《9月のことば》誠一途 初志貫徹

鹿砦社代表 松岡利康

《9月のことば》誠一途 初志貫徹(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

9月になりました。1年の3分の2が過ぎ、今年は残り3カ月となりました。
この夏も、いろいろな意味で暑かったです。

今年の前半は、『紙の爆弾』創刊20周年、『季節』創刊10周年を迎え4・5東京、7・12関西と二つの「反転攻勢の集い」に多くの皆様方のご参集を得、また多大のご支援を賜り、成功裡に終了、次の10年に向け出発することができました。

私たちは、あくまでも「誠一途」「初志貫徹」の気概を堅持し突き進まなければなりません。たとえ今は苦境に晒されても、たとえ塩を舐めながらも「誠一途」「初志貫徹」の精神で、もうひと頑張りもふた頑張りもせねばなりません。頑張らなければならない時に頑張れないなら、私たちの今後はありません。言うは易し、行うは難しですが、悠長なことも言ってはおれません。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇

◎すでにお知らせしていますように、8月に発刊した『季節』夏・秋合併号、野田正彰著『流行精神病の時代』が好評です。前者に掲載の山本義隆さんの、23ページわたる長大な講演録が白眉の出来です。一つの雑誌に23ページを割くという暴挙(!?)です。

また、『季節』創刊10周年事業として企画された『3・11の彼方から 「季節」(NO NUKES voice)セレクション集vol.1』が、すでに校了し9月10日前後に完成いたします。608ページの堂々たるものです。

これら3点のご購読をお願いする次第です。

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日本に野党はあるのか?自民党が権力を握り続けた「日本型民主主義」の真相(紙の爆弾2025年8・9月号掲載)

田中良紹

月刊「紙の爆弾」8・9月合併号から一部記事を公開。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。

◆田中角栄邸を訪れた国労書記長

 「日本政治の最大の問題は野党がないことだ」と私に言ったのは田中角栄元首相である。ロッキード事件の一審判決で有罪となり、日本中から「金権政治家」と批判され、野党から議員辞職を迫られていた1984年のことだ。
 田中は議員辞職をしない代わりに「自重自戒」と称して東京・目白台の私邸に籠り、政治活動を全面的に自粛した。私は田中派担当の政治記者だったが、派閥担当記者も本人を取材することができなかった。
 ところが秘書の早坂茂三と大喧嘩をしたことから私に機会が訪れた。早坂に気に入られたらしく「オヤジは誰とも会わずに暇を持て余している。話の聞き役をやってくれ」と言われたのである。
 1984年2月から田中が病に倒れる1985年2月までの1年間、私は田中邸に通い話の聞き役をやった。昔の思い出話から政治の現状批判まで、田中は憤懣をぶちまけるように喋りまくった。どれもこれも初めて聞く話で、メディアが報道してきた政治の実態とは大違いだ。新聞やテレビは政治の表面しか報道していないことがよくわかった。
 そんなある日、国労(国鉄労働組合)書記長の姿を田中邸で見た。国労は最左派の労働組合で、社会党の支持母体である。それがなぜ自民党最大派閥の領袖の私邸を訪れるのか。私は田中にその疑問をぶつけた。すると田中はこともなげに「みんな俺のところに相談に来る。賃上げでもなんでも俺が面倒を見ている」と言い、そしてぽつりと「日本政治の最大の問題は野党がないことだ」と言った。
 私が「社会党や共産党は野党ではないのか」と問うと、田中は「あれは野党ではない。労働組合と同じで要求するだけだ。国家を経営する気がない」と言う。私が納得できない顔をすると「選挙で勝つだけの候補者を立てていない」と付け加えた。
 その一言で目から鱗が落ちた。日本政治のカラクリが見えたような気がしたのだ。
 我々は先輩からジャーナリズムの精神を叩きこまれた。権力を監視し、弱い者の立場に立ち、日本が平和国家であるための報道を心掛けろと言われた。しかし現実は自民党が権力を握り続けて野党はいつまでも政権を獲れない。それを我々の力不足と考えてきたが、そうではないことに気がついた。

◆「過半数」と「3分の1」

 日本がGHQの占領支配から脱した3年後の1955年、左派と右派に分かれていた社会党が統一され、自由党と民主党が合流して自由民主党が誕生した。保守・革新の2大政党が対峙したが、その後の日本は自民党の長期単独政権が38年間続いた。これを「55年体制」という。
 55年体制下で最初の衆議院選挙は1958年に行なわれた。この時は社会党が政権を獲ろうと議席の半数を超える候補者を擁立した。しかし結果は3分の1を超える議席にとどまる。すると社会党は次の選挙から過半数の候補者を立てなくなる。つまり自民党から政権を奪うことをやめた。
 社会党は護憲政党であることを強調し、憲法改正をさせない3分の1の議席獲得を狙うようになった。それを私は見落としていた。なぜそうなったのか。
 背景に吉田茂の「狡猾なる外交術がある」と教えてくれたのは大蔵大臣時代の竹下登である。夏休みで河口湖の別荘にいた竹下に会いに行くと「山中湖の金丸さんの別荘に行ってカレンダーを1枚めくってみろ。丸の付いた日がある。野党が審議拒否に入る日だ」と言われた。金丸とは「国対政治のドン」と呼ばれた金丸信幹事長である。
 言われたとおりにすると本当に丸のついた日があった。秋の臨時国会で野党が審議拒否をする日が1カ月以上も前から決まっていた。それを野党と調整したのは竹下で、その結果を縁戚関係でもある金丸と事前に打ち合わせたことがわかる。
 当時の国会は必ず野党が審議拒否を行ない、それをメディアは決まって「与野党激突」と書いた。国会審議がすべて止まり、法案の成立が難しくなる。政府・与党が野党の徹底抗戦で追い込まれたように見える。しかし真相は違っていた。
 竹下によれば、自民党議員も社会党議員も知らないところで、自民党と社会党の1対1の秘密交渉が始まるという。社会党が要求する賃上げやスト処分撤回案とすべての法案が交渉のテーブルに載せられ、どの法案を成立させ、どの法案を廃案にするかが決められる。法案は社会党の要求と取り引きされるのだ。秘密交渉の中身は1対1の2人だけが腹に収めて誰にも言わない。竹下はそれを「ディス・イズ・ポリティックス」と言った。

※記事全文は↓
https://note.com/famous_ruff900/n/na0bcd6d9812d

《書評》『司法が原発を止める』、樋口英明裁判官と井戸謙一裁判官の対話、人を裁くただならぬ特権の舞台裏

黒薮哲哉

本書は、原発の操業を差し止めた二人の裁判官による対談集である。自らが執筆した原発訴訟の判決、法曹界に入った後に肌で感じた最高裁事務総局の違和感、裁判官として交友のあった人々の像など、大半の日本人には知りえないエピソードが登場する。

筆者にとって法曹界は取材対象の一分野である。と、いうのも2008年から09年にかけた次期に、読売新聞社から3件の裁判を起こされ、総計約8000万円を請求された体験があるからだ。これら3件の係争の背景には、新聞業界で尋常化している「押し紙」問題を告発した事情がある。「押し紙」による損害は年間で、少なく試算しても1000億円を超える。当然、ジャーナリズムの重要なテーマである。

巨大メディアが、日本を代表する人権擁護団体である自由人権協会の代表理事、喜田村洋一弁護士を代理人に立て、フリーランス記者をつぶしにかかった事件を、司法がどう裁くかを、自分の問題として考えた。

本書を一読して印象深かったのは、職業人として心血を注いだ判決を書いている裁判官の姿である。本書の対談者である井戸謙一氏と樋口英明氏が身に付けている高い職業倫理については、人伝いに聞いていたが、判決文を執筆する際に言葉の細部にまで神経を走らせているとまでは想像しなかった。たとえば次のくだりである。

「(樋口)福島第一原発事故が起こった後に井戸さんの判決を読み返して、本当に驚いた。言っていることはもちろん正しいですし、判決文の中に「砦」という言葉が出てくるのです。原発の運転を停止する際に必須な「止める・冷やす・閉じ込める」についてです。「最後の砦である機能も失われて」という表現。あの部分が強く印象に残っています。あそこは光って目立つ感じです。また、すごく丁寧に一つひとつの論点について説示してあるのが印象的でした。なぜこの判決が最高裁で破られたのか、それが不思議です。」

「(井戸)私は控訴審(高裁)に向けて判決文を書きましたよ。論理の中に穴があってはいけないので、とにかく穴がないように細かく細かくチェックして、あの文章を作っていました。」

井戸氏は、自らがかかわった身代金目的の誘拐事件では、「殺意が確定的か、未必的かという事実認定と量刑を死刑にするか無期懲役にするか」をめぐって、他の2人の裁判官と、「月曜日から金曜日まで、毎日、夜の11時ごろまで合議」を繰り返したという。正常な裁判官にとって、判決は丹精込めた「作品」にほかならない。

これに対して、筆者が30年近く取材してきた「押し紙」裁判の判決には、杜撰なものが多数を占める。おそらく結論が先に決まっていることがその原因だと思われる。たとえば数年前に日本経済新聞の販売店主が、「押し紙」裁判(京都地裁)で敗訴した事件がある。筆者は、原告から主要な裁判資料を入手して、内容を確認した。その結果、「押し紙」の損害を受け続けた原告が弁護士のアドバイスを受け、十数回にわたって内容証明で「押し紙」の仕入れを断っていたことなどが分かった。しかし、裁判官(合議)は、内容証明をもとに店主と日経新聞社が話し合ったから、過剰になっていた新聞は、押し売りされた部数には該当しないという奇妙な論理を組み立て、原告の請求を棄却していた。

また、「押し紙」裁判では、判決の直前になって、最高裁事務総局が不自然な裁判官の人事異動を行うことも日常茶反になっている。原発裁判と同様に、筆者は裁判そのものの公平性を疑わざるを得ない場面に繰り返し遭遇してきた。それゆえに、本書の内容が新鮮に感じられた。司法の原点をみたような気がした。

裁判官には、人を裁くただならぬ特権が付与されている。当然、司法ジャーナリズムは、裁判官を監視しなければならない。そのためには何が必要なのか。筆者は、判決という一種の「作品」を公けの場で批評することが重要な意味を持つと思う。当然、判決の著者を公表しなければならない。裁判の提訴と判決だけを報道することが、司法ジャーナリズムではない。

本書の企画は、新しい司法ジャーナリズムの試みとしても意義深い。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年7月19日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

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湯崎英彦・広島県知事勇退、筆者らは知事候補公募開始

さとうしゅういち

◆突然の勇退発表

2025年8月19日夕方、広島県民に衝撃が走りました。4期16年務めた広島県知事の湯崎英彦さんが勇退される意向を側近の県議らにしめしたのです。翌20日、正式に発表しました。湯崎さんは政界引退自体は否定し、政治活動を続ける意向も示されました。衆院選では湯崎さんが居住されている地域の広島2区で自民党議員がご高齢で、後継で湯崎さんが出られるのではという観測があります。また、過去には永野巌知事や宮沢弘知事が参院議員に転出した例もあります。一方で、平和に造詣が深い湯崎さんに広島市長への転出を期待する向きもあります。県政だけでなく、国政や市政に影響があり、湯崎さんの動向は目が離せません。

◆記者会見予定の筆者も戦略の修正に追い込まれる

筆者も、実は大慌てでした。21日に筆者は「湯崎知事のご勇退を求める記者会見」を開催し、湯崎さんが続投される気ならば、筆者自身が11月9日執行の広島県知事選で湯崎5選を阻止すべく立候補する覚悟を表明するはずでした。ところが、湯崎さんのご勇退で、戦略の修正を余儀なくされました。もちろん、記者会見資料の作り直しも大変で準徹夜状態でした。

◆予定通りの日時に内容変更して記者会見

2025年8月21日、広島県庁(写真)記者クラブにて、筆者は予定の時刻通り、記者会見を開き、湯崎英彦広島県知事の勇退を歓迎する声明を発表しました。

筆者は、県庁の元部下であり、大学の後輩としての立場から、湯崎氏のこれまでの功績に敬意を表しつつも、長期政権の弊害と県政の停滞に警鐘を鳴らしました。

「湯崎さんが掲げた『現場主義』に共感し、2009年の初当選時には私も一票を投じました。鞆の浦埋め立て架橋問題で住民との対話を重視し、解決に導いた姿勢には感動すら覚えました」と筆者は語りました。

しかし、近年の県政に対しては厳しい視線を向けます。県病院の統合計画に対して、現場の職員から圧倒的な反対の声が上がっているにもかかわらず、声を上げられない空気が蔓延しているといいます。さらに、産廃処分場問題、前教育長問題、マリーナホップ跡地の不透明な処理、公益通報者への圧力など、県政に蓄積された「ヘドロ」が限界に達していると指摘します。

「長期政権の中で、県政の腐敗が化石化しつつある。今こそ、若い力、新しい力が切磋琢磨する時です。湯崎さんが五選を目指されるなら、私は“上司・部下対決”の覚悟で選挙に臨むつもりでした。しかし、ご勇退される以上、そのシナリオは消滅しました」と筆者は語りました。

一方で、筆者は湯崎氏が被爆80年の平和記念式典で発信したメッセージや、「羽鳥慎一モーニングショー」での発言については「世界に誇れるもの」と評価。「だからこそ、今が勇退のタイミング。これ以上続投すれば、湯崎さんが発信してきた平和の価値すら損なわれかねない」と述べた。

◆次期広島県知事候補を募集中 ── 「庶民革命」からの挑戦

筆者は会見の中で、広島瀬戸内新聞および「庶民革命ひろしま」(準備会)として、次期広島県知事候補の公募を開始することを発表しました。

「政治経験は問いません。必要なのは、広島を愛する心と、庶民とともに未来をつくる想いだけです。自薦・他薦ともに歓迎します。推薦したい方がいれば、ぜひご連絡ください」と呼びかける。

応募資格は、2025年11月9日時点で30歳以上の日本国籍を有する者(公民権停止処分を受けていない者)。選考方法は公開のオンライン面接(いわゆる“石丸方式”)を想定しており、一次締切は9月6日(土)まで。

連絡先は090-3171-4437 hiroseto2004@yahoo.co.jp

なお、8月21日時点での応募者は佐藤自身のみであり、「これじゃあ、つまらん!」と笑いを交えて語りました。

中国新聞様、毎日新聞様、山陽新聞様、RCC中国放送本日記者会見には中国新聞様、毎日新聞様、山陽新聞様、RCC中国放送様、共同通信様、時事通信様、社会新報様に出席いただきました。また、ホームテレビ様、NHK様からも事前にお電話での取材をいただいき、記者会見で発表したような方針をお伝えしております。

◆「庶民革命ひろしま」 ── 草の根民主主義の実践へ

庶民革命とは、政治を特権階級のものではなく、庶民一人ひとりの手に取り戻す運動です。災害、医療、福祉、地域経済など、生活に根ざした課題を市民自身が語り、動かし、変えていく。広島から始まる草の根民主主義の挑戦です。

参加方法は多岐にわたる。毎週土曜21時からのオンラインおしゃべり会、個人献金、街頭活動やSNS拡散などのボランティア、世代別の参加メニュー、そして「#庶民革命ひろしま」のハッシュタグによるオンライン応援など、誰もが自分のスタイルで関われる仕組みが整っています。

◆広島県知事選挙は市民が主催者 ── 「Make Hiroshima Great Again」

筆者は最後に、「広島県知事選挙は政党や特定団体のためのものではありません。広島を愛する市民一人ひとりが主催者です。あなたの声と行動が、広島の未来をつくります」と強調。

「県政は県民がつくるもの。知事というライオンが檻(憲法や地方自治法)から出ないよう、県民がしっかりチェックを」と述べ、次期知事選に向けた市民の主体的な関与を呼びかけました。そして、締めくくりの言葉としてこう語りました。

Make Hiroshima Fair Again. Make Hiroshima Equal Again. Make Hiroshima Home Again.
And Make Hiroshima Great Again.

◆「庶民革命」に参加するには?

① オンラインおしゃべり会
・ 毎週土曜 21時過ぎ? ・ ZoomミーティングID: 411 718 3285 ・ パスコード: 5N6b38
② ご寄付(代表・さとうしゅういちへの個人献金)
・ 個人献金はこちらから(※選挙ドットコム無料会員登録が必要)
献金ページ: https://go2senkyo.com/donate/flow/75891
③ ボランティア活動への参加方法
・ 街頭活動、ポスター掲示、SNS拡散など、あなたの得意分野でご協力ください。
④ 若者・女性・高齢者向けの参加メニュー
・ トークイベント、政策ワークショップ、地域懇談会など、世代や立場に応じた参加方法を用意。
⑤ SNSでの応援方法
・ ハッシュタグ「#庶民革命ひろしま」「#庶民革命」での投稿や、応援メッセージのシェアなど、オンラインでの応援も大歓迎です。

政策提言集「庶民革命で、広島を取り戻す」・・ご意見・ご提案お待ちしております

◆産廃行政の闇を断つ

広島県政は、県民の命と暮らしを守るためにあるべきです。 しかし現実は、産廃業者にフリーパスを与え、住民の声を踏みにじっています。

三原本郷の産廃処分場問題では、汚染水が流出する中で、県が許可取消裁判を控訴し、住民の健康より業者の都合を優先してきました。 この控訴を取り下げ、被害補償と情報開示を徹底します。

さらに、「広島県産業廃棄物適正管理条例(仮)」を制定し、現場での展開検査やマニュアル整備を通じて監視体制を強化。 業者任せではなく、県が責任を持ってチェックする仕組みを構築します。環境配慮条例、水源保全条例、山林保全条例などを制定し、水源を守ります。三原でも流出が指摘されているPFASについて独立検査機関を設けるなど、規制を強化します。

◆情報公開と説明責任の徹底

マリーナホップ跡地の利用計画では、中国新聞への公開文書が黒塗りだらけ。県民の疑問に答えていません。 県民の財産が使われている以上、関連情報の全面開示と説明責任は当然です。

また、プロポーザル事業の選定過程も不透明です。兵庫県知事と親しいとされる人物が経営する企業が落札した事例では、地元企業の育成や公平性に疑問が残ります。 私は選定基準と審査過程の公開を徹底し、地元企業が正当に評価される仕組みをつくります。

◆公文書偽造事件の真相究明

呉支所で発覚した公文書偽造事件は、県政の根幹を揺るがす重大な不祥事です。しかも、勇気をもって公益通報を行った職員がいたのにもかかわらず、人事課長が事実上通報を握りつぶしたとされています。

私は徹底した真相究明と関係者の責任追及を行い、再発防止策を講じます。 公文書は県民との約束。信頼を裏切る行政は、断じて許しません。外部に窓口を設けるなど、公益通報者保護を徹底します。

◆住まいと防災の安心を

借り上げ住宅を含む県営住宅の整備と家賃補助を拡充し、若者も高齢者も安心して暮らせる広島をつくります。 削られすぎた防災予算は増額し、避難所整備・備蓄・情報伝達体制を強化します。

さらに、呉日鐵跡地に「防災省」を誘致し、東京一極集中を是正。広島を防災と平和の拠点にします。

◆医療と介護の地域格差をなくす

「広島県地域の医療と介護を守る条例」を制定し、山間部・島しょ部の医療・介護職の確保、交通支援、地域連携を進めます。 介護・保育職の処遇改善に向けて、県独自の加算制度を創設し、現場で働く人々の誇りとやりがいを支えます。福祉職公務員を創設。かつて存在した「公務員ヘルパー」制度を再評価し、福祉現場の安定的な人材確保と処遇改善を進めます。 命と暮らしを支える福祉職の尊厳を守る県政へ。

◆家族ケアラー支援条例の制定

また、家族ケアラー支援条例を制定し、介護を担う家族への経済的・心理的支援を充実させます。ケアラーの孤立を防ぎ、地域全体で支え合う仕組みを構築することで、介護の負担を社会全体で分かち合う広島を目指します。

◆巨大病院化より地域医療の再構築を

1300億円以上かかるとされる県病院のエキキタ移転・独法化・巨大病院化は、住民無視の象徴です。地域医療の空洞化を招く独法化は撤回し、県民の命を守る医療体制を再構築します。

◆子育て支援の抜本的見直し

全国ワーストレベルとされる広島県の子育て支援を根本から見直します。保育所の待機児童解消、保育士の処遇改善、子育て世帯への経済支援を強化。さらに、子どもへの医療費補助を拡充し、安心して医療を受けられる体制を整えます。

◆教育改革と公務員の待遇改善

前教育長以来の教育行政の混乱を収拾し、現場の声を尊重する教育改革を進めます。 教員の過重負担を軽減し、子どもたちの学びと育ちを支える体制を整備。非正規公務員の待遇改善にも取り組み、安定した雇用と働きがいを確保します。

◆地元企業の活力と雇用創出

「広島県地元企業優先発注条例(仮)」を制定し、県外への資金流出を止め、地元企業を応援する県政へ。 若者や女性の雇用を生み、地域経済を底上げします。地元で地道に頑張る人材を登用する県政を実現します。

◆肩書よりも暮らし ── 庶民派保守×ジェンダー

私は、県庁で福祉を担当し、現在は介護職として働いています。広島市では男女共同参画審議会委員も務めました。 介護・福祉の現場で働く女性の多くが、非正規・低賃金・過重労働に苦しんでいます。 教育・福祉・医療現場の女性非正規職員の待遇改善と正規化を推進します。

東京(中央)の「知事のお気に入り」ではなく、肩書にとらわれず、地域に根ざした女性や若者の登用を進め、現場の声が届く政治を実現します。

◆交通・環境対策の一体化

芸備線は上下分離方式で存続させ、交通の命綱を守ります。

具体的には、県が施設を保有し、運行はJR西日本が担う形で協定を結び、維持費の一部を県が負担することで路線の継続を図ります。 また、地域住民の移動手段としての利便性を高めるため、ダイヤの見直しや駅周辺の整備、観光資源との連携による利用促進策も講じます。

気候沸騰の時代には、ソーラーシェアリングで農業と再エネを両立。災害に強く、環境に優しい地域づくりを進めます。

「広島県環境配慮型社会推進条例(仮)」を制定し、公共事業や企業活動における環境負荷の低減を義務化。 再生可能エネルギーの導入促進、食品ロスの削減、プラスチック削減、地域資源の循環利用を通じて、持続可能な広島を実現します。

◆グリーンニューディールで地域再生

気候危機と経済格差の同時解決を目指し、広島版グリーンニューディールを推進します。 再生可能エネルギーの地産地消、省エネ住宅の普及、グリーン雇用の創出を通じて、環境と経済の好循環を実現。

地域資源を活かした循環型経済を構築し、若者が希望を持てる持続可能な社会を広島から発信します。

◆人口流出対策と庶民の声が届く県政へ

若者が地元で働き、暮らし、子育てできる環境を整え、人口流出に歯止めをかけます。 雇用・住宅・教育・子育て支援を一体で強化し、広島に希望を持てる社会を築きます。

また、非正規・低賃金・過重労働に苦しむ女性や庶民の声を政策に反映させるため、現場の声を丁寧に拾い、県政に届ける仕組みを整えます。 肩書や中央の意向ではなく、地域に根ざした人材の登用を進め、誰もが誇りを持って暮らせる広島を実現します。

◆主権者教育と住民投票制度の強化

若者が政治を“自分ごと”として考え、行動できる広島へ。 主権者教育は、知事になめられない県民を育てる礎です。政治を他人事にせず、声を上げ、行動する力を育むことで、県政を変える原動力となります。

「常設型住民投票条例」を制定し、重要な政策課題が発生した際に迅速に住民の意思を問える仕組みを整えます。

Make Hiroshima Fair Again. Make Hiroshima Equal Again. Make Hiroshima Home Again.
And Make Hiroshima Great Again. 

ともに未来をつくろう!

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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『季節』夏・秋合併号、野田正彰・著『流行精神病の時代』、好評発売中です!

鹿砦社代表 松岡利康

この夏、私たちが心血を注いで編集した2点の新刊が発売になりました。『季節』はお盆前に、『流行精神病の時代』はお盆明け20日に、それぞれ発売になりました。

詳しい説明は省きますが、下記の詳細な内容をご覧になれば、これら2点の新刊に、私たちがいかに力を入れたかがわかるでしょう。

『季節』では、なんと言ってもわれわれの世代のカリスマ、山本義隆さんの23ページにわたる力の入った講演録は必読です。これだけで一冊のブックレットになるほどの分量です(悪徳商法=岩波ブックレットがいかにボッているか)。

『流行精神病の時代』は、『紙の爆弾』『季節』に折に触れ寄稿したものを中心に現代の病理を衝いています。

土日は書店に足を運びお買い求めになるか、あるいはAmazonなどのネット書店、また鹿砦社HPなどでご購入下さい! よろしくお願い申し上げます。

『季節』2025年夏・秋合併号
(NO NUKES voice改題 通巻43号)

A5判 164ページ(巻頭カラーグラビア4ページ+本文160ページ) 

定価 990円(税込み) 紙の爆弾増刊 8月8日発売 

《特集》核兵器と原発を廃絶するために

小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
[報告]国と洗脳

山本義隆(科学史家)
[講演]核発電の根本問題 核ナショナリズムがもたらしたもの

まさのあつこ(ジャーナリスト)
[報告]原子力ムラ・無責任の実態 事故処理の「責任者」は誰なのか

樋口英明(元福井地裁裁判長)
[報告]本当に「司法が原発を止める」ために 井戸謙一さんとの新刊対談本を語る

後藤秀典(ジャーナリスト)
[報告]東電株主訴訟 損害賠償一三兆円の一審判決が覆された理由

後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
[報告]原発の技術的特性と裁判の論理〔1〕 原発回帰への国策に対抗する道

山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
[報告]柏崎刈羽原発に迫る危機 地震と津波で「原発震災」が起きる

星野幸彦(柏崎市議会議員)
[報告]《第三弾》避難対策は全国どこでも「絵に描いた餅」
 再稼働に前のめりの柏崎刈羽原発 避難計画ではなく被ばく計画ではないのか

村田三郎(医師)
[インタビュー]弱者の側に立ち、反核・反原発を闘う[前編]

水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
[報告]台湾「原発ゼロ」達成の夜、台北で二度泣いた

豊田直己(フォトジャーナリスト)
[報告]ガザからフクシマへ

北村敏泰(ジャーナリスト)
[報告]十五年目に入った福島第一原発事故被害地から
 欺瞞の“復興”による被災者の分断と抑圧

田口 茂(UNSCEAR 2020/21報告書検証ネットワーク・世話人)
[報告]隠蔽された被ばくと甲状腺がんの真相
 原子力災害伝承館は真実を伝えよ

森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
[報告]避難者と住民票

佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
[報告]《屁世滑稽新聞からの警告》
 火山の近所の原発再稼動で「地方早世」……の巻

板坂 剛(作家/舞踊家)
[報告]米田哲也 万引き逮捕の衝撃

平宮康広(元技術者)
[報告]大型原発vs大型石炭火力発電、および小型原発vs小型石炭火力発電〈1〉

原田弘三(翻訳者)
[報告]脱炭素の罠 「脱炭素マインド」刷り込みによる原発推進の企み

大今 歩(高校講師・農業)
[報告]原発「最大限活用」でいいのか 第七次エネルギー基本計画を問う

再稼働阻止全国ネットワーク
原発再稼働の逆流に抗して 全国各地の創意ある活動
《福島》鴨下美和(福島原発被害東京訴訟原告)
《柏崎刈羽》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟 事務局長)
《東京電力》中井はるみ(忘れまい3・11!反戦・反原発の会/千葉)
《東京電力》佐々木敏彦(東京電力本店合同抗議実行委員会)
《東京電力》柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
《柏崎刈羽》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《関西電力》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《中東和平》斎藤なぎさ(たんぽぽ舎運営委員)
《書評》天野恵一(再稼働阻止全国ネットワーク)
[反原発川柳]乱鬼龍選

松岡利康 今後の『季節』について

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

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『流行精神病の時代』
野田正彰(精神科医)著

四六判 カバー装 本文248ページ  

定価1980円(税込み)8月20日発売  

「発達障害」と「精神病遺伝説」
──精神科医、製薬会社、NHK、学校の病気創りによって、無数の子どもが犠牲になっている。
日本で「精神医療」と呼ばれているものの実相とは。

目次

第一章 「優生保護法」は日本精神医学の常識
 一・一 現代に息づく優生保護法の思想
 一・二 業界による隠蔽
 一・三 優生保護法をめぐるお祭り訴訟

第二章 教科書と「精神疾患」
 二・一 精神病遺伝説を常識とした学校教育
 二・二 偏見に加担する教科書と法
 二・三 偏見改まらぬ教科書
 二・四 開かれた精神医療をめざして
 二・五 地域精神医学の現状

第三章 旭川少女殺人事件と「発達障害」
 三・一 「発達障害」という流行精神病の作り方
 三・二 旭川女子中学生いじめ凍死事件 雪の少女へのレクイエム
 三・三 雪の少女の哀しみ
 三・四 隠蔽のための「再調査」

第四章 事件と映画に思う
 四・一 自死とは世界の消去なのか 大阪放火事件に思う
 四・二 映画『どうすればよかったか?』を観た人へ

第五章 原発事故被害者の精神鑑定
 五・一 原発被害者が死ぬ前に見た景観
     [精神鑑定書1]菅野重清さん  
     [精神鑑定書2]大久保文雄さん
     [精神鑑定書3]Aさん
 五・二 原子炉との深夜の対話

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315827/

民主主義国家における「秘密」とは何か「スパイ防止法」と憲法9条(紙の爆弾2025年8・9月号掲載)

足立昌勝

月刊「紙の爆弾」8・9月合併号から一部記事を公開。独自視点のレポートや人気連載の詰まった「紙の爆弾」は全国書店で発売中です(毎月7日発売。定価700円)。書店でもぜひチェックしてください。

 5月27日、自民党の治安・テロ・サイバー犯罪対策調査会(会長 高市早苗・前経済安保担当相)は、「『治安力』の強化に関する提言~安全・安心な日本を取り戻すために~」を取りまとめ、石破茂総裁に申し入れた。そこでは、公的部門と民間部門を分け、それぞれの「治安力」の強化を提言している。
 まず公的部門では、①海外からの脅威に対し、〈偽情報等の収集・分析・集約や偽情報等に対する対外発信等の対策を強化〉と〈政策決定を支える情報収集・分析能力の強化、諸外国と同水準のスパイ防止法の導入に向けた検討〉を取り上げ、②国内における対策として〈「国民を詐欺から守るための総合対策2・0」の着実な推進〉〈CBRNE(化学剤・生物剤・放射性物質・核物質・爆発物)を用いたテロの対策〉〈ローン・オフェンダー(特定のテロ組織等と関わりのないままに過激化した個人)等による事件の対策〉〈ドローンの対処能力向上・利活用推進〉を提言している。
 これについて、高市氏は「本気で議論を始めなければならない段階に来ている。夏の参院選公約にも盛り込めるよう取り組む」と述べた。

◆「スパイ防止法」の歴史と推進派の主張

 今から40年前の1985年、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)の系列下にある勝共連合に支援された自民党議員が「スパイ防止法案」を衆議院に議員立法として提出した。この法案は、基本的人権を侵害するとの反発を受け、結局審議未了で廃案となったものの、そもそもこの法案を策定したのは自民党である。
 法案には、「外国のために国家秘密を探知し、又は収集し、これを外国に通報する等のスパイ行為等を防止することにより、我が国の安全に資することを目的とする」と明記され、「国家秘密とは、防衛及び外交に関する別表に掲げる事項並びにこれらの事項に係る文書、図画又は物件で、我が国の防衛上秘匿することを要し、かつ、公になっていないものをいう」と定義されている。
 別表として掲げられた以下の事項は、今後の国家秘密保護の範囲を規定するものとなるので、長いが引用しておく。

1 防衛のための体制等に関する事項

イ 防衛のための体制、能力若しくは行動に関する構想、方針若しくは計画又はその実行の状況
ロ 自衛隊の部隊の編成又は装備
ハ 自衛隊の部隊の任務、配備、行動又は教育訓練
ニ 自衛隊の施設の構造、性能又は強度
ホ 自衛隊の部隊の輸送、通信の内容または暗号
ヘ 防衛上必要な外国に関する情報

2 自衛隊の任務の遂行に必要な装備品及び資材に関する事項

イ 艦船、航空機、武器、弾薬、通信機材、電波機材その他の装備品及び資材の構造、性能若しくは製作、保管若しくは修理に関する技術、使用の方法又は品名及び数量
ロ 装備品等の研究開発若しくは実験計画、その実施の状況又はその成果

3 外交に関する事項

イ 外交上の方針
ロ 外交交渉の内容
ハ 外交上必要な外国に関する情報
ニ 外交上の通信に用いる暗号

 これらの国家秘密を探知・収集・外国に通報する行為を処罰対象とし、最高刑として死刑または無期懲役刑が定められていた。また、それらの行為の未遂・予備・陰謀も処罰され、共犯として教唆・扇動も罰せられる。
 かつて刑法には、間諜罪(スパイ罪)が定められていたが、敗戦後の新憲法で9条が定められ、戦争放棄と戦力不保持が宣言されたことを受け、1947年の刑法改正で、敵国の存在を前提としていた間諜罪は憲法9条に違反することとなり削除されたのである。
 また、刑法改正を審議した法制審議会刑事法特別部会第三小委員会では機密探知罪が検討されたものの、規定しないと決定された経緯がある。
 しかし、国家の右傾化や冷戦構造を背景とする反共主義の蔓延化により、勝共連合に支援された自民党が過去の歴史を無視し、スパイ防止法の制定に邁進するようになった。
 憲法理念に反するとして廃止された規定が、同じ憲法の下で復活するということは、何を意味しているのか。そこには、憲法を無視してでも復活させたいという自民党右派勢力の思いが反映されているのだろう。
 ところで、2001年には自衛隊法が改正されて「防衛秘密」が新たに規定。防衛大臣は、「自衛隊についての別表第4に掲げる事項であって、公になっていないもののうち、我が国の防衛上特に秘匿することが必要であるもの(MSA秘密保護法の特別防衛秘密を除く)を防衛秘密として指定する」と述べた。
 40年前のスパイ防止法案では、防衛のための体制等に関する事項と自衛隊の任務の遂行に必要な装備品及び資材に関する事項に分けられ、合わせて8つの事項が指定されていたが、ここでは1つの柱にまとめられ、10の事項が指定されている。ただし内容には、大きな変化はないように思われる。
 憲法9条が存在するにもかかわらず、米軍の意向を反映して自衛隊を増強し、活動範囲も大幅に広げられた。そこには仮想敵国が存在し、それに向けての体制を構築しようとしているのだ。
 このような体制の構築は、憲法9条の下で許されているのであろうか。戦力不保持を定めている以上、自衛隊という名称を用いても、それが戦力である限り保有することはできない。政府解釈のように、自衛のための戦力の保持は許容されるとしても、自衛を理由とした戦争は過去にも多く発生しているため、歯止めがなくなり、どこまでも広げられてしまう。
 憲法9条について、最高裁判所は政府の意向を反映した解釈しかしてこなかった。それを理由として「解釈」という言葉を用いているが、政府が勝手に運用の範囲を拡大してきたのだ。

◆なぜ今「スパイ防止法」が必要なのか?

 なぜ40年後の今、スパイ防止法の制定を自民党右派勢力は目指すのか。過去と現在で、どのような情勢の変化があったのか。
 それを考える材料として、40年前の立法理由がどこにあったのかを検討する必要がある。

※記事全文は↓
https://note.com/famous_ruff900/n/n824a0551bb4b

冤罪当事者・前川彰司さんが語る「福井女子中学生殺害事件」無罪判決確定報告会

尾﨑美代子

8月9日、ピースクラブで行った「福井女子中学生殺害事件無罪判決確定報告会」には50人以上の方が参加され満席でした。参加された皆様、ありがとうございました。前川彰司さんも「大勢の人が来てくれたね」と喜んでおりました。

初めて参加される方も多く、冤罪事件への関心が少しづつ高まっている気がしました。また検察が上告断念し無罪が決まった8月1日から初めての報告会ということもあり、地元福井から朝日新聞福井支社、日刊福井の方、そして読売テレビ、共同通信の記者も取材に来られた。あと、金聖雄監督とコンビを組む池田カメラマンも。

最初に無罪判決が下された7月18日の雰囲気を皆さんと共有するため動画を見てもらい、判決日と同じ服装をしてきてもらった前川さんに登場頂いた。黄色のネクタイは青木恵子さんから、お帽子は袴田さんから頂いたものだ。前川さんのお話のあと、端将一郎弁護士がパワーポイントを使い、事件の概要と無罪判決のポイントを話してくださった。

それにしてもこの事件、以前にも書いたが、関係者の数が多いうえ、供述がころころ変わり、全体が掴みにくい。それもそのはず。関係者は皆若く、皆、脛に傷持つワルなのだ。前川さんも自戒を込めて「おれもワルかった」という。そんな中おこった中学3年女子の殺害事件、非常に残忍な殺害方法で、当初、少女の不良仲間のリンチと推測された。しかし犯人を絞りこめない。そんなとき、別件で逮捕されていた暴力団組員Aが「犯人は後輩の前川だ」と刑事にいう。しかし、その供述も二転三転。されほど残忍な殺害を犯した前川が犯人というなら、早く逮捕せねばならぬが、逮捕までに時間がかかっている。なぜか? 警察は前川さんを犯人とする「ストーリー」を描き、多くの関係者をその図にうまくはめ込むのに必死になっていたのだ。 

そもそも、前川さんはその女子中学生を知らない。しかし、「前川の黒い手帳に女の子の住所が書いてあった」などという供述もあった。すべてうそ。しかし、ストーリーになんとか信ぴょう性をもたせねばならない。そこで一役買ったのが、例の「夜のヒットスタジオ」のアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りをする場面だ。質疑応答で、これがどういう経緯ででてきたのかという質問があった。確か、私が資料を読んだとき、取り調べられた関係者の一人が、事件が起こったのが、木曜の9時ということで、たいてい夜のヒットスタジオみてるなあと思ったのか、少年の一人が「あのいやらしい踊りの日か?」と刑事に聞く場面がある。若い男の子が「いやらしい場面」と言えば、相当強く記憶に残るはずと刑事が考えたのではないか。で、「そうだ、そうだ、その日だ」などといって調子にのせて「NがCと部屋で夜のヒットスタジオを見て、ちょうどアンルイスと吉川晃司のいやらしい踊りをみたあとAから電話で呼び出された」ということにしたのでは。実はNは事件当日「ツレとうどん屋に行って男女の喧嘩をみた」とも言っていた。そっちの供述は実際にあったことだ。うどん屋で喧嘩した男女の証言もあり、その事実を警察もうどん屋に確認していた。またNはその日の深夜車で移動中検問にあい、覚せい剤を持っていたのでドキドキしたという。実際、検問があったことは証明されている。 

Nは一審で2回証言している。一回目は検察側証人として、「いやらしい踊りを見たあと、Aに呼び出され、……血のついた前川を見た」と。その後、弁護団と面談し、「うどん屋で男女の喧嘩をみた」に変えた。そして一審は前川さん無罪となった。 

検察は控訴し、控訴審でNが再度検察側証人として「血のついた前川を見た」と証言する。松山龍司刑事に嘘の証言を頼まれたからだ。自分の覚せい剤の件を見逃してもらうかわりに。嘘の証言をしたあと、松山刑事に飯や酒を奢られたNは、結婚したことを告げると、後日松山刑事から5000円の入った祝儀袋が届いた。二回目の再審で、嘘の証言をしたことを証言し、祝儀袋を証拠提出したN。そのことは知っていたが、まさかその祝儀袋があんなにきれいに保管されていたとは、驚き。

今回最大の問題は、夜のヒットスタジオでアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りを踊っていた放送日は、事件のあった日ではなく、翌週だったこと、しかも警察、検察は前川さんを逮捕・起訴したあとの補充捜査で、テレビ局に問い合わせ、その事実を知っていたのに、ずっと隠してきたこと。今回の再審で初めて出てきた287点の証拠の中に、それがあったこと。

これに関しては増田啓佑裁判長も「……裁判では事件当日に放送されたという、事実に反することを、ぬけぬけと主張し続けている。……再審でもこの点について何ら納得できる主張がなされていないことをあわせると、知らなかったと言い逃れができるような話ではない。当時の検察官の訴訟活動は公益を代表する検察官として、あるまじき、不誠実で罪深い、不正行為を言わざるを得ず、到底容認することはできない」と超厳しく批判した。顔もぷんぷんと怒っていたようだった。それにしても判決文で「ぬけぬけと」とは。

質疑応答では、「何故警察、検察は裁かれないのか?」と怒りの質問が多かった。確かにそうだ。

若い時期に殺人犯にされ、服役した前川さんは、精神的に病み、病院に入退院を繰り返した。人を信用できなくなった、しかし徐々に寛解してきたと話された。私は3年前、桜井昌司さんに紹介され、電話で話すようになった。しかし、最初は「はい、いいえ」としか言わなかった前川さんが、昨年秋に再審開始が決定して以降は、電話でも良く話し、そして笑うようになった。そうなるのに、39年かかったということ。あまりに残酷だ。

最後に冤罪犠牲者の皆さんのミニアピール。再審を闘う日野町事件の阪原浩次さん、姫路花田郵便局事件のジュリアスさんのアピールのあと、仕事で参加出来なかった和歌山カレー事件林眞須美さんの長男さんからのアピールを司会の尾崎が代読した。湖東記念病院事件の西山美香さん、そして最後にアピールした東住吉事件の青木恵子さんにより、無罪決定を祝うケーキがプレゼントされた。青木さんは、テレビで前川さんが自身の還暦の誕生日に、コンビニのケーキを食べているのを見て、気の毒になり、また自分も刑務所で寂しい誕生日をおくったことを思い出し、みんなで前川さんの還暦をお祝いしたいと用意してくれた。

「前川さん、再審無罪、お誕生日おめでとう!」

実はこの事件の記事を書き始めた当初、YouTubeでそのいやらしい踊りの場面をみることができていた。が、まもなく見れなくなった。が、昨日帰宅後に再度検索したら、ひと月前にアップしている方がいて、見ることができた。コメント欄には「前川さんからきました」とか「吉川晃司が前川さんの無実を証明した」とかある。多くの人が前川さんの無罪を知って喜び、そして冤罪の残酷さを知って欲しい。アン・ルイス・六本木心中(with吉川晃司)で検索!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

朝日新聞はリンチ事件に対して明確に態度を示せ! 広島・広陵高校のリンチ事件について思う

鹿砦社代表 松岡利康

ここ甲子園(松岡自宅、事務所所在)では夏の高校野球が開催中で賑わっています。今、甲子園は日本の中心と言っても過言ではありません。私は毎朝甲子園球場の周りを散歩して出社していますが、全国から応援や観戦に来られている人たちを見ると、こちらも何か嬉しいです。

今年は、例えば松坂大輔クラスのビッグスターがいないこともあるのか、一番話題になっているのが広島・広陵高校野球部内におけるリンチ(私刑)事件です。当初出て来た1件のみならず複数に渡るようです。今後のメディアの取材に期待します。

ところで、この高校野球の主催者はどこか? 日本高野連と朝日新聞です。このリンチ事件に対して、朝日新聞は頑ななほど沈黙しています。大会が終わったら、特集でも組むためにネタを仕込んでいるのでしょうか──不可解です。

広陵高校のリンチ事件は、すでに同校OBの元プロ野球選手・金本知憲(広島カープ→阪神タイガース。阪神では監督も経験)の時代からあることを、金本自身が著書で明らかにしています。

《ある日、ぼくはふだん以上にはげしい「説教」を受けた。気がつくと、ぼくは正座をしたまま、一瞬気をうしなっていた。二、三人がかりで、なぐられ、けられたのだ》

《先輩のだれかが、スパイクをはいたまま、ぼくの太ももをふみつけた。スパイクには金属製のつめがついている。そのつめがぼくの太ももの肉をえぐり、血が出た》(金本著『心が折れても、あきらめるな』2009年)

金本については他にも差別されたりイジメられていたようです。おそらく金本が在日であるからだと推認されます。

なのに、これまで放置されてきました。金本が先の著書で明らかにした時点で何らかの方策を取るべきでした、

高野連は果たして知らなかったのか? 朝日は知らなかったのか? 高野連、朝日とも主催者ですから厳しく対処すべきです。また、朝日と競合する他の大手各紙はどうか? この際、徹底して膿を出すべきだし、場合によっては、来年1年ぐらい中止してでも、解体的に出直すべきでしょう。古くは怪童・尾崎行雄、池永正明、太田幸司以来の高校野球ファンである私としては、本件に対しては地元・甲子園で大変怒っています。朝日よ、しっかりしろ!

さて、リンチ事件と言えば、私(たち)が長年一所懸命に取り組んだ、「カウンター大学院生リンチ事件」、事件が起きた場所に因んで「北新地リンチ事件」と呼ぶ人もいますが、「俗称「しばき隊リンチ事件」を思い出さざるをえません。加害者は、「反差別」を金看板にそのジャンヌ・ダルクのようにメディアが崇める李信恵、主要暴行犯・エル金こと金良平ら5名で、当時、某国立大学博士課程在学中のМ君に対し壮絶なリンチ(私刑)を加えました。М君が体に忍ばせていたICレコーダーの録音や事件直後に撮った写真が明らかになり、加害者らも降参するかと思いきや、「デマ」「でっち上げ」「街角の小さな喧嘩」「リンチはなかった」などと開き直りました(現在でもそうです)。人間としていかがものでしょうか?

この事件は発生から1年余り隠蔽され世間には知らされませんでした。朝日はじめメディアは知っていたはずです。М君は朝日の記者にも相談していますから。私たちがこれを知ったのは事件から1年余り経ってからでした。それほど隠蔽工作は徹底して行われました。隠蔽工作の証拠も明らかになっています。

私たちは被害者の大学院生から相談があって以来彼を全力で支援しました。また、裁判闘争を裏付けるために徹底して取材し、多くの資料を入手したり多くのことが判りました。それはこれまでに6冊の出版物として世に問いました(まだ書くことは残っていますが)。

しかし、小出版社たる私たちの力では、広く社会に知らしめることはできませんでした。残念です。

いま、しばき隊(もしくはこの界隈の輩)が各所で暴れ、その傍若無人な様が出て来て、心ある方々から批判され、関連して皮肉にも10年余り前の大学院生М君に対するリンチ事件も語られています。私たちがまとめた6冊のムック本、これらに収めきれなかったことは私のFBや「デジタル鹿砦社通信」をご覧になり、今につながる問題であることを感じ取っていただきたいと熱望いたします。

M君は、その後、何とか博士課程は修了したものの、失意のうちに研究者の途を諦め普通の市井人(給与所得者)として働いています。さらにはリンチのPTSDに苦しみながら生きています。リンチ事件によって人生を狂わされたと断じることができます。胸が詰まります。

このように、暴力は、受けた人の人生を狂わせます。広陵高校野球部でのリンチの被害者も、思い描いた広陵での野球生活を断念し転校を強いられたりしています。おそらくリンチを受けたことは悪夢として忘れられない傷跡を残していることは容易に察することができます。

このМ君リンチ事件でも、被害者М君が朝日新聞(他のメディアにも)などに必死に訴えたにも関わらず、彼ら記者連中は、まさに若い研究者の卵を弄ぶばかりで冷ややかな態度を取り、加害者らの隠蔽工作に加担したと断言いたします。М君や私たちの度々の記者会見要請にも応じませんでした。逆に加害者らを持ち上げ、記者会見は開くわ、賛美記事はどしどし掲載するわ、呆れてものが言えませんが、このこともМ君を苦しめました。彼ら大手メディアであることの変なプライドがあるのか、私たちの取材にも応じませんでした。

高校野球の主催者で日本を代表するマスメディアの朝日新聞は、今こそ<暴力>の問題について、社を挙げて徹底して取り組むことを強く願ってやみません。でないのなら、甲子園に出場した高校がこれまで犯してきた過ちを黙認した加害者として糾弾されても致し方ないでしょう。

【追記】古い話ですが、私は学生時代(1971年)、日本共産党=民青(みんせい)のゲバルト部隊(「ゲバ民」と言います)に襲われ病院送りにされました。また、身近の先輩らで、ゲバ民や敵対党派に襲われ亡くなったり傷ついた人は少なくありません。〈暴力〉の問題については、みずからも襲撃されて傷ついた体験から、その被害者の心身にわたる後遺症がどれほどのものか、機会を見て記述したいと思っています。

※別掲画像は8月17日の甲子園球場(撮影者:松岡)

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

戦争が‟対岸の火事“ではなくなった2025年8月──今こそ〈反戦〉の意味を考える〈3〉ある無名教師の記録

鹿砦社代表 松岡利康(龍一郎 揮毫、竹内護画)

祈り(龍一郎 揮毫)

先日、母親から古びた文集のコピーをもらいました。3年前に亡くなった従兄の竹内護(まもる)さんが書いたものでした。護さんは長年宮崎県下で小学校の教師をし、これを全うされました。

護さんが終戦後朝鮮半島から命からがら栄養失調の状態で帰還されたことは生前聞いていました。

「先の大戦では、国民のみんなが何等かの形で戦争の悲惨さを味わったと思います。
わたしの体験も六才で孤児となり祖国日本へ向けて朝鮮半島を縦断するというありふれたものです。しかし、一面では特異なものかも知れません。」

こうしたことが「ありふれたもの」だった時代、護さんも幼くして戦争に巻き込まれます。

1943年(昭和18年)、護さんが4歳の時、一家3人は住み慣れた熊本の地より北朝鮮に渡ったそうです。北朝鮮で父は人造石油会社の社員として比較的裕福で「幸福に暮らしていました」。

「そんなわたしたちの家族に不幸が訪れたのは、昭和二十年の八月でした。」

「そして、八月十四日、会社の方より『明日から一晩泊りで社員ピクニックを催す』との連絡がありました。」

「何も知らないわたしたちは歌など歌いすっかりピクニック気分にひたっていました。
それが、八月十五日のことでした。ところが、社宅より相当離れた所まで来た翌朝、会社の幹部の人より『ピクニックに参加した人たちに話があります。』と告げられ、みんながやがや言いながらも一か所に集まりました。
その時の話は、『実は日本は、昨日戦争に負けました。そこで、これから日本へ向けて避難します。』と言う意味のことでした。
話を聞いたみんなはびっくりしました。楽しいピクニック気分も一度にふっとんでしまいました。」

そうして、日本へ向けて「避難」が開始されます。

長い逃避行の中で、身重だった母と、突然閉鎖された鉄橋で離ればなれになってしまいます。その後、母はなんとか故郷・熊本へ辿り着いたということです。

父と二人で逃避行を続け、興南で引揚船が出るというデマに乗って興南に行くと、そこは収容所でした。

収容所では強制労働の日々で、そのうち父は酷い凍傷にかかり、ますます酷くなり父は自殺を図り亡くなりました。

祖国への逃避行

収容所では、時折軍用トラックがやって来て、
「髪の長い人、つまり女の人を連れ去って行くのでした。女の人の悲鳴がいつも聞こえました。このようにして連れて行かれた女の人たちは、二度と帰って来ませんでした。」

「母と離別し、父とは死別して名実ともに孤児になったわたしは、お年寄りのグループに入れてもらい、収容所をぬけ出し再び祖国日本に向けて南下の旅を始めました。」

そうして何度も三十八度線を越えることを試みるも失敗を繰り返しますが、
「おとしよりたちが、色のついた大きな紙のお金を何枚か漁師に渡し」
「ヤミルートを通して、やっとのことで三十八度線を越えることができたわけです。」

一方、離別した母親は、身重だったところ途中で産気づき、双子の女の子(つまり護さんの妹)を山の中で生みましたが、1人はすぐに亡くなり、もう1人は1カ月ほど生きて亡くなったそうです。

「そんな時、母は心の中で、『たとえこの子が死んでも護は必ず生きて帰る』と信じて疑わなかったそうです。母のこの願いで、わたしは生きて帰れたのかもしれません。」

そうして、三十八度線を越えた護さんらはソウルの孤児院に入れられ、院での粗末な食事では耐えられず、時々街に物乞いに出たそうです。

物乞いは「子供心にも、みじめで恥ずかしい気持ちになったものです。」

「そんな中で、時々、夜になると孤児を慰問に来てくれるアメリカ軍の将校さんに会うのが、唯一の楽しみでした。
なぜかと言うと、チューインガムやチョコレートなどの美味しいお菓子やおもちゃを持って来てくれるからです。」

「地獄に仏」ということでしょうか。──

収容所にて

そうして、なんとか引揚船に乗ることができ、「なつかしの祖国日本の山々を見ることができ」たのです。

時に昭和21年6月11日のことでした。すでに終戦から10カ月も経っていました。

引揚船が博多港に着くと、孤児らは本籍地別に分けられ、両親の名前と本籍地を言うと熊本行きとして送られることになり、熊本に着いたらまた孤児院に入れられました。

「熊本市は、両親の出身地だし、母は元気で帰国したことを知っていましたので、母にはすぐ再開できると思っていました。
しかし、敗戦の混乱のせいかなかなか会えませんでした。」

ある子供のいない学校の先生が護さんを養子にもらいたいという申し出があり、この期限の日の昼すぎに母が孤児院にやって来たのです。実に11カ月ぶりの再会でした。

「思えば苦しい旅でしたが、そんな中で、私が無事帰国できたのも、名も知らぬ多くの人々の善意のおかげだと思います。」

そうして、

「敗戦という未曽有の混乱のさなか、人間の醜さを嫌という程に見せつけられた中で、きらりと光った同胞愛と人間性を、これら恩人たちのためにも知ってもらいたく、また、一人の一人の子どもが受けた戦争の悲惨な体験をも知ってもらいたく、そして、二度と再びこのような事が起こらないように念じペンをとった次第です。」

その後、護さんは鹿児島大学に進み、卒業後は宮崎で小学校の教師となります。在学中に60年安保闘争のデモにも参加したと聞いています。それは、

「これから先は戦争そのものは勿論、それにつながることへも常に反対し、教え子たちには、ずっと私の体験を語り継いでいきたいと思います。
それが、残留孤児として親探しもせず、幸せに暮らしているわたしの義務だと思うからです。」

正直、護さんがここまで苦労されたとは知りませんでした。この文集のコピーで初めて知った次第です。貴重な戦争の記録です。生前もっといろいろ聞いておけばよかったと悔いています。

私ごとになりますが、1972年夏、この年の2月に学費値上げ反対闘争で逮捕・起訴され、私なりに将来に向け苦悩していたところ宮崎の護さんを訪ねました。「お母さんも心配しとらしたぞ」と言って、宮崎の観光地をあちこち連れて行ってくれました。護さんなりの激励だったかもしれません。途中サボテン公園に行くと父兄が声を掛けてきました。朝も早くから子供らが家に来て騒いでいました。父兄や子供らに慕われた先生だったようです。

なお、護さんは昭和14年4月生まれ、同18年北朝鮮阿吾地に渡り、同21年帰国。同38年鹿児島大学卒業、以後宮崎県下で小学校教師を務める。この文集は戦後39年の1984年(昭和59年)に作成されました。

(松岡利康)

※本稿は昨年同月同日付けの原稿に一部加筆、修正したものです。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

広島県知事・湯崎英彦さんは被爆80年の素晴らしい挨拶を花道にご勇退を!

さとうしゅういち

湯崎英彦広島県知事に対して2025年11月30日限りで勇退するよう勧告する署名運動

広島瀬戸内新聞は2025年7月31日、オンラインで広島県の湯崎英彦知事に対して2025年11月30日限りで勇退するよう勧告する署名運動を開始しました。右のQRコードから署名ができます。

湯崎さんが進退を決めるのが9月という説もあることからとりあえず、8月いっぱいを署名運動期間とします。

また、この署名運動に関連して、8月21日(木)11時から広島県庁県政記者クラブで筆者が記者会見を行います。ご注目ください。

「4期16年お疲れ様でした!広島県知事・湯崎英彦さんは勇退し、後進に道を譲ってください!」の署名運動の趣旨は以下です。 

広島県知事の湯崎英彦さんは2025年11月9日執行の広島県知事選挙に立候補せずに御勇退ください。

◆県外著名人も含め被爆80年の湯崎さんの8・6挨拶絶賛のいまこそご勇退の時!

さて、湯崎さんは2025年8月6日の被爆80年の平和記念式典で、素晴らしい挨拶をされました。

だからこそ、これを花道にご勇退を!と申し上げたいのです。タレントの荻野目洋子さんら、県外の著名人も湯崎さんの挨拶をほめておられます。

荻野目さんは「広島記念式典中継を見て。湯崎県知事の言葉に強い言霊があった。社会学者で、原爆についての調査をされていた父、湯崎稔さんから受け継いだ想いが含まれているのだと察する、重みあるメッセージ」と絶賛しています。

この他、「湯崎英彦広島県知事の内外で高まる「核抑止論」への全面批判のあいさつは、何よりもその内容と、時折参列者に目を上げる語り方も素晴らしかった」(県外の日本共産党支持者)など、湯崎さんを絶賛する声が広がっています。

筆者はだからこそ、湯崎さんには御勇退を!と申し上げたい。これ以上、知事を続投された場合、「本業」の県政で「ボロ」が続出し、せっかくの湯崎さんの平和メッセージの価値も損なってしまう、と危惧します。

◆当初はわくわくさせた湯崎さん

広島県知事の湯崎英彦さんは、2025年11月30日で4期16年の任期満了を迎えます。

2009年11月、湯崎さんが広島県知事に初めて当選した際、『「演説がうまいとか、プレゼンがうまいとかそういうことではない。子育てをしているお母さん、農業のおじいちゃんおばあちゃん、漁師さん……一人一人の広島県民の声を聞くことが出来る、そういう知事が求められている。」という彼の訴えに共感し、当時、中山間地や島しょ部の医療・福祉担当の広島県庁職員でもあった私(呼びかけ人)は彼に投票しました。

就任当初、湯崎さんは部下である私たち広島県庁職員に対し、『現場スタッフを局長が支え局長を知事が支える』とのお言葉を述べられ、私は胸をわくわくさせて期待していました。

当初は、湯崎さん自ら育休を取り、「共育て」へ向け、一石を投じました。私の故郷でもある福山市の鞆の浦埋め立て架橋問題では、市民との対話を通じて積年の課題に解決の道筋をつけた姿に、感銘を受けました。

◆県民・現場無視の「産廃」「病院」対応で失望へ

汚染水流出が繰り返される三原本郷産廃処分場

しかし、私はそれ以降の彼の県政運営には失望しています。

湯崎さんが知事に在任された16年間で広島県は多くの課題に直面しています。問題は、そうした中で、最近の湯崎さんがすっかり県民の声を軽視している点です。

特に三原本郷産廃処分場問題では、汚染水流出が繰り返される中、米農家を含む地元住民の声を無視しながら、問題がある産廃業者との一体化を疑わせるような行動を取っています。地裁判決を控訴し、汚染水被害を訴える住民に対して対抗する姿勢を見せました。これによって、県民と知事の間の信頼関係が大きく損なわれています。

また、県立広島病院問題における湯崎さんのアプローチも批判の的となっています。湯崎さんは同病院の独立行政法人化を進め、JR広島病院や中電病院との統合を進める巨大病院建設を推進し、「トップレベルの医療」や「断らない救急」を実現するなどと、大言壮語されています。しかし、財源確保の課題は解決されていません。周辺住民の反対の声、議会の懸念の声にも耳を傾けていません。

この県病院問題では「県立広島病院の職員の大部分は移転に断固反対しています。しかし関係者が内部から声を上げることは難しく」との公益通報を関係者からいただきました。湯崎さんが当初唱えていた「現場主義」はどこへいったのでしょうか?

県立広島病院

◆教育長問題に公益通報握りつぶし……身内びいきの弊害噴出

湯崎さんが肝いりで2018年に任命した平川理恵前教育長を巡る問題も解決していません。平川さんが進めた高校入試の「自己表現」導入は現場に混乱を招きました。また平川さんの下で起きた官製談合事件は明らかに平川さんなくして起きえない事件にも関わらず、部下の職員だけが刑事責任をかぶり、平川さんはのうのうと、東京に戻って広島での「改革」の成果を豪語されています。こうした中で教職員のモラル低下はとまらず、不祥事が相次いでいます。

西部建設局呉支所での公文書偽造事件では、本庁人事課長が、職員からの公益通報を「該当する事実はない」などと握りつぶしていました。これは公益通報者保護法違反ではないでしょうか?

「これはちょっとまずいのでは?」と声を上げた職員の意見が軽んじられる。そして、知事らが気に入った人物や県外の企業ばかりを重用する。処分すべき事案もうやむやにする。こんな体制は、県政の腐敗を象徴しています。

◆「湯崎五選」なら県政のヘドロが化石に!

湯崎さんの4期16年の長期政権のもとで、広島県政にはかくのごとく、ヘドロが溜まっています。もし、湯崎さんが5期20年在任されれば、ヘドロが今度は化石のようにこびりつき、広島は取り返しのつかないことになるのではないでしょうか?

湯崎さんの長期政権期間中に人口流出が続き、4年連続全国ワーストワンを記録し、本年6月には総人口が270万人を割ってしまいました。硬直した状態の県政をこれ以上続けて大丈夫なのか?

◆初心を忘れた湯崎さん、後進に道を!

広島県の未来を考える上で、初心をお忘れになった湯崎さんは知事職を後進に譲るべきです。広島県は新しいリーダーシップを迎え、県民の声を真正面から受け止め、県民ひとりひとりのための県政を進める必要があります。

湯崎さんには「4期16年間、お疲れさまでした」と申し上げます。その上で、湯崎さんには、新たな風を広島県にもたらすための一歩を踏み出していただきたいと願います。

署名を通じて、以下のことへの広島県民、また広島県を愛するすべての皆様のご賛同をお願いします。

・湯崎英彦さんは2025年11月9日執行予定の広島県知事選挙に立候補せず、御勇退されること。

・湯崎英彦さんをこれまで推薦・支持してこられた県内各政党におかれては、今回の県知事選挙における湯崎さんへの推薦・支持を見送ること。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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