最後のフィニッシュで再びヒザ蹴り猛攻を掛ける石川直樹

ファンが見極める技量審査場所とも言えるジャパンキックボクシング協会プレ旗揚げ興行の見せ場。MA日本キックボクシング連盟、NKB、フリーのジムとの交流戦、日本vsタイ国際戦で盛り上げました。

もう交流戦なくして新鮮な好カードは成り立たない時代になってきました。それほど一つの団体だけでは鎖国的で、置かれたレベルが分かり難くなり、切磋琢磨するレベルの高い試合は臨めないということでしょう。また、分裂細分化によって特定の団体と交流し易くなったという声もあり、「分裂する傾向を上手く利用した方が話が纏まり易く好都合」と言えるのも時代は変わったものです。

ヒザ蹴り猛攻に入った石川直樹

そんなこの団体での次の時代を担う者、石川直樹、瀧澤博人に続く、馬渡亮太と皆川裕哉には期待が掛かるところです。

「ジャパンキック協会は僕が盛り上げていきます」

ほぼ同じコメントを残し、エース格を自覚する瀧澤博人と馬渡亮太。また石川直樹と皆川裕哉も同じ気持ちでしょう。石川直樹は8月4日の旗揚げ本興行でもメインイベントを務めたい意向を示し、更に前・日本フェザー級チャンピオンの石原将伍も居るこの新団体でのメインイベント争いも勃発しそうなところです。

ジャパンキックボクシング協会代表は長江国政氏(本名・長江國正)が就任しましたが、足の怪我による車椅子での移動でリング上での御挨拶はありません。8月4日の旗揚げ本興行にて行なわれることでしょう。

◎KICK-Origin / 2019年5月12日(日)後楽園ホール17:00~21:10
主催:治政館ジム / 認定:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

ヒザ蹴りでロープの外へ吹っ飛ばした石川直樹

◆第12試合 52.5kg契約 5回戦

JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館/52.3kg)
   VS
儀部快斗(エクシンディコンJAPAN/52.4kg)
勝者:石川直樹 / TKO 5R 2:23 / 主審:仲俊光

第1ラウンド、ローキックで先手を打った儀部快斗。石川は表情に表れないが、このまま攻め続ければ儀部が主導権を握りそうな勢いだが、石川も組みついてのヒザ蹴りを狙い、これが儀部へのプレッシャーとなっていく。

第2ラウンド以降も石川のヒザ蹴りが厄介そうで、儀部は蹴る見映えはいいものの、ローキックを更に効かせていく積極さは無く、突破口を開こうと時折バックハンドブローをみせるようになる。

石川はヒザ蹴りの圧力を掛け続け、徐々にタイミングを掴むもまだ圧倒まで至らず、第4ラウンドまでは三者三様の採点だった。39-38.39-39.39-40(後の公式記録より)。

第5ラウンドには組み合った状態からヒザ蹴りが入って儀部快斗が怯むと一気に攻勢に転じ、組み付いてのヒザ蹴りラッシュを掛けた石川がノックダウンを奪った上、更にヒザ蹴り猛攻を続け、動きが止まった防戦一方の儀部快斗をレフェリーが止めるTKO勝利に導いた。観る側のストレス発散となるような劇的ノックアウトで設立興行のメインイベンターの大役を果たしました。

パンチからヒザ蹴りヒットでKOへ繋ぐ馬渡亮太

◆第11試合 チェンマイスタジアム・バンタム級タイトルマッチ 5回戦

チャンピオン.馬渡亮太(治政館/53.35kg)
   VS
挑戦者同級1位.ペットモンコン・ソー・ジンンジャルンカンチャン(タイ/52.75kg)
勝者:馬渡亮太 / KO 5R 0:45 / 主審:椎名利一

第1ラウンド、ムエタイ特有のリズムで探る静かな様子見。蹴り中心から馬渡が圧力掛け始め、ペットモンコンは強い蹴りを返すがロープ際に下がり気味。馬渡のリズムが優っていくと組み合う展開多くなり、パンチからヒジ、ヒザ蹴りへ繋ぐ。ペットモンコンは馬渡の前進を止められない。

第4ラウンドまでは馬渡が優っていたと見えたとおり、40-37、40-38、40-38の採点(後の公式記録より)。

第5ラウンドには一瞬の隙をついて出た馬渡の猛攻。ペットモンコンのハイキックをかわしてパンチで攻めると後退したペットモンコンのボディーにヒザ蹴りを突き刺し、ノックダウンを奪う。ペットモンコンは苦しそうな表情で立ち上がるも、そのダメージを深いと見たレフェリーはテンカウントを数えた。

技でジワジワ圧倒、馬渡亮太の右ハイキックがヒット

ノックダウンへ繋いだ馬渡亮太、崩れ落ちたペットモンコン

ニシャオの額が陥没

◆第10試合 フェザー級3回戦

瀧澤博人(元・日本バンタム級C/ビクトリー/57.15kg)
   VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ/56.8kg)
勝者:瀧澤博人 / TKO 3R 2:21 / 主審:松田利彦 

第1ラウンド、長身の瀧澤が距離感を上手く掴み、ローキック、接近するとパンチ、ヒジで距離をとって迎え撃つ。

第3ラウンドにはニシャオが右ストレートを打って出たところに瀧澤は右ヒジ打ちカウンターさせ、ニシャオの額にヒットすると、すぐそこが窪んだ跡が見えた。

瀧澤のアピールと共にレフェリーが気付きドクターチェックされ、試合続行不可能が勧告されるとレフェリーが受入れ試合終了となった。

右ヒジ打ちカウンター、ニシャオの額が凹む

長身の瀧澤博人がニシャオに覆い被さるように攻める

タイ選手との対戦は2戦目、ペットワンチャイのハイキックを受ける皆川裕哉

◆第9試合 58.0kg契約3回戦

JKAフェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX/57.85kg)
   VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイ(タイ/57.75kg)
勝者:ペットワンチャイ / 判定1-2 / 主審:少白竜
副審: 椎名30-29. 仲29-30. 松田29-30

皆川の蹴りからタイミングを見計らった右ストレートが軽いがヒット。スピーディーな蹴り合いにテクニシャンのペットワンチャイも勢い衰えない余裕の応戦。

皆川は打ち負けてはいないがペットワンチャイは蹴りの的確さと崩し技で優ったか。判定は1-2だが、第1ラウンドは三者とも10-10の後、三者共通のポイント差は無く、内容的には互角か皆川がやや優った印象は受けた。

左ストレートをカウンター気味に打つ皆川裕哉

◆第8試合 63.0kg契約3回戦

JKAライト級5位.興之介(治政館/62.95kg)vs MA日本ライト級2位.翼(菅原/62.9kg)
勝者:興之介 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-28. 少白竜30-29. 松田30-28

◆第7試合 54.0kg契約3回戦

JKAバンタム級3位.幸太(ビクトリー/53.85kg)
   VS
NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館/53.8kg)
勝者:海老原竜二 / 判定0-3 / 主審:仲俊光
副審:桜井28-29. 少白竜28-29. 松田29-30

◆第6試合 フェザー級3回戦

JKAフェザー級2位.櫓木淳平(ビクトリー/56.9kg)
   VS
JKAフェザー級3位.渡辺航己(JMN/56.85kg)
勝者:渡辺航己 / 判定0-3 / 主審:椎名利一
副審:桜井28-30. 少白竜28-30. 仲28-30

◆第5試合 バンタム級3回戦

JKAバンタム級5位.田中亮平(市原/53.3kg)
   VS
JKAバンタム級6位.翼(ビクトリー/53.4kg)
勝者:翼 / TKO 3R 1:07 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:松田利彦

◆第4試合 63.0kg契約3回戦

JKAライト級4位.林瑞紀(治政館/62.8kg)vs HARUKA(JMN/63.1→63.0kg)
勝者:林瑞紀 / 判定3-0 / 主審:少白竜
副審:椎名30-27. 松田30-26. 仲30-27

◆第3試合 ウェルター級3回戦

モトヤスック(治政館/66.4kg)vs山本大地(誠真/66.5kg)
勝者:モトヤスック / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-28. 松田30-28. 少白竜30-29

◆第2試合 フェザー級2回戦

又吉淳哉(市原/57.0kg)vs花塚ノリオ(E.D.O/56.6kg)
勝者:又吉淳哉 / 判定3-0 (20-17. 20-17. 20-18)

◆第1試合 59.0kg契約2回戦

都築憲一郎(エムトーン/59.05→59.0kg)vs井上昇吾(白山/58.6kg)
勝者:都築憲一郎 / 判定3-0 (20-19. 20-19. 20-19)

《取材戦記》

ラウンドインターバル中に流れる曲はパートタイムラバー。この曲はマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟の初期(日豊企画・石川勝将代表)時代のラウンドインターバル中に流された曲で、その頃、運営スタッフだった足立聖一(現タイムキーパー)さんがこの日、復活させました。インターバルでは気持ちが落ち着くリズムの、かなり有名ないい曲ですが、この曲であのMA日本キック初期を思い出す人が何人居たでしょうか。

元々、治政館ジムは20年以上の興行実績があり、興行運営は慣れたもの。タイトルの在り方、ルールの曖昧さなど、どこの団体でも見られる綻び部分を、この団体だけは確立して欲しい。そんな願いは1996年の日本系復興時に持ったものですが、ジャパンキックボクシング協会への期待も高まる船出したばかりの団体です。

ジャパンキックボクシング協会次回興行は8月4日に後楽園ホールで旗揚げ本興行が行なわれます。ダブルやトリプルメインイベントといった意味でなく、トリを務めるメインイベンターは誰か気になるところです。

新団体での復活をヒジ打ちでの完勝で飾った瀧澤博人

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

ブンカーンののどかな風景

ブンカーンで見たお寺のひとつ、ワット・シーソーポン

◆ブンカーンに到着

ブンカーンへの寄り道は仏門とは関係ないが、過去に藤川さんが語った話題の中には、やや関連してくる人間模様があった。

ノンカイの都市部から昼頃出発した暑くて窮屈なバスは、だんだん人里寂しくなるような田舎道を通って、2時間近く掛かってブンカーンに着いた。今、横浜で出稼ぎ労働しているプット(仮称)という友達に5年前に連れられて来たバスターミナル広場に到着すると、見覚えある小さな時計台があって間違い無く着いたことが認識できた。

すると、地元民とは見えないのであろう私に近づくトゥクトゥクの運ちゃん。私が先に「この辺にホテルはあるか?」と聞くと「ある!」と応えられた。ならば泊まるところの心配は無さそうだ。ホテルに行くと思ってトゥクトゥクを出そうとした運ちゃんに「この辺に郵便局はあるか?」と尋ねた。「あるがどうした?」と言う運ちゃんに「そこに行ってくれ!」と指示。

プットのお姉さんが勤めるのがその郵便局であるはずだった。郵便局は日本の田舎の古い木造の郵便局とさほど変わらない造りの局内で、窓口でお客さんの応対をしていた職員の顔を見てすぐプットのお姉さんと分かった。次に並んだ私と対面となり、プットから送られていた手紙にあるお姉さんの名前を尋ね、私の身分を明かすと、5年前に私が訪れたことを思い出して笑顔になって、すぐ窓口の内側に招いてくれた。

ここはタイの田舎の郵便局。日本のような警備上の仕切り線は緩い。旦那さんもここに勤めていて、早速「今日は泊まって行け!」と言ってくれた。先日に続き“そう言って欲しかったよ”と心で思いつつお世話になることにした。

夕方4時30分まで勤務と言うので近くを散策。メコン河沿いを歩くと、ノンカイ都市部から見る対岸とあまり変わらないのがラオスの風景。近くのお寺も2ヶ所覗いて見た。小奇麗で静かな佇まい。「ここで再び出家できたら誰にもバレずに過ごせるなあ」といった悪知恵も頭を過ぎってしまう。そこは私の知り合いの誰もが、とてもここまで来る縁は無いだろうと思える人里離れた静かな集落なのである。

ブンカーンから見た対岸ラオス

時計台があるブンカーン中心部、懐かしい風景となった

◆家族の心配

夜はこのプットの家でしっかり御馳走になった。飲めぬビールも一杯だけ付き合い、家族は他にプットとソックリの妹さんと、前回来た時はまだ2歳ぐらいだった女の子も大きくなっていた(親戚のオジサンや子供も出入りして、もう記憶が曖昧で家族構成は分からない)。

プットが日本でどんな環境で仕事しているか、ただ元気にしているかという、どこの国の親兄弟も同じような心配。手紙のやり取りや国際電話は来るので、様子が分からない訳ではないが、私が持って行ったわずかながらの写真と、直接知るその暮らしの様子を話してやると興味津々に聴き入り、辻褄合う話に置かれている環境は安心できるものと喜んで貰えた。

もし私の両親が、私がタイで出家したことを知ろうものなら、安心できる環境か、ちゃんと帰って来られるのか、その様子を詳しく知る者を探して食い入るように聴くだろう。もしそんな事態に陥っていたとしたら応えてくれるのは高津くんと春原さんしかいないな。そんな親が思う心配を考えてしまった。無事にタイの旅を終えようとしている今、帰国後は実家に行かねばならないとも思ってしまう、この一家に促されるような思いだった。

ブンカーンの広い大地

お寺ふたつめ、ワット・ブップラーソン

◆貧困の国とは!?

タイで最も貧困のタイ東北部から日本へ出稼ぎに来る“じゃぱゆきさん”といった女性の話題が続いた1990年代でもあったが、フィリピンボクサーやタイボクサーによる不法就労が増えた時代でもあった。

「日本で稼いだお金を持ってタイの田舎に帰り、両親に捧げる。生活苦だった両親や幼い兄弟達が潤い、進学できたり、車やバイク、電化製品が買え、家も建て替えることが出来た。」といった貧困の中での親孝行物語が本に書かれたり、テレビなどの報道で語られたりして、藤川さんは「ワシはそんなもん信じとらん」と言っていたものだった。

私も比丘の姿でバンコクに出た時、藤川さんが町田さんや小林さんに話していたのが、「イサーン(タイ東北部)の人は本当に貧しいんか? 自然に適った風通しのいい高床式住居があるのに出稼ぎした奴らによって綺麗で密閉された日本式住居が増えて、その結果エアコンが必要になるやろ。我々日本人の高度経済成長で作り上げた文明が彼らを羨ましがらせて、本来の幸せを壊して来たんやないか? 毎朝、坊主(比丘)に寄進する飯は、貧乏な家でも一人の一日分は用意できる訳や。これが本当の貧しさか?」と言っていた話が蘇える。

このブンカーンの街を歩いてみても、それなりに雑貨屋や市場はあり、友達の家で頂いた料理は、私がお客さんだからそう振舞ったのかもしれないが、アナンさんの家と変わらない質と量があり、家は木造の古そうな家だが広く、犬も飼われていて貧乏とは言えない中流家庭であった。

プットはなぜ出稼ぎ労働することになったのだろうか。以前、「仕事が無いから」とは言っていたが、バンコクでのムエタイ関係のビジネスを辞めた後、グレード低くなる暮らしはできないプライドがあったのかもしれない。

藤川さんが言っていた、「出稼ぎしたお金で“まず両親を楽させる”という奴は、ほんの2~3パーセントや。他は“まず自分が贅沢したい”為の出稼ぎ労働者、バンコクに出ておる娼婦も同んなじやな」。

私が比丘であった期間、お金を払って食事したことは一度も無かった(飲み物は買ったが)。タイは貧富の格差が広がり、干ばつで農作物が育たないタイ東北部では貧困が続くと言われた1990年代前半に、「本当の意味では貧困ではない」というのが、藤川さんの考え方で、“本当の幸せとは何か”を説いていたのも長き比丘生活での課題だった。藤川さんと会わなくなってからいろいろ思い出すが、各地を歩いた藤川さんの話は信憑性があるものばかりだった。

ブンカーンの映画館

◆三度ラオスへ渡る

この地にも暫くのんびり過ごしてみたい気もあったが、ひとつ役目も果たしたところで他人の家に意味無く長居も出来ないから、もうラオスに渡ることにした(後に考えればこの地域からラオスに渡る道は無かったかなと思うが、当時は限られたルートしか分からなかった)。

旦那さんにバスターミナルまで送られる中、「今度来た時は4~5日泊まって行け!」と言ってくれた。「じゃあ今からもう暫く居ていい?」と思っても口には出さずも、こんな僻地はお寺も含めていいもんだった。

またバスに乗ってノンカイ都市部へ戻り、トゥクトゥクに乗って、そのままタイ・ラオス友好橋へ向かった。あまり遅くなってはいけない。ホテルには極力泊まらないケチケチ旅行だから、行く先は前回訪れたワット・チェンウェーなのである。

3度目の国境越えであるが、職員かただのオバサンか分からぬ人達の指で示す方向へ行って、タイ出国手続きを経てバスに乗り、橋を越えればラオス入国手続きを経てタクシーの運ちゃんに群がられることになる。もうすっかり慣れた感じもあるビエンチャンに三度渡ったところだった。

プットの家の近く、ラオスと似た風景だった

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

最新月刊『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

◆37年ぶりに並んだ昭和キックの二大巨頭

格闘技マスコミのレジェンド記者、舟木昭太郎さんが定期的に主宰するトークショーが4月20日に銀座セントポールズサロンで開かれた。この日のメインゲストとして招かれた元・東洋ウェルター級チャンピオン、富山勝治さんは奥様と共に御来場。

長らく皆様とお目に掛かる機会も無かった富山勝治さんは、藤原敏男さんの居るテーブルに着くと仲良く談笑。イベント等でお二人が揃うのは1982年1月7日の日本キックボクシング協会興行でダブルメインイベントを飾って以来37年ぶり。引退後、公の場にほとんど姿を現さない沢村忠さんを別格として、昭和のキックボクシング二大巨頭が並んだのである。

藤原敏男さんは「今時はユーチューブやらインターネットで相手の過去の試合観れて戦歴なんかの情報も知ることが出来る。俺らの頃はデータなんて入って来なかったよね。計量で初めて相手の顔見るなんてこと毎度だった。対戦して様子見ながら作戦練るしかなかった。技術なんかタイの選手の動きを見て見様見真似で覚えたものだよね。」

富山さんも「でも藤原さんはそんな厳しい時代にタイの殿堂ラジャダムナンスタジアムのチャンピオンになって凄いことでしたよ。」と称える。

37年ぶり、全日本系・日本系の二大巨頭揃う

◆節目の激闘

やがて現役時代の入場テーマ曲、“アラスカ魂”に乗って富山勝治さんが入場し、宮本博史リングアナウンサーによりコールされると、
「今日はお集まり下さいまして有難うございます。皆様方が集まって頂けるとお聞きし、私の先輩でもあります藤原さん、増沢くん、猪狩くんも来て頂き有難うございます。猪狩くんとは45年ぐらい前に、バンコクのジムでは修行の擦れ違い際にお会いし、あの頃はまだ打たれていませんでしたので、あの当時のことは鮮明に覚えていますが、その後は打たれ過ぎましてね、最近のことは次の日には忘れてしまう状態ですが、多かれ少なかれ皆さんも同じような状態の方々と思い安心しております。

このような会に集まって頂き、御挨拶が出来ますのも沢村忠さんのお陰だと思っております。私は沢村さんに対しては敬意を表しており、私にとっては神様のような存在でございます。皆さんの心の中にも、あの当時の沢村さんのテレビに出て居た映像の姿が思い浮かんでいることと思います。」

コールされて現役時代のようにポーズをとる富山勝治さん

この後のトークショーに入る前に主宰者・舟木昭太郎さんは、「富山さんの凄かった試合の中では、サミー・モントゴメリー戦もそのひとつ」と言う。

沢村忠去った後の1978年5月8日の日米大決戦。TBS放映500回記念として、当然メインイベンターとして生放送された試合で、第2ラウンドに長身のサミーの鋭い右ストレートでダウンした際、右肩から落下して脱臼するもそのまま戦い続け、最終ラウンドはローキックでフットワーク速かったサミーの動きを止めた熱のこもった試合を展開。

そんな現役の節目には強い奴と戦って来た富山勝治さん。花形満戦から始まり、稲毛忠治、渡貢二、ロッキー藤丸、飛馬拳二、チューチャイ・ルークパンチャマ、サミー・モントゴメリー、ディーノ・ニューガルト。かなり打たれたというダメージが大きいものでした。

現役最後の姿(1983年11月12日)

◆海上自衛隊を満期退職して目黒ジム入門

トークショーは富山さんの語り口に皆さん没頭していきました。

ハワイで撮った沢村忠さんとのツーショットを掲げる富山勝治さん

「高校を卒業して九州の佐世保の海上自衛隊に昭和42年4月に入隊しまして、佐世保の米軍基地で空手の試合に常々出ていて、その時の上司が、『お前なら沢村に勝てるぞ』と言うんですよ。“沢村って誰かな?”って思いましてね。その頃、九州ではキックボクシングはまだテレビに映っていなかったんですよ。『今、東京ではキックボクシングというのをやっているからお前も東京に上れ』って言われたんですが、私は親父との約束で3年間は自衛隊を勤めるということで、3年満期で辞めて上京して来ました。初めて沢村さんを見た時は、“これが沢村か、なーにこの野郎なんか一発だ!”と思いましたが、皆も同じように思っただろうと思うんですよ。そして私がデビューして1年ぐらい経った時かな。アメリカ遠征に行ったんですよ。

(沢村忠さんとのツーショット写真を持ち)これはハワイの帰りかな? この頃はもう“沢村様様”だったんですよ。

このちょっと前にロサンゼルスで沢村さんが『オイ富山くん、ちょっと来い』って言うから、心で“何だこの野郎、何言ってやがる”と生意気にも、先輩だろうと闘志むき出し根性あったから今に繋がるんですけども、『練習相手してやるから』と言うので、私が構えて立ったら、その場でポーンと軽々飛び上がってスネで私の肩に乗っかって上から私の頭の天辺押さえられて、正に空飛ぶ人間爆弾の姿を見た感じだったんですよ。“これは強い”と思って、私も空手やっていたから分かるんですよ。肩まで軽く飛んで乗っかるのはそういない。100人に1人もいないと思います。それ以来、この人には勝てないと思いましたよ。」

空飛ぶ人間爆弾の恐怖を語る富山勝治さん

熱く語るトークショー、後方映像に映るは花形満

◆花形満戦を振り返り

全日本ウェルター級王座決定戦として行なわれた花形満戦でしたが、当時はTBS系も“全日本”と言っていた時代でした。なぜTBS系側が“日本”と呼称されたかは不明ながら、この年の4月からこの“日本”明記となりました。

「花形満戦は、今だったら負けています。レフェリーが早く止めますからね。昔は倒れてもレフェリーが起こしたんですよ。『寝るのが早い』って。下手に諦めるとレフェリーに引き起こされて、『早過ぎるとお客が怒るから』と。もし、私がみんなに嫌われていたら、ワン・ツー・スリーをテンまで早く言えばいいんですから。

ところがレフェリーはゆっくり数えるんですよ。あれだけ打たれたらイヤになりましたよ。このまま寝ようと思ったけど、試合前に母親から『お前が負けたら関門海峡渡れないぞ』と脅かすものですから、それも頭を過ぎったから何とか起き上がっても、打つ手が無いんですよ。打たれて打たれてね。でも本能なのか、なぜか負ける気はしなかったんですよ。そして最後は私の根性が出たんですけど、左ハイキック3発から“こ~の野郎、今だぁ~!!”と思って右ストレートから右フック2発。ロープ掴んだのは反則ですけど、これは私の性格なんです。けど勝たにゃいかんと思ったから、今も鮮明に覚えています。

ところが試合後3日間は記憶になかったんですよ。頭がガンガンしてね。どうやって勝ったのか、勝って何を喋ったのか。でも沢村さんに『富山くん、インタビューはちゃんと応えていたから心配するなよ』と言われたんです。でもその時は全く覚えていないし、それなりの代償はありましたけど、あの花形満さんとの試合のお陰で今の私があるんですよ。彼には感謝しています。

後に私が引退する時に寺内大吉先生に呼ばれまして、世田谷の大吉寺に行った時に、『これは人間性の勝利です。皆があなたを勝たせてくれたんです。』と、書を残してくれまして、そういう時代に生きてきたから、今思えばそんな導かれた縁の繋がりで、その時代の皆さんのお陰で勝てたと思うんですよ。

いろいろな縁があってまた先に繋がってきたんですけれども、私は自衛隊での上司の最初の一声から始まって人生の方向が変わったんですよ。基礎体力と自信があったからキックに向かったんですが、そして沢村忠さんとの出会い、花形満戦があったように、いろいろな人に恵まれて今があると思います。皆さんも残された人生を楽しく、“残された5年間が幸せであれば人生楽しい”ということですから何ごとにもめげずに頑張って人生を謳歌して頂きたいと思います。」

ビデオ映像に映る花形満戦を語る富山勝治さん

左から増沢潔さん、富山さん、右が猪狩元秀さん、同時期両団体ウェルター級名チャンピオンが揃った

◆竹を割ったような性格は不滅!

「花形満さんはパンチありましたね。これ以来、私はガラスのアゴだと言われましてね。この弱点が定着しました。ああいう強い人とやらないと試合は面白くないですよね。でもあんまり強い人とやり続けると藤原さんみたいに杖ついて歩くほど足腰バラバラになるんですよ。や~めときゃいいのに~ぃ!」

舟木さんが突っ込む余裕も無いほど、一方的に喋り、笑いを誘う語り口には、「竹を割ったような性格」という、かつて実況の石川顕さんが言っていた、そんな例えがピッタリだったトークショー。かつてのオーラが漂う富山さんでした。

ファンとも語らう富山さんも古希を迎え、昔、輝いた戦いを懐かしそうに語る姿は実に楽しそうでした。

昭和のキックボクシングを盛り上げたレジェンドたちも今や70代。残された人生5年以上は有る皆さんの元気なうちはまだまだ語りは続くでしょう。

乾杯の後のレジェンド4ショット

日本系色強い5ショット

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

キックボクシング50年の歴史は分裂の繰り返しでもありました。なぜ分裂は起こるのか、政治と同じような派閥組織の永遠のテーマであります。

21世紀に入り、新たに始まったのが団体に属さないフリーの興行プロモーターの多発。更に興行とは別の認定団体誕生。2013年にはMA日本キックボクシング連盟から脱退したジャパンキックボクシングイノベーションが誕生。

JKAロゴ

そして平成最後の年にまた分裂で令和元年初日に新しい団体が誕生。新日本キックボクシング協会から脱退したのが“ジャパンキックボクシング協会”という名の団体発足となりました。かつての日本キックボクシング協会の復興ではありません。本当はそうしたかっただろうとは推測できますが、そこには“老舗”を名乗れない事情があります。

キックボクシングの原点は1966年1月に設立された日本キックボクシング協会で、TBSの全国ネットによる隆盛、斜陽から氷河期を経て1984年11月に統合団体に吸収された後、1996年3月に、後のMA日本キックボクシング連盟から脱退し、日本キックボクシング協会が復興した原点回帰から始まるのが新日本キックボクシング協会とそこから分かれたジャパンキックボクシング協会のふたつの団体です。

新団体の代表となった長江國正氏は現役時代、藤原敏男や島三男、ビラチャート・ソンデン、ベニー・ユキーデといった名のある世界的トップと戦った元・全日本フェザー級チャンピオンで、WKA世界ライト級王座にも就きました。1984年に引退後、治政館を開設して2001年1月には武田幸三をタイ国ラジャダムナン系ウェルター級チャンピオンまで育て上げています。初めての団体代表となる長江國正氏が率いるジャパンキックボクシング協会の今後の活動は順風満帆か波乱万丈か、しっかり見ていきたいところです。

ジャパンキックボクシング協会代表となった長江國正氏

以下は、ジャパンキックボクシング協会広報部より発表されましたリリースです(4月16日配信)。

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「このたび所属しておりました新日本キックボクシング協会と今後の方向性などの話し合いの結果、円満に退会することとなり新団体を発足する運びとなりました。
令和元年5月1日より『ジャパンキックボクシング協会』を設立し、同じく前団体から退会した有志のジムと新たに加盟するジムで団結し、5月12日(日)後楽園ホール大会でのプレ旗揚げ戦より活動をスタートしていきます。

日頃の皆様のお引き立てに心から感謝するとともに、何卒倍旧のご支援お引き立てを賜りますよう宜しくお願い申し上げます。

ジャパンキックボクシング協会  
代表・長江國正  

 

5月12日開催KICK ORIGIN興行ポスター

団体名:ジャパンキックボクシング協会
(JAPAN KICKBOXING ASSOCIATION)
設立日:令和元年5月1日

執行部
代表・長江國正(治政館ジム会長)
副代表/統括本部長:小泉猛(市原ジム会長)
興行本部長:八木沼広政(ビクトリージム会長)
事務局長:鴇稔之(KICK BOX会長)

ジャパンキックボクシング協会事務局
〒144-0052 東京都大田区蒲田5-12-2バリアビルB1F

前団体で現役王者であり所属団体移籍の為、ベルトを返上した下記の両選手につきましては当協会におきましても初代王者に認定することが決定しました。

ジャパンキックボクシング協会フライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
ジャパンキックボクシング協会フェザー級チャンピオン.石原將伍(ビクトリー)

またジャパンキックボクシング協会旗揚げ戦は8月4日(日)後楽園ホールに於いて、年内興行は11月(後日発表)を予定しております。

KICK-Origin / 5月12日(日)後楽園ホール17:00~
主催:ジャパンキックボクシング協会(JKA)

石川直樹。王座は2016年10月23日、4R・TKO勝利で泰史(伊原)から奪取したのが原点

《予定カード》

第11試合 52.5kg契約 5回戦
JKAフライ級チャンピオン.石川直樹(治政館)
VS
儀部快斗(タイ国RAM100スタジアム114pondチャンピオン/エクシンディコンJAPAN)
第10試合 タイ国チェンマイスタジアム認定バンタム級タイトルマッチ 5回戦
チャンピオン.馬渡亮太(治政館)
VS
挑戦者同級1位.ペットモンコン・ソー・ジンジャルンカンチャン(タイ)

第9試合 フェザー級3回戦
瀧澤博人(元・日本バンタム級チャンピオン/ビクトリー)
VS
ニシャオ・ソー・ジンジャルンカンチャン(チェンマイスタジアム・フェザー級C/タイ)

第8試合 58.0kg契約3回戦
JKAフェザー級1位.皆川裕哉(KICK BOX)
VS
ペットワンチャイ・ラジャサクレックムエタイ/タイ)

第7試合 63.0kg契約3回戦
JKAライト級5位.興之介(治政館)vs MA日本ライト級2位.翼(菅原)

第6試合 54.0kg契約3回戦
JKAバンタム級3位.幸太(ビクトリー)vs NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館)

第5試合 フェザー級3回戦
JKAフェザー級2位.櫓木淳平(ビクトリー)vs 同級3位.渡辺航己(JMN)

第4試合 バンタム級3回戦
JKAバンタム級5位.田中亮平(市原)vs 同級6位翼(ビクトリー)

第3試合 ライト級3回戦
JKAライト級4位.林瑞紀(治政館)vsHARUKA(JMN)

第2試合 ウェルター級3回戦
モトヤスック(治政館)vs山本大地(誠真)

第1試合 フェザー級2回戦
又吉淳哉(市原)vs花塚ノリオ(E.D.O)

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石原將伍。2017年10月22日、王座決定戦で高橋亨汰(伊原)にKO勝利したのが原点

《取材戦記》

チェンマイスタジアムタイトルマッチはどれほどの価値があるのでしょう。スタジアム毎に王座認定されていたらどれぐらいの数になるだろうかと思います。タイでもやたらチャンピオンが増えてきた印象を受けます。

新日本キックボクシング協会での日本フライ級チャンピオン、石川直樹と日本フェザー級チャンピオン、石原將伍は新団体に移っても初代チャンピオンに認定されるという。「選手に罪は無く、団体の都合だから」という解釈でしょうが、脱退において王座は返上されているので、本来は新団体で改めて王座決定戦を行なうべきものであるが、この解釈は理解されないでしょうね。ならば「初代チャンピオンは認定チャンピオン」で終わることなく、新日本キックで王座獲得した試合まで遡って経歴を残して認定して貰いたいものです。「誰と戦って王座獲得したのか」を言えなければなりません。

ジャパンキックボクシング協会はこれまでの団体とどんな違いを見せられるのか。この団体とは部外者の業界関係者の予想では、「おそらく加盟ジムが今迄以上に増えるだろう」と言うもの。そういう新団体への信頼も期待が掛かっているのでしょう。しかしすでに6団体が存在する中、大所帯となることは考え難いので、イベント盛り上げ重視ばかりに集中しないよう競技性を確立した一番の団体を目指して貰いたいところです。

プロボクシングのようにコミッションが機能すれば否応にも分裂など出来ないものですが、名前だけでないその機能するコミッションを確立できなかったのは「昭和の隆盛期に先を見据えなかった老舗の怠慢」という関係者もいます。分裂しまくった平成の時代を終えて、これから30年ほど続くと思われる令和時代の内に統一と国家ライセンスの下、運営が成立する業界となることを願いたいものです。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

今後この老舗王座をどう活かしていってくれるか。まずは“防衛してこそ真のチャンピオン”という目黒ジムの伝統を果たさねばならない。そして最終目標はムエタイ二大殿堂にあり。ラジャダムナンスタジアム再挑戦へ向けて、もう日本人相手には負けられない。

江幡睦は1月23日にリカルド・ブラボと共にラジャダムナンスタジアムで戦っているが、睦は判定負けを喫した様子(ブラボはKO勝ち)。「やはり現地で勝つことは難しいが、負けて教わることも沢山ある。ここから更に学んで這い上がろうと思う」と前向きな発言。

新日本キックvsREBELSの対抗戦は2勝2敗1分。HIROYUKIや重森陽太も熱望しているREBELSとの交流戦は次に繋がる好カードとなるか。

◎TITANS NEOS.25 / 4月14日(日)後楽園ホール 17:00~20:45
主催:TITANS事務局 / 認定:新日本キックボクシング協会、WKBA

カウンターの右ストレートを打ち込む緑川創

◆第13試合 WKBA世界スーパーウェルター級王座決定戦 5回戦

緑川創(元・日本ウェルター級C/藤本/69.85kg)
   VS
ペットカントン・ポー・ペットシリー(タイ/69.25kg)

勝者:緑川創 / TKO 3R 2:31 / カウント中のレフェリーストップ
主審:桜井一秀

ペットカントンは元・タイ南部クラビー県アーウナーンスタジアム・スーパーバンタム級チャンピオン。緑川創は先月の勝次同様、この壁を乗り越えなければ更なる上位は進めない。

相打ちはスリップ気味の緑川は立ち上がり、ペットカントンはノックダウンとなる

長身から来るペットカントンの蹴りが邪魔だが、パンチとローキックで様子見の緑川。第2ラウンドに緑川が相打ち気味に右ストレートでダウンを奪う。両者が崩れかかりダブルノックダウンかと思われたが、緑川はバランスを崩したもの。ペットカントンの蹴りを避け徐々に距離を詰める展開に持ち込み、第3ラウンドにはパンチのタイミングを掴んで勢いよく連打で仕留めた。

パンチが当たる距離を掴み打って出る緑川創

相手の出方を探りながら技を試し、KOへ繋げていく江幡睦

◆第12試合 54.0kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/53.9kg)
   VS
グン・ハーブタイジョン(タイ/53.6kg)
勝者:江幡睦 / TKO 2R 2:33 / ノーカウントのレフェリーストップ
主審:椎名利一

戦いながらの相手の分析、いつものようにローキックから様子を見てスピーディーな攻めを見せていく。そのローキックも徐々にダメージを与えていき、パンチへ繋ぐリズムを作っていく。

距離を詰めればラッシュしパンチ連打でダウンを奪い、更に左右ボディーブローで倒し、レフェリーが止めるTKOで仕留めた。

隙を見つけ、グンの蹴りに合わせて右ストレートを打つ江幡睦

◆第11試合 73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)
   VS
マキ・パンコーン(タイ/71.9kg)
勝者:斗吾 / 判定3-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名29-27. 桜井29-28. 少白竜29-27

パンチで前進する斗吾はヒジで切られる隙を見せてしまう危なさも併せ持つ。それでもパンチで出て行く圧力で、第2ラウンドにはダメージと疲れが見えるマキからダウン奪う斗吾だが、ヒジを思い切り振って出る技があるマキ。斗吾はロープに詰めボディブローも何度も炸裂するが心折れないマキを仕留めるに至らず判定勝利となった。

ヒジで切られる不覚はあったが、重いパンチで圧倒した斗吾

◆第10試合 54.5kg契約3回戦  

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(藤本/54.45kg)
   VS
ジョムラーウィー・ペットノーンセーン(タイ/54.35kg)
勝者:HIROYUKI / TKO 3R 0:57 / ヒジによる目尻カットと鼻骨骨折によるレフェリーストップ
主審:仲俊光

ローキックで様子見から蹴りの攻防が増えていく中、ヒジ打ちの交錯から飛び蹴りを見せるジョムラーウィーに慌てることなく圧力掛けていくのはHIROYUKIの方。更に第2ラウンドにフェイントから飛び後ろ蹴りでノックダウンを奪うHIROYUKI。第3ラウンドにはヒジ打ちで額を切り、第1ラウンドにヒジを当てた鼻骨骨折の影響も含めてレフェリーストップに追い込んだHIROYUKIがTKO勝利。

HIROYUKIがジョムラーウィーを上回る攻めを見せて飛び技に繋ぐ

◆第9試合 64.0kg契約3回戦

WPMF日本スーパーライト級チャンピオン.藩隆成(クロスポイント吉祥寺/63.9kg)
   VS
ポーンパノム・イハラジム(タイ/63.75kg)
勝者:藩隆成 / 判定2-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-28. 宮沢29-29. 仲30-29

パンチとローキックで前進する藩隆成。下がり気味だが右ミドルキックが強いポーンパノム。その蹴りで藩隆成の左脇腹が赤く腫れていく。藩隆成のローキックが効果的に現れつつあるが、ポーンパノムは表情に表れない。藩隆成は手数が増え追う形が続き判定勝利を掴む。

ポーンパノムの右ミドルキックで藩隆成の右脇腹は赤く内出血するが、攻め続けたのは藩の方

◆第8試合 ライト級3回戦

重森陽太(前・日本Fe級C/伊原稲城/60.95kg)
   VS
ポンシャン・ブレイブジム(タイ/60.4kg)
勝者:重森陽太 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜30-26. 宮沢30-26. 桜井30-26

重森のスピードとしなりある蹴りがポンチャンを上回る攻勢を見せていく。第3ラウンドにパンチでノックダウンを奪うが、バランスを崩したタイミングもあり、ダメージは少ないポンシャン。

終始多彩に攻めてピッチを上げるが倒すには至らず不完全燃焼気味ながら大差判定勝利を収めた。

多彩に強い攻めを見せた重森陽太、飛び技が光った

差が付き難い展開の中、泰史の右ミドルキックがヒット

◆第7試合 スーパーフライ級3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原/52.15kg)vs濱田巧(team AKATSUKI/52.15kg)
引分け 0-1 / 主審:仲俊光 / 副審:椎名29-29. 宮沢29-29. 桜井29-30

序盤は決定打が無い両者だったが、第3ラウンドは激しい展開へ移るも、それでもノックアウトに繋がるヒットは無く差が付かず引分けとなった。

◆第6試合 63.0kg契約3回戦

高橋亨汰(伊原/63.0kg)
   VS
日本ライト級6位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/63.0kg)
勝者:高橋亨汰 / 判定2-0 / 主審:少白竜
副審:椎名29-29. 宮沢30-29. 仲30-29.

◆第5試合 58.0kg契約3回戦

日本フェザー級2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/57.9kg)vs拓也(チャクリキ武湧会/57.65kg)
勝者:瀬戸口勝也 / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名30-26. 少白竜30-25. 仲30-26.

◆第4試合 73.0kg契約3回戦 

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/73.0kg)vs中川達彦(打撃武道 我円/72.1kg)
勝者:本田聖典 / TKO 3R 0:08 / 有効打による瞼の腫れ、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ
主審:宮沢誠

◆第3試合 スーパーフライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟/51.7kg)vs響波(Y,s glow/51.7kg)
勝者:空龍 / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:少白竜29-29. 桜井30-28. 宮沢30-29.

やや空龍が的確さが優るも、第3ラウンドの響波のパンチ攻勢で勝負に出て、空龍が鼻血を出すが巻き返すに至らず、空龍の僅差判定勝利。

若い戦い、スピーディーな展開の中、空龍が響波をハイキックで攻める

◆第2試合 ライト級 3回戦

日本ライト級10位.千久(伊原/61.0kg)vs大谷翔司(スクランブル渋谷/61.05kg)
勝者:大谷翔司 / KO 2R 2:59 / 3ノックダウン / 主審:仲俊光

大谷がパンチで連打していく中、2度のダウンを奪い、連打したところをレフェリーが止めた。

大谷が連打で千久を圧倒する

喜びのチャンピオンベルトを巻いた緑川創、引退まで手放してはいけない

◆第1試合 フェザー級3回戦

浦林幹(クロスポイント吉祥寺/57.15kg)vs瀬川琉(伊原稲城/57.1kg)
勝者:瀬川琉 / TKO 1R 2:00 / カウント中のレフェリーストップ / 主審:少白竜

瀬川の左ストレートがまともに当たると浦林は足に来て立てないところをレフェリーが止めた。

《取材戦記》

平成最後の年に(前年も含め)幾つかの団体や興行プロモーションで異変があったキック界となりました。

今、新日本キックボクシング協会も設立以来の分裂が起こり、1月のWINNERS興行後に脱退するジムが多くあり、3月3日のMAGNUM.25興行からリングサイド役員席の顔触れ、マッチメイクに変化が現れました。しかしここから早期に建て直しを図るのが老舗の力。この新日本キック21年と昭和から続く経験値がこれからどう活かされてくるでしょうか。

緑川創は王座獲得となりましたが、斗吾もリカルド・ブラボもWKBA世界王座を目指す選手で、先月、取り逃がした勝次も再挑戦を狙っているでしょう。老舗王座を活かし、ここでも各階級毎に、8人での世界王座決定トーナメントでもあれば盛り上がるだろうというファンの声も聞かれます。

次回の新日本キックボクシング協会興行は、5月が抜けて7月7日(日)に後楽園ホールに於いて、MAGNUM.50が開催されます。

藤本会長と伊原代表に囲まれてWKBA世界のベルトを巻く緑川創

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

創業50周年!タブーなき言論を!『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」

トーナメントの本命が初戦早々に、わずか23秒で消え去るとは意外な結末でも、これが真剣勝負の怖さ。勝ち上がった4名は次なる準々決勝に期待が膨らむ盛り上がりを見せました。これで日本一を決めるには、まだ至らないメンバーと言えますが、今後、他団体で、各階級で、新たなメンバーで「KNOCK OUTイベント」以外でも出来るトーナメントが増えていくことでしょう。

◎出陣シリーズvol.2 / 4月13日(日)後楽園ホール17:15~20:50
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

相打ちのジャブで櫻木も踏ん張る

ムエタイ技が優った村田のヒザ蹴り

◆第13試合 59.0kg契約 5回戦

JKイノベーション・フェザー級1位.櫻木崇浩(前・C/武勇会/32歳/58.85kg)
   VS
NKBフェザー級2位.村田裕俊(元・C/八王子FSG/29歳/59.0kg)
勝者:村田裕俊 / 判定0-3 / 主審:前田仁
副審:鈴木47-50. 川上46-50. 佐藤友章46-50

5連敗中同士と言われる珍しいメインイベントはキックだから起こり得るマッチメイクだろう。パンチと蹴りの正攻法で出る櫻木に対し、長身の村田はやや離れた距離からの左ストレート、ミドルキックが効果的にヒット、距離が詰まればムエタイ技があり、首相撲に持ち込んでの崩しやヒザ蹴り。村田が主導権を握ったまま最終ラウンドにはパンチの連打でノックダウンを奪い、更に攻勢を続け判定勝利に導いた。

村田の迎え撃ちのヒザ蹴りがヒット、復活の手応え有りか

小原の左ヒジ打ちがヒットした直後

◆第12試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

NKBミドル級チャンピオン.西村清吾(TEAM-KOK/40歳/72.45kg)
   VS
J-NETWORKミドル級3位.小原俊之(キングムエ/34歳/72.3kg)
勝者:小原俊之 / KO 1R 0:23 / テンカウント / 主審:亀川明史

開始早々の探り合いに西村はパンチから入ろうとした瞬間、小原の左ヒジ打ちが西村のアゴに強烈にヒットし、西村はあっけなくノックダウン。

すぐ立ち上がろうとするもフラついて、マットに手を付きながら立ち上がって赤コーナーに帰って呼吸を整えるも、レフェリーに背を向けたまま。カウント8でファイティングポーズをとらないとカウントアウトされる可能性が高いが、西村はそんな意識は働かなかっただろうか。或いは目が虚ろだったか、亀川レフェリーはテンカウントを数える。

「まだ戦える」と抗議する西村だが、裁定が覆ることはなく、あっけない幕切れとなった。小原俊之は6月15日の準決勝で清水武と対戦。

西村が呆気なく倒れる

西村は「まだ戦える」とアピールするも叶わず

右ストレートでダウンを奪った今野

◆第11試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

日本ミドル級1位.今野顕彰(市原/35歳/72.35kg)
   VS
井原浩之(前・MA日本ミドル級C/ Studio-K/35歳/72.4kg)
勝者:今野顕彰 / 判定3-0 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-28. 前田30-28. 亀川29-28

距離を詰める井原と離れてボディブローを狙って打つ今野。第2ラウンドには今野がヒジ打ちで井原の額をカットすると距離が縮まり、井原が右ローキックに来たところに右ストレートでノックダウンを奪う。第3ラウンドは逆転を狙う猛攻の井原を凌ぎきった今野が判定勝利。

今野顕彰は6月15日、準決勝で田村聖と対戦。

離れた距離での今野のハイキック

◆第10試合 63.0kg契約3回戦
大月晴明(元・全日本ライト級C/マスクマンズ/45歳/62.6kg)
   VS
NKBライト級4位.野村怜央(TEAM-KOK/29歳/62.7kg)
勝者:大月晴明 / 判定3-0 / 主審:川上伸
副審:佐藤友章30-27. 亀川30-27. 佐藤彰彦30-28

KOを量産した爆腕をけん制する構えの大月。離れたところからでも打って出る大月のパンチに野村は蹴りの距離を保ち、蹴りからパンチでの応戦でヒットも見せる健闘ぶり。野村の踏ん張りに、爆腕での豪快ノックアウトは難しい展開となった大月はそれでも圧倒した展開で判定勝利を掴んだ。

大月の爆腕ようやくヒット

◆第9試合 62.0kg契約 3回戦
 
J-NETWORKライト級チャンピオン.まさきラジャサクレック(ラジャサクレック/33歳/62.0kg)
   VS
NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/31歳/61.75kg)
勝者:棚橋賢二郎 / 判定0-3 / 主審:馳大輔
副審:亀川28-29. 前田28-29. 鈴木28-29

棚橋も強打を武器とするスタイルだが、まさきのムエタイスタイルにヒットし難い展開となるも、第2ラウンド終盤に棚橋が軽いヒットながらパンチでダウンを奪った優勢点で何とか判定勝利に導いた。

棚橋の勝利を導く右フックがヒット

倒しに掛かる田村の右フックがヒット

◆第8試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

NKBミドル級1位.田村聖(拳心館/30歳/72.45kg)
   VS
J-NETWORKミドル級1位.吉野健太郎(前C/TEAM COMRADE/44歳/71.75kg)
勝者:田村聖 / KO 3R 2:27 / カウント中のタオル投入 / 主審:佐藤彰彦

田村はパンチの強さで圧倒する試合が増えたが、序盤は吉野との距離感が掴み難いのか、ヒットし難い展開となった。いきなり吉野のパンチを不用意に貰ったり、もたもたする流れだが、最終第3ラウンドには田村が組み合った中での蹴りからパンチ連打に繋ぎ、豪快なパンチがようやくヒットし、ノックアウト健在ぶりを発揮した。

ようやく豪快パンチがヒットし始めた田村聖

堪らず崩れ行く吉野

左ヒジ打ちに入る清水

◆第7試合 PRIMA GOLD杯 ミドル級トーナメント準々決勝 3回戦

清水武(元・WPMF日本SW級C/sbm TVT KICK LAB/31歳/72.57kg)
   VS
郷野聡寛(元・全日本ヘビー級C/ GRABAKA/44歳/72.4kg)
勝者:清水武 / TKO 3R 0:53 / ヒジ打ちによる顔面をカット、ドクターの勧告を受入れレフェリーストップ / 主審:佐藤友章

距離をとり、ローキックと右ストレートでのボディー狙いの郷野。第2ラウンドに距離詰めた清水の左ヒジ打ちで郷野がダウン。第3ラウンドにもコーナーに詰めたところで左ヒジ打ちで郷野の額を切り、レフェリーストップに導く。

タイミングを掴んだ清水がラッシュを掛ける

パックリ切れた郷野の額、宅急便の仕事に響かなければいいが

当てさせない省エネスタイルだったか、相手のバランスを崩すテクニックの郷野の戦略は上手かったが、勝つには難しい攻めだった。

◆第6試合 ウェルター級3回戦 

笹谷淳(TEAM COMRADE/66.68kg)vs宮城寛克(赤雲會/66.55kg)
引分け0-1 / 主審:亀川明史
副審:佐藤彰彦29-30. 佐藤友章30-30. 川上伸29-29

◆第5試合 バンタム級3回戦

NKBバンタム級5位.海老原竜二(神武館/53.3kg)vs志門(テツ/53.25kg)
勝者:海老原竜二 / 負傷判定2-0 / TD 3R 2:20 / 主審:鈴木義和
副審:馳29-28. 川上28-28. 前田29-27

◆第4試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/53.52kg)vsノーマーシー・カズ(テツ/53.0kg)
勝者:古瀬翔 / KO 1R 2:45 / 3ノックダウン / 主審:佐藤彰彦

◆第3試合 63.5kg契約3回戦

洋介(渡邉/63.4kg)vs野崎元気(誠真/63.5kg)
勝者:野崎元気 / KO 1R 1:56 / 3ノックダウン / 主審:馳大輔

◆第2試合 58.5kg契約3回戦

山本太一(ケーアクティブ/58.5kg)vs将栄(Team ImmortaL/58.3kg)v
勝者:山本太一 / KO 2R 1:05 / テンカウント / 主審:佐藤友章

◆第1試合 ウェルター級3回戦

たいすけ(ケーアクティブ/65.95kg)vsDAIKI(渡邉/66.25kg)
勝者:DAIKI / KO 1R 2:00 / 3ノックダウン / 主審:前田仁

《取材戦記》

この日行なわれた第5試合で負傷判定が下されました。第1、第2ラウンドで海老原竜二のローキックで志門がローブロー(股間への打撃)を受け、そのダメージで中断されること2回目で注意勧告が海老原に与えられ、その後第3ラウンドに、海老原のローキックで志門がノックダウンと裁定されるその直後の3度目のローブローで、試合続行不可能となった為、海老原に減点1を与えて負傷判定へ。故意ではないとはいえ、3度のローブローが“偶然のヒット”と言えるかどうかも議題のひとつ。
この試合を観戦していた別団体のレフェリーと、翌日のTITANS興行で話し合ったところ、「私だったらこうします」とまた別の裁定手段(選択2)を述べられましたが、この試合の裁定に関し、3つの裁定が下される選択肢があると考えられました。

1.海老原の失格で志門の反則勝ち。
2.再開できない志門はレフェリーストップ、海老原のTKO勝ち。
3.偶発的負傷として出された結果どおり海老原の負傷判定勝利。

賛否両論があって当然で、負けにされた方は怒り心頭でしょうが、これが試合成立したいずれかの結果となり、レフェリーによって裁定判断は変わると考えられるでしょう。

一昔前は団体によってはレフェリー養成が進んでおらず、収拾つけられず、“困った時のノーコンテスト”と見られる傾向がありましたが、何らかの裁定が下せるようになったのはこの競技の進化でしょう。

PRIMA GOLD杯トーナメントに限らず、試合はまたどんなアクシデントに襲われるか分かりません。今後のトーナメントも難しい裁定となっても対処が長引くことなく下されることでしょう。

次回興行は6月15日(土)に準決勝戦2試合を中心に行なわれます。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」

 

◆昨年の古希祭りに続き、今年も藤原敏男祭りが開催!

普段は仲がいいはず?の二人 藤原敏男氏と増沢潔氏(右)

3月17日、格闘技マスコミのレジェンド、舟木昭太郎さん(元・月刊ゴング編集長)主催のトークショーにて、今回は当時の全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男を窮地に追い詰めた山田ジム勢とのトークショーを中心に開催されました。

メンバーが揃ったところで増沢潔さんが「元選手が煙草なんか吸いなさんな!」と藤原敏男さんが吸っていた煙草を取り上げて火を揉み消してしまう意地悪。

「“元選手”だから吸ってもいいんじゃないの?」と返す藤原さん。今日もやり合う雰囲気が漂うパフォーマンスの序章。

キックボクシング隆盛期に起きた山田ジムとの戦い。

古き仲間から、日本で最初のムエタイジムと言われる山田ジムは、当時、会長がタイ国大使館職員の山田正さん。1969年(昭和44年)にNETテレビ(現・テレビ朝日)で放映されていた、「ワールドキックボクシング」に加わり、勢力を伸ばていきました。この局での放送はわずか1年で打ち切られるも、すぐに全日本系に移り、二大勢力の目白ジム、協同ジムに迫る存在となりました。

1971年11月5日、全日本キックの初代王座決定戦で8階級のチャンピオンが誕生。そのうちの2階級で山田ジム勢が制し、ウェルター級で錦利弘(協同)を1ラウンドKOしたのが増沢潔氏でした。2度就いた王座は陥落したものの、1974年3月9日、全日本ライト級チャンピオン.藤原敏男(目白)とのノンタイトル戦が実現。

初回に増沢が左ハイキックを決めるも、第2ラウンド以降は藤原がペースを握り、最終ラウンドに前蹴りと右アッパーでの2度のダウンを奪って判定勝利した藤原でしたが、増沢のハイキックで、前歯を折られた試合でした。

藤原敏男35歳、現役最後の姿

◆戦いの感想は笑いに包まれるジョーク絡み!

増沢潔 「作戦というのは全然無くて、勝つか負けるかというだけですから、自分の中では1ラウンドから倒すという意識を持って、“当たれば倒れる”って思って行きました。自分は67戦やったけれども、倒せるときに倒しに行っている試合ばかりで、1ラウンドKOが多かったので、パンチ以上に蹴りも強いと思っていたんだけど、足が短くて当たらなかった。それがいちばん親を恨みます(笑)!次やったら勝てると思いますが、どうでしょうか!?」

藤原敏男 「格闘技に“次やったら勝てる”という言葉は無いよ!、あと“1ラウンドあったら勝てた”とか言う奴居るけどさあ。増沢の蹴りは当たれば倒れたかもしれなかったけど、当てさせなかったから俺は。頭良いんだよね俺!酒飲まなかったから現役中は(周囲失笑)!、でもロープに詰まって反動で返ったときに、まさかそこで増沢のその短い足は届かないと思ったから、蹴りをアゴに貰って前歯全部10本折られたよ。差し歯は1本50万円で全部で500万円だね。まだ(お金)貰ってないんだよ(笑)!」と理不尽な請求。

昨年も周囲を笑わす舌戦やっていたが、戦いが縁を深めた本当に仲がいい二人である。

初代チャンピオン(1971年)となったパネルを持つ増沢潔(2018.10.7撮影)

◆藤原敏男vs佐藤正信戦!

1975年(昭和50年)5月31日、藤原敏男の全日本ライト級王座4度目の防衛戦となった佐藤正信との対戦。第2ラウンドに藤原のヒジ打ちが佐藤の左目上を切ると、焦った佐藤は猛然と藤原に襲い掛かったが、パンチと蹴りで出て来る佐藤を見切って藤原は自分の距離を保つ素早いスウェーとフットワークで佐藤にパンチを当てさせず判定勝利。

佐藤正信 「パンチが全く当たらなくて、試合終わった直後に悔しくてグローブはめたまま思いっきりマットを叩きましたよ、“クソーッ”って!」

敗れた佐藤は後にウェルター級に上げ、1976年7月9日、沢野正典(渡辺)を倒しチャンピオンとなるが、藤原敏男を倒せなかったから階級アップしたようなものと振り返る。

昨年の因縁の再戦はジャンケンで勝っていた藤原さん(2018.10.7撮影)

藤原敏男71歳、脚は悪くなったが、弟子達の試合には今も出向く

◆敗れ去った3名と移り行く時代!

その同日7月9日、藤原敏男の土谷亮(山田)との5度目の防衛戦は、今度は土谷のヒジ打ちで藤原が額を切られるも、これで怒りの猛攻でこの切られたヒジ打ち以外は当てさせず、土谷を第3ラウンド終了TKOに下す。これで隆盛期の全日本キックボクシング協会の時代に、打倒藤原敏男に立ち向かった山田ジム勢3名は善戦虚しく敗れ去ったのだった。

その後、佐藤正信は、タイで藤原敏男と激闘を展開して判定勝利したルンピニースタジアム・ライト級チャンピオン.シリモンコン・ルークシリパット(タイ)に1977年(昭和52年)元旦に面目躍如のKO勝利、周囲を驚かせる快挙を果たしました。
名チャンピオンが揃う時代でしたが、この1976年3月で日本テレビが放映を打ち切っており、次第に斜陽期に移っていったキックボクシング界。向上する選手の実力とは正反対に、競技運営のマンネリ化がキックブーム終焉を導き、1979年の東京12チャンネルに続き、翌1980年、日本系もTBSが放送打ち切りへ続き、キックボクシング氷河期へ突入する時代でした。

昭和の良き時代の名勝負を語らせればまだまだ出て来るレジェンド達の話題。次回の舟木昭太郎さんのトークショーは4月20日(日)に目黒ジム同窓会を開催予定。長らく行方不明(冗談!)だった元・東洋ウェルター級チャンピオン.富山勝治さん御来場。藤原敏男さんとの37年ぶりの対面なるか。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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メインクラスが並んだ光景

新日本キック伊原信一代表が選手のコメントを聴いた感想を語る

4月14日(日)に後楽園ホールに於いて開催予定のTITANS NEOS.25は、キックボクシング老舗の世界タイトル、WKBA認定の世界スーパーウェルター級王座決定戦と、日本vs タイ国際戦、新日本キックボクシング協会とREBELSプロモーションによる5対5対抗戦が開催。

3月22日(金)に伊原ジムにて行なわれた記者会見で、選手や新日本キック伊原代表とREBELS山口元気代表がイベントに向けた意気込みを語りました。

新日本キックボクシング協会・伊原信一代表は、「一人一人のコメント聴いていたら各選手ともすばらしいコメントをしている。普段一生懸命、目標を持って力強く頑張ろうという精神が表れていると思います。選手自身が“しっかりやり遂げた”と思えば、必ずいい結果が付いてくると思います。対抗戦は5戦5勝と言っては山口代表に怒られそうですが(笑)、3勝2敗ぐらいでいけるんじゃないかと思っています。」と控えめな語り。

REBELS山口元気代表はイベントに向けた意気込みを語る

REBELS山口元気代表は、「選手のモチベーションが普段の試合より上がっているし、選手らにとって今後の起爆剤となる切っ掛けになればいいと思います。対抗戦なので、勝ちに行かなきゃいけないんですが、せっかく普段上がらない新日本キックさんのリングに上がって、このREBELSの選手達の試合を見ることの無いお客さんの前で戦うので、本当にお客さんの記憶に残って、“あの選手いいな”と会場に熱を残してくれれば負けても何も言わない。それによって新日本キックさんにとっても良く、次にも繋がるし、“自分が何でそこで試合するのか”という自覚を持って向かう、それを期待しています。」と語る。

◎TITANS NEOS.25 / 4月14日(日)開場16:45 開始17:00

メインイベント出場の緑川創も笑顔がこぼれる

対戦予定カードと選手コメント(来場選手のみ)

◆第13試合 WKBA世界スーパーウェルター級王座決定戦 5回戦

緑川創(元・日本ウェルター級C/藤本)
   vs
ペットカントン・ポー・ペットシリー
(元・タイ南部クラビー県アーウナーンスタジアム・スーパーバンタム級チャンピオン/タイ)

緑川創「昨年、ラジャダムナンスタジアム王座や日本人対決で負けてしまって、どうしても獲りたかったベルトを獲れなかった訳ですけど、スーパーウェルター級でキック人生最終章の始まりにしたいと思います。」

江幡睦はいつもながらのハキハキしたコメント

◆第12試合 54.0kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原)vs グン・ハーブタイジョン(タイ国スラタニー県バンタム級チャンピオン/タイ)

江幡睦「僕らの夢であるラジャダムナンスタジアムのベルトを獲る為に、今回も強敵相手を用意して頂きました。僕はこの試合に圧倒的、そして“倒しに行くキックボクシング”でムエタイに勝つことを目標にしています。キックボクシング50年の歴史でムエタイ500年の歴史を打ち破る。これに僕は夢があると思っています。新日本キックの看板を背負って倒しに行きます。そして今、いろいろな団体のキックボクシングが有名になり、盛り上がっています。トップに立っていればトップ同士、必ず交わる時が来ると思います。僕はこの新日本キックでトップに居続ける。それがキックボクシングが盛り上がるポイントになると思っています。」

斗吾は緊張感あるコメントで控えめ

◆第11試合 73.5kg契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原)
   vs
プーパンレック・クラミツムエタイジム(タイ)

斗吾「伊原会長には結構指導して頂いたので、また違った斗吾を見せたい。前回(3月3日)のあの悔しいドローが無かったら、今の更なる成長は無かったと言われるような試合をしたいと思います。」

◆第10試合 バンタム級超3回戦  

日本バンタム級チャンピオン.HIROYUKI(藤本)vs 未定

HIROYUKI「まだ対戦相手が決まっていませんが(3月22日時点)、強豪タイ選手ということで、過去3戦2勝で強豪タイ選手にも勝っているので問題ないと思います。本当は団体対抗戦に出たかったです。バンタム級からスーパーフライ級、フライ級でも構わないので、山口代表、もしREBELSにマッチメイクできる選手居たら宜しくお願い致します。」

◆第9試合 新日本vs REBELS 64.0kg契約3回戦

ポーンパノムvs藩隆成の対峙

WPMF日本スーパーライト級チャンピオン.藩隆成(クロスポイント吉祥寺)
   vs
ポーンパノム・ペットプームムエタイ(新日本側枠出場/プーケット県バトンスタジアム・ウェルター級チャンピオン/伊原/タイ)

藩隆成「ポーンパノムはタイでのベルトも持っていてテクニックもあると思いますが、僕はそのテクニックで勝負していきたい。」

ポーンパノム「一生懸命練習していますし、必ず勝てると思います。日本で試合したことはありますし、特に恐れる必要は無いと思います。」

重森陽太もパネル相手と対峙

◆第8試合 ライト級3回戦

重森陽太(前・日本フェザー級C/伊原稲城)vs ポンシャン(タイ)

重森陽太「新日本キックボクシングが目標にしているラジャダムナンスタジアムのベルトに少しでも近づけるように強いタイ選手に勝っていくことが必要になるので、ムエタイのテクニックでもポイントの取り合いでも勝てる試合をしつつ、勿論キックをやっていく上で、観ているお客さんはノックアウト勝ちを見たいと思うので、しっかりノックアウトも狙っていきたいです。」

泰史vs濱田巧の対峙

◆第7試合 新日本vs REBELS スーパーフライ級3回戦

泰史(前・日本フライ級C/伊原)vs 濱田巧(team AKATSUKI)

泰史「両団体の熱い思いをぶつけて魅せる試合をしたい。相手の印象は特にありませんが、自分は同じ階級でもパワーがあるので、それを見せつけてしっかり倒して勝ちたい」

濱田巧「相手の印象は元チャンピオンで、いろんな経験してきた選手なので、今の自分がどのレベルか確かめられるので精いっぱいがんばりたい。」

◆第6試合 63.0kg契約3回戦

高橋亨汰(伊原)vs 日本ライト級6位.ジョニー・オリベイラ(トーエル)

◆第5試合 58.0kg契約3回戦

日本フェザー級2位.瀬戸口勝也(横須賀太賀)vs 拓也(チャクリキ武湧会)

◆第4試合 73.0kg契約3回戦 

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟)vs 未定

◆第3試合 新日本 vs REBELS スーパーフライ級3回戦

日本フライ級2位.空龍(伊原新潟)vs 響波(Y,s glow)

響波「今回の対抗戦は自分だけの戦いではないので頑張りたい、自分はスーパーフライ級で178cmあるので長身を活かしたいと思います。」

瀬川琉vs浦林幹の対峙

◆第2試合 新日本 vs REBELS ライト級 3回戦

日本ライト級10位.千久(伊原)vs 大谷翔司(スクランブル渋谷)

大谷翔司「対抗戦ということで負けられない試合であるということと、ガンガン前に出て今迄と違う自分を見せられたらなと思います。」

◆第1試合 新日本 vs REBELS フェザー級3回戦

瀬川琉(伊原稲城)vs 浦林幹(クロスポイント吉祥寺)

瀬川琉「自分のやってきたことが正しかったと証明できるように結果を残したいと思います。」

浦林幹「今回対抗戦で先鋒としていい試合して盛り上げて次の試合に繋げられるよう頑張っていきます。」

代表、選手来場者による集合写真

まだ来日できない対戦相手のパネルと対峙する緑川創

《取材戦記》

代表、選手各コメントはやや省略しています。

記者会見が行なわれた伊原ジムは、行ったことある人しか分からないと思いますが、いつもの練習場のある地下1階ではなく、ガラス張りの地上1階フロアーで行なわれました。キックボクシングの練習場というより、照明も明るくダンスフロアーのような、広くキレイなスペースでした。

1983年(昭和58年)に設立した新日本キックボクシング協会は、諸々の経緯を経て、1998年(平成10年)に復興し、今年22年目で内部紛争の最大の危機にある中、培った総力を結集し、建て直しを素早く試練を乗り越えようとしています。

プロボクシングの世界戦に関わるイベントアピールはテレビやスポーツ新聞での賑わいに比べ、なかなか一般の方の目に留まること少ないキックボクシングのイベントアピールは、このような各団体興行やフリーの興行などでも、以前より頻繁に行なわれて、懸命に興行に繋げているキックボクシング界です。ただ、世界戦以外でアピールされること少ないプロボクシングに比べ、キックボクシングのイベントアピールはかなり浸透し、慣れてきた印象も受けます。

今回、緑川創のWKBA世界戦は先月のライト級の勝次(藤本)に続いての王座決定戦。御本人には「どんな手を使ってでも勝ってください。引分けにだけはなってくれんなよ!」と伝えました。延長の無い、競技として真っ当な決着を願いたい。

4月20日はその勝次がREBELS興行に於いて、63.0kg契約5回戦でNJKFの宮越慶二郎(拳粋会)と対戦予定です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

上條英男『BOSS 一匹狼マネージャー50年の闘い』。「伝説のマネージャー」だけが知る日本の「音楽」と「芸能界」!

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

私と一緒にメコン河を眺めるオジサンと若者の比丘二人

クティでテレビを見ている、人懐っこいネーン達

◆再びワット・ミーチャイ・ターの門を潜る

再出家の望みを絶たれ、カメラマンとしての撮影でもなく、横浜の友達の実家があるブンカーンに行くことも含め、貧乏旅行者として、もう一度行きたかったノンカイの寺に着いた。ここからは単なる旅日記である。

門を潜ったところで、私をチラッと見た一人の比丘がそのままクティに入って行った。過去に比丘として来た者が還俗してここに立っているとは思わなかったのだろう。サーラー(講堂・葬儀場)の方では朝食が終わる頃か、読経が聞こえて来た。

先程の比丘がまたすぐ出て来たと思ったら、私を思い出してくれたようで、「オオ、還俗したのか、今着いたのか!」と笑顔で問い掛けてくれて、「もうすぐ皆が戻って来るからちょっと待っていてくれ」と言われ、やがて読経が終わると皆が戻って来た。

プラマート和尚さんも石橋正次似のスアさんも一瞬の間(ま)を置いて私に気付き、笑顔になった。私はワイ(合掌)を繰り返し挨拶するのみ。

船着場から上ってくるトゥン和尚さん達

そしてプラマート和尚さんが「二階へ上がれ!」と私を招き入れてくれた。以前、本堂で仏陀像と撮ったプラマート和尚さんの四ツ切ほどに伸ばしたパネルを渡すとじっくり見つめ喜んでくれて、「暫く泊まっていけ!」と言って頂き、“そう言って欲しかったよ”と心で呟きながら感謝。お言葉に甘えてここに泊めて貰おう。

プラマート和尚さんから2月初めにあった寺の祭りの写真を見せてくれた。信者さんが撮ったようだが上手い撮り方だ。比丘が歩く列の中に藤川さんも澄ました顔で写っていて、順調そうな旅の途中であることが伺える。

◆もう一方のトゥン寺にも立寄る

以前、ネイトさんが剃髪した腰掛け台に寝転んでいると、カメラ持ったままウトウト眠ってしまい、10分ほどで目覚めるとすぐ横には小さいネーン達が座っていた。

この何でもなさそうな砂利道は茨の道

「還俗したの? このカメラ幾らしたの? 覗いていい?」と人懐っこく、興味津々に我も我もとカメラに群がる。落としやしないかとヒヤヒヤだ。以前、私が比丘で居た頃は懐いていなかった彼らが今、何かと話し掛けてくる。俗人となった私の方が近づき易いのだろうか。純粋な彼らは可愛いもんだった。

更にメコン河を眺めていると土手下の船着場に船が到着。ここに船が着くのは初めて見たなあ。地元住民の乗客に混じり3名の比丘が階段を上って来たと思ったら、お隣のワット・ミーチャイ・トゥンの比丘達で、トゥン和尚さんも居た。目が合って間(ま)を置いて笑顔になり、「オオ、キミか! 元気か?」と覚えていてくれたようで嬉しい。

後から追いかけ、托鉢の帰り道に歩いたワット・ミーチャイ・トゥンへの痛い路地にも向かってみた。裸足で少し歩いてみよう。「ア痛タッタタタタッ痛!」やっぱり歩けない。5歩で諦めた。ペッブリーの痛かった路地でも藤川さんが、「スパンブリーの寺なんかに行ったらこんな道ばっかりで托鉢は一列で速歩きやぞ、一人だけノロノロ歩きなんか出来へんぞ!」と言われたが、やっぱり修行の足りなさを実感する。この砂利は茨の道だ。

境内に入ると幾人かの比丘が、しゃがんで井戸端会議をしていた。私が近づいて行くと、「誰だ?こいつは!」といった警戒の顔つきからやがて思い出し、笑顔に変わった。やっぱりこの間が面白い。「覚えてる?」と聞くと皆が「覚えてるよ!」と社交辞令的だが、笑顔が本音を語っている。クティに戻っていた先程のトゥン和尚さんに、以前撮った写真を渡すとやっぱり喜んでくれた。撮られる機会が少ないのだ。和尚さんが見終わるのを待って、皆が寄って集る。比丘も一般人もムエタイボクサーも本能のままの動きは同じ。皆に喜ばれて嬉しい。

ミーチャイ・トゥン側の比丘達を撮る

◆朝の読経と托鉢を見つめる

泊めて貰ったミーチャイ・ター側のプラマート和尚さんの部屋で、翌朝は4時前に目が覚めた。お互い様ながら、鼾が煩かったプラマート和尚さんも起きると早速、外の鐘を鳴らしに行った。「カランカランカラン・・・」と十秒ぐらい静寂な早朝の境内に響き渡る。これで比丘やネーン達の一日が始まる。

以前、藤川さんは私とネイトさんに「朝、仏陀の前に行く時は顔洗ってから行けよ!」と忠告されたことがあった。仏陀像は銅などの建造物でしかないが、生きていた時代のお釈迦様に接する気持ちで毎朝、接しなければならないだろう。それは修行の身でなくても理解できるマナーだった。

やがて4時からその本堂で読経が始まる。前回来た時と同じ状況。プラマート和尚さんが座ってマイクを持つと、濁声でいきなり始まった。

本堂の内と外を見ていると眠そうなネーン達は毎度の小走りでやって来る姿が垣間見れた。例え遅刻しようが、こんな早朝から集まる習慣が仏教徒としての心を育んでいくのだろう。私はその様子が見える出入り口付近のある後方に座っていた。プラマート和尚さんが、私が今でも壇上に座っているのではないかと思ったか、途中振り返って私を見た。

「俗人が上がんねえよ、それぐらい分かるよ!」と小さく呟く。

40分ほどの読経が終わると退散。クティに戻るとプラマート和尚さんはまた眠ってしまった。

ネイトさんがペッブリーに来た時、「プラマート和尚さんは毛糸のパンツ穿いているんですよ!」と言っていたが、それは戒律違反でも、意外と羽目を外すお茶目な生活リズムで、普通の人間らしさがある和尚さんだとも思う。サボン(下衣)を捲ってやりたかったが、そんな大人げないこと出来ないので、パンツを穿いている姿は確認できなかった。

トゥン和尚さんを先頭に10名あまりの列となる

街中方面に向かうミーチャイ寺の托鉢。こんな列になって歩いた日々

6時になると今度は誰かが鳴らす鐘の音によって、黄衣を纏いバーツを持った比丘やネーンが門の辺りに集まりだした。

かつて私も加わった一列縦隊の托鉢。カメラを持って付き纏うが、皆の失礼にならないように遠慮が出てしまう。ミーチャイ・トゥン側からやって来る比丘の列にこちら側の比丘が加わり、ひたすら歩いて寄進を受け、帰りは雑談しながらの帰路。私も会話に加わりながら歩いていると、野良犬の中の一匹が道路を渡りきれずに車に撥ねられた。

車はブレーキを掛けたが、犬も立ち往生したところでバンパーにぶつかった後、車輪に轢かれ、そのまま車は行ってしまう。犬は立ち上がるも、苦しいのかパニックになって吠えながら車道を走り回っていると、反対車線から来たトゥクトゥクにブレーキが掛かることなくまた轢かれ、フラつきながら弱々しい吠え方となって草村へ消えて行った。

その後、生きているかは分からない。ペッブリーの寺に居た片足無い犬たちも、こうやって車に轢かれた犬なのだろう。人から見れば野良犬は下等動物扱いで皆、助ける気は無い。

残酷なシーンを見てしまったが、悪いことしても寺にタンブン(徳を積む)すればバープ(罪悪)は消えると思っているタイ人も多いから、野良犬たちの運命は今後も変らないだろう。

折り返し地点。至るところにこんな犬がいる

こちらはノンカイ駅方面に向かった托鉢御一行

◆旅の寄り道

翌日、前回は行けなかったブンカーンに向かうことにした。

タイに来た資金の一部を貸してくれた友達の家族に会って、日本での元気な様子を撮った写真を見せて安心させてやろうと思う。

プラマート和尚さんには行き先を伝えておき、ター・サデット市場の少し先にあるボー・コー・ソー・バスターミナルから、長距離バスが出ていることを教えて貰い、同じメコン河沿いのブンカーンへ向かった。

更にはビエンチャンへ繋がる旅となっていく。

サイバーツされるのは一握りのもち米御飯

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

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◆タイ滞在の最後に

ノンカイに行く予定は、せっかくだからラオスまで足を延ばすかもしれない。メコン河を挟むと向こう岸に行きたくなるような気がした。有効期限が残る現在のビザが勿体無いが、タイ滞在に必要なお金の工面が都合つく範囲で出来ることをやっておきたい。念の為、ラオスビザは申請しておいた。

ムエタイ関連の仕事があってノンカイ行きは3月初めとなった。今度は全くの一人旅。比丘だったら移動手段において大概のことは優遇されるが、立ち振る舞いに気をつけねばならない。俗人となってはすべて自由だが、何ごとも自力で乗り切らねばならない。今回はすでに一度訪れている土地ばかり。どうにもならない事態にはならないだろう。

再びノンカイにやって来た。ワット・ミーチャイ・ターの門

仏門に居た試合ブランクも問題無く勝利したグルークチャイ

◆グルークチャイの出家

出発前日にグルークチャイが「ハルキがまた出家するなら俺と一緒にナコーン・シータマラートでやるか」と言っていた。彼も近く出家するんだな。アナン奥さんにも「ハルキ、また出家したいならグルークチャイと一緒にやる?」と言われる。聞くところによると、グルークチャイが行く寺はタイ南部の彼らの出身地であるナコーン・シータマラートにある、戒律に厳格な少数派タマユットニカイ、私が行ったワット・タムケーウは庶民的で大多数派のマハーニカイで全く格式が違う。タマユットニカイの寺にヒベのような下品な奴はいないだろう。“ニカイ”とは“派”と捉える解釈が分かりやすい。

いずれも私がやる訳ないだろうと見切っての誘いだろう。得度式は本当に自力で問答に応えねばならない。そしておそらく、副住職か10パンサーを超える役職に着くベテラン比丘による面談がある。私は希望しても入れないだろう。人格品格語学力、とても太刀打ち出来ない。

以前、藤川さんが言っていた話に、
「タイ仏教は日本とは違った宗派があって、ひとつは森林派で原始仏教に近い形で、世俗との関係を出来るだけ避け、森に篭り、己の成仏の修行に励む所と、本当に仏教を学びたい僧の為、勉強に力を入れる寺がある。あとは我々が居るような街へ降りて来て、もっぱら日常の宗教活動を行なうだけの寺に分けられるんや。格式のある寺は、なかなか他所者を入れてくれんが、タイの仏教では日本と違ってどこで修行しようと一度出家してしまえば、どこの寺でも泊めてくれるし、修行させてくれるから自分の意志でどこでも行けばええ。その修行寺によっては、托鉢で受けた食材はバーツの中に全部空けて、混ぜて食べるところもある。修行僧は、その日の修行の為の命を保てばいいだけや。料理を味や目で楽しむといった贅沢は無視や。ワシらにしたら味が混ざって食えたもんじゃないはなあ」

剃った眉毛はまだ薄く、精悍な顔つきのグルークチャイ

格式高い寺には刑務所より厳しそうな環境もあるようだ。タマユットニカイにも格差はあると思うが、私ではこれらの厳しい寺には行きたくないと思ってしまう。今更ながら、アナンさん宅は格式高い一族であると感じ取れた。

その一族であるグルークチャイの出家は1週間ほどだったようだ。一日の様子を聞くと、朝4時に1時間程の読経があり、托鉢に向かい、朝食後9時に短めの読経と学習、昼食後は自由時間だが、夕方に掃除があり、終わってまた1時間弱の読経、更に就寝前の夜9時に短めの読経があるという。その内容は聞いただけでは把握できないが、私の居た寺とは厳しさが違う赴きである。グルークチャイは和尚さんから、雨季のパンサー明けまで務めるよう勧められたが、「試合があるので戻らねばなりません」と言って当初の予定どおり還俗したようだ。

帰って来たグルークチャイの頭髪は元々短髪だから、剃った後でも違和感は少ないが、眉毛が薄いことだけで怖い顔つきに見えた。試合が終わって数日後の出家。そして寺に居た約10日間に関係なく次の試合が組まれていた。彼ら殿堂スタジアムの第一線級選手は3週間から4週間の間隔で試合が組まれていたが、還俗後バンコクに戻って2週間後に試合。プロとしてのブランクは空かないのだった。

◆貧乏旅行者として

それに対して私の呑気な旅は、とりあえずカメラバッグを担いで出発。バーツと合体出来る大きめの頭陀袋は比丘にとっては便利な袋だったが、カメラバッグとしては不便だった。アナンさん宅を出て、ノンカイに到着するまでは仏門とは関係ない貧乏旅行者の旅である。

フアランポーン駅から乗った夜行列車は、やっぱり比丘の巡礼とは違う雰囲気。プレッシャーの無いのんびりした旅の中だった。向かいの席に若いスペイン人男性が座って「これからラオスやカンボジアを回って日本にも行く予定なんだけど、どこが面白いですか?」と問い掛けられた英語を何とか解読できたぐらいの苦労しかない。観光地を巡るだけなら感動の発見は少ないかもしれないな。私がタイに居て一般の観光客とは違った体験が出来たのは、当初からムエタイジムに長期滞在したこと。直接本音の選手や近隣住民と接する毎日だった。これは仏門でも同じだった。

このスペイン男性も日本のどこか田舎でホームスティでもして、農家や牧場の生活を体験すれば面白いと思うが、まず私は英語がほとんど出来ない。相手が日本語が出来るなら、藤川さんだったら次から次とお勧め話や勧められない話がドンドン出てくるだろう。今後も英語をしっかり勉強するとは思えない私ではあるが、言葉と社交性は大事だなあと思う。

終着、ノンカイ駅に朝7時20分に着いた。この日はなんとこの列車の窓越しまでトゥクトゥクの客引きがやって来た。スペイン人は「これからラオスに向かう」と言う。私は歩いて数分の寺に行くだけだからトゥクトゥクは無視する。でも運ちゃんらはとにかくしつこい。歩いて進むとトゥクトゥクの方から止まって問いかけてくる。「もうすぐそこの寺だ!」と何度言ったことか。前回着た時よりしつこいな。思えば前回は黄衣、今回はシャツとズボンだからこれが当たり前なのか。

再びノンカイ駅の最先端に立つ

◆反省を持ってワット・ミーチャイ・ターに向かう

ワット・ミーチャイ・トゥン側の看板とノンカイ駅最先端の路地入口

改めて思う、安易に出家などしてはいけなかった。「何も覚えなくていい」と言われても必要最低限の常識を知っていないと対応を間違え、寺に迷惑が掛かる。私の考えも甘かったが、導いてくれた藤川さんには感謝しなければならない。藤川さんに出会わなかったら、出家してノンカイにまで来ることはなかっただろう。寺で過ごす考え方が違っていたと思うが、このノンカイに来た時のようにもっと藤川さんとは笑い話がしたかったし、細かい注意をして欲しかった。

私の前に新たに日本人出家志願者が現れたら、私がやって欲しかったこと細かな指導をしてやりたいと思う。黄衣の纏い方、在家信者さんとの接し方、バスの乗り方、飛行機の乗り方、街で国歌吹奏に出くわした場合の対応、一人で食事しなければならない時、他所の寺に泊まりにお願いする時など、日常起こり得ることの対処法は教えておくべきだろう。

今回は比丘ではなく呑気な旅行者ながら、また寺に泊めて貰えるならば、プラマート和尚さんには今後のことも相談してみたい期待を持ってワット・ミーチャイ・ターの門を潜ることになる。

トゥクトゥクの客引きは相変わらず煩いが、乗る側は便利で助かる地元の足

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]

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