本通信で発行元の媒体や書籍を評するのは、いわば自社広告に近いものとなるが、ただ目次と紹介文では読む方が物足りないであろう。ということで、『NO NUKES voice』前号の紹介から、批評的なものにシフトしたつもりだ。その反面、自分の好みで書いているので、全体の目配りに欠けるのはご容赦いただきたい。

 

2021年もタブーなし!最新月刊『紙の爆弾』2021年2月号!

まず注目したのは、特集「日本のための7つの『正論』」というスタイルである。月刊誌という性格上、新聞や週刊誌よりはサイクルがはるかに長いとはいえ、時事的な報告記事が集中することを考えて、特集は全体の3分の1ほど深く掘り下げたものが欲しいところだ。

本誌においては、これまでも何度か特集の試みはあったが、なかなか焦点がしぼりきれない面があったやに感じる。個々のライターさんの問題意識、タイムリーなレポートが優先されるので、どうしても特集としてのボリュームに不満が残る。というのが、わたしの率直な感想である。暴露雑誌としての性格ゆえに、それもやむを得ざるところだが……。

今回は、いま強調されるべき「正論」を7つのテーマで落とし込む、その意味では編集部の「技」によるものだ。形式においても、こういう特集タイトルは「読む意欲」を掻き立てる。テーマを列記しておこう。

・桜を見る会問題   横田一
・官邸のメディア選別 浅野健一
・日韓朝共同体    天木直人×木村三浩
・自公野合政権    大山友樹
・マイナンバー問題  足立昌勝
・熊本典道元裁判官  はじめすぐる
・弱者切り捨て問題  小林蓮実

今後、考えられる方法としては、二号ぐらい先の政治焦点を読んで、先行して特集を企画する。たとえばオリンピックの開催の可否が判明する前後を期して、開催となった場合の予定稿、中止となった場合の予定稿を準備するのも一案であろう。

その場合は、スポーツ団体や広告代理店の利権構造、政治家の動向や準備計画の問題点、スポーツ社会学の視点からのオリンピックのあり方、知られざるオリンピックの歴史、個々の代表選手の動向など、多岐にわたるジャンルからの論考という具合に、まとまったものを一冊で読みたいと思う。新たな読者も獲得できるのではないか。

ちなみに、1月6日(現地時間)の米ニューズウィークは、IOC幹部の「参加選手たちに優遇措置が与えられ、新型コロナワクチンの優先接種が認められなければ、東京オリンピックは中止になる可能性がある」との警告を伝えている。ということは、ワクチンの準備が予測される段階で、ほぼ決まりということになるわけだ。以上は、雑誌編集者としての立場からの意見である。

◆エリート裁判官の悔恨

さて、今回の特集から、興味を惹かれたものをピックアップしてみたい。

はじめすぐるの「熊本典道元裁判官の『不器用な正義』」に読み入った。こういう冤罪裁判にかかわった裁判官のその後、しかもエリート法律家の反省と悔悟にくれる実像へのアプローチは、日本のための「正論」として、読む者は癒される。

熊本は「袴田君に会いたい」と願い続け、それが成就したのちに身罷った。享年83。熊本が袴田と会うに至るまでには、姉のひで子さんの懸命な活動、それに触発されたジャーナリスト・青柳雄介の丹念な取材があったという。

◆安倍晋三の地元がゆらぐ?

横田一の「『桜を見る会』追及で“国政私物化”を清算する」は、安倍晋三の地元・下関市長選挙(3月14日投票)で、地殻変動が起きそうな地方政局をレポートしている。

下関の自民党は、安倍晋三の父親の代から、安倍派市長(現在は前田晋太郎)と林芳正(参院山口選挙区・元農水大臣)派がライバルとして争ってきた。今回、地元の選挙民を前夜パーティーに招待した桜を見る会問題(寄付行為による公職選挙法違反疑義)によって、自民党の動きが鈍くなっている。「ケチって手りゅう弾」という暴力団との関係が明らかになっても、微動だにしなかった下関安倍王国が、にわかに揺らいでいるのだ。

にもかかわらず、安部派のライバルである林派が市長選挙に出馬をしぶり、野党市議の田辺よしこが市長戦野党統一候補として立候補を明らかにした。水面下では、林派の自民党員も田辺候補を支援しているという。総選挙を占う注目の選挙になりそうだ。

◆ポンコツ総理はいつまでもつのか?

特集外から一本。

山田厚俊は自民政局「衆院解散めぐる自民党内の暗闘」、つまり麻生太郎や二階派を中心とした、ポンコツ菅総理おろしである。一元的な安倍一強のもとでは事務屋的な能力を発揮した菅「名官房長官」は、やはり「器ではなかった」(自民党関係者)のである。

その菅おろしの焦点は、いうまでもなく今秋までに行われる総選挙の時期である。山田によれば、5・6月は公明党が重視する都議選なので、予算案が通過する3月下旬か4月上旬あたりが濃厚だという。

そして山田によれば。ポスト菅の秘策として二階俊博幹事長の脳裡にあるのが、野田聖子であるという。無派閥の野田は「都合のいい人材」で、本人は何度も総裁選にチャレンジ(推薦人20人が集まらず)した意欲の持主である。史上初の女性宰相という売り物にもなる。二階裁定ということなら、これはこれで期待してみたい。アメリカに先立って、ガラスの天井を日本政界が破る?

◆「反差別チンピラ」の実態――問われる解放同盟の態度

「『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」の第4回は、「反差別運動と暴力」(松岡利康)である。

今回は、しばき隊リンチ事件の関係者による、第二次事件(と便宜的に呼びたい)発生をうけて、部落解放同盟がこれらのメンバーと袂を分かつよう提言している。

事件の概要は、この通信でも2度にわたって触れられてきた。すなわち、昨年11月24日の鹿砦社と李信恵の名誉棄損に係る反訴事件裁判の証人尋問のあと、李と伊藤大介らが飲み屋で泥酔したあげく、極右活動家を呼び出して暴力におよんだ、あたらしい事件である。先に伊藤が暴力をふるい(逮捕)、ナイフで反撃した極右活動家も逮捕(略式起訴)となったものだ。

事件それ自体としては、それほど驚くにあたいしない。なぜならば、M君事件をなかったものと支援者ともども隠蔽し、なんら反省をしなかったのだから。もはや「反差別チンピラ」(かれらの激しく攻撃された女性作家の命名)と呼ぶべきであろう。今回も反省がみられないかれらは、必ず三度目、四度目の暴力事件を起こすと断言しておこう。

それらを踏まえて、松岡はかれらと部落解放同盟の関係を質している。すなわち、関係者の著書を解放出版が刊行。李信恵の講演会を鹿砦社が妨害したとの事実の捏造を、解放同盟山口県連の書記長が、上記裁判に陳述書を提出したことだ。

これはおそらく、李信恵の捏造(もしくは勝手な被害者意識)を、そのまま信用して提出したものであろう。いずれにしても、事実に基づかない手続きに解放同盟の役員が加担したのは事実で、その点は当事者からの釈明があってしかるべきである。

併せて、野間易通(しばき隊リーダー)が差別発言をしてきたとされることも、当事者をまじえて検証されなければならない。解放同盟の反差別運動における「指導」が問われる局面だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

『紙の爆弾』も『NO NUKES voice』も、ほぼ毎回紹介記事を書かせていただいているが、提灯記事を書いても仕方がないので、すこしばかり批評を。なお、全体のコンテンツなどは、12月11日付の松岡代表の記事でお読みください。

 

『NO NUKES voice』Vol.26 《総力特集》2021年・大震災から10年 今こそ原点に還り〈原発なき社会〉の実現を

今号は、松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の「ふたたび、さらば反原連! 反原連の『活動休止』について」と富岡幸一郎・板坂剛の対談「三島死後五〇年、核と大衆の今」がならび、ややきな臭い誌面になっている。くわえて、わたしの「追悼、中曽根康弘」、三上治の「政局もの」という具合に、反原発運動誌にしては暴露ものっぽい雰囲気だ。

運動誌の制約は、日時や場所が多少ちがっても、記事のテンションや論調がまったく同じになってしまうところにある。いまも出ている新左翼の機関紙を読めば一目瞭然だが、20年前の、いや30年も40年前の紙面とほとんど違いがない、意地のような「一貫性」がそこにある。これが運動誌の宿命であり、持続する運動の強さに担保されたものだ。

そのいっぽうでマンネリ化が避けられず、飽きられやすい誌面ともいえる。その意味では『NO NUKES voice』も、編集委員会の企画にかける苦労はひとしおではないだろう。

◆記事のおもしろさとは?

暴露雑誌も運動誌も、けっきょくはファクト(事実)の新鮮さ。あるいは解説のおもしろさ、言いかえれば文章のおもしろさだ。

たとえば新聞記事は事件の「事実」を挙げて、その「原因」「理由」を解説する。わかりやすさがその身上ということになる。したがって、事実ではない憶測や主張は極力ひかえられ、正確さが問われるのだ。新聞記事は、だから総じて面白くない。日々の情報をもとめる読者に向けて、見出しは公平性、解説はニュートラルなもの、一般的な社会常識に裏付けられたものが必要とされるのだ。

これに対して、週刊誌は見出しで誘う。新聞やネットニュースの速報性には敵わないが、事件を深堀することで読者の興味をあおる。そして文章においても、新聞記事とはぎゃくの方法を採ることになる。事実ではなく、憶測から入るのだ。事実ではなく、疑惑から入るのだ。文章構成をちょうど逆にしてしまえば、新聞記事と雑誌記事は似たようなものになる。

じっさいに、わたしが実話誌時代に先輩から教えられたことを紹介しておこう。ある事実をもとに、それが総理大臣の親しい人物の女性スキャンダルだったら、見出しは「驚愕の事実! 総理官邸で乱交パーティーか?」ということになる。女性スキャンダルにまみれた人物と総理の関係を書きたて、いかに総理の周辺にスキャンダラスな雰囲気があり、あたかも総理官邸でそのスキャンダルが起きたかのごとく、そしてそれが乱交パーティーではないかという噂をあおる。その噂は「情報筋」のものとされ、最後に事実(他誌の先行記事=多くの場合週刊誌)がそれを裏付ける。

わずかな煙で、あたかも大火災が起きたかのように書き立てるのだ。これをやったら新聞記者はクビになるが、実話誌の編集者(実話誌に記者などいません)は、その見出しの卓抜さをほめられる。もちろん嘘を書いているわけではない。

では、運動誌でそんなことをやってもいいのか、ということになる。ダメです。はったりの実話誌風の見出しは立てられませんし、噂だけで記事をつくるのは読者への裏切りになることでしょう。

だからといって、おもしろくないレポートを淡々と書いていれば良い、というわけでもない。とりわけ市民活動家の場合は、書くことに慣れてしまっているから、ぎゃくに文章を工夫しない癖がついている。できれば、わたしの実話誌崩れの悪文や板坂剛の破天荒な文章から、よいところだけ真似てほしいと思うこのごろだ。

それほど難しいことではない。たとえば「ところで」「じつは」「信じられないことだが」「あにはからんや」という反転導入で、読者を思いがけないところに連れてゆく。いつも読んでいる週刊誌のアンカーの手法を真似ればよいのだ。

◆反原連による大衆運動の放棄

記事の批評に入ろう。

松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志の反原連への批判、とくにその中途半端な活動停止宣言への批判は、いつもながら凄まじい。ひとつひとつが正論で、たとえばカネがなくなったから活動をやめるという彼らは、福島の人々の被災者をやめられない現実をどう考えるのか。あるいはなおざりな会計報告、警備警察との癒着という、市民運動にはあるまじき実態を、あますところなく暴露する。

これらのことは首都圏の運動世界では公然たる事実になっているが、全国の心ある反原発運動に取り組む人々に発信されるのは、非常にいいことであろう。少なくとも運動への批判、反批判は言論をつうじて行なわれるべきものであって、絶縁や義絶をもって関係を絶つことは、運動(対話)の放棄にほかならない。

松岡利康&『NO NUKES voice』編集委員会有志「ふたたび、さらば反原連! 反原連の『活動休止』について」(『NO NUKES voice』26号)

◆デマやガセこそが、仮説として研究を推進する

富岡浩一郎と板坂剛の対談「三島死後五十年、核と大衆の今」にある、25年ぶりの対談というのは、文中にあるとおり鈴木邦男をまじえたイベントいらいという意味である。

富岡幸一郎×板坂剛《対談》「三島死後五〇年、核と大衆の今」(『NO NUKES voice』26号)

 

三島由紀夫の割腹自殺を報じる1970年11月27日付けの夕刊フジ1面(板坂剛さん所蔵)

じつは当時、夏目書房から板坂剛が「極説・三島由紀夫」「真説・三島由紀夫」を上梓したことで、ロフトプラスワンでのイベントになったのである。板坂が日本刀を持参し、鈴木邦男の咽喉もとに突き付けて身動きさせないという、珍無類の鼎談になったものだ。

板坂は「噂の真相」誌でたびたび、三島由紀夫の記事を書いていたので、おもしろい! こいつはひとつ、本にしてみたら。というわけで、夏目社長とわたしが岡留安則さん(故人)に連絡先を訊き出し、初台にあったアルテフラメンコの事務所に板坂さん(このあたりは敬称で)を訪ねたのを憶えている。富岡さんはすでに関東学院大学の教授で、イベントそれ自体を引き締める役割だった。

今回の記事は、いまや鎌倉文学館の館長という栄えある役職にある富岡幸一郎が、三島研究においては独自の視角から、いわば暴露主義的な業績を積んできた板坂の投げかける警句に、やむをえず応じながらそれを諫めるという、妙味のあるものとなった。

たとえば、ノーベル賞作家川端康成の晩年には、いくつかの代筆説がある。在野の三島研究者・安藤武が唱えたものだが、「山の音」「古都」「千羽鶴」「眠れる美女」を代筆したのが、北条誠、澤野久雄、三島由紀夫だというのだ。当時、川端康成は睡眠薬中毒で、執筆どころではなかったと言われている。真相はどうなのだろうか?

注目すべきことに、いまや三島研究の権威ともいうべき富岡も「『古都』の最後はそうかもしれない」と、認めているのだ。ガセであれデマであれ、それが活字化されることで、本筋の研究者たちも目を皿にして「分析」したのであろう。それは真っ当な研究態度であり、作品研究とはそこまで踏み込むべきものである。あっぱれ!

わたしの「中曽根康弘・日本原子力政策の父の功罪」は、知識のある方ならご存じのことばかりだが、史料的に中曽根海軍主計少佐の従軍慰安所づくりは、ネトウヨの従軍慰安婦なかった論に対抗するネタとしてほしい。中曽根が原発計画を悔恨していたのも事実である。もって瞑目すべし。

富岡幸一郎さん(右)と板坂剛さん(左)(鎌倉文学館にて/撮影=大宮浩平)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『NO NUKES voice』Vol.26 小出裕章さん×樋口英明さん×水戸喜世子さん《特別鼎談》原子力裁判を問う 司法は原発を止められるか

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

◎鹿砦社HPhttp://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000645

◆北海道の「核廃棄物」動乱

 

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2021年1月号!

横田一は北海道寿都町の「核のごみ処分場反対住民の反転攻勢」をレポートする。反対派「町民の会」の講演会に、小泉純一郎元総理が講演者として来町。その講演会に「勉強のために」参加するはずだった片岡町長はドタキャンしたのだった。

11月13日には臨時町議会で、住民投票条例の審議と採決が行われ、賛成と反対が4対4。議長採決で否決された。反対派住民と町長・町議会の対話は閉ざされたのである。住民の意見を聞かない行政には、地方自治体法違反の可能性が高いと、横田は指摘する。

ところで、問題なのは鈴木直道北海道知事の動向である。コロナ防疫については早期に緊急事態宣言を発し、親分にあたる菅義偉のGoToキャンペーンにも異を唱えるなど、硬骨漢ぶりを発揮している若き鈴木知事も、この問題では弱腰である。法政大学の後輩で、菅義偉に太いパイプを持っているのだから、もっと存在感を発揮して欲しいものだ。町レベルでは町長リコールの動きも活発だという。今後も横田のリポートに注視したい。

◆ポンコツ答弁の「影」を暴け!

喉頭がんによって喋る力を失った浅野健一は、しかし健在である。菅義偉総理のポンコツ答弁をささえる、背後で動かす「影」を実名報道せよ! というものだ。

浅野は詳細に記者会見、およびぶら下がり取材(菅の官邸はこれを記者会見というらしい!)を検証しているが、国会答弁でのポンコツぶりは国民を唖然とさせるものだった。

およそそれは、必要な予習をしてこなかったばかりか、宿題を忘れた劣等生が困り果て、優等生(秘書官)のメモで答弁するという珍無類の光景だった。さんざん指摘してきたとおり、安倍晋三ほどの演説力(関係のないことを、延々と喋る能力=じつは、これが政治家の真骨頂である)がない菅総理において、秘書官の機敏な動きは不可欠なのである。サブタイトルの「自助で国会答弁できない菅首相」とは、言いえて妙である。

「学術会議などでの菅首相の国会での答弁は見ていて哀れだ。活舌も悪く、安倍前首相のほうがまともに感じられるほどだ」(記事中)。まったく同感である。

菅総理の秘書官は、新田章文という筆頭秘書官(菅事務所)のほかは、いまだ氏名不詳であるという。この「影」を暴くことこそ、われわれの当面の任務ではないだろうか。

◆注目のレポート記事

現地ルポは、西谷文和の「中村哲さん殺害から一年 なぜアフガニスタンの戦争は終わらないのか」である。中村哲の思い出のいっぽうで、変わらないアフガン。いや、ますます罪のない子供たちに犠牲を強いるアフガンの現実。憤りと涙なくしては読めない。

黒薮哲也の「日本禁煙学会が関与した巨額訴訟の行方」は興味ぶかく読めた。団地の住民が、タバコの副流煙で損害賠償を提訴した事件のレポートだ。筆者も十数年前にタバコをやめ、マンション暮らしゆえにベランダでの喫煙で隣人と軋轢があった(話し合いで解決)。集合住宅での喫煙・副流煙問題は当事者(喫煙者にも、非喫煙者にも)には深刻な問題だ。

今回のレポートでは、日本禁煙学会の理事長が関与した杜撰な提訴に、裁判所が被告(喫煙者)と原告の被害に関連性なしと判決。それを受けて、被告側が訴訟による被害を反訴したものだ。隣人訴訟に圧力団体が関与した例として、今後の展開が注目される。

近藤真彦への不倫処分と紅白私物化の、ジャニーズ事務所の実態を暴露するのは、本誌芸能取材班。NHK「あさイチ」とジャニーズの関係(ネックは視聴率)が興味ぶかい。

◆拙稿、朝田理論の検証について

手前みそだが、紙爆9月号の「士農工商ルポライター稼業」について、わたしの意見を掲載していただいたので紹介しよう。

本通信(11月12日および11月17日)では、井上清の『部落の歴史と解放理論』の検証、とりわけ部落差別の三位一体論(部落差別の存在・地域差別・職業差別)の妥当性を論じてみた。

歴史検証としては、井上清の論考が果たした役割が大きく、その検証が今日的にふさわしいからだ。

紙爆1月号の記事では、黒薮哲哉さんの12月号の論考に対する見解、および解放同盟の朝田善之助さんの「朝田理論」を検証してみた。

論点はいくつかあるが、まずは現在の日本社会が差別社会かどうか、差別の存否から議論しなければならないであろうこと。そのうえで、差別かどうかは部落民が決めるという朝田理論の時代性、糾弾権の問題などである。このあたりは、本通信の松岡利康の経験的な見解も併せてお読みいただきたい。時代とともに。解放同盟も変っているはずなのだから。

いずれの拙論においても、結婚差別が現代に残された最も深刻で、かつ「解消」という新たな問題をはらんだものと考えている。鹿砦社が解放同盟中央本部と議論する過程で、この論点をともに検証したいと考えている。それが70年代の苛烈な部落解放運動を、その末端で支持・共闘してきた者としての役割だと考えるからである。
ほかにも興味を惹かれる記事満載、買って損はしない「紙爆」年末号である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

月刊『紙の爆弾』2021年1月号 菅首相を動かす「影の総理大臣」他

70年という年をどう考えるか。それは「68年論」として語られる戦後政治文化、カウンターカルチャーの決算。あるいは高度経済成長の到達点であり、政治文化(学園紛争)と経済成長(公害の顕在化)が沸騰点で破裂し、ある種の頽廃を招いた。といえば絵面をデッサンすることができるだろうか。

多感な時期にこの時代の息吹を感じながらも、わたしはその後のシラケ世代と呼ばれる意識の中にいた。その意味では、あと知恵的に時代を解釈することになるが、おおむね二つの史実に則って『端境期の時代』が描く時代を批評することにしたい。

 

『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

その象徴的なふたつの史実とは、赤軍派に代表される新左翼運動の「頽廃」、そしてその対極にある三島由紀夫事件である。関連する記事にしたがえば、長崎浩の「一九七〇年岐れ道それぞれ」、若林盛亮「『よど号』で飛翔五十年、端境期の闘いは終わっていない」、三上治「暑かった夏が忘れられない 我が一九七〇年の日々」、板坂剛の司会になる「激突座談会“革マルvs中核”」、そして中島慎介の労作「『7.6事件』に思うこと」である。

三島事件(市ヶ谷蹶起)は50年を迎えるので、別途この通信において集中的にレポートしたいと思う。近年になって、あらたに判明した事実(証言)があるので、あえてレポートという表題を得たい。『紙の爆弾』今月号には、「市ヶ谷事件から50年 三島由紀夫の標的は昭和天皇だった」(横山茂彦)が掲載されているので、ぜひともお読みいただきたい。

◆単なる「流行」だったのか?

さて、70年という年を回顧する前に、68・69年の学生叛乱が何だったのか。という問題から出発しよう。

その当事者たち(今回「『続・全共闘白書』評判記」を寄稿した前田和男)も、当該書の副読本が必要(現在編集中)と述べているとおり、あの時代を読み解く必要がある。ひるがえって言えば、あれほどの学生運動・反戦運動の高揚がいまなお「わからない」というのが、当事者にとっても現実なのである。

あの時代および運動の間近にいたわたしも、明瞭に説明することはむつかしいが、単純に考えればいいのかもしれない。わたしの仕事上の先輩にあたる地方大学出身の人は言ったものだ。「流行りであった」と。過激な左翼であること、反戦運動を行なうことは、たしかに「流行り」だった。流行りはどんな時代も、若者のエネルギーに根ざしている。

たとえばコロナ禍のなかでも渋谷や道頓堀につどう若者たちは、いつの時代にもいる跳ね上がり分子ではないだろうか。既成左翼から、わたしたちの世代も含めて新左翼運動は「はみ出し」「跳ね上がり」と呼ばれたものだ。

いや、自分たちで「跳ねる」とか「跳ねた」と称していたのである。デモで機動隊の規制に逆らい、突っ張る(暴走族用語)ことを「跳ねる」と表現したのだ。跳ねたくなるほど、マルクス主義という外来思想、実存主義や毛沢東主義という流行。冷戦下において、ソ連邦をふくむ「体制」への反乱が「流行った」のである。

団塊の世代に「あれは流行りだったんでしょ?」と問えば、いまでは了解が得られるかもしれない。わたしの世代は内ゲバ真っ盛りの世代で、さすがに革命運動内部の殺し合いが楽しい「流行り」とはいかなかったが、おそらく60年安保、その再版としての68・69年(警察用語では「第二次安保闘争」)は、楽しかったにちがいない。70年代にそれを追体験したわたしたちも、内ゲバや爆弾闘争という深刻さにもかかわらず、その余韻を楽しいと感じたものである。


◎[参考動画]1970年3月14日 EXPO’70 大阪万博開幕  ニュース映像集(井上謙二)

◆赤軍派問題と三島事件は、60年代闘争の「あだ花」か?

前ふりが終わったところで、本題に入ろう。まずは赤軍派問題である。

言うまでもなく赤軍派問題とは、ブントにとって7.6問題(明大和泉校舎事件)である。二次ブント崩壊後にその分派に加入したわたしの立場でも言えることは、赤軍派は組織と運動を分裂させた「罪業」を背負っているということだ。

その意味では中島慎介が云うとおり、赤軍派指導者には政治的・道義的責任が集中的にある。その一端は、嵩原浩之(それに同伴した八木健彦ら)においては赤軍派ML派・革命の旗派・赫旗派という組織統合の遍歴の中で、政治的に赤軍派路線(軍事優先主義の小ブル急進主義)の清算として果たされてきた。今回、中島が仲介した佐藤秋雄への謝罪で、道義的な責任も果たしたのではないか。

ただし、植垣康博をはじめとする、連合赤軍の責任を獄中赤軍派指導部にもとめるのは、違うのではないかと思う。当時のブントおよび赤軍派において、獄中者は敵に捕らわれた「捕虜」であり、組織内では無権利状態だった。物理的にも「指導」は無理なのである。

それにしても、中島のように真摯な人物があったことに驚きを感じる。というのも、ついに没するまでブント分裂の責任を回避しつづけた塩見孝也のような指導者に象徴されるように、赤軍派という人脈の組織・政治体質には「無反省」と「無責任」が多くみられるからだ。日本社会の中で大衆運動を責任を持って担ってこなかった、その組織の歴史に大半の原因があると指摘しておこう。大衆運動の側を見ていないから、安易な乗り移りで思想を反転させることができるのだ(塩見の晩年の愛国主義を見よ)。

赤軍派が発生した理由として、第二次ブント自体の実像を語っておく必要があるだろう。

第二次ブントという組織は、その結成から連合組織であった。第一次ブントの「革命の通達派」のうち(第一次戦旗派・プロレタリア通信派は革共同=中核派・革マル派へ合流)、ML派と独立社学同(明大・中大)が連合し、単独して存続していた「関西地方委員会」と合同。独自に歩んでいた「マルクス主義戦線派」を糾合して1966年に成立した。しかしすぐにマル戦派と分裂することに象徴されるように、その派閥連合党派としての弱点は覆うべくもなかった。

たとえば、集会が終わってデモに出発するとき、各派閥の竹竿部隊(自治会旗を林立させ)が「先陣争い」と称してゲバルトを行なうのが習わしだった。つまり、集会とデモは「内ゲバ」を、祝砲のように行なわれるのが常だったのだ。

というのも、各大学の社学同(共産同の学生組織)ごとに、ブント内の派閥に属していたからだ。7.6事件では中島と三上が詳述しているように、仏徳二議長は専修大学の社学同、赤軍派は京大・同志社・大阪市大・関東学院などを中心にしたグループ、その赤軍派幹部を中大に監禁したのは、明大と医学連の情況派、その現場は中大社学同の叛旗派の縄張りだった。

故荒岱介の証言として、社学同全国合宿のときに、仏徳二さんが専修大学の学生だけで打ち上げの飲み会を行なっていたことを、のちに赤軍派となる田宮高麿が「関西は絶対、ああいうこと(セクト的な行動)はさせへんで」と批判していたという。

そのような連合組織としての弱点、党建設の立ち遅れ(これはもっぱら、革共同系の党派との比較で)を克服するために、とくに68年の全共闘運動の高揚から70年決戦に向かう組織の革命がもとめられたのだ。その軍事的な顕われが赤軍派だったのである。

これまで、もっぱら赤軍派の元指導者、ブント系の論客(評論家やジャーナリスト)によって赤軍派問題と連合赤軍総括問題は論じられてきたが、現場の証言が物語るその実態は、理論的に整理された美辞麗句をはるかに超えている。この貴重な成果のひとつが、今回の中島慎介の証言にほかならない。じつに具体的に、しかも他者の証言をもとに反証をしながらまとめられているので、ぜひとも読んでほしい。

その貴重な証言が、元赤軍派を中心とした書籍の準備において、こともあろうか「全体の四割が削減され、文面も入れ替えられ、更に残りのゲラの一割の部分をも削除され、意味不明の代物とされてしまいました」(中島)というのだ。

「事実究明に程遠い『事前検閲』『文章の書き替え』など、どこかの政府を見習ったかのような行為は、恥ずべき行為だ」と言いたくなるのは当然である。

まさに、60年代闘争の「あだ花」としての赤軍派の体質がここに顕われている。本人たちは嘘と歴史の書き替えで、晩節を飾るつもりだったのか? アマゾンにおける関係者の酷評「執筆者各位の猛省を促す」が、その内実を物語っている。


◎[参考動画]1970年3月31日 赤軍派 よど号 ハイジャック事件(rosamour909)

◆赤軍派と殉教者にせまられた、三島蹶起

三島由紀夫の天皇との関係(愛と憎悪)を先駆けて論じたのが『三島由紀夫は、なぜ昭和天皇を殺さなかったのか』(鹿砦社ライブラリー)を書き、今回「三島由紀夫蹶起――あの日から五十年の『余韻』」を寄せた板坂剛である。今回は具体的に、事件後の知識人・政治家たちの混乱を批判している。とりわけ、村松剛の虚構の三島論はこれからも指弾されて当然であろう。わたしに言わせれば三島の男色を隠すことで、村松が遺族との関係、したがって三島批評の立場を保ったにすぎない。その結果、村松の論考は、現在の三島研究では一顧だにされなくなっている。

もうひとつは、赤軍派との関係である。一過性のカッコよさではあったにせよ、論考を寄せている若林盛亮らのよど号事件が、三島に与えた影響は大きいだろう。これを板坂は「70年の謎とでも言うべきだろうか」としている。

よど号事件後の三島が、赤軍派の支離滅裂な政治論文を漁っていたとの証言もある(安藤武ほか)。そのほか、三島が「計画通り」の蹶起と自決を強行したのは、東京五輪銅メダリスト円谷幸吉(68年)、国会議事堂前で焼身自殺した自衛官江藤小三郎(69年)の影響を挙げておこう。70年という時代が、三島を止めなかったのである。これについては、別稿を準備したい。


◎[参考動画]1970年11月25日【自決した三島由紀夫】(毎日ニュース)

◆革マル vs 中核

やってくれた、鹿砦社と板坂剛! これはもう、わたしが編集している雑誌でやりたかった企画である。ただし、もっと自省的に語る「過ち」「錯誤」「悔恨」などであれば、まったく敬服するほかなかったが、板坂が司会の「激突座談会」は罵詈雑言、罵倒の応酬である。まったく愉快、痛快である。

元革マルの人も元中核の人も、対抗上こうなったのか。あるいは元べ平連の出席者が疑問を呈するように、もしかしたら現役なのか。

しかしいつもどおり、板坂の企画は読む者を堪能させる。前回の「元日大全共闘左右対決」も何度も読み返したものだが、今回は前回よりも底が浅い(お互いの個人的な因縁が、両派の主張に解消されてしまった)にもかかわらず、留飲を下げたと、感想を述べておこう。


◎[参考動画]2020年10月16日 公開中核派拠点を警視庁が家宅捜索 関係者が立ち入りの捜査員を検温(毎日新聞)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)

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『紙の爆弾』12月号、11月7日発売!菅首相は「令和のヒトラー」

月刊『紙の爆弾』12月号が本日発売になりました。このかん『紙の爆弾』は、執拗な自公政権追及で部数を伸ばしてきました。今月号もさらに鋭く追及の矢を放ちます。小さくても存在感のある雑誌を自認する『紙の爆弾』ですが、号を重ね創刊15年余り経ちました。『紙の爆弾』は、ご存知のように創刊直後に「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧を食らいました。この壊滅的危機を皆様方のご支援で乗り切り現在に至っているわけですが、「ペシャンコにされてもへこたれないぞ」という気概は衰えていないつもりです。

また、本誌の継続的企画として冤罪問題があります。今月号は、労働者の町・釜ケ崎に根づき、仲間と共に不正を追及している尾崎美代子さんが「神戸質店事件」を採り上げています。詳しくは記事をお読みいただきたいですが、一審無罪が、新たな証拠もないのに控訴審でなんと無期懲役に、そして最高裁もこれを追認し確定しています。怖い裁判です。

さらに、先月号から始まった「士農工商ルポライター稼業」についての検証作業、今月号も6ページを割き行っています。今月号は松岡に加え黒藪哲哉さんに寄稿いただきました。本誌を紐解いてお読みいただきたいですが、誤解しないでいただきたいのは、私たちは解放同盟と敵対するものではなく、共同作業として〈差別とは何か?〉について公開で議論していく中から問題の在り処を探究する所存だということです。幸いに解放同盟の方も寛容の心を持って対応していただいています。半年、1年と議論をしていく過程で問題の〈本質〉を抉り出し、ゆくゆくは共同声明としてまとめたいと願っています。

「士農工商ルポライター稼業」問題も継続的に議論検証していきます!

◎このコロナ禍で、当社も売上減を余儀なくされています。この機会に定期購読で本誌を支えてください。1年分(12号)=6600円を郵便振替(01100-9-48334 口座名=株式会社鹿砦社)でご送金ください。1号お得です。今、お申し込みくだされば、特製ブックカバーに加え、魂の書家・龍一郎揮毫の「2021鹿砦社カレンダー」を贈呈いたします。

本日11月7日発売!『紙の爆弾』12月号!

◎『紙の爆弾』12月号 https://www.kaminobakudan.com/

現代史の端境期〈1970年〉とはどのような時代だったのでしょうか。個人的には、この年、私は大学に入学し、九州・熊本から京都に出て来ました。大学に入る、まさにその直前、大阪万博が開幕し、「よど号」ハイジャック事件が起こりました。70年安保の年ですが、前年の安保決戦で新左翼勢力は敗北し、全般的に「カンパニア闘争」に終始したといわれます(が、それでもかなりの数の学生や反戦労働者が逮捕されました。今だったら「武装闘争」の部類でしょう)。

大阪万博

「よど号」ハイジャック事件

また、同時に、水俣病闘争や反公害闘争が、それまでになく盛り上がってきた年でもありました。

いわゆる「内ゲバ」も、中核派が革マル派学生を殺し、革マル側も報復し、以後、血で血を洗う中核vs革マル戦争が始まった年です。

そうして、11月25日、作家・三島由紀夫が市谷・防衛庁に立てこもり決起し自決します。

6・23安保自動延長に抗議するデモ

三島由紀夫蹶起

私は私で、これまで見たことのない人たちと出会い、カルチャーショックを受けました。京都の大学に入らなければ、また違った人生だったことでしょう。

こうしたこともあり、本誌は、東京で発行される出版物と違い、同志社色の濃いものになっています。私の人脈から同大OB4人(中川、高橋、若林、中島)に寄稿いただきましたが、これだけでも東京発のものとは色合いが違っています。

昨年、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』を出し、『一九七〇年~』は、この流れにありますが、『一九六九年~』よりも40数ページ増えていて、想像以上に苦戦しました。

私自身の体験や見知ったことを基に企画を立案しましたが、1970年の雰囲気を醸し出していると自負します。一人でも多くの方にお読みいただきたい、渾身の一冊です。発行部数も9700部と、この種の出版物としては多い部数です。今すぐ書店に走ってください!

渾身の一冊!『一九七〇年 端境期の時代』(紙の爆弾12月号増刊)、本日11月2日発売!

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◆「菅さん、横浜をカジノ業者に売り渡すのか」(横田一)

 

タブーなき最新月刊『紙の爆弾』2020年11月号!

冒頭、菅義偉の冷酷非情さを暴くのは横田一である。総裁選出馬会見のさいに、横田は菅に「菅さん、横浜をカジノ業者に売り渡すのか」「藤木(幸夫)会長を裏切るのですか」と、問いかけた一幕を紹介している。藤木幸夫会長とは、この6月まで横浜港運協会の会長をつとめた、菅義偉総理の恩人である。

カジノ推進をはかる菅総理が「ハードパワー」(藤木会長)を発揮し、林文子横浜市長にカジノ誘致の表明を強いたのは、この欄でも記事にしたことがある(2019年8月30日「横浜IR誘致計画の背後に菅義偉官房長官 安倍「トランプの腰ぎんちゃく政策」で、横浜が荒廃する」)。

それにしても、菅総理の「寡黙な独裁」とあえて表現したいが、フリージャーナリストへの冷淡さは筋金入りというべきだろう。横田は岸田・石破両候補(総裁選当時)にも同じ質問をぶつけ、三者三様の反応をレポートしている。自民党にとっても、やはり菅総裁は最悪の選択だったのではないか。

◆「創価学会が『菅首相』を誕生させた」(大山友樹)

「創価学会が『菅首相』を誕生させた」(大山友樹)は、菅義偉が衆院に初当選した96年の「血を血で洗う選挙」を朝日デジタルの編集委員のレポートでふり返り、その後の両者の変節・変貌を暴露している。菅陣営は上記の選挙でなんと、池田大作のことを「人間の仮面をかぶった狼」と書いたビラを配布したのだという。ために菅の選挙カーは、創価学会の中年女性数人の自転車ごと体当たり攻撃を受けたというのだ。

その後の変節は、手のひらを返したような菅の謝罪劇によるものだ。菅がマキャベリを崇敬しているとは、あまりにも露悪的ではないか。かつて大平正芳は「尊敬する政治家はロベスピエール」と語ったものだが、菅は本当に『君主論』を読んだ上で言っているのだろうか。

◆【特集】安倍政治という「負の遺産」

アベノミクスの総括は、フランス在住の広岡裕児、および非正規の増加を解説する小林蓮実。2013年の1727万人から19年は2120万人に上昇しているという。女性の上昇率はとくに高く、年間数十万で増加している。このまま増え続けると、いよいよ消費は頭打ちになるであろう。

安倍政権の罪業という意味では、「原発ゼロ」が潰されてきたことだろう。小島卓のレポートは、『NO NUKES Voice』に登場した識者たちによる、安倍政権下での原発政策・負の遺産の軌跡を検証したものだ。故・吉岡斉、望月衣塑子、森まゆみ、鵜飼哲、田中良紹、本間龍、米山隆一、菅直人、広瀬隆、孫崎亨ら。

◆衝撃報告「在日米軍がプルトニウムを空中散布している」(高橋清隆)

ショッキングな告発に驚かされる。元海兵隊員の「在日米軍がプルトニウムを空中散布している」(高橋清隆)だ。Chemical trail(空中散布化学物質)のことである。戦闘機のジェット燃料にはハイブリッド燃料が使われているが、その成分にラジウムや臭化セシウム、そしてプルトニウムが含まれているというのだ。

◆「士農工商ルポライター稼業」は「差別を助長する」のか?(松岡利康)

本欄でも既報(松岡利康)のとおり、『紙の爆弾』9月号の記事「政治屋に売り飛ばされた『表現の自由』の末路」(昼間たかし)について、部落解放同盟から申し入れがあった。「士農工商ルポライター稼業」という表現が、部落差別を助長するとの指摘である。本号から数ページを当該記事および「部落差別とは何か」「内なる差別」についての検証に当てるという。

被差別部落の発祥(歴史)、および差別が再生産される社会的・経済的な理由(差別の根拠)については稿を改めたいが、基本的にレイシズム(差別意識)は人間社会に根ざすもので、誰でも犯すものということであろう。まぎれもなく日本は差別社会であり、なかでも歴史的に形成された部落差別は、つねに再選産されているものだ。

とりわけメディアに関わる人間にとって、部落差別を助長する言葉を単に「使わなければ良い」というのではない。差別社会の反映として生み出される差別的な言葉・文章を契機に、その問題点を分析することを通じて、差別をなくす人権意識・反差別の運動に生かしていくことが肝要なのである。70年代の部落解放運動に関わった者として、小生も及ばずながら本欄に論考を寄せていきたい。(文中敬称略)

月刊『紙の爆弾』2020年11月号より

月刊『紙の爆弾』2020年11月号より

月刊『紙の爆弾』2020年11月号【特集】安倍政治という「負の遺産」他

今年の夏は終戦75年ということで、テレビや新聞では、戦争の悲惨な経験を伝えたり、平和の大切さを訴えたりする報道が例年以上に多かった。だが、それらの報道は型どおりのものばかりで、重要な視点が欠けている感が否めなかった。

それは、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」という視点だ。誰もが知ってはいるが、つい忘れがちな視点である。

一方、筆者がこの時期に読み返し、改めて感銘を受けたのが、原爆漫画の代名詞「はだしのゲン」だ。自分自身も被爆者である広島出身の漫画家・中沢啓治が実体験をもとに描いたこの作品には、型どおりの戦争報道に欠けている上記の重要な視点が存在するからだ。

◆戦時中の自分自身のスタンスを語らない「歴史の証人」たち

たとえば、テレビや新聞が毎年夏に繰り広げる戦争報道では、広島もしくは長崎の被爆者が「歴史の証人」として登場し、原爆や戦争の悲惨さを語るのが恒例だ。今年も例年通り、そういう報道が散見された。こういう報道も必要ではあるだろうが、残念なのは、被爆者たちが戦時中、自分自身が戦争に対して、どのようなスタンスでいたのかということを語らないことだ。

その点、「はだしのゲン」はそういうセンシティブな部分から目を背けない。この作品では、原爆の被害に遭った広島の町でも、戦時中は市民たちが「鬼畜米英」と叫び、バンザイをしながら若者たちを戦場に送り出していたことや、戦争に反対する者たちを「非国民」と呼んで蔑み、みんなで虐めていたことなどが遠慮なく描かれている。

テレビや新聞に出てくる被爆者たちが仮に当時、そのようなことをしていたとしても、それはもちろん責められない。当時の日本で生きていれば、そういうことをするのが普通だし、むしろそういうことをせずに生きるのは困難だったはずだからだ。しかし、「歴史の証人」に被害を語らせるだけの報道では、日本に再び戦争をさせないための教訓としては乏しい。

◆必ずしも戦争に反対せず、朝鮮人差別もしていたゲン

「はだしのゲン」がさらに秀逸なのは、他ならぬ主人公の少年・中岡元やその兄たちも戦時中、必ずしも戦争に反対していなかったように描かれていることだ。

反戦主義者の父親に反発していた元。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻28ページより

元の父親は反戦主義者だったため、元たちの家族は広島の市民たちから「非国民」扱いされ、凄まじい差別やいじめを受けていた。そんな中、元も自分たちの置かれた境遇に耐え切れず、父親に対し、「戦争にいって たくさん敵を殺して 勲章もらってくれよ」「戦争に反対する とうちゃんはきらいだ」などと泣きながら、だだをこねたりする。さらに元の兄・浩二は、家族が非国民扱いされないようにするために海軍に志願したりするのである。

父親が反戦主義者のため、元の家族は広島の人たちから差別されていた。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻50ページより

さらに元は他の少年たちから非国民扱いされ、差別される一方で、自分自身も朝鮮人のことを差別する言動を見せている。たとえば、顔見知りの朝鮮人男性と一緒にいるところを他の少年たちにからかわれ、その朝鮮人男性に対し、一緒にいたくないということを直接的に伝えたりするのである。

元が朝鮮人を差別する場面もあった。中沢啓治作「はだしのゲン」(汐文社)第1巻60ページより

この漫画では、元は強さと明るさ、ユーモアを兼ね備え、誰に対しても優しく、分け隔てなく接する少年として描かれている。しかし一方で、このような過ちを犯したりもしているのである。作者自身の実体験に基づいているからだろうが、こういうシーンを読むと、「平和な世の中で平和を訴えることは簡単だが、戦時中に平和を訴えることは難しい」ということを再認識させられる。この1点において、「はだしのゲン」はテレビや新聞の型どおりの戦争報道とは一線を画していると思うし、後世に残すべき作品だと思う。

▼片岡健(かたおか けん)

全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)が配信中。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『紙の爆弾』9月号が8月7日発売になりました。力の入った記事ばかりですが、私のイチ押しは、岡本萬尋「出て来りゃ地獄へ逆落とし 古関裕而の軍歌を聴く」(連載「ニュースノワール」第64回 特別編)と、昼間たかし「政治屋に売り飛ばされた『表現の自由』の末路」です。

 

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

岡本の連載は、気づくともう64回、近く書籍化の予定です。岡本は元朝日新聞の記者です(また、朝日か。苦笑)。古関裕而は、ご存知の通りNHK朝ドラの『エール』のモデルとなっていますが、これもみなさんご存知『六甲おろし』や『栄冠は君に輝く』などを作曲しています。しかし軍旗はためく時代には数多くの軍歌を作曲し戦意高揚に多大の貢献をしています。準A級戦犯といっていいんじゃないでしょうか。

ここで、私が思い出したことが2つあります。1つは、かつて国民的女優・沢村貞子の生涯を描いた『おていちゃん』(1978年)もNHK朝ドラの1つでしたが、沢村貞子は、古関裕而が軍歌作曲にいそしんでいた頃、演劇運動に没頭し、治安維持法で逮捕・勾留されています。戦中のことですから、私の逮捕・勾留とは全く違って厳しいものだったと想像できます。この公判の場面が『おていちゃん』に出てきました。「私はこれからも文化運動に頑張ります」というようなことを陳述しています。「えーっ、NHKも粋なことをやるもんだ」と感じ入った次第です。『おていちゃん』から40数年経って今後の『エール』の展開がみものです。

もう1つは、『私は貝になりたい』(1958年)という民放テレビドラマです。私と同世代(より以前の世代)の方にはよく知られたドラマです。主人公は、嫌々ながら徴兵された田舎の散髪屋でC級戦犯、上官の命令で捕虜を殺傷しようとして軽傷を負わせたということで、戦後逮捕され死刑判決を受けます。実話から採ったドラマで、非常に衝撃を受けたことを今でも覚えています。2008年に中居正広、仲間由紀江らでリメイクされたので覚えておられる方もおられると思います。この主人公に比べれば、古関裕而の罪は遙かに大きいと言わざるをえません。

昼間の渾身の記事のうち、私が畏れ入ったのは後半の「無礼と陰気に満ちた反ヘイト活動家の実態」の箇所です。昼間たかしとは旧知ですが、正直彼がこういう文章を書くとは思ってもいませんでした(失礼!)。

昼間を有名にしたのは『コミックばかり読まないで』(2005年、イーストプレス)でしょう。これは「長年、マンガやアニメを中心に表現の自由にまつわるルポルタージュを何本も書いてきた」体験をベースにしたものということですが、今では「一時はライフワークとも考えた『表現の自由』というテーマは、何も魅力がないものとしか見えなくなってしまった」といいます。『コミックばかり~』から5年の間に昼間の周辺に何が起きたのでしょうか? ぜひご一読ください。

月刊『紙の爆弾』2020年9月号より

最新刊!月刊『紙の爆弾』2020年9月号【特集】新型コロナ 安倍「無策」の理由

◎目次概要https://www.kaminobakudan.com/

◆検察VS官邸

河井容疑者夫妻逮捕によって、自民党本部の犯罪・安倍総理の犯罪(「買収目的交付罪」の適用)が明らかになりつつある。いま、最もホットなテーマである安倍訴追の可能性を暴くのが、
「河井夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日」(山田厚俊)
「安倍政権のために黒川弘務は何をしたか」(足立昌勝)
「『検察再生』が問われる“安倍犯罪”立件」(青木泰)
および「黒川前検事正と記者3人起訴でキシャクラブ解体を」(浅野健一)であろう。

『週刊文春』(オンライン)によれば、河井容疑者の捜査は7月中の『勇退』が決まった稲田伸夫検事総長、元東京地検特捜部長の堺徹次長検事、元特捜部副部長の落合義和最高検刑事部長のラインが主導する形で、現場の広島地検を動かして行われていたという。そして水面下で特捜部を動かしながら、広島地検を使って河井夫妻の捜査を実質的に指揮していたのは、実質的に最高検刑事部長の落合刑事部長だったとされる。

2010年の大阪地検特捜部証拠改竄事件、小沢一郎元民主党代表の秘書取り調べで東京地検特捜部が『虚偽』の捜査報告書を作成などで、「仮死状態」だった特捜検察が復権したのである。それというのも、安倍総理肝いりの黒川弘務の定年延長・検事総長昇進構想が、ほかならぬ黒川自身の賭博常習癖の露呈(内部リーク)によって潰えたからである。

この先、検察に「再生」の道があるとしたら、自民党本部・総理官邸の容疑にかぎりなく近づく(総理を逮捕できないまでも警鐘を鳴らす)ことであろう。安倍一強・党本部一元支配の構造がゆらぎ、自民党が「本来の分権的な多様性と寛容さ」を取りもどす可能性はそこにある。そして三権分立(報道をふくめて四権)の原則と健全さも、安倍総理の退陣とともに回復される可能性があると指摘しておこう。

◆再開発という「まちこわし」に異議申し立てする立石・十条の住民たち

「せんべろ立石・十条不屈の闘い」(取材・編集部)は、葛飾区立石の再開発との闘いを紹介したものだ。立石はわたしも自転車でとおる猥雑な街で、記事のタイトル「せんべろ」は1000円で満足できる呑み屋が連なるという意味である。近年はB級グルメガイドにも紹介され、地方からの観光客が東京スカイツリー見学の延長で観光飲みすることも多くなっていた。そしてタイトルにある「不屈の闘い」は、ながらく計画されていたタワーマンション・高層ビル化(再開発)がひとつの矛盾とともに行き詰っていることを明らかにする。

すなわち、先行する京成線の高架化によって、立石駅の南北に計画されていたバスターミナルが、高架の下に確保されることだ。阪神電鉄本線や京浜急行の例にみられるように、高架化には交通渋滞の解消とともに、多角的な駅前再開発を可能にする利点がないではない。いっぽう、タワーマンションは武蔵小山で豪雨災害にたいする脆さ、管理費の高騰によるスラム化が取りざたされている。とくに大規模修繕工事(ゴンドラ設置など)における億単位の支出が、管理組合会計を大幅にこえる例が多発しているのだ。再開発でスラム化するのでは意味がない。

立石のような再開発計画は、東京では北区十条・板橋区大山でも起こっている。再開発が「まちこわし」では、ゼネコンのためのスクラップ&ビルド。壊すための経済がはてしなく繰り返されることになる。長期にわたる住民の異議申し立てこそが、地域にとっての希望だ。

◆広告業界経験者が書く、電通の不思議

「なぜ『電通』に委託するのか 巨大化する電通と官公庁の癒着」(本間龍)は、持続化給付金をめぐる「中抜きシステム」を謎解きする。1500億円の巨額案件で、電通に抜かれたのは数十億円。全体では20%に近い金額になると推定している。通常の広告マージン20%というわけだ。しかしこれは広告ではなく、血税で中小企業を救済するたけの公的な支援事業なのである。レポートする本間氏は「彼ら(電通マン)の常識は世間の非常識である」と喝破する。

われわれの疑問は、記事中にある「なぜ広告代理店がこういう仕事を受注するのか」であろう。この疑問に、本間氏は「デンパク(電通と博報堂)」の巨大化と官庁との結びつきの強さであると解説する。それはデンパクが官僚の天下り先であり、多数の業者に事業を説明するよりも効率的に進められる、つまり官僚がラクをできるからだと。そして「週刊文春」でも明らかになった電通の「下請け圧力問題」である。徹底した公金使途の透明化が、今後のジャーナリズムの使命であろう。そして政治によるルールづくりである。

◆セックスワーカーへの視点

「セックスワーカーを含む すべての人の尊厳を守れ」(小林蓮実)は、「AWASH」代表・栗友紀子氏のインタビューで構成されている。AWASH(Sex Work And Sexual Health)はセックスワーカーの健康と安全のための、当事者によるグループだ。日本におけるセックスワーカーの法的な位置が、合法化と非犯罪化(合法化と犯罪化という法概念がある)にあることを、この記事で改めて確認できた。

非合法化とは、一般労働者と同じ権利を確保するというものだ。しかし風営法などで、一部合法化されているのも事実である。物議をかもした「岡村発言」への批判も、視点によって微妙なものをもたらす。このあたりは21世紀のジェンダーを考えるうえで、記事を手にとって欲しい。栗友氏の「労務自主管理」という提案は斬新だ。小林氏の仕事にも敬意を表したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

好評発売中!月刊『紙の爆弾』2020年8月号【特集第4弾】「新型コロナ危機」と安倍失政 河合夫妻逮捕も“他人のせい”安倍晋三が退陣する日

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