2004年に奈良市で起きた小1女児殺害事件は、犯人の男の異常性が社会を震撼させた。下校中に失踪した少女は、通っていた小学校から遠く離れた町の側溝で見つかったが、歯が数本抜かれた状態だった。さらに犯人から親族の携帯電話に「娘はもらった」「次は妹を狙う」などというメールが届いたが、メールには被害者の画像が添付されていた。

検挙された犯人の小林薫は、毎日新聞の販売員として働いていた男だが、幼女ポルノや女児の下着を多数所持していた小児性愛者で、小さな女の子に対する性犯罪の前科もあったという。

小林は奈良地裁で2006年9月、わいせつ目的で女児を誘拐し、自宅の浴室の湯船で溺死させたとして求刑通り死刑判決を受けたのち、自ら控訴を取り下げて死刑が確定。2013年2月に収容先の大阪拘置所において、44歳で死刑執行されている。

手前が小林の住んでいた部屋。ここで女児は命を奪われた

◆小林が住んでいたマンションは今……

私がそんな事件の関係現場を訪ね歩いたのは、昨年5月のことだった。

最初に訪ねたのは、JR王寺駅から徒歩7、8分の場所にある小林が住んでいたマンションだった。その3階建てのマンションは、小林が働いていた毎日新聞の販売所と隣接していたが、人が住んでいる気配はほとんど感じられなかった。小さな女の子が殺害された現場ということもあって入居者が集まらず、今は空き室が多いのかもしれない。

周囲の様子を見て回ると、マンションの近くには、〈不審者を!! 見たらその場で110番〉と書かれた、のぼり旗がはためいていた。過去に痛ましい殺人事件があった現場を歩いていると、こういう防犯を促すものをよく見かけるが、近所の人たちも2度とあのような悲劇があってはいけないとナーバスになっているのだろう。

小林が住んでいたマンション(奥)の近くには、防犯を促すのぼり旗

◆一体なぜ、こんな場所に……

小林が被害者の遺体を遺棄した平群町菊美台という町の側溝は、小林宅から北に5キロの場所にある。その側溝は、住宅街のかたわらに広がる田んぼ沿いの坂道にあったが、私はその場所を見て、少々違和感を覚えた。側溝は周囲から遮るものが何もなく、小さな女の子の遺体などを遺棄すれば、すぐに見つかってしまうことは明白な場所だったためだ。

小林はなぜ、こんな場所に遺体を遺棄したのか。犯行の発覚を防ぐために遺体は山の中に捨てようとか、埋めてしまおうとかという発想はなかったのだろうか。小林は親族に犯行を誇示するようなメールを送りつけるなど劇場犯的なところがあったから、あるいは遺体もあえて見つかりやすいように捨てたのだろうか・・・。私は色々考えさせられた。

小林は、控訴を取り下げて死刑が確定したが、その後、控訴の取下げは無効だと訴えたり、確定死刑判決には事実誤認があるとして再審請求を行ったりしている。再審請求では、「確定判決では、被害者を湯船に沈めて殺害したように認定されたが、本当は、わいせつ行為をしようと睡眠薬を飲ませて入浴させていたら、気づいた時には被害者が溺死していた」と訴えていたという。しかし、その主張が司法に認められることはなかった。

私は事件当時や裁判中、小林に直接取材する機会に恵まれなかった。もしも、そのような機会があれば、「なぜ、あんな場所に遺体を捨てたのか」ということを聞いてみたかった。

被害女児の遺体が遺棄されていた側溝

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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2005年12月に栃木県今市市(現・日光市)で小1の女の子・吉田有希ちゃんが何者かに連れ去られ、無残な刺殺体となって見つかった「今市事件」。殺人などの罪に問われた被告人の勝又拓哉氏(35)は昨年4月、宇都宮地裁の裁判員裁判で無実を訴えながら無期懲役判決を受けたが、捜査段階の自白以外にめぼしい証拠はなく、冤罪の疑いを指摘する声が少なくない。

かくいう私も裁判員裁判の全公判を傍聴したほか、勝又氏本人をはじめとする関係者、関係現場への取材を重ね、この事件は冤罪だと確信するに至っている。当欄でも今年4月16日、警察が捜査段階に栃木県内のあちこちに貼り出していた情報提供募集のポスターに基づき、勝又氏の自白調書の内容に信ぴょう性など無いに等しいことを記事にした。

そして実を言うと、勝又氏の自白が嘘であることは、「ある現場」に一度でも行けば、一目瞭然なのだ。

◆明らかに嘘だった「わいせつ行為」

東武日光線の樅山駅から車で数分。県道15号線沿いにある2階建ての何の変哲もないアパートが、この事件では大変重要な現場の1つだ。勝又氏は事件当時、このアパートの2階の一室に住んでいたのだが、その自白調書によると、ここに有希ちゃんを連れ込み、わいせつ行為をしたことになっているからだ。

「私は、部屋の中で有希ちゃんを全裸にしたうえで自分も裸になり、デジタルビデオカメラで撮影しながら、有希ちゃんの顔にキスしたり、陰茎を有希ちゃんの尻にこすりつけたり、有希ちゃんに陰茎を握らせてしごかせて射精するなどしました」(自白調書の要旨)

この自白は一見、迫真性のある内容だが、客観的事実をもとに真偽を検証すれば、すぐに嘘だとわかる内容だ。というのも、勝又氏が本当にこれほど濃厚なわいせつ行為をはたらいたなら、有希ちゃんの体には当然、相当量のDNAが付着したはずだ。しかし事件後、有希ちゃんの遺体から勝又氏のDNA型は一切検出されていないのだ。

そして、わいせつ行為をした後のことに話が及ぶと、勝又氏の自白調書の内容はさらにわかりやすく不自然な内容になる。

◆「手足を縛った全裸の被害者を車まで運んだ」という不自然

「私は自宅アパートで有希ちゃんにわいせつ行為をした後、全裸の有希ちゃんの両手足をガムテープで縛って拘束し、ジャンパーをかぶせただけの姿で駐車場に停めていた車まで連れて行きました。そして有希ちゃんを助手席に乗せ、車で茨城県常陸大宮市の山中まで赴き、有希ちゃんを車から降ろしてサバイバルナイフでメッタ刺しにして殺害しました。それから、遺体を林の中に投棄したのです」(自白調書の要旨)

この自白が嘘であることは、現場に行けば一目瞭然だ。

勝又氏が当時暮らしていたのは、アパートの2階の奥の部屋だった。ここに掲載した写真で言うと、向かって左側の部屋である。勝又氏が自分の部屋から、車を停めていた地上の駐車場まで行くには外廊下を通り、さらに外階段で下に降りなければならない。勝又氏が自白内容通り、「両手足をガムテープで縛って拘束し、ジャンパーをかぶせただけの全裸の有希ちゃん」を自分の部屋から車まで連れて行くのは極めて困難であることは自明だろう。

勝又氏が住んでいたアパート。2階の左の部屋から、手足を縛られた全裸の女児を地上まで運べるだろうか?

有希ちゃんが手足を縛られているのであれば、地上の駐車場の車まで連れて行くにはダッコして運んだり、引きずっていくしかないはずだ。小1の女の子ゆえに体重は大したことがないとはいえ、そんなことが可能だろうか。仮に可能だとしても、勝又氏が本当に犯人ならば、いかに有希ちゃんを駐車場の車まで運んだかは重要なことなので詳細に供述するはずだが、勝又氏の自白にはそのあたりのことが一切出てこない。極めて不自然なことである。

その他にも勝又氏の自白調書の内容は、「有希ちゃんを殺害後に車で家に帰る際、手を洗うためにコンビニや公衆トイレに立ち寄った」と供述しながら、そのコンビニや公衆トイレが特定されていないなど不自然な点は枚挙にいとまがない。東京高裁で行われる控訴審の日程は現時点で未定だが、控訴審では公正な審判が下されることを私は強く願っている。

勝又氏が住んでいたアパートの外階段。ここを全裸の女児を連れて降りる犯人がいるだろうか?

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

夏祭りのカレーに何者かが猛毒のヒ素を混入し、67人がヒ素中毒にり患、うち4人が死亡した和歌山カレー事件。1998年7月25日の事件発生から19年になるが、近年は無実を訴え続ける林眞須美死刑囚(54)について、冤罪を疑う声が増えている。林死刑囚が再審請求後、京都大学の河合潤教授が弁護団の依頼により有罪の決め手とされていたヒ素の鑑定データを解析したところ、林死刑囚の自宅で見つかったヒ素と事件現場で見つかったヒ素が「異なる物」だという結果が出たことなどが原因だ。

一方、林死刑囚については、カレー事件以前にも夫や知人の男性らにヒ素や睡眠薬を飲ませ、保険金詐欺を繰り返していたという別件の疑惑もあり、こちらは今も冤罪を疑う声があまり聞かれない。だが、その別件の疑惑の現場を訪ねて回ったところ、驚くべきことがわかった――。

◆カレー事件以前の「23件」の疑惑とは……

まず、事実関係を整理しておこう。

検察官が裁判で示した起訴内容によると、林死刑囚はカレー事件以前、夫や知人男性2人に4回、死亡保険金目的でヒ素を飲ませる殺人未遂事件を起こしたとされていた。さらに検察官は第一審の論告求刑の際、林死刑囚が起訴された以外にも19回、夫や知人男性に死亡保険金目的でヒ素や睡眠薬を飲ませる「類似事実」に手を染めていたと主張した。結果、これら計23件(4件+19件)の事件のうち6件について、林死刑囚の犯行もしくは関与があった事件だと認定され、林死刑囚がカレー事件の犯人であることの状況証拠とされている。

ところが、実際には、夫の健治氏は裁判で「ヒ素は保険金を騙し取るために自分で飲んでいた」と証言し、自分は被害者ではなく、妻である林死刑囚と一緒に保険金詐欺を繰り返していただけだと訴えた。さらに裁判では、林死刑囚にヒ素や睡眠薬を飲まされたかのように証言した知人男性らが林死刑囚や健治氏と保険金詐欺の共犯関係に会ったことが判明。この知人男性らは保険金詐欺の罪を一切問われていないことなどから、検察側と司法取引的なことをして林死刑囚に不利な証言をしている疑いが浮上していた。

私はこうした疑惑を検証する取材の一環して、林死刑囚が知人男性らにヒ素や睡眠薬を飲まさせたとされる「現場」を訪ねて回った。すると驚かされたのが、検察官の主張通りなら殺人未遂事件が起きたはずの現場で、警察や検察が捜査に訪れた形跡が一切見受けられなかったことである。

◆殺人現場の人たちの意外過ぎる反応

たとえば、検察官の論告求刑によると、林死刑囚は98年5月、大阪府狭山市にある近畿大学医学部付属病院内の食堂で知人の会社社長の男性に対し、睡眠薬を混入させたアイスコーヒーを飲ませ、帰宅の際に車で自損事故を起こさせたとされていた。それが本当ならば、警察や検察は当然、この食堂を訪ね、現場検証をしたり、従業員に事情聴取をしたりしているはずだ。ところが、私がこの食堂を訪ね、カレー事件の発生当時から勤めている女性従業員を見つけて話を聞いたところ、彼女は素っ気なくこう言うのだ。

「そういうの(事情聴取など)は、病院のほうでやっていたみたいですよ」

つまり、捜査には、組織として病院の代表が対応しただけ。殺人未遂事件の現場である食堂の従業員らに、捜査機関は何も話を聞いていないようなのだ。

近畿大学医学部付属病院内の食堂。ここで林死刑囚は知人男性に睡眠薬入りのアイスコーヒーを飲ませたとされたが……

また、検察官の論告求刑によると、林死刑囚は同年7月にもこの会社社長の男性に対し、和歌山市内の「A」という喫茶店で睡眠薬入りのコーヒーを飲ませ、そのために男性が店を出たところで意識を消失し、怪我をする事件があったとされた。ここでも運良く、カレー事件発生当時から勤めているウエイトレスに出会うことができたのだが───。

「ウチでそんな事件があったことになってんの?」

やはり彼女も自分の店でそんな事件があったことにされているとは、まったく知らないようなのだ。私が「警察は捜査に来なかったのですか?」と尋ねると、女性は「来てへんって」と少し怒ったように言った。彼女が何かを隠している様子は微塵も感じられなかった。

さらに検察官の論告求刑によると、林死刑囚は97年9月、大阪府岸和田市の岸和田競輪場に健治らと出掛けた際、当時林家に居候していた知人男性に対し、睡眠薬を入れたコーラを飲ませ、意識を消失させるなどしたとされていた。ところが2008年10月、私が同競輪場に電話取材したところ、同競輪場の参事を務める藤井宗孝氏はこう述べた。

「うちで、そのような事件があったという“噂”になっているんでしょうか?」

“噂”ではなく、“検察”が“裁判”で岸和田競輪場でそのような事件があったと言っているのだと私は伝えた。しかし、藤井氏は、「はあ、裁判で……私はこちらに来て5年になりますが、そのような事件があったと聞いたことはありませんが……」と戸惑うばかり。藤井氏は親切な人で、この時点で同競輪場に9年務めている職員や、23年務めている警備員にも事実関係を確認してくれたが、同競輪場で林死刑囚がそのような事件を起こしたとか、警察が捜査にやってきたという話は「誰も知らない」とのことだった。

林死刑囚が知人男性に睡眠薬入りのコーラを飲ませた現場とされている岸和田競輪の特別観覧席

◆ヒ素を飲まされたとされる夫はかく語りき

では、これらの事実から一体、どんな真相を読み解けばいいのだろうか。私には、健治の次のような言葉が真相を言い当てているように思える。

「Dさん(会社社長の男性)やI(林家に居候していた男性)には、ワシら夫婦は裏切られたわけやけど、ワシはあの2人を恨み切れないんですよ。Dさんは酒を飲むとタチが悪いけど、普段は仏さんのようなエエ男でしたし、Iはワシらによく尽くしてくれましたから。あの2人もワシらを裏切ったのは、そうせざるをえない状況に追い込まれていたからだと思うし、今は本人たちも罪悪感に苦しんでいるのではないかと思うんです」

林死刑囚はカレー事件だけでなく、カレー事件以前に夫や知人男性らにヒ素や睡眠薬を飲ませていた疑惑についても無実を訴え続けている。真相が明らかになる日はくるだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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全国に未解決の殺人事件はあまたある。その中でも4年前に千葉県習志野市で起きた女性殺害事件は、特異な経過をたどった事件として印象深い。

現場は、習志野市茜浜1丁目の遊歩道脇の緑地帯。女性が仰向け状態で倒れ、死んでいるのを清掃員が発見したのは2013年6月24日の朝だった。千葉県警の調べにより、ほどなく女性は派遣社員の廣畑かをりさん(当時47)と判明。解剖の結果、死因は首を圧迫されたことによる窒息死の可能性が高いと判定され、財布から金を抜き取られているのもわかった。こうした状況から千葉県警は行きずりの強盗殺人の可能性を疑い、捜査を展開したと伝えられている。

そんな事件は多数の捜査員が動員されながら、4年経った今も未解決。だが、この間には一度、被疑者が検挙されたことがある。

現場近くには多くの人が暮らす団地もあるが、有力な目撃情報はない

◆一度は被疑者が検挙されたが……

千葉県警が廣畑さん殺害の容疑で中国籍の男を逮捕――。事件発生から3年近く経った2016年3月初め、マスコミ各社は一斉にそう報じた。報道によると、被疑者の男は、別の窃盗事件の容疑で有罪判決をうけ、関東地方の刑務所に服役。現場に残されていた遺留物の鑑定の結果、男が事件に絡んでいる疑いが浮上したとのことだった。

そんな報道が出れば、事件は解決に向かったと誰が思う。しかし捜査の結果、千葉地検は「起訴に足る証拠が集まらなかった」と男を釈放し、不起訴に。男は中国に帰国し、事件は再び未解決の状態となり、今に至るわけである。

殺人の容疑で逮捕された被疑者が嫌疑不十分で不起訴になること自体が珍しいが、これほどの重大事件ともなると、警察は普通、検察に相談したうえで逮捕に踏み切るものである。そういう意味でもこの中国籍の男が不起訴となったのは特異なことだった。

現場の遊歩道。夜は暗く、死角になる場所も多い

◆暗く、死角になる場所も多い夜の遊歩道

派遣社員だった廣畑さんは事件当時、現場近くの食品加工会社で働いており、遺体で発見される前日も夜10時から出勤予定だったが、無断欠勤していた。そのため、廣畑さんは夜9時台に出勤していたところを犯人に襲われたとみられている。そこで私もちょうどそのくらいの時間に現場の遊歩道を歩いてみた。

すると、現場は暗いだけならまだしも、生け垣や公園など死角になる場所も多かった。この道を夜9時台に歩いていたとされる廣畑さんが突如、隠れていた犯人に襲われた場面が鮮明に想像できた。遺体が見つかった緑地帯には、花と水が供えられていたが、まだ花は新しく、遺族がこまめに訪れていることが窺えた。遺族は広畑さんの冥福を祈ると共に犯人が検挙されることも切実に願っていることだろう。

一方、千葉県警のホームページでは、様々な未解決事件に関する情報提供が求められているが(http://www.police.pref.chiba.jp/so1ka/safe-life_coop-vicious.html)、中国籍の男が逮捕されて以来、この事件に関しては情報提供が求められなくなっている。

おそらく千葉県警としては、自分たちが逮捕した中国籍の男こそが不起訴になろうとも犯人で間違いないという思いから、この事件の捜査は打ち切っているのだろう。これでは犯人が検挙される可能性はきわめて乏しいと言わざるをえず、廣畑さんや遺族が気の毒でならない。

遺体が見つかった緑地帯に手向けられた花。遺族がこまめに訪れていることが窺える

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

愚直に直球 タブーなし!最新刊『紙の爆弾』8月号! 安倍晋三 問われる「首相の資質」【特集】共謀罪を成立させた者たち

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

滋賀県米原市でこの事件が起きたのは8年前に遡る。2009年6月12日の朝、伊吹山のふもとを走る農道脇に設置された2つの汚水タンクの1つから作業員が被害者の女性A子さん(当時28)の遺体を発見。A子さんは2日前から行方不明になっており、家族が警察署に捜索願を出していた。

この事件が当初からセンセーショナルに報道されたのは、まず何よりA子さんの亡くなり方があまりに痛ましかったためである。A子さんの遺体は派遣社員として勤務していた大手メーカーの工場の作業着姿だったが、鈍器のようなもので頭部や顔面を頭蓋骨が陥没するほど乱打されており、両手の防御創を合わせると、30回以上も攻撃を受けていた。そして瀕死の状態で汚水タンクに突き落とされ、し尿を吸引して窒息死していたという。

加えて、容疑者として検挙された男性B氏(当時40)は、A子さんが勤める大手メーカーの正社員だったが、妻子がある身でありながら独身のA子さんと不倫関係にあった。そのために報道はいっそう過熱し、A子さんが事件前、B氏のDVを友人に訴えていたという疑惑も報じられるなどして事件は社会の耳目を集めたのだった。

B氏はその後、2013年2月に最高裁で上告を棄却され、懲役17年の判決が確定している。B氏は裁判で無実を訴えていたのだが、その訴えを正面から報じたメディアは皆無に近かった。

事件現場となった汚水タンク

◆裁判で浮かび上がっていた有罪を否定する事情

実を言うと、私はこの事件を取材し、B氏のことを冤罪だと確信している。B氏がA子さんを殺害した犯人であることを否定する様々な事情があるからだ。

まず、B氏の車の血痕の付着状況だ。B氏はA子さんが行方不明になった日、その直前まで自分の車でA子さんと一緒にいたのだが、車の左後輪ブレーキドラムの内側からA子さんの微量の血痕が検出されたことが有罪の大きな根拠の1つとされている。しかし、A子さんの遺体の状況からすると、犯人は返り血を浴びていることが濃厚であるにも関わらず、B氏の車の運転席やその周辺からは一切の血痕が検出されていなかったのだ。

一方、左後輪ブレーキドラムから検出されたA子さんの微量の血痕について、B氏は「A子さんがタイヤ交換をした際、足を怪我したことがあるので、その時のものではないか」と説明していたのだが、この説明はとくにおかしくない。こうしてみると、B氏の車の運転席やその周辺から血痕が一切検出されていないにも関わらず、左後輪ブレーキドラムの微量の血痕を有罪の根拠にするのは無理がある。

また、A子さんに対するB氏のDV疑惑については、たしかにA子さんは事件前、友人に「殴られ、首を絞められるなどしている」「このまま殺されるかもしれない」などと訴えていたようだ。しかし、裁判で明らかになったところでは、友人たちはA子さんのこのような訴えを深刻には受け止めておらず、A子さん自身も警察に相談するなどの対策を講じていなかった。むしろメールの履歴を見ると、A子さんはB氏に何か不満があれば、積極果敢に伝えており、B氏がA子さんに暴力をふるっていたような兆候は見受けられなかったという。

事件現場の汚水タンクのある場所。昼間は走行中の車からもよく見える

◆一見有力な目撃証言は存在するが……

私は2010年に大津地裁でB氏の裁判員裁判が行われた頃、現場の汚水タンクがある場所を訪ねている。事件当日の夜10時30分頃、この場所をトラックで通過した運転手が「B氏の車と似た車」が汚水タンクのかたわらに停まっていたのを目撃したと証言し、この証言も有罪の根拠の1つとされている。

しかし、このトラック運転手の証言は、夜間に時速60キロくらいで走行中のもので、視認状況が良いとは言えないうえ、車種に関する証言内容の変遷も激しかった。そこで私も実際、この時間にレンタカーで汚水タンクがある場所を走ってみたのだが――。

結論から言うと、視認状況は思ったよりはるかに悪く、汚水タンクやその周辺の状況など何も見えなかった。昼間は目印になる汚水タンク脇の「ポイ捨て あカン!!」の大きな看板も闇の中に沈み、間近に迫るまで一切見えないほどだった。目撃証人の運転手は「B氏の車と似た車」について、「ヘッドライトを切った状態で停まっていた」と証言しているが、ヘッドライトを切っている車など通りすぎる際に到底見えないだろうと思わざるをえなかった。

B氏の裁判では、裁判官や裁判官が実際に汚水タンクがある場所まで足を運び、自分の目で現場の状況を確認するような検証は一切行われていない。そういう検証が行われていれば、私はトラック運転手の証言が有罪の根拠として裁判でまかり通ることはなかったろうと思えてならない。

控訴審段階で弁護側から提出された証拠によると、事件以前からインターネット上にA子さんを誹謗する書き込みが多数あったことも確認されており、B氏とは別の真犯人が存在しても何ら不思議はない。被害者やその遺族のためにも、B氏が犯人だということで片づけていい事件ではないと思う。

夜になると、走行中の車から現場の汚水タンクがある場所はまったく見えない。目撃者によると、実際には車はヘッドライトもつけていなかった

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

スーパーは当時と違うが、矢野さんは店の前で刺され、倒れていた

 

大阪府警もホームページ上で事件の情報提供を求めている

大阪府茨木市の阪急電鉄南茨木駅と隣接したスーパー「阪急共栄ストアー南茨木店」(当時)の前の歩道で、この店の店員・矢野愼さん(当時33)が血まみれで倒れているのを同僚が見つけたのは2001年5月1日の午前8時過ぎのこと。矢野さんは左胸を刃物で刺されており、病院に搬送されたが、ほどなく死亡が確認された。

目撃証言によると、矢野さんは刺される前、スーパーの2階の階段踊り場で白髪交じりの黒っぽいジャンパーを着た男ともみ合いになっていたという。警察は、男が開店準備中のスーパーに押し入り、金を盗もうとしたが、矢野さんに抵抗されたため、路上に連れ出して刺したとみていると伝えられている。矢野さんは責任感の強い人だったそうだから、強盗から店を守ろうとして生命を奪われたのかもしれない。

目撃者は複数いたようで、犯人の男は「年齢が30歳から50歳くらい」、「身長は165から170センチくらい」、「体格はがっちり型」などと絞り込まれたが、事件は16年経った今も未解決。遺族が私的に懸賞金200万円を用意して犯人検挙につながる情報を募り、大阪府警もホームページで情報提供を呼びかけ続けているが、有力な情報は得られない状態のようだ。

◆変わりゆく現場の様子

私がこの現場を訪ねたのは、2013年の夏のこと。店は事件当時の「阪急共栄ストアー南茨木店」から「阪急オアシス南茨木店」へと変わっており、地元の人たちによると、店の前の歩道も事件当時より拡張されて広くなっているとのことだった。

だが、矢野さんが犯人の男ともみ合っていた2階の階段踊り場はそのまま残されていた。その階段踊り場は南茨木駅と直結しており、これならば事件を目撃した人たちがいるのも納得だ。犯人はおそらく、さほど綿密な計画を立てずに成り行きで事件を起こしたのだろう。

矢野さんが犯人ともみ合っていたとされるスーパー2階の階段踊り場

犯人の逃走経路とされる陸橋

 

 

聞き込みをしてみると、スーパーの女性店員がこんなことを教えてくれた。

「私は当時、この店で働いていなかったんで、刺された人のことは知らないんですが、そこの陸橋のところに地蔵があるらしいですよ」

スーパーの建物の横には、線路の反対側に渡るための陸橋があるのだが、そこに行ってみると、金網で囲まれた陸橋のたもとのところに、たしかに小さな地蔵が設置されていた。矢野さんを悼むためのものだろう。地蔵の前には、水のつがれたグラスが供えられていたが、水は綺麗な状態で、矢野さんの死を悼む人がまめに水をかえていることが窺えた。

◆地蔵の設置場所は犯人の逃走経路

実は目撃証言などによると、犯人の男は矢野さんを刺した後、たもとにこの地蔵が設置された陸橋を通り、線路の反対側の駐輪場の方向に逃げていったとされている。私には、この地蔵は犯人が再びこの現場を通らないか、見つめ続けているようにも思えた。

2010年に刑事訴訟法が改正され、殺人の公訴時効は撤廃された。16年もの年月が過ぎてしまうと、警察としても犯人検挙につながる新たな有力情報を得るのは難しいだろうが、犯人は生きている限り、矢野さんを殺害した罪から決して逃れられることはない。

【参考】大阪府警もホームページ上でこの事件の情報提供を求めている。

陸橋の下に矢野さんを悼むために設置された地蔵

▼片岡健(かたおか けん)
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『紙の爆弾』7月号!愚直に直球 タブーなし!【特集】アベ改憲策動の全貌

東京都江戸川区東篠崎にある東京都下水道局の篠崎ポンプ所は、かつて二度、殺人事件の現場になっている。しかも、いずれの事件でも犯人は今も捕まっておらず、未解決事件に数えられている。ポンプ所の関係者に何か責任があるわけではないが、薄気味悪い雰囲気は否めない場所である。

二件の未解決殺人事件の現場となった篠崎ポンプ所

 

バラバラ殺人事件被害者の特徴(警視庁HPのアーカイブキャッシュより)

◆1988年9月9日の女性バラバラ殺人事件

最初の事件が起きたのは今から約29年になる1988年9月9日。同所の地下2階にある汚水をためておく水槽の4号沈砂地に女性の死体が浮いているのを職員が見つけた。死体は裸で、上半身しかなく、腹部から刃物で切断されていた。様々なゴミと一緒に浮いており、職員は当初、マネキンと思ったという。

女性は推定20~30代前半。指にマニキュア、両耳にピアスの跡があり、わきは脱毛されていた。警視庁は犯人が女性を殺害後、切断したうえ、道路脇にある雨水用のU字溝やマンホール、下水の工事現場などの開口部から下水道に投棄したとみて、捜査を進めた。だが、いまだに女性の身元すら不明のままだ。

私がこの地を訪ねたのは2013年6月のこと。所内には入れなかったが、そばを流れる旧江戸川に設置されていた同所のゲートは印象深かった。沈砂地にためた雨水を川に放流するためのゲートだそうだが、女性のバラバラ死体は見つかっていない部分もあるそうで、このゲートから一部が流れ出た可能性もあるという。そうだと知ったうえで見ると、単なる雨水の放流のためのゲートも不気味なものに見えてくるものである。

雨水を川に放流するためのゲート。バラバラ死体の一部が流れ出た可能性も……

◆2002年3月17日には敷地内で個人タクシー運転手強殺事件

警察はタクシー運転手殺害犯が裏門から逃走したとみているという

もう一件の事件が起きたのは2002年3月17日のこと。「敷地内に防犯灯がついたタクシーが止まっている」という同所職員の通報をうけ、警視庁小松川署の署員が駆けつけたところ、そのタクシーの後部のトランク内から死体が見つかった。死体は個人タクシー運転手の山口雄介さん(当時54)で、胸や背中に約10カ所の刺し傷があり、売上金がなくなっていたという。警視庁は強盗殺人事件とみて、捜査を進めたが、この事件も15年余り経った今も犯人は検挙されないままである。

近隣の住人によると、何が根拠かはわからないが、警察は「犯人はポンプ所の裏門から逃げた」とみているようだったという。なんでもこの事件が起きた頃は、ポンプ所は敷地内に自由に出入りできたそうである。私が訪ねた際には、門はきちんと閉められ、部外者が自由に中に入れなくなっていたが、二件の殺人事件の現場になってしまったことが理由だと思われる。

二件目の殺人事件が起きた後、部外者は敷地内に自由に出入りできなくなった

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』6月号!森友、都教委、防衛省、ケイダッシュ等今月も愚直にタブーなし!

 

朝日新聞2008年6月17日号外

1988年から1989年にかけて東京と埼玉で4人の幼女を次々に連れ去って殺害し、遺体を食べるなどの凶行に及んだ元死刑囚の宮﨑勤(享年46)。

被害女児の骨片を入れた段ボール箱を女児の自宅玄関前に置いたり、「今田勇子」名義で報道機関に犯行声明を送りつけるなどの異常性が当時、社会を震撼させた。

そんな宮﨑も2008年6月に死刑執行されて世を去ったが、私が東京・あきる野市(事件発生当時は西多摩郡五日市町)にあった宮﨑の実家跡地を訪ねたのは死刑執行からちょうど7年の年月が過ぎた2015年の夏のことだった。

◆宮﨑宅は「有料駐車場」になっていたが……

「そこは今、駐車場ですよ」

そう教えてくれたのは、道を聞くために入った最寄り駅・JR武蔵五日市駅前の交番の制服警察官。彼は現地までの道順についても、机の上に地図を広げて、親切に教えてくれた。

現地に到着すると、宮﨑の家は建物が取り壊され、宮﨑が多数のビデオや漫画を所蔵していた有名な「オタク部屋」も跡形もなくなっていた。そして広々とした更地には、たしかに有料駐車場だと示す「P→1日¥1,000」という立て看板が設置されていた。

家屋はすべて取り壊され、有料駐車場の看板が設置された宮﨑の実家跡地

宮﨑の「オタク部屋」があった場所。砂が盛られた理由は不明だ

ただ、有料駐車場とはいっても管理人などはおらず、コインパーキングのように自動精算する仕組みになっているわけでもない。料金を入れる小箱が立て看板のかたわらに置かれているだけである。周囲には畑と民家しかない。地元の人のものらしき車は数台止まってはいたが、この場所を車で訪ね、1日1000円の有料駐車場を利用する人がそう多くいるとは思いがたかった。

駐車場利用者の料金支払いは善意に委ねられている

通りかかった地元の女性は、声をひそめてこう語った。

「(宮﨑の)家族はもうこのへんに住んでいないみたいです。ただ、親戚の人たちは今もこのあたりに住んでいるんですよ」

周辺を見て回ると、たしかに「宮﨑」と表札を掲げた家があった。さらにふと見ると、パトカーが近くに止まり、制服警察官が車内から私の様子をうかがっていた……。

先ほど道を聞いた交番の制服警察官たちが、私のような野次馬が宮﨑の親族に迷惑をかけないかと監視にやってきたわけである。宮﨑の父親が事件後に自殺したという話は有名だが、生き続けている親族たちは事件から30年近く経ってもなお、警察がそんなケアをしなければいけないほど深い傷を負っているということだろう。

息をひそめて生き続ける親族たち。この人たちも紛れもなくこの事件の被害者だ。


◎[参考動画]宮﨑勤死刑囚に刑執行(2008年6月17日放送フジテレビ「ニュースJapan」より)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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「今、お墓のあった場所を公開しているのは警察関係の方と報道関係の方だけで、一般の方には公開していないんですよ。ご両親は今もお参りに来られているんで、いやな思いをされたらいけませんからね」

2014年3月12日、東京都荒川区南千住の円通寺。私は、住職の男性の言葉に驚いた。失礼ながら、あの「吉展ちゃん」のご両親がまだご存命だとは思っていなかったからだ。

円通寺。吉展ちゃんの遺体が遺棄された寺として非常に有名

◆半世紀以上も現場で息子を悼み続けた両親

 

当時の指名手配書(夢野銀次さん2014年10月24日付「銀次のブログ」より)

1963年3月31日、台東区入谷で暮らす工務店経営者一家の長男・村越吉展ちゃん(当時4歳)が身代金目的で誘拐され、その後殺害された「吉展ちゃん事件」は当時、「戦後最大の誘拐事件」と呼ばれた。

捜査は難航したが、警視庁は1965年7月4日、別件の窃盗事件で服役中の小原保(同32歳)を営利誘拐などの容疑で検挙。小原の自白により、円通寺にあった「池田家」の墓の下から吉展ちゃんの遺体が発見された話は有名だ。

しかし、私が円通寺を訪ねた日は事件から半世紀を超す年月が過ぎていた。まさかご両親が今もお参りに来ているとは――。

「お二人とも今は80代だと思います。でも、つい先日もいらっしゃったんですよ」

円通寺境内には「よしのぶ地蔵」も設置されおり、こちらは一般の人も拝むことができる

◆現場を非公開にした理由──迷惑な陰謀論者たち

 

毎日新聞1965年7月5日付一面(岩垂弘さん「もの書きを目指す人びとへ――わが体験的マスコミ論」第46回より)

住職の話を聞きながら、私は高齢のご両親が息子の死を悼み続けた年月に思いを馳せ、柄にもなく少し胸が熱くなった。が、住職はそんな私の感傷的な気分を打ち消すような、こんな話も聞かせてくれた。

「物見遊山で墓を見に来られる一般の方の中には、陰謀論的な冤罪説を主張される人たちもいるんです。『小原は洗脳されて自分を犯人と言っているだけだ』とか『小原は足が不自由だったから差別されたのだ』とか言ってくるのですが、われわれとしては『勝手にやってください』と言うしかありません。小原の供述により、うちのお墓からご遺体まで見つかっているのですからね」

たしかにこういう変な人たちがいれば、寺としても遺体が見つかった墓のあった場所を一般公開するわけにはいかないだろう。

私は報道目的なので、遺体が隠された墓を見せてもらえたが、住職によると、すでに「池田家の墓」そのものは他の場所に移設されたという。その墓があった場所では、代わりに吉展ちゃんを供養するための小さな地蔵が祀られていたが、手入れが行き届いており、親族がよくお参りに来ていることが窺えた。

吉展ちゃんには安らかに眠ってもらいたい。

吉展ちゃんの遺体が見つかった墓があった場所。小さな地蔵が祀られているが、一般には非公開

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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