12月23日、政府は「デジタル田園都市国家構想総合戦略」を閣議決定した。総合戦略は、6月に岸田政権が閣議決定した「経済財政運営と改革の基本方針」で「4つの柱」の一つとされた「デジタル田園都市国家構想」の数値目標と工程表を5ヵ年計画として定めたものである。

そこでは、実装自治体1500、「デジ活」中山間地域150地域、移動サービス100ヶ所以上、東京圏からの地方への移住者、年間1万人などを挙げ、それらを27年までの5年間で国の交付金を活用して実現するなどを中心に事細かく目標を挙げている。

総合戦略の趣旨は、日本は世界に類を見ない急速なペースで人口減少・少子高齢化が進行しており生産年齢層も減少しているが、東京圏と地方との転出均衡達成目標はいまだ達成されておらず、地方の過疎化や地域産業の衰退等が大きな課題となっているとしながら、デジタルの力によって地方創生の取り組みを加速化・深化させ、それが地方から全国へのボトムアップの成長に繋がっていくとし、「全国どこでも誰もが便利で快適に暮らせる社会」の実現を目指すというものだ。

果たして、それは、どういうものなのか。それによって本当に地域問題が解決されるのか、何が問われているのか、それを考えてみたい。

◆米国への日本の統合のための「デジタル田園都市国家構想」

「デジタル田園都市国家構想」の最大の問題点は、これによって、地方の米国への統合が決定的に進むということである。

今、米国は新冷戦戦略とも言うべき覇権回復戦略を展開している。中国、ロシアを敵視し、西側陣営の力を米国の下に結集するという戦略である。その戦略の下、日本を米国に統合する政策が進んでいる。「デジタル田園都市国家構想」は、日本のすべてを米国に統合するという米国の要求の下、地方から日本を米国に統合するものとしてあるのではないか。

その手段が「デジタル」である。地方のデジタル化は米巨大IT企業であるGAFAMの下で行われる。デジタル化において、成長エンジン、生命とされるものがデータである。それ故、世界各国はデータ主権を唱え、データを守り、保護することを重視している。しかし日本は、自らデータ主権を放棄している。TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年1月には、それを「日米デジタル貿易協定」として締結している。

データを集積利用するクラウドも、アマゾンの「アマゾン・ウェブ・サービス」(AWS)とマイクロソフトの「アジュール」を使う3社で60~70%のシェアを占め、NTT、富士通、NECなどの日本勢はシェアを落とし排除・駆逐されている。

2021年9月1日に発足したデジタル庁はプラットフォームとしてアマゾンのAWSを使用しており、それに基づき、米国ITコンサルティング会社のアクセンチュアが「全国共通のプラットフォーム」を作っている。

米国仕様で統合されたデジタル化によって、全ての地方・地域が丸ごとGAFAMの管理下に置かれる。個人情報だけでなく、自治体自体の情報、企業の情報が丸ごとGAFAMに管理される。そうなれば、自治体だけでなく地域産業、地域住民のすべてが米国に管理されるようになる。

◆地域自治体の解体と自治の否定、地域住民主権の剥奪

こうしたGAFAMによる管理によって、日本の地方・地域はどうなるのか。

先ず、基礎自治体である市町村の多くが見捨てられ切り捨てられる。

元々、自民党政権での地方政策は、「全ては救えない」として、中核都市を中心にした都市圏(圏域)を作り、そこにカネ・モノ・ヒトを集中させ、他は切り捨てるという「連携中枢都市圏構想」なるものであり、その下で、人口が1000万減少する2040年までに自治体職員を半減させ、公共サービスを民営化するという「自治体戦略2040構想」などの政策が立てられてきた。

「デジタル田園都市国家構想」は、こうした考え方に沿って、デジタル化で、それを促進するものになる。今回、閣議決定された総合戦略では、デジタル実装の自治体1500になっているが、その直前の骨子案では1000になっていた。今、基礎自治体の数は1727団体なので半数は見捨てるということだったが、反発が強くて1500にしたのだろう。しかし、弱小自治体は切り捨てるという思考は変ってはいない。交付金を減らすことで、多くの基礎自治体が切り捨てられていくだろう。まさに、それは堤未果さんなどが指摘する、自治体解体である。

そして何よりも問題なのは、自治体の民営化であり、これによって、住民自治・地域住民主権が剥奪されることである。

これまでも水道や空港、公営交通などの分野で外資に運営権を譲渡するコンセッション方式などで民営化が進められてきた。しかし、「デジタル田園都市国家構想」では、自治体そのものの民営化が目論まれている。

総合戦略では、1000のサテライトオフィスを置き、ハブとなる経営人材を100地域に展開する、などの施策を挙げている。それはGAFAMやその系列のコンサルティング会社や経営人材が地方を経営するためのものとなろう。

こうなれば、自治体活動そのものが少数のデジタル・マネージャーによって企画立案され執行されるようになる。まさに維新が「政治に会社経営の手法を持ち込む」とした政策の全国展開である。こうして議会は形骸化し、自治体職員も大幅に削減され、地域住民は只サービスを受けるだけの存在に、デジタル管理の対象者、隷属物にされてしまう。

今、解決すべきは、本当に地域を維持し振興させることである。そのためには、地域住民が主体となって自治体、地域産業をも巻き込み、地域全体の力で取り組まなければならない。多くの自治体を解体するばかりか、自治体を企業運営し、それをGAFAMやその傘下のコンサルティング会社や経営人材に任せるやり方では、米国企業の利益になる事業はやれても真に地域を振興させることなどできない。

◆問われる「地方から国を変える」闘い

岸田首相は「デジタル田園都市国家構想」について所信表明演説などで「このデジタル化は地方から起こります」と述べている。それは米国の意図が「地方から日本を変える」ものだからだ。

米国が日本を統合する上で障害となるのは、国家としての秩序、それを法的に保障する諸規制である。それを一挙に撤廃することは困難である。そこで地方から風穴を空ける。事実、安倍政権は、「岩盤規制に風穴を空ける」として、「特区」形式で、それを実現しようとした。

総合戦略では、安倍政権の「まち・ひと・しごと創生総合戦略」を「デジタル田園都市国家構想総合戦略」に衣替えするとしているが、それは特区だけでなく全地方で徹底した規制緩和を行うものとなろう。

総合戦略は、地方・地域全般の行政手続きの様々な規制を撤廃するとしており、水道業、建設業などの資格を緩和し、自治体ごとに存在する諸規制を「ローカルルール」として見直すとしている。

こうして地域から諸規制を撤廃し、それをもって国の諸規制をも撤廃していく。こうして日本の国としての秩序を破壊し、統合していくということである。

それを地方から行うのは、それがやり易いと見ているからである。それを岸田首相は「地方にはニーズがあります」と言う。しかし、地方の諸問題は、歴代自民党政権、とりわけ安倍政権時代の地方政策の結果なのであって。それを逆利用して「地方にはニーズがある」などと言うことは許せない妄言だ。

対米追随政治の果てに、地方を米国の管理下に置き、地方から日本を統合一体化するような現政治を何としても変えなければならない。米国とそれに追随する政権が「地方から国を変える」と言うなら、地域住民主体の「地方から国を変える」闘いが切実に問われていると思う。

◆自分の地域第一主義の台頭

市町村などの基礎自治体は、暮らしに直結する地域住民の生活の基本単位だ。その地方自治体が安倍政権の新自由主義改革で衰退市、更には岸田政権の「デジタル田園都市国家構想」によって、自治体解体が進み、自治体民営化によって地方自治・地方住民主権が剥奪されようとする時、地域の主権者である地域住民が主体となって、自分たちの地域を守ろうとする動き、地域第一主義とも言うべき動きが起きるのは必然だ。

維新による大阪市廃止を巡る住民投票で大阪市民がノーを突き付けたように。6月の杉並区長選挙では、民営化に反対しコモンを追求する岸本聡子さんが当選した。12月には尼崎市長選で維新市長の誕生を阻止した、などなど、自分の地域を守る動きが各地で見られるようになった。

 

魚本公博さん

これから益々生活苦は深刻化する。それにもかかわらず、岸田政権は、軍事費増大と反撃能力強化を閣議決定した。そのために27年度までに43兆円を確保するとしており、更により多くの軍事費増大を目論んでいる。その財源には各種増税、後の世代に借金を背負わせる国債などが言われているが、軍事費以外の歳費削減も行われるだろう。社会保障、福祉だけでなく、教育、医療、文化分野の予算も削られる。そして地方交付税も。こうなれば、市町村という基礎自治体の大部分は、やっていけなくなる。

米国とそれに追随する政権によって、地域の破壊は更に進む。こうした中で、命と暮らしを守るために地域を守るための自分の地域第一主義への希求は強まる。それが全国各地に拡大し、自国第一主義に結合していけば、この国は変る。

来年は、4月の統一地方選があり、解散総選挙もありうる。こうした中で既成政党に頼らない地域住民主体の自分の地域方第一主義が大きなうねりになることを大いに期待している。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

このところ、「マイナ保険証」問題をはじめ、「TikTok」炎上問題など河野太郎デジタル相の言動が物議を醸している。そんな矢先、「アメリカ式か中国式か? ビッグデータと国家安全保障をめぐる『仁義なき戦い』勃発」(Newsweek 11/17)という記事が目に入った。

特に、興味深かったのは、中国による個人情報収集に警戒感が高まるが、世界的にみれば、ヨーロッパをはじめインドなど多くの国々は、米国と米国IT巨大企業こそが、最大の国家安全保障上の脅威だと捉えていることだった。

理由の一つは、2013年にエドワード・スノーデン氏が公表した米国安全保障局(NSA)の大量の機密文書の収集事件を忘れていないこと。機密文書には、米政府が世界各国の要人や一般市民の電子メール、ショートメッセージ、携帯の位置情報といった膨大な量の個人データの収集が示されていた。二つ目は、米国のIT巨大企業GAFAM(グーグル、アップル、フェイスブック、アマゾン、マイクロソフト)が世界のユーザー、一般市民のデータを食い物にし、巨大化していることを挙げている。

欧州各国では、米巨大IT企業への監視を強め、2018年にデータ移転ルールなどを定めた「一般データ保護規則」を設けている。さらにこの5年で、62ケ国がデータの国外移送に制限を加え、国内にサーバーの設置義務を課すルールなどの「データ・ローカライゼーション」規則を設け、強化している。

記事は、デジタル世界は、「『グレートファイアウォール』(ネット検閲、情報統制システム)に守られた中国のインターネットと、アメリカ主導のインターネットだ。そしてヨーロッパやアフリカや中南米の国々は、どちらかを選ぶように迫られている」と結ばれていた。だが、注視すべきは、「データ保護ナショナリズムは激しくなる一方だ」との言葉に表現されているように、各国が、自国のデータ保護・管理を強化していることだと思う。

 

若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん

今日、デジタル化、AI化なしに社会の発展は望めない。そのデジタル化において、生命とされる決定的なものがデータであり、国の政治、経済、軍事、国民生活においてその重要性が増している。同時に、膨大なデータに莫大は価値があるとともに、国家と国民の安全保障が重要な課題でもある。この世界の動きを考えたとき、深刻なのは日本である。日本政府が自らデジタル主権を放棄しているという事実だ。

日本は、TPP交渉の過程で、「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れ、2020年に「日米デジタル貿易協定」を締結している。言い換えれば、データ保護・管理などデジタル主権を自ら放棄させられている国なのだ。

2021年9月に発足した「デジタル庁」は、システムの標準化、統合を眼目とし、省庁とともに国と地方のシステム統合を目指してきた。その基盤として使用されているのが、米国のIT巨大企業アマゾンのプラットフォームである。国家と国民の安全保障に関わる政治システムを他国の民間企業に任せるケースは世界でも珍しく、さらに個人情報を管理するデータ設備を日本国内に置く要求もできない。これでは、デジタルを通じて日本と日本人の資産を自ら、米国と米国巨大テックに際限なく売り渡すのに等しい。

改めて、日本政府が米国に対してデータ保護・管理、デジタル主権を放棄させられている、している事実の深刻さに警鐘をならしたい。

▼若林佐喜子(わかばやし・さきこ)さん
1954年12月13日、埼玉県で生れる。保育専門学校卒業。1977年に若林盛亮と結婚(旧姓・黒田)。ピョンヤン在住。最近、舩後靖彦氏の持説「命の価値は横一列」に目からうろこ体験。「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

 

今年は、ウクライナで明け、ウクライナで暮れゆく一年だった。ウクライナ戦争に関する論考では、当然のごとくロシアが帝国主義だとする人が多かった。ウクライナ事態を「ロシア帝国主義の侵略戦争とウクライナの民族解放闘争だ」と言う人もいれば「米ロの帝国主義間戦争」として見るべきだという人もいる。いずれもロシアが帝国主義であるとしている。プーチンを皇帝とした大ロシア帝国の復活をめざしているのだという主張もあった。

ロシアが帝国主義かどうかは、まず第一にウクライナにたいする軍事作戦をどうみるかにかかっている。

これについてすでに多くの論戦が交わされ、ロシアによるウクライナ侵略戦争説と、ロシア対米国の代理戦争説に大きく分かれている。今年2月、ロシアがウクライナにたいする特別軍事作戦を開始し、ウクライナ戦争が起こったのだから、ロシアが帝国主義ないし帝国主義同然だと考えるのも無理はない。

しかし、事態の表面、一面だけを見て判断するのはどうかと思う。戦争はすでに数年前から東部ドンバスで始まっていた。ロシア系住人の自治区にたいしゼレンスキーがいわゆる「ミンスク合意(停戦協定)」を破って軍事攻勢をかけたからだ。結果、すでに数万人のロシア系住民が犠牲になったという。そして、米英軍事顧問団にウクライナ兵を訓練させ、大量の米国製武器を持ち込み、ロシア語使用を禁じた。米国がウクライナにたいし所謂カラー革命(政権転覆策動)を執拗に追求してきたうえでの話だ。だから、ロシアにとってはNATOの脅威からロシアの主権を守り、ウクライナ内のロシア系住民を保護することは当然のこととなる、軍事作戦の目的もウクライナの中立化・非軍事化・非ナチ化においた。けっして、ロシアの領土獲得やウクライナ支配それ自体を目的としていない。今年2月の事件だけで見るのではなく、数年、とくにNATOの東方拡大の背景から見なければと思う。そこから見れば、ロシアは侵略者、帝国主義ではなく、逆に米国がゼレンスキーを手先にして代理戦争を行なわせていると見えるのではないだろうか。

第二に、ロシアを帝国主義とする根拠として、経済的に資本主義だから必然的に帝国主義となるとしている主張がある。実際、そうなっているのだろうか。

ある人は、「ロシアと中国は、資本主義が未発達で、民主主義革命に直面していた。そこから社会主義革命へ前進する過程で、工業化とその管理から官僚主義が登場し、官僚制国家資本主義へ変質・転化した。(革命は)ブルジョア革命に終わり、資本主義化し、帝国主義化した。根本はここ。このソ連論・中国論が代理戦争論にはない」と断じている。

たしかに、ロシアに新興財閥や国有企業が存在している。しかし、プーチンが新興財閥の意向を受けてウクライナ特別作戦を行ったのではなく、反対にプーチンは受ける制裁に備えそれを克服する道について新興財閥を説得している。新興財閥にプーチンが動かされているのではなく、新興財閥がプーチンの指導と統制を受けている。だから、経済が決定するとはいえないだろう。

では、ロシアは誰が動かしているのだろうか。それはプーチンが率いる党であるといえよう。そうした政治勢力がナチスドイツの侵略から国家主権を守り抜いた体験をした国民の支持を受けている。とくにソ連崩壊後の混乱を収拾し、国の統一と安定をもたらしたプーチンの業績は大きい。だから、ロシアは独占資本主義に動かされる帝国主義国とはいえないのではないか。

第三に、ロシアを米国と同列視するのかということだ。

勤労人民大衆の自由と解放をめざす闘いは、国を単位にして繰り広げられる。人民大衆は国家権力を握ってはじめて社会の主人となることができ、その国家の主権を守り社会制度を発展させて人民大衆の自由と豊かさと平和を実現していくことができる。民族解放闘争の勝利と新興独立国の発展はそのことを示している。

しかし、帝国主義は植民地を生命線とし各国の主権を否定していくことを本性としている。米国がその典型だ。それゆえ、世界における帝国主義と勤労人民大衆の攻防は、米国のグローバリズムを掲げ国を否定する覇権と各国の主権擁護の戦いとして展開され、現在も続いている。

したがって、ある国を判断するうえで覇権勢力側なのか反覇権主権擁護勢力の側なのかと見極めること、言いかえれば米国の覇権主義に同調しているのか、それに反対しているのかが重要になる。

米国はNATOや日米安保の軍事同盟を強化拡大し、各国で政権転覆策動を繰り広げている。米国が各地で戦乱をひき起こしている戦争の元凶だ。とくに米英はある国を対立させて戦乱を起こすという狡猾な方法を使っている。セルビアにたいしてはコソボ独立、ひいてはユーゴの解体、ロシアにたいしてはジョージア、ウクライナを利用した戦争、ひいてはロシア解体(3月の駐ベオグラードウクライナ大使の発言)、中国にたいしてはウイグル、香港、台湾を利用した分断対立策動をおこなってきた。

 

赤木志郎(あかぎ・しろう)さん

一方、ロシアは、シリア、イラン、キューバ、朝鮮など反帝諸国を支持し支援している。また、ロシアが参加する新興五カ国BRICsや上海協力機構を見ても、国家主権を守ることを国是とし、国を否定する帝国主義側でなく基本的に反覇権勢力の側にたっている。とりわけ、ウクライナへの特別軍事作戦は制裁も予見し非米脱覇権主権勢力を結集して米国の覇権策動を粉砕しようとしたと思う。米国と戦うロシアは帝国主義ではなく、反帝国主義と言えるのではないだろうか。

第四に、この問題は日本が主体的に、実践的に誰に闘いの矛先を向けるべきかということがもっとも重要な問題としてある。

今日、米国は覇権回復戦略として中ロを敵とする新冷戦戦略をしかけ、世界を「専制主義国VS民主主義国」に分断し、同盟国を糾合し覇権を回復させようとしている。とくに日本に対しては対中代理戦争を行わせようとしている。それが日本国民にとってどれだけ不幸をもたらすのか明白だと思う。エネルギー、食糧など物価高の原因も対ロ制裁が大きな要因となっており、米国に追随した対ロシア制裁は日本の国益に合致していない。米国とロシアの対立にたいしては、日本は国益を基準として中立の立場で臨むべきだと思う。

とくに闘う勢力が、マスコミのロシア=悪の報道に同調し、「中ロの脅威」を主張したり、今日の事態を「米国と中ロの帝国主義間戦争」と見たりするのは、米国にたいする闘いをあいまいにするものである。闘いの矛先は日本に対中代理戦争を行わせようとする米国とそれに従う日本の執権者にこそ、向けなければならないのではないだろうか。

▼赤木志郎(あかぎ・しろう)さん
大阪市立大学法学部中退。高校生の時は民青、大学生のときに社学同。70年赤軍派としてハイジャックで朝鮮に渡る。以来、平壌市に滞在。現在、「アジアの内の日本の会」会員

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆円安が止まらない

尋常ではない。何が起こってもおかしくない時代、これもその一つかも知れない。しかし、それにしても異常だ。それが、昨今の円安ではないか。

1ドル、148円。一昔前には、考えられない安さだ。これが年を越してまで続くと言われている。下手をすると200円を超すかも知れない。

1ドル、360円の大昔、ドル危機以前への逆戻りだ。そんな冗談も冗談でなくなってしまう。そんな勢いだ。

一体、何が起きているのか。この異常円安の原因をさぐるとともに、それがもたらす日本経済と日本への影響について考えてみたい。

◆なぜ止まらないか、異常円安

言われているのは、米FRBの政策金利の引き上げだ。このところうち続く、0.75%を前後する連続大幅利上げ。合計すると4%を超えると言う。

この常軌を逸した政策利上げが、大挙しての円売りとそれにともなう急激な円安の主因になっているのは間違いない。

問題は、なぜ今この異常な政策金利の引き上げかということだが、それについては、現在米国で進行中の高インフレ、景気の過熱に水を掛けるためだという公式見解以上のものは出てきていない。

だが、この異常円安の原因はFRBのこの異常な政策利上げ以外にもあるように思える。それは、日本自体の「価値」が下落しているからではないだろうか。

特にそれは、この間のウクライナ戦争を契機に日本の「原料・燃料小国」「食糧小国」としての姿が浮き彫りになってしまったからではないかと思われる。

実際、この戦争、特に、それに対する米欧側のロシアへの制裁を通して、原油やガス、穀物など世界的な原料・燃料難、食糧難が顕在化しているが、そこでそれらの自給率がひときわ低い日本の姿が目立つようになったということだ。

それがFRBの政策利上げで生まれた円安に拍車を掛けたというのが、この異常事態の本当のところと言ってのよいかも知れない。

◆異常円安、何が問題なのか

物事何でもそうだが、円安にも良いところと悪いことがある。

良いこととしては、日本からの輸出がそれだけ安くなって、有利になることが挙げられる。観光も同じことだ。実際、外国人観光客の日本を見る目が熱い。このところ外国からの日本観光が急激に増えていると言う。

しかし、今回の円安、悪いことの方が多いように思える。まず、輸入品の高騰だ。それがウクライナ危機による物価高騰に拍車を掛ける。

それにもう一つ、怖いことがある。日本買いの急増だ。安くなった日本の物件に外国人バイヤーが群がってくるようになる。

時に、「米中新冷戦」。米国は、同盟国、それも対中対決の最前線である日本に日米統合を呼びかけ、日米の経済統合、一体化に向け、米国企業の日本浸透を奨励している。そのために、折からの異常円安は、これ以上にない絶好の好条件になっている。

米国による日本買い。軍事、経済をはじめとするあらゆる領域。あらゆる分野に亘る日米の統合、一体化、すなわち日本の米国への溶解がこの異常円安を通して、一気に進むのではないか。

そのことを考えると、FRBによる政策金利の引き上げ、ひいてはウクライナ戦争それ自体に至るまで、米国による策謀に見えてくるのは、一人私だけであろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

◆国益最優先、自国第一への期待

10月22日、イタリアで国益最優先、自国第一主義を掲げるジョルジャ・メローニ氏を首班とする新政権が発足した。9月25日に行われた上下院の総選挙で26%を獲得し第一党になったメローニ氏率いる「イタリアの同胞」にベルルスコーニ氏の「フォルツァ・イタリア」、サルビーニ氏の「同盟」を加えた3党連立政権である。

日本のマスコミはメローニ氏が青年時代にネオファシスト政党「イタリア社会運動」ので活動していたことをもって「イタリアの同胞」は、その流れを継ぐ極右政党だとし、新政権がロシア制裁の足並みを乱すことへの警戒と懸念を説く。

メローニ氏自身は、選挙公約でロシア制裁を続けるとしているが、連立を組む、ベルルスコーニ氏はロシアのプーチン大統領と互いに「親友」と呼び合う仲であり、選挙中もロシア制裁を批判する発言をしている。そして、メローニ氏は、ベルルスコーニ政権で、史上最年少の31歳で入閣し、ベルルスコーニ氏を「政界の師」だと公言しており、今後、ロシア制裁継続の公約もどうなるか分からないということである。

メローニ氏は、選挙ではロシア制裁継続を表明し、これを争点化せず、物価高騰にあえぐ国民の生活問題を争点にした。イタリアでも、ガソリンやガス、食料が高騰しており、物価上昇は10%に達し、電気代は5倍にもなっている。そして、その原因は、ガスの40%を占めるロシア産の供給が滞るなど、ロシア制裁にあると見なされている。こうして元来、親露的で、国益最優先を掲げるメローニ氏の「イタリアの同胞」への期待が高まったのだ。 

イタリア総選挙でメローニ氏の「イタリアの同胞」が勝利した日、国益第一、自国第一と主張を同じくするフランスのマリーヌ・ルペン氏、ハンガリーのオルドバン首相、スペインの右派政党Vox(「声」)などが祝電を送った。

EUで第三の国力をもつイタリアに国益第一、自国第一の政権が誕生したことの歴史的意義は大きい。イタリアの勝利を追い風に、欧州では国益第一、自国第一の政権が各国に生まれ、欧州の政治地図は激変するのではないか。

◆全欧州がその志向を強めている

そう思うのは、国益第一、自国第一の政治への期待が全欧州で高まっているからだ。今、欧州各国で、ロシア制裁の結果、エネルギーや電気、食料価格が高騰する中で、国民生活を犠牲にして戦争を継続する自国政府への抗議デモやストライキが各地で展開されている。それは、「凍える冬」を前に、このままでは、大勢の凍死者を出しかねないという状況の中で切迫したものになっている。

そのスローガンを見れば、フランスでは「マクロン、お前の戦争を我々は望んでいない」「NATOからの脱退」「ウクライナへの武器供給を停止せよ」、ドイツでは「国益第一」「我々にはロシアの石油とガスが必要だ」「NATOは武器を送るな」「いい加減にしろ-凍えるより抗議しろ、暖房とガスと平和を」、英国では「燃料の貧困を終わらせろ」「福祉ではなく戦争を切り捨てろ」、イタリアでは「我々にはガスブロムが必要だ、ヤンキーゴーホーム」などなどである。そして、抗議の波は、オランダ、チェコ、モルドバ、ギリシャにも波及し全欧州を覆うものになりつつある。

このデモの呼びかけは、フランスではルペンの「国民連合」から出た「愛国党」、ドイツでは「ドイツのための選択肢」(AfD=Alternative für Deutschland)だが、英国は労働組合や社会運動団体で結成された「いい加減にしろ」キャンペーンであり、イタリアは労働組合総同盟が主催者であり、極右云々とは関係ない左右の垣根を越えた国民的なものになっている。

ロシア制裁は、米国が主導している。力を落とし、その覇権的地位を失いつつある米国が、欧州、日本に米国を支えさせ、米国中心の覇権秩序を維持・回復させるためのものである。米国とそれに追随する欧州の現政権は、ウクライナに武器を送り込んで代理戦争をさせながら戦争を長引かせて、国民に生活苦を強いている。

欧州でも新自由主義改革の結果、1%が99%を支配する社会になっており、99%が貧困層に追いやられ、ロシア制裁で、その「返り血」をもろに被らされている。デモのスローガンにロシア革命でレーニンが提起した「平和、土地、パン」を髣髴させる「暖房とガスと平和を」があるなど、その怒りが現体制転覆というほどの「革命」的なものと見るのは行き過ぎだろか。英国の「いい加減にしろ」キャンペーンは、「私たちはこの国を変え、国民のために勝利する」と述べている。

◆日本にこそ問われている

こうした中で、欧州ではロシア制裁を機に米国が自国のガスを高値で売りつけていることやロシアと欧州の長年の経済協力関係を分断して欧州市場を犠牲にして自国経済を立て直そうとしている、との声が起き、対露制裁の継続は「欧州の自殺」ということが実感をもって捉えられるようになっているという。

それは、日本にも当てはまる。日本は、石油や食料をもって他国を支配する米国の国家戦略の対象にされ、石油、ガス、食料の多くを米国に依存しており、高騰した、それらを買い続けている。米国が提唱する米中新冷戦の下で日本は中国との長年の経済協力関係を切ることを強要されており、軍事的にも対中対決の最前線に立つことを要求されている。そこでは、日本の力を軍事的にも経済的にも米国の下に統合する日米統合が進められている。こうして日本経済は米国経済建て直しの犠牲にされ、国土は米国防衛のための戦場にされようとしている。それは、まさに「日本の自殺」であろう。

しかし、「同盟こそ国益」とする自民党政権は、頭から米国に追随するだけである。それで良いのか、それで日本はやっていけるのか。

ロシア制裁に参加し、それを実質的に行っているのは、欧州、日本だけである。中国はもちろん、米国が民主主義陣営の一員として期待するインドも制裁に参加しようとはせず、逆にロシアから安価な石油、ガス、資源、食糧を大量に輸入している。トルコ、イランも米国の裏庭と言われた中南米の国々も中国、ロシアとの関係を深めており、ロシアからの資源輸入を拡大している。

そして、これらの諸国は、上海協力機構、拡大BRICsなどに結集しつつある。そこでは、米国覇権に反対するだけでなく、覇権そのものに反対し、覇権ではない、「公平で民主的」な新しい国際秩序形成が目指されている。

 

魚本公博さん

その共通理念は「主権擁護」である。これらの国々は、かつて欧米日の植民地にされ、それとの血を流しての戦いを経て独立を勝ち取った国々であり、「主権擁護」を確固不動の国家理念にしており、それは本質的に国益第一、自国第一主義である。

日本でも物価高騰が国民生活を直撃しており、これに空前の円安が追い討ちを掛けており、生活苦は今後益々、過酷になるだろう。こうした国民の生活地獄を救うためにも、これまでの日米同盟基軸、米国覇権の下で生きる生き方を見直し、世界的な脱覇権、主権擁護の流れ、欧州で強まる国益第一、自国第一の流れを直視し、この時代的な流れに合流することを真剣に考えなければならない時にきていると思う。

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

『一九七〇年 端境期の時代』

◆大きかった安倍国葬反対闘争の意義

7月8日暗殺された安倍元首相の国葬が発表されてから20数日、それに反対し国論を二分して全国的に闘われた国葬反対闘争は、国葬当日の全国数万の反対示威の闘いとともに大きな意義を持ったと思う。

意義の第一は、何よりもまず、反対闘争を行わなかった場合に生まれる、安倍元首相自身の権威付けと歴史的位置付けが国葬するにふさわしいものとして行われるのを阻止したところにあると思う。

国葬は、国と国民のために尽くし、功績があったと認められる人を、国民的合意の下、弔う国家的葬儀だと言える。だから安倍国葬を遂行するということ自体、何よりも安倍元首相自身をそのような人物として国家的、国民的に認めることになる。
「国葬」の是非を問い国論を二分して展開された反対闘争はそれに待ったをかけたという意味で大きな意義があったと言うことができる。

意義の第二は、この反対闘争を行わなかった場合に生まれる、安倍元首相の業績に対する国家的、国民的で歴史的な評価を「国葬」という儀式に準じて高く肯定的に定めるのを阻止したところにあると思う。

安倍元首相の業績を歴史的に高く評価するということは、決して過去の事績への評価を定めるに留まらない。それと関連し、今現在行われている、そして今後行われるであろうすべての政治の評価に関わるすぐれて実践的な意義を持つ。

安倍元首相国葬に反対し、国論を二分して、全国的に熾烈に展開された闘争は、以上のような重大な意義を持っていると思う。

その上で、安倍元首相の国葬反対闘争は、国葬を執り行う岸田現政権の政治にも少なからぬ打撃を与えた。それも、反対闘争が持つ意義だと言うことができるだろう。

実際、岸田政権は、国葬にふさわしくない安倍元首相の葬儀を国葬にすることにより、国論を二分する国民的不信と反発を生み出し、その支持率を大きく落として政権運営を危うくするまでに至っている。


◎[参考動画]【安倍元首相国葬】「最高レベル」の厳戒態勢の中 抗議団体と2時間にわたり衝突も(日テレ 2022/09/27)

◆どう反対するのか、問われたその視点

今回の安倍元首相の国葬反対闘争を行ったこと自体、大きな意義があった。しかし、その闘争内容において少なからぬ問題があったのも事実ではないだろうか。

反対闘争において問題にされたのは、主として、この「国葬」が国葬としての条件を満たしていないというところからだった。

その条件として提起された一つは国葬の手続き上の問題、もう一つは安倍元首相自身が国葬の対象としてはたしてふさわしいかその資格問題だったと言える。

手続き問題としては、まず、戦前の旧帝国憲法とは異なり、現行憲法には国葬についての規定自体がないということ、それでも敢えて「国葬」を強行するというなら、国権の最高機関である国会で「国葬法」を制定するなり、「国葬」を敢行するための一定の手続きが必要だったということ、それを閣議決定というかたちで事を進めたのは、完全に行政権の横暴、独裁だということだった。

次に、安倍元首相が国葬対象としてふさわしいか、その資格問題としては、安倍元首相が政治家として、首相として行ったこと、その業績自体が国葬にふさわしいかが検討された。それとしては、日本を戦争できる国にしたこと、祖父、岸信介を認め、日本帝国主義の侵略の歴史を是認したこと、アベノミクスにより格差を拡大したこと、日朝関係を最悪にし拉致問題の解決をできなくしたこと、等々が挙げられた。

これら安倍国葬反対闘争で提起された視点自体、妥当なことだ。間違ってはいない。しかし、闘争のスローガンに掲げられた「国賊」というには、少し弱いのではないか。と言うより、事の本質が突かれていないように思う。

もちろん、日本を戦争する国にしたこと自体、「国賊」だ。格差を拡大したことも、「国賊」だと言ってもよいだろう。

しかし、安倍元首相が「国賊」だという所以は、そんなところに留まらないのではないか。

◆なぜ「国葬」どころか「国賊」なのか

安倍元首相が「国葬」に値しないどころか、国に害を及ぼした「国賊」だと言った時、そこには、どういう意味が込められているのだろうか。

今から10年前、2012年の8月15日、米シンクタンク、戦略国際問題研究所CSISの第3弾報告、アーミテイジ・ナイ報告が発表された。そこで打ち出されたのが、一言で言って、「強い日本」への米国の強い要求だった。それを契機に始まったアジアに対し強力な指導力を発揮する「強い日本」への日米を挙げての大合唱。そうした中、9月、それまで候補にも挙がっていなかった元首相安倍晋三が、菅氏による数時間にも及ぶ説得もあって、突如自民党総裁に担ぎ出された。その年末、野田民主党政権のまさかの解散。それに続く総選挙での自民党の大勝利。かくして安倍長期政権のスタートが切られた。

それから8年近く、歴代最長の長期政権が何をやったか。それは、第一に、企業がもっとも活躍しやすいようにするのを経済政策最大の目標にしたアベノミクスによる、大量の米国資本の日本流入と全面的な新自由主義構造改革など、日本経済の米国経済への組み込み、第二に、安保法制化と自衛隊の抑止力化による、専守防衛の放棄と敵基地攻撃能力構築など、日米共同戦争を担える日本軍事の米覇権軍事への全面的組み込み、第三に、教育改革による、英語、IT重視と日本史の欧米史への溶解など、グローバル・デジタル人材の育成、等々、日本を経済的、軍事的、そして精神的、全面的にアメリカ化し、今日、岸田政権の下、「米対中ロ新冷戦」の重要な一環として推し進められている「日米統合」のための準備を完了したと言うことができる。


◎[参考動画]日米同盟:これまで以上に重要(CSIS 2018/10/03)

すなわちそれは、言い換えれば、衰退し弱体化した米覇権の回復戦略である「米対中ロ新冷戦」を支えるため、その最前線として日本を米国に統合、一体化し、国としての独自の存在をなくしてしまうためのお膳立てを行ったと言うことだ。

これが日本の国と国民のため尽くし、功績を挙げた人の葬儀を国葬として執り行うために国民的合意を得られることだろうか。「国葬」どころか、その正反対だ。安倍元首相は、よく「国賊」と呼ばれてきたが、その意味がまさにここにこそあることを満天下に明らかにする時が来たのではないだろうか。

そのことを安倍国葬に反対する闘いを通し、全国民的に確認し、安倍元首相が為した「国賊」そのものの「犯行」に基づいて、これから為されていく「米対中ロ新冷戦」とそのための「日米統合」に反対し、それを破綻させるための闘争に活かしていくことが問われていると思う。

そこにこそ、安倍国葬反対闘争の真の意義があるのではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

高度情報化、グローバル化時代を担うグローバル人材育成を目的とする教育改革のもと、今年、4月から新教科書が使われ、新しい教育としてスタートした。

歴史教育は、「歴史総合」という新科目が、高校の必修となった。戦後の歴史教育の大きな転換になる可能性を秘めていると言われるこの科目は、これまでとは全く違う学び方という意味では、歴史教育の基本となる科目だ。

教科書の執筆者の一人である歴史学者の成田氏は、このように言われている。

「これまで世界史と日本史に分かれていた歴史科目を、18世紀以降の近代史として、『総合』した形として学ぶ新科目です」また「これまでの日本史の教科書のような、一国だけの歴史(ナショナルヒストリー)ではない。日本と世界をグローバルヒストリーとして学ぶことに主眼がある」そして「世界的な相互関係のダイナミズムから歴史をとらえます」と。

すなわち、「歴史総合」新科目は、歴史を日本史としては教えず、18世紀以降からの世界史として、「近代化」「国際秩序の変化」、「大衆化」、「グローバル化」の3編からなるテーマ史として教えるようになっている。

ここで問題は、歴史を日本史としてではなく、世界史としてとらえていることである。

言い換えれば、歴史を日本と世界の歴史、グローバルヒストリーとしてとらえると言いながら、その基軸を、どこまでも日本ではなく、世界に求めているということだ。

現在、「米中新冷戦」体制下にある日本に求められているのは、米国との「統合」である。そして、そのための教育改革が推進されているなかにあって、「歴史総合」科目は、自分の国を基本にして見る歴史を、世界を基軸にみる歴史にとらえ直して、教える教科だと言っているが、この意味するものは、何なのだろうか。

日本の歴史を日本独自の歴史ではなく、世界史の一環として見るというこの見方は、日本の独自の歴史、日本の歴史事実をなくしてしまうということではないのだろうか。教科書検定において、過去、日本がアジアで犯した植民地支配という行為に対して、その歴史事実を歪曲する教科書を合格させ、隣国、アジアに対する蔑視と軽視の立場を教科書に載せた。ちなみに欧米は、自己の植民地支配の歴史を全く総括していない。このことをとっても、歴史教育改革とは、何であるかが示されているのではないだろうか。それは、歴史の基軸を自国に置かず、とくに、欧米、近代史に置くことにより、日本の歴史、「日本史」を欧米史のなかに溶解させ、自分の国という観点を持たない人材、そういうグローバル人材育成のための歴史教育だと言えると思う。

すなわち、これが、日本を米国に「統合」するための教育改革だと言える。「英語とIT技術」を身に付けるだけでなく、日本人としての帰属意識やアイデンテイテイを持たない人材、無国籍のグローバル人材を育て、日本人の内面的側面をも溶解させアメリカ化するというではないだろうか。

 

森 順子『いつまでも田宮高麿とともに』(2002年7月鹿砦社)

新科目「歴史総合」は、「戦後の歴史教育の大きな転換の可能性を秘める」と言っているが、まさに、こういうことかもしれない。

20年以上続けてきた、グローバリズム、新自由主義によって、日本の教育はどうなったのか。一番、憂慮されることは、若者が自分の国を語れず、日本人としてのアイデンテイテイを失いつつあると言われていることだ。日本人という概念があいまい化され、日本の将来に対する不安を広げ、自己肯定感のない自分に自信が持てず、そういう社会、そういう自分の国を語れなくなっているということだと思う。

自国の歴史を知らなければ、自分の国を語れずと言うが、「日米統合」のための教育改革とは、グローバリズム、新自由主義をもう一度,蘇えさせるための「統合」だということができる。それゆえ、グローバリズム、新自由主義の全面化、徹底化であり、日本の教育のアメリカ化である。そして、それは、日本人をグローバル人間に、米国人への改造だと言えるかもしれない。こんなふうになれば、真の意味で日本人はいなくなり、日本人がいなくなれば、国が無くなってしまうというしかない。これが、「日米統合」のための教育改革の核となる重要な問題として提起されているように思う。

▼森 順子(もり・よりこ)さん
1953年5月12日、神奈川県川崎市で生まれる。法政女子高等学校卒業。1978年に田宮高麿と結婚。ピョンヤン在住。「アジアの内の日本の会」会員

7日発売 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

◆「打って出る同盟」── エマニュエル駐日米大使

「打って出る日米同盟に」!

これはエマニュエル駐日米大使が9月2日、東京で開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で行った講演のキーワードだ。

 

彼が強調したのは次の二点。

①日米同盟は「守りの同盟」からインド太平洋地域に「打って出る同盟」の時代に入った。

②日本が国内総生産(GDP)比2%を念頭に防衛費増額を検討していることを称賛する。抑止力の一環としての反撃能力の議論は必要だ。

日本の立場から解釈すれば、専守防衛「守り」の自衛隊が攻撃武力保有の「打って出る」自衛隊に変わること、これを日米同盟の義務として行うこと、これが「打って出る日米同盟」への転換の本質だ。言葉を換えれば、国土防衛から外征戦争を行う自衛隊への転換だ。

その中心環には自衛隊の反撃能力保有、敵本土攻撃能力保有が置かれているのは言うまでもない。

一言でいって自衛隊が「守り」から「打って出る」こと、専守防衛から反撃能力保有への転換-これが米中新冷戦で最前線を担うべき「新しい時代」における日本の同盟義務だとエマニュエル大使は明言したのだ。

「ウクライナ戦争」を経験した今、「打って出る同盟」への転換で米国が日本に要求する「同盟義務の転換」とは何か? それが日本の「東のウクライナ化」への道であることを以下で見ていきたいと思う。

◆対中本土攻撃の中距離核ミサイル基地化する日本

 

8月の新聞に「海上イージス艦に長射程弾搭載検討」という記事が出た。また「長射程弾1000発保有」に向けた防衛予算概算要求がすでに立てられている。政府は「長射程弾」と表現をごまかしているが、この「長射程弾」というのは射程1000km、あるいはそれ以上の長射程ミサイル、要するに中距離ミサイルと一般に言われるものだ。

これまで専守防衛の自衛隊には禁止されていた兵器、当然、憲法9条に反するものだ。

昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出した。米軍の本音は日本列島への配備だ。

計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めており、これを受けてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の長射程(中距離)ミサイル開発を決めている。

これらは世論の反発を恐れて隠然と進められているが、先の海上イージス艦に中距離ミサイル配備検討、及び1000発の中距離ミサイル保有が「長射程弾」という言葉のまやかしで着々と現実化させられている。

海上イージス艦配備はあくまで象徴的な「第一歩」に過ぎず、この「長射程弾1000発保有」の実際の狙いは自衛隊の地上発射部隊への全面配備にあることに間違いはない。

これに「核共有論」が加われば、日本の自衛隊基地は中国本土を狙う中距離核ミサイル基地に変貌する。

◆代理戦争方式をとる米国

自民党の麻生太郎副総裁は8月31日、横浜市内のホテルで開いた麻生派研修会で、ペロシ訪台以降の緊迫する台湾情勢を巡り「(対中)戦争が起きる可能性が十分に考えられる」との見解を示した。「与那国島(沖縄県)にしても与論島(鹿児島県)にしても、台湾でドンパチ始まることになったら戦闘区域外とは言い切れない状況になる」と語り、ロシアのウクライナ攻撃の教訓として「自分の国は自分で守るという覚悟がない国民は誰にも助けてもらえない。我々はこのことをはっきり知っておかなければならない」と台湾有事=日本有事に備えることを説いた。

これは米国の同盟国としてその義務をウクライナ以上に積極的に果たせということだ。

ベトナムに続きイラク、アフガンでみじめな惨敗と多大の犠牲を強いられた米国民の厭戦気運は米バイデン政権をしてアジアや欧州での対中ロ戦争を同盟国にやらせる「代理戦争」方式をとらせるようになっている。すでにウクライナでそれは実証済みだ。

対中ロ新冷戦に自己の覇権の存亡をかける米国が日本に要求するのは一言でいって対中代理戦争だ。それを知りながら岸田政権は日本の対中・中距離核ミサイル基地化を着々と進めている。

これの持つ意味をリアルに考えてみる必要がある。

前に「デジタル鹿砦社通信」(6月20日付け)に書いた河野克俊・前統幕長発言「(中距離核基地化するということは)相手国の10万、20万が死ぬことに責任を負う」覚悟を持つこと、これを裏返せば相手国からの核ミサイル反撃があれば「日本の10万、20万が死ぬ」覚悟を持つことが求められる事態になるということだ。

これが意味する現実はすでに「対ロ・ミサイル基地化」でロシアにケンカを売ったしっぺ返しを受けた「ウクライナ戦争」でウクライナ国民が身を以て体験していることだ。中距離核ミサイル基地化する日本が「東のウクライナ」になるとはそういうことだ。ウクライナは米国との同盟関係はない、だから同盟国・日本はウクライナ以上に米国から苛酷な「同盟義務」を強いられるだろう。

◆明らかになった「戦後平和主義」の限界と課題

「日米安保のジレンマ」という言葉がある。

日米安保同盟のおかげで米軍が抑止力として日本の防衛を担っくれているのはよいが、反面、その抑止力である米軍基地があるために日本は戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。

例えば中朝のミサイルは日本の米軍基地に照準が当てられている。いったん有事には日本の米軍基地が核ミサイルや爆撃機、空母など中朝に対する攻撃の際には出撃拠点になるからだ。つまり抑止力として米軍基地があるために米国と中国や朝鮮との戦争事態になれば、否応なしに日本は戦争に巻き込まれる。

これがこれまで日米安保基軸の「戦後平和主義」が内包する「日米安保のジレンマ」と言われるものだ。

しかしいまや事態は一変している。「ジレンマ」というそんな悠長なことは言っておれない事態に日本は直面させられている。

日本が戦争に巻き込まれるどころか、戦争当事国になる、しかも「東のウクライナ化」で米軍ではなく自衛隊が前面に立たされる代理戦争国になろうとしているのだ。

今、直面しているこの由々しい現実は、「戦後平和主義」の限界と課題を誰もに明らかにしたと言えるのではないだろうか?

「戦後平和主義」の限界は「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」というところにある。

これまでの専守防衛は米軍の抑止力が強大であったからこそ維持できた「平和主義」に過ぎない。その「平和主義」は、「戦後の日本は自衛隊が一発も銃を撃つこともなく自衛隊に一人の死者も出さなかった」と言われるが、他方でベトナム戦争の出撃拠点になるなど戦争荷担国であるという多分に欺瞞的な「平和主義」でもあった。

 

それも今日、事情はがらりと変わった。

「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」は、冒頭のエマニュエル発言のごとく日米同盟が「守る同盟」から「打って出る同盟」に転換される時代に入って正念場を迎えている。今や米国自身が認める「米軍の抑止力の劣化」、それを補うための自衛隊の抑止力強化、反撃(敵本土攻撃)能力保有は日米同盟(米国)の切迫した要求となった。それが今、「打って出る同盟」への転換、日本の対中・中距離核ミサイル基地化という「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化という事態を招いている。

すでに前述のごとく隠然と既成事実化は着々と進められており、今年度末には国家安全保障戦略改訂で「打って出る同盟」への転換は国家的方針、政策として確定される。

今、問われているのは、日米同盟基軸の「戦後平和主義」を脱すること、同盟に頼らない日本独自の平和主義実現の安保防衛政策を構想することだ。これが今や「まったなし」の切迫した課題としてわれわれに提起されている。このことを真剣に議論するときが来たと思う。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」成員

『一九七〇年 端境期の時代』

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『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

今、世界的な物価高騰が起きている。とりわけ、「ウクライナ事態」発生以降、ロシアに対して経済制裁する国々では、ロシアからの石油、ガスの供給が滞り、それによってガソリン価格や電気料金が高騰を続けており、まさに「返り血を浴びる」状況になっている。

こうした状況の中で、日本では、「サハリン2」の問題が起きている。

6月30日、プーチンは「サハリン2」の経営会社である「サハリン・エナジー社」の資産を新設するロシア企業に無償で引き渡すよう命令する大統領令に署名した。「サハリン2」は英石油メジャーのシェルが27%を出資して経営を握っており、日本も三井物産が12.5%、三菱商事が10%の出資をしていた。日本は、これを通じて全LNGガス輸入量の約10%、年間600万トンを得ていた。ロシアの措置は、それが得られなくなる可能性があるというので緊張が走った。

その後、ロシアは8月2日に新会社(会社名は「サハリンスカヤ・エネルギヤ」、本社所在地はサハリン州のユジノサハリンスク)を設立した。8月18日には、供給を受けている九州電力、東京ガス、西部ガスなどに以前と同じ価格や調達量で再契約を結ぶという通達を行った。これによって、日本の2商社も同様の条件になることが予想され、西村経産相は、「日本の権益を守りLNGの安定供給が図られるよう官民一体で対応したい」と述べ、9月4日の期限までに、2商社に株式保有をロシア側に通知するよう要請した。これを受けて、8月25日、三井物産、三菱商事は出資継続をロシア側に通知することを表明した。今後、数ヶ月間に渡って再契約の中身をつめる交渉が行われる見通しだ。

問題は米国である。米国はロシア制裁のために、シェルの撤退を歓迎し、日本にも同様の措置を採るように要請していた。そうした米国にとって、今回の日本の措置は不愉快なものであり、再契約の交渉過程でも「サハリン2」から撤退するように様々な圧力を掛けてくることが予想される。

今後、日本政府は、国益を守るのか、それとも米国の圧力に屈するのかの選択を迫られることになる。すでにマスコミは、「権益を守れるかどうかは不透明」などと米国を利するかのような論調を張るが、「サハリン2」からの撤退こそ国益放棄なのであり、日本は「撤退せず国益を守る」という立場で、ロシアとの交渉に臨めばよい話しである。

ロシアは、そうしたことを見越して、今回、穏やかに「以前通りの契約で」という措置をしたのであり、それは、日本に「あくまでも米国について行きますか、どうしますか」を問うものになっていると言える。その問いかけは、本質的に「日本はあくまでも米国に従い、米国覇権の下で生きていくのですか」という問いかけである。

そのことを知るためには、「サハリン2」とはどのようなものであったかを分かる必要がある。

「サハリン2」は、1994年に作られた。当時は、ソ連崩壊という大混乱の中で、市民生活が極度の貧困にさらされたロシアの試練の時代であった。そうした混乱の中で、作られたものが「サハリン2」である。こうして英国の石油メジャーであるシェルが27%を出資して、サハリンのガスを掌握した。シェルはロシアのガスを安く買い叩いたばかりでなく、100万BTU(英国熱量単位)当たり2ドルに満たない額で買うというポート・フォリオ枠の特典を得て、これを40ドル前後のスポット価格で売るなどして暴利を貪ってきた。本社は、タックス・ヘイブン(税の優遇措置)で有名な英領バミューダ諸島に置かれており、ロシアは、これに課税することもできなかった。

まさに、「サハリン2」は、米国覇権秩序の下で欧米の大企業が他国の資源を収奪するという典型例であり、ロシアにとっては屈辱的なものであった。それを「ウクライナ事態」が発生し、ロシアへの制裁が発動される中、2月にシェルが自ら撤退を表明したのを機にロシアが取り戻したのであり、それは、誰もが文句を付けることのできないロシアの主権行為であり、屈辱の遺物を清算し、自国の資源をロシアに取り戻すための極めて正当な措置である。

そればかりではない。ロシアは、米覇権秩序に反対し、「平等で民主的な新しい世界秩序」の形成を主張しており、新会社設立の措置は、その象徴であり、そのための武器としてあるということである。

すなわち、こうして作られた新「サハリン2」は、日本に「米覇権の下で生きる」という生き方に対して、それをいつまでも続けるのか、それでいいのか、を問いかけるものになっているということなのだ。

日本は、ロシアの穏やかな問いかけに、冷静に、その答えを模索して行かなければならないだろう。

その基準は、国益であり、国民益でなければならない。どうすれば、国益、国民益を守り、国民の命と暮らしを守っていくのか、国家の使命とは、それに尽きるからである。

米国覇権の下で生きて行く、そのためにロシア制裁の先頭に立つということは、逆に「返り血」を浴び、それを国民に転化するだけではないのか。まさに、それが故に、多くの国が国益、国民益を第一にして、ロシア制裁に反対し、それを無視している。バイデンが多くの国際会合や会議で、ロシア制裁を呼びかけても、それに応じるのはG7の欧米日だけである。G20でも、ロシア制裁を行っているのは10カ国に過ぎない。

こうした動きについてエジプトの元外務次官のフセイン・ハリディ氏が「どちらにも、つかない」と題する朝日新聞への寄稿で要旨次のように言っている。「我々は欧米の言うようにウクライナの独立と民主主義を守る戦いだとは見ていない。そういう中でエジプトなど『第三世界』の国々は自らの立ち位置を決めなければならない。それは『非同盟』だ。非同盟はバンドン会議で始まり、インドのネール、中国の周恩来、エジプトのナセルなどが主導した。非同盟は自国の独立を守るための盾である」と。

バンドン会議は、1955年、東西冷戦が激化する中で、アジア、アフリカ諸国が、インドネシアのバンドンに会して、東西どちらにも付かず、各国の主権尊重を最高原則として互いに協力して平和と繁栄を追求していくことを合意した会議である。

その「主権尊重」の原則は、今日の自国第一主義にも通じる。それが、米国主導の「ロシア制裁」による「返り血」として国民生活を直撃する中で、制裁は正しいのか、そもそも「ウクライナ事態」を招いたのは米国によるウクライナへのNATO拡大、ウクライナのネオナチ化にあったのではないかという声の高まりとなり、米国ノー、米国覇権ノーとして、「主権尊重」「国民益第一」としての自国第一主義が支持を伸ばしている。

フランスでは4月に行われた大統領選で自国第一主義のマリーヌ・ルペンが前回の18%を42%に伸ばし、6月の総選挙では、マクロン与党が100議席を失う大敗北を喫する反面、ルペンの国民連合は8議席から89議席に躍進した。市民生活第一の左派連合「人民環境社会市民連合」も73から131に議席を伸ばした。ドイツでもシュルツ政権への不満が高まっており、他の諸国でも現政権への不満の声が高まっている。

戦争が終わったとしても、「ウクライナ事態」の基本構造、米国覇権とそれを打破しようとするロシアなどの諸国という基本構造は変わらないのであり、今後、数年間で欧米世界にも国益第一、自国第一の新しい政権が生まれ、世界は大きく変わるのではないか。

日本も変わらなければならない。これまでのように米国覇権の下で生きていけば良い、ではなくなっている。事実、米国覇権維持・強化のために、日本は対中国の最前線に立たされ、敵基地攻撃能力の保有や軍事費倍増や果ては、核の共同保有までが言われるようになっている。そればかりではない。エマニュエル駐日大使が就任承認を得るために開かれた米上院外交委員会で「日米の経済統合を目指す」と言ったように、日米経済の統合一体化も進んでおり、日本は、「国」としての体裁を失い、「米国51番目の州」にされようとしている。

反面、世界に目を転じれば、米国中心の覇権秩序に反対し脱覇権で主権尊重の「平等で民主的な新しい世界秩序」を作ろうとする動きは強まっている。日本は、あくまでも米国覇権の下で生きて行くことを続けるのか。それとも、こうした新しい動き、時代の流れに合流していくのか。新「サハリン2」は、それを問いかけている。

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魚本公博さん

ちなみに、日本はバンドン会議の正式参加国であり締結国である。当時の日本は、戦犯国として国連加盟もできず国際孤児の境遇に置かれており、悲願の国連加盟のために、アジア・アフリカの票を得ようとしての参加であったとされる。しかし、一方で、敗戦後の日本は、これから、どう生きて行くのかということが問われており、米国一辺倒ではなく、アジア・アフリカなどとも協力して生きて行こうという道も模索していたということである。この日本の隠された「レガシー」、それを今、受け継ぐこと、それが、新「サハリン2」が問いかけることへの答えにもなるということを付け加えたいと思う。

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。

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今日、世界の動きを考える時、ウクライナ戦争を離れてはあり得ない。それは、遠く離れた日本の政治にも大きな影響を及ぼしている。

◆プーチンによる侵略戦争、それが本質か

ウクライナ戦争を考える時、重要なのはその本質だ。

これを普通一般的にとらえられているように、プーチン・ロシアによるウクライナに対する侵略戦争と見るか否かですべては、決定的に異なってくる。

私は、「プーチン侵略説」に与しない。

プーチン自身は、これを「特別軍事作戦」と呼び、欧米に対する「先制攻撃」だと言っている。そして、「ウクライナ」という言葉は使わず、ウクライナに対する戦争だと言うこと自体を否定している。

私は、プーチンの言と関連して、あの米ソ冷戦終結後、米欧側が米ソ間の「NATOの東方不拡大」の口約を破り、旧東欧社会主義諸国のNATO加盟を進め、今では旧ソ連邦の一員であり、ロシアと国境を接するウクライナの加盟までを日程に上らせていること、その上、2019年に成立したゼレンスキー政権の下に、米英軍事顧問団と大量の米国製兵器を送り、ウクライナ軍に米国式軍事訓練を施し、ウクライナの対ロシア軍事大国化を推し進めたばかりか、「ミンスク合意」の破棄とそれにともなうドンバス地方のロシア系住民に対するネオナチ支配を行うようにしたこと、等々、そして、これらが皆、ロシアが、今年2月、その軍事行動の開始とともに掲げた要求、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化のスローガンと符合していることを黙過してはならないと思う。

一方、私は、この戦争を「米中新冷戦」との関連で見ている。

周知のように、米覇権は、2017年、米国家安全保障会議で「現状を変更する修正主義国家」だと中国とロシアを名指しで規定し、中ロとの覇権競争を公式に宣布するとともに、2019年、「米中新冷戦」を宣言した。だが、この時、米覇権は、ゼレンスキー政権を介した対ロシア対決戦を開始しながら、「米ロ新冷戦」を宣言することはなかった。これは、米覇権が対中ロ二正面作戦を嫌ったためだととらえられている。

プーチンによる「先制攻撃」はこの脈絡から見るとより分かりやすい。米国をこの二正面作戦に引きずり出したのだ。事実、中ロ、そして非米脱覇権国家群が一体となったその後の軍事・経済「複合大戦」の展開は、プーチンの筋書きによっているように見える。

◆米欧日VS中ロの帝国主義間戦争か

今、少なからぬ論者がウクライナ戦争を帝国主義間戦争と見ている。

すなわち、この戦争を単純なロシアによるウクライナへの侵略戦争と見るのではなく、中ロと米欧日の戦争だと見、そうした中でのロシアによるウクライナ侵略だと見ているということだ。言うなれば、戦前、英米との抗争の中で日本が満州侵略を敢行したようなものだということだ。

こうした見方の根底には、何よりも、中ロを米欧日と同じ帝国主義国としてみる見方があると思う。すなわち、ロシアにおける新興財閥、オリガルヒ、中国におけるBATHなど大手IT企業群などの存在を米欧日における独占資本の存在と同等にとらえ、中ロを独占資本主義国家、すなわち帝国主義国家と見る見方だ。両者の違いを敢えて挙げるなら中ロの場合、米欧日に比べ、国家権力の比重が大きい国家独占資本主義的傾向の強さにその特徴を見ているくらいだと言えると思う。

もう一つ、中ロと米欧日との関係を往年の帝国主義間の関係と同じように見る見方の根底には、時代の違いを重視しない、と言うより時代的な変化発展を見ようとしない見方があるように思う。

私は、この中ロと米欧日を同一視する見方、そして時代の違いを見ようとしない見方、その双方ともに与しない。

前者に関して言えば、政治と経済の力関係が両者ではかなり違うと言うことだ。今回、ウクライナ戦争で「オリガルヒ」などの動揺を抑えて、プーチンが示した指導性の強さは、それを改めて証明したようにと思う。また、IT大手などに対する習近平の指導性も「共同富裕」政策や今回の米下院議長ペロシの台湾訪問に対する大々的な軍事演習の台湾を包囲しての恒常化などに示されているのではないか。

一言で言って、中ロのこの戦争や「新冷戦」への対応が経済の要求、大企業の要求に動かされてのものと見ることはできないと言うことだ。

後者に関して言えば、より明確だ。すなわち、第一次、第二次大戦の時代と今では世界各国の自主独立志向と力が段違いに異なっていると言うことだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてイラク、アフガン戦争とこの70年来、米国は民族解放勢力との戦争で一度も勝利することができなかった。究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義も世界的範囲での自国第一主義の嵐の前に破綻し、その生命力を大きく失ってきている。今回のロシアの軍事行動に対して米欧日が提唱した国連などでの非難と制裁の決議が否決されるようになってきているのはその象徴だ。

この脱覇権・反覇権の時代的趨勢を前にして、植民地争奪、勢力圏争奪の帝国主義間戦争など起こり得るだろうか。米欧日にはもちろん、中ロにもそんな力はないと思う。

以上、二つの理由から私は、この戦争の本質を帝国主義間戦争と見る見方に与しない。

◆覇権VS「国」の戦いとしてのウクライナ戦争

今、ウクライナ戦争は、軍事と経済、「複合戦争」の様相を呈してきている。

米欧は、ロシアに対する経済制裁として、米欧中心のSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの大手7銀行すべてを閉め出し、ロシアを国際決済秩序から排除する挙に出た。

だが、それは両刃の刃だった。

石油や石炭、天然ガスなど鉱物資源、小麦や大麦、トウモロコシなど農産物、そしてリンや窒素、カリなど肥料原料、等々、ロシアの産物が世界経済に占める比重は小さくない。

それが米欧日の側に回らないとなると、そのことが経済に及ぼす打撃は深刻だ。実際、今日、大きな問題になっている物価高騰の要因の一つはここから生まれている。

一方、ロシア経済の米欧中心の経済からの締め出しは、ロシア経済を中国など非米脱覇権国家群経済の側に追いやり、世界経済の分断、二分化を促進した。

軍事、政治ばかりでない。経済まで巻き込む米欧日覇権勢力と中ロと連携する脱覇権国家群との対立は、世界の部分的、局所的な戦いではない。全世界的範囲での覇権と脱覇権・反覇権の戦いに急速に発展してきている。

ウクライナ戦争の本質も、この視点、「複合大戦」の視点から見る必要がある。そこで見えてくるのは、覇権VS脱覇権・反覇権の戦争という視点だ。

実際、中ロと連携した朝鮮やキューバ・中南米諸国、ベトナム・ASEAN諸国、イランやシリア中東イスラム圏諸国、そしてインドやブラジル、南ア、トルコやサウジなどBRICS、G20等々、「地域大国」、これらの国々が中ロと連携しているのが中ロによる新たな覇権の下に入るためでないのははっきりしている。連携の目的は、どこまでも米欧日覇権との戦いで勝つためであり、中ロもまた、覇権目的というより、米欧日覇権に打ち勝つための連携であるに違いない。それは、これら諸国と中ロの実際の関係を見ていれば一層明白だ。

ここで問題は何で脱覇権、何のための脱覇権か、その目的だ。

それは、一言で言って、「国」のための脱覇権だと思う。

もともと覇権とは、「国」々の上に君臨し、「国」々を支配することだ。

世界はそうやって成り立ち、数千年に及ぶ覇権の歴史が続いてきた。

今、その歴史に終止符が打たれようとしている。覇権と「国」との闘争の歴史が終焉しようとしている。

なぜか。それほど世界の「国」々が成熟し、強くなったと言うことだ。

二つの世界大戦を通して生まれ、戦後数十年、発展し勝利してきた民族解放戦争。それに対する究極の覇権主義、国と民族そのものを否定するグローバリズム、新自由主義との闘いを通じて世界的範囲で高揚する自国第一、国民第一の闘争の嵐は、その何よりの証だと思う。

「国」をめぐる覇権と各国国民との闘い、その歴史的土台の上に展開されるウクライナ戦争、「米欧日覇権勢力VS中ロと連携した非米脱覇権勢力の新冷戦」は、それ故、その本質において、覇権VS各国国民が拠って立ち、自らの居場所とする「国」の戦いだと言うことができるのではないだろうか。

米大統領バイデンが「米中新冷戦」の本質について、「民主主義VS専制主義」の戦いだとしながら、「専制主義」を統制や強権、独裁など支配の道具としての「国」を押し立ててのものとして「国」を悪者に仕立て上げているのも、戦後、日本において、軍国主義の象徴として「国」が右翼反動の専売特許にされてきたのも、「自由と民主主義」を掲げる米覇権の正当性、優越性を際立たせ、覇権VS「国」の戦いを有利に推し進めるための極めて狡猾な術策だと断罪することができるのではないかと思う。

◆ウクライナ戦争の展望や如何に

ウクライナ戦争の本質について見てきたが、それを確認する上でも、戦争がどうなるか、その展望について考えてみたい。

私は、この戦争の本質からして、それがどれくらいの時間を要するかは定かではないが、その勝敗は見えていると思う。

勝つのは、中ロと連携した非米脱覇権国家群の方だと思う。

その根拠の一つは、世界を二分するこの「複合大戦」にあって、こちらの方が圧倒的多数を獲得するようになると思うからだ。

米欧日の側の結束の基準は、どこまでも「米欧式民主主義」だ。そして、この民主主義のためなら、国益も犠牲にすることが要求されている。

これまでも、米覇権の下、「民主主義」のため、国益を犠牲にすることは要求されてきた。しかし、それは、米国の力が圧倒的に強かったからだ。ほとんどの国は、米国が怖くて、また、今国益に反しても、将来、より大きな利益を得られると思うからこそ、「民主主義」のため国益を犠牲にした。

しかし、今は違う。米国の力が弱まった今、米国は昔のように怖くはない。また、米国にくっついていても、それほど大きな利益は期待できない。そうなった時、米欧日覇権の側に付く国はどんどん減っていくばかりではないか、

それに対して、中ロ、脱覇権の側は、自国第一、国民第一、だから国益第一だ。地球上の大部分の国にとって、こちらの方が魅力的になるのは目に見えている。

今になって、米欧日の側は、アフリカ諸国への援助を増やしたり、ASEAN諸国に秋波を送ったりしている。しかし、そんな付け焼き刃は通用しないのではないか。

中ロ、脱覇権の側が勝つと思う根拠は、何よりも、ウクライナ軍の方がロシア軍より「愛国」になれないと思うからだ。

ウクライナにとって、この戦争はどこまでも米欧日に押し立てられ、ロシア軍の攻撃の矢面に立たされている「代理戦争」だ。

ウクライナの若者たちが「脱国する自由」「兵役拒否の自由」を要求し、自分たちがなぜ米欧の「人間の盾」にならねばならないのか疑問を抱いたとしても何もおかしくない。

それに対し、ロシアの若者たちはどうか。この戦争が米欧日覇権勢力と対決する戦争だと自覚した時、彼らが「愛国心」を持ち自らのかけがえのない「国」のため、命を懸けて闘うようになるのは目に見えている。

以上二点考えてみたが、ここから見てもこの戦争が、その本質において、覇権VS「国」の戦いであることが見えてくるのではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

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