4月13日昼。心配された雨予報は外れた。来県する梶山弘志経産大臣に直接、海洋放出反対を伝えようと福島県庁前には多くの人が集まっていた。そこに浪江町からやって来た吉沢正巳さん(希望の牧場・ふくしま)の街宣車「カウゴジラ」も加わり、普段は静かな庁舎前は熱気に包まれていた。時折、雲の間から太陽が顔をのぞかせた。この時、よもや内堀知事が梶山大臣に何も意見を述べなかったとは、誰も考えていなかった。

そもそも、なぜ反対の声があがっているのか。いわき市小名浜で11日に緊急スタンディングを行った「これ以上海を汚すな!市民会議」共同代表の佐藤和良さん(いわき市議)は、「決定過程」、「実害」、「陸上保管の可能性」の面から次のように語っている。

「汚染水の海洋放出方針は閣議決定しないんです。閣議決定すれば大きな意味を持ちますが、閣議決定しないで原子力災害対策本部の下部組織である『廃炉・汚染水関係閣僚等会議』で基本方針を決定して、それを東電に実施させようという事なのです。これは一見、当たり前のように見えて実は無責任きわまりない決定の手法です。政府のどこが責任をとるのか分からないような、そういう決め方というのはいかがなものか。責任ある政治ではありません」

「彼ら(国や東電)が言う『風評被害』。しかし『風評』では無いんですね。『実害』がずっと続いている、『実害の連続』なんですよ。それで、必要があったら賠償しますよと。これは、事故以降続いている被災者切り捨てそのものではないでしょうか。絶対に認めるわけにはいきません」

「(汚染水を溜める)タンクを置く場所が無いと言いますが、あります。燃料デブリの保管庫を5、6号機の陸側につくるというんです。あの空間だけでも相当数のタンクを保管出来る。それと、そもそも汚染水が発生しているのは水冷しているからですよね。水冷しないで空冷に転換するのはいつなんだ。実際には崩壊熱は相当下がっていますから。空冷に転換すれば汚染水自体は発生しなくなるわけです。タンク貯蔵を続けていっても可能だという事です」

4月13日昼、梶山経産大臣に直接、海洋放出反対を伝えようと福島県庁前には多くの市民が集まった。陸上保管継続を訴えたが、政府も内堀知事も耳を貸さなかった

一方、福島県の内堀雅雄知事は県議会の答弁で、何度も「トリチウムに関する正確な情報発信」という言葉を使っている。まるで海洋放出を後押ししてきたかのようだ。

昨年6月議会では「トリチウムを含む処理水の取扱いにつきましては、4月に関係者の御意見を伺う場が開催され、その取り扱い方針を決めるに当たり、具体的な風評対策の提示とトリチウムに関する正確な情報発信に国及び東京電力が責任を持って取り組むよう意見を申し上げてまいりました」と延べ、9月議会でも「私は、これまで国及び東京電力において、具体的な風評対策の提示とトリチウムに関する正確な情報発信に責任を持って取り組むとともに………求めてまいりました」と答弁。12月議会でも「トリチウムを含む処理水の取扱いにつきましては、これまでも機会を捉え正確な情報発信に取り組むとともに………国と東京電力に求めてまいりました」

では、トリチウムだけが問題なのだろうか。昨年2月には、当時の県危機管理部長が汚染水について「燃料デブリを冷却するために注入した水が放射性物質に汚染され、この水と建屋に流入する雨水や地下水が混ざることにより発生」と定義したうえで、次のように答弁している。

「タンクには放射性物質を含む汚染水を多核種除去設備で浄化した、いわゆる『ALPS処理水』が約94%、多核種除去設備で浄化する前のいわゆる『ストロンチウム処理水』が約6%の割合で貯蔵されております。『ALPS処理水』はトリチウムを除く62種類の放射性物質の濃度を低減した処理水のことであり、約111万トンが貯蔵されております。多核種除去設備でトリチウムを除く放射性物質を告示濃度未満まで低減することが可能とされております」

「『ストロンチウム処理水』はセシウム吸着装置等でセシウムやストロンチウムの濃度を低減した処理水のことであり、約7万トンが貯蔵されております。『ALPS処理水』に残存する放射性物質につきましては、コバルト60、ストロンチウム90、セシウム134などのいわゆる主要7核種などがあり、告示濃度を超える処理水の貯蔵量は約78万トンとされております」

これについて、福島大学共生システム理工学類の柴崎直明教授(地下水盆管理学・水文地質学・応用地質学)は、12日夜に福島駅前で行われた「DAPPE」(Democracy Action to Protect Peace and Equality=平和と平等を守る民主主義アクション)の緊急街宣に参加し、「トリチウムトリチウムと言われますが、タンクの中にはトリチウム以外にもALPSで除去し切れていない放射性物質がまだたくさん残っています」と警鐘を鳴らしている。

「ALPS(多核種除去設備)では62核種を除去できると言っていますが、これまでの東電の評価ではそのうちの主要7核種だけを測って、他は推定して放出出来る濃度を下回っているかを判断しています。ところが昨年、いくつかのタンクのサンプルを細かく測ったところ、ALPSでは除去出来ない核種も含まれている事が判明しました。海に流すと言うのなら、きちんと測るべきです。福島県の『原子力発電所の廃炉に関する安全監視協議会』専門委員を2013年から務めていますが、今もってどのような技術的方法で薄めて流すのかという説明は全くありません。非常に心配になります」

海洋放出容認派の多くが、トリチウムだけを取り上げ「国内外の他の原発からも日常的に海に放出されている」と口にする。だが、前述の佐藤さんは次のように反論する。

「IAEA体制、ICRP体制の下で原発推進側がやっている事であって、世界の原発がやっているから安全が担保されているかと言えばそうではない。過酷事故を経験した福島こそ一番安全な原子力防護策をとるべきではないか。それが私たち被災者の義務だと思います」

内堀知事との面談の後、福島県庁内の廊下で「大臣、海洋放出に反対する市民の声は聞こえませんでしたか?」と声をかけた。梶山大臣はにらむようにこちらを一瞥しただけで何も答えなかった。そして、反対の声をあげる市民を避けるように、次の目的地である浜通り(双葉町、大熊町、福島県漁連)に向かった。(つづく)

 

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

検索エンジンYahoo Japanには掲載された記事によるが、読者がコメントを書き込むことができる機能がある。わたしはこれまで、このような場所にコメントを書き込む行為は、みずからの発信行為に反するので控えてきた。

だけれども「東京五輪」や「原発」についてコメントしたら、どのような反応が返ってくるのか。そのことを試すために、あえていくつかの書き込みを試みた。そのスクリーンショットが以下の通りである。

やや見にくいので解説をすると、Yahoo Japanが掲載した記事の見出しとそれ対してわたしが書き込んだコメントを順番に並べた。返信とあるのはわたしのコメントに対しての返信の数で、わたしのコメントを肯定した数(「いいね」とも呼ばれるらしい)とわたしのコメントに対して否定的な方が意思表示した数が表示されている。

16日の本通信で「東京五輪に対する世論の変化」を体感的なものとしてだけ記した。けれども、わたしの体感は実態から大きく外れてはいなかったことが、数字で証明された(数字は4月16日、なおコメントはすでに消去した)。

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筆者が書き込んだコメント

ここに示したものは、わたしが書き込んだすべてのコメントではない。特徴的なものだけを抽出していることを、あらかじめ申し上げておく。それにしても総論「五輪開催反対」あるいは「聖火リレーのバカらしさ」をときに感情的に、別の記事には冷静に書き込んだコメントいずれにも、肯定の意を示して下さる方の数が圧倒的である。

わたし自身がもっとも驚いたのは、朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」と記す)が、賢明にも「東京五輪」不参加を決めた記事へコメントへの肯定者数である。通常、朝鮮について記事を書くと、記事の内容にかかわらず、脊髄反応のように否定的な反応や批判が返ってくる。わたしはプロフィールにメールアドレスを明かしているので「非国民」といったメールが届くことも、珍しくはない。

しかし、極めて恣意的に小泉政権時代から植え付けられた「朝鮮アレルギー」をも凌駕して、「東京五輪開催反対」の世論は急激に形成されている。週末に行われる共同通信の世論調査は、かねてより政権与党に甘い設問で埋め尽くされ、政治以外の質問も回答には限られた選択肢しか用意さない。社会調査法の基礎を学んだ人に見せれば、まったく客観性を欠く恣意的な調査である。しかし、その恣意的な調査であっても「五輪反対」の割合が増すことはあれ、減ることはない。

それが、コロナ禍という不幸な理由であったにせよ、五輪の本質が暴かれ、広く認知された事実は注目に値するだろう。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]五輪・原発・コロナ社会の背理

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

昨秋の正式決定先送りから半年。ついに「汚染水の海洋放出」が政府の基本方針として正式決定された。今月13日昼過ぎ、決定を伝えるべく梶山弘志経産大臣が福島県庁を訪れた。部屋を埋め尽くした取材者の関心はただ一つ。正式決定を伝えられた内堀雅雄知事が何を語るのか。これまで自らの言葉で賛否を明確にして来なかった内堀知事も、さすがに経産大臣の前では(たとえそれがポーズであったとしても)海洋放出に少しでも否定的な言葉を述べると思われた。だがしかし、内堀知事は思いもよらぬ言葉を発して取材陣を驚かせた。

「この処理水の問題は、福島県の復興にとって重く、また困難な課題であります。県としてこの基本方針について今後精査を行い、改めて福島県としての意見を述べさせていただきます」

時間にしてわずか30秒。会談もわずか6分で終了した。感染症対策のため距離を空けて相対した内堀知事は、梶山大臣が官僚の用意したペーパーを棒読みするのをひたすら聴くだけだった。原発事故発生から10年が過ぎ、県内の漁業者だけでなく国内外からも反対の声があがっている「汚染水の海洋放出」はこうして、首長が言葉を発しないという形で〝容認〟を示し、2年後の放出開始に向かって大きく動き出したのだった。

福島県庁を訪れ、汚染水の海洋放出方針決定を伝えた梶山経産大臣(右)。内堀知事は何も意見を語らぬまま、事実上容認した

内堀知事は日頃から、意見が鋭く対立するような懸案に対する自身の考えを口にしない。汚染水問題でも、業を煮やした県政記者クラブがどれだけ質しても、のらりくらりの内堀話法は健在だった。

「海洋放出にかなり傾いているという報道もありますが、海洋放出とされた場合、2021年4月の本格操業は可能だと思われますか」

「仮定の話にお答えする段階にはないと思います」(2020年10月12日)

「先日、政府の決定後には見解を述べたいと知事は話しておりました。それは今も変わりありませんか」

「現時点においては、そういった状況にはないと思いますが、国から何らかの対応方針が示されれば、それに対する県としての意見は申し上げてまいります」(2020年10月19日)

「県は、これまで処理水の処分方法については賛否を示しておりませんが、その情報が十分に伝わって風評対策が整えば、処分を容認するというお考えでしょうか」

「現時点において、仮定の前提に対してお答えをする段階にはないと考えております」(2020年11月2日)

地元紙が号外を出した後に行われた今月12日の定例会見で、河北新報記者から「知事は以前から『方針決定がされた後に県として言うべき事を言う』とご説明されてきましたが、その点はお変わりありませんでしょうか」と問われても、「現在まだ国として最終的な方針が出ているわけではありません。今後の国の動向を注視して参ります」とかわしたほどだった。

海洋放出方針決定報道を受けて、既に郡山駅前やいわき市小名浜での抗議行動が始まっていた。県内の7割の市町村議会からは、昨秋の段階で海洋放出に否定的な内容の意見書が国に出されている。それら県民の想いをふまえた言動をするどころか、完全に無視する知事。今月13日午前には、市民団体「これ以上海を汚すな!市民会議」が海洋放出方針を県として拒否する事などを申し入れたが、席上、水藤周三さん(福島市在住)は業を煮やしたようにこう訴えた。

「内堀知事はこれまで、『政府の方針決定後に意見を述べる』、『処理水の処分については、まだ具体的に言及する段階には無い』などと記者会見等で述べ続けてきました。しかし今、時は来ました。今こそ県民に寄り添った意見、『海洋放出は容認出来ない』という意見を明確に述べるべきだと思います。これ以上、意見表明の先延ばしは許されません」

海洋放出を拒むよう福島県に申し入れた「これ以上海を汚すな!市民会議」。水藤周三さんは「今こそ県民に寄り添った意見を国に伝えるべき」と語ったが、内堀知事には届かなかった

郡山市議の蛇石郁子さんも「内堀知事自らがしっかりと発言していただきたいと思います。それが県知事の役割です。当然の事です。私たちの想いをきちんと国に伝える。そういう知事の姿を見せていただきたいと思います」と語気を強めた。

だが、そこは県職員も〝わきまえて〟いる。要請書を受け取った原子力安全対策課の加藤英治副課長は「本日、海洋放出の方針が決定されたという事はマスコミを通じて承知をしておりますけれども、まだ国の方から説明を受けておりませんので『詳細については不明』という事になっております。今後、正式な申込書を確認したうえで、今後の取り組み、対応について検討していきたいと思います」と述べるにとどめた。

三春町から駆け付けた大河原さきさんは、誰もが抱いている疑問をストレートにぶつけた。

「内堀知事が海洋放出に反対の立場をはっきりと示さないのはなぜなのでしょうか?」

加藤副課長は答えられない。答えられるはずが無い。15秒ほどの沈黙が続いた後、力無い声で「海洋放出は国の責任において決定するものだというふうに考えております」と答えるのが精一杯だった。そんな言葉で納得出来ない大河原さん。こみあげる怒りを必死に抑えるように、涙声で想いをぶつけた。

「国の方針を聴いてからでしか答えられないというのは、国の方だけを向いているからではないですか。市町村議会の7割が否定的なのに、なぜ県知事はそれに応えないのでしょうか。(処分方針を)早く決めろという意見はあったけれども、海に流して良いという意見はひとつもありませんでした。この場に知事に来てもらって、県民の意見を聴いてもらいたいんです。梶山大臣とだけ会うのでは無くて、知事が会わなくてはいけないのは県民なんですよ。きちんと意見を聴くべきですよ。本当に怒っています。県民の方を向かない知事でとても哀しいです。県民は怒っているという事を内堀知事に伝えてください。次の世代に対して本当に申し訳が立たない。2年後に流すと政府は言っていますが、県も県民と一緒になって動いて欲しいと思います」

加藤副課長は黙ったままだった。梶山経産大臣が到着する時刻が迫っていた。(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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去る4月8日は、1986年に自ら命を絶ったアイドル歌手・岡田有希子さん(享年18)の35回目の命日だったため、それに関連した報道が散見された。気になったのは、その中にやや正確性を欠いた報道があったことだ。

それは、ある大手メディアが岡田さんの遺書について、「遺族に渡され、中身は明かされていない」と書いていた記事だ。実際には、遺族は「ある本」で岡田さんの遺書の主要部分を明かしているのだが、意外に知られていないようなので、この機会に紹介しておきたい。

◆遺書に確かに書かれていた「あの年上の俳優」への恋心

その本は、1988年に朝日出版社から発行された『岡田有希子 愛をください』(企画・編集/ウルトラ企画)。岡田さんの生前の写真や、岡田さん本人が遺した日記や詩、絵画などを多数収録し、岡田さんが生きた証の数々を一冊に詰め込んだような本だ。

1988年に発行された『岡田有希子 愛をください』(発行元=朝日出版社/企画・編集=ウルトラ企画)

岡田さんは学力が飛び抜けて高かったことは有名だが、この本に収録された文章や絵画を見ると、文化的な才能も秀でていたことがわかる。そして本では、岡田さんの母・佐藤孝子さんが生前の岡田さんを振り返った長文の手記を寄せており、岡田さんの遺書の主要部分はその冒頭で次のように明かされている(以下、〈〉内は『岡田有希子 愛をください』より引用。すべて原文ママ)。

〈佳代(引用者注・岡田さんの本名は佐藤佳代)の遺書――今でも、あれを遺書と言っていいのかどうか私にはわかりませんが――その中に峰岸徹さんの名前はたしかに書かれていました。

峰岸さんが好きだった、と〉

岡田さんが自ら命を絶った原因としては、死の前年に放送された主演ドラマ『禁じられたマリコ』で共演した俳優・峰岸徹さんの存在が当初から取り沙汰されていた。20歳以上も年上の峰岸さんに思いを寄せ、失恋したために命を絶ったという説だ。そのために峰岸さんは当時、記者会見を開き、沈痛な面持ちで自分に責任があるかのように語ったものだった。

つまり、孝子さんは遺書の中身を明かすことにより、その説が本当であることを打ち明けているわけだ。

◆母親が遺書の中身を明かした意図

では、孝子さんはなぜ、そんなことをしたのか。手記を読み進めると、その意図が見えてくる。

〈峰岸さんとのことについては、女性週刊誌、テレビなどであれこれ取沙汰され、そのたび私は峰岸さんに対して申し訳なく、またお気の毒でなりませんでした。

峰岸さんと佳代の間に子どもができ、すでに妊娠何カ月で、佳代はそのことを苦にして自殺したというような噂まで書きたてたところもありました。

全く根も葉もない話です。こんなことまで書きたくはないのですが、佳代は死ぬ十日程前に、生理用品を買っていたのです。妊娠などということは、だから絶対にあり得ないことなのです〉

娘に先立たれて悲しみにくれる中、娘が死を選んだ原因とされる峰岸さんのことまで気遣えるのは凄いことだと思う。それはともかく、この記述を読めば、孝子さんが遺書の中身を明かした意図は明白だろう。岡田さんに関する酷い報道に反論し、本当のことを伝えたかったのだ。

◆いまだにネット上で流布する「あの有名な怪情報」

岡田さんが死を選んだ原因については、有名な怪情報がある。「本当に恋心を寄せていた相手は、事務所の先輩・松田聖子の夫である神田正輝であり、峰岸徹はダミーだった」という説だ。峰岸さんは2008年に65歳で亡くなったが、いまだにその「峰岸ダミー・神田本命説」はネット上で流布し続けている。それも、岡田さんの遺書の中身が明かされたこの本の存在が意外と知られていないためだろう。

この本は、岡田さんが死を選んだ真相のみならず、今もその夭折が惜しまれる伝説の女性アイドルの素顔もうかがい知れる貴重な一冊だ。すでに絶版となり、古書は高額化しているが、公立図書館では蔵書しているところもあるので、関心のある方には一読をお勧めしたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

学部生の卒論に匹敵する、A4判28ページにもおよぶ長大な文書をもって、母親の借金問題を釈明(解説)した小室圭氏。つぎの一手は「解決金」をもって、借金問題の根本的な解決をダメ押しするものだった。これに対して、元婚約者が反論を明らかにした。もはや泥沼である。

 

『週刊現代』4月24日号のスクープ記事を転載する「現代ビジネス」(2021年4月16日配信)

このかんの言動をもとに、法律論的な道筋から、双方の言い分を整理していこう。
元婚約者は当初、婚約中の金銭の授受であるから「返してもらうつもりはなかった」としていた。将来は家計をひとつにする予定なのだから、これには合理性がある。
だが、婚約が解消されたときに、結婚という前提がなくなったのだから、小室家がわに返済の義務が発生する。そのことに気づいた元婚約者は、小室佳代氏に返済をもとめたのである。これまた、至極当然の法的要求といわなければならない。
なぜならば、婚約解消がみずから言い出したこととはいえ、もともとは「貸していただけないか」「返済の意思はある」と、小室家が借金であることを認めていた金銭だからである。

いっぽう、小室家においては「一方的な婚約解消」であり、当初は「返済を断わられた」のも事実である。婚約を解消されたことで、心身に傷を負ったというのも、当然の言い分である。

したがって、双方の言い分は民事訴訟での調停をうけることで、和解交渉として決着するしかない。いわば「相当な理由のある」主張なのだ。

そこで紛争の解決のために、小室家がわから出されたのが「解決金」ということになる。この「解決」にあたっては、元婚約者がわに「守秘義務」などの条件が課せられると推察される。

よってもって、事件は解決して小室圭氏は母親の借金問題(その大部分は自らの学業資金)から解放され、晴れて眞子内親王との婚儀への道をひらいたのである。たとい皇籍を離脱しても、眞子内親王が令和天皇の姪であり、秋篠宮文仁親王の実の娘、悠仁親王の実の姉であることに変わりはない。すなわち小室圭氏は、皇室皇族の親族となるのだ。

◆傷ついた元婚約者のプライド

ところが、小室家がわの「解決金」の提示を予期していたかのように、元婚約者がわが「週刊現代」で反撃に出た。28頁の文書で、一方的に悪者にされたことに傷ついたとして、全面的な反論を展開したのである。

上記の内容を補完するものとして、借金は小室佳代氏の申し出であったこと。その理由が小室圭氏の学費に充てるためのものと、申し出があったこと。借金の返済についても、婚約者ではなくなったのだから要求したこと。その婚約解消の理由が、ほかならぬ小室佳代氏からの金銭要求にあったこと。

そして極めつけは、かりに「解決金」が提示されたとしても、受け取るつもりはないと断言したのである。もはや借金の返済云々ではなく、プライドの問題だというのだ。金銭による解決を拒否する。このことは未来永劫にわたって、小室家が「借りた金を返さなかった母子」になることを意味している。

元婚約者の「小室圭さんは眞子さまと結婚する前に、やるべきことがあるのではないか」は、圭氏の文書の撤回および全面的な謝罪を求めているのだといえよう。
このことはまた、小室圭氏は虚偽文書をもって、世間をあざむいた。もはや眞子内親王の伴侶には、とうていふさわしくないという印象を国民の前に晒すことにほかならない。

◆民事紛争に介入したプリンセス

ところで、健康で健全な「太陽の王子」から、ある意味で「周到な策士」へと成り下がった小室圭氏。紀子妃に面談をせまった小室佳代氏の「不敬」に批判がおよぶと思われていたところ、世論のリードは思いがけない方向に進んでいる。眞子内親王への批判である。いわく「一線を越えてしまった」というのだ(週刊文春ほか)。

ここにあるのは神聖な皇族、天皇制に聖域をのぞむマスメディア、あるいは清浄な皇室アイドル化をのぞむ国民の意識がさせるものにほかならない。

眞子内親王が小室家と結託して借金問題の解決をはかり、むしろ積極的に民事介入することで「皇族の体面を汚した」というのである。これが現在、キャンペーンされている「一線をこえた眞子内親王」なのだ。

過去にも大正天皇の「奇行」、貞明皇后の「認知症」(祈念式典などで、昭和天皇と一緒に前に歩み出せない)、皇后時代の美智子上皇后へのバッシング、あるいは雅子妃への「人格攻撃」、秋篠宮家の教育問題という具合に、皇室・皇族はマスメディアの興味本位な批判に晒されてきた。芸能人のスキャンダルを暴き、賞味するがごとき暴露記事の横溢。

その裏側には「天皇制の理想」があり、皇室の伝統から逸脱するふるまいは、ことごとく批判するというアイドル化の裏返しの偶像化があった。宮内庁内部の守旧派によるリーク、天皇制護持派による公然たる天皇批判などなど。

いままさに眞子内親王は、旧体制を突き破って自由恋愛をつらぬくがゆえに、猛烈なバッシングに遭おうとしているのだ。ここにこそ、われわれは天皇制崩壊のきざしを見ないわけにはいかない。

おそらく今秋にはどのような形であれ、眞子内親王と小室圭氏の婚儀は成就するのであろう。世紀の大恋愛となった場合に、どこまで皇室の在り方を掘り崩すのか。それは戦後天皇制に課せられた、理想的なシンボルの崩壊の序曲になるのは間違いない。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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沢村忠氏追悼テンカウントゴングの後、黙祷を捧げる選手と役員関係者

接近すれば重森陽太の、えぐるようなヒザ蹴りがヒット

勝次は昨年の3試合は全て判定負けから復活のKO勝利。喜びの表情も久しぶり。

もう一人のメインイベンター重森陽太は、沖縄の格闘技イベント「TENKAICHI」を主戦場とするリュウイチを蹴りの威力で優って判定勝利し、エース格の存在感を示した。

新日本キックボクシング協会主力メンバーのリカルド・ブラボと高橋亨汰は、ニュージャパンキックボクシング連盟からの刺客を退けた。

3月26日に亡くなられた沢村忠さんを偲び、伊原信一代表は役員の他、“仲間”と言える他団体の関係者をリングに招き、追悼テンカウントゴングが打ち鳴らされた後、黙祷が捧げられました。

◎TITANS NEOS.28 / 4月11日(日)後楽園ホール 18:00~20:47
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

◆第11試合 64.0㎏契約 3回戦

WKBA世界スーパーライト級チャンピオン.勝次(藤本/1987.3.1兵庫県出身/64.0kg)
     vs
J-NETWORKライト級チャンピオン.小磯哲史(TESSAI/1974.8.8神奈川県出身/63.7kg)
勝者:勝次 / KO 2R 1:46 / 3ノックダウン
主審:椎名利一

小磯がパンチを振り回してくる距離では勝次に危なさを感じるが、相手をしっかり見て深追いしない勝次の的確差で優る攻めで主導権を握り、第1ラウンド終盤には右ストレートでノックダウンを奪う。第2ラウンドも勝次の勢い付いた蹴りからパンチの猛攻で3度のノックダウンを奪ってKO勝利。

打ち合いは怖いが、勝次は強気で攻める

蹴りからパンチで小磯哲史を圧倒した勝次

◆第10試合 62.5㎏契約 3回戦

WKBA世界ライト級チャンピオン.重森陽太(伊原稲城/1995年6月11日生/62.2kg)
     vs
TENKAICHIスーパーライト級チャンピオン.リュウイチ(無所属/62.35kg)
勝者:重森陽太 / 判定3-0
主審:桜井一秀
副審:椎名30-29. 岡田30-28. 少白竜30-27

重森の鋭く重い蹴りは健在。脇腹に何度もヒットさせ、主導権を奪った流れが続く。

第2ラウンドにはローキックをヒットし始めた重森。第3ラウンドには距離が縮まり、ヒザ蹴りのヒットが増す圧倒が続き、パンチ得意のリュウイチに隙を与えず、内容的には圧倒の判定勝利。

重森陽太の鋭い蹴りが何度もリュウイチにヒットした

◆第9試合 70.0㎏契約 3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン出身/69.8kg)
     vs
イエティ達朗(前・WBC・M日本スーパーウェルター級C/キング/69.7kg)
勝者:リカルド・ブラボ / TKO 1R 2:45 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮沢誠

両者はローキックでけん制からパンチの距離で強打を打ちこむ展開から次第にリカルド・ブラボのヒットが優り、ラウンド終盤にコーナーに詰めたリカルド・ブラボがパンチ連打でイエティ達朗を仕留めた。立ち上がろうとするイエティ達朗はロープを掴みながら立ち上がろうとするもレフェリーがカウント中にストップをかけた。

慎重な出だしもリカルド・ブラボが自信を持ったパンチでイエティに攻め勝った

◆第8試合 61.0kg契約 3回戦

日本ライト級チャンピオン.髙橋亨汰(伊原/60.85kg)
     vs
WBCムエタイ日本スーパーフェザー級チャンピオン.山浦俊一(新興ムエタイ/60.9kg)
勝者:高橋亨汰 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:岡田30-28. 宮沢30-28. 桜井30-29

蹴りでの様子見から序盤は勢いあった山浦だったが、髙橋が自分の距離を掴むと、ミドルキックが攻勢を保っていく。山浦のパンチは高橋の距離に殺され巻き返しに至らず、高橋亨汰が判定勝利。

高橋亨汰は距離感を掴んで的確なヒットを続けて勝利を導く

◆第7試合 バンタム級 3回戦

泰史(元・日本フライ級C/伊原/53.5kg)
     vs
松岡宏宜(前・KOSスーパーフライ級C/闘神塾/53.1kg)
勝者:泰史 / 判定2-0
主審:椎名利一
副審:岡田29-29. 宮沢30-29. 少白竜29-28

好戦的に出る松岡に対抗する泰史。最後まで打ち合いに応じた泰史がややヒットで優ったか、採点はドローに近い僅差の判定勝利。

松岡宏宜との接戦を制した泰史、蹴りは効果的だった

久々のホームリングで勝利者ポーズの重森陽太

◆第6試合 58.0kg契約 3回戦

瀬川琉(伊原稲城/57.8kg)vs 水本伸(矢場町BASE/57.65kg)
勝者:瀬川琉 / 判定3-0
主審:桜井一秀
副審:椎名30-28. 宮沢29-28. 少白竜29-28

◆第5試合 女子 52.0㎏契約 3回戦(2分制)

アリス(伊原/50.85kg)vs 武内紗耶香(BLOOM/51.05kg)
勝者:武内紗耶香 / 判定0-2
主審:岡田敦子
副審:椎名29-29. 桜井28-30. 少白竜28-30
「激レアさんを連れてきた」にも出演したファッションモデルでもあるアリスは、悔しい判定負け。

◆第4試合 フェザー級 3回戦

平塚一郎(トーエル/57.0kg)vs 仁琉丸(富山ウルブズスクワット/56.3kg)
勝者:平塚一郎 / TKO 2R 0:25 / 主審:宮沢誠
ヒジ打ちによる額のカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ

◆第3試合 フェザー級 3回戦

木下竜輔(伊原/56.05kg)vs 湯本和真(トイカツ/56.6kg)
勝者:木下竜輔 / 判定3-0 (29-26. 29-26. 29-26)

◆第2試合 女子 スーパーバンタム級 3回戦(2分制)

七美(真樹・オキナワ/55.1kg)vs 田中美宇(TESSSI/55.3kg)
勝者:七美 / 判定3-0 (30-28. 30-27. 30-27)

ICレコーダー向けたらファイティングポーズに構えられてカメラに切り替え、笑顔のポーズは勝次

◆第1試合 女子 50.0㎏契約 3回戦(2分制)

オンドラム(伊原/49.85kg)vs 栞夏(トーエル/49.7kg)
勝者:オンドラム / 判定3-0 (30-27. 30-27. 30-28)

《取材戦記》

1年4ヶ月ぶりの勝利を得た勝次。藤本ジム閉鎖後、伊原ジムを練習の場として1年を超え、練習の変化にようやく身体が慣れてきたというその成果が出た結果。小磯は46歳のベテランだが、勝次が勝って当たり前の結果も、まずは復活勝利を褒め称えたいところ、これからの展望は未定だが、過去に敗れた相手への雪辱戦や他団体チャンピオン、レベル高い相手とのWKBA防衛戦が想定される険しい戦いが続く。真空飛びヒザ蹴りの継承者を名乗る者として、まだまだ飛ばなければならない。

重森陽太は離れてのミドルキック、接近してのヒザ蹴りが鋭く攻勢を保ったが、KOに結び付けるには5回戦で戦わせたい展開だった。判定でもKOでも長丁場の攻防を見たいものである。

先月亡くなられた沢村忠氏の追悼テンカウントゴングと黙祷に登壇された方々。沢村さんの活躍があったからこそ現在の我々が居る。そんな想いを感じるリング上の面々の表情でした。昭和52年10月10日に沢村さんの引退式が行われたこの後楽園ホール。当時と今回、どちらにも来場されていた人は居るだろうか、とはマニアックな想像だが、伊原さんだけかなとは思うところです。

次回の新日本キックボクシング協会興行は、6月6日(日)後楽園ホールに於いて「MAGNUM.53」が開催されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

昭和20年8月15日、日本は連合国のポツダム宣言を受諾して終戦に至る。だが、少なくとも前年の7月(サイパン陥落)には、敗戦は誰の目にも明らかだった。とりわけ最新の戦況(戦果は過大だったが、詳細な損害報告)を伝えられ、戦略観にも卓越したものがあった昭和天皇において、講和交渉を始める必要を理解していたはずだ。

 

にもかかわらず、天皇をして「もうひとつ、戦果を挙げてから」(近衛上奏への回答)などと逡巡させたのは、国体護持(天皇制の維持)の可否であった。

開戦当初のような戦果を挙げて、対等とは言えないまでも、アメリカがこれ以上の出血を回避したくなる戦況が欲しかったのだ。そうでなければ、天皇制を維持できないと考えていたのである。天皇制を護持するためには、自身の退位も厭わない覚悟だったという。

◆終戦で浮上した退位論

昭和天皇は敗戦後の8月29日に、内大臣木戸幸一に退位の内意をあらわしている。
「戦争責任者を連合軍に引渡すは真に苦痛にして忍び難きところなるが、自分が一人引受けて退位でもして納める訳には行かないだろうかとの思召しあり」(木戸幸一日記)

この昭和天皇退位論は、じつは戦中からあったものだ。天皇側近のなかから、とりわけ伝統的な公卿のあいだで検討がなされていた。

細川護貞(近衛内閣の総理秘書官)の日記によれば、昭和19年の3月に、戦局の悪化をうけて細川と近衛文麿が話し合ったことが明らかになっている。その内容は敗戦後の国体問題、すなわち天皇制を維持するために、天皇が戦争の責任をとって退位し、新たな天皇を立てるという意味である。そのさい、昭和天皇の処遇はどうなるのか。この時点では、上皇になるとも何とも具体的な構想がなされた様子はない。

退位という処断のもつ重さに、ふたりは戸惑いながら話し合ったものと思われる。明治大帝いらい、皇位は一世一元(詔勅)であり、退位はありえない。細川の日記に「恐れ多いこと」とある如く、天皇の進退は禁忌に属することがらだった。

「最悪の事態については、今日から相当研究して置かねばならぬ問題であるが、恐れ多いこと乍(なが)ら、御退位の如きは、我国の歴史には度々あるのであり」(上掲の細川日記)。

そして、その近衛は20年1月に、京都の別邸に岡田啓介と米内光政(ともに海軍出身で、元総理大臣)、仁和寺の門跡岡本慈航をまねいた。このときは、無条件降伏の場合には、昭和天皇が出家して仁和寺に入る、という構想であった。

退位して出家すれば、連合国も戦争責任を問わないだろうというものだ。まるで武家騒乱の時代の、出家による禊(みそぎ)。仏門に入った者は責任を問われない。というものを想起させる天皇出家である。この退位構想が信任の厚い近衛から天皇の耳に入ったのは、おそらく間違いないであろう。

そして、いよいよ敗戦が決まった。

いっぽう、アメリカの三省調整委員会(国務省・陸軍省・海軍省)では、天皇を戦争犯罪人として戦争裁判に訴追させるべきという議論が支配的だった。唯一、日米開戦時の駐日大使だったJ.C.グルーが「天皇は平和主義者で、戦後日本の混乱を回避するためには、天皇の温存が得策である」との見解を、国務省内で展開していた。戦争犯罪裁判への天皇裕仁の訴追は、まだ微妙な段階だったのである。

中国では天皇制廃止論が主流だったが、蒋介石は日本国民の判断にまかせるべし。イギリスは立憲君主制(天皇制)の存続を認める方針だったが、天皇の戦争犯罪には言及していない。ソ連は昭和天皇の戦争責任を問い質す方針だった。いっさいは、占領軍として主導権を握るアメリカにゆだねられた。

そこで、ひろく知られているのが、昭和天皇のマッカーサー連合軍最高司令官との面会である。

 

◆マッカーサーとの会談

天皇とマッカーサーの面会・対談は、11回におよんでいる。その席上、天皇が「わたしの身はどうなってもいい」と、戦争責任を一身に引き受ける発言をして、マッカーサーを感動させたという話が伝わっている。

扶桑社の教科書は、会見の中身をこう記している。

「終戦直後、天皇と初めて会見したマッカーサーは、天皇が命乞いをするためにやって来たと思った。ところが、天皇の口から語られた言葉は、『私は、国民が戦争遂行にあたって行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁決にゆだねるためお訪ねした』というものだった」と。

さらに、「私は大きい感動にゆすぶられた。(中略)この勇気に満ちた態度は、私の骨のズイまでもゆり動かした」という『マッカーサー回想記』の有名な一文も載せている。

だが、このマッカーサーの「感動」は、自分と天皇の会見を美化したものではないかと、現代史の研究者から史料批判されてきた。

◆真偽が錯綜する記録

その発端は、児島襄が公表した「『マッカーサー』元帥トノ御会見録」(『文藝春秋』昭和50年11月号)である。9月27日の会見に同席した通訳官奥村勝蔵が記したという「御会見録」には、マッカーサーが伝えたような天皇の発言はなかったのだ。

また平成14年10月に外務省は第1回天皇・マッカーサー会見の「公式記録」を公開したが、児島氏が公表した「御会見録」とほぼ同一の内容である。したがって公的には、天皇発言はなかったことになる。

「会見録」によると、マッカーサーが20分ほど「相当力強き語調」で雄弁をふるった後、昭和天皇は「この戦争については、自分としては極力これを避けたい考でありましたが、戦争となる結果を見ましたことは、自分の最も遺憾とする所であります」と述べている。

要するに、戦争への反省と自己弁護である。マッカーサーが伝えた戦争の「全責任を負う」との天皇発言は出てこない。つまり日本側の公的記録によっては、マッカーサーの発言は裏付けられない結果となったのである。

いっぽうで、日本側にも天皇とマッカーサーの発言を裏付ける記録はある。奥村メモを天皇に届けた藤田侍従長が記した「回想録」である。

職掌上、奥村メモに目を通した同侍従長は、昭和36年10月、当時の記憶に基づき、陛下のご発言の内容を公表した。

問題のメモについて、同侍従長は「宮内省の用箋に5枚ほどあったと思う」と述べ、天皇は次の意味のことをマッカーサーに話したとしている。

「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追及されているが、責任はすべて私にある。文武百官は、私の任命する所だから、彼等には責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」

この天皇発言に続けて、藤田侍従長は「一身を捨てて国民に殉ずるお覚悟を披瀝になると、この天真の流露はマ元帥を強く感動させたようだ」と自分の感想を書き、つぎのようなマッカーサーの発言を記している。

「かつて、戦い敗れた国の元首で、このような言葉を述べられたことは、世界の歴史にも前例のないことと思う。私は陛下に感謝申したい。占領軍の進駐が事なく終ったのも、日本軍の復員が順調に進行しているのも、これ総て陛下のお力添えである。これからの占領政策の遂行にも、陛下のお力を乞わねばならぬことは多い。どうか、よろしくお願い致したい」(『侍従長の回想』)

これで天皇の戦争責任発言は、歴史のなかに復活したのである。ではなぜ、公的に否定された天皇発言が「じつはあった」となったのか。

◆削除されていた発言とマッカーサーの天皇制擁護

その後、平成14年8月5日付の「朝日新聞」は、この推測を傍証する文書を紹介する。奥村の後任通訳を務めた元外交官松井明が記した「天皇の通訳」と題する文書である。その文書で松井はこう記している。

「天皇が一切の戦争責任を一身に負われる旨の発言は、通訳に当られた奥村氏に依れば余りの重大さを顧慮し記録から削除したが、マ元帥が滔々と戦争哲学を語った直後に述べられたとのことである」

松井は奥村からの話としての伝聞である。それはおそらく松井が通訳に任官する昭和24年以降のことであろう。

昭和20年当時は、天皇制をめぐって米国務省内では議論が続いていた。

昭和20年10月22日の三省調整委員会では、マッカーサーに対し天皇に戦争責任があるかどうか証拠を収集せよ、との電報が発信されている。これに対してマッカーサーは翌21年1月25日、アイゼンハワー陸軍参謀総長に次のような回答の手紙を送ったという。

「過去10年間、天皇は日本の政治決断に大きく関与した明白な証拠となるものはなかった。天皇は日本国民を統合する象徴である。天皇制を破壊すれば日本も崩壊する。……(もし天皇を裁けば)行政は停止し、ゲリラ戦が各地で起こり共産主義の組織的活動が生まれる。これには100万人の軍隊と数10万人の行政官と戦時補給体制が必要である」(高橋紘『象徴天皇』)。

天皇の戦争責任発言があったのかどうかは、上記の史料から推論するしかない。少なくとも認められるのは、天皇がGHQの占領政策に協力すること、マッカーサーに敬意を表して(モーニング姿)、恭順の意を表したことであろう。そしてマッカーサーはそれに「感動」し、天皇制を存続させるべきと本国に報告したのである。これが日本がアメリカに「永続敗戦」する戦後の国体となったのだ。

アメリカ政府の判断で天皇訴追が見送られたころ、昭和天皇は側近にこう語っている。明仁に譲位するにしても、摂政を立てなければならない。秩父宮は病状があり、高松宮には戦歴があってGHQがみとめないだろう。三笠宮は若すぎる、というものだ。

戦犯訴追を免れたことで退位する気がなくなったのである。しかし国民のあいだには、天皇の政治責任を追及する声は少なくなかった。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

◆多数派になった「東京五輪反対」世論と権力の背離

2013年9月7日のブエノスアイレスで、長州の大法螺吹き安倍晋三が嘘八百の召致演説を行い、不幸にも決定してしまった「東京五輪」──。「福島復興五輪」だの、「レガシー作り」だの、空疎で犯罪的ですらある虚飾で固めた「東京五輪」開催に、わたしは招致決定直後から、その欺瞞と犯罪性について、極めて強い言葉で批判と開催反対の意を明らかにしてきた。


◎[参考動画]安倍晋三総理大臣プレゼンテーション IOC総会(2013年9月8日)


◎[参考動画]原発処理水の海洋放出を決定(2021年4月14日)

本通信だけではなく、鹿砦社の発刊する日本唯一の反原発季刊誌『NO NUKES voice』などでも、機会があれば「東京五輪反対」を書き続けてきた。統計を取ったわけでもなく、調査を行ってもいないけれども、原発に反対するひとびとの多くは、わたし同様に「東京五輪反対」に同意してくだっさる傾向にあったが、それ以外の皆さんは積極的であったかどうかはともかく、さして強い反対の意向を「東京五輪」」には持っておられなったように感じる。

本コラムでわたしの偏った原稿を読んでくださる読者の皆さんのなかにも、強硬な「東京五輪反対派」はそれほど多くの割合を占めはしなかったのではないかと思う。しかしこの1年で世論は激変した。大手新聞、テレビが煮え切らない態度でコロナの蔓延や、幾度もやってくる感染の波を伝えならが、「東京五輪まであと100日」と報道する姿勢たいして、新聞はただでも減っている部数をさらに減らし、テレビを視聴する人の平均年齢は、ますます上がる。

そして価値基準において絶対に両立しえない「コロナ対策」と「五輪開催」を同じ番組の中で扱うことに慣れた番組構成は、高齢者にすら飽きられてしまう。


◎[参考動画]IOC委員長は開催断言も世論調査7割以上が否定的(2021年4月14日)

◆ワクチン未接種者が多数の国で強行される「東京五輪」

どういう理由かワクチン接種率はイスラエルとモーリシャスが他国を引き離して高い。ワクチン接種が開始されてからこの傾向は一度も変化を見せておらず、日本の接種率は100位前後を行ったり来たりしている。

ワクチン接種については様々な観点から有効性に疑問があるので、わたしは読者の皆さんに積極医的な接種をすすめるものではない。でも、日本政府は数か月前に何と言っていただろう。「7月までには全国民の接種を終える」、「五輪までにワクチンは間に合う」こう語っていたのはよその国の閣僚ではない。それがどうだ。現在でも毎日新しくワクチン接種を受けている人の数は多くても1日あたり2万人を上回わらない。

このままのペースであれば、7月までに接種を希望する全国民にワクチンを行き渡らせることは、完全に無理だ。つまり「東京五輪」を強行するならばワクチン未接種者が多数の国で五輪を開くことになる。

こういうバカげた状態をさすがに、多数の国民は望みはしない。「宴会自粛」や「リモート講義」で家や下宿に閉じ込められた若者たちは、いまひそかに怒りはじめている。

「僕は通信教育を受けるために、大学受験の勉強をしたわけじゃないです」

都内の有名私立大学に昨春入学した若い知人は、昨年1コマしか対面講義はなかったそうだ。その1コマだけの対面講義も、感染者が出てリモートに切り替わった。なんのために下宿をしているのか。疫病が原因とはいえ、若い友人が怒りを感じるのは、無理なかろう。そんな東京で「五輪」を開こうとしている愚か者たちに、若い知人の怒りは向けられているのだ。

日々の感染者が1000人を超えて「医療崩壊」を医師会が宣言した大阪では4月13、14の両日、万博公園で観客を入れずに「聖火リレー」がおこなわれた。この際大阪府のスポーツ振興課員(常時13~14名在籍)は全員万博公園に出向いていたそうだ。維新・吉村府政は、しきりにコロナ対策に力を入れているようにふるまうが、「聖火リレー」における対応を見れば、その本質は推して知るべしである。

美しいほどに馬鹿げて、それでいて人の命を奪う背理が目の前で繰り広げられている。(つづく)


◎[参考動画]ワクチン接種後に60代女性が死亡 因果関係は?(2021年4月14日)

◎[カテゴリー・リンク]五輪・原発・コロナ社会の背理

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

前回、昭和天皇が近衛文麿の「講和促進の上奏文」を肯んぜず、「もう一度敵をたたき、日本に有利な条件を作ってから」と応えたことを記した。

 

じつはこのあと「戦果を挙げてでないと、なかなか話は難しいと思う」とある。

つまり、アメリカと対等とまではいかないが、講和交渉に応じざるを得ない戦局をつくらなければ、相手も応じないであろう。という戦略家としての判断だったことになる。

だが、前回指摘したとおり、天皇はある種のギャンブル症候群に陥っていたのではないか。いや、少なくとも個々の敗北を検証する観察眼を失っていた。大本営の幕僚たちもまた展望を描けないまま、精神論に陥っていたというべきであろう。精神論の物質的な象徴こそ、神風特別攻撃隊であった。天皇はこれにショックを受けながらも「よくやった」と称揚した。

 

山本五十六

戦前、近衛文麿に「是非やれと言われれば初めの半年や1年の間は随分暴れてご覧に入れる。しかしながら、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と語り、外交交渉の継続を「三国条約が出来たのは致方ないが、かくなりし上は日米戦争を回避する様極極力御努力願ひたい」としていた山本五十六のような人物は、もはや海軍にも陸軍にもなかった。

「国大なりといえども戦好まば必ず滅ぶ 国安らかなりといえども戦忘れなば必ず危うし」(山本五十六)をもって瞑すべし。

◆なぜ「聖断」は遅れたのか

マリアナ海戦の敗北とサイパン失陥後、茫然自失になっていた昭和天皇は、台湾沖航空戦のまぼろしの「戦果」に浮かれ、ふたたび「皇国の興廃」をかけたレイテ海戦によって意気消沈する。にもかかわらず、もう「一度戦果を挙げたい」というのだ。

近衛は奏上の直後、天皇が「(陸海軍は」台湾に敵を誘導し得ればたたき得ると言っているし、その上で外交手段に訴えてもいいと思う」と語ったのを細川護貞に伝えている。

だが、アメリカ軍を台湾に誘導するには、台湾に強力な勢力がなければ応じるはずがない。すでに台湾には航空兵力はなく、敵の空爆に手をこまねいているしかなかった。台湾だけではない。たとえばニューブリテン島の海軍の拠点・ラバウルにも1年は籠城できる準備はあったが、航空兵力をうしない戦略的な意味もなくなった拠点を、アメリカ軍が攻撃する義理はなかった。

 

アメリカ軍がつぎの攻略目的にしたのは、日本の本国(沖縄)であった。大本営も本土決戦の準備のために時間稼ぎ、およびアメリカに出血を強いる「決戦」としてこれを位置づけた。生還を期さない神風特別攻撃隊が3900人にもおよぶ犠牲を出したのも、全軍が戦死・県民の4人に1人が犠牲(20万)になる沖縄戦の渦中であった。

いっぽう、本土も主要都市が焦土と化していた。昭和20年の3月10日には東京大空襲で10万人の死者がでている。そのころ、天皇はどういう生活をしていたのだろうか。

吹上にある御文庫と呼ばれる防空施設に、昭和天皇は起居していた。10トン爆弾にも耐えられるという鉄とコンクリートに覆われた場所で、皇室はその身の安全を護られていた。もっとも、アメリカ軍は占領時の必要を考慮して、のちに進駐軍の本部となる第一生命ビルほか、国会議事堂など主要な施設、皇居にも爆弾を落とすことはなかった。

 

◆沖縄戦での戦争指導

台湾ではなく沖縄が「決戦の地」になったことで、昭和天皇の「戦意」が衰えたわけではなかった。

「沖縄戦が不利になれば、陸海軍は国民の信頼を失い、今後の戦局に憂うべきものが出てくる。現地軍はなぜ攻勢に出ないのか、兵力が足らないのであれば逆上陸をやってはどうか?」と陸軍に督励している。

もともと、本土決戦の時間稼ぎとして持久戦をもとめられ、作戦は現地軍(第32軍)にまかされていた。だが、天皇の督促を電令された第32軍は、あたら中途半端な攻勢に出ることで、戦力を消耗してしまうのだった。

海軍に対しても、天皇は作戦を指導している。航空総攻撃の上奏のときに「航空部隊だけの総攻撃か?」と下問があり、それへの対応として、戦艦大和以下の水上特攻が準備されたのだ。

◆陛下に強いられた特攻

元来、特攻作戦は「志願制」であった。部隊長が「志願したい者」と隊員たちに告げ、それに全員が応じることで、形の上では「特攻隊に志願」という体裁がとられていた。

 

弾薬庫に火がまわり、爆沈する戦艦大和

しかし、戦艦大和の場合は軍令部による「命令」となった。沖縄で国民が犠牲になっているのに、大和は生き残っているのか。と、詰め腹を切らされたのである。天皇の下問がその契機になったのは、いうまでもない。宇垣纏海軍中将は、その日記『戦藻録』に、その悲惨な無駄死にを「軍令部総長奏上の際、航空部隊だけの総攻撃なるやの御下問に対し、海軍全兵力を使用いたすと奉答でるにある」と記している。

戦艦大和の沈没(4月7日)、沖縄戦の敗北(6月23日)で、あとは本土決戦を待つのみとなった。そのかん、ドイツの降伏とムソリーニ処刑が4月30日に天皇に報告され、日本単独での戦争継続は不可能との奏上(東郷重徳外相)を受けている。このとき天皇は「早期終戦を希望する」と返答している(『実録』)。

木戸内大臣によると「従来は、全面的武装解除と責任者の処罰は絶対に譲れぬ。それをやるようなら最後迄戦うとの御言葉で、武装解除をやれば蘇聯(ソ連)が出てくるとの御意見であった」(『高木海軍少将覚え書』)。これはまだ、沖縄戦が渦中にあった時期のことだ。

◆混迷する和平の模索

木戸内府をはじめとする宮中首脳、海軍首脳の終戦派などのあいだで、ようやく天皇による「聖断」の準備が考慮されはじめていた。本土決戦で行けるところまでいき、あるタイミング(もう戦争は無理?)で天皇の聖断を仰ぐというものだ。

陸軍の主流派は本土決戦を合言葉に、国民もまた「一億玉砕」の空気だった。すでにラジオで「海ゆかば」が流れるときは「玉砕」の訃報、軍艦行進曲が流れるときは「戦果」がまがりなりにも報じられる国民生活である。もっぱら「玉砕」という言葉が、国民の将来を覆っていた。

3000機とも4000機ともいわれる残存航空部隊と海上特攻兵器など、陸軍および海軍の戦争継続派は、本土決戦の準備にこれつとめている。

天皇は「本土決戦準備」の現状を知りたくても、参謀総長の上奏がないので心配し、侍従武官の大半を九十九里方面に派遣して視察させている。その結果、軍部が言うほどの準備があるわけではないと、認識を深めていた(「実録」)。

いっぽう、最高戦争指導会議ではソ連を仲介とする和平工作が検討されていた。東郷外相の委嘱をうけた広田弘毅元首相が6月3日から、マリク駐日ソ連大使との会談を開始する。

このほか、中国人繆斌(みょうひん)を通じて、重慶の国民政府との和平交渉のルートを探ろうとした繆斌工作。45年4月シベリア経由で帰国した駐日スウェーデン公使バッゲを通じて、連合国側に和平条件の探りを入れようとしたバッゲ工作。スイス駐在海軍武官藤村義朗中佐らがアメリカの情報謀略機関のアレン・ダレスとの接触を図ったダレス工作などが終戦工作としてあげられるが、いずれも日本政府が正式に取り上げたものではなく、何の成果もあげなかった。

◆けっきょく、原子爆弾がすべてを決めた

これに対して、マリク大使との交渉は正規のものである。広田・マリク対談についで、佐藤尚武駐ソ大使にソ連側との交渉を命じたことから、日ソ両国の正式の交渉となった。

ソ連側からの質問に「和平の斡旋依頼だ」と答えて、近衛文麿を天皇の特派使節として派遣しようとした。しかるにソ連は回答を引き延ばし、交渉はなんら具体化しなかった。周知のとおり、1945年2月のヤルタ会談で、米英に対して対日参戦を約束していたのである。

7月には天皇も戦争継続をあきらめていたが、上記の日ソ交渉に期待がかかり、ポツダム宣言は無視した。そのかん、空襲による国民の犠牲はつづいた。

そして8月6日、人類史を画する蛮行が行なわれる。広島への原爆投下である。さらにソ連が参戦した9日、長崎にも原爆が投下される。ここに至って、ようやく政府首脳(鈴木貫太郎政権)は「聖断」を天皇に請う。

日清・日露・第一次大戦のように軍部だけで戦い、その延長に講和を展望する昭和天皇の戦争指導は、戦略・戦術の全面的な破綻ののちに、ついに国家の壊滅をもって終局したのである。敗戦ではなく、それは大日本帝国の崩壊だった。

それではなぜ、解体した国家の主権者たる天皇が戦争犯罪に問われず、戦後を生き延びたのであろうか。われわれの疑問は尽きない。(つづく)

◎[カテゴリー・リンク]天皇制はどこからやって来たのか

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

安倍晋三までの62人を全網羅!! 総理大臣を知れば日本がわかる!!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

4月1日から商品やサービスについて、消費税込みの価格を示す「総額表示」が義務化されたが、案の定な展開になっている。昨年秋頃、ツイッター上で「#出版物の総額表示義務化に反対します」というハッシュタグをつけるなどして騒いでいた人たちがいつのまにか、どこかに消えてしまっているのだ。

彼らは当時、「出版物が総額表示を義務化されると、消費税率変更の際にカバーの刷り直しや付け替えを余儀なくされ、少部数の本が絶版になったり、小さな出版社が潰れたりする恐れがある」などと危機感をあおっていたはずだ。しかし、いつのまにかフェイドアウトしてしまったのは、実際はそこまで心配する必要のない話だと気づいたからだろう。

一体、いつまでこういうことを繰り返すのだろう……と私は正直、げんなりせずにいられない。過去にも同じような例をたびたび目にしてきたからだ。

日本書籍出版協会と日本雑誌協会はHPで出版物の総額表示に関するガイドラインを発表した

◆思い出される「ぼったくり防止条例」や「裁判員制度」が始まる時の騒動

たとえば、思い出されるのが、2000年に東京都が全国で初めて、性風俗店や飲み屋でのぼったくり防止条例を施行した時だ。これは当時、新宿・歌舞伎町などで酷いぼったくり事件が相次ぎ、社会問題になっていたのをうけて作られた条例だった。

この条例が施行される前、メディアでは「有識者」たちが条例の不備を色々指摘し、「こんな抜け穴だらけのザル法では、悪質なぼったくり業者は取り締まれない」と読者や視聴者を不安に陥れるようなことを言っていたものだった。

だが、実際に条例が施行されると、新宿、池袋、渋谷、上野という規制対象地域の路上からは、風俗店や飲み屋の客引きが一斉に姿を消した。条例ができた効果により、ぼったくり業者が激減したわけである。私は当時、歌舞伎町のぼったくり業者にそうなった事情を取材したが、彼はこう説明してくれた。

「条例に不備があろうが、ザル法だろうが、そんなのは関係ない。ああいう条例ができたということは、お上が『これからはぼったくり業者を厳しく取り締まる』という意思表示をしたということだから。そうなれば、俺たちはこれまで通りの商売を続けるわけにはいかない。警察がその気になれば、法律なんか関係なく誰だって捕まえられるんだから」

私はこの説明を聞き、深く得心させられた。警察に理屈など通用しない。この現実を知っているぼったくり業者たちからすれば、メディアに出てくる「有識者」たちが解説する「条例の抜け穴」など机上の空論に過ぎないわけである。そして机上の空論で騒ぎ立てていた「有識者」たちは何事も無かったように消えていった。

2009年に裁判員制度が施行された時も同じようなことがあった。制度の施行が間近に迫った時、またメディアでは「有識者」たちが、「裁判員の呼び出しを拒んだら罰則があるというのでは、苦役の強制であり、徴兵制と同じだ」とまで言って、読者・視聴者の不安を煽ろうとしていた。

しかし実際に制度が始まってみると、裁判員の呼び出しを辞退する人はいくらでもいるし、それで罰せられた人がいたという話はまったく聞かない。私はこれまで様々な裁判員裁判を取材し、判決後にある裁判員たちの会見にも出席してきたが、裁判員たちは「参加して良かった」「良い経験になった」と前向きな感想を述べる例が多いのが現実だ。

そしていつしか、裁判員裁判について「徴兵制と同じだ」とまで言っていた「有識者」たちはどこかに消えてしまったのだった。

◆権力に物申す「言論」というのは結局……

そしてまた今回の「#出版物の総額表示義務化に反対します」騒動である。書店に並んだ書籍は4月1日以降もそれ以前と変わらず、新旧の価格表示が混在したたままだが、それで何か問題が起きたという話はまったく聞かない。出版社側も帯やスリップに消費税込みの価格を表示することで、今後消費税率が変わってもカバーの刷り直しや付け替えはせずに済むようにして、事足りているようである。

こうしてこの問題について不安を煽り、騒いだ人たちはどこかに消えてしまったのである。

誰もがそうだというわけではないが、権力に物申すのが好きな人たちの中には、事実関係をほとんど調べず、思い込みだけでものを言っている人が少なくない。「#出版物の総額表示義務化に反対します」と声高に叫んでいた人たちは、そのことを改めて証明した。今後も新しい制度や法律ができるたび、彼らは懲りずに同じ行動を繰り返すはずなので、しっかり観察させてもらいたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

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