地道に着実に基礎固めの秋を迎えた令和の全日本キックボクシング協会。期待を背負った瀬川琉が王座獲得。全力で立ち向かった仁琉丸の闘志が試合を盛り上げた。

◎原点回帰、参ノ陣 / 9月6日(金)後楽園ホール17:30~20:58
主催:全日本キックボクシング協会
※戦績はプログラムより参照し、この日の結果を加えています。

 

瀬川琉の左ミドルキックが幾度も仁琉丸の脇腹にめり込んだ

◆第11試合 全日本スーパーフェザー級王座決定戦 5回戦

2位.瀬川琉(稲城/ 1998.6.6東京都出身/ 58.95kg)20戦13勝(4KO)6敗1分
      VS
3位.仁琉丸(ウルブズスクワッド/ 58.3kg)23戦12勝(8KO)11敗
勝者:瀬川琉 / TKO 5ラウンド 48秒 /
主審:和田良覚

仁琉丸は右ローキックからスタート。瀬川琉は受けても慌てる様子は無く、ローキックを返しながら左ミドルキックを蹴り込んでいく。

両者の蹴りパンチの攻防の中、瀬川琉の左ミドルキックのインパクトが強く主導権を支配していく。

後半、仁琉丸のストレートパンチで瀬川琉の顎が仰け反るシーンはあるが体幹は崩れず、より一層の左ミドルキックの徹底度が増していく。

最終ラウンドには瀬川琉の左ミドルキックが仁琉丸の脇腹にヒットするとダメージの限界に来たかノックダウンを喫し、呼吸を整えて立ち上がるも再び左ミドルキックを受けたところで堪らずノックダウンを喫するとレフェリーストップが掛かった。

勝負の決め手となった瀬川琉の左ミドルキック、今後も脅威の蹴りとなるか

瀬川琉の左ミドルキックでついに倒れ込んだ仁琉丸

瀬川琉、リング上では勝利のアピール。

「今回、団体立ち上がって、また団体増えたとか、またチャンピオン一人増えたとか、凄く悲観的な意見沢山あると思います。僕自身それが一番自覚しています。全日本キックボクシング協会の選手達、まだ新人の選手凄く多くて、これからの団体ですけど、僕自身がこのベルトと団体の価値を上げていけるように、これから前にどんどん進んでいって来年、他団体のトップどころと戦えるように精進していきますので、これからも応援宜しくお願いします。僕、デビュー戦からずっと後楽園ホールでしか試合してないんですよね。もっと次、デカイ舞台で試合していきたいので、他団体とも絡んでいきます(一部抜粋)」と抱負を語っていた。

新しい時代のチャンピオン誕生、更なる目標は他団体チャンピオン倒してRIZIN!?

控室にはなかなか戻れず、ロビーで応援団と記念写真に応えていた瀬川琉は閉館の時間も迫り、控室に戻る途中で話を聞かせて貰い、「もうちょっと早く倒すつもりではあったんですけど、練習の20パーセントぐらいしか出せなかったので。ただ今後のことを考えても5回戦はいい経験になりました。KOも出来たので良かったです。目標としては他団体のトップどころと戦いたいのと、どのルールでもいいのでRIZINに出たいですね。」と語り、防衛戦やRWS、ONEについて振ってみても、「取り敢えずRIZINで!」とまずRIZINへ出場したいアピールは強かった。

仁琉丸のウルブズスクワッドジム会長の能澤隆一会長は「仁琉丸はボディーでやられましたが、気持ち入っていて気持ちでは負けてないという感じがありましたね。いい部分もっと出して行ければ良かったですが、僕的には、よく頑張ってくれてあれでいいんじゃないかと思いますし、良い試合で最高でした。」と敗れたもののメインイベントで全力尽くした仁琉丸について語られました。

◆第10試合 フェザー級3回戦

WBCムエタイ日本スーパーバンタム級3位.前田大尊(マイウェイ/2005.8.6山梨県出身/ 57.1kg)
11戦8勝(2KO)3敗
      VS
祐輝(OB-BU/ 56.9kg)17戦7勝(2KO)7敗3分け
勝者:前田大尊 / KO 2ラウンド 2分31秒 / 3ノックダウン
主審:少白竜

初回は祐輝のアグレッシブなパンチヒットがあったが、前田大尊の蹴り中心にハイキックも効果的に圧力掛ける流れで主導権を奪う。

鋭く的確にヒットした前田大尊の右ミドルキック

第2ラウンドも蹴りで優った前田大尊が祐輝をコーナーに追い詰め、右ストレートでノックダウンを奪う。

立ち上がった後も更に左ボディーブローで二度目のノックダウンを奪う。

二度目のノックダウンを奪った左ボディブロー

心折れない祐輝は立ち上がるも前田大尊の右の蹴りで三度目のノックダウンを喫したところで終了となった。

更に祐輝を倒しKO勝利した前田大尊は雄叫びを上げた

前田大尊は勝利後マイクで、「10戦して7回勝ってるんですけど、KOが1回だけっていう、勝つことは出来ていても倒すことは1回しか出来なくて、自分の課題だと思って必死に練習してきました。本当に悔しくて、凄くくじけそうになったこともあるんですねど、応援してくれる皆が居てくれて強くなることが出来ました。」

また11月10日のニュージャパンキックボクシング連盟興行に於いてのトーナメント出場も決まっていることを告げ、「インスタでフォローして結果楽しみにしていてください」とアピールした。

◆第9試合 ライト級3回戦

山田旬(アウルスポーツ/ 60.65kg)3戦3勝(1KO)
      VS
鈴木孝則(無所属/リミットクリアー)6戦1勝5敗
勝者:山田旬 / 判定3-0
主審:椎名利一
副審:竜矢30-27. 和田30-28. 少白竜29-28

序盤は蹴り合う両者の主導権の奪い合いから、山田旬が思い切ったハイキックやバックヒジ打ちなどの技が攻勢を導き、鈴木孝則を追い詰めた。鈴木は顔を腫らしながら向かっていき、試合を盛り上げた。

技の多彩さで鈴木孝則を追い詰めていく山田旬

◆第8試合 ウェルター級3回戦

成瀬晴規(無所属/ 66.68kg)4戦1勝2敗1分
     VS
Katsuya Norasing famiry(=堀内克也/Norasing famiry/ 66.25kg)1戦1勝(1KO)
勝者:Katsuya / TKO 2ラウンド 49秒 /
主審:勝本剛司

蹴りとパンチのアグレッシブな攻防は激しく動き回った中、接近して打ち合う場面もあったが、突然試合はストップ。蹲る成瀬晴規のマットには夥しい鮮血が広がった。

有効打か偶然のバッティングか見極められなかった審判団。一旦は前半の偶発的アクシデントとして無効試合が宣せられたが、審判団の映像確認の上、全試合終了後にKatsuyaの有効打によるTKO勝利と訂正された。ヒジ打ちによる左眉尻のカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップとなった。

これがヒジ打ちヒットとなったかは解らない。この後接近して成瀬晴規が蹲る

◆第7試合 ヘビー級3回戦

田馬場貴裕(impact/ 97.0kg)16戦6勝9敗1NC
      VS
ピクシー犬飼(府中ムエタイクラブ/ 108.0kg)2戦1敗1NC
無効試合 / 1ラウンド 1分59秒 /
主審:勝本竜矢

パンチラッシュする田馬場貴裕と凌いで蹴り返すピクシー犬飼のアグレッシブな攻防は突然の股間蹴りで試合は中断。

立ち上がれぬ田馬場は担架が用意されたが、担架だけは避けたい意思を示し、セコンドの手を借りなければ立ち上がれないほどダメージは深かった模様。ラウンド前半の偶然のアクシデントとして無効試合が宣せられた。

ピクシー犬飼のローキックが田馬場貴裕の股間に当たった瞬間

◆第6試合 バンタム級3回戦

広翔(稲城/ 53.3kg)3戦2勝1敗
    VS
風間祐哉(WSR三ノ輪/ 53.3kg)3戦1勝2敗
勝者:広翔 / 判定3-0
主審:和田良覚
副審:椎名30-27. 勝本剛司30-27. 竜矢30-27

3月16日の旗揚げ興行から出場している広翔はよりアグレッシブにスピーディーに攻める勢いが付いた中、先手の左ストレートでノックダウンを奪い、主導権を奪った流れは譲らず大差判定勝利を掴んだ。

◆第5試合 56.0kgから変更58.0kg契約3回戦

吉田秀介(稲城/ 57.5kg)
     VS
嶋津悠介(RIKIX/ 56.0kg)2戦2勝(1KO)
勝者:嶋津悠介 / KO 1ラウンド 2分23秒 / 3ノックダウン

中村健甚、体調不良により欠場。吉田秀介代打出場。

◆第4試合 ミドル級3回戦

義斗(KickBoxing fplus/ 70.0kg)2戦1勝1敗
       VS
KENTA PUAKUTA SHONBIN(スポーツジム67‘S/リミットクリアー)2戦1勝1分
勝者:KENTA PUAKUTA SHONBIN / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

◆第3試合 スーパーバンタム級3回戦

吉田鋭輝(team彩/ 54.9kg)2戦2勝(1KO)
      VS
二宮渉(アウルスポーツ/ 54.8kg)1戦1敗
勝者:吉田鋭輝 / TKO 3ラウンド2分16秒

◆第2試合 フライ級3回戦

横尾空(稲城/ 50.7kg)2戦2勝
     VS
内山朋紀(TEAM ONE STEP/ 50.3kg)1戦1敗
勝者:横尾空 / 判定2-1 (30-27. 30-28. 29-30)

◆第1試合 65.0kg契約3回戦

野竹生太郎(ウルブズスクワッド/ 64.35kg)1戦1勝
      VS
山下聖一郎(廣島ブルドッグ/ 64.8kg)6戦1勝4敗1分
勝者:野竹生太郎 / 判定3-0 (30-27. 30-27. 30-27)

《取材戦記》

設立以降、初のチャンピオン誕生となったスーパーフェザー級で王座争った瀬川琉と仁琉丸は、新日本キックボクシング協会で経験を積んできた選手で、瀬川琉は一昨年10月に瀬戸口勝也の王座へ挑戦経験を持つ。今後は全日本キックボクシング協会のエース格として看板を背負っていかねばならない。その自覚はマイクアピールに表れていた。

他の階級は今後、新人戦から這い上がって来た若い選手が王座を争っていくことになるでしょう。そんな一から始まった原点回帰の全日本キックボクシング協会の今の姿である。

無効試合がTKO裁定に訂正された成瀬晴規vsKatsuya Norasing famiry戦を客席から見ていた知人は「明らかにヒジ打ちが出されたのが見えましたよ!」と翌日話を聞くことが出来た。審判団が見落としたというより、近くで見るより離れたところから見た方が視線のブレが少なく見極め易かったかもしれない。それはケースバイケースで、立ち位置にもよるが、青コーナーに近いところで起きたことで死角が重なったかもしれないだろう。

ヘビー級の股間ローブローは重量感ある蹴りによるものか、そのまま試合続行不可能に陥ることは多い。巨漢であることがノーファールカップの締め具合が緩くズレ易くなる可能性もあり、改良の余地は無いか、難しい問題です。軽量級ではあまり起こらない現象でもあります。

栗芝貴代表はこの日の総括を「ウチの協会もだんだん白熱して来て、前田大尊選手にしてもウチの選手にしても本当に誇らしい試合をしてくれて、こういう試合がどんどん増えていくと思います。」

5回戦を上手く戦った瀬川琉について、「瀬川は5回戦制が性に合っているんじゃないかな。それが活かせたかもしれませんね。」と語った。

また「来年度も後楽園ホールスケジュール4回取れまして、日曜日開催も来年後半には行われて行きます。」と今後の後楽園ホール使用の機会も増えていきそうな見通しも語られました。

全日本キックボクシング協会年内最終興行は、12月28日(土)に後楽園ホールに於いて行われます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DG578D28/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◆リングを下りた後のイベント

一般のファンにはあまり知られない、ごく親しい者とその関係者から誘われなければ参加できないチャンピオンの祝勝会。

その選手が王座挑戦のチャンスを掴み、見事勝利して新チャンピオンと成った瞬間は、それまでの苦労が実った最高の快感でしょう。

過去、キックボクシングに於いて、王座戴冠した者のその後の待遇は、所属ジム会長や後援会が祝勝会を開いてくれることが、ある一定数は行なわれているようです。

その開催にはチャンピオンの知名度、存在感、期待感が示され、参加人数は人脈によって多いか少ないかが表れ、王座戴冠の達成感や今後の責任感が増すものでしょう。

お祝いの象徴、鏡割り、新妻聡WKBA世界スーパーライト級王座戴冠祝勝会にて(1997.2.22)

先週の格闘群雄伝にて、嵐(キング)選手のNJKF王座獲得祝賀会の様子も述べましたが、NJKFバンタム級チャンピオンという、世間一般から見れば「何のチャンピオン?」と言われるほど知名度は低く、実質まだ日本一には至っていません。

嵐本人も「全然こんなところで満足していないし、必ず最終目標である世界制覇を成し遂げる。」と語り、更にキングジム向山鉄也名誉会長が語ったように、「軽量級で世界一になっている奴、それが吉成名高。これに勝てば嵐の夢も達成出来ると思います。」という最高峰へ向けての叱咤激励するパーティーでした(嵐のパーティーは“祝賀会”)。

3月の嵐祝勝会にて、キングジムマネージャーから、花束贈呈もお祝いの象徴(2024.3.17)

◆祝勝会の規模

その祝勝会は黙っていても誰かが開催してくれるものではなく、先に述べた後援会は選手各々が度量、力量で築き上げるもので、その後援者などが、選手のそこまでのキツイ努力を労って祝勝会を開いてくれるもの。後援会も無く、支援者も少ない、ジム会長も開催する気が無いなど、開催されないチャンピオンも居ることでしょう。

1988年1月15日に越川豊(東金)に挑戦、判定勝利し当時、日本ライト級新チャンピオンとなった飛鳥信也(目黒)氏は、同年3月に京王プラザホテル八王子で祝勝会を開催。

当時、発起人は後援会会長で東京都議会議員だった方の人脈から100人以上が参加され、当時のタレント、工藤夕貴さんも御来場。ジム会長や後援会長、チャンピオンの御挨拶からトークショー、他にゲスト歌手の歌声や大型スクリーンによるVTRでの試合再現、飛鳥信也氏のマススパーリングと多彩な演目が披露。

報道で表現されること多い「盛大に行われました!」というフレーズはキックボクシング界に於いては遜色ない祝勝会だった模様。しかしマイナー競技故に報道されること少なく、これが大相撲の優勝やプロ野球のリーグ優勝、日本シリーズ優勝は労いの規模が大幅拡大するのはメジャー級競技、報道関係も多く押し寄せる等、想像に難しくないでしょう。

キックボクシング創設50周年記念パーティーにて、マススパーリング公開(2014.8.10)

 

5月19日には市原興行でメインイベンターとなる皆川裕哉、目黒ジム系のセコンドとスリーショット(2024.3.24)

◆老舗の体制

かつての名門目黒ジムは、祝勝会には関与しない態勢だったと言われます。元々からプロモーター野口修氏が祝勝会開催には関心が無い人、「防衛してこそ真のチャンピオン」を信条として、一時的な王座君臨は、今後の抱負を宣言したところで負けて陥落しては、タダの人に戻ってしまうギャップもあっての考え方か思われます。

この目黒ジムで祝勝会が行なわれた場合は、飛鳥信也氏のように後援会によるものです。

他のジムでは会長が選手の飛躍を期待し、自覚を持たせるという志向から祝勝会を開くこと比較的多いようです。

元・目黒ジムの勝次(高橋勝治)は2019年10月20日のWKBA世界スーパーライト級王座戴冠し後日、後援会主催で祝勝会が行われています。

勝次は「勝利は自分が嬉しいだけでなく、応援してくださっている方々も皆さん喜んでくれて、改めて自分一人の力だけではチャンピオンには成れないと感じました。皆さんの喜んでいる顔を見て、また、皆さんに喜んで貰えるように気を引き締めて頑張っていかないといけないなと、“勝って兜の緒を締めよ”の言葉のどおり、気を抜けない思いでした。」と決意を語っていました。

プロボクシングの場合、一概には言えませんが、日本タイトルレベルでは祝勝会は行わず、世界を戴冠してこその頂点を極めた証として、それまでの努力、険しい道程を労う祝勝会は後援会や、スポンサーの企画で行なわれているのかもしれません。

元K-1選手でプロボクサーの武居由樹が5月6日に世界初挑戦で王座戴冠。「祝勝会に呼ばれたら行きたい」というキックボクシング関係者が居ましたが、現在は井上尚弥のような主要4団体統一が最高峰ブランド。しかしプロボクシングの世界王座は従来どおり、一団体でも最高位に達した意味合いは大きいでしょう。

◆開催に至る覚悟

参加費用は会費制もあれば御招待もあり、会費が高ければ行くのを躊躇い、「1万円だったら行くけど、3万円だったら諦める。」という関係者もいました。一般社会においては物価高の時代、1万円札数枚単位はキツイ時代かもしれません。

中には選手本人が自分で開催に踏み切る場合もあるようで、「祝勝会開くので来てください。」という案内状配布。

「祝勝会って誰かにやって貰うものだろ!」とツッコミを入れたくなるものでした。

また競技の節目での記念パーティーを開く場合もあり、伊原プロモーション主催でキックボクシング創設50周年記念パーティーが開かれたのは2014年8月10日でした。

あれから10年、祝勝会というよりは祝賀会という言い方が適切ながら、60周年記念パーティーを開く覚悟は無いか、伊原信一代表に聞いておこうと思います。

50周年パーティーにて、創始者・野口修氏の御挨拶。もう10年前となる(2014.8.10)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

最新刊! タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年10月号

コロナ禍で2020年から休眠に入ったムエタイオープンがようやくここに来て再開。
全試合通じてノックアウト決着は一つも無く、ノックダウンも一つも無かったが、判定はユナニマスデジションで、それぞれの試合は要所要所でテクニックが見られる飽きない展開の試合が続きました。

壱センチャイジムは攻勢を維持した流れで、より一層の成長が見られる勝利。
蒔センチャイジムは石川直樹の老獪なテクニックに翻弄される敗戦。
石川直樹は若手に立ちはだかる存在となったこの頃である。

リカ・トーングライセーンがワイクルーを披露

 

ファーモンコンはロープ際へ下がってばかりでは壱世の後ろ姿が多くなった。壱世がミドルキックヒットで圧倒していく

◎MuayThaiOpen 48 / 8月24日(土)ひがしんアリーナ(墨田区総合体育館)17:00~20:40
主催:センチャイムエタイジム /

◆第9試合 56.0kg契約3回戦

KNOCK OUT(RED)スーパーバンタム級チャンピオン.壱・センチャイジム(=与那覇壱世/1997.8.15沖縄県出身/センチャイ/ 55.95kg)38戦28勝9敗1分
        VS
ファーモンコン・ソー・ウティトラム(元・ラジャダムナン系バンタム級2位/1994.6.24タイ国出身/ 55.7kg)121戦90勝26敗5分

勝者:壱・センチャイジム / 判定3-0
主審:ヨンサック・ナ・ソンクラー(タイ)
副審:少白竜30-28. 大澤29-28. 和田30-28

壱世は初回から左ミドルキックで圧力を掛け、ファーモンコンをロープ際へ下がらせる展開。ファーモンコンが蹴って来ても冷静に巧みに躱すディフェンスも見せる。

ファーモンコンは前進せず、テクニックは有りながら倒す気の無い、倒されないだけの動きしかしない在日タイ選手に有りがちな省エネパターンだが、テクニックでは壱世が完全に上回った展開で完勝。残り30秒ほどでセンチャイ会長から「勝ってるからもういいよ」と攻めなくていいという指示。それに応じて距離を取って終了を待つ。壱世が圧倒した判定勝利。

壱世が前蹴りでファーモンコンに圧力を掛けて行く

 

まだ0歳のお子さんを抱き上げて勝利のツーショットく

壱世「ファーモンコンは凄いテクニックある選手でしたが、打ち合いに持ち込もうとしても付き合ってくれないし、ミドルキックの蹴り合いで勝つしかなかったです。前に出てくれない凄い難しい選手でした。」

リングサイドで応援団に囲まれ、なかなか控室に戻れない壱世。というより楽しそうに勝利の会話が弾んでいました。

◆第8試合 55.0kg契約3回戦

蒔センチャイジム(=佐藤蒔音/センチャイ/2003.7.8東京都出身/ 54.8kg) 5戦3勝2敗
       VS
石川直樹(元・日本フライ級Champ/Kickful/1986.8.18埼玉県出身/ 54.8kg)
49戦31勝(14KO)10敗8分
勝者:石川直樹 / 判定0-3
主審:谷本弘行
副審:少白竜28-29. 大澤27-30. 和田27-30

蒔音“まくと”は昨年12月10日のデビューで、まだ1年足らずで石川直樹と対戦。ヒザ蹴り地獄に巻き込まれるかと予想される中、ミドルキックからハイキックで果敢に攻める。更に右ストレートも打ち込むが石川直樹は簡単には喰わない。

石川直樹はカーフキックも多様し、蒔音の動きを鈍らせた。終盤にはヒジ打ちで蒔音の頬にヒット。手数とパワフルに出るのは蒔音だが、その技を殺して蹴り返すのはベテランの技が上手かった石川直樹。

首相撲からヒザ蹴り地獄に追い込むには至らなかったが、多様な技で蒔音を翻弄した。

首相撲から蒔音を引っくり返したベテラン技が冴える石川直樹

隙を突いた石川直樹の右ストレートヒット、これも経験値が優った

蒔音=「石川さんメッチャクチャ強くて、上手さはありましたね。全部経験の差で持っていかれたなあという感じで、まあ経験不足ですね。悔しいんで石川さんとはもっとレベルアップしてからもう一回やりたいですね。次もしやる機会があるとしたら、カーフキックは絶対貰わないようにします。最初にかなり効いちゃって。今度は蹴り返しますよ。思いっ切りカーフ以上のものを。左頬にヒジ打ち貰ってしまったのもダメでしたね。」と結構、明るく丁寧に応えてくれました。左頬は少し腫れていましたが、斬られるほどではなかった。

勝利を称えるセンチャイ氏、ラウンドガールは智華さん、レフェリーは谷本弘行氏

◆第7試合 女子55.0kg契約3回戦

ルイKMG(元・S-1女子日本S・FLY級Champ/クラミツ/1997.2.19/神奈川県出身/ 54.9kg)
16戦11勝5敗
    VS
ホントン・コー・プラサートジム(1996.9.6タイ国出身/ 55.0kg) 51戦34勝16敗1分
勝者:ルイKMG / 判定3-0
主審:ヨンサック・ナ・ソンクラー(タイ)
副審:谷本29-28. 大澤29-28. 和田29-28

ホントンはミドルキックの勢いはあるが、ルイがブロックし、凌げると確信すると前進するのみ。ロープ際へホントンを追い込む主導権支配に至る。終盤にはルイがより勢いを増し、ホントンをより下がらせる展開。首相撲もルイが組み負けずヒザ蹴りに繋げ優った。

ルイが積極性で上回り、前蹴りでホントンを突き放す

 

弘太が前進して来ると、コムキョウのヒジ打ちが度々ヒット

◆第6試合 65.0kg契約3回戦

弘センチャイジム(=大森弘太/センチャイ/2001.11.14東京都出身/ 64.95kg) 9戦5勝4敗
        VS
コムキョウ・ノー・ナクシン(2002.6.30タイ国出身/ 64.7kg) 79戦56勝21敗2分
勝者:コムキョウ・ノー・ナクシン / 判定0-3
主審:神谷友和
副審:谷本28-30. 大澤28-30. 和田28-30

コムキョウは“Komkeaw Nor Naksin”という綴り。カタカナで書くとどうもタイ語の響きは感じず、タイ語発音によりますが、“コムケーウ”が正しいでしょう。
初回は蹴りから首相撲。接近戦で時折、コムキョウのヒジ打ちが繰り出される中、弘太の額を斬ることに成功。離れて戦えば弘太の前進で蹴りからパンチで追うが、コムキョウは難なく躱して接近戦に持ち込み、上手さで優っていくが、弘太を下がらせるほどの勢いは無いまま終了。

◆第5試合 58.0kg契約3回戦 

山下明涼真(TSK japan/2003.1.24神奈川県出身/ 57.35kg) 3戦3勝
        VS
森本直哉(無所属/1991.7.23沖縄県出身/ 57.9kg) 24戦10勝14敗
勝者:山下明涼真 / 判定3-0
主審:少白竜
副審:和田30-27. 大澤30-28. 神谷30-29

初回からパンチと蹴りの攻防から山下明涼真のヒザ蹴りを加えた攻撃力が優っていき、流れ的には大差となって判定勝利。

山下明涼真がヒザ蹴りで攻勢を維持した

◆第4試合 女子45.0kg契約3回戦(2分制)

ロウ・イツブン(1995.5.26中国出身/ 44.95kg) 4戦1勝3敗
        VS
友菜(Team ImmortaL/2000.2.16秋田県出身/ 45.0kg) 9戦1勝4敗4分
勝者:ロウ・イツブン / 判定3-0 (30-28. 30-29. 30-29)

首相撲からのヒザ蹴りになる流れが多く、離れるとロウ・イツブンの前蹴りが友菜のアゴや顔面をヒットする攻勢の流れを続けて判定勝利。

◆第3試合 57.5kg契約3回戦

光センチャイジム(センチャイムエタイ錦糸町/2003.10.12東京都出身/ 57.25kg)1戦1敗
        VS
富田エレデネ(クロスポイント吉祥寺/2002.10.15東京都出身/57.4kg) 2戦1勝1敗
勝者:富田エレデネ / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

蹴りとパンチの互角の攻防から富田エレデネが徐々に調子を上げ、第3ラウンドには圧倒する流れで終了。

◆第2試合 女子49.0kg契約3回戦(2分制)

戸田史(バンゲリングベイ/1997.11.4東京都出身/ 48.65kg)1戦1敗
        VS
山崎希恵(クロスポイント吉祥寺/1997.5.17東京都出身/48.75kg)2戦2勝
勝者:山崎希恵 / 判定0-3 (28-30. 28-30. 28-30)

手数とヒット数で優った山崎希恵。先に当て圧倒する気力が勝利を導いた。

◆プロ第1試合 フライ級3回戦(2分制)

はると(岡山/2007.1.15岡山県出身/ 48.25kg)3戦3敗
       VS
真虎(Kick Life/2002.6.28埼玉県出身/ 50.65kg)13戦1勝10敗2分
勝者:真虎 / 判定0-3 (27-30. 27-30. 27-30)

ローキック中心に真虎が攻勢を維持。はるとはパンチで攻め返すが、真虎がローキックで主導権支配した展開で勝利を導いた。

◆オープニングファイト アマチュア43.0kg契約3回戦(2分制)

大久保海成(橋本道場/2010.8.10東京都出身/ 42.7kg)
VS
ハルク・チャロンチャイ(team kuntap/2010.8.12千葉県出身/ 42.55kg)
勝者:大久保海成 / 判定3-0 (30-28. 30-28. 30-28)

スーパーバイザー 元・BBTV審判部代表 ランシットスタジアム審判部長 
ヨンサック・ナ・ソンクラー(Yongsak Na Songkhla)

《取材戦記》

スーパーバイザーとして、タイ国ランシットスタジアム審判部長、ヨンサック・ナ・ソンクラー氏を招聘したことはセンチャイさんらしさある箔が着く興行でした。

プロモーターのセンチャイ氏は、

「今回の興行はまあ上手くいったと思います。壱世はアグレッシブに良い試合してくれて、相手も凄いベテランで注目して観ていました。残り30秒ぐらいで壱世に「勝ってるからもういいよ」と言ったのは、ファーモンコンは負けてるのに攻撃して来ない。ならもういいや、盛り上げないのは勿体無いなあと。すぐ下がろうばっかりでファイトマネーだけ持って行って試合見せてくれない。本当にズルイです。
蒔音は経験値で敵わなかったですけど、負けても内容は悪くないですね。逆に上手くなって行けますし。」とリング周りを片付けている合間に応えてくれました。

11月10日にはNJKF興行にて開催されるKICKBOXING JAPAN CUP 55kg級トーナメント初戦で、嵐(キング)と対戦が予定されている壱世。好調な二人の対戦が期待されています。

ワイクルーショーはKAYOKOさんとAKEMIさんの二人の舞いと、リカ・トーングライセーンさん一人の舞いが披露されました。以前より柔らかい動きになった感じもしますが、男子の舞いとは違う美しい躍動感でした。

ムエタイオープンは年内にも予定されており、来年以降は通常の年4回ほどの開催を予定されている模様です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか


◎『季節』創刊10周年特別企画『脱(反)原発のための季節セレクション』(仮)
出版のためのクラウドファンディングご支援のお願い

https://readyfor.jp/projects/kisetu_nonukes
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/
◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

◆過去の画期的イベント

ボクシングやキックボクシングにおける、プロ選手が目指す地位と名誉はランキングが基となるタイトルマッチで、世界戦や各国、エリア毎にも行われます。

これに準ずるのが多くのスポーツで行われている分かり易いトーナメント戦です。キックボクシングにおいても頻繁に行われて来ましたが、最近では小規模なことが多く、各団体の一つの階級で王座決定トーナメントや挑戦者決定トーナメントの4名参加程度が多いようです。

2006年7月にはニュージャパンキックボクシング連盟に於いて藤田真理事長が退任前に、真王杯トーナメントを55kg以下と60kg以下の2つの枠で、それぞれ8名参加で5ヶ月かけた3回の興行に渡って開催しました。優勝賞金は200万円。準優勝でも50万円でした。

2019年に日本キックボクシング連盟(NKB)ではPRIMA GOLD杯ミドル級トーナメントが8名参加で3回の興行に渡って行なわれました。更にジャパンシフトランド杯59kg級トーナメントも8名参加で開催。台風やコロナ禍で、準決勝から決勝の期間が空き過ぎると冷めてしまう点は勿体無いところでした。優勝賞金はいずれも30万円でした。

過去、キックボクシング史上で、これらのスケールを超えるトーナメントは他に無いだろうと言えるのが、1979年(昭和54年)11月から4ヶ月かけて行なわれた500万円争奪オープントーナメントと1982年11月から5ヶ月かけて行なわれた1000万円争奪オープントーナメントです。

今回はこの1979年の500万円争奪オープントーナメントについて振り返ってみたいと思います。

◆参加選手の豪華さ

このイベントは当時の日本キックボクシング協会系(TBS系)のみでしたが、キックボクシングでは初の大掛かりなトーナメント。TBSでのキックボクシング放映末期で、レギュラー番組として生き残りを懸けた起死回生のイベントでした。

[左]トーナメント用のプログラムは無く、通常興行に組み込まれた掲載だった(1979.11.3)/[右]500万円争奪オープントーナメント対戦表(1979.11.3)

 

優勝盾はTBSより

優勝賞金は500万円。階級は中量級域58.0kgから63.0kgの幅。フェザー級からジュニアウェルター級域(当時ジュニアクラスは無し)の選手が参加する流れでしたが、もう少しウェルター級域まで幅があれば稲毛忠治の出場も検討したという千葉ジムの戸高今朝明氏。

それでも当時の錚々たるメンバー18名が参加していました。そして負けたら終わりというトーナメントの厳しさも映し出され、当然ながら優勝候補がどんどん脱落していきました。初戦で亀谷長保vs松本聖の目黒ジム同門対決は優勝候補同士の対戦で、勝ち上がった亀谷長保は前年に敗れている金沢一夫(横須賀中央)に準々決勝で再び敗れて脱落。その金沢一夫は準決勝で伊原信一に敗れ脱落。

もう一方のブロックでは、実力者・光本成三(目黒)、尾崎勇(横須賀中央)も脱落する中、人気実力急上昇の須田康徳(市原)が準決勝で、優勝候補の一人だった日本ライト級チャンピオン、有馬敏(大拳)に2度ノックダウン奪われるも挽回し僅差勝利した試合も名勝負でした。

そして決勝まで勝ち上がった現役最古参・伊原信一(目黒)対須田康徳戦は、打ち合いを避けた手数少ない展開から、最終第5ラウンドに右ストレートでノックダウンを奪った伊原信一が距離を取ってアウトボクシング。勝利への執念を貫いた現役最古参が判定勝利で優勝しました。

◆レギュラー放送継続には繋がらず

昭和の高度経済成長期にテレビが普及して行った中、全国ネットのレギュラー番組として、TBSのゴールデンタイムにキックボクシング放送が10年も続いたことは、当時はまだ番組コンテンツが少なく、KO率高いキックボクシングはお茶の間に受け入れられた時代でした。

しかし、テレビ番組も多様化する時代の流れには敵わず深夜放送に降格し、更にレギュラー番組は終了に至りました。また、オープントーナメントの開催有無に関わらず、放送終了は決定的だったとも言われ、もう2年早く開催していればまだ放送延命は可能だったかもしれません。

[左]優勝はベテラン伊原信一(画像は後々のもの)/[右]準優勝となった須田康徳(画像は後々のもの)

◆定期的イベントとなるか

このオープントーナメントはタイトルは掛かっていませんが、中量級域の一時的ながら最強を決めるイベントとしては画期的でした。更に軽量級域と重量級域でも3階級に分けて、他団体からの参加があればより盛り上がることは想像に難しくない価値を残しました。

しかし、第2回開催への優勝賞金を確保することも難しく興行はメッキリ減り、先行きは不透明となりましたが、そんな期待は後々に業界の総力を結集する第2回開催へ繋がっていきました。

次回はその1982年の1000万円争奪オープントーナメントについて語らせて頂きます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

◎『季節』創刊10周年特別企画『脱(反)原発のための季節セレクション』(仮)
出版のためのクラウドファンディングご支援のお願い

https://readyfor.jp/projects/kisetu_nonukes

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

◆キックボクシング界におけるクーデターとは?

日本のキックボクシング界は分裂の歴史でもある。過去どれだけの団体設立と消滅があっただろうか。現在では私的団体だが名前だけは存続する、日本プロキックボクシング連盟は最初の大革命の団体だった。

その設立経緯は結構大掛かりだったことを知る人は当事者以外はあまりいないでしょう。

昭和時代に全国ネットのレギュラー番組で隆盛期を誇ったテレビ頼りのキックボクシングが終焉し、最も低迷期に入った1981年(昭和56年)10月、当時は物騒な言い方だが、クーデターと言われた大々的分裂が起こりました。

1982年新春興行、観衆は現在より入っている感じもある

◆業界を震撼させた分裂と合併の流れ

 

中央がコミッショナーを務めた当時の衆議院議員の粕谷茂氏

これ以前の創生期からの自然派性する団体や、1978年3月に全日本キックボクシング協会を脱退した黒崎健時氏が発足させた新格闘術連盟とは規模が違いました。

それが、日本系(日本キックボクシング協会)と全日本系(全日本キックボクシング協会)のそれぞれ8件のジムの脱退と新規ジム3件が加盟した19件のジムが、統一団体と謳って日本プロキックボクシング連盟を設立しました。

同年10月3日には後楽園ホールの階下にある後楽園飯店で設立記者会見を開き、連盟会長となった芹沢武氏は、「近い将来、軌道に乗った後は我が連盟こそ主流となるキックボクシングの本家」と語りました。

脱退の理由はいずれも既存団体運営に不満あってのこと。詳細は当時発表された範囲ながら、日本系脱退組は「テレビ放映料の無還元、選手育成の補助は無く、野口プロモーションの興行の減少とマンネリ化」など。全日本系脱退組は「主要プロモーターが代っても興行運営は一向に改善されない年月を経た上、キックボクシング(ムエタイ基盤)からマーシャルアーツ(全米プロ空手)化へ移行しようとする中での反旗」でした。

設立初回興行は10月25日、実現したカードは過去の交流戦とは違い、同団体内で競い順位が決まる新鮮さがありました。後楽園ホールでの観衆の入りも満席には至らずも、7割方のまずまずの入り。ただ、統一と謳いながら既存の団体と肩を並べる第四団体という位置付けは仕方ないところでした。

11月22日の第2回興行も初回同様まずまずの観衆の入りで、1982年1月4日はUHF(テレビ神奈川、テレビ埼玉、千葉テレビ)というチャンネルながらテレビ放映が整う。連盟新ルールでは、チャンピオンは7ラウンド戦うスタミナ、戦力があって当たり前と、日本タイトルマッチは7回戦に制定。他の基本的な部分は3ノックダウン制、投げは禁止という旧全日本系の影響に偏った。そして4階級で初代チャンピオンが誕生。既存の新格闘術連盟はチャンピオンを制定していなかった為、日本プロキックボクシング連盟は国内第3のチャンピオンが誕生する形となりました。

選手の怪我等で代打カードもありましたが、フライ級は竹下勝美(横須賀中央)、バンタム級は高樫辰征(みなみ)、フェザー級は酒寄晃(渡邉)、ウェルター級はレイモンド額賀(平戸)がそれぞれ第5ラウンドまでにノックアウト勝利し、6ラウンド以降の未知のラウンドには至らずも、盛大なチャンピオン誕生の成果を見せる興行でした。

設立興行のメインイベンターは須田康徳(左)、セミファイナルは酒寄晃(右
)出場だった

◆実質3年間の活動

これで第四団体が完全に軌道に乗ったかと思われる中、すでに異変は始まっていました。当初はヘビー級を除く全6階級で王座決定戦が行われる予定でしたが、4階級に収まったことは何か融通が利かない事態が生じたと感じた者も居たでしょう。正月休みという名目で2月は興行が無く、3月28日には茨城県水戸市で旧全日本系ジムだけが集まっての興行。ここで平戸誠(水戸)が同連盟初代ミドル級チャンピオンとなりましたが、足並み揃わぬ事態に陥っていることは明白でした。

4月には旧全日本系グループが日本系野口プロモーションと手を組む事態。その後、日本プロキックボクシング連盟はわずか7ヶ月で脆くも分裂する事態を迎えたのでした。

日本プロキックボクシング連盟から脱退した旧全日本系グループは同年7月、日本ナックモエ連盟を設立。これで国内5団体目でした。1982年11月から5ヶ月続いた1000万円争奪オープントーナメントは一極集中する画期的イベントがありましたが、このイベントを除いては業界纏まらぬまま、後にも設立されて行く団体も存在し、計7団体が狭い日本にひしめき合う事態に至っていました。

日本プロキックボクシング連盟は、当初からの横須賀中央ジム、西川ジム、千葉ジム、市原ジム、習志野ジムと後に花澤道場も加わるもわずかな加盟ジムで、他団体も同様レベルながら、国内と香港遠征をメインに1984年夏まで先の見えない地道な興行が続いて行ったのでした。

この1984年の9月、過去にも幾度か述べて来ました、四つの団体を統合した画期的な日本キックボクシング連盟の設立が発表され、11月から活動が始まり、統合された四つの団体は消滅、日本プロキックボクシング連盟も設立から満3年で幕を閉じたのでした

[左]1981年10月25日初回興行のプログラム。ポスターも同じ絵柄だった/[右]1982年1月4日の新春興行プログラム。ここまでは右肩上がりだったが……

◆我、日本プロキックボクシング連盟は永久に……

平成時代以降も幾つかの分裂と団体設立があり、千葉ジム戸高今朝明氏が、過去に所属した日本プロキックボクシング連盟をいつの間にか復活させ、新木場ファーストリングや、千葉ジムで小規模な興行やアマチュア大会を開催して来たことは、古くから知る協力者も居て懐かしさと愛着が湧いたものでした。

今や解体されたこの千葉ジムも日本プロキックボクシング連盟アマチュア大会の場であった。その解体前の戸高今朝明会長(2022.6.12)

今回、過去に存在した、今や忘れ去られがちな団体の一つを拾ったまでですが、日本プロキックボクシング連盟代表の戸高今朝明氏も今年84歳。2年前に千葉ジムを解体され、継続は難しい状態となりました。大きなイベントも名声も残せませんでしたが、こんな団体があった歴史を述べておきたいところでした。

現在はフリーのジム、プロモーターが多く存在し、組織を纏める一国一コミッションが存在しないが為のキックボクシング界は、今後も起こり得る分裂脱退と新設でしょう。そこでは選手の希望や目標を壊さないよう進めて貰いたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

ニュージャパンキックボクシング連盟(NJKF)のアマチュア部門が主催するEXPLOSIONの全国大会が、8月4日(日)に新宿のGENスポーツパレスにて開催されました。これはWBCムエタイジュニアリーグの全国大会も兼ねます。

EXPLOSIONは2015年から開催されており、青少年から格闘技初心者が、練習成果を発揮したり、プロ志向の選手が試合経験を積む為など、定期的にアマチュア大会を開催しています。

キックボクシングのアマチュア大会は多くの既存のプロ団体管轄下での主催団体がありますが、EXPLOSIONは定期的に大会が継続されている点や、WBCムエタイジュニアリーグ世界大会に繋がる点が好評でしょう。

今回は試合数が多く、メインイベンターという存在でもない為、画像は抜粋です。

◎WBCムエタイジュニアリーグ× EXPLOSION全国大会
8月4日(日)GENスポーツパレス11:00~19:45
主催:EXPLOSION事務局

教え子の出番を待つ武田幸三さんとリング登場前の平山結翔

平山結翔の決勝戦、果敢に攻めた

平山結翔は2-0の判定負け、優勝を逃す

 

小学生低学年クラス、-22kg級優勝者は倉持波空

◆1DAYトーナメント優勝者

男子小学生低学年クラス(3~4年生/2回戦/1分制)
-22kg級=倉持波空(鍛錬会)
-25kg級=小林楓(空修会館)
-28kg級=上木戸栄仁(LEO GYM)
-31kg級=高橋碧(泰山會)
-34kg級=山田晃士朗(LEO GYM)
34kg超級=野中力斗(HIDE GYM)

男子小学生高学年クラス(5~6年生/2回戦/90秒制)
-28kg級=鈴木翔大(CYCLONE GYM)
-31kg級=阿部凌(橋本道場)
-34kg級=阿部龍(橋本道場)
-37kg級=近藤琉聖(拳塾)
-40kg級=中畝泰衣心(小野道場)
-45kg級=山本夢輝(NJKF理心塾)
45kg超級=田中零芽(クロスポイント大泉)

男子中学生クラス(2回戦/90秒制)
-34kg級=松下琉翔(R道場)
-37kg級=宮城壮一朗(Freedom@OZ)
-40kg級=中里晃聖(AKIRA)
-45kg級=大澤透士(TRASH)
-50kg級=竹田奏音(TAKEDA GYM)
-55kg級=駒木根稔和(TSKjapan)
-60kg級=小野力光(小野道場)
60kg以上級=松澤鼓音(team ImmortaL)

女子小学生低学年クラス(3~4年生/2回戦/1分制)
-28kg級=佐藤心海(拳絋館)

女子小学生高学年(5~6年生/2回戦/90秒制)
-28kg級=岡心音(サクシード本厚木)
-31kg級=木村有那(KING gym)
-34kg級=久田愛心(TEAM SBS)
-40kg級=中島凰花(X-PLOSION)

女子小学生高学年クラス-31kg級決勝、三宅夕凛vs木村有那

[左]キングジムの木村有那が-31kg級優勝、嵐の後輩である/[右]女子小学生高学年-34kg級優勝、久田愛心

優勝した久田愛心と喜び合う久田親子

一般女性クラス(中学生以上/2回戦/90秒制)
-43kg級=柴田綾芽(楠誠会館)
-46kg級=中島瑠花(X-PLOSION)
-49kg級=山下夢(サクシード本厚木)
-52kg級=塩谷薫(VERTEX)
-55kg級=遠藤朱乃(CORE)

中島凰花、瑠花の姉妹で優勝

敢闘賞3名
鈴木翔大(CYCLONE)
大澤透士(TRASH)
工藤優愛(GRABS)

フェアプレー賞3名
倉持波空(鍛錬会)
松下琉翔(R道場)
佐藤心海(拳絋館)

各地区大会代表選手が8月4日、全国大会出場。
・北海道「G -ROUND」 5月19日(日)代表選考試合を開催
・東北地区予選 3月31日(日)岩手県営武道館「BRAVE.50」大会にて代表者決定
・関東地区予選1 5月26日(日)GENスポーツパレス「EXPLOSION.43」にて代表者決定
・関東地区予選2「SMASHERS」 7月7日(日)品川インターシティホールにて代表者決定
・関西地区予選「グリーンボーイファイト」 6月23日(日)ガレリア亀岡にて代表者決定
・中四国地区予選「NEXT☆LEVEL」NJKF大阪興行 6月16日(日)堺市産業振興センターにて代表者決定
・沖縄地区予選「全沖縄アマチュアキックボクシング大会/第48回全沖縄大会」 3月24日(日)沖縄空手会館にて代表者決定
・女性クラス「Queen’s Fight」 6月8日大会にて代表者決定

優勝者表彰式と集合記念撮影、すでに会場を後にした優勝者も居るようでした

《取材戦記》

昨年11月5日のWBCムエタイジュニアリーグ全国大会にて中学生クラス-55kg級で優勝した小野力光はこの日、-60kg級で優勝と、当然ながら体格の成長も見られ、他の選手でも多くの大会に出場している中では体格の成長もあったことでしょう。正に成長期です。減量の必要は無く、階級アップが常識ですね。

今回も勝利に歓喜する選手と陣営、負けて泣く選手もいました。人生これからの彼らは、来年雪辱でもプロに行ってからでも巻き返せるでしょうが、今日この日においては一生忘れられない日だったかもしれません。

WBCムエタイジュニアリーグ全国大会も兼ねていましたが、世界大会は2年に一度になるので、今年度の世界大会はありません。来年への優遇処置はあるものと思います。

この日は全98試合(2月4日のEXPLOSION.40は136試合)あり、4試合は欠場による勝者扱いで実質94試合でしたが、1試合の時間は短いものの、目まぐるしく進行するので、メモ書きが追い付かない。午前11時開始後、第50試合後に10分の休憩。といっても休んでいられない所用がありました。これは各スタッフも次の準備へと同じでしょう。会場は暑く、持ち込んだポカリスエットは尽き、脱水症状の中の撮影。もっと大変なのは審判団。19時半過ぎまで水分補給ままならぬ進行だった様子。

この大会で、接戦の多かった実質94試合中4試合がKO、TKOでしたが、17試合が2対1のスプリットデジション。2対0や引分け延長戦もありましたが、1試合の時間は短い中、こんなに割れるものかとも感じた長時間進行。副審は真剣に採点しつつも集中力が落ちていたかもしれませんね、

エアコンは効いていなかったと思われます。真夏のプロ興行、アマチュア大会もエアコンの効かない会場は避けた方がいいでしょう。

天窓が開いていた気がしますが、外の晴れた明るさは会場を明るくしてくれたことは良かった。しかし夕方になり、西日が差し込むとカーテンを閉められてしまった。困ったのは咄嗟の色温度(ホワイトバランス)調整。疎らな水銀灯とタングステンライトが照らす中、撮影には暗い。感度はなるべく上げたくないが、上げざるを得ませんでした。夜になるともうこの会場いつものプロ興行と同様の照明。GENスポーツパレスは照明(ライト)が故障している部分もあって照らすリング上は疎らです。改善して欲しいとはいつも思います。

私(堀田)も幼い頃からやりたかったと大人になってから思います。田舎では空手道場も無く、通う勇気も無く、キックボクシングに関わりだしてから「幼い頃からタイで練習したかった。そんなこと思うの俺だけだろうし」と思っていたところが、キックボクシングに関わった者の子世代が皆、キックボクシングをやりだし、タイ修行にも行くようになりました。一般社会人から見ればごく少数ですが、ここではもう誰もがムエタイテクニックを身に付けた時代です。

次回のアマチュアEXPLOSIONの定期大会は10月13日(日)GENスポーツパレスに於いて「EXPLOSION.45~ONE DAY TOURNAMENT~」が開催予定です。
NJKF本興行CHALLENGER.4thは9月15日(日)、後楽園ホールにて開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

昭和のレジェンド、長江国政氏を振り返った映像から見る偉大さ、
そこへ追い付く挑戦が続く瀧澤博人は僅差判定負け。
睦雅は僅差判定勝利で王座戴冠。
団体のエース格を自覚するモトヤスックは苦難の判定負け。

◎KICK Insist.19 / 7月28日(日)後楽園ホール17:15~21:25
主催:VICTORY SPIRITS、ビクトリージム
認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)、WMO 

◆第11試合 WMO世界フェザー級王座決定戦 5回戦

18位.瀧澤博人(ビクトリー/1991.2.20生/ 57.1kg)
          VS
10位.ペットタイランド・モー・ラチャパットスリン(タイ/ 56.75kg)
勝者:ペットタイランド / 判定1-2
主審:ナルンチョン・ギャットニワット(タイ)
副審:椎名利一(日本)49-48. アラビアン長谷川(タイ)48-49. シンカーオ(タイ)48-49

瀧澤博人はWMOインターナショナル・フェザー級チャンピオンで、ペットタイランドは元・WBC&IBFムエタイ世界スーパーフライ級チャンピオンの実績。

昨年11月26日に3回戦で対戦した際は、瀧澤博人はペットタイランドの上手さを崩せず2-0の判定負けを喫している。

今回の王座を懸けた戦いは、ポイントに繋がり難いであろう第2ラウンドまではローキックからミドルキック、前蹴りで距離を計り、ハイキックへ繋ぐがいずれも単発の軽い様子見の展開から徐々に首相撲のせめぎ合いも加わる。

前進する瀧澤博人に対し、ペットタイランドはフェイントが上手かった

第3ラウンドに入るとムエタイらしく主導権を奪いに掛かる蹴りのアグレッシブな攻防が始まった。首相撲に移るとヒザ蹴りの攻防。動きが止まるとブレイクが掛かって離れ、蹴りから首相撲へ移るパターンが続く。

最終第5ラウンドは蹴りの展開。ムエタイ式の勝ちに行く戦略で試合を進めた瀧澤博人だったが、どちらが優勢とは言い難い中、判定は厳しくもペットタイランドに上がった。

運命の採点発表の瞬間、ペットタイランドと瀧澤博人の明暗の表情

瀧澤博人は試合後、「何が相手のポイントに付いたのか分からないですけど、明確なダメージを与えなきゃいけなかったのかなと今、率直な感想です。もっとアグレッシブに行ってもよかったと思いますし、いろいろな意見もあったと思いますけど、最後は自分の自信ある信じたところを突き通しました。ペットタイランドは本当にディフェンス能力が高くて、一つ技見せると全部ペース持って行かれるぐらいで、目のフェイントとか肩の筋肉の動きのフェイントとかがやっぱり凄いなと感じながら、でもそれにちゃんとついて行けて、今回は相手の得意なところでの勝負をすると意識で対応出来ていたので、判定になった時は絶対勝ったと思ったんですけど、勝利を掴み切れなかったのは自分の日ごろの行ないとか、練習とか何か取り組む姿勢が足りなかったのかなと思いました。」

今後については「ちょっと分からないですが、とにかく腐らずもう一回やり直しですね。やれることはやったので周りに感謝です。」とコメントは一部割愛していますが、律儀に長く語ってくれました。

ペットタイランドがWMO世界フェザー級王座戴冠となったリング上

◆第10試合 WMOインターナショナル・スーパーライト級王座決定戦 5回戦

JKAライト級チャンピオン.睦雅(ビクトリー/1996.6.26生/ 63.4kg)
        VS
ケンクーン・ティンツアームエタイ(パタヤスタジアム60kg級Champ/タイ/ 63.1kg)
勝者:睦雅 / 判定3-0
主審:シンカーオ・ギャットチャーンシン(タイ)
副審:椎名利一(日本)49-47. アラビアン長谷川(タイ)48-47. ナルンチョン(タイ)49-47

初回開始から睦雅はアグレッシブにローキック、パンチで前進。ケンクーンは応戦するが睦雅はローキックでケンクーンをロープ際に詰める勢い。第3ラウンドにはケンクーンが首相撲に持ち込みヒザ蹴りが増えるが睦雅のパンチとローキックの勢いも強い。

睦雅の右ハイキックがケンクーンにヒット、倒しに行く姿勢を見せた睦雅

最終第5ラウンドも最後の追い込みをかける睦雅、勝負はまだ分からない

 

際どい展開ながらアグレッシブに攻めて王座を奪った睦雅

第4ラウンドには疲れが出たか、ケンクーンの組んでのヒザ蹴りの圧力が優ったが、最終第5ラウンドは睦雅のパンチ連打とローキックで追い込み、ケンクーンはミドルキックの重さで勝負した中、採点は厳しいと思えたところ、睦雅の3-0判定勝利となった。

睦雅は試合後、
「何かまだまだだなあと思って。僕は倒す以外、あまり勝ちと思えないので、まあ終わった瞬間は負けたなあと思いましたが判定では名前呼ばれたので、ああ勝ったんだと思いましたけど、内容を反省して、今回はいい経験させて頂いたなあと思います。」

戦略について=「ローキックもボディブローもパンチも効いている感じはあっても、ケンクーンも倒れないという強さは感じて、それも倒そうと思ったんですけど、まあ僕の力不足とケンクーンの気合い根性というのを感じましたね。」

スタミナについて=「倒したかったので、そこは配分が難しかったです。行ってガス欠になったらポイント取る流しになってしまうので、やっぱり最後までどうやって倒せるかというのを考えながらやっていたので、第5ラウンドまで行く為に第4ラウンドは戦術で自分の中では温存しようかなと。そこはポイント取られてもしょうがないけど、倒せば関係無いと思っていました。」とこちらも一部割愛ながら長く話してくれました。

◆第9試合 71.0㎏契約3回戦
 
WMOインターナショナル・スーパーウェルター級チャンピオン.モトヤスック
(=岡本基康/治政館/2001.9.22埼玉県出身/ 71.0kg)
        VS
ジェット・ペットマニー(MAX MUAYTHAIミドル級覇者/タイ/ 71.0kg)
勝者:ジェット・ペットマニー / 判定0-3
主審:西村洋
副審:少白竜27-30. 中山27-29. 勝本27-29

初回は互いの蹴りは様子見ながら主導権支配へ圧力を掛けて行く。モトヤスックがパンチとローキック、ジェットは蹴り返すと首相撲に持ち込む。更にジェットのパワーでモトヤスックの頭を押さえ付け優位さを見せる。

第2ラウンドには首相撲からモトヤスックの頭を沈めておいて顔面狙いのヒザ蹴りを入れるジェット。第3ラウンドには離れた位置からもジェットの蹴りが増し、首相撲から頭を抑え込まれてのヒザ蹴りでモトヤスックはノックダウンを奪われる。勢い増したジェットを凌ぐこと出来なかったモトヤスックだった。

ジェットの首相撲からモトヤスックの頭を沈ませヒザ蹴りでノックダウンを奪う

◆第8試合 ジャパンキック協会フェザー級挑戦者決定戦3回戦
 
1位.勇成(Formed/ 57.1kg)vs2位.樹(治政館/2004.10.12生/ 57.1kg)
勝者:勇成 / 判定2-0
主審:少白竜
副審:西村30-29. 中山29-29. 勝本30-28

初回の蹴りからパンチの主導権争いは互角。アグレッシブな攻防が続く。第2ラウンドにはヒットや手数は互角ながら、やや勇成の前進が目立っていく。第3ラウンドには更に勢い増した勇成は多彩に攻め、反撃する樹も捨て身の打ち合いに出て、両者下がらない攻防には延長戦の可能性を残したが、勇成が2-0ながら判定勝利で、チャンピオン皆川裕哉への挑戦権を掴んだ。

勇成の右ストレートヒット、攻撃力で上回り、王座挑戦権を手に入れた

◆第7試合 スーパーフライ級3回戦  

JKAフライ級1位.細田昇吾(ビクトリー/ 52.0kg)
        VS
ペッチマイ・シット・ジェーカン(ムエサイアム東北部50kg㎏Champ/タイ/ 51.5kg)
勝者:細田昇吾 / KO 2ラウンド1分6秒 /
主審:椎名利一

ローキックを徹底しアグレッシブに攻めた細田昇吾。第1ラウンド終了間際にパンチか、ノックダウンを奪う。第2ラウンドに入っても右ローキックからパンチでノックダウンを奪い、続けて蹴りからパンチ連打のスピーディーな攻めで3度のノックダウンを奪って完勝。しかしこのラウンド中に細田昇吾は左眉付近をカットしており、ヒジ打ちの攻防もあったことからそのヒットも貰っていたかもしれない。チェックが入るほどではなかった為、危なげないとは言い難いが完勝というには問題無いでしょう。

細田昇吾がスピーディーにパワフルに圧倒してノックアウトに繋げた次の主役か

◆第6試合 ライト級3回戦  

JKAライト級3位.古河拓実(KICK BOX/ 61.0kg)
        VS
岡田彬宏(ラジャサクレック/ 61.1kg)
勝者:古河拓実 / KO 2ラウンド1分42秒 /
主審:勝本剛司

初回から古河拓実が攻めの勢いで優り、完全に主導権支配した展開。第2ラウンドには左ミドルキックを岡田彬宏のボディーへ一発でテンカウントへ倒し切る圧勝となった。

◆第5試合 63.5kg契約3回戦 

JKAライト級4位.林瑞紀(治政館/ 63.4kg)
        VS
中尾満(元・日本ライト級暫定Champ/エイワスポーツ/ 63.3kg)
勝者:林瑞紀 / KO 1ラウンド2分28秒 /
主審:西村洋

初回の打ち合いに出るアグレッシブな攻防は林瑞紀の圧勝。左ストレートでノックダウンを奪い、更に左ハイキック、右フックと立て続けに3度のノックダウンを奪った。中尾満は新日本キックに於いて、2010年頃のチャンピオンではあるが、打たれ脆さが付き纏い、すぐ立ち上がる回復力もあるが、打ち合いに行くのは避けたい展開であった。

◆第4試合 フェザー級3回戦

石川智崇(KICK BOX/ 57.0kg)
        VS
マングース松崎(NEXT LEVEL渋谷/ 57.0kg)
勝者:石川智崇 / 判定3-0 (30-27. 30-28. 30-28)

◆第3試合 ライト級3回戦
 
菊地拓人(市原/ 60.85kg)
        VS
ユウキ・オー・チャロンチャイ(チーム・クンタップ/ 60.9kg)
勝者:菊地拓人 / TKO 1ラウンド1分8秒 / レフェリーストップ

◆第2試合 バンタム級3回戦 

九龍悠誠(誠真/ 52.6kg)vs翔力(拳伸/ 52.5kg)
勝者:翔力 / 判定0-3 (28-30. 28-30. 28-30)

◆第1試合 フェザー級3回戦

海士(ビクトリー/ 56.7kg)vs尾形春樹(チームタイガーホーク/ 56.75kg)
勝者:海士 / 判定3-0 (30-27. 30-27. 30-26)

《取材戦記》

元・全日本フェザー級チャンピオン(昭和第3代、5代)、長江国政氏が6月11日に肺癌の為、永眠されました。2018年頃から神経性の難病との戦いが続いていても車椅子で来場される姿が見られましたが、選手を叱咤激励する姿は力強さがありました。2019年5月のジャパンキックボクシング協会設立時には初代代表に就任。今回のKICK Insist興行は長江国政氏追悼興行となりました。現役時代には藤原敏男、島三雄との名勝負も語り草となっています。

御子息の長江政人氏が遺影を抱えて長江国政追悼テンカウントゴングが打ち鳴らされました。

「師の遺志を受け継ぎ強い選手を育てて頑張って行きたいと思いますので宜しくお願いします。」と御挨拶されました。

長江政人氏の御挨拶、長江国政追悼テンカウントゴングが打ち鳴らされた

今回のセレモニーでは更に、過去新日本キック協会に於いて、元・日本バンタム級、フェザー級チャンピオンの蘇我英樹氏が千葉市の蘇我駅前に蘇我キックボクシングジムをオープンし35坪ほどある中、多様な戦いに向け、リングも金網も設置したという。ジャパンキックボクシング協会にも加盟し、自身が市原ジムで小泉猛会長の下で活躍し4本のチャンピオンベルトを獲ったことから、

「今後も選手育成に務め、もの凄い選手を育ててカリスマを作り上げていくので宜しくお願いします。」と挨拶されました。

2011年にタイ国発祥のWMO(World MuayThai Organization)認定の二つのタイトルマッチ。立会人として顧問のウィラチャー・ウォンティエン氏が来日し、認定宣言されたことは権威を示す重要な儀式でしょう。名前ばかりの世界戦はここが揃いません。

その世界戦で瀧澤博人の僅差の判定負けは惜しい結果でした。審判構成がまた別のメンバーであれば違った結果になったかもしれないと言っては愚痴になってしまうが、過去に江幡睦が「ひとつのダウンでも取れなければ、ラジャのベルトは獲れないということです」と言ったように、ラジャダムナンスタジアムとは立場は違うが、もっと攻めていればという悔いは残ります。

睦雅はパンチとローキックは効果的にダメージを与えるも、ケンクーンの組み付いて来るヒザ蹴りにポイントが流れたかに見えたが、前半とラストラウンドの攻勢が活きたポイントが勝利を導いた。

二つのタイトルマッチはWMO公認として日本から椎名利一氏、タイからは三名の在日タイ人元・ムエタイ戦士が審判を務めました。日本の生活と日本のキックボクシングにも馴染んできたタイ審判員はいつも公正な審判をすることでは定評がありますが、今日の僅差の試合でのポイントを付ける審判の心理、傾向までは第三者には読めない難しさがありました。瀧澤博人の惜敗は残念でしたが、わずかな差で一喜一憂する運命は厳しい現実でした。

次回、ジャパンキックボクシング協会興行は9月29日(日)に新宿フェースで開催予定となっています(詳細は未定)。

KICK Insist.20は11月17日(日)に後楽園ホールで開催予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

◆黒崎道場への憧れ

勝又厚男(かつまたあつお/1961年3月12日、東京都武蔵野市出身)は、藤原敏男がまだ現役時代の活気ある名門・黒崎道場に入門。凄味ある先輩方に揉まれ、新格闘術バンタム級1位まで上昇。キックボクシング業界低迷期に差し掛かった時代で輝かしいタイトル歴は残せなかったが、藤原敏男、斎藤京二に続く黒崎道場第三の男と将来を有望視された存在だった。

 

まだまだ戦いです。勝又厚男氏も完全燃焼を目指す人生(2024年3月2日)

キックボクシングを始める切っ掛けは、テレビ各局で放送されブームとなったキックボクシングと黒崎道場の存在だった。

勝又厚男は「タイの一流選手のヒザ蹴り、廻し蹴りに芸術的な魅力を感じ、日本の選手でも錦利弘選手のローキック、沢村忠さんの飛びヒザ蹴りと魅せられ、中でも黒崎道場の大沢昇さん、藤原敏男さん達多くの選手は勝負に対する真剣さ、リング上での立ち振る舞い、一挙手一投足に他のジムの選手とは違う“何か”を感じました。」と語る。

1979年(昭和54年)3月、高校卒業も大学受験に失敗し浪人生活に入って1年近く経ったある日、テレビで観たキックボクサーの闘い様に心揺さぶられ、いても立ってもいられなくなって黒崎道場の門を叩いた。

ジムの門(扉)をノックして開けて初対面となったのはテレビで観た齋藤京二選手だった。嬉しさと緊張の中、入門手続きを済ませた翌日にも斎藤京二氏に声を掛けられ、
「キミ、試合出る気あるの?」と問われ、「ハイ、やってみたいです!」応えると、
「ちょっとこっちに来い!」と外の郵便受けを開けて、
「鍵はここにあるから明日から好きな時に来て好きなだけ練習やって帰る時に鍵を元の位置に戻しておくように。来月から月謝は要らない!」と言われてキョトンとしてしまったという。浪人として金欠だったので有難い待遇だった。

翌日から毎日練習に通い、半年先に入門して熱心に練習に励んでいた杉山という先輩とよく時間を合わせての練習だった。

当時の黒崎道場は一人練習もあったが、誰か試合が決まると厳しい先輩方との練習が多かった。

◆辛い戦い

入門して半年ほどの1980年9月28日にデビュー戦を迎え、花澤道場の選手に判定勝利。メインイベントは藤原敏男先輩の新格闘術世界ライト級タイトルマッチ。その前座に出場することが嬉しかったという。

ファイトマネーはマネージャーから3000円チケットを10枚渡され、売れた分の半額だったが、高校時代の仲の良かった友人に1枚タダであげたのみで残りの9枚は売ることなく手元に残ったままだった。

試合の数日後、一人で練習していると藤原敏男先輩が現われ、「オイ、半額をジムにバックしたか?」と聞かれ、正直に1枚友人にあげただけのことを話すと、「しょうがねえなあ!」と自分の財布から千円札を数枚「ホレッ!」と渡された。

ジムへのバックは免除。初のファイトマネーは3.000円だったが、金額よりも憧れの藤原先輩から貰ったことが嬉しくて、封筒に入れて大事にしまっておいたが、結局使ってしまったという。

黒崎健時先生とはデビュー以降に度々事務所に呼び出されるようになっていた。1年半くらいは氣構え心構えを聞かされたという。
「勝又、キックボクシングは難しいか?」
「押忍、難しいです!」
黒崎先生は怖い顔でニヤッと……「難しくなんかないんだ。試合でもそうだけどね。練習でも一旦始めたら真面目だなんていう範疇じゃないんだ。傍で見ていてコイツは気が狂っているんじゃないかと。こんな選手とは二度とやりたくない。今度やったら殺されてしまうんじゃないかと思わせないと駄目なんだ。狂気を持つ、狂ってしまえ!ってことなんだよ。何かを真剣にやるっていうことは!」

確かに大沢昇先輩をはじめ、黒崎道場の選手の試合に漂う“何か”はこんなところにあったんだと実感したという。

入門当時に一緒に練習していた杉山先輩はデビューから6戦ぐらいまで連勝街道を走っていた選手で、ミット打ち、マススパーリングとよく教えてくれたとても面倒見の良い先輩だったが、暫くして日本系の目黒ジムに移籍してしまい、何と杉山先輩との対戦が組まれてしまった。

「最近まで一緒に練習や指導してくれた杉山先輩。その試合は辛いものがありました。ジムの看板に懸けて負ける訳にはいかないと強く感じつつ、相手を睨み付けることなど出来ず、目倉めっぽうに思いっ切り拳を振り回し判定勝ち出来たものの、いろいろと教えて貰った人間と殴り合うことの辛さ。同じ階級の選手とは絶対に仲良くならないとこの時、胸に固く誓いました。」と語る。

◆育ての神様

デビューから3年目の1982年に入ると黒崎健時先生からはトレーニング法、技についてアドバイスを頂く。

腕立て伏せ二千回、スクワットは20分で千二百回、三点倒立二時間とか、スクワットは先輩方は一万回やっていたと聞いたので自身もやったというかなりのキツさ。

そのキツさを乗り越え、亜細亜プロ拳法フライ級チャンピオンの紅闘志也(士道館)との対戦が決まった。“紅闘志也”とは梶原一騎氏作の劇画主人公の名前だが、このリングネームの使用許可を求めて現在まで三人ぐらい居たという。

当時の紅闘志也は士道館が売り込んでいた存在感があったが、勝又厚男は第4ラウンドにパンチで初のノックアウト勝利を収めた。試合2週間前に同門の柳田光廣先輩が「必ずKOで勝たせてやる!」と後押し。柳田氏は妻子を親戚に預け、柳田先輩宅に寝泊り合宿で、パンチの打ち方を本格的に教えてくれた恩人でもあった。しかし、試合が終わって数日後、ジムに入った電話に「柳田先輩が交通事故で亡くなった!」と連絡が入った。

ショックでそのままロードワークへ、止まらない涙と共に夜の河原をどこまでも走り抜けたという。

「リングに上がったら自分のコーナーポストで、ブッ殺してやる!ブッ殺してやる!ブッ殺してやる!と3回念じろ!」と叩き込んでくれたのは柳田先輩だった。

紅闘志也に勝って新格闘術バンタム級の王座挑戦は近くなったが、定期興行は安定しない時代でタイトルマッチは実現しないままだった。

紅闘志也戦、黒崎健時代表、梶原一騎氏の顔も見える。レフェリーはウクリットさん(1982年)

同年9月12日には初のタイ遠征を前に、丹代進(早川/後の日本バンタム級Champ)と引分け。蹴りもパンチもタイミングをずらされ、ベテランのしぶとい蹴りに苦戦した。

タイ遠征前の1ケ月は黒崎先生の御自宅で合宿しリビング、外の公園で練習に励み、「小便チビるまで帰って来るな!」と言われ激しく練習してもチビるには至らなかった。

「簡単じゃないことを黒崎先生はよく解っていた。やはり黒崎先生のアドバイスが心に火をつけた千差万別の指導、選手育成の神様だったと思います。感謝の氣持ちが湧いて来ます。」と懐かしく語る。

小俣洋戦、セコンドは斎藤京二氏(1983年6月17日)

小俣洋に左ストレートヒット、レフェリーは島三雄さん(1983年6月17日)

1983年6月17日、藤原敏男引退興行では藤原氏を盛大に送る好カード勢揃いの第1試合で小俣洋(士道館)と対戦。パンチで圧しての判定勝利も、これが国内では最後の試合だった。2ヶ月後にはタイでの試合でシャヤプーンという選手に判定負けでこれが事実上ラストファイトとなった。勝又厚男も小俣洋も大学生で就職活動に入った時期であった。

戦績17戦12勝(3KO)3敗2分

◆人生のラストファイトへ

引退後、東洋大学を卒業し、大手通信会社で営業、設計なども携わったが、就職後は目的ある人生ではなかったという。

1997年に13年ぶりに黒崎健時先生と再会。戸田市の格闘技スクールに汗を流しに行き、藤原敏男氏とも再会。若手と一緒に汗を流す中、フッと目に留まったのは、13年前に使っていた自分の赤いネーム入りのメキシコ製16オンスグローブとヘッドギアがピカピカに磨かれて棚に置かれていたという。

「眺めていると思わず頬擦りするほど、13年も俺の使っていたグローブを道場に置いてくれていたのかと胸にジーンと来る熱いものがありました。」と語る。

その日、黒崎健時先生の書斎の書物を読み、日本はすっかりアメリカンナイズされ、経済以外、特に精神が衰退したことに黒崎先生は危惧されていたことも有って本を読み漁り、諸々のセミナーを受けたりと勉強する中、自身でもセミナー講師を目指し、1年半ほどかけて実現に至った。

その後も講師業を続ける中、2019年には年老いた父母とも入院してしまい、1年7ヶ月の看病、介護も及ばず両親とも他界。

ここから更に予期せぬ不運が起こった。母の告別式から1週間後、2021年8月7日、今度は勝又厚男氏自身が脳梗塞に罹り入院となった。

理学療法士から「車椅子生活を考えてくれ!」と言われても、左半身が麻痺してしまっても、一度たりとも精神が落ち込むことはなかったという。

講演会で自身の脳梗塞からの復活を語る勝又厚男氏(2024年3月2日)

リハビリテーションの一環、椅子を使ったトレーニングを再現(2024年3月2日)

「ここで寝たきりなんかに、ましてや死ぬ訳にはいかないと心の奥底から込み上げて来ました。回復して社会の役に立ちたい。国の為に命を燃やし尽くしたいと強く願いました。」と語る。

5ヶ月後に退院した現在までの2年半、当初の車椅子生活を考えるところから座れるようになり、立てるようになり、歩けるようになり、生活独立も出来て社会復帰。そして今回の脳梗塞から回復までの自身の体験談の講演や、多くの研修活動に力を注いでいる。

講演は日本の食物の危機、戦後の日本の在り方など、今後の日本が進む道などテーマは多い。この勝又厚男氏の講演模様はまた掲載したいと思います。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

2020年3月にルンピニースタジアムで発生した新型コロナウイルスの集団感染に始まったタイ国内のムエタイ界は大打撃を受けてさまざまな形で変貌を遂げてきました。

コロナ禍以前と同様にギャンブルありきのムエタイも復活していますが、”新しい様式のムエタイ”と言われるルンピニースタジアムでのONE Championship(興行名はONE Friday Fight)、ラジャダムナンスタジアムでのラジャダムナン・ワールド・シリーズ(RWS)といった新しいスタイルでのムエタイが毎週開催されて現地では人気上昇中の様相です。

今年5月28日には、ラジャダムナンスタジアムに於いて、現職警察官による総合格闘技ルールでの「COPS COMBAT」が開催され、女性警察官も出場。今やバイクの発表会にも使われ、いろいろなイベントが開催される殿堂スタジアムへ変貌してきました。

5月28日に行われたCOPS COMBATの様子 ©THAI RATH

COPS COMBATの試合、グローブはオープンフィンガーグローブ ©THAI RATH

◆ONEとRWSの人気

ONE Championship(設立当初はONE Fighting Championship)は2011年7月、総合格闘技団体としてシンガポールで設立されていますが、ルンピニースタジアムでのONE Friday Fightは2023年1月10日から始まりました。

ONE Championshipは魅せる演出と競技をバランスよく融合させて来た様子で、極力ワイクルー(試合前の戦いの舞い)を少なくし、試合中の演奏は排除。グローブはMMA(Mixed Martial Arts)と同様のオープンフィンガーグローブ使用となっており、ムエタイルールだけでなく、キックボクシングルールや総合格闘技(MMA)ルールでの試合も同興行内で混合して開催しています。

オープンフィンガーグローブはサイズがS、M、L、XLとあって選手各自が選べます。毎試合新品を使用し、重さ的には4オンス程度と言われます(大きさにより若干ズレがある模様)。

RWSは2022年7月22日より8人トーナメントでスーパーウェルター級、フェザー級、ライト級、ウェルター級で開催され始めました(当初の発表)。

RWSはONEよりは従来のムエタイ様式を残しており、試合前のワイクルーや試合中の戦闘音楽演奏は従来どおりでも、独自のルールを作り上げている部分があり、3回戦制でのラウンドマストシステム、オープンスコア制を採用しています(タイトルマッチは5回戦)。

ONEとRWSのトレードマーク

◆ギャンブルとしてのムエタイ

これらはいずれもタイ国スポーツ局で認可されている本来の正式なムエタイ競技で定められたものではありません。

本来のムエタイは1999年制定のタイの法律で管理されており、ムエタイ競技は5回戦(3分制)は当然で、グローブも打撃技も従来どおりです。スポーツ局が認定するコンバットスポーツ(一対一で戦うコンタクト競技)に関してはカテゴリーが4つに分かれており(以前に取り上げていたら重複する説明かもしれませんが)、

1.ムエタイ競技
2.ボクシング競技
3.アマチュア競技
4.その他の格闘技

以上が定められた分類です。

MMAや本来のムエタイルールとは違う独自のシステムで行われている3回戦制などの試合は、全てカテゴリー4の“その他の格闘技”に一括りにされている状態で、正規ムエタイ競技の公式戦とは違ってしまうのが法律上の解釈です。それでも“ムエタイ”と言ってイベントが開催されているのは、ここが抜け道と言えるような状態に規制が無く、緩く感じさせている要因でしょう。

しかし、細かな競技の規定に対して一般ファンや視聴者にとってはさほど興味は無く、観る側が面白いかどうかが重要で“これもムエタイ、あれもムエタイ”と多様化して来た流れでしょう。

プロモーター主催の正規5回戦制試合は、水曜日と木曜日のラジャダムナンスタジアム、火曜日と金曜日のランシットスタジアム、日曜日のBBTV・7チャンネルスタジアム、土曜日のオムノーイスタジアム、土曜日のヨッカオスタジアム(ジットムアンノンスタジアム)などで開催されており、コロナ禍前と同様にギャンブラーが賭けを行なっています。

ラジャダムナンスタジアム、ルンピニースタジアムなどの歴史あるスタジアムは、標準スタジアム、公式スタジアムと表現されることが多く、標準規定のリング設置、リングドクター常駐や厳格な計量、ボクシング法に基づいた運営と言えるスタジアムで、正式にギャンブル可能な賭博場の政府認可を受けたスタジアムとも言えます(現在ルンピニースタジアムは賭博停止)。

2018年6月17日、緑川創が挑戦したラジャダムナン王座、本来のムエタイである

◆スタジアムの新しい在り方

懸念されることは、ラジャダムナンスタジアムのタイトルマッチでも、RWS興行内で行われるタイトルマッチと通常のプロモーター主催興行で行われるタイトルマッチとでは、同じ5回戦でありながら、RWSではラウンドマストシステムでのオープンスコアでの採点方式で、通常興行では本来のシステム(10対10有り、採点公開無し)で行われておりダブルスタンダードになっています。同じスタジアムの正式タイトルマッチでシステムが違うことについては、採点基準そのものは問題無いものの、どこのマスメディアも問題提起しないことが不思議ではあります。

しかしながら、ONEやRWSのような新型ムエタイでも、ムエタイの名が世界に広まるのはタイ国としては大歓迎の様子で、本来のムエタイも正規のルール、システムで盛り上がっており、伝統格式が完全には崩れていない安堵もあります。生き残るのは元祖ムエタイか、新型ムエタイか、数年では決着は付かない様相のムエタイ界を楽しんでいきましょう。

6月14日のONE Friday Fightポスター

6月14日のONE Friday Fightに出場した日本側の選手4名もポスターに登場しました。
小田魁斗(VERTEX)
COCOZ (TRY HARD)
谷津晴之(新興ムエタイ)
山岸和樹(PCK連闘会)

6月22日のラジャダムナンワールドシリーズトーナメントポスター

6月22日のラジャダムナンワールドシリーズ、ウェルター級トーナメントが行われました。(8人制/ Aブロック4選手、Bブロック4選手)

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D5R2HKN5/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

無名外国人のメインイベンター起用の意味は?
そのエマニューエル・スキアフィノーはヒザ蹴りでルベン・ブサのアバラ折る衝撃的勝利。
NJKFから出場の嵐はノックアウト完勝で日本人メインイベンターの存在感を示す。
ジョニー・オリベイラは2度ノックダウン奪われ、
反則減点も課せられる苦しい大差判定負け。
アマチュア経験豊富な女子選手の飛躍も目立った。

 

エマニューエルのこのヒザ蹴りでルベン・ブサは肋骨骨折に至った

◎MAGNUM.60 / 7月7日(日)後楽園ホール17:15~20:36
主催:伊原プロモーション / 認定:新日本キックボクシング協会

(戦績は協会資料を参照し、この日の結果を加えています。ここでは嵐の不戦敗を省きます。)

◆第13試合 65.0kg契約3回戦

エマニューエル・スキアフィノー(アルゼンチン/32歳/ 63.9kg)5戦4勝(3KO)1敗
      VS
ルベン・ブサ(イタリア/19歳/ 63.5kg)13戦10勝3敗
勝者:エマニューエル・スキアフィノー / TKO 1ラウンド 1分54秒
主審:少白竜

パンチと上下の蹴り分けで積極的な両者。エマニューエルの前蹴りからのヒザ蹴りでルベン・ブサが後退。打ち返せず下がったところにエマニューエルは飛びヒザ蹴りを加え、更にヒザ蹴りで一方的になってルベン・ブサはスタンディングダウンを取られた。

続行後、エマニューエルの右ミドルキックの連打で、ルベン・ブサが怯むとレフェリーがストップをかけた。最初のヒザ蹴りでブサは左脇腹を痛めていた様子。試合後は肋骨骨折の疑いが診断されていた。

◆第12試合 78.0kg契約3回戦

マルコ(イタリア/伊原/34歳/ 77.4kg)11戦5勝(1KO)3敗3分
        VS
ヘスス・クアドゥラード(ISKAスペインChamp/23歳/ 76.9kg)12戦11勝1敗
勝者:マルコ / 判定2-0
主審:宮沢誠
副審:少白竜29-29. 勝本30-29. 中山30-28

両者のパンチと蹴りの多彩な攻防は、ヘススの我武者羅な攻めをマルコが凌ぎ、圧力と的確差で優ったマルコが僅差判定勝利。

マルコは試合後、「もっとしっかりパンチの後はキックとコンビネーションをやった方が良かった。そんなキレイなアクションやりたかった。今後もっと強くなりたいです。9月に結婚するので10月の試合は無いですけど、その次の興行ではしっかり試合頑張ります。」と語った。

マルコの右ストレートがヘススにヒット、手数で優っていった

◆第11試合 54.0kg契約3回戦

NJKFバンタム級チャンピオン.嵐(=坂本嵐/キング/19歳/ 53.85kg)
14戦12勝(6KO)2分
      VS
TENKAICHIバンタム級チャンピオン.川端駿太(SHINE沖縄/26歳/ 53.55kg)
10戦4勝5敗1分
勝者:嵐 / KO 1ラウンド 2分23秒 /
主審:椎名利一

嵐の牽制のパンチとローキック。距離感掴んで上下打ち分け、飛びヒザ蹴りも加え、川端駿太の空いたボディーに左フック3発目、完全に効かせてテンカウント。余裕のノックアウト勝利。

嵐のフィニッシュブロー、左フックが川端駿太のボディーに炸裂

◆第10試合 60.0kg契約3回戦

日本スーパーフェザー級チャンピオン.ジョニー・オリベイラ(トーエル/46歳/ 59.8kg)
63戦16勝(1KO)29敗18分
        VS
IOCインターコンチネンタル・フェザー級チャンピオン.辰樹(Y’ZD豊見城/29歳/ 59.8kg)
15戦6勝(2KO)6敗3分
勝者:辰樹 / 判定0-3
主審:勝本剛司
副審:少白竜24-30. 宮沢24-30. 中山宏美24-30(第3Rオリベイラに減点1含む)

ジョニー・オリベイラはいつものアグレッシブに攻めるも、第2ラウンド早々に辰樹の左フックでノックダウンを奪われ、リズムが狂った様子。最終第3ラウンドにはホールディングで減点も課せられ、終盤には辰樹の左ストレートでノックダウンを奪われ、距離感を掴めないままの終了。

「離れて相手の距離を潰さないとね。辰樹のパンチ見えなかったというから一発喰らって調子狂ってしまい、距離の掴み間違いでしたね。」とは側近の語り。

辰樹が攻勢を保つ、ジョニー・オリベイラはリズムが狂って作戦失敗

◆第9試合 スーパーフェザー級3回戦

赤平大治(VERTEX/21歳/ 58.7kg)7戦5勝(3KO)1敗1分
      VS
山川敏弘(京都野口/34歳/ 58.5kg)21戦8勝(4KO)11敗2分
勝者:赤平大治 / KO 2ラウンド 1分54秒 /
主審:椎名利一

蹴りからパンチに移った攻防の中、赤平大治の左ロングフックで山川敏弘がノックダウンし、セコンドからタオルが投げられ、ドクターもリングに入ろうとするが、レフェリーはテンカウントまで数えて赤平大治のノックアウト勝利。KO賞も獲得した。

赤平大治の右ストレートヒット、次第に左フックのタイミングに繋げていく

赤平大治の左フックに沈んだ山川敏弘、タオルは入っているがまだカウント中でテンカウントに繋げた

◆第8試合 63.0kg契約3回戦

須貝孔喜(VALLEY/23歳/ 62.8kg)6戦2勝4敗
      VS
平田大輔(平田道場/25歳/ 61.6kg)2戦2勝(1KO)
勝者:平田大輔 / 判定0-3
主審:少白竜
副審:椎名27-29. 宮沢29-30. 勝本26-29

第1ラウンド、平田大輔の右ストレートでグラついた須貝孔喜。逆に打ち合いに出て平田をグラつかせ、どちらかが倒されるスリルの中、圧していく須貝に対し、的確差で平田が優り、僅差判定勝利となった。激闘を展開した両者に伊原信一代表から敢闘賞が贈られた。

敢闘賞に繋がった打ち合う両者、平田大輔と須貝孔喜

◆第7試合 女子(ミネルヴァ)スーパーフライ級3回戦(2分制)

永島梢(K’Bスポーツ/37歳/ 51.7kg)37戦22勝(7KO)13敗2分
      VS
鈴木咲耶(チーム鈴桜/16歳/ 50.45kg)2戦2勝(1KO)
勝者:鈴木咲耶 / TKO 1ラウンド 1分59秒 /
主審:中山宏美

11年ぶりの試合という永島梢だったが、アマチュア90戦、プロ2戦目の高校2年生の鈴木咲耶の首相撲の上手さと蹴りのバランスの良さが優っていた。首相撲からの崩しの際か、倒れた永島梢が左足首辺りを負傷。更に組み合ってからの鈴木咲耶のヒザ蹴りでノックダウンした永島梢は足の負傷で立ち上がれずカウント中のレフェリーストップとなった。

アクシデント勝ちだが、首相撲から勝利を導いた鈴木咲耶の勝者コールと応急処置を受ける永島梢

◆第6試合 女子(ミネルヴァ)51.0kg契約3回戦(2分制)

NADIA(アルゼンチン/ 50.15kg)8戦4勝1敗3分
       VS
ミネルヴァ・スーパーフライ級4位.紗耶香(BLOOM/ 51.7→51.0kg)
15戦5勝(1KO)9敗1分
勝者:NADIA / 判定2-1
主審:宮沢誠
副審:椎名30-28. 中山29-30. 少白竜29-28

◆第5試合 女子(ミネルヴァ)アトム級(102LBS)3回戦(2分制)

ミネルヴァ・アトム級5位.Marina(健心塾/17歳/ 45.7kg)9戦4勝(1KO)5敗
     VS
aimi-(DANGER/46歳/ 45.6kg)9戦1勝5敗3分
勝者:Marina / 判定3-0
主審:中山宏美
副審:椎名30-28. 宮沢30-27. 少白竜30-27

◆第4試合 女子(ミネルヴァ)ライトフライ級3回戦(2分制)

DJナックルハンマーyokko(team AImerrick/ 48.3kg)4戦4敗
        VS
山崎希恵(クロスポイント吉祥寺/ 48.45kg)1戦1勝(1KO)
勝者:山崎希恵 / KO 2ラウンド 1分16秒 /
主審:宮沢誠

第2ラウンド、山崎希恵の右ハイキック一発がキレイにyokkoのアゴにヒットし、ノックダウンを喫する。マットに膝を着けたままファイティングポーズをとるyokko。立っているつもりだったろうが、そのままカウント9でレフェリーストップされた。厳密に言えばテクニカルノックアウトだが、ほぼテンカウント同様で山崎希恵ノックアウト勝利。

◆第3試合 アマチュア女子 38.0kg契約2回戦(2分制)

西田永愛(伊原越谷/13歳/ 37.2kg)vs瀬川柚子心(小野道場/14歳/ 37.35kg)
勝者:瀬川柚子心 / 判定0-3 (19-20. 19-20. 19-20)

◆第2試合 アマチュア 46.0kg契約2回戦(2分制)

西田蓮斗(伊原越谷/14歳/ 45.35kg)vs庄司翔依斗(拳之会/16歳/ 44.49kg)
勝者:庄司翔依斗 / 判定0-3 (19-20. 19-20. 19-20)

◆本戦第1試合 アマチュア 34.0kg契約2回戦(2分制)

武田竜之介(伊原越谷/10歳/ 33.3kg)vs銀牙(TAKEDA/11歳/ 33.8kg)
勝者:銀牙 /判定0-3 (18-20. 19-20. 18-20)

◆オープニングファイト第2. アマチュア49.0kg契約2回戦(2分制)

原龍之介(伊原越谷/13歳/ 48.2kg)vs竹田奏音(TAKEDA/15歳/ 47.7kg)
勝者:竹田奏音 / 判定0-3 (18-20. 18-20. 18-20)

◆オープニングファイト第1. アマチュア33.0kg契約2回戦(2分制)

渋谷剛(伊原越谷/10歳/ 32.0kg)vs平山晴翔(TAKEDA/11歳/ 27.6kg)
勝者:渋谷剛 / 判定3-0 (20-18. 20-18. 20-18)

 

勢い付いた嵐のヒザ蹴りヒット、多彩に攻めた

《取材戦記》

この日、両国国技館では井岡一翔のWBA・IBF世界スーパーフライ級王座統一戦、フェルナンド・マルティネス戦が行われていました。こちらも気になる興行でした。この日、新日本キックボクシング協会興行と重なっていなかったら行きたかった両国国技館です。

日本のメインイベンター嵐は危なげないノックアウト勝利。対戦相手、TENKAICHIバンタム級チャンピオンの川端駿太を“沖縄のチャンピオン”と表現したとおり、地方発祥のタイトルも増えている現在である。4月のスックワンキントーン・バンタム級チャンピオン桂英慈と引分けた試合から、また必殺ノックアウトが復活した感の嵐は9月15日(日)にホームリングのNJKF興行に出場予定です。宣言している世界制覇までライバルを蹴散らし、どこまで倒し続けられるか。

今回の興行は常連チャンピオン瀬戸口勝也の出場は無く、ジョニー・オリベイラがエース格的存在。しかしメインイベンターは無名の外国勢。日本のメインイベンターは他団体のNJKFから参加の嵐。選手層の薄さが表れる新日本キックボクシング協会。

この数年の流れを見て、やむを得ないという現状ではあるが、前日計量に現れたのは、スペインからやって来たプロモーターのチント・モルディージョ氏。なかなか恰幅良くトークを広げていた。

伊原道場アルゼンチン支部は数年前からディエゴ・ゴンザレス・ラヴォルペ氏が担っているが、今後、両者が新日本キックボクシング協会で伊原代表と、ヨーロッパ、南米、アフリカ等との交流、国際戦を計画しているという話であった。

リング上ではスペイン語によるトーク。通訳で協会スタッフの川久保悠さんが解説していたが、チント氏は更にオープンフィンガーグローブ使用のキックボクシング試合も日本に持ち込みたい意向があるという。そこまではどう進むか分からないが、とにかく話題は尽きない伊原プロモーション。次回興行の10月6日(日)のTITANS NEOS.35からこの戦いは始まる予定です。

挨拶に立ったチント・モルディージョ氏、活発な発言だった。右はディエゴ氏

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
昭和のキックボクシングから業界に潜入。フリーランス・カメラマンとして『スポーツライフ』、『ナイタイ』、『実話ナックルズ』などにキックレポートを寄稿展開。タイではムエタイジム生活も経験し、その縁からタイ仏門にも一時出家。最近のモットーは「悔いの無い完全燃焼の終活」

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D5R2HKN5/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

前の記事を読む »