今回はバリカンで剃髪となった藤川さん

◆ノンカイに戻って

ワット・ミーチャイ・ターに着いて外に居たネーンに尋ねるも、ここのプラマート和尚さんは不在のようで、石橋正次似の比丘が「和尚は明日帰って来るから、今日はここに居てくれ」と招かれたのはクティ1階の倉庫らしい部屋だった。狭く汚い部屋だったが、寝られるスペースがあれば充分有難い。

今日12月17日は満月の前日で、ここの寺の比丘は皆、頭剃ったばかりで表皮が目立っていた。そこでまだ剃っていない我々は、石橋正次似比丘に剃髪をお願いすると、すぐに準備に掛かってくれて、この寺ではバリカンで刈るので早い。藤川さんの後、私の番。久々に床屋さんに来たような心地良さ。毛だらけなので、すぐ水浴びしなければならないが、体調不良の中、サッと浴びたが水が冷たく寒かった。

熱あり腹痛あり、風邪か下痢か、どっちの薬飲めばいいのかも分からない。日本の薬は効かないとみたか、藤川さんが「ここの奴らに薬局連れて行って貰え」と言うが、立って歩く元気すら無い。どうか今持っている薬で収まって欲しいと祈る。

さっきの石橋正次似の比丘が私の様子見て薬持って来てくれたが解熱剤の様子。まず熱下げようとこの薬飲んで、いつもながら一般的には早いが、藤川さんが「もう寝るか!」と言って、夜8時を回って眠りにつくことになる。今日は10回以上トイレに行っただろうか。

床屋さんのような切れ味、正確には一分刈りなのかもしれない

◆腹痛の原因!

翌朝は4時前に鐘が鳴り、藤川さんは顔を洗って、本堂での読経に行く準備。私はお腹の調子が悪いので、寝続ける。

藤川さんが「お前は一昨日の朝か昼飯の時にその辺に置いてあった水飲んだんちゃうか?」と言われて、チェンウェー寺でそう言えば飲んだ。朝は置いてなかったが、昼時に置いてあったポラリスを飲んだ。そんな何日も放りっぱなしの水ではないはずだった。しかし、
「誰が手を付けたか分からんものは絶対飲んだらあかん。ワシらのワット・タムケーウのメーオは毎日飯時に瓶(かめ)の水飲んどるが、あれは雨季に溜めた雨水で、あんなもんワシらが飲んだら一気に下痢やな。お前はあれ飲んだようなもんやぞ。あいつらは子供の頃からあんな水飲んどるんや、ワシらと抵抗力が違うんやぞ!」

綺麗に見えても誰が置いたか分からん水には手を出してはいかんと反省。これは食中毒に掛かったのだ。熱や吐き気、下痢が続くもの当然か。正露丸では治らないかもしれない。参ったなあ。

◆鹿うノンカイの托鉢、再び!

藤川さんの起床で、早く起こされたネイトさんも読経を聴きに行った様子。5時30分に私も起き上がり、托鉢の準備をする。托鉢中にお腹が痛くならないようにトイレは済ませておく。それでも下痢便は突然襲って来るから、1時間程耐えられるか、お腹に相談しながらの集団托鉢への参加である。

6時15分頃にミーチャイ・トゥン側の托鉢の列がやって来た。先週あちら側に居た我々がこちら側の寺に居るから何か気マズイが、誰も怪訝な表情はしていない。すんなり列に入れてくれて先週と同じパターンで進む。プラマート和尚が出張中なので、私は“4番目”になった。サイバーツ(寄進)する信者さんは63件あった。なんと私の几帳面さ、数えてしまうのである。こんな状況で頭の中がなんと暇な私。

プラマート和尚さん先導の朝4時の読経。カメラを向けるとマイクを置いてワイ(合掌)してくれた

折り返し帰る時は、ミーチャイ・トゥン側の比丘と話しながら歩く。無事にラオスから帰って来たこと、ビザが取れたこと、今は事情あってミーチャイ・ター側に居ることを話して砂利道入るところで別れます。あちらはここから痛い痛い砂利道がある。今はこちら(ミーチャイ・ター)で良かったと安堵する。

このイサーン地方とラオス・ビエンチャンでは托鉢以外に在家信者さんが寺に料理を届けに来る習慣があります。その事情をビエンチャンに居た時、ワット・チェンウェーで、ブンミー和尚さんに尋ねていた藤川さん。

それは、
「ラオスでは、1975年の社会主義革命の後、新政府は仏教活動を禁じましたが、庶民がそれに反発し、政府に協力しなくなり、政策が予定どおり進まなくなりました。困った役人は、結局は暗黙に仏教活動を認めましたが、公には禁じられているものだから、政府のお偉いさんや役人達は比丘に食事を施したり、お寺にお布施をしたりなどの徳を積むことができなくなり、自分達がいちばん困ったようです。それで、市の役人やその家族は表立って托鉢などに参加し辛いので、こうして毎朝、料理を届けに来られるのです。」
ということのようだった。これが国境に関係なく、昔からこのイサーン地域に根付いているのだろう。

《このブンミー和尚さんの話は「オモロイ坊主のアジア托鉢行」より引用。こんな話しをしていたのは確かで、藤川さんが頷いていたのを覚えていますが、私は上の空であった。》

これはプラマート和尚さん不在の時、ラジオ体操の出欠取るような群がり

寺の河沿いにある船着場で佇むネーン達

◆ネイトさんの実力!

相変わらず食欲は沸かないが、少しでも詰め込もうとすれば何とか胃に入ってくれる。その後、ネイトさんを我々が食事したサーラー(葬儀場、講堂)へ朝食に誘ってデックワットらの輪に加えてあげます。新入りでは食べ難いだろうと終わるまで一緒に居てあげるも、そこは国際感覚の社交性あるネイトさん。積極的にイサーンの言葉で話し掛け、早速デックワットと笑いながら食事に入っている。私の気遣いは無用だったようだ。

昼食も少々しか胃に入らず、体調も悪いので部屋で寝ていたり、メコン河眺めに河沿いに行って日記書いたりしていると、近所の子供らが4~5人、元気にボール蹴って遊んでいる。こんな光景、どこの国にもあるんだなあ。

ネーンが土手の下の船着場まで下りているからその様子を見に行ったりもした。ネイトさんもやって来て他愛も無い話をするが、私のキックボクシングの話にも付き合ってくれたり、ここに至る因果も話せばしっかり聴いて返してくれる対話は楽しいものだった。

そんなこと話しているうちにまたお腹の調子が悪くなる。今日もすでに10回以上トイレに行っただろうか。これがお腹に細菌が潜伏する食中毒なのか。

夕方6時30分からの読経も、先ず鐘が鳴らされ、本堂で読経が始まる。後から後から比丘やネーンが集まって来るので、遅刻者続出。30分ぐらい続いた読経が終わると辺りはすでに真っ暗。外で読経を聴いていたネイトさんにネーン達がなついて群がっている。アメリカ人でもイサーンの言葉が出来て社交性があれば人気者間違いなし。私には誰も寄って来ない。この差は大きいな。

ネイトさんも寺生活に慣れていく、比丘と寺に寄進された食材による朝食

◆ネイトさんの出家が決定!

この寺のプラマート和尚さんが、夜9時前に帰って来たようで、我々は挨拶に向かいます。我々3人を泊めて頂きたいことと、ネイトさんを出家させたいことを藤川さんが申し出ます。

その後は流暢なイサーンの言葉でネイトさんが御挨拶。

普通はアメリカ人がいきなり尋ねて来ても門前払いとなるか、人格を見られた上で、何らかの条件が付けられるだろうが、こういう仲介役がしっかりした身元の近しい仲であれば大概のことはOKとなるもの。

難なく“面接”はOKされると、24日頃に得度式が予定されることになる。我々は20日の夜行列車で帰るので、得度式には参加出来ないが、ここから先は彼がしっかり務めることだろう。

どんな比丘となるのか、藤川さんの“第2の弟子”の成長が楽しみである。滞在日数の少ない中、我々がやってあげられることは何か、ネイトさんの出家への準備が進んでいきます。

夜の読経後、ネイトさんに群がるネーン達

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

江幡睦vsアーリー。江幡睦のローキックを中心とした上下を揺さぶる攻撃が続く

ローキックで攻める江幡睦、鍛え上げられたスネ同士は当たってもビクともしない

 
 
◎TITANS NEOS 24
9月2日(日)後楽園ホール17:05~20:08
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会

「TITANS NEOS 24」開催翌日の9月3日(月)14時、伊原ジムで一夜明け会見が行なわれました。

新日本キックボクシング協会とREBELSプロモーションの交流戦が10月8日(月・祝)のREBELS興行から開催されます。この日のカードは7月にすでに発表されていますが、日菜太(クロスポイント吉祥寺)vs 緑川創(藤本)戦が確定済。

10月21日(日)開催の新日本キック、MAGNUM.48では日本ミドル級チャンピオン.喜多村誠(伊原新潟)vs 元・ラジャダムナン・スーパーウェルター級チャンピオン.T-98(=今村卓也/クロスポイント吉祥寺)戦、日本ウェルター級チャンピオン.リカルド・ブラボ(伊原)vs UMA(K&K)戦の2試合が確定済です。

会見に出席したのは、昨日の勝者、江幡睦、勝次、リカルド・ブラボ、重森陽太が試合を振り返った感想の他、江幡塁、喜多村誠、T-98が出席。今後の交流戦に向けての豊富を語られています。

◆54.0kg契約 5回戦

ローキックは貰うと脚が麻痺してしまい根性で耐えられるものではない、アーリーも耐えきれず倒れ込む

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.0kg)
   VS
アーリー・ロー・ペットポートーン(元・パタヤ52kg級C/タイ/53.85kg)

勝者:江幡睦 / KO 2R 1:35 / ローキックによる3ノックダウン / 主審:椎名利一
得体の知れないタイ国強豪との戦いが続く江幡ツインズ。圧倒したり苦戦したり攻め倦んだりもありつつ、それらを上回るテクニックで捻じ伏せる勝利は多い。もう一歩上のムエタイランカー戦に備える戦いが続いています。

ローキック中心に倒せる技を試しながらジワジワ攻めて行くと、次第に顔色険しくなったアーリー。ボディブローとアゴへ突き上げるアッパーも炸裂させつつ、重点的に攻めたそのローキックでの3度のダウンを奪って圧倒のKOで仕留めた。

上半身を攻めつつ、ローキックでダメージを与えていく江幡睦

プットパートノーイvs勝次。勝次の前蹴りで牽制、自信を持った攻撃が続く

◆62.5kg契約 5回戦

日本ライト級チャンピオン勝次(藤本/62.35kg)
   VS
プットパートノーイ・ルークソーンムアン(タイ/61.55kg)
勝者:勝次 / TKO 2R 2:29 / 飛びヒザ蹴り / 主審:桜井一秀

初回、距離が遠かった両者、次第に距離を掴んだ勝次がパンチで追うと連打を繋げダウンを奪う。第2ラウンドは主導権を握った勝次が更にパンチを打ち込み、プットパートノーイは険しい表情に変わる。うつむく癖を見抜いた勝次はパンチでコーナーに追い詰め、プットパートノーイのアゴに軽く飛びヒザ蹴りを炸裂させて失神させ、レフェリーが試合を止めるTKO勝利となった。真空飛びヒザ蹴りの継承者と名乗る勝次。この技でのKO勝利は今後幾つ奪えるだろうか。

勝次vsプットパートノーイ。真空飛びヒザ蹴りを意識した老舗の大技、プットパートノーイを劇的に倒す

ニュートラルコーナーに登って雄叫びをあげる勝次。最も快楽的瞬間

田村聖の連打を浴びた斗吾は脆くも崩れ落ちた

◆73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン斗吾(伊原/73.5kg)vs NKBミドル級1位.田村聖(拳心館73.0kg)
勝者:田村聖 / KO 2R 0:56 / パンチによる3ノックダウン / 主審:宮沢誠

NKBとの交流戦。斗吾が田村聖に呆気なく倒されてしまった。多様なタイプとの経験値ある斗吾有利と思われたが、初回は様子見ながら第2ラウンドで田村聖のタイミングいい距離感での右ストレートがヒットすると、足にきた様子の効いてしまった斗吾。そのまま左右連打を浴びてダウンを喫する。田村聖は更に立て続けにダウンを奪い、最後は連打の中、レフェリーが止め、3ノックダウンとなるノックアウト勝ちを掴んだ。NKBの株をグンと上げた形の田村聖、交流戦初勝利となった。

田村聖(右)が右ストレートでダメージ重なる斗吾にクリーンヒット

当て勘優れたHIROYUKI(右)の右ミドルキックがウィサンレックにヒット

◆55.0kg契約3回戦

日本バンタム級チャンピオンHIROYUKI(藤本/54.9kg)
   VS
ウィサンレックMEIBUKAI(元・ルンピニー系バンタム級・フライ級C/タイ/54.8kg)
勝者:HIROYUKI / 判定3-0 (椎名29-27. 桜井29-27. 宮沢30-28)
主審:仲俊光

初回、HIROYUKIが距離を取りながらローキックで様子を見るように積極的に攻めるが、ウィサンレックも応戦し、HIROYUKIの動きを見極め、次第に距離を詰めるウィサンレック。

第2ラウンドはウィサンレックがヒジを狙うように接近したところにHIROYUKIの相打ち覚悟の左フックが当たると脆くも崩れたウィサンレック。ダメージは軽いが勝負を決定付けた一発だった。勢いつけば飛びヒザ蹴り、後ろ蹴りと調子を上げるが、ウィサンレックの組み技、ヒジ打ちを避けてか、後半距離を取るシーンも増えるも的確なヒットを残したHIROYUKIの作戦勝ちだった。

勢いに乗ったHIROYUKI、飛びヒザ蹴りで更に突き放す

◆67.0kg契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン、リカルド・ブラボ(伊原/アルゼンチン/67.0kg)
   VS
CAZ・JANJIRA(蹴拳ウェルター級C/JANJIRA67.0kg)
勝者:リカルド・ブラボ / 判定3-0 (桜井30-28. 仲30-29. 宮沢30-28)
主審:少白竜

ブラボが打って出ればCAZも打ち返してくるタフさにブラボをコーナーに追い詰める圧力もあり、苦戦するような印象さえ与えるが、連打とパワーが上回ったブラボが判定勝利。

◆ライト級3回戦

重森陽太(前・日本フェザー級C/伊原稲城/60.9kg)
   VS
RYOTA・RENSEIGYM(錬成塾/61.0kg)
勝者:重森陽太 / KO 2R 2:29 / 10カウント / 主審:椎名利一

両者のけん制気味の蹴りから始まった初回、重森の右ミドルキックは相変わらず、しなやかに重く圧し掛かる。第2ラウンドにパンチの距離になったRYOTAからカウンターで左フックを当てると、効いてしまったRYOTAは10カウントを聞き、重森陽太がKO勝利。

◆62.0kg契約3回戦

日本フェザー級1位.髙橋亨汰(伊原/62.0kg)vs ダルビッシュ黒木(KING EXCEED/61.8kg)
勝者:ダルビッシュ黒木 / KO 2R 3:00 / 3ノックダウン / 主審:桜井一秀

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/72.4kg)
   VS
J-NETWORKミドル級6位.小原俊之(キングムエ/72.3kg)
勝者:小原俊之 / 判定0-2 (椎名28-30. 桜井29-29. 少白竜28-30)
主審:宮沢誠

◆フライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/50.5kg)vs 同級4位.細田昇吾(ビクトリー/50.55kg)
引分け 0-0 (30-30. 29-29. 29-29)

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級4位.皆川祐哉(藤本/57.0kg)vs 國枝悠太(二刃会/57.0kg)
引分け 0-0 (28-28. 28-28. 28-28)

◆50.0kg契約2回戦

小野拳太(藤本/49.75kg)vs 岡田彪雅(クロスポイント吉祥寺/47.9kg)
勝者:岡田彪雅 / 判定0-3 (18-20. 19-20. 19-20)

敵地でKO勝利を収めた田村聖、一気に注目を浴びる存在となった

《取材戦記》

新日本キックボクシング協会は7月からNKBグループ(日本キックボクシング連盟
とキックユニオン)との団体交流戦が始まったばかりで、続いてREBELSプロモーションとの交流戦が実現となります。

REBELSはフリーの興行プロモーションで、元MA日本フライ級、フェザー級チャンピオンの山口元気氏が代表。2010年1月から活動開始、当初はWPMF日本支局傘下にありましたが、後に独自にREBELSをタイトル化したチャンピオンを始めとする契約選手を抱え、梅野源治やT-98がラジャダムナンスタジアム王座獲得に至っています。
開催前の発表会見に加え、一夜明け会見なるものが各興行や団体毎に増えてきました。試合直後にリング上や控室で応えられるコメントより、1日経って心も落ち着いた、上手くまとめ上げたコメントが多くなります。試合直後の興奮気味なコメントにも本音が現れやすいので、そこを狙った取材陣も居ることでしょう。

「KNOCK OUT」イベントでのビッグマッチの影響が他興行にも影響が現れてきた今年、新日本キックが積極的に交流戦に打って出た“老舗、変革”が楽しみなところです。

次回の新日本キックボクシング協会、MAGNUM.48は10月21日(日)後楽園ホール(17:00開始)に於いて行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊紙の爆弾10月号

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ネーンに撮って貰った1枚。私とブンミー和尚さん

大通りで他の寺から来る列を待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆ビザ獲得!

タイ領事館窓口で引換券を出す頃、ちょうどネイトさんもやって来ました。お互い難なく受取れて握手。初めてのノンイミグレントビザ。私でも取れたんだ。何か凄いことやったような気分。

私とネイトさんはホッとして雑談が長くなる中、明日の托鉢をネイトさんが撮影してくれることになり喜んでいると、藤川さんが早く買い物に向いたかったようで、「早よせんかい!」とイライラしている。全く勝手な人だ。テメエは喋りだしたら長いクセに。

合流し一列縦隊で進みます(Photo by Nate Badenoch)

ネイトさんは「明日の朝6時にチェンウェー寺に伺います」と言われてここで別れました。

我々はトゥクトゥクで、私が2ヶ月前も立ち寄ったショッピングセンターへ。
藤川さんが「英語ネーンに買うてったろ!」と言ってオーワンティン(瓶詰め粉末)とコンデンスミルクを買う。藤川さんはタバコを選び、これが早く欲しくて来たのだろう。

私はサンダルを買い、タバコ代を立て替えたりして、それぞれの値段が分からなくなったが、「物価はバンコクの半分ぐらいやが、電化製品はバンコク並みに高いな!」と言う藤川さんがビエンチャンの物価を探る好奇心を持った買い物を終えてワット・チェンウェーに帰ります。

信者さんが待つ路地に入って、一掴みのもち米を受けます(Photo by Nate Badenoch)

信者さんもサンダルに膝を乗せて辛い体制です(Photo by Nate Badenoch)

トゥクトゥクで帰ると隣の寺で止められてしまう。「もう少し先」と言おうとしたところ、「歩けば近いやろ!」と藤川さんはサッサと降りてしまう。私は方向音痴だが、降りた位置が分かっていた。藤川さんが隣の寺まで来ているのに方向を間違える。勝手なことを言っておいて間違えることこの旅だけで何度目だろう。

帰るとすぐ、ネーンが私を呼びに来た。「サンカティに纏って、出かける準備して!」と急がせる。

「葬式でもあるのかな」と思うも今回は藤川さんは呼ばれず私が呼ばれ、他にネーンが二人、ブンミー和尚さんと4僧でトゥクトゥクに乗って、向かう先はどこかのお寺らしい。そこで見たものは過去、私が通って来た道でした。

田舎っぽい風景の中の托鉢。低感度フィルムによるAUTOか強制無発光の為、被写体ブレが起きています。フラッシュが効いている被写体は陰が明るめに出て、ブレが小さめになっています(Photo by Nate Badenoch)

◆寺から向かった先は!

そこでは頭を剃ったばかりの20歳ぐらいの若者2人が白衣を纏って並んで立っていました。得度式である。私は比丘として彼らを迎える立場となったのだ。
「撮ってやりたいなあ」と思うが、それができない立場がツラかった。

ここまでは誰も私が日本人とは分からなかった様子。他の比丘は20僧ぐらい居たが、読経中にブンミー和尚が私に「カメラあるか?」と言う。ビザ取りに行ったままの頭陀袋だったので一眼レフを出すと、「違う、小さい方!」と言われてコニカのビッグミニを渡そうとすると、頭陀袋にカメラのストラップが引っ掛かって落として慌ててしまい、周りの比丘達が笑いだした。

集落ごとに信者さんの列があり、比丘と列と重なります(Photo by Nate Badenoch)

何を撮るのかと思ったら、向かいに座ったネーンに渡したブンミー和尚さん。つまり、「読経中の我々を撮れ!」と命じたのである。カメラを2台も出したところで、周囲は私が日本人と分かった様子。「ワット・チェンウェーの日本の比丘」といった雰囲気が漂う。

ここでも客寄せパンダになっていた私であった。お布施は2000キープを受取る。寺の外ではお祭り騒ぎ。出家者を送る親族の徳を積む機会だろう。薄汚れたシャツを着た4~5人の幼い子供らが裸足ではしゃいで駆け回っていて、映画で観るような発展途上国らしい風景だった。

比丘は裸足、信者さんも裸足で待ちます(Photo by Nate Badenoch)

◆体調に異変!

ワット・チェンウェーに帰って、英語ネーンに買って来たオーワンティンとコンデンスミルクをプレゼント。素直に喜ぶ澄んだ目がやっぱり綺麗である。夕方の読経の時間には皆が講堂に集まりました。私はここに来てから馴染んだラオス訛りの読経を耳に収めていました。

ビザを貰って安心してから一転、今日の昼食後から何か腹具合がおかしく長引いていることに気付く。パンシロン飲んだが夜になっても胃がスッキリしない。下痢が始まり、更に寒気がしてきた。風邪かな。今日も英語ネーンやデックワットが温かいオーワンティンを持って来てくれる。身体温めようと飲むも、気持ち悪さが治らない。寝るのはいつもと変わらない夜の9時頃だが、サッサと眠りにつくよう蚊帳に入って寝てしまおう。

陽が昇り始める頃、托鉢も終わりに近づきます(Photo by Nate Badenoch)

ところが深夜12時に目が覚める。脈が速く熱がありそうだ。これはヤバいぞ。真っ暗の中、頭陀袋からバファリン捜し、置いていたポラリス(ミネラルウォーター)で飲んでまた寝る。

朝方4時過ぎ、藤川さんが早くも片付けしている音で目覚めた。この寺を後にする準備して講堂へ座禅組みに行ったようだ。私はもう少し寝て5時過ぎに起きると一応熱は下がっている。ネイトさんに撮影頼んでいるのに今日は無理かと思っていたが托鉢には行けそうだ。

この方もやっぱりもち米、タイ東北部とラオスはこんな光景になります(Photo by Nate Badenoch)

◆我が托鉢の撮影!

ところが6時回ってもネイトさんが現れない。朝早くに呼ばれても寝坊も仕方無いかと諦めかけたが、列になって托鉢に向かう頃、ネイトさんがバイクでやって来た。すぐコニカのビッグミニ渡し、フィルム36枚撮り1本撮りきるようにお願いします。前から後ろから撮っている気配は感じるが距離が遠過ぎる。

広角レンズだし、もっと近い距離でアップ目が欲しいところ、私以外も撮ってるし、途中で「ネイトさん、もっと接近して!」と不謹慎にも大声を出してしまうが、撮ってくれただけでも有難い。寺へ帰ってから感謝を伝えて、朝食に向かう。また熱が出て来たようだ。食欲は沸かないが、ひと口でも多く頑張って食ってバファリンを飲む。昼までに下げないといけない。またしばらく眠ることにしました。

チェンウェー寺での夕方の読経、この寺は若い比丘とネーンばかりでした

ノンカイに向かう準備の為、ネイトさんは乗って来たバイクで一旦居候先に戻りました。

11時近くまで眠っても全く食欲が沸かなかったが、昼飯もまた一口でも多く食べておく。眠っていた間に藤川さんはシーツを洗濯したらしい。使った物は綺麗にして返すのは当然だが、私はグロッギーで出来なかった上、迂闊にも考えが及ばなかった。クテイの掃除だけやったが、使った寝具はそのまま折り畳んだだけ。これはこちらの比丘達に申し訳なかった。

広い講堂内、読経は40分ぐらい続きます

ブンミー和尚さん先導の読経が続きます

英語ネーンも学問とともに仏門で修行の身

◆ラオスを後にしてノンカイへ戻る!

午後1時に出発予定だったが、ブンミー和尚さんが朝からニーモンに行かれて別れ際には会えなかったことが悔やまれる。おじいさん比丘や英語ネーン達、デックワットには体調悪くて最後に何もしてやれなかったが、感謝の気持ちは何とか伝えて、藤川さんとネイトさんと共に拾ったオンボロタクシーに乗ってタイ・ラオス国境の橋へ向かいます。

出国手続きをしてラオスを後にする。最後に体調崩したが想い出の地になった。皆、心優しい良い人ばかりだった、タイ領事館の連中以外は。またいつか来れるだろうか。バスで橋を渡ってタイ入国手続きも簡単に終わり、ネイトさんが居るから言葉は何とかなると思うと心強かった。無事にタイ領土に入ると、故郷に帰って来たような安心感に包まれる。後はどんなに遠くても日本のおばあちゃんのアパートまで、歩いてでも帰れるような錯覚に陥る。

それにしても、すぐ座りたくなるほどダルく体力が落ちている。バファリンも正露丸も効かない。大丈夫か俺。ネイトさんの今後の進路を見届けてからペッブリーに帰らねばならないのだ。まず、この発熱と下痢を伴なう体調不良は何なのか。回復しなかったらどうなってしまうのか。そんな不安を抱えながら、トゥクトゥクに乗ってワット・ミーチャイ・ターまで50バーツ。門を潜って新たな展開へ、ネイトさんを含む3人のお泊り願いに向かいます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

◆ワット・チェンウェーでの務め

ビザが下りるまでのビエンチャン滞在の中では、新しい出会いや問題が浮上していきました。

ブンミー和尚さんに「ニーモン(比丘を招く寄進)があるから9時30分までに帰って来なさい」と言われているのに10時15分になってしまう。

「ニーモンには行けないなあ」と藤川さんと話していたら、なんとブンミー和尚さんが車を待たせて我々を待っている。タイと同様に時間にゆとりのある国である。しかし、呼ばれたのは藤川さんだけ。車に乗せられ行ってしまった。後から思えば、この寺の年配者は病気がちなおじいさん比丘と、ブンミー和尚さんだけ。地上げ屋のような眼力ある藤川さんを連れて行けば、虎の威を借るように好都合かもしれない。

黄衣を洗ってくれたデックワット(寺小僧)の一人

他の比丘、ネーンも居らず、私はクティの踊り場で日記書きながら「これは昼飯は無いなあ」と飯抜き覚悟していたら、残っていた一人の“英語ネーン”が「昼飯だよ」と呼びに来てくれました。行って見ると私とこの英語ネーンと二人っきり。そしてヨーム(在家信者さん)3名ほどが食材を持って来ている様子で、英語ネーンが「お経唱えますよ」と言う。

私は「うわっ、ヤバイな!」と思うが、いつも朝食後に唱える「サッピティヨー」から始まる短いお経で簡単だった。終わるとヨームはワイ(合掌)をして帰って行く。こんなわずかな儀式でも重要な仏教徒の務めだから軽んじてはいけない。でもこれで昼飯は摂る事が出来た。

この昼時を終えると、藤川さんらが帰って来ました。何やら寄進された、お土産のような大きい包みを持って来た藤川さん。タバコだけ抜いて他はデックワットにあげていた。お菓子類がほとんどのようだ。

皆それぞれのニーモン先から帰って来て、今日のひと仕事終わったかのような昼下がりの午後、疲れた様子の藤川さんはクティの踊り場でゴザ敷いて寝てしまう。

『カメラマン』を見る英語修行中のネーン(少年僧)とチビくん

私は洗濯しようと黄衣を持って洗い場に行くと、デックワットのひとり、ガキデカ(イメージ的に付けたあだ名)くんが、「僕が洗います」と黄衣を持って行ってしまう。後に干して乾いた黄衣も持って来てくれて、何と気の利く奴らだろう。でもこれが普通のデックワットの役目なのだ。本当に我がタムケーウ寺と比較してしまう、この寺の優秀さ。

手が空いてしまったが、英語ネーンや最年少デックワットのチビくんは私と雑談になる。「日本の冬は寒いぞ」と雪の話をしていると、確か雪景色の絵柄があるはずの、持って来ていた『カメラマン』を見せてやる。カラー発色の光沢ある紙質の雑誌である。英語ネーンくんは「綺麗な本だ、印刷が凄い!」それだけで感動している様子。雛形あきこを見ると「この子、日本人なの? 綺麗な子だ!」と目がランランと輝くが、さすがに「幾らだ!」とは言わない。

私以外ほとんど差の無い年齢だが、左の兄さんだけ比丘で、他はネーン

ガキデカくんは私が持っていた安物の電池式髭剃り機(シェーバー)を、「それ見せてくれ」と言うから渡すと、スイッチ入って“ガガガガー”っと振動すると「うわあ~!!」とビックリして落としてしまう。何だ、こいつヒゲ剃り見たこと無いのか。タイのムエタイ選手や、お寺の比丘などはヒゲ剃り機そのものは持っていなくても、見たことぐらいはある奴らだ。このラオスというアジアの奥地には、昭和30年代の日本がある感じで懐かしい気持ちになれるところだった。

最年少チビくんもやたら寄って来るようになった。幼いから遊んで欲しいのだろう。学校には行って無さそうで、寺の周囲に友達が居るようには見えない。相撲を取るような、ムエタイの首相撲をやるような取っ組み合いをやると物凄く笑って喜ぶ。7歳ぐらいなのか、無邪気で可愛いものだ。比丘が取っ組み合いやっていいかは、本当はやっぱりダメだろう。タムケーウ寺のメーオくんはムエタイ経験があり、軽い取っ組み合いで上手い蹴りは見せていたが。

ブンミー和尚さんを中心にこの寺の比丘とネーン達

◆アメリカ青年、訪ねて来る!

夕方頃、別のネーンが私を呼びに来る。「お客さんだよ!」と。こんなラオスの寺に私にお客さんなんて、思い当たるのは奴しかいない。早速やって来たのだ、アメリカ青年が。

講堂に行くとネイトさんと再会、「ノンカイに渡ることで相談があります」と言う。

講堂では夕方の読経が始まるので、クティに移ってお喋り上手の藤川さんと会話が続きます。

ネイトさんはアメリカでラオス語を習い、高校2年の時、日本に来て、タイ留学生と出会い、「その発音は間違っているから直してやる」と言われて、そこからタイ語を習い始めたという。大学を含め7年間、日本に居る間に日本語とタイ語を完璧に覚えてしまったようだ。

藤川さんが「宗教とは何やと思う?」と問うと、ネイトさんは「お父さんが“自然だ”と応えたことがあります」と言う。更に「お父さんはインドに居たことがあるんです」と言うと、藤川さんは大きく理解したように「ほほ~う、だからやな!」と頷く。

アメリカ青年ネイトさんが訪ねて来て藤川さんと雑談

クティに集まったネーン達と写真に収まる藤川さんとネイトさん

話せば思いっきり笑うこと多い藤川さん

傍から聞いていると飽きて疲れる話になってきた。討論成り立つネイトさんに任せて私はこの場を去るが、ネイトさんが気にしていたのは「ノンカイに渡ったら本当に出家できるのか」という素朴な疑問。

「ノンカイに渡ったら、ミーチャイ・ター寺の和尚に紹介するから、この寺でもイサーンの寺でも好きなところで修行すればええ!」ともうネイトさんに惚れ込んだ様子の藤川さん。「ワシに任せとけ!」という藤川さんの太鼓判に安心した様子。

読経が終わった頃、「みんな集まって写真を撮ろう」と言うブンミー和尚さん。ネイトさんは英語ネーンに英会話の機会を与えると、とちりながら話してみるネーンくん。わずかな時間ながらよく頑張っていた。ブンミー和尚さんとも雑談を続けて、写真を撮り終えてから知人宅へ帰って行きました。

何となく集められた旅の我々と共に

ブンミー和尚さんとネイトさん、通訳もしてくれて助かった

◆ブンミー和尚の苦悩

私はブンミー和尚さんに「この寺の住所を書いて欲しい」とお願いすると、ラオス語と英語で書いてくれて、更に日本語で書かれた日本からの手紙を見せられました。その手紙はちょっと古く、「日本にもう2年あまり、私の弟が居るんだが、弟の嫁が私の手紙を弟に渡してくれないようだ。だから連絡が取れない」と言う。日本に帰ったら私に尋ねて行って見て来て欲しいのだろうか。住所は神奈川県の平塚だった。

後に藤川さんに話すと、「ブンミー和尚の弟さんは不法就労の類いやな、仕事やっても半年しか居れんはずや、それが2年も居るというのはビザ切れしかないやろ、尋ねていくのはかえって迷惑がられるぞ!」と言われる。まあ確かにそうだろう。今、ブンミー和尚さんの気休めにでもなればと思った次第だが。

◆合格発表へ!?

申請して2日後の午後、タイ領事館へビザの受取りに向かいます。ビザはパスポートに印字押されるだけなので、そのパスポートを返して貰うことになります。一人で行きたいところ、「行く時は起こせよ!」と言って昼寝している藤川さんを起こします。着いて来たがる、先に歩きたがる。「買い物もしたい」と言っていたが、寝かせたまま一人で行けばよかったかと思う。「俺って何で正直に従ってしまうのだろう」なんて悔やむこと数え切れない。

何かの受験合格発表でも見に行くような緊張感。たかがビザ。大丈夫ではあろうが、書類は万全だったか考えるとちょっと不安が残る。そしてこの先、ビエンチャンでまだまだ慌てる事態が発生していきます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

お寺の仕事をこなすデックワットの3人

デックワット(寺小僧)の少年と、英語を学ぶネーン(少年僧)

◆ワット・チェンウェーでの触れ合い

タート・ルアン寺院で偶然出会った比丘らに送られ、泊まっているワット・チャンウェーに帰ると、やっと寝転がれる場所に辿り着きました。汗だくで、夕方には読経が始まるも参加せず、藤川さんが水浴びに行ってクティに戻って来ると、布団の下に蚊帳を折り込んで寝る準備に入っている。“早や!”

宵の口になると、何やら英語の単語を繰り返す声が聞こえてくる。
ネーン(少年僧)がクティの踊り場で辞書片手に熱心に英語の単語を覚えようとしている。それが長く続いている。
「あいつは勉強熱心やな、将来英語使う仕事に就いて日本にも来るかもな!」と言う藤川さん。こんなアジアの奥まった街からそんな奴も出て来るのだろう。

そこへ同じ世代のネーンやデックワットが集まって来る。
テレビもラジオも無い古い昔の家庭のような空間、自然とお喋りが始まるクティ内。

そして、よそ者の我々にも接してくれるネーン達。喋っている言葉はラオス語だが、ほぼタイ東北地方の訛り。大昔にメコン河で国境が区切られたが、昔、この辺一帯はひとつの地域だったのだ。タイ標準語とちょっと違った言葉となる単純なラオス語を教えてくれる彼ら。

デックワット(寺小僧)はラオス語でサンカリー、
マイペンライ(大丈夫、気にしない)はボーペンヤンドーク、
カオチャイマイ(分かりますか)はカオチャイボー。

ラオスから出たこと無い彼らは大都会の密集した混雑、物が溢れた量販店の電化製品を知らない。
「こいつらは目が澄んどるなあ。このままにしておいてやりたいなあ」とそんな言葉を発した藤川さん。汚れた人生を送った我が身と対称的に、彼らを自然のままにしておいてやりたいと言う想いが現れる。

托鉢から帰るとすかさずデックワットがバーツ(お鉢)を持ってくれます

そんなクティで何やら大きい葉っぱを鍋で煎じているおじいさん比丘。お茶である。
「飲むか?」と言われて興味津々の藤川さんは「頂きます!」とお願いすると、湯呑みカップに入れて我々に出してくれました。何の葉っぱか分からない。大丈夫かな、美味いかは微妙な味だが水出し麦茶とは全然違う、久々に味わう温かいお茶に癒される想い。

更には別のネーンが私と藤川さんの分の温かいオーワンティンを持って来てくれました。日本やタイで有名な“強い子のミロ”のようなもので、これも甘くて美味しい。

しばらくすると小太り和尚さんが「もう飲んだか?」と言いながらやって来る。気遣ってくれたのは小太り和尚さんだったようだ。来客を持て成してくれるような接待に有難く想う。
「こんな汚い小屋ですまない、講堂の2階は工事中でまだ使えないんだ」と言われるが、とんでもない、寝るに充分で周りが皆優しくて助かっていることに感謝を伝える。

蚊帳を吊って寝る藤川さん

本来、藤川さんと私は“形式上”ではあるが、巡礼の比丘は、“お客様”ではない。藤川さんが言っていた、一旦出家してしまえば基本的にはどこの寺でもタダで泊まれるのは、修行に必要な今日1日を生きる為の食事と寝る場を与える為。ノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンやバンコクのワット・タートゥトーンと同じく、このワット・チェンウェーでも挨拶後、意外なほど簡単に受入れて頂きました。しかし修行僧なので、すぐその寺の一員となって読経や葬儀、懺悔の儀式に取り組まなければいけません。

小太り和尚さんも自己紹介して頂き、お名前は“ブンミー”和尚。寺の名前は「ワット・チェンウェー=Wat XiengVee」、ビエンチャンは「VIEN TIANE」と綴るが、本来はこの綴りではなく、この綴りはアメリカ軍が進駐した時代に定着したという。
夜8時過ぎにはネーンが別棟クティに帰って行った。早いなあ就寝。いや、まだ勉強かな。
準備してある藤川さんは一足先に、私も寝る準備に掛かるが、昼に蚊帳を吊るしておいたことは正解だった。蚊を追い払い、素早く蚊帳に飛び込む。更に蚊取り線香を焚いて携帯用線香皿に装着して傘の上部に吊るす。これで蚊対策は充分だろう。

◆ビエンチャンでの托鉢

朝、5時前に藤川さんが一番に起きて灯りを点けやがって、周囲も私も目を覚ます。蚊帳と傘を畳むと上から多量の蚊の死骸が落ちてくる。金鳥の蚊取り線香って本当に効いてんだな。

先に藤川さんが洗面に行き、その後、私が行って来ると藤川さんが座禅組んでいる。
「全く朝っぱらから、この為に早く起きたのか」と思うが、毎度私の感覚の方が間違っているのだろう。他の比丘やネーンは個々に講堂で読経している様子。

托鉢に出掛ける準備して待つが、6時になってもまだ誰も出る気配無し。ゆっくり辺りが明るくなる頃、6時30分を回って比丘やネーン達の準備が始まる。ネーン達は右肩を出す格好。おじいさん比丘は通常のホム・クルム、藤川さんも同じ纏い。私だけタムケーウ式ホム・マンコン。

托鉢の風景

ノンカイと同じような一列に並び、そして歩くのがノンカイより速い。路地に入ると民家のある田舎道で、托鉢としての見応えある風景になっている。私が托鉢止めて撮影に入りたいほどだ。寺に帰るとすぐデックワットが出迎えてバーツ(お鉢)を受け取ってくれる。関取の付き人のように手捌きが速かった。こういうところはどうしても我が寺と比較してしまう。こいつらの方が優れているなあと。

食事を捧げる手渡しの儀式はお堅いが、食材はしっかりある。サイバーツされるのはもち米がほとんどだが、ヨーム(信者さん)が寺に寄進に訪れて料理を運んでいるのはノンカイと同じ。

朝の風景、お寺の外で見掛けた児童たち

トゥクトゥクで街に出るとラッシュの混雑

◆タイ領事館での出会い

「9時30分からニーモンに行くから早く帰って来なさい」とブンミー和尚さんから告げられる。この後、先に述べたビザ申請があるが、9時30分までに戻って来れるかは微妙なところ。

寺の外に出ると、地元の子供達の可愛い顔がある。ここにも人生があるんだなあ。

タイ領事館で不足分だった2枚目の申請用紙を書いていると、「すみません、今何時ですか?」と流暢な日本語で話しかける声が聞こえてくる。フッと見ると欧米系の青年。黄衣を纏った私を日本人と見抜いて尋ねているのである。
「こいつ出来るな!」と思いつつ、その時刻を伝える。

そこへすかさず割って入るのが藤川さん。こんな外国人には興味津々である。
彼はネイトと名乗るアメリカ人。タイ語もほぼ完璧に出来る優れ者である。

このネイトさん、「僕もタイの寺で出家したいんです」と熱く語るので、藤川さんが誘って「今日、明日にでもワット・チェンウェーに尋ねて来い。一緒にノンカイに戻ればワット・ミーチャイ・ターの和尚さんに紹介するから」と約束してしまう藤川さんも、まだ会って5分ほどしか経っていないアメリカ人に、よくそこまで話を進められるものだと呆気にとられてしまう。

領事館では、ネイトさんもビザ申請を済ませ、帰りはトゥクトゥクに一緒に乗り、ネイトさんは「今日の夕方、堀田さん達のお寺にお邪魔させて頂きます!」と言って途中下車し、我々はそのままワット・チェンウェーに戻りました。

ここからアメリカ青年との触れ合いが急速に深まっていきます。これも何らかのタイミングがちょっとでもズレていたら出会わなかっただろう不思議な出会いでした。

タイ領事館にて、アメリカ人青年と出会う

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ビエンチャンにあるタイ領事館の門

◆タイ領事館へ向かう

いよいよ旅の本命、ビザ申請に向かいます。

ビエンチャンで泊めて貰うワット・チェンウェー。着いて間もないそのクティに私物を置いて出掛けるのは不安だが、蚊帳類以外、すべての荷物を持って行くのは面倒過ぎる。カメラやフラッシュなども重いが貴重品なので持って出ます。

藤川さんと路地に出ると、すぐにトゥクトゥクの方から寄って来た。タイ領事館まで1500ラオスキープ。ってどれぐらい高いのか分からず、50タイバーツで交渉成立。15分程乗った中、だんだん市内に入ると2ヶ月前に見た風景が蘇えってきます。

ちょっと早めにタイ領事館に着き、14時の開門を待って中に入ると、早速、藤川さんと窓口に並ぶ。ビザ申請用紙をお願いすると、オバサン係員から2枚渡される。

藤川さんと一緒に申請するものだと旅に出る前から思っていたから、藤川さんに1枚渡すが、何やら書く様子が無い。

「何で書かないんですか」と言うと、藤川さんは「ワシは1年ビザ有るから」だと。
「はあ? じゃあラオスまで何しに来たんですか?」と私。
「お前の為に来たんやろが!」と藤川さん。

旅慣れない私を引っ張って来てくれたことには心強く、助かっている。その反面、外泊を渋る我が寺の和尚さんに、私を利用して、たいした用も無いのに旅に出るつもりだったなと思うと腹立たしくなってきた。

「じゃあ余った申請用紙は次に来る日本人の為に参考資料としてとっておこう」と言って頭陀袋に入れようとしたら、藤川さんがサッと奪いやがる。
「ワシかて後に来る友達の為にとっておく」と言う。
「このクソジジイ!何から何までセコいこの野郎!」と思って睨みつけていると、
「早よ書けや!」とフイをついて促される。

凱旋前にて、藤川さんに撮って貰ったが下手糞、トリミングして整える。カメラはコニカのビッグミニ

◆ビザは1年!?

私が申請しようとするノンイミグレントビザは、留学や興行などは3ヶ月という制限があります。更なる長期のビザについては分からないが、藤川さんのような1年ビザは、より難しい条件があるでしょう。

ビザ申請用紙には要請する期間を書く欄があります。
そこで「“1年”って書いてみい」と言う藤川さん。
「いい加減なお役所仕事の奴らは隣の奴とベチャクチャ喋りながら中身をよう見んとハンコ押しよる奴も居るかもしれん。間違うて1年ビザが貰える可能性あるから“1年”と書いてみい!」というものだった。

さすがセコい考え。いい加減な役所仕事の心理を読む、ずる賢い人生の経験値である。しかしお役所の奴らはそんな損なことはしないだろう。少なく間違えることあっても多く間違えることは無い目敏い連中だ。

でも私もちょっとセコい気持ちが沸いて「1年」と書いておく。そして窓口に持って行くと、オバサン係員は「提出は明日の朝」と言う。

「先に言えよこの野郎!」と野郎ではないが心の中で呟く。タイ語にしてもラオス語にしても英語にしても、申請用紙貰った時にこのオバサンはそんな発言は絶対にしていない。

そしてこの翌朝に提出した時は、今度は「2枚書け!」と言う。だから2枚くれたのか。その1枚は藤川さんが奪い取ったから仕方なく、別のオッサン係員に「もう1枚ください」と丁重にお願いします。

ようやく書いて提出すると今度は「何しにタイに残るんだ?」の質問。この黄色い袈裟を見て分からんか、もうムカムカ苛立ちながら応え、「寺のニーモンに呼ばれているから早くして欲しい」と言って手数料500バーツ払ってようやく引換券受取る。

毎度お役所仕事にはイライラさせられる現状であった。ビザ申請までは以上である。

凱旋門近くを車にけん引されるボート

◆ラオス入国者の義務!?

前日に申請用紙だけ貰った後、領事館を出た後、ガイドブック見ていた藤川さんが「凱旋門とタートルアン行こう」と言い出す。

せっかく来たラオス、観光もしておかないと勿体無いが、黄衣を纏っていてはとても観光気分にはなれない。でもせっかくビエンチャンまで来たのだから、まず歩いて近くの凱旋門に向います。

凱旋門はフランスの凱旋門を真似て建てられた、地元では“パトゥーサイ”と言われる記念塔。2ヶ月前は伊達秀騎選手や小林利典選手、アナン会長とこの前で写真を撮ったが、今回は一人黄衣姿で撮りました。

ここからトゥクトゥクに乗って、金色の仏塔のタート・ルアン寺院に向かう。ここも有名な観光地である。ひと通り見たところで藤川さんが、「“ラオス入国者はパックツアーを除いて在住証明を提出しなければならない“とガイドブックに書いてある。入国管理局行こう!」と突然言い出す。

私は面倒で「行かなくても大丈夫でしょう」と応えると、
藤川さんは「じゃあ出国時に何か問題あったら交渉してや?」と言い返して来る。
私は「知りませんよ、そんなこと!!」と怒鳴ってしまった。
藤川さんは「そんなら今行こうや、今分かってしまえば後は楽やろ!」

いつも言ってることは正しいんだよなあ、藤川さんは。でも私に何かワザと面倒なこと言い出すようで、苛立つ気持ちになってしまうのだ。これも修行か。

凱旋門目指す藤川さんの後姿

タートルアンで出会った比丘達と

◆ビエンチャンで出会った比丘たち

そこで入国管理局へ向う為、トゥクトゥクでも止めようかとしていると、走って来たタクシーの運ちゃんらしき人に呼び止められ、「あの比丘が呼んでいます!」と指差された先には二僧の比丘、一僧は紫色の袈裟を纏っている。

「どこから来たの? これからどこに行くの?」と人懐っこく問いかけてくるのは、紫袈裟比丘。もう一僧は背が高く結構若いがラオスにある寺の和尚さんらしかった。

「入国管理局へ行きます」と伝えると付き合ってくれることになり、彼らのタクシーで、入国管理局へ向かいました。ここで「このツアー会社に行って聞いてください」と指されたのは、バンコクで旅行代理店に提出した時に、パスポートにホチキス止めされていた名刺のツアー会社。それはすぐ近くにあるようで、そこへ歩き出したところ、私らを見かけた近くのホテル従業員のオバサンが「ニーモンです」と言ってホテルのロビーへ招かれソファーに座るよう促されました。

我々4僧とタクシーの運ちゃんにまでジュースが出され、私は喉がカラカラで、多分皆同様で有難い寄進だった。それはファンタオレンジの味、着色料バッチリの昔ながらの正にオレンジ色。冷えていて味も懐かしく美味しかった。

ホッと一服できたところで、紫袈裟の比丘先導に短めのお経を唱えると、私にも出来る、日々やっている範疇の読経で、有難そうにワイ(合掌)して聴いているオバサン。こんな寄進に出会った場合に、一人でもすぐ出来る経文は更に覚える必要があると思ったところ。

そしてツアー会社に入ると、御丁寧に紫袈裟の比丘が尋ねてくれて、「2週間以内の滞在は入国管理局への在住申請は要らない」という。ガイドブックは古いもので、すでに改訂されていた様子。面倒でもやることやって問題無いと分かれば、後は安心なのは確かだった。

ここからこの紫袈裟の比丘らのタクシーで、我々の泊まっているワット・チェンウェーまで送ってくれてお別れ。紫袈裟の比丘は明日、タイのウボンに帰るらしい。ここまで付き合ってくれたことには感謝を伝える。優しい奴らで有難かった。また会うことはないだろうが、住所聞いておけばよかった。またウボンに尋ねて行けたら楽しいだろうに。

この後、ワット・チェンウェーの比丘やネーン(少年僧)、デックワット(寺小僧)達との触れ合いにまた感動が生まれていきます。

我々が泊まる寺へ送ってくれた比丘とタクシー

ボロボロのタクシーである

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

石原將伍のパンチで倒すKOへの執念、免れたアムヌアイデット

計量をウエイトオーバーした選手は2名。一人は再計量でパス。もう一人は2kgオーバーで諦めた様子。これだけ暑いと選手は減量がしやすくも体調管理も大変かなと思う夏です。

この日、注目されたのはNKBとの交流戦は3試合。この日は新日本キックの2勝1分となりました。NJKFと日本キックイノベーションとの交流戦も1試合ずつ行なわれました。

◎WINNERS 2018.3rd / 2018年8月4日(土)後楽園ホール17:00~21:05
主催:治政館ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

蹴りから入ってパンチへ繋ぎたい石原將伍

パンチの距離になるとすかさず組み付くアムヌアイデット、首相撲でもなくクリンチとも違う凌ぎ技

◆15. メインイベント 58.5kg契約 5回戦

日本フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー/58.5kg)
VS
アムヌアイデート・ウォー・ワンタウィー(元・BBTVバンタム級4位/タイ/56.5kg)
引分け 三者三様 / 主審:椎名利一
副審:仲48-49. 少白竜48-48. 宮沢49-48

5月に続くメインイベンターとなった石原將伍が、毎度求める強い相手として選ばれたアムヌアイデット。やりづらい相手であることは初回でその実力が垣間見れました。石原のパンチの強さを感じ取ると、その距離を潰し、多彩に変化をつけて蹴ってくる。

石原のバランス崩しておいてハイキック狙うアムヌアイデット

中盤からはパンチを掻い潜り、しつこく組み付いて来るようになり、石原のパンチがヒットし難く攻め難さが増す。アムヌアイデットは素早く蹴り足を掴んで転ばせたり、軸足を払って転ばせたりはさすがのムエタイ戦士、組み付きが多く、逃げの体勢に入ったと見えるアムヌアイデットではあるが、返しの蹴り技はしっかり見せる。

石原のパンチもヒットは少ないが連打で追い詰める印象度は互角の展開。ムエタイ的には蹴り技で凌いだアムヌアイデットの攻勢と見られがち。しかしこんな選手も攻略しないとタイでは通用しないという。続く試練を克服して、まずラジャダムナンスタジアムランキング入りを目指し、新日本キックのエースを確固たるものにしたい石原の挑戦は続く。

石原のパンチを警戒しつつ蹴りの距離を保つアムヌアイデット

内田雅之が懸命に挽回に出たローキックの相打ち

◆14. 61.5kg契約3回戦

日本ライト級1位.内田雅之(藤本/61.25kg)
VS
マーパロン・ソー・ブンヨード(元・ラジャダムナン系バンタム級C/タイ/60.4kg)
勝者:マーパロン / 判定0-3 / 主審:桜井一秀
副審:椎名27-30. 少白竜27-30. 宮沢27-30

第1ラウンドに接近戦でヒジ打ちをまともにアゴに貰ってしまいダウンした内田。マーパロンは体幹がしっかりした蹴りを繰り出す。蹴りが堅そうで終始バランスが良かった。マーパロンの圧力に押されたままの内田もローキック、パンチを返すが流れを変えることは出来ず、終了に至る。

マーパロンの右ミドルキックに苦戦に陥る内田雅之

マーパロンが判定勝利、内田はうつむき気味に下がる

馬渡の接近戦での飛びヒザ蹴り。ニシャオは日本に来て苦しい試合となった

  
 
◆13. 55.0kg契約3回戦

日本バンタム級2位.馬渡亮太(治政館/55.0kg)
VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ/55.0kg)

勝者:馬渡亮太 / TKO 3R 2:24 / カウント中のレフェリーストップ
主審:仲俊光

初回の様子見の中でも徐々に圧力掛けて行く馬渡。スロースターターのニシャオの蹴りを上回っていく馬渡のスピード。接近戦でボデイブローやヒジ打ちを落とす。

馬渡の組み合ってのヒザ蹴りに押されっぱなしになくなっていくニシャオ。その表情にゆとりが無い。

ニシャオは逃げ切ることも出来ず、馬渡の前蹴りをアゴに受けてロープにもたれるところをパンチ連打を浴び、ロープダウンを取られて崩れる。

一旦立ち上がるも、赤コーナーで崩れ落ち、カウント中のレフェリーストップとなる。

先手を打って勢い増した馬渡の蹴りに下がる一方となった苦しいニシャオ

◆12. 73.0契約3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/72.7kg)
VS
ロンドユー・シンセンデート(タイ/72.6kg)
勝者:今野顕彰 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-28. 桜井30-29. 仲30-28

初回から飛ばしていく今野。ローキックからのパンチのリズムを作り、優勢を維持する。蹴りの強さはロンドユーが優るが、距離をとって調子付かせない。積極的に打って出たに今野が判定勝利。

今野顕彰が先手を打って出たパンチ連打でロンドユーを追う

1年ぶりに雪辱を果たし、応援者に笑顔を見せる今野顕彰

打ち合いに移る中、西村清吾の右ストレートが政斗にヒット

◆11. ミドル級リミット契約3回戦

NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM KOK/72.2kg)
VS
日本ウェルター級1位.政斗(治政館/71.8kg)

引分け 0-1 / 三者三様 / 主審:宮沢誠
副審:少白竜29-30. 桜井29-29. 仲29-29

注目されたNKBとの交流戦。NKBミドル級チャンピオンの西村は、ウェルター級の政斗を捻じ伏せたいところ。

初回は両者の意地か、パンチとローキック、ミドルキックの交錯が続く。

政斗が西村清吾を追って右ミドルキックをヒット

第2ラウンドは同様の展開が続くが、両者の距離が縮まるとヒザ蹴りが加わり、パンチのヒットも増していく。第3ラウンドも力を出し来るように打ち合いに出て行く両者。若い政斗の勢いが増したか、西村がやや下がるもパンチをヒットさせる印象を残す。

各ラウンドの採点がジャッジによって正反対に分かれるほど優勢を見極め難い応戦は5回戦で戦うべき、トップクラスの交流戦でした。

政斗vs西村清吾。結果は引分けとなって健闘を称え合う両者

◆10. フライ級3回戦

日本フライ級2位.幸太(ビクトリー/53.0→52.8kg=2.0kgオーバー、減点2)
VS
JKイノベーション・フライ級6位.多根嘉輝(直心会/50.8kg)
勝者:多根嘉輝 / 判定0-3 / 主審:椎名利一
副審:少白竜27-30. 宮沢27-30. 仲27-30(減点2点含む)

タネ・ヨシホ(多根嘉帆)の兄・多根嘉輝は、素早い動きで積極果敢に幸太を攻めるも、ウェイトオーバーしてきた幸太は重かったか、内容的には僅差判定勝利。

◆9. 58.0kg契約3回戦

日本フェザー級7位.渡辺航己(JMN/57.8kg)
VS
日本フェザー級8位.金子大樹(ビクトリー/58.0kg)
勝者:渡辺航己 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名30-28. 仲30-28. 桜井30-29

◆8. ライト級3回戦

日本ライト級7位.大月慎也(治政館/61.0kg)
VS
サックシット・ラジャサクレック(タイ/60.8kg)
勝者:大月慎也 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-28. 仲30-29. 宮沢30-28

◆7. 55.0kg契約3回戦

日本バンタム級6位.田中亮平(市原/54.8kg)
VS
NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館/54.55kg)
勝者:田中亮平 / 判定2-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-29. 少白竜29-29. 宮沢30-29

組み合ってのヒザ蹴りは少なく、キックボクシングらしい、パンチと蹴りの攻防が徐々に増していき、第3ラウンドに田中亮平の右ヒジ打ちが海老原竜二の左目尻辺りにヒットすると瞼が少々腫れ上がる。更に打ち合いが激しさ増す中、田中が押し切り、このラウンドをジャッジ三者が指示した田中亮平が僅差の2-0ながら判定勝利。

◆6. ライト級3回戦

日本ライト級9位.興之介(治政館/61.23kg)
VS
NKBライト級5位.パントリー杉並(杉並/60.35kg)
勝者:興之介 / KO 1R 1:11 / 主審:仲俊光

パントリー杉並が新日本キックのリングでどう戦うかが注目された中、厳しい結末となってしまいましたが、キックの見え難いタイミングを知ったところでしょうか。短い期間でのKO負けが続いた為、しっかり休養を取って再起して貰いたいところです。

◆5. ウェルター級3回戦

日本ライト級8位.和己(伊原/66.68kg)
VS
NJKFスーパーライト級7位.野津良太(ESG/66.55kg)
勝者:野津良太 / KO 3R 2:16 / 10カウント
主審:椎名利一

◆4. バンタム級2回戦

翼(ビクトリー/53.4kg)vs山野英慶(市原/53.52kg)
勝者:翼 / TKO 1R 1:15 / カウント中のレフェリーストップ

◆3. 61.5kg契約2回戦

又吉淳哉(市原/60.9kg)vs羅向(ZERO/61.0kg)
勝者:羅向 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 18-20)

◆2. フェザー級2回戦

睦雅(ビクトリー/56.4kg)vsRYUICHI(トーエル/56.9kg)
勝者:睦雅 / 判定3-0 (20-19. 20-19. 20-19)

◆1. 女子50.0kg契約2回戦

祥子(JSK/47.9kg)vsIMARI(LEGEND/49.2kg)
勝者:IMARI / 判定0-3 (19-20. 19-20. 19-20)

本日のMVP(武田幸三賞)は圧勝KOした馬渡亮太

《取材戦記》

後楽園ホールは競技によって、または団体によっても会場の雰囲気がガラッと変わる特徴があります。新日本キックボクシング協会に於いても、興行ごとの微妙な雰囲気の違い、それは出場選手だけでなく、リングアナウンサーやスポンサーの顔触れの違いが微妙に空気を変えているでしょう。

選手が主役のリング上では、武田幸三が現役だった頃は、それだけで治政館ジム主催であることが滲み出ていましたし、その後は蘇我英樹(市原)がメインイベンターとなり、蘇我英樹と時期が重なりますが、志朗(治政館)もメインイベンターとして躍り出て来て活躍。現在は、日本フェザー級チャンピオンとなった石原将伍(ビクトリー)がここ2戦連続メインイベンターを務め、強い相手を求めた戦いぶりに存在感が出て来た風格を感じます。

来月、9月2日(日)はTITANS NEOS.24が後楽園ホールで開催。江幡睦(伊原)、勝次(藤本)、斗吾(伊原)、HIROYUKI(藤本)、リカルド・ブラボー(伊原)、重森陽太(伊原稲城)が出場。伊原プロモーションらしさが現れる出場メンバーの興行となります。リングアナウンサーは誰だろう。今や常連となった生島翔さんかな。

NKBとの交流戦が静かな注目があり、斗吾はNKBミドル級1位.田村聖(拳心館)を迎え撃ちます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

貴センチャイジム vs 岩浪悠弥。岩浪悠弥の左フックが貴にヒット

パンチの交錯、貴を研究した岩浪のパンチが上回る

42回目を迎えたムエタイオープン興行。貴センチャイジムはアゴを打ち抜かれて王座陥落、NOWAYはヒジ打ちで劇的勝利。

ルンピニースタジアム王座へ向けて、下部タイトルでも熾烈な戦いが繰り広げられました。

この日、来賓としてタイ国からWBCムエタイ役員で、アメリカでムエタイスクールを開校しているというノックウィード・スリアムタイ氏が、この日のタイトルマッチの立会人としてレフェリングも担当されました。

◎MuayThaiOpen.42 / 2018年7月22日(日)新宿フェース16:30~20:20
主催:センチャイジム
認定:ルンピニー・ボクシングスタジアム・オブジャパン(LBSJ≒LPNJ)

◆第12試合 MuayThaiOpenバンタム級タイトルマッチ 5回戦

Champ.貴・センチャイジム(センチャイ/53.4kg)v
VS
JKイノベーション同級Champ.岩浪悠弥(橋本/53.45kg)
勝者:岩浪悠弥 / TKO 4R 2:56 / 主審:ノックウィード・スリアムタイ

貴センチャイジムは経歴長く、幾つかの国内タイトルと世界の称号のタイトルも獲得している33歳のベテラン。長身からくる手足の長さが武器となる技と首相撲からの膝蹴りも得意とする。しかし打たれ脆さが目立つこの頃。

若い20歳の岩浪が狙うのはそのアゴかと注目される中、第2ラウンド、ローキックでやや優勢気味の岩浪がパンチの打ち合いに入った一瞬、連打から左フックを合わせ、ダウンを奪う。

岩浪の更なる左フックをヒットさせ貴からダウンを奪う

岩浪の立て続けの左フックに貴は完全に立ち上がれないダメージを負う

二つ目の国内王座を制した岩浪悠弥、センチャイ代表、ノックウィードレフェリー、ラウンドガールに囲まれる

技量・総合力が現れる第3ラウンド以降に入る中、貴は組み合ってのヒザ蹴りで挽回を狙うが、第4ラウンドには接近戦で岩浪の左フックがヒット。組んでの崩しに出る貴だが、岩浪の左フックに2度倒されレフェリーに止められました。

両者は2016年7月17日にルンピニージャパン・スーパーフライ級王座決定戦で対戦、貴が首相撲で優位に進め、僅差の2-1判定で王座奪取していますが、岩浪はその雪辱を果たしました。

貴(たかゆき)センチャイジム:37戦26勝(6KO)9敗2分
岩浪悠弥(いわなみゆうや):24戦16勝(2KO)7敗1分

◆第11試合 MuayThaiOpenフェザー級王座決定戦 5回戦

1位.翔貴(岡山・水島/57.1kg) vs NOWAY(NEXTLEVEL渋谷/57.15kg)
勝者:NOWAY / TKO 3R 2:47 / 主審:少白竜

NOWAY vs 翔貴。若い翔貴に打ち勝った37歳NOWAYの左ミドルキック

裂傷を負った翔貴はダメージ深くすぐには立ち上がれず

翔貴 vs NOWAY。NOWAYの左ヒジ打ちが翔貴の左目上にヒット

諦めなくてよかったと語ったNOWAY。デビューから10年の開花

ローキックを軸にパンチの交錯が始まる。第2ラウンドに入ると主導権争いは、距離感を掴みリズムに乗っていった37歳のNOWAY。第3ラウンドもヒットが目立っていく中、翔貴がパンチで出てロープ際に迫ったところでNOWAYの左ヒジ打ちがカウンターで翔貴の顔面にヒット。翔貴は顔面をカットされるとともにダメージで立ち上がれそうになく、カウント中にレフェリーストップされました。

翔貴(しょうき):27戦10勝(6KO)12敗5分
NOWAY:19戦13勝(1KO)4敗2分

◆第10試合 ルンピニージャパン・スーパーライト級王座決定戦 5回戦

2位.実方拓海(TSKJapan/63.0kg) vs MOD-X・センチャイジム(タイ/63.25kg)
勝者:実方拓海 / 判定3-0 /主審:河原聡一
副審:田中49-47. 少白竜49-47. ノックウィード48-46

ローキックの攻防から、次第にロープ際に下がるMOD-X。パンチで出る実方に対し、ロープやコーナーに下がる展開が多くなりながらも蹴られたら蹴り返すMOD-X。

組み合えばムエタイ技を発揮し崩しもあるが、パンチとローキックの離れた攻防となるとロープ際に下がるMOD-X。第5ラウンドの終盤には、これで時間稼ぎして終わろうとしたような動きの残り時間少ない頃、MOD-Xにパンチのラッシュを掛ける実方。連打を浴びグロッギーになったMOD-Xはスタンディングダウンを取られる。

MOD-X vs 実方拓海。打ち合えば実方が圧勝しそうな勢い

スタンディングダウンを喫したMOD-X、意外な結末だったか

王座奪取に喜ぶ実方拓海のインタビュー姿

こういう出て来ないスタミナ足りないタイ戦士にラッシュしてくれたことには、ファンのストレス発散させてくれた結末。大差にならぬもノックダウンの差は大きく現れ、判定で実方が勝利を掴む。

実方拓海(さねかたたくみ):18戦13勝4敗1分
MOD-Xセンチャイジム:72戦51勝20敗1分(推定)

◆第9試合 MuayThaiOpenバンタム級挑戦者決定戦3回戦

鳩(=あつむ/TSKJapan/53.1kg) vs 飯尾馨一(=いいおけいいち/ストライブル世田谷/53.15kg)
勝者:鳩 / TKO 2R 2:42 / パンチによる連打でダウン、レフェリーストップ
主審:北尻俊介

鳩:20戦12勝(10KO)7敗1分
飯尾馨一:6戦2勝3敗1分

◆第7試合 ライト級3回戦

笠原淳矢(=かさはらじゅんや/フォルティス渋谷/60.85kg)
VS
亜努(=あとむ/新宿スポーツ/61.75kg)520gオーバー、減点1とグローブハンディー有り。
勝者:笠原淳矢 / 判定3-0 / 主審:田中浩明
副審:北尻30-26. 少白竜30-26. 河原29-26

笠原淳矢:43戦16勝(3KO)24敗3分
亜努:14戦6勝8敗

◆第6試合 80.0kg契約3回戦

ナンファーCHU(ANT/78.9kg) vs ルンラウィー・OZGYM(タイ/70.2kg)
勝者:ルンラウィー / 判定0-3 / 主審:ノックウィード
副審:北尻28-29. 田中28-30. 28-29

ナンファー:9戦4勝(2KO)5敗
ルンラウィー:61戦41勝18敗2分(推定)

◆第5試合 LPNJ U-15 -50.0kg3回戦(2分制)

花岡竜(橋本) vs 松田虎之介(ストライフKB)
勝者:花岡竜 / TKO 2R 0:47 / 続行中のタオル投入による棄権
主審:少白竜

◆第4試合 バンタム級3回戦

壱(=いっせい)センチャイジム(センチャイ/53.35kg) vs 渡辺亮(武風庵/52.9kg)
勝者:壱センチャイジム / TKO 1R 1:45 / カウント中のレフェリーストップ
主審:河原聡一

壱センチャイジム:4戦3勝1敗
渡辺亮:9戦3勝(1KO)6敗

◆第3試合 70.0kg契約3回戦

齋藤敬真(=さいとうけいま/インスパイヤードM/69.1kg)
VS
吉田英司(クロスポイント吉祥寺/69.45kg)
勝者:吉田英司 / KO 2R 0:55 / 3ノックダウン
主審:北尻俊介

齋藤敬真:7戦5勝(3KO)2敗
吉田英司:4戦3勝1敗

◆第2試合 スーパーフェザー級3回戦

ウルフ タツロウ(ANT/58.8kg)
VS
角谷祐介(=かくたにゆうすけ/NEXTLEVEL渋谷/58.65kg)
勝者:角谷祐介 / 判定0-3 / 主審:田中浩明
副審:少白竜28-30. 北尻28-30. 河原28-29

ウルフ タツロウ:7戦4勝2敗1分
角谷祐介:9戦6勝1敗2分

◆第1試合 45.0kg契約3回戦(2分制)

Sae_KMG(クラミツ/44.7kg) vs ピーポー梨乃(ストライフ/42.9kg)
勝者:Sae_KMG / 判定2-0 / 主審:田中浩明
副審:少白竜30-29. 北尻29-29. 河原29-28

Sae_KMG:7戦3勝3敗1分
ピーポー梨乃:2戦2敗

《取材戦記》

上位王座も下位王座も関係なく入り乱れる交流戦。世界の称号を持っていても国内王座に挑む現象は、任意団体の似たもの王座であることが浮き彫りとなっています。

NOWAYが勝利者インタビューで「皆さんに言いたいのは、何でもいいので、自分が一生懸命になれるものをずっと続けていると、いつか結果が出るということで、諦めなくてよかったと思います」とアピール。27歳と遅く始めてもそれが実ることを実証されました。他にも30歳越えてデビューした選手も多い大器晩成の時代でしょうか。

センチャイジム主催のMuayThaiOpen興行も2005年から数えて42回目。この継続力も凄いことで、また過去の「タイファイトエクストリームやムエタイTOYOTA CUPのようなビッグ興行やってよ」とセンチャイ会長にお願いにしたいところです(無理難題と知りつつ)。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

8月7日発売『紙の爆弾』9月号!「人命よりダム」が生んだ人災 西日本豪雨露呈した”売国”土建政治ほか

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

ワット・チェンウェー和尚さんとデックワット最年少の男の子と

お世話になったノンカイのワット・ミーチャイ・トゥンの比丘達とはしばらくのお別れ

◆ノンカイとしばしのお別れ

ノンカイの寺、2日目の托鉢を終える頃、最後の“痛~い砂利道”だけはダメだった。昨日は3歩でくじけたが、今日は6歩ほど歩いて、「アッ、イタタタタタッ、痛ッ!」。

また歩を休めながら何とか辿り着く。ホンマに恥ずかしい。修行が足りないことが心に響く。今度来た時は必ず歩ききろうと誓う。ちょっと痛いだけだ、頑張ろう。

今日はラオスに入る日。朝食後は使わせてもらったクティの範囲を掃除しながら出発準備に掛かります。

「早よせい!」とイライラしながら急がせる藤川さんが慌ててコップ割っていやがる。

人に文句言っておいて自分が出来ないこと多い人だ、全く。まだまだあるが今度書こう。

わずかな間だったが、ペッブリーの我が寺より品の良さに癒され楽しかった。リーダー格の兄さんやコーヒー入れてくれた兄さんらと写真撮ってお別れ。と言ってもまたノンカイに戻って来るのだ。次は河沿いの寺に行くかもしれないけれど。

◆タイ・ラオス友好橋で想う

デックワットが用意してくれた籠の膳

拾ったトゥクトゥクは、藤川さんがしっかり行き先を伝えず、タイ・ラオス友好橋まで行くまでの途中で降ろされる不愉快さはあったが、後から来た親娘が乗ったトゥクトゥクに拾われるタンブンとなった。これも徳の積み方なんだなと思う。

タイ出国手続きエリアでは比丘の立場が効力を発揮し、係員が特別早くしてくれて簡単に済み、国境橋通行バスに乗って橋を渡ります。これが近いようで結構離れている河幅で、ゆっくり走ってはいたが、出発から到着まで5分ほど掛かっていました。

このタイ・ラオス友好橋を渡るのは2回目である。ラオスに入る為の出入国審査を受けるのはこの日が初めてである。矛盾したことを言っているが、この2ヶ月前、ノンカイでムエタイの試合がありました。この試合を取材してから出家した私でした。このノンカイでの試合は日本人では伊達秀騎と小林利典、そしてこの小林選手と対戦した、日本でも有名なソムデート・M16も居ました。

この興行御一行はプロモーターとその友人の入国管理局のお偉いさんの計らいで、ラオス・ビエンチャンの半日ほどの旅をノービザ、未入国扱いで観光させて頂いているのである。なので、ビエンチャンへはある程度は街並みと治安が分かり、オドオドするほど不安ではなかった。2ヶ月前の風景が蘇る。楽しかったなあ、前回は自由で。

◆ラオスに入って最初の緊張

ラオス入国審査も難なく通過出来たところ、待ち構えていたのは客引きタクシー運ちゃんの群集だった。これから向かう、プラマート和尚が書いてくれたワット・チェンウェーの住所を藤川さんがあっさり運ちゃんらに見せている。

こんな怪しい奴らに何で簡単に着いて行こうとするのか。

ボロイ車にもう一人若い男性客を助手席に乗せてたタクシーの運ちゃん。

私はこのタクシーはやめようと思った。何年か前のバンコクで起きた日本人新婚夫婦が白タク強盗殺人に巻き込まれた事件を思い出したのだ。

「ヤバイですよ、藤川さん!」と言っても「ほんならどないするんやぁ!」と語気強く返してくる。他のタクシーにしてみても同じかあ。ここで立ち往生はできない。もう行くだけ行って見るしかなかった。

比丘であろうとボッタくってくる運ちゃんとは150バーツで交渉成立。どれだけ高いのかは分からない。それより安全かどうかの問題。サングラス掛けた運ちゃんは怪しい風貌。この助手席の客もグルだったらどうなるのか。だんだん田舎道に入り、どんどん人の気配が少なくなって心細くなる。

藤川さんはこんな旅は慣れたものなのか平然としている。そんなところで助手席の客が降りる。俺らはもっとひどいところに連れて行かれるのか。そんなこと考えるうち、しばらく行ったところで運ちゃんが何やら言って指で示す。門のアルファベットの綴りはちょっと正しくないが、「ワット・チェンウェー」の文字が見えた。ああ助かった。ちゃんと送り届けてくれた普通の運ちゃんだった。去り際、ニコッと笑ってくれる。運ちゃんが天使に見えてしまう。私は警戒し過ぎなのだろうか。150バーツは高くなかった。ちょっとボッタくられただけで済んだのだ。

正面玄関となる講堂

ワット・チェンウェー本堂

◆無事に着いたワット・チェンウェー

門入ってすぐ、黄衣をホム・ロッライに纏い直す。そこに居たデックワットであろう少年に案内して貰い、荷物持ったまま正面の講堂らしき建物へ入る。年輩の和尚さんらしき比丘が仏壇の前に座っている。

すぐ目が合って三拝してノンカイのプラマート和尚からの紹介状を見せると、このチェンウェー寺の小太り和尚さんが「ジンディートーンラップ!」と応えてくれました。

若い比丘達のクティ

藤川さんは私に「何て言うたんや?」
私、「“歓迎します(welcome)”です!」
またすぐ平伏す我々。時間は11時を回っていました。

小太り和尚さんの「ターンカーオ・ル・ヤン?(食事は摂りましたか)」
「ヤン!!」と“頼むでぇ”と言わんばかりの笑顔で応える藤川さん。
すぐ弟子たちに命じて食事の準備をしてくれる小太り和尚さん。

ここの寺も昼食時に入るところだったのだ。若い比丘とネーンたちが和尚さんと皆の分と我々の分が籠の膳に載せられ出されます。こんな突然の訪問者の食事まですぐ出せるというのは、知らない仲なのに不思議な迎え入れだ。まあデックワットの分が我々に回ってくることは想像できたが、ノンカイ同様、食材に貧相な印象は無い。とにかく御飯に有りつけたのは有難い。結構食えたし美味かった。食事後は少々の読経を経て終了。

釘と金槌を貸してくれたおじいさん比丘

◆クティに入る!

小太り和尚さんに、我々がタイのペッブリーから来て、タイ国滞在ビザを取得してタイに戻ることを伝えた後、クティに案内してくれました。先程食事させて頂いた、正面の鉄筋コンクリート造りの綺麗な建物は講堂とも言える広々した読経の場だったが、我々が誘われたのはこの隣の木造高床式小屋の2階の“ワンルーム”。暗いし暑いし蚊は入るし、けど寝られる場が与えられて有難かった。そこには痩せた病気がちに見えるおじいさん比丘が片隅で寝ており、若い比丘一人も居る部屋だった。

藤川さんはすぐ「蚊帳吊れ!」と言う。旅立ち前、貰っていた紐と釘を出して、何をどうするのか迷っていると、「今やらんと夜になってからじゃ暗くて出来んぞ!」と語気強く、外で拾った大きめの石を持って来て壁に釘打ち出した藤川さん。
“ガンガンガン!”と小屋全体が振動するほど響く。おじいさん比丘も何事かと振り返る。

「ちょっとちょっと、突然人の家に来て、いきなり壁に釘打ち出すなんて非常識ですよ!」と言っても、「しょうがないやろが!」と言う藤川さんの後ろに、寝ていたおじいさん比丘が立ち上がって寄って来た。「ヤバッ、怒られる!」と思った途端、おじいさんはニコ~ッと笑って「これ使えや!」と言わんばかりの、釘と金槌貸してくれたのである。この拍子抜けする吉本新喜劇のような展開。

とにかく不器用な私が子供の頃見た、器用な親父が家でやってた日曜大工を思い出し、壁に釘をしっかり打ち込み、紐を傘の先端の輪に通して吊るし、傘に蚊帳を掛け、寝られる準備を終えました。

やれやれこれで今日はゆっくり寝られる準備が終わった。しかし、これからラオスに来た最大の目的を果たしに行かねばならない。書類を持ってビエンチャンのタイ領事館へ向かいます。

我々が泊まったクティは左の方

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

駅側のワット・ミーチャイ・トゥン和尚さんと藤川さん

◆一列縦隊の托鉢!

ノンカイのワット・ミーチャイ。トゥンに泊まった翌朝、5時に起きる。顔洗いにだけ洗面所へ行き、黄衣を私だけホム・マンコンに纏うと6時少し前、外で待つと辺りはまだ暗く、そして寒い。寒気のタイ東北部となると当たり前。裸足で立っていると土の地面がかなり冷たい。

6時過ぎてようやく他の比丘も出て来て、その比丘らに続いてノンカイ駅最先端の行き止まり付近に向かい、和尚さんを待ちます。持つのはバーツだけで頭陀袋は必要無い様子。

そして和尚さんを先頭に縦一列に並び、歩き出しました。手招きされるまま私は藤川さんの後ろで3番目。よそ者の我々が和尚さんの真後ろに並ぶ形。

少し進むと河沿い側のワット・ミーチャイ・ターの比丘たちが合流し、若いプラマート和尚はトゥン寺和尚の後ろ、更に年配比丘が続き、私は5番目となりました。

他にもかなりのベテラン比丘が居るのに、皆若いせいか我々の後ろに回っています。そして先頭を歩くトゥン寺和尚の速いこと。各集落毎に2~3人の信者さんがサイバーツ(お鉢に食物を入れる寄進)を待ち構えています。そこを立ち止まったと思ったら信者さんがすかさず一握りのカオニィアオ(もち米)を入れ、次の信者さんへ回り、終わるとまた前へ進みます。これは速い。新世界紀行で見たような、ゆっくり歩いてワイ(合掌)する信者さんを見届けて歩き出すといったものではない。前との距離が開かないように着いていくのがやっと。

50件ぐらい回ったろうか、突然振り返って帰る方向へ向かいだすトゥン寺和尚さん。バーツ(お鉢)に入るのはカオニィアオがほとんど。たまに果物、お菓子、ジュースが入れられました。帰りは列が乱れ、ゆっくりお喋りしながら歩く者もいる。一列托鉢はそれでも30分ぐらい歩いたような感覚。そして一握りのカオニィアオばかりだったが、更に信者さんがお寺に惣菜を運んだり、托鉢帰りの比丘に食材が入った御重のような重ね容器を渡している姿がありました。何らかの習慣化したシステムがあるのでしょう。

托鉢の朝。ノンカイ駅最先端で和尚さんを待ちます

帰りの近道に入った路地では石が尖って細かく、痛くて歩けない。足ツボ踏みに使う突起ある石の上を歩くみたいな格好。それを藤川さんら集団は平然と歩いて行く。
「どないしたんや、痛いんか?痛いのは誰でも一緒や、はよ歩かんかい!」と以前のような冷たい言い方。それはいいとして、後からやって来たトゥン寺和尚さんに、下手な踊りのように歩く私を見られてしまった。「大丈夫か?」と気を遣われて恥ずかしい。

朝食では、昨日同様に惣菜とカオスワイ(普通の白米)とカオニィアオ(もち米)もあり、托鉢で寄進された以上の食材が並びます。国境の街だから物資が流通し易いにしても、「これは我々が教わって来たことと何か違うぞ」という想いは次第に増していくところでした。

バーツ(お鉢)はこの寺のデックワットが持って行き、中身を出して洗って返してくれる気の利きよう。

托鉢帰り、田舎道って良いものです

托鉢帰りの一面、朝日が眩しそう。朝日を浴びる托鉢

◆癒されるコーヒーと女の子!

朝食後も自由に居られる雰囲気だが、藤川さんが「掃除しよう」と言い、それは確かに居候の身になっている我々は泊めて貰っているクティの範囲はやるべきだと思う。箒と雑巾を借りて来て部屋から廊下、階段、我々が入れる範囲はすべて拭き終わると、昨日、コーヒーを入れてくれた比丘が今日も招いてくれ寛がせてくれました。

タイ人が淹れるコーヒーは砂糖タップリで、「砂糖は入れないで」と言っても入れてくれる。「こんな苦いもの飲める訳がない」という発想だろう。でも私は砂糖タップリ派なので美味しくて癒される時間でした。

そして、今日は午後から葬儀があるという。これは参加しない訳にはいかないなあと藤川さんと目線を合わせて合意。旅先の葬儀というものも見ておきたいところ。

昼食後に、「リポビタン買うて来て!」と藤川さんに言われて、素直に駅方向へおつかいに出ました。小間使いになっているが、一人になりたかったせいもあります。

ノンカイに着いてから歩いて来た道。お店は駅前にあり、20歳ぐらい可愛いの女の子がお店番している様子で、片言のタイ語を喋る私が日本人であることを知ると、驚いたり喜んだり。ニコニコ笑って対応してくれて惚れそうになる。男世界の仏門と、旅先ずっと藤川さんがそばに居る中、女の子と二人っきりになれた、かなり癒された、わずかな時間でした。ここは商店なので問題ないが、比丘は女性と密室で二人っきりになることは許されません。寺に女性が訪ねて来て部屋に招く際は、部屋の扉は開けておかねばなりません。

寺への近道に入り、このすぐ先の砂利は凄く痛い、それを知らずまだ写真撮ってる私

トゥン寺和尚さんのクティ、この二階に泊めて貰いました

◆お葬式に参列!

午後になって境内が騒がしくなってきました。外では葬儀が始まる様子。
藤川さんが「サンカティ持って行くぞ」と言う。

ここは我々の寺のようなホム・ドーン(儀式用の纏い)は無い様子。普通のホム・ロッライ(肩出し)にサンカティ(重衣・肩掛け帯)を肩に掛けるだけの簡単なもの。

その姿でテント張った椅子があるところで他の比丘達と座っていると、そのままそこで読経が始まる何とも大雑把な葬儀。信者さんと比丘は離れて居たが、個々の比丘が順番に棺桶の方に呼ばれて短い読経して席に戻る時、一人の比丘に呼ばれました。

「どこから来たの? この先どこへ行くの? ラオス行って戻って来るの?」と言った語り。

葬儀も終わりに近づき、どこに座っても問題無い様子。そこから雑談の輪に加わって来たオバちゃんたちにタイ・ラオス国境の橋の渡り方を教えてくれました。

「日本から来たの?橋渡るのに15バーツ、土日は25バーツだよ!」とか気さくに話しかけてくれた地元のオバちゃんたち。どこへ行ってもこの田舎らしい人懐っこさは心地良い。

葬儀が終わると火葬されることは聞いていたが、どこで火葬されるのか、その辺りの比丘に聞くと、「もうやってるよ!」と招かれ、火葬している場所を教えてくれました。

焼却炉のようなものではない、広場で花壇のような中で、焚き火のように大きい炎に包まれた火葬。熱くて近づけたものではない。「やっぱり誰もが最後はこんな姿になるんだ」という想い。

火葬される遺体が中央に、ほぼ見えませんが

比丘達のクティ、こちらは味ある木造建て

◆藤川さんの気まぐれ話と渋井巨匠!

今日のワット・ミーチャイ・ターへの移動は中止。夕暮れとなり、長い葬儀と皆が後片付けしている中、「今日はあっちの寺に行きます」と言う訳にもいかないと改めて思うところ。

そんな慌てることもない夜は、また藤川さんと一緒に居るといろいろなお話になります。

「来年の今頃、カンボジア行こう。お前一ヶ月ほど来い。渋井さんにも会いたいし」

漠然と夢を語りだすこと多い藤川さん。突然話を振られると戸惑うが、安易にも行けるものなら行ってみたいと思う。

渋井さんとは、藤川さんが出家に導かれた最初の切っ掛けとなった比丘。そして私が出家に導かれる一つとなった、新世界紀行のタイからベトナムを旅する番組で、若者がバンコクのワット・パクナムの渋井修さんを尋ね、出家したのが由井太さんと加山至さん。遠い縁で結ばれた我々日本人比丘の巨匠。この頃はカンボジアの寺で社会貢献活動する渋井修さんでした。

◆明日は国境越え!

明日はタイ・ラオス友好橋を渡ってラオスに入国します。やや不安は募るも、そこには藤川さんが伴うのと、もうひとつ理由があって少しは落ち着いて居られました。タイ・ラオス友好橋、実は渡るのは2回目(1往復済)なのでした。

河沿いのワット・ミーチャイ・ター和尚のプラマートさんと藤川さん

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

月刊『紙の爆弾』8月号!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

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