なぜ福島県知事が狙われたのか?──「『知事抹殺』の真実」と東京地検特捜部の犯罪

尾﨑美代子

10月11日、茨木市で「『知事抹殺』の真実」を鑑賞した。2000年、福島県佐藤栄佐久知事(当時)と実弟が、収賄罪で逮捕・起訴され、有罪判決を受けた事件が何だったか検証した映画だ。結論からいうと、この事件は冤罪だった。しかし、知事は辞職に追い込まれた。

私は次の用事があったので途中で席を立った。ちょうどその時、何かのトラブルで上映が止まっており、後で聞けば最後の20分位が上映できなかったという。とはいえ、私が最後に見た段階でも、あの事件が十分冤罪であることは明確だった。

この事件は、東京地検特捜部が担当した。収賄事件とは、政治家らが社会的・政治的な地位を利用して、他者から特別な便宜を受ける汚職だ。佐藤知事が違法に賄賂を受け取ったということだが、一審有罪判決後、控訴した東京高裁・二審で、控訴棄却で知事と実弟との収賄罪は認めたものの、追徴金はゼロ、つまり「賄賂の金額はゼロ」と認定したのだ。「だったら賄賂は何だったんだ」と誰でも不思議に思うだろう。痴漢で逮捕されたが、痴漢された人はいません、みたいなものだ。映画の中にでてくるが、知事はとにかく企業や市民の贈り物などについて、賄賂と受け取られかねないものは決して受け取らないように注意してきた。ある時高級な鮮魚を貰った知事は、その日のうちに相手に返してきなさいと秘書に頼んだという。

だから、逮捕は晴天の霹靂だった。その後、関係者が多数逮捕されたり、事情聴取を受けた。関係者も全く身に覚えがないのに、東京地検特捜部の取り調べは犯罪者扱いだ。関係者は、福島から特捜部のある東京に呼ばれ、慣れない、きつい取り調べをうけ、へとへとで帰ってくる。その間、自殺(未遂)者が何人もでた。ある関係者は、東京から福島に帰る新幹線から飛び降り自殺しようと考えた人もいた。そんな状況を知った知事は「嘘の供述をして早くこの事件を終わらせなくては……」と考えた。しかし、裁判が始まると、特捜部の酷い取り調べの実態が明らかになった。ある建設会社の社長Mさんは「知事への賄賂で弟の会社の土地を買った」と虚偽供述をさせられていた。

特捜部の仕事は東京でも名古屋でも大阪でも同じで、警察を介さず、贈収賄や脱税、企業犯罪など、政治家や企業が関わるような重大事件を独自に捜査する。政治家や大企業の社長が逮捕される日、段ボールを抱えて颯爽とビルに入っていく連中、どいつもこいつも「ザ・エリート」という面構えで、テレビに映るため、髪から靴の先まで整えてきました、みたいな顔をしている。

しかし、東京地検特捜部は、大阪の村木事件、プレサンス元社長事件と同じで、実際は大失敗だった。しかも知事の事件に、村木事件で、フロッピーディスクのプロパティを改ざんし、逮捕・起訴され、有罪判決を受けた大阪地検特捜部・前田恒彦検事が関わっていた。前田は、知事の事件で先のMさんを取り調べ、取り引きをもちかけ、嘘の供述をとった人物だ。Mさんは裁判で「(前田)検事との取り引きでそう証言したが、事実は違う。知事は潔白だ」と証言した。(ちなみの先週この前田の事件を暴いた『証拠改竄 特捜検事の犯罪」』(朝日新聞出版)を2日で読み終えたところだ)。 

しかし、なぜ知事が狙われたのか? 知事は在任中、東電福島第一原発、第二原発の事故やトラブル隠しや、国や電力会社のそうした体質に厳しく対峙していたという。福島県民を守るためだ。それが国や東電には気に食わなかったのだろう。実際、実弟を取り調べた検事がこう言ったそうだ。「知事はなぜ原発が嫌いなのか。知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」と。

似たような事件が過去に福井県高浜原発のある高浜町でも起こった。高浜原発では日本で初めて獰猛犬を「警備犬」として使っていた警備会社「ダイニチ」があった。関電の幹部K(本では実名が出ていたような)が ダイニチの男性2人に、高浜町の今井理一町長の喉を警備犬に噛み切らせ、殺害しろと持ちかけた。「犬に殺らせたら証拠は残らん」と。今井町長は当時高浜で進められたプルサーマル計画に反対していたからだ。計画は実際のところは頓挫した。その後、男性2人は、Kとトラブったかで怖くなり、自ら顔出し・本名で、ある週刊誌に殺害計画の全貌を告白した。それを一冊にまとめたのが、ジャーナリスト・斎藤真氏の「関西電力 反原発町長暗殺指令」だ。告白した男性2人は、その後恐喝か何かで逮捕された。どの程度か知らないが、恐喝事件は実際あったようだ。やつらは「悪事を働いたような奴の言うことを信用できるか」といつもの手を使いたいのだろうが、そういう悪事を働いたからと言って、2人の告白が虚偽だったとはいえない。

それにしても、関電、東電、政府ら原発を動かしたい連中は、人を殺害してまで、あるいは逮捕、取り調べで多くの人たちを苦しませ、自殺(未遂)に追い込ませても平気だ。「知事抹殺の真実」、私が見た最後のシーン、知事がある集会で支援者の前で、事件当時を思い出し、嗚咽がとまらないシーンだった。私も泣けた。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

『紙の爆弾』10月号に冤罪「みどり荘事件」を寄稿しました。ぜひ読んでください!

尾﨑美代子

「みどり荘事件」は、1981年大分県で起こった女子短大生強姦殺人事件です。この事件を書くにあたっては不思議ないきさつがありました。

確か25年ほどまえ、ある冤罪の専門書を読みました。日本の刑事司法の問題点がいろいろ書かれてて、ひとつに「日本は未だに自白中心主義だ」とありました。25年ほど前で「未だに」です。というか、それこそ「未だに」警察、検察は自白をとることに必死であることは、最近のプレサンス元社長冤罪事件でも明らかです(この事件も紙の爆弾に書いてます)。さらに驚いたのは、証拠の杜撰さです。つい先日も佐賀県警の科捜研の男性が長年DNA型鑑定で不正を続け(その数が130件)るという事件がありました。「問題ないね」と居直る佐賀県警、そんな訳ないだろう。

「みどり荘事件」に話を戻します。事件で犯人とされた男性の髪の毛はパンチパーマの短髪であったのに対して、「証拠」とされていたのは「ロン毛の金髪」だったというのがありました。おいおいおい、と驚く話です。それを裁判の途中でみつけた弁護団は、彼が常に短髪のパンチパーマだったことを立証するために、男性の姉、月に一度通う理髪店店員や理髪協会の関係者に証言させました。姉は事件前、父の葬儀があり、喪主である弟に理髪店に行かせたこと、理髪店店員は男性が常に数センチのパンチパーマをかけていたこと、理髪協会関係者はパンチパーマは時間の経過とともに伸びることはあってみ直毛にはならないなどと。その本では確かに「ロン毛の金髪」だったので、何の事件か調べようと、「冤罪、ロングヘアー、金髪」等で検索したこともありましたが、全くわからずに時が経ち……。 

一昨年、飯塚事件を取り上げた映画「正義の行方」を観た私は、どうしてもお話を聞きたくて、仲間と飯塚事件弁護団の徳田靖之弁護士をお呼びしました。その前に徳田弁護士がほかにどのような事件を担当したかを調べました。飯塚事件同様にすでに被告が死刑執行されたもう一つの冤罪「菊池事件」を担当しているのは知っていました。ほかを調べると、冤罪で一審で無期懲役、控訴審で無罪を勝ち取った「みどり荘事件」がありました(無罪判決を勝ち取ったのは、14年後の1995年でした。)。「どんな事件だったのだろう」と読み進めていくと、後半で、久間三千年さんの死刑執行の連絡を受け膝から崩れ落ちた岩田務弁護士が「念のため」と高裁で証拠品を確認しにいく場面がでてきます。そこで見たのは、被告の髪と全く違う髪の毛。「金髪、ロン毛」ではありませんが、被害女性か姉の毛髪のようで、栗色のセミロングでした。

裁判資料などを集め、書き進め、最後に徳田弁護士に確認して頂こうとメールを差し上げました。いつも多忙で「遅くなってすみません」と返事があるのですが、このときはすぐに返事がきました。「了承しました。その事件を取り上げて貰えるのは嬉しいです」と。記事は、徳田弁護士の大ファンの東住吉事件の青木恵子さんにも読んでもらいました。「この事件はしらなかった。徳田弁護士のように熱心に弁論してくれる弁護士ばかりだったらいいのに」などと言っておりました。その直前、青木さんが応援している被告の控訴審があり、まともな審理も行われず、あっという間に控訴棄却となってしまっていたからでしょうか。

原稿の締めをどのように書こうか、いつも悩みます。今回は、その素晴らしい最終弁論の場面を書きました。徳田弁護士の最終弁論が終了すると、傍聴者から拍手が沸き起こる。「静かにしなさい」と裁判長がたしなめます。それは法廷で良くある光景……さてその後どうなったか?ぜひ、本誌でご確認ください。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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冤罪当事者・前川彰司さんが語る「福井女子中学生殺害事件」無罪判決確定報告会

尾﨑美代子

8月9日、ピースクラブで行った「福井女子中学生殺害事件無罪判決確定報告会」には50人以上の方が参加され満席でした。参加された皆様、ありがとうございました。前川彰司さんも「大勢の人が来てくれたね」と喜んでおりました。

初めて参加される方も多く、冤罪事件への関心が少しづつ高まっている気がしました。また検察が上告断念し無罪が決まった8月1日から初めての報告会ということもあり、地元福井から朝日新聞福井支社、日刊福井の方、そして読売テレビ、共同通信の記者も取材に来られた。あと、金聖雄監督とコンビを組む池田カメラマンも。

最初に無罪判決が下された7月18日の雰囲気を皆さんと共有するため動画を見てもらい、判決日と同じ服装をしてきてもらった前川さんに登場頂いた。黄色のネクタイは青木恵子さんから、お帽子は袴田さんから頂いたものだ。前川さんのお話のあと、端将一郎弁護士がパワーポイントを使い、事件の概要と無罪判決のポイントを話してくださった。

それにしてもこの事件、以前にも書いたが、関係者の数が多いうえ、供述がころころ変わり、全体が掴みにくい。それもそのはず。関係者は皆若く、皆、脛に傷持つワルなのだ。前川さんも自戒を込めて「おれもワルかった」という。そんな中おこった中学3年女子の殺害事件、非常に残忍な殺害方法で、当初、少女の不良仲間のリンチと推測された。しかし犯人を絞りこめない。そんなとき、別件で逮捕されていた暴力団組員Aが「犯人は後輩の前川だ」と刑事にいう。しかし、その供述も二転三転。されほど残忍な殺害を犯した前川が犯人というなら、早く逮捕せねばならぬが、逮捕までに時間がかかっている。なぜか? 警察は前川さんを犯人とする「ストーリー」を描き、多くの関係者をその図にうまくはめ込むのに必死になっていたのだ。 

そもそも、前川さんはその女子中学生を知らない。しかし、「前川の黒い手帳に女の子の住所が書いてあった」などという供述もあった。すべてうそ。しかし、ストーリーになんとか信ぴょう性をもたせねばならない。そこで一役買ったのが、例の「夜のヒットスタジオ」のアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りをする場面だ。質疑応答で、これがどういう経緯ででてきたのかという質問があった。確か、私が資料を読んだとき、取り調べられた関係者の一人が、事件が起こったのが、木曜の9時ということで、たいてい夜のヒットスタジオみてるなあと思ったのか、少年の一人が「あのいやらしい踊りの日か?」と刑事に聞く場面がある。若い男の子が「いやらしい場面」と言えば、相当強く記憶に残るはずと刑事が考えたのではないか。で、「そうだ、そうだ、その日だ」などといって調子にのせて「NがCと部屋で夜のヒットスタジオを見て、ちょうどアンルイスと吉川晃司のいやらしい踊りをみたあとAから電話で呼び出された」ということにしたのでは。実はNは事件当日「ツレとうどん屋に行って男女の喧嘩をみた」とも言っていた。そっちの供述は実際にあったことだ。うどん屋で喧嘩した男女の証言もあり、その事実を警察もうどん屋に確認していた。またNはその日の深夜車で移動中検問にあい、覚せい剤を持っていたのでドキドキしたという。実際、検問があったことは証明されている。 

Nは一審で2回証言している。一回目は検察側証人として、「いやらしい踊りを見たあと、Aに呼び出され、……血のついた前川を見た」と。その後、弁護団と面談し、「うどん屋で男女の喧嘩をみた」に変えた。そして一審は前川さん無罪となった。 

検察は控訴し、控訴審でNが再度検察側証人として「血のついた前川を見た」と証言する。松山龍司刑事に嘘の証言を頼まれたからだ。自分の覚せい剤の件を見逃してもらうかわりに。嘘の証言をしたあと、松山刑事に飯や酒を奢られたNは、結婚したことを告げると、後日松山刑事から5000円の入った祝儀袋が届いた。二回目の再審で、嘘の証言をしたことを証言し、祝儀袋を証拠提出したN。そのことは知っていたが、まさかその祝儀袋があんなにきれいに保管されていたとは、驚き。

今回最大の問題は、夜のヒットスタジオでアン・ルイスと吉川晃司がいやらしい踊りを踊っていた放送日は、事件のあった日ではなく、翌週だったこと、しかも警察、検察は前川さんを逮捕・起訴したあとの補充捜査で、テレビ局に問い合わせ、その事実を知っていたのに、ずっと隠してきたこと。今回の再審で初めて出てきた287点の証拠の中に、それがあったこと。

これに関しては増田啓佑裁判長も「……裁判では事件当日に放送されたという、事実に反することを、ぬけぬけと主張し続けている。……再審でもこの点について何ら納得できる主張がなされていないことをあわせると、知らなかったと言い逃れができるような話ではない。当時の検察官の訴訟活動は公益を代表する検察官として、あるまじき、不誠実で罪深い、不正行為を言わざるを得ず、到底容認することはできない」と超厳しく批判した。顔もぷんぷんと怒っていたようだった。それにしても判決文で「ぬけぬけと」とは。

質疑応答では、「何故警察、検察は裁かれないのか?」と怒りの質問が多かった。確かにそうだ。

若い時期に殺人犯にされ、服役した前川さんは、精神的に病み、病院に入退院を繰り返した。人を信用できなくなった、しかし徐々に寛解してきたと話された。私は3年前、桜井昌司さんに紹介され、電話で話すようになった。しかし、最初は「はい、いいえ」としか言わなかった前川さんが、昨年秋に再審開始が決定して以降は、電話でも良く話し、そして笑うようになった。そうなるのに、39年かかったということ。あまりに残酷だ。

最後に冤罪犠牲者の皆さんのミニアピール。再審を闘う日野町事件の阪原浩次さん、姫路花田郵便局事件のジュリアスさんのアピールのあと、仕事で参加出来なかった和歌山カレー事件林眞須美さんの長男さんからのアピールを司会の尾崎が代読した。湖東記念病院事件の西山美香さん、そして最後にアピールした東住吉事件の青木恵子さんにより、無罪決定を祝うケーキがプレゼントされた。青木さんは、テレビで前川さんが自身の還暦の誕生日に、コンビニのケーキを食べているのを見て、気の毒になり、また自分も刑務所で寂しい誕生日をおくったことを思い出し、みんなで前川さんの還暦をお祝いしたいと用意してくれた。

「前川さん、再審無罪、お誕生日おめでとう!」

実はこの事件の記事を書き始めた当初、YouTubeでそのいやらしい踊りの場面をみることができていた。が、まもなく見れなくなった。が、昨日帰宅後に再度検索したら、ひと月前にアップしている方がいて、見ることができた。コメント欄には「前川さんからきました」とか「吉川晃司が前川さんの無実を証明した」とかある。多くの人が前川さんの無罪を知って喜び、そして冤罪の残酷さを知って欲しい。アン・ルイス・六本木心中(with吉川晃司)で検索!

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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《禁煙ファシズム》訴権の濫用を問う横浜・副流煙裁判、和解が決裂、東京高裁

黒薮哲哉

東京高裁が和解を提案していた横浜副流煙事件(控訴審)は、被控訴人(作田学医師ら4人)が、和解を拒否したために、8月20日に判決が言い渡されることになった。控訴人(藤井敦子さんら2名)は、作田氏が作成した診断書に瑕疵があったことを認める内容の和解案を提案していた。

事件の概要(PDF)

◆訴権の濫用

既報してきたようにこの裁判は、藤井さんらが、前訴の勝訴を受けて、起こした反スラップ裁判である。藤井さんの夫・将登さんが吸う煙草の副流煙で健康を害したとして、隣人家族3人が4518万円の金銭支払いを求めて起こした裁判が、訴権の濫用に該当するとして起こした訴訟である。

前訴の中で、最も大きな争点となったのは、作田医師が原告3人のために交付した診断書である。そこには「受動喫煙症」という病名が付されていたが、診断のプロセスに重大な疑惑があることが次々と判明した。

たとえば作田医師がトラブルの現場を確認することなく、患者の訴えを鵜呑みにして、一方的に将登さんを副流煙の発生源と事実摘示したことである。また、原告のひとりに約25年の喫煙歴があった事実である。さらに別の原告については、診察することなく、診断書を交付した事実である。

面識すらなかったのである。この点に関して原審は、医師法20条違反を認定した。

つまり事実的根拠に乏しい診断書を、根拠として4518万円の高額訴訟を起こしたのである。しかも、提訴した後も作田医師は、5通もの意見書を作成して将登さんを批判するなど、一貫して原告3人を支援し続けた。

作田医師が交付した診断書には前提事実に根拠が乏しく、しかも、それを自覚していた可能性が高い。作田医師が理事長を務めていた日本禁煙学会は、訴訟提起も推奨しており、藤井さんのケースは、訴権の濫用に該当する可能性がある。

8月20日に下される判決内容とはかかわりなく、不当裁判に対して「反訴」することは、スラップを防止する上で重要である。

※本稿は黒薮哲哉氏主宰のHP『メディア黒書』(2025年6月27日)掲載の同名記事を本通信用に再編集したものです。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

39年前の福井女子中学生殺害事件で前川さんに再審無罪判決! アン・ルイスと吉川晃司のいやらしい踊りのパフォーマンスはいつ放送されたのか?

尾﨑美代子

7月17日、西山美香さんの湖東記念病院事件の国賠で、大津地裁は滋賀県(滋賀県警)の捜査の違法性を認める判決を下した(ただし、国の違法性は認めなかった)。その翌日、名古屋高裁金沢支部で福井女子中学生殺害事件の犯人とされた前川障司さんに再審無罪判決が下された。39年前のこの事件、亡くなった桜井昌司さんから「前川の事件も書いてくれよ」と言われていたが、資料を読み何度も諦めていた。

事件は卒業式の日、家で1人でいた女子中学生が殺害された。非常に凄惨かつ残忍な殺害方法だったため、女子学生が関わる非行グループ内のリンチ事件と考えられた。しかし、捜査は難航。そんななか、逮捕中の暴力団組員の加藤(仮名)が「後輩の前川が犯人だ」と刑事に告げたことから、前川さんが逮捕された。前川さんはこの女子学生と面識はなかったうえ、前川さんを犯人とする証拠も一切なかった。あるのは「血がついた前川を見た」という多くの関係者の証言のみ。その関係者の数だが、AからG位まであり、中には小文字のn、大文字のNとかある。これは、例えば中野が仲野に変わるなど、加藤の証言がころころ変遷していたからだ。

しかも関係者の多くが暴力団関係者やシンナー、覚せい剤を使用していた若者たち。警察に睨まれたくないため、いわれるがままに嘘の調書をとられた。「前川の手に血がついていた」というBの証言、「前川が『あのバカ女』」などと言っていた」というDの証言などをを集めて、前川さんを犯人とした。このようないい加減な証拠しかないうえに、同じ一審で検察側証人に立った若者が、その後、弁護側証人として、前の証言をひっくりかえすなどしたため、一審は無罪だった。しかし、これを不服とした検察が控訴。控訴審では一審で証言をひっくり返した少年が再び「前川を見た」に証言を変え、二審は有罪判決、前川さんは服役してきた。

服役後の第一次再審は再審開始が決定したが、検察が控訴し訴えは棄却されていた。今回の第二次再審で、2024年10年再審開始の決定がでた。その「決定書」を読んだ私は「なんだ、これは?」と驚いた。決定書には、これまでの判決文などに出てこなかった文字が躍っている。「夜のヒットスタジオ」「アン・ルイス」「吉川晃司」。なんなんだ?

こういうことだ。当時流行った歌番組「夜のヒットスタジオ」でアン・ルイスが「六本木心中」を歌う後ろで吉川晃司が過激な踊りを披露するという場面があった。実は、私は取材を始めた頃、その場面をネットで探して見たことがある。吉川がアン・ルイスの後ろで腰を打ち受けたり、アン・ルイスがマイクを吉川の股間に押し付けるという過激な内容だった。裁判では、木曜日夜9時の同番組で、その過激な踊りが放送されたのは、事件当日だったとされた。山田(仮名)と林(仮名)という加藤の手下の若者は、山田の家でこの番組を見ており、2人で「いやらしいな」と話していたが、ちょうどそのとき、加藤から電話があり、車で迎えにいったというのだ。 当時見ていた方はご存知だろうが、夜のヒット・スタジオにはその週ヒットした歌手が出演して、生放送で歌っていた。なのでヒット曲を持ち続ける歌手は、毎週のように出演するわけだ。なので、新聞の番組欄には毎週のように2人の名前がでていたはずだ。警察は関係者にその新聞をみせ「この日で間違いないな」などと確認していたのだろう。

黃色の勝負ネクタイは、青木恵子さんからプレゼントされたもの。入廷行進で被っていたお帽子は袴田巌さんから頂いたもの

時は過ぎ、新たに弁護団に入った若手の弁護士らが、「いやらしい踊りってどんな踊りなんだろう?」と興味をもち、なんとAIに質問してみたという。すると、古舘伊知郎が語る場面がでてきたそうだ。その放送日は1985年10月2日。古舘はその日初めての司会だったので、そのいやらしい場面が「目について離れない」と語っていたという。え? 1985年?? さらに調べると、その場面は翌年1986年に再放送されていた。「ヒットパレード、この1年間の思い出に残った曲」などという特集でも組まれたのではないか?しかし、その放送日は1986年の3月26日で、事件のあった3月19日ではなかったのだ。さらに驚いたのは、再審で弁護団が開示させた新しい証拠の中の「捜査報告書」には、その事実がはっきり書かれていた。「いやらしい踊りをしている場面が放映されたのは3月26日、3月19日にはありません」と。その報告書の作成日は1989年1月28日、つまり一審が続けられていた時期だ。

おい、どういうことだ。警察、検察はいやらしい踊りの放送はその日でないことを知りつつ、裁判を続けた。何故なら、山田と林が事件当日見ていたのは、ただの夜のヒットスタジオでアン・ルイスが歌う場面ではない。吉川晃司といやらしい踊りを踊った番組だ。だから、印象に残っているのだ!事件のあった日だ。ちょうどその時、加藤の兄貴に呼びだされただと……。そうか、だから、検察は裁判で、この一番重要な証拠について、証人に聞くことはなかった。「アン・ルイスと吉川晃司はどんな踊りをしていたんですか?」とか「それを見てあなたはどう思いましたか?」などと。詳細を聞けばうそがばれる可能性があったからだ。一方、裁判官が証人にそのことを聞いた。証人は「間違いないです。その(いやらしい踊りが放送された)日です」と証言した。

結局、その証人は、再審で、証言を変えたことについて、当時自分も覚せい剤をやっていたので、それを見逃してもらうため、警察のいうがままに嘘の証言をしたと証言した。裁判で更に嘘の証言をした日は、刑事に飯を奢られ、スナックで飲まされたとも証言した。その際、結婚したことを告げた証人に、その刑事が5000円入ったお祝い金をくれたと、刑事の名前がばっちり入った祝儀袋を証拠提出した。

もちろん、それ以外でも弁護団は多くの新たな証拠を提出し、無罪を争っていた。それにしても本当に悪質だ。冤罪は証人の記憶違いや小さな間違いで作られるものではない。警察、検察が何十年も証拠を隠し続け、必死で作っているのだ。前川さんの無罪は、控訴期限の8月1日で決定する。前川さんはその後全国各地を報告会で回るようですが、まず最初に大阪に来て話したいといいますので、8月9日土曜日に大阪で報告会を行いたいと、現在弁護団と調整中です。決まりましたらお知らせします。ぜひ、多くの方々に集まって頂きたい。

◎前川障司さんをお招きしての大阪報告会開催決定!◎
8月9日(土)14時~(開場13:30)
「福井女子中学生殺害事件」報告会
報告:前川障司(冤罪犠牲者)、端将一郎(弁護士)

事件から39年で再審無罪!
開示証拠が無罪の決め手に!
判決は警察・検察を厳しく批判!

会場:社会福祉法人ピースクラブ4階
(大阪メトロ大国町駅5番出口南へ5分)
参加費:800円(資料代込み)
主催:実行委員会
問い合わせ:090-7356-1747(オザキ)
 hanamama58@gmail.com

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

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冤罪「湖東記念病院事件」滋賀県に勝訴! 国の責任を認めず!

尾﨑美代子

冤罪「湖東記念病院事件」の国賠訴訟、本日、大津地裁で判決がくだされた。傍聴券抽選のため、ロビーは希望者で溢れたが、私はどうにか傍聴券を頂いて中に入れた。

判決は、滋賀県警の捜査に対する違法について、原告の主張をほとんど認めた。とくに、警察が、捜査当初から鑑定医が「患者さんの死亡は痰詰まりの可能性がある」とした捜査報告書を検察に送致していなかったことについて、違法だと認め、この違法がなければ、美香さんは起訴すらされなかったと判断した。

私はこの国賠訴訟、第一回目を傍聴したが、その後は仕事で傍聴ができていなかった。が、裁判で証言した刑事は「報告書といってもメモ的なものもあるのですべて送致するわけではない」などと言い訳したそうだ。しかも送致しなかった報告書は「ちゃんと保管してますわ」と刑事が親指と人さし指で3~5センチほどの厚さを示したと、井戸弁護士が指で示した。つまり警察は私たちの税金で集めた証拠の多くを検察に送致していなかったということだ。

もちろんその証拠の中には、患者の死因は「痰詰まりの可能性がある」という、美香さんに無罪判断を下す証拠もあるのである。この捜査資料の不送致の違法性を厳しく断罪した判決は過去に例がないと思われるとのことだ。

一方、判決は、国(検察)については原告の違法の主張をすべて認めなかった。裁判所はとくに、早川検事が作成した調書についての不合理について全く判断しなかった。次の内容だ。美香さんは、当時勤務していた病院で呼吸器を付けて永らえていた患者さんが死亡した件で、呼吸器の管を抜いたとして殺人罪で逮捕・起訴され、有罪判決で服役した。

それまでの経緯だが、一人の看護師が「(呼吸器を抜いた際に出る)アラームが鳴っていた」と嘘を付いたことから始まり、結果、看護助手を美香さんは山本誠刑事にマインドコントロールされ、「管を抜いた」と嘘の自白を強いられた。

「管を抜く」イコール「殺す」とは考えてもいなかった美香さん。警察はその後、具体的にどのように殺害したかを供述させなくてはならない。滋賀県警と山本刑事はどうやったか? 実は、その後の捜査で実際はアラームは鳴っていなかったことが判明。では管を外したのにアラームが鳴らないようにするにはどうしたらいいか。警察は考えた。そこで警察は、呼吸器の専門家に技術的なことをレクチャーしてもらった。呼吸器には消音機能維持装置があって、管を抜いてアラームが鳴ったらそのボタンを押すと消える。それから60秒経つと再度鳴るので、その前にまた押す。それを3回、つまり3、4分管を外し、酸素を送らずにいたら、絶命するということだ。

しかし、ここで困った事態がおこる。美香さんは看護助手なので、呼吸器などの医療器具を扱う立場にない。やり方もしらない。しかもこの消音機能維持ボタンについては普通の看護師でもしらないそうだ。「何故そんな装置を知ってたか」と問われ、美香さんは当初「看護師さんがやっていたのを見て覚えた」と話していたという。しかし、同病院の看護師全員に聞いたところ、その装置の使い方を知る人はひとりもいなかった。

そこで気が付け! 早川! 看護師がだれひとり知らなかった装置を看護助手の美香さんがしっているはずないだろう? ところが、警察の作った嘘・デタラメな調書を本物のようにするために上塗りするのが検事の仕事。そこで検事として頑張った早川、患者に強い殺意を抱いて管を抜いた美香さんが、そのとき装置についたボタンを偶然押した。「あらま、アラームが止まったわ」と美香さんが思ったか思わなかったか。しかし、問題はそこからだ。美香さんは何故か胸のなかで「1、2、3……」と数えたという。いやいや、美香さん、そのやり方(アラーム音止めるボタンを押したのち、60秒したらまた鳴るという)しらないってば? と突っ込みたくなるのは私一人ではないはず。早川! そう思わないか?

なお、判決全体で井戸弁護士が強く批判したのは、弁護団と美香さんが最も強く主張した「供述弱者」についての判断が全くないことだ。滋賀県警と山本誠刑事は、美香さんが山本に恋心を抱いていることを利用して違法な取り調べを行ったことの違法については判断を避けたことだ。この点が全くネグレクトされている点について、井戸弁護士は裁判所としてはありえないと断罪した。弁護団、美香さんも国に対して控訴することを決めているが、控訴審ではこのネグレクトの違法性をとことん追求していくそうだ。

ここにきて、朝からバタバタして突然力尽きた尾崎さん。いろんな人にも会ったからね。それにしても最後の記者たちのつまらない質問。「美香さん、今日のお洋服は白ではないのですか?」みたいな。そんななか、青木恵子さんが花束を贈る時間がなくなってきた。私は亡くなった桜井昌司さんの「記事を書くなら記者席に座れ」を守り、偉そうに記者席の前から2列目に陣取っていたので、事前に司会の方に伝えておいた。が、青木さんらが明日の福井女子中学生殺人事件の判決に向けた、今日中に金沢入りということで、電車の時間が迫っていた。大勢の記者が多くの質問をするのはよいが、最後「何故、今日は白い洋服ではなかったんですか」とか要らないだろう、とイラついていたら、青木さんが「ママ(私)、時間ないわ」と言ってくるので、司会の方に伝えたら、急遽花束贈呈をいれてくれることになった。

それにしても井戸弁護士のお話のなんてわかりやすいこと、美香さんの受け答えのなんと的確でユーモアに溢れていること。詳細は判決文を読んでまたまとめよう。写真は全然撮れてなくて、入廷行動の写真は東京の部落解放同盟の安田さんから、旗出しの写真は水戸さんにお借りした。皆さま、お疲れ様でした。

◎新プロジェクトX~挑戦者たち~「無罪へ 声なき声を聞け」滋賀・看護助手 知られざる15年
 再放送予定 7月19日(土)午前0:10~~午前1:00
 https://www.nhk.jp/p/ts/P1124VMJ6R/episode/te/56K65391MP/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」にお集りを!

尾﨑美代子

7・12「鹿砦社反転攻勢の集い・関西」にお集りを! 私も発起人になっています。

私と鹿砦社の関係をお話します。鹿砦社の松岡氏は以前から知っておりましたが、2005年松岡氏が不当逮捕された時期にはほとんどつきあいはありませんでした。なので一番大変な時期に救援も支援も出来てませんでした。

ふたたび、知ることになったのは、3・11以降でしょうか。月刊『紙の爆弾』も読ませていただきました。そんなおり、鹿砦社から反原発季刊誌『NO NUKES voice』(2014年8月創刊。現在の『季節』)が発刊されました。3・11以降、釜ヶ崎の仲間と反原発、反被ばく問題に取り組んでいた私は気になって購入しました。

ところが、内容は、いわゆるミサオ・レッドウルフ氏率いる「首都圏反原発連合」(以下、反原連)関係の記事が大半でした。松岡氏は反原連に結構な額のカンパを送っていました。のちに聞いたところ、反原連に送ったカンパは、鹿砦社が信頼し、懇意にしている「たんぽぽ舎」にも流れていると勘違いしていたそうです。

記事の中でも極めつけはミサオ氏へのロングインタビュー、ロングとあるだけにかなりの紙幅でした。ミサオ氏はそこで、「被ばく」のひの字を一回も使わずに反原発を淡々と論じてました。ある意味、すごい「芸当」だと感心したものです。3・11以降は小泉純一郎だって反原発です。では、私たちはなぜ原発に反対するか? それは、被災者に住民に労働者に無用な被ばくを強い続けるからではないですか?

その後、ある事件をきっかけに反原連と鹿砦社は袂を分かつことになり、以降、鹿砦社の反原発誌は、反原発と同時に反被ばくを強く打ち出すようになりました。反原連と袂を分かつきっかけとなったのが、また衝撃的でした。その後、松岡氏、鹿砦社で、大々的に支援を始めることになった、カウンター内でのM君リンチ事件でした(筆者注・2013年東京新大久保、大阪鶴橋などで、在特会などによる、「朝鮮人殺せ」などとヘイトスピーチ[憎悪表現]を煽るデモが増えた。これに対してカウンター[対抗]行動を行う人たちがでてきた)。

じつは、偶然ですが、2013年鶴橋で行われたネトウヨらの差別的なデモ行進には、私もカウンターの一員として参加していました。M君はカウンターに最初から参加していました。私はその後、あることがきっかけで参加を止めてました。いわゆる鹿砦社のM君リンチ事件本に、私のそのいきさつを寄稿しています。関心のある方はぜひお読みください。

詳細は省きますが、その後、M君へのリンチ事件が発覚します。松岡氏らはM君への支援を始めます。その経緯もリンチ本でご確認ください。

私は特に、反差別、反権力を訴える方々が、リンチした側に付いたことに非常に驚き、M君裁判を傍聴するなどして支援してきました。

長々書きましたが、私は反原発や野宿者問題、そして冤罪事件などに関わっていますが、その中で、とりわけミサオ氏らの被ばくを矮小化、あるいは被ばくに反対する人たちを攻撃するような反原連の反原発運動に反対であることと、その反原連運動の延長線上にあるかと思いますが、次のターゲットであるカウンター行動に移ってきては、反差別、反権力を訴えながら、仲間・同志にリンチを加えた人たちを擁護することに絶対納得できず、鹿砦社に賛同してきました。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。松岡氏とは意見の違う点もあります。しかし、松岡氏と鹿砦社の「間違いがあったら、いつでも指摘してください」との対応が本当に素晴らしいと考えております。私もまた、死ぬまで間違いを指摘して欲しいと思っているからです。

今回の集いは、『紙の爆弾』20周年、『季節』10周年の記念の集いです。私は『紙の爆弾』の「日本の冤罪」シリーズに執筆させて頂いたり、『季節』は編集委員で関わらせて頂いております。この2冊は、このような時代だからこそ、絶対続けていかなくてはと考えております。

どうぞ、皆さま、お集りください。また支援をお願いいたします。

参加できる方は尾崎までご連絡ください。
宜しくお願いいたします。

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2025年6月号

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

鹿砦社創業メンバーの前田和男さんが新刊『冤罪を晴らす!』を上梓しました

鹿砦社代表 松岡利康

他社本ですが新刊のお知らせです。鹿砦社創業メンバーにして最後の生き残り=前田和男さんが新刊を出されましたのでご紹介いたします。前田さんと言えば『続 全共闘白書』で有名ですが、こういう本も出されています。当社の本と共にご購読いただければ幸いです。

平野義幸さんの冤罪事件を知ってください! 京都で開催される平野さんの絵画展を見に来てください!

尾﨑美代子

徳島刑務所で服役中の平野義幸さん(60歳)の絵画展「為心願成就之也」が5月16日から京都で開催されます。

2003年1月16日、京都市下京区の平野義幸さんの自宅で火災が発生し、交際女性のAさんが焼死しました。3ケ月後、平野さんが殺人と現住建造物等放火の罪で逮捕、平野さんは、一貫して無実を訴えましたが、2005年3月25日、京都地裁は懲役15年を言い渡し、控訴しましたが、2006年4月28日大阪高裁は審理を行わないまま、平野さんが「反省していない」などの理由で控訴を棄却、無期懲役を言い渡しました。2006年10月2日、最高裁での上告も棄却され、刑が確定。現在、徳島刑務所で服役中です。この事件について私たちは冤罪と考え、支援する会(代表・青木恵子)を作り、活動を続けています。  

平野義幸さん

◆「動機」も「証拠」もない!「恩人」を殺せる訳がない!

平野さんは、三池崇史監督の「荒ぶる魂たち」「新・仁義の墓場」などに出演する俳優でした。事件前、兄貴分だった男性俳優と親友の俳優(菅原文太さんのご長男、踏切事故で死亡)、そして妻の3人を相次いで亡くし、自暴自棄になっていました。そんな頃知り合ったAさんは、平野さんを「あなたは絶対俳優やらないとあかん」と励まし続け、平野さんも再び俳優業をやろうとしておりました。

火災があった日、平野さんは、東京で開催される深作欣二監督の告別式に出席予定で、映画関係者に自身をプロモートするための資料作りを1階で行っていました。そんなとき、前日からAさんが泊まっていた2階で火災がおきました。平野さんは必死でAさんを救出しようとし、燃え盛る家に入り火傷を負いました。近所の人たちが「このままでは義くん(平野さん)が危ない」と数人がかりで止めたことも裁判で証言されました。しかし、それらの平野さんを無罪とする証言・証拠は検察官にことごとく隠され、平野さんに有罪判決が下されました。

そもそも平野さんには多くの思い出が残った自宅を燃やしたり、新たな映画のオファーを投げうってまでAさんを殺害するような「動機」も「証拠」もありません。何よりAさんは平野さんの「恩人」です。

一方、Aさんは平野さんと交際しつつ、常日頃から「目の前から消えます」「私は死にました」「タブーを犯してしまったんです」と自殺を仄めかす言葉をノートに多数書き綴っていました。また、遺体を解剖した安原正博教授は「このような熱傷死の場合は、焼身自殺の場合を除外すると極めて少ない」と、Aさん自殺説を裏付けるような証言しています。 

火災後、平野さんも覚せい剤使用で逮捕されましたが、担当の検事は「放火で逮捕はない」と何度も断言していましたが、3ケ月後交代した検事が、いきなり平野さんを放火殺人犯に仕立てました。ほかの冤罪同様、裁判ではさまざまな証拠や証言のねつ造などが行われています。詳細は、2022年に行ったクラウドファンディングのHPでご確認ください。


平野さんは現在、徳島刑務所で服役しながら、絵を描き、支援する会の代表・青木恵子さん(東住吉冤罪事件)や私たち支援者らに送ってくれていました。今回、この絵を一堂に集め、皆さんにごらん頂きたいと考えています。お一人でも多くの皆さまに、平野さんのこと、冤罪事件のことを知って頂きたいと思います。どうぞ、よろしくお願いいたします。

◎平野義幸絵画展「為心願成就之也」
2025年5月16日(金)~18日(日)
京都府部落解放センター4階ホール(京都市営地下鉄「鞍馬口駅」徒歩5分)
平野義幸さんを支援する会(代表・青木恵子)

なお、会場ではミニトークショーが行われます。
16日は、午後6時半~30分(青木恵子)
17日は、午後2時半~30分(青木恵子)
18日は、午後2時半~(青木恵子、堀弁護士)

※毎日時間帯が違っています。チラシでご確認ください。
https://www.bll-kyoto.jp/topics/2025/3466/

尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

無実を叫ぶ被告人の声はどうして裁判官に届かないのか? 京都での冤罪講演で伝えたかったこと

尾﨑美代子

4月24日、京都府部落解放センター4階大ホールで行われた第76期京都人権文化講座「さまざまな冤罪を取材して」に来てくださった皆様、どうもありがとうございました。私の知り合い10人を含めて100人ほどの方が参加されました。とはいえ、私の知り合い以外は部落解放・人権政策確立要求京都府実行委員会に加盟する各団体・企業の皆様で、皆さま、ピシッとしたスーツ姿の方が多く、ちょっと戸惑いました。

今回レジュメ・パワーポイントを作ったり、関係書籍を再読し、改めて「冤罪」は警察、検察により必死のパッチに作られていることに確信をもちました。レジュメに書いた二つの事件より、それを証明してみます。

◆青木恵子さんの東住吉事件

ひとつは、青木恵子さんの東住吉事件。1995年7月22日、大阪市住吉区の住宅で火災が発生。家には青木さん、同居男性、そして青木さんの長女、長男の4人がいたが、風呂に入っていた青木さんの長女が亡くなった。翌日の新聞は「風呂釜の種火が漏れたガソリンに引火した可能性がある」とあったが……。9月10日、青木さんと男性が任意で警察に連行された。

青木さんは火災の原因を知らされると考えていたが、取調べ室でいきなり「お前らがやったんだろ」と刑事に怒鳴られ、あげく男性が長女に性的暴行を行っていた事実をぶつけられた。青木さんはショックと同時に娘を守ってやれなかったことを悔やみ、一刻も早く留置場に帰り、娘のもとへ行きたいと考えた。そう死にたいと。そのため、刑事に言われるがままに、嘘の「自白調書」を書いた。

一方の男性は、長女に性的暴行を行っていたことを事件にしないかわりに、長女にかけていた保険金を欲しさに青木さんと共謀し放火したとの調書を書かされた。それはポリタンクに7リットルのガソリンを移し、車庫に撒いてライターで火をつけたとの内容だった。

裁判で2人は否認に転じた。しかし、自白調書がある。私が30年ほど前に読んだ冤罪の専門書に「日本の刑事司法は未だに自白中心主義だ」と書いていた。30年前に「未だに」と批判されていたのだが、その後も警察、検察はまず自白をとることに必死になる。もちろん自白だけでは有罪にできないが、自白をとったあとは、証拠や証言を捏造、改ざんしたり、嘘の鑑定書まで作って自白を固めるのだ。青木さんの裁判もそのため、1、2審で無期懲役が下され、最高裁で確定し、2人は服役した。

その後青木さん、男性は再審を請求。弁護団、検察側双方が、燃焼実験を行ったが、どちらの実験でも男性が自白した内容とは全く違う結果がでた。自白通り、ガソリン7リットル撒きライターで火をつけたならば、男性が大やけどを負ってしまう。しかし、男性は全く火傷を負っていない。男性の自白は殴る蹴られして強要されたものだった。そして2016年8月、2人に無罪判決が言い渡された。

火災があった青木さんの家
東住吉事件で行われた燃焼実験、弁護側、検察側共に男性の「自白」とは全く違う結果となった

ここでの問題点だが、検察は起訴前に「放火ではない」ことを知っていたのに起訴したことだ。というのも警察は、起訴前に男性の自白通りの燃焼実験を行って、自白は嘘と知っていた。でも検察は2人を起訴した。起訴内容は青木さんらが計画していたマンション購入の初期費用170万円欲しさから、娘を殺して保険金を詐取しようというものだった。しかし、火災が起きたとき、まだマンションのローンの審査は通っていなかった。通ったとしても170万は親から借りられた。なのに、わずか170万円のために、実の娘を殺すだろうか?

これについて、大阪地裁は判決分で、このような「こじつけ」を行った。青木さんが未だに憤っている個所だ。わずか170万円のために、娘を殺すだろうかとの疑問に裁判所は「そのために本件犯行を企てるというのは、いかにも不自然さが否めないし、他からの借り入れ等をも考えれば経済的な逼迫度はそれほどではないともいえる」としつつも、「被告人らが当時決して余裕のある経済状態ではなかったことは確かであり(中略)より楽な暮らしがしたいために、手っ取り早く大金が手に入ることを考えるということも、あながちあり得ない話ではない」。

そう、170万円のためじゃないのよ。1500万円の保険金で楽な暮らしができる、そのために実の可愛い娘を殺せれると考えるような人たちがいるということもあながちあり得ないことでもないのよと。このこじつけを固めるために、男性に「青木さんは浪費癖がある」というような嘘の供述まで言わせている。押収した青木さんがつけていた家計簿から「そんなことはない。お金について非常に几帳面な人だ」とみぬき、無罪を主張した裁判官も一人いた。しかし、合議制のため認められなかったことが、その裁判官の退任後明らかになっている。それほど、裁判官らも自分で証拠を精査せず、検察官の言いなりであるのだ。

◆西山美香さんの湖東記念病院事件

もうひとつは、湖東記念病院事件。西山美香さんが看護助手をしていた病院で、呼吸器で生き永らえていた患者さんが死亡した。のちに自然死とわかるのだが、滋賀県警が当夜当直の西山さんと看護師を管が抜けたのに放置した業務上過失致死容疑で厳しく追及、1年後、山本誠刑事が西山さんの担当になり、怒鳴ったり、椅子を蹴ったりし、西山さんを脅した。怖くなった西山さんは「管を抜いた」と自白させられ、殺人罪で逮捕・起訴された。

ここでは大量の自白調書が作成された。というのも、最初厳しかった山本誠刑事が、西山さんが山本のいうように嘘の自白をしたら、急に優しくなったからだ。しかも成績優秀な兄にコンプレックスを持っていた西山さんに「あなたも賢いよ」とほめてくれたので、どんどん恋心を抱いていった。

西山さんも公判で否認に転じたが、やはり自白調書がものをいう。そのため、有罪判決が下され、服役する。その後、再審で西山さんにも無罪判決が下されるのだが、この事件でどうやって西山さんを犯人に仕立てることができたか? 驚く内容だ。

捜査がすすみ、患者が亡くなった当日、やはり呼吸器の管が外れると鳴る警報音(アラーム)が鳴っていなかったことがわかった。すると、警察、検察は「アラームを鳴らさずにどうやって管を外せたか。患者に酸素を送ることを止められたかと必死に考え、呼吸器の技師にレクチャーしてもらったのが、消音ボタンの存在だった。管を抜くとピッとアラームが鳴り出すが、すぐに消音ボタンを押せば、音は止まる。それから60秒(1分)経過するとまた鳴るので、再度ボタンを押す。それを3、4回続ければ(3、4分経過すれば)患者は窒息死するというものだ。そんな機能を使用する必要もないから、病院内の看護師の誰一人知っていなかった。その機能を看護助手の西山さんだけが知っていたって、どんな冗談だよと誰もが思うと思う。

しかし、裁判官らは「ほほう、そういうことなのか」と信用した。というのも、山本刑事が作文した調書のなかの患者が亡くなる際の様子「目がギョロギョロ」「口をはハグハグした」との描写があり、そこにいた西山さんにしか書けない迫真に迫るものがあるからとした。患者は本当にそうだったのか? のちに弁護団はこれはうそだと反論する。患者は既に大脳が壊死しているため「目をギョロギョロ」「口をハグハグ」することは医学的にありえないというのだ。やはりこれは山本の作文だった。

弁護団の井戸弁護士によれば、山本の調書は、このように全編劇画チックなのだという。その例としてこんな作文がある。西山さんに「患者を殺害したときどう思ったか」などと聞いたのだろう。その西山さんの答えが「壁の方には追いやった呼吸器の消音ボタン横の赤色のランプが、チカチカチカチカとせわしなく点滅しているのがわかりました。あれが患者さんの心臓の鼓動を表す最後の灯だったのかもしれません」。おい、山本! チカが4つもついてるぞ。

ドラマでもよくあるが、「すみません、私が殺しました」と言ったのち、犯人は机に伏せて泣きじゃくるのが普通じゃないか。「そうですね、ランプがチカチカチカチカ……」なんて、チカを4回も言うか? 山本の盛りすぎた調書が墓穴を掘ってしまったようだ。

◆無実を叫ぶ被告人の声はどうして裁判官に届かないのか?

それにしても、無実を叫ぶ被告人の声はどうして裁判官に届かないのか? 裁判官は、どうして検察の嘘を見抜けないのか? 検察を信用してしまうのか? それについては、レジュメの一番最後で、井戸謙一弁護士の2023年12月24日のお話を引用して説明しています。せっかくレジュメ、パワーポイントを作ったので、集い処はなでも一度お話会をやる予定。また、皆様のお近くでもお話会をやってください。よろしくお願いいたします。

開示させた日野町事件の「引き当て捜査」の写真のネガを精査すると、復路で阪原さんを後ろを向かせ自ら案内させていると偽装していた
高知白バイ事件、バスに乗っていた生徒、教諭、バスの後ろについた校長ら26名が「バスは止まっていた」と証言したが、裁判所は176メートル離れた対向車線から見た同僚警官の「バスは動いていた」を採用した

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者X(はなままさん)https://x.com/hanamama58

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/