社会を騒がせた殺人事件の現場を訪ねると、事件から何年も経っているのに、惨劇をしのばせる形跡を目の当たりにすることが少なくない。2000年代初めに社会を震撼させる大量児童殺傷事件が起きた、大教大付属池田小学校(以下、大教大池田小)を訪ねた時もそうだった。

大教大付属池田小学校旧正門を入ったところにある「祈りと誓いの塔」。追悼式典では現役の生徒が鐘を鳴らす

学校の外壁には鉄線が張り巡らされている

◆児童8人が刺殺された

「死刑になりたかった」

犯人の男が凶行に及んだのは、そんな身勝手な動機からだった。2001年6月8日の朝、大阪府池田市の無職、宅間守(当時37)は、自宅マンションの近くにある大教大池田小に侵入し、出刃包丁で次々に児童8人を刺殺。他にも児童13人と教員2人を刺して傷害を負わせた。

現行犯逮捕された宅間は、大阪地裁であった裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」と言い放つなど不遜な態度に終始。2003年8月に死刑判決を宣告されると、弁護人が大阪高裁に行った控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。そして翌年9月、死刑の確定から1年に満たない異例の早さで、死刑を執行されたのだった。

◆外壁には鉄線、侵入者を威嚇するような防犯カメラ

校内に設置された防犯カメラ

私がそんな大事件の現場となった大教大池田小を初めて訪ねたのは、2015年6月7日のこと。その翌日は事件から14年の追悼式典が開かれるということで、旧正門を入ったところには、「祈りと誓いの塔」というモニュメントの周囲に参列者用のテントが張られ、パイプ椅子が並べられていた。

そんな大教大池田小で、私が目を奪われたのは、小学校らしからぬ厳重な防犯体制だった。学校の外壁は、部外者の侵入を困難にするために鉄線が張り巡らされ、校内にも侵入しようとする者を威嚇するかのように防犯カメラが設置されていたのである。

小学校というと、休日でも校門が開けられているような無防備なところも少なくない。しかし、この大教大池田小では、何年経っても学校関係者たちがあのような惨劇を2度と起こしてはならないという強い思いを持ち続けているのだろう。

今年の6月で、事件から17年。大教大池田小は今も毎月8日を「学校安全の日」と定め、避難訓練を実施するなどしているという。


◎[参考動画]クローズアップ現代+【傷ついても、きっと歩きだせる~附属池田小事件 15年目】6月8日 2011年度日本記者クラブ賞受賞(rudolph gunnel 2016年9月17日公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ドラマや小説の殺人事件では、犯人は綿密な計画に基づき、完全犯罪を目指すのがお決まりだ。しかし、現実の殺人事件では、ああいう犯人はあまりいない。むしろ犯人は冷静さを欠いた状態で、無計画に犯行に及んでいる事件が圧倒的に多数なのが現実だ。

私が近年取材した中では、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)がそうだった。

◆非道な犯行内容と裏腹に弱々しい雰囲気の犯人

「パンジョ」の駐車場

西口は2011年11月、堺市のショッピングセンター「パンジョ」の駐車場で、同市の歯科医夫人(当時67)を車に監禁し、河内長野市まで連れ去った。そして現金約31万円やキャッシュカードなどを奪うと、顔にラップを巻いて息ができないようにして殺害。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。

さらに西口は同年12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の堺市の自宅に押し入り、「騒いだら殺すぞ」と脅したうえで、両手足を結束バンドで拘束。現金約80万円やクレジットカードなどを奪ったうえで、またしても顔にラップを巻き、窒息死させた。

こうして犯行のあらましを見ただけでも、とんでもない凶悪事件であることは間違いない。西口はそれ以前にも保険金目的で自宅に放火した罪で服役しており、この連続殺人事件を起こしたのは出所後まもない時期だった。それゆえに、見るからに狂暴そうな人物を思い描いた人も少なくないはずだ。

だが、事件後ほどなく検挙され、死刑判決を受けた西口と大阪拘置所で面会してみると、実際の西口は小柄で、弱々しい雰囲気の人物だった。事件を起こした動機を聞いてみると、当時同居していた交際相手の女性に「仕事が決まった」と嘘をついてしまい、なんとかお金を得ないといけないと思いつめた末、強盗殺人をするほかないと決意するに至ったという。

◆現場が物語る、犯人の冷静さを欠いた心理状態

犯行現場の駐車場にはこういう防犯カメラがあちらこちらに設置されていた

その程度の事情で、なぜ2人もあんな酷い方法で殺さないといけなかったのか……と思った私だが、第1の犯行現場である「パンジョ」の駐車場を訪ねてみると、西口が当時、冷静な心理状態でなかったことだけはよくわかった。

というのも、その駐車場はあちらこちらに防犯カメラが設置されており、冷静な心理状態なら、こんな場所で犯行に及ぶはずがないことは疑いようがなかったからである。実際、西口が捜査線上に浮かんだ理由の1つが、この駐車場で様々な女性の後をつけている様子が防犯カメラにとらえられていたことだった。

私が「あんなに防犯カメラの多い場所で、あんなことをしたら、すぐに捕まると思わなかったんですか?」と尋ねると、西口は「当時はもう、そういうことを考える余裕はなかったんです……」と申し訳なさそうに言った。

当時の西口の心理を正確に解明するのは難しい。しかし、あんな残酷な殺害方法で生命を奪われた被害者やその遺族たちの無念さは筆舌に尽くしがたいものがある。

西口が駐車場で様々な女性の後をつけていたあたり。天井の防犯カメラにその様子が写っていた

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊紙の爆弾10月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

凄惨な殺人事件の現場を訪ねてみると、事件発生から長い年月が経っているのに、周辺の人たちがいつまでも心に生々しい傷を抱き続けていることがよくある。

18年前に栃木県宇都宮市の繁華街「オリオン通り」の宝石店で起きた放火殺人事件もその1つ。私が現場の宝石店跡地を訪ねたのは、事件から16年近くが過ぎた頃のことだったが、近くで小売業を営む人に当時の話を聞こうとしたところ、「何も話すことはないです」と強く拒絶された。

それは、この事件の世上稀に見る残酷さを物語っているように思われた。

惨劇が起きた宝石店があったオリオン通り

◆手足を拘束した6人をガソリンで焼殺

事件が起きたのは2000年6月のこと。犯人の男S(当時49)は金に困って強盗を企て、馴染みの宝石店に約1億4000万円相当の商品を用意させて来店した。そして宝石を奪い、店長ら女性従業員6人を殺害するのだが、恐るべきはその手口だった。

Sはまず、被害者6人の手足を粘着テープで拘束し、休憩室に押し込めた。そしてガソリンをまくと、ライターで火を放ったのである。

店舗は全焼。焼き殺された6人の遺体は性別の区別もつかない無残な状態だったという。

現場の宝石店があった場所はずっと空き店舗のまま

◆宇都宮に舞い降りた妖精

そんな現場周辺では、なかなか当時の話を聞かせてくれる人はいなかったが、現在も空き店舗のままの建物のシャッターに、切ない思いにさせられた。被害者たちを悼むように、妖精の絵が描かれていたからだ。

「文星アートプロデュース部」という署名があり、絵のタイトルは「宇都宮に舞い降りた妖精」と書かれていた。店舗として借りたいという人は現れないままでも、こうした絵が描いてあれば、地元の人も多少は気持ちが和むだろう。

犯人のSは、裁判で「殺す気はなかった」と主張したが、2007年に最高裁で死刑確定。2010年に東京拘置所で死刑執行された。

シャッターに描かれた「宇都宮の妖精」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の耳目を集めた重大事件の現場を訪ねると、「こんな何の変哲もない場所で、あんな大事件が起きたのか……」という思いにとらわれることが少なくない。約19年前、東京都文京区の音羽幼稚園で起きた女児殺害事件もその1つだ。

もっとも、殺人の現場となった「公衆トイレ」は現在、取り壊れており、その跡地はうら寂しい雰囲気となっている。

現場の公衆トイレの跡地

◆公衆トイレで引き起こされた惨劇

音羽幼稚園で、母親と一緒に園児の兄を迎えに来た2歳の女児が失踪したのは1999年11月22日のことだった。母親が一瞬目を話したすきに、女児は忽然と姿を消したのだ。

そして3日後、この女児失踪事件は衝撃的な展開をたどる。失踪した次女を殺害したとして警察に1人の女が自首するのだが、それは音羽幼稚園に長男を通わせている別の母親だったのだ。

「被害者の女の子のことは幼稚園の敷地内の公衆トイレに連れ込み、首を絞めて殺しました。遺体は静岡の実家の庭に埋めました」

犯行をそう自供したYは、被害女児の母親とは顔見知りだった。

動機は当初、子供のお受験のことで生じた嫉妬であるように報道されたが、実際はそうではなかった。のちにYの裁判で明らかになったところでは、Yは被害女児の母親に病的な悪意を抱き、「女児を殺せば、母親と会わないで済む」という異常な心理で犯行に及んだとされる。

護国寺と入口は同じ音羽幼稚園

◆同じ敷地内の別の公衆トイレに感じられる防犯意識の高さ

同じ敷地内の護国寺の公衆トイレは警報装置を完備

私がこの現場を訪ねたのは2016年3月のこと。母親の一瞬のすきをつき、女児を公衆トイレに連れ込み、殺害するという犯行がどのようにして可能になったのかを自分の目で確認してみたく思ったのだ。

しかし、その公衆トイレは取り壊されていた。殺人事件の現場となった建物は取り壊されることがよくあるが、この事件の現場になった公衆トイレもやはり、園児や父兄の心情に配慮し、幼稚園側が取り壊したのだろう。

そのため、詳細な犯行状況はイメージしづらかったが、公衆トイレは幼稚園の建物のすぐそばにあったようで、加害者のYはごくわずかなすきをつき、犯行を実行したことはわかった。

同じ敷地にある護国寺の公衆トイレは、警報装置が備えつけられており、防犯意識の高さを感じさせられた。悲惨な事件を2度と繰り返すまいとする関係者たちの思いからの措置だろう。

ちなみに加害者のYは2002年に裁判で懲役14年が確定している。何も問題起こさずに服役生活を送っていれば、すでに刑期を満了し、社会復帰しているはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

冤罪が疑われている様々な事件で、今年は相次いで判決や決定が出る見通しだ。札幌刑務支所で服役している大越美和子さんが第2次再審請求中の恵庭OL殺害事件もその1つで、近く再審可否の決定が出る見通しだ。裁判の第一審の頃から冤罪を疑う声が多かったこの事件。私は4年半ほど前に現地を訪ねて取材し、関係現場を車で走って回ったことがある。

◆決め手となる証拠は無いに等しい状態だった

北海道恵庭市郊外の農道脇で女性の真っ黒げの焼死体が見つかったのは2000年3月中旬の朝だった。女性はほどなく千歳市の運送会社で働くAさん(当時24)と判明。同年5月、殺人などの容疑で逮捕されたのがAさんと同じ会社で働いていた大越さんだった。

大越さんが服役している札幌刑務支所

大越さんが疑われたのは、以前交際していた会社の同僚男性がAさんと交際を始めていたことによる。警察は男女関係のもつれが殺人事件に発展したとみたわけだ。だが、大越さんは一貫して容疑を否認。そして裁判では、大越さんの犯行を否定する様々な事実が浮上した。

たとえば、現場では数々の足跡やタイヤ痕が見つかっていたが、大越さんのものは1つも見つかっていなかった。また、検察側は大越さんが自分の車の中でAさんの首を絞めて殺害したと主張したが、大越さんの車の中からAさんの指紋やDNA型、尿痕は一切採取されていなかった。決め手となる証拠が無いに等しい状態だったのだ。

しかし2002年3月、札幌地裁は大越さんに対し、懲役16年を宣告。その後も大越さんは無実を訴え続けたが、控訴、上告も退けられ、2006年に有罪が確定。2012年に申し立てた再審請求も実らず、現在も札幌刑務支所で服役を強いられている。

◆1時間ですべての犯行が行えるかというと……

私がそんな事件の現場を訪ねたのは、2013年の夏だった。私がこの時、関係現場を車で走ってみて感じたのは、大越さんを犯人だと考えるには「犯行に使える時間が少なすぎるのではないか」ということだった。

被害女性Aさんの焼死体が見つかった恵庭市郊外の農道

まず、大越さんとAさんは事件当日、午後9時30分ごろに一緒に会社を後にしている。その後、大越さんは夜11時30分頃に会社からそう遠くないガソリンスタンドに車で来店しているのが確認され、そのまま帰宅している。つまり、大越さんが犯人ならば、犯行をこの約2時間の間に終えたことになる。

しかし、会社から遺体発見現場までは約20キロの距離があり、地元の人間でないとわからないような場所のため、到着するまでに30分かそこらはかかった。遺体発見現場からガソリンスタンドまでも同様だ。とすると、仮に大越さんが犯人ならば、被害者を殺害したり、遺体を燃やしたりする犯行に使える時間は長くて1時間。一見、十分可能に思えなくもない時間だ。しかし、それ以前に人を殺したことがあるわけでもない20代の女性がそんなに手際よく、同僚の女性に対する殺害行為や死体損壊行為を完遂できるかと言うと、私は疑問を感じずにはいられなかった。

ガソリンスタンドに着いた時、大越さんの様子が何かおかしかったなどという話はない。さらにその後、大越さんは自宅近くのコンビニで買い物をしているが、その時の様子もごく普通だったようだ。大越さんは裁判で「あの日は退社後、恵庭市内の書店に行き、立ち読みなどをしていた。それからガソリンスタンドに行った」と主張しているが、その主張通りに行動したと考えたほうがしっくりくるように思われた。

◆現在は再審請求に追い風

現在札幌地裁で行われている第2次再審請求審では、弁護側が新たに示した東京医科大学の吉田謙一教授(法医学)の鑑定書により、Aさんが薬物中毒で亡くなった可能性が浮上。さらに主任弁護人の伊東秀子弁護士によると、弘前大学の伊藤昭彦教授(燃焼学)の鑑定により、Aさんの遺体が最初はうつ伏せの状態で燃やされ、鎮火後にひっくり返されて陰部も燃やされていたと判明し、これにより大越さんのアリバイが裏付けられたという。

「遺体をうつぶせで燃やせば、鎮火するまで遺体をひっくり返せませんが、鎮火までには20分以上かかります。大越さんは事件後、ガソリンスタンドに車で赴いていますが、遺体を燃やすのにそんな時間をかければ、ガソリンスタンドに入店した時間に間に合わないのです」

昨年10月には、日本弁護士連合会が大越さんの再審請求を支援する決定を出しており、現在は大越さんに追い風が吹いている状態だ。公正な判断を期待したい。

大越さんの第2次再審請求が行われている札幌地裁

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

どんな大事件も時が過ぎれば、人々の記憶から消え去っていく。ここで取り上げる光市母子殺害事件も例外ではない。私が2015年に事件現場を訪ねたところ、被害者一家と加害者が暮らしていた社宅アパートは取り壊され、跡地は広大な空き地となっていた。周辺の住民たちに話を聞いても、事件は着々と風化している様子がうかがえた。

◆ 現場の社宅があった場所は広大な空き地に

事件が起きたのは、今から18年以上前に遡る。1999年4月のある日、山口県光市にある新日鉄(現在は新日鉄住金)の社宅アパートの本村洋さん宅で、妻の弥生さん(当時23)と生後11カ月の長女・夕夏ちゃんが殺害されているのを、会社から帰宅した本村さんが発見。ほどなく逮捕された犯人の福田(現在の姓は大月)孝行は、被害者一家と同じ社宅アパートで暮らしていた当時まだ18歳1カ月の少年だった。

福田はその後、成人同様に刑事裁判を受けたが、まだ赤ん坊の夕夏ちゃんまで殺害し、弥生さんを殺害後に死姦しているなど犯行内容は凄まじく、裁判では死刑適用の可否が争点になった。結果、福田は2012年2月に最高裁に上告を棄却されて死刑が確定したが、裁判中も「死姦は死者復活の儀式だった」と証言するなど特異な言動を見せ、メディアも凄絶な報道合戦を繰り広げたものだった。

私がこの事件の現場を訪ねたのは、福田の死刑が確定してから約3年の月日が流れた2015年2月のことだ。この時、すでに現場の社宅アパートの建物は大半が取り壊され、広大な空き地になっていた。「管理地」と書かれた不動産会社の大きな看板が立てられていたが、雑草が伸び放題で、きちんと管理されているようには思えなかった。

事件現場の社宅アパートは取り壊され、広大な空き地になっていた

◆ 「今のこの町はゴーストタウン」

現場跡地の通り向かいの家の住人女性はため息まじりに話した。

「社宅は老朽化したために取り壊したそうですが、風の強い日には、伸び放題の草木の種などが飛んでくるんで、迷惑なんですよ」

一方、近所で書店を営む男性はこう語った。

「社宅があった当時は本村さんがよく花を手向けに来ていたけど、最近は見かけないね。現場のアパートがなくなり、花を手向けようにも手向ける場所がないんだけどね」

愛する妻と娘の生命を奪われた本村さんは福田の裁判中、メディアを通じて再三、死刑を望む気持ちを訴えていた。しかし、現在は再婚し、新たな家庭を築いていると伝えられている。別の町で幸せに暮らしているのだろう。

福田は弥生さんと夕夏ちゃんを殺害後、盗んだ金を使ってゲームセンターで遊んでいたとされるが、その店も今は取り壊されて存在しない。福田は裁判において、弥生さんや夕夏ちゃんに対する殺意を否定しており、現在もその主張を維持して広島高裁に再審請求中だが、事件は現在ほとんど報じられることもなく、着実に風化している印象だ。

現場界隈の店舗はほとんど閉店しており、町全体もうら寂しい雰囲気だ。前出の書店を営む男性は「事件の時は多くのマスコミが取材に来たけど、今のこの町はゴーストタウンだね」とつぶやくように言ったが、町が廃れゆくと共に世間の人々も事件のことを忘れ去っていくのだろう。男性と話しながら、私はふとそう思った。

町はうら寂しい雰囲気。地元の男性は「ゴーストタウン」と言った

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

アテネオリンピックの開催が間近に迫っていた2004年8月、兵庫県加古川市で一夜のうちに隣近所の7人を骨すき包丁や金づちで惨殺する事件を起こした男がいた。名は藤城康孝(当時48)。裁判では2015年に死刑が確定している。確定判決によると、藤城やその家族は長年、隣家の伯母一家らから見下されており、藤城は復讐のために凶行に及んだとされている。

しかし、事件から10年余りを経た2015年9月、現場を訪ねたところ、私は藤城の犯行動機が復讐だったという話には疑問を感じずにはいられなかった。

藤城が使っていたプレハブ小屋

◆今も犯人を恐れる地元の人たち

JR宝殿駅前で借りたレンタル自転車をこぐこと約15分。田園地帯と住宅が混在した田舎町の一角に、藤城康孝(61)がパン作りをしていたというプレハブ小屋はあった。 

その白いプレハブ小屋は入口の周辺に草が生い茂り、長いこと誰も出入りしていないのは一目でわかる状態だ。同じ敷地内には、かつて藤城が生まれ育った家が建っていたが、今は影も形もなく、その代わりに家の残骸らしき多数の石材が積み重ねられていた。

東隣の広々とした敷地には、かつて藤城の伯母一家が住んでいた大きな家があったが、今は跡形もなく消え失せ、多数の太陽光パネルが並べられていた。一方、プレハブ小屋とは細い道路を挟んだ西側にある更地は雑草が伸び放題だ。この更地にもかつては、藤城とは血縁関係のない同姓の家族が住む家が建っていたが、その面影すら窺えなかった。

私がこの日、この地を訪ねた目的は、この数カ月前に裁判が終結して死刑が確定した藤城の実像を知りたいと思ったためだ。だが、案の定というべきか、地元で藤城のことを積極的に語りたがる人はいなかった。

藤城のプレハブ小屋があった北側の家から中年男性が出てきたのを見つけ、取材に来たことを説明して話を聞こうとしたところ、男性はぎょっとした顔になり、「も、もう関わりたくないんでっ。すみませんけど」とすぐさま家に引っ込んでしまった。

藤城の家から少し離れた民家の前にいた初老の女性は、「あの事件の時は、うちの息子の家も壁が焼けて、修理が大変だったんですよ」と淡々と話した。藤城は7人を殺害したのち、自分の家に火を放って燃やしてしまったのだが、この女性の息子の家は藤城の家の近くにあり、被害をうけたのだという。

藤城の死刑が確定したことについて、どう思うかと聞くと、女性はしみじみとこう言った。

「死刑が決まって良かったです。無期になったら、どうしようかと心配でしたから」

判決が無期懲役ならば、いつか仮釈放されることもありえると思い、女性は地元に藤城が戻ってくる可能性を恐れていたのだろう。私は女性の話を聞きながら、2年前、藤城と面会した日のことを思い出していた。

藤城に殺害された伯母一家が暮らしていた家の跡地。多数の太陽光パネルが並んでいる

◆犯人は「いじめ被害」を切々と訴えてきたが……

2013年9月、大阪拘置所の面会室。アクリル板越しに向かい合った藤城はTシャツに短パン、サンダル履きというラフな格好だった。身長は160センチあるかないかというほど小柄で、衣服に包まれていない両の手足は骨と皮しかないほどにやせ細っている。報道の写真では険しい顔つきをしていたが、目の前の藤城は憑き物が落ちたように穏やかな表情で、一夜に7人を惨殺した凶悪犯にはとても見えない人物だった。

そんな藤城は取材のために訪ねた初対面の私に対し、拘置所の職員たちから「いじめ」を受けているのだと切々と訴えてきた。

「弁当を買いますやろ。職員がそれを(小窓から)房に入れる時、上下や横に揺するんで、中身がどっちかに寄ってるねん」

「わしが(房内の)トイレで用便しよったら、房の前の廊下を何度も行ったり来たりして、ジ~と見てくるんや」

「わしは病気の後遺症で言葉がちゃんとしゃべれへんのやけど、『そんなしゃべり方しかできんのか』と言われるねん」

本人が言うように、たしかに藤城は滑舌が悪かった。しかし、それを差し引いても、藤城の話は意味がわかりにくかった。本人は、「弁護士にいじめのことを相談する手紙を書いたら、職員らに逆恨みされて、余計ひどいことになっとるんですわ」と真顔で言うのだが、どんないじめを受けているのかという具体的なイメージが全然湧いてこなかった。

藤城は「もう2年近くもこういう状態が続いてるんや」というのだが、私には藤城が訴える「いじめ被害」は妄想としか思えなかった。実際、藤城は複数の精神鑑定医から妄想性障害に陥っていると判定されているのだが、実際に本人と会ってみると、その妄想性障害は事前に想像していたより重篤であるように思えた。

そして私はこの時、裁判で藤城の犯行動機が「長年、被害者らから自分や家族を見下されていたこと」への恨みだったかのように認定されていることに疑問を抱いたのだ。

◆完全責任能力が認められて死刑になったが……

裁判記録によると、藤城は幼少のころから短気で、些細なことにカッとなって興奮しやすい性格だったという。けいれんや意識障害などが発作的に起きる脳の病気「てんかん」という持病があり、そのために表出性言語障害にも陥っていたことが人格形成にも影響を与えていたという。

そんな藤城は小学校の低学年のころには、自分にいやがらせをした相手を包丁を持って追いかけていたとされる。高校のころには、因縁をつけてきた同級生を刃物で刺したこともあったという。

そんな物騒な男に対し、近所の人たちがあからさまに見下すような態度をとったりするだろうか。こういう藤城のような男に対しては、むしろ周囲の人たちは刺激しないように細心の注意を払うのが普通ではないだろうか。

藤城は伯母の一家から見張られたり、西隣で暮らす同姓の一家の人たちから陰口を言われたと認識していたとされる。しかし、拘置所で面会した際、藤城から非現実的ないじめ被害を訴えられた私には、それらはすべて藤城の妄想だったように思えてならない。

実際、現場を訪ねた際、地元の人たちが藤城のことをいまだに恐れている様子だったこともこの見方を裏づけていると思える。藤城に殺害された被害者たちが藤城にいやがらせをするような怖いもの知らずだったとは到底思い難い。

藤城に会った際、私はこの男が本当に完全責任能力を有しているのかと疑問に思ったが、裁判では結局、完全責任能力があると認められ、死刑になった。しかし、裁判官たちが藤城を死刑にするため、被害者たちから見下されていたという藤城の妄想を事実だと認めてしまったのだとしたら、被害者たちも浮かばれないだろう。

藤城に殺害された西隣の一家の家も今はもうない

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1999年の夏から翌2000年にかけてマスコミで大々的に報道され、世間の耳目を集めた本庄保険金殺人事件。2件の保険金殺人と1件の保険金殺人未遂の罪に問われ、2008年に死刑確定した元金融業者の八木茂死刑囚(67)は一貫して無実を訴え、さいたま地裁に再審請求中だ。冤罪の疑いを指摘する声がまださほど多くない事件だが、実は事件現場を訪ねだけでも八木死刑囚に対する死刑判決の有罪認定に疑問を抱かせる事実が散見される――。

◆「人間養豚場」から逃げ出さなかったというストーリーの違和感

確定判決によると、八木死刑囚は95年6月、保険をかけていた元工員の男性(当時45)にトリカブトを摂取させて殺害し、保険金3億円をだまし取った。さらに98年から99年にかけて、やはり保険をかけていた元パチンコ店従業員の男性(同61)と元塗装工の男性(同38)を連日、大量の風邪薬と酒を飲ませ続ける手口で殺害したとされた。八木死刑囚は逮捕以来、一貫して無実を訴えていたが、共犯者とされた愛人女性3人がこれらの容疑をいずれも認めていたことが決め手となり、有罪、死刑とされたのだ。

では、現場で散見される有罪認定に疑問を抱かせる事実とは何か。第一の疑問は、被害者とされる男性たちが暮らしていた家から浮上した。

というのも、この事件が話題になった当初、週刊誌では、八木死刑囚が債務者の男性たちに「人間養豚場」と称するプレハブ建築のような劣悪な住居をあてがい、愛人女性と偽装結婚させて保険に加入させると、まるで真綿を締めるようにアルコール漬けにし、身体を徐々に蝕ませていたように報道されていた。だが、その「人間養豚場」の建物を確認するために現地を訪ねたところ、それが八木死刑囚の愛人女性が営んでいたパブと同じ敷地内にあったのだが、本当に何の変哲もない普通のプレハブ小屋なのだ。

八木死刑囚の裁判でも「被害者」とされる男性たちは生命の危機に瀕するまで八木死刑囚の愛人の営むパブや小料理屋で飲食していたとされるが、彼らは別に「人間養豚場」と呼ばれるプレハブ小屋に閉じ込められていたわけではない。建物を見る限り、男性たちは身の危険を感じればいくらでも逃げれたように思え、裁判で認定されたストーリーはどうもしっくりこないのだ。

「人間養豚場」と呼ばれたプレハブ小屋

◆トリカブト採取現場界隈の人たちの不可解な反応

第二の疑問は、八木死刑囚が凶器のトリカブトを採取した現場とされる長野県・八ヶ岳の美濃戸という場所を訪ねた時に浮上した。共犯者とされる愛人女性の1人によると、八木死刑囚と一緒にトリカブトを採取するために美濃戸を訪ねた際、大量のトリカブトを見つけた八木死刑囚は「俺は美濃戸が気に入った。美濃戸は宝の山だ」などと発言していたそうだ。そしてたしかにこのあたりはトリカブトが多く自生していた。

だが、このあたりで聞き込みをしてみても、八木死刑囚が美濃戸にトリカブトを採取に来たという話を知っている人が誰もいないのだ。八木死刑囚がトリカブトを採取している場面を目撃したという人物が誰もいないとしても、警察が捜査に来ていれば、そういう話は広まりそうなものである。このことには、何とも不可解な思いにさせられた。

ちなみに八木死刑囚が逮捕された当時の報道では、八木死刑囚の「関係各所」からトリカブトが発見されたという報道もあったが、裁判ではデマだったことが明らかになっている。犯行を自白した3人の愛人女性についても、自白内容は過酷な取り調べで植えつけられた「偽りの記憶」であるとする心理学鑑定の結果もあり、八木死刑囚がクロだと示す証拠は意外に乏しい。

再審請求の行く末を注目する価値はあると思う。

八木死刑囚のトリカブトの採取現場とされる美濃戸

▼片岡健(かたおか けん)
1971年、広島市生まれ。早稲田大学商学部卒業後、フリーのライターに。新旧様々な事件の知られざる事実や冤罪、捜査機関の不正を独自取材で発掘している。広島市在住。

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』9月号!さよなら安倍政権【保存版】不祥事まとめ25

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1992年に福岡県飯塚市で女児2人が殺害された「飯塚事件」では、一貫して無実を訴えながら2008年に死刑執行された久間三千年氏(享年70)について、足利事件同様のDNA型鑑定のミスによる冤罪だった疑いが根強く指摘されている。現在は福岡高裁(岡田信裁判長)で再審請求即時抗告審が行われているが、その実質的な審理も終わり、福岡高裁が再審の可否をどのように判断するのかに注目が集まっている。

私は過去、この飯塚事件の関係現場を何度か訪ねて回ったが、中でも印象深かったのは、被害者の女児たちのランドセルや衣服など遺留品が遺棄されていた現場だった。久間氏の裁判では、ある人物がこのあたりで久間氏やその車を目撃したかのような証言をしており、有罪の根拠の1つにされている。しかし、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかるのだ。

このカーブの脇の山中に女児2人の遺留品が遺棄されていた

◆不自然なほど詳細な証言

その目撃証言は一体どんなものなのかを見る前に、まずは事実関係を整理しておこう。

福岡地裁が宣告した確定死刑判決によると、久間氏は1992年2月20日朝、登校中の小1の女児2人を車で連れ去って殺害し、2人の遺体を「八丁峠」と呼ばれる峠道脇の山中に遺棄したとされた。そして遺体遺棄現場から八丁峠を数キロ上方に進んだあたりで、女児2人のランドセルや衣服、下着をやはり道路脇の山中に遺棄したとされている。問題の目撃証人は地元の森林組合で働いていた男性だが、その男性は事件当日の午前11時頃、このあたりを車で通過した際に目撃した人物とその車について、次のような証言をしている(長いので、読み飛ばして頂いても構わない)。

〈軽四輪貨物自動車を運転して国道三二二号線を通って八丁峠を下りながら組合事務所に戻る途中、八丁苑キャンプ場事務所の手前約二〇〇メートル付近の反対車線の道路上に紺色ワンボックスタイプの自動車が対向して停車しており、その助手席横付近の路肩から車の前の方に中年の男が歩いてくるのをその約61.3メートル手前で発見した。その瞬間、男は路肩で足を滑らせたように前のめりに倒れて両手を前についた。右自動車の停車していた場所がカーブであったことや、男の様子を見て、「何をしているのだろう、変だな。」という気持ちで、停車している車の方を見ながらその横を通り過ぎ、更に振り返って見たところ、車の前に出ようとしていたはずの男が車の左後ろ付近の路肩で道路側に背を向けて立っているのが見えた。男は、四〇代の中年位で、カッターシャツに茶色のベストを着ており、髪の毛は長めで前の方が禿げているようだった。また、停車していた自動車は、紺色ワンボックスタイプで、後輪は、前輪よりも小さく、ダブルタイヤだった。後輪の車軸部分は、中の方にへこんでおり、車軸の周囲(円周)は黒かった。リアウインドー(バックドアのガラス)及びサイドリアウインドーには色付きのフィルムが貼ってあった。車体の横の部分にカラーのラインはなかったが、サイドモールはあったように思う。型式は古いと思う。ダブルタイヤだったので、マツダの車だと思っていた〉(確定死刑判決より引用。原文ママ)

おそらく多くの人が読み飛ばしただろうが、この目撃証人の証言内容が驚くほど詳細だったことは十分にわかったろう。しかし実際には、この目撃証人は急カーブが相次ぐ八丁峠の山道を車で下りながら、すれ違う際にせいぜい10秒程度、問題の人物や車を見ただけだった。それでいながら、これだけ詳細な証言ができたというのはあまりにも不自然だ。

遺体遺棄現場には小さな地蔵が祀られている

◆現場を車で走ってみたところ……

私は2015年3月、弁護団が現場で行った一般参加OKの実験に参加し、自分も目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認したことがある。その際、遺留品遺棄現場あたりに停車していた車やそのかたわらにいた人物の存在こそ確認できたが、あまりに一瞬のことで、車や人物の特徴などほとんど覚えられなかった。そして私以外の多くの参加者たちも同様の感想だった。それゆえに私は、現場を一度でも訪ねてみれば、この目撃証言には微塵の信用性も認められないことがすぐわかる――と言ったのだ。

この目撃証人については、裁判中から捜査官の誘導により、久間さんの車を目撃したかのような証言をするようになった疑いが指摘されてきた。再審請求即時抗告審では、弁護側が捜査記録を再検証したことにより、捜査員があらかじめ久間さんの家を訪ねて車の特徴を確認したうえで目撃証人に事情聴取していた疑いも浮上している。ぜひとも再審が始まり、この目撃証言に関する警察、検察の捜査も再検証されて欲しいものである。

なお、私が目撃証人と同じように現場を車で走り、視認状況を確認した際の動画をここに紹介した。


◎[参考動画]飯塚事件 目撃証人の視認状況の実験(片岡健2015年03月07日公開)

3分10秒過ぎに出てくるのが「仮想の久間氏とその車」だが、読者の方々もこの動画を観れば、目撃証人の証言内容の詳細さがいかに不自然かが改めてよくわかるはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

2004年に奈良市で起きた小1女児殺害事件は、犯人の男の異常性が社会を震撼させた。下校中に失踪した少女は、通っていた小学校から遠く離れた町の側溝で見つかったが、歯が数本抜かれた状態だった。さらに犯人から親族の携帯電話に「娘はもらった」「次は妹を狙う」などというメールが届いたが、メールには被害者の画像が添付されていた。

検挙された犯人の小林薫は、毎日新聞の販売員として働いていた男だが、幼女ポルノや女児の下着を多数所持していた小児性愛者で、小さな女の子に対する性犯罪の前科もあったという。

小林は奈良地裁で2006年9月、わいせつ目的で女児を誘拐し、自宅の浴室の湯船で溺死させたとして求刑通り死刑判決を受けたのち、自ら控訴を取り下げて死刑が確定。2013年2月に収容先の大阪拘置所において、44歳で死刑執行されている。

手前が小林の住んでいた部屋。ここで女児は命を奪われた

◆小林が住んでいたマンションは今……

私がそんな事件の関係現場を訪ね歩いたのは、昨年5月のことだった。

最初に訪ねたのは、JR王寺駅から徒歩7、8分の場所にある小林が住んでいたマンションだった。その3階建てのマンションは、小林が働いていた毎日新聞の販売所と隣接していたが、人が住んでいる気配はほとんど感じられなかった。小さな女の子が殺害された現場ということもあって入居者が集まらず、今は空き室が多いのかもしれない。

周囲の様子を見て回ると、マンションの近くには、〈不審者を!! 見たらその場で110番〉と書かれた、のぼり旗がはためいていた。過去に痛ましい殺人事件があった現場を歩いていると、こういう防犯を促すものをよく見かけるが、近所の人たちも2度とあのような悲劇があってはいけないとナーバスになっているのだろう。

小林が住んでいたマンション(奥)の近くには、防犯を促すのぼり旗

◆一体なぜ、こんな場所に……

小林が被害者の遺体を遺棄した平群町菊美台という町の側溝は、小林宅から北に5キロの場所にある。その側溝は、住宅街のかたわらに広がる田んぼ沿いの坂道にあったが、私はその場所を見て、少々違和感を覚えた。側溝は周囲から遮るものが何もなく、小さな女の子の遺体などを遺棄すれば、すぐに見つかってしまうことは明白な場所だったためだ。

小林はなぜ、こんな場所に遺体を遺棄したのか。犯行の発覚を防ぐために遺体は山の中に捨てようとか、埋めてしまおうとかという発想はなかったのだろうか。小林は親族に犯行を誇示するようなメールを送りつけるなど劇場犯的なところがあったから、あるいは遺体もあえて見つかりやすいように捨てたのだろうか・・・。私は色々考えさせられた。

小林は、控訴を取り下げて死刑が確定したが、その後、控訴の取下げは無効だと訴えたり、確定死刑判決には事実誤認があるとして再審請求を行ったりしている。再審請求では、「確定判決では、被害者を湯船に沈めて殺害したように認定されたが、本当は、わいせつ行為をしようと睡眠薬を飲ませて入浴させていたら、気づいた時には被害者が溺死していた」と訴えていたという。しかし、その主張が司法に認められることはなかった。

私は事件当時や裁判中、小林に直接取材する機会に恵まれなかった。もしも、そのような機会があれば、「なぜ、あんな場所に遺体を捨てたのか」ということを聞いてみたかった。

被害女児の遺体が遺棄されていた側溝

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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