前回、「無色透明のごちゃまぜケア」と記した。これは、松永氏いわく、「医療と介護と福祉、地域が一体となって、みんなでそこに暮らしているお年寄りを支えるという意味」とのこと。そして、その先にある最期のために必要といわれているのがACP(Advance Care Planning)と呼ばれるもので、「人生会議」「終活」ともいわれる。

そのために松永氏が施設に入っている人や容態の急変があり得る高齢者に確認する1つ目のことが、人生の最期を過ごしたい場所だ。そして2つ目が、心臓マッサージや人工呼吸器、ECMO(エクモ)などによる治療を望むかどうか。3つ目が、経管栄養法を望むかどうかだという。

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

◆最高の最期の迎え方

その場合、わたしなら動けなくなる直前までは自宅、動けなくなる直前に田畑を手がけている農地の向こうにある山の奥深くに移動し、最期を迎えたい。経管栄養法はもちろん、無理のある治療も受けたくない。このようなことは誰か、特に医師に伝えておかなければ実現しないだろう。普通は伝えておいても実現しないかもしれない。そもそも山の中で死なせてもらうことは難しそうだが。

松永氏は、高齢者本人の意思を最大限にくみ取ろうとする。これは、医師にとっても本人にとっても家族にとっても重要だが、困難が伴うものだろう。また一般的に家族などには、できるだけ生命を維持してほしいと感じがちなので、本当に難しい問題だ。ただし松永氏がいうには老衰の場合には点滴などの医療介入をしなければ苦しまないとのことなので、これは広く知られるとよいだろう。

また、松永氏は、「QOLを上げてQOD(Quality of death)を求める」という。現在では家で最期を迎えることが珍しいものになってしまったが、本人・家族に「家で看取る・看取られる覚悟」があれば可能だと述べる。また、子どもが都会に暮らしていても、最期は家族全員を呼び出すそうだ。

「最後の1週間で親孝行をほどよく楽しみながらやり切って、思い出に囲まれたなかで親を看取る、これができれば最高」「地域医療とは、優しく地域へ突き返すことでもあります」と松永氏はいう。

◆日々の活動から生まれる幸福感

ただし、国連の「World Happiness Report 2023」によれば、幸福度ランキング1位はフィンランド、2位はデンマーク、3位はアイスランド、4位はイスラエル、5位はオランダとなっている。日本は47位だ。

また、内閣府による2023年版の「高齢社会白書」によれば、「総人口に占める65歳以上人口の割合(高齢化率)は29.0%。65~74歳人口は1,687万人、総人口に占める割合は13.5%。75歳以上人口は1,936万人、総人口に占める割合は15.5%で、65~74歳人口を上回っている」という。

それでは、どうすれば、地域の高齢者やわたしたちは、幸福感を抱いて暮らしていけるのだろうか。社会をよりよく変えていくことは必要だ。そのいっぽうで、足もとの生活を誰もが「笑って、食べて、愛されて」生きていけるものに変えていくことも、とても大切なこと。できるかぎり人の役に立つことは、人から求められることにも結びつく。助け合い、刺激し合える、つながっていけるシステムを確立することも重要だ。

そのようななか、松永医院のある千葉県南房総市千倉町平舘では、コミュニティ集会所にて「区民の茶の間」という活動が行われ、市の支援を受けながらYouTubeチャンネルを運営したり、「チャンネルの会」を結成して区民の一部が参加費を支払いながら山の整備を行ったり、子ども会や青年会も参加して田植えや稲刈りのイベントも開催している。

さまざまな活動が評価され、「区民の茶の間」は厚生労働省のスマート・ライフ・プロジェクトが運営する2018年の「第7回健康寿命をのばそう!アワード」にて、厚生労働省老健局長 団体部門 優良賞を受賞。

また、公益財団法人 日本国際交流センター主催の「アジア健康長寿イノベーション賞2022」では、南房総市千倉町平舘区、千葉大学医学部附属病院患者支援部、松永医院、富浦エコミューゼ研究会(千葉県)の「高齢者が主役!受け継ぐ地域の活力」という活動が最優秀事例の1つに選ばれた。アジア健康長寿イノベーション賞」においては、都内で授賞式が開催された後日、受賞者を中心とする訪問団が平舘区を訪れ、歓迎会に参加し、地域の農地などもまわったのだ。

受賞は決して重要ではなく、ゴールでもないが、地域の多くの人がそこに参加しているという実績が評価されたものだろう。

◆地域の魅力を未来に引き継ぐための、100年後、500年後からの逆算

個人的には、松永氏が口にするような、医療を産業として捉えることには反対だが、医療や介護の制度を持続可能なものとするため、必要なことは多々あるだろう。彼は「100年経っても生き残っている地域にしなければならない」というが、先日、大山千枚田保存会の20年記念イベントに参加した際にも、後継者問題は待ったなしという全国に広がる問題に触れずに進行されることはなかった。松永醫院では今後、看護小規模多機能サービスの施設開業の計画もあるそうだ。

今後、地方にとって必要なことは、やはり地域の魅力を守りながら経済とは別の文脈で可能性を拡大するような移住者を増加させること。そして、家制度の外側に、ゆるやかで心地よいつながりからなる助け合いのコミュニティを育むことが大切であるように思う。

わたしは農地を次々と引き継いでいるので、それを「農暮らし寺子屋 コモンズ名戸川原(地域にある田園エリアの名)」という形で発展させることを計画しようとしている。また、地域からのリクエストのあった八百屋、配食サービスを実現するため、キッチンカー事業の開業も予定しているのだ。そこで、移住や暮らし、パソコンや国語・日本語の悩みを解決するための駆け込み寺としても機能させることを考えている。

とりあえず、都会から訪れる会員さんの滞在先として隣の行政区の空き家を管理し、地域の人とも交流してもらっている。また、支援のサービスを手がけたい移住希望の若い夫妻、反対に2人の支援が必要な子どもを育てる移住希望のシングルマザーなどの支援も継続中。個人的に重視していることは、助け合いシステムの確立だ。それが未来の自分を救うことにもつながるだろう。

特に、Uターンや移住者は、あえて地域を世界一大切にしたい場所と考えて移り住んでいる。そのなかには、さまざまな活動に携わる仲間も多くいるのだ。その1人ひとりがそれぞれの専門性も生かしつつ、地域の高齢者も、将来の自分たちも心地よく暮らし、自然な形でここを去ることができるよう、わたしたちがつながってできることは、いろいろあるはずだ。

個人的に内房エリアのオリーブ栽培にも時々、参加しているのだが、オリーブも樹齢500年の木が世界に多くあるという。わたしも500年後の未来に地域の魅力を引き継いでいけるよう、そこから逆算した活動を重ね、日々を送りたいと常々考えている。(完)

◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』

〈1〉笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療
〈2〉命を輝かせ、独りぼっちにさせないための施設と取り組み
〈3〉看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」
〈4〉それぞれの専門性や活動によって切り拓く未来

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現在、自然農に近い畑、不耕起栽培から多年草化を目指す田んぼを手がける。また、食と農の問題に関し、継続的に調査中。月刊誌『紙の爆弾』12月号に、「放射線育種米から誕生した『あきたこまちR』が開く 食と農業の悲劇的な最終幕」寄稿。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年1月号

1人ひとりが、その人らしい人生を送り、最期を迎える。そのために、わたしたちは具体的に何ができるのか。今回も、地域医療に尽力する医師・松永平太氏の著書、『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の書評の第3回目をお届けする。

第2回目では、認知症の独居をも在宅で看取るという松永氏の覚悟が表現されたメッセージを紹介。また、孤独死を除く在宅死亡率は1割未満であって現在でも病院で亡くなる人が多いが、松永氏は予防医療も導入し、「穏やかな最期」の実現を目指していることも伝えた。

今回は、本書を追いながら、わたしの友人である看護師たちの言葉も紹介したい。それにより、理想の実現の尊さを感じてほしいのだ。

◆看護師の友人の話と、地域の山エリアの取り組み

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

先日、がんの闘病中のS氏と、友人で看護師のM氏と話していた際、S氏は全国を巡ると語っていた。離婚はしていないが、妻への「財産分与」も終えたという。つまり、病院でも自宅でもない場所で最期を迎えたいのだろう。

後日、別の友人で看護師のY氏と話したときには、「まず、家族が高齢者を引き取りたがらない。また、本人も在宅で最期を迎える覚悟はなく、家族とそのような話もしていない」と言っていた。個人的には、いつでも自分の最期にまつわる希望を書き連ねて残しておきたいところだが、死について考えたり語り合ったりすることは現在もなおタブーであるか、本人も家族も向き合おうとしないものなのかもしれない。

本書で松永氏は、「診療所に自分の携帯番号を張り出し、患者にもその家族にも、困ったらいつでも電話をしてほしいと伝えて」もいることに触れていた。

南房総市内の山エリアの区長は、災害時には孤立するうえに高齢者が多いエリアだからと、押せば区長につながるブザーを各家庭に設置している。また、どこが災害にあっても、それぞれの家が避難所になるように設定しているのだ。さらにこの行政区は、太陽光の活用や水道の種類の多さなども誇り、テレビの取材も受ける先進エリア。地域には、本当に頼もしい存在や対策があり、学ぶことが多い。

◆デンマークの「高齢者福祉の3原則」を千倉でも実現

本書では、2017年のデンマーク視察についても書かれている。2022年の1人当たり名目GDPを調べてみると、デンマークが66,516米ドル、日本が33,822米ドルで、2倍近くの差があるのだ。デンマークの人は、25%の消費税を、「信頼」と「尊敬」を背景に支払っていると語る。

デンマークは2023年の世界幸福度ランキングでも第2位に輝いており、47位の日本との差は歴然。ここにも「信頼」と「尊敬」の有無が表れているのではないかと、松永氏は考える。そして、デンマークの高齢者福祉の3原則は、1. 人生、生活の継続の尊重 2. 自己決定の尊重 3. 残存能力の活性化 とのこと。独居の高齢者宅にもケアスタッフが1日数回訪れるという。

デンマークから千倉に戻った松永氏は、1. 病院に入院した高齢者を元気にし、優しく地域に突き返す 2. 地域全体で少しずつ弱っていく高齢者を見守り、支えていく 3. 本人が望めば、自宅で最期を看取れる地域をつくる の3つを実践することにした。その中で、家族を呼び寄せ、漁師町の酒盛りに包まれて旅立つことを支援していったわけだ。

◆「ひとりぼっちでは死なせない」ために、施設とサービスを拡大

QOL(Quality of life:生活の質・生命の質)が唱えられて久しいが、これについて「命の輝きは、笑うこと、食べること、そして愛されることに表れ」ると松永氏は述べている。特に「愛される」とは、「ひとりぼっちでは死なせない」ということだという。

前出の看護師のY氏は、「病院から高齢者を家に返せないのは、訪問看護・介護などを手がける施設がないエリアが地域に多いせいもあるのではないか」と口にした。そこでわたしは早速、松永医院について説明したのだ。

以前も触れたが、ここには外来・訪問で診察をおこないながらリハビリも手がける診療所、地域の人が集まって食事や入浴をするデイサービスセンター、高齢者を元気にして家に帰す老人保護施設、認知症の人を支える認知症専用デイサービスセンター、そして在宅療養者の生活支援から看取りまでを担う訪問看護・介護ステーションをそろえている。ここに住む人、そして移住してきたわたしは幸運だ(笑)。

また、地域通貨風の施設内通貨を用い、好みのサービスを提供している。やはり先進的なのだ。そして、老人保護施設は、「利用者の過去6カ月の在宅復帰率が50%以上、過去3カ月のベッド回転率が10%以上、入退所後の訪問指導割合が30%以上」の施設として「超強化型」老健に指定されている。

◆「夢人さん」も「夢追い人」にも施される「無色透明のごちゃまぜケア」

しかも、認知症にかかった人を「夢人さん」、かかっていない人を「夢追い人」と呼ぶ。適切で優しいケアにより、他の施設では大声で暴れていた人が、穏やかになって笑顔が増えていくそうだ。日々、したいこととしたくないこと、人生経験や思い出話に耳を傾けるとのこと。さらに、待つことの重要性も説く。

前出の看護師でM氏のほうは、認知症の人に手を上げたことのない看護師・介護士はいないだろう」とわたしに話したことがある。彼女は1人、認知症の人の話を聞き、ほかの人は距離を置くそうだ。その話を聞いたときに感じた悲しみと絶望は、本書によって癒やされる。互いに希望をいだくことは不可能なことではないのだ。

実際、松永氏は1日8軒をまわり、すれ違う高齢者にも声をかける。もちろん、多職種の連携も重視する。読み進めるほど、わたしの友人の看護師や作業療法士はみな、松永医院で働いてほしくなる。

そして、地域包括ケアシステムを提供していくうえで、在宅看取りを強化するため、看護小規模多機能サービスと定期巡回、臨時訪問介護看護サービスの充実を必要なものとして考えているという。これらであれば、利用料が包括的に決まっているため、必要なサービスを提供できるそうだ。松永氏は、これらの「無色透明のごちゃまぜケア」を通じ、「すべての人が人権と尊厳を保ちながら生きられる社会に変えていかなければ」と綴るのだ。(つづく)

◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』

〈1〉笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療
〈2〉命を輝かせ、独りぼっちにさせないための施設と取り組み
〈3〉看護師の言葉から辿る実践の「奇跡」

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。東京で二十数年暮らし、DIY、医療・看護、代替補完療法、落語、園芸、料理、パソコンをはじめとする実用書・雑誌・フリーペーパー、省庁や大・中小企業のツールの執筆や編集のほか、Webのコンテンツの執筆・ディレクションなども手がけてきた。2019年、南房総エリアに、Uに近いJターン。地域の高齢者と友情を育むことを松永氏は推奨しており、わたしも勝手に実践している(つもりだ)。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年11月号

今回も前回に引き続き、地域医療に尽力する医師・松永平太氏の著書、『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の書評の第2回目をお届けする。

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

第1回目、「家族の介護を大前提とする、いくつかの描写や意見・感想」に違和感を抱くが、「さまざまな現実に真剣に向き合ってきた松永氏の考えは実際、わたしとまったくかけ離れていることはない。また、彼が手がけていることは、まさにコミュニティでのケアを理想的な形で実現させるためのものなのだ」と記した。

これに関し、松永氏に改めて確認したところ、「これから日本は、独り暮らし、認知症の高齢者がドンドン増えてきます。認知症の独居を想定した看取り文化を創りたいと考えています。なので、家族介護が必須要件とは考えておらず、おひとり様でも地域で最期まで生き切ることのできる社会を目指します。中に、田舎には婆ちゃん独り、都会に子供たちパターンで、最期の1週間だけ最後の親孝行をするため帰郷して満足死を達成する実例を出していました。家族がいなくても私たちが愛しますので、独りぼっちにさせません」というメッセージを届けてくれた。

◆孤独死を除く在宅死亡率は1割未満

さて、本書に戻る。前回も触れた介護保険の問題を象徴することとして、松永氏は、「介護保険が導入されて二十数年が経つにもかかわらず、逆に家で死ねない時代になっているのです。数十年で病院の死亡率は80%弱とあまり変わりはなく、施設で最期を迎える人が増えているのです」と訴える。

また、在宅死亡率は全国平均で15.7%だが、ここにはいわゆる孤独死が含まれているため、「自宅にいて家族や訪問看護師、医師らに看取られた患者の割合は在宅死亡率の6~7割ほどではないかと考えています」と伝える。つまり、9.4%、1割未満というわけだ。平均寿命は、平安時代が26歳、江戸末期でも31歳とのこと。これが現在では84歳(厚労省の発表によれば2022年の男の平均寿命は 81.05年、女は87.09年)にまで延びている。

本書では取り上げられていないが、たとえばインターネット上では、高齢者を既得権者として敵視するような論調を目にすることがある。自らの悩みや貧困の原因は、余裕のある年金生活を送り、旅や趣味を楽しみながら悠々自適な生活をして、政治にもいうことをきかせている。高齢者があぐらをかき、のさばっている。そのような語り口だ。

しかし、このような世代間論争とは本当の既得権者によって対立をあおられているようなものであり、どの世代にとっても社会はよいものとならない。

松永氏は、常に地域の高齢者を診ている。だからこそ、彼らのために現実的に自分ができることを、次々と実現させていく。診療所だけでなく、2000年の介護保険法が施行される際に訪問看護ステーションとヘルパーステーションを設立し、02年にはデイサービスセンターを設置。また、06年には老人保健施設とグループホーム、認知症対応型デイサービスも開設した。彼は本書に、「地域住民の命を元気にさせ、命を輝かせるツールはほぼできあがりました」と記す。

◆予防医療の導入によって目指す「穏やかな最期」

松永氏が医師になったばかりの頃は、「穏やかな最期を迎えることは難しく、みんなが同じように病院で死んでいた時代」だったそうだ。

わたしが12歳、1984年に父ががんで亡くなる前は、痛みに苦しんで叫び続け、モルヒネだか痛み止めを使用。きれるか慣れて効かなくなるとまた叫んでいた。最期は、機器を見ると止まった心臓が再び動いたようだったが、臨終だといわれてすべてが終わった。母は疲弊しきり、火葬場では「後を追って死ぬ」と叫んだ。その瞬間も悲劇的だった。母は、その後、父は過労死だと口にしていた。症状は現れていたはずだが、耐え続けて病院に行くのが遅く、また当初の誤診もあった。

松永氏が医師になった1992年頃でも、そのような悲劇的な最期を迎えるような状況に大きな変化はなかったのだろう。ただし、そのような時代でも本書によれば、長野県では予防医療が進んでいたという。彼は、その後これを千倉に導入し、定期的な検査・看護師による生活支援・在宅医療を施すようになった。「体を動かす習慣をつけたり、社会活動に参加したりといった生活環境も重要」なので、「健康講座の開催や、地域の人が互いにつながる地域活動にも力を注いで」いる。(つづく)

◎地域医療の最先端モデルに学ぶ ──《書評》松永平太著『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』
〈1〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=47434
〈2〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=47628

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等に寄稿してきた。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年10月号

公開前より噂が広がっていた森達也監督『福田村事件』の試聴版をようやく観た。当時の朝鮮人関連の事実を扱っていることやキャストの一部などは知っていたが、人物のストーリーが豊かにふくらみ、それによって事件自体のシーンからは大きな衝撃を受ける。ぜひ、ご覧いただきたいので、書評のさなかではあるが、本作に触れたい。※(ネタバレあり)

◆6000余名の朝鮮人の命を奪った関東大震災の大虐殺

わたしは『紙の爆弾』2017年11月号に、「『追悼文見送り』でも隠せない 関東大震災 朝鮮人虐殺の〝真実〟」と題し、「6000余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた」こと、その背景、暴徒化した自警団、国家にも民衆にも責任があることなどを伝えた。

しかし現在も、このような〝真実〟を認めようとしない言説が多くある。先日も、日本統治下によい印象をもつ韓国の高齢者の発言とされるものがインターネット上のショート動画などで拡散され、大きな問題を受け入れない人々が多くいることに愕然とした。

虐殺の背景には、併合前後に朝鮮各地で起こった暴動、伊藤博文の射殺、困窮して日本国内に流入した朝鮮人に対する過重労働や差別、戦後恐慌、労働・小作争議、社会主義・共産主義運動、三・一独立運動、警察機関や朝鮮総督府の爆破がある。そして、政府や警察による、朝鮮人や社会主義・共産主義者や労働者の団結への警戒があった。いっぽうで、在日朝鮮人は、1911年に2,500人だったのが、23年には8?9万人に達していたようだ。

そのような折、23年9月1日に関東大震災が起こり、「朝鮮人と、彼らと連帯する活動家が放火をした」という噂が流れる。その後、強盗、強姦、殺人、井戸への劇薬の投入、爆弾を持参しての襲来と内容を拡大させていったのだ。そこに自警団が続々と登場し、3,600人超にまでふくれあがった。

©『福田村事件』プロジェクト2023

◆偏見と罪悪感を抱き、天皇制と軍国主義を刷り込まれた人々

デマの元凶として、横浜市や東京の亀戸町(現・江東区)などの地域、軍閥・富豪・警視庁の策謀など、説はさまざま。ただし、内務省は朝鮮人が暴動を起こしたので取り締まれと、各道府県知事宛てに電文を送り、自警団結成を命じる通牒(つうちょう)を送っている。事件後も、国家・軍隊・警察の責任が認められたことはないが、政府はねつ造された暴動の話を集めさせながら、同化政策の差し障りを欧米に知られないために朝鮮人に危害を加えることを控えさせようともした。

また、戒厳令を敷くために、造言を放ったという説もある。朝鮮総督府の政務総監だった水野錬太郎と、内務局長や警察局長を務めた赤池濃は、独立運動を弾圧していたが、彼らが内務省の内部部局で警察部門を所管した警保局長の後藤文夫に戒厳令の施行を進言し、それが2日夕刻に施行されているのだ。作家の吉村昭は、日本人のある種の罪悪感を、虐殺の背景として記す。

朝鮮人に対する偏見と罪悪感、それに加え、官憲などが流した情報は天皇制国家と軍国主義を刷り込まれた人々に信憑性があるものとして受けとめられた。

◆クライマックスにいたるまでの物語と、史実の痛切さ

ここで本作『福田村事件』の話に戻る。まず個人的には千葉県出身・在住者として野田や流山の地名の登場に親しみを感じたものの、農家役の方の農作業の様子を注視し、方言に聞き入ってしまった。地域差はあるだろうと自らに言い聞かせながら先を追っていくと、「不逞鮮人」「ちゃんころ(漢民族)」「穢多」といった俗語や蔑称、差別語が繰り返し発せられていく。そして、「万歳運動(おそらく三・一運動)」にも触れる。

いっぽうでは元軍人をからかう言葉として「軍隊の銀シャリが忘れられませんか」などと口にする登場人物もいる。

本作にはさまざまな人物が登場するが、主人公の夫妻などのほかに、讃岐(香川県)から千葉を訪れた薬売りの一行も比較的、詳細に描かれる。それぞれの人生を垣間見ているうち、関東大震災が起こるのだ。そして作品では、「朝鮮人が火をつけた」「毒を井戸に投げた」などと亀戸署の刑事が触れ回る。それがどんどんふくらみ、みんなが言っていたからと、「土木工事の朝鮮人がおそってきた」「本所が燃えたのは朝鮮人が原因」などと尾ひれがつけられていく。

すると村長に内務省からの「不逞鮮人暴動に関する件」「警戒、適当の方策を講ずる」などという内容の通達が届くのだ。そして自警団が組織され、村人が従う。「鮮人は敵だ」と口々に繰り返す。半信半疑の者もいたし、併合によって「朝鮮人をずっといじめてきた、だからいつやられるか恐怖心があったんだ」と告白する者もいた。

主人公は朝鮮人を見捨てることになった経験をもち、それに罪悪感と後悔を抱いていた。新聞記者の女性もまた、「権力のいうことはすべて正しいのですか」と上司に訴える。だが、戒厳令がしかれ、社会主義者も殺されるのだ。

このあたりでわたしは、県内に取材した際に「千葉県民は文句を言わない」などと耳にしたことや、ハンナ=アーレントの「凡庸な悪」という言葉を思い出していた。

そしてクライマックス。史実の通り、薬売りが朝鮮人と決めつけられ、殺される。朝鮮人かどうかが問われているとき、薬売りの1人の「鮮人やったら殺してもええんか、朝鮮人なら殺してもえんか?!」という言葉が大きなテーマの1つだろう。その発言で、そして殺してもいい「空気」によって、竹槍や銃で殺されてしまう。だが、もちろん彼らは朝鮮人ではない。人間の愚かさを感じざるを得ない瞬間だ。

元軍人の1人は、「今さら何を言ってんだ。警察やお上、お国だっぺ。わしらはお国を、村を守るために戦ってきたんだ」というようなことを叫ぶ。そして、村人は、新聞記者に対し、「おれたちはずっとこの村で生きていかなきゃなんね、だから書かねえでくれ」と言う。だが記者は、「デマだって書かなかったから朝鮮人がいっぱい殺され、この人たちも殺されたんです。だから償わないと」と返す。

この新聞社の罪と責任を、映画監督やジャーナリストとしても森達也氏は伝えたかったのだろう。

結局、薬売りの一行は、お腹の子を入れて10人が殺された。のちにこの福田村事件では8人が逮捕され、懲役3~10年の判決を受けたが、大正天皇死去の恩赦で全員が釈放された。行商団の遺体は利根川に遺棄されたそうだ。

©『福田村事件』プロジェクト2023

◆「人間はどういう生き物なのかを検証し続けること」

映画ライター森直人氏のインタビューで、森達也監督は、「人間はどういう生き物なのか……それを個と集団の相克から検証し続けることは僕のライフワークです」と語っている。また、本作においては、「加害者側と被害者側の両方をしっかり描く」ことを意識していたそうだ。「メディアの問題は絶対入れたいと思っていました」とも言う。「現代の光景と同質に見えるよう」フィクションのよさも生かしているようだ。

個人的には、まず権力の言うことを真に受けてはならないということ。そして、真に受ける1人ひとりは被害者でもあるかもしれないが、それ以上に止められない人間を含めて加害者であることだ。また、被害とその周辺とがおさまろうとも、加害の側は心の底から心をこめて謝罪を繰り返さなければならないし、歴史の真実を伝えていかなければいけないのだということだ。野田市の市長が弔意を示したことを勝手に誇りに思う。追悼文を送らない東京都知事とは異なる。

現在に当てはめても、社会がこのような状態であることの責任はわたしにある。愚かなわたしだが、凡庸な悪に取りつかれぬよう、声を上げ続け、謝罪を続けねばならない。

ぜひ『福田村事件』をご覧いただき、感想を伺いたい。

『福田村事件』
監督:森達也
脚本:佐伯俊道、井上淳一、荒井晴彦
出演:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイほか
企画:荒井晴彦
企画協力:辻野弥生、中川五郎、若林正浩
統括プロデュ―サー:小林三四郎
プロデュ―サー:井上淳一、片嶋一貴
アソシエイトプロデュ―サー:内山太郎、比嘉世津子
音楽:鈴木慶一
【2023年|日本|DCP|5.1ch|137分】(英題:SEPTEMBER1923)
配給:太秦
http://www.fukudamura1923.jp
テアトル新宿、ユーロスペースほか 全国公開中


◎[参考動画]映画『福田村事件』予告編

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。映画評や監督インタビュー多数、パンフレット制作も。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。地元に映画館はないが、有志による上映会などでは、過去と現在の、農村の記録映画をよく観ている。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年10月号

2023年6月発行の書籍に感銘を受けたので、取り急ぎ紹介したい。著者は高齢化が加速する社会において、私たちが向かうべき地域づくりの道を開拓する医師だ。

◆「笑顔で自分らしく生き、自宅で人生の最期を迎えるための地域医療」

 

松永平太『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)

『笑って、食べて、愛されて 南房総、在宅看取り奮闘記』(幻冬舎)の著者である松永平太氏は、地域づくりを先駆的に進めている1人だ。

千葉県南房総市千倉町に生まれ育ち、1983年、東京理科大学薬学部を卒業。その後、86年に東京医科歯科大学に入学し、卒業後、民間病院に入職。そこで医師と看護師とは対等であることを学び、その3年後となる1997年に松永医院を継ぎ、院長となった。

彼の願いは、「高齢者が笑顔で自分らしく生き、自宅で家族や友人とともに人生の最期を迎えられる地域医療のかたちを実現させること」。そのためには、もちろん在宅医療に加え、介護や福祉との連携が必要だ。そこで、「外来診療から在宅看取りまで対応した診療所を拠点に、訪問看護ステーション、ヘルパーステーション、デイサービス、デイケア、グループホーム、老人保健施設などを整備」した。

松永氏は、「全国に先駆けて人口減少や高齢化が進んだ千倉の地域医療は、これからの医療の最先端モデルになり得るのではないか」と考えて、本書を執筆したという。

千倉町の「高齢化率(65歳以上の高齢者人口の割合)はすでに50%」とのことで、2022年4月の高齢化率を調べると南房総市全体でも46.8%、千葉県内では御宿町、鋸南町に次ぐ第3位となっている。

千葉県内市町村別高齢者人口(2022年4月1日現在)

https://www.pref.chiba.lg.jp/koufuku/toukeidata/kourei-jinkou/documents/r4koureishajinkou.pdf

ちなみに2035年には限界集落化という役所の職員もいたが、現在、高齢化が進みすぎていて2040年には65歳以上の人数自体は減ってしまう。
http://www.chiiki-chienowa.net/003_PPS/12chiba/12_kt_chiba.html 

◆高齢者のリアルと人間の生きがいとのギャップ

そのような中で松永氏は、診療所について、「命のコンビニエンスストアでありたい」と考えている。ただし、彼の目にうつるのは、「若い世代の重荷とされてしまう一方、お年寄り自身もどのようにして生きればいいのか迷い、誰にも相談できず、途方に暮れている」、そんな姿だ。「特にやりたいことはない」「早く死にたい」と口にし、一命を取り留めても「なぜ自分を助けたのだ」と苦情をいう人すらいるという。

彼は本書に、「この世で最大の不幸とは、貧困や病ではなく、見放されて誰からも必要とされなくなること」というマザー・テレサの言葉を引用している。実際、最も元気な80代の1人は、常に軽トラで地域を走り回り、広い田んぼを手がけ、「次は本業」といって店番もする。用事があって会いに行っても、なかなかつかまらない。お子さんにこのような話をしたところ、「仕事がいちばん好きだといっている」とのこと。やはり、求められているということが人間の生きがいとなるのだろう。

また、地域の人々の話を楽しく聴くだけで、ご本人やご家族に感謝されたり、野菜や魚を頻繁にもらったりする。お返しをしても、なかなか追いつかない。ただし、わたしが勝手に会話を楽しんでいることが役に立っているなら、大変うれしいことだ。そのような人間の生きがいや喜びのためにも、松永氏は「高齢者医療で大切なことは、とにかく入院期間を短縮すること」と述べている。

◆理想的なケアの形と介護保険の問題点

しかし、本書の中で、わたしがどうしても違和感を抱く個所があった。それは、家族の介護を大前提とする、いくつかの描写や意見・感想だ。なぜなら、わたしは個人的に小学校高学年の頃から複雑化した家庭環境に育ち、この社会の婚姻制度、家族制度や家制度(戸籍制度)に違和感を抱き続けるなどしているからだ。ちなみに、アメリカには扶養義務という概念がなく、スウェーデンやデンマーク、フィンランドでは子が親を扶養する義務が廃止されているそうだ。

ただし詳しくは第2回以降で触れるが、さまざまな現実に真剣に向き合ってきた松永氏の考えは実際、わたしとまったくかけ離れていることはない。また、彼が手がけていることは、まさにコミュニティでのケアを理想的な形で実現させるためのものなのだ。

そして本書では、介護保険の問題点についても述べている。まず、要介護認定の制度によって、経営上の問題を抱える介護サービス事業所は利用者のサービスへの依存度を高めようとすることになり、足腰を弱らせて寝たきりにしたほうがよいという判断をしかねないという。

わたしが介護に関する取材・執筆を重ねていた2005年前後には、事業所の善意とボランティアが介護を支えている面もあり、また予防重視の方向性によって介護が必要な人に届かなくなるのではないかと危惧されていた。それが、実際には、だいぶ複雑な方向に進んでいるのだと感じた。また、現場のヘルパーさんたちの労働に関する問題も根深いと、わたしは考えている。(つづく)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等に寄稿してきた。フリーランスの労働運動・女性運動を経て現在、資本主義後の農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動、釣りなども手がける。地域活性に結びつくような活動を一部開始、起業も準備中。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年9月号

「少子化の真実」。これをテーマにした投稿がネット上で話題にのぼっていたので、今回は書評を休み、この問題について語りたい。

◆金と希望とがそろわなければ出産への挑戦など不可能!

該当の投稿では、政策となっていることもSNSのリベラル系アカウントで言及される内容でも「子育て支援」一本槍だが、実際には少子化の原因は未婚化であり、その要因は若者の貧困であると社会学者は説明していることに触れられていた。

この投稿に対し、さまざまなコメントがつけられる。たとえば、少子化対策を学者でなく自民党の政治家がおこなっていることで、夫婦別姓ですら実現しない現状を嘆く声があった。予算内で解決できる問題しか拾い上げず、反対意見の出ない対策しか打たないのではないかという意見も出ている。これは、少子化対策に限ったことではないだろう。また、出生率について触れる人もいた。

「人口動態統計」をまとめた厚生労働省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/stf/wp/hakusyo/kousei/19/backdata/01-01-01-07.html)によれば、出生数は1950年の約234万人、73年の約209万人などと比較すると激減ともいえるように、2019年には約87万人にまで落ち込んでいる。

出生率、合計特殊出生率の推移:1950-2019(厚生労働省)

いっぽう、1人の女性が生涯に産む子どもの推計人数を示す「合計特殊出生率」に目をうつすと、1950年こそ3.65とかなり高くなっているが、73年でも2.14、75年には2.00を下回り、1999年にはすでに1.34にまで下がっている。2019年では1.36だ。

そして、国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口(平成29年推計)」をもとに、2040年には出生数74万人、出生率1.43になると推計されている。つまり、未来も現在同様、出生率は下げ止まるなか、出生数は減少の一途をたどると予測されているのだ。

より貧困だった戦後に触れ、未来に対する希望がなければ出産しないという問題を取り上げるコメントもあった。

◆相対的貧困率を参考にみる貧困のリアル

相対的貧困率については、たとえば首都大学東京(現・東京都立大学)子ども・若者貧困研究センター長の阿部彩氏が詳細を研究している(https://www.gender.go.jp/kaigi/senmon/5th/sidai/pdf/anzen/01/04.pdf)。

相対的貧困率の推移:1985-2015(厚生労働省)

相対的貧困率とは、収入から税金や社会保険料を引いた手取り収入である「可処分所得」を世帯人員の平方根で割って調整した、「等価可処分所得」に満たない世帯員の割合のこと。これが1985年には12.0%だったのに対し、2000年の15.3%まで上がり続け、03年には14.9%へと下がるものの再び2012年の16.1%にいたるまで上がり続けた。

いっぽう、「年齢層別の貧困率の推移」を見ると、男性では「1985年から2012年にかけて、20-24歳をピークとする『山』が出現。逆に、55歳後半から上昇していた貧困率の『山』が徐々に減少」と説明されている。これでは、貧困化を若年層が訴えても、政治・会社・社会を中心となって動かすような世代や立場の人に理解されることは難しいだろう。意図的に無視されているのかもしれないが。

女性も同様に「1985年から2012年にかけて、20-24歳をピークとする『山』が出現」と説明されており、「高齢期の貧困率は、2015年にも存在するが、1985年よりも高い年齢層で上昇する」と加えられている。

世帯構造別の1985年と2010年代の比較では、男性の場合、勤労世代の貧困率は、ひとり親と未婚子のみ世帯などで大きく上昇。単独世帯、夫婦と未婚子のみなどの割合が増えている世帯でも上昇傾向にあるとのこと。女性では、単独世帯の貧困率は下降しているもののいまだに3割。子どものいる世帯は上昇傾向。ひとり親と未婚子のみ世帯の貧困率は、貧困率がさらに高くなっている。

つまり、夫婦のみか3世代世帯で、誰かが高収入を維持するか共働き、なおかつ食べさせなければならない子どもがいない世帯でなければ貧困に陥りやすいということになるだろう。やはり、結婚したくてもできない、子どもをもちたくてももてないという人が少なからず存在することがわかる。

◆現在と未来の選択肢とは

冒頭の投稿に対するコメントでも、最低賃金の引き上げ、非正規雇用の規制、ブラック企業の撲滅、富裕層への課税を提案するものもあった。これらを求め続けることは重要だが、なかなか実現されることはない。むしろ逆行するような政策が目立つ。

背景としては、まず、労働法制の改悪・規制緩和の歴史があった。特に80年代後半以降、バブル崩壊とともに、賃上げ率は下がり、失業率が上昇。その後、派遣やアルバイト、パートといった非正規雇用の労働者が急増していった。企業はリストラを断行し、非正規雇用で労働者を使い捨てにする。非正規雇用の労働者の割合は、厚労省のデータ(https://www.mhlw.go.jp/content/001078285.pdf)によれば、1984年に15.3%だったのが、2019年の38.3%をピークに22年も36.9%と高い状態となっている。

正規雇用労働者と非正規雇用労働者の推移:1984-2022

その前の時代から、労働運動というものは展開されてはきた。派遣も「派遣村」を機に、問題視する声はあがった。ただし、近年ではパートやアルバイトが増加しており、筆者も過去にフリーランスの労働組合を設立して活動していたが偽装請負も蔓延した。

政治は企業や富裕層の声にばかり耳を傾け、労働運動ですら御用組合が跋扈。そしてこんにちにいたる。

地方に暮らしていると、小中学校の統廃合が進み、子どもどころか人間自体の減少を実感する。未来予測の数値をながめれば、限界集落化直前というわけだ。

たしかフランスで以前、4人産めば働かなくても暮らしていけるような社会保障的な制度があったと耳にしたことがあったが、調べてもなかなか情報を得られない。ただし、ハンガリーで類似のものがあったので、紹介する(https://comemo.nikkei.com/n/nb01fe91dec15)。

40歳未満で初婚であれば約360万円を借りることができ、第一子を出産すると返済が3年間猶予される。その3年以内に第二子を産めば、さらに3年猶予されるうえ、120万円程度の返済が免除される。第三子も産めば、全額免除。日本価値で約1000万円となるそうだ。4人産めば、約2000万円となることもあるらしい。

もし、この社会に上記の制度があったら、個人的には「やけくそ」と面白がる気分とで、今からですら4人以上産むことに挑戦してみようという気にもなるかもしれない。父親がすべて異なってもよさそうだし(笑)。

そもそも地球は人口過多で、発展する国々の増加にともなう食糧危機すら叫ばれる。世界中のそこかしこで人口減少が起こっていることは驚くに値しないことかもしれない。

それでも、社会を現実的に保持するため、国家が存続するなら政治に訴えながら、個人的には食べ物を少しずつでも自力で入手しながらコミュニティの助け合いシステム強化を試みるしかないと考えている。実際には、自らの死後に家やモノがどうなるかという問題をつきつけられはするわけだけれど。

この国の1人当たり実質GDPは2022年、35位となっている。もはや、おりていく社会の見本を目指すという選択をするときがきているのではないか。その前にできることをまたそのままにするなら、「失われた40年」も目前だ。中間層をあつくすることが最適な対策であるという声も無視し、大企業や富裕層、そして政治は外ばかり向いている。権力者が問題だらけであることは、各国をみても同様。ならば、もう私たちは、やっているふりを受け入れ続けることはやめ、「勝手にやって」いい段階ではないか。

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。地域活性に結びつくような活動や起業も準備中。この国の婚姻制度・家制度に違和感を抱き続ける。未婚、「子なし」。
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前々回、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)を取り上げた。これは戦争に関わり巻き込まれたソ連従軍女性たちの隠されてきた声を発掘した、ノーベル文学賞作家によって記される貴重な記録だ。その続きの書評をお届けしたい。

◆理想のため、そして祖国防衛のため、立ち上がる女たち

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

二等兵で土木工事を担当していたタマーラ・ルキヤーノヴナ・トロブの父について、「あの人たちが信じたのはスターリンでもレーニンでもなく、共産主義という思想です。人間の顔をした社会主義、と後によばれるようになった、そういう思想を。すべてのものにとっての幸せを。一人一人の幸せを。夢見る人だ、理想主義者だ、と言うならそのとおり、でも目が見えていなかった、なんて決してそんなんじゃありません」と語る。彼女自身は共産党員を継続しており、「私が信じていることは当時からほとんど変わっていません。一九四一年から……」とも述べているのだ。

「もし私たちが空想家のようだといわれるならば、救いがたい理想主義者だといわれるならば、出来もしないことを考えているといわれるならば、何千回でも答えよう。『その通りだ』と」という、チェ・ゲバラの名言すら思い浮かぶ。

1941年といえば、第二次世界大戦中、独ソ不可侵条約を破棄したドイツの大兵力がソ連に侵攻したことを機に、ナチス・ドイツを中心とする枢軸国(連合国と戦った諸国)とソ連間との「独ソ戦」が始まった年。ソ連軍は大きな犠牲を払ったが、スターリングラードの戦いでドイツ軍が43年に降伏してソ連軍が反撃。ドイツ国内に侵攻して45年、ドイツの無条件降伏によって幕を閉じた。

本書に登場する女性の多くに、燃え上がるような闘志を目の当たりにする。装甲車の野戦修理工だったアントニーナ・ミロノヴナ・レンコワは、「こんなかわいい子たちは惜しいからな」と言われて書記にさせられそうになると、「かわいいかどうかなんか関係ないじゃない!」「私たちは志願兵です! 祖国の防衛に来たんです。戦闘員でなけりゃやりません」と断言。そして修理工として従事するが戦後、24歳にして自律神経のすべてが破壊されていることがわかり、全身の痛みに悩まされる。内蔵の位置もずれたものの、学業に専念し、インタビューの終わりには「『くそっ! てめえの×××!』って感じ」と捨て台詞のような言葉も伝えているのだ。

◆当時としてはいわゆる「男勝り」な面と、恋する女性の顔

女性たちが悩まされたのは、「女の子扱い」や自律神経の破壊だけではもちろんない。電信係に携わったナヂェージダ・ワシーリエヴナ・アレクセーエワはシラミに吐き気すら催しながら、「凍傷になると頬が白くなるって聞いていたけど、私のほっぺは真っ赤だった。私は、色白なほうがいいからいつも凍傷だったらいいのになんて思った」と口にする。

曹長で砲兵中隊衛生指導員だったソフィヤ・アダーモヴナ・クンツェヴィチは、這ってばかりでズボンは破れていたが、シャツやズボン下を脱いで裂いてくれる男たちを前に恥ずかしさを感じることもなく、「私は少年のようでした」と振り返るのだ。

軍曹で高射砲兵だったクララ・セミョーノヴナ・チーホノヴィチは、「看護婦が不足なら看護婦になる、高射砲の砲手が足りなければ砲手になるだけのこと」「初めのうちはとても男と同じになりたかった」と言う。いっぽうで3枚以上の下着は捨てさせられるため、生理の際には草で脚を拭き取り、トップスの下着の袖をもぎ取ってボトムの下着にしたようだ。

愛する人との別れを体験した女性も多い。大尉で軍医だったエフロシーニャ・グリゴリエヴナ・ブレウスは、通常すぐに埋葬される夫の遺体を持ち帰ろうとし、「あたしは夫を葬るんじゃありません、恋を葬るんです」と口にし、それができない場合、「私もここで死ぬわ。彼なしで生きる意味がありません」と思いを伝える。結局、棺を持ち帰ることになったが、彼女は特別な飛行機の機内で気を失ってしまう。衛生指導員だったソフィヤ・Kは、戦地・現地妻であり第二夫人だった。彼女はおそらく「売春宿」のかわりに男たちを相手にし、その中で恋に落ち、子どもも身ごもったのだ。同様に衛生指導員だったリュボーフィ・ミハイロヴナ・グロスチも、少尉に恋をしている。

◆両脚を奪われ、乳飲み子の命を自ら奪う女たち

ドイツの侵攻に対し、女たちがどのように向かっていったのかも描写される。連絡係だったワレンチーナ・ミハイロヴナ・イリケーヴィチは、精神の均衡を失った女性の話を説明。その女性は5 人の子どもと一緒に銃殺に連れて行かれ、その際、乳飲み子に対し、「空中に放りあげろ、そしたらしとめてやるから」と身振りでうながされた。その女性は、自ら赤ん坊を地面に投げつけて殺したのだ。そして、「この世で生きていることなんかできない」と話したという。別の女性の話ではドイツ軍は、少年を四つん這いにさせ、投げた棒きれを口にくわえて取ってこさせたそうだ。

パルチザンだったフョークラ・フョードロヴナ・ストルイは、負傷した両脚を切断。計5回の手術に耐え、「あんな人は初めてだ。悲鳴1つあげない」と医師に言わしめた。

女たちは決死の覚悟で戦場へと踏み出すも、女性であるからこその悩みを抱えさせられ、そして愛する人を失う。さらには、健やかな心身を奪われ、自ら子どの命を殺めることすら選ばされた。国家や政治の都合によって巻き込まれる戦争の現場には、当然1人ひとりの人間がおり、生々しい現実が存在する。これらの記録は、女性の口だからこそ集められた赤裸々なものだ。

現在進行形の戦争についても触れながら、次回を最終回とする予定だ。(つづく)


◎[参考動画]映画『戦争と女の顔』予告(原案『戦争は女の顔をしていない』)

◎《書評》『戦争は女の顔をしていない』から考える
〈1〉 村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチと戦場に向かう女性たちの心境から
〈2〉祖国のために立ち上がる女、子を殺めることすら選ばされる女

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』4月号に「全国有志医師の会」藤沢明徳医師インタビュー「新型コロナウイルスとワクチン薬害の真実」寄稿。
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『紙の爆弾』と『季節』──今こそ鹿砦社の雑誌を定期購読で!

前回、『戦争は女の顔をしていない』の書評の第1回目から日が経ち、申し訳ない。続きを書く前に、上映しているうちに早めにアップしておきたい『REVOLUTION+1』完成版の映画評を先にお届けしたい。

 

足立正生監督(左)

◆瑞々しい「足立節」を堪能せよ!

これは足立正生監督の6年ぶりの新作で、2022年8月末に密かにクランクインし、8日間の撮影から制作されたという。ピンク映画の手法の経験なしでは、このスピード感で誕生しえなかった作品だ。クランクインから1月後、強行された安倍晋三国葬当日にダイジェスト版の緊急上映をおこなった。今回の上映は、完成版となる。

安倍晋三元首相を撃った山上徹也氏を主人公に、「民主主義への挑戦」ともいわれた彼の行動の背景を、それでも足立監督ならではという表現によって描写した。監督は83歳になるそうだが、瑞々しい感性は変わらない。わたしは実は、足立・若松ファン歴がおそらく30年ほどとなるが、どの作品を鑑賞したことがあるかの記憶は曖昧だ。

『REVOLUTION+1』も、もちろん足立節が炸裂。山上氏は、わたしの周囲では直後から「テロリストの鑑」といわれていたし、育った家庭がややこしさを抱えながらロスジェネと呼ばれて搾取され続ける世代としても、理解できるような気がする部分があった。報道を眺めても、その後の影響は膨大と考えざるを得ず、SNSでは「山神様」などという表現も目にする。

足立監督が山上氏を撮ると耳にした際、「やはり」と感じた。なぜなら、1972年5月30日の「リッダ闘争」3戦士の1人である岡本公三氏を支援する「オリオンの会」でも、「テロとは何か」「現在の革命にどのような形がありうるか」というような話題が常にのぼっていたからだ。まさに、その先にあって、なおかつ誰も予想できなかったかもしれないのが、山上氏の登場だった。彼自身の語りとは無関係かもしれないが。

◆社会や世界を変革する「星」たれ!

3月11日、東京上映初日のユーロスペースでの舞台挨拶兼トークには、足立正生監督、主演のタモト清嵐氏、イザベル矢野氏、増田俊樹氏、飛び入りのカメラマン・髙間賢治氏が登場。司会進行は太秦の代表・小林三四郎氏で、増田氏が足立監督の「映画表現者は、現代社会で起こる見過ごせない問題に、必ず対時する」という言葉を紹介していた。

監督は作品を観た人には「これまでの作品とは異なり、わかりやすいといわれる」と語っており、実際わたしも本や絵はそのような方向性が意識されていたようには思う。足立監督といえばシュルレアリスム(【Interview】「僕らの根っこはシュルレアリスムとアヴァンギャルド」~『断食芸人』足立正生(監督)&山崎裕(撮影))。シュルレアリスムとは、「思考の動きの表現」であり、「奇抜で幻想的な芸術」だ。

ただし、本作から何を読み取るのかは、観る側に委ねられているはずだ。主人公・川上達也の苦悩の本質、彼が抱く「星になる」という希望、暗殺の実行によって彼が得たものなどには想像の余地がある。

個人的には、安倍どころか中曽根以降、否、戦後、否、明治以降に、彼の苦しみは翻ると改めて考えさせられた。1人が銃弾によって、そこに風穴をあける。「星になる」こととは、復讐を果たすことであるいっぽうで、社会や世界を変革する1人になることでもあるだろう。そして彼は、「生きるということ自体」を取り戻したのではないか。いっぽうで、わたしが復讐を果たすべき相手は誰なのか(比喩的にでも)。

主演のタモト氏は、若松孝二監督『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』にも出演していた方。初日のトークでも、森達也さんの『福田村事件』に主要キャストなどを連れ去られた話がすぐに出るが(笑)、井浦新氏ファン歴がさらに長いわたしでも、『REVOLUTION+1』の主演はタモト氏でよかったと思う。観る者に雑念を混入させない、シンプルに没頭させてくれる演技が魅力的だ。

とにかく足立監督は、「やはり、こういうのが好きなのだよな」と、なんというか自由でクリエイティブで少々デタラメな気分を共有させてもらえること請け合いだ。楽しそうに出演する監督やスタッフさんたちも、ウォーリーのように見つけよう。ぜひ、ご覧いただき、何に対して自分は立ち上がるのかを考えたりしてもらえれば幸いだ。

3月11日、東京上映初日のユーロスペースでの舞台挨拶兼トークの様子


◎[参考動画]映画『REVOLUTION+1』 予告篇

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』4月号に「全国有志医師の会」藤沢明徳医師インタビュー「新型コロナウイルスとワクチン薬害の真実」寄稿。映画評、監督インタビューの寄稿や映画パンフレットの執筆も手がける。

『紙の爆弾』2023年4月号

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ロシアのウクライナ侵攻が続いており、これまでにさまざまな意見がみられた。わたしは確実に明言できる答えにたどり着けないまま、こんにちにいたっている。ただし、1冊の聞き書きには、戦場の真実が赤裸々に記されていた。

今回も前回に引き続き、書物や言葉から現在を考えるということを試みたい。取り上げるのは、話題にもなったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)だ。

◆システムが我々を殺し、我々に人を殺させる

 

スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』(三浦みどり訳/岩波現代文庫2016年)

「『小さき人々』の声が伝える『英雄なき』戦争の悲惨な実態」。そう帯に書かれている。第二次世界大戦時、ソビエト連邦で従軍した女性は100万人超。本書はそのうち、ウクライナ生まれのスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチが500人以上の女性に聞き取りをおこなったうえで、その声をまとめたものだ。

彼女は、「戦争のでも国のでも、英雄たちのものでもない『物語』、ありふれた生活から巨大な出来事、大きな物語に投げ込まれてしまった、小さき人々の物語だ」と記す。前回、わたしは「権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている」と書いた。

ここでまず近年、新作を追って読むことは個人的にはないが、村上春樹のエルサレム賞受賞時のスピーチで発せられたメッセージに触れておきたい。

「もしここに硬い大きな壁があり、そこにぶつかって割れる卵があったとしたら、私は常に卵の側に立ちます。そう、どれほど壁が正しく、卵が間違っていたとしても、それでもなお私は卵の側に立ちます。正しい正しくないは、ほかの誰かが決定することです。あるいは時間や歴史が決定することです」

「そして我々はみんな多かれ少なかれ、それぞれにとっての硬い大きな壁に直面しているのです。その壁は名前を持っています。それは『システム』と呼ばれています。そのシステムは、本来は我々を護るべきはずのものです。しかしあるときにはそれが独り立ちして我々を殺し、我々に人を殺させるのです」

「私が小説を書く理由は、煎じ詰めればただひとつです。個人の魂の尊厳を浮かび上がらせ、そこに光を当てるためです」

「一度父に訊いたことがあります。何のために祈っているのかと。『戦地で死んでいった人々のためだ』と彼は答えました。味方と敵の区別なく、そこで命を落とした人々のために祈っているのだと」

「システムが我々を作ったのではありません。我々がシステムを作ったのです」ともいう。

個人的には、ここに権力や暴力、戦争のすべてが語られているようにすら感じる。しかし、現実を眺めれば、壁と卵をどのような場にあっても常に見極め続けることができている人がどれだけいるだろうか。システムを作った自覚をどれだけの人が持ち続けられているのか。それは、もちろんわたしを含めてのことだ。


◎[参考動画]Japanese author Haruki Murakami receives book award(15 Feb 2009)

◆戦争や政治の犠牲となり、戦地の現実にさらされていく女性たち

前置きが長くなったが、今回の本題である『戦争は女の顔をしていない』に戻ろう。たとえば軍曹で狙撃兵だったヴェーラ・ダニーロフツェワは従軍のきっかけを、「『ヴェーラ、戦争だ! ぼくらは学校から直接戦地に送られるんだ』彼は士官学校の生徒だったんです。私は自分がジャンヌ・ダルクに思えました」と振り返る。彼女だけでなく多くの女性が、情熱や志をもって戦地へ赴くのだ。

ところが戦地の現実のなかでは、「下着は汚くてシラミだらけ、血みどろでした」と、野戦衛生部隊に参加していたスベトラーナ・ワシーリエヴナ・カテイヒナは口にする。二等兵で歩兵だったヴェーラ・サフロノヴナ・ダヴィドワは、夜中に墓地で1人、見張りに立つことに。「二時間で白髪になってしまったわ」「ドイツ軍が出てくるような気がしました……それでなければ何か恐ろしい化け物たちが」という。死と隣り合わせの状況で、それでも日々を生き延びねばならない。でも、率直に不快感を語ることができるのは、その時代では特に女性ならではといえることかもしれない。

女性たちの話が、さまざまに広がることもある。アレクシエーヴィチは、「戦争が始まる前にもっとも優秀な司令官たち、軍のエリートを殺してしまった、スターリンの話に。過酷な農業集団化や一九三七年のことに。収容所や流刑のことに。一九三七年の大粛清がなければ、一九四一年も始まらなかっただろうと。それがあったからモスクワまで後退せざるを得ず、勝利のための犠牲が大きかったのだ」と、記す。

大粛清とは、ヨシフ・スターリンがおこなった政治弾圧や裁判と、その結果、「反スターリン派処分事件」を指す。1930年代、司令官や軍のエリートだけでなく、さまざまな政治家、党員、知識人、民衆の約135~250万人が政府転覆を目論んだとして「人民の敵」「反革命罪」などとされ、約68万人が死刑判決を下され、約16万人が獄死し、全体としては800~1000万人が犠牲となったともいわれる。

ちなみにこの大粛清の要因としては、かつてはスターリンの権力掌握や国民の団結を狙う意図や猜疑心があったためといわれてきた。ここから前回の連赤にもつながってくるように思われるが、最近の研究では戦争準備としての国内体制整備などをあげるものが出てきており、関心ある人は調べてみてほしい。(つづく)


◎[参考動画][東京外国語大学]アレクシエーヴィチ氏記念スピーチ(2016年11月28日)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。月刊『紙の爆弾』12月号に「ひろゆき氏とファン層の正体によらず 沖縄『捨て石』問題を訴え続けよう」寄稿。
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タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年12月号

前回、シンポジウムと書籍の前半を取り上げ、連合赤軍の問題から暴力などについて考えることを始めた。今回は、続きの内容を追った後、わたしがイベントや本書を通じて考えた暴力に関する考えを伝えたい。(以下、敬称略)

 

椎野礼仁・著『連合赤軍事件を読む年表』(ハモニカブックス)

◆時系列で「連赤」の真実を追う

まずは、本書、『連合赤軍を読む年表』椎野礼仁・著(ハモニカブックス)の続きを見てみよう。

「その後の『連合赤軍』」の章でも、大衆の反応のおそろしさに触れられていたり、坂口が手記に「誤りの根本原因は……政治路線抜きの目先の軍事行動の統一のみに走った連合赤軍の結成」としていたりといったことも書かれていた。離婚に関する永田と坂口の温度差には、ある種のせつなさは感じつつも、苦笑してしまう。また、坂口の途中までの黙秘に対する、永田の「それができたのは、何よりもあさま山荘銃撃戦を闘ったから……その闘いが取り調べに対する強い意思を与え……同志殺害に対する罪悪感を和らげることにもなった」などという言葉も取り上げられている。

一方、坂口は、森の「自己批判書」に対して責任転嫁を感じつつも誠意は認めていたこと、沖縄や田中内閣などの「新情勢」から『武闘の条件があるようには見えず、新しい時代に入ったことを感じざるを得なかった』」という。

その後、森が、この「自己批判書」を撤回し、坂口は森に対して批判的な手紙を送り、森は坂口に「君の意見を多く押さえてきたことに、粛清の道があったと思います」「この一年間の自己をふりかえると、とめどもなく自己嫌悪と絶望がふきだしてきます」というような遺書を残して自殺した。

前後して、永田には過食症があり、塩見は「連席問題の核心は思想問題である」という見解を示していたそうだ。重信は、「査問委員会で裁いて欲しい」と申し出る坂東に対し、「そんなつもりも資格もない。連赤の敗北に共に責任をとり、総括するために奪還した」と答えていた。そして、永田に対し、女性蔑視といえる判決が下される。本書には、わたしが知らなかったこと、忘れていたことが数多く記されていた。

連席関連の「ガイドブック」紹介を間に挟み、最終章は「インタビュー」となっている。植垣は「現在の日本ではテロもゲリラも必要ないし、むしろ有害だと考えています」「テロは政治的に有効ですらないということなのです」と語ってから、ゲリラ戦が有効である例をあげた。また、総括の暴力を「日本的な論理」「集団を支える強固な論理構造がある」と説明している。赤軍派は「一人一党」だったが、革命左派の前身グループは「家族的、あるいは閉鎖的だと言われていました」とも植垣は述べる。現在の運動の難しさについても語っており、展望や「未来図」が見えず、「社会主義」にも、官僚制や資本主義に代わるものもないともいう。

加藤倫教は、問題は「革命の私物化」にあり、「本来革命は大衆のためにあるはずなのに、自己目的化されていった」という。提案としては、「江戸時代の人口3000万くらいの規模への再評価が出てますよね」「地域々々でその環境が維持できる範囲の生活をするということです」としている。必要な権力の規模としては「江戸時代だったら、藩レベル」をよしとし、「力の押し付けをするんだったら、個人テロが多発する」とも口にしている。アンドレ・ゴルツ『エコロジスト宣言』やエンゲルス、安藤昌益の「直耕」、「現場主義を貫く」という言葉にも触れていた。

他方、岩田は「『共同幻想論』による連合赤軍事件の考察」という文章を書いており、その全文とあとがきも本書に掲載されている。

◆連赤の問題は、組織というものが内包する闇

山上による安倍銃撃後の現在、連赤の問題を考えると、また新たな視点をもつ。宗教や政治、ビジネスにも罪悪感、心配や悩みの利用があるとするならば、連赤もまた人の弱みが活動や組織に利用されてきたように思える。

ただしこれらは、あらゆる組織やグループに見られる問題であり、連赤はその象徴であるようにも感じられるのだ。権力や金を保持したいグループや人物がいて、完全に組織をオープンにすることは好まず、人の感情や自尊心を、言葉や評価で上下させる。権力や腐敗していく組織、金などを守るために、処刑や搾取を繰り返す。

では、どうすればよいのか。私たちは、権力や金、組織の維持をある程度あきらめてでもグループをオープンな状態に保たねばならない。もしくは山上のように、覚悟をもって、個として動く。

個人的には、さまざまな組織のもつ上記のような意図に嫌悪し、距離を置いた経験が多くある。プロジェクトで自らがリーダーとなって仕事を進める際などには、自らの「煩悩」や「欲望」に負けず、オープンでフラットな状態を保つよう、努めているつもりだ。

本書では、彼らの総括として、個人の問題にするのか、それとも思想の問題とするのか、というような揺れる文脈をたどってきたような気がする。暴力などに対し、簡単に答えを出すことはできない。

ある時、生協活動経験者に「生協は組織の問題があまりないイメージが強いのですが、いかがですか」と尋ねたら、「人間は集まればどこも一緒よ」と返ってきた。このようなことのほうが、個人的には本質に近いように感じる。それを思想の問題と捉え、未来へと進むなら、社会主義に権力者を据えず、互いに自由でフラットで固定されない関係性を追求するような社会を想定し、それを実現すべく日々、実行に移すことが有効であるかもしれない。

とすれば、アナキズムがやはり魅力的にうつるが、これが継続的で平和で自由でほどよい規模に維持されることを想定すると、やはりコミュニティの規模は小さく、それが外の多くのコミュニティとオープンな形で結びつくような形がよいだろう。

あらゆる問題を議論と歩み寄りによって解決することの困難を感じながらも実践することも重要かもしれない。武力をアピールすれば、怒りを買うことは、理解できる。そのうえで、権力や変えられぬ問題に対し、ある種の暴力が有効であることは、この間も証明されている。山上が失敗して安倍の命がつながれていたら、残念ながらここまでさまざまな問題が暴かれてくることはなかっただろう。

ここから先のことも連赤についても、日々の実践のなかで今後も考えていきたい。(了)

▼小林 蓮実(こばやし・はすみ)
1972年生まれ。フリーライター。『現代用語の基礎知識』『週刊金曜日』『紙の爆弾』『NO NUKES voice(現・季節)』『情況』『現代の理論』『都市問題』『流砂』等、さまざまな媒体に寄稿してきた。労働・女性運動を経て現在、農的暮らしを実現すべく、田畑の作業、森林の再生・保全活動なども手がける。取材等のご相談も、お気軽に。
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『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

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