◆近畿大学医学部付属病院内の食堂も「犯行現場」だった

虚偽の診断書を書いた医師がいた病院の一つに世耕弘成の祖父弘一氏創設者の近畿大学病院が入っている。片岡さんの話では、近畿大学は、眞須美さんがDさんにヒ素をもったとされる「犯行現場」でもあるという。

大阪府狭山市にある近畿大学医学部付属病院内の食堂で、眞須美さんがDさんに睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませ、帰宅中、Dさんが車で事故を起こしたとされた件だ。当然警察、検察は食堂を訪ね、現場検証をしたり、従業員に事情聴取するはずだ。

だが、片岡さんが現場を訪ね、事件当時勤務していた人に話を伺ったところ「そういうのは、病院の方でやっていたみたいです」との答えが返ってきたという。「病院の方でやっていた」としても、警察は当日現場にいた人に必ず確認するはずだ。コーヒーを運んだ女性に「この席です」と眞須美とDさんが座ったテーブルを示させ、証拠写真を撮るはずだ。

私の店でもこの20数年で何度か現場検証を受けている。開店当時、店の看板犬はなを酔った客らが別の店に連れて行き、「お前が連れてきた」「ママに怒られる」などと口論になり、殴られた男性が瀕死状態になった(のちに回復)。店に現場検証に来た警察官に「尾崎美代子所有の子犬はなを巡り口論となり……」という調書を取られ、子犬はなを指さした写真を撮られた。

眞須美さんは別の日、和歌山市内の喫茶店で、Dさんのコーヒ-に睡眠薬を入れ飲ませ、その後Dさんの意識を失わせ怪我をさせたという。片岡さんがこの店を訪ねると、当時の従業員から「うちでそんな事件があったことになってんの?」と驚かれたという。

また眞須美さんが、岸和田の競輪場で健治さんと共にIさんに睡眠薬入りコーラを飲ませ、意識消失にさせたという事件もあった。その後、片岡さんが同競輪場に電話取材したが、競輪場の参事、藤井宗孝氏は「うちでそのような事件があったという”噂”になっているんでしょうか?」の述べたという。

片岡さんは「噂ではなく、検察が裁判で岸和田競輪場でそのような事件があったと言っている」と伝えた。すると藤井氏は「私はこちらに来て5年になりますが、そのような事件があったと聞いたことはありませんが……」と戸惑っていたという。更に他の古い職員、警備員らに聞いてくれたが、そのような話は「誰も知らない」とのことだった。

これらの事実について、片岡さんは、健治さんの次のような言葉が真相を言い当てていると思うと話された。

「DさんやIさんにも、ワシら夫婦は裏切られたわけやけど、ワシはあの2人を恨み切れないんですよ。Dさんさんは酒を飲むとタチが悪いけど、普段は仏さんのようなエエ男でしたし、Iさんはワシらに良く尽くしてくれましたから、あの2人もワシらを裏切ったのは、そうせざるを得ない状況に追い込まれていたからだと思うし、今は本人たちも罪悪感に苦しんでいるのではないかと思うんです」(デジタル鹿砦社通信 2017年7月19日「和歌山カレー事件 捜査された形跡がない不可解な殺人現場」より)

12月10日の学習会では、長男さんが、数年前、健治さんと共にIさんに会いにいった話をした。寝たきりになったIさんは2人の訪問を拒むことなく、健治さんに向かっては「あんたは車いすで動けるからいいじゃないか」などと、昔に戻ったように軽口をたたいていたという。

しかし、当時の話には固く口を閉ざしたという。Iさんの父と妹夫婦が警察関係者であることも関係しているのだろう。Dさんの親族にも警察関係者がいる。2人が真実を明かしてくれる日はくるのだろうか。

◆眞須美さんを犯人に仕立てた小寺哲夫という検事

 

2019年、和歌山市内に住む林健治さんを訪ねた。健治さんは約3時間、水一滴も採らず事件について熱く語った(筆者撮影)

眞須美さんをカレー事件の犯人とするため、仲間の関係を引き裂くようなストーリーを考えたのが、警察、検察だ。以下は私が以前、健治さんに聞いた話だ。

逮捕された健治さんのもとに、1週間ほどして大阪地検から小寺哲夫という検事がやってきた。小寺は口には出さないが、和歌山県警に対して「こんな大きな事件は、お前らみたいな田舎デカには解決できないぞ」という態度を見せたという。

それに反感をもったのか、地元の刑事からは、「林、余計なこというな。余計なこというたら、アイツにおかしなストーリー作られるぞ」と注意されたという。

以降、朝9時~夜19時までは刑事から保険金詐欺事件の取り調べを受け、それから深夜遅くまで小寺検事によりカレー事件の取り調べを受けるようになった。

「裁判で泣いてくれ」。

眞須美さんが否認を続けるため、捜査に行き詰まったある日、小寺が健治さんにそう泣きついたという。

「なぜそこまでするんや」と聞く健治に、小寺は「これだけマスコミを騒がせたのだから、(眞須美を逮捕しないと)世間が納得しない」と答えたという。

小寺はまた「全国の女性から『眞須美に殺されかけた健治さんが可哀そう。助けてあげて下さい』と嘆願書が集まっている」と書類のようなものを見せたり、「公判も俺が担当、求刑も俺が出す。協力してくれたら、府中の医療刑務所に入れてやる。そこには今、角川春樹がいるから、彼に本でも書いてもらえ」などとあの手この手で健治さんを懐柔し、しまいには「協力しないと懲役15年だぞ」と脅したという。しかし健治さんは最後まで協力しなかった。

健治さんは、一審は黙秘、二審からは「自分でヒ素を飲んだ」と証言したが、「眞須美を庇うための嘘」とされ、2002年、懲役6年の実刑判決が下された。「やすいな(軽いな)」と思わず口にした健治さん。健治さんもまた眞須美さんの被害者にされていたからだ。

◆「ヒ素」は「同一」ではなかった

小寺が健治さんに協力してくれと泣きついた時期、警察と検察は、林家から見つかったというヒ素と、カレー鍋などから見つかったヒ素が同一であるという鑑定書を作成しようとしていた。

過去にシロアリ駆除の仕事をしていた健治さんは、ヒ素は持っていた。が、カレー事件でヒ素が問題になった頃、疑われるのが嫌で、眞須美さんに処分させた。それなのに、2人が逮捕された後、林家からヒ素が見つかった。

それも連日80人以上の刑事が捜索するなか、4日目にだ。しかも健治さんは、その事実を、起訴後に移送された拘置所で、面会にきた小寺に聞かされた。

警察署に勾留中、刑事や小寺はなぜ言わなかったのか。「何でや?」とその理由を聞いた健治さんに、小寺は「あったもんは仕方ない」と小声で答えたという。

「捏造したんやろ」と迫る健治さんに、「お前、こんなんとこ(拘置所)入って疲れてんのに、頭の回転早いな」と返したという。

当初、林家で見つかったヒ素を、科学警察研究所で鑑定した結果、祭り会場で見つかったヒ素と「同一と考えても矛盾はない」とされた。一見「同一」と思えるが、そうではない。

2015年、鑑識学会で発表された「鑑定書結論の強さの段階」で「~と考えられる」は「80%の推認」、「~として矛盾はない」は「70%の推認」で、「~と考えても矛盾はない」は、0.8×0.7=0.56%と、半分か、それよりも低いのだ。つまり「決定打」にはならなかったのだ。

しかし、眞須美さんが起訴される12月29日までに、ヒ素が「同一である」との新たな鑑定書が作成された。東京理科大の中井泉教授と聖マリアンナ大学の山内博助教授(いずれも当時)が、当時で世界最先端の科学分析装置「Spring-8」で実験を行った結果だった。

その後、この山内・中井鑑定を覆す学者が出現した。真須美さんの弁護団が、2009年、和歌山地裁に再審を請求、その後京都大学河合潤教授の、ヒ素は「一致していない」とする再審請求補充書、同教授によるヒ素の「鑑定書」を提出した。

しかし、2017年3月29日、和歌山地裁はこれを棄却。弁護団は大阪高裁に即時抗告したが、控訴棄却。最高裁に特別抗告中の2021年6月24日、眞須美さんは長女の突然の死という混乱の中で取り下げてしまう。弁護団は取り下げ無効確認の手続きを行うが2022年4月13日最高裁は取り下げは無効でなく特別抗告は終結したとの判断をだした。

一方、2021年5月31日、別の弁護士が新たな証拠による再審請求を和歌山地裁に行ったが、2023年1月31日棄却され、弁護人は大阪高裁に即時抗告中である。(完)

◎尾﨑美代子-緊急学習会「和歌山カレー事件は冤罪だ!」報告
〈前編〉カレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話
〈後編〉大量殺人事件で「現場検証」がなされない不思議

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

12月10日(日)集い処「はな」で「和歌山カレー事件は冤罪だ!」と題した緊急学習会を開催した。

林眞須美さんの長男がX(twitter)で、先日、都島の大阪拘置所に母親眞須美さんに面会に行った際、面会部屋がいつもと違ったり、初めての刑務官が同席するなど異例の出来事があり、不安を覚えたと呟いていた。眞須美さんの第二次再審は、新たな弁護人が一人で取り組んでいるが先が見通せない。そうした中、先のようなことがあったため、和歌山カレー事件を風化させてはいけないと緊急学習会をやることになった。

◆保険金詐欺の共犯者が眞須美さんの被害者に?

講師に、和歌山カレー事件の取材を最も多く行っているノンフィクションライターの片岡健さんをお招きした。私自身、8年前にお聞きして「目から鱗」だったお話をして頂いた。

それはカレー事件発生当時、林家に同居していた二人の男性についての話だ。その一人Iさんは、当時無職で林家に居候し、健治さんと麻雀をしたり、運転手をしたりしながら面倒を見てもらっていた。その間眞須美さんの調理した食事を食べ、何度もヒ素中毒症状や意識消失に陥り入院していた。とはいえIさんは入院中、病院を抜け出し飲みに行ったり、麻雀したり、楽しそうにしていた様子だったという。つまり、Iさんは眞須美さん、健治さんの保険金詐欺事件の共犯者であったのだ。

ノンフィクションライターの片岡健さん(右)と眞須美さんの長男さん(12月10日集い処「はな」にて)

そうするうち、1998年7月25日、園部地区の夏祭り会場で提供されたカレーを食べた人のうち67人が急性ヒ素中毒症状を発症、4人が死亡するカレー事件が発生。しかし、カレー事件に唯一関わっているとされるのは、カレー鍋の見張り番に関わった眞須美さんだけだ。捜査が進展しないなか、林家の過去の保険金詐欺事件を知った警察、検察は、あれだけ酷い保険金詐欺事件を「主導」した眞須美だから、カレー事件もやったに違いない、というストーリーを作っていった。

Iさんは、カレー事件発生間もない頃から、眞須美さん、健治さんが逮捕・起訴されるまでの約4ケ月間、警察により和歌山の山奥の警察官舎に匿われた。表向きは「マスコミから守るため」との理由だが、そこで警察と寝食を共にし「眞須美にヒ素入りの食事を食べさせられた」と、保険金詐欺事件の被害者にされていった。

裁判で、Iさんが、被告の弁護団に厳しく追及される場面があった。

弁護人「そんな何ってよ、そのたびに疑いもせんと同じような被害にあうかい!」。証人「………」。(デジタル鹿砦社通信 2017年10月10日 片岡健「和歌山カレー事件 弁護人に叱責された『疑惑に被害者』」より)

もう一人の同居人Dさんは元会社経営者で、眞須美さんと保険の外交員と客として知り合い、健治さんの麻雀仲間として林家に出入りするようになった。ある時、Dさんは眞須美さんに睡眠薬入りアイスコーヒーを飲まされ、自損事故を起こしたとされた。Dさんの会社は事件当時休業中だったが、林家の保険金の多くはDさんの会社名義で契約されていた。もちろんDさんも承知の上だし、Dさんは眞須美さんが火傷で保険金詐取した際には、その無茶なストーリーの口裏合わせに協力してもいた。Dさんも健治さん、眞須美さんの保険金詐欺事件の共犯者であることは明らかだ。 

◆眞須美さんにカレー事件の動機はない

眞須美さんが夏祭りで住民に無料で提供するカレーにヒ素を入れ、無差別大量殺人を行う動機は何もない。健治さんがいうように「眞須美は金にならんことはやらん」のだから。カレー事件は、金にならないばかりか、下手すれば自分の子どもたちも被害者になったかもしれない。

事件当日、健治さんは予定していた麻雀が中止になったため、夕方急きょ健治さん、眞須美さん、長男、次女の4人でカラオケに行くことになった。長女は幼い三女の子守りで家に残ったが、その際、健治さんは長女に小遣い1万円を渡している。長女にはこの1万円で好きなものを買って食べることも出来たし、祭り会場で無料のカレーを食べることもできた。眞須美さんは「祭りに行くな」と止めてもいないからだ。

カラオケから深夜遅くタクシーで自宅に戻ってきた眞須美さんら家族は、祭り会場には人が大勢いるのを見ている。警察の捜索が続いていたのだ。眞須美さんが犯人なら、その様子を見て尋常ではいられないはずだ。しかし、長男は、車の中で眞須美さんがのんびりとこう呟いたことを覚えている。「まだやっているのねえ」。

◆保険金詐欺事件の共犯者はほかにも……

保険金詐欺事件について、健治さんは二審から、自分が主導したと主張した。しかし、それは「眞須美を庇うため」と否定された。後述するが、逮捕後、眞須美さん犯人の決定打がないなか、大阪地検から派遣された検事が、健治さんに「眞須美にやられたと言ってくれ」と懇願したことがあった。もちろん健治さんは応じていないし、そういわれ健治さんは眞須美さんの無実を一層確信したそうだ。

眞須美さん、健治さんの保険金詐欺事件の共犯者はIさんやDさんだけではない。嘘の診断書を書いた医師らも共犯者だ。医師免状はく奪の危険性を犯してまで共犯者になる医師などそういないだろうと私は思っていた。しかし、健治さんは、7人もの医師らが大方30万~50万で虚偽の診断書を書いてくれたと言い、次々とその病院名と医師名をあげていった。しかし、警察は病院と医師らの責任を追及してはいない。保険金詐欺事件での逮捕が、カレー事件で眞須美さん、健治さんを逮捕するための別件逮捕であるからだ。

以前、健治さんにお聞きした話 ──「入院したら、しばらくは大人しくしているんや。そのうち担当の医師が『林さん、気になることはありませんか?』と聞いてくる。ワシは『小さい子含めて4人も子どもがいる。毎日の生活のことが心配です』と話す。医師が『保険入っていませんか?』と聞いてくる。ワシは大きな保険に入っていると話す。そして不安そうに『治るんですか?』と尋ねる。『今の医学ではちょっと無理ですね』と医師がいうたら、そこが勝負どころや。医学書を読み漁り、どうしたらいいかじっくり考える。腕がどこまで曲がるかとかが重要なんや。必死で『ここまでしか曲がりませんわ』と演技する。『先生、なんとか上手く診断書を書いてもらえんやろか。お礼はしますが…」と持ちかける。ここまできたら、もう楽勝や。『給料が安いので買えないが、ゴルフのアイアンが欲しい』『パソコン欲しい』『松阪牛が食べたい』とか言うてくるで。それ叶えてやると、皆、簡単に嘘の診断書書いてくれたで」。

健治さん、眞須美さんの保険金詐欺事件は許されない行為だ。しかし、その罪はもう十分に償っている。問題なのは、保険金詐欺事件を行うような人物だから、カレー事件の犯人であるに違いないといういうきめつけは許されないということだ。(つづく)

12月24日大阪「冤罪と司法を考える集い」

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

報道や執筆が本職ではないのに、伝えようとする思いの強さが職業ジャーナリストを上回るような文章を書く人は少なくない。『日本の冤罪』の著者である尾﨑美代子さんもその一人だ。

 

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

尾﨑さんは普段、大阪・西成でフリースペースを兼ねた居酒屋『集い処はな』を営みつつ、日雇い労働者や失業者の支援、脱原発活動に取り組んでいる。私が最初に会ったのは和歌山カレー事件関係の集まりの場だったが、気さくな感じで声をかけてもらい、いつのまにか親しくなった。この間、尾﨑さんは当欄や月刊誌『紙の爆弾』で労働者の人権問題や脱原発、冤罪事件に関する記事を書くようになったが、私はいつも尾﨑さんの記事に感銘を受けていた。伝えようとする思いの強さが常に溢れているからだ。

本書は、そんな尾﨑さんが独自に取材、執筆した16の冤罪事件に関する計18本の記事をもとに編まれたものだ。伝えようとする思いの強さは本書でも健在で、それはたとえば次のような部分に現れている。

湖東記念病院事件の項

滋賀県警と山本刑事は刑事責任をきちんととり、美香さんに謝罪せよ。検察、裁判所も目を覚ませ。
 そして、一日も早く西山美香さんに無罪判決を!(45ページ)

日野町事件の項

裁判所には、阪原さんのこの悲痛な訴えが届かなかったのか。一日でも早く阪原さんと遺族に、再審無罪を言い渡せ!(107ページ)

名張毒ぶどう酒事件の項

人の心を持った鹿野裁判長には、(引用者注:故・奥西勝さんの妹で、再審請求人の)岡美代子さんに一刻も早く再審無罪を言い渡していただきたい(251ページ)

一読しておわかりの通り、何の迷いもなく取材対象である冤罪犠牲者やその関係者の思いを共有し、真っすぐな言葉で雪冤の実現を訴えている。だからこそ、この冤罪を何とかしたいという尾﨑さんの本気の思いが読み手に届く。本当は中立ではないのに、損得勘定や保身から中立を装ったような記事ばかり書いている職業ジャーナリストでは絶対書けない文章だ。

本書の冒頭には、先日亡くなった布川事件の冤罪犠牲者・桜井昌司さんとの対談をまとめた記事も収録されている。これを読むと、がんに冒されながら、亡くなる直前まで冤罪仲間たちを救おうと全国各地を飛び回っていた桜井さんが尾崎さんに心を開いて言葉を発しているのがわかる。それも尾崎さんの冤罪事件や冤罪犠牲者への向き合い方が桜井さんに信頼されているからだろう。

報道や執筆を職業としている人が自分の姿勢を見直すために読んでみると良い本だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。著作に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』など。

[著者略歴]尾﨑美代子(おざき・みよこ)1958年、新潟県生まれ。中央大学中退。大学生時代の80年代、山谷(東京)の日雇労働者、野宿者問題の支援に関わる。90年代初頭大阪に移住して以降は、同じく日雇労働者の町・釜ヶ崎に住みながら、フリースペースを兼ねた飲食店「集い処はな」を経営。釜ヶ崎で知り合った仲間たちと、3・11以後福島支援、反原発運動を始め、講演会、上映会、支援ライブなどを続ける。その傍ら、かつてより関心のあった冤罪事件の取材・執筆活動を続ける。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

国民の大多数が「冤罪被害者」と認識する袴田巌さんの再審開始が決まったのをうけ、筆者は当欄において、過去に袴田さんの無実の訴えを退けた存命の裁判官10人に対する公開質問を行った。袴田さんの再審無罪が確実な状況となったことについて、どのように受け止めているのかなどの質問をまとめた書面を特定記録郵便で一人一人に送り届け、回答を求めたものだ。

その結果、返事があったのは10人中6人にとどまり、残り4人は筆者の質問を無視した。返事があった6人も回答を避ける内容の返事ばかりだった。無辜の人に殺人犯の汚名を着せ、絞首刑に処そうとしたことを真摯に反省する様子は、10人の誰からも窺えなかった。

もっとも、筆者は元々、彼らが質問に対し、真摯な回答をしてくることなど期待していなかった。今回の取材では、日本の歴史に残る重大な冤罪を生んだ裁判官たちの無反省ぶりを明るみに出せ、むしろ意義のある企画になったと思う。

冤罪裁判官10人に送った公開質問

◆想像以上の栄達を果たしていた冤罪裁判官たち

そして今回、新たな発見もあった。袴田事件の冤罪裁判官たちが想像していた以上の栄達を果たしていたことだ。

現在は新潟家裁所長の菊池則明氏や、長野地家裁松本支部長の内山梨枝子氏のように組織内で出世を遂げた者もいれば、広島県公安委員会の委員を務めた小西秀宣氏や、日本大学大学院法務研究科の教授となった大島隆明氏のように「第2の人生」で立派な地位や職を得た者もいた。

いずれ劣らぬ栄達ぶりだが、中でも際立っていたのが、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判官4人(今井功氏、古田佑紀氏、中川了滋氏、津野修氏)が旭日大綬章を受章していたことだ。

〈最高裁判所判事としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した〉

4人は旭日大綬章を与えられるに際し、そのように「功績」をたたえられていた。

「死刑の冤罪」を生んだ裁判官たちがそのような評価を受け、権威ある勲章を受章していた当否については、袴田さんが晴れて再審で無罪判決を受けた際に改めて検証されるべきだと思う。

最後に、この公開質問の企画については連載中、多くの方から好意的な感想や激励の言葉を頂け、励みになった。改めて感謝申し上げたい。

◎「冤罪被害者」袴田巌さんの無実の訴えを退けた存命の裁判官たちに公開質問
〈01〉大島隆明氏(現在は弁護士、日本大学大学院教授)2018年に再審を取り消した東京高裁の裁判長
〈02〉菊池則明氏(現在は新潟家裁所長)2018年に再審を取り消した東京高裁の裁判官
〈03〉竹花俊徳氏(現在は弁護士)2004年に袴田さんの即時抗告を棄却した東京高裁の裁判官
〈04〉古田佑紀氏(現在は弁護士)第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁の裁判官
〈05〉内山梨枝子氏(現在は長野地家裁松本支部長)1994年に再審請求を棄却した静岡地裁の裁判官
〈06〉林欣寛氏(現在は札幌高裁事務局長)2018年に再審を取り消した東京高裁の裁判官
〈07〉小西秀宣氏(現在は弁護士)2004年に袴田さんの即時抗告を棄却した東京高裁の裁判官
〈08〉今井功氏(現在は弁護士)第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判長
〈09〉中川了滋氏(現在は弁護士)第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁の裁判官
〈10〉津野修氏(現在は弁護士)第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁の裁判官
《総括》袴田事件の「冤罪裁判官」10人に対する公開質問が明らかにしたこと

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年10月号

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

津野修氏。現在は弁護士をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

10人目は津野修氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判官の一人だ。

◆「津野氏の略歴」と「津野氏への質問」

津野氏は1938年10月20日生まれ、愛媛県出身。大学卒業後は大蔵省に入省し、内閣法制局長官まで出世した。2003年に弁護士登録。翌2004年に最高裁の裁判官に就任し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2008年10月20日付けで定年退官。現在は弁護士になり、東京都港区虎ノ門にある『原・植松法律事務所』に所属。関東地区に在住の松山市にゆかりのある人たちが集う『松山愛郷会』の会長を務めている。
この間、2009年11月に旭日大綬章を受章。その際、読売新聞東京本社版2009年11月3日朝刊では、津野氏のことが以下のように紹介されている。

最高裁判事として司法制度の発展に貢献した。

そんな津野氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『原・植松法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。津野様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

津野様が旭日大綬章を受章された際、読売新聞東京本社版2009年11月3日朝刊では、津野様のことが以下のように紹介されています。

〈最高裁判事として司法制度の発展に貢献した。〉

津野様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

※津野氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

中川了滋氏。現在は弁護士をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

9人目は中川了滋氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判官の一人だ。

◆「中川氏の略歴」と「中川氏への質問」

中川氏は1939年12月23日生まれ、石川県出身。司法試験合格後、当初は弁護士をしていた人で、第一東京弁護士会会長や日弁連副会長などの要職に就いた経験もある。2005年に最高裁の裁判官に就任し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2009年12月22日付けで定年退官。現在は再び弁護士となり、東京都千代田区有楽町にある『丸の内仲通り法律事務所』に所属。2011年6月には、旭日大綬章を受章している。

なお、中川氏が旭日大綬章を受章した際、内閣府のホームページでは、中川氏の「功労概要」が以下のように公表されている。

最高裁判所判事としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した。また、多年にわたり弁護士として法社会の安定化に寄与した。

そんな中川氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『丸の内仲通り法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。中川様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

中川様が旭日大綬章を受章された際、内閣府のホームページでは、中川様の「功労概要」が以下のように公表されています。

〈最高裁判所判事としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した。また、多年にわたり弁護士として法社会の安定化に寄与した。〉

中川様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

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※中川氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

 

今井功氏。現在は弁護士をしている

8人目は今井功氏。2008年3月24日、袴田さんに対して特別抗告を棄却する決定を出し、袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させた最高裁第二小法廷の裁判長だ。

◆「今井氏の略歴」と「今井氏への質問」

今井氏は1939年12月26日生まれ、兵庫県出身。袴田さんの第一次再審請求を「棄却」で確定させたのち、2009年12月26日に定年退官。退官後は弁護士になり、現在は東京都千代田区神田錦町にある『今井法律事務所』に顧問として所属している。この間、みずほフィナンシャルグループの監査役や、みずほ銀行の監査役を務め、2011年6月には、旭日大綬章を受章している。

なお、今井氏が旭日大綬章を受章した際、内閣府のホームページでは、今井氏の「功労概要」が以下のように公表されている。

多年にわたり最高裁判所判事等としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した

そんな今井氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『今井法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。今井様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

今井様が旭日大綬章を受章された際、内閣府のホームページでは、今井様の「功労概要」が以下のように公表されています。

〈多年にわたり最高裁判所判事等としてその重責を果たすとともに、我が国司法制度の発展に貢献した〉

今井様は、これがご自身に相応しい評価だと思われますか?

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※今井氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在ま
で57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

小西秀宣氏。現在は弁護士をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

7人目は小西秀宣氏。東京高裁の裁判官だった2004年8月26日、安廣文夫裁判長、竹花俊徳裁判官と共に袴田さんの第一次再審請求の即時抗告審を担当し、袴田さんの即時抗告を棄却する決定を出した人だ。

◆「小西氏の略歴」と「小西氏への質問」

小西氏は1949年3月27日生まれ、広島県出身。安廣裁判長らと共に袴田さんの即時抗告を棄却する決定を出した後、法務省人権擁護局長、広島地裁所長、東京高裁部総括判事などを歴任し、2014年3月27日付けで定年退官。現在は弁護士となり、広島市中区東白島町で『小西法律事務所』という事務所を営んでいる。

広島県公安委員会で委員を務めているのをはじめ(現在は3期日で、任期は今年7月8日まで)、公益財団法人交通事故紛争処理センターの理事や中国電力の企業倫理委員会の副委員長にも就いており、公共的な仕事に積極的に取り組んでいる様子が窺える。

なお、広島県公安委員会のホームページでは、「公安委員会の役割」について、以下のように説明されている。

公安委員会は、警察の民主的管理と政治的中立性を確保するために設けられており、警察を管理する機能とともに、県民の良識を代表して警察の業務に県民の考えを反映させるという役割も持っています。

そんな小西氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、『小西法律事務所』に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。回答が届けば、紹介したい。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。小西様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

小西様が委員を務めておられる広島県公安委員会のホームページでは、「公安委員会の役割」について、以下のように説明されています。

〈公安委員会は、警察の民主的管理と政治的中立性を確保するために設けられており、警察を管理する機能とともに、県民の良識を代表して警察の業務に県民の考えを反映させるという役割も持っています。〉

小西様が裁判官だった頃に出された、袴田巌さんの無実の訴えを退ける内容の決定については、広島県民の良識に沿うものだと思われますか?

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※小西氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成十九年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

林欣寛氏。現在は札幌高裁の事務局長をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

6人目は林欣寛氏。2018年6月11日、その4年前に静岡地裁(村山浩昭裁判長、大村陽一裁判官、満田智彦裁判官)が認めた袴田さんの再審を取り消す決定を出した東京高裁(裁判長は大島隆明氏)の裁判官の一人だ。

◆「林氏の略歴」と「林氏への質問」

林氏は1978年9月6日生まれ、愛知県出身。大島裁判長らと共に袴田さんの再審を取り消す決定を出した後、2020年4月1日に司法研修所の教官に異動し、2022年4月8日からは札幌高裁の事務局長を務めている。

「司法研修所の教官」は、司法試験に合格した修習生を指導する職で、「高裁の事務局長」は管内の司法行政(たとえば裁判官や職員の人事関係事務、会計事務、一般の庶務など)の責任者だ。つまり、林氏は東京高裁の裁判官として袴田さんの再審を取り消す決定を出した後、法廷で人を裁く仕事をしていないのだと思われる。

そんな林氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、札幌高裁に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。林様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

林様は、大島隆明裁判長らと共に袴田さんの再審を取り消す決定を出されたのち、2度の人事異動で「司法研修所の教官」と「札幌高裁の事務局長」に就いておられますが、この2つの職はいずれも、法廷で人を裁くことをしない職だと思われます。林様がこのような職に就かれていることは、袴田さんの再審を取り消す決定を出されたことと何か関係があるのでしょうか? 何か関係があるのであれば、どのような関係があるのか、具体的に教えて頂けましたら幸いです。

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この質問に対して、林氏からは以下のような回答が郵便で届いた。なお、林氏に郵送した「郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒」は、回答と一緒に返送されてきた。

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令和5年7月3日

片岡健様

札幌高等裁判所事務局総務課

事務連絡

あなたから当裁判所に送付された2023年5月22日付け林欣寛宛ての書面に同封されていた郵便切手84円分(返信用封筒に貼付)を返送いたします。
なお、本件についてお答えできることはありません。

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林氏については、追加取材をすることを検討している。

※林氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成二十八年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ―冤罪死刑囚八人の書画集―」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

国民の大多数から「無実なのに死刑囚にされた冤罪被害者」と認識されている袴田巌さんの再審がついに行われることになった。袴田さんは1966年の逮捕から現在まで57年にわたり、殺人犯の汚名を着せられてきたが、無事に再審が行われれば、無罪判決を受けることは確実だとみられている。

 

内山梨枝子氏。現在は長野地家裁松本支部長をしている

このような状況の中、過去に袴田さんに対し、無実の訴えを退ける判決や決定を下した裁判官たちはどのような思いで、どのように過ごしているのだろうか。当連載では、該当する裁判官たちの中から存命であることが確認できた人たちに対し、公開質問を行っていく。

5人目は内山梨枝子氏。静岡地裁の裁判官だった1994年8月8日 、鈴木勝利裁判長、伊東一廣裁判官と共に袴田さんの第一次再審請求審を担当し、再審請求を棄却する決定を出した人だ。

◆「内山氏の略歴」と「内山氏への質問」

内山氏は1960年8月12日生まれ、北海道出身。1989年4月に千葉地裁で裁判官人生をスタートさせ、その次に勤務した静岡地裁で鈴木裁判長らと共に袴田さんの再審請求を棄却した。

その後は1995年4月に静岡家地裁浜松支部、1999年4月に名古屋地裁、2003年4月に静岡家地裁、2007年4月に静岡家地裁富士支部、2009年4月に静岡地家裁富士支部長、2012年4月に大阪高裁、2015年4月に静岡家地裁、2018年4月に横浜地家裁小田原支部──という異動を重ね、2022年4月より長野地家裁松本支部長を務めている。

見ておわかりの通り、内山氏の勤務地は、袴田事件が起きた静岡県もしくはその隣県がほとんどだ。

そんな内山氏に対しては、以下のような質問を書面にまとめ、郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒を同封のうえ、長野地裁松本支部に特定記録郵便で郵送し、取材を申し込んだ。

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【質問1】

袴田巌さんは再審が決まり、無罪判決を受けることが確実な状況となりました。内山様はこの状況をどのように受け止めておられますか?

【質問2】

内山様がこれまで裁判官として勤務された地は、静岡県もしくはその隣県がほとんどです。袴田事件が起きた県であり、釈放後の袴田巌さんやその姉・ひで子さんらが暮らしている静岡県もしくはその隣県の裁判所で勤務されることについて、心理的な抵抗はなかったのでしょうか?

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この質問に対して、内山氏からは以下のような回答が郵便で届いた。なお、内山氏に郵送した「郵便切手84円分を貼付した返信用の封筒」は、回答と一緒に返送されてきた。

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令和5年6月19日

片岡健殿

長野地方裁判所松本支部庶務課

5月22日付けの当支部所属裁判官宛ての取材依頼に対する回答について

標記取材には応じません
なお、返信用切手は返還します。

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内山氏については、追加取材をすることを検討している。

※内山氏の生年月日と出身地、異動履歴は『司法大観 平成二十八年版』と『新日本法規WEBサイト』の情報を参考にした。

▼片岡健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。編著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)、『絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─』(電子書籍版 鹿砦社)。stand.fmの音声番組『私が会った死刑囚』に出演中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ─冤罪死刑囚八人の書画集─」[電子書籍版](片岡健編/鹿砦社)

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