メインイベントとなった交流戦。高橋亮は2015年12月にNKBバンタム級王座獲得。2019年6月にNKBフェザー級王座獲得した二階級制覇チャンピオン。山浦俊一は2019年9月にNJKFスーパーフェザー級王座奪取して、昨年12月に葵拳士郎(マイウェイ)からWBCムエタイ日本スーパーフェザー級王座を奪取したばかり。

山浦俊一は2019年2月9日に高橋三兄弟三男・聖人にノックダウンを奪われ判定負けしている中での次男・亮との対戦となった。

日本キックボクシング連盟興行でニュージャパンキックボクシング連盟の女子キックが基盤のミネルヴァタイトルマッチが行われるのは、2019年9月29日、大阪でのテツジム興行以来、同一カードで2度目。sasoriも喜多村美紀もテツジム所属だが、sasoriは姫路支部所属で普段の練習では顔合わせは無い。両者は2019年9月に王座決定戦で対戦しsasoriが判定勝利している。

キックボクシング界に於いてはチャンピオンが乱立しているが、NKBもNJKFも国内団体タイトルのひとつである。

◎NKB 2021 必勝シリーズ 開幕戦 / 2月20日(土)後楽園ホール17:30~20:30
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会、ミネルヴァ実行委員会

高橋亮が最初のノックダウンを奪ったボディー蹴り

◆第11試合 61.0kg契約 5回戦

髙橋亮(真門/1995.9.22大阪府出身/60.95kg)
    VS
山浦俊一(新興ムエタイ/1995.10.5神奈川県出身/61.0kg)
勝者:高橋亮 / TKO 4R 0:48 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:前田仁

コロナ禍での観衆人数制限がある中だが、観衆が少ないだけではなく、緊迫感ある攻防を見守る観衆の静けさがあった。

主導権を奪いに行く素早さとフェイント掛けた高度な蹴り中心の攻防の中、第3ラウンド終了間近で高橋亮の前蹴り(通称・三日月蹴り)が山浦のボディーにヒットすると効いて蹲ってしまうノックダウンとなった。

山浦は懸命に立ち上がって終了ゴングに救われたが険しい表情。第4ラウンドには高橋亮がボディーに意識を持って行かせた上下打ち分けから左ハイキックをクリーンヒットさせると山浦は仰向けに倒れレフェリーストップとなった。

第4ラウンド開始後、山浦俊一を倒した左ハイキック

倒された山浦俊一は仰向けに倒れ、レフェリーがストップをかけた

◆第10試合 女子キック(ミネルヴァ)ライトフライ級タイトルマッチ 3回戦

チャンピオン.sasori(テツPRIMA GOLD/1981.3.19兵庫県出身/48.65kg)
    VS
同級1位.喜多村美紀(テツ/1986.6.27兵庫県出身/48.85kg)
引分け 三者三様
主審:宮本和俊
副審:佐藤29-30. 仲29-29. 前田30-29

蹴りも首相撲も少ない両者譲らぬパンチ中心の打ち合いが試合を盛り上げていくが、ポイントがどちらに流れるか難しい一進一退の打ち合いは、三者三様の引分けでsasoriが初防衛となった。

打ち合いが続いた喜多村美紀とsasoriの攻防

三者三様の引分けとなった女子のタイトルマッチはsasoriが初防衛

◆第9試合 ライト級3回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/1987.11.2新潟県60.95kg)
    VS
WMC日本スーパーフェザー級2位.藤野伸哉(RIKIX/1996.5.31東京都出身/61.15kg)
勝者:棚橋賢二郎 / TKO 1R 2:59 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:仲俊光

藤野伸哉は棚橋賢二郎の剛腕を凌げれば蹴りやヒジ打ちで勝機あり。そんな流れも棚橋が様子見の後、勢いを増して打ち合いに出て来た第1ラウンド終盤。左右フックの強打炸裂で脆くも倒れ込んだ藤野は2度のノックダウンでダメージ深く、レフェリーストップとなった。

棚橋賢二郎の剛腕炸裂。藤野伸哉は凌ぎきれず

藤野伸哉が2度目のノックダウンとなった後、レフェリーがストップした

◆第8試合 ウェルター級3回戦

NKBウェルター級3位.笹谷淳(TEAM COMRADE/1975.3.17東京都出身/66.5kg)
    VS
ちさとkiss Me!(安曇野キックの会/1983.1.8長野県出身/66.55kg)
勝者:笹谷淳 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:宮本30-27. 仲30-27. 前田30-27

笹谷淳の蹴りから組み合う力が優り、ロープ際まで押し込む圧力。イジメのように顔をロープに抑え込んでヒジ打ちをゴツゴツ当てる圧倒が続くと、ちさとは眉尻をカットした上、スタミナを失うばかりで劣勢を挽回できず、笹谷が蹴りでも優りフルマーク判定勝利を掴む。

組み合う圧力からロープ際に詰めると笹谷淳のヒジ打ちや顔面押さえが続く

蹴り合っても笹谷淳の圧倒が続いた

◆第7試合 57.0kg契約3回戦

NKBバンタム級4位.海老原竜二(神武館/1991.3.6/埼玉県出身/56.65kg)
    VS
ベンツ飯田(Team Aimhigh/1997.4.17群馬県出身/56.75kg)
勝者:海老原竜二 / 判定3-0
主審:佐藤友章
副審:宮本29-28. 鈴木29-27. 前田29-28

蹴り中心の攻防が続く中、最終ラウンドは距離が詰まり、パンチ中心に移る中、海老原のファールブローが飯田に当たって中断後、更にパンチの打ち合いに入ったところで海老原の左ストレートがヒットし、飯田はノックダウンとなった。海老原の落ち着いた試合運びが判定勝利を導いた。

◆第6試合 60.0kg契約3回戦(中田ユウジ負傷欠場で矢吹翔太が代打出場)

半澤信也(トイカツ/1981.4.28長野県出身/59.9kg)
    VS
矢吹翔太(ブレイブフィスト/61.4→61.35→61.3kg 計量失格減点1)
勝者:矢吹翔太 / 判定1-2
主審:仲俊光
副審:佐藤28-29. 前田30-29. 宮本28-29. 矢吹に減点1含む

◆第5試合 バンタム級3回戦

志門(テツ/1996.4.14兵庫県出身/53.15kg)
    VS
ナカムランチャイ・ケンタ(team AKATSUKI/2000.8.18千葉県出身/53.3kg)
勝者:志門 / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田30-28. 仲30-28. 宮本30-29.

◆第4試合 59.0kg契約3回戦 

山本太一(ケーアクティブ/1995.12.28千葉県出身/58.85kg)
    VS
源樹(リバティー/1995.12.6埼玉県出身/58.3kg)
勝者:山本太一 / TKO 3R 2:35 / レフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第3試合 54.5kg契約3回戦

幸太(八王子FSG/1998.3.19山形県出身/54.3kg)
    VS
SHU(D-BLAZE/1999.12.16千葉県出身/54.45kg)
勝者:SHU / 判定3-0
主審:鈴木義和
副審:前田28-30. 宮本28-30. 仲28-30.

◆第2試合 ミドル級3回戦

畑澤貴士(八王子FSG/1984.9.18東京都出身/71.75 kg)
    VS
渡部貴大(渡邉/1992.11.12東京都出身/72.15kg)
勝者:渡部貴大 / TKO 3R 1:56 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第1試合 アマチュア特別試合 50.0kg契約3回戦(2分制)

伊藤千飛(真門伊藤/2005.6.25兵庫県出身/49.85kg)
    VS
藤井昴(治政館江戸川/2005.12.2東京都出身/49.45kg)
勝者:伊藤千飛 / 判定3-0
主審:前田仁
副審:鈴木30-29. 佐藤30-27. 仲30-29.

ミネルヴァ実行委員長の竹越義晃氏と並ぶsasori

《取材戦記》

女子の試合というのは男子よりパワーは無いが耐える力はあると言われる。ひたすら打ち合っていると、その展開が変わらぬまま進むことは多い。判定結果が告げられる間、勝利を祈る喜多村に三者三様の引分けが告げられると落胆の表情へと変わった。引分けもタイトルマッチに於いては明暗分ける厳しい裁定である。

高橋亮は山浦俊一に対し、再戦(リベンジ)したいならWBCムエタイ日本王座を懸けることを希望した。日本キックボクシング連盟では元々は交流戦を行なわなかった時代が長かったが、近年は若い世代が興行を運営し、高橋三兄弟が他団体交流戦やビッグイベント興行のリングに上がる機会に恵まれ、他団体チャンピオンと戦えば、負けることはあっても強い三兄弟とトップクラスに居る立ち位置をアピールすることに成功してきました。

そんなNKB(日本キック連盟、K-U)に於いては未だに他団体王座に挑戦することは禁止されているが、今後、運営する若い世代が新たな展開を見せてくれるか注目したいところです。

高橋亮が山浦俊一に最初のノックダウンを奪ったのは三日月蹴りというらしい。前蹴りとミドルキックの中間の軌道で爪先辺りで蹴る感じ(厳密には他の言い回しあり)。

近年はカーフキックというのも現れました。脹脛辺りを狙った蹴り。いずれも昔からあったように思う蹴りでも、古い人間としては我儘ながら、使い難い名称の感じがします。

日本キックボクシング連盟の次回興行は、4月24日(土)後楽園ホールに於いてNKB 2021必勝シリーズvol.2が開催されます。開場と開始時間が通常より変更される可能性がありますので御注意ください。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

50万円なら立件され、7万円なら犯罪ではないのか。

総務省および国会では、政治倫理規定に反するという処分、あるいは批判に終始しているが、東北新社による総務省官僚接待はれっきとした「収賄事件」なのである。そのことを慮り、すでに総務省の11人が処分された。

同じ収賄事件で何ら処分されなかったのが、元総理秘書官であり、菅内閣の広報官・山田真貴子である。そう、あの総理記者会見の仕切り人である。

まず、収賄罪を条文で確認しておこう。

刑法 第197条(収賄、受託収賄及び事前収賄)

公務員が、その職務に関し、賄賂を収受し、又はその要求若しくは約束をしたときは、5年以下の懲役に処する。この場合において、請託を受けたときは、7年以下の懲役に処する。

条文にある「請託」の有無は、収賄という犯罪の構成要件に関係がない(加重にすぎない)。ただ単に「ご馳走になった」だけで、構成要件は成立するのだ。
国税調査を受けた方ならご存じだろう。

国税調査官は絶対に、出されたお茶やジュースなどを口にしない。調査を受ける対象からの「収賄」に当たるからだ。

公務員、とりわけ国家公務員には、この種の教育が徹底されている。にもかかわらず、高級官僚たる彼ら彼女らは「役得」として接待に応じる。いや「役得」ではないかもしれない。相手が政治がらみのキーパーソン(今回は菅総理の息子)ならば、みずからの出世を左右する内閣人事局の力を怖れて、接待に応じざるを得ないのだ。

冒頭に書いたとおり、50万円の収賄ならば間違いなく起訴されていただろう。いや、過去の接待を累積すれば、この「断らない女」には50万といわず、数百万の収賄容疑が飛び出すかもしれない。

7万円のステーキご馳走で「お目こぼし」にされたのは、相手が総理のお気に入りの女性広報官だからにほかならない。そして総務省を退官後に特別公務員となった彼女は、上司たる総理から「反省している」「給与も返納した」として、何の処分もなしに続投を許されたのである。


◎[参考動画]7万円超接待は「心の緩み」 山田広報官 国会で追及(FNN 2021年2月26日)

◆菅義偉に抜擢された異例の出世

事件と国会での答弁をふり返ってみよう。

東北新社に務める菅義偉首相の長男らによる総務省幹部接待で、山田真貴子は同社から総務審議官時代の2019年11月に約7万4,000円に上る高額な接待を受けていた。2月25日の衆院予算委に参考人として出席し、「公務員の信用を損なったことを深く反省している。本当に申し訳なかった」と陳謝したものの、「今後、職務を続ける中で、できる限り自らを改善したい」と述べ、引き続き内閣広報官を務める意向を示したのだ。

「その場に菅正剛さんがいたかどうかは、横並びの席だったので記憶にない」「わたしにとって、菅さんは特に大きな存在ではない」

そうではないはずだ。

じつは山田真貴子のキャリアアップには、菅総理が大きくかかわっている。安倍晋三総理(当時)の秘書官となり、総務省にもどっては審議官、官房長、国際戦略局長と階段をのぼったあと、菅政権で内閣広報官(省庁でいえば、次官級)となったのだ。このキャリアアップはすべて、ほかならぬ菅義偉の推挙によるものだったのだ。したがって、その息子菅正剛が「大きな存在ではない」はずがない。

◆謝って給与の一部返納で済ますのか?

加藤勝信官房長官の25日の会見によれば、接待問題を受けて給与報酬月額の10分の6を自主返納する山田真貴子の返納額が明らかになった。70万5,000円に上るとのことだ。広報官の給与報酬は月額で117万5,000円。地域手当などを含めると、給与は月額で約140万円ほどになる。

国税庁の調査では、サラリーマンの平均月収は約35万円である。このコロナ禍で残業代も減り、給与はさらに下がっている。

サラリーマンたちが身を削る思いで必死に納めた税金で、疑惑の広報官女史には自分たちの月収の約5倍も支払われていたのだ。彼女の高額の給与は、税金で出来ているのだ。

さらに利害関係のある業者からも、賄賂性の高い飲食代を負担してもらっていたのだ。怒れ、納税者たち、である。あまりにも「官僚天国」すぎるではありませんか。

◆「断わらない女」とは、どういう女なのか

山田真貴子は広報官に抜擢される直前の昨年6月、若者への動画メッセージで「幸運を引き寄せる力」について語っている。

「イベントやプロジェクトに誘われたら絶対に断らない。飲み会も断らない。出会うチャンスを愚直に広げてほしい」と呼びかけていたのだ。

彼女自身も「飲み会を絶対に断らない女としてやってきた」のだそうだ。そうして巡り合った幸運のひとつが、菅首相の寵愛だったということなのであろう。

だが、一見女性の時代に即した官邸のこの女性官僚の抜擢は、およそ時代に逆行してはいないだろうか。

いま、社会的に活躍しようとする勤労女性にとって、上司の誘いを「断らない」ことがいかに苦痛で、仕事と子育ての阻害物になっているか、おそらくこの女史は知らないのであろう。イベントやプロジェクトはともかくとして、接待や飲み会への付き合いは、いわば男性社会の旧い慣習文化である。

総務省OBの話を聞こう。

「飲み会などで、彼女はあえて遅れて登場することがある。自己演出に長けていて、『仕事で遅れまして~』と颯爽と笑顔で入室してくると、男たちは一斉に立ち上がり、やんやの喝采で迎えるのです」

ようするに男性に媚びて、出世のための人脈やチャンスを得るために、働く女性は男性社会の風習に馴染め、と言っているに過ぎない。

女性がスキルを磨き、家事や子育てをしながら仕事を続けるのではなく、飲み会で培われる人脈や情実といった、男性社会のコネで出世をめざせと、そう説いているのだ。まさに女性の自立や社会進出に逆行する、男社会に隷属する女性像ではないか。

◆広報官の都合で、総理の記者会見が中止に

2月26日に、政府はコロナ禍の緊急事態宣言の中止(首都圏をのぞく)を宣言した。しかしその総理記者会見は中止され、総理の「ぶら下がり取材」となった。

つまり記者会見の場で、総理があらためて国民に「自粛」や「緊張感」をうながすという、メッセージの場にはならなかったのだ。ポンコツ答弁と揶揄される菅総理に必要なのは、国民への生の言葉によるメッセージではなかったのか。

いや、このうえ犯罪容疑者たる女性広報官に、会見の場を仕切らせることに無理を感じたのであろう。

山田広報官といえば、事前に報道各社(官邸記者クラブ)に質問を募り、幹事社をはじめ総理が答えやすい質問をする記者だけを指名する仕切りに終始してきた。そして質問時間が長びくと「次の予定がありますので」と質問を打ち切る役割だった。

今回、記者会見が行われていれば、以下のような事態が生起したにちがいない。

記者    「総理、山田広報官の接待問題ですが。収賄容疑にあたるような行為をした人物が、内閣広報にふさわしいとお考えですか?」
菅総理   「……」
山田広報官 「つぎの予定がありますので、ここまでにしたいと思います」
記者    「あなた、自分のことだから打ち切るんですか?」
記者B   「質問に答えろ!」
山田    「終わりにします」
記者席   「(怒号!)」

という具合だ。

広報官の犯罪容疑が、すでに総理の公務に支障をきたしているのだ。この収賄容疑者はただちに更迭せよ、と提言しておこう。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

◆第2次安倍政権時の生活保護費減額は違法

大阪府内に住む生活保護者42人が、生活保護費の引き下げは生存権を保障した憲法に反するとして減額取り消しなどを求めていた訴訟で、2月22日、大阪地裁(森鍵一裁判長)は、自治体の減額決定を取り消す判決を言い渡した。

同様の裁判は、全国30ケ所で起こされており、2020年6月名古屋地裁は、引き下げは厚労相の「裁量の範囲内」と原告の訴えを棄却していた。原告側の勝訴は今回が初めてである。


◎[参考動画]【全国初の判断】生活保護費引き下げは違法 大阪地裁「整合性を欠き裁量権の逸脱があった」

2012年12月26日に発足した第2次安倍内閣は、物価の下落などを理由に、生活保護基準の見直しを行い、保護費のうち食費や光熱費など日常生活の費用である「生活扶助」を、2013年~2015年にかけ、平均で6.55%、最大で10%引き下げた。これにより、約9割の生活保護者の保護費は減額され、その削減費用は約670億円にのぼった。

この引き下げについて、今回大阪地裁は、
(1)厚労相(当時)による生活保護基準の減額改定は、客観的な数値や専門的知見との整合性を欠く。
(2)減額の判断過程や手続きに過誤や欠落があり、生活保護法に違反し、違法である。
(3)自治体の減額決定を取り消す、とした。

高齢や病気のため生活保護を受けている人たちにとっては、月数千円の減額でも命取りになりかねない。原告団の共同代表の小寺アイ子さん(76歳)は、毎日10種類以上の薬を飲む難病を抱えているが、この間生活保護費は約1万円近く引き下げられた。食費を削るしかないと考え、500円~600円の材料費で作ったおかずを冷凍しながら1週間食べ続けているという。医師から「バランスのとれた食事を採るように」と助言されているが、それも叶わない。判決後の報告集会でアヤコさんは「今の生活は苦しいんだという思いが、裁判長の心に深く刺さったのだと思う。涙が止まらない」と語った。

先週センターで野宿していた男性が亡くなった。役所が何度も生活保護を勧めていたが、頑なに拒否していた

◆まだまだハードルの高い生活保護制度

第2次安倍政権下で行われた生活保護費の減額問題については、今回の判決で初めて知った方も多いだろう。コロナ禍で失業者や生活困窮者が増大するなか、1月27日の衆院予算員会で菅首相は「政府には最終的には生活保護という仕組みがある」と得意げに答えていたが、実はこのような実態があったのだ。

そもそも日本の生活保護の「捕捉率」(制度の利用資格のある者のうち現に利用できている者が占める割合)は15.3%~29.6%と国際的にも非常に低く、本来生活保護を受けられる世帯の7割以上が受けられていない状態にある。その背景には、生活保護を受けるには「預貯金がない」「不動産、車など財産がない」などの厳しい縛りの条件があるうえ、申請者の家族などの経済的状況を調べ、申請者を援助(扶養)できるかを調べる「扶養照会」などもあるからだ。

「所持金がゼロになるくらいボロボロになったら、話を聞いてやる」くらいの高いハードルが立ちはだかっており、菅首相が得意げにいうほど、甘くはないのだ。こうしたハードルを1つ1つ取り除き、更に受けやすくしなくてはならない。

◆受給者切り捨てで肥え太る派遣会社の実態

菅総理の「最後には生活保護がある」発言から、生活保護制度に関心が高まっていた矢先の1月28日、新聞「赤旗」が、生活保護者切り捨てで超え太る派遣会社の実態を報じた。大阪市が、大手派遣会社に業務委託していた「総合就職サポート事業」で、生活保護者に仕事が見つかり保護を廃止した場合、業者に一人あたり6万1,111円の報酬を加算していたとのことだ。

この事業で就職した人の数は2019年度で2,732人、生活保護を廃止した数は146件だった。委託業者のパソナアソウ・ヒューマニーセンター(麻生太郎財務大臣の弟・麻生泰が会長をつとめる麻生グループの人材派遣会社の一つ)などに加算された報酬金額は、計1,674万9,797円、逆に就職率が低かった場合には、委託料が減額されることもあったという。

このような大手派遣業者などの外部企業に業務委託する方針は、2019年12月に国会で閣議決定された。これについては、専門外の民間への委託は違法であること、職員の専門性が低下する、プライバシー保護問題、成果主義の広がりの危険性など様々な問題点が指摘されていた。水際作戦で保護にまでたどり着くまでも困難だが、保護を受けたのちも、こうした「就労支援」で保護が切られ、一方で麻生太郎の親族が経営する派遣会社などがボロ儲けしていたとは。ケースワーカーの執拗な嫌がらせで保護の辞退に追い込まれた知人の例を紹介する。

C型肝炎が悪化し、顔がどす黒くなり、生活保護を受けることになったAさん(50代)。治療を受け顔色も良くなった頃、ケースワーカーに仕事を進められる。体調が良い日に働けたらと露店商を始めた。おもちゃ屋で仕入れたぬいぐるみや携帯ケースなどの小物を売って100円、200円稼ぐ小商いだ。

ある日、Aさんが収入の申告に行ったところ、担当のケースワーカーが「Aさん、2月4日の売り上げは2,000円と書いてありますが、あの日は2,450円売ったはず」という。「そんなことはない、2,000円ですが」と返すと「いや、絶対2,450円だ」としつこい。

「なぜか?」と聞くと、ケースワーカーが隠れてAさんを見ていたという。(俺は犯罪者なのか?)。傷ついたAさんは自ら生活保護を辞退。治療も受けられなくなり顔は再びどす黒くなり、人間不信からうつ病も発症。「もう一度役所に行こう」という仲間の助言も聞かなくなり、その後行方もわからなくなってしまった。 

◆「本当に長い裁判でした」──「釜ヶ崎医療連絡会議」の大谷隆夫さんに聞く

今回の判決について、釜ヶ崎で長く生活保護問題に携わり、裁判にも関わってきた「釜ヶ崎医療連絡会議」の大谷隆夫さんにお話を伺った。
 
── 今回の判決はどのように評価されていますか?

大谷 理屈で言うならば、負けるはずはない裁判だと思っていましたが、昨年6月の名古屋地裁では負けているので、どうなるだろうかと思っていたが、生活保護利用率が全国でも一番高い大阪で勝った意味は非常に大きいと思います。それにしても本当に長い裁判でした。(裁判提訴日は2014年12月19日)原告の1人であった、医療連メンバーの越前和夫さんは、昨年9月24日に亡くなったが、勝訴判決が出されたことについては、天国で喜んでくれていることと思います。

大谷隆夫さん(釜ケ崎医療連絡会議)

── コロナ禍で生活保護を受ける人が増えていると思いますが、医療連で関わった人はどのくらいおられますか?

大谷 コロナ禍で生活保護を受ける人が増えて来るだろうと思っていましたが、今のところ、「コロナで失業して生活保護を受けたい」という相談は、医療連には来ていません。この理由については、コロナで失業した生活困窮者に対して、今のところ、国の方が積極的にお金を貸し付けているのがその背景として考えられます。あと根が深いのが、生活保護を運用する現場ケースワーカーの資質であり姿勢の問題です。コロナ感染が始まった、昨年2月22日、大阪府八尾市のアパートの一室で、この部屋で生活保護を利用していた、57歳の母親と24歳の長男の遺体が発見されました。死因は、母親は処方薬の大量服薬、長男は餓死と判断されました。この事件を受けて、法律家・学識経験者・支援者などによって「八尾市母子餓死事件調査団」が結成されこの事件の調査が開始され、この調査で改めて明らかになったのが、八尾市のデタラメな福祉行政の実態でした。生活保護制度自体がどんなに素晴らしいものであっても、現場できちんと運用がされなければ、「絵に描いた餅」に過ぎないということを、菅首相は、是非とも、肝に命じて欲しいと思います。
 

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

JR新今宮駅前に建つあいりん総合センターの周辺には、コロナ禍で困窮した人たちが居場所を求めてやってくる。権利である生活保護はどんどん利用されるべきだが、まだまだ高いハードルがあるようだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

『週刊現代』今週号(2/27・3/6号)に「1971年──今から50年前、日本人が本気で生きていた時代」という特集を掲載されている(6ページ)。

1971年──もう半世紀も経つのか。19歳から20歳になる年だった。前年70年に大学に入り2回生だった。

1968年、1969年が雑誌の特集や書籍になるのは決して珍しいことではないが、1971年が雑誌の特集や書籍になるのはほとんどない。「1971年」がタイトルになっている書籍では堀井憲一郎『1971年の悪霊』ぐらいしか思いつかないが、あらためて検索してみると、他に土谷英夫『1971年──市場化とネット化の紀元』が見つかった。まだ探せばあるかもしれないが、いずれにしろ少ないことに変わりはない。

しかし、1971年という年には、多くのことが起きている。人気GSグループ「ザ・タイガース」の解散と沢田研二のソロデビュー、尾崎紀世彦『また逢う日まで』や鶴田浩二『傷だらけの人生』の大ヒット、小柳ルミ子、南沙織、天地真理の三人娘のデビュー、オールスター戦での江夏豊の9連続三振、高野悦子『二十歳の原点』出版……。

政治問題としては、沖縄返還協定調印(6月)→同批准(11月)、三里塚闘争(2月第一次強制収容、7月1・2番地点強制収容、9月第二次強制収容)の二大政治課題で、ふたたび大きな盛り上がりをみせた。この年の動員数は、60年代のそれを凌駕したという記事を読んだ記憶があるが、沖縄本土「復帰」の前年ということもあり、一大政治決戦の鬨(とき)だったといえよう。

◆1971年、思い出すだに

この年、少年から青年になる時期、生来小心者の私も自分なりに死にもの狂いに闘った。いろいろなことが脳裏を過(よぎ)る。

私的なことに限っても、4・28沖縄闘争(東京。清水谷公園→日比谷野音)、デモが終わり仲間と一緒に京都に帰るのかと思っていた所、ある先輩から「松岡、お前は残り三里塚の現闘(現地闘争団)に行け」と命じられ、当時結成したばかり三里塚現闘団(取香)に加わって、援農と(第二次強制収容に対抗するための)穴掘りなどに従事した。

4・28沖縄闘争(東京・日比谷公園)。有名になった戦旗派のキャッチャーマスク部隊(「戦旗派コレクション」より)

京都に戻るや、早朝の情宣活動中、日本共産党・民青(みんせい)のゲバルト部隊に襲撃され病院送りにされ5日間ほど入院。

退院するやすぐに、5・19沖縄全島ゼネスト連帯祇園石段下制圧闘争、初めて京都の市街地での実力闘争を展開、これはその後の首都東京での闘いの口火となった。この頃の同志社の部隊(全学闘争委員会)は、ブント分裂にもかかわらず数も多く屈強だった。先頭になって機動隊とのゲバルト戦を繰り広げ、14名の逮捕者を出した。この前々日の17日、学館ホールで三里塚闘争勝利集会を開き東大全共闘代表・山本義隆さんが来られ講演している。

6・17、沖縄返還協定調印阻止闘争(東京)、この前々日、全国全共闘(新左翼)は中核派と反(非)中核派の二つに分裂し、同志社や京都の部隊は反(非)中核の集会(宮下公園)に参加、デモは荒れに荒れ、火炎瓶も飛び交った。機動隊に路地に押し込まれ、「もうあかん」と思った矢先、後ろから火炎瓶がポーン、ポーンと飛び、戦旗派の指揮者が「同志社大学全学闘の諸君と共に、ここを突破したいと思います」と叫び、スクラムを組んで突破し、デモに合流して最後まで貫徹。デモの本流に合流しそのまま引き続きデモができるというのが今から思い返しても不思議だ。

6・17沖縄返還協定調印阻止闘争(東京)。ここに松岡もいたと思われる(「戦旗派コレクション」より)

7月、三里塚1、2番地点阻止闘争、全学闘は4人逮捕され3人が起訴され、長く裁判闘争を闘いながら1人は実刑を食らった。逮捕された時に持っていた竹竿に血が付いていたという理由だった。のちに児童文学作家となる、文学部共闘会議(L共闘)の先輩SKさんもこの時逮捕されている。同じく逮捕された立命館のA君は、残念なことに、保釈されたのち自死した。寡黙な男だった記憶がある。

9月、三里塚第二次強制収容阻止闘争、9・16では新左翼の部隊と機動隊が遭遇し、機動隊3名が死亡。私たちは、幾つかのグループに分かれ現地に入り、各々の分野で任務を全うした。沼に浸かりながら逃げたりして、数日闘い京都に帰還。今だから言える話だが、学生放送局は三里塚と同志社のキャンパスをつなぎ放送を始めたが、機動隊3名死亡事件発生ですぐに終了を余儀なくされた。

71年沖縄―三里塚闘争の過程(『季節』6号より)

◆学費値上げ問題が勃発!

京都に戻ると学費値上げ問題が浮上し、以降は専ら学費値上げ阻止闘争に関わることになる。首都東京では沖縄返還協定批准阻止闘争が闘われていたが、一度上京したぐらいで、ほとんど関われなかった。ちなみに、一度上京した際に、大学祭中のH大学に寝泊まりしていたところ、ばったり高校の同級生のB君に遭遇したことがあった。彼はしばらくして、大学を中退し一時帰郷、その後、中国大陸、台湾に渡り30数年を過ごしたという。もう会えないと思っていた所、一昨年の高校の同窓会で再会、実に40数年ぶりのことだった。彼は私が京都に行く時に駅に見送りにきてくれ、また夢破れて帰郷する際も、大阪で働き始めた私のアパートに一晩泊まってくれた。

当時の団交(団体交渉。11月11日)の写真が残っている。懐かしい。2人立って激しく学長ら当局を追及している。左が文学部の先輩・水渕平(ひとし。故人)さん、右が、その後、草創期の某コンビニの役員にまで上り詰めた先輩Cさん。大学側では中央で腕を組んでいるのが山本浩三学長、彼は69年の封鎖解除も断行しているので、72年2月1日と、2度の封鎖解除を行っている。

11・11学費問題団交(朝日新聞社提供)

学費問題は、その後、全学学生大会で無期限バリストに突入し、翌年2月1日、決戦を迎え私以下100数十名が検挙、43名逮捕、10人が起訴され1人が無罪、他9人が微罪ながら有罪判決を食らう。

この年、学費値上げは、全国の大学で浮上し反対闘争が展開されたが、特筆すべきは関西大学のバリケード内で、同じ大学の先輩で中核派の正田三郎さんら2人が革マル派の特殊部隊に襲撃され死亡。正田さんとは立場は違えど、たびたびビラ撒きで一緒になったりしたこともありショックだった。これ以降中核派は、革マル派を「カクマル」と表記するようになった。最近観た映画『きみが死んだあとで』で、このシーンが出て懐かしくも、やるせない気分だった。


◎[参考動画]『きみが死んだあとで』予告編

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

『週刊現代』の1971年特集記事に触発され、いろいろなことが脳裏を過り思いつくまま書き連ねてきた。もう半世紀も前のことだ。九州の田舎から出てきて、少しはキャンパス生活に慣れ、当時どこにでもいたノンセクトの活動家として、ふたたび盛り上がってきていた政治過程や学費値上げ問題に、自分なりに一所懸命に関わった時期だった。今はなき学生会館別館BOXでの会議は重々しかったという感しかない。時には、その後「赤衛軍事件」に巻き込まれ長年逃亡する滝田修が学友会BOXに現われアジッていたことも思い出す。

ここ数年、過去の運動を追体験し総括を試みようと考え、『遙かなる一九七〇年代‐京都』『思い出そう!一九六八年を!!』『一九六九年 混沌と狂騒の時代』『一九七〇年 端境期の時代』と出版してきましたが、今年も11月頃に「一九七一年」版(タイトル未定)を発行する予定です。上記のような内容が中心に成ります。ご期待ください。

尚、上記書のうち『一九七〇年~』を除いて品切れとなっております。申し訳ございません。

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

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2月13日夜、「3・11」から3627日に福島県沖を震源として起きたM7・3の大地震は、廃炉作業中の原発への不安とともに、万が一の際の空間線量確認手段としてのモニタリングポスト(リアルタイム線量測定システム、以下MP)の必要性を改めて認識させられた。3年前、原子力規制委員会が避難指示区域外のMP約2400台を撤去する方針を示した際、反対した住民の多くが「有事の際の『知る権利』を保障して欲しい」と訴えていたが、その想いが図らずも証明された形になった。

福島駅西口のモニタリングポスト。今回の大地震で多くの人が必要性を再認識した

だが、住民の想いを当初から全否定していた人がいる。。田中氏はどんな言葉で原発事故後の福島県民を愚弄して来たのか。筆者の取材に対する発言を振り返っておきたい。

MP撤去計画は震災・原発事故から4年後の2015年にさかのぼる。

同年11月25日の原子力規制委員会第42回会合で当時の田中委員長が、会合の終盤に「私の方から少し御報告したいことがある」として、次のような発言をしている。

「原子力規制員会は、これまで(中略)モニタリングの実施とかデータの公表を行ってきましたが、事故から5年が経過しようとする中で、これまでの取組をもう少し整理した上で、先ほどの帰還困難区域の問題もありますので、それを少し見直していく必要があろうかと思います。今までどおりのモニタリングでいいかどうかということも含めてです(中略)是非事務局で、どうすべきかを含め、関係省庁との協議も含めて取り組んでいただくよう、私からお願いしたいと思います。それを受けて、また原子力規制委員会でどうすべきか議論させていただきたいと思いますので、よろしくお願いします」

翌2016年1月6日の第48回会合でも「事故から5年が経過しようとする中で、これまでの取組を整理し、必要な見直しを行う、よい機会であると考えています。事務局においては3月をめどに福島第一原発のリスクマップの改訂と総合モニタリング計画における規制委員会のモニタリングの見直しが行われるよう、検討を進めていただくようにお願いしたい」と改めて発言。それを受ける形で2018年3月、2021年までの撤去方針が正式に示された。MP撤去は3年越しの〝悲願〟だったのだ。

モニタリングポストに対する福島県民の想いを否定し続ける田中俊一氏

撤去反対の声が高まり始めた2018年7月、飯舘村で田中氏は筆者にこう強調した。

「あんな意味の無いものをいつまでも配置し続けたってしょうがない。数値がこれ以上、上がる事は無いのだから。早く撤去するべきだよ。廃炉作業でどんなアクシデントが起こるか分からない?そんな〝母親の不安〟なんて関係ないよ。そんな事ばかりやっているから福島は駄目なんだ」

「福島県庁にしたって非科学的な人間ばっかり。不安があるからMP配置を続けるなんて単なるポピュリズムだよ。ガバナンスが無い。おたくはどこの会社? フリーランス? そんな事も分からないようじゃジャーナリストをやめた方が良いよ」

筆者の資質にまで言及してくださる姿勢には、違う意味で〝感服〟した。

住民説明会では、ほぼ全ての意見が「撤去反対」「配置継続」だった

その年の10月には、福島市内で開いた講演会に登壇。「不安を抱いている事が復興の妨げになっている」と語気を強めた。

「復興のキーワードは『さすけね』。福島の方言で、そんな事は気にしなくて良いよという意味です。今の福島の状況は『さすけね』なんです。全国の皆さん、変な言葉ですけど福島の方言ですので、ぜひ覚えて帰っていただいて、これから福島のものを買うときは『さすけね』と言っていただければありがたい」

終了後に田中氏を直撃すると、再び住民たちの想いを踏みにじる発言に終始した。

「MPを撤去しても『さすけね』だ。設置を継続して欲しいと言っているうちは復興出来ない。不安を抱いている事を美学のように思っているのが間違いなんだよ。それをまた、あなたたちが煽り立てるところもいけない」

「不安に思うのはしょうがないが、福島の復興を考えたら不安に思っていても何の意味も無い。前に進まなくて良いんだったら別に放っておけば良いんだけど。MPなんか値は下がるしか無いんだから。『廃炉作業で何があるか分からない』なんていうのも何の根拠も無い。中通りも双葉町も、廃炉作業でのアクシデントで環境中の放射線量が上がるなんて事は無い。それに(設置し続けるには)お金がかかるんだよ」

もう止まらない。

「MPの撤去も、汚染土壌の再利用も、汚染水の海洋放出も、反対する方がおかしいんだよ。それしか方法が無いんだから…。それしか無いですよ。陸上保管なんてあり得ないですよ」

「当たり前の事が出来ないとね。そんな事をやってたらあんた、『いちえふ』の廃止(廃炉)なんて出来やしないですよ。廃棄物は山ほどあるし、もっともっとリスクの大きい事がいっぱいある。MPもそう、汚染土壌の再利用もそう。もっとリスクを合理的に考えないと。反対してたら福島の復興なんて出来ないですよ。原発事故は原発事故なんだけれども、それをどう克服するかという視点が全く無いのが、あなたとは言わないけど、あなたたちマスコミの…およそ大学で学んだ人たちとは思えない思考力しか無い」

そして、次のような言葉で住民たちにとどめを刺した。

「まるで反対している人が悪いみたいだって? そうですよ。反対するのは構わないけれど、福島の復興の妨げになるような事はやめなさいって。妨げてますよ、ものすごく」

中通りの女性からはこんな言葉が聞かれた。

「地震の後、『MPの値がいつもより高い。原発大丈夫かな?』という声を聞きました。やはり意識して見ているんですよね」

こういう想いも、田中氏には「復興の邪魔」なのだろう。

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.26 《総力特集》2021年・大震災から10年 今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

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「生まれつき茶色い髪について、学校で何度も黒く染めるように指導されて精神的苦痛を受けた」

大阪府羽曳野市の府立懐風館高校に通っていた女性(21)がそのように主張し、府に約220万円の慰謝料などを求めていた訴訟で、大阪地裁(横田典子裁判長)が16日、府に33万円の賠償を命じる判決を出した。

報道によると、判決は「教師たちは女性の髪を直接見て、地毛が黒色だと認識して指導していたため、違法性があったとはいえない」と認定。一方で、女性が2年生の9月から不登校になったのをうけ、学校側が出席名簿から女性の名前を消したことなどについて「女性の心情に配慮したものといえない」と違法性を認めたという(FNNプライムオンライン16日17時21分配信)。

私はこの訴訟について、裁判記録を閲覧するなどの取材をし、当欄でも2018年の時点で以下のような原稿を書いている。

◎大阪「髪染め強要」訴訟 ほとんど報じられない学校側の主張を伝える
・2018年1月18日【前編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24417
・2018年1月22日【後編】 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24423
私は現時点でまだ判決を見ていないので、判決の当否について踏み込んだことは言えない。しかし、取材で把握した「確定的な事実」によって認められる限りでも、この訴訟を取り巻く現状には見過ごしがたいことがある。

◆教師たちは女生徒に「髪を黒く染め直す」ように指導していた

それは、この訴訟が2017年に最初に話題になった当時の報道に「重大なデマ」があったことだ。

「女生徒の髪は生まれつき茶色なのに、学校側は黒く染めさせていた」

マスコミ各社は当時、女性側のこのような主張を揃って鵜呑みにし、懐風館高校で生徒へのとんでもない人権侵害が行なわれているように報じた。あたかも同校の教師たちが女性の髪は生まれつき茶色だと認識しつつ、校則通りに黒く染めるように強要していたように伝えたのだ。

こうした報道をうけ、ジャーナリストや学者、評論家、弁護士らがSNSなどで一斉に同校で理不尽な指導が行われていたかのように批判した。ツイッターで個人的にそのような批判をしている新聞記者も見受けられた。ひいては、これに同調した有名・無名の無数の人たちによって、同校の教師たちに対する凄絶なバッシングが巻き起こったのだ。

しかし訴訟で本格的な審理が始まると、女性の生まれつきの髪の色が本当に茶色だったか否かは大きな争点になった。つまり、同校の教師たちは「女生徒の髪が生まれつき茶色でも黒く染めさせる」という指導はしておらず、あくまでも「女生徒は生まれつきの髪の色が黒なのに、茶色に染めている」と判断し、黒く染め直すように指導していたのである。

前掲の報道では、判決は「教師たちは女性の髪を直接見て、地毛が黒色だと認識して指導していたため、違法性があったとはいえない」と判断したと伝えられているのに対し、女性側の代理人弁護士が判決の事実認定を不服とし、控訴を検討しているという報道もある。

ただ、いずれにしても、同校の教師たちは「女生徒の髪が生まれつき茶色でも黒く染めさせる」という指導をしていたわけではないので、同校の教師たちがそのような指導をしているように伝えた報道はデマだ。また、報道のデマを信じ、同校の教師たちをSNSなどで批判した者たちは、同校の教師たちを侮辱し、その名誉を不当に傷つけたのである。

◆デマ被害者である教師の方々、そのご家族に伝えたいこと

さらに見過ごしがたいのは、こんな重大なデマが明らかになったのに、デマを報じたマスコミや、デマを信じて同校の教師たちを侮辱したジャーナリストや学者、評論家、弁護士、個人の新聞記者らが何ら訂正もせず、謝罪もせず、しらばくれていることだ。一体、どういう倫理観をしているのか、頭の中をのぞいてみたい思いだ。

これだけ酷いデマ被害を目の当たりにしつつ、被害回復のために何もできない私自身、無力さを痛感している。しかし、せめて理不尽なデマによって傷つけられた同校の教師の方々、そしてそのご家族の方々に「世の中には、この酷いデマに気づいている人間もいないわけではありません」ということを伝えたく、この原稿を書いた。

問題の訴訟が行なわれた大阪地裁

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

3月1日に判決が下される「子ども脱被ばく裁判」について、2月6日(土曜日)東京の茗台(文京区)で開催された緊急集会で、「子ども脱被ばく裁判」の弁護団長・井戸謙一弁護士がその概要と意義について講演を行いました。以下はその書きおこしです。(構成=尾崎美代子)

 

◆はじめに──大河陽子弁護士(進行)

本日のシンポジウムの趣旨を説明します。2014年8月29日に提訴された子ども脱被ばく裁判の判決が3月1日に出されます。この裁判は、大人が起こしてしまった原発事故において、子供たちの被害を最小限度に食い止めるには、今、国や県は何をなすべきか? また国や福島県の情報の隠ぺいにより、私たちは本来避けることのできた無用の被ばくを受け、今も受け続けているのではないかということを問題にした裁判です。子どもとその親たちが原告になりました。前例のない裁判ですが、テーマは「未来」です。今日は裁判のなかで明らかになったことをお伝えし、この裁判の意義を皆さんと考えていきたいと思います。

以下、井戸謙一弁護士による報告「裁判の概要と意義について」です。

◆「こども人権裁判」と「親子裁判」という2つの訴訟

この裁判は、2014年8月29日に一次提訴し、三次提訴までしました。2つの訴訟を併合提起して同時進行しています。1つは行政訴訟で、もう一つは国家賠償請求訴訟です。私たちは、行政訴訟を「こども人権裁判」と、国賠訴訟は「親子裁判」と呼んでいます。原告の数はこども人権裁判は14名です。当初は40人位の子どもが原告になりましたが、福島県内の小・中学生でなければならないという制限がありますので、多くの子どもが中学を卒業し、14名になりました。親子裁判は親も子供も原告になれるのですが、現在170名ほどいらっしゃいます。弁護団は19名ですが実働は6名で、東京、大阪、京都、滋賀に点在していまして、地元の福島にいないことが一つ残念なことです。全国にたくさんの支援団体があり支援していただいております。脱被ばく実現ネットもその中の大きな団体のひとつです。裁判所は福島地裁、裁判長は遠藤東路裁判長が担当しています。昨年の7月28日に弁論を終結しまして、きたる3月1日が判決です。

「子ども脱被ばく裁判」弁護団長の井戸謙一弁護士

◆なにを請求しているのか?

この裁判で何を請求しているのか。行政訴訟は、福島県内の公立の小・中学生である原告らが、被告である県内の市町に対して、被ばくという点において、現在の学校施設は健康上のリスクがあるから、安全な環境の施設で教育を実施することなどを求めています。国家賠償請求訴訟は、3・11当時、福島県内で居住していた親たちと子どもたちが原告で、被告は国と福島県です。国と福島県が不合理な施策をしていたことによって、子どもたちに無用な被ばくをさせて、原告らに精神的苦痛を与えたことによる損害賠償(1人10万円)を求めています。

被ばくによって健康被害が生じたということではなくて、いつ健康被害が発生するかもしれない立場に置かれた、そのことによる精神的苦痛を理由に損害賠償を求めています。

では「不合理な施策」とはなにかというと、1つめは情報の隠蔽、スピィーディやモニタリングなどの必要な情報を隠蔽したということです。2つめは安定ヨウ素剤を子どもたちに服用させなかったことです。3つ目は、年20ミリシーベルト基準で学校を再開させたこと。一般公衆のそれまでの基準の1ミリシーベルトの20倍の基準で学校を再開させたこと。4つ目は、事故当初、子どもたちは集団避難させるべきだったのに、それをさせなかったこと。5つ目は山下俊一氏などを使って「被ばく状況は安全だ」などとウソの宣伝をさせたことです。

2020年3月5日、山下俊一が出廷した裁判の前に福島地裁前でアピール(写真提供=水戸喜世子さん)

◆なぜ、裁判を起こしたか

次になぜこういう裁判を起こしたかについてです。私たち弁護団は「福島集団疎開裁判」という、郡山の子どもたちが郡山市に対して「集団疎開させてくれ」と訴えた仮処分事件を担当していた弁護士が中心です。その事件は仙台高裁で「このままでは福島の子どもたちに由々しい事態が生ずる恐れがある」ということを決定のなかで書かせることができました。

ただ、避難したければ自分で避難しろという理屈で、請求は棄却されました。それが終わったあと、何か次の裁判の申し立てをしたいということで、弁護団、福島の方々、そして支援する方々で何度も何度も話し合いをしました。そのなかで、福島の親たちの思いを少しづつ理解するようになりました。これは私個人の理解ですけれども、私は福島の親御さん、とくに避難区域外のお父さんお母さんがのたうちまわってきたという印象を受けています。強制避難の方も大変な被害ですが、避難するしかなかった。でも避難区域外の親たちは、避難するのかしないのかを、自分自身で決断することが迫られていた。

そのなかで、まずそれまで被ばくに対する知識がなかった。必要な情報が与えられなかった。ベクレルもシーベルトも最初はほとんどの人がわからなかった。「〇シーベルトだ」と数値を伝えられても、その意味がわからなかった。

他方、情報のある人がどんどん消えていく。東電とつながりがある人、知識のある人は早く逃げるので、だんだんそういう人が自分の周りから消えていく、そういう環境の中におかれていた。テレビをつけると「ただちに健康に影響はない」という枝野元官房長官の話ばかりが聞こえてくる。ただちに健康に影響ないというならば、将来影響がでるのではとどうしても思ってしまう。

行政はというと、安全宣伝しかしない。家庭だけでは守ることはできないが、学校はなにもしてくれない。3月の入試の合格発表も例年通り行われ、クラブ活動なども制限されずに行われたところがたくさんあった。4月の新学期も例年通り始まった。そういうなかで子どもの健康不良がでてくる。鼻血問題は、雁屋哲氏の漫画「美味しんぼ事件」で大問題になりましたが、現実にこの頃から、それまで経験したこともないような鼻血を出す子どもがたくさんでてきた。いろんな体調不良を訴える声も聞こえてきた。避難しなくてはと思うが、現実的にはなかなかできない。やはり行政の支援がなければ、避難は簡単にはできません。重大な決意をして避難しても、政府から「避難した人は子どもたちを被ばくリスクから守るために避難したのだから、避難先の人たちはそういう人たちを支えてほしい」というメッセージがなければ「必要もないのに、避難して来た。神経質なやつだ。」と避難先で差別の対象になってしまう。

そして親たちは、自分を責めるのです。「何故あのとき子どもをクラブ活動に行かせたか?」「なぜ給水車の列に子どもを並ばせたか?」「なぜ親からもらった地元の野菜を子どもに食べさせたのか?」と自分を責めるのです。

そして時間が経つと、だんだんわかってくる。いろんな知識を身につけることになる。例えば一般公衆の被ばく限度はもともと年1ミリシーベルトと定められていたこと。3月15日から、とくに福島の中通りには大変な量の放射性物質が飛散していたということがあとになってわかった。スピーデイという情報があったのに、それが隠されていたこともわかった。子どもを甲状腺がんから守る安定ヨウ素剤という薬があったが、これを飲ませてもらえなかった。しかも県立医大の関係者だけはこれを飲んでいたということがわかってきた。そして偉い先生だと思っていた山下俊一氏の言っていたことは、じつは嘘だったということがわかった。いざとなったら、行政は子どもたちや私たちを守ってくれないんだ。そういう行政によって子どもたちは無用な被ばくをさせられたのだ、結局私たちは捨てられたのだという、そういう思いがどんどん募ってくる。

福島の親たちは、もちろん事故を起こした東電に対する怒りも持っていますが、それ以上に国や福島県に対する怒りが大きいということがよくわかりました。そしてこの問題を司法の場で明らかにしたいという、そういう思いを多くの方がもっている。避難者の損害賠償請求訴訟は全国で多数ありますが、これらは事故を起こした東電の責任あるいは、規制権限を適切に行使しなかった国の責任を問うているものです。

これに対し、事故が起こったあとの被ばく対策、子どもたちを守るための被ばく対策が不十分だったことを問うた訴訟はなかった。これをぜひ司法の場で明らかにしたいという思いを、皆さんが持っていることがよくわかって、その思いに答える訴訟ということで、この裁判が起こされることとなりました。

同上

◆裁判の特徴と意義

この裁判の特徴を申し上げると、事故発生直後の行政の責任を問う裁判であること、しかも混乱状態の中で適切な措置をとれなかった過失責任を問うているのではなくて、意図的な被ばく軽視政策、意図的な法律無視が行われたと主張していることです。

なお、訴訟のテーマになっているわけではありませんが、これらの政策の背景には、IAEA(国際原子力機構)やICRP(国際放射能防護委員会)などの国際的な原子力利用推進勢力(国際原子力マフィア)の意思があると考えています。原子力推進勢力は、チェルノブイリでは避難させすぎたと評価している。原発事故の影響を小さく抑えるべきであり、そういう意味では福島では成功したと、恐らく評価していると思います。この「成功体験」は、今後世界で原発事故が起こった場合のモデルケースになるでしょう。更に、被ばくの問題を軽視するということは、最終的には小型核兵器使用の容認にまでつながる問題でもあります。

そしてこの訴訟の意義としては、

(1)翻弄された人々のくやしさ、怒りを見える化する。
(2)国や県の政策の問題点を白日にさらず。
(3)心ある科学者の方々が多数おられるので、そういう方々の仕事をつなぎ、社会に伝える。
(4)被ばく問題に心を痛めている人たちの希望の灯台になる。
(5)判決自体はどういう判決になるかわかりませんけれども、この被ばくの問題というのは、ヒロシマ・ナガサキから始まる長い長い闘いですから、次の闘いの橋頭保をつくる、

以上のような点を指摘できると考えています。

2020年3月5日、山下俊一が出廷した裁判の前に福島駅前でチラシ配り(写真提供=水戸喜世子さん)

原告団代表の今野寿美雄さん

◆前代未聞の裁判

このような経緯で始めたこの裁判ですが、前代未聞の裁判なので、裁判所も最初は面食らったとおもいます。当初被告は、特に行政裁判において、そもそもこんな裁判は審理する必要すらない、門前払い却下しろと主張していて、裁判所もそちらの方向でいこうと考えていたようです。

それに抵抗して、なんとかそれを乗り越えて、低線量被ばくの問題、内部被ばくの問題、そして国や県の具体的な行為内容の是非などの議論にはいりました。県民健康調査の問題や、セシウム含有不溶性放射性微粒子の問題に焦点をあてて主張してきました。そして我々の側で、意見書を書いていただいた郷地秀夫先生と河野益近先生の尋問を実施し、そして鈴木眞一氏、山下俊一氏という2人のキーマンの証人尋問を実施したことは大きな成果だったと思います。

内容的にはこちらの主張に対して、被告側はまともな反論ができてないに思っていますが、判決がどうなるかはふたを開けてみなければわかりません。今の段階でやれることはやりましたので、いい判決を期待して待っています。

■掴む勝訴! 第28回 子ども脱被ばく裁判 (判決)■
いよいよ判決です!!
6年半に渡った「子ども脱被ばく裁判」に判決が出されます。
ぜひご注目ください。
http://datsuhibaku.blogspot.com/2021/02/28.html

◎日時◎
2021年03月01日(月)12:00-17:00

◎会場◎
ラコパふくしま 5F 多目的ホール
〒960-8105 福島県福島市仲間町4-8 ℡024-522-1600
福島地方裁判所
〒960-8512 福島市花園町5-38 ℡024-534-2156

◎プログラム(予定)◎
12:00 福島地裁前集合・地裁前集会
13:00 傍聴券配布
13:30 開廷 判決
14:15 閉廷
15:00 記者会見
16:00 報告集会
17:00 閉会
*アオウゼにて報道関係者は必ず腕章を付けてください。

◎判決前記者会見及び記者レクチャー◎

東京会場:東京司法記者クラブ
2月26日(金)13:00から13:30
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-1-4 東京裁判所2F

福島会場:アオウゼ大活動室
2月28日(日)17:00から19:00
〒960-8051 福島県福島市曽根田町1-18 MAXふくしま4F


◎[参考動画]シンポ「子ども脱被ばく裁判」3.1判決迫る(脱被ばく実現ネット2021年2月6日)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

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武装闘争は、どのような思いで実行されたのか。そしてそれを、どのように考えるのか。今回、東アジア反日武装戦線を取り上げたドキュメンタリー作品が完成した。それが、2000年代初頭に釜ヶ崎で日雇い労働者を撮影していた韓国のキム・ミレ監督作品『狼をさがして』だ。

© Gaam Pictures

◆「東アジア反日武装戦線」とメンバーのその後

東アジア反日武装戦線とは1970年代、明治以降の帝国主義を批判し、企業爆破を実行したグループ。この名称は同志が使用できるようにされていたため、各「部隊」は自分たちを「狼」「大地の牙」「さそり」と名乗った。

1968-69年の全共闘を経て、大道寺将司(だいどうじまさし)さんは70年、帝国主義の研究会を発足させる。キューバ革命などに関しても学ぶなか、武装闘争の路線が固まっていく。あや子さんも研究会に加わった。72年、東アジア反日武装戦線の名称が決まり、大道寺将司さん・大道寺あや子さん・片岡利明(かたおかとしあき・現在は益永)さん・佐々木規夫(ささきのりお)さんらのメンバーは、「狼」を名乗る。74年、小冊子『腹腹時計』を発刊。同年8月14日、太平洋戦争でアジア人民を殺した「大犯罪人」たる昭和天皇・裕仁が乗車する列車を爆破する「虹作戦」実施のための行動が開始されたが、完遂できなかった。その翌日、韓国では、在日韓国人で朝鮮総連活動家・文世光(ムン・セグァン)が大統領・朴正煕(パク・チョンヒ)を暗殺しようとする。「狼」は、これに刺激を受けて30日、三菱重工業東京本社ビルを爆破、8名が死亡、376人の負傷者が出た。その後、11月25日に帝人中央研究所を爆破。

いっぽう71年、齋藤和(さいとうのどか/かず)さんは浴田由紀子(えきた/えきだゆきこ)さんらと知り合い、のちに「大地の牙」を結成。同「部隊」は74年10月14日、三井物産の本社屋「物産館」を爆破、16人の負傷者が出た。その後、12月10日に大成建設を爆破。

翌75年2月28日には、「狼」「大地の牙」「さそり」合同で、間組本社と間組大宮工場とを爆破、5人の負傷者が出た。

「大地の牙」は75年4月19日に、オリエンタルメタル製造の本社と韓国産業経済研究所も爆破している。

大道寺将司さんに会った黒川芳正(くろかわよしまさ)さんは74年に「さそり」を結成。宇賀神寿一(うがじんひさいち)さんや桐島聡(きりしまさとし)さんとともに12月23日、鹿島建設のプレハブハウス工場の資材置場を爆破。75年には2月28日以外にも、4月28日に間組京成江戸川作業所を爆破して1人の負傷者が出、5月4日にも間組の京成江戸川橋鉄橋工事現場を爆破した。

逮捕後、75年のいわゆる「クアラルンプール事件」で佐々木規夫さんが、77年の「ダッカ日航機ハイジャック」で大道寺あや子さんと浴田由紀子さんが釈放。大道寺将司さんは死刑確定の後、2017年5月24日に多発性骨髄腫のため東京拘置所で病死。益永利明さんは確定死刑囚として東京拘置所に、黒川芳正さんは宮城刑務所に収監されている。大道寺あや子さんと佐々木規夫さんは国際、桐島聡さんは全国指名手配中。斎藤和さんは取調中に服毒自殺。宇賀神寿一さんは懲役18年が確定した後、2003年6月11日に出所した。浴田由紀子さんは95年にルーマニアで身柄を拘束・日本に移送されて懲役20年が確定し、2017年3月23日に出所している。

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◆「東アジア反日武装戦線」を辿る

『狼をさがして』は、2004年8月の、釜ヶ崎で亡くなった仲間の慰霊祭の場面から幕を開ける。山谷でも同様の「イベント」があるが、おそらく15日に実施される「釜ヶ崎夏祭り慰霊祭」だろう。1972 年、「暴力手配師追放釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)」によって始められ、活動家や日雇い労働者を弔うものだ。作品には、喜納昌吉(きなしょうきち)さん作詞・作曲の『花』を歌う人も映し出される。監督は韓国の建設産業史をめぐって釜ヶ崎を訪問し、そこで「資本と国家にあらがう人たち」を目にして、東アジア反日武装戦線を知る。

評論家で東アジア反日武装戦線メンバーの支援活動もおこなう太田昌国(おおたまさくに)さんは、旅先で集めた絵はがきやパンフレットを大道寺将司さんに送っていた。太田さんはFacebookなどにも、「私にできたことは少ない。ほとんどなかった、と言ったほうがよい。旅行が叶わぬ彼に、せめても旅先から絵葉書を送った」と記す。新潟県松之山温泉近くに広がる雲海の絵葉書や観光案内書を送った際には、大道寺将司さんから以下のような句が返ってきた。

雲海に落人(おちゅうど)の影消えにけり

マスコミは当初、「思想もない爆弾魔」「爆弾マニア」として報道したという。だが本作には、東アジア反日武装戦線メンバーの主張も取り上げられている。「日帝中枢に寄生し」ている企業に対し、「世界の反日帝闘争」に参加する仲間と連帯し、「新大東亜共栄圏」を実現しようと海外や発展途上国の植民地化をもくろむ者たちを打倒すること。それこそが、「戦死者を増やさぬ唯一の道」だという。だが、1人ひとりの感覚や心情は、素朴なものだったりする。それにショックを受け、共感を抱く人が多く存在してきたし、現在も存在し、本作によってそれを知る人もいるだろう。女性の運動を経て、大道寺将司さんの妹となって支援を続けた大道寺ちはるさんも登場する。

1975年に「狼」グループの一員として逮捕され、87年に出所後、福祉の仕事に携わっている荒井まり子さんも登場。姉は「公安警察の尾行をまこうとして亡くなった」そうだ。荒井さんは獄中でも「東アジア反日武装戦線獄中兵士」を名乗っていたが、密かに猫や他の人との交流も楽しんでいたらしい。荒井さんの母親も、支援者という「友だちを増やしてくれたから、今もまわりにお友だちがいっぱい」などと口にする。

電光掲示板や派手なアニメの看板などが乱立する東京では、東アジア反日武装戦線が単なる殺人者として露骨に嫌悪されていると説明されるシーンもある。ただし実際には、ほとんどの人は詳細などまったく知らず、また忘れ去られている部分もあるだろう。

また監督は、大道寺将司さんの故郷、北海道釧路市にも足を運ぶ。

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◆朝鮮・中国・アイヌ侵略と彼らの犠牲

韓国の監督作品として観るからこそ、印象に残るシーンもある。荒井さん親子が朝鮮民謡『アリラン』を歌い、哀愁を語らう。朝鮮から強制連行された方々を追悼する様子も描かれる。

東アジア反日武装戦線の主張にも当然、日帝による「35年間に及ぶ朝鮮の侵略・植民地支配」への批判が含まれる。自らは「日本帝国主義者の子孫であり」これを「許容、黙認し、再び生き返らせた、この認識より始めなくてはならない」というものだ。

「大地の牙」が爆破した大成建設の前身は、大倉財閥系の企業だ。大倉財閥は軍需産業で成長し、東アジア反日武装戦線は「大成建設が1922年に信濃川水力発電所で朝鮮人労働者を大量に虐殺した」ことも、爆破の理由にあげている。韓国の新聞『東亜日報(トンアイルボ)』によれば、「惨殺された者100人以上」ともいう。

同様に「大地の牙」によるオリエンタルメタル社・韓産研爆破の日程として選ばれた4月19日とは、1960年3月15日の韓国大統領選挙における不正を糾弾し、民衆デモが発生。大統領を下野させたこのデモのなかでも最大規模だった「革命の日」の日程に合わせたものだ。

齋藤和さんは学生時代、「朝鮮革命研究会」に相談役として加わり、その後、日雇い労働をしながら4回韓国へ渡航。彼の友人の中野英幸(なかのひでゆき)さんは、歴史を知ることなく、本気でないなら、恥ずかしいので支援はやめてくれといわれたことが心に残っている。

また、東アジア反日武装戦線は朝鮮同様、アイヌへの侵略の歴史にも言及していた。本作では、アイヌのイベントの様子も取り上げられている。筆者には以前、アイヌへの侵略と北海道への進出の歴史に先祖が関わった知人がおり、残された記録を目にしたことがあった。彼らは「アイヌと友好的に関わった」などと主張していた。そんなことも思い出した。まったくアジア侵略と同様だ。

さらに、「さそり」が爆破した鹿島建設には、戦時中に強制連行した986人の中国人労働者が、過酷な労働や虐待による死者の続出に耐えかね、1945年に一斉蜂起し鹿島組の現場責任者らも戦後に重刑を宣告されたことが背景にある。事件後の拷問も含め、45年までに400人以上の中国人労働者が死亡した。

彼らの犠牲のうえで、現代のわたしたちは「平和で安全で豊かな小市民生活を保障されている」と、東アジア反日武装戦線は訴える。

本作には、8月15日の「反『靖国』行動」と、それに対する右派の様子も映し出されていた。

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◆「すべての人が対等に生きられる世界」に向かうために

だが、東アジア反日武装戦線メンバーが、「非合法・武装闘争として実行」したことに対する「自らの反革命に落とし前をつける」と語るシーンなどもおさめられている。監督は、武装闘争について、冷静なスタンスを変えない。

浴田由紀子さんの出所は最近で、筆者も集会に参加したので、よく覚えている。『週刊金曜日』に報告文も寄稿した。その際、浴田さんは、「世の中を変えたいと思い、これだけ長く刑務所にいた女性は、ほかにいないと気づいた。(当事者として)犯罪者・出獄者の気持ちを理解する私が、出獄した女性たちが助け合い、人間性を奪う刑務所に行かずに済むネットワークをつくりたい。これがわたしの新たな役割」「当時、大切な人・大切なこと・自分もないがしろにしたことが一番の間違いだった。開かれた世界で自由に交流し、人間らしい日常をわたしから実践したい」と語っていた。

内田雅敏弁護士は本作で、「日本・天皇の戦争責任に関し、十分でないが終わったという認識が強かった時代に、企業の戦争責任を問うて企業爆破をすることで、日本の近現代史における未精算の問題、植民地支配や戦争責任について、徐々に理解されるようになった」という旨のことを述べている。

本作では、「反日亡国論」とは、国家や民族的な結合をなくすことであるというのも説明される。

さまざまな運動とその歴史に関わる筆者としては、武装闘争を単純に批判できない。そこで、本作ラスト近くの京都大学名誉教授・池田浩士(いけだひろし)さんの「暴力は圧倒的にわたしたちの側にない」からはじまる言葉には、ぜひ、耳を傾けていただきたい。そのうえで個人的には、やはり現代日本においては、武装闘争は倫理・道徳的な視点からというより、市民の共感や賛同を得られないものは運動にはなりえず、それは運動として成功しないという考えから否定的ではある。

個人的には、救援連絡センターの山中幸男さん、足立正生さんをはじめ、知人・仲間が多く登場し、そこも楽しませていただいた。現在、救援で働く宇賀神寿一(シャコ)さんがパーキンソン病であることを、本作で初めて知った。エンドロールに意外な方の名前も連なっていた。運動関係者の方なども、ぜひ最後までじっくりと、ご覧いただきたい。

最後に。「世界同時革命」はわたしたちの知る以外でも一部実行され、一部実現し、現在にいたると筆者は考えている。現在、政治に嘘がまかり通り、新自由主義は暴走し、格差は拡大し続けている。わたしたちは今こそ、東アジア反日武装戦線や60年代以降の運動に改めて注目し、今と未来を変えるために彼らからも学ぶことができるだろう。知り、行動する。本作で語られる「闘う人々と一緒に、お互いの国も世界も変えて、すべての人が対等に生きられる世界」「先祖がアジアの人々に対しておこなった過去の誤りを正し、償う」ことを実現するために、「自分も今のままではいけない、平和も豊かさも否定し、疑い、自己否定の時代の反日武装戦線の立場」を生かすことができるのではないだろうか。

キム・ミレ監督 © Gaam Pictures

【映画情報】
『狼をさがして』
(2020年/韓国/モノクロ・カラー/DCP/74分)

監督・プロデューサー:キム・ミレ
出演:太田昌国、大道寺ちはる、池田浩士、荒井まり子、荒井智子、浴田由紀子、
内田雅敏、宇賀神寿一、 友野重雄、実方藤男、中野英幸、藤田卓也、平野良子ほか
企画:藤井たけし、キム・ミレ
撮影:パク・ホンヨル
編集:イ・ウンス
音楽:パク・ヒュンユ
配給・宣伝:太秦株式会社

公式サイト:http://www.eaajaf.com
2021年3月27日(土)よりシアター・イメージフォーラムにて公開

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)

1972年生まれ。フリーライター、編集者。労働・女性運動等アクティビスト。映画評・監督インタビューなど映画関連としては、『週刊金曜日』『情況』『紙の爆弾』『デジタル鹿砦社通信』などに寄稿してきた。2000年代以降、ブント(共産主義者同盟)の知人も多い。K-POPと韓流ドラマ好き。訪韓1回、訪朝3回。『neoneo』向けにも朝鮮関連のドキュメンタリー、ドラマ評などを執筆してきた。月刊『紙の爆弾』2021年4月号には「パソナが淡路につくる『奴隷島』(仮)」寄稿。

メインイベンター、健太は長らくNJKFのエース格を務めてきた90戦を超えるベテランだが、2019年6月の勝利以降2敗1分、高橋一眞は現在2連敗中と勝ち星から遠ざかった中での両者の対戦ではあるが、置かれた両団体でのエース格的立場として興味深いカードであった。

両者は5年前なら戦う運命には無かった階級から61.3kg契約で対戦するに至った。

NJKFスーパーフェザー級王座決定戦は過去、HIROが勝利している中での再戦は梅沢武彦が雪辱を果たした。

圧力かけて出る健太のハイキック

◎NJKF 2021.1st / 2月12日(金)後楽園ホール17:00~20:10
主催:ニュージャパンキックボクシング連盟 / 認定:WBCムエタイ日本協会、NJKF

◆第9試合 61.3kg契約 5回戦

健太(=山田健太/E.S.G/1987.6.26群馬県出身/61.25kg)
    VS
高橋一眞(真門/1994.9.7大阪府出身/61.3kg)
勝者:健太 / 判定2-0
主審:宮本和俊
副審:竹村49-49. 中山49-48. 少白竜49-48

健太はNJKFでウェルター級、スーパーウェルター級で王座獲得や、WBCムエタイ日本ウェルター級王座獲得の実績あり。現在はWBCムエタイ日本スーパーライト級1位。高橋一眞はフェザー級でデビュー後、階級を上げNKBライト級チャンピオンとなる。

高橋一眞のローキックで健太の脚は傷だらけ

互いのローキック主体の攻めが主導権支配に流れそうな序盤、健太の脚は蹴られた跡がクッキリ残る。しかしどちらの戦略も主導権支配に至らない展開。

第4ラウンド終了時、「ヒジでカットしたでぇー!」とアピールした高橋一眞。健太の額からは薄っすらとした小さい流血。第5ラウンド、健太もヒジ打ちを出してくるがクリーンヒットは無い。しかし健太のパンチ、距離を詰めての猛攻にはやや押されてしまった高橋。これが運命を分け、健太が僅差で判定勝利。

「今回は勝ちに行くこと重点に倒しに行くことはあまり考えなかったです。また一からやり直しや!」と反省の高橋一眞。終盤に健太の圧力でロープを背負ってしまうのは勿体無い見映え悪さだった。

打ち合い避けたい高橋一眞だが、健太のパンチもヒットする

「ヒジでカットしたでぇー!」とアピールする4ラウンド終了時の高橋一眞

◆第8試合 60.0 kg契約3回戦

国崇(=藤原国崇/拳之会/1980.5.30岡山県倉敷市出身/59.6kg)
    VS
琢磨(=沼崎琢磨/東京町田金子/1992.8.25神奈川県愛甲郡愛川町出身/59.9kg)
勝者:琢磨 / TKO 2R 2:53 / カウント中のレフェリーストップ
主審:和田良覚

国崇は多くの王座獲得実績の中、ISKAムエタイとWKAムエタイの世界フェザー王座獲得実績有り。

琢磨はNJKFとWBCムエタイ日本のスーパーフェザー級王座獲得実績有り。現在WBC日本同級7位。

ベテランらしい攻防があった試合。小気味いい打ち合いを続けていく中、第2ラウンドには琢磨のパンチ攻勢が強まり国崇は下がり気味。琢磨が右ストレートをヒットさせ国崇からノックダウンを奪うと続けて連打から右ストレートで倒し、カウント中にレフェリーが止めた。

徐々に琢磨のパンチでダメージが溜まり、右ストレートで崩れる前の国崇

倒された国崇と立ちはだかる琢磨

◆第7試合 第9代NJKFスーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.HIRO YAMATO(大和/2000.6.25名古屋市出身/58.96kg)
    VS
2位.梅沢武彦(東京町田金子/1993.8.12東京都町田市出身/58.85kg)
引分け 0-1 / 主審:少白竜
副審:竹村49-49(延長9-10). 和田48-49(延長9-10). 宮本49-49(延長9-10)
梅沢武彦が勝者扱いで王座獲得

どちらが的確なヒットの印象が優るかの差。上下の蹴りからパンチ、組み合えばヒザ蹴りと技がキレイだが、相手のスタミナを削るような追い込み、ダメージを与える緊迫感が無い。延長戦ではやや疲れがあったかHIRO。前に出て積極性がやや優った梅沢武彦の優勢ラウンドとなった。公式記録は引分け。

インパクト無い攻防も延長戦は勝ちに出た両者、梅沢武彦のハイキックヒット

◆第6試合 57.0kg契約3回戦

NJKFスーパーバンタム級3位.日下滉大(OGUNI/1994.9.30埼玉県出身/57.0kg)
    VS
獠太郎(DTS/57.0kg)
勝者:日下滉大 / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:少白竜30-29. 和田30-28. 宮本30-29

序盤、獠太郎の右ストレートがややヒットするも、日下の距離ではタイミング良い上下の蹴り、接近すればヒザ蹴りで優っていき、主導権を譲らなかった日下の判定勝ち。

獠太郎の積極性を上回った日下滉大の的確さ

◆第5試合 女子(ミネルヴァ)スーパーバンタム級3回戦(2分制)

2位.KAEDE(LEGEND/2003.8.13滋賀県出身/55.8→55.6kg)
    VS
櫻井梨華子(優弥/54.9kg)
勝者:KAEDE / 判定3-0
主審:宮本和俊
副審:竹村29-28. 和田29-27. 中山29-27. KAEDEに計量失格減点1を含む)

距離感がいいKAEDE。いい位置から蹴りパンチが当たる。バッティングによるものか櫻井は額に大きなコブを作ってしまうが影響は無さそう。的確差が優ったKAEDEが判定勝利。

KAEDEはウェイトオーバーながらもヒットを上回り勝利を導く

◆第4試合 NJKFバンタム級王座決定トーナメント3回戦

5位.鰤鰤左衛門(CORE/53.2kg)vs 6位.池上侑季(岩﨑/53.5kg)
勝者:池上侑季 / TKO 3R 2:09 / カウント中のレフェリーストップ
主審:竹村光一

◆第3試合 65.0㎏契約3回戦

JUN DA LION(E.S.G/1976.8.3埼玉県出身/64.8kg)
    VS
マリモー(キング/1985.3.8東京都出身/65.0kg)
勝者:マリモー / 判定0-2
主審:和田良覚
副審:竹村29-29. 少白竜29-30. 宮本28-30

◆第2試合 女子(ミネルヴァ)ライトフライ級3回戦(2分制)

3位.真美(team immortal/48.8kg)
    VS
6位.ERIKO(ファイティングラボ高田馬場/48.9kg)
勝者:真美 / 判定3-0 (29-28. 29-28. 29-28)

◆第1試合 女子(ミネルヴァ)スーパーフライ級3回戦(2分制)

3位.佐藤“魔王”応紀(PCK連闘会/52.0kg)
    VS
ルイ(クラミツ/52.16kg)
勝者:ルイ / 判定0-2 (29-30. 29-30. 29-29)

NJKFスーパーフェザー級新チャンピオンとなった梅沢武彦

《取材戦記》

ムエタイは判定に至る場合が多いが、主導権を奪って終わった方が勝つと言われている為、前半は飛ばさないし、負傷判定も無い。日本のキックボクシングにおいても、10-10が多い採点では、ほぼ互角と思える流れで迎えた最終ラウンドは主導権を奪って終わらなければ見映えが悪いだろう。健太はそんな最終ラウンドにラッシュを掛けてポイントを奪った展開。ベテランらしさが出た勝利だった。

国崇は99戦目、キャリア20年の大ベテラン。平成以降において100戦を超える選手が居なかった時代に100戦超えが近い選手が数名いる現在。同時に3回戦が主流の時代の中身も問われるが、100戦超えは今後、チャンピオンとは違ったステータスとなりそうである。

この日はリング上の照明が点かないまま第1試合が始まってしまうアクシデント。ルクス低い客席照明と廊下側から漏れる灯りの中、ゴング鳴る前に「ライト点いてないよ!」とは言わせて貰ったが、薄暗い中での第1ラウンドが進む。第2ラウンド前のインターバルで照明点いたが、こんな事態を見たのは初めてだった。

NJKF興行予定は2月21日(日)に大阪市住吉区民センターで関西版「NJKF 2021 west 1st」が開催されます。

6月13日(日)に大阪府堺市産業振興センターで「NJKF 2021 west 2st」、6月27日(日)に後楽園ホールに於いて「NJKF 2021.2nd」が開催予定。夜興行ですが、開場開始時刻は通常より変更される可能性があります。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

個人的に注目している裁判が22日から福島地裁郡山支部で始まる。昨年5月31日の朝、福島県三春町の国道で「ひき逃げ殺人」を起こしたとされる盛藤吉高被告(事件当時50)の裁判員裁判だ。

報道によると、盛藤被告は犯行の2日前まで別の事件の罪で服役。「生活が不安で、刑務所に戻りたかった」という動機から、ボランティアで清掃活動中だった50代の男女2人をトラックでひき逃げし、殺害したとされる。被害者が2人いる殺人事件であるため、死刑適用の可否が争点になる可能性がある。

ところが、裁判所のホームページで公表された審理日程を見ると、公判審理は4回しか行わないという。それが、筆者がこの裁判に注目する最大の理由だ。

◆死刑判決が出るには公判審理の回数は少ないが……

2009年に始まった裁判員裁判は、それ以前の刑事裁判に比べて平均審理期間が随分短くなった。それでも、死刑や無期懲役の判決が出るような殺人事件では、少なくとも10回前後の公判審理があるものだ。また、裁判官、検察官、弁護人が争点や証拠を整理し、審理計画を立てる公判前整理手続きも1年や2年といった長期間に及ぶのが一般的だ。

その点、盛藤被告は昨年6月30日に殺人罪で起訴され、今月(2月)22日から初公判だから、公判前整理手続きは8カ月にも満たない。そして26日までに計4回の公判審理を行って結審。3月11日に判決が宣告される予定という。

これほど迅速に行われる裁判員裁判では、通常、死刑判決が出ることはないし、そもそも、死刑適用の可否も争点にならないものだ。しかし、筆者はこの事件については、むしろ死刑適用の可否は争点になりそうだと予想している。かつて福島地裁郡山支部では、これと同程度に迅速な審理で死刑判決が出た裁判員裁判の前例があるからだ。

◆福島地裁郡山支部では5回の審理で死刑判決が出た裁判員裁判の前例も……

その前例とは、2013年3月14日、同支部の裁判員裁判で死刑判決を受け、控訴、上告も棄却されて確定した高橋明彦死刑囚(事件当時45)のケースだ。裁判の認定によると、高橋死刑囚は2012年7月27日の早朝、福島県会津美里町の民家に侵入し、住人の50代夫婦をナイフで刺殺したうえ、現金やキャッシュカードを奪ったとされたが、その裁判員裁判の公判審理はわずか5回だった。

公判審理は盛藤被告の裁判員裁判より1回多いが、高橋死刑囚は2012年8月17日に強盗殺人罪などで起訴され、初公判は2013年3月4日だったから、公判前整理手続きの期間は7カ月にも満たなかった。公判審理も3月8日の第5回公判で結審し、判決が3月14日なので、結審から判決までの評議の期間は1週間もなかったわけである。

私は、高橋死刑囚が最高裁に上告していた頃に収容先の仙台拘置支所で面会したり、手紙のやりとりをしていた。高橋死刑囚は「死刑判決自体に不満はない」と言っていたが、死刑判決が出るまでの裁判手続きの短さには強い不満を抱いており、こんなことを言っていた。

「公判は月曜日から金曜日まで5日しか審理がなくて、その翌週の木曜日に死刑判決だよ。こんな短い期間でちゃんと審理はできたのか、裁判員たちは考える時間はあったのかと思ったよ。公判の時、裁判員から質問はほとんど無かったしね」

審理の短さに不満を抱いていた高橋死刑囚。『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第14話より

◆国選弁護人が熱心に弁護していない可能性も

高橋死刑囚は一体なぜ、このような短い審理で死刑判決を下されたのか。私は、国選弁護人があまり熱心な弁護活動をしなかったからではないかと考えている。

というのも、この事件では、裁判員の女性が「審理中に殺人現場や遺体の写真を見せられるなどして、ストレス障害に陥った」と主張し、国家賠償請求訴訟を起こして話題になった。その訴訟記録を閲覧したところ、この女性が「弁護人が被告人をまったく弁護しないことにも腹が立った」と書面で訴えていたのだ。

一般論として、弁護人が熱心に弁護活動をしなければ、検察官の思うままに裁判手続きはスムーズに進むので、公判前整理手続きも公判審理も短くなりやすい。それゆえに高橋死刑囚はわずか5日の公判審理で死刑判決を受けたのではないかと私は推察するのである。

そして、私がいま考えているのは、盛藤被告についても同様のことが繰り返されているのではないか、ということだ。高橋死刑囚の例からすると、福島地裁郡山支部の刑事裁判で国選弁護人に選任される弁護士たちの中には、刑事弁護を熱心にやる人が少ない可能性が考えられるからだ。

さて、盛藤被告の裁判員裁判はどのような裁判になるだろうか。

高橋死刑囚が収容されている仙台拘置支所

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。原作を担当した『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)の【分冊版】第14話では高橋明彦との面会物語が紹介されている。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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