アンモープロモーターや伊原信一代表、鴇稔之トレーナーに囲まれるシップムーン(左から2番目)と緑川創(中央)。計量にて

6月27日(水)タイ現地
ラジャダムナンスタジアム・スーパーウェルター級(154LBS)王座決定戦 5回戦
5位.シップムーン・シット・シェフブーンタム(2代前・チャンピオン/タイ/69.85kg)
VS
6位.緑川創(藤本/69.85kg)

緑川創、ダウン奪われ大差判定負け。

当日朝の計量にて、緑川創は0.2ポンドオーバーで、2回目の計量は154ポンドリミットでパス。 シップムーンが0.1ポンドオーバーで、2回目の計量はこちらも154ポンドリミットでのパス。

第1ラウンドからシップムーンのパンチをカウンターされた緑川はダウンを喫し、その後もシップムーンの蹴りの強さ、足数が主導権支配していき、緑川はその距離を詰めにくく、詰めたところでヒザ蹴りがあるシップムーン。パンチのクリーンヒット多発させることには持ち込めない。

左ミドルキックをタイミングよく蹴ってくるシップムーン

ノックダウンとなればダウン1点とその有効性に1点が付く10-8

最終5ラウンドに、ポイント逃げ切りに出たシップムーンの一瞬の隙を突いてヒジでカットさせるも、残り時間は少なく、負傷箇所が相当危なくない限りはレフェリーは試合を止めることはない。これが4ラウンドまでだったら、逆転のチャンスもあっただろうが、時すでに遅し。

接近すればヒザ蹴り、そのタイミングが上手いシップムーン

追い詰められていく緑川、シップムーンの左前蹴りヒットで疲れが目立ちはじめる

追う一方、ラストに懸ける緑川創

最終ラウンド、ヒジでカットに成功した緑川、ラッシュするが、時すでに遅し

採点は、未確認情報ながら49-46. 50-45. 50-45という情報あり。タイ側関係者から見た印象では、「大差で相手にならなかった。タイトルマッチでなければ、途中で止められていたのではないか」という声があったようです。

王座奪回に成功したシップムーン、更なる日本人の挑戦を受けるか

シップムーン・シット・シェフブーンタムは昨年5月25日に現地で当時のチャンピオン、T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)に挑戦して判定勝利、王座奪取した選手です。今年2月にイントラーチャイ・チョー・ハーパヤックに判定で敗れ陥落。イントラーチャイが返上したことにより、今回の王座決定戦が実現しています。

日本人が獲得したムエタイ殿堂チャンピオンの中で、「同一ジムから2人目誕生成るか」という点も注目されたタイトル戦。石井宏樹が2011年10月にラジャダムナン系スーパーライト級王座獲得して以来、2人目の獲得成れば、伝統の目黒ジムを継承する藤本ジムが初となるところでしたが、脆くも夢破れました。

やはり本場のリングでのムエタイボクサーの本気度は違うものだと実感する。険しくて当然です。そして今後も、この現地で上り詰める挑戦であって欲しいと思うところです。

緑川創は2014年6月に4度防衛した日本ウェルター級タイトルを返上して以来、長く待たされたラジャダムナン王座初挑戦でした。敗戦後、緑川は力の足りなさを反省しつつ「落ち込んではいられない」という、まだ諦めず上を目指す精神力はたいしたもので、7月8日(日)の新日本キックボクシング協会MAGNUM.47興行ではエキシビジョンマッチが予定されており、王座奪取成らずの出場で何を語るか注目されます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

まず冒頭、金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学社会学部教授にはお詫びと訂正をせねばならない。『真実と暴力の隠蔽』で金明秀教授のお名前を複数個所「金秀明」と誤記してしまった。ここにご本人並びに読者諸氏にお詫びして訂正を申し上げます。

さて本論である。

アメリカンフットボール日本大学フェニックス(同大アメフト部の名称)との定期戦で、危険なタックルを受けたQB(クオーターバック)の事件で、おおいに話題になった関西学院大学ファイターズ(同)。日大のどうにもならない対応に比べ、学生を大切に考え、日大の加害学生までにも救いの手を伸ばす、との姿勢は(過剰なほど)大きく報道された。だが「人のうわさも75日」の諺も今は昔。「人のうわさは7.5日」くらいにしかひとびとの興味は続かない。良くも悪くも日大に関する話題も、既に「むかしの話」の感が否めないのも事実ではないだろうか。

関西学院大学社会学部の金明秀教授が、書籍を出版したそうで、自身のツイッターで絶賛している。これは自著への「自画自賛」という行為で、まっとうな大学教員のなかでは、そうそうみられる行為ではない。まあ、個性なのでそれは良しとしよう。しかし、金明秀教授には、驚くべき過去があったことが、このほど取材班に持ち込まれた情報で明らかになった。『真実と暴力の隠蔽』で木下ちがや氏が述べてる通り、金明秀教授は過去木下氏を殴ったことがあるのは、被害者木下氏が認めているところである。これについては「謝って来たから許した」と木下氏は納得しているようだが、金明秀教授による「暴力事件」はこれだけではなかった。

『真実と暴力の隠蔽』P.156

(『真実と暴力の隠蔽』当該ページで「金明秀」を「金秀明」と誤記しています。お詫びして訂正いたします)

まず以下の「和解書」をご覧頂こう。

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学社会学部教授が被害者と交わした「和解書」

同上

被害者の名前、代理人(弁護士)名前は消してある。「平成25年2月8日午後10時過ぎ」に金明秀教授が被害者に「暴行」を加え、被害者の治療費、慰謝料として、115万9295円を被害者に支払い、「振込を確認した日をもって大阪府淀川警察署に届け出ていた被害届を取り下げる」とある。

暴行被害者が一度は淀川警察署に被害届を出していたが、双方弁護士のとりなしで「和解」を交わし、警察への被害届は取り下げることになった。

では、被害者の受けた暴行、怪我はどの程度だったのであろうか。金明秀教授の代理人の表現によれば「顔面やのどを手拳で殴打した行為」と表現している。被害者自身の言葉によれば、「げんこつで顔や喉を何度も殴られました。口から血が出て喉が痛かったので医者に見せたら声帯が破損していると言われました」という。

声帯が破損するげんこつでの殴打は、決してミスや軽いものではない。事件当時は飲み会の最中で双方酒が入っていたが、被害者は殴られる一方で金明秀教授は被害者に「殴ってみろよ! どうだ? 殴れよ」と顔を近づけ、何度も挑発を繰り返したという(被害者はその挑発には乗っていない)。その態度を見て「彼はこういうこと(暴力)に相当慣れているのだと思いました。私は教師なのだから、喉は殴るなといったのですが、彼はさらに『それがどうした! 殴り返してみろよ』」と暴力を続けたと被害者は語る。

金明秀教授の一方的な暴力に対して被害者は、いったん淀川警察署に被害届を出す。しかし上記の通り加害者が非を認め謝罪の意を明かしたので、代理人を挟んでの「和解」に至ったようである。しかし金明秀教授は被害者に対して「殴られてもないくせに『殴られたと嘘をついている』」と悪口・陰口を言っている。その態度に被害者は怒りを隠さない。加害者が被害者の悪口を言い続ける。「M君リンチ事件」と同様の構図がここでもみられる。

金明秀教授といえば、取材班が電話でインタビューをした際(2016年8月16日)サバティカル(在外研究期間)で韓国にいるはずのご本人が、「出張で日本に一時帰国しており」電話に出てこられたことがあった。大学の「在外研究」で外国に出かけている教授が「出張」で国内に戻っている、とは本当のことであったのだろうか? ちなみに、サバティカルとは研究のための制度であり、これは学納金と文部科学省からの交付金によって運営される私立大学教員にとって、最大の研究機会である。逆にいえば、血税と学生とその保護者たちの血の出るようなお金で認められたものだといえよう。それを大学に報告もせず一時帰国したとしたら、これは科学研究費や個人研究費の不正使用とまったくかわらない、立派な研究不正だといえまいか。それは日割りで返せばいいというものではないのだ。日大とは異なり優れた「人権感覚」を世間に発揮していた関西学院大学だ。この金明秀教授の「一時帰国」は問題がないのか、是非学内で精査して頂きたいものである。

それにしても、なんとか「ハラスメント」や、自分の著書をツイッターで「自画自賛」するのは結構ではあるが、それ以前に、こうも激烈な「暴力」を振るう人間が、それらを主張しても説得力があるだろうか。さらに金明秀教授は『反差別と暴力の正体』でもご紹介したが、下記の書き込みを行った人物である。

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学社会学部教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み

アメリカンフットボール部の事件をめぐるドタバタで日大の評価は、大きく落下した。世間は忘れても受験生や、受験生の保護者は忘れないだろう。関西学院大学も金明秀教授の扱いを間違えれば、せっかくの「金星」が一転して「黒星」に転じる可能性もあろう。それくらいの可能性をこの事件は包含している(本件、続々と証言、証拠が寄せられており、必要に応じて続報の予定です)。

鹿砦社特別取材班

 

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◆援農という政治工作

膝づめで親しく話をして、酒を酌みかわしながら信頼関係を築いてゆく。そして政治的な課題を共有して、ともに行動計画を練る。そんなのが三里塚における、理想的な「政治工作」というものだったのだろう。まだ二十歳になったばかりのわたしは、現闘キャップが言う「政治工作」という意味があまりよくわからなかった。とは言いながらも、援農をすることで反対同盟農民への「政治工作」を、わたしも果たしていたのだ。三里塚における「政治工作」とまちがいなく、農民たちに恩義を売るという意味だったに違いない。農民たちにとってわたしたち支援学生は、使いやすい労働力だったのである。予期せぬ援農の朝は、こんな感じで始まったものだ。朝もはやくから、現闘小屋の電話がリーンと鳴る。

 

映画『三里塚のイカロス』

「はい、もしもし。○○団結小屋です」
「いま、そっちに学生さん、いるのかい?」
「は?」(現闘のキャップ)
「援農な、頼めないべぇか?」

電話を掛けてくるのは、決まって「おっ母ぁ」である。家父長である当主が掛けてくることは、めったになかった。親父たちは面倒なことはすべて、おっ母たちに任せたものだ。

「どうなんだべ?」
「はぁ……」

 現闘キャップ、ここで寝起きのわたしの顔を見ていますね。
「援農、来てくれない? 学生さんいるんだべ?」
「ええ、ひとりいますけどね」
「頼むわぁ。来させてよ!」

ややあって、現闘のキャップがわたしに問う。
「政治工作、いや援農、行けるかい?」
「は、はぁ」
「頼んだぞ。よろしくね」
「は、はい!」

かくして、その日のわたしの活動が決まったのである。本当は前日の夜まで鉄塔(岩山鉄塔)当番で、今日はオフだったはずなのに。現闘のキャップはクルマの修理に行かなければならないので、わたしが援農をすることになったのだ。こういう緊急呼び出しの援農というのは、きまって待遇が悪い。そもそもボランティアの援農に「待遇」の良し悪しもなかろうと思われるかもしれないが、貧乏学生にとって昼飯と晩御飯の「待遇」はきわめて重要なのである。若い身に三里塚の地は何の楽しみもなく、ひたすら食べることだけが生きがいだった、ような記憶がある。思い返してみると、現闘団が二名ほどの党派で、しかも実働部隊が学生なのに、反対同盟の方針を左右する「政治工作」など行なえるはずもない。援農で恩義を売ってはその恩義をもとに、自分たちのイベント(当時は「総決起集会」などと呼ばれた)に参加してもらう。そんなことだった。

◆ケチだった援農先、豪華だった晩餐

農作業に慣れない学生にとって、援農は大変だった。大変なのは、その対価である食事だった。関西から援農に入った学生が言ったものだ。

「あそこ、昼飯がひどかったやん。サトイモの煮ッころがしだけやろ。なんじゃいこら、で、僕らは納屋で寝てましたよ。ベタベタに疲れてたし」

なんと、昼飯が気に入らなかったから、作業をサボって納屋で寝ていたというのだ。たぶんその時は、援農の人数が多かったのだろう。2~3人しかいない場合は、そうはいかない。朝の9時ごろから始まって、夕方6時を過ぎるまでひたすら働いたものだ。

その代わりに、青年行動隊の若手の農民がその大半だったが、農作業後の食卓は豪勢だった。すきやき・焼き肉・寿司の店屋物、お酒も出て三里塚闘争の将来を語り合いながら、という具合だった。援農土産に「持っていきなさい」と言われて持ち帰る採りたての野菜、とくに真冬のニンジンや大根は美味しかった。シャキッと歯ごたえのあるみずみずしさは、都会のスーパーで買ったものでは味わえない。採りたての野菜が美味しいのだという記憶は、いま市民農園を借りた野菜づくりに生きている。

◆反対同盟の人々

反対同盟の人々についても、印象を記しておこう。東峰部落の石井武さんは、わたしたちの団結小屋の庇護者であるとともに、横堀要塞戦ではわたしの相被告だった。石井という名前は三里塚・芝山地区には多い名前で、例の「731部隊」は石井部隊とも呼ばれていた。石井武さんは731部隊ではなかったが、満州で活躍された関東軍の陸軍将校である。「おれは匪賊を何人××したか知れない」が酒を飲んでの口ぐせだった。元将校だけに、戦略的な視点や戦術的な判断は卓抜だった。

三里塚闘争の軍師といえば、岩沢吉井さんをおいて他にない。ほかならぬ3・26管制塔占拠の作戦立案は、この人が空港建設説明会の混乱のさいに公団事務所から手に入れていた図面がもとになっている。それは地下水道の精緻な見取り図であり、空港の地下構造の全容である。すなわち、空港を裸にしたようなものだったという。この山林の向こうを掘れば、空港中枢に通じるマンホールがあるはずだ、という感じだったらしい(映画「三里塚のイカロス」)。


◎[参考動画]映画『三里塚のイカロス』予告編

とくに名前は控えますが、戸村一作委員長亡きあと、反対同盟の顔として活躍されたK氏は、そのオモテ向けの顔と、裏側の顔が乖離する人物だった。とは言っても、他の幹部たちのようにウラ金づくりに走ったりしたわけではない。「他の幹部」というワードが気になる方にはI副委員長など、善意でありながら自分の土地をひそかに売ってしまったり、闘争の資金を私的に流用した方々のこととしておきます。

さて、そのK氏は凛とした演説の風情とはまったく逆に、宴席(全国集会の会場係の慰労会)になると、へらへらとした顔になる。若い女性が大好きだったのだ。何かといえば、「こっちに来なさい」と、若い女性活動家に言葉をかけては、身体を押し付けるように、にじり寄る。ああ、見た目は立派な人なんだけど、こういう面があるのだなぁと、わたしはその光景を眺めていたものだ。ただし身体を押し付けようとしても、直接には触れなかったように記憶している。その意味では、けっしてセクハラではなかった。

わたしの相被告で、秋葉哲救対部長は温厚な人格者だった。わたしたちと要塞に立てこもった反対同盟幹部のなかでは唯一煙草を嗜まれない方で、最初の意志統一の会議で「嫌煙権を主張しますぞ」などと、みんなを笑わせたものだ。地下道(脱出用トンネル)では最後までわたしたちと一緒にあり、最後は「上に掘って酸素を入れなさい」と指示してくれた。酸欠寸前だったわれわれは、秋葉さんに生命を救われたと言っても過言ではない。(つづく)

▼横山茂彦(よこやましげひこ)

著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなき『紙の爆弾』7月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

 

弁護士ドットコムニュース2018年6月21日付け記事

テレビ番組の制作費名目で現金を騙し取ったという詐欺の容疑で2016年11月に警視庁に逮捕されていた映画プロデューサーの佐谷秀美さん(58)が今月21日、東京地裁・高裁の庁舎にある司法記者クラブで会見し、裁判で無罪判決を受けていたことを明らかにした。

同日の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは会見を開いた理由として、「無罪判決が出てから一切の報道がされなかった。インターネットは私が逮捕された時点の記録になっている」「作品と私の名誉のために、判決を知って欲しいと思って会見を開きました」と語ったという。

私はこのニュースに、ある種の感慨を覚えた。佐谷さんが逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、取材に動いたことがあったからだ。色々事情があって、結局、取材を続けられなかったのだが、佐谷さんが無罪判決をとれたのは喜ばしいことだ。

それにしても、なぜ、佐谷さんが2月に無罪判決を受けていたことがこれまで一切報道されなかったのか。この事件が残した教訓は何なのか。ここで少し考えてみたい。


◎[参考動画]映画プロデューサーの無罪確定 捜査を批判(ANNnewsCH 2018/06/21公開)

◆逮捕当初の報道から読み取れた冤罪の疑い

本稿を書いている時点で、この事件に関して私が知っている情報は少ないので、事実関係に踏み込んだことは言えない。だが、逮捕当初の報道を見ただけで、この事件は十分に冤罪の疑いを見出させる事案であった。

たとえば、産経ニュースは佐谷さんが起訴された際、2016年12月14日付けで〈「嫌われ松子の一生」の映画プロデューサーを起訴 5100万円詐取罪〉と題する記事を配信し、起訴内容をこう伝えている

 

産経ニュース2016年12月14日付け記事

〈起訴状では、平成22年2~3月、電子部品製造会社に特撮番組の企画を持ち掛け、関連グッズを商品化したり、映像化したりする権利の取得費や制作費名目で現金を振り込ませたとしている〉

この記事の伝える起訴内容などが仮に全部事実で、佐谷さんの持ちかけた特撮番組の企画が実現せず、電子部品製造会社が現金5100万円を丸ごと失っていたとしても、それだけでは佐谷さんがお金を騙し取るつもりだったのかはわからない。本気で実現に動いた企画が途中で潰れたとしてもおかしくないからだ。報道を見る限り、おおいに冤罪を疑われる事案だった。

実際、私は佐谷さんが起訴される前後のタイミングで、佐谷さんが連行されたという警視庁の目黒警察署の住所に、佐谷さん宛てで取材依頼の手紙を出していた。結果、「あて所にたずね当たりません」ということで手紙が返送されてきたのだが、本当に冤罪だった場合に記事を書くつもりだった『冤罪File』という雑誌が休刊になったため、追跡をしなかったのだ。

ちなみに前掲の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは目黒警察署に連行されたのち、原宿警察署に身柄を移送されていたという。それで私の手紙が届かなかったのかとスッキリした思いである。

◆世間で思われているほど人員が揃っているわけではない記者クラブ

佐谷さんの裁判が行われた東京地裁

では、なぜ、佐谷さんの無罪判決は一切報道されなかったのか。

マスコミが意図的に無罪判決を報道しなかったのではないかと勘繰る人もいそうだが、そうではないと私は思う。佐谷さんの裁判が行われた東京地裁・高裁の庁舎には、テレビや新聞といった司法記者クラブ系のメディアの記者たちが常駐しているが、彼らも世間で思われているほどには人員が揃っているわけではないからだ。

たとえば、私が2011年の春頃に東京地裁で、ある冤罪の疑いが濃厚な殺人事件の裁判員裁判を取材していた際のこと。その公判は事件の重大性のわりにマスコミの傍聴が少なかったのだが、たまに傍聴に来ていた司法記者クラブ詰めの新聞記者から「今、小沢一郎の陸山会事件の裁判をやっているから、この事件はあまり取材できないんですよ」と聞かされたことがある。

日本で最大規模の司法記者クラブである東京地裁・高裁の司法記者クラブの加盟社でも、すべての裁判をくまなくフォローできるほどに人員が揃っているわけではないということだ。

また、広島の元アナウンサー・煙石博さんの冤罪窃盗事件でも、2014年に広島地裁で一審の公判が行われていた頃、ある時を境にマスコミの傍聴取材が皆無に等しくなったことがある。広島土砂災害が発生したのをうけ、裁判を取材していた記者たちがみんな、そちらの取材に駆り出されたためだ。

地方のマスコミだと、そもそも地元で一番大きな裁判所に記者を常駐させておけるだけの人員すら揃っていないので、こんなことになるわけだ。

で、こうした現実を踏まえたうえで、今回の佐谷さんの事例から学べる教訓とは何だろうか?

自分の身の回りで何か報道されるべき出来事が起きた時には、マスコミが取材にくるのを待つのでなく、自分からマスコミに情報をリリースしたほうが良いということではないだろうか。私はそう思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』

『真実と暴力の隠蔽』――M君リンチ事件関連出版物第5弾にして、最大級の衝撃を巻き起こしたことは間違いないだろう。発売から1カ月を経るも、いまだに松岡や取材班への電話での問い合わせはひきも切らず、新たな“タレコミ”や“暴露”情報も相次いでいる。その中には『真実と暴力の隠蔽』で放った各種兵器の破壊力を凌駕する情報も含まれ、「取り扱い注意」情報がまたしても取材班に蓄積することになった。

そもそもM君リンチ事件関連の出版は、あくまで「事実解明」、「真実の追及」を目指し、手探りの中で始まった。出版物には掲載されなかった「空振り」や、思わぬ「落とし穴」、あるいは度重なる「背信行為」に取材班は相当数直面してきた。しかしそれらは、一時的に取材班を落胆させ、意欲の低下を招くことはあっても、根本的な動機の低下には繋がらなかった。なぜか? 今だから自己解析できるのだが、それはトップの松岡に漲(みなぎ)るエネルギーに起因していたのではないかと思われる。

松岡はM君リンチ事件について、原則的な立場からM君の支援を行うとともに、取材班全体の指揮を執っている。

「Aさん。岸政彦に突撃お願いします」

松岡の指示は必ずすべてが敬語だ。しかし敬語だからと言って内容が穏やかであるとは限らない。取材班は松岡から指示を受ければ「社長それはちょっと……」と断ることはできない。松岡の物言いが威圧的なのではない。逆に穏やかな物言いに知らず知らずのうちに現場へと足を向けるのであった。東京で、関西で、沖縄で……。直撃に当たった取材班は現場では松岡の本性に触れることになる。たとえば沖縄で取材班が香山リカと安田浩一の2ショットを抑えたとき、電話で松岡に報告を入れると、「野間もいるらしいじゃないですか。香山、安田、野間の3ショットもお願いします」とまたしても穏やかな敬語で、しかし厳しい指令が下る(この時はあいにく3ショットを収められなかった)。東京で数日にわたり有田芳生参議院議員に張り付き、失敗したときは、「なにやってるんだ!」と珍しくイラついた声が浴びせられた。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

まだ20世紀の最終盤、世間では「2000年問題」(1999年から2000年に年号が変わることにより、コンピューターが大規模な誤作動を起こさないか、という懸念)が、賑やかに語られるようになったころ、鹿砦社は天下に名の知れた「暴露本出版社」であった。ジャニーズ事務所、宝塚歌劇団など大きな相手に、たかが数人の出版社が、挑んでいた。背後にスポンサーや政治家の力があるわけでもなく、時代に逆行するかのように、ひたすら“突撃”あるのみで、巨大な勢力の闇にぶつかっていた。そこで生み出された手法が、鹿砦社の伝統となる「暴露」魂である。

ジャニーズ事務所に卑怯な手を取られたことに怒った松岡は、あろうことか「芸能人にプライバシーはない!」と豪語し、なんとジャニーズタレントのかなり多数の自宅を調べ上げ、その住所(町名まで)、自宅写真と自宅地図をまとめて『ジャニーズおっかけマップ』として出版し、世間を驚かせたことは有名な話だ。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

さらに3.11以降、東電幹部や原発信奉学者らに対しても同様なことをやっている。松岡という男は、見るからに好々爺然としているが、ここまでやる男だ。今でも時に松岡は「私はジャーナリストではありません。所詮“暴露本屋”の親父ですから」とみずからを自嘲気味に語ることがある。取材班の数名は、M君リンチ事件解明の取材にあたるなかで、当初この言葉にやや違和感を覚えていた。「暴露本ちゃうやろ。これはルポやで、少なくとも」そう仲間内で語る記者もいた。

『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)では福島第一原発事故当時の東電会長、勝俣恒久を直撃インタビュー!

『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』(2012年9月25日刊)P.100より


『タブーなき原発事故調書 超A級戦犯完全リスト』鹿砦社

たしかに「生き馬の目を抜く」といわれる芸能界や、警察癒着と闇世界が隣り合うパチンコ業界相手のかつての「全面戦争」に比べれば、清義明氏がくだんの座談会でいみじくも言うように「相手は小さい」かもしれない。しかし、時代が違う。取材班も痛感することとなる、マスメディアの凋落の激しさと、“隠蔽工作”に関わる弁護士、知識人、学者らの結託。これらを打ち破るには、今日常識的な取材や出版を行っていても、社会に訴求しないことを思い知らされた。つまり何らかの“爆弾”を搭載した出版でない限り、このような問題に、社会は興味を持たない時代であることを!

そして次第に、取材班は“隠蔽”との闘いがすなわち“暴露”でしかありえないことを体感することとなった。偽善、欺瞞に満ちた唾棄すべき“隠蔽”工作関係者に事実を突きつけて「あんたはどうなんだ?」と問い質す。この手法を「踏み絵を踏ますようだ」と批判された方がいる。そうだ。その通りである。明らかな事件隠蔽の事実を示して「どう思うか」は人間としての良心があるのかないのか、“隠蔽”に加担しているのか、していないのかを確かめる行為に他ならない。

注視されるべきは、そこまで事実を突きつけても、「知らない」、「なんとも思わない」とシラを切り続ける冷血漢が少なくないことである。否、われわれの取材に真摯な回答を返して下さった方は、例外的少数でしかない。その例外的少数の中に木下ちがや氏も含まれるはずであった。しかしどうしたことであろうか。松岡が隠密裏に実行した清義明氏との座談会では、あれほど多弁で(『真実と暴力の隠蔽』に掲載したのは全座談会の3分の1にも満たない。木下氏は終始一貫同様の内容を語っている)あったにもかかわらず、「査問」を受けたのか、脅されたのか?今日木下氏は掌を返し、あたかも鹿砦社が、悪徳出版社であるかのような断定をしている。いいかげんにせんとあかんわ。木下氏は、事前ゲラチェックを求められなかったとはいえ、自分の発言には責任を持たないといけない。まだ間に合う。もういちど掌を返し直していただきたい。

「なめたらあかんぞ!」と木下氏には再度忠告しておくが、それでも取材に応じてくださった恩義もある。今回取材班は木下氏を斬らない。しかし、松岡が木下氏、清氏との座談会を終え、帰社した時点で木下氏の運命は決していたということであろうか。断っておくが松岡は一切誘導質問や無理やり論旨を曲げてはいない。木下氏は誰に促されることもなく、みずから能弁に語り、みずからの論を展開しているだけである。しかし、その発言は編集段階から木下氏の今日の運命を、予想させるに十分であった。

われわれは木下氏の発言を1文字も曲げずに出版した。われわれが木下氏を批判、糾弾するはずがない。しかし”連中“は、黙ってはいないであろう。M君が金銭疑惑を語った行為への返答が「半殺しの報い」であれば、木下氏へも相当な攻撃が行われるであろうことは、“連中”の行動を観察していれば、予想できた。それは、木下氏自身が最もよく知っているだろう。そして内々からのリアクションの厳しさも――。真の<知識人>とは、それでも自らの意見を貫く人のことをいうのではないのか!?

座談会当日の木下ちがや氏(右)と清義明氏(左)(『真実と暴力の隠蔽』P.153より)

「鹿砦社は木下氏に冷たくないか?」との疑問が聞こえてきそうだ。違う。木下氏は嘘も張ったりも語っていない。木下氏が考える視点は極めて示唆に富み的を射ている。その着眼点は、取材班のものではなく、木下氏のものだ。そしてなにより、木下氏の主張は「真っ当」なのだ。こういう意見を汲まないと問題は解決しない。木下氏の意見に、「やっこさんもやるじゃないか」――われわれは本件リンチ事件解決への光明を見たと言っても過言ではない。だが、木下氏が掌を返し屈したことで問題解決への途からまた後退した。

真っ当な主張をして、その意見が踏みつぶされ、口を封じられるのであれば、それはどんな社会だろうか。学者として木下氏にはその「現実」に直目したとき、「屈する」道を選んだ。松岡には悪いが、実は木下氏のこれまでの主張からすれば、そうなるであろうことも取材班には予感があった。残念ながら予感は的中した。声を荒げるでも、激論を交わすでもなく、「好々爺」松岡(合田夏樹氏の評)が、これまで培った感性で実現した座談会。「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(元鹿砦社社員藤井正美の評)は、真実を追おうとする中で、図らずも木下氏が持論を展開した。結果的にはそれが重大事実の“暴露”となったのが皮肉な帰結である。歴史はアイロニカルで時に非情である。

鹿砦社代表・松岡利康

鹿砦社特別取材班

 

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タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

 

2018年6月24日付け読売新聞

〈政府は、北朝鮮の非核化工程で人的な貢献をする方向で検討を始めた。複数の政府関係者が明らかにした。原子炉の廃炉に関わる民間の技術者や専門家らの派遣を想定している。東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見を役立てたい考えだ。〉(2018年6月24日付け読売新聞

だそうだ。「制裁!」、「制裁!」ばかり叫んでいて、まさか本当に米朝首脳会談が行われるなどと、予想も予見も、さらに言えば独自ルートでの情報収集もできなかったのがこの島国の政府と、その外交能力である。トランプには電話で「拉致問題を話題にしてくれ」と頼み、何の証拠もないのに「拉致についての言及があった」と一人よがりしているのが、安倍晋三という男であり、その恥ずかしい姿を頂くのに痛痒を感じないのが、外務官僚の低能ぶりだ。

米国にとっては「どーでもいい」日本の拉致問題をたった40数分の会談の中でトランプと金正恩が議論した、などと信じている人はまずいまい。初対面の休戦国(米国と朝鮮はいまだに「戦争状態」であり「休戦」が続いているに過ぎない)首脳同士の会談で、他国の問題を議論する余地などあるはずがないだろう。

米朝首脳会談前に、この島国ではことさら「拉致問題」を新聞は大きく取り上げ、さらには「北朝鮮への制裁足並みに乱れはでないか?」と底意地が悪く、恥ずかしいほど的はずれで、短射程のコメントが飛び交った。それらをのうのうと口にした「識者」は今でも同様のだらしないコメントを垂れ流しているけれども、状況は世界屈指の外交音痴の安倍ですらが、冒頭紹介したように「朝鮮非核化に人的貢献を検討する」と発言せざるを得ないところまで来ているのだ。

6月21日朝日新聞は、
〈政府は、北朝鮮の弾道ミサイル発射を想定して今年度中に全国各地で予定していた住民避難訓練を中止する方針を固めた。米朝首脳会談が開かれるなど対話ムードが高まる中、北朝鮮によるミサイル発射の可能性は低いと判断した。21日、政府関係者が明らかにした。政府関係者によると、訓練を中止するのは宮城、栃木、新潟、富山、石川、奈良、徳島、香川、熊本の9県。総務省が近く通知を出し、正式に伝える方向だ。
 訓練は政府や自治体が主催し、ミサイル発射を全国瞬時警報システム(Jアラート)や防災行政無線で伝え、住民らが学校や公共施設に避難するもの。昨年3月以降、25都道県で計29回行い、12日の米朝首脳会談の直前にも群馬と福岡の各県で実施した。〉と報じた。(2018年6月21日付け朝日新聞

国民の危機意識を扇動し、「北朝鮮憎し」の世論を高め、軍事膨張の隠れ蓑に利用していた「まったく意味のない訓練」を中止すると発表した。この訓練のバカさ加減を証明するのには多言を要しない。例えば朝日新聞に掲載された下の写真だ。

東京都23区内の多くの小学校の防災(主として地震)訓練では、ヘルメットや防空頭巾が登場する。2011年3月11日、東日本大震災の日にも集団下校する小学生は、防空頭巾をかぶっていた。私は本物の防空頭巾を目にするのは初めてで、小学生の姿に驚いたが、地震後の集団下校にはふさわしい防御具だと言えるので、その準備の良さに感心した記憶がある。

 

2018年6月21日付け朝日新聞

それに対してこの写真である。こんな無意味な訓練をさせる行政や、何の問題も感じずに記事化する朝日新聞のトボけた感覚には、もうあらゆる論評をする気力も失せかける。それにしても仮に「ミサイル」が飛来したときに「倉庫の中で頭を守る」行為がなにを意味するか、誰か思案する人はいないのだろうか。

「ミサイル」は通常火薬や爆発物質(時には核爆弾)を搭載して攻撃に利用する。それに対して「倉庫の中で頭に手をのせたら」何らかの防御になると、考えている人がいるのであれば、私にその根拠を教えて頂きたい。メールアドレスは本文の下に明記してある。

ガラスの破片や屋根瓦の落下を頭部に受ければ、深刻は怪我が予想される。だから集団下校する小学生が、防空頭巾をかぶっていたのは理にかなった防御策だといえる。他方直撃を受ければ、建物そのものが破壊(消えてしまう)される「ミサイル」飛来に対して、この姿は何を意味するか。

そもそも朝鮮の危機を煽るだけでなく、「対話と圧力」と言っていたはずの姿勢が、一方的に「制裁!」、「制裁!」と狂信的にエスカレートし、「世界で一番悪い国」のように政府が国民を洗脳し、また外交政策上も各国にそのような方向を牽引する方向でのみにあくせくしていたから、緊張が高まったのではないのか。そして誰にでもわかるが、今回の米朝首脳会談実現に、日本政府は「まったく」寄与していない。むしろ婉曲な妨害を画策していたのではないと、思われるほど「意地悪」を貫徹していたし、今でもそうである。

まったくの「他力」で実現した結果としての緊張緩和によって、無意味な「訓練」が中止になったのは結構なことであるが、もうこの島国の国民は、こんなにも無意味で、害悪でしかない「国民総動員」を企図する訓練に参加することを、なんとも思わなくなっていることに薄気味悪さを感じる。

そして、冒頭の「朝鮮非核化への人的貢献」である。私は日本にその資格はないと考える。その理由は記事中にもある通り、「東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見を役立てたい」が理由とされているからだ。

通常の原子炉の廃炉作業は多くの、原発保有国に経験がある。この国にもある。しかし「東京電力福島第一原子力発電所の事故対応などで蓄積された知見」とはなんだ。原子炉冷却のため、ひたすら水を入れ続け、汚染水が溜まり続けたら「希釈して海に流す」という。こんな知識を「知見」と呼べるか? 世界初の原子炉4機連続爆発を防げなかった国に、どうしてわざわざ核関連施設の解体作業を依頼する理由があるのだ?

最近の出来事を目にするたびに、「私の頭はずいぶん狂っている」ような気がする。でもひょっとしたら、私以上に政府や社会がとんでもないのかもしれないとも穿っている。どなたか教えて下さらないものであろうか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice Vol.16』総力特集 明治一五〇年と東京五輪が〈福島〉を殺す

プミポン国王肖像画が掲げられた門の前

ラオスへ向かう準備も整い、前日までにも変化ある日々がありました。その前日にはまたひとつ仕事が入ってしまいます。

◆和尚さんからの思いやり!

12月3日は2日後に備えたプミポン国王誕生日の為、門の前に肖像画飾り付けがありました。毎年この時期はタイ国内、至るところでこんな光景が見られます。和尚さん指示の下、綺麗に差し障り無く飾り付けるよう働かされる比丘達。キチンと建て付けないと見栄っ張りの和尚さんが煩い。そんな合間を狙って、ようやく仕上がったビザ申請書類と手紙持って和尚さんにお願いし、了承のサインを書いて貰います。するとプリントミスに気付く和尚さん。
「ケーオを呼べ!」とデックワットに呼びに行かせ、更なる修正が必要になりました。特に問題ない些細な箇所でも、和尚さんにとっては許せない表記だった様子。
ラオス行きには藤川さんが伴うことや、外国人にとってのビザの必要性を出来る限り、単純なタイ語で書いた手紙を渡し、その場で読んで貰いました。本当に理解されたとは思えない、がしかし、
「ラオス行くならこれ持って行け、あった方がいいだろ!」と束ねたお札を1000バーツほど与えてくれたのでした。有難い配慮に感謝でした。部屋に戻って数えてみると、100バーツ5枚、他、20バーツ紙幣と10バーツ紙幣がいっぱい。計990バーツ。10バーツ足りないのは、縁起を担いだ“9”という数字に拘ったものと推測できました。タイでは9がラッキーナンバーです。もしかして、この前の撮影代のつもりなのかなとも思う。

これで出発7日前に書類を完成。こういう期限ある書類を揃えるにはタイ人を挟むと思いっきり遅くなるのが過去の体験談。「明日でいいものは今日やらなくてもいいだろ!」という気質の国民である。後はのんびり出発を待つだけ。予想より早く進んだこと、皆に感謝でした。

相変わらずの真面目なコップくん、カメラは未知の世界でも興味を示す

◆ケーオさんの人柄

そんなノンビリした平和な中にも、日々変わった出来事が起きています。私がタイで出家することを知っている友達のひとりから届いた郵便物をコップくんが持って来てくれました。中身は「月刊カメラマン」が2冊(2ヶ月分)。私が注文した訳ではなく、印刷関係の運送業をやっている人で、日本でも余りもので手に入る本を持って来てくれる人でした。

そのカメラ雑誌に興味を示すケーオさんとコップくん。幾つかの特集されたカメラに目を付け、「幾らするんだ?」と言われ、「3万バーツ!」と彼ら世代の4ヶ月分以上の給料に相当する値段を言うと、お手上げの表情。そして撮影モデルの雛形あきこが載っているものだから日本の女性にも興味を示します。ムエタイジムに居る時などはひどいものだった。日本の週刊誌のグラビアに、水着の女性タレントが載っていると「幾らだ?」と言い出すボクサーがほとんど。ここでの“幾らだ”というのは「幾ら払えばヤレるんだ!」という意味。

タイの雑誌は女優・タレントが載る場合はキチンとした身なりで、肌を露出した若い女性が載っていれば風俗嬢と思うらしい。勿論一概には言えない話だが。

ケーオさんらはカメラ雑誌と理解した上で「これは誰だ? 日本の女の子はこんなに綺麗なのか?」と笑う程度。

寺で生まれた犬

◆犬も歩けば車に撥ねられる!

そんなケーオさんはまた違った一面を見せる日がありました。寺には野良犬が入って来ることが多い場です。この寺で生まれた犬もいます。どこからか行き着いた犬は片足が折れたままだったり、片目が潰れていたり、やせ細った気の弱い犬もいました。なぜ寺に住み着くのか。それは車が入ってくることは少ない安全地帯。怪我をしている犬はほとんどが車に撥ねられた犬。尚且つ、托鉢から出た残飯にあり付けるからでしょう。しかし、人間の都合で出来た社会など分からない犬は時折、人に殴られるような痛い目に遭うこともしばしば。寺には鶏も放し飼いされており、犬が襲うことも有り得ます。

そんなある日、前片足が無い犬を、棒で可愛そうなほど殴りつけるケーオさん。犬は逃げ、クティの裏側まで来ると、身を隠すように溝に隠れました。ケーオさんは角材を肩に担ぎ、ゆっくり歩いて犬を探し追って来ました。犬はケーオさんに見つかると怯え吠えだす。そこへ角材を振りかざすと、犬は精一杯の威嚇から声が擦れた吠え方に変わる。それは「勘弁してくれ!」と言うような吠え方。犬にも感情があって、人に訴えかけることが出来ると改めて感じ取れる様子でした。

殴ると見せかけて止めると、犬は覚悟を決めたように「キャー!」と言うように喚き、フェイントかけて殴りつけると“ギャイーン”と吠え、溝から逃げ出すところを背中へ更に角材で殴りつける正にイジメ。2階の藤川さんと目があったケーオさんは苦笑いする。この犬は“ここはヤバイ”と寺から逃げ出したか、その後、見かけなくなりました。

過去にもこの犬へのイジメを見たことあるらしい藤川さんは「あの犬はやめといてやれ」と言ったらしいが、ケーオさんは容赦しなかった。ケーオさんは過去に何があったのだろう。頭も良いし優しさもある。しかし捕虜収容所にでも入れられるように家族から出家させられた背景にはやっぱり捻くれた人生があったのだろうか。

どこの寺もこんな怖い感じの犬がたむろする(イメージ画像、この犬は飼われている。撮影は2017年)

◆ラオス行き前日のお仕事!

旅立ちの前日の朝、洗濯中、ある女性信者さんと息子さんらしい中学生ぐらいの男の子が寄って来ました。旦那さんは警察官らしく、息子2人に娘さんも1人いる優しそうな女性でした。

「日本で何やってるの? どうして比丘になったの?」といつものよくある問いかけに、
「日本でカメラマンやっています!」とまたハッタリ込めた話が進むと、私が葬儀を撮影した話をどこかで聞いて来たらしく、そしてこの日行なわれる夜の葬式撮影頼まれてしまいました。読経の出来ない分を撮影で補おうと快く受けると、読経に匹敵する光栄なことだからか、えらい喜びよう。

その夜は約束どおり葬儀を撮りに葬儀場に入り、撮っていたら和尚さんに「椅子に座れ」と促されてしまいました。ちょっと比丘らしからぬ振舞いだったかもしれないと思うも、私は構わず撮り続けたら、和尚さんが挨拶でマイクを持った際、私のことを「日本人だから許してやってくれ!」と言ってるみたいで、親族から少々笑いが起きるお葬式。
「そうそう許してくれ、俺は生臭坊主だから頼まれた仕事は務めさせてくれ」と呟く私。

明日からラオスに向かうので、ここまで撮影した2本のフィルムは、朝会った依頼された女性の旦那さんに渡しました。そして撮影料ではなく、お布施として300バーツを“さりげなく”受取りました。

比丘の旅の必需品、就寝用の傘と蚊帳

◆仏陀のことば!

この日の昼には銀行に行って来た藤川さんに、ラオスの旅に備えて5万円分12500バーツを両替して貰い、「ラオス行ったらどんなところで寝かされるか分からんぞ!」と蚊帳吊るす紐も一緒に渡されました。

旅先では野宿があるかもしれない。戒律厳格な修行寺に泊まるかもしれない。食事出来ない日もあるかもしれない。全く違う方向へ進路転換する事態も起こるかもしれない不安が過ぎると、出家前のように怖気付きます。まだ何も起きてもいない先のことに何をネガティブに嘆いているのか。

これはお釈迦様が説いた愚か者の考え方なのです。未熟者にはそういう不安が過ぎる旅の前日でした。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

高橋聖人の左ハイキックが安田浩昭にヒット

立ち上がってきた安田浩昭に飛びヒザ蹴りの高橋聖人

  

◆安田浩昭 vs 高橋聖人

過去1勝1敗の、ひろあき(=安田浩昭/SQUARE-UP)vs 高橋聖人(真門)戦は予想された展開で、安田浩昭のパンチ主体と高橋聖人の上下散らす多彩な蹴り。

昨年12月は一瞬の隙を突いた安田浩昭が右フック一発で倒しているが、今回の流れは前回の轍を踏まない高橋聖人の距離を保った蹴りが増していく。

安田浩昭は蹴りでは優ることが出来ず、前回同様パンチしかない中、高橋聖人がローキックから左ハイキックヒットに繋ぎ、見事にダウンを奪った。

効いている安田浩昭に更にパンチ連打とローキック、ヒザ蹴りとラッシュし、最後もローキックから左ハイキックで倒すとレフェリーはノーカウントで試合を止めました。

NKBタイトルでの三兄弟による同時三階級制覇を達成した高橋聖人は「ここからがスタート」と言うとおり、今後はファンの厳しい目線で注目される、真の日本のトップに立つチャンピオンロードが始まります。

崩れ落ちた安田浩昭、高橋聖人は勝利確信

勝利の瞬間、高橋三兄弟が喜ぶ

打ち合いに出る西村清吾

夢中でヒザ蹴りヒットさせた西村清吾

ヒットしたらYOSHIKIが転落した

無意識に戦う本能でリングに戻ろうと立ち上がる

カウントアウトされたことに気付くYOSHIKI

◆西村清吾 vs YOSHIKI

パンチとローキック主体の攻防は単発で流れが盛り上がらない中、第2ラウンドにはパンチから軽く飛んだヒザ蹴りでダウンを奪った西村。しかしその後、組み合っての西村のヒザ蹴りでYOSHIKIに股間ファールブローを当ててしまい中断。再開後、組み合ってのブレイクの際、今度はYOSHIKIのヒザ蹴りで西村の鼻骨部分を切る負傷。折れた疑いもあってドクターチェックが入る。その後、組み合って反則紛いの加撃にエキサイト気味に進むが、クリーンヒットそのものは少ない。

第4ラウンドに西村のパンチ連打でバランス崩したYOSHIKIがロープ際に吹っ飛ぶと西村は勢いつけて飛びヒザ蹴りを当て、YOSHIKIはリング下に転落。パンチと飛びヒザ蹴りとリング下に落ちた衝撃でダメージ深いYOSHIKIは何とか立ち上がり、リングに戻るが規定の20カウントアウトとなり、西村のKO勝ちとなる。

◆パントリー杉並 vs 白井達也

ローキックのけん制からパンチのスピーディーな打ち合いは次第に距離が詰まり、ボディーへストレートパンチから左フック、そしてローキックへ繋ぐパントリー杉並。互いに似たような戦略で激しさが増していく。

ガードが空き気味の両者。パントリー杉並の左フックで白井からダウンを奪う。更に仕留めに掛かろうとパンチの打ち合いが増す中、白井の左フックがヒットし、パントリーがダウン。

立ち上がろうとするも足がもつれるとすぐにレフェリーがカウント中の試合ストップ。悔やむ表情のパントリー杉並。8月には新日本キックの治政館興行に臨むパントリー杉並は、打たれない注意をしなければならないでしょう。

既存する団体の中では最も古くキックボクシングに関わってきた代表同士の団体、新日本キックボクシング協会との交流が実現へ!

7月8日(日)新日本キックボクシング協会MAGNUM.47では、ライト級3回戦、日本フェザー級1位.髙橋亨汰(伊原)vs NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館)戦が予定され、8月4日(土)新日本キックボクシング協会WINNERS 2018.3rdに於いて、NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM KOK)、NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並)、NKBバンタム級5位.海老原竜司(神武館)らが出場予定。

10月13日(土)日本キックボクシング連盟・闘魂シリーズvol.4では、NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM KOK)vs 日本ミドル級1位.今野明(市原)戦が予定されています。

◎闘魂シリーズ vol.3 / 2018年6月16日(土)後楽園ホール17:15~20:40
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

◆第13試合 第15代NKBフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.ひろあき(=安田浩昭/SQUARE-UP/57.05kg)vs 3位.高橋聖人(真門/57.15kg)
勝者:高橋聖人 / TKO 3R 2:30 / 主審:前田仁

◆第12試合 73.0kg契約5回戦

NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM-KOK/72.9kg)
VS
YOSHIKI(大和魂一族/72.5kg)
勝者:西村清吾 / KO 4R 1:19 / 主審:鈴木義和

◆第11試合 ライト級3回戦

NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並/61.05kg)vs 白井達也(TRY-EX/61.15kg)
勝者:白井達也 / TKO 2R 2:20 / 主審:佐藤友章

◆第10試合 ライト級3回戦

NKBライト級4位.野村怜央(TEAM-KOK/60.9kg)
VS
WMC日本フェザー級5位.藤野伸哉(RIKIX/60.8kg)
勝者:藤野伸哉 / 判定0-3 / 主審:川上伸
副審:前田28-30. 鈴木27-30. 佐藤28-30

白井達也(左)の反撃で再び打ち合い

白井の逆転の左フックでパントリー杉並が倒れる

崩れ落ちたパントリー杉並

セコンド陣と喜びツーショットの白井達也

◆第9試合 56.0kg契約3回戦

ガオパヤック・ワイズディー(タイ/55.6kg)vs 加藤有吾(RIKIX/56.0kg)
勝者:加藤有吾 / TKO 2R 0:35 / カウント中のレフェリーストップ
主審:鈴木義和

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/56.9kg)vs 石川翔(BIGMOOSE/57.15kg)
勝者:石川翔 / 判定0-3 / 主審:佐藤友章
副審:川上27-28. 前田27-29. 鈴木27-29

◆第7試合 ウエルター級3回戦

NKBウェルター級5位.SEIITSU(八王子FSG/66.68kg)vs 青地大祐(TRY-EX/66.55kg)
勝者:SEIITSU / TKO 1R 2:38 / ヒザ蹴りによるカット、ドクターの勧告を受入れ、レフェリーストップ
主審:川上伸

◆第6試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級3位.佐藤勇士(拳心館/53.4kg)vs スダ456(BRING IT ON/53.52kg)
勝者:佐藤勇士 / TKO 3R 1:39 / ヒジ打ちによるカット、ドクターの勧告を受入れ、レフェリーストップ
主審:鈴木義和

◆第5試合 女子フライ級3回戦

サソリ(テツ/49.0kg)vs 後藤まき(RIKIX/49.5kg)
勝者:サソリ / 判定3-0 / 主審:前田仁
副審:佐藤30-28. 川上29-28. 鈴木30-29

◆第4試合 フェザー級3回戦

キョウスケ(大塚/57.1kg)vs 山本太一(ケーアクティブ/56.7kg)
引分け / 0-1 (30-30. 30-30. 29-30)

◆第3試合 ライト級3回戦

小笠原裕史(TEAM KOK/61.1kg)vs 海登(光/60.7kg)
勝者:海登 / 判定0-3 (26-29. 26-29. 26-30)

◆第2試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/53.3kg)vs 五嶋龍太郎(KENSEIKAI/52.2kg)
勝者:古瀬翔 / 判定3-0 (30-27. 29-28. 29-28)

◆第1試合 フェザー級3回戦

岩田行央(大塚/57.15kg)vs 森田勇志(KENSEIKAI/56.6kg)
勝者:森田勇志 / TKO 1R 2:50 / カウント中のレフェリーストップ

《取材戦記》

アクシデントが発生した西村清吾vs YOSHIKI戦。

選手がリングから転落することは、なかなか遭遇することはありませんが、それでも過去の長い歴史の中では何度も起きています。有効打を浴びて転落した場合、プロボクシングでは20カウントでKO。キックボクシングでは団体によりますが、昭和の時代は日本系、全日本系とも通常のノックダウンと同様の10カウントでした。

昭和54年に、日本系では、当時の日本ライト級チャンピオン.有馬敏(大拳)のボディから顔面パンチの連打を浴びた小野寺仁(横須賀中央)はリング下に転落、リングに戻る前に10カウントアウトされた試合がありました。

プロボクシングでは、リングから落ちた選手を誰も助けることは許されないのがルールで、キックに於いては、落ちそうになっている選手を支えてやるジャッジや役員、セコンド、カメラマンを見ることがありますが、これも厳密には選手に触れてはいけません。しかし、落ちて深いダメージを負うことを未然に防ぐ為の、審判や試合役員が支えてやる処置は仕方ない範疇かと思うところでもあります。

また次の興行で何が起こるか、あらゆる事態を想定しておかねばならない審判員です。

NKBの日本キックボクシング連盟と、新日本キックボクシング協会との交流戦が発表されたのは、この日の興行より数日前でしたが、両団体代表が会談の場を持ったのは5月上旬だったと言われています。

キックの団体交流戦は昔からあり、乱立した現在では頻繁に行なわれ、珍しくはないものの、この両団体代表は、昭和のキック黄金時代からの波乱万丈の歴史を知り、ある時期は同じ団体で活動した仲であり、見ている側からは、金正恩委員長と文在寅大統領が南北軍事境界線で握手したことや、米朝首脳会談に至る諸々のシーンがダブってしまいます。

順調に進むことを願いつつ、一波乱あっても将来に繋がる何らかの進展があるであろう両団体の交流戦を届けたいものです。

チャンピオンベルトを掲げる三兄弟、歴史的快挙はこれから

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

6月17日に、浅野健一さんの「朝米首脳会談」シンガポール取材報告が行なわれた。書くものもめっぽう面白いが、しゃべりの面白さにかけては右に出るものがない。いや、自虐ネタも交えたトーク、まなざしのある語りは聴く者を元気にさせる。そんな浅野健一同志社大学大学院教授がすこし喉を痛められ、やや滑舌にかげりを感じさせた。どうかご自愛ねがいたいものだ。

氏の報告記事は次号『紙の爆弾』(7月7日発売)に掲載されると思われるので、ここでは氏独特の節まわしで語られる語録を挙げてみよう。14回を数える訪朝では、同志社の学生を引率したこともあるという。

浅野健一さん

「学生も連れて、何度か訪朝してきました。共和国に行くなんて、親御さんが危ないんじゃないかと言うから、わたくし浅野健一が付いてるからだいじょうぶだ。いや、浅野が引率するから危険なんじゃないか、ぜったいにダメだ。となる。ですからゼミ生が10数人いても、行くのはいつも2、3人。まぁ、仕方ないですね。その代わり、河合塾の経験者はだいじょうぶですね。浅野先生がいっしょなら問題ないと。河合塾はわたしみたいに、偏向した先生が多い、いたって開明的なところですから」

歯に衣着せぬ発言からか、朝4時からの番組しか呼ばれなくなった浅野さんは、ワイド番組には厳しいことを言われる。いやいや、言うところはいちいち、頷くしかないものだ。

「トランプの気まぐれで、朝米会談が中止になりそうになった時のことです。テレビのワイド番組は『それ見たことか!』『やっぱりだ』と、みんな喜んでましたよね。平和のための会談が流れそうになったことを、かれらは喜んでいたんですよ。とくにテレ朝の羽鳥さんの番組に出てる長島一茂ね。べつに政治に見識があるわけではなし、どうして彼なんか出すんですかね。父親が偉かったというだけで、あれは野球でダメだった人でしょ。AKB48に語らせるなら、まだわかるんですよ。若い人がどう思っているのかと。あんなのを出すくらいなら、わたしを出せと言いたい。こいうことばっかり言うから、朝の4時にしかお呼びがかからないんですけど」

これは記事にされる思うが、浅野さんの新聞の読み方にはいつもながら感心させられる。

浅野健一さん

「今回の会談の記事で、歴史的な出来事である『朝鮮戦争の終結』をきちんと報じたのは、じつは4月19日の読売新聞でした。一面のここにちゃんと見出しで出てます。朝日も毎日も、この点は読売の後塵を拝しています。とくに毎日がダメで、朝日はいちおう紙面の中のほうを見ると『戦争終結』が出てるのに、毎日は活字にしていません。とは言っても毎日がなくなると困りますから、頑張ってほしいものです。というわけで、読売はやはり一流紙なんです、社説と論評さえ読まなければですね、しっかりした記事が読める」

自虐ネタや批判ばかりではない。このまなざしを読め。

「わたしは戦後の食糧難のなか、ユニセフやGHQのミルクとパンで育ちました。昨日まで敵国だった日本の子供に、国際社会は手を差しのべてくれた。中国も日本の人民も軍国主義の犠牲者だったと、自国民が日本人を殴るのを禁じた。アジアの人々は、日本人(軍民)が無事に祖国に帰れるよう、配慮してくれたのです。共和国の人々が飢えていることを笑うのではなく、手を差しのべるべきじゃないでしょうか」

そういえば、冒頭で浅野さんは「わたしは高校生の時に米国に留学しましたし、米国の建国の精神である自由・平等・博愛を愛しています。そのいっぽうで、軍事力で世界をねじ伏せようとする米国は嫌いです」イベントの後段では「いわば青い米国と赤い米国がある。青い米国(民主党)を愛しています(※赤と青は党の色であって、思想という意味ではない)」と述べた上で「今回は赤い米国(共和党)が思いきった判断をした」と。

そしてこれも、氏が記事にするであろうと思われるが、今回の米朝会談を契機にした和平への流れは、トランプ大統領と金正恩委員長の思いつきや単なるパフォーマンスではなく、韓国の文在寅政権の成立(朴大統領の追放)が舞台を準備し、朝鮮労働党中央委員会の意志統一があり、米国共和党の判断のもとに、会談と朝鮮戦争の終結への意思確認が行なわれたのだと。この政治の裏側を読み取る視点は、いまのマスメディアには露ほどもないものだろう。

横山茂彦。著述業・雑誌編集者。近著に『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

◆78年はニューミュージックとディスコサウンドの時代だった

わたしの未決拘留の一年間は、ラジオを通じて音楽に親しんだ一年でもあった。音楽通になるのは、拘置者の特権というべきか宿命というべきか。クルマを使って出版社で集配業務をやっていた時期もラジオは身近な存在だったが、90年代の音楽はそれほど印象に残っていない。千葉拘置所ですごした1978年を、わたしはひそかに78年革命と呼びたいと思ってきた。68年革命という世界史的な革命とはややちがう、しかし明らかに68年革命を否定する文化とミュージックシーンがそこにあったと思うからだ。まず、ニューミュージックの勃興による、四畳半フォークという60年代後期の若者文化の否定があった。まったく別のベクトルからは、ディスコミュージックが日本に到来していた。これら音楽シーンから歴史の思想的回路を取り出してみよう。


◎[参考動画]Bee Gees Stayin Alive (Extended Remaster)

映画「サタデーナイトフィーバー」を起点にしたディスコブーム。最近復活したABBAが多数の楽曲を仕掛け、ディスコの女王ドナ・サマーが次々に新曲を発表。60年代に日本人のアイドルだったシルビィ・バルタンも「ディスコクィーン」という曲をリリースしている。荒井由実・中島みゆき・ハイファイセット・サーカス(この年デビュー)を中心にしたニューミュージックには、渡辺真知子(カモメが翔んだ日)、庄野真代(飛んでイスタンブール)ら、本来なら歌謡系であるべき新人歌手が参入した。このニューミュージックは、60年代のフォーク文化を継承しながら否定する、アメリカ西海岸ミュージックとフォークのクロスオーバーなどと言われたものだ。

ロックではイーグルス(ホテルカリフォルニア)、ソウル系のスタイリスティックス(愛がすべて)が際立っていたと思う。「ホテルカリフォルニア」は言うまでもなく、アメリカという国家の疲弊と思想的な限界をバラードにしたものだ。ベトナム戦争に傷ついたアメリカは、ホテルカリフォルニアというホスピスに癒されているのだ。ここには68年いらい、スピリット(革命的な精神)は置いていないと、その叙情的なフレーズが語る。日本では矢沢永吉であろう。「時間よ止まれ」がミリオンセラーのヒットで、この年にハンク・アーロンの世界記録を塗り替えた王貞治に次いで「ヒーローと呼べる男」になった。最近亡くなった西城秀樹も、YMCAをはじめとするゲイミュージックを別のかたちで伝えて、一世を風靡したものだ。そういえば、ふつうの女の子にもどりたいキャンディーズが後楽園球場で4万人を集め、ピンクレディはラスベガスに進出した。かぐや姫(みなみこうせつら)の復活はあったものの、総じて60年代フォークが引導を渡されたのが78年だったと、わたしは思う。

◆78年革命から80年代ポストモダニズムへ

68年を否定した時代を、かりに文化における革命と措定してみる。78年革命があったとしたら、68年(70年)革命の遺産を払しょくし、若者たちはひたすら新しい時代を求めていたというテーマの設定はどうだろう。新しい時代が峻拒したかったものとはおそらく、68年革命と内ゲバに象徴される敗北の歴史であるはずだ。

不遜を承知で言おう。小熊英二が『1968』で2011年の3.11以降、社会運動は組織参加から個人参加の時代に変ったという、恣意的で皮相な見識とはちがって、68年いらい組織から個へと参加方法を移行させてきたにもかかわらず、運動を閉塞させてきたものからの自由。つまりマルクス主義やレーニン主義などの枠組みからの脱出を、70年代後半のわたしたちは希求していた。別の言いかたをすれば、運動と組織におけるポストモダン(近代合理主義批判)が始まっていたのだと、強引に理屈づけてしまおう。そうでなければ、80年代初頭からのニューアカデミズムとポストモダニズムの台頭が、どうにも説明できないのである。

ポストモダンという言葉が、大きな物語の終焉として語られるようになったのは、ジャン・リオタールの『ポストモダンの条件』が最初であろう。それより前には、建築家(チャールズ・ジェンクス)から発せられた『ポストモダニズムの建築用語』(77年)があり、世間一般にはポストモダンは建築様式として、磯崎新の建築作品群などで知られてきた。脱構築(デコンストラクション)という言葉が用いられたが、これは解体的止揚と訳したほうが適切であろう。その意味では、78年のニューミュージックは68年革命の成果であるフォークソングを解体的に止揚し、78年のディスコブームは60年代末期のゴーゴー喫茶(モンキーダンス)を解体的に止揚するものだった。

しかしながら、ニューアカデミズムとポストモダン現象が90年代には早くも失速するように、ニューミュージックとディスコブームも一過性のものにすぎなかった。ニューアカとポストモダン(この場合は思想としての)が一過性のものだったのは、そのあまりにも難解なレトリックと概念、わざと難しく書くことが偉いかのようなスタイルによって、誰もそのステージに上がれなくなった(単に本を読み通せなかった)からだ。

ニューミュージックとディスコ音楽が難解だったとは思えないが、この場合は楽曲の幅の狭さがその原因だったのではないか。あまりにもワンパターンだった。ニューミュージック系の流れでは、最近は本格的な声楽の歌い手をグループでプロデュースする手法が流行り、それなりに成功しているようだ(FORESTAなど)。とはいえ、歌唱力ではアイドルグループを凌駕できても、オリジナル曲とサラ・ブライトマンのような歌手が出てこなければ、本物の歌でアイドル文化を越えることはできないだろう。

◆本物の思想とは何なのだろう?

 

グループサウンズやフォーク、そしてポップスと呼ばれた欧米の楽曲、さらにはビートルズやストーンズ、ショッキングブルーなど。これら70年を前後するミュージックシーンを超える、本物のミュージシャンは、まだ日本には出てきていないと思う。坂本龍一教授にしても、そこは超えられなかったと思う。

いっぽう本物の思想といえば、階級ならぬ階層社会のなかで見直されるのは、やはりマルクス主義ではないだろうか。ヘーゲルいらいの大きな物語の終焉については同意しよう。革命というマルクスの物語も潰えたと思う。にもかかわらず、ニューアカとポストモダンの死骸のなかで、けっきょく残ったのはマルクスの方法論、すなわち経済的な与件に決定されるわれわれの存在と、それゆえに求められる共同体論の模索ではないか。すぐる5月5日はカール・マルクス生誕200年記念日だった。

映画「マルクス・エンゲルス」が上映され、反貧困運動いらいマルクスがもう一度見直されようとしている。わたしにとっては資本論読破40周年だが、そのガイストはもはや記憶にない。わたしたちの生きる術も労働や生産といった、資本の本源的な運動にはないと思う。78年革命が三里塚闘争によるものだとしたら、それはすでに経済的な与件ではなく、環境と共同体にこそ活路を見出そうとしていたはずだからだ。具体的には労働や生産点よりも流通と消費に、わたしたちは意識を移してきたのだ。どちらが本物なのかは、よくわからない。(つづく)


◎[参考動画]映画『マルクス・エンゲルス』予告編

▼横山茂彦(よこやましげひこ)
著述業・雑誌編集者。3月横堀要塞戦元被告。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

横山茂彦『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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