《12月のことば》よく食べる よく眠る 健康第一 生きている 今日を楽しむ(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

今年のカレンダーもあと1枚となりました。
本当に1年経つのは速いものです。
毎年師走となると、深刻になったり、逆に忘年会が続き放蕩したりで不健康になる月です。
しかし、今こそ「健康第一」で過ごしたいものです。
龍一郎もなかなかいいことを言っています。

「よく食べる よく眠る」──単純ですが、これが基本ですね。
不健康ならば、よく食べれないし、よく眠れません。
ゆったりと、「生きている 今日を楽しむ」生き方ができれば、と心から願います。
特に慌ただしい月ですが、「健康第一」で過ごしましょう!

龍一郎揮毫による、来年の「鹿砦社カレンダー」が出来上がりました。
『紙の爆弾』(12月7日発売)、『季節』(12月11日発売)が12月初めに出ますが(どちらもすでに校了)、両誌の定期購読の方、会員の方には両誌と一緒に郵送いたします。ぜひ、これを機会に定期購読を申し込まれるか、あるいは会員になってください。よろしくお願いいたします。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年12月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著

一つの事件が一人の人生を狂わせることがある。この事件もそうだ。被害者M君は関西の某国立大学大学院博士課程に通う若き研究者だった。〝かの事件〟さえなければ、今は、どこかの大学で学生に囲まれ研究者生活を送っているだろうと思うと不憫に感じられて胸が詰まる。さらには今でもリンチのPTSDに苦しんでいる。それを仲間とのラクビーで紛らわせているという(おそらくラクビーで鍛えた体力がなければ、壮絶なリンチで亡くなっていただろう)。一方加害者の李信恵は能天気に講演三昧の生活を送っている。行政機関や弁護士会、市民団体などが、リンチ事件の存在を知ってかどうかわからないが、李信恵のしたり顔に騙され「もっともだ、もっともだ」と聞き惚れている。世の中どこか狂っている。

10年前の2014年師走12月17日未明、大阪一の盛り場・北新地、その一角で、〝かの事件〟は起きた。 ──

〝かの事件〟から10年が経とうとしている。ここでは2回に分けて、この事件を振り返り、現代の社会運動における〈意味〉を考え、加害者、これに連なる者、あるいは被害者M君やわれわれに敵意さえ抱きトンデモ判決を出した裁判所、無視・隠蔽を決め込んだマスメディア、「知識人」らの〈責任〉を問いたい。

さて、〝かの事件〟とは、「反差別」運動の象徴とされる李信恵ら5名が、この中の1人、金(本田)良平がネトウヨ活動家から金銭を授受したとの噂を撒いたとして深夜、仲間だったはずの大学院生M君を呼び出し激しいリンチを加え瀕死の重傷を負わせたという事件である。

事件の詳しい内容は、私の話を聞き驚き途中から真相究明活動に加わったジャーナリストの黒薮哲哉が本誌、みずからのサイトMEDIA KOKUSHO、「デジタル鹿砦社通信」などでレポートし、なによりわれわれは「特別取材班」を作り、精力的に調査・取材を行い、これまで6冊(紙の爆弾増刊)の本にまとめ発行しているので、本誌では紙幅の都合もあり、ここでは省く。それらをぜひご一覧いただきたい。

ただ、私に対し意図的な誹謗中傷を振り撒く人間がいるので、一言だけ述べておく。かつて構造改革系の新左翼系小党派のリーダーだった笠井潔という人が、リンチ加害者側に立って被害者M君を執拗に攻撃し提訴され敗訴した野間易通と昵懇(共著もある)の仲ということからか、私を「デマゴギスト」などと言いふらしているようだが、われわれはそう言われないように、これまでになくヒトとカネを使って最大限の調査・取材を行い、これはそれなりに評価されている。

ちなみに、笠井にはかつて一度だけ会ったことがある(1985年)。原稿執筆の依頼で尼崎で行われた、その党派も含む構造改革系の追悼集会でだったと記憶する。彼の文章は『敗北における勝利』という本に掲載され、彼は田舎に引っ込んだりで、以来会ってはいなかったが、そんな誹謗中傷を行っているということで思い出した次第だ。それなりの知識人だと思っていたが見損なった。彼は私たちが心血を注いで取材した本を読んで私を「デマゴギスト」と言ったのだろうか? おそらく読んでいないだろうと思い、関係者を通じ届けるように送っておいた。読んだのであれば、読後感を聞きたいところだ。それでも「デマゴギスト」と言うのか!?

◆事件は1年以上隠蔽された

くだんのリンチ事件は、加害者側に立つ者らによって必死の隠蔽工作が図られ、なんと1年余りも隠蔽された。さらに驚くのは、やはり加害者側につながる人物が当社内にもいたことが発覚し、3年も勤め、それでも尻尾を出さなかった。

当時われわれは「西宮ゼミ」といわれる市民向けのゼミナールを隔月ペースで開いていたが、たびたびこれに参加していた者が「相談があります」と言って別の日に資料などを持ってやって来て初めて、このリンチ事件の事実を知ったのである。なかでも驚いたのはリンチ直後の被害者の顔写真だった。言葉もなかった。これが2016年の1月のこと、事件から1年以上が経っていた。

この間、被害者M君らが手を拱いていたわけではなかった。メディアの記者に会ったり、弁護士に会ったりしながら、その都度失望の目に遭ってきた。あえて名を出すが阿久沢悦子なる、当時大阪朝日社会部の記者に相談し、関西の社会運動のいろんなところに顔を出している自称「浪速の歌う巨人」歌手・趙博を紹介され、貴重な資料一式を渡し、われわれとも会い加害者糾弾を共に行おうと約束したが、この直後、趙は李信恵に会い謝罪するという掌返しに行っている。その資料がどこに行ったのかわからないが、万が一権力に渡ってでもいたら、度し難いスパイ行為である。この男は、関西の社会運動のいろんなところに顔を出しているが用心したほうがいい。一部の党派では「スパイ」と見なされていると聞く。

この事件が1年以上も隠蔽されていたのにはいくつか理由がある。加害者・李信恵が「反差別」運動のリーダーで当時ネトウヨ活動家を相手取り裁判闘争を行っていたこと、いわゆる「ヘイトスピーチ規制法」国会上程が準備されていたことなどが挙げられる。関係者一同、心の中では「なんということをやってくれたんだ」と思っていたとしても不思議ではない。

◆われわれは即刻行動を起こした!

驚いたわれわれが躊躇することはなかった。われわれの出版活動は弱い者の味方ではなかったのか、という素朴な正義感のようなものが自然と沸き起こった。

また、「反差別」運動の旗手といわれる者が起こした傷害事件なのに、なぜマスメディアは報じないのか、という素朴な疑問も湧いた。阿久沢記者のような、スパイ行為に加担するような行為をする者までいるのには驚いた。その後、阿久沢記者は静岡に異動になったりしたが、その際、私たちが追及したところ、驚き狼狽し逃げ回った。今からでも取材に応じるなら静岡でもどこでも行く用意はある。

一方被害者M君の味方は、いなかったわけではないが、正直言って力が弱い者ばかりだった。メディア関係者はいなかったので情報が外に向かうことはなかった。

◆事件前後

ここで少しリンチ前後の情況を振り返ってみる。李信恵ら加害者は、前日夕刻から飲み始め、事件に至るまでに5軒の飲食店を回り「日本酒に換算して1升近く飲んでいた」(李信恵のツイッター)ことをみずから明らかにしている。「1升」といえば、常識的に見れば泥酔の域にあったといえよう。前日は対ネトウヨ訴訟の期日で、これが終わり報告会、そして十三の仲間のたまり場の店・あらい商店で食事をしながら飲み始め5軒の店を飲み歩いていることが明らかになっている。

リンチ直後の被害者M君の顔写真。これを見て何も感じない者は人間ではない!

長時間のリンチ後、加害者らは苦しむ被害者を放置して立ち去っている。人間の心があれば、急救車を呼ぶとかタクシーを拾って乗せるとか、それぐらいはするだろう。それさえせずに……。被害者M君は必死でみずからタクシーを拾い自宅まで戻っている。この時のM君の心中は察するに余りある。異変を感じたタクシーの運転手は運賃を受け取らなかったという。

一夜明け、酔いが醒めた加害者らは、おそらく「しまった!」「まずい!」と思ったに違いない。身近な者らも、「なんということをしてくれたんだ」と思っただろう。

その日のうちに、加害者と昵懇の有田芳生(当時参議院議員)が、そして中沢けいらが相次いで来阪している。そこで何が話し合われたかはわからないが、おそらく混乱していたことは容易に想像できる。

そして、年が明け事件から1カ月余りが経った2015年1月27日、李信恵の姉貴分の辛淑玉が悲痛に「Mさんリンチ事件に関わった友人たちへ」と題する文書を配布する。

また、2月3日には李信恵らによる「謝罪文」も送られ、同時に活動自粛も約束される。

辛淑玉文書にしろ李信恵の謝罪文にしろ、また実行犯の金良平、李普鉉の謝罪文にしろ、のちに反故にされるが、少なくともこの時点では、多少なりとも反省の念があったことは認められる。

しかし、被害者が、ほぼ孤立無援状態であることを見透かした加害者らは反省も活動自粛も反故にし、逆にM君に対して村八分にし、あらん限りの罵詈雑言を加え攻撃に転じる。被害者なのになぜ攻撃されなければならないのか? M君のどこに非があったのか? 加害者、陰に陽に彼らをサポートした者らは、われわれの素朴な疑問に答えていただきたい。月日が経っても、われわれは許さない。

◆訴訟の果てに ──

まずM君は、逡巡しながらも、加害者らの不誠実な態度に怒り刑事告訴に踏み切った。しかし、加害者らは逮捕されるまでもなく略式起訴で、最も暴行を働いたエル金こと金良平に罰金40万円、凡こと李普鉉に罰金10万円、あろうことか李信恵は不起訴だった(2016年3月1日)。この刑事処分には大いに疑問が残る。これだけの傷を負い、今に至るもPTSDに苦しみ、人生を狂わせられて、これか。あまりにも理不尽だ。

しかし、M君の苦難は、以後の民事訴訟でも続いた。 ──

民事訴訟は、鹿砦社の顧問弁護士の大川伸郎弁護士を中心として進められた。当初弁護団に名を連ねた弁護士でサボタージュしたり利敵行為を行った者もいて、それなりに加害者(特に李信恵)防衛で一致する加害者側弁護団に比すると脆弱さは否めなかった。

実際に、被害者M君が李信恵ら加害者5人を訴えた訴訟では、勝訴したとはいえ、金額的にも内容的にも被害者、およびM君に寄り添ったわれわれにとっては不満の残るものであった。金良平(控訴審で賠償金113万円+金利確定)、李普鉉(同1万円+金利確定)に賠償金が課されたとはいえ、李信恵ら5人は免責された。特に実質的首謀者と見なしてきた李信恵に何の咎も課されなかったこと、そして共謀を認めなかったことには被害者のM君のみならずわれわれにとっても意外だったし大ショックだった。普通の感覚で常識的に見れば、李信恵の教唆、5人の共謀は当然と言えるが、裁判官という人種の眼は常人とは異なるようだ。

司法はもはや被害者の味方ではない。われわれには計り知れない〝力〟が働いているのかもしれない ── 実際に、М君対加害者5人組との訴訟、鹿砦社対李信恵との訴訟、あるいは鹿砦社対藤井正美(鹿砦社の元社員にしてしばき隊/カウンターのメンバー)との訴訟にしても、裁判官は1件(後述)を除いて、ハッキリ言って公平・公正ではなかった。むしろわれわれに対し敵意さえ窺われた。

こうしたことを認識したわれわれは、訴訟合戦の後半になって、「日本裁判官ネットワーク」の中心メンバーで「市民のための司法」を目指して活動してきた、元裁判官の森野俊彦弁護士に依頼、森野弁護士は受任され、一審で全面敗訴に屈した、李信恵が原告、鹿砦社被告の訴訟の控訴審では、著名な精神科医・野田正彰によるM君の「精神鑑定書」、国際的な心理学者・矢谷暢一郎ニューヨーク州立大学元教授、ジャーナリスト寺澤有の意見書を提出し真っ向から押し戻し、大阪高裁は李信恵の非人間性を認定した。さすがに、瀕死の重傷を負わせておきながら、無垢のままにしておくわけにはいかなかったのだろうか。裁判官としての良識の欠片は残っていたといえよう。一部を挙げ、ひとまず本稿を擱く。

「被控訴人(注:李信恵)は、本件傷害事件の当日、本件店舗において、最初にMに対し胸倉を掴む暴行を加えた上、その後、仲間である金がMに暴行を加えている事実を認識していながら、これを制止することもなく飲酒を続け、最後は、負傷したMの側を通り過ぎながら、その状態を気遣うこともなく放置して立ち去ったことが認められる。」

「本件傷害事件当日における被控訴人の言動自体は、社会通念上、被控訴人が日頃から人権尊重を標榜しておきながら、金によるMに対する暴行については、これを容認していたという道義的批判を免れない性質のものである。」

「被控訴人の本件傷害事件当日における言動は、暴行を受けているMを目の当たりにしながら、これを容認していたと評価されてもやむを得ないものであったから、法的な責任の有無にかかわらず、道義的見地から謝罪と補償を申し出ることがあっても不自然ではない。」(以上、令和3年7月27日、大阪高裁第2民事部判決から)

(松岡利康)

《関連過去記事カテゴリー》
 M君リンチ事件 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=62

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

《11月のことば》限界突破 あきらめたらそこでおしまい(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

速いもので、今年もあと2ヵ月となりました。
新型コロナ襲来によって、それまで左団扇状態だった雰囲気は暗転しました。
何度も「限界」を感じました。

「あきらめたらそこでおしまい」──

「限界」を「突破」するために皆様のお力を借りて「歯を食いしばって」頑張ってきました。
「限界」に次ぐ「限界」で「あきらめ」かけたりもしました。
コロナで似たような経験をされた方も少なくないでしょう。
しかし、「あきらめ」なければ、浮かぶ瀬は必ずあるものと信じています。

20年近く前の出来事、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧でも打ちのめされ「限界」を感じましたが、運良く「突破」できました。
奇跡としか言いようがありません。出版業界ではそういわれているそうです。

「限界」は「突破」でき、奇跡は起きると信じたい。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年11月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著

つい先日までの猛暑が嘘のように、すっかり秋めいてまいりました。平素は鹿砦社の出版活動につきまして多大のご支援を賜り有り難うございます。

◆最新刊書籍は黒岩卓夫著『アルプス少年 医を拓く』

最新刊書籍として黒岩卓夫著『アルプス少年 医を拓く』が出来上がってまいりました。小社としては特に力を入れた本ですのでぜひご購読ください。最も鹿砦社らしい本だと多くの方々から言われますし、私たちもそう自負いたします。

黒岩先生は60年安保闘争を樺美智子さん(60年 6・15国会前で機動隊の暴虐で死亡)らと共に闘い、その後、僻地医療に取り組まれ、障碍者施設、高齢者施設も併設し今に至っています。これは、昨秋刊行した、大学の先輩の矢谷暢一郎さんの『ヤタニ・ケース アメリカに渡ったヴェトナム反戦活動家』もそうですが、卒業後、あるいは運動を離れてからの人生の苦闘をいかに過ごすかということが生き生きと描かれています。

それも含め、昨年の今頃から社会問題についての書籍(紙の爆弾増刊号含む)を精力的に刊行してまいりました。皆様方にはぜひともご購読いただきたいものばかりです。

黒岩卓夫著『アルプス少年 医を拓く』

◎『アルプス少年 医を拓く』 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315649/

◆『LGBT問題を考える』と『LGBT異論』

『アルプス少年 医を拓く』の前には、気鋭の女医・斉藤佳苗著『LGBT問題を考える』(8月)、オウム事件で殺されかけながらもカルトと闘った滝本太郎弁護士を中心とした女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著『LGBT異論』(9月)を相次いで刊行いたしました。

現在、LGBT問題を語ることには一種のタブーがあり、小社は一部から「ヘイト出版社」のレッテルを貼られているほどです。本来なら「性の多様性」というのであれば自由な議論が必要なのに、逆の情況が続いています。両書は、広義のリベラル(左派、中道)の立場からこの問題に議論の材料を提起するものです。ご一読いただければ解りますが、間違っても「ヘイト本」ではありません。私たちの疑問も多々提起してありますので、LGBT思想、とりわけトランスジェンダリズム(性自認至上主義)の信奉者の方々は、「ノーディベート」(議論しない)として逃げるのではなく、これに丁寧に答えていただきたいと思います。双方の議論、対話があってこそ、LGBT当事者のみなさんとの理解がなされるのではないでしょうか。そうでないと、「性の多様性」が社会的に理解されないまま分断、対立だけが進んでいくのではないでしょうか。

『LGBT異論』と『LGBT問題を考える』

◎『LGBT異論』 https://www.amazon.co.jp/dp/B0DHGBQC8X/
◎『LGBT問題を考える』 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315592/

こうした私たちの想いは、偶然ながら新左翼系といわれる雑誌『情況』も同様の位相で取り組み大きな波紋を拡げました。決して私たちだけではなく、考えることはみな同じだと思いました。同誌も今後この問題を継続するということですので、共同歩調を取っていきたいと考えています。

◆『日本の冤罪』と『広島の追憶』

つい最近の大きな出来事として、袴田巖さん冤罪事件無罪確定と「日本被団協」ノーベル賞受賞があります。冤罪については、『紙の爆弾』で長年複数のライターによって連載しております。月刊誌で冤罪問題を連載している雑誌はありません。この中で尾﨑美代子さんが寄稿した分をまとめたものが『日本の冤罪』です。

また、被爆問題については、古くからの知人、梓加依さんが『広島の追憶』を出されました。原爆投下直後の長崎、広島で過ごした体験を元にしたノンフィクション・ノベルといっていいでしょう。

これら二著は、今こそ皆様にぜひご購読いただきたい書籍です。

『日本の冤罪』と『広島の追憶』

◎『日本の冤罪』https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/
◎『広島の追憶』 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

◆『ジャニーズ帝国 60年の興亡』と『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判 乙女の花園の今』

昨年、ジャニー喜多川による未成年性虐待が英BBC放送によってワールドワイドに報道され大きな問題となりました。BBCには事前に水面下で協力しましたが、この問題に実に28年にもわたり取り組んできた私たちの言論活動が陽の目を見た結果です。それを集大成したのが『ジャニーズ帝国 60年の興亡』です。辛辣な批評で有名な斉藤美奈子さんも「労作」と評価してくださいました。

さらに昨年末から本年にかけて鹿砦社本社所在地・西宮の隣の宝塚市にある宝塚歌劇団にて若き劇団員が激しいイジメを苦にして自殺するという痛ましい事件がありました。ジャニーズ同様、宝塚歌劇団の問題に対しても鹿砦社は1995年以来取り組んで来ました。宝塚歌劇団内のイジメ問題について、かつてこの訴訟をリアルタイムに寄り添ってきた記録『ドキュメント タカラヅカいじめ裁判――乙女の花園の今』を復刻出版いたしました。この訴訟時と以後、歌劇団は真摯に反省し根本から自己改革に取り組んでいたなら、今回の劇団員自殺という悲劇は避けられたと思うといたたまれません。歌劇団、そしてそのバックの阪急資本と友好関係にある在阪メディアも、ジャニーズと癒着しジャニー喜多川の犯罪を報じなかった大手メディア同様、断罪されなければなりませんし真摯な自己反省が必要です。

『ジャニーズ帝国 60年の興亡』と『[復刻新版]ドキュメント タカラヅカいじめ裁判』

◎『ジャニーズ帝国 60年の興亡』 https://www.amazon.co.jp/dp/4846315290/
◎『[復刻新版]ドキュメント タカラヅカいじめ裁判』https://www.amazon.co.jp/dp/4846315355

こうしたジャニーズ、宝塚問題によって、これまでの鹿砦社の言論・出版活動が、あらためて評価されたのです。これらを単に芸能問題とバカにしてはいけません。私たちは、芸能問題も含め広く社会問題に、「われわれにタブーはない!」と宣揚しつつ大手メディアにない視点と方法で取り組んでまいりました。コロナ以降、苦戦を強いられていますが、初心を忘れず頑張りますので、さらに継続してご支援のほど、よろしくお願い申し上げます。
                          

◆     ◆     ◆     ◆     ◆     ◆
 
皆様方にお願いしたいこと
  

当面具体的には、次のような形で更なるご支援をお願いいたします。

① 上記に挙げた書籍の直接ご購読をお願いいたします(すべて送料無料サービス)。1冊からでも構いませんが、よければ2冊、3冊とまとめてご購読いただければ助かります。
sales@rokusaisha.com か鹿砦社HP通販サイトからご注文ください。

② ラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』、唯一の反原発雑誌『季節』の定期購読をお願いいたします。『紙爆』1年分7700円、『季節』1年分3080円。こちらは前金となっていますので、郵便振替(01100-9-48334 口座名=株式会社鹿砦社)にてお申し込みください。送料はサービスです。すでに低購読の方は(前倒し)継続更新をお願いいたします。

③ その他、もっと支援してもいいという方は会員になってください。詳細は『紙の爆弾』巻末案内をご覧ください。

なお、シルバー会員(3万円。3年間『紙爆』『季節』を送付)には毎年1冊鹿砦社刊行書籍を贈っておりますが、今年は『アルプス少年 医を拓く』を送らせていただいております。それ以上の高額会員も同様です。
 
物価高騰の折り心苦しい限りですが、よろしくお願い申し上げます。

鹿砦社代表 松岡利康

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DG578D28/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

《10月のことば》絆 あなたとここにいることが なによりすばらしい(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

ようやく暑さも和らいで来ました。
もうすぐ秋風が吹き木枯しの季節となるのでしょうか ──

もうこの仕事に本格的に関わり始めて40年になります。
大学を出て10年、出版とは全く関係のないサラリーマンをやりました。
毎日、大阪御堂筋のビルの7階から四季の移ろいを眺めながら過ごしました。

会社を整理するというので、それまでに同人誌のようなものや資料集を出したりはしていましたが、他に仕事を探すこともなく、わずかな退職金を元手に出版を生業にすることにしました。

若かったな。すでに子どももいたし、今だったら踏み止まっていたでしょうね。
他人より10年遅れて出発しましたが、これまで多くの方々に迷惑をかけたり助けてもらったりして〈絆〉をこしらえてきました。
大学関係の先輩・後輩、多かれ少なかれ学生運動や社会運動に関わった人たちなどが多いです。

決して一人でやって来れたわけではありませんでした。むしろ助けてくれる方がいたからこそ、生来鈍愚な私でもここまでやって来れたと思っています。

自分で望んだわけではありませんでしたが、これまで他人よりは起伏のある人生でした。

特に2005年、『紙の爆弾』創刊直後の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧は「人質司法」による長期勾留を強いられ正直きつかったです。

これまでこの通信でも何度も述べているので繰り返しませんが、これを皆様方との〈絆〉で乗り越えれたことは大きいです。誰もが「松岡も鹿砦社も終わりだろう」とささやいでいたということですが、人の運命というのはわからないものです。その前の阪神大震災でも、「松岡も鹿砦社も終わりだろう」と東京ではささやかれたそうですが、自分で言うのも僭越ですが、我ながらしぶといです。

その後、奇跡ともいうべき復活を遂げることができ、これでこのまま後の世代にバトンタッチをしようと思っていたところ新型コロナ来襲で、またペシャンコにされようとしました。

ところが、ここでも皆様方との〈絆〉で生き残っています。思い返せば、20年、30年、40年と、付き合いの長い方が多いです。これで知らず知らず〈絆〉が出来たのだと思っています。

そう、「あなたとここにいることがすばらしい」ということです。

これからもいつまでも「あなたとここにいること」、そしてもっともっと強い〈絆〉で『紙の爆弾』『季節』を継続させ鹿砦社を継続させていければと願っています。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年10月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著

昨年LGBT法成立直後に発行された『人権と利権』、本年8月に刊行された、博覧強記、語学堪能、そして医学の知識を駆使し斉藤佳苗医師が一気に書き綴った大部の書『LGBT思想を考える』に続く『LGBT異論』が9月28日発行の運びとなりました。

 

かつてオウムによって殺されようとしつつもカルトと果敢に闘ってきた滝本太郎弁護士、現代フランス文学のレジェンド堀茂樹慶応大学名誉教授、フェミニズム界で孤立しつつも、その腐敗と復活のために闘う千田有紀武蔵大学教授らを中心として多くの方々に執筆、寄稿をいただきました。

内容は多様でぎっしりながら、定価990円(税込み)とお買い求めやすい価格でもあり、ぜひご購読ください。

以下のように緊急事態発生のため、ここでは、本書『LGBT異論』の詳しい内容は省きますが、寄稿者の一人、森奈津子さんは、昨年『人権と利権』を編纂し当社より発行、大きな話題となりました。またここ数年、いわゆる「しばき隊大学院生リンチ事件」について被害者支援、真相究明、加害者糾弾について「別個に進んで共に撃つ」形で共闘してきました。

そして、このたび、9月20日に本書の内容を情報公開した直後、森奈津子さんに対して理不尽な攻撃が勃発したのです。あろうことか森さんが講師を引き受けた、「千葉県人権啓発指導者養成講座」の「女性に関する人権」のテーマの講座に対し、これに不満を持つ徒輩が、森さんを勝手に「差別者」認定し講師を解任するように千葉県に迫ったのです。

特に、本年3月、共同代表による性加害で逮捕者を出した「TransgenderJapan」など、わざわざ要望書を千葉県に持参し直接申し入れています。そんなに森さんの発言に困ることがあるのでしょうか?

くだんの「TransgenderJapan」はみずからの団体の幹部が逮捕されたことをどう反省したのか? それを対外的に真摯に明らかにするのが先決で、それなくして他人の講座にちょっかいを出す資格などありません。

[左]「TransgenderJapan」はわざわざ千葉県庁に要請書を持って申し入れに行っている/[右]「TransgenderJapan」共同代表(当時)逮捕のネット記事

森さんは昨年、LGBT法案の委員会審議で滝本太郎弁護士と共に参考人として呼ばれ発言するほど、当事者としてLGBT問題、女性の人権について発言する知見と資格があります。

出版社としては著者を防衛することは当然であり、この件に対しては断固連携して闘います。

こういうことで、日頃は綺麗ごとばかりを宣う「LGBT法連合会」や、これを支持する政党、立憲、日共、社民、れいわは、どう動くのか? ことは一人の有能な知識人の「言論の自由」を潰しかねない重大な問題なのだ、わかっているのか!?

◆「しばき隊大学院生リンチ事件」の加害者側人脈の蠢動を許すな!

私たちの物事を見る指標に、くだんの「しばき隊リンチ事件」があります。ここで加害者側に立った徒輩(またこれにつながる者)らが森さん攻撃に与していることは決して偶然ではありません。今回の犬笛を吹いたのも、しばき隊のボス野間易通です。

LGBT問題にしろ、今回の問題にしろ、野間易通はじめ、リンチ事件加害者側につながる、いわゆる「しばき隊」(~系)の人物が蠢いているのは偶然でしょうか?

野間易通がリークし、リンチ加害者と昵懇の者が拡散

リンチ事件について私たちは真相究明として6冊もの本を出しました。毎回リンチ直後の凄惨な顔写真を付け、リンチの最中の阿鼻叫喚の音声データを付けたものもあります。このリンチ事件は、将来ある大学院生(当時某国立大学大学院博士課程在学)の人生を狂わせました。被害者はいまだにリンチのPTSDに苦しんでいます。不憫です。

いまだに「リンチはなかった」などと吹聴している者がいますが、まさに「偽造するスターリン学派」(トロツキー)です。

今また、LGBT当事者として長年活動してきた森さんの、ささやかな言論の場さえ奪おうとするLGBT活動家やしばき隊(~系)活動家らによる理不尽な攻撃には、少々の意見や考え方の違いを越え一致して反撃しなくてはなりません。ことは憲法21条「表現の自由」に関わる深刻な問題なのです。

◆しばき隊(~系)活動家やLGBT活動家は「左翼」でも「極左」でもない!

 

森さんへの不当な県知事の発言に抗議する千田有紀教授。「ぽんたCafe」は千田教授のアカウント

ついでながら、森さんには常々申し上げているのですが、しばき隊(~系)活動家やLGBT活動家は「左翼」でも「極左」でもありません。単なるゴロツキ暴力集団にすぎません。昔風に言えば「反革命」「修正主義」ということでしょうか(古い!笑)。

「左翼」「極左」とはまず権力に対して闘うことが基本ですが、彼らが権力と闘っていることなど見たことが在りません。かつては「警察のみなさん、ありがとう」などと中核派や新左翼系ノンセクトグループを暴力的に弾圧する機動隊に「ありがとう」などとエールを送っているのです。こんな「左翼」「極左」はありえません。

学生時代、少なからず「左翼」「極左」の活動に関わった私や滝本太郎弁護士としては、彼らを「左翼」、さらには「極左」などと呼ぶのはおこがましいです。まだ曲りなりに権力と闘っている中核派を「極左」というならわかりますが(ちなみに中核派の杉並区女性議員は区のLGBT条例に反対しました)。

森さんや読者のみなさん、これからは彼らを「ゴロツキ暴力集団」と呼びましょう! 決して「左翼」とか「極左」と呼ばないように!

森さんの問題、今現在、まだ流動的ですが、注視していきましょう! 講座の予定は来週10月2日、この週末から週明けにかけて大きな動きがあるものと予想されます。もし理不尽な処置がなされたならば断固一致して抗議しましょう!

(松岡利康)

【続報!】先にご報告した、森奈津子さん女性の人権講座解任問題ですが、昨日9月26日夕刻、中止が決定、千葉県のHPで公表されました。

※令和6年10月2日(水曜日)に全日警ホールで開催を予定しておりました千葉県人権啓発指導者養成講座 1「被差別部落出身者に関する人権」「女性に関する人権」については諸般の事情により中止となりました。

とのことですが、詳しい説明はありません。「諸般の事情」って何?

また、昨日、滝本弁護士らが千葉県庁を訪れ上申書を提出したとのことですが、一顧だにされず、あっというまの決定でした。

滝本弁護士の側近の方によれば、

知事には会えず、担当部署の人が対応したそうです。(逃げたか?)
画像を送ります。
いつものことといえばいつものことですが、こんな適当な部屋で。
県の担当者からは、その場で中止が確定していると告げられました。
「今回の中止は知事がxで発信する直前の20日頃から、
担当に苦情がたくさん入ったため、安全に出来ないので中止」と、
「安全面の考慮」という逃げの常套句での説明でした。

 

憲法問題にも抵触する問題ですから、本件に対しては断固弾劾しなくてはなりません。

さらに展開あれば継続的にご報告いたします。

※               ※               ※

 

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』
女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著 

A5判 164ページ(本文160ページ+カラーグラビア4ページ) 
   定価990円(税込み)  
   紙の爆弾10月号増刊 9月28日発売

【内容】
1: [対談] 堀茂樹×滝本太郎 世界を席捲する新たなカルト=「性自認」思想の現在
2: 千田有紀 フェミニズムの再生を求めて
3: 井上恵子 東京大学三浦俊彦教授の記事に対する東京大学関係教員有志声明の批判──その問題点
4: 杉島幸生 『トランスジェンダーになりたい少女たち』から考える
5: キャロライン・ノーマ オーストラリアにおけるジェンダーイデオロギーから子供たちを救おうとする私の妹の闘い
6: 滝本太郎 LGBT理解増進法について
7: 滝本太郎 前提として知っておきたいこと
8: 滝本太郎 2つの考え方の図
9: 三浦俊彦 LGBT支援のための前提条件
10: 森奈津子 男性器つき女性を誕生させたい政治家たち
11: 滝本太郎 性自認主義の進展──特例法について司法の状況
12: 玉置祐道 女性スペースの管理と法律の現状と問題点
13: 益田早苗 LGBTQ当事者の子育て:子どもの安定した生活と最善の利益を守る
14: 郡司真子 学校で危ない性教育?
15: 滝本太郎 性自認至上主義は、カルト的な思想運動である
16: 斉藤佳苗 『LGBT問題を考える』を出版して

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DHGBQC8X/
◎楽天 https://books.rakuten.co.jp/rb/18009428/
◎紀伊國屋書店 https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-04-4910027201044
◎ヨドバシ https://www.yodobashi.com/product/100000009003917973/
◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000752

《9月のことば》疲れたら眠る(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

9月に入りました ── 今年の夏は例年にない記録的猛暑でした。
まだしばらく残暑が続くようです。
そろそろ疲れが出てくる時期です。

また、世事の悩みもままあります。
そんな時には、くよくよ考えずに思い切って眠りましょう! 
なにか妙案が出てくるかもしれません。

Tomorrow is another day. 
(明日は明日の風が吹く)

猛暑もあってひいひい言ってる間に今年も3分の2が過ぎてしまいました。
月日の経つのは本当に速いものです。

今年残り3分の1を全力疾走するしかありません!
なかなか厳しい状況が続きますが、なんとしても、幾度目かの“奇跡の復活”を遂げなければなりません。

いつまでも鹿砦社と共に歩んでいただきたく願います。

(松岡利康)

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか


◎『季節』創刊10周年特別企画『脱(反)原発のための季節セレクション』(仮)
出版のためのクラウドファンディングご支援のお願い

https://readyfor.jp/projects/kisetu_nonukes
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/
◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

祈り(龍一郎 揮毫)

先日、母親から古びた文集のコピーをもらいました。一昨年亡くなった従兄の竹内護(まもる)さんが書いたものでした。護さんは長年宮崎県下で小学校の教師をし、これを全うされました。

護さんが終戦後朝鮮半島から命からがら栄養失調の状態で帰還されたことは生前聞いていました。

「先の大戦では、国民のみんなが何等かの形で戦争の悲惨さを味わったと思います。
わたしの体験も六才で孤児となり祖国日本へ向けて朝鮮半島を縦断するというありふれたものです。しかし、一面では特異なものかも知れません。」

こうしたことが「ありふれたもの」だった時代、護さんも幼くして戦争に巻き込まれます。

1943年(昭和18年)、護さんが4歳の時、一家3人は住み慣れた熊本の地より北朝鮮に渡ったそうです。北朝鮮で父は人造石油会社の社員として比較的裕福で「幸福に暮らしていました」。

「そんなわたしたちの家族に不幸が訪れたのは、昭和二十年の八月でした。」

「そして、八月十四日、会社の方より『明日から一晩泊りで社員ピクニックを催す』との連絡がありました。」

「何も知らないわたしたちは歌など歌いすっかりピクニック気分にひたっていました。
それが、八月十五日のことでした。ところが、社宅より相当離れた所まで来た翌朝、会社の幹部の人より『ピクニックに参加した人たちに話があります。』と告げられ、みんながやがや言いながらも一か所に集まりました。
その時の話は、『実は日本は、昨日戦争に負けました。そこで、これから日本へ向けて避難します。』と言う意味のことでした。
話を聞いたみんなはびっくりしました。楽しいピクニック気分も一度にふっとんでしまいました。」

そうして、日本へ向けて「避難」が開始されます。

長い逃避行の中で、身重だった母と、突然閉鎖された鉄橋で離ればなれになってしまいます。その後、母はなんとか故郷・熊本へ辿り着いたということです。

父と二人で逃避行を続け、興南で引揚船が出るというデマに乗って興南に行くと、そこは収容所でした。

収容所では強制労働の日々で、そのうち父は酷い凍傷にかかり、ますます酷くなり父は自殺を図り亡くなりました。

祖国への逃避行

収容所では、時折軍用トラックがやって来て、
「髪の長い人、つまり女の人を連れ去って行くのでした。女の人の悲鳴がいつも聞こえました。このようにして連れて行かれた女の人たちは、二度と帰って来ませんでした。」

「母と離別し、父とは死別して名実ともに孤児になったわたしは、お年寄りのグループに入れてもらい、収容所をぬけ出し再び祖国日本に向けて南下の旅を始めました。」

そうして何度も三十八度線を越えることを試みるも失敗を繰り返しますが、
「おとしよりたちが、色のついた大きな紙のお金を何枚か漁師に渡し」
「ヤミルートを通して、やっとのことで三十八度線を越えることができたわけです。」

一方、離別した母親は、身重だったところ途中で産気づき、双子の女の子(つまり護さんの妹)を山の中で生みましたが、1人はすぐに亡くなり、もう1人は1カ月ほど生きて亡くなったそうです。

「そんな時、母は心の中で、『たとえこの子が死んでも護は必ず生きて帰る』と信じて疑わなかったそうです。母のこの願いで、わたしは生きて帰れたのかもしれません。」

そうして、三十八度線を越えた護さんらはソウルの孤児院に入れられ、院での粗末な食事では耐えられず、時々街に物乞いに出たそうです。

物乞いは「子供心にも、みじめで恥ずかしい気持ちになったものです。」

「そんな中で、時々、夜になると孤児を慰問に来てくれるアメリカ軍の将校さんに会うのが、唯一の楽しみでした。
なぜかと言うと、チューインガムやチョコレートなどの美味しいお菓子やおもちゃを持って来てくれるからです。」

「地獄に仏」ということでしょうか。──

収容所にて

そうして、なんとか引揚船に乗ることができ、「なつかしの祖国日本の山々を見ることができ」たのです。

時に昭和21年6月11日のことでした。すでに終戦から10カ月も経っていました。

引揚船が博多港に着くと、孤児らは本籍地別に分けられ、両親の名前と本籍地を言うと熊本行きとして送られることになり、熊本に着いたらまた孤児院に入れられました。

「熊本市は、両親の出身地だし、母は元気で帰国したことを知っていましたので、母にはすぐ再開できると思っていました。
しかし、敗戦の混乱のせいかなかなか会えませんでした。」

ある子供のいない学校の先生が護さんを養子にもらいたいという申し出があり、この期限の日の昼すぎに母が孤児院にやって来たのです。実に11カ月ぶりの再会でした。

「思えば苦しい旅でしたが、そんな中で、私が無事帰国できたのも、名も知らぬ多くの人々の善意のおかげだと思います。」

そうして、

「敗戦という未曽有の混乱のさなか、人間の醜さを嫌という程に見せつけられた中で、きらりと光った同胞愛と人間性を、これら恩人たちのためにも知ってもらいたく、また、一人の一人の子どもが受けた戦争の悲惨な体験をも知ってもらいたく、そして、二度と再びこのような事が起こらないように念じペンをとった次第です。」

その後、護さんは鹿児島大学に進み、卒業後は宮崎で小学校の教師となります。在学中に60年安保闘争のデモにも参加したと聞いています。それは、

「これから先は戦争そのものは勿論、それにつながることへも常に反対し、教え子たちには、ずっと私の体験を語り継いでいきたいと思います。
それが、残留孤児として親探しもせず、幸せに暮らしているわたしの義務だと思うからです。」

正直、護さんがここまで苦労されたとは知りませんでした。この文集のコピーで初めて知った次第です。貴重な戦争の記録です。生前もっといろいろ聞いておけばよかったと悔いています。

私ごとになりますが、1972年夏、この年の2月に学費値上げ反対闘争で逮捕・起訴され、私なりに将来に向け苦悩していたところ宮崎の護さんを訪ねました。「お母さんも心配しとらしたぞ」と言って、宮崎の観光地をあちこち連れて行ってくれました。護さんなりの激励だったかもしれません。途中サボテン公園に行くと父兄が声を掛けてきました。朝も早くから子供らが家に来て騒いでいました。父兄や子供らに慕われた先生だったようです。

なお、護さんは昭和14年4月生まれ、同18年北朝鮮阿吾地に渡り、同21年帰国。同38年鹿児島大学卒業、以後宮崎県下で小学校教師を務める。この文集は戦後39年の1984年(昭和59年)に作成されました。

(松岡利康)

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D8PP3BNK/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

『季節』を発行し始めてから多くの稀有の闘士に巡り合いました。みなさんに『季節』は支えられてきましたが、志半ばに斃(たお)れ、『季節』の発行に痛手となりました。

特に、創刊から報告記事を寄稿いただいた渕上太郎さん、『季節』を創刊するや、待ってましたとばかり連絡してこられ2号から毎号独特の反原発記事を寄稿いただいた納谷正基さん、私と同期で妙にウマが合った北村肇さん──。

渕上太郎さんは、3・11後、すぐに経済産業省前にテントを張り座り込み行動を開始、渕上さんはその代表でした。渕上さん亡き後も、それはいまだに続いています。中心になったのは、いわゆる団塊の世代で、かつて全共闘運動やベトナム反戦運動に関わった方々でした。渕上さんの後の報告記事は三上治さんが引き継ぎ綴っておられます。

渕上太郎さん

納谷正基さんは、教育ジャーナリストといおうか、全国の高校を回り講演活動を続けてこられました。これだけだったらざらにいるわけですが、彼はそこで原発や原爆の怖さを語り、年々呼ぶ高校が減っていきました。それでも彼は頑固にみずからの主張を亡くなるまで曲げませんでした。それは、お連れ合いが広島の被爆2世で苦しみながら亡くなったことが原体験となっています。

私たちが『季節』を創刊する以前から陰ながら当社の本の熱心な読者でした。しかし、そうした彼のファンは多くいて、ある時、関西を訪問し当社と交流する機会があり、ある大学の学長は、大学の業務を済ませた後、わざわざ関西まで駆け付けられたほどです。

納谷正基さん

北村肇さん、『サンデー毎日』編集長の際、「芸能界のドン」バーニング告発の連載を行い、その後は『週刊金曜日』編集著兼発行人として活動され、『季節』や『紙の爆弾』とも連携し、大手メディアが腐敗していく中で獅子奮迅の闘いを持続されました。

私と同期(1970年大学入学)で、妙にウマが合い連帯を強めました。しかし、病が彼を襲い、残念ながら共闘関係はなくなりました。その後、『週刊金曜日』から広告掲載拒否、事実上の絶縁を宣言されました。私に言わせば、現在『週刊金曜日』から北村色は一掃され、北村さんの志を蔑ろにし、自由な言論を体現するというメディアとしての使命を忘れ、北村さんの望まない方向に向かっているといえるでしょう。

北村肇さん

渕上さん、納谷さん、北村さん ── 私たちは、あなた方の志を忘れることなく、この小さな雑誌『季節』を持続し反(脱)原発の唯一の雑誌として在り続けることを誓います。

(松岡利康)

8月5日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年夏・秋合併号(NO NUKES voice 改題)

A5判 148ページ(本文144ページ+巻頭カラー4ページ) 定価880円(税込み)
お陰様で10周年を迎えました!

《グラビア》
「幻の珠洲原発」建設予定地 岩盤隆起4メートルの驚愕(写真=北野 進
「さよなら!志賀原発」金沢集会(写真=Kouji Nakazawa

《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 原子力からこの国が撤退できない理由

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 なぜ日本は原発をやめなければならないのか

《報告》井戸謙一(元裁判官/弁護士)
 事実を知り、それを人々に伝える

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 核武装に執着する者たち

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
 課題は放置されたまま

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
 原発被害の本質を知る

《インタビュー》北野 進(「志賀原発を廃炉に!訴訟」原告団団長)
 珠洲原発・建設阻止の闘いは、民主主義を勝ち取っていく闘いだった

《対談》鎌田 慧(ルポライター)×柳田 真(たんぽぽ舎共同代表)
 東京圏の反原発 ── これまでとこれから

《報告》今中哲二(京都大学複合原子力科学研究所研究員)
「核融合発電」蜃気楼に足が生え

※          ※          ※

《回想》松岡利康(鹿砦社代表)
 創刊から10周年を迎えるまでの想い出

《墓碑銘》松岡利康(鹿砦社代表)
 お世話になりながら途上で亡くなった方への追悼記

《季節創刊10周年応援メッセージ》

 菅 直人(衆議院議員・元内閣総理大臣)
 守りに入らず攻めの雑誌を

 中村敦夫(作家・俳優)
 混乱とチャンス  

 中嶌哲演(明通寺住職)
「立地地元」と「消費地元」の連帯で〈犠牲のシステム〉を終わらせる

 水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表)
『季節』丸の漕ぎ手をふやして、一刻も早く脱原発社会を実現しよう

 山崎隆敏(元越前市議)
「核のゴミ」をこれ以上増やさないために

 今野寿美雄(「子ども脱被ばく裁判」原告代表)
 裁判も出版も「継続は力なり」

 あらかぶ(「福島原発被ばく労災損害賠償裁判」原告)
 隠された「被ばく労働」問題を追及し、報じてほしい

※          ※          ※

《報告》なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)
《検証》あらかぶさん裁判 原発被ばく労働の本質的問題 

《報告》北村敏泰(ジャーナリスト)
 棄民の呻きを聞け 福島第一原発事故被害地から

《講演》和田央子(放射能ゴミ焼却を考えるふくしま連絡会)
「復興利権」のメガ拠点 「福島イノベーション・コースト構想」の内実〈前編〉

《報告》平宮康広(元技術者)
 水冷コンビナートの提案〈1〉

《報告》原田弘三(翻訳者)
 COP28・原発をめぐる二つの動き
「原発三倍化宣言」と「気候変動対策のための原発推進」合意

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
 総裁選より、政権交代だ

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
   タイガー・ジェット・シンに勲章! 問われる悪役の存在意義

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
   山田悦子の語る世界〈24〉
   甲山事件50年を迎えるにあたり
   誰にでも起こりうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか(下)

《報告》大今 歩(高校講師・農業)
   洋上風力発電を問う 秋本議員収賄事件を受けて

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
 時代遅れの「原発依存社会」から決別を!
 政府と電力各社が画策する再稼働推進の強行をくい止める

《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
 6・9大阪「とめよう!原発依存社会への暴走大集会」に1400人超が結集

《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
 女川原発の再稼働はあり得ない 福島事故を忘れたのか

《福島》黒田節子(請戸川河口テントひろば共同代表)
 浪江町「請戸川河口テントひろば・学ぶ会」で
 北茨城市大津漁協裁判で闘う永山さんと鈴木さんの話を聞く

《柏崎刈羽原発》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 7号機再稼働で惨劇が起きる前に、すべての原発を止めよう!

《首都圏》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)
 福島原発事故の責任もとれない東京電力に
 柏崎刈羽原発を動かす資格はない!

《浜岡原発》沖基幸(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
 静岡県知事と御前崎市長が交代して
「一番危険な原発」はどうなるか

《島根原発》芦原康江(さよなら島根原発ネットワーク)
 政治に忖度し、島根原発2号機運転差止請求を却下
 それでも私たちは諦めない!

《玄海原発》石丸初美(玄海原発プルサーマルと全基をみんなで止める裁判の会)
 玄海町「高レベル放射性廃棄物・最終処分場に関する文献調査」受入!

《川内原発》向原祥隆(反原発・かごしまネット代表)
 私たちは歩み続ける

《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
 原子力規制委員会を責め続けて11年
 原子力規制委員会は、再稼動推進委員会・被曝強要委員会

《反原発川柳》乱鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

龍一郎揮毫

私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

鎮魂(龍一郎 揮毫)

ここ甲子園では、今年も夏の高校野球が始まりました。私は毎日甲子園球場の周りを散歩していますが、日本中から多くの人たちが駆け付け賑わっています。ウクライナやガザでは日々人々が亡くなり悲惨な状況だというのに、地球の遙か遠くの戦火がまるで嘘のような平和な風景です。

昨年、古くからの知人で児童文学・子どもの生活文化研究家の梓加依さんの著書『広島の追憶 ―― 原爆投下後、子どもたちのそれからの物語』を出版いたしました。梓さんとは不思議な因縁で1992年、『豊かさの扉の向こう側』(長崎青海名義)を出版して以来、一時期娘さんが当社で働いたり、細く長い付き合いです。1992年と言いますから、実に30年余り経っていますが、これもまた何かの縁です。

先の『豊かさの扉の向こう側』を偶然に教育委員会の方が読まれ県下の図書館に置きたいということであるだけ持って行ったり、また、ある国立大学の非常勤講師の話があったりし、もともと勤勉な方で、近畿大学の夜間課程に入学、さらには神戸大学の大学院修士を修了されました。

梓さんは終戦前年の長崎生まれ、その後広島に移住、高校を卒業するまで住まわれていました。戦後の長崎、広島の悲惨な風景に日々接していたはずです。

そうしたことを自著の中で述べてこられました。当社が昨年出した『広島の追憶』は、その体験に基づいたノンフィクション・ノベルで、ぜひご一読いただきたい一冊です。

そして梓さんは、この最後に、
「……そして、戦後八十年に届く日が過ぎた。でも、地球から核の脅威はなくならない。戦争もなくならない。風よ、届けてほしい。被爆地ヒロシマから世界中の子どもたちへ。この八十年の物語が、子どもたちの未来、いいえ、近い将来の物語にならないように……。」
と書き記しておられます。

一見平和な今の甲子園周辺の風景 ―― これはいつまで続くのか? いまや年老いた多くの先達たちが、時に血を流し闘いながら守って来た〈平和〉、ここで挫けることがあってはなりません。改憲の蠢動は断固粉砕しなくてはなりません。

8月6日に続き、再び〈反戦歌〉2曲、加筆し再掲載させていただきます。これらに表現された平和への想いを感じ取って欲しい。

◆ザ・フォーク・クルセダーズ『戦争は知らない』

よく『戦争を知らない子供たち』と間違えられますが、違います。『戦争は知らない』は、それよりも先にベトナム戦争真っ盛りの1967年にシングルカットされ、発売されています。作詞は、演劇の世界に新たな境地を開拓した劇団『天井桟敷』主宰の寺山修司、歌は『たそがれの御堂筋』で有名な坂本スミ子。意外な組み合わせです。

寺山修司は、いわゆるアングラ演劇の教祖ともされる人物ですが、彼がこのように純な歌詞を書いたのも意外ですし、また坂本スミ子に歌わせたのも意外、歌謡曲として売り出そうとしたのでしょうか。

その後、ザ・フォーク・クルセダーズ(略称フォークル)が歌いますが、こちらがポピュラーです。いわば「反戦フォーク」として知られています。私は坂本スミ子が歌ったのを知りませんでしたが、フォークルのメンバーだった端田宣彦(はしだのりひこ。故人)さんに生前インタビューする機会があり(かつて私が編集した『この人に聞きたい青春時代〈2〉』)この際に端田さんから直接お聞きしました。

誰にも口ずさめる歌ですので、みなで歌うことがあれば、ぜひ歌ってください。私たちも先日、コロナの感染で長らくイベントを休んでいましたが、20年余り全国の刑務所・少年院を回り獄内ライブ(プリズン・コンサート)を行っている女性デュオ「Paix2(ペペ)」のライブを行いました。そこでもみなで歌いましたPaix2のPaixとはフランス語で「平和」という意味で、これが2人なのでPaix2ということです。

だったら、今こそ、この曲を歌って欲しいという願いからでした。


◎[参考動画]ザ・フォーク・クルセダーズ 戦争は知らない (1968年11月10日発売/東芝Capitol CP-1035)作詞:寺山修司/作曲:加藤ヒロシ/編曲:青木望

♪野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの
戦争の日を 何も知らない
だけど私に 父はいない
父を想えば あゝ荒野に
赤い夕陽が 夕陽が沈む
戦さで死んだ 悲しい父さん
私は あなたの娘です
20年後の この故郷で
明日お嫁に お嫁に行くの
見ていてください 遙かな父さん
いわし雲飛ぶ 空の下
戦さ知らずに 20歳になって
嫁いで母に 母になるの
野に咲く花の 名前は知らない
だけど 野に咲く花が好き
帽子にいっぱい 摘みゆけば
なぜか涙が 涙が出るの

◆ネーネーズ『平和の流歌』

先に反戦歌として『戦争は知らない』について記述したところ予想以上の反響がありました。私たちの世代は若い頃、日常的に反戦歌に触れてきました。なので反戦歌といってもべつに違和感はありません。最近の若い人たちにとっては、なにかしら説教くさいように感じられるかもしれませんが……。

今回は、この記事を書いた年が沖縄返還(併合)50年ということで、沖縄についての反戦歌を採り上げてみました。

沖縄が、先の大戦の最終決戦の場で、大きな犠牲を強いられたこともあるからか、戦後、沖縄戦の真相や、戦後も続くアメリカ支配は歴然で、それを真剣に学んだ、主に「本土」のミュージシャンによって反戦・非戦の想いを込めた名曲が多く作られました。すぐに思い出すだけでも、宮沢和史『島唄』、森山良子『さとうきび畑』、森山が作詞した『涙そうそう』、阿木耀子作詞・宇崎竜童作曲『沖縄ベイ・ブルース』『余所(よそ)の人』……。

森山良子など、デビューの頃は「日本のジョーン・バエズ」などと言われながら、当時は、レコード会社の営業策もあったのか、いわゆる「カレッジ・フォーク」で、反戦歌などは歌っていなかった印象が強いです(が、前記の『さとうきび畑』を1969年発売のアルバムに収録していますが、当時は知りませんでした)。

『沖縄ベイ・ブルース』『余所の人』はネーネーズが歌っていますが、ネーネーズの師匠である知名定男先生と宇崎竜童さんとの交友から楽曲の提供を受けたものと(私なりに)推察しています。知名先生に再会する機会があれば聞いてみたいと思います。

それは以前、高校の同級生・東濱弘憲君(出生と育ちは熊本ですが親御さんは与那国島出身)がライフワークとして熊本で始めた島唄野外ライブ「琉球の風~島から島へ」に宇崎さんは知名先生の電話一本で快く何度も来演いただいたことからもわかります。熊本は沖縄との繋がりが強く『熊本節』という島歌があるほどです。一時は30万人余りの沖縄人が熊本にいたとも聞きました。それにしても、沖縄民謡の大家・知名先生とロック界の大御所・宇崎さんとの意外な関係、人と人の縁とは不思議なものです。

ところで、ネーネーズが歌っている楽曲に『平和の琉歌』があります。これは、なんとサザンオールスターズの桑田佳祐が作詞・作曲しています(1996年)。前出の『戦争は知らない』の作詞がアングラ演劇の嚆矢・寺山修司で、これを最初に歌ったのが『たそがれの御堂筋』という歌謡曲で有名な坂本スミ子だったのと同様に意外です。しかし桑田の父親は満州戦線で戦い帰還、日頃からその体験を桑田に語っていたそうで、桑田の非戦意識はそこで培われたのかもしれません。

この曲は、在りし日の筑紫哲也の『NEWS23』のエンディングソングとして流されていたものです。筑紫哲也は沖縄フリークとして知られ、他にもネーネーズの代表作『黄金(こがね)の花』(岡本おさみ作詞、知名定男作曲)も流しています。

岡本おさみは、森進一が歌いレコード大賞を獲った『襟裳岬』も作詞しデビュー間もない頃の吉田拓郎に多く詞を提供しています。岡本おさみは他にも『山河、今は遠く』という曲もネーネーズに提供しており、これも知名先生が作曲し知名先生は「団塊世代への応援歌」と仰っています。いい歌です。ネーネーズには、そうしたいい歌が多いのに、一般にはさほど評価されていないことは残念です。

さらに意外なことに、一番、二番は桑田が作詞していますが、三番を知名先生が作詞されています。

サザンは、最初に歌ったイベントの映像と共にアルバムに収録し、シングルカットもしているそうですが、全く記憶にないので、さほどヒットはしていないと思われます。サザン版では一番、二番のみで三番はありません。ここでは一番~三番までをフルで掲載しておきます。

【画像のメンバーは現在、上原渚以外は入れ替わっています。現在のメンバーでの『平和の琉歌』は未見です。】


◎[参考動画]『平和への琉歌』 ネーネーズ『Live in TOKYO~月に歌う』ライブDigest

一 
この国が平和だとだれが決めたの
人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 
夢も見ました民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ
傷の癒えない人々へ
語り継がれていくために

二 
この国が平和だと誰が決めたの
汚れ我が身の罪ほろぼしに
人として生きるのを何故にこばむの
隣り合わせの軍人さんよ
蒼いお月様が泣いております
未だ終わらぬ過去があります
愛を植えましょう この島へ
歌を忘れぬ人々へ
いつか花咲くその日まで

三 
御月前たり泣ちや呉みそな
やがて笑ゆる節んあいびさ
情け知らさな この島の
歌やこの島の暮らしさみ
いつか咲かする愛の花

[読み方]うちちょーめーたりなちやくぃみそな やがてぃわらゆるしちんあいびさ なさきしらさなくぬしまぬ  うたやくぬしまぬくらしさみ ‘いちかさかする あいぬはな

ネーネーズの熱いファンと思われる長澤靖浩さんという方は次のように「大和ことば」に訳されています。

「お月様よ もしもし 泣くのはやめてください やがて笑える季節がきっとありますよ 情けをしらせたいものだ この島の 歌こそこの島の暮らしなのだ いつか咲かせよう 愛の花を」

(松岡利康)

◎[リンク]今こそ反戦歌を! http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=103

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/

◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

前の記事を読む »