連合赤軍が凄惨な同志殺しに至った原因として、革命左派による離脱者処刑が挙げられる。赤軍派と革命左派が合同する以前に、革命左派は山岳ベースから離脱した男女ふたりを処刑しているのだ(印旛沼事件)。

その処刑に当たって、永田洋子(革命左派)は森恒夫(赤軍派)に相談をしていた。そのとき、おなじ問題(坂東隊に帯同していた女性が不安材料だった)を抱えていた森は、永田に「脱落者は処刑するべきやないか」と答えている。

これが永田洋子と坂口弘ら革命左派指導部の尻を押した。両派は「脱落した同志の処刑」という、きわめて高次な党内矛盾の解決をめざしたのである。この高次な党内矛盾の解決が、やがて党の組織的頽廃をもたらすことには、まだ誰も気付いていなかった。

◆いいかげんな赤軍派・真面目な革命左派

ところが、二名の処刑を実行した革命左派にたいして、赤軍派は処刑を実行できなかった。「行動をともにする中で解決していこう」という坂東國男のあいまいな方針のまま、ついに彼女を隊から追い出すことで「解決」したのである。処刑を「解決」方法と考えていた森は、しょうがないなぁという反応であったという。森は殺さなかったことで、明らかに「ホッとしていた」のである。

そうであれば、まだ「処刑」によって生起される深刻さ、組織的な頽廃を森は予見していた可能性がある。

いっぽう、革命左派は森の提案どおり処刑を実行した。この違いを、植垣康博は「いいかげんな赤軍派にたいして、革命左派は生真面目だった。その違いだった」と語っている(『情況』2022年1月発売号)。

◆印旛沼事件が最初ではなかった

連合赤軍事件(同志殺し)の呼び水が印旛沼事件だったとして、二人の処刑がアッサリと決まった。というのも、じっさいには事実ではない。

革命左派においては、この事件の前にも「処刑」を検討していたのだ。永田洋子のゲリラ路線に対して、公然と反対する同志がいたのだ。

この同志は職場で労働争議を抱えた女性で、労働運動を基盤とした党建設の立場から、党の戦術をゲリラ闘争に限定するのに反対していたのだ。もともと革命左派は、地道な労働運動を基盤にした組織である。川島豪-永田洋子ラインのゲリラ路線は、70年安保の敗北をうけた新左翼の過激化にうながされたものであって、従来の組織路線とのギャップが生じていたのだ。

この女性同志の原則的な異見に、永田洋子は「権力のスパイではないか」との疑念を持つのである。

前回の記事で、筆者は瀬戸内寂聴の言葉を引いて「可愛らしい女性だった」という評価を紹介した。そのいっぽうで、他人の心情を察する能力が彼女の特性でもあった。この「心情を察する能力」はオルグする能力であるとともに、相手を見抜く力、すなわち猜疑心が豊富であることを意味している。

のちに永田洋子は、夫である坂口弘を見捨てて、妻子のある森恒夫と結婚する。そのほうが「政治的に正しい」という理由を公然と表明して。これは猜疑心ではなく、するどい嗅覚をもった政治的判断である。元革命左派のY氏は、この永田の乗り移り主義を、指導者の川島豪から同輩同志の坂口弘へ、新しい指導者森恒夫へと、権力にすがっていく嗅覚であったと語っている。われわれは永田のこの変遷に、指導者の権力維持が粛清を生むという、連合赤軍事件のもうひとつの面を見せられる思いだ。

ともあれ、永田の猜疑心は女性同志がスパイではないかと、疑いを持たせることになる。坂口もこれに同調し、ひそかに処刑が検討されるのだ。

けっきょく、処刑の結論が出ないまま推移し、革命左派は真岡銃砲店猟銃奪取事件の弾圧で逃亡を余儀なくされる。のちにこの女性同志は、連合赤軍事件の公判を傍聴し、みずからへの「スパイ冤罪」と、当時の革命左派指導部の混乱を確認することになる。彼女もまた、きわめて真面目な革命左派らしい活動家だった。

◆森恒夫の動揺

じっさいに革命左派が二名の処刑を実行すると、森恒夫は動揺した。側近の坂東國男に「革命左派が同志殺しをやった。あいつらは、もう革命家じゃない」と語ったという。

くり返しておこう。革命左派においてスパイ疑惑が発生し、処刑を検討していた。革命左派も赤軍派も脱落者と不安分子を抱え、森が「処刑すべきではないか」と意見する。革命左派が二名の殺害を決行し、赤軍派は処刑を果たせなかった。

ここで森に革命左派への負い目、気おくれが生まれたのである。革命左派は進んでいるが、赤軍派は立ち遅れている。という意識である。

◆両派の組織的な交流

71年の秋から、赤軍派と革命左派の組織的な交流がはじまる。

婦人解放運動を組織のひとつの基盤にしていることから、革命左派には女性が多かった。家族的な団結を党風にしていたかれら彼女らは、山岳ベース(当初はキャンプ地のバンガローなどを使用)でも和気あいあいの雰囲気だったという。

爆弾製造に精通した赤軍派の植垣康博(弘前大学理学部)らが爆弾製造の講習をおこない、革命左派の女性活動家たちがそれを習う。しかしこのとき、キャンプに宿泊した植垣は、つい女性の体に手を伸ばしてしまう。のちに生活レベルの総括を要求され、男女の問題から個人の弱さが批判される素地がここにある。若い男女が狭い場所に、身体を押し合いながら寝泊まりしているのだ。性的な問題が起きない方が不思議というものだ。70年代後半に三里塚の団結小屋でも、この痴漢・女性差別問題は頻発している。

71年の12月に、両派は山岳ベースで本格的に合流する。当初は軍事部門だけの合同(合同軍事演習)だけだったが、森恒夫も永田洋子も銃を前提とした「せん滅戦のための建軍」をめざし、そのためには建党が課題としてされたのである。

ここにわれわれは、ひとつの岐路を見出すことができる。軍事を優先したがゆえに、組織的な統合をはからねばならない。そもそも軍事は高次な政治レベルにあり、そうであれば赤軍派でもなく革命左派でもない「新党」が必要とされるのだ。

その組織名はしかし、なぜか「連合赤軍」であった。理由は簡明である。世界革命路線の赤軍派と、反米愛国路線の革命左派は、そもそも政治路線の異なる組織の「連合」だったからだ。

後年、この「路線的野合」が、党の統合のための「思想闘争」を必要とし、なおかつ両派の主導権争いから粛清(同志殺し)が行なわれた。と、獄中指導部は批判(総括)したものだ。野合組織の路線的な破産であると。

たしかに、理論家の総括としてはこれでいいのかもしれない。しかし路線の不一致が解決されていたとしても、山に逃げるしかなかった指名手配犯だらけの組織は、脱落者を防止する「思想闘争」を必要としていたのである。

◆水筒問題

まず最初に、両派の合同段階で対立が生じた。赤軍派が新しい山岳ベースに革命左派を迎えたとき、かれらは水筒を持参していなかったのだ。山登りには水筒が必須である。

水筒が必要なのは山登りだけではない。もう10年以上も前になるが、洞爺湖サミットに自転車キャラバンで環境問題を訴える「ツーリング洞爺湖」を準備したおりのことだ。水筒(ボトル)を忘れてきた仲間に「連合赤軍は水筒問題から同志殺しの総括になったんだぞ」と笑い合ったことがある。長距離走やラグビーなどの球技でも、水分補給は勝敗にかかわる。

じつは革命左派が水筒を持参していなかったのは、かれらが沢登りを得意としていたからだ。沢を登っているかぎり、水に不自由することはない。だがこの水筒問題は、革命左派から主導権を奪う赤軍派(森恒夫)の格好の材料にされたのだった。

◆総括要求

数の上では少数の赤軍派(森恒夫)が、M作戦と爆弾闘争でつちかった力量をしめし、家族的で和気あいあいとした革命左派を、まるごと糾合してしまおうとする野心があったと、語られることが多い。

半分は当たっているが、のこりの半分は森の負い目にあったというべきであろう。脱落者を処刑できなかった赤軍派とはちがって、革命左派はすでに二人の同志を殺しているのだ。
いっぽう、水筒問題で批判された革命左派が逆襲する。

赤軍派の女性が指輪をしてきたことを「武装闘争の訓練をする山に、指輪は必要ない」と批判するのだ。その批判はエスカレートし、そもそも「どういうつもりで山に来たのか」という難詰に発展する。これが「総括要求」となったのだ。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年2月号!

◆国際根拠地論

三島由紀夫も落胆した69年の10.21(国際反戦デー)の不発のあと、赤軍派中央委員会では、塩見孝也による「国際根拠地論」が提案される。キューバへの渡航、アメリカの左派勢力との合流。要するに、海外亡命である。そのための手土産として、首相官邸を数十名で占拠する方針が採られた。この計画の準備が、大菩薩峠の福ちゃん荘での軍事合宿だったのだ(53名逮捕)。

国内での武装闘争の行き詰まりが、海外渡航の準備をうながしたのである。そしてそれは、よど号ハイジャック事件(北朝鮮渡航)として決行される。田宮孝麿らの幹部が北朝鮮に渡る(本来の目的はキューバだった)いっぽう、大衆運動としても海外渡航がはかられた。

すなわち、元赤軍フラクの藤本敏夫が事務局長をつとめるキューバ文化交流研究所を媒介に、赤軍派系・ブント系の学生をふくめた「サトウキビ刈り隊」が組織され、数十人単位がキューバに渡航したのである。この事実は、あまり知られていない。のちに「サトウキビ刈り隊」は公安当局の「スパイ説」流布により、キューバ当局から強制送還された。

◆あいつぐ弾圧と指導部の逮捕

こうした派手な闘いは、公安当局の猛烈な弾圧をまねいた。塩見孝也、高原浩之ら赤軍派の指導部があいついで逮捕されたのだ。赤軍フラクから脱落していた森恒夫が、この時期に台頭してくることになる。

国内指導部では、古参の堂山道生だけが健在だったが、森とは反りが合わない。やがて堂山は組織を去っていく。森に言わせれば「俺が論争に勝ったから、堂山が去っていった」ということになるが、重信房子がそうは考えなかったという。その重信房子は唯一、森に批判的なことを言える立場だったが、アラブ行きの準備で、国内残留組の指導には関われなかった。

こうして森恒夫が組織の中枢で、とくに中央軍を私兵的に統括するようになるのだ。大会が開かれないという理由で、中央委員会も開かれなくなる。森の独裁的な指導のもとで、ペガサス作戦(獄中指導部の奪還)、ブロンコ作戦(日米同時蜂起)は実現できなかったものの、マフィア作戦(銀行強盗)だけが実現されていく。

革命左派においても、苛烈な弾圧は組織が身動き取れないところまで来ていた(69年12月に川島豪が逮捕される)。70年の12月18日に交番を襲撃して、柴野春彦が警官に射殺され、翌71年2月に真岡の銃砲店で猟銃を奪取。この事件が、公安当局の猛弾圧を招くことになるのだ。

◆獄中指導部奪還作戦の挫折

赤軍派においても、ペガサス作戦として検討された獄中指導部奪還は、革命左派においてはかなり現実的なものとして計画されていた。獄中の川島豪が転向を装ったり、銃砲店での猟銃奪取は具体的な計画に沿ったものだった。

キューバを目的地に海外渡航を実行した赤軍派にたいして、毛沢東主義の革命左派は中国を念頭に、海外渡航作戦を検討していた。それは50年代に、朝鮮戦争の関係で共産党がレッドパージに遭った際、徳田球一(書記長)が中国に渡航・潜伏したのをモデルに考えられたものだった。

それにしても、猟銃を奪取したのはよいとして、どうやって獄中指導部を奪還するつもりだったのだろうか。まったく現実性がなかったわけではない。外国の領事館の要人、皇族の誘拐が検討されていたのだ。最終的には、横浜拘置所から裁判所まで護送されるのを狙ってという作戦に落ち着いたが、猟銃奪取後の猛烈な弾圧はそんな計画が具体化するのを許さなかった。

その国外脱出論は、国内での活動の困難を感じた永田洋子によって、自分たちの中国渡航案として組織に提案される。日本国内では、禁猟期に猟銃を撃っただけでも通報されて、軍事訓練も行なえないからというものだった。この案は、のちに赤軍派にアジト網を提供されることで、国内での活動の見通しが立つとともに立ち消えになる。

◆両派の初会合

前述した交番襲撃事件(1名射殺される)は、革命左派を新左翼界隈のステージに押し上げた。赤軍派の獄中幹部から称賛が送られ、殺された柴野春彦は武装闘争の英雄とされたのだった。

これを受けて、赤軍派と革命左派の最初の会合がひらかれた。赤軍派からは森恒夫・坂東國男、革命左派は永田洋子・坂口弘・寺内恒一である。のちの連合赤軍の指導部である。このさい、森恒夫が永田の海外渡航案を批判することで、革命左派の中国行きはなくなった。

このとき、森恒夫は革命左派の指導者が永田洋子なのか坂口弘なのか、それとも寺内恒一なのか、わからなかったと後に述べている。革命左派の幹部三人が、ともに理論的な突出力がなかったことを、この森の感想は言い当てている。

河北三男が組織を去り、川島豪および古参党員が身動きができなくなっていた革命左派は、トコロテン式に、指導力の未熟な永田をトップにしたのである(幹部による党内選挙)。

森恒夫という人物については、元赤軍派の関博明氏から聞いたことがある。何ごとも「お前はどうなんだ?」と追及するタイプで、その一方では年下の者たちには「親父さん」と、好かれていたという。のちに森が獄中自殺したとき、かれらは権力による謀殺を疑ったという。

永田洋子は、自殺した森よりも悪辣に表現されることが多いが、のちに交流のあった瀬戸内寂聴によれば、可愛らしい女性だったという。相手のことをよく観察し、心理を読むのに長けていたというのは、当時のメンバーの証言である。

◆銃と爆弾

革命左派が銃砲店を襲い、猟銃を奪取するのは初会合の翌年の2月17日である。この革命左派の銃器奪取が、じつは森の戦術思想に大きな影響を与えることになるのだ。

赤軍派は梅内恒夫という、爆弾の神様の異名をとるメンバーを軸に、植垣康博らが爆弾製造の専門班として武装化をはかっていたが、銃器を手に入れることは出来ていなかった。そのいっぽうで、M作戦だけが順調にいき、赤軍派の兵站を豊かにしていた。

森の戦術思想を変えたのは、はからずも爆弾闘争の成功だった。

すなわち、71年6月17日(沖縄闘争)で、中核派のデモ隊の背後から赤軍派が爆弾を投擲し、爆弾闘争に成功したのだ。機動隊員に多数の負傷者が出ている。この爆弾闘争が71年には、ノンセクトをふくむ新左翼各派の爆弾闘争の爆発につながる。

この爆弾闘争はしかし、無関係の一般市民をも巻き込みかねない。無政府主義の武装闘争ではないかという疑問が、森の脳裡に生じたのだ。目標が不正確な爆弾闘争ではなく、殺し殺される情勢のもとで、勝ち抜けるのは銃と兵士の結合であると。この銃物神化の思想は、永田洋子のものでもあった。

やがて、関東でM作戦の成果を挙げていた坂東隊いがいの赤軍派中央軍は、軒並みに逮捕されてしまう。赤軍派の戦力の低下は、革命左派との距離を縮めた。カネと銃器を交換する案が、両派を緊密な関係にさせるのだ。

そしてもうひとつ、両派を急接近させる事態が起きる。両派ともに、組織内部に脱落者や不安分子(不満分子ではない)を抱えていたのである。死という壁が、両派にせまっていた。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆愛子内親王が成人し、高まる皇位継承の可能性

昨年暮れに、皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)が政府に報告書(最終答申)を上げた。※関連記事(2021年回顧【拾遺編】)

答申それ自体は、女性天皇や女系天皇といった、国民の関心事には触れることなく、女性皇族が結婚後も身分上皇室にとどまる。旧宮家の男性を皇室の養子として皇族化するという、きわめて実務機能に即したものだった。

「国民の関心事」とわざわざテーマを挙げたのは、いうまでもなく愛子内親王が成人し、皇位継承の可能性に関心が高まっているからにほかならない。

女性天皇を認めるか否か。この問題は国民の関心事であるとともに、反天皇制運動にも大きな影をおよぼしてきた。すなわち、天皇制を批判しつつも女性天皇の誕生に期待する、フェミニズム陣営の議論である。天皇制の是非はともかく、明治以降の男性優位が継続されているのは、女帝が君臨した皇統史に照らしてもおかしいではないか。というものだ。


◎[参考動画]愛子さま成年行事 ティアラ姿を披露 今月1日 二十歳に(TBS 2021/12/5)

じつは上記の有識者会議でも、女性天皇を容認する発言は多かったのだ。

「政府は(2021年4月)21日、安定的な皇位継承策を議論する有識者会議(座長・清家篤前慶応義塾長)の第3回会合を開き、歴史の専門家ら4人からヒアリングを実施した。女性天皇を認めるべきだとの意見が多数出たほか、女性皇族が結婚後も皇室に残る『女性宮家』の創設を求める声も上がった。」(毎日新聞(共同)2021年4月21日)

そして議論は、女性天皇容認にとどまるものではなかった。女系天皇の容認も議論されてきたのだ。

「今谷明・国際日本文化研究センター名誉教授(日本中世史)は、女性宮家に関し『早く創設しなければならない』との考えを示した。父方が天皇の血筋を引く男系の男子に限定する継承資格を、女系や男系女子に広げるかどうかの結論を出すのは時期尚早とした。
 所功・京都産業大名誉教授(日本法制文化史)は男系男子を優先しつつ、一代限りで男系女子まで認めるのは『可能であり必要だ』と訴えた。
 古川隆久・日大教授(日本近現代史)は、母方に血筋がある女系天皇に賛成した。女性天皇は安定的な継承策の『抜本的な解決策とならない』と指摘しつつ、女系容認とセットなら賛同できるとした。
 本郷恵子・東大史料編纂所所長(日本中世史)は女系、女性天皇いずれにも賛意を示した。『近年の女性の社会進出などを考えれば、継承資格を男子のみに限ることは違和感を禁じ得ない』と主張した。(共同)

◆自民党内でも女性天皇容認論という保守分裂の構造──「超タカ派」高市早苗の場合

女系天皇・女性天皇容認の動きは、研究者の議論にとどまらない。いまのところ、保守系の運動として公然化しているのが下記の団体である。

◎女性天皇を支持する国民の会 https://blog.goo.ne.jp/jyoteisiji2017

ここにわれわれは、明らかな保守分裂の構造を見てとれる。保守系の動きは「ブルジョア女権主義」、あるいは単純な意味での皇室アイドル化の延長とみていいだろう。いっぽうで、男系男子のみが皇位を継承すべきという保守系世論は根強い。

そんな中で、自民党内から女性天皇容認論が脚光を浴びている。超タカ派と目される、高市早苗である。

「高市 私は女性天皇に反対しているわけではありません。女系天皇に反対しています。女性天皇は過去にも推古天皇をはじめ八方(人)いらっしゃいましたが、すべて男系の女性天皇(天皇が父)です。在位中にはご結婚もなさらず、次の男系男子に皇位を譲られた歴史があります。男系による皇位の継承は、大変な工夫と努力を重ねて連綿と続けられてきたものであり、その歴史と伝統に日本人は畏敬の念を抱いてきました。」(2021年12月10日=文藝春秋2022年1月号)

◆皇統の危機は、女系においてこそ避けされてきた

本通信のこのシリーズでは、女系天皇の存在を古代女帝の母娘(元明・元正)相続、王朝交代(応神・継体)において解説してきた。じつは女系においてこそ、皇統の危機は避けされてきたのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈09〉古代女帝論-1 保守系論者の『皇統は歴史的に男系男子』説は本当か?」2020年5月5日 

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈14〉古代女帝論-6 皇統は女性の血脈において継承された」2020年8月16日 

管見のかぎり、この立論に正面から応える歴史研究は存在しない。つまり、男系論者は「定説」「通説」の上にあぐらをかき、まともな議論をしていないのだ。いや、歴史上の女帝の数すら間違えている。高市の云う「八方」ではなく「9人」なのだ。

◎[関連記事]「天皇制はどこからやって来たのか〈17〉古代女帝論-9「八人・十代」のほかにも女帝がいた!」2020年9月27日 

ところで、冒頭にあげた「女性天皇容認論」を具体的に言えば、保守系の「愛子さまを天皇に」という運動と交差しつつ、いわゆるブルジョア的女権論であるとともに、天皇制の「民主化」を結果的にもとめるものとなる。

天皇制廃絶を主張する左派からは「天皇制を容認した議論」と批判されるが、沖縄基地を本土で引き受けて沖縄の負担を軽減する、オルタナティブ選択と同じ発想である。沖縄米軍基地を本土誘致することが、基地を容認した運動だと批判されているのは周知のとおりだ。

しかしながら、天皇制廃絶論が具体的なプロセスを示し得ないように、辺野古基地建設(海底地盤の軟弱性)の可能が乏しくても、反対運動が建設を阻止しえていない。したがって、基地建設阻止の展望を切り拓けないのである。そこで本土誘致という、新たな選択が提案されてきたのだ。

「天皇制廃絶」や「米軍基地撤去」は、残念ながらそれを念仏のように唱えているだけでは実現しない。対する「女性天皇容認」や「基地を本土へ」は、微動だにしない現状を、少しでも動かす可能性があるといえよう。

女性天皇容認もまた、天皇制の「民主化」によってこそ、天皇制の持っている矛盾を拡大させ、天皇制不要論に至る可能性がひらけるといえよう。

その現実性は、ほかならぬ高市の発言にも顕われている。

「よく『男女平等だから』といった価値観で議論をなさる方がいらっしゃいますが、私は別の問題だと思っています。男系の祖先も女系の祖先も民間人ですという方が天皇に即位されたら、『ご皇室不要論』に繋がるのではないかと危惧しています。『じゃあ、なぜご皇族が特別なの?』という意見も出てきてしまうかもしれません。そういう恐れを私はとても強く持っています。」

そのとおり、女系・女帝を現代に持ち込むことは、なぜ皇室が存在するのかという問題に逢着するのだ。それは天皇制の崩壊に道をひらく可能性が高い、と指摘したい。
愛子天皇の賛否について、世論調査を様々な角度からとらえたサイトを紹介して、いまこそ国民的な議論に付すべきと指摘しておこう。(つづく)

『愛子さま 皇太子への道』製作委員会「世論調査に見る女性天皇・女系天皇への支持率」

◎連載「天皇制はどこからやって来たのか」http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=84

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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連合赤軍は共産主義者同盟赤軍派(第二次)と日本共産党革命左派が合同した組織である。71年12月の「新党結成」からわずか2カ月ほどで、同志12人を暴力的な「総括要求」で殺害し、2月19日から9日間にわたる銃撃戦(あさま山荘事件)で死者3名を出し、ほぼ全員が逮捕されることで壊滅した。とくに同志殺しは社会運動史上、稀にみる内ゲバ事件と言えよう。

◆12人を死に至らしめた「総括」とは何なのか?

当初は誰にも、銃撃戦と山岳ベースの目的がわからなかった(じつはほぼ全員が指名手配されていたので、容疑者の逃亡劇にすぎなかった)こと、同志殺しの陰惨さゆえに「狂気の沙汰」「集団ヒステリー」などと、メディアは口をきわめて批判したものだ。

たしかに「狂気」としか思えない結果だが、一部のメディアが「狂人集団」とこれまたヒステリックに非難することにも、冷静なメディアからは批判が上ったものだ。事件の本質を「異常な狂気」としてしまえば、事件の動機を不問に付し、事件から何も教訓が得られないことになる。

たとえば、オウム事件で麻原彰光教祖が黙したこと(精神疾患を装った?)で、被害者遺族に事件の真相が明らかにならなかった(との印象を抱いた)のは、記憶に新しいところだ。連合赤軍事件は動機において「政治犯罪」であり、のちに理論的な誤謬や明らかになることによって、それなりに真相が究明されてきた。

しかしながら、その理論的総括は新左翼特有の難解な語彙や文体によるもので、いかにもわかりにくい。とくに赤軍派系の文章は、まるでレジュメか内部文書を読んでいるように図式的で不可解である。現代の若い人たちにも理解できる、平易な解説が必要なのである。

まず、この「総括」という言葉から解説していこう。国会での与野党の討議を「総括質問」と称するように、総括とは文字通り全体を統括、ないしは包含したという意味である。学生運動や労働運動では、大会議案書が「情勢分析」「総括」「方針」という具合に分類される。したがって「反省」という意味合いがつよいといえよう。

その「総括(反省)」が連合赤軍においては「共産主義化」のためとして、個々人につよく求められたのである。

◆人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫る「総括」

では、つぎに共産主義化とは何だろうか。森恒夫が語るところを聴こう。

「作風・規律の問題こそ革命戦士の共産主義化の問題であり、党建設の中心的課題」「各個人の革命運動に対するかかわりあい方を問題にしなければならない(『十六の墓標』)。

この「作風」「規律」をめぐって、じっさいに諸個人が「総括」をもとめられ、それに答えられないことで、暴力で「総括を援助」する事態が発生するのだ。この「援助」は食事を与えない、縛り付ける、自分で自分を殴るなどで、総括の対象者を死に至らしめるものとなった。

およそ人間の尊厳を否定しておいて、反省を迫るというのが間違っている。その誤りに、連合赤軍は気づかなかったのである。

そのような事態に至った、さまざまな要因は後述するとして、まずは連合赤軍の前史である赤軍派と革命左派の生成から解説していこう。じつは赤軍派の結成とそれへの森恒夫のかかわり方、革命左派の結成とその変遷における永田洋子の立場に、連合赤軍の淵源があるのだ。

◆ブント7.6事件

赤軍派がブント(共産主義者同盟)から分立する過程で起きたのが、7.6事件である。その事実関係は「7.6事件の謎」として、中島慎介が提起した問題(『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』収録)を、本通信も書評として解説してきた。

《書評》『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』〈4〉7.6事件の謎(ミステリー)──求められる全容の解明(2021年11月30日)

この事件をさらにさかのぼれば、68年12月のブント8回大会で関西派(のちに赤軍派となる部分をふくむ)が執行部(中央委員会政治局・学対)から排除されたことが挙げられる(人事問題)。

さらに69年1月の東大闘争安田講堂攻防戦をめぐって、政治局が責任を負わない態度を取ったことから、荒岱介(のちに戦旗派指導者)と高原浩之(赤軍派指導者)が反発した(闘争指導問題)。※『破天荒伝』(荒岱介著・横山編集、太田出版)

そして4.28沖縄デー闘争で、共産主義突撃隊(RG)が組織され、その敗北が赤軍フラクの結成へとつながるのだ(軍事組織改編問題)。その指導者が塩見孝也(のちの赤軍派議長)である。

7.6事件に至るまでの過程(6月のアスパック粉砕闘争・郵便局自動化反対闘争)で、ブント内右派から赤軍フラクへの「リンチ」があったとされる(『世界革命戦争への飛翔』赤軍派編)。

◆権力(スパイ)の謀略か?

そして、問題の7.6事件である。赤軍フラクの排除に抗議しようとしたところ、なぜかリンチ事件になった。その結果、赤軍フラクはさらぎ議長を逮捕させる結果となり、ブントを組織的混乱に陥らせたのである。

中島慎介が提起した「事件の謎(事件を準備した者がおもてに出ないまま所在不明)」を概括すれば、森恒夫の失踪(テロによるとされている)と藤本敏夫拉致事件(数日間行方不明)と併せて、謀略の気配がきわめて濃厚である。

運動体の内部にスパイを送り込み、運動の過激化をうながして組織を崩壊に導く。あるいは権力の謀略部隊が、直接的に運動体を叩く。

「権力の謀略」といえば、革マル派が74年の夏以降、独自に唱えてきたものがある。

「われわれは敵対党派(中核派や社青同解放派など)に対する闘争に勝利したが、国家権力は敵対党派の指導部にスパイを潜入させて操り、内ゲバを装った謀略を仕掛けている」というものだ。

すべてがそうだと言えないまでも、国家権力が内ゲバを装って謀略を仕掛けることは少なくない。

70年当時の新聞記者の証言として、警察署からヘルメット姿に身をやつした男女の警官が出てきたり、機動隊との攻防の現場で逮捕に協力しているヘルメット姿の学生風の警官が写真に撮られてもいる(『過激派壊滅作戦』三一書房) 。映画監督の大島渚は終生「学生運動が内ゲバで鎮静化したのは、警察のスパイが行なったことだ」と発言していたものだ。

中島慎介が問題視している、7.6事件で赤軍フラクが明大和泉校舎に入った時間は、始発電車(または次発)で御茶ノ水から明大前に行ったことが、当事者の新たな証言として、1月21日発売の「情況」(連合赤軍50年特集号)に掲載予定である。

またそこでの、さらぎ議長リンチが偶発的なものだったこと。その後、東京医科歯科大に引き揚げた赤軍フラクに逆襲したのが、中大ブントだけではなく情況派(医学連指導部、明大生協理事)が加わっていたことから、ブント内左右の派閥抗争の延長だったことまで判明している(重信房子の手記、『聞き書きブント一代記』)。7.6事件については、さらなる事実関係の究明が課題であろう。

8月にはブント中央委員会で赤軍派の「7.6事件の自己批判」が認められず、9回大会で塩見以下の指導部がブントを除名となる。ここに赤軍派は、ブントの分派として、共産同赤軍派を結成することになるのだ。

◆革命左派の前史

さて、新左翼オタクや共産趣味者にとって、よくわからないのが日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜であろう。

日本共産党の毛沢東支持派から分裂した、というのが一般的な説明である。全くはずれてはいないが、組織の歴史を正確に顕わしているとはいいがたい。じつは革命左派もブントの系譜なのである。

革命左派の前身は、警鐘グループと言われるブント系の一派である。すなわち、マルクス主義戦線派の川島豪、社学同ML派議長だった河北三男が「これからは学生運動主体ではなく、青年労働者を組織すべき」として結成されたのが警鐘グループだった。

《図表》日本共産党革命左派(神奈川県委員会)という組織の系譜

この警鐘グループが日中友好運動を媒介に、接触をはかったのが日本共産党左派神奈川県委員会なのである。日共左派は山口県委員会(現在の「長周新聞」)が有名だが、中国のプロレタリア文化大革命を背景に、共産党から分立した組織で、全国的に自立的に存在していた(日中友好協会正統派)。

じつはその前に、マルクス主義戦線派(のちに前衛派・レーニン主義協会など)や社学同ML派(のちに日本マルクス・レーニン主義者同盟、マルクス主義青年同盟、日本労働党など)を解説しなければならないが、長くなるので別枠(ブントの分派)で解説することにしたい。※図表参照。

ともあれ、日本共産党左派神奈川県委員会に合流することで、川島豪と河北三男の一派は、横浜国大と東京水産大学(現・東京海洋大学)を拠点に組織を伸長させる。

かれらにとって、戦中派で戦後革命期を経験してきたベテランの元共産党員と合流したことは、政治的にも組織的にも新たな地平だった。すなわち、新左翼の粗雑な作風・体質からはなれて、労働者・労働組合運動に基盤を持つ革命組織の確立である。

とはいえ、横浜国大の自治会を拠点にする学生メンバーは、ML派から執拗に付け狙われる。河北三男がML派時代に突然いなくなり、分派として立ち顕われた、とML派は判断したのである。分派をゆるさない、レーニン主義の組織論の悪弊が、まずここに見出せる。

横国大自治会に出入りするメンバーが拉致され、ML派の拠点である明治大学の学生会館に監禁されるなど、党派闘争・分派闘争としての大義名分でテロリンチが行なわれたという。

このとき、元共産党員で日共左派神奈川県委員会の指導者(望月登=一部の本では小林)は、果敢にも「人民内部の矛盾であるから、暴力に暴力では返さない」と、明大学館に単身のりこんだ。顔が倍に腫れ上がるほど殴られながらも、横国大のメンバーを奪還したのだった。

じつに毅然とした勇気を必要とする行動で、指導者の範をしめしたというべきであろう。この望月登は海軍兵学校(幹部養成学校)の出身者だったという。

◆神奈川県委員会の分裂

しかしながら、68・69年の新左翼(三派全学連・全共闘運動)の運動的な高揚と先鋭化は、日共左派神奈川県委員会にも影響をおよぼした。元共産党員の指導者たちの、地道な労働運動による組織建設は、いかにも時代の趨勢に付いて行けないものだった。

69年春の党会議において、河北と川島が望月に指導責任を問い質し、会議は紛糾した。指導方針を示せない望月を罷免することで、日共左派神奈川県委員会は事実上の分裂。日共革命左派神奈川県委員会の結成となったのだ。

新左翼系としては、ML派につぐ毛沢東主義の党派結成で、その路線は「反米愛国」である。

ちょうど赤軍派が大阪戦争・東京戦争をくり広げ、大菩薩峠で53名の逮捕者(武装訓練合宿)を出していた69年秋、革命左派も米軍基地へのダイナマイト闘争を実行(すべてが不発)していた。両者の歩みは、ほとんど軌を一にしていたといえよう。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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1971~72年という時代は、どのような時代だったのだろうか。鹿砦社から刊行された『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』の書評でも取り上げた、連合赤軍事件50年の今日的な捉え返しである。

15年安保(6年前の安保法制反対運動を、若い世代はこう呼ぶ)以降、新しい世代が反戦運動や反原発運動に加わり、ある意味でまっさらな世代が登場した。

彼ら彼女らは、長らく日本社会を覆ってきたアパシーとは無縁で、全共闘世代と内ゲバの時代すら相対化している。清新な感性で、社会運動の歴史に学んでいるかのようだ。

しかし反ヘイト運動内部にリンチ事件が発生するなど、日本の社会運動に「伝統的な」内ゲバの病根が見られるとき、連合赤軍事件など負の過去を検証する作業は無駄ではないだろう。

まず71~72年という時代は、どういう時代だったのだろうか。72年元旦のお茶の間の風景から再現しよう。

木枯し紋次郎

◆「木枯し紋次郎」のニヒリズム

現在六十歳前後の方なら、この時代にご記憶にあるだろうか。ドラマ「木枯し紋次郎」がブラウン管に登場したのは、1972年1月1日のことだった。

シラケ世代を象徴する「あっしには、かかわりのないこって」という台詞は、単なるニヒリズムではなかった。

物語の展開のなかで「放ってはおけない」紋次郎の優しさが、事件の真実にふれさせ、哀しさとみずみずしい余韻をのこす。それは単純な義侠心や正義ではなない。ありのままの現実を直視する目撃者の視点、やさしさの希求、あるいはそれが果たせない末の諦観であろう。

そんな71~72年はおそらく、熱意と正義が失われた時代であった。ニーチェ風にいえば「善悪の彼岸」、キリスト教権力の「真理」が失われたときに「超人」の意志が求められたが、それすらも挫折する傲岸な権力の発動がそこにあった。

70年安闘争の敗北は、71年に爆弾闘争という副産物(60件以上)を生み、反体制運動は分散と混迷を深めていた。

ちょうどそのころ、群馬の山間では革命集団に凄惨な最期が訪れていることを、「木枯し紋次郎」に共感しているわれわれは知らなかった。

「木枯し紋次郎」のニヒリズムは、全共闘運動と70年安保の敗北をうけたものだ。正義はどこにもないし、闘っても何も意味がなかった。危ういことに関わり合いになると、ろくなことにはならない。政治なんて変わらないし、関わらない方がいい、という諦めへの共感だった。それはまた烈しい闘争のはてに、傷ついた心をいやす受け皿だったのかもしれない。

◆目的がわからなかった山荘占拠

紋次郎の口癖が話題になり、札幌オリンピックが閉会してから一週間後、その事件は、いきなりお茶の間のブラウン管に飛び込んできた。

赤軍派らしいグループが2月19日に、あさま山荘を占拠したのである。われわれ視聴者はもとより、捜査当局もその目的が何なのか、まったくわからなかった。山荘管理人の妻を人質に取っている以上、何らかの要求があるものと思われたが、電話線はたてこもったグループの手で早々に切られた。

やがて10日以上におよぶ「銃撃戦」が行なわれ、警官2名が死亡、民間人1人が死亡、20数名が重軽傷を負った。

山荘事件後、事前に逮捕されたメンバーの中から、自供に応じる者が出はじめた。そして捜査当局は、尋常ではないことが起きていたことを察知するのだ。12名のリンチ殺害、別件で2名の処刑という、同志殺し事件である。

われわれの知らないところで行なわれていた内部リンチ、やがてはブラウン管を独占する銃撃戦にいたる連合赤軍の闘いは、この時代のニヒリズムをいっそう拡大した。

◆分裂と内ゲバの時代

パリの5月革命をはじめとする、68年革命と称される世界的なスチューデントパワーは、69年には終息に向かっていた。

69年にブント(共産主義者同盟)が分裂し、70年には海老原君事件(中核派による革マル派学生殺害=中核vs革マル戦争の勃発)が起きている。日本中を驚愕させた、赤軍派のハイジャック事件(北朝鮮へ)。そして71年には、爆弾闘争が「流行」する。

◆狂気だったのか?

リンチ事件が発覚したとき、メディアは口をきわめて、事件を「孤立した革命集団」が」起こした「狂気の惨劇」「凶悪そのもの」「発狂寸前で行なわれた」と報じた。だが「狂気」ではなく、それが一途な思いで行なわれたところに、事態の深刻さがあるのだ。

この連載では「怖いもの見たさ」で、酸鼻を極めたリンチ事件を再現することはひかえ、連合赤軍が生まれなければならなかった必然性。その組織的・理論的な根拠を明らかにすることで、かれら彼女らの行動が「狂気」ではなく、社会運動に固有の問題であることを提示していこう。

そのことはたとえば、パワハラやモラハラが社会運動の中でこそ頻繁に発生し、運動の頽廃をもたらすことに逢着させるはずだ。

なお、略年譜をこの記事の最後に添付しますので、連載中もフィードバックして参照してください。(つづく)

連合赤軍略年譜

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆天皇制と皇室はどう変わってゆくのか?

眞子内親王が小室氏と結婚し、晴れて平民となった。小室氏が司法試験に失敗し、物価の高いニューヨークでは苦しい生活だと伝えられるが、それでも自由を謳歌していることだろう。

小室氏の母親の「借金」が暴露されて以来、小室氏側に一方的な批判が行なわれてきた。いや、批判ではなく中傷・罵倒といった種類のものだった。これらは従来、美智子妃や雅子妃など、平民出身の女性に向けられてきた保守封建的なものだったが、今回は小室氏を攻撃することで、暗に「プリンセスらしくしろ」と、眞子内親王を包囲・攻撃するものだった。

ところが、これらの論難は小室氏の一連の行動が眞子内親王(当時)と二人三脚だったことが明らかになるや、またたくまに鎮静化した。眞子内親王の行動力、積極性に驚愕したというのが実相ではないだろうか。

さて、こうした皇族の「わがまま」がまかり通るようになると、皇室それ自体の「民主化」によって、天皇制そのものが変化し、あるいは崩壊への道をたどるのではないか。保守封建派の危機感こそ、事態を正確に見つめているといえよう。

年末にいたって、今後の皇室のあり方を議論する政府の有識者会議(清家篤元慶応義塾長座長)の動きがあった。

有識者会議は12月22日に第13回会合を開催し、減少する皇族数の確保策として、女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、戦後に皇籍を離脱した旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰する案の2案を軸とした最終答申を取りまとめ、岸田文雄首相に提出したというものだ。

女性皇族の皇籍はともかく、旧宮家の男系男子が養子縁組して皇籍に復帰という構想は、大いに議論を呼ぶことだろう。

それよりも、皇族に振り当てられている各種団体の名誉総裁、名誉会長が本当に必要なのかどうか。皇族の活動それ自体に議論が及ぶのでなければ、単なる数合わせの無内容な者になると指摘しておこう。

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◆工藤會最高幹部に極刑

工藤會裁判に一審判決がくだった。野村悟総裁に死刑、田上不三夫会長に無期懲役であった。弁護団は「死刑はないだろう」の予測で、工藤會幹部は「無罪」「出所用にスーツを準備」だったが、これは想定された判決だった。

過去の使用者責任裁判における、五代目山口組(当時)、住吉会への判決を知っている者には、ここで流れに逆行する穏当な判決はないだろうと思われていた。

福岡県警の元暴対部長が新刊を出すなど、工藤會を食い扶持にしている現状では、警察は「生かさず殺さず」をくり返しながら、裁判所はそれに追随して厳罰化をたどるのが既定コースなのである。

いわゆる頂上作戦は、昭和30年代後半にすでに警察庁の方針として、華々しく掲げられてきたものだ。いらい、半世紀以上も「暴力団壊滅」は警察組織の規模温存のための錦の御旗になってきたのである。

たとえば70年代の「過激派壊滅作戦」は、警備当局によるものではなく、もっぱら新左翼の事情(内部ゲバルト・ポストモダン・高齢化)によって、じっさいにほぼ壊滅してしまった。この事態に公安当局が慌ててしまった(予算削減)ように、ヤクザ組織の壊滅は警察組織の危機にほかならないのだ。

いっぽう、工藤會の代替わりはありそうにない。運営費をめぐって田上会長の意向で人事が動くなど、獄中指導がつづきそうな気配だ。

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◆三里塚空港・歳月の流れ

個人的なことで恐縮だが、われわれがかつて「占拠・破壊」をめざした成田空港の管制塔が取り壊された。歳月の流れを感じさせるばかりだ。

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◆続く金融緩和・財政再建議論

今年もリフレに関する論争は、散発的ながら世の中をにぎわした。ケインズ主義者が多い経産省(旧経済企画庁・通産省)から、財務相(旧大蔵省)に政権ブレーンがシフトする関係で、来年も金融緩和・財政再建の議論には事欠かないであろう。

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◆渾身の書評『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』

年末に当たり、力をこめて書いた書評を再録しておきたい。

他の雑誌で特集を組む関係で、連合赤軍事件については再勉強させられた。本通信の新年からは、やや重苦しいテーマで申し訳ないが、頭にズーンとくる連載を予定している。連合赤軍の軌跡である。請うご期待!

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▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

◆すべては自民党総裁選挙にかかっていた

今年の回顧(【政治編1】)で見たとおり、9月までは「自民党の総選挙敗北」「12年ぶり、三度目の政権交代」も政治日程に上っていた。ポンコツ菅政権継続であれば、である。

すべては自民党総裁選挙にかかっていた。安倍(細田派)と麻生派が支持しているかぎり、自民党は派閥の論理で政権を明け渡すはずだった。本通信ではそれを、「今後の10年を分ける」と表現してきた。

はたして、それは現実のものとなった。立民党は総得票数こそ伸ばしたものの、当選者数では激減。野党共闘を組んだ共産党も議席を減らした。そして維新の会の大躍進、わずかにれいわ新選組が3議席を獲得して大方の見方をくつがえした。

その最大の原因こそ、自民党総裁選挙であったと総括することができる。自民党は男女2人の有力候補を看板に、国民の目に焼き付けるように総裁選挙を演じきったのである。まさに国民政党とは、このような姿であると。

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◆仕掛けたのは岸田文雄だった

いや、その前に菅義偉の電撃的な退陣劇に触れておかなければならない。仕掛けたのは岸田文雄だった。まず岸田は、菅政権を実質的に支えている二階俊博の追い落としを謀った。党の執行部任期を限定しようという、至極まっとうな提案である。

これに対して、菅が対応を誤る。政局の争点にしないために、二階切りで争点潰しに出たのである。二階ははらわたが煮えくりかえる思いで、しかしこれを承諾する。ここから隠然たる菅おろしが始まった。

自民党の独自調査では、この段階で60議席を失うという結果が出ていた。単独過半数割れどころか、政権交代の目が出てしまったのだ。この岸田の妙手は、はたして彼自身の発案だっただろうか。宏池会の政治的な奥行きの深さを感じさせる政局だった。

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◆維新の政権批判に期待した国民

総選挙は「政権交代」を掲げる野党共闘に、国民の深刻な判決を言い渡すものになった。自民党批判は政権の受け皿としての立民・共産・社民には行かず、維新の政権批判に国民は期待したのである。

もっとも、この選挙結果については400人近い地方議員を抱える維新の、当然の勝利であるとの見方がつよい。ちなみに立民は地方議員774人、共産は2660、公明党が2916人、自民党は3418人である。

400人近くの維新地方議員は過重なノルマを課されながらも、伝統的なドブ板選挙をやりきるだけの体力(若さ)があるというのだ(『紙の爆弾』1月号「西谷文和の「維新一人勝ちの謎を解く」参照)。

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◆今のままの野党共闘が政権の受け皿になる可能性は、ほとんどない

この先10年を決める自民党総裁選と書いた手前、これを言うわけではない。しかし、今回の野党共闘から見えてきたのは、立憲民主党と共産党が55年体制の体質・国民の受け止め方に変わりがなかったという事実だ。とりわけ共産党においては、党首が21年も変らない現実がある。

いま、連合の新会長の芳野友子はことあるごとに「立民党は共産党と手を切れ」と演説しているという。選挙戦術としては自公も行なっていることであって、野党共闘がただちにダメだと批評する気はない。

が、日本共産党の保守的な体質はまさに、日本の諸制度に改革をもたらさない守旧派である。維新の会が改革派として自民党批判の受け皿になっているのとは好対照といえよう。この先、今のままの野党共闘が政権の受け皿になる可能性は、ほとんどないと指摘しておきたい。

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◎[参考動画]「立民 共産との共闘あり得ず」芳野連合会長(テレ東BIZ 2021年11月28日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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東京オリンピックが招致された数年前から、反対運動は活発だった。本通信も開催反対の論陣を張ってきたが、オリンピックにかかる利権の深さを知るにつれて、何があっても開催が強行されることを確かめないわけにはいかなかった。

やむなく開催時には思いきって開き直り、酷暑のなか現地報告をしたものだ。

そこでは、あまり報じられなかった自衛隊の警備出動が、かなり過剰なものだったと判明した。追いかけ記事で、自衛隊の警備出動を報道したのは、「紙の爆弾」と「週刊金曜日」だけではなかったか。それはともかく、暑かった夏のメモリーを再読していただければと思う。

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《現地報告》猛暑の中で始まった呪われた東京オリンピック・パラリンピック[後編]警備費用こそが大会開催費の大部分ではないか 2021年7月27日
 
大きな成果もあった。ぼったくり男爵こと、バッハIOC会長のえげつない態度が、今回のオリンピックを通じて全世界に伝えられたことだ。これはオリンピックの将来に向けて、ひとつの指標になったのではないか。「平和の祭典」は利権と政商のスポーツショーである、と。


◎[参考動画]IOCバッハ会長「ガンバリマショウ」 五輪組織委を表敬訪問(2021年7月13日)


◎[参考動画]バッハ会長歓迎会に波紋 与党幹部「世論がおかしい」(2021年7月19日)

来年の北京オリンピックにむけて、ふたたびバッハ会長の振る舞いが問題視されている。何があっても、オリンピック開催という利権は失いたくない。もはや政商そのものというべきであろう。

すなわち、中国の女子テニスのトッププレーヤー・彭帥(ポン・シュアイ)選手の告白とされる文章がネット上に公開され、そのニュースが連日高い関心を集めている一件だ。

その内容は、「中国の前副首相から性的関係を強要された」というもので、選手の安否や北京オリンピック開催の是非、外交ボイコットをめぐる問題にも発展している。中国共産党の権力闘争と考えられる面もあるが、女性の「MeToo」であることに変わりはない。

激しい批判を前に、バッハ会長が中国当局を擁護するパフォーマンス(彭帥選手とのPC会談)を行なって、批判をかわそうとしたのである。

WTA(女子テニス協会)のスティーブ・サイモンCEOは、適切な調査が行われなければ、中国での大会の開催などを見送ることも辞さないという考えを示し、躊躇わずにそれを断行した。

もともとWTAは、大会賞金の男女格差是正を契機に立ち上げられた団体であり、女子選手の立場を護るのに積極的である。北京大会への影響(女子テニスが行なわれない)が注目されるところだ。

もしもこのまま紛糾して、女子テニスが大会からはずれるようなことがあれば、バッハはとんだピエロということになる。

さて、オリンピックが利権であり批判に値するとはいえ、スポーツそのものを否定するような批判の論調は少々危うい。身体を動かすことが健康を保つのは、狩猟・採取時代から濃厚時代に至っても、それが人類の本源的な行為であるからだ。

自動車が戦車や戦闘機の代替え行為である、という大戦後の消費スタイルとともに、スポーツも戦闘行為の代償として存在してきた。読売球団が「巨人軍」などという戦闘集団の名称を頂くのも、スポーツを戦闘と見做しているからにほかならないのだ。


◎[参考動画]「彭帥さん本人」IOCバッハ会長 別人の可能性否定(2021年12月10日)


◎[参考動画]CNN speaks to WTA chief on decision to pull tournaments from China(CNN 2021年12月2日)

◆国家的育成スポーツが、国民を疎外する

そこで、スポーツの祭典を否定するのではなく、将来の在り方を検討していかなければならない。そこで考えられるのは、近代オリンピックが、そもそも個人およびチーム単位での参加から始まった事実なのである。なるほど国家単位でしか資金は得られなかったし、国別対抗競技であるからこそ、オリンピックは戦争に代わる「戦闘行為」たりえている。

そして、国の代表になるためにはある意味で特別な資格、すなわち強化選手になる必要があるのだ。その強化選手になってこそ、育成が遅れていた日本でも味の素オリンピック強化センターなどの施設に入れるし、スポーツに専念できる育成費も支給される。海外派遣費も支給されるので、自前で海外に行く必要がなくなる。

問題なのは、このスポーツのエリート化である。かつて、ソ連および東欧諸国で行なわれていた、サイボーグ的な国家レベルでの強化策ばかりになってしまうと、国民はスポーツを観る人たち、選手は国家的プロジェクトで育成されたエリートということになる。エリートがいてはダメだ、と言うのではない。観る者と演じる者の断絶、スポーツの底辺が形成されない、国民のスポーツからの乖離がそこに発生するのである。


◎[参考動画]Tokyo 2020’ye hazır(Al Jazeera Turk 2016年8月22日)

[関連記事]
床屋政談的オリンピック改革論 ── 国単位ではなく、チーム・個人参加がよいのではないか? 2021年8月10日

それにしても振り返ってみれば、おびただしいオリンピック利権の数々である。利権に付きものの犠牲者(自殺者)も出ている。政商竹中平蔵、スポーツ界に君臨してきたドン・森喜朗、そして国民をコロナ禍に危機にさらした菅義偉。
オリンピックへの幻想が明白となった、2021年であった。

[関連記事]
嘉納治五郎財団の闇 犠牲者があばく収賄劇 ── 追い詰められた菅義偉の東京オリンピック 2021年6月15日 
東京五輪強行開催で引き起こされる事態 ── 国民の生命危機への責任が菅政権を襲う 2021年7月14日 
やはり竹中平蔵は『政商』である──東京五輪に寄生するパソナのトンデモ中抜き 2021年6月5日 
森喜朗=東京オリ・パラ大会組織委員会会長の辞任劇 何が問われていたのか 2021年2月13日 


◎[参考動画]滝川クリステルさんのプレゼンテーション IOC総会(ANNnewsCH 2013年9月8日)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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◆維新の会が躍進した「秘密」にせまる

年末ということもあり、総選挙を総括する記事が重なった。とくに維新の会の躍進をどう分析するか。

これはもっぱら、大阪に足のある評者にお願いしたいと思っていたところ、西谷文和の「維新一人勝ちの謎を解く」が掲載された。まさに時宜にかなった、しかも正鵠を得た内容だった。最新号のキャッチは「維新“一人勝ち”の謎を解く」である。

西谷文和は、総選挙全体の野党共闘の「敗北」の原因を、①1万票以内で競り負けた31選挙区、②立民枝野代表の「また裂き」、③自民党総裁選挙のメディア過剰、であるとする。これらは要点を得て、うなずけるものがある。

それ以上に、唸らされたのは維新の会の組織力の分析である。大阪府の過去2回の住民投票、19年の参院選挙の選挙結果。このふたつの投票率と得票数をもとに、維新の会が持っているのが140万票。および140万票を、70万票に二分する組織力が分析できる。その分析手法はあざやかで、一読にあたいする。

さらには、200におよぶ維新の地方議員のドブ板選挙。この記事で維新の会の躍進の「謎」「秘密」が解明するのである。お見事! 西谷文和は吹田市役所勤務経験のあるジャーナリストだ。

◆野党共闘が勝つ「方法」とは?

西谷文和は自・公・維新を倒す方法として、「5:3:2」の法則を挙げ、棄権5割のうち2割が投票行動をすれば、選挙には勝てるという。それを可能にするのは、野党共闘がさらに3%の得票率を獲得できるよう、ドブ板的な活動量、有権者にひびく言葉を投げかけることだと。

横田一も「野党共闘の成果と課題――岸田文雄『長老忖度政権』と闘う方法」において、東京8区の教訓を挙げている。周知のとおり、東京8区は野党候補が錯綜し、山本太郎(れいわ新選組代表)がいったん出馬を表明しながら撤回するという事態があった。

その後の山本のパフォーマンスが、吉田晴美候補の当選につながったと評価する。北海道4区、大阪10区では自民が最終段階でひっくり返し、ぎゃくに神奈川13区では野党共闘が甘利明自民党幹事長を敗北させた。れいわは5議席を獲得し、NHK出演の政党要件(5名)を満たしたのである。これら選挙パフォーマンスにおいて、立民党の枝野代表の動き、発信はいかにも緩慢であり、有権者に届かないものだった、と横田は批判する。けだし当然であろう。立民の新しい執行部が、山本太郎並みの発信力を身につけ、本気の野党共闘をつくり出すことが、勝つ「方法」の核心だとする。

◆安倍晋三に何が起こっているのか

山田厚俊は「大安倍派誕生も 自民党の変容と安倍晋三の終わり」として、安倍晋三が早期に引退するのではないかと指摘する。というのも、キングメーカーとして君臨するつもりだったが、急速に求心力が低下しているというのだ。安倍晋三に何が起こっているのか? その原因は、派閥のいびつな構造にあるという。

清和会(安部派)93名は、自民党の圧倒的多数はである。にもかかわらず、いやそうであるがゆえに、一枚岩ではないのだ。福田閥、安倍晋太郎閥、小泉閥、晋三閥を抱えている。それゆえに、総裁候補を出しにくい構造にあり、それが自民党全体のなかでは派閥のバランスに配慮しなければならない主流派ゆえに、派閥内には不満が渦巻いているという。

そして、徐々にカタチを顕わしつつある「対安倍包囲網」。それは山口3区で衆院入りした林芳正の外相抜擢にあらわれていると、山田は指摘する。林が安倍を仇敵であり、外相抜擢が将来の総理候補であるからだ。

このあたりは、やや視点は違うが本通信の記事を参照して欲しい。安倍派の内部抗争に注目だ。

[関連記事]「安倍派の誕生 ── 息づく「院政」という伝統」2021年11月12日

◆公明党の危機とは?

大山友樹「『10万円給付』の裏に公明・創価の狙い」NEWSレスQが、葛飾区区議選での公明党議席減に、公明党の危機を指摘している。前々回(11議席)から3つの議席をうしなったことになる。公明党にとって、参院東京区と地方議員は絶対当選の要件である。得票率は700万票(09年は805万票)を切るか切らないかに低減している。大山が指摘するのは連立政権の中で、自民党抜きには選挙にも勝てなくなっている現実、そして自民党並みの腐敗。すなわち遠山清彦元代議士の「闇献金」問題によって、大波が押し寄せていることだ。

すこし横道に逸れるが、NEWSレスQには気になる情報が載っている。マリエの「枕営業」(相手は島田紳助)と日大理事藪本(被告)の愛人情報だ。このあたりのスキャンダルを、もっとワイドかつディープに取り組むジャーナリストはいないものか。

◆メディアの「選挙協力」

浅野健一は「『反共』『壊憲』扇動の大本営発表」として、朝日新聞をはじめとする記者クラブ、内閣記者会の問題点を指摘する。

立民党の代表選挙が、自民党総裁選挙よりも「知性・品格もはるかに優れていると感じた。経歴・党歴も様々で、今後、日本をこう変えたいという理念や情念がよく伝わった」(記者クラブ主催の討論会)にもかかわらず、「キシャクラブ」の報道は「共産党との共闘の今後」が争点になったと、勝手に報じたと批判する。

朝日「天声人語」の筆者を山中季広論説委員と特定して、そのバランスを欠いた書き飛ばしを批判する。その歯に衣着せぬ批判は、いつもながら痛快である。問題なのは「岸田演説に日当五千円動員」(茨城6区、国光文乃議員選挙)である。告発のゆくえが注目される。

◆選挙制度の欠陥

「権力の腐敗はなぜチェックされないのか――総選挙と西東京市長選に見る選挙制度の悪用」(青木泰)は、虚偽事項を満載した怪文書が「法定ビラ」として大量に撒かれた事件のその後である。東京高裁は違法性(公選法違反)を指摘しつつ、当選無効の判断はしなかった。現在の司法には無理であろう。

青木は今回の総選挙で、森友事件を追及してきた立民の川内博史(鹿児島1区)、辻元清美(大阪10区)、今井雅人(岐阜4区)、黒岩宇洋(新潟3区)らが、ことごとく落選した背景に、自民党が長期間をかけて落選させる準備をしてきたと指摘する。だとすれば、自民党の周到な計画がどのようなものなのか。そんなレポートを期待したい。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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パンデミックが始まっていらい、彼女の刻苦奮闘は国民の中にある種の感動を呼んでいた。毎日欠かさず、新たなキャッチ(標語)を考案しつつ、ていねいに都民へのお願いをする。

暗い表情の宰相がつっけんどんに、いかにも素っ気ない「安全、安心」をくり返すのとは好対照であった。

だがそのいっぽうでは、その政治的な野心が、やや強権的な処断によって警戒され、批判も浴びてきた。


◎[参考動画]東京 過去最多5773人感染発表、小池知事「私たちの意思で・・・」(TBS 2021年8月13日放送)

◆都の女帝が仕掛けたこと

思い起こしてみれば、彼女が都知事に転じようとしたとき、自民党のボスたちはまことに古い手法でそれを妨害したのだった。そのいかにも陰険な方法(応援した者を処分する)が、思想信条をこえて女性政治家の健気さにシンパシーを集めた。2016年の小池百合子都知事誕生とは、まさに政治が劇場と化すのをまざまざと見せつけたのである。


◎[参考動画]小池百合子氏が当選 初の女性都知事に」(ANN 2016年7月31日放送)

2017年の「希望の党」の頓挫もまた、劇場的な転落として印象に深い。彼女自身の「排除の論理」で、政権交代の千載一遇の機会は失われたのだった。浮動票のいかに敏感なことか。同情すべき女から、イッキに嫌な女に転落したのだ。彼女に同伴した「民進党のプリンス」は、いまや自民党の同伴者となり果てた。

だがしかし、2020年の都知事選挙に、史上2番目の得票数となる366万1371票で再選。希望の党の崩壊にもかかわらず、自身は国政政権と対等な政治的ポジションを維持したのだった。


◎[参考動画]東京都知事選 小池百合子氏再選 投票率は前回下回る(FNN 2020年7月6日)

はたして、第3の劇場が幕をあけるとは、誰も予想しえなかっただろう。わずかに、都議会選挙直前の「入院」がどう作用するのか。おそらく選挙の帰趨は、その一点だった。くり返すが、どのメディアも都民ファーストの大敗を予想していた。

※[関連記事]「小池都知事「入院」の真相と7月4日都議会選挙・混沌の行方」(2021年6月28日) 

◆悲運のヒロインにはならなかった

しかし、結果は戦前の予想をくつがえす、都民ファーストの善戦だった。自民党は2016年の大敗を回復できずに、小池都政は安泰となったのである。それもほんの「一日」のことだった。彼女は最後の一日に出てきたのだ。病院から――。

わずか一日、10カ所あまりの選挙現場を支援しただけで、大敗をまぬがれたばかりか、神がかり的な選挙での強さを再現してみせたのだ。おそるべし、小池百合子、である。

おそらく彼女の「健在」を確かめたのは、12カ所の応援で数百人にも満たなかったであろう。しかしメディアでそれを知ったのは、数百万におよぶであろう。メディア選挙を十分に意識した「入院」→「退院」「選挙応援」→「浮動票の獲得」だったのだ。

2017年の快挙いらい、あまりにも良すぎる政治的なタイミングの見計らい。自民党およびメディアは驚嘆した。都民と国民は、留飲を下げたのではないか。


◎[参考動画]東京都議選 僅差で自民党が第1党に(ANN 2021年7月5日放送)

※[関連記事]「《速報》2021年都議会選挙 都民ファーストの善戦、自民党の復活は不十分に」(2021年7月5日)

※[関連記事]「この秋、政権交代は起きるのか? ── 『紙の爆弾』最新号を参考に、都議選後の政局を俯瞰する」(2021年7月8日) 

かくして、菅政権は風前のともし火となった。

コロナ禍のもとのオリンピック開催という、およそ常軌を逸した既定方針の踏襲。ただひとつオリンピックだけが、他のイベントに優先されるという政治的な決断は、国民に「オリンピック不信」を植え付けた。

IOC会長トーマス・バッハ(Baron Von Ripper-off=ぼったくり男爵)への嫌悪感とともに、国民は菅政権への忌避を隠さなかった。そこで浮上してきたのが、福田康夫政権時いらいの、ひそかな「大連立構想」だった。政権を失いたくない自民党にとって、それは緊急避難にちかい選択肢であっただろう。

※[関連記事]「五輪強行開催後に始まる「ポスト菅」政局 ── 二階俊博が仕掛ける大連立政権」(2021年7月21日) 

さらに菅義偉の自身の地元である、横浜での市長選挙の敗北。これで命脈は尽きていた。もうボロボロである。二階が仕掛けようとした保守大連立は、小池の国政復帰を見越してのことだった。

※[関連記事]「【速報】横浜市長選挙 野党候補が勝つ! 菅総理の命脈が尽きた日」(2021年8月23日)

※[関連記事]「岸田内閣の二階派排除と衆院選の波乱 小池新党は第三極になれるか」(2021年10月6日)

だが政局がいったん無風となった夏季に、小池百合子および都民ファーストは何も準備できなかった。地域政党「都民ファーストの会」の荒木千陽代表が10月3日に都内で会見し、国政新党「ファーストの会」を設立すると発表したものの、ついに彼女らの出馬はなかった。

◆とん挫した政治構想

総選挙後のこと、「やっぱり、我々も候補者を立てていれば……」都民ファーストの会の関係者は悔しげな表情でそう漏らしたという。いうまでもなく、衆院選で日本維新の会が議席を4倍近くに増やした勢いを、肌で感じたからにほかならない。それどころか、都民ファーストは身動きをとれないほどの問題を抱え込んでいた。木下富美子都議(当時)の問題である。

木下元都議は7月の都議選中に無免許運転で当て逃げ事故を起こし、書類送検されていた。2度にわたる都議会の辞職勧告からも、逃げ続けるという醜態を晒している。9日に都議会に現れ説明を求められたが、事実上のゼロ回答だった。この問題児の「生みの親」こそ、ほかならぬ小池知事だったのだ。

「小池さんの環境相時代、木下さんは広告代理店社員として小池さん肝いりの『クールビズ』のキャンペーンを手掛けました。いらい関係性を深め、2017年の都議選で都ファ候補に抜擢。小池知事の『お気に入り』だからこそ都議になれたのです」(広告業界関係者)。
好事魔多しという言葉を、これほど体現する政治家も少ないであろう。政治的な絶頂期に、わずかな言葉づかいで党は失墜し、身内の不祥事で政治構想がとん挫したのである。(つづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

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