黒薮哲哉
日本共産党が「反動政権、排外主義に反対する運動のあり方について」と題する声明を発表し、その中で、暴力を誘発しかねない運動のあり方について自己批判したことが、SNS上でも話題になっている。この声明をおおむね評価する声は少なくない。
しかし、私はいくつか留意すべき点があると考えている。その一つは、2014年12月16日深夜に、しばき隊が大阪・北新地で起こした「M君暴行事件」について、日本共産党の田村智子委員長らが、どこまで実態を把握していたのかという問題である。
鹿砦社取材班は、共産党関係者への取材を行い、さらに事件を記録した書籍も送付していたという。したがって、党が事件について全く知らなかったとは考えにくい。しかし、党が運動方針の誤りを認めるまでには、10年以上の歳月を要した。なぜ、これほど時間がかかったのだろうか。
私の推測になるが、事件に関係した人々や、その後の対応に携わった人々が、「事件は鹿砦社が作り上げたフェイクニュースであり、事件そのものが存在しなかった」というウソを党側に伝えていた可能性はないだろうか。
実際に、しばき隊側の代理人を務め、自由法曹団常任幹事でもある神原元弁護士は、「事件はなかった」と堂々と繰り返し主張してきた。また、諸岡康子弁護士は、事件の隠蔽を促す趣旨とも受け取れるメールを知人に送信している。
「その人(黒薮注・M君)は、今は怒りで自分のやろうとしていることの客観的な意味が見えないかも知れませんが、これからずっと一生、反レイシズム運動の破壊者、運動の中心を担ってきた人たち(黒薮注・李信恵氏ら)を権力に売った人、法制化(黒薮注・ヘイトスピーチ規制法)のチャンスをつぶした人という重い十字架を背負い続けることになります」
ちなみに、このメールの存在は、受信者が鹿砦社へ情報提供したことで明らかになった。
主要メディアも、この事件について申し合わせたかのように報道を控えた。鹿砦社は司法記者クラブでの記者会見からも締め出され、事件について継続的に情報発信していた媒体は、事実上、鹿砦社以外にほとんど存在しなかった。このような状況であれば、日本共産党にも事件の実態が十分伝わっていなかった可能性は否定できない。

◆部落解放同盟からしばき隊へ
共産党の田村委員長らが、「M君暴行事件」を検証したうえで、今回の暴力路線に関する反省声明を発表したのかどうかは明らかではない。しかし、事件から声明の発表まで10年以上を要したことや、その声明の内容を踏まえると、事件そのものについて十分な検証が行われたとは考えにくい。この事件が、カウンター運動の問題点を考える上での原点なのだが。
共産党は、「事件はなかった」という説明を信じていた可能性が高いのではないか。
私の推測が当たっているとすれば、日本共産党が部落解放同盟による暴力には対峙しながら、しばき隊による暴力については問題視しなかった理由も、一応の説明がつくのである。
◆飲酒を続け、最後は……
2014年12月16日深夜に発生した「M君暴行事件」については、大阪高等裁判所も、その際に激しい暴力行為があったことを事実認定している。以下、高裁判決を紹介しよう。
第1審(大阪地裁)も第2審(大阪高裁)も、判決の方向性は同じである。李氏がM君を殴った事実はなく、共謀性も認められないというものだった。ただ、高裁の判決は、事件当日の李氏の言動をより詳細に認定している。「殴った」とする鹿砦社報道は事実ではないとしながらも、はからずもこの事件の性質を浮彫にした。どのような状況の下で、Aが暴行に及んだのかが、事実に即して司法認定されたのである。
たとえば次の新しい事実認定である。
【引用】「被控訴人(注:李氏)は、Mが本件店舗に到着した際、最初にその胸倉を掴み、AとMが本件店舗の外に出た後、聞こえてきた物音から喧嘩になっている可能性を認識しながら、飲酒を続け、本件店舗に戻ってきたMがAからの暴行を受けて相当程度負傷していることを確認した後、「殺されるなら入ったらいいんちゃう。」と述べただけで、警察への通報や医者への連絡等をしないまま、最後は負傷しているMを放置して立ち去ったことが認められる。
この間、BやCはAに対し暴力を振るわないよう求める発言をしているが、被控訴人が暴力を否定するような発言をしたことは一度もなく、被控訴人は遅くともMが本件店舗内に戻った時点では、MがAから暴行を受けた事実を認識していながら、殺されなければよいという態度を示しただけで、本件店舗外に出てAの暴行を制止し、又は他人に依頼して制止させようとすることもなく、本件店舗内で飲食を続けていた。
このような被控訴人の言動は、当時、被控訴人が金による暴行を容認していたことを推認させるものであるということができる。」(略)(控訴審判決、7P、裁判所の判断)
さらに高裁は、李氏による次の言動も新たに認定している。
【引用】「被控訴人は、Cと話をしていたが、カウンター席の奥でAとMが立ち上がり言い争いになり、Bが間に入って止めたことや、AとMが本件店舗から出て行くことを見ていた。被控訴人は本件店舗内に残ったBに対して「ぼんちゃんは座って」などと声をかけていた。」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)
BはAによる暴行を止めようとしていたのである。そのBの行動を李氏が制止したことが、控訴審判決で新たに認定されたのだ。
さらにAによる暴行の後、店舗を立ち去る場面に関して、控訴審判決は新しい認定を行った。1審判決では、李氏、C、それにDの3人が、AとBに「帰るで」と声をかけたと認定していたが、高裁判決はそれを取り消し、李氏が「帰るで」と声をかけたと認定した。次のくだりである。
【引用】「被控訴人(注:李氏)が、AとBに対し、「帰るで」と告げて、C及びDと共に、負傷しているMの側を通り過ぎて……」(控訴審判決、5P、裁判所の判断)
この記述から李氏がカウンター運動のリーダーであったことが推測できる。これらの認定を踏まえて、大阪高裁は賠償額を50万円減額した。その理由を次のように控訴審判決の中で集約した。
【引用】被控訴人(注:李氏)は、本件傷害事件と全く関係がなかったのに控訴人により一方的に虚偽の事実をねつ造されたわけではなく、むしろ、前記認定した事実からは、被控訴人は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間であるAがMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。
本件において控訴人の被控訴人に対する名誉毀損の不法行為が成立するのは、被控訴人による暴行が胸倉を掴んだだけでMの顔面を殴打する態様のものではなかったこと、また、法的には暴行を共謀した事実までは認められないということによるものにすぎず、本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜していながら、AによるMに対する暴行については、これを容認していたという道徳的批判を免れない性質のものである。」(控訴審判決、10P、裁判所の判断)
繰り返しになるが、M君暴行事件が、カウンター運動のあり方を考えるための原点なのである。避けて通れない事件なのだ。
※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2026年7月7日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。
《追記》松岡利康(鹿砦社代表)2026年7月8日記
リンチ事件から1年余り、上記写真の3人はじめ加害者に連携する者らの必死の隠蔽工作により事件はなかったもののように表面化しませんでした。何よりも関西にいる私たちも知りませんでした。実は社内に入り込みスパイ活動を行っていた者さえいたという、笑い話にもならない笑止千万な事実もありました(詳しくはリンチ関連本や「デジタル鹿砦社通信」内の「しばき隊リンチ事件」の項を参照してください)。それほど隠蔽工作は徹底していました。
M君に近づいた大手メディア関係者もいましたが弄ばれただけでした。万策尽きようとしたところで、鹿砦社主催の市民向けゼミナールに時折参加していたОさんが、M君の心情を察し私たちのところに持ち込んできて、私たちの知るところとなりました。事件があったのが2014年師走、Оさんが私たちのところに来たのが翌々年の1月、1年余りも経っていました。
この1年余りの間の被害者М君の心情には今でも心が痛みます。驚いた私たちは即座に行動を開始、特別取材班を結成し、M君らが持ち込んだ資料の精査から始め事実関係の調査・取材をスタートした次第です。
この件、話し始めたら長くなりますので、かいつまんで申し述べるに留めますが、メディア・出版関係者で関心を持ち私たちに理解を示してくれたのは黒薮さんや山口正紀さん(故人。元読売記者。裁判所に意見書提出)、野田正彰先生(精神医。裁判所にM君の精神鑑定書を提出)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、森奈津子さん(作家)ら数少なかったです。ある公立病院の在日の医師は、その正義感から、みずからのSNSで公然と被害者擁護、加害者(に与する者ら)批判を繰り広げるや病院に嫌がらせの電話が殺到したりで、病院に迷惑を掛けれないとSNSを閉じられました。
おそらく声を挙げたくても挙げれなかった人も少なくはないと思われます。当時のしばき隊、あるいは親しばき隊を中心とする加害者側人脈は元気過ぎるほど元気でした。黒薮さんも仰っているように、この事件は、社会運動と暴力の問題を考える場合、試金石といえるもので、けっして避けては通れない重要な問題です。いくら口先で「暴力反対」と言っても、現実に身近で暴力事件が起きた際に、いかに真剣に対応するのか、このリンチ事件は、このことをリアルに突き付けていると思います。
1970年代初めから幾多の暴力の場面に遭遇し、みずからもその被害を被り病院送りにされ、そうして新左翼間、あるいは新左翼と共産党(この学生・青年組織「民青」)間の、いわゆる「内ゲバ」の時代を迎え社会運動は壊滅的な打撃を被りました。この反省から、この国の社会運動から暴力はなくなっていったものと思っていましたが、M君リンチ事件で〈悪夢〉が甦りました。私は、いてもたってもおれず被害者M君支援、これを裏打ちする真相究明に当たることにした次第です。
ちなみに、現在、M君は、博士課程は何とか修了しましたが、集団リンチのPTSDに苛まれ学究の道を諦め、ブルーカラーに近い給与所得者として生活しています。小出版社の非力を思い知ると共に、加害者を援護し被害者に力を貸さなかったマスメディアの皆さん方の非情さを遺憾に思う次第です。マスメディアの方々は何を迷ったのか!? 加害者らに一切の理はありません!
▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
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