教祖の麻原彰晃をふくむオウム真理教事件の七人が死刑を執行され、政府は国民の反応をみながら、つぎの死刑も準備しているようだ。七人もの死刑執行は、戦前の大逆事件(幸徳秋水ほか12人)いらいである。この死刑は真昼のワイド番組で、まるで中継でもされるかのように報じられた。ふたつのサリン事件で21人を殺し、内部での殺人事件、坂本弁護士一家殺害など、世紀の凶悪犯罪をおかした死刑囚たちの死は、ある種の感慨をもって受け止められた。その感慨とはおそらく、四半世紀いじょうも前に日本社会をゆるがせた事件の謎であろう。

いっぽう死刑の前夜、上川法務大臣と安倍総理は秋の総裁選をみすえながら、赤坂で宴席を設けていた。明朝の死刑執行が決まり、あたかも西日本を襲った集中豪雨が重大なものと予見されるなかである。翌朝の死刑と天災を嗤うかのように、防衛大臣をふくむ閣僚・自民党議員たちが酒宴を愉しんだのには、いささか不気味なものを感じないわけにはいかない。働き方改革関連法案の強行、カジノ立法と、矢つぎばやの政権運営には、もはや独裁政権の名がふさわしい。

◆死刑に慣れてしまったわれわれ

国民の多くは、オウム事件の真相が究明されなかった感慨のいっぽうで、わが国が死刑制度をもつ国であることには、あまり愕きを感じなかったのではないか。わたしたちの社会は犯罪の総数が減っているにもかかわらず、ワイド番組で凶悪犯罪が派手に報じられることで、死刑の存在も身近なものにしてしまっている。つまりわれわれは、死刑に慣れてしまったかのようだ。ワイド番組が凶悪犯罪を報じるのが悪いというのではない。国家による死刑は凶悪、あるいは憲法で禁じられた残虐な刑罰ではないのか、という問いが発せられることがあまりにも少ないのが問題なのだ。

今回の大量死刑に対する国際的な評価は、どうだったのだろうか。駐日EU代表部は、声明を発表し「加害者が誰であれ、またいかなる理由であれ、(オウム真理教の)テロ行為を断じて非難する」とした上で、このように呼びかけた。「しかしながら、本件の重大性にかかわらず、EUとその加盟国、アイスランド、ノルウェーおよびスイスは、いかなる状況下での極刑の使用にも強く明白に反対し、その全世界での廃止を目指している。死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果はない。

さらに、どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20ヵ月を思い起こし、われわれは日本政府に対して、死刑を廃止することを視野に入れたモラトリアム(執行停止)の導入を呼びかける」

国連の人権高等弁務官事務所も、報道局の取材に対して文書で回答し、「死刑は人権上不公平な扱いを助長する」「他の刑罰にくらべ犯罪抑止力も大きくない」「麻原死刑囚ら七人の死刑が執行されたことは遺憾」としているという。現在、世界で死刑を廃止している国は138カ国である。これは全世界の70パーセントにあたる。死刑制度を存置している国は、58カ国である。先進国7カ国では日本とアメリカ(州によって死刑廃止)、G20では中国・日本・インド・インドネシアなどのアジア諸国とサウジアラビア、ヨーロッパは死刑廃止国が51カ国、存置しているのはベラルーシだけである。

かように世界の趨勢は死刑廃止に動いているのに、わが国では今回の大量死刑に快哉を叫ぶものもいたという。一時的な感情としてなら、それもいいかもしれない。ワイド番組で死刑報道に視聴者が興味をしめすのも、死刑というものが本来もっている、見世もの的な本質によるものだ。中世の処刑には遠路はるばる、それを見学するために旅をしてくる者もあったという。事件の被害者に思いをはせながら死刑をよろこぶのは、かれらがブラウン管をへだてた傍観者だからである。テレビで報じられる被害者感情は、容易に傍観者たちに伝わるものだ。しかし、死刑をふくむ重大犯罪に、誰もが逢着する可能性はゼロではない。カッとして凶器を手にしてしまう。それが複数人に及んでしまうことも、ないではない。ある意味で、凶悪犯罪とは事故なのである。自分の問題として引きつけて考える機会がない人は、それで幸せなのかもしれないが、犯罪者の大半はどこにでもいる人間が事故を起こした結果なのだ。

 

上川法相に対する日弁連・人権救済委員会の申し立て

◆人権救済と再審請求を無視した傍若無人ぶり

ところで、今回死刑執行された麻原彰晃においては、日本弁護士会の人権委員会から「心神喪失が疑われる死刑確定者の死刑執行停止を求める人権救済申立」という意見書が東京拘置所に申し立てられていた。死刑執行の17日前(6月18日)のことである。今回の死刑では「平成の事件は平成のうちに」「天皇代替わりや東京オリンピックに影響が出ないように」という政治的な判断が憶測されたが、事実はそうではない。6月18日の申し立てが引き鉄になったのは明らかであろう。

もうひとつ、今回処刑された7人のうち6人までが再審請求を行なっていた事実だ。いうまでもなく、再審は法的に認められた権利である。検察側に協力的だった井上死刑囚が、再審書面のなかで証言をひるがえすのではないかと危惧した法務当局は、再審請求中は死刑を執行しない原則を破ってまで、執行に踏み切ったのである。だとしたら今回の死刑執行は、きわめて政治的かつ恣意的なものだということになる。いや、そもそも死刑は恣意的で危険な刑罰である。EU代表部が危惧するとおり「どの司法制度でも避けられない裁判の過誤は、極刑の場合は不可逆」なのである。オウム死刑囚が冤罪だと言っているわけではない。われわれのなかに、凶悪犯は殺せ! なぜオウム事件が起きたのかという社会的な考察なしに、悪いヤツは殺せという死刑肯定が蔓延するごとに、立ちどまって考える能力は失われるのだ。やがてそれは、今回のような大量死刑を数倍する事態をもたらすかもしれない。あたかも、ナチスの大量虐殺を業務としてこなしていった、SS将校アドルフ・アイヒマンのような感覚が……。

▼横山茂彦(よこやま しげひこ)

著述業・雑誌編集者。主著に『「買ってはいけない」は買ってはいけない』(夏目書房)、『軍師・黒田官兵衛に学ぶ経営学』(宝島文庫)、『山口組と戦国大名』(サイゾー)など。医療分野の著作も多く、近著は『ガンになりにくい食生活――食品とガンの相関係数プロファイル』(鹿砦社LIBRARY)

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7月6日早朝から「麻原彰晃死刑執行」のニュースが、列島を襲う大雨情報の中を狙ったかのように散発的に報じられ始めた。オウム真理教関連の死刑確定囚は13人。そのうち実に7人の死刑がこの日正午までに執行された。

オウム真理教関連の死刑確定囚は3月に東京拘置所から、全国の「死刑執行」施設のある拘置所に移送されており、「東京五輪前に一斉執行があるのではないか」と関係者の間では推測されていたが、「東京五輪前」どころか国会会期中で、全国的気象災害が懸念される非日常的天候の中、戦後史最大人数の「同日死刑」が執行された。

◆「人の死を止められなかった」経験から死刑制度を考える

私は「死刑廃止」論者である。

どんな悪党でも、何人殺人を犯そうが、国家による死刑には絶対反対である。理由は簡単だ。「人を殺す」ことは(正当防衛や殺意のない過失致死などを除いて)、絶対にあってはならない「悪行」である、と確信するからだ。この議論になると必ず「じゃあお前の家族や子供が殺されたらどうする?」という問いを投げかけてくる人が多い。私の回答は、

「私はたぶん殺人者に敵意や殺意を抱くだろうが、私的復讐感情を吸収するのが、成熟した法治国家の姿である。私が殺人者を殺せば、復讐感情の連鎖が起こる。『感情』の問題と『法』の問題を混乱させるべきではない」

である。表面的に格好をつけているように聞こえるかもしれないが、私は過去に、「ひとの死を止められなかった」経験がある。それも複数人である。私がもう少し注意深かったら、神経が繊細であったら、忙しくなかったら彼ら・彼女らが命を失うことを止められた可能性がある。つまり私は人の死に積極的に関与したわけではないが、自然死ではない「死」を止めることができたかも知れない立場の人間であった。その経験は私をいまだに「縛って」いる。ときどきに彼ら・彼女らの顔や言葉を思い出す。私は「殺人犯」としての責任はなかったにせよ、彼ら・彼女らの命を「途絶えさせる」ことに関係した責めを負って生きている。

と同時に私は殺意に近い感情を長年抱いている対象者が複数いる。私を「殺そう」と企図した人間や、私を破滅させようと徒党を組んでいた連中である。しかし、私は前述の原則に則って、絶対に怨嗟による「殺人」を犯さない、と決めている。決めているが情念の部分では「憎い」ことに変わりはない。

後先考えずに「殺(や)ろう」と思えば、「殺(や)れた」瞬間はいくらでもあった。が、愚かな私でも社会を学び、世界に接し、法に触れる中で「殺人」には絶対に手を染めてはならない、と確信が持てるようになった。「殺人」は個人による殺意に基づく「殺人」や、権力による法を後ろ盾とした「殺人」(死刑)、さらには国家間の意思による「大規模殺人合戦」(戦争)があり、それらは規模や動機の違いはあれ「人を殺す意思を持った行為」である点においては共通ではないのか。であるならば「公の言い訳」を与えられた大規模殺人合戦(戦争)は、ほぼ「絶対悪」(侵略者に対する抵抗など少数を除き)であるとの結論に至った。

回りくどいようであるが、「戦争」を嫌悪し、忌避するのであれば、「死刑」にも反対せねば理屈が一貫しない(世間では「戦争」も「死刑」も賛成の言説が増えているようである)。極めて簡単な論理なのだが、いまだに「被害者の復讐感情」を過剰評価する、精神性から抜けきることができない日本文化では、まだ「死刑」が存置されている。私は被害者感情を「無視しろ」、「放置しろ」と思ってはいない。私自身、殺意に基づいて「殺され」かけた経験があるので、被害者感情の一端は理解している。だから被害者感情は「死刑」ではない、それこそ国家によるケアーで解決が目指されるべきものであると考える(被害者感情が解消できるか解消できないかは、簡単な問題ではないが)。

ようやく日弁連も「死刑廃止」を遅まきながら方針として打ち出した。繰り返すが理屈は簡単だ。「人殺し」は「悪」なのだ。「人殺し」に対する処罰が「人殺し」であるのは、明白な矛盾であり倒錯だ。

◆オウム真理教はなぜ権力から放置されたのか?

この期に及んだので当時からの疑問を披歴する。オウム真理教はどうしてあそこまで肥大化し武装するまで、権力から放置されたのか? オウム真理教が急成長したのは、新左翼対策に大幅な人員増がなされた公安警察や公安調査庁の人員が余り、彼らが「仕事」を探さなければならない時期であった。新左翼の退潮により「仕事を探していた」はずの公安警察、公安調査庁は、1989年に坂本堤弁護士一家殺人事件を起こし、素人目にも危険性が明らかであったオウム真理教をどうして、監視対象にしなかったのか(公安調査庁に対しては「廃止論」が現実的に議論されていた時期でもあった)。

ヘリコプターや武器材料をロシアから輸入していること、ロシアでも広範な布教活動を行い現地から短波ラジオ放送を行い、マフィアと結びついていたことを、公安警察や公安調査庁は、本当にまったく知らなかったのか。この点がどうしても納得できないし、なによりも不自然である。

同日7人の死刑執行という「国家による暴虐」が行われた日に、他人事としてではなく「死刑」を考えよう。その延長線上に、おぼろげであった輪郭が像を結びだしてきた「戦争」があるのだ。内に向けては「死刑」、外に向けては「戦争」。国家の実像がそこにある。


◎[参考動画]オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚(63)ら7人の死刑執行を受けて「ひかりの輪」の上祐史浩代表が会見(ANNnewsCH 2018/07/06公開)

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

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20年周期で発生する「オウム」的なもの=日本の暗部にわれわれは今、どう立ち向かうべきなのか?『終わらないオウム』上祐史浩・鈴木邦男・徐裕行=著 田原総一朗=解説 四六判/256ページ/上製/カバー装 定価:本体1500円+税

 

英BBCは伊藤氏を取材し、「日本の秘められた恥(Japan's Secret Shame)」というドキュメンタリー番組を放送した(同局のHPより)

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件では、伊藤氏が海外のテレビに出演したりして、ますます注目度を高めている。

ツイッターなどを見ていると、この伊藤氏の活躍を支持者の人たちは大変喜んでいるようだが、1つ注意したほうがいいことがある。それは、山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたという話については、事実であるかのように吹聴しないほうがいいということだ。

なぜなら、伊藤氏はこれまで会見や取材、『Black Box』という著書などで再三、「レイプドラッグを飲まされたと思っている」などと訴えていたが、訴訟の中では、山口氏にレイプドラッグを飲まされたとは主張していないからである。

◆「山口はレイプドラッグを飲ませた」と吹聴するリスクとは

そのことを私が初めて知ったのは、今年1月に東京地裁でこの訴訟の記録を閲覧した時だった。正直、意外性は感じなかった。なぜなら、伊藤氏本人も著書などでは、山口氏にレイプドラッグを飲まされた確証が得られていないことを明かしていたからだ。

伊藤氏の著書によると、事件があったという日、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと考える根拠は、(1)山口氏と一緒にお酒を飲んではいるが、自分は酒がとても強く、意識を失ったことなど一度もないこと、(2)その時の自分の記憶障害や吐き気などの症状が、インターネットで調べたレイプドラッグの症状と驚くほど一致していること――などだが、その程度の根拠では、たしかに訴訟の場で裁判官に事実と認定してもらえる可能性は低いだろう。

 

BBC「Japan's Secret Shame」より

そう考えると、伊藤氏が訴訟の中で、山口氏にレイプドラッグを飲まされたと主張していないのは、賢明な判断だ。上記の(1)や(2)程度の根拠でレイプドラッグを飲まされたなどと主張すれば、むしろ裁判官の心証も悪くなりかねないからである。

だが、伊藤氏はそれでいいとして、ツイッターなどで確証もないのに「山口は詩織さんにレイプドラッグを飲ませてレイプした」などと吹聴している支持者の人たちはどうだろうか?

そういう人たちは、山口氏に名誉棄損で訴えられるリスクをもう少し考えたほうがいいと私は思う。ツイッターの発言でも名誉棄損で訴えられることはあるし、名誉棄損訴訟では、訴えられた側が自分の発言の真実性について立証責任を負うからだ。

 

BBC「Japan's Secret Shame」レビュー(2018年6月28日付けガーディアン)

伊藤氏本人が訴訟で立証できないレイプドラッグ被害を、その時の状況などを直接的には知らない無関係の第三者が立証できるわけがない。山口氏に訴えられた場合、負ける可能性は決して小さくないだろう。

この訴訟に関しては、当欄で過去2回報告した通り、報道量は多いわりに訴訟記録を「取材目的」で閲覧している者がほとんどいないのが現実だ。中には、訴訟記録も閲覧せず、確たる根拠もなく山口氏が伊藤氏にレイプドラッグを飲ませたのが事実であるかのようにインターネットなどで喧伝している報道関係者もいるが、あまりにも無責任である。そういう人物たちこそ、山口氏に訴えられたらいいのに、と私は心から思う。

なお、伊藤氏は著書などで、山口氏のパソコンにより性行為中の様子を撮られたと感じたとも発言しているが、訴訟では、そのような撮影の被害も主張していない。

◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった 
◎[関連記事]伊藤詩織氏VS山口敬之氏訴訟続報 ホテルの「防犯カメラ映像」をめぐる新情報 

◎[参考動画]BBC「日本の秘められた恥(Japan’s Secret Shame)」
Daily motion https://www.dailymotion.com/video/x6nih2o
ニコニコ動画 http://www.nicovideo.jp/watch/sm33446417


◎[参考動画]#MeToo in Japan: The woman speaking out against rape(FRANCE 24 English 2018/06/28公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

 

弁護士ドットコムニュース2018年6月21日付け記事

テレビ番組の制作費名目で現金を騙し取ったという詐欺の容疑で2016年11月に警視庁に逮捕されていた映画プロデューサーの佐谷秀美さん(58)が今月21日、東京地裁・高裁の庁舎にある司法記者クラブで会見し、裁判で無罪判決を受けていたことを明らかにした。

同日の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは会見を開いた理由として、「無罪判決が出てから一切の報道がされなかった。インターネットは私が逮捕された時点の記録になっている」「作品と私の名誉のために、判決を知って欲しいと思って会見を開きました」と語ったという。

私はこのニュースに、ある種の感慨を覚えた。佐谷さんが逮捕された当初、報道の情報から冤罪の疑いを読み取り、取材に動いたことがあったからだ。色々事情があって、結局、取材を続けられなかったのだが、佐谷さんが無罪判決をとれたのは喜ばしいことだ。

それにしても、なぜ、佐谷さんが2月に無罪判決を受けていたことがこれまで一切報道されなかったのか。この事件が残した教訓は何なのか。ここで少し考えてみたい。


◎[参考動画]映画プロデューサーの無罪確定 捜査を批判(ANNnewsCH 2018/06/21公開)

◆逮捕当初の報道から読み取れた冤罪の疑い

本稿を書いている時点で、この事件に関して私が知っている情報は少ないので、事実関係に踏み込んだことは言えない。だが、逮捕当初の報道を見ただけで、この事件は十分に冤罪の疑いを見出させる事案であった。

たとえば、産経ニュースは佐谷さんが起訴された際、2016年12月14日付けで〈「嫌われ松子の一生」の映画プロデューサーを起訴 5100万円詐取罪〉と題する記事を配信し、起訴内容をこう伝えている

 

産経ニュース2016年12月14日付け記事

〈起訴状では、平成22年2~3月、電子部品製造会社に特撮番組の企画を持ち掛け、関連グッズを商品化したり、映像化したりする権利の取得費や制作費名目で現金を振り込ませたとしている〉

この記事の伝える起訴内容などが仮に全部事実で、佐谷さんの持ちかけた特撮番組の企画が実現せず、電子部品製造会社が現金5100万円を丸ごと失っていたとしても、それだけでは佐谷さんがお金を騙し取るつもりだったのかはわからない。本気で実現に動いた企画が途中で潰れたとしてもおかしくないからだ。報道を見る限り、おおいに冤罪を疑われる事案だった。

実際、私は佐谷さんが起訴される前後のタイミングで、佐谷さんが連行されたという警視庁の目黒警察署の住所に、佐谷さん宛てで取材依頼の手紙を出していた。結果、「あて所にたずね当たりません」ということで手紙が返送されてきたのだが、本当に冤罪だった場合に記事を書くつもりだった『冤罪File』という雑誌が休刊になったため、追跡をしなかったのだ。

ちなみに前掲の弁護士ドットコムニュースの記事によると、佐谷さんは目黒警察署に連行されたのち、原宿警察署に身柄を移送されていたという。それで私の手紙が届かなかったのかとスッキリした思いである。

◆世間で思われているほど人員が揃っているわけではない記者クラブ

佐谷さんの裁判が行われた東京地裁

では、なぜ、佐谷さんの無罪判決は一切報道されなかったのか。

マスコミが意図的に無罪判決を報道しなかったのではないかと勘繰る人もいそうだが、そうではないと私は思う。佐谷さんの裁判が行われた東京地裁・高裁の庁舎には、テレビや新聞といった司法記者クラブ系のメディアの記者たちが常駐しているが、彼らも世間で思われているほどには人員が揃っているわけではないからだ。

たとえば、私が2011年の春頃に東京地裁で、ある冤罪の疑いが濃厚な殺人事件の裁判員裁判を取材していた際のこと。その公判は事件の重大性のわりにマスコミの傍聴が少なかったのだが、たまに傍聴に来ていた司法記者クラブ詰めの新聞記者から「今、小沢一郎の陸山会事件の裁判をやっているから、この事件はあまり取材できないんですよ」と聞かされたことがある。

日本で最大規模の司法記者クラブである東京地裁・高裁の司法記者クラブの加盟社でも、すべての裁判をくまなくフォローできるほどに人員が揃っているわけではないということだ。

また、広島の元アナウンサー・煙石博さんの冤罪窃盗事件でも、2014年に広島地裁で一審の公判が行われていた頃、ある時を境にマスコミの傍聴取材が皆無に等しくなったことがある。広島土砂災害が発生したのをうけ、裁判を取材していた記者たちがみんな、そちらの取材に駆り出されたためだ。

地方のマスコミだと、そもそも地元で一番大きな裁判所に記者を常駐させておけるだけの人員すら揃っていないので、こんなことになるわけだ。

で、こうした現実を踏まえたうえで、今回の佐谷さんの事例から学べる教訓とは何だろうか?

自分の身の回りで何か報道されるべき出来事が起きた時には、マスコミが取材にくるのを待つのでなく、自分からマスコミに情報をリリースしたほうが良いということではないだろうか。私はそう思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

伊藤詩織氏の著書『Black Box』

伊藤詩織氏というジャーナリストの女性が、山口敬之氏という元TBSワシントン支局長の男性にレイプされたと実名で告発したうえ、1100万円の損害賠償などを求めて東京地裁に提訴した件に関し、私は3月1日に当欄で次のような記事を発表した。

◎伊藤詩織氏VS山口敬之氏の訴訟「取材目的の記録閲覧者」は3人しかいなかった(http://www.rokusaisha.com/wp/?p=24756

この記事は多くの人に読んでもらえたので、続報を出したいと考えていたのだが、今月上旬に東京地裁で訴訟の記録を閲覧したところ、気になる新情報があったので、お伝えしたい。それは、伊藤氏と山口氏が現場のホテルや部屋に出入りする場面を撮影していた防犯カメラの映像に関することだ。

なお、前回の記事は、山口氏を擁護したい人や伊藤氏を攻撃したい人に好評だったようだが、私自身は山口氏を擁護したい思いもなければ、伊藤氏を攻撃したい思いもない。現時点で判明している事実関係を見る限り、私は、山口氏のことをレイプ犯だと決めつけている報道や世論は不当だと思っているが、伊藤氏がSNSなどで「マクラ営業」などと言われているのもやはり不当なことだと思っている。その点はあらかじめお断りしておく。

◆「出費を強いられた伊藤氏」「映像提出に同意していた山口氏」

伊藤氏と山口氏の訴訟が行われている東京地裁

問題の防犯カメラの映像はすでに伊藤氏側から裁判に証拠として提出されているのだが、お伝えしたい情報は2つある。

1つ目は、伊藤氏側はこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、フリーで映像関係の仕事をしている杉並区の女性に依頼し、コマ送りした画像をプリントアウトしてもらっているのだが、そのために伊藤氏が合計で38万0591円の出費を強いられていることだ。その作業は現場のホテルの一室で行われたのだが、ホテルの室料や映像を編集する機材などをホテルに運び込むタクシー代が必要だったため、そんな大きな出費になったようだ。

これは、伊藤氏を支持し、応援している人たちにとっては、許しがたい話のはずだ。なぜ、性犯罪被害者が被害に遭ったことを証明するために、そんな大きな出費をしないといけないのか。そんなふうに思いをめぐらせ、ますます山口氏への怒りがわいてきたことだろう。

一方、2つ目の情報は、山口氏は違法な性行為などしていないと思っている人たちにとって、歓迎すべき情報ではないかと思われる。というのも、伊藤氏側がこの防犯カメラの映像を裁判に提出するに際し、ホテル側は山口氏側の同意を得ることを条件に挙げており、山口氏の同意があったからこそ、この映像は証拠として裁判に提出されたのだ。

記録を見ると、伊藤氏側、山口氏側共にホテル側に対し、防犯カメラ映像を裁判手続きの場以外で使用しないことなどを誓約したうえで、裁判に使用させてくれるように「協力」をお願いしている。つまりこの映像は、伊藤氏側には「レイプされた証拠」と思える一方で、山口氏側には「レイプなどしていない証拠」と思えるということだ。

ちなみにプリントアウトされたコマ送りの画像では、足取りがおぼつかない様子の伊藤氏が山口に支えられ、2人はホテルのロビーを歩いていることがわかるが、私には「どうとでも解釈できる映像」としか思えなかった。訴訟記録の閲覧もせず、この映像を山口氏がクロの決定的証拠であるかのように騒ぎ立てていた取材関係者もいたが、「山口氏に訴えられたらいいのに」と私は心から思う。

なお、私が前回の記事を書いた時以降、新たに2人がこの訴訟の記録を閲覧していたことが確認できたが、いずれも記録閲覧の目的は「取材」ではなかったことを付記しておく。


◎[参考動画]伊藤詩織はレイプで日本の沈黙を破った:結果は残酷だった|スカヴラン(Skavlan 2018/02/19公開)

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

タブーなき『紙の爆弾』2018年7月号!

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

◆無期懲役から再審へ!

1995年7月22日、大阪市東住吉区の青木恵子さんの自宅から火災が発生、風呂に入っていた娘のめぐみさん(当時11歳)が焼死した。捜査が難航するなか、大阪府警は、火事は青木さんと同居男性の保険金目当ての放火と断定、2人を「現住建造物放火」「殺人罪」、そして「保険金詐欺未遂」で逮捕した。青木さんらは一旦は「自白」に追い込まれたものの、その後は一貫して否認したが、2006年無期懲役が確定した。

火事は車からガソリンが漏れて自然発火したことが原因と、一審から無罪を主張していた弁護側は、その後も「最高裁判決には物証も目撃証言もないうえ、科学的に不合理な自供だけを根拠とした冤罪である」と再審を請求していた。2015年10月23日、大阪高裁は再審開始を認めた大阪地裁判決を支持し、検察側の即時抗告を棄却、同時に青木さんらの刑の執行停止を決めた。3日後、和歌山刑務所を出た青木さんは鮮やかな黄色の洋服と髪飾りを身に着けていた。それは亡くなったメグちゃんの一番好きな色だった。
 
◆再審への決め手は「再現実験」

再審への決め手となったのは、弁護団による燃焼再現実験だ。事故当時の状況を忠実に再現し、元被告の「自白」通りに放火を試みた実験で、元被告の車から漏れたガソリンが風呂釜の種火に引火して自然発火する可能性があることが証明された。警察・検察に強要された「自白」通りに行った放火行為が、実は不可能だったと証明されたのである。

弁護団はこの「新証拠」を基に再審を闘い、2016年8月10日、ようやく青木さんらに「無罪判決」が下された。判決は府警の取り調べを非難し、青木さんの自白書などを証拠から排除したうえ、出荷原因も「車のガソリン漏れの可能性が合理的」と指摘した。

しかし警察や検察からは何の謝罪もなかった。青木さんはそのことに憤り「一連の捜査の問題点を浮き彫りにしたい」と国、大阪府に計約1億4500万円の国家賠償を求める訴えを起こし、現在も闘っている。

愛娘を突然失った切ない時期に、あろうことか「娘殺し」の罪を着せられ20年間もの間獄中に囚われた青木さん。何故そんな理不尽なことが起きたのか? それを知るため私は昨年3月9日の第一回口頭弁論から傍聴してきた。


◎[参考動画]女児死亡「自然発火の可能性が現実的」母親に無罪(ANNnewsCH 2016年8月10日)

◆警察・検察のずさんな捜査 「金欲しさの放火事件」はどう作られたのか?

じつは青木さんらの有罪判決を疑問視していた人物がいた。無期懲役が確定した2006年の最高裁決定を巡り、直前まで裁判長だった故・滝井繁男氏(15年78歳で死去)である。滝井氏が「全ての証拠によっても犯罪の証明は不十分」として、一審、二審の有罪判決を破棄すべきとの意見を書き残していたことが、死亡後明らかにされた。そこには滝井氏が、青木さんが日々つけていた家計簿を見て、保険金目的とされた青木さんらの動機に疑問をもったこと、同居男性が取り調べで青木さんの消費癖をしきりに供述したとされたが、そうした形跡も見られなかったことなどが書き残されていた。

とりわけ「マンションの契約手数料の支払いが迫ったため、(青木さんと)関係の悪い娘を殺害し保険金を得ようとした」との捜査側の見立てには「家計や育児の状況とあわない」と強い疑念を表明していた。

私もこれまで青木さんと何度も話をしてきたが、青木さんの驚くほど金に細かい(ケチではなく几帳面という意味で)点には非常に感心している。毎日欠かさずこまめに家計簿をつけていることもだが、先日まで続けていたチラシ配りのバイトでは、バイト料を1円単位で計算していた。

また、めぐみちゃんら子供に対する態度も警察・検察が作り出した「鬼母」のイメージとはまるで違っている。私から見ると過保護すぎるくらい、子どもたちに欲しいものを買い与えていた。自身が小さい頃何でも買って貰えなかったからでもあるが、「母子家庭(同居男性とは内縁関係)なので買って貰えないと思われたくなかった」と青木さんは言う。

警察がこの時期絶対必要だったと推測した金額は、マンション購入時の契約手数料など170万円だが、そもそもこの推測自体が間違っている。通常マンション購入の手続きは審査が通ってから始まり、その時点で初めて契約手数料が必要となってくる。しかし火災事故発生時、青木さんらのマンション購入の審査はまだ通っておらず、170万円を急いで用意する必要はなかった。

また娘を「焼死」で殺害するならば確実にやり遂げなければならないが、当時11歳のめぐみちゃんは自分で逃げることも十分可能で、殺害の確実性はそう完璧ではなかったと言える。風呂のドアが壊れ隙間があったことで外からの呼びかけも聞こえたし、実際「メグ」と弟が呼びかけたと証言している。しかし警察、検察はこの証言も無視した。

更に警察、検察は、青木さんらが消火活動をしなかった主張するが、青木さんが火災から2分後に消防に電話していることは通話記録で証明されているし、火災現場で小さな男の子を抱きしめ「風呂場におんねん(いるねん)」と叫ぶ女性(青木さん)がいたとの住民証言もあった。しかし警察、検察はこれら青木さんらが必死に消火・救済活動したとの証拠・証言をことごとく隠蔽し、2人を「犯人」に仕立てたのだ。
 
冤罪被害者が再審で無罪を勝ち取っても、警官や検察官が謝罪しないことはこれまであまたの冤罪事件で見てきた。もちろん警察、検察に間違いもある。しかし故意に冤罪を作った場合でも謝罪しない。そればかりか処罰もされない。こんなことでは冤罪はいつまでもなくなりはしない。また青木さんの場合は事故だったが、通常の冤罪事件では別に「真犯人」が存在する。冤罪被害者の無罪確定後、「真犯人」逮捕に向け再捜査を開始することは非常に難しいし、そもそも警察、検察は自身のメンツを守るため再捜査することもない。

冤罪が許されない理由の1つに、冤罪被害者と家族たちを長きに渡り苦しめ続けることがあるが、同時に事件が解明されないことで、被害者とその遺族の苦しみが一生続くことも忘れてはならない。冤罪をなくすためには、冤罪を故意に作った警察官、検察官を処罰する法整備などが必要だ。


◎[参考動画]青木恵子さん(東住吉放火殺人冤罪事件)何故冤罪が起こったのか(gomizeromirai2 2017年1月29日公開)

▼ 尾崎美代子(おざき・みよこ)https://twitter.com/hanamama58
「西成青い空カンパ」主宰、「集い処はな」店主。

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6月7日発売!『紙の爆弾』7月号 安倍政権打倒への「正念場」

介護に疲弊した人が高齢の親や配偶者を殺めてしまう事件が全国各地で相次いでいる。こうした「介護殺人」については、加害者の心情に寄り添った報道をよく見かけるが、世間には共感を覚える人も多いようである。

私はこの現象を見つめながら、いつもこう思う。マスコミは介護殺人の加害者の立場に思いを馳せることはできるのに、なぜ、相模原障害者施設殺傷事件の植松聖(28)のことを安易に絶対悪と決めつけるのだろうか、と。「介護殺人の加害者の方々と植松なんかを一緒にするな」と思われた方もいるかもしれないが、私の考えを以下に記そう。

◆介護殺人の加害者には同情的なマスコミ

体を大便まみれにし、奇声を発する認知症の高齢者。親や配偶者がそんな状態になった人たちの心情は察するに余りある。しかも介護では、時間や労力も奪われ、経済的にも疲弊する。身も心もボロボロになり、ついに一線を越えてしまう――。

そんな介護殺人の悲劇は、介護を経験したことがある人はもちろん、介護の経験がない人にも他人事ではない。それゆえにマスコミも加害者の立場に思いを馳せるし、マスコミ報道を見た人たちもわが身に置き換え、加害者たちに同情するのだろう。

一方、2016年7月に相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、他にも26人の入所者や職員を刺して重軽傷を負わせた植松聖。ほどなく警察に自首して逮捕されたが、マスコミは植松が「障害者は不幸の源だと思った」と供述しているかのように報道。差別主義者が「身勝手な動機」から前代未聞の凶行に及んだ事件だとして一斉に批判した。

この事件に関する報道について、私がまず違和感を覚えるのは、被害者遺族の取り上げられ方である。

◆マスコミは植松と一緒に被害者の遺族や家族まで否定していないか?

植松が収容されている横浜拘置支所

植松が事件を起こした後、マスコミは次々に被害者の遺族を見つけ出し、「娘は不幸ではない」「寂しい思いでいっぱい」などと被害者の死を嘆き悲しむ声を伝えた。たとえば、次のように。

〈ある遺族は「あの子は家族のアイドルでした」と朝日新聞などの取材に語った。娘に抱っこをせがまれ、抱きしめてあげるのが喜びだった。被告は「障害者は周りを不幸にする」と供述したという。それがいかに間違った見方であるかを物語る。

苦労は絶えなかったかもしれない。それでも、一人ひとりが家族や周囲に幸せをもたらす、かけがえのない存在だった〉(朝日新聞2017年7月27日社説より)

あらかじめ断っておくが、私は植松の考えを肯定するつもりもない。しかし、どのマスコミもこの朝日新聞の社説のように「子供が障害者でも幸せだった」という一部の被害者遺族の声ばかりを取り上げ、「障害者やその家族が不幸だという植松の考えは間違いだ」という論調の報道ばかりになっているのを見ていると、私はこう思わずにいられない。

植松聖に殺傷された被害者の遺族や家族の中には、「自分たちを不幸だ」と思っていた人がいた可能性にもっと思いを馳せたほうがいいのではないだろうか?

マスコミが植松の犯行を肯定するわけにいかないのはわかる。しかし、それゆえにマスコミの多くは、植松のみならず、家族が障害者であることを不幸に思うこと自体を「絶対悪」として否定するような報道に陥ってしまっている。それは、被害者の家族や遺族の中に「自分たちは不幸だ」と思っている人がいた場合、そういう人たちのことも「絶対悪」として否定しているに等しい。

相次ぐ介護殺人を見ていれば、「家族ならどんな重い障害を持っていても一緒に生きていられたほうが幸せ」などと第三者が気楽に言ってはいけないことはわかりそうなものである。マスコミは植松のことを批判する前に、植松に殺傷された被害者の遺族や家族の中に「自分たちは不幸だ」と思っていた人がいた可能性に思いを馳せたほうがいい。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

 

「余命三年時事日記」は書籍化もされヒットしているらしい

「余命三年時事日記」というブログの呼びかけにより巻き起こったとされる弁護士大量懲戒請求騒動。懲戒請求を受けた弁護士たちが提訴などによる反撃の意向を次々に表明し、注目を集めている。

報道によると、騒動のきっかけは全国各地の弁護士会が朝鮮学校への補助金の交付を求める声明などを出したことだという。在日朝鮮人に差別的なことで知られる同ブログの運営者は、この声明を「犯罪行為」と受け止めて弁護士たちへの懲戒請求を呼びかけ、これに賛同した人たちが一斉に大量の懲戒請求を実行したという。

そのような経緯のため、大量の懲戒請求を行った者たちのことを「差別主義者」と決めつけ、批判する声が多いが、本当に彼らは「差別主義者」なのだろうか? 私はそんな疑問を抱き、問題のブログを調べてみたのだが、結論から言おう。私は彼らのことを「差別主義者」だとみなす意見に賛同できない。

◆あのブログの信者たちが案の定訴えていた「集団ストーカー被害」

私は今回の騒動をうけ、「余命三年時事日記」というブログに初めてアクセスしてみたが、ブログ上では、運営者のファンとみられる人々の投稿が多数紹介されていた。その内容を検証したところ、「案の定」と思える記述が散見された。それは、「集団ストーカー」被害を訴える記述である。

 

問題のブログ「余命三年時事日記」

集団ストーカーとは、統合失調症の患者が訴えることの多い妄想被害の1つとして知られる。訴える具体的な被害は、「24時間盗撮・盗聴されている」とか「尾行されている」とか「部屋に勝手に入られた」などで、犯人としては在日朝鮮人や在日中国人、創価学会、ユダヤ人、同和地区の人たちなどがよく挙げられる。

また、社会的な注目を集める大事件の犯人が統合失調症に陥っており、集団ストーカー被害を訴えているケースもよくあり、私が過去に取材した中では、当欄でお馴染みのマツダ工場暴走事件の引寺利明や淡路島5人刺殺事件の平野達彦らがそうだった。

では、「余命三年時事日記」には、具体的にどんな集団ストーカー被害関係の記述があったかというと、次の通り(以下、〈〉内は引用。行替えと句読点は読みやすくなるように改めたが、それ以外は原文ママ)。

〈反日勢力から組織的嫌がらせ(集団ストーカー・テクノロジー犯罪)を長年受けている日本人です。一年半前から嫌がらせが激化し、ブログを書くようになりました。その流れで、ネットに接する機会が増えました。ある被害者ブロガーさんの記事で、余命三年時事日記を知りました。余命三年時事日記には、今まで受けてきた嫌がらせや違和感の正体が全て書かれていました。主犯(黒幕)が日本人でなかったことに安堵し、ブログ記事に感動し、初めて希望を持つことができました。感謝の念に堪えません〉

〈初めて書き込みさせてもらいます。日本には反日勢力による組織的な殺人、集団ストーカーというものが存在します。これらの被害に遭うのは保守の人たちが多いようです。それらに対抗しうる余命主導の何かを立ち上げて欲しいです〉

〈集団ストーカーについて読者からの投稿を時折、ブログに載せて頂きましてありがとうございます。多くの日本人に、この犯罪を広く認知されるのが解決への第一歩だと思っています。そうすれば、在日帰化人達が声高に叫ぶ「共生」が絵空事だと、日本人に理解して頂けると考えております〉

〈投稿させてもらいます。余命三年時事日記をネットで知らない人のため、集団ストーカー・創価学会・朝鮮人あたりで検索に引っかかるように出来たら余命さんファンも増えるんでは増えるんでは^^;〉

文脈からすると、このブログのファンたちのうち、集団ストーカー被害を訴えている者たちは在日朝鮮人が集団ストーカーの犯人だと思い込んでいるようだ。彼らは今回、それゆえに大量の懲戒請求に走ったのだ。

◆精神疾患に冒された人たちである可能性を念頭に置いた対応を

この他、投稿者の中には「電磁波攻撃」や「テクノロジー犯罪」の被害を訴える者もいたが、それらも統合失調症の患者がよく訴える妄想被害だ。ということは、このブログの運営者や、大量の懲戒請求を行ったこのブログのファンに対処する際には、彼らが統合失調症を患っている可能性を考慮しないわけにはいかない。

今回の大量懲戒請求騒動に関するSNS上の意見を見ていると、懲戒請求を行った者たちのことを「ネトウヨ」とか「差別主義者」と呼んで批判したり、「頭の弱い人たち」とバカにしたりする人が目立つ。マスコミ報道も総じて、そのような論調だ。

それでは、何の解決にもならないどころか、病識の無い彼らを頑なにさせ、むしろ事態を悪化させかねないのではないかと私は懸念する。彼らが「差別主義者」ではなく、精神疾患に冒された人たちである可能性を念頭に置き、慎重な対応をすべきだ。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

人生をより良く終えるための活動として、すっかり一般化した「終活」。獄中で過ごす高齢の受刑者の中にも、この活動を行っている者がいる。

中村泰(ひろし)という。大阪と名古屋で現金輸送車を襲撃する事件を起こし、現在は岐阜刑務所で無期懲役刑に服している。しかしそんなことより、1995年に起きた歴史的未解決事件「警察庁長官狙撃事件」の真犯人だという説が根強い「東大中退の老スナイパー」として知られている。

この中村については、当欄でこれまでに繰り返し紹介してきたが、今年4月24日で88歳になった。生きているうちに自分のことを警察庁長官狙撃事件の真犯人だと社会に認めさせるべく、獄中にいながらマスコミの取材を積極的に受け続けてきたが、近年はガンやパーキンソン病を患い、健康状態は決して良くない。

そんな中村から私のもとに、「終活」の一環のように思える手紙が届いたのは、3月下旬のことだった。

◆獄中からの「提案」

〈思い返せば、私は長い拘禁生活の間に随分多くの本を読みました。それも多くは熟読といえる形でです。社会で生活していればとうていそれだけの時間的余裕はなかったでしょうから、囚われの生活といえども必ずしも不毛というわけでもなさそうです。

それでこれらの本がどうなったかですが、その大半は他者に贈り、残りは廃棄ということになっています。

そこであらためてご相談したいのですが、今後、私が(所持量規制のため)手離さざるをえなくなった書籍を受け入れていただけないでしょうか。

それには物を書くことを仕事にされている方には多少とも役に立つ場合もあるのではという希望的観測もなくはないのですが。もちろん差し上げるものですから不要となれば適宜処分されても結構です。

それともう一つ提案があるのですが、それはこの新年度から私物の保管容器が更新されまして、従来よりもその容量が小さくなってこれまで保有していた事件関連書類の一部を手離さざるをえなくなりました。そこで、もし関心がおありでしたら、(事件関連の報道記事等を含む)それらを提供したいと思いますので。受け取っていただければ幸いに存じます。

これらの案件につきましてご回答いただきたく待っています〉(以上、中村の手紙より)

中村は大変頭の良い人物で、手紙ではいつも読みやすく、わかりやすい文章を書いてくる。現在はパーキンソン病のため、字は多少震えているが、少なくとも文章力については、年齢による衰えは感じられない。しかし高齢となり、大病を患っていることから、自分の死期が迫っていることをこれまで以上に強く感じるようになったのだろう。私はこの手紙を読み、率直にそう感じたのだった。

◆武力革命を志向した男らしい読書

私はこの中村の手紙に対し、「書籍も事件関係の書類も頂けるなら頂きたい」と手紙で返事をした。それからまもなく中村より届いたのが次の15冊の本だった。

中村泰から送られてきた15冊の本

【1】米中もし戦わば(文藝春秋) 著/ピーター ナヴァロ 訳/赤根洋子
【2】ゲバラのHIROSIMA(双葉社) 著/佐藤美由紀
【3】狙撃兵ローザ・シャニーナ――ナチスと戦った女性兵士(現代書館) 著/秋元健治
【4】スナイパー――現代戦争の鍵を握る者たち(河出書房新社) 著/ハンス・ハルバーシュタット 訳/安原和見
【5】狙撃手のオリンピック(光文社) 著/遠藤武
【6】オン・ザ・ロード(中央公論新社) 著/樋口明雄
【7】逆説の日本史 19 幕末年代史編2 井伊直弼と尊王攘夷の謎 (小学館) 著/井沢元彦
【8】逆説の日本史 20 幕末年代史編3 西郷隆盛と薩英戦争の謎 (小学館) 著/井沢元彦
【9】警察捜査の正体 (講談社) 著/原田宏二
【10】警視庁監察係 (小学館) 著/今井良
【11】へんな星たち 天体物理学が挑んだ10の恒星 (講談社) 著/鳴沢真也
【12】拳銃伝説 昭和史を撃ち抜いた一丁のモーゼルを追って(共栄書房) 著/大橋義輝
【13】狙撃 地下捜査官 (角川書店) 著/永瀬隼介
【14】ヤクザになる理由 (新潮社)  著/廣末登
【15】日本人なら知っておきたい満州国の真実 別冊宝島2203(宝島社)

東大在学中から武力革命を志向した中村は、「個人の力で歴史を変えるような軌跡を残したい」という野心の実現のために長年、銃の腕を磨いてきたという。警察庁長官を狙撃した動機についても、「オウムの犯行に見せかけて警察のトップを殺害し、警察が本気でオウム殲滅に動くように仕向けるためだった」と語っている。私は、そんな中村が獄中で読んでいたという15冊の本を見て、どれもいかにも中村が好みそうな本だと思ったものだった。

中村はおそらく、自分が死去した後も自分のことを警察庁長官狙撃事件の犯人だと語り継いでくれそうな取材関係者たちに対し、同様の「終活」を行っているのだと思われる。私も中村の思いを受け継ぎ、今後も彼こそが警察庁長官狙撃事件の犯人だと言い続けていきたいと改めて思った。

▼片岡健(かたおか・けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

月刊『紙の爆弾』6月号 創価学会・公明党がにらむ“安倍後”/ビートたけし独立騒動 すり替えられた“本筋”

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

6月22日に公判が行われる最高裁

当欄で過去に取り上げた冤罪事件の1つ、米子市のラブホテル支配人殺害事件について、不穏な情報が伝わってきた。控訴審で逆転無罪判決(第一審は懲役18年の有罪判決)を勝ち取った被告人、石田美実さん(60)の上告審で、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)が検察側、弁護側双方に弁論をさせる公判を6月22日に開くことを決めたというのだ。

最高裁は通常、書面のみで審理を行うが、(1)控訴審までの結果が死刑の場合と(2)控訴審までの結果を覆す場合には、判決や決定を出す前に公判を開き、検察側、弁護側双方に弁論をさせるのが慣例だ。つまり、石田さんは(2)に該当し、最高裁で「再逆転有罪判決」を受ける可能性が出てきたということだ。

結果はまだわからないが、長く冤罪に苦しめられながら控訴審で逆転無罪判決を勝ち取った石田さんやその家族、弁護人らは今、不安な思いにかられているのは間違いない。この事件を第一審の頃から取材してきた私は、やり切れない思いだ。

◆控訴審では凄まじい努力があってこその逆転無罪判決だったが・・・

この事件について、当欄では2016年12月28日2017年2月17日同4月14日同12月27日で4回に渡り、取り上げてきたので、今回は事件の詳細な説明は省略する。どんな事件かを端的に言えば、予断を排し、丹念に事実関係を検証していけば、まぎれもなく冤罪だと理解できる事件だ。

もっとも、私は一方で、無罪判決を獲得する難易度は高い事件だとも思っていた。予断を排し、丹念に事実関係を検証しなければ、冤罪であることを理解するのが難しい事件でもあるからだ。

その理由は第一に、事件現場に密室性があることだ。2009年9月29日の夜に事件が起きた現場は、米子市郊外のラブホテルの事務所で、ラブホテルと無関係の人間がふらりと被害者の男性支配人を襲うために訪れることはあまり考えられない場所だ。そんな状況の中、このラブホテルの店長だった石田さんは事件が起きた時間帯、その現場に他の従業員らと居合わせてしまったのだ。

名張毒ブドウ酒事件や和歌山カレー事件もそうなのだが、このような現場に密室性があり、「犯人はその場にいた人間の誰か」であることが疑われる事件では、無実の被疑者が身の潔白を証明するのは難しい。そのため、おのずと冤罪判決が生まれやすくなる。

第二に、石田さんには、一見疑わしく見える事実がいくつかあった。たとえば、事件翌日に230枚の1000円札をATMに入金していたり、事件翌日から車で大阪に行くなどして1カ月以上も家をあけ、警察からの再三の事情聴取の呼び出しにも応じなかったりしたことだ。

実際には、230枚の1000円札については、現場のラブホテルの店長だった石田さんがゲーム機の両替のためにストックしておいたものだということは銀行の振込記録などから裏づけられていたし、石田さんは元々長距離トラックの運転手で、過去にも同程度に長く家を空けたことはあった人だった。つまり、長く家をあけたこと自体は、別に石田さんが犯人であることを示す事情ではなかったのだ。

しかし、そういうことは、予断を排し、丹念に事実関係を検証しないと、わからない。「疑わしきは被告人の利益に」という大原則がお題目と化した日本の刑事裁判では、こういう冤罪事件で無罪判決が出ることは極めてマレだ。

それゆえに、石田さんが控訴審で逆転無罪が勝ち取れたことについては、私は内心、一貫して無実を訴え続けた本人や弁護人の凄まじい努力があってこその奇跡的な出来事のように思っていた。それだけに、石田さんが今、最高裁で再び冤罪判決を受ける危険にさらされている状況は理不尽極まりないとも思うのだ。

◆捜査にも問題は多かった

この事件の現場には密室性があると言ったが、実際には、事件発生直後に現場に臨場した警察官たちの捜査が杜撰で、別の真犯人の侵入や逃走の形跡を見逃していた可能性も浮上している。石田さんはこの事件の容疑で逮捕される前、虚偽の申告をしてクレジットカードをつくったという言いがかりのような詐欺容疑で別件逮捕もされている。つまり、捜査段階から色々問題があったこの事件でもあるということだ。石田さんの裁判の結末を見届けたうえ、改めて当欄で報告したい。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

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