1月14日に工藤會トップ2人への論告求刑が行なわれ、野村総裁には極刑が求刑された。西日本新聞から引用しよう。

「市民襲撃4事件に関与したとして、殺人や組織犯罪処罰法違反(組織的殺人未遂)の罪に問われた特定危険指定暴力団工藤会トップで総裁の野村悟被告(74)と、ナンバー2で会長の田上不美夫被告(64)の公判が14日、福岡地裁(足立勉裁判長)であり、検察側は「危険な人命軽視の姿勢に貫かれた工藤会が、組織的に行った類例のない悪質な犯行」として野村被告に死刑を求刑。田上被告には元漁協組合長射殺事件で無期懲役、他の3事件で無期懲役と罰金2千万円を求刑した。両被告は一貫して無罪を主張しており、3月11日に弁護側が最終弁論して結審する。」(2021年1月14日西日本新聞)

ほぼ予想された死刑求刑だったが、現実のものになると感慨深いものがある。近年の暴力団裁判の審判例から考えて、野村総裁への死刑求刑はそのまま判決に反映されるであろう。田上会長への無期刑もしかり。ヤクザの場合は組織離脱(引退)をもって「改悛の情」をしめさない限り、無期懲役刑での仮釈放はありえない。したがって、無期判決は終身刑を意味するのだ。


◎[参考動画]工藤会トップに死刑求刑 福岡地裁 (福岡TNCュース2021年1月14日)

◆直性証拠がないまま、元構成員の証言を採用か?

両被告が起訴されたのは、元漁協組合長射殺事件、元福岡県警警部銃撃事件、看護師刺傷事件、歯科医師刺傷事件の4事件である。いずれも両被告の関与を示す直接証拠がない中で、実行犯組員たちへの指揮命令の有無が最大の争点となっている。弁護団は証拠なしの検察「立証」に猛反発している。

「両被告の弁護側は公判終了後、『証拠が無いでたらめな立証だ』と強く批判した。」(前出記事)

物的証拠や命令などの直接証拠がないまま、組を離脱した実行犯のいわば司法取引にひとしい自白証拠で、事件を決着させようというのである。

検察側は論告求刑において、工藤會には上意下達の厳格な組織性があると強調した。4つの事件は計画的、組織的に行なわれており「最上位者である野村被告の意思決定が工藤會の意思決定だった」と言及している。田上被告については「野村被告とともに工藤會の首領を担い、相互に意思疎通して重要事項を決定していた」と位置づけた。

肝心の「意志決定」とその「命令」や「伝達」は明確になされていない。親分の意志をおもんぱかって「実行」するのがヤクザの原則だというのならば、民法の使用者責任での立証ということになるはずだが、この論法での検察側敗訴は少なくない。判決が注目されるところだ。

◆警察官僚の狙いは壊滅ではない

トップに対する極刑求刑のなかで、工藤會の実態はどうなっているのだろうか。じつは筆者が編集長をつとめる雑誌『情況』最新号(本日1月19日発売)において、久々に工藤會幹部のコメントがとれた。

筆者は先代(溝下総裁)の時代から取材をさせてもらい、警察の一方的な「反社キャンペーン」を批判する、事実に基づいた報道に努めてきたつもりである。

ヤクザ報道がマスメディアにおいて「反社勢力キャンペーン」としてしか行なわれず、ヤクザの言い分は封じられてきたのは事実である。

そしてヤクザの親分衆を称賛するような記事は、書店のとりわけコンビニ系から忌避されてきた。福岡県においては、条例でヤクザ系雑誌を排除することも行なわれ、老舗雑誌は休刊を余儀なくされた。(「『反社会勢力』という虚構〈1〉警察がヤクザを潰滅できない本当の理由」2019年10月9日

国民的な議論をぬきに、反社というレッテル(かつて、日本の青年学生運動は、過激派・極左暴力集団とレッテルを貼られてきた)で社会的に排除する。それは官僚の価値観のもとに統制する、ファシズムに近い統治形態をもたらすものと言わざるを得ない。

そしてヤクザの側も、警察との古き良き関係を再度築こうと、反社キャンペーンには「沈黙」(山口組山健組のスローガン「団結・報復・沈黙」)してきたのが実態である。したがって、暴対法下のヤクザ取材はきわめて厳しいものがある。

幹部の下獄や長期拘留で、なかなかインタビューも難しくなっていたところ、「(横山)先生。わたしもこれで、またパクられるかもしれんですが」と言いつつ、応じてくれたインタビュー(独白形式)である。じつは右翼特集のときに、工藤會が親戚付き合いのある住吉会をつうじて、日本青年社の任侠系幹部に取材しようとしたところ、なかなか話が通じず(伝手の物故者が多かった)、その穴埋めとしてインタビューに応じてもらったのである。

『情況』最新号(1月19日発売)より

『情況』2021年01月号からすこし引用しておこう。

「福岡県警には警察庁から暴対専門の本部長が送り込まれて、もうこれで工藤會は潰されるなと、誰もが思うたことでしょう。なにしろ、全国で唯一の「特定危険指定暴力団」ですからね。」

「それから十年になりますけど、工藤會は潰れておりません。暴排条例はヤクザと付き合うな、経済的なことで付き合うたら、その者も処罰すると。公共事業から締め出すという条例です。うちと付き合いのある業者も、一時的には身動きがとれんことになりました。しかし、工藤會は潰れていません。元暴対本部の者が自著に書いております。『工藤會は弱体化したといえるだろうが、まだまだ壊滅にはほど遠い状況である』(『県警VS暴力団』)。

なぜかというと、わたしたちには生きた人間関係があるからです。カネで結びついとるだけでしたら、うちは本当に孤立して社会から締め出されたかもしれませんが、そうやない。絆(きずな)というものがあるんです。社会というものは人と人の付き合いです。いくら条例で縛り上げても、それを断ち切ることはできんのではないでしょうか。社会というのは、けっきょく人間なんです。憲法違反の条例で無理やり引き離そうとしても、それはうまくいきませんよ。」

「警察庁は沖縄をのぞく全国から警察官を北九州に動員して、一二年から工藤會壊滅作戦を実行しました。これの本当の狙いは、警察庁による予算の確保やないでしょうか。」

として、工藤會の幹部は「暴力団追放センター」が年間事業費7000万円という税金からの補助金を柱にした、資産18億の公益財団法人であること。警察官から天下った専務理事の給料が、なんと月額48万円もの高額であることを明らかにしている。

◆本部跡地の売却金が被害者側へ

工藤會は事務所機能がほぼ停止し、幹部会のほかの組織的な活動は実質的に自粛しているという。逮捕は構成員の数をこえる延べ数百人におよび、いまも三桁の組員が拘留ないしは刑に服している。

二次団体以下、傘下の各組においても代紋を出さないのはもちろん、組を名乗らずに一般企業としての活動に専念しているようだ。この場合、大きなフロント企業ではなく、家族が経営する飲食店などである。本部跡地の売却も順調に終えたという。ふたたび西日本新聞からである。

「北九州市などは(12月)18日、特定危険指定暴力団工藤会の本部事務所跡地(北九州市小倉北区)の売却で工藤会が得た売却益約4千万円が、同会が関与したとされる襲撃事件の被害者側に賠償金として支払われたと発表した。」

経過については、「故溝下秀男名誉顧問の導きではないか 九州小倉の不思議な機縁 工藤會会館の跡地がホームレスの自立支援の拠点に」(2020年2月19日)を参照されたい。

ヤクザの将来を占うといわれている工藤會への頂上作戦とその結果(判決)、およびそれを通じて変化する組織のありよう。今後も注視していきたい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

◆殺害と傷害の指示を否認

総裁(先代組長)・会長(組長)・理事長(若頭)の3幹部、および事務局長ら主要な幹部が獄に囚われ、本部会館も手放さざるをえなかった工藤會(北九州市)。その3幹部の公判が佳境に入った。とりわけ、殺人と暴行障害などの罪名で、懲役に換算すると30年以上は求刑される野村悟総裁、田上不美夫会長の裁判に注目があつまる。

何しろその犯行態様は、対立する元山口組組員(漁業組合長)の息子(歯科医)を襲撃し、なおかつ組合長をも殺害。県警の元警部(工藤會担当)を殺害。さらには、野村会長の下腹部の施術を担当した女性看護師を襲撃、というあまりにも言い訳のしにくい事件なのだ。福岡県警のいう「無差別市民襲撃」とまでは言えないとしても、任侠道にもとる事件であろう。

ふたりは本人尋問で、いずれも犯行の指示を否認した。裁判での本人尋問では、以下のようなやり取りがあった。野村総裁への質問から一部を抜粋する。

── 施術のとき、どうでしたか?
野村 脱毛のレーザーを当てました。レーザーが強くなったと思ったら、体がピクッとなった。
── 誰が担当したのか?
野村 (被害者の)看護師です。
── 何と言った?
野村 「あーら、野村さんでも痛いんですか。入れ墨に比べたら痛くないでしょ」と。
── どう思った。
野村 ちょっとカチンときました。
── 看護師を傷つけることを指示したか?
野村 いえ、そんなことはありません。
── 承諾したことは?
野村 ありません。
── 指示や承諾以外で何らかの形で関与したことは。
野村 ありません。
── 逮捕された時、警察や検察から工藤会組員の犯行と聞かされてどう思ったか。
野村 絶対にそれはないと思いました。
── いま現在はどう思っているか
野村 工藤會の組員が関わっていたんやなと思っています。
── いま何かこの事件のきっかけで思い当たることは
野村 深く考えたら、私が愚痴ったことが組員に伝わって変なふうになったんかなとも考えられます。
── 愚痴を言った場面については
野村 風呂上がりに脱衣所で着替える前に薬を塗ります。脱衣所には部屋住みの人間が4人くらいいる。看護師の顔を思い浮かべながら「あのオバハンが」とか言いながら(薬を)塗っていたと思います。

この野村の「不満(恨み)」を、組員たちがおもんぱかって看護師襲撃に走ったというのである。

── 襲った人たち(組員)には、どういう感情を?
野村 ちょっと許しがたいようなものがありますね。何の理由もなく他人を傷つけることは許せません。まして世話になっとる看護師を。通り魔以下の事件です。許せんです。
── 女性や子どもを襲ってはいけないと?
野村 常識的に分かると思います。事情があれば分かりませんけど、常識的に考えてもらわんといかんのはあります。
── 破ったら処分を受けるか?
野村 組員が通り魔をすれば処分になる。看護師が被害者であれば、世話になっとる人ですから、これは絶対に処分の対象になると思います。
── 組員は処分の対象になるか?
野村 なると思います。
── 「工藤會憲法」では堅気に迷惑をかけてはいけないと。女性を襲うことは許されませんね。しかし処分を受けていない。
野村 処分については、私はどうせいこうせいと言う権限はありませんし、収容されてどうすることもできん。執行部が考えると思います。

これまでにも野村総裁は、組の運営は執行部に任せているので、直接の関与はないと主張してきた。暴対法が施行されてから、ヤクザ組織は集団指導制を採っているのは確かで、その主張がどこまで認められるかであろう。

いっぽう、会長の田上不美夫被告は、襲撃について「知っていたら『バカなことはやめろ』と止めている」と、これも関与を否定した。

司法関係者のあいだでは、民法の使用者責任は「抗争事件」を組の「業務」とした場合に適用される(拳銃の所有など、判例あり)。今回の場合、共同正犯や共謀罪が適用されるのか、それとも上意下達の組織であるから、親分の意を汲んで子分が実行したことに謀議が認められるか、法適用に微妙なものがあるとしている。実行犯の組員たちの供述書(未開示)がどこまで3幹部の関与に踏み込んでいるのかによる。

筆者も過去に溝下秀男最高顧問(四代目工藤會総裁)および側近を取材し、その著書を編集した関係で、このかん何度か取材をこころみた。残念ながら「いまは捜査当局を刺激したくない」「今回の事件は、かならずしも正面から説明できるものではない」「深くは話せない」との反応だった。ある意味、嵐が通り過ぎるのを待つという判断は当然のものだろう。工藤会館を手放すことで、公然活動を自粛している工藤會にとって、隠忍自重の時期といえるのだろう。

昨年の夏、この通信でレポートしたとおり、ことあるごとに工藤會が情報を発信していた『実話時代』が事実上の廃刊となった今、本通信こそが唯一とまでは言わないが、なるべく工藤會の近況をお伝えすることを約束しておく。じつは編集を主幹している雑誌でも取材を始めているので、その成果の掲載できない分は本通信で明らかにしていきたい。


◎「現場から、平成の記憶」武闘派暴力団との熾烈な戦い(TBS JNNニュース 2019年1月8日放送)

◆代表代行の交代が意味するもの

今月に入って、獄中の野村総裁と田上会長が、獄外の代表代行を交代させた。西日本新聞の記事から紹介しよう。

「田上被告らは、会長代行(73)を退任させて、別の2次団体組長(60)に実質的な暫定トップを任せた。人事の背景には、組員が組織に納める上納金の集金を巡る会長代行と田上被告のあつれきがあった模様だ。」

トップ3が社会不在となった当初、代表代行は本田三秀(本田組組長)だったが、その後はしばらく山本和義(二代目矢坂組組長)が務め、今回は長谷川泰三(長谷川組組長)に交代となったものだ。

改正暴対法、暴排条例、コロナ禍のもとで、末端組員たちのしのぎが厳しさを増している。今回の代表代行の交代は、文字どおり財政難としての危機が組織を直撃したものといえよう。工藤會のみならず、山口組の分裂の原因となった運営費(上納金)問題である。

92年の暴対法成立の過程で、今までのようにはいかない。ヤクザも節度のある生活で時代に対応しなければならない、という警句は必ずしも組織の本家において実行されなかった。工藤會に対する頂上作戦は、ヤクザ組織に新たしい課題を突き付けたといえよう。


◎[参考動画]工藤會 101-EAST Battling the Yakuza ダイジェスト版(Kudokai1888 2012/08/25)

◆山口組髙山若頭の来福が意味するものは?

いっぽう、六代目山口組の髙山清司若頭が、獄中の野村悟工藤會総裁のもとを訪ねた。先代の溝下いらい親戚関係にある住吉会の会長をはじめ、全国のヤクザ組織のトップが、激励のために面会へと訪れてきた。そうした中でも、髙山若頭が野村被告のもとを訪れたことは、業界内で大きな話題となった。

六代目山口組から神戸山口組が分裂した2015年、工藤會が加盟する九州の四社会(工藤會・道仁会・太州会・熊本会)は、それまで友好関係にあった六代目山口組との関係を凍結することを宣言したのだった。

その理由は、道仁会から分裂した浪川会(現・二代目浪川会)にあった。浪川会は旧九州誠道会であり、道仁会から分裂した組織なのである。かつては十数名の死者を出す骨肉の争いをした相手であり、そのバックには菱の代紋の支援があった。そしてそもそも、道仁会自体が山口組(五代目時代)とは血で血を洗う山道戦争を繰り広げた過去を持っているのだ。

工藤會は広島共政会沖本勲元会長と溝下三代目が兄弟で、廻り兄弟として山口組の元若頭補佐桑田兼吉(いずれも故人)と親戚関係にあったが、溝下は大の山口組嫌いでもあった。「大きいところに巻かれろ、という性根が気に入らない」というものだ。

福岡市には、伊豆組(青山千尋二代目が本家舎弟頭で九州ブロック長)という六代目山口組の有力二次団体のほかに、一道会(浅川一家の後継団体、一ノ宮敏彰会長)がある。大分市にも石井一家(生野靖道四代目が本部幹部役員)、熊本市にも三代目稲葉一家(田中三次組長)が存在する。ほかに福博会(福岡市、金城國泰四代目)も、歴代の会長が山口組の後見を受けている。

九州ヤクザの抗争史は、山口組の九州進出をめぐる抗争(夜桜銀二事件、紫川事件、別府抗争など)だったと言っても過言ではない。山口組が進出しようとすれば、かならず結束して対抗、阻止する。山口組と共存時代になった今でも、これ以上の進出は許したくないのが本音だ。

それが今回、髙山若頭が野村被告の面会へと足を運んだことで、六代目山口組と九州四社会との交流が再会される可能性があるのではないかと、ヤクザ関係者のあいだで観測されている。


◎[参考動画]工藤会本部、取り壊し開始 暴力団排除加速へ(共同通信2019年11月22日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。医科学系の著書・共著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)『ホントに効くのかアガリスク』(鹿砦社)『走って直すガン』(徳間書店)『新ガン治療のウソと10年寿命を長くする本当の癌治療』(双葉社)『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)など。

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◆神戸山口組、二度目の分裂

神戸山口組の分裂が進んでいる。それも井上邦雄組長の出身母体である山健組およびその傘下の組が、そろって離脱するというのだ。すでに6月段階で獄中の中田浩司山健組組長から、離脱するとの意向がもたらされていたものだ。

この7月22日には、兵庫県高砂市内の喫茶店を借り切って、山健組の会合が開かれ、約二時間の話し合いののち「方向性が決まった」(参加した組長)となったという。参加者は20団体の組長で、それぞれが「一本独鈷(いっぽんどっこ)でやっていく」方向性だとされる。

織田絆誠(金禎紀)をはじめとする若手組長が、任侠山口組(現在は「絆會」)として離脱していらい、神戸山口組は二度目の分裂となりそうだ。離脱の理由は、任侠山口組のときと同じく、会費(上納金)をめぐってと観測されている。

◆高い会費がネックに

神戸山口組が六代目山口組から分裂したとき、100万円ちかい会費(上納金)と日用品の(本部からの)強制購入が負担になっているという理由だった。

分裂後の神戸山口組は、直参で月40万円から60万円とされていたという。コロナ禍でシノギもままならない中、会費以外にも盆暮れやイベントごとに支出を求められる。傘下組織にはかなりの負担になっていたようだ。そこで中田組長が会費減額を決めたところ、これに井上組長が異を唱えたのが実相だという。

ヤクザのシノギをめぐる、当局の締めつけは厳しい。フロント企業の公共事業からの締め出し。繁華街での用心棒代はもとより、組員直営の店への排除(暴力団お断りの店ステッカーなど、客への店の選別強要)も露骨なものがあった。さらにコロナ禍による繁華街の不況は組織の収益を直撃し、個々の組織の財政状態が組織離脱を決定的なものにしたようだ。

ところで、肝心の中田浩司山健組五代目は、昨年8月に起きた六代目山口組弘道会系の幹部銃撃に関与したとして、現在も拘留中の身だ。

警察関係者によると、「山健のトップ自らヒットマンとして報復に動いたと暴力団関係者は仰天しましたが、中田氏は否認を貫いています。本人は無罪を勝ち取り、数年で復帰できると自信を持っており、獄中から弁護士を通じて離脱の指示を出したとみられます」(文春オンライン、8月1日)だという。

◆「一本独鈷」という選択肢

山健組傘下の三次団体だとはいえ、約20団体がそろって離脱であれば、事実上の分裂ということになるが、関係者は「あくまでも個別の離脱です」と強調する。じつは「一本独鈷」というキーワードが事態を説明してくれそうだ。

というのも、暴排条例が施行されてから10年、指定暴力団は経済活動のみならず、組織運営でも身動きがとれない状態になっているからだ。そこで、一本独鈷(独立組織)となって指定から逃れる方法もないではない、という考えではないか。じっさいに、独立組織で非指定団体は少なくない。上部団体が指定を受けても、下部団体が独自に活動することも不可能ではない。

暴排条例の集中攻撃を受けた、北九州の工藤會の例で説明しよう。

本家およびその母体組織(田中組)の幹部(ナンバー3まで)が獄中に囚われ、実質的に本部機能が崩壊(工藤会館の売却など)し、傘下の組の事務所ものきなみに閉鎖命令。幹部会も公然とは開けない状態になっている。にもかかわらず、傘下の各組織は独自に活動を続けているのだ。

「個々バラバラですが、みんな元気にやっております。会議やら減ったぶんだけ、楽になっておりますね」(工藤會の二次団体の組長)という現状だ。

新たな抗争事件さえ起こさなければ、上部団体から離脱した組織が公然と活動できると、ヤクザ関係の弁護士は云う。非指定団体になる道だ。

工藤會の場合、事務所を使わずに活動継続できるのは、PCとスマホを駆使した活動方法を早くから取り入れていた(溝下三代目時代)からだという。

ただし、野村総裁・田上会長ら獄中幹部の公判は始まったものの、法曹関係者によると「元ヤクザが相手でも、一般人を対象にした殺傷事犯ですから、長期刑は避けられない」との観測である。えん罪事件の上高謙一組長が実刑だったこともあり、獄中の最高幹部が社会不在のままの状態は、ながく続きそうだ。

いずれにしても、改正暴対法・暴排条例のもとでのヤクザ組織の在りようは、昔ながらの一本独鈷というスタイルになりそうな気配だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

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タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

特定危険指定暴力団工藤會本部事務所・工藤会館(北九州市小倉北区)の跡地の利用計画が決まったという(西日本新聞2月6日)。工藤会館は暴対法による使用禁止処分により、事実上の封鎖状態になっていたところ、北九州市のあっせんで民間業者が買い取っていたものだ。

工藤会館

四階建て鉄筋づくりの白亜のビルは、二階が事務所と応接機能、三階に広間、四階に会長室(ラウンジ仕様)があった。落成したのは80年代なかばのことになるが、当時すでに暴力団には会場を貸さないという行政指導が行なわれ、ヤクザは早晩、盃事の場所にも困ると考えられていた。当時の溝下秀男若頭が他に先んじて自前の施設をつくったのが、工藤会館なのである。

四代目工藤會継承式(溝下秀男から野村悟へ)の動画があるので、興味のある方は参照されたい。司会の玉井金芳氏は作家火野葦平の未子、先般アフガンで亡くなられた中村哲医師の叔父にあたる。


◎[参考動画]四代目工藤會 継承式1

西の隣が小倉競輪場(メディアドーム)で、わたしが取材していた当時は東側がラブホテルという立地なので、落ち着いた場所とは言えなかったかもしれない。事務所番に入る若い者たちは、なぜかウキウキしていたと、上高謙一秘書室長が語っていたものだ。

その理由とは、組織内ではほぼ御法度(溝下が賭け事を嫌った)の競輪ではなく、ラブホの窓が開いていれば部屋の天井がミラーになっているので、恋人たちのあられもない肢体が見えるというものだった。

◆不思議な機縁

さて、その跡地を業者から買い取ったのが、奥田知志氏が理事長をつとめる「抱樸(ほうぼく)」というホームレス支援のNPO法人なのである。同法人が生活困窮者の就労支援や子ども食堂といった弱者支援の施設を建設して「総合的な福祉拠点」を目指すという。資金は寄付金による。奥田理事長は「(工藤会本部事務所跡地に)新しいものを造る必要がある。北九州市の未来のため、重い歴史を、明るい歴史にしたい」と話した(西日本新聞)。

周知のとおり、奥田氏はシールズの奥田愛基さんの父親である。わたしは直接の知己はないが、奥田父は関西学院大学神学部の出身で、学生時代は釜ヶ崎支援の活動を行なっていた。

じつはわたしも、関西学院の成全寮に宿泊したことがある。関西学院から釜ヶ崎を支援するのは、ブント系某派の拠点活動でもあったのだ。

とはいえ、神学部の活動家は入学の頃から牧師になるのを志望しているので、釜の活動家になるという雰囲気ではなかったのではないか。新たに入信する牧師志望は、同志社の神学部(プロテスタント)か関学(カトリック)かという選択肢だったときく。牧師志望の関学の学生たちと、解放の神学(第三世界でのキリスト教の民衆運動)の研究会をやった記憶がある。

それにしても、工藤會の跡地がホームレス支援の拠点になるというのは、運命的なものを感じさせる。工藤會中興の祖というべきか、工藤組と草野一家を再統合した立役者というべきか。いずれにしても工藤會を九州一の組織に発展させたのが溝下秀男である。

工藤會を九州一の組織に発展させた溝下秀男名誉顧問

◆孤児院への支援

その溝下は、筑豊の孤児だったのである。溝下の幼少期は、ちょうど酒田に記念館がある土門拳が「筑豊の子供たち」という写真で筑豊を紹介し、観光客たちが写真を撮りに訪れるという、筑豊炭鉱の全盛時代であった。

幼い溝下にとっては、見世物にされることへの反発から観光客を追い返したこともあった。幼い妹たちを養うために、狸掘りという盗掘方法(本坑の横から狭い穴を50メートルほど掘って、夜間に石炭を盗掘する)で糊口をしのいだという。中学の時には会社をつくり、子分を従えていたという。

やがて門司の大長組をへて極政会を結成し、独立独鈷で一家をなす。ボクサーを志して上京ののち、田中六助(自民党幹事長・通産大臣など)に政治の世界に誘われるも、31歳での稼業入り(草野高明と親子盃)だった。

その溝下が心掛けたのが、孤児院への寄付や支援だった。北九州一円はもとより、遠くはドイツの孤児施設まで支援はおよんだ。前述した上高氏は「暑い中ですねぇ、鉄棒やらジャングルジムを組み立ててですね。たいへんな思いをしましたけど、子供たちが喜んでくれてですね」と語っていたものだ。

溝下氏と宮崎学氏の「任侠事始め」、上高氏と宮崎学氏の「小倉の極道冤罪事件」「極楽記」(いずれも太田出版)をわたしが編集したのは、もう20年近く前のことになる。2008年に溝下秀男が他界し、工藤會は急速に求心力をうしなう。

現在は中央機関(本家)がなくなり、情報交換のために幹部会がひらかれる程度だという。獄中の野村悟総裁の手記を見つけたので、興味のある向きはご覧ください。

◎工藤會 野村悟総裁「独占獄中手記」【前編】(2019年10月29日付週刊実話)

みずからの来歴と工藤會の歩みはそれなりに描かれているが、溝下没後に起きた粛清劇については何も書かれていない。全国のヤクザはおろか、警察のなかにも畏敬する信者がいた先代溝下にくらべて、野村氏の治世はあまりにも情けないと評しておこう。わたしもまもなく溝下の齢をこえる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆政治組織への業態変化で生き延びる

三代目山口組の組織拡大が、変化する時代のニーズに合致した組織経営にあったのは、それでも例外的な成功であった。大半の極道組織は大規模な組織に系列として吸収されるか、地場にとどまって今日でも小規模な生業を維持している。

戦後の極道組織が山口組のような組織体質の刷新もなく、それでも今日まで生き延びてきた理由は、くり返しになるが政治組織への業態変化をあげておく必要があるだろう。極道業界の今後の命運を暗示するキイワードでもある。

三代目山口組が近代的な産業組織を胎内に熟成させつつあったころ、日本は高度経済成長前夜の動乱期にあったことはすでにこの連載で書いたとおり。社会的な混乱の要因は、共産主義革命の胎動である。1950年代の共産党武装闘争を経験した中には、軍隊経験のある人は当時の火炎瓶闘争や拳銃での武装を述懐して、あんなチャチな武器を使った戦争ごっこで、圧倒的な米軍に支えられた国家権力が転覆するとは、どうしても思えなかったと言う人もいるが、本気だった人も大勢いたのである。

◆鉄道雪だるま闘争──武装蜂起して九州を極東革命の拠点にする

九州で鉄道雪だるま闘争を経験した老練な左翼活動家の話によれば、朝鮮戦争が勃発したときは本気で革命が起きると思っていたのだという。マッカーサーの仁川上陸で中国の義勇軍が参加する前のことだが、やがて朝鮮半島から駆逐されたアメリカ軍が小倉に逃げてきて、それを追って金日成の人民軍が九州に渡ってくる。まるで古代大和政権の時代にもどったような戦争観だが、考えているほうは本気なのである。

そうなれば在日朝鮮人をふくむ日本の共産主義勢力は国際共産主義者の任務として、九州で武装蜂起して極東革命の拠点にする、などということが数カ月後には確実にやってくると、本気で計画されていたらしい。

このときおこなわれた鉄道雪だるま闘争というのは、ストライキの拠点に列車に乗ったオルグ団を派遣し、そこで入れ代わりに運転士を貨車に乗せて、次々と拠点を確保していく戦術で、中津や門司、鳥栖の各機関区をそうなめにして列車ストを拡大するのである。今ほど道路が整備されていないので、当時は鉄路を支配する力がものを言う。

◆極道組織を日米安保賛成の「国民運動」に参加させた政治家たち

このほかにも集団で警察署を襲い(菅生事件のようなデッチあげとされるものも多い))、署長以下をつるしあげて一般刑事犯をふくめた拘置されている人を解放する、とかの戦術も盛んだった。港湾労働者や炭鉱労働者も例外ではなくて、三代目山口組の組織する労働組合が革命に対抗する勢力として期待された理由がここにある。

鉄道関係ではのちに下山事件(国鉄総裁の轢死事件)や三鷹事件(無人列車の暴走)などの謀略で、組合員が大量に処分されたり共産党関係者が逮捕されたりということもあったが、GHQと日本政府にとっては60年安保にいたる過程は国家存亡の危機と感じられていた時代である。

そこで、政治家たちは左翼の暴力に対抗する手段として、極道組織を日米安保賛成の国民運動に参加させたのである。国民運動といえば聞こえはよいが、その実態は全学連のデモ隊に武器を満載したトラックで突っ込むだとか、労働者や市民の集会を攪乱するなどの手段であって、各所で流血の武装衝突も起こっている。

極道の各組織が神棚の天照大神、八幡大菩薩、春日大明神などの御符のほかに、国家主義のスローガンを掲げるようになったのは、じつはこれが四度目である。最初は明治の初期に身分制度が攪乱された騒擾の時期で、これは士族の不満分子を背景に藩閥政府への反乱(自由民権運動)や、いっぽうでは明治政府にしたがう勢力も少なくなかった(清水の次郎長)。

大正期の一時期にモダニズムの流行に乗って政治的右翼に看板替えをした、今日の生業の原型ともいうべき総会屋ふうのヤクザ組織があらわれたのが第二の時期。第三は、太平洋戦争にさいして大日本国粋会に組織されたときである。

もともと、お上の傍若無人な言動や弾圧には靡かない反権力を体質としていた任侠道の気風は、これで半分骨を失ったことになる。だが、今回は前の三度のゆきががりとは明らかに違う。戦後世界はすでに、米ソという国際的な体制間の矛盾を背景にした政治世界である。国家の庇護と要請にもとづいて、左右の衝突の渦中に身を晒すことになったのだった。いらい、極道と右翼は同じ名刺に印刷された二足の草鞋を履くことになるのである。

◆国家は民間暴力を承認しない

しかしながら、極道が国家体制の内側にいる時期は、それほど長くは続かなかった。

大資本や政治家としても、戦後の混乱期には極道の暴力を利用してきたが、高度成長が軌道にのり市民社会が成熟してくると、いつまでも凶暴な番犬を飼っているわけにはいかない。大衆消費社会が社会の隅々まで浸透して、あまねく家庭に冷蔵庫や洗濯機、電話、テレビをもたらし、アメリカ風の生活をもとめる富裕層はマイカーやエアコン、カラーテレビまで持っている時代がやって来た。もはや民衆が飢えて闇市をさまよった戦後ではない。

いつもワシントンの意向を気にしているとはいえ、すでに独立国家として軍隊なのかそれとも違うのかよくわからないが、とにかく国家防衛のための武装組織も拡充し、治安警察力にいたっては世界に誇るものがあるという時代に、独自の論理で好き勝手なことをする連中がいては困るのである。

1960年代後半から70年代の左翼の過激派壊滅作戦と同時平行しておこなわれたのが、暴力団壊滅のための頂上作戦だった。爾来、ヤクザは蛇蝎のごとく排斥される。いわく、ヤクザは市民の敵、極道は人間のクズ。いっぽうで東映の任侠映画で人気を博しながらも、任侠団体が暴力団という蔑称でさげすまれるようになったのもこの時期である。

◆「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲である

話は急転するが、山口組の後継をめぐる組織同士の抗争もあって、いよいよ先進国としての体裁を考える為政者は断をくだした。恐喝や脅しをすればすぐにパクる(逮捕する)という暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が1991年(平成3年)に成立。1999年(平成11年)にはオウム真理教の破壊活動防止法適用に失敗したあとを受けて、組織犯罪処罰法(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)という新法が成立した。これも極道組織への適用を射程にいれてのものである。

法の整備と同時に、新たな頂上作戦がこのところ極道組織を襲っている。五代目山口組の宅見勝若頭が殺害された事件(1997年8月)ころから、組幹部を護衛する組員の携帯している拳銃を理由に、これまで左翼組織にしか適用してこなかった共謀共同正犯を罪状として、若頭補佐クラスの幹部をたてつづけに検挙・指名手配して動きを封じようとしている。さらには民法上の使用者責任。そして2011年から各自治体で施行された暴排条例において、反社会的勢力としてのヤクザの排除は法的な完成をきわめた。それを完成と呼ぶのは、ほとんど憲法違反の条例だからである。これ以上の法の逸脱は限界であろう。

過去がどうであれ何であれ、自分たちの存立のために邪魔なものは切り捨てるのが国家の持つ、唯一性の原理なのだ。それは安倍総理の「ケチって火炎瓶事件」などに顕著である。しかしながら、政治家とヤクザは切っても切れない関係にある。選挙という膨大な民衆を相手にする以上、清濁併せ呑む度量がなければ政権は握れない。その意味では自民党が政権与党である根源的な理由(ヤクザとの付き合い)を破棄しようとする「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲だと指摘しておこう。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

江戸期いらいの博徒が戦後にいたって一変したのは、そのまま戦後社会の変容を映し出しているといえよう。

最初に戦後の闇市を取り仕切ったのは、伝統的な極道の流れではなかった。愚連隊とか特攻隊崩れとかの血気盛んな連中が、無秩序な闇市を取り仕切ることで警察組織の代用をはたしたのである。盗みやかっさらいの横行するアンダーグラウンドの市場には警察力が必要だったが、その警察は闇市を取り締まり、取り締まった戦果を自分の懐に入れることはあっても、飢えた民衆の必要を満たしてくれるわけではなかった。そこで私設の警察組織が、闇市の庇護者として設立されたのである。
どんな商売も市場がある以上は、需要がなければ存立しえない。

遠く農村から列車に乗って闇市に米を売りにきた女性が、乱暴者から商品たる米を奪われたとしよう。警察に届けても面倒をみてくれないどころか、闇米はすべて没収されて、へたをすれば彼女自身も逮捕されてしまうのである。そこで市場を取り仕切る愚連隊の親分にすがって、米を取り戻してもらうことになるのだが、そのついでに少しばかり上納金を差し出すことに何の不思議もない。必要経費ともいうべき、当然の手間賃である。

ときには愚連隊同士の縄張りやイザコザで拳銃を乱射されたり、取り締まりの警察隊との銃撃戦もある異常な時代だったが、日常的なトラブルは彼女がしたように必要経費で処理され、それで食いぶちが満たされれば何の問題もないのである。商売のトラブルが市を成り立たせなくなったのでは、人々は飢えて死ぬしかない。当時の日本人の食料は、そのほとんどが闇市の食料で賄われていたのだから。

こうして闇市を支配していた愚連隊を、やがて伝統的な博徒組織が吸収していく。
実力を持った若い集団が、いろいろと能書きやしきたりなど伝統文化を持つ集団に合流して、本格的に極道の代紋を背負うことになったのである。戦争で国家とともに滅びかけていた博徒集団にしてみれば、これで新しい職域への進出と若々しい血を入れることになった。

◆田岡一雄がつくった戦後ヤクザ

人々の飢えがみたされて闇市が終焉すると、戦後復興の時代である。日本最大の広域暴力団とされる山口組の勢力を飛躍的に拡大したのは、一九五九年に勃発した朝鮮戦争だった。

港に入った船に一番乗りしたグループが積み荷の運搬を請け負うという、荒っぽい沖仲士の荷受け業界に初代のころから参入していた山口組は、斬新な組織論において他の組織の追随を許さなかった。旧来の極道組織の子分が子分をもうけて分立していく組織作りの方法を避け、山口組は表向きは会社組織として分社し、裏組織を一元的に統括した。表向きは近代的な企業でありながら、しかも普通の企業にはできない義理の親子の拘束性がある。この立役者が三代目山口組の袖主田岡一雄だった。

朝鮮戦争の拡大とともに港湾荷役は需要が増大し、規制緩和の機会を得た山口組は二次下請けの立場から一次下請けへの参入に成功する。海運局に掛け合って、下請けの枠組みを取り払わせてしまうのである。さらには、左翼の労働組合に対抗する労働組合を結成し、この力を背景に、彼の組織は左翼のみならず他の業者を圧倒したという。

事故が起これば船会社と交渉するのも山口組の労働組合なら、海運会社の仕事を最大業者として受けるのも山口組傘下の企業という具合に、彼らは神戸港の支配をテコに全国の港湾を掌握していく。

さらに、当時のエネルギー産業の基幹である炭鉱労働者の組織化に着手する。いわば職能組合とか産別労組の全国展開とまるで同じ組織づくりで、高度経済成長をもたらす労働力を支配し、今日の隆盛の礎になる全国組織の最初の骨格を作ったのである。

膨大な労働力(人集め)を必要とする大資本にしてみれば、労働者が左翼に牛耳られて革命騒動を起こされるよりは、山口組のほうがずっといいに決まっている。事実、あとでみるように共産党は朝鮮戦争に乗じて武装闘争の方針で動いていたし、革命前夜のような暴動が各地に生起していた。

それでなくても、沖仲士や炭鉱労働者は普通の社員では扱いにくいし、荒っぽい連中の喧嘩騒ぎや揉め事には困っているのだから、旧財閥系の御大も、ここはひとつ山口さんとこの力でなんとか、ということになったのは想像にかたくない。

組織が拡大していくためには、荒っぽい暴力も必要である。ここでは柳川組という武闘派組織が山口組の組織拡大を牽引したのだった。ちなみに柳川組は在日朝鮮人を主体とする組織で、のちにみる共産党の極左戦術を先頭でになったのが在日朝鮮人たちだったのを考えると、異郷に強制連行された彼らこそが、混乱期にたくましい生き方をしめしたことになるかもしれない。


◎[参考動画]「山口組三代目」(1973年08月11日公開)予告篇

つぎに三代目山口組組長田岡一雄が取り組んだのは、これも有名な話だが力道三のプロレス興行や美空ひばりのステージを取り仕切る芸能興行だった。朝鮮戦争の軍事特需をへて、戦後復興なった日本には、大衆消費社会の波がすぐそこまで来ていた。

隙間産業のような職域が時代の需要になったときに、正業を持たない極道組織が持てる組織力と荒っぽいが面倒な仕事に乗り出すのである。利権と暴力が衣の下から透けて見えるような、あやうい職域を仕切ることができるのは、目先の銭金よりも厳しく統制された組織であり、それを可能とする伝統的な作法と形式の力にほかならない。生き方の中に極道としてのプロフェッショナルの気風が充満していれば、もはや怖いものは何もない。組織に生きることが、彼らの正義であり世の中をみる尺度なのである。

これが通常の会社組織であれば、仕事の成否も労働者の去就も賃金をめぐる一点にしかない。業績がはかばかしくない企業からは、沈みかけた難破船から鼠が逃げ出すがごとく優秀な社員はいなくなってしまうし、有力な企業には有為な人材が集まるのが労働市場の原理である。

ところが極道の社会は利益集団でありながら、そこに擬制の血縁関係をつくり出すことによって成立している。破門か絶縁の処分をされないかぎり、親子の縁は切っても切れない。これが極道組織をプロフェッショナルの集団たらしめる原理である。

親が殺せといえば子は殺人犯になるのが正義であり、親が死ねといえば、まあこればかりはゴメンと逃げ出すかもしれないが、破門や絶縁の処分をされないかぎり子分であることに変わりがない。このようにして保存された親子の縁と義理、兄弟の絆が、戦後の保守政治にマッチしていた。自民党とその政府はヤクザを手の内に取り入れることで、選挙のみならず政争を生きのびることになるのだ。次回は自民党のヤクザへの接近と裏切りを、国家という原理から解説していこう。


◎[参考動画] プロレスリング日本選手権 “昭和の巌流島”(1954年12月22日)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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◆江戸時代のヤクザは警察だった

「反社会勢力は定義されていない」と、このかん「桜を見る会」への「反社」の出席について政府高官が広言した。なるほどそうかも知れない。暴対法や暴力団排除条例(自治体条例)が法的に精査されず、何となく雰囲気でまかり通った法律であるのだから……。

それでは、かりに「反社会勢力」と言われるヤクザとは、そもそも歴史的にどんな存在だったのだろうか。一般には博徒というのが、かれらの出自である。その原型は江戸時代にさかのぼる。任侠道の成立は、江戸期の郷村(惣村)に発する。

かれらは博打だけを生業にしていたわけではない。郷村にかかわる自主検断、つまり自治的な警察組織の役割を受け持つことで、賭場を開く権利を得ていたのである。江戸時代のヤクザは警察だったのだ。

警察組織とはいっても、戦後の公務員的なそれとは違って、郷村の惣や寄り合いとは別個の役割をはたす非政治的で、かつ乱暴な暴力装置。つまり用心棒のようなものを想像すればよいだろう。

彼らは渡世人や旅芸人、渡り職人などをはじめとして、非生産的な人々や社会の流動層を取り締まる独自の様式を抱えるがゆえに、戦後の官僚的な警察組織が持つ、時の権力に媚びへつらうような側面は皆無で、むしろ反権力的ですらあった。

◆敗残兵、浪人者……帰農しなかった人々

郷村の検断として流民層を取り締まり、彼らの独自の生活様式をふところに取り込むには、彼ら博徒にしか出来ない固有の文化が存在していたと考えられるのだ。縄張りを保持するには、公権力を笠に着た強権よりもその道のしきたりに従った采配が必要である。博徒が反権力的になる所以は、この公権力から離れた独自性の所以であろう。

彼らの前身をたどると、戦国期の土着的な戦闘集団や、もっと昔なら中世の流民層が源であろうと思われる。もともと戦国時代には、郷村のはぐれ者や血気盛んな若者たちが傭兵としての戦闘集団を形成していた。中には武士団に編成されない自立自尊の土郷たちも多かったが、領地の切り取り戦争が進むにつれて、大規模な武士団の傘下に入るようになるのだ。中世の流民層には、忍びの術をもっぱらとする戦闘や、金山掘りなどの特殊な技術を手の職として各地を渡り歩く集団もあった。だがこれらも、戦国時代の末期には有力な大名の傘下におさまっていくことになる。
めでたく戦国を勝ち残ったり、仕官の道を得たのが江戸の武士階級だとすれば、敗残兵としての浪人者もふくめて、江戸期の博徒は帰農しなかった人々であったり、農業を嫌って親元を離れた者もあり、武士階級の裏側ともいうべき存在である。その生活様式は、時代の主要な生産階層とは離れて、先に述べたような独自の文化を形成することになる。ヤクザ文化、任侠道の成立である。それでは、任挟道とは具体的にどんなものなのか?

◆渡世の修行

ある村に、親から勘当された若者がいたとしよう。

彼が村の若衆組の仲間とともに遊びまわり、畑仕事もほったらかして放蕩のかぎりを尽くしていたとする。若衆組とは現在の青年団のような意味だが、チーマーみたいに繁華街(宿場町)まで出かけては、カツ上げをして喧嘩をくり返す。押入れの奥に秘匿していた布ぎれや蓄え米を持ち出しては、質に入れるなどの自堕落かつ放縦の日々。これではどうにもならないと、ついに口減らしをもくろむ親から勘当され、当てもなくほうぼうをうろつくうちに土地の親分に厄介になる、という顛末である。

最初は使いっぱしりしかさせてもらえないが、喧嘩の腕や度胸がいいようだと、派手な出入りにも参加するようになって、いよいよ親分と杯をかわすことになる。親子の杯が無事にすめば、晴れて子分ということになるわけだ。つぎに、武士ならば武者修行ともいうべき股旅に出ることになる。

親分の人脈で諸国の組織をめぐり、一宿一飯の義理をはたしながら渡世人としての度胸と礼儀作法を磨いていくのである。礼儀作法を磨くというのは簡単に思えるが、仁義のきり方を間違っただけで殺されることもあったというから、渡世のしきたりは生易しいものではない。おのが力で一家を成し、名を成す修行ののちに、世の賞賛を得るほどの大親分となるのだ。以下、江戸期いらいのヤクザの親分衆である。いずれも代が途絶え、「清水一家」や「会津小鉄」などの名称だけが、勝手に継承されている。

幡随院長兵衛
中間部屋頭三之助
国定忠次
大前田英五郎
勢力富五郎
清水次郎長
会津小鉄
加島屋長次郎
新門辰五郎

◆生業としての〈縄張り〉

いっぽう、賭場を開かないヤクザもいる。彼らはテキヤと称される人々で、村の神事や祭りを主催しては、そこに集まる商売の上前をはねる、というよりも商売人たちを庇護し、いらぬ揉め事から村を守るという役割を受け持つのである。これは現在のテキヤと、まったく変わりがない。もとより、テキヤも博徒も、縄張りの支配を生業としている。

現在でも暴力団として批判されるヤクザを擁護し、その必要悪を論じる方法がある。その多くは社会から落ちこぼれた人間が個人的な犯罪に走るよりも、統制された組織の中に取り込んだほうがよろしいのではないか、という立論である。

言うところは少なからず当たっている。繁華街から彼らがまったく消えてしまったら、屋台や行商の人たちの縄張りはとんでもないことになるはずだ。屋台や行商をすべて規制してしまえば、街は活力をうしなう。堅気衆にとっては思いもかけない彼らの経済的な役割りをみのがしてしまえば、ヤクザの存在の根拠は解明できないのである。

つまり縄張りとは、一種の業界参入の規制である。誰でも勝手に大道に店を出せるということになれば、主催団体が統制をきかせない休日のフリーマーケットのようなことになって、警察官がいくらいても足りないであろう。社会的に解決困難な部分を請け負い、取り仕切る役割がつねに存在しているのだとすれば、極道も必要悪どころか職業的には明瞭な生産性を負っていることになる。しかも、チンピラや暴走族などとは違って、堅気衆には迷惑はかけないという厳格な統制力のある組織であれば、社会的には有用な存在ですらありうる。だからこそ、同じ社会的役割をになう警察組織に「反社会勢力」として排除されるのだ。したがって「反社会勢力」なる規定は、社会を警備する勢力による縄張り争いということになるのだ。パチンコ利権、街の警護を下請けする警備会社、企業の警護を請け負う。これらこそ、警察がヤクザから奪った利権であり、縄張りなのだ。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヤクザのシノギのひとつに、実録系Vシネマの製作があった。あった、というのは現在ではほとんど製作されなくなっているからだ。実録系ではなく、フィクションのヤクザVシネマ(北野たけし・小沢仁志などが製作)ならば、いまなお盛んに作られているが、作品に登場する俳優が好きでないかぎり、わたしは観たいと思わない。「仁義なき戦い」いらい、ヤクザ映画はリアリティこそ命だと感じるからだ。

実録・広島四代目 第一次抗争編 (販売元: 株式会社GPミュージアムソフト)

わたしの好みはさておき、広島ヤクザ抗争、山口組全国制覇抗争、四国・松山ヤクザ抗争、九州・沖縄ヤクザ抗争など、名だたる抗争事件を素材にしたVシネマはよく売れた。そんな実録系のVシネマがヤクザのシノギである理由は、いうまでもなくモデルとなった当事者からのクレーム対応が、ふつうの製作プロダクションでは不可能だからだ。

わたしが知っているクレーム事件では、ドル箱の広島抗争をあつかったミュージアム(現GPミュージアム)の作品中、抗争事件で撃たれたヤクザの親分が「痛い!」と叫ぶシーンがあった。作品が貸しビデオ店の店頭をかざった頃合いで、当事者(「痛い!」の親分の組織)からクレームが入った。

「うちの親分は、あのとき『痛い!』とは言うてへんで!」
「いや、あれはその。撃たれたわけですから、痛いだろうと」
「おまえら、親分が痛いと言うたん、聞いてたんかい?!」と、猛抗議。

けっきょく、その作品は全国の貸しビデオ店から回収となった。製作費1500万円は露と消えたのである。当時、9000本とも8000本とも言われていた売り上げ、約3000万円もお釈迦……。いらい、ミュージアムはヤクザ系の製作会社に製作を投げるようになったのだ。


◎[参考動画]仁義なき戦い 予告編集(田島次郎2017年7月30日公開)

◆遺族は映画化にNG

実録ものである以上、たとえば本多会(のちに大日本平和会)などの場合は、消滅してしまった団体の元幹部に取材することになる。そこではわりと率直に、最後の組長の人となりが語られたり、組織の弱点を忌憚なく話してくれたものだ。関わっている事業は港湾業務とか水商売であったり、現役時代と変わらない人が多かった。

ただし、派手な抗争歴やかつては羽振りの良かった話をする人でも、いまや食い詰めた老人という風情の方もおられた。どうして大きなクラブを経営していたのに、どの時点で覇気がなくなったのか。まったく不思議な零落を感じさせられたものだ。過去が重みなのか「わし、ヤクザをやっとったですからねぇ」と、昨今の反社キャンペーンに煽られたかのごとく、自嘲的な人も少なくなかった。

遺族はことごとく、父親(逝去した組長)の話を嫌ったものだ。「できれば、そういうの(評伝映画)は、つくらないで欲しい」「いま、うちは堅気をやっていますから」などと。奥さんから勝手に名前を使ったと、抗議が来ることもあった。

組の意向で、元親分(故人)のものは書いたりしないでくれ、というケースもすくなくない。その組織には、その元親分と現役親分をめぐる過去の因縁が隠されていたのだ。かつて、骨肉相食む内部抗争があった時に、亡き親分が当代の親を撃った、と。

今野敏の小説『任侠学園』

◆警察と銀行による、製作会社への圧力

冒頭に、現在ではほとんど製作されなくなっている、とわたしは書いた。登場人物の名前を変えていてもそれとわかる、いわゆる実録ヤクザ系のVシネマは皆無といっていいだろう。

流れを追って、説明しておこう。60~70年代の抗争、90年代の暴対法(みかじめ料の禁止など、ヤクザの小商いが排除される)とパチンコプリペイドカード(北朝鮮への仕送り資金の排除)を通じて、ヤクザ組織は小組織から大組織へと統合されてきた。みかじめ料などの小商いは断たれたが、巨大プロジェクトへの参入という経済ヤクザへの転身、あるいは下請け業者としての生き残りである。そして大組織への統合とは、山口組という一強支配の完成である。したがってまた、その過程は地元の独立系有力組織との抗争の拡大でもあった(福岡県における道仁会と山口組が典型)。

そして2011年の暴排条例を境に、Vシネマへの締め付けが厳しくなったのだ。暴排条例の骨格は、徹底的にヤクザの利権を断つこと。すなわち取り引き先から締め上げていくことにある。ヤクザ系の製作プロダクションへの銀行融資の停止、そして販路の締め付けである。このあたりは、任侠業界誌である「実話時代」が休刊に追い込まれたのと同じ構造である。

八尾河内音頭まつり

かくして実録ヤクザ系Vシネマは息の根を止められ、代替わりや親子の固めの盃事、年末の事始めの儀式を記録する映像会社・カメラマンも締め出されるようになった。ヤクザの盃事に関わっていると警察に知れたら、公共行事や行政の仕事から締め出されるというわけだ。

そのいっぽうで、今野敏の小説『任侠学園』(シリーズに「任侠書房」「任侠病院」「任侠浴場」)が人気を博し、映画化されるという。指定暴力団ではない、古きよき時代の阿岐本組は、組長が文化的な素養が高く、地域のピンチになった病院や風呂屋を立て直すというストーリーだ。

『任侠学園』では、愛と厳しさにあふれる教育で学校が再建される。もともと、任侠道は「強気をくじき、弱気を助ける」人の道である。河内音頭がその大半の素材を、ヤクザの股旅物に採っているように、日本人の心の故郷でもあるのだ。抗争事件とバブル経済で暴力団と化したヤクザを、原点に復帰させることで社会に融合させる方途こそ、じつは本来の取り締まり手法とは言えないか。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヒットマンは山健組の組長(中田浩司60歳)だった……。これは任侠界を知る者にとって、きわめて衝撃的な事実である。たとえはヘンかもしれないが、トランプ大統領がF35戦闘爆撃機に乗って朝鮮半島上空に侵攻して核ミサイル基地を空爆するとか、安倍総理がみずから作業着を着て災害救助の最前線に立つようなものだ。いや、それだと立派な行為ということになるが……。つまり言いたいことは、山口組抗争の片方の本家(正しくは本家組長の出身母体)の親分がみずから、対立する六代目山口組の本家(正しくは本家組長・若頭の出身母体)の幹部を銃撃したという、前代未聞の事態なのである。

すなわち、8月21日に弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51歳)が複数の銃弾を浴びた事件のヒットマンが、中田組長だったことが判明したのだ。それもミニバイクにヘルメットをかぶり、拳銃を撃ち放つという若々しき実行行為である。

考えてもみてほしい。60歳で懲役30年の刑を受けた場合、獄死はほぼ間違いない。かりに懲役20年、80歳で出所できたとしても、もはや引退する歳である。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 神戸山口組幹部の男を逮捕(サンテレビ2019年12月4日)

それだけではない。8月の事件に対する報復として、10月10日に山健組本部前で六代目山口組弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を射殺している。このとき、丸山は報道関係者を装ってカメラを持ち、怪しまれずにターゲットに近づいている。しかし本欄でも指摘したとおり、警備陣がそろっている中での犯行であり、もとより帰還を期さない特攻襲撃でもあった。永山則夫(連続射殺犯)規準では、2人以上殺せば死刑である。

さらには11月27日に、元山口組組員(破門中)の朝比奈久徳(52歳)が神戸山口組の古田恵一(二代目古田組)組長をM16自動小銃で射殺している。朝比奈容疑者の銃撃の動機は不明だが、軽機関銃での犯行は重刑になるであろう。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 新たに男4人逮捕(サンテレビ 2019年12月9日)

◆高山清司若頭が直参幹部に喝?

10月18日に六代目山口組の高山清司若頭が出所して、幹部たちを集めて「喝を入れた」と報じられ、にわかに抗争激化の様相を呈している。などと実話系週刊誌は見出しを立てているが、幹部たちの直接の証言があるわけではない。山口組は司組長が産経新聞のインタビューに応じた例外を除いて、マスコミや暴力団ライターの取材に応じるのはご法度である。

いまのところ山口組抗争は双方とも抗争は自粛、むしろ水面下の締めつけや復帰工作が進められているのが実情だ。問題なのは、中高年の幹部組員たちがヒットマンになり、絶望的な戦いをくり広げていることであろう。

中田組長にしても、丸山幹部組員にしても、二度と娑婆の空気を吸うことはできない。それを十分に承知のうえで、あえてヒットマンになったのである。

神戸山口組は井上邦雄組長をトップに、当初は3000人近い組員がいたが、六代目山口組の切り崩しにあって、昨年末では2000人ほどに減っていたという。捜査当局の観測によると、六代目山口組高山若頭の出所によって、切り崩し攻勢がさらに拍車がかかっているという。それ自体は30年前の山一抗争を思い出させる構造となっているが、良くも悪しくも六代目山口組の統制力の強さ、弘道会一極支配が高山若頭体制として中央集権化していることだ。神戸山口組から分立した任侠山口組の織田絆誠代表による、六代目復帰と再統合の路線は少なくとも、高山若頭の出所で完全に途絶えた。

ぎゃくにいえば、高山清司若頭が分裂の大きな原因(人事の独占、生活雑貨の強制購入、上納金の高額化)だったのだから、噂される七代目への移行時に大きな組織上の変化が展望される。それは高山若頭が七代目になるのか、あるいは竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長)が襲名するのか。それとも司忍六代目のお気に入りである森健司(司興業会長)が抜擢されるのか。捨て身のヒットマンたちの思いがけない行動が、鼎立する山口組抗争を決定づけるのかもしれない。

【横山茂彦の好評連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

この危ないテーマを、偉大な医師にして国際貢献の烈士を素材に語るべきか。迷ったすえにメモリーとして書くことにした。国際貢献の烈士とは、いうまでもなくペシャワール会の中村哲先生のことである。事件は水争いということで、犯人の身柄も確保されたという。偉大な治水事が不幸な結果となり、また余人に代えがたい先生が亡くなられたことに、哀悼の意を表するものです。

さて、安倍政権は「反社勢力は定義できない」と、みずからの政治的基盤にヤクザや半グレ、圧力・利権団体、あるいはマルチ商法まがいの実業家などがいることを、閣議決定をもって証明した。じつは中村哲先生も、この定義できない「反社」の親族なのである。


◎[参考動画]「信頼関係が一番大切」 中村哲さんが遺した言葉(毎日新聞2019年12月04日)

『日本侠客伝 花と龍』(1969年東映)

すでに母方の伯父が火野葦平であり、その父親が玉井金五郎(玉井組の親分)であることは、ニュース解説などでも触れられている。火野葦平の『花と竜』には、玉井金五郎のほかに吉田の親分(吉田磯吉)も登場し、近代ヤクザ黎明期の若松港が描かれている。じっさいには、戦後に書かれた『革命前後』に玉井金五郎のやや狡すっからい人物像が描かれてあり、後者のほうが実像に近いと評されたものだ(地元の親分衆の話を聴取した溝下秀男工藤會総裁=2008年に逝去)。

◆工藤會との関係

中村先生の親族が「反社」(不定義)というのは、文豪につながる出自を言いたいのではない。先生の従兄に現役の工藤會幹部がいるからだ。四代目工藤會で執行部を務め、現在は常任相談役の玉井金芳玉井組組長がその人だ。三代目(溝下秀男会長)の信任が厚く、そのクレバーな振る舞いから対外的な実務を担っていた。玉井組長は火野葦平の晩年の実子で、玉井一族はいまも若松の港湾団体の要職を占めている。

どうだろう。大伯父がヤクザの大親分で、親族に任侠組織(暴力団)の幹部がいるからといって、中村先生を「反社」につながる暴力団親交者と言えるだろうか。暴対法・暴排条例、そして「反社排除」は、ややもすれば家族関係・親族関係に亀裂を入れ、地域社会を崩壊させかねない勝手なレッテル貼りだったのだ。ほかならぬ安倍政権がそれを証明した。政権が閣議決定した以上、警察庁が仕掛けた社会を歪ませる「反社排除」は是正されるのだろうか。

ちなみに、河伯洞(火野葦平の旧居)の館長も中村先生の従弟である。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0043.html

資料館ともども、北九州観光のおりには訪れて欲しい場所だ。資料館の館長は「中村さんの義侠心のルーツが、ここにあることを知ってほしい」と、中村先生に関連した特別展示にあたって語ったという。

話が溝下秀男総裁におよんだので、政治家との関係を記しておこう。溝下総裁が30のときに斯界に入門するか、政治家への道を選ぶか迷ったのは、著書『極道一番搾り』ほかに明かされている。このときに政界に誘ったのは、自民党の田中六助である。田中は大平正芳政権のもとで官房長官、鈴木善幸内閣で通産大臣に就任している。田中の後継者(甥)である武田良太が、この欄で何度か名前の出たヤクザと親交がある現国家公安委員長である。

溝下総裁が生きていたとして72歳だから、政治家の道に進んでいたら90年代から2000年代はヤクザ政治家が暴れまわっていたのかもしれない。その溝下が中村哲の活動を陰ながら支援していたことを記しておきたい。工藤會が匿名ながら児童養護施設(溝下自身が孤児である)などに遊具などを寄付していたことも、書かなければ歴史に埋もれる史実となりそうだ。合掌。


◎[参考動画]【中村哲さん追悼】2003年4月放送 アフガンの現実(筑紫哲也NEWS23)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

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