本通信で「『体罰』ではなく、すべて『暴力』だった」を3回にわたり掲載した。個的な経験の紹介ではあるが、ある時期、公権力(教育委員会)の明確な意思にもづき、堂々と行われた「教育」に名を借りた「犯罪行為」であるから、私怨としてではなく、記録として留められる必要があると考えたからだ。

愛知県をはじめとする「管理教育」について『禁断の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1981年)『虚構の教育』(宇治芳雄、同時代叢書1982年)など問題を指摘する書籍も発売され、校内暴力などで荒れる学校の問題と対極に、行政暴力により吹きまくる公立高校内での「犯罪」は限定的であるとはいえ、教育や社会問題に関心のあるひとびとの間では、認知されていた。

NHKも東海地方では教育テレビで特集番組を放送し、『ある小学校長の回想』(岩波新書1967年)の著者である金沢嘉市氏がゲスト出演し、学校内で行われる異常な「教育」の実態を記録したビデオ映像を目にして、「ついにここまで来たか……という感じです」と絶句していたことが思い出される。

わたしは運悪く(あるいはのちの人生を考えれば逆説的に「幸運にも」との評価も成立するかもしれない)管理教育の被害者になったことで、人格形成のかなり重要な部分に多くの傷をすりこまれた。かといって教育界にはわたしに接したような、最低レベルの人間ばかりが巣くっているわけではなく、教育者としてだけでなく、人物としても尊敬に値するかたがたが熱心に児童・生徒・学生のために献身的に身を削っておられることを、身をもって後に知ることになる。

「ゲルニカ事件」は、ウィキペディアに下記の通り、記載されている。

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1988年3月の卒業式の際に、卒業生たち卒業記念作品としてパブロ・ピカソの『ゲルニカ』を模倣した旗(以降、「ゲルニカの旗」と呼称する)を作製した。児童はゲルニカの旗を式典会場の正面ステージに貼ることを希望したが、校長の指示により、ステージ正面には日章旗が掲げられ、ゲルニカの旗はパネルに貼られた状態で卒業生席背面に掲げられた。なお、ゲルニカの旗をパネルに貼って掲げることは校長によって提示された修正案だが、職員会議での合意は得られていない。

これに対する抗議の意味で、卒業式当日には、卒業生代表児童挨拶での校長への批判発言もあり、「君が代」の斉唱の際に着席するなど児童がいた。この児童らに同調し、着席、また退場の際に右手こぶしを振り上げる行動をした教諭に対し、福岡市教育委員会は同年6月、教育公務員としての職の信用を傷つけるものとし、地方公務員法に基づき戒告処分を行った。(ウィキペディア『福岡市立長尾小学校ゲルニカ事件」の項)

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事件後報道もされたので、「へー、世の中には立派な先生がいるもんだな」と感嘆した記憶があった。その立派な先生の名前は井上龍一郎さんだ。わたしが井上龍一郎さんと初めてお会いしたのは、熊本で行われた鹿砦社も支援するイベント『琉球の風』だったと思う。3年ほど前だろうか。当時から鹿砦社のロゴやイベントの際の横断幕などを力強く書く「書家」としてお名前は伺っていた。ニコニコして人柄の優しい井上さんはみずからが出向いて書を描く行為を「テキヤ」と自嘲気味に表現される清々しい方、との印象があった。


◎[参考動画]龍一郎さん 書道 亥(2019年2月16日公開)

けれども、のちに鹿砦社代表の松岡氏から「龍一郎は『ゲルニカ事件』で有名だったんですよ」と聞かされるまで、井上さん(ご本人は「龍一郎」を仕事で使っておられるので以後の記載は「龍一郎さん」とさせていただく)が、まさか、あの『ゲルニカ事件』の先生だとは気が付くはずもなかった。

後日松岡氏の好意で『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(井上龍一郎とお母さんたち1991年、径書房)をご紹介いただいき、即読了した。

井上龍一郎とお母さんたち『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』(径書房1991年)

龍一郎さんは1987年4月6日に長尾小学校に赴任して以来のできごとを、同書第一章「君は何をするために学校に来たのか」で克明に綴っている。若く情熱に溢れた教師が、すさんだクラスに赴任してから児童のこころをどうやって解きほぐしていったのか。いうことを聞かないやんちゃ坊主とどのように打ち解けたのか。実に細かく日々の学校生活と児童の様子・変化が記録されている。残念ながら『ゲルニカ事件 どちらがほんとの教育か』は絶版になっているので、簡単に入手することはできないが、できれば教育に携わるすべてのひとびとと、お子さんを小学校に通わせている、あるいはこれから通わせる保護者のかたがた全員に読んでいただきたい。心揺さぶられる名著だ。

龍一郎さんは個性豊かな(と表現しておこう)児童が集う6年3組の担任を任されることになるのだが、このクラスは校長や教務主任がいうには「問題の多いクラス」ということで、龍一郎さんも心配しながらの新学期が始まった。そして「問題の多い」原因が同じ児童が5年生(5年生と6年生はクラス替えがなかった)の後半に、担任の先生が産休となり、代わりに赴任してきた先生に「毎日叱られてばかいりた」ことが原因で、教師不信に陥って反抗的な態度をとるようになったことを知る。龍一郎さんは毎日手探りを続ける中で、児童「教師に対する猜疑心」を徐々に希釈してゆき、やがては圧倒的な信頼を得るようになる。

「卒業といってっても、何もあわてて特別なことやっても駄目だ。やはり、一学期、二学期の取り組みの延長線上に明確に位置付けるべきだ。私たちは、子どもの主体的活動を基礎に学級集団を作り高めようとしてきた。三学期は、これを土台に学年の集団をはっきりつくりあげていかなければならない。そして、何より子ども達が燃えて燃えて燃え尽きるまでものごとに取り組み卒業してゆくこと――。こんな当たり前のことにたどりついた。具体的な計画を立てるときは、子ども達の興味、関心を最大限に引き出せるように工夫した。何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある。」

「何といっても学習の主体者である子どもの意欲が問題なのだから、当然なことではある」と龍一郎さんは当たり前に考えておられたが、その真逆の人間が「教師」を名乗っている事実があまたにこびりついているわたしにとって、龍一郎先生の言葉は、新鮮を通り超え驚愕ですらあった。

そして、子供たちは卒業の記念にゲルニカを作成することを決めて、見事に完成する。その過程で児童が戦争や差別など社会問題に興味を持ってゆく過程などは、「これがほんとうに小学生が、みずから考え行動したことなのか」と驚愕させられるほどレベルが高い。2019年、大学生でも龍一郎さんが担任を受け持った児童のレベルに遠く及ばない学生が大半ではないか。

宇崎竜童さん(左)と龍一郎さん(熊本「琉球の風」にて)

はたして、児童たちは見事な学年の旗ゲルニカを完成させ(その完成度も驚愕に値する)卒業式が行われる体育館のステージにいっぱいに、自分たちの小学校生活集大成を見つめながらの卒業式を楽しみにしていた。だが、柳校長は職員の総意と児童たちの思いを踏みにじり、ゲルニカを壇上から外し、代わりに日の丸を掲げた。

卒業式では、卒業証書を受け取った児童が思いを述べる。ある児童は「私は怒りや屈辱をもって卒業します。私は、絶対、校長先生のような人間にはなりたくないと思います」と宣言した。

一連の出来事は「筑紫哲也のニュース23」で特集された。わたしはつい最近その映像を見る機会があった。失礼ながら一番印象深かったのは、わたしの知る、個性派書家龍一郎さんではなく「若い好青年」だったことだ。そして龍一郎さんは「処分」を受け、それを「不当」とし裁判闘争に立ち上がる。『ゲルニカ事件 どっちがほんとうの教育か』を読了するまでにも、わたしは何度もすなおに感激し落涙をおさえられなかった。

長年の沈黙を破り、龍一郎さんが11月10日、13時から同志社大学今出川キャンパス良心館で「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」をテーマに講演会を行う。(講演会参加者には龍一郎さん揮毫の来年2020年の鹿砦社カレンダーを進呈します!)

子どもに向ける情熱を書に切り替えても、龍一郎さんの情熱は変わらない。そんな龍一郎さんは30年前を振り返り、今日の教育問題をどのように感じておられるのだろう。いまからお話が楽しみだ。

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

同志社大学学友会倶楽部第7回講演会 書家・龍一郎さん「教育のあり方を問いかけたゲルニカ事件から30年の想い」

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

敬虔な、イスラム教徒のかたと外食をする。想像していただきたい。そして、ご経験のあるかたは、その困難さが理解されるだろう。豚の肉は絶対に口にはできないし、豚のエキスが入っているものもダメだ。原材料に、食べることが許されない材料が「ない」、と確信できない限り食べるもの、入る店は決められない。

一般的な外食のチェーン店はまず無理だ。「日本語がわからないから、適当なところで誤魔化そうか……」空腹で1時間以上、飲食店を物色していると、邪念もわいてくる。しかし、そのかたにとってのイスラム教は、日本人の「葬式仏教」は訳が違うのだ。母国の法律はイスラム教を書き換えたものだ。生活のすべてがイスラム教に依拠している、といっても言い過ぎではない。そんな人を欺くことはできるものではない(敬虔ではなく、比較的緩いイスラム教徒の中には、日本滞在が長くなると、あまり食を気にしなくなり、なかにはビールを飲んで歓談することも平気になったひともいる)。

そのひとが、本当に「大切」にしているもの、は簡単には茶化せないし、茶化してはいけない。繰り返すが「そのひとが本当に大切にしているもの(勘違いで妄信しているものや、演技では断じてない)」にどう接するか、いかに誠実でいられるか、が実は「アナタハナニモノデスカ」に対する、回答との写し鏡ではないだろうか。

「アナタハナニモノデスカ?」

あなたは人間だ。この通信を読んでくださっている読者は、日本語が理解できるひとだ。あなたは、いくぶんかでも、わたし、田所敏夫という名前に、引っ掛かりがあるか、疑っているか、嫌いか、そういった感情をもつひとだろう。

わたしは2019年9月某日。日本の総体を好感せず、あれやこれやと文句を書き並べる、売れないフリーライターだ。日本の総体、なかんずく日本の政治の悪質さ、マスメディアの馬鹿さ加減、庶民のファッショ化(ファッション化ではない)、の悪化に日々「いやだなぁ」と暮らしにくさを、心に刻んでいる。きのうきょうにはじまったことではない。「アナタハナニモノデスカ?」と聞きはしない。内心、そのように問わずに、安心してそのひとの大切にしているもの、の心象的な手触りを、かんじることができる人がどんどん減ってしまって、軽々に本音の話ができない。

この苦しさは、たとえが、ずいぶん的外れかもしれないけれども、敬虔なイスラム教徒の来訪者と、食事をしようと街のなかを歩き回った、あのときのたじろぎよりも、何万倍もたちがわるいく、きもちわるいのだ。あの来訪者の、人格まで知りうるほどの付き合いではなかった。あのひとは、わたしにとって「敬虔なイスラム教徒」と大雑把に決めつけるしかない。その程度の関係性だった。でも空腹はつらかったものの、どこかに「アナタハナニモノデスカ?」と質問したくならない、非日常的な幸いがあった。失礼ながらイスラム教徒のかたとは接して、職場を何年もともにしたことはあったけれども、敬虔なイスラム教徒のかたとの邂逅は、「アナタハナニモノデスカ?」が頭に浮かぶ隙も与えはしなかった。

改憲・原発・死刑・天皇制・自然災害・差別・選挙制度・日本の戦争責任・自民党と公明党・お子さんの教育・受験・学歴・就職活動・雇用形態・組合・残業代不払い・年金・介護・相続・法律……(あるいは「服従と不服従」、「倫理と不倫」、「合法と非合法」、「埋没と非埋没」、「協調と独立」)。

あまた、あなたも直面してきたであろう(するであろう)選択に際して、あなたはどんな基準(ちょっと小難しく言えば思想と哲学)で判断を決めてこられただろうか。判断の積み重ねが、こんにちの「アナタ」を形成し、あなたの人となりを決めているのだと思う。「保守」、「リベラル」、「革新」(死語)、「人権派」、「エコノミスト」、「エコロジスト」。

実際のところ、一部の個性的なひとびとを除いては上記にあげた、概念はほとんど死滅してしまっている。たとえば池上彰、佐藤優、内田樹。そこまで有名ではなくともちょっとした場面で、自分が考えたように、どんな話題にも滑舌よくしゃべるひとたち。あなたは「大昔にジョージ・オーウエルが描いた人物像以下だよ」と囁いてやりたい、軽口ども。「何にでもなれる」つまり「何物でもない」のに、自説を口角泡を飛ばす勢いで、展開しているような偽物。

「アナタハナニモノデスカ?」

人間の内面像があいまいになってはいまいか。わたしの錯視、勘違いか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

◆死者が出かねなかったドーハの惨状

ドーハで開かれている世界陸上選手権の女子マラソン(9月27日)で、棄権者が相次いだ。気温は33度。出走68人のうち、じつに4割以上にあたる28人が途中棄権したのである。優勝したチェプンゲティッチ(ケニア)の2時間32分という記録は2007年大阪大会の2時間30分よりも2分遅い歴代最遅記録だった。

英BBCによると、5位だったマズロナク(ベラルーシ)はレース実行に踏み切った国際陸連を批判し、「アスリートに敬意がない。多くのお偉方がここで世界選手権をすることを決めたのだろうが、彼らはおそらく今、涼しい場所で寝ているんだろう」と皮肉ったという。

医療施設がゴールラインの隣に用意され、コース上で人が倒れるたび、選手たちは担架でそこに運び込まれたという。そもそも炎天下でマラソンを行なうこと自体が正気の沙汰ではない。

◆真夜中のレースでこの惨状

いや、このレースは炎天下ではなく、真夜中に行われたのである(午前0時過ぎにスタート)。気温は33度、湿度は73.3%だった。おなじく真夜中に行われた男女50キロ競歩、女子20キロ競歩でも棄権者が多数出た。ロシアメディア「スポルトエクスプレス」によると、22位でゴールしたトロフィモワ(ロシア)は、レース後に「非人道的な環境だった」と語った。自身のインスタグラムで「10キロで少女たちがまるで“死体”のように道路に横たわるのをみた」と惨状を明らかにした。まさに修羅場である。こんなのを“スポーツ”というのだろうか。

けっきょく、日本選手は7位に谷本観月(天満屋)、11位に中野円花(ノーリツ)と2人が完走したが、池満綾乃(鹿児島銀行)は30キロ過ぎに力尽きた。代表コーチを務める武冨豊天満屋監督は「こんな環境では、もう二度と選手を走らせたくない」と言いきった。

この結果をうけて、オリンピック委員会は来年の東京五輪マラソンを見直すのだろうか。いや、スタートを午前6時に繰り上げたばかりで、本気で強行するかまえを崩していない。選手ファーストどころか、アメリカ巨大ネットワーク放送の意向をうけた、買弁オリンピックを強行しようというのだ。

◆オリンピックで死者が続出してもいいのか

これまでに世界陸上で最低の完走率を記録したのは、1991年の世界陸上東京大会男子マラソンである(9月1日開催)。同大会では60選手がレースに出場し、40%に当たる24人が途中棄権した。当日の気象条件は、午前6時のスタート時で気温がすでに26度、湿度は73%と高温多湿のレースとなった。25キロ付近では気温30度を超え、日本のエース格だった中山竹通も途中棄権を余儀なくされている。

来年の東京オリンピックマラソンは、女子が8月2日、男子が8月9日である。今年の同日の気温を調べたところ、2日が35度、9日は36度である。この夏の驚異的な暑さは、いまも焼けた素肌感覚で残っている。このまま来年のレースが強行されたら、死屍累々たる結果は目に見えている。

しかるに、大会組織委員会、東京都、陸連の対策はといえば、打ち水や温度をためにくい舗装路にする、前述のスタート時間の繰り上げなど、抜本的なものはない。当たり前である。室内ではなく暑い東京の夏を走るのだ。

打ち水はいかにも日本人的な風情というか知恵のようにみえるが、熱気をもった水蒸気が選手に襲い掛かるという。湿度を上げるのだからそれも当然かもしれない。そしてスタート時間の繰り上げにも問題がある。

寝ている時と起きている時では、血圧に差があるのだ。寝ている時は最も血圧が下がってるが、そのため朝起きると血圧が急に上昇するという。その状態で、ランニングをすると、ただでさえ血圧が上がっている状態にさらなる負荷がかかり、血栓が血管を塞いでしまう。したがって、脳梗塞や心筋梗塞を起こしやすくなるというのだ。

一般的に突然死が起きやすいのは午前中というデータがあるが、その理由の一つとして血圧の急上昇が挙げられるのだ。ようするに、気温の比較的低い朝のランニングこそ、人間の体に負担をかける。いや、負担どころか死をまねきかねないというのだ。暑さを考慮して繰り上げたスタート時間が、本当に選手の生死を左右しかねないのである。

◆今からでも遅くない、真夏の大会はやめるべきだ

それもこれも繰り返しになるが、アメリカの大手放送ネットワーク資本の事情によるものだ。

周知のとおり、アメリカでは大リーグのワールドシリーズ(プレイオフをふくむ)、アメリカンフットボールのレギュラーシーズンと、秋にスポーツのビックイベントが重なっている。大きなスポーツ大会のない7、8月の視聴率を埋めるために、オリンピックは夏場に開催されるようになったのだ。このままでは巨大資本のための大会に、選手たちが犠牲となるのだ。

1964年の東京オリンピックの記憶がある方は、あの素晴らしい青空のもと、すがすがしい風と共に思い出されるのではないだろうか。テレビ録画で55年前の入場風景をご覧になった方も、透明感のある空気とスポーツ日和を感じられるはずだ。スポーツの秋という言葉を引くまでもなく、真夏にオリンピックをやる愚は犯すべきではない。いまからでも遅くはない。アスリートファーストという言葉が嘘ではないのなら、今回のドーハの惨状に学ぶべきである。


◎[参考動画]【ドーハ2019世界選手権】日本代表発表!新ユニフォーム発表!記者会見 選手コメント(日本陸上競技連盟2019年7月4日公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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ワールドカップの一次リーグでジャパン(日本代表)が世界2位のアイルランドを19対12で破り決勝トーナメント進出への足掛かりを得た。これをメディアはこぞって「奇跡がふたたび」「大番狂わせ」と報道しているが、そうではない。観ていた方はわかると思うが、フィットネスの面でジャパンはアイルランドを圧倒していた。


◎[参考動画]【ラグビーワールドカップ2019ハイライト】日本×アイルランド(DAZN Japan 2019年9月29日公開)

この勝利は勝つべくして勝ったというべきである。そもそも、ラグビーというスポーツに「偶然」は「ラッキー」はない。いや、楕円ボールのラッキーバウンドすらも、練習によって見きわめられた想定内の運動なのである。ラグビーを多少やっていた人間として、ジャパンの強さを解説しておこう。

◆世界にほこるトレーニングの量

もう十数年前になるが、わたしは鹿砦社の松岡社長の紹介で日本ラグビーフットボール協会のA氏(慶応OB)を紹介されたことがある。それが機縁で社会人ラグビー(当時)のプロ化の準備に向けたサイトの運営、テストマッチ(国の代表チームの対戦)や日本選手権の取材などを引き受けていた。

そしてその中で、代表チーム(ジャパン)の個別のトレーニング管理という、きわめて徹底したマネジメントを知って驚いたものだ。代表候補選手に携帯のメーリングシステムを通じて、個人練習(その日に何キロ走ったか、など)を管理するというものだ。そこまでやるのかという、わずかに嫌な印象を持ったものだ。

現在はプロ化(完全ではない)が達成され、代表チームの招集も個別の所属チームに優先するようになったので、スマホで個人トレーニングを管理する必要もなくなったが、それでも激しいトレーニングは世界レベルでもトップではないか。

エディ・ジョーンズヘッドコーチの時代、ボールを使った練習中にホイッスルが鳴ると、数分間走り続ける、選手にとってはうんざりするようなトレーニングが課せられたものだ。80分間走るフィットネスにかけては、世界に敵はいないだろう。

アイルランド戦の勝利は、けっして奇跡ではないのだ。アイルランド選手が動けなくなっているときに、ジャパンの選手たちは体を躍動させていたではないか。そしてリザーブ選手がすぐに試合に順応できる層の厚さも、アイルランドとは好対照だった。

◆日本のラグビー文化の素晴らしさと限界

今回のジャパンの活躍で、にわかラグビーファンが増えるのは悪いことではないが、その反面でラグビーというスポーツ文化への一知半解が従来のラグビーファンの眉を顰めさせることもあるはずだ。

たとえば、テレビでは「サポーター」というサッカー用語をさかんに使っているが、ラグビーのサポーターという意味ならばともかく、個別のチームのサポーターがラグビーに存在するわけではない。よいプレイがあれば相手チームであれ、応援しているチームであれ、拍手で讃えるのがラグビーの観戦マナーである。

サッカーJリーグはファンにサポーターという地位を与えることで、応援で「活躍」する場をあたえた。これは野球にみられる応援文化を、そのまま海外におけるサッカーの応援シーンに合致させたものだ。ラグビーにもプロがあり、南半球のラグビー応援シーンはなかなか派手だ。しかし、大学ラグビーを底辺に構築されてきた日本のラグビー文化は、サッカーのそれを後追いするには異質なものがある。

たとえばアイルランド戦で活躍した福岡啓太選手は、医者を志望しているという。ラグビー選手がプロとしてチームに残る際も、企業のマネージャーとしての立場が必要である。高学歴ゆえに、組織マネージメントや技術者としての役割性を期待されるのだ。

ひるがえって、フリーランスでラグビー解説者やタレント化するほど、ラグビー人気に厚みはない。プロ化のいっそうの推進がどこまで可能なのか。ファンの支援が、サッカー並みに「サポーター」として厚みを持てるのか、これも昔の話で恐縮だが、伊勢丹ラグビー部が解散するときに「おカネがないのなら仕方がないね」で済まされたものだ。ラグビーはエリート社員たちの「余暇」としかみなされなかったのである。

◆ウエイトトレーニングが決め手だった

かつて、早明ラグビー人気を中心に、80年代にはラグビーブームという言葉があった。伏見工業ラグビー部をモデルにしたテレビドラマ「スクールウォーズ」の人気もあって、ラグビー精神のオールフォアワン、ワンフォアオールが人口に膾炙したものだ。その後、早明両校の低迷やJリーグサッカーの隆盛もあって、ブームの去ったラグビーは低迷期に入った。早明に代わって大学ラグビーの王者となった関東学院の生活事故(部員の大麻栽培)による凋落、出発したトップリーグも旧来の社会人ラグビーをリニューアルした以上の印象ではなかった。

ラグビーの変革はやはり、大学ラグビーに表象した。早明ラグビーはラックの早稲田(スピード)モールの明治(圧力)、早稲田の横の展開力に明治の縦の突進という戦術思想に限界がきていた。日本代表もスピードを基本に、日本人に合ったラグビー戦術を採っていたが、世界標準は戦略・戦術の総合力をもとめていた。それをいち早く達成したのは、岩出雅之監督がひきいる帝京大学だった。ウエイトトレーニングの導入で選手の体格・パワーアップに成功。相手をリスペクトするメンタルの高度化によって、規律のある(反則をしない)プレイを徹底した。この戦略は、じつに大学選手権9連覇という偉業を達成した。

そして名門明治がウエイトトレーニングを本格的に導入することで、もともと素材に勝る明治が帝京を破るという流れが、このかんの大学ラグビーである。このような動きと、ジャパンの強化策も同じである。けっきょく、スピード(軽さ)とパワー(重さ)という相反しがちなテーマは、徹底したウエイトトレーニングと走りこむことによってしか得られない。その苦行に、ジャパンは勝ち抜いてきたのである。

かつて、ジャパンはフランス大会においてニュージーランド(オールブラックス)に17対145(ワールドカップ記録)という大敗を余儀なくされていた。ヨーロッパ各国代表とのテストマッチでも100点差ゲームはふつうだった。奇跡ではなく、総合力のアップがジャパンの躍進をささえている。ジャパンのいっそうの活躍を期待したい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業、雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活』(鹿砦社ライブラリー)『男組の時代――番長たちが元気だった季節』(明月堂書店)など。

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玲子さん(仮名)はわたしの友人の連れ合いで、同じ年だ。友人もわたしと同学年なので3人とも「同じ年」うまれである。玲子さんは大学卒業後から専門的な職業にフルタイムで勤務し、結婚、出産を経た現在も勤め続けている。友人も悪くない収入を得ているので、お二人をあわせた年収は2000万円近くにはなるだろう。

わたしの友人と玲子さんは、学生時代に知り合い結婚した。その後お子さんが3人生まれた。わたしは友人とは気楽に話ができるが、同学年である玲子さんとは、どうも波長が合いにくい(めったに顔を合わせることもないからかもしれない)。

◆ディズニーランドとVサイン

玲子さんは忙しい中、実に活動的に生活をしている。彼女はディズニーランドの年間パスポートを持っている。いつからかは知らないが、毎年年間パスポートは購入している。いったいいくらするのか調べたら(おせっかいだが)ディズニーランドだけ入場可能な年間パスポートが、大人61,000円で、ディズニシーにも入場可能な「2パーク年間パスポート」は、大人89,000円だ。玲子さんの家からディズニーランドまで、日帰りできなくはないが、新幹線を利用しても片道3時間近くはかかるから、ディズニーランドに行くときは、だいたい近くのホテルに宿泊することになる。アトラクションが変わると、必ず出かけるそうだ。そのたびに両手いっぱいのディズニーランドで購入したお土産を買って帰ってくる。

玲子さんに限ったことではないが、わたしたちの世代には、写真や、映像に写るとき手のひらで「Vサイン(ピースサイン)」のポーズをする人が珍しくない。玲子さんは友人によると、確認できる限り慶弔時などを除けば「すべて」の写真で「Vサイン」のポーズをとっているという。それは80年代から今日まで変わらない。夫婦ともにフルタイムで働き3人の子どもを育て上げるのは、さぞかし手もかかり忙しいことだろうと想像するが、友人によれば「それほど大したことではない」という。立派なものだ。


◎[参考動画]東京ディズニーランド 周年 CM(1983-2018)

◆お子さんの不登校と友人たちとのランチ

だけれどもお子さんのうちの一人は数年前から不登校気味である。理由はわからないが親子間の問題が原因ではなさそうだ。だからであろうか。玲子さんは不登校のお子さんのことはあまり気にせず、休日には友人たちと「ランチ」(「ランチ」は「ひるごはん」の意味だと思っていたが、女性が寄る「ランチ」は「ひるごはん」を食べながら、延々何時間もおしゃべりをすることを指す場合もあると近年知った。結果解散は夕刻になる)に出かけたり、海外旅行に行くこともある。

近年出かけた海外旅行は、玲子さんの友人たちとの旅行、2泊3日だったそうだが、そこで玲子さんが納まった写真でも、やはりかならず「Vサイン」がみられる。玲子さんのほかにも結構な頻度で「Vサイン」をしている人の姿もある。何が理由だか記憶にはないが、たしかに中学時代の修学旅行や、大学時代にわたしのまわりでも、男女を問わず写真機を向けられると「Vサイン」をする姿はめずらしくなかった。いまの若者はどうか知らないけれども、わたしたちの世代にとって「写真に映るときは『Vサイン』」は結構浸透していて、染みついている。

1960年代中盤生まれのわたしたちの世代に記憶が定かなのは、大阪万博あたりからであろう。多くの同世代の知人は、大阪万博について断片的であれ何らかの記憶を語ることができる(居住地が大阪に近かったこともあろうが)。途方もない人の波と何時間にもわたるパビリオンへの入場待ちの列。子供ごころに「足痛い。こんなん、もうええわ」と退屈した記憶がある。あの記憶以降、わたしには長蛇の列は、なるべくであれば避ける習性が身についている。一方玲子さんは逆だ。2-3時間待ちはディズニーランドでは常識の範囲らしい。平日は仕事をしているから、週末に出かけることが多いという。当然ディズニーランドは、平日よりも休日のほうが混むだろう。 

◆消えた「不良」

わたしたちの世代には「不良」がいた。「不良」は見た目で識別できた。今日、わたしが知る限り、容姿から「不良」が識別できるのは大阪の南部の限られた地域と沖縄だけである(ほかにも地域はあるかもしれないが直接目にしたことはない)。
「不良」が可視的であった時代には素行もだいたい予想ができた。そしてみずからは「不良」ではないが、なんとなく「不良っぽい」姿や行為に魅力を感じる若者もいた。彼・彼女らは表立っての「悪さ」はしないが、親が出かけた友人の家に集まってタバコを吹かしたり、酒を飲んだり、いまでは「クラブ」と呼ばれる「ディスコ」に高校生(ときに中学生)であっても繰り出したりしていた。


◎[参考動画]中学生暴力白書 black emperor ブラック エンペラー

まだ暴対法や、風営法のない時代。良くも悪くも今ほど「管理」が緩い時代だった。わたしには「不良」経験はないが、玲子さんは少し「不良」っぽい姿や振る舞いをすることを好んでいたそうだ。前述の通りあの時代別に珍しいことではない。その玲子さんは大学を出ると真面目に就職。結婚をして3人の子どもの母となる。仕事ぶりは真面目だろう。同世代のほとんどは、「真面目な」勤労者や、親になっている(わたしはそうなれなかった)。

他方、「ちょっと不良っぽい」ことに憧れた、若い日を過ごした玲子さんからは、いまでも、あの頃の雰囲気がどこかに感じられる。「虚無だった80年代」といえば言い過ぎかもしれないが、表層で「不良」が暴れまわり、「普通」の生徒もちょっと憧れる。「不良」は早々に「体制化」されてゆくことは「暴走族」が訳も分からず、特攻服や日の丸を掲げていたことに象徴的だ。おなじく「ちょっと不良っぽい」に憧れた層は、より安定的に「体制化」されてゆく。「Vサイン」と「ディズニーランドの年間パスポート」は、80年代を中高生で過ごした世代、ある部分の「エキス」ともいえるかもしれない。


◎[参考動画]The Two Beats (Takeshi & Kiyoshi) 1981

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

AV監督・村西とおる氏の半生を描いたNetflixのオリジナルドラマ「全裸監督」があちらこちらで大絶賛されている。筆者も観てみたが、「地上波では放送できない」とのフレコミ通り、性描写は過激だし、有名俳優が多数出演しているし、素人目にもセットやロケ地に手間や金がかかっていることはわかる。ストーリーも中毒性があり、たしかに楽しめる作品だ。


◎[参考動画]『全裸監督』予告編 2 (Netflix Japan 2019/07/24公開)

そんな話題作は、文筆家・本橋信宏氏の著作「全裸監督 村西とおる伝」(太田出版)が原作。712ページから成る分厚い本で、村西とおるという「絶対教科書に載らない偉人」の半生を克明に記録し、後世に残そうという著者の執念や使命感が感じられる一冊だ。ドラマのヒットでこの本にも注目が集まっているようなのは、喜ばしいことである。

もっとも、ほとんど予備知識がない人がこの本をいきなり手にとると、ボリュームがあり過ぎて、最後まで読み切るのがしんどいのではないかと思われる。そこで、筆者が「初学者」にお勧めしたいのが、著者の本橋氏が「全裸監督」以前に村西氏のことを書いた2作、1996年12月発行の「裏本時代」と1998年3月発行の「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(いずれも単行本の版元は飛鳥新社)だ。

本橋信宏「裏本時代」(1996年)

◆「裏本の帝王」だった村西氏

この2作は、「全裸監督 村西とおる伝」に比べると、ボリュームが少なく、一人称の小説のような文体で書かれているので、たいへん読みやすい。それでいながら、1つ1つのエピソードも詳細に綴られており、時代の空気もよく伝わってきて、端的に言えば名著である。

まず、「裏本時代」。これは、村西とおる氏がアダルトビデオに進出する前、草野博美という本名で「裏本の帝王」として君臨していた頃の生きざまを活写したノンフィクションだ。本橋氏が当時の村西氏を取材して知り合い、関係を深め、やがて、村西氏が営む新英出版が創刊した写真週刊誌「スクランブル」の編集長となって奮闘する日々が描かれている。

インターネットは影も形もなく、ビデオデッキを所持する一般家庭もまだ少数だった80年代初頭、世の人々がビニ本や裏本に熱を上げ、FOCUSの成功に端を発する写真週刊誌ブームが過熱したりした時代の空気も行間からあふれ出ている作品だ。

ちなみに同書によると、書店を全国展開し、多数の営業マンを雇ってビニ本、裏本を売りさばいた当時の村西氏は、「流通を制する者が資本主義を制する」と言い、ビニ本、裏本の販売ルートを使って「スクランブル」を日本一の写真週刊誌にしようとしていたという。

結局、新英出版が資金繰りに窮して倒産し、スクランブルも廃刊となってしまった。とはいえ、30年余り経った現在、インターネット企業やコンビニが「流通」を制し、隆盛を極めているのを見ると、当時から流通を重視していた村西氏はやはり慧眼の持ち主だったのだと改めて感心させられる。話題の「全裸監督」にしても、地上波のテレビ局では「流通」させられないドラマをNetflixというインターネットメディアが「流通」させているのだというとらえ方もできる。

本橋信宏「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」(1998年)

◆ジャニーズ事務所との攻防

一方、「アダルトビデオ 村西とおるとその時代」は、裏本が摘発され、服役した草野博美氏が出所後、AV監督の村西とおるとなり、今度は表社会でのし上がっていく様を描いたノンフィクションだ。この時代も本橋氏は村西氏と行動を共にし、村西氏の成功と挫折のすべてを間近で観察し続けている。それだけに描写は細部に至るまで迫真性に富んでおり、実にエキサイティングなのである。

そしてその中では、地上波のみならず、Netflixでも描くのは難しかったのではないかと思えるエピソードも頻出する。中でも最大の見せ場は、ジャニーズ事務所とのガチンコバトルだ。

その発端は、村西氏の作品に出演したAV女優が、当時人気絶頂だった田原俊彦氏との情事を週刊誌で告白したことだった。ジャニーズ事務所側からそのことについて抗議され、村西氏は逆に激怒する。そしてジャニーズ事務所のスキャンダルを集めようと躍起になる中、かつてジャニーズ事務所に所属した元フォーリーブスの北公次氏と出会い、北氏に告白本を書かせたり、マジックをやらせたりするのである。

当時も今も全マスコミが及び腰になるジャニーズ事務所相手に、このように村西氏が何ら臆することなく、真っ向から喧嘩をふっかけていく様は実に痛快だ。

本橋氏は同書において、「この男のやることはいつも退屈な現実を『少年ジャンプ』のような世界に変えてしまう」と評しているが、村西氏はまさにその通りの人なのだろう。だからこそ、本橋氏はずっと村西氏のそばにいたし、村西氏の記録を残そうと、この2作を書き残し、さらにあの大部な本「全裸監督 村西とおる伝」まで上梓したのだと思う。

そう書いて気づいたのだが、ドラマ「全裸監督」もどこか『少年ジャンプ』のようである。それが中毒性の秘密かもしれない。


◎[参考動画]The Naked Director(全裸監督)- Kaoru Kuroki(黒木香) Real Life Character(Coconut Omega 2019/8/11公開)

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。著書『平成監獄面会記』が漫画化された『マンガ「獄中面会物語」』(著・塚原洋一/笠倉出版社)が発売中。

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆前回のあらすじ

今日の日本における、英語教育に関する議論にはメディアリテラシーについての観点が欠けているように思われる。重要なのは英語をはじめとする他言語から情報を得て、多角的な観点を持つことである。多くの国の公用語である英語やスペイン語などとは異なり、日本語は日本一国でしか使用されない。日本語の情報の多くは日本から発信された情報であるため、日本的フィルタリングがかかってしまう。メディアリテラシーを高めるためにも、いくつも言語を理解できることは極めて重要である。 ※前回リンク

◆相対的に弱まる英語=西欧文明の覇権 諸文明の台頭と多言語化

さて、今後の状況を見ると外国語として英語だけ学ぶというのでは不十分かもしれない。近年、アメリカやヨーロッパの西欧文明が弱体化し中華文明・イスラーム文明・東方教会(ロシア)文明などが自身の論理を主張、「民主主義」「人権」といった西欧文明の理念を否定し、自分たちが望む体制の構築に取り組み始めた。西欧文明の英語だけではもはや不十分であり、中華文明の中国語やイスラーム文明のアラビア語といった各々の文明圏で有効な言語を学ぶことも重要になるのではないだろうか。

◆日本の学校のずさんな「英語教育」と外国人学校という選択肢

『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』

しかし誠に残念ではあるが今の日本の教育現場で多言語教育を期待するのはほぼ不可能であろう。英語をまともに話せて教えられるような教員はほとんどおらず、ひどい例では自称「英語教師」が駅前の英会話学校に通っている様である。

さらに文科省の2016年の調査によると、英検準1級・TOEIC730点以上の英語力のある「英語教師」は、中学教員で全体のわずか33.6%、高校教員でも65.4%しかいないことが分かっている。もっとひどい例では、2016年に京都市を除く中学校の英語科教員でTOEICを受験した74人中、730点以上を獲得したのは16人で、約2割にすぎなかった。最低点は280点で、500点未満が14人もいたという。京都府教育委員会は「英語科教員の資質が問われかねない厳しい状況だ」としている。

※参考URL
『京都府 中学英語教員、TOEIC「合格」わずか 疑問も』
『平成28年度 英語教育実施状況調査(中学校)の結果』 

こんな状況で日本の学校(特に公立)で英語に加え、さらに第二言語として中国語や韓国朝鮮語などを学ぼうとするのは絶望的に不可能である。一部、まともな外国語教育をしている学校もあるがそれは例外である。私は日頃から「学校」という洗脳機関には、嫌悪感を抱かざるを得ない。教育委員会が生徒間のいじめ(という犯罪)による自殺事件の調査や事前防止をないがしろにしたこと、部活の顧問による生徒への体罰、そしてあまりにもずさんな「英語教育」の現状……。

本当に「センセー」方には生徒を教えようとする意志があるのだろうか。とりわけ公立学校の教員というのは公務員だから少しぐらい適当にしても、解雇されないと安心しているのではないだろうか。一体、これほど英語能力が低いのになぜ彼らはかつて英語教師を目指そうとし今は「英語教師」として私たちの税金で生活しているのか全く疑問である。

今のところ、一般的な日本人が多言語教育を期待できるのは外国人学校ぐらいしかないのかもしれない。日本の各地には台湾や韓国朝鮮、ブラジルやインドなどの様々な外国人学校がある。これらの学校なら、日本の学校よりもずっとまともな多言語教育が期待できるだろう。また一般的な日本人がこのような外国人学校に入ることで自らの社会における立ち位置を相対化できやすくなるのも長所と言える。

時代はまさに多言語化である。「日本語しかわからなくても生活できる」という意見は論外であるし、さらに「外国語は英語だけでよい」という意見も不十分である。私たちは様々な言語を身に付け、多角的な視野を養う必要がある。

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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最近は外国からの移住者が増え、教育の現場でも外国にルーツを持つ児童が増えてきたし、地域によっては横浜のいちょう団地のように住民の4分の1が外国籍というところも出てきた。ここまで来ると、日本語だけわかればよいという状況ではもはや対応できない。

日本では言語教育については、ほとんど英語と日本語の2つだけについてしか論じられない。「グローバル化の急速な進展に伴い英語は必須」「国語力がしっかりしないとどっちもつかずになる」といった賛否両論がある。私にはこれらの類の議論には、メディアリテラシーを高めるためだという観点が決定的に欠けているように思えてならない。


◎[参考動画]10ヵ国の児童が学ぶ 驚きの多国籍小学校(SUMIYA Spa & Hotel 2019/1/13公開)

日本語で「韓国人 ムスリム」と検索した様子

◆言語とメディアリテラシー

そもそもなぜ外国語を学ぶのかというと、海外との接点を持ちそこから情報を集め、視野を広めるためである。英語はあくまでそのためのツールにすぎず、より本質を突き詰めると「他の言語を使いこなしそれによって多角的に物事を俯瞰できる」能力が重要になる。

言語が異なると同じテーマであっても、発信情報はかなり異なってくる。韓国について日本語で検索するとネガティブな内容が多い。例えば、Googleで「韓国人 ムスリム」と検索すると韓国人によるムスリムへの差別的な行為などがヒットする。韓国は悪い国だと言いたい内容が多い。

しかし、英語で「korean muslim」と検索すると韓国人の改宗者の話などがヒットする。中立的な立場から韓国におけるムスリムの状況が書かれている。同じことでも言葉が異なると、検索結果も異なるのである。これが日本語や英語だけではなく、中国語やフランス語などの検索結果なども含めると様々な視点を得ることができよう。

英語で「korean muslim」と検索した様子

(余談だが、日本人が想像している以上に韓国の国際的な評価は高いと思われる。あるチュニジア人女性と話した時に韓国について聞くと、アラブ世界では韓国は「礼儀正しい国」「イノベーションの国」と認知されているという。また韓国ドラマも多数アラビア語に翻訳され、チュニジアでも放送されているとのことであった。私たちはアラブ世界やヨーロッパといった第三者の観点から韓国を見ることが重要なのかもしれない)

日本語は日常生活から高度な学問用語まで網羅しており、日本で暮らすにあたっては日本語しか理解できなくてもビルの清掃員やバーテンダー、プログラマーや大学教授、ペットショップの従業員に至るまで様々な職に就くことが可能である。しかしメディアリテラシーの観点から考えると、日本語しかわからないということは極めて致命的なことである。

そもそも日本語を公用語している国は日本だけである。そのため、日本語で発信された情報の圧倒的多数は日本発になる。それは日本一国からの視点に偏りがちになる。英語ならば公用語とする国は米英の他にシンガポール、ケニア、フィジーと数多く、よって英語で発信された情報は様々な国からの視点を持つ。スペイン語にしても公用語とする国は、メキシコ、アルゼンチン、赤道ギニアなど数多く、やはりスペイン語で発信された情報も多くの視点を備えている。多くの日本人は日本語しか理解できないため、ネットで情報収集する時も日本語で検索しがちである。その結果、日本的視点でフィルタリングされた情報ばかりを取得することになる。

過去に話したことのあるシンガポールからの帰国学生の意見によると、日本政府は「日本人が海外の情報を閲覧しないように英語能力をあえて低くしているのではないか」とのことであった。真偽はともかく、これは政府にとっては極めて都合がよいことである。日本語しか理解できないゆえに国民が「自発的」に日本から発信された情報しか見ないとすれば、中国のようなファシズム大国のようにわざわざ高度な検閲システムを構築しなくてもすむからである。(つづく)

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

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秋篠宮が会見をひらいた。27日からの海外公式訪問(ポーランド・フィンランド)を前に会見されたわけだが、注目されたのは、もちろん小室圭さんと眞子内親王の婚約問題についてである。「結婚の件については、わたしは娘から何も聞いていません」というものだった。昨年の「それ相応の対応をしなければ」「国民に理解されない状態では納采の儀もみとめられない」から比べると、いくぶん穏やかな雰囲気だった。しかし、何も聞いていないというのは、ふつうの家庭では考えられないことだ。皇族の中でも自由な家庭を築こうとしてきた秋篠宮家において、親子の会話がないことが端無くも露呈したかたちだ。


◎[参考動画]秋篠宮ご夫妻が会見 代替わり後初の外国訪問を前に眞子さま結婚見通し語る(テレ東NEWS 2019/6/21公開)

◆天皇家と秋篠宮家を両天秤にかけるメディア

秋篠宮家をめぐる報道は、小室さん婚約問題にかぎらない。悠仁親王が通うお茶の水大学付属中で起きた「刃物事件」が、秋篠宮家の自由主義的な教育方針による結果で、学習院に通わせていれば事件は起きなかった。佳子内親王のダンス好き、あるいは眞子内親王の恋愛が本人の希望通りにと発言したことへの批判などというかたちで、バッシングに近いものとなってきていた。婚約問題、教育問題にかぎらず、秋篠宮家の「公私」の厳格な分け方に、宮内庁の関係者も戸惑うことが多いという。ぎゃくにいえば、ふつうの家庭を築こうとする宮家に、それは許さないという宮内庁関係者の思惑が、メディアを通じて圧力をかけているとも考えられる。

そしてこの秋篠宮家批判は、天皇陛下と雅子皇后を称賛する報道、とくに雅子皇后の外交力(トランプ夫妻歓待での英語での接待など)を称賛し、返す刀で対照的に秋篠宮家を批判するというパターンで繰り返されてきたのだ。これはこれで、即位まではどちらかといえば雅子皇后(当時は皇太子妃)が適応障害で仕事を果たせず、なんとなし天皇(当時は皇太子)に批判的な論評が多かった反動で、こんどは天皇皇后夫妻を評価する半面、何かと自由な発言をする秋篠宮家を叩くという、メディアの話題づくりによるものだ。

◆恋愛の自由、教育の自由が天皇制を崩壊させる

とはいえ、小室さん問題が象徴天皇のアイドル的な側面において、きわめて注目にあたいするテーマであるのは確かで、国民的な興味の的というわけである。本欄では、皇室の民主化・天皇制の民主化(自由恋愛・自由教育)が、それを徹底することで政治権力と天皇家、国事行為と私的行為の矛盾が拡大すること。したがって、天皇家の文化的な性格を政治から分離し、非政治化することが不可能ではない。そしてその過程で天皇家が首都をはなれて本来の御所である京都を住まいとし、あるいは政治(政府と国会)が天皇家を必要としなくなる可能性。つまり天皇制が廃止されることまで展望できると考えてきた。

皇室の民主化とは、たとえば新天皇による剣璽等継承の儀に、女性閣僚(片山さつき地方創生担当相)は参列したのに、皇室の伝統は女性皇族を参列させなかった。つまり国民感覚とはかけな離れた旧皇室典範によって、信じられない光景が現出したのだ。これは眞子内親王の自由恋愛問題と同根である。ふつうに恋愛をしようとしたら、相手の母親に「借金」があるから許されないというのだ。ふつうの自由主義を貫こうとしたら、かならず天皇および天皇制の枠組みに触れてしまう。そこから天皇制が崩壊する可能性がある。口先だけで、天皇制廃絶などとくり返すよりも、天皇および天皇家を徹底的に民主化する、憲法上の矛盾すらも民主化することによって、それは大いに可能なのだ。

◆兄弟の確執が背後に?

さて、今回の会見で秋篠宮は、宮家の当主としてよりも皇位継承権第一位(皇嗣)の立場から、無難にこなしたというのが実際のところだ。それはとりもなおさず、秋篠宮家バッシングとでもいうべきメディアの攻撃を避けつつ、眞子内親王への批判を緩和し、悠仁親王の皇位後継者としての資格に曇りがないように配慮したとみるべきであろう。

秋以降、安倍政権は女性皇族の扱い、とりわけ女性宮家の可否について国民的な議論をしなければならないと提唱している。それは当然のことながら、女性天皇という最大の案件をけん制してのものである。今後、愛子内親王を皇位継承者とするのか、それとも悠仁親王を継承者とするのかについても、国民的な議論をへなければ立ち行かない皇室の事情がある。この議論の背景に、天皇と秋篠宮の隠然たる確執があるからだ。

◎[参考記事]
秋篠宮さまの注目会見、即位に関し意思表示した場合の波紋(2019年6月17日付け女性セブン)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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◆前回のあらすじ

敗戦直後の伊豆大島は、GHQの命令によって日本本土から切り離される可能性があった。そこで島民たちが独立・建国について真剣に議論した時があった。この時に「大島大誓言」と呼ばれる憲法を、島民たちが作成した。彼らの職業は大工や茶屋の店主、教師などであり、法の専門がいない中でこのような大事を成し遂げたのは非常に注目に値する。最終的に伊豆大島は日本政府の統治領域に含まれることになり、独立論は消滅した。

◆今こそ伊豆大島独立論を再考すべき時

ナショナリズムの観点からしか独立・建国はできないのか?

ここまでで、戦後の伊豆大島で本気で新しい国を興そうとした動きがあったことを述べた。この伊豆大島独立論は、今を生きる私たちに何らかの示唆を与えてくれるかもしれない。

琉球諸島では、米軍基地問題に関する日本への不満から独立を模索する動きが出ているが私たちも独立や建国といった手段を考察してもいいはずである。それは原発再稼働や共謀罪の成立によって、「本土」にいる私たちも既に危険な状況にいるからである。

そのためには、今の「国際社会」の在り方を相対化する必要がある。今の主権国家体制にとらわれるままでは、建国は困難である。なぜなら、今日の国家はいわゆる「国民国家」でありナショナリズムによって形成されているからである。ナショナリズムとは「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とする政治原理である。この考えに基づくと、琉球諸島は琉球民族・先住民族という理由から独立できる。しかし、原発で苦しむ福島やあるいは安倍に不満を持つ日本各地の日本人が「独立」と主張しても、「政治的単位と民族的単位は一致すべき」とするナショナリズムの観点から容認されない。国連などが支持しないばかりか最悪の場合は「テロリスト集団」と呼ばれる。

さらに主権国家体制は国家間のカルテルである。それぞれの国々が承認して初めて「正式に」国家と認められるのである。したがって、私たちが新しい国を建国して優れた行政機関や経済体制を構築しても、「正式に」国家と承認されなければ「国際社会」から排除される。例えば、台湾は領域・国民・政府を持ち事実上、国家である(それも先進国レベル)にもかかわらず、中国の圧力で「国際社会」で承認されないので国家と見なされない。一方、シリアのアサド政権のように自国民を平気で戦闘機で爆撃するような、ならず者国家であっても、この国家カルテルのおかげでシリアにおける「正当な」国家とみなされるのである。

そもそも他の国家が承認しないと、「正当な」国家と認められないとは非常におかしなことである。国家を構成する最低要素は、領域・国民・政府なのである。過去の歴史を見れば「承認」自体が存在しない事例の方が圧倒的に多い。

謁見を受ける太平天国の王・洪秀全

例えば、清末の中国で15年にわたり存続した革命政権の太平天国は、清朝政府からはもちろん容認されず、周辺の日本・朝鮮も太平天国を正式に国家と認めるようなことはせず、テロリスト集団のように見なしていた。しかし、長江流域を支配し何十万もの人民を従え、キリスト教思想に基づいた半場神権的な統治体制を敷いていたのであり、それはもはや国家であった。

時代は下って、イラクとシリアに跨る領域にカリフ制国家の再建を宣言したイスラーム国(IS)も、残虐行為から嫌悪され国家と見なされることはなかった。しかし、一時期イギリスに等しい領域を支配し、そこの住民を支配し、サラフィー主義=ワッハーブ主義に基づく政治体制を敷いており国家建設の計画書まで作成していた。その実態は国家であったと言える。以上、これらの理由から「承認」がなくても構成要素があれば国家は成り立つのである。

私たちは主権国家体制を徹底的に相対化し、これまでの国家体制とは違うオールタナティブなシステムの構築が必要である。パスポートの不要、移住の自由化、国家による教育禁止、国籍による生活における待遇の禁止、ナショナリズムの禁止など……。今の世界各地の状況を見ても、主権国家体制はほころびを見せ始めている。EUにおける反難民の動き、トランプによるメキシコとの国境での壁建設、破綻国家化したシリアやイラクからの住民の脱出……。

私たちが目指すべきは、抑圧のないアナーキズムな社会である。そのためにも今の日本国家から抜け出し、自分たちで新しい国を興すことを真剣に議論しなければならない時に来ていると言える。(完)

◎かつて存在した伊豆大島独立論 残されたのは”建国”か
〈前編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30013
〈後編〉 http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30022

▼Java-1QQ2
京都府出身。食品工場勤務の後、関西のIT企業に勤務。IoTやAI、ビッグデータなどのICT技術、カリフ制をめぐるイスラーム諸国の動向、大量絶滅や気候変動などの環境問題、在日外国人をめぐる情勢などに関心あり。※私にご意見やご感想がありましたら、rasta928@yahoo.ne.jpまでメールをお送りください。

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

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