高度情報化、グローバル化時代を担うグローバル人材育成を目的とする教育改革のもと、今年、4月から新教科書が使われ、新しい教育としてスタートした。

歴史教育は、「歴史総合」という新科目が、高校の必修となった。戦後の歴史教育の大きな転換になる可能性を秘めていると言われるこの科目は、これまでとは全く違う学び方という意味では、歴史教育の基本となる科目だ。

教科書の執筆者の一人である歴史学者の成田氏は、このように言われている。

「これまで世界史と日本史に分かれていた歴史科目を、18世紀以降の近代史として、『総合』した形として学ぶ新科目です」また「これまでの日本史の教科書のような、一国だけの歴史(ナショナルヒストリー)ではない。日本と世界をグローバルヒストリーとして学ぶことに主眼がある」そして「世界的な相互関係のダイナミズムから歴史をとらえます」と。

すなわち、「歴史総合」新科目は、歴史を日本史としては教えず、18世紀以降からの世界史として、「近代化」「国際秩序の変化」、「大衆化」、「グローバル化」の3編からなるテーマ史として教えるようになっている。

ここで問題は、歴史を日本史としてではなく、世界史としてとらえていることである。

言い換えれば、歴史を日本と世界の歴史、グローバルヒストリーとしてとらえると言いながら、その基軸を、どこまでも日本ではなく、世界に求めているということだ。

現在、「米中新冷戦」体制下にある日本に求められているのは、米国との「統合」である。そして、そのための教育改革が推進されているなかにあって、「歴史総合」科目は、自分の国を基本にして見る歴史を、世界を基軸にみる歴史にとらえ直して、教える教科だと言っているが、この意味するものは、何なのだろうか。

日本の歴史を日本独自の歴史ではなく、世界史の一環として見るというこの見方は、日本の独自の歴史、日本の歴史事実をなくしてしまうということではないのだろうか。教科書検定において、過去、日本がアジアで犯した植民地支配という行為に対して、その歴史事実を歪曲する教科書を合格させ、隣国、アジアに対する蔑視と軽視の立場を教科書に載せた。ちなみに欧米は、自己の植民地支配の歴史を全く総括していない。このことをとっても、歴史教育改革とは、何であるかが示されているのではないだろうか。それは、歴史の基軸を自国に置かず、とくに、欧米、近代史に置くことにより、日本の歴史、「日本史」を欧米史のなかに溶解させ、自分の国という観点を持たない人材、そういうグローバル人材育成のための歴史教育だと言えると思う。

すなわち、これが、日本を米国に「統合」するための教育改革だと言える。「英語とIT技術」を身に付けるだけでなく、日本人としての帰属意識やアイデンテイテイを持たない人材、無国籍のグローバル人材を育て、日本人の内面的側面をも溶解させアメリカ化するというではないだろうか。

 

森 順子『いつまでも田宮高麿とともに』(2002年7月鹿砦社)

新科目「歴史総合」は、「戦後の歴史教育の大きな転換の可能性を秘める」と言っているが、まさに、こういうことかもしれない。

20年以上続けてきた、グローバリズム、新自由主義によって、日本の教育はどうなったのか。一番、憂慮されることは、若者が自分の国を語れず、日本人としてのアイデンテイテイを失いつつあると言われていることだ。日本人という概念があいまい化され、日本の将来に対する不安を広げ、自己肯定感のない自分に自信が持てず、そういう社会、そういう自分の国を語れなくなっているということだと思う。

自国の歴史を知らなければ、自分の国を語れずと言うが、「日米統合」のための教育改革とは、グローバリズム、新自由主義をもう一度,蘇えさせるための「統合」だということができる。それゆえ、グローバリズム、新自由主義の全面化、徹底化であり、日本の教育のアメリカ化である。そして、それは、日本人をグローバル人間に、米国人への改造だと言えるかもしれない。こんなふうになれば、真の意味で日本人はいなくなり、日本人がいなくなれば、国が無くなってしまうというしかない。これが、「日米統合」のための教育改革の核となる重要な問題として提起されているように思う。

▼森 順子(もり・よりこ)さん
1953年5月12日、神奈川県川崎市で生まれる。法政女子高等学校卒業。1978年に田宮高麿と結婚。ピョンヤン在住。「アジアの内の日本の会」会員

7日発売 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

世間は猛暑とコロナ第7波で大騒ぎしているさなかの7月18日、ある未知の後輩学生から突然に長文のメールがあった。

私が2017年に垣沼真一さん(京都大学OB)と共に出版した『遙かなる一九七〇年代‐京都』を読んだという。今時、学生でこんな本を読む者もいるのだと感心し長文のメールを読んだ。まずは、長文だが、以下そのまま掲載しておこう。──

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

松岡利康 様

はじめまして。私は現同志社大学文学部英文学科五回生のO・Sと申します。御社関西編集室宛のメールアドレスに、御社代表個人へのメールをお送りする非礼をお詫びいたします。

まず、端的にご用件をお伝えいたします。

京都にて、我々現役の大学生とどうかお話頂けないでしょうか?

なぜ今回私が松岡様にこのようなお願いをするに至ったのか、少々長くなりますがお話いたします。

私は2017年の春、同志社大学文学部に入学いたしました。自由さ、待ち受けているであろう混沌さ、知的な雰囲気に胸を膨らませ門をくぐりました。

しかし、私はすぐに失望させられました。同志社大学の現状はそうした私の希望を打ち砕いて余りあるものでした。

一例を挙げると、同志社大学今出川キャンパスでは、現在自転車に乗って入構することも許されません。乗って入ろうものなら、構内に数多く、過剰に配備された警備員に怒鳴られ、制止され、そして酷いときには応援を呼ばれ取り囲まれます。今の同志社ではまず、身体の管理が徹底されているのです。自主的に自転車を降り、規則を内面化し歩く。「自分の身体=大学の定めたナンセンスな規則。」こうした等式を背負い、同志社生はキャンパスを歩いているのです。自ら主体性を放棄している、とも言えます。

また、大量の警備員の配備による抑圧的な管理もますます進行しています。ビラを配るとそそくさとやってきて内容を確認され、貼れば5分もしないうちに剥がされ、そして職員へ通報が行われます。私もキャンパスの建物に大量にビラを貼っていたのですが、貼ったところから剥がされ、職員を呼ばれ、またしても取り囲まれました。キャンパスという学生のための空間でありながら、何をしても「目」としての警備員が監視の目を光らせ、大学当局への通報が行われる。ある意味「自浄」作用が高度に機能していると言えるでしょう。そこには同志社の掲げる良心教育など見る影もありません。

私はそうした現状は間違っていると思ってきました。烏丸キャンパス横には交番が隣接しています。隣接というのは不正確で、なんと同志社大学が警察に敷地を貸与しているのです。もう、自由な大学など見る影もありません。あるのは、無味乾燥な抜け殻のような学生と、退廃した精神だけです。そして、これは同志社大学に限った話ではありません。

(京都府警察本部への同志社大学用地(烏丸キャンパス)一部貸与について;https://www.doshisha.ac.jp/information/overview/president/question/answer43.html

隣の京大においても事態は深刻です。私が入学した2017年当時はまだ百万遍に立て看板があったのですが、2018年頃から京都市の景観条例を理由に、大学当局による撤去が始まりました。そして歴史と由緒ある自治寮たる吉田寮も廃寮の危機に立たされています。毎年行われていた時計台占拠という催し(学生が時計台に登るというイベント)も当局による弾圧で中止になりました。学生が時計台に登るだけであるのに、事前に情報を察知していた大学側が機動隊まで呼んでおり、上空には警察のヘリまで飛んでいた、というほどです。

私も最初は自転車から降りず、禁止されていた原付での乗り入れを行おうとしたり、ビラを貼ったり、封鎖されたドアをこじ開けようとしましたが、結局今は嫌々ながらもチャリから降り、ビラを貼ったりせずおかしいと思うことがあってもやり過ごすようになってしまいました。もう少しで卒業することだし、目を瞑ろう。息を止めてやり過ごせば、そのうち忘れて楽になる。そう、自分を騙していました。そう、つまりヘタレなのです。

しかし、やはり私は今の大学、特に同志社大学の形は間違っていると思います。そして学生の手によって、徐々に変えられるべきだと思います。ただ、私も含め、何かを変えようとサークルを作ったり、運動をしたりしている学生の多くは、「どうやって運動すればいいのか分からない」「周りに共感してくれる仲間がいない」というの想いを、少なからず抱えているものだと思います。私はこのまま終わっていく大学を見ていられません。このまま見てみぬ振りをして卒業なぞしたくない。どうにかしたい。そう思っていたときに私は、やはり先輩方から学ぶのが一番良いであろうと思い、色々と調べていくうちに松岡様の『遥かなる一九七〇年代ー京都 学生運動解体期の物語と記憶』に出会いました。衝撃でした。学生の魂の熱がこんなにも渦巻いていた時代があったのかと。こんなにも、社会を本気で変えようとしていたのかと。そして、今は死にかけている同志社大学がこんなにも激動の渦の中にあったのかと。熱気と狂気と、そして魂。松岡様は2004年の「甲子園村だより」にて、何度も75年以降の後輩の方々の不始末を嘆いておられました。2022年の我々など松岡様の目にどのように映るのであろうか、恐縮の極みでございますが、70年代の空気、歴史、運動、そしてその精神をどうか学ばせていただきたく存じます。

グレーゾーンが廃され、拠点が失われ、学生の身体から離れてしまった、大学。それを我々の手の内に取り戻したいのです。私も大学内に拠点を造ることは一旦諦めてしまったのですが、学外にそうした場を造ることはできました。京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階にある元スナックの居抜きを借りて「デカい穴」という場所を造りました。イベントスペース兼バーのような場所です。そこでは夜な夜な学生が自由に集まり、闊達に日々色々な話をしています。私は、この場所からもっと波を広げたい。松岡様には「デカい穴」にお越し頂き、そこに集まった学生とお話し頂きたいのです。

前置きが長くなりましたが、今回はそうした想いでこうしたメールをお送りいたしました。

往復の交通費、飲食代(料理は無いので中華の出前になります)は当方が負担させていただきます。また謝礼として僅かではございますが金1万5000円をお支払いいたします。その他、もしご要望等ございましたらご遠慮なくお申し付けください。形式は座談会を予定しており、はじめに松岡様に自己紹介と70年代の様子、ご自身の活動歴をお話いただき、その後学生達とお話頂ければ、と思います。時間は開店時間の19時から、長くはありますが23時頃までを予定いたしております。もし終電の都合等で早めに切り上げられたい場合は仰っしゃてください。またご宿泊をご希望の場合は近隣のホテルを手配いたしますのでお申しつけください。

再三とはなりますが、私は心より、強く、松岡様とお話することを望んでおります。そして松岡様と現役の学生が言葉を交わすことには大いなる意義があると、そう確信いたしております。このままではもう本当に大学と、若者文化は終焉を迎えるように思います。我々学生と松岡様との出会いがそうした現状を打破する契機となれば、と願っております。

ご検討いただけますと幸いです。

◇    ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

O・S君からのメールには心打たれたので、その全文そのまま掲載した。なにか胸が熱くなった。私も学生の頃、不躾にも、名のある知識人に突然手紙を書いて講演をお願いしたことが少なからずあった。当時は、多くの知識人が、こうした学生からの依頼には、交通費+薄謝で喜んで応じた時代でもあった。今はどうだろうか?

多くの先生方が応じてくださった。一番印象的だったのは、在野の哲学者・田中吉六先生だった。田中先生は、初期マルクス、とりわけ主体性論の研究で有名で、岩波文庫版のマルクス『経哲草稿』を東大の城塚登教授と訳したり、『主体的唯物論への途』『史的唯物論の成立』などの名著を遺しておられる。学費値上げ阻止闘争や、沖縄、三里塚闘争の後、その闘いの総括作業に呻吟していた過程でそれら2冊の本に出会い感銘を受け講演をお願いしたのである。

田中先生は、東京・清瀬の古びた市営住宅に一人暮らしし、肉体労働をしながら独自の哲学を極められていた。「この人こそ真の知識人だ」と感じた。京都から何度も伺い、ようやく承諾していただいた時の喜びは今でも忘れることはできない。当時の学生会館ホールに多くの学生らが参集してくれた。このことを思い出した。ちなみに残念ながら『主体的唯物論への途』は現在では入手困難だが、『史的唯物論の成立』はなぜかこぶし書房から復刻され購読できる。

それにしてもだ、私がいた時代から50年経ち、リベラルな学風で鳴らした同志社の体たらくは一体何だ! 私たちはこんな大学にするために身を挺して闘ったのではない。詰まるところ、1960年代後半から爆発した学園闘争で提起された大学改革は、この真意が捻じ曲げられ、悪い方向に改悪されたといってもいいだろう。

「産学共同」もそうだ。当時は「産学共同」とは、学問(大学)が産業と「共同」するとはなにごとか、と悪いイメージで批判されたが、今では大学と産業界が「共同」することが当たり前のように語られている。企業が大学に施設を寄付することも多くなった。大学の真の価値は、キャンパスが綺麗だとか施設がいいということではない。今の同志社のキャンパスを歩くと、確かに綺麗だし施設も整っているようだ。だが、違和感がある。かつてのキャンパスの生きた学生臭さといったものは希薄な感がした。

私は知識人などではないが、出版した本を読んで長いメールをくれ、当時の話をしてほしいという。それも同志社の後輩学生だ──嬉しいではないか。「いいですよ、ただし学生諸君から謝礼や交通費をもらうつもりはないよ」と、『大暗黒時代の大学』の著書もある田所敏夫さんと共に8月11日、伺うことにした。

O・S君が開いたお店は、時代を忘れるような雰囲気だった。かつては、こんな店がどこかしこにあったよなあ。「時代遅れの酒場」といった雰囲気だ。夏休みでお盆前ということもあり、それでも10数人が集まってくれた。

O・S君が読んでくれた『遙かなる一九七〇年代‐京都──学生運動解体期の物語と記憶』(現在品切れ)

私たちが『遙かなる一九七〇年代─京都』以来、1年に1冊のペースで出してきた『一九七〇年 端境期の時代』など数冊を送り、事前に読んでおくように伝えておいたが、私の話はこれに沿ったものだ。自覚はなかったが、みずからの体験を中心に2時間近く話したようだ。

私は、「抵抗するということ」について、私が1970年に同志社に入学し、当時の同志社は抵抗、反戦、反権力の空気が満ち溢れ、その砦だった。その同志社で活動したこと、同志社は、60年、70年の二つの安保闘争の中心を担い、その後、私たちの時代になって学費闘争、三里塚闘争、沖縄闘争でも果敢に闘ったことを、体験を交え話した。75年3月に京都を離れ、大阪の小さな会社に勤め、学費闘争の裁判を抱え、御堂筋の四季の移ろいを眺めながら悶々とした日々を過ごしたこと、そうした中で友人と自らの闘いを総括するために『季節』という小冊子を始め、これがのちに出版の世界に入るきっかけになったことなどを話した。

しかし、私が同志社を去って以後の70年代後半、私たちの時代には和気藹々だった同志社も、私が参加していた全学闘(全学闘争委員会)が放逐されたり、私たちの拠点で藤本敏夫さん(故人)もいた寮が深夜に襲われ寮生がリンチされたりして退職直前の寮母さん(故人。学費闘争で逮捕された私の身元引受人。戦前から母子で務め学徒出陣の学生を見送ったりした)を苦しめたり、遂には、その戦闘性で全国的にも有名だった学友会の解散に至った。こうしたことが私を苦しめた。それは同志社のみならず、社会情勢もそうで、混沌の時代に入って行き、私たちの時代の連合赤軍事件、そうして多くの優秀な活動家を死に至らしめた内ゲバなどで学生運動・反戦運動が解体していったことは痛苦に反省すべきだ、と述べ、ひとまず私の話を終えた。

こののち参加者の学生諸君と忌憚のない座談会となった。とても初めて会った者同士とは思えないような和やかな雰囲気だった。気分が乗った私たちは、田所さんが飲み代として1万円、私が中華料理代として1万円をカンパした。当初は、飲食代は学生諸君が負担するということだったが、なんのことはない、私と田所さんがカンパすることになった(苦笑)。そうして真夏の京都の夜はふけていったのである──。

2022年8月11日,京都「デカい穴」で

*お店の名は「デカい穴」で、所在地等は次の通りです。
「デカい穴」
〒603-8225 京都市北区紫野南舟岡町85-2 2階
080-9125-7050 太田さん
webサイト https://kissadekaiana.wixsite.com/-site
位置情報  https://goo.gl/maps/zUXjbqxyyx3ySkr97

田所敏夫著『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社刊。発売中)

2022年は沖縄返還50年ですが、もっと遡ると、日本の近代史における「黒歴史」ともいえる事件から90年、そして80年となります。5・15事件から90年。そしていわゆる翼賛選挙、そして京大助教授らによる「近代の超克」から80年です。そして、軍部を「日本維新の会」(維新)や安倍晋三さんら自民党右派に、立憲政友会系を岸田総理ら自民党主流派に、立憲民政党系を立憲民主党に、京大助教授らを一時期の成功体験から卒業できない企業や広島県内の大手労働組合に置き換えると、まさに、いま、戦中が繰り返されているということが言えると思うのです。

◆5・15事件90年 政党の腐敗を追い風に昔は軍部・今は維新の人気が高まる

まず、5・15事件から90年。満州事変の翌年の1932年5月15日。海軍の青年将校が犬養毅総理を「問答無用!」と暗殺。政党政治はここで終了しました。しかし、政党政治の腐敗の不満から軍部への国民の期待が高まる中で、被疑者への甘い処分をもとめる民意が高揚。被疑者は軽い罰しか科せられず、1936年の2・26事件へとつながっていきます。既成政党のだらしなさへの憤りのいきおいあまって、「維新」への期待が高まってしまう。維新が少々の不祥事をやっても維新の支持率は下がらない。そういう現在の状況に似ていませんか?

◆翼賛選挙80年 軍国主義者が「革新」と持ち上げられる状況、現在に酷似

そして、今年はいわゆる翼賛選挙80年です。1942年4月執行の衆院選は、いわゆる翼賛選挙と呼ばれました。大政翼賛会系の候補には選挙資金が陸軍の機密費から出る、大政翼賛会に批判的な候補は政府により選挙妨害をうける。こういう選挙でした。当時はユダヤ人への今風にいえばヘイトスピーチで有名な四王天延孝中将ら、軍国主義者が「革新的」と持ち上げられて大量得票しました。これは、「維新」や「安倍晋三さん」がとくに若者から「革新的」とみなされている状況に似ていませんか?

ただし、この翼賛選挙を前に、腐っている、古くさいと指弾された既成政党、それも立憲政友会(立ち位置が今の自民党に近かった)よりはリベラルとされた立憲民政党(立ち位置が今の立憲民主党に近かった)も結局大政翼賛会に参加していたことも確認しておかなければいけません。

◆自民党と「国民ファースト維新の会」による「大政翼賛会」が迫っている

現代では、大政翼賛会一本に収斂されるまではひどくない、と思われるかもしれません。しかし、現代では擬似的な二大政党による翼賛体制がいままさに、構築されようとしているのではないでしょうか?自民党と補完勢力、いわゆる「ゆ党」による擬似二大政党制が起きようとしているのではないでしょうか?

すでに、衆院選2021で、連合の芳野会長は野党共闘を解体するほうへ、解体するほうへと動きました。こうした中で連合を基盤とする国民民主党は予算に賛成して事実上の与党に。一方で、国民民主党は参院選京都選挙区で維新と共闘をしています。

このままだと、参院選後にも、たとえば国民民主党、小池ファースト、吉村維新が合併した新自由主義政党、改憲推進政党「国民ファースト維新の会」誕生の公算が大きいでしょう。維新の支持層も連合の組合員も大手企業中堅以上のサラリーマンが多いという点で重なっています。維新が公務員を叩いてきたことで連合にも維新への反発はあります。しかし、公務員の組合が推薦した立憲民主党でも、公務員ボーナスカットには賛成してしまいました。「まあ、維新でもいいか」と思ってしまう組合員もすくなくないと思います。従って「国民ファースト維新の会」実現への障壁はそう高くはないでしょう。

◆野党第一党や組合がふがいない広島、平和都市なのに大政翼賛会化の先頭

一方で、立憲民主党も広島をふくむいくつかの選挙区では国民民主党と野合しています。広島はこのままでは、まさに、自民党の高級官僚出身世襲現職と、立憲・国民の野合にかつがれた元タレント新人による、「与党と補完勢力による独占」になりかねない情勢です。というか、そもそも、広島は、自民党と野党を自称した補完勢力による2議席独占がずっと続いていたといっても過言ではありません。

広島では野党といっても、原発や武器製造の大手企業の組合だのみなのが立憲民主党さんです。自民党系の知事でさえ進める脱炭素に懸念を表明したり、原発に対するスタンスを曖昧にしたりする参院議員がおられるのが広島の立憲民主党さんです。自民党官僚市長の提案する議案に、自民党系の一部の会派の議員以上に賛成してネオリベ市政を支えているのが立憲民主党の市議の皆様です。そして、再選挙2021で筆者が立候補した際、「俺の地域に出入りするな」と脅してこられた党員がおられるのが広島の立憲民主党さんです。中央の立憲民主党からも想像がつかぬような「補完勢力」ぶりです。広島のこのような大政翼賛会ぶりは、日本の大政翼賛会化を先取りしているといえるでしょう。

◆「近代の超克」と大差ないお笑い「日本すごい」

さらに翼賛選挙の年に「近代の超克」というスローガンが、当時の京都大学の哲学科の助教授らから出され、人々にウケていたことにも言及しなければなりません。「近代の超克」は、大ざっぱに申し上げると「日本は近代のチャンピオンである米英などを乗り越えた!」という趣旨の言説です。確かに、第一次世界大戦を契機に西洋の没落ということも言われてはいました。しかし、一方で、アメリカと日本の国力の差は歴然としたものがありました。日本はアメリカを乗り越えたどころか、コテンパンにやっつけられてしまうのです。この悲劇は日露戦争で勝利したことの成功体験から卒業できていないこととも関係あるのでしょう。

いま、日本は、また大いなる勘違いを繰り返そうとしています。「日本すごい」です。そのすごいはずの日本ですが、いまや、介護用手袋もマレーシアの企業に勉強にいかないと作れません。ひとりあたりGDP購買力平価では、韓国や台湾などに抜かれました。いわゆる失敗国家をのぞけば唯一といっていいほど、この30年間で給料が上がっていません。男尊女卑や報道の自由度の低下もさんたんたるものがあります。

広島県内でも結局、原発製造をふくむ重厚長大産業でひとりあたり県民所得(GDP)が全国3位だった1975年ころの成功体験から、企業ももちろん、行政、与野党の大多数も卒業できず、今日に至っています。

◆街頭や挨拶回りでも実感する大政翼賛会化

筆者は参院選を前に県内全域の有権者の皆様と対話しています。また、れいわ新選組チーム広島は街頭で憲法についてのアンケートにとりくんでいます(写真)。

 

その中で「いま、まさに、戦中が繰り返されている」と強く感じています。ありていに申し上げれば、筆者に対して男性有権者の方からは、「維新から立候補したほうがいいのでは?」とのお言葉をいただき、女性有権者の方からは、「自民から立候補したほうがいいのでは?」とのお言葉をいただく機会も以前より劇的に増えています。

また、れいわ新選組チーム広島による憲法についてのアンケートでも、「ロシアやコロナがこわいから憲法を変えたほうがいい」という趣旨のご回答がめだちます。一方で自民党の改憲案については、ご存じない方がほとんど、という状況があります。かくたる根拠はないが、なんとなく、ながされていく。これも実は戦中の日本に酷似しているといえるでしょう。

◆まずは冷静に考えていただくことだ

しかし、ここで陥ってはいけないのは、有権者を見下すような議論です。「改憲すればコロナ対策は安心」「ウクライナは核兵器をもっていないからロシアにやられた。だから日本はもつべき」などの有権者の思考回路もきちんと分析する必要がある。その上で有権者の皆様に以下のことを考えていただくことではないでしょうか?

自民党や補完勢力がいうような緊急事態条項で総理に権限を集中させる形で憲法を変えたらコロナ対策がうまくいくのか?

ソバや小麦などをウクライナとロシアで多くをつくっている中で、国内でろくにつくれない日本が軍備だけ増やして意味があるのか?

ウクライナ以外にも大国に対抗して核兵器を持ち出す国が次々現れたら核戦争のリスクは増えるのでは?

今までの原発製造ふくむ重厚長大産業に過度に期待する産業政策で広島の将来は大丈夫なのか?

正直、現時点の広島では、頭ごなしに正論をぶっても反感だけがのこると感じます。まずは冷静に考えていただく。そういう作業の積み重ねがいまは大事なように思います。

こういう二大政党による大政翼賛会化の背景には小選挙区制もあります。筆者は小選挙区制の廃止も公約していますが、まずは、いまのピンチを切り抜けないといけません。

もちろん、筆者としても、参院選立候補へ向けた準備は続けますが、他方で広島県選挙区において、自民党と補完勢力による独占をふせぐため、最大限の努力もしていまいります。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

50年前の今頃、私は同志社大学の学費値上げ阻止闘争のバリケードの中にいた。それは、それまでに盛り上がった学園闘争などに比べると小さなものではあったが、私たちにとっては全身全霊を懸けた〈決戦〉だった。

 

全学無期限封鎖に入ったことを知らせる立て看板

決戦は2月1日だったが、1月13日の全学学生大会で無期限封鎖を決議し、来るべき決戦に備え意志統一し緊張感のある日々だった。

少なくとも私は、この50年間、時にだらけたり時に絶望したり、いろいろなことがあったが、その闘いを貫徹できた矜持を持って生きてきたつもりだ。

学費闘争、あるいはその前後の沖縄─三里塚闘争、連合赤軍事件については、先般発行し現在発売中の『抵抗と絶望の狭間──一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾増刊)に長く拙い文章を綴り、詳しくはこちらをご覧いただきたいが、想起すれば、いまだに頭の中が錯綜する。連合赤軍事件が表面化したのも、逮捕され獄中に在ったさなかだった。

60年代後半から始まった全国学園闘争の波も引き、前年71年の沖縄─三里塚闘争も多数の逮捕者を出し、喧伝された「激動の70年代」も出鼻を挫かれた恰好だ。しかし、このことは上記書でも強調しているが、71年の闘いは地味で霞んでいるように思われているが、決してそうではなく、現在に比べれば、遙かに盛り上がったことを、あらためて申し述べておきたい。

全国の私立大学、また国立大学の学費大幅値上げに対する抗議と抵抗も一定の盛り上がりを見せたが、いつのまにか萎え、最後まで闘いを持続していたのは、さほどなかった。

しかし、ここを何としても体を張って阻止しなければ、学費値上げはどんどん拡大するという認識だったが、これが当たったことは、その後の私立、国公立問わず学費値上げの事実を見れば歴然だろう。信じがたいかもしれないが、当時国立大学の学費は年間1万2千円、つまりひと月千円であるが、物価の水準も上っているとはいえ、その50倍ほどになっている。

私立大学にしても、現在年間100万円ほどにまで膨れている。私が入学した1970年、入学金3万円、施設費3万円、学費6万5千円、計12万5千円だったが、こちらも10倍ほどに上っている。

しかし、68年の中央大学では学費値上げの白紙撤回を勝ち取っている。私たちは、これを見て、学費値上げは必ず阻止できると信じ、身を粉にして闘った。つまり、私たちが「革命的敗北主義」「敗北における勝利」の信念のもと先頭になって闘いを貫徹すれば、たとえ私たちが一時的に敗北したとしても、必ずや私たちの闘いに触発された学友が続くであろうと信じてやまなかった(が、時代はもう変わっていて、逆に運動は脆弱化し、その中から政治ゴロや簒奪者らの介入や跳梁を許すことになった)。

弾圧を報じる京都新聞72年2月1日夕刊

あれからあと数日で50年になろうとしている。──

2月1日に、かつての学生会館(今は取り壊され寒梅館となっている)前に結集し、この50年に各自どのように生きてきたか語り合いたい。私の人望のなさのせいで何人集まるか判らないが、人数の問題ではない、あの闘いを共に貫徹した誇りを甦らそうではないか!

蛇足ながら、1969年に創業した鹿砦社は、その前日の72年1月31日に設立(株式会社化)している。この時のメンバーは『日本読書新聞』(現在廃刊)にいた天野洋一(故人)、前田和男(『続 全共闘白書』編集人)らである。

◎2月1日当日の概要は別途掲載の案内をご覧ください。締め切りは過ぎていますが、参加希望の方は今からでも私にご一報ください。(松岡利康)

2・1学費決戦50周年の集い案内

大手のマスコミが社会の木鐸としてきちんと機能し、いままで埋もれていた問題に光を当てて政府や自治体を大きく動かした。最近、こういう例は少ないように思えます。

 

毎日新聞取材班『ヤングケアラー 介護する子どもたち』毎日新聞出版

しかし、その例外といえるのが、今回ご紹介する、「ヤングケアラー」問題における毎日新聞取材班の活躍ではないでしょうか? 今回の書籍のもととなった、毎日新聞連載「ヤングケアラー幼き介護」は第25回新聞労連ジャーナリズム大賞を受賞しています。

◆統計さえなかったヤングケアラー

ヤングケアラーは法令上の定義はありませんが、一般に、本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子どもとされています。

ケアの負担が重くなると、学業や友人関係、就職などにも悪影響を及ぼし、時にはその子の人生を大きく左右してしまうケースもあります。いっぽうで、「親孝行な子」「きょうだいの仲がいい」などと言われて「支援の対象」とは認識されなかった面があります。しかし、毎日新聞取材班が取材を始めるまでは、統計さえなかったのです。

統計を目的の数字を得るために、調査票レベルから再集計してもらうオーダーメイド統計という制度があります。取材班はこれを活用して、就業構造基本調査を再集計してもらい、2017年に3万7000人の15-19歳のヤングケアラーがいる、ということをつかみ、2020年3月に報道しました。

◆知事と議会がねじれの埼玉県が先行、そして国も動き出す

取材班のねばりつよい報道の中で、国も重い腰を上げて調査に乗り出します。2021年4月に公表された調査では中2の5.7%、高2の4.1%が世話をしている家族がいる、と回答しています。これにもとづき、政府も支援策を打ちだしはじめました。(※ヤングケアラーについて

いっぽう、埼玉県では国より一歩先に調査を行いました。回収率86.5%のアンケートで高2の4.1%がヤングケアラーであることがわかりました。なお、これは、国と違って、「(疾病や障害のない)きょうだい」のケアを抜いた数字です。きょうだいのケアでも負担が過重になれば学業などに問題が出てきます。

ちなみにこの埼玉県では家族を介護する人を支援するケアラー支援条例が野党共闘推薦の大野知事に対する野党・自民党(県議会では多数派)の提案により2020年3月議会で成立しました。知事に対する独自性を見せようとする埼玉自民党の戦略ではあります。しかし、こういう議会と知事のねじれの状況だからこそ、施策が進んだということは興味深く感じました。

◆当事者の想いも多種多様 受容の上できめ細かな対応を

ここで、気をつけたいのは、当事者の想いも多種多様であるということです。埼玉県の調査でもヤングケアラー該当者の38.2%が必要な支援は「特にない」ということです。「本当に大変な人はそっとしておいてほしい」という自由記入がそれを物語っています。

大人といえば、学校の先生を筆頭に、「上から管理」してくるもの。いわゆるブラック校則などを背景にそういう認識が日本の子どもの間で強いのは当たり前です。大人を警戒してしまう気持ちもわかります。

これまで、「家族のケアを理由に遅刻・欠席しても、先生に怒られるだけだった」という人。他方できょうだいをケアすることで「えらいね」とほめられた経験が強い人。いろいろいらっしゃいます。急にいまさら「大変だ」と大人に騒がれても白けてしまう気持ちはわかります。

また、本書にもありましたが、精神疾患を持つ親族をケアしている場合は、とくに支援をもとめにくい状況があります。精神疾患は恥ずかしいことではない、という文化を根付かせていくことも大事であると痛感しました。わたしたち介護・福祉職も高齢者やおとなの障害者相手なら「受容」(まず話を聞いて受け入れる)よう叩き込まれていても、子ども相手ではついつい上から目線になってしまいがちかもしれない。

イギリスは家族を介護する人を大人も子ども関係なく支援する仕組みが充実している国です。そのイギリスでは、ヤングケアラーのイベントがあり、医療・福祉行政担当者に直接要望する場があるそうです。

まずは、話を聞いてもらいやすい環境を整えた上で、教育や医療・福祉関係者が連携しての個人にあわせたきめ細かな支援ではないでしょうか?

◆10年前以上前からケアラー支援法は筆者の公約

わたくし・さとうしゅういちは、2011年、県庁を退職してあの河井案里さんと対決するため、立候補した県議選でイギリスの介護者支援法を参考に「家族を介護する人を応援する基本条例(基本法)」制定をおそらく、広島県内の候補者でははじめて公約としました。

まず、基本法をつくり、高齢者や障害者など要介護者だけでなく、家族を介護する人も支援するような福祉サービスのあり方をつくっていく。気軽に相談しやすい仕組みをつくっていく。こうしたことを構想していましたし、今後も政府の施策の改善点の提案を中心に取り組んでいきたいと思います。

◆ケア負担を家族に過剰に抱え込ませる新自由主義の打破を

介護保険制度を担当する広島県庁マンだった時代から、ケアに対する社会的評価が低いこと、それと連動して、家族で抱え込んでしまう傾向が強いことに危機感を覚えていました。

子育てから介護まで「嫁」(現役世代女性)に全てを抱え込ませることを前提としてきたといっても過言ではありません。それと連動して、介護や保育などの労働者は「女の仕事」として低賃金に据え置かれてきました。

最近では、諸外国にくらべればまだまだとはいえ、男女平等も進んできています。また、家族の人数も減少している。そういう中で、「嫁(母親)にすべてを抱え込ませる」状況は崩れている。しかし、妻を介護する側に回った男性が悩んだあげくに妻を殺してしまう事件は当時から広島市内でも頻発しています。あるいは、母親もハードワークせざるを得ない低所得者層を中心に、子どもにしわ寄せがいく例も多くなっていると推察されます。

昔は、大手企業男性正社員世帯主を前提に嫁・妻・母親たる現役世代女性にケアをすべて抱え込ませる家族の在り方を前提に家族に過剰にケアを抱え込ませる社会の仕組みでした。そういうあり方がたちゆかなくなっていることからこの20-30年近く、目をそらし、家族に過剰に抱え込ませるような仕組みを温存してきたことが、男性介護者による妻殺害やヤングケアラー問題として噴出しているとも感じます。

なお、「大阪維新」の政治家などの中には旧来型政治への批判を装い、「日本はシルバー民主主義でけしからん! 高齢者サービスを削って若者優先を!」という趣旨の扇動で一定程度成功している方もおられます。しかし、高齢者サービスを削ることは、逆に高齢者の家族であるところの若者を追い込んでしまうのです。維新の世代間闘争に見せかけた家族への過剰なケア負担の押し付けは岸田自民党以上に危険です。

当面は、財政出動によるサービス充実、そして中長期には、コロナ災害の下でも過去最高益を出しているような超大手企業や超大金持ちの方々に適切にご負担いただくことでサービスを増強するよりないでしょう。

▼さとうしゅういち(佐藤周一)
元県庁マン/介護福祉士/参院選再選挙立候補者。1975年、広島県福山市生まれ、東京育ち。東京大学経済学部卒業後、2000年広島県入庁。介護や福祉、男女共同参画などの行政を担当。2011年、あの河井案里さんと県議選で対決するために退職。現在は広島市内で介護福祉士として勤務。2021年、案里さんの当選無効に伴う再選挙に立候補、6人中3位(20848票)。広島市男女共同参画審議会委員(2011-13)、広島介護福祉労働組合役員(現職)、片目失明者友の会参与。
◎Twitter @hiroseto https://twitter.com/hiroseto?s=20
◎facebook https://www.facebook.com/satoh.shuichi
◎広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)https://hiroseto.exblog.jp/

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年1月号!

〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』vol.30(紙の爆弾 2022年1月号増刊)

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B09MFZVBRM/
◎鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000689

◆戦史は歴史観か、それとも史料になるのか

年々、新たになるのは古代史や中世史だけではなく、現代史においてもその中核である日中・太平洋戦争史でも同じようだ。今年の終戦特集番組はそれを実感させた。

 

『不死身の特攻兵(1)生キトシ生ケル者タチヘ』(原作=鴻上尚史、漫画=東直輝、講談社ヤンマガKCスペシャル2018年)

個人的なことだが、父親が予科練(海軍飛行予科練習生)だったので、本棚は戦史もので埋まっていた。軍歌のレコードもあって、聴かされているうちに覚えてしまい、昭和元禄の時代に軍隊にあこがれる少年時代であった。そういうわたしが学生運動にのめり込んだのだから不思議な気もするが、じつは両者は命がけという意味で通底している。

たとえば三派全学連と三島由紀夫へのシンパシーは、一見すると真逆に見えるが、三島研究を進めるにつれて、そうではなかったとわかる。自民党と既成左翼に対抗するという意味で、三島と三派および全共闘は共通しているのだ(東大全共闘と三島由紀夫の対話集会)。

つまり過激なことが好きで、戦争に興味があるのも、ミリタリズムへの憧れとともに、そこに人間の本質が劇的に顕われるからではないだろうか。およそ文学というものはその大半が、恋愛と戦争のためにある。

◆特攻は志願制ではなかった

戦史通には改めて驚くほどのことではないかもしれないが、テレ朝の「ラストメッセージ“不死身の特攻兵”佐々木友次伍長」は、戦前の日本人の死生観を考えるうえで興味深いものがあった。

その特攻隊は、陸軍の万朶隊という。日本陸軍は基地招集の単位で動くので、万朶隊は茨城県の鎌田教導飛行師団で編成され、フィリピンのルソン島リパへ進出した。そこで特攻隊であることを命じられ、岩本益臣大尉を先頭に猛特訓に励む。ときあたかもレイテ海戦で海軍が敗北し、フィリピンの攻防が激化していた。

最近の特集番組で明らかになったのは、特攻隊がかならずしも志願制ではなかったという事実だ。

従来、われわれの理解では部隊単位で各自に志願を問われ、全員が手を挙げて志願することで、特攻は志願者ばかりだった。と解説されてきたものだ。ところが、実態は「どうせ全員が志願するのだから、命令でいいだろう」というものだったようだ。

レイテ決戦のときの「敷島隊」の関行男中佐も「僕のような優秀なパイロットを殺すようでは、日本も終わりだ」と言い捨てたと明らかになっている。従来、敷島隊は「ぜひ、やらせてください」という隊員の反応(これも確かなのだろう)だけが伝わっていた。

 

大貫健一郎、渡辺考『特攻隊振武寮 帰還兵は地獄を見た』(朝日文庫2018年)

さて、特攻を命じられた岩本隊長は、ふだんの温厚さをかなぐり捨てて、大いに荒れたが、部下には「大物(空母や戦艦)がいないなら、何度でもやり直せ。無駄死にはするな」と命じていた。特攻の覚悟はあったが、暗に通常攻撃を督励していたといえよう。

岩本は特攻機を改造もさせている。特攻機は爆弾をハンダ付けし、機体もろとも突入することで戦果が得られる。爆弾を内装する爆撃機仕様の場合は、起爆信管が機体の頭に突き出している。

その「九九式双発軽爆撃機」の3本の突き出た起爆管を1本にする改造を行っている。このときに爆弾投下装置に更に改修が加えられ、手元の手動索によって爆弾が投下できるようになったのだ。

これは番組では岩本の独断とされていたが、鉾田飛行師団司令の許可を得てあったのが史実だ。

だが、その岩本大尉は同僚の飛行隊長らとともに、陸軍第4航空軍司令部のあるマニラに行く途中に、米軍機に撃墜されてしまう。万朶隊の出撃を前に、司令部が宴会をやるので招いたというものだ。

クルマで来るように指示したのに、飛行機で来たからやられたとか、ゲリラがいるのでクルマで行ける行程ではなかったとか、これには諸説ある。

◆9回の特攻命令

雨に祟られた甲子園大会も、なんとか再開したが野球のことではない。

9回特攻を命じられたのは、下士官の佐々木友次伍長である。佐々木は岩本大尉の教えに忠実に、大物がいなかったから通常攻撃(爆弾投下)で戦果を挙げていた。つまり突入せずに帰還したのである。

ところが、大本営陸軍部は佐々木らの特攻で「戦艦を撃沈」(実際は上陸用揚陸艦に損害)と発表し、佐々木も軍神(戦死者)のひとりとされていた。軍神が還ってきたのである。

第4飛行師団参謀長の猿渡が「どういうつもりで帰ってきたのか」と詰問したが、佐々木は「犬死にしないようにやりなおすつもりでした」と答えている。

第4航空軍司令部にも帰還報告したところ、参謀の美濃部浩次少佐は大本営に「佐々木は突入して戦死した」と報告した手前「大本営で発表したことは、恐れ多くも、上聞に達したことである。このことをよく胆に銘じて、次の攻撃には本当に戦艦を沈めてもらいたい」と命じた。

 

鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書2017年)

ようするに、天皇にも上奏した戦死なので「かならず死ぬように」というのだ。機体の故障、独断の通常攻撃、出撃するも敵艦視ず、また故障。という具合に、生きて還ること9回。正規の命令書に違反しているのだから軍規違反、敵前逃亡とおなじ軍法会議ものだが、なにしろ岩本大尉の「無駄死にするな」という命令も生きている。戦果も上げる(突入と発表される)から故郷では二度まで、軍神のための盛大な葬式が行なわれたという。詳しくは、鴻上尚史『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』(講談社現代新書2017年)を参照。
そうしているうちに、フィリピンの陸軍航空団もじり貧となり、第4航空軍の富永恭次中将が南方軍司令部に無断で台湾に撤退した。この富永中将は特攻隊員を送り出すときに「この富永も、最後の一機に乗って突入する」と明言していた人物である。

海軍の特攻創始者である大西瀧治郎は、敗戦翌日に介錯なしで自決。介錯なしの自決には、陸軍大臣阿南惟幾も。連合艦隊参謀長(終戦時は第5航空艦隊長官)の宇垣纏は、玉音放送後に17名の部下を道連れに特攻出撃して死んだ。

本当に特攻は有効だったのか、アメリカ海軍の記録では通常攻撃の被害のほうが大きかった。というデータがあり、従来これはカミカゼ攻撃の被害を軽微にしたがっているなどと解説されてきた。だが、海軍の扶桑部隊などの歴史を知ると、訓練不足の若年兵はともかく、ベテランパイロットによる通常(反復)攻撃のほうに軍配が上がりそうだ。ともあれ、特攻が将兵の自発的・志願制ではなく、日本人的な暗黙の強制だったことは明白となってきた。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

『紙の爆弾』『NO NUKES voice』今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

◆静かに、重くのしかかるメンタリストDaiGoのホームレス蔑視発言

日本列島は連日の豪雨による災害が各地で発生し危険な状態だ。例年なら猛暑のお盆の東京は、異常ともいえる低温が続いている。

いま、主にネット上で炎上している「メンタリストDaiGo差別発言事件」は、炎上という文字から感じられる熱さはなく、冷たい霧雨に纏わりつかれるように、静かに重くのしかかってくる。淀んだ空気に包まれる日本の姿を現しているからである。

“発言”の背景にあるものは何か。

2人の子を連れてホームレスを経験し、長らく派遣労働者として働き派遣切りの経験もある渡辺てる子さん(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)が、この問題の構造的な問題を8月21日に東京都内で講演する。

まず、今回の事件の経緯を振り返ってみよう。

◆「俺は処刑される側の人間なんだ」と筆者に思わせた発言

問題発言は8月7日、メンタリストのDaiGoさんのYouTube番組で公開された。
https://www.youtube.com/watch?v=bMHPk…
(8月14日夕方時点で動画は非公開)
(発言の切り抜き)8月7日
https://www.youtube.com/watch?v=6k6hDVD5Emc

私は公開された翌日くらいに視聴して驚いた。まず生活保護受給者についての発言。

「僕は生活保護の人たちにお金を払うために税金を納めてるんじゃないからね。生活保護の人に食わせる金があるんだったら猫を救って欲しいと僕は思うんで。生活保護の人、生きていても僕は別に得しないけどさ、猫は生きてれば得なんで」

というような内容の発言をし、さらにホームレスにつてもおよそ次のように語った。

メンタリストDaiGoYouTube番組(2021年8月14日)

「言っちゃ悪いけど、どちらかというホームレスっていない方がよくない? 正直。 邪魔だしさ、プラスになんないしさ、臭いしさ、治安悪くなるしさ、いない方がいいじゃん」

「もともと人間は自分たちの群れにそぐわない、群れ全体の利益にそぐわない人間を処刑して生きている。犯罪者を殺すのだって同じ」と、貧困者と犯罪者を同一視点するかのように述べた。

この動画が公開された前日の8月6日、私は経産省の月次支援金を申し込むための資料収集と書類作成を始めた。

月次支援金とは、新型コロナウイルス対策として緊急事態宣言等の影響を受けて収入を50%以上減らした法人や個人事業主を支援する制度である。

常日頃、講演会、シンポジウム、イベントなどを取材したり、直接会ってインタビューする仕事が多い私は、外出やイベント自粛に影響されて収入は激減している。

藁をもすがる思いで、この月次支援金に申し込もうとしていたのだ。その作業を始めた翌日にタイミングよく? かの発言があった。

これを聞いて、「俺は処刑される側の人間なんだな」と思った。通常であればこの種の発言を聞いたなら、「ふざけるんじゃない! 何バカなことになって言ってるんだ」と私は怒るはずだ。

ところが、なぜか激しい怒りの感情は湧かず、霧雨が降る中で静かに沈んでいくかのような感覚に襲われたのである。そこにこの発言を生んだ社会の深刻さがある。

かろうじて私には住む家がある。しかし、住む家がなく、あるいは家はあっても生活保護水準以下で生活する膨大な人たちの中には、排除されたり、誹謗中傷されたり、貶められても、怒る気力さえなく、ただ沈み込んでいく人も多いのではないか。

さすがに、今回の発言に対しては批判が巻き起こったが、DaiGoさんは、次のように反論した。

「自分は税金をめちゃくちゃ払っているから、ホームレスとか生活保護の人たちに貢献している。叩いている人たちは、ホームレスに寄付したんですか? 継続して炊き出しとかして助けてるんですか?」
https://www.youtube.com/watch?v=SfWuC3edFZw&t=28s
(この動画も非公開になった)

火に油を注ぐことになり、8月13日の夜には、一転して発言を謝罪する動画をアップした。
https://www.youtube.com/watch?v=rShG_1-tzSE (現在非公開)

それでも批判は収まらず、逆に本当に理解していない、という新たな批判も起き始めた。そして翌14日には、いつもとは違う白い壁を背景にしてスーツ姿で現れたDaiGoさんは、再び謝罪した。前日の謝罪動画は取り消し非公開とした。

この謝罪は、それまでの動画のように弁明はなく、ひたすら反省と謝罪を述べる内容になっている。
https://www.youtube.com/watch?v=Eai84ynVtko

◆寒気がするほどマニュアル化された「謝罪動画」

このスーツ姿の謝罪動画を見て、私は恐ろしくなった。完璧な謝罪のしかただったからだ。しかも、数日前には批判されても開き直っていた人間が、わずかな時間で真に反省と謝罪を公にすることに疑問が残る。

完全にマニュアル化された謝罪の方法であり、彼自身がこれまでに「心理学的に見て正しい謝罪の仕方」とでも言うべき動画を何本かアップロードしており、その内容そのままの謝罪になっている。

分かりやすいのは、「正しい謝罪の仕方」という動画だ。


◎[参考動画]正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】「謝罪 ミスると地獄」2021年6月22日

修正版:正しい謝罪の仕方【メンタリストDaiGo切り抜き】

この動画では、「どういう謝罪が社会的に納得されやすいか」に関する大学の研究調査結果を紹介している。そのポイントは次のとおり。

「やってはいけない謝罪」
① 言い訳をする。行動の正当化をする。
② 他人を責める。
③ 自分の抱えている問題やトラブルについて説明する。
④ 自分の発言や行動が起こした問題を矮小化する。

「やるべき謝罪」
① 自分を被害者の立場に置いてどんな言葉を聞きたいか考えて発言。
② 常に被害者に向けて言葉を発し、罪を認め許しを請う。
③ 可能であれば、賠償と共生の手段を申し出る。
④ 自分の行動と発言を謝罪し、決して自分が誤解されている部分については触れない。

スーツを着て折り目正しく真摯な姿勢で謝罪する姿は、上記の動画を機械的にコピペしたようである。

◆ホームレス経験者は何を考えたか

今回の発言の背景は相当根深い問題が存在しているのは間違いない。DaiGoさんが謝罪し、彼を批判しただけでは収まらない、深く重い何かがある。

そう考えたときに思い浮かんだ人物が、渡辺てる子さんだ。幼い子供を連れてホームレスを経験し、その後も派遣労働者として働き雇止めにあい、貧困問題解決を日々訴えている。その彼女を一緒にこの問題を考えることにした。

自身が貧困の当時者として長年過ごし、いまは政治家として変革しようと日夜活動している人物と話し合うことは、大切なことではないだろうか。

以下、講演概要。

2021年8月21日(土)開催!元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

◎第138回草の実アカデミー◎
2021年8月21日(土)
元ホームレス渡辺てる子さんと一緒に考える
「メンタリストDaiGo 生活保護受給者&ホームレス蔑視発言」

講師:渡辺てる子氏(れいわ新選組衆院東京10区総支部長)
   元ホームレス、シングルマザー、元派遣労働者
日時:2021年8月21日(土)
13:30時開場、14時00分開始、16:30終了
場所:雑司ヶ谷地域文化創造館 第2会議室
https://www.mapion.co.jp/m2/35.71971291,139.71364947,16/poi=21330448165
交通:JR目白駅徒歩10分、東京メトロ副都心線「雑司ヶ谷駅」2番出口直結
資料代:500円 【申し込み】(定員18名)
フルネームと「8月21日参加」と書いて下記のメールアドレスに送信してください。
kusanomi@notnet.jp

★★★感染防止対策にご協力を★★★
・受付の名簿に必要事項をお書きください。
・会場入りの際は手洗いかアルコール消毒をお願いします。
・会場内ではマスク着用をお願いします。
・暑くても窓を開けて換気をするのでご了承ください。

▼林 克明(はやし まさあき)
 
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)、『不当逮捕─築地警察交通取締りの罠」(同時代社)ほか。林克明twitter

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』9月号

4月から10月にかけて、奈良県内8ケ所の会場で、巡回展「先住民族アイヌは、いま」が開催される。4月24日、奈良県人権センターで開会セレモニーが開催され、「平取アイヌ遺骨を考える会」代表の木村二三夫氏の講演、「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」の出原昌志氏の「取り戻したいアイヌの歴史」と称した展示解説などが行われた。

巡回展「先住民族アイヌは、いま」ポスター

巡回展「先住民族アイヌは、いま」の様子

巡回展を開催した「先住民族アイヌのいまを考える会」委員長・淺川肇氏は、昨年2月からこの展示会を企画し立ち上げ、
(1)県内各地で、身近な場所で行うこと、
(2)気軽に立ち寄っていただきたいので無料で行うこと、
(3)アイヌ民族について、私たちはあまりに無知なのでアイヌ目線で行うことを目標に準備を行ってきた。

「世界の先住民族の生存や尊厳、自決に関する権利を規定した『先住民族の権利に関する国際連合宣言』が2007年に採択され、日本も賛成したが、2019年施行された『アイヌ施策推進法』は、アイヌの自決権、土地や領域、資源回復や補償などには触れておらず、国連の宣言とはかけ離れており、アイヌの暮らしと誇りを立て直す内容とはなっていない。私たちはアイヌ民族と日本人(和人)の歴史的関係性やアイヌ民族がおかれている現状をもっと知る必要がある」、「幕藩体制下の支配や、アイヌを日本国民にさせる近代国家の政策などの抑圧や差別に抗してきたアイヌ民族の歴史や、伝統的に継承されてきた文化を紹介する本展示の開催が、アイヌ民族の先住権・自決権を尊重し、アイヌ民族をはじめとする多民族・多文化の共生社会を実現する一助になることを願っています」などと巡回展開催の意義を述べられた。

そんななか、先ごろ、日本テレビの朝の情報番組「スッキリ」で、アイヌ民族を差別する内容の作品が放映された件で、これまで2回の交渉を行ってきた出原昌志氏にお話を伺った。(聞き手・構成=尾崎美代子)

3月12日、「スッキリ」はアイヌ民族の女性をテーマにしたドキュメンタリー作品を紹介したのち、お笑いタレント脳みそ夫が謎かけで、「この作品とかけまして動物を見つけた時ととく。その心は、あ、犬」というテロップ付き漫画の映像を放映した。これに対して「先住民族アイヌのいまを考える会」は、「部落解放同盟奈良県連合」「奈良ヒューライツ議員団」とともに抗議を行っている。

アイヌ差別発言に抗議する 共同声明(2021年3月28日)

左から木村二三夫さん(「平取アイヌ遺骨を考える会」代表)、出原昌志さん(「取り戻したいアイヌの歴史」「先住民族アイヌの声実現!実行委員会」)、淺川肇さん(「先住民族アイヌの今を考える会」委員長)

──  差別映像が制作されるまでの経緯を教えてください。
出原 3月12日は「財布(サイフ)の日」の日で、すでに別の台本を作って映像ができていた。だけど脳みそ夫氏から提案があって新たに台本作ってあの映像を制作したという話です。担当ディレクターはそれまで「民族について軽々に扱えない」としていたというので、僕らは「ちょっと今の説明は不可解だ。民族を軽々に扱えないといっていたのに、なぜ脳みそ夫氏が提案したら民族問題を扱うことになったのか?」と追及し、次回は脳みそ夫氏本人がチャランケに出席して説明と謝罪を行うことを要求しています。
 日テレには番組考査部というコンプライアンスや人権問題を扱う部署があるが、そこの代表が、当初、アイヌ民族差別と捉えられずに「アイヌ民族に対する認識が薄かった」と認めており、また、日テレ全体の共通認識として被差別部落問題などはペーパーがあるが、アイヌ民族問題ではなかったこと。結局、アイヌ民族の歴史や人権に無関心であったことです。いまは放送に至る経緯をもっと検証していく段階です。ただ僕らが申し入れた5項目は全部うけとめ実行するということは確認しています。

──  番組前の打ち合わせで、誰もおかしいと思わなかったのか?
出原 日テレの言い方では、作成された映像を本社のプロデューサーに問い合わせたらOKが出たから、後は放映までスルーパスで、生放送中は番組チーフプロデューサーとプロデューサーが確認しているだけとのことです。専門のチェックマンがいないわけです。

──  MCの加藤浩次さんは北海道出身なのに、おかしいと思わなったのでしょうか?
出原 加藤さんは小樽出身ですが、あの年代で同じ高校にいた人の話も聞いたが、あの時代も単一民族国家観の授業が行なわれていて、彼はアイヌ民族の歴史について理解をしていなかったのではないかと思います。小樽のアイヌ民族は強制移住でいないから身近ではなく、加藤さんが気付くのは無理だったのではという話です。

──  でも人間に対して「あ、いぬ」だけでも差別と思いませんかね?
出原 それが差別と意識できなかった。わざわざ「アイヌ」というテロップまで入れて、驚きでしたね。週刊現代は、ディレクターが台本を書いて脳みそ夫氏にやらせたと言っているが、他の情報も含めて、脳みそ夫氏が提案してやったというのが事実だと思います。脳みそ夫氏が提案して、ディレクターが台本は書くから「やらせた」と言えばそうなるが。僕らはそうした認識でチャランケをしていますが、そのことに関して脳みそ夫氏が所属するタイタンのチーフマネージャーも異議申し立てはしていません。

──  当日は結局夕方のニュースで謝罪したのですね?
出原 番組中も抗議の電話はじゃんじゃん入ってきています。なぜ、直後の生番組で謝罪放送をしなかったと糾すと、「スッキリ」の後の生番組は首都圏のみの放送になり、午後からの「ミヤネ屋」は関西で製作されているとのこと。結局夕方のニュースで謝罪した。でもあの時は「不適切な発言」というだけで「差別だった」とは言っていなかった。その直後に、私から担当プロデユーサーに電話を入れて「月曜日のスッキリで謝罪してください」と要求した。1つ目はアイヌ民族差別と明確に認めること。2つ目は、アイヌの歴史に触れて言うこと。もうひとつは再発防止に努めるということ。また、チャランケを申し入れたらそれに応じるという事を確認しました。担当プロデユーサーは、謝罪放送を検討しており「やります」となった。それで3月15日月曜日の「スッキリ」の冒頭で、水卜アナウンサーがアイヌ差別と認めて謝罪した。それを見て、一応、日テレは努力していると認めて、同時にチャランケの日程調整に入りました。

──  チャランケ? 話し合いですね?
出原 1回目は3月18日。最初、チーフプロデユーサー(部長)が謝罪すると言うので、「参加者全員から一人一人自分の言葉で謝罪してほしい」と伝えた(当初は日テレ側5人、現在参加者は、日テレ側5名とタイタン2名の7名)。彼等の発言を聞いて、アイヌ民族からも自分の被差別経験などを含めて、今回のアイヌ民族差別の衝撃と重大さを話した。そのアイヌ民族の身を削る言葉を聞いて、もう一度、彼等にどう思うか、再度、一人一人に発言してもらった。その上で、放映までの経緯の概略的な話を聞いたが、次は詳細な経緯を説明してほしいと約束して、4月15日2回目のチャランケを行なった。経緯をペーパーで出してもらったが、まだまだ疑義が残ります。職員らの聞き取りなども全部出ていない。また、定期的にアイヌ民族を講師に職員研修と、アイヌ民族の歴史や人権などに関して定期的に番組作りをすることを要求して確認しています。
 アイヌ民族差別は日本人問題ですが、奈良の3団体の申し入れは、道外からこのような組織的な抗議の声はこれまでほとんどなく、本当に画期的なことです。日テレには、アイヌ民族差別を許さない社会規範を作る責任があると要求しています。ああいう大きな民放できちんとやってくれれば、成果も大きいので、引き続き頑張って話し合います。
──  今日はどうもありがとうございました。

[2021年4月24日奈良県人権センターにて]

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

最新刊!タブーなき月刊『紙の爆弾』6月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

明日4月1日から、わいせつ行為によりクビになった教員の名前を簡単に調べられるようになる。文部科学省がわいせつ教員撲滅対策の一環として省令を改正したことによる。

というのも、教員は免許を失効した場合でも、3年たてば免許を再取得できる。そのため、これまではわいせつ行為でクビになった教員が過去を隠し、教員として再雇用されるケースがあった。今回の改正省令はそれを防ぐため、教員が免許を失効するなどした事由が懲戒免職もしくは解雇である場合、処分の理由を5つの類型に分けて官報に記載するように定めたのだ。

5つの類型とは、
(1)18歳未満の者や勤務校の生徒に対するわいせつ行為やセクハラ、
(2)それ以外のわいせつ行為やセクハラ、
(3)交通法規違反もしくは交通事故、
(4)教員の職務に関して行った非違、
(5)前記4点以外の理由──である。

これにより、学校側はわいせつ処分歴のある元教員をそうとは知らずに雇用することを防げるわけだ。

この改正について、世間には歓迎する声が圧倒的多数である。しかし、見過ごせない問題もある。「わいせつ教員」という濡れ衣を着せられた冤罪被害者に対する「セカンド冤罪被害」だ。

文科省の省令改正を歓迎する声が多いが……

◆当欄で紹介した「わいせつ冤罪被害者」の元教員は今……

筆者は当欄で以前、以下の2つの記事を発表した。

◎冤罪・名古屋の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が年度内に決着へ(2018年2月21日)

◎名古屋の元小学校教師、喜邑拓也さん「強制わいせつ」事件で冤罪判決(2018年4月6日)

この2つの記事に出てくる喜邑拓也さんは、担任していたクラスの小1女児に対し、わいせつ行為をはたらいたとして処罰された元教員だ。裁判での検察側の主張によると、喜村さんは掃除の時間中に「被害児童」に対し、「おっぱい」と言いながら服の中に手を入れ、胸を触った──とのことだった。

しかし、この事件はあまりにも明白な冤罪だった。何しろ、「事件」があったとされる時、教室には20人程度の生徒がいながら、喜邑さんのそのような「犯行」を目撃した生徒は皆無なのだ。そもそも、それほど大勢の生徒がいる場所で、教師がそのような犯行に及ぶということ自体、現実味に欠ける話だというほかない。

実際問題、喜邑さんの犯行を裏づける唯一の直接的証拠である「被害女児」の供述は内容に大きな変遷があり、ただでさえ信頼性に疑問符がついた。心理学者によると、「確証バイアスを持った母親が女児から被害状況を聞き取る中、女児が虚偽の記憶を植え付けられた可能性がある」とのことで、心理学的にも女児は「存在しない被害」を訴えている可能性が指摘されていたわけだ。

一方、冤罪を主張する喜邑さんは裁判で「事件」の真相について、「掃除の時間に教師の事務机で漢字ノートの採点をしていたら、女児がチリトリにゴミをたくさん取って見せてきた。頭を撫でてやろうとしたら、手が女児の首からアゴのあたりに触れてしまっただけです」と主張していたが、きわめて自然な話であり、どちらの主張に信ぴょう性があるかは明らかだったが…。

名古屋地裁の裁判官は、「女児の供述内容は具体的で、実際に体験した者でしか語れない内容」(判決より)であるとして、喜邑さんに懲役2年・執行猶予3年の判決を宣告した。そして喜邑さんは控訴、上告も退けられて有罪が確定。当然、教員はできなくなり、現在は別の職業についている。喜邑さんは事件前、教育熱心な音楽の先生として生徒にも父兄にも慕われていたが、再び教師として働くのは極めて難しいだろう。

◆生徒に対する教員の「わいせつ冤罪」は無実を訴えること自体が難しい

教員が懲戒免職などになった理由を官報で検索できようになるのは、改正省令が施行される4月1日以降の処分についてだけである。それ以前にわいせつ行為で処分を受けた教員に遡って適用されるわけではない。そのため、喜村さんは今回の省令改正により不利益を受けるわけではない。

しかし、筆者のこれまでの取材経験上、同様の冤罪被害に遭っている教員は決して少なくない。しかも、この類型の冤罪は、冤罪被害者が公の場で無実を訴えること自体が極めて難しい。無実を訴えるためには、教え子である未成年の女性の主張が間違っていることを伝えないといけないためである。

今回の省令改正は、わいせつ教師の撲滅のために有効なのは確かだろう。だが一方で、喜邑さんのような冤罪被害に遭った教員が「わいせつ教師」のレッテルを貼られ、今まで以上に長く苦しまないといけなくなるわけで、「セカンド冤罪被害」が深刻化することも確実だ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

NHK大河ドラマ「青天を衝け」のイントロに、北大路欣也ふんする徳川家康が登場して、お茶の間の好評を博している。

第5回「栄一、揺れる」(3月14日放送)では、「今日も出てきましたよ」とあいさつし、興味ぶかいことを語った。

北大路家康は「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」と語り、図版アニメの「士農工商」図は、士とその他に変形した。江戸時代に武士階級とその他しかなかった身分制度を表現したものだ。

この意外な史話解説は、ネットでも話題になったという。以下はネットニュースからだ。

SNSでは「えっ……教科書に士農工商ってもうないの!? びっくりだわ」「士農工商ってもう教科書に載ってないって徳川家康が言ってたけど、本当?」「士農工商てもう教科書に載ってないの? 北大路家康が言ってたぞ」といった驚きの声が上がったほか、「現代の教科書を知ってる徳川家康」「最新の教科書もチェックしている家康」「家康公、最近の教科書事情にもお詳しいw」などと感心していた。(ヤフーニュース 3/14 20:45配信)。

本通信でも、鹿砦社「紙の爆弾」の記事における「士農工商ルポライター稼業」(昼間たかし)をめぐって、解放同盟から「差別を助長する表現」との指摘をうけて、部落の歴史で江戸時代の身分差別について触れてきた。「紙の爆弾」2021年1月号にも「求められているのは『謝罪』ではなく『意識の変革』だ」を発表した。

◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈前編〉(2020年11月12日)
◎部落差別とは何なのか 部落の起源および近代における差別構造〈後編〉(2020年11月17日)

そのなかで、士農工商に触れた部分をまとめておこう。

江戸時代の文書・史料には、一般的な表記として「士農工商」はあるものの、それらはおおむね職分(職業)を巡るもので、幕府および領主の行政文書にはない。したがって、行政上の身分制度としての「士農工商」は、なかったと結論付けられる。

むしろ「四民平等」という「解放令」を発した明治政府において、「士農工商」が身分制度であったかのように布告された。すなわち江戸時代の身分制が、歴史として創出されたのである。

またいっぽうでは「解放令反対一揆」を扇動し、動員された一般民において、「士農工商」とその「身分外」の部落民に対する排撃が行なわれ、そこに近世いらいの部落差別が再生産されたのである。

上記の記事にたいして、江戸時代になかった士農工商が明治時代に「確立された」のは「納得できない」などの批判もあったが、その批判者から根拠となる史料が示されることはなかった。

教科書から「士農工商」という表現・文言が消えたのは、北大路家康が言うとおり事実である。東京書籍の「新しい社会」(小学校用)の解説(同社HP)から、長くなるが引用しておこう。

Q 以前の教科書ではよく使われていた「士農工商」や「四民平等」といった記述がなくなったことについて,理由を教えてください。

A かつては,教科書に限らず,一般書籍も含めて,近世特有の身分制社会とその支配・上下関係を表す用語として「士農工商」,「士と農工商」という表現が定説のように使われてきました。しかし,部落史研究を含む近世史研究の発展・深化につれて,このような実態と考えに対し,修正が加えられるようになりました(『解放教育』1995年10月号・寺木伸明「部落史研究から部落史学習へ」明治図書,上杉聰著『部落史がかわる』三一書房など)。
 修正が迫られた点は2点あります。
 1点目は,身分制度を表す語句として「士農工商」という語句そのものが適当でないということです。史料的にも従来の研究成果からも,近世諸身分を単純に「士農工商」とする表し方・とらえ方はないですし,してきてはいなかったという指摘がされています。基本的には「武士-百姓・町人等,えた・ひにん等」が存在し,ほかにも,天皇・公家・神主・僧侶などが存在したということです。この見解は,先述した「農民」という表し方にも関係してきます。
 2点目は,この表現で示している「士-農-工-商-えた・ひにん」という身分としての上下関係のとらえ方が適切でないということです。武士は支配層として上位になりますが,他の身分については,上下,支配・被支配の関係はないと指摘されています。特に,「農」が国の本であるとして,「工商」より上位にあったと説明されたこともあったようですが,身分上はそのような関係はなく,対等であったということです。また,近世被差別部落やそこに暮らす人々は「武士-百姓・町人等」の社会から排除された「外」の民とされた人として存在させられ,先述した身分の下位・被支配の関係にあったわけではなく武士の支配下にあったということです。
 これらの見解をもとに弊社の教科書では平成12年度から「士農工商」という記述をしておりません。
 さて,「士農工商」という用語が使われなくなったことに関連して,新たに問題になるのが「四民平等」の「四民」をどう指導するかという点です。
 「四民平等」の「四民」という言葉は,もともと中国の古典に使われているものです。『管子』(B.C.650頃)には「士農工商の四民は石民なり」とあります。「石民」とは「国の柱石となる大切な民」という意味です。ここで「士農工商」は,「国を支える職業」といった意味で使われています。そこから転じて「すべての職業」「民衆一般」という意味をもちました。日本でも,古くから基本的にはこの意味で使われており,江戸時代の儒学者も職業人一般,人間一般をさす語として用いています。ただし,江戸時代になると,「士」「農」「工」「商」の順番にランク付けするような使われ方も出てきます。この用法から,江戸時代の身分制度を「士農工商」という用語でおさえるとらえ方が生じたものと思われます。
 しかし,教科書では江戸時代の身分制度を表す言葉としては,「士農工商」あるいは「士と農工商」という言葉を使わないようにしています。以前は「四民」本来の意味に立ち返り,「天下万民」「すべての人々」ととらえていただくよう説明してきました。しかし,やはりわかりにくい,説明しにくいなどとのご指摘はいただいており,平成17年度の教科書から「四民平等」の用語は使用しないことにしました。
 「四民平等」の語は,明治政府の一連の身分政策を総称するものですが,公式の名称ではないので,この用語の理解自体が重要な学習内容とは必ずしもいえません。むしろ,以前の教科書にあった「江戸時代の身分制度も改めて四民平等とし」との記述に比べ,現在の教科書の「江戸時代の身分制度は改められ,すべての国民は平等であるとされ」との記述の方が,近代国家の「国民」創出という改革の意図をよりわかりやすく示せたとも考えております。  
(「四民」の語義については,上杉聰著『部落史がかわる』三一書房p.15-24を参考にしました。)

もともと「士農工商」(律令とともに中国から伝来した概念)は、古代における士が貴族階級であり、その他に農工商の職業があるという社会像を表したものだった。士や農が上位にあり、商人が卑しいとするものでもない。

だが、儒教的かつ農本主義的な幕末の国学思想において、受容しやすいものだった。あるいは天皇を頂点とする身分制社会を再生産した明治政府において、武士が上位にあり農民がその次に尊重される社会像、工業よりも商業を下位に置く世界観が、そのまま江戸時代いらいのものとして、部分的に継承されたのである。

富国強兵殖産興業という明治政府のスローガンとは、もって異なる身分制(天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民)はしかし、一般国民に受け容れられた。差別は政策ではなく、人間の意識のなかに宿るものなのだと、歴史的に論証できる。部落差別は近代的な市民社会観が定着することにより、江戸時代よりも過酷なものとして表象されてくる。そこに水平社運動の発生する理由があったといえよう。

歴史学が社会に果たせる役割があるとすれば、興味本位の歴史のおもしろさを紹介するだけでなく、部落史研究のような社会の根源を規定する「差別」や「排外主義」の歴史的な根拠。あるいは、為政者によって意識的につくられる階級や階層、かつてはブルジョア階級、今日では「上級国民」の成立理由を明らかにしていくことであろう。評判の北大路家康は、その成果なのである。そして渋沢栄一という日本資本主義の父と呼ばれる人間像が、どのようにイデオロギーとして表象されるのか、興味をもって見守りたいものだ。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)

編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

前の記事を読む »