1998年に和歌山市園部で4人が死亡した毒物カレー事件で、殺人罪などに問われた林眞須美死刑囚(56)は今日まで一貫して無実を主張してきた。今年3月、和歌山地裁に再審の請求を棄却されたが、すぐさま即時抗告し、現在も大阪高裁で再審可否の審理が続けられている。

そんな林死刑囚の再審請求をめぐり、密かに興味深いことが起きていた。和歌山地裁の再審請求審に弁護団が「無罪の新証拠」として提出した鑑定書や意見書の作成者である京都大学の河合潤教授(分析化学)が連載中の法律雑誌に、和歌山地裁の再審請求棄却決定に反論する論文を寄稿したのだ。

◆裁判官たちの自信の無さが窺えた再審請求棄却決定

林死刑囚の裁判では、一審段階から「林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「犯行に使われた亜ヒ酸」が同一と認められるか否かが常に大きな争点だった。結果、東京理科大学の中井泉教授(分析化学)が兵庫県の大型放射光施設スプリング8で行なった鑑定などをもとに、これらの亜ヒ酸が同一だと認定され、無実を訴える林死刑囚は死刑が確定した。

ところが、林死刑囚が再審請求後、弁護団の依頼を受けた河合教授が中井教授の鑑定データを解析したところ、中井鑑定に関する様々な疑問が浮上。河合教授は解析結果に基づき、「林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸」と「犯行に使われた亜ヒ酸」が異なるとする鑑定書や意見書をまとめ、弁護団がこれを和歌山地裁の再審請求審に提出した。そしてこの一連の動きの中、林死刑囚の冤罪を疑う声が世間で広まっていったのだ。

結果、先に述べたように和歌山地裁は今年3月、林死刑囚の再審請求を棄却したのだが、実はその決定書をよく読むと、裁判官たちの自信の無さが窺える。死刑判決の最大の拠り所となった中井教授らの鑑定について、〈証明力が減退したこと自体は否定しがたい状況にある〉と述べるなど、河合教授の鑑定書や意見書で指摘された様々な問題を否定し切れなかったことがわかる記述が散見されるのだ。

河合潤=京大教授(分析化学)の論文

河合教授の論文が掲載された「季刊刑事弁護」92号(現代人文社2017年10月20日)

◆「季刊刑事弁護」の連載で発表

そんな和歌山地裁の再審請求棄却決定について、鑑定人である河合教授が自ら反論した論文が掲載されたのは、現在発売中の「季刊刑事弁護」92号(現代人文社)だ。河合教授は、2015年10月に発売された同誌84号から和歌山カレー事件の鑑定を例に「鑑定不正の見抜き方」という連載を手掛けてきたのだが、92号に掲載された最終回(第7回)で、再審請求棄却決定の内容に詳細に反論したのだ。

たとえば、河合教授は和歌山地裁に提出された鑑定書で、犯人がカレーの鍋に亜ヒ酸を入れる際に使ったとみられる紙コップに付着していた亜ヒ酸が、林死刑囚の周辺で見つかった亜ヒ酸より濃度が高いという矛盾を指摘していた。和歌山地裁の再審請求棄却決定はこの矛盾を否定するため、林死刑囚が周辺にあった亜ヒ酸をいったん、押収されている容器「以外の容器」で保管した後に紙コップに入れ、犯行に及んだ可能性があると指摘した。

しかし、河合教授が同誌に寄稿した論文によると、仮に林死刑囚が周辺にあった亜ヒ酸をいったん「以外の容器」なるものに保管したとしても、それで亜ヒ酸の濃度が高くなることはないという。

また、和歌山地裁の再審請求棄却決定は、河合教授が中井鑑定に関して指摘した問題点について、中井教授が1回しか計測を行っていないことを根拠に〈何ら不自然ではない〉と述べている。河合教授はこれに対し、論文で〈人間ドッグで異常値を示したとき「1回しか計測されていない」から大丈夫といって翌年の人間ドッグまで再検査せずに済ますであろうか〉と喝破しているが、このたとえは分析化学の知識がない人間でもわかりやすいはずだ。

再審請求の審理は非公開で行われるため、公正な審理が行われたのか否かを検証するための情報は通常の裁判に比べて乏しい。鑑定人が自ら裁判所の決定に反論した論文を発表するというのは、この現状に風穴をあける試みだと私は思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

最新刊『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

私はこれまで数多くの殺人犯を取材してきたが、取材させてもらった人物がのちに殺人犯になったという経験も1度ある。木原武士(事件当時42)という人物で、2003年に起きたフリーライター殺人事件の主犯格である。木原とは20年近く前に一度会っただけだが、その時のことは今も忘れがたい。

被害者の染谷悟さん(筆名=柏原蔵書)の著書『歌舞伎町アンダーグラウンド』(ベストセラーズ2003年)

◆インタビュー取材のために訪ねたが……

この事件の被害者・染谷悟さん(同38)は、柏原蔵書(くらがき)という筆名で「歌舞伎町アンダーグラウンド」という著書があるフリーのライターだった。2003年9月、その刺殺体が東京湾で見つかり、ほどなく都内で鍵会社を経営する木原が2人の共犯者と共に検挙された。主犯格の木原は裁判で2006年に懲役16年の判決が確定したが、染谷さんを殺害した動機は、染谷さんが自分を誹謗する本を出版する計画だと聞いたことなどだとされる。

私がそんな木原に取材させてもらったのは、事件の数年前のことで、たしか1998~1999年頃だった。当時はピッキング被害が続発していた時期で、木原は「防犯アドバイザー」のような形でマスコミに頻繁に登場し、ちょっとした有名人だった。当時20代後半だった私は月刊誌の仕事で、そんな木原の元に成功体験を語ってもらうインタビュー取材に訪ねたのだ。

だが、実を言うと私はこの時、木原のもとに取材に訪ねながら、結果的に何も取材せずに記事を書いてしまったのである。というのも、私はこの日、下調べをほとんどしておらず、木原に対して要領を得ない質問を繰り返した。そんな私に苛立っていた様子の木原はこう言って、過去に取材を受けた雑誌記事のコピーを差し出してきたのだ。

「これを見て、書いてよ。よく書けている記事だから」

本当にその記事をほぼ丸写しにする形で原稿を書いた私もいい加減なものだが、木原は逆らわないほうが無難そうに感じさせる人物だった。

◆面倒見や金離れは良さそうだが……

そんな感じで木原への「取材」は10分程度で終わり、1時間かそこら四方山話をしたのだが、木原からは若い頃に派手に儲けた話や派手に遊んだ話を色々聞かされた。そして適当に話を合わせていたら、木原は「君は27歳か。いいなあ」と、こんなことを言い出したのだった。

「君は今、何をやっても楽しいだろう。俺も27くらいの時はそうだった。30代半ばを過ぎると、いくらお金があっても感動できなくなるんだよ。今、俺が君と替われるんだったら替わりたいもん」

当時は金回りが良かったとされる木原が人生に少々退屈している様子が窺えた。

被害者の染谷さんは元々、木原と良好な関係で、木原から金を随分引っ張りながら裏切り行為を続けて殺害されたように伝えられている。振り返れば、たしかに木原は「面倒見や金離れが良さそう」「怒らせると怖そう」という両方の雰囲気を感じさせる人物で、事件後の報道は得心できるものが多かった。

私は今もたまにこの時の木原の様子を思い出すが、そのたびに下手なことはしないでよかったとつくづく思う。と同時に、46歳になった今の私は、私の若さを羨んだ木原の当時の気持ちがわかるようになった自分に気づくのだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

本を持つ二本松氏

駐車違反をめぐる警官とのささいな口論から、男性は公務執行妨害で逮捕され19日間の勾留。妻は真実を明らかにするために目撃者探しに奔走する――。突然、「犯罪者」にでっち上げられた夫と無念を晴らそうとする妻が、国家賠償請求訴訟で真実を明らかにするまでの9年1か月のドキュメント。それが、拙著『不当逮捕―築地警察交通取締りの罠』(同時代社)である。

同書が発売開始になったのを機に、当事者である二本松進氏を迎えての講演会を12月16日14時から、東京都豊島区の雑司が谷地域文化創造館第2会議室で開催する。

共謀罪が施行され、警察権限が強大化されるなかで、一般市民が警察相手の国賠訴訟で勝訴した稀な事件の当事者である二本松氏に語ってもらう。この事件を通して、一般市民対権力(国・地方自治体)の構図になる国賠訴訟の実態と問題点を世に問うのが講演会の目的だ。交通取締りをめぐるささいな口論で起きた事件だから、車に乗る人なら「明日は我が身」と思っていただきたい。

◆「女性警察官に暴行し公務執行妨害」という捏造ストーリー

2007年10月11日、新宿で寿司店を経営する二本松進氏は、妻の運転で築地市場に仕入に来て帰ろうとしていた。すると車の前に立っていた髙𣘺眞智子巡査が「法定禁止エリアだ」と一言発した。

ドライバーが運転席に座りエンジンをかけて出発しようとしているのに、警察官は発車をうながすどころか、妨害したのである。築地市場周辺の路上には、仕入関係の車が多数駐車されており、運転手不在で長時間駐車されているのが日常である。いちいち取締をしていたら市場が機能を果たさなくなる。

実は、「法定禁止エリアだから早く移動してください」とか「違反だから切符告知します」と具体的に警察官が取り締まろうとしてのではなく、ただ一言「法定(駐車)禁止エリアだ!」と言っただけなのだ。
 
二本松氏は交通取締だと思い、「運転手も不在で長時間放置されている何台もの車をそのままにして、運転手が座ってエンジンをかけ出発しようとしている車を取り締まるなんておかしくない!?」と口論が始まったのである。

興奮状態に陥った髙𣘺巡査は「暴行を受けています!」と緊急通報してしまった。4~5分には、何台もの警察車両に乗った警察官が現場に駆けつけ、有無を言わさず二本松氏を逮捕。築地警察署に連行して19日間勾留し、起訴猶予処分となって釈放された。

起訴猶予とは、有罪だが起訴して裁判にかける必要はないという意味であり、前科はつかないが「前歴」はつく。

◆嘘のオンパレードのポリス・ストーリー

理不尽な警察官の対応に抗議して口論になっただけで、暴行も公務執行妨害も何も起きていない。しかし築地警察が急遽作成した供述調書はじめとする各種の文書では、二本松氏が車に乗って逃亡を図った、女性警官の胸を7~8回突いて暴行した、ドアで髙𣘺巡査の手を挟み負傷させたなど、完全に虚偽の内容だった。

現行犯人逮捕手続書などを見ると、二本松氏は暴行しただけでなく「あの程度の暴行で大騒ぎして警察は横暴だ! 逮捕できるならやってみろ! ふざけんじゃねえ!」と怒号したことになっている。まるでならず者だ

さらに、車と半開きのドアの間に入った髙𣘺巡査に対し、ドアの外側にいた二本松氏がドアを強く閉めて髙𣘺巡査の右手首を負傷させたなど警察は主張していた。しかしドアの内側に立っていたのは二本松氏だった。

釈放された二本松氏は法律の勉強に励み、2年後の2009年10月29日に東京都(警視庁)と国(検察庁・裁判所)を相手取って彼は国賠訴訟を起こした。2016年3月18日、東京地裁で二本松氏に240万円支払う判決が言い渡され勝訴。原告被告双方が控訴し、事件から9年1か月、2016年11月1日に東京高等裁判所で勝訴判決。この判決は確定している。

◆トカゲの尻尾切判決で警察・検察・裁判所の冤罪づくりはお咎めなし

判決で驚くのは、現場警察官の暴行に関する主張・証言を一切認めなかったこと。つまり最大の焦点であった暴行の有無に関しては、二本松氏側の完勝だったのだ。

しかし、現場警察官だけでは冤罪づくりは不可能であり、築地警察署捜査員、検察官、裁判官の存在がなければあり得ない。だから二本松氏は「トカゲの尻尾切判決」と言う。もっとも事実認定に於いて警察官の主張を全面的に否定した判決には驚いた、というのが筆者の率直な感想である。

当日の講演では、事件現場で何が起きたか詳細に語ってもらい、裁判になってからのポイントに言及してもらう。加えて、警察署、検察、裁判所の問題にも切り込み、国家賠償法そのものの不備や、国賠訴訟で権力側代理人になる「指定代理人」という重大問題についても問題提起する予定である。

■講演会「不当逮捕~築地警察交通取締りの罠」
講師:二本松進氏(寿司店経営者)
日時:12月16日(土)13:30開場、14:00開演、16:45終了
場所:雑司が谷地域文化創造館
京都豊島区雑司が谷3-1-7千登世橋教育文化センター内
資料代:500円
交通:「副都心線 雑司が谷駅」2番出口直結「JR山手線 目白駅」より徒歩10分

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

重大な問題の答えが目の前にわかりやすく示されていると、人は案外、その答えを素直に信じられないものである。「こんな重大な問題の答えが、まさかこんなにわかりやすく示されているとは……」と妙な疑心暗鬼に陥ってしまうからである。

私が取材している冤罪事件の中にも、そのような状況に陥っている事件がある。無実の人が死刑執行された疑いが根強く指摘されている、あの飯塚事件がそれである。

◆無罪の立証に苦労を強いられているが……

1992年に福岡県飯塚市で小1の女の子2人が何者かに殺害された飯塚事件で、殺人罪などに問われた久間三千年さん(享年70)は、捜査段階から一貫して無実を訴えていた。しかし2006年に最高裁で死刑が確定し、2008年に収容先の福岡拘置所で死刑を執行された。久間さんは当時、再審請求を準備中だったという話は有名だ。

そんな久間さんが冤罪を疑われる一番の理由は、あの「足利事件」との共通性である。

1990年に栃木県足利市で4歳の女の子が殺害された足利事件では、当時は技術的に稚拙だった警察庁科学警察研究所(科警研)のDNA型鑑定のミスにより、無実の男性・菅家利和さんが犯人と誤認されて無期懲役判決を受けた。久間さんも菅家さんと同時期、科警研のほぼ同じメンバーが行ったDNA型鑑定を決め手に有罪とされているため、鑑定ミスによる冤罪を疑う声が後を絶たないわけだ。

だが、久間さんの場合、科警研がDNA型鑑定に必要な試料を全量消費しているため、菅家さんのように再鑑定で冤罪を証明することはできない。そのため、現在行われている再審可否の審理では、弁護側はDNA型鑑定の専門家に科警研の鑑定写真を解析してもらったり、血液型鑑定や目撃証言を再検証したりするなど、無罪を立証するために多角的なアプローチをせねばならず、大変な労力を費やしている状態だ。

だが、実を言うと、久間さんの裁判で示された科警研のDNA型鑑定が間違っていたことは、すでに実にわかりやすく示されている。というのも、科警研のDNA型鑑定では、①足利事件の犯人、②菅家さん、③飯塚事件の犯人、④久間さんの四者のDNA型がすべて「同一」と結論されていたのだ。

◆科警研のDNA型鑑定では久間氏も菅家氏も「16-26型」

順を追って説明すると、こういうことだ。

足利事件、飯塚事件共にDNA型鑑定は、当時主流だったMCT118型検査という手法で行われている。その結果、足利事件の犯人、菅家さん、飯塚事件の犯人、久間さんの四者のDNA型はいずれも「16-26型」と判定されていたのだ。

ちなみにこのDNA型の出現頻度は、菅家さんの一審判決文では0.83%、久間さんの一審判決文では0.0170(1.70%)とされている。10の20乗分の1の精度で個人識別できるといわれる現在のDNA型鑑定に比べると精度はかなり低い。しかし、当時のMCT118型検査が本当にこの程度の精度で個人識別できていたとすれば、別人である菅家さんと久間さんのDNA型が一致し、さらに足利事件と飯塚事件の両事件の犯人まで同じDNA型であるという偶然が起こりうるだろうか?

そんな偶然が起きるわけがなく、これ1つとっても科警研のDNA型鑑定が間違っていたことは明らかだ。実際、足利事件のDNA型鑑定のほうはすでに間違っていたことが証明されているが、飯塚事件のDNA型鑑定だけは間違っていなかったということも考え難いだろう。死刑執行された人が冤罪か否かという重大な問題の答えは、かくもわかりやすく示されているわけだ。

久間さんの再審可否の審理は現在、福岡高裁で行われており、近く決定が出るとみられている。冤罪死刑により奪われた久間さんの生命は戻ってこないが、せめて一日も早く再審が実現し、久間さんの名誉が回復されなければならない。

久間さんの再審可否の審理が行われている福岡高裁

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の注目を集めた殺人事件の犯人が裁判中に奇異な言動をしたことが報道されると、「刑事責任能力が無い精神障害者を装うための詐病」ではないかと疑う声があちらこちらでわき上がる。また、そういう大量殺人犯が実際に刑事責任能力を否定され、無罪放免になることを心配する人も少なくない。

だが、私の取材経験上、現実はまったく逆である。私はこれまで犯人の刑事責任能力の有無や程度が問題になった様々な殺人事件を取材してきたが、精神障害者のふりをしているように思える殺人犯はただの1人もいなかった。むしろ、明らかに重篤な精神障害を患っている殺人犯たちがあっさりと完全責任能力が認められ、次々に死刑や無期懲役という厳罰を科せられているのが日本の刑事裁判の現実なのである。

その中でも印象深かった殺人犯の1人が「大坂パチンコ店放火殺人事件」の高見素直だった。

現場のパチンコ屋があったビルの1階は事件後、ドラッグストアに

◆『みひ』や『マーク』への復讐だった……

高見は41歳だった2009年7月、大阪市此花区の自宅近くにあるパチンコ店で店内にガソリンをまいて火を放ち、5人を焼死させ、他にも10人を負傷させた。そして山口県の岩国市まで逃亡し、岩国署に出頭して逮捕されたのだが、犯行に及んだ動機については当初、次のように語っていると報道されていた。

「仕事も金もなく、人生に嫌気が差した」「誰でもいいので殺したかった」(以上、朝日新聞社会面2009年7月7日朝刊)

「誰でもいいから人を殺したいと思い、人が多数いる所を狙った」「やることをやったので、罰はきちんと受けようと思い、出頭を決めた。死刑しかないと思っている」(以上、読売新聞大阪本社版2009年7月8日夕刊)

こうした報道を見て、負け組の40男が起こした身勝手な事件だと思った人は多かったはずだ。だが、2年余りの月日を経て2011年9~10月に大阪地裁であった裁判員裁判で、高見は次のような「真相」を明かした。

「自分に起こる不都合なことは、自分に取り憑いた『みひ』という超能力者や、その背後にいる『マーク』という集団の嫌がらせにより起きています。世間の人たちもそれを知りながら見て見ぬふりをするので、復讐したのです」

重篤な精神障害を患っていることを疑わざるを得ない供述だが、このように高見が「超能力者の嫌がらせ」を訴えていることはほとんど報道されていない。そのせいもあり、当初はこの事件の取材に乗り出していなかった私がこのような高見の供述を知ったのはかなり遅い。高見がすでに一、二審共に死刑判決を受け、最高裁に上告していた頃、私はようやく一審判決を目にし、高見が法廷でこのような奇想天外な供述をしていたのを知ったのだ。

高見が出頭した岩国署

◆統合失調症だったと診断されても死刑

一、二審判決によると、高見は捜査段階から3度、精神鑑定を受けていた。その中には、高見が妄想型の統合失調症だと診断し、「善悪の判断をし、それに従って行動することは著しく困難だった」との見解を示した医師もいたという。

また、他の2人の医師も高見について、統合失調症だとは認めなかったものの、覚せい剤の使用に起因する精神病だと判定し、高見が「『みひ』や『マーク』のせいで、自分の生活がうまくいかない」という妄想を抱いていたのは認めていたという。

それでいながら高見は一、二審共に完全責任能力を認められ、死刑判決を受けていた。そのことを知った私は最高裁で、高見の上告審弁論が開かれた際に傍聴に赴いた。そこで弁護人が繰り広げた弁論は独特だった。

「いま、イスラム国が人質の首を斬り落とす場面の映像をユーチューブで見て、残虐だと思わない日本人はいません。それ同じで、いま、絞首刑が執行される場面の映像をユーチューブでアップすれば、残虐だと思わない日本人はいないはずです」

つまり、弁護人は絞首刑について、公務員による残虐な刑罰を禁じた憲法第36条に反すると主張したのだが、そのためにイスラム国を例に持ち出したのはわかりやすいといえばわかりやすかった。

◆「今もそばにいます」

そして弁護人は最後にこんなことを訴えた。

「先日、高見さんに接見した際、「『みひ』や『マーク』はどこにいますか?と尋ねてみたのです。すると、高見さんはこう答えました。『今もそばにいます』」

最高裁の法廷には被告人は出廷できないので、その場に高見はいなかった。そこで高見と実際に会い、本人の病状を確かめてみたいと思ったが、収容先の大阪拘置所で何度面会を申し込んでも、高見は一度も応じてくれなかった。ただ、弁護人の弁論を聞く限り、かなり重篤な精神障害を患っているのは確かだろう。

しかし結局、最高裁は2016年2月、犯行時の高見に完全責任能力があったと認め、上告を棄却して死刑を確定させた。「動機形成の過程には妄想が介在するが、それは一因に過ぎない」。それが最高裁の山崎敏充裁判長が示した見解だった。

このように重篤な精神障害者はどんどん刑事責任能力を認められ、厳罰を科されていく。それが日本の刑事裁判の現実なのである。

高見が死刑囚として収容されている大阪拘置所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

社会の耳目を集めるような殺人事件が起こるたび、インターネット上で被疑者に対する凄絶なバッシングが巻き起こるのが恒例だ。それはひとえに、世の中の多くの人たちは、自分が殺人事件の被害者になることは想像できても、加害者になることは想像できないからだろう。普通の人は通常、テレビや新聞を通してしか殺人事件の情報に接しないので、それも無理はないことだ。

だが、私はこれまで様々な殺人事件を取材してきて、自分や家族がいつ殺人事件の被害者になってもおかしくないと思うと同時に、自分がいつ殺人事件の加害者になってもおかしくないと思うようになった。生まれてから40数年に渡り、殺人事件の被害者にも加害者にもならずに生きてこられたのは、幸運なことではないかとさえ思う。

いま、広島地裁で行われているマツダ社員寮同僚殺人事件の上川傑被告(21)の裁判員裁判を傍聴し、そのことを再認識させられた。

◆相当な悪人物であるかのように叩かれた被告

事件は昨年(2016年)9月中旬、広島市南区にある自動車メーカー・マツダの社員寮で起きた。寮内の非常階段の2階踊り場で、寮の7階で暮らす同社社員の菅野恭平さん(当時19)が頭から血を流し、倒れているのを同僚が発見。菅野さんはすでに死亡しており、広島県警は殺人の疑いで捜査を展開した。そしてほどなく検挙されたのが、同社社員の上川被告だった。

上川被告は菅野さんと同期入社で、やはり寮の7階で暮らしていた。逮捕当初の報道によると、事件当日、菅野さんを車に乗せ、寮の近くにあるコンビニや銀行、郵便局を回り、現金120万円を引き出させたうえ、寮に戻ってから消火器で殴るなどして殺害し、金を奪ったかのように伝えられていた。そして交際していた女性と事件後に宮島でデートしていたことが女性のSNSから判明したこともあり、インターネット上では相当な悪人物であるかのように叩かれていた。

そんな上川被告が強盗殺人の罪に問われた裁判員裁判は、11月14日から広島地裁で始まり、計4回の公判審理を経て同27日に結審。判決は12月6日に宣告される予定だが、検察側が主張した事件の構図はおおよそ事前に報道された通りの内容だった。一方、弁護側は、上川被告が菅野さんに暴行して死なせたことや金を盗んだことを認めつつ、殺意などを否定し、「強盗殺人罪は成立せず、傷害致死罪と窃盗罪が成立するにとどまる」と主張した。そのため、事実関係にはいくつもの争いがあった。

私はこの裁判の大半の審理を傍聴したが、判決の予想から書いておく。検察官の主張する強盗殺人罪はおそらく適用されないだろう。上川被告が強盗目的で犯行に及んだと考えるには、いくつもの疑問が存在するからだ。

事件があったマツダの社員寮

◆強盗殺人を否定するいくつかの疑問

疑問の第1は、上川被告と菅野さんは事件前、共に社員寮の7階で暮らしていたものの、ほとんど付き合いがなかったことである。事件前から2人の間に上下関係があったならともかく、菅野さんがある日突然、単なる同僚に過ぎない上川被告に現金120万円を引き出すことを命じられ、それに従うというのは不自然だ。

第2に、仮に上川被告が強盗目的で菅野さんを殺害するならば、寮に連れて帰ってから犯行に及ぶだろうか。そんなことをすれば、犯行が露呈するのが自明だ。上川被告が菅野さんを殺害して金を奪うなら、車でひと気のない場所に連れて行き、犯行に及ぶのが自然だろう。

第3に、上川被告は事件後、菅野さんから奪った多額の現金(上川被告の主張では、120万ではなく107万円)を自分の銀行口座に入金している。最初から強盗目的で菅野さんを殺害したなら、このようなアシがつくのが自明のことはしないだろう。

上川被告の主張によると、菅野さんを車に乗せ、コンビニや銀行、郵便局を回ったのは、事件当日、菅野さんから「お金をおろしたいんで、車を出してくれない?」と頼まれたからだったという。そして夜勤明けの眠い中、親しくもない菅野さんを車に乗せてコンビニや銀行、郵便局を回った。それにも関わらず、車の中に置いていた交際相手の写真を「上川くんならもっと彼女は可愛いかと思った」と言われて腹が立ち、寮に帰ってから暴行してしまったのだという。

これはあくまで上川被告の主張だが、客観的事実とよく整合していた。凶器の消火器もその場にあったものを使っており、その事実からも強盗の計画があったわけではないことが裏づけられていた。

上川被告の主張が仮にすべて事実だとしても、上川被告は消火器で暴行された菅野さんが倒れて動けなくなったあとでバッグの中の多額の現金を奪い、救急車も呼ばずに逃走しており、弁明の余地はない。上川被告の交際相手に関する菅野さんの発言が仮に事実だとしても、菅野さんに落ち度があったとは到底言えない。しかし、それでもやはり、検察官が主張するような強盗殺人罪の成立は難しいだろう。

先述したように上川被告は逮捕当初、相当な悪人物であるかのように叩かれていたが、法廷で本人を見た印象としては、坊主頭の真面目そうな若者だった。私の経験上、社会を騒がせた殺人事件の犯人と実際に会ってみると、どこにでもいそうな普通の人物であることがほとんどだが、上川被告もまたそうだったというわけだ。

実際のところ、上川被告は事件前にも同僚の車でコンビニに行った際、車内にあった5万円を盗んでおり、品行方正な人物だったとも言い難い。とはいえ、とくに暴力的な人間ではなかったという。公判中は常に苦渋の面持ちで、時折、涙を流していたが、本人も自分が人の生命を奪う事件を起こすなどとは、実際に事件を起こすまで夢にも思っていなかったろう。

私はそんな上川被告の様子を観察しながら、自分のこれまでの人生を振り返り、自分が何かの拍子に彼の立場になっていたとしても何らおかしくなかったように思えてならなかった。

上川被告の裁判が行われている広島地裁

◆殺意が否定されるかも微妙

一方、「傷害致死と窃盗」が成立するにとどまるという弁護側の主張が認められるかというと、それも難しいのではないかと私は予想している。

というのも、上川被告は消火器で菅野さんに暴行したことは認めつつ、「消火器で殴ったのではなく、消火器は手で持ったまま、床にうつ伏せで倒れた菅野さんの背中や後頭部に(重力に任せて)落としただけだった」と弁明し、弁護側はこの行為に殺意はなかったと主張している。しかし、仮に事実が上川被告の説明通りだとしても危険な行為であることに変わりはなく、裁判員たちも殺意の存在を否定しがたいだろう。

また、公判審理には菅野さんの両親が毎回、被害者参加制度を利用して出席していたが、論告求刑公判の際、両親が行った意見陳述は胸に迫るものだった。それもまた裁判官や裁判員の事実認定に影響を与える可能性は否めない。

菅野さんは子供の頃から車が好きで、とくにロータリーエンジンに強い興味を持っていたという。真面目な努力家で、高校卒業後にマツダに入社してからも上司や先輩に可愛がられていたという。母親はそんな菅野さんについて、「自慢の息子だった」「恭平の笑顔が好きだった」「恭平を返して欲しい」「恭平のいない人生は考えられない」などと泣きながら語った。

そして菅野さんの父親と母親が口をそろえたのは、上川被告に「死刑」を望むということだった。父親は「できれば被告人に消火器などで同じことをしてやりたい」と言い、母親も「同じ目に遭わせてやりたい。人の生命を奪っているのだから、生命で償ってもらいたい」と言った。我が子の生命を理不尽に奪われた両親としては、当然の感情だろう。

だが、検察官の求刑は無期懲役だった。つまり、検察官の主張通りに判決で事実関係が認定されても、死刑が宣告される可能性は無いに等しい。そして私の予想通りなら、強盗殺人罪は適用されないから、上川被告の量刑は有期刑になるだろう。

ひとくちに有期刑と言っても、殺意まで否定されて傷害致死罪と窃盗罪が適用されたら、おそらく量刑は懲役10年を上回ることはないだろう。菅野さんの両親の意見陳述を聞いた裁判官や裁判員たちがそのような選択をできるかというと私は疑問だ。

いずれにしろ、自分がいつ殺人事件の被害者や加害者になってもおかしくないし、そうならずに今日まで生きてこれたのは幸運だった。私にとって、そのことを再認識させられる事件だ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

鹿砦社新書創刊!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

去る11月21日のこと。ヤフーニュースで次のような見出しの記事が配信されているのを見かけ、私はドキリとさせられた。

……………………………………………………………………………
<公判打ち切り>さいたま地裁判断 精神疾患で5年審理停止
……………………………………………………………………………

記事の配信元は毎日新聞。被告人が精神疾患であることなどを理由に5年近く審理が停止されていた2つの事件について、さいたま地裁が「回復の見込みがない」などと判断し、公訴棄却の判決を言い渡したのだという。

私がこの記事にドキリとさせられたのは、動向を気にかけていた「ある被告人」の裁判のことを報じた記事だと勘違いしたからだ。ある被告人とは、埼玉少女誘拐事件の犯人で、千葉大学生(休学中)の寺内樺風被告(25)のことである。

◆判決期日が指定されないまま、時間が過ぎ去り……

埼玉県朝霞市の女子中学生が約2年に渡って失踪し、昨年3月に保護された誘拐事件で、寺内被告は未成年者誘拐と監禁致傷、窃盗の罪に問われた。さいたま地裁で行われた裁判では、当初から「勉強の機会を与えたが、させられなかったのが残念」「結局、何が悪かったんですかね」などと特異な供述をしているように報道されていた(寺内被告の法廷での発言は産経ニュースより。以下同じ)。

そして検察に懲役15年を求刑され、迎えた8月末の判決公判。寺内被告は法廷で奇声をあげ、次のような不規則発言を繰り返したという。

「私はオオニシケンジでございます」「(職業は)森の妖精です」「私はおなかがすいています。今なら1個からあげクン増量中」

松原里美裁判長はこうした寺内被告の異変をうけ、いったん休廷したのち、やむなく判決言い渡しの延期を決定。これにより、寺内被告は逮捕の時以上に世間の注目を集めたのだった。

その後、再び判決言い渡しの期日が指定されることはなく時間が過ぎ去り、次第に世間の人々は寺内被告のことを忘れ去っていった。そんな中、私がひそかに寺内被告のことを気にかけていたのは、その病状が深刻なのではないかと思っていたためだ。

◆やはり病状は深刻か

というのも、重大事件の犯人が取調室や法廷で異常な言動を示したことが報道されると、「精神疾患を患ったふりをして、罪を免れようとしているのではないか」と疑う声がわき上がるのが恒例だ。寺内被告が法廷で不規則発言を繰り返し、判決言い渡しが延期されたときもそうだった。

だが、私の取材経験上、そういう異常な言動を示す重大事件犯は誰もが演技や詐病ではなく、本当に重篤な精神疾患を患っていた。それゆえに寺内被告もそうなのだろうと私は推測したのだった。

実を言うと、私は10月下旬のある日、実際に自分の目で寺内被告の病状を確かめようと、収容先のさいたま拘置支所まで面会に訪ねているのだが……。

さいたま拘置支所。寺内被告も以前収容されていたが……

「その人は今、ここにいませんよ」

拘置所の入口で受付をしている職員は、寺内被告との面会希望を伝えた私に対し、さらりとそう言った。以前はいたのかと尋ねると、「そうですね」とのこと。では、今はどこにいるのかと尋ねても、「それは言えないんですよ」と教えてくれなかったが、考えられる答えは1つだけだ。寺内被告は今、どこかの病院で精神疾患の治療を受けているのだろう。

そんな事情から、私は寺内被告の病状が深刻だとほぼ確信しているのだが、実際問題、本稿を書いている時点でもいまだ判決言い渡しの期日は指定されていない。このままの状態が続けば、先の2事件のように公判が打ち切りになることもあるかもしれない。

忘れ去られつつある事件だが、今後も動向を追い続ける予定なので、何か動きがあれば適時、報告したい。

さいたま拘置支所

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』12月号 安倍政権「終わりの始まり」

今年7月、最高裁に上告を棄却され、死刑判決が確定した鳥取連続不審死事件の上田美由紀死刑囚。捜査段階から一貫して無実を訴えてきたが、その有罪認定が妥当であることは当連載で報告してきた通りだ。

上田死刑囚はすでに死刑場のある広島拘置所に移送されており、今後は死刑執行まで同拘置所で過ごすことになる。だが、本人への取材を重ねてきた私は、上田死刑囚が今後、死刑執行を免れるために再審請求を繰り返すことを確信している。

当連載では、上田死刑囚がどんな人物で、本当は一体何をやったのかについて、引き続き取材結果を報告していく。私はそのことにより、死刑制度の見過ごされてきた問題も浮き彫りにできると考えている。

上田死刑囚が逮捕前に暮らしていた家は取り壊されて畑に……

◆最初の印象は「むしろ弱々しい感じ」

私は当連載の第1回で、松江刑務所で裁判中の上田死刑囚と初めて面会した際、「人当たりのいい人物」のように思えたと書いた。

というのも、報道では、巨躯で化粧の濃い怪人物であるような写真が流布していた上田死刑囚だが、実際に会ってみると、肥満体型ではあるものの、身長は150センチあるかないかというほど小柄で、むしろ弱々しい感じだった。男たちを次々に騙し、貢がせ、殺害した疑惑は本当なのだろうかと疑問を抱かせる雰囲気を醸し出しているのである。

実際、私だけではなく他の取材関係者の中にも上田死刑囚について、「実際に会ってみると、悪い人間には思えなかった」とか、「むしろいい人に思えた」とか言う者は複数いた。それもまた上田死刑囚なのである。

◆最初はとにかく人を褒めるが……

面会や手紙のやりとりをするようになった最初のうち、上田死刑囚はとにかく人のことをよく褒めていた。

まず、私に対しても、上田死刑囚は会うたび、手紙のやりとりをするたびにあれこれと褒めてくれた。たとえば、過去に書いた記事のコピーを差し入れると、「片岡さんが書いた記事はどっしりきます」などと言い、「片岡さんには何でも話せそうに思います」「片岡さんと会えて本当に良かったです」などと誉め言葉を並べ立てた。

このように臆面もなく褒められると、お世辞だと思っても悪い気はしないものだ。また、上田死刑囚は勾留されている刑務所の職員、一審の弁護人ら私以外の周囲の人物についても、「いつもよくしてくれている」「自分のために本当にがんばってくれた」などと感謝するようなことをよく言った。私は正直、当初は上田死刑囚のそういうところにも好印象を抱いた。

さらに上田死刑囚は「自分のところには、差し入れてもらった本がたくさんある。それを片岡さんに送るから、誰か取材している収容者の人に差し入れてあげて欲しい」「片岡さんには友人たちに会ってもらおうと思っています。友人たちもマスコミが嘘ばかり書いてひどいから、本当のことを話したいと言っています」などということを口にした。

そういうことについても、一体どこまで本当なのかと思いつつ、悪い印象は抱かなかった。しかし交流を重ねるうち、上田死刑囚は次第に「本当の素顔」をあらわにしてきたのである。

◆最初に感じたストレス

私が上田死刑囚について、最初にストレスを感じたのは、取材関係者の悪口をよく言うことに関してだ。上田死刑囚は疑惑が表面化した当初、マスコミに散々悪く書き立てられていた。それゆえに取材関係者のことを悪く言うこと自体は仕方がない。私がいやだったのは、上田死刑囚が私を褒める際、他の取材関係者の名前を挙げ、いちいち悪く言っていたことだ。

「××さんや〇〇さんとも会いましたが、私は信頼なんてできませんでした」
「××さんや〇〇さんの記事は嘘が多いです」
「××さんや〇〇さんより片岡さんは立派な方だと思います」

私も人間だから、同業者と比較されながら自分のことを褒められ、当初は悪い気はしなかった。しかし、それが延々と続くうち、「同業者をけなせば、喜ぶ人間」と思われているのではないかと感じるようになった。

しかも上田死刑囚は人のことを悪く言う一方で、上記のような「本を送る」とか「友人たちに会ってもらう」などという自分から言い出した話がまったく実現しなかった。そして私が「あの話はどうなったのか」と尋ねると、あれやこれやと言い訳して、はぐらかす。

そんな上田死刑囚に対し、私はストレスを蓄積していった。

◆被害者のことまで貶める

このように交流を続けるうち、人の悪口をよく言うようになった上田死刑囚だが、私がとくに印象に残っているのが被害者のことも悪く言っていたことだ。

「あのスナックには絶対に行かないでください。あそこの人間は私について、嘘ばかり言うからです」

上田死刑囚は私に対し、逮捕前にホステスとして勤めていたスナックのことをそう言った。マスコミに「デブ専スナック」と揶揄されたこのスナックは上田死刑囚の疑惑が表面化した際、マスコミの取材がかなり多く入っており、この店の経営者らの話に基づいて上田死刑囚が客の男性たちを次々に篭絡していたような話が報道されていた。それゆえに上田死刑囚は私に対し、このスナックで取材させたくないと考えたのだろう。

しかし実をいうと、上田死刑囚は逮捕前、この店の女性経営者の家にも泥棒に入り、現金約35万円などを盗んでいたことが明らかになっている。しかもそのことについては、上田死刑囚本人も裁判で容疑を認めているのである。

どうも上田死刑囚は、私がそのことを知らないと思っていたようなフシもあるのだが、自分に不都合なことを隠すためなら、被害者のことまで平気で貶めるところには、さすがに驚きを禁じ得なかった。

もっとも、私はこのように上田死刑囚の悪い面を見つつも、上田死刑囚のことを根っからの悪人だとは思えないでいた。さらに言えば、実は今でも上田死刑囚のことを悪人だとは認識していいない。悪人ではなく、「異常者」と理解したほうがしっくりくるからだ。

取材の記録をひもときながら、そのことをおいおい書いていく。

上田死刑囚が収容されている広島拘置所

【鳥取連続不審死事件】
2009年秋、同居していた男性A氏と共に詐欺の容疑で逮捕されていた鳥取市の元ホステス・上田美由紀被告(当時35)について、周辺で計6人の男性が不審死していた疑惑が表面化。捜査の結果、上田死刑囚は強盗殺人や詐欺、窃盗、住居侵入の罪で起訴され、強盗殺人については一貫して無実を訴えながら2012年12月、鳥取地裁の裁判員裁判で死刑判決を受ける。判決によると、上田死刑囚は2009年4月、270万円の借金返済を免れるためにトラック運転手の矢部和実さん(当時47)に睡眠薬などを飲ませて海で水死させ、同10月には電化製品の代金約53万円の支払いを免れようと、電気工事業の圓山秀樹さん(同57)を同じ手口により川で水死させたとされた。2014年3月、広島高裁松江支部で控訴棄却、2017年7月に最高裁で上告棄却の判決を受け、死刑が確定。現在は死刑確定者として広島拘置所に収容されている。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

自分の白ブリーフ姿をインターネット上に公開していることで知られる東京高裁の岡口基一裁判官が、ツイッターで自らの半裸写真を投稿したことについて、戸倉三郎東京高裁長官(現在は最高裁判事)から口頭で厳重注意を受けたのは昨年6月のこと。岡口裁判官はその後、この件に関して東京高裁内で「膨大な資料」が作成されていることをツイッターで明かし、再び物議を醸した。

私は、司法行政文書開示請求によりこの資料を入手しようと試みたが、それによりわかったのは、裁判所はこれまで思っていたよりはるかに不誠実で、モラルの低い役所だということだった。

問題の文書の存在を明らかにした岡口裁判官のツイート

◆退けられた開示請求

〈俺の処分の時に作られた膨大な資料は廃棄されずに保存されているだろうか・。ダビデエプロン画像の拡大コピーなど〉

岡口裁判官がツイッターでの半裸写真投稿を戸倉長官に注意されたのち、そんなツイートをしたのは昨年9月22日のこと。私はこの投稿を見て、同27日付けで東京高裁に対し、岡口裁判官が言うところの「膨大な資料」の開示請求を行った。岡口裁判官の半裸写真投稿問題が東京高裁内でどのように取り扱われたかにおおいに関心があったためである。

しかし約3カ月後、東京高裁から文書で届いた答えは、「開示しない」というものだった。そして開示しない理由は、次のように綴られていた。なお、この文書は同年12月21日付けで、戸倉長官名義で作成されている。

〈文書中には、特定の個人を識別することができることとなる情報及び公にすると今後の人事管理に係る事務に関し、公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがある情報が記載されており、これらの情報は、行政機関情報公開法第5条第1号及び同条第6号ニに定める不開示情報に相当することから、その全部を不開示とした。〉

私は、この説明をまったく納得できなかった。何より、当の岡口裁判官が自分の処分に関する資料が東京高裁に存在することを公表しているのだから、「特定の個人を識別することができることとなる情報」が含まれていようが、そんなことには何の問題もない。公正かつ円滑な人事の確保に支障を及ぼすおそれがあるという話にも何ら具体性がない。要するに戸倉長官は面倒くさいから開示したくないだけだろう。私はそう思った。

ただ、私はこの時点で、この不開示決定に対する苦情申出の手続きをとっていない。最高裁に対し、そのような手続きをとる手段があることは知っていたが、そういうことをしても徒労に終わる場合が多いことを過去の経験から知っていたからだ。

しかし、その後、私はあるきっかけで苦情申出の手続きをとることになる。

疑惑の主である最高裁判事の戸倉三郎氏(裁判所HPより)

◆場当たり的に虚偽の説明か

今年5月11日、私は、弁護士の山中理司氏がツイッターで行った投稿により、とんでもない事実を知った。それによると、山中弁護士は私より一足早く、昨年6月29日付けで東京高裁に対し、「東京高裁が平成28年6月21日付で岡口基一裁判官を口頭注意処分した際に作成した文書」の開示を請求していた。ところが、戸倉長官は同年8月2日付けで山中弁護士の開示請求を以下のような理由で退けていたのだ。

〈作成又は取得していない〉

要するに戸倉長官は、私に対しては「存在するが、開示できない」と答えていた文書について、山中弁護士には「そういう文書は存在しない」と答えていたわけだ。では、なぜ、このように戸倉長官の答えが食い違っているのか。答えは明白だ。

山中弁護士が開示を請求した時点では、岡口裁判官は自分が口頭注意処分を受けたことに関する「膨大な資料」が東京高裁に存在することをまだツイートで公表していなかった。そのため、戸倉長官は山中弁護士の開示請求については、そのような文書は〈作成又は取得していない〉として開示しなかった。要するに嘘をついていたのだ。

戸倉長官らの疑惑を黙殺した情報公開・個人情報保護審査委員会の答申書

一方、岡口裁判官のツイートにより「膨大な資料」が存在すると判明後に私が行った開示請求については、戸倉長官も〈作成又は取得していない〉とごまかすことは不可能だ。しかし、それでもなお、「膨大な資料」を開示したくないから、「特定の個人を識別することができることとなる情報」が含まれるなどという言い訳を考え出し、開示を拒んだのだ。

このような不誠実な対応をされたら、戸倉長官は司法行政文書の開示申出があるたび、場当たり的に虚偽の理由を考えて不開示にしているとみなすほかない。そこで私は、この時点で不開示決定を受けてから5カ月近くが過ぎていたが、最高裁に苦情申出をすることにした。苦情申出は3カ月以内にしなければならないが、「正当な理由」があればこの限りではないためだ。

ところが――。

「戸倉長官が司法行政文書の開示申出があるたびに場当たり的に虚偽の理由を考えて不開示にしているとみなすほかないことを示す事実を知ったため」という理由で苦情申出をした私に対し、最高裁の今崎幸彦事務総長は「苦情申出人の主張する事情は、苦情の申出の動機というべき事情であり、苦情申出期間を徒過したことの正当な理由にならない」と主張してきた。戸倉長官が場当たり的に虚偽の理由を考え、司法行政文書の開示請求を退けてきたのが事実か否かについては、何の言及もなく、あまりにも不誠実な対応だった。

そして去る10月23日、最高裁から諮問を受理し、審議を行った情報公開・個人情報保護委員会(委員長は髙橋滋氏、その他の委員は久保潔氏、門口正人氏)も同日付けで作成した答申書により、この今崎事務総長の主張を認め、私の苦情申出を退けた。つまり、戸倉長官が場当たり的に虚偽の理由を考え、司法行政文書の開示請求を退けてきた疑いについて、第三者的立場である情報公開・個人情報保護委員会も黙殺してしまったのである。

私は今回の東京高裁や最高裁、そして情報公開・個人情報保護委員会の対応は容認しがたいので、今後も岡口裁判官の半裸写真投稿問題に関する「膨大な資料」の開示を目指し、しかるべき措置をとる。今後何らかの成果が得られたら、この場で再び報告する。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

愚直に直球 タブーなし!『紙の爆弾』12月号!

一昨年4月、千葉県で18歳の女性が友人との些細なトラブルから畑に生き埋めにされ、殺害された事件は、センセーショナルに報道された。だが、昨年11月~今年3月に千葉地裁で行われた3人の加害者の裁判員裁判で、うち2人が「冤罪」を訴えていたことは案外知られていない。

かくいう私はこの事件について取材を重ね、2人が実際に冤罪であることを確信するに至っている。2人のうち、一審の無期懲役を不服として控訴した犯行時18歳の女A子(20)の控訴審が今月21日より始まるが、それに先立ち、見過ごされてきた冤罪疑惑を報告する。

◆加害者3人のうち2人は「冤罪」を主張

まず、事件の経緯を簡単に振り返っておく。

事件のきっかけは、被害女性が卒業アルバムの貸し借りをめぐり、元々は友人だったA子とトラブルになったことだった。裁判の認定によると、被害女性に腹を立てたA子は、肉体関係のあった男・井出裕輝(23)に相談し、金を奪って殺害する計画がまとまった。それから井出が自分の手を汚さないよう、パシリにしていた友人の男・中野翔太(22)を殺害の実行役として誘い込んだとされている。

そしてA子、井出、中野の3人は2015年4月19日、A子の友人である鉄筋工の少年(当時16。のちに少年院送致)も犯行に引き入れると、被害女性を車で監禁。そのうえで両手足を結束バンドで緊縛して暴行したり、財布などを奪ったりした挙げ句、翌20日深夜0時過ぎ、成田空港近くの畑で生き埋めにして殺害した――それが、裁判で認定されている「事実」だ。

生き埋めの実行犯である中野は、起訴内容の大半を認め、先月10日に最高裁に上告を棄却されて無期懲役判決が確定。一方、井出とA子の2人は被害女性を車で監禁したり、暴力をふるったりしたのち、現場の畑に掘った穴に被害女性を入れたことまでは認めながら、生き埋めについては中野との共謀を否定。いずれも一審・千葉地裁の裁判員裁判では、この「冤罪」の主張を退けられて無期懲役判決を受けたが、現在は東京高裁に控訴中だ。

生き埋め現場の畑。事件直後は多数の畑が手向けられた

◆散見される「冤罪」と示す事実

さて、この事件については、これまで世間一般では、冤罪の疑いが全く指摘されてこなかった。かくいう私もこの事件について、冤罪の疑いを抱いたのは今年になってからのことだ。

首謀者とされる井出は、「被害女性を畑で穴に入れ、脅かすつもりだったが、殺すつもりはなかった。中野が1人で暴走して、被害女性を埋めてしまった」と主張しているのだが、いざ調べてみると、これこそが実際に事件の真相だと示す事実が散見されるのだ。

その1点目は、加害者らには、被害女性を殺さなければならない確たる動機が見当たらないことだ。何しろ、事件のきっかけとされる被害女性とA子のトラブルは、せいぜい「被害女性が共通の友人から借りた卒業アルバムを返さない」という程度のことだった。犯行の首謀者とされる井出は事件前に被害者と面識がほとんど無く、生き埋めの実行犯である中野に至っては、事件前は被害女性と会ったことすらなかったのである。

また、井出と中野は10代の頃からの付き合いだったようだが、この2人とA子は事件の数週間前に知り合ったばかりだったという。仮にA子が被害女性を殺害したいほど憎んでいたとしても、A子のために井出や中野が殺人というリスクを冒すとも考え難い。

2点目は、犯行に引き入れられた鉄筋工の少年によると、井出と中野は被害女性を監禁した車の中で「ジョン」「ケイ」と偽名で呼び合っていたということだ。この事実は、畑に掘った穴に被害女性を入れ、脅かすだけのつもりだったという井出らの主張を裏づけている。井出と中野が最初から被害女性を殺害するつもりなら、偽名で呼び合い、身元を隠す必要などないからだ。

3点目は、中野が畑に掘った穴に入れた被害女性に対し、スコップで砂をかけ、生き埋めにした際、その場にいたのは中野だけだったということだ。井出はその少し前、畑に掘った穴に入れた少女を見張っておくように中野に指示したうえ、自分は車を別の場所に駐車するためにA子や鉄筋工の少年と一緒に現場を離れていたのだ。

仮に井出やA子が元々、被害女性を生き埋めにするつもりだったなら、そんな大事なことを中野1人だけに任せ、現場を離れるというのは不自然だ。

そして4点目は、これが最も重要なポイントなのだが、中野が被害女性を生き埋めにした時のことについて、裁判で次のように証言していることだ。

「1人で見張りをしている時、掘った穴に入れていた被害者が泣き出したので、焦って砂をかけてしまったんです」

この中野の証言は、突発的な出来事に焦るあまり、予定になかった「生き埋め殺人」を独自に敢行したと認めた内容に他ならない。実を言うと中野は軽度の知的障害を有しており、合理的な行動ができないところがあるという。

にも関わらず、裁判員裁判だった一審では、井出やA子が事前に中野と被害女性を生き埋めにすることを共謀していたと認定されたのだが、すでに指摘した通り、そもそも3人には被害女性を殺害する確たる動機が見当たらない。井出やA子が被害女性を生き埋めにすることを中野と共謀していたという筋書きは、明らかに辻褄が合わないのである。

中野や井出が収容されている東京拘置所

◆実行犯が語った「真相」

私は今日まで中野や井出と面会を重ねたほか、A子とも何度か手紙のやりとりをした。その中でも実行犯である中野への取材にはとくに時間をかけたが、中野が私に語った真相は案の定というべきものだった。

今年の春、私は東京拘置所で中野と初めて面会した際、「中野さんが井出さんから『埋めろ』とか『殺せ』という指示を受けた事実はなかったんじゃないかと思っているんです」と単刀直入に告げた。すると、中野は「そういう事実はなかったですけど」と驚くほどアッサリと認め、こう続けたのだった。

「井出は僕に対し、『人を埋める場所ない?』と言っているから、アウトじゃないかと思うんですよ」

そこで私は「井出さんは中野さんに対し、そういうことを『脅かす』とか『死なない程度に埋める』くらいのつもりで言ったとは受け取れませんか?」と問いかけてみたのだが、中野は「そういう解釈はできないと思うんですけど」と言った。

一方で私が、「中野さんは裁判で、『慌てて埋めた』と言ったようですが?」と質すと、中野は「殺すつもりはなかったんです」などと言う。とまあ、中野は言うことが二転三転するのだが、決してはぐらかしているわけではなく、頭の中で事実関係を整理して話すことができないようだった。

よくよく話を聞いてみると、結局は「焦りだけで何も考えられなかったんで・・・」というのが、中野が被害女性を生き埋めにした時の心境のようだった。つまり、事前に井出やA子と生き埋めまで共謀していた事実はやはり存在しないのだ。

井出やA子は、本人たちが認めている監禁や暴力行為だけでも強い批判に値する。しかし、事実関係を見る限り、この2人が生き埋め行為については冤罪であることは動かしがたい。11月21日から始まるA子の控訴審がもしも逆転無罪という結果になれば、世間の人々はあっと驚くだろう。しかし、私はそうなっても不思議はないと思っている。

▼片岡健(かたおか けん)
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