特定危険指定暴力団工藤會本部事務所・工藤会館(北九州市小倉北区)の跡地の利用計画が決まったという(西日本新聞2月6日)。工藤会館は暴対法による使用禁止処分により、事実上の封鎖状態になっていたところ、北九州市のあっせんで民間業者が買い取っていたものだ。

工藤会館

四階建て鉄筋づくりの白亜のビルは、二階が事務所と応接機能、三階に広間、四階に会長室(ラウンジ仕様)があった。落成したのは80年代なかばのことになるが、当時すでに暴力団には会場を貸さないという行政指導が行なわれ、ヤクザは早晩、盃事の場所にも困ると考えられていた。当時の溝下秀男若頭が他に先んじて自前の施設をつくったのが、工藤会館なのである。

四代目工藤會継承式(溝下秀男から野村悟へ)の動画があるので、興味のある方は参照されたい。司会の玉井金芳氏は作家火野葦平の未子、先般アフガンで亡くなられた中村哲医師の叔父にあたる。


◎[参考動画]四代目工藤會 継承式1

西の隣が小倉競輪場(メディアドーム)で、わたしが取材していた当時は東側がラブホテルという立地なので、落ち着いた場所とは言えなかったかもしれない。事務所番に入る若い者たちは、なぜかウキウキしていたと、上高謙一秘書室長が語っていたものだ。

その理由とは、組織内ではほぼ御法度(溝下が賭け事を嫌った)の競輪ではなく、ラブホの窓が開いていれば部屋の天井がミラーになっているので、恋人たちのあられもない肢体が見えるというものだった。

◆不思議な機縁

さて、その跡地を業者から買い取ったのが、奥田知志氏が理事長をつとめる「抱樸(ほうぼく)」というホームレス支援のNPO法人なのである。同法人が生活困窮者の就労支援や子ども食堂といった弱者支援の施設を建設して「総合的な福祉拠点」を目指すという。資金は寄付金による。奥田理事長は「(工藤会本部事務所跡地に)新しいものを造る必要がある。北九州市の未来のため、重い歴史を、明るい歴史にしたい」と話した(西日本新聞)。

周知のとおり、奥田氏はシールズの奥田愛基さんの父親である。わたしは直接の知己はないが、奥田父は関西学院大学神学部の出身で、学生時代は釜ヶ崎支援の活動を行なっていた。

じつはわたしも、関西学院の成全寮に宿泊したことがある。関西学院から釜ヶ崎を支援するのは、ブント系某派の拠点活動でもあったのだ。

とはいえ、神学部の活動家は入学の頃から牧師になるのを志望しているので、釜の活動家になるという雰囲気ではなかったのではないか。新たに入信する牧師志望は、同志社の神学部(プロテスタント)か関学(カトリック)かという選択肢だったときく。牧師志望の関学の学生たちと、解放の神学(第三世界でのキリスト教の民衆運動)の研究会をやった記憶がある。

それにしても、工藤會の跡地がホームレス支援の拠点になるというのは、運命的なものを感じさせる。工藤會中興の祖というべきか、工藤組と草野一家を再統合した立役者というべきか。いずれにしても工藤會を九州一の組織に発展させたのが溝下秀男である。

工藤會を九州一の組織に発展させた溝下秀男名誉顧問

◆孤児院への支援

その溝下は、筑豊の孤児だったのである。溝下の幼少期は、ちょうど酒田に記念館がある土門拳が「筑豊の子供たち」という写真で筑豊を紹介し、観光客たちが写真を撮りに訪れるという、筑豊炭鉱の全盛時代であった。

幼い溝下にとっては、見世物にされることへの反発から観光客を追い返したこともあった。幼い妹たちを養うために、狸掘りという盗掘方法(本坑の横から狭い穴を50メートルほど掘って、夜間に石炭を盗掘する)で糊口をしのいだという。中学の時には会社をつくり、子分を従えていたという。

やがて門司の大長組をへて極政会を結成し、独立独鈷で一家をなす。ボクサーを志して上京ののち、田中六助(自民党幹事長・通産大臣など)に政治の世界に誘われるも、31歳での稼業入り(草野高明と親子盃)だった。

その溝下が心掛けたのが、孤児院への寄付や支援だった。北九州一円はもとより、遠くはドイツの孤児施設まで支援はおよんだ。前述した上高氏は「暑い中ですねぇ、鉄棒やらジャングルジムを組み立ててですね。たいへんな思いをしましたけど、子供たちが喜んでくれてですね」と語っていたものだ。

溝下氏と宮崎学氏の「任侠事始め」、上高氏と宮崎学氏の「小倉の極道冤罪事件」「極楽記」(いずれも太田出版)をわたしが編集したのは、もう20年近く前のことになる。2008年に溝下秀男が他界し、工藤會は急速に求心力をうしなう。

現在は中央機関(本家)がなくなり、情報交換のために幹部会がひらかれる程度だという。獄中の野村悟総裁の手記を見つけたので、興味のある向きはご覧ください。

◎工藤會 野村悟総裁「独占獄中手記」【前編】(2019年10月29日付週刊実話)

みずからの来歴と工藤會の歩みはそれなりに描かれているが、溝下没後に起きた粛清劇については何も書かれていない。全国のヤクザはおろか、警察のなかにも畏敬する信者がいた先代溝下にくらべて、野村氏の治世はあまりにも情けないと評しておこう。わたしもまもなく溝下の齢をこえる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業。「アウトロージャパン」(太田出版)「情況」(情況出版)編集長、最近の編集の仕事に『政治の現象学 あるいはアジテーターの遍歴史』(長崎浩著、世界書院)など。近著に『山口組と戦国大名』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『男組の時代』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆政治組織への業態変化で生き延びる

三代目山口組の組織拡大が、変化する時代のニーズに合致した組織経営にあったのは、それでも例外的な成功であった。大半の極道組織は大規模な組織に系列として吸収されるか、地場にとどまって今日でも小規模な生業を維持している。

戦後の極道組織が山口組のような組織体質の刷新もなく、それでも今日まで生き延びてきた理由は、くり返しになるが政治組織への業態変化をあげておく必要があるだろう。極道業界の今後の命運を暗示するキイワードでもある。

三代目山口組が近代的な産業組織を胎内に熟成させつつあったころ、日本は高度経済成長前夜の動乱期にあったことはすでにこの連載で書いたとおり。社会的な混乱の要因は、共産主義革命の胎動である。1950年代の共産党武装闘争を経験した中には、軍隊経験のある人は当時の火炎瓶闘争や拳銃での武装を述懐して、あんなチャチな武器を使った戦争ごっこで、圧倒的な米軍に支えられた国家権力が転覆するとは、どうしても思えなかったと言う人もいるが、本気だった人も大勢いたのである。

◆鉄道雪だるま闘争──武装蜂起して九州を極東革命の拠点にする

九州で鉄道雪だるま闘争を経験した老練な左翼活動家の話によれば、朝鮮戦争が勃発したときは本気で革命が起きると思っていたのだという。マッカーサーの仁川上陸で中国の義勇軍が参加する前のことだが、やがて朝鮮半島から駆逐されたアメリカ軍が小倉に逃げてきて、それを追って金日成の人民軍が九州に渡ってくる。まるで古代大和政権の時代にもどったような戦争観だが、考えているほうは本気なのである。

そうなれば在日朝鮮人をふくむ日本の共産主義勢力は国際共産主義者の任務として、九州で武装蜂起して極東革命の拠点にする、などということが数カ月後には確実にやってくると、本気で計画されていたらしい。

このときおこなわれた鉄道雪だるま闘争というのは、ストライキの拠点に列車に乗ったオルグ団を派遣し、そこで入れ代わりに運転士を貨車に乗せて、次々と拠点を確保していく戦術で、中津や門司、鳥栖の各機関区をそうなめにして列車ストを拡大するのである。今ほど道路が整備されていないので、当時は鉄路を支配する力がものを言う。

◆極道組織を日米安保賛成の「国民運動」に参加させた政治家たち

このほかにも集団で警察署を襲い(菅生事件のようなデッチあげとされるものも多い))、署長以下をつるしあげて一般刑事犯をふくめた拘置されている人を解放する、とかの戦術も盛んだった。港湾労働者や炭鉱労働者も例外ではなくて、三代目山口組の組織する労働組合が革命に対抗する勢力として期待された理由がここにある。

鉄道関係ではのちに下山事件(国鉄総裁の轢死事件)や三鷹事件(無人列車の暴走)などの謀略で、組合員が大量に処分されたり共産党関係者が逮捕されたりということもあったが、GHQと日本政府にとっては60年安保にいたる過程は国家存亡の危機と感じられていた時代である。

そこで、政治家たちは左翼の暴力に対抗する手段として、極道組織を日米安保賛成の国民運動に参加させたのである。国民運動といえば聞こえはよいが、その実態は全学連のデモ隊に武器を満載したトラックで突っ込むだとか、労働者や市民の集会を攪乱するなどの手段であって、各所で流血の武装衝突も起こっている。

極道の各組織が神棚の天照大神、八幡大菩薩、春日大明神などの御符のほかに、国家主義のスローガンを掲げるようになったのは、じつはこれが四度目である。最初は明治の初期に身分制度が攪乱された騒擾の時期で、これは士族の不満分子を背景に藩閥政府への反乱(自由民権運動)や、いっぽうでは明治政府にしたがう勢力も少なくなかった(清水の次郎長)。

大正期の一時期にモダニズムの流行に乗って政治的右翼に看板替えをした、今日の生業の原型ともいうべき総会屋ふうのヤクザ組織があらわれたのが第二の時期。第三は、太平洋戦争にさいして大日本国粋会に組織されたときである。

もともと、お上の傍若無人な言動や弾圧には靡かない反権力を体質としていた任侠道の気風は、これで半分骨を失ったことになる。だが、今回は前の三度のゆきががりとは明らかに違う。戦後世界はすでに、米ソという国際的な体制間の矛盾を背景にした政治世界である。国家の庇護と要請にもとづいて、左右の衝突の渦中に身を晒すことになったのだった。いらい、極道と右翼は同じ名刺に印刷された二足の草鞋を履くことになるのである。

◆国家は民間暴力を承認しない

しかしながら、極道が国家体制の内側にいる時期は、それほど長くは続かなかった。

大資本や政治家としても、戦後の混乱期には極道の暴力を利用してきたが、高度成長が軌道にのり市民社会が成熟してくると、いつまでも凶暴な番犬を飼っているわけにはいかない。大衆消費社会が社会の隅々まで浸透して、あまねく家庭に冷蔵庫や洗濯機、電話、テレビをもたらし、アメリカ風の生活をもとめる富裕層はマイカーやエアコン、カラーテレビまで持っている時代がやって来た。もはや民衆が飢えて闇市をさまよった戦後ではない。

いつもワシントンの意向を気にしているとはいえ、すでに独立国家として軍隊なのかそれとも違うのかよくわからないが、とにかく国家防衛のための武装組織も拡充し、治安警察力にいたっては世界に誇るものがあるという時代に、独自の論理で好き勝手なことをする連中がいては困るのである。

1960年代後半から70年代の左翼の過激派壊滅作戦と同時平行しておこなわれたのが、暴力団壊滅のための頂上作戦だった。爾来、ヤクザは蛇蝎のごとく排斥される。いわく、ヤクザは市民の敵、極道は人間のクズ。いっぽうで東映の任侠映画で人気を博しながらも、任侠団体が暴力団という蔑称でさげすまれるようになったのもこの時期である。

◆「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲である

話は急転するが、山口組の後継をめぐる組織同士の抗争もあって、いよいよ先進国としての体裁を考える為政者は断をくだした。恐喝や脅しをすればすぐにパクる(逮捕する)という暴対法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)が1991年(平成3年)に成立。1999年(平成11年)にはオウム真理教の破壊活動防止法適用に失敗したあとを受けて、組織犯罪処罰法(組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律)という新法が成立した。これも極道組織への適用を射程にいれてのものである。

法の整備と同時に、新たな頂上作戦がこのところ極道組織を襲っている。五代目山口組の宅見勝若頭が殺害された事件(1997年8月)ころから、組幹部を護衛する組員の携帯している拳銃を理由に、これまで左翼組織にしか適用してこなかった共謀共同正犯を罪状として、若頭補佐クラスの幹部をたてつづけに検挙・指名手配して動きを封じようとしている。さらには民法上の使用者責任。そして2011年から各自治体で施行された暴排条例において、反社会的勢力としてのヤクザの排除は法的な完成をきわめた。それを完成と呼ぶのは、ほとんど憲法違反の条例だからである。これ以上の法の逸脱は限界であろう。

過去がどうであれ何であれ、自分たちの存立のために邪魔なものは切り捨てるのが国家の持つ、唯一性の原理なのだ。それは安倍総理の「ケチって火炎瓶事件」などに顕著である。しかしながら、政治家とヤクザは切っても切れない関係にある。選挙という膨大な民衆を相手にする以上、清濁併せ呑む度量がなければ政権は握れない。その意味では自民党が政権与党である根源的な理由(ヤクザとの付き合い)を破棄しようとする「反社会勢力」なる虚構は、自民党を崩壊させる序曲だと指摘しておこう。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

江戸期いらいの博徒が戦後にいたって一変したのは、そのまま戦後社会の変容を映し出しているといえよう。

最初に戦後の闇市を取り仕切ったのは、伝統的な極道の流れではなかった。愚連隊とか特攻隊崩れとかの血気盛んな連中が、無秩序な闇市を取り仕切ることで警察組織の代用をはたしたのである。盗みやかっさらいの横行するアンダーグラウンドの市場には警察力が必要だったが、その警察は闇市を取り締まり、取り締まった戦果を自分の懐に入れることはあっても、飢えた民衆の必要を満たしてくれるわけではなかった。そこで私設の警察組織が、闇市の庇護者として設立されたのである。
どんな商売も市場がある以上は、需要がなければ存立しえない。

遠く農村から列車に乗って闇市に米を売りにきた女性が、乱暴者から商品たる米を奪われたとしよう。警察に届けても面倒をみてくれないどころか、闇米はすべて没収されて、へたをすれば彼女自身も逮捕されてしまうのである。そこで市場を取り仕切る愚連隊の親分にすがって、米を取り戻してもらうことになるのだが、そのついでに少しばかり上納金を差し出すことに何の不思議もない。必要経費ともいうべき、当然の手間賃である。

ときには愚連隊同士の縄張りやイザコザで拳銃を乱射されたり、取り締まりの警察隊との銃撃戦もある異常な時代だったが、日常的なトラブルは彼女がしたように必要経費で処理され、それで食いぶちが満たされれば何の問題もないのである。商売のトラブルが市を成り立たせなくなったのでは、人々は飢えて死ぬしかない。当時の日本人の食料は、そのほとんどが闇市の食料で賄われていたのだから。

こうして闇市を支配していた愚連隊を、やがて伝統的な博徒組織が吸収していく。
実力を持った若い集団が、いろいろと能書きやしきたりなど伝統文化を持つ集団に合流して、本格的に極道の代紋を背負うことになったのである。戦争で国家とともに滅びかけていた博徒集団にしてみれば、これで新しい職域への進出と若々しい血を入れることになった。

◆田岡一雄がつくった戦後ヤクザ

人々の飢えがみたされて闇市が終焉すると、戦後復興の時代である。日本最大の広域暴力団とされる山口組の勢力を飛躍的に拡大したのは、一九五九年に勃発した朝鮮戦争だった。

港に入った船に一番乗りしたグループが積み荷の運搬を請け負うという、荒っぽい沖仲士の荷受け業界に初代のころから参入していた山口組は、斬新な組織論において他の組織の追随を許さなかった。旧来の極道組織の子分が子分をもうけて分立していく組織作りの方法を避け、山口組は表向きは会社組織として分社し、裏組織を一元的に統括した。表向きは近代的な企業でありながら、しかも普通の企業にはできない義理の親子の拘束性がある。この立役者が三代目山口組の袖主田岡一雄だった。

朝鮮戦争の拡大とともに港湾荷役は需要が増大し、規制緩和の機会を得た山口組は二次下請けの立場から一次下請けへの参入に成功する。海運局に掛け合って、下請けの枠組みを取り払わせてしまうのである。さらには、左翼の労働組合に対抗する労働組合を結成し、この力を背景に、彼の組織は左翼のみならず他の業者を圧倒したという。

事故が起これば船会社と交渉するのも山口組の労働組合なら、海運会社の仕事を最大業者として受けるのも山口組傘下の企業という具合に、彼らは神戸港の支配をテコに全国の港湾を掌握していく。

さらに、当時のエネルギー産業の基幹である炭鉱労働者の組織化に着手する。いわば職能組合とか産別労組の全国展開とまるで同じ組織づくりで、高度経済成長をもたらす労働力を支配し、今日の隆盛の礎になる全国組織の最初の骨格を作ったのである。

膨大な労働力(人集め)を必要とする大資本にしてみれば、労働者が左翼に牛耳られて革命騒動を起こされるよりは、山口組のほうがずっといいに決まっている。事実、あとでみるように共産党は朝鮮戦争に乗じて武装闘争の方針で動いていたし、革命前夜のような暴動が各地に生起していた。

それでなくても、沖仲士や炭鉱労働者は普通の社員では扱いにくいし、荒っぽい連中の喧嘩騒ぎや揉め事には困っているのだから、旧財閥系の御大も、ここはひとつ山口さんとこの力でなんとか、ということになったのは想像にかたくない。

組織が拡大していくためには、荒っぽい暴力も必要である。ここでは柳川組という武闘派組織が山口組の組織拡大を牽引したのだった。ちなみに柳川組は在日朝鮮人を主体とする組織で、のちにみる共産党の極左戦術を先頭でになったのが在日朝鮮人たちだったのを考えると、異郷に強制連行された彼らこそが、混乱期にたくましい生き方をしめしたことになるかもしれない。


◎[参考動画]「山口組三代目」(1973年08月11日公開)予告篇

つぎに三代目山口組組長田岡一雄が取り組んだのは、これも有名な話だが力道三のプロレス興行や美空ひばりのステージを取り仕切る芸能興行だった。朝鮮戦争の軍事特需をへて、戦後復興なった日本には、大衆消費社会の波がすぐそこまで来ていた。

隙間産業のような職域が時代の需要になったときに、正業を持たない極道組織が持てる組織力と荒っぽいが面倒な仕事に乗り出すのである。利権と暴力が衣の下から透けて見えるような、あやうい職域を仕切ることができるのは、目先の銭金よりも厳しく統制された組織であり、それを可能とする伝統的な作法と形式の力にほかならない。生き方の中に極道としてのプロフェッショナルの気風が充満していれば、もはや怖いものは何もない。組織に生きることが、彼らの正義であり世の中をみる尺度なのである。

これが通常の会社組織であれば、仕事の成否も労働者の去就も賃金をめぐる一点にしかない。業績がはかばかしくない企業からは、沈みかけた難破船から鼠が逃げ出すがごとく優秀な社員はいなくなってしまうし、有力な企業には有為な人材が集まるのが労働市場の原理である。

ところが極道の社会は利益集団でありながら、そこに擬制の血縁関係をつくり出すことによって成立している。破門か絶縁の処分をされないかぎり、親子の縁は切っても切れない。これが極道組織をプロフェッショナルの集団たらしめる原理である。

親が殺せといえば子は殺人犯になるのが正義であり、親が死ねといえば、まあこればかりはゴメンと逃げ出すかもしれないが、破門や絶縁の処分をされないかぎり子分であることに変わりがない。このようにして保存された親子の縁と義理、兄弟の絆が、戦後の保守政治にマッチしていた。自民党とその政府はヤクザを手の内に取り入れることで、選挙のみならず政争を生きのびることになるのだ。次回は自民党のヤクザへの接近と裏切りを、国家という原理から解説していこう。


◎[参考動画] プロレスリング日本選手権 “昭和の巌流島”(1954年12月22日)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆江戸時代のヤクザは警察だった

「反社会勢力は定義されていない」と、このかん「桜を見る会」への「反社」の出席について政府高官が広言した。なるほどそうかも知れない。暴対法や暴力団排除条例(自治体条例)が法的に精査されず、何となく雰囲気でまかり通った法律であるのだから……。

それでは、かりに「反社会勢力」と言われるヤクザとは、そもそも歴史的にどんな存在だったのだろうか。一般には博徒というのが、かれらの出自である。その原型は江戸時代にさかのぼる。任侠道の成立は、江戸期の郷村(惣村)に発する。

かれらは博打だけを生業にしていたわけではない。郷村にかかわる自主検断、つまり自治的な警察組織の役割を受け持つことで、賭場を開く権利を得ていたのである。江戸時代のヤクザは警察だったのだ。

警察組織とはいっても、戦後の公務員的なそれとは違って、郷村の惣や寄り合いとは別個の役割をはたす非政治的で、かつ乱暴な暴力装置。つまり用心棒のようなものを想像すればよいだろう。

彼らは渡世人や旅芸人、渡り職人などをはじめとして、非生産的な人々や社会の流動層を取り締まる独自の様式を抱えるがゆえに、戦後の官僚的な警察組織が持つ、時の権力に媚びへつらうような側面は皆無で、むしろ反権力的ですらあった。

◆敗残兵、浪人者……帰農しなかった人々

郷村の検断として流民層を取り締まり、彼らの独自の生活様式をふところに取り込むには、彼ら博徒にしか出来ない固有の文化が存在していたと考えられるのだ。縄張りを保持するには、公権力を笠に着た強権よりもその道のしきたりに従った采配が必要である。博徒が反権力的になる所以は、この公権力から離れた独自性の所以であろう。

彼らの前身をたどると、戦国期の土着的な戦闘集団や、もっと昔なら中世の流民層が源であろうと思われる。もともと戦国時代には、郷村のはぐれ者や血気盛んな若者たちが傭兵としての戦闘集団を形成していた。中には武士団に編成されない自立自尊の土郷たちも多かったが、領地の切り取り戦争が進むにつれて、大規模な武士団の傘下に入るようになるのだ。中世の流民層には、忍びの術をもっぱらとする戦闘や、金山掘りなどの特殊な技術を手の職として各地を渡り歩く集団もあった。だがこれらも、戦国時代の末期には有力な大名の傘下におさまっていくことになる。
めでたく戦国を勝ち残ったり、仕官の道を得たのが江戸の武士階級だとすれば、敗残兵としての浪人者もふくめて、江戸期の博徒は帰農しなかった人々であったり、農業を嫌って親元を離れた者もあり、武士階級の裏側ともいうべき存在である。その生活様式は、時代の主要な生産階層とは離れて、先に述べたような独自の文化を形成することになる。ヤクザ文化、任侠道の成立である。それでは、任挟道とは具体的にどんなものなのか?

◆渡世の修行

ある村に、親から勘当された若者がいたとしよう。

彼が村の若衆組の仲間とともに遊びまわり、畑仕事もほったらかして放蕩のかぎりを尽くしていたとする。若衆組とは現在の青年団のような意味だが、チーマーみたいに繁華街(宿場町)まで出かけては、カツ上げをして喧嘩をくり返す。押入れの奥に秘匿していた布ぎれや蓄え米を持ち出しては、質に入れるなどの自堕落かつ放縦の日々。これではどうにもならないと、ついに口減らしをもくろむ親から勘当され、当てもなくほうぼうをうろつくうちに土地の親分に厄介になる、という顛末である。

最初は使いっぱしりしかさせてもらえないが、喧嘩の腕や度胸がいいようだと、派手な出入りにも参加するようになって、いよいよ親分と杯をかわすことになる。親子の杯が無事にすめば、晴れて子分ということになるわけだ。つぎに、武士ならば武者修行ともいうべき股旅に出ることになる。

親分の人脈で諸国の組織をめぐり、一宿一飯の義理をはたしながら渡世人としての度胸と礼儀作法を磨いていくのである。礼儀作法を磨くというのは簡単に思えるが、仁義のきり方を間違っただけで殺されることもあったというから、渡世のしきたりは生易しいものではない。おのが力で一家を成し、名を成す修行ののちに、世の賞賛を得るほどの大親分となるのだ。以下、江戸期いらいのヤクザの親分衆である。いずれも代が途絶え、「清水一家」や「会津小鉄」などの名称だけが、勝手に継承されている。

幡随院長兵衛
中間部屋頭三之助
国定忠次
大前田英五郎
勢力富五郎
清水次郎長
会津小鉄
加島屋長次郎
新門辰五郎

◆生業としての〈縄張り〉

いっぽう、賭場を開かないヤクザもいる。彼らはテキヤと称される人々で、村の神事や祭りを主催しては、そこに集まる商売の上前をはねる、というよりも商売人たちを庇護し、いらぬ揉め事から村を守るという役割を受け持つのである。これは現在のテキヤと、まったく変わりがない。もとより、テキヤも博徒も、縄張りの支配を生業としている。

現在でも暴力団として批判されるヤクザを擁護し、その必要悪を論じる方法がある。その多くは社会から落ちこぼれた人間が個人的な犯罪に走るよりも、統制された組織の中に取り込んだほうがよろしいのではないか、という立論である。

言うところは少なからず当たっている。繁華街から彼らがまったく消えてしまったら、屋台や行商の人たちの縄張りはとんでもないことになるはずだ。屋台や行商をすべて規制してしまえば、街は活力をうしなう。堅気衆にとっては思いもかけない彼らの経済的な役割りをみのがしてしまえば、ヤクザの存在の根拠は解明できないのである。

つまり縄張りとは、一種の業界参入の規制である。誰でも勝手に大道に店を出せるということになれば、主催団体が統制をきかせない休日のフリーマーケットのようなことになって、警察官がいくらいても足りないであろう。社会的に解決困難な部分を請け負い、取り仕切る役割がつねに存在しているのだとすれば、極道も必要悪どころか職業的には明瞭な生産性を負っていることになる。しかも、チンピラや暴走族などとは違って、堅気衆には迷惑はかけないという厳格な統制力のある組織であれば、社会的には有用な存在ですらありうる。だからこそ、同じ社会的役割をになう警察組織に「反社会勢力」として排除されるのだ。したがって「反社会勢力」なる規定は、社会を警備する勢力による縄張り争いということになるのだ。パチンコ利権、街の警護を下請けする警備会社、企業の警護を請け負う。これらこそ、警察がヤクザから奪った利権であり、縄張りなのだ。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヤクザのシノギのひとつに、実録系Vシネマの製作があった。あった、というのは現在ではほとんど製作されなくなっているからだ。実録系ではなく、フィクションのヤクザVシネマ(北野たけし・小沢仁志などが製作)ならば、いまなお盛んに作られているが、作品に登場する俳優が好きでないかぎり、わたしは観たいと思わない。「仁義なき戦い」いらい、ヤクザ映画はリアリティこそ命だと感じるからだ。

実録・広島四代目 第一次抗争編 (販売元: 株式会社GPミュージアムソフト)

わたしの好みはさておき、広島ヤクザ抗争、山口組全国制覇抗争、四国・松山ヤクザ抗争、九州・沖縄ヤクザ抗争など、名だたる抗争事件を素材にしたVシネマはよく売れた。そんな実録系のVシネマがヤクザのシノギである理由は、いうまでもなくモデルとなった当事者からのクレーム対応が、ふつうの製作プロダクションでは不可能だからだ。

わたしが知っているクレーム事件では、ドル箱の広島抗争をあつかったミュージアム(現GPミュージアム)の作品中、抗争事件で撃たれたヤクザの親分が「痛い!」と叫ぶシーンがあった。作品が貸しビデオ店の店頭をかざった頃合いで、当事者(「痛い!」の親分の組織)からクレームが入った。

「うちの親分は、あのとき『痛い!』とは言うてへんで!」
「いや、あれはその。撃たれたわけですから、痛いだろうと」
「おまえら、親分が痛いと言うたん、聞いてたんかい?!」と、猛抗議。

けっきょく、その作品は全国の貸しビデオ店から回収となった。製作費1500万円は露と消えたのである。当時、9000本とも8000本とも言われていた売り上げ、約3000万円もお釈迦……。いらい、ミュージアムはヤクザ系の製作会社に製作を投げるようになったのだ。


◎[参考動画]仁義なき戦い 予告編集(田島次郎2017年7月30日公開)

◆遺族は映画化にNG

実録ものである以上、たとえば本多会(のちに大日本平和会)などの場合は、消滅してしまった団体の元幹部に取材することになる。そこではわりと率直に、最後の組長の人となりが語られたり、組織の弱点を忌憚なく話してくれたものだ。関わっている事業は港湾業務とか水商売であったり、現役時代と変わらない人が多かった。

ただし、派手な抗争歴やかつては羽振りの良かった話をする人でも、いまや食い詰めた老人という風情の方もおられた。どうして大きなクラブを経営していたのに、どの時点で覇気がなくなったのか。まったく不思議な零落を感じさせられたものだ。過去が重みなのか「わし、ヤクザをやっとったですからねぇ」と、昨今の反社キャンペーンに煽られたかのごとく、自嘲的な人も少なくなかった。

遺族はことごとく、父親(逝去した組長)の話を嫌ったものだ。「できれば、そういうの(評伝映画)は、つくらないで欲しい」「いま、うちは堅気をやっていますから」などと。奥さんから勝手に名前を使ったと、抗議が来ることもあった。

組の意向で、元親分(故人)のものは書いたりしないでくれ、というケースもすくなくない。その組織には、その元親分と現役親分をめぐる過去の因縁が隠されていたのだ。かつて、骨肉相食む内部抗争があった時に、亡き親分が当代の親を撃った、と。

今野敏の小説『任侠学園』

◆警察と銀行による、製作会社への圧力

冒頭に、現在ではほとんど製作されなくなっている、とわたしは書いた。登場人物の名前を変えていてもそれとわかる、いわゆる実録ヤクザ系のVシネマは皆無といっていいだろう。

流れを追って、説明しておこう。60~70年代の抗争、90年代の暴対法(みかじめ料の禁止など、ヤクザの小商いが排除される)とパチンコプリペイドカード(北朝鮮への仕送り資金の排除)を通じて、ヤクザ組織は小組織から大組織へと統合されてきた。みかじめ料などの小商いは断たれたが、巨大プロジェクトへの参入という経済ヤクザへの転身、あるいは下請け業者としての生き残りである。そして大組織への統合とは、山口組という一強支配の完成である。したがってまた、その過程は地元の独立系有力組織との抗争の拡大でもあった(福岡県における道仁会と山口組が典型)。

そして2011年の暴排条例を境に、Vシネマへの締め付けが厳しくなったのだ。暴排条例の骨格は、徹底的にヤクザの利権を断つこと。すなわち取り引き先から締め上げていくことにある。ヤクザ系の製作プロダクションへの銀行融資の停止、そして販路の締め付けである。このあたりは、任侠業界誌である「実話時代」が休刊に追い込まれたのと同じ構造である。

八尾河内音頭まつり

かくして実録ヤクザ系Vシネマは息の根を止められ、代替わりや親子の固めの盃事、年末の事始めの儀式を記録する映像会社・カメラマンも締め出されるようになった。ヤクザの盃事に関わっていると警察に知れたら、公共行事や行政の仕事から締め出されるというわけだ。

そのいっぽうで、今野敏の小説『任侠学園』(シリーズに「任侠書房」「任侠病院」「任侠浴場」)が人気を博し、映画化されるという。指定暴力団ではない、古きよき時代の阿岐本組は、組長が文化的な素養が高く、地域のピンチになった病院や風呂屋を立て直すというストーリーだ。

『任侠学園』では、愛と厳しさにあふれる教育で学校が再建される。もともと、任侠道は「強気をくじき、弱気を助ける」人の道である。河内音頭がその大半の素材を、ヤクザの股旅物に採っているように、日本人の心の故郷でもあるのだ。抗争事件とバブル経済で暴力団と化したヤクザを、原点に復帰させることで社会に融合させる方途こそ、じつは本来の取り締まり手法とは言えないか。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

2020年もタブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』2020年2月号

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

ヒットマンは山健組の組長(中田浩司60歳)だった……。これは任侠界を知る者にとって、きわめて衝撃的な事実である。たとえはヘンかもしれないが、トランプ大統領がF35戦闘爆撃機に乗って朝鮮半島上空に侵攻して核ミサイル基地を空爆するとか、安倍総理がみずから作業着を着て災害救助の最前線に立つようなものだ。いや、それだと立派な行為ということになるが……。つまり言いたいことは、山口組抗争の片方の本家(正しくは本家組長の出身母体)の親分がみずから、対立する六代目山口組の本家(正しくは本家組長・若頭の出身母体)の幹部を銃撃したという、前代未聞の事態なのである。

すなわち、8月21日に弘道会傘下の二代目藤島組に所属する加賀谷保組員(51歳)が複数の銃弾を浴びた事件のヒットマンが、中田組長だったことが判明したのだ。それもミニバイクにヘルメットをかぶり、拳銃を撃ち放つという若々しき実行行為である。

考えてもみてほしい。60歳で懲役30年の刑を受けた場合、獄死はほぼ間違いない。かりに懲役20年、80歳で出所できたとしても、もはや引退する歳である。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 神戸山口組幹部の男を逮捕(サンテレビ2019年12月4日)

それだけではない。8月の事件に対する報復として、10月10日に山健組本部前で六代目山口組弘道会(竹内照明会長)の丸山俊夫幹部組員(68歳)が、山健組幹部2人を射殺している。このとき、丸山は報道関係者を装ってカメラを持ち、怪しまれずにターゲットに近づいている。しかし本欄でも指摘したとおり、警備陣がそろっている中での犯行であり、もとより帰還を期さない特攻襲撃でもあった。永山則夫(連続射殺犯)規準では、2人以上殺せば死刑である。

さらには11月27日に、元山口組組員(破門中)の朝比奈久徳(52歳)が神戸山口組の古田恵一(二代目古田組)組長をM16自動小銃で射殺している。朝比奈容疑者の銃撃の動機は不明だが、軽機関銃での犯行は重刑になるであろう。


◎[参考動画]山口組系組員銃撃事件 新たに男4人逮捕(サンテレビ 2019年12月9日)

◆高山清司若頭が直参幹部に喝?

10月18日に六代目山口組の高山清司若頭が出所して、幹部たちを集めて「喝を入れた」と報じられ、にわかに抗争激化の様相を呈している。などと実話系週刊誌は見出しを立てているが、幹部たちの直接の証言があるわけではない。山口組は司組長が産経新聞のインタビューに応じた例外を除いて、マスコミや暴力団ライターの取材に応じるのはご法度である。

いまのところ山口組抗争は双方とも抗争は自粛、むしろ水面下の締めつけや復帰工作が進められているのが実情だ。問題なのは、中高年の幹部組員たちがヒットマンになり、絶望的な戦いをくり広げていることであろう。

中田組長にしても、丸山幹部組員にしても、二度と娑婆の空気を吸うことはできない。それを十分に承知のうえで、あえてヒットマンになったのである。

神戸山口組は井上邦雄組長をトップに、当初は3000人近い組員がいたが、六代目山口組の切り崩しにあって、昨年末では2000人ほどに減っていたという。捜査当局の観測によると、六代目山口組高山若頭の出所によって、切り崩し攻勢がさらに拍車がかかっているという。それ自体は30年前の山一抗争を思い出させる構造となっているが、良くも悪しくも六代目山口組の統制力の強さ、弘道会一極支配が高山若頭体制として中央集権化していることだ。神戸山口組から分立した任侠山口組の織田絆誠代表による、六代目復帰と再統合の路線は少なくとも、高山若頭の出所で完全に途絶えた。

ぎゃくにいえば、高山清司若頭が分裂の大きな原因(人事の独占、生活雑貨の強制購入、上納金の高額化)だったのだから、噂される七代目への移行時に大きな組織上の変化が展望される。それは高山若頭が七代目になるのか、あるいは竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長)が襲名するのか。それとも司忍六代目のお気に入りである森健司(司興業会長)が抜擢されるのか。捨て身のヒットマンたちの思いがけない行動が、鼎立する山口組抗争を決定づけるのかもしれない。

【横山茂彦の好評連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

この危ないテーマを、偉大な医師にして国際貢献の烈士を素材に語るべきか。迷ったすえにメモリーとして書くことにした。国際貢献の烈士とは、いうまでもなくペシャワール会の中村哲先生のことである。事件は水争いということで、犯人の身柄も確保されたという。偉大な治水事が不幸な結果となり、また余人に代えがたい先生が亡くなられたことに、哀悼の意を表するものです。

さて、安倍政権は「反社勢力は定義できない」と、みずからの政治的基盤にヤクザや半グレ、圧力・利権団体、あるいはマルチ商法まがいの実業家などがいることを、閣議決定をもって証明した。じつは中村哲先生も、この定義できない「反社」の親族なのである。


◎[参考動画]「信頼関係が一番大切」 中村哲さんが遺した言葉(毎日新聞2019年12月04日)

『日本侠客伝 花と龍』(1969年東映)

すでに母方の伯父が火野葦平であり、その父親が玉井金五郎(玉井組の親分)であることは、ニュース解説などでも触れられている。火野葦平の『花と竜』には、玉井金五郎のほかに吉田の親分(吉田磯吉)も登場し、近代ヤクザ黎明期の若松港が描かれている。じっさいには、戦後に書かれた『革命前後』に玉井金五郎のやや狡すっからい人物像が描かれてあり、後者のほうが実像に近いと評されたものだ(地元の親分衆の話を聴取した溝下秀男工藤會総裁=2008年に逝去)。

◆工藤會との関係

中村先生の親族が「反社」(不定義)というのは、文豪につながる出自を言いたいのではない。先生の従兄に現役の工藤會幹部がいるからだ。四代目工藤會で執行部を務め、現在は常任相談役の玉井金芳玉井組組長がその人だ。三代目(溝下秀男会長)の信任が厚く、そのクレバーな振る舞いから対外的な実務を担っていた。玉井組長は火野葦平の晩年の実子で、玉井一族はいまも若松の港湾団体の要職を占めている。

どうだろう。大伯父がヤクザの大親分で、親族に任侠組織(暴力団)の幹部がいるからといって、中村先生を「反社」につながる暴力団親交者と言えるだろうか。暴対法・暴排条例、そして「反社排除」は、ややもすれば家族関係・親族関係に亀裂を入れ、地域社会を崩壊させかねない勝手なレッテル貼りだったのだ。ほかならぬ安倍政権がそれを証明した。政権が閣議決定した以上、警察庁が仕掛けた社会を歪ませる「反社排除」は是正されるのだろうか。

ちなみに、河伯洞(火野葦平の旧居)の館長も中村先生の従弟である。
https://www.city.kitakyushu.lg.jp/wakamatsu/file_0043.html

資料館ともども、北九州観光のおりには訪れて欲しい場所だ。資料館の館長は「中村さんの義侠心のルーツが、ここにあることを知ってほしい」と、中村先生に関連した特別展示にあたって語ったという。

話が溝下秀男総裁におよんだので、政治家との関係を記しておこう。溝下総裁が30のときに斯界に入門するか、政治家への道を選ぶか迷ったのは、著書『極道一番搾り』ほかに明かされている。このときに政界に誘ったのは、自民党の田中六助である。田中は大平正芳政権のもとで官房長官、鈴木善幸内閣で通産大臣に就任している。田中の後継者(甥)である武田良太が、この欄で何度か名前の出たヤクザと親交がある現国家公安委員長である。

溝下総裁が生きていたとして72歳だから、政治家の道に進んでいたら90年代から2000年代はヤクザ政治家が暴れまわっていたのかもしれない。その溝下が中村哲の活動を陰ながら支援していたことを記しておきたい。工藤會が匿名ながら児童養護施設(溝下自身が孤児である)などに遊具などを寄付していたことも、書かなければ歴史に埋もれる史実となりそうだ。合掌。


◎[参考動画]【中村哲さん追悼】2003年4月放送 アフガンの現実(筑紫哲也NEWS23)

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

安倍政権は12月10日の閣議において「反社会勢力」について「形態が多様であり、また、その時々の社会情勢に応じて変化しうるもの」立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。と閣議決定した。


◎[参考動画]「反社会的勢力」定義困難と閣議決定 “桜問題”で(ANNnewsCH 2019年12月10日)

「なっ、何だってぇ?」と、誰もが唖然としたのではないだろうか。暴力団や半グレ、えせ同和、総会屋など、反社会勢力と定義されてきたものが、まるで幻だったかのように政府が定義を変更。いや、社会情勢に応じて変化しうると、曖昧化したのである。

少なくとも、政府において、「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である『反社会的勢力』をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である」という、第1次安倍政権が犯罪対策閣僚会議(2007年6月に)で決定した定義を撤回したのだ。

これによって、金融機関や公共機関、遊技場、賃貸契約など、社会のあらゆる領域で「反社会勢力ではありません」と一筆を入れなければならなかったルールが変更を余儀なくされるはずだ。公安委員会が指定する25の指定暴力団いがいは、もはや「反社会勢力」とは定義できないのだ。各都道府県警においては「反社」という言葉を安易に使えなくなった。声高に謳っていた「反社会勢力の排除」も使えないことになる。

◆政治家はもともとヤクザと同じ職種である

ではなぜ、安倍政権はこのような噴飯物の閣議決定をしなければならなかったのだろうか。

直接的には、立憲民主党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えたもので、国会議員の質問には「閣議決定」をもって応じなければならないからだが、安倍総理および菅義偉官房長官の一連の答弁、および「桜を見る会」での反社勢力の参加を受けて、事態を糊塗するものにほかならない。

そして、もうひとつ。警察庁がいくら「暴力団排除」「反社勢力の排除」を力説しようとも、政治家および地元警察がヤクザとの蜜月をやめられないからだ。いや、そもそも政治家という職業、つまり政治(警察力によらない紛争の仲裁・利益の配分・地域の諸勢力の取りまとめ・威力をもってする統合)がヤクザの職域とほぼ同じだからである。

さらには、政治家が選挙による以外にその特権(議員職)を得られないかぎり、集票力のある組織に依拠せざるを得ないからなのだ。とくに自民党のように利権と利益配分を本質とする政党にとって、ヤクザとの関係は不可分なのである。地域の実力者、事業に参入する有力企業に、ヤクザが何らかの関係を持とうとするかぎり、絶対にヤクザは排除できないのだ。ここに問題の本質がある。

麻生太郎副総理、甘利明(労働大臣・経産大臣・自民税制調査会長などを歴任)、田中和徳復興大臣、武田涼太子国家安委員長、竹本直一科学技術担当大臣、下村博文元文部科学大臣。これらは直近で思い浮かぶ、ヤクザ系の人脈と親交のある(人的な交流や政治資金を受け取った)政治家たちだ。そしてわが安倍晋三は、工藤會系の準構成員と推定される土建会社の社長と選挙妨害を談合し、謝礼をケチって火炎瓶を自宅に投げられるチョンボを犯した疑惑がある。菅義偉官房直管はまさに、桜を見る会で全身刺青の半グレと記念撮影するありさまだ。

◆崩れ去った警察庁官僚の思惑

暴対法および暴排条例、そして反社会勢力という言葉は、警察庁のキャリア官僚たちの利権拡大の思惑から発したものだった。東西冷戦下での左右対立、暴力団の全国的抗争のなかで、28万人という巨大な組織に膨張した警察は、必要がなくなったこの時代に生き延びようとしている。予算の削減と戦い、退職者の天下り先・再就職先を確保するためにも、指定暴力団の存在は不可欠だった。左翼勢力が衰退する中でも、公安関連予算を確保するために微罪逮捕などの取り締まりを継続しているのも、巨大組織の延命のためにほかならない。

しかるに、ヤクザも左翼もみずから弾圧してきた結果、先細りで思ったようにならない。そこで「反社会勢力」なる新語を創って、警察の全国動員体制(応援派遣)を発動してきた(工藤會警備の小倉派遣・辺野古警備など)のだ。だがその思惑も、政治家の「反社は定義できない」なる閣議決定によって、宙に浮くことになってしまった。永田町と桜田門の水面下の抗争こそ、これからの見ものと言うべきである。

【横山茂彦の不定期連載】
「反社会勢力」という虚構

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 はびこる「ベネッセ」「上智大学」人脈 “アベ友政治”の食い物にされる教育行政他

『NO NUKES voice』22号 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

国会が閉幕し、安倍総理の「桜を見る会」疑惑は逃げ切った感があるものの、本質的に「お友だち」「上級国民」「反社との結託」「官邸による官僚統制=忖度」という政権を成り立たせている構造があるかぎり、政権の腐敗はくり返し暴露されるであろう。

◆自らが出席した会議で決まった「反社会的勢力の定義」を「一義的に定まっているわけではない」と言い放った菅義偉官房長官の厚顔

本連載「『反社会勢力』という虚構」をお読みになっている方には、別に愕くようなことではないかもしれないが、じつに安倍政権らしさも明るみに出た。安倍政権が支援者や仲間うち(本来の目的は功績があった人たち)を招待した「桜を見る会」に、反社会勢力とおぼしき人々が参加していたという一件だ。

しかも、その疑惑を指摘された菅義偉官房長官は、しれっとした表情でこう言い放ったのだ。

いわく「『反社会的勢力』は様々な場面で使われ、定義は一義的に定まっているわけではないと承知しています」

「えっ……?」

この「反社会的勢力」の「定義」は、じつは安倍政権において定められたものなのだ。第1次安倍政権下の2007年6月、「犯罪対策閣僚会議」が決定した「企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針について」のなかで「反社会的勢力」は、以下のように定義されている。

「暴力、威力と詐欺的手法を駆使して経済的利益を追求する集団又は個人である『反社会的勢力』をとらえるに際しては、暴力団、暴力団関係企業、総会屋、社会運動標ぼうゴロ、政治活動標ぼうゴロ、特殊知能暴力集団等といった属性要件に着目するとともに、暴力的な要求行為、法的な責任を超えた不当な要求といった行為要件にも着目することが重要である」

ちなみに菅義偉官房長官は、当時総務大臣としてこの閣僚会議に参加している。みずから出席した会議で「定義」した反社会的勢力が、「定義は一義的に定まっているわけではないと承知している」と言うのだ。もはやこの人の言葉はまともに聴いても仕方がないというべきであろう。


◎[参考動画]反社会的勢力入っていた/菅官房長官 定例会見 【2019年11月26日午後】(テレ東NEWS)

「やや日刊桜を見る会新聞」と題する怪文書

[写真A]

ではなぜ、こんな無定見きわまりない答弁に追い込まれたのであろうか。[写真A]「やや日刊桜を見る会新聞」など、ネットで流布しているものだ。「週刊新潮」(12月12日号)によると、有名な反グレAの企業舎弟と言われる人物だという。犯罪歴は住宅ローン名目で金融機関から4600万円の詐欺で逮捕、知人の頭をビール瓶で殴る暴行罪で逮捕、牛を殺して「畜場法違反」で逮捕と多彩である。代紋を持って一家を構えたヤクザではないものの、それゆえに組織的な歯止めがきかない「準暴力団」としての野放図で危険な人物というべきであろう。

菅官房長官が「出席は把握していなかったが、結果的には入ったのだろう」と定例会見で述べている以上、菅氏自身がその正体を知っているのは明らかだ。というよりも、見た目で危なさが分かったはずではないか。ヤクザも反グレも「わたしたちは危険です」と堅気に知らせるためにこそ、派手な服を着たり茶髪に染めたりするのだ。そういう人物とツーショットに納まるとは、いかにも警戒心がなさすぎる。いや、そもそも近づいてくる人間を排除しないのが自民党政治なのである。そして安倍総理だ。

◆自民党政治は反社との結託で成立している

[写真B]はテロップのとおり、奈良県高取町の新澤良文町会議員(52歳)である。そしてその新澤氏が[写真C]上段において、派手なジェスチュアでスリーショットを喜んでいるのは、言うまでもなくわが安倍総理だ。新澤氏は五代目山口組山健組系の臥龍会に所属していた、れっきとした元暴力団組員である。週刊誌の取材によると、新澤氏は率直にその事実をみとめ、こう語ったという

[写真B]

[写真C]

「入れ墨も入っており、逮捕歴があるのも間違いありません。抜けたのは30歳のころ。組が代替わりして、冷や飯を食わされるようになったのがきっかけです。これはキチンと言わせていただきたいんですが、いまはカタギとして真面目にやっています」

立派な態度ではないか。すでに組織を離脱してから20年近くが経っているばかりか、FBを見るかぎり地元での熱心な議員活動も感じられる。過去記事(日本タイムス)によれば、警察関係者は新澤氏のことを「今も山健組の幹部と交流があります。服役は3回あり、殺人未遂で7年、暴行では1年入っています。全身入れ墨、左小指が欠損しています」という。絶縁されたわけではないようなので、現役の組員と親交があることも想像に難くない。これをもって、安倍総理と新澤議員の親交をとがめだてようとは思わない。むしろ反社の「定義は一義的に定まっているわけではない」ことを安倍政権において、正々堂々と閣議決定して言動の一貫性を保つべきではないか。

われわれ国民は「行政文書たる参加者名簿は破棄し、サーバーに残っている電子データは一般職員が使えないから、行政文書ではない」などという子供じみた屁理屈と同様に、「反社は定義がない」などと、薄っぺらな言い訳に辟易しているのだ。そして安倍総理や菅官房長官に反社につけ入られる「スキ」があるのではない。理念や政策によらない、人脈(誰でもよい)と金脈(利権配分)で成り立っている自民党政治がそもそも、反社といわれる人々と分かちがたい関係にあるからだ。

何度でも確認しよう。自民党政治は本質的に反社勢力との結託で成立してきたし、これからもそれは変わらない。伝統的な代紋の代わりに、一般企業を装ったり業界団体名を名乗ったりと形を変えても、基本的に利権誘導党派であるかぎり反社的な人物と結びついてしまうのだ。

そして独自の権益で反社を追い落とし、みずからがその利権を独占しようとする警察庁官僚がその関係を排撃するにつれて、反社の資金と集票力に依拠する自民党政治は股裂きに遭うのだ。

◎【横山茂彦の不定期連載】「反社会勢力」という虚構 

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
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「いい人だけ付き合ってるだけじゃあ選挙落ちちゃうんですよね」たびたび引用させていただいているが、2016年1月に安倍政権の社会保障・税一体改革担当大臣を辞任したさいの、甘利明の辞任会見での発言である。

甘利はURへの口利きのあっせん利得として、事務所(秘書)が建設会社から1200万円を受け取っていた責任をとって辞任した。この「いい人だけ」の裏側に「悪い人と付き合う」が含意され、そこにはパーティー券の購入や資金援助、ブラックな人脈との付き合いが政治家の本質だと暗喩されているのは言うまでもない。

田中和徳復興大臣

◆安倍政権閣僚と暴力団

この「悪い人との付き合い」が政治家の必要条件であることを、今回の安倍改造内閣でも田中和徳復興大臣(70歳)の例が証明している。本欄でも既報だが、再録しておこう。

「(田中和徳復興大臣の)平成18年に開催した政治資金パーティーで、指定暴力団稲川会系組長が取締役を務める企業にパーティー券を販売し、40万円を受領していたことが21日、産経新聞の調べで分かった。パー券販売は財務副大臣在任中で、暴力団側から政治家側への直接の資金提供が判明するのは極めて異例。暴力団排除条例が全国の自治体で制定されるなど『暴排』の動きが加速する中、国会議員と暴力団側の関係が発覚した。政治資金収支報告書や関係者によると、パー券を購入していたのは東京都品川区に本社を構える企業。設立は昭和62年で、法人登記では『日用品雑貨の販売』『金銭貸付業』などとなっている。捜査関係者によると、同社は暴力団のフロント企業として認定されているという。稲川会系組長は、設立当初は代表取締役を務めていたが、平成4年からは取締役に就任。同社が長年にわたって暴力団の影響下にあり、資金源となっていたことがうかがえる」(「産経新聞」2011年10月22日ウェブ配信)。

武田良太国家公安委員会委員長

田中復興大臣だけではない。暴力団を指定し、取り締まる国家公安委員会のトップに就任したのが、暴力団との交際を報じられている武田良太(51歳)である。これも既報だが、再録しておこう。

「2010年11月に公表された、武田氏の政治資金管理団体「武田良太政経研究会」の収支報告書によると、09年4月に開かれた政治資金パーティー代として、東京都のA社が50万円を献金している。また、11年11月公表の収支報告書では、A社の実質的な代表であるI氏が10年4月の政治資金パーティー代として70万円を支払っている。実は、このI氏、警察当局が指定暴力団山口組系の組員ではないかと当局からマークされ、裁判で素性が明かされた人物だった」(「週刊朝日」2019.9.13ウェブ配信)

もうひとり、竹本直一科学技術担当大臣(78歳)である。ひとつの内閣に3人も暴力団の密接交際者がいるようでは、自民党政治家の本質が「暴力団準構成員」であると指摘されても不思議ではないだろう。

山口組幹部だった男性と竹本直一氏(2018年8月撮影)

「閣僚名簿で『グレーな交友』を疑われたのが、科学技術担当相に起用された衆院当選8回の竹本直一氏(78)。SNSに、18年8月、花火を見物している竹本氏と記念写真に一緒に写っている角刈りの男性の姿がある。指定暴力団山口組系組幹部だったⅩ氏である。同年3月に、竹本氏の後援会が開催した新年賀詞交歓会のパーティーで、X氏と岸田氏が親しそうに写真に納まっている写真が、写真週刊誌『フライデー』にも掲載された。

「Ⅹ氏は長く幹部である組の顧問を最近までやっていたようだ。昔から、資金力豊富だと有名だった。『岸田氏や竹本氏との写真は、箔(はく)をつけるために撮ったのでしょうね』(捜査関係者)そして、宏池会所属のある議員はこう話す。
『(フライデーに写真が出た時から)竹本氏は相手が暴力団関係者であることがわかっていたはず。岸田会長も、あの報道には激怒していましたよ。なぜ、竹本氏はSNSの写真を削除させなかったのか? こんなわきの甘さでは、大臣が長く務まるとは思えないですね』」(「週刊朝日」2019.9.13)

たまたま暴力団関係者と知り合ったり、政治献金を受けていたわけではない。政治家という職業が誰とでも会合して握手し、選挙で政治家生命を鬻(ひさ)ぐおんであれば、密接交際をする本性を持っているからだ。安倍総理自身が「ケチって火炎瓶」事件(工藤會系の業者に選挙妨害を依頼するも、返礼金を渋って自宅と事務所に火炎瓶を投げられる)を生起させたのも、選挙という「再就職」システムがあるかぎり、何度もくり返されることであろう。

◆かつて政治家はヤクザと同義だった

戦前にさかのぼれば、ヤクザが政治家になるのは普通だった。憲政会の吉田磯吉は火野葦平の『花と竜』に登場する磯吉大親分であり、そのライバルで下関籠寅組の大親分が、立憲政友会の保良浅之助である。もっとも、吉田磯吉の生業は港湾忍足の元締めであり、保良浅之助の籠寅組は土木建築業と芸能興行であった。

吉田磯吉の門下に富永亀吉という親分があり、その系列の中から大嶋秀吉が頭の港湾労働者の元締めとなった。その大嶋組の傘下に、山口春吉の山口組が結成されたのである。のちの広域暴力団山口組の誕生である。

三代目山口組として、中興の祖となった田岡一雄親分の昭和20年代、山口組はまだ30人ぐらいの組織だったという(『狼侠』笠岡和雄、サイゾー刊)。神戸の本多仁介(本多会)と関東の藤田卯一郎(松葉会)の兄弟盃のとき、政財界からの列席者のなかに自民党党人派の総領・大野伴睦の姿があったという。その大野伴睦と自由党で行動をともにした中井一夫は、戦前からの代議士で神戸市長、弁護士でもあった。

中井がマスコミの注目を浴びるのは、四代目山口組と一和会の五年にわたる史上最大の抗争中、神戸ユニバーシアードのさいに「休戦協定」を結ばせた時のことだ。ヤクザと政権中枢が限りなく接近・一体化したのは、竹下登の皇民党による「褒め殺し」事件の時だった。稲川会二代目の石井進が京都の会津小鉄の三神忠を通じて皇民党総裁稲本虎翁総裁と会合し、竹下が田中角栄に謝罪することで話をつけたのである。

その機縁から週に一度、金丸信自民党副総裁と竹下登総理、石井進の三人の会合が持たれ、自民党内では「裏閣議」と呼ばれたものだ。会合の警護役は、若き小沢一郎だったという(『巨影』石井悠子、サイゾー刊)。皇民党事件のときに奔走して調停を計れなかった浜田幸一は、稲川初代(稲川聖城)時代の石井進の弟分である。

◆町内会や自治会を基礎とする自民党政治は、「反社会勢力」と手を切れない

自民党の政治家で、ヤクザと無関係に選挙をコンプリートできている者は、ほとんど皆無だろうとわたしは思う。なぜならば自民党政治の基礎単位が町内会や自治会(町内会と同義)に、地方議員が根を持っているからだ。町内会はそのまま神輿会や神社の崇敬会に重なり、そこには地域社会に根を下ろしたヤクザが介在しているからだ。ヤクザがそこに潜り込んでいるのではない。地域をとりまとめる人物は、本人がヤクザであるかヤクザと親交を結んでいるからだ。それを無理やり「反社会勢力」と手を切れと言ってみても、地域の共同体を破壊することにほかならないのだ。いや、すでに地域社会は拡散し、共同体は崩壊しつつあるのかもしれない。ヤクザ組織の末端が半グレ化し、統制の効かない犯罪組織化しつつある。


◎[参考動画]参院選:弾ける「バンザイ」集:与党編(テレ東NEWS 2019/07/21公開)

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▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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