《7月のことば》禍福は糾える縄の如し

松岡利康

《7月のことば》禍福は糾える縄の如し(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

本日から7月、1年の半分が過ぎました。

今月の言葉「禍福は糾(あざな)える縄の如し」──これまでの私や鹿砦社の浮き沈みを言い得ている言葉で元々は『史記』にあります。

幸福と不幸は、より合わせた縄のように交互にやってくるという意味です。すなわち、災いだと思っていたことが幸運の原因になることもある。成功したと思ったら失敗する、失敗したと思ったら成功することもある。たとえて言うならば、より合わせた縄のようだ、という使われ方をされています。

私は20年前、「名誉毀損」に名を借りて逮捕され、会社は壊滅的打撃を受けました。しかし、その後、勝機を掴み復活しました。

ところが、私の人生に安穏はないようで、それはまた次の不幸の始まりでした。新型コロナの襲来によって今は塗炭の苦しみに喘いでいます。ここを切り抜けると必ずや何度も味わった栄光がやってくると信じたい。

さすがに龍一郎、うまい言葉を持ってきやがったな。

◇      ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

今月は〈7・12〉がもうすぐです。時の流れは速いものです。2005年7月12日の、晴天の霹靂の逮捕から20年です。皆様方と共に語り合い、有意義に過ごしたいと考えています。関西在住の方は、今からでもすぐに参加申し込みをお願いいたします。参加できない方はカンパやご祝儀などでご支援ください。

(松岡利康)

月刊『紙の爆弾』創刊20周年/唯一の反原発情報誌『季節』創刊10周年7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。圧倒的なご参加とご支援をお願いいたします!

鹿砦社代表 松岡利康

鹿砦社の出版活動を支援されるすべての皆様 ── 本格的な猛暑が襲来しました。平素は私たちの出版活動に多大のご理解とご厚誼、ご支援を賜り有り難うございます。 

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」まであと2週間に迫りました。

私たちは、月刊『紙の爆弾』創刊20周年/『季節』創刊10周年に際し、去る4月5日東京日比谷の、わが国メディアの象徴である日本プレスセンターにて「鹿砦社反転攻勢の集い」を開き多くの方々にご参集いただき圧倒的な成功を収めました。これもひとえに皆様方のご支援があったからこそです。あらためてお礼申し上げます。

その成功を踏まえ、それに参加できなかった関西在住の支援者の皆様からの強い要望で急遽関西でも集いを開催することになり、目下総力を挙げて、7・12関西の集いの準備に取り組んでいます。関西在住の方はぜひご参加をお願いいたします。東京に負けず関西の意地と底力を見せつけようではありませんか!

これら2つの集いを機にコロナ禍以来の低迷状態を打破し再びベクトルを上向かせなければなりません。20年前の7月12日、『紙の爆弾』創刊から3カ月余りのち、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧で松岡の逮捕─長期勾留によって鹿砦社は壊滅的打撃を被り、それでも多くの方々のご支援により勝機を掴み復活することができましたので、今回も復活は優に可能だと信じています。

大きな節目を迎えた『紙の爆弾』『季節』ですが、今後の現実は厳しく、遺憾ながら両誌の版元の鹿砦社は、20周年、10周年を、新型コロナの波に飲まれた苦境の中で迎えなければなりませんでした。一時は巻き返したこともありましたが、私たちの非力と見通しの甘さで浮き沈みを繰り返しています。これまでご支援をいただいた皆様方には本当に申し訳なくお詫び申し上げます。

『紙爆』にしろ『季節』にしろ、このかん皆様方のご支援を賜り一号一号綱渡り状態で発行してまいりました。そうして迎えた4・5「鹿砦社反転攻勢の集い」は大成功を収めることができました。予想は厳しかったですが、皆様方のご支援でなんとかクリアできました。

そして迎える7・12 ── 財政問題はじめ、まだまだ当面する喫緊の諸問題を乗り越えないといけません。関西在住の方はなにとぞご参集ください。また、カンパやご祝儀などのご支援もよろしくお願いできれば幸甚です。現在好評裡に販売中の「セット直販」もお願いいたします。至急多くの浄財を集中的にお寄せください!

ことは急を告げています。非礼を承知でこのたびも皆様方に甘えてしまいますが、何卒事情ご賢察のうえご参加と、早急なご支援のほどよろしくお願い申し上げます。 

暑さ厳しき折り、皆様方のご健勝とご活躍をお祈り申し上げます。 

梓加依・著『広島の追憶』が広島市読書感想文コンクールの課題図書に選定!

鹿砦社代表 松岡利康

著者の梓さんとは古くから細く長い付き合いになります。娘さんが一時当社で働いたこともあります。

かつて長崎青海の名で『豊かさの扉の向う側』という本を初めて出版、1992年のことです。30年以上も前になります。それが偶然に書店で教育委員会の方の目に留まり、それで講演会に招かれ、その後、ある国立大学の講師の職に就くまでになりました。

長崎生まれ、広島育ち、戦後の被爆地の様子を見て育ち、その体験から何冊か本を出されています。本書『広島の追憶』もそうです。

もともとは高卒で大阪に就職で出てきて結婚、図書館でアルバイトをしながら平凡な生活を送っていました。

もう30年年以上も前、兵庫県川西市が汚職で問題になり、主婦の方々が立ち上がり「あしたを開く女性の会」を結成、2人が選挙に出馬、2人とも見事当選、それを記録しようと知り合いました。現在、『季節』編集長の小島卓君が丸ごと編集し『主婦の手づくり選挙入門』を出版しました。いい本で、今でも役立つと思いますが、残念ながら絶版です。会も分裂し、今はないと思います。議員のうちお一人の方が交通事故に遭ったとのニュースに接したことを思い出します。

その後、向学心に富む梓さんは、某大学で通信教育を受け学位を取得、それから神戸大学大学院に進み修士課程を修了されています。

これを機会に、一人でも多くの子ども、いや大人にも読まれることを望みます。

【著者略歴】梓 加依(あずさ・かえ)。児童文学・子どもの生活文化研究家。1944年長崎生まれ、小学校から高校まで広島市内に在住。公共図書館司書、大学非常勤講師、家庭裁判所調停委員などの仕事を経て、現在は物語を書く会「梓の木の会」主宰。
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315258/

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梓加依・著『広島の追憶』(鹿砦社 2023年)

図書紹介 〈広島の追憶 原爆投下後、子どもたちのそれぞれの物語〉
広島瀬戸内新聞ニュース 2024年12月21日

2023年鹿砦社から刊行
被団協ノーベル平和賞受賞、
被爆80周年になろうとしているいまこそ。
https://www.amazon.co.jp/d/4846315258/
https://www.rokusaisha.com/wp/?p=48020

1944年にナガサキに生まれ、小学校から高校までヒロシマで過ごした著者による「明日へと生きる若い人たち」への物語です。著者は「長崎青海」というペンネームで鹿砦社から松岡社長の編集で「豊かさの扉の向こう側」という本というより小冊子を著したことを契機に、大学非常勤講師や家裁の調停委員なども務めることになり、一念発起。図書館のアルバイト職員から大学に入学して司書資格を取得、修士課程も修了したという努力家でもあります。今回、30年ぶりに松岡社長の編集でまた本書を出されることになったそうです。

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本書は、『はだしのゲン』など従来の本と比べれば具体的な被爆シーンなどはなく、ソフトな描き方ではありますが、人が次々と亡くなっていくという恐怖、そして、それが自分自身もそうなるかもしれないとずっと背負い続ける恐怖。これらをリアルに描き出すことに成功しています。はだしのゲンなど従来の本は大事にしつつ、本書も広げていきたい。

被爆から78年たった今となっては、大人も広島でこういうことがあったことを、頭では勉強していても、きちんと認識している人は少ないと思われるからです。

それも広島においてさえも、です。和也君や裕君の家だったと思われる場所周辺(下写真=広島市南区的場町)。でも原爆からの復興で建てられた建物はもちろん、その後建て替えられたモダンなビルもまた壊され、ポストモダンな高層建築物がニョキニョキとそびえています。ついつい忘れてしまうことがある。だけど、忘れてはいけないことがある。筆者自身には子どもはいませんが、その分、周りの大人に伝えていきたいと思います。

同志社大学此春寮歌音源の完成に協力いただいたグリークラブへの募金について 此春寮OB会発起人(馬場徹、小西桂、川島繁)

鹿砦社代表 松岡利康

久しぶりに爽やかな話題を紹介します。過日の同志社大学此春寮(ししゅんりょう)の先輩・前田良典さんの著書『野の人』の刊行を予告する記事で、関連して少し同寮のことを書き記しましたが、さらもこれに関連する記事です。ぜひご一読、できればご協力お願いいたします。(松岡利康)

寮歌揮毫は書家・龍一郎

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物語は昨年12月に小生(川島)の拙いHPを見た同志社大学グリークラブ員からの問い合わせのメールから始まる。「同志社にまつわる歌の楽譜を調べており此春寮の楽譜はありませんか」と言うものだった。作詞・作曲者は分かっているものの楽譜は誰もその所在を知らない。1977年寮史編纂の時も同窓一同に問い合わせを試みたようだが譜面に行き当たることはできなかった。又、現在寮歌は現役の此春寮生の間でもど歌い継がれていないという。

この寮歌はかつての寮母砂野文枝さん(2010年1月死去)の追悼歌でもある。今でも決まって毎年1月には彼女が眠る深草の共同墓地にOBが集まり彼女を偲び寮歌を歌っているのだ。このままでは此春寮から同志社から寮歌が消える。こんな恐れが頭をよぎる、そんな時に一通の電子メールが寄せられた。これは何かの啓示ではないかと考えた。同窓でも55才 あまりも離れた現役生からメールをもらうことなどまず考えられないこと、しかし伝統の系譜なのか Doshisya college songには、和訳すればこんな一節がある。

「親愛なる母校よ、同志社の学徒はぶどうの枝のごとくつながりゆくことだろう」
つまりこれは寮歌を復元せよということなのだと解釈する。

この思いが伝わり小西桂君が家族の協力も得て譜面を起こしてくれた。そしてこれがグリークラブの皆さんに伝わり、19名のクラブ員が此春寮のために、手弁当で力強く量感あふれる若い声で寮歌の音源を完成してくれました。“人生意気に感ず”とはこのことだろうか! 今まで誰もなしえなかったことです。私たちOBも後輩達のこのボランティア精神溢れる行為に何らかの返答をしなければならないだろう。これは通り一遍のお礼文書でことを済ますことは出来ない。

同志社グリークラブは本年創立120周年である。コロナ禍の活動自粛により19年より合唱コンクールの全国大会から遠ざかり23年春では4年生団員はゼロと危機的な状況を迎えていた。

しかし24年には見事に復活し、大学ユースの部で関西では関学を押さえて一位金賞、更に全国大会では三位金賞に輝いた。東西大学合唱演奏会、全同志社合唱祭など自身の創立120周年記念演奏会を含め多忙な活動を行っている。全国にまたがる活動がために相当な活動資金が入ることは明らかだ。

そこで此春寮OBとして、音源完成への感謝の意を込め、部活動を支える応援を下記のように提案し、皆さんの協力をお願いしたい。

文中の受賞記事の様子(同志社大学グリークラブHPより)

  1. 全国各地で行われるグリークラブの演奏会を機会があれば鑑賞する
  2. 今回の音源作成に協力いただいたグリークラブの活動を支えるため、募金を募り集まった資金は大学募金課を通じてグリークラブへ寄進

・一口以上 5,000円
・募金目標 100,000円
・募金方法郵貯銀行からの振込(6月30日締切り)
(受取人)川島繁(カワシマシゲル)
(記号)14370
(番号)94558181
(備考)此春寮
※振込手数料(5万円未満)は、窓口 203円 ATM 152円

同志社大学グリークラブHP
http://www.gleeclub.jp/index.html

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此春寮 寮歌
金田義国 作詞
西田晃 作曲

1)遍く地より 集い来て
神を見上ぐる 若人の
その意気高く 谺せん
ああ 我が同志社 此春寮

2)互いに努め いそしみて
友と交わり 喜びの
心に満ちて 進みゆかん
ああ 我が同志社 此春寮

3)憂い苦しみ 分かち合い
共にいたわり 祈りつく
正しく強く 生き抜かん
ああ 我が同志社 此春寮

10・8山﨑博昭プロジェクト2025夏の関西集会のお知らせ~今こそあらゆる戦争をなくすために~

鹿砦社代表 松岡利康

10・8山﨑博昭プロジェクト2025年夏の関西集会は、来たる6月21日(土)14:00から「エル・おおさか」5階視聴覚室で開催します。

現在、大阪・関西万博が各種の問題をかかえながら開催中ですが、前回の大阪万博の前年1969年には、大阪城公園において、当時のベ平連を中心として、「ハンパク(反戦のための万国博)」が開催されました。

今回の関西集会では、ハンパクをテーマに研究を続けてこられた大野光明さんと実際にハンパク協会事務局においてハンパクの開催に尽力された植野芳雄さんにおいでいただき、ハンパクの意義と今日的意味を語っていただきます。

講演1『「反戦のための万国博(ハンパク)」とは何か?』
大野光明(滋賀県立大学教員.『社会運動史研究』編集委員会)

講演2『ハンパクに集まった人たち』
植野芳雄(元ハンパク協会事務局)

10・8山﨑博昭プロジェクト
https://yamazakiproject.com/from_secretariat/2025/05/24/7102

4・5東京に続き、7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」の成功と次のステップへ向けて 「セット直販」でのご支援のお願い! 鹿砦社の既刊本、希少本を買ってご支援ください! HELP US!

鹿砦社代表 松岡利康

『紙の爆弾』をはじめとする鹿砦社の出版活動を支持される皆様方──平素のご厚誼、ご支援、まことに有り難く心より感謝申し上げます。

月刊『紙の爆弾』は、お陰様で去る4月7日発行の5月号で創刊20周年を迎えました。

また、その増刊号で、わが国唯一の脱(反)原発情報誌『季節』(旧『NO NUKES voice』)も、昨年8月で創刊10周年を迎えました。

そうして、それを祝うと共に反転攻勢を図る意図で、去る4月5日、わが国メディアの中枢=東京日比谷・日本プレスセンターにおきまして、「鹿砦社反転攻勢の集い」を開催し、多くの皆様にご参集いただき成功裡に終了いたしました。

当初は現状を鑑み、関西の集いは予定していませんでしたが、4・5は東京中心だったことで、関西在住の皆様方から、これまで10周年や鹿砦社創業50周年の際は東京、関西双方で集いを催してまいりましたので、当然今回も関西でも開催するものだとの熱い要望があり、20年前、松岡が「名誉毀損」容疑で逮捕された運命の日=7月12日に、10周年と同じ会場にて開催することになりました。4・5に関西からの参加者は3人にとどまったこともあります。

しかし、当初予定していなかったことで、7・12にはまだご支援が少なく困っています。ここは、恥を忍んで皆様方に緊急のご支援をお願いし、何としても7・12を成功させ、まさに反転攻勢のステップ台とさせてください。

ところで、鹿砦社は、年に1,2度、『紙爆』『季節』定期購読者、会員、支援者を対象に、希少本、新刊織り交ぜて「セット直販」を行ってまいりました。

このたび、これまで書庫(書類置き場)としていた2室を整理、解約する過程で、これまで在庫がないと思っていた貴重な希少本が出てきました。まさに「掘り出し物」ですが放出いたします。

申し込んでくれた方々の一部は、それに気づいておられるようです。

また、「奇妙な情熱」と揶揄された『季節』5号(安保ブントの崩壊と関西ブントの思想。A5判556ページ大冊!)、6号(総特集=現代史における二つの安保闘争の意義。B5判442ページの大冊!)など、今では到底できない仕事です。在庫切れだと思っていたところ、多くはありませんが、そこそこ出てきました。

皆様にもぜひ1セット(いや、2セットでも3セットでも)お買い上げいただきたく思います。

さらに、知人、ご友人の方々らにも、拡販をお願いできれば、と強く希望いたします。10セットほどとりまとめてほしいところです(笑)。

特に今回お薦めの領域は、「学生運動、反戦運動」「『季節』(旧。思想誌の時期)」「レコジャケOTAKARAファイル」等です。すでに在庫がなくなり幻の本と思っていた本が出てきましたので。

◆下の画像は、左2つはレコジャケOTAKAファイルのPANTAとゴダイゴのもの、右2つが『季節』5号と6号)です。

※ご関心のある方は、直接メールにて私までご連絡ください。matsuoka@rokusaisha.com

折り返し詳しい案内(今回163点のリスト)を送ります。

(松岡利康)

同志社大学・此春寮先輩の前田良典さんが著書『野の人』を出版

鹿砦社代表 松岡利康

私たちの尊敬する先輩の前田良典(1962年度生)さんが、おそらくその人生において最初で最後の著書『野の人』を出版されることになり、僭越ながら編集・制作・発行を任せていただくことになりました。目次と前田さんの抱負は別記をご参照ください。

前田良典さんと言っても、一般的には無名に近いですが、1960年代、60年安保と70年安保の、いわゆる<二つの安保闘争>の端境期の時代の同志社大学の学生運動を支えた方です。

四六判、240ページほどで、非売品ですが、ご希望の方には郵送料プラスカンパ程度で私のほうから送らせていただきますので、お知らせください。8月末から9月頃の完成予定です。

【追記】前田さんや私、それに、かの藤本敏夫さんがいた寮は此春寮(ししゅんりょう)と言って、定員20数名の小さな寮です。同志社大学今出川キャンパスの近く、相国寺の裏に今でも在ります。

寮母の砂野(いさの)文枝さんは母親の代から寮母を勤め、学徒出陣を見送ったことで極めて反戦意識の強い方で、デモの日に寮にいたら叱られたほどです。

画像は、寮母さんの退職を視野に入れて刊行された寮誌『プロテスト群像――此春寮三〇年史』(1977年刊、B5変形判、306ページ,上製,箱入り)です。砂野さんは本書刊行を見届け1979年3月に退職されました。(松岡利康)

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関係者OB・OGの方々へ近日発刊のお知らせ

エゾフクロウ

前田良典小論選集
『野の人』(同大此春寮30年史のその後) 
                    

今までに後輩から何度か要請されても、私は「大義いなぁ」とその気にならなかったのですが今回改めての此春寮後輩からの要請で本を発刊することになりました。今まで「紙つぶて」のように出して来た私のバラバラの文章をつながるように後輩たちが何とか直して編集してくれて出版の運びになりました。これまでの文章には70年以降身辺に起きることへの対処と同時に「69年」への無念と不遜ながら原因と責任を書いて来ました。出版に当たってはそれを追悼文に集約しました。ここで私の根拠・拠点はやはり同大此春寮・同大学友会であり京都地方「地域労組(反帝労組)」だと改めて噛み締めました。90年頃までのものは引っ越しで捨てたりパソコンを買い替えてなくなっていましたが、辛うじてフロッピーやCDやUSBメモリーを掘り返したりしたら時代評論や歴史を含めると350頁どころか1000頁を超える文章を書いていました。それを350頁くらいに選定しました。田所追悼は既に発刊済ですので、内容は①藤本(同大)・大森(市大)・堂山(同大)・バラ均(京大)追悼②同大ブント③此春寮④東北大震災⑤書評⑥歴史です。

本のタイトル「野の人」は序文からの採用で9月頃出版です。       
(非売品・出版費と送料へのカンパ自由・拒否も可)
(カンパ振込用の「野の人」刊行会の口座は以下の通り)  
(京都中央信用金庫百万遍支店(010)総合 1083146 前田良典 です) 

2025年6月11日 前田良典

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野の人 目次   

(序)野の人 「前田良典小論選集」作成にあたり                  
第一章 追悼集
① 藤本敏夫氏 個と共同 (2003年)
② 大森昌也氏 追悼(2016年)
③ 堂山道生氏 思い出ボロボロ (2021年)
④ 中島・望月・片山氏 同志社の先輩達(2024年)
⑤ 境毅氏 ばら均さん追悼(1)(2)(2024年)

第二章 同志社ブント記
① 同志社大学学生運動私記(1960年代の記憶)(2003年)
② 同志社ブント黎明期(2011年)
③ 1969年ブントに何があったのか(2019年)

第三章 同志社此春寮(砂野寮母と寮生)
① 砂野ママ葬送一周年(2011年)
② 同志社リベラル(2013年)
③ 深草墓参(2013年)
④ 此春寮OB会で思い出すこと(2014年)
⑤ 館山君への手紙1、2、3 

第四章 書評
① 吉本「マチウ書試論」について(2003年)
② 私達は前近代を活きている(デカルト・スピノザ)1、2(2019)
③ 斎藤幸平「人新世」について(2021年)
④ 上間陽子「海をあげる」書評(2021年)
⑤ 柄谷行人「力と交換様式について」(2023年)

第五章 時代論評
① 時代は回る (2010年)
② 3,11大地震・津波・原発被災(2011年)
③ 南相馬への旅(2012年)
④ 「反原連運動(しばき隊)はスピリチュアル運動か(2015)
⑤ 「慰安婦と非正規労働」問題(2016)
⑥ 原発・沖縄・天皇・障碍者(2016)
⑦ 年頭にあたって(2017)
⑧ 安倍総理が国難である(2017)
⑨ 2018年年頭の思い(2018)
⑩ 「2018年お金と政治の流れ」(2018)
⑪ 擬態国家の頓挫1,2(2022)ウ古代史のこと(2014)
⑫ 小林古代史は単なる夢物語か(2016
⑬ 長州政治は「闇討ち」と「神隠し」の連続である(2016)
⑭ 「明治六年の政変」=近代日本の骨格(2018)
⑮ 藤原さんへ1.2(2020)

編集後記に付して

《6月のことば》真理がわれらを自由にする

鹿砦社代表 松岡利康

《6月のことば》真理がわれらを自由にする(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

今月の言葉は「真理がわれらを自由にする」だ。

この言葉は、知る人ぞ知るで、国立国会図書館の目立つ所に貼られている有名な言葉である。

浅学の徒である私はこの言葉を知らなかった。知ったのは、加藤一夫著『記憶装置の解体──国立国会図書館の原点』(1989年。品切れ)を出版した時だ。この頃、著者は国会図書館に勤めておられた。何で知り合ったのかは定かではないが、おそらく加藤さんが翻訳された第二期トロツキー選集『革命はいかに武装されたか』に関心を持ち連絡したことからだったと微かに記憶にある。学生時代に革命家トロツキーに関心を持ち、ロシア革命の見直しの連続講座も持ったので、この関連からだったかな。上京するたびに国会図書館に立ち寄り歓談させていただいた。そのうち著書にまとめようという話になったのではないか……。

本書刊行は1989年というから出版を専業としてまだ5年ほどしか経っていなかった。A5判350ページの、けっこう大部の本になり、途中弱音を吐いたが、著者に叱責され、また出版界の先輩には激励され、出版に漕ぎつけることができた。

著者は1960年代後半の激動の時代に大学に身を置き闘いながら、70年代に入り大学を離れ国立国会図書館に入った。その、いわば中間総括の書である。今紐解いても意義ある本で輝きを失ってはいない。

ところで、「真理がわれらを自由にする」とはどういう経緯で国会図書館に貼られているのだろうか? 次の解説が一番的確なので、長いが引用し説明に替える。──

《東京・永田町にある国立国会図書館は、昭和23年(1948年)設立された日本で唯一の国立図書館として、国会だけでなく広く日本国民に開かれた図書館だ。
 図書館の利用者は、昭和36年(1961年)開館されたここ東京本館の目録ホールにある図書カウンター上部に刻まれた「真理がわれらを自由にする」という日本語と、その傍らのギリシャ語銘文を自然と目にすることになるが、この言葉が国立国会図書館法の前文として明記され、図書館の精神として66年もの間生き続けていることはそれほど知られていない。
 昭和23年(1948年)起案された国立国会図書館法の前文には、法案の起案に参画した歴史家で当時の参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎氏がドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文をもとに、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」と記されており、このフライブルグ大学図書館の銘文は新約聖書・ヨハネによる福音書の一文「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」に由来するものとされている。》(永田純子「真理がわれらを自由にする」:国立国会図書館に生きるギリシャの精神)

(松岡利康)

鹿砦社創業メンバーの前田和男さんが新刊『冤罪を晴らす!』を上梓しました

鹿砦社代表 松岡利康

他社本ですが新刊のお知らせです。鹿砦社創業メンバーにして最後の生き残り=前田和男さんが新刊を出されましたのでご紹介いたします。前田さんと言えば『続 全共闘白書』で有名ですが、こういう本も出されています。当社の本と共にご購読いただければ幸いです。