この連載で伝えてきた通り、廿日市女子高生殺害事件の犯人・鹿嶋学(現在37)が2004年10月、被害者の北口聡美さん(当時17)を殺害した動機は、「レイプしようとしたが、逃げられたから」というものだった。

鹿嶋は犯行前日まで、山口県萩市にあるアルミの素材メーカーの工場で働いていた。しかし、朝寝坊し、遅刻しそうになったのをきっかけに突然会社を辞めてしまう。それからアテもなく、原付で東京に向かう途中、「女子高生をレイプしよう」と思いつく。そして路上で見かけた聡美さんをターゲットに定め、聡美さん宅に侵入したが、逃げられたことに逆上し、持参していたナイフで聡美さんを何度も刺して殺害したのだ。

今年3月、広島地裁で行われた鹿嶋の裁判員裁判では、こうした真相がつまびらかになったが、謎がまだ1つ残っている。鹿嶋がなぜ、「女子高生をレイプしよう」と思いつく精神状態になったのか──ということだ。

それについては、鹿嶋の精神鑑定を手がけた医師が証人出廷し、精神医学的な見地から詳しく説明している。今回はそれを紹介したい。

◆子供の頃の記憶や父親との思い出がほとんど無い

事件が未解決の頃、警察が作成した「犯人」の似顔絵。鹿嶋は本当にこんな感じの顔だった

「犯行の前後に反社会的な性向はなく、穏やかな生活をしていた被告人が、なぜこのような凶悪な犯行をしたのか。それが理解しがたいということで、今回の精神鑑定を行いました」

3月5日、広島地裁第304号法廷。証人出廷した精神鑑定医は、まずは鑑定の趣旨をそのように説明した。そしてそれから、鑑定結果を1つ1つ説明していった。

「まず、成育歴ですが、被告人はお父さんのことを『子供の頃から嫌いだった』と言っています。父親との思い出はほとんど無いそうです」

すでにお伝えした通り、父親にとって、鹿嶋は「妻が結婚前に宿していた自分以外の男の子供」だった。妻と結婚後、自分の子供として育てたが、事実関係を見ると、父親が鹿嶋を心の底から愛しているとは認め難かった。鹿嶋が父親と血のつながりがないことを知ったのは事件後のことだが、やはり子供の頃から父親に愛されていないことを無意識のうちに気づいていたのだろう。

このように父親との関係が複雑だったためか、鹿嶋は精神医学的にも色々問題を抱えていたようだ。

「被告人は幼少期から小学校低学年までの記憶がほとんど無いのです。これは、自分に対する興味が無いことの現れです。高校の名前も漢字が難しいこともありますが、それすらも記憶が曖昧なのです」

そんな歪んだ性質だった鹿嶋は、当時から問題行動が確認されている。

「小学校から中学校にかけては、よくケンカをしていて、喧嘩の際、代本版(※)で友だちを殴り、謝りに行ったことがあるそうです。怒ったら何をするかわからないところがあり、自分でも直さないといけないと思っていたそうです」

鹿嶋は犯行時、レイプしようとした聡美さんが逃げ出したことに逆上し、聡美さんに怒りをぶつけるように何度もナイフで刺して殺害している。そのような「突如キレ、とんでもないことをする」という性質は、子供の頃から現れていたわけだ。

※「だいほんばん」と読む。図書館で本が本来置かれるべき場所に無い時に、本の現物に代わって置かれる板のこと。

◆会社を辞め、故郷を捨てることを決めた

鹿嶋は父親との関係が複雑ではあったが、父親が鹿嶋を虐待したりするようなことはなかったという。

「被告人にとって父親は、『規範を守る象徴』でした。父親の前では、きちんとしないといけない感じ、勝手に緊張するなどして、息苦しく感じていたそうです」

そんな環境で育った鹿嶋は高校を卒業すると、「父親が嫌いなので、早く宇部市の実家を離れたい」との思いから寮生活ができる萩市の会社に就職した。そして会社では、同僚たちと仲良くしていたという。

しかし、職場はブラック企業的な環境だったため、その同僚たちは1年以内に次々に会社を辞めていく。鹿嶋は話し相手がいなくなり、寂しい思いを抱えつつ、仕事でも辛い思いをしていたという。

「会社では、2カ月に1度、朝礼があり、みんなの前で業務改善案を発表しないといけませんでした。被告人は、これが苦痛だったそうです。発表に失敗すると、吊るし上げに遭い、他の人が失敗した時には、自分も失敗した人を吊るし上げなければいけなかったからです。その後、ケガをして部署を変わると、残業が増え、さらにつらい思いをしたそうです」

鹿嶋はそんなブラック企業的な職場で3年余り、忍耐強く仕事を続けていた。ところが一転、いざ会社を辞める時には、寝坊し、遅刻しそうになったというだけの理由で辞めている──。

「休み明けに寝坊し、遅刻をしそうになったことにより、仕事に行くのがどんどんいやになり、逃げ出すことしか考えられなくなったのです。そして身の回りの荷物だけを持ち、会社を飛び出してしまうのですが、それから先のことは何も考えていなかったそうです」

そんな極端な考えから会社を逃げ出した鹿島は、原付で実家のある宇部市に戻り、友人宅に一泊している。そして翌日、東京に何のアテもないのに、原付で東京に向かうことを決めるのだが、宇部市内で信号待ちをしていた際、両親が乗っていた車と遭遇している。鹿嶋はこの時、両親に声をかけられながら、無視して走り去ってしまうのだが、それはなぜだったのか。

「会社を辞めたため、『両親に合わせる顔が無い』と考え、両親を無視して逃げたのです。この時、被告人は故郷である宇部を捨てようと思い、携帯電話も捨てています。故郷を捨てることに寂しい気持ちがあったそうですが、一方で、会社から開放され、高揚感も入り混じっていたようです」

話し相手となる同僚もいないブラック企業な職場で、辛抱強く働いた3年間。この生活から解き放たれた鹿嶋は、一気に犯行へと突き進んでいく。

◆想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発した

「被告人はレイプ願望が元々ありましたが、そういうことを実際にできる性格ではありませんでした。しかし事件を起こした時は会社を辞め、故郷を離れ、社会から外れてしまったという思いだったので、自分を止めるものが何も無い状態でした。東に向かって原付で国道2号線を進んでいると、ふと『エッチがしたい』という気持ちになり、本当に実行しようとしてしまったのです」

そんな時、鹿嶋が路上で見かけ、ターゲットに定めたのが被害者の北口聡美さんだったというわけだ。そして鹿嶋は聡美さん宅に侵入したが、聡美さんが逃げ出そうとしたために激怒し、ナイフを突き立ててしまうのだ。

「被告人はこの時、想定と違う事態に混乱し、溜まっていた鬱憤が爆発したのです」

鹿嶋はこの時、居合わせた聡美さんの祖母も刺して重傷を負わせ、聡美さんの小学生だった妹のことも追いかけ回しているが、聡美さんの妹を刺そうとしたことは「憶えていない」とのことだ。

そして犯行後、鹿嶋は1カ月ほどかけて原付で東京にたどり着くが、何か目的があったわけではない。そのため結局、東京には数日滞在しただけで「捨てた故郷」の宇部に戻っている。この時、複雑な関係にあった父親が鹿嶋のことを抱きしめているのだが──。

「被告人によると、お父さんに抱きしめられても、なんとも感じなかったそうです」

この時、父親が鹿嶋を抱きしめた真意は不明だが、お互いに相手への愛情はなかったのだろう。

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

◆「明日、世界が滅びる」というくらいの絶望感と開放感

事件後、鹿嶋は友人の紹介で土木会社に就職している。そして2018年4月、別件の傷害事件を起こしたのをきっかけに逮捕されるまで13年半も一般社会で暮らしていた。鹿嶋はこの間、警察に捕まることへの不安を感じていなかったという。

「捕まりたいわけではないですが、捕まりたくないとも思っていなかったそうです。事件を起こしてからはずっと事件のことは考えないようにしていたそうで、警察に捕まった時には、ホッとしたというか、肩の荷がおりた心境だったそうです」

そして鹿嶋は犯行後、精神鑑定を受けるのだが、そのための入院中は終始穏やかに過ごしていたという。感情は起伏がなく、安定しており、躁鬱もなかった。そして統合失調症などの精神障害がないことも確認されたそうだが──。

「一方で被告人は幼少期の記憶がなく、自分への関心も少ないうえ、情状的な発達は乏しかった。知能検査の結果、知能は高いことがわかりましたが、情動的な理解力は低いことも判明しました。それらのことから、広汎性発達障害ではないが、『広汎性発達障害的な偏り』があると判定しました」

では、『広汎性発達障害的な偏り』があるとは、具体的にどういう状態なのか。

「普段は社会に適応できる普通の青年なのですが、カッとなると、激しい暴力行動に出るなど、極端な面があります。情緒的な部分が乏しく、『こうあるべきだ』というものにとらわれていて、大きなストレスがかかった時に行動を制御できなくなるのです。普段は、情緒的な発達の乏しさを知的な面の高さで補い、社会に適応しているのですが、物事を段階的・デジタル的にとらえがちで、感情的・アナログ的に判断することができません」

鹿嶋はこのような事情を抱えていたため、寝坊をして遅刻しそうになっただけで会社を辞め、さらに会社を辞めたことにより、「全てを失ったような感覚」に陥ったのだという。

「たとえば、『明日、世界が滅びる』と知れば、自暴自棄になり、やりたい放題になる人もいると思います。被告人も会社を辞めた際には、それくらいの絶望感を抱いていたのです。それに加え、ずっと我慢していた会社を辞め、開放感もあった。そして自暴自棄になり、犯行に及んでしまったのです」

精神鑑定医の話は、鹿嶋がいかに犯行に及んでいったのか、心の中の流れを説明した話としては、わかりやすかった。問題の『広汎性発達障害のような偏り』がある状態になるまでには、父親との複雑な関係も影響があったのだろう。(次回につづく)

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

本来なら〝復興五輪〟の開幕に合わせて7月にもオープンする計画だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて五輪自体が1年延期。展示の準備も滞った事で開館が9月にずれ込んだ。〝復興五輪〟と連動し、指定管理者を「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」(斎藤保理事長、以下機構)に決め、初代館長に〝山下チルドレン〟の高村昇・長崎大学教授を選ぶ。感染症の問題が無ければ、復興大臣や県知事、双葉町長などが大々的にテープカットでもしただろう。ここまで揃えば、原発事故被害の実相を後世に伝えるような施設にする事など、むしろ無理だったのかもしれない。

展示内容の忖度ぶり、物足りなさもさることながら、現場で驚かされたのはスタッフたちの〝厳戒態勢〟だった。

「伝承館」では常にスタッフが〝監視〟をしている。語り部も観客も取材者も

結果的に筆者が取材したのは2日目だったが、オープン初日の取材も「感染拡大防止」を理由に福島県庁内の記者クラブに限定。県生涯学習課が窓口となり、事前に取材者を登録させた。筆者のようなフリーランスには当然、事前申し込みが必要である事など知らされない。「フリーランスの方もたくさんいて連絡の取りようが無い」と担当者は電話で釈明したが、最終的には「入館料(600円)を支払ってお客さんとして入っていただく分には大歓迎ですよ。もちろん、撮影に関しても記者クラブの皆さんと同じ扱いになります」という事で現場に向かった。ちなみに、事前に取材を申し込んだ記者クラブメディアは入館料を払わずに入館したという。

電話での県職員の説明では「一部、写真や動画の撮影を遠慮していただいているが、撮影可能のエリアもある。それは記者クラブの皆さんも同じ」という事だったので腕章を付けたカメラを手に入館したが、最初のプロローグシアターから2階の展示室に上がるスロープで写真撮影していると、遠くのスタッフが「撮影しないでください」と声がかかった。2階に上がったところで改めて「館内は全面的に撮影禁止なんです」とのこと。「取材であればどうぞ」という事で話はいったん終わったが、再び声をかけられた。「取材の方がいらっしゃるとは聞いていないとのことなので、ちょっとよろしいですか」。1階に向かうように言われ、展示スペースの外に出された。そこからが大変だった。

指定管理者の機構が24日、今後の取材は事前申請が必須との告知を急きょホームページに掲載した。禁止事項だらけで、福島県は何を守ろうとしているのか

館内には至るところに緑色の制服を着たスタッフが立っていて、入館者の様子を見ている。スタッフとは別に警備員もいる。順路とは別の階段で1階に下りると広報担当者が現れたが、他に4、5人のスタッフが筆者を取り囲んだ。まるで犯罪者か暴漢でも取り押さえようとしているかのよう。こちらは大声を出しているわけでも何でも無い。それを伝えると周囲のスタッフは我に返ったように下がり、広報担当者だけが残った。事情を説明し、改めて写真撮影も含めた取材を始めた。排除の姿勢を見せつけられたようだった。

一般来館者にはやはり、館内での写真撮影を全面的に禁じているという。スタッフが来館者に「現在、報道の方が写真を撮影しておりますが、皆さんは撮影禁止ですのでよろしくお願いします」と呼びかける念の入れよう。今やスマホで撮影してSNSに投稿する時代。福島県内外から多くの人に訪れて欲しいのならばSNSでの〝宣伝〟はむしろ歓迎するはずだが、担当者は「著作権の問題や個人情報の部分もあり撮影は御遠慮いただいています。どれを撮影しているか確認する事も出来ないですし…」と話した。将来の〝解禁〟には含みを持たせていたが、当面は全面撮影禁止という。

実は「伝承館」の展示内容を説明する事前の記者レクでは朝日新聞を中心に厳しい質問が飛び交っていた。高村館長も囲み取材で「伝承館の一番の主眼はですね、復興のプロセスというものを保存してそれを情報発信していく事」と語っていただけに、展示内容には期待出来ないとの声も少なくなかった。実際、展示物は思わず目を見張るものや息を呑んでしまうようなものは無く、原発事故から10年の苦痛や怒りは伝わって来ない。確かに、高村館長の言う「復興のプロセス」がきれいにまとめられている。それをSNSで広められてしまったら再び批判の的になってしまうと恐れたのだろうか。そう邪推してしまうほど、表面をさらっとなぞっただけ。国や東電のパンフレットを読んでいるような錯覚に陥るような内容なのだ。

福島県庁内にもポスターが何枚も貼られた。「伝承館」とは名ばかりで、実際には「復興PR館」だった

「この看板こそ、原発遺構として最も重要な遺構です」。双葉町の大沼勇治さんは原発PR看板の現物展示を望んでいたが叶わなかった(赤線は全て筆者)

建設にあたり、県は24万点もの資料を収集。その中から〝厳選した〟150点余が展示されている。確かに、原子炉建屋が爆発する映像や当時の東電テレビ会議の映像を観れば、あの頃の記憶はよみがえる。しかし、原発事故は「爆発しました、避難しました、除染しました、復興が進んでいます」で語れるほど簡単なものでは無いのだ。

「原発避難」だけで1つのフロアを埋め尽くす事が出来るだろう。なぜ福島県だけが「年20ミリシーベルト」まで基準値を上げられたのか、それによって裁判を起こした人々が南相馬にいる事も触れられていない。フレコンバッグの現物は展示されているが、除染で生じた汚染土壌の再利用問題は正面から取り上げない。溜まり続ける汚染水の海洋放出問題は?原発事故によって自ら死を選んだ人がいる事や生業を奪われた人がいる事は?そして何より、加害企業である東電が自ら立てた「3つの誓い」を反故にして、法廷で被害者たちに侮辱的な言葉を浴びせ続けている事は触れられていない。

原発事故がひとたび起きると被害は深く複雑で、10年ではとても解決出来ない事を次の世代に伝えなくてどうするのか。それよりも写真撮影を禁じる方が大事なのだろう。あらゆるところに、この施設の性格が表れている。

双葉町の大沼勇治さんが現物展示を望んだ原発PR看板「原子力 明るい未来の エネルギー」は結局、写真が展示された。現物が大きい事もその理由の1つだが、建物の前には広い芝生が広がっている。サビを防止する加工を施して屋外に展示する事も出来た。しかし、福島県は「加工する時間も費用もかかる」としてやらなかった。福島県が本当に「伝承」したいものは何なのか。推して知るべしと言えよう。(了)

◎【東日本大震災・原子力災害伝承館】
(上)館長選びの時点ですでにこうなる事は決まっていた 展示で伏せられた原発事故被害の実相
(下)館内撮影全面禁止、スタッフは〝厳戒態勢〟 事故被害の伝承よりも福島県が守りたいものとは

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

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    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
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[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
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    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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福島県双葉町に9月20日、オープンした「東日本大震災・原子力災害伝承館」(JR常磐線・双葉駅から徒歩約30分)は大方の予想通り、原発事故被害の実相を後世に語り継ぐような施設にはならなかった。県内在住の来館者からは「原発事故直後の記憶がよみがえった」との声があった一方、県外から訪れた人は「展示がきれいすぎるというか優等生すぎますね。原発事故が発生した当時のエグさをもっと出さないと伝わらない」と物足りなさを口にした。それもそのはず。初代館長を選ぶ段階で、既に施設の性格が決まっていたのだ。

「伝承館」の初代館長に就任したのは、アーカイブ施設とは全く無縁の高村昇・長崎大学教授。原発事故直後に山下俊一氏とともに福島入りし、県内を巡って〝放射線被曝の心配は無用講演会〟をした人物だ。

1993年長崎大学医学部を卒業。講師、助教授、准教授を経て、2008年度から長崎大学大学院・医歯薬学総合研究科の教授。2013年度からは長崎大学原爆後障害医療研究所の教授を務めている。原発事故直後の2011年3月19日、山下氏と福島県の「放射線健康リスク管理アドバイザー」に就任した。

初代館長に就任した高村昇氏。福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際、取材陣に「復興」を何度も口にした

高村氏は山下俊一氏とともに原発事故直後に福島県入り。県内を講演して巡って「安全安心」を説いた

当時の講演では、「放射性セシウム137 が体に入った場合の半減期は30年では無い。子どもであれば2カ月、大人でも3カ月程度で半分になる」、「100ミリシーベルトを下回る場合、現在の科学ではガンや疾患のリスクの上昇が証明されていない。一方、煙草を吸う人のガンになるリスクは、1000mSvの放射線を被曝するのと同程度のリスクと考えられている」、「鼻血が止まらなくなったとか…そのような急性の症状が出現する被曝線量は500から1000mSv以上と言われている。福島の人がそのような線量を被曝しているとは考えられないので、放射線の影響ではないと思う」と、放射線被曝への不安を鎮静化させる事に終始した。甲状腺検査など原発事故による健康影響を調べる「県民健康調査」の検討委員も務めている。

高村館長は今年7月、福島県の内堀雅雄知事を表敬訪問した際の囲み取材で、筆者の質問に「私も最初、この依頼があった時はかなり驚きました。まさに今おっしゃったとおり、私はアーカイブの専門家ではありませんので、自分で良いのかなと確かに思いました」と答えた。日本原子力文化財団が発行する月刊誌「原子力文化」8月号でも「私自身は医療の専門家であり、いわゆるアーカイブス学の専門家ではなく、昨年福島県から伝承館の館長就任を打診されたときには大変驚きました」と綴っている。ではなぜ、このような人物を館長候補に選んだのか。

「伝承館」の指定管理者である「公益財団法人福島イノベーション・コースト構想推進機構」(斎藤保理事長、以下機構)は、福島県からの推薦を受けて高村氏に館長就任を依頼したと説明している。機構に推薦した側の福島県生涯学習課の担当者は今年4月、取材に対し、次のように説明した。

「3つあります。まず、人格的なものが1つあると思います。考え方に偏りが無い、人格的に温厚で高潔な方である。これが1つ目の理由です。もう1つは本県の復興、避難地域等の支援に関わってこられた方であるという事です。そして、伝承館の運営に必要な能力を持っている方であるという事。これらの3点が推薦理由です。検討過程で何人かの名前が候補に上がりましたが、最終的に高村先生が適任だろうという結論に至りました。高村先生には数カ月前に推薦の打診をし、『ご協力出来るのであれば』と快諾していただきました」

これでは、福島県立博物館長を務めた赤坂憲雄氏など、適任な専門家を押しのけて専門外の高村氏が選ばれた理由が分からない。しかし、高村氏自身の発言に答えがあった。キーワードは「復興」だ。

「伝承館」の基本理念には「福島県の光と影を伝え」とあるが、実際には「光」の部分に重きが置かれている

就任要請を受諾した理由について、囲み取材で筆者に「伝承館というのは原子力災害からの復興という事を主眼としていると聞きましたので、それであれば、この9年間福島で地域の復興に携わってきた者としてお手伝い出来る事があるんじゃないかと考えました」、「この伝承館の1つの主眼というのが、原子力災害からの復興に関する資料収集という目的がある。それを展示する。収集して展示して情報発信するという目的がある。原発事故直後の説明会から、地域の復興、県民健康調査もそうですが、そういった形で原子力災害からの復興に多少なりともかかわった人間としてですね、そういった側面から伝承館の館長としての役割を果たしていきたい」と話した。

月刊誌「原子力文化」でも「福島の復興に多少なりともかかわってきた者として、福島の復興の証をを次の世代に伝え、福島の経験を活かして国内外の人材を育成するという伝承館のミッションに共鳴」したと書いている。つまり、原発の〝安全神話〟はどのように醸成されてきたのか、原発事故をなぜ防げなかったのか、住民たちはどのような苦しみを味わったのか、事故後の施策は正しかったのかなど、原発事故がもたらした怒りや哀しみ、苦痛などを後世に語り継ぐ施設ではそもそも無いのだ。〝復興五輪〟開催に合わせて「原子力災害から立ち直った福島の姿」を国内外に発信する施設であるならば、発生直後から放射能汚染や被曝リスクを否定し続けて来た高村氏が館長に選ばれるのもうなずける。

内堀知事に対し、高村館長は「ぜひイノベーション・コースト構想の一翼を担って行きたい」、「学校教育と連携しながら、今後の福島を担っていくような若い世代に、福島がどのように復興して行ったかをきちんと学んでいただく。人材育成も重要なミッションだと考えております」と〝決意表明〟した。

「復興のあゆみ」を展示するのが主眼だから、原発事故の生々しさも被害の実相も伝わらない。これが53億円かけて建設した施設の本当の顔だった。(つづく)

▼鈴木博喜(すずき ひろき)

神奈川県横須賀市生まれ、48歳。地方紙記者を経て、2011年より「民の声新聞」発行人。高速バスで福島県中通りに通いながら、原発事故に伴う被曝問題を中心に避難者訴訟や避難者支援問題、〝復興五輪〟、台風19号水害などの取材を続けている。記事は http://taminokoeshimbun.blog.fc2.com/ で無料で読めます。氏名などの登録は不要。取材費の応援(カンパ)は大歓迎です。

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
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[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
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[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
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[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
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    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
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今年3月に広島地裁で行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋は、それぞれの父親との関係が対照的だった。

前回は、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介したが、聡美さんが父親から愛されていたことがよく伝わってきたはずだ。今回は鹿嶋の父親が法廷でどのような証言をしたのかを紹介したい。

◆血のつながりがない鹿嶋に、無関心だった父親

「あなたと学さんは血がつながっていますか?」

3月5日、広島地裁。証言台の前の椅子に座った鹿嶋の父親に対し、弁護人は鹿嶋父子の最もセンシティブな部分に踏み込んだ質問をした。父親が「はい」と答えると、弁護人はさらに「戸籍では、学さんはあなたの子供ということになっていますが、なぜですか?」と重ねて質した。

これに対し、父親は──。

「妻との交際中、妊娠が発覚しましたが、自分の子供ではないことがわかりました」

質問と答えがかみ合っていないことがわかるだろう。弁護人は、血のつながりがない鹿嶋のことをなぜ、「実子」として戸籍に入れたのか、と問うたのだが、父親は理解できなかったのだ。

弁護人はすかさず、「つまり、奥さんと交際中、奥さんがあなたとは別の父親の子供を妊娠していることがわかったが、自分の子供として育てようと決意したということですか?」と誘導するように聞き直した。すると、父親は「はい」とだけ言い、この件に関する質問はこれで終わった。

父親が自分以外の男の子供を妊娠した妻と結婚し、その子供を実子として戸籍に入れることを決めるまでには相当な葛藤があったはずだ。しかしそれはあまり深掘りされず、ほとんど放置されたのだ。

ただ、その後の弁護人と父親のやりとりを聞いていると、案の定と言うべきか、父親が鹿嶋を育てる中、鹿嶋に愛情を持てていなかったことがよく伝わってきた。

たとえば、弁護人から「学さんの学校の成績はどうでしたか?」と聞かれた時のこと。父親は「良くも悪くもなく、普通の成績だったと思います」とだけ言った。そして「学さんは真面目に学校に通っていましたか?」と問われると、今度は「通っていたと思います」とだけ言った。答えがいずれもあっさりしていて、具体性がなく、父親が鹿嶋のことに関心を持っていなかったことが察せられた。

さらに「学さんの学生時代の交友関係はご存じですか?」という質問にも、父親は「知りません」と言った。「女性関係はどうでしたか?」と聞かれても、「なかったと思います」と答えるのみだった。

鹿嶋は高校卒業後、就職して家を離れた時期が数年あるものの、それ以外はずっと実家で生活しており、35歳で逮捕された時も実家暮らしだった。一般的な父親であれば、息子がそんな年齢になっても未婚で実家暮らしをしていれば、結婚はどうするのかとか、孫の顔は見られるだろうかとか、色々気になるものだ。しかし、父親は鹿嶋にそんな関心は抱いていなかったわけである。

広島地裁に入る、鹿嶋を乗せているとみられる車両

◆鹿嶋と会話をほとんどしていなかった父親

鹿嶋が中学時代、本当は剣道部に入りたかったのに、父親に言われるままに陸上部に入ったという話は、この連載の2、3回目で触れた。この父親の証人尋問では、鹿嶋の進学する高校も父親が決めていたことがわかった。

「学校からのアドバイスで、マラソンをすれば、伸びると聞かされたのです。そこで、高校は当時、陸上が盛んだった高校を勧めたのです」

父親は、鹿嶋の高校を決めた理由をそう説明したが、鹿嶋に対しては、学校側からそのようなアドバイスを受けたことを教えていなかったという。鹿嶋は何も知らないまま、父親に決められた高校に進学し、言われるままに陸上部に入ったというわけだ。練習には出なかったようだが、わけもわからないままに父親にやらされた陸上が面白くなかったことは想像に難くない。

父親は家で鹿嶋とほとんど会話をしていなかったそうで、「もう少し会話するように努めていればと反省しております」と証言していたが、子供への愛情があれば、おのずと関心がわくし、会話をするのに努力など不要だ。父親は、母親と結婚した際にお腹の中にいた「自分以外の男の子供」まで一緒に引き受けたことを後悔していたのではないか…と思わずにいられなかった。

鹿嶋は高校卒業後に就職し、勤務先の工場がある萩市で寮生活をするようになってからは、休日に実家のある宇部市に戻ってきても、あまり実家には寄りつかなかったという。父親はこの当時の鹿嶋について、「何回か実家に帰ってきたと妻から聞きましたが、私は顔を合わせることがありませんでした」と言った。その言葉からは、鹿嶋が高校卒業後に家を出ても、まったく寂しくなかったことが窺えた。

息子が1カ月も行方不明なのに、捜索願を出さずじまい

すでに触れた通り、鹿嶋が事件を起こしたのは、寝坊がきっかけで会社を辞め、自暴自棄になったのがきっかけだった。あてもなく原付で東京に向かう中、路上で見かけた北口聡美さんをレイプしようと思い立ち、聡美さんの家に侵入した挙げ句、結果的に聡美さんに凶刃を向けたのだ。

この直前、鹿嶋の父親は宇部市で妻を乗せて車を運転中、原付で東京に向かおうとしていた鹿嶋と路上でばったり会っている。それを最後に鹿嶋は、東京に向かい、1カ月間も行方が途絶えたのだが、この間のことに関する父親の証言にも気になる点があった。鹿嶋が1カ月以上も失踪していたにも関わらず、父親は行方を探すための努力をほとんどしていなかったようなのだ。

父親は一応、何度か鹿嶋に電話したそうだが、検察官から「電話以外に何か息子さんを探すためにしましたか?」と問われると、「していません」と言った。さらに「捜索願を出そうとは考えなかったのですか?」と重ねて質されると、「はい」と一度言い、それから少し思案し、思い出したようにこう言った。

「妻と捜索願を出そうかと相談したことはありました。そうしたら突然息子が帰ってきたので、結局、捜索願は出さなかったのです」

21歳(当時)の息子が突然会社を辞め、1カ月も連絡が取れないのに、この間、捜索願を出さなかったというのはやはりさほど心配していなかったからだろう。

◆「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ってはいたが……

2018年4月に鹿嶋が逮捕され、この事件の犯人だとわかった時のことについて、父親は「突然のことで、信じられず、びっくりしました」と振り返った。それは親として一般的な感情だろうが、鹿嶋の逮捕以来、2年もあったのに、父親はこの間、3回しか面会に行っていないという。

弁護人が「今後、学さんとどう関わっていきますか?」と質問すると、父親は「体調が悪くなければ面会に行きますし、体調が悪ければ、手紙でやりとりしようと思っています」と言った。実際、父親は72歳と高齢で、腰痛なども抱えており、体調は悪いようなのだが、普通の父親ならありえないようなドライな答えだ。

父親は、「(息子に)命ある限り、関わっていきたい」と言ったりもしていたが、父親から本気で鹿嶋を自分の子供として愛していたことが感じられる言葉は最後まで聞けなかった。

筆者は、鹿嶋の父親のことを批判したいわけではない。結婚を前提に交際していた女性が、自分以外の男の子供を妊娠しているとわかりながら、中絶を求めたり、別れたりすることなく結婚し、生まれてきた子供を自分の子供として育てたのは、おそらく彼が優しかったり、責任感が強かったりするからだろう。

しかし、結果的に鹿嶋が血のつながらない父親に育てられたことで人格に問題を生じさせ、それがひいては事件の遠因になった可能性は否めない。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
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今年3月に行われた廿日市女子高生殺害事件の犯人、鹿嶋学(現在37)に対する裁判員裁判。全5回の公判を傍聴してから数カ月が過ぎたが、今も強く印象に残っていることがある。被害者の北口聡美さん(享年17)と犯人の鹿嶋が「ある点」において、対照的だったことだ。

ある点とは、「親から注がれてきた愛情」である。そのことを説明するには、聡美さんと鹿嶋それぞれの父親が取り調べや裁判で自分の子供や事件について、どのように語ったかを紹介すれば、一番わかりやすいと思われる。

◆不妊治療で授かった初めての子供

今回はまず、法廷で検察官が朗読した聡美さんの父親・忠さんの供述調書の内容を紹介する。

 * * * * * * * * * *

平成16年10月5日午後3時頃――今から13年前、この日、この時間、私は愛娘の聡美を失いました。

私と妻には、聡美とその妹、弟の計3人の子供がいました。だから、私は聡美のことを「お姉ちゃん」と呼んでいました。この「お姉ちゃん」が私たち夫婦にとって初めての子供として生まれた時のことを私は今も忘れません。

私と妻は結婚し、なかなか子供を授かることができませんでした。それで私たちは不妊治療をしました。

私は、早く自分の子供をこの腕に抱いてみたいと願い、妻と努力しました。そして4年後、神様から授かったのが、聡美という、私たち夫婦にとっては生命より大切な宝だったのです。聡美という名前は、「聡明で、美しい子になりますように」という願いをこめました。

この聡美が生まれ、私は生まれて初めて、我が子と会いました。「やった。これが俺の子か」と叫び出しそうになった気持ちを今でも覚えています。

生まれたばかりの子をどうやって抱いたらいいのかわからず、「私が抱いてケガでもしたらどうしようか……」と怖かったですが、それでも私は我が子をこの腕に抱きたくて、恐る恐るこの腕に聡美を抱きました。そのことを今でも覚えています。本当に嬉しかったです。

それから聡美は本当に元気に育ってくれました。「子供がいるだけでこんなにも人生が楽しくなるのか」と思うほど、私の生活は明るくなりました。聡美が幼稚園に入り、小学生になり、そんな様子を見ているだけで幸せでした。

「この幸せな時を絶対に守ってやろう」

私はそう思っていました。

判決公判後、報道陣の取材を受ける北口聡美さんの父・忠さん

◆「私の一生をかけて守ってやろう」と思っていた

小学生になった聡美は、少し引っ込み思案なところがあったので、「みんなとやっていけるかな」と少し心配していました。しかし、私の心配をよそに、聡美は友だちと楽しく、元気に育っていきました。父親は、心配しなくてもいいようなことでも、娘のことはつい心配になってしまうのです。

聡美にもやがて妹が産まれ、それから弟も産まれました。私は、自分の人生を幸せにしてくれた宝を3人も授かることができたのです。そして私はいつしか、聡美のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになっていました。

私も妻も、3人の子どもたちには本当に感謝しています。だから、私はいつも、「この子たちのことは私の一生をかけて守ってやろう」「この幸せがずっと続きますように」と思っていました。

お姉ちゃんは、やがて中学を卒業し、地元の高校へと進学しました。頑張り屋で、一生懸命勉強もして、私は何も心配することがありませんでした。しいて言えば、「勉強もいいけど、もっと友だちと遊べばいいのに」と思ったくらいです。勉強を頑張る子に、「もっと遊べば」と思う親もちょっと珍しいですが、そう思っていました。

◆事件の時の詳しい記憶が無くなってしまった

お姉ちゃんは16歳になり、そして17歳になり、少し大人になってきました。しかし、私の中では、「まだまだ俺が面倒をみなければいけない子供だ」と思っていました。

一方で、人からは「女の子がそんな年頃になると、父親とは話もしてくれないよ」と言われるので、「お姉ちゃんもそんな感じになるのかな」とも思っていました。でも、お姉ちゃんは、いつになっても、何歳になっても、私と普通に接してくれました。

そんなお姉ちゃんが、私に「お父さん、感謝しなさい」と言うのです。生意気に。俺がいないと、一人では生きていけないくせに。俺がまだまだずっと守ってやらなきゃいけない、俺の娘のくせに。

この娘を私は失いました。私は守れなかったのです。

平成16年10月5日、私はいつものように仕事に出ていました。すると突然、私のいとこの奥さんから電話があり、「家で事件があったみたいだから、すぐ帰ってあげて」と言われたのです。

その時はまだ事件の詳しいことはわからず、「なんだろう」くらいの気持ちで、家に向かいました。そして廿日市に住んでいる、私の妹に車で迎えに来てもらい、二人で家に帰ろうとした時、JA広島病院から電話で、「北口聡美さんのお父さんですか。すぐに病院に来てください」と言われたのです。

すみません、私にはそれからの詳しい記憶が無くなってしまいました。お話しできなくて、申し訳ありません。

私が憶えているのは、台に寝ている聡美を何度も、何度も、何度も、ゆすって起こそうとしたこと。何度も、何度も、「お姉ちゃん」と呼んで起こそうとしたけど、また私のことを「お父さん」と呼んでくれなかったことだけです。

全公判を傍聴した北口聡美さんの父・忠さんは毎回、娘の遺影を持参していた

◆犯人と闘う決意をした

この事件では、私の母も被害に遭い、生命の危険に陥りました。また、聡美の妹もその場で犯人と会い、危ないところでした。

その犯人はすぐには捕まらず、13年半が経ちました。長かったです。本当に長い時間でした。事件からまもなくは、「聡美の妹は犯人を見ているので、もし犯人が襲ってきたら大変だ」と思い、いつ来るか、もう来るのかと眠れない日が続きました。「犯人が来るなら、どうか俺がいる時にしてくれ」「もうこれ以上、幸せを奪わないでくれ」。その繰り返しでした。

それとは別に、お姉ちゃんの死を受け入れることができず、「あした起きたら夢だとわかるかも」と思って、なんとか寝ようとしても寝られず、そして朝になり、明日こそ夢から覚めるかもしれないと思い、また寝ようと頑張り、毎日がその繰り返しでした。

また、当時はまだ12歳と小さかった妹がお姉ちゃんの姿と犯人を見ていることがとても心配でした。あとから、妹に聞くと、「それは、怖い言うもんじゃなかったよ(=怖いという言葉で表現できるものではなかったよ)」と話してくれました。もしあの時、妹がその場で動けなくなっていたら、妹まで被害に遭っていたかと思うと、よく頑張って逃げてくれたと感謝するばかりです。

そんな怖い思いをした妹を守るため、事件のことは世間から隠しておいたほうが良かったのかもしれません。でも、私は、捕まらない犯人をどうしても放っておくことができませんでした。

「どうして聡美を襲ったのか」「その真実を知りたい」「犯人を絶対に許しておかない」。とても悩みましたが、大切な聡美のため、私も犯人と闘う決意をしたのです。

そのことを聡美の妹も応援してくれました。そして私はブログを始めたのです。ブログをやったことはなかったですが、人にも教えてもらい、自分でも勉強して、いろんな人から事件の情報を集めることにしたのです。そして警察の事件に関する広報活動にも参加させて頂きました。

この13年半、私は聡美のために行ってきたことを「しんどい」とか「苦しい」とか思ったことは一度もありません。聡美が受けた苦しみに比べれば、私など何でもありません。

ただ、怖かったのは、事件が忘れられ、犯人が捕まらないまま終わってしまうことです。それと、犯人がいつかまた襲ってくるのではないかということです。

この犯人が捕まったと警察から連絡を頂き、どれほど嬉しかったか。この犯人は、鹿嶋学という、事件当時は21歳だった男と聞きました。これまで聞いたことがない、私どもとは何の関係もない他人です。

◆13年半、聡美にずっと話しかけてきた

私は、犯人が捕まったことを聡美にも報告しました。この13年半、聡美にはずっと話しかけてきました。

お姉ちゃん、いなくなっちゃう前の9月、「お父さん、文系と理系、どっちに進んだほうがいい?」と相談してくれたね。お父さんは、「お姉ちゃん、理系が好きなら、そっちにすれば」と言うと、「じゃあ、そうする」と答えたよね。

今頃、お姉ちゃんはどんな仕事をしていたかな。そう言えばこないだ、お姉ちゃんの友達が来てくれたよ。もうお母さんになっていたよ。

そうそう、お姉ちゃんに謝らないと。いなくなっちゃう半年くらい前、「府中のショッピングモールに行きたいって言ったよね。お父さんは、「遠いからダメ」「もっと大きくなったらいつでも行けるから」と反対したよね。お父さん、今でもそのことがお姉ちゃんに悪いことしたって、忘れられない。

お姉ちゃん、犯人捕まったよ。

私が聡美と最後に会ったのは、事件前日、10月4日の夜です。その時、パソコンをしていた聡美に、「お父さん、もう寝るよ」と声をかけると、聡美は「ヒヒ」と答えてくれました。それが最後です。私の記憶の中で、聡美はそれ以上、大人に成長してくれないのです。

聡美を奪った犯人に言います。

「お前は人間じゃない。聡美の生命を奪った償いは、自分の生命で償え」

私が犯人に望むのは、死刑しかありません。最後に、お姉ちゃん、守れずに、ごめんなさい。

 * * * * * * * * * *

以上、検察官が朗読した被害者・北口聡美さんの父親・忠さんの供述調書だが、これを聞けばたいていの人が涙を誘われるのではないかと思われる。次回は鹿嶋の父親の公判証言の内容を紹介するが、忠さんの供述調書の内容とどのように対照的なのか、ぜひ読み比べて頂きたい。(次回につづく)

北口聡美さんが事件の半年前に行きたがっていたショッピングモール(2019年12月撮影)

《関連過去記事カテゴリー》
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【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。今回が最終回。(取材・構成=尾崎美代子)

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた。右側は本稿筆者の尾崎美代子さん

◆そんなものを日本中にばらまいていいわけがない

最初、映画「ふるさと 津島」を見て、皆さんが違和感持たなかったこと、これだけ原発に反対する皆さんが集まってもなお、気づかなかったというところに、私は原発事故の酷さと惨さを思います。

コロナウイルスにマスクするなら、同じ様に被ばくした土地に行ってもマスクしないといけないんです。触ってはいけないから手袋をする、そしてそれを捨ててくるんです。中で使ったものを持って帰ってはいけないことになっている。それほど汚染された場所だと、国が暗に認めているところで、防護しないということは何なんだと、私は思います。

最近飯舘村が「事故から10年経ったんだから、帰りたい人は、除染せずに帰ってもいいんじゃないか」などと言い始め、飯舘村が言っているということで、国まで除染しないと言い出しています。とんでもないことです。「ばらまいたものは仕方ないから、諦めてよ」というのはないと思うし、みんなで痛み分けしようと、8000ベクレル以下の土を持ってきて、高速道路の基礎に埋めようなんて話はとんでもないことです。いつ地震でひっくり返り、隆起して出てくるかもしれない。そんなものを日本中にばらまいていいわけがないと思っています。

自分の故郷が二度と帰れないところになるという理不尽さは、皆、一人一人持っています。原発は東にあり、津島では「東夕立」は来ることはなかった。だから8割の放射性物質は海へ落ちて、残りの2割が地上30メートルで大きな爆発を起こした。広島、長崎の何十倍の爆発です。そうしたらその膨大な熱量が冷たいところに一気に風が流れ込んだ。そこが津島だと思っています。

帰還困難区域特定拠点解除のための除染

そうしますと、皆さん、今、私たちの住んでいる関西の原発は、黄砂が吹いてくる根元にある。黄砂が吹く時期、原発事故が起きていたらどうします? 放射性物質が黄砂にまといついてやってくるのです。各ご家庭のものほしの隅々まで。そこも住めなくなるのではないですか? 8割が関西に流れるのだから。愛媛の伊方原発で台風のとき何かあったらどうなるか? 玄海原発で何かあったらどうする? あれだけ火山活動が活発な火山の近くの川内原発で目詰まりしたらどうするの? でも門司当たりにまだ原発作ろうとかいう。もう狂っているとしか思えません。事故を起こした国が造る原発は安全なんだそうです。私たちは本当にがんばって原発をとめていかないと、この先なんの未来もつくれないと思っています。

今日参加されたみなさんを見ておりますと、毎日時間がおありのような方が多い(笑)。だったら、今日も明日もあさっても、コロナはあっても原発に反対できます。街頭で反対運動などするのが不安だと思う方々は、市役所や府庁へいって、「おかしいんじゃないか? 避難計画はどうなっているの? うちの自治会に避難してくる人は、福井の京都府のどういう人たちなんだ?」ということを知って、そこの自治体の人たちと交流する、そういうことも大事ではないかと思っています。

◆ハローワークで募集されている「きれいな人の役に立つ仕事」

町中を走る除染土を運ぶ車両

私たちの地域では国の「避難計画」で、「この114号線では避難できないから拡幅してくれ」と要求が出ているなかで、原発事故がおきました。そしてあの雪道の中を逃げました。今は、放射性廃棄物を運ぶために道が広くなっています。ものすごく頑丈な道に変わろうとしています。小繋の峠というところがありました。そこを超えるとすごい車酔いするような峠、雪があるときなど福島で一晩泊まってくるというようなところでした。それが今、直線道路になろうとしている。原発があり、事故が起こったから、1日に放射性廃棄物を10トントラック2800台で運んでいます。2800台分のものを大熊町と二葉町で受け入れる能力があるからです。

家の前の、以前はのんびり通っていた道を、突如2800台のすべてではないが、少なくとも1400台のトラックが通る。15分計って58台とか通る。とんでもない汚染物がまだまだあるということです。今は風評被害をなくすためということで、福島市など町中にあった放射性廃棄物を山の中に隠して見えなくしています。そういう仕事をだれがするかというと、ハローワークで関西などにも募集がかかっています。息子が仕事を探しにいったら「きれいな人の役に立つ仕事」とあり、仙台事務所と書いてあったそうです。

浪江町の人口も増えていますが、それは還って来た人より、除染や廃炉作業の人たちです、なぜかというと、原発の仕事は地域優先なので、その自治体周辺に住民票のない人は雇わないことになっているからです。そのため、近隣自治体に簡単な宿舎を造って、そこに住民票を移して仕事をするわけです。浪江町も1000人超しました。役場で「元の住民は何人くらい?」と聞くと200~300人といってました。ほかは除染や原発に従事している人たちです。除染作業の人たちは簡単なマスク1枚です。私たちは除染労働をしてくれる、誰かの被ばくとひきかえに故郷を手に入れようとしている。そのことは本当にありなのかなと、本来は住民自身が考えなければならないことだと思っています。

原発事故は本当にあってはならないものです。原発そのものがあってはならないものと思っています。

上映会とお話会の最後に「山の歌」を歌う「アカリトバリ」。アカリさんは福島県出身。

◆日本中、どこでも明日、避難と被曝は生活の傍にある

原発事故は今は福島の人の事、関東以北の人の事ようにとらえられますが、明日は関西に済む皆さんの事。日本中に原発のあるのですから、何処でも明日避難と被ばくは生活の傍にある秘かな危機のはずです。

そのことに原発を許した世代のわたしたちが、頑張って行かなければならないことだと、思っています。

どうぞご一緒に、出来ることをできる力で頑張って行きましょう。(終わり)


◎[参考動画]福島ミエルカプロジェクト:自宅は帰還困難区域になり、関西へ避難した菅野みずえさん(FoEJapan 2020/03/10)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

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8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。今回は第2回。(取材・構成=尾崎美代子)

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた

◆毎日東電がセシウムという肥料を与えてくれるから、花が咲き実が成る

あの映画見たら「わあ、きれいな緑」と思われるかもしれない。事故前はあんな緑で覆われてはなかったんです。家の前はどこも開いていた。西側に阿武隈山系から降りてくる「やませ」を防ぐ防風林はありましたがね。原野になるのがはぜ早いのか? それは放射性物質がまき散らかされたからです。セシウムというのは放射性カリウムです。カリウムは何かというと、花を咲かせるとか緑を濃くするものです。私は避難の家の畑で何か作るとき、実の成るものには骨粉などを与えます。これを東電が毎日やってくれるということです。そしたら緑は濃くなり花も咲く。津島の我が家で、事故前まではキュウイは剪定しないと実が成らなかったが、事故後10年近く剪定してないがキュウイがたわわに実っています。毎日東電が肥料を与えてくれるから、花が咲き実が成るのです。

福島県は南相馬に猪専用の焼却場を造っています。それを急いだのは、猪が凄いセシウムだらけだからです。埋める訳にもいかない。猟友会に駆除を頼み、檻を設置している。これまでは冷凍するしかなかったが、県の冷凍庫が一杯になって、ほかのものが入れなくなった。それで焼却場を造った。大変なことです。燃やしても放射能が濃縮された灰が残る、それをどうするかです。

今年のお盆に津島地区を訪問した。事故から9年過ぎた菅野さんの家(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆国や東電が「処理水」と呼ぶ汚染水

汚染水も国や東電は「処理水」といって、タンクを置く場所がない写真ばかり見せる。すると善良な人たちは「場所がないなら仕方ないだろう。毎日増えるんだから流すのもしょうがない」と思ってしまう。でもあの一杯になったタンクの後ろの山は東電が新しい原発造ろうと買い占めた山です。そこを整地して、もっとコンパクトなタンクになるような技術でやればいいのに、それを一切言わない。だからそういう写真が出ると、いつも私は「土地はあるよ」と書き込むようにしています(笑)。

今、津島も大熊も双葉も、年間50ミリシーベルトの蓄積被ばくがある帰還困難区域です。そこを除染して住めるようにするということで、我が家もそのエリアに入りました。なぜ除染で家がなくなるかというと、家などそこにあるもの全てが放射性廃棄物だからです。だから今だったら公費で壊すが、それ以降は自費で、放射性廃棄物としての取り扱いをしないといけないという。こういう時だけ「放射性廃棄物だ」としっかり言うのですね、大事なことですが。解体は放射性廃棄物としての取り扱いだけで余分に1戸あたり750万~1000万円掛かる。そんな金のかかることを、子どもや孫に残すわけにはいかないので、皆さん一生懸命取り壊しています。我が家も母屋を除いて全部取り壊すことになって、先日打ち合わせに行ってきました。役場の職員と1時間くらい、家の中にいて、0.5マイクロの被ばくでした。今は葉っぱの表面について、それが毎日落ちてくるから高い。それまでのものは地面に落ちている。それが風で舞い上がる。やっぱり防護はしてほしいと思います。

津島の自宅。いつも菅野みずえさんが車を置いていた場所(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆白血病の話

先ほどの白血病の話ですが、なぜかなと思いますが、あの時、そこでは果樹栽培の木を全部高圧洗浄器で洗ったんです。おっちゃんが上で水をかけ、母ちゃんが下で脚立を支えていた。1人でやって、何人も脚立から落ちて骨折したので危険なんです。それでも線量が下がらず、柿木の皮を全部剥いだそうです。そいういう作業をした人たちが、私は病気になっているのではないかと、勝手に思っています。たくさんの病人が出ています。一時期、福島でアフラックの宣伝がなくなったと聞きました。あまりにもペイしない話だからと。

私は2011年2月に東電の説明会を聞きました。東電は「いかなる災害にも耐えうる」と言い、「7人に1人がガンになる時代なので、原発で癌になるわけではありません。それは誤解です」と言っていました。事故が起きて避難している間には5人に1人が癌でした。私が甲状腺癌をした2016年頃は、3人に1人が癌でした。たかだか7年で統計学的、あるいは疫学的に「7人に1人の癌」が「3人に1人」になるだろうか? そう思うと私は、放射性物質というのは、そんなに能天気に笑っていれば大丈夫のものではない気がしています。

通り門を入ろうとするけれど、蜘蛛の巣と草ばかり

◆私は原発を許した世代

私は原発を許した世代です。被害者となって避難して思います。放射性物質は県境で「おっと」と言って、越えないものではないのです。去年は富士山麓の自然のキノコは食べられなかった。今年は長野のコシアブラから放射性物質が出ました。それだけ風に乗って広まったということです。だから私は、自主避難の人は相応性がないというのは、嘘だと思います。どこから避難したかは問題ではない。原発事故があったから、身を守るために、避難した。それは子供を守った偉大な話として浪曲になりそうな話ですよ。それが今では非難の対象になる。おかしな話です。

今、コロナの時代に原発はすぐさま止めるべきだという新たな裁判をやっています。福井県の石地優さんという男性がなぜ原告になろうと思ったか話しています。コロナで輸入できなくなったら、日本の食の自給率が問題になる。自分たち百姓が立ち上がらなければ、日本の食は守れない。外国から入ってこなくなったら、日本の人たちは何を食べるんだ。そういうことを考え、すぐさま原発は止めるべきだと立ち上がったそうです。7人が原告になりました。すぐさま止めてもらわないといけないので、2回くらいの裁判で結審してほしいと思っています。

次回審尋は9月14日にあります。私は、避難所はどういうところか、密にならない避難所はありえないし、避難そのものもができないではないかと訴えます。国はコロナ禍で原発事故が起きたら、換気しないで屋内退避すると主張しています。コロナウイルスよりも実は放射性物質の方が怖いんだと、暗に認めたということです。コロナウイルスが蔓延するなか、大きな事故は起きないかもしれないが、地震や台風が複合して起こらないとは言えない時代です。危ないものは元から絶たないとダメだと思います。経済活動というなら、原発を止めるべきと思います。原発事故が起こることが最大の経済危機だと思います。今だからこそ、「原発は止めないと」と頑張らなければと思います。特に避難者である私は、そのことがよくわかっていますので、これは何としても頑張らなければと考えています。

だから津島の上映会と聞いたら、もれなく私がついていくようにします(笑)。だってこれだけ見て違和感持たない人が増え、「津島の人たちは可哀そう」で終わったら困るんです。これが一人歩きしたらどうなるかと不安です。私たちは、ただ家を奪われただけではなく、撒き散らされたものが危なくて逃げている、還れないんです。それは危ないものだからです。それは防護してもらわないと困る話です。被ばくという点でおかしいと、100年後の人たちに伝えるなら、津島が何に汚されたか、何に追われて私たちは避難したかを伝えなくてはならないと思っています。(つづく)


◎[参考動画]DVD 「ふるさと津島」ダイジェスト映像(Media Laboノダグラ 2020/06/30)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

————————————————————————————————–
総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
————————————————————————————————–
[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08H6NL5FX/

◆神戸山口組、二度目の分裂

神戸山口組の分裂が進んでいる。それも井上邦雄組長の出身母体である山健組およびその傘下の組が、そろって離脱するというのだ。すでに6月段階で獄中の中田浩司山健組組長から、離脱するとの意向がもたらされていたものだ。

この7月22日には、兵庫県高砂市内の喫茶店を借り切って、山健組の会合が開かれ、約二時間の話し合いののち「方向性が決まった」(参加した組長)となったという。参加者は20団体の組長で、それぞれが「一本独鈷(いっぽんどっこ)でやっていく」方向性だとされる。

織田絆誠(金禎紀)をはじめとする若手組長が、任侠山口組(現在は「絆會」)として離脱していらい、神戸山口組は二度目の分裂となりそうだ。離脱の理由は、任侠山口組のときと同じく、会費(上納金)をめぐってと観測されている。

◆高い会費がネックに

神戸山口組が六代目山口組から分裂したとき、100万円ちかい会費(上納金)と日用品の(本部からの)強制購入が負担になっているという理由だった。

分裂後の神戸山口組は、直参で月40万円から60万円とされていたという。コロナ禍でシノギもままならない中、会費以外にも盆暮れやイベントごとに支出を求められる。傘下組織にはかなりの負担になっていたようだ。そこで中田組長が会費減額を決めたところ、これに井上組長が異を唱えたのが実相だという。

ヤクザのシノギをめぐる、当局の締めつけは厳しい。フロント企業の公共事業からの締め出し。繁華街での用心棒代はもとより、組員直営の店への排除(暴力団お断りの店ステッカーなど、客への店の選別強要)も露骨なものがあった。さらにコロナ禍による繁華街の不況は組織の収益を直撃し、個々の組織の財政状態が組織離脱を決定的なものにしたようだ。

ところで、肝心の中田浩司山健組五代目は、昨年8月に起きた六代目山口組弘道会系の幹部銃撃に関与したとして、現在も拘留中の身だ。

警察関係者によると、「山健のトップ自らヒットマンとして報復に動いたと暴力団関係者は仰天しましたが、中田氏は否認を貫いています。本人は無罪を勝ち取り、数年で復帰できると自信を持っており、獄中から弁護士を通じて離脱の指示を出したとみられます」(文春オンライン、8月1日)だという。

◆「一本独鈷」という選択肢

山健組傘下の三次団体だとはいえ、約20団体がそろって離脱であれば、事実上の分裂ということになるが、関係者は「あくまでも個別の離脱です」と強調する。じつは「一本独鈷」というキーワードが事態を説明してくれそうだ。

というのも、暴排条例が施行されてから10年、指定暴力団は経済活動のみならず、組織運営でも身動きがとれない状態になっているからだ。そこで、一本独鈷(独立組織)となって指定から逃れる方法もないではない、という考えではないか。じっさいに、独立組織で非指定団体は少なくない。上部団体が指定を受けても、下部団体が独自に活動することも不可能ではない。

暴排条例の集中攻撃を受けた、北九州の工藤會の例で説明しよう。

本家およびその母体組織(田中組)の幹部(ナンバー3まで)が獄中に囚われ、実質的に本部機能が崩壊(工藤会館の売却など)し、傘下の組の事務所ものきなみに閉鎖命令。幹部会も公然とは開けない状態になっている。にもかかわらず、傘下の各組織は独自に活動を続けているのだ。

「個々バラバラですが、みんな元気にやっております。会議やら減ったぶんだけ、楽になっておりますね」(工藤會の二次団体の組長)という現状だ。

新たな抗争事件さえ起こさなければ、上部団体から離脱した組織が公然と活動できると、ヤクザ関係の弁護士は云う。非指定団体になる道だ。

工藤會の場合、事務所を使わずに活動継続できるのは、PCとスマホを駆使した活動方法を早くから取り入れていた(溝下三代目時代)からだという。

ただし、野村総裁・田上会長ら獄中幹部の公判は始まったものの、法曹関係者によると「元ヤクザが相手でも、一般人を対象にした殺傷事犯ですから、長期刑は避けられない」との観測である。えん罪事件の上高謙一組長が実刑だったこともあり、獄中の最高幹部が社会不在のままの状態は、ながく続きそうだ。

いずれにしても、改正暴対法・暴排条例のもとでのヤクザ組織の在りようは、昔ながらの一本独鈷というスタイルになりそうな気配だ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

著述業・編集者。2000年代に『アウトロー・ジャパン』編集長を務める。ヤクザ関連の著書・編集本に『任侠事始め』、『小倉の極道 謀略裁判』、『獄楽記』(太田出版)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)、『誰も書かなかったヤクザのタブー』(タケナカシゲル筆名、鹿砦社ライブラリー)など。

最新! 月刊『紙の爆弾』2020年10月号【特集】さらば、安倍晋三

タケナカシゲル『誰も書かなかったヤクザのタブー』(鹿砦社ライブラリー007)

8月9日、大国町「ピースクラブ」で、ドキュメンタリー映画「ふるさと津島」の上映会と浪江町津島から兵庫に移住した菅野みずえさんのお話会を行った。以下、菅野さんのお話を全3回の短期連載で紹介する。(取材・構成=尾崎美代子)

◆浪江町津島の風土

私が住んでいた浪江町津島では、少し前までは13人から18人とかの家族がざらに一緒に暮らしてました。夫の母親は子供を11人産んだと言ってました。いつも腹が膨らんで、乳が張っていたと。津島は非常に寒いところで、私が一番寒いと感じたときはマイナス19度でした。普通は夏至になると「ああ暑い夏がくる」と思うけど、私たちは夏至がくると「ああもうすぐ冬だ」思う。季節感がすごく違っているかもしれません。

そういうところだから、子供が風邪をひくと助からないことがあった。だから沢山子どもを産むしかないと母は言ってました。11人目を産んだ時、これが最後と思い、死んでしまった一番最初の子の名前を付けたといってました。それが私の夫(の昭雄)です。母は、生きられなかった子供と同じ名前つけて生きてもらおうと思ったと言ってました。だから夫は2人分の人生を生きなくてはならないのですが、何故か家に住めなくて避難しているわけです。

お話をする菅野みずえさん。テーブルの花束は、三木の自宅の畑から菅野さんが摘んできた。右側は本稿筆者の尾崎美代子さん

◆映画への違和感

そこが非常に理不尽な思いをもっているところですが、皆さん、今日の映画を見て何か感じませんでしたか? 違和感ありませんでしたか?(会場しーん)

私はこの映画見たとき「なんじゃこりゃ」と思いました。しかもこれを裁判資料にすると聞いて「やめてくれ」と思ったんです。私は津島の家に帰るとき、国の出先機関に連絡し、何人でどの車で入ると言って許可とります。入る前スクリーニングで、防護服と線量計をうけとり、頭に白い不織布のキャップを被り、マスクして二重手袋します。汗をかくので布手袋はめて、その上に薄いゴム手袋はめて、何か触るときにはもう1枚厚手の手袋をはめる。家に上がるとき汚染を持ち込むので、ビニールの足キャップを履いて上がる。

でも映画では誰もそんな格好していなかった。帰還困難区域でものを食べてはいけないと法律で決まっているのに、映画の中では食べてましたよね。周囲で大きな音がしていたのは、除染が始まり、家を壊しているからです。家に降り積もった放射性物質が巻き上がっている。映画では、そんな中、窓を開けてご飯を食べている。「なんじゃこりゃ」と思いました。

またガイガーカウンター持っている人は1人もいませんでした。最初に出てきたはるえちゃんだけが蓄線量計をもっていました。国から貸与され、おおむね2時間いて何マイクロ被爆したと記録して、自分の被ばく記録として持つのです。それは帰還困難区域に線引きされてからです。それまでは線量はもっと高かったのに、そういうことはなかった。その間に映画にでてくる人は「家に帰っていた」「寝泊りしていた」と言ってましたよね。どれくらい被ばくしているかもわからない状態です。当時は余震が続いていたので、屋根がずれたりして、非常にかびて、動物被害が多くなっています。でも避難は被ばくするから。でも映画では誰もそれを言わなかった。不思議でたまりません。

◆映画の中で防護服を着ないのは、100年後の子孫に見られたら嫌だという気持ちがあったかもしれない

また最初、津島に入ってきたのは、(映画でいうような)動物ではなく、泥棒です。泥棒がものを盗んであけっぱなしで出た入口から動物が入ったんです。

映画にでていた佐々木さんは、ここで「20ミリシーベルトになっていいのか」と言ってましたが、そこで一晩寝て20ミリではなく、多分20マイクロシーベルトの被ばくだと思います。赤宇木の仮設住宅の近くのおっちゃんが「運転しにくい」というので、私が皆を乗せて自宅の見回りに行きました。4年もたつのに、おっちゃんの家で1時間当たり40マイクロシーベルトありました。

私が止めたのに、おっちゃんが外を見回ったら、積算線量が2時間で140マイクロ超えました。私が100ちょっと。スクリーニングの職員 彼らは仕事がなくなった東電の職員で、給料は復興予算から出ます。東電が黒字になるのは当然と思います。「140なんてたいしたことないですよ。原発構内はね……」と言いだしたら、おっちゃんが「なにおー」と殴りかかろうとした。私が必死でとめて車に乗せて、今度は私が「ここ(津島)は原発構内と同じか!元はゼロだったんだ」と怒り出してしまい、おっちゃんに止められた(笑)。そんなことがありました。

映画のなかで彼らが防護服を着ないのは、100年後の子孫に見られたら嫌だという気持ちがあったかもしれない。だけど現実に起こっていることを正確に伝えるなら、私は防護服を着て、自分の身を自分で守って欲しかったと思います。この記録は住民がいかに被ばくについて、国から何も知らされてないかの証だと思います。レントゲン室でまんま(ご飯)食う人はいないです。それを見て「なにをやってるの?」と私は思いました。それくらい被ばくについて、私たちは教えられてない。「年だから、ちょっとくらい大丈夫」ということでしょうか。

前に東大の先生が飯館村の松川第二仮設住宅にきて「皆さん、松茸食べれないのはストレスでしょう。ストレスはないほうがいいから、ちょっとくらい食べてストレス解消したほうがいい」といったそうです。そこで管理人をやっていた私の友達が「私たちにストレス溜まるのは、こんな生活させられているからだ。そんな汚れた松茸食って、何年もここに留め置かれるストレスが解消できると思っているのか?頭いい人が何故そんなこというのか?」と怒ったそうです。菅野村長に辞めさせられそうになりましたが、頑張って最後まで管理人をつとめました。

そんなものなんです、私たちに施された教育というのは。ちょっとくらい食っても構わない、ちょっとくらい家に泊まっても構わない……と。それは被ばくのことを全く無視しているのです。

津島地区、菅野さんの自宅近くの放射線モニタリングポスト(写真提供=Eiji.Etouさん)

◆近所で5人が白血病になり、今年までに全員が亡くなりました

名前はいいませんが、福島の小さな町で、私が知っているだけで、近所で5人が白血病になり、そのうちの私の友人が一番最初に亡くなり、今年までに全員が亡くなりました。5人という数は私が知っている人だけです。それまで白血病なんてきいたこともなかった。

映画で出ていたTOKIOの「DASH村」で世話していた三瓶明雄さんも白血病で亡くなりました。彼はしょっちゅうDASH村に通ってました。我が家から2キロくらいの線量が高い所。この前も城島君が笑って福島の桃を食べ「旨い!」と宣伝していました。それは美味しいと思う。でも「あなたは大丈夫?」と私はテレビに向かって言ってました。彼らは本当に素朴で、今でも町の人たちと交流してくれる。明雄さんに何度も見舞いに通ってました。でも、彼らは守られているのかなあと、若いだけに心配です。そういう状態があの映像です。

国や東電の代理人が、こんな事実を見逃すわけはないんです。これを証拠資料としてだしたときに「帰還困難区域はあんなに普通に家に出入りしてる、だったら自主避難なんて笑止千万だということだ」と言い出しかねない。そうして裁判資料は他へ流用されます。そんなふうに使われては堪らない。

映画に出てきた石井ひろみさんはうちの隣の家の人です。彼女が公民館に勤めていた時にチェルノブイリの事故があり、いわきの教会の依頼で子供たちを公民館活動のなかで受け入れました。だから被ばくがどういうものかわかっている。彼女は防護服を着るべきだとか、映像を裁判資料にしていいのかと訴えてくれてますが、全体のものにはなっていません。彼女は「私はいやだった。みずえちゃん怒ると思ったから、みずえちゃんに知らせたくないと思ってたら、みずえちゃんの名前がエンドロールがあってさ」と言ってました。私は彼女に「映画見たとき愕然とした」と言いました。だから私はこの映画の上映会があるとしたら、もれなく付いて回ろうと思っていると言いました。

「おらっちの故郷はこんな風に人の入れるとこでねえ」と話しながら。ドアノブ開けて入るシーンでは「イヤ、そこ触ってはだめ」と思わず思ってしまう。コロナウイルスと一緒ですよ。(つづく)


◎[参考動画]ふるさと津島を映像で残す会予告編(Media Laboノダグラ 2020/01/19)

菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈1〉津島の風土と映画への違和感
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈2〉私は原発を許した世代です
菅野みずえさんが語る映画「ふるさと津島」〈3〉避難と被曝は生活の傍にある

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.25

『NO NUKES voice』Vol.25
紙の爆弾2020年10月号増刊
2020年9月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 ニューノーマル 脱原発はどうなるか
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[グラビア]〈コロナと原発〉大阪、福島、鹿児島

[報告]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
 二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織

[インタビュー]水戸喜世子さん(「子ども脱被ばく裁判」共同代表)
    コロナ収束まで原発を動かすな!

[座談会]天野恵一さん×鎌田 慧さん×横田朔子さん×吉野信次さん×柳田 真さん
    コロナ時代の大衆運動、反原発運動

[講演]井戸謙一さん(弁護士/「関電の原発マネー不正還流を告発する会」代理人)
    原発を巡るせめぎ合いの現段階

[講演]木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
    危険すぎる老朽原発

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
    反原発自治体議員・市民連盟関西ブロック第四回総会報告

[報告]片岡 健さん(ジャーナリスト)
    金品受領問題が浮き彫りにした関西電力と検察のただならぬ関係

[報告]おしどりマコさん(漫才師/記者)
「当たり前」が手に入らない福島県農民連

[報告]島 明美さん(個人被ばく線量計データ利用の検証と市民環境を考える協議会代表)
    当事者から見る「宮崎・早野論文」撤回の実相

[報告]鈴木博喜さん(ジャーナリスト/『民の声新聞』発行人)
   消える校舎と消せない記憶 浪江町立五校、解体前最後の見学会

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
    《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈9〉
    「原発事故被害者」とは誰のことか

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎共同代表)
    多量の放射性物質を拡散する再処理工場の許可
    それより核のゴミをどうするかの議論を開始せよ

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
    具体的なことと全体的なことの二つを

[報告]板坂 剛さん(作家/舞踊家)
    恐怖と不安は蜜の味

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
    山田悦子の語る世界〈9〉普遍性の刹那──原発問題とコロナ禍の関わり

[読者投稿]大今 歩さん(農業/高校講師) 
    マンハッタン計画と人為的二酸化炭素地球温暖化説

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
    コロナ下でも萎縮しない、コロナ対策もして活動する
《北海道》瀬尾英幸さん(脱原発グループ行動隊)
《石川・北陸電力》多名賀哲也さん(命のネットワーク代表)
《福島・東電》郷田みほさん(市民立法「チェルノブイリ法日本版」をつくる郡山の会=しゃがの会)
《規制委・経産省》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
《東京》柳田 真さん(たんぽぽ舎、とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《浜岡・中部電力》沖 基幸さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
《読書案内》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08H6NL5FX/

判決を含めて計5回の公判があった鹿嶋学の裁判員裁判。被害者・北口聡美さんの両親は検察官席から、犯人・鹿嶋学の両親は傍聴席から、全公判の審理を見届けたが、その初公判では、聡美さんの母親の供述調書を検察官が朗読し、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙を弁護人が朗読するという場面があった。

被害者と犯人、双方の母親がそれぞれ、どのような言葉を発したのか。ここで紹介したい。

◆「4年目にして授かった待望の子だった」(被害者の母)

まず、検察官が朗読した北口聡美さんの母の供述調書から紹介する。これは、鹿嶋が逮捕されてまもない時期に作成されたものである。

 * * * * * * * * * *

聡美が犯人に殺されて約13年半が経ちました。私たち夫婦は結婚して子供に恵まれなかったのですが、やっと4年目にして授かった待望の子が聡美でした。聡美が生まれた時は、うれしくて、うれしくて、本当に待望の娘でした。

聡美は昔から元気で、勉強ができて、友だちに勉強を教えてあげたり、まじめで、よくニコニコと笑う子です。中学生の時だったでしょうか。その頃、小遣い制ではなかったので、聡美が必要な時にしか使うお金を渡していませんでした。

なのに、聡美は中学2年生の頃だったと思いますが、母の日に花を買ってきて、私と母のミチヨに1個ずつ渡してくれたのです。たぶん私が渡したお金を少しずつ貯めて買ったのでしょう。

また、母のミチヨが神経痛で、足がしびれるなどした時、聡美が一緒にお風呂に入り、ミチヨの身体を洗ってくれたことがあります。聡美は長女だったので、優しい気配りができる子でした。妹弟の面倒もよく見てくれ、私は聡美の優しさや気配りに本当に助けられていました。

そういう聡美のいいところ、聡美が私たち家族にしてくれた優しさが昨日のことのように思い出されます。涙が止まりません。

◆「今も玄関には聡美のスニーカーが置いてある」(被害者の母)

事件が未解決の頃、警察が作成したポスター。犯人の似顔絵は聡美さんの妹の証言をもとに描かれたものだった

犯人が逮捕されるまで、とても長い時間でした。苦しくて、悔しい日々でした。

犯人が逮捕されるまでは、テレビなどで聡美の事件を取り上げてもらって、みなさんから沢山の情報を頂き、大きな助けになっていました。ありがたかったです。

私は、事件のことが風化するのがとても怖かったです。私たち家族は普通に暮らしていたのです。仲良く暮らしていたのです。何がいけなかったのだろうと考え込んだりしたことがありました。

娘が殺されてからの生活の苦しみなんて、経験した人でないと絶対にわかりません。この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです。

聡美が殺されて以降、私は気分転換の意味も込めて、仕事を何度かやったことがありました。でも、事件の報道がされたりして、私が聡美の母親だと気づかれ、その職場に居づらくなったり、陰口や中傷もあったり、本当に苦しい日々でした。

聡美は生前、「家族をもって普通に暮らしたい」と話していました。聡美は勉強やアルバイトを頑張っていましたが、こんなにも早く亡くなるなら、もっと遊ばせてあげたり、行きたいところに連れて行ってあげたかったです。

私の中では、2004年10月5日から時が止まっている感覚です。今日まで一日たりとも聡美のこと、事件のことを忘れたことはありません。

犯人が逮捕されたことについては、本当にありがたいことだと思っています。でも、聡美は帰ってきません。これが悲しくて、悔しくて、たまりません。

家には、いまだに聡美の私物があり、離れも当時のままです。片付けようかと手をつけたことがありますが、涙が止まらなくて、とても片付けることができないままになっています。13年以上が経った今でも、聡美が帰ってくるんじゃないか、帰ってきて欲しいという思いがあって、玄関には聡美のスニーカーが置いてあります。

◆「犯人を絶対に許さない」(被害者の母)

犯人は、何の罪もない聡美を殺しました。とても酷い殺し方でした。

犯人の顔はテレビで観ました。感想は、「聡美の妹が見た犯人の顔は間違っていなかった」ということでした。聡美の妹は当時、小学生だったのに、一瞬で記憶して、大したものです。

聡美の妹は、これからも事件のことを一生背負って生きていかなくてはなりません。私はそれが心配です。

聡美は機転が利くところがあります。ですから、これは私の想像ですが、犯人からどうにかして逃げようとしたのではないでしょうか。気が小さいところがあったので、犯人には何も言えなかったかもしれません。

聡美が殺されたことは、私たち家族もそうですが、何より本人が一番悔しかったはずです。なんで殺されなきゃいけないのと、さぞかし聡美は無念だったでしょう。

私は、犯人を絶対に許しません。何の罪もない私たちの娘を、あんな酷い、惨い殺し方で生命を奪った犯人が憎いです。私は犯人に死刑を求めています。

なぜ、聡美だったのでしょうか。なぜ、聡美を殺したのか。犯人には、真実を話して欲しい。生命の重みをわかってもらいたいです。

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以上、聡美さんの母の供述だ。本人も「この悔しさ、苦しさは他人には絶対にわからないです」と語っているが、その悔しさ、苦しさは本当にその通りの、第三者の想像を絶するものだったのだろう。

◆「慚愧の念に苛まれ、夜も眠れない」(犯人の母)

続いて、弁護人が朗読した、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた手紙を紹介したい。これは裁判の前年に書かれたものだが、弁護人によると、遺族に受け取りを拒否されたとのことだった。

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前略

15年前に私どもの息子学が、北口様の大切に育てられました聡美さんの生命を無残にも奪ってしまったことに対しまして、年月は随分過ぎてしまいましたが、このたび学の母として心よりお詫び申し上げたいと思います。

本当に申し訳ございません。

慈しみ、育てられました聡美さんを突然あのような形で失われたご両親様の持って行き場のない悲痛な思い、そして喪失感を思いますと、同じ年頃の娘を持つ母親として、胸が締めつけられる思いでいっぱいになります。

どうして息子は取り返しのつかない残酷な罪を犯してしまったのだろうか。どのように受け入れ、どのようにお詫びをすれば良いのか。この1年余り、考えない日はありませんでした。慚愧の念に苛まれ、夜も眠れません。

せめて今の私にできることは、亡くなられた聡美さんの無念を思い、うかばれない魂の鎮魂なればと、早朝欠かさず30分のお悔やみとお参りに行っています。非力な私のささやかなお詫びのつもりです。

本当に申し訳ございませんでした。

息子に対する処分は、どうなるかわかりませんが、息子が心から悔い改め、私ども夫婦の生存中にもしも社会復帰することがありましたら、私どもの生命のある限り、監督していきたいと思っております。

このような事件を起こしてしまい、本当に申し訳ありませんでした。

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以上、鹿嶋の母親が遺族宛てに書いた謝罪の手紙だ。何を書けばいいのか答えが見つからず、迷いながら書いていることが伝わってくる文章ではないだろうか。

この連載の第1回で伝えた通り、鹿嶋の母親は夫と結婚した際、夫以外の子供を妊娠しており、それが鹿嶋だった。血のつながらない父親との複雑な関係は、鹿嶋の人間形成に大きな影響を与えたが、この母親も悩みが多い人生だったのではないか。ふとそう思わされた。(次回につづく)

鹿嶋の裁判員裁判が行われた広島地裁

《関連過去記事カテゴリー》
 廿日市女子高生殺害事件裁判傍聴記 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=89

【廿日市女子高生殺害事件】
2004年10月5日、広島県廿日市市で両親らと暮らしいていた県立廿日市高校の2年生・北口聡美さん(当時17)が自宅で刺殺され、祖母のミチヨさん(同72)も刺されて重傷を負った事件。事件は長く未解決だったが、2018年4月、同僚に対する傷害事件の容疑で山口県警の捜査対象となっていた山口県宇部市の土木会社社員・鹿嶋学(当時35)のDNA型と指紋が現場で採取されていたものと一致すると判明。同13日、鹿嶋は殺人容疑で逮捕され、今年3月18日、広島地裁の裁判員裁判で無期懲役判決を受けた。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。原作を手がけた『マンガ「獄中面会物語」』【分冊版】第11話・筒井郷太編(画・塚原洋一/笠倉出版社)がネットショップで配信中。

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