明日5月23日午後1時15分から、相次ぐ「鹿砦社はクソ」発言で鹿砦社が李信恵を訴えた訴訟の第4回口頭弁論が開かれます(大阪地裁第13民事部1010号法廷)。

ところが、この期日を前に、李信恵被告側は5月16日付けで「上申書」を提出し本訴での「新たな反論は不要」としています。

また、すでにこの通信でも触れていますように、4月16日付けの「反訴状」が同月25日に届きました。「反訴」とは本訴に関連して民事訴訟の被告が逆に原告を訴える行為です。反訴の請求では、これまで鹿砦社が出版したリンチ関連本4冊に記述された李信恵被告(反訴原告)についての記事や本通信での記事が「名誉毀損」にあたるとして損害賠償550万円+弁護費用50万円を支払えということ、4冊の「出版物の販売差し止め」と本通信記事の「削除」などを請求しています。穏当な請求ではありません。

「反訴」の主張は、本訴との直接関連性を欠き不適法なものです。機に乗じて「出版物の販売差し止め」まで請求するとは〝筋違い〟も甚だしいといっても過言ではありません。今回の弁論では、裁判所がこれをどう取り扱うが問題となります。

ところで、「出版物の販売差し止め」は、憲法21条に謳われた「表現の自由」「言論・出版の自由」に触れるもので、高度の違法性がない限り認められるものではないことは、「フリーのジャーナリスト」(反訴状)である李信恵ならば周知のことでしょう。先の4冊の本で万が一「出版物の販売差し止め」が認められるのならば、判例として残ることでしょう。あまりにも軽々に「出版物の販売差し止め」請求などを、「ライター」や「フリーのジャーナリスト」を自認する者がやるべきことではありません。それは自らの職業の否定に他ならないからです。

◆新刊『真実と暴力の隠蔽』を刊行します!

さて、私たちは5月28日にリンチ事件関連本第5弾『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』を出版いたします。

M君リンチ事件〈爆弾〉第5弾『真実と暴力の隠蔽』5月28日発売 定価800円(税込。送料サービス)。予約申し込み先は鹿砦社販売部まで sales@rokusaisha.com

これまで以上に新たな〈爆弾〉が装填されています。刑事事件にもなりかねない問題画像も満載です。仮にM君あるいは私たちが刑事告訴・告発をすれば、おそらく受理→立件されるでしょう。

実は前著『カウンターと暴力』掲載の被害者M君のリンチ直後の凄惨な写真が一部取次会社で問題になり配本を削減されました。にもかかわらず、それを凌駕する証拠を『真実と暴力の隠蔽――カウンター大学院生リンチ事件の闇を解明する!』には掲載しました。

私たちが取材を進め出版を重ねる過程で、多くの方々から情報が寄せられ弾が尽きることはありません。あまりに情報や資料が多く、今回も〝積み残し〟がありましたが、「弾はまだ残っとるぜよ」(『仁義なき戦い』)といったところでしょうか。

◆『真実と暴力の隠蔽』出版にあたって思うこと

蛇足ながらもう少し言わせてください。私(たち)は偶々このリンチ事件とこの被害者M君と出会いました。もう2年3カ月ほどになります。M君の話を聞いたり証拠資料を読んだりリンチの最中の音声データを聴いたりして、被害者M君救済・支援と真相究明にあたることにしました。それはそうでしょう、藁をもすがる想いで頼って来ている青年が目の前にいたなら見棄ておけるわけがありません。

事件から1年以上が経ち、わずかな人たちに支えられながらも、弁護士にもことごとく断られ続け、M君は孤立感を深めていました。ずっとリンチの悪夢に苦しめられてきたということですが、それはそうでしょう、私がもしM君だったら、精神に耐えられず発狂していたと思います。冗談ではなく――。

マスメディアは一行たりとも報じず、私たちが知ることができるわけがありません。加害者周辺の人たちの隠蔽工作、あるいは沈黙などもありました。なによりも鹿砦社の社員に、「カウンター」の中心メンバーがいながら気づきませんでした。会社の代表として人を見る目がなかったと反省しています。

一番驚いたのは、加害者らが「反差別」運動のリーダー的存在ながら、今回提訴した要因にもなっているように、汚い言葉を平気で吐くことで、いわばカルチャーショックを受けました。現在の「反差別」運動とはこんなものでしょうか。

私は学生時代に一時学生運動の洗礼を受けましたが、卒業後は長年社会運動の現場から離れていました。しかし「3・11」を機に脱(反)原発運動にも関わるようになり、この事件にも遭遇して、現在の社会運動の「現場」を垣間見ることになりましたが、驚くことばかりでした。

特に、このリンチ事件は、広く関係する人たちが対応を誤ると、この国の反差別運動のみならず社会運動総体にとって将来に禍根を残すと思います。そうではないという方は、根拠を持って反論していただきたい。

近刊の『真実と暴力の隠蔽』で、リンチ事件関連本は5冊目となります。シリーズ物でこれだけ出したものはありません。それなりに根性を入れて取材や調査をやりましたので、いくら生来鈍愚な私でも、事件の実態や「カウンター」とか「しばき隊」をいわれる人たちについては詳しくなりました。

私は性善説に立ち「覆水盆に返る」ことをずっと言い続けていましたが、「カウンター」や「しばき隊」の周囲にいた人や、私以上に長らくそれを見てきた人の中には「覆水盆に返らず」と仰る人がいます。いや、この人たちのほうが多いことにも驚きデスぺレートな気分になります。

このリンチ事件、今後どのように転回して行くのか判りませんが、私としては、被害者救済・支援と事件の真相究明をさらに続け、このままでは将来に禍根を残すことを微力ながらでも訴え続けていくしかありません。

予約申し込みは、Amazonか鹿砦社販売部sales@rokusaisha.com にお願いします。

Amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B07CXC368T/
鹿砦社 http://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000541

ツイッター上で李信恵被告による、「鹿砦社はクソ」、「クソ鹿砦社」などと、多量な誹謗中傷が止まらず、本コラムで取材班ならびに松岡が数度にわたり「品のない言葉遣い」を止めるよう李信恵被告に注意を促したが、それでも罵詈雑言が止まらなかったため、鹿砦社は仕方なく李信恵被告を相手取り名誉毀損損害賠償請求を大阪地裁に起こした(2017年9月28日)ことは、本コラム並びに、『カウンターと暴力の病理』でもご紹介した。

 

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(2016年7月刊)

同訴訟の前回期日(3月16日)に代理人の上瀧浩子弁護士から「反訴の意思」がある、旨の発言があった。どのような反訴が行われるのかを、多忙なかたわら待っていると、2018年4月17日付け(受付印は18日)の「反訴状」が過日(4月25日)鹿砦社に届けられた。「ないもの」をあたかも「あったように」印象操作する魔術師、李信恵被告がどのような「反訴」を打ってくるのか? 鹿砦社と取材班はその「反訴」内容を半ば「楽しみに」待っていた。

ただし、強調しておかなければならないのは、そもそもこの提訴は李信恵被告による、鹿砦社に対する誹謗中傷や、根拠なき言いがかりが発端となり、単なる名誉毀損だけではなく、鹿砦社の業務自体に悪影響が出る兆しが見えはじめ、放置することができなくなったことが背景にあることだ。

1つの事柄をめぐって、100人には100通りの解釈が成立しよう。それが思想や言論の自由というものだ。しかしながら「ない」ことを「ある」といってはならない。それは「ある」ことを「ない」というに等しく大きな誤謬であるにとどまらず、人や団体を深く傷つける行為につながる。歴史修正主義者の言説などがそうだ。「南京大虐殺はなかった」、「日本は合法的に朝鮮半島を併合した」などとの主張は、歴史の事実に逆らうもので、そこで生きた人びとの営為を無化しその精神を殺してしまうものである。

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(2016年11月刊)

李信恵被告の発信にも同様に、あたかも鹿砦社が「李信恵被告の仕事の妨害をしている」、あるいは「健康を害する原因を作っている」かのごとき言いがかりも散見された。しかしながら事実に立脚していなくとも、このような「物言い」はそれ自体が独り歩きしてしまい、鹿砦社に対するマイナスの情報やイメージとして流布される。ことに「差別の被害者」としてマスコミに頻繁に取り上げられる、李信恵被告からの発信は、無名な市民の発信とは訴求力において比較にならぬ力を持つ。

そのため、致し方なく鹿砦社は業務への悪影響と、継続する誹謗中傷を止めるために提訴を起こす以外に選択肢がなかったのである。事実、提訴以降李信恵被告による鹿砦社に対する誹謗中傷、罵詈雑言はすっかり影を潜めた。その点において提訴は判決を待たずとも、一定の「抑止効果」をすでに発揮しているといえよう。

そこにもってきての李信被側からの「反訴」である。以下請求の趣旨を掲載するが請求では、まず、550万円を払えと求めている。そして鹿砦社がこれまでに発刊した『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』を「頒布販売してはならない」と実質上の販売差し止めをもとめている。また本コラムに掲載した過去の記事の削除も要求している。

概ね予想の範囲内ではあったが、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』を「頒布販売してはならない」との請求には、正直失笑を禁じ得なかった。すでに発売されてから1年以上のものも含み4冊を「販売するな!」、「広めるな!」との主張は李信恵被告や、代理人、神原元弁護士らしい、乱暴な請求ではあるが、もし本気で「販売差し止め」を求めるのであれば、どうして「仮処分」の申立てを行わなかったのだ?

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(2017年5月刊)

少々解説すると、一般の裁判は判決が出るまでに相応の時間がかかる。鹿砦社が李信恵被告を訴えた裁判も判決が出るのは、まだかなり先になるだろう。これが民事訴訟の標準である。一方のっぴきならない緊急性があるときは「仮処分」を裁判所に申し立てて、それが認められれば、極めて短時間で司法により「禁止」や「差し止め」の命令が下されることがある。鹿砦社自身過去に不当と思われる「仮処分」による「出版差し止め」を食らった経験があるし、大手週刊誌などでも「出版差し止め」の仮処分が認められ、発刊が出来なかった事例は過去にある。

しかし、出版差し止め仮処分を申し立てるには、強度の緊急性と高度の違法性を要する理由がなければならない。仮処分が認められなければ、引き続き同じ内容を争う「本訴」では不利に作用することもある。

李信恵被告側は、鹿砦社が発刊した上記4冊に、名誉毀損や事実無根の記載があれば、堂々と出版差し止め仮処分を申し立てる選択肢もあったろうに、そうはしていない。そして、その根拠は丁寧にも「反訴状」に記載されている。いずれの4冊も李信恵に言及している部分のみを理由として、「頒布販売の禁止」を求めている。

法的な知識に取材班は詳しくないが、李信恵側が主張する「頒布販売の禁止」のを求める根拠は、いかにも希薄である。弁護士に相談するまでもなく、手元に反論材料は山積している。反論材料を多すぎて、整理するのに手間がかかるほどだ。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(2017年12月刊)

そもそも『鶴橋安寧』を出版以降、李信恵被告による、まとまった文章による主張を目にしていない(どこかにあるのかもしれないが、鹿砦社ならびに取材班は見つけることができていない)。李信恵被告は元々ライターなのであるから、自身に疑義が向けられている「事件」についてもツイッターなどという、安易な方法ではなく、自身のまとまった見解を明らかにすればよいのではないか。売れっ子の李信恵被告が、原稿を発表したいと声をかければ、幾らでもそれに応じる出版社はあろう(取材班の多くがうらやむほど……)。

だが待て! 先日のM君が李信恵被告ら5名を訴えた裁判の判決では、M君が勝訴はしたものの、一般常識からすれば考えられない、「屁理屈」のような論が展開され、多くの主張が認められなかった。あろうことか同一個人名の誤表記が3度も判決文にはあった。「裁判は水物」だ。「え、嘘だ!」というような判決が、過去あまた積み重なっている事実を無視はできない。

可能性は低いが、万が一「反訴」が認められれば、『ヘイトと暴力の連鎖』、『反差別と暴力の正体』、『人権と暴力の深層』、『カウンターと暴力の病理』が発売禁止になり、これ以上読者のお手元に届かなくなる可能性もある。

万が一まだ上記4冊をお読みでない読者の方がおられたら、急いでお買い求めいただくことをお勧めする。まだ幸い在庫はある。が、「反訴」が認められ「頒布販売」が禁止になれば、これ以上お分けすることができなくなるかもしれない。鹿砦社の対李信恵裁判及び反訴にご注目を頂きたい。


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録CDより)

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

(鹿砦社特別取材班)

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)のモノクログラビア特集〈「芸能人本」の世界〉に、鹿砦社社長・松岡利康が登場している。週刊現代に掲載予定がある、と聞いていたので、さっそく朝、近所のコンビで手にしてみると、巻頭カラーグラビアは「研究者としての天皇家」。天皇ヨイショの訳の分からない企画。続いて「目が喜ぶ『日本の美食』」。合併号用に編集部があらかじめ用意していた、時事性はない企画が並ぶ。ついで、「これが日本の『10年後』」と、良くも悪くも週刊現代らしい特集に続き、生誕100年「田中角栄の『予言』」と、松岡登場の前に「天皇」、「田中角栄」という「大物」が露払いをつとめる形になっている。

週刊現代5月5日・12日合併号(4月23日発売)より

〈暴露本出版社 鹿砦社社長が振り返る「戦いの歴史」〉には、ご覧の通り松岡のインタビューと写真が数点掲載されている。笑ってしまうのは〈暴露本の真実か、真実の暴露本か〉との大見出しを中央に掲げる、「95年、毎日新聞に出稿するための作成した全面広告。「品位がない」との理由でボツにされた」広告がここで日の目を見ていることだ。

「地震がなんだ、サリンがどうした!?」のコピーは「品位がない」と言われても仕方のない側面はあるだろう(笑)。そうだ、90年代の半ばから後半にかけて、私自身が「鹿砦社って何ものなんだろう。松岡利康ってどんな人物なのか」と斜めから見ていたことは事実であるし、あちこちの月刊誌や広告で目にする出版物の大方は、「ちょっとこれどうかな……」と近づきがたい感触を持っていた。

鹿砦社の「暴露本」路線が絶頂期を迎えるのも90年代中盤から後半だが、その後2005年には名誉毀損に名を借りた「言論弾圧」で松岡が神戸地検に逮捕され、会社存続の危機に直面させられる。それまで周りにいた人間が、次々去っていく中、入社後1年で松岡の不在中の切り盛りを任された、中川志大(現在『紙の爆弾』編集長)は「みんな、いなくなちゃうから、なんとなくこのままいた方がいいかなと思ったら、結構大変なことになりました」と飄々と当時を振り返るが、駆け出しでいきなり大きな危機を経験した中川はいまや業界で、押しも押されぬ、若手敏腕編集長として名前が知られている。

同インタビューの最後で、松岡は「ネタさえあれば、まだいくらでも暴露本を出しますよ」と意気軒高なコメントで結んでいる。が、「まだ」どころではない。現在進行形でまたしても「爆弾本」(暴露本)の編集に明け暮れているのが、松岡の姿である。今年も松岡にゴールデンウィークはないであろう。

それにしても縁は奇なものである。当時は面識もなく、「ちょっとどうかな……」と思っていた「鹿砦社」のコラムに、自分が寄稿することになろうとは20数年前には、想像もしなかった。また「鹿砦社」の硬派でありながらアナーキーな魅力が脈々と継続していることも知りはしなかった。

あるとき松岡に「どうして芸能暴露本をはじめたのですか」と聞いたことがある。「たまたまやってみたら、面白くなってやめられなくなったんですよ」と本当に楽しそうに笑いながら答えてくれた。正直なところ松岡は経営戦略的に「芸能暴露本」をはじめたのではなく、私への回答どおり「たまたま」はじめたのだろうと思う。彼が会社に勤務していた頃から発刊をはじめた季刊誌『季節』を目にすれば、出版界に足を踏み入れた動機がどのあたりにあるかは、容易に想像がつくし、それは「暴露本」路線とは、かなり距離のあるものだったように感じられる。

ともあれ、現在も芸能人写真集では不動の地位に君臨する「鹿砦社」。みずから「書かせて」もらっていながら不遜ではあるが「なんとも不思議な出版社」であることに間違いはあるまい。それゆえ今後試練があろうとも「鹿砦社の進撃」は、止まることなく続くであろう。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

挨拶される、呼びかけ人実質的代表の新開純也さん。塩見さんの大学の先輩であり、政治的には赤軍結成時に訣別。その後タカラブネ元社長。松岡と同郷。(2018年3月17日京都)

昨年11月に亡くなった「日本のレーニン」塩見孝也さんの追悼会(正式には「塩見孝也とその時代」)が3月17日、母校・京都大学時計台前のレストランで開かれ約80名が参加しました。

塩見さんの最後の著書となった『革命バカ一代 駐車場日記』(鹿砦社刊)

この前に3月5日に東京の追悼会が開かれ約160名が参加したということです(このレポートは3月23日付けの本「通信」に掲載されていますので、そちらを参照してください)。関西はその半数ですが盛況でした。

私は、赤軍派ではなく、ギリギリまで参加を迷いましたが、塩見さんの最後の著書『革命バカ一代 駐車場日記』を出版し、これを参加者に配布(もちろん無料!)するため参加しました。予想に反し多くの先輩方に歓迎されました。

塩見さんは、1960年代後半の学生運動、70年安保闘争、ベトナム反戦運動の高揚の中で、それまで以上の武装闘争で運動のさらなる爆発を勝ち取ろうと赤軍派を結成しました。中心になったのは京都の学生運動、とりわけ京大、同志社でした。しかし、権力による大弾圧で、私が入学する1970年にはほぼ解体し、一部が、その理論「国際根拠地論」により平壌、アラブに活路を見い出し飛んでいきます。これはよく知られるところです。

同志社では、赤軍派の活動家・望月上史さんが激しい分派闘争の過程で亡くなります。この件では、私が『遙かなる一九七〇年代‐京都』で書いた一文「内ゲバで亡くなった二人の先輩活動家の無念」に対して、赤軍派と対立し監(軟)禁した中央大学ブントのリーダー・神津陽さんから反論と謝罪要求がありました。これを受け、翻って思い返すと、望月さんについて書かれているのは作家・小嵐九三郎さんの『蜂起には至らず』の中の一項だけで、重要な問題でもあり、現在取り組んでいるカウンター大学院生リンチ事件の書籍の編集が一段落したら取材班を作り調査・取材に取り掛かる予定で、来年の50周忌までには報告集として上梓するつもりです。

◆「7・6事件」のこと ── 血まみれの望月さんを担ぎ、タクシーを捕まえようとした塩見さん

当日、久しぶりに会った方もいたりで、偶然に受付をしていた方が、「7・6事件」に参加し、くだんの望月さん死亡前後のことについて話してくれました。

「7・6事件」とは、赤軍派のフラク(当時はまだ赤軍派の結成前)が、明大和泉学舎でのブントの会議を武装襲撃し、さらぎ徳二議長にリンチを加え、瀕死の重傷を負わせ、介入してきた警察に逮捕されたという事件です。この時さらぎ議長は、その前の4・28沖縄闘争で破防法で指名手配されていましたので、権力に売り渡したというわけです。反赤軍派の人たちの怒りは凄まじく、赤軍派フラクが拠点としていた東京医科歯科大学を急襲、約30人ほどを拉致し、神津さんらの拠点・中央大学に連行、5日ほど監禁したということです。その方も殴られ前歯2本を折ったそうです。

中央大学に到着すると、望月さんや塩見さんら幹部4人が捕捉されていたそうです。解放されたら、ともかく西の方角の汽車に乗り逃げたということで、気づいたら靴が片方なくなっていたということでした。望月さんら幹部4人はその後、真夏の暑いさなか20日間も軟禁され、ロープを伝って逃げる際に結核を患い体力が弱っていた望月さんは転落し、その後亡くなります。塩見さんは、血まみれの望月さんを担ぎ、タクシーを捕まえようとするが捕まらなかったということです。知らないことばかりで興味津々でした。

◆〈二つの安保闘争〉を牽引した「関西ブント」

挨拶した方々もほとんどが赤軍派の元幹部ばかりで、やはり「7・6事件」のことがさんざん出てきます。私以降の世代には何がなんだか分からない話です。わずかに私は同じ大学の学生運動の先輩の死ですから、在学中から聞いていましたので関心があります。

当時、同志社大学は「関西ブント」といわれる党派の拠点で、60年、70年の〈二つの安保闘争〉を、その強固な戦闘力で全国の学生運動を牽引したことは有名な話です。学生運動の天王山だった69年1月の安田講堂攻防戦において、大学別では広島大学に次いで2番目に逮捕者が多かったことからも分かります。

血気にはやる同志社の学生活動家の多くが赤軍派に流れたといいます。赤軍派に流れなくともシンパとして支え、私が同大に入った頃の雰囲気は、親赤軍赤ヘルノンセクトでした。過激であればあるほど人気があった時代です。

しかし、追悼会には同志社OBの参加がほとんどなく、呼びかけ人や実行委員会の方々は困ったようでした。京大と共に二大拠点だったわけですから、やはり同志社OBの多くの参加を希望されていたようです。私が知る限り、私を含め4人、その中で赤軍系の人はわずか2人でした。私が居た寮は定員20数人の小さな寮でしたが、藤本敏夫さんはじめ多くの活動家を輩出しました。それでも誰一人赤軍派には行かず、例年の学友会倶楽部主催の講演会には多くの動員を行うのですが、塩見さん追悼会には私以外一人も参加しませんでした。

◆塩見さんが「無二の親友」と呼んでいた弁護士の海藤壽夫先生

参加者の中で意外な方が声を掛けてくれました。弁護士の海藤壽夫先生です。挨拶されることはプログラムに記載されていましたので、ご挨拶に伺おうと思っていたところでした。海藤先生は塩見さんと同級生で、生前の塩見さんから「無二の親友」と聞いたことがあります。「私も存じ上げていますよ」と言うと、「なんで知ってるんだ」と返されました。実は、1972年、私が学費値上げ阻止闘争で逮捕・起訴された際に、弁護士に成り立てだった海藤先生が弁護人を受任してくれたのです。全く奇縁です。

私は1970年に京都の同志社大学に入学しました。その少し前に赤軍派メンバーによるハイジャックがあり、同志社の学生も1人いました。70年当時の京都は、バリケード封鎖は解除されていましたが、まだ熱い雰囲気が残っていました。ベストセラーとなった高野悦子著『二十歳の原点』にはこの頃の様子がよく書かれています。沖縄返還も政治日程に上っていましたし、三里塚も空港の「く」の字も見えない時期ですが反対運動が続いていました。また、学内では「田辺町(現在の京田辺市)移転-大同志社5万人構想」(いまだに5万人どころか3万人にも到底及ばず、夢のまた夢です)、このための資本蓄積=学費値上げ問題がささやかれていました。

まだ田舎出の18歳、多くのことがきのうのことのように目に浮かびます。私が学生運動に関わったのは学生時代の5年間にすぎず、党派に入るわけでもなくノンセクトでした。周囲に党派に入る者はほとんどいませんでした。後から考えると、これでよかったと思いますが、75年春、私が同志社を離れる前後から、運動は分裂に分裂を重ね、主流派だった私が属した「全学闘争委員会」(全学闘)と拠点とした寮は少数派に転落し、学友会から放逐、ある時には深夜寮が襲撃され、居合わせた寮生が監禁・リンチされるという事件が起きました(79年)。

70年代前半は、むしろぬるま湯的な、比較的安定した時期で、のちの混乱は予想もしませんでしたが、70年代後半は混乱と分裂の時期だったようです。そうしたことを私は、同期で京大OBで学費決戦では応援に駆けつけてくれた垣沼真一さんと昨秋『遙かなる一九七〇年代‐京都--学生運動解体期の物語と記憶』にまとめ上梓しました。

◆望月さんと一緒に逃げようとしたMさん

追悼会に参加された方々も、いろいろな当時の想い出があるやと察しますが、どのように拙い形ででも語り書き残す時期が来ていると思います。残された時間はあまりありませんから……。

二次会には参加しないつもりでしたが、先の方と意気投合し参加しました。そろそろ佳境に入った頃、望月さんと一緒に逃げようとしたMさんが声を掛けてくれました。私は「きょうはご苦労様でした。いちどゆっくり話を聞かせてください」と言って座を辞しました── 。

〝最年少〟の私の世代でさえ齢60代後半、私たちの時代はすでに黄昏に入っています──。

ありしひの塩見さんと。

※「マイ・センチメンタル・ジャーニー」の〈1〉と〈2〉は私のフェイスブックにアップしていますので、ご関心のある方は下記リンクをご一覧ください。
◎マイ・センチメンタル・ジャーニー〈1〉私にとっての〈2月1日〉
◎マイ・センチメンタル・ジャーニー〈2〉2月9日、先輩の芝田勝茂さんの講演会に参加しました……
 

【追記】上記の文章を送った後に気づきましたが、くだんの神津陽さんが3月23日の自身のブログで次のように書いておられます。
「リベラシオン社ブログに3・17関西集会での物江克男の発言も出ている。
7・6事件後の中大からの逃亡時に塩見が顔面血だらけの望月を背負いタクシーを停めたとあるので、望月は落下時に頭部に自ら傷を負い指は潰れてなかった事が分かる。松岡は全容を読んで謝罪しろ! まだ許してはないぞ!」
文中で私も書いているように、3・17追悼会には私も出席し物江さんの発言(長い!)も聴きましたが、本件については取材班を設け、調査・取材を重ね、早晩きちんとした形で報告書としてまとめるつもりです。ここまで詰られると私も本気になります。(松岡利康)

70年代はじめの京都の学生運動について書き連ねた『遙かなる一九七〇年代-京都』(松岡利康/垣沼真一編著)

すでに報じられていますように、私たちがこの2年間、真相究明と被害者支援を続けて来たカウンター大学院生リンチ事件の加害者5人に対する民事訴訟の一審判決が3月19日大阪地裁で下されました。

ハッキリ申し上げれば、これだけ事実関係が明確で、音声データなど証拠資料もあるにもかかわらず、裁判所は何を考えているのか、いや、人間の心があるのか、全く遺憾な判決でした。まず5人による集団リンチがあったことは明々白々な事実なのだから、リンチはいけないと断罪し、リンチの場にいた全員に連帯責任を負わせるべきでしょう。そして総額約80万円の賠償金(請求額は約1千万円)、常識外に過少です。この金額では、法的な歯止めにさえなりません。たとえば300万円だったら歯止めになり、もう再度リンチはしないとなるでしょう。80万円だったら、これぐらいなら憎い奴はリンチするかとなりかねません。この判決を見て知人は、「自分がM君だったら、この判決を下した裁判長に『80万円払いますから被告5人をぼこぼこに殴らせてください』と言うかもしれません」と怒りに満ちたメールをくれました。

リンチの場にいた全員に連帯責任を負わせ、歯止めとなる賠償金を課す――そうでなかったら、これからも社会運動において、同種同類の事件や不祥事は起きるでしょう。

裁判所(官)には世間の常識が通じないとよく言われますが、今回の判決を見て、あらためてそう感じました。結論から言えば、〈歴史的誤判〉です。この判決をそのままに放置しておけば、M君の救済にならないのは勿論、この国の社会運動にとっても禍根を残し悪影響を与えると考え、M君の控訴の意志に同意し、今後もM君や弁護団と共に頑張っていく決意です。

判決の際の法廷。桜真澄さん画(本人の承諾を得て掲載しています)

◆被害者M君との出会いと、この2年間の伴走

判決内容の詳細な分析はまた日を改め行いたいと思いますが、リンチ被害者の大学院生M君は、2014年12月17日深夜に、李信恵らカウンター – しばき隊の主要メンバー5人がいる大阪・北新地のワインバーに呼び出され、李信恵が「なんやねん、おまえ! おら!」とM君の胸倉をつかみ一発張ったのを合図に主にエル金による激しいリンチが始まりました。リンチは1時間ほども続き、この間、李信恵らは悠然とワインを飲んでいたということです。そして瀕死の重傷を負ったM君を師走の寒空に放置し去って行きました。人間として考えられないことです。普通なら、大の大人が5人もいれば、誰かが止めるでしょう。今回で言えば、年長者の伊藤大介、格闘技経験者の松本英一が止め役にならないといけないでしょう。果たして止めたのでしょうか。リンチを黙過し殴らせるままにしていたのではないですか。

その後、いったんは李信恵、エル金、凡は「謝罪文」を出しましたが、それも対「在特会」らとの訴訟があるからという理由で反故、また同時にリンチをなかったことにする隠蔽工作がなされます。メディアも報じません。M君は、一部の人たちを除いて、みなから村八分にされます。村八分行為は現代社会では差別として禁じられています。「反差別」を語る人たちが村八分を行っていいのか!? さらには、ネットリンチも様々なされM君は精神的に追い詰められていきます。

そうして、2016年2月28日、「相談があります」とM君の知人「ヲ茶会」(ハンドルネーム)さんが、主だった資料を持って鹿砦社を訪れます。リンチ直後の1枚の写真に驚きました。その数日後にM君と会いました。リンチが起きたのは2014年12月ですから1年余りが経っていました。その1年余りの間、M君の孤独と精神状態は想像に絶するところです。M君の話を聞き主だった資料を目にしリンチの最中の音声データを聴いたりして、私たちは、この青年を支援することにしました。瀕死の重傷を負い、リンチ後もさんざんネットリンチをなされ、藁をもすがる想いで助けを求めてきた青年を人間として放っておけますか? 私はできませんでした。この時点で、「カウンター」-「しばき隊」に対決するなどという気など毛頭もありませんでした。素朴にM君への同情でした(この直前に、「カウンター」-「しばき隊」と連携する反原連〔首都圏反原発連合。鹿砦社は、脱原発雑誌を発行することに関連し経済的にかなりの額を支援していました〕に絶縁宣言を出され訣別しましたが、この頃は、彼ら相互の密接な繋がりはさほど知りませんでした)。

同時に、リンチ事件の真相究明のために客観的分析や取材を開始しました。加害者らが関わり被害者M君も事件前まで関わっていた「カウンター」-「しばき隊」、そしてこれと関係がありリンチ事件を知っていると推察される人たちへの直接取材も可能な限り行いました。ほとんどの人が誠実に答えてくれませんでした。むしろ逃げました。

この2年間の取材の成果は『ヘイトと暴力の連鎖』『反差別と暴力の正体』『人権と暴力の深層』『カウンターと暴力の病理』の4冊の本にまとめられ世に送り出されました。「デマ本」などという非難が「カウンター」-「しばき隊」とこの界隈の人たちから向けられましたが、概ねは好意的に迎えられました。「カウンター」-「しばき隊」内外の方々、その元活動家らからほぼ正確だとの評価を受けました。M君や私たちに反対する人たちに「デマだ」「ウソだ」以外に具体的かつ真摯な批判はありません。ほとんどが本も読まないで「デマだ」「ウソだ」と批判しているようだったので、第4弾の『カウンターと暴力の病理』をカウンター活動家ら数十人に献本送付し意見を求めましたが、ほとんど回答らしい回答はありません。ちゃんと回答せよ!

◆司法に救済を求めるも……

さて、事件後1年余り村八分にされ隠蔽工作が進行する中で、M君は司法に救済を求めます。当然です。事件から1年以上も経っていたので遅かったかもしれません。それまでM君本人は、わずかの支援者と共に弁護士探しにも奔走したりしましたが、ことごとく断られ、遂には本人訴訟も考えたといいいます。私たちと知り合った後は、私も、鹿砦社顧問の大川伸郎弁護士を紹介し、大川弁護士を中心に訴訟の準備を進め、ようやく16年7月に李信恵ら5人を大阪地裁に提訴、前後してM君へのネットリンチを繰り返す野間易通を名誉毀損等で提訴、司法に救済を求めようとしました。事件から1年半余りが経っていました。このかんのM君の心中を察すれば、筆舌に尽くし難い想いです。私だったら耐えられないでしょう。

しかし、司法は被害者の味方ではありませんでした。本件に限らず多くの人たちは司法への期待と幻想から司法に救済を求めますが、司法が必ずしもこれに応えるかといえば、そうではありません。私も多くの訴訟を経験し、それは判っていたつもりでしたが、今回は加害 – 被害の事実関係がはっきりしているので、裁判所の判断は間違いないと確信していました。本人尋問も、原告M君優勢裡に行えました。

昨年12月の本人尋問、そして3・19の判決を傍聴された、『マンガでわかる女が得する相続術』などの著書がある法律漫画家の桜真澄さんは、「今回の裁判を客観的に見た。大学院生が複数名に暴行され、その後民事で長い間戦っていた。彼は寒空の中で暴行され、その後もネットで中傷され、この判決だ。一体なんなんだろう。私だったら正気を保てないよ。よく頑張ったねM君!」とツイートされています。これが一般人の感覚でしょう。

今回の判決で、エル金 – 伊藤大介には、少額と雖も賠償金が課されました。リンチがあったという事実ははっきりしましたが、主犯格の李信恵(誰が見ても伊藤が主犯格とは思えないでしょう)の共同不法行為が認められなかったのは大いに疑問です。一人の人間としての人権を毀損された被害者を法的に救済するのが司法の本来の姿ではないでしょうか? 裁判所が「人権の砦」というのなら、そうすべきです。裁判所は「人権の砦」ではありませんでした。

本件を担当した、長谷部幸弥(裁判長)、玉野勝則、牧野賢の3人の裁判官に人間の心はあるのか!? 法律を司る前に一人の人間であれ!

◆リンチ事件と本件訴訟に凝集された問題から何を学ぶべきか? 加害者らは、反省すべきは反省せよ!

確かに李信恵らの共謀、共同不法行為が司法上認められなかったからといって、これはあくまでも司法上でのことであり、現実にはリンチ(私刑)があったことは否定しようのない事実であることは、私たちが上梓した4冊の本で証明されています。そうでないと言う人は、これら4冊の本を越える反論を行なっていただきたいと思います。具体的に詳細に――。裁判所には、そのうち3冊を証拠資料として提出していますが、これをどう斟酌したのでしょうか。

残念ながら、M君は一審では、不本意な判決内容を受けましたが、リンチ事件から1年余り後に私たちに出会った頃、そわそわ落ち着かない精神状態だったことに比べると、明るくなり精神的にも落ち着いてきました。なによりもこれが最も嬉しいことです。

本件リンチ事件は「反差別」運動、カウンター運動内部で起きた不祥事であり、かつての共産党の査問、新左翼の内ゲバ同様、主体的な反省がなければ、この国の社会運動に禍根を残し悪影響を及ぼすと考えています。

私がまだ十代の終わり頃(1969年~70年)、勢いのあった新左翼内部で内ゲバが起き3人の活動家が亡くなりました。すると作家で京大助教授の高橋和巳先生は雑誌『エコノミスト』に「内ゲバの論理はこえられるか」を連載し、即刻やめるよう警鐘を鳴らしました。『エコノミスト』のような経済誌でもこうした問題を採り上げた時代です。しかし、高橋先生の声は蔑ろにされ、結果、100人以上の活動家が亡くなり、新左翼運動は衰退していきました。

共産党も同様です。70年代はじめ「新日和見主義」といわれる、主に学生・青年組織の幹部が多数査問され除名されるという事件が起きました(有名な方ではジャーナリストの高野孟)。この頃共産党は、当時の社会党と共に社共統一戦線で東京、京都、大阪で革新系知事を出し、今では想像できないほどの勢いがありました。現在共産党が唱える「野党共闘」など比ではありませんでしたが、以後衰退していきます。

誤解を恐れず申し述べれば、たかが裁判に勝った負けたは、本質的な問題ではありません。仮に裁判の判決が不本意だったからといって悔やむ必要もありません。要は、この裁判に凝集された問題から、何が良くて何が悪いのかを剔出し反省、止揚することではないでしょうか。それを、運動に関わる人は運動に活かし、また運動をやっていない人は、日々の暮らしの中で社会を見る目に活かすなり……。

特に今回は、加害者らが「反差別」や「人権」という言葉を錦の御旗にしているから、多くの人がその美名に幻惑され騙されたりしています。「反差別」を語る人らが被害者を村八分にし、また「人権」を語る人らが人ひとりの人権を暴力で毀損するという異常事態です。私は今でも人間を信じたい。「カウンター」‐「しばき隊」の中にも心ある方はおられるはずです。心ある方々が、この事件に真正面から向き合い、「リンチはなかった」などと隠蔽せず、反省すべきは反省してほしいと願っています。

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる(『カウンターと暴力の病理』グラビア)

◆勝訴に浮かれ「祝勝会」! この人らの人権感覚を疑います

ところで、判決の夜、李信恵、伊藤大介、エル金、そして代理人・神原元弁護士らは「祝勝会」と称し酒盛りを行い、これみよがしに、これをネットに上げています。これはM君を精神的に追い詰めるものです。

「祝勝会」と称し浮かれる加害者と神原弁護士(神原弁護士のツイッターより)

先の桜真澄さんも、「法廷で一度、原告に頭を下げ謝罪した後で、被告がわざわざ判決日に笑顔で焼き肉を食べる写真をSNSで公開するなんて…… 私だったら心が潰れる」とツイートされています。また、医師の金剛(キム・ガン)さんは、「DMでインスタグラムにアップされた被告らの浮かれた写真が伝えられてきた。 ずいぶん気持ちよさそうだが、あの陰惨な事件に関与した者たちが真摯な態度をまったく示そうともしないというのは、実に奇怪な光景である。あれが『奴らの反差別、奴らの正義の正体』であることを忘れないようにしよう」とツイートされています。李信恵、伊藤大介、エル金、神原弁護士よ、あなた方は、いやしくも「人権」を語ってきたわけでしょう? このようにあからさまにみずからの「人権感覚」の程度を晒すようなことはやめられたほうがいいのではないでしょうか。

さらに、神原弁護士は調子に乗って、「正義は勝つし、レイシストは常に破れる」などと言っています。ここに言う「レイシスト」とは誰のことでしょうか? M君を差していると推認されますが、これはさらにM君を精神的に追い詰めるものです。M君は「レイシスト」なのか? リンチされ、村八分にされ、セカンドリンチをされ、リンチはなかったように隠蔽工作をされ、司法に救済を求めても真意を理解されず不本意な判決を下され、さらに「反差別」や「人権」を語る人から「レイシスト」呼ばわり……いい加減にしていただきたいものです。私はM君が「レイシスト」だったら支援しません。最低これぐらいの矜持はあります。

ちなみに神原弁護士には、私や鹿砦社は「極左」呼ばわりされていますが、さすがに「レイシスト」呼ばわりはされないようです。

◆今後の決意 本当の勝負(裁判だけではなく)はこれから!

M君はここまで叩きのめされても、多くの皆様方の激励により元気を取り戻しつつあります。やはり司法に期待や幻想を持ったらいけないようです。司法の結果がどうあれ〈真実〉は満天下に明らかになっています。私たちはM君が頑張る意志を持ち続ける限りサポートを続けていきます。ここでも桜真澄さんは、「判決に耳を疑った。 人が殺されかけたのに…… 法律とはグレーであり奥が深く理不尽である。それは私が法律を学ぶ上で沢山の弁護士達から教えられてきた。今回の裁判で、法とはやはりグレーで理不尽だと実感する。そして一人の青年にこんなにも沢山の応援団がいることは素晴らしいと思った」とツイート。桜真澄さんのお気持ちに涙が出そうです。

「棺桶に片足突っ込んだ爺さん」(鹿砦社元社員でカウンターメンバーだった藤井正美評)とか「好々爺」(合田夏樹さん評)と揶揄された私は、この問題と出会う頃に現役を退くつもりで、内外にそう公言していましたが、この問題と出会ったのもなにかの運命、最後まで見届ける決意です。心ある人たちの〈良心〉を信じて――。

闘いはまだ一里塚、本当の勝負(裁判だけでなく)はこれからです。このままでは終われません。まずは控訴審に向けて、心ある皆様方の圧倒的なご支援をお願い申し上げます。(本文中、一部を除いて敬称略)


◎[参考音声]M君リンチ事件の音声記録(『カウンターと暴力の病理』特別付録リンチ音声CDより)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

3月19日大阪地裁810号法廷で、M君が李信恵はじめ5名を訴えた、損害賠償訴訟(平成28年第6545号、第11322号、第11469号 長谷部幸弥裁判長)の判決が言い渡された。傍聴券交付となった同判決には、傍聴を希望する30余名の人びとが抽選に集まったが、定員に達しなかったため全員が傍聴席可能となった。

13時45分に傍聴席は開錠されたが、その直前に被告側代理人の神原元弁護士が入廷した。傍聴席がほぼ埋まった13時55分、M君が法廷入り口に現れ、深々と一礼して原告席に着席した。弁護団の大川伸郎弁護士、瀬川武生弁護士も原告席に控える。

◆判決主文9項目

14時ちょうどに裁判官が入廷し、廷吏によって事件名が読み上げられる。長谷部裁判長はまず原告被告双方の呼び方を確認したうえで、以下のとおり判決主文を読み上げた。(ここでの呼称は裁判所で長谷部裁判官が用いたものではないが、読者諸氏に理解しやすいようにこれまでどおりの表記でご紹介する)

(1)被告エル金および被告伊藤大介は原告に対し、79万9,740円及びこれに対する平成26年12月17日から支払い済みまで年5分の割合による金員を払え。

(2)被告凡は、原告に対し、1万円及びこれに対する平成26年12月17日から支払い済みまで年5分の割合による金員を払え。

(3)原告の被告エル金に対するその余の主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

(4)原告の被告凡に対するその余の主位的請求及びその余の予備的請求をいずれも棄却する。

(5)原告の被告伊藤に対するその余の請求をいずれも棄却する。

(6)原告の李信恵及び松本英一に対する請求をいずれも棄却する。

(7)被告伊藤及び松本の反訴をいずれも棄却する。

(8)訴訟費用は、被告エル金に生じた費用の11分の4及び原告に生じた費用47分の1を被告エル金の負担とし、被告凡に生じた費用の220分の1と原告に生じた費用の188分の1を被告凡の負担とし、被告松本に生じた費用の5分の3と原告に生じた費用の188分の33を被告松本の負担とし、被告伊藤に生じた費用の188分の53を被告伊藤の負担とし、その余を原告の負担とする。

(9)この判決は第1項及び第2項に限り、仮に執行することができる。

◆判決文を一読し、M君と弁護団は「控訴」の意思を固めた

長谷部裁判長が、早口に上記を読み上げ、判決言い渡しは終了した。傍聴席で判決を聞いていた多くの人は耳を疑った。この判決によるとM君が受け取ることのできる「賠償金」は80万9,740円及び、年5分の利息のようなものだけだ。

長時間の暴力を受け重症を負った被害者が事件を隠蔽され、裁判に2年かけ得られるのが僅かに80万円なのだ。

しかも判決ではエル金と凡、伊藤大介に賠償を命じているが、凡に対する賠償金額は僅か1万円。さらに李信恵が「M君に掴みかかった」事実を認定しながら、M君が「平手で殴られたのかげんこつで殴られたのかはっきりしない」ことを理由にM君の証言が「信用できない」とまで決め付けている。

その他、判決文には原告側としては、到底納得できない箇所が多く、判決文を一読し、M君と弁護団は「控訴」の意思を固めた。

左から瀬川武生弁護士、大川伸郎弁護士、M君、松岡利康鹿砦社代表

◆M君が語った現時点での総括

判決後、大阪弁護士会館に場所を移し「報告集会」が行われた。冒頭M君は「このように皆様にお集まりいただき、判決は納得できるものではありませんが、200名を超える方々に裁判費用のご支援を頂き、きょうの日を迎えることができたことをまず感謝申し上げます。ありがとうございます」と切り出した後、以下のように話した。

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私なりにきょう時点での総括をしておきたいと思います。総括とはスポーツなどでもそうですが『何ができて、何ができなかったか』を検証することです。

まず、出来たことは、多数の著名人や社会的有力者が二重三重に隠蔽に関わってきました。それを打破できたのは私一人では到底無理でした。ここにいらっしゃる松岡社長及び弁護団の先生方、何よりも支援いただいた方々のご高配の賜物です。ありがとうございます。

2つ目は、上瀧浩子弁護士、コリアNGOセンター、これらの人々は『事件を知りません』では済まされない人びとです。この人たちが裁判の中で旗色をはっきりさせた。このことは意味があったと思います。

3点目は個人的ではありますが、いわゆる「しばき隊」、「カウンター」と呼ばれる行動に対して自分で反省することができたことだと思います。色々なことがいわれますが、暴力的手段をとったのは全面的に間違っていた。「しばき隊」は最初から間違いであったと反省の機会を得たことであります。これについてはこの場で反省の弁を述べさせて頂きます。判決は厳しいものになりましたが今後もよろしくお願いいたします。

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◆「李信恵の責任が認められず、伊藤大介の責任は認められる」論理構成の不可解

左から瀬川武生弁護士、大川伸郎弁護士

松岡利康=鹿砦社代表

次いで大川弁護士から、判決について解説があった。「予想外の結果に驚いている」と大川弁護士は正直な感想を語った。「最初に掴みかかった李信恵さんの責任が認められずに、伊藤大介さんの責任は認められている。わけのわからない論理構成です」と例を挙げ判決全体に対する疑問が呈され「控訴するしかないでしょう」と弁護団の決意を語った。

その後参加者と弁護団、M君による質疑応答に入り、さまざまな意見が交わされた。

質疑の後鹿砦社代表松岡が「きょうの結果は残念でしたが、それでも判決を迎えられたのはひとつの成果です。裁判は水物で予想しない判決が出ることは私も経験的にわかっているつもりです。今日の判決を一里塚として控訴審を戦っていきたいと思います。この2年で4冊の本を出しました。勝利したとはいえないけれど、心ある人にはそれなりに伝わり、なぜマスコミは報じないのか? と思われたでしょう。きょうの結果も今後出版し戦っていく。私の良く使う言葉ですが〈敗北における勝利〉」ととらえ、これからも皆さんのご支援よろしくお願いいたします」と挨拶をした。

その後参加された皆さんへの支援(カンパ)の要請があり、3万1,500円の「支援」が集まった。

最後に特別取材班の一人が激烈なアピールを行った。

M君裁判一審判決は「不当判決」だった。だが、闘いはこれからだ。心ある皆さんのご支援を引き続き呼びかける!

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

◆明日3月15日(木)、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟第3回弁論が開かれます!

明日3月15日(木)午後1時30分から、鹿砦社が李信恵被告を名誉毀損等で訴えた民事訴訟の第3回弁論(大阪地裁第13民事部)が開かれます。これに際して私は鹿砦社を代表して別掲のような「陳述書」を提出いたしました。訴状、およびこの陳述書に私たちの主張の骨格は申し述べたと思いますが、社会的に影響力のある人物、とりわけ崇高な志を持って推し進めるべき「反差別」運動のリーダーたる人物が、「鹿砦社はクソ」といった口汚い言葉を連発することはあってはならないことです。

言葉には、その人の人格や人間性が表われるとするならば、いやしくも「差別」に反対するとか「人権」を守るとか言う者が、こうした言葉を使ってはなりません。「鹿砦社はクソ」という表現がキレイな言葉でないことは言うまでもありませんが、市井の無名人ではなく社会的影響力のある「反差別」運動のリーダーは、こういう汚い言葉を使わないほうがいいとか悪いとかいうレベルの問題ではなく、こういう汚い言葉を使ってはならないのです。差別に反対するという崇高な目的が、こうした汚い言葉によって台無しになりますから――。

李信恵被告は、鹿砦社や、この代表たる私に対し、こういう汚い言葉を連発したことを「意見ないし論評」と反論しています。在特会や極右グループの連中が発する言葉は明らかに「ヘイト・スピーチ」と言ってもいいと思いますが、この伝でいけば李被告が悪意を持って私たちに投げつけた言葉も、同じ位相で「ヘイト・スピーチ」ということになります。なりよりも李被告は私たちに憎しみ(ヘイト)を持って「鹿砦社はクソ」発言を行っているのですから。

また、李被告は、私が40年余りも前に一時関わった、主に学費値上げ反対運動を中心としたノンセクト(無党派)の学生運動に対し、1960年代後半以降血を血で洗う内ゲバを繰り広げ多くの死者を出した中核派や革マル派と同一視し、私があたかもその一味=人殺しのようなマイナスイメージを、社会的に影響力のある自身のツイッターで発信しています。

このような〝思い込み〟を内心抱くことは自由でしょうが、数多くのフォロワーを有するツイッターなどで公にするのは、明らかに名誉毀損であり、時に業務妨害にも当たります。差別の「被害者」だから何を言っても許されるわけではありません。いや、差別に反対する運動のリーダーであるからこそ、自らを厳しく律し、汚い言葉を排し人々に勇気を与えるような清々しい言葉を使うべきではないでしょうか。

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(1/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(2/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(3/4)

松岡利康=鹿砦社代表が大阪地裁に提出した陳述書(4/4)

◆3月19日(月)には李信恵被告ら5人による大学院生M君集団リンチ事件の一審判決が下されます!

次いで週を跨ぎ3月19日(月)にはいよいよ、この李信恵被告ら5人による大学院生M君に対する集団リンチ事件の一審判決(大阪地裁第3民事部)が下されます。ひとつの大きな山です。

私たち鹿砦社はこの2年間、社を挙げて、リンチ事件被害者のM君支援と事件の真相究明に当たってきました。李信恵被告らによる集団リンチの凄まじさ、リンチ後の、著名な研究者やジャーナリスト、作家、弁護士らによる、あたかも何もなかったかのように糊塗する隠蔽工作、被害者M君を村八分(差別ではすよね!?)にしバッシングを繰り返し精神的に追い詰めようとしていた(る)ことなどを見て、単純に酷いと感じましたし到底許すことができませんでした。私も老境に入り、怒ることも少なくなり、よほどのことでは怒りませんが、もたらされた〈事実〉は許せませんでしたし、ここで黙っていたら、私がこれまでやって来た出版人生の意味がなくなると思いました。

せめて人間の血が通った事後処理をしていたのならば少しは救われたかもしれません。一例を挙げれば、いったん被害者M君に渡した「謝罪文」さえも一方的に反故にしたことには人間としての心が欠けていると言わざるを得ません。

私たちは、この2年間、被害者支援と真相究明の過程で、いろんなことが判ってきました。この非人間的なリンチという場面に際し、〈事実〉を知りながら隠蔽に加担したり、この現実から逃げたりしている「知識人」といわれる人たちは一体何をやってるんだと弾劾せざるをえません。

30数年も付き合い著書も多数出版した鈴木邦男氏は、本来なら、かつて自らの組織で起きたリンチ殺人、死体遺棄の事件をくぐり抜け、その後、穏健な言論活動に転じたはずでした。このような事件にこそ生きた発言をすべきなのに、この期に及んでなんらの発言もせず、口を濁しています。それどころか加害者側の者らと親しく付き合い、一緒に集会に出て発言したりしています。今でも遅くありません、勇気を振るい発言すべきです。鈴木さん、あなたしかできない仕事があるはずです。鈴木氏が、この国を代表する「知識人」の一人であることは言うまでもありませんが、私のような一零細出版社の人間に言われて何とも思わないのですか、恥ずかしくはないのでしょうか!? 

本件訴訟の原告M君と弁護団、私たち支援者は総力を結集し、やれることはやりました。鹿砦社は、側面支援として、全力で取材し裁判闘争を裏付ける関連書籍を4冊出版し世の心ある人たちにリンチ事件を訴えました。ここまで証拠や資料を摘示していながらリンチがなかったなどとは言わせません! リンチ直後の被害者M君の顔写真を見よ! リンチの最中の録音を聴け!

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

裁判所が「人権の砦」「憲法の番人」であるならば、集団リンチによってM君の〈人権〉を暴力的に毀損し踏みにじった李信恵被告ら加害者に対し厳しい判決が下されると信じています。そうでなければ、この国の司法に未来はないと断じます。よもや裁判所が暴力を是認することはないはずですから――。

心ある多くの皆様が、李信恵被告らに対する2つの訴訟を注目されご支援されますようお願い申し上げます。

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

このかんたびたびレポートしてきましたように、朝日新聞社の頑なな取材拒否と非礼な対応は、心あるメディア関係者に波紋を広げています。すでにこの通信でも元読売新聞記者の山口正紀さんや、新聞社の数々の問題について長年取材され発言されてきている黒藪哲哉さんらが喝破されている通りです。朝日新聞東京本社広報部の河野修一部長代理は、私たちの取材要請を「迷惑」として、私たちが当該の記者らに、あたかも異常につきまとっているかのように発言されています。しかし、事実は異なりますので、そういう物言いこそ「迷惑」なことです。

このかんの経緯を簡単に説明してみましょう───。

〈1〉 昨年末、出来たばかりの『カウンターと暴力の病理』を朝日関係者4名に献本送付しました(同封の挨拶状に「献本」と記していました)。

〈2〉 年末・年始を挟んで1月25日付けで質問書(資料1「ご質問」)を郵送(回答期限2月5日)。4人ともほとんど同じ文面なので、大貫記者宛のものを掲載します。

[資料1-1]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-2]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

[資料1-3]1月25日発送分、大貫聡子記者への「ご質問」

 

〈3〉 期限までに回答がないので、2月6日付けで催告書(資料2「ご連絡と取材申し込み」)をファックス。これも大貫記者へ送ったものを掲載します。

[資料2]2月6日発送分、大貫聡子記者への再度の「ご連絡と取材申し込み」

 
 
〈4〉 これも回答がないので、同社大阪社会部の大貫聡子記者、采澤嘉高記者、静岡総局の阿久沢悦子記者の3氏の携帯に電話取材。取材班が3記者に電話するのは、これが初めてのことです。「迷惑」していると広報部河野部長代理に指摘されましたが、鹿砦社や取材班は、この件に関して当該記者に一度も直接取材したことすらないのです。これで何が「迷惑」なのか到底理解できませんし、つきまといでも何でもありません。むしろ同社の記者には、時に「迷惑」でつきまとわれたりプライバシーを侵害されたりした人もいます。

手前味噌で僭越ですが、私は13年近く前の2005年7月、神戸地検特別刑事部にリークされた同社社会部・平賀拓哉記者が、あたかも私らの主張を〝理解〟しているかのように接してきて、人を信じやすい私は言葉巧みに騙され、神戸地検と通じていることも知らず、求められた書籍や資料などを気前よくほいほいと渡し、これが大阪本社版一面トップのスクープとなり私は逮捕されました。とんだ「迷惑」を蒙ったのは私のほうだ!「迷惑」だ「迷惑」だというのなら、私の前に出てきてはっきり言え! 日本を代表する大新聞社の記者ならできないことはないでしょう。

今回の件で、私たちは私たちなりに順序を踏まえ、本を送り、読んでいただいたであろう頃を見計らって質問書を送り、取材要請をしたつもりです、誰が見ても「迷惑」にはあたらないでしょうし、これが「迷惑」であれば、新聞社(特に社会部)の通常取材はほとんどが「迷惑」ではないでしょうか。

このような経緯で真っ当な対応をしていただけなかったので、やむなく、私は朝日新聞社の登記簿を取り渡辺雅隆社長の自宅に別掲の通知書(資料3「ご通知」)を、関係資料(『カウンターと暴力の病理』、大貫記者への質問書、催告書のコピー、音声データCD)を付けて2月23日に郵送しました。

[資料3-1]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-2]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

[資料3-3]2月23日発送分、渡辺雅隆社長への「ご通知」

ところが、渡辺社長は転居(京田辺市→芦屋市)されていたようで(転居したらすぐに登記をし直さないといけないんじゃないんですか?)、転送されて2月27日に受け取られています。

回答期限を「お受け取り後1週間以内」(2月27日受領なので回答期限は3月6日になります)としましたが、未だ回答はありません。ことは激しい暴力による集団リンチ事件ですよ、民主社会にあってはならないことです。小出版社だからといって無視しないでください。

ふだん「人権」だ「人権」だと言うのなら、将来のある若い大学院生(博士課程)が集団でリンチされ瀕死の重傷を負った事件について、人間的な対応をしていただきたいものです。特に朝日は殊更「人権」ということを大事にしている新聞社だと信じています。

勘違いされないように明記しますが、私たちは、右翼のように朝日新聞の存在や言論活動の全てを否定しているわけでも、ヒステリックに反発しているのでもありません。前述しましたように、13年前に、朝日平賀記者にあれだけのことをやられても、それでもまだ私は、この国で数少ない「クオリティーペーパー」と評される朝日新聞には、相応の言論活動を期待しています。少なくとも、他紙よりは相対的にマシだと思っていましたが、だからこそ、今回の対応には失望したわけです。こうした点は、あらためて明確にしておきたいと思います。

渡辺社長が、お送りした『カウンターと暴力の病理』をめくったらすぐにリンチ直後の被害者M君の写真が目に止まるはずで、これを見て、どう感じたか、ぜひ一人の人間として感想なりご意見を聴かせていただきたく思います。新聞社としての事情や都合は関係ありません、渡辺社長、あるいは記者の、一人の人間としての対応こそを問うているのです。渡辺社長、今こそ、この由々しき問題について、社長として責任ある対応をされ、私たちの取材要請に応えていただきたいと切に願っています。

ところで、朝日東京本社広報部・河野部長代理は、「訴訟」を示唆する発言もされています。仮にどちらが訴えるにしろ訴訟になった際、私たちが悩まされることに本人取材があります。しかし今回、朝日の3記者はみずから本人取材を拒否しました。ということは、私たちの主張を認め、つまり記事の内容や記者の言動などについても説明責任を放棄したことになります。訴訟になった場合、それだけでも私たちの勝訴の可能性は低くないでしょう。

私や鹿砦社はこれまで数々の訴訟を経験してき、一時は「訴訟王」と揶揄されたこともあり、また判例になっているものもありますが、私も長い出版人生の、いわば〝花道〟で朝日を相手取り提訴するのも意義があり、大新聞社の社会的責任を問うひとつの方策かもしれません。相手にとって不足はありません。私は冗談で言っているのではありません(私の性格上、私がこんなことで冗談を言わない男だということは、私を知っている人ならおわかりになるでしょう)。一例を挙げれば、「鹿砦社はクソ」発言を連発し、くだんのリンチ事件の現場にもいて加害者とされる李信恵被告に対し名誉毀損等で提訴しましたが、これもおそらく李被告本人は私や鹿砦社を見くびっていたと思われます。私は許せないことは許さない男です。

何度も申し述べますが、ことは人ひとりの〈人権〉を、暴力による肉体的制裁で毀損した集団リンチ事件です。それも極右団体関係者に対して訴訟を起こし社会的に注目を浴び、「反差別」運動の旗手とされる人物(李信恵被告)とこの支持者ら5人による、極めて非人間的で、暴力が排除されるべき現代社会では到底許されない事件です。このことに曖昧な態度をとれば、今後こうした事件が「反差別」運動や社会運動の中で繰り返されるでしょう。この国の反差別運動や社会運動は、かつての反省(暴力を伴った内ゲバや行き過ぎた糾弾闘争など)から、暴力を排除してきたのではなかったのでしょうか? 私たちが言っていることは間違っているでしょうか?

最後に再度繰り返しますが、鹿砦社ならびに私は決して「反朝日新聞」ではないこと、そして朝日新聞には「社会の木鐸」として市民社会の要請に相応しい報道姿勢をとっていただきたいことを申し述べておきたいと思います。

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(2017年12月刊)

本日発売『紙の爆弾』4月号 自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

昨年末『カウンターと暴力の病理』を関係者に送付したあとに、年を挟んで1月25日鹿砦社代表・松岡利康名で、この本について約50名に「質問書」を送り、2月5日を期限に回答を待った。回答者は前回本通信でご報告したとおりだったが、「不回答者」の一部に対し2月19日、鹿砦社本社から電話取材をおこなった。

数名には電話が通じ、回答がない理由の聞き取りが行えたが、取材班は驚くべき事態に直面することになった。この日は主としてマスメディア関係者に電話で事情を聞こうと試みたが、“事件”はそこで生じた。

まず登場人物を確認しておこう。

いずれも朝日新聞で大阪社会部の大貫聡子記者、同じく采澤嘉高(うねざわよしたか)記者。この2人は現在大阪司法記者クラブに在籍している。阿久沢悦子記者は現在静岡総局勤務だ。この3名には、前述の「質問状」を送付してある。そして予期せぬ大物登場者は、朝日新聞東京本社広報部・河野修一部長代理だ。

◆「広報で対応する」一辺倒の大貫聡子記者

大貫記者は、李信恵が対保守速報裁判で勝訴した、11月17日の大阪司法記者クラブでの記者会見の際に、取材班の記者室への入室を拒否した人物だ。またこの裁判についての署名記事も書いている。この記事は明白な事実誤認がある問題記事だ。大貫記者に電話をかけると「この事案については会社の広報で対応しますので答えられません」と一方的に電話をガチャ切りされた。違う電話番号から再度大貫記者に電話をかけるも、やはり同様に「広報で担当しますので答えられません」と再度ガチャ切りされた。

鹿砦社は、ツイッターに「鹿砦社はクソ」などと何度も書き込んだ李信恵を、名誉毀損による損害賠償請求で訴えた際、2017年11月1日大阪司法記者クラブへ、松岡社長みずからが赴き、記者会見開催を要請した。ところが当時幹事社だった朝日新聞の采澤記者は「加盟社全社にはかったうえ」とし、記者会見を開かない旨の回答を、要請から実質的に2時間ほどで返してきた(松岡の携帯電話に着信があったのが要請から2時間後、その時松岡は会合中で実際にはその数時間後に釆澤記者へ松岡から電話をかけ「記者会見拒否」を知ることとなる)。納得のいかない松岡は翌日采澤記者に電話で再度「どうして会見が拒否されたのか」を質問した。

その際の回答は納得のできるものではなかったが、一応の「応答」は成立していた。しかし、19日大貫記者は質問をする前から会話を遮断し、「広報で対応する」とまったくラチが明かない。新聞記者は情報を得るために、取材対象を追い、時にプライバシーにまで踏み込んだ取材に及ぶことも珍しくない(職務上仕方のない面もあろう)。しかし自身が「質問」を受けたり、取材対象となると「広報で対応します」と逃げ出す態度は、報道人としてはズルいのではないか。鹿砦社や取材班が不法行為を行ったり、不当な要求をしているのであれば話は別だが、朝日新聞とは「天と地」ほどの規模の違いはあれ、鹿砦社及び取材班は、「事実」を追い、「真実」を突き止めようと情報収集活動を行っているのだ。都合が悪くなったら「広報で」とはあまりに身勝手にもほどがある。

逮捕と同時に 大々的な実名報道を行うのが大新聞だ(近いところでは元オウム真理教の女性信者を大々的に、あたかも有罪確定かのように報じたが、元信者は無罪が確定している)。あの報道を見れば、多くの人が元信者の女性は「有罪」と思わされたことだろう。大新聞はかように大変な影響力と権力を持っている存在であることは述べるまでもない。その大新聞に署名記事を書いている記者に質問をすることは、「不当な行為」なのだろうか。

◆阿久沢悦子記者も「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので……」

取材班は仕方なく采澤記者に電話をかけて、大貫記者に「回答をするように促す」との言質を得た。しかし釆澤記者は言葉巧みに取材班の要請を交わしながら、腹の中では別のことを考えていた。電話で取材にあたった担当者も采澤記者が大貫記者に回答を「促す」ことなどないだろう、と感じていたという。

静岡総局に勤務する阿久沢悦子記者は、前任の勤務地が阪神支局で、李信恵らによる「大学院生M君リンチ事件」後、比較的早い時期からM君に接触し、一時はM君に同情的な言動を見せていた人物である(またM君を裏切った趙博をM君に紹介したのは阿久沢記者である)。取材班が阿久沢記者に電話をかけたところ、仰天するような言葉を耳にする。「この案件は本社の広報が一括して窓口になるので、私からは何もお答えできません」というのだ。

阿久沢記者は「その連絡は先ほど私にあった」とも語っていた。ということは、19日の大貫記者、釆澤記者への取材班の電話に対して、両名(もしくはどちらかが)が本社、もしくは上司に「相談」を持ちかけたと推測するのが自然だろう。釆澤記者の「大貫記者へ回答するように促す」との言葉は、やはりまったくの出まかせであったことが阿久沢記者の回答から明らかになった。取材班は「では、担当はどちらの部署か」と尋ねると、待ち受けたように阿久沢記者は「本社の広報部河野修一部長代理です」と電話番号を教えてくれた。

◆朝日新聞東京本社広報部河野修一部長代理との一問一答

おいおい、「天下の朝日新聞」よ、取材に対して拒否だけでなく、本社の広報部部長代理が応対するって? 仕方あるまい。取材班は本社広報部に電話をかけた。以下は取材班と河野氏の一問一答だ。

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広報部 はい朝日新聞社広報部です。
鹿砦社 お邪魔します。株式会社鹿砦社と申します。
広報部 どうもお世話になってます。
鹿砦社 いつもお世話になっております。河野(修一)広報部長代理はいらっしゃいますでしょうか?
広報部 はい、少しお待ちください。
河野  替わりました。河野です。
鹿砦社 突然お電話を差し上げまして恐縮です。株式会社鹿砦社と申します。
河野  はい、承知しています。
鹿砦社 お手を煩わせて恐縮なのですが、先ほど来、おそらく采澤さん(嘉高・大阪司法記者クラブ)とか、いろいろな方からご連絡が入って。
河野  ちょっとやめていただきたいんですよね。
鹿砦社 やめていただきたい?
河野  はい。ええ、まず記者の個々人に連絡を取るのはやめてください!
鹿砦社 ちょっとお待ちくださいね。いまおっしゃった「記者の個々人に連絡を取るのは止めてください!」と。
河野  はい、大変迷惑しておりますので。
鹿砦社 迷惑をしている?
河野  はい、そうなんですよ。で、今後連絡一切は私にお願いします。
鹿砦社 あの、ちょっとお待ちくださいね。
河野  はい。
鹿砦社 「連絡を取るのを止め。迷惑をしている」と、署名記事を書かれている記事についての質問状を送るのが、いけないんですか?
河野  質問状もこちらに送ってください。対外的な窓口はこちらなので。それはそのように、いろんなウチに対する申し入れでもそうしているんですよ、ええ。なので個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたいと思います。
鹿砦社 「個々の記者への接触は厳に謹んでいただきたい」と。それは要請ですか? あるいは指示ですか?
河野  指示する権利は、こちらはないですのでものね。
鹿砦社 先ほど「迷惑している」というお言葉にちょっと驚愕しているのですけれども。
河野  はい、はい、はい、はい、非常に個々の記者たちは迷惑しています。報告はぜんぶ来ているんですけども。
鹿砦社 具体的にどういったことで、ご迷惑をおかけしているというふうに認識していらっしゃいますか?
河野  はい、そういったことにはお答えいたしませんが。
鹿砦社 いや(驚)?
河野  あの電話切ってよろしいですか!
鹿砦社 電話を切る?
河野  どういう要件ですか?
鹿砦社 ですから、ええといま私は静岡総局の阿久沢(悦子)様にお電話を差し上げて…。
河野  はい、阿久沢は大変迷惑していますので。
鹿砦社 阿久沢は大変迷惑をしている?
河野  それはそうでしょう。会社対応のスマフォとかに電話をかけられたら。
鹿砦社 会社対応のスマフォ?
河野  はい。
鹿砦社 「会社対応のスマフォ」ってどういう意味ですか?
河野  あの携帯に電話をかけているんでしょう。
鹿砦社 ああ、そうですよ。だって携帯電話の番号が入っている名刺を配ってらっしゃるんですから。
河野  いや、だけど迷惑なんですよ!
鹿砦社 ええ!! 名刺に電話番号を入れておいて、その書いてある電話番号にかかってくるのが迷惑というのは、世間では通じませんよ、そんなの。
河野  いや通じますよ。あなたたちのほうが、もうぜんぜんに非常識ですから。
鹿砦社 私たちのどこが非常識とおっしゃって。具体的に誤りがあれば訂正いたしますので。具体的にちょっと教えていただけますか。
河野  本をいきなり送ってきて、で、「その本を読んだか感想を言え」と。
鹿砦社 はい。
河野  その本が読みたくない本だったら迷惑ではありませんか。
鹿砦社 あの「読んでください」ということで、もちろんお送りしていますよ。ただし、送り付け商法ではありませんが、「お金を払え!」とかいうようなことは一切しておりませんよ。
河野  だったら本を送るだけにしてもらえませんか。その後のお便りいりません。
鹿砦社 本を送らせていただくのは、事実関係を理解していただく補助的な資料としてお送りしているのであって。
河野  ええ。
鹿砦社 質問状を送らせていただくにあたっては、こういう背景事実があるんだけども、「どうお考えになるか?」とお尋ねするのが、非常識な行為でしょうか?
河野  はい。
鹿砦社 非常識な行為なんですか?
河野  はい、あの~迷惑です。こちらからなにか読んで言いたいんであれば、連絡することもあるかもしれませんが。ええと、そういう気がまったくございませんので。
鹿砦社 署名記事で書かれていることに、署名記事で書かれるということはありますよねえ。一般的な社会面であっても、地方面であっても書名記事で記事を書くということはありますよねえ。もしもし? もしもし?〈不可思議な間(ま)が続く〉
河野  いや、どうぞ続けてください。
鹿砦社 署名記事を朝日新聞に掲載されることはありますよね。で、署名記事は書かれた方のお名前が分かりますので、それについての意見とか、ご質問とかは読者の方から沸いてこようかと思うんですが、それをお尋ねするというのもいけない行為なんですか?
河野  それは、尋ねたいことがあれば広報に今後お願いしますと。そういうことです。
鹿砦社 それはふつうの読者であってもそうなんですか? 一般読者であっても?
河野  一般読者の場合もお客様専用の、ええと問い合わせ窓口を作っていますんで、そこにかかってきますねえ。記者に直接来ることは、まあ直接取材を受けた方からということはあるでしょうけども。
鹿砦社 署名記事というのは、一定程度その方は、もちろん会社の意向の中で、社論の中で誰々さんが書いたことを明らかにするために、署名にするためじゃないのでしょうか。という理解は間違いでしょうか、私の? それは違っていますか?
━長い沈黙━
鹿砦社 私がお尋ねしている意味がお分かりいただけますでしょうか?
河野  いやーぜんぜん分からないので、返事のしようがない。
鹿砦社 お分かりにならない?
河野  はい。
鹿砦社 え!! 署名記事というは署名のない記事とはちょっと違って、その記事に関して一定の文責、文章を書いた責任を書いた記者の方が明らかにするという性質のものではないでしょう?という質問なんですけども。
河野  う~ん、ぜんぶの署名記事がそうなのかどうなのかというのは、ちょっと分からないですねえ。
鹿砦社 いや、一から百までの責任を個人に個に帰すというのではなくて、誰がどういうふうに書いたか分からないのではなくて、この記者さんはこう書いたものだよと。広い意味で、読者に分かりやすく提示するというので、署名記事というのがあるという理解は間違いでしょうか?
河野  いや、知らないんですけど。それと今回の送り付け行為となんの関係があるんですか?
鹿砦社 「送り付け行為」。
河野  はい。
鹿砦社 ええと恐れ入りますが、河野様ですね。
河野  河野です。
鹿砦社 河野様は、私どもの書籍を送らせていただいたことにはご存知だと思うのですが。
河野  はい、文面もすべて読んでいます。
鹿砦社 はい、その前にですね、私どもが「大阪司法記者クラブに入ることを拒否された」という前段があることは、ご存知でいらっしゃいますか?
河野  それは本にお書きになっているようですねえ。
鹿砦社 いや、事実関係は聞いてらっしゃいますか、記者の方から?
河野  すいません。こちからのお願いは一つで、個々への記者へのそういう……。
鹿砦社 違います! いま私がお尋ねしたのは、「河野さんはその事実をご存知ですか?」とお尋ねしているのです。
河野  あのーこっちは東京の広報なので、細かい大阪のことは知りません。
鹿砦社 だからあなたはご存知ではないわけですよ。なぜ私どもが質問を投げかけなければいけなくなったか、というそもそも発端を。
河野  もうやめてください。こちらとしても、ちょっと迷惑が過ぎるようだったら、ちょっといろんなところに相談しなくちゃいけませんし。
鹿砦社 迷惑?
河野  はい。ええと……。
鹿砦社 ちょっと端的に申し上げますよ。
河野  はい。
鹿砦社 大阪司法記者クラブという、大阪地方高等裁判所の中に記者クラブがあります。東京の裁判所にもあります。
河野  そういう話はいいので、とりあえず……。
鹿砦社 こちらが受けた被害は聴いてくださらないのですか?
河野  はい、なんで聴かなきゃいけないんですか!
鹿砦社 いや、「こちらが受けた被害は聴いてくださらないんですか?」と言っているんです。
河野  被害があるんであれば……。
鹿砦社 いまその話をしているんです。
河野  いいです。被害があるんであれば弊社を訴えるなり、なんなりしてくれればけっこうです。
鹿砦社 訴えるような話じゃなくて、「なんで(記者会見に)「入れていただけないのですか?」ということをお聴きしているのです。
河野  あの、とにかく、ずっと個々への記者へのこれ以上の接触は、この件についてはやめてください。
鹿砦社 いや、ですからその前提事実を、まず顕著な前提事実をご存知ないようですので、その確認を含めてお尋ねしたいと思って。その一つお伺いしたいと思うんです。あの大阪記者クラブ……。
河野  電話切っていいですか?
鹿砦社 あ、聴いていただけないわけですか? こちらは被害申告ですよ。
河野  じゃあいいですよ、別に。あれば書面で私宛てに送ってください。
鹿砦社 被害申告を聞かないわけですか?
河野  はいはい。だから、どうぞ書面で「中央区築地、朝日新聞」で届きますので、あの、どうぞどうぞ被害申告があるというなら。
鹿砦社 さっき「電話で受ける」とおっしゃったんですけれども、電話では受けていただけないんですか?
河野  はい。こちらから、とりあえず個々への記者への接触はやめてほしいということです。
鹿砦社 こちらは一方的に被害を受け続けろと?
河野  だから、そういう被害があるんでしたら改善されなければいけないのでしょうから。
鹿砦社 ですけど、いまお話しようと思うけど、「文書で出せ」というふうに。
河野  被害があれば、どうぞ! それはウチに出すべきものかは分かりませんが。
鹿砦社 じゃあ繰り返しますが、朝日新聞社様は、「非常に迷惑をしている」という認識なんですね。
河野  はい、そうです。
鹿砦社 間違いありませんね。
河野  はい。
鹿砦社 はい、ありがとうございました。失礼いたします。

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◆朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ?

まるで常習クレーマーを相手にするかのような口調と、文字には表れないが、「揚げ足をとってやろう」と明らかに企図した不可思議な「間(ま)」。よくぞここまで「悪者扱い」してくれたものぞと、かえってすっきりするくらいの「馬鹿にした」態度だ。

朝日新聞よ! あなた方は「報道の自由」をどのように考えるのだ? 鹿砦社は1987年、「朝日新聞阪神支局襲撃事件」を受けて、先日NHKテレビ『赤報隊事件』の主人公、植田毅記者、辰濃哲郎記者らの取材に協力し、この事件の深刻さを編纂した『テロリズムとメディアの危機』を刊行し、「日本図書館協会選定図書」「全国学校図書館協議会選定図書」に選定された。鹿砦社は朝日新聞に「貸し」はあっても「借り」はないはずだ。

また2005年の「名誉毀損」に名を借りた松岡逮捕劇の際にも、検察の意を受けて松岡を騙し関係資料を入手し「スクープ」を手にしたのは朝日新聞の平賀拓哉記者だった。にもかかわらず、「迷惑」、「個人の記者への接触をしないでくれ」、「しかるべき措置を考えなければならない」などという河野部長代理の言葉は、赤報隊が朝日新聞阪神支局で小尻知博記者の命を奪った散弾銃のように取材班メンバーの心に“銃弾”を打ち込むほどの衝撃だった。ことは人ひとりをリンチし半殺しにした事件だ。昨日(2・19)に対応した記者たちに〈人間〉の心はないのか? 朝日新聞に「ジャーナリズム」を期待するのは無理なのか?

追伸:夕刻、毎日新聞の後藤由耶記者に電話が繋がった。後藤記者は「この件は社長室広報担当になりました。東京本社の代表番号から広報に電話をお願いします」と毎日新聞でも『報道管制』が敷かれた模様だ。取材班はこの通信にしては、長い文章を書きながらこみあげてくる(悲しい)笑いを抑えられない。この程度なのか? 日本の新聞は? 新聞記者は? 自分の行動に責任をもてないのかと。

※[お詫びと訂正]取材過程で、河野氏の表記を誤りました。お詫びして訂正いたします。(2月22日)

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

1月27日、28日2夜連続で放映されたNHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」を観た。結論から言えば、期待外れだった。(新)右翼犯行説、宗教団体犯行説は当時からさんざん言われたことで目新しい事実はなかった。宗教団体犯行説、途中で上層部から取材打ち切りの指示が出たが、なぜ打ち切りなのか、それ以上の追求はなかった。新たに判ったことは、デジタル的手法を駆使して、幾つか出ている犯行声明文がおそらく同一人物によって書かれたのではないかということぐらいだろうか。国営放送という制約があるのかもしれないが、ここでは具体的には言わないが、もっとディープな取材が欲しかったところだ。

NHKスペシャル「未解決事件File 6 赤報隊事件」

「赤報隊事件」とは、1987年5月3日、憲法記念日、兵庫県西宮市に在る朝日新聞阪神支局が「赤報隊」と称する何者かによって銃撃され、小尻知博記者が死亡、犬飼兵衛記者が重傷を負った事件で、その後も名古屋支局寮、静岡支局などが攻撃されている。

当時から「言論への挑戦」と叫ばれ続けて来たが、時効を迎え、今に至るも未解決のままだ。もう31年も経ったのかと溜息がする。

27日放映ではドラマ仕立てで、樋田毅記者が主人公的存在で、草彅剛が演じている。樋田毅という名は実名で、脇役的存在の辰濃哲郎記者も実名だ。実はこの2人の記者に私も取材を受けている。辰濃記者には本も貸している。朝日新聞にはあと2人、計4人の記者に取材を受けた。他社の記者にも取材を受け、合計23人の記者に取材を受けていると第二弾の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』に記載されているが、さらにその後も新たに数人の記者の取材を受けていることも記録されている。そうした中のひとりで当時毎日新聞の阪神支局にいた鈴木琢磨記者は、その後、『サンデー毎日』記者、編集委員となり、朝鮮問題専門家としてテレビでもたびたび登場している。

なぜ、私がこれほど多くの記者に取材を受けたかというと、前年に、28日の放映分にも登場している鈴木邦男氏が主宰する新右翼団体「一水会」の機関紙『レコンキスタ縮刷版1‐100号』を出版し、鈴木氏、及び周囲の新右翼関係者との関係を聞き出したかったからだろうと思われる。鈴木邦男氏とは、その数年前、当時装幀などを担当してくれていたFさんの紹介で知り合い、その頃、鈴木氏や配下の木村三浩氏は新右翼の超大物・野村秋介氏についてよく来阪していたが、それに同席させていただき、野村氏との知己も得た。

私は1977年に西宮に来て、85年から独立し西宮にて事務所を構えていた。阪神支局には自転車で15分くらいの位置にあった。鈴木氏は以後、私が以前に新左翼党派「赤報派」(RG[エルゲー]とも言われていた)と接触があったことを針小棒大に面白おかしく採り上げ、雑誌『Spa!』の連載で「爆弾の松岡」とか揶揄し、あたかも私が赤報隊であるかのような書き方をしている。

『テロリズムとメディアの危機 朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』(1987年)

私は地元西宮で起きた事件でもあるので、この「デジタル鹿砦社通信」管理人&『NO NUKES voice』編集長の小島卓君と共に、私たちなりに取材を始めた。それは『テロリズムとメディアの危機--朝日新聞阪神支局襲撃事件の真実』として緊急出版された。この際、2人で朝日阪神支局に取材に赴いたところ、けんもほろろ追い返された記憶がある。朝日は、大衆に対しては上から目線で取材を求め、逆に私たちのような小出版社からの取材に対しては拒絶する体質のようだ。これは今も続いている。朝日からは、のちの「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧事件などたびたび煮え湯を飲まされたが、ここでは触れない。

私が一番違和感を覚えたのは、自社の記者が殺されたにもかかわらず、朝日主催の夏の地元・甲子園球場(意外と間違う人が多いが、甲子園球場は西宮に在る)で行われた、その年の高校野球で黙祷の一つもなかったことだ。阪神支局の方々は、この時期、高校野球の取材などに忙殺されるというが、この時の支局の方々の気持ちはいかばかりだったろうか。

その後、不思議なことに、1年ほどしたら、阪神支局員全員が他の部署に異動している。記憶が曖昧だが、大島支局長はどうだったか、おそらく最後に異動したと思う。

「警察よりも早く犯人をあげる」と意気込み事件取材を指揮していた柴田鉄治大阪編集局長の更迭→関係会社への異動は特に首を傾げさせる出来事だった。

『テロリズムとメディアの危機』は、私にとっても初めて、身近で起きた現実の事件についてまとめた本だし、小島君もそうで、初めて2人で作った本だ。日本図書館協会、全国学校図書館協議会の推薦図書にもなった。赤報隊事件から31年なら、小島君との付き合いも31年ということになる。このかん、いろいろなことがあったな。

西宮には、この前に「グリコ・森永事件」(1984年)があり、もっと前になるが「甲山事件」(1974年)があった。私にとってこれら3つの事件は、小なりと雖も出版人としては生涯の関心事だ。いつか現場や関係箇所を歩き回り、一冊にまとめてみたい。

当時から言われた「言論への挑戦」、果たしてこれに対し(朝日を含め)どれだけのメディアと報道人が体を張って闘っているだろうか? 大いに疑問だ。「言論への挑戦を許すな」と言うのは簡単だ。しかし、大事なのは日々どういうスタンスを持って言論活動に携わっているかだろう。権力のポチになっていないか!? 脚下照顧、あらためて反省しなければならない。

『謀略としての朝日新聞襲撃事件 赤報隊の幻とマスメディアの現在』(1988年)

久し振りに、上記に挙げた『テロリズムとメディアの危機』、そして続刊の『謀略としての朝日新聞襲撃事件』を紐解いてみた。31年前の目まぐるしい事件の転回や、私たちなりに真正面から事件に取り組んだことなどが想起された。

まだメジャーになる前の高野孟氏と、まだ共同通信記者時代の浅野健一氏が対談をやっている。高野氏は、グリモリ事件同様「日本の中での関西特有の一種の地下構造というものとの繋がりのところで出て来てる問題」と指摘している。他にも、多くの方々が質問に答えてくださっている。かの奥崎謙三氏もいる。

おそらく朝日上層部や、樋田記者ら特別チームは、当時の大島次郎(故人)支局長にもかなり詳しく話を聞いているはずだから、大島証言がなぜ公にならないのか不思議でならない。このように、朝日は本当に取材した情報をどれだけ公にしたのだろうか? これは当時から他社の記者も言っていることで、朝日の秘密主義が問題の解決を遅らせた、いや、今に至るも未解決のままに至らしめたといえないだろうか?

思い返せば、朝日新聞阪神支局襲撃事件以来、言論をめぐる情況は変わった。大きく変わったことは、メディア自身の委縮、知っていながら報道を控えることではないだろうか。

かの本多勝一氏でさえ、事件の同年末で、月刊『潮』で連載していた「貧困なる精神」を「さらに厳しい自粛令が改めて出ましたので、忠実なサラリーマンとして私はこれに従います」として連載を打ち切った(その後、本多氏は朝日を退社し『週刊金曜日』を起ち上げるのだが、在社中に徹底抗戦してほしかったところだ)。こうした意味では、この事件は、赤報隊の「言論への挑戦」という目的を、はからずも果たしたといえよう。遺憾かつ残念なことだ。

2018年もタブーなし!月刊『紙の爆弾』2月号【特集】2018年、状況を変える

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