千葉刑務所に服役中の男性から届いた手紙

尾﨑美代子

◆『日本の冤罪』を出版して以降

千葉刑務所に服役中の男性から届いた手紙、昨年12月頭からはじまり、先日で5通目となった。殺人、遺体損壊、遺棄の容疑で懲役30年。複数の共犯者がいるが、彼が首謀者とされた。もとは青木恵子さん(東住吉事件冤罪犠牲者)に手紙がきて、そのうち事件の全貌を詳しく書いたノートが送られてきた。その青木さんから「事件の詳しいことはわからないから。読んで」と頼まれた。

『日本の冤罪』を出版して以降5、6名の方から「私の事件も冤罪です」と連絡がきている。出版元の鹿砦社のほうに郵便物がきたり、「集い処はな」で外の人に調べてもらったのか、直接店に届く郵便物もある。必死に冤罪を訴える方に共通しているのは、「なんでも聞いてください。なんでも答えます」という姿勢だ。

この本を出す前からも「服役中の方に会ってほしい」と依頼されたことがあった。例えば東京のジャーナリストの方から「大阪の都島に服役中なので、尾崎さん会ってきて」とか。何回か接見して話をきくが、あるときから「その件はしゃべりたくない」というような人もいた。仕方ないが、そこで面会は止まってしまう。桜井さんも常々言っていたが、恥ずかしいことでも例えば不利になることでも、なんでも素直に話さなくてはならない。 

◆「ワル」だからといって、事件に関与しているとは限らない

男性にはノートを読んでから、多くの質問を送っていた。彼は5通の手紙(便箋7×5通)で、私の質問に必死で答えようとしている。「この説明でわかりますかね」「この件の詳しいことは次の手紙で書かせてもらいます」と丁寧に書いてくる。

正直、この事件は「福井女子中学生殺害事件」と似ていて、登場人物が非常に多く、また関係も複雑に絡み合っていてわかりにくい。実際、彼は仲間と詐欺行為をやっていた、いわば「ワル」だった。しかし、詐欺をやるような「ワル」だからといって、容疑をかけられ実刑判決を食らった事件に関与しているとは限らない。多くの冤罪犠牲者が「部落出身だから」「ボクサー崩れだから」「地元のワルだったから」との理由で、冤罪犠牲者にさせられ、無罪を勝ち取るまでに長期間不当に拘束されたり、「殺人者」の汚名をきせられてきたではないか。

詳細は言えないが、この男性には地方で殺人が行われた日に、東京都内にいたというアリバイがある。それも家族ではない第三者とある意味「商談」のような話をしている。だから関係種類などもあるだろう。男性はその相手を証人申請してが、認められなかった。それと彼が主導し、仲間と共謀し、殺人事件をおこし、その遺体をバーベキューコンロでバーベキュー用の炭で焼き、バーベキュー用のトングで突っつき、粉々にして廃棄したという判決文がある(何故バーベキューコンロ?と思ってたが、5通目で理由がわかった。その別荘へ家族、仲間と行ったのは事実。昼間バーベキューをやった。その事実から、そのバーベキューコンロで家族が寝静まった深夜、遺体の骨を焼いた、となったようだ)。

が、そんなことできるのか、不可能だろうと私は考え、それを手紙で伝えた。ちょうど「埼玉愛犬家殺害事件」に関係する書籍や関係書類を読んでいたときだからだ。それに対して彼は「逮捕後、初めて僕の主張を信用してくれる人と会えた」と青木さんのほうへ手紙してきたという。長い間、誰にも信用されず、孤独に冤罪を訴え続けた犠牲者は多数おり、その多くが声を上げられずにいる。青木さんは数年前、徳島のある支援者に頼まれ、青木さんと同じ放火殺人で服役中の平野義幸さんと面会してきた。そのときのことを思い出し、「平野さんのことがあるから、尾崎さんが初めて自分の主張を信用してくれたと男性が書いてきた手紙に涙が流れた」とラインがきた。

男性の5通の手紙を何度も読み返し、また判決文を読み返し、男性がいうように「またわからないこと、不明な点なんでも聞いてください」にこたえるようにしようと思っている。

◆警察、検察は必死で「冤罪」を作ってくる

冤罪事件で無罪判決がでた場合、「人間誰にでも間違いはあるよね。(冤罪を作った)警察、検察、裁判官も人間だもの……」という人もいる。しかし、私はとりわけ殺人などの大事件の場合、警察、検察は必死で「冤罪」を作ってくると確信している。

必死のパッチで最初に犯人と仕立てた被告を犯人にしたてる。それしか頭にない……というような話を、2月28日(土)10時~大東市立野崎人権文化センター(JR野崎駅下車)でお話させていただきます。参加費は無料、終了後近くの「バナナハウス」で昼食会(700円)もあるようです。奮ってご参加を!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「月夜釜合戦」に続く、釜ヶ崎の新たな映画「Ich war, ich bin, ich werde sein!」

尾﨑美代子

昨年12月27日、九条のシネ・ヌーヴォで2本の映画を観てきた。1本目は釜ヶ崎を題材にした佐藤零郎監督の「月夜釜合戦」、これはもう6回目位見た。止めとこうかと思ったが、2本目の「Ich war, ich bin, ich werde sein!」に繋げるにはやはり久々に観ておきたいなと。

昨日改めて気づかされた点もあり、見て置いて良かったと思った。上映後レオ監督とプロデューサー梶井君のトークショー。会場は満席、補助席もでた。驚いたのは初めて見た人が結構いたこと。16ミリフィルムでの上映なので上映には映写機が必要なのだが、もっと広めて欲しい映画。

「月釜」の上映後は花束贈呈あり、フォトセッションあり、かつ2人が客と一緒に映る撮影ありでした。

休憩を挟み、2本目の「Ich war, ich bin, ich werde sein!(I Was, I Am, and I Will Be! イッヒ・ヴァール、イッヒ・ビン、イッヒ・ヴェルデ・ザイン)」の上映。この作品は、「月釜」で助監督だった板倉義之君が監督、編集した。2019年センターが閉鎖され、それまでも釜ヶ崎のあちこちで撮り続けていた板倉君とレオが、もう釜ヶ崎の人たちを撮れなくなるのでは、撮り始めたフィルムをこの作品にまとめた。釜ヶ崎を歩き、「あっあの人、気になる」と目星をつけた方にインタビューを申しこむ。レオがインタビューし、板倉君がカメラをまわす。

入場者全員にプレゼントされたポスターカードも素敵。友達がいないとハトと仲良くなったハトおじさんに群がってくるハトたち。
2番目の作品後のトークショーでは、冒頭、ビールが配られ(絶対こぼさず飲める人に?)「乾杯」が。

2人が映画のチラシを持ってきたときだ。私は普通に「へえ、山形の映画祭に応募したのね」と2人に聞いた。おとなしめの板倉君はそうでもないが、レオは「全く、ママはわかってないな」という顔をして、「あのですね。この映画祭には世界中のドキュメンタリー映画が1500もあつまるんです。その中から15の映画が選ばれ、上映されるんです」と説明した。「あらま、それは凄い」、私がそう言って驚くと、レオはまだまだあるんですとばかり、「本当は僕たちはこの映画をひとつ下のランクで応募したんです。

しかし、それを見た実行委の方々が『これはその上のランクでいくべきだ」といわゆる格上げされたというのだ。松竹梅とランクがあって、竹でいこうかなと応募したが、審査員たちが「これは松ランクでいくべきだ」と言ってくれたということか。

それもまたすごいではないか。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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映画「生きし」のアフタートークで中村明監督とお話をさせて頂いた

尾﨑美代子

12月15日月曜日、十三シアターセブンで映画「生きし」のアフタートークで中村明監督とお話をさせて頂いた。数日前、埼玉の障害者団体「虹の会」の佐藤さんから「中村監督はスーパー猛毒ちんどん(佐藤さんら虹の会のスタッフと障害者の人たちで作るバンド、私たちは彼らを10年ほど前釜ヶ崎にお呼びした)の映画も撮ってくれましたよ」と連絡頂き、「あらま」と身近に感じていたところ、なんと前日はなライブに来て下さり、なお身近に感じていたところだった。

「生きし」は93年埼玉で起きた愛犬家連続殺人事件をモチーフにしている。主犯の関根(獄中で病死)と共に殺人、死体損壊などで逮捕され、死刑判決を受けた風間博子さんは現在3度目の再審請求中。その風間さんと娘、母親との関係、支援者との関係などを描いている。

上映後のアフタートークではわたしの方から監督に「なぜこの映画を撮ろうと考えたのか」とそのきっけかなどをお聞きした。監督はテレビ局勤務時、長野智子さんがキャクターを務めた報道番組では、東住吉事件の青木恵子さんの冤罪事件などにも関わってきた。映画「生きし」も冤罪・埼玉愛犬家連続殺人事件の冤罪犠牲者・風間博子さんと面会する中で、構想を練り、今回は外にいる娘さんを焦点に取り上げたという。私は映画の前半に出てくる、ちょっと怪しげな男性(風間さんと獄中結婚し、その後、覚せい剤使用で逮捕され、離婚した男性)についてお聞きした。その男性は実在した方だという。

その後、会場からの質問と続きました。この事件で風間さんは殺害は否定しているが、関根の死体損壊を足をもつなどして手伝った。それは関根に風間さんや連れ子の男の子が酷いDVを受けており、その恐怖から断りきれなかったからだ。

一番前の女性が、「長女さんらがDVを見たと証言したらいかがでしょうか」と聞いてきました。私からは、当時の長女は9歳、前日登壇した和歌山カレー事件林眞須美さんの長男は当時10歳だが、彼が言うことは信用されなかったと答えた。言いわすれたがそれどころか、2審で夫の健治さんが「保険金事件を主導したのは自分だ」と主張したが、それすら信用されなかった。

その後、知り合いの岡田有生さんが、グッドタイミングで再審法の質問をして下さった。私は監督の顔をチラリと見て「ガンガンしゃべってもいいですか?」と言ったつもりで、喋りだした。短い時間だったが、何故再審法が必要か、自民党稲田朋美がめっちゃ説得力あるしゃべりをしていたことなどに触れた。稲田の故郷福井県で39年前に起きた福井女子中学生殺害事件で服役した前川さんに再審無罪判決が下された。その前川さん自身が「立法事実」なのだと稲田はきっぱり訴えた。立法事実、この言葉を私は半年前、はんげんぱつ新聞編集長の末田さんにお聞きした。このことのためにこの法律を作る、あるいは改正しなくてはならないという事実だ。

あと、この数年再審無罪判決がだされ、再審法改正が盛り上がって超党派の議員連盟が作られ、法案を提出してきた。そこに「このままだとヤバイ」とチャチャ入れてきたのが、法務省が進める法制審だ。「それじゃダメ」。稲田もきっぱりそう言ってた。井戸謙一弁護士は「検察、裁判所が冤罪を作ってきた。それを統括する法務省が再審法改正を主導するのはおかしい」と非難していたと話した。それに私は「泥棒が戸締まりに気をつけて」というようなものと、付け加えた。

更に埼玉愛犬殺人事件の再審請求では、事件を主導したのが風間さんではなく、亡くなった関根の方だとそれを証明するある人の調書を出させることが大事だとも、多分早口で喋った。全ての証拠を出させるべきだ。冤罪について話だしたら、止まらなくなる。監督すみません。

中村監督は大阪滞在中、2回もはなに来て下さった。一人で釜ヶ崎のあちこちを散策され、釜ヶ崎にも関心を持ってくださった。またひとつ、つながりができそうだ。

◎「生きし」HP https://ikisi-movie.com/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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冤罪を作る検察官は恥を知れ!

尾﨑美代子

再審(裁判のやりなおし)を請求する時には新たな証拠が必要と言われている。それを再審を請求する側が必死で探して、新たな鑑定書を作成したり、そのために再現実験行うだけで大変な時間、経費を要する訳だが、今年7月18日、36年ぶりに再審無罪を勝ち取った前川彰司さんの「福井女子中学生殺害事件では「そんな証拠どこにあったんだい」という証拠が出てきたのだ。

この事件は、事件当日「血のついた前川を見た」などの証言が多数あり、前川さんが逮捕された。複数の関係者の供述をあわせるために使われたのが、当時流行っていたテレビ番組「夜のヒットスタジオ」でアンルイスと吉川晃司が繰り広げた超卑猥なパフォーマンスだった。

「六本木心中」を歌うアンルイスの後ろに吉川晃司が回り腰を激しく打ちつけるというパフォーマンス。20歳そこそこの関係者が刺激を受けて「いやらしいな」と言い合っていたところに先輩から電話がきて、車で先輩の所に行くと、そこに血を付けた前川が来た……というストーリーだった。

弁護団は再審の控訴趣意書で、車のダッシュボードに前川が付けたという血痕は、関係者の証言のように唾で拭いた位で消えない、必ずルミノール反応が出るはずなどの実験を行い、結果を新たな証拠として出していた。私もその趣意書を何度も読んでいた。

ところがだ。再審開始の決定書の冒頭に突然でてきたのが、「夜のヒットスタジオ」やらアンルイスやら吉川晃司だった。おいおいおい……私は慌てたね。何なんだよ、おい! 実は血の付いた前川を見たと証言したキーマンの男性が「いやらしいな」と言ってたパフォーマンスは事件当日の放映ではなく、翌週だったのだ。

その証拠を警察、検察はとっくの昔から知っていた。つまり、再審で無罪を勝ち取るには、検察が持っている全ての証拠を明らかにしなくてはならないのだ。それを必死で隠そうとする検察。こんな連中とその検察を統括する法務省、法制審に再審法を任せていては、冤罪犠牲者は絶対に救済されない。

そもそもだが、冤罪を必死で作る仕事をしてて、あんたら恥ずかしくないか。嫁や子供、親に「オレ、こんな仕事してるんだ。カッコいいだろ」と言えるか??

そういえば、これまで冤罪作ってきて、その後「栄転」したのはいいが、その先でパワハラやらセクハラやら、不祥事やらかしている元検察官を、数人知ってるぞ。埼玉愛犬家連続殺人事件で風間博子さんに死刑判決を下した岩橋義明検事は、電車のドアにわざとカバンを挟み、運行を妨害したとして厳重注意処分を受けた。

千葉県東金女児殺害事件で知的障害を持つ勝木涼君を「金子さん、金子さん」となつかせ、有罪にし、「栄転」先の栃木県では更に今市事件で、当時日本語の不慣れな、台湾出身の勝又拓哉さんに、暴行を振るったりして犯人にした金子達也検事は、その後赴任した福岡で、部下の女性に不適切な発言をして減給の懲戒処分をうけた。

また不祥事ではないが、和歌山カレー事件で、林眞須美さんの夫の健治さんに「眞須美にヒ素を盛られたと証言してくれ」と頼み込んだ大阪地検特捜部の小寺哲夫検事は、なんと関西生コンに対して妨害したり、告発・告訴を続けてきた大阪広域生コン側の弁護人になっている。悪はいつまでも悪のままだ。本当に恥を知れ!!

◎[参考記事]冤罪被害者の救済、遠のく? 元裁判官63人・学者135人が危機感(2025年12月7日付け朝日新聞)

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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12月13日~19日、大阪十三「シアターセブン」で中村明監督の映画「生きし」の上映が開催されます!

尾﨑美代子

12月13日から十三の「シアターセブン」で中村明監督の映画「生きし」の連続上映がはじまります。毎日監督とどなたかのアフタートークがありますが、12月15日(月)中村監督とのアフタートークで、私も一緒にお話させて頂きます。映画を見にきてください。

1993年におきた「埼玉愛犬家連続殺人事件」をモチーフに、当時報道番組のデイレクターをしていた中村明さんが作った映画です。

「愛犬家」の周辺で次々と関係者が行方不明になる、しかし殺害の証拠がない。のちに殺人で逮捕されたブリーダーの関根元(元死刑囚、2017年東京拘置所で病死、享年75歳)が「ボディを透明にする」と、徹底的に遺体を損壊し、サイコロステーキ状に切り刻み、燃やしたり、川などに捨てたからだ。

事件が何をきっかけに発覚したか?実は遺体を運んだりして事件を手伝わされた部下の男Aが、別件で逮捕された自身の妻を救出したいがために、警察、検察に告白したことからわかりました。その後Aも逮捕されますが、留置場で、妻や元妻に合わせてもらい、2人きりの密室でなんと性行為を行ったなどと裁判で証言して話題になりました。Aは出所後事件の全貌を書いた本を出版しました。私もすぐに買って読みましたが、その後誰かにあげました。まさか、今その本が10倍ほどの値段がついているとは……。(その時点では凄い内容だと信じていましたが、その後虚偽の部分があることが明らかになっています)

映画「生きし」は、事件そのものを追うのではなく、あくまでもその事件をモチーフとした内容です。関根と一緒に逮捕され、関根同様に死刑囚となった元妻・風間博子さんと、実の母親、そして娘の関係、無実を訴える風間さんと支援者らの交流などを描いています。

私が、風間さんが冤罪を主張し、現在3度目の再審(裁判のやり直し)を請求していることを知ったのは約1年前です。当初「風間も共犯だ」と訴えたAは、裁判で「風間さんは殺害に関わってない」「なぜ死刑囚になるんだ」と証言しています。

また風間さんを支援する田口佐智子さんが、別の記事でこんなコメントを寄せてらっしゃいます。「モデルの風間博子さんの交通許可を得て文通しています。事件の立件に問題があり、何の物的証拠もない死刑判決です。再審請求中。」

死刑囚となったら、親族以外なかなか面会が叶わないなか、田口さんのような支援者がおられ、大変心強いことです。しかし、この事件、私も三度目の再審請求が行われていることを知りませんでした。これをきっかけに、この冤罪事件自体へも関心を持っていただけたら幸いです。

再審法改正問題がいよいよ正念場を迎えようとしている昨今、私は、この事件と様々な点で非常に似ている和歌山カレー事件との類似点、そして再審がどのように難しいかなどについて、お話させてもらいたいと考えております。

アフタートークでは毎日違う方が登場致します。詳細や時間などはホームページでご確認ください。

みなさま、劇場でお会いしましょう!

◎「生きし」HP https://ikisi-movie.com/

◎「シアターセブン」HP https://nanageitheater7.sboticket.net/top?type=title

尾﨑美代子(おざき みよこ)
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六ヶ所再処理工場と大間原発が建設中の青森県こそ反戦反核の拠点に! 12月1日大阪での中道雅史さんの報告集会にご参加を!

尾﨑美代子

去年、大阪で開催された老朽原発再稼働阻止集会で、青森県から参加された中道雅史さんにお会いした。集会での中道さんのアピールをお聞きして、青森県の原発、核関連施設について、私が余りに知ってないことに驚かされた。その中道さんが来週祝島、広島を講演会で回るそうだ。最後の日曜日は、高浜の現地行動へ行くという。以前、店に来られた際、少しお話をお聞きしたが、もっとじっくりお話をお聞きしたいと思ってた。なので、来週いっぱいスケジュールが入ってるようなので、大阪で話して貰うのはまた今度と考えていた。そんな時中道さんから提案された。

「尾崎さん、月曜日でもいいからぜひ皆さんに報告させて下さい」と。私は311以後作った「西成青い空カンパ」の仲間に聞いたら、みなさん、「やろう!やろう!」「お話が聞きたい!」となった。

ということで、12月1日(月曜日)大国町ピースクラブで中道雅史さん緊急報告会をやります。ぜひぜひお集まりを!!

《追記》先日来店された女性2人のお客様、知っている方の女性はキリスト教団体の反原発の催しなどやっていて、数年前、小出さんの講演会に参加させて頂いた。

お二人にチラシを渡すと、もう1人の釜ヶ崎初めての女性が、「私の故郷は青森県です」というのだ。あらま、びっくり。彼女の母親は現在65歳、高校卒業後「集団就職」で関東に出てきたという。えっ集団就職? それってもっと古い昔じゃないの?と思ったが、事実だった(これが最後だったらしい)。

それほど地元で仕事がない。結局彼女のお母さんは千葉で割の良い仕事が探せ、そこで知り合った男性と結婚し、彼の転勤で青森県に戻り、それからずっと反原発を闘ってると。

彼女の地元十和田市は、パチンコ店が乱立しているらしい。山ほどある原発関連施設で働く作業員らが楽しむためだろう。もちろん歓楽街、風俗店も。

青森県にはぜひ行って見たい。中道さんが案内して下さるという。この目で見てみたい。どんな光景が広がっているのだろうか?

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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3・11の彼方から──『季節』セレクション集 Vol.1
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矢島祥子さんがいた頃の釜ヶ崎と貧困ビジネス

尾﨑美代子

11月16日(日)、大国町ピースクラブで、16年前に殺害された釜ヶ崎の女医・矢島祥子さんを偲ぶ会があった。例年以上に大勢の人が集まった。初めての方も多かった。私が冤罪問題で何かやるとき必ず遠方から来て下さる方が、名古屋と和歌山からきてくださった。広島から駆け付けた方もいたとか。

初めての方が参加されることは事前に知っていたので、ぜひパワポを使って「あの日、矢島祥子さんに何がおこったか」の解説をしたかった。とりあえずやったのだが、考えたら会場を暗くするので、手元が見えない。近くにいた方が携帯で照らしてくれたが、字が小さくて読みにくい。頭に入っている範囲でお話したが言い忘れたこともあった。ぜひレジュメを読みなおしてね。

当日の様子はほかの方の投稿で確認してください。私が一つ気になったこの、こういう会で必ず「犯人はわかってますからね」と発言される方がおられることだ。そのたび私は「知りませんけど」と言いたくなる。遺族だってそう思っていると思う。私たちの活動は犯人逮捕のために捜査機関に動いてもらうこと、そのためメディアを動かすこと、そのため支援の輪を広げることだ。憶測で「あの人が犯人に違いない」と決めつけ、新たな冤罪を作ったら元も子もないではないか。

ただ、私は事件の背景には当時から今まで延々と続く貧困ビジネスの問題があると思う。先日、釜ヶ崎で火災が発生し、共同住宅に住む4人の方が犠牲になった。非常階段のドアが開かずに部屋に閉じ込められた住民もさぞかし恐ろしかったろう。火災の原因は未だに明らかにされてないが、寝煙草の人が多かったともいわれるから、それが原因かもしれない。にしても、車いすや寝たきりの人も多い50人ほどの住宅で、深夜常駐のヘルパーさんが1人だったとか、施設側の問題も大いにあるようだ(しかもそのヘルパーさんも犠牲になった)。

就労支援事業などを手広く展開するこの業社は、近年この界隈で多くのビルを建てている。お洒落な白いビルの壁面には業社の頭文字のCが書かれ、火災が起きたビルはC5、その近くで1階に地ビール工場が入るビルはC6だ。

火災が発生、5階に住む3人が死亡したコレクティブハウス

私は以前このCとちょっとした出会いがあった。「あれは甘く切ない思い出」ではなく、ちょっと恐怖を感じたものだ。客のNさんが腰痛なので週1回ほどヘルパーに入って貰おうとした。三角公園で連れに紹介されたのがCだった。CはNさんに役所が来たら、万年床にして入口に杖を置いてと指示したそうだ。布団も上げれない、杖なしで歩けない大変な身体だから、ヘルパーを毎日付ける必要ありとしたいのだろう。しかし、元ヤクザだが超真面目なNさん「俺はそんな嘘はつけない」ときっぱり断わり、週1回入ってもらうことになった。

私はこのいきさつを当時のTwitterに投稿した。もちろんNさん、C、三角公園などの名称はださずに。ところがだ、数日後Nさんに入った若い女性ヘルパーがNさんに「Nさん、はなままという人を知ってますか?」と聞いてきたそうだ。Nさんは「最後に逮捕されたとき、世話になった」と言ったそうだ。ヘルパーはまた「Nさんは元ヤクザなのですか」と聞いたという。小指欠損状態をみればわかるだろうと言いたいが、私の投稿で知ったのだろう。若いヘルパーが見たのではない。Cがエゴサーチしたのだろう。しかし、前述したが、三角公園もNもCも書いていない。しかもTwitterはたかが400文字だ。凄いエゴサーチ力だ。ていうか、どんなエゴサーチをするのだろう。「杖」「万年床」あたりか? ヘルパーが私のことをしつこく聞くと、後にNさんが私に話してくれて、ちょっと怖くなったものだ。

萩ノ茶屋駅近くの無料炊き出し(11月19日撮影)
長い行列を作る無料炊き出し(11月19日朝8時)

話を戻すと、祥子さんがいた2008~2009年当時の貧困ビジネスは今とちょっと違っていた。2008年リーマンショック後、釜ヶ崎に流れてきた困窮者を狙う業者がどっと増えた。が、彼らはまだ雑だった。店の近くの相談所には、開く9時前には長蛇の列ができ、相談後に彼らを狙う連中が、私の店の前で勧誘をはじめ、その光景はまるでミナミのひっかけ橋で黒服が客をキャッチするような状態だった。ヤクザ、反グレが慣れない手つきで炊き出しを行い、集まった困窮者を自社ビルに入れる。生活保護制度自体を理解してないのか「今なら部屋も食事もついてて、おまけにお小遣いまでもらえるよ」などと通帳、カード取り上げ、囲い込む気満々の業者も多かった。

奈良の山本病院事件で院長らが摘発されたのは2009年だ。しかし、山本病院が大阪市内から野宿者や生活保護者を病院に入院させ、不適切、不必要な手術を行い死亡させはじめたのは、10年前からだった。山本病院に患者を送り込んでた福祉病院は釜ヶ崎周辺でも多かったはずだ。祥子医師は自身が診た患者の入院先に見舞いに行きながら、治療方法や処方された薬を確認し、おかしいと思ったら、病院側に忠告していたという。そんな祥子医師が疎んじられたのか、事件の少し前、ある福祉病院の事務局長から名刺を渡され、「もう来ないでくれ」と言われていたらしい。生活保護者を囲い込んで儲けようとする連中にとって、祥子さんはじゃまだったのかもしれない。

『病院ビジネスの闇』(宝島新書)。NHK奈良支局取材班によるこの本は釜ヶ崎周辺で当時展開されていた貧困ビジネスを刑事のように追跡している。「コトリバス」(コジキをとるバス)や、福祉マンションから福祉病院に利用者を送るタクシーを追跡する様子などはまさにヒヤヒヤしながら読んだものだ。

あの当時は、役所の窓口には刺青見せた大男が「はよ、保護出してやらんかい」と怒鳴りこみ、逮捕されるようなことも続出した。本当にやることが雑だった。もちろん今でもそのような業者はいる。しかし、Cのようにメディアで取り上げられるような、ある意味洗練された業者も増えた。噂だが、Cには次々と元役人が天下るという。何かあったら責任をとらされる代表者も次々と変わるという。噂がどこまで事実かわからんが、事実だったのは、あの小綺麗な白いビルの中では、かつてと変わらないエグい貧困ビジネスが続いていたということだ。

ちなみに知り合いがCのホームページを見たら、火災についての「お詫び」あるいは「ご報告」が全くなかったという。

被ばく労働者同様、単身者の釜のおっちゃんが亡くなっても、誰も抗議しないと考えているのだろうか。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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11月16日(日)追悼集会「矢島祥子と時間を共有する集い」にお集りを!

尾﨑美代子

追悼集会「矢島祥子と時間を共有する集い」
11月16日(日)14時開演 
社会福祉法人「ピースクラブ」4階ホール
(大阪メトロ「大国町駅)5番出口南へ6分)
参加費 無料
冤罪「和歌山カレー事件」を題材にしたドキュメンタリー映画
「マミー」の二村真弘監督にお話して頂きます。

以下、釜ヶ崎のこの事件について、あまり知らない方に、当時何が起こったかを知って頂くために、事件前後に起こったことを時系列でまとめてみました。ご遺族、関係者に確認しつつやっております。訂正があった場合には速やかに訂正致します。ご一読を!! そして是非ご参集を!!

◆あの日、矢島祥子さんに何がおこったのか?

2009年11月16日(月)午前1時20分、大阪市西成区木津川河口の千本松渡船場で釣りをしていた男性2人が、女性の遺体を発見した。女性は14日早朝から同区内のK診療所から行方不明になっていた女医の矢島祥子さん(当時34歳)だった。遺体から発見されたカードケース付の財布に診察券、カード類、運転免許証などが入っており、祥子さんと判明した。

11月13日(金)祥子さんが最後の患者を診終えたのは19時45分頃、20時過ぎにはB看護師が、22時頃にk所長と職員Cさんが診療所を退出。Cさんによれば、祥子さんは奥の部屋でパソコンで作業をしていたという。

23時18分~37分の間、祥子さんが退出・入室していることが、祥子さん名義の警備会社ALSOKのセキュリティカードの履歴から判明している。

11月14日(土)4時15分頃、電子カルテがバックアップされ、同48分に退出が記録。しかし、最後にカードを使用した際、誤作動が生じ、警備会社が祥子さんに電話を架けていた。それまでも祥子さんは誤作動が生じると、自ら警備会社に「間違いでした」と連絡したり、警備会社からの電話にでていた。しかし、その日、祥子さんが電話にでることはなかった。そこで警備会社が緊急出動したが、すでに30分も経過していたため、診療所に問題なしと報告されている(天候は強い雨、しかし、鶴見橋商店街の監視カメラに祥子さんの姿は映っていなかった)。

同じ頃、祥子さんの携帯電話から翌日15日(日)会う約束だった友人Ⅹさんに予定をキャンセルするメールが送られていた。のちに、Xさんが遺族と診療所へ報告した祥子さんからのメールの着信時刻が違っていたため、遺族が正確な時刻を確認したいとⅩさんに申し出た。しかし、携帯が壊れたとの理由で確認は出来なかった。

14日10時過ぎ、出勤しない祥子さんを心配して、看護師Dさんが徒歩10分ほどの祥子さんの部屋を訪ねた。祥子さんは不在で、施錠されていなかったため中を覗くと、室内は整然としていた。なお、アパートに祥子さんの自転車もなかった。その後も職員らが何度か祥子さんの携帯に連絡をいれたものの繋がらず、午後13時10分過ぎには、K所長とD看護師が再び祥子さんの部屋を訪ねたが変わりはなかった。

翌15日(日)祥子さんと連絡が取れないままだったため、彼女の身に何かあったのではと危惧し、K所長らが西成署に相談。警察からは捜索願は親族から提出する必要があるといわれた。それを受けて、10時26分、K所長は初めて群馬の祥子さんの実家に電話をかけた。電話でK所長は、父・祥吉さんに「祥子さんが行方不明になりました。高崎警察署に行って捜索願を出してください」といった。電話の直後、これまでの経緯が書かれたメモがFAXで送られてきた。

【注】敏さん「父から送られてきたFAXを見たとき激昂しました。”なんでこんなもん作ってんだよ”そのFAXには祥子が行方不明になってから、その行方を知るために、誰とどういう行動をとったかが時系列と共に事細かに書いてあり、極めつけは祥子に最悪のことが起こった場合の対処まで書いてあったのです。これを制作する前、もしくは途中でも、何故家族に1本の電話もくれなかったのか?」と。

【注】父・祥吉さんが2010年1月11日、診療所でK所長と面談した。そのなかで、k所長から「2009年11月14日釜ヶ崎の一部に人たちに集まってもらい、対策を行った」ことが明かされた。しかし、翌日15日、K所長から届いたFAXに、その対策会議については書かれていなかった。

両親は地元の警察署に捜索願を提出。病院の事務局長を務めていた次男・洋(ひろし)さんを大阪へ向かわせた。

洋さんは西成に到着後、診療所でK所長と面談、その後ホテルで警察の連絡を待っていた。日が変わった16日深夜、洋さんは茅ケ崎に住む長男の敏さんに電話で報告を行った。

敏さんの携帯に再び洋さんからの連絡が入ったのは、それから1時間ほど経った時。その時の心境を敏さんはこう振り返る。「洋との電話を切り、少し横になっていたら電話が鳴った。いつでもとれるように着信音を最大にしていたんです。もう嫌な予感しかありませんでした」。

洋さんの電話は、祥子さんらしい遺体が見つかったことを知らせるものだった。群馬の両親には直接知らせる必要があるということで、敏さんが車で群馬へ向かう。知らせを聞いた両親は泣き崩れた。そのまま両親、敏さんは始発の新幹線で大阪に向かう。

警察からの知らせを受けた洋さんは西成署に向かい霊安室で祥子さんの遺体と対面。昼前には両親と敏さんが西成署に到着、霊安室で祥子さんと対面。その際、祥子さんの両首に赤黒い傷(頸部圧迫痕)があるのを見つけ、医師である母・晶子さんに告げた。祥子さんの遺体を司法解剖の結果をうけて西成署は、死因を「溺死」とし「過労による自殺の可能性が高い」と遺族に説明した。

【注】祥子さんが亡くなる直前、祥子さんからハガキを受け取った男性Mさんが、絵ハガキを西成警察に届けた。ハガキには「出会えたことを心から感謝しています。釜のおじさんたちのために元気で長生きしてください」とあった。男性(当時60歳)は当時釜ヶ崎の労働組合の組合員であり、K診療所の患者でもあった。なお群馬で執り行われた葬儀の席で、釜ヶ崎のNPO団体の女性(当時)から、「祥子さんには交際していた男性がいた」と告げられた。それがMさんだった。

【注】2018年ジャーナリスト寺澤有氏が「尾崎さん、矢島祥子さんの事件を取材しますよ」と来阪、2日目にMさんをアポなし取材し、難波屋横の喫茶店「ミチ」で2時間ほど話を聞いていた。その際、Mさんは、ハガキについて「警察に見せたが、それが遺書で自殺の根拠だと主張したわけではない。こういうハガキが届いていたと見せておかないと、あとで警察が知ったとき、『どうして隠していたんだ』と追及されるからだ」、自殺、他殺どちらだと思うかとの質問に「自殺だと確信しているが、とくに根拠はない」と述べていた。

遺体がみつかった16日の夜、釜ヶ崎「社会福祉法人聖フランシスコ会ふるさとの家」で「お別れの会」が開催された。「ふるさとの家」は敬虔なクリスチャンだった祥子さんがミサに通っていた場所で、彼女を知る多くの人が集まったが、祥子さんの死を「自死」という人が多く、それを遺族に告げる人までいた。

遺族は、祥子さんの自死説には到底納得いかなかった。クリスチャンの祥子さんは「死にたい」という患者らに常々「死んではだめ」と強く諭していたこともあるが、遺族がその目で祥子さんの首の傷を確認しているからだった。そのため遺族は祥子さんの母校・群馬大学医学部付属病院に再度司法解剖を依頼した。

祥子さんの死からひと月後の2009年12月11日、遺族は西成署の捜査担当者と面談。捜査員は、祥子さんの遺体には「頭血腫」(ずけっしゅ)と「頸部圧迫痕」(けいぶあっぱくこん)があり、2つの傷は、第一発見者の釣り人が遺体を引き上げる際、誤って遺体を落とし、できたものと説明した。「鑑定書」に納得いかない遺族は、解剖医に説明を聞きたいと申し出、捜査員と医師、遺族の3者での面談。医師からは「頭血腫は平らな鈍体よって出来たこと、生活反応があったこと(生きていた時にしかできない)、それによって脳震盪(のうしんとう)を起こしたと説明をうけた。警察が説明した、釣り人が遺体を引き上げるとき誤って落として出来たものは噓だったことがわかった。

【注】遺族によれば、現時点においても、誰が遺体を引き上げたかはわかっていないという。

遺族は、自分たちで不審点を調査し、「被疑者不詳」のまま、殺人と死体遺棄での疑いで西成署に告訴状を提出。祥子さんの死から3年目の2012年8月22日、告発状は受理され、再捜査が行われることとなった。

その後も闘いは続いております。ご支援をよろしくお願いいたします。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

名古屋市西区主婦殺人事件 容疑者に何があったのか?

尾﨑美代子

◆幸せの絶頂の真っ只中から……

26年もの間未解決だった殺人事件で、10月31日、容疑者が逮捕された。「名古屋市西区主婦殺人事件」だ。当時32歳の高羽奈美子さんと2歳の息子航平君が自宅にいた。奈美子さんは夫の悟さん(当時43歳)と4年前職場結婚、航平君出産後は専業主婦をしていた。3人でディズニーランドに行った、自分の車も買った、北海道で一人で暮らす母を迎え、4人で暮らす4LDKのマンションの契約も済ませた……幸せの絶頂の真っ只中にいた。

そんなとき、事件に巻き込まれた。当時3人が住んでたアパートの家主が大量に収穫した柿を住民に配っていた。奈美子さんの部屋はインターホンを押しても返事がなかったが、家主がなにげなくドアを触ったら開いた。中をみると玄関は血だらけ、その奥に奈美子さんが倒れているのがみえた。顔のあたりが血だらけだったので、吐血して倒れたと思った。航平君を3階のママ友に預け、ママ友に悟さんに連絡してもらった。当日、不動産屋に勤務する悟さんは、名古屋で最初に建てられたタワマンの展示会場にいた。知らせにすぐ家に帰ろうとする。「奈美子は大量に吐血するような大病をもっていたかな?」などと考えていたところ、再び電話がかかり、死亡したと告げられた。

悟さんが家に着くとまもなく鑑識がきた。なぜ鑑識?と悟さんは訝しく思ってみていた。彼らは黙々と作業するが、悟さんに何も説明しない。そのうち鑑識の1人から「首を切られてて」と言われ、初めて殺人事件だとわかった。

悟さんもその後警察署に連れていかれ事情聴取を受ける。警察署からの帰りは妹夫婦が車で迎えにきてくれた。車に乗ったら夜10時のニュースが始まり、トップは自分の家の事件だった。「日本はなんて平和なんだ」、なぜか悟さんはそう感じたという。

涙もでなかった。「奈美子には悪いが、男手ひとつで、これからどうやって息子を育てていけばいいのか」と、そればかりが心配だった。

◆「あんたたち夫婦ほど人に恨まれない人はいないよ」と捜査員は言った

その後、実家に引っ越したが、事件のあった部屋はそれから容疑者逮捕の今まで借り続けた。家賃は総額で2000万以上。最初は、奈美子さんが揃えた家具などを処分するのを躊躇われたからでもあった。その後は、玄関に残された犯人の血痕と靴跡、未解決殺人事件の遺族は大勢いるが、そんな重要な証拠を持っているのは、自分位ではないか、と。また、新たに担当になった刑事らに、これを見せることで、モチベーションを上げて貰えればと思ったという。

悟さんは、玄関の血痕は奈美子さんのものと思っていた。それが事件から数年後、日テレの取材でプロファイリングの専門家がその部屋にきた。家の玄関の血痕を見て「これは被害者のものではない、犯人のものだ」と言われた。驚いた悟さんが刑事にきくと、「それは犯人にしか知りえない秘密の暴露だから、遺族とはいえ言えなかった」と謝られた。

血液型はB型、足のサイズは24センチ、年齢は40歳位とわかった。しかも犯人も怪我をしており、逃走した方向に血がポタポタ落ちていた。横断歩道の手前で車が途切れるのを待つ犯人が目撃されていた。傷口から血が垂れないようにしていた。女は横断歩道を渡った先にある公園の蛇口で傷口を洗った形跡もあった。ただ、今のように町中あちこちに監視カメラがある時代ではない。そこで女の行方は分からなくなり、夜降った雨で、犯人の臭いも消された。

多くの情報がありながら、また大量の捜査員が投入されながら、容疑者の目星はつかめなかった。悟さんは捜査員にこう言われた。「あんたたち夫婦ほど人に恨まれない人はいないよ」。

◆殺人事件被害者遺族の会「宙の会」に入会して

悟さんは同じ境遇を持つ人たちと繋がりたいと殺人事件被害者遺族の会「宙の会」に入った。私はしらなかったが、この会を創設したのは、未だ未解決の世田谷一家殺人事件を捜査していた刑事さんだった。(絶対未解決で終わらせない)との執念から、退職後同会を立ち上げ、まずは15年という殺人の時効を撤廃する活動を始め、2010年実現にこぎつけた。

悟さんはあちこちのマスコミに出て事件を訴えた。いつも絶対泣いた顔だけは撮られまいとしていた。泣いたら、それこそ犯人の思う壺ではないかと。小さな息子も、会見のたびに悟さんについてきては、悟さんの近くにいた。

ある時悟さんが「息子がグレたらどうしよう?」と心配していると、ある番組で知り合ったディレクターが「大丈夫、航平君は会見が始まるまではゲームをしているが、お父さんが話し出すとゲームを止め話を聞いているよ。」と言ってくれたのだった。

長く未解決だった事件は、1人の新しい刑事が就いたことで驚きの展開を見せた。もちろん、その刑事をヒーロー視つもりはない。それまでも大勢の刑事が頑張って捜査してきた、が、この刑事は、毎年事件発生日近くに情報提供を呼びかけるビラを配る悟さんに、「ビラ撒きで得る情報より、西警察署にある情報で、絶対犯人を捕まえてみせます」と言ったのだった。

そして、奈美子さん、悟さんに関わった人たちの年賀状、名刺などを持ち帰った。

その中には、悟さんが高校時代に入っていたソフトテニス部の名簿もあった。新たな捜査が始まり、1年後、容疑者は何人かに絞り込まれ、そのうちの1人の女性が何度か事情を聴かれた上、DNAの提出が求められた。女性は当初これを拒否したという。でも「疚しくないなら提出出来るはずだ」などと言われたかどうかわからないが、提出した。いや、せざるを得なくなったということだ。そのDNA型鑑定が出る前日、女性は自ら警察に出頭した。「自首」と書く記事もあるが、もう逃げられないと追い詰められたと言った方が正確だろう。

女は、奈美子さんの方の知り合いではなく、悟さんの知り合いだった。悟さんとテニスサークルで一緒だった女性は、学生時代バレンタインデーの度に悟さんに手紙とチョコを渡し、悟さんに「告白」していたそうだ。悟さんは、「別に好きな人がいます」とか「あなたは嫌い」とか、傷つけることを言ったことはなかったという。

高校卒業後、2人は別々の大学に入った。ある日、サークル活動をする悟さんをじっと待っていた女性がいた。今回逮捕された女性だ。悟さんは仕方なく喫茶店に女性を連れていった。そこで女性は悟さんに交際を申し込むが、悟さんは断っていた。すると女性は店内でしくしく泣きだしたという。悟さんはそのことを家に帰って妹に『困ったよ』と話していたのだった。

◆容疑者に何があったのか?

事件の前年、そのサークルの同窓会があり、女性は悟さんが結婚したことを知る。とはいえ、互いにもう40歳過ぎだ。普通に(というのはおかしいが)考えて、結婚し、家庭を持つ年ごろだ。実際、女性も悟さんに「私も結婚して、仕事も忙しくて…」などと話していたという。

その1年後、女性は、悟さん同様、家庭を持ち、仕事も忙しく、充実した人生を送っていたようなのに、過去に好きだった男性の妻を殺害した。

容疑者に何があったのか? 私も非常に知りたいところだ。

またこの事件に関しては、これだけの情報がありながら容疑者逮捕に至らない愛知県警に対して「何やってんだ?」との批判もあるだろうが、同時に私はそうした社会的な風潮に押され、全く関係のない人を間違って逮捕、つまり冤罪を作らなかった捜査機関を評価したい思いもあり、複雑な思いだ。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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なぜ福島県知事が狙われたのか?──「『知事抹殺』の真実」と東京地検特捜部の犯罪

尾﨑美代子

10月11日、茨木市で「『知事抹殺』の真実」を鑑賞した。2000年、福島県佐藤栄佐久知事(当時)と実弟が、収賄罪で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた事件が何だったか検証した映画だ。結論からいうと、この事件は冤罪だった。しかし、知事は辞職に追い込まれた。

私は次の用事があったので途中で席を立った。ちょうどその時、何かのトラブルで上映が止まっており、後で聞けば最後の20分位が上映できなかったという。とはいえ、私が最後に見た段階でも、あの事件が十分冤罪であることは明確だった。

この事件は、東京地検特捜部が担当した。収賄事件とは、政治家らが社会的・政治的な地位を利用して、他者から特別な便宜を受ける汚職だ。佐藤知事が違法に賄賂を受け取ったということだが、一審有罪判決後、控訴した東京高裁・二審で、控訴棄却で知事と実弟との収賄罪は認めたものの、追徴金はゼロ、つまり「賄賂の金額はゼロ」と認定したのだ。「だったら賄賂は何だったんだ」と誰でも不思議に思うだろう。痴漢で逮捕されたが、痴漢された人はいません、みたいなものだ。映画の中にでてくるが、知事はとにかく企業や市民の贈り物などについて、賄賂と受け取られかねないものは決して受け取らないように注意してきた。ある時高級な鮮魚を貰った知事は、その日のうちに相手に返してきなさいと秘書に頼んだという。

だから、逮捕は晴天の霹靂だった。その後、関係者が多数逮捕されたり、事情聴取を受けた。関係者も全く身に覚えがないのに、東京地検特捜部の取り調べは犯罪者扱いだ。関係者は、福島から特捜部のある東京に呼ばれ、慣れない、きつい取り調べをうけ、へとへとで帰ってくる。その間、自殺(未遂)者が何人もでた。ある関係者は、東京から福島に帰る新幹線から飛び降り自殺しようと考えた人もいた。そんな状況を知った知事は「嘘の供述をして早くこの事件を終わらせなくては……」と考えた。しかし、裁判が始まると、特捜部の酷い取り調べの実態が明らかになった。ある建設会社の社長Mさんは「知事への賄賂で弟の会社の土地を買った」と虚偽供述をさせられていた。

特捜部の仕事は東京でも名古屋でも大阪でも同じで、警察を介さず、贈収賄や脱税、企業犯罪など、政治家や企業が関わるような重大事件を独自に捜査する。政治家や大企業の社長が逮捕される日、段ボールを抱えて颯爽とビルに入っていく連中、どいつもこいつも「ザ・エリート」という面構えで、テレビに映るため、髪から靴の先まで整えてきました、みたいな顔をしている。

しかし、東京地検特捜部は、大阪の村木事件、プレサンス元社長事件と同じで、実際は大失敗だった。しかも知事の事件に、村木事件で、フロッピーディスクのプロパティを改ざんし、逮捕・起訴され、有罪判決を受けた大阪地検特捜部・前田恒彦検事が関わっていた。前田は、知事の事件で先のMさんを取り調べ、取り引きをもちかけ、嘘の供述をとった人物だ。Mさんは裁判で「(前田)検事との取り引きでそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言した。(ちなみの先週この前田の事件を暴いた『証拠改竄 特捜検事の犯罪」』(朝日新聞出版)を2日で読み終えたところだ)。 

しかし、なぜ知事が狙われたのか? 知事は在任中、東電福島第一原発、第二原発の事故やトラブル隠しや、国や電力会社のそうした体質に厳しく対峙していたという。福島県民を守るためだ。それが国や東電には気に食わなかったのだろう。実際、実弟を取り調べた検事がこう言ったそうだ。「知事はなぜ原発が嫌いなのか。知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と。

似たような事件が過去に福井県高浜原発のある高浜町でも起こった。高浜原発では日本で初めて獰猛犬を「警備犬」として使っていた警備会社「ダイニチ」があった。関電の幹部K(本では実名が出ていたような)が ダイニチの男性2人に、高浜町の今井理一町長の喉を警備犬に噛み切らせ、殺害しろと持ちかけた。「犬に殺らせたら証拠は残らん」と。今井町長は当時高浜で進められたプルサーマル計画に反対していたからだ。計画は実際のところは頓挫した。その後、男性2人は、Kとトラブったかで怖くなり、自ら顔出し・本名で、ある週刊誌に殺害計画の全貌を告白した。それを一冊にまとめたのが、ジャーナリスト・斎藤真氏の「関西電力 反原発町長暗殺指令」だ。告白した男性2人は、その後恐喝か何かで逮捕された。どの程度か知らないが、恐喝事件は実際あったようだ。やつらは「悪事を働いたような奴の言うことを信用できるか」といつもの手を使いたいのだろうが、そういう悪事を働いたからと言って、2人の告白が虚偽だったとはいえない。

それにしても、関電、東電、政府ら原発を動かしたい連中は、人を殺害してまで、あるいは逮捕、取り調べで多くの人たちを苦しませ、自殺(未遂)に追い込ませても平気だ。「知事抹殺の真実」、私が見た最後のシーン、知事がある集会で支援者の前で、事件当時を思い出し、嗚咽がとまらないシーンだった。私も泣けた。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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