名古屋市西区主婦殺人事件 容疑者に何があったのか?

尾﨑美代子

◆幸せの絶頂の真っ只中から……

26年もの間未解決だった殺人事件で、10月31日、容疑者が逮捕された。「名古屋市西区主婦殺人事件」だ。当時32歳の高羽奈美子さんと2歳の息子航平君が自宅にいた。奈美子さんは夫の悟さん(当時43歳)と4年前職場結婚、航平君出産後は専業主婦をしていた。3人でディズニーランドに行った、自分の車も買った、北海道で一人で暮らす母を迎え、4人で暮らす4LDKのマンションの契約も済ませた……幸せの絶頂の真っ只中にいた。

そんなとき、事件に巻き込まれた。当時3人が住んでたアパートの家主が大量に収穫した柿を住民に配っていた。奈美子さんの部屋はインターホンを押しても返事がなかったが、家主がなにげなくドアを触ったら開いた。中をみると玄関は血だらけ、その奥に奈美子さんが倒れているのがみえた。顔のあたりが血だらけだったので、吐血して倒れたと思った。航平君を3階のママ友に預け、ママ友に悟さんに連絡してもらった。当日、不動産屋に勤務する悟さんは、名古屋で最初に建てられたタワマンの展示会場にいた。知らせにすぐ家に帰ろうとする。「奈美子は大量に吐血するような大病をもっていたかな?」などと考えていたところ、再び電話がかかり、死亡したと告げられた。

悟さんが家に着くとまもなく鑑識がきた。なぜ鑑識?と悟さんは訝しく思ってみていた。彼らは黙々と作業するが、悟さんに何も説明しない。そのうち鑑識の1人から「首を切られてて」と言われ、初めて殺人事件だとわかった。

悟さんもその後警察署に連れていかれ事情聴取を受ける。警察署からの帰りは妹夫婦が車で迎えにきてくれた。車に乗ったら夜10時のニュースが始まり、トップは自分の家の事件だった。「日本はなんて平和なんだ」、なぜか悟さんはそう感じたという。

涙もでなかった。「奈美子には悪いが、男手ひとつで、これからどうやって息子を育てていけばいいのか」と、そればかりが心配だった。

◆「あんたたち夫婦ほど人に恨まれない人はいないよ」と捜査員は言った

その後、実家に引っ越したが、事件のあった部屋はそれから容疑者逮捕の今まで借り続けた。家賃は総額で2000万以上。最初は、奈美子さんが揃えた家具などを処分するのを躊躇われたからでもあった。その後は、玄関に残された犯人の血痕と靴跡、未解決殺人事件の遺族は大勢いるが、そんな重要な証拠を持っているのは、自分位ではないか、と。また、新たに担当になった刑事らに、これを見せることで、モチベーションを上げて貰えればと思ったという。

悟さんは、玄関の血痕は奈美子さんのものと思っていた。それが事件から数年後、日テレの取材でプロファイリングの専門家がその部屋にきた。家の玄関の血痕を見て「これは被害者のものではない、犯人のものだ」と言われた。驚いた悟さんが刑事にきくと、「それは犯人にしか知りえない秘密の暴露だから、遺族とはいえ言えなかった」と謝られた。

血液型はB型、足のサイズは24センチ、年齢は40歳位とわかった。しかも犯人も怪我をしており、逃走した方向に血がポタポタ落ちていた。横断歩道の手前で車が途切れるのを待つ犯人が目撃されていた。傷口から血が垂れないようにしていた。女は横断歩道を渡った先にある公園の蛇口で傷口を洗った形跡もあった。ただ、今のように町中あちこちに監視カメラがある時代ではない。そこで女の行方は分からなくなり、夜降った雨で、犯人の臭いも消された。

多くの情報がありながら、また大量の捜査員が投入されながら、容疑者の目星はつかめなかった。悟さんは捜査員にこう言われた。「あんたたち夫婦ほど人に恨まれない人はいないよ」。

◆殺人事件被害者遺族の会「宙の会」に入会して

悟さんは同じ境遇を持つ人たちと繋がりたいと殺人事件被害者遺族の会「宙の会」に入った。私はしらなかったが、この会を創設したのは、未だ未解決の世田谷一家殺人事件を捜査していた刑事さんだった。(絶対未解決で終わらせない)との執念から、退職後同会を立ち上げ、まずは15年という殺人の時効を撤廃する活動を始め、2010年実現にこぎつけた。

悟さんはあちこちのマスコミに出て事件を訴えた。いつも絶対泣いた顔だけは撮られまいとしていた。泣いたら、それこそ犯人の思う壺ではないかと。小さな息子も、会見のたびに悟さんについてきては、悟さんの近くにいた。

ある時悟さんが「息子がグレたらどうしよう?」と心配していると、ある番組で知り合ったディレクターが「大丈夫、航平君は会見が始まるまではゲームをしているが、お父さんが話し出すとゲームを止め話を聞いているよ。」と言ってくれたのだった。

長く未解決だった事件は、1人の新しい刑事が就いたことで驚きの展開を見せた。もちろん、その刑事をヒーロー視つもりはない。それまでも大勢の刑事が頑張って捜査してきた、が、この刑事は、毎年事件発生日近くに情報提供を呼びかけるビラを配る悟さんに、「ビラ撒きで得る情報より、西警察署にある情報で、絶対犯人を捕まえてみせます」と言ったのだった。

そして、奈美子さん、悟さんに関わった人たちの年賀状、名刺などを持ち帰った。

その中には、悟さんが高校時代に入っていたソフトテニス部の名簿もあった。新たな捜査が始まり、1年後、容疑者は何人かに絞り込まれ、そのうちの1人の女性が何度か事情を聴かれた上、DNAの提出が求められた。女性は当初これを拒否したという。でも「疚しくないなら提出出来るはずだ」などと言われたかどうかわからないが、提出した。いや、せざるを得なくなったということだ。そのDNA型鑑定が出る前日、女性は自ら警察に出頭した。「自首」と書く記事もあるが、もう逃げられないと追い詰められたと言った方が正確だろう。

女は、奈美子さんの方の知り合いではなく、悟さんの知り合いだった。悟さんとテニスサークルで一緒だった女性は、学生時代バレンタインデーの度に悟さんに手紙とチョコを渡し、悟さんに「告白」していたそうだ。悟さんは、「別に好きな人がいます」とか「あなたは嫌い」とか、傷つけることを言ったことはなかったという。

高校卒業後、2人は別々の大学に入った。ある日、サークル活動をする悟さんをじっと待っていた女性がいた。今回逮捕された女性だ。悟さんは仕方なく喫茶店に女性を連れていった。そこで女性は悟さんに交際を申し込むが、悟さんは断っていた。すると女性は店内でしくしく泣きだしたという。悟さんはそのことを家に帰って妹に『困ったよ』と話していたのだった。

◆容疑者に何があったのか?

事件の前年、そのサークルの同窓会があり、女性は悟さんが結婚したことを知る。とはいえ、互いにもう40歳過ぎだ。普通に(というのはおかしいが)考えて、結婚し、家庭を持つ年ごろだ。実際、女性も悟さんに「私も結婚して、仕事も忙しくて…」などと話していたという。

その1年後、女性は、悟さん同様、家庭を持ち、仕事も忙しく、充実した人生を送っていたようなのに、過去に好きだった男性の妻を殺害した。

容疑者に何があったのか? 私も非常に知りたいところだ。

またこの事件に関しては、これだけの情報がありながら容疑者逮捕に至らない愛知県警に対して「何やってんだ?」との批判もあるだろうが、同時に私はそうした社会的な風潮に押され、全く関係のない人を間違って逮捕、つまり冤罪を作らなかった捜査機関を評価したい思いもあり、複雑な思いだ。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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なぜ福島県知事が狙われたのか?──「『知事抹殺』の真実」と東京地検特捜部の犯罪

尾﨑美代子

10月11日、茨木市で「『知事抹殺』の真実」を鑑賞した。2000年、福島県佐藤栄佐久知事(当時)と実弟が、収賄罪で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた事件が何だったか検証した映画だ。結論からいうと、この事件は冤罪だった。しかし、知事は辞職に追い込まれた。

私は次の用事があったので途中で席を立った。ちょうどその時、何かのトラブルで上映が止まっており、後で聞けば最後の20分位が上映できなかったという。とはいえ、私が最後に見た段階でも、あの事件が十分冤罪であることは明確だった。

この事件は、東京地検特捜部が担当した。収賄事件とは、政治家らが社会的・政治的な地位を利用して、他者から特別な便宜を受ける汚職だ。佐藤知事が違法に賄賂を受け取ったということだが、一審有罪判決後、控訴した東京高裁・二審で、控訴棄却で知事と実弟との収賄罪は認めたものの、追徴金はゼロ、つまり「賄賂の金額はゼロ」と認定したのだ。「だったら賄賂は何だったんだ」と誰でも不思議に思うだろう。痴漢で逮捕されたが、痴漢された人はいません、みたいなものだ。映画の中にでてくるが、知事はとにかく企業や市民の贈り物などについて、賄賂と受け取られかねないものは決して受け取らないように注意してきた。ある時高級な鮮魚を貰った知事は、その日のうちに相手に返してきなさいと秘書に頼んだという。

だから、逮捕は晴天の霹靂だった。その後、関係者が多数逮捕されたり、事情聴取を受けた。関係者も全く身に覚えがないのに、東京地検特捜部の取り調べは犯罪者扱いだ。関係者は、福島から特捜部のある東京に呼ばれ、慣れない、きつい取り調べをうけ、へとへとで帰ってくる。その間、自殺(未遂)者が何人もでた。ある関係者は、東京から福島に帰る新幹線から飛び降り自殺しようと考えた人もいた。そんな状況を知った知事は「嘘の供述をして早くこの事件を終わらせなくては……」と考えた。しかし、裁判が始まると、特捜部の酷い取り調べの実態が明らかになった。ある建設会社の社長Mさんは「知事への賄賂で弟の会社の土地を買った」と虚偽供述をさせられていた。

特捜部の仕事は東京でも名古屋でも大阪でも同じで、警察を介さず、贈収賄や脱税、企業犯罪など、政治家や企業が関わるような重大事件を独自に捜査する。政治家や大企業の社長が逮捕される日、段ボールを抱えて颯爽とビルに入っていく連中、どいつもこいつも「ザ・エリート」という面構えで、テレビに映るため、髪から靴の先まで整えてきました、みたいな顔をしている。

しかし、東京地検特捜部は、大阪の村木事件、プレサンス元社長事件と同じで、実際は大失敗だった。しかも知事の事件に、村木事件で、フロッピーディスクのプロパティを改ざんし、逮捕・起訴され、有罪判決を受けた大阪地検特捜部・前田恒彦検事が関わっていた。前田は、知事の事件で先のMさんを取り調べ、取り引きをもちかけ、嘘の供述をとった人物だ。Mさんは裁判で「(前田)検事との取り引きでそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言した。(ちなみの先週この前田の事件を暴いた『証拠改竄 特捜検事の犯罪」』(朝日新聞出版)を2日で読み終えたところだ)。 

しかし、なぜ知事が狙われたのか? 知事は在任中、東電福島第一原発、第二原発の事故やトラブル隠しや、国や電力会社のそうした体質に厳しく対峙していたという。福島県民を守るためだ。それが国や東電には気に食わなかったのだろう。実際、実弟を取り調べた検事がこう言ったそうだ。「知事はなぜ原発が嫌いなのか。知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と。

似たような事件が過去に福井県高浜原発のある高浜町でも起こった。高浜原発では日本で初めて獰猛犬を「警備犬」として使っていた警備会社「ダイニチ」があった。関電の幹部K(本では実名が出ていたような)が ダイニチの男性2人に、高浜町の今井理一町長の喉を警備犬に噛み切らせ、殺害しろと持ちかけた。「犬に殺らせたら証拠は残らん」と。今井町長は当時高浜で進められたプルサーマル計画に反対していたからだ。計画は実際のところは頓挫した。その後、男性2人は、Kとトラブったかで怖くなり、自ら顔出し・本名で、ある週刊誌に殺害計画の全貌を告白した。それを一冊にまとめたのが、ジャーナリスト・斎藤真氏の「関西電力 反原発町長暗殺指令」だ。告白した男性2人は、その後恐喝か何かで逮捕された。どの程度か知らないが、恐喝事件は実際あったようだ。やつらは「悪事を働いたような奴の言うことを信用できるか」といつもの手を使いたいのだろうが、そういう悪事を働いたからと言って、2人の告白が虚偽だったとはいえない。

それにしても、関電、東電、政府ら原発を動かしたい連中は、人を殺害してまで、あるいは逮捕、取り調べで多くの人たちを苦しませ、自殺(未遂)に追い込ませても平気だ。「知事抹殺の真実」、私が見た最後のシーン、知事がある集会で支援者の前で、事件当時を思い出し、嗚咽がとまらないシーンだった。私も泣けた。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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普通に「パレスチナ」と言えるようになった時代に…… 豊田直巳さん講演会「パレスチナから福島へ」を終えて

尾﨑美代子

普通に「パレスチナ」「パレスチナ」と言えるようになったのにと話してた10月4日、「ヤバイこと言ったら電波止めるよ」の女が自民党総裁になったとは……。

10月4日、大国町社会福祉法人「ピースクラブ」で開催のフォト・ジャーナリスト豊田直巳さんの緊急報告会に参集された皆様、どうもありがとうございました。タイトルは「パレスチナから福島へ」で、終了後SNSなどを見ると、パレスチナ問題に関心ある方、福島に関心ある方、その両方に関心がある方、その2つがどう繋がっているの?と思った方など、さまざまな方が参加されたようです。 私は、どちらかというと、パレスチナ問題には詳しくなく、豊田さんをお呼びすることになって慌てて、いろいろ勉強したという感じでした。

とはいえ思えば、1980年代半ば、私は東京の山谷で日雇い労働者の組合の支援を関わっていましたが、その組合の映画を撮って欲しいと、ドキュメンタリー映画監督・故布川徹郎さんに依頼するため、組合の書記長と私の2人で目黒区の布川邸を訪問したことがありました。そして撮って頂いた日雇い労働者の組合のドキュメンタリーの中で、イスラエル大使館へ抗議にいく場面があり、私が組合の車からシュプレヒコールを行うシーンがありました。なので、当時はなんとなくパレスチナ問題に関心を持っていた訳ですが、その後どうなったかについてはあまり知らなかったという訳です。聞けば、豊田さんは、この布川監督に連れられて初めてパレスチナを訪れたとのこと、驚きました。

月日が流れ、2011年3・11がありました。私たちは「西成青い空カンパ」を作り、直接被災者にカンパを渡したいと、8月頭京都の講演会でお会いした飯舘村の長谷川健一さんを通じてカンパを送ることにしました。またその当時、ネットで読んだのが、豊田さんの「福島で線量計の針が振り切れた」という記事でした。パレスチナの取材以降、イラク、チェルノブイリなど取材した豊田さんだからこそ、すぐに福島に入れた(入らなくてはならないと感じた)訳ですが、その豊田さんは偶然私たちが支援していた長谷川さんの映画を撮影していました。

4日当日、豊田さんにはお話を75分(1時間と15分)お願いしておりました。パレスチナと福島をどうつなげるのか……参加された方の中には「無理筋」ではないかと思っていた方もいたようです。確かにパレスチナからイラクでの劣化ウラン問題…そして福島まで辿り着くのか…という時間になりまして、豊田さんは「もう終わり?」と私に聞き、「まだいいですよ」と答え、再び「もう終わり?」と聞かれ「まだ話して」と伝え、結局15分×2回の30分オーバーとなり、どうにかパレスチナと福島の問題をつなげていただけました。

想定外ではありますが、全然OKでした。なにしろ豊田さんの話が面白い。面白いと言ったら語弊があるかもしれませんが、報告会終了後、はなで行った親睦会で、豊田さんは「面白い」と言われるのは嫌ではないとおっしゃってました。そう、本当に面白いから、本当はもっともっとお話を聞きたくなるのです。皆さん、どうぞ豊田さんのお話を聞いてくださいませ。

あと、親睦会でどなたかが話していたのは、それこそ1980年代、あるいは少し前でも「パレスチナ」のデモの参加者はまだ少なかった。パレスチナと口に出すことさえ、「過激派」(それも超がつく)と思われていた。それがどうでしょう!今では、多くの人がその名を口にし、デモに参加し、スイカのバッチを身に付け、支援を表明しています。その変わりようが凄いという話になりました。そう、私たちは、もっともっとパレスチナ支援の声を高らかに揚げていかなくてはならないと痛感致しました。

参集された皆様、ありがとうございました。今後も共にパレスチナ支援の声を広めてまいりましょう!!

毎回だが、音響、プロジェクター関係で何人もの仲間が関わってくれる

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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『紙の爆弾』10月号に冤罪「みどり荘事件」を寄稿しました。ぜひ読んでください!

尾﨑美代子

「みどり荘事件」は、1981年大分県で起こった女子短大生強姦殺人事件です。この事件を書くにあたっては不思議ないきさつがありました。

確か25年ほどまえ、ある冤罪の専門書を読みました。日本の刑事司法の問題点がいろいろ書かれてて、ひとつに「日本は未だに自白中心主義だ」とありました。25年ほど前で「未だに」です。というか、それこそ「未だに」警察、検察は自白をとることに必死であることは、最近のプレサンス元社長冤罪事件でも明らかです(この事件も紙の爆弾に書いてます)。さらに驚いたのは、証拠の杜撰さです。つい先日も佐賀県警の科捜研の男性が長年DNA型鑑定で不正を続け(その数が130件)るという事件がありました。「問題ないね」と居直る佐賀県警、そんな訳ないだろう。

「みどり荘事件」に話を戻します。事件で犯人とされた男性の髪の毛はパンチパーマの短髪であったのに対して、「証拠」とされていたのは「ロン毛の金髪」だったというのがありました。おいおいおい、と驚く話です。それを裁判の途中でみつけた弁護団は、彼が常に短髪のパンチパーマだったことを立証するために、男性の姉、月に一度通う理髪店店員や理髪協会の関係者に証言させました。姉は事件前、父の葬儀があり、喪主である弟に理髪店に行かせたこと、理髪店店員は男性が常に数センチのパンチパーマをかけていたこと、理髪協会関係者はパンチパーマは時間の経過とともに伸びることはあってみ直毛にはならないなどと。その本では確かに「ロン毛の金髪」だったので、何の事件か調べようと、「冤罪、ロングヘアー、金髪」等で検索したこともありましたが、全くわからずに時が経ち……。 

一昨年、飯塚事件を取り上げた映画「正義の行方」を観た私は、どうしてもお話を聞きたくて、仲間と飯塚事件弁護団の徳田靖之弁護士をお呼びしました。その前に徳田弁護士がほかにどのような事件を担当したかを調べました。飯塚事件同様にすでに被告が死刑執行されたもう一つの冤罪「菊池事件」を担当しているのは知っていました。ほかを調べると、冤罪で一審で無期懲役、控訴審で無罪を勝ち取った「みどり荘事件」がありました(無罪判決を勝ち取ったのは、14年後の1995年でした。)。「どんな事件だったのだろう」と読み進めていくと、後半で、久間三千年さんの死刑執行の連絡を受け膝から崩れ落ちた岩田務弁護士が「念のため」と高裁で証拠品を確認しにいく場面がでてきます。そこで見たのは、被告の髪と全く違う髪の毛。「金髪、ロン毛」ではありませんが、被害女性か姉の毛髪のようで、栗色のセミロングでした。

裁判資料などを集め、書き進め、最後に徳田弁護士に確認して頂こうとメールを差し上げました。いつも多忙で「遅くなってすみません」と返事があるのですが、このときはすぐに返事がきました。「了承しました。その事件を取り上げて貰えるのは嬉しいです」と。記事は、徳田弁護士の大ファンの東住吉事件の青木恵子さんにも読んでもらいました。「この事件はしらなかった。徳田弁護士のように熱心に弁論してくれる弁護士ばかりだったらいいのに」などと言っておりました。その直前、青木さんが応援している被告の控訴審があり、まともな審理も行われず、あっという間に控訴棄却となってしまっていたからでしょうか。

原稿の締めをどのように書こうか、いつも悩みます。今回は、その素晴らしい最終弁論の場面を書きました。徳田弁護士の最終弁論が終了すると、傍聴者から拍手が沸き起こる。「静かにしなさい」と裁判長がたしなめます。それは法廷で良くある光景……さてその後どうなったか?ぜひ、本誌でご確認ください。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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戦争と原発は核でつながっている ── 10月4日大阪でフォトジャーナリスト豊田直巳さんの緊急報告会を開催します!

尾﨑美代子

10月4日(土)、フォトジャーナリスト豊田直巳さんの緊急報告会を行います。限られた時間内での宣伝となりますが、ぜひご参集ください。

大学の先輩の豊田さんのジャーナリストとしての活躍ぶりは知っておりました。3・11後、私が釜ヶ崎の仲間と支援を始めた福島県飯舘村に足しげく通っていることも知っておりました。

時が流れ、Facebookなどでやり取りするようになったのが今年初め。私は編集委員で関わる反原発雑誌『季節』(鹿砦社発行)の原稿を豊田さんに依頼、最新号に掲載された豊田さんの記事が「ガザからフクシマへ」です。

5月17日、アジアで初めて原発ゼロを実現させた台湾、現地には水戸喜世子さんも行っておりました。さらに『季節』で依頼した豊田さんの写真に水戸さんのお姿もありました。そんな水戸さんと「いつか豊田さんの写真展と講演会をやろうね」と話していたところ、なんと、豊田さんから10月4日に報告会をやってくれないかとお話がありました。一緒に取り組んでくださるのは、水戸さんの娘さんの晶子さん。晶子さんも台湾で豊田さんと出会っていました。晶子さんはパレスチナ問題をもっと広めなくてはと奔走され、10月5日谷町六丁目の書店「隆祥館」で早尾貴紀さんとトークイベントを企画(チラシ参照)しており、豊田さんがせっかく来阪されるなら、4日もどこかでお話出来れば…ということで急遽この報告会がきまりました。

素適なチラシを作って下さった晶子さん、実は「12人の絵本作家が描くおうえんカレンダー」の制作活動を続けております。こちらのカレンダーは当日会場で販売いたします。そこに先の『季節』の豊田さんの文章から抜粋し、「プロジェクトX」風の文章にまとめてみました

その『季節』の豊田さんの文章の最後はこうまとめられています。

私(たち)は「どのように」許さないか。パレスチナからフクシマへの私個人の道のりが示すように、戦争と原発は、つまり戦争の中から生み出された核は、今も密接に結びついている。そのことを改めて私(たち)に実感させたのもやはりイスラエルとアメリカの戦争。イランへの核施設(原子力施設)への国際法違反を承知での攻撃だった。この現行の締め切り間際のこの蛮行を記す現状を、私(たち)は「どのように」許さないかが問われている。

世界各地の紛争地で続く核攻撃と、自国に向けられた核兵器である原発を、一刻も早く止めていこう。

※当日は同じく飯舘村支援を続けてきた「アカリトバリ」のミニライブ、ガザ支援の物販コーナーもあります。

[追記]翌5日(日)には隆祥館書店(谷町六丁目)でも豊田直巳さんのイベントが開催されます。こちらもぜひご参加を!

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0FJXW1RPD/

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)https://www.rokusaisha.com/wp/?cat=57
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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戦後80年、「戦争トラウマ」を知って下さい ── 藤岡美千代さんのお話会と『ルポ 戦争トラウマ』

尾﨑美代子

8月31日、私の店で行った藤岡美千代さんのお話会、感想は昨日購入した『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)を読み終えてから書きたいと思っていた。

『ルポ 戦争トラウマ 日本兵たちの心の傷にいま向き合う』(朝日新書)

以前書いたが、共通の知り合いが何人もいる美千代さんが、あるとき「9歳の時、父が亡くなって兄とバンザイ!と叫び大喜びした」という投稿を見て驚いたことがあった。その背景に、戦争から戻った父から美千代さんや兄が壮絶な暴力を受けていたこと、「いただきます」というなりひっくり返されるちゃぶ台、それと同時に始まる父の大暴れ。美千代さんと兄は急いで表に逃げ、父が酒に酔って寝るまで外で待つ。そっと帰った部屋で、畳に散らばったご飯やおかずを急いで口に詰め込む。料理が土間にまで飛んだときはみそ汁だけすする。夜中に急に起きだし、子どもに暴力をふるう父。それがいつおきるかわからず、熟睡できず、学校でボーとしていたという美千代さん。

この夜中にガバッと起きだす様を、昨年一人で見た映画「火影」(私も見た。塚本監督のこの映画や「野火」には戦争トラウマの犠牲者が描かれている)に出てきて、映画館で過呼吸、パニックに陥ったという。

美千代さんが9歳のころ、父と母の離婚が成立し、子どもと母で家を出た2ケ月後、父は自死する。当時は病死と聞いていた美千代さん、自死と知ったのは20歳の頃だった。しかし、当時は「ばんざい!ばんざい!」と喜んだ美千代さんと兄。美千代さんは、父が火葬され、本当にこの世からいなくなるのかと、火葬を最後まで見届けようとしたという。

私は父にも母にも一度も手を上げられたことがない。小学生の頃、私はなぜか、父や母が村の会合などででかけていると、帰ってくるまで気になって自分の部屋でなく、茶の間で待っていた。あの日、父が会合から遅く帰ったときも、私は茶の間の炬燵で寝ていた。戻った父はそんな私をみて「自分の部屋で寝ろや」と足でこつんと私の脇腹をつついた。痛くもないのに、父の足が私の脇腹のどこにあたり、どんな感触だったか、私は鮮明に覚えている。暴力などと言えないのに……。それに比べ、親や大人に暴力を奮われた子供たちは、どんな思いでその後を生きていくのか、ずっと気になっていた。

10年ほど前、ある番組でみた「暴力の連鎖」。ある母と娘が暴力をはたらく父から逃れて2人の生活になった。それはドキュメンタリーなのだが、中学生の娘が暴力こそ振るわないが、母親に向かって「このばばあ、何やってんんだよ」と暴言を吐いていた。母親は、それでも父の暴力から逃れ安全圏にいるからか、「はいはい、わかりましたよ」などと返していたが。やがて大学に入った娘は友達から母親へのそのような態度は改めるべきと忠告され、自身も「何故そうなるのか」と考え、その後、DV、虐待などで傷ついた子供たちをケアする仕事に就きたいと考え始める。

話を戻すと、美千代さんもそうだった。あるとき取材を受けた記者に「ご自身のお子さんに手を挙げたことがあるか?」と聞かれ、すごくドキドキしながら「あります」と答えたという。1歳半の娘が「ちゃーちゃん、ちゃーちゃん(お母さん)」とまとわりついてきたとき、仕事でイライラしていた美千代さんは、子どもをはらいのけたら1.5メートル位飛んだのだという。「父と同じことをしている」。そして「一番触れられたくない部分だけど私が一番いいたかったこと。つまり虐待は連鎖するんです」と美千代さん。美千代さんはなぜそうなったかにじっくり向き合う。

またもうひとつ、考えないようにしてきた父からの性虐待についても考えるようになった。父は美千代さんを膝にのせては身体を触ったりしていた。その後布団に入ってきては、美千代さんの太ももに性器をあてたりした。もちろん当時の美千代さんはその意味がわからない。「父が私の上で腕立て伏せをしていた」とそっけなく語る。父のそうした行為は、母が父のセックスを拒否していたこともあるようだ。

父の死後母と兄と3人で暮らすようになると、今度は兄が美千代さんに父と同じようなことをしてきたという。ふすまをあけ隣の部屋の母に助けを求めるが、母はふすまを閉め助けなかったという。母は兄(長男)を家に引き留めたいと思っていたのだろうと美千代さん。

「だめなものはだめと大人がいわなくてはならない」。どんな悲惨な話もどこかおもしろおかしく話していた美千代さんが、その話をしたとき、少し涙声になっていた気がした。「それはやってはだめ」「それには反対」と気が付いた大人が口にして言わなくてはならない。

世界各地で戦争や紛争が続く今、今後、戦争トラウマでその後何世代にも渡って傷ついてしまう人たちを生むことになるのだろうか。

そうさせないためにも、「戦争反対!」と声高に叫ぶだけではない、いじめ、差別、虐待、暴力……戦争につながる、どんなに小さなことにでも「それはだめ!」「それはやってはいけない!」「それには反対!」と、見た人、知った人が口にしていかなくてはならない。

▼藤岡美千代(ふじおか みちよ)
1959年3月生まれ。鳥取市にて18歳まで過ごす。1977年、高校卒業と同時に、大阪の保育専門学校へ。保育資格、幼稚園教諭免許、短大卒資格を取得。1979年から2009年まで大阪府箕面市効率保育所勤務。2010年、大阪市東淀川区で喫茶店「オリーブガーデン」を開業し、現在に至る。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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冤罪当事者・前川彰司さんが語る「福井女子中学生殺害事件」無罪判決確定報告会

尾﨑美代子

8月9日、ピースクラブで行った「福井女子中学生殺害事件無罪判決確定報告会」には50人以上の方が参加され満席でした。参加された皆様、ありがとうございました。前川彰司さんも「大勢の人が来てくれたね」と喜んでおりました。

初めて参加される方も多く、冤罪事件への関心が少しづつ高まっている気がしました。また検察が上告断念し無罪が決まった8月1日から初めての報告会ということもあり、地元福井から朝日新聞福井支社、日刊福井の方、そして読売テレビ、共同通信の記者も取材に来られた。あと、金聖雄監督とコンビを組む池田カメラマンも。

最初に無罪判決が下された7月18日の雰囲気を皆さんと共有するため動画を見てもらい、判決日と同じ服装をしてきてもらった前川さんに登場頂いた。黄色のネクタイは青木恵子さんから、お帽子は袴田さんから頂いたものだ。前川さんのお話のあと、端将一郎弁護士がパワーポイントを使い、事件の概要と無罪判決のポイントを話してくださった。

それにしてもこの事件、以前にも書いたが、関係者の数が多いうえ、供述がころころ変わり、全体が掴みにくい。それもそのはず。関係者は皆若く、皆、脛に傷持つワルなのだ。前川さんも自戒を込めて「おれもワルかった」という。そんな中おこった中学3年女子の殺害事件、非常に残忍な殺害方法で、当初、少女の不良仲間のリンチと推測された。しかし犯人を絞りこめない。そんなとき、別件で逮捕されていた暴力団組員Aが「犯人は後輩の前川だ」と刑事にいう。しかし、その供述も二転三転。されほど残忍な殺害を犯した前川が犯人というなら、早く逮捕せねばならぬが、逮捕までに時間がかかっている。なぜか? 警察は前川さんを犯人とする「ストーリー」を描き、多くの関係者をその図にうまくはめ込むのに必死になっていたのだ。 

そもそも、前川さんはその女子中学生を知らない。しかし、「前川の黒い手帳に女の子の住所が書いてあった」などという供述もあった。すべてうそ。しかし、ストーリーになんとか信ぴょう性をもたせねばならない。そこで一役買ったのが、例の「夜のヒットスタジオ」のアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りをする場面だ。質疑応答で、これがどういう経緯ででてきたのかという質問があった。確か、私が資料を読んだとき、取り調べられた関係者の一人が、事件が起こったのが、木曜の9時ということで、たいてい夜のヒットスタジオみてるなあと思ったのか、少年の一人が「あのいやらしい踊りの日か?」と刑事に聞く場面がある。若い男の子が「いやらしい場面」と言えば、相当強く記憶に残るはずと刑事が考えたのではないか。で、「そうだ、そうだ、その日だ」などといって調子にのせて「NがCと部屋で夜のヒットスタジオを見て、ちょうどアンルイスと吉川晃司のいやらしい踊りをみたあとAから電話で呼び出された」ということにしたのでは。実はNは事件当日「ツレとうどん屋に行って男女の喧嘩をみた」とも言っていた。そっちの供述は実際にあったことだ。うどん屋で喧嘩した男女の証言もあり、その事実を警察もうどん屋に確認していた。またNはその日の深夜車で移動中検問にあい、覚せい剤を持っていたのでドキドキしたという。実際、検問があったことは証明されている。 

Nは一審で2回証言している。一回目は検察側証人として、「いやらしい踊りを見たあと、Aに呼び出され、……血のついた前川を見た」と。その後、弁護団と面談し、「うどん屋で男女の喧嘩をみた」に変えた。そして一審は前川さん無罪となった。 

検察は控訴し、控訴審でNが再度検察側証人として「血のついた前川を見た」と証言する。松山龍司刑事に嘘の証言を頼まれたからだ。自分の覚せい剤の件を見逃してもらうかわりに。嘘の証言をしたあと、松山刑事に飯や酒を奢られたNは、結婚したことを告げると、後日松山刑事から5000円の入った祝儀袋が届いた。二回目の再審で、嘘の証言をしたことを証言し、祝儀袋を証拠提出したN。そのことは知っていたが、まさかその祝儀袋があんなにきれいに保管されていたとは、驚き。

今回最大の問題は、夜のヒットスタジオでアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りを踊っていた放送日は、事件のあった日ではなく、翌週だったこと、しかも警察、検察は前川さんを逮捕・起訴したあとの補充捜査で、テレビ局に問い合わせ、その事実を知っていたのに、ずっと隠してきたこと。今回の再審で初めて出てきた287点の証拠の中に、それがあったこと。

これに関しては増田啓佑裁判長も「……裁判では事件当日に放送されたという、事実に反することを、ぬけぬけと主張し続けている。……再審でもこの点について何ら納得できる主張がなされていないことをあわせると、知らなかったと言い逃れができるような話ではない。当時の検察官の訴訟活動は公益を代表する検察官として、あるまじき、不誠実で罪深い、不正行為を言わざるを得ず、到底容認することはできない」と超厳しく批判した。顔もぷんぷんと怒っていたようだった。それにしても判決文で「ぬけぬけと」とは。

質疑応答では、「何故警察、検察は裁かれないのか?」と怒りの質問が多かった。確かにそうだ。

若い時期に殺人犯にされ、服役した前川さんは、精神的に病み、病院に入退院を繰り返した。人を信用できなくなった、しかし徐々に寛解してきたと話された。私は3年前、桜井昌司さんに紹介され、電話で話すようになった。しかし、最初は「はい、いいえ」としか言わなかった前川さんが、昨年秋に再審開始が決定して以降は、電話でも良く話し、そして笑うようになった。そうなるのに、39年かかったということ。あまりに残酷だ。

最後に冤罪犠牲者の皆さんのミニアピール。再審を闘う日野町事件の阪原浩次さん、姫路花田郵便局事件のジュリアスさんのアピールのあと、仕事で参加出来なかった和歌山カレー事件林眞須美さんの長男さんからのアピールを司会の尾崎が代読した。湖東記念病院事件の西山美香さん、そして最後にアピールした東住吉事件の青木恵子さんにより、無罪決定を祝うケーキがプレゼントされた。青木さんは、テレビで前川さんが自身の還暦の誕生日に、コンビニのケーキを食べているのを見て、気の毒になり、また自分も刑務所で寂しい誕生日をおくったことを思い出し、みんなで前川さんの還暦をお祝いしたいと用意してくれた。

「前川さん、再審無罪、お誕生日おめでとう!」

実はこの事件の記事を書き始めた当初、YouTubeでそのいやらしい踊りの場面をみることができていた。が、まもなく見れなくなった。が、昨日帰宅後に再度検索したら、ひと月前にアップしている方がいて、見ることができた。コメント欄には「前川さんからきました」とか「吉川晃司が前川さんの無実を証明した」とかある。多くの人が前川さんの無罪を知って喜び、そして冤罪の残酷さを知って欲しい。アン・ルイス・六本木心中(with吉川晃司)で検索!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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39年前の福井女子中学生殺害事件で前川さんに再審無罪判決! アン・ルイスと吉川晃司のいやらしい踊りのパフォーマンスはいつ放送されたのか?

尾﨑美代子

7月17日、西山美香さんの湖東記念病院事件の国賠で、大津地裁は滋賀県(滋賀県警)の捜査の違法性を認める判決を下した(ただし、国の違法性は認めなかった)。その翌日、名古屋高裁金沢支部で福井女子中学生殺害事件の犯人とされた前川障司さんに再審無罪判決が下された。39年前のこの事件、亡くなった桜井昌司さんから「前川の事件も書いてくれよ」と言われていたが、資料を読み何度も諦めていた。

事件は卒業式の日、家で1人でいた女子中学生が殺害された。非常に凄惨かつ残忍な殺害方法だったため、女子学生が関わる非行グループ内のリンチ事件と考えられた。しかし、捜査は難航。そんななか、逮捕中の暴力団組員の加藤(仮名)が「後輩の前川が犯人だ」と刑事に告げたことから、前川さんが逮捕された。前川さんはこの女子学生と面識はなかったうえ、前川さんを犯人とする証拠も一切なかった。あるのは「血がついた前川を見た」という多くの関係者の証言のみ。その関係者の数だが、AからG位まであり、中には小文字のn、大文字のNとかある。これは、例えば中野が仲野に変わるなど、加藤の証言がころころ変遷していたからだ。

しかも関係者の多くが暴力団関係者やシンナー、覚せい剤を使用していた若者たち。警察に睨まれたくないため、いわれるがままに嘘の調書をとられた。「前川の手に血がついていた」というBの証言、「前川が『あのバカ女』」などと言っていた」というDの証言などをを集めて、前川さんを犯人とした。このようないい加減な証拠しかないうえに、同じ一審で検察側証人に立った若者が、その後、弁護側証人として、前の証言をひっくりかえすなどしたため、一審は無罪だった。しかし、これを不服とした検察が控訴。控訴審では一審で証言をひっくり返した少年が再び「前川を見た」に証言を変え、二審は有罪判決、前川さんは服役してきた。

服役後の第一次再審は再審開始が決定したが、検察が控訴し訴えは棄却されていた。今回の第二次再審で、2024年10年再審開始の決定がでた。その「決定書」を読んだ私は「なんだ、これは?」と驚いた。決定書には、これまでの判決文などに出てこなかった文字が躍っている。「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」。なんなんだ?

こういうことだ。当時流行った歌番組「夜のヒットスタジオ」でアン・ルイスが「六本木心中」を歌う後ろで吉川晃司が過激な踊りを披露するという場面があった。実は、私は取材を始めた頃、その場面をネットで探して見たことがある。吉川がアン・ルイスの後ろで腰を打ち受けたり、アン・ルイスがマイクを吉川の股間に押し付けるという過激な内容だった。裁判では、木曜日夜9時の同番組で、その過激な踊りが放送されたのは、事件当日だったとされた。山田(仮名)と林(仮名)という加藤の手下の若者は、山田の家でこの番組を見ており、2人で「いやらしいな」と話していたが、ちょうどそのとき、加藤から電話があり、車で迎えにいったというのだ。 当時見ていた方はご存知だろうが、夜のヒット・スタジオにはその週ヒットした歌手が出演して、生放送で歌っていた。なのでヒット曲を持ち続ける歌手は、毎週のように出演するわけだ。なので、新聞の番組欄には毎週のように2人の名前がでていたはずだ。警察は関係者にその新聞をみせ「この日で間違いないな」などと確認していたのだろう。

黃色の勝負ネクタイは、青木恵子さんからプレゼントされたもの。入廷行進で被っていたお帽子は袴田巌さんから頂いたもの

時は過ぎ、新たに弁護団に入った若手の弁護士らが、「いやらしい踊りってどんな踊りなんだろう?」と興味をもち、なんとAIに質問してみたという。すると、古舘伊知郎が語る場面がでてきたそうだ。その放送日は1985年10月2日。古舘はその日初めての司会だったので、そのいやらしい場面が「目について離れない」と語っていたという。え? 1985年?? さらに調べると、その場面は翌年1986年に再放送されていた。「ヒットパレード、この1年間の思い出に残った曲」などという特集でも組まれたのではないか?しかし、その放送日は1986年の3月26日で、事件のあった3月19日ではなかったのだ。さらに驚いたのは、再審で弁護団が開示させた新しい証拠の中の「捜査報告書」には、その事実がはっきり書かれていた。「いやらしい踊りをしている場面が放映されたのは3月26日、3月19日にはありません」と。その報告書の作成日は1989年1月28日、つまり一審が続けられていた時期だ。

おい、どういうことだ。警察、検察はいやらしい踊りの放送はその日でないことを知りつつ、裁判を続けた。何故なら、山田と林が事件当日見ていたのは、ただの夜のヒットスタジオでアン・ルイスが歌う場面ではない。吉川晃司といやらしい踊りを踊った番組だ。だから、印象に残っているのだ!事件のあった日だ。ちょうどその時、加藤の兄貴に呼びだされただと……。そうか、だから、検察は裁判で、この一番重要な証拠について、証人に聞くことはなかった。「アン・ルイスと吉川晃司はどんな踊りをしていたんですか?」とか「それを見てあなたはどう思いましたか?」などと。詳細を聞けばうそがばれる可能性があったからだ。一方、裁判官が証人にそのことを聞いた。証人は「間違いないです。その(いやらしい踊りが放送された)日です」と証言した。

結局、その証人は、再審で、証言を変えたことについて、当時自分も覚せい剤をやっていたので、それを見逃してもらうため、警察のいうがままに嘘の証言をしたと証言した。裁判で更に嘘の証言をした日は、刑事に飯を奢られ、スナックで飲まされたとも証言した。その際、結婚したことを告げた証人に、その刑事が5000円入ったお祝い金をくれたと、刑事の名前がばっちり入った祝儀袋を証拠提出した。

もちろん、それ以外でも弁護団は多くの新たな証拠を提出し、無罪を争っていた。それにしても本当に悪質だ。冤罪は証人の記憶違いや小さな間違いで作られるものではない。警察、検察が何十年も証拠を隠し続け、必死で作っているのだ。前川さんの無罪は、控訴期限の8月1日で決定する。前川さんはその後全国各地を報告会で回るようですが、まず最初に大阪に来て話したいといいますので、8月9日土曜日に大阪で報告会を行いたいと、現在弁護団と調整中です。決まりましたらお知らせします。ぜひ、多くの方々に集まって頂きたい。

◎前川障司さんをお招きしての大阪報告会開催決定!◎
8月9日(土)14時~(開場13:30)
「福井女子中学生殺害事件」報告会
報告:前川障司(冤罪犠牲者)、端将一郎(弁護士)

事件から39年で再審無罪!
開示証拠が無罪の決め手に!
判決は警察・検察を厳しく批判!

会場:社会福祉法人ピースクラブ4階
(大阪メトロ大国町駅5番出口南へ5分)
参加費:800円(資料代込み)
主催:実行委員会
問い合わせ:090-7356-1747(オザキ)
 hanamama58@gmail.com

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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冤罪「湖東記念病院事件」滋賀県に勝訴! 国の責任を認めず!

尾﨑美代子

冤罪「湖東記念病院事件」の国賠訴訟、本日、大津地裁で判決がくだされた。傍聴券抽選のため、ロビーは希望者で溢れたが、私はどうにか傍聴券を頂いて中に入れた。

判決は、滋賀県警の捜査に対する違法について、原告の主張をほとんど認めた。とくに、警察が、捜査当初から鑑定医が「患者さんの死亡は痰詰まりの可能性がある」とした捜査報告書を検察に送致していなかったことについて、違法だと認め、この違法がなければ、美香さんは起訴すらされなかったと判断した。

私はこの国賠訴訟、第一回目を傍聴したが、その後は仕事で傍聴ができていなかった。が、裁判で証言した刑事は「報告書といってもメモ的なものもあるのですべて送致するわけではない」などと言い訳したそうだ。しかも送致しなかった報告書は「ちゃんと保管してますわ」と刑事が親指と人さし指で3~5センチほどの厚さを示したと、井戸弁護士が指で示した。つまり警察は私たちの税金で集めた証拠の多くを検察に送致していなかったということだ。

もちろんその証拠の中には、患者の死因は「痰詰まりの可能性がある」という、美香さんに無罪判断を下す証拠もあるのである。この捜査資料の不送致の違法性を厳しく断罪した判決は過去に例がないと思われるとのことだ。

一方、判決は、国(検察)については原告の違法の主張をすべて認めなかった。裁判所はとくに、早川検事が作成した調書についての不合理について全く判断しなかった。次の内容だ。美香さんは、当時勤務していた病院で呼吸器を付けて永らえていた患者さんが死亡した件で、呼吸器の管を抜いたとして殺人罪で逮捕・起訴され、有罪判決で服役した。

それまでの経緯だが、一人の看護師が「(呼吸器を抜いた際に出る)アラームが鳴っていた」と嘘を付いたことから始まり、結果、看護助手を美香さんは山本誠刑事にマインドコントロールされ、「管を抜いた」と嘘の自白を強いられた。

「管を抜く」イコール「殺す」とは考えてもいなかった美香さん。警察はその後、具体的にどのように殺害したかを供述させなくてはならない。滋賀県警と山本刑事はどうやったか? 実は、その後の捜査で実際はアラームは鳴っていなかったことが判明。では管を外したのにアラームが鳴らないようにするにはどうしたらいいか。警察は考えた。そこで警察は、呼吸器の専門家に技術的なことをレクチャーしてもらった。呼吸器には消音機能維持装置があって、管を抜いてアラームが鳴ったらそのボタンを押すと消える。それから60秒経つと再度鳴るので、その前にまた押す。それを3回、つまり3、4分管を外し、酸素を送らずにいたら、絶命するということだ。

しかし、ここで困った事態がおこる。美香さんは看護助手なので、呼吸器などの医療器具を扱う立場にない。やり方もしらない。しかもこの消音機能維持ボタンについては普通の看護師でもしらないそうだ。「何故そんな装置を知ってたか」と問われ、美香さんは当初「看護師さんがやっていたのを見て覚えた」と話していたという。しかし、同病院の看護師全員に聞いたところ、その装置の使い方を知る人はひとりもいなかった。

そこで気が付け! 早川! 看護師がだれひとり知らなかった装置を看護助手の美香さんがしっているはずないだろう? ところが、警察の作った嘘・デタラメな調書を本物のようにするために上塗りするのが検事の仕事。そこで検事として頑張った早川、患者に強い殺意を抱いて管を抜いた美香さんが、そのとき装置についたボタンを偶然押した。「あらま、アラームが止まったわ」と美香さんが思ったか思わなかったか。しかし、問題はそこからだ。美香さんは何故か胸のなかで「1、2、3……」と数えたという。いやいや、美香さん、そのやり方(アラーム音止めるボタンを押したのち、60秒したらまた鳴るという)しらないってば? と突っ込みたくなるのは私一人ではないはず。早川! そう思わないか?

なお、判決全体で井戸弁護士が強く批判したのは、弁護団と美香さんが最も強く主張した「供述弱者」についての判断が全くないことだ。滋賀県警と山本誠刑事は、美香さんが山本に恋心を抱いていることを利用して違法な取り調べを行ったことの違法については判断を避けたことだ。この点が全くネグレクトされている点について、井戸弁護士は裁判所としてはありえないと断罪した。弁護団、美香さんも国に対して控訴することを決めているが、控訴審ではこのネグレクトの違法性をとことん追求していくそうだ。

ここにきて、朝からバタバタして突然力尽きた尾崎さん。いろんな人にも会ったからね。それにしても最後の記者たちのつまらない質問。「美香さん、今日のお洋服は白ではないのですか?」みたいな。そんななか、青木恵子さんが花束を贈る時間がなくなってきた。私は亡くなった桜井昌司さんの「記事を書くなら記者席に座れ」を守り、偉そうに記者席の前から2列目に陣取っていたので、事前に司会の方に伝えておいた。が、青木さんらが明日の福井女子中学生殺人事件の判決に向けた、今日中に金沢入りということで、電車の時間が迫っていた。大勢の記者が多くの質問をするのはよいが、最後「何故、今日は白い洋服ではなかったんですか」とか要らないだろう、とイラついていたら、青木さんが「ママ(私)、時間ないわ」と言ってくるので、司会の方に伝えたら、急遽花束贈呈をいれてくれることになった。

それにしても井戸弁護士のお話のなんてわかりやすいこと、美香さんの受け答えのなんと的確でユーモアに溢れていること。詳細は判決文を読んでまたまとめよう。写真は全然撮れてなくて、入廷行動の写真は東京の部落解放同盟の安田さんから、旗出しの写真は水戸さんにお借りした。皆さま、お疲れ様でした。

◎新プロジェクトX~挑戦者たち~「無罪へ 声なき声を聞け」滋賀・看護助手 知られざる15年
 再放送予定 7月19日(土)午前0:10~~午前1:00
 https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/episode/te/56K65391MP/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
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大阪万博で4つの下請け業者に建設費を払っていない「GLイベンツ社」とは

尾﨑美代子

7月13日、フリージャーナリスト西谷文和さんの万博問題の講演会に参加。会場は交野市内で市内からはかなり遠いので諦めかけたが、行って良かった。新たに分かったことも沢山あったし、「子どもたちを危険な万博へは行かせません」の山本市長のお話も聞けた。

万博では、現在9つの海外パビリオンで建設費未払い問題がおこっている。GLイベンツはそのうちドイツ館、セルビア缶、ルーマニア館、マルタ館で4つで未払い問題を起こしている。 GLイベンツ社とは何か? もとはフランスにある世界最大級のイベント会社だそうで、日本法人は2016年に作られた。当時の社長ロベール・ヴェルディエ氏は、もともと起業家で日本でも数々の企業を手掛けている人だそうだ。

そんな大企業で建設費用の未払い問題なんて起きるか?と不思議に思う方もいるはず。じつは咲州のビルに入るこの会社には、被害者の会の人たちや支援者らが二度抗議に訪れている。西谷さんの講演でその動画が公開された。2回目に訪れた動画で、被害男性が「ホテルの中で屈強な男性8人に囲まれ……」と話す場面があった。

「何のことか」と質疑応答で私はその場面について質問した。思った通り、ある業者の人が数人で同社を訪れたら、近くのホテルの一室に連れていかれ、そこで屈強な男性らに取り囲まれたという。「ガタガタいうな」と脅すようなものだ。そのため被害者らはその後は支援者らと大勢で行くことにしたそうだ。

先日私はFacebookで、GLイベンツで対応した男性の腕に刺青が入っていたそうだと書いた。記事の写真では男性が日本人か外国人かわからなかった。スポーツ選手などもそうだが、外国人はファッション、アートとして刺青をいれることが多い。なので、日本人のヤクザなどが入れる和彫りの刺青と若干意味が異なる。西谷氏の話では、そのGLイベンツで対応した腕に刺青の男性は日本人で、先ほどのホテルで被害業者を取り囲んだ屈強な男性の中にもいたという。いわばGLイベンツの「用心棒」として、「金を払って」と言いにくる業者を威嚇するためにいるようなものだ。

では、GLイベンツがどうしてここまで大胆に建設費未払いを公然と行うことが出来るのか?誰でも思うことだが、その背景には大物議員がいるんじゃないの、と。 

実は、起業家ロベール氏が、多くの功績が認められ、フランス政府から勲章を受けることになった。その授賞式に、日本からわざわざお祝いにかけつけた政治家がいる。森喜朗元首相だ。ロベール氏は元々ラグビー選手で、日本ラグビー協会会長の森と親交があったようだ。

やっぱり!このうさんくさい会社の裏には日本の国会議員が付いていた。森だけではない、五輪、ラグビー大会などは文科省の管轄、そこには裏金議員の下村、萩生田なども関わっている。大阪ではそこに維新がずぶずぶと関わっている。

大屋根リングから見えるカジノの建設現場。麻生セメントががっぽり儲けに食い込んでいる

GLイベンツに関しては、更にここ数日で新たな事実が明らかになった。GLイベンツの東京事務所は、大屋根リングを設計した「梓設計」と同じビルの同じ階にあり、何と「郵便受け」が一緒だという。どうなっているんだ! 郵便受け位、コーナンで数千円で買えるだろうに。

では、何故、9つもの海外パビリオンでこんな未払い問題が多いのか?あとで触れる万博のために作った「特例」のためでもあるが、もう一つは大屋根リングが先に作られたことも大いに関係している。というのも、リングの中で工事をするのだが、資材や機材を入れるのが非常に困難になるからだ。ダンプに積んでチャチャチャと現場に運び入れればいい重い資材を、おっちらこっちら人力で運ばなければなたないのだ。どんだけ大変か!遅れに遅れた工事が余計遅れるではないか?

もう一つ、こんな実務経験のないイベント会社や「建設業許可」のない会社が元請けにはいれたか? そのからくりが、今万博のために作られた「特例」(「令和7年に開催される国際博覧会の準備及び運営為に必要な特別措置に関する法律」)だ。

講演前に「万博協会や維新はどういう経緯、どういう理由でこのような特措法を作ったのだろうか」と西谷さんにお聞きした。西谷さんは会見で吉村知事に聞いたが、明確な答えはなかったという。この特措法のせいで、建設作業の実績もないイベント屋らが元請けに参入できたのだ。仮設ステージや来賓のテント作るのと、パビリオン作るのは全く違うぞ。しかし、万博協会は最後には「半年だけの構造物なので、仮設を作る業者でもいけると考えた」とでもいうのではないか、と西谷さん。

しかし、刺青とタトゥーが違うし、カーペンターと大工の源さんも違う。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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