◆森本敏・元防衛大臣の「予言」的中

昨年、12月16日、「安保3文書」閣議決定の夜の番組「プライムニュース」(フジ系)に出演した森本敏・元防衛大臣はこう断言した。

「米国が中距離ミサイルを日本に配備することはほぼありえない」

その約1ヶ月後の今年、1月23日の新聞は大見出しにこう伝えた。

「日本に中距離弾、米見送り」(読売朝刊)と。

その記事はこう続く。

「米政府が日本列島からフィリッピンにつながる“第一列島線”上への配備を計画している地上発射型中距離ミサイルについて、在日米軍への配備を見送る方針を固めたことが分かった」

森本氏の「予言」はまさに的中したが、これが意味することは、日本にとってまことに危険なものだ。この番組で森本氏は出演前日に「米国大使館でインド太平洋軍の陸軍司令官に会った」ことを明らかにしているが、彼の「予言」は米大使館でのインド太平洋軍司令官の意向を反映したものであろうことは容易に想像できる。

「日本に中距離弾、米見送り」に隠された米国の真意図は何なのか? このことについて真剣に考えてみる必要があると思う。

[左]1月23日付け読売新聞の記事見出し「日本に中距離弾、米見送り」/[右]「安保3文書」閣議決定夜のプライムニュースに出演中の森本敏・元防衛大臣

◆米軍の肩代わり部隊、「陸自にスタンドオフミサイル部隊の新設」

「日本に中距離弾、米見送り」、その理由はこうなっている。

「日本が“反撃能力”導入で長射程ミサイルを保有すれば、中国の中距離ミサイルに対する抑止力は強化されるため不要と判断した」と。

「安保3文書」で「反撃能力の保有」を決めた日本が米軍の肩代わりをしてくれるなら「在日米軍への中距離ミサイル配備は不要」ということを米国は言っているのだ。

「安保3文書」では「反撃能力保有」の具体化として「陸自にスタンドオフ(長射程)ミサイル部隊の新設」を決めた。「日本に中距離弾、米見送り」決定後は、この陸上自衛隊の新設部隊が「中国の中距離ミサイルに対する抑止力」として米軍の肩代わりをする役目を帯びることになるということだ。

 なんのことはない、「日本に中距離弾、米見送り」の真意は米軍に代わって自衛隊が対中ミサイル攻撃をやれ! ということだ。

◆さらに「厳しい宿題が待っている」日本

森本氏は同番組の最後にこう述べた。

「来年以降、(日本には)厳しい宿題が待っている」

その「厳しい宿題」とは何か?

これと関連して、河野克俊・自衛隊前統合幕僚長の発言がある。

昨年、バイデン訪日時の日米首脳会談で米国が日本への核による「拡大抑止」提供を保証したが、この時、河野克俊・前統合幕僚長は「米国から核抑止100%の保証を得るべき」だが、「それはただですみませんよ」と日本の見返り措置、その内容を示した。

「いずれ核弾頭搭載可能な中距離ミサイル配備を米国は求めてくる、これを受け入れることです」と。

この河野発言からすれば、対中・中距離ミサイル攻撃を自衛隊が米軍の肩代わりすることになった以上、次なる「米国の求め」が陸自のスタンドオフミサイル部隊のミサイルを「核搭載可能」なものにすべきという結論になるのは明確だ。

「安保3文書」実行の日本に待ち受ける「厳しい宿題」、それは自衛隊のスタンドオフミサイル部隊が対中「“核”ミサイル部隊」になることに他ならない。

“核”について言えば、安倍元首相の提唱したNATO並みに「米国の核共有」が実現すれば、自衛隊ミサイルへの「核搭載」は可能になる。それが米国の要求である以上、この実現にはなんの問題もないだろう。この実現で問題は日本側にある。

「核搭載」については「安保3文書」には書かれなかった、いや書けなかったものだ。日本の国是は非核であり、その具現である「非核三原則」に照らせば「核搭載」ミサイル保有は国是に反するからだ。これを可能にするためには非核の国是の変更、少なくとも「核持ち込みを容認する」ことが必須条件だ。

だがこれは非核を国是とする日本国民感情への挑戦となる、だから「厳しい宿題」と米国も見ている。

だがこの「厳しい宿題」解決のためにすでにこんな議論が今後の課題として打ち出されている。

兼原信克・同志社大学特別客員教授(元内閣官房副長官補、元国家安全保障局次長)は「被爆国として非核の国是を守ることが大事なのか、それとも国民の生命を守ることが大事なのか、国民が真剣に議論すべき時に来た」との二者択一論で国民に覚悟を迫った。

今後、日本政府に待ち受ける「厳しい宿題」はこの兼原氏の迫る二者択一を国民に迫ること、非核の国是の放棄、非核三原則の見直し、少なくとも「核持ち込みの容認」の選択を国民に迫ることになることはほぼ間違いない。

◆「米国の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」

米軍を肩代わりする自衛隊の中距離ミサイル部隊が「核搭載」実現で米軍の代理“核”戦争部隊になる。それは日本が米国の代理“核”戦争国になるということだ。これこそが米中対決の最前線を担うことを「同盟義務」としてわが国に強要する米国の核心的要求だと見て間違いはないだろう。

「日本に中距離弾、米見送り」、これを肩代わりする陸自スタンドオフミサイル部隊新設も決まった、残る「宿題」は自衛隊ミサイルへの「核搭載」を可能にすること、日本が非核の国是を放棄することだけとなった。

いま「新しい戦前」が言われるようになっている。今日の「新しい戦前」の特徴は、上記のように「代理“核”戦争国となる戦前」という点にある。かつての「戦前」とはまったく様相を異にする「新しい戦前」であること、ここに注目すべきだと思う。

それは米国も岸田政権も「厳しい宿題」と認識している「戦前」であり、逆に言えば日本国民が簡単には受け入れないであろう「戦前」だということでもある。いまは一方的に既定事実を押しつけられているのが不甲斐ない現実ではあるが、けっして悲観する必要はないと思う。

非戦非核を永らく国是としてきた日本国民を相手に「代理“核”戦争国」化を強要することを米国も「厳しい宿題」と見ている。だから国民に正しい議論が提供されればこの「新しい戦前」を「新しい平和日本」への勝機に転換することも可能だという積極的で主導的な対応も可能になると思う。

「日本の代理“核”戦争国化」という「新しい戦前」を「新しい平和日本」への転機に換える力は、ひとへに戦後日本が堅持してきた「非戦非核の国是」を日本人の魂として固守し、米国による理不尽な「代理“核”戦争国化」という新しい情況に対処し「非戦非核」を闘いの武器として発展させていく努力にかかっている。

このことを今後、国内の皆様と共に遠くピョンヤンの地にいる私たちも考えていきたいと思う。

若林盛亮さん

◎ピョンヤンから感じる時代の風 http://www.rokusaisha.com/wp/?cat=105

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」会員。HP「ようこそ、よど号日本人村」で情報発信中。

最新刊! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

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『一九七〇年 端境期の時代』

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

今月号では、私たちの個人情報に関する問題をテーマのひとつに置きました。マイナンバーカードは「令和4年度末までに、ほぼ全国民に行き渡ることを目指す」と閣議決定(2021年6月)されています。国民の利便性を高めるためならば、取得したい人が取得すればいいのであり、この目標自体に、政府の側にメリットがあることが見えてきます。国家が国民の個人情報を一元化し、独占すること。その先にあるのが「超監視社会」ですが、それがどのようなものなのかに、私たちの想像力が試されているようです。

 

本日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年3月号

これまで連続して本誌で採り上げてきたコロナワクチン薬害の問題は、昨年暮れごろから週刊誌でも次々と報じられるようになっています。接種開始から日を追うごとに被害者が増加するなか当然ともいえますが、時期を同じくして、テレビではファイザー社のCMがバンバンと流されています。本誌今月号では初代ワクチン担当大臣として日本国内の接種拡大を牽引、その手腕をマイナンバーカード普及に活かすことを期待されて、現在はデジタル大臣を務める河野太郎氏の手法に注目しました。

「安保3文書」改訂をめぐる問題も、このところ本誌で重点的に論じてきたひとつです。東京新聞が情報開示した防衛省内の検討過程の議事録は黒塗り。それでも、その内容は、「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と言い換えた程度の生易しいものではなく、自衛隊が他国の領土内を攻撃できるということ。そのための体制づくりが今、猛スピードで進められています。これについて、岸田政権は安倍政権よりひどい、という言い方が聞かれますが、安倍政権の解釈改憲が、いまの流れの前提にあります。まさに「戦争法」だったわけで、私たちはその先を考える必要があります。

その自衛隊では人材確保がかねてからの課題とされており、アニメ作品とコラボしたポスターを制作するなどして、隊員募集に勤しんできました。その際には災害支援が前面に押し出されてきましたが、米軍の下請けとして海外の戦地へ派遣される機会が増加するのは確実です。そんな自衛隊の隊員募集においてもっとも重要なのが、募集対象者の個人情報を集めること。今月号では福岡市民の若者の個人情報が、実質的に無断で自衛隊に提供されている事実をレポートしました。マイナンバー制度においても、銀行口座等の紐づけは、個別に意志を確認することなく行なわれる方針とされています。マイナンバーカードの普及では、税金を原資としたポイント還元で国民を釣る手法が成功を収めているようですが、私たちは警戒し、拒否の意思を示していかなければなりません。

広島拘置所から本誌で連載してきた上田美由紀さんが、1月14日に亡くなりました。死因について「誤嚥による窒息」と発表されているものの、拘置所内の体制に不備がなかったか、厳密な調査が行なわれるべきでしょう。今月号では刑務所・留置場等で相次ぐ死亡事件について、検証を行なっています。いわゆる「ルフィ」事件でフィリピンの刑務所が「悪人の楽園」などと流布されていますが、一方で日本の刑事施設が収容者の人権をどのように扱っているかも、この機会にこそ問われるべきだと考えています。「紙の爆弾」は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

「紙の爆弾」編集長 中川志大

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2022年末、安保3文書の改定が閣議決定されました。ただし、本誌がたびたび問題提起してきたように、これは降ってわいたものではありません。岸田文雄首相は今年1月にさっそく訪米し、“成果”をバイデン大統領に報告します。一方で、昨年12月にはウクライナのゼレンスキー大統領が電撃訪米。ただしゼレンスキー大統領の場合、眼前の戦争に関して軍事的協力を求める目的がはっきりしています。岸田首相はいったい何をしに行くのか。まさにアメポチとしか言いようがありません。

 

1月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

「専守防衛」の政策転換という問題とともに、その背後の国民世論形成についても、本誌2月号記事は重点を置いて分析しました。たしかに防衛費倍増の財源は問題です。所得税・法人税は市民の経済活動にともない徴税されるもの。たばこはやめられても、こちらは避けられるものではなく、強制的な戦争協力と言って過言ではありません。旧統一教会の問題がかまびすしいなか、宗教法人課税をここで俎上にあげてみてはどうでしょうか。だいたいの宗教は平和を看板に掲げているもので、有意義な議論が展開されるのではと思います。

話を戻すと、マスコミでは財源が問題とされても、軍事増税の前提である“有事の危機”がつくられたものである、あるいは軍事以外の方法で解消すべきであることには、ほとんど触れられていません。安倍国葬に反対する世論が軒並み50%を超えた一方、敵基地攻撃能力の保有に賛成する世論も50%を超えているのも、マスメディアの世論形成の結果といえます。自衛隊の増強の必要性も強調されているなか、「入隊すれば三食三六五日無料で食べられます」「ひとり一個ケーキ、ステーキがひとり一枚」との自衛隊の説明会の様子が話題になっていました。ネットでは「実は給料から天引きされている」とのツッコミもありましたが、それも含めて今を反映しているように思います。

さらに現在、注目がますます高まるのが、コロナワクチンによる薬害の問題です。2月号では10月に結成会見が開かれた遺族会「繋ぐ会」の活動についてレポートしました。11月25日には同会と超党派議員連盟により、衆議院議員会館で厚生労働省を相手に勉強会を開催、ワクチン接種の中止を訴えています。そのなかでは、福島雅典・京大名誉教授が一部で「10%しかない」といわれる厚労省職員の接種率の開示を求めるシーンもありました。少し調べればわかりそうなものですが、現時点でも厚労省側は開示せず。本誌1月号では免疫低下など、このワクチンの「3つのリスク」を解説。感染防止についても、ファイザー社が実証テストをしていないことが明らかとなっています。接種回数を重ねるほど健康被害のリスクは上がるといわれており、これ以上の接種拡大は避けるべきです。1月号、2月号をあわせてお読みいただければと思います。

戦争準備と国民管理、原発と「環境問題」など、扱うテーマは増えるばかりであるとともに、その一つ一つが身に迫ったものとなっています。今月号も、『紙の爆弾』は全国書店で発売中です。ご一読をよろしくお願いいたします。

『紙の爆弾』編集長 中川志大

月刊『紙の爆弾』2023年 2月号 目次

日本はもう五輪に関わるな「電通のための五輪」がもたらした惨状
逮捕の元電通専務の背後に〝司令塔〟「東京五輪グッズ」めぐり新たな汚職疑惑
自公野合「軍拡政策」とバーター 創価学会・公明党 救済新法〝骨抜き〟の重いツケ
旧統一教会被害者救済法「ザル法」に賛成した立憲民主の党内事情
東日本大震災を越える「ワクチン死」コロナワクチン遺族「繋ぐ会」の訴え
防衛増税に自民党内の反発 それでも首相に居座る岸田文雄の皮算用
メディアの政権協力を暴く 戦後軍事政策の大転換は自公野合のクーデター
戦需国家・米国への隷従を具現化する改定三文書 世論操作と情報統制で進む対米一体化の「戦争準備」
右も左もまともな分析なし 中国共産党第20回大会は何を示したか
中世の残滓 絞首刑は直ちに廃止すべきである
日本を操る政治とカルトの蜜月 旧統一教会とCIA・KCIAの関係
全体主義を求める現代社会 市場原理主義というカルト
ジャニーズ事務所と〝文春砲〟のバトル 2023年芸能界 越年スキャンダル
シリーズ 日本の冤罪34 二俣事件
弱者に寄り添い続けた ジャーナリスト・山口正紀さんを悼む

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け 西田健
「格差」を読む 中川淳一郎
ニュースノワール 岡本萬尋
シアワセのイイ気持ち道講座 東陽片岡
キラメキ★東京漂流記 村田らむ
裏から世界を見てみよう マッド・アマノ
権力者たちのバトルロイヤル 西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

1月7日発売! 月刊『紙の爆弾』2023年2月号

毎年恒例の1年の総集編ですが、わたし自身があまり記事を書かなかったこともあって、扱ったテーマが絞られます。というよりも、政局の動きや経済の分析をドラスティックに覆す事件によって、焦点がおのずと絞られてしまったと言えるのではないでしょうか。事件があまりにも強烈すぎました。

ロシアのウクライナ侵攻、および安倍晋三元総理銃殺事件です。

◆18世紀型の戦争に驚嘆する

すでに昨年末から、オリンピック明けにロシアがウクライナに侵攻する観測はあった。マイダン革命からクリミア併合、ドンバス紛争と8年にわたって繰り広げられてきた内戦に、ロシアが公然と介入する。かつてのベトナム戦争、アフガン戦争を想起させたものだ。

だが、ふたを開けてみると北部からキーウへ、黒海から南部諸州へ、そして紛争地である東部にも20万をこえるロシア軍が殺到したのだった。もはや地域紛争ではなく、全面的な総力戦といえる。のちに明らかになったことだが、この緒戦の3方面からの侵攻がロシア軍の戦力を分散し、各個撃破される原因となったのだ。驚愕の全面戦争は、ロシアの戦力と国力を越えていた。

当初われわれは、アメリカNATOによるロシア圧迫が、もっぱら産軍複合体の要請による、いわば数年に一度は戦争をしなければならない事情によるものと考えた。このアメリカによる戦争論は、現在も謀略論として流布されている。

「風雲急を告げる、ウクライナ戦争の本質 ── 戦争をもとめる国家・産業システム」(2022年2月23日)

ところが、プーチンという人物を詳しく知る中で、現代のヒトラーというべき独裁者だと判ってきた。クリミア併合でG8から排除されて以降、ロシア帝国の復活を夢見てきたことも。

考えてみれば、プーチンが政権に就いた時期の、謎の爆破事件は、1933年のドイツ国会議事堂炎上事件(共産主義者の犯行とされた自作自演)に匹敵する謀略だった。まさに「たいていの人間(大衆)は小さなウソよりも大きなウソにだまされやすい」(ヒトラー『我が闘争』)を21世紀に実行してみせているのがプーチンなのだ。

「核兵器使用を明言した妄執の独裁者、ウラジーミル・プーチンとは何者なのか? ── 個人が世界史を変える可能性」(2022年2月26日)

「第三次世界大戦の危機 プーチンは大丈夫か?」(2022年3月14日)

ウクライナ戦争の実態は、剥き出しの古典的帝国主義戦争である。20世紀的な帝国主義戦争どころではない、プーチンは18世紀のピョートル大帝やエカチェリーナ女帝の拡張主義を賛美し、実践しようとしていることが判明したのだった。

したがって破壊はもとより、虐殺や略奪、性犯罪など、あらゆる戦争の悪が露呈している。18世紀的な戦争犯罪は、21世紀の国際法において裁かれるべきであろう。
そのいっぽうで、第三次世界大戦の危機は左派勢力のなかにも混乱をもたらした。とりわけ反戦主義にどっぷりと浸かった新左翼系の反戦市民運動において、アメリカ主導の戦争と規定することで、プーチンの開戦責任を免罪する傾向が顕著となったのだ。

そのバリエーションは、ユダヤ財閥を基点とするディープ・ステートによる謀略、レーニン1914年テーゼ「自国帝国主義打倒」、米ロの代理戦争論、社会主義の祖国ソ連を懐かしむ反米帝論などさまざまだ。

「ウクライナ戦争への態度 ── 左派陣営の百家争鳴」(2022年4月26日)

◎「ウクライナ戦争をどう理解するべきなのか
〈1〉左派が混乱している理論的背景(2022年5月5日)
〈2〉帝国主義戦争と救国戦争の違い(2022年5月13日)
〈3〉反帝民族解放闘争と社会主義革命戦争(2022年5月19日)
〈4〉民族独立と救国戦争(2022年6月8日)

個人的には理路整然と、何とか問題を整理しようとした末に、対外的な論争(党派を名指し)にも挑みました。一般社会とは隔絶された「新左翼」の論争です。興味のある方は、左翼の伝統文化顕彰としてお読みいただければ幸甚です。

「『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください〈後編〉」(2022年10月26日)

だが前述したとおり、21世紀の今日、無法な戦争の発動者を人類と平和の名において裁かない理由はない。かつて第二次大戦のドイツ占領下のワルシャワで、国内軍とレジスタンスが蜂起したとき、双方で処刑の応酬になった。

このワルシャワ蜂起に対して、呼応するはずのソ連軍がなぜか待機し(カチンの虐殺いらい、ソ連はポーランドを完全に属国化する計画だったとされる)、レジスタンスはナチスのSS軍団に抑え込まれる。さらなる処刑(虐殺)が行なわれんとするときに、イギリス放送が「無法な処刑は戦争犯罪になる」と警告宣伝したのだった。いらい、ナチスの虐殺は一時的にせよ止んだ。

その意味では、国際的な法的キャンペーン(戦争犯罪の警告)が虐殺を止める効果を持っているといえよう。

Резня – военное преступление, не убивайте ! (虐殺は戦争犯罪だ 殺すな!)

これをSNSに発信するだけで、戦争における虐殺は抑えられる可能性がある。

「戦争の長期化は必至 ── 犯罪人プーチンとロシア軍が裁かれる日」(2022年6月18日)

ところで、日本ではウクライナ戦争が台湾有事とリンクして語られている。ひとつの中国を国際社会が認めているとはいえ、武力による現状変更はゆるさない。香港において、ウイグルにおいて、民主主義を圧殺している中国共産党の独裁的な支配に反対し、台湾の自治を擁護する立場。

あるいは沖縄をはじめとする、日本を舞台に中米が軍事対決するのに反対する。戦争一般に反対する立場もふくめて、日本人の政治的な立場が問われるであろう。
そのような中で、ロシアが日本侵略の計画を検討していたことが明らかになっている。これまで、一部のロシア議員が発言してきたのとは違う、驚愕するべき事実の一端が明らかになっている。

ロシア連邦保安庁(FSB)の関係者がリークした電子メールによって、プーチン政権はウクライナ侵攻を開始する数ヵ月前、日本に攻撃を仕掛ける計画を立てていたらしいことが判明したというのだ。

奉じたのはスペインの流行系のサイトだが、純粋に軍事的な検討が行なわれるのは、ある意味で当然と言えるのかもしれない。ロシアは「国防のために」ウクライナに侵攻したのだから。

◆安倍元総理射殺事件の愕き

ウクライナ戦争と原材料不足による物価高が憂慮されるなかで、参院選挙が行なわれた。結果は維新の会や参政党など「ゆ党」の躍進だった。既成野党(立民・共産・社民)の後退と「ゆ党」の躍進は、政治および政治家に賞味期限があることを改めて知らしめたといえよう。

そのような中で、歴史的な事件は起きた。安倍晋三元総理が銃撃され、死亡したのである。あらためて、哀悼の意を表したい。本通信も、不肖わたくしをはじめ論者たちが安倍批判をくり返してきた。だが、安倍なんか死んでもいいとは、けっして書いてこなかったように、言論による闘い以外に、われわれが手にする武器はない。あらためて、演説中の政治家を銃撃する暴挙を、語をつよめて批判するものです。

「追悼 安倍晋三元総理大臣」(2022年7月11日)

さて、同時期に世界史的な人物が逝去した。エリザベスⅡ世が亡くなったのだった。女王が君臨した時代は、大英帝国の植民地支配が終焉する時期であった。それゆえに、過酷な植民地支配への癒しが治世の要件となった。

いまもなお、ポストコロニアルの世界にあって、英連邦からの離脱をもとめる動きはつづいている。ウクライナ戦争に見られるように、21世紀は民族の自決と自治へと、旧世紀を克服するムーブメントが世界史的なテーマなのかもしれない。

イギリスと日本の国葬において、際立って違っていたのは伝統文化の厚みだった。明治以降、欧米化する流れの中で伝統文化を見失ったわが国は、警備陣が剥き出しの威力を見せつけることで、国葬を刺々しいものにしてしまった。国論を二分したことよりも、そもそも警備の威力で実現される葬儀とは何なのだろうか。レポートにおいても、この点を強調したかった。

「エリザベス女王追悼と安倍国葬 元総理の業績と予算への疑義」(2022年9月11日)

「《9.27 TOKYO REPORT》安倍晋三国葬儀 ── 英エリザベス女王国葬との痛々しいほどの落差で際立った伝統文化の貧困と過剰警備のグロテスク」(2022年9月28日)

ところで、安倍元総理射殺事件は旧統一教会問題、すなわち政治と宗教の問題を俎上にあげた。このテーマについては「2022年をふり返る(社会編)」で顧みたい。政教分離という、わかっているようでわかっていない議論である。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2023年1月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年冬号(NO NUKES voice改題 通巻34号)

終刊のお知らせだった記事の後半ですが、新たな創刊(『情況』第6期)のお知らせとなりました。68年に創刊し、「新左翼の老舗雑誌」と呼ばれてきた『情況』が、来年1月に第6期を創刊することを、謹んでお知らせいたします。これまで同様のご支援、ご愛読をいただければ幸甚です。

 

『情況』2022年夏号

本稿の前半では、中核派と共産同首都圏委員会の「米帝の戦争論」批判を紹介してきた(『情況』7月発売号の拙稿を抄録)。

ウクライナ戦争はロシアの侵略戦争であって、アメリカ・NATOは参戦していない。したがって、共産同首都圏委の「帝国主義間戦争」論は、ゼレンスキー政権が傀儡政権でなければ成り立たないと批判したのだった。

戦争と革命という、一般の読者から見れば浮世離れした議論かもしれないが、新左翼の論争とはこういうものだと。覗き見をしたい方はどうぞお読みください。

◆首都圏委員会の論旨改竄(論文不正)

この「侵略戦争論」と「帝国主義間戦争論」は現在、新左翼・反戦市民運動をおおきく二つにわけている。ところが、相手を名指しで批判(論争)しているのは革マル派(中核派の小ブル平和論の傾向を批判)、革共同再建協議会(いわゆる関西中核派=中核派のウクライナ人民の主体性無視・帝国主義万能論を批判)だけであり、論争らしいものにはなっていない。

『情況』は左派系論壇誌として、この論争・議論のとぼしい路線的分岐という運動状況に、一石を投じるものとして「特集解説 プーチンのウクライナ侵略戦争をどう考えるか? 真っ二つに割れた日本の新左翼・反戦運動」を、15頁にわたって掲載したのだった。

とくに帝国主義間戦争論を前面に掲げた、共産同首都圏委員会(「radical chic」44号)には、前回抄録紹介したとおり、全面的な批判を行なった。

ここまで批判しつくされたら、さすがに反論は出来ないであろうという読者の評判だった。だが腐っても、組織ではなく理論に拠って立つブント系党派である以上、沈黙することはないであろう。と思っていたところ、反論らしきものが出た。わたしの解説に対する正面からの批判ではなかったが、「radical chic」(46号・以下引用は号数で記す)に、「早川礼二」の筆名で「『情況休刊号』のコラムを読む」という文章が公表されたのだった。その意気やよし。

まず笑わせてもらったのは、本文15頁・1万8000字にわたる「特集解説」(二部構成で、目次付き)を、「コラム」と称していることだ。解説の筆者も「文責・編集部横山茂彦、編集協力・岩田吾郎」と明記しているにもかかわらず、早川は「コラム筆者」としているのだ。

つまり、自分たちが全面的な批判にさらされたのを何とか覆い隠し、コラムで扱われた程度のことにしたい、のであろう。その心情には、こころから同情する。

だが、論文作法としては、他者の記事や論文を引用するのであれば、タイトルと筆者を明記しなければならない。これをしないので困るのは、読者が容易に出典を引けないからだ。早川が雑誌情況の「コラム」と一般名称にしてしまっているので、読者は『情況』の30本前後ある記事の中からタイトルをもとには探し出せない。そもそも当該の論攷は「解説」であって、いわば雑誌の論説記事である。コラム(囲み記事)ではないのだ。原稿用紙換算45枚、大仰な目次まで付いたコラムなど、どこの雑誌にあるというのだろうか。まぁでも、これはどうでもいいだろう。

問題なのは、批判する相手の論旨を「改ざん」していることだ。他者の文章を引用する場合は、それが部分的なものであっても、絶対に論旨を改ざんしてはならない。これは論文だけでなく、文章を書く上での大原則である。

論旨の改ざんは論点をずらし、議論を成り立たなくする。それはもはや議論ではなく、論争をスポイルする不正な作為である。

蛇足ながら、他者を批判するときに、論証をともなわない批判は、単なる誹謗中傷となる。素人の文章にありがちな傾向である。

それでは、早川礼二による「特集解説」の論旨改ざん、みずからの文章の改ざんを具体的に見てゆこう。

◆核になるフレーズの削除で、180度逆の結論に

早川礼二は云う。

「コラム筆者は『米軍が直接参戦していない以上、首都圏委の言う「帝間戦争論」は成り立たない』とし、『反帝民族解放闘争の独自性を承認するのは、国際共産主義者の基本的責務である』と批判する」

「第一の疑問は、コラム筆者がウクライナ戦争で米軍が果たしている役割については触れようとしないことだ。米帝・NATOによるロシア封じ込め、米帝と結託したゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という。」

早川の愕くべき論旨改ざんは「米帝が直接参戦していない以上」の前にある、わたしのフレーズ「ゼレンスキー政権が米帝の傀儡でなければ」を意識的に削ったことだ。このことで、わたしの主張の結論は180度ちがってくる。

首都圏委を批判するわたしの問いの冒頭は「それでは問うが、この戦争が帝国主義間戦争であれば、ゼレンスキー政権は米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして、打倒対象になるのではないか?」なのである。

つまりここからは、ゼレンスキー政権が傀儡政権であれば、帝国主義間戦争は成立する、という結論がみちびかれる。それが誤った認識であれ、論としてはいちおう成立する。早川は論旨の改ざんに手を染めることで、みごとに180度違う結論を偽造したのだ。

わたしは帝国主義間戦争論が成り立たないと批判しているのではなく、ゼレンスキー政権の階級的な性格を明らかにせよ、傀儡政権として打倒対象なのか否か、と指摘していたのだ。

早川はこの質問には答えられないまま、「ロシア帝国主義による明らかな侵略戦争」であることを前面に主張しつつも、「かつ米帝・NATOによる帝国主義間戦争」だと、さらに言いつのる。くり返すが、ゼレンスキー政権が米帝・NATOの傀儡でなければ、代理戦争としての帝国主義間戦争論が成立しないのは言うまでもない。

いっぽうで「ロシアの侵略戦争」ならばなぜ、ウクライナ人民の救国戦争(民族解放闘争)を評価できないのか。「この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争」(44号)としていた早川は、ウクライナ人民の救国戦争への連帯には、けっして心がおよばないのである。

およそ革命党派のしめすべき指針は、打倒対象と連帯するべき味方を明確にすることだ。ゼレンスキー政権を支持するウクライナ人民、ロシア帝国主義の侵略と戦うウクライナ人民への連帯を承認・支持できないがゆえに、早川の帝間戦争論は砂上の楼閣のごとく崩壊するのだ。

いま、全世界でウクライナ避難民が抗露戦争への支援を訴え、あるいはロシア連邦からの政治難民(ブリヤート人など)が「プーチンストップ!」を訴えている。抽象的な「世界の被抑圧人民・プロレタリアートと連帯」(46号・早川)などという抽象的な空スローガンではなく、具体的な指針を示すべきなのだ。現にロシア帝国主義と戦っているウクライナ人民との連帯、かれら彼女らがもとめる軍事をふくむ支援なのだと。

「あらゆる〈戦争国家〉に反対する」(44号・早川)も市民運動の理念としてはいいだろう。だが、首都圏委は革命党派なのである。そもそも民族解放戦争の大義、社会主義革命戦争の大義を語れなくなった党派に、共産主義者同盟の名を語る資格があるのか。この党史をめぐる議論に乗って来れない首都圏委には、稿をあらためてブント史論争として、議論のステージを準備したいものだ。

◆論旨の改ざんは、論争の回避である

さて、上記の引用中で早川は、もうひとつ大きな改ざんを行なっている。

「(横山の主張は=引用者注)ゼレンスキー政権の軍事的挑発に触れることが『プーチンの開戦責任を免罪することになる』という」(46号・早川)。

「触れる」? そうではなかったはずだ。44号論文から再度引用しよう。

「米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより二〇一五年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事態を招いた直接的な原因」だと。

ハッキリと、ゼレンスキー政権の強硬策が「直接的な原因」だと述べているではないか。「要因(factor)」などではなく「直接的な原因(direct cause)」だ。

「直接的な原因」とした以上、プーチンのウクライナ侵攻は「結果」にすぎないことになる。これが「プーチンの開戦責任の免罪」でなくて何なのか。

開戦の責任をプーチンにではなく、ゼレンスキーにもとめていた早川は、「直接的な原因」を「触れる」と言い換えることで、自分の論旨を改ざんしたのだ。

まともに論争をしようと思えば、自分の前言撤回も厭うべきではない。そこに相互批判による議論の深化があるからだ。論軸をずらさずに、誠実に議論することで新しい理論的地平も切り拓けるのだ。今回の早川の改ざんは、論争を回避する恥ずべき行為だと指摘しておこう。

◆太平洋戦争の原因は「ABCD包囲網」か?

かつて日本帝国主義は、中国戦争における援蒋ルート(蒋介石政権への欧米の支援=4ルート)を封じるために、フランスが宗主国だったインドシナに進駐した(仏印進駐・1940~1941年)。これに対して、アメリカ・イギリス・オランダが政治経済にわたる包囲網を敷いたのだった。この三国と中国をあわせて、日本に対するABCD包囲陣と呼ばれたものだ。

とりわけアメリカの対日石油禁輸が、日本経済を苦しめた。追いつめられた日本は、真珠湾攻撃をもって開戦に踏み切ったのである。これを歴史修正主義者は「アメリカが日本を戦争に追い込んだ」とする。まさに共産同首都圏委の主張(米帝・ゼレンスキー原因論)は、旧日本帝国主義を弁護するネトウヨなど、歴史修正主義者のものと同じ論理構成だと言えるだろう。

だが、ABCD包囲網をつくり出したのは、ほかならぬ日本帝国主義の中国侵略、傀儡国家(満州国)の建国にある。ウクライナにおいても、ロシアによる2014年のクリミア併合以降、欧米のウクライナ支援ロシア包囲陣が生じたのは、ほとんど日中戦争と同じ政治構造である。

1994年のブタペスト合意でのウクライナの核放棄(世界で三番目の核保有国だった)、ロシア・アメリカ・イギリスをふくむ周辺諸国の安全保障が、もっぱらロシアによって反故にされたこと。すなわち、兵士に肩章をはずさせたロシア軍による、クリミア・ドンバスへの軍事的圧迫が、ウクライナ人民をして、マイダン革命をはじめとする反ロシア運動の爆発となって顕われ、欧米の支援が「東方拡大」のひとつとして顕在化したのである。ロシアによるクリミア併合・東部・南部諸州併合は、日帝の満州国建国と比して認識されるべきものだ。

このような流れの中では、首都圏委が金科玉条のごとく持ち出す「ミンスク合意」(二次にわたる)は、ロシア軍が介入した内戦停止のための休戦協定にすぎないのである。何度ミンスク合意がくり返されても、ロシア帝国主義のウクライナ侵略は終わらない。なぜならば、ロシアはウクライナそのものを併合・併呑しようとしているからだ(プーチン演説)。

◆改ざんだけでなく、誤記満載の「反論」

共産同首都圏委員会は、わたしへの「反論」の中で、いくつかの論点を新たに提示している。ひとつは、わたしが主張した反帝民族解放闘争への疑義である。

中井和夫(ウクライナ史)の『ウクライナ・ナショナリズム』(版元は岩波書店ではなく東京大学出版会)から引用して、民族自決への疑問をこう呈している。

「中井も『国家の急増』が国際社会に与えてきている負荷・コストの大きさ」に触れ「民族自決」を「民族自治」にかえていくことと「他(ママ→多)民族の平和的統合の政治システムとしての連邦制の可能性」を論じている。(46号・早川)

そうではない。この「民族自治」と「連邦制」こそが、ソ連邦時代の「民族の牢獄」を形づくってきたものなのだ。中井和夫がいみじくも「帝国の復活を現代考えることは無理である」とする前提を見落として、早川が「民族自治」に着目することこそ、プーチンの帝国のもとにウクライナ人民をはじめとする諸民族を封じ込める発想。すなわち民族解放闘争の否定にほかならない。

レーニンの「分離の自由をふくむ連邦」を継承しながらも、スターリン憲法およびそれを継承したロシア連邦憲法は、分離の手続きの不備によって、事実上独立をゆるさずに、諸民族の自治に封じ込めてきたのだ。プーチンのクリミア併合以降は、領土割譲禁止条項によって、分離そのものが違法となったではないか。

ソ連邦の崩壊後のなだれ打った旧ソ連邦内国家の独立は、米・NATOの東方拡大だけではなく、東欧人民の反ロシア革命(民族独立革命および人民民主主義革命)だった。首都圏委が暗に主張する帝国主義の陰謀ではなく、これが人民による民族自決の体現にほかならない。

その反ロシア革命の動因は、膨大なエネルギー資源をもとにした軍事大国による圧迫への抵抗であり、世界最大の核兵器保有国による覇権支配への人民の恐怖と大衆的反発である。つまりロシアの帝国主義支配への民族的な抵抗なのである。したがって、21世紀のいまも帝国主義と民族植民地問題として、20世紀型の戦争と革命が継続しているといえよう。いや、プーチンにおいては18世紀型の帝国なのである。

70年代なかばのベトナム・インドシナ三国の反帝民族解放戦争の勝利、社会主義革命戦争とウクライナ戦争を比較して、早川は自信のなさそうな書き方でこう提起する。

「端的に言って、米ソ冷戦体制の下、帝国主義の植民地支配からの独立をめざしたベトナム人民の民族解放闘争と、グローバル資本主義が全世界を蓋い(ママ)、〈戦争機械〉と結託した帝国主義諸国の利害が複雑に絡み合いつつ、国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化する時代のウクライナ戦争を、同列に論じることはできないのではないか。」(46号・早川)。

長いセンテンスで現代世界の複雑さを強調したからといって、何ら説得力があるというものではない。ベトナム戦争とウクライナ戦争の違いを、早川は上記の文章以上に論証することができないはずだ。

なぜならば、ベトナム・インドシナにおけるフランスの植民地支配、のちにはアメリカの介入を、現在のウクライナ戦争におけるロシアに置き換えれば、まったく同じ政治構造だからだ。ソ連のアフガニスタン侵攻、アメリカのイラク侵攻もまったく同じ、帝国主義の覇権主義的侵略戦争である。

第一次大戦以降、列強の利害は複雑に絡み合い、第二次大戦以降も、そして現在も、米ロをはじめとする帝国主義は「国境を越えて介入し他国の支配階級と結びついて暗躍し、権益拡大のために他国を容赦なく戦場化」(早川)しているのではないのか。

そして帝国主義の侵略が、ほかならぬ人民大衆の闘いと民族自決の奔流に強要された、悪あがきであることに着目できないからこそ、早川は現代世界の複雑さだけを、論証抜きで強調したくなるのだ。そこには大衆叛乱への信頼や共感は、ひとかけらもない。

それにしても、上記の引用における誤記・版元の誤り(別掲文献の版元名も間違えている)をみると、早川の論旨改ざんは意識的なものではなく、文章そのものを正確に判読できていない可能性もある。首都圏委においては、この頼りない主筆に代わり、組織的な討議を経た文章で、改ざんの釈明および誤記・版元間違いを訂正してもらいたものだ。

◆ウクライナ戦争はロシアの敗北でしか決着しない

いま求められている戦争の停止、もしくは終了がどのように展望できるのか。降伏の勧めや無防備都市の提案は、そのままロシアへの隷属・大量処刑を意味する。だが現実的ではないにせよ、すくなくとも具体的である。

もっとも具体的なのは、ゼレンスキー政権とウクライナ人民が、侵略者ロシアを国境の外に追い払うことである。いまそれは、第三次大戦の危機をはらみながらも、実現に向かっている。

ところが、あらゆる〈戦争国家〉に反対し、ゼレンスキー政権と闘うウクライナ人民(どこにいるのか?)に連帯するべきだと、首都圏委は呼び掛けるのだ。

ロシアの侵略に反対し、米帝・NATO・ゼレンスキー政権の戦争政策に反対する、世界プロレタリアートと連帯せよという。このきわめて原則的な反戦運動の呼びかけはしかし、現実に有効な階級闘争ではない。かれらの頭の中に創造された、死んだ抽象にすぎないからだ。

そして、現実のウクライナ戦争をになっている人民を無視するばかりか、ウクライナ人民の戦争支援の要求(兵器の供給)に反対しているのだ。このままでは、プーチンの侵略戦争の代弁者となり、ウクライナ人民の反帝救国戦争の敵対物に転落するしかないと指摘しておこう。

なお、1月創刊の『情況』第6期においても、ウクライナ戦争論争を他の論者を招いて掲載する予定である。われわれの「解説」の評価(賛意)や、早川礼二の民族解放闘争への不理解を指摘する声も上がっている。乞うご期待。(了)

◎『情況』第5期終刊と鹿砦社への謝辞 ── 第6期創刊にご期待ください
〈前編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44351
〈後編〉http://www.rokusaisha.com/wp/?p=44456

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

『紙の爆弾』と『季節』──今こそタブーなき鹿砦社の雑誌を定期購読で!

わたしが編集長を務めていた雑誌『情況』が休刊しました。この場をかりて、読者の皆様のご支援に感謝いたします。同時に、広告スポンサー(表3定期広告)として支援いただいた鹿砦社、および松岡利康社長のご厚情に感謝するものです。ありがとうございました。こころざしの一端を等しくする鹿砦社のご支援は、いつも勇気を与えてくれる心の支えでした。

 

『情況』2022年夏号

なお、情況誌第6期が若い編集者を中心に準備されています。時期はまだ未定ですが、近い将来に新しいコンセプトを背負った第6期創刊が達成されるものと熱望しています。そのさいは、変わらぬご支援をお願いいたします。

さて、総合雑誌の冬の時代といわれて久しい、紙媒体構造不況の昨今。しかし専門的雑誌は、いまも書店の棚を飾っています。

ということは、21世紀の読者がもとめているのが総合雑誌ではなく、シングルイッシュー(個別課題的)に細分化されたニーズであるのだと思われます。

その意味では、ロシア革命100年、68年特集、連合赤軍特集といった、社会運動に特化した特集が好評を博し、このかんの情況誌も増刷という栄誉に預ったものです(増刷による在庫過多という経営的な判断は別としても)。

いっぽう、情況誌(というよりも左派系紙媒体)に思いを寄せてくれる研究者や論者、たとえば五木寛之さんなども「少部数でも、クオリティ雑誌をめざすという手があるのではないですか」と、ご助言くださったものです。

クオリティ雑誌といえば、高級商品の広告を背景にしたお金持ち相手の趣味系の雑誌や男性ファッション誌などしか思い浮かべられませんが、フランスの新聞でいえば「リベラシオン」(大衆左派系雑誌)に対する「ルモンド」のイメージでしょうか。人文系では岩波の「思想」や「現代思想」「ユリイカ」(青土社)あたりが情況誌の競合誌となりますが、学術雑誌(紀要)よりもオピニオン誌系をめざしてきた者にとっては、やはり左右の言論を縦断した論壇ステージに固執したくなるものです。

新しい編集部がどんなものを目指すのか、われわれ旧編集部は決定には口を出さず、アドバイスも控え目に、しかし助力は惜しまないという構えです。

さて、結局いろいろと模索してきた中で、新左翼運動の総括や政治革命、戦争への左派の態度など、おのずと情況誌にもとめられるものがあります。ちょうど50年を迎える「早稲田解放闘争」「川口君事件」つまり内ゲバ問題なども、他誌では扱えない困難なテーマで、本来ならこの時期に編集作業に入っていてもおかしくないはずでした。このあたりは、残された宿題として若い人を主体に考えていきたいものです。

もうひとつ、第5期の終刊にあたって心残りなのは、ウクライナ戦争です。いよいよロシアが占領地を併合し、侵略の「目的」を達しようとしている情勢の中で、早期終結を提言するべきだが、ウクライナ人民にとっては、停戦は「緊急避難」(ミンスク合意の焼き直し)にすぎないはずです。その意味ではロシアが併合を「勝利」として、停戦に応じたからからといって、プーチンの戦争犯罪が許されるわけではない。

また、ウクライナ戦争は台湾有事のひな型でもあり、日本にとっても重大なテーマと言えましょう。そこで、情況誌第5期休刊号において、新左翼・反戦市民運動の混乱(大分裂=帝国主義間戦争か侵略戦争か)について、解説記事をまとめて掲載しました。その核心部分を紹介することで、本通信の読者の皆さまにも問題意識を共有いただければ幸甚です。

なお、新左翼特有の激しい批判、難解な左翼用語まじりですが、ご照覧いただければと思います。筆者敬白

◆休刊号掲載のウクライナ論争

まずは記事の抄録です。中核派批判から始まり、筆者も過去に関係のあったブント系の分派(共産同首都圏委員会)の批判につづきます。

『情況』2022年夏号 21p-22p

 

『情況』2022年夏号 23p

【以下、記事の抄録】

中核派はこのように主張する。

「ウクライナ戦争は、『プーチンの戦争』でも『ロシア対ウクライナの戦争』でもなく、本質的にも実態的にも『米帝の戦争』であり、北大西洋条約機構(NATO)諸国や日帝も含む帝国主義の延命をかけた旧スターリン主義・ロシアに対する戦争であることが、ますます明らかになっている」(「前進」第3242号、5月2日「革共同の春季アピール」)と。

アメリカとNATO、そして日本までがウクライナ戦争に参戦し、ロシアに戦争を仕掛けているというのだ。事実はちがう。日本は北方開発と漁業でロシアと協商しているし、アメリカは武器支援にこそ積極的だが、軍隊を送り込んでいるわけではない。中核派は政治的な深読みである「米帝の戦争」を強調するあまり、プーチンの犯罪(開戦責任)を免罪してしまっているのだ。

中核派の「アメリカ帝国主義の戦争」を的確に批判しているのが『未来』(第342号、革共同再建協議会)である。革共同再建協議会はこう断じる。

「彼らは、今回のロシアの侵略戦争を米帝バイデンの世界戦争戦略が根本原因で、『米帝・バイデンとロシア・プーチンの代理戦争』と言い、さらには『米帝主導の戦争だ』とまで言う。そこには米帝の巨大さへの屈服はあっても、ロシア・プーチンの侵略戦争への批判は一切ない」と。

「プーチン・ロシアからの解放を求めて闘うウクライナ人民の主体を全く無視している。彼らの『代理戦争』の論理は、帝国主義とスターリン主義の争闘戦の前に、労働者階級や被抑圧民族は無力だという帝国主義と同じ立場、同じ目線であるということだ。ロシア・ウクライナ関係、ウクライナ内部にも存在する民族抑圧・分断支配に接近し、マルクスのアイルランド問題への肉迫、レーニンの『帝国主義と民族植民地問題』を導きの糸に解決していこうとする姿勢はない」と、厳しく批判する。

まがりなりにも「帝国主義間戦争」と言い切っているのは、共産同首都圏委員会である。だが米帝とゼレンスキー政権の強硬策が直接的な原因だとして、これまたプーチンの開戦責任を免罪するのだ。云うところを聴こう。

「この戦争の基本性格はウクライナを舞台とした欧米とロシアによる帝国主義間戦争であり、米帝・NATOの東方拡大によるロシアの軍事的封じ込め政策、多額の軍事支援とテコ入れにより2015年の『ミンスク合意』を無視してウクライナ東部のロシア系住民居住区域への軍事的圧迫と攻勢を強めたゼレンスキー政権の強硬策がロシアを挑発し、今日の事熊を招いた直接的な原因」(「radical chic」第44号、早川礼二)であると。

それでは問うが、この戦争が帝国主義間戦争であれば、ゼレンスキー政権は米帝の傀儡政権・買弁ブルジョアジーとして、打倒対象になるのではないのか? ベトナム・インドシナ戦争におけるグエン・バン・チュー政権、ロン・ノル政権と同じなのか。旧日本帝国主義の中国侵略戦争における、汪兆銘政権と同じなのだろうか。

「ゼレンスキー政権の民族排外主義、ブルジョア権威主義独裁に頑強に抵抗しつつ、ロシアの帝国主義的侵略に立ち向かうウクライナの人々に連帯する。ブルジョア国家と労働者人民を峻別することは我々の原則であり、自国も含めたあらゆる〈戦争国家〉に抗う労働者人民の国際連帯こそが求められている。」(前出)と云うのだから、わが首都圏委においては、戦争国家のゼレンスキー政権打倒がスローガンになるようだ。

だが今回の戦争の本質は、ロシア帝国主義の侵略戦争とウクライナの民族解放戦争である。抑圧された民族の解放闘争が民族主義的で、ときとして排外主義的になるのは、あまりにも当為ではないか。中朝人民における日帝支配の歴史的記憶が、いまだに民族排外主義的な抗日意識をもたらすのを、知らないわけではあるまい。ウクライナ人民のロシア(旧ソビエト政権)支配に対する歴史的な憤懣も同じである。

第一次大戦と第二次大戦も、帝国主義間戦争でありながら、植民地従属国(セルビア=ユーゴ・東欧諸国・フィンランド・中国・インド・東南アジア諸国など)の民族解放戦争という側面を持っていた。

それは支援国が帝国主義国(第二次大戦におけるアメリカの中国支援など)であるとかは、まったく関係がない。反帝民族解放闘争の独自性を承認・支持するのは、国際共産主義者の基本的責務である。

侵略戦争に対する民族解放・独立戦争はすなわち、プロレタリアートにとって祖国防衛戦争となる。それは侵略者に隷属することが、プロレタリアにとっては二重の隷属になるからにほかならない。だから民族ブルジョアジーとの共同闘争が、人民戦争戦術として必要とされるのだ。したがって首都圏委のように「ブルジョア国家と労働者人民を峻別する」ことは必要ないのだ。中国における抗日救国戦争(国共合作)がその典型である。

「民族生命の存亡の危機に当たって、我等は祖国の危亡を回復救助するために平和統一・団結禦侮(ぎょぶ=敵国からのあなどりを防ぐ)の基礎の上に、中国国民党と了解を得て共に国難に赴く」(中国共産党「国共合作に関する宣言」)。

わが首都圏委によれば、マイダン革命も米帝の画策ということになる。そこにはウクライナ人民が民族主義者に騙され、米帝の関与によって政変が起きたとする陰謀史観が横たわっている。世界の大衆動乱はすべて、CIAやダーク・ステートの陰謀であると──。

人間が陰謀史観に支配される理由は、自分たちには想像も出来ない事態を前にしたときに、安心できる説明を求めるからだ。自分たちの経験をこえた事態への恐怖にほかならない。シュタージの一員としてベルリンの壁崩壊に直面して以来、プーチンに憑りついた恐怖心は民衆叛乱への怖れなのである。おなじ恐怖心が首都圏委にもあるのだろうか。

オレンジ革命とマイダン革命に、国務省のヌーランドをはじめとするネオコン、NED(全米民主主義協会)などの支援や画策があったのは事実だが、数千・数万人の大衆行動が米帝の画策だけで実現するとは、およそ大衆的実力闘争を体験したことがない人の云うことだ。おそらく実力闘争で負傷したことも、逮捕・投獄された経験もないだろう。

陰謀史観をひもとけば、ジェイコブ・シフらのユダヤ資本がボルシェヴィキに資金提供したからといって、ロシア革命がユダヤ資本に画策されたと見做せないのと同じである。われわれは大衆の行動力こそ、歴史の流れを決めると考えるが、いまの首都圏委はそうではないようだ。

記事の抄録は以上です。ここからさらに、ブント(新左翼)史に引きつけて、革命の現実から出発してきた共産主義運動の軌跡、ロシアと中国を官僚制国家独占資本を経済的基礎とする覇権主義的帝国主義であると理論展開する。

ここまでボコボコに批判すれば、およそ反論は難しいであろう。この記事を読んだ市民運動家や元活動家の感想はそういうものだった。

しかし、他党派の批判など気にしない中核派(大衆運動が頼み)とちがい、ブント系(組織が脆弱なので理論だけが頼り)において、批判への沈黙は党派の死である。どんな反論をしてくるのか楽しみにしていたところ、それはもの凄いものだった。

なんと、首都圏委員会は相互の論旨を「改ざん」してきたのである。わたしの言い分を部分的に引用することで歪曲し、自分たちの主張も核心部(わたしの批判の核心部)を隠すことで、みごとに(いや、臆面もなく)論軸をずらしているのだ。つまり論文不正を行なったのである。あまりの愕きに、おもわず笑い出してしまったものだ。(愕きと爆笑の後編につづく)

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

◆大きかった安倍国葬反対闘争の意義

7月8日暗殺された安倍元首相の国葬が発表されてから20数日、それに反対し国論を二分して全国的に闘われた国葬反対闘争は、国葬当日の全国数万の反対示威の闘いとともに大きな意義を持ったと思う。

意義の第一は、何よりもまず、反対闘争を行わなかった場合に生まれる、安倍元首相自身の権威付けと歴史的位置付けが国葬するにふさわしいものとして行われるのを阻止したところにあると思う。

国葬は、国と国民のために尽くし、功績があったと認められる人を、国民的合意の下、弔う国家的葬儀だと言える。だから安倍国葬を遂行するということ自体、何よりも安倍元首相自身をそのような人物として国家的、国民的に認めることになる。
「国葬」の是非を問い国論を二分して展開された反対闘争はそれに待ったをかけたという意味で大きな意義があったと言うことができる。

意義の第二は、この反対闘争を行わなかった場合に生まれる、安倍元首相の業績に対する国家的、国民的で歴史的な評価を「国葬」という儀式に準じて高く肯定的に定めるのを阻止したところにあると思う。

安倍元首相の業績を歴史的に高く評価するということは、決して過去の事績への評価を定めるに留まらない。それと関連し、今現在行われている、そして今後行われるであろうすべての政治の評価に関わるすぐれて実践的な意義を持つ。

安倍元首相国葬に反対し、国論を二分して、全国的に熾烈に展開された闘争は、以上のような重大な意義を持っていると思う。

その上で、安倍元首相の国葬反対闘争は、国葬を執り行う岸田現政権の政治にも少なからぬ打撃を与えた。それも、反対闘争が持つ意義だと言うことができるだろう。

実際、岸田政権は、国葬にふさわしくない安倍元首相の葬儀を国葬にすることにより、国論を二分する国民的不信と反発を生み出し、その支持率を大きく落として政権運営を危うくするまでに至っている。


◎[参考動画]【安倍元首相国葬】「最高レベル」の厳戒態勢の中 抗議団体と2時間にわたり衝突も(日テレ 2022/09/27)

◆どう反対するのか、問われたその視点

今回の安倍元首相の国葬反対闘争を行ったこと自体、大きな意義があった。しかし、その闘争内容において少なからぬ問題があったのも事実ではないだろうか。

反対闘争において問題にされたのは、主として、この「国葬」が国葬としての条件を満たしていないというところからだった。

その条件として提起された一つは国葬の手続き上の問題、もう一つは安倍元首相自身が国葬の対象としてはたしてふさわしいかその資格問題だったと言える。

手続き問題としては、まず、戦前の旧帝国憲法とは異なり、現行憲法には国葬についての規定自体がないということ、それでも敢えて「国葬」を強行するというなら、国権の最高機関である国会で「国葬法」を制定するなり、「国葬」を敢行するための一定の手続きが必要だったということ、それを閣議決定というかたちで事を進めたのは、完全に行政権の横暴、独裁だということだった。

次に、安倍元首相が国葬対象としてふさわしいか、その資格問題としては、安倍元首相が政治家として、首相として行ったこと、その業績自体が国葬にふさわしいかが検討された。それとしては、日本を戦争できる国にしたこと、祖父、岸信介を認め、日本帝国主義の侵略の歴史を是認したこと、アベノミクスにより格差を拡大したこと、日朝関係を最悪にし拉致問題の解決をできなくしたこと、等々が挙げられた。

これら安倍国葬反対闘争で提起された視点自体、妥当なことだ。間違ってはいない。しかし、闘争のスローガンに掲げられた「国賊」というには、少し弱いのではないか。と言うより、事の本質が突かれていないように思う。

もちろん、日本を戦争する国にしたこと自体、「国賊」だ。格差を拡大したことも、「国賊」だと言ってもよいだろう。

しかし、安倍元首相が「国賊」だという所以は、そんなところに留まらないのではないか。

◆なぜ「国葬」どころか「国賊」なのか

安倍元首相が「国葬」に値しないどころか、国に害を及ぼした「国賊」だと言った時、そこには、どういう意味が込められているのだろうか。

今から10年前、2012年の8月15日、米シンクタンク、戦略国際問題研究所CSISの第3弾報告、アーミテイジ・ナイ報告が発表された。そこで打ち出されたのが、一言で言って、「強い日本」への米国の強い要求だった。それを契機に始まったアジアに対し強力な指導力を発揮する「強い日本」への日米を挙げての大合唱。そうした中、9月、それまで候補にも挙がっていなかった元首相安倍晋三が、菅氏による数時間にも及ぶ説得もあって、突如自民党総裁に担ぎ出された。その年末、野田民主党政権のまさかの解散。それに続く総選挙での自民党の大勝利。かくして安倍長期政権のスタートが切られた。

それから8年近く、歴代最長の長期政権が何をやったか。それは、第一に、企業がもっとも活躍しやすいようにするのを経済政策最大の目標にしたアベノミクスによる、大量の米国資本の日本流入と全面的な新自由主義構造改革など、日本経済の米国経済への組み込み、第二に、安保法制化と自衛隊の抑止力化による、専守防衛の放棄と敵基地攻撃能力構築など、日米共同戦争を担える日本軍事の米覇権軍事への全面的組み込み、第三に、教育改革による、英語、IT重視と日本史の欧米史への溶解など、グローバル・デジタル人材の育成、等々、日本を経済的、軍事的、そして精神的、全面的にアメリカ化し、今日、岸田政権の下、「米対中ロ新冷戦」の重要な一環として推し進められている「日米統合」のための準備を完了したと言うことができる。


◎[参考動画]日米同盟:これまで以上に重要(CSIS 2018/10/03)

すなわちそれは、言い換えれば、衰退し弱体化した米覇権の回復戦略である「米対中ロ新冷戦」を支えるため、その最前線として日本を米国に統合、一体化し、国としての独自の存在をなくしてしまうためのお膳立てを行ったと言うことだ。

これが日本の国と国民のため尽くし、功績を挙げた人の葬儀を国葬として執り行うために国民的合意を得られることだろうか。「国葬」どころか、その正反対だ。安倍元首相は、よく「国賊」と呼ばれてきたが、その意味がまさにここにこそあることを満天下に明らかにする時が来たのではないだろうか。

そのことを安倍国葬に反対する闘いを通し、全国民的に確認し、安倍元首相が為した「国賊」そのものの「犯行」に基づいて、これから為されていく「米対中ロ新冷戦」とそのための「日米統合」に反対し、それを破綻させるための闘争に活かしていくことが問われていると思う。

そこにこそ、安倍国葬反対闘争の真の意義があるのではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

『抵抗と絶望の狭間 一九七一年から連合赤軍へ』(紙の爆弾 2021年12月号増刊)

『一九七〇年 端境期の時代』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年11月号

米国CIAの別動隊とも言われるNED(全米民主主義基金)が、ロシアの反政府系「市民運動」やメディアに対して、多額の資金援助をしていることが判明した。

 

出典=ベネズエラのTelesur

NEDがみずからのウエブサイトで公表したデータによると、支援金の総額は、2021年度だけで約1384万ドル(1ドル140円で計算して、約19億4000万円)に上る。支援金の提供回数は109回。

米国がロシア国内の「市民運動」とメディアに資金をばら撒き、反政府よりのニュースや映像を制作させ、それを世界に配信させている実態が明らかになった。ウクライナ戦争やそれに連動したロシア内部の政情を伝える報道の信頼性が揺らいでいる。ウクライナ戦争は、メディアと連携した戦争とも言われてきたが、その裏側の疑わしい実態の一部が明らかになった。

良心的なジャーナリストさえ情報に翻弄されている可能性がある。

NEDは、メディアを対象とした資金援助に関して、たとえば次のように目的を説明している。

▼高品質の調査ジャーナリズムに一般の人々がアクセスできる機会を増やすと同時に、そのような報道の存在を広く知らしめる。地域や国際機関による報告に焦点をあてた調査ジャーナリズムを遂行する。その目的を達成するために、デジタルコンテンツを作成する。

▼地域ジャーナリズムの発展を支援し、重要な政治や社会問題に関する独立したニュース源の分析結果を公衆に提供する。 コンテンツは、一般市民に影響を与える政治情勢の展開や人権侵害に対する市民活動などのトピックに焦点を当てたビデオ形式を含み、定期的にオンラインやSNSで発信する。

一方、ロシアの「民主化運動」に対する資金提供については、たとえば次のように目的を説明している。

▼活動家、政治家、公共思想のリーダーを繋ぐネットワークを強化し、ロシアの民主的発展のための国際支援を提唱する。 政治と時事問題に関する専門家による分析を実現する。 客観的で事実に基づいた報告とそれを裏付ける証拠は、(注:ロシア政府が)偽情報キャンペーンで使う中心的な筋書きを正すために使用する。 出版物を世に出し、著者と共に定期イベント、公開プレゼンテーション、各種の集会を開く。それにより、重要な発見事項をテーマとした公開討論を促進する。

▼ロシアの民主化運動を地球規模の連帯で促進する。ヨーロッパの政治家やオピニオンリーダーと活動家の間でネットワークを強化する。 国内の信頼できる独立した情報源を提供して、(注:ロシア政府の)プロパガンダに対抗する。

※以上の出典 https://www.ned.org/region/eurasia/russia-2021/

これらの資金援助の性質から察すると、「市民運動」が反政府運動を展開して、それをメディアが発信する共闘関係が構築されていると想定される。独立系メディアの独立性にも疑問符が付くのである。歪んだニュースが巧みに制作されている可能性が高い。

実際、NEDに関する白書類の中には、「市民運動」のメンバーにNED資金が日当として支払われているという情報もある。たとえば中国外務省が、今年の5月に公表したNEDについての報告(ファクトシート)は、ウクライナにおける「市民運動」について次のように報告している。

2013 年、ウクライナで大規模な反政府デモが起きた。その際にNED は多額の資金を提供して、国内で活動をしている NGOの65団体の活動家、一人ひとりに賃金を支払った。

NEDが絡んでいる国の「市民運動」や独立系メディアの情報は慎重に見極めなければならない。「市民運動」の資金源を確認する必要がある。

◆NEDとラテンアメリカ諸国

今回、明らかになったNEDによるロシアへの約1384万ドルの援助額は、他諸国の反政府運動への資金援助に比べて桁はずれに多額だ。たとえば、下のグラフは、ラテンアメリカ諸国に対するNEDの支援額を示している。

ラテンアメリカ諸国に対するNEDの支援額

最も高額なのは、キューバの反政府勢力に対する支援で、470万ドル(2018年度)である。ロシアへの支援額約1384万ドルはその金額の3倍近くになっている。

◆口実は、他国の「民主主義」を育てること

全米民主主義基金(NED)は、1983年に米国のレーガン政権が設立した基金である。表向きは民間の非営利団体であるが、支援金の出資者はアメリカ議会である。米国民の税金である。

NED設立の目的は、他国の「民主主義」を育てることである。親米派の「市民運動」や特定のメディアなどに資金を提供することで、親米世論と反共思想を育み、最終的に親米政権を設立することを目的としている。その意味では、ウクライナを舞台に展開している代理戦争の裏側で、メディアを巻き込んだこうした戦略が展開されていることに不思議はない。報道されていないだけで、米国による内政干渉の手はロシア国内に延びているのだ。

かつて米国の対外戦略は、軍事力による他国への軍事進行やクーデターを主体としていた。しかし、ベトナム戦争での敗北を皮切りに、その後も軍事作戦の失敗が相次いだ。民主主義に対する国際世論の高まりの中で、米国内でも軍事作戦が批判の的になり始める。そこで従来の直接的な軍事作戦に代って「代理戦争」に切り替える傾向が生まれ、さらにはNEDを通じた「市民運動」や独立系メディアの育成により、他国の内政を攪乱したうえで、クーデターなどを試みる戦略が浮上してきたのである。

NEDについて西側メディアはほとんど報じていないが、非西側諸国では、その行き過ぎた活動が内政干渉として強い反発を招いている。ロシアのケースも同じ脈絡の中で検証する必要がある。マスメディアの情報を鵜呑みしてはいけない。

◎[参考記事]米国が台湾で狙っていること 台湾問題で日本のメディアは何を報じていないのか? 全米民主主義基金(NED)と際英文総統の親密な関係 

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』

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◆「打って出る同盟」── エマニュエル駐日米大使

「打って出る日米同盟に」!

これはエマニュエル駐日米大使が9月2日、東京で開かれた読売国際経済懇話会(YIES)で行った講演のキーワードだ。

 

彼が強調したのは次の二点。

①日米同盟は「守りの同盟」からインド太平洋地域に「打って出る同盟」の時代に入った。

②日本が国内総生産(GDP)比2%を念頭に防衛費増額を検討していることを称賛する。抑止力の一環としての反撃能力の議論は必要だ。

日本の立場から解釈すれば、専守防衛「守り」の自衛隊が攻撃武力保有の「打って出る」自衛隊に変わること、これを日米同盟の義務として行うこと、これが「打って出る日米同盟」への転換の本質だ。言葉を換えれば、国土防衛から外征戦争を行う自衛隊への転換だ。

その中心環には自衛隊の反撃能力保有、敵本土攻撃能力保有が置かれているのは言うまでもない。

一言でいって自衛隊が「守り」から「打って出る」こと、専守防衛から反撃能力保有への転換-これが米中新冷戦で最前線を担うべき「新しい時代」における日本の同盟義務だとエマニュエル大使は明言したのだ。

「ウクライナ戦争」を経験した今、「打って出る同盟」への転換で米国が日本に要求する「同盟義務の転換」とは何か? それが日本の「東のウクライナ化」への道であることを以下で見ていきたいと思う。

◆対中本土攻撃の中距離核ミサイル基地化する日本

 

8月の新聞に「海上イージス艦に長射程弾搭載検討」という記事が出た。また「長射程弾1000発保有」に向けた防衛予算概算要求がすでに立てられている。政府は「長射程弾」と表現をごまかしているが、この「長射程弾」というのは射程1000km、あるいはそれ以上の長射程ミサイル、要するに中距離ミサイルと一般に言われるものだ。

これまで専守防衛の自衛隊には禁止されていた兵器、当然、憲法9条に反するものだ。

昨年、米インド太平洋軍は「対中ミサイル網計画」として、日本列島から沖縄、台湾、フィリッピンを結ぶいわゆる対中包囲の「第一列島線」に中距離ミサイルを配備する方針を打ち出した。米軍の本音は日本列島への配備だ。

計画では米軍は自身のミサイル配備と共に自衛隊がこの地上発射型の中距離ミサイルを保有することも求めており、これを受けてすでに防衛省は地上配備型の日本独自の長射程(中距離)ミサイル開発を決めている。

これらは世論の反発を恐れて隠然と進められているが、先の海上イージス艦に中距離ミサイル配備検討、及び1000発の中距離ミサイル保有が「長射程弾」という言葉のまやかしで着々と現実化させられている。

海上イージス艦配備はあくまで象徴的な「第一歩」に過ぎず、この「長射程弾1000発保有」の実際の狙いは自衛隊の地上発射部隊への全面配備にあることに間違いはない。

これに「核共有論」が加われば、日本の自衛隊基地は中国本土を狙う中距離核ミサイル基地に変貌する。

◆代理戦争方式をとる米国

自民党の麻生太郎副総裁は8月31日、横浜市内のホテルで開いた麻生派研修会で、ペロシ訪台以降の緊迫する台湾情勢を巡り「(対中)戦争が起きる可能性が十分に考えられる」との見解を示した。「与那国島(沖縄県)にしても与論島(鹿児島県)にしても、台湾でドンパチ始まることになったら戦闘区域外とは言い切れない状況になる」と語り、ロシアのウクライナ攻撃の教訓として「自分の国は自分で守るという覚悟がない国民は誰にも助けてもらえない。我々はこのことをはっきり知っておかなければならない」と台湾有事=日本有事に備えることを説いた。

これは米国の同盟国としてその義務をウクライナ以上に積極的に果たせということだ。

ベトナムに続きイラク、アフガンでみじめな惨敗と多大の犠牲を強いられた米国民の厭戦気運は米バイデン政権をしてアジアや欧州での対中ロ戦争を同盟国にやらせる「代理戦争」方式をとらせるようになっている。すでにウクライナでそれは実証済みだ。

対中ロ新冷戦に自己の覇権の存亡をかける米国が日本に要求するのは一言でいって対中代理戦争だ。それを知りながら岸田政権は日本の対中・中距離核ミサイル基地化を着々と進めている。

これの持つ意味をリアルに考えてみる必要がある。

前に「デジタル鹿砦社通信」(6月20日付け)に書いた河野克俊・前統幕長発言「(中距離核基地化するということは)相手国の10万、20万が死ぬことに責任を負う」覚悟を持つこと、これを裏返せば相手国からの核ミサイル反撃があれば「日本の10万、20万が死ぬ」覚悟を持つことが求められる事態になるということだ。

これが意味する現実はすでに「対ロ・ミサイル基地化」でロシアにケンカを売ったしっぺ返しを受けた「ウクライナ戦争」でウクライナ国民が身を以て体験していることだ。中距離核ミサイル基地化する日本が「東のウクライナ」になるとはそういうことだ。ウクライナは米国との同盟関係はない、だから同盟国・日本はウクライナ以上に米国から苛酷な「同盟義務」を強いられるだろう。

◆明らかになった「戦後平和主義」の限界と課題

「日米安保のジレンマ」という言葉がある。

日米安保同盟のおかげで米軍が抑止力として日本の防衛を担っくれているのはよいが、反面、その抑止力である米軍基地があるために日本は戦争に巻き込まれる危険を背負うことになる。

例えば中朝のミサイルは日本の米軍基地に照準が当てられている。いったん有事には日本の米軍基地が核ミサイルや爆撃機、空母など中朝に対する攻撃の際には出撃拠点になるからだ。つまり抑止力として米軍基地があるために米国と中国や朝鮮との戦争事態になれば、否応なしに日本は戦争に巻き込まれる。

これがこれまで日米安保基軸の「戦後平和主義」が内包する「日米安保のジレンマ」と言われるものだ。

しかしいまや事態は一変している。「ジレンマ」というそんな悠長なことは言っておれない事態に日本は直面させられている。

日本が戦争に巻き込まれるどころか、戦争当事国になる、しかも「東のウクライナ化」で米軍ではなく自衛隊が前面に立たされる代理戦争国になろうとしているのだ。

今、直面しているこの由々しい現実は、「戦後平和主義」の限界と課題を誰もに明らかにしたと言えるのではないだろうか?

「戦後平和主義」の限界は「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」というところにある。

これまでの専守防衛は米軍の抑止力が強大であったからこそ維持できた「平和主義」に過ぎない。その「平和主義」は、「戦後の日本は自衛隊が一発も銃を撃つこともなく自衛隊に一人の死者も出さなかった」と言われるが、他方でベトナム戦争の出撃拠点になるなど戦争荷担国であるという多分に欺瞞的な「平和主義」でもあった。

 

それも今日、事情はがらりと変わった。

「日米同盟基軸を大前提にした平和主義」は、冒頭のエマニュエル発言のごとく日米同盟が「守る同盟」から「打って出る同盟」に転換される時代に入って正念場を迎えている。今や米国自身が認める「米軍の抑止力の劣化」、それを補うための自衛隊の抑止力強化、反撃(敵本土攻撃)能力保有は日米同盟(米国)の切迫した要求となった。それが今、「打って出る同盟」への転換、日本の対中・中距離核ミサイル基地化という「東のウクライナ化」、米国の代理戦争国化という事態を招いている。

すでに前述のごとく隠然と既成事実化は着々と進められており、今年度末には国家安全保障戦略改訂で「打って出る同盟」への転換は国家的方針、政策として確定される。

今、問われているのは、日米同盟基軸の「戦後平和主義」を脱すること、同盟に頼らない日本独自の平和主義実現の安保防衛政策を構想することだ。これが今や「まったなし」の切迫した課題としてわれわれに提起されている。このことを真剣に議論するときが来たと思う。

若林盛亮さん

▼若林盛亮(わかばやし・もりあき)さん
1947年2月滋賀県生れ、長髪問題契機に進学校ドロップアウト、同志社大入学後「裸のラリーズ」結成を経て東大安田講堂で逮捕、1970年によど号赤軍として渡朝、現在「かりの会」「アジアの内の日本の会」成員

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『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2022年10月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2022年秋号(NO NUKES voice改題 通巻33号)

今日、世界の動きを考える時、ウクライナ戦争を離れてはあり得ない。それは、遠く離れた日本の政治にも大きな影響を及ぼしている。

◆プーチンによる侵略戦争、それが本質か

ウクライナ戦争を考える時、重要なのはその本質だ。

これを普通一般的にとらえられているように、プーチン・ロシアによるウクライナに対する侵略戦争と見るか否かですべては、決定的に異なってくる。

私は、「プーチン侵略説」に与しない。

プーチン自身は、これを「特別軍事作戦」と呼び、欧米に対する「先制攻撃」だと言っている。そして、「ウクライナ」という言葉は使わず、ウクライナに対する戦争だと言うこと自体を否定している。

私は、プーチンの言と関連して、あの米ソ冷戦終結後、米欧側が米ソ間の「NATOの東方不拡大」の口約を破り、旧東欧社会主義諸国のNATO加盟を進め、今では旧ソ連邦の一員であり、ロシアと国境を接するウクライナの加盟までを日程に上らせていること、その上、2019年に成立したゼレンスキー政権の下に、米英軍事顧問団と大量の米国製兵器を送り、ウクライナ軍に米国式軍事訓練を施し、ウクライナの対ロシア軍事大国化を推し進めたばかりか、「ミンスク合意」の破棄とそれにともなうドンバス地方のロシア系住民に対するネオナチ支配を行うようにしたこと、等々、そして、これらが皆、ロシアが、今年2月、その軍事行動の開始とともに掲げた要求、ウクライナの中立化、非武装化、非ナチス化のスローガンと符合していることを黙過してはならないと思う。

一方、私は、この戦争を「米中新冷戦」との関連で見ている。

周知のように、米覇権は、2017年、米国家安全保障会議で「現状を変更する修正主義国家」だと中国とロシアを名指しで規定し、中ロとの覇権競争を公式に宣布するとともに、2019年、「米中新冷戦」を宣言した。だが、この時、米覇権は、ゼレンスキー政権を介した対ロシア対決戦を開始しながら、「米ロ新冷戦」を宣言することはなかった。これは、米覇権が対中ロ二正面作戦を嫌ったためだととらえられている。

プーチンによる「先制攻撃」はこの脈絡から見るとより分かりやすい。米国をこの二正面作戦に引きずり出したのだ。事実、中ロ、そして非米脱覇権国家群が一体となったその後の軍事・経済「複合大戦」の展開は、プーチンの筋書きによっているように見える。

◆米欧日VS中ロの帝国主義間戦争か

今、少なからぬ論者がウクライナ戦争を帝国主義間戦争と見ている。

すなわち、この戦争を単純なロシアによるウクライナへの侵略戦争と見るのではなく、中ロと米欧日の戦争だと見、そうした中でのロシアによるウクライナ侵略だと見ているということだ。言うなれば、戦前、英米との抗争の中で日本が満州侵略を敢行したようなものだということだ。

こうした見方の根底には、何よりも、中ロを米欧日と同じ帝国主義国としてみる見方があると思う。すなわち、ロシアにおける新興財閥、オリガルヒ、中国におけるBATHなど大手IT企業群などの存在を米欧日における独占資本の存在と同等にとらえ、中ロを独占資本主義国家、すなわち帝国主義国家と見る見方だ。両者の違いを敢えて挙げるなら中ロの場合、米欧日に比べ、国家権力の比重が大きい国家独占資本主義的傾向の強さにその特徴を見ているくらいだと言えると思う。

もう一つ、中ロと米欧日との関係を往年の帝国主義間の関係と同じように見る見方の根底には、時代の違いを重視しない、と言うより時代的な変化発展を見ようとしない見方があるように思う。

私は、この中ロと米欧日を同一視する見方、そして時代の違いを見ようとしない見方、その双方ともに与しない。

前者に関して言えば、政治と経済の力関係が両者ではかなり違うと言うことだ。今回、ウクライナ戦争で「オリガルヒ」などの動揺を抑えて、プーチンが示した指導性の強さは、それを改めて証明したようにと思う。また、IT大手などに対する習近平の指導性も「共同富裕」政策や今回の米下院議長ペロシの台湾訪問に対する大々的な軍事演習の台湾を包囲しての恒常化などに示されているのではないか。

一言で言って、中ロのこの戦争や「新冷戦」への対応が経済の要求、大企業の要求に動かされてのものと見ることはできないと言うことだ。

後者に関して言えば、より明確だ。すなわち、第一次、第二次大戦の時代と今では世界各国の自主独立志向と力が段違いに異なっていると言うことだ。朝鮮戦争、ベトナム戦争、そしてイラク、アフガン戦争とこの70年来、米国は民族解放勢力との戦争で一度も勝利することができなかった。究極の覇権主義、グローバリズム、新自由主義も世界的範囲での自国第一主義の嵐の前に破綻し、その生命力を大きく失ってきている。今回のロシアの軍事行動に対して米欧日が提唱した国連などでの非難と制裁の決議が否決されるようになってきているのはその象徴だ。

この脱覇権・反覇権の時代的趨勢を前にして、植民地争奪、勢力圏争奪の帝国主義間戦争など起こり得るだろうか。米欧日にはもちろん、中ロにもそんな力はないと思う。

以上、二つの理由から私は、この戦争の本質を帝国主義間戦争と見る見方に与しない。

◆覇権VS「国」の戦いとしてのウクライナ戦争

今、ウクライナ戦争は、軍事と経済、「複合戦争」の様相を呈してきている。

米欧は、ロシアに対する経済制裁として、米欧中心のSWIFT(国際銀行間通信協会)からロシアの大手7銀行すべてを閉め出し、ロシアを国際決済秩序から排除する挙に出た。

だが、それは両刃の刃だった。

石油や石炭、天然ガスなど鉱物資源、小麦や大麦、トウモロコシなど農産物、そしてリンや窒素、カリなど肥料原料、等々、ロシアの産物が世界経済に占める比重は小さくない。

それが米欧日の側に回らないとなると、そのことが経済に及ぼす打撃は深刻だ。実際、今日、大きな問題になっている物価高騰の要因の一つはここから生まれている。

一方、ロシア経済の米欧中心の経済からの締め出しは、ロシア経済を中国など非米脱覇権国家群経済の側に追いやり、世界経済の分断、二分化を促進した。

軍事、政治ばかりでない。経済まで巻き込む米欧日覇権勢力と中ロと連携する脱覇権国家群との対立は、世界の部分的、局所的な戦いではない。全世界的範囲での覇権と脱覇権・反覇権の戦いに急速に発展してきている。

ウクライナ戦争の本質も、この視点、「複合大戦」の視点から見る必要がある。そこで見えてくるのは、覇権VS脱覇権・反覇権の戦争という視点だ。

実際、中ロと連携した朝鮮やキューバ・中南米諸国、ベトナム・ASEAN諸国、イランやシリア中東イスラム圏諸国、そしてインドやブラジル、南ア、トルコやサウジなどBRICS、G20等々、「地域大国」、これらの国々が中ロと連携しているのが中ロによる新たな覇権の下に入るためでないのははっきりしている。連携の目的は、どこまでも米欧日覇権との戦いで勝つためであり、中ロもまた、覇権目的というより、米欧日覇権に打ち勝つための連携であるに違いない。それは、これら諸国と中ロの実際の関係を見ていれば一層明白だ。

ここで問題は何で脱覇権、何のための脱覇権か、その目的だ。

それは、一言で言って、「国」のための脱覇権だと思う。

もともと覇権とは、「国」々の上に君臨し、「国」々を支配することだ。

世界はそうやって成り立ち、数千年に及ぶ覇権の歴史が続いてきた。

今、その歴史に終止符が打たれようとしている。覇権と「国」との闘争の歴史が終焉しようとしている。

なぜか。それほど世界の「国」々が成熟し、強くなったと言うことだ。

二つの世界大戦を通して生まれ、戦後数十年、発展し勝利してきた民族解放戦争。それに対する究極の覇権主義、国と民族そのものを否定するグローバリズム、新自由主義との闘いを通じて世界的範囲で高揚する自国第一、国民第一の闘争の嵐は、その何よりの証だと思う。

「国」をめぐる覇権と各国国民との闘い、その歴史的土台の上に展開されるウクライナ戦争、「米欧日覇権勢力VS中ロと連携した非米脱覇権勢力の新冷戦」は、それ故、その本質において、覇権VS各国国民が拠って立ち、自らの居場所とする「国」の戦いだと言うことができるのではないだろうか。

米大統領バイデンが「米中新冷戦」の本質について、「民主主義VS専制主義」の戦いだとしながら、「専制主義」を統制や強権、独裁など支配の道具としての「国」を押し立ててのものとして「国」を悪者に仕立て上げているのも、戦後、日本において、軍国主義の象徴として「国」が右翼反動の専売特許にされてきたのも、「自由と民主主義」を掲げる米覇権の正当性、優越性を際立たせ、覇権VS「国」の戦いを有利に推し進めるための極めて狡猾な術策だと断罪することができるのではないかと思う。

◆ウクライナ戦争の展望や如何に

ウクライナ戦争の本質について見てきたが、それを確認する上でも、戦争がどうなるか、その展望について考えてみたい。

私は、この戦争の本質からして、それがどれくらいの時間を要するかは定かではないが、その勝敗は見えていると思う。

勝つのは、中ロと連携した非米脱覇権国家群の方だと思う。

その根拠の一つは、世界を二分するこの「複合大戦」にあって、こちらの方が圧倒的多数を獲得するようになると思うからだ。

米欧日の側の結束の基準は、どこまでも「米欧式民主主義」だ。そして、この民主主義のためなら、国益も犠牲にすることが要求されている。

これまでも、米覇権の下、「民主主義」のため、国益を犠牲にすることは要求されてきた。しかし、それは、米国の力が圧倒的に強かったからだ。ほとんどの国は、米国が怖くて、また、今国益に反しても、将来、より大きな利益を得られると思うからこそ、「民主主義」のため国益を犠牲にした。

しかし、今は違う。米国の力が弱まった今、米国は昔のように怖くはない。また、米国にくっついていても、それほど大きな利益は期待できない。そうなった時、米欧日覇権の側に付く国はどんどん減っていくばかりではないか、

それに対して、中ロ、脱覇権の側は、自国第一、国民第一、だから国益第一だ。地球上の大部分の国にとって、こちらの方が魅力的になるのは目に見えている。

今になって、米欧日の側は、アフリカ諸国への援助を増やしたり、ASEAN諸国に秋波を送ったりしている。しかし、そんな付け焼き刃は通用しないのではないか。

中ロ、脱覇権の側が勝つと思う根拠は、何よりも、ウクライナ軍の方がロシア軍より「愛国」になれないと思うからだ。

ウクライナにとって、この戦争はどこまでも米欧日に押し立てられ、ロシア軍の攻撃の矢面に立たされている「代理戦争」だ。

ウクライナの若者たちが「脱国する自由」「兵役拒否の自由」を要求し、自分たちがなぜ米欧の「人間の盾」にならねばならないのか疑問を抱いたとしても何もおかしくない。

それに対し、ロシアの若者たちはどうか。この戦争が米欧日覇権勢力と対決する戦争だと自覚した時、彼らが「愛国心」を持ち自らのかけがえのない「国」のため、命を懸けて闘うようになるのは目に見えている。

以上二点考えてみたが、ここから見てもこの戦争が、その本質において、覇権VS「国」の戦いであることが見えてくるのではないだろうか。

小西隆裕さん

▼小西隆裕(こにし・たかひろ)さん
1944年7月28日生。東京大学(医)入学。東京大学医学部共闘会議議長。共産同赤軍派。1970年、ハイジャックで朝鮮へ

旧統一教会問題と安倍晋三暗殺 タブーなきラディカルスキャンダルマガジン『紙の爆弾』2022年9月号

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『抵抗と絶望の狭間~一九七一年から連合赤軍へ』

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