2010年に広島市南区の自動車メーカー・マツダ本社工場内で車を暴走させ、12人を殺傷した同社の元期間工・引寺利明(50)=無期懲役判決を受けて岡山刑務所で服役中=については、これまで当欄で服役生活の現状を繰り返しお伝えしてきた。去る11月28日には、引寺が当欄での公表を希望した獄中手記13枚を紹介したが、引寺が現在も自分の罪を何ら反省していないことはよくおわかり頂けたと思う。

そんな引寺から12月になり、また新たに計26枚に及ぶ手記が私のもとに届いた。前回紹介した13枚の続きとして書かれたものだが、内容を検討したところ、犯罪者の生態やその獄中生活の実相を知るための参考になる記述が散見された。そこでまた当欄で紹介させてもらうことにした。

◆刑事ドラマと違う現実の取り調べ

今回の26枚の手記の中でまず目を引かれるのは、引寺が受けた取り調べの状況が克明に綴られている点だ。たとえば次のように。

〈「何で刑事になろーと思ったん?」と聞くと、新人刑事は「やはり刑事ドラマの影響ですかねー、あぶない刑事(デカ)をよく見てましたねー」と語り、取り調べがヒマになる度に、世間話をしていた。〉

引寺は事件を起こしてほどなく警察に自首し、「マツダに勤めていた頃に他の社員たちから集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っており、警察の取り調べには協力的だったと思われる。とはいえ、これほどの重大凶悪事件で取り調べ室の雰囲気がここまで和やかなものだったというのは意外に感じる人も少なくないだろう。こういうところ1つとっても、刑事ドラマと現実は違うようだ。

引寺から12月に送られてきた便せん26枚の手記(14~15頁=前回送られてきた13枚の手記の続きのため、頁番号は14頁から始まっている)

同上(16~17頁)

同上(18~19頁)

同上(20~21頁)

◆犯罪被害者遺族の心情に触れても無反省

また、刑務所内で開かれた「命のメッセージ展」という矯正教育のためのイベントに関する描写も興味深い。

〈会場に入ると、人型のメッセージボードがズラーっと並べられていた。ボードには、身内を失ったやるせない遺族の心情、犯人に対する激しい憤りがビッシリと書き込まれていた。ボードのほとんどが、飲酒運転による死亡事故の事例だった。遺族の心情の中には、犯人に対してだけでなく、捜査に関わった警察や検察への不信感や憤りが書き込まれている事例がいくつかあり、ワシの興味を引いた。遺族の心情も様々であり、憤りの捌け口が警察や検察に向かう場合もあるという事だろう。時間が限られていたので、全部のボードをじっくり見る事が出来なかったのが、非常に残念である。機会があれば、また見てみたい。こういうイベントが、矯正教育の一環になるとワシは思う。〉

この「命のメッセージ展」の目的は、犯罪被害者遺族の心情に触れさせることにより受刑者たちに反省や悔悟の念を深めさせることだというのは誰でもわかるだろう。しかし、引寺は相変わらず自分の犯した罪を何ら省みず、犯罪被害者遺族の不信感や怒りが警察、検察に向けられていることに興味を引かれているのである。それでいながら、〈こういうイベントが、矯正教育の一環になるとワシは思う〉ともっともらしく締めくくっており、やはり引寺のようなタイプの犯罪者は一般的な人間と善悪の基準が違うのだと再認識させられる。

同上(22~23頁)

同上(24~25頁)

同上(26~27頁)

後半では、獄中でつくったというラップの歌詞を綴っているが、これも刑務所生活を経験した者でなければ書けないだろう表現が目白押しで、獄中における犯罪者の生活や心情をリアルに想像させられる。手記の原本26枚をスキャニングした画像は本稿にすべて掲載したので、関心がある方は全文にじっくり目を通して頂きたい。

同上(28~29頁)

同上(30~31頁)

同上(32~33頁)

同上(34~35頁)

同上(36~37頁)

同上(38~39頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)被害に遭い、恨んでいた」

そんな動機から2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場内で車を暴走させ、計12人を殺傷した同社の元期間工、引寺(ひきじ)利明(50)。当欄では、引寺が岡山刑務所で無期懲役刑に服する身となりながら、自分の罪を一切反省していないばかりか、マツダを侮辱する言動を繰り返していることをお伝えしてきた。

11月中旬、そんな引寺からまたしても当欄への掲載を希望する手記が私のもとに届いた。今回の手記を見ても、引寺の無反省な態度は相変わらずだが、殺人犯の実態を知る資料としての価値が認められる内容ではあった。そこで今回も当欄で紹介しよう。

◆警察もマスコミも徹底批判

〈今回の手記は、警察やマスコミへの批判や怒り、刑務所生活で思う事や感じた事などを、一方的に言わせてもらうでー。〉(〈〉内は引用。以下同じ)

そんな書き出しで始まる手記で、引寺が最初に言及したのは、あの広島県警広島中央署で起きた窃盗事件に関してだ。

〈まず広島県警の中央署で発生した窃盗事件に関してだが、事件発生当初は、警察庁長官が記者会見で「キッチリ捜査を尽くす」などとホザいていたが、事件発生から何ケ月も経った今においても、犯人はまだ逮捕されていない。こりゃあーどういう事やあーーー!!〉

同署が金庫に保管していた証拠品(詐欺事件の押収品)の現金8,572万円が盗まれたのは今年5月のこと。内部の犯行が確実視される中、いつまでも犯人が捕まらない事情について、引寺はこう推測する。

〈ワシが思うに、捜査をキッチリとすればするほど、現職の警察官が関与していた事実が浮き彫りになるけえー、いつまで経っても逮捕出来んのんじゃろーのー。犯人を逮捕したら公表せにゃーいけんけーのー〉

引寺から送られてきた便せん13枚の手記(1~2頁)

さらに引寺は警察のみならず、マスコミのこともこう批判する。

〈広島のマスコミもショボイよのー。もっとガンガン突っ込んだ取材せーや。本来なら、例え取材対象が警察や検察だろうが、スポンサーがらみの大企業だろうが、取材でつかんだ事実については、取材対象にとって都合の悪い内容だとしても、キッチリと世間に報道するのが、アンタらマスコミの仕事じゃろーが。それがジャーナリズムじゃないんかい。つまらん事やっとるけえー、世間からマスゴミゆーて叩かれて、笑われるんじゃろーが。わかっとんかあーーーーー!!(怒)〉

引寺は、広島のマスコミが警察に遠慮し、同署の窃盗事件で犯人が捕まらない事情を十分に追及できていないと思っているらしい。

◆「広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢をそのまま喰え!!」

このように警察とマスコミへの批判の言葉を並べ立てた引寺だが、一方で、ある記者のことを絶賛している。

〈ワシの手元には、日本テレビの記者であるSさんが書いた「殺人犯はそこにいる」という本がある。これまでにもう20回ぐらい読み返しているが、読む度に、真実を隠蔽してでも組織の対面を守ろうとする腐りきった警察や検察に対する怒りがこみ上げてくる〉

〈現場取材においては、「小さな声を聞け」というスタンスで取材しているSさんだからこそ、多数の捜査員を投入し、捜査権を振りかざして捜査している警察ですら、気付かずに見のがしてしまうような事件の影に埋もれていた事実をつかむ事が出来るんじゃろーのーー。広島のマスコミ連中は、Sさんの爪の垢でも煎じて、いや、爪の垢をそのまま喰え!!そうすりゃーーーもうちーたーージャーナリズムを肝に命じた取材や報道が出来るようになるじゃろーて(笑)。〉

同上(3~4頁)

同上(5~6頁)

引寺がこのように絶賛する日本テレビの記者・Sさんの著書『殺人犯はそこにいる』は、警察やマスコミはアテにならないということが書かれた本だ。引寺は、自分がマツダの社員たちから集団ストーカー行為をされていた事実について、警察やマスコミに隠ぺいされたと考えているため、同書に感銘を受けたのだと思われる。

現時点で私のもとに届いている引寺の手記は、便せん13枚という分量だが、引寺は現在も獄中で続きを執筆中のようだ。ここには、現時点で届いている便せん13枚の手記を転載する形で紹介する。引寺から今後届く手記についても、公表する価値があると思えれば、適時、公表していきたい。

同上(7~8頁)

同上(9~10頁)

同上(11~12頁)

同上(13頁)

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなり、他11人も重軽傷を負った。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は裁判で妄想性障害に陥っていると認定されたが、責任能力を認められて無期懲役判決を受けた。現在は岡山刑務所で服役中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2010年6月22日に広島市のマツダ本社工場の敷地内で元期間工の男が車を暴走させて従業員たちを撥ね、1人を殺害、11人を負傷させた事件から明日で7年。犯人の引寺(ひきじ)利明(49)は「マツダで働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役判決が確定。現在は岡山刑務所で服役生活を送っている。

 

引寺が服役している岡山刑務所

当欄では、そんな引寺がまったく無反省の服役生活を送っていることを繰り返し伝えてきたが、引寺は事件から7年経っても相変わらずのようだ。引寺はこのほど、事件から7年の節目ということでデジタル鹿砦社通信への掲載を希望し、便箋20枚を超す手記を送ってきたのだが、それを見れば、引寺が今も何ら罪の意識を感じていないことが実によくわかるのだ。

◆マツダを侮辱しながら「RX-7が大好き」

引寺の手記はまず、〈今年の6月でマツダ事件から7年経つ。もうあれから7年かあー。月日が経つのは早いねーとはいえ、日々、刑務所にキッチリ管理された変わりばえの無い単調で退屈な受刑生活を送っているワシにとっては、事件からの7年は長く感じたのー〉と罪の意識が微塵も感じられない書き出しで始まる(〈〉内太字は引用。以下同じ)。

その後は、2013年に埼玉県でマツダ系列の自動車販売会社が試乗会で車の自動ブレーキがかからずに事故を起こしたことを持ち出し、〈やはりマツダの車は欠陥車じゃのー。(笑)〉〈ったく、マツダのエンジニア達はボケとるのー。(笑)〉などと嘲り笑うなど、マツダを侮辱する記述が続く。

そうかと思えば、〈ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、今でもその気持ちに全く変わりは無い〉とマツダ車を好きだという屈折した感情を吐露。さらに〈ワシはRX-7とロータリーエンジンが好きなのであって、マツダが好きな訳じゃない。ロータリーエンジンが持つ、マイナーさゆえの孤高の存在感が好きじなんじゃ〉などと言うのだが、こうした記述には、マツダの関係者を挑発するような意図も窺える。

◆手記で訴える集団ストーカーの「真相」

引寺は手記の後半では、自分に対する集団ストーカー行為に関与していたと信じるYという人物について、引寺の裁判に証人出廷した際に〈自らの保身の為に明らかな嘘をついた〉と主張。この事実がまったく報道されなかったことについては、大手マスコミがスポンサーであるマツダに日和っているためだという持論を展開している。

手記では、このように引寺にとっての真相が色々綴られているが、その大半は「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない内容だ。そこで、以下に手記のすべてをスキャニングした画像を掲載した。凶悪殺人犯の実像を知るためには一級の資料だと思うので、心ある人に有意義に活用して頂きたい。

引寺が事件から7年の節目に綴った手記(01-02)

引寺手記(03-04)

引寺手記(05-06)

引寺手記(07-08)

引寺手記(09-10)

引寺手記(11-12)

引寺手記(13-14)

引寺手記(15-16)

引寺手記(17-18)

引寺手記(19-20)

引寺手記(21-22)

引寺手記(23-24)

引寺手記(25-26)

《我が暴走》マツダ工場暴走犯、引寺利明の素顔と手記
◎《08》マツダ社員寮強殺事件でマツダ工場暴走犯が本ブログに特別寄稿
◎《07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

社会の耳目を集めた広島のマツダ社員寮男性社員殺害事件は、被害者の同僚の男性社員が強盗殺人の容疑で逮捕、起訴され、事件が解決したようなムードが漂った。そんな折、1人の無期懲役囚がこの事件について物申すべく、デジタル鹿砦社通信に手記を寄稿した。男の名前は、引寺利明(49)。2010年に起きたマツダ工場暴走殺傷事件の犯人である。

事件があったマツダの社員寮(広島市南区向洋大原町)

◆暴走犯から届いた手記

自動車メーカー・マツダの広島市南区向洋大原町にある社員寮で暮らしていた男性社員・菅野恭平さん(19)の他殺体が寮内の非常階段の2階踊り場で見つかったのは9月14日のこと。同24日に強盗殺人の容疑で検挙された上川傑被告(20)は菅野さんと寮の同じ階で暮らす同期入社の社員で、菅野さんを消火器で殴るなどして殺害し、現金約120万円を奪った疑いをかけられている。

一方、マツダの元期間工である引寺は2010年6月、広島市南区仁保沖町にあるマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、12人を殺傷。ほどなく自首して逮捕されたが、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」という特異な犯行動機を語り、世間を驚かせた。その後、精神鑑定を経て起訴され、2013年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。裁判では、責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

この引寺が裁判の終結後も服役先の刑務所で無反省な日々を送っていることは、当欄で繰り返しお伝えしてきた。引寺が反省できない最大の原因は、マツダで働いていた頃に「集スト被害」に遭っていたと今も頑なに信じていることだ。そんな引寺だけに今回のマツダ社員寮事件についても黙っておられず、当欄に手記の掲載を希望し、私のもとに郵送してきたわけである。

引寺が書いた手記は読む人によっては、気分の悪くなる内容だと思う。しかし、引寺のような社会の耳目を集めた重大殺人事件の犯人がどのような考え、どのような精神状態で服役生活を送っているのかということは社会の大きな関心事であるはずだ。そこで、引寺から寄せられた手記を余すことなく紹介しよう。ただ、引寺は現在も自分が犯した罪について、まったく反省していないので、読んで気分が悪くなるのが耐えられない人はここから先を読むのは控えたほうがいいかもしれない(※以下、手記は行替えを除き、とくに断りがない限りは原文ママで引用)。

引寺から届いた手記

================以下、手記================

「ワシはイライラしていた」

片岡さんも御存知と思いますが、マツダの社員寮で起こった事件に関してですが、発生当初から世間の見方では、同じ寮に住んでいる従業員による内部犯行の可能性が高い事は明らかだったのですが、犯人が逮捕されるまでは、新聞の記事やテレビのニュースでは、内部犯行説に関してはほとんど言及せず、何度も「警察は慎重に捜査している模様です。」と報道するばかりで、ワシはイライラしていた。

おそらくどこのマスコミも、内部犯行の可能性が高い事に関して、マツダに突っ込んだ取材はしていないでしょう。テレビ局のスタッフが、犯行現場である社員寮に出向き、寮に出入りしている社員達に逆取材した時も、インタビューを受けた社員が内部犯行の可能性が高い事について語った場合、その映像はニュースでは使われなかったでしょう。マスコミのボケどもがスポンサーであるマツダに配慮して、気をつかった報道ばかりをしている様子に、大人の事情が垣間見えて、カチーンときた。(怒)

マツダ事件(筆者注・引寺が起こしたマツダ工場暴走事件のこと。以下同じ)当時、一審を担当した主任弁護士の事務所に、マツダの従業員と名のる人達から「引寺容疑者が取り調べで語っているような嫌がらせをする連中がマツダにはおります。そういった連中による、嫌がらせ、パワハラ、セクハラ、暴行などの行為が、社内では日常的に起こっております。私も被害にあいました。」と訴えかけてくる電話が次々とかかってきた。主任弁護士は、電話をかけてきた人達の一人と実際に会い、直接、その人から被害の状況を聞いている。

ワシは広拘(筆者注・広島拘置所)で面会していた記者連中にこの件を話し、「こういった事態が実際に起こっとるんじゃけぇー、主任弁護士から裏をとってキッチリ報道しんさいや。それが現場の記者がやらにゃーいけん仕事じゃないんね」と持ち掛けた所、記者連中は「わかりました。主任弁護士から話を聞いてきます。」と動いたのだが、結局、この件はテレビや新聞では、一切、報道されなかった。

記者連中に報道されなかった理由を聞くと「デスクに止められてダメでした。」と回答する記者ばかりだった。この時は本当に頭に来た。スポンサーであるマツダのイメージが悪くなるような報道は出来んとゆう事か。(怒)

「マツダのバチクソがあー!!」

マツダ事件には、この件のように現場の記者連中は知っていたのに、マスコミの都合により報道されなかった裏事情がたくさんある。ワシは裏事情に関して、一審の法廷で何度も主張したのに、一切、報道されなかった。報道されなければ世間には伝わらない。自分達にとって都合の悪い情報を握りつぶすんなら、マスコミも腐った警察や検察と変わらんよのー。所詮マスコミにとって大事なのは、真実である現場の声を報道する事よりも、スポンサーの御機嫌を損なわないようにする事が最優先!!という事なのでしょう。ホンマ、腐っとりやがるでえー。(怒)

もし、犯行現場がマツダの社員寮ではなく、マスコミにとってスポンサーのからみなど全くないような、従業員が20~30人程度のチンケな工場の社員寮だったとしたら、マスコミは「内部の者による犯行の可能性が非常に高い」という言葉を、事件報道の中で普通に使っていたと思いますよ。

事件から1週間が過ぎた頃に犯人が逮捕され、被害者と同じ寮に住んでいた従業員である事が明らかになった時には、ざまあみさらせマツダのバチクソがあー!!といった感じで溜飲が下がりました。まさしく自演乙(筆者注・おつ。以下同じ)じゃのー。(爆笑)

マツダ事件発生当時には、事件発生から数時間後にマツダのトップ連中が記者会見を行い、マツダは被害を受けた事をアピールしまくり、「警察の捜査には全面的に協力します」などとホザいて、世間からの同情を買っておりましたが、今回の事件については、内部犯行の可能性が高い為、ヘタな記者会見は出来なかった訳です。

もし、逮捕された犯人が従業員ではなく、外部の者である事実が明らかになっていたら、おそらくマツダのトップ連中はシレッと記者会見を行い、その中で「今回、我が社の社員寮において、社員が殺害されるという大変痛ましい事件が発生し、真に遺憾であります。亡くなられた〇〇さんの冥福を全社員で祈っております。これからは社員寮などの施設のセキュリティを強化し、警備員を常駐させ、金銭トラブルに巻き込まれる事のないよう、コンプライアンスを重視した社員教育を徹底して行い、二度とこのような事態が発生する事の無いように全社を上げて努力していく所存であります。」などと語るんじゃろーのー。(笑)

「大企業とマスコミの関係はヘドが出る」

大企業がマスコミのスポンサーになるというのは、今回みたいな自演乙の事件が発生した時に、マスコミに気をつかった報道をさせる口止め的なメリットがあるんじゃろーのー。ホンマ、大企業とマスコミによるこういった関係というのは、ヘドが出るで。(怒)長いものにはグルグル巻きじゃのー。(笑)

今回逮捕された従業員のアンチャンが、かつてワシが取り調べを受けていた南署(筆者注・広島南署)におるというのも、なんか笑えるのー。テレビのニュースで南署の建物が写っておりましたが、な~んかなつかしく感じてしまい、留置場生活の事をあれこれと思い出しちゃいました。(笑)どーでもえーが、南署の建物は早いとこ建て替えた方がええでー。震度3程度の地震でも倒壊しちゃうぜえーーー!!(笑)

================以上、手記================

念のために断っておくが、重大事件の犯人は引寺のような無反省な人物ばかりではない。また、自分の犯した罪については徹底的に無反省な引寺もそれ以外のことでは、意外に真面目な顔を見せることもある。しかし、こういう悪ふざけをしたような手記を書くのも間違いなく引寺の特徴の1つだ。この手記は殺人犯の生態を知るために有効な資料だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

2008年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11人に重軽傷を負わせた引寺利明(48)。「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役刑が確定。現在は岡山刑務所で服役中だ。

この引寺が〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉と送ってきた手記を前回に続いて、紹介する。今回紹介する手記の後半部分では、犯罪者たちの服役生活の実情が前回紹介した前半部分以上に詳しく綴られている(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆逮捕時に90キロ近くあったメタボ体型が58キロになってしまった

今現在のワシのメンタルについてはここに書いた通りだが、身体については、この5年間で劇的に変わってしまった。逮捕時には90キロ近くあったメタボ体型が、広拘で70キロ台になり、ここに来てからもガンガンやせていき、ついには60キロを切って58キロになってしまった。(驚)まさしく文字通りのガリガリ君である。

シャバにいた頃には酒は全く飲まなかったが、毎日タバコ2箱ペースで吸いまくり、あま~~い缶コーヒーもガンガン飲んでいたので、20代後半頃から逮捕されるまでの間、数々の会社で働いていた時に受けた健康診断の血液検査では、毎回、肝臓と糖尿の数値がレッドゾーンだった。逮捕されて拘留生活となり、ポリ署ではタバコが吸えたものの、広拘に移管されてからは完全に禁煙となってしまった。(悲)2年ほど経った頃に、医務で血液検査をした所、なな、なんと!!あれほど何年間もレッドゾーンが続いていた肝臓と糖尿の数値が完全に正常値になっており、医師から「血液の数値は全て正常です。すこぶる健康ですよ」と言われてしまった。

ホンマ、人生とは因果なもんよのー。塀の中で強制的に規則正しい生活をする破目になり、その結果、健康になってしまった。

◆ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます

シャバとは違う塀の中での制限がキツイ禁欲生活ではあるが、1年2年と経つうちに慣れてしまった。人間とゆうものは、どんな環境においてもそれなりに順応するもんなんじゃのーと思う。住めば都とはこの事か。刑務所では筋トレをする受刑者がけっこー多いのだが、ワシは筋トレはたいぎいので全くしていない。

ここまでやせられたのは単純に飯のせいである。拘置所も刑務所も飯の量とカロリーが少なすぎる。もうちーたー喰わしてくれーー!!ギブミーカロリー!!って感じである。(笑)塀の中の飯は、文字通り生かさず殺さずである。ここで暮らしているとホリエモンが30キロ痩せたのも十分理解出来る。

雑居房でテレビを見ている時に、うまそうなステーキやスイーツが画面に写ると、みんな口々に「かあーー、うまそうなのーー」「喰いてーのー」「あーあ、もう一生喰う事は出来んのんかのーー」などと言っている。ここでは、いくら金を持っていても好きな食い物は買えない。出された物しか食べられない所がヒジョ~~~~にツライ!!

ちなみに、ナイスバディのイケてるオネーチャンが画面に写った時も「かあーー、えーのー」「たまらんのーー」「パフパフしたいのーー」などどワーワーゆーとります。(笑)ここでは、いやし系よりいやらし系の映像がウケます。

◆サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念

事件当時の報道にあったように、ワシは無類の車好きです。もうこれから先、自分で車を運転することはないと思うが、やっぱ車が好きじゃのー。ワシが車好きという事と、事件に車を使った事については、ワシにとっては全く別の話じゃ。それはそれ、これはこれじゃ。

受刑者の中にはけっこー車好きな人が多く、工場での休憩時間や運動時間には、アーダコーダと車ネタで盛り上がる事がある。ワシはスーパーカー、チューニングガー、レーシングカーが好きなので、手元にあるゲンロク、オプション、オートスポーツなどの雑誌を、日々ヒマな時に眺めている。ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、若い時には、SA22CやFC3Sを所有していた時期があったのだが、残念ながらFD3Sは所有する事が出来なかった。それがちょっと心残りじゃのー。

シャバにいた頃には、毎年数回ほど岡山国際サーキットやミネサーキット(現在はマツダのテストコースになっている)へ出向いて、スーパーGTやフォーミュラーニッポンのレースを観ていた。特に好きだったのがスーパーGTを走っていたRE雨宮のRX-7で、あのペリチューン独特のつんざくような高周波のエキゾーストノートにシビれていた。サーキット特有の非日常な世界の光景が大好きだった。もうこれから先、サーキットでレースを観る事が出来ないのがヒジョ~~~~に残念に思う。

ワシはスポーツカーやチューニングカーが好きなので、早いこと新型RX-7が見たいのだが、なかなか出てこんよのー。えーかげん待ちくたびれとるでえー。いつになったら出るんかのー。どの雑誌を見ても、新型ロードスターに関する記事はあっても新型RX-7の記事は全くない。マツダのエンジニアの皆さんには期待しとるけーのー。世界中のRX-7ファンがあっと驚くようなインパクトのあるカッコイイRX-7をデビューさせてくれ。塀の中にも熱狂的なRX-7ファンがいる事をお忘れなく!!

◆柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー

ワシがここに来て一年半が過ぎた。刑務所にキッチリ管理された制限がきつくて刺激のない単調で退屈な日常生活が日々続いている事に、もう飽きてしまった。ホンマ、何だかなーって感じである。

以前見た新聞記事で、全国の刑務所を調査し、無期懲役の受刑者が入所する人数と仮釈で出所する人数の統計があったのだが、無期懲役の判決を受けて入所する受刑者の数は、毎年かるーく何十人かはいるのに、仮釈をもらって出所する受刑者の数は、年に数人ぐらいだった。このバランスの悪さは何なんや。まあー、わかりやすく説明すると、無期懲役で服役している受刑者の大半はシャバに出ておらず、世間に知られる事もなくひっそりと獄中死しとるゆーこっちゃ。

世間に知らされるのは死刑囚の執行だけじゃ。ワシの場合、事件の規模からして、これから先、いかにワシが10年20年30年と真面目に服役したとしても、仮釈なんぞ絶対にありえないだろうと思っている。おそらく大半の受刑者と同じように柩に入って静かに出所する事になるんじゃろーのー。

あーあ、な~~んかワシもプリズンブレイクしたい気分じゃのー。(笑)

================以上、手記================

筆者は過去様々な殺人犯に会ってきたが、誰もが引寺のように獄中で無反省の日々を送っているわけではない。しかし一方で、引寺のように刑罰すらも無力だと思わせるような殺人犯もたしかに存在するのである。

引寺が暴走したマツダ本社工場

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》マツダ工場暴走犯の独占手記!
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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〈片岡さん、お元気ですか? ワシはボチボチ元気にやっております。ってゆーか、ホンマ、マジで、ここでの生活に飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きが飽きがきております。(笑)〉(筆者注:7つの飽きの右横には・・)

先日、男から久しぶりに届いた手紙は相変わらずハイテンションだった。名は引寺利明(48)。当欄で繰り返し近況をレポートしてきた暴走殺傷犯である。

引寺は2008年6月22日の朝、広島市南区のマツダ本社工場に自動車を突入させて場内を暴走し、1人を殺害、11日に重軽傷を負わせた。事件後ほどなく自首したが、その口から明かされた犯行動機は特異なものだった。

「マツダの工場で期間工として働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」

そして引寺は裁判でも被害者や遺族に謝罪せずじまい。逆に公判廷で「ワシがマツダに黒歴史を刻んでやったでぇ!」と叫ぶなど、被害者、遺族の心情を逆撫でする言動を繰り返した。結果、集団ストーカー云々の話は妄想性障害ゆえの妄想だと認定されたが、完全責任能力を認められ、無期懲役が確定。現在は岡山刑務所で服役している。

当欄では、そんな引寺が無期懲役囚となった今も無反省の日々を過ごしていることはすでに紹介した。今回の手紙は便せん13枚に及び、2通の封書で届いたが、簡単な近況報告ののちに次のように綴られていた。

〈ここにマツダ事件から丸5年経った今のワシの気持ちを書きますので読んで下さい。〉

このあと、引寺は便せん約9枚に渡り、「今のワシの気持ち」を書き綴っているのだが、結論から言うと、引寺は今も徹底的に「無反省」だ。この手記を読めば、気分を悪くする人もいるだろう。

とはいえ、この手記が重大殺人犯の実像を知るための貴重な情報であることは間違いない。また、犯罪者の矯正の実情を窺い知れる記述も散見される。そこで、この手記を前後編2回に分け、紹介する(手記の引用は基本的に原文ママだが、「行替え」「見出し」を加えた)。

引寺から2通の封書で届いた便せん13枚の手紙

================以下、手記================

◆5年という時間の流れを遺族や被害者はどう感じとるんかのー

6月の22日でマツダ事件から丸5年が経ちました。この5年間とゆうのは、ワシにとっては長く感じました。

振り返れば逮捕後に南署での取り調べで一ヶ月ちょいかかり、精神鑑定で九州の精神病院に3ヶ月、広島の南署に戻ってから一ヶ月弱過ごし、その時に起訴された。広拘に移管されてから約3年ほど過ごした時には、弁護士に金を渡して買ってもらったロト6のくじで3等が当選してバブルとなり、その金でお菓子、パン、カップラーメンや雑誌などを買い漁り、独居房の中が小さなコンビニのようになったり、一審や二審の裁判の時には法廷で言いたい放題ブチまけたり、何人もの記者と毎日のように面会したりなど様々な出来事があり、今でも時々思い出す事がある。

ハッキリ言って今の時点においても、ワシには謝罪感情は芽生えておりません。ただ、事件から5年という時間の流れを、遺族や被害者の方々はどう感じとるんかのーと思う事はあります。

◆刑務所で精神障害の治療なんぞありゃーせん

広島地裁で行われた一審の判決日に、ワシに向かって無期懲役を言い渡した裁判長が「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」などと言っておったが、いざ刑務所に来てみると、精神障害と断定されたワシに対する治療なんぞありゃーせん。体調不良になった時に医務が薬をくれるだけで、専門医によるカウンセリングや投薬などの治療なんぞ全くない。あの裁判長は刑務所の現状なんぞ全く知らんのじゃろーのー。今でも裁判で精神障害と断定された事に対する怒りがある。

ショボイ捜査をしやがった警察、ワシをキチガイ扱いした検察や裁判所にはホンマ頭にくるぞ。その怒りのせいで謝罪感情がどっかへ飛んでいってしもーとる。結局の所、何年何十年と刑事や検事や裁判官をやっとっても、真実を見極める目なんか全く持っておらんゆーこっちゃ。事件の真相が一審の前に明らかになっていれば、ワシには精神障害なんぞ全く無い事になり、正当な裁判が行われたはずじゃ。

裁判所に関しては、裁判官には怒りがあるが裁判員に対してはそうでもない。裁判員は所詮素人じゃし、どうせ裁判官の連中にうまくのせられとるだけじゃろーけーのー、アーダコーダと言うつもりはない。

◆裁判員だったオッチャンが語った記事に笑ってしもうた

一審が終わった頃の中国新聞に、裁判員の一人だった年配のオッチャンが語った記事があり、裁判員を務めた感想についてアレコレと語った後に「また機会があれば裁判員をやりたい」と言っているのを見て笑ってしもうたで。ワシはそのオッチャンに対して、裁判員ゆーのは一人の人間が何回もやるもんじゃないんでえー、と突っ込んでやりたかった(笑)おそらくそのオッチャンは、法廷での裁判員とゆう非日常に味をしめたんじゃろーのー。ホンマ、困ったもんよ。

ワシが逮捕された後も、世間では様々な殺人事件が起こり、裁判の判決をテレビのニュースや新聞で見ていたが、1人殺害で死刑になる被告もいれば、2人殺害で無期になる被告もいる。いかに市民感覚を取り入れた裁判員裁判とはいえ、この判決のバラツキはいかがなものかと思う。マツダ事件の裁判も、真相が明らかになった上で正当な内容の一審が行われていれば、例え判決が死刑になったとしても、ワシは満足したじゃろーのー。

================以上、手記================

引寺は筆者の取材に対し、裁判で真相が明らかにならなかったことが不満であると以前からずっと主張し続けてきた。真相とは、自分がマツダで期間工として働いていた頃、集団ストーカー被害に遭ったことや、その犯人が誰だったのか、ということだ。しかし裁判では、引寺が訴える集団ストーカー被害は妄想性障害ゆえの妄想と認定され、引寺としては真相が明らかになったとは到底思えないことが反省の思いを持つことを妨げているわけだ。

それにしても、引寺が裁判で精神に障害があると認定されたうえ、裁判長から「刑務所で精神障害を治療して治ったら、自分が犯した罪に向き合って考えて下さい」と言われながら、刑務所で何の治療もされていないというのは、本当ならば日本の犯罪者矯正システムに疑念を抱かせる話である。(後編につづく)

引寺が服役している岡山刑務所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走》
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

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2010年6月、12人が死傷する惨事となった広島市南区のマツダ本社工場暴走殺傷事件。犯人の引寺利明(当時42歳)は犯行動機について、「マツダで期間工として働いていた頃、ロッカーを荒らされるなどの集スト(集団ストーカー)に遭い、恨んでいた」と一貫して主張し、2013年に無期懲役判決が確定した。だが、現在も服役先の岡山刑務所で無反省の日々を過ごしているのは当連載ですでにお伝えした通りだ。

実名顔出しで取材に応じた暴走犯の元同僚・藤岡範行氏。広島の裁判所前にて

そんな引寺が事件前、派遣社員として自動車部品の会社で働いていた頃の同僚だった男性が筆者の取材に応じ、殺人犯になる前の引寺の意外な素顔を語ってくれた。その男性は藤岡範行氏、43歳。現在は広島市内の会社で警備員として働きながら、筋力トレーニングと裁判傍聴を趣味にしている男性だ。そのインタビューを通じ、取材では窺い知れなかった凶悪事件犯の意外な素顔が見えてきた。

◆「引寺さんは本当に普通の人でした」

── そもそも、藤岡さんは引寺とどんな関係だったのでしょうか。

事件の10何年前、ぼくと引寺さんは自動車部品会社の工場で一緒に働いていたんです。当時24、25歳だったぼくは派遣社員で、引寺さんも別の派遣会社から派遣されてきていました。引寺さんは当時たしか29歳か30歳くらい。ぼくら2人とNさんという正社員が3人で1つのラインで働いていました。

── 藤岡さんの目から見て、引寺はどんな人物だったんでしょうか?

普通のオニーサンという感じでしたね。性格は柔らかく、おとなしかった。気を使わなくていい雰囲気の人でしたね。ぼくは妙に気が合ったというか、仲良くしてもらっていました。一緒に仕事をしていても、やりやすかったですよ。派遣社員は難しい人が少なくなく、派遣社員同士でケンカになることもあったんですが、引寺さんは本当に普通の人でした。

── 引寺と話すときはどんな話題が多かったですか?

引寺さんはしゃべらない人だったんですよ。冗談も全然言わないし、女性の話もしなかった。休憩時間も一人で煙草を吸っていることが多かったし、ご飯も一人で食べていました。それに作業の合間も、みんなが休んでいるのに、一人だけ掃除をしていたりする。『そのほうが、気を使わんでええけえ』と言っていました。

── それは意外ですね。私に対しては、面会でもよくしゃべるし、手紙でも「~であります(笑)」「ハハハハハハ~~~!!」などといつもハイテンションなんですが。

ぼくが知っている引寺さんとは全然違いますね。ぼくの印象では、引寺さんは決して明るい人ではなく、どちらかというと暗い人でしたから。そういえば、事件を起こしたときにテレビなどで姿を見た引寺さんは全体の雰囲気こそ当時と変わりませんでしたが、老けて、太っていましたね。ほくと一緒に働いていたころ、引寺さんは痩せていたんですよ。

── 引寺は趣味とかはなかったんでしょうか?

「車は、好きだったんでしょうね。自分から車好きだと話すことはなかったですが、スポーツタイプの凝った車に乗っていたんで、車好きだということはわかりました」

◆集ストは「被害妄想だと思います」

── 私に対しては、引寺は車が好きだという話は普通にするんで、ずいぶん印象が違いますね。引寺が事件を起こしたときは驚きましたか?

そうですね。警備の仕事で詰所にいたとき、事件の第一報をラジオで聞いたんですが、「ヒキジ」というのは珍しい名前なので、「えっ、ヒキジ!?」とすぐに引寺さんのことを思い出しました。まさか、あの引寺さんとは違うだろうと思いつつ、携帯でネット配信されているテレビのニュースを観たら、やっぱり引寺さんだった。「わっ、引寺さん」というのが率直な感想でしたね。ただ、事件を起こしたときも驚きましたが、それ以上に驚いたのが裁判のときでした。

── どんなことに驚いたんですか?

ぼくは当時、まだ裁判を傍聴する趣味はなく、引寺さんの裁判の様子は報道でしか知りません。でも、ずいぶんキレていたそうじゃないですか。先ほども話したように、ぼくが知っている引寺さんはおとなしく、やわらかい人だったんで、あんなにキレるのか、とビックリしました。裁判に行きたいとも思っていましたが、報道をみて、やめておきました。

── 私が引寺を取材したのは控訴審段階以降なんですが、第一審の頃から公判中に不規則発言を連発していたみたいですね。引寺は犯行動機については一貫して、マツダの工場で働いていたときに集ストに遭い、恨みがあったと主張していますが、あれはどう思いますか?

やはり被害妄想だと思います。

── 昔から被害妄想に陥るような人だったんですか?

いえ、一緒に働いていた時には、妄想とかは全然ない人でしたね。派遣社員は正社員に比べて待遇が悪く、低く見られていましたが、引寺さんは正社員のグチを言うこともそんなになかったように記憶しています。ぼくのことをよくいじめる正社員がいたんですが、そのことを引寺さんに話したときも『ああ、あいつか』という程度の答えしか返ってきませんでした。

── 旧知の仲である藤岡さんの目から見て、引寺はどうして、あのようになってしまったと思いますか?

社会の「ひずみ」のせいだと思います。極端な話、待遇のよい仕事に就いていて、お金に余裕のある人はあんな事件を起こさないと思うんですよ。秋葉原(通り魔殺人事件)の加藤(智大。)だって、そうでしょう。事件を起こしたわけじゃないですが、ぼくだって社会の「ひずみ」は感じていますよ。自分の現状については、誰のせいでもなく、自分が悪いだけなんですが、社会のせいだと思うこともありますし、親のせいにしたこともありましたから。いまの社会は仕事を自由に選べるとはいっても、正直、いい仕事も悪い仕事もありますからね。人のせいにしてはいけないんでしょうが、どうしてもしてしまうんです。

引寺が公判中に大暴れした広島の裁判所庁舎を悲しそうに見つめる藤岡範行氏

◆「ワシみたいになるなよ」と言われた

── 引寺もやはり、将来への不安などはあったと思いますか?

それはあったろうと思います。あれはたしか事件の2~3年前のことだったでしょうか。すでに引寺さんと同じ職場で働かなくなって随分年月が経っていましたが、立ち読みに行った本屋でたまたま引寺さんと会ったんです。会うのは久しぶりでしたが、引寺さんは「いまも派遣の仕事をしよるけど、よう休んどるし、クビになるじゃろう」「クビになったら、ワシはもうくたばるわ。社会保険も払っとらんし」などと暗いことを言っていました。国民年金も何年も滞納しているとのことでした。そういえば、ぼくと一緒に働いていたときも引寺さんは、仕事ぶりはマジメでしたが、風邪でよく休んでいましたね。そのときが引寺さんと会った最後になりますが、「藤岡くん、ワシみたいになるなよ」「手に技術を身につけとけよ」と言われたのが今でもとても印象に残っています。

── 藤岡さんは先日、引寺に手紙を出したそうですが?

岡山刑務所に手紙を書き、これで雑誌でも買ってくださいと少しお金を差し入れたら、丁寧なお礼の手紙が来ました。嬉しかったですね。引寺さんは以前、ぼくのことを「藤岡くん」と呼んでいたんで、「藤岡さん」と書いてあったことには少し違和感がありましたが(笑)。「~であります(笑)」とか「ハハハハハハ~~~!!」などということは書いてなくて、真面目な文面でしたよ。面会は刑務所が認めてくれるかどうかわからないそうですが、可能なら面会にも行きたいです。実は引寺さんから「手に技術を身につけとけよ」と言ってもらったこともあり、ぼくはいま、宅建の勉強をしています。試験はなかなか受かりませんが、このような勉強をしようと思ったのも引寺さんのおかげなんですよ。

以上、旧知の仲である藤岡氏の語った引寺利明像だ。事件の2~3年前に引寺が派遣社員の仕事に行き詰まりを感じ、悲観的な話をしていたという藤岡氏の証言が仮に事実だとしても、それを軽々と事件と結びつけるわけにはいかない。しかし、少なくとも「普通の人」だった引寺が「凶悪事件犯」に生まれ変わる過程で何らかの影響があった可能性が感じられた。また何か新しい情報が入手できたらレポートしたい。

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

《我が暴走01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省
《我が暴走02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
《我が暴走03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
《我が暴走04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
《我が暴走05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」

事件があったマツダの工場。引寺はこの正門から突入した

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前2回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

被害者や遺族に対する罪の意識がないことをまったく隠さない引寺。「何の恨みもないのに、でかいことをやろうという思いだけでやった事件じゃない」と言うが、これまでの経緯を振り返ると、裁判中に法廷で不規則発言を繰り返すなど、自分の犯行を誇示するような言動も目立った。この男の思考回路は一体、どうなっているのか。筆者は今改めて、犯行後の「あの発言」について、尋ねた。

◆「秋葉原を超えた」発言の真意

── 事件の直後、知人の男性に電話して、「ワシは秋葉原を超えた」と言ってましたよね?
「ああ、事件の直後はそう思ったんよね。いっぱい撥ねたんで、ワシは秋葉原の事件よりたくさん殺したのう、と。実際に死んだ人は1人じゃったけどね」

マスコミ報道により、この「秋葉原を超えた」発言が有名になった引寺被告。この発言については、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を引き合いに出し、自分の犯行を誇示したものだと一般に認識されてきた。しかし、引寺本人としては、単純に「秋葉原の事件より多くの人間を殺してしまった」と言っただけだったというのである。

「あとで、1人しか死んでないと聞かされて、ワシはびっくりしたけえね」と引寺はシレっと言う。たしかに自動車を猛スピードで走らせ、何ら手加減することなく12人も撥ねたのだ。秋葉原無差別殺傷事件より多くの死者が出たと思い込んでも無理はないかもしれない。

「いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、怒りばっかりでね。ワシは今も怒っとるけえ」
現在、自宅アパートに侵入する「集スト行為」をしていた犯人は、実はマツダの社員らではなく、自分の父親と不動産会社の社長だったと主張している引寺。その“真相”が公に明らかにならない限り、怒りの気持ちばかりで、被害者や遺族への罪の意識はまったく持てないというわけである。

◆「被害者や遺族は“真相”を知る権利がある」

引寺はさらにこんなことも言った……。
「被害者や遺族の人がワシと話してみたいなら、自分がなんで事件を起こしたんかいうことをイチから説明してもええんじゃけどね。被害者や遺族の人はワシに対し、恨みつらみをぶつけてくれてもええしね」
── 被害者や遺族は引寺さんと関わりたくないと思いますよ。
「それなら片岡さんが遺族の人に会いに行って、ワシの代わりに“真相”を伝えてくれてもええよ。片岡さんなら第三者じゃろう」
── ぼくが引寺さんの伝言役として会いに行けば、やはり被害者や遺族の人はいやがると思いますよ。
「でも、被害者や遺族には“真相”を知る権利があると思うんよ。Aさん(=引寺に“真相”を教えたとされる知人男性)の言うことも100%正しいとは言えんけど、ワシはこれが“真相”じゃと思いよるけえ。遺族も“真相”は知りたいじゃろう。いずれにしても、“真相”が明らかにならんことには、自分は怒りのほうが強いけえ、謝罪感情はどっかに飛んで行ってしまうんよ。ワシは裁判で『引寺は妄想性障害じゃ』とキチガイみたいにされとるわけじゃけえね」

◆「死刑上等のつもりでやった」

この引寺の発言を聞き、身勝手なことばかり言いやがって――と思った人もいるかもしれない。だが、少なくとも筆者には、引寺自身は決して遺族を冒涜しているつもりはなく、「遺族は自分の話を聞きたいはずだ」と本気で思っているような印象を受けた。一方で、引寺はこんなことも言う。
「ワシについては、検察が『完全責任能力はあるけど、精神障害の可能性があるんで、極刑は躊躇する』ゆうて無期懲役を求刑したじゃろう。あれはワシとしては、納得いかんのんよ。ワシは死刑上等のつもりでやったんじゃけえ」

── 死刑上等ということは、死刑は怖くないんですか?
「う~ん、それはわからんよね。(犯行を)やる時は何も考えとらんかったけえ。実際に死刑判決受けて、拘置所に入れられて、毎朝、刑務官が部屋の前をコツ、コツ、コツいうて足音させて歩いてきて、部屋の前でノックしてきたら怖いかもしれんよ。でも、ワシは現実にそうなってないけえ。仮にワシが死刑判決受けて、今は広拘(広島拘置所)におって、片岡さんから『死刑は怖いですか』と訊かれたら、『怖い』と言うかもしれんけどね。まあ、今、現実に死刑判決受けとる人らは死刑が怖いんかもしれんね。こないだ2人執行されたニュースあったけど、あん時も死刑判決を受けとる人らは怖い思うたかもね」

死刑制度の是非をめぐっては、犯罪抑止効果があるのか否かということも論点の1つだが、少なくとも引寺に対しては、死刑制度の犯罪抑止効果はまったく発揮されなかったようである。引寺は無期懲役囚として送る刑務所生活について、こんなことも言った。
「まあ、こういう生活がいつまで続くんかのうと思うたら、たいぎい(=面倒くさい)気持ちになることもあるね。そういう時は『死刑のほうがよかったのう』と思ったりもするわ。まあ、もしも“真相”がきちんと明らかにされて認められとったら、死刑にされてもワシは満足じゃったろうね。今は“真相”が明らかにならんけえ、怒っとる。それだけじゃけえ。その怒りのせいで、謝罪感情が飛んでっとるんじゃけえ」

◆「刑務所に来て、甘党になった」

── 被害者や遺族のことがまったく気にならないわけではないんですか?
「ワシも人間じゃけえ、そういう感情がないわけじゃないよ。被害者や遺族らが今どうしよんかのお、とは思うね。ただ、ワシの中では事件が風化しよんよ。広拘におった時は被害者や遺族のこともみんな、フルネームで覚えとったんじゃけどね。今は苗字くらいしか出てこんもん。被害者や遺族はワシのこと、どう思うとんかのお……。じゃけど、不思議なんは、裁判の時に傍聴席からワシに罵声浴びせる被害者や遺族が誰もおらんかったことよ。ワシが逆の立場じゃったら、絶対に傍聴席から罵声浴びせるじゃろうと思うけどのお。片岡さんでも浴びせるじゃろう」

引寺はそうしみじみ語った。刑務所生活では、月に1回出る「ぜんさい(善哉)」が楽しみだそうで、こんなことも楽しそうに話していた。
「シャバにおる時は辛党の人でも刑務所に来たら、みんな甘党になるんよ。ワシもシャバにおる時は、ぜんざいなんか1年に1回食べるかどうかじゃったけど、こっち来てから好きな物ランキングが上がったけえね」
筆者はそんな引寺の話を聞きながら、被害者や遺族が傍聴席から引寺に罵声を浴びせなかった理由が察せられたような気がした。この男に罵声など浴びせても、まったくこたえないだろうし、空しいだけだ――。被害者や遺族はそう思ったのではないか。

引寺の人物像、現状については、今後もまた随時お伝えしたい。

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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引寺が服役している岡山刑務所

2010年6月、広島市南区のマツダ本社工場に自動車で突入して暴走し、社員12人を死傷させた引寺利明(47)。「現場の工場で期間工として働いていた頃、他の社員の集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダに恨みがあった」という特異な犯行動機を語り、裁判では妄想性障害と認定されたが、責任能力も認められて昨年秋、無期懲役判決が確定した。引寺は今、どんな日々を過ごしているのか。前回に引き続き、引寺が今年9月に岡山刑務所の面会室で筆者に語った本音の言葉をお伝えする。

すでにお伝えした通り、今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い引寺。「刑務所は“更生”する施設じゃなくて、(他の受刑者と)“交流”する施設」とまで言い放った。だが、その語り口にはどこか達観したような様子も感じられた。

◆「仮釈のことは今は考えん」

── 引寺さんは仮釈放が欲しいとは考えないんですか?
「ワシは考えんね。いま考えてもどうしようもないけえ。(仮釈放が)あるとしても、だいぶ先のことじゃろう。たいぎい(=面倒くさい)けえ、考えんわ」

── 無期懲役ですからね。
「無期の場合、ここ(=岡山刑務所)から出る人は1年に1人おるかどうかじゃね。今は無期じゃと30年以上入るけど、ほとんど小さい箱になって(と言いながら骨壷を胸の前に抱くような仕草をして)、出るんじゃろう。無期で入ってくる人と出る人を比べたら、入ってくるほうがだいぶ多いもんね。無期の人間は出れれば、ラッキーいうことじゃろうね」

引寺は罪の意識がまったく無い一方で、「シャバ」への未練もあまり感じていないようだった。それにしても、と筆者は思う。引寺が現在、自分のアパートに侵入する「集スト行為」を行っていたのはマツダの社員ではなく、実は自分の父や不動産会社の社長だったと主張するようになっているというのはすでにお伝えした通りだ。仮にその主張が事実ならば、引寺は「集スト行為」とは無関係のマツダの社員たちを死傷させたことになるのであるが……。

── 引寺さんのアパートに侵入していたのがお父さんや不動産屋の社長だったと思うなら、無関係なのに被害に遭ったマツダの人たちに悪いことをしたと思わないですか?
「いや、そりゃ思わん。親父や不動産会社の社長がワシのアパートに侵入しよったんなら、ワシが言いよったことが妄想じゃなかったことになるじゃろう。つまり、ワシがマツダでロッカーや車にイタズラされよったこともホンマじゃったと証明されることになるんじゃけえ」

つまり、こういうことらしい。引寺の裁判では事実上、引寺が主張する集団ストーカー被害はすべて「引寺の妄想」だったと結論されている。だが、自分の父親や不動産会社の社長が引寺のアパートに侵入していたのなら、少なくとも引寺の主張のうち、「自宅アパートに何者かが侵入していた」という部分は事実だったと証明される。ひいては、マツダの工場での勤務時にロッカーや車にいたずらされたと主張している件も妄想ではなく事実だったと証明される――それが引寺の考えなのだ。

◆本心で話してはいるのだが……

筆者が賛同しかねていると、引寺は筆者の心中を察したのか、こう水を向けてきた。
「ホンマの話、片岡さんはどう思いよん? やっぱり少なからず、(集団ストーカーに遭ったという話は)ワシの錯覚じゃと思いよん?」
「……少なからず、そう思っていますね」と筆者は正直に答えた。
すると、引寺は「そうか……」と少し残念そうにしながらも念押しするようにこう言った。
「でも、ワシが(マツダに)何の恨みもないのに、ただデカイことをやってやろうという思いだけで事件を起こしたんじゃないんはわかってくれたかね?」
今度は筆者も「そうですね。それはわかりました」と答えた。昨年の春頃から一年半以上、面会や手紙のやりとりを重ねてきて、引寺が常に本音で話していることだけはわかっていた。マツダの工場で働いていた頃に集団ストーカー被害に遭ったことが犯行動機だという引寺の言葉は、間違いなく本心だ。

だが、しかし――と筆者は思う。引寺は事件を起こして以来、自分の犯行を誇示するような言動もしばしば見せてきた。公判で不規則発言を繰り返したのは、その最たるものだろう。控訴審の判決公判では閉廷時、裁判長に食ってかかった挙げ句、「このワシがマツダに黒歴史を刻んでやった! よう覚えとけ!」と大声で叫びながら退廷していった。それまでに何度も面会してきた筆者には、あれが引寺のパフォーマンスだということはすぐわかった。引寺は決して激高し、我を忘れてあのような発言をする人間ではない。

また、引寺は犯行直後に知人男性に電話した際、「ワシは秋葉原を超えた」と、2008年に7人が死亡した秋葉原無差別殺傷事件を意識したような発言をし、犯行を誇示していたと伝えられている。引寺という男の思考回路は一体どうなっているのか――。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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引寺が服役している岡山刑務所

JR岡山駅から路線バスで約20分。「牟佐下」という最寄りのバス亭で降り、5分ほど歩くと、金網で囲まれた岡山刑務所の白い建物が見えてくる。このあたりは山あいに田園と住宅が混在する田舎町だが、多くの凶悪犯を収容している建物はのどかな周辺の景色に案外違和感なく溶け込んでいる。

2010年6月に12人が死傷したマツダ工場暴走事件の犯人、引寺利明(47)と面会するため、この刑務所を訪ねたのは9月初旬のことだった。引寺とは、彼が裁判中に広島拘置所にいた頃から面会、手紙のやりとりを重ねてきた。だが昨年秋、無期懲役判決が確定し、引寺が岡山刑務所に移されて以降は手紙のやりとりだけの関係になっていた。

前回紹介したように、引寺は手紙に無反省のまま、楽しそうな刑務所生活を送っているように書いてきた。だが、これまでに直接取材してきた印象として、この男には偽悪的な一面があるように筆者は感じていた。実際には、刑務所で他の受刑者にいじめられたりして、落ち込んでいたりしないだろうか――。そんな想像をしながら訪ねた面会だった。

◆げっそり痩せていた暴走犯

岡山刑務所に到着後、面会の受け付けを済ませて、待合室で待機すること10数分。「18番の方、1号面会室にお入りください」と呼ばれ、面会室に通じる重いドアをあける。すると、廊下に5つの面会室のドアが並んでおり、1号面会室は一番奥だった。

面会室に入り、まもなく透明なアクリル板の向こう側に引寺が姿を現した時、筆者は思わず、「うわっ……」と声が出そうになった。頭を丸め、緑色の作業服に身を包んでいた引寺がげっそりと痩せこけていたからだ。広島拘置所にいた頃はむしろ肥満気味だったのに……いや、痩せているだけではなかった。「片岡さん。よう来てくれたね」と引寺が口をあけると、前歯がごっそりと抜け落ちていたのである。

本当に、いじめに遭っているのか……と思ったが、引寺によると、そうではないらしい。痩せたことを指摘した筆者に対し、引寺は事情をこう説明した。
「刑務所に来たら、みんな痩せるんよ。理由の1つは、運動をせんこと。もう1つは、好きなもんを食べれんこと。刑務所の食べ物は低カロリーじゃけえねえ。刑務所の中には、メタボはおらんのんよ。ワシ自身、逮捕の時は90キロ近くあったんが、広拘(広島拘置所)で70キロ半ばくらいまで落ちた。それからここにきて、最近、体重を測ったら60キロちょいじゃったわ。じゃけえ、シャバにおった時からすりゃあ30キロくらい痩せたね」

そして引寺は、いじめられているのではないかと想像した筆者の心中を察したのか、うち消すようにこんなことを言った。
「片岡さんら外の人が思うような陰湿ないじめや暴行は刑務所に無いんよ。そういうことしたら、すぐ懲罰に行かされるけえね。刑務所にも気の合う人間はおって、よう話もしよるよ。誰とは言えんけど、広拘におった人も一緒に働きよるしね。同じ出身じゃったりすると、話が合うよね。ああ、そういえば、今回の土砂災害はびっくりしたね。食事しよったらニュースが流れてきて、最初は小規模なやつかと思うとったら、大きなやつじゃったねえ」

引寺は事件を起こす前、8月に土砂災害に遭った広島市安佐南区にあるアパートに住んでいた。実家も安佐南区だ。それだけに、刑務所の中にいながら土砂災害のニュースが気になっていたようだ。12人を死傷させた男もやはり人の子なのである。

◆前歯が無い理由

では、前歯がごっそりと無くなっているのはなぜなのか。引寺は事情をこう説明した。
「歯は元々、シャバにおった時から差し歯じゃったんが、ごっそり抜けたんよ。ごつい差し歯しとったんじゃけどね。最初は逮捕されて、警察の留置所におった時じゃった。そん時は歯医者に連れて行ってもろうて治ったんじゃけど、広拘に移れされてからまた抜けてね。それからはもうマスクをすることにしとったんよ。マスコミが面会に来た時もそうじゃし、弁護士面会の時もそうしとったんじゃけど、ここ(岡山刑務所)じゃマスクができんのよね」

筆者はそんな話を聞き、「ああ、そういえば」と思い出した。広島拘置所にいた頃の引寺は常にマスクをしていたな、と。当時、引寺がいつもマスクをしていたのは、ほこりや病原菌などに神経質な性格なのだろうと勝手に想像していたが、引寺は前歯が無いのを隠すためにマスクをしていたのだ。そのマスクが無くなったことにより、ようやく筆者は引寺の前歯の状態に気づいたわけである。引寺は岡山刑務所に来てから前歯を無くしたのではなく、元々、前歯が無かったのだ。

「片岡さん、お土産無いん?」と引寺が聞いていた。「お土産」とは、本や雑誌のことである。引寺は広島拘置所にいた時から、面会に行くたび、「お土産」を催促してきた。刑務所や拘置所で拘禁された被告人、受刑者を取材していると、本や雑誌の差し入れを頼まれることは多いが、引寺はとくにそうだった。そのことをすっかり忘れ、筆者は手ぶらで面会に来てしまったのである。

引寺は「お土産は無いんかあ。楽しみにしとったんじゃけどのお」と心底残念そうに言うと、こう続けた。
「じゃあ、日用品の差し入れを頼んでええかね。80円切手を何枚か。それと、ボールペンの替え芯。三菱とゼブラのやつがあるんじゃけど、三菱のほうね。間違えんとってね。あと、石鹸が1個欲しいんじゃけど、ええかね」

筆者は「ええ、いいですよ。わかりました」とメモしながら、ふと気になったことを引寺に尋ねた。
「家族は誰も面会に来てないんですか?」
広島拘置所にいた頃は、父親がよく面会に来てくれていると聞いていた。それが判決が確定し、岡山刑務所に移されて以降は誰も家族が面会に来なくなったのではないか。だから、筆者に日用品の差し入れを頼んできたのではないか――と思ったのだ。引寺はこう言った。
「親父が3月に1回、面会に来ただけじゃね。そん時は1万円入れてくれたけどね。広拘おった時みたいに毎月は来てくれんのんよ。まあ、遠いけえね」
父親も大変だな、と思わずにはいられなかった。

◆「逮捕当時の思いはまったく変わらない」

筆者は引寺に対し、引寺から届いた手紙の当欄への掲載許可を求め(※前回紹介した手紙のこと)、承諾を得るという用件を済ませると、今回の面会でどうしても訊いておきたかったことを質問した。
「被害者や遺族に悪いことをしたという思いは、まだ無いんですか?」

引寺は筆者の目を見すえ、きっぱりとこう言い切った。
「逮捕当時の思いはまったく変わりません」
引寺は逮捕当時、「マツダで期間工として働いていた頃、他の社員たちから集スト(集団ストーカー行為)に遭い、恨んでいた」と犯行動機を語っていた。その当時の思いが今もまったく変わらないというのは、つまり、引寺は今も被害者や遺族に対する罪の意識がまったく無い、ということだ。

引寺は「(反省しているなどと)嘘ついても、しょうがないけえね」とシレっと付け加えると、今度はこんな話を始めた。
「ワシはここに来てわかったんじゃけど、刑務所ゆうのは“更生”する施設じゃのうて、(他の受刑者と)“交流”する施設じゃね。まあ、贖罪の気持ちを持っとる人(=受刑者)も少しはおるんじゃろうけどね。(受刑者は)みんな、心の中では、『出たい』『出たい』ばっかりよ。みんな仮釈(放)が欲しいんじゃと思うわ」

そして引寺はこのあと、被害者や遺族が聞いたら卒倒してしまいそうな本音発言を次々に繰り出してきたのである。[つづく]

【マツダ工場暴走殺傷事件】
2010年6月22日、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの本社工場に自動車が突入して暴走し、社員12人が撥ねられ、うち1人が亡くなった。自首して逮捕された犯人の引寺利明(当時42)は同工場の元期間工。犯行動機について、「マツダで働いていた頃、他の社員たちにロッカーを荒らされ、自宅アパートに侵入される集スト(集団ストーカー行為)に遭い、マツダを恨んでいた」と語った。引寺は精神鑑定を経て起訴されたのち、昨年9月、最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。責任能力を認められた一方で、妄想性障害に陥っていると認定されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

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