松江署が情報提供を求め、配布していたチラシ

2012年9月に島根県の松江市で飲食店従業員の女性、柏木佐知子さん(当時26)が失踪した事件は、2015年8月に柏木さんが運転していた車ごと川に転落していたのが見つかり、「解決」したような様相を呈した。だが、私はこのほど現場を取材し、ある重大な疑念を抱いた。事故当時の現場はあまりにも危険な状態で放置されていたのではないか――。

◆転落死事故として処理

柏木さんは2012年9月27日午前2時過ぎ、松江市内で知人らと別れたのち、運転していた車と共に行方が途絶えた。島根県警は同10月6日から公開捜査に切り替えたが、有力な情報は得られないまま時が過ぎ、いつしか全国の重大未解決事件の1つに数えられるようになった。

事態が一変したのは、柏木さんの失踪から3年余りが過ぎた一昨年8月のことだ。島根県警が同月4日から同市内を流れる大橋川を捜索したところ、川底に沈んでいる乗用車が見つかった。8日、車をクレーンで引き揚げたところ、車種やプレートのナンバーが柏木さんの車と一致。車内から見つかった白骨死体の一部をDNA型鑑定したところ、柏木さんだと判明したという。

県警が検証したところ、事件性を疑わせる点はなく、車はスピードを出した状態で川に転落したとみられた。こうして全国の注目を集めた重大未解決事件は、柏木さんが車の運転を誤ったことによる転落死事故だったとして処理されたのだ。

行き止まりのすぐ後ろは川。車を運転していた柏木さんはここから転落した

◆現場取材で浮上した疑問

私が現地を訪ねたのは今年1月中旬のことだが、柏木さんが転落した現場を見て、驚いた。柏木さんは道路の行き止まりになっているところから川に転落したとみられているのだが、写真のように車で直進していると、道路は突然無くなり、川に突っ込むようになっているのだ。

現在は行き止まりのところに注意喚起のための反射板や、「この先 河川あり 転落注意!」という看板が設置されている。しかし、地元の住人たちに聞き込みをしたところ、誰もが異口同音に「ああいう注意を喚起するものはすべて、事故当時は無かったもので、川で車と柏木さんの遺体が見つかってから設置されたんです」と述べた。さらにこのあたりの道路は「街灯がなく夜は真っ暗になる」という。

私は思った。これでは、車を運転していた柏木さんが、道路が行き止まりになっているのに気づかず、川に転落してしまったことについて、単なる「運転の誤り」として片づけるわけにはいかないのではないだろうか。

事故当時、「この先 河川あり」という看板や行き止まりの反射板は無かった

◆道路を実際に自転車で走ってみたが・・・

私は実際に自分でも、柏木さんが川に転落した際に車を走らせたのと同じように、動画を撮影しながら自転車で走ってみた。それが後掲の動画である。視聴してもらえばわかると思うが、行き止まりの間近まで来なければ、行き止まりの向こうが川になっているのを視認できない。現在は行き止まりの少し手前で道路上にUターンを促す矢印と共に「行き止まり」と書かれているが、これも地元の人たちによると、柏木さんが転落した当時には「なかった」という。

このような転落防止の措置がすべて事故当時に施されていれば、おそらく柏木さんの不幸な事故は起こらなかったろう。現時点で特定の誰かに事故の責任があったとも断定しかねるが、少なくとも事故の原因を柏木さんの「運転の誤り」と決めつけていいとは思えない。今後も調査を進め、何かわかれば、当欄でレポートしたい。


◎[参考動画]松江市「柏木佐知子さん転落死事故」現場検証

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年3月号

「追悼番組で、『仁義なき戦い』シリーズや『北陸代理戦争』『県警対組織暴力』『修羅の群れ』など松方弘樹さんの迫力ある極道を演じたヤクザ映画を地上波で見られなくて悔しい…というファンの声は多く局に寄せられていると聞きます。ですがこれも暴力団排除という時代の流れで致し方ないでしょう」と業界歴25年目のベテラン脚本家A氏が語る。


◎[参考動画]仁義なき戦い(1973年)

『北陸代理戦争』(1977年)

21日に亡くなった名俳優、松方弘樹の追悼で地上波を使っての映画が放映されないことに対して年輩のファンを中心にSNSでも『なんで代表的なヤクザ映画をキー局な無視するのか」「なんで映画で追悼しないのか意味不明」など確かに「残念」の声が多数あがっているのだ。

「松方弘樹さんの追悼で映画を何かテレビで放映しますか」と聞いてみたが、「追悼番組で松方さんの映画を放映する予定はありません」と1月26日時点ではNHK、日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京とも回答している。ただ松方の闘病の様子を緻密に収録したドキュメンタリー「ファミリーヒストリー 松方弘樹・目黒祐樹~芸能一家の歳月~」が2月2日に放映される。これはファミリーのルーツを探る番組で、1月29日に「松方弘樹さん追悼企画 僕らはみんな生きてきた 松方・梅宮最後の旅」がBSフジで放映予定も映画はまったくゼロ。

ただし「スカパー!」が追悼番組を専門チャンネルで流す。1月25日深夜1時40分から「BS日本映画専門チャンネル」で「強盗放火殺人囚」(1975年)を放送するのを皮切りに、「大江戸捜査網」シリーズ8本(ホームドラマチャンネル)や「巨大マグロ伝説2009 洋上の激闘」(チャンネルNECO)など計15作品を2月28日まで放送予定。だが地上波はいまだ追悼映画のプログラムはなし。なぜか。

『最後の博徒』(1985年)

「ヤクザ映画がなぜダメかと言われてもなあ。うーむ」と日本テレビ関係者は押し黙る。

かってA氏が解説してくれる。

「14年11月に菅原文太さんが亡くなられたときも、『仁義なき戦い』や『極道ヤクザ』など確かヤクザ映画は放映できずに、テレビ東京でようやく『トラック野郎 天下御免』が放映された。信号無視やトラックでの暴走、暴力シーンが数多く出てきて『コンプライアンス上大丈夫か』と話題しきりになったほどです。ましてやヤクザ映画はこの時代では難しいでしょう」(A氏)

テレビがダメなら映画界はといえば、代表作に多数出演、松方のお膝元ともいえる東映は追悼上映を検討中で『仁義なき戦い』シリーズや『北陸代理戦争』などが候補に挙がっているという。テレビからは「ヤクザ」は完全に消えたのだろうか。

「ヤクザは今、シナリオ的には敵役で出すのも難しい。だからミステリーでもヤクザじゃなくてギャング的なものに直さざるを得ない。そうしないとF2層(35~50歳の主婦)から反発を食らうのです」(前出・A氏)

『修羅の群れ』(オリジナル1984年 リメイク2002年)

どうしてもヤクザを出したい場合は、暴力団からの離脱(足抜け)を支援する部署の活躍を描き、大島優子が主演した『ヤメゴク? ヤクザやめて頂きます? 』(TBS)や、ヤクザが“社会貢献に目覚める”として草なぎ剛が主演、暴力団組員が介護に奮闘しつつ、更正していくプロセスを描いた09年の『任侠ヘルパー』(フジ)など、やや無理めの勧善懲悪劇の方向性にするしかないという。

「有名な小説家が書いた作品が原作で、ヤクザがストーリー上必要な場面でも、無理矢理にキャラクターをヤクザでなくするしかないところまで時代は暴力団排除に厳しくなってきている。たとえば黒川博行さんの小説でヤクザが主人公の『疫病神シリーズ』があるが、圧倒的に人気があるのに、地上波ではドラマが作れず結局、WOWOWが製作したのです」(同)

ヤクザ雑誌ライターは語る。
「松方が主役を張った 『修羅の群れ』は稲川会初代会長・稲川聖城を演じたものだが、あまりの松方の迫力と凄みに憧れてヤクザ稼業に入った連中も少なくない。そうした意味で反社会勢力の臭いがある作品を地上波で見せてF2層の反発を買うよりも、北野武と一緒に泣いたり笑っている『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)』や悪人を懲らしめている『名奉行 遠山の金さん』(テレビ朝日)の映像を視聴者に送ったほうが、松方の遺族にとっても、視聴者にとっても、またファンにとっても癒やされるという判断でしょう。まあ本業のヤクザの人たちは『仁義なきシリーズをなんで放映せんのや? おかしいやろ?』と嘆いています(笑)」

『列島分裂 -東西10年戦争-』(2016年)

もっと単純に言えば「ヤクザを出すと視聴率がとれないことに尽きる」(前出・A氏)とのこと。

「業界的には『最後の連続ドラマ』として認知されるのは2011年に児童福祉司の松田翔太と組長の高橋克実が“入れ替わる”ドタバタ劇の 『ドン★キホーテ』(日本テレビ)がヤクザが主人公として描かれた最後として記憶される。これもコンプライアンス的に大丈夫かという声が局内であがるも、平均視聴率は惨敗の10.9%。これをもってヤクザを主人公にして企画書を書くチャレンジを『ドンキホーテしてみる』と隠語で呼ぶほど。そうした意味で、松方のヤクザ映画は、少なくとも地上波では『黙殺』されて当然でしょうね」(同)

かくして、視聴者の声も黙殺される。暴力団事情に詳しい作家の影野臣直氏は語る。
「あの凄みのある松方の男っぽいヤクザ役が見れないのは残念。松方の場合は、低い声で相手のやる気をそぐという、ヤクザ業界でいう“ケンノミ”の迫力がある希有な役者だった。鶴田浩二とやった『最後の博徒』くらいは放映してものですね」
ヤクザ映画で「元気が出る…」という連中もいるというわけだが…残念な現実だ。 (伊東北斗)


◎[参考動画]天才たけしの元気が出るテレビ 最終回スペシャル 松方弘樹ベストセレクション(1996年)


◎[参考動画]松方弘樹さん 大親友 梅宮辰夫に語った理想の人生の終わらせ方

 

色とりどりの女優たちがエロスで彩る昭和映画史!大高宏雄『昭和の女優 官能・エロ映画の時代』

 

商業出版の限界を超えた問題作! 星野陽平『芸能人はなぜ干されるのか?』

プロボクシングとキックボクシングの共通の疑問。
「 1度のダウンで10-8、2度のダウンで10-7となりますが、何で10-6じゃないの?」
こんな質問が時折聞かれます。

採点基準の簡易的な説明はテレビでのボクシング中継でもされていますが、細部に至る補足説明は全くされていないのが現状です。

◆“ダウンは2点ではない”

試合後、ジャッジペーパーを渡す瞬間

現在のJBCルールは今年、フリーノックダウン制に改訂されてからは通常10-10から10-6の範囲内で採点される中でも(反則減点を除く)、なかなか複雑な構造を持っていると言えるかもしれません。その内訳もサッカーやバスケットボールのようにゴールされて得点が入るような、クリーンヒットが当たって「ハイ、1点!」という単純な得点競技ではない採点競技の奥深さ、理屈で説明しても伝わらない難しさがあります。

「ボクシングルールは突き詰めて考えると、どんどん矛盾点が出てきますよ」というボクシング関係者もいて、あくまで解釈方法のひとつとして、独断と偏見で書き述べますと、まず一例目として、“ダウンは2点ではない”という見方を持ってみましょう。ダウンが2点であれば2度のダウンで10-6となるはずですが、ではまず1度のダウンで10-8となるのはなぜでしょうか。

いつどこで手に入れたか覚えていませんが、ムエタイではこんな感じのジャッーパーとなります。タイトルマッチではラウンド毎の記入用紙になります

その内訳を“ダウンは1点”と解釈してみます。そしてその“ダウンを奪った有効打”が、そのラウンドを占める“明確な優勢点”としての採点が1点。この計2点が引かれ10-8となると考えます。

2度のダウンがあればその2点と、その2度のダウンを奪った2度の有効打も、“そのラウンドを占める明確な優勢点”での採点1点として、計3点で10-7になると考えます。通常のダウンの無いラウンドで優劣を見極め10-9が付けられますが、この1点は、攻防の中、ダウンは取れなかったが優勢であったという、このラウンドを占める“見極めの”優勢採点1点です(微差でも)。このダウンを導く有効打1点とダウンしない中での優勢1点とは重みが違い、ダウンを奪われ、「マイナス2点は大きい」と挽回しようとラッシュしても、ダウンを奪われたそのラウンドの他の時間(おおよそ2分以上)の大半を圧倒しなければ10-9には縮まらないと言われます。それほどダウンを奪った有効打に重点を置かれるのでしょう。

日本のキックボクシングで、古い時代に使われていたラウンド毎のジャッジペーパー。現在はもっと進化しています

ダウンを奪い返せばお互いの1度ずつのダウンは相殺されるので、実質10-10に戻り、どちらかが更に一度ダウンを奪えば改めて10-8になります。

1999年2月のWBA世界スーパーフェザー級タイトルマッチでチャンピオン.畑山隆則(横浜光)が第2ラウンドにソウル・デュラン(メキシコ)にダウンを奪われました。ダメージは軽かったようでしたが、御本人も「このラウンドは巻き返しに行っても劣勢の10-8から10-9には縮まらないだろうと思い、無理に行かなかった」と後に言われています。

仮に巻き返そうとラッシュしても、かなり優勢に相手を圧倒しなければ、スタミナを失うだけで、その低い挽回の可能性を捨て、次のラウンドに備えたのは賢明だったでしょう。ダウンを奪われたその有効打そのものによる1点は、ラウンドの大半を優勢に行かなければ取り返せない、10-9には縮まらない例です。

二例目として、ある研究熱心なキックボクシングレフェリーの回答ですが、ダメージの無い相手からダウンを奪うのは結構難しいことであり、そんな難度の技なので“ダウンは2点”として10-8。そして一度ダウンしたダメージある相手から更にダウンを奪うのは比較的簡単で、この難易度が低下することで1点となり、計3点が引かれ10-7となるというものです。私と解釈は異なりますが、一般の方には、この方がはるかに分かり易いところでしょう。

異なる例の三例目として、未承認ですが、「1度のダウンで10-7、2度のダウンで10-6」となる某ボクシング解説者の提案ではどうなるでしょう。当然ここでも“ダウンは3点ではない”内訳が見えてきます。
現在、10-8の枠で無理に収めている優劣の解釈をもう少し枠を広げ、僅差、軽度のフラッシュダウン、圧倒的攻勢、巻き返しの差まで緩やかに付けようというものですが、見極め判断がよりややこしくなり、浸透しないであろう要因もあって実現には至りませんが、これも構造的には理に適った採点と考えられます。

20年ぐらい前のタイで行われた世界戦の採点表が新聞に載ったもの。何の試合かはわかりませんが、中央は浅尾和信氏、右側に手崎弘行氏の名前があるので、日本人出場の試合では無さそうです

◆なぜ0からのポイント加算式でなく、10点法の減点式なのか?

なぜ0からのポイント加点式でなく、10点法の減点式なのか、そんな疑問も考えた人は多いかもしれません。その答えは誰にもわからないかもしれません。単にアメリカでは単純計算が苦手で、95セントのパンを買うのに1ドル紙幣を出すと、そのおつりを1セントずつ声に出して99・98・97・96・95とコインを数えながら渡すといったことを極端な例として聞いたことありますが、そんな減算法の慣習から来ていることも要因かもしれず、ジャッジペーパーの集計すら時間が掛かっている場合がありますね。単に一桁の単純計算が苦手なのはお国柄かもしれません。

創生期のキックボクシングでは日本系は10点法、全日本系は5点法の0.5ポイント制(当時のルンピニースタジアムと同様)でしたが、ポイントの付け方は現在より大幅に認識違いはありました。日本系はフリーノックダウン制で、5回ぐらいダウンしても立ってくれば続行させ、10-4なんて採点もあったようでした。次第に現在のプロボクシングに準ずる採点方となっていきましたが、真似しているだけでルールの意味を深く理解していない判断が多かったのも事実でした。

明確な優勢と見極めの優勢、微差も振り分ける、そこに現れる10-9の幅の広さ。ボクシングルールには分かりにくい部分が幾つもあるかと思います。これらを感性で理解するには理屈でなく、試合を何年も観ていく経験値で自然と理解出来ていくものかもしれません。

この採点基準の解説は、明確にできる人が少なく、調査不足もあって完全な結論は出せませんが、ここに書かれた解説は、ひとつの参考資料として御理解ください。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

7日発売!『紙の爆弾』2017年1月号

2016年12月22日(木)、新宿clubSCIENCEで間々田優、中村ピアノ、月野恵梨香のトリプルヘッドライナーツアー《三原色パンデミック~アイドル14歳の才能~》のセミファイナル公演が開催された。三人の女性ミュージシャンはそれぞれバンド形態でライブに臨む。三者三様の鮮烈な個性が力強いメッセージとなり師走の新宿に煌いた。

左から月野恵梨香、中村ピアノ、間々田優

月野恵梨香

◆昇華された嘆き――月野恵梨香

トップを飾ったのは月野恵梨香。白いワンピースに身を包み登場した月野が赤いハイヒールを脱いだ。裸足の彼女が歌い始めた瞬間、会場が熱を帯び始める。
長髪を振り乱して叫ぶ一曲目“過食症”。

「確かにあたしここにいる間違いなく 
どうなってもいいなんて思ってない 
本当はあー生まれてこなけりゃあよかったなんて思う自分慰めて」

歌詞の中で月野は「嘆いて」いる。しかし彼女は悲壮感に任せてウジウジするような真似はしない。時にはリズム隊のグルーヴの力を借りながら、細身の身体からは想像できないほどの深いヴォイスで叫び続けることによって観客を「嘆き」の共有者とすることに成功している。MCで月野は言う。

「明日のことは考えず今のことだけ考えて駆け抜けようと思う」

この言葉からわかるように、月野の持つエネルギーは刹那的な衝動を原動力としている。彼女は今この瞬間の「嘆き」を強烈なメッセージへと昇華させているのだ。
ラストにはニューアルバム『再起可能』からタイトルトラック“再起可能”をチョイス。跳ねるようなドラムのリズムに乗って観客は拳を振り上げ、場内のテンションはMAXに。歌い終わった彼女は脱いだハイヒールをステージに置いたまま去っていった。ハイヒールが熱いステージの残滓として静かに存在感を放っていた。
 

◎月野恵梨香「名古屋襟 これが名古屋のオリエンタル」(2013/09/18公開)

中村ピアノ

◆自問自答の果てに――中村ピアノ

続いて中村ピアノ。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムのオーソドックスな月野のバンドとは異なり、中村は自身を含めたダブルキーボードのギターレスバンドである。現在ライブDVD『ナカムラホノグラム』が前日に発売となった勢いそのままにステージを繰り広げた。

髪型を両サイドでお団子にした中村が柔らかな表情で歌い始める。ロリっぽいアニメ声からドスの利いた低音まで実に幅広い声色を使い分けるのだ。さらには二つのキーボードが主張し合って、音数の多いカラフルな楽曲を披露していく。

彼女の流れるようなキーボードさばきはポップなアイドルなどとはとかけ離れていて、職人のような威厳さえ感じさせる。“ねぇ”のような比較的ローテンポの楽曲でもヴォーカルとキーボードが反発せずに、かといって小奇麗にまとまるのでもなく、エッジを利かせながらステージを彩っていく。

中村の歌詞は「自問自答」する。ひたすら自分の中で自分を問い続ける。しかし、堂々巡りをしているだけではない。自分の力で考え抜かれた結論へと辿り着いている点は秀逸だ。

ラストに披露した“キャンディキャンディ”には彼女の「自問自答」が結実している。

「夢の中での2人はもうとっくに恋人同士なのに
 本当はまだ声もうまくかけられない 〈恋は一方通行〉」

聞き流してしまえば淡い片想いの歌である。しかし、彼女は片想いのみには留まらない。後には以下のように続く。

「夢の中での私はあんなに強くて可愛いのに 
鏡に映るのは色気も華も無い可哀想な女の子」

自分の姿を客観的に捉え、「可哀想」だと言い切る。言い切ってしまうことに彼女のエネルギーを感じずにはいられない。彼女の「自問自答」は結論を出せずにもがいている全ての人たちの背中を押してくれるはずだ。


◎中村ピアノ「火傷」(2016/04/19公開)

間々田優

◆貫徹された反骨精神――間々田優

トリはデビュー10周年を迎えた間々田優。赤いハイネック姿でアコースティックギターを抱え、うつむいた間々田にスポットライトが当たった。彼女からほとばしる、世の中への反骨精神が会場に浸透し始めた瞬間である。ブルージーなメロディからシャウトへと転じる切れ味鋭い“八千代”で観客は彼女の攻撃的な世界観に引きずりこまれた。

「友死のうて 爪をかんで 
私には何の痛みもないよ 
刺してやろうか」

 自分を潰そうとしてくる世の中に対して、中指を立てるような強烈なメッセージが込められている。

MCで彼女は言う。
「私がニュースとして知ることができるのは遠くから運ばれてきたものです。でも今こんなに近くに皆さんがいてくれる」

デビューから10年の時を経て、なおライブ空間を共有してくれる観客への感謝の気持ちだろう。彼女は静かに話し終えると、一転“カシスオレンジ”では弦が切れる勢いでギターをかき鳴らし始めた。オンオフの利いたライブは聴く者を虜にしていく。

「弾き語りから始めて、今はバンドメンバーと一緒に音楽を生み出せることが幸せ」と言う間々田。

本編終了後観客からのアンコールを聞いて、間髪入れずに間々田は代表曲“アイドル”を歌い始めた。

「歌えぬ僕の意味など無い 
甘く優しい言葉で言うなら 
〈ほんとにおつかれさまでした〉」

と彼女は歌う。

「ほんとにおつかれさまでした」などと観客に言わせない、「歌手・間々田優」をこの世の中で用済みとは絶対に言わせない、というギラギラした反骨精神を最後まで感じることができた。

三人合わせて2時間弱とは思えない、怒涛のステージだった。三人の「原色」のような個性はぶつかり、転がりながら観客に大きなインパクトを与えたに違いない。
今年2017年の3月には新宿BLAZEで800人規模の追加公演が予定されている。三ヵ月後、さらにパワーアップした三人の姿を見ることができると思うと、今から待ち切れない。(伊東北斗)


◎間々田優「三原色パンデミックツアー」動画 (2016/11/10公開)

 

間々田優・中村ピアノ・月野恵梨香バンドツアー
 三原色パンデミック《~アイドル14歳の才能~》―追加公演~グランドフィナーレ~
2017年3月24日(金)18時開場/19時開演 at/新宿BLAZE
チケット絶賛発売中!:前売3,800円/当日4,300円 ※1ドリンク代500円別途
イープラス 
チケットぴあ(Pコード:313-216)

 

 

商業出版の限界を超えた問題作!

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』


◎映画『この世界の片隅に』予告編

アニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)の大ヒットはもはや社会現象のような趣だ。戦時下の広島県呉市を舞台に、広島市から嫁いできたヒロインの女性・すずとその周囲の人たちがけなげに生きる姿を描いたこうの史代の漫画を、片渕須直監督が6年以上費やして映画化。昨年11月、全国で約60館という公開規模でスタートしたが、あらゆる批評家、そして一般の観客たちがこぞって絶賛して評判が広まり、累計観客動員数は100万人を突破。キネマ旬報が選ぶ2016年のベスト・テンでアニメ作品としては28年ぶりの1位に輝き、現在は上映館数も200館を超えている。

私もこの作品を鑑賞したが、何より感銘を受けたのは、登場人物たちが戦時下の過酷な状況を当然のこととして受け入れ、時勢に対して何の不満も言わず、かといって戦局に一喜一憂するわけでもなく、一日一日をただひたむきに生きていたところだった。戦争は怖いとか、いけないことだというのは、今の日本なら誰でもそう思うことである。しかし戦時下はそうではなく、一般の人々の暮らしぶりとは、この映画のようなものだったのだろう。そんなことをしみじみと感じさせられたのだった。

中国新聞1945年8月2日1面。度重なる空襲で呉市民の多くが生命を奪われても日本の優勢が伝えられ続けた

そして私が改めて気になったのが、当時の戦争報道がどのようなものだったのか、ということだった。戦時下において、この映画の舞台となった広島県呉市の人たちの戦争に関する事実認識や考え方は当然、戦争報道によって形成されていたはずだからだ。そこで、広島地方の地元紙である中国新聞の当時の報道を検証してみた。

◆呉で2000人が犠牲になって以後も日本優勢を伝え続けた地元紙

軍港があった呉市は終戦が間近に迫った1945年3月から7月にかけ、計14回の空襲に見舞われ、約2000人の民間人が犠牲になったと伝えられている。しかし、8月2日の中国新聞は1面に、〈本土の戦備・着々強化〉〈機動部隊 艦上機を迎撃 約八七八機を屠る 我軍事施設の被害僅少〉と、このごに及んでもなお戦局は日本が優勢であるかのように伝えている。まさに「世界の片隅」にいて、地元の状況以外は報道で知るしかない呉市の人たちがこんな報道を見れば、呉市はどんなに悲惨でもそれ以外では日本が優勢なのだろうと誤認しても仕方ないだろう。

その後も同紙の紙面には、〈沖縄の基地艦船猛攻〉〈バリックパパン 斬込みで敵陣撹乱〉(以上、8月4日1面)、〈タンダウン、トング―の線で出血戦 ビルマ皇軍勇戦続く〉(8月5日1面)、〈笑殺せよ 爆撃予告 心理的効果が狙ひだ〉(8月5日2面)・・・と日本の優勢を伝える見出しが躍り続ける。そして1面で、〈敵殺傷四千八百余 タラカン島の総合戦果〉と報じている8月6日の午前8時15分、広島市に原爆が投下され、10万人を超す人が生命を奪われたのである。

中国新聞1945年8月9日1面。原爆投下3日後、地元紙が原爆について最初に報じた記事。今思えば見当外れだ

◆映画が再認識させてくれるもの

原爆投下の翌日と翌々日、さすがに中国新聞は発行されなかったが、3日後の8月9日には早くも発行を再開している。ただ、この日の1面では原爆について、〈新型爆弾攻撃に 強靭な掩体と厚着 音より速い物に注意〉と、今思えばかなり見当外れなことを書いている。社説も〈逞しくあれ〉などと訴えているのだが、「そんなのは無理」というしかないだろう。さらに社説の下には、海軍少将・高田利種の〈この戦争・絶対勝つ 秘策着々進む 挫けるな精神戦〉という訓話が掲載されているのだが、よくもこんな無責任なことを言えたものである。

その後も、同紙の紙面には、〈人類の敵を抹殺せよ〉(8月13日1面)、〈水上機母艦を撃沈 潜水部隊、沖縄へ出撃〉(8月14日1面)、〈空母等二艦を大破 敵機動部隊を捕捉猛攻〉(8月15日1面)・・・と、昭和天皇が玉音放送で日本の降伏を伝える8月15日まで勇ましい見出しが躍り続ける。

中国新聞1945年8月16日1面。日本の優勢を伝え続けながら終戦翌日はこんな紙面に……

そして終戦翌日の同8月16日には、1面で大々的に〈大詔渙發・大東亜戦争終結〉〈神州の不滅を確信し 萬世の為に太平を開く 米英支蘇四国共同宣言を受託〉と終戦が伝えられているのだが、今思えば、こんなデタラメな報道がまかり通っていたというのは本当に恐ろしいことである。

報道の自由や言論の自由が大事なものであるというのは言うまでもないことだが、映画「この世界の片隅に」はそのことを再認識させてくれる作品でもあるように思う。


◎[参考動画]練馬アニメカーニバル2015「『この世界の片隅に』公開まであと1年!記念トークイベント」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

今年は衆議院の解散、総選挙があるようだ。解散は総理大臣の専権事項だから、いつ解散されるのかは、安倍のみが決めることではあるが、永田町の住人たちに聞くと、「おそらく今年中で確実だ」の声が多い。

◆英国EU離脱もトランプ大統領選勝利も二者択一の中での選択

さて、そうなれば衆議院の議会構成図を変える機会が訪れるのだから、常々「最低・最悪」と現政権をなじっている私からすれば、前のめりに、無根拠でも何らかの変化と、できうることであれば自公政権の終焉を夢想したりしてみるのだが、その可能性はあるのだろうか。「いくらなんでもそれはないだろう」と言われた。

ドナルド・トランプが大統領選に勝利し、英国がEUから離脱する決断を2016年世界は目にした。どんなことにだって可能性はあることを私たちは見たのだ。けれども、それらは二者択一の中での選択だったことを忘れてはならない。米国大統領選挙は、ヒラリー・クリントンかドナルド・トランプの選択で、英国のEU離脱は「EU残留」か「EU離脱」を選ぶ。それ以外の選択肢は「棄権」以外にはない投票行動だった。

◆一票の意思表示が妥当な価値で扱われない小選挙区制度

 

解散、総選挙となれば有権者は、支持する候補者と政党の名を書き、それが意思表示(投票)となる。しかし小選挙区制が導入されている現在の選挙制度の下では得票率が獲得議席に比例しない、という構造上のからくりがある。選挙結果がどのように表れたとしても、一票の意思表示が妥当な価値で扱われない制度であり、まずはこの大問題を正すべきではないか。

「金がかかる」といって中選挙区制から移行された小選挙区制であるが、「金がかかる」理由を質したら「自民党内の候補調整に金がかかる」というのが、本当の理由だった(田原総一朗氏談)。まず中選挙区に戻したら少しは不平等が解消されるだろうが、読者はどうお考えだろうか。

◆絶望する根拠[1]──野田佳彦が幹事長の民進党に票が集まる理由なし

そして2017年総選挙になったら、私の期待とは正反対の結果が導かれるであろうことを、残念ながら私はほぼ確信する。それ第一の理由は野党第一党の民進党には、現政権に対する明確な対抗政策がなく、党内には「隠れ自民党員」とレッテルを貼りつけても不足ではないダメダメな奴らが相当数見当たるからだ。原発事故後に「終息宣言」を口にし、再稼働の暴挙を強行した野田佳彦。素人が見たって、最悪のタイミングで「自滅解散」に打って出た大馬鹿者。こんな奴が幹事長として党の中枢でまたぞろ大きな顔をしていれば、自公政権に嫌気がさしている有権者の票が集まる理由がなかろう。

◆絶望する根拠[2]──自民と維新の二者択一に投票意欲がわくはずなし

 

そしてさらに絶望的な根拠の象徴として、大阪を中心とする関西地区での維新勢力の定着である。大阪府11の小選挙区では自民と維新が実質的に議席争いを繰り広げることになるが、現状どうやらそこに他の野党候補が食い込む余地は全くないようだ。自民と維新の選択? 地元大阪では、橋下徹に牽引された「大阪都構想」をめぐって、維新(一部公明)対他の政党という、地域限定のトピックがあったけれども、国政に送り出す候補者を自民か維新のどちらからしか選べないのであれば、そんなものに投票意欲がわくはずがない。

◆絶望する根拠[3]──東京・大阪・大都市圏票の急激な保守・反動化

 

かつて国会議員の選挙では、都市部では革新勢力(今ではこの言葉すら目にしなくなった)が強く、地方では主として農協に支えられた保守が強いという構図が長く続いたけれども、東京都知事に石原慎太郎が就任して以来、この構図は崩れた。

都市部ほど保守・反動が強くなり、野党の小選挙区で議席獲得はむしろ地方に広がりを見せている。これは21世紀に入り、確実に歩みを進め、その速度を増し、右傾化が都市部において地方を凌駕していることの表れでもある。

大した議論もなく、選挙権を18歳に引き下げた、自公政権の自信には「若者の洗脳は完成した」とのメッセージが込められていると、深刻に受け止めなければならない(事実昨年の参議院選挙で18-20歳の投票行動はその通りになった)。

◆元憂歌団の内田勘太郎さんの至言──「(時代を)作っていくのは若い人」

正直に言えば、どうにもならないだろうという結論しか私にはない。しかし、私は我が身一人でがっかりしていればよいのであって、状況が厳しくとも、なんとか打破を実現しようと、汗をかいておられる方々を冷めた目で見るわけでもないし、その逆だ。『NO NUKES voice』第10号で、元憂歌団の内田勘太郎さんが優しい物言いの中、鋭敏なメッセージを発している。

「俺は俺でずっと頑張りますけど。知ったこっちゃない。でも(時代を)作っていくのは若い人だから自分のことを年寄りだとも思ってないですけど『頑張ってね』とだけ言いたいな」

至言なり! さすが芸術の才のある人の言葉は違うと感じ入る。「(時代を)作っていくのは若い人」なのだ。私たち中年や老人がああだの、こうだの言っているあいだは「時代が死んでいる」のだ。新しい発想や行動、そして何よりも、この社会の理不尽に体を震わせるほどの「怒り」が若者から発せられたとき、ようやく時代は動き出すのだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

『NO NUKES voice』10号【創刊10号記念特集】基地・原発・震災・闘いの現場──沖縄、福島、熊本、泊、釜ヶ崎

『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』

◎司会
◎伊東北斗(芸能記者) 
◎ミスターX(中堅放送作家)

 

商業出版の限界を超えた問題作!

◆なんだったのか、石田純一の都知事出馬会見

伊東 「消された」といえば、石田純一の都知事出馬会見こそが、なんだか知らないうちに野党が話をうまくつぶして、鳥越俊太郎を担ぎ出したということがあった。

ミスターX 石田は出馬会見で「野党統一候補に私をしてくれれば、出馬してもいい」と会見。上から目線で民進党や共産党をあおって「ふざけるな、つぶせ」という話になった。片岡 あのときは、石田純一がCMやテレビ番組のペナルティを払う寸前に出馬を取りやめ。あれもなにか中途半端な決意でますます政治離れが加速していった印象です。蓋をあければ、ただたんに奥さんの東尾理子が「当選しても落選してもどちらにしても茨の道になる。覚悟はあるの?」とセリフにだまりこんだとか。

伊東 そもそも「不倫は文化」と言い放つタイプで、独特の日本語を話すから記者が彼の言葉を理解するのにすごく時間がかかった。そんなので都民に政策や情熱が伝わるわけはない。記者会見がすごく下手だ。

◆とびぬけて好印象だった「TOKIO」山口達也

 

[増補新版]ジャニーズ50年史(ジャニーズ研究会)

ミスターX 最近は「記者会見スキル」というのが定着したね。言い換えれば「記者の追求をごまかす」というスキル。

伊東 ファンキー加藤が親友のアンタッチャブルの柴田の奥さんと不倫して、「記者会見での対応が真摯」「慰謝料を一括で払った」と変にヒーロー扱いされているのが気持ち悪かった。また、その直後に三遊亭円楽も不倫して謎かけでマスコミをたのしませるなどして「大人の記者会見」が評価された。

ミスターX 不倫という不道徳が責められるべきなのに、記者への対応の良しあしでなんとなく「罪の深さ」が決まるのは本質からずれているような気がしています。「TOKIO」の山口達也も「なんでも聞いてください」とさわやかな会見をして、記者がひとりひとり帰るのを見届ける礼儀のよさ。これで悪く書けなくなったという(笑)。

伊東 山口の場合は、とっくに別居していましたが、奥さんが「ほかに女を作らないように」と近所に住んで監視していたというちょっと不気味な夫婦生活が長く続いていました。

ミスターX まあ山口は人となりもいいですし、三十路にはもてる。キャバクラでも「山口さんて優しい」ともてまくっていましたからね。銀座の高級クラブで記者というと「山口くんを連れてきて」と三十路近いホステスにいわれることも。とびぬけて好印象です、はい。

◆高畑裕太のレイプ未遂事件

伊東 正反対なのが、高畑裕太のレイプ未遂事件です。あれは被害女性が男に相談した直後、すぐに逮捕となった。「これは事件にしよう。警察とマスコミを呼べ」という段取りで母親の高畑淳子から金をむしりとろうと瞬間的に段どったのという噂が千里を走った。

ミスターX のちに高畑裕太が警察から解放された映像を見たが、「報道陣をにらんでいた」とされていたが、あれはただ茫然自失としていただけ。だが母親と会うや否や「仕事なくても貯金で暮らせるよね」と確認したというからどこまでもノー天気な体質なんだか。

伊東 高畑淳子クラスになれば、マネージャー的な仕事をやっていれば食えると思う。別に金の心配をする必要はない。

司会 都内の豪邸は完成したようです。

ミスターX あそこも近所から「高畑裕太は住むのかどうか」という問い合わせがけっこう高畑の事務所に入ったようです。なんせ自分の部屋にひとめ惚れした女を力づくで引き込むという強引さ。年頃の娘がいる親御さんなら心配でしょうがないでしょう。

 

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

◆成宮寛貴の報道で、「俳優を守る」という態度に徹したテレビ朝日

司会 『相棒』(テレビ朝日)などで注目されている伸び盛りの元俳優、成宮寛貴については、告発している男性が「愛憎劇をメディアで展開している」という印象ですね。

伊東 これは『FRIDAY』が第4弾までも準備していて満を持して出したスクープです。僕のところにも、成宮のコカインの話は来ていましたが、「結局、FRIDAYがネタを買ったか」という感想です。つぎからつぎへとテレビ局から成宮の態度が悪い、という話を聞きます。僕も成宮が試写会で足を投げ出して不良っぽい態度をとっている姿を観ました。

ミスターX あのコカイン吸引写真は各週刊誌に持ち込まれたが、なにせ告発者が「コカインをやっていた」という証言はあったが、過去のものであり、麻薬取締法違反は現行犯じゃないと逮捕されないというジレンマがある。

伊東 理論的には「今はやっていません」といえば罪とならない今の法律にも問題があると思うが、どうだろうな。ただ、テレビ朝日は年末に成宮が出ている『相棒』の再放送を断行した。逮捕されていない以上は「推定無罪」であり、再放送をやめる必要はない。このあたりには愛情を感じた。

ミスターX ただどうだろうな。テレビ朝日には「成宮が出ている『相棒』は出すな」というクレームが視聴者センターに殺到していたが、オペレーターは「逮捕されているわけではないですし、放送する価値はあると判断しました」とすでに想定問答を終えたマニュアル対応をしているだけ。テレビ朝日としては大麻取締法違反で逮捕された高樹沙耶の作品が再放送できないから、アドバルーン的に成宮が出ている回を放映して反応を見ているのでしょう。

伊東 テレビドラマだからこうなっているのであって、映画だったら数億で済む話ではないです。撮影してあった映画がないのが不幸中の幸いです。

司会 この時代、繰り返し同じ作品を楽しめるサイトがたくさんあり、そちらのほうの課金も少額じゃないから、重大な問題ですね。

◆ASAK逮捕に見る警察捜査のずさんさ

司会 ASKAが「盗聴されている」と警察に通報して、逆に覚せい剤取締法違反で逮捕された報道は「情報ライブ 宮根屋』(読売テレビ)で「逮捕されそうです」とASKAが話していたのが先で、逮捕があとだったので驚いたです。

伊東 この一報は海外で知りましたが、なんで報道がびしばし出てから逮捕されるのか順番が逆で、そこをメディアが誰も指摘しないのか、不思議で仕方がなかったです。ASKAが「盗聴されている」としている集団は一般的には「妄想」となっているが、万が一、実在したらマスコミは責任とれるのか、という印象です。

ミスターX ASKAの場合は、某暴力団が「余計なことを話すな」というけん制で人づてに「余計なことを言うなよ」というメッセージをさまざまな形で伝えています。その伝え方に問題があったのではないか、と僕は見ています。なにかこう、暗号めいたメールを送るとか、ひと言だけ携帯で言って切るとか。そうした行為を『なぞの盗聴集団』とかんちがいした可能性について僕は追跡しています。

ミスターX でも僕が聞くかぎり、新曲のできはいい。不起訴になって、ライブの話もにわかに聞こえてきた。まあ、「ASKAの話をふっても反応しなくなった」というCHAGEとは二度と組んでやらないと思うけど。

伊東 おもしろい話があって、これはカラオケ配信会社に聞いたんだけど、ASKAが世間をにぎわせるタイミングでは、カラオケで「CHAGE & ASKA」の曲が歌われる回数が激増。「余計な、粉などないよね~」など替え歌をサラリーマンらが楽しむらしい。

ミスターX 「YAH YAH YAH、いまから一緒に、ラリってみようか」とかね。

司会 今年はいずれにしても「不倫にドラッグ」に。芸能界にとっては大殺界でしたね。

伊東 記者にとっては、おいしい状態でしたけどね。

◆紅白スキャンダルと地上波TV「終わりの始まり」

ミスターX 最後は、「第67回紅白歌合戦」の出場歌手が来年1月に記者に確実にマークされる。

伊東 見出しが立ちやすいですから。僕もさる大物歌手をマークしています。

ミスターX 最後の最後までNHKは交渉すらまともにしていないのに「SMAPが出る出る詐欺」を押し通していた。あのまま「出るかも」と期待させて視聴率を稼ぐ作戦だったのは見え見え。そもそも「5人で歌いたくないから解散」なのに、どうして「紅白だから5人で歌おう」という話となるのか。籾井勝人会長はよほど「たつ鳥あとを濁しまくり」でNHKスタッフの評判は最悪。早く退陣してくれ、と現場社員たちは指折り数えていますよ。

伊東 元三菱商事副社長で、経営委員の上田良一氏が今度のNHK会長だが、「NHK離れが激しい」世間の信頼をどこまで取り戻せるかが注目したい。

ミスターX まあ、民放局が元気がなくて、脚本家も地上波を見切って独自に番組を作り始めたオンラインテレビ局「Netflix」や「Hulu」などに企画をもちこみはじめた。制作会社も「ネット番組のほうが予算が出るかも」という見方を始めている。

伊東 いよいよ、地上波が「終わりの始まり」かな。

司会 そんなわけで今年もさまざまなビッグニュースが飛び出すかも。みなさん、そのときは、濃い取材や情報提供をよろしくお願いします!

(伊東北斗)

2014年7月から法務・検察の実質的な最高位である検事総長のポストに君臨し、2016年9月に勇退していた大野恒太郎氏が日本弁護士連合会に弁護士登録していたことがわかった。当欄で2016年10月28日に既報の通り、大野氏は法務官僚時代、冤罪疑惑の根強い男性死刑囚に対する死刑執行に深く関与している。今後はその過去を伏せて日本有数の大企業に天下りすることが予想され、動向に要注目だ。

◆まずは「四大法律事務所」の客員弁護士に

検事総長を勇退以来、進路が注目されていた大野氏。最初に明らかになった勇退後のポストは、日本の「四大法律事務所」の1つである森・濱田松本法律事務所(東京都千代田区丸の内)の客員弁護士だった。同事務所のホームページによると、大野氏は2016年11月16日付けで入所。その後、2016年11月吉日(原文ママ)付けでホームページには、大野氏本人による入所の挨拶文も掲載された。

それを見ると、書き出しは〈拝啓 皆様におかれましては、ますますご清祥のこととお慶び申し上げます〉と初々しいが、その後は〈内閣司法制度改革推進本部事務局次長として司法制度改革を担当〉したとか、〈裁判員制度や被疑者国選弁護制度の導入、法曹養成制度改革、法テラスの創設等を実現〉したなどという手柄話が連綿と綴られている。しかし当然というべきか、「あのこと」には一切触れられていない。

大野氏の挨拶文も掲載された所属弁護士事務所のホームページ

1992年に福岡県飯塚市で小1の女児2人が殺害された事件で、無実を訴えながら死刑判決を受けた久間三千年氏(享年70)が死刑執行されたのは2008年10月のこと。大野氏は当時、法務省の刑事局長だった。死刑は法務大臣の命令により執行されるが、その前に法務省の官僚たちが死刑執行の可否を審査し、決裁している。中でも中心的な役割を担うのが刑事局であり、そのトップだった大野氏は久間氏に対する死刑執行の実質的な最高責任者と言ってもいい。

私は大野氏が検事総長だった頃、この冤罪処刑疑惑に関する取材を申し入れたが、事務官を通じて、取材を断られたことがある。手柄話ばかりを連綿と綴った上記の挨拶文を見ても、大野氏は今後もこの冤罪処刑疑惑について、公に語ることはないと予想される。

◆大野氏同様に冤罪処刑への関与が疑われる1つ前の検事総長も・・・

そこで注目すべきは大野氏の天下り先だ。歴代の検事総長は誰もが大野氏同様に弁護士登録し、日本有数の大企業に天下りしているからだ。直近5代の元検事総長たちの天下り先を別掲の表にまとめたが、文字通り、日本を代表するような大企業ばかりだ。大野氏と共に法務事務次官として久間氏の死刑執行の決裁に深く関与した1つ前の検事総長である小津氏も、何事もなかったかのようにトヨタと三井物産で監査役のポストを得ている。大野氏も小津氏と遜色のない天下り先を得る可能性は高い。

久間氏の遺族は現在も裁判のやり直し(再審)を求めており、福岡高裁で再審可否の審理が続いている。その一方で、この冤罪処刑疑惑に深く関与した官僚たちが何事もなかったかのように恵まれた天下り先を確保し、ゆうゆうと余生を送る不条理。我々はこの現実を直視しなければならない。

直近5代の検事総長の天下り先

〈追記〉
大野氏をはじめとする久間氏の死刑執行に関与した法務・検察官僚たちに直接取材した結果や、大野氏らが決裁した久間氏に対する死刑執行関連文書が私の編著「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(鹿砦社)に収録されている。一読の価値はあると思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2017年2月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

◎司会 
◎伊東北斗(芸能記者)
◎ミスターX(中堅放送作家)

 

[増補新版]ジャニーズ50年史(ジャニーズ研究会)

司会 昨年は1月から「SMAP」解散報道にベッキーと「ゲスの極み。乙女」の川谷絵音との不倫が連発して、記者たちは大忙し。寝る時間がないほど情報集めに奔走していたと聞きます。

伊東 「SMAP」解散報道は、いち早く芸能記者の片岡亮氏がスクープしていましたよね。いまでは「SMAP解散報道を抜いた片岡」と業界内で名刺代わりに言われています。

ミスターX 「SMAP解散」騒動を抜いたのは、一般的にはスポーツ紙だとされているが、これはジャニーズ事務所の意向を受けてのもの。まるで一部のスポーツ新聞は、ジャニーズ事務所の広報と化したかのように、「SMAP」の権威を守るために、こぞってSMAP独立を画策した「飯島三智元マネージャー」を悪者にしていた。

司会 その通りです。

ミスターX 飯島マネージャーが焦ってさまざまな芸能界の大御所に相談したようです。しかし、木村拓哉は工藤静香の反対に遭うとすぐに飯島マネージャーに「ついていけない」と伝えた。あの夏から「SMAP」は狂い始めたんです。あまりにも報道はジャニーズ事務所が作った「飯島の策略」というストーリーに乗りすぎています。「SMAP」は昨年の8月に独立の話が持ち上がった時に、すでに崩壊の序曲が始まっていた。このときに中居はすでに親しい松本人志に『SMAPが飯島マネと一緒に事務所を出るかも』と相談したようです。

伊東 まあいまだに中居が独立して事務所を立ち上げるとか報道されているが、楽曲の原盤をジェイドリームに抑えられているわけで、出ても飯が食えるわけがない。

 

中居正広 MERAMERA★メラメラ★PRINCE(ジャニーズ研究会)

司会 けっこうみんな「中居が独立」と書き飛ばしていますね。

伊東 この1月から始まった「SMAP解散騒動」では、どのスポーツ新聞やテレビ局がジャニーズ事務所と仲がいいかが如実にわかってしまった。それと「ジャニーズ事務所」ほどマスコミに関して口が堅い事務所はない。記事で「ジャニーズ関係者が語る」なんていうのはすべて嘘。この前あったDeNAの医療サイトでミ「取材なしのでたらめ医療記事」を掲載するミスがあったが、あれと同じレベル。

司会 続いて、社会問題ともなったベッキーと川谷との「ゲス不倫」ですが、「センテンススプリング」「文春砲」「ゲス不倫」が流行語大賞のノミネートされるほど大騒ぎとなりました。

ミスターX ベッキーと川谷がやりとりていたLINEの画面が流出しており、それを週刊誌の誌面で公開。もはや「ネットでのやりとり」は他人が確実に覗ける時代になった証左ですね。東野講じ関西の番組で熊切あさ美とこのやりとりを「音読」して、のちに「ワイドナショー」(フジ)に出演したベッキーに謝罪していたが「連日、バラエティ系ニュース番組は放送作家は何も考えなくても『ベッキーネタ押しで』で会議はすんだので相当、楽だったね。

伊東 熊切にまで揶揄されるとはかなり悲惨だね。

ミスターX 川谷については、ベッキーと別れたあと、ほのかりんと飲酒して「未成年に飲酒させていた」とさらにたたかれていた。半同棲ということだが、ほのかが事務所に支払うべき賠償金の1千万円を肩代わりするらしい。もう結婚する準備に入るのでは?

伊東 その可能性は大だね。その情報がとれればまたスクープだけど。

 

『芸能界薬物汚染 その恐るべき実態』

◆逮捕から3年間、警察の行確がついていた清原

司会 記者のかたたちが2013年あたりから「覚せい剤で逮捕される」とことあるごとに行っていた元プロ野球選手の清原和博が久しぶりに「社会復帰」しましたね。

伊東 昨年2月3日に覚せい剤取締法違反(使用・所持)で逮捕されて以来、ひさびさに七・三分けでスーツと、それまでの「番長キャラ」を捨てたスタイルでスポーツニッポンのインタビューに(2016年12月24日)答えていた。「自分だけでやめることなんか不可能。いろんな人に支えてもらうことが必要だし、厳しい留置場生活も一生忘れてはいけない。何より子供たちに自分の父親が逮捕された姿を二度と見せたくない。その気持ちがないと、薬物には立ち向かえない」なんて殊勝にも話をしていましたが、格闘技系の支援者がこっそりと会員制バーに通わせているの事実はプロ野球関係者ならだれでも知っています。

ミスターX 清原和博は、ニューハーフ美女と再婚するんじゃないかとささやかれ始めました。まあ逮捕されてから沖縄の宮古島でバカンスを楽しんでいる姿が写真週刊誌『FRIDAY』にスクープされていましたが、これはその支援者が『気分転換に沖縄に行こう』という話が清原の周辺から漏れたようです。

伊東 そもそも六本木の仲がいい医者に大金を渡して「シャブ抜き」を定期的に依頼していたのは裏社会では知る人ぞ知る事実。僕が手伝っているヤクザ実話雑誌には怪しいコーディネーターから「番長の遠吠え」なんていう連載企画が舞い込んできたのですが、事務所に連絡しても誰も出ないのであきらめた。そのコーディネーターも清原逮捕で海外に高飛びしたそうです。動いたライターは「何度も銀座に連れていかれてインタビューの前金をとられるなど振り回されて時間と金を無駄にされた」と訴訟も視野に入れているそうです。

ミスターX 清原を六本木で見かけたことがあったが、逮捕前はサラリーマンでもプロ野球関係者でもない、いわゆる半グレっぽい連中と一緒で不気味に見えました。歩いているところを直撃したこともありましたが、目はうつろでしたね。

伊東 清原のせいで母校のPL学園高校野球部に部員希望者がおらず、今年休部に追い込まれたといってもいいすぎじゃない。

司会 伊東さんは清原の裁判の傍聴に並びに行きましたね。

伊東 そうなんです。抽選に外れましたが、来ている人たちに話を聞いていくうちに「PL学園高校出身なんで気になって大阪から来ました」という「PL学園高校OB」のグループが2つや3つじゃなかった。野球が好き、嫌いということではなく“PL学園のOBに愛されていたプロ野球選手”だったんだなあと感じました。

ミスターX 清原については、警察のマークが厳しかったと聞いています。

伊東 僕も警視庁担当の新聞記者に何度も「いつ逮捕されてもおかしくはない」という情報が入ってきていました。ただし、清原をたどっても覚せい剤を扱う大物のヤクザなどは出ないと思いますね。小林和之という売人が暴露本を出したように、清原に覚せい剤を売っていたルートは何人も人が入っていて複雑ですし、僕から見て入手ルートは東南アジア系ですから。

ミスターX 僕も「スポーツニッポン」の清原のインタビューは見ました。「来年、入れ墨を消す」としているけど、なんですぐに消さないのかな。そのあたりからして反省の色を感じません。

司会 相変わらず敵が多いそうですね。逮捕前にたくさんキャバクラ嬢が「清原にドラッグやろうと誘われた」とさんざんぱら証言していた。またキャバクラ通いがはじまったら記者の餌食ですな。狩野英孝の6股騒動はなんだったのでしょうか。なんだか登場人物たちの売名行為にメディアをあげてつきあったような気もします。

 

商業出版の限界を超えた問題作!

伊東 今から思えば狩野売名行為だ指摘されていたのは加藤紗里なんですが、とにかくあとから狩野が「別に交際していない」と発言して、一気に話に信頼性が薄らいだ。有吉弘行が番組で「俺は(加藤とは)絡みたくないね」と発言して物議をかもしていた。「週刊女性」の神谷明良記者がニコニコ動画の芸能番組で「どう見ても加藤はバリバリ整形している顔」と過激な発言をしてネットではいっせいに「整形手術10回以上」なんて書かれていた。

ミスターX その有吉は、夏目三久と妊娠騒動を起こして、日刊スポーツにスクープされたが、当初は双方の事務所に確認してもはっきりとした答えは言わない。番組も降りる、降りないの話が伝わってきたが、結局は夏目の事務所に有吉が謝罪にいってこの話はジ・エンド。すっきりしないうちに日刊スポーツが「事実誤認でした」と報じた。

伊東 有吉もマスコミをかわすために、芸人仲間のマンションを転々としたようです。ところが人望がないせいか、こぞってマスコミに「有吉さんが来てます」とリークされていた。写真週刊誌に直撃されて、「なんで俺の居所がばれるんだろう」って。そりゃあんたの周辺が情報を流しているからでしょうが(笑)。

ミスターX とくに夏目は“芸能界のドン”と呼ばれる事務所社長のお気に入り。有吉は速攻で謝罪したから許されたものの、あと2、3日謝罪が遅れていたら、芸能界から“消されていた”可能性がある。(後編につづく)

(伊東北斗)

キックボクシング界から一人だけ選ばれる昨年の最優秀選手を予想するなら、ファンやマスコミ等ではすぐ頭に浮かぶことでしょう。それを形となって現わすことの出来ない現状であります。また多くの若者がデビューする裏側には団体の壁で区切られる層の薄さがあって新人王トーナメント戦には発展しない現状があります。

◆1986年の年間最高試合表彰式──衝撃的展開の2試合

1986年MA日本キック連盟新人王。小沢一郎氏がコミッショナーとなった時期、なかなか大々的でありました。左からフライ級宮野博美(光)、バンタム級清水隆弘(AKI)、フェザー級黒山猛(AKI)、ライト級杉田健一(AKI)、ウェルター級竹山晴友(大沢)

キックボクシングの昭和の全盛期では新人王トーナメント戦が各階級で盛んに行われていましたが、テレビが離れた後の業界の衰退期は、興行が激減し選手も育たない中、新人王戦も年間表彰式も行なえるわけもなく、ここから奇跡的復興した後のMA日本キックボクシング連盟の初期、1986年から年間表彰式が行なわれていました。

この年の最高試合賞は同年5月の日本ウェルター級タイトルマッチ、チャンピオン.向山鉄也(ニシカワ)vs 同級2位.須田康徳(市原)戦のダウン奪い奪われまた逆転の壮絶な試合でした。

1986年11月24日、年間表彰選出で落ちた方の、準最優秀試合になった試合。日本ウェルター級チャンピオン向山鉄也(ニシカワ)vsタイ国ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオン.パーヤップ・プレムチャイ(タイ)戦。大木のような左ミドルキックで向山の腕は上がらなくなり、脇腹はケロイド状に腫れ上がった。スリップ気味ながらダウンを奪い2-0の判定負け

同年11月の向山鉄也 vs パーヤップ・プレムチャイ(タイ)も壮絶な試合で、選出に意見が互角に分かれるほどでしたが、過去の歴史の中でも現在まで、トップを争うほどの衝撃的展開の2試合でした。この年から新人王トーナメント戦も復活開催されています。

しかし、その後もキックボクシングにおいての年間表彰式は団体ごとの催しで、平成の時代に入ってからはMA日本キックボクシング連盟と全日本キックボクシング連盟での2団体が主に興行の中でのリング上で年間表彰式が行なわれるようになりました。現在のところは団体分裂が複雑過ぎ、またフリーのジムも多くなる分散化が進み、一部団体でしか行なっていないようですが、ひとつの団体だけの枠内で行なう表彰式では、そのレベルもキックボクシング業界全体としては価値の計りにくい曖昧なものとなってしまいがちです。

1993年1月に行なわれた全日本キックでの年間表彰式。清水隆弘も立嶋篤史も前田健作も杉田健一も熊谷直子もいた若き時代

2013年のプロアマボクシング年間表彰。年間最優秀選手賞の山中慎介(帝拳)選手。キックとは別世界の人のよう

◆ボクシング界が羨ましい

ボクシングではJBC、日本プロボクシング協会、日本ボクシング連盟(アマチュア)、東京運動記者クラブボクシング分科会が合同主催となって毎年1月に年間優秀選手表彰式が行われています。表彰対象はプロ・アマ別ですが、この辺は羨ましい限りの業界の結束力です。表彰は最優秀選手賞の他、殊勲賞、敢闘賞、技能賞、KO賞、努力賞、新鋭賞、最高試合賞などと女子部門があります。

また、新人王トーナメント戦もプロボクシングでは毎年各階級で行われますが、キックボクシングでの大々的な新人王各階級トーナメント戦は、昭和の時代と、上記のMA日本キックボクシング連盟の初期まで、その後は限られた階級だけでの少人数での争奪戦や一人だけ選ばれる新人賞など、団体にもよりますが近年まで存在しています。

世間の注目度が圧倒的アップするプロアマボクシング表彰選手の2014年集合写真

◆1973年、巨人の王貞治氏を抑えてキックの沢村忠氏がプロスポーツ大賞を獲った時代

そんな中、昨年末12月20日に行なわれた、プロスポーツ大賞授賞式で、キックボクシングから功労賞に日本ライト級チャンピオン.勝次(藤本)、新人賞に日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原)が選ばれました。新人賞は加盟各競技から15名が選ばれ、そこから最高新人賞が選ばれます。

さすがにメジャースポーツに囲まれると、なかなかキックボクシングが上位に食い込むことは難しいですが、プロスポーツ大賞が発足した1968年(昭和43年)当時からキックボクシング選手も堂々絡んでおり、キックボクシング創始者・野口修氏の努力で、1973年には沢村忠(目黒)氏が王貞治(読売巨人軍)氏を抑えて大賞を獲った時代もありました。

20年続くニュージャパンキック連盟(NJKF)の昨年の年間表彰式。過去には後楽園飯店でのパーティー形式もありました

◆一人しか選ばれない最優秀選手の希少価値

そんな時代を振り返り、12月11日の興行で伊原信一氏が「いつかはキックボクシングから大賞を獲ることを目指していきたい」と述べていましたが、今、盛り上がりつつあるキックボクシングなら将来的には決して夢ではない時代に入って来ているのも事実で、野口修氏が残した加盟権は新日本キックボクシング協会が受け継いでおり、業界の結束力があればやがて実現可能に向かうかもしれません。

そういう格式高いイベントにキックボクシングが上位に躍り出るには、幾らでも増える国内タイトルより、プロボクシングと同様の年間優秀選手表彰と、プロの底辺となる新人王トーナメント戦の存在かもしれません。アマチュアムエタイが団体の枠を越えて交流している現状があるので、しがらみの少ないプロの新人王戦も大々的にトーナメントを戦わせてみたいものです。

全階級から一人しか選ばれない最優秀選手の希少価値は、ひとつの階級の日本王座より重みがあるでしょう。タイでもマスコミと協会が選出する年間最優秀選手賞があるので、日本もその方向の、形となって現すことの出来る環境へ、陰からその可能性を応援していきたいところです。

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

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