これは12月20日頃ネット上での東京新聞Webの冒頭画面だ。

 

この切り取りの中には、平然としているが、本来かみあわないはずの突合が無理やり詰め込まれている。東京新聞(中日新聞)は明確に原発に疑義を呈している。福島第一原発事故の後に東京新聞は契約部数を増やした。契約増の理由は、事実を伝えない他の全国紙よりも信憑性が高いと評価されたからだ。

ところが、このネット上の記事にはあろうことか「東京電力」の広告が画面中心に登場する。東京電力の広告は東京新聞が選択し、広告掲載契約を結んだものではないだろう。多数の閲覧者があるHPやブログでスポットCMのように、次々とかわるがわる入れ替わる方式の広告表示形態が、ある瞬間このようなマッチングとなっただけのことなのだろう。それにしても媒体の性格やブログの主張している内容と、まったくそぐわない広告が偶然にしても並び立つこの表象は、情報錯乱時代の意味論の視点からは示唆的な光景である。

反自民を標榜するある個人のブログを見ていたら、総選挙期間中しきりに安倍の顔が映し出される自民党の広告が表示されていた。紙媒体であれば、あのような現象はおこらない。反自民を主張するビラや冊子に自民党が広告を出すことはないし、発行元は仮に広告掲載の依頼があろうと断るだろう。

ネット上のスポットCMは媒体性格など関係なしに、おそらくは広告主からポータルサイトに支払われた広告代金にそった頻度で登場するのだろう。画面上での本来の主張との不整合は、いまのところ別段問題にされてはいないようだ。ただし、この画面を見て、「なんかへんだなぁ」とあやしさを感じ取る感性は保持しておきたいと思う。

◆犯行時19歳の死刑執行と光彦君の友人

そしてタイトルの「犯行時19歳の死刑執行 92年の市川一家4人殺害」記事に、「ああ」と声をあげたのは私だけではなかった。辺見庸は自身のブログで12月19日「絞首刑」直後にタイトルも「絞首刑」とし、絞り出すように書いている。

◎さようなら、光彦君・・・

友人が殺されるというのは、つらいものだ。

今朝、光彦君らが死刑に処された。
予感があったのであまりおどろかなかったが、やはりくるしい。重い。
気圧や重力や光りの屈折のぐあいが、このところ、どうもおかしい。

きみは〈やめてくれ!〉〈たすけてくれ!〉と泣き叫んだか。
あばれくるったか。〈お母さん〉と叫んで大声で
泣いたか。刑務官をどれほど手こずらせたか。
それとも、お迎えがきて、あっけなく失神したか。まさか。

きみは何回、回転したか。ロープはどんなふうに軋んだか。
宙でタップダンスを踊るように、足をけいれんさせたか。
鼻血をまき散らしたか。
舌骨がへし折られたときどんな音がしたか。
脱糞したか。失禁したか。目玉がとびでたか。
首は胴から断裂しなかったか。

けっきょく、再審請求も犯行時未成年も考慮されはしなかった。
考慮されたのは、「適正に殺す」ために、
きみのせいかくな体重とロープの長さくらいか。
さて、なぜ、けふという日がえらばれたか、知っているか。
平日。国会閉会中。皇室重大行事なし、だからだ。
国家は、ごく静かな朝に、ひとを「公式に」くびり殺すのだ。

やんごとないかたがたのご婚約、ご成婚、ご懐妊発表の日には
絞首刑はおこなわれない。
おことば発表の日にも、ホウギョの日にも、絞首刑はおこなわれない。
聖人天皇もマドンナ皇后も、死刑はおやりにならないほうがよい、
などというお気持ちのにじむおことばをお話しあそばされたことはいちどもない。
なぜか。

連綿たる処刑の歴史のうえに、ドジンのクニの皇室はあるからだ。
ひとと諸事実(そして愛の)の多面性と多層性について、
光彦君、ずいぶんとおしえられたよ。ありがとう!
ひとと諸事実(そして愛)の多面性と多層性については、
法律もジャーナリズムも、ほとんどの文学も、
まったくおいつかないことをとくと学んだよ。

災厄でしかない国家のなしうるゆいいつの善政とは、死刑の廃止であった。
死刑をつづける国家と民衆は、さいだいの災厄ー戦争をかならずまねくだろう。
にしても愚劣なマスコミ!

今夜はNirvanaを聴くつもりだ。
さようなら、光彦君・・・。

◆辺見庸と東京新聞

辺見と2017年12月19日、日本国から合法的に「殺された」関光彦さんのあいだに、10年を超える親交があったことは以前から知っていた。『いま、抗暴のときに』をはじめ辺見のエッセーには、匿名ながら幾度も関さんが「私の作品をもっとも深く理解する読者」として記されている。でも、死刑にはもとより反対の立場である私は、関さんの挿話を「死刑反対」の意を強くする補完材料として読んだのではない。逆だ。「殺す」とはいったいどういうことなのか、「死刑」判決を受け拘置所でいつ来るともしれない「その日」を待つひとの心のありようを自分は自分のこととして、これ以上ムリだと言い切れるほど思いを巡らしたのか。そして被害者(関さんであれば関さんがあやめた4名の)へどう立ち向かうのか。それらすべてを整理できなくとも、覚悟をもって「撤回のきかない最終回答」として「死刑反対」といいきれるのか、を問われ、鍛えられた命題だった。

一方、東京新聞の記事本文は、
〈法務省は十九日、一九九二年に千葉県で一家四人を殺害し、強盗殺人罪などに問われた関光彦(てるひこ)死刑囚(44)=東京拘置所=と、九四年に群馬県で三人を殺害し、殺人などの罪に問われた松井喜代司(きよし)死刑囚(69)=同=の刑を同日午前に執行したと発表した。上川陽子法相が命令した。関死刑囚は犯行当時十九歳の少年で、関係者によると元少年の死刑執行は、九七年の永山則夫元死刑囚=当時(48)=以来。二人とも再審請求中だった。(中略)
 上川氏は十九日に記者会見し「いずれも極めて残忍で、被害者や遺族にとって無念この上ない事件だ。裁判所で十分な審理を経て死刑が確定した。慎重な検討を加え、執行を命令した」と述べた。(中略)
 日弁連は昨年十月七日、福井市で人権擁護大会を開き、二〇年までの死刑制度廃止と、終身刑の導入を国に求める宣言を採択。組織として初めて廃止目標を打ち出した。
<お断り> 千葉県市川市の一家四人殺害事件で強盗殺人などの罪に問われ、十九日に死刑が執行された関光彦死刑囚について、本紙はこれまで少年法の理念を尊重し死刑が確定した際も匿名で報じてきました。しかし、刑の執行により更生の可能性がなくなったことに加え、国家が人の命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきだと考え、実名に切り替えます。〉

東京新聞は「国家が人の命を奪う究極の刑罰である死刑の対象者の氏名は明らかにするべきだと考え、実名に切り替えます。」と結んでいる。この記事末尾を一片の「良心」ととらえるか「いいわけ」と判断するかは見解が分かれよう。本質はそんなことではない。

「死刑」は重大な問題だ。私は確信的に「死刑」」に反対する。その原点の延長線上に「原発反対」も位置し、「原発反対」を旗印にする「東京新聞」への「一定の評価」も付随する。天皇制への異議も同様だ。しかし東京新聞の名前の横に「東京電力」の広告が表示され、関さんへの「死刑」記事が8割がた記者クラブ発表記事として文字化され、最後に<お断り>で結ばれる。この不整合が不整合ではなく、あたかも体裁が整っているかのように完結する(私にとって意味はまったく完結していないけれど)流れが2017年を物語っているように思える。

不整合な一年だった。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』

2017年は様々な事件があったが、私としては「森友学園・加計事件」と「共謀罪の成立・施行」が二大事件だと考えている。

今後も疑獄事件の責任追及と共謀罪廃止へ向けての動きを追っていきたいが、いつ、どのような形で“納税者一揆”が起きるのかが 2018年における私の関心事だ。森友事件に関連してである。

森友事件は、総理大臣夫人の安倍昭恵氏と関わりのあった学校法人に対し、合理的な理由と説明がないままに国有地を8億円以上値引きして払い下げた重大事件である。

しかも近畿財務局の役人と森友学園との価格交渉を示す録音もメディアに公開されており、また値引きの根拠であったはずの「ゴミ」もほとんどなかったことが判明しているのだ。もはや、政府側(財務省側)は、申し開きのできない事態に追い込まれている。

当時財務省理財局長だった佐川宣寿・現国税庁長官が国会で、あらかじめ具体的な金額を出して森友学園と交渉したことはない、と虚偽の答弁をした。また、関連文書も破棄するなど証拠隠しにも関与していると批判が巻き起こっている。

こうした中で、森友学園がらみで市民による刑事告発が多発しているが、佐川国税庁長官を対象とした告発をいくつか挙げてみる。
 
まず、「健全な法治国家のために声をあげる市民の会」八木啓代代表らが17年5月15日、佐川氏を含む官僚7名を公文書等毀損罪で刑事告発した。1年も経たず、また事案が進行中であるにもかかわらず文書を破棄したことを問題としている。

次いで10月16日、「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の醍醐聡東大名誉教授らが、佐川氏を証拠隠滅の疑いで東京地検に告発した。告発内容としては、右の「健全な法治国家のために~」の告発と重なる。

どちらも告発は受理された。

安倍ヤメロ(2017年12月14日)

◆国税庁前で抗議行動、さらなる告発も

森友事件に関して国会で虚偽答弁した人物が、税金を取り扱う国家機関である国税庁のトップに据わった。となれば、刑事告発も起こるだろうし、罷免運動も起きるのは当然だ。

12月14日には、市民団体「森友・加計告発プロジェクト」の呼びかけで、国税庁前で抗議行動があり、寒風吹きすさぶ中、約50人の市民が集まった。

「安倍は辞めろ!」
「佐川も出てこい! 国会で嘘ばかりの佐川!」
とシュプレヒコールが飛び交っていた。

佐川出てこい(2017年12月14日)

都内の自営業者も参加し、毎年年末や確定申告の時期になると大変な思いをしていることを述べ、国税庁の建物に向かい「あなたたちに税金を集める資格ないでしょ!」と怒りをぶちまけた。生活感と説得力のある発言だった。

愛媛県今治市で安倍首相の“腹心の友”加計孝太郎氏が理事長を務める加計学園獣医学部認可について不正を指摘し続けている黒川敦彦氏も上京し、通行人や国税庁職員に向けて訴えた。

「厚生労働省の調査で約6割の人が生活が苦しいと答えている。普通の人がどれだけ大変かわかっているのだろうか。今本当に困っている人が多い。お金がないと人は死ぬんです。
 佐川国税庁長官は、国有地の8億円値引きについて1回も説明していない。8億円もあれば、何人の国民が救えるのか。
 加計問題や森友問題のようなことを放置していけば、普通の人の生活はどんどん苦しくなっていく」

まったく黒川氏が言うとおりだ。抗議行動をよびかけた「森友・加計後発プロジェクト」は、すでに国家公務員法違反の疑いで安倍昭恵夫人、公職選挙法違反の疑いで安倍晋三首相らを刑事告発しているが、佐川国税庁長官を刑事告発することを検討中である。

黒川氏(2017年12月14日)

◆税務署窓口で「領収書破棄しました」一言運動

納税者からカネ(税金)を徴収する機関のトップが国有財産のたたき売りに関与し、金額をめぐる事前交渉はなかったなどと虚偽答弁をし、関連文書も破棄した。

これでは、税金をまともに払う気など起きない。2月から3月にかけては確定申告の時期だが、とりわけ納税者意識を持たざるをえない自営業者やフリーランスは税に関して不公平感を持つのは当然だ。

書類や領収証の不備などを確定申告の時期に税務署から指摘されることもある。だが、そのときに納税者には一言物申す権利がある。

「領収証は破棄しました」
「契約書も破棄しました」
「パソコンのデータ消滅しました」

日本中の税務署で、このような言葉が飛び交ってもおかしくない。何か職員に言われたら「税金をつかさどる機関のトップたる佐川宣寿・国税庁長官を見習っているだけです」と答えるしかないだろう。むしろ、納税者は直接窓口で抗議するべきではないだろうか。

納税者の強い抗議がないから、安倍首相のお友達に血税が簡単に遣われてしまうのだ。

黒税庁長官(2017年12月14日)

食い逃げ(2017年12月14日)

▼林 克明(はやし・まさあき)
ジャーナリスト。チェチェン戦争のルポ『カフカスの小さな国』で第3回小学館ノンフィクション賞優秀賞、『ジャーナリストの誕生』で第9回週刊金曜日ルポルタージュ大賞受賞。最近は労働問題、国賠訴訟、新党結成の動きなどを取材している。『秘密保護法 社会はどう変わるのか』(共著、集英社新書)、『ブラック大学早稲田』(同時代社)、『トヨタの闇』(共著、ちくま文庫)、写真集『チェチェン 屈せざる人々』(岩波書店)ほか。林克明twitter 

鹿砦社新書刊行開始!『歴代内閣総理大臣のお仕事 政権掌握と失墜の97代150年のダイナミズム』(総理大臣研究会編)

 

1『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』(2017年12月8日刊行)定価=本体1250円+税

鹿砦社取材班は常に「自分たちは間違っていないか? どこかに勘違いはないか?」と、留保の姿勢を維持しながら取材、執筆にあたっている。事実を探しだし、関係人物に話を聞き、事象を裏づける根拠(物証)を見つけて、ようやく原稿化する。当然のように「取材班は正義だ!」などとは微塵も思わない。むしろ世間知らずな面があることを自覚しながら、足らざる部分を補い合い、間違いを指摘し合いながら仕事をしている。

また、取材班は異なる個性の集合体であるので、個々の思想信条や属性、政治的意見もバラバラな人格の寄せ集めである。ただし、「差別」は許さない、「暴力やいじめは許さない」ことに関しては完全に一致をみている。その前提が共有できれば「M君リンチ事件」は、加害者や周辺人物がどのように詭弁を弄しようが、許されざる事件であることは簡単に理解できる。

◆「正義は暴走していいんだよ」と主張する人たち

他方、上記のように、「正義は暴走していいんだよ。だって、暴走しても正義だもん」と主張する人がいる。あきれる。笑いごとではない。小学生や幼児ではあるまいに。おのれを「正義」と規定する傲慢さと、「暴走してもいい」との際限なく浅はかで、危険な心情を吐露したコトバ。「暴走」はあらゆる場面で、ものごとの度が過ぎる場合に用いられるコトバだから、仮に自分の「正義」を確信したとしても(したならば、なおさら)「暴走」などと、理性ある大人は口にはしない。しかも公職や法曹関係者にとっての「正義」がいかなる定義づけをなされるか、は容易に想像される。

少なくとも「正義」の延長上に「暴走」を承認する理性などは、嘲笑の対象でしかない。彼がこの言葉を発したのは初めてではないらしい。やっかいなことに、彼は弁護士の職にある人物だ。その引用をしている人物も同様に弁護士、しかも二人ともM君と争う立場にある人たちの代理人を受任している。

大学院生リンチ加害者と隠蔽に加担する懲りない面々(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆しばき隊の「正義」は変幻自在に変化する

彼らに倣(なら)うかのように「しばき隊」は「みずからが規定する『正義』」になんの疑いもなく「暴走」する。しかしその「正義」の意味するところは、「しばき隊」にとって都合のよいように、変幻自在に変化する。彼らは「ヘイトスピーチ」はいけないという。取材班も同意する。

ではなぜ「ヘイトスピーチ」がいけないのか? 取材班は「差別される人の心を傷つけるから」ゆるされないものだと考える。「しばき隊」もおおすじ合意してくれるだろう。問題はその先だ。現象は常に「わかりやすい」とは限らない。口をつく、文字になる、映像になる差別のほかに、心に宿る差別はどうだろう? 取材班は常に、自己も無意識に保持するかもしれない「心に宿る差別」にも注意をはらう。そして「ヘイトスピーチ」が許されないものであるならば、「人の心だけでなく身体を傷つける暴力」がさらに罪深いことは当たり前だろう。

取材班はとりたてて優れた、または新たな人権思想や、社会のイメージを持っているなどとまったく思っていない。間違いをおかすことは誰にでもあるだろうと思う。なぜか? 「人間」だからだ。

きわめて単純だ。人間に絶対などなく、おおむね「正義」は相対的なものであり、自己を「正義」と評した瞬間、その人は無謬性という思考停止におちいることをあまたの歴史や経験から、そして取材班内の多様性からも知り得ているからだ。「人はみな違う」ことが重要なのだ。

鹿砦社への暴言の一部(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

◆“成果”にしろ“負の遺産”にしろ、社会運動の歴史を直視する

取材班は“成果”にしろ“負の遺産”にしろ、社会運動の歴史を直視する。歴史は断絶したものではありえず、負債にしろ勝利にしろ、私たちの社会で少なくとも戦後どのような社会運動が起きたのかをかなり研究し、共有している。その結実はなんだったのか? 戦術は? 参加者の想いは?被害者はいなかったか? あまつさえ犠牲者はでていないか? 不幸にも犠牲者が出ていれば、それは権力側の横暴によるものであるのか? あるいは不幸にも「正義の暴走」が引き起こした結果なのか?

歴史の前で謙虚になれば、「私たちはまったく新しい運動体」などと言い放つことができる運動など、出てきようががないことはあまりにも自明ではないか。その厚顔無恥を3・11後にやってのけたのが「反原連」(首都圏反原発連合)だった。首相官邸前に「日の丸」を掲げた“烏合の衆”(あえてこのように評す)が集まって、主催者内だけではなく「警察と打ち合わせ」(弾圧側との癒着は「社会運動」とは呼べない。社会運動の常識からすれば、これは「官製集会」、「官製デモ」と評されても過言ではなかろう)をしていた連中。彼らがやがてとんでもないことを引きおこすであろう予感は当時からあった。

◆「とんでもないこと」は2014年12月16日深夜から翌朝にかけて生じていた

そして「とんでもないこと」は実際2014年12月16日深夜から翌朝にかけて、不幸にも生じていた。「M君リンチ事件」だ。この事件を引き越した加害者の中には「戦後社会運動の歴史」を知るものはいないだろう。「新しい社会運動」と勘違いした人々のほとんどはそうだ。そうではなく「戦後の社会運動の歴史」を知る人は「ヘサヨ」、「ブサヨ」、「極左」などの烙印を押され、パージされていった。そして「失敗体験」を知らない人々だけが、「運動」を構成するようになり、やがて「運動」は目的をとらえ切れなくなる。2017年のしばき隊はすでに、「迷走」状態に突入しており、論理的整合性をたもった議論や論述を展開できなくなっている。「しばき隊」の出自が「日の丸」を掲げ「警察と打ち合わせ」をする「反原連」にそのルーツがあることをかんがみれば、当然の帰結である。

いまだに「リンチはなかった」などと平然と語る連中がいる──。(『カウンターと暴力の病理』グラビアより)

いまや「しばき隊」は極度のジリ貧で、中央が「締め付け」を強めないことには、アクティブな活動家とみられているメンバーの中にも、「辞めたいんですけど、怖くて」と取材班に連絡をしてくる人がいるほどだ。特高警察支配、スターリンの粛清なみに「しばき隊」の締め付けは、厳しいものになっている。つまり、彼らは崩壊の危機にあるのだ。でも心配はいらない。あなたたちを陰で支える、この国の権力はどこかで、あなたたちにテコ入れをしてくれることだろう。なぜならば、「あなたたち」をもっとも必要としているのは、「差別」された人でも「反原発」の人でも「沖縄」の人でもなく、「この国の権力中枢」にほかならないからだ、と取材班はみている。

(鹿砦社特別取材班)

『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(2017年12月8日刊行)

カウンターと暴力の病理
反差別、人権、そして大学院生リンチ事件
鹿砦社特別取材班=編著
A5判 総196ページ(本文192ページ+巻頭グラビア4ページ) 
[特別付録]リンチ(55分)の音声記録CD
定価:本体1250円+税 12月8日発売! 限定3000部!

渾身の取材で世に問う!
「反差別」を謳い「人権」を守るとうそぶく「カウンター」による
大学院生リンチ事件の<真実>と<裏側>を抉(えぐ)る!
1時間に及ぶ、おぞましいリンチの音声データが遂に明らかにされる! 
これでも「リンチはない」と強弁するのか!? 
リンチ事件、およびこの隠蔽に関わった者たちよ! 
潔く自らの非を認め真摯に反省せよ! 
この事件は、人間としてのありようを問う重大事なのだから――。

【内容】

私はなぜ「反差別」を謳う「カウンター」による「大学院生リンチ事件」の真相
究明に関わり、被害者M君を支援するのか

しばき隊リンチ事件の告発者! M君裁判の傍聴人にしてその仕掛け人!!
在特会&しばき隊ウォッチャーの手記

カウンター運動内で発生した「M君リンチ事件」の経過
続々と明らかになる衝撃の証拠! リンチの事実は歴然!

「M君リンチ事件」を引き起こした社会背景
精神科医・野田正彰さんに聞く

前田朗論文が提起した根源的な問題
「のりこえねっと」共同代表からの真っ当な指摘

リンチ事件に日和見主義的態度をとる鈴木邦男氏と義絶

われわれを裏切った〝浪花の歌うユダ〟趙博に気をつけろ!

「M君リンチ事件」加害者・李信恵被告による「鹿砦社はクソ」発言を糾すが、
誠意ある回答なく、やむなく提訴いたしました!

「M君リンチ事件」裁判の経過報告
10
鹿砦社元社員の蠢動と犯罪性
11
大阪司法記者クラブ(と加盟社)、およびマスコミ人に問う!
報道人である前に人間であれ!
M君と鹿砦社の記者会見が五度も<排除>された!

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

『反差別と暴力の正体 暴力カルト化したカウンター-しばき隊の実態』(紙の爆弾2016年12月号増刊)

『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

◆広島高裁の野々上友之裁判長の覚悟が司法や社会へ灯火を輝かせてくれた

『NO NUKES voice』11号【特集】3.11から6年 福島の叫び(2017年3月15日)

2017年師走。ひさびさ胸のすく吉報が全国を駆け巡った。12月13日広島高裁の野々上友之裁判長が、四国電力伊方発電所3号機の運転差し止めを求め、広島市民らが申し立てていた仮処分の即時抗告で運転差し止めの決定をくだした。この決定によって伊方原発3号機は実質的に運転再開が不可能となり、仮処分とは別に争われている本訴で判決が覆らない限り運転を再開することはできない。

この決定が野々上友之裁判長の判断によるものであることは、報道から伝わっていたが、個人的に野々上裁判長を知る方が、野々上裁判長の人となりと、この「決定」に込められた意味を解説してくださった。野々上裁判長は良心的かつ在野精神を失わない裁判官として、法曹界の一部ではかねてより名前を知られていた方だそうだ。今回の「決定」を下すにあたっても、「完全でまったく抜け穴のない『決定』にすれば最高裁での逆転がありうることから、運停停止の期限をあえて『2018年の9月30日』とし、「決定」が確定するように智慧をしぼられたのではないか」とその方は分析しておられた。

伊方原発の危険性は日本最大の活断層「中央構造線」が目の前に走っていることが、最大の危険要素であり、万が一の事故の際には多数の住民が避難できない地理的条件もしばしば指摘されていた。野々上裁判長は運転停止決定の根拠を「あえて」阿曽山の噴火の危険性とした。これは「決定」が言外に川内原発や玄海原発の危険性にも広がりをもつことから、まさに「画期的」な判断と言えよう。野々上裁判長は間もなく定年退職を迎えられるそうだが、裁判官としての集大成として、このように人間の尊厳に立脚した判断を下された。裁判官としての覚悟が、この島国の司法や社会へ灯火を輝かせてくれた。

◆誰一人として無関係ではない福島と原発
 2018年、わたしたちはいかなる「哲学」がいま求められているのか

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!(2017年6月15日)

他方福島を中心に、東北や関東から避難された方々の筆舌に尽くしがたい苦難の日常を私たちは直視し続けたいと思う。福島で被災された方々はもちろんのこと、首都圏でも原発事故が原因ではないか、と疑われる健康被害が顕在化しはじめている。「因果関係」を証明できないのを奇貨として、為政者や悪辣な医師どもは「事故とは関係ない」と言い放つが、証明する責務は事故を起こした側にあるのではないか? 刑事司法では「疑わしきは罰せず」が原則であるが、被爆由来の疾病は完全にそのメカニズムが解明されていない以上「疑わしきはとことん調べる」を基本に据えるべきではないだろうか。

「原発には現代社会の矛盾が凝縮されている」、と『NO NUKES voice』 を編纂する中でわたしたちは学び、読者に伝えようと毎号全力を傾注している。原発じたいの明確な危険性、運転すれば必ず生み出される廃棄物(数十万年から百万年絶たないと無毒化できない)の処理方法が見つからない中で平然と行われる再稼働、「経済至上主義」=目の前の利益回収だけにしか興味がなく、自分の定年や世代だけの利益が回収できればよいとする、究極の無責任。その重大命題への関心を捻じ曲げるために躍起になる経済界、電力会社、広告代理店、御用学者。そして「平和の祭典」の名のもとに、あろうことか「東北復興」を錦の御旗に開催されようとしている「東京五輪」。日々7千名と言われる事故収束作業に従事する作業員の方々の被爆・健康管理への無関心。

原発を凝視すればそこから現代社会(文明)の根腐れした課題と、必要とされる「哲学」の欠如が必然体に浮かび上がる。2018年、わたしたちはいかなる「哲学」がいま求められているのか、も編集の課題に据えようと考える。誰一人として無関係ではない、無関係でいようと思ってもそうはさせてくれない。政治と市民同様の関係がいま生きるすべての人びとと原発のあいだには宿命づけられている。

◆「東京五輪」や「改憲策動」は福島復興の妨害物である

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて(2017年9月15日)

「果報は寝て待て」では前進できないし「寝た子を起こす」ことなしに「原発」をとりまく巨大なシステムを打ち崩すことはできない。全国各地、世界中で地道に反・脱原発に取り組む皆さんと手を携え、文明・哲学の視点からも原発問題を徹底的に読み解き、いまだ示されぬ解決への道筋(それは多様で多岐にわたろう)を着実に探っていきたい。微力ではあるが『NO NUKES voice』 はそのための情報発信媒体としての役割を自覚し、みずからもさらなる成長の階段を上がらなければならないと自覚する。

さしあったってまったく福島の復興の妨害物でしかない「東京五輪」や「改憲策動」にも目配りをしながらみなさんとともに歩みを進めていきたいと覚悟を新たにするものである。道程は短くないかもしれないが、今日の1歩がなければ明日はやってこない。諦念に陥ることなく、地道にともに闘うみなさんを少しでも元気づけられる存在となれるよう、また原発に楽観的(無関心)な方々に「気づき」のきっかけとなれるよう、その一端を担いたい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点(2017年12月15日)

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』

私はこれまで様々な冤罪事件を取材してきたが、今年は取材してきた冤罪事件にかつてないほど多くの朗報がもたらされた1年だった。逆転無罪判決を受けた事件は2件、再審開始の決定を受けた事件が1件、さらに日本弁護士連合会の再審支援が決まった事件が2件あった。この空前の当たり年をここで総括したい。

◆当欄で冤罪の疑いを報告していた2事件で逆転無罪

まず、3月10日には、最高裁第2小法廷(鬼丸かおる裁判長)で、銀行店内で他の客の置き忘れた現金を盗んだ濡れ衣を着せられていた広島の放送局「中国放送」の元アナウンサー・煙石博さんに逆転無罪判決がもたらされた。

この事件については、私は当欄で裁判が1審段階にあった2013年から冤罪の疑いを報告してきたが、この約4年間、煙石さん本人はもちろん、家族や大勢の支援者が署名集めや街頭宣伝など、無罪を勝ちとるためにたゆまぬ努力をしていた。それが最高裁での逆転無罪という数千件に1件あるかないのか極めて異例の結果をもたらすことにつながったのだと私は確信している。

最高裁で逆転無罪判決を受け、喜び合う煙石さん、弁護人の久保豊年弁護士、支援団体の佐伯穣会長(左から)

次に、3月27日には、当欄でそれ以前に2度、「知られざる冤罪」として紹介していた米子ラブホテル支配人殺害事件で、2審・広島高裁松江支部(栂村明剛裁判長)が被告人の石田美実さんに対し、1審・鳥取地裁の懲役18年の判決を破棄したうえで逆転無罪判決を宣告した。

この事件については、証拠は乏しく、1審で明らかになった事件当日の現場ラブホテルの状況などを見ても、石田さんが無実なのは明らかだった。しかし、事件翌日に23万円のお金を銀行口座に入金しているなど、石田さんには一見怪しく疑わせる事実があり、1審では結局、有罪が出てしまったという事件だった(詳細は今年2月17日の当欄を参照頂きたい)。

2審・広島高裁松江支部も初公判で即日結審し、逆転無罪は難しいのではないかと思っていたので、逆転無罪判決が出た時、私は正直、少し驚いた。しかし判決では、「~の可能性もある」「~とは断定できない」などという言い方で、一審判決の有罪認定をことごとく否定しており、推定無罪の原則に従った妥当な判断だった。

◆日弁連の再審支援が決まった事件も2件

そして暮れも押し迫った12月20日、大阪から飛び込んできたのが元看護助手・西山美香さんの再審開始決定のニュースだった。西山さんは、2003年に寝たきりの男性入院患者の人工呼吸器のチューブを外し、殺害したとされ、懲役12年の判決を受けて服役した。この事件についても当欄では2012年に紹介しているが、有罪証拠が事実上自白のみで、その自白内容にも不自然な点が多いという明白な冤罪事件だった。しかし、第1次再審請求は実らず、第2次再審請求も大津地裁に退けられていた。

今回、再審開始決定が出た大阪高裁(後藤眞理子裁判長)の第2次再審請求の即時抗告審では、弁護側から患者の本当の死因が「致死性不整脈」であることを示す複数の医師の意見書が提出されており、再審開始への期待が高まっていた。その後、大阪高検が特別抗告し、最高裁で改めて再審可否が判断されることになったのは腹立たしいが、私はこの事件については、最終的に必ず西山さんの雪冤が果たされると確信している。

その他、当欄で紹介していた冤罪事件では、鶴見事件、恵庭OL殺害事件という2つの事件について、日本弁護士連合会が再審請求の支援を決定するという朗報が飛び込んできた。恵庭OL殺害事件については、現在、第2次再審請求審で弁護側の攻勢が続いていると伝えられており、来年は再審開始決定のニュースが飛び込んでくることもおおいに期待される。

以上、今年はこれまで取材してきた冤罪事件に次々と朗報がもたらされ、個人的に大変喜ばしい一年となったが、実は来年以降も朗報が期待できる冤罪事件はいくつもある。それについては、また年明けに書きたいと思う。

▼片岡健(かたおか けん)
1971年生まれ、広島市在住。全国各地で新旧様々な事件を取材している。

「絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―」(片岡健編/鹿砦社)

12月22日朝日新聞デジタルは「ネットで顔さらされヘイト投稿 衝動的に髪を切った夜」と題した、大貫聡子記者が李信恵を特集した記事を掲載した。この記事の中にはちょっと不思議な部分がある。李信恵は、

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

と語っているが、下の李信恵がみずから書き込んだツイッターとはいったいどう整合性がとれるのであろうか。この書き込みは2017年6月17日だ。「50センチ以上の髪の毛が不足していると聞いた(ロングウイッグ用)のでがんばって伸ばした」と李信恵は書いている。画像を見ればカット前にはかなりのロングヘアーであることは歴然だ。

2017年6月17日の李信恵ツイッター

髪の毛の伸びる速度には個人差があり、ホルモン分泌や年齢により一定ではない。また体毛は部位により伸びる速度が異なる。毛髪は3日で1ミリほど伸びるのが標準的な速度だそうだ。とすると1月に1センチ、1年で12センチ。50センチ伸ばすためには最低4年以上の時間が必要だ。「ひとによって伸びるスピードに個人差がある」とはよく言われる通りだけれども、50センチ以上伸ばすためには(毛髪が全くない状態から)最低4年を要するはずだ。

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

のは「いつ」なのか?2017年に上のように50センチを超える長さに伸びているのだから、「髪を短く切った」のは2013年か2012年でないと計算に合わない。ところがその時期に李信恵は、まだ「反ヘイト裁判」を起こしてはいない。また裁判を起こす前に出演した「チャンネル桜」の討論会では、肩より長く髪を伸ばしている。これはどういうことだろうか。

そして周辺関係者によると、李信恵が「反ヘイト裁判」を起こしてから、髪の長さが極端に短くなったことはないという。であるならば、

「ネット上では、長い髪の時に撮った写真が、さらされていたので、ある夜『短ければ私だとわからないのではないか』と衝動的に自分で短く切ってしまったこともありました」

は李信恵の勘違いか、ウソということになる。朝日新聞が李信恵についての記事を掲載するにあたり、大貫記者は事実確認を行ったのだろうか?タイトルにしているのだから重要な事実だと大貫記者が感じたのだろう。しかし、その挿話がいかにも疑わしいことは述べたとおりだ。

そもそもまったくの無名な市民で、社会的に露出されることを嫌う方であればともかく、李信恵は、新聞、ネット中継、集会、そしてなによりもみずから連日自分のツイッターやインスタグラムで、これでもか、これでもかと自分の姿を発信している人物だ。片一方でさんざん露出しておいて、同時に「私だとわからない」ことを望むのは、一般的な感覚からすれば、大いなる矛盾ではないか?「わたし」を知られたくなかったら、せめて写真発信を控えたり、取材者にも顔写真の撮影を遠慮してもらう、などいくらでも防御する方法はある。実際、有名な冤罪事件被害者の方の中には、文字での取材には応じるが、顔写真の撮影は断る、という姿勢を続けられておられる方々がいる。李信恵にはそんなそぶりはまったくないではないか。

李信恵が熱心に自分の写真を発信していたことを、大貫記者は知らないことはあるまい。記事のタイトル「ネットで顔さらされヘイト投稿 衝動的に髪を切った夜」は情動的に過ぎ、かつ事実から離れたものではないか。

実は大貫記者には「事実から離れる」、「事実から(人を)離す」癖がある。11月16日大阪地裁で李信恵が記者会見を開いた際に、記者室への取材班の入室を拒んだのはほかならぬ大貫記者だった(『カウンターと暴力の病理』参照)。大貫記者の署名入り記事は翌日の朝日新聞に掲載された。ところが、12月11日李信恵が被告として尋問を受ける法廷に大貫記者の姿はなかった。大貫記者には既に『カウンターと暴力の病理』を鹿砦社はお送りしている。それでもこのような記事を書き続けるのは、大貫記者(あるいは朝日新聞)が李信恵の提灯持ちだからなのか?であれば仕方ない。取材班“直撃チーム”は次なるターゲットリストに大貫記者の名前を書き加える。

李信恵の勘違いか、ウソに取材班は少なからず接してきた。12月11日大阪地裁で行われたM君が李信恵をはじめとする5人を訴えた裁判の、尋問の中でも下記の点は勘違いか、ウソだ。

・M君が暴行を受けてから店に入ってきたときに、M君の前髪が下がっていたので顔が見えなかった。
→事件当時、M君の前髪は眉毛にもかからない程度の長さだった(事件直後の写真により確認できる)から顔が見えないはずはない。
・「M君を弟のように思っています」と発言。
→そうであれば、ツイッターでM君の本名を明かし、「喧嘩はあったけど、リンチなんかなかった」をはじめとする数えきれないM君への攻撃はどのような心理によるものなのか。「弟のように思う」人間にネットで攻撃をしかけるだろうか。
・警察の調べでの発言を原告代理人の大川伸郎弁護士に聞かれた際「事件の記憶とその後に見たM君の写真の印象が混乱していた」旨の発言をしているが、M君の事件後の写真が公開されたのは2016年であり、李信恵が警察で調べを受けたのは2015年だ。つまり「写真の印象」との李信恵の発言は、ここでも時系列的に矛盾する。
・事件当時「チョゴリ」を着ていなかったと尋問で李信恵は断言した。
→しかし事件を録音した音源には、李信恵がM君に掴みかかり暴れた際に、「チョゴリが汚れるから」と周囲の人物が発言していることが確認される。
・12月11日、裁判当日の朝、鹿砦社社長、松岡が、喫茶店内で李信恵に「嫌がらせ」をしたかのような書き込みをしている。
そのような事実はまったくなく、これは完全なウソである。

2017年12月13日の李信恵ツイッター

差別を受けて辛い思いをしたであろうことは想像できるが、その心理を描写するのに「勘違いかウソ」を語ってはならない。そしてどうして朝日新聞の大貫記者に限らず、マスコミは相変わらず李信恵らの「負の部分」を全く報じないのだ!仕方がないから鹿砦社が事実を探し出し、社会に伝えねばならない役回りを担わざるをえない(これにより取材班に対する、婉曲な恫喝や直接の罵倒は数えきれない。「駅のホームでは一番前に立たない方がいいですよ」とのアドバイスをしてくれる人もいるほどだ)。

マスコミが「事実」や「真実」を伝えないから『カウンターと暴力の病理』を出さざるを得なかったのだ。『カウンターと暴力の病理』は付録のCDで話題になっているが、むしろ取材班は、その中身を読んでいただきたい。李信恵ら「しばき隊」の「みもふたもない」(本書176頁秋山理央の告白文言)正体を知れば、読者は世の中の色彩が違って見えるかもしれない。

(鹿砦社特別取材班)

最新刊『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD(55分)定価=本体1250円+税

『人権と暴力の深層 カウンター内大学院生リンチ事件真相究明、偽善者との闘い』(紙の爆弾2017年6月号増刊)

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◆駅前で「憲法改正反対」と言ったら「葛飾区民ではない」と言い放った区議候補

少し前に東京へ出張したときのことだ。総選挙は終わっているにもかかわらず、とあるJRの駅前ではやたらに選挙カーや演説の声が耳に入ってくる。葛飾区の区議選挙が行われていた。昼間に取材の仕事を終え夕食をとろうと、駅から出ると自民党の候補者が「区民の皆さんの声を聴きながら改憲を進めてまいりたいと思います!」とがなり立てていたので、「憲法改正反対!」とその候補者に肉声で声をかけた。するとあれこれ言分けがましい屁理屈を並べた挙句「そう意見の方は区民ではありません!」とさすがの私もブッタまげるような無茶を言い放った。まあ、実際私は葛飾区民ではないから半分はあたっているのだけども、私ではなくとも、本当の葛飾区民のどなたかが「憲法改正反対」と言ったら「葛飾区民ではない」とその候補者は言ったわけである。

ここまで横暴なことを平然と選挙(区議選)とはいえ、言い放つことが自民党公認候補に可能になったのだな、と不快さが増した。

◆身をかわしてもぶつかり続ける東京ドーム「乃木坂46」ファンらしき若い群衆

不快さが増す前からその日は実に腹立たし思いをして虫の居所が非常に悪かった。立ち寄り先が東京ドームの近くにあり、地下鉄丸の内線の後楽園駅で下車し、東京ドームを半周回る形で目的地へ向かっていたときのことだ。見たことのない様々な若い女性の顔が印刷された垂れ幕が無数にそこここにかかっていて、東京ドームの横に目を向けると少なくとも数千人から1万人近い人の群れがあった。人間が1万人近く集まると人いきれや、しゃべり声あるいは「人間集団」の気配を感じるものだが、東京ドームの横に群れて動かぬ人びとからは、それらがほとんど感じられなかった。新興宗教の集まりでもあるまいに、見たところ男性が多く10代から中年まで年齢層も広い。「群衆」からは人間の「匂い」やざわつき、「熱」といったものが感じられないのが不思議だった。

なにが起こっているのだろうかと無数の垂れ幕を注意してみると「乃木坂46サマーツアーFinal」と書かれていた。

ああ、これが山田次郎氏も本通信で取り上げていたかの有名な「乃木坂46」かと、浮世離れした中年は「はじめまして」と心のなかで挨拶をしておいた(特段の意味はない)。集まっている人びとを横目に、東京ドームをやり過ごして立ち寄り先で1時間ほどの用件を済ませた。

帰路も同様に東京ドームを半周回って丸ノ内線後楽園駅に向かう。コンサート開始時間が近づいてきたのだろう、先方からこちら方向に歩いてくる人の数がかなり増えている。ラッシュ時の駅ほどではないものの、前を向いて歩かなければ反対方向から歩いてくる人に数秒に1度は確実にぶつかるであろう程の密集度合いだ。

ところが、通常よほどの人混みでも先方からぶつかられることのない私(外見が理由だち言う人もいるが真偽はわからない)に、数メートルごとにスマートフォンを見ながら歩いてくる若者が肩や正面からぶつかってくる。もちろんこちらも衝突は避けたいので右へ左へ身をかわすが、そこにもスマートフォンを覗き込んだ兄ちゃんが、かつてのインベーダーゲームでほとんどの敵を殲滅した、最終局面でこちらの砲へ残存インベーダーが垂直に近い角度で降りてくる現象(こんな古臭い例えがわかるだろうか?)の光景が水平方向に展開される。

逃げ場がないから、残存インベーダーならぬ「乃木坂46」ファンは次から次へと私にぶつかってくる。肩に当たる奴がいれば正面衝突してくる猛者もいる。東京ドームを半周するあいだにぶつかってきた残存インベーダーは10人ではすまなかった。「どこ見とんねん!」、「前見て歩かんかい!」と衝突されるたびに叱責していたけれども、だんだん腹が立ってきた。私は「乃木坂46」を知らないので、好意も悪意も持ち合わせてはいなかったし、彼女たちに罪はない。だけども結構な数の国やこの国でもあちこちの人ごみを歩いたけれども、こんな体験は初めてだったので、終盤ぶつかってきた兄ちゃんたちには「強め」の指導をしておいた。

だらだら長くなったが、某駅で葛飾区議選にぶつかる前に、残存インベーダーとの予期せぬ格闘に久々、イラついていたのだ。

◆「差別反対!」と発したら四方八方から「朝鮮人は出て行け!」と罵声を浴びた!

食事を終えて再び駅に近づくと今度は「外国人への生活保護打ち切りを」とか何とか書いた布を後ろに、露骨な外国人差別演説をしている候補者がいる。「ほらみろ『ヘイトスピーチ対策法』なんか作ったってこういう奴にはまったく効果ないじゃないか」と思いながらも、街中で堂々と繰り広げられる大声の差別演説者の目の前まで行き「差別反対!」と声を発したら「朝鮮人は出て行け!」、「反日朝鮮人は消えろ!」、「半島へ帰れ!」など四方八方から罵声が飛んできた。

罵声を飛ばす人たちの目は血走っている。彼らの目には2013年初期頃、在特会らが行なってた集団ヒステリーに近い根拠のない憎悪が満ちていた。しかし的外れもいいところだ。私には(大昔の祖先までは 知らないけれども)確認で来ている範囲で朝鮮民族の親族はいない。だから「なんでワシが朝鮮に帰らんとあかんのや!」とやり返す。

◆「黒いカバン」もぶら下げていないのに警察官に呼び止められて詰問された!

すると制服警察官が寄ってきた。

話を聞きたいという。話も何も「あんたらさっきから見てたやろ。あの候補者がひどい差別をマイクで放言してるから『差別はやめろ』と一言言っただけじゃないか」と言うと、「そこは見てましたけど公選法違反の可能性もありますので」とぬかしやがる。マイクを使って演説をしている候補者にひとり肉声で一言だけ「差別をやめろ」と言ったら公選法違反になる? おいおい、そんな乱用きいたことないぞ。これで公選法違反になるなら右翼の街宣車による選挙妨害や「安倍やめろ」の大合唱はどうなる?

「任意なんだろ? なら帰る」とその場を立ち去ろうとすると制服警官が前に立ちはだかり「転び公妨」をしかけてくる(注:「転び公妨」とは警察官が市民を不当逮捕しようとするときに、自らわざと転んであたかも暴力や公務執行妨害があったかのように演じる悪質劇)。

「名前を教えてくれ」、「住所は?」、「お仕事は?」と次々にうるさく聞いてくるが「早く帰らせろ。令状もないのに拘束するのか」と聞くと「ご協力願えませんか」と言葉だけは丁寧だ。そうこうするうちに今度は私服警官が3人やってきて制服警官をその場から立ち退かせた。

鈴木信行=葛飾区議

制服警官は何度も「差別をやめろ、と言われたところは見ていました。それだけなら問題ないです」というので「それだけじゃないか。もし私が選挙妨害したと言うなら告訴させろ。そのかわり、このあたりには監視カメラが無数にあるだろうから、証拠は無数にあるだろう。あちらさんは誣告罪(虚偽親告罪)になると思うがね。こっちのほうがぼろくそに言われたのを見ていただろうが!選挙中にそこまでやるならやらせろ」と言うと、「いえ、そこまで大げさな話じゃないんで」と埒が明かない。

制服警官に代わった私服は私の目の前には2人しかいなかったけれども、途中注意深く周りを見回すと壁の影や柱の向こうに少なくとも5人がこの様子を観察している。しかしいくらなんでも一声「差別反対」と言っただけで散々周囲から罵倒された挙句「公選法違反容疑」で駅の中に長時間留め置かれる筋合いはない。けれども、揚げ足取りで私服警官は明らかにこちらの逮捕を狙っている。ったく! 残存インベーダにはぶつかられるし、差別候補者のせいで警察に狙われるし、ろくな日じゃない。結局1時間半ほどしてようやく解放されたが、その当時の候補者は選挙でめでたく当選し、ツイッターでの差別的発信で今話題の鈴木信行氏であった。

警察から解放されて私は鈴木氏と話に行ったが、まったく話にならなかった。この人が当選したらえらいことになるだろうなぁ、と思っていたらやはり予想通り「時の人」になっているようだ。田舎者にとって東京は悪い刺激が多すぎる(私の性格が悪いからだろうか?)。散々な1日だった。

▼佐野 宇(さの・さかい)


◎[参考動画]葛飾区議選 京成高砂駅(大阪観光チャンネル2017/11/11公開)

これでも「リンチはない」と強弁するのか!? 『カウンターと暴力の病理 反差別、人権、そして大学院生リンチ事件』[特別付録]リンチ音声記録CD

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『ヘイトと暴力の連鎖 反原連―SEALDs―しばき隊―カウンター 』(紙の爆弾2016年7月号増刊)

右ストレートで3度目のダウンへ繋ぐ江幡睦

後楽園ホールと両国国技館でそれぞれが勝利を上げた江幡睦と塁。
睦はいつもよりは格下のトートーとの対戦でしたが、そのトートーの蹴りと繋ぎ技は素早く、油断はならない。対する睦はいつもどおりながら様子見のローキックからパンチへ繋ぎ、隙を見つけるといずれも右ストレートが決め手となる3ノックダウンを奪って余裕のKO勝利。

緑川創のローキックでサグントーンにダメージを与える

両国国技館での「KNOCK OUT」興行では、塁が宮元啓介(橋本)と激闘の末、判定勝利。そのまま後楽園ホールへ駆けつけ睦のセコンドに着く慌しさ。重森陽太(伊原稲城)も「KNOCK OUT」興行に出場し、マキ・ピンサヤーム(タイ)に判定勝ちした後、後楽園ホールへ来場。江幡ツインズとスリーショットとなりました。

緑川創も第1ラウンドに様子見から左フックをボディに炸裂させダウンを奪い、第2ラウンドに右ストレートでダウンを奪ったところでタオル投入されKO勝利。

渡辺健司vs大和侑也戦はちょっと興味深いカードとなった試合でしたが、渡辺のいつもの下がってかわす戦法に、正攻法の大和は持ち味を活かせない。自分の距離を見極めると渡辺のローキックやフック系パンチのしぶとい戦法で判定勝利を掴みました。

終盤にパンチで出ていく大和侑也だが渡辺攻略は難しかった

斗吾が第1ラウンドにパンチで斉藤をグラつかせるも、その追撃が足りず、その後のダメージから回復した斉藤が長身を活かした前蹴りが有効的に使われ、首を組んでのヒザ蹴りをしつこく繰り出す。パンチで攻めた斗吾が辛うじて引分けに持ち込んだ印象。2014年3月に対戦した時は斗吾がヒジ打ちでTKO勝利しているが、今回は斉藤が持ち味を活かした試合でした。

長身の斎藤智宏前蹴りが斗吾を突き飛ばす

瀬戸口勝也は皆川の若さとスピードに出遅れ、皆川は若さと攻めの打ち終わりにフォローを入れる追撃の見映えも良かったが、瀬戸口の強打が皆川のリズムを崩し、ベテランの技で勝利を掴みました。

瀬戸口勝也の強打が若い皆川をたじろがせる

◎SOUL IN THE RING.15 / 2017年12月10日(日)後楽園ホール17:00~20:10
主催:藤本ジム / 認定:新日本キックボクシング協会

◆メインイベント54.5kg契約 5回戦

WKBA世界バンタム級チャンピオン.江幡睦(伊原/54.5kg)
VS
トートー・ペットプームムエタイ(タイ/53.9kg)
勝者:江幡睦 / KO 1R 2:30 / 3ノックダウン
主審:仲俊光

右ストレートで2度目のダウンを奪う江幡睦

◆70.0kg契約 5回戦

緑川創(藤本/70.0kg)vsサグントーン・トー・ポンチャイ(タイ/68.0kg)
勝者:緑川創 / KO 2R 1:44 / カウント中のタオル投入
主審:桜井一秀

緑川創のボディへ右ストレートで上下どこでも攻めどころを捉えていく

第8試合勝者、ジョニー・オリベイラ。ラウンドガールもクリスマスバージョン

第7試合勝者、本田聖典

第6試合勝者、古岡大八

第4試合勝者、リカルド・ブラボー

◆68.0㎏契約3回戦

日本ウェルター級チャンピオン.渡辺健司(伊原稲城/67.8kg)
VS
大和侑也(元・WBCムエタイ日本同級C/大和/67.8kg)
勝者:渡辺健司 / 判定2-0 / 主審:椎名利一
副審:宮沢30-28. 仲30-29. 桜井29-29

◆73.5㎏契約3回戦

日本ミドル級チャンピオン.斗吾(伊原/73.5kg)
VS
斎藤智宏(Ys.k KICKBOXING/73.5kg)
引分け / 0-0 / 主審:宮沢誠
副審:椎名29-29. 仲29-29. 桜井29-29

◆フェザー級3回戦

日本フェザー級3位.瀬戸口勝也(横須賀太賀/56.8kg)vs同級6位.皆川祐哉(藤本/57.0kg)
勝者:瀬戸口勝也 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:仲30-29. 桜井30-28. 宮沢30-28

◆ライト級3回戦

日本ライト級4位.ジョニー・オリベイラ(トーエル/61.0kg)
VS
同級6位.大月慎也(治政館/61.2kg)
勝者:ジョニー・オリベイラ / 判定2-0 / 主審:仲俊光
副審:椎名28-28. 桜井29-28. 宮沢29-28

◆ミドル級3回戦

日本ミドル級2位.本田聖典(伊原新潟/72.3kg)
VS
萩本将次(CRAZY WOLF/71.0kg)
勝者:本田聖典 / TKO 3R 2:20 / 双方ともヒジ打ちによるカット、ドクターの勧告を受入れ、萩本将次をストップ、本田聖典は続行可能。
主審:宮沢誠

◆54.5㎏契約3回戦

日本バンタム級3位.古岡大八(藤本/54.5kg)vs鰤鰤左衛門(CORE/54.5kg)
勝者:古岡大八 / 判定3-0 / 主審:椎名利一
副審:桜井30-29. 宮沢30-28. 仲30-27

◆ライト級3回戦

日本ライト級5位.渡邉涼介(伊原新潟/60.8kg)vsTASUKU(CRAZY WOLF/60.7 kg)
引分け / 三者三様 / 主審:桜井一秀
副審:椎名29-29. 宮沢28-30. 仲30-29

◆68.0㎏契約3回戦

リカルド・ブラボー(アルゼンチン/67.6kg)vs山本ジエゴ(ウルブズスクワット/67.3kg)
勝者:リカルド・ブラボー / TKO 1R 2:23 / カウント中のレフェリーストップ
主審:宮沢誠

◆フライ級2回戦

山野英慶(市原/50.8kg)vs空龍(伊原新潟/50.6kg)
勝者:空龍 / TKO 1R 1:20 / カウント中のレフェリーストップ
主審:仲俊光

◆女子52.0㎏契約2回戦

白石瑠里(藤本/52.0kg)vs加藤みどり(エイワ/51.8kg)
勝者:加藤みどり / 判定0-3 / 主審:椎名利一
副審:桜井18-20. 仲18-20. 宮沢18-20

◆63.0㎏契約2回戦

KAZUMA(揚心/62.7 kg)vs中田憲四郎(藤本/62.3kg)
勝者:KAZUMA / 判定3-0 / 主審:桜井一秀
副審:椎名20-19. 仲20-18. 宮沢20-18

《取材戦記》

藤本ジムでの緑川創は勝次とともにエース格。8月に「KNOCK OUT」出場も宮越宗一郎(拳粋会)にダウンを奪われ判定負けをしていますが、その後再起2連勝。来年こそは飛躍しなければならない、何とかビッグタイトルに挑んで欲しいところです。

2018年新春興行は1月7日(日)に後楽園ホールで治政館ジム興行「WINNERS 2018.1st」が開催されます。昔の新春興行は元旦から1週間以内に日本系、全日本系のタイトルマッチが豪華に行なわれたものですが、現在は国内主要タイトルだけでも昔以上に多くあるのに新春に限らずタイトルマッチは少ないのが現状。そして「KNOCK OUTに出場したい」と言う選手も多く、目指すはビッグイベント出場へ、価値観が変化してきた現在、来年もその勢いが増すことでしょう。

両国と後楽園で、江幡塁、重森陽太、江幡睦、勝利のスリーショット

▼堀田春樹(ほった・はるき)[撮影・文]
フリーランスとしてキックボクシングの取材歴32年。「ナイタイ」「夕刊フジ」「実話ナックルズ」などにキックのレポートを展開。ムエタイにのめり込むあまりタイ仏門に出家。座右の銘は「頑張るけど無理しない」

一水会代表 木村三浩=編著『スゴイぞ!プーチン 一日も早く日露平和条約の締結を!』

三上治さん

吉本隆明の一番弟子であり、また元ブント(共産主義者同盟)叛旗派の「親分」でもあり、さらに現在ではテントひろばメンバーとして活動を続ける三上治(味岡修)さん。2017年9月、彼の新刊『吉本隆明と中上健次』(現代書館)が上梓された。三上さんには吉本・中上との共著もあり、また雑誌『流砂』(批評社)でも繰り返し吉本などについて論じてきたのだ。

そして10月20日、「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」が、小石川後楽園涵徳亭にて開催された。今回、この書籍と「出版を祝う会」について、3回にわたってお届けする。今回はその最終回である第3回目だ。

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

案内文は以下の通りだ。

「我らが友人、三上治さんが『吉本隆明と中上健次』を刊行しました。彼は今、経産省前での脱原発闘争や雑誌『流砂』の刊行を継続しながら、『戦争ができる国』への足音が近づくなか、それを阻止すべく奮闘しています。指南力のある思想がみえなくなっている現在、思想の存在と可能性を問う試みをしているのだと思います。

何はともあれ、出版のお祝いをしたいと思います。安倍政権のなりふり構わぬ解散の喧噪をよそに、都心の庭園を眺めながら歓談しようではありませんか。どうか万障お繰り合わせの上、お出かけください。心よりお待ち申し上げます。」

淵上太郎さん(「経産省前テントひろば」共同代表)

発起人は伊藤述史さん(東京女学館大学・神奈川大学講師)、今井照容さん(評論家・編集者)、菊地泰博さん(現代書館代表)、菅原秀宣さん(ゼロメガ代表取締役)、古木杜恵さん(ノンフィクションライター)。テントひろば、元ブント、元叛旗派のメンバーから、出版・文学関係者、評論家まで、三上さんの幅広い「友人」たちが、新刊の出版を祝うべく集まった。

◆「何のために生きるのか」という問い

10月20日の「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」では、多彩な顔ぶれによる挨拶がおこなわれた。

9条改憲阻止の会やテントひろばの仲間である淵上太郎さんは、「『味さんは、革命家ですか、評論家ですか』という質問をしたところ、『私は革命家だ』との答えを得た」と振り返る。また、「互いにテントに足を運ぶのは、吉本さんの現場主義と密接に連動するのではと最近改めて思う」とも語った。

橋本克彦さん(ノンフィクション作家)は、「三上さんは刑務所にいた頃、吉本の『共同幻想論』(河出書房新社)をボロボロになるまで読み、育ってきた」と伝える。

橋本克彦さん(ノンフィクション作家)

そして三上さんは、「若い頃、僕らは何のために生きるのか、どう生きたらいいのかについて、ずっと悩んでいた。これに回答を出してくれるのではないかと思い、吉本にこの質問をぶつけたら、彼は下を向いて困ったような感じでありながら、共同性と個人性に関する思想の話をした。それをまどろっこしいと思って聞いていたが、やはり共同性のこと、詩(作品)のこと、自分の身体や病気のこと、連れ合いや孫など家族のこと、政治のことなどを並行して考えながらやっていくしかないということを吉本さんはいったのだろうと改めて考えている。そして、吉本さんも回答を出しきれなかったのだろうと思っている」と語った。

また、中上については、「悩みの中にある人間が大事で、それが人間の本質であることを示したのではないかということに安心・共感してきた」という。

そして、二人の共通性として、次の言葉も口にした。

「吉本も中上も、積極的に他者に関わる形の自意識のあり方が苦手というか、どちらかというと受け身の方でした。これは人間の他者との関係でもありました。その受け身の意識という問題を抱えていた。これは自我の問題でもあるのですが、受け身の在りようを日本人の意識の形として否定的ではなく考えようとしました。これは日本人の歴史的な在りように関わることでそこで近代自我と格闘したのです。それを最初にやったのは漱石でした。夏目漱石は当時、ヨーロッパと遭遇し、意識としての人間のあり方を考えたのではないかと思います。この自意識についてまともに考え、書いたのはその後は太宰治です。自意識を積極的に展開することに拒絶反応があり、受け身の意識の形の人間の価値や意味をうちだそうとして、吉本と中上は苦しんだのではないかと思います。そういう人間に対する理解ややさしさがあったのです。吉本の大衆原像論や中上の路地論には根底としてそれがあったように思います。僕は、吉本や中上と会って、自由や安らぎを感じた。それにはこれがあったのだと思いますが、若い世代に伝わるのだろうかと、本書を書きながら思いました。もう少し違う形で書ければという気持ちが残ったところです」

福島泰樹さん(歌人)

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

祝う会の後半では、福島泰樹さん(歌人)による「短歌絶叫コンサート」もあった。

そして、足立正生さん(映画監督・元パレスチナ解放人民戦線ゲリラ)は、「『人間は幻想の存在だ』と60年代から世間を惑わした吉本と中上について書いているが、もっと悪いのは味岡。自然と非自然(倫理学で、道徳的な判断の対象となるのは自然的事実・事物によって構成され、快楽や進化を善と考える自然主義と、自然的対象・存在ではないとする非自然主義)、永久革命論(社会主義革命は一国内では不可能で、世界革命にいたって初めて可能になるとする理論)。そういう具合にまとめるのではないが、三上がまとめねばならない。中上や吉本は中間点。墓でなく、生きた革命の博物館がここにある。アジテーターはオレでなく味岡。今後も書くということは、永続革命をやるということだ」とエールを送る。

菅原秀宣さんは、「弟子として、味岡さんからは、人のことを下げて自分を上げない、人を排除しないことを教わった」という。

足立正生さん(映画監督、元パレスチナ解放人民戦線ゲリラ)

伊達政保さん(評論家)は、「ジョンレノンはニューヨーク・コンサートで『叛』の字の入ったヘルメットを被った。『イマジン』は共同幻想論」と三上さんの功績を告げた。

また、金廣志さん(塾講師・元赤軍派)は、「連赤(連合赤軍)の後に一五年間逃亡。いちばん読み、苦しいときに助けになったのは、味さんの文章だった。味さんだけが自分の言葉を使った」と評価する。

私は三上さんと出会い、吉本隆明や谷川雁と出会った。記憶が正確でないかもしれないが、「自由を求め、あがき続け、日々を更新し続ける」という三上さんが伝えてくれた言葉は常に活動する私を支えてくれる。原発について、人間の存在について改めて問いかける本書。ぜひ手に取ってほしい。(了)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。
◎「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」(『紙の爆弾』12月号)
◎「現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』」(デジタル鹿砦社通信) 

 

『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点 [報告]三上治さん「どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して」他

 

三上治『吉本隆明と中上健次』(現代書館2017年9月)

吉本隆明の一番弟子であり、また元ブント(共産主義者同盟)叛旗派の「親分」でもあり、さらに現在ではテントひろばメンバーとして活動を続ける三上治(味岡修)さん。2017年9月、彼の新刊『吉本隆明と中上健次』(現代書館)が上梓された。三上さんには吉本・中上との共著もあり、また雑誌『流砂』(批評社)でも繰り返し吉本などについて論じてきたのだ。

そして10月20日、「三上さんの『吉本隆明と中上健次』出版を祝う会」が、小石川後楽園涵徳亭にて開催された。今回、この書籍と「出版を祝う会」について、3回にわたってお届けする。このテキストは、その第2回目だ。

◆「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能」

この3回分の原稿は、『NO NUKES voice』掲載予定が変更になったのだが、当初は中上について、あまり触れなかった。それは、中上の原発への言及は本書で特に記されていなかったからだ。ただし、本書の第4章は「中上健次へ」、第7章は「再び、中上健次をめぐって」の章タイトルがつけられている。たとえば4章では、「中上と三島の差異」として、三島由紀夫との比較が綴られているのだ。

そこでは、中上の長編小説『枯木灘』が取り上げられている。以下、『枯木灘』のいわゆるネタバレを含む。主人公・秋幸は海と山と川にはさまれた環境でありながらも食い扶持の得られない「路地」に生まれ育つ。彼は父・龍造を「蠅の王」「蠅の糞」と呼び、龍造は「一向一揆の苦しみを伝える」浜村孫一(鈴木孫一を指すとも)の子孫であると主張して碑を建てる。「蠅の王」といえば、ウィリアム・ゴールディングの小説が想起され、わたしもハリー・フック監督による映画化作品を観たことがある。秋幸は異母妹と知らず、さと子と関係を結んでしまうが、それに対して龍造は「しょうないことじゃ、どこにでもあることじゃ」と口にするのだ。秋幸は、この関係を含め、「誰にでもよい、何にでもいい、許しを乞いたい」と願う。そして彼は、浜村孫一を「男(龍造)の手から」「取り上げる」ことで「男を嘆かせ苦しめ」ようと考えもした。だが、「日と共に働き、日と共に働き止め、黙って自分を耐えるしかない」と思い、「徒労」を快と感じるような労働によって「無」になる日常を続ける。しかし、盆踊りの唄「きょうだい心中」が暗示するとおり、そして異母兄の郁男が秋幸も龍造も殺せず自死したことなどにも似たように追いつめられ、結局秋幸は異母弟の秀雄を殺してしまう。育ての親である繁蔵は、秋幸をかわいがってきた。ちなみに「きょうだい心中」は類似の歌詞を作者不詳とし、山崎ハコが曲をつけて歌っている。

▼三上治(みかみ・おさむ) 1941年、三重県生まれ。66年、中央大学中退。75年、共産主義者同盟叛旗派から離れ、雑誌『乾坤』を主宰し、政治評論・社会評論などの文筆活動に専念。編集校正集団聚珍社に参画し、代表を務める。同社を退職後、再び文筆の活動をおこない、「9条改憲阻止の会」で憲法9条の改憲阻止の運動を遂行。著書に『一九七〇年代論』(批評社)、『憲法の核心は権力の問題である──9条改憲阻止に向けて』(お茶の水書房)ほか多数

三上さんは、この作品と、三島の『太陽と鉄』を比較し、「秋幸は三島のこの世界を連想させるが、三島の人工性と違って、秋幸には自然性が感じられる分だけ魅かれるところがある」と述べる。『太陽と鉄』は未読で恐縮だが、吉本さん・中上さん・三上さんの共著『いま、吉本隆明25時』(弓立社)の中上健次「超物語論」の冒頭で吉本は「日本の物語は、よくよく読んでいきますと、人と人との関係の物語のようにみえていながら、大体人と自然との関係の物語です」と語っているのが興味深い。もちろん三上さんの「自然性」と吉本の示す「自然」に相違はあろうが、共通する部分もあると思う。

また、三上さんは、「真実を書くのは恐ろしいことである」として、「濃密な親子、あるいは兄弟関係、愛と憎しみとが表裏にある世界、この真実の関係性を表現したのである。これが中上の作品が現在でも色褪せず、輝きを失わない理由である」「真実の世界が表現されることは、政治的な表現では不可能である。それが言い過ぎなら部分的である。このことは確かであり、政治的解放が人間の解放にとっては部分的であるのと同じだ」と記す。これもまた、『いま、吉本隆明25時』の「超物語論」の後に登壇した吉本が「党派的思想というのは全部無効ですよ。真理に近いことをいったりやったりするほうが左翼ですよ」と発言していることと結びつく。

◆土地や血縁の呪縛

『枯木灘』から個人的に、田中登監督の劇映画『(秘) 色情めす市場』を連想した。人は、「血」や環境や条件を選んで生まれてくることができない。だが、それに抗おうとして生きる。しかし、抗おうとするほど、深くそこに飲み込まれていくのだろう。『枯木灘』で秋幸は、ある種の復讐を果たしたかもしれないし、せざるをえなかったのかもしれない。『(秘) 色情めす市場』でも、女性主人公が絶望したからこそ、あのラストがある。現在、貧困、環境による「不幸」、絶望は見えづらくなっているが、わたしは、このような世界と紙一重の世界に生きているという実感をもつ。ただし、『枯木灘』は、徹の姿で幕を閉じる。徹もまた土地や血縁の呪縛から逃れることはできないのかもしれず、奇妙な読後感が残るのだ。ちなみに龍造の視点で綴られる番外編『覇王の七日』も書かれた。

ところでわたしが好きな作家は、「無頼」で、世間的には「ダメな人間」というレッテルを貼られるような登場人物を描く作品を愛する。この登場人物たちは、時代や環境が変わろうとも、このようにしか生きられないのだろうと感じたりするのだ。いっぽう、中上作品の登場人物は皆、社会の被害者であるように感じた。ひとことで表現してしまうと薄っぺらで恥ずかしいかぎりだが、このあたりに中上さんが吉本さんや三上さんとつながったポイントのようなものがあり、当時はまたそのような人同士がつながる時代であったということでもあるのかもしれない。いずれにせよ、土地や血縁の呪縛のようなものに一時期恨みを抱いていた、そして社会運動を続けようとするわたしにも、中上作品は興味深いものであることはたしかだ。

◆24時間の世界と「25時間目」の世界との裂け目をどうするか

三上さんは『吉本隆明と中上健次』で、「日本国の『共同幻想』」を「超える共同幻想とは、日本人や日本列島の住民の幻想という意味である。文化といってもよい。大衆原像の歴史的な存在様式といってもいい」などと述べている。

『いま、吉本隆明25時』のイベント冒頭で中上は、「十代のころから吉本隆明を読んでいてずっと読み続けているのだけれども、吉本隆明という人間はもともとマルチプル(多様・複合的)なのだけれども、さらにもう少しいままでのレベルをメタのレベルみたいに展開しはじめた。それで吉本さんと突っ込んで話してみたいと思いました」「吉本隆明っていう存在は、もっと、こう、何か一つの事件なんじゃないか。あるいは、一つのプラトーを示している」「一人の思想家が、やっぱりマルチプルにものを考えていくっていうのは、やっぱりすごいことだと思うし、驚異だと思うんです」と挨拶している。そして彼自身は、この集会で、「超物語論」について語っているのだ。

また吉本は、「超物語論」の冒頭で、「典型的な中上さんの物語は、もの狂いの世界に集約されるべき心理的要素といいますか、狂いの要素っていうのが、死者の世界と前世の世界みたいなもののところへまで、拡張されている」ともいう。いっぽう中上は、物語というのは、「コロス(古代ギリシア劇の中で劇の説明をする合唱隊)の問題、あるいはポリフォニー(複数の独立したパートからなる音楽)の問題、それを同時にはらんでると思うんですよ。これは共同性の問題ですよね」と述べ、ミハイル・バフチンのドフトエフスキー文学は各人の思想や人格を尊重されているとする「ポリフォニー論」に触れる。また、質疑応答で島田雅彦が「乱入」するわけだが、これを今改めて読むと、自分の思想を問い直される。個人的には実は、ネイティブアメリカンの「グレイト・スピリット」に共感し、1人ひとりに内なる神が存在する、その内なる神同士を尊重するというコミュニティの考え方が、行き着いた先の2000年代、2010年代にわたしがしっくりくる考え方なのだ。だから、同世代にローカリゼーションや東アジア連帯、エコロジーなどの運動に携わっていく人が多いこともうなずける。そこに吉本は、最低綱領と最高綱領の話をもってくるわけだ。

『吉本隆明と中上健次』終章で三上さんが触れた、24時間の世界と「25時間目」の世界との裂け目をどうするかという、「25時間目」が革命を意味する時の課題。これに向き合うために、『吉本隆明と中上健次』『いま、吉本隆明25時』『枯木灘』を並べて読むということを試みてみた。道楽者仲間の通信読者の方がいらっしゃれば、おすすめの方法だ。感想やご意見もお聞きしてみたい。(つづく)

▼小林蓮実(こばやし・はすみ)[文]
1972年生まれ。フリーライター。労働・女性運動等アクティビスト。『現代用語の基礎知識』『情況』『週刊金曜日』『現代の理論』『neoneo』『救援』『教育と文化』『労働情報』ほかに寄稿・執筆。
◎「山﨑博昭追悼 羽田闘争五十周年集会」(『紙の爆弾』12月号)
◎「現在のアクティビストに送られた遺言『遙かなる一九七〇年代─京都』」(デジタル鹿砦社通信) 

 

12月15日発売『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点 [報告]三上治さん「どこまでも続く闘いだ──塩見孝也さんの訃報に接して」他

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