クティ(僧宿舎)内。22年前、この壇上で日々の食事をしていました

献上される寄進物。私もこんなふうにバーツ(お鉢)と黄衣を買って来ました。贈ってくれる親族が居ないので自分で買うのです

和尚のアムヌアイさん。私、貫禄で負けそうです

タムケーウ寺の境内。寺の敷地内もこんな綺麗になりました

タムケーウ寺の憩いの場。バス停のような佇まい

なぜ22年もお世話になった寺に足が向かわなかったのだろう。今回、その寺に向かうことになった導きは何だったのだろう。藤川さんが導いたのか、ムエタイ絡みの友達の縁がそうさせたのか。

バンコクからペッブリー県に向かう朝、同行していた友人は仕事でシンガポールへ向かい、22年ぶりの出身寺に向かうのは私一人でした。

サイタイマイという南方行きバスターミナルにムエタイジム経営の友達に車で送って貰い、バスのチケットを買う。以前はエアコンの青色高級大型バスだったのに見渡すとワゴン車が並んだ乗り場しか見当たらない。経費節減でこんな運送手段に変わったのか。真相は分かりませんが係員に言われるがまま、この車に乗り込みました。いずれにしてもペッブリー県まで2時間ほど掛かります。

◆私が出家したタムケーウ寺

着いたところは、私が出家したタムケーウ寺の隣のバスターミナル。何も迷わず寺に着きますが、宿泊地を探してやや遠回り。すると周りをうろつく野良犬が唸りながら寄ってきます。何もしなければ咬まないまず。しかし煩いので、振り返ってカメラを向けると途端に逃げ出す。コンパクトカメラなのに怖いのか。以前、夜に絡まれた際はフラッシュ焚いてやったら途端にシッポ巻いて逃げたものでした。野良犬にフラッシュは効果的です。

私が寺に居た当時に寺の脇にローカル型(エアコン無し)長距離バスターミナルが新たに開設されましたが、今は無く、それとは違う位置にこの日に乗ったワゴン車型バスターミナルが開設されていました(エアコン高級バスはもっと離れた集落にターミナルがありました)。

昔は舗装の無い土埃のたつ路地と草の生える空地でしたが、今や立派な飲食店を含む団地が立ち並ぶ街となっていました。「お前が今度来た時は街の変貌に驚くぞ」と言っていた藤川氏の手紙を思い出す街並みでした。

プラ・ナコーン・キーリー(歴史公園)という観光地の山の麓にある、この寺の中も新たな仏塔が幾つか増え、寺の敷地内に舗装された歩道が引かれ、クティ(僧宿舎)も改築された綺麗さが目立ち、本堂周りも裸足で歩けば尖った地面に痛い思いをするザラつくコンクリート造りからタイル張りのような石畳に変化。これなら裸足で歩いても痛くないはず。お寺もお金が無ければ新たな建築物は建ちませんが、それなりに“儲かっている”と言ってはかなり語弊あるところ、信者さんが寄進する結果の発展をしていることが伺えました。

以前から藤川さんに教わり知っていたことですが、私の出家を認めて下さった以前の和尚さんは十数年前、ニーモン(信者さんの招きでの寄進)に向かう途中に交通事故で亡くなっており、今の和尚は私の初めての剃髪をしてくれた、当時の寺では中間管理職的なお坊さんで、現在51歳。厳しさある歳の取り方が表情に表れている貴乃花親方のような貫禄を感じました。

22年ぶりの再会ツーショット

◆笑って迎えてくれた和尚さんに感謝

笑顔で懐かしそうに迎え入れてくれましたが、最初に出た言葉が「よく来たな、もう嫁はもらったか?」。

「居ねえよ!」とは思えど、そんな目くじら立てることではなく、「居ない居ない、一人で居る自由奔放な人生だから」と言うと、「お前はホモか、ワッハッハッハ!」。

イラつく会話ではなく、「お前らこそホモ集団だろ、何十年も寺に居やがって!」とはギャグ的に思っても声には出していませんが、笑って迎えてくれた和尚さんに感謝でありました。

「今度、出家したいと言う友達を連れて来たら、この寺で出家させてくれますか?」と尋ねると、いとも簡単に「いいよ!」という返答。タイ人は先を読まず簡単に了解する民族であります。後になって「ダメダメ!」と言い出すこと当たり前なので再度交渉が必要です。

しかし、「で、いつ来るんだ?」とは気の早い展開。いやいや、その想定で聞いてみただけで実際に身近に出家志願者が居る訳ではない。しかしそんな心に悩みを持つ人生転機に、志願者がいつ現れてもおかしくない状況でもあるのです。そんな前準備的相談の訪問でもありました。

献上される寄進物。お坊さんに渡すグッズ数、15名分でしょうか

得度式を行なう本堂。懺悔の式もここで行ないました。懐かしい場所です

フェイスブックに夢中のメーオさん

◆また一人懐かしい僧侶と再会

そんな話は先延ばしとして、また一人懐かしい僧侶と再会。私より10歳若いお坊さんで22年前は23歳ぐらい。今は45歳と言う“メーオ”というニックネームで呼ばれていたお坊さん。まだ居たか、お互いハグまでした懐かしさでした。

「こいつは学も無いし、坊主やっているしか無いやろうなあ。還俗したところで就職先も無いやろうし」とは私がまだこの寺に居た頃の藤川さんの言葉。そんなことを思い出したのは、このメーオは数年前、一回還俗したことがあるという。たった5日で再出家したと言うメーオ。その理由を教えてはくれなかったが、藤川さんの言葉を思い出してしまうのでした。

しかし、こんなお坊さんは知能が低い訳ではありません。田舎では幼い頃に学校に行く機会が無かった者が多かったのです。今とはまた時代が違うので比べられないですが、メーオが持っていたのは“スマホ”。いとも簡単にフェイスブックを使いこなす。その中でも友達の多いこと。私は専門学校まで出ていても未だに使いこなせない。

外から見たクティ(僧宿舎)。藤川さんの部屋もここにありました

寺周辺でたまたま祭りの露店が並んだ店

◆「寺に泊まるか」とは誘われたが……

そんなクティの中で、早速翌日、得度式(出家式)を迎える青年が経文を暗記している姿を発見。これは撮って行こうと早速、得度式の撮影許可依頼をしました。ここでも「いいよ!」と誰もが言う簡単な了解。和尚は以前の私の撮影姿を見たことがあるお坊さん。どんな撮り方をするか、おおよそ想定出来たと思いますが、なかなか一般人として高僧の前をどこまで踏み込めるかは難しい問題があるのは承知の上でした。

その青年の親族が石鹸や歯ブラシなどの日用品を包んだ、寺での必需品を持って現れ仏壇に献上。といってもそんな僧侶グッズが街で売っている必需品であります。更に僧志願者に与える黄衣も同様に捧げていました。

僧志願者の若者は21歳で“ワサン”と言う名前でした。この得度式のため、過去に藤川氏が移籍したサムットソンクラーム県の寺に向かうことは中止として、スケジュールどおりにはいかないのがタイの常識ではありますが、機転を利かせて動く心構えで翌日の得度式に準備を整えました。

「寺に泊まるか」とは誘われましたが、寝る部屋も固い床に毛布一枚だったり、水浴びも想定も出来、懐かしい寺の造りの中ですが、先に近くにとったゲストハウスに戻ることにして、賑やかな寺周辺のターミナルや、たまたまお祭りの露店が連なっており、見て歩き食事もして、この日を終わりました。(つづく)

よそ者に吠えて向かってくるがカメラを向けると逃げる犬

◎ 私の内なるタイとムエタイ 〈1〉14年ぶりのタイで考えたこと

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

夜行バスではあまり眠れなかった。隣がいたら休めないことは分かっていたから、割高(それでも片道4,000円)の独立3列シートを購入したのにもかかわらず、だ。

川崎を出発するまでシートを倒すな、消灯したらスマホを見るな、カーテンを開けるな、渋滞中です。繰り返されるアナウンスに嫌気がさしたまま京都に到着した。

マイクロバスに乗り換え、しばらく北上。6月6日(火)、高浜原発3号機の再稼働を阻止すべく集まった人々と共に現地へ向かった。

◆5月17日の4号機再稼働に続き、6月6日に3号機が再稼働

高浜原発3号機、4号機は、2016年3月に大津地方裁判所が下した決定により運転を停止。裁判所が稼働中の原発の運転停止を命じた初の事例として注目されていた。

しかし、今年の3月に大阪高等裁判所が大津地裁の判断を覆す決定を下したことで、5月17日に4号機が再稼働。3号機についてはこの日、6月6日の14時に再稼働が予定されていた。

◆たじろぐ警察官、近づく海上保安庁ボート

高浜原発付近では複数回の検問に足止めされた。強気の運転手にたじろぐ警察官。なんのための検問かと尋ねると、ペットボトルロケットが打ち込まれたことなどを受け原発を警備しています、と答える。ワードのコントラストがなかなか面白い。

“音海地区”から原発を眺めていると、海上保安庁のボートが近づいてきた。それにしても海は透明で、風も心地よい。原発さえ見えなければとても穏やかな環境だと言える。

◆警察らと対峙する人たち、涙ぐむ黒田節子さん

現地には、報道陣や警察官を除き、約120名が集まっていた。数こそ少なく感じるかもしれないが、あのような僻地の限られたスペースだ。警察らと対峙する人数としては迫力がある。

暑い日差しのなかスピーチとシュプレヒコールを繰り返すも、3号機再稼働の知らせが入る。以降、原発を止めろとの主張に変更し抗う参加者。

「福島はもう取り返しがつかないが、高浜ではまだまだやるべきことがある」と語る、原発いらない福島の女たち・黒田節子さんの目には涙が浮かんでいた。

◆ゲート前の騒然──途絶えた拡声器の音と抗う人たち

代表者がゲート内に入りマイクを握った際、鉄製のゲートを締め切ったことが無線の障害となったのか、拡声器から声が聞こえなくなってしまった。

申し入れ内容を聞かせてくれと頼む声を無視されたことに反発し、数名がゲートに駆け寄り制止されるという、やや騒然とした場面も見られた。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
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最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

周辺で6人の男性が不審な死を遂げ、そのうち2人の男性に対する強盗殺人の容疑を起訴された鳥取連続不審死事件の上田美由紀被告(43)。裁判では、別件の詐欺や窃盗は罪を認めたが、2件の強盗殺人についてはいずれも無実を主張している。しかし、2つの強盗殺人事件が起きたとされる日の上田被告と被害者らの足取りをたどってみると、それだけでも上田被告の無実の訴えは無理があるとわかる。

今回はまず、現場の地名から「北栄町事件」と呼ばれる2009年4月4日の事件について見てみよう。一、二審判決によると、上田被告はこの日、270万円の債務の支払いを免れるため、トラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませ、海中に誘導して溺死させたとされる。2人は3月5日、金額を270万円、借主を上田被告、貸主を矢部さん、連帯保証人を上田被告と同居していた男性A氏とし、返済期限を3月31日とする金銭借用証書を作成していたというのは前回述べた通りだ。つまり、事件があったとされる4月4日は返済期限を4日過ぎた日だったことになる。

この日、上田被告は午前7時33分頃、車を使えば自宅からそう遠くない鳥取市丸山町のファミリーマート鳥取丸山店で、おにぎり2個、お茶、即席みそ汁を購入。これと前後して矢部さんと連絡をとって合流し、矢部さんはその後、上田被告が購入したおにぎりやみそ汁を食べている。

そして上田被告は矢部さんの運転する車ダイハツミラの助手席に乗り、2人で殺害現場の東伯郡北栄町の砂浜があるほうに向かっている。そして午前8時16分、国道9号線沿いにあるファミリーマート鳥取浜村店に到着。この店で上田被告はフェイシャルペーパー、ハンディウェットティッシュ、紙コップ、缶コーヒーを購入すると、再び助手席に乗り込んで、午前8時22分に同店を出発し、殺害現場の砂浜がある西のほうへ向かっている。

こうしたことは防犯カメラの映像など上田被告の裁判で示された客観的証拠により動かしがたく証明されている。そしてこの日、午前8時22分、ファミリーマート鳥取浜村店を出発する際に防犯カメラの映像で確認された矢部さんの姿は、客観的証拠により認められる「矢部さんの生前最後の姿」となった。

2日後の4月6日、殺害現場の砂浜で矢部さんのダイハツミラが止められているのが、通報を受けて臨場した警察官により確認される。それからさらに5日後の4月11日、砂浜から東に約3・5キロメートル離れた沖合の海中でワカメ漁をしていた漁師により、矢部さんの溺死体が全裸の状態で発見されている。そして死体解剖の結果、矢部さんの血液や胃内容物から睡眠薬や抗精神病薬が検出された――。

上田被告が矢部さんを殺害したとされる北栄町の砂浜

◆同居していた男性が真犯人であるかのように語ったが……

さて、矢部さんの体内から検出された睡眠薬などと上田被告の結びつきについては後に述べるが、矢部さんには自殺の動機や兆候は見受けられなかったという。とすれば、矢部さんが砂浜で自ら睡眠薬などを飲み、溺れ死んだとも考え難く、何者かに睡眠薬を飲まされ、殺害されたとみるほかない。矢部さんが姿を消すまでの経緯からして、その「何者か」が上田被告である疑いを抱かない者はいないだろう。

そんな状況において、上田被告にとって無実を訴えるうえでの唯一の望みは、午前11時過ぎに現場の砂浜で当時同居していた男性A氏と合流していることだ。この件に関する上田被告とA氏の言い分は大きく食い違うが、上田被告が電話やメールでA氏を迎えに来るように呼び出したことは事実関係に争いがない。そして上田被告は控訴審の法廷において、A氏こそが真犯人であると言ったに等しい次のような供述をしたのである。

・・・・・以下、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんの運転する車で西に向かっていた途中、矢部さんは私と自分の交際について、『今後どうするだ』『どう思っとる』などと言ったり、Aさんのことを『あれは男だろう』などと問い質したりしてきました。そして私が曖昧な答えをしていることについて怒り出したため、私はそのまま怒らせたら大変だと思い、矢部さんに対し、『頭、冷やして』と言って砂浜近くにあるコンビニ付近の路上で車から降ろしてもらいました。すると、矢部さんは砂浜のほうにいったん去っていきました。

その後、矢部さんは私をおろした場所まで戻ってきましたが、「頭、冷えたん?」と尋ねたところ、「いや、もうちょっと」と言うので、私が「じゃあ、もう1回頭冷やしてきて」と言ったところ、矢部さんは「わかった」と言って砂浜のほうに車を走らせて行ってしまい、その後、私は矢部さんと顔を合わせていません。

そしてこの間、私はAさんにメールや電話で迎えに来るように頼んでいたのですが、午前11時11分過ぎ頃、車に乗ってきたAさんと合流しました。そしてAさんに対し、矢部さんを怒らせてしまったことや、私のかばんを矢部さんの車に残したままにしてしまったことを説明したところ、Aさんは車を運転し、現場の砂浜手前の空き地に車を停め、車のトランクからペットボトル入りミルクティー2本を持ち出し、私を車に残して1人で砂浜のほうに歩いていき、約20分後、ズボンを濡らした状態で、私のかばんを持って戻ってきました。

その後、Aさんとホテルに入りましたが、Aさんは私をホテルの部屋に残し、車を運転してどこかへ行きました。Aさんはしばらくしてから戻ってきましたが、その時、車の後部座席には、矢部さんが当日着ていた着衣の上下とスコップが積んでありました。

・・・・・以上、控訴審判決をもとにまとめた上田被告の公判供述の要旨・・・・・

矢部さんは事件前、上田被告と交際しているような状態だった時期があったとされる。それにしても、上田被告の供述では、矢部さんが嫉妬に狂い、突如、頭がおかしくなったような話になっており、あまりにも不自然だ。そして同居男性のAさんについては、上田被告に呼ばれて現場にやってくるなり、矢部さんに睡眠薬を飲ませ、殺害した犯人であるかのような行動をとったことになっているのだが、荒唐無稽な弁解だと言わざるをえない。

広島高裁松江支部の控訴審で被告人質問が行われた際、私は傍聴券を確保できず、法廷の出入り口ドアにつけられた小窓から中の様子を伺っていたのだが、上田被告に質問をしている男性の弁護人が何やら悲しげな表情をしていたのが印象的だった。それは、第一審では公判で黙秘したまま死刑判決を受け、いよいよ自分の言葉で無実を訴えた控訴審でこんな荒唐無稽なストーリーを大真面目に語った上田被告に対し、哀れみを感じたからではないか。私はそう思えてならない。

(次回に続く)

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田被告は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田被告は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。そして2014年3月、広島高裁松江支部の控訴審でも控訴棄却の判決を受け、現在は最高裁に上告中。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

 

  
過去数回、国民投票法の問題点について取り上げたが、5月3日に安倍首相が2020年までの憲法改正を宣言したことで、来年の国民投票実施がにわかに現実味を帯びてきた。

来年というのは、国民投票実施のための国会発議には衆参両院で3分の2以上の賛成票が必要であり、現在の衆院の任期満了が来年末に控えているからだ。もし次期衆院選で与党が議席を減らして3分の2を維持出来ないと、国会発議そのものが不可能になる恐れがあるので、改憲派としては何としても来年中に実施したいのだ。

◆「失敗は許されない。やる以上は成立させる」(保岡興治推進本部長)

この安倍宣言を受け、自民党の憲法改正推進本部はそれまでの憲法審査会における与野党協調路線をかなぐり捨て、首相の意に沿うような憲法改正案策定に向けて急速に動き出した。

また、推進本部の保岡興治本部長は6月13日、国民投票について「否決されたら、安倍内閣の命運だけでなく日本の根底が揺らぐ。失敗は許されない。やる以上は成立させる」と述べ、推進本部の強化策として高村正彦副総裁を相談役とし、石破茂前地方創生担当相を執行役員会に入れて挙党態勢を目指すと述べた。

なぜ「否決されたら日本の根底が揺らぐ」のかさっぱり分からないが、自民党が総力を挙げて国民投票実施を目指し始めたことは伝わってくる。首相の発言に対して批判的な石破氏は推進本部会合でも批判はしたが、追随する者がなく孤立していると報じられており、最終的には安倍の腰巾着連中によって押し切られる可能性が高いだろう。

この保岡発言で注目すべきは、「失敗は許されない。やる以上は成立させる」という部分だ。現在、憲法改正のための国民投票実施が、国民に周知されているというような状況では全くない。自民党がどのような改憲案を提示するかで多少の違いは生じるかもしれないが、大急ぎで憲法改正をしなければならないという状況にないことは誰の目にも明らかだ。

そんな中で保岡氏がいくら「やる以上は成立させる」と力んでみても、国会の中だけならお得意の強行採決でなんとかなるが、国民に直接信を問い、なおかつ有効投票の過半数以上の賛成票を獲得しなければ「不成立」となってしまうのだから、これは相当にハードルが高い試みである。

◆改憲のための広報宣伝、国民洗脳が動き出す

自民党お得意の、国会のような「閉じられた世界」での成功方程式が全く効かないとなると、過半数以上の賛成票を発生させる方策は何か。それこそが、「人を説得する」こと、即ち怒涛のような広告宣伝によって多数の国民を洗脳し、賛成票を投じるように仕向けることしかない。

初めて体験する国民投票という場で、憲法改正という国の命運を左右する大命題の審判に参加させ、しかも必ず改憲賛成に投票させなければならない。しかもそれは全国規模で、数千万人の意志を「改憲賛成」にもっていかなければならない。これは首相が国会で所信表明演説をしたくらいでどうにかなるものではなく、圧倒的な物量で「改憲賛成」という意識を国民に刷り込まなければ到底不可能である。

そして現在の日本はまがりなりにも民主主義国であるから、独裁国家のように国民に強制的に独裁者の演説だけを聞かせて投票させることは出来ない。国民に改憲派の意見を聴かせるには、あらゆるメディア(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌・インターネット)を通して語りかけるしかない。しかし、そのメディアを使用するにはカネが必要だ。なぜなら、自らの主張だけを発信するのは、わが国においてはメディアの「広告」枠を買って使用するしかないからだ。これはもちろん、護憲派も同じである。

そうなると、国民投票で賛否の鍵を握るのは、1億人の有権者に自らの信条を届け、説得し、投票に行かせるための「広報宣伝戦略」ということになる。裏を返せば、これはある商品の魅力を伝え、購入する気にさせ、実際にカネを払って購買にまでいたらせる、通常の「商品宣伝」と基本構造が全く同じなのだ。

となれば、この憲法改正国民投票で改憲派の命運を握るのは、その広報宣伝を一手に引き受けるであろう「電通」だということになる。ネットを除くあらゆるメディアに対し大きなシェアと影響力を持つ電通は、改憲派(自民党)の豊富な政党助成金や財界からの政治資金をすべてのメディアに流し込み、圧倒的な「改憲賛成」世論作りを行うだろう。そこでどのようなことが起こるのかは以前にも書いたが、次回はさらに深く解説したい。

▼本間龍(ほんま りゅう)
1962年生まれ。著述家。博報堂で約18年間営業を担当し2006年に退職。著書に『原発プロパガンダ』(岩波新書2016年)『原発広告』(亜紀書房2013年)『電通と原発報道』(亜紀書房2012年)など。2015年2月より鹿砦社の脱原発雑誌『NO NUKES voice』にて「原発プロパガンダとは何か?」を連載中。

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 本間龍さんの好評連載「原発プロパガンダとは何か?」第10回は「佐藤栄佐久知事と東電トラブル隠し」

2010年6月22日に広島市のマツダ本社工場の敷地内で元期間工の男が車を暴走させて従業員たちを撥ね、1人を殺害、11人を負傷させた事件から明日で7年。犯人の引寺(ひきじ)利明(49)は「マツダで働いていた頃、他の社員らにロッカーを荒らされたり、自宅のアパートに侵入される集団ストーカーに遭い、恨んでいた」と特異な犯行動機を語ったが、裁判では妄想性障害ゆえの妄想だと退けられ、完全責任能力を認められて無期懲役判決が確定。現在は岡山刑務所で服役生活を送っている。

 

引寺が服役している岡山刑務所

当欄では、そんな引寺がまったく無反省の服役生活を送っていることを繰り返し伝えてきたが、引寺は事件から7年経っても相変わらずのようだ。引寺はこのほど、事件から7年の節目ということでデジタル鹿砦社通信への掲載を希望し、便箋20枚を超す手記を送ってきたのだが、それを見れば、引寺が今も何ら罪の意識を感じていないことが実によくわかるのだ。

◆マツダを侮辱しながら「RX-7が大好き」

引寺の手記はまず、〈今年の6月でマツダ事件から7年経つ。もうあれから7年かあー。月日が経つのは早いねーとはいえ、日々、刑務所にキッチリ管理された変わりばえの無い単調で退屈な受刑生活を送っているワシにとっては、事件からの7年は長く感じたのー〉と罪の意識が微塵も感じられない書き出しで始まる(〈〉内太字は引用。以下同じ)。

その後は、2013年に埼玉県でマツダ系列の自動車販売会社が試乗会で車の自動ブレーキがかからずに事故を起こしたことを持ち出し、〈やはりマツダの車は欠陥車じゃのー。(笑)〉〈ったく、マツダのエンジニア達はボケとるのー。(笑)〉などと嘲り笑うなど、マツダを侮辱する記述が続く。

そうかと思えば、〈ワシはガキの頃からRX-7が大好きで、今でもその気持ちに全く変わりは無い〉とマツダ車を好きだという屈折した感情を吐露。さらに〈ワシはRX-7とロータリーエンジンが好きなのであって、マツダが好きな訳じゃない。ロータリーエンジンが持つ、マイナーさゆえの孤高の存在感が好きじなんじゃ〉などと言うのだが、こうした記述には、マツダの関係者を挑発するような意図も窺える。

◆手記で訴える集団ストーカーの「真相」

引寺は手記の後半では、自分に対する集団ストーカー行為に関与していたと信じるYという人物について、引寺の裁判に証人出廷した際に〈自らの保身の為に明らかな嘘をついた〉と主張。この事実がまったく報道されなかったことについては、大手マスコミがスポンサーであるマツダに日和っているためだという持論を展開している。

手記では、このように引寺にとっての真相が色々綴られているが、その大半は「信じるか信じないかはあなた次第」というしかない内容だ。そこで、以下に手記のすべてをスキャニングした画像を掲載した。凶悪殺人犯の実像を知るためには一級の資料だと思うので、心ある人に有意義に活用して頂きたい。

引寺が事件から7年の節目に綴った手記(01-02)

引寺手記(03-04)

引寺手記(05-06)

引寺手記(07-08)

引寺手記(09-10)

引寺手記(11-12)

引寺手記(13-14)

引寺手記(15-16)

引寺手記(17-18)

引寺手記(19-20)

引寺手記(21-22)

引寺手記(23-24)

引寺手記(25-26)

《我が暴走》マツダ工場暴走犯、引寺利明の素顔と手記
◎《08》マツダ社員寮強殺事件でマツダ工場暴走犯が本ブログに特別寄稿
◎《07》「プリズンブレイクしたい気分」マツダ工場暴走犯独占手記[後]
◎《06》「謝罪感情は芽生えてない」発生5年マツダ工場暴走犯独占手記[前]
◎《05》元同僚が実名顔出しで語る「マツダ工場暴走犯の素顔」
◎《04》「死刑のほうがよかったかのう」マツダ工場暴走犯面会記[下]
◎《03》「集ストはワシの妄想じゃなかった」マツダ工場暴走犯面会記[中]
◎《02》「刑務所は更生の場ではなく交流の場」引寺利明面会記[上]
◎《01》手紙公開! 無期確定1年、マツダ工場暴走犯は今も無反省

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

 

 

  

 

この人は「聞き手」として、相当に秀逸な能力を発揮する。右であろうが、左であろうが、少々脱輪している人が対象であろうが、必ずその人の見るべき点や、他者にはない個性を見つけ出し、それを展開してゆきながら話を盛り上げる。「すごいなーと思ったんですよ」、この人のインタビューを読んで(聞いて)いると必ずこのセリフが何度かは発せられる。現在の彼を言い現すのであれば「稀代の名インタビュアー」となろうか。『紙の爆弾』に連載されている「ニッポン越境問答」でも毎号「インタビュー力」が発揮され、登場する人物の個性を際立たせる、「聞き手」の妙を毎号披露してくれている。

◆「何かの間違いじゃないか」……

鈴木邦男と松岡の付き合いは30年以上になるという。しかし「M君リンチ」事件をめぐり、加害者側に立ちリンチ事件隠蔽のリーリングリーダー「のりこえねっと」の共同代表である鈴木と「M君」支援を続ける松岡の間には亀裂が生じる。

ことの発端は『ヘイトと暴力の連鎖』に次ぎ出版された『反差別と暴力の正体』で著名人や関係者40名に「質問状」を送ったのであるが、その40名に「のりこえねっと」共同代表の鈴木が含まれていたことに起因する。松岡を筆頭とする取材班は、長年の付き合いもあり、松岡はじめ多くの取材班がその生きざまに敬意を払っていた鈴木からは、当然回答がもらえるもと考えていた。ところが締め切り期限を過ぎても鈴木からは何の連絡もない。

「何かの間違いじゃないか」……そう考えた鹿砦社の社員は、鈴木に最も親しい人物を通じて、回答の督促を試みようやく回答を得るが、松岡は「私は鈴木の著作を多数、原稿整理から最終校正までやってきたので、経験的にも、力を入れて書いているか、いやいやながら書いているかぐらいわかる」(『反差別と暴力の正体』)と表現する通り、惨憺たる内容であった。私も直接目にしたが、ミミズが情けなく這っているような文字に、強い意志はかけらも感じられなかった。

◆あなたたちの主張は安倍政権により現実化されているではないか

話はやや脱線するが松岡と鈴木の親交が始まったのは1980年代前半、まだ鈴木が「行動右翼」、「新右翼の若き理論家」として活動していた頃だ。多くの出版社からどんどん著作(共著も含め)を出せる今と違い、当時は鹿砦社(あるいは関係会社のエスエル出版会)以外に鈴木の著作を出す出版社はほとんどなかった。今でも鈴木の著作は累計で鹿砦社が最も多いという。機関紙『レコンキスタ』の縮刷版2巻(1号~200号)も出しているという。学生時代はバリバリの新左翼活動家だった松岡が、新右翼、行動右翼の著作を数多く出すほど松岡の思想的柔軟さ(松岡本人は「いい加減」だからだと言うが)だからだろうが、この松岡の気持ちを鈴木は思い知るべきだろう。

私は当時「一水会」を知ってはいたが、彼らの主張に惹かれる部分はほとんどなかった。後年米国がイラクに侵略を行う直前に「イラク戦争反対」を表明した時には「右翼にもなかなか腹の座った連中が居るものだ」と感心した記憶はあるけれど、元から右翼には散々な物理的、精神的被害を受けていた私としては「一水会」や鈴木邦男に関心を抱くことはなかった。

いや、正直に言えばむしろ逆だ。松岡と鈴木が出会った1980年代前半は、バブルの走りの時期であったと同時に、当時の首相中曽根が「臨調」を立ち上げ、国鉄解体、総評・社会党解体に本腰で乗り出した時期でもあった。あの時代にその行く末(つまり解釈改憲から秘密保護法、共謀罪が整うファシズム国家の再来、2017年の現実)を明確に予見できた人間は多くはなかっただろう。

 

 

だが、少なくとも当時私の目には日の丸を掲げ、天皇を過剰に崇拝し、靖国神社に参拝する「右翼」はそれが大日本愛国党であれ、一水会であれ「敵」以外の何物でもなかった。見よ! 彼らの主張は予想以上の成果で安倍により結実させられているではないか。戦後の民間右翼の主張をほぼ包含する形で、安倍政権はどんどん治安立法を成立させ、解釈改憲により集団的自衛権までを認めさせ、日本国憲法は実質的に「なきもの」にされた。残るは明文改憲だけだ。

鈴木はその後一水会の代表から離れ、テレビにも登場し、「頭と物わかりの良い」元右翼の論客として活動の幅を広げるが、私が問いたいのは鈴木が80年代に主張していた目標の大筋(対米従属以外)がほぼ言い値で実現された今日、鈴木は当時の主張をどう総括するのか、ということである。今では「リベラル」と称されることもある鈴木だが、あなたたちが80年代に主張していたことが現実化したのだ。そのことに対して鈴木はどう考えるのだろう。

この回答は鈴木本人の見解として聞きたくもあり、また「のりこえねっと」の共同代表としての立場からも是非開陳してもらいたいものだ。そもそも天皇制を崇め奉っていて「君が代は5千回くらい歌ったことがありますよ」という鈴木(今でも天皇制に対する鈴木の敬愛は基本的に変わらないだろう)のような人間が「差別」を扱う団体の呼びかけ人になることから、筋違いなのであり、そんな人間を共同代表に頂く「のりこえねっと」も発足から「勘違い」をしていたのだ。

◆「黒百人組」に乗っ取られた「のりこえねっと」

「のりこえねっと」発足当初の理念や目的に私は異論を感じない。しかし、刺青を入れた暴力集団「男組」を歓迎してしまったあたりから、「のりこえねっと」は反原連から脈々と続く「権力別動隊」(松岡言うところの「黒百人組」)に完全に乗っ取られてしまい、今では野間易通や安田浩一、香山リカらがもっぱら「幹部」ズラをしている。野間、安田の悪質さについてはこれ以上言及する必要もなかろうが、事実をご存知ない方のために敢えて彼らの行状の一部をご紹介しよう。

野間易通は長年ネット掲示板荒らしをしていたらしいが、3・11後どういうわけか、反原連の幹部として登場する。根が「ネット荒らし」で、これといった思想を持っているわけでもない野間だが、ネット上で集団を組織し、意にそぐわぬ人に対しては徹底攻撃を掛けることで悪評が高まる。悪評だけではなく、あまたの誹謗中傷でこれまでにツイッターを何度も凍結されており、それにとどまらず民事裁判でも2回敗訴している。

野間のツイッターを見れば人格を理解するのに5分とかからない。非常に高慢であり、傲慢であり、卑劣かつ下品な人間だ。その野間と鈴木は懇意なのだ。先の「質問状」に鈴木は「野間氏と『ヘイトと暴力』について対談して僕の疑問をみつけたいと思います。『紙の爆弾』でやれたらと思います。野間氏も承知しています」と書いて寄越している。松岡がこの「回答」を見てどれほど憤慨し、あるいは落胆したかは想像に難くないし、鈴木との長年の付き合いからして松岡の心中は察するにあまりある。いや、松岡だけではない。私も鈴木の「トボケぶり」に「とうとうここまで来たか」と末期症状を実感した。

◆鈴木邦男さん、あなたの言説は完全に正当性を失っている

再度昔の話に戻るが、私は松岡と違い右翼(新右翼)に関心を持った経験がない。彼らは常に目前の敵であり、私は何度か身体的に暴力も振るわれ、「M君」ほどではないにしても集団暴行を受けたこともある。一水会はそうではないかもしれないが、広く見れば右翼団体を出自とする鈴木が野間と仲良くなり「野間氏と『ヘイトと暴力』について対談して僕の疑問をみつけたいと思います」という。

鈴木よ、あなたには『ヘイトと暴力の連鎖』を献本しているだろう。読書家の鈴木のことだから、あんな薄い本くらい数十分で読めたはずだ。それでも「僕の疑問を見つけたい」? 疑問はこれから見つけるのか?そのために「M君リンチ事件二次加害者代表」の野間と『紙の爆弾』で対談させろだと?

私はあなたに尊敬の念や崇拝の気持ちを持ったことがないので、それらの気持ちを持ち苦しんでいる人になりかわり、進言する。鈴木邦男さん、あなたの言説は完全に正当性を失っている。加害者に加担している事実にすら気が付かない。「のりこえねっと」はもはや「反差別」を標榜していても「リンチ事件」隠ぺいにかなりの力を注いでいる許しがたい団体だと私は断じる。そしてあなたはこの問題に関しては完全に「ボケている!」。

「のりこえねっと」の共同代表の辛淑玉は自身のフェースブックに民事訴訟が始まる前で裁判所が介在していないのに「裁判所が勧めた和解を被害者(M君)が拒否」したと、全く現実にあり得ないことを平然と書き込みリンチ被害者「M君」に筆舌に尽くしがたい攻撃を加えている。あなたはあなたで野間との対談を『紙の爆弾』でさせろという。
  
  

 

 

  
◆鈴木邦男という「幻想」──「物わかりがよいこと」と「無節操」は同義ではない

6月12日の鈴木のブログでは、あろうことか、被害者M君へのセカンドリンチを主導的に行っている金明秀の写真を、これみよがしに掲載している。これには松岡も被害者M君も驚きショックを受けた。金明秀がどのようなことをやってきたのかは、鈴木にも送ってある3冊の本を見れば判るだろうに何の配慮もないのか!? 自分たちが何を発言し、何をやっているのかわかっているのか。

鈴木邦男「幻想」など昔から「幻想」だったのであり、その「幻想」がいま、目の前でみすぼらしい醜態をさらしている。そんな加害者の肩を持つ人物に紙面を割いたり、付き合ったりする時間や恩義がどこにある。取材班の田所敏夫は昨年、この「デジタル鹿砦社通信」で「辛淑玉さんへの決別状」(『反差別と暴力の正体』に再録)を書いた。その後の辛の言動を見るにつけ、その判断は間違ってはいなかったと取材班一同感じている。

松岡は今でも逡巡している。それは鈴木との長く濃密な30年以上の付き合いがあるからだ。私に松岡の苦悶がすべて理解できるとは言わないが、この苦悶の理由を作り出した鈴木の変節(あるいは本質の発露)を満身の怒りで糾弾する。「物わかりがよく誰とでも話ができること」と「無節操」は同義ではない。現在の鈴木はことの正邪の基本もわからない「無節操」に成り下がっている。

鈴木邦男よ、言論界から引退せよ。あなたには多くの「信者」がいる。かつての吉本隆明がそうであったように、老醜の戯言は「信者」を落胆させるだけでなく、社会的にも害悪でしかない。野間の如き人間の本質を見抜けぬようでは、鈴木はすでにその域に達している。松岡の逡巡と苦悶はいつまで続くのか。松岡が〝重大な決断〟を下す時が来るのか……。

 

(鹿砦社特別取材班A生)

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きょう6月19日は李信恵が在特会と元会長を訴えた裁判の控訴審判決が大阪高裁で言い渡される。訴訟の内容には詳しくないが、在特会は表現するのも憚られる滅茶苦茶な差別をやりたい放題行っていたのだから、おそらく高裁でも一審に引き続き李信恵の勝訴が予想される。それは結構なことなので、われわれもそのような判決に異存はない。

さらに22日には「保守速報」を訴えた裁判の弁論(本人尋問)が大阪地裁で開かれる。

◆李信恵は「M君リンチ事件」裁判の「被告」である

しかし、あらためて強調しておかなければならない。

李信恵はこれらの裁判では「原告」であるが、集団リンチの被害者「M君」が、リンチの現場に居て首謀的役割(連合赤軍事件に例えれば永田洋子の立ち位置)を果たした李信恵をはじめ5名を訴えた裁判では「被告」である事実だ。この集団リンチの凄惨さはリンチ直後のM君の顔写真が象徴している。

2014年12月に起きたリンチ事件直後のM君の顔)

しかし鹿砦社以外のメディアはこの事実を報じない。メディアのみなさん、この写真を見て何も感じないのか!? そうであれば「ジャーナリスト」をやめたほうがいいだろう。われわれは陰謀論者では全くないが、先日このコラムでお伝えしたように「天下の朝日新聞」が社説で李信恵と、「M君リンチ事件」隠蔽の主犯格で、「M君」が5名を訴えた裁判では被告側に証拠を提出している「コリアNGOセンター」を同時に取り上げた現象には、偶然以外の何かを感じずにはいられない。

◆李信恵は「差別と闘う」ヒロインなのか?

そればかりではない。『反差別と暴力の正体』に電話取材で登場した「コリアNGOセンター」事務局長の金光敏が最近頻繁に新聞紙上に登場している。

金光敏「コリアNGOセンター」事務局長のコメント(2017年6月15日付朝日新聞)

 

 

  
6月15日には朝日新聞に、6月17日には毎日新聞地方版にコラムを寄せている。

当の李信恵は東京新聞に共謀罪のコメントを寄せたと自満たっぷりにツイッターに書き込んでいる。

李信恵の6月16日付ツイッターより

李信恵の『鶴橋安寧』を出版した影書房はツイッターで同書をしきりに宣伝している。これは明らかなプロパガンダであり判決日への注目を喚起するための情報戦略なのだろう。

きょうの判決後の記者会見には多くの報道陣が集まることだろう。常識的に言えば勝訴だろうから李をはじめとして、弁護士の上瀧浩子や金光敏も記者会見に同席し、コメントを発するのだろう。李信恵は「差別と闘う」ヒロインとしてのみ賞賛を受け、記者から「ところでこの裁判ではありませんが、李さんは民事訴訟の被告になっています。その件はどうお考えになりますか?」などという質問は発せられることはないだろう。

◆産経や読売も報じないM君リンチ事件

もうここまで来たので、書かざるを得まい。李信恵を取り巻く周囲には密議があるのか、あるいは指示系統があるのか明確ではないが、あからさまな「同意」が成立している。それは新聞、テレビ、週刊誌からミニコミ新聞メディアまで含めてである。この奇異な現象はある種「民間の言論統制」といっても過言ではないほどの力を持っている。

相当な実力者が背後にいるのか、そうでなければマスコミ各社暗黙の「忖度」によるものか。李に対する批判は一切行わない、さらには彼女を「差別と闘うヒロイン」として持ち上げるとの同意スクラムが出来上がっている。

右左は関係ない。読売は言うに及ばず、普段腰をぬかすような差別原稿を載せる産経新聞ですらがリンチ事件を報じない。極めて異常な言論統制が幅を利かせている。その周辺にうろつく「工作員」の面々については取材班もほぼ概要を掴んだ。業界大物からの内々の情報提供もある。

◆「事実を変える」ことは絶対に不可能だ

しかしである。ここまでのっぴきならない「民間の言論統制」を目にすることはそうそうあることではない。芸能人のスキャンダルであれば、われ先に!と飛びつくマスコミが、「被害者M君」への情報探りには接近してくるものの、一切の報道を行わない。

きょうの夕刻のテレビニュースや明日の朝刊各紙では判決についてのニュースが山ほど流されるだろう。その濁流を目にして「M君リンチ事件」自体を無かったものにしよう、と企図する李をはじめとする、エセ「反差別者」や「しばき隊」は狂喜乱舞することだろう。

たぶんそのようにことは進んでいく。しかし、われわれは「歴史修正主義者」を断じて許さない。それは国と国との間であっても、民族間であっても、個人間であっても同様だ。些細な諍いなら目くじらを立てることはないけれども、鼻骨骨折をするほど殴る蹴るをされた「被害者M君」に対してのネット上の誹謗中傷と、マスコミにおける李の持ち上げられ方の不平等が目に余る。

「情報操作」や「印象操作」はいくらか可能かもしれないが、「事実を変える」ことは絶対に不可能なのだ。ネットについては取材班もかなりの情報収集メンバーを獲得している。一瞬の書き込みでそれを消去しても、ターゲットのツイッターやフェイスブックは24時間監視している。
  
  
  
  

 

 

  
◆「安寧通信」0号に登場した人物の名前を列挙してみてわかること

李信恵が在特会を訴えたことに反論はない。われわれは1ミリも在特会の差別言辞を支持しない。しかし同時に「M君リンチ事件」の取材を始めるやいなや、「どうしてこの事件に興味を持つのかわからない。運動に分断を持ち込むだけ」と電話口で語った安田浩一の意図がだんだんわかってきた。

取材班の手元には李信恵の裁判を支援する会が発行した「安寧通信」の0号から10号までがある。0号に登場する人物の名前を列挙すると実に興味深い事実が浮き上がる。「M君リンチ事件」で隠蔽のための「説明テンプレ」を作成したITOKENこと伊藤健一郎、「M君リンチ事件」の被告(反訴原告)であり、大阪地裁でM君に「お前メンチ切ってんじゃねーよ」とチンピラ口調で絡んできた伊藤大介、前述の金光敏。

金明秀関西学院大学教授の2016年5月19日付ツイッターより

こういう書き込みをして、いまだにM君に謝罪すらしない金明秀、野間易通、「M君リンチ事件」で罰金刑を受けた凡、上瀧浩子、岸政彦、安田浩一、西岡研介、辛淑玉、高橋直輝こと添田充啓らだ。このほか数人が寄稿しているが、上記の寄稿者に「リンチ事件」の直接加害者と、二次加害に積極的に加担した者、また隠蔽に奔走した中心人物が見事に揃っている。脇役だが写真は秋山理央でイラストは岸政彦の配偶者、齋藤直子だ。

「安寧通信」0号は2014年10月7日発行だが、その時点で後に人の道を外れた行動に奔走する連中が見事に名前を連ねていることが証明される。その後8号には香山リカが「利己的な私の自分勝手な闘い」、9号には参議院議員有田芳生が「高貴な激情」を寄せている。いずれも彼ら彼女らの行動を知る者からすると読むに堪えないが、この件については後日あらためてコメントする

◆李信恵は嘘つきだ

李信恵は嘘つきだ。再度その証拠を提示する。本来あなたは公的な場所に立ってはならない人だと自分で宣言している。もう一度自分の書いた文章を見直してみることだ。屁理屈は通らない。事実を事実のまま見る。そのことを放棄するものは報道の世界にいる資格のない者だ。

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

 

 

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

 

 

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

M君リンチ事件に対する李信恵の謝罪文

(鹿砦社特別取材班)

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タートゥトーン寺の本堂。タイ街並みで必ず見れるお寺の佇まい

スクンビット通りの朝の露店。御飯のオカズとなる惣菜がビニール袋に入れられて売られています

エカマイ地区路地の露店。ぶっ掛け御飯のオカズとなる惣菜

エカマイ地区路地の露店。串焼き

BTS電車の車体、外からは中が見えない構造。プラットホームで写真を撮影していたら警官に怒られました

14年ぶりのタイ。17年ぶりのラジャダムナン・スタジアム。22年前に自分が出家したお寺を再訪し、ラオスへも足を延ばす旅──。ある旅行社関係から依頼があり、この5月、久々にタイへ出かけました。

ムエタイの試合とジムの様子、僧侶とお寺、歓楽街と売春婦、トゥクトゥク(サムロー)のボッタクリ、市場の賑わい、屋台の飯、市内バスと渋滞と排気ガス、買い物の値切り、チャオプラヤー河やメコン河の優雅な風景、街の野良犬野良猫、歩道橋の乞食……。タイを訪れるにあたり、思い出される景色には枚挙の暇がありません。

◆1993年、「オモロイ坊主」藤川清弘僧侶との出会い

1993年のことでした。ある偶然の導きから藤川清弘氏というタイ仏教の僧侶に出会いました。藤川氏はもともと京都で地上げ屋をやっていて、その後タイで事業を営み、51歳の時にタイで出家したという「オモロイ」経歴の持ち主でした。

私は、当時一時僧経験者だった藤川清弘氏と出会い、その後、タイ仏教のもと、ペッブリー県で再出家に至った藤川氏にお願いして、私自身も短期間出家したことがありました。その頃のお話は、いまから10年以上前に藤川氏のホームページ「オモロイ坊主を囲む会」で一度レポートしたこともありました。

藤川氏は2008年以降、胃癌を患い(それと直接的ではないようですが)、2010年2月に脳内出血で倒れ、永眠されています。

私の先導でタイ、ラオスを訪問するという今回の旅程を打診された時、当初それを受けるか否か躊躇しました。しかし、「悩んどらんと行ってみんかい!」と、藤川氏ならば、そう言うであろう言葉に背中を押されるかのように、14年ぶりのタイ行きを決心しました。その意味で今回の旅は、かつて私を指導してくれた藤川清弘氏と一緒に歩いた街並みを再び歩く旅でもありました(※藤川清弘氏との思い出は今後、別の機会に詳しく書かせていただきます)。

とはいえ、行きたくて指折り数えていた訳ではありません。夢にまで見たのとはむしろ逆でちょっと憂鬱。期待と不安がないまぜとなったままでの旅立ちでした。

◆エカマイ駅南側地区市場──早朝、市場に僧侶の托鉢姿を見に行くも……

タイでの滞在期間、ちょうどラジャダムナンスタジアムチャンピオンのT-98(=今村卓也)のムエタイ王座防衛戦も重なりました。試合は前回お伝えした通り、残念ながらT-98(今村卓也)は判定負けでムエタイ王座から陥落しましたが、それを取材することができました。

T-98取材当日の早朝、宿泊先のホテルから二つ先の駅、スクンビット通り“ソイ42”のBTS(高架鉄道)エカマイ駅南側地区にある市場に行きました。「僧侶が大勢、托鉢をする姿が見られる」といった同行者の誘いで行ってみたのですが、寝坊してしまい市場に着いたのは朝8時。すでに僧侶の托鉢時間は過ぎており、朝のラッシュの姿に変わっていました。

とはいえ、市場にはまだ賑わいが残っていて、旅行者が楽しめる風景が目白押しです。ソイと言われる路地には車が通る中、露店が連なります。衣料品も日用品も装飾品も並び、犬も寝転がる呑気さ。ぶっ掛け飯屋もあり、注文するがまま、御飯にオカズをのせてくれます。

エカマイ地区路地の露店。焼き鳥と焼きおにぎりでしょうか

エカマイ地区の路地の露店。ここで御飯に掛けて奥のテーブルで食べることもできます

次に訪れたのはエカマイ駅北側にあるタートゥトーン寺。ここはかつて藤川僧とバンコクに出た際、一泊だけさせて頂いた寺でした。しかし、その寺の面影の記憶が少なく、新築・増築された真新しい光景が目に入りました。かなり広い寺で22年前もどう歩き、どの辺りのクティ(僧宿舎)で泊まったかも全くわからなくなっていました。

タートゥトーン寺の本堂。読経の際は僧侶が壇上に座ります。一般人は低い後方の地べたに座ります

タートゥトーン寺側から見た至近距離にあるエカマイ駅。寺の門に迫る門より高い高架鉄道の駅、こんな時代となりました

◆言い値で乗ったトゥクトゥクもマイペンライ(大丈夫)

夕方にはT-98の試合のため、ラジャダムナンスタジアムへ向かいました。しかし、、フアランポーン駅前でしつこいトゥクトゥク(サムロー=三輪タクシー)に言い寄られながら「行くにはトゥクトゥクが楽だな」と同行者と決心し交渉。

「100バーツで行ってやるがどうだ?」と言う運転手に、「100でも高いだろうな、昔なら50バーツかな」と一瞬思いました。とはいえ、現在の相場もよくわからない。なので、運転手の言い値でトゥクトゥクに乗り込みました。

というのも、他の運転手は「200バーツ!」と言って来た。これはさすがに高い。私が選んだトゥクトゥクの運転手も「いや、100でいいよ」と笑っていたほどです。「旅行者が値を吊り上げている」と言う現地滞在者の話も聞きますが、私は根っから交渉下手。「ちょっとぐらい許して」と思って、そのトゥクトゥクに乗りました。

運転は思った通りの昔ながらの暴走モード。慣れればそんなに荒れた運転ではないのですが、滅多に乗らないとやはりそう感じます。多少ボッタくられたかもしれませんが、笑顔で人のいい感じの運転手さんでした。

フアランポーン駅に陣取るトゥクトゥクの群れ。旅の気分を味わうにはこの乗り物が最高

ただし、かなりスピードを出す奴もいます

◆大らかなタイ時間のおかげで出会えた懐かしい友

ラジャダムナンスタジアムのチケット売場。観光客は案内係りに導かれることでしょう

ラジャダムナンスタジアムでは、タイの知人カメラマンの来るのが遅い、さすがおおらかタイ人。リングサイドには知らないカメラマンが一人。日本の早田寛カメラマンも現れ、協力的な雑談。

タイ知人のカメラマンがやってきたところで打ち合わせをしていると、先に居た知らないカメラマンから声が掛かりました。実はそのカメラマン、知らないどころか懐かしい友人カメラマンでした。気付かなかったのはお互いが歳を取ったからで、昔一緒にムエタイの写真を撮っていた仲間でした。懐かしいあまりいろいろ話しかけてくれ、いざリングサイドに入る頃はカメラマン皆が「大丈夫だ、ハルキはここに居ろ」と補助してくれる有難さ。

こんな形でT-98撮影は無事終わりました。やれやれ、ひとつの目的は達成。これで帰国してもいいと思ったところ、同行者である友人は当然ながら“本番はこれから”と「明日から宜しく!」と気合充分でした。(つづく)

ラジャダムナンスタジアム最終試合の背景。なかなか観易い構造のスタジアム

指で賭けを誘う賭け屋の迫力はいつも凄い。観光客には分かり難いです

[撮影・文]堀田春樹

▼堀田春樹(ほった・はるき)
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』7月号【特集】アベ改憲策動の全貌

6月10日(土)、国会議事堂を取り囲むようにして大勢の人々が集まった。これは“共謀罪”の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に反対する集会で、約1万8千人(主催者発表)が参加した。

参加者は老若男女問わず、カラフルな幟の数々を見ていただければ団体の種類も様々であることが分かるだろう。個人の参加者も多く、また反原発の集会に比べると若年層参加者の割合が大きいようだ。若い人たちは、肩を張らない自然な態度でここへ来ているように思われ、シニア層のそれとは断絶があるものの、そこに一種のリアルを感じることができる。

さて、現場の様子はヴィジュアルから感じ取ってもらうこととして、たまには所感を述べてみようと思う。

このような現場に何度も足を運んでいると、反対運動の“コード”のようなものを否が応でも感じることになり、僕はそこに違和感がある。例えば、定められたエリアでのみ活動しているということ。法的根拠すら持たないそのエリアから出ることのできない者が、国家権力に対抗できるのか。

例えば、登壇者のスピーチはここにいる皆の意見を代表しているのだ、ということの了解を求めてくるパノプティコン的空気感。組織犯罪処罰法改正案に反対するという立場が同じであっても、その根拠やニュアンスは様々だ。そうした多様性は小数点以下とみなして留保し、とりあえず整数で共闘しよう!というのはある程度合理的でまた分かりやすい話なのだが、ニュアンスを殺しすぎている。

どうしても納得ができないのであれば、「ふざけんな!」だとか「いい加減にしろ!」と叫んでしまうこともあるだろうし、こらえきれなくなって相手を殴りつけてしまうこともあるだろう。褒められたことではないが、“どうしても納得ができない”のだから仕方がない。そうした噴出が現れず、また現れそうな気配もない。安心安全に設定された反対運動のコードに、皆が礼儀正しく従っているのだから当然だ。

小学校の時に感じた「前ならえ」への違和感は、どこへ消えてしまったのだろうか。

[撮影・文]大宮浩平

▼大宮 浩平(おおみや・こうへい)
写真家 / ライター / 1986年 東京に生まれる。2002年より撮影を開始。 2016年 新宿眼科画廊にて個展を開催。主な使用機材は Canon EOS 5D markⅡ、RICOH GR、Nikon F2。
Facebook : https://m.facebook.com/omiyakohei
twitter : https://twitter.com/OMIYA_KOHEI
Instagram : http://instagram.com/omiya_kohei

最新刊『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

6月15日早朝、「現代の治安維持法」といわれる「共謀罪」が成立した。絶望感に襲われる。2015年の「安保法」に引き続き、この国は確実にファシズムへの道を突き進んでいる。

◆1960年「6・15」国会前 ── 警官隊に轢殺された樺美智子さん

「共謀罪」の具体的内容や危険性の分析については法律学者らに任せるとして、私が咄嗟に思い浮かんだのは、遙か57年前の1960年6月15日に安保反対の抗議行動で轢殺された東大生・樺(かんば)美智子さんのことだ。最近の若い世代はほとんど知らないだろうが、われわれの世代にとって樺美智子という名は伝説的だった。当時若かった学生も今や老境に入ったが、気持ちは今でもそうだろう。

樺美智子遺稿集『人しれず微笑えまん』表紙(三一新書版)

このかんの国会前の反対運動と1960年の国会前の抗議行動では雲泥の差がある。国会に押し掛けた人の数も違う。60年には実力で国会に突入、議場占拠し、国会審議を止め安保条約を粉砕するという意志があったことは確実だ。巨万の労働者、学生、市民、大衆が国会周辺を席巻した。これを、「暴力で…」とか言う前に、労働者、学生、市民、大衆一人ひとりの、「安保を潰そう!」という必死な意志が、自然発生的にあれほどの国民的闘争になったことを思い知るべきだろう。今はどうだろうか? 私は学生先駆性論を今でも信奉する者だが、若いんだから、たった一人になっても国会に突入して審議を止めんかい、と思うし、そんな学生や若者がいないのが残念だ。

60年安保は、今以上に大きな国民的運動だったにもかかわらず敗北(つまり国会通過→成立)し、10年後の1970年の改訂に向けて、60年代後半から、ベトナム反戦や沖縄「返還」問題も絡んでふたたび盛り上がったことは周知の通りだ。これもまた敗北、しかし、その〈二つの安保闘争〉で培われた抵抗の精神と運動は連綿と引き継がれてきた。これが、改憲への蠢動を抑え込んできたと私は考えている。

話が逸れるが、先月、30数年前に私が独立する際に仕事場として借り(当時新築)、ここ数年は資料や一部在庫置き場にしていた部屋が建て替えられるというので数日かけて整理し立ち退いた。この際、かつての(つまり60年代、70年代の)資料や奇観本が出てきた。ガリ版刷りのチラシやパンフレットなどもあり、当時の雰囲気が伝わってくるようだ。その多くを、当時の資料を収集・整理している「リベラシオン社」のIさんが持ち帰ったが、その中に、奇しくも樺美智子さんの名著『人しれず微笑えまん』(三一新書版)があった。初版は60年10月1日、先輩に勧められ私がそれを買ったのは、大学に入った1970年のことだ。少なくとも10年間は版を重ね多くの人たちに読まれていた。以降は、徐々に忘れられていったのだろうか。

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

『全学連通信』1960年6月25日号

◆1971年「11・14」沖縄返還協定批准阻止闘争 ── 機動隊に撲殺された永田典子さん

またまた話が逸れる。先に1971年の沖縄返還協定批准阻止の闘いで「機動隊員殺害」の容疑で逮捕されたO氏(まだ容疑とされている事件の真偽が確定していないので、あえてO氏とする)に因んで、ここでも機動隊に撲殺された若い女性教師・永田典子さんのことを思い出した。私は中核派でもなんでもないが、立場は違え当時沖縄闘争に必死で闘っていた者として一言記しておきたい。当時の政府の判断の誤りが、今の沖縄の現状に繋がっていることで、立場は違え当時必死に闘っていたことは間違いではなかったと今でも思っている。

「機動隊員殺害」を言うのであれば、樺さんと違い無名だが、機動隊による、この若い女性教師惨殺のことも公平に報じるべきだろう。この女性教師も樺さんの『人しれず微笑えまん』を読んでいたという……。樺さんも永田さんも、どのような想いで闘いに参加し、殺される間際、何を思ったのだろうか。なんとも言えない気持ちになる。

『救援』1971年12月10日号

『救援』1971年12月10日号

◆ラップ調のコールはもう飽きた ── 骨抜きにされた抵抗の志

昨夜からの国会前の様子が報じられる。ラップ調のコールはもう飽きた。彼ら彼女らに樺さんや永田さんらのような必死さは感じられない。異様に明るい。おそらく挫折感や敗北感もないだろう。辺見庸に「国会前で、ひとりふたり死にもせで、なにが共謀罪反対ですか、白菖蒲。」と揶揄されるのもむべなるかなだ。

1960年6月15日は、日本が敗戦から立ち直りながらも、アメリカとの同盟の下、アメリカのアジア侵略戦争擁護と支援(具体的には沖縄の侵略前線基地化)、ファシズムへの第一歩を記したメモリアル・デーだった。一女子学生を犠牲にしつつ(傷ついた人たちは数知れず)……。

時を越えて2017年6月15日は、多くの国民の犠牲と抵抗の中で70年間死守されてきた憲法の精神が殺されたメモリアル・デーといえよう。抵抗の志を骨抜きにされた「左派」や「リベラル」を自称他称する者も巻き込みながらファシズムの足音が響いてきた。次は何か? 言うまでもないだろう。

毎年この日、国会前では樺さんへの慰霊の集まりがなされているが、今年は行われたであろうか。樺さんは、黄泉の向こうで何を思うのか……。

最後に、私の先輩の作家Sさんが、若い頃に書いた短編小説の巻頭に記した一句を挙げておきたい。……

「しらじらと雨降る中の6・15 十年の負債かへしえぬまま」

鹿砦社代表 松岡利康

6月15日発売『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!

『人権と暴力の深層』カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い(紙の爆弾2017年6月号増刊)

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