《6月のことば》真理がわれらを自由にする

鹿砦社代表 松岡利康

《6月のことば》真理がわれらを自由にする(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

今月の言葉は「真理がわれらを自由にする」だ。

この言葉は、知る人ぞ知るで、国立国会図書館の目立つ所に貼られている有名な言葉である。

浅学の徒である私はこの言葉を知らなかった。知ったのは、加藤一夫著『記憶装置の解体──国立国会図書館の原点』(1989年。品切れ)を出版した時だ。この頃、著者は国会図書館に勤めておられた。何で知り合ったのかは定かではないが、おそらく加藤さんが翻訳された第二期トロツキー選集『革命はいかに武装されたか』に関心を持ち連絡したことからだったと微かに記憶にある。学生時代に革命家トロツキーに関心を持ち、ロシア革命の見直しの連続講座も持ったので、この関連からだったかな。上京するたびに国会図書館に立ち寄り歓談させていただいた。そのうち著書にまとめようという話になったのではないか……。

本書刊行は1989年というから出版を専業としてまだ5年ほどしか経っていなかった。A5判350ページの、けっこう大部の本になり、途中弱音を吐いたが、著者に叱責され、また出版界の先輩には激励され、出版に漕ぎつけることができた。

著者は1960年代後半の激動の時代に大学に身を置き闘いながら、70年代に入り大学を離れ国立国会図書館に入った。その、いわば中間総括の書である。今紐解いても意義ある本で輝きを失ってはいない。

ところで、「真理がわれらを自由にする」とはどういう経緯で国会図書館に貼られているのだろうか? 次の解説が一番的確なので、長いが引用し説明に替える。──

《東京・永田町にある国立国会図書館は、昭和23年(1948年)設立された日本で唯一の国立図書館として、国会だけでなく広く日本国民に開かれた図書館だ。
 図書館の利用者は、昭和36年(1961年)開館されたここ東京本館の目録ホールにある図書カウンター上部に刻まれた「真理がわれらを自由にする」という日本語と、その傍らのギリシャ語銘文を自然と目にすることになるが、この言葉が国立国会図書館法の前文として明記され、図書館の精神として66年もの間生き続けていることはそれほど知られていない。
 昭和23年(1948年)起案された国立国会図書館法の前文には、法案の起案に参画した歴史家で当時の参議院図書館運営委員長であった羽仁五郎氏がドイツ留学中にフライブルグ大学図書館で目にした銘文をもとに、「国立国会図書館は、真理がわれらを自由にするという確信に立って、憲法の誓約する日本の民主化と世界平和とに寄与することを使命として、ここに設立される。」と記されており、このフライブルグ大学図書館の銘文は新約聖書・ヨハネによる福音書の一文「Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ」に由来するものとされている。》(永田純子「真理がわれらを自由にする」:国立国会図書館に生きるギリシャの精神)

(松岡利康)

《5月のことば》今だ! 立ち上がれ!

鹿砦社代表 松岡利康

《5月のことば》今だ! 立ち上がれ!(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

一昨年いったんは業績回復したところで、昨年再びドツボに嵌り、このかん、あくせく働いてきました。

今まで、こんなことを何度も繰り返してきました。

その都度、心ある皆様方に助けられ生き延びてきました。

去る4月5日の「鹿砦社反転攻勢の集い」に多くの皆様方にお集まりいただき、厳しくもあり温かくもある叱咤激励を賜りました。

今こそ立ち上がらないといけません!

実にシンプルだ!

四の五の言わずに前進あるのみ! “単ゲバ”やな(古い! 笑)。

雑誌『紙の爆弾』を創刊して20年 → 直後の「名誉毀損」に名を借りた言論・出版弾圧から20年 ── よくぞ生き延びてきたものです。

今、新型コロナ襲来によって私たちは苦境に在りますが、20年前の逮捕 → 長期勾留され身動きできなかったことに比べればまだマシです。何しろメールも電話もできなかったわけですから。

われわれはくたばらない。必ず復活します! 

たとえ“便所紙”を使ってでも出版活動を続け、毒のある本を出し続けます!

このかんの苦境で、多くの方々や取引先にご迷惑をおかけし、また逆に多大な激励やご支援をいただいています。これに報いなければなりません。

どうか今後共温かい目でわれわれの出版活動を見守っていただき、また更なるご支援をお願いいたします。

(松岡利康)

《4月のことば》凡事徹底 鹿砦社代表 松岡利康

《4月のことば》凡事徹底(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

「凡事徹底」── いい言葉です。小さなことや当たり前のことを徹底的にやることによって見えてくるものがあるという意味ですが、なかなかできそうでできるものではありません。四字熟語は中国から由来するものが多いということですが、これは最近(といっても、20、30年前ですが)日本で誕生したとされます。通説では、イエローハット社の創業者・鍵山秀三郎氏が作ったといわれています。プロ野球の野村克也やラミネスがよく使ったといわkれます。「凡事徹底」というタイトルの書籍もあります。

当社も1995年に「日々決戦」「一日一生」「一所懸命」などと共に社是に定めましたが、なにか精神的な訓示を上から押し付け、説教臭く思われたのか、あまり歓迎されませんでした。

とはいえ、環境が苦しい時にこそ、基本に立ち返り「凡事」を「徹底」して「一所懸命」にやることが大事で、そして、そこにまた見えてくるものがあるということでしょう。

◇     ◇     ◇     ◇     ◇     ◇

 「4・5鹿砦社反転攻勢の集い」で流れを変えよう!

このかん再三申し述べさせていただいているように、新型コロナ襲来以来、引き起こされた鹿砦社の苦境を寄稿者、読者の皆様方と共に突破し、流れを変えようと、4月5日、反転攻勢の集いを開催することになりました。『紙の爆弾』の寄稿者を中心に、ちょっと声を掛けたところ、またたくまに30人ほどの発起人が集まってくださいました。

また、ご支援のカンパ、ご祝儀も日々お寄せいただいています。有り難いことです。もう4日後になりますが、日々、緊張感がみなぎってきています。

この20年間、いろいろなことがありました。なんと言っても『紙爆』創刊直後の私の逮捕―勾留で会社が壊滅的打撃を被ったことでしょう。囚われの身、それも接見禁止で、面会も手紙も、弁護士以外にはできなく、動こうにも動けなくて、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある」という心境でした。今は、会社の情況が苦しくても、電話もできるし動き回れます。これだけでも大きな違いです。

詳しいことは4月7日発売の『紙爆』(20周年記念号)5月号に記述してありますので、ぜひ購読いただきご一読ください。

4月5日の集いのご報告は、「デジタル鹿砦社通信」、『紙爆』6月号(5月7日発売)などで行います。

(松岡利康)

《3月のことば》春です 故郷は 桜です 鹿砦社代表 松岡利康

《3月のことば》春です 故郷は桜です(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

3月、年度末です。1月(去ぬ)、2月(逃げる)── 今年はじめの2ヵ月、速かったです。そして3月。

これまでこの冬はほとんど酷寒だったのですぐに桜を想像できませんが、確実に春はやって来ます。故郷の桜が目に浮かびます。3・11のように、みずからの意志に反し故郷を離れた人たちにとって、故郷の桜はどのように脳裏に映るのでしょうか。

もうすぐ今年も3・11がやって来ます。3・11に、あなたはどこで桜を見るのでしょうか。

3月は逃げると言いますが、意義ある月にしたいと思います。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年3月号
『LGBT問題 混乱と対立を超えるために』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著 定価990円(税込み)

《2月のことば》敗北における勝利 鹿砦社代表 松岡利康

《2月のことば》敗北における勝利(鹿砦社カレンダー2025より。龍一郎揮毫)

もう半世紀余りも前のことになるが、1972年2月1日、学生運動も最盛期から後退期に入る時期、前年から全国の大学で学費値上げが発表され、これに抗議する学生によって反対闘争が盛り上がっていた。

学生運動が後退期に入るのを見計らったかのような時期だった。

例えば関西大学もバリケードストライキに入っていたが、前年12月、革マル派が、対立する中核派の活動家を急襲し2人が殺された。こんな有り様なので、反対運動は自然消滅した。年を越したのは私のいた大学と、あと数えるばかりだったと記憶する。

私たちは、断固として身を挺し学費値上げを阻止せんと徹底抗戦し学費値上げ阻止の意志表示をした。

百数十名の無差別検挙で40数名逮捕、10名が起訴された。裁判は数年を費やしたが、結果は1人が無罪、あと9名は微罪だった。

学費値上げはなされ、阻止できなかった。──

値上げを阻止できなかったという意味では、私たちの敗北である。

しかし、その敗北は決して無駄ではなかったし無意味でもなかったと今でも思っている。長い人生には勝ちもあれば負けもある。

敗北の中にも、自分なりになんらかの意味を汲み取り、後の人生に活かせればいいんじゃないか ──

〈敗北における勝利〉── いつこの言葉を知ったか記憶が定かではないが、私たちの世代には馴染みが深い、アイザック・ドイッチャーのトロツキー伝の中にあった言葉ではないかと微かに覚えている(違っているかもしれないが)。ドイッチャーのトロツキー伝は三部作の大部の本で、人に貸したまま手元にはない(この言葉の由来を知りたいということもあるが、無性に再読したくなり古書市場で見つけ注文したところだ。高価だと思っていたところ3冊で3000円! そういえば、正月休みに街に出たら古書展をやっていて、吉本隆明の本が1冊500円、3冊も買ってしまった。われらが青春の隆明が1冊500円とは。  

あれから半世紀余りが経った。あっというまだったな。敗北だらけの人生で満身創痍だが、その敗北を教訓化して、果たして勝利への途は見つかったのか――。

【追記】

上記した、古書市場で注文したアイザック・ドイッチャー著トロツキ伝第3巻『追放された預言者・トロツキー』が届いた。早速紐解くと、記憶通り、その末尾に「六 後書 敗北における勝利」とあった。なんともいえない感動!

青春時代のほろ苦い体験が脳裏に過(よぎ)る。──

そのほろ苦い体験とは、同じ大学の先輩の詩人の次のようなものだ。

「不世出の革命家に興味を持った一人の貧乏学生は ひどく暗い京都の下宿で汗のふとんにくるまりながら やたらに赤線をひっぱっていた ついには革命的情熱とやらの蜘蛛の巣のような赤線にひっかかり くるしんでいる夢をみた ほそい肉体をおしながら漆黒の海流 亡命舟は灯を求めて盲目の舟首を軋ませつづけた」(清水昶「トロツキーの家」)

『LGBT問題 混乱と対立を超えるために』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著 定価990円(税込み)

《11月のことば》限界突破 あきらめたらそこでおしまい 鹿砦社代表 松岡利康

《11月のことば》限界突破 あきらめたらそこでおしまい(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

速いもので、今年もあと2ヵ月となりました。
新型コロナ襲来によって、それまで左団扇状態だった雰囲気は暗転しました。
何度も「限界」を感じました。

「あきらめたらそこでおしまい」──

「限界」を「突破」するために皆様のお力を借りて「歯を食いしばって」頑張ってきました。
「限界」に次ぐ「限界」で「あきらめ」かけたりもしました。
コロナで似たような経験をされた方も少なくないでしょう。
しかし、「あきらめ」なければ、浮かぶ瀬は必ずあるものと信じています。

20年近く前の出来事、「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧でも打ちのめされ「限界」を感じましたが、運良く「突破」できました。
奇跡としか言いようがありません。出版業界ではそういわれているそうです。

「限界」は「突破」でき、奇跡は起きると信じたい。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年11月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著

《10月のことば》絆 あなたとここにいることがなによりすばらしい 鹿砦社代表 松岡利康

《10月のことば》絆 あなたとここにいることが なによりすばらしい(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

ようやく暑さも和らいで来ました。
もうすぐ秋風が吹き木枯しの季節となるのでしょうか ──

もうこの仕事に本格的に関わり始めて40年になります。
大学を出て10年、出版とは全く関係のないサラリーマンをやりました。
毎日、大阪御堂筋のビルの7階から四季の移ろいを眺めながら過ごしました。

会社を整理するというので、それまでに同人誌のようなものや資料集を出したりはしていましたが、他に仕事を探すこともなく、わずかな退職金を元手に出版を生業にすることにしました。

若かったな。すでに子どももいたし、今だったら踏み止まっていたでしょうね。
他人より10年遅れて出発しましたが、これまで多くの方々に迷惑をかけたり助けてもらったりして〈絆〉をこしらえてきました。
大学関係の先輩・後輩、多かれ少なかれ学生運動や社会運動に関わった人たちなどが多いです。

決して一人でやって来れたわけではありませんでした。むしろ助けてくれる方がいたからこそ、生来鈍愚な私でもここまでやって来れたと思っています。

自分で望んだわけではありませんでしたが、これまで他人よりは起伏のある人生でした。

特に2005年、『紙の爆弾』創刊直後の「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧は「人質司法」による長期勾留を強いられ正直きつかったです。

これまでこの通信でも何度も述べているので繰り返しませんが、これを皆様方との〈絆〉で乗り越えれたことは大きいです。誰もが「松岡も鹿砦社も終わりだろう」とささやいでいたということですが、人の運命というのはわからないものです。その前の阪神大震災でも、「松岡も鹿砦社も終わりだろう」と東京ではささやかれたそうですが、自分で言うのも僭越ですが、我ながらしぶといです。

その後、奇跡ともいうべき復活を遂げることができ、これでこのまま後の世代にバトンタッチをしようと思っていたところ新型コロナ来襲で、またペシャンコにされようとしました。

ところが、ここでも皆様方との〈絆〉で生き残っています。思い返せば、20年、30年、40年と、付き合いの長い方が多いです。これで知らず知らず〈絆〉が出来たのだと思っています。

そう、「あなたとここにいることがすばらしい」ということです。

これからもいつまでも「あなたとここにいること」、そしてもっともっと強い〈絆〉で『紙の爆弾』『季節』を継続させ鹿砦社を継続させていければと願っています。

(松岡利康)

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年10月号

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか

『LGBT異論 キャンセル・カルチャー、トランスジェンダー論争、巨大利権の行方』女性スペースを守る諸団体と有志の連絡会=編著

《9月のことば》疲れたら眠る 鹿砦社代表 松岡利康

《9月のことば》疲れたら眠る(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

9月に入りました ── 今年の夏は例年にない記録的猛暑でした。
まだしばらく残暑が続くようです。
そろそろ疲れが出てくる時期です。

また、世事の悩みもままあります。
そんな時には、くよくよ考えずに思い切って眠りましょう! 
なにか妙案が出てくるかもしれません。

Tomorrow is another day. 
(明日は明日の風が吹く)

猛暑もあってひいひい言ってる間に今年も3分の2が過ぎてしまいました。
月日の経つのは本当に速いものです。

今年残り3分の1を全力疾走するしかありません!
なかなか厳しい状況が続きますが、なんとしても、幾度目かの“奇跡の復活”を遂げなければなりません。

いつまでも鹿砦社と共に歩んでいただきたく願います。

(松岡利康)

〈原発なき社会〉を求めて集う 不屈の〈脱原発〉季刊誌『季節』2024年夏・秋合併号《創刊10周年記念特集》どうすれば日本は原発を止められるのか


◎『季節』創刊10周年特別企画『脱(反)原発のための季節セレクション』(仮)
出版のためのクラウドファンディングご支援のお願い

https://readyfor.jp/projects/kisetu_nonukes
◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0DB1GZ5CM/
◎鹿砦社 https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000748

《8月のことば》平和とは…… 鹿砦社代表 松岡利康

《8月のことば》平和とは世の中が笑顔で満たされること(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

今年も‟暑い夏”がやって来ました。── 鎮魂の8月、ウクライナ、パレスチナでの戦火は一向に収まりません。亡くなった無名・無数の市民、軍人、その家族のみなさん方に心より哀悼の意を表します。戦争が‟対岸の火事”ではなくなった今、ありていな言い方ですが、私たちはあらためて平和であることの意味を問い返さないといけません。

戦後79年間、まがりなりにも日本が再び戦場にならなかったのには、先の戦争の反省から世代世代に引き継がれた反戦の闘いがあったからだと、(異論はあるでしょうが)私なりに思っています。

かつて「平和ボケ」という言葉が否定的な意味で使われていました。しかし、私はいつまでも「平和ボケ」でいたい。

私たちが若かった頃、ベトナム戦争が身近にありました。それは沖縄から直に、あるいは日本国内からも米軍がベトナムに出兵したからであり、傷病兵が日本国内に運ばれ治療したり亡くなったりしたからです。実際に日本の首都東京周辺で、亡くなった米兵の死体処理のアルバイトをした人もいました。

そうしてベトナム反戦運動は、日本のみならず世界的なうねりとして拡がっていきました。

当時若かった私たちも今や高齢者の部類です。年老いた私たちにできることは少なく、また小さいです。若い頃のようにはできませんが、反戦の意志をのちの世代に語り継ぐことだけはやっていきたい。

最近、偶然にYou Tubeで、俳優の藤田まことさん(故人)が生前、歌番組で、『さとうきび畑』を歌った場面を観ました。藤田さんのお兄さんは17歳で沖縄の海の底に亡くなったそうです。藤田さんは『さとうきび畑』を朗々と歌い終えると、最後に「兄貴、沖縄の海の底から大きな声で世界に言うてくれ。戦争はもうええ、戦争はやめてくれ、と」と言って舞台を去りました。去る際に、藤田まことさんの、なんともいえない真剣な眼差しが印象的でした。これまで知らなかった、藤田まことさんの知られざる一面を見たようでした。

この夏、偶然に最近読んだ、幼くして異国の地で終戦を迎え一時強制収容所に送られつつも、命からがら故郷・熊本に生き帰った従兄(60年安保世代)の手記など紹介し、あらためて平和の意味を問い返したいと思います。

(松岡利康)

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

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◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

《7月のことば》人間 万事塞翁が馬 鹿砦社代表 松岡利康

《7月のことば》人間 万事塞翁が馬(鹿砦社カレンダー2024より。龍一郎揮毫)

毎年7月は悔しさと怒りが想起される月です。

2005年7月12日早朝、神戸地検特別刑事部の一団が、兵庫県西宮市に在る甲子園球場の近くの私の自宅と、そこから徒歩数分の事務所を急襲しました。

あれからもう19年、来年で20年です。7月12日という日は、私にとっても鹿砦社にとっても屈辱の記念日です。怒りを込めて振り返れ!

この「名誉毀損」に名を借りた出版弾圧によって鹿砦社は壊滅的打撃を被りました。

松岡は逮捕され、以降192日間、神戸拘置所に勾留、いわゆる「人質司法」で何度も保釈請求は却下され、ようやく保釈されたのは年を越した2006年1月20日でした。

保釈されてもすでに本社、東京支社ともに撤去され、なんとか集めた50万円で東京千代田区三崎町に5坪の事務所を、旧友で不動産業のAさん(私が鹿砦社を引き継ぐ時の立会人)が手配し、ひとり中川志大で再出発しました(現在は同じビルの2室ぶち抜きで13坪を借りています)。本社も、倉庫としていたアパートの1室で、見えない明日を目指して歩み出しました。

しばらくは本当に辛い日々でした──。

しかし、生き残っていさえすればチャンスはやって来るものです。事件から4年後の2009年、実験的にわずか1000冊出した、ある本が一気にブレイク、次々とヒットが続きました。奇跡としか言いようがありません。翌年2010年には、もうダメだろうと思っていた甲子園復帰ができたのです。

突然の逮捕事件によって会社は壊滅的打撃を被るという悲劇が、その後の私たちの運命を変えました。そのまま沈んでしまうのではなく、奇跡(自分でもそう思います)の復活を遂げることができたのでした。

逮捕され壊滅的打撃を被った時は、これ以上の悲劇はないと思っていましたが、なんとか生き残り愚直に頑張っていれば必ず勝機は訪れる、ということを思い知りました。

まさに「人間 万事塞翁が馬」です。

その後、好況は続き、私も左団扇で後進に道を譲ろうとしていたところ、くだんの新型コロナ襲来、一気に奈落の底に落ちました。これもまた「塞翁が馬」、人生にはいろんなことがあるものです。

当初甘く構え、しばらくは持ちこたえていましたが、前代未聞の大混乱を惹き起こしました。いったん回復しつつも(昨年は黒字でした)、不安定で、今またもがいています。

思い返せば、けっこういろいろあったな、浮き沈みの激しい人生で、満身創痍、そのたびにみなさん方に助けていただき這い上がってこれました。

人も会社も苦境にあってこそ、その真価が問われます。

その人や会社に、まだ生き残る価値があるのならば、おそらく潰れないでしょう。

さあ、どうなることやら、勝機を掴むため、もうひと頑張りするしかありません。

Tomorrow is another.

(松岡利康)

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

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