【緊急のお知らせ!】4月5日、『紙の爆弾』創刊20周年、『季節』創刊10周年の集い開催! 鹿砦社反転攻勢への橋頭堡に! 圧倒的なご賛同をお願い申し上げ、共に祝いましょう! 鹿砦社代表取締役社長 中川志大 同会長 松岡利康

『紙の爆弾』『季節』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持されるすべての皆様!

まずは、去る1月6日、1996年以来30年近くに渡り鹿砦社の裁判闘争を支えてくださった内藤隆弁護士が急逝されました。内藤先生は、大学院生リンチ事件関連訴訟をご担当いただいており係争中でした。さらに、一昨年(2023年)7月31日には、こちらも1995年以来30年近く、主に関西での裁判闘争を支えてくださった中道武美弁護士が亡くなられました。中道先生は、『紙の爆弾』創刊直後になされた、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧刑事事件の主任弁護人を務めていただきました。内藤先生には、この民事訴訟の代理人をも務めていただきました。鹿砦社の出版活動を背後から支えていただいたお二人の弁護士を亡くし、私たちは深い悲しみにあります。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。しかし、私たちは両先生のご遺志にお応えするためにも、いつまでも悲しみにふけってばかりもおれません。

さて、2005年に創刊された月刊『紙の爆弾』は、来る4月7日発売号にて創刊20周年を迎えんとしています。また、『紙の爆弾』の姉妹誌ともいうべき反原発情報誌『季節』(季刊)は、逸早く昨年8月5日発売号にて創刊10周年を迎えました。

かの『噂の眞相』休刊後しばらく、いわば“噂眞ロス”が続き、多方面からの強い要請で月刊『紙の爆弾』は創刊されました。創刊に至るまでに、取得が超困難といわれる雑誌コードを取得しなければなりませんでしたが、中川が足繁く取次会社に通い交渉を重ね、奇跡的にも取得できました。この面では『噂の眞相』休刊も吉に働いたようです。 

『噂の眞相』は創刊直後、「皇室ポルノ事件」によって廃刊の危機に瀕しましたが、これを乗り越え、さらには「名誉毀損」刑事事件(在宅起訴。のちに岡留氏に懲役8月、執行猶予2年。デスクに懲役6月、執行猶予2年の有罪判決)など幾多の傷を負いながらも持続し、休刊時には発行部数が10万部を超えるまでになったと聞きました。松岡が、編集長兼発行人だった岡留安則氏(故人)から生前直接聞いたりしたところによれば10年間は赤字だったとのことで、そうした幾多の修羅場を乗り越え発展・継続したそうです。(このあたりのことは松岡と岡留氏との対談集『闘論 スキャンダリズムの眞相』〔鹿砦社刊〕をご参照ください。残り僅か)

『紙の爆弾』も、創刊直後(2005年7月12日)、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧により松岡逮捕→192日間の長期勾留→有罪判決(懲役1年2月、執行猶予4年)、巨額賠償金(一審300万円→控訴審600万円に倍増し最高裁で確定)を食らい鹿砦社は、松岡勾留中に事務所も撤去、壊滅的打撃を受けました。同じ「名誉毀損」事件ですが、岡留氏が在宅起訴、松岡が逮捕―長期勾留(身柄拘束)と、量刑も含め鹿砦社事件がいかに重大だったかが判るでしょう。

メディア・出版界、あるいは周囲のほとんどは、鹿砦社がそのまま沈んでいくことを信じてやまない中、信用不安にもかかわらず、決して多くはない取引先やライターの皆様方がサポートされ、あるいは取次会社も取引を維持して、なんとか会社は継続し、事件から4年余り後、一気にヒット、そのままヒットが続き復活、本社の甲子園返り咲きが実現したのでした。この時の感激は忘れることができません。その後、勢いに乗じ反原発雑誌『NO NUKES voice』(現『季節』)も創刊(2014年8月)しました。

その後、弾圧10周年(2015年)、また鹿砦社創業50周年(2019年)と、東京と西宮(本社所在地)にてお集まりいただき、会社復活・継続を祝っていただきました。そうして『紙の爆弾』創刊20周年を左団扇(うちわ)で迎えることを、私たちも含め誰しもが信じてやみませんでした。

しかし、人の世は何が起きるかわかりません。2020年からの新型コロナ襲来にて、世の中がそうだったように鹿砦社を取り巻く情況が一変いたしました。これを甘く見ていました。当初は売上微減、借入も必要なく、しばらくは“備蓄米”もたっぷりあり余裕さえありました。

ところが、書店の休業が続き、想定外の返品も続き、売上が激減し、途端に“備蓄米”が毎月1千万円前後なくなり、あっというまに青色吐息状態になりました。当社の規模で数千万円の“備蓄米”は何が起きても大丈夫の証だったはずですが認識と見通しが甘かったです。

こうした中、読者、寄稿者の皆様はじめ、これまで『紙の爆弾』『季節』、鹿砦社の出版活動を支えてくださった方々がご支援してくださり、新型コロナ襲撃以来5年間をサポートいただきました。あらためてお礼申し上げます。

あっというまの20年でした。そうして迎える『紙の爆弾』創刊20周年──いろいろなことが去来し胸が熱くなります。あらためて想起すると、20年という年月の重さを感じます。

そういうことで私たちは、創刊20周年記念号が発売になる直前の、来る4月5日に皆様方にお集まりいただき、20年間生き抜いてきたことを祝い、閉塞状況からの反転攻勢の橋頭堡にしたいと考えました。松岡が生きている間には最後になるやもしれません(次の30周年に松岡はおそらく生きていないでしょう。現実問題、生きていてもボケたりして尋常な状態ではないと思います)。こうした意味で松岡にとっては最後の檜舞台のつもりです。20周年の集まりまでに、もうひと山を越え、立派に集いを成し遂げ、次の10年に向けた財政の一助にするために、ぜひご賛同いただき、できれば駆け付け叱咤激励していただければ、とお願いいたします。

私たち鹿砦社は必ず閉塞状況を突破し反転攻勢を勝ち取り、腐朽化し権力のポチと堕したメディアの中で存在感のあるリトルマガジンとして『紙の爆弾』、そして姉妹誌であり唯一の反原発雑誌『季節』(紙の爆弾増刊)の旗を守り抜き、鹿砦社の名の通り、タブーなき言論の砦として皆様方と共に在り続ける決意です。圧倒的なご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。

冒頭に挙げた内藤、中道両先生にも良いご報告をさせてください。

*集いの具体的内容が決まりましたら、あらためてお知らせいたします。

左から『紙の爆弾』創刊号、松岡逮捕後に発行された05年9月号、弾圧や裁判の詳細な内容をまとめた『パチンコ業界の アブナい実態』
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号(NO NUKES voice 改題 通巻41号)

1999年の新聞特殊指定の改訂、「押し紙」容認への道を開く「策略」 黒薮哲哉

◆渡邉恒雄氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件

渡邉恒雄氏の死に際して、次から次へと追悼記事が掲載されている。ここまで夥しく提灯記事が現れるとさすがに吐き気がする。ナベツネに「チンチンをしない犬」はいないのかと言いたくなる。

渡邉氏に関して、日本のマスコミが絶対にタッチしない一件がある。それは1999年に日本新聞協会の会長の座にあった渡邉氏が、新聞特殊指定改訂で果たした負の「役割」である。日本の新聞社にとって、計り知れない「貢献」をしたのだ。それは残紙の合法化である。残紙により大規模にABC部数をかさ上げするウルトラCを切り開いたのである。

その2年前の1997年、公正取引委員会は北國新聞社に対して「押し紙」の排除勧告を行った。同社は発行部数を3万部増やす計画を打ち出し、各新聞販売店にノルマを課したというのが排除勧告の概要である。

公取委は、日本新聞協会に対しても、北國新聞社と同様の販売政策を取っている新聞社があると通告した。公取委が「押し紙」対策に本腰を入れたのは、この時が最初である。

排除勧告を機として、日本新聞協会と公取委は、断続的に「押し紙」問題の解決策を話し合うようになった。その結論は、1999年の新聞特殊指定の改訂に至ったのである。しかし、驚くべきことに改訂の内容は、「押し紙」の量を際限なく拡大できるものになっていた。「押し紙」問題を解決するために話し合いを重ねたにもかかわらず、新聞特殊指定を骨抜きにして、合法的に「押し紙」を自由に出来る制度を整備したのである。

◆新聞特殊指定の「押し紙」の定義──改訂前と改訂後

具体的な改訂の中味を記述しておこう。次に示すのは、改訂前と改訂後の新聞特殊指定の「押し紙」の定義である。黒の太字の部分の変化に注視してほしい。結論を先に言えば、従来の「注文部数」という用語を、「注文した部数」とう用語に変更したのである。

【改訂前】新聞の発行を業とする者が,新聞の販売を業とする者に対し,その注文部数をこえて,新聞を供給すること。

【改正後】販売業者が注文した部数を超えて新聞を供給すること(販売業者からの減紙の申出に応じない方法による場合を含む)。

具体的に何が異なるのか?「注文部数」と「注文した部数」では、どのように「押し紙」の定義が異なるのか?

実は、改訂前の新聞特殊指定には「運用細則」があり、その中で「注文部数」の定義が提示されている。それによると、ここで言う「注文部数」とは、販売店が伝票で注文した部数ではなく、新聞の「実売部数に2%の予備紙を加えた部数」のことである。たとえば読者が1000人の販売店であれば、「実売部数1000部+予備紙20部」、つまり1020部ことである。これが特殊指定でいう注文部数であって、それを超える部数は理由のいかんを問わず「押し紙」と定義される。北國新聞社に対する「押し紙」の排除勧告は、この定義に基づいて行われたのである。

既に述べたようにこの「注文部数」という用語は、1999年の新聞特殊指定改訂で廃止された。改訂後に採用された新用語は「注文した部数」だった。これは、文字通り販売店が書面で注文した部数を意味する。その中に「押し紙」が含まれていても、独禁法には抵触しない。

◆新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある

この用語の変更に連動して、「注文部数」を定義していた従来の「運用細則」も廃止された。さらに予備紙2%の規定も廃止した。その結果、販売店が新聞社から命じられたノルマを含む部数を新聞の発注書に書き込めば、その中にいくら「押し紙」が含まれていても、合法的な予備紙と見なされるようになったのである。その結果、残紙が大量に発生するようになったのである。

ちなみに「押し紙」問題でよく指摘されるのは、新聞社が販売店に対して仕入れる部数を指示する行為である。たとえば実売部数が1000部しかないのに、新聞の発注書には、1500部と書き込むように指示する。このような行為は、改訂前の新聞特殊指定であれば、特殊指定が定義する「注文部数」を超えているわけだから「押し紙」行為と見なされていた。

ところが改訂後は、販売店が「注文した部数」という解釈になり、「押し紙」の定義から外れる。

改訂後の新聞特殊指定で、「押し紙」と判断するためには、「注文した部数」をさらに超えた部数が搬入され、しかも、それが新聞社からの強制によって発生したものであることを販売店が立証しなければならない。

1999年の新聞特殊指定の改訂は、従来にも増して「押し紙」政策への大道を開いたのである。実際、今世紀に入ってから、「押し紙」の割合が、搬入部数の40%とか50%といったケースが報告されるようになった。

「押し紙」問題を解決するために始めた話し合いで、「押し紙」をより容易にする道を開いたのである。奇妙な話ではないか?

特殊指定改訂当時の新聞協会会長は、読売新聞社の渡邉恒雄氏だった。また、公取委の委員長は根来泰周氏だった。根来氏はその後、なぜか日本野球機構コミッショナーに就任している。

新聞の発行部数に関するギネスブックの記録も、再検証する必要がある。ギネスブックが騙されている可能性が高い。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月31日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

『紙の爆弾』創刊20周年の2025年、メディア総体が腐朽化する中で、『紙の爆弾』と鹿砦社の役割は重大! 皆様のご支援で年末危機突破! コロナによってもたらされた低迷を打破し再復活を勝ち取り、共に『紙の爆弾』創刊20周年を迎えましょう!  鹿砦社代表 松岡利康

定期購読・会員拡大、鹿砦社出版物の積極的購読で圧倒的なご支援を!
2025年年頭にあたって

皆様、新年明けましておめでとうございます。

2025年が始動しました! 本年は4月7日に本誌『紙の爆弾』が創刊20周年を迎えます。また、7月12日には、『紙の爆弾』創刊直後に検察権力によってなされた、「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧からも20年となります。これらについて詳細は別の機会に譲るとして、ここでは触れません。

さらに本年は、1月17日に鹿砦社本社の在る兵庫県一帯を襲い小社も(わずかですが)被災した阪神淡路大震災から30年、ベトナム戦争終結50年、敗戦から80年を迎え、社会的、歴史的にも節目の年となります。

こうした中、出版・メディアをめぐる情況は、全部とは言わないまでも多くが権力のポチとなったり腐朽化していき真実が報じられなくなってきています。

わが『紙の爆弾』はミニメディアではありますが、弾圧に屈せず、一貫として愚直に<タブーなき言論>を信条として20年近くせっせせっせと一号一号発行を積み重ねてまいりました。

この間、「名誉毀損」弾圧事件で壊滅打撃を被りつつも、皆様方のご支援で奇跡の復活を遂げることができました。しかし、いいことは長く続かないのか、新型コロナという魔物によって再び地べたに叩きつけられました。

それでも読者の皆様方は見棄てずご支援を続け、青色吐息ながら命脈を保ってきています。

この20年近くの間に、『紙の爆弾』『季節』の定期購読・会員が総計で1千名余りとなりました。この皆様方が中心になって、定期購読・会員の更なる拡大、書籍・雑誌の積極的購読、あるいはまとめ買い(1万円以上)を行っていただくだけで、かなり資金繰りは楽になります。

一昨年(2023年)は一時はコロナ前の水準に回復しましたが、昨年(2024年)に入りドツボに嵌ってしまいました。油断や見通しの誤認などがあったことは否定しません。

毀誉褒貶はありますが、この30年間、鹿砦社の、いわば〝ビジネスモデル〟として芸能(スキャンダル)本を出し続けて、この利益で硬派の社会問題書や『紙の爆弾』『季節』の赤字を埋め、これらを出し続けてきました。『紙の爆弾』はようやく利益が出るようになりましたが、とはいってもこれで人ひとりの人件費が出るほどでもありません。ちょっと黒字といったところです。

しかし、私たちの出版社は芸能出版社ではなく、本丸の勝負所は社会問題書です。そうでないと単なる、どこにでもある柔な芸能出版社になってしまいますから。

ところが、この‟ビジネスモデル”が壊れたのは、コロナ禍を機に最近のことです。儲け頭となっていた芸能本が売れなくなりました。何としても他に‟鉱脈”を発掘しなければなりません。それは何処にあるのでしょうか? 皆様方のアイディアや企画、ご意見を募ります。

このかん、「身を切る改革」ではありませんが、いつのまにか肥大化していた会社の態勢もスリム化し、経費圧縮も最大限行いました。お引き受けいただいた社債は総額2千万円に達しました。コロナ前、鹿砦社創業50周年を機に私松岡は後進に道を譲るつもりでしたが、すぐに新型コロナ襲撃(まさに襲撃という表現が正しい)、これにより、これだけの社債、さらには会員や定期購読などでご支援いただく方々が多くおられ、現状がコロナ前の状態に正常化し、社債の償還が解決するまでは無責任に身を引くわけにはいかなくなりました。若手の後継者・中川志大と二人三脚で頑張ります! 中川には無垢の状態で引き継ぐことができなく申し訳なく忸怩たる想いですが……。

2019年の鹿砦社創業50周年を東京と地元西宮で多くの皆様方にお集まりいただき祝っていただいてから新型コロナ襲撃、そして以来この5年間は、正直大変でした。今もまだ大変な情況は続いています。それは私たちの業界・出版界でもそうで、店閉まいした書店さんも多いです。出版社も、一部を除き大変な情況です(特に中小零細出版社は)。

しかし、私(たち)は諦めません。もう一度復活したい、いや復活するぞとの決意で、年の瀬をやり繰りし新年を迎えました。私たちの出版社・鹿砦社、あるいは『紙の爆弾』『季節』には、社会的にもなすべき仕事がまだまだ多くあります。例えばジャニーズ問題、一昨年英国BBC放送が世界に向けて告発放映したことをきっかけに大きな社会問題になりましたが、この後、日本の大手メディアも追随しましたが、一体それまで何をやっていたのでしょうか。

私たちは大手メディアには無視されつつ「イエロージャーナリズム」と揶揄、蔑視されながらも1995年以来四半世紀余りも細々ながら告発本を出し続け、BBCにも事前に資料提供など協力し、これが実を結んだといえるでしょう。こういうこともありますので、あながち「イエロージャーナリズム」も馬鹿にできません。こういった意味では『紙の爆弾』も「イエロージャーナリズム」の権化といえるでしょうが、こういうメディアは他にありませんので、この意味だけでも存在価値があるでしょう。

また、私たちは以前から、「たとえ便所紙を使ってでも」発行を続けると言い続けてきました。「便所紙」とは、昔々、日本がまださほど裕福ではなく、良質なトイレットペーパーがなかった時代、尻拭き紙として安価な紙を使っていたものを揶揄した言葉です。今では死語かもしれませんが、私たちの決意を表す言葉として使ってきました。これは今でもなんら変わりはありません。

新年を迎え、苦難の中、本年一発目の『紙の爆弾』をお届けするにあたり私松岡の個人的な想いを書き連ねさせていただきました。厳しい経営環境は、決して恥ずべきことでもなく、これを明らかにし、この一年必死で頑張り、来年の年初にはもっと明るいご報告ができるように努めます。

具体的には『紙の爆弾』『季節』の定期購読を1千人→2千人へ倍増、会員も倍増を目指します。そうして、従来の方々に加え新規の定期購読、会員の方々が‟最大のスポンサー”として鹿砦社の出版物の積極的直接購読を促進し、会社の売上や資金繰りに貢献いただきたく強く希望いたします。

本年も旧に倍するご支援、叱咤激励をお願い申し上げます。

株式会社鹿砦社代表 松岡利康

人生に夢や希望を持つ者は誇り高く生きてゆける(揮毫:龍一郎)
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号
〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号

能登地震から一年……。福島の事故からずっと 「おめでとう」が言えない正月が続いている 尾﨑美代子

能登半島地震から1月1日で1年、多くの報道番組が輪島や珠洲市から中継を行った。とくに珠洲市は過去に原発の建設を住民らが反対して中止に追い込んだ町。ここに原発があったならば、どうなっていたのだろう。

◆珠洲市制50周年記念冊子にも記されていない「珠洲原発」という「黒歴史」

私はその珠洲市を去年、5月に訪れた。石川県では、井戸弁護士が裁判長時代に運転差し止めの判決を下した志賀原発については知っていたが、正直、珠洲原発は名前を知っている程度だった。何度もいうが、もし珠洲原発があったならば、福島の原発事故以上の大惨事になっていただろう。

そんな思いから、珠洲原発建設を止めさせた闘いを知りたくて、地元で長く原発反対運動に関わってきた北野進さんを訪ねたのだった。北野さんのお話で驚いたのは、29年間原発建設反対運動で地元住民が二分され、結果、珠洲原発は建設凍結(解凍する術がないから実質中止)に追い込まれたにも拘わらず、建設を進める行政側が全く反省しようとしていなかったことだった。それは北野進さん著書「珠洲原発・阻止への歩み」の「はじめに」に書かれている以下の内容だ。

珠洲市の寺家と高谷に建設が予定されていた珠洲原発は、2003年12月5日、関西電力、中部電力、北陸電力の3社が市長に計画の凍結を伝えたことで幕を閉じた。計画の浮上から29年、それ以前の水面下の動きを含めると35年以上の長い闘いだった。
実はその翌年2004年、珠洲市は市制50周年を迎えた。そこで50周年を記念して「珠洲市勢要覧2004」という冊子が発行されたが、そのなかで珠洲原発についての記載が一切なかったというのだ。珠洲市にとって珠洲原発問題は、俗にいう「黒歴史」だったのだろうか。北野氏はこれに対して「長年にわたる原発誘致一辺倒の行政も許しがたいが、これは(歴史からの抹消)は市民に対する二重の意味での重大な背信行為である」と書いている。

◆失敗を反省しない日本

珠洲市だけではない。日本はいたるところで反省することがない。

鹿砦社の反原発誌「季節」の最新号で特集したが、日本の原発立地自治体で作る避難計画は、どこでも「絵に描いた餅」状態だ。何度地震おきても、いつまでたっても寒い体育館で段ボール敷いての避難生活を余儀なくされている。食料が足りない、水がでない。何よりトイレが足りない。トイレを我慢するために水分を採らず体調を悪くさせる。関連死が増える…何度も同じことを繰り返す。

イタリアでは、1980年、2700人以上が犠牲になったイリピニア地震の反省から災害対策を担う国の機関「市民保護局」が設立された。それにより「ベッド、トイレ、キッチン」が地震発災から24時間以内に設営される。日常的にプロをも含めたボランティアが訓練を受けている。2700人が犠牲になった地震を反省するイタリアに比べ、何万人が犠牲になろうが、何も反省していない日本という国。

同じ昨年7月に花蓮で大きな地震がおきた台湾も、過去の地震の反省から地震対策を充実させている。地震発災から1時間で市や自治体がグループを立ち上げ、情報収集を開始、2時間後にはテントが設置され、3時間後には被災者を受け入れ、4時間後には設備が整うという。「どの避難所でも安全、衛生的、プライバシー、食事の確保が出来ており、生活に困らないレベルが確保されている」という。

しかも、倒壊の危険性が高いと判断された建物は、3ケ月後には解体・撤去作業が終了し、現地で工事関係者の姿をみることはなくなるという。それに比べ、能登半島はどうだ? 昨日見た番組では、解体が進まず、そのままの建物が見えた。もう、1年だぞ。

台湾は地震対策だけではない。再審法もどんどん変えている。ある事件で無実の人を逮捕してしまったことがきっかけだ。その人を実況見分に連れていった際、その人が飛び降り自殺してしまった。その後、真犯人が逮捕された。無実の人を死に追いやったことを猛反省し、台湾ではその後再審法がどんどん変えられていった。

話を戻すと、日本はすべてが遅れているのは、失敗を反省しないからだ。しかもそれを謝罪することもない。言い訳ばかりだ。奥能登の復興が遅れているのは、奥能登は交通の便が悪く、建設機材や重機、そして作業員を送るのも大変だ……と。それこそ、重機と人材は夢洲から奥能登へもってけ!私は万博、カジノには断固反対だが、賛成の人も賛成の議員も、万博は1年延期で、重機と人材はすべて能登の復興へ回せくらい言えないのか?

福島の事故からずっとこっち、「おめでとう」が言えない正月が続いている。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号

『紙の爆弾』2025年2月号に寄せて   『紙の爆弾』編集長 中川志大

あけましておめでとうございます。

新年1号目となる2月号では、被団協(日本原水爆被害者団体協議会)のノーベル平和賞受賞についてレポートしました。“お祭り騒ぎ”の中で、あえて抜け落とされた重要な事実とは何か。あえて疎外されてしまった人々とは誰か。詳しくは本誌をお読みいただきたいと思いますが、この受賞を未来への一歩とする上でこそ、レポートに登場する金鎮湖会長や平岡敬元広島市長の指摘は重要です。本誌増刊「季節」の執筆陣である「子ども脱被ばく裁判の会」水戸喜世子共同代表はフェイスブックで、「時計は止まっていないのだ。核兵器は言うまでもなく悪だ。子どもだって知っている。そこに耳目を引き付けながら、こっそりと核装置である原発によって世界の人命が危険に晒されている現状にこそ警告を発すべきであった。核被害の現在進行形なんだから」とコメント。全文をあらゆる人に読んでいただきたい内容です。

創薬立国を謳う日本で「ワクチン工場」が、続々稼働しています。同種の施設として、東京では東村山市の国立感染症研究所がウイルス研究所(BSL4)として有名ですが、隣に都立の支援学校が、裏手には市立小学校もあります。そもそも「薬で儲ける」とは、どういうことなのか。今月号では、「高齢者の危険運転」と薬の関係について、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる和田秀樹医師が解説しています。そこで和田氏は医療費の問題に加え、日本人は薬の服用者が多いことを指摘しています。「安心していつでもたくさん薬が飲めること」が医療の充実とされているのが現在の日本です。

本誌1月号でインタビューした原口一博衆院議員(立憲民主党)に対し、レプリコンワクチンを製造・販売するMeiji Seikaファルマ社が名誉毀損で東京地裁に提訴しました。本誌で原口氏が語っているとおり、原口氏の問題提起はレプリコンをはじめとしたコロナ定期接種ワクチンへの政府の承認手続きに対するものであり、それだけで「お門違い」だといえます。また同社はリリースで『私たちは売りたくない!』(方丈社)の著者である同社社員について社内調査し、出版元に抗議したとも明かしているものの、内容に関する言及はありません。なお、Meiji Seikaファルマ社については、1月号で紹介した郷原信郎弁護士・上昌広医師(医療ガバナンス研究所理事長)の指摘(YouTube『郷原信郎の「日本の権力を斬る!」』2024年10月20日配信)が重要と思われます。

Meiji Seikaファルマ社が訴えずとも、mRNA ワクチンやレプリコンワクチンの危険性への指摘は「陰謀論」とされるのが現状の日本社会であり、日ごとに明らかになるワクチン薬害の事実を前にしても、それは変わりません。ただし、アメリカで方向性が変われば付き従うのが追従日本なので、トランプ政権で厚生長官に就任するロバート・ケネディ・ジュニア氏の動向によっては、“常識”が変わる可能性もあります。

今月号ではここで触れたほかにも、女川原発2号機事故についての詳細解説、なぜ国連は戦争を止められないのか、ドイツ若手哲学者が問う「リベラル」と「極右」の現状など、さまざまな記事を収録しています。いずれも本誌ならではのレポートです。ぜひ全国の書店でご確認をお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号
タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年2月号

『紙の爆弾』2025年 2月号
A5判 130頁 定価700円(税込み)
2025年1月7日発売

マスコミが「大接戦」と報道し続けた理由「トランプ圧勝」が暴いた世界史の真実  田中良紹
トランプ政権に3人のキーマン「ウクライナ」「ワクチン」「CO2」陰謀の真相  植草一秀
「高齢者の運転は危険」マスコミ煽動の嘘と本当の原因 和田秀樹
国際紛争で国連は何をしてきたか 国連の機能不全を問う 足立昌勝
「斎藤・立花連携」を裏付ける事実 斎藤元彦・立花孝志、そして国民民主党の背後の闇 横田一
オスロ代表団から除外された人々 日本被団協ノーベル平和賞受賞で語られざる「光と影」 浅野健一
「孫子の兵法」と「ノストラダムス」で読み解く世界情報戦略 浜田和幸
再稼働6日後に起きた重大事故 女川原発2号機で何が起きたのか 山崎久隆
「ダークウェブ」で売られる個人情報 「闇バイト」が日本で広がる理由 片岡亮
知らぬは日本人ばかり AIが読み解いた亡国ニッポンの実態 藤原肇
行方を占う「嵐・大野智」の動向 NHKとジャニーズの癒着と抗争 本誌芸能取材班
mRNAワクチン、毒素兵器、バイオハザード(後編) 佐藤雅彦
シリーズ日本の冤罪 福井女子中学生殺人事件 尾崎美代子
「カウンター大学院生リンチ事件」から十年(中) 松岡利康

〈連載〉
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER Kダブシャイン
「ニッポン崩壊」の近現代史 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

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2025年からはじまる世界 冷戦崩壊よりも大きく長く続く〈西洋の没落〉 G7主導の世界をどう転換させるか さとうしゅういち

21世紀も4分の1を過ぎる、2025年がやってきました。広島は被爆80周年を迎えます。世界の大きな課題は、大航海時代を契機に始まり、19世紀半ばには中印やアフリカの植民地化で定着した西洋優位の世界秩序を、破滅を回避しつつどう、転換させるか、ということではないでしょうか?人権侵害や環境破壊、その最悪の形態である内戦を含む戦争を防ぎながら転換するという難しい作業が待っているのです。

2024年末現在、正直、いわゆるG7諸国のデモクラシー=民主制が、どこも〈グダグダ〉になってきています。2024年の各国の国政選挙では与党が惨敗しました。

フランスの議会選挙ではマクロン大統領の与党が惨敗。英国では保守党が惨敗。ドイツでは政権が崩壊。日本でも自民党が歴史的な大敗。そして、最後は、米国民主党が大統領選挙、上下両院選挙で敗北しました。これら一連の流れは、健全なデモクラシーが働いていたと言えます。

だが、各国の情勢を少し詳しく見ると、どこの国でも、一歩間違えると、むしろこれまでよりも悪くなりかねない、下手をすればデモクラシーが終わりかねない。そういう状況があります。

◆〈国徳低下〉へ驀進する欧州諸国、露の選挙介入も加速?

帝国主義の延長線上で移民政策をとってきた欧州ではそれに伴う課題が多く起きているのも事実です。一方で、ロシアがそうした状況に乗じて、欧州諸国内の極右勢力を応援し、実際にバカ受けしています。多くの国が極右政権に代われば、1990年代に消えた東側陣営に続き、西側陣営そのものの意味が消える事態も予想されます。

また、アジアにおける西欧型デモクラシー国家だったイスラエルでは完全にネタニヤフによる独裁と化して、これまで以上の侵略や虐殺を加速させています。まるで、ヒトラーが再来したかのようだ。これをまた、日本以外のG7諸国が必死になって庇いました。長崎平和祈念式典にイスラエルを招待しなかった長崎市長に、日本以外のG7が抗議し、大使を出席させませんでした。19世紀の帝国主義列強による恫喝を彷彿とさせる行動でした。ロシアのウクライナ侵攻は批判してもイスラエルには甘い態度を取ったことは、西洋諸国の〈国徳〉を低下させています。

◆冷戦崩壊よりも大きな長期トレンド〈西洋の没落〉

数百年単位で歴史を見ると、正直、19世紀の植民地主義の時代も終わり、20世紀半ばまでに多くの植民地が独立。そして、20世紀末には新興国が台頭する中で、西洋優位が崩れるのは当然の流れです。なお、西洋の中でも、最初はスペイン・ポルトガルが優勢で、その後は、短期間のオランダ優位を経て英仏優位、その後は米国やドイツ、そしてソビエトの台頭という歴史があります。しかし、ソビエトが冷戦で崩壊。そして、欧州もグダグダ。そして、米国もグダグダになってきたのです。

問題は、その〈着地点〉です。一応、欧米、とくに米国民主党や欧州主流派が掲げてきた人権や環境といった価値を守りつつ、どう、国際秩序?を転換していくか? これが大きな課題ではないでしょうか。

フランシス・フクヤマ教授ら、米国のポストモダニストは、1989年の冷戦崩壊を受け、〈歴史は終わった!デモクラシーの勝利だ!〉と舞い上がってしまったのです。だが、あれから、35年。ご覧の有様です。フクヤマ自身も昨年〈敗北宣言〉ととれる著書を出しています。

ひとつは、環境保護やLGBTはじめ多様性尊重などを一見推進しつつ、新自由主義を進めてきた、この30年のデモクラシー国家内の人々の責任も重いでしょう。その反動がトランプさんとか、欧州の極右になっています。なお、日本でも、例えば、多様性尊重を進めつつ新自由主義も進めてきた立憲民主党への反発は強く、衆院選比例票が伸び悩む背景にあったとみられます。

ただ、結局のところ、旧白人帝国主義の没落と言う数百年単位の歴史の流れと冷戦崩壊と言う数十年単位の流れでは、前者の方が大きかったということではないでしょうか?

◆没落、〈経済失策〉がほぼすべての日本

日本の場合は、西洋とアジアの狭間にあると言えます。日本の場合は、ここ30年間の経済失策が大きい。90年代末にデフレに陥ると、総需要不足が問題なのに、構造改革を叫び、総需要を減らす施策を取った小泉純一郎さん、竹中平蔵さんによる改革が00年代に強行された。民主党政権も、時代に合わせて個人へのセーフティーネット充実を掲げたのは間違っていないけれども、東日本大震災での財源調達方法を誤った。公務員カット、増税。これがさらに過剰な円高とデフレで産業を痛めた。安倍晋三さんが政権に復帰した後、円安にしたが、産業が痛んだあとで、総需要喚起の財政政策も、思い切った産業への投資もなかった。それが現状に響いている。

そうした中で国民民主党とれいわ新選組の躍進と言う2024衆院選になりました。だが、ネット上の国民民主党の一部支持者は、積極財政なき減税至上主義ともいえるスタンスで暴走し、リアルにも一定の影響を与えています。彼らの中には、高齢者切り捨て、さらには、教育無償化反対論まで多く、むしろ自民党以上に新自由主義になる危険もある。低所得の人まで社会保険料だけ取られて手取りは増えずおしまい、になりかねません。

◆広島被爆80周年は〈媚米市政〉から〈横の連携重視〉へ修正を

ともかく、下手をすると、世界は、デモクラシーなき新自由主義者同士の群雄割拠の争いになりかねない。

米独英仏伊など旧白人帝国主義国の権威は落ちていく一方。そうしたものに頼らない形で、労働者の人権を守っていく、環境を守っていく。そういう取り組みがますます重要になっていくのは間違いありません。

こうした中で、平和都市としての広島の役目はどうあるべきか?

まず、特に2023年~24年の広島市政は、過剰な米国忖度、厳しく言えば〈媚米主義〉が目立ったと言わざるを得ません。ずばり、G7広島サミットがその要因です。サミット後には、米国のパールハーバーと平和記念公園の間の姉妹協定を、エマニュエル駐日大使と結んでしまい、具体的な事業が2024年度から動いています。また、平和教育の教材からの〈はだしのゲン〉や〈第五福竜丸〉削除なども、来広するバイデン大統領への忖度だったのは明らかです。

さらに、2024年の平和記念式典では、まるで戒厳令のような厳戒態勢を敷き、エマニュエル駐日大使に広島市長が頭を下げる写真が同大使のSNSで自慢されました。同式典ではイスラエルは招待するもロシアは招待せず、パレスチナも筆者らの署名運動にもかかわらず招待されませんでした。

このままでは、米国などの没落に広島も道連れになりかねない。米国政府とは冷静に距離を置くべきだと考えます。一方で、平和首長会議は自治体の横の連携です。米国含む核保有国にもホノルル市始め、加盟都市はたくさんあります。平和首長会議加盟都市との横の連携を進めていく。また、核兵器禁止条約の動きに見られるように国際政治の主体は国家だけでなくNGOも含まれます。G7広島サミットを背景に、外国人の原爆資料館入館者が増えているのは良いことですが、過剰な米国忖度には未来がないことは肝に銘じるべきです。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
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西日本新聞「押し紙」訴訟判決とオスプレイ搭乗記事の掲載について 江上武幸(弁護士)

◆西日本新聞1面トップ記事『国防の最前線』への強い違和感

11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面のトップに、「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事が掲載されていました。

オスプレイは、ご承知のとおりアメリカでは「未亡人製造機」と呼ばれるほど墜落死亡事故の多い軍用機で、開発段階から昨年11月の鹿児島県屋久島沖墜落事故までに計63人が死亡しています。生産ラインは2026年に終了予定で、世界で唯一の輸入国である日本は、陸上自衛隊が17機を総額3600億円で購入し、2025年6月に佐賀空港に配備する予定です。

現在、空港の整備工事が着々と進行しています。その額は社会保障費の削減分3900億円に匹敵しており、社会保障費を削り、そのお金でアメリカの欠陥機を購入するという、子供でもわかるような愚策が実行されています。

11月28日(木)付西日本新聞の朝刊1面トップ「『国防の最前線』実感 屋久島沖墜落1年、オスプレイ搭乗ルポ」と題する記事

佐賀県選出の立憲民主党の原口一博衆議院議員は、もともと諫早湾干拓の堤防の開門決定に従わない国に強い不信感を感じておられ、開門しない代わりに漁業者に交付予定の100億円の基金についても、オスプレイ購入代金一機分にも満たないとして、憤りをあらわにしておられます。

原口代議士は佐賀県出身であり、鍋島藩の武士道「葉隠れの精神」に基づき、そもそも国が欠陥機であるオスプレイを1機200億円で購入するだけでなく、墜落の危険がある欠陥機に自衛官を搭乗させることに怒りを感じておられます。平の自衛官ではなく、幹部の自衛官が搭乗しろという至極まっとうな葉隠れ精神に基づく主張です。

私は、来週の12月24日午後1時15分に言い渡される西日本新聞押し紙訴訟の判決を前に、西日本新聞が1面トップに何故冒頭のような記事を掲載したのか、強い違和感を感じています。

◆西日本新聞社は、なぜこのような記事を1面トップに掲載することにしたのか?

縦の見出しには「『米中の対立の影』にじむ」と書いてあります。長田健吾記者が福岡空港でオスプレイに乗り込み、九州西方の洋上を航行する原子力空母ジョージ・ワシントンに着艦して、エマニュエル駐日大使の記者会見を受けるという筋書きです。

九州周辺の中国との緊張状態をことさら強調する内容の記事になっています。

西日本新聞社は、なぜ記者を命の危険にさらしてまでオスプレイに搭乗させ、このような記事を1面トップに掲載することにしたのか?

佐賀県を始め九州・山口各県の住民の大多数は、戦争になったら真っ先に攻撃の的になることもあって、オスプレイの配備には反対しています。それにもかかわらず、九州・山口を代表するブロック紙の西日本新聞社が、平和の訴えと真反対に軍事的緊張をあおる記事を掲載したのか、全く理解が出来ません。

平和交渉こそ強く訴えるべき新聞が、戦前の従軍記者のように、現地の軍事的緊張感を読者に訴える記事を書いているようにしか見えません。

来週の西日本新聞の押し紙訴訟の判決の結論と、この記事が何らか関連しているのではないかとの懸念を覚えましたので、急遽、投稿することにした次第です。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月22日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったか? 尾﨑美代子

ここ数日、ちょっと驚く裁判の記事が目につく。大阪高検の検事正だった男性が、検事時代、酔いつぶれた部下の女性検事に性加害を与えた件で逮捕・起訴されたが、当初加害を認め謝罪していたものの、弁護人を変えて一転無罪を主張した件、無罪を主張する会見で発言する弁護士は見たことがあると思ったら、以前取材した冤罪事件の主任弁護士だった。その事件で実際取材したのは別の若手弁護士だったが、数日後、なんとその若手弁護士が、別の性加害事件の控訴審を担当し、大阪高裁で逆転無罪判決をとったというのだ。この事件では、無罪判決を出した裁判長への抗議行動にまで発展している。

「何が真実なのか?」とどんよりしていたが、ふと以前買って読めずにいた『殺人者はいかに誕生したか』を読み始め、あるヒントを得た。私は拙著『日本の冤罪』の「はじめに」でも書いているが、もともと凶悪事件に関心をもっている。凶悪事件を起こした人だって、もともと凶悪犯に生まれたわけではない。オギャーと生まれたときには、誰でもごく普通の子供だった。それがのちに凶悪な事件の犯人となっていく。そのあいだに何があったのかが気になるのだ。

長谷川博一著『殺人者はいかに誕生したか』(新潮文庫)

「殺人者はいかに誕生したか」の著者は臨床心理士の長谷川博一さん。そのなかで、こんな一文をみつけた。

「裁判が真実を明らかにする場ではないことは、私の知る複数の弁護士から重ねて聞かされているところです。裁判は、検察と弁護人の闘い、駆け引きの場にすぎません。裁判所は『真実解明がその使命ではない』という事実を、社会が誤解しないよう公言してもらいたいと思います」。

長谷川さんは、多くの凶悪事件の犯人たちに面談や文通を続け、彼らがなぜ凶悪事件を起こすに至ったかについて、裁判では明らかにされていない、いわゆる「心の闇」と解明していく。そこからは幼少期の壮絶な家庭環境や学校での虐めなどがうかびあがってくる。池田小学校殺傷事件の宅間死刑囚や、秋葉原無差別殺傷事件の加藤死刑囚については幼少期の家庭環境、家族関係に問題があったことは少しは知っていた。

しかし、秋田連続児童殺害事件の畠山鈴香さんのことはあまり知らなかった。彼女は自身の娘と近所に住む男児の二人を殺害したとして逮捕・起訴され、無期懲役が下された。彼女について印象に残っているのは、家をとりまくメディアにきつい口調、目つきで怒鳴っている姿だった。黒い服装を好み、ぼさぼさ気味の長髪を一つに束ね、全体的にその姿は暗いイメージだった。

長谷川さんは面談を通じて、彼女について「意図的に嘘をつかない。かえって自分に不利な言動をとる。相手の意向にあわせる、いわゆる迎合性が強い。相手の示唆を信じ込む被暗示性が強い。自尊心が低い。他人の心を知ろうとする傾向が乏しいなどの特徴があった」と分析している。

さらに彼女は、精神鑑定で解離性健忘が認定されている。これはもともと彼女が持つパニックに陥りやすいという特性の中でおきたものだという。そこには、彼女が幼少期に実の父親から受けたDVや、学校での虐めなどによるトラウマが複雑に絡み合って、心を防衛するための乖離をおこしやすい状態にあったという。健忘というのは、その記憶をもつことが、本人にとって重大な心理的危機を招くときに生じるという。

鈴香さんのトラウマは小学生時の給食時間にはじまった。当時は(今も?)給食を絶対残さず食べされることに熱心な教師がいた。曰く「食べ物を粗末にしたらいけない」「食べれない子もいる」「作った人への感謝を忘れず」等々理由をつけて、全部食べ終えるまで机に縛り付けるようなしつけをする教師だ。

彼女は担任にそれをやられた。彼女の場合、好き嫌いが激しいというのではなく、人前で食べることができないのだ。業を煮やした担任が「手を出して」といい、彼女の手のひらに給食を入れていく、汁物まで……。「全部食べて」という担任の前で、手のひらに顔を埋めるようにして食べようとする彼女……その姿を見て同級生は「犬みたい」「汚い」「ばい菌」とはやし立てる。

彼女のこうした行為の背景に父親の暴力があった。最初は平手、それから拳骨に。
「こういうときは、ただ時間が過ぎるのを待つしかありません。修羅場の中をなにもしないで待つことの耐え難さ。心は苦痛から逃れるために『感じない』ようにし、そして『抵抗しない』という防護策が選ばれることになるのです」

そんな家庭での食事は最も「気を使わなくてはならない」空間だった。ささいなことで父親が暴れるので、父親を怒らせないことに全神経を集中させるため、食べ物の味もわからず、口にいれたものを思うように呑み込めない。飢えを癒すため、誰もいない時にお菓子などを食べていたという。

彼女の娘が亡くなった時、警察は事故死と公表したが、それに納得できない彼女は、警察に再捜査を懇願し、自分でチラシを作り、犯人を捜して欲しいと訴えていた。自分で殺したなら「事故死」のままにしておけばいいのに。橋の欄干に座らせたのちの記憶が彼女にはないのだ。その原因について、事件から18年の今年、ノンフィクションライターの小野一光さんが取材し、当時彼女が抗うつ剤や睡眠導入剤などを大量に摂取するオーバードーズを繰り返していたことを明らかにしている。そのため、一時的に意識が乖離することがあったようだ。

残虐な事件が起き、尊い命が奪われたのち、罪を償うということは、二度と同じような犯罪が起きないよう、何をすればよいかを考えていくことが必要だ。しかし、臨床心理士・長谷川さんもいうように、畠山鈴香さんの裁判では、その任務はしっかり果たせなかったようだ。本当に残念だ。

裁判で何が裁かれ、何が裁かれなかったかを、じっくり見ていく必要があるのではないか(などと評論家風に〆てしまい、超恥ずかしいが…)。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

西日本新聞福岡地裁「押し紙」裁判敗訴判決のお知らせ ── モラル崩壊の元凶「押し紙」 江上武幸(弁護士)

◆裁判官全員が同時に交代した裁判──最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題

12月24日午後1時15分から、福岡地裁本庁903号法廷で、西日本新聞販売店(長崎県)の押し紙裁判の判決が言い渡されました。傍聴席には西日本新聞社関係者が10名程度ばらばらに座っていましたが、相手方弁護士席には誰もいないので、一瞬、原告のSさんと「ひょっとしたら」という思いに囚われましたが、予期した通り敗訴判決でした。判決文は入手できていませんので、とりあえず結果を報告します。

合議体の三名の裁判官は、昨年4月1日にそれぞれ東京高裁・東京地裁・札幌地裁から福岡地裁に転勤してきた裁判官で、裁判長は司法研修所教官、右陪席は最高裁の局付の経歴の持ち主であり、いわゆるエリートコースを歩んできた裁判官達です。

合議体の裁判官全員が同時に交代する裁判を経験したのは弁護士生活48年で初めてであり、他の弁護士・弁護団が担当している各地の押し紙裁判でも、奇妙な裁判官人事が行われていることは承知していましたので、敗訴判決の危険性は常に感じながら訴訟を進行してきました。

最高裁事務総局による意図的な裁判官人事の問題については、福島重雄裁判官、宮本康昭裁判官、最近では瀬木比呂志裁判官、樋口英明裁判官、岡口基一裁判官ら(注・いずれも元裁判官)、多数の裁判官が著作を出版されており、最高裁事務総局内部の様々な動きを知ることができます。大変、ありがたいことです。

私は、司法研修所29期(昭和52年〔1977年〕の卒業であり、同期には最高裁長官や高裁長官になった裁判官もいます。当時の研修所の雰囲気は、青法協弾圧の嵐は一応過ぎ去っており、教官の自宅を訪問するときは手土産を持参するようにとの指導が行われても反発するような雰囲気になることはありませんでした。実社会の経験のない世間知らずの私は、司法修習生になるとそのような礼儀作法を身につけることまで教育の一部だというくらいに受け止めていました。研修所当局による従順な修習生教育の一環であるといったうがった考えは浮かんできませんでした。

◆裁判官は法と良心のみに拘束される

ところで、瀬木比呂志裁判官の著書『裁判所の正体』(新潮社2017年/共著者=清水潔)によると、29期で最高裁長官に就任した裁判官は、青法協加入の裁判官の弾圧をはじめた石田和外長官、後任のミスター最高裁と呼ばれた矢口恭一長官、司法反動の完成者と評されている竹崎博充長官の人脈に連なる人物であると書いてありました。瀬木裁判官ら最高裁中枢にいた裁判官でなければ知りえないエリート裁判官達の人脈に関する記載であり、外部のものが知りえない貴重な情報です。

私たちの期の人間は、そろそろ鬼界を控えていますので、最高裁長官や高裁長官経験者の人たちには、裁判官生活の記録を人事問題を含め後世のために残しておいてほしいものです。

特に、最高裁事務総局に対する「報告事件」なるものが存在すること自体は、明らかになっていますが、報告事件の中身と報告事件の処理ついては一切明らかにされていません。私個人として、「押し紙事件」が報告事件に指定されているか否かは是非とも知りたいところです。

日本の憲法は、裁判官の独立を保障しています。裁判官は法と良心のみに拘束され、他から干渉を受けることはありません。裁判官の判断は判決が全てであり、審理の途中で最高裁事務総局から担当書記官あるいは担当裁判官に対して、特定の事件について、その内容・審理の状況を報告させる仕組みは、裁判官の独立を侵すものであってはなりません。そのような制度は、裁判官・書記官だけでなく事務官を含めてその事実をしる裁判関係者のモラルの崩壊、士気の低下を招くことにつながると思います。

◆最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由

最高裁は違憲立法審査権を有しており、日本の最終国家意思を形成することができる機関です。戦後、冷戦の始まりと朝鮮戦争の勃発という国際情勢の変化により、戦前の支配体制がそのまま維持されることになりました。裁判官も戦前の問題を追及されることなく、戦後も従前通りの地位を保持することが許されました。

矢部宏治氏や吉田敏浩氏らの著作やネット情報によって、日本の政治は、在日米軍の高級将校と日本の官僚のトップで構成される日米合同委員会によって決定されているのではないかとの疑いが、広く国民に認識されるようになってきているようです。安保条約と憲法の関係について、戦後、最高裁長官とアメリカ大使が内密に協議していた事実も知られるようになっています。

最高裁は日本の最高法規である憲法の上に日米安保条約を置き、米軍基地と軍人・軍属に派生する問題については、基本的には違憲・合憲の司法判断はしないという統治行為論なる理論を生み出しています。それと、今大問題となっている「企業・団体献金」の合憲性についても、私は、最高裁の法的判断というよりむしろ高度な政治的判断によるものではないかとの疑念を抱いています。

三菱重工による「企業・団体献金」の合憲性について最高裁が合憲と判断したことに、どうしても納得できず、違和感を抱えてきました。国の政治は主権者である国民一人一人が参加して決定するもので、主権者でもない企業や団体に政治活動の自由を認め、支持する政党への献金も許されるとの判断にどうしても納得できないできました。

ところが、この問題について、最近のネット情報等により設立当初の自民党の政治資金がCIAから提供されていたことがわかり、すべての疑問が氷解しました。つまり、アメリカとしては早々に自民党の活動資金の支援を打ち切り、日本人にその肩代わりをしてもらう必要があったのです。

CIAに代わる資金の提供者が「企業・団体」であると考えれば、最高裁が「企業団体献金」を合憲と判断した本当の理由が理解できます。企業・団体献金についてはその弊害が問題となり、「政党助成金」が支払われるようになりましたが、その後も自民党は企業団体献金を廃止しようとはしません。

◆三人の裁判官は、どのような法的判断の枠組みで西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導いたのか

本件押し紙訴訟の最大の特徴は、4月と10月の定数(西日本新聞社の原告に対する新聞の供給部数)が前後の月より200部も多いことです。西日本新聞が4月と10月に、前後の月より200部も多い新聞を販売店に供給するのは、販売店の折込収入を増やすのが目的です。つまり、販売店の押し紙の仕入代金の赤字を折込広告料で補填するためにそのような措置を講じているのです。

※注釈:折込広告の販売店への定数(供給枚数)は、4月と10月の新聞の部数で決まる。4月の定数は、6月から11月の広告営業のデータとして使われ、10月の定数は12月から翌年5月の広告営業のデータとして使われる。それゆえに新聞社は、4月と10月に押し紙を増やす場合がある。このような販売政策を、販売店は、「4・10(よんじゅう)増減」と呼んでいる。

仮に、西日本新聞社の折込広告詐欺を裁判所が認めた場合、西日本新聞社に限らず押し紙問題を解決していない他の新聞社に判決の与える影響は想像もつきません。新聞を始めテレビ・ラジオなどのマスメディアに対する国民の信頼は、完全に失われる危険があります。

新聞・テレビ・ラジオ等のマスメディアに対する国民の信頼が失われれば、マスメディアによる国民世論の形成や統一は不可能となるでしょう。そのような事態を招くことを最高裁が容認することは、最高裁の政治的性格からして考えられません。

本件押し紙裁判の判決を書いた三人の裁判官が、西日本新聞社に押し紙の責任がないという結論を導くために、どのような法的判断の枠組みを考えだしているのか、その判決理由を知りたいものです。

後日、判決を入手後、この問題については検討の上、報告させていただくことにしますので、しばらくお待ちください。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2024年12月25日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼江上武幸(えがみ・たけゆき)
弁護士。福岡・佐賀押し紙弁護団。1951年福岡県生まれ。1973年静岡大学卒業後、1975年福岡県弁護士会に弁護士登録。福岡県弁護士会元副会長、綱紀委員会委員、八女市役所オンブズパーソン、大刀洗町政治倫理審査会委員、筑豊じんぱい訴訟弁護団初代事務局長等を歴任。著書に『新聞販売の闇と戦う 販売店の逆襲』(花伝社/共著)等。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
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COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意〈3〉「気候変動」3つの概念 原田弘三(翻訳者)

◆気候変動対策の歴史的経緯

留意すべきことは、今回の合意が国連を中心に進められてきた「気候変動」対策の方向性に全く反するものではないということである。例えば国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が2022年4月に発表した第6次評価報告書第3作業部会報告書には「原子力は、低炭素エネルギーを大規模に供給することができる」と原発を肯定的に評価している。今回の合意文書は、ある意味IPCC報告書の論調をなぞったものとも言える。

ここに至るまでの経緯を簡単に振り返ってみよう。大気中のCO2増加により気温が上がる、というCO2温暖化説自体はスウェーデンの化学者スヴァンテ・アレニウスらにより19世紀から唱えられていた。しかし当時は温暖化が危機であるという認識はなく、実際1970年代までは気温上昇も起きていなかったため温暖化は問題にならなかった。宮沢賢治などはCO2による温暖化が地球を救うという物語(『グスコーブドリの伝記』1932年)を書いていたほどである。

しかし1988年6月米上院でNASA(アメリカ航空宇宙局)の科学者ジェームズ・ハンセンが「99%の確率で気候変動が人為的に引き起こされている」と証言したのをきっかけに、CO2の人為排出が地球環境に危機を招いている、という説が急速に世界に広まり、各種機関により「対策」がとられるようになった。

それが、1988年11月のIPCC(国際連合気候変動に関する政府間パネル)発足、1992年の気候変動枠組条約締結、1995年の第1回気候変動枠組条約締約国会議(COP)開催、2015年のCOP21でのパリ協定締結へと続く。

◆「気候変動」3つの概念

「気候変動」を論ずる上では、①一般的な気候変動、②CO2温暖化説、③1988年のハンセン証言以後支配的となった「気候危機論」の3つを分けて考える必要がある。

①「一般的な気候変動」は、当然存在する。②「CO2温暖化説」についてはCO2の人為排出が気温上昇の原因か否かをめぐって科学上の議論が進行中である。問題は③である。この「気候危機論」の特徴は、気温上昇には作物生産が豊かになる、暖房が不要になるなどの良い影響が多大にあるにもかかわらず、もっぱら気温上昇の悪影響をクローズアップし、あたかも温暖化が人類滅亡の危機であるかのように論じていることである。

この点はCO2温暖化説の始祖スヴァンテ・アレニウスの見解と全く異なる。アレニウスは1906年の著書地球温暖化にはメリットが大きいと論じていた。

『宇宙の成立』(原著名“Worlds in the Making”)の中で「大気中の二酸化炭素の割合の増加の影響により、特に寒い地域に関しては、地球が現在よりもはるかに豊かな作物を生み出し、人類の急速な繁栄のために、より平等でより良い気候の時代を享受することが期待できる」と書き、地球温暖化にはメリットが大きいと論じていた。そうした温暖化に対する評価を180度転換したのが1988年のハンセン証言である。ハンセン証言を境に温暖化は「恵み」から「危機」へと変わり、CO2は退治すべき悪者と位置付けられたのである。(つづく)

◎原田弘三 COP28 原発をめぐる2つの動き 「原発3倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意
1〉「原発3倍化宣言」という暴挙
2〉「グローバル・ストックテイク」という文書に求められた役割
3〉「気候変動」3つの概念
4〉気候危機論」と原発の親和性

◎本稿は『季節』2024年夏秋合併号掲載(2024年8月5日発売号)掲載の同名記事を本通信用に再編集した全4回の連載記事です。

▼原田弘三(はらだ こうぞう)
翻訳者。学生時代から環境問題に関心を持ち、環境・人権についての市民運動に参加し活動している。

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年冬号