私は、これまで米国の下への日本の統合、「日米統合一体化」の問題を多く寄稿させて頂いた。そうした中、「日本の国土政策の根本を変える」との主張が出てきた。それは何を意味するのか、それと対決するために、何をしなければならないのか、それを考えてみたい。

◆先ず「NTTは『能登』を見捨てる」から

昨年11月、貴通信への投稿で、NTT法を廃止し、NTT株を米国外資に売却し、日本の通信インフラを米国に売る動きについて述べた。こうした中、情報誌「選択」(3月号)に「NTTは能登を見捨てる」という記事があったので、そのことから始めたい。

その記事は、NTTの島田明社長が今年度第3四半期決算の発表記者会見の場で「モバイルファースト」を強調したが、それはNTT法が同社に科している「固定電話をあまねく全国に提供する責務」、即ちユニバーサルサービス(ユニバ)の「最終保証義務」の廃棄を狙ったものだというものだ。

能登では大震災による電柱、局舎、中継施設が倒壊・破損したが、その完全復旧には半年以上掛かる。そこで応急措置として携帯電話を使っているが、携帯電話は、基地局周辺エリアしか使えず、本格復旧には光回線(光ファイバー)網をつなぎ直さなくてはならない。

そうした復旧費用は100億円にもなる。そこで、NTTは、本格復旧はせずにイーロン・マスクが世界的に展開する通信衛星網「スターリンク」を使うことで済ませようとしている。

情報化時代にあって、通信網から外されることは、「見捨てられた」も同じである。その復旧をやろうとしないということは、まさに能登を見捨てるということになる。

NTT法廃止の本質は、米国に通信インフラを売り渡すということだ。その「亡国・売国」の所行が震災地能登で進んでいる。能登を手始めに、今後も予想される大震災を契機に、日本の多くの地域が「切り捨てられ」ていく。

◆注目すべき竹中平蔵氏の主張

こうした中、竹中平蔵氏が「日本の国土政策の根本を変える」ことを主張している。

氏は、You Tubeの「魚屋のおっチャンネル」で、今、首相になったとして、国民にやるべきことを訴えるとしたら何ですか、という質問に対して「今やらなきゃならないのは、日本の国土政策の根本を変えることです」と答え、「今までは、そこに住んでる人は、そこに住む権利があるという前提で、インフラも供給するしサービスも提供するけど、申し訳ないけど、もう人口も減っていくんだから、ここの中核都市にみんな集まってくれと。そのためのお金は政府が出しますよ」(原文ママ)とその具体像を示す。

竹中氏は、歴代自民党政権で米国式新自由主義改革を主導した人物である。その下での政府の地方政策は、効率第一の「選択と集中」として、中核都市を中心にした圏域にカネ・ヒト・モノを集中させ、他は「見捨て、切り捨てる」というものであった。

その方針の下、地方制度調査会が2017年に「連携中枢都市圏構想」を発表したが、当時、全国市長会では、「圏域の法制化は、地方の努力に水を差す以外の何物でもない」「政府は我々を見捨てるのか」という声があがった。

事実その結果は、「仙台圏の一人勝ち」現象の全国化であった。能登の見捨てられたような現状もその結果である。

竹中氏の主張は、この政策を更に進めるということに他ならない。

そこで注目しなければならないのは、市町村などの基礎自治体を米国企業の管理下に置く動きが進んでいることだ。

昨年2月、総務省が政府の「デジタル田園都市国家構想」で桎梏となっているデジタル人材の不足を解決するために人材サービス会社と協力して市町村にデジタル人材を派遣配置するという方針を発表したが、この人材派遣会社とは、まさしく竹中平蔵氏が会長だった(その後辞任)パソナなどであり、そのデジタル人材とは、米国のIT企業やそれと関連する人材となる。

すでに、デジタル化の司令部であるデジタル庁のプラットフォームはアマゾン製であり、それを使った「全国共通システム」が開発されており、データを集積利用するクラウドも米国巨大IT企業に委ねるものになっている。こうしたデジタル化の大枠が構築されている下で、基礎自治体である市町村の自治業務を米国外資・企業の関連人材がデジタル管理する。

こうなれば、日本の全国土が隅々まで米国に管理されるようになる。それは、地方自治の否定・解体であり、そこでは地域住民主権も剥奪される。そして、デジタルの特性から、米国の影はよく見えない。見えないままに米国による日本統合は進められていく。

竹中氏の「日本の国土政策の根本を変える」主張の隠された狙いは、米国企業が地域を直接管理する形で米国が日本の全国土を管理する国に作り直すというところにある。

◆それは時代の流れに逆行する

今、米中新冷戦の下で、日本をその最前線に立たせるための日米統合策が進んでいる。

それは軍事における統合を先行させながら、日本の全国土を米国の下に統合一体化して日本を根本的に作り直すものとしてある。

この側面から見れば、岸田首相が米国議会で行った演説「未来に向かって~我々のグローバル・パートナーシップ」とは、日本があくまでも日米基軸、対米追随路線を堅持し、米国の下への日米統合一体化を更に進めることを米国に約束したものだと言える。

しかし今、米国覇権は音を立て崩れつつある。

「民主主義」を唱える米国が、イスラエルによるガザ地区での虐殺蛮行を容認し後押しするという「二重基準」、あるいは、ウクライナ支援が物価高など「返り血を浴びる」状況の中で、欧米では、この「民主主義」への懐疑や批判が強まり、「エリート支配」「リベラル寡頭支配」などが言われるようになっている。

こうして、米国ではバイデン政権に反対しトランプを支持するGAMA(Grate America Make Again)運動が起きており、欧州では「いい加減にしろ」運動が起き、各国で自国第一主義が台頭している。

こうした中で、世界の大多数を占めるグローバルサウス(中国もインドもその一員であることを自認している)も、米国覇権にそっぽを向き、脱覇権自主の道を模索し始めている。

時代の流れは、脱覇権自主の流れになっている。

竹中氏の主張は、この時代の流れに逆行し、破綻が明らかな新自由主義改革をさらに進め、日本全土を米国が企業管理するような国に「根本的に変える」というものだ。

新自由主義改革による格差が拡大し、その上に軍事費倍増のため社会保障費や地方交付税が減らされ、様々な形で実質増税が行われる中で、国民の生活苦は増し、SNS上でも、#竹中平蔵をつまみ出せ、#政治に殺される、#増税メガネなどの言葉が飛び交っている。

その上、日本は米国の一部として管理され、対中新冷戦の最前線に立たされ、ウクライナのように米国のための代理戦争をやらされようとしている。

もはや猶予は許されない、日米基軸、対米追随の政治に終止符を打ち、日本の国益、国民益を守る日本のための政治、国民のための政治を今、直ちに実現しなければならない。

◆国民のための政治実現が切実に問われている

こうした中、「冷たい政治」から国民を救う「救民内閣」樹立を訴える前明石市長の泉房穂さんの動きが注目を集めている。

泉さんは、今の政治は、国民に生活苦を強いる「冷たい政治」だとし、この政治を終わらせるために、来るべき総選挙で「国民の味方」チームで候補者を立てて勝利し、ホップ・ステップ・ジャンプで勝利して「令和維新」を行い、「首相公選制」「廃県置圏」を断行して「新しい日本を創造する」と述べる。

その理念は「誰も見捨てない、どんな地方も見捨てない」であり、竹中氏の新自由主義的な「弱者切捨て」とは対極にある。

泉さんは、最近の「政治とカネ」の問題も、これまでの政党政治では、必然的に生み出されるものと捉える。政党政治では国民に向かって訴える必要もなく、議員の関心は派閥の動向に向かい、そういう中では「政治とカネ」の問題も必然的に起きるのだと。

「首相公選制」、そこには、政党政治という間接民主主義に対して、直接民主主義的な政治への志向が見られるし、民主主義とは何か、政治とは何かという根本的な問いかけがある。

「廃県置圏」は都道府県を廃止し300ほどの圏域を作るという、地方政策であり国土政策だが、それは、能登の現状が示す「弱小地域を見捨てる」政策と対決するものとなる。

 

魚本公博さん

今、全国の市町村(東京の21特別区を含む)は1741だから、その圏域には、5つほどの市町村が含まれることになり、県単位で見れば、各県に5~7つほどの圏域を作ることになる。そうなれば、「見捨てられる」地域もなくなり、全ての地域がそれぞれ特徴を活かした圏域として互いに連携しながら発展することが出来るようになると思う。

米国覇権が失墜し、世界の多くの国々が脱覇権の動きを強めている中で、米国の下への統合など時代錯誤も甚だしい。世界の流れ、時代の流れに向き合う政治、国と国民の利益を第一に考える、国民のための政治実現が今、切実に問われている。

それをどう実現するのか。泉さんの問題提起などを参考して、政治のあり方、国土政策のあり方などを根本的に捉え直す論議を広範に巻き起こし、そうした中で、日本と国民を救う、「救国、救民」の政治を今こそ実現しなければならないし、それが出来る時代なのだと思う。「デジ鹿」上でも、こうした議論を大いに展開してもらいたいと思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆目の前に見えた革命

1970年3月31日、われわれは、日航機「よど」をハイジャックした。あの時、最年長の責任者、田宮高麿も27歳だった。そのわれわれも、今や後期高齢者だ。

当時、革命は目の前にあるように思えた。2年後の「1972年革命」を唱えていた仲間もいた。私自身、さすがにそこまでは思えなかったが、70年代の終わり頃には可能ではないかと思っていた。ハイジャックをやったのも、そうした思いがあったからだ。

それが、あれから54年、われわれは今だ朝鮮の地にある。その目算の狂いに、さぞかし消耗し後悔しているのでは、とお思いかも知れない。

実際、目算の狂いの原因がその目算自体、革命したいというわれわれ自身の欲求に基づいており、広く国民大衆の切実な要求に基づき、それに応えるところからのものでなかったのに思い至った時、それは大きな衝撃だった。

以来、50余年、われわれは、この痛恨の教訓を生かし、あの時の誤りを現実の闘いで正そうと闘ってきた。自己を修養し、訪朝団の人々に積極的に会うなど、帰国のための闘いを始めたのも、そのために「日本を考える」や「自主と団結」、「お元気ですか」などわれわれの出版物を日本の地で発刊し、自らの思い、考えを広く世に問うようにしたのも、そして今もなお、「アジアの内の日本」などSNS発信をし、デジタル鹿砦通信社へのこの寄稿をはじめ、自らの意思の表明を続けているのも、すべてその思いからだ。

そうしたわれわれが最近、革命を目の前に感じるようになってきた。そこで問われているのは、それが自分たち個人の革命を求める心からのものでなく、客観的現実の要求、広く人々の要求に基づき、それに応えるというところから出発したものであることだ。

今、世界も日本も激動している。「大動乱の時代」という表現が少しの違和感もなく受け止められるようになってきている。ウクライナ戦争、中東戦争、米中新冷戦の三正面作戦に引き出され、それを余儀なくされている覇権国家、米国が今秋11月には大統領選挙を迎える。そこでまた8年前、4年前と同じく、トランプに対する対応が求められている。そして、日本でも解散総選挙が遅かれ早かれ行われるようになっている。

この激動の時にあって、世界中で、大きな焦点の一つになっているのは、御存知、「もしトラ」だ。それが今では、「ほぼトラ」になり、「いまトラ」にまでなってきている。

そうなった時、世界は、そして日本はどうなるのか。世界中でそれにどう対するか、対応策が検討されてきている。

今、われわれが革命を肌で感じ、それが見えるようになってきているのは、こうした現実の切実な動きに基づいている。

◆なぜ今、「いまトラ」なのか?

8年前、従来の大統領とは全く異なる異色、型破りの大統領、トランプが登場した時、米国だけでなく世界が混乱した。

「アメリカ・ファースト」を掲げ、米国の国益第一に、移民の受け入れを拒否したばかりか、「世界の警官」の役割を否定し、数々の米覇権機構からの撤退を宣言、強行していったトランプ政治への賛否両論が世界中に巻き起こった。

こうした中、米覇権中枢、エスタブリッシュメントは、このご時世、一度はやらせてみたトランプからバイデンへの大統領のすげ替えをあらゆる手を尽くして強行した。かくして、何とかその実現にこぎ着けたバイデン政権の4年間は果たしてどうだったか。

カビの生えかかった「普遍的価値観」を改めて持ち出し、「民主主義VS専制主義(権威主義)」の旗の下、「米中」は表立て、「米ロ」は陰に隠して、二正面作戦は避けながら、かつての「米ソ冷戦」「東西冷戦」よろしく、世界を二つに分断し、中ロを包囲する「新冷戦」が敢行される一方、トランプによって破壊された米覇権機構の修復がなされ、覇権の回復が図られた。

その結果生み出されたのは何だったか。米覇権は、ウクライナ戦争と米中新冷戦、それに加えて、パレスチナ・イスラエル戦争と三正面作戦に直面させられ、包囲ならぬ逆包囲、自分が孤立させられて、進むも地獄、退くも地獄の滅亡の泥沼に足を踏み入れさせられてきている。

この覇権崩壊の危機にあって、エスタブリッシュメントがバイデンにこれ以上期待できることがあるのだろうか。

そうした中、「11月」は迫ってきている。民主、共和両党の候補者を決める予備選挙で、現職の大統領としてバイデンの選出が決まっている民主党に対し、共和党ではトランプの圧勝が際立っている。そして、バイデンとトランプ両者の中どちらを選ぶかの事前調査では、43%対48%と大差を付けられているのはバイデンの方だ。

トランプ優位の根拠として挙げられているバイデンの弱点には、「イスラエル支援」、「移民」など、米国の伝統的で今日的な覇権戦略の評価に関わるものが多い。これらが「偉大なアメリカ」、「アメリカ・ファースト」、国益第一、等々、米国の覇権よりも、強い米国、豊かな米国を求めて広がる「貧しい人々」、若者たち、黒人たちなど、これまで民主党支持だった人々まで加えて、広範な米国人から排撃を受けている。

こうした現実を見て、エスタブリッシュメントの少なからぬ部分が米覇権のあり方の転換を考えるようになったとしても少しも不思議ではない。

「もしトラ」から「ほぼトラ」「いまトラ」への傾斜の裏には、広範な米国民の動向を見ての推察とともに、こうしたエスタブリッシュメントの動向についての読みが少なからぬ比重を占めているのではないだろうか。

実際、米覇権中枢、エスタブリッシュメントの意思は、バイデンからトランプへの転換容認で固まってきているように見える。周知のように、トランプに対しては、女性問題まで含め数多くの訴訟が起こされている。ところが、それについての裁判がすべて、米最高裁判所において、大統領選挙期間、その審判の延期が決定された。これは、その証左に他ならない。

◆現時代、覇権の多極化など有り得るのか

「いまトラ」、すなわち「今やトランプ」になるであろう趨勢にあって、問題になるのは、米エスタブリッシュメントが容認するバイデンからトランプへの転換が何を意味するかだ。それが覇権の放棄でないのは明白だ。そこで考えられるのが覇権のあり方の転換であり、それが米一極覇権から覇権の多極化への転換であるのを推察するのはさほど困難ではない。

米単独の一極覇権から米中ロなど複数の超大国による多極覇権への転換、それは、国の上に自由、民主主義、法の支配など「普遍的価値観」を置き、国そのものを否定するグローバリズム覇権から国の存在を前提に、いくつかの超大国による世界各国に対する分割支配を意味している。

そこで問題なのは、現時代が自国第一の時代だということだ。各国がグローバリズム覇権に反対して、自国第一の政治改革を起こしてきている中にあって、この自国第一を認めながら、その上に成り立つ覇権などというものが果たしてあり得るのだろうか。もともと覇権とは、国の上に君臨するものだ。自国第一を認めるような覇権は、一つの大きな自己矛盾なのではないのか。

実際、自国第一の時代である今日、各国の上に君臨する覇権などあり得ない。中国であれ、ロシアであれ、並はずれた大国であるのは事実だが、周辺の朝鮮やASEAN諸国、はたまた東欧や中央アジアの国々の上に君臨しているかと言えば、そんなことはないし、そもそもそんなことはできないと思う。時代が自国第一の時代だと言うことは、そう言うことを意味している。

それは、G7など、旧帝国主義諸国皆に共通したことだ。この間、西アフリカ、中央アフリカなど旧仏領アフリカ諸国が国民と一体になった青年将校によるクーデターでことごとくフランスから離反し、マクロンが激怒しながら手をこまねいているのが話題になっているが、そこにも世界から逆包囲され、孤立したG7の姿が鮮明だ。そうした中、米国には、もはや覇権の多極化をしようにも覇権する対象がなくなっているのではないか。

「反覇権的多極秩序」なる新語も生まれてきている今日、米エスタブリッシュメントはこうした時代の現実を踏まえる必要があるのではないだろうか。

◆「いまトラ」で日本に問われること

「いまトラ」で想定される多極覇権にあって、米国による覇権の圏内に日本が入れられているのは言うまでもない。

この場合、当然、「米国ファースト」に対し、日本も「ファースト」だ。だが、そこで大前提は日米基軸であり、「米国ファースト」と一体であってこその「日本ファースト」、もっと言えば、「米国ファースト」の下での「日本ファースト」だと言うことだ。

もちろん、ここでよく言われていることがある。それは、「日本主導」と言うことだ。米国が弱体化した今日、これまでのように米国の後に日本が付いていくのではなく、日本主導の日米関係にしなければならないと言うことだ。

だが、これはこれまでもよく言われてきたように、「米国に言われる前に、(米国の意図を推察し)、日本が『自主的に』進んでやる」というのと五十歩百歩ではないか。「自主的」が「主導」に変わっただけだ。一言で言って、「米国ファースト」の下での「日本ファースト」、それはすなわち、本質において、「日本セカンド」に他ならないと言うことだ。

多極覇権にあって、日米関係を「主導」する日本には、より強い「ファースト政権」が要求されるようになる。そうなってこそ、「多極ファースト世界」にあって、日本はその「主導」的役割を果たせることになる。この間、「トランプ」との関係で、「小池百合子首相」の名が度々出されるようになっているのも決して偶然ではないと思う。

「いまトラ」によってその形成が図られる「覇権的多極秩序」に対して、すでに世界的規模で広がりを見せている「反覇権的多極秩序」、この二つの秩序の世界的攻防が日本の闘いにも反映されるようになるのは不可避ではないかと思う。

この覇権VS反覇権の攻防にあって、日本が真に「ファースト」の道を選択する上で決定的なのは、日米基軸の下、どこまでも米国に従い進むのか、それとも日米基軸の枠から抜け出、全方位の道に踏み出すのかにあるのではないか。

日米基軸からの脱却、それは、今の日本にとって一つの大きな革命だと思う。と言うより、現段階にあって、日本の革命は、社会主義や共産主義に進むことではない。日米基軸の呪縛から抜け出すこと、ここにこそ、戦後79年、いや維新以来156年、提起され続けてきた革命の課題を達成する道が開けているのではないだろうか。

革命が見える現実が近づいている。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

これまで貴通信には日米統合一体化が進んでいることに警鐘をならす投稿をさせて頂いた。今回は、その流れの中で、今株価が上昇し、バブル歓迎論が出ていることに焦点を合わせ、それが誰により、何を狙ったものなのかを考えていきたい。

◆米国外資による「日本買い」

年初から高騰していた株価は、2月22日には、バブル期最高値である1989年12月29日の3万8915円を超える3万9098円を記録した。

株高はすでに、昨年の1月に始まっている。その時、マスコミは、「日本経済復興のチャンス」を謳い、国際投資アナリストなる大原浩氏などは「30年ぶりに日本の黄金時代がやってくる」(現代ビジネス)と手放しの歓迎ぶりであった。

そして今回もマスコミは「日本反転の契機に」「真の経済再生の好機」などと株高、バブルを歓迎する報道を行っている。

株高の要因はマスコミなども指摘するように「外国勢の『日本買い』」であり、その主役は米国外資である。そして米国は、それを煽っている。昨年春には、世界3大投資家の一人で「投資の神様」と言われる、ウォーレン・バフェットが来日し、「これからは、日本株」と持ち上げて見せた。

最高値に迫った2月15日、内閣府は昨年末にGDPでドイツに抜かれて、4位に転落したと発表したが日本経済の衰退は著しい。それなのに米国外資は「日本買い」に走っている。そうであれば、米国の意図は何かである。

それは米国の新冷戦戦略を考えてこそ理解出来る。今、米国は米中新冷戦を掲げ、西側を結集することで衰退著しい米国覇権を回復させようとしており、そのために日本の軍事、政治、経済などあらゆる領域で日米統合を進めている。

米国外資による日本株の上昇、バブル化は経済領域での日米統合のためのものだ。米国外資による「日本買い」自体がそのことを物語るが、こうした中で、日本株を買った米国外資が日本の企業を直接、管理支配する動きを強めている。

昨年1月から「日本買い」を始めた米国外資は、5月に集中した株主総会で「もの言う株主」として現経営陣の退陣と社外取締役の採用など「企業統治の改善」を要求してきた。

「企業統治の改善」、会社は公器、会社員のためのものであるという「日本型経営」を解体し、会社は株主のものだとして、株主である米国外資が経営権を握れるようにせよということである。米国の投資助言会社が日本的な企業防衛策である「持ち株会社」を問題視するのも、そのためだ。

すでに日本は、デジタル時代にあって「生命線」と言われるデータも米国企業に握られている。デジタル庁のプラットフォームはアマゾンであり、データを集積管理する「クラウド」もGAFAMなど米国の巨大IT企業が握っている。また、熊本のTSMCなど各地で進む、米国IT企業やその傘下企業を中心にした半導体生産基地建設など経済の日米統合一体化が進んでいる。そうした中で、米国外資による日本企業の直接管理支配までが進められているということだ。

経済アナリストの中には、今後の株高推移は、「企業統治の改善がカギになる」と言う人もおり、今年の株主総会では、米国外資による日本企業支配の要求が一層強まるだろう。

日本の企業を米国外資が支配すれば、米国の下での日本経済の統合は決定的に進む。経済がそうなれば、日本という国自体が米国の一部のようになってしまう。

◆岸田政権がそれを積極的に後押ししている

それをあろうことか日本の政府である岸田政権が積極的に後押ししている。

岸田政権が掲げる「資産運用」政策がそれである。昨年1月の「施政方針演説」で、「資産所得倍増プラン」を、7月の骨太方針では「資産運用立国」を打ち出し、12月には「資産運用立国実行プラン」を発表した。

岸田政権の「資産運用」は、2000兆円もの個人金融資産運用が目玉になっている。

今年の施政方針演説でも強調したのは「稼ぐ力」。それが米国外資による株価高騰に国民の個人金融資産を注ぎ込むものであることは言うまでもない。

「資産運用立国実行プラン」は、日本のメガバンクや大手証券会社などの金融機関グループに「資産運用力向上」と「企業統治改善」を求めることを求める内容になっている。

「企業統治改善」は、先に述べたように、米国外資による日本企業の管理支配を意味する。

「資産運用力向上」は、米系資産運用会社に資産運用を任せるということである。

米国資産運用会社は、リーマンショックを引き起こして問題視された「金融商品」の開発など資産運用に長けている。政府は、この「金融商品」を「資産投資商品」と名を変えながら、2000兆円もの国民の金融資産を「金融商品」に使えと言っているのだ。

岸田首相は、昨年9月にニューヨークで米国金融人200人を前に「資産運用特区」創設を表明し、そこでは「英語だけで手続できるようにする」などの優遇策や投資促進策であるNISA(小額投資減税策)の実施などを述べながら、日本の株式市場への投資を要請した。このことは岸田政権の「資産運用」政策が米国の要求に応じ、日本の企業や国民の金融資産を米国外資に委ね売るものであることを如実に示している。

岸田首相は4月10日に国賓待遇で訪米することが予定されている。昨年の訪米では、防衛費を倍増し敵基地攻撃能力保持することなどが約束されたが、その下で、今年の訪米では「資産運用」政策の貫徹、更なる拡大が約束されるのではないだろうか。

◆バブルは必ず破裂する

2月10日に株価が高騰した時に読売新聞の「編集手記」は、万有引力の法則を発見したニュートンが株式投資に失敗したことを挙げて、「今の株価が経済を適切に映さぬ『泡』でないことを願うばかりである。『はじける』が法則でないことも。」と結んでいた。

しかし、今の株価は経済の実態を反映していない「泡」であり、「はじける」のは法則なのである。マスコミは、国民に、そうした事実、真実を知らせることこそ自身の使命ではないのか。それにも拘らず、そうならないことを「願うばかりである」と誤魔化すのは許されないことだ。

そして今、「日本反転の契機に」「真の経済再生の好機」などと欺瞞的な言葉を並べ立て、「貯蓄から投資へ」「投資マインドの向上」などと、株式投資を煽っている。

しかし投資とは投機でありトバクである。トバクは胴元が勝つのが相場である。投機失敗の悲劇はすでに起きているが、私が危惧するのは、社会のトバク化、社会の犯罪化である。今後、経済犯罪もデジタル技術を使い高度化し、様々な犯罪が多発するのではないだろうか。

その犯罪の最たるものは、胴元・米国外資の「売り逃げ」だ。なけなしの2000兆円もの国民資産を食い潰した後の「売り逃げ」。そうなれば「日本再生」など消し飛び、最早、日本という国自体の存在を危うくする。

その上で指摘したいのは、「バブルの効用」である。このバブルは日米一体化の中で意図的に作られており、バブル景気は、日米一体化を正当化するものになるということである。

今、岸田政権の冷たい政治への批判が渦巻いている。しかし、バブルになれば、そうした批判も緩むのではないか。今、冷たい政治を終わらせ「救民内閣」の樹立を訴える泉房穂さんへの期待が高まっているが、バブル景気はこれに冷や水を浴びせることにもなるだろう。

バブルは必ず「はじける」。そして、そのボタンは米国が握っている。30年前のバブル破裂も米国外資の「売り逃げ」で始まった。そして、それを契機に、「日米構造協議」が開始され、その「規制緩和」で日本の強みが解体され、「失われた30年」となったが、次のバブル破裂では、日本という国自体が失われる。

 

魚本公博さん

米国の言いなりになって日本を米国に売り、日本が失われるような対米追随政治を何としても止めなければならない。

米国覇権が崩壊の兆しを強めている中、世界の流れは脱覇権になっている。それなのに何故、日本だけが対米追随を続けなければならないのか。日本は今こそ、世界の流れに合流しなければならないと思う。

ことは日本全体の問題である。日本の主権者である日本国民が主体となり、日米一体化で企業の経営権まで奪われようとしている経済人、経済界まで含めた「オール日本」を形成し、その力で、日米統合一体化、戦争策動に立ち向かい、日本のため、日本国民のための「救国、救民」の政権を一日も早く作らなければならないと切に思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

今、米欧で「もしトランプが大統領になったなら」が、「もしトラ」と縮められて、話題になっているらしい。トランプ旋風は、米国だけでなく、欧州でも大変だということだ。

実際、「バイデン大統領」と「トランプ大統領」とでは大違いだ。

そのトランプが本当に大統領になる可能性が出てきた。

新年になってからアイオワとニューハンプシャー、二つの州で共和党の大統領候補選出のための予備選挙が行われた。そこで、二度ともトランプが圧勝し、全米50州、48州の選挙を残して、早くもトランプの選出が確定的だと言われるまでになっている。

民主党の候補は、現職のバイデンで決まりだと言われる中、11月に予定される米大統領選が4年前と同じ、トランプ VS バイデンの争いになるのはほぼ確定的だと言われている。

77歳のトランプと80歳のバイデン、この前回と同じ二人の老人しか大統領候補がいないのか。そこから覇権大国、米国の黄昏を思わない人はいないのではないか。

◆トランプ人気の秘密 ── 見捨てられた人々の代弁者

それはともあれ、ここで考えてみる必要があるのは、トランプのことだ。

8年前、大統領に選出された時にも、歴代大統領には類例を見ない、型破りの大統領と言われたトランプが今度は、婦女暴行罪まで含めて、様々な罪と裁判まで抱えながら、そうなればなるほど逆に支持を集め、現職大統領バイデンを制して大統領に選出される可能性大だとまで言われている。

なぜそうなるのか。トランプ人気の秘密は何なのか考えてみたい。

それを知るためには、まずトランプを支持している人たちがなぜ支持するのか聞いてみることから始めるのがよいのではないか。

彼の支持者からもっともよく聞かれるのは、彼があんな金持ちなのに、少しも飾らず、彼らと同じように話し、彼らの気持ちを一番よく分かってくれると言うことだ。

言い換えれば、トランプが彼らアメリカ国民の、それもラストベルト地帯労働者など見捨てられた人々の代弁者だと言うことだ。

皆、トランプが大統領になるところに、自分たちの心、気持ちや要求を反映した政治の実現を見ているのではないか。

「偉大なアメリカ」「アメリカ・ファースト」など、トランプが掲げるもっとも基本的なスローガンにそれは象徴的に示されているように思う。事実、インタビュアーの質問に答えて、「あのスローガンがいい」と言う人々が大勢いた。

トランプの政策は、実際、アメリカを第一にし、アメリカ国民を第一にするというものが目に付く。移民、難民の米国への入国を制限。企業の海外進出に反対し、輸入品に対する関税を高くして、米国国内経済の振興を主張し、米国が世界の警察として海外でカネを使うことに反対する。

これらは、米国が世界第一の超大国としてドルや核で世界に君臨し、それによって権力を振るい、カネを儲けている一部特権層にとっては許し難いことだろう。

だから彼らは、国家機関、司法機関を動かし、メディアを動かし、それらと一体になって、トランプを異端とし、悪者にしながら、バイデンを勝たせようとする。

だが、それも今回はうまく行きそうにない。ウクライナ戦争や中東戦争など、勝ち目のない戦争、不正義の戦争にバイデンがカネを注ぐのに米国民は反対だ。

そこで、手がなくなった特権層も、前々回、8年前、キッシンジャーが「一度トランプにやらせてみたらどうか」と言ったように、もう一度トランプにやらせてみようと言うことになるかも知れない。

そうした中、「もしトラ」の声はこれからますます高まるのではないか。

◆「もしトラ」で、日本に問われているのは何か

そこで言えるのは、8年前と今とでは、米国が置かれた位置が大きく異なってきていると言うことだ。

今は、世界中が「ファースト」の時代だ。「ファースト」は、自国第一、自国の上に覇権が来るのに反対する。事実、ウクライナ戦争や中東戦争で米国に従う国は、日本などG7の国々くらいしか見当たらない。

この状況で「もしトラ」になったらどうなるか。本当に米覇権が崩壊する事態になるかも知れない。ならないという保証はどこにもない。なったらどうなるか。米欧の覇権側の人々の腰が定まらなくなるのも分かるというものだ。

「もしトラ」のこの時、米覇権から脱却するための闘いが日本においても、今こそ問われてきていいのではないだろうか。

と思っていたら、いるいる。「もしトラ」は日本にとっての大チャンス。今こそ、真に独立する時だと言う人々が出てきている。

ただ、その理由が問題だ。「もしトラ」の場合、対日軍事援助に消極的だ。だから、日本が独自に軍事力強化して独立だと言う人がいるようだが、それはどうだろうか。

軍事力の強化も真に日本を防衛するためのものならば、独立のためになるだろうが、昔のような侵略のための軍事力強化なら、対中対決戦の最前線に立たされるなど、米覇権のために利用されてしまうだけではないか。

「もしトラ」で、日本に問われているのは何か。それは、米国のファーストの下で生きるのを日本のファーストにするのではなく、米国のファーストの下で生きるのか否かを決定的な問題とし、米国のファーストから脱して生きるのを日本のファーストにすることではないだろうか。そうしてこそ、日本は米国の支配から脱し、真に独立することができると思う。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

今年は辰年です。辰年には大きな事件が起きると言われています。76年のロッキード事件も88年のリクルート事件も辰年でした。

そして元旦には能登大震災が起きました。亡くなった方々に哀悼の意を表すると共に、一日も速い復興を願っています。

それにしても心痛むのは過疎化した能登の光景です。見捨てられ置き去りにされたような光景は能登ばかりではありません。こうした「冷たい政治」を何としても変えなければならない。その思いで、今回の寄稿をさせて頂きます。

◆「日米統合」の下、国民の財産が米国に売られている

この間、貴誌への投稿で、日米統合の問題を何回かに渡って述べてきた。それは、日本の財産、日本国民の財産を米国に売るものとして進んでいる。

先の投稿では、法廃止問題を取り上げ、国の財産、国民の財産である日本の通信インフラが米国に売られようとしていることを述べた。

その内容を再度確認すれば、NTT法は、「日本電信電話公社」を米国の要求に応じて民営化(株式会社化)する時に、電信電話事業の公共性を維持するために定めた法律であり、そのため、そこには「国による株式の3分ノ1保有」「外資規制」「総務省による経営計画や人事の承認」などの規定があること。したがって、これを撤廃しなければ、米国企業に売却することも売却後に、米国外資が自分の意のままに、これを経営することができない。だからNTT法を廃止するということだ。

NTT法には又、「固定電話をユニバーサルサービスとして全国一律に提供する」という規定があり、離島や過疎地でも低価格でサービスを保証することが義務化されている。

これが如何に大事なものであるかは、今回の能登大震災を見ても分かる。今回のような大災害では、固定電話によるサービスが多いに役立ったことは想像に難くない。 

しかしNTT法を廃止すれば、それもなくなる。その代わりに移動電話でサービスを保証するというが、経営権を握った米国企業がそうしたサービスを保証するとは思えない。

岸田内閣はこうした国民の貴重な財産までも米国に売ろうとしているばかりではなく、日本国民が保有する2000兆円もの金融資産をも米国に売ろうとしている。

昨年6月の骨太方針で岸田首相は、「資産運用立国」を掲げたが、12月13日には、それを具体化した「資産運用立国実現プラン」なるものを発表した。

それによれば、「日本のメガバンク3社や大手証券会社に運用力の向上と企業統治の改善に向けた計画の公表」を求め、「海外の資産運用会社が進出しやすいように英語で行政手続きができる『資産運用特区』を創設する」、「機関投資家に新興運用会社の活用を要請する」などとなっている。

この資産運用会社が米国の会社であることは、岸田首相がニューヨークで米国の金融関係者を前に「資産運用特区創設」とこれへの参入を要請したことを見ても明らかだ。

その具体化として岸田政権は、12月に220兆円もの世界最大の年金基金GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)の運用会社を拡大するという方針も打ち出している。

そればかりではない。岸田政権は、国家予算の立案執行まで米国ファンドにやらせようとしている。

今、岸田政権は、様々な政策執行で「基金」方式を導入している。卓越大学創設の「教育基金」、原発維持の「GX推進基金」、「中小企業イノベーション創出推進基金」などなど、今や基金は50事業にもなるという。

昨年12月、岸田政権は関係省庁にその運営を広告大手、民間シンクタンク、人材派遣会社など民間企業に委ねる通達を出したが、その民間企業が米国外資系や米国の意を汲んだ企業であることは言うまでもない。

国家経営で最も重要な予算の立案執行の多くを米国外資が握るようになれば、日米統合は決定的に進み、日本は最早、国とは言えない「国」になってしまう。

◆米国外資による企業支配、そして経済のバブル化

岸田政権の「資産運用」政策で注目すべきは、「企業統治の改善」が強調されていることである。それは「企業は株主のもの」だとする米国式の「企業統治」を意味し、米国外資が日本の企業の経営に介入し、終局的には、その経営権を握るものとなる。

昨年1月から日本の株価が急上昇している。それを主導しているのは米国外資である。そして彼らは「物言う株主」として日本の企業の人事や経営にまで口を出すようになっている。

昨年5月からの株主総会シーズンに、彼らは、現経営陣の退陣要求と社外取り締まり役の導入を提案した。その多くは否決されたが、今年の株主総会では、その攻防がいっそう激しくなると予想されている。

米国は自国のファンドや資産運用会社を使って、日本企業を支配しようとしているのだ。

そして、そのために米国の「投資助言会社」までが動いている。彼らは、取り締まり役に女性がいるか、温暖化対策を進めているかなどを判断基準にして、米国ファンドの投資の助言をするという。その中には日本的な「株の相互持ち合い」解消の基準もある。

日本の「株の相互持ち合い」は元来、外部からの株式買い占めに対抗するための「日本式」対応策であった。米国は、これを解体しようとしているということだ。

米国外資は日本の企業支配を進めながら日本経済をバブル化している。

今年1月の連休明けの9日、東京証券市場ではバブル期1990年3月以来の最高値3万3763円を記録し、その後も高値を更新しつつある。まさに米国外資による日本経済のバブル化。しかし、それは30年前に破裂したバブル経済の再演であり破裂は必至だ。

確かに、2000兆円ものカネを注ぎ込めば、しばらくは、株式相場は活性化しバブル化するだろう。しかし、バブルは必ず破裂するのが経済法則であり、30数年前に現実に起こったことである。

その破綻後、米国が要求してきた構造改革、その新自由主義改革によって、「失われた30年」になり、格差拡大し、多くの地方が衰退し、国民の多くが貧困化に追いやられた。

これを又やるのか。米国外資は頃合を見て売り逃げする。残るのは紙屑なのであり、国民の生活に責任をもつべき政府がやることではないだろう。

◆根強い、抵抗勢力の存在

こうした政策に対して、日本の経済界、自民党内部にも強い抵抗があるのは当然である。

NTT法廃止の動きで甘利プロジェクトチームが最終報告でこれまで「25年まで」としたのを「25年をメドに」とし、来年8月の国会で「研究成果の公表義務」を撤廃するという一部改正、迂回案を提案したのも、自民党や総務省の中にある「抵抗勢力」の存在を念頭において、彼らとの衝突を避けながら、あくまでも廃止を実現するということだ。

この1月、トヨタは御三家と言われるトヨタ自動織機、アイシン、デンソーなど持ち株会社への出資を10%削減することを発表した。それは今後、株主総会などで「株の相互持ち合い」が問題視されることを見越した対応策であろう。

それは、他の日本の企業も分かっており、それぞれ対抗策を打ち立てている。それは、日本の企業の多くが「抵抗勢力」であることを示している。

こうした「抵抗」はクラウドをめぐっても起きている。

今日、デジタル化なくして社会の発展はないと言われる中、データを集積利用するクラウドは決定的に重要である。しかし日本のクラウドは、アマゾン、マイクロソフト、グーグル、オラクルなど米IT大手4社が70%のシェアを占めている。

岸田内閣は、各自治体にクラウド導入を25年までに行うよう通達を出したが、それに対し、地域の自治体から「重要な個人情報を他国企業のクラウドで保管する状態でいいのか」「サイバー攻撃やデータ流出時の対応に懸念がある」「米企業が撤退した場合、どうするのか」、又、米国の「クラウド法」との関係で、米国政府の要求があれば、クラウド企業はそのデータを政府に提出しなければならないということへの懸念の声があがった。

クラウドを巡って上がる懸念の声は地方にも「抵抗勢力」があることを示している。

◆米国の焦りと政界再編策動

「抵抗勢力」の存在、それは米中新冷戦の最前線に立たされることへの「抵抗」、「日米統合」への「抵抗」が根本にある。これまで私が述べてきた「抵抗」は、直近の岸田政権の政策に対する「抵抗」を私なりに示したものだが、それは自民党や企業、自治体にとって具体的で身近な切迫した「抵抗」となっているということだ。

そういう中で、米国は何としても「日米統合」をやり抜かねばならない。

何故か、それは米国の覇権回復戦略で日本の米国への統合が決定的だからだ。

米国は米中新冷戦を掲げ、日本をその最前線に立たせるために日米統合を進めているが、その肝心の米国覇権がますます弱化している。

イスラエルのガザでの虐殺蛮行を見て、世界では人権や法の支配を掲げながらイスラエルの蛮行を承認する米国、米国覇権への非難の声が高まっている。またウクライナでのゼレンスキー政権の敗勢も明らかになってきた。こうした中で、グローバルサウスを始め世界の多くの国々が非米・離米の姿勢を強め、それが時代の流れになってきているのだ。

この流れに日本が合流すれば、米国覇権は最終的に崩壊する。米国としては何としても日本を統合しなければならない。

その期限は25年。軍事費倍増も25年までであり、クラウド導入も25年、NTT法廃止も25年をメドに、である。

そのためには、日本の経済界、地方を後ろ盾にした自民党内の「抵抗勢力」を何とかしなくてはならない。

自民党の献金問題での地検特捜部の動きは、その反映ではないだろうか。

54年の「造船疑惑」を契機に「大悪を暴く」として発足した地検特捜部の背景に米国があることは政界では常識である。

それが岸田政権を瓦解させ自民党を解体させるかのような動きをしている。米国は「日米統合」に「抵抗」する勢力を排除し、「統合」を促進するための「政界再編」「政治改革」を狙っているのだと思う。

◆米国主導ではなく日本国民主導の政治改革、自主的な政権樹立を

米国主導の政界再編、政治改革ではなく、これと真っ向から対決し、日本のための、日本国民のための日本国民主導の政界再編、真の政治改革が求められている。それは単に岸田政権批判、自民党政治批判に止まるだけでなく、対米追随、米国覇権追随ではない日本の自主的な政権樹立を視野に入れた戦いでなければならないと思う。

米国が25年までに「日米統合」の基礎を固めようとするなら、24年は、それを見越した闘いの年にしなければならない。

その主体は主権者である日本国民である。

勿論、米国主導の「改革」に対し、経済界や自民党などにも根強い「抵抗勢力」があることは事実である。しかし、それは、あくまでも「抵抗」に過ぎない。だからこそ日本国民が主体になって、日本のための、日本国民のための「改革」を主導し、選挙を通じて自主的な政権を樹立しなければならないし、それが出来る時代だと思う。

それは米国覇権が失墜し世界の大部分の国々が離米・反米を模索し始めているという時代の流れに合致するものだからであり、日本人であれば誰もが、米国の下に統合され、国とはいえない国にされるようなことを望まないからだ。

 

魚本公博さん

その戦いは左右の違いを乗り越え、党派の違いを乗り越えた日本という国、民族という自らのアイデンティティをどう守るのかという戦いになる。

左右の垣根、党派の垣根を越え、たとえ自民党であっても、大企業であっても、日本というアイデンティティを基礎にして国民が変革主体になり、すべての抵抗勢力を合流させ、日本のための、日本国民のための政治を実現する。

・・・・・・・・

24年は辰年の中でも甲辰の年だそうだ。甲辰には暗きを暴き出すという意味があって、甲辰の年にはこれまでの悪が暴き出され変革が起きるのだとか。24年はそういう闘いの年になる。私たちも老骨の身だが、この闘いに少しでも寄与したいと思っている。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◆どうなる解散総選挙

岸田内閣支持率の低下が止まらない。毎日新聞では、同社世論調査の1947年以来最低という16%を記録した。 それでも、岸田首相の口からは「解散総選挙」の5文字は出てこない。

元々、この5文字は、昨年末のテレビ出演で、岸田首相自身の口から出てきたものだ。以来、今年初から、一年間、当のご本人により事ある毎にちらつかされ続けてきた。

ところが、物価高騰による生活苦の深まり、それに対する無策の上の増税など、岸田政権への信頼が揺らぎ急落する中、それに追い打ちをかけるように法務、財務、文科、三副大臣の不祥事とそれが元での辞任、自民党各派閥のパーティー券、「裏金」問題、等々が重なり、解散総選挙の来年への先送りを首相自ら口にした矢先でのこの歯止めの利かない支持率続落、どん底だ。

進退窮まった岸田首相がどう出てくるか。「支持率ゼロまでやめないつもりか」など、ヤジが飛び交う中、その出方に注目が集まっている。

◆開陳された泉房穂「政権交代戦略」

そうした中、今、日本政界で急速に脚光を浴びてきているのが「泉房穂」。前明石市長である同氏の言動が時期適切、とにかく面白い。

「政権交代は一瞬でできる。こんなことを言えば、〈泉どうしたんか〉と言われそうやけど、皆できないと思いこんでいるだけ」。

これは、「週刊FLASH」12月12日号に載った彼自身の発言だ。

そこで提起された「政権交代戦略」は迫力満点、大いに説得力がある。

まず、政権交代のための基本戦術を全国289ある小選挙区で野党候補を一つに結束し、与野党一騎打ちに持ち込んで勝つことに置く。

そのために野党の一本化が必要だが、それは、政権交代のリアリティがあれば十分可能だ。言い換えれば、権力奪取の可能性があれば、幾らでも連立できると言うことだ。

その上で、重複立候補は禁止する。同じ選挙区で候補者がかち合った場合は、予備選挙をして統一候補を決める。

今日、「生活を何とかしてくれ」という国民の声がいつにも増して高まっている中、野党の一本化を実現する上で何より重要なのは、「救民」の旗を掲げ、「救民内閣」実現を目標に、それに向けた流れをつくることだ。これができれば、小選挙区での「一本化」はあっと言う間に進み、次の総選挙一発で与野党逆転、政権交代は十分可能になる。

「解散総選挙」をめぐり、岸田政権の出方が問われ、日本政界が大揺れに揺れている今、週刊誌に開陳された泉房穂氏の「政権交代戦略」。これまで自分自身の明石市長選をはじめ、数々の首長選、一騎打ちで勝利を重ねてきている同氏だけに、大いに注目に値するのではないだろうか。

この泉氏の問題提起にどう対するか。野党ばかりでなく、日本政界全体の鼎の軽重が問われているのではないかと思う。

◆「解散総選挙」の意味と「政界再編」

岸田首相が今年、一年を通して持ち出してきた「解散総選挙」には、様々な意味が込められていたと思う。

一つは、「米中新冷戦」の最前線を日本が担うための核やデジタル、等々、「日米統合」と連関する、軍事、経済など各分野での政策、施策を野党の反対、抵抗を最大限避け、スムーズに成立させるため、「解散総選挙」をちらつかせて、その矛先をかわしたということだ。

その上で、もう一つ、実はこちらの方が本命だったと思われることとして、米国は本当に岸田政権に解散総選挙を望んでいたのではないかということがある。

一昨年の総選挙大勝利により、今は、「黄金の三年」、岸田政権は向こう三年間、選挙をする必要がない。その上、この一年、当初より岸田政権への支持率は下降線を辿っていた。そこでの「解散総選挙」は、岸田政権にとって、マイナスにはなってもプラスにはならない。それがなぜ今、「解散総選挙」なのか。

求めているのは、米国くらいしか考えられない。では、その目的は何か。なんのための「解散総選挙」なのか。

そこで想定されるのは、「政界再編」だ。

今日、「米中新冷戦」の最前線を日本に担わせるため、進行する「日米統合」。そこにあって、最も立ち後れているのが政治の統合だ。

日本を「日米統合」の「新冷戦体制」に「改革」するため、自民党は一丸となっていない。その内部は、親米改革派と非米保守派に分かれており、そこには国家主義、親中派などが混在している。これでは、日本が対中対決戦をその最前線で担うことなど到底できない。

そこで狙われているのが「解散総選挙」による自民党大惨敗であり、それを契機とする自民党の親米改革と非米保守、国家主義、親中などへの分裂、与野党の垣根を超えた親米改革派の大結集、「政界再編」といった青写真なのではないか。

この間進行するパーティー券、「裏金」問題などで東京地検特捜部による攻撃が比較的国家主義的、あるいは親中的な要素、傾向が濃く、党内影響力も強い安倍派や二階派へ集中されたのは、そのことを示唆しているのではないだろうか。

◆激動の新年日本政治

新年日本政治の展望はどうか。

それは、今、世界に広がる「大動乱」、非米VS親米の世界史的攻防と無縁ではあり得ない。

「米中新冷戦」とウクライナ戦争、そしてハマス・イスラエル戦争と「三正面作戦」に直面させられ、それに覇権国家としてまともに対処できない姿を全世界に晒した米覇権が新年、その世界史的終焉を全世界の前に刻印するようになるのはほぼ疑いの余地のない事実だ。

そうした中、米国の日本における策動はどうなるか。すべてを放棄し、米国に撤退するのか、それとも、その真逆に、従来の戦略をより悪辣に強行してくるのか。答えは明確だ。後者以外にあり得ないと思う。それが米覇権回復の死活的環となる対日戦略に他ならないからだ。

この対中対決戦に向けた「日米統合」にあっても焦眉の問題、「解散総選挙」「政界再編」をめぐる闘いは決定的だ。これがどうなるかですべてが決まる。

そのために、親米改革派の大結集による「新冷戦政治体制」の構築を許すのか、それとも非米保守派、国家主義、親中派、そして何より、広範な国民の大団結に基づく新しい日本政治の実現を勝ち取るのかが切実に問われていると思う。

この闘いにあって、泉房穂氏が提起した「政権交代戦略」は、極めて示唆的なのではないだろうか。自民党惨敗が目に見えている解散総選挙にあって、「救民内閣」実現を掲げながら、与野党の良心的部分を結集し、国民に直接訴える選挙がこれまでになかった結果を生み出すことは十分に予測可能なのではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆青春時代からの目標は、いま……

この通信に昨年秋から「ロックと革命in京都 1964-70」を今年の夏まで掲載させて頂いたが、いま私は「京都青春記」の続編、「ピョンヤン青春記」を生きている。

82歳の現役建築家、安藤忠雄さんはこう言った。

「70歳でも、80歳でも目標がある限り青春です」

十代、二十代の「京都青春記」がLike A-Rolling Stone-転がる石ころのような人生、「目標を求め暗中模索の青春」だったとすれば、七十代「ピョンヤン青春記」、2023年末のいまはようやく「目標に向かう青春」だと言えるようになった気がする。

「京都青春記」からの私の目標とは「戦後日本の革命」だが、それが76歳になった今年、決して遠い目標ではないことが見えてきた。

◆「戦後日本の革命」が問われる時が来た

天皇陛下万歳からアメリカ万歳に変わっただけの敗戦直後の日本に生まれた私たち団塊の世代あるいは全共闘世代は、「アメリカに追いつけ追い越せ」の戦後日本に常に不信感のあった世代だ。大学受験を控え人生選択岐路にあった私は「米国についていけば何とかなる」という戦後日本の生存方式に違和感を覚え、曖昧模糊としたなんとなく平和で民主主義の昼間の日本に背を向けるようになった。

そんな「戦後日本はおかしい」という私の十代、二十代の青春は暗中模索の果てにベトナム反戦、反安保の学生運動に出会うことによって「戦後日本の革命」をめざすようになった。でも私たちの闘いは未熟さ故に敗北、「戦後日本の革命」は未遂に終わった。

米中心の国際秩序は揺るがず、よって「米国についていけば何とかなる」という日本の生存方式を揺るがせることもできず、日本は60年代高度経済成長から「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の80年代へと、そしてグローバリズム全盛の90年代から21世紀へとひたすら走り続けることになった。

しかし、いまは違う。

本通信11月5日号に、“2023年を通して「米中心の国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった”と書いた。それは「米国についていけばなんとかなる」という戦後日本の生存方式が根本から揺らぐ時代になるということだ。

10月下旬のフジテレビ「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代”の幕開けか」というテーマを取り上げた。「これはアメリカを中心とする国際秩序が破綻していることを映すのか」が番組の問いかけだが、それは言葉を換えれば「米国についていけば何とかなる」時代ではなくなったということだ。

私の問題意識から言えば「戦後日本の革命」が問われる時ということだ。

◆「一丁目一番地に居続ける」のか否かという問題

 

宮家邦彦氏の提言「一丁目一番地に居続ける」

上記「プライム・ニュース」番組最後にキャノングローバル戦略研究所研究主幹、内閣官房参与の宮家邦彦氏は提言ボードにこう書いた。

「一丁目一番地に居続ける」

この意味はいかなる時であっても米中心の国際秩序の恩恵を受ける同盟国という「一丁目一番地に居続ける」、したがって「米国についていけば何とかなる」という生存方式を続ける、そのためには崩れゆく米覇権秩序維持のために「一丁目一番地」の役割、米国のいちばんの同盟国として自身の役割を日本は果たすべきだということだ。

いまそれは具体的にはこう提起されている。

「アメリカがウクライナとガザで手一杯でインド太平洋地域の抑止力が弱っていく、それは困る」と宮家氏は述べたが、その結論は東アジアで「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補うべきであるということだ。

「米国の抑止力が弱っていく」不足分を日本が補う、それは具体的に何を指すのか?

結論的に言えば、対中“核”抑止力の不足分を補うことだ。具体的には敵基地攻撃能力保有の目玉、陸上自衛隊に新設のスタンドオフミサイル(中距離ミサイル)部隊の“核” 武装化であり、日本列島の中距離“核” ミサイル基地化、米国側からすれば日本の対中・代理“核”戦争国化だ。

これについてはこの通信で何度も述べたので詳細は省く。

陸自に中距離ミサイル部隊がすでに新設された現時点で残る課題は、自衛隊のミサイルに核搭載を可能にすることであり、そのための鍵はNATO並みの「核共有」のための日米韓「同盟」間での“核”協議体の設置にある。

宮家氏は内閣官房参与の位置にある人物だけに、わが国が「一丁目一番地に居続ける」ために新年には日米韓「核共有」に関する協議体の設置、自衛隊“核”武装化の道筋をつけていくことに積極的に関わっていくことだろう。

それは滅び行く米覇権秩序と運命を共にする道、米国との「無理心中」の道、日本破滅の道になる。

「一丁目一番地に居続ける」のか否か、答は自ずと明らかだ。

まずは「一丁目一番地」から引っ越し、自分の新しい住所を定める。これが「米国についていけば何とかなる」という生存方式からの脱却、自分の足で立ち自分の頭で考える「戦後日本の革命」の第一歩だ。

「ピョンヤン青春記」、来るべき新年はこのことを具体的に考えていく年になるだろう。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

この間、貴誌には日米統合問題について何回か寄稿させて頂いた。この11月にも見逃せない問題が起きている。すなわちNTT法廃止問題である。今回はこの問題を考えてみたい。

◆NTT法廃止問題

11月8日の読売新聞に「NTT法見直し 白熱」の記事があった。今、自民党内でNTT法廃止議論が白熱しているという。

この論議は、6月頃、前幹事長の甘利氏が増大する防衛費をどう解決するかの問題で、NTT株を売却して、これに当てるという案を提起したことに端を発する。

甘利氏は、自民党内にこれを討議するプロジェクトチーム(PT)を作り、議論を牽引している。その案では、時価評価で5兆円になるNTT株を20年間、毎年2500億円で売却して、それを軍事費に当てるとしている。これに軍事費倍増のための増税で不評を買う、岸田首相が飛びついた。

しかしNTT法では「NTT株の3分の1以上を国が保有する」となっており、この条項をなくさなければ売却できない。だからNTT法を廃止するということである。

NTT法廃止論者の狙いは、それに止まらない。読売新聞は、甘利PTが重要なポイントと見ているのが、NTTに対する「総務省の関与度合いの縮小」だと指摘する。

甘利氏は「監督官庁による規制は日本の競争力への規制に他ならない」と述べ、荻生田政調会長も「NTTが海外と勝負できる会社に成長する可能性を阻害したのがNTT法だ」とし、その旨、衆院予算委員会で質問し、岸田首相は「規制を抜本的に見直す必要がある」と答弁している。

NTT法は、84年に「日本電信電話公社」が民営化され「日本電信電話株式会社」(NTTはその略称)になった時、その公共性を保障するための規制を定めたものである。

そのために3条で、会社の使命として、①固定電話をユニバーサルサービスとして全国一律に提供する。②電話通信技術の普及を通じて公共の福祉に資する研究開発を行い、その成果を公表する、としており、NTTが公共性を守り、営業本位に走らないように、「取り締まり役の選任」や「事業計画」で総務相の認可を義務付けるなどの規定が明記されており、その中には「外資規制」もある。

NTT法廃止については情報誌『選択』(11月号)が「NTT法廃止という亡国」という記事を出している。それは「杜撰なロジック、大義のない議論」だとして、その亡国性を突いたものである。

また、この議論の過程で、甘利PTがNTTや携帯電話業者のKDDI、ソフトバンク、楽天モバイルの4社の意見を聞く場を設けたが、廃止を主張するNTTに対し、他の3社が廃止はNTTの巨大化許し「公正な競争」を阻害すると反対し、議論が「公正な競争」を論議になったことも「巧妙な『論点外し』」と指摘する。

ただ、『選択』誌は、「NTT法廃止には外資規制の重要問題もあるが、紙幅も尽きた」として、これが米国外資への売却という点を述べようとせず、結論も「将来、ユニバーサルサービスが失われ、しかも通信インフラが中国資本に握られる・・・」などとと、中国が日本の情報インフラを握る危険性があるかのようになっている。

「米国隠し」は、日本マスコミの宿命とは言え、残念なことである。

◆米国への日本の統合を見てこそ浮き彫りになる問題の本質

『選択』誌が指摘するように、NTT法廃止議論は、「杜撰なロジック」「巧妙な『論点外し』で、物事の本質が見えにくい。しかし、この問題も米国が米中新冷戦での最前線に日本を立てるために、日本の全てを米国に統合するという政策との関係で見れば、その狙いと問題の重要性が浮き彫りになる。

それは米国が日本統合のために通信インフラまで掌握しようとしているということであり、甘利やそのPTメンバー、荻生田政調会長、岸田首相など自民党中枢は、それに応じてNTT法を廃止して、その株式を米国外資に売却しようとしているということである。

元々、甘利は、TPP(環太平洋貿易協定)交渉でデータ主権放棄を米国に約束した人物であり、TPP交渉の過程で「国境をまたぐデータの自由な流通の確保、国内でのデータ保存要求の禁止という原則」を受け入れている。そして2020年1月に、安倍政権は、それを「日米デジタル貿易協定」として締結し、自らデータ主権を放棄している。当時、トランプ大統領は、この締結について「4兆ドル相当の日本のデジタル市場を開放させた」と自身の成果を誇っている。

NTT法廃止問題は、データ主権放棄の更なる深化である。

今、データに関しては、これを集約利用するクラウドが重要になっている。それ故、岸田政権は6月の骨太方針で「国産クラウド」育成の方針を打ち出した。それはデータを米国に握られる危険性を承知している日本経済界の要望を入れたものだろう。今、日本のクラウド市場では米国3社が60-70%のシェアを占める。その危険性は日本の大企業も充分承知しており、日本製のプラットフォームやシステムを採用している企業や地方自治体も多い。

「国産クラウド」が言われた時点では、マスコミなども、「日本勢の健闘が期待される」などと言っていた。そこで期待されたのは、NEC、富士通、そしてNTTであった。その中でも、かつて公社であり、NTTドコモなど高い技術力を持つNTTであった。

まさにNTT法廃止は、このNTTの経営権を米国に売ることで、「国産クラウド」の芽を潰し、日本のデータを日本勢が管理する道を阻害するものになるということである。

それだけに止まらない、NTTは日本の通信インフラ(固定電話回線、光ファイバー回線、電柱、管轄、局庁舎など)を握っており、米国は、それまで掌握しようとしているということなのだ。通信インフラ自体を握れば、徹底して日本の情報(データ)を握ることができるし、今後起こりうる「反逆」も潰すことができる。

今、米国覇権は崩壊の度を増している。ガザでのイスラエルの虐殺蛮行を容認する米国への非難の声が世界的に高まり、日本が米中新冷戦の最前線に立たされ「新たな戦前」が言われる中で、米国一辺倒、米国覇権をあてにした生き方が本当に日本のためになるのか、それで日本はやっていけるのかという声が高まっている。

「これを何としても阻止し、反逆は許さない」、NTT法を廃止して、社会のデジタル化の基礎である通信インフラを掌握しようとする米国の意図はそこにある。

NTT法を廃止して、NTT株を米国外資に売るということは、それだけの重大性を持っている。そこに「亡国」の本質がある。

◆「公共性」を守り、国民の財産を守る

NTT法廃止問題は、公共性を維持保障するための規制を廃止するかどうかの問題である。

84年制定のNTT法は公共性に基づいている。電信電話という情報インフラは公共のものであり、それは国民の財産であり、国として守らなければならないという考え方である。

NTT法が、「固定電話によるユニバーサルサービス」や「研究開発」を義務づけたのもそのためである。

これに対し、NTTの現経営陣は、固定電話によるユニバーサルサービスが加入者の減少によって赤字になっていることや研究開発義務が外国企業との共同研究の足かせになっていると主張する。

それは、まさに日本の通信をGAFAMに委ね、日本独自の研究を止めて米国との共同開発を進めるという米国の下への日本の通信の統合のためのものだ。

彼らは、それを「NTT法は40年前の時代遅れの規定」として正当化する。

40年前、「JAPAN AS NO.1」と言われた日本の競争力を削ぐため、米国は、日本の国営企業を問題視し、3公社(日本国有鉄道、日本専売公社、日本電信電話公社)の民営化を要求してきた。

日本政府はその要求に応じて、日本電信電話公社を民営化したが、民営化されたNTTが営業本位に走り、公共性を放棄しないように、NTT法を制定したのであり、当時は、そうした考え方が健在であったのであり、「外資規制」も米国外資がNTTを買収する危険性を防止するためのものであったと見ることができよう。

NTTが所有管理している電柱、管轄、局舎などは加入者の使用料や国民の税金で作られたものであり、国民の財産である。

KDDI幹部の「民営化前に15兆円、現時価で40兆円の国民の資産を継承している責任は重い」、「許せば、NTTは過疎地や離島での固定電話サービスを止める」の指摘はもっともなことである。

これと関連して、イーロン・マスクが進めているグローバルな衛星通信網「スターリンク」との関係で、固定電話によるユニバーサルサービスなど時代遅れだとの論説が流れた際、総務省幹部が「馬鹿な わが国の緊急通報をイーロンマスクに委ねろというのか、スターリンクに低廉な料金やサービス維持の仕組みはない。明日やめるとマスクが言えば万事休すだ」と反論しているが、まったくその通りであろう。

 

魚本公博さん

公共とは皆のものということであり、NTTは国民皆のものである。それを米国外資に売却するなど許してはならないと思う。

岸田政権は、甘利PTの提案を受け、来年8月の国会に法案を提出したいとしている。

事は国民の財産を守るのか、米国に売り渡すのかの問題であり、甘利PTのような自民党内の狭い議論ではなく、国民的な議論にしなければならない。こうした議論の中で、「亡国」のNTT法廃止の法案を廃案にさせなければならないと切に思う。

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼魚本公博(うおもと・きみひろ)さん
1948年、大分県別府市生まれ。1966年、関西大学入学。1968年にブントに属し学生運動に参加。ブント分裂後、赤軍派に属し、1970年よど号ハイジャック闘争で朝鮮に渡る。現在「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B08KGGRXRQ/

◆一帯一路「国際協力フォーラム」

去る10月17日と18日、中国の北京で第3回「一帯一路」国際協力サミットフォーラムが開かれた。

10年前、習近平主席の提唱でつくられたこの巨大経済圏構想「一帯一路」には、現在、国連加盟国193カ国中約8割の152カ国が参加しており、今回のフォーラムには、20カ国の首脳が登壇した。

だが、2017年、第一回フォーラムの時は、29カ国、2019年、第二回フォーラムでは、38カ国の首脳が参加していた。

それに比べ、今回の首脳参加が減り、特に欧州からの首脳の参加がハンガリーのビクトル・オルガン首相一人だけだったのは事実だ。

これをもって、米欧側は、中国の力の減退を騒ぎ立てている。

◆一帯一路の評価で決定的に欠けていること

一帯一路に対する上記の米欧側の評価には決定的に欠けていることがあるように思われる。

それは、2017年、2019年から2023年、この数年の間には、2019年、米国が中国に対して仕掛けた「米中新冷戦」があったという事実だ。

この「新冷戦」で米国は、全世界に向け、中国に対する包囲を呼びかけた。

クァッド(米、日、印、豪)による包囲、広範な「民主主義陣営」による中国をはじめとする一握りの「専制主義陣営」に対する包囲、その他にも包囲は、ネットや最先端技術など、「経済安保」の広範な領域にまで及んだ。

問題は、こうした包囲の結果がどうなったかだ。

今回開かれた第3回国際協力サミットフォーラムで最も注目すべきは、このことだったのではないだろうか。

だが、残念ながら、日本の大手メディアにあっては、こうした視点からの今回のフォーラムについての分析が何もなかったように思う。

◆「フォーラム」で何が明らかになったか

確かに今回の「フォーラム」への欧州各国からの参加はなかった。

しかし、アジア、アフリカ、中南米、南太平洋地域などいわゆる「グローバルサウス」の国々から、140余りの国々、30余りの国際機関の代表が参加した。

これは、米国によって仕掛けられた中国に対する包囲網が完全に破れていること、すなわち「米中新冷戦」がすでに大きく破綻しているということを見ることができるのではないだろうか。

一方、この一帯一路に対して、米欧側は、「債務の罠」だとの攻撃を強め、一帯一路に基づく中国の援助により途上国、グローバルサウスの国々が借金漬けに陥り、借金の形に中国に隷属化されていっているというキャンペーンを強めている。

実際、これが事実無根の誹謗中傷ではなく、こうした現実があるのは事実のようだ。

今回の「フォーラム」でも習近平主席自身、鉄道や道路建設など大規模投資中心から小規模事業投資優先、人への投資へと援助のあり方の転換を打ち出し、環境問題やきめ細かい支援を重視する姿勢を明らかにしたという。

この発言が単に米欧側の覇権の競争相手、中国に対する「債務の罠」攻撃をかわすための虚言なのか、それとも真に途上国への支援のあり方の改善を考えてのものなのかは、これからの「一帯一路」の進展がどうなるか、その現実によって判定されるのではないかと思う。

その上で、重要なことは、この開発援助こそが、米欧による援助と中国による援助を分ける決定的な違いになっているということだ。

米欧が新自由主義経済の見地から、経済自由化の法整備を強調し、市場メカニズムが貫徹されれば自ずと経済成長が実現されるというカネを出さない「援助」なのに対し、中国による援助が成長の起動力として大規模プロジェクトの必要性を痛感している途上国の要求に応えるカネを出す援助になっているということだ。

ユーラシア全土にわたる広域開発計画で、一帯一路の双方で交通、通信、エネルギー等のインフラの接続などの開発構想を提示しているのなどは、その一例だ。

今日、中国の一帯一路が「シルクロード経済ベルト」(一帯)、「21世紀海上シルクロード」(一路)の枠を超え、アフリカ、中南米、南太平洋地域にまで広がって行っているのには理由があり、この辺に「米中新冷戦」による中国包囲網が完全に破綻した要因があると言えるのではないだろうか。

小西隆裕さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年によど号赤軍として渡朝。現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆はじめに

 

10月下旬のフジTV「プライム・ニュース」では「“世界動乱の時代” の幕開けか」というテーマを取り上げた。ウクライナ戦争に続くハマスの軍事行動を契機に露わになった世界の現実を「(米国中心の)国際秩序の破綻か」としてとらえたものだった。

2023年は「パックスアメリカーナ(アメリカによる平和)の終わり」を世界が見、なかでも日本の誰もがそのことを知るようになった年になった。来るべき新年は「米覇権秩序の破綻」という現実を前提にこれにどう対処するかが問われるだろう。

とりわけ米国によって「対中対決の最前線」の役割を担わされたわが国にあって、それは明日のわが国の運命に関わる問題、他人事ではない。

◆「G7の孤立」さらした広島サミット

5月末にG7広島サミットが開催された。米国を中心とする「G7=先進国」が世界をリードするという会議だ。ここにはロシア制裁、ウクライナ支援に中立的態度をとるグローバルサウス数カ国首脳が招待され、目玉はゼレンスキー大統領出席の下、ウクライナ支援を世界に訴えるというものだった。

G7の「普遍的価値観、法の支配に基づく国際秩序」はG7会議が自ら認めるように、いま時代の厳しい挑戦を受けている。挑戦者は何も中ロ「修正主義勢力」だけではない、いまグローバルサウスと呼ばれる発展途上諸国が古い国際秩序から離反しつつある。

広島サミット後、G7に招待されたグローバルサウス諸国はこうG7を批判した。

「ウクライナとロシアの戦争のためにG7に来たんじゃない」(ルラ・ブラジル大統領)。インド有力紙は「ゼレンスキー氏の存在に支配されたG7」見出しの記事を配信。インドネシア有力紙は「世界で重要性を失うG7」見出しの記事を掲載、ベトナム政府系紙は「ベトナムはどちらか一方を選ぶのではなく、正義と平等を選択する」と書いた。

広島サミットはグローバルサウス諸国を取り込むどころか彼らの離反を招き、逆に「G7の孤立」を世界にさらす場になった。

8月、南アで開催のBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南ア)首脳会議では新たにサウジアラビア、アルゼンチン、イラン、アラブ首長国連邦、エジプト、エチオピアの6ヶ国の参加が認められ、BRICSはG7とは一線を画する新興国の国際秩序形成の巨大集団になった。

また9月にインドで開かれたG20首脳会議ではG7諸国が求めたウクライナ問題、「ロシアの侵略」明記やロシア非難の文言のない首脳宣言が採択されたことが世界の注目を集めた。また会議ではAU(アフリカ連合:20ヶ国網羅)の加入も決定され、G20でもG7先進諸国は全くの少数派に転落した。

今年、英国エリザベス女王の国葬の際、アフリカのある首脳は「女王は一度も植民地支配への謝罪の言葉を述べなかった」と不満を語った。また5月のチャールズ国王戴冠式の際にはインドと英国の間で若干もめごとがあった。カミラ王妃が即位式でヴィクトリア女王の王冠をかぶるかどうかを巡って起こったものだが、王冠の巨大なダイヤモンドは英国がインドから奪ったインド植民地化の象徴だったからだ。結果はその王冠をかぶらなかったが、インドは不快感を示した。7月に西アフリカのニジェールでは若手将校によるクーデターが起き、駐留フランス軍は年内撤収に追い込まれたが、いまも植民地主義の名残がしこりを残していることを示すものだった。

G7の「米欧日」先進諸国というのはかつての植民地主義者、帝国主義列強諸国だが、「韓国併合」を(当時の)国際法的に合法とする日本だけでなくかつて自分がやった植民地支配をまともに反省総括した国はどこにもない。「反省の模範」とされるドイツにしても「ナチスの残虐性」を反省しただけ、植民地主義に関しては反省も謝罪もない。米英仏「連合国」側の諸国は自分たちが「反ファッショ」正義の「民主主義国」側ということで反省の必要も感じていない。

だから「G7がリードする」米国中心の国際秩序はかつての植民地支配秩序の現代版「覇権秩序」に過ぎないことをグローバルサウス諸国は知っている。 

よって彼らがBRICSやG20でめざす国際秩序は、各国の主権尊重、内政不干渉、紛争の平和的解決といったASEANのような脱覇権の新しい国際秩序形成をめざすものになるだろう、パックスアメリカーナ、米覇権専横の時代は歴史の遺物として排斥される。

◆とどめを刺したハマスの先制的軍事行動

「パレスティナ置き去り-焦り」(読売10/9朝刊)-10月8日のハマスのイスラエルへの先制的軍事行動に対するマスコミの見方だ。サウジアラビアがイスラエルとの国交交渉に入り、UAE(アラブ首長国連邦)はすでに国交を結んだ、こうしたアラブ諸国の動きに「置き去り」にされるとの「焦り」をハマスの今回の軍事行動の理由としたが、果たしてそうだろうか?

そのような消極的なものではなく、パレスティナ国家樹立に向けた主導的、攻勢的、戦略的な観点に基づくものだという見方も可能だと思う。

その根拠は一言でいって、いまは米国の覇権力が衰亡段階にあることが明らかであり、よって米国の支えのないイスラエルなど怖くないとハマスが判断することはじゅうぶんありうることだ。

米国はいま、主戦場の対中対決に加え、ロシアの先制的軍事行動によるウクライナ戦争で「対ロ」の加わった二正面作戦を強いられ青息吐息なのに、このうえ「対中東」が加わる三正面作戦などとうてい耐えられるはずがない。だからいまはイスラエルとの戦争は負けない、いや勝てる-私たちにも想像できることが当事者のハマスにわからないはずがない。

事実、ハマス侵攻からほぼ1ヶ月も経った現在(10/31)、大量の戦車部隊待機のままイスラエルは空爆だけに終始している。イスラエル軍ガザ地区制圧戦争は北部の局地的侵攻に留まり「かけ声」だけに終わっている。「地上侵攻でハマス殲滅、ガザ地区完全制圧」を叫び、やられたら「十倍返し」が通例のイスラエル軍としては異例の事態になっている。米バイデン大統領自身「人質救出まで侵攻を停止するように」とイスラエルに圧力をかけたということだが、「人質救出」は「口実」、本音は「戦争にはするな」にある。最近は「中東地域派遣の米軍が攻撃を受けるから(実際、ヒズボラやフーシ派から無人機、ロケット攻撃を受けた)しばらく侵攻を控えてほしい」などと言い出している。

米国、イスラエルに戦意がなければいずれ停戦合意は成り、パレスティナ問題解決が国連などで上程され、発言権を失った米国に代わってロシア、中国、グローバルサウスの非米諸国が主導する解決案をイスラエルも受け入れざるを得なくなる事態に進むかも知れない。少なくともその可能性を秘めている。宿願のパレスティナ国家樹立も夢ではなくなる。

米ロ代理戦争のウクライナ軍「反転大攻勢」が半年以上も「かけ声倒れ」に終わり、最も軍事支援に積極的だったポーランド大統領が「ウクライナは溺れゆく人、なんにでもしがみつく。危険だ」とまで言うようになったが、ウクライナ事態に続く中東でのハマスの軍事行動は「米国の無力ぶり」を世界が知る上でとどめを刺したと言えるだろう。

◆動揺始まる日本の政界

2023年を通して「国際秩序の破綻」、すなわち「パックスアメリカーナの終わり」は、ウクライナとパレスティナでの戦争を通じて世界が眼にすることになった

米国によって対中対決の最前線を担う決断を迫られているわが国の政治家、政治勢力もこの「時代の潮目の変化」を誰よりも注視しているはずだ。先の鈴木宗男氏の大胆な訪ロ行動と「ロシアは勝つ」発言も「米国の終わり」を見越したものだろう。岸田派古参幹部の古賀誠氏は「日米安保に引っ張られすぎるのは危険だ」と岸田政権を批判した。対中対決を迫る米国との「無理心中」を躊躇する政治家、政治勢力が出てくる、いや、すでに出ていることを示すものだと思う。

新年に持ち越されたが「日本の代理“核”戦争国化」は米国の対中対決、対中“核”抑止力強化で譲れない日本への要求だ。これは何度もこの通信に書いたので詳細は省くがいつか必ずこれを押しつけてくる。「米国の終わり」の見えるいま、「米国との無理心中」を躊躇する政治家、政治勢力が出てくるだろうが、誰かを待つのではなく「無理心中拒否」の闘いを主導する政治家、政治勢力が出るべき時だと思う。

米国も日本国民の非核意識を恐れて虎の尾を踏まないように慎重に事を運んでいる。それは彼らの弱点でもあるということだ。ハマスの先制的軍事行動とまで行かずとも、主導的に非核を掲げ「核持ち込み」「核共有」を許さない「代理“核”戦争国化」阻止の積極的闘いを挑む時、日本人の性根が問われる時に来ている。

ピョンヤンからは「時代の風」を伝えることしかできないが、国内からこのような闘いが起こることを新年は期待している。いまはそのような時だと思う。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

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