4月14日(日)、久々に矢島祥子(さちこ)さんの家族や支援者と鶴見橋商店街でビラまきをした。毎月14日に行われているが、私は仕事でなかなか参加できていなかった。群馬からかけつけた両親、兄の敏ちゃん、弟の剛君、姫路から飛松さん、そしていつもの支援者のほかに新しい支援者が数人も参加した。

 

商店街のお店一軒一軒にチラシを持って行き情報提供を呼びかける祥子さんのご両親

矢島祥子さんは2007年、釜ヶ崎に隣接する鶴見橋商店街の入り口にある診療所に勤務し始めたが、2009年11月14日、朝方まで残業していた診療所から行方不明になり、2日後、木津川で遺体で発見された。

私がこの事件を知ったのは2010年暮れだった。2008年頃から2年ほど店を3軒経営していたほかに裁判を抱えていたため、釜ヶ崎の祭りや越冬闘争にも参加できず、難波屋にも飲みにいけてなかった。

秋ごろ、久々に難波屋に飲みに行くと、筒井マスターが「ママ、久しぶりや。今度難波屋フェスティバルやるから、ママも歌いや」と言ってきた。まあ、どこかで「はなのママは歌がうまい」と聞いたのだろう(笑)。私はマスターの紹介してくれたギターの兄さんと練習をはじめてその日に臨んだ。生演奏で歌い拍手をもらうのは心地よかった。その後「ママ、越冬闘争のステージに出ないか」といわれ、調子こいた私は出演することになり、今度はベースやドラムなども入った本格的なバンドで歌うことになった。

暮れも押し迫ったある日、難波屋のカウンターの奥のテレビの下、常連客で元ヤクザだが書と絵がめちゃ上手い高ちゃんが書いた「薄利多売」の色紙がある前で飲んでいると、仲間が越冬のスケジュール表を持ってきてくれた。あるある「はなと愉快な仲間たち」(笑)。と近くに「夜明けのさっちゃんズ」というバンド名があった。「なに?このバンド」と私が聞いたときだ。知り合いらが「あっママ、それは聞かないで。タブーだから」というではないか?「え?」。聞けば、先に書いたように、矢島祥子さんという女医さんが謎の死を遂げていたという。私は彼女のことも謎の死のことも知らなかった。事故か、自殺か、事件かはわからない、でもタブーなのだという。

◆「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた不思議

その後ある人から「あの遺族に関わらんほうがいい」と何度も言われた。だからではないが、毎年11月14日前後に開催される「矢島祥子さんを偲ぶ会」にはしばらく行かなかった。とある日、いつも講演会の会場を貸していただくかじさん(大西洋子さん)とおつれあいで一昨年亡くなった春さんも(中尾春男さん、釜ヶ崎で古くから日雇い労働者として働いてきた。1992年、「釜ヶ崎高齢日雇い労働者の仕事と生活を勝ち取る会」を作り、三角公園で週2回の炊き出しを始める)、同じく釜ヶ崎の知り合いにそう言われていたことを知った。普段あまり付き合いのない釜ヶ崎の知り合いが、ピースクラブの1階にある喫茶店にきて「遺族とつきあわんほうがいいい」と「アドバイス」したという。

私同様、祥子さんのことを知らなかった春さんとかじさんは「なぜ知り合いでもない私たちにそんなアドバイスしてくるのか?」と不思議に思い、遺族に連絡をとり、群馬にご両親を訪ねて行き話を聞いたそうだ。そして「これは何かある」と確信したという。祥子さんの死後、マスコミは「西成のマザーテレサ」などと呼ぶようになるが、このように、西成では祥子さんのことを知らない人も大勢いた。兄の敏ちゃんも「マザーテレサという言い方はマスコミが作ったもの。祥子はわずかな時間しか西成に関われなかったから、そんな言い方されると古くから活動している方に申し訳ない」と言っている。

当時、春さんには、私の店の第二期改装工事をやってもらっていた。そこで私は、春さんから、私が山谷に支援に入っていた頃、山谷で起きた対金町一家との闘いで、釜ヶ崎から支援に来た春さんが金町一家に拉致され、頭をかち割られたていたときいた。釜にきてそんな話をして知り合った春さんには「はなちゃん、はなちゃん」と言われ、改装工事終了後も仲間を引き連れ、はなによく飲みに来てくれた。でも、春さんは、私に「はなちゃん、偲ぶ会に来てや」と誘うことはなかった。自分が正しいと思うことでも、「あんたも関わるべきだ」とむりやり誘うことはしない、それは私と同じだった。

その春さんらと同様に、「遺族と関わるな、関わるな」と言われ続け、私のなかに疑問がふつふつ湧いてきた。

◆「さっちゃんの聴診器」をきっかけに矢島祥子さんのことはタブーではなくなった

「偲ぶ会」に初めて参加したのは、確か2013年だ。あれから月日は流れ、寺澤有さん、NHK取材班、作詞家のもず唱平さん、もずさんの愛弟子で「さっちゃんの聴診器」を歌う高橋樺子さん、同名の『さっちゃんの聴診器』を書いた大阪日日新聞の大山勝男記者、そして去年逝去された桜井昌司さん……多くの人が事件に関わりだし、矢島祥子さんのことはもうタブーではなくなった。

 

 

先日敏ちゃんに聞いた話。西成警察署で対面した祥子さんの遺体の首にくっきり残っていた赤い傷、それについて敏ちゃんは「ママ、あの醤油差しの蓋の赤ではなく、ママのエプロンの赤のような色の傷が、祥子の首の両側についていたんだ」と。

先日配ったチラシにはこう書いてある。「先日、新しく赴任された西成署の刑事課長から母に連絡がありました。互いの近況を報告しあったそうです。捜査については、未だ犯人につながるところは発表されません。事故死の観点からしても、それを決定づける新たな発見事実はないとのことでした。

母は解剖医から明かされた両頸部の圧迫痕、並びに溢血点の所見を持って、遺体検案書の死因を、自殺他殺不明の溺死ではなく、絞殺に書き換えてもらえるよう伝えたそうです」。

チラシは、「はな」にも置いてあります。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。2023年10月に『日本の冤罪』(鹿砦社)を上梓
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

4月6日(土)の昼前、三角公園の炊き出しに集まった人たちに、仲間が7日(日)に企画した映画「カンタ!ティモール」の上映会のチラシを撒かせていただいた。200枚用意したチラシはあっというまにはけた。企画した仲間はどにかく釜ヶ崎のおっちゃんたちにこの映画を観て欲しいということだった(結果7日の上映会は満席でした)。 

 

朝の無料朝食に並ぶ人たち

チラシ配りのあと私は炊き出しの手伝いに。いつものメンバーの他に学生たちも多数参加していた。私はごはんに野菜たっぷりのスープをかける手伝い。配食時間となり、学生らが「こんにちわ」と声をかけながらおっちゃんらにお椀を手渡す。

どの人も嬉しそう。配食はあっという間に200食を超えた。それでも並ぶ人はまだまだいる。白米も大鍋の野菜スープも残りわずかとなったとき、リーダーの男性が「まずい、まだまだ大勢の人が並んでいる」と慌てた様子で、残った白米を汁に入れ雑炊にしようと言ってきた。私たちは慌てておひつに付いた米粒を一粒も残さないように鍋に入れ、チャチャと雑炊を作りお椀に注ぐ。それでも列が続くため、リーダーが「ちょっと少なめに盛って」という。結局300食は出ただろうか。

「もう終わりですか?」。片づけていると、残念そうに言ってくる男性がいた。大きなリュックを背負った男性は、釜ヶ崎に最近来た感じだ。どこかで「三角公園で炊き出しやってるで」と聞きつけ急いできたのだろう。本当に残念そう(涙)。

 

西成警察署北側にあるいこい食堂。「炊き出しに並ぶのは11時30分から」

釜ヶ崎ではこの三角公園の火曜日、土曜日の炊き出しのほか、釜合労が毎日センターで行う炊き出しもある。ほかにも無料で朝食を提供している団体が何ケ所かあり、どこも連日40~50人は並んでいる。

ほかに週2日、西成警察署北側の「いこい食堂」というボランティア団体が炊き出しを行っている。ここでも毎回200食は出るという。食堂で作って隣接する四角公園で配食していたが、先ごろ四角公園が工事のため長期間閉鎖されることとなった。

いこい食堂の方と支援者が、「公園が全面閉鎖されては炊き出しが出来なくなり困る。工事中でも炊き出しスペースは開けて欲しい」と交渉を続け、認められることとなったようだ。

その交渉の場で、市の職員が「きれいに生まれ変わります」と強調していたという。これに対していこい食堂の方がこう言っていたとそうだ。

「きれいになること=排除されると感じる人が、この町には大勢いるんです」 

私も同感だ! きれいになることが悪いのではない。しかし、誤解を恐れずにいえば、この町に住む人たちは決してきれいな人ばかりではないということだ。生活保護、年金生活の人たちはいずれも貧しく、日々かつかつの生活を送っている。

 

いこい食堂の水曜日のバザー。タオル、靴下などが50円から100円で売られ、おっちゃんらに喜ばれている

生活保護費や年金の支給日を待って、玉出スーパーに大量の食料を買いに行く人、コインランドリーに洗濯に行く人、散髪屋で髪を切る人……。みんな、その日をじっと待っている。普段からカーキ、紺、黒など汚れの目立ちにくい色の服を着る人が多い。髪の毛が伸びても帽子で隠す、洗濯を貯めておく、一食浮かすために炊き出しに並ぶ……。それが悪いことだろうか? どんなに貧しい人でもどうにか生きていける……。それが釜ヶ崎の良さではないのか?

また近年、釜ヶ崎では酒の自販機が次々と撤去されている。自販機前で座り込み、コンビニで買ってきたつまみで安酒を飲むおっちゃんらも、きれいに変貌を遂げる釜ヶ崎では「目障り」なのだろうか。

しかし、カツカツの生活のなか、狭いドヤや福祉アパートで一人寂しく酒を飲むよりは、知り合いが集まる自販機前で仲間とバカ話しながら飲むほうが楽しいではないか。

「ボート取ったからいっぱい奢るで」とラッキーチャンスに巡り合えるかもしれない。携帯電話を持てなかった頃は自販機前が情報交換の場所だった。「山梨ナンバーの車に乗ったらあかんで」(山梨県のある飯場で殺人事件があったとき)。「7日、ふるさとの家の上映会でおにぎりが出るらしいで」。

懲役2年で服役した知人は刑務所である男性と知り合ったそうで、その男性の懲役は知人よりもっと長い。出所後行く当てのない男性は「俺も釜ヶ崎に行きたい」といったという。それに応えて知人は男性にこう言った。「5年後、おれが元気でいたら、毎日足立の自販機前にいるわ。必ずいるから訪ねてこい」と。しかし、その足立の自販機もなくなってしまった(二度目の涙)。

結局、今、釜ヶ崎は社会的な弱者、困っている人たちには、どんどん優しくなくなっているということだ(三度目の涙)。

西成警察署裏の四角公園(萩之茶屋中公園)。藤棚の下はみんなの憩いの場所

無料朝食に並ぶ人たち。今朝はこれまで以上に長い行列ができていた(4月11日筆者撮影)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。2023年10月に『日本の冤罪』(鹿砦社)を上梓
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

3月30日、神戸の甲南大学岡本キャンパスで「神戸質店事件」のシンポジウムが開催され、東住吉事件の青木恵子さんと参加してきた。今回のテーマは「目撃証言」。主催は、KONANプレミアプロジェクト「多分野の力を結集して『えん罪救済』に取り組むプロジェクト」。


◎[参考動画]19年前の強盗殺人「神戸質店事件」 大学生らが“冤罪被害を考えるシンポジウム”開催(MBSニュース 2024年3月30日)

◆神戸質店事件とは

「神戸質店事件」とは2005年、神戸市内で発生した質店店主の強盗殺人事件で、緒方秀彦さんが逮捕されたのは、事件から1年10ケ月後。緒方さんは交通違反の反則金を払わずに逮捕されたが、警察で取られた指紋が殺害現場に残されていた指紋と一致したからだ。その後、同じく現場に残された靴底の跡と、現場に残された煙草の吸い殻から採取したDNA型が緒方さんのものと一致した。

逮捕当初、緒方さんはその現場を訪れたことはないと言っていたが、徐々に2年前の記憶を呼び起こす。あの日、緒方さんは仕事途中、煙草を買おうと質店前の煙草の自販機前にいた。

すると自販機を管理する質店店主が緒方さんの車の荷物などを見て「兄ちゃん、電気屋か? 店に防犯カメラを付けられるか?」と尋ねてきた。緒方さんは「弱電ですわ」といい、店主に渡された建築書類などを見ながら、店内外の配線などを見て回った。

その後、店の奥にいる店主に誘われ、一緒にビールを飲んだ。防犯カメラ工事の「商談」が済んでいないこともあった。そのうち店主は自分の女関係の自慢話を始めたうえ、防犯カメラは既に知り合いの店に依頼しているというので、緒方さんはまもなく退去した。その日の夜、店主は何者かに殺害され、翌日家族によって遺体が発見されたという経緯だ。 

当日の夜8時頃、質店付近で不審者を目撃した男性がいた。男性は不審者について、目が鋭く、短髪、顔はある野球選手に似ていると警察に話した、しかし、一瞬のことであったため、警察署での面割(多数の写真が入った台帳から特定の人物を割り出すこと)で不審者を特定することはできなかった。それから1年10ケ月後、逮捕された緒方さんの写真が入った台帳から、男性は緒方さんを「犯人だ」とした。

果たしてこの目撃証言は正しかったのか? 一方、男性は一審で縮れ毛の緒方さんを見て「目の印象は似ているが髪型は違う」と証言した。結局、緒方さんと犯行を結びつける証拠はなく、一審は緒方さんに無罪を言い渡す。

その後、大阪高裁の控訴審は、緒方さんの証言を信用できないとしながら本人尋問も行わないまま、緒方さんに無期懲役の逆転有罪判決を言い渡したのだ(ちなみに裁判長は、検察が起訴したのだから犯人だと決めつけ、有罪判決を下すことで有名な小倉正三氏だった)。

◆厳島行雄教授の講演と甲南大IPJ(イノセンス・プロジェクト・ジャパン)の実験

シンポジウムでは、刑事事件における供述者の供述の信用性を心理学の立場から研究する厳島行雄人間環境大学教授から、目撃証言の取り扱いや問題点などが説明された。

「神戸質店事件における目撃者供述の心理学評価~フィールド実験からのアプローチ」と題して講演を行う厳島行雄教授

その前に、甲南大の笹倉香奈教授らが取り組む「イノセンス・プロジェクト」とは1990年代にアメリカで始まった民間活動だ。そこで、服役中の人たちにDNA型鑑定を行ったところ、370人が無罪と判明、更に調べると、うち7割以上が目撃証言に誤りがあったことがわかった。そこで人間の目撃証言がどれだけ信用できるものか、様々な研究が行われてきた。

シンポでは、甲南大のIPJ(イノセンス・プロジェクト・ジャパン)の学生らが行った実験の結果が公表された。質店事件で男性が不審者を目撃したという場所となるべく似た場所を探して行われた大掛かりな実験だ。

当日、実験の目的を知らされずに集まった学生ら52人が、その現場で不審者に偶然出会ってもらった。しばらくしたのち52人にアンケート調査をすると49人が回答、実験で見た男性はどの人物かとラインナップから選んでもらったところ、立っていた男性を当てたのは7人しかいなかった。

しかも、うち6人は「もしかして目撃証言の実験ではないか」と思って参加したという。そこでこの6人を除くと、52人中1人しか男性を当てられなかったことになる。それほど人間の記憶は時間の経過とともに、様々な事情、環境に「汚染」されてしまうということだ。

緒方さんの弁護団、支援者は再審請求を準備中だが、そこで必要となる新たな証拠の一つに、この実験結果を更に深化させた内容を提出したいと考えているそうだ。

シンポジウムの様子

◆目撃証言の重要性

目撃情報も裁判では非常に重要だ。去年亡くなった桜井昌司さんの布川事件では、一審・二審で、犯行時刻頃、被害者宅の前に桜井さんと杉山さんがいたのを、50CCのバイクで走行中に目撃したとの男性の証言が採用され、有罪判決が下された。

しかし、これとは逆に桜井さん、杉山さん以外の人物を現場で見かけたとの重要な目撃証言が、再審請求審でようやく開示された。証言したのは杉山さんと面識がある女性で、立っていた男は杉山さんとは異なる体型の男性だったと証言していた。そして卑劣な検察は、桜井さん、杉山さんが犯人でないというこの証拠を何十年も隠し続けていたのだ。

警察、検察が刑事事件の目撃者に対して、嘘の証言を行わせていた事実が、3月27日明らかになった。1986年起こった福井市の女子中学生殺害事件で、逮捕、起訴され、有罪判決を受け、7年間の服役を受けた前川障司さんの第二次再審請求を求める三者協議の中でのことだ。

事件の経緯などの詳細は省くが、この事件では、前川さんの周辺の人たちが、前川さんを犯人にするために多数の嘘の証言を行っていた。証言者の中には地元のワルも多数おり、警察などに自分を良く思われたい、自分の非行行為、犯罪を見逃してもらいたいから警察の言いなりになったという人もいた。

27日、三者協議の法廷に出てきた男性は、一審では「事件当日、前川さんと会っていない」と証言したが、二審では証言を翻し「血のついた前川さんを見た」と証言した。前川さんは、神戸質店事件の緒方さん同様、一審では無罪だったが、二審で先のような証言により有罪となっている。

今回男性は「本当は前川さんには会っておらず、血のついた姿も見ていない」と証言したが、証言を翻した理由について、「一審後、自分の薬物犯罪で警察署に出頭した際、警官から『(前川さんの)控訴審で調書通りに話すなら見逃す』と持ち掛けられ、受け入れてしまった」と述べた。(ちなみにこの場合の「調書通りに」とは、警察、検察の見立てに沿って前川さんを犯人とするストーリーに沿ったという意味である)。男性は、控訴審で嘘の証言をしたのち結婚したが、その際警官から結婚祝いに送られた祝儀袋を証拠として提出した。

この男性の勇気ある証言は、前川さんの再審請求を前に進める重要で強力な証拠になることに間違いはない。

それにしても日本の警察、検察、そしてまともに考えず彼らの言い分を鵜呑みにする裁判所はどうしようもなさすぎる。

当日のシンポジウムを準備・開催したIPJの学生たちが最後に集まり記念撮影。近く緒方さんの支援者が岡山刑務所で面会に行き、緒方さんに写真を見てもらうという

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

3月17日(日)、ドーンセンターで開催された「汚染水を海に流すな! 関西集会」に参加してきた。

講師は様々な反原発関係の裁判の弁護人を務める海渡雄一弁護士。今日はほかにもドーンセンターだけでも様々な催しがあったにも関わらず会場は満席だった。汚染水問題を関西で論じることがあまりないからかもしれない。

海渡弁護士のお話のテーマは「ALPS処理汚染水海洋放出差止訴訟の論点と今後の取組」というものだった。汚染水だけだと、メディアに掲載してもらいにくいため、あえて「ALPS処理」の汚染水としたようだ。これだけでも大変だが、汚染水の海洋放出に対して訴訟を起こさなくてはと考えてはいたが、重要なのは誰が原告になるかで、弁護団らは汚染水放出で一番被害を受けるだろう漁師の方が原告になってもらわなければ…と考えていたようだ。確かに。しかし、当初はなかなか名乗りを上げてくれる漁師の方がいなかったようだ。福島では3・11以降、非常に強い情報統制化におかれている。かつては「鼻血が出ました」と言った井戸川克隆元双葉町長が、ものすごいバッシングを受けた。それを題材にした漫画「美味しん坊」の作者・雁屋哲氏とその周辺のメディアの方は未だに干されたままだという。

「モノをいえなくされてる」。福島の住民が悪い訳ではない。それほど強い同調圧力があるということだ。

 

 

新地町の漁師・小野春雄さん(『季節』2023年秋号より)

そんななか、汚染水の海洋放出では、なんと新地町の漁師・小野春雄さんが原告になると名乗りをあげ、しかも裁判では実名で意見陳述をされたという(原告になった方の中には、それで誹謗中傷されたりすることを恐れ、匿名を希望する人もいるという。鼻血問題のバッシング騒動をみれば、それも致し方ないことと思う)。小野さんの意見陳述全文も海渡弁護士から今日、報告された。小野さんには私も鹿砦社の反原発季刊誌『季節』で取材させていただいている。ぜひ読んで頂きたい。

今日の報告はいずれまたしたいが、ここで言いたいのは別のことだ。海渡弁護士の講演後、質疑応答が行われた。どこでもだが、最初の一人はなかなかでない。ようやく一人質問者が出るとその後何人かが質問してくれる。今日もそうして数人が質問した。ある女性が最近、れいわ新撰組の山本太郎氏の反原発の動画を見ているが……と切り出し、それは「あっているだろうか」という質問のなかで、浪江町を撮ったドキュメンタリー映画「津島」も見たと発言した。

すると海渡弁護士は「会場に浪江から関西に避難している方がいますので、その方に聞いてみましょう」と、私の前に座っていた浪江から兵庫に移住した菅野みずえさんに振った。突然のことであるにも関わらず、菅野さんの発言はいつも通り本当に涙が出る位素晴らしかった。映画「津島」は私も仲間と自主上映会を行った。その時も菅野さんは会場にきてくれて、今日と同じように警告を発してくれた。

津島は菅野さんの家がある地域で帰還困難区域に指定されている。なので、そこに出入りする場合は防護服やマスクを着けなければならない。しかし、映画に出演する村の人たちはそうしていない。出演している人たちはみな、菅野さんの知り合いだし、彼らが話していることは事実だ。しかし、帰還困難区域で映画を撮る際、防護服、マスクなどを着けさせなかった製作者の意図するものは何なのか?と菅野さんはいつも疑問を呈している。いや、疑問を呈するというような甘いものではない。「被ばくに一切触れられてないんですよ」と声を荒げる。

ここで思い出すのは、かつておしどりマコさんが話していたことだ。原発推進派は原発反対論者にも「先生凄いですね。一度お話を聞かせて下さい」と近寄ってくるそうだ。何を話したかわからないが、一度推進派と話した方々は、原発に反対するにしても「被ばく問題」を避けたり、地元に戻って復興を頑張ろうなどに変わっていくというようなことだ。

3・11以降、その誘いに乗って、原発反対でないにしても被ばくを言わない、ことさら問題にしない反原発の方が増えてきた。詳細は言わないが、地元で自ら線量を測って頑張っている人たちや、地元に戻って復興を考えている人たちを称賛する人たちだ。もちろん私は福島に戻って頑張ろうとする人たちを非難している訳ではない。が、だとしても、戻って生活する人たちに被ばくの危険性はありますよと伝えていくのが福島の人に寄り添う支援者ではないか。

菅野さんも仰っていた。誰だってふるさとに帰りたい。でもそのためには村のほとんどを覆う森林を除染しなくてはならない。それを担うのは誰ですか?そして高齢者が村に戻られても、すぐに介護の問題などが生じる。線量の高い汚染地に、遠くからヘルパーさんなど介護する人を呼び寄せて良いのですか?と。

とつぜん意見を求められたにもかかわらず、菅野みずえさんはいつも切々と、「これ以上無用な被ばくをさせていいのですか?」と訴えられる。海渡弁護士のお話もとても重要な話だったが、この菅野みずえさんの話が頭から離れない。先日、汚染水の海洋放出現場でも、驚くようなずさんな作業で多くの作業員が無用な被ばくを強いられたことが明らかになったではないか。どこまで多くの人たちに無用な被ばくを強いるのか?反原発問題で被ばく問題を口にしない人たちを、私は絶対信用しない。

なお、菅野みずえさんの影響で気になりだしたことに浪江町の沿岸部、津波で家屋や田畑が流された請戸地区周辺で進む「イノベーション・コースト構想」だ。昨年、そこを今野さんに案内して頂いた。一体、国は原発推進派は、そして原発で儲けた連中は、そこで何をしようとしているのか? その問題について5月連休明け、「イノベーション・コースト構想を監視する会」の和田央子さんをお招きして講演会を開催します。詳細は追ってご連絡致します。ぜひご参加ください。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

龍一郎揮毫

私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

◆阪神淡路大震災後の新長田駅 ── なぜここに「小川」なのか?

29年前の1995年1月17日に発災した阪神淡路大震災のあと、私は神戸のあちこちに支援に入った。最初は避難所に、そのうち様々な理由から街中の公園や空地にテントを張り避難している人たちに支援物資を届けるようになった。

 

新長田駅周辺に流れる「小川」

火災で街を消失させた長田を訪れたのは震災からひと月後だった。その間何度か雨が降ったのに、焼け野原になった街にはまだ煙の臭いが漂っていた。

それから神戸は何度も訪れていたが、その長田を訪れたのは数年前だ。新長田駅に降り、いかにも復興のために建設されたような「アスタくにづか1番館」というビルに入る「神戸映画資料館」の上映会に行ったときだ。一緒に行った知人が、駅の反対側に冷麺の有名な店があるというので、上映前に寄り、そのあと街を散策した。

在日の人たちが多数住んでいたその街には、私の知人男性も、両親とケミカルシューズの工場を営んでいた。震災前の街は、メディアなどでしか知らなかったが、街は「復興」の名のもと劇的に様変わりしていた。

あるビルの前に小さな「小川」が流れていた。小川と言うより、その一角だけを流れる「小川」。火災の際、消火機能をもつ小川ではない。復興で乱立して建てられたビル群をおしゃれに演出するように流れる短い小川を見て、私はふと違和感を覚えた。長田の町におしゃれな小川が似合わないというのではない。でもなぜここに「小川」なのか?

◆3・11後の飯舘村 ── 村営復興住宅と三菱総合研究所

それと似た違和感を、私は、3・11以降、仲間と支援してきた福島県飯舘村でも感じた。飯舘村の面積は大阪市とほぼ同じ面積でそこに20の行政区があった。震災後作られた「いいだてまでいな復興計画」(「までいな」とは村の方言で「丁寧に」「心を込めて」を意味する)では、当時帰還困難区域だった長泥地区を除く19の行政区全体で計画が進む予定だった。

しかし、2013年9月、安倍晋三首相(当時)がIOC総会で「汚染水は制御されている」という嘘のプレゼンテーションを行い、2020東京五輪の招致に成功して以降、大幅な変更を余儀なくされた。村の中心にある「深谷地区」が復興拠点に選ばれ、村の復興はそこを集中的に進めることとなった。

なぜ深谷地区か? 深谷地区には村で唯一の幹線道路が通っており、復興はその道路上に「ハコモノ」を並べる形で進んだ。コロナ感染拡大などのため1年延期で開催となった東京五輪、注目を浴びる聖火リレーで飯舘村の走者は、幹線道路脇に建てられた「ふれ愛館」と道の駅「までい館」の間を走ることとなった。

前述したが、飯舘村の面積はほぼ大阪市と同じ。そのふれあい館からまでい館の距離は短く、大阪市内で例えれば心斎橋駅から難波駅までの1区間だ。その間を走者が走り、世界中から来日したメディアがその姿を追うだろう。道路脇に建てられたハコモノが全世界に披露され、世界中に「福島は、飯舘村は復興した」とアピールできたであろう。しかし、安倍政権のこの思惑は実質失敗に終わったのだが。

2019年、私は深谷地区を再び訪れ、までい館の裏に建設・整備された村営復興住宅を見に行った。赤、青、黄のカラフルな、まるでおとぎの国に出てくるような家々……。私はそこでも強烈な違和感を感じた。飯舘村の人にこんなにカラフルでかわいいい家が似合わないというのではない。しかし、こんな家は村に戻る人たちが住みたいだろうか?あるいは住みやすいのであろうか?
※飯舘村深谷地区に建設された復興住宅 https://twitter.com/i/status/1117912386554384386

じつは、飯舘村の復興計画には、原発メーカーの三菱の系列の大手コンサルタント会社・三菱総合研究所が事務局で関わっている。そう考えると、までい館裏に建てられた復興住宅が、三菱所員が都内の一等地、空調の効いたこじゃれた設計事務所で「線をひいた」みたいな復興計画だということが良くわかる。

そこには膨大な復興予算がつぎ込まれ金の一部は当然、三菱総合研究所にも流れていく。ちなみに飯舘村と共同で進むメガソーラーに関わるのは、同じく原発メーカーの東芝だ。一昨年亡くなった飯舘村の元前田地区区長の長谷川健一さんが著書「原発にふるさとを奪われて」に書いていたように、「原発事故で多大な損害を受けた村が、原発で禄を食(は)んできた彼らの世話になる理由などないからです。そもそも彼らは抗議をする相手なのであって、世話になるパートナーではないのです」。

◆「原発を動かしては儲け、原発を壊しては儲けているハイエナ」のような連中

3月6日、ある男性が「復興はビジネスだ」と訴えた動画がX(旧Twitter)に投稿、250万回近く再生されている。ぜひ見て欲しい。この方は高山俊吉弁護士。現在も続くウクライナとロシアの戦争について話しているのだが、先の飯舘村の例を見ればわかるように、同じことが原発事故にも言えるのではないか。
※高山俊吉弁護士が「復興はビジネスだ」と訴えた動画
https://x.com/necoakachan/status/1765286053693231595?s=20

しかも、「復興」を被災した人たちのためともいわず、露骨に「金儲けのため」といわんばかりの計画が進んでいるのが、浪江町の請戸地区周辺だ。この地区は、地震で津波が押し寄せ、ほとんどの家屋などが流され、一面広大な更地になった。私が初めて訪れた2018年には、周辺に大きな工場がいくつも見えたが、それが何の工場なのか、どのような計画が進行しているのかはわからなかった。

2019年請戸地区を訪れた際には更地のあちこちに大きな工場が建てられていたが……

同じ場所を昨年、今野寿美雄さんの案内で訪れた。今野さんのお話から、ここには様々な工場が誘致されているということだ。中には、飯舘村の復興に関わり大いに儲けた原発メーカー、あるいは全国の原発で労働者に被ばく労働を強い、儲け続けるゼネコンなどが関わっているということだ。

まさに「原発を動かしては儲け、原発を壊しては儲けているハイエナ」のような連中が集まってきているのだ。

今年元旦に発生した能登半島事件でも同じことが起こるだろう。金沢在住の知人から、能登半島には、数戸の古い家屋が点在する過疎地が多数あると聞いた。その知人が呟いていた。

「能登半島に現在残っている過疎地の年寄りの排除が出来た後ににやってくるのがリゾートなのか原発なのか廃棄物処理場なのか軍事基地なのかわからないがよく見ておく事にする」。                 

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

3月11日発売 〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年春号 能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌
『季節』2024年春号(NO NUKES voice 改題)

能登大震災と13年後の福島 地震列島に原発は不適切

《グラビア》能登半島地震・被災と原発(写真=北野 進

《報告》小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教)
 能登半島地震から学ぶべきこと

《報告》樋口英明(元福井地裁裁判長)
 地雷原の上で踊る日本

《報告》井戸謙一(弁護士・元裁判官)
 能登半島地震が原発問題に与えた衝撃

《報告》小木曽茂子(さようなら柏崎刈羽原発プロジェクト)
 珠洲・志賀の原発反対運動の足跡を辿る

《報告》山崎久隆(たんぽぽ舎共同代表)
 「大地動乱」と原発の危険な関係

《講演》後藤秀典(ジャーナリスト)
 最高裁と原子力ムラの人脈癒着

《報告》山田 真(小児科医)
 国による健康調査を求めて

《報告》竹沢尚一郎(国立民族学博物館名誉教授)
 原発事故避難者の精神的苦痛の大きさ

《インタビュー》水戸喜世子(「子ども脱被ばく裁判の会」共同代表
 命を守る方法は国任せにしない

《報告》大泉実成(作家)
 理不尽で残酷な東海村JCO臨界事故を語り継ぐ

《報告》後藤政志(元東芝・原子力プラント設計技術者)
《検証》日本の原子力政策 何が間違っているのか《2》廃炉はどのような道を模索すべきか

《報告》森松明希子(原発賠償関西訴訟原告団代表)
すべての被災者の人権と尊厳が守られますように

《報告》平宮康広(元技術者)
放射能汚染水の海洋投棄に反対する理由〈後編〉

《報告》漆原牧久(脱被ばく実現ネット ボランティア)
「愛も結婚も出産も、自分には縁のないもの」311子ども甲状腺がん裁判第八回口頭弁論期日報告

《報告》三上 治(「経産省前テントひろば」スタッフ)
本当に原発は大丈夫なのか

《報告》佐藤雅彦(ジャーナリスト/翻訳家)
日本轟沈!! 砂上の“老核”が液状化で沈むとき……

《報告》板坂 剛(作家/舞踊家)
松本人志はやっぱり宇宙人だったのか?

《報告》山田悦子(甲山事件冤罪被害者)
山田悦子の語る世界〈23〉
甲山事件五〇年目を迎えるにあたり誰にでも起きうる予期せぬ災禍にどう立ち向かうか〈中〉

《報告》再稼働阻止全国ネットワーク
能登半島地震と日本の原発事故リスク 稼働中の原発は即時廃止を!
《老朽原発》木原壯林(老朽原発うごかすな!実行委員会)
《規制委》木村雅英(再稼働阻止全国ネットワーク)
《志賀原発》藤岡彰弘(志賀原発に反対する「命のネットワーク」)
《六ヶ所村》中道雅史(「原発なくそう!核燃いらない!あおもり金曜日行動」実行委員会代表)
《女川原発》舘脇章宏(みやぎ脱原発・風の会)
《東海第二》久保清隆(とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)
《地方自治》けしば誠一(反原発自治体議員・市民連盟事務局長)

《反原発川柳》乱 鬼龍

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

龍一郎揮毫

私たちは唯一の脱原発雑誌『季節』を応援しています!

拙著『日本の冤罪』が出版されてから数か月、この本がご縁で素晴らしい方々と出会うことができた。

昨年12月24日、出版記念の集まりではないですが、Swing MASAさん(サックス奏者)と冤罪関連の集まりをもった。MASAさんらの演奏、井戸謙一弁護士の貴重な講演、そして4組の冤罪犠牲者の家族、関係者のお話など非常に貴重な時間を過ごせた。終了後の親睦会で「国賠ネットワーク」の方から、2月24日東京での集まりに来てお話してとお誘いを受けた。

2月24日『日本の冤罪』の編集をお手伝い頂いた鹿野健一さんと約1時間対談をさせて頂いた。終了後の親睦会で会員の土屋さんが「3月3日大阪に行くので店に寄ります」と言われた。3月3日は金聖雄監督の新作「アリランラプソディー」の大阪試写会に招待されていたので、店はやってませんとお断りさせていただいた(この映画については、またきちんと書きます)。

だが、その際、数日前ピースクラブのかじさんが話していたことを思い出した。

「3日は大事なパーティーがあるのよ。甲山事件の支援をされていた方々の……」

私はその男性に「もしかして3日来られるのは大国町ピースクラブですか?」

「えっ、なぜ知っているの。だったら、そこへ来れば」と言われた。

が、私は多分あいまいな返事をしていた。

3日日曜日、試写会会場の「いくのパーク」にカオリンズと向かった、ていうか、連れてって貰った。会場は体育館でフラットなので、背の低い私は前の席に座った。入口から金洪仙(キムホンソン)さんがさっそうと入ってきて、隣に座る。

そして、「昨日は4つも行きたいイベントがあったけどどこにも行けなかった」みたいな話をして「今日はこのあとピースクラブに行くの」というので、「えっ?」とどんな集まりなのか説明してもらう。

長く続いている、濃いつながりの仲間の寄りあいのようだ。私はホンソンさんに「東京でお会いした冤罪関係の方に『来れば』と言われてけど」と話し、たぶん辞めておくわと言ったと思う。

私は「アリランラプソディー」を見たあと、どうしてもキムチが食べたくて、鶴橋に寄ったら必ず寄る韓国料理の店で味噌チゲを食べ、「アリランラプソディー」のパンフを見ながらまったりビールを飲んでいた。

するとパーティーの準備などで早めにピースクラブに行っていたホンソンさんから「参加者名簿に『尾﨑美代子』とあるよ」と連絡がきた。「えっ? どうしよう」。

しばらく思案したのち、家に帰れば、東京にもっていった『日本の冤罪』20冊の残り6冊があるはず……急いで帰れば間に合うか。本を売りたい、いや、紹介したいと思ってしまい、急いで帰ってピースクラブに行く。いや、行った目的は本を売りたいためだけではないですが。その日の様子は金洪仙さんのFacebookの投稿を読んでください。

結果、素晴らしい人たちと出会うことが出来た。更に早めに帰るつもりが23時までいてしまった。私が余り知らなかった甲山事件について、甲山事件の弁護人の一人であり、私が大尊敬していた故・片見冨士夫弁護士のお話をたくさんお聞きすることができた。

なお、この寄りあいでは、もうひとつ、驚くような出会いというか、再会場面があったが、それはまた別の日に……。

連絡をくれ、繋げてくれた金洪仙さんに大感謝です!!

写真[左]石橋義之さんが長年作ってきた「ばじとうふう」に執筆してきた仲間の皆さんの寄り合いに参加することが出来た/[中央]3月3日の素晴らしい寄り合いに誘って下さった「国賠ネットワーク」の土屋翼(つちやたすく)さん/[右]3月3日午後から生野区「いくのパーク」で開催された「アリランラプソディ」試写会後あいさつする金聖雄(キムソンウン)監督

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

能登半島の地震で大勢の被災者が避難生活を余儀なくされているなか、一時期は避難所でコロナウイルスはじめインフルエンザ、ノロウイルスなども増大した。

以下は、3年前の3月、鹿砦社発行の反原発誌『NO NUKES voice』27号(2021年3月11日発売。現在は『季節』に誌名改題)に寄稿した記事で書いた、コロナ蔓延中は原発再稼働をやめろという裁判での原発コンサルタント佐藤暁氏が提出した「意見書」の一部である(尾﨑美代子「コロナ収束まで原発の停止を!」)。ぜひ今こそ、読んでほしい。今現在も能登半島の避難所はこういう状態ではないのか?

◆東京東京ドーム44個分の避難所が作れるのか?

 

いまから3年前、2021年3月に発売された『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

2020年6月2日「新型コロナウイルス感染拡大を踏まえた感染症の流行下での原子力災害時 における防護措置の基本的な考え方について」を出した。それによれば、「自宅などで屋内退避を行う場合には、放射性物質による被ばくをさけることを優先し、屋内退避の指示が出されている間は、原則換気は行わない」としている。ここでの「自宅等」には、家屋の倒壊・損壊などで自宅におれず、移動した避難所なども含まれる。

また福井県の「新型コロナウイルスに備えた避難所運営の手引き」では、避難所のスペースについて、一般避難者については、「床に養生テープ等で、1人当たり4㎡以上のスペース、通路は幅2mを確保」、「ほかの感染症(ノロウイルス、新型インフルエンザ)対策も考慮するなら、一人当たり5.5㎡以上が望ましい」とし、濃厚接触者・感染が疑われる者の場合は「専用スペース、動線を確保できるかどうか事前に確認(他の避難者と一切交わらないことが望ましい)「2棟以上の建物がある場合」「農耕接触者や感染が疑われるもののみを収容する建物を決定」となっている。つまりコロナ感染予防対策を徹底するためには、従来1人あたり2㎡とされたスペースの2倍以上のスペースを確保しなければならないということだ。

これを、美浜原発が事故をおこしたと仮定した場合で算定すると、美浜町のPAZ及びUPZの人口37万9446人に必要な避難所のスペースは、379446人×5.5㎡=2086953㎡となり、東京ドーム(46755㎡)44個・6個分となる。このような避難所を確保することは、事実上不可能だ。

◆通常の原発運転でも危険が拡大

こうした原発事故からの避難と避難生活のなかで、放射能防護とコロナ感染拡大防止対策が対立する問題は、平常時に原発で働く作業員や運転員にもかかってくる。

昨年(2020年)4月14日、九州電力・玄海原発の特定重大事故等対処施設(いわゆテロ対策施設)の建設工事に従事していた作業員1名がコロナに感染、その後事務所社員1名の感染も判明し、九州電力は工事を中断、約300名の職員の出勤を見合わせたことがあった。

同じ4月27日には、東電の柏崎・刈羽原発でも感染者が発生し、工事の8割が中断することがあった。原発では、通常の運転時で1日約1500人、定期点検時には1日約3000人の作業員が働くことになるが、通勤時の車両、待機場所、脱衣所、休憩室など、いずれも3密状態を強いられている。

福井県の原発へは、関西など感染者が多い地域からの作業員も多い。しかも重層的下請け構造で、4、5次の末端業者では、作業員の健康状態などまともに把握されていないのが現状だ。

そんな中、先の玄海原発で1月24日までに次々と感染者を出すクラスターが発生したため、約400名の作業員を出勤停止にした。これが原発事故時であったならば、「工事の遅れ」などでは済まされない事態となったであろう。

◆過酷事故を起こした原発の暴走を止められるのか?

原発事故を起こしてしまった際の緊急時対策所がどのような状態になるか、今回仮処分の申し立てを行った美浜原発3号機を例に検証してみる。昨年7月20日に提出された「新型コロナウイルス感染拡大防止対策と原発事故対応が両立しないことについて」と題された準備書面によれば、美浜原発3号基の、緊急時対策所の要因は、重大事故などに対処するために必要な指示を行う要員等34名と、原子炉格納容器破損等による工場等外への放射性物質拡散を抑制するための対策に対処するために必要な要員36名の計70名とされている。

一方、緊急時対策所の延床面積326㎡のうち、緊急時対策本部要員34名が使う「本部スペース」は約84㎡で、ソーシャルでスタンスの2メートルの距離を取るとすれば、現状の5倍超の427・04㎡の面積が必要となる。それが確保できない場合、要員らが次々と感染し、事故対応ができなくなり、事故を起こした原発は制御不能のきわめて危険な状態に陥らざるを得ない。

大飯原発3、4号機、高浜原発1~4号機も同様だが、さらに迅速な事故対応を迫られる現場では、怒鳴り声や大声が飛び交うのは、福島の事故で経験したことだ。2メートルのソーシャルデイスタンスを取りながら小声で指揮などしていては、原発の暴走は止められないだろう。

◆コロナ禍で原発を動かす危険性

今回の仮処分の申し立てでは、申立書と同時に原子力コンサルタント・佐藤暁氏の意見書「パンデミック期間中の原子力発電所の運転継続に関する妥当性についての考察」が提出されている。

ここで佐藤氏は、地震など自然災害が発生した際の、コロナ対策と原発事故対応の困難さを「難度の高いジャグリング」に例えている。

「パンデミックは、原子炉事故の対応も自然災害の復旧活動もすべてを覆い、「3蜜」を見つければ、たちまちそこをクラスターの発生個所としてしまう。しかし、在宅勤務だけで事故対応も災害復旧も進むはずはなく、結局これは、とても難度の高いジャグリングである。原子力災害の被災者、自然災害の被災者、そして感染者の3個の球を、どれも地面に落とさないよう器用に回し続けなければならないのだが、少し手元は狂うとあっというまに3個とも落ちてしまう」と。

さらに佐藤氏は、こうも訴える。

「パンデミックも自然災害も人間がコントロールできないが、唯一コントロールできる原発事故のリスクであるのだから、原発をどうしても諦めないにしても、せめて手の中にすでにパンデミックという1個の球があるとき、原発事故の発生リスクを排除し、もう1個がこれに加わるのを予防するという案に合意できないか」と。
債権者の一人・水戸喜世子さんは、「コロナ禍にあって、一向に原発に言及しない国・自治体、そして電力会社の人権感覚に改めて深刻な危機感を抱いたのが、提訴しないではいられなかった動機だ」と話しておられた。

「パチンコ屋に営業自粛を迫るのであれば、被害が桁違いに大きい原発の営業自粛を何故求めないのか?」。

こうした、実に素朴な疑問から提訴を考え出した。この仮処分が申し立てられなかったら、多くの人たちが、コロナ禍でも原発事故の危険性に気付かされなかったかもしれない。

裁判資料を読みこめば読み込むほど、不安は増幅し、1秒でも早く原発を止めなければならないと確信する。原発事故も収束できないこの国が、コロナを収束できるはずもなく、ずるずる両方の収束を先延ばしにしていたら、もうこの国は終わりかもしれない。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌 『季節』2023年冬号

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

2月24日、国賠ネットワーク交流集会が東京・水道橋のたんぽぽ舎で開かれます。詳細は下記の案内をご参照ください。

この日は昨年、本社から『日本の冤罪』を出版された尾﨑美代子さんと、本通信にも執筆している鹿野健一(ペンネーム田所敏夫)さんが招かれ『日本の冤罪』について対談が行われます。ご興味のあるかたは是非お出かけくださいますようご案内いたします。ただし、会場の都合上残席はわずかで、先着順とのことです。

『日本の冤罪』出版に当たっては、昨年12月24日に大阪でも集会が行われ、同書に推薦文を寄せていただきた井戸謙一弁護士をはじめ、冤罪事件被害者のみなさんも集まり、大いに盛り上がりました。当日も尾崎さんと鹿野さんの対談が行われましたが時間の関係で10分ほどでした。今回は約1時間にわたる対談が予定されています。

第33回 国賠ネットワーク 交流集会
『日本の冤罪』を語る : 尾﨑美代子さん & 鹿野健一さん
2024年2月24日(土)13:30~17:00 ■スペースたんぽぽ(たんぽぽ舎)

◎国賠ネットワーク https://kokubai.net/

国賠ネットワーク さまざまな国賠裁判を結ぶネットワークは1989年に立ち上げられました。国賠裁判とは、国や自治体の公務員から不当な被害を蒙った人々が、その責任を追及し、謝罪や賠償を求める訴訟です。無実の罪で逮捕・勾留・起訴された冤罪被害者を中心に、国賠を闘う原告や支援グループの、穏やかな連携と支援交流を目指すネットワークです。

◆交流集会 年に一度、それぞれの国賠の当事者・支援者が集まって、互いに報告し、語り合い、情報や知恵を共有する全国的な交流集会です。①東住吉冤罪国賠、②星野獄中死国賠、③大垣警察市民監視国賠、④湖東病院事件・西山国賠、⑤よど号旅券発給拒否国賠&産経新聞損賠、など当事者から現状についての報告を予定しています。

◆特別対論 最新刊『日本の冤罪』の著者・尾﨑美代子さんに、フリーライター・鹿野健一さんがお話を伺います。尾﨑さんは足を使い、渦中の人に会って話を聞き現場に出向き、更には住み込んでその複雑さの中に身を置き考える。このように肌の感覚をとことん味わい、言葉で伝えようとする人は意外に少ない。集会に多くの諸兄姉が参加し、彼女の話に耳を傾けていただきたい。

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

凄いニュースなのに、大きなメディアではほとんど報道されない。既に死刑が執行された飯塚事件の再審請求審で、次々と死刑執行された男性が犯人でない可能性のある証拠が出ているのに。話題にならないとは?

32年前福岡県飯塚市で女児2人が失踪、翌日遺体が発見された飯塚事件、私はこの事件を詳しく見ていなかったが、今回改めて調べてみた。事件発生から2年後久間三千年さんが逮捕。久間さんは一貫して否認していたが、2006年最高裁で死刑が確定、そのわずか2年後2008年に死刑が執行された。

実は同じ年、飯塚事件で用いられたDNA鑑定と同じの手法で実施されていた足利事件のDNA鑑定が間違っているのではないかと問題になっていた。(実際足利事件の菅家さんは2009年4月にえん罪と判明した)。久間氏の死刑執行はそれが判明して1週間後だった。

2009年10月28日、久間氏の遺族は福岡地裁に第一次再審を請求。足利事件のDNA再鑑定を行った大学教授による鑑定書を新証拠として提出した。しかし2014年福岡地裁は再審請求を棄却、2018年福岡高裁も即時抗告を棄却し、最高裁も特別抗告を棄却した。

2021年7月9日、遺族は第二次再審を請求した。新たな証拠として、事件当日、後部座席に女児を乗せた車を目撃した男性Aさん(74歳)の証言が出された。Aさんは、2023年5月31日、非公開の証人尋問のあと、弁護団とともに実名・顔出しで会見に応じた。Aさんは、女児2人が失踪した日、女児を後部座席に乗せた白いワンボックスタイプの車を目撃したと証言した。運転していたのは、久間さんではない、30~40歳位、色白、5分刈の短髪、頬身の体形だったという(当時久間さんは50歳)。女児の一人は恨めしそうな今にも泣きそうな表情だったという(20年あと女児の写真を見たAさんはあの時の子だと確認する)。

実はAさんは、ニュースで女児2人が行方不明になったことを知り、すぐに警察に通報していた。2月26日か27日に事情を聴きにきた警察官に、Aさんが見た白い車と運転していた男の話をした。しかし、警察はAさんに「紺色のワンボックスカーではないか」と聞いたという。

3月2日、女児らの遺留品発見現場の近くで久間さんの車と特徴が似ている車を見たという男性Bさんが現れた。つまり、2月26日か27日にAさんに「紺色の車ではないか」と聞いた警察は、その証言者が出てきた3月2日前から犯人は紺色のワンボックスカーに乗る人物と目星をつけていたことになる。久間さんの車はそれと同種だった。Bさんの供述は3月9日以降「車種はトヨタや日産ではない」「後輪がダブルタイヤだった」「ガラスにフィルムを貼っていた」など、どんどん久間さんの車と細部が似ている供述にかわっていった。捜査員は、最初から久間さんを犯人ときめつけていたのだ(それには理由があるが、ここでは省く)

しかも、そのAさんは気になり、その後久間さんの初公判を傍聴した。前から2列目の席からだ。被告人席には、白い車に乗っていた男とは別人の久間さんがいて、驚いたという。

実は2月15日、再審請求審の三者協議でまたまた新たな証拠が出された。女児2人が失踪した日、通勤途中に登校中の女児2人を見たという、実質、被害者の最後の目撃者だった女性が、当時の証言を翻し、「(女児を)見たのは別の日で、その日は見ていないと伝えたが、捜査員に『いや見たんだ』と押し切られたという事実だ。証言を「翻す」というより、捜査員に見ていないと伝えても『いや見たんだ』と押し切られていたことを明らかにしたということだ。

これは実によくあることだ。京都俳優放火事件で無期懲役を下された平野義幸さんは、自宅の2階で火災が発生、前日から泊まりにきていた彼女が2階にいる。あれこれ消火活動を行った平野さんだが、表に出て周囲に助けを求める。一方、平野さんは何度も燃えさかる家に入り、彼女を助けようとする。

しかし、それ以上中に入ったら、平野さん自身が危ないと考えた近所の人たちが「このままではよし君(平野さん)が危ない」と皆で平野さんの背後から「膝カックン」して倒したりした。よくケンカするなどで、評判がそうそうよくなかった平野さんだが、近所の人たちは必死で平野さんを守ろうとした。そのことを警察に話したが、判決は平野さんが何もせず、彼女を見殺したかのような内容になっている。

あるいは、姫路の花田郵便局強盗事件で犯人とされたジュリアスさんは、ジュリアスさん所有の倉庫は、昼間鍵がかけられず、誰でも入れた状態だったのに、裁判ではジュリアスさんしか鍵を開けれなかった、ほかの人は入れなかった、だから倉庫内に盗んだ現金などを隠せたのはジュリアスさんしかいないとされた。のちに倉庫の貸主の女性が、「入口は開いてて、誰でも入れた」と証言している。

桜井昌司さんが「逆えん罪」と称した、西成の女医矢島祥子さんの不審死事件では、取り調べられた彼女の関係者の話を直接聞いたことがある。仕事を休んで警察にいくと、捜査員から「矢島さんは自殺したんだが……」云々で始まる調書を取られたという。知人女性は矢島さんの死が自殺とは思えないため、何度そう言われても否定していた。しかし、「矢島さんは自殺したんだが……」を認めないと取り調べが終わらない。彼女は何度も警察に呼ばれ、そのたび仕事を休まざるを得ない。仕方なく、最後はその調書にサインしたという。

それにしても、この冤罪事件はどう決着つけるのか? 久間さんはもう国に殺されている。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

おばんです。ちょっと言わせてください。あのですね、大阪万博をこのまま強行すれば、東京五輪の時以上の過労死者や自殺者がでますよ。新国立競技場の現場で若い現場監督が自殺したではないですか? 現場監督は、大きな現場の全体を把握してないと勤まらない。店に来る職人さんが少し大きな現場に入ると、監督が良いか悪いか、よくわかると言います。今日ある場所でコンクリ打ちするからミキサー車が入るというのに、入る予定のゲート付近に、ほかの業者が資材を山積みしているなんてことがあるそうです。「何やってんだ!ミキサー車来てるぞ、早く片づけろ!」と怒鳴り声が飛ぶわけです。

これは福島第一原発の収束・廃炉作業の現場を知るなすびさん(被ばく労働ネットワーク)も言ってました。福一の現場ではそれこそ毎日多種多様な作業が行われています。ある工事を行う作業員が現場にいくと、別の作業をやっている人たちがいて、自分たちはそれが終わるまで、被ばくしながら待たなくてはならないとか……。

広い現場の全体を把握できる人間がいないということです。しかも万博の現場、なかで作業が遅れているのを見せたくないためか、周囲をぐるりを囲む大屋根が先にできましたが、そうすると、中の工事に資材を搬入するなどの作業がやりにくい、やりにくい。違いますか?

◆ゼネコンの人間は、コンクリ打ったり、鉄骨組んだりできません

あと、万博の建設現場に中に入るゲートが少ないですね。以前、大阪の堺市で大きな電気関係の工場現場があったのですが、誰も行きたがらない。何故かというと、現場へ入るゲートが一本しかないため、行き帰り、とくに早く帰りたい帰り道、ゲートが混んで混んでなかなか出れないらしい。職人さんはキツイ仕事終えて早く一杯やりたいので、現場から戻るのに何時間もかかる現場はいきたがらない。
 
あと、皆さん、万博は大手ゼネコンが請け負うから、優先的に仕事が進むはずと考えていませんか? ゼネコンの竹中、大林に勤める人間がとつぜんコンクリ打ったり、鉄骨組んだりできませんよ。現場で働くのは下請けの作業員、その人数は限られていますよ。その人たちを奪い合うわけですよ。

さっき言ったように、キツイ仕事終わったら早く帰りたい、いっぱい飲みたい、風呂浸かってゆっくり休みたいと思うのが普通でしょう。だって人間だもの……(相田みつお風)。

誰が、帰りに何時間もかかる現場に行きたいと思いますか? 例えば、釜ヶ崎で、手に専門職をもたず、穴掘りなど土工の仕事しかできない人でも、当然ですが、労働者としての「誇り」があります。

阿倍野ハルカスの現場に穴掘りの土工さんとして入った人でも(失礼な言い方ですが、この人たちがいないと現場は始まらない)、「ママ、あのハルカス造ったの、俺だぜ」と自慢するのです。

それが、造っても半年ほどで解体する万博の現場に、「おれ、すごいだろう」と自慢して入れる人はどれくらいいますか? それなら、「能登に行って仮設住宅作って、えらい喜ばれたわ」という現場の方がナンボやりがいがあることか?

だから万博の現場に人は集まりません。首に縄着けて引っ張っていくのなら話は別ですが……。それでも金借りた、昔親方に世話になったなどの理由で現場に行かざるを得ない人、めっちゃ大変ですわ。私だったら単価が多少安くても能登の片づけ作業、解体作業そして仮設住宅造りにいきますわ。

だって、人として、人のためになることをやりたいじゃないか(相田みつお風)。


◎[参考動画]【万博間に合う?】「手が足りない」「めっちゃ急かされる」建設作業員たちの本音 工期遅れで残業やむを得ない状況も…大阪・関西万博の会場建設の現状(MBS NEWS 2024/02/11)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

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