朝鮮半島の和平に向けた動きに、まったく関与できなかった安倍首相は、4月29日文在寅韓国大統領と電話会談し、「日本が朝鮮と交渉する際には助けをお願いするかもしれない」と情けない陳情をした。

なに言ってるんだ! 近隣の朝鮮と交渉するのに、どうして韓国助けが要るのだ! 小泉純一郎は自分で訪朝したじゃないか。安倍の無能ぶりは、情けなく、恥ずかしい。海外の報道でも、当然だが大いに馬鹿にされ「蚊帳の外」と呆れられている。虐めるときだけは「制裁!制裁!」と、過剰に騒ぎ立てるくせに、韓国、米国が直接対話に舵を切ると、あたふたするばかり。日頃軽視している韓国に「助けて」と泣きつく安倍のザマは、右派の人びとにとっても腹立たしい姿ではないのか。

◆国民の権利の制限と国家支配の強化を目指す憲法改正は「時代の要請」なのか?

安倍政権の本質は第二次安倍政権発足時に、安倍が明言した通り「改憲」を目指すことを、重要な到達目標に置く政権であり、現実に「解釈改憲」を強行した政権である。安倍の志向する「改憲」は、日本国憲法を大日本帝国憲法に近い形へ作り変えようとの意思に依拠しており(自民党が示した「改憲案」参照)、単純化すれば、国民の権利の制限と国家支配の強化を目指している。「時代の要請にこたえる憲法」などと安倍は繰り返したが、果たしてそれは事実であろうか。

時代は、世界は日本の憲法にどのような役割を期待しているのだろうか。ここで注意しなければならないのは「時代」とは曖昧模糊とした雰囲気や気分ではなく、「現在」の主権者たる日本国国民であることと、「世界」とは近くは東アジアではあるが、中近東、アフリカ、欧州などを含めた全世界であることだ。

◆政府・マスコミあげての「北朝鮮・中国の脅威」という軍拡改憲プロパガンダ

日本国民は今年のはじめまで、「朝鮮」に脅され続けていたのではなかったか? 全国各地で行われる「ミサイル飛来に対する避難訓練」、「Jアラート」の過剰な宣伝、明日にでも朝鮮からミサイルが飛来するかのような政府・マスコミあげてのプロパガンダに、大方の世論も「北朝鮮の脅威」論に傾きつつあった。しかし、金正恩が板門店を一人きりで歩いてくる姿、そして国境を越えて文大統領と握手をし、1日をかけて会談し「板門店宣言」が合意された事実を、われわれは目にした。

これまで「北朝鮮の脅威」を主たる根拠として展開されてきた、日本の軍備増強路線は根拠を失うことになる。「いやむしろ軍事大国中国の方が危険だ」と、またしても標的を変えて軍備増強主義者は論難するかもしれないが、日中は「戦略的互恵関係」を2006年10月、ほかでもない、第一次安倍政権の初外遊で中国を訪問した安倍晋首相自身と中国の胡錦濤国家主席の間で確認しあっている。この文書は現在も死文化してはいない。

憲法前文は「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」とある。つまり現憲法が十全にその精神と法体系を確立し、行政が運営されても、「国民が福利を享受できない」状態に陥った場合に「改憲」は国民から、発議されるべきものである。あくまでも国民が憲法の不十分さを認識したときに「改憲」は論じられるものであるのだ。

◆「改憲」策動に総理大臣が血道をあげる行為自体が憲法99条違反である

この点は長年勘違いされてきている。現役の総理大臣や国務大臣、そしてすべての公務員は憲法を尊重し、擁護しなければならない「義務」を課されている。日本国憲法第99条で 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」と明確に述べられている。

つまり、憲法尊重・擁護義務を課されながら「改憲」策動に総理大臣が血道をあげる行為自体が「憲法違反」なのであり、今日の日本は憲法が十全に機能している社会とは到底言い難いことを注視すべきだろう。

だから「改憲」を論ずるのであれば、まず現日本国憲法を正当かつ、真っ当に体現した社会を実現し、そのうえで「国民が福利を享受できるか」否かを議論の中心に据えねばならない。その前提に立てば、現在の「改憲」論議はいずれもその最低条件を満たすものではない。首相が提唱する「改憲」議論それ自体がとんでもない違憲であり、完全に無効である。

◆「これ以上悪い憲法を作らせない」意思を明確にするしか現実的な選択肢はない

さて、憲法記念日のきょう、まずはほとんどその問題点が論じられることはないけれども、憲法99条に照らせば、現在の政権が画策する改憲議論が基本的に「憲法違反」であることを再度確認し、憲法についての私見を開示したい。

私は現憲法が到達しうる最高形態であるとは考えない。「平和主義」、「国民主権」、「基本的人権の尊重」は妥当な理念であるが、憲法前文はその後に連なる1条から8条(天皇についての記述)と極めて大きな齟齬を示している。日本国憲法の最大の問題点は、「基本的人権の尊重」を謳いながら、1条で国民の権利を定義することなく、天皇を持ってきてしまっていることだ。

さらに、細かい問題が他にもないわけではないが、「憲法違反」ながら進められている、現在の「改憲」論議を目にすると、私の抱く現憲法の問題を解決する方向への「改憲」は、現実味がまったくないと言わざるをえない。逆に自民党に限らず、野党各党も「改憲」を容認し、党是として「護憲」を掲げる政党は日本共産党しかない(党の政策とは異なり個人で強く護憲を指向する議員が野党にはいるが)。かような状況の中では「これ以上悪い憲法を作らせない」意思を明確にするしか現実的な選択肢がない。

このことが、日本政治の今日的最大の困難と不幸である。半数以上の国民は「改憲」の必要性など感じていない。しかし、その意思を投票行動で表そうとすると、政党では、「日本共産党」しか選択肢がないのだ。「護憲」だけれども共産党に好感が持てない人が投票すべき政党が、国政レベルでは存在しない。この異常事態にこそ憲法をめぐる問題の深刻さがある。

◆護憲派リベラルかのように振る舞う「隠れ改憲派」の危険性

また、一見「護憲」と思われるような名称の団体や個人が、じつは「隠れ改憲派」であったりするから、油断がならない。以前本コラムでご紹介したが、「マガジン9」というネット上のサイトは「護憲」ではない。ソフトな護憲派のような立ち振る舞いをしていて、その実「改憲派」が跳梁跋扈するのが2018年の日本だ。山口二郎、高橋源一郎などは同様に「護憲」と勘違いされるかもしれないが、その発言を詳細に分析すると「改憲派」であることを見て取ることができる。池上彰、佐藤優も同様だ。

政界だけでなく、言論の世界でも「護憲」を明確に主張する人は減少傾向にある。そして一見「リベラル」、一見「護憲」に見せかけて息巻く人の多くが「隠れ改憲派」である事実。この危険性は再度強く指摘しておきたい。

◆あらゆる改憲議論を無視すること

では個人レベルでどのような対抗策が考えられるか。前述の通り現在交わされている「改憲」論議は、その前提からして、無効なものであるのだからか、相手のリングに乗らないこと。すなわち「あらゆる改憲議論を無視」することだろう。政党、市民団体を問わず、明確に「護憲」を掲げる集団以外との憲法論議は、前提からして底が抜けているのだから、一切応じないことである。いま政治・言論界に求められているのは「平和主義」、「国民主権」、「基本的人権の尊重」を堅持する『護憲原理主義(護憲ファンダメンタリズム)』と言ってよいだろう。

現政権に領導されるすべての「改憲論議」は憲法違反であり、私は『護憲原理主義』を主張する。

◎[参考資料]日本国憲法全文(1947年5月3日施行)(国立公文書館デジタルアーカイブより)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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サイト「マガジン9」

〈憲法と社会問題のことをやってます。「マガジン9」の“9”が示す通り、ずばり憲法9条のことから始まりました。日本国憲法と私たちの生活のつながりについて考えたり、憲法に関わるさまざまな出来事や議論について、広く伝えるためのウェブサイトです。発足以来、多彩な企画や執筆者のコラムによる独自コンテンツをお届けしています。〉(「マガジン9」とは?

長年勘違いしていた。上記は「マガジン9」のサイト内紹介文だ。しっかり読んでいなかったのでてっきり「9条を守る」趣旨で始まったと長年思い違いを続けていたけど、〈憲法と社会問題のことをやってます。「マガジン9」の“9”が示す通り、ずばり憲法9条のことから始まりました。〉とあるように、どこにも「護憲」や「9条を守る」とは書かれていない。

石坂啓(漫画家)、上原公子(前国立市市長)、小山内美江子(脚本家)、香山リカ(精神科医)、姜尚中(東京大学教授)、きむらゆういち(絵本作家)、小林カツ代(料理研究家)、小室等(ミュージシャン)、斎藤駿(カタログハウス相談役)、佐高信(評論家)椎名誠(作家)、ピーコ(服飾評論家)、毛利子来(小児科医)、森永卓郎(経済アナリスト)、吉岡忍(ノンフィクション作家)、渡辺一枝(作家)、渡辺えり(劇作家/演出家/女優)

2006年の発足当時の発起人には上記の人たちが名を連ねている。12年でだいぶ豹変なさった方も含まれるが、当時のこの顔ぶれは少なくとも「改憲を目指す」集団には見えないし、見えなかった。

◆伊勢崎賢治の主張は正気の沙汰とは思えない

しかしその後の登場人物は、どんどん怪しくなる。先日あまりの無知ぶりを本コラム(「確信犯か?バカなのか?東京外大・伊勢崎賢治〈リベラル改憲〉論の支離滅裂」)で批判したら伊勢崎賢治が、

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

と反応してきた。伊勢崎のツイッターを初めて見たが、正気の沙汰とは思えない主張が延々続く。ちょっとまて。理解できないわたしの頭が悪いのだろうか?

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

伊勢崎賢治=東京外大教授のツイッター

時間にゆとりのある、好戦的な年金生活者や、青年期に小林よしのりに影響を受けて育ってしまった、不幸にも無知な若者が書き込んでいるのではない(もっとも小林よしのりは、「再転向」して最近は反自民になっているようだが)。伊勢崎は東京外大の教授だ。

繰り返すが、いったい何を主張したいのか? わたしにはさっぱり理解できない。どなたかわかりやすい解説をしていただける方がいらしたらわたし宛にメールを頂きたい(メールアドレスは本文の下に明記している)。

◆「マガジン9」は「護憲」なのか?「改憲容認」なのか?

原発賛成で本性が明らかになった森永卓郎。思想・立場を変幻自在に変え、一見物分かりがよさそうに見えて、確信的な右翼にして「しばき隊」の擁護者、鈴木邦男。保守を自認・明言する中島岳志。仲間内ではなんとなく「護憲」のように振る舞っているけれども、2014年5月15日に関西発極右娯楽番組「たかじんのそこまで言って委員会」に出演した際、決して頭脳明晰とは思われない、軍事漫談家の井上和彦に「右翼でもいいから、何でもいいから、9条好きなんでしょ?」と聞かれ、「好きっていうよりは、具体的なツールとして根拠として使えるんじゃないかと思ってますね。」としか言えなかった雨宮処凛。ひたすら「国民投票」を行いたくて、福島第一原発事故後にも「原発の是非を問う国民投票を!」と、突拍子もない我田引水をあちこちで言い回り、周囲から呆れ果てられた今井一。

「マガジン9」には、「護憲」を明言する者はほとんど見当たらない。こういった「何かを主張しているようで、その実曖昧模糊として、改憲派のアマルガム(合成物)たる」役割を担っているのが「マガジン9」の実態ではないのか。正面突破を目指す「改憲勢力」は「マガジン9」のように「リベラル」の衣を纏った「間諜」によって援護射撃を受ける。

「マガジン9」に質問する。あなたたちは「護憲」なのか?「改憲容認」なのか? 旗幟を鮮明にせよ。過去「マガジン9」が主催するイベントに参加したこともあり、その際には強い違和感を覚えなかったが、伊勢崎を筆頭に明確な改憲派や憲法についての知識のない者が、ここまで多数登場すると問い質さざるをえない。

わたしは日本国憲法至上主義者ではない。現憲法が最高の完成形だとは考えない。前文には同意し好感するが、その直後1条から8条で国民ではなく天皇が規定されている点などに違和感を持つ。しかし、それらを甘受しながら、現在かわされている改憲をめぐる議論を目の当たりにすると、わたしは「護憲」ファンダメンタリストでしかありえない。

「9条加憲」などと中途半端な責任逃れの議論は、唾棄の対象でしかない。残念ながらこの島国の民族は、

第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

と、ここまで明確に軍隊の不保持と交戦権の放棄を憲法に明文化しても、御託を並べて、自衛隊を作り、海外に派兵する国なのだ。この文言が少しでも緩まれば、為政者がさらなる軍備増強と戦争を企図することは、現状を見れば明らかじゃないか。悲しきかな最高法規を守ることのできる知的水準と、遵法精神がこの国にはないのだ。だから現状がどうであれ、改憲には絶対に反対する。PKOを肯定する論などには一切賛同できないし、集団的自衛権など論外だ。

読者諸氏にも自己点検をお勧めする。もとより改憲派のかたはともかく、自分の考えがどうなのか、定まっているかどうか不明瞭な方に。リトマス紙として「マガジン9」を一読されると良いかもしれない。こと「改憲」問題において中間的態度などは存在しない。「戦争」を引き起こすのが「普通の国」とする考えに賛成するのか、反対か。鹿砦社社長松岡もわたしも「改憲」に関しては絶対反対の原理主義者だ。

騙されてはいけない。街頭でラップ調の「安倍政権反対」を口にする連中の中にも、改憲派は潜り込んでいる(もちろんそうではない護憲派が多数だが)。9条2項削除を明言した、軽率学生集団SEALDsやそれを擁護した知識人ども。連中は全員改憲派と見做していい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』5月号 安倍晋三はこうして退陣する/編集長・中川が一から聞く日本社会の転換点/日本会議系団体理事が支持「道徳」を〝数値評価〟していた文科省研究開発学校 他

米空軍横田基地HPより

 

米空軍横田基地HPより

 

CV-22 Osprey

首都圏に突如オスプレイがやってきた。本来の配備予定を1年以上繰り上げ、横田基地(東京都福生市、瑞穂町、武蔵村山市、羽村市、立川市、昭島市)への配備である。海兵隊は被害総額が200万ドル(約2億2700万円)以上か、死者が出るような重大事故の10万飛行時間当たりの発生率を機体の安全性を示す指標として使用しているが、オスプレイの「重大事故率」は2017年3.27で海兵隊機全体の平均2.72を上回っている。ちなみに普天間基地に配備前2012年4月時点では、オスプレイの「重大事故率」は1.93と発表されていた。3.27は配備前の約1.7倍に危険性が増したことを示す数字だ。

しかも「重大事故率」は前述のとおり、大規模事故や死者が出た際だけに限られているので、その規模以下の被害は「重大事故率」には含まれないから、オスプレイは実質上「海兵隊で最も危険な機体」だと表現して過言ではない。横田基地配備をめぐっては、事前より地元の反対が強くあり、配備取り消しの訴訟も提訴されている。

◆危険な輸送機に3600億円費やす必要性

この配備について、したり顔で「北朝鮮に睨みを利かせるための配備ではないか」などと間抜けな顔をさらしてコメントしている自・他称専門家がいるようだが、飛行距離は長くとも、機関砲もなく攻撃能力が低く、頻繁に重大事故を起こす輸送機を東京に配備して「北朝鮮への睨み」になると本気で考えているのであれば、自・他称専門家は、単なる「妄想家」と言わなければならないだろう。

〈小池百合子都知事が会長を務める「横田基地に関する東京都と周辺市町連絡協議会」は防衛省北関東防衛局に対し、迅速な情報提供を求めるとともに、米国に安全対策の徹底などを働きかけるよう申し入れた。〉らしいけれども、これは実のところ「何もしていない」と書くのが正しい。米陸軍ですらがコストパフォーマンスに問題ありとして、導入を断念したオスプレイ。日本政府は既に17機を3600億円で購入する契約を結んでいるが、これは米陸軍が断念した額のほぼ倍に相当するという。

どうして、こうも無意味で危険なだけの輸送機に3600億円も費やす必要があるのか。そしてなによりも、ほかならぬ沖縄でオスプレイは「実際に墜落」しているではないか。豪州でもシリアでも昨年墜落している。実戦中ではなく訓練中にこうも頻繁に墜落したり、機体部品を落下させるのは、ひょっとしたら最初から「自軍攻撃」のために意図して設計されたのではないか、と勘繰りたくもなる欠陥構造であることはもう、あらゆる事実が証明している。

◆オスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか

 

2018年4月5日付毎日新聞

そのオスプレイがこのタイミングでなぜ横田基地へ急遽配備されたのか? うがった予想はいくらでも成り立つが、確実であろうことは、安倍政権が無理やり「いま」横田への配備を決めたのではないであろうということだ。公文書の捏造、自衛隊日報の隠蔽、森友学園、加計学園問題の噴出で、政治に興味の薄い国民の間でも安倍内閣支持率は確実に下がっており、安倍首相自身が国会での答弁に窮する場面も多発してきた。

常に自民党政権擁護の月刊「文藝春秋」も、昨年の6月号から安倍政権批判を始めている。「文藝春秋」に叩かれだすと政権は赤信号だ。過去「文藝春秋」から見放されて政権の多くが数カ月で崩壊している。しかし、安倍政権は依然として続いている。このこと自体が異常なのだ。

朝鮮を取り巻く外交では完全に「蚊帳の外」におかれ、メンツ丸つぶれの日本外交。ホワイトハウス要人の相次ぐ辞任、解任に管理官から「これだけ主要人物が入れ替わると顔を覚える時間がない」との愚痴が漏れ聞こえてくる米国政権中枢の混乱。そして冷戦時代の再来か、と思われるほど多量の外交官追放合戦を繰り広げる米欧諸国とロシアの急激な関係悪化。世界が狼狽している間に中国を訪問し、後ろ盾を取り戻し、板門店での首脳会議に臨む準備万端な朝鮮。

これらの国際情勢が横田基地へのオスプレイにまったくの無関係ではあるまい。しかし明確に因果関係を断言することはかなり困難だ。可能性としては「日米合同委員会」で突如米国側から日本への通告があったであろう。アジア戦略に混乱の極みの米政権内の混乱が、オスプレイ横田配備という唐突な出来事として表出したのではないだろうか。

確実なことは、横田基地周辺の住民はこれから不安な日々を過ごさねばならないことだけだ。

米空軍横田基地HPより

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

2018年4月6日付時事通信

〈防衛省が存在しないとしていた陸上自衛隊イラク派遣部隊の日報が見つかった問題で、小野寺五典防衛相は4月6日、日報が航空幕僚監部にも保存されていたことを明らかにした。小野寺氏によると、空幕運用支援・情報部で、イラク派遣部隊の日報が3日分3枚見つかった。5日に国会議員から資料要求を受け、探索する過程で同日中に確認されたという。 昨年2月に国会議員から照会を受けた際は「ない」と回答していた。小野寺氏は「日報が残っていたことは大変遺憾だ」と述べた。〉(2018年4月6日付時事通信)

「ない」と大臣が国会で答弁した書類が、次々と「あった」ことが明らかになっている。あるいは情報公開請求に黒塗りで、回答された文書が実は「改竄」されていたことが発覚し、関係した官僚は即座に辞職(懲戒免職では退職金が受け取れないからだろう)、証人喚問に呼ばれても「刑事訴追の恐れがあるから答弁は控えさせていただく」を繰り返し、神妙な表情とは裏腹に内心「証人喚問なんて、与党政治家との折衝に比べればどーてこたぁないさ」とでも考えているのだろう。

◆日本官僚制と旧ソ連「ノーメンクラツーラ」の類似と相違

「日本の首相はコロコロ変わるが、官僚機構が優秀だから安定している」と他国から長年評価(?)されてきたけれども、この島国官僚の優秀さとは、今日的にはつまるところ、公文書の改竄や隠蔽を行っても、それを政権から咎められない、あるいはその事実さえ「ばれはしない」、というソ連時代の「ノーメンクラツーラ」ばりの利益共同体、鉄の結束を意味するだけのことであり、その点「秘密結社」としては「優秀」との評価は、失当ではないともいえよう。

けれども政権交代によっても変わることのない「秘密結社」を、実際の最高権力に頂く国民にとっては、「民主主義」も「情報公開」も「遵法精神」も、すべてが内容を伴わない空念仏であることを、重ねて思い知らされるだけのことであり、不幸の極みというしかないだろう。あえてソ連時代の「ノーメンクラツーラ」を引き合いに出したが、当時のソ連では、高級官僚が情報の扱いを少し間違うと、たちまち「失脚」する危険と背中合わせで「鉄の結束」は維持されていたのだ。この島国の官僚は違う。

この島国では、官僚に就任する前から十分な社会教育を受ける。「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」、「出る杭は打たれる」……。おとなしくしておけば損はしない。「王様は裸だ!」とは言ってはいけない。ましてや職務上の倫理より優先する社会的公正を、仕事の上で実践してはいけない。これらは公教育で教師の口から「はっきりと」伝えられるものではない。親や保護者もおそらく、あからさまにそのように躾はしない。子供は成長過程で大人のふるまいや「背中」を見て、自然に自己生成を完成させていくのだ。

小情況においての「長い物には巻かれろ」、「見ざる聞かざる言わざる」、「君子危うきに近づかず」を無意識の教条とする生活態度は、同僚と無言での合意を形成し、個の判断から、小集団の意思決定を後押しする。各部署で相次ぐ「無意識の合意」は金科玉条、憲法よりも精神的には上位概念である「忖度」原則を踏まえ、やがては政策に反映される。

◆PKO派兵には別の「秘密」があったのだろう

「自衛隊の日報が破棄されている」ことなんかあるはずがない、ことを私は確信していた。自衛隊がそのようなことをすれば、事後の業務に重大な支障をきたすし、「軍隊」には交戦がなくとも、記録を専らの業務とする兵隊が常駐している。近代軍隊の基本だ。

稲田防衛大臣(当時)が「日報は見つからなかった」と国会で答弁するたびに、稲田の極右思想を考慮に入れて、防衛省は「稲田ごときにアルカーナ」を知られてたまるかと思慮しているのか、と私は想像していた。日報のように事実を書き残すものだけではなく、南スーダンへのPKO派兵には別の「秘密」があったのだろう。

それはPKO部隊が派兵された地域が「非戦闘地帯」ではなく「実戦」が続いている場所であった事実だ(そのことを示す証拠は現地視察に訪れた稲田が、当地にわずか8時間以下滞在しなかった事実、ほか「シュバで実戦が続く」と多くの証言があったことから明らかだ)。

◆官僚組織の精神性──憲法の上位概念としてこの国に根付くもの

大臣の任期は首相から任命を受け、その政権が終焉するまでだが、官僚の任期は入庁(省)してから退職までだ。どちらが長く、保身のためには何を優先すれば自己の利益になるのかは、庶民にでもわかる。

官僚による、公文書の改竄・隠蔽・虚偽の破棄は、もちろん大問題だが、その土壌には官僚組織が固く保持する精神性が作用しているのではないか。省庁ならずとも企業においても、同様の精神性は散見される。それらは憲法より上位概念として、広く行き渡り、定着しているように感じる。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

 

伊勢崎賢治「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」(2018年2月6日現代ビジネスより)

 

東京外国語大学教授で自称「紛争屋」の伊勢崎賢治が、本音を語りだしている。

「リベラルな実務家」と長らく人びとの目を欺き、「マガジン9」などにも顔を出していた伊勢崎は、「憲法9条を先進的だと思ってる日本人が、根本的に誤解していること」の中で倒錯しきった私見を述べている。

伊勢崎は、〈僕のように多国籍軍と一緒に働いてきた実務家にとって、現場で常に念頭に置いている最大の懸念は、我々自身の行動が国際人道法の違反、すなわち「戦争犯罪」を起こすか、である。多国籍軍は、それぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから、武力の行使は原則的に「自衛」である〉

と、〈多国籍軍はそれぞれ一応はちゃんとした法治国家から派遣されてくるから武力の行使は原則的に『自衛』である。自衛のための武力行使ができる『開戦法規』上の要件は、まず攻撃を受けることである。そこを戦端として『交戦』が始まる〉という。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

この一文だけで、伊勢崎の論が破綻していることが証左される。「一応ちゃんとした法治国家」から派遣されてくれば、武力行使は「自衛」とは短絡にもほどがある。米国は伊勢崎に言わせれば「一応ちゃんとした法治国家」となるのだろう。ではこれまで米国が行った「自衛」はすべて、「攻撃」を受けてのものだったろうか。「紛争屋」伊勢崎は「一応ちゃんとした法治国家」の寄り合いであれば、それ自体が正当性を持つかのように前提を立てる。

これは、米国を中心とする、イラク侵略、アフガニスタン侵略、ソマリア内戦干渉などを当然知っている(伊勢崎はアフガニスタンには自身も武装解除でかかわっている)者の発言とはにわかには信じがたい。

アフガニスタンから「多国籍軍」にいったいいつ、どんな「攻撃」があって「開戦」したというのだ? 米国での多発ゲリラ事件(9・11)の主体は「アルカイダ」じゃなかったのか(のちに国際貿易センタービル倒壊の不自然さや、ペンタゴンの事故現場の検証と、墜落したはずの旅客機乗客とその家族の通話記録、機体の残骸などを見るにつけ、この多発ゲリラが「アルカイダ」主導で行われたものなのかどうかに、わたしは疑念を抱いている)。「アルカイダ」はアフガニスタン(国家)じゃないだろう?

アフガニスタン周辺に展開した多国籍軍へアフガニスタン側から、「先制攻撃」があったのか?そんな話は聞いたことがない。イラクも同様だ。イラクから多国籍軍への攻撃の後に「自衛」が行われた事実などないじゃないか。

そして伊勢崎は「つまり、自衛は、warなのだ」と言い切るが、これも言葉としての「自衛」を過大に膨張させ過ぎだ。「自衛=war」とする論理は、あまたの戦争が「自衛」あるいは「自国の権益保護」を言い分に行われた歴史に鑑みれば、合理的であるかのように騙されそうだけれども、それは戦争を肯定する連中の話法であり、「war=自衛」は戦争遂行者の自己弁護である。「自衛」は武力によらずとも、条約や経済交流、外交交渉、国連での仲裁などいくらでも手段はある。「自衛は、warなのだ」は短絡に過ぎ、説得力を持たない。

伊勢崎は〈日本人向けにさらに言うと、個別的自衛権もwarなのだ。生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っているそれも、war(戦争)なのだ〉と「生存のために必要最小限であれば9条も許すと日本人が思っている」と勝手に決めつけているが、その日本人の中にわたし(わたし以外の少なくない人びと)は、包摂されない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

政府が勝手に憲法違反の自衛隊を設立し、政府見解「個別的自衛権は許される」との詭弁を長年、改憲のために国民を騙す洗脳の道具として使ってきた事実は知っている。伊勢崎、日本政府にもう一度下記の日本語を読んでもらいたい。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

いわずもがな「日本国憲法9条」だ。この日本語のどこを、どう読んだら「自衛隊」の存在が許されるのだ(ちなみにわたしは護憲派ではない。明確な改憲派だ。ただし自民党などが進める改憲とは本質的に逆の方向に向かっての改憲派である)。

眼鏡をかけた若手の気鋭憲法学者も「個別的自衛権」が当たり前のように語っている。

先に述べたように長年政府見解も「個別的自衛権が憲法上認められる」としてきた。みなさん言いにくいからわたしが代わって明言する。自衛隊も、個別的自衛権も小学校で習う日本語文法で憲法9条を読めば、許される道理がない。この条文を読んで、自衛隊合憲、個別的自衛権は許されると解釈する人は、悪辣な「なにか」を目指す政治屋か、日本語の基礎がわかっていない人である。

さらに伊勢崎は、〈交戦しそうなら、退避すればいいじゃないか、として、わざわざ交戦の可能性のある現場に国家の実力組織を派遣することを正当化し、「解釈改憲」してきた日本〉と「解釈改憲」を批判するが、この批判は歴代政権に向けるべきもので、「『解釈改憲』」してきたのは、「日本」ではなく「日本政府」と明確にしてもらわねば困る。日本人の総意で「解釈改憲」がなされた事実などない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

〈専ら「自衛」、つまり専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家の責任として、自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない。通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国が、である〉と伊勢崎は嘆く。

伊勢崎は大学教員だが、この文章は主語と述語がねじれている。〈専守防衛を開戦法規の共通理念とする地球上の全ての法治国家が、主権国家としての責任として自らが犯す戦争犯罪への対処を、想定すらしない〉の意味するものは何か? その主語を伊勢崎はもったいぶった倒置法で〈通常戦力で五指の実力組織を保持する軍事大国〉などと書き、「日本」と明示しない。がそれにしても「地球上の全ての法治国家」にイスラエルは入るのか? 米国は? シリアは?

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

わざわざ太字にして〈なぜ、在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するリベラルが、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機を心配しない〉と、大発見でもしたかのように伊勢崎は舞い上がっているが、「リベラル」とはだれのことなのだ。少なくともわたしのことではない。わたしは「在日米軍のオスプレーを心配し糾弾するし、異国の地ジブチで今も活動する自衛隊機は憲法違反だから一刻も早く撤退すべきだ」としか考えようがない。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

極めつけは〈9条論議は、一度、英語原文に立ち返るといいと思う。「押し付け論」など、どうでもいい。GHQから変わらない英語原文だ。9条が、2項で、高らかに放棄する「交戦権」。日本人は、これを、「交戦する権利」と捉えているようだ。その当たり前の権利を平和のために放棄するのだからエラいのだ、と。しかし、上記ように、「交戦する権利」は、もう、ない。9条ができる前から、である〉

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

ここまでくると大学教員の発信とは信じられない。まったく実証的ではないばかりか、伊勢崎が倒錯に陥っていることは、次の部分で確定する。

〈筆者には、憲法学者をはじめ、いわゆる護憲派という政治スタンスをとる親しい友人の専門家たちがいる。その友人たちには、国民投票が現実味を帯びてくる将来に向けて、これからも、ブレることなく、主張を続けていって欲しい。護憲の「精神」は非戦であり、それは正しいのだから。敬意を込めて、そう思う。しかし、護憲のための解釈改憲は「矛盾」である。その矛盾が実際の現場で引き起こす問題の明示を護憲派への攻撃と捉える人々がいるが、護るべきは解釈改憲ではないはずである。だから、自衛隊は違憲であると言い続けてほしい。日本共産党のように、(国民の好感度に政治的配慮して)一定期間は合憲、などと膝の力が抜けるようなことは、絶対に言わないでほしい。僕の友人たちがそうでないのは分かっている。しかし、9条の神格化は、避けて欲しいのだ〉。

伊勢崎賢治の上記文章(2018年2月6日現代ビジネス)

いったい伊勢崎は何を主張したいのだ?「護憲を貫け!共産党のように膝の力が抜けることは絶対に言わないでほしいけど、9条の神格化は、避けて欲しいのだ」と。どうしろというのだ。伊勢崎?

その前後も伊勢崎独自の歴史解釈や理解が、披露されるがどれもこれも論拠が薄く、結果として現状の「改憲策動」に与する分裂した主張に終始している。伊勢崎は「紛争屋」だから、現場は知っているのだろうけども、憲法と法の関係、さらには日本の司法権の問題などにつての視点がない。なにも護憲派は「9条」を金科玉条に唱えていた人ばかりではない。「小学生が読んでも憲法違反」である自衛隊の存在を裁判所に問うたら(違憲立法審査権の行使)「統治行為論」(「国の統治にかかわることを裁判所は判断できません」と、1959年最高裁は砂川事件で裁判所の役割と、三権分立を放棄した)で憲法と現実の不整合を正す試みもなされたことを、伊勢崎は知らないはずはあるまい。

この手の輩がこれから、跳梁跋扈するだろう。「リベラル」ズラだったり、「リベラル」に理解ありそうで、その実「現状肯定」に最大の価値を見出す、不埒な連中が。識者や有名人で「改憲」したい者は、ごちゃごちゃ御託を並べずに、はっきりそう表明しろ。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

鹿砦社が発刊している『紙の爆弾』の編集後記では、編集長が「この号が発行されている頃には……」といった、月刊誌の時間的制約によるジレンマを感じさせる表現が散見される。政局など流動的要素をはらんだテーマを扱った記事では、原稿が書かれる1カ月以上先に予期せぬ事態が起こりうることは常態であるが、それでも月刊誌のスパンで新聞や週刊誌にはない、視点からの分析を展開する。

◆表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか

ひるがえり、発刊のスパンが短い媒体ほど臨機応変な状況対応が可能であるが、得てしてそれは表層的な現象を伝える域をでない傾向がある。「事実」や「出来事」を伝える速度が(月刊誌や週刊誌と比すれば)新聞の優位性だが、その奥(あるいは水面下)に何があるのか。表層の出来事が意味する〈ことの本質〉はどのようなことなのか、は1日の編集作業でまとめ切れるはずもなく、また複雑な現象、背景を論説するにはそれなりの文字数(紙面)が必要となる。新聞社が瞬時に脊髄反射で論説までこなし紙面を構成できるか、といえば、そこにはおのずから限界がある。識者談話など数100文字の論評を掲載するのが精いっぱいであろう。

では、もっと更新速度を上げることが可能なネットはどうだろうか。即時性では朝夕刊2回(号外は別にして)の発行を原則とする新聞に比すれば、ネットに軍配が上がろう。ただし、即時性至上主義では「事実」、「出来事」がどのような「真実」を背おっているのか、いかなる目論見が背景に横たわっているのかといった「解説」、「論説」を展開する余裕を持てない。

この通信だって同様だ。ある日起きた現象を翌日に掲載しようと思えば、まずは事実を紹介(確認)し、筆者がそれについての私見を開陳する。関係者に感想を求めたりすることはあるが、その後の私見は、それまでに筆者が蓄積してきた、当該「事件」、「出来事」への知識や見解がもとに展開される。

◆韓国と朝鮮が“電光石火”合意に至った重大な伏線

前置き非常に長くなった。

わたしが書きたかったのは「朝米首脳会談」が実施されるとの報に接し、これまでこの島国の的外れで、無能極まる外交姿勢を糾弾してきたものにとっては、ひとこと言及する責任を感じたからだ。

わたしは本通信で「朝鮮への圧力」のみをもっぱらにする安倍政権の外交姿勢を「無能」と罵倒してきた。平昌五輪にかんしては「オリンピックは政治そのものだから、どうせ利用されるのであれば平和利用されればよい」とコメントした。そして多くの方々からわたしの論は、見向きもされなかったであろう、「なにいってんだこいつ」と歯牙にもかけられなかったであろうと想像する。

それは仕方のないことで、これだけ政権が熱心に「反北朝鮮」を煽り、連日マスコミの「洗脳」を受けていればわたしのような考えを持つ人が少数になるのも致し方ない。

だが、わたしの「はかない望み」、あるいは「一縷の希望」のようにしかとらえられなかった「和解」・「緊張緩和」に向けた方向性が(まだこの先修正や変更の可能性が大いにあるにしろ)現実に明確に示されたことは冷厳な事実だ。

韓国と朝鮮が“電光石火”のように見せかける合意に至ったのは、文在寅大統領就任(昨年5月10日)の直前に、朝鮮が1998年以来廃止(休止)されていた「外交委員会」を復活させていたことが重大な伏線であった。この島国の政権やマスコミは「ミサイル」「核兵器」「避難訓練」と大騒ぎするばかりで、肝心の朝鮮政権内部で「外交交渉を模索する動きが顕在していた」変化に着目する論評はほとんど皆無に等しかった。朝鮮における「外交委員会」の再開は韓国で朴槿恵政権が打倒され、対話可能な文政権樹立を視野に入れ準備されたものだと推測するのが妥当だろう。

◆韓国も朝鮮も米国も、最初から安倍外交を「全く無視」していた

平昌五輪への朝鮮参加から南北対談、即米国への韓国代表の派遣までのすべてが、シナリオにあったわけだはなかろう。しかし、明確なのは、そのあらゆるプロセスで安倍を頭目とする、この島国は「全く無視」されていた、ということだ。外務省に事前通告はなかったのであろうとわたしは想像する。

「制裁を強めた結果だ」と「朝米首脳対談」の実施について安倍はコメントした。まだ(いや、「もう」)こういうしか言いようがないほど存在を無視され、「日本はずし」で行われる朝鮮半島情勢の行方(安倍の物言い自体が「人道的犯罪」ではないのか)。そりゃ韓国も朝鮮も米国も、本音では最初から安倍の外交力なんかあてにもしていないし、視野にもなかったことだろう。「制裁・制裁」とやかましく繰り返し、無駄な税金を「反北朝鮮感情」を煽るために使い、国際社会から結局「馬鹿にされる」、この島国の外交。

安倍、自民党や右派野党にとって「朝鮮」は、対話不能の「ならずもの」であり続けてもらわねば、都合が悪いのだ(かつてのリビア、イラクのように)。政治だけではない。南北融和を「制裁包囲網ほころびの懸念」とどれほど多くのマスコミが伝えたことだろうか。彼らの頭の中では、なかば朝鮮半島における「限定的紛争」が既定路線となっていて、「朝米首脳対談」の文字を差し出されたら、狼狽することしかできなかったんじゃないのか。

少しはまじめに、自分の問題として「平和」を真正面から考えよう。奴らとは関係なく。

朝鮮半島地図

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『紙の爆弾』4月号!自民党総裁選に“波乱”の兆し/前川喜平前文科次官が今治市で発した「警告」/創価学会・本部人事に表れた内部対立他

〈3・11〉から7年 私たちはどう生きるか 『NO NUKES voice』15号

南北会談が行われ、朝鮮が平昌オリンピックへの参加を表明してから、韓国、朝鮮政府への論評がどうにも「冷たい」ように思う。開会式の合同入場や女子アイスホッケーが統一チームを結成することが決まると、「北朝鮮のペースに乗せられた韓国政府」、「圧力の足並み乱れを懸念」など後ろ向きの批評が新聞では主流だ。

また、米国では日本側が「北朝鮮からの漂流船が増加しているのは経済制裁の効果が表れている」との見方を示したと報道されているし、河野外相は16日カナダでの会合に出席し〈韓国 との対話に舵を切ったように見える北朝鮮の意図は、『時間稼ぎ』だと指摘しました。平昌(ピョンチャン)オリンピックを控え再開した南北対話が北朝鮮ペースで進む懸念もある 中、河野大臣はスピーチで、北朝鮮の『微笑み外交に目を奪われてはならない』と訴えました。〉と語ったそうだ。

河野外相、対話は北朝鮮の「時間稼ぎ」と指摘(TBS2018年1月17日配信)

◆「対北朝鮮圧力」をかける国々はどんな将来と結末をイメージしているのか?

では、カナダに集まり「北朝鮮圧力」を相談している国たちは、朝鮮の将来にどんな結末をイメージしているのだろうか。朝鮮の非核化は妥当な目標ではあろうけど、そのため、延々と経済制裁だけを続け、対話を一切拒否するという、河野外相=日本政府の姿勢が貫徹され、また他国も日本政府同様のファナティックな制裁で完全に足並みを揃えたらどうなるだろうか。昨年の惨状をみて断定的に語れることは、朝鮮の庶民の暮らしがより圧迫され、困窮し餓死者が増加する事態が加速するであろうことだ。

朝鮮の庶民の生活がどれほど困窮しても、朝鮮政府は外交姿勢を変えることはないだろう。そんな程度で外交姿勢を変えるのであれば、これまで幾度もあった対話の機会で、方向転換を図っていただろう。中国の後ろ盾が実質上なくなり孤立無援ともいる小国の動向に、カナダに集まった20ヵ国は少々過敏になり過ぎているのではあるまいか。制裁一方で平和裏に核問題が解決でいると、私にはどうしても思えない。

それは、この島国が「ABCD包囲網」により、無謀な戦争に突っ込んでいった歴史が証明するところでもある。どうしてパキスタンやインド、イスラエル(さらにいえば、米、英、仏、中、露)の核兵器は容認されて、朝鮮だけ世界から袋叩きにあうか。朝鮮の何万倍も核兵器を保有する米国のトランプは金正恩よりも何万倍も理性的だろうか。

◆「政治の道具」としての近代五輪はなにも平昌五輪だけでないのに……

「平昌オリンピックの政治利用」とまくしたてる「有識者」が多数見受けられるが、近代オリンピックは常に政治の道具、もしくは政治そのものと言ってもいいだろう。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議して、1980年のモスクワオリンピックは日本を含め約50ヵ国がボイコットした。その報復に1984年のロス・アンジェルスオリンピックでは東側諸国が軒並みボイコットした。東西冷戦時代の出来事ではあるけれども、五輪は露骨に政治利用される。同時に表層的ながらいっときの「融和」や「「友好」を演じる舞台が五輪でもある。

1964年の東京五輪では東西ドイツが開会式で一緒に入場した。冷戦の真っただ中、まだ日本や米国が中国と国交を結ぶはるか昔、東西ドイツの合同入場は国際ニュースだった。開会式を中継したNHKのアナウンサーは、「素晴らしい、本当に素晴らしい」と絶叫している。その東西ドイツ合同入場に苦言を呈した人が、今日ほどいたのだろうか。私はまだ生まれる前の出来事なので、つまびらかではないが、少なくとも録画に残されたNHKアナウンサーの称賛ぶりは確認できる。

また、南北朝鮮のオリンピック開会式合同入場は2000年のシドニーオリンピックで実現している。当時合同入場について、この島国の中でこれほど冷淡な論評が交わされただろうか。私の記憶の限りではそんなことはなかった。2000年から2017年へ何が変わったのか。明示できる転換点は「拉致」の事実を金正日が小泉との会談で認めたことだ。逆に「拉致問題の解決、植民地支配の過去の清算、日朝国交正常化交渉の開始」を内容とする「日朝平城宣言」が2002年に交わされた事実はもうなかったかのような有様だ。

◆対話なき圧力をかける日本政府が直視すべきは「東京五輪」の背理である

「拉致」を金正日が認めたことは、大きな衝撃であった。けれどもそのために「拉致問題」は両国間で顕在化し、帰国された方もいる。以後進展が見られないが、その理由は一方的に朝鮮側だけにあるのだろうか。「対話と圧力」と言っていたこの島国の政府は、もっぱら「圧力」だけに血道をあげるようになった。朝鮮が態度を硬化させるのも無理はない。

そして意地悪ながら事実にもとづく言いがかりをつけるのであれば、朝鮮が非難の的とされたのは、この島国では「拉致問題」だけれども国際的には1983年の「ラングーン爆破事件」であり、1987年の「大韓航空機爆破事件」であった。二つの事件はいずれも朝鮮が国家として韓国の高官や航空機爆破を行った、いわゆる「テロ」事件だが、その後に行われたシドニーオリンピックで両国は合同入場しているのだ。時の韓国大統領は金大中で「太陽政策」で南北融和を図っていた。

繰り返すが、あの頃こんなにも殺伐とした「南北朝鮮」卑下の論評が横行してはいなかった。政府・マスコミから庶民に至るまで、まるで1900年頃のように「朝鮮半島」を蔑視し、見下す言説が溢れている。非常に不健全で危険極まりないと思う。「政治の道具」にほかならないオリンピックが、政治的に平和利用されるのであれば、どうしてその「光」の面を少しは評価しようとしないのか。

翻り「東京五輪」の広報と「洗脳」は日々その勢いを増すばかりだ。補修でも充分仕えた国立競技場を瞬時に取り壊し、史上最高のスポンサーを集めながら「ボランティア」を多用して「大儲け」イベントとして準備が進む「東京五輪」。福島第一原発4機爆発により政府が発した「原子力緊急事態宣言」がいまだ取り下げられない中で、堂々と進められる「東京五輪」の背理こそ自身の問題として直視すべきではないか。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

〈改憲〉国民投票と〈五輪〉無償奉仕──電通2大プロパガンダがはじまる(本間龍)掲載 『NO NUKES voice』14号 脱原発と民権主義 2018年の争点 

トランプと安倍が会談し、その要旨は〈①核・ミサイル開発を進める北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限に高める、②トランプが日米間の貿易不均衡の是正を要求。安倍は経済的対話を通じて成果を出すと説明、③トランプは米国製武器の輸入拡大を求め、安倍も意欲、④安倍が提唱した「自由で開かれたインド太平洋戦略」実現に向けた協力強化で一致。中国への懸念が念頭〉の4点だったと報じられている。

◆ここに理性があるとはどうしても考えられない

トランプが来日すれば「成り上がり実業家」として、商売の話をしてゆくに違いないと多くの人が予想した通り、今回の来日でトランプが日本に迫ったのは「貿易不均衡の是正」(米国産製品をもっと買え!)と、「対北朝鮮全ての選択肢」(戦争も排除しないぞ! 戦争になったらお前ら日本も加勢しろよ!)さらにそのためにはもっと「米国の武器を買え!」との要求だった。安倍は「はいはい、わかってまんがな、親分」とトランプの命令すべてを受け入れた。

別段驚くに値しない、予定通りの「セレモニー」ではある。にしても「すべての選択肢」には明確に「武力攻撃」=「戦争」も包含される。この島国に住む多くの人は本当に「戦争」を許容するのだろうか。望んでいるのだろうか?「北朝鮮の政策を変えさせるため、圧力を最大限高める」のであれば、すでに旧友好国中国との仲も不安定になっている朝鮮が「暴発」する可能性はますます増大する。「暴発」を意図して米国をはじめとするその「友好」周辺諸国がひたすら朝鮮に対する圧力を高めることに腐心しているとしか私には思えない。ここに理性があるとは、どうしても考えられない。

 

◆かくも不可解な安倍政権の対米完全服従姿勢

「もっと武器を買え」と言われて「はいはい、その通りでございますね。幾らでも買わせていただきますわ」との「公約」を先の総選挙で安倍は一度でも口にしただろうか。日米関係は最上にして不可侵の国是だと安倍は妄信している。誰に教えを請わなくても、祖父岸信介が A級戦犯で、本来は連合国により「死刑」を執行されても不思議ではなかった身から、どうしたわけか無罪放免された。それにとどまらず最高権力者にまで、引き揚げてもらった連合国(とりわけ米国)への「恩義」が人格形成に関わっているのだろう。仮に連合国が岸に「死刑」を執行していれば(死刑制度の是非についての議論は別にして)安倍は総理ににまで登りつめることはなかったろうし、安倍のかくも不可解な、対米完全服従姿勢が生じたか、にも疑問符が付こう。

ちょっと抽象的なようだけれども、この相関性を自分に置き換えて考えてみると、あちらさんが、いかに「逆らえない」相手かを想像することができる。連合国の思惑(岸信介の放免)がなければ「今の自分はなかった」。これは安倍にとって取り去ることのできない自己規定の前提と言ってよい。

だから現実も理屈も条約も憲法も、安倍にとって実は「どうでもよい」のだろう。
私たちにとっては比類なき不幸である。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

9月15日朝鮮が長距離弾道弾(ICBM)と思われるミサイルを発射した。報道によればミサイルは北海道上空を飛んで北海道から2000キロあまり東の太平洋に落ちたという。朝鮮の中長距離ミサイルの試験的発射は、もう日常的な感すらある。私はこのような朝鮮のミサイル発射実験を好感しない。


◎[参考動画]【ニコニコ実況付】北朝鮮がミサイル発射 Jアラート発表時のNHKニュースダイジェスト(sk5417さん2017年9月15日公開)

2017年9月15日付け産経新聞

それにもまして「対話と圧力」で朝鮮との二国間関係に臨むと宣言した、安倍政権及び、それに追従する中央省庁、さらには地方公共団体の、過剰かつ全く無意味な反応に気持ち悪さと怒りを禁じ得ない。9月15日のミサイルは日本の上空700キロを飛んだと米国当局は想定を発表している。上空700キロとはどんな場所か? 一言で言えば「宇宙」だ。静止衛星は高度35万キロ以上の上空に打ち上げられるが、用途が限定される人工衛星は高度600-700キロにいくらでも飛んでいる。

今回打ち上げられたミサイルの飛行した弾道を各種報道で見る限り、日本上空を通過した時は上空700キロ程度で飛んで行った可能性が高い。この高度で飛ぶミサイルが弾道に高性能爆薬や核兵器を仮に搭載していたとして、この島国はどのような対策を取るのが最も適切だろうか。

それは「放置」することだ。

隠された技術があるのかもしれないが、現在公表されている地対空ミサイルの最大迎撃距離は地上から500キロだ。これでも本当かな? と思うが日米は「実験」で何度か上空500キロの「標的」迎撃に成功しているというから、そこまで飛んでいく性能はあるのだろう。しかし、朝鮮が実験で打ち上げたミサイルを万が一にも日本が迎撃ミサイルで撃ち落としたら、朝鮮や国際社会はこの島国をどのようにとらえるだろうか。それは仮に日本が種子島宇宙センターから「ロケット」を打ち上げた際に、中国、ロシアや朝鮮から「撃ち落とされた」事態を考えてみれば、想像の助けとなるだろう。

「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html

「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html

「メルカトルの呪い? 地図のおはなし」(2013年3月2日付けNonrealさん海国防衛ジャーナルより)http://blog.livedoor.jp/nonreal-pompandcircumstance/archives/50695367.html

◆「全く無意味」な訓練が大きな反対もなく行われている

「民生」ロケットを撃ち落とされたら(そうでなくとも、日本のロケットはしばしば打ち上げに失敗するが)、重大な国益棄損と場合によっては、軍事的攻撃として対象国は非難の的になるだろう。J-アラートがバカ騒ぎして待機していたようなタイミングで早朝官房長官が会見を行う。地下鉄が止まり、多くの市町村のHPには「ミサイル飛来の際には」との穏当ではない見出しが躍り、義務教育の現場で「全く無意味」な訓練が大きな反対もなく行われている。

万が一弾道を搭載したミサイルが人のいる場所に着弾すれば、「丈夫な建物」に入っても、「頭を何かで覆っても」、「窓際から離れても」全く無意味である。中程度の地震対策と同じように「何の効果もないミサイル対策」を無責任に流布する政府、地方自治体のありさまは、あえてきつい言葉で言えば「愚の骨頂」である。


◎[参考動画]北朝鮮ミサイル発射 J アラート情報 在京キー局報道の5分間(J-POP遺産さん2017年9月15日公開)

◆どうして朝鮮と「対話」を行おうとしないのか?

ミサイルが飛んで来たら「何をしても無駄」なことは、シリアや中東紛争地帯のニュース映像が伝えるとおりだ。

であるから、仮にこの島国の国土にミサイルが飛来しようが、「放置」するのが現状では最善の策であると私は考える。ただし、それには条件がある。朝鮮がこのかん何回中距離長距離ミサイルの発射実験を行ったか、正直興味がない(調べれば簡単に判明するが、その回数は本質的な問題ではない)。

もっと注視されるべきは、この島国の政府が本当にこの島国に住む(あるは滞在する)人々(日本国籍保持者に限らず、特別永住者を含む)の安全、安寧を第一に考えるのであれば、「圧力」ばかりでなく、どうして朝鮮と「対話」を行おうとしないのか、という基本的な問題だ。

「そんな昔の話とミサイルは別問題だ」とおっしゃる向きが多いかもしれないが、この島国は朝鮮半島の南半分を統治する「大韓民国」とは不充分ながらも占領時代の保障を含んだ、「日韓条約」を締結している。一方日本占領時代には2つの国に分かれてはいなかった片方の国、「朝鮮民主主義人民共和国」との間では、なんら植民地支配、戦後補償の話が行われていない。

つまり直近の状況がどうであれ、この島国が行った「植民地支配」に対する最低限の保障も行っていない中で、「拉致問題」を先頭に「北朝鮮=悪の国」との政府を先頭としたマスコミも同調する広報により、私たちは重要な歴史的過去の債務を忘却しかけており、それゆえ「圧力と対話」などと、はなから朝鮮を敵国視した歪な態度にすら、批判の声は小さく、「対話」を行おうとする態度は、われわれが知る限り、「皆無」だといっていいのが今日の姿である。

そして、マスメディアは歴史を全くと言ってよいほど無視し、何かにつけて容疑者を常時監視している警察のように、朝鮮中央放送がニュースで流す日常的な独特の派手な言い回しをとらえては、明日にでも朝鮮が暴発するかの如き報道を何十年も続けてきた。

◆金日成以来「天皇制」を模して作られた「独裁」体制

国力や外交力、何よりも自国民の福祉に対して現在の朝鮮独裁政権は、評価に値しないと私は考える。その根拠は朝鮮における金日成以来の「独裁」体制が、この島国の「天皇制」を模して作られたものであり、実際に世襲3代目の昭和天皇の時代にこの島国は、途方もない他国への侵略と自滅を経験している事実から導かれる。

この島国は何故あの様な暴虐を成しえたのか。そしてありもしない神話に依拠した「天皇制」に多くの人々が洗脳され、殺し、殺されたのか。独裁三代目の朝鮮に私は危機感を感じる。100年弱前のこの島国の自滅とどこかが似ている。そしてその過ちを加害的に起こした日本国安倍政権は「対話」を一切行わず「経済制裁」という名の「虐め」に専念している。歴史に学ぶということが、この島国の権力者には不可能なのだろうか。


◎[参考動画]ドキュメント北朝鮮①個人崇拝への道(60min)(アナログチャンネルさん2017年1月16日公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』10月号!【特集】安倍政権とは何だったのか

辺野古キャンプシュワブ

沖縄に向けられる視線から、基地問題を除外することは難しい。2020年には海兵隊の主力をグアムに移す、とするロードマップはまだ破棄されたわけではないのだから、基地の縮小・撤去は当然にしても、新たな基地建設はロードマップに矛盾するし、何よりも「もう基地は要らない」と何度も選挙で示された沖縄の民意と相いれない。知事選などの選挙はともかく、小選挙区制が導入された国政選挙の選挙区で野党が議席を得るのは容易ではないがここ数回の国政選挙、沖縄では比例での復活当選はあっても、自民党は選挙区では1議席も獲得できていない。

◆「基地は要らない」が沖縄の民意

繰り返すまでもなく、沖縄の民意は「基地は要らない」である。しかし現実はなかなか動かない。政府は選挙結果など横目に見ることすらせず、ひたすら米国の意向を「忖度」し、時に米国が基地を引き上げようと持ち掛けたら「とどまってくれ」と懇願したことさえあるほどに、「自主的な従属」姿勢に拘泥している。第二次対戦で「鬼畜米英」と罵(ののしり)、「1億玉砕」とまで狂気に満ちて敵に回した米国に、どうしてここまでへつらえるようになるのであろうか。誠に主体性なき、不思議な心象をこの国の政府や多数の国民は有していると言わざるを得ない。

辺野古キャンプシュワブゲート前

◆ゲート前に座り込む人たち──お握りを勧める行為に「優しさ」以外のどのような感情があるのか?

しかし、そんな観念論はともかく、沖縄の基地建設現場には現実がある。工事が再開された辺野古キャンプシュワブゲート前には基地建設に反対する人々が毎日集い、工事車両の基地への資材搬入に座り込みで抵抗したり、海上ではカヌーやカヤックで工事に対する抗議が連日行われている。3月14日現地を訪れた際には抗議の座り込みが983日に達していた。ゲート前にはテントが張られ、読書する人や歓談する人の姿が見られたが、いざ工事車両接近となれば、皆がゲート前に座り込む。

3月14日現地を訪れた際には抗議の座り込みが983日に達していた

米国人の若者(学生)と思われる集団がキャンプシュワブゲート入口近くにやって来た

海兵隊員たち

われわれが現地を訪れたのは昼過ぎで、座り込みをしている方々も昼食を採っている時間だった。「お握りありますよ、食べますか」と勧めていただいたが、直前に昼食は済ませていたのでご厚意は辞退した。

右翼たちはこのような「助け合い」行為の上げ足を取り、現地では「日当をもらった人間が妨害をしている」などと吹聴するが、実態はこのような「助け合い」が行われているのであり、なんら批判されるような行為ではない。初対面の人間にも空腹を心配してお握りを勧める行為に「優しさ」以外のどのような感情があるだろうか。

◆迷彩服を着た屈強な海兵隊員たち

しばらくゲート周辺を観察していると。米国人の若者(学生)と思われる集団がキャンプシュワブゲート入口近くにやって来た。彼らは米国流の「平和学習」をしに来たのだろうか。残念ながら話を聞くチャンスがなかったが不思議な光景であった。

さらに立ち並ぶゲート向かいのテントを取材していると私にぶつかりそうになりながら、一人の海兵隊員が重たい荷物を背負い駆け抜けていった。おそらく訓練であろうが、自動小銃こそ持たないものの、迷彩服を着た屈強な兵士にぶつかられそうになるだけで、ひやっとする。

少し間をおいて今度は2人の兵士が息をあげながら近づいていた。テントの中にいた人たちからは「なんでこんなところでこれ見よがしに訓練をするんだ!」、「帰れ!」の声が飛ぶ。この「訓練」は取りようによっては米軍によるある種の「挑発行為」とも感じられる。基地建設反対行動をしている人がいる場所を、わざわざ選んで兵士を走り抜かせる必要があるのか。基地内には膨大な敷地があるのだ。なぜ彼らはテント前を走り抜けねばならないのか。

なぜ彼らはテント前を走り抜けねばならないのか

◆沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さんに聞く

沖縄平和運動センター事務局長の大城悟さん

沖縄平和運動センター事務局長で山城博治さん逮捕後に、現場での指揮を執る一人大城悟さんに伺った。

―― 新たな埋め立てを政府は、県への認可をせずに強行しようとしています。
大城 もうね。三権分立とか法治国家とか無茶苦茶ですね。
―― まだあの地域の漁業権は放棄されていませんね。
大城 そうです。もう法律や裁判所を信じる気持ちが無くなってきています。先の最高判断もそうですが、やりたい放題ですね。山城さんの逮捕勾留もそうです。私たちはここで頑張ります。

 

◆沖縄の日常の一断面

ゲート前を去って、数キロ離れた公道の脇に米軍車両が2両駐車されているのが目についた。辺野古の建設現場から遠くないので何らかの監視をしているのだろうか。せっかくだから兵士に話を聞こうと近づいた。

椅子に座って黙っている兵士に、「ここでの任務はなんですか」と聞くと視線だけをこちらに向け、口は開かない。

「ここは日本の敷地なので条約や法律には詳しくないが、あなたたちが物騒な格好で、こうやって監視のようなことをしているのが不思議なのだが」と聞くと、もう1両止められていた車両の中の兵士が無線連絡を取り始めた。

頬を緑色に塗っている白人兵士にも尋ねた。「ここでに任務は何ですか」、すると車両から出てきたほかの兵士が「うるさい!立ち去れ」という。相手は兵隊なので、恐怖心もありそれ以上の質問は諦めた。こんな光景も沖縄の日常の一断面なのだろう。

 

(鹿砦社沖縄取材班)

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