1月27日、3・11の原発事故時、6歳から16才、現在17才から27才になった男女6人が、原発事故に伴う被ばくで小児性甲状腺がんを発症したとして、東電に損害賠償を求めて提訴した。

16時から衆議院第一会館で支援集会が行われ、声を上げにくい状況のなか、訴えを起こした勇気ある6人の原告を応援しようと大勢の支援者らが集まった。

1月27日、午後1時に東京地裁に入廷する弁護団と原告、支援者

 
まずは、弁護団長・井戸謙一弁護士が説明された訴状の概略を紹介する。
 
原告は6名は今現在17歳から27才、いずれも当時福島県に住んでいた。中通りが4人,会津が1人、浜通りが1人で、甲状腺がんが発見され、全員摘出手術をうけている。最初は半分摘出、うち4名が再発し、全摘になった。全摘するとRAI治療(大量内用療法)をしなくてはならない。甲状腺組織が取り切れてないと、残った甲状腺組織ががん化し、甲状腺組織を全部潰してしまうため、病気の原因となった放射性ヨウ素をもう一度カプセルに詰め込んで自分の身体に入れる治療法だ。自身の中で放射性物質を発射するような状態に一時期おかれるという、大変過酷な治療を、既に3人が行っており、もう一人は近くそれを行う予定。それ以外に1人の原告は再発を繰り返し、既に4回手術を受け、近くにもう一度手術を受けないといけないかもしれない。肺に転移しているのではないかといわれている原告もいる。みんな、元気な子どもだったが、現在は再発の不安に怯え生活をしている。甲状腺がんに罹って以来、人生が変わってしまった。進学、就職についてすでに具体的な支障がでている。

福島では小児性甲状腺がんの原因が被ばくだと思っていても、それを口にできない、言うと風評加害者だとバッシングされるので、6人も肩をひそめるように生きてきた。しかし、この問題をはっきりさせないと、人生の次のステップに進むことができないという気持ちを徐々に固め、今回提訴という決断に至った。提訴すと、今まで以上にいろんなところから攻撃を受ける可能性があるが、それでもやりたいと決意した。なぜかというと、これからの生活に不安がある。就職も十分できるかわからない。今の職場がいつまで続けれるかわからない。医療費は、当面は福島のサポート事業で無料だが、今後どうなるかわからない。医療保険に入れないため、将来の医療費を確保できない。そのために経済的補償をしてほしいという思いがある。更にそうした理由を超えて、今わかっているだけで293人いる、同じように苦しむ福島の甲状腺がんになっている子どもたちの希望になるだろうとことを期待し、同じように闘ってほしいという思いもある。もう1つは、自分たちは被ばくしたのだから、原爆被爆者のように手帳を受け取って、生涯医療費、各種手当でサポートする、そぅいう制度に繋げたい、この裁判を提訴することで、最終的に勝つだけではなく、そういう制度に繋げたいとの思いもある。

国や福島県は、被ばくと甲状腺がんの因果関係を認めてないなかで、裁判に勝てるのかというご意見の方もいらっしゃるが、十分勝てると考えている。100万人に1、2人だったはずの小児性甲状腺がん患者が、事故後の11年間で福島県の30数万人の子どもから300人近く出ている。多発していることは、国や県も認めざるをえない。その原因は何か? 甲状腺がんの第一の原因は、放射線被ばくだとどの本にも書いてあるし、原告の6人は、確かに被ばくをしたのだから、特別な事情がない限り、原因は被ばくだろうと判断すべきだ。被告・東電がそうでないというならば、何が原因か立証しろ、立証できないなら、被ばくが原因だと判断すべきだと考えているし、それは裁判で十分通用すると考えている。

もう1つ、東電は「過剰診断論」を主張するだろうが、これも十分勝てると考えている。これは、実際に執刀した医師は、甲状腺がんについては過剰診断がありうるということを十分注意し、そのうえで手術の条件がそろったとして手術しているのであり、必要もないのに手術しているわけではない。そのことは、手術した医師が明言していることで、過剰診断論者の言っていることは抽象的な空論を言っているにすぎないと考えている。

あれだけの事故が起こって人的被害がないはずがない。チェルノブイリ原発事故では小児甲状腺がんは数千人でているが、それ以外にどれだけの人が、被ばくによって亡くなったか。IAEAの一番少ない見積りでも4000人だ。福島の事故はチェルノブイリ事故より小さく、規模が7分の1と言われるが、仮にそうだとしても相当数の死者も含めた健康被害が出て当然だ。そうであれば、国はちゃんと調査して、因果関係のある疾病に費えは補償する体制を作ることが、民主主義国家として当然の在り方だと思う。国は、小児性甲状腺がん以外は調べないし、小児性甲状腺がんが多発してもいろんな理屈をつけて因果関係を否定しようとする。この国の在り方自体を変えてゆくきっかけになるような裁判にしていきたい。原告の人たちは非常に重い決断をされた。今後の裁判でいろんな紆余曲折があると思うし、つらい場面なども出てくると思いますが、攻撃する人がいても、それの何十倍、何百倍の人たちが支援していてくれると思えば、頑張ってやっていけると思う。ぜひみなさんの強力なご支援をお願いしたい。

午後4時から衆議院第一議員会館で行われた支援集会

 
弁護団副団長の海渡弁護士から「甲状腺がんは非常に軽いものではない」ということで、原告の皆さんからお聞きして胸が痛くなったという、「穿刺細胞珍」(せんしさいぼうしん)という、麻酔なしに細い注射針を喉に刺して直接細胞を吸い出し両性か悪性かを判断する検査方法が紹介された。

原告のお母さんは「(提訴まで)11年かかりました。辛い思い出もありましたが、やらないで後悔するより、やって勝訴したいという思いが強くなってきました」と語られた。

石丸小四郎さん

「子どもたちの夢を奪う過酷事故を起こしてしまったという思いで、何としても勝ち取る決意である」という、あらかぶさん裁判を支援する石丸小四郎さん、甲状腺がん支援グループ「あじさいの会」のちばちかこさん、子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美男さんら、福島で闘う人たちからも熱い連帯アピールが行われた。

原告のメッセージを紹介する。

「今まで甲状腺がんに罹っていたことを誰にもいえず苦しんできました。原発事故はまだ終わっておらず、被害者である私たちがいきていく以上続きます。この裁判をきっかけに世の中が少しでもよくなることを願っています」(ゆうた)。

「私は再発を含む手術を4回、アイソトープ治療を1回、計5回の手術及び入院を経験しました。この裁判を通して自身が疾患した甲状腺がんと、福島原発事故の因果関係を明確にし、同じような境遇で将来の生活に不安を抱える人たちの救いのきっかけになることを願っています」(るい)。

クラウドファンディングが始まっています。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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◆シバター問題

昨年大晦日のRIZINにおいてのシバターvs久保優太戦で、第1ラウンド1分34秒、腕十字で一本勝ちしたシバター。その後、両者の対戦前のLINEのやりとりで、シバターから持ち掛けられた交渉事が後に大騒動に発展。

新人の頃の久保優太(2007.1.28)

シバターは、タレントユーチューバーの女性知人にラウンドガールを頼んでいる関係上、第1ラウンド終了後のラウンドガールでの出番を考え、「第1ラウンド目は軽く流して第2ラウンド目は本気で行こう」といった提案をしたとされ、段取りを破って第1ラウンドで勝負をつけてしまった。その後、事の成り行きが問題視された流れになっています。

キックボクシング関係者においては、この試合を格闘競技とは見ていない意見が多い中、多くのスポーツ競技においては、注意喚起はしておきたい試合前のコミュニケーションの在り方です。

対戦予定当人同士で連絡取り合うことはメリット・デメリットが生じることは当然で、起こり得るあらゆる事態は想定しておかねばならない問題でしょう。

◆拭いきれない闇

対戦前にSNSでのコミュニケーションで起こり得るのは、激励し合って士気を高めることも出来れば、罵り合いになって不愉快な思いをさせられるとメンタルが崩されることも考えられます。これが作戦だったりもします。

逆に情が移る場合。「八百長は無くても人情相撲は起こり得る」という、以前ニュース番組で語った大相撲の舞の海さん。取組み相手が古き仲で、その相手が十両陥落危機の中、仕切り中に相手家族と子供の顔が浮かぶと感情が揺らぐ場合があるといいます。大相撲は厳しい勝負ながら毎場所顔を合わせる対戦多く、起こり得る感情かもしれませんが、他競技においても前もって相手の苦しい境地を知ると情が移ってしまう場合もあるでしょう。

厄介なのは、何らかの事情で公開することによって、世間から見れば八百長が疑われること。意図は無くても可能性があるだけで疑惑が湧き、拭いきれない闇の深さに嵌まります。いずれも対戦前においては必要無いコミュニケーションでしょう。

イベント前の記者会見も増えた現在、対戦相手と対面、意気込みを語る風景(2019.2.23)

◆全てがライバル

一家に一台、昭和の固定電話時代は、マッチメイク契約成立した対戦者同士が偶然会うことはあっても電話で連絡することは殆ど考えられない時代でした。

昭和のキックボクサーで元・全日本ライト級チャンピオン、斎藤京二氏の現役時代は、「いつ対戦することになるか分からない相手と話なんか出来るか!」と堅実な考えで、他のジム全ての選手に対し、普段から交流など全くしなかったといいます。それは多くの選手が同様で、会場・控室などは殺伐とした雰囲気。ジュニア(スーパー)階級の無い時代で、一階級違ってもマッチメイクされれば否応なしに全て受けた時代。フライ級でも身体が成長して階級上げてくる選手も居れば、ミドル級から落としてくる選手の可能性もあり、全てがライバルという関係でした。

今時の若い選手同士は昔のような殺伐とした関係はなく、対戦の可能性があってもLINE交換する者も増えた様子で、友情対決も昔よりは多い傾向です。通常は無い同門対決もプロボクシングでは新人王トーナメント戦やチャンピオンと1位の関係が続けば対戦が起こり得ます。キックボクシングでも同様の中、対戦相手と事前に会ったり連絡を取り合ってはならないというルールは無くても、試合終了までがスポーツマンシップに則った行動を大方の選手は心掛けているでしょう。

試合後は健闘を称え合うスポーツマンシップ(2022.1.9)

勝ってマイクを握る勝次、今時の勝者の特権(2021.4.11)

◆言いたいことは勝ってから

最近はイベントアピールの為、公開計量や記者会見も増えています。

インタビューで相手の印象を応えるよう煽っても舌戦に繋がることは少なく、試合で勝ってから言いたいこと言うのが近年の傾向です。

リング上では勝者が自らマイクを要求するようになったのは平成初期頃からで、アピールする内容もチャンピオンといった団体トップを目指しつつも、流行りに乗った大型イベント出場志向へ変わってきた令和時代になりました。

固定電話から携帯電話へ、更にアプリケーション豊富なスマホが普及し、キックボクサーも後援会との交流や、チケット売るにもSNSが重宝するようです。

個人同士のコミュニティーを容易に構築できるSNSなどは今後の現役生活で便利なばかりではない時代。選手生活で有意義に使われることを願っていきたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

革命左派において、連合赤軍以前に二人の同志が「処刑」されていたことは、この連載の〈4〉に記し、その淵源がまたそれ以前の「スパイ問題(冤罪)」にあったことを明らかにしてきた。

だがその「処刑」は、どこから誰が発想したものなのだろうか。じつは革命左派は上記の二人を処刑する前に、山岳ベースで座敷牢の設置を検討していた。そこまでかれらは迷っていたのである。

赤軍派において、指令された「処刑」が行なわれず、そのまま曖昧になったのも前述したとおり。処刑に踏みきるには、それ相応の決断をもとめられたのである。

ある意味で、処刑は軍隊に特有の命令権の担保である。

命令に従わない者は、指揮権において処罰する。その最高の処罰が「処刑」なのである。旧軍においても、陸軍刑法は一般の刑法とは別個に、敵前逃亡や私兵的指揮権発動への刑罰として「処刑」が設けられていた。現在の自衛隊でも、敵前逃亡には死刑の規定が必要だと議論されている(石破茂ら)。

その意味では、永田洋子らの相談に、森が「脱落者は処刑するべきやないか」と返したのは、軍事の常識でもあったのだ。

しかし、そのいっぽうで、党内で処刑を行なうということは「反革命」の烙印を押すことであり、そのことによって警察権力の弾圧(殺人罪)を招きかねない。

さらには革命党派である以上、綱領的な内容にもかかわってくる問題である。すなわち人間の変革をあきらめ、処刑を行なうことで将来の社会も「死刑を存置した」社会であることを明確にしてしまうのだ。

過去に内ゲバで殺人を冒してきた党派が、まがりなりにも「死刑反対」を云々するのはおかしい。革命党派の立ち居振る舞いは、まぎれもなく目指すべき革命、樹立すべき社会の将来像を顕わすからだ。その意味で「天皇を処刑に」などという天皇廃絶論者のスローガンは、死刑廃止運動と真っ向から対立するものと指摘しておこう。

◆「処刑」を推奨した地下文書

どこから「処刑」が出てきたのか、じつは公安当局をしてそれを「推察」させるものがあったのだ。

72年3月に連合赤軍の「粛清(同志殺し)」が明らかになったとき、警察(公安当局)はある文書に注目した。この文書をもとに、処刑が行なわれたのではないかと。

※遊撃インターネット(dti.ne.jp) http://www.uranus.dti.ne.jp/~yuugeki/sekigun.htm

現在は「連合赤軍服務規律」として流布している「怪文書」のたぐいである。

出所不明、文責も不明の「服務規約」である。文面に「党員」とあることから、72年の公安当局は「連合赤軍に似た某党派」と、報道陣にコメントしたのであろう。

おそらく実体は、地下活動を奨励するグループ、あるいは個人の地下文章なのであろう。のちに有名になる「腹腹時計」(東アジア反日武装戦線)と同様、自主流通ルートで流布したものと思われる。この怪しい文書を連合赤軍が参考にしたのではないか、という公安当局の推察(談話)をもとにして、何者かが「連合赤軍服務規約」なる名称を付けたのであろう。原本(3節16章)と流通判(5節17章)は、若干構成が改変されている。

※↓当時の「週刊朝日」に記事化されている「服務規約」。
http://0a2b3c.sakura.ne.jp/renseki-b4bc.pdf

いずれにしても、この「服務規約」には「処分は最高死刑」という記述があり、そのいっぽうで、大会や中央委員会の運営規定がない。革命党の軍の服務規定である以上、政治委員(指導)の規定があってしかるべきだが、それも見られない。

たとえば中国の人民解放軍の「三大規律八項注意」のごとき、人民の財産を奪ってはならない、人を罵倒するな、などの原則的な禁止事項もない。下級は上級にしたがう担保としての「少数は全体(大会)に従う」民主集中制の原則すらない「規律」なのである。

この「連合赤軍服務規約」を批判して、連合赤軍の組織的限界を云々する者も少なくない。だがじっさいには、もともと捏造の「処刑」規程なのである。この点は連赤事件50年を期に、明確にしておくべきであろう。

当時の週刊誌に掲載された、連合赤軍事件の「処刑」シーン

ともあれ、赤軍派の女性活動家の指輪問題を機に、各人の革命運動へのかかわり方が問題にされる。総括(この場合は反省)をすることで、各員の共産主義化を成し遂げる。銃と兵士の高次な結合によってこそ、銃によるせん滅戦が準備されるというものだ。

このときの森恒夫の発言が、連合赤軍の方向性を決めた。

「作風・規律の問題こそ革命戦士の共産主義化の問題であり、党建設の中心的課題」「各個人の革命運動に対するかかわりあい方を問題にしなければならない」(森恒夫の発言『十六の墓標』永田洋子)

爾後、12名の同志がとるに足らない理由で「総括」を要求され、暴力的な「総括支援」によって、飢えと極寒のなかで命を落としていくのである。

このシリーズでは、怖いもの見たさの興味をみたすがごとき、残虐シーンを再現することは敢えてしない。

その代わりに、なぜ革命集団が「狂気の同志殺し」に手を染め、12名(14名)もの犠牲者が出たのか。その理論的・実践的な誤りの解明を披歴していこう。そのことこそが、志なかばで斃れた「同志たち」の供養になるであろう。

そしてまた、現実の組織や運動に教訓が供されるのではないか。それは社会運動にかぎらず、一般の会社組織や任意団体にも共通するテーマをはらんでいる。(つづく)

連合赤軍略年譜

[関連記事]
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈1〉71年が残した傷と記憶と
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈2〉SM小説とポルノ映画の淵源
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈3〉連合赤軍と内ゲバを生んだ『党派至上主義』
《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

「汚染水を流して安全安心な漁業などないと思います。汚染水の海洋放出に断固反対しよう」

今月2日、出初式でにぎわう請戸漁港に大きな声が響いた。「希望の牧場・ふくしま」で〝被曝牛〟を飼育する吉沢正巳さんの街宣車「カウゴジラ」だった。吉沢さんはかたくなに沈黙し続ける漁師たちに喝を入れるように叫んだ。

「浪江町を汚すな!福島の海を汚すな!」
「浪江町の未来、請戸漁港の未来、福島県漁業の未来は危機の淵にいます」
「汚染水は東電の責任でタンクに溜めろ、海に流すな」
「海を汚すな、海に流すな」

神事が終わり、漁船が次々と沖合に向けて出港するなか、吉沢さんは街宣車を走らせながら怒鳴った。怒鳴るだけではなく、こうも呼びかけた。

「あきらめてはいけない、一緒に闘おう」

実は吉沢さん、汚染水の海洋放出計画が浮上して以来、福島県庁など様々な場所に街宣車を出しては「反対」を叫び続けている。浪江町で東京五輪の聖火リレーが行われた昨年3月25日には、解体前の浪江小学校や道の駅周辺で「オリンピックの後に原発汚染水が海に流される。請戸の漁業は、もうおしまいだ」などと訴えた。道の駅では、聖火ランナーを迎えようと待っていた漁師たちの怒りを買ったという。

「大漁旗を振っていた若い漁師たちに言ってやったんだよ。『何でお前らは立ち上がらないんだ、何で闘わないんだ、腰抜けか』ってね。そしたら怒って街宣車の前に立ちはだかって来て喧嘩寸前になって…警察官があわてて割って入っていたよ」

何も喧嘩を仕掛けたいわけではない。表現はきついが茶化しているわけではない。出初式が行われた請戸漁港でも敢えて挑発的な街宣を行った吉沢さんには狙いがあった。

「それで良いのか、と問題提起をしたいんだよ。ここで街頭討論会をやろう、マイクを渡すから本音を言え、黙って何もしないでいて良いのか、金が欲しいのか漁業の安全が欲しいのかどっちなんだ、と。本気の議論をしようじゃないか。なあなあでは駄目なんだよこのまま〝アンダーコントロール浪江〟で良いのか、汚染水を海に流されてもおとなしい腰抜けで良いのか、と誰かが問わなければいけないんだよ。俺が1人矢面に立ってドン・キホーテになるんだよ」

請戸漁港を走る街宣車「カウゴジラ」。吉沢さんは漁師たちに「あきらめるな」「一緒に闘おう」と呼びかけた

2018年、馬場有町長の死去に伴う町長選挙に立候補した際も「さよなら浪江町」を掲げ、目の前の現実から目をそむけないよう訴えた。吉沢さんは後に「俺に喰ってかかって来る人がいればマイクを渡して本音をしゃべってもらう。そんな本気の街頭討論会をしたかったができなかった」と振り返っている。今回の汚染水海洋放出問題でも、多くの町民が本音を封印したまま。そこを打破したいという想いがあるのだ。だから、請戸漁港でも文句を言ってくる漁師がいたらその場で討論するつもりだったが、そんな漁師はいなかった。そうしているうちに、国も東電も海洋放出に向けた準備を着々と進めている。立ち上がろうとしない漁師たちへの歯がゆさを抱えながら、これからも「反対」を言い続ける。

「請戸漁港は浪江の顔であり看板。その〝顔〟が汚染水まみれにされてしまう。それで漁業や道の駅が成り立ちますか?安全・安心・美味しいなんて成り立たないじゃないか。町議会だって2回も反対決議を提出しているんだよ。汚染水なんか流されたら、請戸の漁業は成り立たなくなる」

若い漁師のなかには「原発と共存してきた歴史があるから、あんまりね…」と口にする人もいる。「共存」とはつまり、補償金だ。結局、金で黙らされているということか。この点についても、吉沢さんは厳しい。

「請戸というのはずっと原発の漁業補償金をもらって美味しい想いをしてきた。中毒状態なんだよ。だから汚染水の海洋放出計画に対しても黙っているんだ。それに、あそこまで港を良くしてもらったら国に文句を言いにくい。余計なことを言うと村八分に遭う可能性がある。そういう同町圧力のある町なんだよ」

町内で飲食店を営む浪江町民も「反対を言いにくい雰囲気がある。この町には原発に関する『言論の自由』がない」と話す。吉田数博町長も「難しい問題だ」と歯切れが悪い。

だが、汚染水海洋放出が決して請戸漁港にとってプラスに働かないことは誰もが分かっている。ある漁師の妻は、吉沢さんの訴えを聴き「言っている内容は間違っていない。その通りだと思う」とつぶやいた。それを少しでも掘り起こそうと吉沢さんの行動はこれからも続く。

「俺は間違ったこと、突飛なことを叫んでいるわけではないからね。でもね、これは漁師だけの問題じゃないんだ。浪江みんなの問題。俺はベコ屋で一見、汚染水の海洋放出とは直接関係ないんだけど、何も言わずして終わらせたくないんだ。たとえ〝負け戦〟であったとしても、言うべきことは言い続けたい。汚染水を東京湾に持って行って福島の電気を使って来た尻拭いをしてもらいたい。そのぐらいの気持ちなんだよ」(了)

昨年3月、浪江町でも東京五輪の聖火リレーが行われた。道の駅で聖火ランナーを迎えた請戸の漁師たちが吉沢さんに怒ったという。しかし、汚染水を海洋放出しようとしている国や東電への怒りは聞こえて来ない

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、50歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

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2022年の到来とともに、突然、オミクロン株主体の感染爆発がスタートした広島県内。県内全域がまん延等防止措置の対象になりました。

1月の10日からの週はそれでも、感染者数が500-600を行き来して「これは、ひょっとしたらオミクロン株は意外とピークアウトが早いのかな?」と淡い期待を筆者もどこかでしていました。

「勤務先の介護施設(広島市内と広島市に周囲を囲まれている安芸郡内の2カ所)でも、これ以上感染者数が増えれば、ご家族とお年寄りの面会が禁止になってしまう。そうすれば、また、お年寄りが急激に衰えてしまう。この程度でピークアウトしてくれないかな。」

だが、その期待は1月16日の日曜日に広島県内で1212人という、凄まじい数字の前に吹っ飛んでしまいました。

以下は広島県内(県内)、隣接する岩国市(岩国)、そして感染爆発「震源地」の疑いが濃厚なアメリカ軍岩国基地(基地)の感染者数です。

広島駅北口の県のPCR臨時スポット、1月16日に筆者撮影

     県内-岩国-基地
12/01~20 00-00-00
12/21   00ー00-01
12/22   02-00-01
12/23   03-01-00
12/24   01-00-00
12/25   05-01-00
12/26   01-01-00
12/27   01-01-08
12/28   01-01-05
12/29   03-07-80
12/30   06-07-27
12/31   23-08-23
01/01   21-14-00
01/02   57-13-00
01/03   40-44-50
(岩国基地は3日分をまとめて発表)
01/04   109-62-47
01/05   138-70-182
01/06   273-81-115
01/07   429-61-91
01/08   547-77-71
01/09   619-80-05
01/10   672-45-12
01/11   588-71-71
01/12   652-79-34
01/13   805-54-29
01/14   997-79-26
01/15   1280-67-0
01/17   973-59-0
01/18   900-45-8
01/19   1042-65-5
01/20   1569-37-77
01/21   1532-46-33
01/22   1585-52-13

◆岩国市長が「酒類の提供停止を求めない」矢先にまた急増 基地感染者数

1月16日以降、正月明けのころよりは、岩国基地の感染状況はいったん落ち着いたように思えました。そして、20日、岩国市の福田良彦市長は、岩国基地に対して「酒類提供停止は求めない」と発言されました。だが、その発言の矢先というべきか、同日、岩国基地の感染者数が77人という数字が発表されました。岩国基地の「人口」は約1万人です。22日までの1週間あたりの人口10万あたり感染者数は約1360人です。前週が約2060人です。ピークは過ぎつつあるといえばあるのですが、だからといって、対策に手を抜いて良い状況ではないでしょう。広島県民も山口県民もまん延等防止措置で酒類は我慢している。飲食店も儲からない状況になっている。しかし、米軍には大甘なのが岩国市長です。

福田市長は、2008年に、基地拡張反対派の井原市長を打倒して就任。基地拡張受け入れと引き換えに基地拡張にともなう交付金を受け取ってきました。そういう経緯があるとはいえ、あまりにも情けないです。

日米地位協定の壁はたしかにある。しかし、市民の生命財産を守るべき市長が、最初から腰が引けてどうするのでしょうか?市長はガツンと日本政府に対して、米軍にも日本人同等の対策にご協力いただくように物申すべきです。それを政府が受け止めて、日米地位協定廃棄も辞さぬ構えで米側と交渉する。そういう構図をつくるべく市長にはがんばっていただきたい。

◆ついに面会が禁止、重苦しい雰囲気の介護現場

筆者が勤務する老人ホームでは、1月16日頃から、ついにご家族とお年寄りの面会が禁止になりました。これだけ、感染爆発がひどいとやむを得ないといえばやむを得ない。しかし、コロナ災害がはじまって2年。筆者は多くのお年寄り、それも、身の回りのことが自分で一定程度できていたようなお年寄りほど、急激に衰えていくケースが多いのを目撃しています。

さらに、広島市内の老人ホームでは、所内でのレクリエーションも中止となりました。これは、面会禁止とあわせて、ダブルパンチになります。

もちろん、ひとたびクラスターが発生すれば大変なことになるのは事実です。いっぽうで、ご家族とお年寄りの両者がワクチン接種済みなら、対策をとりつつ、面会はあったほうがいいのではないか?という感覚もわたしは持ちます。オンラインでいいじゃないか?というご意見もあるでしょうが、やはり物理的に近くで、というのも大事ではないかとも思うのです。いずれにせよ、ピークアウトが早くきてほしいとねがうものです。

また、これだけ、感染が拡大すると、普通の風邪や頭痛でもコロナ疑い、また、家族の関係で濃厚接触者扱いとなって、出勤できないような職員も、介護現場でも、また、いつもお年寄りがお世話になっている医療機関でも増えています。現場は非常に重苦しい雰囲気に覆われています。

◆地域の交通にも打撃、迫られる交通政策の議論

感染拡大は県内の交通にも影響が及んでいます。

人口20万の呉市でも連日のように、感染者が100人を超えており、人口比では広島市を上回る場合もある爆発ぶりです。広島市に通勤する人も多いですし、逆に呉市役所や呉市内の工場に広島市から通う人も多くおられることも影響しているとみられます。

呉市では昔は市の交通局がバスを運行していました。しかし、いまでは、交通局がなくなり、市内の交通は基本的には民間にまかされています。しかし、民間会社は利益にならなければ運行はしません。呉市に吸収合併された旧音戸町も例外ではありません。そうしたなかで、結局、市の交通政策課が地元のタクシー会社に委託して一日14便(往復あわせて)を運行してもらっています。

◎音戸さざなみ線
https://www.city.kure.lg.jp/soshiki/28/seikatubus-ondosaihenngo.html

小中学生の通学やお年寄りの買い物・通院には欠かせません。では、運転手の感染に伴い、乗合バスが減便になりました。

このたび、運転手3人が感染し、一日6便に減便。急きょ、ジャンボタクシーを調達するなど、対応していますが、子どもやお年寄りの生活に影響が出ています。

コロナのあとも、地域の交通をどう維持するか?ということも重大な課題です。ステイホームですでに、打撃を受けている交通事業者も多い。しかし、他方で、池袋暴走事故を契機に国や自治体も免許返納を高齢者に奨励している。いまや、身体そのものは元気で、仕事自体はできても、運転に関する身体の機能には自信がない、という年配労働者も地方にはとくにたくさんおられる時代です。年金が足りないから各種派遣社員で働くという人も多い。そういう時代に、どのように移動手段を確保するか?県内でも議論が急がれます。

◆他地域から個人の炊き出しボランティア現れる

広島市内でも、コロナ災害による減収で困っている方がおおくおられます。住民税非課税の方への給付金も、ようやく、1月末あたりに書類がくるかどうか。給付までは時間がかかります。こうした中、1月22日、他地域から個人のボランティアで広島市内の公園で炊き出しをされた方がいらっしゃいます。食事の提供を受けたという男性は「30人くらいが、列に並んでいた。カレーライスはおいしかった」と報告してくださいました。今後もこの方は月一回程度の炊き出しを予定されています。

◆改めて、改憲よりもコロナの災害指定・そして日米地位協定の見直しを!

「コロナ対策のためにも緊急事態条項改憲だ!」

こうした方向で自民、維新はもちろん、参院選までには立ち上がることが確実な小池・玉木新党「国民ファースト」あたりまで暴走しかねない情勢です。

しかし、いますべきことは、まずは、コロナは災害指定をおこない、困っている人を大震災や大水害の被災者同様に行政が衣食住を支援するべきです。憲法を変えるのではなく、25条はじめ、いかすことが大事です。また、日米地位協定の見直しを今回の米軍震源の感染爆発を教訓に本腰をいれて進めるべきです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

50年前の今頃、私は同志社大学の学費値上げ阻止闘争のバリケードの中にいた。それは、それまでに盛り上がった学園闘争などに比べると小さなものではあったが、私たちにとっては全身全霊を懸けた〈決戦〉だった。

 

全学無期限封鎖に入ったことを知らせる立て看板

決戦は2月1日だったが、1月13日の全学学生大会で無期限封鎖を決議し、来るべき決戦に備え意志統一し緊張感のある日々だった。

少なくとも私は、この50年間、時にだらけたり時に絶望したり、いろいろなことがあったが、その闘いを貫徹できた矜持を持って生きてきたつもりだ。

学費闘争、あるいはその前後の沖縄─三里塚闘争、連合赤軍事件については、先般発行し現在発売中の『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾増刊)に長く拙い文章を綴り、詳しくはこちらをご覧いただきたいが、想起すれば、いまだに頭の中が錯綜する。連合赤軍事件が表面化したのも、逮捕され獄中に在ったさなかだった。

60年代後半から始まった全国学園闘争の波も引き、前年71年の沖縄─三里塚闘争も多数の逮捕者を出し、喧伝された「激動の70年代」も出鼻を挫かれた恰好だ。しかし、このことは上記書でも強調しているが、71年の闘いは地味で霞んでいるように思われているが、決してそうではなく、現在に比べれば、遙かに盛り上がったことを、あらためて申し述べておきたい。

全国の私立大学、また国立大学の学費大幅値上げに対する抗議と抵抗も一定の盛り上がりを見せたが、いつのまにか萎え、最後まで闘いを持続していたのは、さほどなかった。

しかし、ここを何としても体を張って阻止しなければ、学費値上げはどんどん拡大するという認識だったが、これが当たったことは、その後の私立、国公立問わず学費値上げの事実を見れば歴然だろう。信じがたいかもしれないが、当時国立大学の学費は年間1万2千円、つまりひと月千円であるが、物価の水準も上っているとはいえ、その50倍ほどになっている。

私立大学にしても、現在年間100万円ほどにまで膨れている。私が入学した1970年、入学金3万円、施設費3万円、学費6万5千円、計12万5千円だったが、こちらも10倍ほどに上っている。

しかし、68年の中央大学では学費値上げの白紙撤回を勝ち取っている。私たちは、これを見て、学費値上げは必ず阻止できると信じ、身を粉にして闘った。つまり、私たちが「革命的敗北主義」「敗北における勝利」の信念のもと先頭になって闘いを貫徹すれば、たとえ私たちが一時的に敗北したとしても、必ずや私たちの闘いに触発された学友が続くであろうと信じてやまなかった(が、時代はもう変わっていて、逆に運動は脆弱化し、その中から政治ゴロや簒奪者らの介入や跳梁を許すことになった)。

弾圧を報じる京都新聞72年2月1日夕刊

あれからあと数日で50年になろうとしている。──

2月1日に、かつての学生会館(今は取り壊され寒梅館となっている)前に結集し、この50年に各自どのように生きてきたか語り合いたい。私の人望のなさのせいで何人集まるか判らないが、人数の問題ではない、あの闘いを共に貫徹した誇りを甦らそうではないか!

蛇足ながら、1969年に創業した鹿砦社は、その前日の72年1月31日に設立(株式会社化)している。この時のメンバーは『日本読書新聞』(現在廃刊)にいた天野洋一(故人)、前田和男(『続 全共闘白書』編集人)らである。

◎2月1日当日の概要は別途掲載の案内をご覧ください。締め切りは過ぎていますが、参加希望の方は今からでも私にご一報ください。(松岡利康)

2・1学費決戦50周年の集い案内

請求額は約4500万円。訴えは棄却。煙草の副流煙で体調を崩したとして、同じマンションの隣人が隣人を訴えたスラップ裁判の「戦後処理」が、新しい段階に入った。

日本禁煙学会の作田学理事長に対する検察の捜査がまもなく始まる。この事件で主要な役割を果たした作田医師に対する捜査が、神奈川県警青葉署ら横浜地検へ移った。

それを受けて被害者の妻・藤井敦子さんと「支援する会(石岡淑道代表)」は、24日、厚生労働省記者クラブで会見を開いた。

◆藤井さんの勝訴、診断書のグレーゾーンが決め手に

 

告発人の藤井敦子さん

事件の発端は、2019年11月にさかのぼる。藤井さん夫妻と同じマンションの2階に住むAさん一家(夫・妻・娘の3人)は、藤井さんの夫が自宅で吸う煙草の副流煙で、「受動喫煙症」などに罹患したとして、4500万円の損害賠償を求める裁判を起こした。しかし、審理の中で、提訴の根拠となった3人の診断書(作田医師が作成)のうち、A娘の診断書が無診察で交付されていた事実が判明した。無診察による診断書交付は医師法20条で禁じられている。刑事事件にもなりうる。

さらにその後、A家の娘の診断書が2通存在していて、しかも病名などが微妙に異なっていることが明らかになった。同じ患者の診断書が2通存在することは、正常な管理体制の下では起こり得ない。これらの事実から作田医師がA家の娘のために交付した診断書が偽造されたものである疑惑が浮上した。

横浜地裁は3人の請求を棄却すると同時に、診断書を作成した作田医師に対して医師法20条違反を認定した。また、日本禁煙学会が独自に設けている「受動喫煙症」の診断基準が、裁判提起など「禁煙運動」推進の政策目的で作られていることも認定した。この裁判では、日本禁煙学会の医師や研究者が次々と原告に加勢したが、なにひとつ主張は認められなかった。

また審理の中で、原告の1人が元喫煙者であったことも判明した。

その後、控訴審でも藤井さんが勝訴して裁判は終わった。

◆広義の「スラップ訴訟」、訴権の濫用に対する責任追及

 

2月1日発売!黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

このスラップ裁判に対する「戦後処理」を、藤井さん夫妻らは刑事告発というかたちで開始した。告発の対象にしたのは、診断書を作成した作田医師、3人の原告、それに弁護士である。今回、青葉署が書類送検したのは、このうちの作田医師のみである。

告発人らの主張は、作田医師の医師法20条違反は、刑法という観点からは虚偽診断書行使罪に該当するというものである。事実、そのような判例は存在する。「作成罪」ではなく、「行使罪」としたのは、前者が時効の壁に阻まれたからにほかならない。

ちなみに作田医師が3人の診断書に付した「受動喫煙症」という病名は、WHO(世界保健機関)が決めた疾患の国際分類である「ICD10」コードには含まれていない。つまり「受動喫煙症」という病名は、日本禁煙学会が独自に作ったものである。従って保険請求の対象にもならない。化学物質による人体影響を診断する正確な病名は、化学物質過敏症である。これについては、「ICD10」コードには含まれている。

近々に藤井さん夫妻は、スラップ訴訟に対する損害賠償裁判(民事)も提起する。今度は民事の観点から関係者の責任を追及する。最初のスラップ訴訟を提起した根拠が、疑惑だらけの診断書であるからだ。それを前提に作田医師らが、自論を展開したからだ。

また弁護士に対する懲戒請求も視野に入れている。弁護士職務基本規程は、「弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない」(第75条)と規定しているからだ。

スラップ訴訟の「戦後処理」は、これから本格化する。

【藤井敦子さんのコメント】

「わたしたちは分煙には賛成の立場です。しかし、根拠なく喫煙者に対して高額訴訟で恫喝するなど過激な行為は容認できません。横浜地検が今後、この事件をどう処理するかは分かりませんが、今後も引き続きラジカルな禁煙運動に対しては警鐘を鳴らし続けます」

【石岡淑道代表のコメント】

「多くの医師の規範となるべき作田医師は、医師法20条違反を犯しながら見苦しい言い訳に終始しています。反省も謝罪もしていません。どんな弁明をしても、その行為は正当化されるものではないと考えます」

※なお、この事件については、筆者の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)に詳しく書いている。2月1日に書店発売になる。

【参考記事】煙草を喫って4500万円、不当訴訟に対して「えん罪」被害者が損害賠償訴訟の提訴を表明、「スラップ訴訟と禁煙ファシズムに歯止めをかけたい」

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉の最新刊『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』2月1日発売開始!

「汚染水を海に流されて本当に良いんですか?」

場違いな質問に誰もが顔をしかめた。そして、うつむき加減になった。

JR新日本橋駅近くにある福島県のアンテナショップ「日本橋ふくしま館 MIDETTE(ミデッテ)」(東京都中央区)に〝常磐もの〟が並んだ。今月14日から3日間にわたって開催された「第1回冬のふくしま常磐ものフェア」。福島県双葉郡浪江町の請戸漁港で前日に水揚げされたカレイやメバルなどの海産物の販売会だ。「食の安全・安心に加え、品質の高さや美味しさなど県産品の魅力を発信する」(福島県県産品振興戦略課)のが目的で、2月も原釜漁港(相馬市)や小名浜漁港(いわき市)で水揚げされた海の幸が販売される。

初日は復興大臣も視察。その前に行われた定例会見では「復興庁としても、しっかり福島県産品の魅力を、地元が企画しているイベント等をしっかり後押しをしていかなければならない」、「しっかりと食の安全・安心、特に科学的な根拠に基づいた安全性の正しい情報を発信していくことが大事」と〝風評払拭〟を強調した。

「道の駅なみえ」でも提供されている請戸の魚をPRする場に、原発汚染水の海洋放出問題を口にするなど確かに場違いだ。県職員の1人は「ここは県の施設なので、そういう発言はできません」と苦笑した。しかし、目をそむけてばかりもいられない。政府が昨年4月13日に発表した基本方針では、来年にも海洋放出が始まる。東電は約1キロメートル沖合に海洋放出のための海底トンネルを設置するべく、地質調査などを進めている。福島県の内堀雅雄知事も「風評対策」を口にするばかりで反対を明言せず、海洋放出を事実上容認している。事態は着々と前進しているのだ。

しかし、誰もが「こんなところで聞いてくれるな」という表情を浮かべるばかり。販売応援に来ていたいわき市の男性は「そりゃもちろん、海に流して欲しくはないですよ。だけど国が決めちゃったことだから……。頑張っていくしかないですね。難しい問題です」とあきらめ顔で答えた。

「国が決めちゃったことだから」

都内の福島県アンテナショップで行われた「常磐もの」の販売会。汚染水海洋放出について尋ねると、関係者は一様に口が重くなった=東京都中央区

請戸の漁師も、正月2日に行われた請戸漁港の出初式で筆者に同じ言葉を口にした。

「そりゃ海に流されたら困る。困るけど、相手は国だからな。国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ。通らないものをいくら騒いだって、俺たちがアホみたいだろうよ」

出初式では、漁船が次々と沖合に出て日本酒で船体を清め、海の上から苕野(くさの)神社に向かって1年の無事を祈願した。「ほれ、あれが原発だよ」。漁師が指差す先には福島第一原発がはっきりと見えた。請戸漁港とは約6キロメートルしか離れていない。汚染水の海洋放出は死活問題のはず。相馬双葉漁業協同組合請戸地区代表の高野一郎さんは神事前のあいさつで「原発から6キロメートルの地点にある請戸漁港は反対しかありません。全漁連、県漁連と姿勢を同じくし、どこまでも反対を続けていきます」と述べた。だが、実際には表立って反対を表明する漁師はいない。逆に「『汚染水』と言わないで欲しんだよ。そう表現されることが何より風評被害を招くんだ。あれは『汚染水』じゃなくて『処理水』なんだ。『汚染水』を海に流すわけじゃないんだから」と筆者に語る漁師すらいるほどだ。「『処理するから大丈夫』と国が言うんだから、俺たちはそれを信じるしかないじゃないか」。

浜通り全体があきらめムードに覆われているかのよう。水産物卸売業者(浜通り)の男性社員も、ミデッテの一角で「国がやっていることだから、反対してもしょうがないという想いもある」と話した。

「『風評被害を生じさせないようにする』と国は言うけれど、こちらとしては正直なところ半信半疑。原発事故がそうであったように、実際に海に流してみないと分かりません。海に流した結果どう転ぶか分からないし、反対したところで『どうせ流すんでしょ』という想いもある。どうせいろいろと言ってもしょうがないのだから、だったらせめて最善を尽くしてくれ。そんな想いですね」

「実際に海洋放出してみて、それでどう転ぶかによって本音が聴けるんじゃないですか。風評被害が生じたら『話が違うじゃないか』となるだろうし……。結局、出たとこ勝負じゃないですか。前例がないのだから。海に流して良いとも駄目とも言いようがないですね。多くの皆さんが尋ねられても困るんじゃないですかね」

この男性は、漁師たちの正直な想いも代弁してみせた。

「漁師は漁師で高齢化と後継者問題に直面しています。身体が動く限り海に出て、自分の代でおしまいという漁師は少なくないですよね。どうせ自分の代で終わるのであれば汚染水問題なんか別に良いや、自分が漁をやっている間だけ補償金をもらえさえすれば良いや、という人もいると思いますよ。海洋放出に反対を言い続けたとして、果たしていつまで補償を受けられるか分からないですしね」

実際、請戸のある漁師は「漁業補償を(全体で)何十億ともらっちゃっているからなあ……」と苦笑した。あきらめムードを後押ししているのが金ということか。これでは政治家に「最後は金目でしょ」などと言い放たれても仕方なくなってしまう。

あきらめてしまい黙して語らぬ漁師たちを鼓舞し続けている人がいる。浪江町の「希望の牧場・ふくしま」で200頭を超える〝被曝牛〟を飼育している吉沢正巳さんだ。「俺が1人矢面に立ってドン・キホーテになるんだ」と請戸漁港に街宣車を走らせている。(つづく)

今月2日、請戸漁港で行われた出初式。「国が決めたことに俺たちがナンボ言ったって通るわけねえべ」とあきらめ顔で話す漁師も

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、50歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09MFZVBRM/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

◆試合の友“ナンマンムエ”

本場ムエタイや日本でもキックボクシングの会場に来れば何となく漂う香り。更に控室まで足を運べば分かる独特の匂い。大方の選手が使う、タイオイルという身体に塗るタイ製スポーツオイルがあります。

“タイオイル”はタイ語では発音上、カタカナ表記すれば、“ナンマンムエ”。文字から読めば“Namman Muay ナーム・マン・ムエ”。 “ナーム・マン”に当たる言葉が“油”を意味し、“ムエ”はボクシングを意味します。これが多くの選手が洗脳されていく魔法のオイルなのである。

タイオイルを擦り込む。名チャンピオンは名トレーナー、ガイスウィット(左)は上手かった(1991年4月21日)

◆マッサージ効果

試合準備に際し、前の試合が早いラウンドでの決着も大いに有り得るので試合時間に余裕を持って準備に掛かり、トレーナー等セコンド陣にタイオイルを身体に擦り込んで貰うことになります。

ムエタイマッサージは、元・選手等の腕力あるトレーナーが、うつ伏せに寝た選手の背中と脚、仰向けに寝た胸、腹と脚を強い握力でタイオイルを擦り込んだり、体重掛けてグイグイ圧したりするので、見た目には凄く気持ち良さそうである。でも揉むのではなく擦り込むのが正しいらしい。

「ムエタイ選手は試合準備に掛かると、バンテージを巻いてタイオイルでマッサージされたら、“痛い”という概念を失くしてしまうんだ。だから怪我したことも忘れるし、どんなに強いパンチや蹴り、ヒジ打ちやヒザ蹴りを食らっても我慢することが出来る。経験を積んでくると皆そうなるよ!」というタイのベテラントレーナーの名言である。

試合前の緊張の中、最もリラックスできる束の間かと見えるも、選手側はタイオイルを全身に擦り込まれると皮膚表面がカーッと熱くなり、「これから闘いに臨むのだ!」と闘争心が湧くと言います。

経験者の話では、タイオイルでマッサージ後、手に取れる多めのワセリンにちょっとだけタイオイルを混ぜて、 身体をピカピカに輝かせる為に、更に塗り込むように軽くマッサージするという隠し技もあるという。皆やるから隠し技とはならないが、これで相手の前蹴り等を滑らせる。その為、ムエタイ選手の前蹴りは、トランクスのベルト部分を狙うようになったという説もあるようです。

この後、顔にワセリンを塗って貰い、試合前最後のトイレに行き、トレーナーにノーファールカップを強烈にズレないように縛り付けて貰い、オーナーが祈りを込めながら頭にモンコン、腕にパー・プラチアット(いずれも日本式に言えば御守り)を授け、ガウンを纏うと選手はもう逃げられない(逃げる奴はいない)、行く道は特攻のリングのみとなります。

この刺激強いタイオイルは皮膚の弱い顔と脇の下と股間には塗らないよう注意が必要で、タイオイルをちょっとでも触れた手で、トイレに行って小便を済ませた後に、数分後から試合中までオチンチンがヒリヒリするという経験をした選手も居ることでしょう。

イタズラでワザと股間に垂らした意地悪なトレーナーを目撃したことありますが、「焼けるように熱くて、試合後に見たら先っぽが火傷みたいに爛れていました。」と話す選手もいました。

目に入ると瞼が開かないほど強烈な傷みに襲われるので、顔にタオルを掛けてマッサージを受ける場合も見受けられます。皮膚が弱い選手やアトピー性皮膚炎を持つ選手は使わず、ワセリンだけで済ませるようです。

旧・ルンピニースタジアムの控室スペースでのタイオイルマッサージ。長年タイオイルが染み着いた木の台も名物である(1992年9月15日)

◆ルール的には……

一般用クリームタイプ

タイオイルはムエタイ試合で使用するオイル版と、一般人でも打ち身や筋肉痛などに効果的なクリーム版があります。昔はガラス瓶のオイル版しかなく、各スタジアムやムエタイ用品店に売っていたが、ムエタイ人気が国際的になってきて、外国人が絡むムエタイイベントの際には積極的な売り込みがあったと言われます。現在もタイのどこの薬局にも売っています。

記載されている内容物はクリーム版(100g)で 75バーツ(約250円)。
サリチル酸メチル 10.20%、メンソール 5.44%、オイゲノール 1.36%。

オイル版(普通サイズ瓶120cc) は88バーツ(約293円)。
サリチル酸メチル 31.0%、メンソール 1.0%、オイゲノールは未記載。

[左]古き時代のガラス瓶タイオイル。[右]最近のタイオイル

タイオイルの歴史は製造会社の創業から見て90年ほどのようです。昔の名選手も現役時代はしっかり使っていたようで、戦後、スタジアム建設と共に普及して来たのものと考えられます。

日本でのキックボクシング興行では大概がタイオイルの使用は可能です。元々ムエタイから取り入れたもので、キックボクシングでは細かいルールは無く、禁止とは成り難いでしょう。しかし、K-1などのビッグマッチ興行に於いては「もしかしたらタイオイルは使用禁止かもしれない」という覚悟を持つ選手とその陣営も居るようです。

タイ陣営の場合、ベテラントレーナーやプロモーターは「タイオイル禁止だったら、試合しなくていい!」と出場拒否、即刻帰国すら念頭に置いているプライド高い重鎮も居るようです。

その試合ルールではなく、過去に会場の都合という場合がありました。結婚披露宴や各種会合パーティーが通常のセレモニーとする会場ではタイオイル禁止だったりします。床の絨毯が汚れたり、臭いが取れない、修復が高額になるなどの事情。それは前もって知らされるも、選手にとっては「普通の体育館使ってくれ!」と願うことでしょう。

プロボクシングでは身体に塗る物はワセリン以外は使用禁止。細部まで徹底した項目があるのが厳格な競技の証ではあるが、寛容な例外も少々あり(入れ墨対策等)。

かつて1984年(昭和59年)の話であるが、タイオイルを塗ったら、控室を覗いたファイティング原田さんに「何だこの匂い、臭いな!」と言われたことがある、プロボクシングへ転向した元・キックボクサーが居たが、おそらくJBCから完全な拭き取りを命じられたことでしょう。

手慣れた陣営がタイオイルを擦り込むマッサージ(1989年1月9日)

◆蘇える闘争本能

知らないで間違った使い方していたとか、塗る際にやるべきこと、やらない方がいいこと、そんな効力があるのかといった意見は、あまりタイ選手や経験豊富な先輩から見たり聞いたりした経験が無い選手や、トレーナー等が改めて知ること多い奥深さもあるようです。まだ経験浅い人は、ベテランから教わっておくことは必要でしょう。

選手には好まれるタイオイル。セコンド陣もその効能を分かっている上、しっかりタイオイルに触れる立場だが、関係者がスーツ姿や高級鞄を持ったまま控室を訪れる際は注意が必要。うっかりタイオイルの零れた台に座ったりしないこと。つい付着してしまった場合、拭い取ったぐらいでは臭いやベトベト感が落ちないのである。

選手に近づいた際、メンソール系の匂いがしたらそれはタイオイル。「何だこの匂い、臭いな!」とは言わず、興味があったら一度買って、選手になった気になって塗ってみるのも面白いでしょう。引退した選手もタイオイルは想い出深い存在のようです。あの匂いを嗅ぐと試合前の控室からリングに向かう道が思い浮かび、闘争本能が蘇ってくるという経験者は多く、潜在意識には一生残ることでしょう。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

新年1月7日発売! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

1月19日、広島地裁で伊方原発運転差し止め広島裁判の第26回口頭弁論が開催されました。次回の口頭弁論は3月14日(月)14時半から、次々回は6月8日と決定しています。

伊方原発運転差し止め広島裁判原告側のチラシ

この裁判は広島を中心とする住民が四国電力伊方原発3号機の運転差し止め裁判をもとめて、2016年の3月11日、3・11からちょうど5年の日に提訴。今年で6年になろうとしています。証拠調べ、論点整理も大詰めを迎えました。

伊方原発については、以前、ご報告したとおり、原告側が求めていた運転差し止めの仮処分申し立てが11月に棄却されてしまいました。そして、12月に再稼働が強行されています。

この日は、コロナ対策のため、原告側はいつもおこなっている裁判所への行進はおこなわず、正門前で記念撮影をするだけにとどめて、裁判所に入りました。

◆避難者の福島敦子さんが「命の訴え」

この日の裁判で、原告のひとりで、福島からの京都に母子3人で避難した福島敦子さんが意見陳述をおこないました。福島さんは、福島原発事故避難者京都訴訟の共同代表もつとめています。この伊方原発広島裁判は広島県民でなくても、伊方原発から800km圏内、ほぼ全国、どなたでも参加をいただける裁判です。

意見陳述の前に、裁判長は「感染状況を踏まえて短めに」と促しました。これに対して福島さんは、「これは命の訴えです」と、強調したのが印象的でした。

◆「死ぬときは死ぬんだ」があいさつがわりの福島市の避難所

福島からの京都に母子3人で避難した原告のひとり、福島敦子さん(写真中央)

福島さんは南相馬市から避難してきました。原発の爆発当時は川俣町、そして福島市へと避難。しかし、その福島市のほうが、南相馬市よりも線量が高かったのです。

3月13日に福島市飯坂町のホールに福島さんは、二人の娘と避難します。そのとき、ホールには800人もの避難者がいたそうです。福島さんは、「入ってくる人々が寝ている娘の頭を踏みそうになり、私はずっと娘の頭をかばい続けました。」とそのときの混乱ぶりを表現しました。

物資も不足し、毎日が重く張りつめた空気の中で、「『死ぬときは死ぬんだ』があいさつだった避難所の生活は忘れられません」と振り返ります。

◆京都では「その日を精一杯生きる」ことで過ぎる

4月2日に福島さん母子は京都に避難。福島さんたちは「スクリーニング済証」を携帯していないと病院にもいけない、避難所をうつることさえできなかったのです。被曝した人間として移動を制限されたのです。しかし、いっぽうで、「この証明書は、外部被曝に限られた(OKという)証明書であって、内部被曝の状況は今もわかりません」と福島さんは、訴えました。

京都の学校では下の娘さんは苗字が福島ということもあって、「フクシマゲンパツ」とあだ名をつけられることもありました。福島さん親子の生活は「その日その日を精一杯『生きる』ことで過ぎていきました。」

現在も原発から放射能が流出しつづけていますが、事故の具体的な理由や責任が追及されないまま、被災した人々は日々の生活に疲弊し、とくに福島さんら「区域外避難者が復興の妨げ」という風評被害と向き合っていかなければならなくなった、と振り返ります。

◆父をがんで失い、自らも脳腫瘍、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」に共感

福島さんは、お父さんを前立腺がんで2020年9月になくし、また、自身も脳腫瘍が発覚して、来月手術の予定です。

福島さんは、「伊方原発の再稼働は、地元や広範な瀬戸内周辺住民の不安と日本国民の原発に対する懸念の声を全く無視した人権侵害であり、公害問題です。」と強調。いっぽうで、黒い雨訴訟広島高裁判決で内部被曝がより危険であることが認められ、確定したことに注目。「内部被曝には外部被曝とは異なる危険がある」と訴えました。

そして、「被爆地ヒロシマが被曝を拒否する」のスローガンを掲げて闘うこの裁判に、福島原発事故避難者として大いに共感し、原告となって闘うことを決意した、のです。

福島さんは、最後に「もう、私たち避難者のような体験をする人が万が一にも出してはいけないのです。」「司法が健全であることを信じています」「日本国民は、憲法により守られていることを信じています。」と裁判長に対して訴えました。

◆火山や地震、四国電力の反論に説得力なし

この日は、火山や地震のリスクについての主張の交換が、文書で原告と被告(四国電力)の間で行われました。口頭弁論のあとの報告会で原告側弁護士から以下のような報告をいただきました。

火山については、阿蘇山からの火砕流が過去の噴火で到達していた可能性については四国電力も可能性を認めざるをえなくなっています。しかし、案の定、四国電力はその可能性は低い、としています。だが、そもそも、VEI(火山爆発指数)6-7の大噴火はいつ起きるかまったく予測できないのです。

地震についても、四国電力は、中央構造線断層帯の場所は伊方原発からみて、沖合にあるから大丈夫、という主張です。しかし、実際には震源となる断層は原発から800mくらいのところまで迫っているという説も有力です。

日本列島にフィリピン海プレートが潜り込んでおり、そのために、陸側の沖縄の西側の沖縄トラフや九州中部、別府湾などは、伸長応力、すなわち引っ張られる力が加わって、地殻が裂けて、落ち込む場所になっています。それにともなう地震も多く起きています。おなじような現象が伊方原発付近でも起きている可能性は高いのです。単に断層があるだけでなく、そうした大きな地殻変動の現場に伊方原発はなっている可能性が高いのです。また、水蒸気爆発への備えや、避難計画についても、四国電力側の甘さが目立ちました。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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