いよいよ2018年問題を迎え、大学の教育現場は存亡をかけた改革の試練、あるいは混乱に陥っている。この2018年問題とは、18歳年齢が減少に転じる大学の生き残りにむけた経営およびカリキュラム改革である。そしてその改革が臨時講師の雇い止め、共通科目のいわゆるリベラルアーツの削減として進行しているのだ。博士号を取っても就職できない高齢ポストドクター問題はおろか、いまや正教授すら解雇の対象となっている。

18歳人口は1992年に団塊ジュニアの205万人をピークに減少に転じ、2000年には志望者すべてが入れる全入時代に突入した。じつは90年代に大学は受験バブルを迎えて、学部の新設・定員枠の拡大をおこなっていた。一時的な定員増だったが、拡大した組織はおいそれと元にもどせるわけではない。大学の行政組織は任期の短い研究者の集団ゆえに長期計画に欠け、組織の改革は経営環境の変化に追いつけなかったのが実情である。

日本の大学どうする?~2018年問題(2013年10月23日付ブログ「これからは共同体の時代」)

2008年の1億2800万をピークに日本の人口が減少に転じるころには、18歳人口は120万人に減少していた。2014年には118万人となり、ここ数年は横ばいだった。事なかれ主義の大学経営陣も、さすがに危機感をもって改革に乗り出すのだが、その手法は学部の統廃合、環境学部、スポーツ学科など学生に人気のありそうな新学部、看護、観光など実学に即したものが目につく。

学生の減少とともに、郊外にキャンパスを移していた大学は都心部にもどってきた。関西では同志社が田辺から京都にもどり、東京では法政大学が市ヶ谷キャンパスの拡充を行なった。60年代の土地ころがしに失敗し、郊外移転を実現できなかった明治大学が人気になっているのをみて、都市型大学にもどしたというわけだ。その過程で肥大した組織が削減され、その削減が臨時講師の雇い止め、専任の解雇事件につながっているのだ。札幌学院大学の片山一義教授(労働経済論)が主催するサイト「全国国公私立大学の事件情報」には、のべ数百件の記事が掲載され、その少なからぬ事件が解雇問題なのである。

関東の主要私立大学志願者数推移(2016年06月24日付『サンデー毎日』2018年問題を生き残る大学は「こう変わる!」)

関西の主要私立大学志願者数推移(2016年06月24日付『サンデー毎日』2018年問題を生き残る大学は「こう変わる!」)

もうひとつ、独立法人化した国立大学もふくめて、各大学が経営の立て直しのために行なったのが、文部科学省官僚の天下りの受け入れである。予定調和的な教授会自治の上に、これまた名誉職的な理事会がルーチンワークをおこなっているだけでは、改革の大ナタは振るえるはずがない。そこで私学の多くが財界人を外部理事にまねき、元官僚に辣腕を振るわせ、よってもって補助金をにぎっている文部科学省との良好な関係を築こうとしたのだ。

この天下りは、一昨年らい国会でも文科官僚の再就職の斡旋が、組織的に行われているとして問題にされてきた。そしてこの天下り官僚たちが各地の私学で、まさに辣腕を振るうことで大学組織をズタズタにしているのだ。城西大学における創業者の水田一族の追放劇、梅光学院大学における反対派の追放による組織崩壊などは、氷山の一角にすぎない。「紙の爆弾」4月号では小特集が組まれる予定だという。

いっぽう、大学の2020年問題とは入試改革である。センター試験に代わって、大学共通試験と名を変えて行われる予定だが、その内容はマークシートを残しつつも、記述問題が大幅に導入されるようだ。そのために入試時期を前倒しにしなければ採点が追い付かない。文科省と高校側のつばぜり合いが行なわれている。また、英語は国が指定する民間検定に順次移行するとされている。AO入試の問題点と併せて、本格的な議論を呼ぶものとなるだろう。

大学問題では、2月26日に元大学職員でジャーナリストの田所敏夫氏の『暗黒時代の大学』(鹿砦社ライブラリー)が刊行された。大学改革および教育改革は、なおいっそう国民的な議論で検証されなければならない。大学の補助金は国民の税金であり、教育の行方はそのまま国家のゆくすえを決めるのだから。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)
著述業・雑誌編集者。著書に『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。

2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

過日、本通信に、元読売新聞記者山口正紀さんが朝日新聞の取材班に対する対応について、率直に鋭い指摘を寄せて頂いた。以下の紹介するのは、やはり元全国紙の記者であり、いまも一線で活躍されている方からのコメントだ。感想を求めたところ、

「ごぶさたしております。なかなか凄い対応ですね!」との書き出しから次のような感想をいただいた。

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ことは、個々の記者あるいは『朝日新聞』『毎日新聞』に限らず、マスメディア全体にかかわる問題だと思います。コンプライアンスの名の下に官僚組織化した全国紙などでは、事実上、記者の言論の自由は剥奪されています。よけいな問題を起こされたら責任問題になると、保身に走る管理職だらけになってしまったからです。外での執筆活動や講演活動は届け出制、あるいは許可制となり、今回のように外部から取材を受けるときは広報部を窓口にするのが基本となっています。

このような傾向が強まったのは雲仙普賢岳の火砕流事故以来です。「とにかく危険なことはするな、危険な場所に行くな」ということで、現場記者は上司の管理下に置かれるようになりました。容易に想像がつくと思いますが、こうした傾向が続くと、何から何まで「上司のお伺い」が必要になり、あっという間に組織は官僚化します。

そこへネット時代が重なりました。ツイッターやブログは多くの目にさらされますから、記者のツイッターが炎上するといった事態も起きます。当然、上司に責任がいく場合もあります。外部から取材を受けたときも、そのやり取りがネットにあがることがあり、管理職は異様に気をつかいます。すべては自己保身による事なかれ主義です。だから、正直、河野氏も現場記者も見方によっては「被害者」だと感じてしまう自分がいます。現場記者はもちろん中間管理職も組織に逆らえば直ちに処分対象になりますから。

いまのマスメディアの堕落は「コンプライアンス」から始まったと私は考えています。かつての記者は、相手が上司だろうが「おかしなことはおかしい」といったものですし、上司もまたそれを受け入れていました。つまり、記者はひとりのジャーナリストとして自立していたのです。そうした文化が意味不明なコンプライアンスにより潰えてしまいました。言論の自由を標榜するマスメディアで社内民主主義が消えかけている――極めて深刻な問題だと思っています。

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なるほど。朝日新聞、毎日新聞に限らず、「コンプライアンス」が幅を利かせる時代になって「自立した記者」が放逐される仕組みが出来上がったので、今回のような対応が生じたとの分析だ。報道機関に限らず「コンプライアンス」は近年、金科玉条のように持ち上げられている。しかし「法令順守」といえばまったく同義で意味が通じるのに「コンプライアンス」があたかも「高尚な価値」のように扱われるようになってから、新聞社や記者はがんじがらめになって「自立した記者」が存在しにくくなっているようだ。だとすれば「コンプライアンス」という概念自体が報道の基礎を邪魔しているとうことにはならないか?

新聞社はもとより「企業」でもあるが、「報道機関」、「権力監視」、「公平な報道」などの機能を読者は無意識に期待しているのではないだろうか。取材班の中には「日本の報道機関は、過去も現在も常に腐っていて批評すること自体ナンセンスだ」との極論を曲げないスタッフもいるが、それでも生活の情報源として新聞からの情報に一定の信頼をおく読者は少なくないはずだ。

であるから、「元全国紙記者」氏の指摘は、深刻な構造的問題を提示してくれている。

「法律に従うこと」と「過剰な自己保身に走る」ことは異なる。自己保身に必死な「新聞記者」(あるいは新聞社)から、本質的な「スクープ」が生まれてくるだろうか。権力が撃てるか。「規制が強すぎて書きたいけども書けない」のであれば、むしろそう告白して欲しい。新聞社の内実が、そのような「自己保身」を中心とした価値観で占められていることなど、多くの読者は知る由もない。

(鹿砦社特別取材班)

◎朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃(2018年2月20日鹿砦社特別取材班)

◎〈特別寄稿〉こんな官僚的対応をしていて、新聞社として取材活動ができるのか ── 大学院生リンチ事件・鹿砦社名誉毀損事件をめぐる朝日新聞の対応について (2018年2月24日山口正紀)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

「10・8山﨑プロジェクト」

さて、上野千鶴子とはなにものだろうか。わたしは「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」と感じている。京都大学の大学院時代から上野先生は広告代理店のようなシンクタンクに一時かかわっていたと聞いている。そのあと平安女学院短期大学を皮切りに上野先生の教員時代が花開くのであるが、まだ彼女を上野先生と呼ぶにふさわしくない、京都大学の学部生時代に彼女が最初に付き合った男性は、のちに破防法の個人適用で逮捕されることになるある党派全学連委員長だった、との噂は知る人ぞ知る情報だ。「10・8山﨑プロジェクト」の発起人に名を連ねているのも、そんな関係があってのことだろう(彼女が付き合っていた相手が山﨑博昭さんという意味ではない)。

◆「土井たかこさんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」

 

『atプラス26』(2015年太田出版)

上野先生が京大に在籍したのは、1960年代後半から70年代中盤だ。70年安保の真っただ中で、彼女も学生運動の端くれにはいたのだろうが、その後上野先生の発信からは70年安保を体感したかおりは、まったくうかがえない。むしろわたしの知る限り、上野先生はある時はマルクスを利用しながらも、独自の世界を流転してこられた印象がある。

上野先生の名が世に知らしめられたのは、なんといっても「フェミニズム」の旗手としてだ。80年代立て続けに「フェミニズム」関連の書籍や論文を発表し、一躍時代の人となる。「フェミニズム」はそれ以前の「ウーマンリブ」運動を拡大し論理化する潮流が主流だったように感じる。この国の封建制を女性の立場から批判し、平等を訴える主張には原則的に正当性があるとわたしも感じた。だが、ある時期大学職員を対象とした研修会では講師が「女性差別をしたことのない男性などいない。女性が不快と感じればそれはすべて女性差別だ」などと、無茶な主張をする現象も招いた。

上野先生は、土井たか子が社会党の党首に就任したときコメントを求められ「土井さんは男性社会の生き方で党首になったのだから大したことだとは思わない」旨の発言をしていた。男権主義の社会構造のなかで女性が当時最大野党の党首になっても、「たいした意味はない」と上野先生は言い放ったわけだ。そうかな?と当時のわたしは納得できなかった。土井たか子は男勝りの押しの強い性格のようだ。男に媚を売って党内で力をつけてきたとは考えにくい。政治家としての自力が彼女に党首の席をあたえたのではないだろうか。

 

『おひとりさまvs.ひとりの哲学』(2018年朝日新書)

◆「フェミニズム」から「おひとり様」へ

そう言い放つ上野先生ご自身が思い描く「あるべき女性像」がどのようなものなのか、は知らない(あまり興味がないので)。上野先生だって前述のように所属していた小さな大学が大学院を作ろうと必死になっている中、「権威の象徴」東京大学へ移籍するという経歴の持ち主だ。あの行為は男女を軸に判断されるべき問題ではないだろうが、常識的な感覚からは考えられない背信行為だと私は感じた。東大に移籍するならするで構わないけども、それならば「大学院設置準備委員会」のメンバーに就任すべきではなかったのではないか。あるいは「委員会」が始まってから東大移籍が決まったのであれば、即時そのことを「委員会」で報告すべきだったろう。

そういった意味で上野先生は、「わがまま」と言われても仕方ない側面を持つ方だと言えよう。「フェミニズム」で輝いていた上野先生は、ある時期を境に「当事者」という言葉をキーワードに使うようになる。講演などでもしきりに「当事者性」を語っていたけれども、これは「フェミニズム」ほどのインパクトを社会に与えはしなかった。

正確な時期は分からないが上野先生にはある時期まで同居男性がいた。その男性との同居が終わったからなのか、それとは無関係なのか、上野先生は「おひとり様」にキーワードを変える。これは結構受けた。特に高齢者の域に差し掛かっている上野先生が、自身の弱みを認めながら生活してゆくことを語る講演には、高齢者を中心に高い評価を受けていた。

◆「憲法9条改憲」を主張するSEALDsさえも支持する「使い分け」

 

『世代の痛み ― 団塊ジュニアから団塊への質問状』(2017年中公新書ラクレ)

さらに、安保法制で国会前が騒然とするとSEALDsの集会にも足を運び、何度もスピーチをしていた。けれども、学生がツイッターに書いた文章に「フェミニズム」の立場からコメントすると、総叩きにあうという痛い目にもあっている。SEALDsに幻想を抱き、集会に足を運ぶあたりで、上野先生が学生時代どの程度学生運動とかかわっていたかが推測できる。あんなちゃちな主張をする子供たちを持ち上げた学者たちは、わたしの目から見たら全員「インチキ」だ。よくぞ恥ずかしげもなく、あんな場所で発言できるものだなぁと呆れた。

SEALDsは安保法制に反対しながら「憲法9条改憲」を主張する、矛盾に満ちた思考停止学生の集まりだった。それに乗っかかった大人たちは、もっと「どうかしている」人たちと言わねばならないだろう。その中に上野先生の姿があっても、「ああ、またやってる」とわたしにはまったく不思議ではなかった。

こうやって見てくると、上野先生は時代に合わせて提供する課題(ターム)を巧みに使い分け、世渡り上手に人生を過ごしてきた人だということが言えるだろう。でも、上野先生ご活躍の陰で、泣かされてきた人(教員などではなく弱者)が居ることをわたしは知っている。2018年2月。いまはかつて自明であったことがそうではなくなり、「反権威」、「反権力」を指向していた人たちが、なんの説明や総括もなく逆の立場に転じる「裏切りの時代」であるように感じる。

「そうとはわかられないように、時代と添い寝する生き方の賢者」を体現する上野先生。学生指導には非常に熱心だったが、権威主義から抜けきれられない人なのだろう。(未完)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

コッチャサンvs高橋亮。中間距離はコッチャサンの距離、ヒザが入り易い

コッチャサンvs高橋亮。高橋亮のローキックでバランス崩すコッチャサン

高橋亮は初回の様子見からパンチとローキックで主導権を握る。そのローキックで次第にコッチャサンは足が効いて仰け反ったりフラつくようにバランスを崩すこと多くなる。「KOできるぞ」というムードも3ラウンド中盤からコッチャサンの組み合っての攻防が多くなり、崩されたり、くっ付いてもやや離れてもヒザ蹴りが鋭く入るムエタイの距離感。前半の足のダメージなど、効いていないかのようにコッチャサンのフットワークがいい。

高橋亮も元のペースに戻そうとパンチで出る攻勢は見せるも、コッチャサンの巧みな技にはまり、ムエタイの奥の深さを感じたように攻略が難しくなる。高橋亮もキックとして攻めは目立ったので勝利を導いたが、「ムエタイでは完全にポイント持っていかれたな」という展開。

昨年12月、「KNOCK OUTイベント」に於いて小笠原瑛作と引分けた結果には評価が上がったが、ムエタイ元ランカーには苦戦。まだまだ越えなければならない壁はあるが、今後も壁を打ち破る成長が期待される三兄弟の一人で、観衆からの不甲斐なかったと言う不満の声にも反省の言葉を返した高橋亮でした。高橋亮はこれで19戦14勝(6KO)4敗1分。

コッチャサンvs高橋亮。高橋亮の左ストレートが先にヒット

棚橋賢二郎(拳心館)vs野村怜央(TEAM.KOK)は第1ラウンドに2度ずつのノックダウンがあり、第2ラウンドも棚橋のパンチ連打で2度のダウン奪ってKO勝利。第1ラウンドの棚橋2度目のダウンはその前の過撃の注意と重なりタイムストップが入るも、そのアナウンスがされていないが2度ずつのダウンとなる様子。前回興行に続く劇的な展開はNKBらしさがあるが、打たれ過ぎはなるべく避けて貰いたいところでもあります。

野村怜央vs棚橋賢二郎。2ラウンド目の2度目のダウンへ繋いだ右ストレート

棚橋賢二郎のパンチ連打で崩れ落ちた野村怜央、この後、タオルが入る

安田浩昭は得意のパンチで攻勢に出るが詰め切れない。時折、鎌田政興の強い蹴りが出るがこれも詰め切れない。安田浩昭のパンチとローキックがやや上回る展開が続き、決め手に欠ける内容ながら、安田浩昭の判定勝利。

安田浩昭は昨年12月に倒した高橋聖人(真門)と今年6月16日にNKBフェザー級王座決定戦で対戦予定となります。安田浩昭は11戦9勝(4KO)2敗。

鎌田政興vs安田浩昭。安田浩昭の重いパンチで鎌田政興を追い込む

その王座は、高橋と同門の優介が昨年12月に村田裕俊(八王子FSG)からダブルノックダウンの末KO勝利で王座奪取しているが、試合前からドクターによる引退勧告が言い渡されており、頭部の危険を承知の上での挑戦でした。王座を獲ることが目標で、それが達成された今、引退を表明したこの日のリング上でした。

女子キックも定着してきた日本キック連盟での展開。両者の技術の向上も見られ、21歳の壽美が31歳の喜多村美紀に的確さで優り判定勝利。

壽美(コトミ)vs喜多村美紀。互いにキャリアは浅いが若い壽美が有効打で上回る

◎闘魂シリーズ vol.1 / 2018年2月17日(土)後楽園ホール 17:30~20:45
主催:日本キックボクシング連盟 / 認定:NKB実行委員会

野村怜央vs棚橋賢二郎。ダウン奪われた野村怜央が逆転の右ハイキック

棚橋賢二郎vs野村怜央。更なるダウンを奪う野村怜央の右ストレート

逆転から逆転へ繋ぐ棚橋賢二郎の前進する圧力

ペースを奪い返してパンチヒット狙う棚橋賢二郎

◆第10試合 55.5kg契約 5回戦

NKBバンタム級チャンピオン.髙橋亮(真門/22歳/55.4kg)
   VS
コッチャサン・YZD(元・ルンピニー系スーパーバンタム級7位/タイ/19歳/54.7kg)
勝者:高橋亮 / 判定3-0 / 主審:前田仁
副審:鈴木50-48. 馳49-48. 川上49-48

◆第9試合 ライト級 5回戦

NKBライト級1位.棚橋賢二郎(拳心館/30歳/60.75kg)
   VS
同級4位.野村怜央(TEAM.KOK/27歳/61.0kg)
勝者:棚橋賢二郎 / KO 2R 2:56 / カウント中のタオル投入による棄権
主審:亀川明史

◆第8試合 フェザー級3回戦

NKBフェザー級1位.安田浩昭(SQUARE-UP/31歳/56.95kg)
   VS
同級5位.鎌田政興(ケーアクティブ/27歳/56.9kg)
勝者:安田浩昭 / 判定3-0 / 主審:鈴木義和
副審:佐藤友章50-48. 川上50-48. 亀川50-48

◆第7試合 女子51.0kg契約3回戦(2分制)

喜多村美紀(テツ/31歳/50.95kg)vs壽美(NEXT LEVEL渋谷/21歳/50.8kg)
勝者:壽美 / 判定0-2 / 主審:馳大輔
副審:川上30-30. 前田29-30. 佐藤友章29-30

◆第6試合 ヘビー級3回戦

打田知彦(テツ/37歳/86.75kg)vs森本真(極蹴会/50歳/81.6kg)
勝者:打田知彦 / KO 3R 2:02 / 3ノックダウン
主審:佐藤彰彦

◆第5試合 フェザー級3回戦

藤田洋道(ケーアクティブ/37歳/56.8kg)vs半澤信也(トイカツ/36歳/57.0kg)
勝者:半澤信也 / TKO 2R 0:57 / カウント中のレフェリーストップ
主審:佐藤友章

◆第4試合 ウェルター級3回戦

ゼットン(NK/46歳/66.6kg)vsちさとkiss me(安曇野キックの会/35歳/66.6kg)
勝者:ゼットン / 判定3-0 / 主審:川上伸
副審:鈴木30-29. 佐藤彰彦30-29. 馳30-29

◆第3試合 ライト級3回戦

小笠原裕史(TEAM.KOK/39歳/60.75kg)vs神田拳児(Team S.A.C/20歳/60.95kg)
引分け 0-1(28-28. 28-28. 28-29)

◆第2試合 バンタム級3回戦

古瀬翔(ケーアクティブ/22歳/53.1kg)vs大﨑草志(STRUGGLE/36歳/53.25kg)
勝者:大﨑草志 / 判定0-3 (29-30. 28-30. 28-30)

◆第1試合 バンタム級3回戦

志門(テツ/21歳/52.9kg)vs剣汰(アウルスポーツ/18歳/53.15kg)
勝者:志門 / 判定2-1 (29-30. 30-29. 30-29)

プログラム貰って会場に入ると、後で2冊持っていることに気付く。薄くなったのでした。紙質は厚くなった気がするが過去の16ページから8ページに。でも明らかに1冊の厚さは薄い。だからすぐには気付かず。この薄さと中身から「体制が何か変わったな」とはすぐ感じました。興行的には普段と変わらず、盛り上がりもあれば、不甲斐ない試合もあった興行でした。日本キック連盟は昔からプログラムは無料配布される体制です。

連盟の渡辺信久代表が珍しく体調不良で欠席されました。インフルエンザかな?と思いますが、ドクター勧告で「行っちゃダメ!」と止められている様子

その渡辺ジムは昨年暮れに、長年住みなれた葛飾区東新小岩から江戸川区東小松川に移転。ジムは近代的でもなく、古い造りでもないような話は聞きましたが、その様子は一度覗いてみたいものです。

旧ジムは古いビルの4階で、入るには4階に至るまで薄暗く緊張する階段でした。今時の空調設備と女子更衣室完備のジムが増えた中、昔ながらの隙間風入る、冬寒くて夏暑い、カビ臭い、ボロボロのサンドバッグが吊り下がり、リングのマットが剥がれているようなジムはどれぐらいあるでしょう。古いジムの方がキックらしい気がします。古い考えですが。

次回興行、闘魂シリーズvol.2は、4月21日(土)後楽園ホールに於いて17:30開始です。

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

2月20日付「デジタル鹿砦社通信」を読んで、朝日新聞社の不誠実極まりない官僚的対応にあきれ果てた。

◆幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある

問題の第一は、鹿砦社が李信恵氏を名誉毀損で提訴した際、記者クラブ幹事社として記者会見の要請を拒否したこと。「加盟全社に諮ったうえ」とのことらしいが、少なくともあの凄惨なリンチ事件の当事者が、それを告発した鹿砦社を「クソ」呼ばわりした、しかもその当事者は李信恵という社会的に名の知られたライターであり、自身の訴訟では度々記者会見を開き、記者クラブ加盟各社もその会見を記事にしてきた、半ば公人である。

これは、司法記者クラブという半ば公的な存在であるメディア機関が、このリンチ事件に関しては「中立・公正」の建前を捨て、それを市民・読者・視聴者に伝えるメディアとしての役割を放棄し、リンチ加害者を擁護したことになる。

これについて、幹事社として鹿砦社に対応した朝日記者には、明らかに「説明責任」がある。朝日新聞は、安倍政権のモリカケ疑惑などで、関係機関・個人の「説明責任」を求めてきたが、自身がそれを求められた場合、当事者である記者が、電話にも応じないというのは、実に不可解な態度であり、明らかな二重基準だ。

◆3人の朝日記者がとった対応は、ジャーナリストとしての基本を踏み外した責任放棄対応だ

問題の第二は、関与した記者たちが、鹿砦社の電話取材から逃げ回り、記者個人・ジャーナリストとしての矜持も捨てて、「会社」にすべてをゆだねてしまう情けなさだ。

この3人の記者は、自分の取材対象が取材途中で「詳しいことは会社が対応します。広報を通じて取材して下さい」と言ってきたら、はいそうですか、とすんなり応じるのだろうか。そんなことはあるまい。「あなたには、問題の当事者として取材に答える義務がある」とその当事者を追及するのではないだろうか。

もし、これが朝日新聞の「取材への基本的対応」であるとしたら、もうこれから、だれも朝日の取材には応じなくなるだろうし、応じる必要もなくなるだろう。3人の記者がとった対応は、それほどにジャーナリストとしての基本を踏み外した、「会社人間」の責任放棄対応だ。

◆本社広報部部長代理の対応は国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ

問題の第三は、対応を委ねられた本社広報部部長代理の尊大極まりない電話対応だ。

個々の記者には「本社広報部が窓口」と言わせておきながら、窓口としての役割を果たそうとせず、鹿砦社の取材を「非常識・迷惑」と非難する不誠実な電話対応に終始した。

少なくとも、「広報が対応する」というのなら、記者個々人に代わって、広報部としてきちんと質問に答えなくてはならない。そうでなければ、「広報部」とは言えない。それを、この河野部長代理は、問題の経過、事実関係もろくに把握せず、「記者に連絡を取るのは止めてくれ」「細かい大阪のことは知らない」という無責任で不当・不誠実な対応を繰り返した。

河野氏は元新聞記者なのだろうか。もしそうであれば、取材対象が「広報部」に連絡してくれと言って、広報部に連絡すると「個人への取材は止めてくれ」と言われ、はいそうですか、と引き下がるような軟弱な取材しかしてこなかったのだろう。

記者個人に「広報部を通じて」と言わせたのなら、せめて、広報部として、相手の質問に誠実に答えるのが「新聞社の広報部」ではないのか。これではまるで、「何も知りません」「資料は破棄しました」答弁を繰り返して国税局長に出世した佐川氏と同レベルだ。

今回の鹿砦社に対する対応で、朝日新聞社は、自分たちが取材対象になった場合は、こんな官僚的対応を取る会社であり、「取材の自由」や「報道の自由」を平気で踏みにじるメディアであること、ジャーナリズムとは程遠い存在であることを、天下にさらけ出したというほかない。

▼山口正紀(やまぐち まさのり)
ジャーナリスト。元読売新聞記者。記者時代から「人権と報道・連絡会」メンバーとして、「報道による人権侵害」を自身の存在に関わる問題と考え、報道被害者の支援、メディア改革に取り組んでいる。

◎[関連参照記事]鹿砦社特別取材班「朝日新聞本社広報部・河野修一部長代理が鹿砦社に答えた一問一答の衝撃」(2018年2月20日付デジタル鹿砦社通信)

◎今回の朝日の対応は多くの方々に衝撃を与えました。今後、メディア関係者の論評を暫時掲載いたします。また、皆様方のご意見もお寄せください。

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

 

『多型倒錯―つるつる対談』(1985年創元社)

縁は不思議なものである。会社勤めに嫌気がさして、京都の小さな私立大学の事務職員に転職したわたしは、そこで上野先生と再会をはたすことになる。上野先生に講義を2回だけうけてから10年弱で同じ職場に勤務することになった。上野先生は多忙なので、個人でアシスタントを雇っていた。きびきびした感じの良いわたしと同年齢の女性だった。

学内に上野先生がいないときはその方が連絡役や、郵便物の整理を担当していた。ある時上野先生から「研究室に設置してあるFAXの調子がおかしいので、見に来てくれないか」と事務室に電話があった。わたしは着任してから何度か上野先生と言葉を交わしていたが、学生時代に上野先生の講義で質問したことがある(第1回参照)ことは、話していなかった。

◆「ところで先生、もうお忘れですよね」

具合の悪いFAXの調子をみながら「ところで先生、わたしは学生時代に先生の講義で質問したことがあるんですけど、もうお忘れですよね」と声をかけると「え、そうだったの?どこの大学?」、「関西大学ですよ。大教室の講義で質問させていただきました」、「ああ、そんなことあったっけ…」。どうやら上野先生の記憶の中にわたしの質問は残っていなかったようだ。同じ職場で働くうえではその方が具合は良い。「クソ生意気な職員」と教員から思われて得することなど一つもないのだから。

 

『スカートの下の劇場 ― ひとはどうしてパンティにこだわるのか』(1989年初版=河出書房新社/1992年河出文庫)

ところが、それからわずか数年後にわたしや同僚は、上野先生に対して逆鱗せねばならない事態に直面させられる。当時上野先生が所属していた学部には、大学院がなく、大学全体の価値を高める上でも大学院の設置が決定し、教員と職員数名による「大学院設置準備委員会」(正式名称はちょっと違うかもしれない)が発足し、上野先生は教員として、わたしは職員の一人としてその「委員会」に所属していた。新設大学院はどのような修了生輩出を目指すのか、カリキュラム内容はどのようなものにするのか。大学院設置に関して、その方向性から実務までのすべてが「委員会」で議論された。

大学が新しい学部や、大学院を設置するときは、同一もしくは類似分野で先行して学部や大学院を開設している大学を訪問し、先行大学の経験やカリキュラムについて教えてもらう。企業の世界ではあまり一般的ではないけれども、そういった調査・準備活動が大学業界では珍しくなかった。わたしも教務部長とともに幾つもの大学にお邪魔し、薫陶を賜った。「委員」各位の努力の甲斐あって、文部省(現在の文科省)に大学院設置に関する書類を提出する準備も整い、順調に作業は進んでいた。

◆「どうして東大に移られたのですか?」

ところがある日、衝撃的な情報が学内を駆け巡った。次年度から上野先生が東京大学に移るというのだ。上野先生は前述のとおり「大学院設置準備委員会」のメンバーで「委員会」の際も積極的に発言をしていた。順調に行けば次年度から開設される大学院の教員リストの中には、当然上野先生の名前があった。それが開設を控えた時期になっていきなり来年から「東大にいく」と言い出したのだ。

 

『家父長制と資本制 ― マルクス主義フェミニズムの地平』(1990年初版=岩波書店/2009年岩波現代文庫)

「売れっ子」は、より待遇の良い場所で仕事をしたがるのはわかる。だから大学院設置の話が出たとき、わたしは親しい教員に「上野先生、逃げることないでしょうね?」と聞いたところ「大丈夫。その心配はないよ」と言われていた。わたしはその教員の返答に、要らぬ心配はすまいと、それ以上上野先生の「流出懸念」は忘れていた。でも結局大学にとっては一番困るタイミングで「東大移籍」が行われることになった。

困る理由の一つは「売れっ子」が居なくなることだが、当時最大の問題はそれではなかった。大学院の設置には文部省(現文科省)による教員の資格審査がある。
大学院で論文指導を行うことができる教員を「〇合」(まるごう)、論文指導はできないけれども、論文指導補助と講義は担当できる教員を「合」(ごう)、論文指導は担当できないが講義は担当できる「可」(か)と、学歴(学位)、過去の業績や教歴により、担当教員として申請した教員全員が文部省により、ふるい分けられるのだ。

一定数の「〇合」教員がいないと大学院自体の認可申請がおりない。先に述べたように先行大学を訪問し、開設の際の文部省との折衝を伺うと、新たな大学院設置に関しては、教員の資格審査が、最大の懸念事項になるであろうことは「委員会」の共通認識だった。

本論とはそれるが、一度「〇合」と文科省から認定されると、その分野では評価が下がることはない。だから安定志向で新たな大学院設置を行う大学は、既に「〇合」と認定されている教員(主として国公立大学の定年後、もしくはそれに近い教員)を呼んできて開設するケースも多い。そうすれば教員審査によって大学院の開設が不許可になることはないからだ。

私たちは新たな教員の採用なしに、当時の保有スタッフでの大学院開設を目指していた。しかし、当時の教員スタッフの中には博士号保持者はおろか、修士号保持者も少なかった。訪問先の大学で「おたくの教員、学卒(学部卒業)が多いねー。これは厳しいなー」とコメントされたこともあった。社会的には著名で、実績はあるけれども文部省が「〇合」と認定してくれる確証を持てる人数は少なく、その中に修士号を取得していた上野先生は当然入っていたのだ。「大学院設置準備委員会」メンバーで私たちが「〇合」確定とカウントしていた上野先生が抜ける!急遽補充をしなければ認可を得ることが難しい状況となった。

その後大学執行部や学部の努力により、上野先生に変わる教員の採用を急遽決定し、大学院は開設することができた。しかし私は以下のコメントを忘れない。東大に移った上野先生が新聞のインタビューに答えていた。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

朝日新聞だったのではないかと記憶するが、このコメントはわたしの神経を逆なでした。前述の上野先生の「東大移籍」劇がその理由ではない。実は上野先生はわたしの勤務していた大学で1991年から1年間ドイツへ公費で研究に出ておられた。著名な先生なので、それは分からないことではない。学外での研究が学生の教育へ還元される効果も期待できる。ところが上野先生は1年間学生への講義を行わず、ドイツで研究に従事していたにもかかわらず、3年もおかず、今度は「メキシコから招聘されているので、1年メキシコに行きたい」と言い出したのだ。その時期と「大学院設置準備委員会」に上野先生が参加していた時期が同じだった。教員には「サバティカル」と呼ばれる1年間の国内外研究期間が与えられる制度があったが、その間、当然講義はできないから、不文律ながら当該学部の希望教員が順番に「サバティカル」を取るのが慣例だった。

上野先生は着任数年で1年のドイツ行きが認められただけでは満足せず、3年とおかずに「メキシコに行きたい」と駄々をこねだしたのだ。古くから在籍している教員や、私たち職員も「やっぱり『売れっ子』はわがままだなぁ」と感じた。

 

『上野千鶴子 東京大学退職記念特別講演 生き延びるための思想』(2011年講談社DVDブック)

◆人情派の教務部長は泣きながら吼えまくった

「東大移籍」が発覚したとき、当時の教務部長は事務室で、私と飲みながら怒りを隠さなかった。「なにが東大や!ワシらはたしかに小さな田舎大学や。でもこんなに素敵な大学があるか?ワシは心からこの大学を愛しとる。お前もそうやろ?」やや酒癖の悪いけども人情派の教務部長は泣きながらわたしに吼えまくった。「あたりまえや!なにが東大じゃ!所詮最後は権威主義の『東大』で上がりたかった言うことやろ!勝手にせえや!なあ○○さん。ワシはこんなことされたら気が済まん。絶対にこの大学を世界一にしようや。日本一なんてくだらん。世界一や!」○○さんの逆鱗は数時間収まらなかった。「委員会」の末席を汚していたわたしも同様だ。

「どうして東大に移られたのですか?」
「きまってるじゃない。私立大学の仕事の多さに嫌気がさしたからです」

よく言えたものだなぁと呆れた。ただ、怒りの一方、いちまつの寂しさもあった。それは上野先生が学生からの評判が良く、けっして難関大学ではない、田舎のちいさな大学で(大学へはかなり横柄ではあったけれども)、学生の面倒見は感心するほど繊細だったからだ。当時、わたしは教員が評価した学生の成績をコンピューターに入力し、学生に伝える部署に配属されていた。通常、学生の評価(成績)は遅くとも2月中旬には教員から事務室に伝えてもらうことになっていたが、上野先生だけでなく、研究や休暇で海外へ出かける教員が多いのもこの時期だ。

しかし、4年生は3月の卒業を控え、3年生以下も次年度の履修計画に影響するので、教員から成績をもらえないことには学生に伝えることができず、その結果学生に不利益をもたらす懸念を成績担当の事務職員は常に持っていた。いまのように電子メールが普及してない時代にあっては、手紙かFAX,あるいは国際電話でしか、確認が取れないこともあるからだ。

どの国か忘れたけれども上野先生が、海外にお出かけの際に、学生の評価(成績)について国際電話で確認したことがある。履修者数の少ない講義ではあったが、上野先生はすべての学生の到達度と熱心さを把握しており、電話越しにわたしが投げつける質問に、すべて即答してくださった。学生の教育には本当に熱心な方だと感銘を受けた記憶は忘れられない。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

 

『女は世界を救えるか』(1986年勁草書房)

この人と最初に言葉を交わしたのは、まだ大学生の頃だからもうかなり昔の話だ。

平安女学院短期大学(当時)の教員だった上野千鶴子先生はすでに売れっ子で、わたしの通う大学にも集中講義のような形で教えに来ていた。科目名は記憶にないが、大教室で行われる売れっ子上野先生は講義でどんなお話をされるのか。興味半分にその科目を履修登録はしていなかったけども、数人の友人と聴講に行った。

◆「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」

わたしたちが参加した講義は、既に数回の講義を経たあとだったようで、「家族」についての各論を上野先生は、細かく語っていた。滑らかな弁舌は自信に満ち、滞ることなく黒板にキーワードを書きながら、はっきりと聞き取りやすい語り口でその日の講義は終了し、質問を受け付ける時間となった。300人ほど入る半円形の教室の中で挙手したのは、わたし一人だった。質問をはじめると上野先生は「キミ、質問が複雑そうだから前に来てここで話してくれる?」とわたしは教壇の上で質問を続けることを要求された。

講義では、「世代や国境を超えて男性に資産が引き継がれてゆく仕組みが、男性優位社会を形作っている」との解説があった。わたしの質問は「世界は広い。文化も多様だと思うが、世界中でどうして同一形態の男系資産相続が発生したのか。世界の男性どもは、どのようにその謀議を図ったのか」だった。世界各国に当時(現在も)母権主義(女系相続)社会があることを念頭に、その質問を上野先生にうかがった。

 

『女遊び』(1988年学陽書房)

◆「時間があったら研究室に遊びにおいでよ」

上野先生からは「なかなかいい着眼点ですね。なにかの本を読んだのかな?」と逆質問されたが「いいえ、お話をうかがって直感的に疑問に感じました」とわたしは答えた。講義終了時間が迫っていたからだろうか、上野先生は「この質問は議論が深まるので、来週の講義はこの問題から始めます。キミ、来週も来てくれるよね?」と出席を求められたのでわたしは「はい、参ります」と答え講義時間が終わった。

講義終了後「キミ、何の専攻なの?」、「平女(平安女学位短期大学)はバイクで山越えたらすぐだからさ、時間があったら研究室に遊びにおいでよ」と上野先生からのお心配りの言葉もいただいたが、わたしは別に上野先生のファンではなかった。むしろ彼女の発信にはいつも、どこかに曰く言い難い「ズレ」を感じていた。所詮は学部学生のわたしが、上野先生を「論破しよう」などと無茶なことは考えていなかった。彼女との直接のやり取りの中で自分が感じる「ズレ」の本質がなんであるのかを確認したいとは思っていた。

◆「意地悪だね、キミ」

翌週の講義開始時、わたしは教壇に再度呼ばれ、質問内容をもう一度詳しく語るように求められた。5分ほどかけて質問の主旨と、母権主義(女系相続)社会の存在をどう考えるかを聞いた。

 

wikipediaより

そのあと上野先生はわたしの質問に対して、誠実に解説をしてくださった。そう努力してくださったことは間違いない。しかし回答は、私の疑問を解く内容とはなっていない。立て板に水で、ときに難解な単語も織り交ぜながらの論説は、大枠で私の質問を包摂しながら総論を述べているようで、実は核心部分に触れるものではなかった。

わたしは、「お話しいただいた内容は理解しますが、わたしの疑問への直接の回答とはなっていないように理解します。もう少しわかりやすく教えて頂けないでしょうか」と再質問すると「意地悪だね、キミ」と冗談交じりに教室の笑いを誘い、「この問題も重要だけどまだ、話さないといけないことがたくさんあるから、もっと議論したかったら、平女に来てください」と、これまたちょっと笑顔を浮かべてわたしの質問への回答は打ち切られた。

なるほど売れっ子は「かわし方がうまいな」と感じた。一度だけ野次馬根性で覗いてみた上野先生の講義に、2度出ることになったが、「売れっ子見物」以上の興味を持っていなかったわたしにとって、それ以降彼女の名前に興味をもつことはなかった。(つづく)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書、2月26日発売!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

去る1月5日、当欄で「2018年の注目冤罪裁判」として紹介した名古屋地裁で進行中の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が佳境を迎えている。去る2月7日には、「被害者」の女児の供述を分析した認知心理学者が証人出廷し、女児の供述の信頼性に疑問を投げかけた。裁判の行方については予断を許さないが、そもそも「強制わいせつ事件」自体が虚構のものであることが心理学的にも裏づけられた格好だ。

2月7日の公判後、支援者に報告する喜邑さん、塚田聡子弁護士、中谷弁護士(左から)

◆女児が訴える被害は“偽りの記憶”か

この事件の被告人で、小学校教師だった名古屋市の男性・喜邑(きむら)拓也さん(37)は2016年11月、勤務していた小学校の1年生女児に対する強制わいせつの容疑で逮捕され、2017年1月に起訴された。しかし喜邑さんは一貫して無実を訴え、名古屋地裁で進行中の裁判では、無実を信じる支援者たちが毎回多数傍聴に駆けつける異例の事態になっている。

その理由は、喜邑さんが元々、生徒に人気があり、父兄からの信頼も厚かった教師だったこともある。しかし何より、この事件が冤罪であることを示す事情が散見されることが支援の活発化につながっているのだと思う。

というのも、検察の主張では、喜邑さんは掃除の時間中、教室で「被害者」の女児の服の中に手を入れ、胸を触ったとされているのだが、教室にはその時、約20人の生徒がいながら「喜邑さんの犯行」を目撃した生徒が1人もいないのだ。そもそも、そんな大勢の生徒がいる教室で、教師が女生徒の服の中に手を入れ、胸を触るという犯行に及んだというのも不自然だろう。

そして2月7日、認知心理学者の北神慎司名古屋大学准教授に対する証人尋問が行われたのだが、これにより、そもそも「強制わいせつ事件」は存在しなかったという弁護側の主張が心理学的にも裏づけられることになった。

北神准教授によると、女児の証言には「最初は右の胸を触られたと言っていたのに、2カ月も経ってから触られたのは左胸だったと言い出すなどの不自然な変遷がある」とのこと。喜邑さんのことを「犯人」だという“確証バイアス”を持った母親らが女児に繰り返し質問したことにより、女児が“偽りの記憶”を形成した可能性があるというのだ。

◆判決は3月28日

裁判は今後、2月28日に喜邑さんに対する被告人質問、3月14日に検察官の論告求刑と弁護人の最終弁論などが行われて結審し、3月28日に判決が宣告される予定。担当の安福幸江裁判官が新年度に他の裁判所に異動になる可能性が高いため、年度内に判決が宣告できるように調整し、このような駆け足の日程になった。弁護人の中谷雄二弁護士は、裁判の行方については慎重な見方を示しながらも、「新しい裁判官が被告人質問も聞かずに判決を書くよりは良かった」と語ったが、私もそれは同感だ。

公正な結果が出て欲しいものである。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

おかげさまで150号!衝撃の『紙の爆弾』3月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

昨年末『カウンターと暴力の病理』を関係者に送付したあとに、年を挟んで1月25日鹿砦社代表・松岡利康名で、この本について約50名に「質問書」を送り、2月5日を期限に回答を待った。回答者は前回本通信でご報告したとおりだったが、「不回答者」の一部に対し2月19日、鹿砦社本社から電話取材をおこなった。

数名には電話が通じ、回答がない理由の聞き取りが行えたが、取材班は驚くべき事態に直面することになった。この日は主としてマスメディア関係者に電話で事情を聞こうと試みたが、“事件”はそこで生じた。

まず登場人物を確認しておこう。

いずれも朝日新聞で大阪社会部の大貫聡子記者、同じく采澤嘉高(うねざわよしたか)記者。この2人は現在大阪司法記者クラブに在籍している。阿久沢悦子記者は現在静岡総局勤務だ。この3名には、前述の「質問状」を送付してある。そして予期せぬ大物登場者は、朝日新聞東京本社広報部・河野修一部長代理だ。

◆「広報で対応する」一辺倒の大貫聡子記者

大貫記者は、李信恵が対保守速報裁判で勝訴した、11月17日の大阪司法記者クラブでの記者会見の際に、取材班の記者室への入室を拒否した人物だ。またこの裁判についての署名記事も書いている。この記事は明白な事実誤認がある問題記事だ。大貫記者に電話をかけると「この事案については会社の広報で対応しますので答えられません」と一方的に電話をガチャ切りされた。違う電話番号から再度大貫記者に電話をかけるも、やはり同様に「広報で担当しますので答えられません」と再度ガチャ切りされた。

鹿砦社は、ツイッターに「鹿砦社はクソ」などと何度も書き込んだ李信恵を、名誉毀損による損害賠償請求で訴えた際、2017年11月1日大阪司法記者クラブへ、松岡社長みずからが赴き、記者会見開催を要請した。ところが当時幹事社だった朝日新聞の采澤記者は「加盟社全社にはかったうえ」とし、記者会見を開かない旨の回答を、要請から実質的に2時間ほどで返してきた(松岡の携帯電話に着信があったのが要請から2時間後、その時松岡は会合中で実際にはその数時間後に釆澤記者へ松岡から電話をかけ「記者会見拒否」を知ることとなる)。納得のいかない松岡は翌日采澤記者に電話で再度「どうして会見が拒否されたのか」を質問した。

その際の回答は納得のできるものではなかったが、一応の「応答」は成立していた。しかし、19日大貫記者は質問をする前から会話を遮断し、「広報で対応する」とまったくラチが明かない。新聞記者は情報を得るために、取材対象を追い、時にプライバシーにまで踏み込んだ取材に及ぶことも珍しくない(職務上仕方のない面もあろう)。しかし自身が「質問」を受けたり、取材対象となると「広報で対応します」と逃げ出す態度は、報道人としてはズルいのではないか。鹿砦社や取材班が不法行為を行ったり、不当な要求をしているのであれば話は別だが、朝日新聞とは「天と地」ほどの規模の違いはあれ、鹿砦社及び取材班は、「事実」を追い、「真実」を突き止めようと情報収集活動を行っているのだ。都合が悪くなったら「広報で」とはあまりに身勝手にもほどがある。

逮捕と同時に 大々的な実名報道を行うのが大新聞だ(近いところでは元オウム真理教の女性信者を大々的に、あたかも有罪確定かのように報じたが、元信者は無罪が確定している)。あの報道を見れば、多くの人が元信者の女性は「有罪」と思わされたことだろう。大新聞はかように大変な影響力と権力を持っている存在であることは述べるまでもない。その大新聞に署名記事を書いている記者に質問をすることは、「不当な行為」なのだろうか。

◆阿久沢悦子記者も「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので……」

取材班は仕方なく采澤記者に電話をかけて、大貫記者に「回答をするように促す」との言質を得た。しかし釆澤記者は言葉巧みに取材班の要請を交わしながら、腹の中では別のことを考えていた。電話で取材にあたった担当者も采澤記者が大貫記者に回答を「促す」ことなどないだろう、と感じていたという。

静岡総局に勤務する阿久沢悦子記者は、前任の勤務地が阪神支局で、李信恵らによる「大学院生M君リンチ事件」後、比較的早い時期からM君に接触し、一時はM君に同情的な言動を見せていた人物である(またM君を裏切った趙博をM君に紹介したのは阿久沢記者である)。取材班が阿久沢記者に電話をかけたところ、仰天するような言葉を耳にする。「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので、私からは何もお答えできません」というのだ。

阿久沢記者は「その連絡は先ほど私にあった」とも語っていた。ということは、19日の大貫記者、釆澤記者への取材班の電話に対して、両名(もしくはどちらかが)が本社、もしくは上司に「相談」を持ちかけたと推測するのが自然だろう。釆澤記者の「大貫記者へ回答するように促す」との言葉は、やはりまったくの出まかせであったことが阿久沢記者の回答から明らかになった。取材班は「では、担当はどちらの部署か」と尋ねると、待ち受けたように阿久沢記者は「本社の広報部河野修一部長代理です」と電話番号を教えてくれた。

◆朝日新聞東京本社広報部河野修一部長代理との一問一答

おいおい、「天下の朝日新聞」よ、取材に対して拒否だけでなく、本社の広報部部長代理が応対するって? 仕方あるまい。取材班は本社広報部に電話をかけた。以下は取材班と河野氏の一問一答だ。

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広報部 はい朝日新聞社広報部です。
鹿砦社 お邪魔します。株式会社鹿砦社と申します。
広報部 どうもお世話になってます。
鹿砦社 いつもお世話になっております。河野(修一)広報部長代理はいらっしゃいますでしょうか?
広報部 はい、少しお待ちください。
河野  替わりました。河野です。
鹿砦社 突然お電話を差し上げまして恐縮です。株式会社鹿砦社と申します。
河野  はい、承知しています。
鹿砦社 お手を煩わせて恐縮なのですが、先ほど来、おそらく采澤さん(嘉高・大阪司法記者クラブ)とか、いろいろな方からご連絡が入って。
河野  ちょっとやめていただきたいんですよね。
鹿砦社 やめていただきたい?
河野  はい。ええ、まず記者の個々人に連絡を取るのはやめてください!
鹿砦社 ちょっとお待ちくださいね。いまおっしゃった「記者の個々人に連絡を取るのは止めてください!」と。
河野  はい、大変迷惑しておりますので。
鹿砦社 迷惑をしている?
河野  はい、そうなんですよ。で、今後連絡一切は私にお願いします。
鹿砦社 あの、ちょっとお待ちくださいね。
河野  はい。
鹿砦社 「連絡を取るのを止め。迷惑をしている」と、署名記事を書かれている記事についての質問状を送るのが、いけないんですか?
河野  質問状もこちらに送ってください。対外的な窓口はこちらなので。それはそのように、いろんなウチに対する申し入れでもそうしているんですよ、ええ。なので個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたいと思います。
鹿砦社 「個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたい」と。それは要請ですか? あるいは指示ですか?
河野  指示する権利は、こちらはないですのでものね。
鹿砦社 先ほど「迷惑している」というお言葉にちょっと驚愕しているのですけれども。
河野  はい、はい、はい、はい、非常に個々の記者たちは迷惑しています。報告はぜんぶ来ているんですけども。
鹿砦社 具体的にどういったことで、ご迷惑をおかけしているというふうに認識していらっしゃいますか?
河野  はい、そういったことにはお答えいたしませんが。
鹿砦社 いや(驚)?
河野  あの電話切ってよろしいですか!
鹿砦社 電話を切る?
河野  どういう要件ですか?
鹿砦社 ですから、ええといま私は静岡総局の阿久沢(悦子)様にお電話を差し上げて…。
河野  はい、阿久沢は大変迷惑していますので。
鹿砦社 阿久沢は大変迷惑をしている?
河野  それはそうでしょう。会社対応のスマフォとかに電話をかけられたら。
鹿砦社 会社対応のスマフォ?
河野  はい。
鹿砦社 「会社対応のスマフォ」ってどういう意味ですか?
河野  あの携帯に電話をかけているんでしょう。
鹿砦社 ああ、そうですよ。だって携帯電話の番号が入っている名刺を配ってらっしゃるんですから。
河野  いや、だけど迷惑なんですよ!
鹿砦社 ええ!! 名刺に電話番号を入れておいて、その書いてある電話番号にかかってくるのが迷惑というのは、世間では通じませんよ、そんなの。
河野  いや通じますよ。あなたたちのほうが、もうぜんぜんに非常識ですから。
鹿砦社 私たちのどこが非常識とおっしゃって。具体的に誤りがあれば訂正いたしますので。具体的にちょっと教えていただけますか。
河野  本をいきなり送ってきて、で、「その本を読んだか感想を言え」と。
鹿砦社 はい。
河野  その本が読みたくない本だったら迷惑ではありませんか。
鹿砦社 あの「読んでください」ということで、もちろんお送りしていますよ。ただし、送り付け商法ではありませんが、「お金を払え!」とかいうようなことは一切しておりませんよ。
河野  だったら本を送るだけにしてもらえませんか。その後のお便りいりません。
鹿砦社 本を送らせていただくのは、事実関係を理解していただく補助的な資料としてお送りしているのであって。
河野  ええ。
鹿砦社 質問状を送らせていただくにあたっては、こういう背景事実があるんだけども、「どうお考えになるか?」とお尋ねするのが、非常識な行為でしょうか?
河野  はい。
鹿砦社 非常識な行為なんですか?
河野  はい、あの~迷惑です。こちらからなにか読んで言いたいんであれば、連絡することもあるかもしれませんが。ええと、そういう気がまったくございませんので。
鹿砦社 署名記事で書かれていることに、署名記事で書かれるということはありますよねえ。一般的な社会面であっても、地方面であっても書名記事で記事を書くということはありますよねえ。もしもし? もしもし?〈不可思議な間(ま)が続く〉
河野  いや、どうぞ続けてください。
鹿砦社 署名記事を朝日新聞に掲載されることはありますよね。で、署名記事は書かれた方のお名前が分かりますので、それについての意見とか、ご質問とかは読者の方から沸いてこようかと思うんですが、それをお尋ねするというのもいけない行為なんですか?
河野  それは、尋ねたいことがあれば広報に今後お願いしますと。そういうことです。
鹿砦社 それはふつうの読者であってもそうなんですか? 一般読者であっても?
河野  一般読者の場合もお客様専用の、ええと問い合わせ窓口を作っていますんで、そこにかかってきますねえ。記者に直接来ることは、まあ直接取材を受けた方からということはあるでしょうけども。
鹿砦社 署名記事というのは、一定程度その方は、もちろん会社の意向の中で、社論の中で誰々さんが書いたことを明らかにするために、署名にするためじゃないのでしょうか。という理解は間違いでしょうか、私の? それは違っていますか?
━長い沈黙━
鹿砦社 私がお尋ねしている意味がお分かりいただけますでしょうか?
河野  いやーぜんぜん分からないので、返事のしようがない。
鹿砦社 お分かりにならない?
河野  はい。
鹿砦社 え!! 署名記事というは署名のない記事とはちょっと違って、その記事に関して一定の文責、文章を書いた責任を書いた記者の方が明らかにするという性質のものではないでしょう?という質問なんですけども。
河野  う~ん、ぜんぶの署名記事がそうなのかどうなのかというのは、ちょっと分からないですねえ。
鹿砦社 いや、一から百までの責任を個人に個に帰すというのではなくて、誰がどういうふうに書いたか分からないのではなくて、この記者さんはこう書いたものだよと。広い意味で、読者に分かりやすく提示するというので、署名記事というのがあるという理解は間違いでしょうか?
河野  いや、知らないんですけど。それと今回の送り付け行為となんの関係があるんですか?
鹿砦社 「送り付け行為」。
河野  はい。
鹿砦社 ええと恐れ入りますが、河野様ですね。
河野  河野です。
鹿砦社 河野様は、私どもの書籍を送らせていただいたことにはご存知だと思うのですが。
河野  はい、文面もすべて読んでいます。
鹿砦社 はい、その前にですね、私どもが「大阪司法記者クラブに入ることを拒否された」という前段があることは、ご存知でいらっしゃいますか?
河野  それは本にお書きになっているようですねえ。
鹿砦社 いや、事実関係は聞いてらっしゃいますか、記者の方から?
河野  すいません。こちからのお願いは一つで、個々への記者へのそういう……。
鹿砦社 違います! いま私がお尋ねしたのは、「河野さんはその事実をご存知ですか?」とお尋ねしているのです。
河野  あのーこっちは東京の広報なので、細かい大阪のことは知りません。
鹿砦社 だからあなたはご存知ではないわけですよ。なぜ私どもが質問を投げかけなければいけなくなったか、というそもそも発端を。
河野  もうやめてください。こちらとしても、ちょっと迷惑が過ぎるようだったら、ちょっといろんなところに相談しなくちゃいけませんし。
鹿砦社 迷惑?
河野  はい。ええと……。
鹿砦社 ちょっと端的に申し上げますよ。
河野  はい。
鹿砦社 大阪司法記者クラブという、大阪地方高等裁判所の中に記者クラブがあります。東京の裁判所にもあります。
河野  そういう話はいいので、とりあえず……。
鹿砦社 こちらが受けた被害は聴いてくださらないのですか?
河野  はい、なんで聴かなきゃいけないんですか!
鹿砦社 いや、「こちらが受けた被害は聴いてくださらないんですか?」と言っているんです。
河野  被害があるんであれば……。
鹿砦社 いまその話をしているんです。
河野  いいです。被害があるんであれば弊社を訴えるなり、なんなりしてくれればけっこうです。
鹿砦社 訴えるような話じゃなくて、「なんで(記者会見に)「入れていただけないのですか?」ということをお聴きしているのです。
河野  あの、とにかく、ずっと個々への記者へのこれ以上の接触は、この件についてはやめてください。
鹿砦社 いや、ですからその前提事実を、まず顕著な前提事実をご存知ないようですので、その確認を含めてお尋ねしたいと思って。その一つお伺いしたいと思うんです。あの大阪記者クラブ……。
河野  電話切っていいですか?
鹿砦社 あ、聴いていただけないわけですか? こちらは被害申告ですよ。
河野  じゃあいいですよ、別に。あれば書面で私宛てに送ってください。
鹿砦社 被害申告を聞かないわけですか?
河野  はいはい。だから、どうぞ書面で「中央区築地、朝日新聞」で届きますので、あの、どうぞどうぞ被害申告があるというなら。
鹿砦社 さっき「電話で受ける」とおっしゃったんですけれども、電話では受けていただけないんですか?
河野  はい。こちらから、とりあえず個々への記者への接触はやめてほしいということです。
鹿砦社 こちらは一方的に被害を受け続けろと?
河野  だから、そういう被害があるんでしたら改善されなければいけないのでしょうから。
鹿砦社 ですけど、いまお話しようと思うけど、「文書で出せ」というふうに。
河野  被害があれば、どうぞ! それはウチに出すべきものかは分かりませんが。
鹿砦社 じゃあ繰り返しますが、朝日新聞社様は、「非常に迷惑をしている」という認識なんですね。
河野  はい、そうです。
鹿砦社 間違いありませんね。
河野  はい。
鹿砦社 はい、ありがとうございました。失礼いたします。

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◆朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ?

まるで常習クレーマーを相手にするかのような口調と、文字には表れないが、「揚げ足をとってやろう」と明らかに企図した不可思議な「間(ま)」。よくぞここまで「悪者扱い」してくれたものぞと、かえってすっきりするくらいの「馬鹿にした」態度だ。

朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ? 鹿砦社は1987年、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を受けて、先日NHKテレビ『赤報隊事件』の主人公、植田毅記者、辰濃哲郎記者らの取材に協力し、この事件の深刻さを編纂した『テロリズムとメディアの危機』を刊行し、「日本図書館協会選定図書」「全国学校図書館協議会選定図書」に選定された。鹿砦社は朝日新聞に「貸し」はあっても「借り」はないはずだ。

また2005年の「名誉毀損」に名を借りた松岡逮捕劇の際にも、検察の意を受けて松岡を騙し関係資料を入手し「スクープ」を手にしたのは朝日新聞の平賀拓哉記者だった。にもかかわらず、「迷惑」、「個人の記者への接触をしないでくれ」、「しかるべき措置を考えなければならない」などという河野部長代理の言葉は、赤報隊が朝日新聞阪神支局で小尻知博記者の命を奪った散弾銃のように取材班メンバーの心に“銃弾”を打ち込むほどの衝撃だった。ことは人ひとりをリンチし半殺しにした事件だ。昨日(2・19)に対応した記者たちに〈人間〉の心はないのか? 朝日新聞に「ジャーナリズム」を期待するのは無理なのか?

追伸:夕刻、毎日新聞の後藤由耶記者に電話が繋がった。後藤記者は「この件は社長室広報担当になりました。東京本社の代表番号から広報に電話をお願いします」と毎日新聞でも『報道管制』が敷かれた模様だ。取材班はこの通信にしては、長い文章を書きながらこみあげてくる(悲しい)笑いを抑えられない。この程度なのか? 日本の新聞は? 新聞記者は? 自分の行動に責任をもてないのかと。

※[お詫びと訂正]取材過程で、河野氏の表記を誤りました。お詫びして訂正いたします。(2月22日)

(鹿砦社特別取材班)

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PyeongChang 2018

1月9日、板門店で「南北会談」が行われると決まったときに、「南北会談」の実施じたいに、この島国の政治家やマスメディアは冷淡だった。あの時期に朝鮮が五輪に参加すると予想した人はどれくらいいただろうか。

◆オリンピックは政治そのものである

参加どころか開会式では合同で入場し、女子アイスホッケーでは合同チームが結成された。「スポーツの政治利用」、「北朝鮮ペースに乗せられている」との批判が繰り返されたが、開会式の後半では韓国の有名な歌手たちがジョンレノンの「イマジン」を歌い、聖火点火者のキムヨナへ手渡されることになる聖火は、韓国と朝鮮の選手が二人携えて、長い階段を駆け上がった。

開会式ではIOCのバッハ会長が式辞でしきりに「平和」を口にした。会場の外では、韓国でも保守的な人たちの抗議行動も行われているが、マスメディアもさすがに、開会式で「演出」される「平和」を表立って貶す(けな)すことはできなかった。「オリンピックは政治の道具」どころではなく「オリンピックは政治そのもの」だと認識するわたしは、この光景が準備された演出にしても、非難の対象にあたるとは考えられない。どうせ政治ならマシな政治利用でいいじゃないか。

 

統一旗のバリエーション(wikipediaより)

◆非凡な無能ぶりを発揮する安倍「制裁」外交

なぜならば、その裏で平和とは正反対に、まっしぐらの「北朝鮮制裁主義者」たる安倍をはじめとした、この島国の政権はひたすら「北朝鮮包囲連携が崩れる懸念(=韓国と朝鮮の融和)」、を叫ぶのみで、毎度外交に非凡な無能ぶりを発揮するこの島国の真骨頂ともいえるような的外れな態度に、相も変わらず終始しているからだ。朝鮮から金正恩の妹、金与正と金永南・最高人民会議常任委員長という、朝鮮の政権中枢にいる人物が韓国を訪問することだけでも(それがオリンピックを介在しての訪問にせよ)過去の歴史にはなかった、画期的な出来事であり、そこで文在寅大統領の朝鮮訪問が話題になったことは「朝鮮半島の緊張」を強める方向に向かう提案だろうか。

〈ペンス米副大統領は11日付の米紙ワシントン・ポストのインタビューで、北朝鮮との外交的な関与を拡大することで米韓が合意したと述べた。まず韓国が北朝鮮と対話した後、前提条件なしで米朝対話が行われる可能性があるとした。

ペンス副大統領は韓国で9日に開催された平昌冬季五輪の開会式に出席。米国に帰国する際の専用機内でインタビューに応じ、米政府が北朝鮮に対する「最大限の圧力」は維持する一方、対話の可能性にはオープンだとした。〉
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180213-00000000-reut-kr

と、韓国だけでなく、ついに米国も朝鮮との対話について検討を始めた。いつまでも「制裁!制裁!」と繰り言を続けているのは、安倍を中心とする、この島国の無能外交関係者やマスメディア及びそれに扇動された、不幸な庶民たちだけではないのか。

◆「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃した米国の過ち

外交の表裏には、必ず地下水脈のような通常人が知り得ない導線がある。ある日突然起きたように思われる事件や、政変にも必ず複合的な力学と打算、妥協が交錯する。最終的には「自国がどう有利な立場をとるか」が指標であっても、通常外交は「一定の理性」があるかのように見せかけないと、「沽券(こけん)」や「体面」を重視する権力者には格好が悪い。それが一定の見識ともいえる。

第二次湾岸戦争でイラク攻撃に対して、欧州では賛否が分かれていた。フランスは米国を中心とする「イラク攻撃推進派」に批判的で、2003年2月14日国連安保理事会でドミニク・ド・ピルパン外相が演説を行った。長い演説の中でピルパンは、

〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから。

そういう見通しの上で、効率的で平和的なイラクの軍縮に向けて日々前進している査察という選択肢があるのだ。結局、戦争というあの選択肢は、最も確実というわけではなく、最も迅速というわけでもないのではなかろうか?〉

と述べ米国が戦争を急ぐ姿勢に疑問を投げかける。結局「歴史的」とも評されたこの演説に耳を貸すことなく、米国を中心とした「多国籍軍」(その中には後方支援を担った自衛隊も含まれる)は「大量破壊兵器保持疑惑」でイラクを爆撃し、サダムフセインを殺した。

しかし、のちに明らかになったのは「イラクには大量破壊兵器はなかった」という事実だ。ピルパン外相は同演説の中で、繰り返し査察の成果を述べており、その事実は「イラクが大量破壊兵器を保持していない」ことを示しており、その時点で「多国籍軍」のイラク攻撃は根拠のないものだった。散々わがままを言いたい放題並べ、イラクの人びとを殺戮した、ジョージ・ブッシュは、そのご「われわれはミスを犯した」と発言したが、一方的な多国籍軍の殺戮行為を、「ミス」で済ませられたら、被害者はたまったものではない。

〈戦争という選択肢は、直感的に最も速そうに見えるかも知れない。しかし、戦争に勝った後、平和を構築しなければならないということを忘れないようにしよう。この点について、勘違いしないようにしよう。これは長く、困難なものとなるだろう。というのも、武力侵攻の苛酷な影響を受けた地域や国において、持続的な方法でイラクの統一を維持し、安定を回復する必要があるだろうから〉

は正鵠を射ていた。イラクの政情不安・治安の不安定はイスラム国の登場などで、今日に至るも、解決の糸口すら見えていない。

◆覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない

朝鮮をめぐる情勢は、いま五輪中だからだろうか、いくぶん流動化してきたかのように見える。わたしは安倍と正反対に、朝鮮と韓国・米国・日本が対話によりすべての問題解決をはかることを希望する。いかなる理由によっても「戦争」の選択肢をすべての国は排除すべきだ。

戦後補償・賠償すら行っていない日本(日本ではほとんど報じられないが、世界の少なくない国々は日朝関係の基礎をそう見ている)、要らぬ軍事費の重みから解き放たれたい韓国、「経済制裁」を含む世界の包囲網から脱出したい朝鮮、赤字財政続きで、政府機関閉鎖の相次ぐ米国。どの国も「平和」を希求する充分な理由は(それと逆方向に進もうとする理由と同等に)保持しているではないか。理性が(私たち一人一人のなかに)あれば最悪の事態は回避できる。

もし回避できなければ、「日本も戦争に巻き込まれる」。あらゆる言説はその現実を前提に発されるべきだ。その覚悟のない者が「戦争」を話題にする資格はない。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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