どんな殺人事件も例外なく悲劇的だが、とりわけ小さな子供の生命が奪われた殺人事件が地域社会に与えるダメージは大きい。2005年11月、広島市安芸区で起きた小1女児・木下あいりちゃん殺害事件もその1例だ。2015年に現場を訪ねたところ、事件発生から10年も経っているにも関わらず、現地のあちこちで生々しい事件の傷跡が散見された。

あいりちゃんのために作られたひまわり畑も荒れた感じになっていた

◆現地の小学生たちは大勢で集団下校

被害者の木下あいりちゃん(享年7)は被害に遭った当時、市立矢野西小学校に通う1年生だった。事件の日は下校途中に失踪し、空き地に置かれた段ボール箱から遺体となって見つかった。広島県警は捜査の結果、現場近くに住むペルー人の男、ホセ・マヌエル・トレス・ヤギ(30)を検挙。ヤギはあいりちゃんの身体にわいせつ行為をはたらいたうえ、首を絞めて殺害していたが、実はペルーでも幼女への性犯罪で2回刑事訴追され、日本に逃亡中だった。

悲劇を繰り返さないため、大勢で集団下校する地元の小学生たち

そんな事件について、マスコミは当初、あいりちゃんを匿名で報じ、性被害の報道も自粛していた。しかし、父親の要請に応じ、あいりちゃんのことを実名扱いにし、性被害の内容も詳細に報じるようになった。ヤギはその後、裁判で無期懲役刑が確定したが、事件は裁判中も大きく取り上げられ、長く社会の注目を集め続けたのだった。

筆者が2015年に現地を訪ねたところ、まず何より印象的だったのは、現地の小学生たちが大勢で集団下校をしていたことだ。道路のあちこちに大人たちが立ち、下校する子供たちを見守っている姿も見受けられた。公園の金網に「考えよう 尊い生命の大切さ」などと書かれたプレートもかけられており、同じ惨劇を2度と起こさせないため、地域をあげて、子供たちを守っている様子が窺えた。

◆遺体遺棄現場では、ボロボロになった供え物が・・・

そんな現地で、何より悲しい雰囲気を漂わせていたのは、あいりちゃんの遺体が入れられた段ボール箱が捨てられていた空き地だった。その場所には、事件の頃に供えられたとみられるカプセルトイやヌイグルミがボロボロに痛んだ状態になりながら、その場に残ったままになっていた。そばには、ドライフラワー化した花も放置されていた。地元の人も現場には心理的に近づきがたく、片付けがされないままになっているのだろう。

ひまわりの花が好きだったというあいりちゃん。事件後にその死を悼むために作られたひまわり畑も訪ねてみたが、ひまわりの木はどれもすっかり枯れていた。そばに置かれた大きなシートには、「ようこそ ひまわり畑へ」という文字と共に、ひまわりの花飾りをつけた可愛いウサギの絵が描かれていたが、このシートもかなり汚れて、物悲しい雰囲気になっていた。

小さな女の子が殺害されると、地域社会のあちこちに決して癒えない傷が残るのだ。

遺体遺棄現場に供えられたヌイグルミやカプセルトイはボロボロ状態で放置されていた

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

住宅が殺人事件の現場になった場合、その後にたどる運命は主に2つある。1つは事故物件として空き家、空き部屋のままで残るパターン。もう1つは建物が取り壊され、更地になったり駐車場になったりして生まれ変わるパターンだ。

そんな中、2014年に承諾殺人事件の現場となった松江市の住宅は、その後、特異な運命をたどっていた。現場の「半分」だけが消えてしまったのだ。

◆現場は2階建てのアパート風の物件だったが・・・

この事件の犯人である女子大生(18)が逮捕されたのは、同年4月3日のこと。名古屋市で暮らしていた女子大生はこの2日前、母親に「インターネットで知り合った人に会いに行く」とだけ告げ、家を出た。母親はその夜、女子大生から「その男性と松江市で心中する」との連絡を受けたという。

事件発生当初の報道の映像では、2階建てだったが・・・(フジテレビ「ニュースJAPAN」より)

そこで母親は翌朝、娘が話していた松江市内の空き家まで駆けつけた。すると、2階の部屋では5個の七輪で練炭が燃やされており、そのかたわらで男性(31)の遺体と共に座っている娘を見つけたのだという。

警察の調べに対し、女子大生は「男性に殺してくれと頼まれ、首を絞めて殺した」と供述。承諾殺人の容疑で逮捕されたという。現場は、殺害された男性の祖父が所有する建物で、男性は失業や離婚の悩みから、インターネットで知り合った女子大生に「殺して欲しい」と求めたようだ。

筆者がこの怪事件の現場を訪ねたのは、事件発生から3年近く経った2017年の初めのことだった。テレビニュースの映像で観た現場は、2階建てのアパート風の物件だったが、その変わりようは凄まじかった。建物はその場にそのまま存在しているのだが、2階部分だけがそっくり消えているのだ。

おそらく建物の持ち主である遺族が被害男性の悲惨な死に耐えかねて、2階だけを取り壊してしまったのだろうが・・・。男性は殺されたとはいえ、自ら望んでのことだから、遺族としては怒りの持って行き場もなかったはずだ。本当にやり切れない思いだろう。

事件後、現場となった2階の部屋のみが取り壊されていた

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

加害者家族を主人公にした映画やドラマでは、加害者一家の家の建物や外壁に「人殺し!」などと心無い落書きがされている場面をよく見かける。公開中の映画「ひとよ」や1月19日スタートの新ドラマ「テセウスの船」にもそういうシーンがあるようだ。物語の作り手たちはおそらく1998年の和歌山カレー事件や2015年の川崎中1男子生徒殺害事件で被疑者一家の家がそういう目に遭わされていたのをイメージしているのだろう。

だが、実際には、マスコミ報道がよほど過熱し、世間の人たちが「加害者やその家族には、何をしてもかまわない」という異常な心理状態に陥らない限り、あそこまでのことはさすがに起こらない。器物損壊罪などの犯罪にあたることは誰でもわかるからだ。とくに加害者の家が持ち家ではなく、賃貸住宅である場合、ああいうことはまず起こらないのだが――。

重大事件の犯人の家は、実はまったく別の悲劇に見舞われているケースが少なくない。事故物件化し、いつまでも次の借り手が見つからないという悲劇だ。たとえば、北九州監禁殺人事件の松永太が借りていたマンションの部屋がそうだった。

◆20年近く経っても空き室のまま・・・

2002年に発覚した北九州監禁殺人事件は、尋常ならざる残虐性や猟奇性で社会を震撼させた。主犯の松永は、内妻の緒方純子と共に緒方の家族や知人の男性らをマンションの一室に監禁し、拷問と虐待でマインドコントロール下に置いたうえ、被害者同士で殺し合いをさせる手口により7人の生命を奪った。さらに死体はミキサーなどで分解したり、鍋で煮込んだりして完璧に解体させたうえ、海などに投棄させていたという。

そんな事件は2011年に松永の死刑判決、緒方の無期懲役判決が確定し、もうすっかり過去の事件になった印象だ。だが、私が2年前に北九州市の現地を訪ねたところ、「殺し合い」の現場となった5階建てマンションの一室は誰も住んでいなかった。事件発覚から20年近い年月が経過し、マンションは名前を変えていたが、次の借り手が見つからない状態が続いているわけだ。

室内に物が積み重ねられていた現場の部屋

マンション1階にある現場の部屋の集合郵便受けはチラシだらけで、部屋の玄関ドアの郵便受けはガームテープで塞がれていた。さらに外から部屋を見ると、窓越しに室内に物が積み重ねられているのが見え、物置のように使われているのではないかと想像させられた。事件とは無関係だった他の部屋も空き室が目立ち、大家が被った損害は相当なものだろう。

ここを訪ねると、「殺人事件の被害者は、殺された人だけではない」ということがよくわかる。

1階の集合郵便受けはチラシだらけに・・・

現場の部屋の玄関ドア。郵便受けはガムテープで塞がれていた

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)。同書のコミカライズ版『マンガ「獄中面会物語」』(笠倉出版社)も発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ここで紹介する新潟の冤罪事件が起きたのは1914年だから、あの第一次世界大戦が勃発した年だ。「大昔の事件」と言っても過言ではないが、筆者は今から数年前、その現地を訪ねて取材したところ、無実の罪で処刑された青年の「子孫」に会うことができた。事件取材をしていると、奇跡のような出会いに恵まれることはままあるが、これはとくに忘れがたい経験の1つだ。

◆家族を救うために死刑になった模範青年

その事件が起きた場所は、新潟県中蒲原郡の横越村大字横越という所で、今の地名で言えば、新潟市江南区横越東町にあたる。被害者は、この村で農業を営んでいた細山幸次郎(当時50)という男性だ。2014年12月30日の早朝、この幸次郎が自宅の納屋で頭部を鈍器でめった打ちにされ、死んでいるのが見つかったという事件だった。

その容疑者とされたのは、幸次郎の義母ミタ(同68)、妻のマサ(同45)、長男の要太郎(同23)、次男の幸太(同19)の4人である。つまり、警察はこの事件を家族間の殺人事件だとみたのだが、実はその根拠は脆弱だった。幸次郎の遺体が見つかった時間は雪が降り積もっており、外部の者が細山家に出入りした足跡がなかった。それだけのことで、内部犯と決めつけたのだ。

横越東町の細山家があったあたり

実際には、事件当日はひどい雪で、雪の上に足跡がついても、すぐに消える状態だったから、外部犯も十分に考えられた。今の警察の捜査が何も問題ないとは言えないが、当時の警察の捜査は驚くほど杜撰なものだった。

もっとも、長男の要太郎と次男の幸太は、容疑者として新潟監獄に収監されたのち、父の殺害を自白するに至っている。それは、「予審」で予審判事から厳しく追及されたためだった。

予審とは、旧刑訴法時代、公判をすべきか否かを決めるためなどに裁判官が行っていた手続きだ。しかし実際には、非公開の法廷で裁判官が捜査の延長をしていたようなものだった。その予審の法廷で、まず幸太が「家族4人で父を殺害した」と自白した。すると、今度は長男の要太郎が「他の3人は関係ない。父は自分が1人で殺した」と自白したのだ。

その後、新潟地裁の第一審では、4人全員が無実を訴えたが、幸太の自白が真実と認められ、全員が死刑に。続く東京控訴院(現在の東京高裁に相当)の控訴審では、要太郎の自白が真実と認められ、要太郎のみが死刑維持、他の3人は逆転無罪となった。この判決が大審院(現在の最高裁に相当)で確定し、要太郎は1917年12月8日、東京監獄で処刑されたのだ。

しかし、その捜査は上記したように杜撰なもので、要太郎、幸太共に自白内容は客観的事実との矛盾点が多かった。そもそも、幸次郎は温厚な性格で、子供たちをかわいがっており、要太郎らが父を殺害する動機も見当たらなかった。地域で評判の模範青年だった要太郎は、接見に来た弁護士に、「他の3人を出獄させるため、自分1人で罪を引き受けた。公判へ回れば、事実の真相はわかるものと思っていたのです」と訴えていたという。

◆子孫が語る「事件のその後」

筆者がこの事件の地元・横越東町を訪ねたのは2015年の8月だった。この時点で、事件発生から101年の月日が流れていた。現場は田んぼが広がり、のどかな雰囲気だったが、当然というべきか、現場となった細山家のあった場所はすでに別の家族の家が建っていた。

その家の人に話を聞いてみたが、100年前、自分の家があった場所で、そのような事件が起きたことは全く知らなかった。それも当然だろう。筆者自身、自分の家がある場所やその近所で100年前に起きた出来事など何も知らない。大した収穫もなく、取材を終えることになりそうだと思いきや・・・現地で1人、処刑された要太郎の子孫が今も暮らしていたのだ。

「私が生まれる前のことなんで、詳しいことはわかりませんけど、そういうことがあったとは聞いていますよ。その死刑になった人は、いい子だったんで、なんとかしたいと裁判所に手紙やら何やらを出したけど、ダメだったってね」

そう聞かせてくれた女性Mさんは、要太郎の叔父の娘さんである。この時点で95歳。腰は少し曲がっていたが、話し方はしっかりした人だった。民謡をやっているという。100年前に起きた事件について、このように当事者の血縁者から話を聞けるとは、夢にも思っていなかった。

Mさんによると、要太郎の家族は群馬に移り住んだそうだが、その際、「一番下の弟」がこの地の寺にあった要太郎の墓を掘り起こし、「先祖の墓は自分が守る」と言って群馬に持って行ったという。その「一番下の弟」とは、幸太のことだと思われる。自分の生命を犠牲にして家族を守った兄・要太郎を強く尊敬していたことが窺えた。

「もうそろそろいいですか? 私も忙しいんですよ」

Mさんは迷惑そうにそう言うと、最後はそそくさと家の中に入っていた。自分が100年前の大事件の生き証人だという意識など微塵もなく、淡々と生きている感じの人だった。それがまた良かった。

細山家の近くにある寺の墓地。細山家の墓はここから群馬に移された

▼片岡健(かたおか けん)
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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

現在、日本の都市部では、街中の至るところに防犯カメラが設置されている。このような状態を「監視社会化が進んでいる」として、嫌う人は少なくない。

だが、私は正直、監視社会化が進む現在の状況をいちがいに否定できないでいる。過去に様々な殺人事件を取材してきた中、「もしも、あの場所に防犯カメラが設置されていれば、防げたのでは……」と思うような事件がいくつも存在したからだ。
ここで紹介する、16歳の少女が殺害された事件もその1つだ。

24時間営業の店が色々ある現場界隈。地下道は「死角」だったようだ

この非常ボタンは事件当時も存在したが、悲劇を防げなかった

◆事件から19年、犯人はいまだ捕まらず

事件は2000年1月20日、広島市の中心部からそう離れていない、西白島町で起きた。現場は、国道下を通る、地下道であった。

被害者の少女は、この日の深夜、タクシーで自宅近くまで帰り、コンビニで買い物をした後、帰宅しようと午前3時50分頃、地下道を利用したとみられている。そしてこの時、何者かに刃物で刺され、生命を奪われたのだ。

現場の地下道周辺は、少女が買い物をしたコンビニのほか、ファミレスやファーストフードショップが24時間営業している。そんな中、地下道はまさに「死角」になっていたようだ。

事件から今年1月で19年を迎えたが、犯人はいまだ捕まらず、未解決。広島県警はホームページで情報提供を呼びかけ続けている。

事件後、現場の地下道に設置された防犯カメラ

◆事件後、市は11の地下道に防犯カメラを設置

もっとも、そんな事件の現場を訪ねると、今は地下道の数カ所に、存在感のある防犯カメラが設置され、まさに通行人たちを睨みつけているような様相だ。そこで、広島市に問い合わせてみたところ、この事件が起きたのち、この地下道を含む市内の11の地下道に防犯カメラを設置したのだという。

そのおかげか、この事件が起きてから20年近くになるが、広島市内の地下道で新たに重大な事件が起きたという話は聞かない。それはすなわち、防犯カメラが市民の安全に寄与しているということだ。

そして裏返せば、この事件が起きた2000年1月の時点で、現場の地下道に今のように防犯カメラが設置されていれば、16歳の少女は生命を奪われずに済んだかもしれないということだ。

彼女が今も生きていれば、30代半ばという年齢だ。結婚し、子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築いていたかもしれない。

殺人事件を色々取材していると、こういうケースにめぐりあうことは少なくない。だから、私は正直、監視社会化を否定できないでいる。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

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人はいつ、殺人事件の被害者になってもおかしくない。殺人事件を取材していて、そんなふうに思うことがある。2008年に大阪で起きたDDハウス殺人事件の現場を訪ねた時もそうだった。

◆共用トイレに潜んでいた殺人犯

大阪でも屈指の歓楽街である梅田。その一角にある「DDハウス」は、飲食店のほか、ネットカフェやカラオケ、スポーツジムが入った商業ビルだ。この事件の現場は、その2階の共用トイレだった。

事件が起きたのは、2000年2月1日午後10時過ぎ。2階のショットバーで飲み会をしていた男女のグループのうち、30歳の男性会社員Aさんが店を出て、共用トイレに入った時だった。

「金出せ。早く出せ」

トイレに潜んでいた中年男が刃物を突きつけながら、金を出すように迫ってきたのだ。

Aさんがこれに応じなかったところ、中年男はAさんの胸に刃物を数回に渡り、突き立ててきた――。

Aさんはなんとか逃げ出し、飲み会をしていたショットバーまで戻った。しかし、店内で力尽き、亡くなったのだった。

梅田のDDハウス。事件は2階の共用トイレで起きた

◆犯人は死刑に

その1週間後、警察に出頭し、犯行を告白したのは、加賀山領治、当時58歳。事件の9年前に石川県の会社を辞めて以来、東京や神戸、大阪などで定職に就かず、元交際相手の女性や実母に金を無心して暮らしていたとされる。事件の日も家賃を払えないほど金に困り、酔客の多いDDハウスの共用トイレで、強盗をしようと潜んでいたという。

そこに運悪く現れたAさんが犠牲になったのだ。

実を言うと加賀山はこの8年前にも24歳の中国人女性Bさんを金目当てに深夜の路上で襲い、刺殺する事件を起こしていた。Aさん殺害の容疑で逮捕された際、Bさんの殺害現場に残されたDNAと加賀山のDNAの型が一致することが判明。こうしてBさん殺害の容疑でも逮捕された加賀山は、裁判では死刑判決を受け、2013年に63歳で死刑執行されたのだ。

◆現場トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

トイレの入り口上部には非常ランプ

私が現場のDDハウスを訪ねたのは、2016年の冬だった。2階は多くの飲食店が入っており、こんな安全そうな場所のトイレに殺人犯が潜んでいるとは想像しづらかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン、トイレ入口の上部には赤い非常ランプが設置されており、防犯意識の高さが窺えたが、これらはおそらく事件後に設けられたものだろう。飲み会中、トイレに行った際に突然刃物で刺されたAさんは、こんな場所で殺人犯により自分の生命が奪われるとは、夢にも思わなかったろう。

実を言うと、私は大阪に出張した際、このDDハウスの地下にあるネットカフェを利用することがある。それだけになおさら、この事件は他人事とは思えなかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

▼片岡健(かたおか けん)

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創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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殺人事件や性犯罪事件では、被害者への配慮から「原因究明」がおざなりにされがちだ。たとえば、強姦殺人事件の被害女性がミニスカートをはいていた場合、そのことに触れただけでも、「悪いのはミニスカートをはいていた被害者ではなく、犯人だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人も少なくない。

もちろん、悪いのはあくまで犯人だが、仮にミニスカートをはいている女性が強姦被害に遭いやすいという傾向が統計データに現れていたなら、それを公表しないのもまた問題だろう。犯罪被害の発生防止につながる情報を封印するに等しいからだ。

そんな考えの私は、殺人事件を取材する時、この事件はどうにかして回避できなかったかと常に考える。しかし、被害者側の立場からでは、回避しようがない事件もやはり少なくない。2008年に起きた江東区マンション神隠し事件がまさにそうだった。

◆「性奴隷」獲得目的の凶行

東京都江東区のマンションで暮らしていた女性会社員(当時23)が帰宅後、忽然と失踪したのは2008年4月のこと。女性宅の玄関には少量の血が残されていたが、防犯カメラに女性が外出した形跡がなく、「神隠し」事件として騒がれた。

現場マンション。被害女性らは918号室、犯人の男は2つ隣の916号室で暮らしていた

捜査の結果、殺人などの容疑で検挙されたのは、2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33)だった。男は「性奴隷」獲得目的で、女性を襲って自室に拉致。だが、警察の捜査が始まったため、犯行の発覚を恐れて女性の首を包丁で刺して殺害してしまったのだ。そして遺体は細かく切り刻み、トイレやゴミ捨て場に捨てて処分していた。

事件後、平然と取材に答えていた男の異常性も話題になったものである。

◆現場でわかる被害女性の「安全性重視」の物件選び

私がこの事件の現場を訪ねたのは、2015年の秋だった。被害女性と犯人の男が暮らしていたマンションは、JR潮見駅から徒歩で5分程度の場所だった。

駅からマンションに向かう道中、暗い場所やひとけのない場所など、物騒に思える場所はまったくない。女性が暮らしていたマンションも正面玄関にオートロックが備えられており、セキュリティは悪くなさそうだった。

現場マンションは正面玄関にオートロックが備えられている

一般的に女性は男性に比べ、部屋を借りる際には「綺麗さ」を重視する傾向があるため、家賃との兼ね合いで駅から遠い場所で暮らしているケースも少なくない。しかし、この事件の被害女性の場合、安全性を重視した物件選びをしていたように思われた。しかも、一緒に姉も暮らしていたというから、まさかこんな事件に遭うとは夢にも思わなかったろう。

被害女性とその姉は、事件の前月にこのマンションに引っ越してきたと報じられている。マスコミ報道を見る限り、犯人の男も見た目はどこにでもいそうな普通の人物だけに、「危険な人物」と見抜くことは不可能だったろう。

親御さんとしても、姉妹が一緒に暮らしていた状態には安心感があったはずだ。それにも関わらず、娘がこのような悲劇に遭ってしまった気持ちは、第三者が想像できる範囲を超えている。

最寄り駅からマンションまでの道もいかにも安全そう

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最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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殺人事件の現場というのは、そうだと知らなければ、何の変哲もない場所や建物にしか見えない場合がほとんど。そんな中、いかにも殺人現場らしい不穏な雰囲気を漂わせていた場所もある。

たとえば、2011~2012年頃に話題になった尼崎連続変死事件の現場がそれである。

◆灰色にくすんだ街並み

事件の発覚は2011年の秋だった。主犯と言われる角田美代子(当時63)らに監禁されていた女性が警察に駆け込んだのをきっかけに、尼崎市の貸し倉庫から女性の母親の遺体が発見された。さらに翌年10月には、平屋建ての民家の床下から3遺体が見つかり、大量変死事件として騒がれた。

美代子は複数の家族と同居し、虐待や殺人を繰り返していたとみられ、死者・失踪者は10人を超すと伝えられる。逮捕された美代子が留置場で自殺し、事件の全容解明は困難になったが、共犯者らの裁判では、髪をバーナーで焼いたり、タバコの火を押しつけるなどの凄惨な犯行が明るみになっているという。

筆者がこのおぞましい事件の現場に足を運んだのは、2015年の初夏のことだ。最寄り駅の阪神電車・杭瀬駅に降り立ち、関係現場を訪ねて回った。そしてまず感じたのは、街並みが灰色にくすみ、いかにも怪事件の現場らしい雰囲気だということだ。こういうことは珍しい。

◆3遺体が見つかった民家は更地に

そして駅から歩くこと数分で、3人の遺体が発見された平屋建ての民家があった場所に到着した。が、問題の家はすでにない。家の建物は跡形もなく取り壊され、更地になっていたためだ。

3遺体が見つかった民家は取り壊され、更地に

ただ、隣家のトタンの外壁が何やら異様な雰囲気を醸し出している。ふと見ると、更地に衣装ケースが置かれているが、それもまた不気味に見える。フタをあけると、ゴルフシューズなどが詰め込まれていたが、なぜ、こんなに場所にこんな物が・・・・・・と不思議な思いにさせられた。

一方、ベランダに「監禁部屋」と呼ばれるプレハブ小屋があった美代子宅のマンションは、この更地から歩いて数分の場所にある。

マンションから出てきた住人の男性に話を聞かせてもらおうと思い、話しかけたが、「その事件ならここやけど、話すことはないで」と冷たくあしらわれた。マンションの他の住民たちにとって、あのおぞましい事件はもう思い出したくないことなのだろう。

最上階に暮らしていた美代子宅を見上げると、ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた。ただ、この強烈過ぎる事故物件に、他の誰かが再び暮らすことは無さそうに思われた。

最上階の左端がかつての美代子宅。ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた

◆ドラム缶の遺体があった貸し倉庫も不気味な雰囲気

このマンションからさらに徒歩で数分の場所には、もう1つの遺体発見場所である貸し倉庫があった。この倉庫は、公園のすぐそばにあったが、外壁は錆びたトタンと黒ずんだコンクリートで、いかにも不気味な雰囲気だ。

現場の1つである貸し倉庫。遺体がドラム缶にコンクリート詰めされた状態で見つかった

この倉庫では、警察に駆け込んだ女性の母親の遺体が、ドラム缶でコンクリート詰めにされた状態で見つかったと報じられたが、いかにもそういうことがありそうな場所に思われた。

街を歩いてわかったことだが、この界隈はトタンの建物が非常に多く、街全体が時代の流れから取り残されているような印象だった。この街で暮らす人たちには失礼な言い方だが、尼崎連続不審死事件はこういう街だからこそ起きた事件だったような気がしてならなかった。

▼片岡健(かたおか けん)
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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

埼玉愛犬家連続殺人事件といえば、90年代を代表する凶悪事件の1つだ。熊谷市を拠点に「アフリカケンネル」という屋号で犬猫の繁殖販売業を営んでいた関根元、風間博子の元夫婦が、犬の売買をめぐりトラブルになった客らを次々に殺害していたとされる。

関根は被害者たちに対し、犬の殺処分に使う劇薬を「栄養剤」と偽って飲ませており、この犯行手口により、暴力団幹部まで殺害していたという。

そんな事件の「内実」を世に広めたのは、志麻永幸という男だった。被害者たちの遺体の処分を手伝っていた「共犯者」である。

「ボディを透明にすればいい」

志麻が出所後、週刊新潮のインタビューで語ったところでは、関根はしばしばそう言っていたという。関根はその考えに基づき、被害者たちの遺体を包丁で細かく解体し、骨などは焼却したうえで灰を山や川に遺棄して徹底的に証拠隠滅しており、志麻はそれを手伝わされていたとのことだった。

志麻の告白は本になり、園子温監督がその本をモデルに映画「冷たい熱帯魚」を製作。この事件の残虐性や猟奇性は後年まで語り継がれることとなった。

主犯格とされる関根と風間は、2009年に最高裁で死刑確定。関根は2017年に東京拘置所で病死したが、風間は一貫して無実を訴え、現在も東京拘置所から再審(裁判のやり直し)を求め続けている。

◆愛想のいい「ゲンさん」

私がこの埼玉愛犬家連続殺人事件の関係現場を訪ねて回ったのは、2013年の夏だった。この時に印象深かったのは、関根や志麻が現場界隈の人たちに大変評判が良かったことだ。

熊谷市郊外にある「アフリカケンネル」の犬舎は、もう10数年も使用されずに放置され、ボロボロになっていたが、周辺にはまだ関根のことを知る女性が住んでいた。その女性は笑顔でこう振り返った。

「ゲンさんはいつも愛想のいい人だったんですよ。たまに犬舎の前で牛を一頭丸ごと包丁でさばいていて、問題になったことはありましたけど。犬のエサにするためだったみたいですね」

関根の犯行を知った今もなお、女性は関根のことを少しも悪く思っていないような話しぶりだった。マスコミ報道では、俳優の泉谷しげる似の武骨な風貌が印象的だった関根だが、普段はきっと、親しみやすいタイプだったのだろう。

ボロボロになっていたアフリカケンネルの犬舎

◆道で会えば挨拶してくる「志麻さん」

一方、志麻は、片品村という群馬県の山間部にある村で、旧国鉄から払い下げられた2両の廃貨車を住居にして暮らし、ブルドッグの繁殖販売をしていた人物だ。関根と志麻は、この家まで被害者の遺体を車で運んできて、風呂場で解体し、庭のドラム缶に入れて燃やしていたという。

この緑豊かな村にも志麻を知る人たちが暮らしていて、ある女性は懐かしそうにこう振り返った。

「志麻さんのお子さんは、うちの子と幼稚園が一緒だったんです。道で会えば挨拶してくる、明るい人で。だから、事件があった時は『え、あの志麻さんが!?』という感じだったんですよ」

この女性が口に手をあて、笑顔で話す様子からは、凶悪殺人に加担した志麻に対し、今も何ら恐怖感を抱いておらず、「保護者同士」という印象のままでいることが窺えた。

社会を震撼させた殺人事件の犯人たちも、普段はどこにでもいる「普通の人」。裏返せば、私たちの近所で暮らす普通の人たちの中にも、関根や志麻のような凶悪殺人事件の犯人が潜んでいても何らおかしくないのである。

志麻の家の跡地は畑になっていた

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。

その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。

と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。

というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。

奥本死刑囚の家があった場所。事件後、取り壊され、更地に。

◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・

私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。

奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。

殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。

一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。

私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。

奥本死刑囚が長男の遺体を埋めた資材置き場

▼片岡健(かたおか けん)
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