熱く、暑く、和まされ、励まされ、反原発の思いをさらに強固にした「福島支援ライブ」へのお礼

尾﨑美代子

8月29日、集い処はなでの「福島支援ライブ」、たくさんの方にお集まり頂きました。ありがとうございました。

ライブの投げ銭は、9月2日判決が言い渡される原発賠償関西訴訟原告団にカンパさせて頂きました。カンパ合計は46,000円、出演者のヒデヨヴィッチ上杉さんが自身の物販(Tシャツ、CD)の売上の3割3,000円をカンパに入れて下さいまして、計49,000円、エイッもう一押しとはなままが1000円足して50,000円を関係者の方にお渡ししてきました。

それにしても熱く、暑く、和まされ、励まされ、怒りの声と拳を共にあげ、笑いも涙もゴチャまぜにし(顔クシャクシャの方、多め)、反原発の思いを更に強固にしたひとときでした。私はライブ中もバタバタ動き、写真はほとんど撮れませんでしたが、1枚だけ撮ったのはアカリトバリの曲に一曲目から涙する今野さん、ちなみにその2人後ろでもグズグズ泣く菅野みずえさんが。

カオリンズ、アカリトバリ、ヒデヨヴィッチ上杉さん、HANAMAMA(私)が歌い、そのあと福島から来阪された今野寿美雄さんのトークショーを予定していました。さて、どんな感じにしようか考えてましたが、

朝店で200円料理の準備をしながら、「そうだ!今野さんのトークは菅野さんとの掛け合いでやって貰おう」とひらめき、ムチャ振りしたもの。大成功でしたかね。

最後に今野さんと皆さんで「大空と大地の中で」(松山千春)を合唱しました。この曲は2021年今野さんの浪江町の家が解体された際に撮られた動画「9年目の津波」で歌われた曲です。松山千春さんから使用許可は取得しています。曲のエンディングコーラスを全世界から募集し、多くの方々と歌われた思い出の曲です。

3・11から10年目、カンパが減り財政的に厳しくなったとの理由で反原発活動を休止しますといったある大きな反原発団体がありましたね。凄いですね。金(カンパ)が減ったら活動出来ないのですか。カンパ(資金)は何かをして作るものですよ。釜ヶ崎や山谷で昔から言われたスローガンがあります。「金のある人は金を!知恵のある人は知恵を!そして力のある人は力を!」。歌える人は歌を、料理作れる人は料理を、運べる人は運び、暑い表に立ち続け売ってくれる人、歌に手拍子いれたり、踊ってくれる人、「ここ座って」と席を譲ってくれる人……いろんな人がいて、最終的にカンパが集まり、それが誰かさんたちの活動を助けることに繋がればとやっています。それが大事。まだまだ反原発運動は負けてないで!もっともっと活動しないといけないで!

また集いましょう!!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「6.23」難波屋ライブで、私が話したこと。

尾﨑美代子

いくつかの重要なミッションが終わりつつあるので、少し前のことだが、6.23、あの日のことを書いておく。

正月明けから問題になっている「2秒の視線」問題に関連して6月23日大阪の難波屋で「反戦ライブ」──6.23沖縄戦犠牲者慰霊の日に沖縄の声に耳を傾け、1.31声明、4.3声明に抗するライブをする宣言──というライブが開催された。宮城善光さん、Swingmasaさんらが演奏し、その間に何人かがアピールした。私も、自分は沖縄や辺野古の活動には直接関わってないので躊躇していた。しかし、「2秒の視線」問題については、直接は関わってないが、非常に関心をもってみてきたので、結果、ライブで発言させてもらった。その内容をかいつまんで書いておく。

2026年6月23日大阪の難波屋で開かれた6.23反戦ライブ

その少し前、一連の問題の中で、どなたかがこんな発言をしていた。「本土の支援の方が手作りのゼッケンも持ってきてくれたら、着てみなければならない。歌を歌ってくれれば手拍子のひとつもしないといけない」と。それがずっと頭にこびりついていた。

本人がよかれと思ってやっていることが、現場で闘う人たちにはどううつるのか。負担になることもあるかもしれない。実はそんな体験を私はしていた。

80年代初め東京の日雇い労働者の街・山谷に支援に入っていた時だ。あれは越冬闘争のときだ。私たちの組織は2班に分かれ、24時間体制で入っていた。前日朝8時に越冬闘争会場の玉姫公園に入ったら、翌日の8時までいて、第2班と交代する。公園の活動は朝食準備、片づけ、掃除、相談業務、公園から争議へ、夕食準備、片づけ、ワッショイデモ等々、一日中忙しかった。

24時間体制とはいえ、支援には夜組合事務所などに寝る場所が確保されていた。そんななか、「なぜ支援者だけ暖かい場所で寝るんだ。労働者と行動を共にすべき」と考えた私は「今日は労働者とここで野宿しますわ」と宣言。労働者がいる焚火の間に入らせて貰った。しばらく話していたが、睡魔が襲ってきて、敷かれていた段ボールに横になったらすぐに寝込んだ。翌日は朝食の準備のため5時頃には起きたのではないか。すると、私が寝ていたダンボールを囲んでいた数人の労働者が口々にいうのだ。「ねえちゃん、寒くなかったか」「よう、寝てたわ。疲れてたんやな」と……。私は何をやっていたんだ。

時が過ぎ、釜ヶ崎で似たことがおこった。2019年、釜ヶ崎で労働者や野宿者が寄り所にしているセンターが3月末で閉まるとなった。結局反対の声が多くて、3月末には閉まらず、最終的に暴力的に閉鎖されたのは4月24日だった。センター閉鎖により、昼間センターで安心して寝たり、夕方閉鎖後も周辺で仲間と寄り添って野宿していた人は、完全に外に放り出された。

私は米などカンパしてもらったので、毎日簡単な弁当を作り、野宿者に配った。1日せいぜい10数個の弁当。センターの北側、JR新今宮駅を降りて横断歩道渡ってすぐの場所に、知ってる人が野宿していた。数年前まで仕事に行っていて、私の店にもときおり寄ってくれた人。相手も気づかれたら嫌だろうと思い、最初は彼がいないときや寝ている時に、こっそり枕元に弁当を置いてきた。

ある日、気が付いていた彼が「ママ、ありがとね」というので、翌日からは普通に置いてくるようになった。彼は年上の知り合いと二人で野宿していた。ある日、相方の彼が「ママさん、俺も羽振りが良かったとき、ママさんの店に数回行ったことあるんやで」というので、その後は二人とよく話すようになった。

センター閉鎖後、京都や福井から、いろんな人が現場を見に来てカンパなどを寄せてくれた。そんななか、当時のTwitter(現在のⅹ)でフォロワー数が多い著名な外国に住む日本人女性が来日し、釜ヶ崎にも来たいと連絡してきた。

その日、私は彼女に、新今宮駅を降りて横断歩道を渡ったところで待っていると告げた。そう、あの2人が野宿している場所だ。彼女は少し遅れて、約束のその場所に来た。と思ったら、すぐに野宿する2人にかけより2人の間に入り込んだ。

皆さん、ご存じだろうか。野宿する人のタイプはいろいろだ。簡単なテントを作る人、地べたに段ボール敷き、その上に野宿する人、どこかからもってきた簡易ベッドで野宿する人……。しかし、その2人は、山積みのゴミの上(とはいえ、そのごみは段ボールだったり、漫画本だったり、衣類だったりする)の間で野宿していたのだ。彼女は2人の間に座り込み、誰かに渡すつもりで持ってきた缶ビールを渡し「イエーイ」とピースサインをしてみせた。缶ビールをもらった2人も彼女に習ってピースサインをした。彼女はその写真を自撮りで撮った。

私は、彼女とはほとんど話もせずに別れた。翌日彼女のTwitterを見たらサムネが2人の野宿者と彼女がピースする写真だった。私は確か彼女に「その写真アップしていいの?」と聞いたと思う。彼女の答えは「おじさんが出していいと言ったから」だった気がする。

翌日の彼女のTwitterにはこんな告知があった。「帰国する前に東京に寄るのでオフ会をしたいと思います。参加できる方、DM下さい」。帰国前のオフ会で、彼女は会った方々にこんな話をしたのではないか。「今回日本にきて釜ヶ崎にも行きました。ええ、野宿しているおっちゃんたちとも仲良くすることができました。その証拠がこの写真です。いえい」とか?

私はあの日、越冬闘争が闘われている玉姫公園で、労働者と一緒に焚火の周囲で野宿した話は、その後一回も人に話した覚えはない。以上、6・23難波屋ライブで発言させてもらったことです。

「本土の人が手作りゼッケンもってきてくれたら、着けてみなくてはならない」「歌を歌ってくれたら、手拍子でもしなければならない」。どなたかのあの言葉が忘れられない。

良かれと思ってやったことが相手の負担になったり、運動の妨げになることがある。もっと言えば、良かれと思ってやっている「フリ」をして、じつは活動家、人権派、正義の味方の貴方を輝かせる、目立たせる「ダシ」に使ってはいないか。弱い立場の人たちに寄り添うというとき、私たちはそのことを忘れてはいけない。

写真は以前daysjapanで取り上げられていた、どこかアジアの貧しい国でゴミ処理をする子どもたちをスタディツアーで訪れた日本の学生が一緒に撮った写真。ツアー代金が子どもたちのためになるから、子どもたちもバカ学生と共にポーズを取る。取らざるを得ない。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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釜ヶ崎 ── 野宿者排除をどうして笑って見れていたのか?

尾崎美代子

2019年3月31日、釜ヶ崎のあいりん総合センターが(以下「センター」、労働者の就労場所、野宿者、生活困窮者らが昼間安心して寝たり、シャワー使ったり、洗濯したりできた場所) 2019年3月31日シャッターを閉め閉鎖されそうになった。シャッターを閉めるため、昼間センター内で横になって休んだり、シャワー浴びたり、洗濯していた野宿者らが強制的に排除されそうになった。労働者や支援者が多数集まり、「シャッター閉めるな」と声をあげ、当日の閉鎖は叶わなかった(その後自主管理を続けたが、4月24日強制排除され、現在は解体工事が進む)。

その際、センター敷地内の外側には多くの「見物人」がいた。もちろん「おっちゃんら、どうなるんやろ」と心配した人もいただろう。その中に明らかにニヤニヤ笑っている人たちがいた。一般の人ではない。普段、釜ヶ崎労働者の生活や権利を守ろうと主張する人たちだ。

この間、釜ヶ崎で起きたある問題をきっかけに、あのとき彼らが笑っていたのか、笑ってなかったのかが問題になったそうだ。その話し合いに私は出席していないため詳細はわからない。ただ、話し合いに参加した一人が私の店にきて「尾崎さんはあの時どう思った?」と聞いてきた。「どう思うも何も、だから私は怒ってちゃんと彼らの顔を撮影してもらったわよ」という。「ええ?」と驚く彼女。そして「どうゆうこと?」

中で「シャッター閉めるな」と声を上げる労働者、野宿者、そして私たち支援者を、センターの外から笑ってみている人たちがいた。怒った私は、16ミリ映画「月夜釜合戦」を撮った佐藤零郎監督の傍に行って、「レオ君、彼ら酷いやろう?撮影してくれない?」と頼んだ。レオ監督も「ひでえな」と言って「はなまま、カメラは彼が回している」とある男性を指さした。その男性が、レオ監督の「月夜釜合戦」で撮影を担当した板倉善之さんだった。私は板倉さんの傍に行って、「あそこでニヤニヤ笑っている人たちを撮影してて」と頼んだ。その後、私は板倉さんがとった映像を確認することはなかった。見るのも嫌だったし、それを何かに使うとか、当時は関係なかったから。

その様子が、今、問題になっているという。あの日ニヤニヤ笑っていた人たちが、「笑ってない」と否定したそうだ。だったら……と私は板倉さんに連絡した。「板倉さん、あの日の映像をチェックしてみて。でも相当長いからゆっくりでいいよ。今使うとかいう話ではないから」と伝えた。「了解しました」と板倉さん、それから数時間後、その箇所を切り取った映像が送られてきた。

ばっちり笑ってますやん。

まあ、それ自体がどうのこうのではない。その他多数の人も映っているため、ネットで公開するとかではない。ただ、何かの時には証拠で出せるのではないか。

彼らが、「よそもの」と呼び続ける私たち支援者を「ばかなことやっている」と笑うのは勝手だ(ちなみに30年近く釜ヶ崎で店をやってる私も「よそもの」認定。長くいるか、来たばっかりかが活動の正当性を決める訳ではないが)。いくらでも笑ってくれ。しかし、そこには野宿者も労働者もいるのだ。何故あんな風に笑えたのか。野宿者や生活困窮者が生活の場を失うことがそれほど面白おかしいことなのか? 彼らも闘いの場では、「労働者が安心してくらせる釜ヶ崎を作ろう!」などのスローガンを掲げていたではないか! しかし、そこに彼らと意見が違って、大阪維新の会が進める西成特区構想に反対しようと訴える私たちがいると邪魔だというのか? 大笑いして闘いを否定しろとでもいいたいのか!それこそ、絵にかいたようなダブルスタンダードではないのか!

まあ、笑っていたとはいえ、竹中直人の芸(竹中直人の代表的な持ちネタ「笑いながら怒る人」は、顔は満面の笑顔でありながら、声や言葉づかいは「バカヤロー!」「ふざけるな!」と激しく怒るという、表情と感情のギャップが強烈なインパクトを与える伝説の芸)と同じで「笑いながら怒ってるんですわ」と言われたらそれまでだが……。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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「花田郵便局強盗事件」再審請求審で、「犯人」とされたナイジェリア人男性に有利な証拠が出てきた

尾﨑美代子

25年前の2001年に起きた「花田郵便局強盗事件」(兵庫県姫路市)で、「犯人」とされたナイジェリア人の男性Aさんの第二次再審請求審(非公開)で、Aさんが犯人でない可能性を示す証拠が出てきた。

事件の概要はこうだ。地元の特定郵便局に午後4時過ぎ、目出し帽に雨合羽姿の黒人男性2人が強盗に入り約2000万円を強奪、日産シルビアで逃走した。地元にはナイジェリア人など黒人が多く住み、地元の工場などで働いていた。Aさんもその一人。強盗に入ったのはAさんも知っているBとCだったが、なぜAさんが疑われたか? 実は捜査中の警官が、目撃者の通報を受け、Aさんの倉庫内にシルビアがあるのを確認したからだ。警官が倉庫に行った際、倉庫の扉には鍵がかかっていて入れなかった。鍵で開けることができるのはAさんだけ、だからAさんが犯人だとされ、Aさんは警察に連行された。Aさんは犯行を否認したが、翌朝逮捕された。そのニュースを知り驚いたのはCと共に強盗に入ったBだ。「強盗は自分とCがやったのに、Aさんが逮捕されるなんて」と弁護士と共に出頭し、「強盗をやったのは僕とCだ」と自供し逮捕された。しかし、警察はCを探しきれず、Aさんを犯人だとした。

さっき書いたが、警察がAさんを逮捕したのは、倉庫には中央に大扉があり、そこは内側から南京錠がかけられ開けれなかった。その脇に小さな扉があるが、そこには外側から鍵がかけられ、やはり入れなかった。そして鍵を持つのはAさんだけだから、Aさんが犯人と決めつけられた。しかし、今回再審請求審で新たに証拠開示されたのは、扉に鍵などついていない、事件当時の倉庫の写真だ。

Aさんは、倉庫には昼間鍵はかけてなくて誰でも入れたと供述した。Aさんはナイジェリア人仲間のBらと午前中は倉庫近くの工場で働き、午後からは倉庫内で中古車などを扱う貿易の仕事をしていた。Aさんは、日本人女性と結婚し子供ももうけ、更に当時日本の永住権も取得していた。また以前地元で黒人による痴漢事件があった際、仲間が次々と取り調べられることを危惧し、地元の警察と協力し、犯人を逮捕したこともある。そのため、事件当日も地元警察から問い合わされるほど信頼されていた。いわばナイジェリア人仲間にとって何でも相談できる「兄貴的存在」だった。

「Aさんは犯人でない」と自首したBは、実は、そう親しくないCにしつこく誘われ、強盗に関わってしまっていた。しかもCは「そんな大金は取らない。行員らを暴行しない」とBを説得したのに、郵便局から出てきた際には大金を持っていた。怖くなったBは、どうしたら良いか困り、「兄貴的存在」であるAに相談しようと倉庫に行った。しかし、Aが不在だったため、倉庫内に金などを置いたまま逃げていた。

不可解なことが一つある。倉庫にかけつけた警官がかけつけた際、倉庫には鍵がかけられ閉まって入れないはずだった。なのに何故警官は倉庫内のシルビアを確認できたのか。

警官・赤井はこう証言している。シルビアが倉庫に入るのを見たという桂という一般男性に案内され倉庫に到着。しかし鍵がかかって入れない。隙間から覗くとシルビアが見えた。中に犯人が潜んでいるはずだ、と考えた赤井。「誰かおるか? でてこい!警官だ」と声をかけた。ここで「はい、犯人ですが、なにか?」と出てくる犯人がいるだろうか? もちろん返事はない。警察の情報では、犯人は複数の黒人、拳銃を所持しているようだ。ならば早く検挙しないと第二の犯行がおきるかもしれない。赤井はそう考え、本署に連絡。「中にいるようなので確認したい」と申し出ると本署が同意したという。見ると扉の横の少し高い位置に窓がある。「あそこから入れるのではないか」と赤井は、もう一人の警官と桂に手伝ってもらい中に入り、シルビアを確認。では、赤井は外から鍵のかかっている大扉をどうやって開けて外に出れたか。赤井の証人尋問調書にはこう書かれている。
「大扉の内側には南京錠で鍵がされておりましたけれど、この南京錠自体に、それを開ける鍵が付いておりましたので、すぐに開きました」と。そして倉庫の外に出た赤井は、本部の捜査員が来るのを待っていたと。

その高い位置にある小さな窓がこれだ。先日Aさん、青木恵子さんと現地へ行って確認してきた。窓のある位置の半分は2階へ荷物を運ぶエレベーターが付いており開かない。窓のもう半分には鉄格子が組み込まれていて、入れない。どうやって入ったのだ、赤井は。

現在、倉庫の入口の大扉は綺麗に改造されていた
でも大扉の横の小さな窓は昔のまま。ここから入ることは出来ない

はっきり言おう。赤井は扉脇の小さな窓から入ったのではない。開いていた扉から入ったのだ。令状も取らずに扉を開けて入るのは違法行為だ。でも凶悪犯が中にいるはずだからと、「交通規制係」の赤井は、複数の強盗犯がいると考える倉庫に果敢に一人で突入した。もちろん、それも違法だが、赤井はいうだろう。「第二の事件が起きてもいいのか」と。

しかし、今回その扉に鍵がついてない証拠が出てきた。この証拠が、Aさんを無罪に導いてくれたらと祈るばかりだ。

注・ややこしい事件ですが(冤罪はどれも警察、検察が無理矢理犯人にするため作ったストーリーなのでややこしいし、辻褄があわないですが)私の解説はいかがでしたか? わかりやすかったとか、わかりにくかったとかお聞かせ下さい。

《関連記事》
花田郵便局強盗事件 ── 黒人のナイジェリア人を蔑視し、冤罪事件を作った姫路警察(2026年4月28日)

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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貴方は何がやりたいの? M君リンチ事件の加害者へ

尾崎美代子

2013年春から関西で始まったカウンター行動に私も最初数回参加した。その中で起きたM君へのリンチ事件を私は全くしらなかった。その後、鹿砦社松岡氏がM君への支援を始めたというので、私も裁判の傍聴などで支援してきました。

当時、なんていうのですかね、しばき隊らがネトウヨなどと果敢に闘う人々とみられたのか、あるいは「左翼」「人権派」と思われたのか、そんな連中が起こしたリンチ事件だということで、裁判に傍聴に来る方々は右派的な方々が多くて、私は報告会などで彼らと同席するたび少々戸惑ったこともありました(ちなみに鹿砦社が発行した、いわゆる「リンチ本」に、私は「彼らは左翼ではない」を寄稿しました。ぜひ読んでください)。

ええ、ええ。ただ、結果として、当時反差別、反権力を主張してきたカウンター行動に集まっていた皆さんが、ヘイトスピーチ法を可決させたいがために、その運動の中心的人物も関わったM君への凄まじいリンチ事件をないものとしようとしたのですよね。これはあってはならないこと。私自身、当時ネトウヨと闘い始めた李信恵さんの裁判は支援しようと思いましたが、その過程において、李信恵さんが(判決で認定されたように)リンチ事件に加担していたならば、まずはその件を謝罪する、その上で対ネトウヨとの闘いに支援をというならば、幾らでも支援しますよね。当然ですよね。

李信恵さんらリンチ事件後、さすがにまずいと思ったのか、確かに一旦は綺麗な字で謝罪文をM君に出しているものの、その後まもなくその謝罪を撤回するような行為に及んでいますよね。「謝罪したやないか」という方もおりますが、みなさん、その後の流れを含めた全体を見てくださいね。実際、M君にリンチを行った金良平さんを庇うように「エル金は友達」なんて一斉につぶやくこともありました。

私はカウンターに関わった当初、関東のある女性から頻繁にこんなメールを受けていたので、彼らが一斉に同じ行動を取る、いや、取るよう強要することは知っていました。あるときは「本日午後2時にAさん(カウンター界隈の著名人)がTwitter(当時)で重要なことをつぶやきます。ぜひ「いいね」をお願いします」とかのDMがくるんです。さらに「Aさんのつぶやきは午後2時半頃に変更になります。よろしくお願いします」とかね。なぜ「いいね」を強要されるの? ウザい上司が「俺の今日のランチ、Facebookに投稿したから、いいねしとけよ」みたいな感じ。超ウザい!

まあ、反差別、反権力といいながら、それと真逆のことをやる、例えば、冤罪事件の狭山を闘いながら、他者が全く言及してない内容で、彼、彼女は「差別者だ」と言い、反差別、反権力の運動の中心に出張ろうとする人物がいることに、私は憤ってるんです。冤罪はどうやって生まれるの? 警察、検察がありもしない証拠をでっちあげたり、うその自白を強いてできるのですよ。それにどれだけの人が苦しんでいるか? 石川さんなどは、無罪を晴らせないまま、亡くなってしまったのですよ。本人が言ってもいないことを「言った」「差別だ」という。冤罪を闘う者として恥ずかしくないですか?

反権力、反差別を訴える闘いを行う人たち、とりわけ大阪では恥ずかしくなる位だめだめと思います。他者の批判をするのではなく、自身が頑張らないといけないのですが、もう涙も出ませんわ。

「自分が凄え」とアピールするための運動、それに関西のいろんな運動を利用しないで欲しい、私があなたが謝罪しない限り、あなたが参加しそうな運動には一切関わりません。

最後に聞くわ。貴方は何がやりたいの?

リンチ直前の加害者ら。左から李信恵、金良平、伊藤大介

◎関連記事【緊急訴訟報告】対エル金(しばき隊/男組)訴訟、上告棄却の不当決定! 損害賠償11万円+利息等が確定! 大学院生リンチ事件で被害者М君に瀕死の重傷を負わせた徒輩が「プライバシー侵害」とは嗤わせる! 鹿砦社代表 松岡利康

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
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われわれが総力で記録化した大学院生リンチ関係書籍。必読!

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8月29日今野寿美雄さんを取り囲んでの「福島支援ライブ!」

尾﨑美代子

8月のイベントの告知です。もう、何かしてないと死んでしまうんじゃないかと思うくらい不安だから、次の予定を告知しておきます。

8月29日、福島県から来阪する今野寿美雄さんを取り囲んでの「福島支援ライブ!」投げ銭カンパは、その4日後に大阪地裁で判決が言い渡される原発賠償関西訴訟の原告団にカンパさせて頂きます。

出演者はヒデヨヴィチ・上杉、アカリトバリ、カオリンズ、そしてHANAMAMA&今野寿美雄です。

関西訴訟はじめ避難者の訴訟はどれも長く長く続いています。事故から15年ですものね、「どうなったのかな?」とつい忘れてしまった方もおられるかと思います。
判決日を前にみなさんと共にこの闘いがどういう意味を持つのか、考えていければと思います。

宜しくお願い致します。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
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再審法改正問題 ── 事件の被害者遺族も苦しめる検察の証拠隠し

尾﨑美代子

7月17日、再審制度の見直しを盛り込んだ刑事訴訟法の改正案が参議院で可決した。感想の声は様々あるが、私の感想は、袴田秀子さんと同じ、「がっかり」だ。

長年この問題に取り組んできた方々のご尽力には頭が下がる思いだ。しかし、運動が盛り上がりを見せるなか、突然法制審が出張ってきたとき、「冤罪をさんざん作ってきたお前らに、再審法を考えようなどという資格はないぞ。ひっこめ!」とひっこめさせる圧倒的な力があったならば、と考えると残念で仕方ない。娑婆にいる我々は「5年目に必ず良い方向へ変えてやろう」と考え、再度自分を奮い立たせるしかないが、刑務所の中で「自分たちが救われるように、再審法が変わるのでは」と吉報を待っていた冤罪被害者はどれだけ愕然とされたことか、それを考えると、娑婆にいる私らの落胆などは彼らの悔し涙の一粒にも満たないだろう。

法案が可決した2日前、福井事件の前川彰司さんが国会に参考人として呼ばれていた。出席してガツンと自身の主張をぶつける気満々だったが、前日に出席をやめたそうだ。鴨志田弁護士のxによれば、前川さんは前日関係者に17日に政府案が可決されると聞き、ならば自分が出向いて証言する必要はないではないかと思い、関係者に「いかない」と告げたそうだ。それを知って私も何度か電話したがつながらなかった。一方、その国会には、前川さんが犯人とされた福井事件の被害者のお姉さん・大橋広子さんが参考人として出席、「前川さんも私も被害者」と述べたという。

被害者の遺族の中には、一旦犯人が決まったのに、彼らが再審を訴え、さらに無罪となったら、再び犯人を捜さなければならない。いや、日本の警察、検察は自分たちが犯人としたて、裁判で有罪にした人が、再審で無罪となっても、いちから犯人探しをすることはまずない。ということは、遺族は、家族が誰によって何のために殺害されたか、その理由がわからないままになってしまう。新たな地獄だ。

警察、検察が嘘の証拠などで犯人に仕立てた人物が、実はそうでなかったならば、裁判などで証明された犯人の「動機」は嘘になる。自分の家族はそのような「動機」で殺害されたのかと考える、その動機が嘘だったならば、これもまた遺族にとって地獄だ。 

私が冤罪と確信する事件を例に考えてみよう。2008年千葉県東金市でおきた女児殺害事件だ。東金市のある病院の駐車場で遊んでいた女児が突然行方不明になり、20数分後、別の場所で遺体で発見された。女児の母親はこの病院の看護師で、当時夜勤明けで仮眠をとっていた。女児の祖父はその病院の院長、つまりシングルマザーの母親は父が経営する病院で働いていた。複数の病院職員が昼12時に駐車場で遊ぶ女児をみていた。「院長先生のお孫さん」だから、見間違える訳はない。

この事件で逮捕されたのは、近所に住む男性Kさん(当時21歳)だった。Kさんには知的障害があり、当時は仕事を辞め、家にいることが多かった。Kさんを犯人とした検察のストーリーはこうだ。女児をみつけたKさんは女児と友達になりたくて、女児を抱きかかえ、店が立ち並ぶ商店街を白昼堂々病院から300メートル離れた自宅に連れて帰った。

Kさんと女児はしばらくアニメの話などして遊んでいたが、女児が帰りたがり、ぐずついて、そのうちKさんを泣きながら「ばか、ばか、ばか」と罵倒した。Kさんは思わずカッとなり、「暴走モード」になり、女児を風呂の水につけて溺死させ、衣類を脱がせ、ゴミ袋にいれ、マンションの窓から捨て、遺体は裸のまま抱きかかえ、別の場所に遺棄した、というものだ。

衣類の入ったごみ袋が捨てられた場所が、Kさんのマンションの下の駐車場だったことから疑われたようだ。

しかし、この「犯行」がわずか20数分で行われるだろうか? Kさんのように知的障害のある子どもは、運動能力が普通の子供より乏しいことを関係者が証言している。事件前勤務していた布団のリース会社の関係者も「普通3枚の布団を運べるところ、彼は1枚しか運べなかった」と証言していた。20数分では到底不可能な「犯行」を、検察はどうやって出来たことにしたのか? そこには恐ろしいカラクリがあった。前述したように、昼12時に女児を見たとの複数の関係者の供述があったが、その供述をないものにして、その前の11時40分の目撃供述のみを採用したのである。11時40分から1時20数分、つまり40分あればこの「犯行」は実現できるとしたのだ。

Kさんが女児に性的暴行を加えたとの証拠はなかった。ではKさんの殺害動機を何だったか? 帰りたくてなかなか帰してくれないKさんに対して、女児が「ばか!ばか!ばか!」と罵倒したからとなっている。女児の母親は考えたはずだ。まず最初に、あの子は見ず知らずの大人の男性に着いていくだろうか? あの子は初めて会った大人に、「ばか!ばか!ばか!」などというだろうか?私はあの子をそんな風に育てただろうか?このような母親の苦悩は、真犯人が逮捕され、本当の動機が判明するまで続くのだろう。

裁判でKさんには、懲役15年の判決がくだされ、上告も棄却され、刑が確定。この事件については、ジャーナリスト三宅勝久さんが「司法が凶器に変わる時」で裁判の内容を詳細を書いている。私も三宅さんの協力をえながら「日本の冤罪」で取り上げた。 一方、支援団体などの存在が不明のため、その後どうなっているかはわからない。kさんは既に服役を終え、お母さんのもとに戻っているのだろう。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

《7月のことば》限界を越えろ

鹿砦社代表 松岡利康

《7月のことば》限界を越えろ(鹿砦社カレンダー2026より。龍一郎揮毫)

7月になりました ── 今年も半分が過ぎた恰好です。
本当に月日の経つのは速いです。
うかうかしていると木枯らしの季節になりかねません。

さてさて、「限界」とは何でしょうか。
勝手に自分で決めてしまっているかもしれません。
限界を、どう越えるか?

というよりか、限界がどうのこうのというよりも、がむしゃらに直面する一つ一つ難関を越えていき、結果、気づいたら限界を越えていたということではないでしょうか。

今年の夏も、例年通り猛暑のようです。まずはこの暑さを越えないといけません。

この夏、新しい挑戦として「成年後見制度」の悪弊といかに闘い、これをいかに突破するか ── があります。世の中にこんな酷い制度があるとは思ってもいませんでした。みずからの不明を恥じるばかりです。発行されたばかりの鈴木愼哉・編著『悪法「成年後見制度」は法に非ず』をぜひお読みください。

鈴木愼哉・編著『悪法「成年後見制度」は法に非ず』
A5判 本文118ページ 定価800円(税込み)
紙の爆弾8月号増刊  6月29日発売

緊急出版!! 社会問題化する成年後見制度の深刻な現実を、
被害者が満身の怒りを込めて喝破!
バブル崩壊後、士業(弁護士、司法書士)救済の目的で制定された制度の問題点、
食い物にされる被後見人、「改正」法案の問題点、
後見人の言いなりで人の人生を台無しにする裁判官……
25万被後見人の埋もれた声を聴け!

【内容】

三上道恵 
おてんとうさまは見ている ── 制度の中で見えなくなった夫婦の時間
はったり半蔵 
後見制度脱出から見えた対抗策
さくら 
成年後見制度の改正に関する要望書
尾﨑美代子 
成年後見制度の悲劇 ── 冤罪事件の視点から
鈴木愼哉 
「成年後見制度」という宿痾
鈴木愼哉 
成年後見制度に狂わされた私と妻の晩年 ── 怒り、悲しみ、想うことあれこれ

https://www.amazon.co.jp/dp/B0H2CGNX2L/

湖東記念病院事件の国賠控訴棄却 西山国賠を通じ、「供述弱者」について考えていこう!

尾﨑美代子

6月25日、大阪高裁・長谷部幸弥裁判長は、湖東記念病院事件の国賠訴訟の控訴審で、原告の控訴を棄却する判決を言い渡した。

この裁判、一審の大津地裁は県(滋賀県警)の違法は認めたが、国(検察官)の違法は認めなかったため、西山美香さん弁護団側が大阪高裁に控訴していた。

殺人罪で逮捕された西山美香さんは、取調べを担当した滋賀県警山本誠刑事に「恋心」を抱き、というより、接見禁止でひとりぽっちになった美香さんは、山本しか信用できる人がいなくなった。山本は美香さんに「弁護人など信用できない」というようなことまで言っていた。美香さんは初めての逮捕、山本のいうことを認めたら急に優しくなり、優秀な兄たちと比較されていた美香さんは「君だってがんばってるよ」などと優しく言われ、ぐんぐん山本の言いなりになっていった。

山本の取り調べで、美香さんがどうやって患者を殺害できたかの話になった。患者の人工呼吸器の管を抜けば危険を知らせるアラームがなる。でも病院内でその音を聞いた者はいなかった。では、アラーム音を鳴らさず、どうやって呼吸器を外したままにできるか?警察は捜査中に、呼吸器の専門家に、アラームを鳴らさずに管を外し、酸素を送らない方法を聞き、消音維持機能ボタンがあることをレクチャーされた。呼吸器にあるそのボタンを押すと、管が外れても60秒間アラーム音は消せる。60秒後に再び鳴るので、その前にボタンを押せば音はきえる。美香さんはボタンを押したのち、胸の中で「1,2,3……」と数え、60秒後前に再びボタンを押し、その動作を3,4回、つまり3,4分酸素を送ることをやめたら、患者さんの目がきょろきょろ、口がばくばくして息絶えたと供述した。なお、そのボタンの操作方法は先輩の看護師たちがやるのを見て知ったと供述していた。

しかし、その後の捜査で、当時病院内の看護師の中で、その操作方法を知っていた看護師がひとりもいないことが判明した。警察の取調べのあとには検察官の取調べがある。美香さんを取り調べた検察官・早川検事は、その事実を知り、警察が作成した員面調書には虚偽があり、これでは裁判は勝てないと思ったのだろう。

そのため早川検事が作成した検面調書は、美香さんが何故消音維持機能ボタンのやり方を知っていたか、知ったかに新たな内容に書き換えた。先輩看護師から教えてもらったのではなく、犯行時ぐうぜんそのボタンを押したら、アラームが止まったので、「あらま、このボタンなに?」と思いながら、なぜか60秒くらいする前にもう一度押したらまた音がとまった。そのとき美香さんが「ああ、これを押せばだいたい60秒位、音はとまるんだな」と知り、その行為を3,4回やって、患者を死なせた……と。

この書き換えを早川検事は、自分が誘導したのではなく、美香さん自身がそう供述したと裁判で証言した。井戸弁護士がいうには、警察の取調べから検察の取り調べに移る頃、美香さんはまだ山本誠刑事のコントロール下にあった。山本は検察へ行く美香さんに「警察で言ったことと同じことをいえよ」と念を押したはずだ。だから美香さんは早川検事の前で警察で言ったことと同じことを述べたにちがいない。でも検察では、警察で取られた供述とは違う内容の供述がでてきている。これは早川がむりやり「こうではないのか?」と
美香さんを誘導した可能性がある。いや、それしか考えられない。それは検察(国)の責任となるのではないか? 違うか?

判決要旨には、いくら美香さんが山本刑事に恋心をもったといっても、まさか自分が殺害事件をおこしたなんてことを認めるようなことを言うわけがないと、何度も強調している。美香さんは、山本刑事にいわれるがままに「管を抜いた」を認めたが、まさかそれが「殺害した」になるとは思っていなかったのだ。

 自分が殺害をやってないから、管を抜くことが殺害に結び付くとは考えてもいないのだ。それこそが、やっていない証拠なのに。桜井昌司さんが裁判長に(事件があった日時について)「なぜ、あなたはそんなに特別な日を覚えてないのですか?」と聞かれ、「いや、僕にとって特別な日ではないです。普通の日です」と答えている。実際殺害をやっていたら、「その日」の日時は鮮明に覚えているだろう。でもやっていないから、桜井さんにとっては普通の日なのだ。美香さんも同じ。管を抜いて殺害していたら、管を抜いたイコール殺害に結び付くが、やっていないから、むりやり言わせられた管を抜いたが殺害となるとは思っていないのだ。

井戸弁護士が、まだ続くこの裁判では、ぜひ「供述弱者」について知って欲しいと訴えられた。「供述弱者」は美香さんの裁判で新たに作られた言葉だ。しかし、これまでも大勢の供述弱者が犠牲になってきたことだろう。千葉県東金市でおきた「女児殺害事件」では、知的障害を持つ男性が、担当検事に「金子さん、金子さん」と非常に懐き、言われるがままに罪を認めた。「やってないならやってないと言えよ」と厳しく忠告する弁護士より、毎日顔を合わす優しい検事にコロリと騙された。先日検察が有罪立証を断念し、再審無罪が確実となった「日野町事件」の阪原弘さん(故人)も、のちに「境界線級の知的発達遅滞」があったと鑑定された。伊賀弁護士によれば「『わからない』と言えない。そのため(刑事に何か言われたら)『わかる、そうや』と言ってしまう」という。今市事件の勝又拓哉さん、花田郵便局事件のジュリアスも、台湾人、ナイジェリア人ということで、警察、検察のいうことがどこまで理解できていたかは不明だ。彼らも供述弱者といえよう。先日神戸で逮捕され、長期的に不当な取り調べを受け、不起訴後摂食障害を起こし餓死した16歳の少女もそうだろう。美香さんの裁判を通じて、供述弱者にどう対応していけばいいか、考えていこう。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

再審無罪が確実となった「日野町事件」 どんな冤罪事件だったのか

尾﨑美代子

8年前に再審開始が決定していた「日野町事件」、これまで有罪主張を続けてきた検察が、6月19日の三者協議で有罪立証を断念したため、再審無罪が確実となりました。

拙著「日本の冤罪」にも寄稿していますが、日野町事件がどんな事件だったか、ザクッとですが、書いておきますね。

取材でお会いした弁護団長・伊賀興一弁護士(上記youtube動画画像:右)は、開口一番こういわれました。「この事件はいつどこで、どんな事件だったか、事件性の中身が未だに明らかにされてないんだよね」。私は目が点になりました。どういうこと?

酒屋の女性店主が失踪したのは1984年12月28日ですが、殺害(事件)があったのが何日かは不明です。というのも、店主はその日店を出て行き帰宅していませんが、そんなことが度々あるのかどうかは知りませんが、翌日別の従業員が店を開け、営業をしています。その際、店の外に開くのをまっていた客がいたといいます。つまり鍵は閉まっていたのです。同居していた親戚の女性は奥の部屋で寝たきりで、何がおきたのかわからずじまいでした。

さすがに数日して戻らない店主を心配し、警察に届けられますが、店主の遺体と手提げ金庫が別々の場所で発見されたのは、年が明けてのこと。店主が金目当ての強盗に殺害されたとして滋賀県警の捜査が始まります。

阪原弘(ひろむ)さんの逮捕は3年後です。酒店の常連客だった阪原さんは警察で入れ歯の金具が不具合をおこすほどの暴行を受けます。一旦帰宅した弘さんは家族にこう告げます。「殴られても蹴られても我慢したが『娘の嫁ぎ先に行ってガタガタにしてやるぞ』と言われ、我慢できんかった」と。そう、弘さんはまもなく嫁ぐ娘のことを一番に心配したのです。翌日警察に向かう弘さんに家族は「やってないのにやったといったらあかん」と言いましたが、弘さんは警察に暴行受け無理矢理自白させられ逮捕されてしまいます。

冤罪を多数作っている滋賀県警の書いた杜撰なストーリーはこうです。酒代に困っていた弘さんが、売り上げの帳面をつけていた店主の背後から首を絞めて殺害した…と。しかし、弘さんの家族は当時みな働いており預貯金もかなりあり、金に困っていませんでしたし、のちに盗まれた金庫は酒屋の売上が入った金庫ではなく、奥の部屋にあった通帳や証書などが入った金庫であることが判明しています。余りに杜撰。

 しかし、警察は弘さんが殺害後、遺体をまず宅地造成地に捨て、再び店に戻り約時間店内を物色、朝方金庫を山中に持っていき捨てたというものでした。なお、その際、店のカギはかけていなかったというのです(なのに、翌日店の開店を待つ客が外にたむろっていた)。

弘さんは当日知り合いの家で飲み、そのままその家で寝ていたというアリバイがありました。しかし、警察はアリバイを証明するその家の人をどう脅したかはしりませんが、彼らに「そんなことはなかった」と証言させます。

長くなるので途中経過を省きます。

裁判で無罪を主張した弘さんに、無期懲役の判決が下されます。弘さんは再審を闘いはじめますが、道半ば、獄中で病に倒れ、亡くなってしまいます。今回開始が決定した再審は、弘さんの遺族が請求したものです。

再審請求審のなかで明らかになった警察・検察の嘘はやまほどありますが、最大の嘘は、弘さんが「引き当て捜査」(容疑者が自ら遺体など遺棄した現場に捜査員を連れていくこと)で撮影した写真に真っ赤な嘘があったことです。どういうことか? 遺体遺棄現場の近くで車を止め、そこで弘さんを降ろし、弘さんを先頭にして遺棄現場に向かう「往路」の写真があります。遺棄現場では人形を使い、「遺体をここにこうして遺棄した」という写真があります。そしてその現場から車のある場所に戻る「復路」の写真があります。普通、遺棄現場を案内するなら、「往路」だけの写真でいいはずですが、なぜか「復路」の写真も多数あったことから。「これは変だ」と思った弁護団が写真のネガを証拠提出させました。ネガといっても今の若い人はわからないでしょうね。昔はカメラにネガフィルムを入れて写真をとります。それは撮った順番になります。遺棄現場に行く時の写真、遺体を遺棄した写真、戻るときの写真という具合です。

弁護団がそれらのネガの番号を調べたところ、順番が全く違っていたことが判明。じつはネガには現場に行く「往路」の写真はほとんどなく戻ってくる「復路」の写真ばかりだったのです。さらに調べると、現場に行く際に撮った写真の何枚かが帰ってくる「復路」に撮られたものであることが判明。つまり車の戻ってくる復路の場所で、弘さんが反対側を向かされ写真を撮られていたのです。それを追及した弁護団に捜査員は「行きに撮り忘れたから帰りに撮った」などと証言したのです。あるいは遺体や金庫を捨てた写真については何度も繰り返して撮っていたのです。」つまり捜査員が弘さんに「こうして捨てた」と演技指導していたのです。余りに酷い滋賀県警、それを後押しする大津地検と大津地裁。

端折りすぎですが、こうして2018年7月11日、大津地裁(今井輝幸裁判長)は再審開始の決定を出しました。それから大阪高裁の決定がでて、最高裁の決定がでて、そして今回検察が有罪立証を断念するまで、一体何年かかってるんだ!! そして8年目に検察はようやく有罪主張を断念したのです。

今回の事件で明らかなように、検察は冤罪犠牲者が無罪であることの証拠を必死で隠し続けます。現在、国会で議論がなされている再審法改正問題で、証拠の全面開示が非常に重要であることは、この事件ひとつ見ても明らかです。

先日より青木恵子さん(東住吉事件冤罪犠牲者)が獄中の仲間に声をかけ、冤罪で苦しむ人たちの訴えを集めています。再審法改正問題の議論のなかで、法制審などにも参考人として呼ばれた青木さんが、当事者の声があまりに軽視されているのではないかと危惧し始めた行動です。私やジャーナリスト片岡健さんなども協力して行ってきました。現在18名の方から切実な訴えの文章が届いています。青木さんは自民党に呼ばれた際知り合った国会議員らに意見書を手渡し、私は福井女子中学生殺害事件で再審無罪を勝ち取った前川彰司さんを通じてこれらの訴えを国会議員に届けています。ある議員からはすぐに青木さんに「国会で取り上げてもよいですか」と連絡がきたそうです。多くの方が証拠の全面開示を訴えています。なんのための改正なのか? 皆さんも一緒に考えてください。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/