数年前、鹿砦社の松岡代表に勧められ、同社の『紙の爆弾』の「日本の冤罪」シリーズを始めるということで執筆させてもらうことになり、多くの冤罪事件を取材し、記事にまとめてきた。その18本の記事を、昨年11月一冊の本『日本の冤罪』にまとめて頂いた。本を読まれたいろんな方から手紙やメールなどを頂いていたが、先日鹿砦社に届いた読者カードを見せてもらい、ふと思った。私の書いた文章は誰かの心に響いているのだろうか……。

私自身にもたくさんの心響かせてもらった文章がある。小説、論文もあれば、Twitter(現在のⅩ)のわずか140字の文章もある。道に迷って前に進めずにいるとき、ふと取り出してそれを読み直す。そこから何か力をもらい前に進めるような気がしてくるのだ。同じように、私の書いた文章が誰かの心に響き、その人を前に動かせるようになったら、とても嬉しいと思っている。

そう願いながら、鹿砦社のタブーなき月刊誌『紙の爆弾』、書店販売雑誌としては国内唯一の反原発誌『季節』、「デジタル鹿砦社通信」などで原稿を書いている。私にはもっともっと書きたい題材がある。反原発問題では、声を大きく上げられない人たちの訴えを今後取り上げていきたいと考えている。

例えば、がん治療中のため本人への取材が困難だが、3・11後関東から大阪に移住し、現在、大阪市から住居の追い出し攻撃にあっている女性がいる。日々の生活が困難ななか、一度だけ知人の車に乗せてもらい、私の店にきてくれた。わずか数分だけだったが、彼女と話すことができた。その裁判も7月に結審を迎える。早急に記事をかき、多くの人に知ってもらいたい。

西成労働福祉センター周辺からの野宿者強制排除問題についてもぜひ、多くの方に知ってもらいたい。20数年前、この町に来た時にはバリバリ働いていた労働者の半分はもうなくなっただろう。

残っている人は高齢化し、町も変貌を遂げている。しかし、かつてと変わらないものがあるのではないか。それはガチの「釜ヶ崎人情」。装った釜ヶ崎らしさ、労働者の町らしさではなく、あるいはそれらしさから掠め取った上澄みではなく、ガチの「釜ヶ崎人情」、それを私は書き残していきたい。

そして取材して記事にしたい冤罪事件がまだ山ほどある。だから、ぜひ鹿砦社を存続させてほしい。どこにも誰にも忖度せずに 真実を追求できる表現の場はそうそうないのではないか? その証拠に鹿砦社は、関西で起きたM君リンチ事件に関して裁判の支援のみならず、関連本を6冊も出版してきた。

裁判には私も支援して関わってきたが、当初驚いたのは、関西で反差別、反権力を闘う人たちがほとんどいなかったことだ。考えたら当然かもしれない。M君にリンチを加えた人たち及び彼らを擁護してきた人たちは、それまでカウンターと称した反差別、反権力の闘いを果敢に闘ってきた人たちだからだ。そういう人たちは、反差別、反権力を訴え、闘う人たちが絶対に差別的なことをしないとでもいうのだろうか。皆さん、それほど立派な方々なのだろうか? 誰にでも間違いはある。問題はそれを自覚し、自らを糺していくことだ。

間違ったこと、非難されるべきことは、自身で自覚できることもあるが、他人から指摘され自覚できることもある。なぜ、それが叶わないのか?「忖度」という言葉しか思いつかない。確かにともに闘ってきた仲間を批判するのは、その後の関係性などを考えると面倒だ。できれば「スルー」したい。でも松岡さんが常々いうように、私も「私に悪いこと、間違ったことがあったら、ぜひ指摘してほしい」と思う。批判することイコール決別ではないのだ。私は、死ぬ間際まで「尾﨑さん、それ間違ってますよ」と指摘して頂きたい。

ここ数年、M君リンチ事件とその関連裁判が続くなか、常日頃、いろんな問題を討議しあう仲間とも、このリンチ事件はほとんど討議することはなかった。たまに話題になっても「ああ、なんか聞いたことあるわ。でももう済んだことでしょう」と言われたり「仲間うちのいざこざだろう」といわれたこともあった。

そんなこともあり、とにかく私もこの件で一回文章を書かなければと思っていた。それはリンチ関連本に掲載されている。読まれてない方もぜひ手に取って読んで頂きたい。様々な文章を書かせてもらったが、そのなかで、自分の好きな文章を選ぶとしたら、これは3本の指に入ります。

そんな記事が書けたのも、一切忖度なしの鹿砦社の表現の場があったからだ。

出版界はただでさえ構造不況業種だが、新型コロナ襲来以来、書店、取次会社(卸店)、そして多くの出版社が苦しんでいる。残念ながら鹿砦社もこれに巻き込まれ苦闘している。多くの方々が鹿砦社の支援に動いておられる。最寄りの書店で発売中の『紙の爆弾』を買い求め、その巻末に記載されている支援方法で、みなさんのできる範囲で支援いただきたい。この鹿砦社の存続のために、ぜひご協力をお願いしたい。

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■『紙の爆弾』次号は、8月・9月合併号として7月6日発売となっております。ご購読お願いいたします。なお、8月発売号は諸事情でお休みさせていただくことになりました。

また、『季節』創刊10周年記念号(夏・秋合併号)は8月5日発売で、目下急ピッチで編集作業が進行中です。こちらもご予約お願いいたします。(松岡)

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▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

今こそ、鹿砦社の雑誌!!

◎『紙の爆弾』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0D5R2HKN5/
◎『季節』 amazon https://www.amazon.co.jp/dp/B0CWTPSB9F/

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

「警察はなんであんなに頑固なのだろうか……」。

6月10日より大阪地裁で始まった裁判員裁判がある。大阪府羽曳野市で2018年2月、当時64歳の男性が刺されて殺された事件で、殺人の犯人として逮捕された山本孝さん(48歳)の裁判だ。事件発生から4年後に逮捕された山本さんは一貫して犯行を否認している。そしてようやく迎えた刑事裁判は、異例の長期審理となるそうだ。

弁護団長を伊賀興一弁護士が務めていることもあり、おつれあいの伊賀カズミさん(国民救援会大阪府支部会長)が青木恵子さんに「傍聴に来て」と依頼していた。青木さんは多忙な中、傍聴にいっていた。

私も行きたいところだが、仕事の時間と重なり行けなかったが、傍聴帰りに店に寄る青木さんにその都度、話を聞いていた。そうしたところ、6月20日の朝、青木さんから「夕方から弁護団が緊急の記者会見をやるそうです。ママは来れないね」とメールが来た。

確か来週月曜日に山本さんの本人尋問が予定されていたはず。なのに、なぜ今日(6月20日)突然に……と思い、私は店を休んで会見に行ってきた。


◎[参考動画]羽曳野市の殺人事件で初公判 被告の男「やっていません」起訴内容を否認(テレビ大阪 2024/06/10)

◆山本さんを犯人とする直接証拠は全くない

山本さんを犯人とする直接証拠は全くない。そのために「山本しかいない」とあれこれ「言い訳」するかのように証人が多く登場する。裁判が始まって10日目で、17人予定されている証人のうち11人が証言台にたった。

青木さんの話では、ある日は事件当日の夜、灯りがついていた山本さんの家に聞き込みにきた女性刑事が証言に立ったという。女性刑事に応対した山本さんの奥さんは「主人が散歩のため家を出た」と話し、散歩から戻った時刻がだいたい午後9時30分頃だったと話したという。

刑事の手帳にも「9時30分頃」との記述があり、刑事は裁判前、ほかの刑事に「(山本さんが)家に戻った時間」と言っていたという。しかし、裁判の証言台に立った女性刑事は「戻ったのではなく散歩に出た時刻」と証言したという。 

事件が起きた様子はこうだ。被害者の男性が、食事後内縁関係の女性を先に家の前で降ろし、男性は近くの駐車場に車を止めにいった。男性はそこから女性の家に歩いて帰る途中襲われた。

犯人が現場を去った時刻は周辺の防犯カメラやドライブレコーダーの映像などから午後9時44分とわかっている。そしてその不審な男性の背格好が、山本さんに似ていたというだけで、山本さんが逮捕された。もちろん顔など一切映っていない。 

◆山本さんの些細な嘘と警察の杜撰な捜査

実は、山本さんは、その女性と植木鉢をめぐって近隣トラブルを起こしていた。その日も「散歩」ではなく、車の音がしたので、降りてくる様子などを確認(見張り)に行ったのだった。

「見張り」していることを家族に知られたくなかったのか、山本さんは「散歩に行ってくる」と家族に告げて出ていた。その些細な嘘も、山本さんが疑われた背景にあったのだろう。

しかし、裁判で証言台に立った山本さんの家族(元つれあいと長女)は、散歩から戻った山本さんはいつも通りにくつろいで酒を飲んでいたと証言した。詳細は省くが、殺害方法が非常に残忍というか、一発で仕留めるような特殊な方法だが、そのようなスナイパーのような方法で殺害してきて、いつも通りにのんびり家族と過ごすことができるだろうか?

また、被害者は路上で殺害されたが、警察、検察は被害者は「密室」で殺害されたかのような主張を行っていた。つまりその住宅地に入るには3箇所しか入れる場所はなく、そのいずれの入口の防犯カメラでは、当社夜8時~11時の間、不審者が入った形跡はないというものだ。だから、犯人は当時その住宅地にいた者だと。4年間で約460人の容疑者が浮かんだが、結局地元に住む山本さんが犯人とされた。

今日(6月20日)の裁判では、先の3つの入口からしか入れないとの検察の主張が崩され、警察官が弁護側が主張する「ほかのルートもあった」を認めたという。

◆「なんで、警察というのはあんなに頑固なんですかね」

6月20日、私は店を休み、なるべく良い場所を確保しようと、弁護士会館に5時過ぎに着いた。6時まで別の会議が入っていたため、部屋の外で待っていると、カメラを担いだ報道陣などぼちぼちがやってきた。そのあとに「ここかな?」と不安そうにやってくる初老の男性がいた。青木さんから「今日の会見にはお父さんが出席するそうよ」と聞いていた私はとっさに「お父さんだな」と思った。

しばらく窓際で並んで黙っていたが、おもわず「山本さんのお父さんですか」と話しかけた。「そうです」と男性。「私はこういう者です」と持参した自著『日本の冤罪』を渡そうとした。青木さんから、裁判には両親、山本さんの姉、おばさんらが泣きながら来ていると聞いていた。

青木さんは、「自分が持っている『日本の冤罪』を今日の午前中の裁判で家族に渡す」と言っていた。何人かで読むのは時間がかかるだろうから、私も一冊家族に手渡す予定で持っていった。1冊を5000円、1万円で買ってくれる方もいるので、「これを読んで冤罪を知って下さい」と関係者に無料で渡す使い方もありだと考えていた。

するとお父さん、本をじっとみながら「これは、伊賀先生のところで『読んでおいて』と渡されました」という。ああ、そうだったんだ。そして、5階の窓の下に見えるきれいな花を見て、「きれいな色ですね。弁護士会館の外に咲いてたのと色がぜんぜん違う」とお父さんがいう。

そう、あの花、いつもこの時期、弁護士会館の入り口にきれいに咲いている花だ。そんなに色が違うとまで見ていなかった私は「玄関先に咲いてるのは排気ガスとか吸ってるからですかね」というしかなかった。

そしてまたぽつりとお父さん。「なんで、警察というのはあんなに頑固なんですかね」と。 

「今日来ている青木恵子さんなんか、再審で無罪になったのに、国賠で当時取り調べた刑事が、今でも青木さんを犯人と思ってると言ってましたよ」と話した。そして、「多くの人が警察は嘘をつかない、市民を守ると思ってますから」と話した。でも違うから。山本さんのお父さんがいうように、警察、検察は頑固だ。一度こうと決めたことを絶対に変えない。変えたくない。だからいつまでも冤罪が起きてしまう。伊賀弁護士は会見中何度も強く訴えていた。「山本さんの無実を勝ち取ること、そして冤罪を作らないために弁護活動をやっていきたい。」

会見中の弁護団(6月20日筆者撮影)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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2019年末、東証一部上場企業の大手不動産会社「プレサンスコーポレーション」の山岸忍元社長が「業務上横領」で逮捕・起訴された事件で、山岸さんはその後一審で無罪を勝ち取った。

 

6月11日のテレビ報道

地検特捜部は控訴しなかったため、判決はそのまま決まった。その後、山岸さんが提訴した国賠訴訟が山場を迎えている。

事件については「日本の冤罪」シリーズで今後紹介したい。一代で大企業を築いた山岸さんはこの事件で248日間不当に囚われら、自身の子供のような会社を手放す羽目になった。山岸さんは、逮捕時より一貫して否認していた。しかし、山岸さんの前に逮捕されていた部下のKさんと関連不動産会社社長のYさんが「山岸さんも(横領に)関与していた」と供述したため、山岸さんも逮捕となった。

「なんじゃ、こりゃ」と思っただろう山岸さん。それもそのはず、飛ぶ鳥落とす勢いのプレサンスは当時で5年先までのマンション建設予定の土地を確保していた。そのため、わざわざ「横領」してまで、難しい土地を購入する必要などなかったのだ。ではなぜ山岸さんは逮捕されたのか。前述したが、KとYが「山岸さんも関与していた」と嘘の供述をしたからだ。

しかも、ゴーンさんの国外逃亡劇があった時で、山岸さんの保釈はなかなか認められなかった。山岸さんが当時で最高額の保釈金を積んだとしても、まだまだ金はあるから、ゴーンさんのように逃亡するのではないか、あるいはKとYを金で買収するのではないかと懸念されたのだ。

6回目にようやく保釈された山岸さん、さらに優秀な弁護士を集め裁判の準備を進める。詳細は省くが、次々に出てきた証拠はすべて山岸さんを無罪とするものだった。「なんじゃこりゃ」と山岸さんが思ったかどうかわからん。

 

6月11日のテレビ報道

弁護団が力をいれたのが、大阪地検特捜部の検察官がKとYを取り調べた際の録音録画の反訳(書き起こし)だ。

膨大な反訳を業者に依頼せず、弁護団自身で行った。その結果、大阪地検特捜部の検察官のとんでもない実態が明らかになった。脅し、脅し、机バン、気休め、小さな飴、利恫喝、脅しなどが繰り返され、KもYも結果として「山岸さん関与」を認める供述をしてしまったというわけだ。

今日大阪地裁の法廷に出廷したのは、Kを取り調べた検察官だ。

この検察官とのやりとりは本当にみたかった。でも裁判終了後の山岸さんらの会見をみてると、Kさんを取り調べた大阪地検特捜部・田淵大輔検事は、相変わらずいい加減な証言をしていたみたいだ。

裁判に出席した西弁護士のⅩ

 

山岸忍氏の著書『負けへんで! 東証一部上場企業社長vs地検特捜部』(文藝春秋社)

田淵検事の取り調べ内容とこのプレサンス事件のもうひとつの肝は、今回大失態を起こした大阪地検特捜部は、10数年前にも、村木厚子さんの事件で同じような大実態を犯しているということだ。郵便不正・厚生労働省元局長事件とも呼ばれる事件で、大阪地検特捜部は村木さんを逮捕・起訴したが、一審で無罪判決が下されている。

しかもこの事件では、特捜部の担当検事が裁判の証拠書類のフロッピーディスク(懐かしい響き)の文字を書き換え、証拠の改ざんをはかっていた。それが、その後ばれ、改ざんした検事はもとより、彼を庇っていた上司の検察官も逮捕されるという一大不祥事件に発展していた。

担当検事、上司らはその件で検察官としての政治生命は絶たれたが、当時もその大事件の真っただ中にいて、今回の山岸さんの事件にも関わっていた検事がいる。その人物こそが、山岸さんを取り調べた検事、組織内で「チーママ」と呼ばれ、バカラで飲ませる店でしか飲まないという山口智子検事だ。

そう、山岸さんが最初に任意の取り調べに呼ばれた際、「社長! いらっしゃーい!」とにこやかに迎えた女検事だ。今日は書かないが、この山口検事が村木事件でどのような役割を果たしたかを知ると、プレサンス事件での彼女の動きに何か味わい深いものを感じてしまう。いつまでもチーママな山口検事。実は彼女は山岸さんと同じ同志社出身らしい。特捜部の安っぽい脳みその持ち主の上層部が「ここは山口を当てれば山岸も落ちるだろう」と安易に考えていたのだろう。ところが、そうはいかなかった。私がこの事件で取材した西愛礼弁護士によれば、山岸さんは本当に嘘がつけない人なのだ。だから……。

という訳で、話はかわりますが、先日再審請求に棄却が下された「飯塚事件」をもっと知ろうと徳田弁護士を大阪にお招きする計画を進めています。現在、関係者と「調整中」(小池百合子っぽいね)。8月頭の土曜日になる予定。頭の隅っこにそっとメモしててね。


◎[参考動画]【特捜部の「取り調べ映像」独自入手】「検察ナメんなよ」怒鳴り続けた検事 強引な捜査で『冤罪』 証言を強引に引き出す特捜部の実態 21億円の巨額横領(カンテレ「newsランナー」2024年6月11日放送)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
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尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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飯塚事件の再審開始は認められなかった。女児2人が何故殺害されたかはわからぬまま。

1992年、福岡県飯塚市で女児2人が通学途中何者かに連れ去られ遺体で発見された。この「飯塚事件」で久間三千年さんが逮捕・起訴され裁判で死刑が確定。わずか2年で死刑が執行された(執行時久間さんは70歳)。遺族が裁判のやり直しを求めていた第二次再審請求で、5日午前10時福岡地裁は再審開始を認めないという不当決定を下した。

久間三千年さんの遺族が裁判やり直しを求めた第二次再審請求を、福岡地裁は5日認めなかった(撮影=青木恵子さん)

今回新たな証拠となっているのは2点。1つは、久間さんではない若い男性が、車に女児2人を乗せているのを目撃したという木村泰治さんの証言だ。木村さんは、第二次再審請求を提訴した3年前の7月の記者会見に顔出し・実名で出席し、事件当日、飯塚市の八木山バイパスを走行中に白い軽自動車とすれ違った。その際、車の後部座席に幼い女児が2人乗っていたのを見たと証言した。

一瞬誘拐ではないかと疑ったが、2人で乗っているので違うだろうと考えたという。「うら悲しそうな顔をしていた」女児の顔が印象に残ったと語っていた。白い車を運転していたのは丸刈りで色白、30歳代の若い男で、眼鏡をかけ恰幅の良い久間さんとはまったくの別人。夜のニュースで女児2人が行方不明になっていることを知り警察に通報。

しかし、警察が木村さんを訪ねてきたのは数日後、それもたった一人の警察官がやってきて、木村さんの話をメモ帳に書き込んでいたという。しかし、その後、警察からの連絡は全くなかった。

報告集会で。左端でマイクを持つ男性が、事件当日女児2人を乗せた白い車を見たと証言した木村さん(撮影=青木恵子さん)

もう一つの新証拠は、事件当日、女児2人を三叉路で見たという女性の証言だった。女性は実は、女児を見たのは別の日だったが、警官に「その日(事件当日)に違いない」としつこく言われ、そのような間違った調書を作られてしまったと証言した。当時20代の女性はその後関東に引っ越したらしい。過去に警察でそのような調書を取られていたことを忘れていたかもしれない。

しかし、何かの拍子で久間さんに死刑判決が下され、しかもあっという間に死刑が執行されたことを知り、自分の曖昧な供述が久間さんを死刑にしてしまったのではないかと自分を責めていた。そして遺族が久間さんは無罪であると訴え、弁護士と共に再審を闘っていることを知り、2018年弁護士事務所に連絡をしてきたという。
三叉路で女児を見たのは事件当日でなかったという女性の証言は、これまで検察の書いてきたストーリーを覆すとともに、弁護団が気になっていた問題が解決したという。判決では、女児2人が失踪した現場を三叉路近くと特定していた。同じ頃、久間さんが乗っていた紺色のワゴン車と似た車を見たという証人もいた(5月21日掲載の「正義の行方」の記事で、西日本新聞が探し出した男性)。

女児らの遺留品が見つかった現場でも似た車が目撃されていた。そこからこれと似た車を持つ久間さんが疑われたのだった。しかし、もとの「事件当日三叉路で女児らを見た」との証言が間違っており、別の日であるならば、当日、女児らは三叉路近くで失踪したというストーリーは全く違ってくるのだ。

しかもこの証言で、弁護団はそれまで抱えていた矛盾を解決することができたという。それは、事件当日、三叉路近くにはほかにも数人の人がいたが、女性以外に女児らを見た人は誰もいなかったことだ。その問題・矛盾が解決できたということだ。

判決で女児2人が何者かに連れ去られたとされた三叉路。しかし、今回新たな証言で、ここではない可能性が強まったのに……(撮影=青木恵子さん)

第二次再審請求で新証拠として出されたのは以上の2つだが、この事件、調べれば調べるほど、1から10までいい加減、ずさんな捜査だったことがわかる。なぜこんなことになったのか?

飯塚市ではこの事件の3年前にも女児が失踪した事件が発生し未解決のままだった。そこに飯塚事件が発生し、福岡県警は一層世間の非難に晒される。今回はどうしても犯人逮捕にこぎつけたい。その思いは理解できる。そこで福岡県警は、3年前の事件でも犯人視された久間さんに目をつけたのではないか。

警察が出してくる証拠のどれもが、久間さんを犯人と決めつけたものだ。例えば、女児らの遺留品がみつかった近くの峠で久間さんの車と似た車(紺色のワゴン車)を見たと証言した男性の話。すれ違いざまの一瞬の出来事なのに、その車について、①やや古い型、紺色、②トヨタ、ニッサンではない、③ホイルキャップの中に黒いライン、④車体にラインが入っていない、⑤窓ガラスにフィルムを貼っていた、⑥後部タイヤがダブルタイヤ、⑦ラインは入っていない、などの情報のほかに、目撃した人物についてもめちゃくちゃ詳しい。そんなことってある?

特に車に「ラインが入ってない」については、先日、甲南大学で講演をお聞きした厳島行男教授は「普通ないものをなかなかないと報告することはない」という。なぜ男性はそんな供述をしたのか? 

じつは久間さんの乗っていた車の標準の仕様だとラインが入っているのだが、久間さんはそれを剥いでいた。男性の供述をとる前に、警察が久間さんの車を確認しラインがないことを確認していた。そして男性の供述を取る際「目撃した車にラインは入っていたか?」とわざわざ聞いたのだろう。本当にずさん過ぎる。

 

午後から支援者に案内され、事件に関係する様々な場所を訪れた青木恵子さん。女児らの遺留品が見つかった場所近くに作られたお地蔵さんに手を合わせてきた(撮影=青木恵子さん)

これも桜井昌司さんが良く言っていた「歪んだ正義」によるものだろう。警察、検察はこの事件を解決したいと考えている。できれば3年前の事件も……。そのため、久間さんをターゲットにして、久間さんだけを決めつけ、捜査を続けてきた。

だから、木村さんが不審車を見たと通報したが、木村さんの話を聞いて白い車、丸刈りの若い男を捜査することはなかった。捜査して白い車に乗る、丸刈りの若い男を探せて、その結果「ええ、あの日は僕の子どもと友達の2人が学校に遅れそうなので送ったのですが」と間違いであるとわかったら、それはそれで良いではないか。

冤罪の陰には必ず真犯人がわからないまま放置された遺族がいる。「うら悲しそうな目をしていた」女児らの遺族は、今、どう思っているだろうか?

そんなとき、今日午前中から、地裁前の写真などを送ってくれた青木さんから午後に支援者に案内してもらった現地の写真が届く。そのなかに、女児の遺体が置かれていた場所の近くに置かれたお地蔵さんの写真があった。

「うら悲しそうな目をしていた」女児らはどんなに怖くてつらかっただろうか。 そう考えて、初めて涙がこぼれてきた。

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

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タブーなき月刊誌『紙の爆弾』の最新号記事がnoteで一部公開・購読可能となりました。

記事単位での購入も可能になりましたが、『紙の爆弾』はあくまで紙がメインのメディアです。興味を持っていただけましたら、ぜひ書店でお手にとっていただければ幸いです。定価700円(税込)、年間定期購読7700円(1号お得)。

ここでは6月号の注目記事2本の一部を紹介します。

◆「大阪カジノIR」の真のリスク 水原一平事件の語られざる本質
 取材・文◎片岡 亮(ジャーナリスト)

 

 

2021年11月のある日、名古屋市の中心部に位置する高級ホテルのロビー。シャンデリアに照らされた大理石の床を歩いていたイベントプロデューサーを名乗る40代後半の男が、待ち合わせした女性に見せたのは、当時就任したばかりの岸田文雄首相とのツーショットだった。

高価そうなスーツや腕時計を身に着けた派手な外見とは裏腹に、男の詳しい経歴は不明で、インターネットにも会社名や本人の名前は見つからない。今どき特異な人物だが、自信に満ちた態度でバッグから何枚もの写真を取り出しながら、首相のみならず、今上天皇や著名な実業家、芸能タレントなどとの親交を自慢した。

「ビジネスは信用が大事ですよ。僕はホームページを作ったり、フェイスブックに写真を載せたりといった薄っぺらいことはしません。でも、首相が会ってくれるのは、僕自身に信用があるからです」

誰に対しても同じセリフを口にしているのだろう。そんな男が売り込んだのは、自らが開発に関わったという仮想通貨Lだ。

「今は、価値はありません。でも、この通貨が未来を切り拓くカギです。ほかの通貨とは別次元で、革命的な技術があります。私たちは先駆者で、社会に革命を起こす存在となります。ただの投資なら、こうして一人ひとりと会ったりしません。未来を一緒に作る仲間を集めているからです」

女性は男とのやりとりを録音しており、こうしたセリフが残っていた。

その二カ月後、60円でスタートした仮想通貨Lは、翌月に516円になり、40万円分を買った女性は300万円以上で換金できた。しかし、その後は価値が下落。0.2円前後を推移するまでになり、仮想通貨全体の7割を占める「一年以内の短命」のひとつになったと思われた。

しかし、今年1月31日から少し値動きが見られた。利益を得られるほどではないが、購入者が出てきたのである。同時に、先の男が肩書きを「芸能プロ社長」に変え、再びLを勧め歩くようになった。

3月、男が主催者となって愛知県内で行なわれたショーイベントは、かなり奇妙なものだった。ろくに告知もされないまま、まったく無名のラップグループや歌手が、まるで人気アーティストのように紹介されて歌やダンスを披露。MC役の男性は「盛り上がってますかぁ!」と叫び、出演者の交代の合間には、職業不詳の高齢の男女集団がマイク前に並んでコーナー紹介をしていた。

およそ900名収容の会場の7割ほどを埋めた客層は、とても音楽や演出にマッチしない中高年が主体。いかにも慣れない様子で手拍子しつつ、MCの誘導に素直に従って立ち上がったり、両手を挙げたりしていた。実は彼らこそ、無料招待された仮想通貨Lの購入者たちだった。

つまり、イベント自体は収益を得るためのものではないということだ。イベントを手伝った関係者はこう言った。

「本業である仮想通貨の収益の節税対策らしいです。グレーゾーンな収益なので、マネーロンダリングにしているそうですよ。タレントに高いギャラを払ったことにしたり、チケットが全部売れたことにしたりしています」

刷られてもいないチケットは額面が1枚5万円。900人で満員としたなら4500万円となる。

そして、仮想通貨Lの問題は、その売り文句にある。男は「将来、カジノが合法化される時に、オンラインカジノでもLを使って遊べるようにするので何百倍もの価値を持つ。それまで静かに黙って持っておいてほしい」と購入者に説明していたのだ。

2016年にIR(統合型リゾート)推進法、いわゆる「カジノ法」が成立し、国家事業となった。だからこそ、首相との写真も営業の武器になったわけだ。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/n883499cc6a7f

◆日本の冤罪〈50〉北方事件 たった一人の支援者が明かす「連続殺人事件」の深層
 取材・文◎片岡 健(ジャーナリスト)

 

 

1980年代に佐賀県で起きた「北方(きたがた)事件」は、3人の女性を殺害した嫌疑をかけられた男性が裁判で検察に死刑を求刑されながら、無罪が確定した重大な冤罪事件だ。公判では、警察のとんでもない違法捜査も判明している。

だが、重大性のわりに、冤罪事件としてはあまり有名ではなく、「犯人が捕まっていない未解決事件」として語られることが多い。無罪が確定した男性が公の場で冤罪被害の経験をほとんど語ってこなかったためだ。

この特異な冤罪事件について、「警察は面子のため、無実の人を死刑台に送ろうとしたのです。本当に恐ろしいことです」と証言する人がいる。

事件の舞台となった北方町(現・武雄市)で町議を7期務めた田崎以公夫さん(92歳)だ。田崎さんは男性の「たった一人の支援者」として奔走し、男性を冤罪から救った人で、事件の一部始終を知る人でもある。

今回は田崎さんの証言に基づき、「北方事件」の顛末を紹介したい。この事件の深層を知れば、世の中には、まだ知られていない酷い冤罪があることを改めて実感していただけると思う。

 時効成立直前の「劇的な逮捕」だったが……

佐賀県の中央部に位置する旧北方町は、人口が1万人に満たない小さな町だった。ここであっと驚く大事件が起きたのは35年ほど前に遡る。

「林に白い服を来た女性の死体が捨てられているのですが……」

1989年1月27日夕方、そんな110番通報をしたのは佐賀県内の夫婦だった。夫婦は、JR佐世保線北方駅から2キロ余りの山道脇で仏壇に供える花を摘んでいた際、北方町内の雑木林に横たわる女性の遺体を見つけたのだった。

所轄の佐賀県警大町署(現・白石署)の捜査員たちが現地に臨場すると、事案は想像よりはるかに重大だった。雑木林から女性の遺体が、ほかにも2体見つかったのだ。連続殺人事件とみた佐賀県警は、ただちに大町署に150人態勢の捜査本部を設置した。

そして翌々日までに3人の被害者は全員、失踪していた近隣の女性だと判明したが、ある奇妙な共通点があった。

①藤瀬澄子さん 武雄町(現・武雄市)の料亭従業員。87年7月8日(水)の夜に同僚との外食後に失踪。失踪時48歳。

②中島清美さん 北方町の主婦。88年12月7日(水)夜にミニバレーの練習に出かけ失踪。失踪時50歳。

③吉野タツ代さん 北方町の会社員。89年1月25日(水)夜に自宅から外出後に失踪。失踪時37歳。

※記事全文はhttps://note.com/famous_ruff900/n/nb6176caaa94c

タブーなきラディカルスキャンダルマガジン 月刊『紙の爆弾』2024年6月号

『紙の爆弾』2024年 6月号

岸田訪米の能天気は害悪だ!アメリカが狙うアジアの一兆ドル海洋資源
次期戦闘機の第三国輸出解禁 日本を「兵器産業国家」にする公明・創価学会の“貢献”
【特集】隠蔽される「健康被害」

TSMCが熊本の水を殺す半導体工場のPFAS汚染
がんを引き起こし脳の働きを阻害する遺伝子組換え食品によるこれだけの危険
小林製薬「紅麹問題」で少なくとも言えること
開業延期」ではなく「計画中止」を リニア新幹線「電磁波と白血病」
「議員も記者も排除」で答弁拒否率76% 小池百合子 暴かれた“女帝”の虚像
裏金事件でも自民党で“岸田降ろし”が起きない理由
「大阪カジノIR」の真のリスク 水原一平事件の語られざる本質
一水会50年は、対米自立実現の橋頭堡である
事業者に従業員を監視・排除させる日本版DBS法案の違憲性
“制裁ありき”の駄文判決 岡口基一判事弾劾裁判「多数決で罷免」の異常
ジュリー前社長が手放さないジャニーズファンクラブ巨額の行方
失言バカ政治家の傾向と対策
改憲派2社以外も“軍拡肯定”2025年度中学教科書 防衛省の広報誌化
シリーズ 日本の冤罪50 北方事件

連載
あの人の家
NEWS レスQ
コイツらのゼニ儲け:西田健
「格差」を読む:中川淳一郎
シアワセのイイ気持ち道講座:東陽片岡
The NEWer WORLD ORDER:Kダブシャイン
SDGsという宗教:西本頑司
まけへんで!! 今月の西宮冷蔵

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連休中に木寺一孝監督の「正義の行方」を観た。映画は1992年福岡県飯塚市で起きた女児2人の殺害事件(飯塚事件)をめぐって、2006年の死刑決定からわずか2年後に死刑執行された久間三千年さんの妻と弁護団、久間さんを取り調べた当時の警察官、事件を追ってきた地元の西日本新聞の記者たち、三者が事件を振り返りそれぞれ語っていく。

元刑事たちが、カメラの前で堂々と語っていることには結構驚いた。再審請求審で「久間さんは本当に犯人だったのか?」との疑念がふつふつ沸いてるなか「いや、俺たちがやったことは間違いないばい」と訴えなければとの思いもあるのだろう、どの刑事も堂々としている。しかし、何人かの刑事は取材を頑なに断ったという。

西日本新聞は、当時、警察の会見を鵜呑みして「重要参考人浮かぶ」などといち早く久間さん犯人説をスクープしてきた。当時の刑事事件のサブキャップ傍示(かたみ)文昭さんは「一審、二審から腑に落ちないというか、久間が本当に犯人なのか」との思いもあったため、死刑が確定して「ホッとした」という。

徳田靖之弁護士と岩田務弁護士は、死刑確定後、すぐに久間さんに再審を依頼されていたが準備が遅れていた。その間に突然死刑が執行されたことで、取り返しのつかないことをしてしまったと悔やみに悔やみ、再審無罪に向けた必死の取り組みの中で、久間さんが犯人ではなかった可能性を次々と明らかにしていく。

徳田弁護士(左)と岩田弁護士(右)

久間さんの早すぎる死刑執行に元刑事・飯野和明さんも「ほかの死刑囚がまだなのに、久間早かったなあ。率直な気持ちでした」と述べている。久間さんのあまりに早すぎた死刑執行が「自分たちの記事は正しかったのか」と疑念を持つきっかけとなった傍示さんだが、再審請求審には「死刑執行後に再審開始はありえないだろう」と冷めた目でみていた。2014年、再審請求は棄却されたが、裁判所は久間さんを犯人と断定したDNA型鑑定の証拠価値を事実上却下した。

久間さんの鑑定と同じ手法で行われていた足利事件の菅家さんのDNA型鑑定は既に誤っていたとして、菅家さんに無罪判決が下されている。しかし、そのとき久間さんは既に死刑執行されていた。何かを隠すためだったのではないかと疑われるのも当然だ。 

疑念をふつふつと募らせていた西日本新聞の傍示さんは、2017年編集局長に就任、同じ時期スクープ記事を書いた宮崎さんは社会部長に。「この二人ならできるんじゃないか」と傍示さんは飯塚事件の検証キャンペーンを企画する。宮崎さんを中心に、しかし、実際の取材はこの事件に全く関わっていない記者にさせようと、中島さんという編集委員と中原記者を抜擢。

木寺監督はあるインタビューで「観る側に全てをわかってもらう必要はなく、ギリギリわかるところまで情報量を抑え、ジェットコースターのように息もつかせない展開にしよう」と目標を掲げた、と話している。確かに、158分があっという間、なんならもう一回乗ってみたいという感じ。

ネタばれになったらすまないが、ちょっと身震いするシーンを2つ紹介する。

福岡県警・山方(やまがた)泰輔捜査一課長(当時)の無謀な捜査手法が良く表れているシーンだ。逮捕後も一貫して否認を続ける久間さん、一方、二度目のDNA型鑑定は「久間さんのものではない」となった。

 

山方泰輔捜査一課帳(当時)。犯人を追う夢を見てうなされたのか、足を柱にぶつけ生爪が剥がれた

そこで、山方一課長は、ある仕掛けを企てる。実は飯塚市では3年前にも近くで女児アイ子ちゃんが行方不明になっている。その時アイ子ちゃんに最後に会ったのが近所の久間さんだったということで久間さんが疑われた。久間さんは当時、仕事を辞めて家事、子育て、外で働く奥さんの送り迎えなどやっていた。そんな久間さんを「昼間からぶらぶらして」と警察は偏見の目でみていたのではないか。

そこで3年前のアイ子ちゃん事件も久間がやったに違いないと、久間さんをDNA型鑑定と並ぶもうひとつの科学捜査、ポリグラフ(ウソ発見器)にかける。「アイ子ちゃんはどこにいる?」みたいな質問を続けるうち、ある場所で針が激しく動いたという(山方捜査一課長が指でぽーんと針を飛ばしたに違いない)。

警察は「ここに何かある?」と捜索を開始。駆り出された捜査員らは「長時間かかるだろう」と昼飯を持参して山に入ったが、捜査開始からわずか25分でアイ子ちゃんの赤いジャンパーがみつかる。

西日本新聞の宮崎さん「5、6年も置かれていたのに、なぜそんなにきれいな状態で見つかるのかと不思議だった」。

そりゃ、そうだ。袴田事件でみそ漬けにされた衣類と同様、警察がそっと置いてたからだ。現場の雑木林は数キロにわたる広さだが、近くにいた作業員は「捜査員がきてすぐロープが張られた」という。

山方捜査一課長が「ジャンパーはあの辺に置いて。すぐわかるように周囲を囲ってくれたらよかばい」と指示したのだろう。あまりにおそまつだ。

もう1つの戦慄が走る場面。編集局長傍示さんの指示で検証取材にあたる中島さん、中原さんは、女児2人が連れ去られたとされる三叉路で、久間さんの乗っている車と同じ車を見たという目撃証人を必死で探す。

約1年なかなか探せずにいる時、ふらりと寄った喫茶店で、店主に男性の写真をみせる。すると店主が「その人ならつい最近までうちの2階におったよ」という。奇跡だ。そしてその男性に会えることに。

何十年も前の事件、しかも殺人で死刑執行までされた事件で、当時の自分の証言を取材したいといわれ、相手はやんわり拒否するか、覚えてないというのでは……と思っていたら、男性はすんなりと取材に応じてくれた。

中島さんが「なぜ一瞬のことなのに、車種を正確に覚えていたか?」と聞くと、男性は「次にその車を買おうと考えてたから」と答える。それは警察での供述調書にも、法廷の証人尋問でも出ていなかった話だ。なるほどと納得する中島さん。そしてここから更に驚く展開が……。

「何か警察に供述を誘導されたこととかありますか?」と聞いたときだ。「ああ、警官に、車のナンバーに1、6、9があっただろうと何度も言われた」。そして「1は2つあっただろう」とも。久間さんのナンバーは「6112」。2と9が間違っているが、男性が刑事に何度も何度も言われたため、何十年間も記憶していた数字だ。恐ろしい。きっちり久間さんへ誘導しているではないか。

ラストのシーン、元西日本新聞でスクープを書いた宮崎さんが三叉路に立ちながらこう話す。「ペンを持ったお巡りさんになるなとよく言われるんですけど……ペンを持ったお巡りさんでした。死ぬ前に一個何かお願いを聞いてくれるなら、あの朝、何があったのか、巻き戻してみせて欲しい。どっかのカメラが、これが本当だって、30年間巻き戻して」

この三叉路から女児二人がいなくなったことから事件は始まった。昨年11月28日ここで女児らを最後に見たという女性は「目撃したのは別の日だった。警察から強要された」と証言した

西日本新聞の当時のサブキャップ傍示さん、スクープを書いた宮崎記者は、自分たちがどうこの事件を取材してきたか、それは正しかったのかどうかを必死に検証してきた。しかし、久間さんはもう殺された。国と警察と検察と裁判所に。そしてマスコミに。

5月22日の袴田さん裁判後の記者会見、翌日の西山美香さんの国賠後の記者会見に参加した青木恵子さんが「本当につまらない質問ばかりだった」と嘆いていた。私らが暑い中、1時間前から傍聴券の抽選に並んでいるのに、開廷ぎりぎりに法廷に入ってくる一階の記者クラブの記者たち、「涼しいフロアにいましたから」みたいな顔でカーディガン羽織ってたりする。みなさんも「ペンを持ったお巡りさん」なのか?

ということで青木さんが6月5日飯塚事件再審の決定が出る福岡地裁に行くことになり、徳田弁護士、岩田弁護士に拙著『日本の冤罪』をお渡しするというので、昨日会って渡してきた。

もう一度言おう。久間さんはもう殺された。

冤罪被害者の青木恵子さん


◎[参考動画]「飯塚事件」死刑が執行されたいまも多くの謎/映画『正義の行方』予告編(2024/02/05)

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

2003年1月16日、京都市下京区の俳優の平野義幸さんの自宅で火災が発生し平野さんと内縁関係にあった女性が焼死しました。その後、平野さんは放火・殺人罪で逮捕・起訴されました。

 

平野義幸さん

平野さんは1992年から大地義幸の名前で俳優活動を始め、「新・仁義なき戦い」「荒ぶる魂」などに出演していました。しかし、火災事故が起こる数年前、平野さんは、妻、親友だった菅原文太さんの息子さん、先輩俳優らを立て続けに亡くし自暴自棄になっていました。そんな時、平野さんが再び俳優業をやれるよう背中を押してくれたのが焼死した女性でした。「恩人を殺せる訳がない」。平野さんは一貫して無実を訴えています。

しかし、京都地裁は平野さんに懲役15年を言い渡した。15年と短かったのは、裁判官の中に平野さんは無実と主張した人がいたのではと、当時の弁護団は述べていましたが、その後大阪高裁は「平野さんが反省してないから」と無期懲役を言い渡しました。その後最高裁で刑が確定、平野さんは現在徳島刑務所に服役しています。

平野さんには、同じ放火殺人で娘を焼死させたとして逮捕された東住吉事件の冤罪犠牲者・青木恵子さん(その後再審で無罪が確定、国賠で一部勝訴)が定期的に面会に訪れています。筆者も青木さんを通じて平野さんを知り手紙のやりとりなどを行っています。

そして現在、青木さん、平野さんの無実を晴らすために、現在青木さん、映像ジャーナリストの二村昌弘さん、そして原審を担当した堀和幸弁護士(京都弁護士会)らとともに再審に向けた準備を進めており、その第一歩として、以下の実験を行う予定です。

警察、検察は、当時ストーブはついてなかったが(極寒の京都でそんなことがあるでしょうか?)、平野さんが女性を焼死させるため灯油をまき、火をつけたと主張。一方、平野さんは2階のストーブ近くに灯油がこぼれていたため危険だと思い、1階に灯油を拭くタオルなどを取りにいったが、その間に2階で何らかの原因で火災が発生、女性が焼死したと主張した。

火災発生時、平野さんは必死で女性を救助しようとし、自身も火傷を負っています。しかし、2階は既に火の海で救助出来ず、その後表にでて周囲に救助を求めました。平野さんが燃え盛る家に入ろうとするので「このままではヨシ君(平野さん)が危ない」と近所の人たちが平野さんに膝カックン(膝の後ろを押してひざまずかせる)して止めていたことも確認されています。

今回行う予定の実験と、そのための2つの情報提供を堀弁護士が訴えています。多くの皆様に読んで頂き、情報提供にご協力をお願いしたいと存じます。どうぞ宜しくお願い致します。 

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【情報提供のお願い】

 

シャープ石油ストーブ「HSR-24L」取扱説明書

平野義幸さんの再審請求を担当している弁護士の堀和幸です。前回に続いてのお願いで恐縮ですが、2点、情報提供していただきたいことがあり投稿させていただきました。

【1】シャープ製・石油ストーブ提供のお願い

平野さんが放火したとされた部屋には石油ストーブがありました。この石油ストーブが、再審請求する際に大きな役割を果たすと考えているのですが、残念ながら現物はすでに廃棄されています。もし同型の石油ストーブをお持ちで、不要だという方がいらっしゃいましたら、ご提供いただきたいと考えております。

「シャープ製 石油ストーブ/型番:HSR-24L」
(2000年販売開始、2007年に製造打ち切り)

【2】石油ストーブの構造に詳しい技術者の方を探しています

もう一点は、このシャープ製の石油ストーブの設計、製造に関わっていた技術者の方を探しています。石油ストーブの構造や「対震自動消火装置」についてぜひお話を伺いたいことがあります。現在、シャープは石油ストーブの製造を行っていないため、技術的な問い合わせに対応できないと言われています。もし該当する技術者の方がいらっしゃいましたらご連絡いただけると幸いです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

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▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

3月30日、神戸の甲南大学岡本キャンパスで「神戸質店事件」のシンポジウムが開催され、東住吉事件の青木恵子さんと参加してきた。今回のテーマは「目撃証言」。主催は、KONANプレミアプロジェクト「多分野の力を結集して『えん罪救済』に取り組むプロジェクト」。


◎[参考動画]19年前の強盗殺人「神戸質店事件」 大学生らが“冤罪被害を考えるシンポジウム”開催(MBSニュース 2024年3月30日)

◆神戸質店事件とは

「神戸質店事件」とは2005年、神戸市内で発生した質店店主の強盗殺人事件で、緒方秀彦さんが逮捕されたのは、事件から1年10ケ月後。緒方さんは交通違反の反則金を払わずに逮捕されたが、警察で取られた指紋が殺害現場に残されていた指紋と一致したからだ。その後、同じく現場に残された靴底の跡と、現場に残された煙草の吸い殻から採取したDNA型が緒方さんのものと一致した。

逮捕当初、緒方さんはその現場を訪れたことはないと言っていたが、徐々に2年前の記憶を呼び起こす。あの日、緒方さんは仕事途中、煙草を買おうと質店前の煙草の自販機前にいた。

すると自販機を管理する質店店主が緒方さんの車の荷物などを見て「兄ちゃん、電気屋か? 店に防犯カメラを付けられるか?」と尋ねてきた。緒方さんは「弱電ですわ」といい、店主に渡された建築書類などを見ながら、店内外の配線などを見て回った。

その後、店の奥にいる店主に誘われ、一緒にビールを飲んだ。防犯カメラ工事の「商談」が済んでいないこともあった。そのうち店主は自分の女関係の自慢話を始めたうえ、防犯カメラは既に知り合いの店に依頼しているというので、緒方さんはまもなく退去した。その日の夜、店主は何者かに殺害され、翌日家族によって遺体が発見されたという経緯だ。 

当日の夜8時頃、質店付近で不審者を目撃した男性がいた。男性は不審者について、目が鋭く、短髪、顔はある野球選手に似ていると警察に話した、しかし、一瞬のことであったため、警察署での面割(多数の写真が入った台帳から特定の人物を割り出すこと)で不審者を特定することはできなかった。それから1年10ケ月後、逮捕された緒方さんの写真が入った台帳から、男性は緒方さんを「犯人だ」とした。

果たしてこの目撃証言は正しかったのか? 一方、男性は一審で縮れ毛の緒方さんを見て「目の印象は似ているが髪型は違う」と証言した。結局、緒方さんと犯行を結びつける証拠はなく、一審は緒方さんに無罪を言い渡す。

その後、大阪高裁の控訴審は、緒方さんの証言を信用できないとしながら本人尋問も行わないまま、緒方さんに無期懲役の逆転有罪判決を言い渡したのだ(ちなみに裁判長は、検察が起訴したのだから犯人だと決めつけ、有罪判決を下すことで有名な小倉正三氏だった)。

◆厳島行雄教授の講演と甲南大IPJ(イノセンス・プロジェクト・ジャパン)の実験

シンポジウムでは、刑事事件における供述者の供述の信用性を心理学の立場から研究する厳島行雄人間環境大学教授から、目撃証言の取り扱いや問題点などが説明された。

「神戸質店事件における目撃者供述の心理学評価~フィールド実験からのアプローチ」と題して講演を行う厳島行雄教授

その前に、甲南大の笹倉香奈教授らが取り組む「イノセンス・プロジェクト」とは1990年代にアメリカで始まった民間活動だ。そこで、服役中の人たちにDNA型鑑定を行ったところ、370人が無罪と判明、更に調べると、うち7割以上が目撃証言に誤りがあったことがわかった。そこで人間の目撃証言がどれだけ信用できるものか、様々な研究が行われてきた。

シンポでは、甲南大のIPJ(イノセンス・プロジェクト・ジャパン)の学生らが行った実験の結果が公表された。質店事件で男性が不審者を目撃したという場所となるべく似た場所を探して行われた大掛かりな実験だ。

当日、実験の目的を知らされずに集まった学生ら52人が、その現場で不審者に偶然出会ってもらった。しばらくしたのち52人にアンケート調査をすると49人が回答、実験で見た男性はどの人物かとラインナップから選んでもらったところ、立っていた男性を当てたのは7人しかいなかった。

しかも、うち6人は「もしかして目撃証言の実験ではないか」と思って参加したという。そこでこの6人を除くと、52人中1人しか男性を当てられなかったことになる。それほど人間の記憶は時間の経過とともに、様々な事情、環境に「汚染」されてしまうということだ。

緒方さんの弁護団、支援者は再審請求を準備中だが、そこで必要となる新たな証拠の一つに、この実験結果を更に深化させた内容を提出したいと考えているそうだ。

シンポジウムの様子

◆目撃証言の重要性

目撃情報も裁判では非常に重要だ。去年亡くなった桜井昌司さんの布川事件では、一審・二審で、犯行時刻頃、被害者宅の前に桜井さんと杉山さんがいたのを、50CCのバイクで走行中に目撃したとの男性の証言が採用され、有罪判決が下された。

しかし、これとは逆に桜井さん、杉山さん以外の人物を現場で見かけたとの重要な目撃証言が、再審請求審でようやく開示された。証言したのは杉山さんと面識がある女性で、立っていた男は杉山さんとは異なる体型の男性だったと証言していた。そして卑劣な検察は、桜井さん、杉山さんが犯人でないというこの証拠を何十年も隠し続けていたのだ。

警察、検察が刑事事件の目撃者に対して、嘘の証言を行わせていた事実が、3月27日明らかになった。1986年起こった福井市の女子中学生殺害事件で、逮捕、起訴され、有罪判決を受け、7年間の服役を受けた前川障司さんの第二次再審請求を求める三者協議の中でのことだ。

事件の経緯などの詳細は省くが、この事件では、前川さんの周辺の人たちが、前川さんを犯人にするために多数の嘘の証言を行っていた。証言者の中には地元のワルも多数おり、警察などに自分を良く思われたい、自分の非行行為、犯罪を見逃してもらいたいから警察の言いなりになったという人もいた。

27日、三者協議の法廷に出てきた男性は、一審では「事件当日、前川さんと会っていない」と証言したが、二審では証言を翻し「血のついた前川さんを見た」と証言した。前川さんは、神戸質店事件の緒方さん同様、一審では無罪だったが、二審で先のような証言により有罪となっている。

今回男性は「本当は前川さんには会っておらず、血のついた姿も見ていない」と証言したが、証言を翻した理由について、「一審後、自分の薬物犯罪で警察署に出頭した際、警官から『(前川さんの)控訴審で調書通りに話すなら見逃す』と持ち掛けられ、受け入れてしまった」と述べた。(ちなみにこの場合の「調書通りに」とは、警察、検察の見立てに沿って前川さんを犯人とするストーリーに沿ったという意味である)。男性は、控訴審で嘘の証言をしたのち結婚したが、その際警官から結婚祝いに送られた祝儀袋を証拠として提出した。

この男性の勇気ある証言は、前川さんの再審請求を前に進める重要で強力な証拠になることに間違いはない。

それにしても日本の警察、検察、そしてまともに考えず彼らの言い分を鵜呑みにする裁判所はどうしようもなさすぎる。

当日のシンポジウムを準備・開催したIPJの学生たちが最後に集まり記念撮影。近く緒方さんの支援者が岡山刑務所で面会に行き、緒方さんに写真を見てもらうという

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

拙著『日本の冤罪』が出版されてから数か月、この本がご縁で素晴らしい方々と出会うことができた。

昨年12月24日、出版記念の集まりではないですが、Swing MASAさん(サックス奏者)と冤罪関連の集まりをもった。MASAさんらの演奏、井戸謙一弁護士の貴重な講演、そして4組の冤罪犠牲者の家族、関係者のお話など非常に貴重な時間を過ごせた。終了後の親睦会で「国賠ネットワーク」の方から、2月24日東京での集まりに来てお話してとお誘いを受けた。

2月24日『日本の冤罪』の編集をお手伝い頂いた鹿野健一さんと約1時間対談をさせて頂いた。終了後の親睦会で会員の土屋さんが「3月3日大阪に行くので店に寄ります」と言われた。3月3日は金聖雄監督の新作「アリランラプソディー」の大阪試写会に招待されていたので、店はやってませんとお断りさせていただいた(この映画については、またきちんと書きます)。

だが、その際、数日前ピースクラブのかじさんが話していたことを思い出した。

「3日は大事なパーティーがあるのよ。甲山事件の支援をされていた方々の……」

私はその男性に「もしかして3日来られるのは大国町ピースクラブですか?」

「えっ、なぜ知っているの。だったら、そこへ来れば」と言われた。

が、私は多分あいまいな返事をしていた。

3日日曜日、試写会会場の「いくのパーク」にカオリンズと向かった、ていうか、連れてって貰った。会場は体育館でフラットなので、背の低い私は前の席に座った。入口から金洪仙(キムホンソン)さんがさっそうと入ってきて、隣に座る。

そして、「昨日は4つも行きたいイベントがあったけどどこにも行けなかった」みたいな話をして「今日はこのあとピースクラブに行くの」というので、「えっ?」とどんな集まりなのか説明してもらう。

長く続いている、濃いつながりの仲間の寄りあいのようだ。私はホンソンさんに「東京でお会いした冤罪関係の方に『来れば』と言われてけど」と話し、たぶん辞めておくわと言ったと思う。

私は「アリランラプソディー」を見たあと、どうしてもキムチが食べたくて、鶴橋に寄ったら必ず寄る韓国料理の店で味噌チゲを食べ、「アリランラプソディー」のパンフを見ながらまったりビールを飲んでいた。

するとパーティーの準備などで早めにピースクラブに行っていたホンソンさんから「参加者名簿に『尾﨑美代子』とあるよ」と連絡がきた。「えっ? どうしよう」。

しばらく思案したのち、家に帰れば、東京にもっていった『日本の冤罪』20冊の残り6冊があるはず……急いで帰れば間に合うか。本を売りたい、いや、紹介したいと思ってしまい、急いで帰ってピースクラブに行く。いや、行った目的は本を売りたいためだけではないですが。その日の様子は金洪仙さんのFacebookの投稿を読んでください。

結果、素晴らしい人たちと出会うことが出来た。更に早めに帰るつもりが23時までいてしまった。私が余り知らなかった甲山事件について、甲山事件の弁護人の一人であり、私が大尊敬していた故・片見冨士夫弁護士のお話をたくさんお聞きすることができた。

なお、この寄りあいでは、もうひとつ、驚くような出会いというか、再会場面があったが、それはまた別の日に……。

連絡をくれ、繋げてくれた金洪仙さんに大感謝です!!

写真[左]石橋義之さんが長年作ってきた「ばじとうふう」に執筆してきた仲間の皆さんの寄り合いに参加することが出来た/[中央]3月3日の素晴らしい寄り合いに誘って下さった「国賠ネットワーク」の土屋翼(つちやたすく)さん/[右]3月3日午後から生野区「いくのパーク」で開催された「アリランラプソディ」試写会後あいさつする金聖雄(キムソンウン)監督

▼尾﨑美代子(おざき みよこ)
新潟県出身。大学時代に日雇い労働者の町・山谷に支援で関わる。80年代末より大阪に移り住み、釜ケ崎に関わる。フリースペースを兼ねた居酒屋「集い処はな」を経営。3・11後仲間と福島県飯舘村の支援や被ばく労働問題を考える講演会などを「西成青い空カンパ」として主催。自身は福島に通い、福島の実態を訴え続けている。
◎著者ツイッター(はなままさん)https://twitter.com/hanamama58

尾﨑美代子著『日本の冤罪』

◎amazon https://www.amazon.co.jp/dp/4846315304/

◎鹿砦社HP https://www.rokusaisha.com/kikan.php?bookid=000733

横浜副流煙事件の「反訴」で、被告A妻(3人の被告のひとり)の本人尋問が行なわれる公算が強くなった。しかし、A家の山田弁護士は、A妻の体調不良を理由として出廷できない旨を主張している。最終的に尋問が実現するかどうかは不透明で、3月11日に原告と被告の間で裁判の進行協議が行われる。

副流煙の発生源と決めつけられた音楽室と、「被害者」宅の距離を示す現場写真

裁判では、作田医師が被告3人のために作成した診断書が争点になっている。これら3通の診断書は患者が自己申告した病状に重きを置いて、化学物質過敏症、あるいは「受動喫煙症」の病名が付された。それを根拠として、約4500万円を請求する前訴が提起されたのである。従って診断書が間違っていれば、提訴の根拠もなかったことになる。

つまり診断書の作成プロセスが問題になっているのだ。言葉を返ると、患者の希望に応じて作成した診断書に効力はあるかという問題である。

この「反訴」の発端は、2017年の秋にさかのぼる。

横浜市青葉区のすすき野団地に住むミュージシャン藤井将登さんは、自室で煙草を吸っていたところ、副流煙が原因で、化学物質過敏所に罹患したとして、上階の斜め上に住むAさん一家(A夫、A妻、A娘)から、約4500万円の損害賠償請求を受けた。しかし、将登さんが喫煙していた部屋は、防音構造が施されている音楽室で、煙は外部にもれない。しかも、喫煙量は1日に2、3本程度だった。さらに将登さんは留守がちだった。A家が主張する副流煙の発生源に十分な根拠がなかった。

それにもかかわらず原告(「反訴裁判の被告」)は、将登さんの煙草が原因で、化学物質過敏症になったと主張し、高額な金銭を請求したのだ。

裁判所はA家の訴えを棄却した。控訴審でも、A家の訴えは一切認められなかった。

将登さんは勝訴の確定を受けて、2022年3月にA家が起こした裁判はスラップに該当するとして、損害賠償裁判を起こした。これが現在進行している「反訴」である。この裁判の原告には、将登さんの他に、妻の敦子さんも加わった。さらに3人の診断書を交付した作田医師については、被告に加えた。

裁判は順調に進み、証人調べの人選の段階に入った。藤井さん側は、A夫の尋問を求めたが、A夫の山田弁護士は体調不良を理由に出廷はできないと主張した。しかし、藤井敦子さんは、A夫が戸外を歩いている場面をビデオに撮影して、山田弁護士の主張が事実に基づかない旨を主張した。

しかし、平田裁判官は山田弁護士の意見を重視して、A夫の尋問は行わない決定を下した。

これに怒った将登さん側は、平田裁判官に対する忌避を申し立てた。忌避の審理には、上級裁判所での審理も含めて、約1年を要した。結局、忌避そのものは認められなかったが、平田裁判官はA夫の尋問を決めた。

山田弁護士は、やはりA夫の尋問は難しい旨を説明した。医師の診断書も提出した。そこで藤井さんの側は、代案としてA妻の尋問を求めたのである。平田裁判長は、判断に迷ったようだが、最終的にそれを認めた。

こうしてA妻の尋問が実現する公算が高くなったが、山田弁護士はA妻の体調不良を理由に、出廷できないと主張している。既に述べたように、裁判の進行協議は3月11日に行われる。

作田学医師が交付したA妻の診断書。根拠なく副流煙の発生源を特定している

※このところ一部の市民団体が化学物質過敏症の患者数を誇張して報じている。化学物質が人体に有害な影響を及ぼすことは、紛れもない科学的な事実で、規制も必要だが、実際の患者数については慎重に検討しなければならない。誇張があってはならない。横浜副流煙事件のような「冤罪」を生む可能性があるからだ。

たとえば市民団体代表の加藤やすこ氏は、「あたらしい年は香害のないきれいな空気で過ごしたい」(『週刊金曜日』2月9日)の中で、化学物質による被害の実態について次のように述べている。

香害に関する情報発信などを行うフェイスブック「香害をなくそう」は、2022年に移香で困っていることについてWEBアンケートを実施した。

回答者600人のうち、「家の中に入る人や、近隣からの移香や残留で、家の中が汚染される」は、90.9%で、「外出先の空間や人から移香して汚染される」は90.0%……

有病率を明記しているわけではないが、香による被害を殊更に強調している。数値に客観性があるのか否かを慎重に検討しなければならない。

この件については、別稿を準備している。

▼黒薮哲哉(くろやぶ・てつや)
ジャーナリスト。著書に、『「押し紙」という新聞のタブー』(宝島新書)、『ルポ 最後の公害、電磁波に苦しむ人々 携帯基地局の放射線』(花伝社)、『名医の追放-滋賀医科大病院事件の記録』(緑風出版)、『禁煙ファシズム』(鹿砦社)他。
◎メディア黒書:http://www.kokusyo.jp/
◎twitter https://twitter.com/kuroyabu

黒薮哲哉『禁煙ファシズム-横浜副流煙事件の記録』(鹿砦社)

黒薮哲哉『新聞と公権力の暗部 「押し紙」問題とメディアコントロール』(鹿砦社)

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