山口組が分裂した2015年8月以降、「任侠」という言葉は暴排の彼方に消えかかっているが、ヤクザ映画の古典を見ると、なるほどヤクザがメンツのために殺しをいとわない生き物だというのがよくわかってくる。

ヤクザ映画の大部分は、組織を逸脱せざるを得ない存在がアウトローとしてどのように現実に立ち向かうか、ということが描写の課題となっている。アウトローとして生きることを志向し続けていくのであれば、組織とのつながりが感じられる。しかし暴力を行使すれば組織という概念が吹き飛んで、残るのは「暴力を行使した一個人」だけとなる。最終的に組織から離れてしまう主人公の姿が描かれるのが『博奕打ち 総長賭博』(1968年東映 山下耕作監督)である。鶴田浩二を主演に据えた『博奕打ち』シリーズの第四作。作家・三島由紀夫も絶賛したという作品だ。

昭和の初めの東京が舞台で、有力ヤクザの一つである天竜一家の総長・荒川が倒れ、後継の総長を決める必要が生じた。主人公・中井信次郎(鶴田浩二)は総長の跡目に推されるも元々は外様という立場ゆえ辞退、兄弟分で服役中の松田鉄男(若山富三郎)を総長に推薦する。しかし荒川の兄弟分である仙波多三郎(金子信雄)は天竜一家に跡目争いを起こして混乱させ組を乗っ取ってしまおうと画策していたので、松田が総長となることを承知せずに、中井や松田より格下の石戸幸平(名和宏)を推挙し総長とした。

松田は、石戸が正式に新総長と決まった後に出所した。松田は自分より格下の石戸が総長となることに不満を爆発させ、松田と石戸には険悪な空気が漂う。中井は、仙波が天竜一家で跡目争いが起きるように仕掛けている張本人であることを察知していたので、争いをやめるよう松田を説得したが、松田は石戸と対立してしまう。対立抗争に巻き込まれて中井の妻・つや子(桜町弘子)は死ぬ。

一方仙波は跡目争いが進行していくのを見てほくそ笑んでいた。仙波は石戸の新総長襲名披露の日、刺客を石戸に放ち暗殺する。次いで中井に「石戸を暗殺したのは松田だから始末しろ」と命じる。中井は兄弟分である松田をかばい切れず殺害した後、一連の事件の黒幕である仙波を斬る。

中井には天竜一家の構成員それぞれの思惑で板挟みにならざるを得ない辛さ、兄弟分である松田を斬らなければならない悲哀、仙波を除こうという確固たる意志、が感じられる。冷静な中井に対して松田は激情家で、格下にも関わらず総長の跡目を継いだ石戸を斬りに行こうとする程である。キャラクターの違う二人に加えて、命を狙われても新総長として現実に立ち向かおうとする石戸、どこまでもあざとい仙波、という四人が描き出す人間模様が物語の核となっている。

ヤクザ映画では「組織」と「暴力」が重要なキーワードとして提示されている。組織の中にいるヤクザが境遇について葛藤し、最後には暴力で敵を倒していくところが観客の胸を打っていた。しかし本作は違う。本作での組織は「天竜一家」であるが、中井が松田や仙波を殺害する背景に天竜一家の影響は見られない。中井個人の勝手な振舞いによって松田や仙波が消されていくのだ。中井自身が組織の一員だから、松田や仙波を殺したのではなく、あくまで中井個人の始末のつけ方として描かれるのである。

もっとも、はじめから中井は自分の意志によって動いているわけではない。跡目が石戸だと知って激高する松田をなだめ、仙波が組を乗っ取る算段を立てていると知っても事を荒立てないよう行動する。組織のためであり組織の一員である自覚が中井にあるからこその行動である。実際に中井は序盤で以下のように言っている。

「一家として決まったことをのむのが渡世人の仁義だ。白いもんでも黒いと言わなくちゃあならねぇ」

これは中井に天竜一家のヤクザとして組織を背景に生きているという自負がある段階での台詞だ。

中井は仙波を殺害するラストシーンで非常に印象深いセリフを吐く。叔父貴分にあたる仙波に「俺を殺すのか、お前の任侠道はそんなものなのか」と毒づかれたとき、「任侠道、そんなもんは俺にはねぇ。俺はただの人殺しだ」と言うのだ。過去に組織を慮って行動していた人間とは思えぬ発言である。中井から組織の影響が見られなくなった転換点は仙波から松田殺しを命じられた時だろう。中井は松田と仙波を殺害することのみ考え始め、組織の中で生きていくという志向は失われてしまっている。任侠道が見えなくなり、中井に残ったのは人殺しというアイデンティティだけである。終幕で中井に見ることができるのは本人の意志で暴力を行使し、組織と完全に解離してしまった一人の男であるということだ。

そして、本作には「切なさ」という要素も絡んでくる。中井は組織の為に奔走した。暴れ馬のような松田と跡目を継いだ石戸をなんとかなだめようとする。松田と石戸への説得はうまくいかず、つや子は総長の跡目争いに巻き込まれて死に、石戸は暗殺される。結果として中井は松田を殺さなくてはならなくなる。最終的に中井が黒幕の仙波を殺すことで溜飲が下がるかといえば全くそんなことは無い。本作の登場人物全員に救いが無い点はなんとも悲劇的である。組織と暴力に翻弄されるヤクザの姿を描いた作品は数多いが、登場人物の心の揺れを描き出したものは少ない。

主人公・中井信次郎の組織から離れていってしまう際の心の揺れ動きは、抑圧された境遇に泣く現代人にも理解できる点があり、1968年の公開から半世紀近くが過ぎた今日でも、共感を得られる作品となっている。

かくして、この時代からヤクザは本質は変わっていない。今年もまた、小さな利権を求めて日本のどこかで音が鳴る(発砲される)のだろう。

(伊東北斗)


◎[参考動画]博奕打ち 総長賭博(予告編)1968年東映 山下耕作監督 笠原和夫脚本 鶴田浩二主演

 

大高宏雄『復刻新版 仁義なき映画列伝』

社会人になり、編集プロダクションに入ったときの最初の先輩が、のちにミステリー作家になる北森鴻氏だった。1991年3月に入社して数日後、「呑みに行こう」と連れて行ってもらった先は、なんと路上の屋台だった。

「好きなもの、食っていいぞ」という北森先輩はその夜はとても饒舌で、「俺はいつか作家になる。おまえが先に売れれば俺はだいぶ楽になるなあ」と酔いがまわり、いくぶん上機嫌でいくつかのミステリー小説のプロットを語ってくれた(もちろんのちに作品になるものがたくさんあった)。

雑誌やスポーツ新聞や受験雑誌にスポーツや芸能、受験情報やイベント情報などの記事を書き散らしている編集プロダクションにあって、北森氏の才能は群を抜いていた。

北森氏は原稿を当時、シャープペンで書いていたが、400字10枚を20分足らずで書き上げる速さ。僕はひそかに「ジェットの執筆」と呼んで尊敬していた。だがお互いの信頼関係は少しずつヒビが入り始める。

なぜかといえば、「作家になる」と宣言していた北森先生は編集者としてもライターとしても恐ろしいほど才能がありながらも、編プロでの仕事を少しずつ減らしつつあり、嘱託のような生活をし始めた。会社も「作家になりたいのだ」と主張する北森氏に配慮して、仕事量を調節していた。

いっぽうで僕は編集プロダクションで手前みそだが、のしあがりつつあり、中心的存在へと確実にステップアップしていった。この編プロは編集と執筆が同時に求められるタイプの会社で、読者がおもに小学生や中学生の雑誌だったから、とにかく「わかりやすく書く」ことが求められていた。北森氏ものちに「編プロ時代のライター修行が作家になってから役にたった」となにかで書いていた。今、小説の文体を読み返していて、僕もそう思う。

「会社からフェイドアウトしていくのに、北森氏は優遇されすぎている」と感じた僕は、ことあるごとに北森氏とぶつかり合い、ある日を境にそれきり北森氏の飲み会にはまったく誘われなくなった。

心が狭い僕は、会社が行う北森氏の送別会にわざと長時間の取材を入れて、 これみよがしに送別会に欠席した。今から思えば、やっていることはまるでガキで、これから何年も出席しておけばよかったと悔いることになる。それが95年のことだ。
このとき、明らかに僕は北森氏が「狂乱廿四孝」で第6回鮎川哲也賞を受賞した現実に打ちのめされていた。

北森氏は、それまでつちかった取材でのデータエッセンスを執筆につぎこんで、何度読み返してもおもしろい話を書き上げていた。仕事は受賞して2年ほどがスケジュールが埋まり、明らかに僕より何十歩も先をいっていた。

「朝型」で朝7時ごろ出社して夕方5時には帰るという生活をしていた北森氏は、「夜型」の僕とはよく仕事がゆきちがい、何度も北森氏の自宅に電話して取材をどう進めるかという指示をあおいだ。その電話番号を、僕はいまだに忘れることができない。

これは今年になってはじめて知ることになるのだが、北森氏は、僕が要領が悪くて、なかなか仕事ができない時代に、よく僕のことをかばってくれたそうだ。そうした状況を無頓着ながら知らず、何度もできが悪い原稿でよく北森氏に罵倒されていたものだから、とっくに嫌われていると思っていた。

北森氏とつぎに話したのは、だいぶ間があいて、2005年。その編プロが20周年のパーティを開いたときだ。

相変わらず饒舌に過去のライター時代の話をおもしろおかしく周囲にしている北森氏に挨拶しつつ、当時、編集者として竹書房という会社に流れ着いた僕は、過去のことを一切忘れて挨拶するや否や反射的に「うちにも書いてください」と言ってしまった。

北森氏はビールをつぐ手を震わせていた。うまくつげなくてジョッキから泡がこぼれ出てきた。ビール瓶をテーブルに置くと北森氏は口を開いた。
「お前とはまだ早いだろう」
それが上下関係にあったとはいえ、過去に同じ会社でしのぎを削った元編集者兼ライターだからしばらく「編集者ー作家」という関係になるのは時間をおこう、という意味だったのか、それとも「時間がたったからもう少しお互いを理解してからにしょう。だいぶ間があいたことだし」という意味で言っていたのかは今となってはわからない。
北森氏は2010年1月25日、山口市内の病院であまりにも唐突に亡くなってしまったからだ。享年48歳。

北森氏が言ったことで忘れられない言葉がある。

「ばれなければ何やってもいい。ただし、ばれたときの責任はお前がぜんぶとれ」と。仕事上のアドバイスだ。北森氏は、会社をやめ際に僕がかけた言葉をきちんと覚えていた。

「おまえ『食えなくなったら出版社に営業して、仕事をとってあげる』って俺に言ってくれたよな」

北森氏は、僕のこの何気ない一言に、最後まで感謝していたそうだ。もちろん、北森氏が食えないとなれば、さんざんぱら出版社を秘書的にまわって営業する覚悟が僕にはあった。だが、悲しいかな、もう伝えることはできない。

作家・北森鴻氏が学生時代にアルバイトしていた居酒屋「味とめ」

北森氏が急に旅立たれてから、もう7年がすぎようとしている。

僕らがいた編プロは「中二時代」「中一時代」「中学三年生」という旺文社の雑誌を作っていた。そこのモデルだった女性がプロゴルファーになったときに、「もと雑誌モデルだった美人ゴルファー」として写真を週刊誌にもちこんだことがある。もちろん、本人に了承を得て、だ。

このとき「昔お世話になったモデルの過去の写真を週刊誌に売るのはどうか」とスタッフの中でただひとり反対したのが北森氏だ。

北森氏はよく「僕らは情報の被害者だ。僕らは情報の〝加害者〟にならないといけない。発信する側になって、その場所に居続けないとならないんだ」と強く言ってた。今僕は「記者」という立場でさまざまな取材をしているが、北森氏に見せても恥ずかしくない原稿を書きたいと思う。

そして今、北森氏に原稿のアドバイスをもらっていた僕は「僥倖」としかいえない時代をすごしていたのだとせつに思う。

北森氏にこう謝罪したい。

「嫉妬からあなたと距離をとってしまい、すみませんでした」と。

そして僕は、北森氏が学生時代からバイトしていたおいしい三軒茶屋の名店「味とめ」にこれからも何度も行き、北森氏の「生き証人」である女将さんから何度も彼の話を聞いて、うまい酒を呑むだろう。

それが僕にできる贖罪ですよ、北森先輩。先輩、またどこかで会いましょう。

生まれかわって、また仕事で組むことがあったら、今度は必ず「送別会」に出ますから(笑)。あのときの心が矮小だった僕を許してくださいね。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」

『紙の爆弾』タブーなきスキャンダルマガジン!

若い頃エロ本のお世話になった人というと、およそ1985年以前が中心というデータが出版の取り次ぎ会社にある。

今や書店からほぼ完全に姿を消し、コンビニの棚の隅にひっそりと息づいているだけのエロ本は、斜陽化が進む出版界においてもレッドリストの筆頭に入る絶滅危惧種、昭和最後の名残なのだ。

「東京五輪・パラリンピックまでにコンビ二の棚からエロ本はなくなるという噂が出版界では広がっています。諸外国に対する配慮からですよ」(全国紙社会部記者)

エロ本の息の根を止めたのはインターネットだった。出版不況がいわれ始めてはいたが、まだまだ本が売れていた20世紀末、エロ本業界では局部のスミ消しがモザイクに変わり、薄消し競争で内容が過激化して逮捕者まで出していた。その過激なコンテンツが〝自炊職人〟たちの手によって、ネット上に無料で大量に撒かれ始めたのだ。これでは誰もカネを出してくれない。

「ネットサーフィンを初めて、自分が作っている本の名前で検索結果を見て凍りつきましたよ。一所懸命人集めて、会社のカネとはいえ大枚払って撮影して、何度も大切に使っていた写真が、タダでばらまかれているんですもん。一瞬怒りましたが『ああ、こりゃもう誰も買ってくれなくなるな』とすぐに悟りました」(編集者)

でもその頃のネットはまだ通信速度が遅く、動画配信には負担が重すぎた。だからエロ本は、当時普及し始めていたDVDを付録に付けた。部数は伸びたが、外すと途端に落ちるので、DVD付録は必須になった。やがて読者は本体の写真よりも付録のDVDを重視し、エロ本書店が多かった神保町の駅のトイレには、DVDだけ抜かれれたエロ本が散乱していたという。

そして光ファイバーの登場で動画送信がスムーズになると、YouTubeの勃興とともに無料エロ動画サイトが乱立する。毎月お気に入りを探して書店に行って1000円の本を買ってDVDをセットするより、ネットにつないでAVアイドルの1分サンプルや、無修正の海外ハードコアの方が簡単便利実用的しかもタダ。勝てるわけがない。

そんなエロ本の動向を先取りしたジャンルが「性生活告白本」だった。20世紀末に隆盛を誇った、文字ばかりの本なのだが、読者層は70代男性、つまりは年金生活者。彼らが若かったころの思い出を綴った本で、昭和初期の性風俗を知る上での格好の資料でもあったのだが、よほどのマニアでなければ若者は買わない。その告白本を支えていた読者は、今ではもう80代から90代。こうしてこのジャンルは、ひっそりと書店の棚から姿を消した。

そして2020年の『東京五輪・パラリンピック』がやってくる。外国人が立ち寄るコンビニにエロ本が置いてあるのは、国の品位にかかわる。ちなみに東京都庁が毎月指定している〝不健全図書〟に、エロ本はない。コンビニでのエロ本は、置く棚を他の本とは別にする〝分別販売〟を東京都が推進し、業界も遵守しているので、うっかり不健全図書に指定すると雑誌の業界団体がうるさい。

ところが出版関係者が心配しているほど「東京五輪」はエロ本がコンビ二から撤廃されるお題目になっていない。

不健全図書の指定を管轄する「東京都庁・青少年治安対策本部総合対策部青少年課」に「東京五輪までにコンビ二からエロ本が全部撤去されるという噂が出ていますが」と聞くと「そんな話はでていません。確かに、コンビ二からエロ本を撤廃しろという都民のかたのご意見はちょうだいしたことがあります」とのこたえ。

しかしコンビニは書店ではない。エロ本も経済誌も弁当もジュースも、回転率と利益率で判断される商品のひとつだから、棚の効率が悪ければ他の商品が取って代わられる。エロ本を棚から撤去するのは、各チェーン店担当者のお心ひとつだ。絶滅寸前の書店売りエロ本に至っては、数は減っても過激なままだったので、すぐさま警察から呼び出しが来る。

「最後に桜田門(警視庁)に呼び出された時はキツかったですよ。いつもは担当部署の方の指示どおりに始末書を書くのですが、その時は取調室に案内されて座った瞬間『お前、警察なめてんのか!』。ビビりましたよ。あんなに本気の担当者を見たのは最初で、多分最後。『今度なんかあったら、そのまま行くからな』で、社に戻って必死に善後策を検討しました。その後は事なきを得ていますが…」(前出)

ここでひとつ豆知識を。書店売りのエロ本は、モザイク修正が始まった頃から、自主規制で〝18禁〟マークをつけることになった。それに対してコンビニ売りは、18禁を置くのが望ましくないのでマークをつけず、その代わり〝小口止めシール〟という、立ち読みができない姿で売られていた。そして18禁の書店売りはわいせつ図画で警視庁が、コンビニの小口止めは青少年への有害図書で都庁が、それぞれ取り締まるという協定が今でも生きている。

こうしてエロ本の読者は、ネットリテラシーの低い中高年が購買層のメインになった。そういう中高年男性が、コンビニで弁当とお茶とエロ本を買う姿は悲哀を誘うが、エロ本業界はさらに悲哀の底にある。今の部数では、自社でコンテンツを制作する予算がないので、AVメーカーから動画はもちろん、静止画(AVメーカーが広報用に撮る写真)まで借りてきて本を作っている。しかも超低予算で「他の企画と抱き合わせでないと商売にならない」とは某編集プロダクションの編集長。部数はそこまで落ちているのだ。

「コンビニでは2万部売れればいいほう。書店だけのエロ本は1万部切っています。5年前の半分ですよ」(取り次ぎ関係者)

エロ本の作り手には、ここに来て、決定的な試練が待っている。権利関係の管理が厳しくなってきたAVメーカーが、出版社に素材を提供しなくなる可能性があるのだ。

「女優を強制出演させているという批判が集まる中、AVメーカー側はいま肩身が狭い。AV女優にも肖像権があるという判決が出て、簡単に宣材(宣伝用の動画や現場のスチール写真など)を出版社に貸しだしできなくなっています」(編集プロダクション社員)

都庁や警察が動かなくても、読者の高齢化と素材の枯渇から、エロ本はやがて自然消滅する運命にある。しかもそれは、遠い日ではない。

▼高山 登(たかやま・のぼる)
長くエロ本編集に携わる。編集好きが高じてDTPソフトで表紙まで仕上げる編集機械。ライターとしての守備範囲は広く、芸能スポーツ以外は何にもで首をつっこむが、軍事と特撮とかわいい動物にはそれなりの薀蓄を持つ。社命で経営まで関わった事があり、一時Excel恐怖症から鬱になるが、最近復帰した。
◎プロデュース/ハイセーヤスダ

 

大高宏雄『昭和の女優 官能・エロ映画の時代』

昨年、ラオスからタイに行って来た。
仕事仲間が「ラオスに何があるのですか」と聞いてきた。いい質問だ。
その質問はそのまま村上春樹の本となっている。
そしてタイのウドンタニを経由してバスで揺られてラオスに入り、メコン川をまたぐ「平和の橋」を通り、首都のビエンチェンに到着した。

 

ここには本当に何もない。
「何もない」ことが僕に精神的な安らぎを与えてくれる。

おそらく、僕の記憶では今のラオスは、昭和年代の日本に値するのだろうと思う。ようやく長いタイとの戦争が終わり、車が走り、道路が整備された。
ここでは少女や少年が10歳程度からもう働いている。学校に行くよりも、そのほうが有効的な時間の使い方だからだという。

ここではインフレが起きていて、じつは食べ物は100円以下。マッサージだって500円程度だ。単位は「キープ」なのだが、日本政府の怠慢で換金すると銀行では、25%ほどが手数料でとられてしまう。そうした意味では、タイのほうが日本円が使えて便利だろう。

しかしそれにしてもラオスは軍が政治を仕切っているからか治安がよく、町でも不良らしきものがまったくない。

ラオスでは夜のマーケットで、さまざまな屋台がメコン川沿いに並んでいた。印象的なのは「地雷を解体して、その部品でネックレスやキーホルダーなどを作っていた連中がいたこと」だろう。

ラオスの歴史は悲惨のひとことだ。とくにフランスに侵略されて、子供や女性など多くの人たちが有無を言わさずに殺された。
 
そうした侵略から立ち上がり、繁栄へと突き進むのはいいことのように思う。だがその一方で、「中国資本」がつぎつぎと入ってきて土地を買いあさり、イオンのようなデパートをいくつも作ろうとしている。

こうして世界の都市は、どこも平均的になっていき、日本だろうとミャンマーだろうと地球の裏側にあるような国でもイオンのようなショッピングモールが建ち並ぶのだろうか。だとしたら悲しい出来事である。

ラオスの魅力をもうひとつだけ語る。東南アジアの中で唯一、海を持たず国土の約70%が山間部を占める緑豊かな国ラオスでは、2000年代に入り観光産業に注力し、今では年間300万人以上の外国人観光客が訪れるようになったゆえ「観光客プライス」というものが存在する。だからツアーリスト向けのレストランはパリ、東京なみに髙い。

ビエンチェンの『NEW ROSE HOTEL』という一流ホテルに宿泊したが、ここいらでは月に1万円もあれば裕福な暮らしができる中、さらに裕福だと思われるここでは、チップという概念があまりないが、差し出せばとても喜ばれた。また、ナイトマーケットでは、ダーツを投げて風船を割るゲームがあったり、焼きそばが激安で売られていたりもする。

メコン川に兵士がいた。おそらく国境を無理矢理に渡ってタイに行こうとする人を止めるためだろう。かつて、貧しい国だったころに違法に国境を越えようとする人はたくさんいただろうが、今はそんなことはない。

ラオスは発展途上だが、立派にインフラが進んでいる。頭がいい人は、ここに住んでTシャツや短パンなどを大量に買い込んで日本に輸出しているようだ。なにしろ月1万円で暮らせる国。僕らの年では、月に年金が6万円前後という計算だから、ここでは36万円の暮らしが月にできる計算になる。ここで暮らすのも悪くない。もちろん愛する女房が納得すればの話だが。

この旅の最中に、「メコン川で待つ」などとハッカーらしき人から居場所を特定するメールが多数入ってきた。これはこれですべては警察に提出してあるが、弁護士も今入っており、捜査が始まる寸前だ、とだけ報告しておこう。いずれにしろ、僕はたくさん武器をもっている。それは、ある複数の「組織」なのだが、いずれここで明らかにしていこう。

また、タイでは不思議な経験をいくつもしたが、それもまた次回に展開することにする。いずれにしても、ラオスは物価が日本の6分の1、タイは日本の3分の1。月に6万円の年金でも十分に暮らせる。老後を贅沢に暮らしたいむきは、「移住」を検討してみてもいいのではないだろうか。

 

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

脱原発は多数派だ!『NO NUKES voice』11号

昨日、水道橋で古い友人M氏と会った。彼は日本人だが、台湾マフィア「竹聯幇(ジュリェンパン)」と合流して縦横無尽に凌ぎをしている。

「台湾の企業なら、いくらでも恐喝して金がとれるよ」というM氏だが、別に台湾の企業に恨みなどない。

この友人がマフィア入りするとき「立ち会ってくれ」と言われて断ると、幹部に土下座するような「儀式」の写真を見せられて「お前が困ったらいつでも敵の玉をとってやる」と、眉毛のない顔で笑った。

そのような台湾マフィアは今、一見すると堅気になり、輸入商や下着メーカーなどに化けてはいるが、一皮むけば「恐喝屋」だ。

それも表向きは警察に一掃されて「きれいな街」がそこにあるという。笑わせてはいけない。台北の街は売春婦だらけだし、麻薬の売人もはびこっている。表に出てこないだけだ。そんなわけでそのような事情を理解しつつも、この「表向きマフィアが消えた街」の観光を楽しんだ。

ある街で、ランタン、つまり「天灯」を飛ばす風景を見た。「天灯」とは、諸葛孔明が発明したとされる熱気球の一種で、平陽で孔明の軍が司馬仲達の軍に包囲された際に、天灯によって救援を要請したと言われているのだ。

台北は特定の地域でいつでもこの「天灯」を飛ばすことができる。観光客たちは「試験に合格しますように」と願いごとを書いていた。

さらに台湾ではさわかやな光景を見た。

十分(シーフェン)駅と大華(ダーファー)駅の間にあり、台湾のナイアガラとも呼ばれている「十分瀑布(シーフェン ブーブー)」では、実にマイナスイオンあふれる空気に触れてリフレッシュした。基隆河の上流に位置する多くの滝の内の1つであり、平渓線沿線の名所として知られており、多くの観光客が訪れている。

このとき、僕たち観光&取材は「ある尾行」に気がついた。その詳細は、後に譲ることにしよう。

ところで、例の緊迫感のない「民進党」代表の女性のみならず「国会議員」の二重国籍がつぎつぎと発覚して問題になっている。一度、「二重国籍」の人を洗い出して、どちらかの国籍に統一しないと税金を重く科すようなことをしないと、本当に誰がどんな意図で入国してくるかわかったものではない。

知らず知らずのうちに、沖縄の土地が中国人に浸食されている。買いたたかれているのだ。さらに、東北地方の水も中国人が買い占めている。日本の企業のITのパテントも台湾の企業が買い始めたと、東芝の人に聞いた。うかうかしていると「全員、上司が中国人」という事態になりかねない。

台湾を歩くと「美しい国」だが、日本の猿まねをしているのに気がつく。商品の陳列も、電気製品の売り方もまたしかり。アパレルもまたしかりだ。しかも、南国ゆえに朝の11時からしか店が開かない。怠けものこと、この上ない。私は怠け者は大嫌いだ。いまだに寝ないで仕事している身としては、最低の人種と見る。

そのように台湾人は話にならないが、台湾は美しい。ボーッとするにはいい場所だろう。知的な街はまず発見できないが、老後にはおすすめだ。

機会があれば、最近知り合った「台湾で企業を恐喝している半グレ」を紹介しよう。元関東連合だが、こいつこそ頭脳だけで稼ぐナイスガイだ。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

 

日本最後の遊郭飛田新地、そこに暮らす人びと、数奇な歴史、新地開業マニュアルを取材した渾身の関西新地街完全ガイド!

山口組弘道会系右翼の総長が言う。
「台湾はマフィアが一掃された。もうしのぎにはならないから我らも組む相手を変えなくてはならない」

そして彼らの足はミャンマーに向いた。しのぎにならないなら、僕も取材の対象としては追跡しない。したがって台湾への興味はすでに僕の中にはない。

だが、それでも日本の爪痕が残る台北の旧市街は、昭和の街並みを彷彿させてノスタルジアが漂う。蒋介石も「国を建て直した御仁」か「侵略者か」という評価が分かれているようだが、国を建て直した男として僕は見ている。

ただし、このところ台湾で起きるテロを見てみると、どうやらアメリカが仕掛けているような気もしている。つまり、台湾が政治的に中国じゃなくてアメリカを頼るような工作が行われているのではないか、という点だ。

前出のヤクザ系右翼団体総長はこう言う。
「今の政府が日本寄りである限り、俺らも台湾人を攻撃しない」と。

すると裏を返せば、台湾が中国寄りになり、先鋭化して領土問題などが起きると、軒並み「在日の台湾人狩り」を始めるのだという。

具体的には、右翼団体総長のターゲットはとり急ぎ、民進党の蓮舫代表となったようだ。

総裁は言う。
「あいつは本当は中国国籍だよ。だから国籍を聞かれても玉虫色の回答しかできないんだ」

そして総裁は、民進党の本部に街宣をかける予定だという。

いっぽうで僕は、台湾のどの企業だろうと揺さぶりをかけられる中国高官を、あるジャーナリストの紹介でしてもらった。

彼によると「台湾は崩壊に向かっている。アメリカ寄りの考え方をする連中を中国サイドに与したい人たちの間でつな引きが行われ、その隙間にイスラム教徒が入り込んで混乱を招くだろう」
 
こんな危険な国には二度とは行きたくない。ただ、非常に評価が高い台湾の屋台にもう二度と行かないかと思うと少し淋しい気もしないでもないが、こと自分のまわりを見回す限り、台湾人は詐欺師ばっかりなので、ややホッとする今日この頃だ。

ただ、台湾の旧市街は、日本の記憶があり、懐かしかった。もはや日本の猿まねで喰っているこの国にコンクリート建築を教えたのは日本であるが、台湾人たちが感謝すらしていないのは、かの野党代表の態度を見れば火を見るよりもなんとやらである。

▼小林俊之(こばやし・としゆき)
裏社会、事件、政治に精通。自称「ペンのテロリスト」の末筆にして中道主義者。師匠は「自分以外すべて」で座右の銘は「肉を斬らせて骨を断つ」。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

辺野古の海上工事がいよいよ再開された。高江と辺野古で沖縄人の意向を全く無視した新たな米軍基地建設が進む。もちろん誰もが黙っている訳ではない。逆だ。全国から「どう考えたっておかしいだろう!」と基地建設反対の人びとが、運動の戦列に加わるために沖縄に足を向けている。

川口真由美さん

◆真由美さんは毎月のように沖縄に通っている

京都生まれ京都育ちで、障がい者の作業所の所長さんにして3人のお子さんのお母さん、川口真由美さんもそんな人の中の一人だ。でも彼女は歌手でもある。知人から紹介され真由美さんのCDを聴いた。真由美さんを紹介して下さった方によれば、「彼女の迫力は生で聞いたらパワーが違います」とのことだったが、音楽センターから発売されている『想い 続ける─沖縄・平和を歌う─』からは、ガツンと直撃弾を食らったような詩とメロディーがシンプルな演奏で奏でられる。

真由美さんは毎月のように沖縄に通っている。辺野古や高江の現地で座り込みに参加したり、抗議行動に加わり続けている。だから彼女のオリジナル曲には、とても直接的な詩が多い。政治的であり、情熱的であり即物的なようでいて、情の深い部分を射抜く。

◆『闘う人』は異端者ではない

川口真由美さんCD「想い 続ける—沖縄・平和を歌う—」

音楽から力が失われてどのくらい経つだろう。かつては詩歌が直接的でなくとも、多くの人の心を揺さぶる楽曲が珍しくはなかった。だが近年そのような新しい楽曲に接することが少なくなったように感じる。

私の生きている世界が狭いからだろうか。時代が剥き出しの暴力をすすめ、日々が戦争めく時代にあって、優しさにくるまれた歌詞や、解釈がいかようにも可能な楽曲は、はかなくも力なく聞こえる。何も知らない子供は騙せても、大人の心を揺らせはしない。たしかに人びとの心のひだを丁寧に歌う歌はあるだろう。それらは「癒し」や「共感」には溢れているかも知れない。でもそこから「闘い」の意思と「怒り」を感じることは稀である。

時代は『闘う」ことが、なんだか不思議なことのように人びとに思わせることに成功しつつあり、『闘う人』を異端視する勘違いの罠を巧みに仕掛けている。

◆山城博治さん作詞の『沖縄 今こそ立ち上がろう』を艶やかに歌う

真由美さんの歌を私なりに解釈すれば『21世紀版闘争歌』だ。『El Condor Pasa(コンドルは飛んでゆく)』も真由美さんが歌えば、たちまち『闘争歌』へ装いを変えるし、いま、囚われの身である山城博治さんが作詞した『沖縄 今こそ立ち上がろう』を歌えば、艶やかな色を帯びた曲へと深みが増す。『翼をください』だけは詩も原曲通りだが、この曲くらいしか真由美さんの身体に納まる歌はないということだろうか。この人のエネルギーをのぞき込むのは、なんだか原発事故でメルトダウンした格納容器内のデブリを見に行くような怖さすら感じる(あえてこの表現を使う)。


◎[参考動画]辺野古作業用ゲート前で山城博治さんと共に歌う『ケサラ』、『軟弱者』(2015年1月13日)

でも本当に彼女が歌いたいのは『闘争歌』ばかりではないだろう。彼女は「躍動する声を出すようにこだわっています。鳥の声や動物の声も気にしています。自然に響くように歌わないと人の心にも響かないから。私は人間として当たり前な、人間らしさを歌いたいだけです」という。そう、彼女はいま『闘争』に忙しくとも、本当は情熱に満ちた愛情や自然を歌いあげたいのではないだろか。でも時代はそれを許さない。

◆2月25日(土)京都での真由美さんコンサートに先着5名様ご招待!

『共に歌う歌姫・闘うシンガー』とも呼ばれる真由美さんの歌を生で聞くのは正直少し怖い気もする。こちらのエネルギーが試されるのではないかと。「聴き倒れ」てしまうんじゃないか。自分に自信のない私などはちょっと不安だけれども、彼女の歌を聴くチャンスがやってくる。

2月25日(土)、京都市呉竹文化センターで1:30開演、川口真由美さんのコンサート『想い 続ける ―沖縄・平和を歌う―』が行われる。コンサートは当日2000円(前売1500円)、小学生~高校生・障がい者1000円だが、ご紹介者のご厚意により先着5名様に同コンサートのチケットをプレゼントする。チケットをご希望の方はtadokoro_toshio@yahoo.co.jpへお名前、ご住所、連絡先電話番号を明記の上メールをお送り頂きたい。先着5名様(多数の場合は抽選)にチケットを差し上げます。

2月25日(土)川口真由美『想い 続ける -沖縄・平和を歌う-』コンサート(京都市呉竹文化センター)

川口真由美さんについてのご質問は、京都音楽センター(TEL:075-822-3437、Email:info@wawawa.ne.jp)まで。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなきスキャンダルマガジン『紙の爆弾』

残部僅少『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)


◎映画『この世界の片隅に』予告編

アニメ映画「この世界の片隅に」(片渕須直監督)の大ヒットはもはや社会現象のような趣だ。戦時下の広島県呉市を舞台に、広島市から嫁いできたヒロインの女性・すずとその周囲の人たちがけなげに生きる姿を描いたこうの史代の漫画を、片渕須直監督が6年以上費やして映画化。昨年11月、全国で約60館という公開規模でスタートしたが、あらゆる批評家、そして一般の観客たちがこぞって絶賛して評判が広まり、累計観客動員数は100万人を突破。キネマ旬報が選ぶ2016年のベスト・テンでアニメ作品としては28年ぶりの1位に輝き、現在は上映館数も200館を超えている。

私もこの作品を鑑賞したが、何より感銘を受けたのは、登場人物たちが戦時下の過酷な状況を当然のこととして受け入れ、時勢に対して何の不満も言わず、かといって戦局に一喜一憂するわけでもなく、一日一日をただひたむきに生きていたところだった。戦争は怖いとか、いけないことだというのは、今の日本なら誰でもそう思うことである。しかし戦時下はそうではなく、一般の人々の暮らしぶりとは、この映画のようなものだったのだろう。そんなことをしみじみと感じさせられたのだった。

中国新聞1945年8月2日1面。度重なる空襲で呉市民の多くが生命を奪われても日本の優勢が伝えられ続けた

そして私が改めて気になったのが、当時の戦争報道がどのようなものだったのか、ということだった。戦時下において、この映画の舞台となった広島県呉市の人たちの戦争に関する事実認識や考え方は当然、戦争報道によって形成されていたはずだからだ。そこで、広島地方の地元紙である中国新聞の当時の報道を検証してみた。

◆呉で2000人が犠牲になって以後も日本優勢を伝え続けた地元紙

軍港があった呉市は終戦が間近に迫った1945年3月から7月にかけ、計14回の空襲に見舞われ、約2000人の民間人が犠牲になったと伝えられている。しかし、8月2日の中国新聞は1面に、〈本土の戦備・着々強化〉〈機動部隊 艦上機を迎撃 約八七八機を屠る 我軍事施設の被害僅少〉と、このごに及んでもなお戦局は日本が優勢であるかのように伝えている。まさに「世界の片隅」にいて、地元の状況以外は報道で知るしかない呉市の人たちがこんな報道を見れば、呉市はどんなに悲惨でもそれ以外では日本が優勢なのだろうと誤認しても仕方ないだろう。

その後も同紙の紙面には、〈沖縄の基地艦船猛攻〉〈バリックパパン 斬込みで敵陣撹乱〉(以上、8月4日1面)、〈タンダウン、トング―の線で出血戦 ビルマ皇軍勇戦続く〉(8月5日1面)、〈笑殺せよ 爆撃予告 心理的効果が狙ひだ〉(8月5日2面)・・・と日本の優勢を伝える見出しが躍り続ける。そして1面で、〈敵殺傷四千八百余 タラカン島の総合戦果〉と報じている8月6日の午前8時15分、広島市に原爆が投下され、10万人を超す人が生命を奪われたのである。

中国新聞1945年8月9日1面。原爆投下3日後、地元紙が原爆について最初に報じた記事。今思えば見当外れだ

◆映画が再認識させてくれるもの

原爆投下の翌日と翌々日、さすがに中国新聞は発行されなかったが、3日後の8月9日には早くも発行を再開している。ただ、この日の1面では原爆について、〈新型爆弾攻撃に 強靭な掩体と厚着 音より速い物に注意〉と、今思えばかなり見当外れなことを書いている。社説も〈逞しくあれ〉などと訴えているのだが、「そんなのは無理」というしかないだろう。さらに社説の下には、海軍少将・高田利種の〈この戦争・絶対勝つ 秘策着々進む 挫けるな精神戦〉という訓話が掲載されているのだが、よくもこんな無責任なことを言えたものである。

その後も、同紙の紙面には、〈人類の敵を抹殺せよ〉(8月13日1面)、〈水上機母艦を撃沈 潜水部隊、沖縄へ出撃〉(8月14日1面)、〈空母等二艦を大破 敵機動部隊を捕捉猛攻〉(8月15日1面)・・・と、昭和天皇が玉音放送で日本の降伏を伝える8月15日まで勇ましい見出しが躍り続ける。

中国新聞1945年8月16日1面。日本の優勢を伝え続けながら終戦翌日はこんな紙面に……

そして終戦翌日の同8月16日には、1面で大々的に〈大詔渙發・大東亜戦争終結〉〈神州の不滅を確信し 萬世の為に太平を開く 米英支蘇四国共同宣言を受託〉と終戦が伝えられているのだが、今思えば、こんなデタラメな報道がまかり通っていたというのは本当に恐ろしいことである。

報道の自由や言論の自由が大事なものであるというのは言うまでもないことだが、映画「この世界の片隅に」はそのことを再認識させてくれる作品でもあるように思う。


◎[参考動画]練馬アニメカーニバル2015「『この世界の片隅に』公開まであと1年!記念トークイベント」

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

『NO NUKES voice』第10号[特集]基地・原発・震災・闘いの現場

 

 

  

―― まずは今回の感想を

「そうですね。力及ばずでした。応援して頂いた皆さんにお詫び申し上げます」(パシャ、パシャ、シャッター音とフラッシュを浴びながら)

―― ノミネートされた時点で手応えはありましたか。

「いやぁ。あの時は正直びっくりしましたね。正確にはノミネートされたことを知ったのはかなりあとで、仲間から聞かされたんです」

―― ノミネート直後には知らなかった。

「ええ、こう見えて結構忙しいんですよ。貧乏暇無しってやつ。あ、この表現差別になっちゃうかな(笑)。直後に知っていたらアクションはもっと早かったでしょうし、そうすれば結果もね……」

―― 受賞決定前の数日はかなり注目が集まりました。

「はい、激励や叱咤もたくさん頂きました。でも、こういう言い方はどうかなとは思うけど、ノミネートを知ってからは僕たちなりに必死だった。全力で走りぬけた感はありますね。とにかく『受賞』の一助を担いたいと。発表を聞いた時、僕ら全員泣きましたもん」(「本当か?という無言の質問が矢のように飛んでくるが、会場は一応静まっている)。

―― 気鋭の社会学者が芥川賞受賞実現すれば、ボブディランのノーベル文学賞受賞に似ている、という話題もありました。

「あ、それ、かなり意識はしていたんです。あれ見てカッコイイなと。ボブディランは授賞式に参加しなかったじゃないですか。だから彼も『東京で控えてください』と言われていたらしいんですけど、あえて大阪に縛り付けた。詳しくは言えませんが色々考えたわけです。最後はご本人の意向もありますけど」

◆上昇志向を隠しきれない本性を取材班は見抜いていた

―― 受賞の確信はおありになった?

「うーん、確信なんて持てませんけど、なんか天啓(受賞しない)みたいなものはあって。だから僕らは動いたのかな。僕らの中で議論したんですけど、実は彼がかなりの上昇志向なんだと読み解いたんです。たぶん無意識に。 」
  

 

 

  
「『地味に』とか『片田舎でひっそりと』とか『無名』とかそういう言葉が出ちゃうってことは、脳のどこかで真逆のことを発信している神経細胞、生理というか、もうこれは生得的なモノなんでしょうけどそういうものを『持っている』。だから『紀伊國屋じんぶん大賞』受賞のコメントでも『この本の最大の特徴は、何の勉強にもならない、ということだと思います。いちおう社会学というタイトルはついていますが、これを読んでも社会学や哲学や現代思想についての知識が増えることはありません。これは何の役にも立たない本なのです』と書いているんですが、直後に『この本で書いたことは、まずひとつは、私たちは無意味な断片的な存在である、ということと、もうひとつは、そうした無意味で断片的な私たちが必死で生きようとするときに、「意味」が生まれるのだということです』ってかなり断定的な言い方してるじゃないですか。押し付けがましいほどに。僕らから見たらこれは明らかな矛盾ですよ。決定的ともいえる意味の亀裂です。けど彼は矛盾と感じてはいない。これはかなり重要なポイントで、おそらく多くの読者も気づいていないと思うな。でも僕らは、それを見逃さなかった。あ、話それちゃったごめんなさい。確信はなかったけど、受賞に向けて最大限に力を尽くした。これは言い切れます」

―― 作品自体はお読みになりましたか?

「いや、あんなもの読んでる暇ないですよ。それほど悠長な暮らしはしていませんよ(笑)。だって僕たちは毎日、毎日原稿書いて、1本いくらの生活しているわけですから。日雇労働みたいなものです。世間には『読まなきゃ批評しちゃいけない、現場にいなきゃ発言しちゃいけない』と厳しいことを言う人がいるのは知っています。でも選挙で人柄に惚れて候補者に投票するなんてことは、日常的にあるわけです。『小泉現象』なんかまさにそうだったわけじゃないですか。作品から作家に興味を持つ場合もあれば、作家の人となりから作品の受賞を応援することだって許されていいんじゃないでしょうか。まあそのきっかけが僕らの場合偶然にも『M君リンチ事件』への彼の関わりだった訳で、これは大学教員としての見解を聞くべきだ、と思いましたね。僕らはジャーナリズム論を声高に掲げるつもりは全然ないけど、他のメディアが酷過ぎるるでしょ。それは申し訳ないけど断言しますよ。鹿砦社特別取材班なんかたかが10人足らずですが、今の報道状況への疑問は共有していますね。それが取材の根源を支える力にもなっている」

―― 受賞にはいたりませんでしたが、どのくらい貢献されたと思いますか。

「それはわからない、としか言えませんが、言えないこと、書けないことを含めて皆さんが想像される以上に頑張った。まあ、このくらいで勘弁してください」

―― 次回作が気になりますが。

「うーん。ギャラ次第ですかね。冗談ですよ(笑)。だって大学からの給与もあるし、共稼ぎですから、経済的には全然困っていないわけです。テレビ出演なんか準備はそんなにいらない割にギャラはいいし。僕ら日雇いとは違うんです。それからこれは強調したいんだけど、たぶん彼は本業の手を抜く気はないんですよ。研究者としてという意味です。だから次回作は未定でしょうね。と思ったらツイッターで『このたび残念な結果になりましたが、心からほっとしております(笑)。ここまで来ただけでもすごいことだと思います。みなさまのおかげです、ありがとうございました。今後も書き続けていきたいと思います。よろしくお願いします』とか『さあ、飲みに行くで!!!!(笑)みんなほんとにありがとー! また書くから絶対読んでね!!!』とか書いている。このあたりが僕らにはひっかかる。まあ正直と言えば正直な気落ちの吐露でしょうが、こういう言行不一致から人間性が見えてくるわけです」

―― これからも書き続けるということは芥川賞受賞を狙った大学教授ということになりますね。

「それを狙っていたわけです。彼には是非階段を上がって頂いて、著名になって欲しかった。経歴はだいぶ異なるけど、同じ大阪出身の高橋和巳を目指してほしいですね(「無理だよ無理!」の声が飛ぶ)、ああ、じゃあ高橋源一郎くらいにしときましょうか(爆笑)。でも毎年ノーベル文学賞候補になって、何年たっても受賞できない村上春樹って惨めだと思いません?そりゃ本出だしゃ売れるし、海外での翻訳も多いけど、あの露骨な『ノーベル賞欲しいよー』にはこっちが恥ずかしさを感じる。彼にもそうならない保証はないし、そのあたりは今後も注視しますよ」

―― ここまで熱心に応援された理由は何でしょうか。

「たぶん次の編集長には私がなると思っていた。それもありますね」

―― ちょっと意味が解らないんですが。
  

 

 

 
「僕らも解りませんよ。業務時間中のほとんどを『ネットパトロール』に費やしていて、国会前集会の決壊の準備までしていた藤井正美さんにはかないません」

―― ますますわからないんですが。

「しばき隊にそんなこと言ったら『ボケ』、『カス』、『死ね』と言われちゃいますよ(笑)。僕らは体張って仕事してますけど、笑いを大切にしているので(ただうちわネタ過ぎて解りにくいでしょうけど)、時に数人しか笑ってもらえなくても、死ぬほど笑わしたいという変な欲求があるんです。鹿砦社には吉本も手が出せませんしね(笑)」

―― 受賞応援以外にも何か目的があるようにも思えますが。

「『なおさらノーコメント』って言わせたいんでしょ(爆笑)。もちろんありますが、それは鹿砦社の出版物を読んで頂ければわかるのであえて発言するのは控えます」

◆鹿砦社特別取材班の地道な取材は続く

―― 特別取材班の次のターゲットは。

「引き続きこの問題に取り組まざるを得ないでしょう。というよりも、すでに今手一杯なんですよ。もちろん中心は『M君リンチ事件』。問題意識に変わりはありませんが、彼を襲った『しばき隊』が、そろそろ実質的にも力を失ってきている。これはかなり確信を持って言えます。彼らの相方であった『在特会』がおとなしくなって存在意義が揺らいじゃった。そこに『M君リンチ事件』が世に広まったでしょ。一部のコアな人を除いてそりゃ離れますよ。理念なき野合、しかもヒステリックじゃなきゃはじかれる訳でしょ。それからこの取材をしていると最近痛感するんだけれど、事件や自然災害にしてもそこへ向けられる人びとの注目、関心の期間・スパンがすごく短くなっている。これは社会的には良くない傾向だと思います。たぶんマスメディアの影響が大きいのでしょうが、大事件でも、年中行事でもニュースの価値・意味付けに対する感覚が、根元の部分で歪んでしまっている。しかも、マスメディアが持ち札を切るスピードは増すばかり。だから『風化』というのは、あらゆる事象に共通する現代的な問題だと思います。それに抗う意味でもわれわれは原則的に問題を追います。これは本当に地味な作業ですが『M君リンチ事件』は最後までフォローしますよ」

―― ありがとうございました。受賞おめでとうございました。

「いやいや、受賞できなかったじゃないですか」

―― 記者クラブから「芥川賞アシスト特別賞」を鹿砦社特別取材班に授与します。

「え!本当ですか?」

―― はい、副賞は岸政彦氏へ再度の取材依頼です。

「光栄です。次回は前回のように簡単には引き下がりませんよ。岸先生にお伝えください。他のメディアがやらなくて、提灯持ち記事ばかり書けば書くほど、僕たちは燃えるんです。僕たちは権威も権力も怖れませんから。『M君リンチ事件』隠蔽に彼が果たした役割も追い続けます」

(鹿砦社特別取材班)

 

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

 

 

  
芥川賞第一回は1935年、石川達三の『蒼氓』が受賞している。『蒼氓』が芥川賞第一回の受賞作とは知らなかった。筆の早い石川達三は後に押しも押されぬ文壇の大御所となり、日本ペンクラブの会長まで上り詰めた。ただ、「芥川賞」=「作家としての将来を保証される」かといえば、かならずしもそうではなく、文学の世界では新人作家の登竜門的色合いが濃いとされている。芥川賞に対して直木賞は「受賞すれば生涯食うのに困らない」と言われるだけあって、作家の中でもすでに一定の評価が定まった候補の中から受賞者が決まる。

さて、ごたくをならべるのはここまでだ。いよいよ本日17時に第135回芥川賞の受賞者が発表される。英国のブックメーカー(英国ではあらゆることが賭けの対象となる)が芥川賞受賞者予想を賭けの対象にしているか、英国在住の友人に聞いてみたが「聞いたことないよ」とのことだった。まあそうかもしれない。英国人にとっては賭けるにしても、判断材料が少なすぎるのだろう。

◆宴の場は大阪、十三の「美味しいホルモン焼いている」店にしたかった

でももし、日本で同様の賭けが合法であれば、特別取材班は迷いなく、岸政彦先生の『ビニール傘』にどーんと張る。そして受賞のあかつきには、払い戻し金を手に、受賞記念パーティーを独自に準備する。場所は大阪、十三の「美味しいホルモンを焼いている」店にしたかったが、あいにく昨年10月末で閉店してしまったので、コリアNGOセンターに場所をお借りしてまずは一次会だ。パーティー参加者には『反差別と暴力の正体』で取材対象となった方々も招待しよう。

祭りだ! 祭りだ! 岸先生が文豪への第一歩を歩みだされた記念の日、これを祝わなくて、何を祝う。岸先生の洋々とした前途を祝し、著名人もたくさん招待しよう。有田芳生参議院議員、作家の先輩中沢けい氏、なにかと話題の香山リカ先生、取材班の田所敏夫は絶縁したけれども、この際のりこえねっとの辛淑玉さんにも声をかけよう。あんまり関係ないけど合田夏樹さんも呼ぼう。司会進行は元鹿砦社社員の藤井正美氏にお願いするのがいいだろう。撮影係りは秋山理央氏をおいてほかにはいまい。特別取材班は黒子に徹する。社長松岡もこの日ばかりは裏方だ。

◆お祝いスピーチのトップは李信恵さんしかいないだろう

岸先生「受賞の喜びのご挨拶」に続くスピーチのトップは、やはり先生に一門(ひとかど)ならぬお世話になっている李信恵さんしかいないだろう。李さんも「やよりジャーナリスト賞」受賞作家だからこれで受賞作家同士、さらに友情と信頼が深まることだろう。李信恵さんの『鶴橋安寧』を出版した「編集者の罪は重い」と李さんに憎悪を抱いていた朴順梨さんも、受賞者が岸先生ならば文句はあるまい(あれ? 朴さんが李さんを嫌っていたことって内緒だったっけ?)。先輩作家の中沢けいさんからは「何か不都合な取材や質問を受けた時は『なおさらノーコメント』よ」とユニークなアドバイスが飛び会場が笑いに包まれる。岸先生の笑顔が絶えることはない。

 

 

  

◆「文学におけるヘイト」をテーマに野間さんだって語ってくれる

宴たけなわで登場は、ソウルフラワーユニオンの中川敬さんだ。プロのミュージシャンの生歌が聴けるのも、やはり岸先生の人徳がなせる技だ。中川さんは「騒乱節」を披露してくれ、会場の盛り上がりは最高潮に。参加者の酔いがほどよく回ったところで、「NO HATE TV」でおなじみの安田浩一さんと野間易通さんが「文学におけるヘイト」をテーマにトークショーを披露だ。最近ツイッターで何を書いてもリツイートが激減している野間さんだが、この日ばかりは張り切っている。「調査なくして発言権なし」と国会議員になってもジャーナリスト魂を忘れない有田先生は、控えめにも会場の隅でメモをとっている。スピーチも固辞された。なんと謙虚な方だろう。有田先生の横には寺澤有氏の姿がある。必死で何かを有田先生に語り掛けているようだが、有田先生は取材に忙しく寺澤氏に構っている暇はないらしい(無視か)。合田夏樹さんはいつも通り綺麗どころを口説きまくって、いや、楽しませている。

懐かしいあの顔が見える。シースルーじゃなくてブルーシールでもなくてなんだっけ・・・。えーっと、シズル、違う。シールズだ! 憲法9条2項改憲主義者にして「民主主義ってなんだ」と自問しながら一橋大学の大学院に進学した奥田愛基氏だ。「民主主義ってなにか」わかったのだろうか? 時代の寵児としてもてはやされたけど関西では、司会の藤井正美氏らがコントロールしていて、「極左探し」の名のもと何の関係もない学生2人を「極左認定」しパージ(追い出し)していたシースルー、じゃなかったシールズ。見通しも風通しも悪かったよな。まあいいか。

◆芥川賞受賞記念パーティーのサプライズ

さあ、これで終わると思ったら大間違い。芥川賞受賞記念パーティーにはサプライズがなくてどうする。会場の照明が消えた。ざわつく会場に音声が流れ始めた。

「どっちや!どっちやゴラァ。言うてみぃ オラ(一発大きな殴る音)。言うてみんかい!(一発)。こっち来いコラクソガキ。どヘタレ」、「訴えたらええやんけそれやったら。徹底的にこっちもやったろやないけ。それで俺がパクられても上等やんけお前。売るか売れへんか見てみろや。頭下げへんで。お前なんかに。訴えられたって。あん?お前の味方してくれる奴何人おんのやろのぅ。これで。京都朝鮮学校の弁護団? お前の味方になって もらえると思うか?」

物騒な怒鳴り声が会場にこだまする。闇の中、聞くに堪えないと会場から出ようとする人もいる。怒声はさらに続く。
  
「KさんとかMさんでも誰でもええわ。今おるあいつらも。Iさんでも、Tさんでも男組でも。お? 勝負したろやないけ、それやったら。やるか!? どっちや!? 訴えてみぃやお前!(ドスッという音)おぉ、いつ起訴する?やってみぃ。(一発)コラ。いつや? 明日か? 明後日か? どないすんねん。弁護士事務所ドコ行くねん? どの弁護士行くねん。やってみぃや!コラ (一発)。クソが。やってみぃ、やってみぃ言うとんのやぁお前(一発)。おい。腹くくったから手ぇ出しとんねん、こっちはお前。あぁ? やったらええやんげ、やんのやったらぁ。受けたるからぁ。とことん。お前その代わり出た後、お前の身狙ろて生きていったんぞコラ」

「もうやめましょうよ」岸先生の声が響いた。その時だ。会場の正面左側にスポットライトが照射された。顔を腫らした男性が立っている。「キャー」参加者から幽霊でも見たような奇声があがった。無理もない。男性の顔は腫れあがっているだけでなく、唇は切れて血が滴り、鼻血も出している。男性は無言だ。またしても会場に女性の声が響いた、少し酔ったような口調だ。

「まぁ殺されるんやったら店の中入ったらいいんちゃう?」

 

 

  

スポットライトを浴びた男性は顔から血を流しながら、岸先生の方へ向かう。手に何かを持っているようだ。岸先生の顔が心なしか蒼褪めている。男性は小さな封筒から紙を取り出した。静まり返った会場で彼はその紙を読みだした。

「『李信恵さんの活動再開は、Mさんが最初期からカウンターの最前線に立ってヘイトスピーチに反対する活動をおこなってこられたお気持ちに反することはないものであると考えております。どうぞご理解いただき、ご了解いただきますようお願いいたします』これ、受け入れられませんのでお返しします」

紙を封筒に戻すと、少し血の付いた手で男性は岸先生に封筒を手渡した。岸先生の手が震えている。そして先生は消え入りそうな声で男性に語り掛けた。懇願しているようだ。

「これインターネットとかに出さんといてくださいね」。男性は黙って首を横に振った。

しまった! 寝過ごした。変な夢を見た。今日は岸先生の受賞発表の日じゃないか、記者会見抜かりなくこなすぞ。

 

(鹿砦社特別取材班)

残部僅少!『反差別と暴力の正体――暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾12月号増刊)

増刷出来!『ヘイトと暴力の連鎖』

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