見よ、このタイトルを。教育利権を暴く総力特集と言って、はばかりないものだ。

 

月刊『紙の爆弾』2020年1月号好評発売中!

①「アベ友政治の食い物にされる教育行政」(横田一)
②「『幸福の科学大学』に萩生田文科相と癒着の構造」(藤倉善郎)
③「萩生田光一文科相が利権化目論む民間資格検定試験の実態」(三川和成)

内容を解説していくと、①が記述式導入(安西祐一郎=元慶応塾長・中央教育審議会会長のメモ)、英語民間試験導入(吉田研作上智特任教授)、そしてベネッセ人脈(シンクタンクの所長と理事)、東進ハイスクールの安河内哲也講師、ベネッセ関連団体の鈴木寛代表(元経産官僚・元参院議員)らの下村博文元文科相の人脈だ。派手な見出しキャッチを付けるとすれば、「民間試験導入に動いた闇の人脈とその利権――教育利権のネタにされた入試改革」とでもなるだろうか。

今後の取材の方向性としては、やはり教育産業とベッタリの下村博文元文科相の言動およびその裏にある利権構造の深さであろう。極右政治家でありながら開明派を気取り、文科官僚に強引な利益誘導を強いる(東大に民間試験導入をさせよと指示)手法は、とうてい看過できるものではない。

政治資金の闇(事実上の政治団体・博文会への反社資金)や「マルクス・レーニン主義の公教育を変えたい」という安易で的外れな言動(文部行政への参画時)など、この男の政治生命を早急に断つことこそ、反権力ジャーナリズムのテーマといえよう。

 

大川隆法『下村博文守護霊インタビュー』

その下村博文をすら守護霊インタビューし、その罵詈雑言や国家主義的教育観、岡田光玉(崇教真光の教祖で故人)との関係(幸福の科学大学の認可妨害)を批判していた幸福の科学教団が、萩生田文科相と癒着関係にあると指摘するのが②である。そもそも幸福の科学大学は、大川隆法の「霊言」を全学部共通科目にするなど、普通に考えて認可が認められるはずがないものだった。

にもかかわらず、幸福の科学は千葉県長生村に「ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ」(HSU)を開設しているのだ。教団傘下の高校のみならず、早稲田大学や慶応大学に合格していた受験生(信者)も、この無認可のHSUに「入学」させたという。そしてじつは、下村博文元文科相および萩生田現文科相が、HSUの学長人事をめぐって教団と交渉をしていた事実があったこと。「守護霊本」の刊行をめぐる取り引きやアドバイスをしていたことが、記事のなかで暴かれている。

それにしても、トンデモ教団のトンデモ大学である。教団の「幸福の科学大学シリーズ」89冊のうち、「霊言」というワードが1280件も検索ヒットするというのだ。あるいは「守護霊」「悪魔」「宇宙人」「UFO」なども多数ヒットする、およそ学問とは呼べない教育内容のどこに、文科省が指導する余地があるのか。この教団の大学認可策動から目を離すことはできない。

さらに、やはり萩-生田光一文科相の民間資格検定試験への関与を暴くのが③である。

「身の丈発言」で結果的に、英語民間入試の問題点を暴露した萩生田文科相だが、じつはそれを称賛する背後に、文教族のリーダーが森喜朗から萩生田に移りつつある反映ではないかと、記事は指摘する。すなわちベネッセと下村博文の抜き差しならぬ関係である。ところが、問題はベネッセだけではないと記事は暴いてゆく。

◆「桜を見る会」を刑事告発とある夫婦の悲哀

浅野健一の「安倍晋三『桜を見る会』買収疑獄」は、安倍晋三の税金私物化を容共地検に告発した実録である。浅野によれば、公金を使った飲食接待(随伴文化人や御用メディア相手)は「桜を見る会」だけではないという。これらの行為は「業務妨害罪」「贈収賄罪」にあたるとの見解(高山佳奈子京大教授・刑法)もある(記事中)。評者は思うのだが、数百人・数千人単位での集団民事訴訟を提起してもいいのではないだろうか。使われているのは、われわれの「血税」なのだから。

いっぽうで、安倍総理夫妻に切られた人々の悲哀は、読むに堪えないほどのものがある。「【森友事件】籠池刑事裁判 これは“首相反逆罪”か『夫婦共7年求刑』の無法」(青木泰)だ。たしかに補助金の不正受給があったのは事実で、籠池夫婦も認めているものだ。不正受給額の約2000万円は全額返済している。

にもかかわらず、詐欺罪で7年もの求刑が行われたのだ。あれほど肩入れしておきながら、不正受給や巨額の「不正」国有地払い下げがマスコミの餌食になるや、手のひらを返したように「わたしたち夫婦は無関係」(安倍総理)とばかりに切り捨てる。そして信義違反を告発するや、総理の意を汲んだ検察は、このレベルの事件では「極刑」に近い求刑を行なう。すでに文書改ざんで下級官僚が自死し、臭いものにはフタという流れの中でのスケープゴートである。

今回も自分の好み(政局・疑獄好き)で選んだ書評となったが、読んでお徳の600円(税込み)である。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

 

高部務『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』

著者は1968年に高田馬場にある大学に入学、と『一九六九年 混乱と狂騒の時代』の冒頭にある。ベトナム反戦運動のさなか、立川の高校に通っていたというから60年代末を多感な時期に体感したといえよう。そんな著者が週刊誌のトップ屋稼業をはじめた70年代からのエピソードをもとに、昭和の空気を味わうがごとく切りとった小説作品集である。実在の人物をもとにした小説であれば、仮名を用いてもそこはかとなく登場人物の息づかいが感じられ、暴露ものではないと思いつつも「あっ、これは誰それだ!」という興味が先を読ませる。なかなかのエンターテイメントなのだ。

たとえば、表題作「あの人は今」の西丘小百合は南沙織である。おりしも出版社系週刊誌の黎明期で、スクープをねらう芸能記者のうごき、事務所と結託した番組スタッフのうごめき、そしてその結果としての女性歌手のささやかな夢の実現。彼女が沖縄米軍基地および日米地位協定の理不尽さに憤りをもっているのは、わたしのような芸能界門外漢でも知っていることだけに、読んでいてリアルで愉しい。

◆昭和の芸能一家の喜悲劇

その西丘小百合こと南沙織が南田沙織としてブラウン管に登場する「蘇州夜曲」は、福島県いわき市の一家の父親が娘のかおりを歌手デビューさせようと奮闘する、70年代にはよくあった東北と東京の光景ではないか。700万円で戸建ての家が造れた時代に、資産家とはいえ1千万円単位でデビュー資金を要求される。坪3000円の土地担保で融資された4千万円は、すでにレコード大賞の審査員や著名な音楽家たちの懐に渡っているのだ。1億円近くを詐取された父親は、警察に告訴するも娘とカネはもどってこない。芸能界の華やかなステージの裏側に、こんな喜悲劇(せめて喜びもあったとしたい)は山とあったのだろう。我慢という名前の芸能プロデューサーが実刑判決を受けたのが、父親とこの作品にとっては唯一の救いだ。名曲蘇州夜曲が物語の背景にあることがまた、昭和のロマンを伝えてくれる。

「同窓生夫婦」も芸能界デビューを夢みる少女の物語だ。第二の山口百子(=山口百恵)を夢みた少女は、地方の勝ち抜き歌合戦をへて芸能プロに所属することになる。母親を援けたいという動機はしかし、女と駆け落ちをした父親との再会という、やや救いの乏しい現実から出発している。これが作品中に果たされないのは、読者にとっては虚しい。

ともあれ彼女は堀米高校(=堀越学園)に通いながら、同級生のライバルたちと凌ぎを削る。しかるに、凌ぎを削るのは異性関係の足の引っ張り合いというか、スキャンダルであるのは言うまでもない。少女は芸能プロの男とのあいだに出来た子供を堕胎したことを、新人賞をめぐるライバルの同級生にリークされ、賞レースの年末までに華やかなステージから沈んでしまう。救いは彼女を慕って(?)いた中学からの同窓生の男の子だった。おそらく今でも大半の歌手志望者が落ち着く、カラオケスナックを第二のステージにした歌手生活が、彼女のささやかな幸せを受け止めたのだ。喝采。

「マネージャーの悲哀」の麻田美奈子モデルがあるとすれば、大阪から上京した赤貧の母娘と言う設定なので、浅田美代子ではなく麻丘めぐみであろうか。そのアイドル候補に怪我をさせた件(濡れ衣)で母親に土下座させられたマネージャーは、女子大生ブームの新しいアイドルにも身代わりの土下座をさせられた末に、暴露本ライターに行き着く。ベストセラーになったらしく、かれは国道沿いにホルモン店をいとなむ。何というかまぁ、めでたし。

順番は前後するが「消えた芸能レポーター」は喫茶店のボーイから記者(芸能レポーター)になった元受験生が、じつは強姦犯だったというミステリアスな展開だ。作品のなかばからドキュメンタリータッチに感じられる筆致は、この原案が事実だったことを感じさせる。失踪した元強姦犯は樹海の中で死んだのか、それともまだ生きているのか――。


◎[参考動画]南沙織 夜のヒットOPメドレー

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「『季節』を愛読したころ」を寄稿。

高部務『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』

◎朝日新聞(2019年11月23日付)にも書評が掲載されました!
高部務〈著〉『あの人は今 昭和芸能界をめぐる小説集』(評者:諸田玲子)

 

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

自分が寄稿させていただいた本を解説するのも、最近では「自著を語る」というスタイルで雑誌や研究会に定着している。今回、デジ鹿編集部の要請もあって、いわば「共著」本を書かせていただくことになった。この本の肝心な部分は、それなりに学生運動や党派の歴史を知っている者にしか書けないということで、お鉢が回ってきたものとみえる。

もっとも「自著を語る」というスタイルは、人文系の専門書に特有のものであって、大著を読みこなす評者が限られているために、ふつうに書評を頼めば数ヶ月を要し、肝心の著書が本屋さんから返本されたころに書評が出るという、困った事態を回避するのが目的でもある。この書評がデジ鹿に記載されるころに、本書はまだ本屋の店頭を飾っているだろうか。

◆「7・6事件」とは何か

何を置いても、本書の最大の読みどころは「7・6事件考」(松岡利康)である。1967年10・8羽田闘争を反戦運動の導火線とするなら、68年は全共闘運動の大高揚の年、パリの五月革命をはじめとするスチューデントパワーの爆発。いわゆる68年革命の翌年、69年は挫折の年である。1月に東大安田講堂が陥落し、古田会頭以下の辞任と自己批判を勝ち取った日大闘争も、佐藤栄作総理の「政治介入」によって解決の出口が閉ざされていた。

全共闘運動が崩壊するなかで、70年安保決戦を日本革命の序曲とするために、ブント(共産主義者同盟)は党内闘争に入っていた。国際反戦デーの「闘争目標を新宿で大衆的に叛乱をめざすべきか、それとも日本帝国主義の軍事的中枢である防衛庁攻撃にすべきか」をめぐって、政治局会議で幹部たちが殴り合うという事態(68年秋)もあった。

そして「党の革命」「党の軍隊建設」を掲げ、首相官邸をはじめ首都中枢を3000人の抜刀隊で占拠し、前段階蜂起をもって日本革命の導火線にする。という主張をもった、のちの赤軍派フラクがブントの全都合同会議を襲ったのが、7・6明大和泉校舎事件である。重信房子さん(医療刑務所で服役中)の「私の『一九六九年』」と合わせ読めば、事件の概略はつかめると思う。

 

松岡利康/垣沼真一編著『遙かなる一九七〇年代─京都』

問題なのは、このブント分裂の引きがねとなった事件が尾ひれをつけて語り継がれてきたことだ。その結果、中大1号館4階から脱出するさいに、転落死した望月上史さん(同志社大生)が、中大ブントのリンチで手の指を潰されていた」という伝説になっていたのだ。その件を、ある作家の著書からの引用として『遥かなる一九七〇年代』(垣沼真一/松岡利康)に書いたところ、中大ブントを代表するという神津陽さん(叛旗派互助会)から、事実ではないとの批判が寄せられていたものだ。

検証の結果、中大で赤軍派4名を監禁したのは情況派系の医学連の活動家で、当初は暴力があったもののきわめて穏和的な「軟禁」であったという。証言したのは、わたしも編集・営業にかかわった『聞き書きブント一代記』(世界書院)の石井暎禧さん(現在は幸病院グループの総帥)である。軟禁中の塩見孝也さん(のちに赤軍派議長)らが、ブント幹部の差し向けたタクシーで銀座にハンガーグを食べに行っていた、などという雑誌記事を学生時代に読んだ記憶があるが、医学連OBの配慮だったかと得心がいく。中大ブントとひと言で言っても、数が多いのである。荒岱介さんの系列だったという九州の某ヤクザ系弁護士の中大OBを知っているし、情況派の活動家も少なくはなかった。その意味では「中大ブントがリンチ・監禁をした」というのは、あながち間違いではない。何しろ中大全中闘は5000人の動員を誇り、有名人では北方謙三が「赤ヘルをかぶっていた」とか、田崎史郎が三里塚闘争で逮捕されたとか、じつに裾野が広い。また目撃談として「塩見さんが生爪を剥がされていた」という証言もあるという。元赤軍派の出版物も出るので、今回の松岡さんの「草稿」がさらなる事実の解明で豊富化されることに期待したい。

それにしても、ブントは分裂して赤軍派を生み出し、最後は連合赤軍という同志殺し事件を生起させた。マルクス主義戦線派との分裂過程でも、暴力をともなう党内闘争はあった。その後、四分五裂する過程でも少なからず暴力はあった。けれども、寝込みを襲撃するとか出勤途中の労働者をテロるといった、中核VS革マル、革労協のような内ゲバには手を染めていない。だからこそ7・6事件という、いわば牧歌的な党内闘争の時代の内ゲバ死を問題にできるのであろう。死者が100人をこえる「党派戦争」の反省や総括の試みが、上記の党派からなされることは、おそらく絶対にないだろう。なぜならば「同志」は「死者」となったまま、いまも「闘っている」のだから、生きている人間が「誤りだった」などと言えるはずがないのだ。

 

板坂剛と日大芸術学部OBの会『思い出そう! 一九六八年を!! 山本義隆と秋田明大の今と昔……』

◆板坂剛の独断場

もう一本、本書の記事を推薦するとしたら、板坂剛さんの「激突対談」であろう。小中学校が同期だった中原清さん(仮名)とのドタバタ対談、激論である。前著『思い出そう!一九六八年を!!』の座談会では、真面目にやろうとしたことが仇となってしまったが、今回は相手にもめぐまれて、もう読む端から爆笑を誘うものになった。やり取りを引用しておこう。

板坂 だからおまえなんかにゃ判らねえって言ったんだよ。
中原 だったらこんな対談、無意味じゃねえか?
板坂 無意味じゃねえよ。
中原 俺には無意味としか思えんな。
板坂 それはおまえが無意味な存在だからだよ。
中原 やっぱりちょっと外に出ようじゃないか?
板坂 まだ終わってねえっつうんだよ。

もちろん内容もちゃんとある。ストーンズに三島由紀夫、中村克巳さん虐殺事件、日大芸術学部襲撃事件などなど。けっきょくこの対談を三回読み返したわたしは、いままた読み始めてしまっている。

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』関連記事
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』では「『季節』を愛読したころ」を寄稿。

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07YTDY97P/

 

月刊『紙の爆弾』2019年12月号

巻頭は「自民党政治家も絡む“原発マネー”をめぐる政官業の癒着構造」(横田一)だ。いまさらながら、原発マネーが地元発の金品受領事件として露見した、関西電力福井高浜原発。マスコミ報道では森山栄治元助役の剛腕が強調され、関西電力はあたかも「被害者」のように描かれているが、そうではないと横田は指摘する。

計画停電をチラつかせ、行政を手玉に取る手法はまさに原子力ムラのいっぽうの雄である。そして森山助役の力の背景に、自民党大物政治家の影があることを暴露する。その大物政治家とは、亡き野中広務元自民党幹事長である。そして森山元助役が部落解放同盟の県連書記長だったことから、野中との関係は想像できるというものだ。

これについては、部落解放同盟中央本部の組坂繁之執行委員長が10月7日付で「書記長は2年で解任され、解放同盟とは無関係」とコメントしている(「週刊新潮」ウェブ)。とはいえ、高浜町で自由にモノが言えない雰囲気を作ったのは、森山元助役の「人権」をカサに着た言動だったのではないか。さらなる取材を期待したい。

◆安倍長期政権の底流にある宗教・暴力団・カネ

「菅原一秀前経産相の卑劣なる取材妨害と『虚偽告訴』」(藤倉善郎)は、取材を申し入れたジャーナリスト(藤倉氏および「やや日刊カルト新聞」の鈴木エイト氏)を、菅原事務所が「建造物侵入」で刑事告訴したというものだ。菅原一秀は「カニ」「メロン」そして秘書香典の辞任大臣である。しかし今回、藤倉氏の取材テーマは、菅原一秀元経産相の「統一教会との関係」なのである。

カルトと安倍政権の分かちがたい関係は前号で既報のとおり、ここが長期政権の核心部分なのかもしれない。練馬の菅原事務所前での取材妨害は、そのままリアルに再現されているので臨場感たっぷりだ。突撃取材のノウハウにもなるので、ジャーナリスト志望者はぜひ参考にしていただきたい。

もうひとつ、安倍長期政権を支えているものは、暴力団との癒着であろう。「『カネ』と『暴力団』から始まった自公連合20年“野合”の底流」(大山友樹)は、自公連立の契機に、創価学会と後藤組(五代目山口組の武闘派組織)後藤忠政組長との関係を指摘する。

本欄で連載している「反社という虚構」には自民党政治家とヤクザの切っても切れない関係が選挙にあると指摘してきたが、創価学会の場合は、つねに付きまとう「正教不分離」のウィークポイントを、暴力の力でけん制するという乱暴な手法だった。都議会公明党のドン・藤井富雄(元都議)が「反創価学会議員対策」で後藤組長と密会しているところを、ビデオ撮影されていたのである。

これをネタに創価学会を「恫喝」したのが、亡き野中広務だという。22万部のベストセラーになった後藤忠政元組長の『憚りながら』(宝島社)を読まれた方は、組長の創価学会批判が「それまで散々働いてきた連中や、俺みたいに協力してきた人間を、用済みになったら簡単に切り捨てるようなやり方が許せん」の真意がわかろうというものだ。

テーマは政治ではなく芸能だが、暴力団記事がもう一本。周防侑雄に煮え湯を飲まされた笠岡和雄(元大日本新政會会長・笠岡組元組長)の反撃が待たれると予告するのは、編集部による「収監・元用心棒が握る“決定的証拠”芸能界のドンの暴力団人脈」である。周防バーニングプロ社長に用心棒として頼りにされ、共同出資で産廃事業に乗り出したところで頓挫。

この経緯については『狼侠』(サイゾー刊)に詳しいが、同書を反撃の狼煙にしたところを、仁科明子がらみの事件で逮捕、今年2月に2年の実刑判決を受けた。その背後に、周防社長の警察人脈があるのは明らかだ。そしてその周防の暴力団人脈こそ、笠岡元会長が最もよく知る住吉会系(笠岡組は住吉会の前身・港会の傘下組織だった)であり、六代目山口組(弘道会・司興業)なのである。今後の展開に注目したい。

◆国民の総反撃が始まるか?

田原総一朗インタビュー(林克明+本誌編集部)「『野党』と『世論』の可能性」が、久しぶりに田原の慧眼さを伝える。自民党の党内権力の一元化によって、党内はおろか国民まで巻き込んだ『消極的支持』が長期政権を支えている」と、田原は政治の劣化を読み解く。論点は消費税廃止、格差の是正(月収20万円以下が1000万人という現実)、そして失敗許容社会であるとする。この失敗許容とは、サラリーマン化した企業の経営者に対するものだ。アメリカでは3回か4回失敗しない人間は認められない(トランプか?)と田原は言う。

いっぽう、年内の衆院解散が噂されている。安倍政権のさらなる長期化のために、最短で12月解散、あるいは来年1月下旬、来年6月の都知事選との同時選挙が有りうる。というのは「衆院解散『2020年1月』安倍政権を終わらせる野党共闘の行方」(朝霞唯夫)である。党内政局の動きはすさまじい。二階俊博が麻生太郎に「もう一度、総理をやったらいい」(10月に2度、料理屋で会合)。これは安倍総理の総裁4選をうながす、隠然たるアドバルーンではないかと。朝霞は「れいわ新選組」の可能性について「参院選の遊説で見せた“言葉の破壊力”は凄まじいの一言。山本氏を加えて、どのようなスキーム、統一候補の筋書きを描けるかがカギとなりそうだ」とする。

連載では、シリーズ「日本の冤罪」の二回目が甲山事件。「れいわ新選組の『変革者』たち」は、辻村ちひろ氏だ。今回も好みで選んだレビューだが、読み応え満載の12月号をよろしく。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2019年12月号!

学生運動に興味のない読者(本通信では少数であろうが)にとっては、「全学連」も「過激派」も「共産党」も同じに見えるかもしれない。けれどもそれらは個々ずいぶん違う性質のものであるので、本日の文章をご理解いただくために、最小限の用語の意味だけご紹介しておく。

 

鹿砦社創業50周年記念出版!『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

◆「全学連」と「全共闘」

「全学連」とは「全日本学生自治会総連合」の略語で、各大学の自治会が寄り合った組織である。当初は一つであったが、60年安保闘争を前にして主流派が共産党と訣別し死者をも出しながら激しく闘い世界に「ゼンガクレン」という名を広めるほど有名になった。一方、反主流派の共産党系も「全学連」を名乗って今に至っている。共産党ではない(主として共産党から離脱した)新左翼系の「全学連」は、60年安保闘争後いったん解体し66年に、いわゆる「三派全学連」(ブント、社青同解放派、中核派)として再建され、60年代後半の運動を牽引したが、党派による連合体の形をとったが故に、利害関係などから長続きせず、やがて各党派ごとの「全学連」に移行する。ブント系を除き今でも各派で「全学連」を名乗っている。

これに対して「全共闘」は「全学共闘会議」の略称であるが、上記の「全学連」が党派連合なのに対し、「全共闘」は、党派も抱き込みつつ、党派による弊害を感じた学生たちが、自由意思により、大学(高校)ごとに共闘する運動体を打ち立てた。その先鞭として有名なのが「日大全共闘」であり「東大全共闘」である。

日大は日本一の学生数を擁する大学であったが、学内での集会の自由を認めない、など大学としての最低限のレゾンデートルも、踏襲していなかった。60年代後半、それまで学生運動とは無縁だった日大で、30億円に上る使途不明金問題が勃発。それに呼応する形で自然発生的に「日大全共闘」が結成される。このように、最初から旧来の党派ありきではなく、自然発生的に生まれ、それゆえ瞬く間に広がったのが「全共闘」運動の特徴といえるだろう。「日大全共闘」をはじめ、全共闘運動については『思い出そう!一九六八年を?』(2018年、板坂剛と日大芸術学部OBの会編著、鹿砦社)で経験者、板坂氏らが詳しく紹介しているので是非ご一読いただきたい。

そして、まさに「全共闘」が全盛を極めたのが1969年であった。『一九六九年 混沌と狂騒の時代』は「全共闘最盛期」の報告と副題を付すことも可能かもしれない。1969年は『一九六九年 混沌と狂騒の時代』に詳しい年表を付しているが、年始から実に様々な事件や、のちの世代に影響を残す事柄が集中的に起きていることに驚かされる。翌1970年に70年安保という大事件を控えながら、大衆運動としての学生運動は、『一九六九年 混沌と狂騒の時代』に寄せられた数々の原稿を目にすると、1969年でピークを迎えていたような印象すら受ける。
しかし、それはわれわれが、まだ1968年と1969年を解析したように、1970年(~代)についての充分な情報収集を行っていないからかもしれないが…鹿砦社では1968年・1969年に続き来年は1970年(~代)をテーマとした書籍を出版する予定だと聞いている。

◆同志社大学出身者たちが当事者として語る「東大安田講堂籠城戦」

さて、「全共闘」に話題を戻そう。全共闘は各大学で生まれ、参加者や議論の制約を設けない、新しい形の運動体だった故に、それまでの学生運動には距離を置いていた学生の中からも、参加者が劇的に増加する。

そんな中闘われたのが1月の「東大安田講堂籠城戦」だ。東大全共闘が中心であったが、全国から応援の部隊が駆け付けた。26日の本通信で、

《1969年を知る上で、もし、「安田講堂」闘争参加者に直接お話を聞くことができれば、この上なく貴重な資料になるだろうと考えた。しかしことはそれほど簡単ではない。あれからすでに半世紀が経過しているのだ。若くとも当時の学生は70歳前後になっているはずだ。しかも、ことがことだけに、簡単に質問にお答えいただける方は、なかなか現れない。当然だろう。当時の籠城学生は全員検挙されたのだから。探り当てては「勘弁してください」と“あのこと”については語ることを拒まれる方が続いた。》

とご報告した通り、証言者は当初見つからなかった。ところが偶然にも鹿砦社代表・松岡の先輩筋に、かつてその戦闘性で全国の学生運動を牽引した「同志社大学学友会」のOBの親睦団体「同大学友会倶楽部」でここ数年共に活動している方が安田講堂籠城組で、おそるおそる今回の出版企画への寄稿をお願いしたところ、単独の執筆は勘弁してほしいが「私の限られた経験でよければ」と“証言”を頂けるとのありがたい許諾を受けた。けっきょく6人の座談会となった。

松岡も私もかなり緊張し興奮しながら、取材当日を迎えた。“証言”を受けていただいた方は、2人が松岡と共に学友会倶楽部で顔を合わせたことのある方だったが、お二方はご親切にもご友人にもお声がけいただいて、取材には6名の皆さんがお集まりいただき「1969年」を振り返る「座談会」を催すことができた。いずれも同志社大学出身(中退・卒業)6名の皆さんに自己紹介からお話を始めていただくと、なんと3名が「安田講堂籠城組」であることがわかり、松岡もわたしも驚きの声を抑えることができなかった。

貴重な証言は細部に及んだ。同志社大学から、どうして東大闘争に駆け付けることになったのか? 京都を出発する時点で、「決死の闘争」へ参加する覚悟はできていたのか? 安田講堂内での守備位置はどこだったのか? 機動隊員が内部へ入ってきた時の様子は?われわれの質問は果てることがなく、参加いただいたみなさんのお答えにも、なんの躊躇もなかった。

これまでの報道では決して報告されなかった、いくつもの事実が初めて明らかになった。その多くは意外な事実であったが、中には例外的に大爆笑を止めることができないような“秘話”も含まれている。

現代史の発掘の妙味は、体験者に直接語って頂くことだ、とあらためて痛感した座談会であった。帰路松岡も、わたしも興奮が冷めやらなかった。お一人が語ってくれるだけでも望外だと思っていたのに3名もの証言者のご協力を得ることができ、それにより質疑ではなく経験者同士の対話も展開され、より事実の発掘が深まったからだ。この座談会「元・同志社大学活動家座談会   一九六八年から六九年」は間違いなくお勧めだ。

元・同志社大学活動家座談会

◆重信房子氏が回顧する「私の一九六九年」

さらにである。6名のうち5名の皆さんは、その後活動期間の長短はあれ、「赤軍派」に参加されていたことも判明する!

森恒夫、田宮高麿、遠山美枝子、坂東国男、重信房子…といった、多くの人たちがその名を知っている方々。

いずれも大事件に関係した、「あの時代」を知っている人であれば、興味のある人であれば何度も目にした名前が、直接の登場人物として話題に上る。上記4氏の中で、生死がはっきりしているのは重信房子氏だけである。森恒夫氏は赤軍派から連合赤軍を結成し、山岳ベース事件で多くの仲間をリンチ死に至らしめ、逮捕後、獄中自死した。

「あさま山荘事件」といえば、50代以上の誰もが記憶しているであろう、あの事件の前段での不幸ともっとも関係が濃密な人物である。坂東國男氏は、海外にいるとされるが、生死、消息不明だ。座談会出席者の中には森氏と、個人的に知り合いであった方もいた。そしてその方は森氏の危険性を予期していた!

田宮高麿氏は、「よど号」ハイジャックで朝鮮に渡ったグループのリーダーであり、遠山美枝子氏は山岳ベース事件で「自己批判」の末、命を絶たれることになった被害者だ。やはり座談会参加者の方からは遠山氏のお人柄も、証言されている。重信房子氏についてはさらに詳細な議論が交わされた。もうこれ以上本通信では明かすことはできない。

「おいおい、えらくコアな証言のようやな」と読者の声が聞こえてきそうだ。その通りだ。これだけでも読了後は結構な汗をかくのだが、最後的な決定打がさらに準備されている。

東日本成人矯正医療センターに収監されている重信房子氏も寄稿して頂けたのだ! シンプルに「私の一九六九年」という題で重信氏が回顧する原稿からは、一部マスコミのミスリードにより、「冷血なテロリスト」との印象を刷り込まれた読者諸氏に大きなショックを与えるに違いない。重信氏の人間性溢れる貴重な原稿だ。

いよいよ本日発売の『一九六九年 混沌と狂騒の時代』(税別800円、安すぎる!)にはその他にも「あの時代」の証言、告発、問題提起が詰め込まれている。
かつて松岡は『季節』という雑誌を発行していて、その5号、6号は電話帳のように分厚いもので、ある人に「奇妙な情熱」と揶揄されたというが、今回もA5判・224ページと、思った以上に分厚く、それでいて本体価格800円という安価――これもまた松岡の「奇妙な情熱」といえるだろう。

「絶対」という言葉は、よほど注意しなければ使わないが、あえて「絶対」にお勧めの一冊である。そして『一九六九年 混沌と狂騒の時代』は歴史に名を残す書籍になるであろうことを確信する。この種の本には珍しく1万部ほどを発行したという。松岡は強気だ! 売り切れ要注意、すぐに書店に向かうか、ネット書店や直接鹿砦社(sales@rokusaisha.com)にご注文を!(了)

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

鹿砦社編集部編『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07YTDY97P/

権力闘争、あるいは権力奪取闘争のなかで、意見の対立から、元は同志として同じ目的に向かっていた勢力が、分裂を起こすと近親感が憎悪へ変わり、激烈なぶつかり合いから、果ては殺し合いにまで行き着く。

この歴史は何度も教科書の上にすら登場させられることを忘れはしなかった。人間史の深く悲しい惨事の繰り返し。地層のように世界史、闘争史どの断面を切り取っても、対立→分裂→衝突→潰し合いは、人間が保持する克服しがたい、特質のように悲嘆に暮れるしかないのであろうか。

 

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

そんな疑問や問題提起が、引き金になっているのかどうかはわからない。松岡利康はかねてより、日本の左翼(新左翼)運動内で発生した「内ゲバ」に、人一倍反応し、同志や弱者に向けられる「暴力」に対して、極めて敏感に反応を続けてきた。現在まで5冊の書籍を上梓する結果になった(最初はこれほど多数の出版を、松岡自身が想定してはいなかったであろう)「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」へ取り組む松岡の姿勢が、まさにその証左である。

松岡はどうして「内ゲバ」あるいは、同志や弱者に向けられる暴力に対して、黙していることができないのか。共に取材を進め方針を議論する中でも、この質問を、直接松岡にぶつけたことはない。なんらか、かなり大きな経験なり、思索が「確信」にまで高まり、この種の問題から目を逸らせることを、松岡は無意識に自身に禁じさせている。わたしにはそうであろうとしか推測できない。

そこにはもちろん松岡が学生時代、日本共産党=民青のゲバルト部隊に暴行を受け入院させられた、肉体的苦痛を伴う個人史が作用してもいよう。しかし、そういった経験のある個人は、日本にも世界にも相当数存命中であるはずであり、その点において松岡の体験がことさら特別のものかといえば、必ずしもそうとは言い切れない。

◆リンチ事件への怒りと異議申し立て

4年ほど前になるであろうか「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」が複数筋から鹿砦社に持ち込まれた日(あるいは翌日だったかもしれない)松岡から受信した電話口での語り口調は、明らかに通常時通話のトーンと異なるものであった。あれ以来鹿砦社は自身も血を流す(比喩的な意味である)ことになる、「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」の解明と支援に向かい合うことになる。

松岡はリンチ事件を論じる際に、感情が高じると「常識的に考えて」という文言を繰り返し使う、としばしば感じた。「常識的」は穏やかな一般に共有される概念を指す言葉であるが、松岡が使う「常識的」には、一般的ではない複雑な思いが込められている、と感じたことが少なくない。

それは先に述べた通り、人間史で繰り返されてきた「人間の悪性」ともいうべき、近親憎悪が衝突→潰し合いへと向かうことが、当たり前であるかのような解釈に対する、怒りと異議申し立てではないだろうか。極言すれば松岡は、彼の人生史のなか、とりわけ学生運動に関わった時代の個的経験だけではなく、同時代に発生した幾つもの「内ゲバ」事件を「他人事」と呑気に過ごしていることができず、自身に向けられた「解決策を見出すべき至上命題」として受け取っていたのではないか。

◆高橋和巳と重なる松岡のベクトル

学生当時の松岡が、彼の周辺にさえ「反内ゲバ」を感情ではなく、論理として構成し説き伏せることなど、できようはずはない。しかし『一九六九年 混沌と狂騒の時代』の最後の原稿として松岡が著した長文「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」の冒頭で松岡は、一貫して「内ゲバ」に反対の意思を苦悶しながら表明し続けた高橋和巳「内ゲバの論理はこえられるか」から引いている。高橋和巳は苦悩する小説家として著名なとおり、内ゲバに対する論考も、常に原則的な否定論を維持しながら、しかし、ならば「いかなる論や行動が有効であるか」を示し尽くすことができないことに、重ねて苦悶する中で、人生を終えたのではないか……と、またこれも想像する。

おそらく、松岡を突き動かす原動力は、表現方法や行動において同一性は見られないかもしれないが、高橋和巳と重なる方向性とベクトルにあるのではないかと、わたしは感じている。

活動家ではなく研究者だった高橋と、一活動家だった松岡の反応とでは、当然大きな違いもある。そして、松岡が学生時代に生活していた学生寮が、卒業後に某悪質セクトに深夜襲撃され寮生が監禁・リンチされた際、松岡は即寮生支援に向かっている。まだ若かった松岡にとって「内ゲバ」あるいは同志、弱者に対する暴力は、許容できるものではなく、それへの怒りと反撃に激高するのは当然の生理的反応であったと理解する。その経験を松岡は否定はしまい。けれども、会社員から鹿砦社代表へ就任し、多くの出会いと出版物を編纂し、「暴露本」路線に一方では邁進しながら、突然の逮捕-勾留192日という辛酸を経て70歳近くの老境に至り、ふたたび松岡は彼特有の感性である「反内ゲバ」に立ち返ったのではないだろうか。

学生寮が襲撃された連絡を寮母さんから電話で受けた松岡の激高は、年月を経て「カウンター/しばき隊内における大学院生リンチ事件」に初めて接したときの「落胆を伴う驚愕」(これまた推測である)へと質的な変化を遂げていたのではないだろうか。2つの事件に共通するのは表層的な反応の違いではなく、「内ゲバ」=同志、弱者への暴力を「生来徹底的に嫌悪する」松岡の人間性である。

◆「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」

歴史と現状は、そのほとんどが闘争の歴史であることを証明している。闘争は必ずしも崇高なものではなく、私利や権力欲に由来する行為がむしろ主流であり、そこで振るわれる策謀、裏切りや寝返り、そして暴力や殺戮はそれこそ歴史的「常識」である。

ところが、松岡は本人が意識しているかどうか、まったく判然とはしないが歴史的「常識」に行動と言論で「異議あり!」との抗いを続けているように、私には思えて仕方がない。この壮大な作業に簡単な回答など準備されているはずもなく、したがって「死者を出した『7・6事件』は内ゲバではないのか?『7・6事件』考(草稿)」の最後にも「(草稿)」が付されているのではないだろうか。

本原稿は同志社大学の中心的活動家だった望月上史さんが1969年7月6日に、会議襲撃の報復として拉致され、約20日も監禁(軟禁)された末、脱出を試みた際に落下して、のちに死亡した事件を、関係者5名の証言(発言)を紹介しながら松岡が問題提起を行う形で構成されている。5名の証言(発言)をほぼカットなしで引用していることもあり長文となっているが、結論として「内ゲバ」について松岡がどう論を昇華させているかは、読者諸氏がお読みになって確認していただきたい。

人類史と必ず伴走する、闘争史。そしてそこに宿命的に付随するかのような「内ゲバ」と「排除の論理」への挑戦。無謀とも思われるが、人間にとっての一大命題への取り組みは松岡のライフワークなのかもしれない。

この他にも寄稿いただいた原稿はどれも力作の連続だ。松岡は(ストレスのためだろうと推測する)重篤な目の疾患の治療で、昨年秋から全く編集実務から遠ざかっていた。それにもかかわらず、片目1回4万5千円の注射を何度も打ちながら、ほぼ単独で編集した『一九六九年 混沌と狂騒の時代』は、明日10月29日発売だ。(つづく)

「望月君死ぬ」(1969年9月29日付け読売新聞夕刊)

「また内ゲバの学生死ぬ」(1969年9月29日付け朝日新聞夕刊)

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

鹿砦社編集部編『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

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◆1968年フランス「五月革命」と1969年「東大安田講堂」攻防戦

 

鹿砦社創業50周年記念出版!『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

1968年から1969年末までの2年間は、日本にとっても、世界にとっても特別な時代だったようだ。米国が「共産主義によるドミノ現象」を阻止するために、参戦したベトナム戦争に対する「反戦」運動が、合衆国本国だけではなく、日本を含む世界中で湧き上がった。

「反戦」から出発した運動は、各国の政権の問題へと矛先を向けてゆき、フランスでは1968年に「五月革命」が起こり、日本でも「べ平連」(ベトナムに平和を市民連合)が全国で広がりを見せ、70年安保を迎え撃つべく、学生運動、労働運動も急激に高揚し、1969年1月には、「東大安田講堂」での学生対機動隊の激烈な攻防戦が展開される。

8,500名とも1万名ともいわれる機動隊が、学生めがけて催涙弾を、地上から発砲し、上空からはヘリコプタが学生を狙い、タンクに貯めた水を投下する。学生たちは火炎びんや投石で機動隊に対抗する。

どうして1969年の1月、2日間にわたり、東大全共闘を中心とする学生たちは、安田講堂に籠城したのか。その事情を詳述しだすと、書籍一冊でも足りない歴史と背景がある。それでも、20歳そこそこ(20歳以下の人もいただろう)の学生たちは、奇跡的に勝利しなければ、逮捕確実なあの籠城闘争に、どんな思いで参加したのか。1969年を知る上で、もし、「安田講堂」闘争参加者に直接お話を聞くことができれば、この上なく貴重な資料になるだろうと考えた。しかしことはそれほど簡単ではない。

あれからすでに半世紀が経過しているのだ。若くとも当時の学生は70歳前後になっているはずだ。しかも、ことがことだけに、簡単に質問にお答えいただける方は、なかなか現れない。当然だろう。当時の籠城学生は全員検挙されたのだから。探り当てては「勘弁してください」と“あのこと”については語ることを拒まれる方が続いた。

「安田講堂」籠城学生経験者探しは、ひとまず棚上げし、やはりベトナム反戦を闘った方のお話もしくは原稿が頂けないかと、思案していたころ望外の玉稿が鹿砦社に届いた。路上で「ベトナム反戦デモ」に参加した人であれば、簡単に見つけることができる。だが、それでは迫力に欠ける。

◆作家・高部務氏が綴る「ベトナム戦死米兵の遺体処理アルバイト」

かつて都市伝説のように「ベトナムで戦死した米兵の遺体処理アルバイト」なるものがある、と東京を中心に語られていた。まさに「都市伝説」の走りともいえる、非日常性と恐怖感、そして野次馬根性によって彩られたような「ベトナム戦死米兵の遺体処理アルバイト」。それは実在したものであったことを、経験者、高部務氏(作家・ノンフィクションライター)が詳細にご自身の経験を、綴ってくださった。

高部氏がどのような状況で「ベトナム戦死米兵の遺体処理アルバイト」を経験したのか。高部氏は強制されたのか、あるいはみずから進んで、「ベトナム戦死米兵の遺体処理アルバイト」に携わらったのか。それらは『一九六九年 混沌と狂騒の時代』筆頭の回顧記事で明らかにされる。同書が読者にお送りする息をつかせぬ“衝撃”の幕開けである。すべては高部氏による「一九六九年という時代」で語りつくされている。読者諸氏は巻頭の高部解雇記事「一九六九年という時代」でまず、激烈な1969年のエッセンスに触れることになる。

1969年を語るには「ベトナム戦争」を外すわけにはいかない。そして1969年に視点を置けば、ベトナム戦争こそが、アメリカ合衆国を中心とする帝国主義の悪を象徴しているものであったし、南北問題の分かりやすい実例でもあった。

ただ、「反戦」を合衆国で、ベトナム現地で、欧州各国で、そして日本で叫びながら、解放勢力の勝利=米国の敗戦を、はっきりと確信できた人々はどのくらいいたであろうか。米国は建国以来内戦を除き、直接関与した戦争で敗戦経験のない国だ。その米国が、アジアの小国ベトナムに負けるなど、どれほどの人が1969年に予想しえただろうか。だが、一見無謀に見える“象とアリ”(このように表現するとベトナムには失礼かもしれない。ベトナムは米国以前にフランスに勝利した歴史もあるのだから。

でも国の規模から、あえてこの表現を選択させていただく)の闘いで奇跡が結果として訪れたのは、1969年(この年だけではないが)に最大級の盛り上がりを見せた、世界規模の「ベトナム反戦」運動が確実に影響していることは間違いない。世界最大軍事国の侵略戦争を小国が打ち破った。その背後には、世界の「反戦」の声があった。1969年はそんな奇跡が、現実化する前段階が無意識にも用意された年でもあった。(つづく)

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈1〉鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
〈2〉ベトナム戦争で戦死した米兵の死体処理のアルバイトをした……
〈3〉松岡はなぜ「内ゲバ」を無視できないのか
〈4〉現代史に隠された無名の活動家のディープな証言に驚愕した!

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

鹿砦社編集部編『一九六九年 混沌と狂騒の時代』10月29日発売!

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「企業は創業30年がピーク」だとする、やや古めかしい言い回しがある。企業だけでなく、私立学校などにも結構当てはまるこの言い回しには、なるほどと思わせる根拠がある。起業時に経営者が30歳であれば、30年後は60歳を迎えている。40歳ならば70歳だ。平均寿命が延びて、給与所得と年金が減った今日、企業労働者は60歳定年退職後も、嘱託として半額ほどに減じられた俸給で元の職場にとどまるか、あるいは第二の職場を探さなければ、生活を維持するのが難しい。だが「人生50年」といわれた時代には60歳定年前に、人生の定年がやってきたわけで、つまり事実上の「終身雇用」が生涯続く、ケースも珍しくはなかった。

志や理想に燃えて起業した、あるいは開学した経営者。早々に行き詰まり、こけてしまえば別だけれども、堅調な経営が続いていれば、創業30年で足場は固まり、「攻め」から「守り」に入る時期に中小企業では、落とし穴が待っている。保守化した経営者は独善的になり、みずからの経験則を第一に置き、商品開発や、会社の運営に提言しようとする、新しい従業員の声を聞かない。そのくせに起業(開学)当初の理念を捻じ曲げてでも自己正当化を図ろうとする。だいたい、そんなパターンで30年は転機として訪れるようだ。

◆2005年7月松岡逮捕─長期勾留という分水嶺

今年は鹿砦社創業50周年にあたる。本通信を毎日のようにお読みいただいている読者のみなさんからは、驚きの声が聞こえてきそうだが、1969年に鹿砦社は創業したのだ。そこで「企業は創業30年がピーク」説を当てはめると、1999年に鹿砦社も分水嶺を迎えていたことになる。1988年に3代目社長に就任した松岡は、それまでの硬派一辺倒路線から、芸能界を中心とする「暴露」路線にもウイングを広げた。ジャニーズ、タカラヅカ、阪神タイガース、日本相撲協会などを相手に次々と「暴露」を連発。当時鹿砦社とのつき合いが皆無だったわたしは、てっきり「トップ屋」出版社とばかり思い込んでいた。

1999年はノストラダムスにより「人類破滅」が予想されていた年で、『ノストラダムスの大予言』で儲けた出版社は、夜逃げの準備をしていた(憶測である)。なにも起こるはずがない1999年はさらりと過ぎて、いまやノストラダムスの名前すら若い人は知らないだろう。鹿砦社は「暴露」に次ぐ「暴露」の対価として、多くの訴訟を抱えることになる。それでも起業30周年の1999年は無事経過することができた。

今年亡くなった『噂の眞相』編集長・岡留安則氏との対談『スキャンダリズムの眞相』(2001年、鹿砦社)のなかで、松岡は岡留氏から、係争についての忠告を受けている。そして岡留氏の予言的忠告は、鹿砦社創業30周年から遅れること、6年目に現実のものとなる。2005年7月12日、神戸地検特捜刑事部に「名誉毀損」容疑で、松岡は逮捕され、192日もの勾留を余儀なくされたのだ。『噂の眞相』も刑事告訴され、『スキャンダリズムの眞相』が発刊された当時は、一審で争っている最中だったが、岡留氏ともう1名の被疑者はいずれも在宅起訴であり、松岡の逮捕―長期勾留は出版界では大きな事件として、記録に残っている。

取締役や社員の何人もが、鹿砦社を見捨て、離れてゆく中で、入社2年目、まだ20代前半の中川志大、現『紙の爆弾』編集長がほぼ単身で、松岡不在の間踏ん張り続けたことは特筆されるべきだろう。中川に「どうしてあの時鹿砦社を辞めなかったのか?」と聞いたことがある。「みんな辞めて行っちゃったから、残ろうかなと…」と肩透かしのような答えが返ってきた。中川の強みは、松岡と対称的に「闘志や喜怒哀楽を表に出さない」ところだと推測する。『紙の爆弾』廃刊どころか、会社倒産か廃業の危機のなかから、鹿砦社は奇跡的な復活を遂げる。

◆鹿砦社創業50周年に〈1969年〉を掘り下げる

社員でもない無責任な立場から、鹿砦社の半世紀を、あれこれ論評するのはためらわれるが、ご心配なく。半世紀にわたる鹿砦社の歴史は『一九六九年 混沌と狂騒の時代』に詳しい年表が収録されている。松岡から鹿砦社社長就任についての逸話は聞いたことがあった。しかし、鹿砦社創業に関わった方のお話は聞いたことがない。こちらもご心配なく。鹿砦社創業メンバーのお一人である、前田和男さん(現『続・全共闘白書』事務局)に松岡が直々に鹿砦社創業当時のお話を伺った。

このように『一九六九年 混沌と狂騒の時代』は鹿砦社創業50周年記念として、原点を振り返る。これをひとつの旋律としている。硬派出版社として出発し、芸能、暴露本路線にもウイングを広げ、会社存亡の危機を経て、危機から回復、日本唯一の脱(反)原発季刊誌『NO NUKES voice』を創刊するなど、近年地味ながらも存在感と、心ある識者からの評価を上げてきた鹿砦社。この不思議な出版社誕生から今日までの歴史を振り返るとき、1969年という“特別な年”を掘り下げずに、なにが語れるであろうか。

お定まりの社史編纂では、つまらない。鹿砦社の50周年出版物であれば、当然、鹿砦社視線の〈1969年〉を浮かび上がらせなければ意味はない。そしてそれは、予想以上の成果として貫徹された!『一九六九年 混沌と狂騒の時代』が鹿砦社の歴史をつまびらかにすることを、ひとつの旋律にしていることは述べた。しかし主旋律は違う。あの年、その後の日本、いや世界中を根底から揺さぶる運動体の胎動があったのだ。そこに迫らずして鹿砦社は〈1969〉年を語ろうとは思わない。(つづく)

◎鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』発売を前にして
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◆二階斬りに失敗した安倍総理

安倍新内閣の総評が、「安倍内閣を構成する『こんな人たち』に負けるわけにはいかない――派閥にとらわれてボロだらけ」(朝霞唯夫)、「問題集団との関係にまみれた『安倍カルト内閣』」(藤倉善郎)、そして「小泉進次郎の正体は官邸言いなり“客寄せパンダ”」(横田一)である。

 

創業50周年タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』11月号!

本欄でも指摘してきたとおり、派閥順送りの閣僚人事はサブタイトルにあるように「ボロだらけ」である。武田良太国家公安委員長のヤクザ交際。78歳の竹本直一科学技術・IT担当大臣(日本の印章制度・文化を守る議員連盟会長)の「ハンコを大切に」発言、橋本聖子五輪担当相の高橋大輔とのキッス。そして菅原一秀経産大臣のパワハラ。

しかし諸悪の根源は、理念や政策によらない派閥の領袖・二階俊博幹事長(80歳)の続投であると、朝霞は指摘する。幹事長続投をめぐる安倍・二階会談は「どうなってもいいなら、どうぞ」という二階の切り返しで、安倍の「引き続き、お願いします」となったという。「この間、わずか30~40秒だった」。二階斬りに失敗した安倍は、派閥順送りの「ボロだらけ」を囲い込むことになったのだ。

◆カルト内閣

ヒトラーとチャーチルが、ともに占星術に凝っていたのは有名な話だ。ヒトラーは作戦計画にも占いを持ち込み、国防軍の将軍たちを辟易させたという。占星術はまだしも個人的な趣味にすぎないが、宗教と政治が結びつくことで、政教一致委という戦前の国家神道に代表される宗教国家が出現する。だからこそ憲法は20条3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と規定しているのだ。

個人(私人)としての信仰はともかく、大臣(公人)としての靖国参拝が問題視されるのは、憲法に抵触するグレーゾーンであるからだ。じつは安倍内閣は多くの閣僚が、そのグレーゾーンに踏み込んでいるのだ。

閣僚の多くが、神道政治連盟(略称・神政連)日本会議統一教会(現・世界平和統一家庭連合)霊友会不二阿祖山太神宮などの会員なのだ。とくに安倍総理は多くの宗教団体にかかわり、高額お布施で信者から訴訟を受けているワールドメイトにも関係しているという。

政治家の多くが、その集票力を頼んで宗教団体と関係を持つわけだが、政教一致を禁止している憲法のもと、宗教団体の献金は禁じるべきであろう。創価学会と公明党の関係にも、そろそろ明確な法の処断が必要ではないか。宗教は個人のものであり、政治に介入するべきではないのだ。

◆小泉進次郎の不勉強・無策が明らかに

横田一の論考では、小泉進次郎の「客寄せパンダ」としての実像が明らかにされている。都合の悪い質問は聞き流し、ソフトなパフォーマンスで政権のイメージをアップする。そのいっぽうで、安倍政権の原発推進政策にはまったく踏み込まない「原発ゼロ政策」の欺瞞性。横田一はあまり触れていないが、小泉進次郎を人寄せパンダにすることで、その「ボロ」を出させ、将来の政敵のひとりを葬るのが安倍総理の思惑ではないか。

本欄でも記事を書いている小林蓮実の「実録・台風15号の『人災』」は、ご本人が南房総市在住である。停電でATMを使えず、懐中電灯と水・食料を買ったら手持ちが40円に。この日、東京でのイベントに彼女を招いたのは、ほかならぬわたしで、その講演料が少しでも役立ったのか、それとも災害時に負担をかけたのか忸怩たる思いだが、彼女の行動力には感謝しかない。

行政の対応の遅れが、住民にどんな「二次災害」を与えるのか。記録して教訓とすべきであろう。これを書いている10月10日現在、新たな大型台風19号の接近、関東地方直撃が確実視されている。行政の準備を期待したい。

宮崎県都城市議会の「政治倫理」をめぐる攻防(中東常行)は、地方議会にありがちな疑惑事件の数々、セクハラ、地元政界と警察の癒着を告発した女性ブロガーの怪死事件、市庁舎の整備事業の不透明など、事件好きの好奇心を煽る。

木村三浩(一水会代表)は久しぶりの執筆。内閣官房参与・飯島勲の外交シーンにおける傲岸な態度(フランスが準備したホテルの部屋が気に入らないと勝手に帰国)を枕に、政治とマスコミが傷つけている日韓両国民の関係を掘り下げている。切れ味の良い論考だ。

三田和成の「“横浜のドン”がカジノ反対派になった理由」は、藤木幸夫港湾組合会長の人となりを伝える。父親がヤクザの親分(埋地一家総長)だったのは初見である。IR(カジノをふくむ)の誘致をめぐって、どんな展開が待っているのか、注目したい。

「シリーズ・日本の冤罪」が始まった。初回は本欄でもおなじみの尾崎美代子(釜ヶ崎でフリースペースを主宰)の「湖東記念病院事件」である。鹿砦社系ライターの得意とするジャンルだけの連載に期待したい。

以上、筆者の好みだけでピックアップさせていただいたが、ほかにもファクトでインパクトのある記事満載。「紙の爆弾」11月号をよろしく。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

タブーなき言論を!絶賛発売中『紙の爆弾』11月号! 旧統一教会・幸福の科学・霊友会・ニセ科学──問題集団との関係にまみれた「安倍カルト内閣」他

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

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