ちょっと驚いた向きもあるのではないだろうか。成田(三里塚・芝山)空港用地の強制収用である。

成田市天神峰で、機動隊による闘争拠点破壊(強制収用)が行なわれた。支援活動家3人が逮捕され、市東孝雄さんの畑に設置されていた櫓(やぐら)が撤去されたのである。


◎[参考動画]成田空港反対派の農家の建物撤去などを地裁が強制執行(朝日新聞デジタル)

反対運動にかかる設置物への強制収用は6年ぶりだが、反対同盟農民の田畑にかかる土地収用は、大木(小泉)よねさん宅(71年9月)いらい、じつに52年ぶりになる。今回は看板と櫓の撤去だったが、いずれは畑そのもの、市東さんの自宅が強制収用の対象となる可能性が高い。

土地そのものが借地であるとはいえ、営農している農家の土地を奪う、日本の農政(食糧自給の促進)と逆行する土地収奪は、天に唾して土地を殺すにひとしいものだ。裁判における成田空港会社の主張は、農地法を論拠にしているが、農地法自体が農民の土地保護を目的とした立法趣旨であることから、空港会社側の不法行為が指摘されている。

市東孝雄さんの家と畑が、B滑走路の誘導路の真ん中にある。(※画像は前進社ホームページから)

三里塚空港(成田空港)は高度成長期に計画され、1978年5月に滑走路一本で「開港」した。その後、90年代に政府と反対派の「話し合い」が行なわれ、強制的な土地収用や強硬手段は採らない、と円卓会議で「和解」した経緯がある。

その意味では、法的にも道義的にも成田空港は違約したというべきであろう。そもそも土地明け渡しの訴訟(裁判による強制手段)を訴えたこと自体、約束違反ということになる。

和解に至るまえに、大地共有化運動(反対同盟農民の土地を、支援者で分割名義にして共有する)をめぐって、三里塚芝山連合空港反対同盟は分裂している(83年3月)。この事情は当時、革マル派との党派戦争を行なっていた中核派が、大地共有化運動に参加できない(住所を公開することになる)ことで、猛烈に反対した経緯がある。

この分裂をめぐって、中核派が第4インターの活動家を襲撃する(のちに足の切断を余儀なくされた人もいる)ことで、反対運動に大きな禍根を残した。

中核派から分裂した関西派(革共同再建協議会)は、この件を自己批判している。

しかるに、分裂した反対同盟熱田派(現柳川代表派)が結んだ「空港建設に強制的な手段は用いない」という和解協議を論拠に、強制収用の違法性を批判することになったのだ。

現在、移転に応じた近隣農家(元反対同盟)もふくめて、空港の騒音訴訟という条件闘争、用地内の反対同盟(旧北原派)、木の根ペンション(プール)、三里塚物産など、様々な立場から反対運動が継続されている。その意味では、日本住民運動の管制高地といわれた三里塚闘争は、まだ北総台地で生きているのだ。

◎[参考記事]反対同盟(旧北原派)の旗開き(中核派のホームページから)
 市東さん畑で盛大に旗開き(2023年1月16日付け週刊『前進』

◎[参考記事]三里塚芝山連合空港反対同盟(代表世話人・柳川秀夫)の旗開き(第4インターのホームページから)
2023年三里塚反対同盟旗開き&東峰現地行動(2023年1月18日付け週刊かけはし)

三里塚はもともと、日本のバルビゾンと呼ばれたほど風光明媚な土地で、その耕土は黒いビロードのようだと言われる。かつての反対運動を追体験したい若者たちが援農を体験したり、夏のプール(元は水利用の風車の水源地=わたしも学生時代に掘り方として参加した)、秋の収穫にいまも集まる。可動力の7割ほどの需要しかない空港を縮小・廃港にして、農業復興・自然観光の土地に造り変える。そんな展望をもった運動の継続に期待したい。

◎[参考情報]木の根ペンションFacebook 

◎[過去記事リンク]三里塚 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=63

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。3月横堀要塞戦元被告。

月刊『紙の爆弾』2023年3月号