8月2日に新世紀ユニオンと関西学院大学側で行われた、団体交渉の合意事項を受けて、関西学院大学から新世紀ユニオンに9月22日付けで回答があった。ユニオン側から提出を要請した就業規則などの6種の規定の文面と、調査委員会には大阪弁護士会所属の弁護士が就任する旨が伝えられた。調査委員の選任はまだ完了していないが、新世紀ユニオンの角野委員長は、団交の際に調査委員会に第三者を入れることを要請したのに対して、第三者のみで構成される調査委員会の発足が回答されたことに対して、前向きに評価している。

関西学院大学が調査委員会に中立であることが期待できる、弁護士を登用し、第三者委員会を立ち上げることは、公平な調査が行われることへの期待抱かせる。大学側も真剣にA先生暴行事件の調査に、遅ればせながら取り組む姿勢を明らかにしたものといえよう。ユニオン側は回答を得て、質問と要望を大学に送付した(その内容は現時点では明らかにできない)。

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み。金教授の問題はA先生への暴行事件だけではない!

ユニオン側並びにA先生は、いたずらに争議を騒ぎ立てるつもりは全くなく、A先生が金明秀教授から受けた被害の回復、と適切な処分を求めているに過ぎない。関西学院大学も団交の中で、その要求の正当性を理解したと思われるので、今後調査員会が誠実な調査を実施し、適切な判断が下されることを取材班は見守りたい。金明秀教授の問題は、A先生への暴行事件だけではないので、関西学院大学が妥当な判断を下すことを期待する。

ところで、A先生の件とは別に、取材班ならびに、鹿砦社は“10・19M君の対5人裁判控訴審判決”を控え、ここに重大な最終的かつ新たな法廷内外での激烈な闘争に決起したことを読者の皆さんにお伝えする。「M君リンチ事件」を端緒に、この3年近く、取材班並びに鹿砦社は「対しばき隊」言論戦に、否が応でも直面せざるを得なかった。いうまでもなくM君の被害回復と加害者(事件への直接の加害者にとどまらず、M君を事件後セカンドレイプ的に攻撃した勢力)への、一定の責任追及を5冊の出版物を編纂する中で、その判断を世に問うてきた。初期にはほとんど著名人からの反応はなかったが、のりこえネット共同代表の前田朗東京造形大学教授が『救援』紙上で、旗幟を鮮明にされて以降、元読売新聞記者の山口正紀さんほか、名前は出せないが(つまり著名で、しばき隊のそばにいる人物たち)知識人・ジャーナリストからの支持が広がっていった。

私たちの戦線は、M君の対5人裁判を軸に、対野間易通裁判、鹿砦社が原告となった対李信恵裁判へと展開し、李信恵も鹿砦社を訴えてきた。ここに至り、取材班ならびに鹿砦社は、読者諸氏の想像が及ばないであろう、戦術を闘争の武器として採用することを決断した。このかん鹿砦社を舐め切った態度で、罵詈雑言を浴びせていた諸君や、鹿砦社に後ろ足で砂をかけた記憶のある諸君は覚悟して、“その時”を待つがよい。これまで取材班は数度にわたり「闘争宣言」を発してきたが、そのたびになんらかの驚愕的事実の暴露や、衝撃を誘う行動に実際に踏み出したことを想起されたい。

われわれは揺るぎない決意で、ルビコン川を超えた!

取材班はいつまでも「しばき隊」のお守りをするつもりはない。彼らの本質が既に相当程度明らかになった(=取材班は成果を確認できた)ので、M君の対5人裁判判決後、今後の方針を検討したのち、しかるべき時期に取材班は、発展的転身を遂げるであろう。しかし、その前に社会的正義に照らして、容認することのできない人物や行為には、きっちりケジメをつけておく。たとえ相手がどのような職業・肩書の人物であろうとも!!

そして再度認確する。取材班と鹿砦社はあらゆる差別に原則的に反対であることを。

(鹿砦社特別取材班)

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【金明秀教授暴力事件続報!】関西学院大学に質問状送付! (2018年7月4日)

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まさに体育会系me tooとでもいうべき、スポーツ界の暴力・パワハラ告発の連鎖が始まっている。女子レスリング、日大アメフト部、女子体操、ウェイトリフティング、日体大駅伝部など、枚挙にいとまがない。コーチ陣みずからの利益を優先した権力構造的なものであったり、現場の暴力であったりするが、根はひとつであろう。すなわちコミュニケーション能力の欠如である。そしてこれは、親和的な社会といわれる日本において、いまだに再生される「いじめ」と同根なのである。

◆パワハラと「いじめ」は負のコミュニケーションである

「いじめ」はその対象への攻撃を共有することで、共同体の成員であることが確認される、排他的な因習である。負のコミュニケーションと言い換えてもいいだろう。そこには、些細な失敗をあげつらうことで、失敗の原因を共同体の成員全体に知らしめる、共同体の指導者の思惑が最初にある。会社組織であろうと地域社会であろうと、共同体が生産力を紐帯にしている以上、「いじめ」という違反者を排撃する「規則」からは逃れがたい。学校における「いじめ」も、一定の協同体規範(水準以下の者・底辺の者を排撃する)を源泉にしているのだ。

たとえば体育祭やスポーツ大会を「正のコミュニケーション」、つまり全体が一丸となる必要にせまられた団結だとしたら、「いじめ」は成員の団結を確認する「負のコミュニぇーション」の契機となるわけだ。反ヘイト運動内部のリンチ事件や内ゲバと呼ばれるものも、大半はこの構造の中にある。そして暴力の問題がそこに陥穽として存在する。「パワハラ」や「いじめ」の暴力と対峙することこそ、克服の第一の関門であろう。

◆暴力の再生産とその克服の道

いっぽう、個人競技でのパワハラと暴力は、個的な関係性の産物でありながら、やはりコミュニケーション能力の問題である。そして指導における暴力は軍隊式の教育方法であり、戦前の軍隊の体罰から来ている。戦争体験世代の父親を持つ男子の多くが、その成長過程において父親からの暴力をトラウマにしているとされる。

 

小倉全由『お前ならできる―甲子園を制した名将による「やる気」を引き出す人間育成術』 (日本文芸社2012年2月)

わたしもその一人である。「言ってわからなければ、身体で言うことをきかせろ」というのが、体罰の発動の契機となる。多くの男子が「父親を殺したいと思ったことがある」という。これは精神的な父親殺し(自立)をうながすという意味で、肯定的に評価されることが多い。さらに軍隊世代の教育(体罰)を受けた世代は、そのままコミュニケーションツールとして、暴力を用いる傾向が強いのだ。世代をこえた、暴力の再生産である。

思い出してみよう。野球部における「ケツバット」ウェイトリフティング部における試合前の「気合い入れ」の「ビンタ」。バレーボール部でもバスケットボール部でも気合入れの「ゲンコツ」はあった。暴力はたしかに「気合い」が入るコミュニケーションツールなのだ。

したがって、暴力を問題視する選手は少ない。そして選手の任免権と指揮権をにぎり、圧倒的な権力を持つ監督やコーチに、現場で反論できる選手はいないだろう。そこで告発という手段が採られるわけだが、その態度はスポーツマンとしては「姑息」に映る。かくして、暴力は再生産され温存される構造があるのだ。

◆理想の指導者像とは

問題なのは、理想的な指導者像の不在ではないだろうか。甲子園大会が100回をむかえた高校野球を例に取ろう。日大三高の小倉全由(まさよし)監督は夏の大会を2度制覇、春の大会2度の準優勝(取手一高時代をふくむ)の実績を持つ。

 

岩出雅之『常勝集団のプリンシプル 自ら学び成長する人材が育つ「岩出式」心のマネジメント』(日経BP社2018年3月)

単身赴任で野球部寮に住み、選手とのコミュニケーションを第一に指導してきた名将である。知り合いのスポーツライターによれば、誰にも温和で取材を歓迎するタイプ、そして褒めて育てる指導方法だという。

それでも、小倉監督は映画「仁義なき戦い」の啖呵が好きで「わりゃ、何しとるんじゃい!」「そんなんじゃ、甲子園は行けんけんのぅ」などという叱咤を好むという。みずから「瞬間湯沸かし器」であるともいう。戦績ばかりで評価される高校野球の監督だが、やたらと選手を壊さない、上で活躍するためには高校時代は基本練習の反復と体力の育成に努めるなど、指導方法の内実が評価されるべきである。

大学ラグビーの理想的な指導者では、帝京大学の岩出雅之監督である。9連覇の偉業もさることながら、選手に徹底して相手チームをリスペクトさせる指導思想がすばらしい。チームが大所帯になればなるほど、一本目(レギュラーチーム)ではない部員はくさる。部員が一丸になれるチームの思想風土、メンバーシップの確立は並大抵ではないはずだ。個人の指導者においても、小倉監督や岩出監督のような人が出てきて欲しい。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主な著書に『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『真田一族のナゾ!』『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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8月2日13時から15時まで、大阪梅田の梅田アブローズタワー会議室で、関西学院大学と、金明秀教授による暴行被害者A先生が加盟する新世紀ユニオンとの団体交渉が行われた。関西学院大学からは柳屋孝安副学長(法学部教授・労働法専門)をはじめ、人事部部長や社会学部事務長ら6名が出席した。組合側からはA先生とご伴侶はじめ7名が参加した。

双方が自己紹介を終え、団交に入るとまず角野新世紀ユニオン委員長が関学に対して、就業規則の開示、パワハラ等の相談窓口の規則・内規等の開示を求め、大学側は開示を約束した。同時に両者間で和解が成立しているからといって、大学には「使用者責任」(民法715条)「安全配慮義務」(労働契約法第5条)があり、それが果たされているかを検証する質疑がなされた。

関学側の回答者は主として柳屋副学長であったが、社会学部事務長によると、A先生が金明秀教授により暴行を受けたと知ったのが2013年5月20日。同月の後半に当時の学部長から金明秀教授に「口頭注意」があったことが明かされた。ただし社会学部事務長はその詳細についての資料を持参しておらず、「口頭注意」がいつ、どのような内容で行われたかが不明であったので、組合側はその記録を後日開示するよう求め、柳屋副学長は「検討する」と回答した。ただし「口頭注意」は同学の規定上「処分ではない」ことを柳屋副学長は明言した。

大学側はこの事件にかんして、「いろいろやっている」と語ったが、その内容はA先生の研究室を別の建物に移動した(A先生の希望ではない)、大学に届いたA先生宛の荷物を研究室に運ぶ、試験監督の日が金明秀教授と重ならないように配慮しているなどであった。たしかに「A先生に対して全く何もしていない」わけではないことはわかったが、本来研究室を移動すべきは、加害者である金明秀教授ではないのか。さらに、A先生は金明秀教授が教授会に出席しているために、教授会に出席することができていない。大学教員にとって教授会に出席できないことは大きなマイナスであるが、この現実への対応や配慮は大学側から、全くなされていない。

そして驚いたのは、2013年5月後半に当時の学部長が金明秀教授を「口頭注意」したのち、大学は調査委員会を設けることはおろか、金明秀教授になんらの処罰も行っていないことが明らかになったことである。柳屋副学長は「当時双方が代理人を立てて、和解の可能性もあったので大学が口を挟むことは控えた」と語ったが、これは全く失当な発言である。結果として同年8月に和解が成立したものの、当初金明秀教授の代理人は、金明秀教授の非を全く認めておらず、仕方なくA先生は警察に告訴をし、受理されているのだ。刑事告訴を金明秀教授側に伝えたところ、急に態度が一変し和解へと向けた交渉へと方向性が変わっているのが事実だ。だいたい「代理人を立てた」ら「大学は口を挟まない」理由の合理性はどこにも見当たらず、まさに「使用者責任」(民法715条)、「安全配慮義務」(労働契約法第5条)違反は明らかだ。

そして柳屋副学長は「A先生が13発殴られ、声帯が破損していたのが事実であれば酷いと思う」と言いながらも、A先生が持参した金明秀教授代理人から暴行を認める内容の文書を柳屋副学長に示し、読み上げるも「どこにも13回殴ったと書かれていませんね」と回数に拘泥し、A先生はこの発言を受け、精神状態に悪化をきたしはじめた。殴った回数が問題なのか?

その後驚くべきことに柳屋副学長はA先生を「金先生」と(!)被害者を加害者の名前で呼んだ。いくらなんでも被害者を目の前にした団交の席で被害者の名前を加害者で呼ぶのは、過ちであったにしろ取り返しのつかない重大な無礼だ。この行為が仮に金明秀教授に対して行われていれば、彼は「劣悪なレイシャルハラスメントだ!」と激怒したことであろう。

◆「次なる暴行事件」が起きるまで「待つ」というか?

さらに金明秀教授からはもう1件暴行を行ったことを聞いていると柳屋副学長は発言したが、その暴行は木下ちがや氏に向けてのものであることが、2週間前の聞き取りで判明したことを認めた。2週間前には組合が既に団交を申し入れており、団交の申し入れがなければ関学は木下ちがや氏に対する金明秀教授の暴行事実も知り得なかったと考えるのが妥当だろう。そして木下ちがや氏への暴行も「口頭注意」で済まされている。

そして柳屋副学長はA先生への暴力事件で「口頭注意」をし、木下ちがや氏の件で「口頭注意」をしたので「次は懲戒処分になると思う」と発言した。ということはもう1件の「暴力事件」がなければ金明秀教授には、何のお咎めもなしということか。2件の暴行事件を確認している関西学院大学は「次なる暴行事件」まで「待つ」というのだろうか。

しかし、ここに柳屋副学長が見落としている重大な事実がある。金明秀教授についての「口頭注意」は、われわれが知りうる限りでも、これで3度目である。2016年8月23日、取材班が金明秀教授に電話取材を行った際、M君に関する下記の書き込みを行ったことについて「口頭注意」を受けたことを金明秀教授は自ら認めている(『反差別と暴力の正体』77頁)

金明秀(キム・ミョンス)関西学院大学社会学部教授が2016年5月19日、ツイッター上でM君に向けて行った書き込み

また、A先生が大学に訴えている別件のハラスメントの申立てについて、驚くべき事実が明かされた。関西学院大学では「療養規定」(体調不良などで仕事を休む制度。正規の給与と賞与が支払われる)の教員が、別の大学で非常勤講師を勤めることを「例外的」に認める場合があるというのだ。病気や体調不良で本来の仕事ができなくて、休んでいる教員がよその大学で仕事をすることが認められる場合があると柳屋副学長は断言した。

このような行為は社会通念上許されるであろうか。これまでこのような行為を是認する大学や企業を、取材班は耳にしたことがない。さらに金明秀教授には「サバティカル」不正問題も明らかになっている(団交ではこれを論じる時間はなかった)。

◆関西学院という大学は、暴力と不正にまみれたブラック大学なのか!?

この日の団交では、結果的に金明秀教授の暴行事件を調査する委員会の設置が、新学期が始まる9月22日までになされることが関学側によって確認された。調査委員会の中には大学とは関係のない「第三者」を入れることを組合は要求し、柳屋副学長はこれを了承した。一定の成果があったとはいえる団交ではあったが、これまでの関西学院大学の対応のまずさと、関西学院大学に宿る「非常識」の一面が浮き彫りになる団交であった。

対日大とのアメフト問題では、暴力を非難し爽やかなイメージを醸し出した関学が、これまで金明秀教授による暴力と不正を放置していたことは、常識的に考えて大問題だろう。ことは、単なる同僚教授間の対立や口論などではない。この間に<暴力>が介在していたことが問題なのは言うまでもない。関学側はこのことを基本的に押さえておくべきだ。

これから、大学にとって大きな行事である入試が近づく。関学の対応次第では、爽やなイメージが急落し受験者も急減するかもしれない。問題をしかと見据え、真摯な対応をしなければ、〝第二の日大〟と化すこともリアリティとしてありえることを関学側は肝に命じなければならない。

本件は今後も漸次報告していく――。

(鹿砦社特別取材班)

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われわれは、6月29日付けの本通信で、「関西カウンター」の理論的支柱・金明秀関西学院大学社会学部教授の隠された暴力事件について確たる証拠資料を摘示し報じ各方面に大きな反響を及ぼした。

次いで7月4日付けの本通信で〈【金明秀暴力事件続報】関西学院大学へ質問書送付!〉を掲載した。同日の通信の中で、

〈そこで取材班は鹿砦社代表松岡利康名で7月3日、関西学院大学村田治学長に対して「ご質問」を郵送し7月17日までに回答を頂けるようにお願いをした。

この「ご質問」は「公開質問状」ではないので、本日ここでその内容を明らかにすることはできない。鹿砦社は関西学院大学に対してなんらの悪感情を持ってはいないし、逆に同大学の建学の理念や歴史には正直なところ深い敬意を抱いている。よって、しばき隊幹部や事件隠蔽関係者に送付したような「質問書」とは、かなりトーンも異なるものである。

日大との対比で、優れた人権感覚と教育的視点、学生に対する眼差しを体現し、世間からも高い評価を受けた関西学院大学のことであるから、必ずやわれわれの「ご質問」に対して誠実なご回答を頂けるものと、取材班は信じている。ご回答を頂けた暁には内容に差しさわりのない範囲で読者諸氏にもその内容をご紹介することとしたいので、是非7月18日以降の本通信にご注目頂きたい。〉

と読者諸氏にはご案内した。つまり昨日17日が回答期限であった。関西学院大学から、17日午前、以下の通り回答を頂けた。回答は頂けたものの、一部を除いて、私たちの質問への明確な返答はない。最低限のマナーは守っていただけたかもしれないが、この回答では、問題の本質を解き明かす筋道にはならない。

7月17日、関西学院大学広報室から鹿砦社に届いた〈「ご質問」に対するご回答〉

ちなみに取材班が、関西学院大学へ送付した質問書は以下の通りである。

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

関西学院大学村田治学長への「ご質問」(鹿砦社代表松岡利康名で7月3日郵送)

相当な敬意を払いながら関西学院大学にはお尋ねをしたのだが、頂いた回答は、問題の本質部分に触れていない。現在も教壇に立ち続けている金明秀教授は、確実なだけでも2件の暴力事件を引き起こした人物である。極めて重大な問題ではないか。

理由の如何を問わず、他人に暴力行為を振るう(それが子供時代であれば「むかしの話」で済ませられるが、大学教員就任以降である)人物が大学の教員であることは、場合によっては、「学生が暴力の被害者になる」ことの可能性を示すだろう。その危険性に関西学院大学は、気が付かないのか、あるいは黙認するのか。

すでにネット上では明らかになっているので、この際被害者の方のプロフィールも部分的に触れておいた方がよいだろう。実は被害者は金明秀教授と同じ、関西学院大学社会学部の教員の方である! つまり今回の「金明秀教授暴力事件」は学内問題でもあるのだ。しかも被害者は、いわゆる「日本のマジョリティ」ではない。日本社会でマイノリティとされる(例えば在日コリアンなど)方である。したがって、金明秀教授が「レイシャルハラスメントに腹を立てて殴らざるを得なかった」という理由は成立しない。

取材班には事件直後からの膨大な資料が各方面から届けられている。事件直後に金明秀教授が被害者の先生に送った、仰天する内容のメールもある(金明秀教授、関西学院大学の態度を観察し、必要に応じて公開してゆく)。

そして、取材班とは全く別に「新世紀ユニオン」委員長が7月13日付けの自身のブログで「暴力事件に関する関西学院大の不可思議な対応!」と題し、以下のように報告をしている。

〈新世紀ユニオンでは7月9日付けで関西学院大に内容証明郵便で団体交渉を申し入れました。その内容は以下の通りです。

貴大学教員であり、当ユニオンの組合員であるA教授に対する金明秀教授の暴力事件とその後の蒸し返し等に関する貴大学の対応に付いて以下の通り団体交渉を申入れます。

団体交渉申入書
1、日時 7月30日(月)午後1時~3時
2、場所 貴大学会議室もしくは貴大学が用意する会場、もしくは当ユニオン事務所のいずれか。
3、議題 金明秀教授の暴力事件に関する貴大学の管理責任、その他。
4、参加者 貴大学の責任権限ある者並びに事件の詳細を知る人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長の出席希望。

当ユニオン出席者は団交応諾確認後募集します。約5名前後を予定。
以上に付いて、回答を当書面送達後一週間以内に書面にてお願いします。

このように、事件の詳細を知る人物の名も2名記してあるのに、関西学院大側の回答書は(1)議題の「その他」とは何か(2)管理責任という内容に付いて貴組合の要求事項を示せ(3)「蒸し返し」とは具体的に何を指すのか?と聞いてきました。言わば「とぼけ戦術」です。

関西学院大の回答はその上で30日は「調整が困難」だから「いくつか候補日をあげて頂きたい」というもので、しかも書面に印かんもない書面でした。

普通団交で提示した期日がダメな場合、変更する日時を相手側が提示するものですが、こちらに候補日を提示させるというのは大変失礼な対応です。

金明秀教授は暴力教授で有名な男で、被害者のA教授は13回も顔や喉を殴られ声帯を潰されるなど大けがをしました。警察に被害届を出しましたが警察が和解するよう促したので双方の弁護士の間で和解が成立していました。金明秀教授の代理人弁護士はこの暴力を明確に謝罪しています。ところが金明秀教授は和解条項に違反するように、学内でA教授への暴力を否定する言動を振りまき、A教授に精神的苦痛を与え続けています。これらの事は人事部小橋人事課長・社会学部弓山事務長に報告しています。しかし彼らは何もしませんでした。

重大な事は、金明秀教授が他にも暴力行為を行っていることです。関西学院大側がこうした金明秀教授の暴力事件とその否定を見て見ぬ振りをし、とぼけて団体交渉を逃れようと画策していることです。なぜ関西学院大が金明秀教授を庇い、暴力に対し管理者としてキチンと処分しないのかは不明です。

労働契約法第5条は労働者への安全配慮義務を定めています。金明秀教授に暴力を振るわれ、一度は解決金を加害者が払うことで和解したのに、金明秀教授が暴力を否定する発言をしている事を大学側が容認していること、このような管理責任の無い、文字通り無責任が。金明秀教授の暴力を繰り返させる原因ではないかと思われます。管理責任とは安全配慮義務であり、暴力事件を引き起こしている教授に対する大学の管理責任が問われています。暴力事件の被害者が複数に達している事を関西学院大は知っているのに知らない振りをしています。

関西学院大学は、日大のフットボール部のルール違反に対し、厳しく追求の立場をとっていますが、自大学の暴力教授には極めて不明瞭な「見て見ぬ振り」をしています。これを追求しょうとする新世紀ユニオンの団体交渉申し入れにも、誠実に対応していません。遺憾という他ありません。

我々は暴力事件の隠蔽を絶対に許さない。
今後この事案については、本ブログで適時に事件の詳細を明らかにする予定である。〉

http://shinseikiunion.blog104.fc2.com/

引き合いに出される「日大アメフト部」事件で、関西学院大学(正確には関西学院大学アメリカンフットボール部)は、その対応をマスコミから極めて好意的に取り上げられた。日大の最悪の対応とは対照的に、関西学院大学アメリカンフットボール部の判断や、発信はたしかに優れて、「学生重視」の視点が伺えた。正反対に「金明秀教授暴力事件」では、日大と同程度に稚拙な対応しかできていない。鹿砦社への不充分な回答にだけではなく、組合から要求があった「団交」に対する態度は不誠実極まりない。

われわれは引き続きこの問題に注視し取材を進め、続報をお届けしてゆく。

(鹿砦社特別取材班)

 

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〈風にたなびくあの旗に 古よりはためく旗に
意味もなく懐かしくなり こみ上げるこの気持ちはなに

胸に手をあて見上げれば 高鳴る血潮、誇り高く
この身体に流れゆくは 気高きこの御国の御霊

さぁいざゆかん 日出づる国の 御名の下に

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

胸に優しき母の声 背中に強き父の教え
受け継がれし歴史を手に 恐れるものがあるだろうか

ひと時とて忘れやしない 帰るべきあなたのことを
たとえこの身が滅ぶとて 幾々千代に さぁ咲き誇れ

さぁいざゆかん 守るべきものが 今はある

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど
僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない

どれだけ強き風吹けど 遥か高き波がくれど

僕らの燃ゆる御霊は 挫けなどしない

僕らの沸る決意は 揺らぎなどしない〉

 

RADWIMPS『カタルシスト』

別段驚きもしない。むしろ「やっぱりそうだったか」という程度。くしゃみが出る前、鼻のなかで痒いような、くすぐったいような不快さに似たような感覚とでも言おうか。

読者諸氏はご存じであろうけども、上に紹介した私からすれば「頭が修正不能にどうかした」人間の錯乱。“時代錯誤”な言葉の羅列ではあるが、同時に“時代の先端感覚”であることもまた確かである心情の吐露は、RADWIMPSが、「HINOMARU」とズバリの名を冠して作詞、作曲したものだ。正確には同グループの野田洋次郎の手になる楽曲である。

私はもうかなり前だが、若い友人がRADWIMPSのファンで、熱くその素晴らしさを語ってくれたうえで、何曲かを聞かせてもらったことがあった。「あ、また、この手の奴らか……」と内心はちょっと不快ではあったけれども、若い友人には悪いので「ふんふん」と聞いていた。ただ「野田君は帰国子女で慶応にもいってすごいんだよ」と持ち上げるので「『帰国子女』と今は言わないよ。『帰国学生』ね。それから『帰国学生』みんなが優れているというのは、誤解だよ」とだけ話した記憶がある。

若者から広い支持を受けているRADWIMPS。彼らの楽曲数曲を聞いただけ、どうして直感的に私は気持ち悪かったのであろうか。あえて同類の経験を挙げれば、その昔X-JAPANというバンドに同じような気持ち悪さを感じたことがあったことを思い出す。

かといって私はRADWIMPSもX-JAPANも楽曲をろくに聞いたことがない。というより聞きたくない。優れた音楽性を持っているのであろうが、彼ら(RADWIMPSとX-JAPANは音楽に詳しい人には全然異なるグループであるのだろうけども)の楽曲からは、「ベールに隠された国家のようなもの」を直感してしまうのだ。そしてそれはRADWIMPSを熱心に聞く若者たちへの私の不安にも共通しているように思う。

映画「君の名は」が少し前に大ヒットした。観に行こうかな、と思った。知人にストーリーを聞き「音楽がハイテンポのRADWIMPSで良かった」と聞いて観る気がなくなった。実はそれくらいに私はRADWIMPSを無意識に嫌悪していた。X-JAPANも同様だった。当時仲の良かった私より年上の韓国からの留学生が「X-JAPANは凄いわ。いっぺん聴いてみ」と言ってくれたので、貸してもらったCDを車の中で聴こうとしたが、10分持たなかった(その後X-JAPANのYOSHIKIが「平成天皇在位10年の祝賀行事」に招かれる)。何かが気持ち悪いのだ。

そんな中6月26日、RADWIMPSのコンサートが神戸で行われるので「HINOMARU」を気に入らない人たちが抗議行動を行おうとしたら、1名が不当逮捕されたとのニュースに接した。

私は相矛盾するようであるが、「あんな連中」(RADWIMPS及びそのファン)に抗議をしてもまったく無駄だと考える。何故ならば、野田は「HINOMARU」にかんして「……日本に生まれた人間として、いつかちゃんと歌にしたいと思っていました。世界の中で、日本は自分達の国のことを声を大にして歌ったりすることが少ない国に感じます」と述べ、「まっすぐに皆さんに届きますように」と書き込んでいた「確信犯」だからだ。

野田は私の敵であり、そのファンも敵だ。さらに言えばそれが広く受け入れられる時代そのものが、私や私と同様に考える人たちを「殺しに」かかっていると体感する。「HINOMARU」の歌詞が明らかになった時、私はかつて私にRADWIMPSを教えてくれた若い友人に「私はあなたたちからこのように『殺されかけています』」とメールを送った。返信はない。

「表現の自由」だの、「国を愛して何が悪い」、「批判するのが間違っている」とRADWIMPSには「正しい」擁護論が多いそうだ。結構。私はその「正しさ」自体が気持ち悪く、「正しさ」に完全包囲されてしまったと感じる。早い話がもう手遅れなのだ。RADWIMPSよ! 堂々と「HINOMARU」を歌いまくれ! 時あたかもサッカーワールドカップで日本代表が16強に勝ち残り、無残に敗退したけれども、渋谷にはパブリックビューに若者が詰めかけ、試合の何時間も前から「君が代」を歌って盛り上がっていた。「愛国心」が大いに燃え盛っている最中だ。

ワールドカップが終わっても、NHKで毎日「HINOMARU」を何回も流せ!だって「正しい」んだから。震災後にひとびとを騙した「花は咲く」のように。一刻も早く日本が改憲できるように! 自衛隊が「日本軍」になれるように! 再び朝鮮半島や中国、アジアに侵略できるように! そして侵略したアジア各国に、現地の人の気持ちを踏みつぶして再び「日の丸」をはためかせる日が来るように!

RADWIMPSもファンもそう望んでいるのだろう? ちがうのか?

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

月刊『紙の爆弾』8月号!

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

これほど大規模に報道されているので、今さら口を挟むのが憚られるが、やはり一言言っておかねばならない。関西学院大学と日本大学アメリカンフットボール部の定期戦(5月6日)に発生した、日本大学ディフェンスによる極めて危険なタックルについての問題である。


◎[参考動画]関学大日大戦アメフット反則シーンその1(日刊スポーツ2018/05/14公開)

◆「人殺し」タックルと内田正人監督

この問題につては、大手メディアもかなりの時間や紙面を割き、解説している。識者により多少の違いはあろうが「あのタックルは許されるものではない」との点で見解の一致をみているようだ。その結論に私も異論はない。そして当該危険プレーを行った選手が、個人の判断ではなく、監督、コーチ公認の戦術のもと、「人を殺してしまうかもしれない」タックルがおこなわれていたであろうことにもほぼ間違いないだろう。

日本大学アメリカフットボール部の内田正人監督はくだんの試合以降、姿を見せることなく、どこかに消えてしまった。この行為ひとつを見ても、大学スポーツ部の監督としては失格である。選手のミスではなく、監督が示した規格外のルール違反を説明する義務は内田正人監督にある。私はこの問題が発生して2日後に日大アメリカンフットボール部に、プレーの不正と事後対応の杜撰さを問う内容のメールを送ったが、5月16日現在何の返答もない。

日大フェニックス(アメリカンフットボール部の愛称)は、かつて、東の日大、西の関学といわれ、毎年のように大学日本一を決める甲子園ボールで対戦を続けてきた。篠原監督率いる日大は、伝統的にショットガン攻撃を持ち味に、相手チームの守備をかく乱した。関東での日大一強は揺るぎなかったが、関西では京大が1980年代から台頭し、立命館も続いた。近年関西リーグでは関学と立命館が例年優勝を争っているが、関東では法政、慶応などに大きな力の差がなく、甲子園ボールにも関東の同一チームが2年続けて出場することは珍しい。

◆「こんな時こそ」アドバイスを仰ぎたい危機管理学部学部

さて、問題は日大によるラフプレーだ。日大には長く強かった歴史があるものの、昨年の甲子園ボールで優勝するまでに実に27年のブランクがあった。そしてあえて指摘するが、日大の監督内田正人氏は日大で常任理事を務める人物でもある。その日大に「こんな時こそ」アドバイスを仰ぎたい学部がある。その名は「危機管理学部」である。

同学部の案内には、
〈学祖・山田顕義の理念を受け継ぐ危機管理学部
本学の前身である日本法律学校を創設した学祖・山田顕義は、1844(弘化元)年に現在の山口県萩市に生まれ、14歳で吉田松陰の松下村塾に入門。高杉晋作や伊藤博文をはじめ、維新史に名を残す門下生たちと深く交わり、大きな影響を受けました。後に岩倉使節団の一員となって欧米諸国の先進的な文化を視察した学祖は、軍備拡充よりも教育の普及や法律整備が急務であると確信し、日本を法治国家とするべく近代法の制度設計に邁進。1883(明治16)年から1891(明治24)にかけて司法卿・司法大臣として、明治法典(刑法、刑事・民事訴訟法、民法、商法、裁判所構成法など)の編纂を行い、我が国の“近代法の父”と呼ばれています。

当時、欧米諸国の法律を学ぶことが主流の法学教育に疑問を抱いた学祖は、日本の伝統・慣習・文化を踏まえた法律教育のための学校創立を構想していた宮崎道三郎ら若手法律学者を支援し、自らが所長を務めていた皇典講究所に校舎を借りて、1889(明治22)年に日本法律学校を創立。幕末の日本が外圧にいかに対処すべきかを考え、明治維新後は国際社会で通用する国家建設を進めた学祖は、日本の近代化の過程で直面した安全保障や危機管理のあり方を法学的な観点から模索したものといえるでしょう。危機管理学は新しい学問領域ですが、その意味で日本大学の起源とも関わる、非常に重要な研究分野だといえます。〉

と紹介されているが、吉田松陰、伊藤博文、高杉晋作らは、私の目から見れば民間政権であった江戸幕府に不満を抱き、神話の天皇制を持ち出し、「富国強兵」、「和魂洋才」との掛け声で、ロシアや中国に戦争を仕掛け、朝鮮半島を侵略したもの(あるいはそのイデオローグ)として記憶されている。

日本大学の「危機管理学部」はそういった連中の直系だ、と紹介文は述べている。なるほど現在の教授陣を見れば、

◎安部川元伸 教授
1976年から2013年まで、37年間にわたって公安調査庁に奉職し、その間、現場局において調査事務に携わり、1989年から本庁にて国際情勢、国際テロ情勢等についての情報収集、情報分析業務及び国際渉外業務に従事した。また、2001年の9.11米国同時多発テロ、2008年の洞爺湖サミットに際しては、庁内において、我が国の危機管理情報の収集並びに分析業務で陣頭指揮を執った。これらの経験は何物にも替えがたいものであり、自身の専門性を築き上げる上で大いにプラスになった。
2013年に公安調査庁退官後は、約2年間、日本アイシス・コンサルティング株式会社において、主に日本企業の在外での活動に資する情勢分析資料の作成、危機管理のアドバイス等を担当した。2014年末をもって同社を退職し、2015年4月から日本大学総合科学研究所に教授として所属。

◎勝股秀通 教授
元読売新聞社記者。1983年入社。新潟支局、北海道支社を経て東京社会部に所属。東京地検でリクルート事件を担当、その後警視庁などの担当を経て93年から防衛省・自衛隊を担当。民間人として初めて、防衛大学校総合安全保障研究科(97-99年)を修了、その後、防衛、安全保障問題の専門記者として編集委員、解説部長、論説委員、調査研究本部主任研究員を歴任し、2015年(平成27年)4月から日本大学総合科学研究所教授、16年4月から現職。

◎金山泰介 教授
昭和32年京都市生。昭和55年東京大学法学部卒業後警察庁入庁。内閣安全保障室参事官補、石川県警察本部警務部長、在タイ日本大使館一等書記官、内閣調査官、警視庁公安部参事官等を経て、山梨県警察本部長、中部管区警察学校長、科学警察研究所総務部長、栃木県警察本部長、警察大学校警察政策研究センター所長等を歴任し、平成26年埼玉県警察本部長を最後に退官。平成28年4月より現職。
 その間、ハーバード大学客員研究員、一橋大学公共政策大学院客員教授、東京大学公共政策大学院非常勤講師、京都大学公共政策大学院非常勤講師、慶應義塾大学大学院非常勤講師、上智大学法科大学院非常勤講師、埼玉大学大学院客員教授として社会安全政策及び刑事司法・警察行政に関する研究、教育にも従事。

◎河本志朗 教授
1954年山口県生まれ。1976年同志社大学経済学部卒業後、山口県警察官拝命。1991年から外務省出向、1994年から警察庁警備局勤務を経て、1997年から公益財団法人公共政策調査会第二研究室長として、国際テロリズム、テロ対策、危機管理などを研究。2015年4月から日本大学総合科学研究所教授。2016年4月から現職。

と、ここは「内閣調査室」か「防衛庁の諜報部隊か」と勘違いするような経歴の教員が並ぶ。大学の中に「入れてはいけない」ひとの品評会のようなメンツである。だが、常務理事内田正人が危機に瀕している、しかも内田は学内ではNO,2の実力者との評価もある人物だ。「危機管理学部」の出番ではないか。だが「危機管理学部」に限らず、日大当局からは、世間が納得のできる説明や弁明はいまだに行われていない。「危機管理学部」は身内の危機管理ができずに天下国家の危機感理を論じても、信用を得ることはできないであろう。

日本大学危機管理学部HPの教員紹介より

◆開学以来、支配層の意図が脈々と流れている日大の歴史

しかし、批判を恐れずに書くが日大とは代々このような学風を持った大学なのだ。先に紹介した「学祖・山田顕義の理念を受け継ぐ危機管理学部」で明確なように、日大には支配層の意図が開学以来、脈々と流れている。1960年代には裏口入学や、20億円(!)の使途不明金が問題化し、それまで学生運動がほとんど見られなかった日大でも、大規模な不正解明を目指した運動が起きる。それに対したのは体育会や右翼学生で、校舎の上から重たい石を投下し多数の負傷者を出した。

日大の学生たちは、日大講堂における団体交渉で古田重二良会頭(この呼称も不思議である)らの総退陣を勝ち取るが、後日総理であった佐藤栄作の後ろ盾を得て、日大当局は約束を反故にする。それ以降も日大の基本性格は変わっていない。

そんな学風の日大が「危機管理学部」を備えながら、せっかく27年ぶりに勝ち得た日本一の座を無化するどころか、アメリカンフットボール部、いや日大の存続までが論じられる危機に瀕している。繰り返すがこのような時に役に立たないようでは「危機管理学部」の存在はないだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

今春学生を募集した法科大学院39校の受験者は述べ7258人で、過去最手を更新したことが文科省の集計で判明した。43校が募集し7449人が受験した前年より191人減。今年募集した39校のうち9割にあたる35校が定員割れで、司法試験の合格者の伸び悩みによる法科大学院離れが続いている。

入学定員は募集停止や削減で前年比236人減の2330人だったが、実際の入学者は1621人だった。定員に占める入学者の割合を示す入学定員充足率は69.57%で前年から約3%増えた。

合格者数は延べ3521人で入学者が最も多かったのは東京大学の213人で、慶応大学162人、京都大学158人、早稲田大学136人、中央大学95人、同志社大学44人、立命館大学31人だった。入学者数が定員数を上回ったのは、一橋大学、明治大学、筑波大学、甲南大学の4校で、定員に占める入学者の割合が50%を下回ったのは12校。このうち近畿大学は25%、南山大学は30%にとどまった。(5月15日付京都新聞より抜粋)

◆制度ごと崩壊を迎えている法科大学院

司法改革の目玉であった法科大学院が、いよいよ制度ごとの崩壊を迎えているようだ。導入時には「年間3000人の合格者を出す」と政府が大風呂敷を広げて、2004年法科大学院発足の年には、法学部卒業生72000余人もが大挙して法科大学院を受験した(同年の合格倍率は約13倍)。その背景には法曹界の人材不足と、「将来の需要増を見込んで」との腹積もりが政府にはあった。「将来の需要増」とは米国のように、なにか問題があれば、すぐに解決を司法に委ねる「訴訟社会」の到来であった。

しかし、社会はそのようには変化せず、「毎年3000人の合格者」を出し続ければ、司法試験に合格をした「失業者」をただ生み出すだけであることが判明してきた。そもそも「司法改革」の2本柱であった「法科大学院の導入」と「裁判員制度導入」はいずれも、私の目からは最初から破綻が必至の愚策であり、法科大学院の制度的終焉はごく当然の帰結を目の当たりにしているに過ぎない。

「将来の需要増」の中にはひょっとすると、日米合同委員会の中で米国側からの、要請(圧力があった)可能性も否定できない。ところが、工業製品や知的財産と異なり、司法にかかわる制度や人材(弁護士や弁理士など)の輸出は簡単ではない。日本の弁護士が米国で活動しようと思えば(英語を習得したうえで)、州ごとの試験を受け登録すれば仕事ができるが、米国人弁護士が日本で仕事をしようと思っても、制度もさることながら「日本語」が話せないことには仕事にならないのは、子供でも分かるだろう。「ロースクール」を作ったって法曹界の「非関税障壁」(米国が常に口にする難癖)が取り払われる、ことはなかったし、その必要もなかったのだ。

どう考えても10年そこそこで日本が著しい「訴訟社会」に変化するなど、法務省も、大学も、日弁連も考えてはいなかったであろうに、誰が、こんな愚策を決定したのであろうか。導入されたのは2004年だが、「法科大学院」準備過程は、司法の分野だけでなく各方面での「構造改革」が大手を振るった20世紀終盤から、21世紀初頭であった。この時期に愚策が真顔で進められた事実にも、注意を払う必要であろう。郵便局が民営化され、大手都銀が次々に合併を繰り返し、市町村合併で、とんでもない田舎の村が「市」となり……。

庶民にとっては乱暴で、いったいどんなメリットがあるのか、さっぱりわからない「改革」が分野を問わず横行した。このような「理屈」や「根拠」があやふやである「改革」に、「最高学府」たる大学は、冷静な状況分析を行い、将来予想を個々の大学で実施し、法科大学院の設置を決めた、と信用したいところだが、そうではない。文科省と法務省が号令をかければ“Do not miss the buss”とばかりに、ろくろく需要予想や将来計画も熟考せず、「国が旗を振っているのだから」と乗っかかるのが、悲しくも軽薄な大学の姿であるのだ。

法科大学院一覧(文部科学省資料=2016年2月時点)

法科大学院整備だけで国は1兆円を使ったと言っている。各大学も設置にあたっては相応の投資をしたことだろう。「学生が希望する法曹界への道を作りたい」、こう書けば字面はよいが、その実「予備試験」により法科大学院に進学せずとも司法試験に合格する人が年々増える実態は、個々の大学、または大学が総体として知的劣化に陥っていることを示す。

法科大学院は一般の大学院ではなく、「専門職大学院」と呼ばれる職業を意識した特別な大学院の範疇に入るが、来年度から「専門職大学」制度がスタートする。ここでは詳述しないが、「専門職大学」制度にも法科大学院とは別の深刻な、制度(制度の理念上)の問題を感じる。法科大学院実質破綻の責任や原因究明を当事者は誰も考えていないように見えて仕方がない。その反省があれば「専門職大学」など誕生しなかっただろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

京都大は5月1日から、本部がある吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に学生が設置した立て看板の規制に乗り出すと伝えられている。もしその「通告」が事実であれば5月1日から、京大周辺の立て看板が撤去される可能性もある。4月30日早朝、京大周辺の立て看板がどのような様子になっているか、取材に赴いた。

4月当初に比べると大学敷地周辺の立て看板は数が減っている。そして「立て看板撤去」を翌日に控えているためか、以前よりもこの問題に特化した立て看板が目についた。

まずは今出川通りと東大路通りが交差する、百万遍交差点の様子だ。これまで不注意で気が付かなかったが、この交差点には不自然にも2つのボックス型公衆電話が設置されている。公衆電話が激減する中、この場所にある2つの電話ボックスはそれ自体がおかしな存在だ。この場所がもっとも界隈で目につきやすく、過去には巨大立て看板が数多く登場した場所である。この日最大のものはご覧の通り「違反広告物タテカン撲滅」と黒字に赤で書かれた揶揄に満ちたものだ。

この大きさでは見づらいかもしれないが、ほかに、

昨年クラブの歌である「われは海の子」が作曲されて100周年を迎えた、伝統の京大ボート部や、教職員組合の看板。
 

「環境にいいことしてますか? DO YOU KYOTO?」という公共広告のような、主体不明のものから、体育会ライフル部(武装してタテカン撤去と闘ってくれるのか?)。
 

自治寮、吉田寮の実質的な解体を画策する当局に対して、話し合いを求める看板も見られる。
 

百万遍交差点を少し南に移動すると「ゴリラ討伐 大学奪還」、「闘え! 闘わなければ勝てない……。」となかなかデザインにも作画にも力の入った「作品」が目に入る。「ゴリラ」は山極総長のニックネームである。こういうセンスと「討伐」の字体を私は好感する(ちなみに横は馬術部の立て看板だ)。
 

さらに南下すると、明確に「タテカン規制」に抗議する複数団体が名を連ねる、ピンクを基調としたカラフルなものも。
 

少林寺拳法部。デザインは、ゆとり世代に共通するセンスだが、活動内容のハードさをデザインのソフトさでやわらげるあたり、体育会の部員募集の工夫がみられる。
 

実は普段多いのはこの手の「地味」なサークルの立て看板だ。「京大宝生会」はどうやら能楽部の別名らしい。「稽古日」が明示してあるので安心して入部できそうだ。
 

先ほど同様複数団体による、抗議表明の立て看板。賛同団体が先ほどの看板と一部異なるのは、作成時期が前後したためか。こちらは黒地にパステル色を多用して少々暗くて見やすそうだ。
 

正門に向かう交差点に立てられた、「硬派」な主張の「立て看板」。「公安警察は立ち入り禁止」、「学費が高い!学費が高い!」、「職員にタックルされたのに『暴行した!?』
 

いろいろ書いてあるが、その実どの主張も穏やかで、妥当なものである。「広島カープV3」、「京大生平和的」あたりの、おふざけセンスも立て看板文化の貴重なスパイス。
 

こちらは正門前の様子。この日の夕刻立て看板規制についての講演会が行われる告知も(ちなみに連絡先が「田所」という方で、新聞などに電話番号が記載されていたが、どういうわけか私に電話での問い合わせ(間違い電話)が数件あった。
 

正門の横、吉田寮問題をマンガで示した立て看板。絵、内容とももう少し洗練さが欲しいところ。
 

国際化時代らしく抗議文も英語と繫体字で。
 

「どうただではすまないのか?」が不明ではあるが、強固な意志を感じさせるメッセージ(メッセージが強固なわりには字体が優しいのもよい)
 

「それはお前がやるんだよ」。無責任で無頼だが、実は「それは俺がやるんだよ」の反語ともとれるマニフェスト。黒字に白のシンプルさと詩的表現がよくマッチしている。
 

背景が黄色だと黒が際立つ原則を、あえて選ばなかった配色。「立て看板、どんどんつくって、どんどん立てよう」にすれば五七調になるのに、わざと「を」を入れて韻を踏んでいないところにも要注目。
 

人畜無害、京大の「学生はん」らしいサークルのようだ。立て看板もどことなくお行儀がよい。
 

吉田寮の入り口。「ここはひみつきち『よしだりょう』年三万円(水光熱込み)で家具・友だち・イベント付」なんとも魅力的な条件ではないか。この吉田寮が当局から狙い撃ちされている。
 

立て看板とは直接関係ないが、京大自由のシンボル「西部講堂」。屋根に描かれた三つの星の意味は読者において調べられたし。「世界一クレージーな場所」と称賛され、国内外の一流ミュージシャンも多数舞台に立った。
 
さて、5月1日以降京大当局これらの立て看板をどう扱うのだろうか。限られた数しかご紹介できていないが、学生による「立て看板」が「表現活動」であることはご理解いただけたであろうか。そして、私は自分が持ち合わせないこれらの感性に触れることを、常に楽しんできた。

自由は貴重だ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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『NO NUKES voice』15号〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

 

2018年4月28日付毎日新聞

〈京都大は5月1日から、本部がある吉田キャンパス(京都市左京区)の周囲に学生が設置した立て看板の規制に乗り出す。京都市から昨年10月、屋外広告の条例に違反するとして文書で行政指導を受け、構内の指定場所以外は設置させない方針に転換した。「タテカン」は学生文化として許容されてきた側面もあり、「形式的」「自由の学風に反する」と反発の声も上がる。〉(2018年4月28日付毎日新聞

いよいよ、その時がやってきたようだ。京都大学が大学の周囲に向けて、学生が並べている「立て看板」(通称「タテカン」)を京都市の条例を根拠に、排除の動きに出るらしい。月に一度京大の様子は通りすがりに観察しているが、今月の初頭までさしたる変化はなかった。さて、5月1日以降はどうなるのであろうか。この問題は本コラム並びに鹿砦社LIBRARYの拙著『大暗黒時代の大学』のなかでも比較的詳しく取り上げている。興味おありの方はご覧いただければ幸いだ。

◆「タテカン」規制で消滅する学生の自由

どうして何十年も前から、常時そこにあった「立て看板」を京都市は「屋外広告の条例」を根拠に問題にしだしたのか? それは京大の当局が、すでに大幅に後退している「学生の自由」の完全消滅を目指し、管理体制の強化を図っているのが根底の原因である。京都大学には熊野寮、吉田寮といった「自治寮」があるが、京大当局は吉田寮に対して、一方的に「新たな寮生募集の禁止」と寮の一部改築を通達している。これも、学生自治の拠点である「自治寮」を潰したいとの本音の現れだ。

そして、要注意なのは京大当局が「学生自治」をテーマや問題にする立て看板だけではなく、あまねく学生が作成した「立て看板」を規制しようとしていることだ。毎日新聞の記事にある通り、京大周辺には様々な団体の立て看板が林立しているが、そのほとんどは演劇や、落語サークルだったり、体育系クラブの立て看板で、政治色を帯びたものは全体の1割にも満たない。しかし、それすらも京大当局にとっては「容認しがたい」のだろう。

「しかし市は、コンビニエンスストアなどの看板も場所によって落ち着いた色調に変えてもらうなど、古都の景観保護に力を入れており、『京大も例外ではない。市内の他の大学で違反はない』と説明する」と真顔で語っている。

京都市の役人にとっては、商業施設の広告と大学の学生による表現活動の違いが、まったく理解できないようだ。コンビニやマクドナルドは「商売」だろうが! だから世界中で京都市だけがマクドナルドは看板の色を変えたんじゃなかったのか。学生の表現活動と企業の広告との区別がつかない。もうこんな低レベルな行政が京都市ではまかり通るようになってしまったのだ。

 

朝鮮半島地図

◆「朝鮮半島の非核化」を喜ばない隣国の歪み

時あたかもお隣の朝鮮半島では、多くの人が予想だにしなかった「平和」に向けての流れが勢いを増している。「〈京大〉「立て看板」撤去へ 市「条例違反」で指定外ダメ」との毎日新聞記事が配信された前日には、南北の首脳会談が板門店で行われ、韓国のテレビは1日中その様子を生中継し、「平和」、「戦争を終わらせる」との言葉が伝えられるたびに市民は喜びに沸いた。朝鮮が独裁国家であろうと、過去にあれこれ問題を起こしていようと、「朝鮮半島の非核化」は慶賀に堪えないニュースであり、それが実現し、さらには南北首脳が統一を指向する同意に至ったことは、とてつもなく喜ばしい報せだ。

他方日本では、「自由な学風」といわれた(あえて過去形で書く)京大で、学生自治の最終破壊が画策されている。大学法人化して以降の国立大学や、公立大学では「学問」よりも、「経営(経済)」のが高い価値を占めるようになった。これからますますその傾向は強まるだろう。文科省は既に私立大学の破綻を見込んで、地方ごとに国立大学法人を中心とした大学のブロック化(大学の合併)を進める案を表明している。

そこには「学問」とはいかにあるべきか、「大学の果たすべき本質的な社会的な役割は何か」といった哲学は微塵もない。大学を「企業」同様に考えてその「経営」の効率化だけを目指そうとしている。それが文科省であり、多くの大学の今日の姿だ。

それにしても世の中には「金では買えない」価値があることを、京大当局や、京都市は気が付かないのだろうか。京都は国内外からの観光客でにぎわっているけれども、京都の歴史や遺産は「金」で創造できるだろうか。大学が狭い地盆地に集まる、京都独自の「学生文化」は経済活動に置き換えることができるだろうか。どれだけの頭脳を京都大学が輩出してきたか、それの背景にはどのような学風があったのか、を一顧だにしない京大執行部や京都市は、「経営者」としても失格であることが、近く証明されるだろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

大学関係者必読の書!田所敏夫『大暗黒時代の大学──消える大学自治と学問の自由』(鹿砦社LIBRARY 007)

『NO NUKES voice』15号〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか

 

伊勢崎賢治「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」(2018年2月6日現代ビジネスより)

 

東京外国語大学教授で自称「紛争屋」の伊勢崎賢治が、本音を語りだしている。

「リベラルな実務家」と長らく人びとの目を欺き、「マガジン9」などにも顔を出していた伊勢崎は、「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」の中で倒錯しきった私見を述べている。

伊勢崎は、〈僕のように多国籍軍と一緒に働いてきた実務家にとって、現場で常に念頭に置いている最大の懸念は、我々自身の行動が国際人道法の違反、すなわち「戦争犯罪」を起こすか、である。多国籍軍は、それぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから、武力の行使は原則的に「自衛」である〉

と、〈多国籍軍はそれぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから武力の行使は原則的に『自衛』である。自衛のための武力行使ができる『開戦法規』上の要件は、まず攻撃を受けることである。そこを戦端として『交戦』が始まる〉という。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

この一文だけで、伊勢崎の論が破綻していることが証左される。「一応ちゃんとした法治国家」から派遣されてくれば、武力行使は「自衛」とは短絡にもほどがある。米国は伊勢崎に言わせれば「一応ちゃんとした法治国家」となるのだろう。ではこれまで米国が行った「自衛」はすべて、「攻撃」を受けてのものだったろうか。「紛争屋」伊勢崎は「一応ちゃんとした法治国家」の寄り合いであれば、それ自体が正当性を持つかのように前提を立てる。

これは、米国を中心とする、イラク侵略、アフガニスタン侵略、ソマリア内戦干渉などを当然知っている(伊勢崎はアフガニスタンには自身も武装解除でかかわっている)者の発言とはにわかには信じがたい。

アフガニスタンから「多国籍軍」にいったいいつ、どんな「攻撃」があって「開戦」したというのだ? 米国での多発ゲリラ事件(9・11)の主体は「アルカイダ」じゃなかったのか(のちに国際貿易センタービル倒壊の不自然さや、ペンタゴンの事故現場の検証と、墜落したはずの旅客機乗客とその家族の通話記録、機体の残骸などを見るにつけ、この多発ゲリラが「アルカイダ」主導で行われたものなのかどうかに、わたしは疑念を抱いている)。「アルカイダ」はアフガニスタン(国家)じゃないだろう?

アフガニスタン周辺に展開した多国籍軍へアフガニスタン側から、「先制攻撃」があったのか?そんな話は聞いたことがない。イラクも同様だ。イラクから多国籍軍への攻撃の後に「自衛」が行われた事実などないじゃないか。

そして伊勢崎は「つまり、自衛は、warなのだ」と言い切るが、これも言葉としての「自衛」を過大に膨張させ過ぎだ。「自衛=war」とする論理は、あまたの戦争が「自衛」あるいは「自国の権益保護」を言い分に行われた歴史に鑑みれば、合理的であるかのように騙されそうだけれども、それは戦争を肯定する連中の話法であり、「war=自衛」は戦争遂行者の自己弁護である。「自衛」は武力によらずとも、条約や経済交流、外交交渉、国連での仲裁などいくらでも手段はある。「自衛は、warなのだ」は短絡に過ぎ、説得力を持たない。

伊勢崎は〈日本人向けにさらに言うと、個別的自衛権もwarなのだ。生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っているそれも、war(戦争)なのだ〉と「生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っている」と勝手に決めつけているが、その日本人の中にわたし(わたし以外の少なくない人びと)は、包摂されない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

政府が勝手に憲法違反の自衛隊を設立し、政府見解「個別的自衛権は許される」との詭弁を長年、改憲のために国民を騙す洗脳の道具として使ってきた事実は知っている。伊勢崎、日本政府にもう一度下記の日本語を読んでもらいたい。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いわずもがな「日本国憲法9条」だ。この日本語のどこを、どう読んだら「自衛隊」の存在が許されるのだ(ちなみにわたしは護憲派ではない。明確な改憲派だ。ただし自民党などが進める改憲とは本質的に逆の方向に向かっての改憲派である)。

眼鏡をかけた若手の気鋭憲法学者も「個別的自衛権」が当たり前のように語っている。

先に述べたように長年政府見解も「個別的自衛権が憲法上認められる」としてきた。みなさん言いにくいからわたしが代わって明言する。自衛隊も、個別的自衛権も小学校で習う日本語文法で憲法9条を読めば、許される道理がない。この条文を読んで、自衛隊合憲、個別的自衛権は許されると解釈する人は、悪辣な「なにか」を目指す政治屋か、日本語の基礎がわかっていない人である。

さらに伊勢崎は、〈交戦しそうなら、退避すればいいじゃないか、として、わざわざ交戦の可能性のある現場に国家の実力組織を派遣することを正当化し、「解釈改憲」してきた日本〉と「解釈改憲」を批判するが、この批判は歴代政権に向けるべきもので、「『解釈改憲』」してきたのは、「日本」ではなく「日本政府」と明確にしてもらわねば困る。日本人の総意で「解釈改憲」がなされた事実などない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

〈専ら「自衛」、つまり専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家の責任として、自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない。通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国が、である〉と伊勢崎は嘆く。

伊勢崎は大学教員だが、この文章は主語と述語がねじれている。〈専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家としての責任として自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない〉の意味するものは何か? その主語を伊勢崎はもったいぶった倒置法で〈通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国〉などと書き、「日本」と明示しない。がそれにしても「地球上の全ての法治国家」にイスラエルは入るのか? 米国は? シリアは?

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

わざわざ太字にして〈なぜ、在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するリベラルが、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機を心配しない〉と、大発見でもしたかのように伊勢崎は舞い上がっているが、「リベラル」とはだれのことなのだ。少なくともわたしのことではない。わたしは「在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するし、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機は憲法違反だから一刻も早く撤退すべきだ」としか考えようがない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

極めつけは〈9条論議は、一度、英語原文に立ち返るといいと思う。「押し付け論」など、どうでもいい。GHQから変わらない英語原文だ。9条が、2項で、高らかに放棄する「交戦権」。日本人は、これを、「交戦する権利」と捉えているようだ。その当たり前の権利を平和のために放棄するのだからエラいのだ、と。しかし、上記ように、「交戦する権利」は、もう、ない。9条ができる前から、である〉

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

ここまでくると大学教員の発信とは信じられない。まったく実証的ではないばかりか、伊勢崎が倒錯に陥っていることは、次の部分で確定する。

〈筆者には、憲法学者をはじめ、いわゆる護憲派という政治スタンスをとる親しい友人の専門家たちがいる。その友人たちには、国民投票が現実味を帯びてくる将来に向けて、これからも、ブレることなく、主張を続けていって欲しい。護憲の「精神」は非戦であり、それは正しいのだから。敬意を込めて、そう思う。しかし、護憲のための解釈改憲は「矛盾」である。その矛盾が実際の現場で引き起こす問題の明示を護憲派への攻撃と捉える人々がいるが、護るべきは解釈改憲ではないはずである。だから、自衛隊は違憲であると言い続けてほしい。日本共産党のように、(国民の好感度に政治的配慮して)一定期間は合憲、などと膝の力が抜けるようなことは、絶対に言わないでほしい。僕の友人たちがそうでないのは分かっている。しかし、9条の神格化は、避けて欲しいのだ〉。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

いったい伊勢崎は何を主張したいのだ?「護憲を貫け!共産党のように膝の力が抜けることは絶対に言わないでほしいけど、9条の神格化は、避けて欲しいのだ」と。どうしろというのだ。伊勢崎?

その前後も伊勢崎独自の歴史解釈や理解が、披露されるがどれもこれも論拠が薄く、結果として現状の「改憲策動」に与する分裂した主張に終始している。伊勢崎は「紛争屋」だから、現場は知っているのだろうけども、憲法と法の関係、さらには日本の司法権の問題などにつての視点がない。なにも護憲派は「9条」を金科玉条に唱えていた人ばかりではない。「小学生が読んでも憲法違反」である自衛隊の存在を裁判所に問うたら(違憲立法審査権の行使)「統治行為論」(「国の統治にかかわることを裁判所は判断できません」と、1959年最高裁は砂川事件で裁判所の役割と、三権分立を放棄した)で憲法と現実の不整合を正す試みもなされたことを、伊勢崎は知らないはずはあるまい。

この手の輩がこれから、跳梁跋扈するだろう。「リベラル」ズラだったり、「リベラル」に理解ありそうで、その実「現状肯定」に最大の価値を見出す、不埒な連中が。識者や有名人で「改憲」したい者は、ごちゃごちゃ御託を並べずに、はっきりそう表明しろ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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