本欄をご愛読の方々は、すでに「しばき隊リンチ事件」およびそれに付随した論争はご周知のことと思います。Mさんリンチ事件の民事裁判は最高裁まで争われ、下級審控訴審判決どおりMさんの勝訴で決着した(2人の被告に114万円余の賠償金)。刑事事件も同様に、被告2人に有罪罰金刑となっている。不十分ながら、被害者が勝訴したのは幸甚です。

それはともかく、当該リンチ事件に批判的だった(「救援」紙に2度の論考を掲載)前田朗さんが、しばき隊の「関係者」とイベントで同席することに関して、鹿砦社の松岡利康さんから批判があった。

その件で双方の応酬があり、本欄はしばらく論争の場と化した(前田さんは、ご自身のブログで応答)。これを揶揄して「リンチ事件の場外乱闘」などと評すことはできない。言論人としての誠実さ、論旨の精緻さが問われる論争であって、そこから「リンチ事件」の本質を抽出し、その解決、謝罪や和解にむけた道筋を明らかにする内容がもとめられたはずだ。これは今も変わらないだろう。

「鹿砦社・松岡利康さんへのお詫び」(2019年6月13日付け前田朗氏ブログ)

3度にわたる応酬ののち、前田さんから松岡さんへの「お詫び」が明らかにされた。前田さんが「(鹿砦社の)炎上商法」と揶揄した批判が、不適切だったというものだ。その他の論点には触れられていない。したがって見解は変わらないものと理解します。

謝罪した前田さんの誠実さは、本欄での論争の帰趨を落ち着いたものにした。しかし前田さんが「資格がない」として今後の発言を自制されたのは、ちょっと残念なことである。というのも、いくつかの点で誤解や性急さがあり、事件の本質および「謝罪」あるいは「和解」への脈絡が閉ざされたやに感じられるからだ。

前置きはこのくらいにしたい。じつは松岡さんからわたしに、第三者的な意見をという要請があり、不肖ながら論点の整理をしようと思った次第である。およそ論争というものは論軸を逸らしたり、別の議論にすり替えたりしてしまうと、何も生み出さない。批判のための批判、収拾のつかない言い合いになってしまうからだ。今回はそんな様相(第三者への批判のひろがり)を見せながらも、前田さんの真摯な態度で論争は「中断」した。いずれふり返られて、反差別運動への何らかの教訓が提言できれば良いのではないか。

ともあれ、ここでは松岡さんと前田さんの議論にかぎって論点を整理し、読者諸兄姉の解読の一助となるのを目的にしたい。それがリンチ事件の解決・和解に向かう道筋の糸口になれば幸いである。ただし論争のジャッジメントではなく、あくまでも現在のわたしの批評にすぎない。読者諸兄姉のご批評をたまわれば幸甚です。

そこで論点を拾ってみたが、細かい点はともかく、わたしが気になったのは以下の3点、いずれも前田さんの論点およびわたしが読み込んだ論点である。

《1》処分なしの判決が出たのだから、李信恵さんのリンチ事件関与はなかったのか?

《2》たとえリンチ事件に関係する団体の関係者でも、同席することに問題はない

《3》被差別当該・複合差別の当該は、無条件に擁護するべきか

このほかに前田さんが云う、リンチは複数犯であることが構成要件との認識は論外であり、また判決は複数被告に有罪であるから、前田さんの論法をもってしても「リンチ事件」であるのは明白で、あえて論点とはしなかった。

◆《1》処分なしの判決が出たのだから、李信恵さんのリンチ事件関与はなかったのか?
  ── 法的責任はなくとも、リンチ事件への関与は批判されるべきである

前田さんは「李信恵さんについて言えば、共謀はなかったし、不法行為もなかったことが裁判上確定しました」(第1回返信)「受け入れがたい事実であっても、双方の立証活動をふまえた上で裁判所が下した判断が確定したのですから、社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要です」(第2回返信)と述べている。

これでは、すべての事件・社会問題の解決は裁判所の判断にゆだねるべきで、事実誤認があっても受け容れよということになる。前田さんは「批判は自由だ」としながらも「社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要」と云っているのだ。これは肯んじかねる。

松岡さんの反論はこうだ。

「先生は裁判で私たちの主張が否定されたのだから、これに従うようにと諭されています。しかし、住民運動や反原発の運動で、ほとんど住民側が敗訴し、裁判所の周りでがっかりしている住民の姿をよく見ますが、これでも裁判所がそう判断したのなら従えとの先生のご教示は同義だと思います」

松岡さんが指摘するとおり、前田さんは不当判決とされるものも「確定した事実をもとに発言」するべきだというのだろうか。この論法だけ切り取っていえば、袴田巌さんは有罪、狭山事件の石川一雄さんも有罪ということになる。裁判所の政治権力寄りの、あらゆる不当判決を是認することになるではないか。被害者側の視点・立場が欠けているから、このような裁判所無謬論とでもいうべき立論に陥ってしまうのだ。

前田さんは「この件で『冤罪』と言えるのは李信恵さんだけ」というフレーズを入れている。まさに李信恵さんの立場に立ってのみ、この裁判を見ていたのではないだろうか。

裁判判決が不当なものであれば、判決を批判するのは当然のことである。必要ならば再審を訴えることで、被害を回復するのも当然の権利である。そのための大衆運動は、これまでにも多くの被害者たちが行なってきた。それを知らない前田さんではないはずだ。一般論になってすみませんが、そのうえで加害者には道義的責任も問われるべきである。

前田さんも、李信恵さんの道義的責任を指摘している。

「法的責任はないとしても、道義的責任は残り、かつ大きいはずだと考えます。その意味で『救援』記事を訂正する必要はありません。関係者の行動にはやはり疑問が残ると言わなければなりません」

前田さんの「救援」の記事中、李信恵さんの道義的責任に関する箇所は以下のとおりだ。

「C(李信恵=引用者)をヘイト団体やネット右翼から守るために、本件を隠蔽するという判断は正しくない。Cが重要な反ヘイト裁判の闘いを懸命に続けていることは高く評価すべきだし、支援するべきだが、同時に本件においてはCも非難に値する」

そう、李信恵さんは、本件については非難に値するのだ。したがって法的には無罪が確定したとしても、道義的責任は相互の論争の場において、あるいは表現の場において批判に晒されるべきであろう。言論において判決に従がう必要などまったくないのだ。そうであればこそ、前田さんが「救援」で述べられている内容は「社会的に発言される場合には、確定した事実をもとに発言されることが肝要です」という教示とは明らかに矛盾し、みずからMさんの立場から李信恵さんらを批判しているのだ。 

◆《2》たとえリンチ事件に関係する団体の関係者でも、同席することに問題はない
  ── 論者には多面性がある

もともとこの論争は、松岡さんの側から前田さんがイベントで、事件に関係する団体の関係者3人と同席することへの批判だった。関係者の個々の関与については、寡聞にしてよく知らないので、かなり一般論に傾くことをご容赦ねがいたい。

わたしの立場は、たとい暴力事件に関わっていたとしても、表現の場は保障されなければならないというものです。ただし大衆運動の局面では、今回のようなイベントの場合はとくに、主催者および当該団体が出席の可否を判断するべきだと考えます。そこには生身の人間が介在するからだ。しかし、表現の場では自由でいいのではないか。

じっさい、わたしが編集している雑誌に、しばき隊の運動に過去に参加した論者が社会運動に関する論考を発表している。そのことについて、松岡さんから批判を書かせて欲しいとの要請があり、これを了解している。当該の論考には書かれていない事実についての批判になりそうなので、これには事実関係のみを先方に確認してもらう作業が必要となる。もちろん批判された論者にも、反論の場を提供するつもりだ。論争は事実関係が鮮明となり、論点が明確になる貴重な成果が見込めるからこそ、誌面を解放する意義があるのだ。したがって、事件に関与したから排除する、あるいは同席しないという立場は、わたしは採らないのです。

そこで、前田さんの見解を引用させていただくが、これには大いに賛成せざるを得ない。

「人間人格は多面的であり、決して一次元的ではありません」「社会的には立派な医者や弁護士と思われていても、自宅ではDVに励んでいる夫がいるのではありませんか。道徳教育の重要性について熱弁を振るっている政治家が、セクハラ常習犯というのは良くある話です。世の中には、マイノリティ女性に激しい憎悪むき出しでストーカー状態になっている人物が、孤立した被害者救済のために立ち上がった義侠心溢れる好漢ということもあるかもしれません」「一面を取り上げて鬼の首を取ったように決めつけ、全否定する論法は時として誤りにつながることもあるのではありませんか。人は多面的であり、しかも可変的でもあるのです」(第3回返信)

松岡さんは今回の事件に関連して、長らく仕事をともにしてきた方と訣別しなければならなかったと云われています。個々のケースがあるので一概には言えませんが、わたしはそうはしなかっただろうと思います。出版活動・出版事業はどこまでも理論闘争であり、相手を排除するのは政治闘争だと思うからです。

今回のリンチ事件は、加害者側が隠ぺいをするという政治的な対応をしてきたので、いきおい政治的な応酬(排除・訣別)となったのはやむを得ない。ことは運動内部の暴力であり、なかったことにするのは運動に対する無責任、事件を見ないふりをするのは思想的な頽廃です。

ひるがえって、排除や訣別も相互討論の放棄につながりかねない行為だと思います。被害者のMさんの闘い、鹿砦社と松岡さんの支援の闘いを支持しつつも、前田さんの見識に理があると考えました。もうひとつ付言しておけば、出版・編集という立場は、出版権・編集権という権力を持っています。政治的な対応はきわめて慎重を要し、抑制的にすべき立場にあるのだと思います。

◆《3》被差別当該・複合差別の当該は、無条件に擁護するべきか

このテーマは、一般的な運動論になります。

前田さんの論調には、李信恵さんの差別との闘い、とくに「複合差別」との闘いを「無条件に」高く評価するべき、との力点が感じられました。前田さんをして、今回の事件をめぐる論点を曖昧にしたものがあるとすれば、この力点ではないでしょうか。わたしは《2》に挙げた人間の多面性の観点から、李信恵さんの闘いは評価すべきだと思います。その意味では「救援」の論考を撤回せずに、李信恵さんをリンチ事件では批判するが、在日差別・反ヘイトクライム運動においては評価する立場はあるのだと思います。ただし、それに参加したくなるかどうかは、また別問題です。

わたしが高校生のころの話です。東京で朝鮮高校の生徒と国士舘高校・大学の学生が駅頭や列車内でくり返し乱闘となり、日本人の左翼系の高校生・学生のなかで「無条件擁護闘争」が起りました。乱闘の間に割って入り朝鮮高校生を無条件に護る、ようするに代わりに殴られるというものです。わたしの地元である北九州は在日朝鮮韓国人が多く、地元の不良高校生との喧嘩が少なくありませんでした。大学の学生活動家から一緒に「無条件擁護闘争」をやらないかと誘われたことがありました。

しかし北九州の実態は、朝鮮高校生からわたしたちが強喝されるのが日常茶飯事で、とくにわたしが通っていた高校はいわゆる坊ちゃん学校だったので、喧嘩の強い朝鮮高校生たちに角帽を奪われる(戦利品?)事件が頻発していました。とても「無条件擁護闘争」など参加する気分になれなかったものです。たったひとりでも、同世代として声を交わし合う朝高生がいれば、殴られるだけの闘争に参加したかもしれない。そんなことを後年、筑豊出身の在日の方と飲みながら話した記憶があります。無条件擁護はあってもいいと思うが、現実にはその運動に魅力があるかどうかではないでしょうか。

今回のリンチ事件を、運動の関係者がいち早く隠ぺいに動いたのには、理由があったはずです。運動内部の暴力が露顕すると、運動の広がりが阻害されると考えたからにほかならない。それはしかし、運動の発展をみずから阻害することでしかありませんでした。

暴力事件が起きたのは残念ながら仕方がないとしても、それを謝罪・反省することなく隠蔽しようとしたところに、浅薄で取り返しのつかない問題があると指摘しておきましょう。そこには運動は簡単に操作できる、政治工作で人を操れるという安易さ、社会運動のいちばん悪い面が凝縮しているからです。そんな人を騙すような体質の運動に、人を参加させる魅力があろうはずはありません。

社会運動がつねに清く正しくとは思いませんが、困難ながらも関係者が当初の「謝罪」に立ち返り、和解への途を模索することこそ、運動のおおらかな発展につながると確信してやみません。

[参照記事]
◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の豹変(=コペルニクス的転換)に苦言を呈する!(2019年5月24日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(2019年5月26日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授の誤解に応え、再度私見を申し述べます (2019年5月28日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(2)(2019年6月1日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】「唾棄すべき低劣」な人間がリーダーの運動はやがて社会的に「唾棄」される! 前田朗教授からの再「返信」について再反論とご質問(2019年6月4日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへの返信(3)(2019年6月9日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗先生、私の質問に真正面からお答えください! このリンチ事件をどう本質的に解決、止揚するかが社会運動の未来のために必須です(2019年6月13日付けデジタル鹿砦社通信)

鹿砦社・松岡利康さんへのお詫び(2019年6月13日付け前田朗氏ブログ)

◎松岡利康【カウンター大学院生リンチ事件】前田朗教授が「お詫び」ブログを公開! 私との公開書簡も、私の質問に答えず一方的に「終了」宣言。はたしてこれでいいのでしょうか?(2019年6月17日付けデジタル鹿砦社通信)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)
 

M君リンチ事件の真相究明と被害者救済にご支援を!!

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鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

◆《総力特集》福島原発訴訟 新たな闘いへ

 

本号グラビアより(写真=大宮浩平)

記念すべき『NO NUKES voice』創刊5周年第20号である。

《総力特集》の冒頭は福島原発かながわ訴訟の判決(2月20日)について開かれたシンポジウムの報告、弁護団事務局長の黒澤知弘さんの講演録である。原告175人のうち、当時福島にいなかった原告、まだ生まれていなかった原告、あわせて23人が棄却されたが、152人の原告については基本的な勝訴を勝ち取ったことを、以下の3点で評価した。国の賠償責任が認められたこと、損害賠償金は地域によって差が出た。しかし、避難指定区域外の「ふるさと喪失慰謝料」には差が出た。そして避難指示の有無が判決を左右したことには、指示の合理性がもっと問題にされるべきだという。

つづいて講演した小出裕章さん(元京大原子炉実験所助教)は、裁かれるべきは原発を認めた国の責任であるとして、「技術的には想定不適当」が前提でありながら、立地の基準が大都市ではなく地方であること。「原子炉立地審査指針」に原発の不平等があると指摘。いままた破局事故を前提とした「規制基準」で原発を再開し、海外に売り出そうとしている。いまや原子力ムラは無法で責任を取らない「原子力マフィア」であると喝破した。

崎山比早子さん(3・11甲状腺がん子ども基金代表理事)は、しきい値なし直線(LNT)モデルを社会通念に! と題して講演した。LNT(直線性)とは、放射線が一本通ってもDNAの複雑損傷があり、変異細胞の複製が行なわれる可能性があること。したがって放射能に安全な量はないと解題した。kの点に関しては、崎山意見書に対する研究者17人の反論が、学界主流派の意見に過ぎず、新たな研究成果が出てきていることに注目すべきだという。

さらに村田弘さん(福島原発かながわ訴訟原告団団長)から、裁判で被害者は本当に救済されるか? と題した講演が行われた。記事中に判決の概要(賠償金)の表を収録。判決を左右する「社会通念」は、裁判官の頭の中の通年であって、科学的なデータを退けるものになっている。いや、原発事故後に変わったはずである。

◆「子ども脱被ばく裁判」で被ばく問題の根源を問う井戸謙一弁護士

 

井戸謙一弁護士

「子ども被ばく裁判」に関しては、井戸謙一さんのインタビュー記事である。インタビューでは、福島の被ばく問題のほかに、大間原発に対する函館市の原告訴訟(東京地裁/被告は国)、住民原告の訴訟(函館地裁/被告J・POWER)にも触れられ、函館市長はいわゆる革新ではないが、原発に左右はないと語っている。さらに井戸さんは、湖東記念病院事件(2003年に植物状態の患者の人工呼吸器チューブを引き抜いて、殺人罪で懲役12年の判決)の再審が勝ち取られたこのにも触れている。

◆現地福島の現在と過去を徹底検証する「民の声新聞」鈴木博喜さんと伊達信夫さん

鈴木博喜さん(「民の声新聞」発行人)の報告記事は、「原子力緊急事態宣言」発令から3000日、福島県中通りの人々の葛藤と苦悩である。「もしも、あなたが福島県内に住んでいて、こういう状況(原発事故による 放射能汚染)に直面した場合、自分の奥さんが妊娠したらどうしますか? 産むなと言いますか? そもそも、奥さんが子どもを欲しがったとしても被曝リスクを理由に子作りをあきらめますか?」という問いかけに、イエスかノーか明快に答えられる人がどれだけいるだろうか。この問いを鈴木さんにぶつけたのは、東電を相手取って損害賠償請求訴訟を起こしている「中通りに生きる会」の原告だったという。裁判に密着したレポートは、住民たちの声を生々しく伝える。

伊達信夫さんの連載レポートは、『徹底検証「東電原発事故避難」これまでと現在〈4〉なぜ避難指示範囲は広がらなかったのか』である。テーマを事故当日(3・11)に立ち返って、避難指示および避難行動、政府の動きを詳細に検証している。さらに将来の原発事故にそなえて、100km以上避難することを前提に、準備できることを挙げている。

鈴木博喜さん「『原子力緊急事態宣言』発令から3000日 福島県中通りの人々の葛藤と苦悩」より

◆尾崎美代子さんの飯舘村報告『原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの』

 

尾崎美代子さん(「集い処はな」店主)「原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の『復興』がめざすもの」より

尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)の報告記事は、『原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの』である。福島県飯館村では、3月の議会において「ふるさと納税」で総額3000万円のブロンズ製ベンチを購入することで紛糾した。菅野典雄村長の肝いりで、これまでに同じ制作者による作品に6000万円がつぎ込まれてきたという。

その一方で、復興の目玉とされてきた道の駅「までい館」は、これまで3900万円の赤字で、村から新たに3500万円追加融資が決まっている。もともと「までい館」はこれといって陳列できる特産品もないのに、赤字覚悟で建設されたものだという。この村長の独善性は、原発ムラの研究者たちの「復興計画」とリンクしているのだ。除染、復興をキーワードに、原子力ムラの研究者たちが自治体を取り込んでいく策謀には驚かされる。

◆本間龍さんが『元号号外を仕切った電通の力と「#自民党2019」』のプロパガンダを読み解く

本間龍さん(著述家)の「原発プロパガンダとは何か? 第15回」は、『元号号外を仕切った電通の力と「#自民党2019」』である。号外にヤフー広告が大きく掲載されていたのは、電通の仕掛けだった。メディア支配をさぐり、アーチストを取り込んだ「♯自民党2019」のHPは、新たな支持層の視野に入れてのものだと、本間さんは指摘する。

◆山崎久隆さん、三上治さん、板坂剛さん、山田悦子さん、佐藤雅彦さんの強力連載陣

山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)のレポートは『重大事故対処施設がないのに運転する原発 福島第一原発事故の教訓はいずこに?』である。新規制基準の問題点が明らかにされている。

三上治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)の『淵上太郎よ! 正清太一よ! ありがとう。僕はもう少しここで闘うよ』は、平成から令和への改元・代替わりを枕詞に、表題の二人、淵上さんと正清さん(テントひろばの代表)への追悼文である。周知のとおり、三上さんをふくめた三人は60年安保の闘士であり、2006年に9条改憲阻止の会で再結集し、3・11以降は福島現地への物資の輸送、経産省前のテントと運動を拡げてきた仲である。

板坂剛さん(作家・舞踏家)の悪書追放キャンペーンは、ケント・ギルバート著「やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人」(PHP研究所)だ。自虐と被虐をSM文化としてとらえ、日本文化の被虐性が美しい理由を、ケント・ギルバートは理解できないという論点はおもしろい。

山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)の連載は4回目。『わかりやすい天皇制のはなし』だ。天皇の称号が古代中国にさかのぼり、日本がそれを拝借したのはあまり知られていない史実だろう。

佐藤雅彦さん(翻訳家)は『原発と防災は両立しない! 原子力帝国下では「消防防災」組織そのものが“災害源”になるのだ』で原発防災の矛盾を撃つ。

◆本誌5周年20号の歩みとたんぽぽ舎30年の軌跡

 

今年設立30周年を迎えたたんぽぽ舎の共同代表のお二人、鈴木千津子さんと柳田真さん(写真=大宮浩平)

松岡利康さん(創刊時編集長/鹿砦社代表)は『本誌二〇号にあたって』で、本誌創刊当時をふり返る。チェルノブイリの時は対岸の火事のように感じていたが、そのことで3・11では「罪悪感」すら覚えたという。創刊当初の販売の苦労、反原連との絶縁、小島新編集長での再出発、精神的な支柱だった納谷正基さんの逝去など、本誌の歴史が語られている。5年間で20号は、まさに継続は力なりを感じさせる。これを新たな出発点に、わが国で唯一の反原発雑誌の発展を祈念したい。

今号は記念的な記事が重なった。
『たんぽぽ舎〈ヨコの思想〉三〇年〈1〉はじまりの協同主義』は、たんぽぽ舎の共同代表、鈴木千津子さんと柳田真さんの対談で、1979年からの歴史をふり返る。お二人の経歴が興味ぶかい。聞き手は本誌小島編集長。この対談は連載になるようだ。9月22日に「たんぽぽ舎30周年の集い」が開かれるという。

全国各地から現地の声を伝える「再稼働阻止全国ネットワーク」の記事も本号は11本+1本で頁増・盛り沢山だ。というわけで、記念すべき『NO NUKES voice』20号はこれまで以上に充実の内容である。売り切れないうちに、ぜひご購読を。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

本日発売!〈原発なき社会〉を求めて 創刊5周年『NO NUKES voice』20号

NO NUKES voice Vol.20
紙の爆弾2019年7月号増刊 6月11日発売!
A5判 総132ページ(本文128P+巻頭カラーグラビア4P)
定価680円(本体630円+税)

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総力特集 福島原発訴訟 新たな闘いへ
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[グラビア]
なぜ立憲民主だったのか? おしどりマコさん直撃インタビュー/
「日本版チェルノブイリ法」の制定を! 12回目の「脱被ばく実現ネット」新宿デモ/
福島原発集団訴訟──民衆の視座から

[シンポジウム]福島原発集団訴訟の判決を巡って
[講演]黒澤知弘さん(かながわ訴訟弁護団事務局長)
福島原発かながわ訴訟・判決の法的問題点

[講演]小出裕章さん(元京都大学原子炉実験所助教)
巨大な危険を内包した原発 それを安全だと言った嘘

[講演]崎山比早子さん(3・11甲状腺がん子ども基金代表理事)
しきい値なし直線(LNT)モデルを社会通念に!

[講演]村田 弘さん(福島原発かながわ訴訟原告団団長)
原発訴訟を闘って──裁判で被害者は本当に救済されるか?

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
「子ども脱被ばく裁判」は被ばく問題の根源を問う

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
「原子力緊急事態宣言」発令から三〇〇〇日 
福島県中通りの人々の葛藤と苦悩

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「東電原発事故避難」これまでと現在〈4〉
なぜ避難指示範囲は広がらなかったのか

[報告]尾崎美代子さん(「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主)
原子力ムラに牛耳られた村・飯舘村の「復興」がめざすもの

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとはなにか〈15〉
元号号外を仕切った電通の力と「#自民党2019」

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
重大事故対処施設がないのに運転する原発
福島第一原発事故の教訓は何処に

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
淵上太郎よ! 正清太一よ! ありがとう。僕はもう少しここで闘うよ

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン 第3弾!
ケント・ギルバート著『やっと自虐史観のアホらしさに気づいた日本人』(PHP研究所刊)

[報告]松岡利康(創刊時編集長/鹿砦社代表)
本誌二十号にあたって

[対談]鈴木千津子さん(たんぽぽ舎共同代表)×柳田 真さん(たんぽぽ舎共同代表)
たんぽぽ舎〈ヨコの思想〉三〇年〈1〉はじまりの協同主義

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈4〉わかりやすい天皇制のはなし

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
原子力帝国下で「消防防災」組織そのものが“災害源”になる

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
九州電、関西電、四国電が特定重大事故等対処施設(特重)の完成が間に合わないと表明! 
日本の原発を止められるチャンスがやってきた!
《首都圏》柳田 真さん/《東海第二》大石光伸さん/《青森》中道雅史さん
《宮城》舘脇章宏さん/《福島》黒田節子さん/《東京》小熊ひと美さん
《関西電力》木原壯林さん/《山口》安藤公門さん/《鹿児島》杉原 洋さん
《規制委》木村雅英さん/《読書案内》天野惠一さん

[報告]水野伸三さん(トトロの隣在住)
 済州島四・三抗争と東学農民革命と長州人―朝鮮近現代史への旅―

[読者投稿]大今歩さん(高校講師)
《書評》『しあわせになるための「福島差別」論』
福島の被曝は「風評被害」ではない 避難の権利の確立を

私たちは『NO NUKES voice』を応援しています!

その昔、若い男性の会話といえば「クルマとオンナ(恋愛)」だった。つい40~50年ほど前の話である。高度経済成長で一家に一台から、やがて誰もがクルマを持てるようになり、女性にモテるためには最新鋭のクルマに乗るのが条件だった。

◆戦後成長と日本のクルマ

日本の戦後成長はまさに、クルマとともにあったと言っても過言ではない。フォードシステムに範をとったトヨティズムなどの自動車資本主義である。労働者に一戸建ての家を持つのは無理でも、3LDKの集合住宅にマイカーを持たせることで、休日を充実させて労働力の回復をはかる。戦争が需要である軍需産業のかわりに、自動車産業を発展させることで消費を拡大し、大量生産大量消費の社会を実現してきた。自動車産業とマイカーこそが、アメリカ社会のミニマムな模倣を実現してきたのである。

自動車が戦争――軍事兵器の代用品になったのは、人間の本能的な闘争心を運転という行為が内に含んでいるからだとされる。大きなクルマに乗れば、あたかも強者になったように尊大な運転をする。高級車のハンドルを握れば、紳士然とふるまうこともあろうか。軽自動車ならばスピードをセーブすかもしれないが、最近の暴走行為は軽自動車が主流だったりする。こうした自我の変化を「自我の拡張行為」という。いわばスピードは「戦闘行為」なのだから、高速道路での「煽り運転」は特定の種類の人々だけもものではない。自動車が本来もっている特性なのだ。ハンドルを持つと人が変わる。そうした戦闘性や闘争性があるからこそ、戦争の代償たりえたのである。

◆暴走する高齢者と自動車資本主義の終焉

ところで、そのマイカー時代の元若者たちが、いまや暴走老人として社会の脅威になってしまった。池袋では元高級官僚がブレーキとアクセルを踏み間違えて(としか推論できない)暴走し、若い母子を死亡させた。元高級官僚であることから、上級国民は逮捕されないのか、などと批判されたものだ。6月4日には、81歳と76歳の夫婦が600メートルにわたって衝突をくり返し、9人が死傷した。

近年の高齢者による暴走事故を列記しておこう。
2017年5月 大分市で76歳の女の軽自動車が病院に突っ込み、17人が重軽傷を負う。
2018年1月 前橋市で85歳の男の乗用車が、登校中の女子高生2人をはねて1人が死亡。
2018年5月 茅ヶ崎市で90歳の女が歩道に突っ込み、4人が死傷。
2019年4月 池袋で87歳の元高級官僚が暴走し、母子2人が死亡。10人が負傷。
2019年6月 大阪市此花区で80歳の男が幼児をふくむ4人をはねる。
2019年6月 福岡市で81歳の男が600メートル暴走して衝突をくりかえす。乗っていた夫婦をふくめて、9人が死傷した。


◎[参考動画]池袋暴走事故 なぜ?専門家が分析(TOKYO MX 2019/4/26公開)


◎[参考動画]【報ステ】暴走当時の状況は 福岡9人死傷事故(ANNnewsCH 2019/6/5公開)

福岡の場合は運転手に意識がなかった可能性が指摘されているが、多くはブレーキとアクセルの踏み間違いである。若者でも踏み間違えることはあるものの、すぐにブレーキペダルに足先を置き直すことができるのに対して、高齢者はアクセルから離したつもりで足が離れずに、そのまま踏み込んでしまうことが多いのだという。自動車免許返納のための法的な措置も講じられようとしているが、大都市圏とくに都心における自動車通行の規制をともなわない措置は泥縄式というほかない。

わたしも50歳の年をさかいに、マイカーを手放して自転車生活に舵をきった。健康と環境問題への問題意識が契機だった。その自転車もアナーキーな乗り物であって、講習や指導抜きには奨励できない現状、つまり事故の増加傾向で危機感を持たないわけにはいかない。高速道路における「煽り運転」なども反面で、わが国における交通政策・道路交通をめぐる啓蒙活動の遅れを反映しているというよう。問題なのはどういう生活と社会を新たに展望していくか。自動車資本主義の終焉はそのことを問いかけているのではないだろうか。その意味では、自動車に乗らない世代の登場は興味ぶかい。

いま、若い男性はクルマを好まない。大都市の若年層では、女性のほうがクルマ保有率が高くなっているという。「クルマとオンナ(恋愛)」の話をしなくなった若者たちは、おそらく「二つのアイテム」の危険性を本能的に知っているのだろう。これはこれで、自民党のお歴々が悲観する少子化の原因であるのかもしれないが、平穏無事に生きてゆく人生観は悪いものではない。そこに思いをめぐらすならば、日本経済の衰退は平和の証しとも言えるのだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を! 月刊『紙の爆弾』7月号

〈原発なき社会〉を目指して創刊5周年『NO NUKES voice』20号 6月11日発売【総力特集】福島原発訴訟 新たな闘いへ

 

自民党の丸川珠代議員HPより

思わせぶりに「風」を口にすることで、安倍総理は解散風をみずから仕掛けた。この発言は、二階幹事長の「解散の大義名分は一日あればできる」という会見を受けてのものにほかならない。みずから「風」を起こすことで、衆参同時選挙への流れをつくりだしたのだ。

このさき、世論動向のデータが自民有利と出たところで、おそらく秋の消費税引き上げの可否をかかげて解散に踏み切るものと思われる。

 

公明党の山口那津男議員HPより

世論動向のデータは、毎日新聞各社・テレビ各社・通信社が独自に行なっているもので、官邸も毎日この動向を分析している。その動向のキーになるのが、目下準備が進められている参院東京選挙区だとされている。

◆有力候補10人以上が6議席を争そう

その参院東京選挙区は定数が1増の6となり、歴史的な激戦となりそうだ。自民党が丸川珠代(前回トップ当選)と武見敬三(前回最下位)。

公明党が山口那津男(党代表)、共産党が吉良佳子(前回3位)、立憲民主は元都議の塩村文夏(あやか)と新聞記者出身の男性候補の2人、自由党を離党して「れいわ新選組」を結党した山本太郎

 

日本共産党の吉良佳子議員HPより

さらには国民民主が水野素子(もとこ)(JAXA調査国際部参与で、元ミスユニバース関東代表)、社民党が全国一般三多摩労働組合書記長の朝倉玲子、そして元都議の音喜多駿が維新の会から出馬するとみられている。ほかにも元衆議院議員の小林興紀(自民→民主→新党日本など)が出馬を表明しており、6議席をめぐって10人以上の有力候補が争うことになりそうだ。そうそう、中核派の元全学連委員長、斎藤郁真(いくま)も出馬するのだ。

 

立憲民主党の塩村文夏(あやか)候補HPより(写真)

 

国民民主党の水野素子(もとこ)候補HPより

 

中核派の元全学連委員長、斎藤郁真(いくま)氏(2017年衆院選時の写真)

このうち、とくに「宇宙かあさん(1男1女の母)」との異名をもつ水野素子は、国民民主が満を持して送り出す候補である。宇宙飛行士の山崎直子らと設立した「宙女ボード」での活動は、宇宙航空産業の男女共同参画を進めてきたもので、国民民主の党風を変える人選といえそうだ。22日の記者会見には175センチの長身を青いスーツでつつみ、JAXAを休職しての出馬となったことを明らかにした。

さて、そこで問題なのは反原発運動の旗手にして、庶民の代表である山本太郎が議席を維持できるかどうか、である。

◆「消費税を5%に」山本太郎の庶民救済型MMTの衝撃度

周知のとおり、小沢一郎とともに自由党代表だった山本太郎は、国民民主との統一会派形成にさいして、新たに独自の党派をつくった。れいわ新鮮組である。原発に対する態度のちがいのほか、消費税をめぐる立場の違いが自由党と国民民主の合同から、山本太郎を遠ざけたのがこの間の動きである。そこにはひとつの戦略的な方向性がある。大きな野党の塊がいまひとつ、上記に見たとおり東京選挙区においては票の食い合いにしかなっていないこと。もう一つは消費税をめぐる動向であろう。安倍総理の「解散風」が秋の消費税導入をめぐる、国民的な合意を取り付けようとするものであるのは明白だ。そこで、消費減税こそが国民運動たりうると、山本太郎は見きったのではないか。

 

「れいわ新選組」を結党した山本太郎議員HPより

現在の山本太郎のスローガンは「消費税を5%に」である。そしてもうひとつ、MMT(Modern Monetary Theory)を経済弱者向けには是とする経済政策論である。MMTは自民党の若手議員にも多い、リフレーション派の製剤政策である。デフレ下ではインフレ政策で経済を回してゆく。異次元の金融政策、インフレターゲット、大規模な財政出動、これらはアベノミックスの核心部分でありながら、MMTが持っている利点が生かし切れていない。というのが山本太郎の経済政策論である。

その違いはリフレと財政出動を、低所得者とくにロストゼネレーション、および学生層に向けるか否か、である。とくに500万人ともいわれる元学生・現役学生の奨学金負債の支援、そして最低賃金1500円制である。時給1000円で年収200万以下、1500円なら300万円前後と、可処分所得の違いは明瞭だ。

ロスジェネと学生の貧困を支援することで、消費の回復をはかる。ある意味ではわかりきっているが、それをなかなか実行できない。現状はインフレ傾向(消費者物価)で、しかし消費は好転しない。給与が上がらないのだから、あまりにも当たり前である。したがって庶民救済のMMTは、アベノミクスの「なまぬるさ」に対する批判となる。反原発だけではなく、一国の経済政策のネックを了解したとき、山本太郎流のMMTは日本経済の救世主となるのかもしれない。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

創業50周年!タブーなき言論を!月刊『紙の爆弾』毎月7日発売

6月11日発売開始!〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』20号

小室圭さんがフォーダム大学のロースクールで学位を取得し、来年度からの弁護士基礎コース(英語で受講)に備えて、夏休みを返上して講座を受けることになった。夏休みを大学で過ごすことで、母親の借金問題を「先送りした」と批判的に報じられている。


◎[参考動画]小室圭さん 卒業式は欠席 夏休みも日本に戻らず?(ANNnewsCH 2019/5/21公開)

テレビのワイド番組は、アメリカ留学事情と併せて、覗き見的に小室氏の動向を報じているが、大半の視点は借金問題でのバッシングである。皇室の子女に「ふさわしからぬお相手」というわけだが、視聴者は必ずしもそうではない。眞子内親王と小室氏の結婚を支持するというアンケート結果が出ているのだ。

テレビ朝日のモーニングショーの街頭アンケートでは、100人中で「応援できない」は、わずか19人だった。「応援できる」が42人、金銭問題の解決が条件で39人である。じつに80%の人々が二人の結婚を応援しているのだ。言うまでもなく、恋愛・結婚は個人の意思によるものだという、近代的な人権感覚による自由恋愛を支持するからであろう。昨年の秋篠宮の「納采の儀」の延期、上太皇后による不快感という報道にもかかわらず、自由恋愛を認めよという「世論」が圧倒的なのである。

本欄でも触れたとおり、秋からの女性宮家の創出、女性天皇および女系天皇の可否をめぐる議論に、小室氏問題は大きな比重を占めてくる。すなわち、天皇家に皇統以外の男子の血が入ることを、たとえば安倍総理は蛇蝎のごとく嫌っている。その象徴として、小室氏のような母親に借金がある男が皇族になってもいいのか。というロジックが浮き彫りになるのだ。ただし、議論の前提として女系女性天皇(元明女帝の娘である元正天皇)女系男性天皇(元正の弟の文武天皇)が皇統に存在することは、あらためて指摘しておきたい。

◆自由恋愛の禁止は、憲法違反である

象徴天皇制の矛盾として、対米関係で指摘されているのが憲法9条との安保バーター論がある。現人神から人間天皇となり軍備を持たない代わりに、安保条約で「日本を属国化」したというものだ。沖縄の現実を考えるごとに、この象徴天皇制が日米安保とリンクしているのは明白となってくる。国家の暴力装置を米軍にたよる、わが国は半植民地なのである。もうひとつ、人間天皇自体の矛盾である。人間でありながら、あらかじめ一般国民とは分離された、特権的な身分を持った存在なのである。であるがゆえに、基本的人権があるのかどうか、よくわからない存在なのだといえよう。憲法上はどう考えたらいいのだろうか。憲法学者の横田耕一九大名誉教授は、こう語っている。

「根本的に、皇族に人権を認めるかについては議論がありますが、私は認めるという立場です。よって皇族女子の結婚は自由でいいと考えます」

「結婚は、あくまでもご本人たちの自由意思によります。お相手の小室圭さんについて色々言われているからといって、お二人の結婚に何らかの制約をすることは憲法違反となるのです」

「象徴天皇制において『象徴』とされるのはあくまで天皇だけで、皇族はそれに含まないというのが私の考えです。眞子さまの結婚に関しても、皇族という概念を持ち出す必要はなく、あくまで個人のこととして扱われると思います」(以上「女性自身」5月3日)。

横田氏の立場は、天皇(国民の総意としての象徴)いがいの皇族には、基本的人権が適用されるべきというものだ。おそらく国民レベルの意識では、天皇もふくめて基本的人権はあるべきだというものではないか。2016年8月8日の平成天皇の「お言葉」つまり、退位の自由を国民に訴えたのを、国民は厚意的に受け容れたことが、その証左である。

かりに眞子内親王と小室氏の結婚に、一億円の一時金(税金)が支障になるのなら、それを放棄すれば国民は納得するのだろうか。元皇族の品位を保つのがその目的なのだから、おそらく放棄しなくとも国民の多数は納得するはずだ。筆者のように天皇制に反対する立場であっても、この婚姻で象徴天皇制の矛盾が露呈し、あるいは皇族の減少で政治と天皇家の分離に向けた議論が始まるのを期待したい。その意味では、小室氏と眞子内親王の婚儀は、ぜひとも自由恋愛の立場から貫かれるべきだと思う。いまの若者たちが恋愛で傷付くのを忌避するように、恋愛というものが美しいロマンばかりではなく、政治(制度)や社会(差別など)の制約と戦い、勝ち取られるものだということを、ぜひとも眞子内親王と小室圭氏には実践していただきたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

G20に参加するトランプ米大統領が、大相撲の千秋楽を観戦する。それ自体はスポーツ好きであれば何の違和感も感じさせないが、おどろくべき準備が進められているという。観戦にあわせて急遽「アメリカ合衆国大統領杯」あるいは「トランプ杯」がでっち上げられ、正面升席を数百単位で「占拠」するというのだ。

これまでにトランプ大統領が相撲好きだという報道は、管見のかぎり聞いたことがない。視聴率の高い千秋楽を狙って、あるいは「国技(法的根拠はない)」である相撲に親しむパフォーマンスをもって、親日ぶりをアピールする。これは神事(相撲)の政治利用ではないのか。とって付けたような親日家ぶりに不快な感情を抱く日本人は少なくないはずだ。

政治家が何ごとかすれば、かならず政治利用になるという意味では、単にスポーツや神事の政治利用それ自体が非難されるべきではないかもしれない。しかし今回の「トランプ杯」はあまりにもご都合主義であり、メッキが剥がれるような厭らしさがある。


◎[参考動画]トランプ大統領来日時 大相撲で賞の授与検討(ANNnewsCH 2019/04/12公開)

◆大相撲ファンに溶け込んでいたシラク大統領

たとえば、来日回数がじつに46回。縄文土器を愛し、麦焼酎を飲み、芭蕉の句や万葉集を諳んじたフランス大統領ジャック・シラクならば、その在職中(7年間)に「フランス共和国大統領杯」が設けられたのもうなづける。シラクは在東京大使館員に特別任務として、毎日の取組結果(中入り後)をエリゼ宮の執務室にファックスさせていたという。1999年にフランスを訪問した小渕総理から、貴乃花が明治神宮に奉納した綱と軍配を贈られ「これほど嬉しいプレゼントは初めてのことだ」と語ったのも有名な話だ。その綱と軍配はしばらく、エリゼ宮の会議室を飾ったという。

来日時に大相撲を観戦するときも、わずかな側近をつれて一般の升席に座り、気づいた日本人も大統領一行が退席するさいに「シラク」コールを上げるなど、大相撲ファンに溶け込んでいた。その意味では、シラクの大相撲観戦とフランス共和国大統領杯は彼の個人的な嗜好の反映であって、政治的なパフォーマンスは従属的なものだったといえよう。

パリに日本文化会館がつくられたのもシラク時代だったし、興福寺展(1996年)や百済観音像特別展(1997年)には時間を割いて鑑賞し、専門的な質問をしたという。単に親日家というよりも、日本通であるシラクにわれわれは驚かされることのほうが多かった。大統領に就任する前の1994年夏には、夫人とともに日本に一か月滞在し、奥の細道の史跡をたどったという。ベルナルド夫人も日本通で、貴乃花ファンのシラクと曙ファンの夫人は、しばしば火花を散らしたと伝わっている。

◆升席に椅子を持ち込む?

しかるに今回のトランプ大統領の観戦は、安倍総理夫妻とのセットで、その親密ぶりを政治的にアピールしようというものなのだ。しかも300席以上が一般に売られないまま、千秋楽のチケットは完売している。ということは、正面席にポッカリと空席のまま、その中央に安倍総理夫妻とトランプ大統領夫妻が、関係筋によると椅子を持ち込んでの観戦になるという。升席に椅子である。神事(取組)が行われている土俵を、椅子席に観るというのだ。もはや観戦のマナーもあったものではない。せっかく貴賓席があるというのに、テレビに映りやすい升席を占拠したとしか言いようがないではないか。

◆みじめな属国のすがた

ここに至って、わが国の国体の正体があらわになったというべきであろう。白井聡が「国体論」で云うとおり、敗戦後にわが国は天皇制の存続と引き換えに、憲法9条を与えられ、アメリカの属国に組み入れられたのだ。

令和最初の国賓として、アメリカ大統領が天皇に迎えられ、しかも「国技」の場に土足(比喩)で礼儀も何もなく踏み込んでくるのだ。その大統領のしもべよろしく、わが安倍晋三は、その無礼きわまりない観戦方法を歓迎するのだ。

そこに政治的な理念はひとかけらもない。口ばかりとはいえ、核兵器の廃絶を世界に呼びかけ、ノーベル平和賞を受けたバラク・オバマ前大統領の功績を消し去り、ヘイトと軍拡、そして中国との貿易戦争を煽り立てるトランプを、まったく同じ位相で歓迎する無定見に、われわれはあきれ返るしかない。

ようするに、アメリカ大統領なら誰でもいい、相手が何を云おうと同じなのだ。みじめな属国のすがたを見るとき、われわれは思いがけず「自主独立」という言葉を記憶の向こうからすくい上げたくなる。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

あえて「戦争で失われた領土は、戦争でしか取りもどせない」という暴論にも、政治の真理があると評価しておこう。元維新の会、衆議院議員の松山穂高の発言である。「戦争で」という発言も、ある意味では正しい。領土交渉で相手国に遅れをとる政治家を、国民はけっして許さない。外交的な方法でおこなう領土交渉では、絶対に何も解決しないからだ。

例外的にあるならば、ヒトラー執政下のドイツがチェコのボヘミア地方をスデーテンとして割譲した、いわばドイツ系住民の民族自決権行使がある。それ以前にも、オーストリア併合がある。現在のロシアによるクリミア併合問題に見られるように、大陸は多民族が混住するがゆえに、民族問題と領土問題が不可分なのである。


◎[参考動画]「戦争でこの島を取り返すのは賛成ですか反対ですか」維新・丸山議員の音声データ(朝日新聞社 2019/5/13公開)

 

丸山穂高議員のHPより

◆平和憲法の否定

しかし、日本の領土問題は島嶼である。領土それ自体が意志を持っているわけではなく、住民の意志であれば北方領土はロシア人のものだ。そこで、ロシアの混乱につけ込んで四島を取りもどしてしまえ、戦争でしかどうにもならないですよね。ということになったわけだ。そしてその言動が、平和憲法にそむく。したがって、国会議員にふさわしくないものであるのは自明だ。

丸山穂高は稚拙なその意図はともかく、戦争という外交手段を扇動することで平和裏にすすめられてきた日露交渉、積み重ねられてきた経済交流を破壊しようとしたのだ。維新の会が即座に除名処分としたのは、至極当然の話である。もしも過去の砲艦外交や領土問題の困難で戦争に言及するのなら、紛争島嶼の共同統治論(過去に本欄で筆者が提言した)を考えてみるべきであった。

除名された丸山議員はしかし、野党の辞職勧告決議案を批判し、徹底抗戦のかまえを見せている。それはそれで、政治家の出処進退はみずから決すると、ある意味では思想信条は譲らない見識というものかもしれない。しかしながら、その丸山議員に不正蓄財の噂があるのだ。

◆通信交通費を政治団体に還流か?

政治家がなかなか議員辞職をしないのは、辞職が失職を意味するからだ。失職するのは、ひとり議員だけではない。3人いる公設秘書、すくなくとも数人はいる私設秘書も、同時に失職するのだ。歳費は年棒だが、支給は月単位である。丸山議員およびそのスタッフは、辞表した翌月から給与がなくなるわけだ。

 

日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)より

そしてそれ以上に、丸山議員を執着させているものがあるようだ。日刊ゲンダイが報じるところを紹介しよう。

問題ではないかとされているのは、月額100万円支給される「文書通信交通滞在費」である。日刊ゲンダイ(2019年5月18日付)によれば「丸山議員は15年10月から毎月74万~90万円の幅の文通費を『資金管理団体の繰入(寄付)』として計上。主な内訳は『事務所賃料』『駐車場代・複合機リース費・等』と記載している。ところが、丸山議員の資金管理団体『穂高会』の政治資金収支報告書のうち、現在閲覧可能な15~17年分をどれだけめくっても、『複合機リース費』なる支出は一切、出てこない」というのだ。日刊ゲンダイの云うところをつづけよう。

「報告書に計上されている月々5万円の『事務所賃料』と月々1万6,000円の『駐車場代』を差し引くと、15年10月~17年12月の27カ月間で総額2,016万9,676円の税金の使途が『宙に浮いている』状況である」という。2年3カ月で2,017万円、つまり月額約75万円をプールしているのだ。これを不正蓄財と呼ばずして何であろう。

日刊ゲンダイの調査によると、資金プールには穂高会が利用されているようだ。上記の架空の「複合機のリース料」などとして蓄財されるにつれて、穂高会の繰越金が多くなっている。

「穂高会の収支報告書をチェックすると、新たに不可解な点が浮かび上がった。穂高会の収入が14年末からの3年間で急増しているのだ。15年分の収支報告書を見ると、『前年からの繰越額』には約374万円と記され『翌年への繰越額』には、約1,709万円と記載があった。それが16年末には約2,989万円となり、17年末は約3,701万円に。3年間で10倍近くに膨れ上がっている」というのだ。

◆ツィート(つぶやき)だけではなく、記者会見を

辞職勧告が「この国の言論の自由が危ぶまれる」「言論府が自らの首を絞める行為に等しい」(丸山議員のツィート)というのなら、テレビでもラジオでも、あるいはネットメディアでも「北方領土問題についての意見」を堂々と論じればよい。じっさいに「議員辞職勧告」に対しても「言われたまま黙り込むことはしない」と言うのだから、記者会見を開くべきであろう。そのさいに、歳費の政治資金への流用、および使途不明金についての質問がおよぶのは間違いないと指摘しておこう。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

平成から令和への代替わり(譲位)をうけて、女性宮家および女性天皇の議論が日程にのぼった。政府は秋口にも国会での議論を行なう予定だという。とくに皇族男子が秋篠宮と悠仁親王、日立宮しかいなくなったことから、女性宮家の創出が現実性を帯びてきている。親善外交や慈善事業など、国事行為や公的行為の担い手が、親王(皇室直系の娘)、女王(皇族の娘)が結婚して皇籍を離脱することで減少する、皇族存続の危機を迎えるからだ。

女性宮家の議論は小泉政権時代に行なわれ、諮問機関から「女性宮家の創出を早急に検討すべき」「女性天皇の実現にむけて議論すべき」と、皇室典範の改定が急務であるとされた。議論は悠仁親王の誕生で沙汰やみとなり、次期天皇が愛子内親王なのか、それとも悠仁親王なのか、議論は尽くされないままの状態だった。第一次安倍政権では女性宮家の議論も封印され、民主党野田政権において議論が復活。さらに第二次安倍政権でふたたび封印されるという流れだった。その安倍総理は、根っからの女性宮家反対論者である。


◎[参考動画]【解説】 なぜ女性は天皇になれないのか(BBC News Japan 2019/4/26公開)

◆皇統の伝統が男系であるという史実誤認

安倍総理は選挙で敗れて下野したあとに「皇室の伝統と断絶した『女系天皇』には、明確に反対である」と「文藝春秋」(2012年2月号)で語っている。

「女性宮家を認めることは、これまで百二十五代続いてきた皇位継承の伝統を根底から覆しかねないのである」「二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史は、世界に比類のないものである。そして皇位はすべて『男系』によって継承されてきた。その重みを認識するところからまず議論をスタートさせなければならない」「仮に女性宮家を認め、そこに生まれたお子様に皇位継承権を認めた場合、それは『女系』となり、これまでの天皇制の歴史とはまったく異質になってしまうのである。男児が生まれたとしても、それは天皇系の血筋ではなく、女性宮と結婚した男性の血統、ということになるからだ」

女性宮家の創出は、そのまま女系天皇へとつながり、皇統の伝統をおびやかすというのだ。しかし、これは史実を知らない不見識というものだ。

女系天皇が存在する史実は、こうである。天皇にならずに亡くなった草壁皇子の正妻・元明天皇(43代天皇)が譲位して、即位したのが娘の元正女帝である。元正には結婚経験がなく、独身で即位した初めての女帝である。文武天皇の遺児・首皇子(のちに聖武天皇)がまだ幼かったので、母とおなじく中継ぎということになるが、父親が草壁皇子であるから、彼女は男系天皇ではない。皇統史上唯一の女系天皇なのである。そして飛鳥・奈良王朝は、安倍総理の忌み嫌う女帝の時代であった。
女帝は推古・皇極(斉明)・持統・元明・元正・孝謙(称徳)と、六人八代をかぞえる。このうち、孝謙女帝は弟の基王(もとのみこ)が早世したことから、20歳の時に立太子している。皇太子であった女帝は、保守派の言うような「中継ぎ」ではない。事実、孝謙女性は称徳として重祚してもいる。

皇統史上、重祚したのは皇極(斉明)と孝謙(称徳)の二人の女帝だけである。平安期の摂関政治が行なわれるようになるまで、古代王朝においては女帝はふつうのことだったのだ。いや、むしろ律令体制を軌道に乗せた持統女帝、圧政をふるったとされる皇極女帝、たび重なる貴族の叛乱(橘奈良麻呂の乱・恵美押勝の乱)をくぐりながら意志的な仏教政策を推し進めた孝謙女帝という具合に、古代の女帝たちは一流の政治家だったといえよう。神話世界でも神功皇后のように、天皇にかぞえられるほどの辣腕政治家があった。ある意味で、野太い執政をものにしてきたのが古代の女帝たちであり、わが皇室の伝統と言ってもいいのだ。


◎[参考動画]「女性天皇・女系天皇検討すべき」共産・志位委員長(ANNnewsCH 2019/5/9公開)

◆神話を前提にした皇室観のむなしさ

ところで、安倍が言う「百二十五代続いてきた皇位継承の伝統」「二千年以上にわたって連綿と続いてきた皇室の歴史は、世界に比類のないもの」も神話(フィクション)を前提にしたもので噴飯ものだが、そこはお愛嬌と言うべきか。

世界では多数の王朝交代があったとはいえ、エジプトのファラオはクレオパトラ(七世)のプトレマイオス朝まで3000年の歴史を持っている。わが近代皇室が範をとったイギリス王室は、アングリア(イングランド)の王権が8世紀には成立している。ちなみにわが朝における実在の天皇は継体天皇(26代・在位507年~531年)、とされ、その前史でも三輪王朝(崇神天皇)、河内王朝(応神天皇)、近江王朝(継体天皇)など王朝交代があったとする説が有力だ。歴史家(古代オリエント史専攻)だった三笠宮崇仁が、紀元節(建国の日)復活し反対の論陣を張ったのは、まさに神話を歴史にしてしまう愚を批判してのことだった。

◆小室問題で迷走する議論

それはともかく、ここにきて維新の会が女性宮家創出の議論をすることで、秋の国会論戦が展望されている。すなわち「馬場伸幸幹事長は8日の記者会見で、女性皇族が結婚後、宮家を立てて皇室に残り、皇族として活動する『女性宮家』の創設に関する党内議論を開始すると述べた。「『不測の事態に備え、きちんと国会で議論し、皇室典範などの改正が必要であれば、そのような働きかけも行っていかなければならない』と強調した」(産経新聞、5月9日)というのだ。

そこで問題になるのが、眞子内親王と小室氏の「婚約問題」である。眞子内親王が宮家を設けると、小室氏は正規の皇族の一員になるのだ。眞子内親王だけではない。佳子内親王の「個人の幸福を優先する」「姉の意志が尊重されることを希望する」への批判、悠仁親王への「帝王学」の欠如など、秋篠宮家へのバッシングは、女性宮家を何がなんでも阻止しようとする政治的な思惑を感じさせる。

国民の80%が賛成という女性天皇および女性宮家問題に、時代に応じた議論が行なわれなければならないだろう。それはまた、改憲をふくめた国の将来を左右する内容をはらんでいるといえよう。


◎[参考動画]自民・二階幹事長 女性天皇を容認「時代遅れだ」(ANNnewsCH 2016/8/26公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

山田悦子、弓削達ほか編著『唯言(ゆいごん)戦後七十年を越えて』

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

天皇代替わりに覆われた10連休は、まさに皇室ウィークともいうべき報道に包まれた。そのいっぽうで、安倍政権はいよいよ「条件抜きの日朝首脳会談」の開催にむけて動き出している(5月2日付報道)。すなわち、従来の「日本人拉致問題の進展を前提条件に、日朝首脳会談にむけた外交交渉」を投げ捨て、会談実現の事実づくりに動き出したというのだ。

 

2019年5月2日付産経新聞

日朝首脳会談への新たな対応方針は以下のとおりだという。

〈1〉条件を付けずに金氏と会う。
〈2〉2002年の日朝平壌宣言に基づき国交正常化を目指す姿勢を強く打ち出す。
〈3〉北朝鮮が求めるあらゆる議題に関し、腹を割って話し合う、というものだ。

そもそも手詰まりの外交交渉に、打開のメドがあるのかどうかはともかくとして、朝鮮半島をめぐる各国の首脳外交に後れをとったばかりか、完全に孤立しつつあることへの危機感が観測気球を上げさせたとみるべきであろう。

昨年1月に朝鮮民主主義人民共和国(以下北朝鮮)の金正恩委員長が平昌(ピョンチャン)冬季五輪に参加表明すると同時に、南北首脳会談を提唱して以降、安倍政権は一貫して非核化抜きの和平交渉に反対してきた。ところが南北融和が進むとともに米朝首脳会談が二度まで開かれ、中朝および露朝首脳会談が開かれるにおよんだ。ここに至って、わが国の孤立は国際社会に明白となっていた。条件抜きでの日朝首脳会談とは、まさにこの危機感によるものにほかならない。

 

2019年5月2日付朝日新聞

◆またしても政治的ポーズか

だがこれだけならば、2002年の平城宣言に基づいた独自の日朝交渉として、昨年らい安倍政権が模索してきたことである。米朝首脳の対話に拉致問題を託しつつ、北朝鮮の歩み寄りを期待してきた安倍政権にとって、米朝会談の物別れは「完全非核化の原則を守った」という評価とは別に、拉致問題の凍結を意味するものだった。

拉致被害者家族会の内部からも、安倍政権は何もしていないとの批判が噴出しているという。事務局長を辞任した蓮池透氏の「安倍晋三による拉致事件の政治的利用」という批判が、いまや現実性をおびて感じられる空気になっているのだ。

安倍総理は3月6日に官邸で家族会と面会し、拉致問題の解決にむけて「つぎは私自身が金委員長と向き合わなければならない。あらゆるチャンスを逃さない」と語っている。だがそもそも、交渉の糸口はあるのだろか。外交筋では、米朝会談の行き詰まりによって、北朝鮮も日本を窓口にする可能性がある、としている。あくまでも「可能性」などの希望的観測にすぎないのだ。

米朝首脳会談において、トランプ大統領は「完全な非核化を実現すれば経済制裁は解くが、本格的な経済支援を受けたいならば日本と協議するしかない」と金氏に説明したと、日本の外交筋は明らかにしている。その上で「安倍首相は拉致問題を解決しない限り、支援には応じないだろう」と述べたとされる。

この説明を受けて、金委員長は、安倍首相との会談に前向きな姿勢を示したとされているが、これはどこまでが事実なのか。会談中に北朝鮮側は「拉致問題は解決済み」という従来の見解は一度も示さなかったというが、それは本当なのか。アメリカとの交渉のなかで、あえて何も言わなかったという見方もできる。つまり、すべては伝聞の憶測にすぎないのだ。

◆日本は「永遠にひざまずけ」(北朝鮮宣伝サイト)

このかん、北朝鮮が韓国向け宣伝サイト(わが民族同士)に公表しているのは、慰安婦問題および徴用工問題への言及である。そしてそれは、真っ向からわが国を批判する内容なのだ。

すなわち、韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長の「日王(明仁天皇)が慰安婦に謝罪するべき」という発言に安倍総理や河野外相が強く反発していることに対して「虚偽と欺瞞(ぎまん)を体質化した島国の種族にのみ見るずうずうしさの極致にほかならない」「20万人の朝鮮女性を連れ回して性奴隷生活と生き地獄を強要し、840万人余りの朝鮮人を強制連行し、100万人余りを虐殺した」

「日本は永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇だ」
「全同胞は、過去の罪悪へのわずかの反省もなく、鉄面皮に振る舞う日本反動らの妄動を徹底的に粉砕してしまうべきだ」と、徹底的に批判しているのだ。

つまりこういうことだ。アメリカ(トランプ)が経済制裁を解いたあとは、日本はアメリカの代わりに経済援助をする。そして北朝鮮は「永遠にわが民族の前にひざまずいて謝罪しても許されようのない境遇」の日本に、永遠に無償の援助を行なわせる。なぜならば日本は戦犯国であり、アメリカの属国であるからだ。

◆対話は可能なのか?

すくなくともレーダー照射事件や慰安婦問題、徴用工問題で韓国と最悪の関係にあり、中国やアメリカ、ロシアとの関係においても主導的な外交関係にない日本を、北朝鮮が地域における主要なプレイヤーと位置付けているとは、とうてい思えない。アメリカとの交渉のあとに付いてくる、「賠償責任のある戦犯国」あるいは「援助国」にすぎないのだ。

すでに拉致問題は、2014年のストックホルム合意を受けての北朝鮮当局による調査は終わっている。その結果は「8名死亡およびその他は死亡」だった。日本政府は要員を送り込みながらも、この調査報告書を覆せなかった。その結果、調査報告は受け容れられないとして、日本の側からのみ「調査は中断されている」ことになったのだ。したがって、平壌宣言に立ち返ろうとも拉致問題は一歩も前進しない。したがって、今回の安倍政権による「条件抜きの首脳会談」はあらかじめ画餅であり、何もできないことを前提の政治的ポーズであると指摘しておこう。


◎[参考動画]トランプ大統領に総理明言「無条件で日朝首脳会談」(ANNnews 2019/5/7公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

タブーなきスキャンダリズム・マガジン『紙の爆弾』5・6月合併号【特集】現代日本の10大事態

〈原発なき社会〉を目指す雑誌『NO NUKES voice』19号 特集〈3・11〉から八年 福島・いのちと放射能の未来

「BLACK BOX」(伊藤詩織著・文藝春秋)がふたたびスポットライトを浴びている。ほかならぬ「加害者」とされている山口敬之元TBS記者が、1億3000万円の損害賠償請求の訴訟を起こしたからだ。これに対して、伊藤詩織の支援者は「オープン・ザ・ブラックボックス」というサイトを立ち上げて、支援団体(伊藤詩織さんの民事裁判を支える会)を発足させた。

以下は本稿〈前編〉に続き、山口敬之の反訴で新段階をむかえた「レイプ裁判」の〈後編〉だ。

伊藤詩織『Black Box』(2017年10月文藝春秋)

「私の意識が戻ったことがわかり、『痛い、痛い』と何度も訴えているのに、彼は行為を止めようとしなかった」「何度も言い続けていたら、『痛いの?』と言って動きを止めた。しかし、体を離そうとはしなかった。体を動かそうとしても、のしかかられた状態で身動きが取れなかった。押しのけようと必死であったが、力では敵わなかった。私が『トイレに行きたい』と言うと、山口氏はようやく体を起こした。その時、避妊具もつけていない陰茎が目に入った」

しかし、それでもなお、山口の「行為」は終わらなかったようだ。

「抵抗できないほどの強い力で体と頭をベッドに押さえつけられ、再び犯されそうになった」「体と頭は押さえつけられ、覆い被さられていた状態だったため、息ができなくなり、窒息しそうになった私は、この瞬間、『殺される』と思った」

いわばセカンドレイプを覚悟で、血を吐くような思いで書かれたから『BLACK BOX』の記述が正しいわけではない。「下腹部に感じた裂けるような痛み」「再び犯されそうになった」と、具体的なこ事実関係を書いているから、信ぴょう性が感じられるのだ。したがって、山口がとくにおもんぱかる必要もない。

◆なぜ不起訴になったのか

上記のとおり、両者の言い分をふまえて、その後の司法手続きをたどってみよう。
2015年4月9日に伊藤は警視庁に相談し、所轄の高輪警察署が4月末に準強姦容疑で告訴状を受理した。6月初めに逮捕状が発行された。逮捕状が警察の要請にしたがい、裁判所の責任で発行されたのは言うまでもない。しかるに、山口の身柄はアメリカにあった。執行は翌2016年、山口が帰国する6月8日に、成田空港で行なわれるはずだった。

 

BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

ところが逮捕する直前に、警視庁刑事部長の中村格が執行停止を命じたのだ(「週刊新潮」)。7月22日に、検察が不起訴処分とした。嫌疑不十分がその理由である。のちに伊藤詩織は出勤途中の中村格を直撃取材したが、中村は全速力で逃走。何らの説明もしていないという。その後、検察審査会で審議されたが、9月21日に不起訴相当となった。

安倍晋三の意を受けた警察官僚が暗躍したと、週刊誌は警察・検察の不可解な動きを批判する。だがいまや、この国の社会および司法の仕組み自体に問題があると、わたしは思う。というのも、レイプされた女には「隙がある」「性ビジネスである」などと、男性のみならず女性(たとえば杉田水脈議員)からも批判が浴びせられるジェンダーの硬い障壁があるからだ。とりわけ、性暴力をめぐる司法判断に疑問の声がひろがっている。

4月11日の夜、東京駅付近に400人以上が集まって「MeToo」「裁判官に人権教育と性教育を!」などのプラカードが並んだという(朝日新聞4月17日夕刊)。娘の同意なく性交をした父親に無罪判決が出されるなど、強姦事件の無罪判決が続いているというのだ。そもそも実の娘と「同意」があっても、やってはいけない行為ではないのか。

いや、そうではない。日本では1873年に制定された改定律例には親族相姦の規定があったが、1881年をもって廃止されているのだ。刑法に盛り込まれなかった理由は、日本近代民法の父と言われるボアソナード博士が、近親相姦概念は道徳的観念の限りにおいて有効であると反対したためだとされている。

強姦罪もきわめて緩い。日本の刑法は「同意のない性交」だけでは罰則がなく、「暴行または脅迫」が加わった場合の性交に「強制性交罪」が成立するのだ。今回、実の娘を強姦した男は、娘が「抵抗が著しく困難ではなかった」ことで、無罪とされたのだ。そして酔って抵抗できない場合にも、同意があったとされる可能性があるというのだ。伊藤詩織事件にも、これが検察の判断となった可能性がある。裁判官の資質だけではないようだ。なんと、日本は法的にも強姦天国だったのだ――。

◎「BLACK BOX」のその後 山口敬之反訴で新段階の「レイプ裁判」
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30267
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=30272


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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