらでもいそうだし、車をタダでもらったという話も「処分することが決まっていた古い車」を与えられただけである可能性を感じた。しかし、前回までに触れてきた通り、鹿嶋は少年時代から血のつながらない父親との関係が複雑だったうえ、高校卒業後に就職し、事件直前まで勤めていた会社も「ブラック企業」と呼ばれて仕方のないような会社だった。それゆえに、社長たちの優しさが深く身に染みたのだろう。

こうして鹿嶋は地元宇部で普通の市民として生活し、警察の捜査が及んでくる気配はまったく無いまま、事件から13年半の月日が流れた。この間、「廿日市女子高生殺害事件」は日本全国でも有名な未解決事件の1つとなり、しばしばメディアで取り上げられたが、鹿嶋は事件のことを思い出さないようにしていたという。(次回につづく)

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【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第9話・西口宗宏編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2004年10月5日、自暴自棄になって会社を辞めた鹿嶋学は原付で東京に向かう途中、歩く女子高生たちを見たのをきっかけに「レイプをしたい」と考えるようになった。そして広島県廿日市市の路上で見かけた高校2年生の北口聡美さんの自宅に侵入したが、抵抗されたために持参したナイフで刺殺してしまう。この際、聡美さんの当時72歳の祖母ミチヨさんと当時小学6年生の妹A子さんも現場に居合わせ、それぞれ深刻な被害を受けている。

今年の3月3日、広島地裁で開かれた鹿嶋学の初公判。この2人の供述調書が検察官により朗読され、事件の凄惨な様子がつまびらかになった。

◆キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきて……

「13年半前の出来事なので、記憶があいまいになっているところもありますが、現時点で思い出せることを話します」

聡美さんの妹A子さんの調書はそんな一文から始まった。事件のことを「13年半前の出来事」と言っているのは、この調書が2018年4月、鹿嶋が逮捕されてから作成されたものだからだ。

「私はその日、少し体調が悪かったので、学校を休んでおり、祖母のミチヨと母屋にいました。布団を敷いて、横になっていたところ、外から、自転車のスタンドが立てられ、ガチャガチャさせる音が聞こえてきたので、お姉ちゃんが学校から帰ってきたことがわかりました。お姉ちゃんは自転車を止めると、母屋の中に入ってきました」

それは午後2時前のことで、その後しばらく聡美さんは母屋にいたという。

「お姉ちゃんは高校の制服から、上が黒、下がオレンジっぽい色の部屋着に着替え、台所のテーブルに座り、何かをしていました。おそらくお昼ご飯を食べていたのだと思います。その後、お姉ちゃんは『4時に起こしてね』と言って、母屋の勝手口から出ていきました。離れに行ったのだと思います」

聡美さんが離れに行ったのは、自分の部屋が母屋ではなく、離れにあるためだ。そして午後3時頃、異変が起きる――。

「私が母屋で横になってテレビを観ていたところ、離れのほうから、キャーキャーという女の人の凄い悲鳴が聞こえてきたのです。そしてすぐあと、ゴトゴトゴトッという大きな音が聞こえてきました。後から考えると、あれは何かが階段を転がり落ちる音だったと思います。おかしいと思い、勝手口のドアを少し開け、離れの出入り口のほうを見ました。すると、ギャーギャーと泣くような大きな声や、ドンドンと出入り口の扉を内側から叩くような音が聞こえました」

すでにおわかりだろうが、この時、離れの出入り口の内側で、聡美さんが鹿嶋にナイフで刺され、殺害されていたのだ。

「あまりに異様な光景で、怖くて仕方ありませんでした。そのまま離れの出入り口のほうを見ていると、ほどなくして悲鳴や音がやみ、シーンとしました。その時、お祖母ちゃんがトイレから出てきたので、離れから叫び声が聞こえてきたことを告げ、一緒に離れのほうに向かったのです」

そしてA子さんは祖母ミチヨさんと一緒に離れに向かい、犯行直後の鹿嶋と遭遇してしまうのだ。

◆知らない男が仁王立ちのような体勢で立っていた

事件が未解決だった頃の警察の情報募集のポスター。犯人の似顔絵は、A子さんの目撃証言をもとに描かれた

「離れに向かったあとのことについては、今となっては記憶が曖昧で、はっきりとお話できません。記憶に残っているのは、離れの扉の前で、私か、お祖母ちゃんのどちらかが、扉を開けようとドアノブをつかみ、ガチャガチャと回したのですが、鍵がかかっていて開かなかったことと、お祖母ちゃんが『さっちゃん。さっちゃん』と呼びかけたのに、何の返事もなかったことです」

A子さんの記憶が曖昧なのは、離れに向かったあとに体験したことがあまりにショッキングで、パニック状態になったためではないかと思われる。A子さんの供述はこう続く。

「記憶では、最終的には私が扉を開けました。すると、ドアを開けたと同時に、白目をむいたお姉ちゃんがその場に崩れ落ちるようにして倒れてきたのです。そして、私はお姉ちゃんが崩れ落ちるのを見たのとほぼ同時のタイミングで、そこに立っていた知らない男と思いっきり目が合ったのです。その男は、仁王立ちのような体勢でした」

つまり、A子さんがドアを開けた途端、「ナイフで刺され、殺害された実の姉」と「実の姉を殺害した犯人の男」が目の前に同時に現れたわけである。想像を絶する衝撃だったろう。

「お姉ちゃんが倒れたのとほぼ同時に、お祖母ちゃんがキャーという高い悲鳴をあげましたが、私はその間、ずっとお祖母ちゃんと目が合い続けていました。そして、お祖母ちゃんの長い悲鳴がやんだのを合図のようにして、その場から走って逃げ出したのです。ただ、私は気が動転してパニックになっていたのか、離れの周りを一周するようにして逃げました。その途中、後ろを振り向いてみたわけではないですが、その見知らぬ男が追いかけてきたと思った覚えがあります」

鹿嶋が被告人質問で明かしたところでは、鹿嶋はこの時、実際にA子さんを追いかけていたという。A子さんは近くの花屋に逃げ込み、助けを求めて難を逃れたが、鹿嶋は「追いつけていたら、ナイフで刺していたと思います」と言っている。A子さんはまさしく「九死に一生を得た」という状況だったのだ。

◆自分がなぜ入院しているのかもわからなかった

この時、A子さんと一緒に現場に居合わせた祖母ミチヨさんの記憶は、もっと曖昧だ。事件のショックにより「解離性健忘」に陥ってしまったためだ。

解離性健忘とは、受入れがたい困難な体験をした時などにその情報が思い出せなくなるというものだ。ミチヨさんは、A子さんと一緒に離れに向かい、ドアが開いた時に「知らない男の人」が立っている姿を見たところまでは憶えているが、それより先のことがどうしても思い出せないという。

ミチヨさんは、鹿嶋が逮捕された2018年4月、検察官に対し、次のように供述している。

「意識を取り戻した時、私は病院に入院していましたが、なぜ入院しているのか、まったくわかりませんでした。とにかく背中が痛くて、仕方ありませんでした。家族も何も説明してくれないので、高いところから落ちたのだろうか…と一人で考えていました。数日後、病院の先生から『背中を刺されているから、気をつけて動いてください』と言われ、初めて誰かに刺されたことを知り、大変なことが起きたとわかったのです」

そしてその頃、ミチヨさんは聡美さんの父・忠さんから、「さっちゃんが死んだ」と聞かされ、初めて聡美さんが亡くなったことを知った。しかし、頭が混乱し、まったく信じられず、現実のこととして受け入れられなかったという。

一方、事件のことを記憶しているA子さんは、「事件のことや犯人の顔を憶えているのは自分一人だけ」という状況にずっと苦しみ続けたという。

「2度と思い出したくない、すぐにも忘れたい辛い出来事でしたが、犯人を見たのは私だけです。『犯人が捕まるまで忘れてはいけない』というプレッシャーと、『時間の経過と共に見たことを忘れてしまうかもしれない。そうなったら、犯人が捕まらないかもしれない』という恐怖心がないまぜになり、この13年半の間、心が折れそうなのをなんとか耐えてきました。それが正直な気持ちです」

このように鹿嶋は聡美さんの生命を奪ったうえ、祖母のミチヨさんと妹のA子さんにも深刻な被害を与え、現場から逃走した。被告人質問では、逃走後のことも詳細に語っている――。(次回につづく)

ミチヨさんが救急搬送された広島市民病院。当初は生命が危ぶまれる状態だったという

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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