◆広島高裁の野々上友之裁判長の覚悟が司法や社会へ灯火を輝かせてくれた

『NO NUKES voice』11号【特集】3.11から6年 福島の叫び(2017年3月15日)

2017年師走。ひさびさ胸のすく吉報が全国を駆け巡った。12月13日広島高裁の野々上友之裁判長が、四国電力伊方発電所3号機の運転差し止めを求め、広島市民らが申し立てていた仮処分の即時抗告で運転差し止めの決定をくだした。この決定によって伊方原発3号機は実質的に運転再開が不可能となり、仮処分とは別に争われている本訴で判決が覆らない限り運転を再開することはできない。

この決定が野々上友之裁判長の判断によるものであることは、報道から伝わっていたが、個人的に野々上裁判長を知る方が、野々上裁判長の人となりと、この「決定」に込められた意味を解説してくださった。野々上裁判長は良心的かつ在野精神を失わない裁判官として、法曹界の一部ではかねてより名前を知られていた方だそうだ。今回の「決定」を下すにあたっても、「完全でまったく抜け穴のない『決定』にすれば最高裁での逆転がありうることから、運停停止の期限をあえて『2018年の9月30日』とし、「決定」が確定するように智慧をしぼられたのではないか」とその方は分析しておられた。

伊方原発の危険性は日本最大の活断層「中央構造線」が目の前に走っていることが、最大の危険要素であり、万が一の事故の際には多数の住民が避難できない地理的条件もしばしば指摘されていた。野々上裁判長は運転停止決定の根拠を「あえて」阿曽山の噴火の危険性とした。これは「決定」が言外に川内原発や玄海原発の危険性にも広がりをもつことから、まさに「画期的」な判断と言えよう。野々上裁判長は間もなく定年退職を迎えられるそうだが、裁判官としての集大成として、このように人間の尊厳に立脚した判断を下された。裁判官としての覚悟が、この島国の司法や社会へ灯火を輝かせてくれた。

◆誰一人として無関係ではない福島と原発
 2018年、わたしたちはいかなる「哲学」がいま求められているのか

『NO NUKES voice』12号【特集】暗い時代の脱原発──知事抹殺、不当逮捕、共謀罪 ファシズムの足音が聞こえる!(2017年6月15日)

他方福島を中心に、東北や関東から避難された方々の筆舌に尽くしがたい苦難の日常を私たちは直視し続けたいと思う。福島で被災された方々はもちろんのこと、首都圏でも原発事故が原因ではないか、と疑われる健康被害が顕在化しはじめている。「因果関係」を証明できないのを奇貨として、為政者や悪辣な医師どもは「事故とは関係ない」と言い放つが、証明する責務は事故を起こした側にあるのではないか? 刑事司法では「疑わしきは罰せず」が原則であるが、被爆由来の疾病は完全にそのメカニズムが解明されていない以上「疑わしきはとことん調べる」を基本に据えるべきではないだろうか。

「原発には現代社会の矛盾が凝縮されている」、と『NO NUKES voice』 を編纂する中でわたしたちは学び、読者に伝えようと毎号全力を傾注している。原発じたいの明確な危険性、運転すれば必ず生み出される廃棄物(数十万年から百万年絶たないと無毒化できない)の処理方法が見つからない中で平然と行われる再稼働、「経済至上主義」=目の前の利益回収だけにしか興味がなく、自分の定年や世代だけの利益が回収できればよいとする、究極の無責任。その重大命題への関心を捻じ曲げるために躍起になる経済界、電力会社、広告代理店、御用学者。そして「平和の祭典」の名のもとに、あろうことか「東北復興」を錦の御旗に開催されようとしている「東京五輪」。日々7千名と言われる事故収束作業に従事する作業員の方々の被爆・健康管理への無関心。

原発を凝視すればそこから現代社会(文明)の根腐れした課題と、必要とされる「哲学」の欠如が必然体に浮かび上がる。2018年、わたしたちはいかなる「哲学」がいま求められているのか、も編集の課題に据えようと考える。誰一人として無関係ではない、無関係でいようと思ってもそうはさせてくれない。政治と市民同様の関係がいま生きるすべての人びとと原発のあいだには宿命づけられている。

◆「東京五輪」や「改憲策動」は福島復興の妨害物である

『NO NUKES voice』13号【創刊3周年記念総力特集】多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて(2017年9月15日)

「果報は寝て待て」では前進できないし「寝た子を起こす」ことなしに「原発」をとりまく巨大なシステムを打ち崩すことはできない。全国各地、世界中で地道に反・脱原発に取り組む皆さんと手を携え、文明・哲学の視点からも原発問題を徹底的に読み解き、いまだ示されぬ解決への道筋(それは多様で多岐にわたろう)を着実に探っていきたい。微力ではあるが『NO NUKES voice』 はそのための情報発信媒体としての役割を自覚し、みずからもさらなる成長の階段を上がらなければならないと自覚する。

さしあったってまったく福島の復興の妨害物でしかない「東京五輪」や「改憲策動」にも目配りをしながらみなさんとともに歩みを進めていきたいと覚悟を新たにするものである。道程は短くないかもしれないが、今日の1歩がなければ明日はやってこない。諦念に陥ることなく、地道にともに闘うみなさんを少しでも元気づけられる存在となれるよう、また原発に楽観的(無関心)な方々に「気づき」のきっかけとなれるよう、その一端を担いたい。

▼田所敏夫(たどころ としお)
兵庫県生まれ、会社員、大学職員を経て現在は著述業。大手メディアの追求しないテーマを追い、アジアをはじめとする国際問題、教育問題などに関心を持つ。※本コラムへのご意見ご感想はメールアドレスtadokoro_toshio@yahoo.co.jpまでお寄せください。

最新刊『NO NUKES voice』14号【新年総力特集】脱原発と民権主義 2018年の争点(2017年12月15日)

多くの人たちと共に〈原発なき社会〉を求めて『NO NUKES voice』