久しぶりの講演に会場は満員!
「共謀罪」が政治過程に上る中、
「名誉毀損」に名を借りた自らの逮捕・勾留事件の体験を話す!

松岡利康=鹿砦社代表

4月15日(土)夕刻、東京・水道橋の「たんぽぽ舎」が運営する会議室「スペースたんぽぽ」に多くの方々に集まっていただきました。久しぶりに私が12年近く前(2005年7月12日)の自らの逮捕・勾留事件について話す機会を与えていただいたからです。会場は、予想を越えて90名近くの方々で満員、熱気溢れる講座でした。菅直人元首相の講演以来の盛況だったとのこと、当初用意したレジメ・資料30セットでは足りずに、慌てて増刷りをしたほどでした。

この集まりは、たんぽぽ舎が3・11以来適宜継続的に行っている講座の一環で、実に今回が460回目だということです。今回は「浅野健一が選ぶ講師による『人権とメディア連続講座』」の第8回で、テーマは「表現の自由弾圧事件--懲罰としての逮捕、長期勾留」。私は「私が巻き込まれた、『名誉毀損』に名を借りた出版弾圧事件」について自らの体験と、逮捕以来12年近く思ってきたことを話させていただきました。

単なる地方小出版社の経営者にすぎない私の話になぜ多くの方々が関心を抱き参加されたかというと、「共謀罪」なる稀代の悪法が政治過程に上り国会審議が始まったからだと思われます。主催のたんぽぽ舎や浅野健一さんの狙いもここにあるのでしょうか。

つまり、私が逮捕・勾留された当時は、これに至るには刑事告訴→検察(あるいは警察)受理→捜査という一定のプロセスを経るわけで、それなりの日数もかかりますが、「共謀罪」が制定されれば、法的なお墨付きが出来るわけですから、そのプロセスは必要なく、すぐに逮捕することが可能になります。参加者が多かったのは、この危機感をみなさんが感じ取られていたからでしょうか。

◆「表現の自由」「言論・出版の自由」は〈生きた現実〉の中で語るべきだ

講座の内容は、追ってYou Tubeでも配信されるということですから、詳しく知りたい方はそれをご覧になっていただきたいと思いますが、私の話の概要は次の通りです。

一 事件の経緯、二 人権上問題となること、三「表現の自由」「言論・出版の自由」とは何か?、四「表現の自由」「言論・出版の自由」上の問題
ということでした。

私が最も言いたかったことは、憲法21条に高らかに謳われながらも形骸化、空洞化しつつある「表現の自由」「言論・出版の自由」──耳障りの良いこれらの言葉を机上でこねくりまわすのは簡単ですが、それではまさに〈死んだ教条〉になってしまいます。「共謀罪」や権力弾圧がリアルに〈生きた現実〉として迫っているのですから、私たちも〈生きた現実〉として語らなければならないということです。

事件の経緯を振り返れば、事件の一因となった書籍を刊行したのが2002年4月、それから出版差止仮処分、刑事告訴、逮捕→勾留、有罪判決(懲役1年2カ月、執行猶予4年)と民事訴訟での高額賠償金(600万円+利息)、控訴審、上告審を経て確定、執行猶予を不服とする再告訴、これが不起訴となる2011年6月まで9年間の月日が掛かり苦しめられました。本当にきつかった。これは体験した者でないとわかりません。

この間に、私が経営する出版社「鹿砦社」は壊滅的打撃を蒙り、いちどは地獄に堕ちました。正直「もうあかん」と思いましたし、弁護士もそう思ったとのことでした。しかしながら多くの方々のご支援により運良く再起できました。私も「このままでは終われない」と死に物狂いで働き運良く再起できましたが、普通は死に物狂いにもがいて地獄に堕ちたままでしょう。

「こいつはイジメたらんといかん」と警察・検察・権力に目をつけられたら、それは凄まじいものです。当時「ペンのテロリスト」を自称し、「巨悪に立ち向かう」と豪語、これが当時警察キャリアを社長に据えていた警察癒着企業や警察・検察を刺激し、警察のメンツにかけて本気にさせてしまったようです。

今でも「われわれにタブーはない!」をモットーとする私たちの出版活動に対しては批判も少なからずありますが、私たちを批判する人たちの多くは、自らは〈安全地帯〉にいてのものです。果たしてどれだけ体を張った言論を行っているのか!? 私は半年余り(192日間)ですが、1カ月でも2カ月でも拘置所に幽閉されたらキツいぞっ!

◆心ある方々のご支援で奇跡的再起を果たした私たちは〝支援する側〟に回ります

私、および私の出版社「鹿砦社」は、奇跡的ともいえる再起を果たすことができました。私も死に物狂いに働きましたが、保釈後挨拶に出向き塩でも撒かれ追い返されるかと思いきや高級すし屋に招いてくれ、「人生にはいろんなことがあります。私は支援しますので頑張ってください」と激励し仕事を受けてくださった印刷所の社長(当時)はじめライター、デザイナーさんら多くの方々のご支援の賜物と言わざるをえません。私の能力など、出版業界では並で、大したことはありませんから。本当に有り難い話で、事件から12年近く経ち、あらためて感謝する次第です。

私たちは今、再建なった中で、3・11以降、たんぽぽ舎はじめ幾つかの脱原発の運動グループを継続して些少ながら支援しています。いちどは壊滅的打撃を蒙りながら地獄から這い上がってこれたことへの〝恩返し〟です。かつて支援された側が、今度は支援する側に回ります。もう支援される側には戻りたくありません。

また、私たち鹿砦社は脱原発を今後の出版方針の一つとして定め、たんぽぽ舎のお力を借りて脱原発情報マガジン『NO NUKES voice』を創刊し、すでに11号を数えました。脱原発の老舗市民グループ・たんぽぽ舎はもう30年近くになるということですが、脱原発をライフワークとされる柳田・鈴木両共同代表はじめスタッフの方々のピュアな想いにも励まされ、齢65になった私の今後の方針も見えてきました。鹿砦社東京編集室の〝隣組〟ということもありますが、今後共、最大限共同歩調を取っていきたいと思います。

最後になりましたが、今回の講座で東京で久しぶりに、くだんの「名誉毀損」逮捕事件について話す機会を与えてくださったたんぽぽ舎のみなさん、及び逮捕直後から支援され今回も自身の連続講座の一つに組み入れてくださった浅野健一さんに感謝いたします。 

(鹿砦社代表・松岡利康)

〈原発なき社会〉を求める声は多数派だ!

『NO NUKES voice』11号

2017年3月17日の那覇地裁。山城さん初公判の日

◆5カ月の拘束後に保釈

辺野古新基地・東村高江ヘリパッドの米軍基地建設への抗議行動を巡り、威力業務妨害や公務執行妨害・傷害、器物損壊の罪で逮捕(2回)・起訴されている沖縄平和運動センターの山城博治議長が3月18日夜、5カ月ぶりに解放された。証拠隠滅も逃亡の恐れもない軽微な事件で、152日も投獄された後の解放だった。2015年に悪性リンパ腫で入院したことのある山城さんの長期拘束については、国連人権委員会でも問題になり、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが健康状態を懸念して釈放を呼び掛けていた。

地裁は山城さんに対し、接見禁止を続け、3月13日に初めて妻の面会を認めた。5カ月の投獄は実質的な懲罰だ。

保釈になったのは那覇地裁(潮海二郎裁判長)で初公判が行われた翌日だった。弁護側は山城さんら3人の初公判の閉廷後に保釈請求(12回目)し、那覇地裁は同日夜、保釈を認めた。しかし、検察側は執行停止を求め、福岡高裁那覇支部が18日に保釈を決定。高裁那覇支部は、接見禁止の延長を求めた地検の抗告も棄却した。

報道によると、山城さんは那覇拘置支所前に集まった支援者らに「これから何カ月かかるか分からないが、皆さんと一緒に公判で無罪を勝ち取ろう」と涙ながらに話した。

筆者は3月8日、那覇地裁総務課に「記者席」での取材を要請したが、新盛誠・広報係長は10日、「記者クラブ(13社加盟)の報道機関以外の申請は認めない。傍聴券を求めて並んでほしい」と通告してきた。

那覇地裁の正面玄関には鉄柵でバリケードが築かれ、裁判所の職員、民間警備員が2列で警備した

地裁本館の玄関前にいた警察官がビデオカメラを示威行動する市民に向け続けた

17日午前8時半から9時まで地裁近くの公園で傍聴券配布が行われ、一般傍聴の22席に379人が並んだ。私は抽選に外れ傍聴できなかった。

昨年、宇都宮地裁で行われた今市事件、東京地裁のジャカルタ事件の裁判では、日本雑誌協会の代表取材の形で、フリージャーナリストの記者席での取材を認めているが、那覇地裁は門前払いだった。沖縄の裁判所にも、最高裁と企業メディアが談合する強固なキシャクラブ制度がある。

◆横暴な中央政府に抵抗した正当な闘い

山城さんは昨年10月17日に逮捕され、身柄拘束が5カ月に達していた。山城さんの弁護人、池宮城紀夫弁護士らによると、山城さんは罪状認否に先立ち、「長期勾留と被告人の権利を奪う不当な処遇」に抗議し、「これはまごうことなき不当弾圧だ。闘いは不滅だ」と強調した。米軍キャンプ・シュワブのゲート前にコンクリートブロックを積み上げたとされる威力業務妨害罪について「やむにやまれずとった抗議行動で、正当な表現行為だ」と主張した。

山城さんは米軍北部訓練場への侵入防止用の有刺鉄線1本(2000円相当)をペンチで切断したとされる器物損壊罪について、外形的事実だけ認め、「機動隊の暴力的な排除に対し、やむにやまれず行動を起こした」として、起訴事実のすべてについて行為の正当性を主張した。

弁護側は「政府の横暴さ、圧倒的な警察権力に対する正当防衛だった。刑事処罰は、表現の自由を保障する憲法に違反する」と表明した。

これに対し、検察側は冒頭陳述で「被告が抗議行動の中心を担い、工事を遅延させた」と指摘した。沖縄の民意は新基地反対である。民意を無視して自然を破壊する工事を強行する反対運動の中心を担うことが犯罪になるのか。工事が遅延したのは、翁長知事を先頭とする島ぐるみの非暴力抵抗闘争の成果であり、平和運動を刑事事件にすること自体が憲法違反、国際人権規約違反だ。

山城さんと共謀したとして同様に起訴された添田充啓さんと稲葉博さんも無罪を訴えた。

共同通信などは「山城被告と共謀したとして威力業務妨害罪に問われた66歳の男と、公務執行妨害と傷害の罪に問われた44歳の男も否認した」などと報じた。沖縄のメディアは「山城議長」と報じているのに、ヤマトのメディアは「山城被告」だ。他の被告人2人を「男」と呼ぶのは無罪推定の法理に反している。

照屋寛徳衆議院議員(社民、弁護士)と池宮城弁護士(右)

◆裁判所前で市民約300人が支援集会

3月17日午前、那覇市の城丘公園では3人の裁判勝利や即時釈放を求める事前集会(主催・オール沖縄会議など)が開かれた。その後、裁判所前に約300人の市民が集まり、支援集会を開いた。支援者は夕方まで裁判所付近で「山城さんは無実だ」「いますぐ保釈せよ」などと声を上げた。「裁判所は人権を守れ」「裁判官は市民の声を聞けというシュプレヒコールも繰り返された。

支援会が配布したチラシに「沖縄タイムス、琉球新報の報道は山城博治さんに大きな励みになっている」とあった。

17日夜、県庁まで支援集会が開かれ、池宮城弁護士は「この事件は山城さんら3人の事件ではなくて、皆さん1人1人が裁かれている」と述べた。照屋寛徳衆議院議員(社民、弁護士)は「弁護士として博治に14回接見した。博治が意思を曲げず、日々を送れたのは支援者のおかげと感謝し、無罪であること、沖縄の正義を訴えていくと言っている」と報告した。

◆戒厳令のような那覇地裁の異常警備

那覇地裁は初公判の日、地裁はすべての門を閉じた。正面玄関には鉄柵でバリケードが築かれ、裁判所の職員、民間警備員が2列で警備した。裁判所構内も含め周辺に多数の制服警察官が配置され、機動隊員があからさまに行進するなど警備していた。正面玄関の鉄柵前には市民が座り込んだ。地裁本館の玄関前にいた警察官がビデオカメラを示威行動する市民に向け続けた。鉄柵には「防犯カメラ作動中」と書いた張り紙があった。

憲法で裁判は公開とされている。山城さんの無実と保釈を訴える市民を排除する裁判所は人権無視だ。ここには、国家の暴力装置を使って民衆の抵抗を弾圧する安倍政治の意思と「すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される」(日本国憲法第七六条3)という条文を忘却している裁判所の醜い姿がある。

3月17日夕方に行われた沖縄県庁前集会

▼浅野健一(あさの・けんいち)
アカデミック・ジャーナリスト。同志社大学大学院社会学研究科メディア学専攻博士課程教授(京都地裁で地位確認係争中)。1948年香川県高松市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。共同通信社時代に『犯罪報道の犯罪』(1984年学陽書房)を上梓。1994年に退社し、同年より同志社大学教授に就任。「人権と報道・連絡会」世話人。
浅野教授の文春裁判を支援する会HP: http://www.support-asano.net/index.html
「人権と報道・連絡会」HP: http://www.jca.apc.org/~jimporen/
浅野ゼミHP: http://www1.doshisha.ac.jp/~yowada/kasano/index.html

冤罪とジャーナリズムの危機──浅野健一ゼミin西宮報告集

4月15日(土)18時半より三崎町スペースたんぽぽにて浅野健一が選ぶ講師による「人権とメディア連続講座」第8回開催!講師は松岡利康=鹿砦社代表です!