現在、日本の都市部では、街中の至るところに防犯カメラが設置されている。このような状態を「監視社会化が進んでいる」として、嫌う人は少なくない。

だが、私は正直、監視社会化が進む現在の状況をいちがいに否定できないでいる。過去に様々な殺人事件を取材してきた中、「もしも、あの場所に防犯カメラが設置されていれば、防げたのでは……」と思うような事件がいくつも存在したからだ。
ここで紹介する、16歳の少女が殺害された事件もその1つだ。

24時間営業の店が色々ある現場界隈。地下道は「死角」だったようだ

この非常ボタンは事件当時も存在したが、悲劇を防げなかった

◆事件から19年、犯人はいまだ捕まらず

事件は2000年1月20日、広島市の中心部からそう離れていない、西白島町で起きた。現場は、国道下を通る、地下道であった。

被害者の少女は、この日の深夜、タクシーで自宅近くまで帰り、コンビニで買い物をした後、帰宅しようと午前3時50分頃、地下道を利用したとみられている。そしてこの時、何者かに刃物で刺され、生命を奪われたのだ。

現場の地下道周辺は、少女が買い物をしたコンビニのほか、ファミレスやファーストフードショップが24時間営業している。そんな中、地下道はまさに「死角」になっていたようだ。

事件から今年1月で19年を迎えたが、犯人はいまだ捕まらず、未解決。広島県警はホームページで情報提供を呼びかけ続けている。

事件後、現場の地下道に設置された防犯カメラ

◆事件後、市は11の地下道に防犯カメラを設置

もっとも、そんな事件の現場を訪ねると、今は地下道の数カ所に、存在感のある防犯カメラが設置され、まさに通行人たちを睨みつけているような様相だ。そこで、広島市に問い合わせてみたところ、この事件が起きたのち、この地下道を含む市内の11の地下道に防犯カメラを設置したのだという。

そのおかげか、この事件が起きてから20年近くになるが、広島市内の地下道で新たに重大な事件が起きたという話は聞かない。それはすなわち、防犯カメラが市民の安全に寄与しているということだ。

そして裏返せば、この事件が起きた2000年1月の時点で、現場の地下道に今のように防犯カメラが設置されていれば、16歳の少女は生命を奪われずに済んだかもしれないということだ。

彼女が今も生きていれば、30代半ばという年齢だ。結婚し、子どもにも恵まれ、幸せな家庭を築いていたかもしれない。

殺人事件を色々取材していると、こういうケースにめぐりあうことは少なくない。だから、私は正直、監視社会化を否定できないでいる。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

人はいつ、殺人事件の被害者になってもおかしくない。殺人事件を取材していて、そんなふうに思うことがある。2008年に大阪で起きたDDハウス殺人事件の現場を訪ねた時もそうだった。

◆共用トイレに潜んでいた殺人犯

大阪でも屈指の歓楽街である梅田。その一角にある「DDハウス」は、飲食店のほか、ネットカフェやカラオケ、スポーツジムが入った商業ビルだ。この事件の現場は、その2階の共用トイレだった。

事件が起きたのは、2000年2月1日午後10時過ぎ。2階のショットバーで飲み会をしていた男女のグループのうち、30歳の男性会社員Aさんが店を出て、共用トイレに入った時だった。

「金出せ。早く出せ」

トイレに潜んでいた中年男が刃物を突きつけながら、金を出すように迫ってきたのだ。

Aさんがこれに応じなかったところ、中年男はAさんの胸に刃物を数回に渡り、突き立ててきた――。

Aさんはなんとか逃げ出し、飲み会をしていたショットバーまで戻った。しかし、店内で力尽き、亡くなったのだった。

梅田のDDハウス。事件は2階の共用トイレで起きた

◆犯人は死刑に

その1週間後、警察に出頭し、犯行を告白したのは、加賀山領治、当時58歳。事件の9年前に石川県の会社を辞めて以来、東京や神戸、大阪などで定職に就かず、元交際相手の女性や実母に金を無心して暮らしていたとされる。事件の日も家賃を払えないほど金に困り、酔客の多いDDハウスの共用トイレで、強盗をしようと潜んでいたという。

そこに運悪く現れたAさんが犠牲になったのだ。

実を言うと加賀山はこの8年前にも24歳の中国人女性Bさんを金目当てに深夜の路上で襲い、刺殺する事件を起こしていた。Aさん殺害の容疑で逮捕された際、Bさんの殺害現場に残されたDNAと加賀山のDNAの型が一致することが判明。こうしてBさん殺害の容疑でも逮捕された加賀山は、裁判では死刑判決を受け、2013年に63歳で死刑執行されたのだ。

◆現場トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

トイレの入り口上部には非常ランプ

私が現場のDDハウスを訪ねたのは、2016年の冬だった。2階は多くの飲食店が入っており、こんな安全そうな場所のトイレに殺人犯が潜んでいるとは想像しづらかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン、トイレ入口の上部には赤い非常ランプが設置されており、防犯意識の高さが窺えたが、これらはおそらく事件後に設けられたものだろう。飲み会中、トイレに行った際に突然刃物で刺されたAさんは、こんな場所で殺人犯により自分の生命が奪われるとは、夢にも思わなかったろう。

実を言うと、私は大阪に出張した際、このDDハウスの地下にあるネットカフェを利用することがある。それだけになおさら、この事件は他人事とは思えなかった。

トイレの手洗い場には防犯用の非常ボタン

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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殺人事件や性犯罪事件では、被害者への配慮から「原因究明」がおざなりにされがちだ。たとえば、強姦殺人事件の被害女性がミニスカートをはいていた場合、そのことに触れただけでも、「悪いのはミニスカートをはいていた被害者ではなく、犯人だ!」とヒステリックに騒ぎ立てる人も少なくない。

もちろん、悪いのはあくまで犯人だが、仮にミニスカートをはいている女性が強姦被害に遭いやすいという傾向が統計データに現れていたなら、それを公表しないのもまた問題だろう。犯罪被害の発生防止につながる情報を封印するに等しいからだ。

そんな考えの私は、殺人事件を取材する時、この事件はどうにかして回避できなかったかと常に考える。しかし、被害者側の立場からでは、回避しようがない事件もやはり少なくない。2008年に起きた江東区マンション神隠し事件がまさにそうだった。

◆「性奴隷」獲得目的の凶行

東京都江東区のマンションで暮らしていた女性会社員(当時23)が帰宅後、忽然と失踪したのは2008年4月のこと。女性宅の玄関には少量の血が残されていたが、防犯カメラに女性が外出した形跡がなく、「神隠し」事件として騒がれた。

現場マンション。被害女性らは918号室、犯人の男は2つ隣の916号室で暮らしていた

捜査の結果、殺人などの容疑で検挙されたのは、2つ隣の部屋に住む派遣社員の男(当時33)だった。男は「性奴隷」獲得目的で、女性を襲って自室に拉致。だが、警察の捜査が始まったため、犯行の発覚を恐れて女性の首を包丁で刺して殺害してしまったのだ。そして遺体は細かく切り刻み、トイレやゴミ捨て場に捨てて処分していた。

事件後、平然と取材に答えていた男の異常性も話題になったものである。

◆現場でわかる被害女性の「安全性重視」の物件選び

私がこの事件の現場を訪ねたのは、2015年の秋だった。被害女性と犯人の男が暮らしていたマンションは、JR潮見駅から徒歩で5分程度の場所だった。

駅からマンションに向かう道中、暗い場所やひとけのない場所など、物騒に思える場所はまったくない。女性が暮らしていたマンションも正面玄関にオートロックが備えられており、セキュリティは悪くなさそうだった。

現場マンションは正面玄関にオートロックが備えられている

一般的に女性は男性に比べ、部屋を借りる際には「綺麗さ」を重視する傾向があるため、家賃との兼ね合いで駅から遠い場所で暮らしているケースも少なくない。しかし、この事件の被害女性の場合、安全性を重視した物件選びをしていたように思われた。しかも、一緒に姉も暮らしていたというから、まさかこんな事件に遭うとは夢にも思わなかったろう。

被害女性とその姉は、事件の前月にこのマンションに引っ越してきたと報じられている。マスコミ報道を見る限り、犯人の男も見た目はどこにでもいそうな普通の人物だけに、「危険な人物」と見抜くことは不可能だったろう。

親御さんとしても、姉妹が一緒に暮らしていた状態には安心感があったはずだ。それにも関わらず、娘がこのような悲劇に遭ってしまった気持ちは、第三者が想像できる範囲を超えている。

最寄り駅からマンションまでの道もいかにも安全そう

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最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

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殺人事件の現場というのは、そうだと知らなければ、何の変哲もない場所や建物にしか見えない場合がほとんど。そんな中、いかにも殺人現場らしい不穏な雰囲気を漂わせていた場所もある。

たとえば、2011~2012年頃に話題になった尼崎連続変死事件の現場がそれである。

◆灰色にくすんだ街並み

事件の発覚は2011年の秋だった。主犯と言われる角田美代子(当時63)らに監禁されていた女性が警察に駆け込んだのをきっかけに、尼崎市の貸し倉庫から女性の母親の遺体が発見された。さらに翌年10月には、平屋建ての民家の床下から3遺体が見つかり、大量変死事件として騒がれた。

美代子は複数の家族と同居し、虐待や殺人を繰り返していたとみられ、死者・失踪者は10人を超すと伝えられる。逮捕された美代子が留置場で自殺し、事件の全容解明は困難になったが、共犯者らの裁判では、髪をバーナーで焼いたり、タバコの火を押しつけるなどの凄惨な犯行が明るみになっているという。

筆者がこのおぞましい事件の現場に足を運んだのは、2015年の初夏のことだ。最寄り駅の阪神電車・杭瀬駅に降り立ち、関係現場を訪ねて回った。そしてまず感じたのは、街並みが灰色にくすみ、いかにも怪事件の現場らしい雰囲気だということだ。こういうことは珍しい。

◆3遺体が見つかった民家は更地に

そして駅から歩くこと数分で、3人の遺体が発見された平屋建ての民家があった場所に到着した。が、問題の家はすでにない。家の建物は跡形もなく取り壊され、更地になっていたためだ。

3遺体が見つかった民家は取り壊され、更地に

ただ、隣家のトタンの外壁が何やら異様な雰囲気を醸し出している。ふと見ると、更地に衣装ケースが置かれているが、それもまた不気味に見える。フタをあけると、ゴルフシューズなどが詰め込まれていたが、なぜ、こんなに場所にこんな物が・・・・・・と不思議な思いにさせられた。

一方、ベランダに「監禁部屋」と呼ばれるプレハブ小屋があった美代子宅のマンションは、この更地から歩いて数分の場所にある。

マンションから出てきた住人の男性に話を聞かせてもらおうと思い、話しかけたが、「その事件ならここやけど、話すことはないで」と冷たくあしらわれた。マンションの他の住民たちにとって、あのおぞましい事件はもう思い出したくないことなのだろう。

最上階に暮らしていた美代子宅を見上げると、ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた。ただ、この強烈過ぎる事故物件に、他の誰かが再び暮らすことは無さそうに思われた。

最上階の左端がかつての美代子宅。ベランダの「監禁部屋」は撤去されていた

◆ドラム缶の遺体があった貸し倉庫も不気味な雰囲気

このマンションからさらに徒歩で数分の場所には、もう1つの遺体発見場所である貸し倉庫があった。この倉庫は、公園のすぐそばにあったが、外壁は錆びたトタンと黒ずんだコンクリートで、いかにも不気味な雰囲気だ。

現場の1つである貸し倉庫。遺体がドラム缶にコンクリート詰めされた状態で見つかった

この倉庫では、警察に駆け込んだ女性の母親の遺体が、ドラム缶でコンクリート詰めにされた状態で見つかったと報じられたが、いかにもそういうことがありそうな場所に思われた。

街を歩いてわかったことだが、この界隈はトタンの建物が非常に多く、街全体が時代の流れから取り残されているような印象だった。この街で暮らす人たちには失礼な言い方だが、尼崎連続不審死事件はこういう街だからこそ起きた事件だったような気がしてならなかった。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。新刊『平成監獄面会記 重大殺人犯7人と1人のリアル』(笠倉出版社)が発売中。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

衝撃月刊『紙の爆弾』4月号!

埼玉愛犬家連続殺人事件といえば、90年代を代表する凶悪事件の1つだ。熊谷市を拠点に「アフリカケンネル」という屋号で犬猫の繁殖販売業を営んでいた関根元、風間博子の元夫婦が、犬の売買をめぐりトラブルになった客らを次々に殺害していたとされる。

関根は被害者たちに対し、犬の殺処分に使う劇薬を「栄養剤」と偽って飲ませており、この犯行手口により、暴力団幹部まで殺害していたという。

そんな事件の「内実」を世に広めたのは、志麻永幸という男だった。被害者たちの遺体の処分を手伝っていた「共犯者」である。

「ボディを透明にすればいい」

志麻が出所後、週刊新潮のインタビューで語ったところでは、関根はしばしばそう言っていたという。関根はその考えに基づき、被害者たちの遺体を包丁で細かく解体し、骨などは焼却したうえで灰を山や川に遺棄して徹底的に証拠隠滅しており、志麻はそれを手伝わされていたとのことだった。

志麻の告白は本になり、園子温監督がその本をモデルに映画「冷たい熱帯魚」を製作。この事件の残虐性や猟奇性は後年まで語り継がれることとなった。

主犯格とされる関根と風間は、2009年に最高裁で死刑確定。関根は2017年に東京拘置所で病死したが、風間は一貫して無実を訴え、現在も東京拘置所から再審(裁判のやり直し)を求め続けている。

◆愛想のいい「ゲンさん」

私がこの埼玉愛犬家連続殺人事件の関係現場を訪ねて回ったのは、2013年の夏だった。この時に印象深かったのは、関根や志麻が現場界隈の人たちに大変評判が良かったことだ。

熊谷市郊外にある「アフリカケンネル」の犬舎は、もう10数年も使用されずに放置され、ボロボロになっていたが、周辺にはまだ関根のことを知る女性が住んでいた。その女性は笑顔でこう振り返った。

「ゲンさんはいつも愛想のいい人だったんですよ。たまに犬舎の前で牛を一頭丸ごと包丁でさばいていて、問題になったことはありましたけど。犬のエサにするためだったみたいですね」

関根の犯行を知った今もなお、女性は関根のことを少しも悪く思っていないような話しぶりだった。マスコミ報道では、俳優の泉谷しげる似の武骨な風貌が印象的だった関根だが、普段はきっと、親しみやすいタイプだったのだろう。

ボロボロになっていたアフリカケンネルの犬舎

◆道で会えば挨拶してくる「志麻さん」

一方、志麻は、片品村という群馬県の山間部にある村で、旧国鉄から払い下げられた2両の廃貨車を住居にして暮らし、ブルドッグの繁殖販売をしていた人物だ。関根と志麻は、この家まで被害者の遺体を車で運んできて、風呂場で解体し、庭のドラム缶に入れて燃やしていたという。

この緑豊かな村にも志麻を知る人たちが暮らしていて、ある女性は懐かしそうにこう振り返った。

「志麻さんのお子さんは、うちの子と幼稚園が一緒だったんです。道で会えば挨拶してくる、明るい人で。だから、事件があった時は『え、あの志麻さんが!?』という感じだったんですよ」

この女性が口に手をあて、笑顔で話す様子からは、凶悪殺人に加担した志麻に対し、今も何ら恐怖感を抱いておらず、「保護者同士」という印象のままでいることが窺えた。

社会を震撼させた殺人事件の犯人たちも、普段はどこにでもいる「普通の人」。裏返せば、私たちの近所で暮らす普通の人たちの中にも、関根や志麻のような凶悪殺人事件の犯人が潜んでいても何らおかしくないのである。

志麻の家の跡地は畑になっていた

▼片岡健(かたおか けん)
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福岡拘置所に収容されている奥本章寛死刑囚(30)は、22歳だった2010年の3月1日の明け方、宮崎市の自宅で寝ていた妻(当時24)と長男(同生後5カ月)、同居していた義母(同50)を相次いで殺害した。

その殺害方法は、妻と義母はハンマーで撲殺、長男は水を張った浴槽に入れ、溺死させるという惨たらしいものだった。さらに奥本死刑囚は犯行後、当時勤務していた土木関係の会社の資材置き場まで長男の遺体を運び、土中に埋めていた。

と、このように犯行の概略だけを書くと、冷酷きわまりない殺人犯だったようだが、奥本死刑囚の裁判の過程では、多数の支援者が「死刑の回避」を求め、助命活動を繰り広げる異例の展開になっていた。私の知る限り、冤罪のケースを除けば、今も奥本死刑囚は最も支援者が多い死刑囚である。

というのも、被害者のネガティブな情報を書くのは気が引けるが、奥本死刑囚の義母は厳しい性格の人で、普段から奥本死刑囚に対し、何かときつい言動をとっていたという。奥本死刑囚はそのために精神的に疲弊し、視野狭窄、意識狭窄の状態に陥った。ひいては、冷静な思考ができなくなり、今の生活を逃れるため、妻や長男と共に義母を殺害するという、とんでもない行動に出てしまったのである。

奥本死刑囚の家があった場所。事件後、取り壊され、更地に。

◆長男を土中に埋めた資材置き場は自宅のすぐ近くに・・・

私がこの奥本死刑囚の家を訪ねたのは、2014年の秋のこと。宮崎市郊外の花ケ島という町の閑静な一角に、その平屋建ての一軒家はあったはずなのだが・・・。

奥本死刑囚たちが長男の誕生を機に移り住んだというその家は、建物が無くなっており、跡地は更地になっていた。3人の生命が奪われる事件現場になったため、大家が取り壊してしまったのだろう。

殺人事件の現場は、アパートやマンションなら「事故物件」として残り、格安で借りられるようになるが、借家の一軒家の場合、取り壊されることが少なくない。とはいえ、家族で幸せになるために借りた家が、このような結末をたどるとはあまりにも悲劇的である。

一方、奥本死刑囚が長男の遺体を土中に埋めた会社の資材置き場は、家があった場所から、歩いてものの数分だった。冷静に考えれば、こんな近場に長男の遺体を埋め、証拠隠滅に成功するはずはない。それは裏返せば、犯行時の奥本死刑囚は正常な思考ができない状態だったということだろう。

私は現場を訪ね歩き、切ない思いにとらわれて宮崎をあとにした。

奥本死刑囚が長男の遺体を埋めた資材置き場

▼片岡健(かたおか けん)
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社会を騒がせた殺人事件の現場を訪ねると、事件から何年も経っているのに、惨劇をしのばせる形跡を目の当たりにすることが少なくない。2000年代初めに社会を震撼させる大量児童殺傷事件が起きた、大教大付属池田小学校(以下、大教大池田小)を訪ねた時もそうだった。

大教大付属池田小学校旧正門を入ったところにある「祈りと誓いの塔」。追悼式典では現役の生徒が鐘を鳴らす

学校の外壁には鉄線が張り巡らされている

◆児童8人が刺殺された

「死刑になりたかった」

犯人の男が凶行に及んだのは、そんな身勝手な動機からだった。2001年6月8日の朝、大阪府池田市の無職、宅間守(当時37)は、自宅マンションの近くにある大教大池田小に侵入し、出刃包丁で次々に児童8人を刺殺。他にも児童13人と教員2人を刺して傷害を負わせた。

現行犯逮捕された宅間は、大阪地裁であった裁判でも「幼稚園ならもっと殺せた」と言い放つなど不遜な態度に終始。2003年8月に死刑判決を宣告されると、弁護人が大阪高裁に行った控訴を自ら取り下げ、死刑を確定させた。そして翌年9月、死刑の確定から1年に満たない異例の早さで、死刑を執行されたのだった。

◆外壁には鉄線、侵入者を威嚇するような防犯カメラ

校内に設置された防犯カメラ

私がそんな大事件の現場となった大教大池田小を初めて訪ねたのは、2015年6月7日のこと。その翌日は事件から14年の追悼式典が開かれるということで、旧正門を入ったところには、「祈りと誓いの塔」というモニュメントの周囲に参列者用のテントが張られ、パイプ椅子が並べられていた。

そんな大教大池田小で、私が目を奪われたのは、小学校らしからぬ厳重な防犯体制だった。学校の外壁は、部外者の侵入を困難にするために鉄線が張り巡らされ、校内にも侵入しようとする者を威嚇するかのように防犯カメラが設置されていたのである。

小学校というと、休日でも校門が開けられているような無防備なところも少なくない。しかし、この大教大池田小では、何年経っても学校関係者たちがあのような惨劇を2度と起こしてはならないという強い思いを持ち続けているのだろう。

今年の6月で、事件から17年。大教大池田小は今も毎月8日を「学校安全の日」と定め、避難訓練を実施するなどしているという。


◎[参考動画]クローズアップ現代+【傷ついても、きっと歩きだせる~附属池田小事件 15年目】6月8日 2011年度日本記者クラブ賞受賞(rudolph gunnel 2016年9月17日公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

ドラマや小説の殺人事件では、犯人は綿密な計画に基づき、完全犯罪を目指すのがお決まりだ。しかし、現実の殺人事件では、ああいう犯人はあまりいない。むしろ犯人は冷静さを欠いた状態で、無計画に犯行に及んでいる事件が圧倒的に多数なのが現実だ。

私が近年取材した中では、堺市資産家連続殺人事件の西口宗宏(57)がそうだった。

◆非道な犯行内容と裏腹に弱々しい雰囲気の犯人

「パンジョ」の駐車場

西口は2011年11月、堺市のショッピングセンター「パンジョ」の駐車場で、同市の歯科医夫人(当時67)を車に監禁し、河内長野市まで連れ去った。そして現金約31万円やキャッシュカードなどを奪うと、顔にラップを巻いて息ができないようにして殺害。死体は山林でドラム缶に入れて焼却した。

さらに西口は同年12月、知人である象印マホービン元副社長の男性(当時84)の堺市の自宅に押し入り、「騒いだら殺すぞ」と脅したうえで、両手足を結束バンドで拘束。現金約80万円やクレジットカードなどを奪ったうえで、またしても顔にラップを巻き、窒息死させた。

こうして犯行のあらましを見ただけでも、とんでもない凶悪事件であることは間違いない。西口はそれ以前にも保険金目的で自宅に放火した罪で服役しており、この連続殺人事件を起こしたのは出所後まもない時期だった。それゆえに、見るからに狂暴そうな人物を思い描いた人も少なくないはずだ。

だが、事件後ほどなく検挙され、死刑判決を受けた西口と大阪拘置所で面会してみると、実際の西口は小柄で、弱々しい雰囲気の人物だった。事件を起こした動機を聞いてみると、当時同居していた交際相手の女性に「仕事が決まった」と嘘をついてしまい、なんとかお金を得ないといけないと思いつめた末、強盗殺人をするほかないと決意するに至ったという。

◆現場が物語る、犯人の冷静さを欠いた心理状態

犯行現場の駐車場にはこういう防犯カメラがあちらこちらに設置されていた

その程度の事情で、なぜ2人もあんな酷い方法で殺さないといけなかったのか……と思った私だが、第1の犯行現場である「パンジョ」の駐車場を訪ねてみると、西口が当時、冷静な心理状態でなかったことだけはよくわかった。

というのも、その駐車場はあちらこちらに防犯カメラが設置されており、冷静な心理状態なら、こんな場所で犯行に及ぶはずがないことは疑いようがなかったからである。実際、西口が捜査線上に浮かんだ理由の1つが、この駐車場で様々な女性の後をつけている様子が防犯カメラにとらえられていたことだった。

私が「あんなに防犯カメラの多い場所で、あんなことをしたら、すぐに捕まると思わなかったんですか?」と尋ねると、西口は「当時はもう、そういうことを考える余裕はなかったんです……」と申し訳なさそうに言った。

当時の西口の心理を正確に解明するのは難しい。しかし、あんな残酷な殺害方法で生命を奪われた被害者やその遺族たちの無念さは筆舌に尽くしがたいものがある。

西口が駐車場で様々な女性の後をつけていたあたり。天井の防犯カメラにその様子が写っていた

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊紙の爆弾10月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

凄惨な殺人事件の現場を訪ねてみると、事件発生から長い年月が経っているのに、周辺の人たちがいつまでも心に生々しい傷を抱き続けていることがよくある。

18年前に栃木県宇都宮市の繁華街「オリオン通り」の宝石店で起きた放火殺人事件もその1つ。私が現場の宝石店跡地を訪ねたのは、事件から16年近くが過ぎた頃のことだったが、近くで小売業を営む人に当時の話を聞こうとしたところ、「何も話すことはないです」と強く拒絶された。

それは、この事件の世上稀に見る残酷さを物語っているように思われた。

惨劇が起きた宝石店があったオリオン通り

◆手足を拘束した6人をガソリンで焼殺

事件が起きたのは2000年6月のこと。犯人の男S(当時49)は金に困って強盗を企て、馴染みの宝石店に約1億4000万円相当の商品を用意させて来店した。そして宝石を奪い、店長ら女性従業員6人を殺害するのだが、恐るべきはその手口だった。

Sはまず、被害者6人の手足を粘着テープで拘束し、休憩室に押し込めた。そしてガソリンをまくと、ライターで火を放ったのである。

店舗は全焼。焼き殺された6人の遺体は性別の区別もつかない無残な状態だったという。

現場の宝石店があった場所はずっと空き店舗のまま

◆宇都宮に舞い降りた妖精

そんな現場周辺では、なかなか当時の話を聞かせてくれる人はいなかったが、現在も空き店舗のままの建物のシャッターに、切ない思いにさせられた。被害者たちを悼むように、妖精の絵が描かれていたからだ。

「文星アートプロデュース部」という署名があり、絵のタイトルは「宇都宮に舞い降りた妖精」と書かれていた。店舗として借りたいという人は現れないままでも、こうした絵が描いてあれば、地元の人も多少は気持ちが和むだろう。

犯人のSは、裁判で「殺す気はなかった」と主張したが、2007年に最高裁で死刑確定。2010年に東京拘置所で死刑執行された。

シャッターに描かれた「宇都宮の妖精」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の耳目を集めた重大事件の現場を訪ねると、「こんな何の変哲もない場所で、あんな大事件が起きたのか……」という思いにとらわれることが少なくない。約19年前、東京都文京区の音羽幼稚園で起きた女児殺害事件もその1つだ。

もっとも、殺人の現場となった「公衆トイレ」は現在、取り壊れており、その跡地はうら寂しい雰囲気となっている。

現場の公衆トイレの跡地

◆公衆トイレで引き起こされた惨劇

音羽幼稚園で、母親と一緒に園児の兄を迎えに来た2歳の女児が失踪したのは1999年11月22日のことだった。母親が一瞬目を話したすきに、女児は忽然と姿を消したのだ。

そして3日後、この女児失踪事件は衝撃的な展開をたどる。失踪した次女を殺害したとして警察に1人の女が自首するのだが、それは音羽幼稚園に長男を通わせている別の母親だったのだ。

「被害者の女の子のことは幼稚園の敷地内の公衆トイレに連れ込み、首を絞めて殺しました。遺体は静岡の実家の庭に埋めました」

犯行をそう自供したYは、被害女児の母親とは顔見知りだった。

動機は当初、子供のお受験のことで生じた嫉妬であるように報道されたが、実際はそうではなかった。のちにYの裁判で明らかになったところでは、Yは被害女児の母親に病的な悪意を抱き、「女児を殺せば、母親と会わないで済む」という異常な心理で犯行に及んだとされる。

護国寺と入口は同じ音羽幼稚園

◆同じ敷地内の別の公衆トイレに感じられる防犯意識の高さ

同じ敷地内の護国寺の公衆トイレは警報装置を完備

私がこの現場を訪ねたのは2016年3月のこと。母親の一瞬のすきをつき、女児を公衆トイレに連れ込み、殺害するという犯行がどのようにして可能になったのかを自分の目で確認してみたく思ったのだ。

しかし、その公衆トイレは取り壊されていた。殺人事件の現場となった建物は取り壊されることがよくあるが、この事件の現場になった公衆トイレもやはり、園児や父兄の心情に配慮し、幼稚園側が取り壊したのだろう。

そのため、詳細な犯行状況はイメージしづらかったが、公衆トイレは幼稚園の建物のすぐそばにあったようで、加害者のYはごくわずかなすきをつき、犯行を実行したことはわかった。

同じ敷地にある護国寺の公衆トイレは、警報装置が備えつけられており、防犯意識の高さを感じさせられた。悲惨な事件を2度と繰り返すまいとする関係者たちの思いからの措置だろう。

ちなみに加害者のYは2002年に裁判で懲役14年が確定している。何も問題起こさずに服役生活を送っていれば、すでに刑期を満了し、社会復帰しているはずだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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