◆「『買収』が支える安倍晋三王国・山口」(横田一)と「森喜朗の偉大なる足跡」(編集部)
 
まったくもって、異常としか言いようのない事態がスクープされた。公選法を知らないのだろうか? いや、無法地帯というべきなのであろう。安倍晋三元総理の地盤、山口県下関市で起きた「事件」である。

 

タブーなき注目記事満載!月刊『紙の爆弾』5月号

「桜を見る会」への招待、および前夜祭への費用補填で、利益供与(事前買収)あいた有権者たちを前に、安倍元総理は市長候補への「投票を依頼」したのである。

本誌グラビアでは、下関市長二期目をめざす前田晋太郎とともに、シュプレヒコールの拳をあげる安倍元総理のすがたが活写されている。記事は「『買収』が支える安倍晋三王国・山口」(横田一)である。

今回の下関市長選挙は、安倍派と対立関係にある保守の林芳正派(宏池会)が分裂を回避し、連合山口までが前田候補の応援に回った。にもかかわらず、無党派ともいえる田辺よし子候補が、2万2,774票を獲得した(前田候補は5万7,291票)。田辺氏は市議選でせいぜい2,000~3,000票の地盤であるから、今回の大健闘は、ほぼ安倍批判票だといえよう。

それにしても、下関における安倍利権の凄まじさには閉口する。ここは北朝鮮ではないのかと思うほどだ。横田一ならではの、現場直撃質問も本文を読んでほしい。すくなくとも、ひきつった安倍の表情がうかがえる。

「森喜朗の偉大なる足跡」(本誌編集部)は圧巻だ。ほとんどダメ政治家でありながら、総理の座を射止めた男の軌跡。そこには「なりたくてもなれないのが総理総裁」という格言が、逆に「正統性のなさ」ゆえに政治というものの不可思議さを、われわれに教えてくれる。サメの脳みそ、ノミの心臓、でも下半身はオットセイと揶揄されても気にしない感性のなさこそが、森を政治家たらしめた核心部なのかもしれない。

◆強力な連載陣──岡本萬尋、マッド・アマノ、西本頑司

今回は連載にも注目してみたい。「ニッポン・ノワール」を上梓したばかりの岡本萬尋の連載「ニュースノワール」は、袴田事件の帰趨を解読している。いま、再審の争点になっている味噌タンクから一年後に発見された「5点の衣類」(袴田さんとはサイズが合わないうえ、血痕の色の変化)のほか、凶器のクリ小刀など、袴田さんの無罪を立証する証拠調べにはそれほど苦労しない。にもかかわらず、東京高裁が再審決定を却下するなど、裁判所の「メンツ」へのこだわりは酷すぎる。差し戻し審の三者協議の進行が待たれる。

マッド・アマノの「世界を裏から見てみよう」は、有刺鉄線の歴史だ。戦争が政治の異なる手段をもってする延長(クラウゼビッツ)だとして、兵器は総力戦の時代において、政治をも規定するものとなった。有刺鉄線はまさに、総力戦の「時代に移行した戦術、塹壕戦の立役者であろう。炸裂弾による兵士の消耗をふせぐために、第一次大戦は700キロをこえる西部戦線に塹壕を張り巡らせ、戦車が登場するまで有刺鉄線こそが戦場の立役者だった。

そしてその歴史は、アメリカの西部開拓史抜きには語れないという。開拓者たちの有刺鉄線はカウボーイたちの自由放牧と、真っ向から対立した。さらには白人の開拓史が、6500万頭のバッファローを絶滅させた。ここでも「武器」は文明のあり方を変えてきたのだ。

「権力者たちのバトルロイヤル」(西本頑司)は、退陣するアンゲラ・メルケル独首相の偉業をたどる。そして再び到来するかもしれない「ベルリンの壁の崩壊」に言及する。その意味は、ドイツの孤立である。

◆冤罪事件から部落差別問題まで

「シリーズ 日本の冤罪」は、尾崎美代子取材による「滋賀バラバラ殺人事件」である。逮捕時68歳だった杠共芳(ゆずりはともよし)さんが、13個に切断された殺人事件で懲役25年の判決を受けたものだ。

「犯行に至った動機・経緯について不明な部分が残る」という、信じられないほど杜撰な判決である。杠さんが一貫して犯行を否認したにもかかわらず、高裁では証拠調べをすべて却下した一回廷の判決だったという。そして今年の2月に最高裁は被告の上告を棄却した。

レポートでは、杠さんがむしろ被害者を親身になって面倒を見てきた立場であり、被害者の預金(銀行融資)から約70万円を引き出した(この別件逮捕が捜査の糸口となった)のも、信用貸しで被害者に貸していたカネだったという。別件で起きたバラバラ殺人事件とともに、事件の真相を明らかにするためにも、杠さんの再審がもとめられる。

「【検証】『士農工商ルポライター稼業』は『差別を助長する』のか?」(第7回)は鹿砦社編集部による、士農工商の存否(身分制か職階か)をめぐる問題だ。

「士農工商」が江戸時代には「職階」にすぎず、明治に入ってから「身分制度」としての認識が醸成された。したがって、江戸時代には身分制度がなかった、との歴史解釈には極めて大きな違和感がある、というものだ。これには少なからぬ誤認があるので指摘しておこう。

「部落史における士農工商 そんなものは江戸時代には『なかった』」(横山茂彦 2021年3月27日)でも明らかにしたとおり、「江戸時代の文書・史料には、一般的な表記として『士農工商』はあるものの、それらはおおむね職分(職業)を巡るもので、幕府および領主の行政文書にはない。したがって、行政上の身分制度としての『士農工商』は、なかったと結論付けられる。むしろ『四民平等』という『解放令』を発した明治政府において、『士農工商』が身分制度であったかのように布告された。すなわち江戸時代の身分制が、歴史として創出されたのである。」

つまり、江戸時代の「士農工商」は行政上の身分制度ではなく「職分」(職階=職業上の資格や階級ではない)であり、北大路家康が、「『士農工商』、もう教科書にその言葉はありません」と語り、図版アニメの『士農工商』図は、士とその他に変形した。江戸時代に武士階級とその他しかなかった身分制度を表現したとおり、士分(武士)と一般民の身分差は厳然とあった。身分制度は存在したのである。

すなわち、士分と一般民、そして身分外の身分として、天皇や公家、医師、非人(穢多などをふくむ)が存在し、江戸時代はまさに身分制社会だったといえる。

中世前期の自由闊達な交通社会とは異なり、百姓の大多数が定住を強制された排外的、かつ差別的な社会だったのは、疑いのない史実である。

豊臣政権と江戸幕府が「政策的に」差別構造をつくったのだとしたら、兵農分離・検地による定住政策こそが起点といえよう。中世的な流動層が定住するには、もはや劣悪な土地と職業しか残されていなかったからだ。

にもかかわらず、それをもって政策的・行政的に「士農工商」という身分制度があったとは言えない。行政文書に「士農工商」という文言が存在しないからだ。これが史料批判を第一義に置く、文献史学の原則なのである。

そして「四民平等」の「解放令」において、部落民を「新平民」とした明治政府がさらに、天皇・皇族・華族・士族・平民・新平民という新たな身分制を再生産し、かつそれが「解放令反対一揆」にみられるように、庶民の中に根強い差別意識が存在したことを歴史が教えてくれる。

つまり江戸時代においても、穢多・非人に対する差別は、為政者においてではなく庶民のなかに旺盛だったのである。この論点こそが、こんにち「士農工商」が差別の根拠としての身分制ではなく、江戸庶民の意識の中にこそ身分差別があった。そして明治以降も、差別は支配者の政策ではなく、一般民の意識の中にある、とするものなのだ。その差別意識は、われわれの中に潜んでいる。

▼横山茂彦(よこやま・しげひこ)
編集者・著述業・歴史研究家。歴史関連の著書・共著に『合戦場の女たち』(情況新書)『軍師・官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)『闇の後醍醐銭』(叢文社)『真田丸のナゾ』(サイゾー)『日本史の新常識』(文春新書)『天皇125代全史』(スタンダーズ)『世にも奇妙な日本史』(宙出版)など。

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』5月号

3月28日、名古屋市内で「冤罪 名張毒ぶどう酒事件の全国支援集会&全国の会総会」が開催された。事件発生から60年目のこの日、午後11時から名古屋駅周辺で大規模な宣伝活動が行われ、雨の中、200人もの人たちが参加。14時から始まった支援集会&全国の会総会会場もあふれんばかりの参加者で埋め尽くされた。

3月28日、名古屋市内で行われた「名張毒ぶどう酒事件の全国支援集会&全国の会総会」

1961年3月28日、三重県名張市葛尾の公民会で開かれた村の親睦会で、ぶどう酒を飲んだ女性5名が死亡する事件が発生、奥西勝さん(当時35歳)が逮捕、起訴された。1964年12月23日津地方裁判所は、検察側の死刑求刑を退け、奥西さんに無罪判決を言い渡し、奥西さんは釈放された。一方、検察はこの判決を不服として名古屋高裁に控訴、1969年9月10日、名古屋高裁は、無罪判決を破棄し、奥西さんに逆転死刑判決を言い渡した。1972年6月15日、上告が棄却され、奥西さんの死刑が確定した。

奥西さんはその後も無実を訴え続け、再審を闘い続けてきた。2005年4月、第7次再審請求で再審開始が決定されたが、検察官の異議申し立てにより再度逆転し、翌年取り消し。2015年10月4日、無実を叫び続けた奥西さん(89歳)は、八王子医療刑務所で無念の獄死を遂げた。その後、妹の岡美代子さん(再審請求時86歳)が名古屋高裁に第10次再審を申し立てた。

会場参加を望んだが、コロナのためと支援者らに止められ、自宅からビデオメッセージを送られた岡美代子さん

集会では、岡美代子さんのビデオメッセージが紹介された。

「この60年間は家族にとって言葉につくしがたい苦しみの歳月でした。兄・勝は5年前無実を叫びながら獄死するにいたってしまいました。私はどうしても許すことができません。私は年齢ですが、最後のお願いになるかもしれません。兄・勝は絶対やっておりません。長い再審の闘いを通じて兄・勝の無実は明らかです。1審は無罪、そして再審請求でも一旦は開始決定を頂いています。無実の証拠が次々と明らかにされていましま。すべての証拠を明らかにして、まっとうな判断をして頂きたいと願っております。この目で無実の判決を見届けたいとの思いでいっぱいです。」

しかし、岡さんの申し立てから4年間、名古屋高裁は、弁護団との面会を拒否し、審理を行ってこなかった。高橋裁判長に対する弁護団の3度の忌避申立と支援者の抗議が実り、2019年12月、名古屋高裁刑事部第二部に鹿野伸二裁判長が着任し、それまで一切動かなかった裁判所が一転して動くようになった。

弁護団は裁判長と面談し、①検察官の未提出証拠につき裁判所から証拠開示するよう働きかけてもらいたいこと、②ぶどう酒瓶の封緘紙裏面についている糊の成分を特定するため、フーリエ変換赤外分光光度計による再測定を許可してほしいことなどを強く求めていた。会場で行われた市川哲宏弁護士の報告から、再審へ向けて新たな動きを見てみよう。

◆「犯人は毒物を混入したあとで、栓を閉めて封緘紙を張り直した」

農薬が混入されていたぶどう酒瓶の蓋には封緘紙(ほうかんし)がまかれていた。奥西さんの自白では「公民館の囲炉裏の間で、火箸でぶどう酒の瓶の外蓋を突きあげて開けた。外蓋が飛んでいったとき、封緘紙も切れて外れた」「農薬を入れ、栓を閉めるときは内蓋を手で閉めて栓をした。外蓋は外れたままでした」とされていた。それが事実なら、封緘紙には、ぶどう酒が製造された段階でつけられていた工業用のCMC糊が付着しているはずだ。

一方、真犯人が、封緘紙を切って外し、外蓋と内蓋を開け、農薬を入れ、内蓋と外蓋を閉めて封緘紙を張り直したと考えた場合には、封緘紙には工業用の糊に加えて、真犯人が張り直したときに使った別の(一般家庭にあるような)糊が付着しているのではないか。もし別の糊が付着していた場合、奥西さんの自白による開栓方法とは全く違ってくるうえ、真犯人が公民館以外の場所でぶどう酒に毒物を混入し蓋を閉め、封緘紙を張り直した可能性がでてくる。つまり、犯行現場は公民館の囲炉裏の間で、奥西さんにしか犯行の機会がないという裁判所の事実認定の誤りが明らかになるのだ。

弁護団は、2020年8月、裁判所にフーリエ変換赤外分光光度計を持ち込み、澤渡教授と封緘紙の裏面についていた糊の成分の再測定の実験を行った。結果、封緘紙の裏面に工業用のCMC糊に加えて、洗濯糊に利用されるPVAを成分とする糊が付着していることが判明した。10月5日、弁護団は、この再測定に基づいて作成された鑑定書を新証拠として裁判所に提出した。

◆「紙がまいてあった」との供述調書が新たに開示された

そんな中、今年に入り、未開示の供述調書9通の存在が明らかになった。検察官は、開示の必要なしとの意見だったが、裁判所が検察官に開示するよう促し、3月3日開示された。9通の供述調書は、事件当夜の親睦会に参加していた会員のもので、3月30日、31日と事件の記憶が鮮明な時期にとられたものだ。うち3通は、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶について、封緘紙がついていたかどうかを述べるものであった。警察官に「封をしている紙(封緘紙)があったかどうか?」と聞かれ、「蓋がしている処に紙がまいてあった」「王冠のふちに封した紙を巻いてありましたので」と供述している。

これらの供述は、奥西さんの自白と矛盾する事実を示すばかりでなく、先の糊問題の新証拠が示す事実と整合する極めて重要な証拠だ。

弁護団は、今回の証拠開示をきっかけに、事件の本丸ともいえる「ぶどう酒瓶到着時刻問題に関連する関係者の初期供述証拠」の開示を実現させたいと考えている。ぶどう酒瓶が会長宅へ到着したのはいつかを決着をつけるため、犯行を行える人物が本当に奥西さん以外いなかったのかを証明するために、すべての未開示の供述調書や供述に関する捜査報告書などの一切の書面が開示されなければならない。

弁護団が作成した表によると、まだ大量の証拠が検察により隠されている。2月5日、裁判所は検察官に対して、事件当日の親睦会に参加した者の供述調書およびこれらの者に関する証拠書類と、公民館に運ばれたあとのぶどう酒瓶の状況に関する捜査報告書などについて、弁護人に開示されているもの以外に存在するかどうか、存在する場合にはその証拠の標目を明らかにされたいなど2事項について求釈明を求めた。これに対して検察は、3月14日「現在弁護人に開示されているもの以外に『開示すべき証拠』は存在しない」などと、正面から答えようとしない不誠実な回答を提出してきた。

グレーの部分が開示されていない証拠

検察官は公益の代表者、証拠という公共の財産の管理者である。事件解明のためにすべての証拠を公にし、60年前のあの日、小さな村で何が起きたかを明らかにしなくてはならない。奥西さんを犯人にするために、村人の証言が、徐々に変わってきた(変えられてきた)ことで、村の人たちへも非難の目がむけられた。検察が全ての証拠を開示していたならば、事件はより早く確実に解決し、村の人たちも凄惨な事件の全貌を理解し、新たな一歩を踏み出せたはずだ。

冤罪は冤罪犠牲者やその家族だけではない、すべての事件関係者の人生を取り返しのつかないものにしてしまう。検察はすべての証拠を開示し、1日も早く奥西勝さんと岡美代子さんに無罪判決を言い渡せ!


◎[参考動画]名張毒ぶどう酒事件全国支援集会&全国の会総会(tadaaki nagao 2021年3月28日)

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

明日4月1日から、わいせつ行為によりクビになった教員の名前を簡単に調べられるようになる。文部科学省がわいせつ教員撲滅対策の一環として省令を改正したことによる。

というのも、教員は免許を失効した場合でも、3年たてば免許を再取得できる。そのため、これまではわいせつ行為でクビになった教員が過去を隠し、教員として再雇用されるケースがあった。今回の改正省令はそれを防ぐため、教員が免許を失効するなどした事由が懲戒免職もしくは解雇である場合、処分の理由を5つの類型に分けて官報に記載するように定めたのだ。

5つの類型とは、
(1)18歳未満の者や勤務校の生徒に対するわいせつ行為やセクハラ、
(2)それ以外のわいせつ行為やセクハラ、
(3)交通法規違反もしくは交通事故、
(4)教員の職務に関して行った非違、
(5)前記4点以外の理由──である。

これにより、学校側はわいせつ処分歴のある元教員をそうとは知らずに雇用することを防げるわけだ。

この改正について、世間には歓迎する声が圧倒的多数である。しかし、見過ごせない問題もある。「わいせつ教員」という濡れ衣を着せられた冤罪被害者に対する「セカンド冤罪被害」だ。

文科省の省令改正を歓迎する声が多いが……

◆当欄で紹介した「わいせつ冤罪被害者」の元教員は今……

筆者は当欄で以前、以下の2つの記事を発表した。

◎冤罪・名古屋の小学校教師「強制わいせつ」事件の裁判が年度内に決着へ(2018年2月21日)

◎名古屋の元小学校教師、喜邑拓也さん「強制わいせつ」事件で冤罪判決(2018年4月6日)

この2つの記事に出てくる喜邑拓也さんは、担任していたクラスの小1女児に対し、わいせつ行為をはたらいたとして処罰された元教員だ。裁判での検察側の主張によると、喜村さんは掃除の時間中に「被害児童」に対し、「おっぱい」と言いながら服の中に手を入れ、胸を触った──とのことだった。

しかし、この事件はあまりにも明白な冤罪だった。何しろ、「事件」があったとされる時、教室には20人程度の生徒がいながら、喜邑さんのそのような「犯行」を目撃した生徒は皆無なのだ。そもそも、それほど大勢の生徒がいる場所で、教師がそのような犯行に及ぶということ自体、現実味に欠ける話だというほかない。

実際問題、喜邑さんの犯行を裏づける唯一の直接的証拠である「被害女児」の供述は内容に大きな変遷があり、ただでさえ信頼性に疑問符がついた。心理学者によると、「確証バイアスを持った母親が女児から被害状況を聞き取る中、女児が虚偽の記憶を植え付けられた可能性がある」とのことで、心理学的にも女児は「存在しない被害」を訴えている可能性が指摘されていたわけだ。

一方、冤罪を主張する喜邑さんは裁判で「事件」の真相について、「掃除の時間に教師の事務机で漢字ノートの採点をしていたら、女児がチリトリにゴミをたくさん取って見せてきた。頭を撫でてやろうとしたら、手が女児の首からアゴのあたりに触れてしまっただけです」と主張していたが、きわめて自然な話であり、どちらの主張に信ぴょう性があるかは明らかだったが…。

名古屋地裁の裁判官は、「女児の供述内容は具体的で、実際に体験した者でしか語れない内容」(判決より)であるとして、喜邑さんに懲役2年・執行猶予3年の判決を宣告した。そして喜邑さんは控訴、上告も退けられて有罪が確定。当然、教員はできなくなり、現在は別の職業についている。喜邑さんは事件前、教育熱心な音楽の先生として生徒にも父兄にも慕われていたが、再び教師として働くのは極めて難しいだろう。

◆生徒に対する教員の「わいせつ冤罪」は無実を訴えること自体が難しい

教員が懲戒免職などになった理由を官報で検索できようになるのは、改正省令が施行される4月1日以降の処分についてだけである。それ以前にわいせつ行為で処分を受けた教員に遡って適用されるわけではない。そのため、喜村さんは今回の省令改正により不利益を受けるわけではない。

しかし、筆者のこれまでの取材経験上、同様の冤罪被害に遭っている教員は決して少なくない。しかも、この類型の冤罪は、冤罪被害者が公の場で無実を訴えること自体が極めて難しい。無実を訴えるためには、教え子である未成年の女性の主張が間違っていることを伝えないといけないためである。

今回の省令改正は、わいせつ教師の撲滅のために有効なのは確かだろう。だが一方で、喜邑さんのような冤罪被害に遭った教員が「わいせつ教師」のレッテルを貼られ、今まで以上に長く苦しまないといけなくなるわけで、「セカンド冤罪被害」が深刻化することも確実だ。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆覚せい剤を入れたお茶を飲ませた警察官

3月19日、名古屋地裁(板津正道裁判長)は、「覚醒剤取締法違反(使用)」の罪に問われていた男性に無罪判決(求刑懲役3年6ケ月)を言い渡した。男性は2019年12月5日覚醒剤使用で逮捕、起訴されたが、当初から本人は使用を否定していた。男性は、逮捕後の取り調べ中、警察官に紙コップのお茶や水を20~30杯出され飲み、翌日の尿検査(強制採尿)で尿から覚醒剤成分が検出され逮捕されていた。

愛知県警の内部規定には、未開封の飲料を渡し、本人が開封すると規定されていたが、警察官は、男性が見ていない状況で飲み物を準備していた。また男性が「お茶がすごく苦いことがあった」と供述していたことなどから、判決は「異物が混入されなかったことを裏付ける積極的な証拠は見当たらない」と指摘、「自己の意思で覚醒剤を摂取したと認めるには合理的な疑いが残る」として無罪を言い渡した。

さらに起訴後に警官が男性に、被告の兄の名前で2万円を送ったことや、取り調べ中、男性に携帯電話を使わせたことなどについて、不当な便宜供与をしたと認定、「捜査が適正に行われたことを疑わせる事情が複数存在する。警察官が被告に提供した飲料に覚醒剤が混入されていた可能性は相当な確からしさを持っている」と述べた。

求刑が3年6ケ月出されていることから、男性には同罪の前科があると考えられる。しかし、だからといって、今回もやっているはずと決めつけ捜査をすることは、判断を誤らせ冤罪を作ることにもなりかねず、絶対に許されない。
 
◆ゴミ置き場から拾った注射器を証拠に置くマトリ

違法な捜査で証拠を捏造するなどし、覚醒剤事件をでっち上げるのは、警察官だけではない。2019年9月25日、大阪地裁(渡部市郎裁判長)は、覚醒剤取締法違反で起訴されていた男性被告(57)に無罪判決が言い渡したが、男性をでっち上げたのは、警察ではなく、近畿厚生局麻薬取締部(マトリ)たった。

男性は、2017年マトリに自宅マンションの捜査を受けた際、洗面台の上に置かれていたポリ袋から覚醒剤が検出されたとして、覚醒剤所持容疑で逮捕された。段ボール箱からは注射器も発見されていた。その後の尿検査で覚醒剤反応があり使用でも逮捕された。使用は男性自身も認めていた。

しかし、男性は、覚醒剤を使用したあと、覚醒剤が入っていたポリ袋や注射器などをマンション外のゴミ置き場に捨てていたため、部屋に残っているはずはないと主張。男性は、自身の携帯電話の行動履歴アプリを弁護人に確認してもらったところ、確かにその日男性はマンション外のゴミ置き場にゴミ出しに行っていた。弁護人が検察に、押収した男性のマンション入口の防犯カメラの開示を求めたところ、その前後の日にちの映像はあるものの、男性が捨てたと主張する日の映像だけは存在しなかった。弁護人がその理由を尋ねると検察は「言えない」と答えたのである。当日は筆者も公判を傍聴していたが、傍聴席からは思わず失笑が漏れた。

マトリは、男性が捨てたごみから、覚せい剤の入っていたポリ袋や注射器を盗み、捜索現場に持ち込み、洗面台などに置いたのである。マトリが捜索開始すぐに撮影した洗面台の写真にはポリ袋は写っておらず、1時間半後の写真には写っている。9人もの捜査員で探したがブツが見つからなかったため、拾っておいた「証拠品」を置き、発見してみせたのだ。段ボールに入れられた注射器は、隠すことなく一番上に無造作に置かれていたという。

大阪地裁は、これらのポリ袋、注射器などを証拠から排除し、男性に無罪判決を言い渡したのである。

男性が使用を認めているのに、無罪はおかしいと考える読者も多いだろう。しかし、憲法や刑事訴訟法などでは、自白の偏重を防止するため、自白が被告人に不利益な唯一の証拠である場合、自白以外の他の証拠を必要とするとしている。その証拠が捏造されていたのだから、自白だけでは有罪にできず、無罪となるのだ。
 
◆尿をすり替えた科捜研の女

覚せい剤を飲み物にこっそり混入させて飲ませたり、ごみ置き場から拾ってきた注射器を捜索時に持ち込み、証拠を捏造するのは警察官やマトリだけではない。覚せい剤使用で逮捕した男性から採尿した尿をすり替えた科学捜査研究所の研究員もいる。この事件を徹底して追っていたジャーナリストの寺澤有さんが「黒い科捜研の女」と呼ぶ高木雅子研究員だ。2016年3月16日、東京地裁立川支部(深野英一裁判官)は、覚醒剤使用で逮捕、起訴された男性に対して、「警察内部で尿がすり替えられた疑いがある」として無罪判決を言い渡した。

寺澤氏の報告によれば、この事件では「被告人の強制採尿に立ち会っていない警察官が、あたかも自分が立ち会っていたかのような調書を作成し、検察が公判へ証拠提出しましたが、警察官の証人尋問で虚偽公文書作成が発覚しています」(2016年3月16日寺澤氏のTwitterから)など、警察が組織ぐるみで失態を隠蔽しようとしたことは明らかだ。寺澤氏はこの件で、2016年4月5日に行われた国家公安委員長記者会見で、当時の国家公安委員長・河野太郎氏に質問を行った動画をぜひ視聴していただきたい。


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年3月18日)


◎[参考動画]河野太郎国家公安委員長記者会見(寺澤有 2016年4月5日)

この中で、寺澤氏は、無罪が確定した男性は、3月に採尿されたが、逮捕は2ケ月後の5月。採尿後すくに科捜研に送られ陰性か陽性か確認するはずだが、2ケ月遅れたのは何故か? 元被告人が逮捕された昨年5月は、警視庁の覚醒剤取り締まりの強化月間で、現場の捜査員にノルマをかけていた月であったと知っているかと尋ねている。河野氏は、「聞いてない」と答えているが、さらに寺澤氏は、やはりノルマに追われた警察官3人が、ホームレスのカバンに覚醒剤を入れたり、市民の車の中に覚醒剤をおいて覚醒剤事件をでっち上げた警視庁城東署事件(1997年)を例にあげ、「何故20年間も進歩がないのか」と尋ねている。

元北海道警察警視長で警察ジャーナリストの原田宏二氏は「警視庁はじめ多くの都道府県警では地域警察官に対して、努力目標として、年(月)間の職質による検挙件数のノルマを課しているようだ。ノルマの達成度合いは年間の勤務評定にも影響し、それは昇任試験の成績にも加味されることになる」と述べている。出世するためには、事件をでっち上げてでも「犯人」を逮捕したい。これではいつまでたっても冤罪事件はなくならないだろう。

▼尾崎美代子(おざき みよこ)

新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

1995年3月、警察庁の国松孝次長官が自宅マンション前で狙撃された事件が30日で発生から26年を迎える。この歴史的未解決事件には、自分こそが真犯人だと訴え続けている有名な男がいる。中村泰(ひろし)、90歳。岐阜刑務所で服役している無期懲役囚である。

中村は2002年11月、名古屋市で銀行の現金輸送車を銃撃し、検挙されたのをきっかけに長官狙撃事件の捜査線上に浮上した。当時すでに72歳だったが、警備員2人の足元にほぼ狙い通りに銃弾を発しており、高度の射撃能力が認められた。さらに関係先の捜索では、長官狙撃事件に関する新聞・雑誌の記事の膨大なコピーが見つかったうえ、中村が借りていた新宿区の貸金庫に10丁の拳銃や千発を超す銃弾が保管されていたことも判明した。

中村本人も警視庁刑事部の取り調べに対し、犯行を詳細に自白。さらに獄中にいながらメディアの取材を次々に受け、長官を撃ったのは自分だと訴えた。そんなこんなで、中村こそが長官狙撃事件の犯人だという説が広まったのだ。

事件は結局、捜査を主導した警視庁公安部がオウム犯人説に固執し、2010年に迷宮入りしたが、今も中村こそが犯人だとみている取材関係者は少なくない。かくいう私もその一人だ。これまで8年余り中村を取材し、各種資料や現場の状況を検証した結果も踏まえ、中村のことを警察庁長官狙撃事件の犯人だと確信している。

◆4月で91歳、病気で手紙を書くのも難しい状態

さて、今回なぜ改めてこのような話をするかというと、実は中村の人生の残り時間がいよいよ少なくなってきた兆候が見受けられるからだ。

というのも、中村は2015年に直腸がんの手術をうけ、2017年にはパーキンソン病を患い、手紙のやりとりをするのも難しい状態となっていた。最近はいよいよ手紙を書く気力もないらしく、たまに獄中で読み終わった本を送ってくるだけになっていたのだ。

私は中村が本をたまに送ってくることについて、「手紙は書けないが、無事に生きている」と知らせるための行為だと解釈しているのだが、中村が本を送ってきたのも昨年12月が最後だ。その後は私から手紙を出しても、中村から返信はない。ただでさえ病身のうえ、4月には91歳になるので、生きているだけでも大変なのではないかと思われる。

昨年2月に中村が送っていた本

◆中村が真犯人だと認められたい理由

中村によると、長官狙撃事件の犯行を決意したきっかけは10日前に起きた地下鉄サリン事件だったという。

「地下鉄サリン事件はオウム真理教の犯行であるのは明らかなのに、オウムに対する警察の捜査は腰が引けていました。そこで、警察をオウム制圧に突き動かすため、オウム信者を装って警察庁長官を撃ったのです」(中村の主張の要旨)

実際、長官狙撃事件をオウムによる犯行だと疑った警察は、地下鉄サリン事件でオウムに対する捜査を本格化させ、教祖・麻原彰晃の検挙にまで至った。東大の学生時代に武力革命を志し、テロ活動を繰り広げてきた中村としては、それが自分たちの手柄だと誇示したい思いがあったという。いずれ警察が長官狙撃事件について、オウム犯行説に疑いを抱いた時には、事件の状況を詳細に記述した弾劾状を報道機関に送ることも計画していたそうだ。

しかし結局、警視庁公安部がオウム犯行説に固執したため、中村は自分たちの手柄を誇示する機会を失った。そのためメディアに対し、自分こそが長官を撃った犯人だと訴え続けてきたわけだ。

人は何か思い残すことがあると、死んでも死に切れず、結果的に寿命が延びることがある。重篤な病気を患いながら、90歳になっても生き永らえている中村もそれに該当するように私は思う。中村としては、自分こそが長官狙撃事件の犯人だと社会にもっと広く認められないことには、死んでも死に切れないのだろう。

私は取材者として、この老受刑者の特異な人生を最後まで見届けたいと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『七つの大罪』などのヒット作を手がけた講談社の元編集次長・朴鐘顕(パク・チョンヒョン)氏(45)が妻・佳菜子さん(事件当時38)を殺害した容疑で検挙された事件について、私は4年前(2017年1月13日)、当欄で次のような記事を配信した。

◎妻殺害容疑で逮捕された講談社編集者に「冤罪」の疑いはないか?
 
記事のタイトルからわかる通り、私は朴氏が逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、そのことを指摘したのである。

その後は正直、この事件の動向を熱心にフォローしていなかった。しかし先日、無実を訴える朴氏が裁判で懲役11年を宣告された一審に続き、二審でも有罪にされたというネットメディアの記事を一読し、心にひっかかるものがあった。そこで、公立図書館の判例データベースで一審判決を入手し、目を通してみたのだが――。

結論から言おう。本件はやはり、冤罪を疑わざるをえない事案である。それをここでお伝えしたい。

◆創作できるレベルを超えていた被告人の公判供述

一審判決によると、朴氏は2016年8月9日午前1時過ぎ、東京都文京区の自宅において、殺意をもって妻・佳菜子さんの首を圧迫し、窒息死させたとされる。朴氏は佳菜子さんが亡くなった原因について、「妻は自殺した」と主張したのだが、一、二審共に退けられたのだ。

だが一方で判決によると、佳菜子さんが生前、朴氏にあてていたメールの内容などに照らすと、佳菜子さんは育児などに追われて相当のストレスを抱え込んでいたことが認められるという。さらに事件の際、佳菜子さんは包丁を持ち出したうえで朴氏に対し、「お前が死ぬか、私が死ぬか選んで」と迫るなど尋常ではない状態にあったことが否定できないという。

このような事実関係からすると、「妻は自殺した」という朴氏の主張は特段おかしくない。

さらに上記のような「尋常ではない状態」にあった佳菜子さんが亡くなった原因などに関し、朴氏は公判で以下のようにずいぶん詳細な説明をしていたようである。

「妻の手には包丁が握られていたため、私は2階の子供部屋に避難して妻が入ってこないようにドアを背中で押さえていたのです。すると、数回『ドドドドドン』という音が聞こえた後、静かになったため、子供部屋から出て階段の下を見ると、妻が階段の下から2番目の手すりの留め具にくくりつけた私のジャケットに首を通して自殺していたのです。上から見ると、妻が階段上にうつ伏せで寝そべっているか座っているかのように見えました」(一審判決にまとめられた朴氏の公判供述の要旨を読みやすくなるように再構成)

この供述は全般的にリアリティがあるが、とくに(1)佳菜子さんが首を吊って自殺するのに使った道具が「私のジャケット」だったという部分や、(2)亡くなっていた佳菜子さんについて「階段上にうつ伏せで寝そべっているか座っているかのように見えました」と説明している部分については、創作できるレベルを超えている。

これはつまり、朴氏が本当に自分の経験したことを供述していると考えるのが妥当だということだ。

◆被害者遺族が「加害者」の無罪主張に沿う言動をとる理由とは?

私が今回、心に引っかかるものがあったというネットメディアの記事についても言及しておきたい。それは、以下の記事だ。

◎「講談社元編集次長・妻殺害事件」 “無罪”を信じて帰りを待つ「会社」の異例の対応(デイリー新潮)
 
この記事が私の心に引っかかったのは、佳菜子さんの妹が朴氏のことを擁護していたり、佳菜子さんの父が「佳菜子は病気で亡くなったと思っている」と言っていたりするように書かれていたからだ。

被害者遺族が「加害者」の無罪主張に沿う言動をとること自体が珍しいが、そんな事態になったのは、佳菜子さんが事件前、遺族に「自殺してもおかしくない」と思われるような言動をとっていた可能性があるからに他ならない。

ところが、一審判決を見る限り、佳菜子さんが亡くなった経緯に関する事実関係は、もっぱら佳菜子さんの遺体や、現場の痕跡(血痕や尿班など)に基づいて争われており、佳菜子さんの生前の言動に関する遺族の証言が審理の俎上に載せられた形跡が見受けられない…。

これはつまり、無罪を主張する朴にとって有利な証拠が見過ごされた可能性があるということだ。

朴氏にとって、裁判での無罪主張のチャンスは最高裁の上告審を残すのみとなったが、果たしてどうなるか。この事件については、改めて事実関係を調べてみたいと思うので、何か有意な情報が得られたらまた報告したい。

無実を訴え続ける朴氏は最高裁に上告中

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

『NO NUKES voice』Vol.27 《総力特集》〈3・11〉から10年 震災列島から原発をなくす道

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読売新聞が3月7日、ホームページで次のような記事を配信していた。

【独自】米大統領選のデマ発信サイトに大手企業の広告…銀行や車など10社

記事によると、昨年のアメリカ大統領選で「不正があった」というデマが日本のSNS上で拡散したが、多くのデマの発信源となった「まとめサイト」に少なくとも10社の大手企業の広告が表示されていたという。記事では、各企業の反省のコメントも紹介されており、要するに同紙は「大手企業がデマを発信するサイトに広告を表示させるべきではない」と訴えたいようだ。

これは壮大なブーメランではないだろうか。筆者は率直にそう思う。これまで様々な冤罪事件を取材してきた中、読売新聞を含むマスコミ各社の酷いデマ報道を数え切れないほど見てきたからだ。

デマ発信サイトを叩く読売新聞の記事(2021年3月7日付)

◆冤罪の西山美香さんを「殺人犯」と決めつけていた読売新聞

たとえば、滋賀県の元看護助手・西山美香さん(41)が昨年、再審で無罪判決を勝ち取った湖東記念病院事件に関する読売新聞の報道もそうだった。

西山さんは2004年7月、男性患者の人工呼吸器のチューブを外して殺害した容疑で逮捕され、裁判で懲役12年の刑を受けて服役。再審請求後、弁護側の調査により男性が本当は「病死」だったと証明され、逮捕から実に16年で雪冤を果たした。

同紙は2004年、この西山さんが逮捕された際にこう報じている。

滋賀の病院で呼吸器外し患者殺害 容疑の元看護助手を逮捕 待遇に不満
(大阪本社版2004年7月7日朝刊1面 ※「ヨミダス歴史館」より)

実際には、患者の死因は「病死」だったのに、「殺害」と決めつけている。しかも、西山さんが動機について「病院の待遇に不満があった」と虚偽の自白をしていたことについて、「待遇に不満」と地の文章で書いている。これでは、西山さんが本当にそういう動機で患者を殺害したかのようだ。

さらに同紙は翌日に出した続報で、次のように報じている。

患者殺害の西山容疑者「看護師に見下され…」先月、出頭し自供
(東京本社版2004年7月8日朝刊35面 ※「ヨミダス歴史館」より)

「患者殺害の西山容疑者」は、西山さんのことを完全に殺人犯と決めつけた表現だ。この記事を目にした世間の人たちは西山さんがクロだと思い込んだことだろう。

読売新聞が「デマを発信したメディアに、大手企業の広告が表記されるのは問題だ」と考えているのなら、まずはこのような記事を出した自社の紙面を見直し、広告を出している企業にコメントを求めるべきだ。

◆新聞社はネットメディアの不正確さを叩くことが多いが…

おそらく筆者がここで指摘したことは、筆者以外にも気づいた人が多かっただろう。新聞社は重大な冤罪が明るみに出るたび、冤罪を生んだ捜査や裁判を批判するが、実際には新聞社自身、冤罪被害者が逮捕された際に犯人と決めつけた報道をしていることは一般常識だからだ。

新聞社は自分たちの権威を保つため、ネットメディアの不正確さを叩くことが多いが、そんなことをしても権威など保てないからやめたほうがいい。それよりも、重大な冤罪が明るみに出た時などには、捜査や裁判の問題より自社の報道の問題を検証したほうが、よっぽど社会の多くの人から信頼を得られそうだし、長い目で見れば得なのでないだろうか。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など

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「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1999年10月、埼玉県上尾市の女子大生・猪野詩織さん(事件当時21)がJR桶川駅前で風俗店店長の男に刺殺された桶川ストーカー殺人事件。大変有名な事件であるにもかかわらず、意外と知られていないことがある。

それは、事件の「首謀者」とされる元消防士の無期懲役囚・小松武史(同33、現在は千葉刑務所で服役中)が一貫して冤罪を訴え、さいたま地裁に再審請求していることだ。

筆者はこれまで、この小松の冤罪主張には信ぴょう性があることを当欄で繰り返しお伝えしてきた。

まず何より、猪野さんに対し、ストーカー化していた風俗店経営者の小松和人(同27、指名手配中に北海道で自死)ならともかく、その兄である武史には、猪野さんを殺害する動機が見当たらない。加えて、捜査段階に「武史に被害者殺害を依頼された」と供述し、武史を有罪に追い込んだ実行犯の風俗店店長・久保田祥史(同34)も実は裁判で「本当は武史から被害者殺害の依頼はなかった」と“告白”しているのだ。

懲役18年の判決を受けた久保田が宮城刑務所に服役中、筆者が久保田と文通し、事実関係を確認したところ、久保田は“事件の真相”について、次のように説明した。

「あの事件は、和人の無念を晴らすため、自分が一人で暴走してやったことです。取り調べに対し、武史から被害者の殺害を依頼されたと供述したのは、犯行後、和人と一緒に風俗店を経営していた武史にトカゲのしっぽ切りのような扱いをうけ、復讐しようと思ったからです」(要旨)

このような事実経過からすると、武史について冤罪を疑う声が聞かれないのはむしろ不思議なくらいだと言っていい。

武史から先日、私のもとに届いた手紙には、捜査と裁判の“内実”が改めて生々しく綴られていた。ここで紹介させて頂きたい。

◆警察の調べは、「オラー、てめー、このヤロー」の連続

武史は警察で受けた取り調べについて、今回の手紙にこう書いている(以下、〈〉内は引用。明らかな誤字、明らかに事実と異なる部分は修正した。また、句読点は読みやすいように改めた)。

〈警察の調べは、デタラメどころでなく、せまい2畳の調べ室に、6人の刑事が来てたり、暴言どころでなく、ずっと「久保田がこう言ってる、てめえが殺しを指示した」や「本当は、弟でなく、てめぇーが女と付き合ってたんだろう~が」や「てめぇは、飯食えてい~よな、死んだ女は、飯も食えねえんだョー」。私が39℃の熱があろうが、抜く歯の痛みがあろうが、30kgやせようが、久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せないの一点張り、、、弟の北海道の逃げてる話や、自殺してしまうとうったえても、ゲラゲラ笑って「今更、てめえの弟が出てきても、面倒なだけだろーが」や「誰も、弟の事など、話してねえよ、テメェーの女だったんだろーが、そんでなきゃ殺す訳ねぇーだろうが」の一点張りでした。調書など、毎日、刑事が作って来てた作文に、印を押せの、デタラメな調べでした。「オラー、てめー、このヤロー」の連続〉

ここで注目して頂きたいのは、武史が刑事から〈久保田のタクシー内の嘘の供述を認めないと、病院にも医者にも見せない〉と言われたという部分だ。武史がこのようなことを書いているのは、久保田が当初、「武史から被害者の殺害を依頼されたのは、タクシーに乗っていた時だった」と供述していたためだと思われる。

そもそも、武史が久保田に殺害を依頼するなら、運転手のいるタクシーの車内ですること自体が不自然だ。これも筆者が武史の冤罪主張に信ぴょう性を感じている理由の1つだ。

続いて、武史は検事の取り調べについて、こう綴っている。

〈私が、上尾警察署員は弟の店の会員ばかりで、私に話して来てた署員(「弟さんの店、残念でしたね、良い店で我々の内でも、有名だったので、かわりに、どこか他の店を紹介して下さい」)の話を検事にすると、初めは、そんな訳ないと言ってたのが、2日後の護送から、メンバーが全員変わるほどだったのと、検事の調書は一枚も出来あがらず、検事は怒ってたのと、デタラメ調べでした〉

猪野さんが事件前、家族と共に埼玉県警上尾署に対し、和人らからのストーカー被害を訴えていたにもかかわらず、まともに取り合ってもらえなかったことは有名だ。上尾署の動きが鈍かったのは、署員が和人の営む風俗店とズブズブの関係にあったからだという説はかねてより「噂話」レベルで存在していた。

武史がここで書いていることは、必ずしも趣旨が明確ではないが、この「噂話」を裏づけている内容と言える。武史の言うことを鵜呑みにするわけにもいかないが、見過ごしがたい話ではある。

武史から届いた手紙

◆判決を早く出したかった裁判長が「まともな判事」をコウタイした

武史は裁判についても当然不満を抱いており、こんなことを書いてきた。

〈裁判長の川上は、私の裁判が終ると、早稲田大学の法学学術院(母校)の学長に付くのが決まっていたそうで、弁護士の刑事事件専門の荻原先生に言わすと、何十年と見て来た、川上裁判長らしくないと言ってました。判決を早く出したいのと、検事の言う事しか聞かないと言ってたのと、右のバイセキの下山判事だけ、久保田や伊藤の言う事があまりに矛盾してたので、しょっちゅう「信じられないから、伊藤さんに訊きますが、殺人の謀議を、何一ツ覚えてない人が、検事のケイタイ一覧を見せられ、なぜ?一ツ、一ツの会話を覚えているのか?(通常会話を?)信じられない」と言ってた、まともな下山判事を、川上裁判長は、コウタイしてました。判事も、何が何でも、検事と久保田の証言で、有罪にしたいのが見え見えでした〉

ここに出てくる川上(拓一)裁判長は、たしかに武史らの裁判を担当したのち、早稲田大学の法学学術院で教授職に就いている。「学長」を務めていた事実は確認できなかったが、「裁判長は次の仕事が決まっていたから、判決を早く出したがっていた」「そのために、まともな判事をコウタイさせた」という武史の推測は、まったく根拠がないわけでもない。

一方、ここで出てきた伊藤とは、久保田が猪野さんを刺殺した際、現場に同行した共犯者の伊藤嘉孝(同32)のことだ。伊藤も和人の営む風俗店で働いていた男だが、逮捕されると、「被害者への嫌がらせはすべて武史の指示によるものだったので、久保田から被害者を殺害すると聞いた時、今回も当然、武史から久保田に指示があったと分かった」と供述し、「武史=首謀者」だとする久保田の供述を裏づけていた。久保田が裁判で当初の供述を覆したにもかかわらず、武史が有罪とされたのは、伊藤が裁判でもこの供述を維持したことが大きな要因だ。

武史がここで書いていることの趣旨はわかりにくいが、裁判での伊藤の証言内容におかしいところがあったと訴えたいのだろう。無罪への執念は確かに伝わってくる文章だ。

なお、伊藤は懲役15年の判決を受けて服役し、出所後に病死している。

千葉刑務所。武史は現在もここで服役中

◆再審がダメなら、病気になって早く死にたい

さて、ここまで読んでおわかりの通り、武史の書く文章には、趣旨のわかりにくいところが散見される。獄中生活も20年を越し、心身共に疲弊しているためだと思われる。再審にかける思いは強いが、弱気になることもあるようで、現在の思いをこのように綴ってきた。

〈日本の再審は厳しいのは知ってますので、私はダメなら、病気になって早く死にたいです、、、この世に未練は何もないです。早くリセットしたい思いです〉

筆者は今後も武史の再審請求の動向は追い続けるので、何か事態に動きがあれば、適時お伝えしたい。

なお、武史はさいたま地裁への再審請求に際し、久保田が事件の「真相」を綴った手記を電子書籍化した拙編著「桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白 Kindle版」を新規・明白な無罪証拠であるとして提出している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

タブーなき月刊『紙の爆弾』2021年4月号

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

「東京五輪が終わるまでは無いだろう」と言われてきた死刑執行。それは裏返せば、東京五輪が終わるか、正式に中止が決まれば、死刑執行が再び行われる公算が大きいということだ。昨年秋に発足した菅内閣で、16人の死刑を執行した実績を持つ上川陽子氏が法務大臣に再任されていることもその見方を裏づけている。

そんな中、ある死刑囚が人生の集大成のつもりで書いたように思える計6枚の手記が筆者のもとに届いた。今回ここで特別に紹介したい。

◆手記の執筆者は「愛犬の仇討ち」で世間を驚かせた小泉毅死刑囚

手記を綴ったのは、東京拘置所に収容中の小泉毅死刑囚(58)。2008年11月、埼玉と東京で元厚生事務次官の男性宅を相次いで襲撃し、2人を殺害、1人に重傷を負わせ、裁判では2014年に死刑が確定した。警察に自首した際、「子供の頃、保健所で殺処分にされた愛犬の仇討ちをした」と特異な犯行動機を語り、世間を驚かせたことをご記憶の方も多いだろう。

そんな小泉死刑囚が裁判中、筆者は面会や手紙のやりとりを重ねていたのだが、小泉死刑囚は特異な犯行動機と裏腹に国立の佐賀大学理工学部に現役合格した秀才で、獄中では「超ひも理論」など物理学の難しそうな勉強に勤しんでいた。このほど紹介する手記も物理学に関するもので、タイトルは『〈絶対性理論〉完成形はミンコフスキー時空ではない!(絶対性理論が完成するまでの話)』という。

実を言うと、小泉死刑囚は裁判中から「アインシュタインの相対性理論に修正すべき点を見つけた」と語り、その考えをまとめた論文の執筆に没頭していた。筆者は何本か論文を見せてもらったが、なかなか本格的な内容に思え、感心させられたものだった。

裁判が終わり、死刑が確定して以降は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりができなくなっていたのだが、小泉死刑囚は獄中で研究を続けていたらしい。そしてこのほど「絶対性理論」という独自の理論を完成させ、そこに至るまでの過程を手記にまとめたのだ。

小泉死刑囚が綴った手記(P1-P2)

小泉死刑囚が綴った手記(P3-P4)

小泉死刑囚が綴った手記(P5-P6)

◆メディアで「頭がおかしい」ように書かれた小泉死刑囚の知られざる一面

この手記が筆者のもとに届いたのは、小泉死刑囚の死刑が確定して以降も東京拘置所から特別に面会や手紙のやりとりを許可されていた人が転送してくれたからだ。その人によると、小泉死刑囚から届いた手紙にこの手記が同封されており、小泉死刑囚が「何らかの形で世の中の人に見てもらいたい」という希望を有していることを察し、筆者に届けてくれたとのことだ。

小泉死刑囚は、冤罪の疑いはまったく無く、事件のことを何ら反省していない人物だから、「上川法務大臣による次の死刑執行」の対象に選ばれても何の不思議もない。そんな状況を踏まえると、メディアで頭がおかしい殺人犯のように書き立てられた小泉死刑囚にこういう一面があったことを伝えることに意義があるように思えたので、この手記をここで紹介させてもらった次第だ。

なお、筆者は小泉死刑囚と面会や手紙のやりとりをした結果について、拙著『平成監獄面会記』(笠倉出版社)で報告している。関心のある方はご参照頂きたい。

▼片岡 健(かたおか けん)
ノンフィクションライター。拙著『平成監獄面会記』がコミカライズされた『マンガ「獄中面会物語」』(画・塚原洋一、笠倉出版社)がネット書店で配信中。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

1999年10月に起きた桶川ストーカー殺人事件で、被害者の女子大生・猪野詩織さん(当時21)に対してストーカー化していた男・小松和人(当時27)が逃亡先の北海道・屈斜路湖で自死したのが見つかって明後日27日で21年になる。

私は2012年頃からこの事件の犯人たちに取材を重ね、和人の兄で「事件の首謀者」とされる無期懲役囚の小松武史(54)が冤罪であることを確信するに至った。そうなった原因の1つが、弟・和人に対する武史の思いを知ったことだった。

武史から私に届いた膨大な手紙のうち、核心的なことを綴ったものを紹介したうえで説明したい。

小松武史から筆者に届いた手紙の一部

◆実行犯が裁判で証言していた「首謀者の冤罪」

小松兄弟は事件当時、東京・池袋などで複数の風俗店を営んでいた。店では、和人がマネージャー、武史がオーナーと呼ばれていたという。事件前、詩織さん宅周辺などにワイセツなビラを大量にばらまくなどした嫌がらせは、兄弟が営む風俗店の従業員たちが行なったものであり、詩織さん刺殺の実行犯・久保田祥史(55)も兄弟が営む風俗店の店長だった。

そして裁判では、武史が事件の首謀者と認定されたが、その根拠は久保田が逮捕当初、「被害者の殺害は、武史に依頼された」と証言していたことだった。武史は「そんな依頼はしていない」と一貫して冤罪を訴えたが、久保田の逮捕当初の証言が信用されたのだ。

しかし実際には、久保田は武史の裁判に証人出廷した際、「逮捕当初の供述は嘘です」と“告白”したうえで、こう訴えていた――。

「本当は和人の無念を晴らすため、被害者の顔に傷をつけてやろうと思ってやったことでした。逮捕された当初、被害者の殺害は武史に依頼されたことだと証言したのは、武史に“とかげのしっぽ切り”のような扱いをうけ、恨んでいたからです」(要旨)

つまり、武史に対する有罪認定の根拠となった実行犯の証言について、実行犯本人が否定していたわけである。となると、冤罪を疑ってみないわけにはいかない。そもそも、詩織さんにふられ、ストーカー化していた和人ならともかく、武史には詩織さんを殺害する確たる動機は見当たらないのだからなおさらだ。

そして私は2012年頃以降、千葉刑務所で服役する武史と手紙のやりとりを重ね、ある重要な事実を知った。裁判の認定では、武史は、詩織さんにふられた弟・和人の無念を晴らすため、久保田に詩織さんの殺害を依頼したかのように認定されていた。しかし実際には、武史は事件前から弟・和人のことを激しく嫌っていたのである。

◆「ある意味、恐ろしい弟でした…」

武史は風俗店のオーナーになる前、東京消防庁に勤める消防士という本業がありながら、副業で中古車の販売を手がけていた。武史によると、その当時、和人から副業に関して嫌がらせを受けていたという。

〈私は、結婚後、友人の車屋でアルバイトをしており(内緒で)、その当時、和人から、職場の本庁の人事課に2回、チンコロされ、私は大変でした…それと、事あるごとに、私の家に嫌がらせ電話をしてきては、妻が切れて、番号も、2回ほど替えた事がある…ある意味、恐ろしい弟でした…〉(2012年7月24日付け手紙より)
※〈〉内は引用。原文ママ。以下同じ。

なぜ、和人が武史にこんな嫌がらせをしたのかはわからない。しかし、ともかく武史が和人を恐れていことは、よく伝わってくる文章ではあるだろう。

さらに武史によると、風俗店のオーナーになったのも、先に1人で風俗店を経営していた和人から脅され、無理やり引き受けさせられたからだという。

〈弟は、マンションの風俗を始める時も、会社の事務所としてマンションの部屋を貸りると、私の親をだまし、貸りさせて(名義だけ)、それだけでは足りず、私にも頼んで来ましたが、断ってましたが、ことある事に、母親から、私にも言ってこさせてきていて、しょうがなく、名義を貸してやると…そこが、池袋の風俗の、お店になってました…そうなると、私には、どうにもならなくなってきました…私が解約や、反対など、となえた時は…「その時は、どうなるか、分ってるだろうなと、公務員が風俗やってた事が、スポーツ新聞にでも出てみろ、首だぞ、そしたら、家のローンは払えない。一家チリジリだと」よくおどしてくるようになり、どうしょうもなく、私は、その時より、店のお金の回収やとわれオーナーとされました…〉(前同)

千葉刑務所。小松武史は現在もここで服役している

◆和人にだまされ、妻まで巻き込まれた

武史によると、和人は詩織さんに嫌がらせをするためだけに広告代理店をつくり、詩織さん宅周辺にばらまいたワイセツなビラもその広告代理店で作成していたという。その広告代理店についても、武史は手紙にこう書いてきた。

〈私を、だまし、当時の私の妻を、その店の役員として登記までされました!和人は、悪ヂエがよく回り、何かあっても、私に、おっつける予定だったようです〉(2012年7月5日付け手紙より)

実際には、和人は事件後に自死しており、武史は和人から罪を押しつけられたわけではない。しかし、武史が手紙で綴る主張を見る限り、和人のことを嫌っていたのは間違いない。武史は、詩織さんにふられた和人の無念を晴らすため、刑罰を科されるリスクを冒してまで詩織さんの殺害を企てるほどに「弟思いの兄」ではなかったのは確かだろう。

誰もが知っている有名な事件でも、実際のことはほとんど誰も知らない、ということは珍しくない。桶川ストーカー殺人事件は、まぎれもなくそういう事件の1つである。

なお、私は昨年10月、実行犯・久保田祥史が事件の裏側を詳細に綴った手記を書籍化した編著『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)を上梓している。関心のある方は参照して頂きたい。

▼片岡健(かたおか けん)
全国各地で新旧様々な事件を取材している。近著に『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(著者・久保田祥史、発行元・リミアンドテッド)など。

月刊『紙の爆弾』2021年2月号 日本のための7つの「正論」他

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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