子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。聞き手・構成=尾崎美代子)

3月4日、福島地裁で開かれた子ども脱被ばく裁判の公判前、地裁前でアピールする今野さん(Toshiko Okadaさん提供)

◆浪江訴訟──小早川社長になってから態度がゴロっとかわった東電

── 今野さんは現在、2つの裁判にかかわっていますが、1つは浪江訴訟。こちらは浪江の住民の皆さんが、原発事故の慰謝料の増額を要求していた原発ADRで、東電が和解案を6回も拒否して決裂したため、2018年4月17日、本格的な裁判を提訴して始まった裁判ですね? ADRを闘ってきた人たちは、東電に6回も拒否され、がっくりだったしょうね?

今野 ADRでは、精神的賠償の35万円の金額が10万円しか賠償されなかったので、あとの25万円を支払えと訴えていたわけです。東電は、和解案をずっと拒否してきた。最終的に中間指針で「5万円支払え」となり、住民側は受け入れたのに、東電はそれも拒否したわけです。個別の請求では、東電の現場の職員は一生懸命聞いてくれるわけですよ。俺たちのことを考えて。でも本店にもっていくと断られてしまう。

東電は、社長が前の広瀬さんから小早川さんに変わりましたが、彼が一番ひどいです。広瀬さんは、まだ要求を受けるようなことをいっていたが、小早川さんになってから態度がゴロっとかわった。私が個別に請求した分、1200万円も棄却されました。

── 本格的な裁判となるとハードルが高く、どこでもですが、おのずと原告の数は減りますね?

今野 そうです。ADRのときは、裁判費用も削除かからないし、早くに解決できると思い、浪江町の7割もの住民が参加しました。でも東電が拒否し続け、その間に亡くなった人も大勢いました。今度の裁判は、長くかかるのであきらめた人、それから損害賠償は着手金や印紙代金が高いこともあり、経済的な理由などで参加しない人も多く、原告の数は減りました。うちは、子ども脱被ばく裁判とのかねあいもあって、第四次で加わりました。裁判費用は家族3人で16万円かかりました。

息子さんと復興住宅にて(今野さん提供)

◆子ども脱被ばく裁判──3月4日、山下俊一氏が証人尋問に立つ

── もう一つが、「子ども脱被ばく裁判」(福島県在住の小・中学生らが、年間1ミリシーベルトを下回る地域での教育を求めて、国や福島県、市町村を訴えている裁判)、こちらの裁判の原告団長になった経緯からお聞かせください。

今野 最初は別の人がやっていましたが、その方が病気になったりして、いったん団長が不在の期間が続きました。でもやっぱり団長を置かないといけないとなり、僕が抜擢されました。職業柄、放射能のことは詳しかったからね。裁判では、通学している学校周辺の土壌を調査した結果を証拠として提出しています。きちんと測ったものを資料として提出しなくてはならないからね。土壌は、私と仲間で採取したものを、京都で測定してもらいました。また、空間線量も仲間と測りました。

── こちらの裁判に3月4日、いよいよ「毎時100ミリシーベルトまで大丈夫」「ニコニコしている人に、放射能は来ない」発言の山下俊一さんが証人尋問に立ちますね?

今野 そうです。あともう一人、重要な人物が前回の裁判で証人として出廷しています。福島県立医科大学の鈴木眞一教授です。彼は、実際、多くの小児性甲状腺がんの子どもを手術していますからね。彼はずっと忙しいと逃げてました。いったんは出張裁判をするとなりましたが、最終的には裁判所が「出廷しなさい」と命令しました。

── 傍聴には福島の方々はどのくらい集まりますか? またどのような判決になると予想しますか?

今野 原告の人たちは、子供が小さいし、仕事があるから、そうそう皆さん、傍聴にはいけていません。子どもを迎えにいかなくてはならないから、裁判の途中で帰らなければならない人もいます。判決はどうなるかは、全くわかりません。ただ福島では生業訴訟で勝訴の判決がでていて、一部控訴した部分もありますが、それも先日仙台高裁で結審しています。一方、東電刑事訴訟など悪い判決もあるし、そうしたほかの裁判の結果もまた影響してくると思います。どうなるかはわかりませんね。


◎[参考動画]山下俊一トンデモ発言(2011/05/08)

3月4日、福島地裁前(Toshiko Okadaさん提供)

◆「復興五輪」──復興なんて無理ですよ、元に戻ることはないから

── 7月から始まる東京五輪についてお聞きします。先日、Jヴレッジで「オリンピック反対」のスタンディングが行われましたが?

今野 全国から50人くらい集まって、プラカードに日本語だけではなく英語、韓国語、フランス語などいろんな国の文字で思いを書いてアピールしました。国道6号線にずらりと並んで。車で行き来する人たちも見ますが、それが全国、全世界に報道されたのだから、影響は大きかったと思います。地元では、僕も何度も取材をうけた東京のTBS系列のテレビユー福島が夕方のニュースで報じていました。

── 福島のなかでは「東京五輪」への歓迎ムードはあるのでしょうか?

今野 俺の周辺では、浪江訴訟の仲間も津島訴訟の仲間のなかにも、全くない。聖火リレーだって、いいところばかりをちょこっと走って、それをつなげるだけ。それでは福島の現実は伝わりませんよ。復興した印象を持たせようと、廃墟のある場所や更地になった場所は、走りません。Jヴレッジや新しくできたハコモノの周辺等のいいとこどりです。

── 2月12日、「ひだんれん」で行った記者会見でも、いま行われている「復興」はうその復興と話されてましたが、では「本当の復興」はどうすれば成し遂げられるとお考えですか?

今野 復興なんて無理ですよ。元に戻ることはないから。復興とは、復旧が終わって再び興すことです。復旧とは、元に戻すことです。復旧が出来ていないのに復興することは出来ません。

◆原発で一緒に働いていた同級生の仲間が2人、50歳で亡くなった

── 確かにそうですね。今野さんの元の同僚の方はどうなさっていますか?

今野 事故後に原発の仕事辞めた同僚は、半分くらいいます。ほかにも事故を機に辞めた仲間はいっぱいいます。福一に戻った同僚からは発電所の現状や思っていることを「俺たちは言えないから代わりに言ってくれ」と言われています。 

じつは原発で一緒に働いていた同級生の仲間が2人、50歳で亡くなっています。死因はわからない。事故から3年後です。新聞のお悔み欄で見つけたり、人から聞いたりして知りました。2人が事故後に原発に入っていたかどうかもわかりません。表にでてこない話だから。あと同級生の女性も50歳で亡くなりました。津島地区の人ですが、やっぱり死因はわからない。病気になり闘病生活送ったとかではなく、みんな、急に亡くなっています。

ほかにも、以前浪江に住んでいた近所の人で、50歳代で亡くなった人が3人います。会社の先輩、一緒に仕事していた仲間、それと幼稚園の園長先生。この前、花をあげてきましたが、みなさん、50台後半、家族を残してね。

── 1人だけならまだしも立て続けに何人もって、おかしいですよね?

今野 絶対おかしいですよ。50歳台で突然亡くなること自体がそうそうないでしょう。ほかの人たちは話さないが、俺は話します。でもその原因が被ばくとは言っていない。ただ「こういう現実がありますよ」と話します。被ばくとの因果関係はわからないが、異常だと思うよと。考えられる要因としては、そこしかないだろうと話します。

── 残されたご家族も無念だし、「これはおかしい」と考えられるでしょうね?

今野 思っていても証明できないから、しょうがないですよね。医者だって言えないしね。死亡欄には「心不全」と書いてあるが、「その心不全に何故なったか?」と言われてもわからないわけです。僕ができるのは、とにかく事実を伝えることだけ、それしかありません。

── まだまだお聞きしたいことはありますが、今日はここまでといたします。長い時間どうもありがとうございました。(完)

(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
汚染されているから帰れない それが「福島の現実」

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
元東電「炉心屋」木村俊雄さんが語る〈福島ドライアウト〉の真相

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。(聞き手・構成=尾崎美代子)(聞き手・構成=尾崎美代子)

◆あの時の福島第一原発と女川原発の違い

── 3・11のとき、今野さんは宮城県の女川原発で被災したわけですが、福一の事態は予測できましたか?

今野 女川原発が津波に襲われた時点では、福島第一原発までが津波に襲われているとは知らなかった。自分たちの置かれた状況が悲惨すぎて、そこまで頭がまわらなかった。しばらくしてBSテレビを見たら、「電源喪失しました」「水位が低下しています」と言っているので、「これはやばい。もう終わりだ。爆発するな」と思っていたら、翌日1号機が爆発。そのとき、私は女川の職員に言ったんですよ。「1号機は一番小さいから最初に爆発したが、これは2号機も3号機も続けて爆発するからね」と。1号機は出力が小さい分、原子炉も格納容器も容量が小さいから、圧力が上がり易い。

── 実際、今野さんが福一の現場で働いていたから、予測できたのですね?

今野 そうなりますね。実際、そういう教育を受けてきた訳ですから。どうしたら、どういうトラブルがおきるかと想定して、それに対する設備をメンテナンスしていたわけですから。原発は、実はすごい巨大なシステムなんですね。その全体を判断できる人間はそういないです。当直長でさえ全てわかっている人はいないからね。

── 女川原発も相当ひどかったのですね。事故直後の周囲の空間線量が10μSv/hにまで上がり、外出禁止となり、中に今野さんら3000人近くの作業員が残されたということですが?

今野 ええ、女川も津波に襲われたからね。でもポンプが一台助かったのと、外部電源は喪失したが非常用電源で発電できたから、そこが福島第一原発と違うわけですよ。女川は非常用電源で4~5日間もちこたえた。ただ、津波で周囲の道路がズタズタに壊されたので、どこへもいけない状態が続いていたので、原発内にいました。食事はもともと売店にあった食料と、東北電力と関連会社が備蓄している食料を、ヘリで運んでもらい、地元の人たちに食べてもらったりしていました。僕たちはカップヌードルでもミニサイズで我慢して、デッカイのは地元の人に食べて貰いました。牡鹿半島に住む地元住民です。水は発電所に原水タンクがあったのでろ過して使用でき、ペットボトルの飲料水は地元の人達に優先して廻しました。

放射線管理手帳(今野さん提供)

◆事故後5日目、女川原発から福島へ戻る旅

── ご家族と連絡取れなくて、心配でしたね?

今野 当時、幼稚園の息子を妻が、朝、実家のじいちゃん、ばあちゃんの家に預けて仕事に出ていました。息子はそこからからバスで幼稚園に通っていた。津波は川を上ってくるが、幼稚園のバスのルートが川の近くだったので、「もしかしたらバスが襲われた可能性があるな」と不安でした。家族は家族で、私が津波に呑まれて死んでるんではないかと思っていたそうです。

── 5日目にようやく、女川原発から脱出したというこですが?

今野 そうです。3月15日、我慢の限界でした。「自己責任で構わない。家族のもとに行かせてくれ」と発電所長に許可を貰い、福島から一緒に行った仲間6人と東京から出張で来ていた仲間1人の8人で1台の車で出ました。

浪江の仲間が自分を入れて3人、原町1人、いわきから3人。とにかく浜通りは通れないから、行き先がない流浪の旅になった。いわきの人は郡山まで迎えにきてもらい帰り、俺たちはしょうがないので、新幹線で移動することになりました。そのころにはもう、家族と連絡がとれ、茨城県の古河の妻の親戚宅にいることがわかっていた。

ただ新幹線は那須塩原までしか走ってないので、そこまでどうやっていくかとなり、郡山駅からタクシーを貸し切り、2万5000円払って行きました。背に腹は代えられませんからね。途中乗り継いで、古河駅に妻のおじさんと息子が迎えに来てました。そこで、朝日新聞記者の青木美希さんが『地図から消される街』に書いてくれましたが、息子が「パパ生きてた! パパ足ついてる!」と言った感動の再会がありました。今でもはっきり覚えています。思い出すと涙が出てしまいます。

それから親せき宅に約10日いて、そこから避難所に行き、4月11日から猪苗代の旅館に移り、8月31日から福島市の飯坂温泉の借り上げ住宅に移りました。そこから4年たって、いまの福島市飯坂温泉の復興住宅に移りました。

── 事故後、浪江の家を見にいったのはいつ頃でしたか?

今野 その年の7月に皆でマイクロバスで行きました。防護服着て。放管(放射線管理員)の人も一緒で、線量計ったらとんでもない数値で「ヤバイ!ヤバイ! とっとと帰ろう」となりました。20~30分しか滞在しなかった。めちゃくちゃ線量が高かった。10μSv/h位ありました。植え込みや側溝の上は20~30μSv/h位ありました。通帳とか必要なものを持ち出しただけ。

3月15日女川原発を脱出し、家族のいる茨城県古賀市に逃げた時の新幹線の切符(今野さん提供)

◆柏崎刈羽原発の定期検査の監督をやってくれと言われたが、当時はそれどころではなかった

── 今野さんに、東電から「現場に戻れ」という指示はなかったのですか?

今野 逆ですね。現地のメーカー指導員は、メーカーから「一線から退け。被ばくして使えなくなってしまうから」と退去命令が出たそうです。当時はがれき撤去などの作業などだから、失礼な言い方ですが、誰にでもできる。僕たちがそんなことで被ばくして病気になったり、死んでしまったら、あとあと原発の技術面での作業に支障がおきて困ると、そうメーカー側は考えたのでしょう。

そのあと新潟県の柏崎原発の定期検査があるから監督やってくれと言われましたが、当時はそれどころではなかった。避難所の自治会長を頼まれたので、毎日避難者の面倒みたり、役場と連絡とったり、支援物資を仕分けして皆さんに配ったり、忙しくて、仕事したり、遊んでいる暇もありませんでした。

── 皆さん、体調などはどうでしたか?

今野 息子は、鼻血は出なかったが、風邪が非常に治りにくくなっていました。治ったと思ったら、またひくみたいな状態が続きました。免疫力が低下したのでしょうね。鼻血は私がよく出たね、井戸川さんと同じ。

── 鼻血騒動のバッシングは酷かったですね? 井戸川さん自身が「出た」というのに、嘘だといわれる?

今野 「風評被害だ」といわれましたね。俺だけじゃなくて、「私も」「俺も」という人が大勢いるのに。俺も最初は「血圧高いのかな?」と思った。それまで鼻血なんか、一切出たことないのに。でも血圧計ったら高くはない。原因は、避難所で放射性物質を鼻で吸い込んでいたからですよ。(つづく)

(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
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[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
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[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

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「特定重大事故等対処施設」とは何か

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停滞する運動を超えて行く方向は何処に

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山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
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「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
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老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

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《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
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二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
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『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

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子ども脱被ばく裁判原告団長の今野寿美雄(こんの・すみお)さんは、9年前の震災と原発事故後、当時住んでいた福島県浪江町から妻と息子とともに避難を続け、現在は福島市内の復興住宅で生活を送っている。2月初め、Facebookで今野さんが「解体のため、今春、鹿島建設に玄関のカギを渡さなければなりません。環境省から引き渡しを迫られています。昨年、11月末に現地立ち合いをしたところ、令和2年(2020年)3月25日が工期だといわれましたが、そんな話は寝耳に水でした。今まで工期について一切、説明もなければ、連絡もありませんでした」と投稿していた。今野さんに何が起きたのか、お話を伺った。全3回に分けて報告する。(聞き手・構成=尾崎美代子)

今野寿美雄さん。浪江町にある自宅前にて(2018年10月22日/Eiji Etouさん提供)

◆除染で空間線量は下がっているが、土壌汚染がハンパじゃない

今野寿美雄さん。浪江町にある自宅前にて(2020年2月29日/瀬戸大作さん提供)

── 今野さんは、避難指示解除されても、浪江の家には帰らない、家を解体するということですが、戻らない理由の一番は、まだ帰れるような場所ではないということですね?

今野 そうです。みんな、ちょっと勘違いしていますが、除染で空間線量は下がっているが、土壌汚染がハンパじゃない。管理区域の値をとうに超えています。うちのところで、管理区域の設定基準40,000Bq/平米に対し、2500,000Bq/平米もあるんです。

── 除染してそれですよね?

今野 除染と言っても、表面の土を3~5センチ剥いだだけですよ。その下の土に染みている放射性物質が出てくるわけですよ。雨で上の土が流れるわけですから。そして周りからも放射性物質が飛んできて、再汚染しているわけですよ。しかもそれが不溶性のホットパーティクルという、身体内部に取り込んだら、排出されないというやっかいなものだからです。

── それで今野さんは、もう住めないから、家を解体しようと決めたわけですね?

今野 そうです。環境省が、去年の3月までに解体の申請をしろということで、私はぎりぎり3月に申請を出しました。ところが、その後解体の工期がいつかなどの連絡や通知がずっとなかった。

それがいきなり「急ぐので現地立ち合いをして下さい。8月頃できませんか?」と連絡が来た。その時は、ちょうど僕が忙しく、断っていました。すると「なんとか年内の11月位に立ち会ってもらえないか?」と連絡がきて、11月29日に立ち会いました。そこで初めて「3月いっぱいまでに解体しないといけないので、1月いっぱいまでに(家の中を)片づけてください」といわれ、そのあと2回通知がきました。1回目は簡易書留、2回目は特定郵便で。

「連絡よこさないと解体しませんよ」と書いてあったので、環境省に電話して「こっちもなるべく早くするが、どうせ工期は間にあわないだろう」といいました。だって11月の時点で、解体物件が1000件近く残っているというのですから。物理的にそれを全部解体できる訳ないじゃないですか? 解体業者もそんなにいると考えられないし。彼らも分かってはいるが、お役所仕事だから、年度内にやらないといけないという。「表だってはいえないが、あとは個別に相談させてもらうしかない」と言ってました。

手続きをすませてもらうしかないといわれました。こっちが日にちを伸ばしたこともあるが、11月29日に初めて立ち会ったとき、突然3月25日までに解体するといわれたのですよ。翌日26日から福島で聖火リレーが始まるからです。それに向けた計画だったのでしょうが、実際はそんなに進まない実情がある。

私は、申請は出してあるので、それ以降に解体となっても、あとは環境省の問題で、解体費用をこっちが支払うことにはなりませんが、彼らはそうやって実質、脅しているわけですよ。「片づけを早くやらないと、無償で解体の対象から外すよ」と。

◆原発の弱いところはよくわかっていた……

── 本当に、五輪ありきの解体計画ですね。それで慌てて家の片付を始めたわけですよね。避難先の福島市から何度も通って……。引っ越し代、ガソリン代なども自分持ちだと?

今野 それが頭にきているんですよ。ふざけてるね。今住んでいる復興住宅は、浪江の家の半分位だから、元の家の家具もそうそう運べない。「もったいないな」と思っていたら、浪江でカラオケ屋を始める方が、従業員用の宿舎で使いたいというので、「もったいないから引き取って」といいました。そのママさんは、昔、私の友達がやっていた店を居抜きで借りて店を始めた人です。その友達夫婦ですが、夫婦共に事故後に癌と白血病で亡くなりました。当時中学2年生の娘を残してね。だからこれも何かの縁だなと思ってね。

── 息子さんも8年11ケ月ぶり、事故後初めて実家に戻ったのですよね?

今野 息子はもう浪江の記憶が薄くなっていました。息子は5歳で避難して、今年6月で15歳ですから。事故後の生活のほうがダブルスコアですからね。

── 家を手放すと決めたとき、どんな思いでしたか?

今野 いや、切ないですよ。女房も「なんでここに住めないの。捨てるの?」と悔しがってました。家は建ててから事故当時で9年経っていましたから、今年で18年です。それまではその近くの団地やアパートにいましたが、ある人に土地を貸してもらえることになり家を建てようと決めました。

── その後いろんな人たちが集まってきて、そこで今野さんはリーダー的な存在だったとお聞きしました?

今野 最初に家を建てたから、隣組のなかで一番古いからね。そこに浪江の次男坊や3男坊の人たち、二本松から来た人もいました。最初は4軒で隣組つくって、そのあと道路の向こう側に7軒出来たので、11軒で隣組をつくりました。

── そこに新たなコミュニテイーが出来ていたのに……。皆さん、もうばらばらですか?

今野 若い人が多いから子供もいっぱいいて。そんな隣組でした。親たちとは、最初の年の「一時帰宅」のとき会いました。その後何回か会う人はいますが、あとはほとんど会えていません。あと同級生が一時帰宅で帰ったりすると会うくらい。あとはフェイスブックでやりとりしたり。福島やいわき、あとは県外に避難した人たち。子供がいる人の多くは神奈川、千葉など県外に避難しています。引っ越し先がわからない人もいます(笑)

浪江町にある自宅の現況(今野さん提供)

浪江町にある自宅の現況(今野さん提供)

── 寂しいですね。

今野 そうだね。子どもたちの名前なんか、もう忘れてしまいました。子どもらの小さい頃の写真をみて「なつかしいな」と思うんだけど……。9年だもんね。

── 今野さんは、原発の自動制御装置のメンテナンスの仕事などに就いていたそうですが。働いていたときは、福一でこうした事故が予測できましたか?

今野 事故になったら大変だとは思っていたね。原発の弱いところはよくわかっていたんで。事故が起きないようにと祈るだけでしたね。大きな津波が来ないかとか、ミサイル撃ち込まれないようにとかね。日本の原発は、以前はテロ対策とか本当にやってなくて、9・11後に、ようやく入口に機動隊が配備されるようになった。それまでは民間の警備員が就くだけだった。ほかの国は軍隊が守っているのに。日本はいかにいい加減かということですよ。(つづく)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

『NO NUKES voice』Vol.23 総力特集〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故

『NO NUKES voice』Vol.23
紙の爆弾2020年4月号増刊
2020年3月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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総力特集 〈3・11〉から9年 終わらない福島第一原発事故
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[グラビア]福島原発被災地・沈黙の重さ(飛田晋秀さん

[インタビュー]菅 直人さん(元内閣総理大臣)
東電福島第一原発事故から九年の今、伝えたいこと

[インタビュー]飛田晋秀さん(福島県三春町在住写真家)
汚染されているから帰れない それが「福島の現実」

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
元東電「炉心屋」木村俊雄さんが語る〈福島ドライアウト〉の真相

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)
車両整備士、猪狩忠昭さんの突然死から見えてくる
原発収束作業現場の〈尊厳なき過酷労働〉

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈7〉
事故発生から九年を迎える今の、事故原発と避難者の状況

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
奪われ、裏切られ、切り捨てられてきた原発事故被害者の九年間

[対談]四方田犬彦さん(比較文学者・映画史家)×板坂 剛さん(作家・舞踊家)
大衆のための反原発 ──
失われたカウンター・カルチャーをもとめて

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈18〉
明らかになる福島リスコミの実態と功罪

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
「特定重大事故等対処施設」とは何か

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
停滞する運動を超えて行く方向は何処に

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈7〉記憶と忘却の功罪(後編)   

[報告]佐藤雅彦さん(翻訳家)
5G=第5世代の放射線被曝の脅威

[報告]渡辺寿子さん(核開発に反対する会/たんぽぽ舎ボランティア)
「日本核武装」計画 米中対立の水面下で進む〈危険な話〉

[読者投稿]大今 歩さん(農業・高校講師)
原発廃絶に「自然エネ発電」は必要か──吉原毅氏(原自連会長)に反論する  

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク
老朽原発を止めよう! 関西電力の原発と東海第二原発・他
「特重」のない原発を即時止めよう! 止めさせよう!

《関電包囲》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
「5・17老朽原発うごかすな!大集会inおおさか」に総結集し、
老朽原発廃炉を勝ち取り、原発のない、人の命と尊厳が大切にされる社会を実現しよう!

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
1・24院内ヒアリング集会が示す原子力規制委員会の再稼働推進
女川審査は回答拒否、特重は矛盾だらけ、新検査制度で定期点検期間短縮?

《全国》柳田 真さん(たんぽぽ舎・再稼働阻止全国ネットワーク)
原発の現局面と私たちの課題・方向

《北海道・泊原発》佐藤英行さん(岩内原発問題研究会)
北海道電力泊原子力発電所はトラブル続き

《東北電力・女川原発》笹氣詳子さん(みやぎ脱原発・風の会)
復興に原発はいらない、真の豊かさを求めて
被災した女川原発の再稼働を許さない、宮城の動き

《東電・柏崎刈羽原発》矢部忠夫さん(柏崎刈羽原発反対地元三団体共同代表)
柏崎刈羽原発再稼働は阻止できる

《関電・高浜原発》青山晴江さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関西のリレーデモに参加して

《四国電力・伊方原発》名出真一さん(伊方から原発をなくす会)
三月二〇日伊方町伊方原発動かすな!現地集会 
レッドウイングパークからデモ行進。その後を行います。圧倒的結集をお願いいたします。

《九州電力・川内原発》けしば誠一さん(反原発自治体議員・市民連盟事務局次長/杉並区議会議員)
原発マネー不正追及、三月~五月川内原発・八月~一〇月高浜原発が停止
二〇二〇年は原発停止→老朽原発廃炉に向かう契機に!

《北陸電力・志賀原発》藤岡彰弘さん(命のネットワーク)
混迷続く「廃炉への道」 志賀原発を巡る近況報告

《読書案内》天野惠一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『オリンピックの終わりの始まり』(谷口源太郎・コモンズ)

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

井手洋子監督のドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ」の関西上映(大阪・神戸・京都)が、2月15日大阪・シネ・ヌーヴォから始まった。障がいを持つ子どもの放課後活動の草分け的存在である東京都小平市の「ゆうやけ子どもクラブ」(以下、ゆうやけ)を1年半追い続けた作品である。

1978年、養護教育の義務化で、障がいを持つ子どもたちにようやく学校教育が保障されるようになったが、ゆうやけ(遊びの会)はその1年前、様々な障がいを持つ子どもたちが、放課後や夏休みに過せる場所が欲しいという親たちの切実な願いから始まった。現在ゆうやけの代表を務める村岡真治さんは、ボランティアで関わっていた当時の様子をこう話している。

ゆうやけの代表を務める村岡真治さんと子どもたち(C)井手商店映画部

「放課後や夏休み期間中に、遊び・生活を中心とした活動を行って。子供たちの成長を促そうとすることは、大変勇気のいることだった。先輩の親からは『若い親を甘やかすな』と苦情をいわれた。市に補助金を求めにいくと『学校に通っているのに、どうして放課後までお金を出す必要があるのか』と返された。だが私たちは、子供の権利や発達に照らして,障がいのある子どもにも放課後活動は必要だということを、実践しながら社会に訴えていった」。

その村岡さんが、今も現役で子どもたちの輪の中心にいることに、まず驚かされる。「今日のおやつ作りは何にしますか?」「えーと、ゼリー」といわれ、村岡さんがずっこけるシーンから映画は始まる。

学校から次々とゆうやけに帰ってくる子どもたち。「おかえりなさい」と迎える職員たち。小学校から高校生まで、全員が知的障がい、発達障がい、自閉症など様々な障がいを持っている。子ども1人か2人に、指導員が1人つき、「おやつづくり」、「フォークダンス」、「段ボール遊び」などで遊ぶ。紙いっぱいにその日の買い物リストを書き、村岡さんにおもちゃ電話で注文してもらう女の子。「えー柴犬4匹、メスが普通で黒がオスですね。4匹です」。もうこの場面から、ワクワク感がとまらなくなる。

◆「ゆうやけ子どもクラブの活動をとってほしい」と依頼された井手監督

井手洋子監督

井手監督が、ゆうやけに関わったきっかけは「40周年記念のコンサート」で夕やけを紹介する映像を頼まれたことからだった。当初、井手監督は、障がいをもつ子どもたちの「放課後活動」がどんなものか全く知らず、何をどう撮ればいいかと戸惑ったという。

「職員さんたちは、子供のいない午前中、何をやっているのだろうか?」と気になっていたある日、職員の研修会を撮影する機会があった。職員は、毎日子供たちに何があったか記録し、迎えに来た親にも、それを丁寧に説明する場面がある。研修会では、1人の障がいを持つ子について書かれた3年分の記録から、気になる個所を抜き書きし、5人の職員が話し合っている。

「ここにも同じのがあった」と、資料の同じ言葉の箇所にマーカーで線をひき、彼がその時何を考えたのかと、謎解きをしていくような作業。「子供たちとの関わりの背景には、こんなにも丁寧な作業があったのだ」と驚きながら、カメラを回したという井手監督。そうした事実を掘り起こしていく作業は、ドキュメンタリーの取材にも通じるという。そして「このシーンを映画の中でいかした。こうしたことの積み重ねで、暗闇から少しずつ取材の糸口となる光のようなものがみえてきた」と、作品のとっかかりを掴んだきっかけを、井手監督は語っている。

◆親たちの孤独が解消されるような社会をめざして

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画では、障がいを持つ子どもたちの親たちが話す場面も多い。障がいを持つ子の苦労話や、子どもの変わり様を屈託なく、時には笑って話す親たちの姿は、とても強く印象に残った。

「とくに母女親が孤立して、とっても孤独な方がすごく多いと思うので、それが改善していく世の中になってほしい」と話す父親。「ほかの子どもたちには、なかなか構ってやれない」と笑って話す母親。「ここに来ることが一番の楽しいみたい。学校のあとにゆうやけだから、そのために学校へ行くみたいな…。家に帰ったらバタンキューですよ」と話す父親。

昨年、両親が、障がいを持つ我が子を長期に亘り監禁し、死なせた事件が起こった。障がいがあったり、引きこもりを続けるわが子の存在を周囲に隠し、行政にも相談できず、最終的に自身の手で殺(あや)めるという痛ましい事件も発生した。なぜ、可愛いわが子の存在を隠さなければならないのか?殺めなければならないのか?そこには、障がいを持つ子どもと親たちに対する、社会のぬぐい切れない差別や偏見があるからではないか?

◆障がいを持つ子と親たちをとりまく社会の変化

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

2012年、「放課後等デイサービス」という国の制度が始まって以降、障がいのある子どもの放課後活動の場が爆発的に増えた。ゆうやけの3つの事業所も、2013年以降、この制度を利用して運営されている。そんななか、公費を偽って請求するなどの不正を行う業者、「起業3年,年商3億年」「低リスク、高リターン」などとうたい、利潤追求を目的とした事業所なども増えてきた。私の住む釜ヶ崎で、生活保護者を狙って、「家賃、食費がゼロ、おまけに小遣いまでもらえるよ」とうたう「囲い屋」など貧困ビジネスが増えたことと同じだ。

さらに2018年には、施設に障がいが重い子どもたちが半分以上いないと、収入が大幅に引き下がるという新しい基準が加わり、ゆうやけも存続の危機に見舞われた。ゆうやけはどうにか認められたものの、全国の8割の事業所が減収から閉鎖に置きこまれたという。巷では「ダイバーシテイ」「多様性」などのきれいな言葉が溢れているが、実際の社会の足元には、こうした過酷な現実もあることを、この映画を通じて知りえた。

◆一人一人が自分らしく生きるために……

映画「ゆうやけ子どもクラブ」(C)井手商店映画部

映画の後半では、障がいを持つ3人の子どもにフィーチャーしていく。自分の気持ちをうまく表現できないガク君。子どもたちの輪になかなか入れず、部屋の隅でひたすら積み木を積むヒカリ君。そして聴覚過敏の音に敏感すぎるため、ずっと給湯室にこもっているカンちゃん。テロップでは障がいには触れてないが、同じ自閉症でもまるで特性が違うことに驚かされる。

3ケ所あるゆうやけの施設を回って撮影を続けていた監督が、ある日ヒカリ君がどうなったか知りたくて会いに行く。それまで直線で作られていたヒカリ君の積み木の線路は、なだらかな曲線を描くようになっていた。そこに精巧な駅舎や改札口が作られ、やがてホームに動物をたたずませたヒカリ君。ヒカリ君の宝物は、鉄道好きなヒカリ君のために、職員が作ってくれた全国の鉄道名と駅名を書いた手帳だ。新しい線路と駅の名前を口にしていくうちに、ヒカリ君の声も徐々に大きくなっていく。撮影最後の日、子どもたちが遊ぶマットの相撲場に、積み木を置くようになったヒカリ君は、ダンスがはじまると、輪の後ろで身体をくねらせ、最後には皆の手を取ってダンスの輪に入っていった。「福祉は人間らしい人の輪」。映画の中で、村岡さんが語っていた。

子どもたちも親たちもこんなに変えていく、ゆうやけの輪は、こうして日に日に大きくなっていくことだろう。

最後に井手監督に「ゆうやけ子どもクラブ」を作った1番の目的をお聞きした。

「このような施設が存在することを多くの人たちに知ってもらうこと、映画を通して子どもたちそれぞれの世界を知ってもらい、私たち一人ひとりの心の中にあるバリアをとりはらうきっかけになれば、と思っています」。関西上映は以下のスケジュールで!

大阪・神戸・京都でのドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」上映スケジュール
大阪 シネ・ヌーヴォX 2月15日(土)~2月28日(金)
   シネ・ヌーヴォ  2月29日(土)~3月6日(金)
神戸 元町映画館    2月29日(土)~3月13日(金)
京都 京都シネマ    3月 7日(土)~
問い合わせ 井手商店映画部 03-6383-4472
公式ホームページ https://www.yuyake-kodomo-club.com/


◎ドキュメンタリー映画「ゆうやけ子どもクラブ!」予告篇ロング

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

鹿砦社創業50周年記念出版『一九六九年 混沌と狂騒の時代』

◆「仮処分決定」で、再び強制排除されるのか!

大阪市西成区、JR新今宮駅前の「あいりん総合センター」(以下、センター)で続く「センターつぶすな」の闘いに新たな動きがあった。センターは、昨年3月31日閉鎖予定だったが、当日抗議する仲間が多数集まり、閉鎖できなかった。4月1日以降、センターでは労働者、支援者らの自主管理を続けてきたが、4月24日、国と大阪府は機動隊を使い、暴力的に排除した。しかしその後も、シャッター外に作られた団結小屋を中心に「センターつぶすな」の闘いが続いている。

そんな中、2月5日の午後、大阪府の職員と大阪地方裁判所の執行官らが警官を多数引き連れセンターにやってきて、周辺に野宿する人たち一人一人に、「仮処分決定」の書類を渡し、テント前の敷地に「公示書」を釘で留めていった。

以下の写真はその1つだが、稲垣浩氏(釜ヶ崎地域合同労組委員長)以下15名の名前が掲載されている。大阪府と裁判所は、すべてを稲垣氏のせいにする気なのか?

野宿者の寝床の前に釘で打たれた公示書

同上写真にある公示書(拡大)

◆「センターつぶすな」住民訴訟で明らかになった「南海電鉄」の杜撰な安全管理

「センターつぶすな」の住民訴訟(公金違法支出損害賠償等請求事件)の第6回期日が、2月3日大阪地裁で開かれた。この裁判は、センターの建て替えに伴い、南海電鉄高架下に作られたあいりん職安と西成労働福祉センターの仮庁舎の建設費用が、適正か否かを争うものだ。原告はこれまで、仮庁舎が、安全性が保証されない南海電鉄高架下に建設されたこと、しかも工事が「入札」でなく、合理的な理由がないまま、南海辰村建設と随意契約したことの違法性などを主張してきた。

前回原告が、大地震が起きた際、南海電鉄が倒壊する危険性について主張したところ、何も答えられない被告・大阪府に対して、裁判長が「上に電車が走っているので大丈夫でしょう」などと助け船を出す場面があった。裁判長は、25年前の阪神淡路大震災で起きたことを知らないのだろうか? そのため、今回弁護団は、25年前の阪神淡路大震災で、高速道路が倒壊するなどの甚大な被害が発生したこと、その後運輸省(当時)がまとめた「緊急耐震補強計画」の提言と通達、そうした耐震工事が南海電高架下の仮庁舎でも実施されなければならなかったと主張する「第4準備書面」を裁判所に提出した。

阪神淡路大震災で倒壊した高速道路

阪神淡路大震災で倒壊した鉄道高架橋

1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災は、震度7、マグニチュード7・3、死者は6,434人にのぼった。書面には、この地震により、多くの建物が倒壊した。更に阪神高速3号神戸線の鉄筋コンクリート橋脚が倒壊したり、山陽新幹の高架橋が8ケ所、在来鉄道では24ケ所が落橋したこと、東海道本線でも甚大な被害が出たことを当時の写真とともに記されている。

運輸省(当時)は、震災の翌日、鉄道施設耐震構造検討委員会を設置し、7月26日「既存の鉄道構造物に係る耐震補強の緊急措置について」をとりまとめた。またこの方針に基づき、既存の鉄道構造物の緊急耐震補強計画の策定などを、全国の鉄道事業者へ通達し、その運用について指導した「解説」を出された。その「解説」によれば、阪神淡路大震災の被害の特徴は、高架橋の柱などが「せん断破壊」をおこし、高架橋が落橋したことにあるとして、緊急措置として、構造物の崩壊を避けるための耐震補強を行うこととした。被害の多かった京阪神地域を優先的に対処したうえで、新幹線、輸送量の多い線区(ピーク時、1時間の列車本数が10本以上の線区)などを対象にするとされ、実施期間はおおむね5年とされた。

ただし、高架下については「間仕切り壁」などの設置により耐震効果のある構造になっているものなどについては、対象外とするとされた。補強方法としては、鋼板巻き立て工法などがあげられていた。

◆なぜ、センター仮庁舎付近だけ耐震補強工事をしないのか?

では仮庁舎が入る南海電鉄高架下はどうか? 税金7億5千万円を投入した仮庁舎で、開業から2ケ月後雨漏りが始まったことは、これまでここで紹介してきた。構造物にどのような欠陥があるのだろうか?

南海電鉄は、25年前、運輸省から受けた「通達」に基づき、耐震補強工事を実施しなくてはならない線区に該当していたが、おおむね5年とされた期間を2十年近く過ぎて、最近ようやく難波駅と今宮戎駅の間や、萩之茶屋駅の南側で「鋼板巻き立て工法」による耐震補強工事を実施した。しかしその工事が、仮庁舎付近では行われていないのだ。

被告・大阪府は、その理由を「その場所は耐震補強の対象外である」と反論してきた。「まちづくり会議」で、南海電鉄の耐震性に疑問の声があがった際も、識者は「南海に確認したところ、今回仮移転の検討を進めている場所は、耐震化の対象外」と返答していた。データなどの提示を求めた委員に対して、府の職員は「南海電鉄を信用できないのか?」と言い返す場面もあった。

◆二重に危険な仮庁舎に労働者を閉じ込めるな!

何故センター仮庁舎付は対象外なのか? 25年前の通達では、間仕切り壁などが設置され、耐震効果がある場合は対象外とある。しかし、仮庁舎が建設される際、間仕切り壁は撤去されている。センター建て替えに反対し、連日工事現場を監視していた稲垣氏も、それを確認している。高架下で間仕切り壁を撤去して商店などにしていた個所は、この間順次「鋼板巻き立て工法」で耐震補強工事を行っている。

現在、仮庁舎がある高架下は、二重の意味で危険だということ。つまり、仮庁舎建設のために、間仕切り壁などを取り払ったことで耐震補強の対象外でなくなったうえに、耐震効果のない仮庁舎を建設したことで、鋼板巻き立て工法による耐震補強工事ができなくなってしまったからだ。

こうした理由からも、あいりん職安と西成労働福祉センターの仮移転先を、南海電鉄高架下に選んだことは、不適切だったことは明らかである。

2月3日の裁判では、この点について、南海電鉄に対して、調査を求めるための「調査嘱託申立書」を提出、裁判官はこの申し立てを認め、大阪府に回答を提出するよう求めた。

◆さらに秘密会議化する「まちづくり会議」

1月27日、西成区役所で再開された「まちづくり会議」(労働施設検討会議)でこんなことがあったと、委員の稲垣氏が組合ビラで報告している。「ところでこの日、全委員が受け取った資料の中に、センターつぶしに加担する学者を含め約20人のまちづくり会議のメンバー他が、今年1月8日に、沖縄県那覇市にあるグッジョブセンター沖縄(就労支援の窓口)に見学に行ったときの報告書(A4の紙の裏表に書かれたもの)がありました。見学には朝日新聞の記者まで同行していました。釜合労はそんな見学があったことを知りませんでした。

会議の終わりころになって、見学に参加した白波瀬桃山学院大学社会学部准教授がこの報告書について説明をおこないました。説明を終えた後、白波瀬氏がこれは公表しないでほしいという意味のことを言い、その理由として『相手方に了解を得ていないから』というので、釜合労稲垣は『公表できないものは受け取れない』と言って持ち帰ることを拒否しました。すると白波瀬氏が稲垣の座る席まできて、返すように言って手を差し伸べてきたので、その報告書を返し、『この会議は秘密会議ではない。公表できないなんておかしい』と強く抗議し退席しました。過去47回会議がありましたが、公表してはならない資料が配られたことは、釜合労が知る限り一度もありません」(2月3日付け釜合労チラシより抜粋)

どういう目的のツアーだったか、お金はどこから出たか、あるいは自費なのかなどは不明だが、表に出してはならないような資料が出るなど、まちづくり会議がますます「秘密会議化」していることだけは明らかだ。「誰も排除しない」ではなかったのか?

全国の皆さんには、改めて釜ケ崎がどうなっているかにご注目いただきたい!

センター北側に作られた毛布箱には、全国から毛布が送られている

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2020年3月号 不祥事連発の安倍政権を倒す野党再建への道筋

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

3月26日、福島県楢葉町のJヴィレッジからスタートする東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレールートに、福島県浜通りで唯一決まっていなかった双葉町が、追加される見通しとなった。これにより3月26日から始まる東京オリンピック・パラリンピックの聖火リレーが、甚大な被害をうけた福島県浜通りのすべての町村を通過することになる。

一方、政府は、1月21日、3月11日に政府が主催する東日本大震災の追悼式を、発生から10年となる来年の式典を最後に終了することを発表した。聖火リレーで、福島をくまなく回り、福島は震災と原発事故から不死鳥のように蘇ったとアピールし、原発事故の被害をなかったこと、あるいは終わったことにするためだ。それは同時に、「原発は事故を起こしても、10年経てば『復興』できる」という、新たな「安全神話」を完成させることだ。嘘とまやかしの「復興五輪」の実態を暴いていこう。
 

◆徹底除染したのは「聖火リレー」のルートだけ?

3月21日、福島県は、福島県内の聖火リレールートの空間放射線量の測定結果を発表した。それによれば、空間放射線量の最高値は、沿道が飯舘村の毎時0.77マイクロシーベルト、車道が郡山市の毎時0.46マイクロシーベルトであり、国の被ばく許容限度の毎時0.23マイクロシーベルトを超える地点が、13ルートもあることがわかった。しかし県は、走者や応援者の滞在する時間を約4時間と考え、「開催に問題ない」としている。果してそうだろうか?

昨年12月、スタート地点の楢葉町のJヴィレッジ付近の駐車場で、地表で毎時70.2マイクロシーベルト、地上1メートルで毎時1.79マイクロシーベルトの場所が見つかり、環境省が東電に再除染を要請し、実施されたことが明らかになった。高い放射線量が残る地域、あるいは除染後に再び上がった地域は、ここだけではないはずだ。福島県三春町在住のカメラマン飛田晋秀さんは「除染はリレーが通過する道だけを対象にしているんです。その周辺には、まだまだ高線量の場所が存在すると思いますよ」と説明する。

広くて豪華な東電の社員食堂「大熊食堂」

実際、飛田さんが、昨年暮れにアメリカのマスコミを大熊町に案内した際、ゴーストタウンとなった大野病院近くの商店街周辺で、毎時44.5マイクロシーベルトを計測したという。周辺もだいたい毎時30マイクロシーベルト。

聖火リレーは、当然ここは通らない。大熊町のルートは、常磐道の高架下付近からスタートし、東電の社員寮、社員食堂などが立ち並ぶ大川原地区を走りぬけ、昨年新社屋に変わった大熊町役場をゴール地点とする約1.0キロのコースである。

昨年3月、私もここを訪れたが、瀟洒な東電の社宅が立ち並ぶその一帯は、「ビバリーヒルズ」をもじって「東電ヒルズ」と呼ばれている。広くて豪華な東電の社員食堂「大熊食堂」は、昼食時、一般客にも開放されているが、利用するのは、作業服姿の工事関係者や作業員、制服姿の役場職員がほとんどで、家の片づけ作業などで町に戻ってきたであろう人は、ごくわずかだった。

役場の近くに復興住宅が出来たが、「帰還しろ!帰還しろ!」という役場職員自身が、じつは福島市や郡山市、さらに遠い会津若松市から通っているという。戻る人は、どこの町村も同じで、65歳以上の高齢者であるという。

広くて豪華な東電の社員食堂「大熊食堂」

◆ハコモノからハコモノへ走る飯舘村の聖火リレールート

飯舘村の伊藤延由さんが飯舘村村内の聖火リレーコースのほぼ中間点で採取したデータ。道路脇から約2mの農地。ここに立って聖火リレーを応援?

私たち「西成青い空カンパ」が支援する飯舘村の聖火リレーのルートには、さらに驚かされる。飯舘村は、大阪市とほぼ同面積をもち、そこに20の行政区がある。原発事故後の復興計画では、当初、帰還困難区域の長泥地区を除く19の行政区で復興を進めると計画されていたが、その後、まずは「復興拠点」をきめて、そこを先行的.集中的に復興させように変わっていった。

安倍首相が、2013年9月、IOC総会で「汚染水はアンダーコントロール(制御)されている」とプレゼンテーションを行い、五輪招致を勝ち取って以降である。福島第1原発の汚染水がアンダーコントルール(制御)されていないことは、この間汚染水の処理問題を巡り、混乱を極めていることからも明らかだ。いわば安倍首相の嘘のプレゼンで、だまし取った東京五輪のために、飯舘村の復興計画が当初案から大幅に変えられてしまったのだ。

復興拠点に決まった深谷地区の幹線道路沿いには、飯舘村の道の駅「までい館」、「花き栽培施設」(ガラスハウス)、大規模太陽光発電所、村民交流センター「ふれ愛館」などが次々と建設されてきた。昨年3月、訪れた際には、までい館の裏手に村営住宅が建設され、までい館北側の敷地1万2,790平方メートルには、多目的ひろばの建設.整備が進められていた。聖火リレーは、まさにこの「ハコモノ」(ふれ愛館)から「ハコモノ」(までい館)の約1.2キロを走る。大阪市内ならば、心斎橋駅から難波駅ほどの距離だ。この短い区間を走って、飯舘村の良さが伝わるのだろうか?

◆東京五輪で福島は本当に「復興」するのか?

2月9日(日)14時より、私たちは、大阪市大国町にある社会福祉法人「ピースクラブ」にて、福島県三春町から飛田晋秀さんをお招きして講演会を行う。

もともと全国を回って職人さんを撮っていた飛田さんだが、2011年の大震災と原発事故後、事故の被害、被災者の苦しみを風化させてはならないと、被災地の惨状を撮り続けている。そうした貴重な写真の紹介しながら、福島の現状を語る講演会の回数は、国内外で300回にも及ぶという。

福島県内の聖火リレーのコースが決まった際、福島県の内堀知事は、原発事故から復興した「光と影」の両方を伝えていきたいと話した。しかし、決まったルートはすべて「光」の部分だ。そこだけ切り取ったようなルートもある。たとえば浪江町のルートは、国主導の「福島イノベーション・コースト」構想が進められている「福島ロボットテストフィールド」をスタートし、「福島水素エネルギー研究フィールド」をゴールとする、わずか0.6キロの距離だ。東京五輪開催にむけて、無理矢理「光」の部分をつくってみた、と穿った見方をするのは、私だけだろうか?

例えば、帰還困難区域の屋根が抜け落ちた建物、イノシシなど動物に荒らされてしまった室内、中身の味噌まで食べられてしまった味噌樽、ゴーストタウンになってしまった商店街、飛田さんの知り合いが、富岡駅から大熊町役場に歩いた際、誰とも会わなかったという、人の戻らない町なみ。マスクもしないパトロール中の若い警察官、ガードマン……。

2月9日、飛田さんには、こうした、大きなメディアが語らない、語れない、福島の復興の「影」の部分を大いに語っていただく予定です。

なお、当日は、飛田さんの写真集『福島の記憶 3・11で止まった町』の販売と、福島出身のあかりさんと戸張岳陽さんで結成する「アカリトバリ」の演奏もあります。多くの皆様のご参集を願っております。

2月9日(日)14時、大阪「ピースクラブ」で福島県三春町在住カメラマンの飛田晋秀さんが語る嘘とまやかしの「復興五輪」の実態

2月9日(日)14時、大阪「ピースクラブ」で福島県三春町在住カメラマンの飛田晋秀さんが語る嘘とまやかしの「復興五輪」の実態

◎[関連情報]飯舘村で聖火リレーコース(1.2km)の道路脇農地等の土壌測定を行っている伊藤延由さんのツイッター https://twitter.com/nobuitou8869

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
◎[参考動画]飯舘村深谷地区の道の駅裏に建設・整備された村営住宅(著者ツイッター)

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

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槇奈緒美さんは、福島県富岡町で被災した。避難所を転々とする日々が続くなか、「1号機爆発」も「被ばく」も気にはなったが、難病を抱える身でもあり、毎日生きていくことに精一杯だった。「避難した事実そのもの、そのしんどさを分かち合えればと考えている」。以下に記した話の何倍もの話を、奈緒美さんに聞いた。原発事故からまもなく9年経つというのに、その重みは変わらない。

2019年3月尾崎撮影

◆不安を抱えながら引っ越した富岡町で被災した

中学にはいってまもなく母親を失った奈緒美さんは、妹と父親の3人で、父親の実家のある福島県富岡町に引っ越した。1986年、チェルノブイリの原発事故が起きた年だ。幼いころ読んだ「はだしのゲン」も思い出され、なんとなく「原発の町に住むのは嫌だな」と思ったという。友達のお母さんが、大熊町にある研究所に勤めていたが、原発作業員らの染色体を調べたら異常があるとか、作業服を洗濯する人も被ばくしているなどの話を聞いた。一方で、卒業後、東電に就職する同級生も多いうえ、親戚の飲食店も東電の社員が客なので、「原発怖い」と素直に言えない雰囲気があった。

京都の大学に入学した奈緒美さんは、卒業後も京都に住み続け、発掘の手伝いなどをしていたが、ストレスが重なり、32歳の時、全身に痛みやこわばりがでる「線維筋痛症」にかかった。妹のいる東京に移り住んだが、1年後の33歳の時には精神の病にかかり、東京の精神病院に8ケ月入院、その後は精神科医の勧めもあり、福島県いわき市の病院へ転院した。

2008年、夏頃退院し実家で療養生活を始める。父との二人暮らしだが、体の痛みで動けない時期が続いた。思春期におきた突然の母親の死が受け止めきれず、33年~35年分の疲れがどっとでた感じだった。そんななか、2010年秋からハローワークに通い出し、2011年事故の1週間前には障害者の就職相談会に参加するなど前向きな気持ちになっていた。

◆「被ばく」も怖かったが、毎日生きるのに精いっぱいだった

そんな矢先に事故が起きた。奈緒美さんは父と二人で富岡町の多目的ホールに避難した。持ち出せたのは毛布2、3枚と通帳、下着程度。配給はペットボトルl本とパン1個。寝られずに迎えた翌朝、避難範囲が3キロから10キロに広がり、移動することになった。7時半車で出発、24キロ先の川内村に移動したが、満杯で入れず、渋滞の中のろのろ運転で田村郡の船引の廃校の小学校に到着したのが15時半頃。その直後、1号機が爆発したと友達からメールで知らされた。支援物資は少なく、食事は1リットルの水と塩気のない小さなおにぎり。昼間、渋滞の道の反対車線から茨城交通のバスがいっぱい走っていたことを思い出す。あとで知ったが、それは大熊町が避難のために手配したバスだった。車のラジオで、しきりに「水位が下がった」などと言っていたことも思いされた。怖かったものの、現実はそれどころではなかった。毛布も不足しているし、食事も毎日甘い菓子パンが続く。味噌汁も小さなプリンのカップのような容器に二口だけ……。

配給の少ない避難所からは、被災者はどんどん別の避難所に移動していく。事故のことも気になるが、避難所暮らしのことで頭はいっぱいだった。

その後、父の親せきが避難する会津若松の高校に移動。そこは比較的支援物資は多いものの、寒い上に持病のある奈緒美さんは、目を開けているのも辛かったという。原発も気になるが、当時は1日1日を生きることに必死だった。あるとき薬局で、特殊な奈緒美さんの薬が、入手できなくなるかもといわれたこともあり、ひとりで避難することを、父や親せきに訴え、説得させた。将来子どもを産むかもしれないから、被ばくしたくないとの思いだった。

特定復興再生拠点の先行解除について(広報とみおかより)

3月23日、友達のいる東京にバスで逃げ、その後は千葉の友達の家、親戚の家などを転々とした。

「福島にいていたらなかなか情報がわからないが、福島を出ると、本質的に何か大変と共有できる人が大勢いるから、それは良かったと思う」と当時を振り返る。

◆家族と別れ、たった一人で関西へ避難

その後、父から「家族単位で避難しなくてはならないから」と連絡があり、仕方なく栃木県日光市に移動。富岡町と災害協定を結んでいた品川区の保養所が、駅から車で10数分の山の中にあった。精神科医のボランテイアに相談し、個室を与えられた奈緒美さんは、観光シーズンの始まる8月末までそこに居た。その精神科医が、父親を説得してくれ、奈緒美さんは再び一人で関西へ避難することとなった。単身で住める宝塚の借り上げ住宅に入り、家電6点セットや掃除機、こたつなどを支援者に用意してもらった。とても助かると思った。初めての町で、近所に避難者もいなかった。その後、宝塚の「避難者のカフェ」などに行ったが、立場が様々なので、人とつながるのに時間がかかったという。

2012年、関西で瓦礫焼却の問題が起きた際には、勉強会で知り合った方と一緒に署名活動などをした。リハビリにも通い、のろのろ運転で試行錯誤しながら、日常生活を取り戻してきた。2013年から吹田にある「モモの家」で避難者カフェのスタッフに加わり、今も継続中。

自家消費野菜等放射能測定結果(測定月=H30年8月~11月)

◆「ひょうご原発訴訟」の原告となる

事故当時、就労活動の準備中だった奈緒美さんの賠償金は少なかった。東電は、フォーマットにあてはまる問題から少しでも外れていたらはじいてくる。「ハローワークに何回いった」「面接に何回いった」。「99・9%の確実で就職する予定だった」と確認されないと、就労保障は無理とわかった。そのADRの担当だった弁護士に勧められ、奈緒美さんは、2014年3月「ひょうご原発訴訟」の原告となった。

「いろんな避難者に接していると、自分の内面を癒したい気持ちと、裁判などで社会問題として解決したと思う人たちと、うまく交わってという部分もあるが、両極に分かれることもあると感じている。私はそれよりも避難した事実そのもの、そのしんどさを分かちあえればと考えています。表現スタイルは人それぞれだが、ちょっと大局的にものごとを見ていきたいとは思います」と奈緒美さんは語る。

「ひょうご訴訟」の原告は、現在97人。これから本人尋問が始まる。一昨年、裁判長が変わった際、奈緒美さんが行った意見陳述の一部を紹介する。

「事故前は病気に理解ある叔母や叔父に助けられていた。また私の複雑な生い立ちを理解してくれる友人、もしくは東京などに住む同郷の友人が帰省したら会うことができた。周囲の人々に有形無形で助けられていた。自分自身が不安定でも、自然に恵まれた、安定した環境でゆっくり自分の病気に向き合うことができた。庭では亡き祖父が大切にしていた梅の木に癒され、父は山でワラビやゼンマイを取り、叔母は川沿いで拾ったクルミを使った料理でもてなしてくれた。避難後はヘルパーさんや訪問介護を利用して、なんとか日常生活を送っている。就労はしているものの、事故前より、不安を感じやすくなっている」。

奈緒美さんは、以前読んだ詩集で、広島の「原爆自閉症」という言葉を知ったという。被爆の苦しみを言えずに自閉症みたいになり、いっそのこと、ほかの土地にもピカが落ちればと思ってしまうという症状だ。そして「そうやって、問題が内に籠り、はけ口が見いだせなくなることが怖いと思ってしまいました」と話す。意見陳述の最後を奈緒美さんはこう締めくくった。

「私はただ原発事故によって、放射能が拡散された事実を、ありのままに受け止めて、避難の選択をし、それが続けられる権利を求めたい」。

工事中の駅(2019年3月尾崎撮影)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

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2019年12月23日、西成区役所で開催された第46回目の「まちづくり会議」で、あいりん総合センターの跡地に、労働施設をどう配置するかの話し合いが行われ、現在南海電鉄高架下に仮移転する「あいりん職安」と「西成労働福祉センター」が、跡地南側に建設されることが決まった。

駅前の北側には、屋台村を作る構想が4日後明らかにされた。かつて大阪市長だった橋下徹氏が「労働者には遠慮してもらう」といった通りの案が決まったというわけだ。「これまでの46回の会議は何だったのか?」。会議に参加する釜ヶ崎地域合同労組の稲垣氏は、呆れ顔でそう話す。まちづくり会議が発足する際、地区内で活動する様々な市民団体、労組らに声がかかったが、稲垣氏には事前に役所の職員が、会議の座長・鈴木亘氏(学習院大学教授)に面談させていた。「検討会議に入れるかどうかの『面接』やったと思う」と稲垣氏。

昨年4月1日から始まったセンター1階の自主管理は機動隊や府の職員に強制排除される4月24日まで続けられた

広々したセンター1、3階では、昼間段ボール敷いて横になる人たちが約80~100人ほどいた

一方、釜ヶ崎医療連絡会議の大谷隆夫氏は、誘いを断った理由を、シンポジウム「日本一人情のある西成がなくなる?!」(2019年1月5日)でこう語った。

「大阪市が釜ヶ崎の労働者の住民票を2007年に一斉に台帳から消し、住民票をなくしました。それまで野宿の人は、基本的には稲垣さんの組合の住所で住民登録ができた。それ以降、そうした場を認めなくて、結果として選挙権など当たり前の権利がない状態が続いていた。私たちは『それはおかしいやろ』「野宿者も選挙できるような対応をとれ」と選挙のたびに(投票所前で)訴えてきた。それが『威力業務妨害』にあたると大阪市が告発して、2年後の2011年4月5日、私たちが逮捕されました。起訴された4人は4ケ月程拘束され、裁判で有罪になりました。そんなことをやる大阪市と同じ机で話をするからといわれても、立場が違うわけです。それで私はお断わりしました」。

また同シンポで、稲垣氏は、非公開の会議について「司会は福原宏幸という大阪市大の教授だが、全体は大阪市、大阪府、国が青写真を作って、それに基づいて話が進められているという感じ。何言うてもアカンと感じました。私は当初から『センターつぶすな、そのまま使え』と言い続けたが、そういう委員は1人もいない。多数決取ったら35対1で負ける。それでもおかしいと言い続けなくてはならないと思います」と話していた。23日の会議でも、稲垣氏の「センター解体そのものに反対」意見のほか、「南側でなく北側へ」などの意見も出たが、最終的には福原氏がむりやり「労働施設をセンター跡地の南側につくる」とまとめたという。

◆野宿者たちは社会の「病理」なのか?

私が野宿者の存在を知ったのは、新潟から東京に上京してからだ。1982年暮れから83年にかけ、横浜の駅や公園などで野宿者が次々に襲撃され殺傷される事件が発生したが、「浮浪者殺傷事件」よばれるように、当時彼らは野宿者と呼ばれてはいなかった。逮捕された少年らは警察の取り調べに「横浜をきれいにするため、ごみ掃除した」などと供述した。野宿者=浮浪者=社会のごみという極めて差別的な表現が社会全体に蔓延していたのだ。

一方、彼らの多くが「ヤンマー」「イセキ」という、田舎の農家の人たちも良く被る農機具メーカーのロゴ入りの帽子を被っていたことに気づいた私は、「何か関係あるのか?」と考え、古本屋を回り、江口英一氏「山谷―失業の現代的意味」(専修大学社会科学研究叢書)をみつけた。そこには彼らの多くが地方から出稼ぎで都会に出てきたのち、様々な理由から困窮し、故郷へ帰れなくなり、山谷など寄せ場へ、そして野宿生活に転落していく経緯などが分析されていた。

バイトに明け暮れ、授業にほとんど出席していなかった私だが、急きょこれをレポートにまとめ、ゼミで発表した。しかし教授からは「それは社会病理の問題だから」のひとことで片付けられてしまった。「社会病理」? それは、かれらを襲撃し、ぼろ雑巾のように公園のゴミ箱へ放った少年らの発想と同じではないか?

谷町四丁目にある大阪労働局(国)に何度も押し掛け「シャッター開けろ」と訴えてきた

◆釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積を否定する学者たち

大阪全域に貼ってある大阪維新のポスター

大阪維新の特別顧問となり、「西成特区構想」-まちづくり会議の座長を務めた鈴木亘氏は、インタビューで「どん底でしたね。ホームレスがあふれ、不法投棄ゴミが散乱し、昼から酒飲んで立ち小便してる。町全体が臭気のドームでした。すべての社会問題を放り込んで、フタしてグツグツ煮えたまま放置されてる、まさに闇鍋状態。衰退しきったスラムでした。」と話している。「生活保護者や野宿者のいる町は汚い」「危険」だから、警察とともに「クリーンキャンペーン」をやろう、監視カメラも増設しようという、これもまた非常に差別的な「社会病理学」に基づくものではないか。

一方、大阪府立大教授の酒井隆史氏は、冊子「ジェントリフィケーションへの抵抗を解体しようとする者たち」で、同じく釜ヶ崎にかかわりながら、労働者を「病理」とみなすような、岸政彦氏(立命館大学院教授)と白波瀬達也氏(桃山学院大准教授)の対談(「中央公論」2017年7月)をこう批判している。

「この対談では、すでに退けられたと思われていた『社会病理学』視点が復活していることがあると思われます。『社会病理学』視点とは、釜ヶ崎の貧困や労働者の生活様式、日常的ふるまいなどを『病理』とみなし、それを『正常化する』ことで対応をすすめる言説です。このような知的様式は、戦後のある時期までは強かったのですが、やがて差別的であるとして後景に退けられました。そこにはもちろん、自分たちは『治療すべき病理』ではないと主張してきた釜ヶ崎の労働者と、その運動の蓄積があります。さらにそれを受けて、釜ヶ崎の労働者を(対処すべき客体ではなく)主体とみなし、そしてその提起を、むしろ主流社会がみずからの「病理」のきづくきっかけとして受け止めるといった、研究者や活動家の態度の転換があったと思います。彼らの言説は、そのような歴史を逆行させるものであるようにもみえます」。

原口剛・神戸大准教授も同様にこう批判する。

「青木秀男らにより切り開かれた寄せ場学は、社会病理学の知が、労働者に対する差別や抑圧と表裏一体のものであることを告発した。そうしてそれらの土地やそこに生きる労働者を差別的にまなざす市民社会にこそ、『病理』を見出す視座を獲得したのである。またそれらの知は、市民社会の代理人たる研究者のまなざしをも厳しく批判し、研究者とはいかなる存在なのかを問うた。このような問いは、決して過ぎ去ったこととして片づけられるものではない。いやむしろ、3・11を経て研究者の『御用化』がなし崩し的に進行する現在であればこそ、ますます問われなければならない。にもかかわらず白波瀬は、社会病理学の差別的まなざしに『違和感がある』と申し添えるのみで、その知見を大々的に採用してしまう。『貧困と地域』を依り代として、かつての社会病理学は傷を負うことなく現在へと回帰してしまう。その代償はあまりに大きい。かつて『発見』されたはずの労働者の像が、かき消されてしまうのだ」。

◆使えなくなったら、「どこかへ消えろ」というのか?

令和に年号が変わったとき、おっちゃんが書いた「この国は冷和(つめたいわ)」

岸氏は、以前SNSで「釜ヶ崎のおっちゃんたちは高齢化して生活保護をもらいマンションに。ドヤにはかわって中国人と就活中の若者が宿泊する。いまの日本でだれが一番貧しいか、釜ヶ崎に来るとよくわかるな(笑)」とつぶやいていた。

現実を知っているのだろうか。生活保護を受ける人の多くは、未だドヤを少し改造した程度の安アパートに居住しているし、月末ともなれば、激安スーパー玉出のひと玉19円のうどんを炊いて凌ぐ人も多い。しかも大阪維新は、保護費を削減したり、難癖つけて生活保護を辞退させている。「生活保護受けて畳に上がれたから幸せ」だけでもない。「働かない怠け者」「税金泥棒」という根強い偏見や不安に晒される現状は変わらず、生活保護費の支給日に自殺した人も知っている。

そうした人たちのささやかな楽しみの一つが、センターで安いワンカップを飲み、仲間と談笑することなのに……。そんな憩いの場を奪うのが、大阪維新の「西成特区構想」──センター解体攻撃なのだ。

「センターつぶすな!」「シャッター開けろ!」。私たちは今年も諦めない。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

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『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

◆復興の「光」ばかりが強調されたリレーコース

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

東京オリンピック.パラリンピックまで100日となった12月17日、福島県内の聖火リレーの詳細ルートが発表された。3月26日、福島県楢葉町のJヴレッジをスタートし、28日までの3日間で浜通り、中通り、会津地方を回る。

福島県の内堀知事は、聖火リレーで震災と原発事故からの復興の「光と影、両方を発信する」と話していたが、23日の定例記者会見では、記者らから「影」の部分を発信していないのではと疑問の声があがっていた。

確かに、帰還困難区域の多い浜通りコースでは、国主導の「イノベーション.コースト構想」が進む浪江町の「福島ロボットテストフィールド」や「福島水素エネルギー研究フィールド」、大熊町大川原地区の「東電ヒルズ」と呼ばれる豪華な東電社員寮・食堂、そして今春開庁した役場など、4月に現地を訪れた際、「走るならばここだろう」と直感した場所ばかりだ。

「光」ばかりで、「影」などどこにも見当たらない。しかも0.6キロ~1キロの短いコースが多く、細かくぶつ切りした復興の「光」を無理やりつなげたとの感じが否めない。

浪江町で進む「イノベーション・コースト構想」の工場

◆福島復興のために無理やり解除される双葉町

6月に発表されたルートの概要では、原発事故で避難指示が出た11市町村をすべて走る予定になっていた。ただし、全町避難が続く双葉町については、来春までに一部解除が決まればルートに加えるとの方向で検討が進んでいたが、どうしてもコースに入れたい国は、町の一部を来春までに解除させようと動きだした。双葉町は、町の96%が人の住めない「帰還困難区域」で、「避難指示解除準備区域」は太平洋岸の4%のみだが、ここは国道6号線や常磐線に接してないため、聖火リレーコースにはなり得ない。

そんななか、JR常盤線が来年3月、現在不通となっている富岡、双葉間を開通させ、全線復旧させるとしたため、国は、双葉駅周辺の約555ヘクタールを「特定復興再生拠点区域」とし、来春3月、先行して避難指示解除することを決めた。実際に戻って住むのは2年後の2022年の春からだが、聖火リレーを通過させるため、無理やり解除するようなものだ。

大熊町のリレーコースに入る大川原地区の「東電ヒルズ」。夜は綺麗にライトアップされる

◆「心斎橋駅~難波駅」、地下鉄ひと駅走る飯舘村のリレーコース

飯舘村深谷地区に建設された村営住宅

リレーは2日目、事故後、全村避難となり、2017年3月末、避難指示が解除された飯舘村を通過する。飯舘村は、福島第一原発から40~50キロ離れ、事故までは原発と無縁の村だった。「丁寧に」や「真心こめて」を意味する「までい」の思いで、独自の村作りを続け、「日本で最も美しい村」連合にも加盟された。そんな村にまで大量の放射能をふらせた過酷な事実を、国と県、東電はなんとしても消したい。そのため躍起になって進めてきたのが、飯舘村の「復興計画」だった。

震災の翌年から始まった「いいたて までいな復興計画」は、2013年、安倍首相が「汚染水はアンダーコントロールしている」と嘘のプレゼンテーションで五輪招致を勝ち取って以降、内容がかわってきた。

飯舘村の面積は、2万2,300ヘクタールある大阪市とほぼ同じ2万3,010ヘクタールで、そこに20の行政区が入っている。当初の計画案では「既存の(帰還困難区域の長泥地区を除く19の)行政区と、避難でできた新たなコミュニティーの両方を支援する」ことを重点施策の一つとしてきたが、その後、「行政区」の文字が消え、代わりに新たな「復興拠点」を決め、そこを集中的に復興させるにかわってきた。復興拠点には「深谷地区」が決まったが、その際行われた住民説明会で、「何言っているんだ。深谷(街道)は地吹雪が凄いじゃないか」とあきれ顔で怒鳴った村民もいたという。

そんな深谷地区が、なぜ復興拠点に選定されたのか? 村の中央部に位置する深谷地区には、福島県の浜通りと中通りを結ぶ県道原町川俣線が通っている。村を通る唯一の幹線道路であり、復興のための資材や人材の流通に欠かせないという利点もあるが、聖火リレーが走るには幹線道路が必要という面もあるのではないか? 当時そう考えた私だが、一方で、そんな安易な理由で、6,000人村民の「復興」が大きく変えられることなどあるだろうかと思い直したが……。

しかし、今回決まったコースをみると「やっぱり」としか思えない。スタート地点の交流センター「ふれ愛館」、ゴールの道の駅「までい館」は、いずれも復興の重要拠点として、それぞれ約11億円、約14億円をかけられて建設されてきた。「までい館」周辺には、村特産の「花き栽培工場」やメガソーラー施設などのハコモノが乱立し、今年4月訪れた際には、村営住宅も建設.整備されていた。

飯舘村の復興計画に参入した大手コンサルタント会社「三菱総合研究所」が、東京の事務所で描いたイラストを、切り取って張り付けたような住宅は、「インスタ映え」はするだろうが、果たして住民の意見を聞いて作られたのだろうか、疑問に思えてならない。

飯舘村の道の駅「までい館」。昼間も来店者はまばら。昼食を食べに来る作業員が多かった

◆知事に代わり、復興の「影」を語る伊藤延由さん

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

この「ふれ愛館」から「までい館」までのわずか1.2キロのコース、大阪市でいえば心斎橋駅から難波駅間に乱立するハコモノを見て、果たして飯舘村の復興の何がわかるのだろうか? 

飯舘村に復興の「影」はないのか?

避難指示解除後、村に住み、飯舘村の様々な情報をSNSで発信している伊藤延由さんが、内堀知事の語らない復興の「影」を語ってくれた。

村に事故当時6100人いた村民は、12月1日現在で1,400人弱(実際は半数?)しか戻っていない。

伊藤さんが聖火リレーコース上の線量を測定した結果、スタート、ゴール地点の空間線量率は0.1~0.12マイクロシーベルト/hだが、道路わき2~3mでは0.6~1.2マイクロシーベルト/hと非常に高い場所があることがわかった。

更に伊藤さんが2018年、2019年、村内でふきのとうを採取し、その地点の空間線量率と土壌のデータを計測したデータからは、多くの地点が未除染か手抜き除染であることがよくわかっている。

全て莫大な税金をつぎ込み除染した場所だ。そして事故前の村に戻るには300年かかるのだと。

◆ゴール地点の「までい館」は開業から赤字続き これで「復興」?

飯舘村の聖火リレーのゴール地点道の駅近くの空間線量(撮影=伊藤延由)

飯舘村聖火リレーのゴールとなる道の駅までい館は、オープンから2年連続赤字だが、「復興のシンボル」を維持するためにと、村は今年1月、運営会社に3,500万円を追加出資することを決めた。

そもそも「道の駅」とは、その地元でしか採れない、味わえない特産品を並べるのが特徴であると思うが、飯舘村の道の駅で販売する農産品、加工品は、品数が少ないうえ、放射線量を厳しく計測し販売しているとはいえ、未だ空間線量も土壌汚染も高いと知ったならば、買うことをためらう人も多いのではないだろうか。

これは決して「風評被害」や「差別」ではない。私たちは、愛してやまない故郷が、放射能に汚された事実と真正面から向き合わなければならないのだから。住民に無用な被ばくを強いる放射能をなくさない限り、真の「復興」など望めないのだから。
 
それにしても、福島の復興の「光」ばかり、それも将来村の財政を圧迫するようなハコモノばかりを見せられ、国内外のメディアは本当に福島が「復興」したと思うだろうか? 黒いフレコンバックが山積みの仮置き場、荒れ果てた田畑、住む人もなく朽ち果てていく家屋など、復興の「影」の部分を隠したままの聖火リレーが、今後、福島の真の復興をいっそう妨げになることを危惧するばかりだ。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。月刊『紙の爆弾』2020年1月号には「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」を、『NO NUKES voice』22号には高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58
◎[参考動画]飯舘村深谷地区の道の駅裏に建設・整備された村営住宅(著者ツイッター)

月刊『紙の爆弾』2020年1月号 尾崎美代子「日本の冤罪 和歌山カレー事件 林眞須美を死刑囚に仕立てたのは誰か?」他

『NO NUKES voice』22号 尾崎美代子の高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」他

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◆妊娠6ケ月のとき、原発事故が起こった

「私の場合、避難も夫が勧めるくらい理解があったし、もともと将来は夫の両親がいる大阪に住むつもりだったので、時期が早まっただけ。他の避難者の方々の話を聞くと、私は苦労が少なくて、言い方は変ですが、申し訳ない気がしてた時期もあったんです」と話すのは、東京からの避難者・田中里子さんだ。

8年前の事故当時、里子さんは、東京都江東区豊洲で夫と2人暮らし、妊娠6か月だった。東京での震度は5強で、里子さんは勤務する29階のオフイスで、死ぬかと思うくらいの強い揺れを感じたという。

「テレビで原発が爆発する場面を見ました。絶対に起きてはいけない大変なことが起こったと思ったものの、実感はありませんでした。原発の仕組みがよくわかっていないので。原発が爆発するってどれほど恐ろしいことか、良くわかってなかったからです。政府の発表やテレビでの専門家の解説だけを充てにしていましたが、テレビでは『心配ない、ただちに影響がない』といっているので、その通りなんだと、不安半分ながらも自分に言い聞かせながらそれなりに納得させていました。」と当時の心境を語る。

あとで知ったのだが、夫は昔から原発に少し疑問をもっていたという。3・11後は休日に講演会などに行き、聞いた話を家で話すようになった。のちに原発について意見が違う夫婦や家族もいると聞いたので、そういう意味でもラッキーだったと話す。
そんな夫の勧めもあり、5月半ば、予定を早め実家の岐阜に里帰り、7月に娘を無事出産した。初めての子育てをしながら、夫が置いて行った原発関連の資料をよんだり、講演会の録音を聴いたりする日が続いた。

◆「住んでいた江東区が汚染エリアとわかり、強いショックをうけました」

5月下旬、共産党都議団が行った東京都内全域での放射線量調査の結果が発表された。そこで里子さんが普段から買い物などで良く行く足立区、葛飾区、江戸川区に高線量地域が集中していること、とりわけ事故時に住んでいた江東区が被曝限度である年間1msvを超える汚染エリアと判りショックを受けた。

それでもまだ、東京でもなんとか気を付ければ住めるんじゃないか、と言う気持ちが捨てきれない里子さんだったが、夫が言った「君は原発の敷地内で子育てをするつもりか。将来、とりかえしがつかないことになった場合、子供にどう詫びるんだ!」のひとことで、避難する決心がついたという。

2012年3月、娘が8ケ月のとき、静岡県の三島に避難した里子さん家族。夫は里子さんを岐阜に置いたまま、二度と東京に戻させたくないと、引っ越し作業を全部ひとりでやった。避難後、夫は新幹線で東京に通勤、里子さんは子育ての傍ら、反原発や脱被ばくの活動をする地元の住民や、首都圏から避難してきたママ友だちと知り合い、勉強会や交流会の中で、様々な情報を交換するようになった。

「でも原発には反対だが、被ばく問題を共有できる人は多くはなかったですね。私はやはり被ばくのことが気になった。被ばくしてどうなるかは、日本ではとくに隠されていると思いました。調べると世界中でもいろんな事実が隠されている。もうこれでは、いままで通りの生き方はできないと思いました。有難いことに、私たち家族は健康被害が全くなかった。でも三島で会った避難者たちは、私以外全員、なんらかの健康被害がでていて、だから必死で逃げてきたことが分かったんです。鼻血、皮膚炎、目の不調は当たり前、心臓がチクチクするとか、それまでなかった喘息が出てきたとか。で、皆さん、三島に来てしばらくしたら治ったという。ただ三島の土壌汚染は10ベクレルほどですが、少し離れると高線量なので、ずっと住むことは出来ないが、まずは第一ステップと思って住んでいました」。

三島にいたころこんなことがあった。里子さんが、ネットで探したクリニックに、「自覚症状はないが、東京で被爆しているので甲状腺検査してほしい」と頼んだところ、「東京からだったら、被害なんてありえないよ。検査の必要なんかないよ」と強い口調で断られたのだ。「福島でも出てないし、山下俊一さんも大丈夫といっているでしょう」とまでいわれ、驚いたという。

「結局検査はしてもらいましたが、放射能に関しては、予防するとか身体を心配するとかがなぜ許されないのか、憤りを感じました。インフルエンザなど他のことに関しては、予防原則が基本なのに、なぜ放射能にだけはないのか、全く理解できませんでした」。

◆「3・11を境に何も変わらない人がいることが疑問です」

里子さん家族は、2016年3月、子供が「年中さん組」に入るタイミングで大阪に引っ越した。三島にいたころから繋がっていた関西の「避難ママのおちゃべり会」というグループから、様々な情報も得ていたうえ、夫の両親も住み、住居があったこともあり、移住はスムーズにできたという。

「娘の学校給食は、先生には『子どもの口にいれるものなので、自分で責任もってやります』と話して許可をとり、献立表で産地を調べ、東北や関東のものは避けて、代わりのものを持たせています。子どもには『あなたが産まれる年にこういう事故があって、身体によくない食べ物がたくさん出回っている。ママはあなたに身体に良いものは食べてほしいが悪いものは食べてほしくない。でもみんながそうしているわけではない。気にしないおうちのひともいる。何かいわれても、自分は正しいことをやっているのだから、気にしなくていいと思うんだけど、どうしたい?』と聞きました。
 娘は『からだにわるいものをいれたくないから、ママのいうとおりにする』と答えてくれました。今のところ、他の子に何かいわれることはないみたい。子どももあまり気にしてないみたい。いろいろ出てくるのはこれからかも…。三島のときは、そういうことで子どもが虐められ、心配していたママもいました。なかなか代替え品やお弁当を認めない学校もあったようで、わざわざ越境通学する人もいました」。

三島と違い、関西では母子避難の人が多い。二重家賃に苦しむ人、何年かして経済的な理由から泣く泣く帰る人も多いことなども、大阪に来て初めてわかったという。避難者が直面している問題は、自分が考えていたよりももっと切迫していて深刻なものだと改めて感じ、何か自分に出来ることないか、と考えるようになったという。

「大阪にきたら、いろんな講演会などに行こうと思っていました。梅田でサンドリ(東日本大震災避難者の会 Thanks&Dream)が行っていた3・11の関連イベントに行ったとき、展示物を見て愕然としました。そこには避難生活の実情や健康被害などが赤裸々に語られていました。三島ではそこまで健康被害などは話されてなかったので。ほかにも家族が引き離されたり、生活に困窮したり、離婚したりする避難者もいることを知り、ショックでした。そこで避難者のつながりも広がって、4月に初めて『イモニカイ』という避難者交流会に参加しました。そこで、そのまま自然にスタッフとして主催する側になりました(笑)」。

サンドリでブースを出し、避難者の報告集などを販売する田中里子さん (左)

会には避難者の他、原発賠償訴訟の支援者の方や、保養活動をしている方の参加も多い。

お互いに情報交換をしたり、悩みを相談したり、イベントの告知をしてお手伝いを募ったり、と賑やかな集いの場になっている。

「『イモニカイ』に参加する人は、いろんな意味でまだ力があるんだと思います。こういう場にも来る余力のないほど、苦しんでいる人もいるはずで…。経済的な理由やご家族の問題で仕方なく避難元に帰った人もいますし…」。

「3・11を境に何も変わらない人たちがいることがすごく疑問です。まだ、相変わらず『国が守ってくれる』を思っているのでしょうか? 私にとっては3・11で、見える世界が一変したといってもいい。原発は選挙でも票にならないと聞くけど、とんでもない。一番大事なのはこの問題だろうと思います。誰かを犠牲にしたまま、回る経済や社会、原発はその最たるもの。それをいやというほどみせつけられ、そして今も続いている。黙っていたら、これを許し続けることになる。そんなのは嫌だから、やっぱりNOの声は上げ続けたいと思っています」。

サンドリ川柳 避難者あるある五七五

▼尾崎美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。最新刊の『NO NUKES voice』22号では高浜原発現地レポート「関西電力高浜原発マネー還流事件の本質」を寄稿

『NO NUKES voice』Vol.22 新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて

『NO NUKES voice』Vol.22
紙の爆弾2020年1月号増刊
2019年12月11日発行
定価680円(本体618円+税)A5判/132ページ

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新年総力特集 2020年〈原発なき社会〉を求めて
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[グラビア]山本太郎「原発事故の収束の仕方も分からないのに滅茶苦茶だ」(鈴木博喜さん)ほか

[インタビュー]孫崎 享さん(元外務省国際情報局長/東アジア共同体研究所理事・所長)
2020年・世界の正体 何が日本を変えるか

[報告]尾崎美代子さん(西成「集い処はな」店主)+編集部
関西電力高浜原発マネー還流事件の本質

[資料]編集部
《全文公開》関西電力幹部を辞任に追い込んだ「告発文」

[インタビュー]井戸謙一さん(弁護士)
関電・東電・福島原発訴訟の核心

[インタビュー]水戸喜世子さん(子ども脱被ばく裁判共同代表)
刑事告発で関電から原発を取りあげる

[報告]本間 龍さん(著述家)
原発プロパガンダとは何か〈17〉
東京五輪・崩壊の始まり──IOC「マラソン・競歩札幌移転」の衝撃

[報告]小林蓮実さん(ジャーナリスト/アクティビスト)
山本太郎の脱原発政策は新党結成で変わったか?
「政権交代」が脱原発を可能にする唯一の選択肢

[報告]鈴木博喜さん(『民の声新聞』発行人)
福島〈水害〉被災地を歩く
懸念される放射性物質の再浮遊と内部被曝リスク

[報告]伊達信夫さん(原発事故広域避難者団体役員)
《徹底検証》「原発事故避難」これまでと現在〈6〉
本気で「防災・減災」に取り組まなければ、被災者は同じ苦痛を繰り返す

[報告]山崎久隆さん(たんぽぽ舎副代表)
原発潮流・二〇一九年の回顧と二〇二〇年の展望

[報告]平宮康広さん(元技術者)
経産省とNUMOが共催する説明会での質疑応答

[報告]三上 治さん(「経産省前テントひろば」スタッフ)
天皇の即位に伴う一連の儀式に思うこと

[報告]板坂 剛さん(作家・舞踊家)
悪書追放キャンペーン第五弾
ケント・ギルバート『天皇という「世界の奇跡」を持つ日本』

[報告]横山茂彦さん(編集者・著述業)
熟年層の活躍こそ、わたしたちの道しるべだ
かつての革命運動の闘士たちがたどった反原発運動

[報告]山田悦子さん(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈6〉記憶と忘却の功罪(中編)   

[報告]再稼働阻止全国ネットワーク(全12編)
関西電力「原発マネー」─東京電力「二二〇〇億円援助」─日本原電「東海第二原発」
三つを関連させ、くし刺しにして原発廃止を迫ろう!

《首都圏》柳田 真さん(たんぽぽ舎、再稼働阻止全国ネットワーク)
日本の原発はこのまま「消滅」へ 
日本の原子力政策は嘘だらけでここまでやってきたから
田中俊一(原子力規制委員会前委員長)語る(月刊『選択』11月号)

《東北電力》舘脇章宏さん(みやぎ脱原発・風の会)
女川2号機の審査「合格」が目前
東日本大震災でダメージをうけた「被災原発」を動かすな!

《日本原電》玉造順一さん(茨城県議会議員)
東海第二原発を巡って-当初から指摘されてきた日本原電の経理的基礎の無さを露呈
日本原電を含む電力業界 これまで反対運動に対峙してきたノウハウの蓄積もあり、決して侮れない

《東京電力》斉藤二郎さん(たんぽぽ舎)
東電による日本原電支援(二二〇〇億円)に反対する 
「巨額の支援」おかしい、反対意見多い、電気料金が上がる
東海第二原発は事故原発-再稼働はムリだ

《東海第二原発》たんぽぽ舎声明
東海第二原発再稼働への資金支援をするな 日本原子力発電に対する三五〇〇億円
日本原電は廃炉管理専業会社となるべき

《原発マネー》久保清隆さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
関電も東電も原電も徹底追及するぞ! 
原発マネー、二二〇〇億円支援、東海第二原発再稼働を許さない

《市民立法》郷田みほさん(チェルノブイリ法日本版をつくる郡山の会=しゃがの会)
次の世代に責任を果たすために、やらなければならないこと

《関電高浜》木原壯林さん(若狭の原発を考える会)
関電不祥事を、原発全廃の好機にしよう!

《玄海原発》吉田恵子さん(原発と放射能を考える唐津会世話人)
水蒸気爆発を起こす過酷事故対策、トリチウムと使用済みMOXの危険性

《規制委》木村雅英さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
規制委による新たな原発推進体制の構築を止めよう
~「原子力規制委員会設置法」の目的と国会付帯決議を守れ~

《本の紹介》天野恵一さん(再稼働阻止全国ネットワーク)
『原発のない女川へー地域循環型の町づくり』(篠原弘典・半田正樹編著 社会評論社)

《浜岡原発》鈴木卓馬さん(浜岡原発を考える静岡ネットワーク)
浜岡原発は世界で最も危険な原発-南海トラフの震源域の真上に建つ
JR東海のリニア新幹線を懸念-トンネルで地下水が流出か?

私たちは唯一の脱原発雑誌『NO NUKES voice』を応援しています!

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