鹿砦社代表 松岡利康
2016年に始まった対しばき隊関係訴訟はまだ続いていましたが、くだんのリンチ事件で主たる暴力行使者・エル金こと金(本田)良平が、犯歴をバクロされたとして「プライバシー侵害」を理由に鹿砦社と作家・森奈津子さんを訴えた訴訟の上告審、最高裁第二小法廷は私たちの上告を棄却する決定を下しました。決定日付は7月10日。別掲の通り簡素なものです。これで、すべての対しばき隊関連訴訟が終結したことになります。まさに“10年戦争”でした。

◆将来を嘱望された大学院生(当時)М君の人生を狂わせた徒輩を許せない!
この集団リンチ事件の当事者の中で、加害者側の5人、このうち李信恵は相変わらず講演三昧、伊藤大介は複数の暴力事件を起こし有罪判決が確定しオモテから離れました。1発殴り罰金刑(刑事)と賠償金を課された凡(ハンドルネーム)もオモテから離れました。残りの松本英一はまだ運動に足を突っ込んでいるようですが、詳しい最近の動向は伝わってきません(雑魚にはさほど興味もありません)。

今回の訴訟の原告、エル金こと金良平は、一時行方不明になったり突然オモテに出たりしながら、住所不明(訴状では代理人の神原元弁護士の事務所を住所としています)、職業不詳です。彼は数十発、М君に激しい暴行を加え、刑事では罰金40万円、民事では賠償金120万円余の判決を受け、なんとかカネを集め支払っています。合計で160万円余り、個人で払うには決して少額ではありません。これに懲りて反省し、もう暴力的行為はしないとけついしたらいいのですが、その後も、一触即発の場面に先頭になって参加しています。
一方の被害者M君は、酷いリンチによるPTSDで、博士課程は修了したものの研究職に就くことができず、肉体労働に近い職業で日々働き暮らしています。本来なら今頃、若い学生に囲まれ学究生活に入っていただろうに……。これを思うと不憫です。
М君は、金良平らによる直接的暴力、「反差別」運動の旗手とマスメディアが喧伝する李信恵らによる集団リンチ、さらには彼らの支持者によるセカンド・リンチにより人生を狂わされました。私や森さんが、一審判決11万円という少額賠償金にかかわらず、控訴審、上告審と最後まで闘ったのは、人生を狂わされたМ君への血の通った人間としての同情心と、金良平らリンチの加害者らや、これに付和雷同してM君にセカンド・リンチを加えた徒輩を許せなかったからです。

◆10年経って社会運動から暴力はなくなったのか?
かつて激動の時代60年代後半から70年代にかけて、世界的なベトナム反戦運動の高揚、国内的には、それに加え安保─沖縄闘争、全国学園闘争、三里塚闘争(成田空港反対闘争)などをメルクマールに、学生運動、反戦運動、社会運動全般が盛り上がったことは歴史的事です。
しかし、運動内部では軋轢、対立、分裂が進行し、これが暴力を伴い、「内ゲバ」と総称されるような問題も同時に起きました。問題は、累々たる死者をも出し、これも大きな要因として運動全般が衰退していったことは私ごときが言うまでもありません。
そうしたこともあって、心ある人たちの努力により、わが国の社会運動から次第に暴力はなくなっていったはずでした。私もそう思っていました。
そのかん、私の先輩、後輩らも暴力の場面に遭遇しました。なにより私も病院送りにされましたし、ついこの前に一緒にビラ撒きしていた某党派の活動家が夜間急襲され仲間と共に殺されるというニュースには驚きました。多くの先輩方から対立党派ながら真面目な方と聞き、なんとも言えない気持ちになったことを今でも忘れることができません。
それから連合赤軍事件、内ゲバの激化などが続き、わが国の社会運動にとって大打撃となり、かつて社会運動の拠点となっていたキャンパスから抵抗の声は次第に聞かれなくなりました。かつては林立していた立看も今では見られなくなりました。立看を出しただけで即撤去、処分されたり、裁判になったりする時代です。時折訪れる母校でも、今や綺麗なキャンパスになりました。少なくとも立看、ビラ撒きぐらいは表現の自由の観点から制限なく規制しなくてもいいのではないか、と思います。
キャンパスから暴力的場面がなくなり、同時に立看やビラ撒きも見られなくなりましたが、これを突然打ち消したのが、金良平、李信恵らによるM君リンチ事件だったのです。社会運動の一つ「反差別」運動には根深い暴力が残っていたのです。「反差別」運動における暴力の問題として、本件と共に八鹿(youka)高校事件と併せ、やはり捉え直しが必要ではないかと思います。ちなみに八鹿高校事件では、部落解放同盟と日本共産党の争いもあり、兵庫県の山間の田舎都市での対立以上に大きな問題で、両者は本当にこれを教訓化したのか疑問です。この事件では、私の先輩も巻き込まれ、元々ブント系ノンセクトの活動家でしたから、共産党には批判的で、解放同盟に特段批判的でもないのに暴行を受けています。いまだにネットに流れている裁判記録に先輩の名を発見した時には胸が破裂しそうでした。
このリンチ事件を持ち込まれた際に、私はその先輩の姿を想起しました。金良平、李信恵ら加害者5人は、さんざんM君に暴行を加えた後、瀕死の重傷を負ったМ君を放置し逃げ去ったとのことで、M君はやっとの想いでタクシーを拾い自宅に帰ったのです。なにかを察知した運転手の方は料金を受け取らなかったそうです。
これには、さすがの裁判所も、「最後は、負傷したМの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。」として、「日頃から人権尊重を標榜していながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」(大阪高裁、令和3年7月27日判決言渡)と批判したのです。
2016年の初めに、この大学院生リンチ事件を、リンチ直後の被害者の顔写真、リンチの最中の音声データ、その他の資料に接して知った時には、本当に驚き、瞬間湯沸かし器の私は即動き始めたのです。
◆事件後の加害者らの動き──当初反省、謝罪、活動自粛を約束しつつも、しばらくして反故
リンチ事件後、在日の親睦、協力の目的で設立された「コリアNGOセンター」を中心として事態収拾に動き、加害者、被害者双方への事情聴取が行われ、加害者5人のうち直接手を出したとされる金良平、李信恵、凡の3名が「謝罪文」を被害者M君に送り、反省、謝罪、活動自粛を約束していますが、のちにこれを反故、M君を苦しめることになります。約束を反故にし活動再開した理由としては、師岡康子弁護士が金展克さんに送った、いわゆる「師岡メール」に現れています。当時、彼らが当面の目的としていたヘイトスピーチ解消法成立の運動に利にならないとの思惑からだと思われます。研究者として将来を嘱望されたM君一人の人権よりも在日の利益を図ることのほうが重要だとの考えからでしょうが、人ひとりの人権を蔑ろにして、なにをかいわんやです。なので、師岡はじめ、この事件で名が出てくる者らを私は決して許すことができません。



特に、岸政彦、彼は「李信恵さんの裁判を支援する会」の事務局長を務め、このリンチ事件ではコリアNGOセンターが行った事情聴取にも立ち合っています。本来なら、積極的に問題解決に奔走すべき立場です。しかし彼は、私たちが送った質問状にも答えず、馬耳東風のスタンスを貫くつもりだったようなので研究室に直撃取材をかけたのです。李信恵が裁判で述べたところによれば、このあと同会の事務局長を辞任したとのこと、これも、岸の一片の良心を信じていたМ君を苦しめることになります。その後岸は、当時龍谷大学教授から立命館大学教授、そして今や京都大学教授へと上り詰めていくのです。M君を犠牲にして──。岸は芥川賞の候補にもなりましたが、こういう世渡りのうまい人間こそ唾棄すべき人種です。岸よ、恥を知れ、恥を!

一方的に活動再開した後、李信恵は講演三昧、彼女の自宅前を通った人によれば、自宅の車庫にベンツが停めてあったとのこと、行政などからの髙い講演料で買ったのかと勘繰ります。彼女は高価なブランド物も好きなようで、集会にどこかのブランドバッグを持って現れたのを見たという人もいました。果たして彼女に人間としての反省はあるのか⁉ 普通に考えて大いに疑問です。罪は逃れても、リンチの場にいて、金良平の激しい暴力を制止もせず、悠然とワインを飲んでいたとは、人間として信じられません。
金良平、伊藤大介らはますますアグレッシブに活動し、伊藤に至ってはネトウヨ活動家に対する暴行容疑で有罪判決を受け、経営する不動産会社の宅建免許取り消しを怖れ自社の代表を辞しています。凡のみが結婚し活動を辞めたようです。正解です。
◆金良平らリンチ加害者は本当に反省したのか? 関係者らは、このリンチ事件の〈負〉の面をいかに教訓化し運動の糧にしたのか?
この問いに、結論から言えば、なんの反省もしていませんし、教訓化もしていません。現在のしばき隊の現状、共産党の苦慮を見れば一目瞭然です。共産党が今、しばき隊との関係を切る、切らないで苦慮しているのは、10年余り前に、このリンチ事件に対して真っ向から取り組まなかった故です。その時のツケが今回ってきていると言えるでしょう。
金良平について言えば、真っ昼間からSNSに相当の時間を費やし、生業に就いているのかどうか疑問で、さらには被告とされた森さんの自宅圏内の関東地方に移住し、彼女に恐怖を与えていました。広義のしばき隊に繋がる者らと思しき者から、彼らを批判しただけで激しい嫌がらせを受けた人たちがいます。森さんもそうですが、自宅の周囲を何者かに徘徊されたこともありました。
私は、このリンチ事件の被害者М君支援、真相究明に関わってきて、いわゆるしばき隊やカウンターといわれる運動を批判した人たちが激しい嫌がらせを受けたことを知りました。2、3例を挙げますと、公立病院に勤める、ある在日の医師は病院に多数の嫌がらせ電話をかけられSNSを閉じられました。人の命に係わる病院にですよ。絶対にやってはいけないことです。小菅信子山梨学院大学教授は、大学に電話攻撃を受けると共に、愛猫が殺されています。作家の室井佑月さんは自宅前に汚物を撒かれました。なぜか、どれも実行犯は逮捕されていません。
本件訴訟の原因ともなっている金良平が森さんに絡んできて日に日にバッシングが激しくなり、危機感を持ち、障碍者の夫と共に暮らす森さんの身を案じ、金良平の犯歴を晒してでも自分の身を守れとアドバイスしたことで、私のアドバイスを受けた森さんは金良平の犯歴=M君へのリンチ事件の有罪判決(罰金刑)の前科を晒したのです。他人の身は他人が守ってくれるわけではありませんから。どのような手段を使ってでも自分の身は自分で守れ、と。その後、森さんには、反LGBT運動の仲間でありオウム信者に殺されかけた滝本太郎弁護士と共に殺人予告もありました。
金良平の犯歴を晒したというが、金良平の犯歴は鹿砦社の一連の出版物で〈公知の事実〉となっており、今更どうこう言うことでもありません。私に言わせれば、将来を嘱望された大学院生М君の将来をぶち壊した徒輩に「プライバシー侵害」などと嗤(わら)わせてくれるな、ということです。
このかん金良平は、Xも長く配信を止め、最近になってぼちぼち動き出してきたようですが、「反差別」運動にとって彼はもはや不要の人物であり厄介者にさえなっています。
今回の最高裁決定で、10年戦争を続けてきた大学院生リンチ事件関係訴訟はすべて終結いたしました。この10年間、私(たち)なりに被害者М君支援、真相究明に努めてまいりました。この過程で「反差別」運動のウラの面を垣間見、なぜ多くの識者がこれに対して声を挙げないのか? また、マスメディアはなぜ、李信恵らを持ち上げるだけで、その暗部を採り上げ批判しないのか、疑問です。
「反差別」が利権であってはならないことはすでに周知のことになっています。差別に反対するという崇高な営為が、どこかで倒錯していないか? 少なくとも真剣に考えても無駄ではないでしょう。いや、前記した大阪高裁判決で、リンチがあったこと、李信恵、金良平らが係わったことは確定しています。「リンチはなかった」だって⁉ 私やМ君の前で言ってみろ!

リンチはあったのです。これを認めた上で、これに真摯に向き合い、「反差別」運動を主体的に切開し、改善すべきは改善し、今後の運動に主体的に取り込んでいくべきではないのか、大学院生リンチ事件に10年関わり、お金もそれなりに使い、私なりに一所懸命に取り組んできました。故・山口正紀さん(ジャーナリスト)や野田正彰さん(精神科医)、先輩の矢谷暢一郎さん(ニューヨーク州立大学アルフレッド校心理学名誉教授)、寺澤有さん(ジャーナリスト)、黒薮哲哉さん(同)、故・北村肇さん(『週刊金曜日』発行人)、今回鹿砦社と共に被告とされた森奈津子さん(作家)ら、決して多くはない心ある方々にご理解いただき、最後まで協力、支援賜りました。感謝申し上げます。
特に山口さんにつきましては、末期ガンで死の直前まで命を削り準備書面をお読みいただき添削も行ってくださいました。
訴訟上は、ヒラメ裁判官ばかりで、М君も賠償金は、決して満足のいく金額ではありませんでしたが、治療費程度は獲得できました。内容的にも満足のいくものではありませんでした。それでも勝訴は勝訴です、私たちは、М君を裏切ることなく最後まで共に頑張りました。
歪曲された反差別運動の犠牲者М君の想いをご理解いただき、このリンチ事件を、今からでも注目され真剣に再検証いただき、反差別運き動を含む社会運動における暴力の問題を考えていただきたいと切に希望いたします。
この大学院生リンチ事件については、言いたいことがまだまだあります。機会を見て、これまで収集した資料を元に総括的にまとめていきたいと考えています。
最後に、本件訴訟は当初、1996年以来、東京での訴訟事を一手に引き受けていただいていた内藤隆弁護士に受任いただきましたが急逝され、慌ただしく清井礼司弁護士が引き受けられました。急なことながら、短期間でリンチ事件の全貌を理解され最後まで、私たちの意を汲み闘っていただきました。心より感謝いたします。
※大学院生リンチ事件については、これまで刊行した6冊の本、これ以降については、「デジタル鹿砦社通信」の「しばき隊リンチ事件」の項や私のFBをご覧ください。

しばき隊リンチ事件 https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62



























